猛追する死
序、死の待つ道
今の時代、荒野だけでは無く、街道にさえ死の臭いが満ちている。
貧困層は街では暮らせない。
だから、街を出るしか無い。他にも事情があって、街を出るケースは幾つかある。
しかし城壁に守られていない街の外は安全では無い。街の中でさえ場合によっては怪しいが、それでさえ天国に思える程に。
そんな場所では頑強な魔族でさえ生きていけない。
取る道は三つだ。
一つは、匪賊になる事。
腕に自信があれば、匪賊になり。街に襲撃を仕掛けて弱者から奪い取り。その代わり風に晒され獣と戦いながら生きるしかない。
この道が一番多い。
実際問題、匪賊をしている内に、一族で村を立ち上げるケースもある。
そういった村は、基本的に旅人に対して非常に容赦ない。入った瞬間、殺されるようなケースもある。
ただし現在は二大国が各地に伝令を派遣していて、大きめの匪賊については監視しているし、各地に腕利きも配備している。匪賊が大型化するケースは500年前に比べると減ったようだ。
それがあたしが、プラフタの記憶をたどって出した結論。
二つ目の道。
それは何処かしら、受け入れてくれる村や集落を探して、あてもなく旅に出ること。
いわゆる流民だ。
これは非常に危険な賭だが。
街の高い生活費や税金。場合によっては役人の圧政。
更には、ネームドの猛獣やドラゴン、邪神の脅威。
これらに晒された場合、なし崩しに街を出なければならなくなるケースがある。
実は現在、流民や匪賊が発生する理由の最大のものはこれだ。
つい最近も、高位のドラゴンが暴れて、比較的大きな三つの街が壊滅するという悲劇が起きた。
生き残りは街を復旧しているが。
この場合、ドラゴンが迅速に退治できたからで。
軍さえ返り討ちにして、その場にドラゴンが居座ってしまった場合。
また、更にタチが悪いケースで。
高位の邪神が襲撃してきた場合。
復旧どころでは無い。
高位の邪神になると、あたしでも知っている雷神ファルギオルのように、複数の国を滅ぼしたケースもあり。
倒せるかさえ分からない。
高位の錬金術師と軍、更に腕利きの傭兵が、命がけの勝負を挑み。
撃退出来れば御の字、という相手だ。
現在人間に対して敵対的な邪神は三十柱以上が確認されていると、この間ジュリオさんに聞いた。
これはアダレットとラスティンを合わせての数字で。
つまり人跡未踏の地区に敵対的な邪神が潜んでいる可能性もあり。
それを考えると。
辺境では、いつ何が起きてもおかしくない。
つまり、安全な生活なんて。
今の世界には、何処にも無い、という事だ。
匪賊でもなく。
流民でも無い場合。
何を選ぶか。
簡単である。
それは死だ。
力ないものが荒野に放り出されたら、もはや待っているのは死しか無い。これは悲しい現実である。
そしてこの世界では。
この現実が故に。
人間が増えない。
大都市でさえ壊滅させるドラゴンや邪神が実在し。
そいつらを討伐し切れていない状態。
しかもドラゴンに至っては、倒しても倒しても沸いてくると言う状態である。
公認錬金術師は精鋭揃いと聞くが。
それでも邪神が相手になると、分が悪いケースも目立つだろう。
プラフタの戻った記憶を聞きながら。
あたしはそう分析していた。
プラフタも分析に同意する。
「結局この世界は、人間の国家がまとまった以外には、500年前とあまり変わっていない、というのが実情のようですね」
「そうだね。 でもプラフタ、改善はしているんじゃないの?」
「……不思議な話ですが、500年前にも、人口は減りも増えもしていなかったような記憶があるのです」
「そっかあ」
人間に対して、ドラゴンがそれほど攻撃的では無かったのか。
或いは、人間がもっと繁殖していて、それ以上に駆逐されていたのか。
いずれにしても、世界は。
根本的な所から狂っていて。
変えなければならない、という事を意味している。
この世界のポテンシャルは大きい。
人間はもっと養えるはずだ。
ドラゴンは何を考えて襲撃してくるのか。
邪神にしてもそうだ。
ドラゴンには高い知性が無い、という噂がある。プラフタに聞いてみたが、そういう説がある、とだけ答えられた。或いは専門家ならもっと詳しいか、プラフタの記憶が戻れば分かるかも知れないが。
いずれにしても、プラフタもドラゴンが喋るところを見た記憶が無いし。
高位のドラゴンも、頭脳戦と呼べるものをやる事は無く。
力が強いだけで。
破壊と殺戮の限りを尽くすのみだそうだ。
あたしが知る限りでも、ドラゴンはそうである。
となると、ドラゴンは五百年まったく変わっていない、という事になる。
それなのに、これだけの脅威であり。
今でも暴れ出すと大きな被害が出る上。
駆除しても幾らでも沸いてくる。
これは、世界の欠陥では無いのか。
更に危険なのが邪神だ。
此奴らはドラゴン以上の戦闘力を持つ。ドラゴンでも高位のものは邪神並と聞くが、なんと邪神は上位次元というものに干渉できるらしい。魔術ではこれは無理で、錬金術の、それも極めて高度なものでないと不可能だとか。
邪神には明確な知性と悪意があり。
人間に対しての攻撃を厭わない。
前にジュリオさんから聞いた三十柱を超える邪神は、人間から逃げ回って存続しているのでは無い。
国家でも手が出せない相手、なのだ。
これでファルギオルでも復活したら、それこそ大変な事になるだろう。
ただ、気になることをプラフタが言う。
「曖昧なのですが、私が知る限り、500年前にはもっと多く人間に対して敵対的だった邪神がいたような気がします。 その上邪神は下級のものでも、数百年もすれば復活するはずです」
「二大国が頑張って減らしたとか?」
「いえ、考えにくいですね。 錬金術師の質が上がったと言っても、相手は邪神です」
「……そうなると、深淵の者?」
「分かりません」
世界の裏で暗躍していると噂の深淵の者。
正体はよく分かっていない。
だが、今回のドラゴン騒動でも、ドラゴンを倒したのはアダレットの軍では無くて、深淵の者では無いかと言う噂があるそうだ。
そも深淵の者自体が、何をしたいのかよく分からない集団で。
あたしも色々な噂は聞いているが。
それ以上の事は分からない。
ただ、匪賊が勝手に壊滅させられていたり。
猛獣が殺されていたことはあって。
それは、深淵の者がやったのかも知れない、という事は思っていたが。
プラフタの戻った記憶と現状のすりあわせを終える。
結局の所。
世界はあまり良くなっていない。
しかしながら、公認錬金術師制度がラスティンで導入されて。
錬金術師の質は向上し。
大きな街などの周囲には森などの緑が作られ、ほんの少しずつだが荒野は減っている。
あたしのおばあちゃんなどの凄腕は、村レベル小さな街レベルでも、周辺の環境改善に尽力し。
結果、キルヘン=ベルに至っては、それほど強力な城壁で守られていないにもかかわらず、現時点では比較的安全だ。
猛獣は森などに入ると性質が比較的穏やかになるし。
何より食糧を確保できるので、人も飢えない。
緑があるという事は土地に保水力もあり。
畑なども耕して、充分に自給できる食糧を確保できている。
こういう点だけは。
ほんの少しだけは改善しているとみるべきか。
しばらくああでもないこうでもないと話をしていると。
不意にアトリエの戸が鳴った。
知らない気配だ。
ドアを開けてみると。
見た事がない子供が二人、立っていた。
虫を思わせるかぶり物をしている。
誰だ。
