深淵の錬金術師

 

序、運命に抗え

 

誰も欠ける事は無くキルヘン=ベルに帰還した。

それだけでも良しとするべきなのだろう。

本来だったらまったく良くなどない。

何もかも解決などしていないのだから。

あたしだって、何かわき上がるような力は感じているが、これが都合が良いスーパーパワーの類では無い事も分かっている。

恐らくこれから努力して。

引きだしていかなければならない類の力だ。

事実、帰り道。

弱っている様子を見て、仕掛けて来た獣を返り討ちにした時。

全力で砲撃を叩き込んでやったのだが。

別段、いつもと威力が変わっているようには感じなかった。

変わっているとしたら。

恐らくは、あたしの中の才能。

奴は。

パルミラは上限値を引き上げたような事を言っていた。

そうなると、あたしは。

恐らく今まで以上に。

努力すれば、更なる高みに上がれるようになった、と見て良いだろう。

賢者の石を作った事で。

何か変わったか。

そういう点では変わっていない。

しかし、賢者の石を作った事で、接触したパルミラによって。

何か余計な事をされた。

それは事実のようだ。

アトリエにつくと、自由解散とする。フリッツさんだけは、腕組みしたまま、アトリエに残った。

この人だけは。

皆がのたうち廻っている中。

比較的平気な顔をしていた。

それどころか。真実を見た後。

ずっと厳しい顔をしている。

何か言いたい事があるのかも知れない。

皆、休むようにとフリッツさんはいつになく厳しい顔をして解散の音頭を取ったのだけれども。

やはり、あたしに言う事があるようで。

皆がいなくなるのを待ってから口を開く。

「すまぬが、茶を出してくれるか。 少しばかり長い話になる」

「分かりました」

「疲れている所済まないな。 プラフタ、君も同席して欲しい」

「はい」

あたしが茶を淹れて。

砂糖とか蜜とかも用意する。

これらはとても高級な品だ。

実際、貧民の子供は、甘いものなんて食べる機会さえ無い場所もあると聞いている。

この辺りは違う。

ただそれだけだ。

フリッツさんは、茶に少しだけ砂糖を入れると。

しばし黙り込んだまま茶を飲む。

あたしは蜂蜜を。

プラフタは砂糖とミルクを入れていたけれど。気分だけだ。飲めないのだから。

「フリッツさんだけは、平気な様子でしたね」

「私は……地獄を見てきたからな」

「地獄ですか」

「雇われて彼方此方で戦う人間は、基本的に使い捨てだ。 レオンもそういう意味では地獄は知っているだろうが、私と妻、それに娘は。 それとは比較にもならない地獄を見てきた」

フリッツさんは話してくれる。

ドラゴンに襲われた村を助けに行ったときのこと。

焼け焦げた死体の山。

親を求めて泣く子供の両足は炭になっていて。

両親だったらしい存在は、そばで焼け焦げていた。

必死に戦っただろう魔族の死体。

上半身が吹き飛ばされ。

ブレス一発で消し飛ばされたのは明白だった。

ドラゴンとは戦えない。

その魔族が、歴戦の勇者だった事を知っていたフリッツさんは。その時に悟ったそうである。

「情けない話だがな、実はドラゴネアと戦った時、私は死ぬ事を覚悟していた。 今の私と同等以上の実力を持っていた魔族の傭兵が、ドラゴンには手も足も出なかった事を知っていたからな。 ソフィーの錬金術による支援があると分かっていても怖かった。 私のように経験を積んだ傭兵でも、怖い時は怖い。 舐められたら終わりの商売だから本当に信頼出来る相手にしか口にはしないが、それは事実なんだよ」

寂しそうにいうフリッツさん。

他にも地獄はいくらでもあると、話をしてくれる。

まだ若い頃。自分と同じ傭兵である妻と一緒に向かった先は。

匪賊の襲撃を定期的に受ける村だった。

匪賊に一度落ちると、人間はまず立ち直れない。

人肉の味を覚えると最悪で。

その状態から社会復帰した例をフリッツさんは知らないそうだ。

ホムの首を落とそうと、満面の笑みで斧を振り上げる男。

だが一瞬此方が早かった。

賊の首を妻が刎ね飛ばし。

フリッツさんが匪賊の群れの中に乱入。

片っ端から斬り伏せ。

全滅させた。

許すものか。生かすものか。

お前達は、弱者を思うままに踏みにじろうとした。正義の鉄槌を下してやる。

鬼神のような暴れぶりは、怒りから来たものだった。妻も、フリッツさんと並んで、同じくらいに荒れ狂った。

傭兵の仲間達も、それを見て怖れた。

だがフリッツさんは。

全てが終わり。

興奮が収まってくると。

むしろあまりの事態に冷や汗を掻き。

言葉を無くしてしまっていた。

気付いてしまったのだ。

殺した匪賊の中には。

まだ子供も混じっていた。

そう。

自分から率先して匪賊になる子供だっている。

暮らしていけない。だから匪賊になる。子供だって、それは関係無い。勿論、そうなると社会復帰は無理だ。殺すしかない。

分かりきってはいた。

殺さなければ、もっと多くの弱い人間が殺される。そればかりか、生きたまま喰われてしまう。斧で首を叩き落とされ掛けたホムのように。

その時、フリッツさんは、何かが失われた気がしたという。

おかしな話で。

娘が出来たのは、その戦いの直後だったそうだ。

他にも地獄はたくさん見てきた。

腐りきった貴族に、貧民街にいる犯罪組織を皆殺しにしてこいと依頼された時のこと。

犯罪組織を構成しているのは、子供達だった。

それも、邪悪な薬物を売りさばく、悪鬼のような組織で。ボスはまだ十三歳だった。

天才的な犯罪の才能があったのだろう。

薬物は常習性があり。

一度口に入れるともはや逃れる事は出来ず。

心身をめちゃめちゃに蝕みながら。

金も生活も全てをむしり取っていく。

一人だけ贅沢をするために。

周囲の全てを地獄にする。

したり顔で、この世は強い者のもので弱い奴には何をしても良いとご高説を垂れる犯罪組織の長を。子供と分かっていながら、首を刎ねなければならなかった。

そして、薬物は全て燃やした。

すがりついてくる中毒患者。

それを奪わないでくれ。

この世界で生きて行くには、それが必要なんだ。

せめて夢くらい見させてくれ。

飢え衰えた者達がすがりついてくる。痩せこけて、死にかけている彼らの目に光などなかった。

それは、本物の地獄だった。

悪行を働く傭兵もいた。

匪賊に荷担する者まで。

傭兵に互助組織のようなものはない。正確には、そんなものは作る余裕が無い。

ただ仕事をすると、給金を貰える。良い仕事をすると、雇い主から紹介状のようなものを書いてもらえる。

大きな街の主などの紹介状は、魔術で強力な防御が施されていて。

場合によっては錬金術が使われている事もあり。

チンピラ程度には偽造できない。

フリッツさんはそれを何枚も持っていて。

だがその全てに血が染みついていると言った。

「妻はやがて限界が来て、神の下に帰依した。 私はそれを止められなかった。 私に匹敵する凄腕だったし、戦場ではこれ以上も無いほど頼りになる相棒だったが、どうしてそれを止められただろうか。 娘を連れて傭兵をしながら、私は血しぶきを浴び、戦場を駆け回った」

勿論猛獣やネームドを相手にすることもあった。

自警団を率いて戦う事もあった。

だが、汚れ仕事も散々やった。

そんな中、唯一の癒やしとなったのが。

家族共通の趣味である人形劇だった、という事だった。妻の所に行く時も、人形劇が共通の話題になったという。

なるほど、そういうことだったのか。

あたしには分かった。この人が、どうしてあの場所で、平然としていられたのか。勿論精神にダメージは受けていただろう。

だがそれでもある程度耐え抜けたのは。

世界が最初から。

想像を絶する地獄で。

神がいたとしても。

いきなり良くなることなど、絶対にあり得ないと、知っていたからでは無いのだろうかと。

「ソフィー。 君は可能性を見いだされたようだな。 私からも頼みたい。 この世界を、地獄では無い場所にしてくれないだろうか」

「パルミラの記憶は見たと思います。 あたしもこれから全力は尽くしますが、小手先の行動でどうにか出来る事ではありませんよ」

「分かっているさ」

「ですが、貴方ほどの傭兵が協力してくれるのであれば心強いです。 これからも連携して動きましょう」

握手を交わす。

フリッツさんは、奥さんと娘さん相手の書状を書いてくれた。

娘さんは方向音痴だとかで、好き勝手に彼方此方を旅しているそうだが。

実力の方は折り紙付き。

特にパワーに関しては、生半可な魔族では真正面から叩き潰されるほど、だそうである。しかも夜の二倍状態で、だ。

奥さんの方は、アダレットの首都にいると言う。

今では恵まれない生まれの孤児達を引き取って。

彼ら彼女らを守りながら、決して楽園とは言えないアダレットで、隠遁生活をしているそうだが。

ただし剣術の腕は衰えていないし。

魔術も今のモニカと同等かそれ以上に使えるという。

以前錬金術師に軽いアンチエイジングを掛けて貰っているそうで。

かなりの高齢になっている今でも、若々しさを保っているのだとか。

フリッツさんもそうなのかと聞くと。

寂しげに微笑まれる。

そうなのだろう。

まあ、確かに年齢にしては凄腕だと思っていた。衰えを、ある程度誤魔化していた、と言う訳だ。

「フリッツさん。 あたしは、これから可能性を探すのと、錬金術の腕を上げるのを、並行で行おうと思っています。 そのためには、まずはこの街の安全を完全確保しなければなりません」

「匪賊は良いとして、ドラゴンとネームド、それに邪神に対する備えだな」

「はい。 出来るだけ早く、東の街とも直接つながるように発展を急ぎます。 防衛体制が整い次第、旅に出るつもりです」

旅か。

フリッツさんは呟く。

決して良いものでは無いぞとも、付け加えられた。

分かっている。

だが、やらなければならない。

「深淵の者とも協力します。 「世界を発展させる」のではなく、「世界の可能性を作る」ために、多数の視点が必要になります。 それには、色々な出自や、違う感覚を持った錬金術師が必要になります。 勿論錬金術師以外の存在も必要になります」

