糸と体

 

序、鮮血に染まる地

 

そいつはあたしから逃げようとしない。

普通、猛獣は勝ち目無しと判断すると、命を優先して逃げようとする。だが、やはりというか何というか。

ネームドは違った。

今回狩りに来たネームドは、あたし達から見てかなりの格下である。

今まで戦って来た相手が相手だから。かなり余裕を持って圧倒出来たのだが。

それでも逃げようとする気配はなく。

人間に対して牙を剥き続けた。

結局、動けなくなって、横たわっても。

鋭い角を持つそのウサギのネームドは。あたしに対する敵意を収めなかった。

殺してやる。

喰らってやる。

そう視線が告げている。

あたしは無言で魔術砲撃。

命を絶ちきった。

これで、キルヘン=ベル近辺に巣くうネームドは一掃されたことになる。

あまりにも派手に殺すと、せっかくの膨大な魔力を帯びた体が無くなってしまう。イサナシウスのように爆発する恐れさえある。だからあたしも、爆弾で粉々にするのでは無く。ただし手加減もせず、容赦なく葬った。

なおウサギと言っても、体のサイズは牛並み。

その突進力は凄まじく、頭についている角は岩を軽々と粉砕するほどであり。更に魔術に寄る加速や、遠距離への雷撃も使いこなした。

腐ってもネームドである。

いずれにしても、余裕は持って倒す事は出来たが、油断は一切しないし。結果、比較的余裕を持って駆除できた訳だが。

解体を始める。

まず木の棒を組んでつり下げ。

腹を割って内臓を出し。

血を採り。

皮を剥いで。

肉を削ぎ。

そして骨を割って、軟骨を取り出す。

体のあらゆるパーツが、非常に強い魔力を秘めているのは嬉しい。レオンさんが、傷ついていない部分の毛皮を触って、喜んでいた。

「これはとても素晴らしい防具の素材になるわね」

「それならば、譲りますよ」

「本当? ありがとう、ソフィーちゃん」

レオンさんは大喜びしている。

少し前から多少余裕が出てきたからか。少しずつ、「好きな」服を作れるようになってきたらしい。

街に流れ込んできた、東の街経由で訪れた最貧困層のための服を手がけていたが。

彼らが街のための労働で賃金を得て。

その結果、服などを買う余裕が出てきたこともあり。

街全体の富裕度が増している。

結果、元々金持ちだった層も、趣味に金を使えるようになり。

レオンさんに、実用品にも凝った意匠を求めたり。趣味の服を欲しがったり。「実用」以外の仕事が生じ始めたらしい。

頭蓋骨を砕いて。角を取る。

これはかなり強力な魔力を秘めている。

多分このネームドの心臓部だろう。

素材として使えば、強力な錬金術の道具を作り出せることは、ほぼ間違いない。

手際よく解体を進め。

そして、後には何も残さない。

この辺りも荒野が拡がっているが。

いずれ、最終的には緑化したい。

実は、もう既に、キルヘン=ベル周辺の街道を中心に、緑化を進めていこうという計画がホルストさんから提案されていて。

実際森で獣が大人しくなる傾向から、実行に移そうという話も出てきている。

ただあたしは。

その前に、ドラゴンに対する備えと。

邪神に対抗するため手段を得ておきたいと、ホルストさんに提案している。

いずれも街の顔役が集まる場での話では無いので。

まだ正式な計画にはなっていないのだが。

いずれにしても、ネームドの駆除が完了した今が好機。

ノーライフキングを倒すのは、今だろうとも思うのだが。

ホルストさんとは、色々と調整をしなければならないだろう。

ジュリオさんが来る。

「周囲の安全は確認してきたよ」

「それでは帰りましょうか」

「この靴になってから移動が楽で良い」

フリッツさんが褒めてくれる。

流石に年齢が年齢だ。

技がどれだけ研ぎ澄まされていっても。

それでも体力的に問題は出てくる。

およそ通常時の四倍の速度で、しかも足にも体力にも負担無く走れるようになった事で。フリッツさんも喜んでいるようだ。

ただ戦闘が想定される場所では、いつも愛用している靴に切り替えている。

コレは恐らく、体の隅々まで把握して、戦っているからだろう。

戦闘時に妙な要素が入り込む事で。

不要な怪我をすることを避けている、という事だ。

それに、動きが速くなりすぎると、逆に事故も起こる。

戦闘時は、自分で把握できる範囲内で動きたいのだろう。

何より、速くなるのは足だけなので。

戦闘時にこれでギャップが生じて。

色々と問題が起きることも想定はしなければならない。

慣れれば問題は無いとは思うが。

流石にフリッツさんの年齢で、新しいものを即座に受け入れ、取り入れるのは厳しい。

それはあたしもよく分かる。

なお、あたしが外に持っていく全自動荷車も、この靴にあわせて改良した。今までの四倍近いスピードで移動するため、車軸がもたないからだ。

多少お金は掛かったが。

その代わり、隣の町には急げば一日かからず行ける。

近場の採集場には、それこそ日帰り出来る。

良い事づくめだ。

東の街の顔役であるミゲルさんも、片道を一日で突破出来ると聞くと、愕然としていたようだった。

そして、靴を欲しがっている。

今、ホルストさんが、どうするか検討中のようである。

流石に戦略物資という事もあり。

安易に拡散はさせられない、と判断しているのかも知れない。

この辺りは、良い関係を構築するためにも。

何でもハイハイと言う事を聞くわけにはいかない、という事だ。

色々難しいが。

片方がもう片方に依存する関係を作ると。

碌な事にならないのは、分かりきっている。

皆が帰る準備を完了させるのを確認。

隊列を組み直すと、風のように走って戻る。

ネームドがキルヘン=ベル周辺から一掃された、というのは良いニュースとして受け取られるはずだ。生半可な猛獣など屁でもないほど強力な化け物どもである。

それがいなくなれば。

どれだけ人間にとって有益か分からない。

自警団の方でも、偵察要員が旅人の靴を活用して、フォーマンセルで高速偵察をしてくれているらしく。

情報が非常に速く入るようになったため。

大変に有り難い。

情報が早く入れば入るほど、対応も早くなるからである。

キルヘン=ベルまでは特に何も起こらず。

帰り道、凄まじいスピードで走るあたし達を見て、愕然とする獣は見かけたけれど。充分な肉を積んでいるし。人間に害を為す猛獣でもない。

だから放置。

そのまま無視して、キルヘン=ベルに到着。

殆ど疲弊がない。

常時回復が掛かる上に。

足に負担がまったく掛からないので。

それだけで、移動が極めてスムーズになる、という事だ。

一旦街の入り口で解散。

アトリエに行って、コンテナに戦利品を収める。

プラフタは、おばあちゃんのレシピを見て、少し考え込んでいるようだったが。

あたしがモニカとジュリオさんと一緒に来るのを見ると、読書を止めて、顔を上げたというか浮き上がった。

「随分と早かったですね。 その様子では圧勝ですか?」

「まあ油断も手加減もしなかったから。 何か目につくものはある?」

「この角は素晴らしいですね。 後で形を整えた後、コルネリアに増やして貰うと良いでしょう」

「そうだね」

コルちゃんは譲渡した燻製肉などを、早速ホルストさんの所に持っていったようだ。

一部は倉庫にしまい。

残りは食費などが足りていない家に分配する。

料金に関しては、低利で貸し付ける。

後で労働に参加して払えるくらいの低利なので。

今の時点で、これで問題は起きていない。

酒などの金が掛かる娯楽が一般化しているのなら兎も角。

こういう辺境の民は、基本的にお祭りの時くらいしか、大酒は飲まないし。何よりカフェでしかお酒は扱わない。

借金があるのに、顔役が経営しているカフェに顔を出して。

ツケで酒を飲んでいくような厚顔無恥の人間は、流石にいない。

うちのクズがそうだったらしいが。

アレはとっくに墓の下だ。

コンテナに戦利品を格納。

今回は、ネームドを退治するのと同時に、鉱石や薬草も集めて来た。

何より帰ってきて疲れが殆ど溜まっていない。ジュリオさんが、ぼやいているほどだ。

「実はアダレット騎士団でも、錬金術師が作った装備が支給されている。 君の作ったものに勝るとも劣らない性能のものもあるが、この靴に関しては確実に君の作ったものが素晴らしすぎる。 是非騎士団員全員に配備したいほどだ」

「あたしの腕が上がって、更にホルストさんの判断次第、ですね。 何より、この街はラスティンの所属ですし」

「それが色々と問題だ。 アダレットともっと国交を深めて、こういう装備を支給すれば、ネームドとの戦いの前に疲れ切ってしまうような愚行は避けられるだろうに」

ぼやくと言う事は。

あったのだろう。

そしてネームドほど強力な相手になると。

ちょっとした体調不良が、戦闘時に致命打につながりやすい。

ロックとの戦闘で戦死者を出した、とジュリオさんが言っていたが。

そんな調子で精鋭を消耗していたら、とてもではないけれど、騎士団はやっていけないだろう。

ジュリオさんがここに来たのも、それだけ大変な事で。

普段は騎士団は、人員の不足に嘆いているのではあるまいか。

作業が完了したので、ジュリオさんが戻っていく。

モニカは引き続きお掃除をしてくれるので、あたしはその間にカフェに。

カフェに出ると、丁度コルちゃんとホルストさんが話をしていた。

「この靴、とにかく素晴らしいのです。 製造コストの問題はありますが、恐らく爆弾などと比べても、相当な収入源として期待出来るのです」

「それは分かっているよ。 しかしながらコルネリア、これが匪賊に渡った場合を考えるとね」

「爆弾もそれは同じなのでは?」

「流石に匪賊に奪われるような貧弱な護衛を連れている商人には売っていないし、そも今の時代匪賊は極めて困窮している。 うちに限らず、錬金術師が作る爆弾を買う余裕など無いだろう」