キルヘン=ベルは小さな街。
子供の顔なんて、一人残らず知っている。
最近加わった子供だって全員覚えている。
こんな子らは知らない。
「あれ、誰?」
「私はアトミナ」
「僕はメクレット」
どうやら双子か姉弟か、雰囲気がとても似ている。
つかみ所が無い。
着込んでいる服も、子供用のものだが、虫を意識しているデザインなど、非常に独特だし、何より上物だ。
それだけじゃあない。
目が違う。
子供はどうしても、目が子供だ。
此奴らの目は子供じゃ無い。
あたしは、すっと目を細めた。
「キルヘン=ベルの子じゃ無いね? 誰?」
「今日商人達と一緒に街に寄ったから、錬金術師に会いに来たの」
「噂になっているらしいからね。 キルヘン=ベルで、ぐんぐん錬金術師が力を付けて、町の発展に寄与しているって」
プラフタは後ろに隠しているが。
本当か。
確かにあたしの噂は、既に隣街まで届いているとか、前にキルヘン=ベルに立ち寄った商人に聞いた。
だが、それでもだ。
この子供らは不可思議だ。
「今後、何かあったら仕事を頼むかも知れないから、よろしくね」
「アトミナ、そろそろ行こう」
「分かっているわよ」
アトミナという子供。
本当に幼児か。
メクレットという男の子に促されて。アトミナという女の子はその場を去り。一瞬だけ此方を見たメクレットも。視線からしてとても子供とは思えなかった。
ドアを閉じる。
商人は時々来るようになったから、それはいい。
此処で上質な錬金術の道具が購入できるという噂が流れ。
それで、らしい。
商魂たくましい話で。
知らない奴がいても、不思議では無い、という事だ。
だがあの二人は。
嫌な予感がびりびりする。
「どうしたのですか、ソフィー」
「プラフタは感じなかった?」
「何をです」
「今の子供達、ただ者じゃないよ」
少なくとも。
相当な修羅場をくぐっているのはほぼ確実と見て良いだろう。
あたしの間合いも見きっている様子だったし。
多分錬金術の道具で武装していたのではあるまいか。
この間、ひよっこであるあたしが作った友愛のペルソナや仕込み手甲も、その破壊力は手練れの魔族であるヴァルガードさんを唸らせる程だったし。
CQCの達人であるテスさんは、仕込み手甲を使ってみて、これは凄いのでとても嬉しいと大喜びでわざわざアトリエにまで礼を言いに来た。
それは逆に言うと。
例えば生前のプラフタクラスの錬金術師が本気で作った錬金術の装備で身を固めた場合は。
ドラゴンとガチンコも出来るのではあるまいか。
「俄には信じられませんね。 今の子供達はちらりと見ましたが、どう見ても十歳程度にしか見えませんでした。 最近話に聞いた、歴史上最年少公認錬金術師でもそれより少し年下という話で、私も錬金術を始めたのは十代、大成したのは二十代だったと記憶しています。 あの年で、錬金術を極めるのは無理でしょう」
「プラフタが断言すると重みがあるね」
「そも、恐らく史上最年少公認錬金術師と言っても、現時点で錬金術を極めているとは思えません。 もしもソフィーが言うのが正しいとなると、錬金術師の親がいるか、それとも……」
魔術などで姿を偽装しているか。
或いは錬金術の装備で同じような事をしているか。
だが。どちらにしても意味が分からない。
大体だ。
あたしは二人を間近で見たが。
魔力波動がおかしかった。
ヒト族のものとも魔族のものとも違う。
ホムでもない。
いや、ホムに近かったかも知れない。
小首を捻っていると。
いきなりドアが激しくノックされた。
今度は知っている気配だ。
ドアを開けると。
息を切らせたモニカだった。
「どうしたの」
「早馬よ。 五十人規模の人間受け入れ希望が来ているらしくて、隣街まで護衛を派遣して欲しいって」
「ええっ!?」
五十人規模。
流石にそれは多い。
キルヘン=ベルはおばあちゃんが育て上げた街だけあって、まだまだキャパには余裕があるが。
それでもまず街道をその人数で移動するのが危険だ。
下手をすると、街道の途中で匪賊に捕捉攻撃されたり、猛獣に襲われたりして、壊滅する可能性がある。
本来なら、軍が動くレベルの案件だ。
今の時代、人間はそれだけ貴重なのである。
「それもまずい事に、その護衛戦力を出せる状態ではないらしいの」
「どういうこと!?」
「この間ドラゴンに壊滅させられた三つの街の話は聞いているわよね」
「まさか、その生き残り!?」
モニカが頷く。
どうやら、街を襲ったドラゴンを屠った後、再建作業が始まったらしいのだが。
それどころでは無い街が出て。
ごたごたのあげくに。
街を離れる民がかなりの数出たという。
最初は傭兵や軍が護衛していたが。
どの街にもキャパがある。
救貧院がある街もあるが。
それでも受け入れきれる数では無い。
其処で少しずつ民を受け入れつつ、受け入れきれない民を他の街へ、という風にして、流れ流れてキルヘンベルまで来た、という事らしいのだが。
問題はその関係で、既に傭兵などの仕事がパンク状態。護衛に回す戦力もない、という事だった。
更に街の方でも、五十人からの人間を喰わせていく食糧備蓄が無いらしく。生存環境もないという。
まずい。
下手すると匪賊化しかねない。
それも五十人規模の匪賊となると、かなり厄介だ。近隣の匪賊を糾合して、非常に危険な勢力になりかねない。
そう思ったあたしに、モニカが先手を打つ。
「匪賊化の心配は無いわ」
「どういうこと?」
「労働力として働ける人間は、他の街が引き取ったという事よ。 今隣街で足止めを食らっているのは、子供や老人、負傷者。 それに最後まで彼らの面倒を見ると決めて残った老魔族が一人と、それなりの腕前の傭兵が一人だけ、だそうよ」
「最悪だ……」
なるほど、それはモニカが来る訳だ。
そんな人達が街道に出たらどうなるか。
ましてや安全が完全確保されているわけでも無いキルヘン=ベルとの間の街道に出でもしたら。
あっという間に猛獣のおやつ。
匪賊のエジキ。匪賊の中には人間を喰う奴もいる。子供なんて、格好の食糧にしか見えないだろう。
生きて此処までたどり着ける者はいないのではあるまいか。
だが、これは逆に好機でもある。
人数は力に変えられる。
ナーセリーを復興するための人員はまだ足りないと思っていたが。
彼らの受け入れに成功すれば。
或いは。
荷車を出し。薬を積む。爆弾も。
モニカには、あたしは準備し次第行くと伝えて、それで準備に戻った。プラフタは、浮いたまま言う。
「彼らを助けるのですね」
「当たり前だよ。 キルヘン=ベルのためにもなるし」
「そうですか……」
はて。
あたしはなにか妙なことを言ったか。
いずれにしても、準備を手早く終えて飛び出すと。キルヘン=ベルの入り口には、錚々たる面子が揃っていた。
さて、今回は遠出になる。
荷車はもう四台あり。其処にオスカーが名物女将と一緒に食糧を積み込んでいる。この荷車を押す人員が四人。彼らは新米だが、一応実戦経験もある。
他にあたしとモニカ。フリッツさんとジュリオさん。コルちゃんとオスカー。更に面倒くさそうにしているが、ハロルさんも出る。
今回は残念ながらテスさんは来ないらしい。匪賊戦を想定して、守りにCQCの使い手が必要になった、と言う事だ。彼女はたくさんの弟妹を抱えているが、今回はキルヘン=ベルを大戦力が離れる事になるため、教会に預けるらしい。面倒はパメラさんが見てくれるだろう。
あたし達に加えて、獣人族の戦士が四人。