パルミラのスペックは桁外れだった。桁外れという言葉が生ぬるく思える程の存在だった。

彼奴は、恐らく人間がどれだけ背伸びしたって勝てる相手では無いだろう。

だが、世界に配置されている端末に関しては。今のあたしなら、何とか出来る。

人間が増えすぎると、ドラゴンがパワーアップするという話だから。

慎重にやらなければならないが。

しかし、それでも。

少なくとも、ある程度主導権は此方で抑えなければならない。

まずは、各地の孤立している村などを、統合し。

大きめの街に人間をまとめる。

更に爆発的な人間の増加と。

技術の発展は抑える。

新しい技術は作る。

インフラは整備する。

だが、人間が増えすぎると、この世界の抑止機構であるドラゴンによる攻撃は避けられなくなる。

ならば、技術についてはある程度独占しつつ。

人々の生活水準は引き上げ。

なおかつ人間の増加を抑えなければならない。

この辺りをまず課題とし。

その後に、どうにかして、人間の可能性を引き出す必要が生じてくる。

それがあたしの結論だ。

じっと黙って聞いていたプラフタが頷く。

「恐らく、その結論が正しいでしょう。 何も考えずに技術だけ発達させても、恐らくは破滅の未来しかありません」

「簡単な路では無いぞ」

「ええ。 ですから、お願いします」

「分かった。 厳しい話だが、しかし賭けて見る価値はありそうだ。」

あたしはフリッツさんに頭を下げる。

フリッツさんは、少し考えてから。

更に自分が知る、腕利きの傭兵への紹介状を、書けるだけ書いてくれた。

大事に使わなければならないだろう。

いずれにしても。

この街。

キルヘン=ベルの防衛体制の強化と。

世界を平穏にするための準備は。

進めていかなければならない。

フリッツさんが帰った後、プラフタは嘆息した。

「あまりにも言動に問題がある人ではありますが、今後も頼らなければなりませんね」

「そうだね。 言動さえ問題が無ければね」

「ですが、正直な話、あれだけ人形劇に執着する理由も分かった気がします。 あれは恐らく、現実にあまりにも過酷な運命を見た者が。 せめて他人に夢を見せられるように、始めたことだったのでしょう」

「夢、か」

9兆回繰り返した世界。

それは泡沫の夢どころの話じゃあ無い。

どれだけの哀しみと絶望が其処にあったのだろう。

2700京年働いたパルミラ。

頭には来るが。

だがもう面罵する事は出来ない。

人間が思いつくようなことは、あらかた試したのだ。それに、可哀想だから助けたとしても、その後責任を持って自立も促せるようにし。あらゆる試行錯誤も繰り返した存在である。

いい加減な奴だったら。

何回か繰り返して駄目だったら放り出していただろうし。

或いは途中で飽きてしまっただろう。

人間とは比べものにもならないスペックを持ち。

しかも責任感と、それに相応しい行動力を持つ神。それでもどうにもならなかったこの世界。

どうにかすることを、考えなければならない。

あたしは、プラフタに、今日はもう休もうと促した。

明日から、また。

忙しくなる。

 

1、深淵の者と手を

 

アトミナとメクレットが、何事も無かったかのようにあたしのアトリエを訪れたのは、三日後のことだった。

ある程度自由に、ルアードとこの二人の姿を変更できるらしい。

流石はいにしえの大錬金術師。

だが、プラフタは。

まだあまりいい顔をしていなかった。

わだかまりは完全に解けたわけでは無い。昔の二人のようになることは、すぐには出来ないだろう。

意地っ張りではある。あたしからすれば、二人とも互いをこれ以上も無いほど信頼しているのが分かる。ルアードは、本当の意味で真面目で紳士的な人物だった。だからこそ、躊躇無く際限なく自分を汚すことができたのだろうし。

それでいながら最低限の一線を一度超えた後も。堕落し続ける事は無かった。

プラフタもルアードも。

事実上現在は詰んでいるこの世界をひっくり返すためには、絶対に必要な人材だ。

「ソフィー、軽く話をさせてもらおうと思って来たよ」

「茶を出して貰えるかしら」

「まあいいですけれど」

「ああ、プラフタには対等に話しているみたいだし、僕達にも対等で構わないよ」

護衛についている戦士がむっとしたが。

アトミナが笑顔のまま黙らせる。

ルアードは、深淵の者内部で、絶対的な信頼を得ている。アトミナとメクレットに別れた後もそうで無い時もだ。

この世界を、裏側から改革してきた生きた抑止力。

各国に出来なかったドラゴンや邪神の討伐もしてくれてきた。

この二人に救われた存在はどれだけいただろう。

そして作り上げた組織力は極めて強大だ。それこそ、二大国を裏側から動かせる程には。

今後世界の可能性を造りだすには、協力態勢の構築は必須である。

プラフタに、フリッツさんとジュリオさんを呼んで貰う。

モニカとホルストさんにも来て貰うべきか。

ホルストさんは顔役として。

モニカは未来のこの街の主力として。

ジュリオさんは、アダレットの代表として。

この会合に参加する権利がある。

本当は他にもみんな呼びたいのだけれども。

アトリエの広さには限度があるし。

これから行うのは、あくまで協調態勢の確認だ。

どう落とし前をつけるかとか、そういう話はとっくに終わっている。

此処からは、世界をどう良くしていくか。

可能性を作り出すか。

そのための、協力態勢を作るところから始めなければならないのだ。

四人が来た。

ちょっとアトリエが手狭になるが。

話し合いを始める。

アトミナとメクレットの護衛は、一人が中に。残りはアトリエの外に出て、護衛をかって出てくれた。

いずれもが、高度な錬金術の装備に身を固めている面子だ。

ネームドの奇襲くらいなら余裕ではじき返してくれるだろうし。ドラゴンのブレスでも短時間なら防いでくれるかも知れない。

まずは、口を開いたのは、ジュリオさんだった。

「貴方たちを深淵の者の長と見込んで話をしたい。 アダレットとの協調関係について、考えて貰えないだろうか」

「書状は読んだよ」

「悪いけれど、すこしばかり分が悪い話になるね」

「……」

まあそうだろうな。

イフリータというあの魔族の反応は、もっともだった、と言う訳だ。

そもそも深淵の者の特殊性は、圧倒的なバランスブレイカーである錬金術師の。その最高峰人材が、個人的に組織し、まとめているという事にある。世界のバランスを左右する錬金術と言う圧倒的技術を備えた存在が、超国家的、超法規的にまとめあげ。そして第三者機関として世界に関与している。

其処に意味がある。

そう、アトミナは言い切った。

気まずい沈黙を破るように、メクレットが咳払いする。

「君もこの前、現実を創造神に見せられただろう。 少なくとも僕達には野心なんてものは最初からなかったけれど、あれで確信した。 何かしらの理由があったとしても、今後国家に敵対する意味はない。 権力を追求する意味もない。 ただし二大国という態勢が崩れてしまっては困るとも考えている」

「つまり、今までの関係を維持すると」

「いや、此方も譲歩するわよ。 公認スパイを一人置くことにするわ」

公認スパイか。

確かに一人いると、色々と組織間のやりとりがスムーズになる。

スパイを抱えている方は、二心が無いと示すことが出来るし。

スパイを送っている方は、相手に危険な動きが無いか常に心を配ることも出来る。

ただし、譲歩はそれだけだという。

「現在、アダレットの内部にいる僕達のメンバーが誰かは公表できないし、今後もするつもりはないよ」

「厳しい条件だ」

「でも、これが出来る最大の譲歩よ」

「分かった。 此方としても、王女殿下に連絡を取り、許可を貰う予定だ」

それについて。

なんと深淵の者が持っている連絡網を使って、明日にもアダレット王都にジュリオさんを送り届けてくれると、アトミナとメクレットは言う。あたしが使っている旅人の道しるべのようなものだろう。

ジュリオさんは驚いたが。

まあそれもありか。

一秒でも早く、朗報を届けたいだろうし。

書状については、既に用意していたらしい。

禍々しい印を押された蜜蝋で固められた書状を、アトミナが差し出す。

見ていると、行動するのはアトミナ。

補助をするのはメクレットで。

綺麗に役割を分担しているようだった。

恐らく、ルアードの中の心が、そういう風に別れたのだろう。一人の人格を分割すると、面白い事が起きるものだ。

「次にソフィー。 君と話をしておきたい」

「奇遇だね。 此方もだよ」

「うむ。 まず深淵の者としては、この世界の詰んだ状態を打開するためにも、君とプラフタを最大限バックアップしようと考えている」

「ありがとう。 今此処でごねていても仕方が無いからね」

ホルストさんには軽く事情は話してあるが。

それでも、噂に聞く深淵の者の長。

更に国家上層が絡む話。

見ていて心配になるほど冷や汗を掻いているようだった。

フリッツさんは腕組みをして。

無言のまま話を聞いている。

まあ分からないでも無い。

この人にしてみれば、今後の未来は。あたし達の胸先三寸に掛かっていると言っても良い。

「まず様々な書籍を提供しよう。 君に僕達のアトリエにいつでもこられるように、空間転移装置を渡しておく。 君が使っているものとほぼ同じ仕組みだ」

「ルアード、書籍の管理は……」

「シャドウロードが張り切ってやってくれるよ。 何だかあの時に、妙に使命感を覚えたようでね。 今まで人間として生き人間として老いて自然に死ぬ、という考えだったようだけれども。 アンチエイジングを受けて、今後は未来の可能性について模索する事を最大限バックアップするってさ」