あたしに気付くと、二人は顔を上げる。

旅人の靴の販売について、絶賛話し中だったか。

確かに、これが匪賊の手に渡ると脅威になる。

戦闘要員だけが身につけるようにしているのもそれが理由で。

あたしとしても、東の街に売るのは慎重にならざるを得ないのも、それが理由の一つとしてある。

隣の町は、ついこの間麦の収穫を迎えたらしく。

今までに無い豊作で、食糧不足の危機を完全に脱したらしいが。

それでもまだまだ不安は残っているだろう。

壊れかけの城壁の改修に。

それぞれの装備の強化。

課題はいくらでもある。

咳払いをすると、後で良いので、声を掛けてくれと言って、近くの席に。

テスさんがホットミルクを持ってきた。

「どうぞ。 ソフィーちゃん、正式な報告はまだみたいだけれど、近くのネームドを全部片付けたって?」

「はい。 時にテスさん」

「何?」

「貴方、深淵の者ですね」

意図的に声を落として周囲に聞こえないようにしたが。

テスさんは、青ざめた。

露骨な反応。

腹芸が出来るほど賢い人では無いとは知っていたが。あたしは平然とホットミルクを飲み干す。

恐らくこの街にも、顔役クラスに深淵の者がいるだろうとあたしは判断しているのだけれども。

テスさんがそうだろうと判断したのは。

要所要所であたしを見張っていたからだ。

ネームドがこの街を狙って来るようになってから、恐らく奴らは繁栄に引き寄せられるだろうと判断したのだが。

それだけではないだろうとも思っている。

実際、あたしがやっと復興を始めた時期にも。

不自然に此方に近づいてくる深淵の者はいた。

そしてここ数百年。

深淵の者の暗躍と同時に、各地で腐敗錬金術師が、腐敗坊主や商人や役人と一緒に淘汰され。

社会の健全化が行われている。

よく分かっていない深淵の者だが。

恐らくは、それとは無関係では無いはずで。

この街でも、おばあちゃんという偉大な錬金術師が昔はいたし。

ずっと昔から生きている、偉大なシスターであるパメラさんがいる。

パメラさんに至っては街の最古老で。

魔術師としての力量も確かだと聞いている。

ならば、深淵の者が監視していてもおかしくはない。

簡単な理屈だ。

そして監視が続いているなら。

監視の対象は。

あたし以外にはあり得まい。

「な、何を言って」

「敵対的な行動を取ってこない内は此方から何もしませんよ。 ただテスさん、もうCQCでもあたしを倒せると思わない方が良いですよ」

すっと視線を向ける。

笑顔のままで。

ホルストさんとコルちゃんは、此方の会話に気付いていない。

あたしはここしばらくの連戦で実力を付けた。

近接戦闘の達人であるテスさんは充分に手強いとも思うが。

既に身につけている幾つかの装備の助けもあって。

戦闘になったら勝てる自信がついた。

不意を突かれても、である。

だからこういう話をしている。

実のところ、彼女が深淵の者であると気付いたのはもっとずっと前から、なのだけれども。

話をする機会は。

勝てるようになってからにしようと、決めていたのである。

どう動くか、判断できなかったからだ。

「ソフィーちゃん、その」

「誰にも言いませんよ。 ただ、監視をするつもりなら、もうあたしは気付いている事くらいは覚えておいてください」

「……」

そそくさと、テスさんが下がる。

腹芸が出来ない人だな。

だが、それでも良い。

あの人は悪い人じゃあない。

いずれジュリオさんに、彼女を接触させるつもりだ。その場合、芋づるで。この街における深淵の者の最高幹部が出てくるだろう。

消去法で恐らくあの人しかいないが。

それは別に此処で口にしなくても良い。

コルちゃんとホルストさんの話が終わる。

戦略の大まかな方針が決まったのだろう。

コルちゃんがいそいそとカフェを出て行くのを横目に。あたしはカウンターについて、肉料理を注文。

ホルストさんが、咳払いした。

「ネームドを倒した事、コルネリアから聞きました。 これで街の周辺から当面の脅威は去りましたね」

「今後ですが、ドラゴンか邪神が現れる可能性があります。 ドラゴンについては確実でしょう」

「!」

「迎撃のための準備が必要です」

さて、どう出る。

深淵の者にも発破は掛けた。

そしてホルストさんにも、此処で注意喚起をしておく。

何となくは知っている筈だ。

発展している街が、ドラゴンに襲われやすいことは。

「ナーセリーの復旧前に、ドラゴンを撃退出来る戦力を整える必要があるとあたしは思います」

「……そうですね。 いずれにしても、錬金術師が常時いないと話にならない状況は、どうにかしなければならないでしょう」

此処からだ。

一番危惧しているのは、ノーライフキングを叩き潰しに行くのと入れ違いに、ドラゴンがキルヘン=ベルを襲撃すること。

常に最悪の状態を想定して。

対応出来るようにしなければならない。

それが荒野まみれのこの世界で生きていく上で、最低限の注意事項だ。

「ソフィー、何か案はありますか」

「まずは、ドラゴンを狩る必要があります」

「実際の戦力をはかる、という事ですね」

頷く。

そしてあたしは。

同時にもう一つの話を始めた。

プラフタの魂をまず人形に移すために。

クリアしなければならない事が、一つあるのだ。

 

1、その芸術品は

 

フリッツさんの所に、プラフタと一緒に出向く。

プラフタはフリッツさんを少し苦手としている様子だが。

それは我慢して貰う。

大事な事だからだ。

フリッツさんは、最近仕事が無い日は、ずっとこの作業をしてくれていた。勿論剣技を磨くことは怠っていないが。それでも時間を掛けてやってくれているのだ。

それで大体出来た、と言う話なので。

見に来たのである。

フリッツさんの住んでいる家周辺は、最近人の気配がない。

高笑いしながら人形を作っているフリッツさんが怖いらしい。

とはいっても、雇われ顔役としてのフリッツさんの武勇と戦場で先陣を切る勇敢さは知れ渡っているので。

武人としてのフリッツさんは尊敬されている。

敬遠されているのは、普段のフリッツさんだ。

この辺り、有能な人材を「欠点があるから」等というアホな理由で切り捨てていたらやっていけないこの過酷な世界の実情が出ている。

或いは、昔はそういう風潮があったのかも知れないが。

少なくとも今は、ちょっとやそっとの欠点があるくらいで、フリッツさんほどの有能な人材が切り捨てられることは無い。

そわそわしている様子のプラフタ。

そして、フリッツさんの家に入ると。

ひっと、小さな声を漏らした。

本で、幽霊みたいなものなのに。

そこには、球体関節ではあるものの。

あまりにも美麗に完成された人形が横たわっていた。

以前レオンさんが作った設計図の通り。

服は着せられていないが。

あまりにも人体が完璧に再現されていた。

プラフタも、何となく分かったのだろう。

まずは魂を人形に移す。

そしてこの人形が魂の移動先。

だからか。

彼女は、混乱したようである。

「せめて下着くらいは着けてください!」

「まだただの人形だ。 私も魂を入れていないよ」

「そういう問題ではありません!」

というか。

すぐ側にレオンさんが作ったらしい綺麗なお洋服があるのに。

どうして人形とはいえ、全裸にしているのだろう。

細かい調整は見たところ済んでいるようなのだけれども。

「ソフィー! 手持ちにある中で最大の破壊力を持つ爆弾を! 今すぐ! この家を吹き飛ばさなければなりません!」

「ちょ、落ち着きたまえ!」

「プラフタ、大丈夫だって。 フリッツさん、手出したりはしてないでしょ?」

「もちろんだ。 私は人形に対して、常に敬意と愛情を持って接している!」

自慢げなフリッツさん。

なお声が大きすぎるので。

周囲の家で、窓とかドアとかが閉まる音がした。

「で、どうだねプラフタ。 生前の君に似ているかね」

「……。 髪が短いことを除けば……」

「ふむ。 では動かしてみようか」

フリッツさんが、人形を起こす。

あたしも触ってみるが。

これは完成度が高い。

球体関節で極めて滑らかに動く。

手足の関節も全て再現されている。言うまでも無く指も、である。

目は、前にプラフタが自己申告したとおり、星の瞳で。極めて自然に瞼が動くようにもなっていた。

口周りは、恐らく柔軟な素材を使っているのか。

きちんと動くようになっている。

メンテナンスのやり方も教えて貰う。

何カ所かにねじ止めがあって。

それを特定の手段で外すと、体をばらすことが出来る。

中身については、かなり複雑に糸が張り巡らされており。

中心点には、指定通り、深核を入れるスペースが作ってある。

「これが大変でね。 この深核周辺から糸を操作する事により、体を動かす事が出来るように、糸を内側から張り巡らせるのは。 多くの人形を作り上げてきた私でも、苦労させられたよ」