最近絡む事が多くなったタレントさんもこの中にいる。
ホルストさんの両腕に等しいヴァルガードさんとハイベルクさんは此処に残る。
今回の作戦は大規模だ。それだけ街に隙も出来る。故に重鎮は残らなければならない。
其処で作戦の総指揮は、ベテラン傭兵であるフリッツさんが執る。
ジュリオさんが良いかなとあたしは思ったけれど。この人はあくまで旅人で、しかも異国人だ。
こういう作戦の指揮は流石に任せられないだろう。
本人もそれは理解しているようで。
しゃしゃり出ることは無かった。
ホルストさんが手を叩いて。
装備を調え、整列した皆の前で言った。
「事は一刻を争います。 早馬によると、五十名ほどの民は、数日以内には隣街を「出発」するそうです」
「追い出されるの間違いだろ」
ぼそりと呟いたのは。
犬のような顔をした獣人族の戦士。皮肉屋で知られるベンさんだった。
咳払いすると、笑顔のままホルストさんは続けた。
「ベンの言葉もあながち間違いではありません。 此方では受け入れの準備および、この隙を狙って仕掛けてくるかも知れない匪賊に対する守りを固めます。 皆さんは何があろうと、全員を必ず守りきって、キルヘン=ベルの新しい住民を此処まで護衛してください」
「ヤー!」
敬礼をすると。
かなりの大所帯となった一団が、キルヘン=ベルを出る。
さて、今回は大変だぞ。
武装については、皆にそれぞれあたしが作った錬金術の道具と、更に爆弾類が行き渡っている。皆訓練して使いこなせるようにしているが。大型の獣の襲撃も予想される上に、護衛対象が戦力外だ。
気合いを入れ直す。
これは今までで。
一番厳しい仕事になるかも知れなかった。
1、白骨街道
皮鎧を着込んだ女傭兵レオンは、槍を抱えたまま、壁際に蹲って雨に打たれていた。髪はぼさぼさ。手入れどころではないのだから当然だ。こうやって民を見張っていないと、何が起きても不思議では無いのだ。休んでいるつもりだが。気が休まる暇は一瞬も無かった。
昔の事を思い出す。
きらびやかな衣装。
華やかな世界。
だが飛び出した。
其処に居場所はないと感じたし。
何よりも、自分を満足させるものがないと考えたからだ。
本来男が使う名前であるレオンと名乗り。
槍を手に戦うようになり。
外の世界の現実を知った。
傭兵は荒くれ揃い。
時には匪賊化する事さえある。
獣は恐ろしく。
ドラゴンや邪神は理不尽の権化。
こんな事になるのだったら。
あの窮屈な世界でずっと過ごしていれば良かった。そう何度思ったことか。
だが、持ち前の負けん気と。
幼い頃から英才教育を受けていた槍の腕前で。
どうにか今まで生き延びてきた。
生命線である槍をぎゅっと握る。
悲惨な旅路だった。
この街に辿り着くまでさえもが悲惨だった。
途中までは軍や手練れの傭兵が多数来てくれたから、匪賊も猛獣も、撃退はそれほど難しくなかった。
だが街や村に着く度にもめ事が起き。
そして護衛対象が減ると同時に。
傭兵も軍も。
数を減らしていった。
どんどん救貧院は態度が悪くなり。
役人は横柄になり。
錬金術師がいる街も減っていった。
今、残った五十人は、街の隅で固まるようにして、身を寄せ合っている。
老人、子供、けが人。
いずれもが、労働力として期待出来ず。
戦力として宛てにも出来ず。
そしてこの街では養えないと判断され。
食糧が尽きたら出て行けと、暗に言われ。
街の隅に追いやられ。
ゴミでも見るような視線で、街の住民に見られ続けていた。
子供は痩せ元気も無い。
というか、乳幼児を抱えた母親もいるが。
栄養が足りなくて、乳もろくにでないようだった。
レオン自身は、何度か声が掛かった。この街に残って自警団に加わってくれないか、と。それだけの活躍はしたからだ。
今側にいる老魔族、シェムハザさんもそうだ。
年齢は160歳と、魔族の限界寿命200歳にかなり近い老魔族で。
まだ戦えるが。
本来なら、とっくに引退して。後進に魔術を教えたり、知識を伝えたりしている年齢だ。
ヒト族のレオンと一緒に此処にいる理由は、単純である。
最後まで、この民の群れを。
見捨てないと決めたからだ。
好漢と呼ぶべきだろうか。
今時珍しい人である。
レオンとは違う。
レオンは、結局の所、我が儘から居場所を捨てて。結局なし崩しに、こんな仕事をするようになってしまった。
帰ったところで家に居場所なんてない。
どうせ兄や姉が家は継ぐだろうし。
元々の地位なんて、今は「ああそういえばそんなものもあった」というくらいでしかない。
戦い以外で食べていくことも出来る自信はあるが。
今はともかく。
戦う事が、最優先だった。
顔を上げる。
役人が来た。
申し訳程度の食糧を荷車に積んでいる。
とうとう来たか。
「用意できる分の食糧は用意した。 キルヘン=ベルに向かってくれ」
「死ね、といいたいのね」
「気の毒だが、この街の許容容量を超えた人数だ。 此方としても、これ以上の事は出来ないんだよ」
役人の声は冷たい。
この街は、そこそこの規模だが。
それでも人の死は見慣れているのだろう。
そもそも、ドラゴンに焼け出された民だ。
この街に辿り着くまでに、大勢死んだ。
多くは負傷と病気で。
獣や匪賊に襲われ。
或いはPTSDを発症して自殺した者もいた。
今生きている人達も。
皆、絶望しか顔に映していない。
「早馬をキルヘン=ベルに出した。 向こうには錬金術師がいる。 しかもかなりの腕前で、たどり着ければどうにかしてくれる可能性が高い。 そこまでどうにか皆を守りきってくれ。 罪滅ぼしになるかは分からないが、私の私財をはたいて、食糧も少し上乗せしておいた。 どうにかこれで凌いで欲しい」
「それはどうもありがとう」
皮肉を口にしてしまうが。この役人は、自責の念に駆られたとはいえ、自分に出来る事はきちんとしてくれたのだ。責めるわけにはいかない。
無言のまま、のしのしとシェムハザさんが来る。
老齢の魔族は、頭の上に生える角が増え、ねじくれる傾向がある。
紫色の肌をしたシェムハザさんは、男性の老魔族だが。頭の上はそれこそ、寝癖を放置した頭のように、複雑に角がねじくれている。
レオンもシェムハザさんも。
既に満身創痍。
前の街からここに来るまでに、傭兵も軍もあらかた他の仕事で削られ。
比較的短い道のりなのに、二度も匪賊の襲撃を受け。
必死に撃退した結果だ。
難民と化している民には被害は出させなかったが。
この街で引き取ってくれた30人を除くこの場にいる50人には。
もはやなんの未来もないように見えた。
シェムハザさんが、ゆっくり、皆に話しかけた。
「乳飲み子を抱えた母親から食事を。 隣街キルヘン=ベルには錬金術師がいて、急激に発展しつつある関係上、そこそこに豊かだそうだ。 其処までたどり着ければ、この旅は終わる。 厳しい旅になるが、何とか堪えて欲しい」
恨み言さえ飛んでこない。
誰しもに。
そんな余裕さえ無いのだ。
食糧を食べ始める力なき民。
レオンは、自分も食べるように言われて、首を振った。
シェムハザさんはマナを吸収して力に出来るから良い。
だが、ホムもヒト族も獣人族も。
食べないと力が出ない。
だが今は。
もっと悲惨な状況の弱者がたくさんいる。
自分だけ食べる訳にはいかなかった。
「行くぞ」
「キルヘン=ベルまでは四日と聞いています。 とても食糧は足りません」
「最悪途中で獣を仕留めるしか無い」
「無理です」