「不思議なものね。 人間として生きる事に、あれほどこだわっていたのにね」

揶揄する雰囲気は無い。

ただ、あれほどの魔術師。

支援してくれれば、本当に助かるだろう。

更に、である。

深淵の者は、拠点をキルヘン=ベルに正式に置きたいと言う。

ホルストさんに。メクレットは蕩々と説く。

「昔から我々は、異世界にアトリエと拠点を構えて、一箇所に組織的な拠点を作らず動いてきた。 我々が影働きをさせている対錬金術師の暗殺集団も、今は我々が魔界と呼ぶ異世界の拠点に住居を移している。 だが、此方の世界にも、決まった拠点が一つ欲しいと考えていた所だ。 アダレットではなく、ラスティン首都からも離れている此処は丁度良い立地なんだよね」

「勿論見返りは用意するわよ」

「具体的にお願い出来ますか」

「勿論」

すらっと、ゼッテルを拡げるアトミナ。

其処には、支援事項が幾つか書かれていた。

対ドラゴンの防御支援。

ドラゴンが現れた場合には、深淵の者の精鋭が駆けつけ、攻撃をはねのける。

対邪神の防御支援。

邪神に対する生物兵器、魔王を投入することを約束する。複数の邪神を屠ってきた魔王は、考えうる限り最強の対邪神兵器だ。

発展支援。

今後、キルヘン=ベルが発展するに当たり。あたしがいない時に、補佐をする錬金術師を派遣する。

以上。

これだけでも充分すぎるくらいだが。

更にアトミナは言う。

「此方としては、拠点を代々の長が認め、口外しないだけで結構よ」

「ふむ……」

ホルストさんが考え込む。

実際問題、この世界において、街をどう守るかは最重要事項だ。

特にドラゴンと邪神に対する備えが必須。匪賊はこのくらいの街になればどうにでも対応出来るが、この二種だけは脅威度の桁が違う。

どう撃退するかが、街の生命線になってくる。

ネームドに対する防衛について記述が無い事をホルストさんは指摘したが。アトミナは首を横に振る。

それくらいは自分でやれ、というのである。

まあもっともではある。其処までの面倒は見きれない、と言う訳だ。

ホルストさんは、少し考え込んでから、顔役達と話し合いをしたいと言ったが。

其処で、アトミナが更に追い打ちを掛ける。

「其方の顔役の内、パメラはうちの幹部だから」

「!」

「更に何人かうちの手の者が入り込んでいるからね。 テスもそうだよ」

「そう、だったのですか」

ホルストさんは、冷や汗を掻く。

或いは気付いていたのかも知れないが。

それでも、深淵の者の長から直接こんな話をされたのだ。

冷や汗を掻くのも無理はない、といえる。

しばし考え込んだ後。

ホルストさんは決断した。

「分かりました、良いでしょう。 深淵の者との契約を締結します。 しかし、拠点の提供だけで良いのですか?」

「此方としても、深淵の者がずっと根無し草なのも問題だと考えていたんだよ」

「だから、地に足がついた拠点が前から欲しかったの。 とはいっても、腐りきった大都市に根を下ろしてもね。 この街はかなり体制がしっかりしているし、少なくとも貴方が生きている間は大丈夫そうだから。 組織を引退したメンバーの隠居先も欲しかったしね」

「それはありがとうございます」

ホルストさんは相手が子供に見えても物腰が丁寧だったけれども。

ただ、それは。

ホルストさんが亡くなった後。

次の世代の指導者に、真相を教えるかはまた別の話になる、という事も意味している。

まあそれもそうか。

深淵の者は散々恨みを買っている組織だ。

逆恨みからいつどんな攻撃を受けるか分からないし。

何よりオーバーパワー過ぎる。

あまりにも強力な使い手が揃いすぎていると。

それだけでドラゴンを呼び寄せるだろう。

拠点に関しても、たまに人員の一部が使うだけ、という契約で話は進められ。やがて双方で完全な合意が為された。

なお拠点としては。

新しく作られる、東の街との中間地点にある教会となる事で決定。

神父については、深淵の者から人員を派遣してくれるそうだ。

極めて真面目な神父で、強力な神聖魔術の使い手であり。

なおかつこの世界の理不尽を憎み。

子供達に愛情を注いでいる人物だそうである。実際、彼の教会(孤児院を兼ねている)から立派に成人していった人間は多いそうだ。なお孤児院の子供全員を深淵の者に勧誘している訳ではなく。自分達が深淵の者麾下の教会にいたことを知らずに社会に出た者も多いそうである。

こういった人員も抱え込んでいる辺り、深淵の者の組織における人材獲得と育成が、如何に進んでいたのかよく分かる。

勿論人材をスカウトするだけでは無く。

様々な教育をして。

育てても来たのだろう。

更に話し合いを幾つか進め。

ゼッテルを出してきたアトミナと、膝をつき合わせて話を進める。

印を押し。

内容に譲歩を求め。

或いは妥協案を出し。

丸一日掛けて。

深淵の者とあたしは。

同盟関係を締結した。

外が真っ暗になった頃。先に帰ったホルストさんに続いて、ジュリオさんが腰を上げるが。

アトミナとメクレットも、一緒に立ち上がった。

「では、帰るついでにアダレット王都に送るよ。 真面目で勇敢な騎士さん」

「でも、そこまで真面目だと、肩が凝らないかしら」

「性分だ。 それに、ようやくこれで本当の意味で役割が果たせた。 僕は此処に先輩を弔うためと、それに貴方たち深淵の者との友好関係を結ぶために来た。 僕の主君は残念ながら暗愚という声もあるが、王女殿下は希代の英傑だ。 僕も彼女の指示で動いているし、おそらくきっと満足する答えを返してくれると思う」

「ふふ、王女様と騎士か。 古典的な組み合わせね」

ジュリオさんは小首をかしげている。

この様子では、多分好きとかそういうのは無いのだろう。

生真面目なこの人だ。

多分、相手に抱いているのは完全な忠誠心。

それに本当に真面目な王族なら、恋愛ごっこにうつつを抜かしている暇もあるまい。

こんな過酷な世界だ。

やる事は、それこそ倒れるほど働いても終わらないのだろうから。

そういえば。

ジュリオさんは、この世界の真相についてその王女に話すのだろうか。

聞いていたが。

首を横に振られた。

「一応軽く話はするが、王女殿下にだけに話す事にする。 残念ながら、現在の国王陛下の周囲には、信用できないような輩もそれなりの数がいるんだよ。 酷い汚職に手を染めている人間はいつの間にか消えてしまうけれど、そうでなければ今頃アダレットはどうなっていたか」

「改革、大変そうですね」

「いや、正直な話、君がこれからしなければならない、考えなければならないことに比べれば児戯に等しいだろう。 大丈夫。 王女殿下の辣腕と、それを支える僕達騎士団の力があれば、アダレットは当面安泰だ。 しかも深淵の者と王女殿下が、こういう形で同盟に近いものを組む事が出来たのなら、なおさらだ」

ジュリオさんと、最後に握手をする。

まあ、いつでも会えるだろう。

手を振る。

ジュリオさんは、あたしに対して騎士としての最敬礼をしてくれた。あたしもそれに返す。

そして、ジュリオさんは、この街から去った。

 

会合の最中、ずっとモニカは黙っていた。

彼女にも話をする権利はあったし。

あたしも意見は聞きたかったが。

この間のことが、余程ショックだったのだろうか。

プラフタは、時々あたしと、アトミナとメクレットが話をする時に、アドバイスをくれたのだけれど。

モニカは話を振られない限り、ずっと黙りだった。

立ち会ってくれていたフリッツさんも帰宅。

まだ少しの間はこの街にいてくれるらしいが。

フリッツさんも、もう街を離れる日は遠くないだろう。

オスカーもいずれいなくなる。

他にも、ロジーさんが近々街を離れる、という話が出ているし。

この街も寂しくなる。

防衛戦力に関しては、何よりも心強い組織が味方についてはくれたが。

「ねえモニカ」

「なあに」

「どうして黙っていたの? 時々アドバイス欲しかったんだけどなあ」

「……ソフィー。 貴方、本当に、世界そのものと戦うつもり?」

真剣な表情で見返される。

あたしは、その通りだと答えるけれど。

モニカは、その時初めて激情を浮かべた。

あたしと子供の頃は、本気で何度も殺し合い寸前の喧嘩をしたが。

その時の表情だった。

襟首を掴まれる。

「どうして貴方が!」

「誰かがやらなければならないんだよ」

「貴方はもう、人間の枠組みを外れ始めているの! 気付いている? あの二人、アトミナとメクレットはもう人間じゃ無くて別の存在よ。 プラフタだって、人間とはとても言い難い! 貴方も、人間じゃあなくなりつつある! ましてや、こんな神々が全力でも処理出来ないような案件にこれから首を突っ込んだら、本当に貴方はバケモノ以上の怪物になってしまうわ!」

「構わないよ。 最初からあたしはバケモノだもの」

かあと、口をあけてあたしは笑う。

モニカは一歩も引かない。

あたしは昔っから狂っていたし。

モニカはそんなあたしに、全力で立ち向かってきた。

だから対等だった。

怯まなかったのだ。

あたしの狂気に。

勿論恐れはあっただろうけれども。

それでもあたしに真正面から向き合ってくれるモニカは。オスカーと一緒で、あたしの大事な比翼の友だ。

「あなたの目、昔からドブのように濁っていたけれど、今ではもう深淵そのものよ! あの神を名乗るパルミラって子の目と同じ!」

「錬金術は深淵の学問なんだよ。 そして深淵を覗き込めば、深淵に覗き込まれる。 あのパルミラって創造神は、深淵の深淵。 それに覗き込まれて、あたしは見込まれたんだし、当然でしょう」