「はえー。 凄いですねえ」

「何だか、私の裸をずっと他の人に見られていたような気分です……」

プラフタの凄い落ち込みっぷりである。

いつもの行動を見ている限り。

プラフタは恋愛沙汰にまるで興味が無い様子だが。

それでも羞恥心は当然ある、ということだろう。

まあリアルすぎるほどに再現された自分の体が。

ずっといじくり回されていたと思えば。

過剰反応もまた、仕方が無いのかもしれないが。

「大体完成ですね。 それでは、料金は此方です」

「うむ」

結構どっさりとお金を渡す。

当然の話で。

プラフタを移しうる体である。

これだけの技術力には、それに見合ったお金を渡すのが当たり前だ。

なお構成素材の殆どはあたしが作った。魔術による防御が自動で掛かるようになっており、生半可な人体より遙かに強靱だ。

そのまま、毛布でプラフタの体を引き取って。

担いで帰る。一緒に作ってもらった服は後で適当に着せれば良い。

プラフタは、そわそわとあたしの周囲を飛び回りながら、言う。

「ああ、この羞恥心を、どう収めれば良いのか」

「プラフタ、意外とウブだね」

「そういう問題ではありません! 文字通り何をされているか分からないのですよ!」

「見た感じ汚れたりはしていないし、むしろ良い匂いするし、そもそもフリッツさんって人形には心底から愛情を注いでいるから、大丈夫だとは思うけれどなあ」

絶句するプラフタだが。

とにかくアトリエに戻り。

コンテナにプラフタの体を寝かせる。

さて。

問題は此処からだ。

プラフタが移動する先の体は作った。

深核に魂を移動させれば、恐らく稼働は可能になるはずだが、まだクリアするべき点が二つほどある。

勿論一つは魂の移動だ。

これはいっそのこと、プラフタがあの人形に入れば良いような気がしてきたが。

そういう簡単な問題ではないだろう。

何というか、神経質なプラフタは、コンテナから出ていって欲しいとあたしを追い出すと。

自分の(未来の)体をじっくり調べるつもりらしく。

閉じこもってしまった。

嘆息すると、あたしはもう一つの問題について、どう解決するか頭を悩ませる。

そう、もう一つの問題。

そもそも、魂とは何だ。

それを定着させるには。

何をすれば良いのか。

魔術によって出来る事であれば、恐らくは簡単なのだろう。

理屈さえ分かればどうにかなる。

だが、実際問題。

霊と呼ばれる連中が、そも言葉すら発する事がなく。

あくまで「人間の魂」らしいと言われているだけで。

そうだという確証もない現状。

魔術で理論を組もうにも。

難しいのが現状だ。

しばらくして。

ジュリオさんがアトリエに訪ねてくる。どうやら、深淵の者の手がかりが掴めたらしく、話を聞いて欲しいと言うのである。

彼はこの街では食客だ。

しかもフリッツさんのように街で雇っているわけではない。

街のために戦ってくれてはいるが。

それは彼が此処で深淵の者とのコンタクトを取りたいと考えているから。それにもう一つ理由があるらしいが、それについては聞いていない。

だから、深淵の者とコンタクトが取れるのであれば。

街の顔役の一人になっているあたしに、相談したいのだろう。

「実は、最近キルヘン=ベルに逃れてきた者の中に、深淵の者の手の者が紛れているという話があるんだ」

「誰から聞いたんですか、それ」

「すまない。 情報源は明かせない」

まあそれもそうか。

だが、どうにも胡散臭くはある。

そもそも、深淵の者は。あたしが想像する限り、多分アダレットとラスティンの深部にまで巣くっている巨大組織だ。

わざわざ難民に紛れて、エージェントなんか送り込まなくても。

各地に手の者を既に配備し。

状況次第では、暗殺なりなんなり平然とやるはずである。

アダレットが対応に苦慮しているのは。

その闇があまりにも深すぎるからで。

深淵の者に接しようとしても。

内通者が多すぎて、とてもではないが対抗できないから、なのだろう。

テスさんの話はしない。

まだ時期尚早だと思うからだ。

「あたしの見解を述べさせて貰いますけれど。 深淵の者は、恐らく時期が来れば向こうからアクセスしてくると思います。 あたしに対して、ですけれど」

「む、聞かせてくれないか」

「深淵の者が邪悪な組織かと言われると、恐らく否であることはジュリオさんも察していると思います。 ここ数百年で、腐敗錬金術師が根こそぎ世界から駆除され、汚職管理や生臭坊主、悪辣な商人や大規模な匪賊。 何より腐敗官吏や王侯貴族。 これらがいなくなったのは、彼らの行動があるから、ではないでしょうかね」

「それは恐らくそうだろうとアダレットでも推察している。 だが、彼らはあまりにも力が強すぎる。 彼らが腐敗したときに、このままでは対応が出来なくなる」

それについても同感だ。

だからこそに、あたしだ。

プラフタがいうように、あたしはどうやら錬金術師としての才覚があるらしい。非常に不愉快な話ではあるが。

更にあたしは。

ここ最近、公認錬金術師でも手に負えなかったネームドを始め、数多くの危険な存在を塵芥に帰してきた。

であれば。

深淵の者がアクセスをしてきて。

そして、スカウトをしてくる可能性は高い。

あたしはその話を聞くつもりだ。

深淵の者になるつもりは無いが。

彼らの性質次第では。

協力くらいはしてもいい、と考えている。

そう話すと。

ジュリオさんは、ぐっと腕組みした。

「常に理論的な君らしい。 しかし、それほど強大な組織となると、協力しない相手には死を、となるのでは」

「それは心配ありませんよ。 もしも彼らがアクセスしてくるならば、「私は深淵の者の手の者デース」とか挨拶してくるような頭の悪いやり方では無くて、もっと冴えた方法で接してくるはずです」

「……」

「心配せずに、待っていてください。 その内嫌でも接触する事になりますよ」

ジュリオさんは嘆息する。

そして、ふと思い出したように言う。

「そうだ。 君にはもう一つ話しておこうと思ったことがある」

「何でしょうか」

「魂について調べていると聞いている。 それならば、専門家に直接尋ねるのが良いのではないのかな」

「専門家?」

いるのか。

腰を上げるあたしに、ジュリオさんは言う。

「リッチという存在を知っているかい」

「ふむ、聞き覚えがありませんね」

「それもそうだろう。 霊に属する存在なのだが、簡単に言うと邪悪な魔術師が、己を死者と化す代わりに、生前の数倍の魔力を得た者だ。 錬金術がどうしても圧倒的な力を得ているこの世界で、どうにかそれに対抗しようと外法に手を染めた魔術師の一派だ」

なるほど。要するにノーライフキングの廉価版のようなものか。

ノーライフキングは根絶の力で、そのリッチの最上級存在とも呼べる者になった、という事なのだろう。

「霊ではあるが、物理攻撃が通じない、というわけでもない。 この辺りでも、いる、と聞いている」

「あたしは初耳です」

「そもそも人間が立ち寄る場所には姿を見せないからね。 歴戦の傭兵でも知らない事があるくらいだ。 僕も討伐で何度か戦ったが、決して侮れる相手ではなかった一方、ネームドほどの脅威でもない」

まあ、魔術オンリーならそうだろう。

魔力が数倍になっても知れている。

おそらく世界最強の術者でも、中堅所の錬金術師と張り合えない。

魔術師と錬金術師では。

それほどの力の差があるのだ。

あたしも錬金術を本格的に始めてから実感した。

ならば、リッチになる事を選んだ連中については、何となくその苦悩が分かる気もする。同情も容赦もしないが。

「何処にいます、そいつら」

「この近辺だと、ナーセリーと呼ぶ土地の廃墟。 更にその深奥にて姿を見たと言う話がある」

「廃墟の深奥ですか?」

「ああ。 リッチだと認識は出来ていないようだったが、偵察に出ていた自警団の戦士が、それらしいものを目撃したようだ。 いずれ君に話が回ると思ったから、先回りして話をしに来た」

なるほど。

確かに知らずに倒してしまうと台無しか。

頷くと、礼を言う。

ジュリオさんも敬礼を返して、アトリエを出ていった。

不安そうにしているプラフタが、コンテナから出てきたが。

いつになくそわそわしていた。

「まったく、本当に、何をされているか分かりません。 これほど落ち着かないのは、初めてです」

「プラフタ、いつになく気が立ってるね」

「当然です! 貴方も……」

「何?」

プラフタが黙り込む。

そして、何でもないと、背中を向けた。

あたしがブチ切れる寸前にまで行ったことに気付いたからだろう。

慰み者にされかけたのは、あたしも同じだ。

しかも実の父親および、その仲間の匪賊どもにだ。

死ぬ寸前まで暴力を振るわれ。

あたしの事を、舌なめずりして見ている匪賊もいた。

殺される前に、慰み者にされていてもおかしくなかったし。

あのクズは、それを平然と見守っただろう。

気まずい空気が流れるが。

あたしは咳払いした。

闇は、押さえ込め。

叩き付ける相手は。

敵にするべきだ。

はらわたの中で煮えくりかえっている怒りは。

どうにか鎮めた。

「時にプラフタ。 これからナーセリーの跡地に行くよ」

「鉱石なら足りていませんか?」

「いや、リッチって霊が目撃されているらしくて。 とっ捕まえに行く」

「リッチ、ですか?」

プラフタも知らないのか。

そうなると、或いはここ数百年で確立された技術なのかも知れない。

この世界では、新しい技術が開発されて、それが世界にわっと拡がることはあまりない。神話において、この世界に招かれた人間達が、それぞれ様々な技術を持ち寄ったことが原因だろう、とも言われている。

つまり魔術を持ち込んだ魔族が思いつかないようなもので。

なおかつ、新しい技術だと推察できるわけだ。

「殺すのより捕獲する方が難しいからね。 霊を捕獲する方法、何か思いつかない?」

「霊と言っても、魔術はある程度通じますし、強力なものになると物理攻撃も通用しますから。 貴方なら、手加減さえ間違わなければどうにかなるのでは?」

「そうかなあ」

「既に貴方の錬金術で強化された魔術は、元魔術師がどれだけ背伸びしても届きません」

そうか。

そう断言されるのなら、やってみるのもありか。

念のために、幾つか備えはしておく。

そして、カフェに出向くと。

丁度ジュリオさんが言っていた、妙な霊の話をされる。

勿論討伐は受けるつもりだ。

というか、あたしが準備を既に終えている様子を見て、ホルストさんは小首をかしげたようだった。

「ネームドほどの力は感じなかったそうですが、たかが霊にどうしたのですか」

「いいえ。 少しばかり「インタビュー」をしようと思っていまして」

「はあ。 危険な霊を駆除するのであれば何をしても構いませんが、いずれにしても気を付けなさい。 既に相手が格下だとしても、油断だけはしてはいけませんよ」

「分かっています」

出られそうな面子を見繕う。

ジュリオさんとモニカ、オスカーとハロルさんは来てくれる。

フリッツさんは東の街との交渉があるとかで、自警団の面子数名、更にハイベルクさんとコルちゃんと一緒にお出かけ。

レオンさんは、丁度用事ができたとかで。

今回は手伝ってくれないらしい。

まあ、これだけの面子がいれば充分だ。

先に、手を貸してくれる面子に、キルヘン=ベルの入り口で話をする。

「今回は、自分から霊になった上、ある程度知能があると考えられる存在に、やり方を聞くのが目的だよ」

「ちょっと待ちなさいソフィー!」

モニカが血相を変える。

まあ当然だろう。

邪悪な霊なんて。それこそ神聖魔術の使い手であり、なおかつ教会に帰依しているモニカにとっては。根絶するべき相手以外の何者でも無い。

見張りに立っていたベンさんが、何だ何だと此方を見ているが。

気にせずあたしは続ける。

「大丈夫、あたしがそうなるつもりはないから。 今回の目的は、どうにもよく分からない「魂」という存在を、自分から霊になったアホに聞きに行くことだから」

「どういうことか説明して」

「プラフタを人間に段階を分けて戻そうと思ってる」

流石に。

皆が黙り込む。

今回は、その第一段階。

まずは本から人形の体に移って貰う。

そして、実力がついてきたら。

人形を人間に操作して変換する。

錬金術の奥義には、いわゆる概念操作と呼ばれるものがあるらしく。

人形であるプラフタの体を、そのまま人間へと変えることが可能であるそうだ。

これについてはプラフタに聞いたが。

ただ、賢者の石を作る以上のハイレベルな錬金術になるらしく。

成功例については、見た事がないという。

ものの意思に沿ってものを変質させる錬金術の中でも。

空間操作や時間操作を超える規模の術になるそうだが。

少なくとも、本から人間にするよりも。

人形から人間にする方が、数十倍は簡単だという話なので。

そうしてもらう。

そして、何よりだ。

プラフタも、本でいるよりも。

人型でいる方が嬉しいだろう。

それらの話を終えると。

ジュリオさんが、考え込む。

「確かにプラフタ殿は元が人間であるのに、本の姿という不便を強いられていた。 それを人間「型」にすれば、ストレスは多少は改善出来るかも知れない」

「何だか冒涜的な手段を採りそうで怖いわ」

「大丈夫。 どんな手段も使い方次第だから」

「……」

モニカがげんなりした様子であたしを見るが。

最初から話しについて行けていないオスカーは、じっと黙り。

ハロルさんは、頭を掻くと、モニカをたしなめた。

「いずれにしても、俺たちはソフィーの作ってくれる道具に随分助けられているし、キルヘン=ベル周辺から匪賊もネームドもいなくなったのも、東の街の人間が助かったのも、みんなソフィーのおかげだ。 ソフィーは錬金術の腕も上がってきているし、信用してやるべきだろうな」