今、荒野で生きている獣は、基本的に草食動物でさえ自衛能力を持っているのが当たり前だ。
ウサギなどの比較的弱い生物でさえ。
角などを生やして、強烈な突貫を仕掛けてくる。
つまり専門的な技術を持っていないと、狩る事は出来ない。
レオンは倒せる。
だが、この人数を満腹に出来る分の獣なんて、とても仕留めきれっこない。
大型の猛獣なら、一匹でどうにかなるかも知れないが。
疲弊したレオンとシェムハザさんでは。
返り討ちにされるのが関の山だ。
シェムハザさんも、それを理解しているのか。
腰を上げはじめた民に言う。
「戦闘では儂とレオンが敵を食い止める。 敵として想定されるのは猛獣と匪賊だが、話によるとアードラが危ない。 可能な限り此方で撃ちおとすが、子供は兎に角下に隠せ」
「……」
「儂とレオンがやられたら、後は一心不乱に西に走れ。 他の人間には構うな。 これだけいれば、上手く行けば……助かるかも知れない。 キルヘン=ベルからも今救援部隊が出てくれているかも知れない。 もし出てくれていれば、更に生存率が上がるだろう」
ホンモノの絶望だ。
音楽教師と恋愛ごっこをしたり。
きらびやかなドレスをデザインして、コンテストに出したりしていた事が嘘のようだ。
レオンは覚悟を決めている。
自分は此処で死ぬ。
実は、この街に残らないかと、声を掛けられたのだが。
断った。
この人達を見捨てられない。
シェムハザさんもそうだ。
だから、行くしかない。
死ぬとしてもだ。
雨の中。
五十人の飢えた民が歩き出す。
街の外の地面はぬかるんでいて。
歩くだけで、体力が奪われていくのが分かった。
避難民の中で。
金を持っていたり。
頑健なものは。
どんどん脱落していった。それぞれ、街に受け入れ先があったからだ。
若い人間も同じく。
労働力は何処の街でも必要としているからだ。
専門技術を持っている場合もしかり。
今此処にいるのは。
何も持っていない人達。
バケモノのような凶悪ドラゴンに理不尽に全てを奪われた人達。
この世界の。
歪みの犠牲者だ。
街道を黙々と行く。
最前列をレオンが。
最後尾をシェムハザさんが。
時々列が止まるのは。
疲れ果てた民が座り込んでしまうからだ。
既に後方に街は見えない。
二大国といっても所詮この程度。ラスティンは今回の対応で、流れ込んだ民に対して良くしてくれているが。
それでも人間の勢力圏が小さい以上。
これが出来る限界だ。
呼吸を整えながら、レオンは感覚がなくなりつつある手を見る。
槍を振るって、匪賊を何人も殺した手。
今度は匪賊に殺される番か。
殺されるにしても。
可能な限り道連れにしてやらなければならないだろう。
雨は止まない。
むしろ、激しさを増すばかり。
そして夜になった頃。
ようやく休憩所が見えた。
とは言っても、屋根があるだけ。
むしろ此処に大人数がいると、匪賊の襲撃を誘発するかも知れない。勿論この近くにも、匪賊の小集団は確認されているのだ。
シェムハザさんが魔術で火を熾し。
体を温める用に声を掛けて回る。
快癒しようがない傷口から血がまだ流れ出ているのを見て。
レオンは声も掛けられなかった。
自分だって、傷口が治りきっていないからだ。
膿んでいる箇所もある。
深手はないが。
もろに金瘡(刃物傷)を受けてしまっていたら。今頃其処から腐って、命に関わる状態になっていたかもしれない。
気配。
人間だ。
数人の武装した男達が近づいてくる。装備は雑多だが、どうみても実戦経験者だ。
匪賊だな。
そう判断して、シェムハザさんと目配せ。
民達を守るように前に出ると。
ヒト族で構成された匪賊達は、へらへらと笑った。
「何だよ、話くらい聞いたらどうだ」
「匪賊と話す事なんかないわ」
「そうかよ。 そんなボロボロで、何が出来るんだ?」
ゲラゲラ笑う匪賊ども。
今は夜で。
夜に力が倍増しになる魔族がいても。
余裕を崩していない。
つまりこれ以上の人数がいる上に。
此方の状態を充分に観察してから、姿を見せた、という事だ。シェムハザさんが老いている事も見抜いていたのだろう。
恐らくは、街から出たときには、既に観察を始めていたのだ。そして、街の傭兵や自警団が助けられない位置まで出た時点で、仕掛けて来た。
それくらいは、この仕事をしているから、レオンでも分かる。
「まあ聞けよ。 ボロボロでも傭兵と魔族が相手だと被害がこっちにも出るからな。 穏便に済ませたいんだよ」
「ならば去りなさい」
「……数人寄越せ。 俺たちも腹が減ってるんでな。 子供を数人寄越せば、そのまま通してやるよ」
ぞくりと来た。
匪賊の中には、旅人を襲っていわゆる畜生働きをする奴がいるが。
その後は、殺した人間を喰うことが珍しくもないと言う。
特にホムは肉が美味だとかで。
此奴らに掴まると、まず助からない。
文字通りのケダモノだ。
「どうした、どうせキルヘン=ベルに向かってるんだろ? その荷車の食糧じゃ、どうせもたねーよ。 間引かないと先へは進めないぜ?」
「それなら、あなたたちの食料を奪おうかしらね」
「面白いことを言うなあ」
ゲラゲラ笑う匪賊ども。
だが、レオンは本気だ。
後ろに庇っている民は、身を寄せ合って震えあがっている。
あの中から生け贄を出せなどと。
許せる話では無い。
「あのなあ、こっちとしては最大限譲歩してるんだよ。 若いのは奴隷に売り飛ばし、子供は肉に、爺婆は殺してかっぱぐ。 問答無用でそうしても良いのを、「提案してやっている」のが分からないのかアホが?」
「アホは貴方よ」
一閃。
舌を良く動かしていた男の頭を、上半分吹っ飛ばす。
更に、剣に手を掛けた一人を突き貫いた。
同時に、わっと周囲から匪賊が沸く。
「血路を開くまで固まれ! 血路を開いたら合図するから、西に走れ!」
シェムハザさんが、雷撃の魔術を発動しながら叫ぶ。
だが、もう力が残っていない。
匪賊どもは放たれた稲妻に撃たれても、立ち上がって走ってくる。
レオンは前に出ると、一人目を串刺しに。
斬りかかってきたもう一人の一撃をいなしながら、足をすっぱりと切り裂いた。後ろに回った一人が斧を振りかざして躍りかかってくるが、石突きで腹をつき、更に体を旋回させて喉をぱっくり抉る。
しかし、足を切り裂いた相手が、レオンの足を掴み。
そいつを背中から串刺しにした瞬間、激痛が走った。
矢が肩に突き刺さっている。
槍を敵から抜くが。
刺さった位置が最悪らしく、動くだけで失神しそうな痛みが走った。下手に抜くと却ってまずい。
数人を殺され。
更にレオンの動きが鈍り。
シェムハザさんも余力が無いと見なした匪賊どもが、どっと勢いづいて襲いかかってくる。
せめて、此奴らだけでも。
道連れに。
だが、想定外の事態が起きる。
匪賊の周囲に。
ぼやっと影が浮かび上がったのである。
半笑いで襲いかかってきていた匪賊達が。
足を止め。
そして絶叫した。
「ノーライフキングの手下どもだ!」
それは。死者の軍勢だった。
或いは人間。
或いは獣。
いずれも、体が崩れ。死んでいるのは一目で分かるのに。それなのに動いている。緩慢だが、確実に。
聞いた事がある。霊を宿したり、外法の魔術によって、死体を動かし走狗にする例があると。
それだろう。
動きは鈍いが、死んでいるから簡単には壊れない。何より命令も忠実に聞く。厄介極まりない相手だ。
算を乱した匪賊に、想像以上に素早く動いた獣の死体が躍りかかった。
腐った牙が匪賊の喉を食い千切る。人間の死体が、その死んだ匪賊を引っ張っていく。