「どうして平然としていられるの! 狂っているからなんて、そんなの、理由に、理由に……っ!」

泣き崩れるモニカ。

あれ。

何となくすっと理解出来た。

パルミラとの話が終わった後、モニカは泣いていたが。

ひょっとして、神があまりにも過酷な現実を話したからではなくて。

これからあたしが、人間止めるの確定だと気付いたからか。

そうか。

モニカは、本当に。

あたしのことを心配してくれていたんだなあ。

どこか遠くでそんな事を思う。

創造神パルミラは。

自分が助けた命に対して責任を持った。

創造神ほどのスペックでも。

それで詰んだ。

あたしは詰んだ世界を切開し、打開しなければならない。

その過程で人間止めようが、知った事か。

そもそも自分が人間である事なんぞにあまり興味が残っていない、という事もある。リッチのような、外道にて人間を止める事に興味は無い。ノーライフキングのようになるつもりもない。

だが、あたしは。

今後どのみち。

人間を越えなければならないのだ。

「ねえモニカ。 この世界は詰んでいるんだよ。 人間を遙かに超える創造神でもどうにもできないくらいにね。 だったら、あたしが、どうにかするしかない」

「どうして……どうして家族に恵まれなかった貴方が!」

「あたしにはおばあちゃんがいたっ! ……他の血縁者はどうでもいい。 でも、おばあちゃんと、モニカとオスカーと、兄貴分のハロルさんと。 それにプラフタがいる。 だからどーでもいいね」

「……」

モニカはどうして黙っていたか。

ずっと、ハラワタが煮えくりかえっていたのだろう。

だが、それでも別に良い。

あたしにとって、ずっとモニカは。

喧嘩友達だ。

「モニカもいっそ人間止める?」

「いや」

「そう。 でも、覚えておいて。 あたしにとっては、モニカは何がどうなろうとずっと比翼だよ」

「そうね。 私に取っても、貴方は比翼だわ」

沈黙が続く。

それぞれの思惑が流れる中。

この世界の命運は。

あたしの手の中に、集まりつつあるのが分かった。

 

2、旅の準備

 

最初にやったのは。

光のエレメンタルを殺した影響で出現したネームドの全駆除。

あたしが出られない間、自警団が苦労していたネームドどもを、片っ端から見つけ次第処理。今の実力と装備なら、文字通りの駆除という作業に過ぎなかった。

素材を剥ぎ取り。

回収していった。

色々なネームドがいた。

普通だったら、ただの小さな弱々しい生物の筈が。ネームドになっているケースもあった。

深淵の者は手を貸してくれない。

契約外だからまあ当然だ。

ジュリオさんは既に帰還したが。

まだフリッツさんはいる。

いつものメンバーだけで充分である。

6倍砲撃ふたつ、自身での砲撃をおまけに追加で、クロスファイヤも試してみたが。

火力は充分。

これならば、はっきりいって単純な一方向13倍砲撃よりもいい。

一発外しても他は当たるし。

何よりも、クロスファイヤにすることで、事実上の火力を更に引き上げることが出来る。

充分な成果だ。

やはり拡張肉体を12個まで増やしておいて良かった。

ネームドを狩りつくした後は。

プラフタとルアードのアトリエに出向く。

他の皆にもついてきて貰う。

現時点では、異世界アトリエの一つに、貰った扉を設置している。其処からすぐに出向ける。

流石の本の在庫で。

プラフタと一緒に、空間操作や、高度な錬金術についての本を見繕い、借りる。

勿論ルアードは二つ返事で許可してくれた。

中には絵本などもあったので。

モニカがそれを借り受けていった。

モニカはまだ深淵の者を警戒していたが。

シャドウロードが、あの時の出来事が故か、とても物腰が柔らかくなっていたこともあり。

更にイフリータが少し前に教会に来て、子供達をかまってくれたらしく。

少しだけ躊躇してから、本を何冊か借りていった。

これだけの膨大な書籍。

多分ラスティンの大図書館にも存在しない。

今度、エリーゼさんも連れてきて良いかと聞くと。

ルアードは二つ返事で承知してくれた。

それから座学で勉強する。

というか、プラフタも、自分が勉強するつもりで、あたしに座学をしている様子である。それだけ高度な錬金術と言うことだ。

今あたしが作っているのは。

持ち運べる家だ。

簡単に言うと、異世界アトリエへの扉、つまり旅人の道しるべと同じ仕組みなのだけれども。

それを極限まで圧縮するものである。

なお四次元空間に干渉して、小型化する予定だ。

既に作ってある内部は、数部屋あるかなり大きなアトリエになっている。素材を格納するコンテナも存在し、前にあたしが使っていた錬金釜も此処に設置した。

現在レシピを練っているのだが。

プラフタもかなり考え込んでから、意見を出してくる。

それだけ複雑で。

奇蹟に近い代物だという事である。

「貴方はどんどん複雑なレシピを創造するようになってきましたね、ソフィー」

「まだまだ。 今度は時間を巻き戻すレシピを作って見たいと思っているんだ。 後ね、因果を逆転させるレシピ」

「どのように使うつもりです」

「壊れてしまったものを戻す時とか、調合を失敗した時とか。 少しだけ時間を局所的に戻したい時に使うんだよ」

実際、ちょっとだけ時間を戻したい、という時はある。

世界そのものの時間を戻す事は恐らく無理だろうが。

局所的な時間を止めたり。

戻したり。

そういった事は、理論的には出来る。

というか、あの創造神は世界レベルでやっていたのだ。

強制的に理解させられたが。

この世界における、あたし達が使っている錬金術は、文字通りの神の御技。彼奴の力のごくごく一部。

であれば、同じ事が出来るはず。

更に言えば、彼奴はあの時点でデータを取ったと言っていた。

恐らくだが。

あたしは死ぬ事さえ許されない身になったはずだ。

上手く行かないようなら巻き戻され。

あの時点からまた再開。

この世界が上手く行くまで。

ヒト族。魔族。獣人族。ホム。

皆が手を取り合って。

自立できるようになるまで。

あたしは永遠に、こき使われ続ける事になるだろう。

それは地獄。

文字通りの。

だが、それでも別に構わない。

あたしは最初から狂っているし。

この錬金術そのものは好きでは無い。

世界の理不尽は許しがたいが。

それに対して、幾らでも挑戦できると分かったのだから、ある意味有り難くもあると言える。

「時にソフィー。 旅をして、どうするつもりですか」

「人材を探す」

「人材?」

「この世界の現状だと、本当に運が良くないと、声が聞こえる人間が錬金術師になれるケースはまれだと思うんだ。 そういった人材を探して、少しでも世界の可能性を探すための手伝いをして貰う」

プラフタは真顔になるが。

あたしは本気だ。

勿論深淵の者にも手伝って貰う。

深淵の者も恐らく似たような事はしているはずだが。

あたし自身は、世界全体を回り、理不尽を実力でねじ伏せつつ、それを行っていく。

創造神はあたしに余計な力を与えたようだが。

それでも、あたしだけでは無理だろう。

ルアードとプラフタが加わっても多分駄目だ。

現状を見る限り。

ラスティンの最上位クラスの錬金術師を全部抱き込んでも全然足りない。

最低でも後三人。出来れば四人。

あたしと同レベルの実力を持つ錬金術師がいる。

もう一つ、目的がある。

今のうちにデータを取得しておかなければならない。

創造神は言っていた。

文明のレベルが上がったと判断された場合。

ドラゴンも強くなると。

つまり、準備が整い。

一気に理不尽を解消する時には。

まとめてやらなければならない。

その時のために、貴重な素材は幾らでも必要になってくる。

今までは素材の複製はコルちゃんに頼んでいたが。

彼女だけではとても手が足りないし。

何より今後は、更に貴重な素材が必要になってくるだろう。

ネームドもドラゴンも、狩り倒してやる。勿論邪神も粉砕する。

そうして得られる強力な素材を手当たり次第に集め。

今後の世界の礎にしていくのだ。

いずれにしても、時々キルヘン=ベルに戻りながらも。今まで人間が足を運ぶことが出来なかった場所に。

あたしは出向いていくつもりだ。

孤立している集落などには。

公認錬金術師がいる集落への移動を手伝うか。

それとも大都市への人員移動を促す。

そうすることで、少しでも。

理不尽にあう人間を減らし。人材を確保し。

そして可能性を見つける時の準備をしていかなければならない。

そう。

今までとは違う。

あたしは、今後。

この世界のために。

嫌でも動かなければならないのだ。

それだったら、いっそのこと。

自分から動いて。

全てを打破する。

それだけである。

「いばらの道ですよ」

「言われなくても分かっているよ。 プラフタとルアードは、普通に人助けをしようとしただけでも大変だったでしょ。 元々狂ってるあたしが、世界規模でそれをやろうとすれば、大変なのは分かりきっているからね」

「ソフィー……」

「続き。 レシピを精査しよう」

二人でレシピを精査。

昔は散々手直しが入ったが。

今はもう、二人で建設的にレシピの良い部分を伸ばしていく作業になっているのが実情だ。

借りてきた参考資料も見ながら、レシピをくみ上げる。

膨大な石材がいる。

それはホルストさんに提供して貰うとして。

問題なのは、高度な素材だ。

コンテナを確認する。

手当たり次第にネームドを狩ったことにより、貴重な素材は溢れているが。

まだ少し足りないジャンルの素材がある。

オスカーに声を掛けて、ちょっと森を探りに行くか。

それも出来るだけ危険で、人間が足を踏み入れていない場所が良い。

深淵の者は、今まで人間社会の安定化と、危険なドラゴンと邪神の対処に尽力してきたから。

そういった場所の探索はほぼしていない。

今後はあたしがそれを担当すれば良いことだ。

レシピが出来て、一晩休んでから。

カフェに出向く。

そして、あたしは。

近隣で、最も危険とされる。絶対に近寄るなとされる場所を、ホルストさんに教えて貰った。

 