「……分かったわ。 ただし、理論についてはしっかり聞かせて」

「大丈夫だよ。 いずれにしても、リッチの体に聞くつもりだから、モニカも嫌でも耳にする事になる訳だし」

「もう……」

モニカは心底困ったらしく、眼鏡を直したが。

リッチの体に聞く事は止めないのか。

まあ邪悪な霊を討伐するのだから、それ自体はモニカとしても歓迎するべき事なのだろう。

ともあれ、出陣である。

旅人の靴で移動速度が格段に向上した今、行き帰り込みで今日中に終わらせられるだろう。

後は一つだけ。

油断をしないことだ。

 

2、専門家への質問

 

ナーセリーは滅びた集落だ。

元々キルヘン=ベルから別れた小規模集落で、この荒野世界で生きて行くには厳しすぎた。

鉱石を売って外貨を稼いでいたが。常に生活は貧しかったらしく。

あまり良い話を今も聞かない。

ナーセリー出身者で、逃げ延びてキルヘン=ベルに住み着いた人もいるのだが。当時の事はあまり話そうとしない。

もう少しキルヘン=ベルの人口が増えたら、復興も現実的な話になってくるが。現時点では不可能だ。

心情的にも厳しい所があるだろう。

キルヘン=ベルが現時点では、基本的にドロップアウトする人間がいない状況にある事も踏まえて。

敢えてそっちに移り住みたいという者が出るとも思えない。

そしてこのナーセリーの奥。

元墓場だった辺りには。

邪神が出ると言う噂がある。

弱めの個体でも、最低でも中堅所のドラゴンくらいの実力はある、邪とは言え「神」。人間に禍為す存在としては文字通り意思を持つ災害である。

流石にあたしも、ドラゴンと戦う事は考えても。

邪神が出るのは看過できない。

廃墟と化した街は、もう既に殆ど朽ち果てているが。

奥の方に墓場がある。

手をかざして見るが、既に昼間から、タチが悪い魔力が迸っていて。

あまり足を運びたい場所では無かった。

この墓場、一時期はキルヘン=ベルの人間も引き受けていたらしい。

おばあちゃんが復興する前、もっともキルヘン=ベルが衰えていた頃には。ナーセリーも破滅寸前だったわけだが。

どうも周辺を調査する限り。

ナーセリーは一種の出城のような扱いを受けていたらしく。

ネームドなどが襲ってきた場合、食い止めるための「防波堤」のような役割をしていたらしい。

墓所があるのもその名残。

籠城戦をする場合。

最終的に食べるのは、墓場に埋まっている死体だ。

もっとも、衰えきっていたナーセリーは、籠城戦どころではなくこの世界そのものに蹂躙されてしまったわけで。

今では、ただもはや主も分からない墓が点々としているだけである。

足を踏み入れる。

墓石が多数並ぶ中。

奥の方から、強烈な気配がする。

恐らくこれがリッチとやらだろう。

周囲に猛獣がいるが、ジュリオさんが一瞥するだけで距離を取る。ざっと見回すが、それほど強いのはいないようだ。

「空気が悪いわね」

「靴は今のうちに替えておいた方が良いかもよ」

「そうするわ」

モニカも、戦闘時は旅人の靴を使わない派か。

まあ彼女は基本的に繊細な剣術を使う。

ジュリオさんのように一刀両断でもないし。

フリッツさんのように双剣で舞うわけでもない。

昔と違ってナックルガードのついた剣を使っているわけではないが。

剣術はどちらかと言えば手数と技量で稼ぐタイプ。

魔術をそれに含めて、元々の戦力を上乗せする技巧派だ。

故に、靴は戦闘用に履き慣れているものが良いのだろう。

オスカーが、しきりに周囲を見回している。

そういえば、雑音がちょっとばかり酷い。

きりきりと、何か歯ぎしりのような不愉快な音が聞こえているが。

オスカーに話を振ると。

やはり聞こえている様子で、若干不愉快そうにした。

いつも陽気なオスカーが不愉快そうにしているのだ。

碌な内容では無いだろうなと思ったら。

その通りだった。

「冒涜だなこれ」

「何の事?」

「強い負の魔力で、植物が苦しんでる。 奥に何か悪いのがいて、そいつが魔力をねじ曲げてやがるんだ」

確かに強い魔力は感じるが。

ハロルさんが、不意にしっと声を立てた。

全員が、その場に展開。

墓石の影に隠れる。

朽ちた墓石は、いずれもが名前さえも風雨に削られていて。誰かの冥福を祈った形跡すらも残っていない。

何かいる。

奥の方、黒い影が揺らめいている。

邪神かと一瞬身構えたが、違う。

ぶつぶつと何かを口にしながら。杖を手にした人影が歩いている。その全身から、真っ黒な魔力が漏れ出していて。

それがその存在を、黒く見せているのだ。

嫌な音は、あからさまに其方から聞こえた。

「リッチだ」

「なるほど」

そういうことか。

霊はどちらかと言えば形を持たない場合が多いのだが。コレは確かに知名度が上がらないかも知れない。

遠目には人。

それもこんな所で出くわせば、匪賊にしか見えないだろう。

魔力が見える人間だけでは無いのだ。

更に言えば、こんな所にわざわざ来る物好きもいない。

哨戒の任務で来た人間が発見しなければ、誰も気付くことはなかっただろう。

確かに魔力は強いが。

正直、どうと言うことも無い。

ジュリオさんが頷く。

事前に通達してある。

半殺しにしろと。

勿論手に負えないようならば、殺す事も最初から視野に入れているが。

基本的に、あまりに危険度が高い猛獣や、何かしらの敵性存在は、どうしても有名になる。

この程度の魔力では。

はっきり言って、この荒野では中の下程度の脅威でしかない。

ジュリオさんが出る。

モニカとオスカーも続いた。

黒い影が気付くが。

次の瞬間、ハロルさんが狙撃。

一発が、的確に杖を貫通。

体勢を崩したリッチに。

ジュリオさんが、膝蹴りを叩きこんでいた。

のけぞった所に、モニカが更に斬撃を数発入れ。

オスカーが、横殴りにスコップを叩き込む。

情けない悲鳴を上げたリッチが、あたしに気付いたときには。

既に砲撃の詠唱完了。

一冊増えて、四冊になった拡張肉体が。それぞれ別属性の詠唱を行い。あたしの詠唱を短縮。

威力が変わらないまま。

砲撃を展開。

必死にそれでも魔術で盾を作るリッチだが。

砲撃はその眼前で不意に上空に軌道を変え。

そして上空で一回転すると、地面に対して強烈な圧を加えた。

オーラブレイクと名付けた術式である。

どんな奴でも上からの攻撃には弱い。

というわけで、上から面制圧をする。

そういう目的で組んだ術だ。

不意を打たれた上に、滅茶苦茶に叩きのめされたリッチは、地面で伸びていた。首筋にジュリオさんの剣を突きつけられ、小さな悲鳴を上げる死者。

「な、何、何をする……」

「ああ良かった。 口利けるくらいの意識は残ってるんだね」

「ひいっ!」

リッチが悲鳴を上げたのは。

あたしが高出力の魔力塊を右手でバチバチ言わせながら、リッチを見下ろしつつ。頭を踏みつけたからである。

間近で見ると、死体のような姿だ。恐らく、朽ち果てた肉体の残骸も利用しているのだろうが。

踏んだときの感触から考えて。

その気になれば一瞬で消し飛ばせる。

しかもあたしは全身を魔術防御していることが、リッチには一目で分かったのだろう。

元々戦力差がある上。

不意打ちで継戦能力を喪失。

そしてあたしは何かあれば即座に殺すつもり。

霊を殺すというのも妙だが。

霊は粉々に砕ければ普通に消滅するし、物理攻撃だって通る。

「錬金術師か貴様!? その非常識な魔力、単身で使えるとは思えぬ!」

「その通り。 それで聞きたいことがあってね」

「な、何の用だ! わしはただ、少しでも力を付けようと思って、己の命まで捨てたのに、何ら報われず世界を彷徨っている哀れな年寄りぞ!」

「嘘つけよじいさん。 その禍々しい魔力、周囲から吸い上げたんだろ。 植物たちが困ってるんだよ」

普段、滅多に怒声を張り上げないオスカーだが。

怒るときは怒るし。

本気で怒ったときには、むしろ声が冷える。

あたしとモニカくらいしか聞いた事がないが。

オスカーは本気で怒らせると結構怖い。

溺愛する植物たちを苦しめた。それもこんな荒野で細々と必死に暮らしている植物を、という事で。

オスカーは本気で頭に来ているようだった。

「猛獣だって荒野を少しでも緩和してくれる植物に敬意を払って苦しめるような真似をしないのがこの世界なのに、あんたはやってはいけないことをしたんだよ。 気がついているのか?」