仲間にするつもりなのだろう。
阿鼻叫喚の地獄絵図の中、シェムハザさんが叫ぶ。
「今だ、皆走れ!」
「走って!」
悲鳴を上げ、死者の群れに押し包まれる匪賊はどうでもいい。もう槍も振るえそうにないが、それでも無理矢理体を動かして、行く手を遮ろうとした人間の死体をタックルで吹き飛ばした。肩に鈍痛。
シェムハザさんが巨体から豪腕を振るい、辺りの死体を薙ぎ払う。
わっと逃げてくる民。
だが力がない。
負傷者も多い。
ろくに食べていない。
何より生物として弱い個体ばかりなのだ。
転んでしまう者もいる。
半分も逃げ切れるかどうか。だが、絶対に諦めない。
泣いている子供の手を引いて、走る。親らしい相手に預ける。戻ってまた倒れている人を助け起こし、必死に走らせる。その間も、襲ってくる死体を叩き伏せる。感覚がおかしくなってきているが、それでも必死に槍を振るう。
逃げ遅れた者はいないか。
目を配り、躍りかかってくる獣に、槍を向けた。
獣の死体は、知能も喪失しているらしく、そのまま串刺しになるが。動きを止めず、凄まじい重量が掛かる。
槍が。
折れる。
ぱたぱたもがいている獣の死骸。
流石に構造的に壊れると動かなくなるのか。
ぐっと、泥水だらけの顔を手で拭うが、それだけで気絶しそうな鈍痛が走った。
倒れている匪賊から槍を奪い取ると、呼吸を整えながら、焚き火をよく見て周囲を確認。
もう命は捨てる気だ。
シェムハザさんが可能な限り逃がしてくれているはず。
西に行けば、キルヘン=ベルの人達が来てくれるはず。
いつの間にか、匪賊は皆殺しになり。レオンは完全に死体どもに囲まれていた。
ノーライフキングだか何だか知らないが。
どれだけ死体を集めたのだろう。
あらゆる種類の死体がいる。
これは逃げ切れないな。
覚悟は決まっている。
だから心は静かで。
鈍痛だけが邪魔だ。
そして、焚き火の中に。
包囲されるようにして、数人の子供が、抱き合って震えているのが見えた。
止めた方が良いことは分かっているのに。
矢を無理矢理引き抜く。
激痛が走るが。もうそれどころじゃない。
子供達の側に駆け寄ると。
ゆったり歩み寄ってくる死体どもに啖呵を切った。
「来なさい。 全部地獄に叩き返してやるわ……!」
死体どもは無感動に。
一斉に襲いかかってくる。
最初に来た奴を、槍で張り倒す。
槍は鈍器としても使える。
押し包んでくる相手を、切り、薙ぎ、刺し、必死に遠ざけようとするが。
痛みも感じていないのか、焚き火を踏み越えて迫ってくる死体もいる。
もう包囲網さえ維持していれば良いと考えているのか。余裕の態度だ。これは死体に意思があるというのではなくて、多分ノーライフキングとやらの余裕なのだろう。
呻きながら、死体が。
獣の死体が、ゆっくりタックルを浴びせてくる。
普通だったら避けられるけれど。
後ろに子供がいる。
吹っ飛ばされて、地面に転がった。
天地がぐるぐるする中。
もう感覚が無い手で。
槍を掴み、必死に立ち上がる。
血が流れすぎた。
気付くと、腐りきった手で、首を掴まれ。
つり上げられていた。
魔族の死体らしい。
かなり高い所で、ネックハンギングされたレオンは、もう抵抗らしい抵抗も出来ず。槍で相手の腐った腕を刺したが。効いてもいないようだった。
もう悲鳴も上げられない子供達。
後ろでは、何も聞こえない。
死体が押し包んで、子供達を鏖殺しているのだろうか。
させるか。
そう思うも、物理的にもう体が駄目なのだから、どうしようもない。
首を絞める力も、徐々に強くなって行く。
嗚呼。
コレで終わりか。
此奴らの仲間入りして。
人間を襲うのか。
ごめん。
無力だったから、全員助けられなかった。
傭兵というのは水物の仕事だ。
死ぬときは簡単に死ぬし。
死んでも顧みられない。
軍人だって似たようなものだが。
それより更に酷い。
意識が薄れていく中。
爆発音がした。
わっと逃げてくる避難民。
それをみたジュリオさんが抜剣。疾風のように躍り出る。
フリッツさんが、指示を飛ばした。
「前方で戦闘が行われている! 避難民を救助しつつ、敵を排除する! ソフィー、広域制圧! モニカ、オスカー、ハロル、それを支援! 敵の正体は分からないが、一刻を争う! 獣人族は目耳を生かして周囲に散った避難民を探せ! コルネリアはサポートに徹しろ」
「ヤー!」
すぐに全員が動く。
というか。雨の中でも分かる。
これは死体の臭いだ。
どっと逃れてきた避難民達を、獣人族の戦士達が庇い、状態を確認していく中。
あたしは魔術で光を空中に飛ばし、炸裂させた。
辺りが明るく照らされる。
見えてきたのは、ばらばら逃げてくる避難民と。
明らかに命が無いのに動いている連中。
フラムを取り出すと、片っ端から敵の密度が高い地点に放り込む。
味方に当てないように、コントロールがいる。
だから下手投げで、だ。
この場合、広域制圧用のうに袋ことクラスターフラムは使わない方が良いだろう。
数発のフラムを放り投げ、敵の数を削った頃には。
既に味方が敵前線と接触している。
かなり急いで来たから、皆疲弊はあるが。
それでもそも敵の動きが鈍い。
片っ端から斬り伏せ、吹っ飛ばし、叩き潰す。
獣人族の戦士の一人が、はぐれたらしい人を見つけて、飛んでいって助ける。
あたしは乱戦になって来たのを見て、友愛のペルソナの存在を確認。
突撃を開始。
最前衛はジュリオさんが、それこそ草でもなぎ倒すように死体の群れを斬り払っているが。
かなり前方。
敵の包囲が厚い地点がある。
何だアレは。
避難民の最後衛。
負傷した老魔族が、必死になけなしの魔力を振り絞って、敵に魔術の雷を落としているが、効いているようには見えない。
敵の進軍を送らせるのが精一杯だ。
モニカが躍り出て、老魔族の前に出る。
「避難民の護衛の方ですか! キルヘン=ベルから来ました!」
「ありがたい! もう一人、敵の包囲に取り残されている! 助けてやってくれ!」
「承知っ!」
モニカが突っ込んでいく。
防御力がそもそも強固だし。
この間渡したマイスターミトンと友愛のペルソナで、更に防御が固まっているから、自信がついているのだろう。
猪突して。
敵を斬り伏せていく。
流石モニカだが。
ちょっと猪突が過ぎるか。
オスカーが、フルスイングしたスコップで、腐った獣人族をくの字にへし折って粉砕しているのを横目に。
あたしも突貫。
モニカに追いつくべく、突撃する。
敵の数は多いが、質はどうって事も無い。
匪賊だったらともかく。
多少消耗した程度では、こちら側の戦力には及ばない。奇襲した、という事もあるのだろうが。
いずれにしても、鈍そうな死体どもだ。
迫ってくる奴を、杖で上から唐竹に叩き潰し。
腐汁が飛び散る中。
後ろから飛びかかってきた獣の死体が、友愛のペルソナの展開した防御魔術にはじき返されて、吹っ飛ばされる。
包囲にモニカが突貫する中。
あたしは、どうやら護衛らしい人をつり上げている魔族の死体を確認。
もう護衛らしい女性の傭兵は、意識も無く、生きているか分からないが。魔族の死体はまだ執拗に締め上げている。
「ちょっと……」
敵の膝辺りを蹴って跳躍。
そして、杖をフルスイング。
魔術で強化しているのだ。
本来の魔族だったら、防御魔術で弾いたかも知れないが。
今の此奴はただのデカイ死体だ。
「しつこいよっ!」
一撃が、魔族の死体の首を吹っ飛ばす。