強力な猛獣が多数生息する森を出ると。

流石に皆がへとへとだった。

モニカが眼鏡を直す。

左手の傷がまだ完治していない。

ごっそり抉られたのだ。

特に、おぞましい奇襲を仕掛けてくる強力な人食い植物が多数生息していて。

森であるにも関わらず、絶対に行くなと言われているだけのことはあった。

オスカーの話によると、植生が極めて不自然だと言う事で。

どうやら大昔の錬金術師が、手当たり次第に栄養を与え。

無理矢理に森を作った結果。

異常な環境が出来上がったらしい。

そうプラフタは結論していた。

採集してきた素材は、いずれも貴重な薬草ばかりだが。

そのための労力は大変なものだった。

一度、キャンプを張って休む。

いっそ旅人の道しるべを使って戻るかとさえ思ったが。

回収が大変なので、これでいい。

素材の確認をしていると、ハロルさんが声を掛けてくる。

「ソフィー。 一撃貰っていただろう。 大丈夫か」

「大丈夫ですよ」

「本当だろうな」

「ええ。 既に治り始めています」

身につけているアンブロシアの花冠のおかげだ。

他にも、更に強力な装備を今後作ろうと思っているが。

コルちゃんが冷や汗を掻いて蹲っている様子を見ると。

あまり無理はさせられない。

協力してくれるホムをもっと増やして。

貴重な素材の量産体制を確立しないと。

今後は厳しいだろう。

更に、貴重な素材をつぎ込んだ道具類にしても。

増やしすぎると、ドラゴンが凶悪化するトリガーになりかねない。

それは今のうちから。

気を付けておかなければならないだろう。

森の地図を作るのは少し厳しい。

オスカーは、森の植物たちがもの凄く怒っている、と言っていた。

彼らは、人間が勝手な事をしたせいで、凄く苦しい思いをしているらしく。人間を憎み抜いているそうだ。

ならば、あれだけ攻撃が熾烈だったのも無理は無い。

レオンさんに至っては、致死レベルの毒まで受けていたほどだ。

あたしがすぐに処置したけれど。

下手すれば、腕を失っていただろう。

今は横になって貰って、静かにしている。

戦いはあまり長引かなかったが激しかった。

その分損耗も酷かったのだ。

焚き火を囲み。

比較的余裕があるフリッツさんに番をして貰いながら。

皆の手当を進める。

ジュリオさんがいたらもう少しはマシだったのだろうけれど。

こればかりは仕方が無い。

深淵の者から人員を回して貰おうかという話をフリッツさんにされたのだが。

あたしから断った。

向こうは向こうで、今も必死に活動をしている。

そもそも世界中に人員が散ってはいるが。

それでも、人員そのものが足りているわけではないのだ。

即応体制を整えるために、常に遊撃の人員は必要とされているし。

何よりも戦力そのものも、絶対というわけでは無い。

創造神と相対した時、あたし達を出迎えた幹部達にしても。

普段は集まることも無く。

それぞれの活動をしている、と言う話だ。

確かに上位のドラゴンや邪神も相手にするという事だし。

人員の損耗や。

スカウトでも、相当に忙しい事だろう。

一通り、薬を使っての応急手当は終える。

レオンさんが、手にしびれが残っているというので、モニカが見る。レオンさんの手は、商売道具だ。何かあったら洒落にならない。

「少し神経が傷ついているようですね。 神聖魔術で回復させておきます」

「ありがとう、助かるわ」

「いいえ」

「レオンさん。 少し良いですか?」

横になって回復魔術を受けているレオンさんの横に座り、意思確認をしておく。

今後、あたしはキルヘン=ベルに常駐は出来ないし。

コルちゃんもそれは同じだ。

コルネリア商会の支店はキルヘン=ベルに残るが、コルちゃん自身がいるわけではない。

フリッツさんは近々キルヘン=ベルを離れる。

オスカーもだ。

手練れは、少しでも欲しい。

「キルヘン=ベルで、貴方を腕利きの傭兵として雇いたいと考えています。 ホルストさんと話した上での結論です。 もしも負傷して戦闘が困難になった場合は、以降は指導役としての立場も用意します」

「あら、終身雇用? 私みたいな中途半端な人間に嬉しいわね」

「もう一つ、服についても一任したいと言う事です」

都会の人間は。

用途に合わせて多くの服を持つと言うが。

キルヘン=ベル程度の経済力の都市では。

そもそも一張羅をずっと着ていくしかない、という人間も多い。

今後は、悲惨な状況の村などに出向いて。

旅人の道しるべを用いて、根こそぎ移動して貰う、というケースも想定される。

そういうとき。

まともな服を作る人間がいる。

今も、糸繰りや機織りをしている者はいる。

流れて来た民の中に、そういった人員がいるのだ。

あたしも何度か世話になった。

だが、彼らは「糸を作る」「布を作る」止まりまでしか出来ない。

服を作るのは、更に難しい技術なのだ。

「二足のわらじが大変な事は分かっています。 しかし貴方にしか頼めません。 それと、弟子の育成もお願いします」

「……そうね、分かったわ」

レオンさんは。

少しだけ悩んでから。

引き受けてくれた。

彼女も既に知っている。

彼女の実家は既に滅亡。親は死亡。兄弟姉妹は離散していることを。

元々虚名に等しかったブランドは存在しない。

逆に言うと。

彼女はもはや、軛から完全に解放されている、という事だ。

なお、深淵の者についても恨んでいないそうだ。

レオンさんの両親は、典型的な汚職官吏で。多くの弱者の生き血を啜って好き勝手をしてきた連中だ。

むしろそれが当然の結末だったのだろうと、静かすぎるほどの反応が返ってきたほどである。

彼女も、あたしと同じように。

血縁上の家族を、憎んでいた。

それが何処かで気が合った理由なのだろう。

魔術による手当が終わる。

後は帰った後、本格的に手当をすれば完治するだろう。

コルちゃんの手当もする。

腕を横一文字に切り裂くように、鋭い傷が走っていたが。傷そのものはもうあたしの薬で消えている。

問題は骨や神経、筋肉などにダメージが変な風に残っていないかで。

モニカが丁寧に診察する。

魔術で念入りに調べて。

問題が無いことも確認。

モニカは嘆息すると。

流石に疲れ切ったらしく、横になって眠り始めた。

「後は私とフリッツで見張りをします。 ソフィー、貴方も休みなさい」

「そうする」

目を閉じると、すぐに眠れる。

訓練の賜だ。

何度か朝までに獣がキャンプに近づいたようだけれど。

フリッツさんとプラフタが追い払ったようで。

あたし達まで、出る必要はなかった。

 

キルヘン=ベルに戻る。

素材はどうにか揃った。ちょっと品質が低いけれど、まあ充分だろう。

収納式テントの作成を始める。

調合そのものは難しくは無い。

問題は上位次元である四次元に干渉することで。

何かしらのダメージで、大変な事にならないように、安全装置をがっつり付けておかなければならない、という事だ。

このテント、実は自分で使う事は想定していない。

あたし自身は野宿に慣れているし。

何より、旅人の道しるべを利用して、いつでもキルヘン=ベルに戻るつもりでいるから、である。

キルヘン=ベルではまだまだ多くの戦略物資を必要としており。

錬金術師が離れられない。

あたしもこれから仕事をするとしても。

しばらくはキルヘン=ベルのケアをしながら、になる。

調合の一番難しい所は。

賢者の石を造る時に使った、異世界の空気が無いアトリエにて行う。

それが一段落すると。

オスカーが訪ねてきた。

オスカー自身が訪ねてくるのは、実はあまり多くない。

思い詰めた表情だったので。

茶を出して話を聞くことにする。

「ソフィーさ。 おいらもあの時に話を聞いて、ちょっと考えが変わった」

「世界中の植物と友達になるのは止めるの?」

「いや、それは止めない。 つい先日行った森でも、人間に強い敵意を持つ植物がたくさんいることは思い知ったし、いずれ植物と人間が仲良くやっていける世界にしたいとは今も思っている。 だけどな。 それだけじゃあ駄目だって分かったんだ」

オスカーは、こう見えて観察力に優れているし。

何よりとても冷静だ。

本気で怒るのは、植物を無体に傷つけた時くらい。

あたしも、オスカーが本気で怒ったところは、あまり見た事がない。

モニカの方が沸点が低いくらいである。

「それで、どうしたいの?」

「二つ、用意して欲しいものがあるんだ」

「伺いましょうか?」

「他人行儀なしゃべり方は止せよ。 客扱いって意味かも知れないけどさ」

くつくつと二人で笑う。

そして、咳払いすると、オスカーは話し始めた。

「一つは旅人の道しるべ。 おいら、一人で出ることにしたんだ。 危険地帯に行く時は傭兵を雇うつもりだけれどもな。 それでも、おいらのために死人を出すわけにはいかないし、旅人の道しるべを使って、いざという時はいつでも撤退できる状況を確保しておきたい」

「いいよ、それで」

「もう一つは連絡手段だ。 おいらでもソフィー、それと深淵の者に協力したい。 今後世界を回ろうと思っているけれど、多分酷い場所や凶暴な獣は散々見る事になると思うからな。 そういう場合は、即座に連絡できるようにしたいんだ」

少し考え込む。

別に旅人の道しるべについては構わない。

今後どうせ更に異世界アトリエは拡張するつもりだ。

勿論二大国関係者に場所は明かさず。

深淵の者と連携して使って行くつもりだが。

主要都市には旅人の道しるべを配置しようとも考えている。

つまり量産するつもりなので。

オスカーに一つあげるくらいは構わないだろう。

問題は連絡手段だ。

オスカーもこの荒野で生きてきて。

あたしと一緒にネームドやドラゴン、邪神とも戦って来た強者だ。

匪賊如きに遅れを取る事は無いだろうが。

人質を取られたり。

或いは隙を突かれたり。

弱っている所を襲われたりといった。

何かしらのミスによる失敗はしてもおかしくない。

そういうとき、あたしのように。人質が死ぬ事を覚悟の上で敵を焼き払ったりと言う事は、オスカーには出来ないだろう。

それがあたしとオスカーの差。

あたしとしても、オスカーを羨ましいとも。

残念だけれど、戦士としては超一流にはなれないとも。

思うが所以だ。

通信装置はブザーの類が良いだろう。

鳴らして貰えれば、居場所が分かる仕組み。

それ以上は必要ないはずだ。

「分かった。 ちょっと考えて見るよ」

「実はアトリエに来る前に、かあちゃんと喧嘩してな」

「家を出るから?」

「それもあるけれど、お前には無理だって言われたんだよ。 深淵の者関連の事は話さずに、今後何をしたいかは話したんだ。 そうしたら、きっぱり言われた」

まあそうだろうな。

あたしも、オスカーの親だったら、そう言ったと思う。

実際問題、オスカーは現時点で、生半可な傭兵なんぞよりも遙かに強いのだが。それでも戦士には向いていない。

一人で生きて行くには。

優しすぎるのだ。

「最悪の場合、おいらよりも、周囲を優先してくれるか」

「其処まで覚悟を決めているんだね」

「ああ。 おいらはこの街では実績があるから受け入れられたけれど、よそではどうせ変な奴扱いだ。 実際移り住んできた人達からも、変な者を見る目で見られたことが何度かあるしな」