「わ、わしは……」

「オスカー、その辺で。 モニカは見ない方が良いと思うので回れ右」

「……はあ。 好きにしなさい」

さて、此処からだ。

後は体に聞くだけである。

「では、此処からは聞いたことだけに、嘘をつかないように返事をしてね。 嘘にはあたし敏感なんだ。 嘘ついたら少しずつ体壊して行くからねえ」

これは嘘だ。

ただ悪意には何となく反応できる。

あのクズが悪意の塊だったからだろうけれども。

それを此奴に言う必要はない。

完全に震えあがっているリッチに対して。あたしは口だけ笑顔を保ったまま。順番に聞いていく。

「まず貴方は、元人間で間違いないね」

「そ、そうだ。 ヒト族の魔術師で、名前は……」

「名前はいらない」

「ハイ」

此奴、さては何となく分かってきたが。

生前は魔術師として、相当なコンプレックスを持っていたのだろう。

基本的に魔術は錬金術に勝てない。

これはこの世界の絶対法則で。

あたしも錬金術をやってから、それがよくよく分かった。実際問題、あまりにも素の力が違いすぎるのだ。

有名なドラゴンキラーや邪神を退治した存在が、錬金術師や、錬金術の道具を装備した戦士ばかりなのも、今ならば当然だろうと言える。

「まずどうやってリッチになったのか教えて」

「そ、それは魂を固定化する魔術によって……」

「その魔術の詳細は」

「ハイ、それはですね」

口が良く滑るようになったリッチに対して、あたしは質問を続け。

メモはモニカにとって貰う。

モニカも神聖魔術はかなり巧みに使えるので、豊富な知識があるのだ。故に用語などの理解もスムーズである。

リッチが言うには、魔術による魂の固定化というのは、「幽世」というものに干渉して行うそうである。

この「幽世」というものは、基本的にこの世界と表裏の関係に存在していて。

其処に邪神などの本体もある、ということだ。

なるほど。用語は少し違うが、実は納得できる。

プラフタの話によると錬金術において、最大級のものになると、世界そのものに干渉するというものがあるらしい。

空間操作とも違い。

更にそれより一段階上のものになるそうだ。

魂は高次元の存在とか言う話もあるらしいが。

これについてはあたしは疑っている。

そんな高尚な代物だとは思えないからである。

神々だって多分そうだろう。

実際問題、邪神も人間が倒しているわけで。

高次元へはあくまで「干渉」出来るだけであって。高次元の住人なら、なんでわざわざ次元のランクを落として人間なんぞに構いに来るのか、良く理由が分からない。

教会などで言っているような、神々は信仰心によって人々を救うだの、力を得ているだのというのは嘘っぱちだろうとも思う。

だってそうならば。何故人間より先に存在していた神々が、人間ごときの信仰心だとかに依存するのか説明が出来ないからである。

ともあれ、恐らく「幽世」とやらは、この世界とずれた世界とみて良い。

なるほど。

そうなってくると、魂の固定化というのは、かなり厄介な術式の筈だ。

続きを促し、リッチが震えながら話すところに依ると。

基本的に魂というのは、肉体と重なりあうようにして「幽世」とやらに存在しているらしいのだが。

何かの切っ掛けで、例えば肉体が死ぬなどが良い例だが。座標がずれてしまうことがあるらしい。

この結果。

霊が誕生するそうだ。

リッチは意図的にこの座標のずれを引き起こすことによって。

人間時代の数倍の魔力を得るのだそうだ。

理屈は分かってきた。

そして具体的にそれをどうやるかと聞いたが。

結構頭が痛い話をされる。

「広さ二十歩四方ほどの専用の魔法陣を用意し、其処で十年以上過ごしながら、詠唱を小分けに行い、魔術を行いまする」

「十年以上」

「わしの場合は十七年掛かりました。 他のリッチに聞いたところに依ると、余程の熟練者でも十年は最低でも掛かるとか」

既に卑屈になっているリッチだが。

それはどうでも良い。

十七年。上手くやっても十年。

こいつにしても、生前の魔術の腕前は、先ほど感じた魔力から換算しても、相当なものだった筈で。

少なくとも、素の状態でのあたしくらいはあった筈だ。

今あたしが此奴を圧倒できているのは、錬金術の道具によるサポートがあるからで。

それがなければ、あたしはさほど強くない。

平均的なヒト族の魔術師より強いかも知れないが、少なくとも此奴を恐怖させるほどの力は展開できない。

呪文の詳細を聞くが。

どうやら呪文そのものは単純だ。

ただし、実行するまでに、馬鹿馬鹿しいまでの時間と労力が必要だ、というだけである。

ただ、錬金術を用いれば。

恐らく、大幅に手間を短縮できるとみて良いだろう。

「こ、これで全てにございます」

「そうらしいね」

「で、では! 悪事はいたしません! 人里にも近寄りません! ですから、その、た、たすけ」

「オスカー、もういいよ」

無言でオスカーが、スコップを降り下ろす。

ただの鉄塊だったら兎も角、オスカーが使っているスコップは、あたしが作ったインゴットで強化している特注品だ。猛獣の頭をかち割れるのもそれが故である。

植物を痛めつけ、乾ききった地面から魔力を吸い上げていた此奴を。

オスカーは早く殺させろと、さっきから視線で訴えていた。

全て聞き終えた以上用は無いし。

リッチ自身も、こうなったことを半分以上後悔していた様子だ。

ならば死なせてやるのがむしろ情けだろう。

オスカーの一撃は容赦なくリッチを砕いた。

悲鳴を上げながら、溶け消えていくリッチ。

あたしはその残骸らしい石を拾い上げる。

見た事がない代物だが。

どす黒い魔力が充満している。

此奴が、恐らくリッチそのものの核で。その魂を固定していたものなのだろう。少し解析してみたい。

プラフタなら、分かるかも知れない。

いずれにしても、これは、プラフタを人間に戻すのに、必要な道具となる筈だ。

「さて、戻ろうか」

「ソフィー。 此処の植物たち、連れていきたいんだけど、いいか?」

「植え替えるの?」

「そうだ。 あいつのせいで、この辺りの土はもう駄目だ。 みんな苦しいって言ってるからな」

この歯ぎしりのような音。

多分それなのだろう。

まあいい。

周囲には大した猛獣もいないので、手分けして探す。植物は枯れそうなものが多少あるが、その程度だ。

オスカーがスコップで掘り返して、根っこごと持っていく。

どの植物も、基本的に豊かな土で育てれば、有益なものばかりらしい。

後は墓場か。

いずれにしても、此処を荒らしていたリッチがいなくなった以上、この辺りの安全確保は一旦は出来た、という事になる。

問題は噂の邪神だ。襲来の可能性が高いドラゴンに対しても、対策を急ぐ必要がある。

いずれにしても、少し計画を急ぐべきかも知れない。

どのみちノーライフキングを潰せば、当面の「日常的」安全は確保できる。

突発的な事象に対する安全に関しては、あたしがどうにかするしかない。

こればかりは可能な限りの準備をしておくしか対策は無いだろう。

植物の運び出しを終えて、そのまま帰路につく。

旅人の靴の威力は凄まじく。

やはり、その日のうちに、キルヘン=ベルに戻る事が出来た。

枯れた植物を積んだ荷車はオスカーに任せる。多分緑地の何処かに植え替えるのだろう。緑化作業は今後も継続する予定なので、オスカーには頑張って貰う必要もあるし、荷車を貸すくらい全然問題ない。

今回は採集した素材もないし。

そのままアトリエ前で解散。

モニカは色々言いたそうだったけれど。そのまま戻っていった。

さて、この石だ。

アトリエに入ると。

プラフタが待っていた。

「どうしたのです、ソフィー。 禍々しい気配を感じますが」

「ああ、これ。 見て」

「!」

プラフタも驚いたらしい。

リッチの体内で生成されていた、という事は。恐らくだが、これが魂を移すための切り札になる筈だ。

術式に関しても分かったことが幾つもある。

錬金術を使って、詠唱の極限短縮が出来るかもしれない。

元々プラフタは霊みたいなものなので。

これで、人型の体を得られる。

後は、フリッツさんに貰った肉体を、使いやすいように徹底調整すれば終わり、である。

モニカのメモを見せ、プラフタと話す。

彼女はこれは邪法だと一刀両断したが。

しかしその後。

少し時間をおいてから言い直した。

「以前より、根絶の力については話していますね」

「うん。 絶対に手を出してはならない力、だよね」

「恐らくですが、リッチは殆ど無意識のまま、根絶の力に極めて近しい力を使っていたのでしょう。 多少違いますが、周囲の植物へのダメージが、その力が如何に恐ろしいものかをよく示していると言えます」

確かにそれもそうか。

だが、プラフタは意外な事に、更に続けた。

「しかしながら、この石と、邪法を工夫すれば、根絶とは別の力……そう、言うならば創造の力につなげる事が出来るでしょう」

「それは本当?」

「私も、錬金術師だった頃に、創造の力については夢想したことがあります。 この世界の不平等を是正できないか、というものです。 ただ……それをいつ夢想したのか、まるで覚えていないのですが」

なるほど、記憶の欠如の影響か。

だが、それもまた面白い。

いずれにしても、どう改良すれば良いのか。

話をする。

まず、錬金術によって変質させるのが絶対条件とプラフタは断言。あたしもそれについては同意だ。

この力を逆転させ。

魔術もそれにそって組み直す。

元々、魔術師はどれだけ背伸びしたって錬金術師には勝てないのだ。

それならば、魔術師から得られた知識を改良し。

錬金術師が使いこなせるようにすればいい。

さて、始めよう。

少なくともこれで。

筋道は立った。

 

3、幽世の羅針盤

 