それでもまだ動こうとするが、背中の辺りにクラフトを放り、防御魔術を展開。
爆圧が死体を張り倒し。
着地したあたしの前で、魔族の死体が前のめりに倒れ始める。
加速し、そのまま地面に落ちた傭兵らしい女性を抱え、飛ぶ。
あたしが飛び退くと同時に。
死体が地面に激突。
雨の中。
泥水を盛大にはじき飛ばした。
意識が無い女性は、首の辺りに痛々しい締め跡が痣になって残っているけれど。まだ心臓は動いている。
呻きながら掴みかかってきた死体を、見もせずに魔術砲で消し飛ばすと。
あたしはモニカに呼びかけた。
いつの間にか周囲は掃討戦に切り替わっており。
片っ端から皆で死体を駆逐。
包囲網を粉砕するのには、ジュリオさんも加わっていた。
これは、もう大丈夫かな。
雨に濡れて泥だらけで酷い有様だが。
とにかく、次は手当を考えなければならない。
後、避難民の様子がおかしい。
どう見ても栄養が足りていない。
包囲網を構築していた死体を、片っ端からなぎ倒していたジュリオさんが、手を上げて呼びかけてくる。
どうやら生存者を確認したらしい。
殺された避難民はいない様子だ。
どうにか間に合ったのと。
この人と、あの老魔族が、体を張って頑張った成果だろう。
というか、護衛が二人だけというのはどういうことか。
早馬が来る訳である。
いくら何でも、これは酷すぎると、誰かが考えたのだろう。
隣街は錬金術師がいない。
余裕が無いし、こんな人数は受け入れられない。
それは分かっているとしても。
それでも我慢できなかった。
そういうことなのだろうと、あたしは判断した。
雨が激しくなってくる。
あたしが傭兵の女性をお姫様抱っこして、後方のフリッツさんの所に運んでいくと。既に其処では、周囲を警戒しながら、負傷者の手当を開始していた。
老魔族が、避難民を数えて、脱落者がいない事を確認している。
モニカとジュリオさんが、死者の群れに包囲されて、食い殺される寸前だった子供達の手を引いたり背負ったりして連れてきたが。
いずれもガリガリに痩せていて。
悲鳴さえ上げる事が出来ないほど憔悴しきっていた。
これが荒野の世界の現実だと分かっていても。
流石に私もやりきれない。
モニカが傭兵の女性を診察。
神聖魔術で回復を始める。
こういうときは、誰にも分かり易いように、状況だけを口にし。
更に指示も簡潔にする。
神聖魔術の使い手であるモニカは、怪我を治すための訓練を受けている。
魔族には苦手な分野の魔術を使えるので、ある意味彼女はエリートであり。重宝される人材でもある。
キルヘン=ベルで大事にされるのも当然だ。
「首の骨よし。 意識なし。 肩の傷深い。 コルネリアさん、山師の薬セットで」
「此方です」
「ソフィー」
「はい」
すぐに彼女の軽鎧を脱がすと、服もびりびりと引き裂く。
血だらけで色気どころじゃあない。
矢を受け。
無理矢理引き抜いたのだろう。
肩の傷が凄まじい。
出血に加えてこの雨だ。
今はあたしが魔術で傘を展開しているが。
そのままだと、傷が腐った可能性も高い。
それだけじゃあない。
全身治りきっていない傷だらけ。
つまり、前の街に来るまでの間も。
かなり劣悪な環境で、護衛を続けた、という事だろう。
傷薬を塗り混む。
あたしの薬も、45点をプラフタに貰えるようになっていた。傷が溶けるように消えていく。
全身に薬を塗り込みつつ。
モニカの魔術で回復を促す。
周囲の確認と、掃討作戦を終えたフリッツさんと、獣人族達が戻ってきて。タレントさんが、食糧をちょっとだけ積んだ荷車を引いていた。
どうやら、隣街が。
申し訳程度に持たせた食糧らしかった。
肩の傷に消毒した包帯を巻き。
更に首の辺りに念入りに回復魔術を掛け。
心臓も確認。
呼吸も。
「バイタル微弱。 戦闘は避けるのが無難」
「傘の魔術を展開続行。 空いた荷車に乗せて」
「ヤー」
会話は最小限に。
出来るだけ傭兵の態勢を崩さないように、魔術で浮揚げ。更に下に担架を入れて。
荷車に乗せる。
熱が奪われるのを避ける為に。
積んで来た布をかぶせて、とりあえずは大丈夫。
本当は他の避難民もかなり酷い状態で。死体に傷つけられている人もいるのだが。可哀想だが歩いてもらうしかない。
荷車に積んできた食糧を供給。
雨が酷くなる中。
あたしは魔力をつぎ込んで、傘の魔術を更に広くする。額の汗を拭う。流石に少しばかり疲れた。
フリッツさんが戻ってくる。
老魔族も一緒だ。
「彼女は助かりそうか」
「どうにか」
「そうか。 流石は錬金術の薬だ。 普通の薬だったらどうにもならなかっただろう」
「……当面は安静ですけれどね」
フリッツさんが、状況見聞を終えたという。
それによると、どうやら最初に匪賊が襲撃を仕掛けて来た所に、ノーライフキングの配下らしい死体の軍勢が襲来。
匪賊と交戦していた傭兵の女性と老魔族もろとも、避難民を襲ったそうである。
なるほど。
この傷、死体どもにつけられたにしては、おかしいと思った。
「傭兵にしては珍しい。 こんな危険な上に実入りも少ない仕事を良く引き受けたものだな」
「彼女、レオンは責任感が強くてな。 軍や他の傭兵が仕事を優先に、何より命が危ないのを察して今回の任務を放棄する中、最後まで残った。 今回も、殿軍になって、包囲されていた子供達を助けようとまでした」
シェムハザと名乗る老魔族がそう言う。
見たところ160歳は超えているだろう魔族だ。
もう衰えも酷いだろうに。
それでもこんな無茶な仕事に残ったという事は、それだけ彼も責任感が強かったのか、それとも死に場所を探していたのか。
それにしてもレオン。
名前からして男性名だ。
となると偽名の可能性が高いが。何か事情でもあるのかも知れない。
モニカが来る。
深手を負った者は、大体処置を終えたという。
食事もこの場の全員が終えた。
ならばもうこの場に用は無い。
一つ分かったことがある。
ノーライフキングは駆除しなければならない。
今回の件も、恐らく人間がたくさん来て、配下を増やせると判断したから襲撃に踏み切ったのだろう。
おばあちゃんに封印されたけれど。
反省なんてする筈も無く、まだ外に出て暴れる気満々と言う事だ。
良いだろう。
これだけの事をしでかしたのだ。
必ずブッ潰す。
元人間だろうが関係無い。
もう死んでいるのだから、絶対に魂まで残さず消滅させてくれる。
敵の掃討を確認していたタレントさんが戻ってきた。
彼女はマイスターミトンと友愛のペルソナの性能をもの凄く喜んでくれていて、個人的にも嬉しかったが。それはそれとして、折れた槍を差し出してくる。
「獣の死体に突き刺さっていた。 多分彼女のものだろう」
「分かりました。 後で渡しておきます」
「頼むぞ。 尊敬すべき相手には敬意を払うべきだからな。 ロジーに言って直せるか聞いておくか。 かなりの上物の様子だし、直れば嬉しいだろう」
あたしも同感だ。
無数の腐った死体が散らばる荒野から、フリッツさんの号令で離れる。
さて、ここからが大変だ。
まだ三日ほど。
キルヘン=ベルまでは掛かるのだから。
3、退路追撃
五十人を護衛しながらキルヘン=ベルまで三日の道を行くのは大変だ。食糧に関しては充分だし、足りなくなったときのことを考えて既に動き始めてもいる。先行したフリッツさんが、鹿を一頭仕留めてきた。これだけで十人分以上の食事になる。もっと大型の草食動物なら、更に肉を取る事も出来る。
ちなみに襲ってきた死体どもは。
全部まとめてから焼き捨てた。