そうだったのか。

オスカーは、キルヘン=ベルでは緑化作業の実績で、今や欠かせぬ人材となっている。

今後も、ずっと旅に出ている訳では無く。

時々戻ってきては、緑化作業を指導して貰わないと困る。

旅に出るのも。

恐らく許可は条件付きで、だろう。

ホルストさんならそうするはずだ。

「とりあえず、依頼は受けるよ。 ただし、ホルストさんに言われているだろうけれど、きちんと定期的に戻ってくるんだよ。 そのために旅人の道しるべは使って。 ……隠蔽用の結界を展開できる道具も作っておくかな」

「ありがとう。 助かるよ」

「ね、オスカー。 あたしはもうそもそも死ぬ事が許されないけれど、オスカーも命を無駄にしないでね」

「分かってる。 勝手に死んだりはしないよ」

頷く。

あたし達三人は、距離が近すぎて、結局恋人とかそういうのにはなれないだろう。

だが、故に家族ではある。

あたしにとっては、血縁上の親がどうしようもないカスだった事もあって。更に唯一家族と呼べたおばあちゃんがもういない事もあって。オスカーもモニカも大事な家族だ。

だからこそに、死に急ぐような事だけは看過できない。

旅に出る前に。

やる事が増えたな。

オスカーをアトリエから見送ると。

タスクを増やす。

もう一つ、やる事があるが。

それはまた、考えなければならないだろう。

持ち運び式テントの試運転を開始する。

畳む事は出来たが。

内部が少し不安定だ。

流石にまだあたしも、錬金術師として超一流とまではいかないか。

歪んでいる空間をチェックし。

どう調整すれば良いかを考えてから。

再調整を行う。

プラフタは。

頼まれるまでは、助けるつもりは無いらしく。

じっとあたしがやる事を。

静かに見守っていた。

 

3、離れていても

 

フリッツさんと握手をする。

随分世話になった。

今後も恐らく、旅先で嫌でも会う事になるだろう。この人ほどの実力と、実績を持つ傭兵は多くないからだ。どんなに強くても運が悪ければ死ぬ。そういう世界で生きてきたこの人は、実力と運を兼ね備えている本物と言う事だ。

隣にはロジーさん。

どうやら、それなりの腕前の鍛冶屋が新しくキルヘン=ベルに来てくれたらしく。

彼に引き継ぎをして、引っ越すことにしたそうだ。

ロジーさんは昔から、一箇所に定住しない性格らしく。

今度はラスティンの中心部に行くつもりらしい。

ロジーさんにも随分世話になった。握手をする。

「いっそのこと、護衛を手配しましょうか?」

「私がついているし、比較的安全な経路を通るから大丈夫だ」

「ロジーさんを守りながらで平気ですか?」

「護衛は専門職だよ」

苦笑いをするフリッツさん。

娘さんと奥さんについては、既に情報を貰っている。

まあ、いずれ世話になる事もあるだろう。

二人を見送る。

ホルストさんやヴァルガードさん、ハイベルクさんも、見送りには来ていた。

フリッツさんには本当に世話になった。

あたしが錬金術師として駆け出しで。

ネームド一匹にも本当に大苦戦していた頃から、戦力の中心として活躍してくれたし。

集団戦のイロハを、自警団に叩き込んでくれた。

現在五十名を超える自警団は、更に拡張予定だが。

現時点で指揮を執っているヴァルガードさんとハイベルクさんが、どんどんモニカに権限を委譲している。

いずれ、モニカが名実共にトップになる。

その時の戦力は。

フリッツさんに何ら劣らないだろう。

現時点でキルヘン=ベルの人口は三千五百に達したが。今後は更に増えていく予定である。

あたしもキルヘン=ベルを離れる頻度が増えてきたし。

行き先でネームドを退治する事も増えた。

コルちゃんは一緒に来ることが多い。

出先の街で、コルネリア商店の支部を作れないか見繕っている様子で。

今後は、更に支店を増やしていくつもりなのだろう。

なお、深淵の者が使っている商業ネットワークと連携して動く事も決めているようで。

この辺りは、数字に強いホムの本領発揮である。

いっそのこと、統合してしまおうか、という動きまで始めているようだ。

まあその辺はコルちゃんにやって貰えばいい。

アトリエに戻ると。

手紙が来ていた。

手紙なんて、滅多に来るものではない。

オスカーかなと思ったが、オスカーは別に数日おきに戻ってくるので、違う。見ると、ジュリオさんだった。

この間、深淵の者との接触に成功した功績が評価され(手紙が奪われることを考慮してか、表現を誤魔化していたが)。

更に試験にも受かって。

正式に副騎士団長に就任したという。

其処で分かったそうだが。

やはり、深淵の者に所属していると思われる人員が相当数いるそうだ。

試行錯誤しながら表現を工夫しているが。

これは大変だなと、苦笑してしまう。

切れ者だと噂の王女は、ジュリオさんに懐刀になる事を期待しているらしい。

珍しい巨人族である騎士団長は、まだまだ現役で。

剣の腕も実力も相当なものだが。

しかしながら高齢という事もあり。

数年以内には、騎士団長の座をジュリオさんに譲って引退したい、という話をされたそうである。

この辺りは機密事項になるからか。

暗号を使って書かれていた。

以前符丁を作ったのだが。

それに沿った内容である。

騎士団長か。

どうやらアダレットの王女は。

本格的に改革を進めるつもりらしい。

暗愚だと噂の現王は、完全にお飾りにし。

無能だと噂の弟に集る蠅どもを掣肘し。

しっかり自分で手綱を取って。

国を改革するつもりなのだろう。

ジュリオさんも嘆いていたが、アダレットの騎士団は、決して最強でも無敵でも無い。ネームドを倒す時にも大きな被害を出すという話を何度も聞いたし。今後は改革が必要だと考えているのだろう。

改革か。

あたしとしては、事情を知っている以上、過剰に改革をされると困るが。

困っている人々を見捨てるわけにも行かない。

いずれにしても、今後の広域戦略を考える上で。

ジュリオさんとは連携を取ってやっていかなければならないだろう。

手紙をしまうと。

プラフタが言う。

「ジュリオは良くやっているようですね」

「騎士団長になったら、多少は国は良くなるのかな」

「さあどうでしょう。 知っていますか。 名君は名君として終わる事は滅多に無いのだそうです。 ……いえ、言い間違えましたね。 滅多に無いのです」

「へえ?」

誰でも年を取れば衰える。

過剰な成功体験を繰り返せば傲慢になる。

神童も、二十歳過ぎればただの人、等という言葉もある。

ソフィーのように、才覚を十代半ばから開花させるケースはむしろ普通らしく。

最初から天才やら神童やらと呼ばれていたような子供は。

周囲からの扱いでスポイルされ。

大人になった頃には、すっかり駄目になってしまう事が珍しくないそうだ。

断言するからにはプラフタは見てきたのだろう。

切れ者と言われた人間が、駄目になってしまうケースを。

そういう意味では、500年もずっと同じ信念で生き続けたルアードは大したものだとあたしも思う。だが、プラフタはいつそれを見た。疑問は感じるが、話をそのまま聞く。

プラフタは言う。

大人も同じだと。

若い頃から中年に掛けては、光り輝くような才覚を発揮した人間が。

年老いると駄目になってしまう事が珍しくないのだと。

プラフタは、今更ながらに思い出したという。

生きていた時の事では無い。

魂として彷徨っていた頃の話を、だ。

そういう事か。あたしは納得する。

「私は探していました。 未来を作る事が出来る人間を。 本に宿ったのも、実はずっと昔の事では無いのです」

「そうだったんだ……」

「はい。 恥ずかしい話ですが、貴方の側に現れたのは偶然ではありません。 私は私の理論を証明するために。 無意識のまま、ずっと世界を彷徨い、多くの人間を観察してきました。 これはと思える神童も何人も見ました。 しかしそれらの子供は、周囲にスポイルされてしまうケースが殆どだったのです」

ルアードとは違う意味で。

プラフタは人々を見てきた、という事か。

そしてプラフタは。

人形だけれども。人形とは思えないほど精巧にできた目を伏せた。

「ジュリオも今は良いでしょう。 しかしあの生真面目な性格は、いずれ暴君になってしまう素質を秘めています。 そうならないように、周囲に良い人材が現れれば良いのでしょうが」

「……」

こればかりは何とも言えない。

あたしだって、アダレットに構ってばかりいるわけにはいかないからだ。

既に主要都市と呼ばれる街にも、幾つか足を運んだ。旅人の靴と旅人の道しるべ。更に深淵の者の支援があれば難しいことでは無かった。

おぞましいまでに腐りきっている街はなかったが。

どの大都市にもスラムがあり。矛盾があり。

公認錬金術師だけでは解決できない問題が多数あり。

そして人々はエゴを振りかざしていた。

公認錬金術師達の実力も確認したが。

あたしもプラフタも、此奴には勝てない、という人間は一度も見なかった。ラスティンで動きやすくするために、今後ライゼンベルグに向かって、公認錬金術師試験を受けるつもりだが。