作業に取りかかる。

モチベーションそのものはとても高い。

まずは人形に魂を移す。

それさえも、どうしていいかさっぱり分からなかった状態だったのに。一つの切っ掛けから、どんどん進んでいるからだ。

そして、今。

ついに、決定的な作業を始められるのである。

意気が上がらない訳が無い。

まず中和剤を作らなければならないが。

これについては、深核をそのまま用いる。

この間猪のネームドから採取したもので。

小さいが、それでも充分すぎるほどの魔力を持っている。

砕いて熱で溶かし、更に魔力を注ぎ。

最高品質の中和剤にする。

金属並みの熱耐性を持っていた素材だが。

一度溶かすと、後は強烈な魔力を含んだ液体になり。

以降は冷やしても元に戻らなかった。

プラフタに聞くと、元々そういう素材なのだという。

なお、深核は共通して青黒い色をしていて。

これを溶かした液体も、共通して、見るからに体に毒と分かる、深い青になるのだとか。

確かにその通りになったが。

どうしてネームドの中にこれが入っているケースが時々あって。

共通して同じ色になるのかは。

プラフタの時代にも解明できていなかったらしい。

おばあちゃんの残したレシピもたくさんチェックしたのだけれど。

答えになりそうな事は書かれていなかった。

ともあれ。

おぞましい色をした中和剤が出来上がる。

これの品質に関しては、あたしの腕はあまり関係がない。深核という、生物の範疇から外れたもののコアになっている、最高品質の道具があったから出来たものだ。

この中和剤は、コルちゃんの所に持ち込んで、増やして貰う。

しかしながら、中和剤を見た瞬間、コルちゃんは真っ青になった。

分かるのだろう。

臨界レベルの魔力が満ちていて。

下手に魔術で刺激すると、家くらい吹っ飛ぶレベルの代物だと。

中和剤に加工して安定させてはいるが。

それでも、この間のグラビ石とは比較にならない。

「こ、これを増やすのですか?」

「無理?」

「や、やってみる……のです」

悲しげな声。

悲壮な覚悟。

彼女の錬金術は体に負担が掛かる。実際グラビ石の時も、コルちゃんは随分と苦労をしていた。

しかしながら、彼女は商売人でもある。

あたしが提示した金額を聞くと。

素早く負担と利益を天秤に掛け。

やるべきだと判断したのだろう。

ただ、倍にするのに三日は掛かると言われたので。頷いて、任せる事にした。

同時に、幾つか作業をする。

まず、今作れる最高の金属をインゴットにする。

この間ウサギのネームドからとれた角。

調べて見ると、強力な魔力を帯びている上、金属成分を大量に含んでいることが分かった。

これも砕いてすりつぶし。

同じように、今までに集めた中から最高の鉱石を使い。

インゴットに仕上げる。

ただ、炉に入れて出して見ると。

見事なまでのマーブル模様になっており。

実際に強力な魔力を帯びている部分はほんのわずか。

白銀に輝いているそれは。

剣にすれば文字通り何でも切り裂き。

槍にすれば、分厚い鎧だろうが城壁だろうが穴を開け。

弾丸にすれば突進してくる大型の猛獣さえ一撃で仕留める。

そんな代物に出来そうだった。

プラフタが、78点をくれる。

流石に、今まで出し惜しみしていた物資を、全てつぎ込んで作っているだけの事はある。それに、この点数。

プラフタからしても。

彼女の現役時代でも通用する品だと言う事だろう。

これもコルちゃんに預けて増やして貰うが。

彼女は、持ち込んだ時点で、既にげっそりしていた。

露骨に体積が減っている。

その上でコレを持ち込んだので。

ひっくり返りそうになった。

慌てて支えると。

涙目で、コルちゃんはぼやく。

「み、ミルク、欲しいのです」

「これ?」

「……」

弱々しく震える手で、良く冷やしたミルクを飲み干すと、ちょっと元気が出たらしい。それでも、あまりにも強力なインゴットを見て、しばらく青ざめていたが。

増やしてくれるか聞くと。

一週間くれと言われた。

そして、様子を見ていたホルストさんに。

苦言を呈される。

「ソフィー。 彼女はこの街の経済における重要人物です。 あまり負荷を掛けてはいけませんよ」

「すみません。 しかしこればかりは、今後二度と取れない可能性が高い素材ですので……」

「はあ。 ミルクを貴方の所で冷やして、持っていってあげなさい。 それくらいはしてあげるのが礼儀です」

「分かっています」

うちの炉は、冷却も出来る。

キンキンに冷やしたミルクを持っていってあげると。

コルちゃんは、もう少しだけ元気になった。

これはしばらくは、ミルクを持っていってあげないと駄目だな。

そう判断しつつ。

あたしはハロルさんの所に向かう。

幾つか、やらなければならない事があるのだ。

プラフタの中枢部品の作成に関して、である。

現時点で、プラフタの体は。中心に深核を埋め込み、その周辺から伸びている糸を用いて、稼働させることが可能になっている。

その一方で、魂を定着させるための、文字通り「魂が籠もる」道具が必要になってくる。

これはリッチの術式を解析しても分かったのだが。

何人かの職人からも話を聞いている通り。

良く出来た品には魂が籠もる。

それを利用するのである。

存在としては羅針盤に近く。

心臓部になる深核を中心として作ったコアをはめ込むようにして、プラフタの体内に埋め込む。

その際、先ほどからコルちゃんに増やして貰っている素材を使って作る繊細な部品が、幾つか必要になってくるのだ。

頼めるのは、ハロルさんしかいない。

そして図面を持ち込むが。

ハロルさんは、渋い顔をした。

「これを俺に作れと?」

「お願い出来ますか?」

「……時計ってのはな。 作って見ると分かるが、非常に複雑な計算と、緻密な歯車の組み合わせによって成り立つんだ」

不意に話を変えるハロルさん。

手元が震えているのが分かる。

こういうとき。

話を静かに聞くのが良い。

あたしはそれを、経験的に知っている。

モニカとオスカーとあたしと、三人の兄貴分だった頃からそうだ。

時々ハロルさんは。

非常に鬱屈した表情になり。

そして、ある時期から。

それが止まなくなり。時計屋の仕事も、あまり真面目にやらなくなった。

理由は、父親との才覚の差を、見せつけられたから。

時計を見れば見るほど、自分ではどうにも出来ないと悟ってしまった。

努力では埋めようがない圧倒的才能の差。

それを悟ってしまったハロルさんは。

何もかも馬鹿馬鹿しくなってしまった。

故に今は、仕事も休みがちで。真面目に働くのも希になってしまっている。

「この部品は、親父でも作れるか分からない」

「ハロルさん。 この街で頼れるのはハロルさんだけです」

「……」

「作るものの精度を上げるために、こういうものを用意しました」

持ち込んだのは、レンズと呼ばれるものと。

マイスターミトンの調整版だ。

レンズはものを拡大して見る事が出来る。

眼鏡と原理は同じだが。

拡大率が尋常では無く高い。文字通り、蚤を野犬のようなサイズで見る事が出来るほどだ。

これについては、ガラスを作るのと殆ど同じで。何よりおばあちゃんがレシピを残していたので。すぐに作る事が出来た。

マイスターミトンの調整版については。

防御魔術を取っ払い。

精密動作に特化させている。

レシピはちょっと弄るだけで良いので簡単だった。

つまり、身体制御の魔術を最大強度で常時展開。

指先を、生半可ではない精密さで動かす事が出来る。

無言で二つを受け取ったハロルさんは。

しばし無心のまま試し。

そして、項垂れた。

「妹分に此処までされると、流石に悔しいな。 俺の生身ではどうにもならないと、実証されたようなものだ」

「頼みます」

「……」

本当に深いため息をつくと。

やってみると、ハロルさんは言ってくれた。

素材を持ち込むのは一週間後だと言うと。

頷かれる。

それまでに、この補助道具類を使って。

今までに溜まっている仕事を、片付けてしまうつもりらしい。

さて、次だ。

レオンさんの所に行く。

レオンさんは、前に人形の設計図を作るのに協力してくれたので。

今度はついでということで。

人形用の服を作ってもらう。

とはいっても、もう作ってもらった「普段着」では無い。実際には精密な人形の機構を守るための、強力な防御術式が掛かったものだ。普段着の外側から被る防御用のコートのようなものである。

如何に錬金術で強力に変質させていると言っても。

所詮は人形。

柔軟さを兼ね備え、触ったときに肌の質感をある程度再現するとなると。

どうしても防御には劣るものとなってしまう。

プラフタのストレスを増やさないためにも、人形部分の強度は其処まで高める訳にはいかないので。

服の方で、防御は強化するのだ。

布についてはあたしの方で用意する。

レオンさんは説明を受けると。

二つ返事で引き受けてくれた。

「私で良ければ力になるわ。 紙装甲のまま彷徨くのも、プラフタさんには厳しいでしょうしね」

「ありがとうございます。 お願いします」

レオンさんについては。そもそも傭兵をやっているのがおかしいほどのスキルを持つ仕立て師なので。

全面的に任せてしまって大丈夫だろう。

さて、アトリエに戻る。

あたしはあたしで。

やる事がある。

自分で作る事が出来る部品は、作っておかなければならないからだ。

まず、深核に取り付ける部品の内。

ガワはあたしで作る。

ちょうど深核を包み込むようにして作るのだが。

使う深核は、デビルホーンのものを用いる。

この深核そのものも加工し更に変質させるのだが。

先にパーツを作るのだ。

今までに作ったインゴットの中から、特に品質が高いものを選び。

熱してハンマーで叩き、加工する。

このくらいの加工なら、あたしにも難しくない。加工しつつ中和剤につけて、強力に変質させていくのも、いつもと同じだが。

聞こえる雑音の具合によって。

どんな風にハンマーを振るうべきか、かなりあたしも熟練して分かってきた。

良い場合はクリアな雑音が聞こえるし。

駄目な場合は、ハンマーを振るおうとしたときに、止めろと言わんばかりに嫌な雑音が聞こえるので、手を止める。

そしてこの雑音。

以前より明らかに大きくなっている。

よって、より聞き取りやすくなっているから。

作業もスムーズに行くようになっていた。

プラフタは時々アドバイスをしてくれるが。

それ以外は、じっと黙ってレシピを確認し。

穴がないか、チェックをしてくれているようだった。

更に言えば、ミスを指摘される頻度も減ってきている。

あたしの腕が上がってきたのは。

客観的に見ても間違いない。

だが、プラフタは完成品を見ると、まだ良くても60点代くらいしかくれない。余程いい品質の素材を使った場合は別だが。

それでも、あたしはまだまだ伸びしろがあるという事らしい。

才能なんてものは反吐が出るが。

それでも錬金術師として腕が上がるのは嬉しくはある。

この矛盾した思考を。

他人に理解して貰おうとは思わない。

だから積極的に口にしようとも思わない。

作業は淡々と進み。

着実に下準備が為されていく。

基礎工事が出来ていく感触だ。

最初にアトリエに来たのはレオンさん。

うきうきなのは、最高品質の布で、強力な上にしゃれた服を作れたから、だろうか。

コンテナから出してきた素っ裸のプラフタの人形(あの後結局放置していた)に、下着からして丁寧に作ってあるお服を着せる。その上から、防御用の服を着せた。

脱がせ方についても教えてくれた。

これは簡単で。これからどうせ、分解してメンテナンスをしなければならなくなるから、である。

人形を人間にするのは、まだまだ遙か先の話。

それこそあたしが、神をも単独で砕けるレベルの技量を身につけたときの事になるだろう。

一年や二年で、其処まで行けるとは思えない。

あたしの成長速度はかなり早いらしいが、それでも後十年前後はかかるのではあるまいか。

それまでの間は。プラフタには、人形の体で我慢して貰うしかないので。

どうしてもメンテナンスについてはやり方を知らなければならない。

更に言えば、人形としてある程度自由に動けるようになれば。

プラフタも戦闘に参加することだろう。

そうなれば傷は増えるわけで。

メンテナンスはどうしても必要になる。

ついでに、フリッツさんにも来て貰い。

空いた時間で、ばらし方と組み立て方を習う。

それこそ顔から火が出そうな様子で、プラフタはやりとりを見守っていた。非常に細部まで再現されている体を、目の前で好き勝手に他人に弄られるのは、流石に恥ずかしいのだろう。ましてや生前の自分とうり二つなのだから。