雨が降っていたから大変だったが。そうしないと、スカベンジャーが人間の味を覚えて面倒な事になる。
小型動物ばかりがスカベンジャーではないのである。
中には要領よく死体を掠め取るためだけに、図体がでかい獣もいて。
そういうのはパワーだけはあるので、襲われると面倒なのだ。
だから移動を開始して。
結局の所、一日経過して、普通なら半日で行ける分しか進む事が出来ていなかった。
だがこればかりは仕方が無い。
フリッツさんと、ジュリオさんが会話をしている。
どっちもこの面子の中では最強の戦士だ。
特にフリッツさんは経験も豊富で、先の戦いでは完全に判断が正しかったこともあり、既に周囲の戦士達に信頼されているようだった。
「今の時点では追撃はないかね」
「ないようですね。 ただしこの人数、ノーライフキングにとっては手頃な獲物に感じる筈です。 獣に関しては、時々此方から仕掛けて処理していますが、大物が出てくると厄介な事になりそうですね」
「幸い、この辺りではネームドの目撃例はないらしいが……」
「にもかかわらず、ノーライフキングが厄介すぎる」
奴はおばあちゃんが現役時代にはこの辺りで最強の災厄だった。
隣街でも、その名前を聞くだけで、厳戒態勢に入ったほどだったと聞いている。
おばあちゃんが封印するまでは。
この街道を行くのは、今の十倍以上は危険だったのだ。
もっとも、おばあちゃんが奴を封印した結果。
代わりに匪賊が出るようになったのは、皮肉としか言いようが無い。
最後尾を歩いているのはシェムハザさん。
隣を歩いているモニカと、幾つか会話をしている。
モニカは雰囲気が落ち着いているからか。
老人と話が合うことも多いようだ。
「匪賊どもは自業自得だ。 奴らは見逃す代わりに、子供を寄越せと言った。 喰うつもりだったらしい」
「やはり……。 匪賊が旅人を喰らう事はよくあるようですね。 何処でも匪賊に落ちると、最悪まで堕落するようで、おぞましい限りです」
「魔族の中にも匪賊になる者がいる。 嘆かわしい。 魔族の恥だ」
ぐちぐち言っているシェムハザさんに、モニカは笑顔で応じているが。
匪賊が人間を喰うくらいは、この世界では誰でも分かっている事だ。
それくらい匪賊も悲惨な生活をしていて。
蛋白を得るために必死、という事である。
許せるかは話が別だが。
実際問題、辺境の村になると。
迷い込んだ旅人を身ぐるみ剥がしたあげく、喰ってしまうようなケースも珍しくないそうである。
匪賊に掴まったら、奴隷にされるとか、性的なオモチャにされるくらいだったら、幸運な方なのである。
多くの場合は、身ぐるみ剥がされたあげくに食肉にされてしまうのだ。
あたしは列の真ん中で、いつでもどこからでも襲撃に備えられるようにしている。魔力の消耗は激しいが。まだ戦闘続行可能だ。
昨日から今日に掛けて、二刻程眠れたのも大きい。
まだまだやれる。
歩いていると、少し先に言っていたオスカーが、戻ってきた。
「植物たちに聞いたが、この辺りの獣が殺気立ってるってよ! 昨日の戦いの気配を嗅ぎつけたんだろうぜ」
「まずいね」
「そうだな。 数少ない植物なんだ。 踏み荒らされたら大変だ」
「それもそうだけれど」
まずは自分の命が危ないことに、オスカーは気付いているだろうか。
コルちゃんは荷車を確認しながら、食糧、爆弾、薬の在庫をチェックしている。
昨日使った分を既に計算し、後どれくらい保つかも素で言えるようだ。
この辺り数字に強い商人だけある。
最悪の場合、爆弾や薬を増やして貰うかも知れないが。
コルちゃんの錬金術には副作用がある。あくまでそれは最終手段だ。
前衛にいたフリッツさんが、この先の丘を越えたら休憩にすると声を掛けてきた。
丘で周囲を確認できるため、不意打ちを防げる。
その代わり、周囲からも丸見えになる。戦力があるから出来る判断だ。ネームドが近くにいないという事も、判断材料の一つになっているだろう。
とにかく疲弊が酷い民達を叱咤して、少しでも進ませる。
まずはしっかり休憩を取りたいところだが。
残念な事に、今はそれも難しい。
天候が極めて怪しい上に。
昨日の大規模戦闘で、血の臭いを嗅ぎつけた獣たちが、相当に殺気立っているし。
ノーライフキングだって、手勢を潰されて、黙っているとも思えない。本人は封印から出られないにしても。
更に追撃の戦力を出してくるかも知れない。
匪賊だって、この辺りには複数グループがいる。
そいつらも、此方の動きを嗅ぎつけていても不思議では無いだろう。
とにかく急ぐ。
少しでも急ぐことで。
被害を減らせる。
ゆっくり休むのは、キルヘン=ベルの戦力と合流してからでも遅くない。
子供達は未来のために働いて貰うし。
老人達は知識を生かして貰うし。
負傷者は傷を癒やした後、キルヘン=ベルのために動いてくれればそれで良いのだから。
おばあちゃんがいた頃に比べ、今のキルヘン=ベルは人間が少なく。
逆に言うと、受け入れの余地は充分にある。
更にこの五十人を受け入れられれば。
ナーセリー復興が現実的になってくるのだ。
フリッツさんが急げ、急げと促している。
あたしも、出来るだけ急いで貰う。
丘に出た。
後続の部隊がまだ此方に続いているが。
丘を見下ろして。
さてここからが難所だぞと、自分に言い聞かせる。
ここから先は、見晴らしがいいのだが。
ゆっくりとした下り坂が、ずっと続いているのである。
転がり落ちるほどではないのだが。
とにかく長い。
これは非常に危険な地形だ。
追撃を受ける場合、厄介な事になる。
相手は常に上を取り。
そして追ってくる事になる。
ただでさえ追われるのは面倒なのに。
更に上まで取られるとなると。
飛び道具などを使われた場合、非常に対処が大変になる。
後続部隊が追いついてくると。
一旦円陣をしいて、休憩に入る。民にはみな休んで貰い。自警団員も交代で休む。フリッツさんは、休んでいる者達にも聞こえるように言った。
「この坂と、次にある谷間が山場だ。 其処さえ越えれば、キルヘン=ベルは指呼の距離にある。 言う間でも無く、此処は追撃を受けると非常に厄介だ。 しかも現時点で、此方をかなりの数の獣が狙っている」
分かっている。
というか、全員が気付いている。
大型のものから、小型のものまで。
相当数の視線が、此方を伺い。
脱落者が出たら、貪り喰ってやろうと狙っているのだ。
更に、それは。
恐らく獣だけでは無い。
匪賊ももう来ていて。
好機を狙っているとみて良いだろう。
「雨の中の戦いの時でも分かっただろうが、算を乱すと収拾がつかなくなりやすい。 皆の事は必ず守るから、秩序を持って移動して欲しい。 では、これから何人かに先行してもらい、丘の下の坂に安全地帯を確保して貰う」
名前を呼ばれたのは、獣人族の戦士達全員。
なるほど。
坂を下りきったときに、奇襲を避けるために、感覚が鋭い獣人族の戦士達が先行するのか。
覚える。
歴戦の傭兵らしい。
今の判断も、殆ど迷いが無かった。
「荷車も一つ運んでくれ」
「心得た」
「彼らが坂の下につき次第、後続部隊を順番に発進させる。 五十人を12人と13人で4隊に分け、順番に移動して貰う」
その前に、と。
あたしに声が掛かった。
多分そうなるだろうと思ったが。
あたしもやる事は分かっていたので。
さっそくうに袋を荷車から取り出す。
油紙をかぶせていたので、品質は落ちていない。むしろ品質が心配なのは、持ち込んでいる食糧の方だ。