公認錬金術師になるのは、あくまで動きやすくするため。

連中の実力は分かった。

世界を変えうる人材がいない事も。

ならば、今後はあたしが足で探していくしか無い。

最低でも三人。出来れば四人。

世界を改革しうる人材を。

いなければ、最悪「作り出す」事を考える必要もあるかも知れない。

創造神はあたしに干渉し。

才能の上限を伸ばした。

創造神の力の一部が錬金術であり。

それを行使している以上。

あたしにも同じ事が出来るはずだ。

人間を遙かに超えるスペックを持つ創造神が、想像を絶する試行を繰り返してなお駄目だったとしても。

あたしは乗り越えなければならない。

そのためには、手段など選んではいられない。

勿論、旧友であっても。

利用できる時は、利用しなければならない時が出てくるだろう。

「ねえプラフタ」

「怖い顔をしていますよ」

「分かってる。 あの創造神の言う事は真実だった。 もしも創造神がなしえなかったことをなしえるとしたら、何が起きた時だと思う?」

「単純に創造神を超えるのは不可能でしょう。 突破口があれば、今まで存在しなかったアプローチをして行くしかありませんが……人間が思いつく程度の事は、全て試しているでしょうね」

ならば。

人間が思いつきもしないようなアプローチを出来るようにしていかなければならない。

超克。

それが必要なのだ。

そのためには、今までの思考回路や既成概念は、全て捨てるくらいの覚悟が必要になるだろう。

その時あたしは。

あたしでいられるだろうか。

人間で無くなる事は別にどうでもいい。

モニカが言ったように、あたしはもうとっくに人間の枠組みを外れつつある。

だからそれはどうでもいいのだけれども。

あたしという個が。

そうでなくなることについては。

少しばかりは、思うところが無くもなかった。

ただし、それも必要な事か。

ふと気付く。

声が聞こえる。

それも、雑音では無い。

今までに無いほどにクリアに。

教えてくれる。

私は何になりたい。

私を何にして。

そういった風に。

具体的に全てが聞こえてくる。

なるほど、そういうことか。これが、本当の意味でものの声が聞こえる、というものなのか。

そして、正体もあたしにはわかった。

多分これ、他の錬金術師には違う内容に聞こえている筈だ。

実際、素質があるオスカーには、最初から植物と会話が出来る程クリアに聞こえていたと言う話だし。

何かに特化して、極めてクリアに聞こえる錬金術師はいると言う話だ。

ならば、疑問も湧く。

どうして個人ごとに聞こえ方が違う。

その理由は、今分かった。

これ、聞こえていない。

実際には、聞こえて等いないのだ。

創造神は言っていた。

錬金術は創造神の力の一部だと。

恐らくこの声が聞こえる力も、その一部と言う事で間違いないのだろう。だったら、この声の正体も知れている。

この声は。

ものの本質を見極めて。

どう変化させれば良いのか。

自分自身が、判断している声なのだ。

要するにあたしが聞いていたのは。

自分自身の判断。

それに擬似的な人格が与えられて。

あたしの精神を汚染していた、という事なのだろう。

なるほど、なるほど。

全てが腑に落ちた。

色々おかしいとは思っていたが、この結論が出てしまうと、全てに納得がいってしまう。プラフタやルアードのような超一流が聞こえなくて、ひよっこのあたしや、錬金術師でさえないオスカーが。才能という「設定」だけで聞こえるわけだ。

才能があれば。

ものの変化の効率を読める。

そしてそれが、自分の中で声になる。

それだけだったのだ。

気付いてしまうと。

ふつりと。

切り替えが出来るようになった。

聞こえるようにするときと。

聞こえないようにするとき。

簡単に切り替えられるようになった。

そして、それが出来るようになったという事は。この時点で、あたしは完全に人間ではなくなったと言って良いだろう。

既に枠組みから外れ始めていたが。

これで完全に枠組みの外に出た。

あたしはもう人間では無いが。

それは正直な話。

それこそどうでも良い事だった。

「ソフィー?」

プラフタの声に、困惑が混じる。

未知への恐怖も、明らかに含まれているようだった。

あたしはこれで、一歩ぬきんでた。

知識を得ることで、人間は何かしらの変化を生じる事はある。だが、これはもう、人間に出来る変化では無い。

おそらくこれが、創造神があたしにした事。

そして今後教える事も無く。

あたしがこの詰んだ世界を打開した後。

いや、打開しようがどうしようが。

永久について回る事で。

他の誰にも教えるわけには行かない事だ。

笑いがこみ上げてくる。

プラフタの顔に、露骨な恐怖が浮かぶ。

あたしの狂気は散々見てきた筈だが。それでも今のあたしが見せる狂気は、今までとは異次元だったのだろう。

プラフタだって、散々世界のよどみを見てきた筈だ。

だがそれでも怖れるほどの狂気。

それでいい。

深淵を覗き込み。

あたしは深淵に見込まれた。

ならば、あたしの存在は。

恐怖と共にあるのが自然なのだから。

「さて、人材捜しと並行して、現在人間に目立って害を為している邪神どもを全て片付けるところから始めようか、プラフタ」

「ソフィー。 今貴方に、おぞましいまでの変化が生じるのを感じました。 一体何が起きたのですか」

「ああ、あたしが完全に人間では無くなっただけだよ。 そういう意味では、今のプラフタと同じかも知れないね……」

ひっと、小さな悲鳴をプラフタが上げる。

そうだ。

プラフタを人形から人間にしてあげる研究も進めないと。

それが出来るようになる頃には。

恐らく、人間を自分で「生産」する事だって出来るようになる筈だ。

錬金術の用語に出てくるホムンクルスや。

ルアードの所にいたような、深淵の者のしもべ達ではない。

本当の意味で。

人間を人為的に。

自由自在に作れるようになるだろう。

その時には、あたしは。

「人間の外にいる存在」から、「創造する存在」に変わっていることだろう。

そして、光のエレメンタルが言っていたように。

世界の摂理の外にあるものに。

あたしがいた時代が、「不思議の時代」と呼ばれるほどのものになっている事は間違いない。

これは驕りでもなんでもない。

単なる客観的事実だ。

さて、テントは出来た。

他にも色々と、準備を整えていく。

全てが終わったら、まずは大都市を見て回り、使えそうな人材がいないかどうかを確認する。

その後は各地に孤立している集落の現状把握。

本来は国がするべき事だが。

それが出来る状態に無いから、あたしのような存在が動かなければならない。

アダレットもラスティンもそうだ。

このキルヘン=ベルにしたって、それは同じだったのである。

今の状態のままでは、いずれ世界を変えうる可能性の芽も高確率で摘んでしまう。だが今のあたしなら。

その可能性を見つけられる。

プラフタにレシピを見せる。

驚愕された。

この発想ははじめて見たと。

しばしレシピについて話し合う。

すぐにはプラフタも判断が出来ず。

やがて、考え抜いた末に。

此処は直した方が良いと、二箇所ほど指摘を受けた。

まだまだこの辺りは、経験値の関係で、プラフタの方がずっと上か。それもまた良いだろう。

調合を始める。

ロジーさんが残してくれた錬金釜を使って、丁寧に調合をしていく。

そうして出来上がった道具は。

時間を局所的に、短時間だけ巻き戻す道具だ。

勿論試験運用もする。

最初は上手く行かない。

だが、少しずつ調整して、一週間ほどで実用にまでこぎ着ける。

理論としては上位次元に干渉し。

世界の「向き」を少しずらす。

今までは世界の「位置」に干渉して、別世界への扉を開いていたが。

それより一段階難しい錬金術になる。

そうすることで、時間を操作し。

短時間だけ、意図した場所の時間を戻せる。

もっとも、あくまで短時間。

それもそれほど大きな空間では無いが。

もしも世界丸ごと時間を戻す、となると。それこそあの創造神くらいの力は必要になってくる。

現状のあたしに出来るのは。

せいぜいここまでだ。

これはこれとして、手元にストックしておく。

他にも、幾つか作っておきたい道具はあるが。

同時に材料も集めておきたい。

コンテナは既に、深淵の者の書庫から得た情報で、異世界アトリエに大きなものを作ってある。

いずれ城のように大きなアトリエにしたいと思っていたあたしだが。

いつのまにか。

異世界アトリエには膨大な石材を持ち込み。

多数の此方の世界へつながる扉がある通路が出来。

複雑な設備や装置も作られ。

屋敷くらいの広さにはなっていた。

今も、現在進行形で拡張を続けている。

やがて城のようなサイズになるのも、そう遠くない未来のことだろう。もっとも、あたしの意思がなければ、外に出る事は出来ない城だが。

危険すぎる能力の持ち主などを見つけたら。

監禁するのも手かも知れない。

或いは、時間を凍結させて保存するのも手か。

もうこの辺りまで来ると、完全に人間の思考ではないが。

それもまた仕方が無い事だ。

あたしが人間である事に対して興味を完全に失った時、モニカが泣いていた。

それに関して心はあまり痛まない。

モニカは結局人間としての視点でしか、あの真実を受け止めることが出来なかった。それは恥ずかしい事では無いし。むしろまともであればあるほど、モニカと同じ反応をするだろう。

あたしは最初から狂っていた。

だから違った。

それだけだ。

さて、やる事はいくらでもある。

そして時間も幾らでもある。

その気になればアンチエイジングも出来るし。

時間は幾らでも捻出することが出来る。

この詰んだ世界を打開するために。

あたしは、今後。

手段を選ばない。

 

終、百鬼夜行行脚

 