球体関節の取り扱いも習う。

なるほど。

そう唸らされるほど、精巧にできていて。

フリッツさんが如何に人形を愛し。

そしてこの体を、高笑いしながら楽しそうに作ったのかが、直に見なくても分かるほどだった。

「背中は此処の部分を外すことで、展開することが出来る。 こう押し込んで、こうだ」

「これは凄い」

「大きさは違うが、私の愛する人形達と同じ仕組みだ。 こういった技術は大きめの街でしか継承されていないからな。 いずれ弟子を取って、技の全てを後世に残したいものだが……」

「娘さんがいるんでしたっけ?」

首を横に振られる。

フリッツさんの娘さんは人形作りでは無く、脚本担当だそうである。

今もフリッツさんは、人形を弄っていない時は、街で時々人形劇をやってくれるのだけれども。

新作はなくて。

今まで娘さんが執筆した脚本に沿って、一話完結の話をやってくれているそうだ。

なお娘さんは、脚本を書く割りにはいわゆる脳筋で。

巨大な斧を自在に振り回すパワーファイターらしい。

それと脚本を書くという作業は、両立する、というわけだ。

「剣の技も、誰かに受け継ぎたいものだが……」

「ジュリオさんの剣は既に技としては完成しているようですし、モニカは剣術の系統が違いますしね。 誰か適当な人を探すしかなさそうですね」

「その通りだ。 頭が痛い話だな」

メンテナンスの方法について聞き終えたので。

人形を組み立て直し。

メモを取る。

メモを取りながら話をするが。

自警団に稽古を付けているときも。

フリッツさんは剣術の弟子になりそうな人を探しているそうだが。

そもそも二刀流というのは非常に難しいらしく。

剣舞などで見栄え良く動いたり、或いは本物の剣を使わず試合のような事で使うには良いものの。

実戦で使うにはかなり素質がいるそうで。

中々良さそうな相手は見つからないそうである。

「うむ、覚えが良いな」

「フリッツさんが技術として理解してくれていて、教え方が完璧だったから、適切に再現しているだけですよ。 理解は出来ましたけれど、この人形を一から組み立てるのは、それこそ何年もかかったはずです」

「それでも大したものだ。 君は歴史に名を残す錬金術師になるのではあるまいかな」

「フリッツ」

咳払いすると、釘を刺されたフリッツさんは礼をしてアトリエを出て行く。

あたしも礼を返す。

プラフタは、あたしを甘やかすような言動には、やはり厳しい態度を見せる。

適切に褒めて、適切に伸ばす。

そういう考えらしいから。

今みたいな過剰な褒め言葉は、相手を駄目にすると考えてしまうのだろう。

時間が空くので。

その間に薬や爆弾。

それに他にも注文された道具類をせっせと納品する。

目に見えてキルヘン=ベルを訪れる商人が増えている。

東から来て、東にそのまま引き返す商人と。

東から来て、アダレットに向かう商人が多く。

逆に、アダレットから来て、東に向かう商人は、あまり多く無い様子だった。

これは、アダレット側の隣街と、このキルヘン=ベルの間の道がかなり険しいことや。そもそも幾ら緩いと言っても国境を抜けるのには相応の面倒が掛かる事。何よりも、馬車などの運用コストの問題なのだろう。

ホムの商人が来た時は、誠実な取引をしてくれるのだが。

ヒト族の商人が来た時は、コルちゃんも苦労しているようだった。

獣人族の商人はまずみかけない。

魔族は更に少ない。

ただ、驚くべき事に。

護衛として雇われている、巨人族を見かけた。

魔族の中でもレア中のレア。

通常の魔族の倍も背丈がある種族である。

寿命も通常の魔族よりもかなり長いらしいが。

人だかりが出来ていた。

流石に二大国の首都になると見かけるらしいが。

こんな辺境では滅多に姿を見ないからである。

コルちゃんの所に、中和剤とインゴットを取りに行って。

その時あたしも間近で見た。

非常に怖い顔をしていて。

生半可な魔族では及ばないほどの、凄まじい魔力を纏っている。

確か、強い魔族になってくると、「魔王」と呼ばれるらしいのだけれども。

それは確か純粋な魔力量で計算するらしく。

普通に鍛えた魔族ではまず到達できず。

巨人族か。

それとも錬金術の道具で武装するしかないらしい。

希に獣人族のレア種族であるケンタウルス族も、その領域にまで到達できるらしいのだけれども。

いずれにしても、「魔王」として名を残している人は、巨人族に多いそうだ。

ヒト族として「魔王」に到達した人も例外的にいるらしいけれど。

それは本当に例外中の例外らしい。

見たところ、この人は錬金術の道具で武装したあたしよりも少し劣る魔力くらいだろうし。

「魔王」には届かないだろう。

集まって来た人に困惑している巨人族の護衛だが。

頼まれるままに子供を肩に乗せてやったりしていて。

恐ろしい顔の割りに、案外サービス精神が旺盛である。

温厚そうなホムの商人とは、既に取引が終わっているらしく。

だが、それでも疲労の色が濃いコルちゃん。

それだけ、中和剤とインゴットの複製は大変だったのだろう。

すぐにミルクをぐびぐびやっている所から見ても。

余程の難行だった事がうかがい知れる。

「つらかった?」

「今度は、出来れば……もう少し時間が欲しいのです」

「分かったよ、ごめんね。 次に同じものを複製する場合は、負担を考えて、倍の時間でやってもらうよ」

「ありがとうございます、なのです」

疲弊しきったコルちゃんは。

口元を抑えることもなく。

街を出て行く商人に、手を振っていた。

そういえば、商人の連れている中に。

以前見かけた、あの子供二人。

アトミナとメクレットだったか。

そいつらがいたような気がした。

まあそれはいい。

とにかく、今は。

やる事を、順番に進めていくだけだ。

 

ハロルさんにインゴットを渡して、加工を頼む。

流石にこれだけ強力な金属を触るのは初めてだと、ハロルさんはぼやいていた。何しろ強い魔力を帯びて輝いている程である。ロジーさんも、渡したら子供のように喜ぶ事は疑いない。

前に渡したレンズと、更に精密作業用のマイスターミトンを使って、ハロルさんは黙々と仕事を始める。

才能の不平等か。

あたしは余計な才能があって。

ハロルさんには欲しい才能がない。

錬金術は才能がなければそもそもスタートラインにさえ立てず。

魔術は才能でたどり着ける上限が明確に決まっている。

こんな不平等が。

あってたまるか。

無言で怒りを押し殺すと、アトリエに戻る。

さっそく、作業を開始。

ハロルさんが部品を作るのと同時に。

プラフタのコアになる幽世の羅針盤の、中枢部品を作る。

深核をまず、強力な中和剤に着けて。

熱し。

叩いて伸ばし。

柔らかくしていく。

そしてリッチから取り出した例の石も。

同じように中和剤に入れて。

変質させる。

変質させるとき。

今までに無い凄まじい音がした。

悲鳴のような、というべきだろうか。

深核を中和剤にするときも、強烈な音が聞こえた気がするが。それともまた、桁外れの凄まじさだ。

プラフタに、音が凄いと言うと。

彼女はさもありなん、と言った。

「根絶に近い力を、錬金術によって切り替えているのです。 おぞましいまでの声がするのは、避けられないでしょう。 何か決まった言葉には聞き取れませんか?」

「いや、でも抵抗は感じないよ」

「それならば、進めていきましょう」

頷く。

中和剤は元々圧倒的な魔力を含有している特別製だが。

見る間にリッチから取り出した石は。

魔力を吸い上げていく。

それこそ、真綿が水を吸い込むように、である。

やがて中和剤は。

全ての魔力を失った。

追加で中和剤を入れつつ。

幾つかの薬品を加え。

変化を促進していく。

それと同時に、深核の変化も行う。

熱を加え。

更に中和剤を掛けて、叩いて伸ばす。

伸ばしながら、形状を変化させていく。

これについては、リッチから取り出した石に関しても同じだ。

この青白い石は、中和剤で変化させると、柔らかくなってくる。人肌くらいの温かさである。触っていて分かるが。中に途方もない魔力が循環していて。ちょっと扱いを間違えると、すぐにドカンと行く事がよく分かる。

超一級の危険物だ。

急いで安定させないといけないだろう。

深核の方は、加工が終わる。

青白いパーツが、幾つかと。

土台になる部分。

更に、リッチから取り出した石の変質を進めていく。青白かった石が、徐々にミルク色に変わっていく。

プラフタが、途中で何度か口を出し。

その度に薬品を加え直す。

「ソウルストンと呼ばれるものがあります」

「図鑑で見た奴だね」

「はい。 正体は未だによく分かっていないのですが、いずれにしても霊に関係していると言われ。 一説には魂が石になるまで圧縮されたものとも言われています。 コレは恐らく、そのソウルストンの何十倍、何百倍も圧縮率が高い、自然界ではあり得ない存在だとみて良いでしょう」