悲鳴を上げて逃げる双頭の邪神。

一つの胴体から頭が二つ。腕が四本。足が二本。人間に似た姿をしていて。そして背中にはいやみったらしい翼。

あたしが大股で追うそいつは。

既に翼をあたしにもぎ取られ。

再生もままならず。

悲鳴を上げながら、折られた足を引きずっていた。

「どうしたの神さまぁ。 さっきまでの威勢はどこへ置き忘れたのぉ?」

「ふ、ふふ、ふざけるなあああっ!」

振り返った双頭の神が、あたしに向けて最大火力らしい火球をぶっ放す。熱量が高すぎて、炎の上。

専門用語というか、確か前の世界からあたし達の先祖が持ち込んだ言葉によると、プラズマとかいうそうだが。

その状態になっている。

だが、あたしは素手で。

それを上空にはじき飛ばした。

上空で爆発が起きる。

愕然とする神の首の一つが。

吹っ飛んでいた。

火球を上空に吹っ飛ばした直後。

後ろに回ったプラフタが、豪腕を一閃させていたのだ。

周囲は、深淵の者達が結界で固めている。

此奴を逃がさないための処置である。

アダレットが登録していた、討伐不能な三十柱の一体。双頭神ヤヌス。中級邪神だが、その実力は光のエレメントを凌ぐ。

自我も持ち、人間が近づくと容赦なく攻撃することで知られ。此奴の生存範囲は人間が立ち入れなくなっていた。

しかもその結果、インフラの整備が遅れに遅れ。

此奴は気分次第で移動するため。

蹂躙された街や村が幾つも存在していた。

今後人口爆発を抑える工夫はするとしても。

此奴のような不確定要素は必要ない。

故に消滅させる。

そう決めたのである。

そして今。

実施中だ。

今のあたしが身に纏っている錬金術装備は、創造神と初めて邂逅したときとは比べものにならない。

いずれも邪神から奪い取った材料を贅沢に使い。

その能力をフルに引きだしている。

だから、今のようなことだって出来る。

プラフタが、鮮血が噴き出す邪神の体を押さえ込み。

あたしが歩み寄る。

邪神は、命乞いをしてきた。

「ま、まて! 貴様からは我が主の力を感じる! そしてその意思さえも! ならば知っている筈だ! 我等の仕事を!」

「知っているけれど?」

「だったら何故このような事をする!」

「不確定要素を潰すためかな」

足を踏み降ろす。

邪神の残った足を。腕を。

容赦なく潰して行く。

悲鳴を上げる邪神。

その体が、光の粒子に変わり始めていた。

勿論ただ踏んでいるのでは無い。

一撃ごとに、邪神に致命打になる一撃を、追加で与えているのである。故に、物理攻撃で、これだけの打撃を与えることが可能になっている。

創造神に出会ってから一年。

あたしは此処まで腕を上げていた。

「ふ、不確定要素だと! そんな理由で、神に手を掛けるというのか!」

「はっきり言って、ただでさえ機械的に人間を殺すことしかしないドラゴンがいるだけで邪魔なの。 貴方が気まぐれに動き回って、手当たり次第に人間を殺していることは調べがとっくについていてね。 この詰んだ世界を打開するには世界の徹底的な整備が必要な訳で、貴方のようないい加減な管理者は必要ない。 その無駄に二つあった……ああもう一つしか残ってないか。 無意味な頭で理解出来た?」

「こ、この私に、そのような無礼を!」

「創造神の力を受けた相手に無礼を働いているのはどちらだよ」

あたしの声が冷えるのを悟って、邪神が黙り込むのと同時に、足を上げ。

クズの肋骨を踏み砕く。

情けない悲鳴を上げる邪神を。

プラフタが蒼白な顔で押さえ込み続けていた。

勿論邪神は再生しない。

再生出来ないようにしているのだ。

此奴が今まで、面白半分に殺してきた人間の痛みが。此奴に今、その何千分の一かは分からないか、還元されて行っている。

あたしは舌なめずりすると。

杖を振り上げ。

そして躊躇無く、残っていた頭を砕く。

邪神はそれで死んだ。

粒子になって消えていく邪神。貴重な薬草がその場に残されていた。考えられない品質の品だ。きっと良い道具になるだろう。

後は、しばらくこの辺に出現するネームドに注意すれば良い。周囲に合図。深淵の者が、この邪神が復活する事を防ぐために、空間の書き換えを始めた。最近開発された技術で、不思議な絵画と呼ばれる道具を使い、世界を塗り替える。その時に、絵画に邪神も封じ込んでしまうのだ。

不思議な絵画を描ける錬金術師は限られているのだが。

今、一人アダレットに該当者がいる。

その人物は不幸な事故にあって絵筆を折ってしまっているが。

それでも買い取り済みの在庫がある。

要するに在庫分。

邪神は封じ込められる。

まだ在庫はかなりあるので。

まあ人間に無意味な殺戮を繰り返している邪神を全部殺戮して処分する位のことは出来るだろう。

ハンドサイン。

作戦終了の合図だ。

空に大爆発が起きた事については、別に放って置いて構わない。そもそもこの辺りは山奥で、近くに小さな集落しか無い。そこそこ大きめな街もあるが、其処からはちょっとした光くらいにしか見えないだろうし。

何より爆発音も届くまい。

あたしが雇った傭兵の一人が来る。

以前キルヘン=ベル近辺で何度か見かけたティアナという女の子だ。

まだ十代前半だが、剣の腕は確か。

というか、少し頭が単純すぎて。

こういう光景を見ても、特に何も思わないらしい。

その辺が逆に重宝して。

今後目をつけた人材を、影から守る役目に就けようと思っていた。

ティアナ自身も、色々な剣術の師匠を紹介してくれるあたしに感謝しているようで。

何より毎日が刺激に満ちていて楽しいので。

あたしのことは好きだそうである。

「ソフィーさま! お仕事お疲れ様でした!」

「いいえ。 それよりも、此方の損害は?」

「特に怪我をした人はいません!」

「そっか。 それは重畳」

暖かいタオルで顔を拭くと。

一度アトリエに戻る事にする。

ティアナには、駄剣に見えるが、刀身はハルモニウムで出来ている逸品を与えている。いわゆる人斬り包丁。単純に相手を殺す事だけを考えて作った剣だ。それだけ、この子に期待しているという事である。

今後錬金術師として使えそうな人材が見つかったら。

この子には、遊撃として。

その可能性を潰しそうな相手を、片っ端から消して回る仕事をして貰う。

あたしは忙しくて、其処までケアが出来ない。

人材を探し出すだけでも一苦労なのだ。

深淵の者が用意している扉から、ルアードとプラフタのアトリエに。其処を経由して、あたしのアトリエに戻る。

プラフタは最近口数が減って。

もう休むと言うので。先に休んで貰い。

あたしはティアナを連れてカフェに。

知り合いは随分減ってしまったが。

それでも此処は。キルヘン=ベルは、あたしの故郷だ。

ホルストさんも少し白髪が多くなってきたが。

今日も出迎えてくれる。

「一仕事終えたようですね、ソフィー」

「ええ。 此方には代わりはありませんか?」

「今の時点では、貴方に登場を頼むほどの事件は起きていませんよ。 モニカと自警団が全て片付けてくれています」

幾つかの質問をするが。

近辺は至って平和。匪賊さえ出ない。

そういえば、目立ってしゃれた服を着ている人間が最近は増えてきた。

かといって贅沢品というわけでは無い。

デザインを工夫しているのだ。

当然レオンさんの手によるものである。

レオンさんの服は飛ぶように売れるらしいが。

コルちゃんが目を光らせて、この街の人が手に入れられないような事態は絶対に避けている。

人間が本当に怒るのは。

理不尽だ。

不平等だ。

あたしがそれを一番良く知っている。

レオンさんが作っている服を、レオンさんが住んでいるこの街の人間が着られない。そんな不平等が、人を狂わせるし怒らせる。

だからあたしがやらせない。

そして人はいつまでも性能が同じでは無い。

だからあたしが目を光らせる。

ホルストさんは信頼しているけれど。

呆けると駄目になる人間は幾らでもいる。

ホルストさんが呆けて駄目になった時は。

交代して貰う。

それだけのことだ。

ティアナは蜂蜜入りの紅茶を嬉しそうに飲んでいるが。

彼女はあたしとホルストさんの会話には興味が無いらしい。

ただ戦う事。腕を磨くこと。

それしか興味が無いようだ。

一度二十人ほどの匪賊の集団にけしかけたことがあるのだが。

あたしが助ける必要もなかった。

瞬く間に二十人の匪賊をなで切りにし、人斬り包丁の性能を試せて、大喜びで血を浴びて笑っていた。

壊れている。

だがそれでいい。

そういう人材こそが必要なのだから。

いずれ肉体の最盛期で、アンチエイジングで年齢固定もしてもらうかもしれない。まあ本人の意思次第だが。

多分永遠に最盛期の肉体を保ち。

更に強さを追求できると聞けば。

喜んで飛びつくことだろう。

ふと、側にテスさんが。

耳打ちされる。

どうやら、適切な人材が見つかったらしい。

あたしが目をつけていた集落に、面白そうな子がいるそうだ。

鉱石の声が聞こえるのだとか。

数年間観察して、良さそうだったらスカウトするのが良いだろう。まあ観察自体は簡単にできる。

テスさんに礼を言って、茶を飲み干す。

そしてティアナにも声を掛けて、カフェを出た。

アトリエに戻りながら、振り返る。

丁度陽が落ちる。

真っ赤で。

あたしの心の狂気を示しているかのよう。

プラフタと出会ってから。

燻っていたあたしの心の炎は、一気に燃え上がった。

そして今。

世界を焼き尽くす、燎原の炎となろうとしている。

創造神の言葉が事実なら。

あの太陽は恐らくにせもの。この世界を照らすための装置に過ぎない。

だがあたしの心の中にある炎の狂気は。

本物だ。

くつくつと笑うと、アトリエに入る。

人材は、少しずつ。

揃えていけば良い。

そして全てが揃ったとき。

この詰んだ世界を、あたしの拳で。

粉々に打ち砕いてやる。

後の世に、不思議な時代と呼ばれる世界を。

あたしが作り上げてやるのだ。

太陽が沈んでいく。

あたしは、アトリエに入ると。

次に何をするか。

何を殺すか。

考え始めていた。

 

(ソフィーのアトリエ二次創作、暗黒!ソフィーのアトリエ 完)