そうか。

まだ魂を移す作業そのものはしていないのに。

そんなとんでもないものを作っているのか。

冷や汗を何度か自分で拭う。

安定はして来たが。

それでもここから先。

失敗は許されないのだ。

呼吸を整えて、更に次の作業に。

中和剤に超圧縮ソウルストンとでも呼ぶべきこの石を入れ。熱を今度は一気に上げる。こうすることにより。表面に、分厚い魔力の層を造りつつ。

更に、薬品を加え。

物理的にもコーティングして。

安定させるのだという。

なるほど。

理屈はよく分かった。

ただ、凄まじい臭いだ。

使っている薬品が、複数種類の薬草を変質させたものである上。

それらの薬草を変質させるときにも、同じ中和剤を使っている。

深核を使った中和剤だ。

薬草にも、強烈かつ凄まじい変化をもたらし。

普通だったら薬になるような薬草でさえ。

触ると指が溶けるような、強烈な中間生成液に変わる。

これらをフラスコに入れ。

慎重に混ぜ合わせながら。

魔術で時に空気を操作し。

温度を炉に入れて調整し。

そして、今釜で反応させている。

ミルク色だった石が、徐々に桃色の球体になり。更にそこから美しい白銀色を帯びて来た頃には。

気付くと、三日が経過していた。

中和剤の魔力は完全に枯渇。

用意していた深核中和剤は。

ストックがなくなった。

またコルちゃんに増やして貰うにしても。二週間は掛かるという判断をしなければならない。

トングを使って。

拳大の球体を取り出す。

完璧な球だ。

そして、膨大な魔力が、安定して内部で渦巻いているのが見えた。指向性を持って。ゆっくりと回転している。

水に手を沈めると出来る渦のようだな。

そうあたしは思う。

そして、事前に深核を加工して作って置いた部品を、この球体に合わせて調整。ほんのわずかな歪みも許されない。

自分でも、ハロルさんに渡した、精密作業用のマイスターミトンをつけると。

小さなハンマーを使って。

丁寧に。丁寧に。

調整をしていく。

やがて、土台になるくぼみと。

それを包み込むような四本の曲がった柱が出来た。

実は、これもメンテナンスを想定し。

柱をそれぞれ外せるように作ってある。

まず土台に、超圧縮ソウルストンを載せ。

曲がった柱を土台に外側からセットし。

横から支えをスライドさせて、柱を固定する。この支えと、柱を入れるためのくぼみを土台に作ってあり。

何度か調整して、超圧縮ソウルストンが傷つかないように、慎重に調整を行った。

七回の調整を経て。

ようやく超圧縮ソウルストンが固定される。

意識が飛びそうになって。

慌てたプラフタに、声を掛けられた。

「ソフィー!」

「らいじょうぶ……」

「モニカを呼んできます!」

「……」

寝台に横になる前に。

危ない中間生成液や。作業道具はコンテナにしまっておく。

それが終わった頃。血相を変えたモニカがすっ飛んできた。

「何をしているの! 無茶ばかりして!」

「ごめん、眠らせてくれる?」

「掃除はしておくわ。 眠りなさい」

返事をする余裕も無い。

寝台にぼてりと横になると。

そのまま目を閉じる。

意識が一瞬で消し飛んだ。

 

目が覚める。

時計を見ると、丸一日が経過していた。

そういえば、二週間近くロクに寝ていなかった。苦笑いをしながら、適当にコンテナから食糧を引っ張り出す。

肉があったので、焼いて食べる。

黙々と食べていると。

あたしの横で寝ていたモニカが、起きだしてきた。

彼女は文句を言うことも無く。

料理を作り始めた。

あたしも料理は一応出来るのだけれど。

モニカはより繊細というか、家庭的な料理を作る。

教会で頼まれて子供のためにお菓子を作ることも多いのだけれども。お菓子ばかり食べていれば、体を壊してしまう。

薬草などを使ったスープを作ってくれたので、多少がっつく。肉汁が良く薬草にしみこんでいて、ほどよい苦みがとても美味しい。

「うん、美味しいよ」

「プラフタさんの体の方は、大丈夫なの?」

「後はハロルさんの部品待ち」

「そう……」

モニカは心配そうにする。

そして教会にたまには来ないかと、言われた。

「あたしに。 お説教を。 聞けと?」

「この街に新しく来た子供達も含めて、聖歌を歌うの。 私もね」

「……」

「それならこうしましょう。 子供達のために、甘いお菓子を作ってくれないかしら」

そうか、それなら良いだろう。

クッキー程度なら作れる。

奇しくもというか。

東の街で、麦が想像以上の大豊作だそうで。

ミゲルさんが、ホルストさんに少しばかりのお礼だと、大量の麦を分けてくれたらしい。あたしもお裾分けでかなり品質の良い麦を貰っている。

菓子作りを錬金術の応用でやるのは悪くない。

ここのところ、身の丈を明らかに超えている錬金術をやっていて、疲弊が酷かった。

クッキー程度なら、レシピもすぐに作れる。

気分転換には良いだろう。

「それとソフィー。 私ね、聖歌隊の指揮を執りたいと思っていて」

「自警団の次期団長が、聖歌隊もやるの?」

「兼業はさほど難しくないわよ。 毎日聖歌を歌うわけでは無いのだからね」

「また酔狂な」

モニカが歌を好んでいることは知っていた。

普段はどちらかといえば落ち着いた声だが。それは逆に言えば、声のコントロールに長けていると言う事で。

彼女の聖歌は確かに一聴の価値がある。

まあいいか。

教会の教えはどうでもいいが。

子供達のほほえましい歌と。彼女の歌を聴きに行くと思えば良い。

「分かったよ。 次の休みだったっけ?」

「そうなるわ。 お願いね」

「りょうかい」

敢えてゆっくり言うと。モニカは此処が妥協点だろうと、帰って行った。ゆっくりしていけば良いのにと思ったが、まあそうも行かないのだろう。

軽く体を洗って。

さっぱりした所に、ハロルさんが来る。

頼まれたものが出来た、という事だった。

「これで構わないか」

「見ていて」

ハロルさんに。

土台に固定した、超圧縮ソウルストンを見せ。

それに事前に用意していた、レオンさんに渡した布を柔らかく包むように隙間に入れ。

ハロルさんに貰った部品を当てはめていく。

ぴったり、である。

卵形の、金属の塊にも見えるものが出来上がっていた。

頷いた。

これで幽世の羅針盤、完成だ。

「完璧ですね」

「それは良かった」

ハロルさんは、若干疲れているようだが。

まあ無理も無い。

あたしは何度も調整して、やっときちんとしたものにできたのに。

ハロルさんは一発で仕上げてきたのだ。

これで、プラフタの新しい心臓ができた事になる。

ここからが本番。

本に宿った魂を、此方に移す。

だがそれは、リッチが言っていたように、本来は十年以上掛けて行うもので。簡単にできる事では無い。

だが、その半分以上は既に終わっているとも言える。

「少なくとも道具込みであれば、親父さんに並びましたね」

「……ああ、道具込みならばな」

「それで充分ですよ。 あたしはまだおばあちゃんに道具込みでも及ばない」

そう言うと。

ハロルさんは、しばらく何か思うところがあるのか、黙り込んだ後。

珍しく頭を掻いて。

そして、礼を言った。

さて、少し休んだ後、まずは息抜きにクッキーを作り。

それから、プラフタの体を、本から人形にする作業を開始だ。

それが終わったら、プラフタ用の拡張肉体を作りたい。人形の状態で、徒手空拳は色々と苦手だろうし。何よりメンテナンスが大変になる。生前使っていた、一対の浮遊する腕、というのが良さそうだろう。

小麦粉を取り出すあたしに。

プラフタは悲しげに告げた。

「ソフィー。 何となく分かったことがあります」

「どうしたの」

「貴方は。 自分の体を傷つける事を、何とも思っていないのですね」

「今更だね」

肩をすくめる。

プラフタもそうだったのでは無いかと聞き返してみると。

素直に肯定された。

「自分の事についてはその通りです。 しかし、幽世の羅針盤のレシピを書き込んでくれた直後辺りから、どうにも嫌な記憶がちらついてならないのです。 自分なんかよりも大事な人をきちんと見ていなかったから、とんでも無い事を引き起こしてしまった。 それが、より鮮明に、強く強く記憶の中で荒れ狂っています。 私は、もしも本の中で目覚めるのが早かったら。 きっと自責と後悔の念で、押し潰されてしまっていたのではないのでしょうか」

「……」

自分より大事な人か。

よく分からない。

プラフタは結婚していなかったと言うし。

たびたび過去の話にちらつく優秀な盟友の話だろうか。

だがどうも記憶そのものが曖昧なプラフタの話は。

時系列も一致していないように思えるし。

完全に戻らない限り、変に推理するのもむしろ失礼に当たるだろう。

「ソフィー。 貴方は怒るかも知れませんが。 貴方は間違いなく天才です。 そしてその才覚は、この荒れ果てた世界を、少しでも良くすることが出来るはずです」

「今、あたしの逆鱗を全力で殴っている自覚はあるんだよね?」

「あります。 ですが、聞いてください。 私は……誰かを狂わせてしまったように思えてならないのです。 私が、きちんと見ていなかったせいで。 貴方を、そうはさせたくない……」

「それならば、あたしを理と論で縛るしかないね」

あたしは。

とっくに狂っている。

あのクズに母を殺され。あたしも殺され掛けた時に。

この世界の異常な不平等に気付いた時に。

ずっと聞こえる雑音を悟った時に。

既に、誰よりも狂い果てた。

あたしに才覚があるかどうかはどうでもいい。この腐りきり、狂いきった世界の元凶がいるなら。

粉々に打ち砕く。

今のあたしの目的は。

それだけだ。

もしそれがかなわないなら。

尻を叩いて世界を直させる。

創造神に賢者の石でアクセスが出来るなら。幾らでも作ってやる。

そしてまずは殴る。

もしよりよい世界が作れるのなら。

こんな世界、ぶっ壊してしまっても構わない。

狂ったあたしには。

それが真理だ。

「プラフタ。 あたしは利害関係が一致しているからプラフタを人間に戻すし。 基本的に匪賊でもない人間には手を掛けない。 荒野だって緑化するし、ネームドもドラゴンも邪神も引き裂いてやる。 でも、あたし自身はとっくに狂っているって事を、忘れないで」

あたしが正気だと思って貰っては困る。

それだけは。

勘違いして欲しく無かった。

プラフタは、何も言わなかった。

あたしが狂っていることを再確認したからか。

それとも、別の理由からか。

どちらにしても。

あたしは、この世界を許すつもりは、ない。

 

(続)