フリッツさんが指さしたのは、丘の下の、岩陰。
なるほど、多分匪賊が潜んでいると見て良い。
あたしは紐を付けたうに袋を。
遠心力を付けて、回転しながら放り投げる。
そして上空に飛んだところで。
起爆した。
子弾がばらまかれ。
何かまずいと思ったのだろう、岩陰から匪賊どもがわっと逃げ出したが。
もう遅い。
爆裂。
広域制圧を目的とする爆弾が、周囲を蹂躙。
匪賊どもを血の海に沈めていた。
面倒なのは、あれの片付けをしている暇が無い、という事で。
今回の護衛任務が終わったら、獣狩りを結構大規模にやらなければならないだろう、という事だ。
続けて、今度はレヘルンを同じように、岩陰に放り込む。
逃げだそうとした大型のキメラビーストが、一撃で氷像になる。
当然即死である。
あれは放置で良い。
爆弾は無駄にしたが。
これによって、追撃を仕掛けてくれば、どうなるか。
示したことになる。
発進前に、もう一度フリッツさんが声を掛ける。
「護衛の面々、無事か。 負傷は問題ないか」
「問題なし!」
一人ずつ、順番に答えていく。
今ので、敵も此方に仕掛けるのが高リスクだと気付いたはず。
逆に言うと、一斉に連携して仕掛けてくるかも知れないが。
その時はその時。
総力戦を覚悟するしか無い。
先発隊が出た。
避難民達は、固唾を飲んで見守っている。
戦闘力も無いし。
今まで散々恐ろしい目にも会ってきたのだろうから、当然だ。彼らを憶病と言う事は出来ない。
ドラゴンの襲撃で焼け出された人も多いだろうし。
避難した先で、ぞっとするほど冷たい目にもさらされ続けたはずだ。
その気持ちは分かる。
あたしだって、あのクズにそういう視線を向けられて、殺され掛けたのだから。
先発隊には、仕掛けてこない。
戦闘力が高い部隊だと言う事は、分かっているのだろう。
「よし、第一隊、移動開始」
「転ばないように気を付けて」
ジュリオさんが出来るだけ紳士的に声を掛け、先導する。
戦闘力が高いジュリオさんは、坂の半ばほどに留まり、敵の攻撃を警戒しながら避難民を護衛する。最終的な護衛は、先行した獣人族の部隊に任せる。また、第一隊には、オスカーとハロルさんも同行する。
第一隊がある程度進んだところで、第二隊出発。
この部隊には、モニカとあたしが同行。コルちゃんも此処にいる。
坂道の、少し高めの位置で、周囲を確認し。
敵の接近を確認したら、即座に爆弾を放る。
あたしの護衛は、モニカに頼む。
なおこの部隊にはシェムハザさんも同行。
老いて傷ついてはいるが。
それでも歴戦の魔族だ。
日中だから力は半減してしまうが。
例えば、あたしが爆弾を投げるのを補助したりとか。
その高い背で遠くを見るとか。
そういったことは得意だろうと判断した。
本人は殿軍を希望したのだが。
フリッツさんが駄目だと言った。
多分、鈍足なため、追撃が掛かるとまずいと判断したからだろう。
空模様が怪しくなってくる。
第三隊が出た。
今までの二隊で、荷車の輸送は終わっている。あの傷つき意識が戻らないレオンさんも、運び終えている。
避難民達は、包帯まみれになって、今も意識が戻らない彼女を心配する余裕さえ無い様子だ。
恥知らず恩知らずと罵るのは簡単だが。
それだけ皆に余裕が無いことを意味している。
第四隊が出る。
殿軍に残ったフリッツさんは、その場でじっとして周囲を確認している。最悪の場合、多数の敵を一人で引きつけるつもりだろう。だが、第二隊が麓に到着し。第四隊があたしの所を通り過ぎた辺りから、坂を下り始めた。
嫌な臭いがする。
雨も降り始めた。
シェムハザさんも気付いたらしい。
「邪悪な魔力の気配がする」
「……どうやら来たようですね」
ノーライフキングの勢力圏は、そろそろ限界の筈だ。少なくとも麓を過ぎ、更にその先の谷を越えたら追撃を出せないだろう。
そうなると、まだ全員が「もたついている」此処が、収穫の好機というわけで。
更に言えば、この間の戦いで大勢手駒を失って。
頭にも来ているはずだ。
仕掛けてくるだろう事は予想していた。
そしてその予想は。
想定外の所から来た。
周囲の地面が、ぼこぼことふくれあがる。
しまったと、フリッツさんが叫んだ。
「全員走れ! 前衛と合流! GOGOGO!」
避難民を急かしながら、あたしは見る。
雨で柔らかくなっている地面を押しのけるようにして、死体の群れが周囲から姿を見せる。
なるほど。
こうやって死体を隠し。
雨の日に通りがかる獲物を襲っていた、と言う訳だ。
さっそく伏せていた匪賊が襲われているようだが、そんなものはどうでもいい。悲鳴が聞こえるが放置。勝手に全部死ね。
慌てた獣たちが、距離を取るが。
無数の死者に取りすがられて、そのまま肉を食い千切られている。
見境無しという訳か。
フリッツさんが追いついてくる。
それと同時に、移動速度を速める。
当然、周囲に見境無く沸いている死体どもだ。
襲いかかってくる。
前の方では、ジュリオさんが縦横無尽に暴れまくっているのが見えた。獣人族の戦士達も、敵を寄せ付けていない。
爆弾は。
駄目だ。止めた方が良い。
乱戦になっているし、何より昨日のこともあって、避難民もパニック寸前だ。
モニカがスパスパと腐った死体をスライスしている横を通りながら、避難民を逃がす。雨がどんどん激しくなっていく。
杖を一振り。
死体の頭を吹き飛ばし。
更に魔術砲で、大きめの獣の死体に大穴を開けた。
視界が悪くなっていく中。
追いついてきたフリッツさんは、敢えて少し遅れて、それで敵を引きつけ。近寄ってきた敵を、二本の剣で舞うようにして切り裂いていた。
だが数が数だ。
しかも下り坂をゆっくりとはいえ追撃されている状態である。
友愛のペルソナとマイスターミトンで皆強化しているとは言え。
それも限度がある。
荷車に取りつく死体が見えた。
コルちゃんが、仕込み手甲で一撃。木っ端みじんに吹っ飛ばす。
だが、それで手甲は打ち止め。しばらく彼女は機動戦で敵の注意を引くくらいしか出来ない。
相手が魔族の死体だったのが幸いだ。
無駄撃ちにはならなかった。
「よし、そのまま走れ!」
坂道を下りながら、フリッツさんが追いすがる死体を斬り伏せながら叫ぶ。
それにともなって、あたしは確認。
味方がかなりこっち側に来ている。
坂道が禍し。
鈍足な死体どもは、此方を追い切れていない。
それならば。
レヘルンを取り出す。
それを見て、自警団の者達や、他の戦闘要員も。
慌てて避難民を促して下がる。
此奴がどれだけ危険な代物か、知っているからだ。
放り投げる。
そして、起爆した。
周囲の雨粒さえ凍り付かせながら、冷気の地獄がその場に顕現する。
直撃した死体どもはそのまま氷像に。こんな急速冷凍したら、もう構造が崩壊して使い物にならないだろう。
他の死体どもも、体が砕けたり、動きが止まったり。
更に其処へ、とどめのうに袋をぶち込む。
死体の群れに襲われている匪賊や獣もまとめて。
強烈な爆圧が薙ぎ払った。
「走れ!」
フリッツさんが叫ぶ。
雨脚が更に激しくなってきているが。
敵の追撃はかなり弱くなった。
街道とは言えこれだ。
街道を外れればどうなるか。
匪賊どもを見てもよく分かる。
文字通り「人間を止めないと」生きていく事は出来ないのである。
最後尾で敵を斬り伏せているフリッツさんにモニカが駆け寄るが、不要と一喝される。
回復が出来るモニカは、中衛に控えていろ、という事だ。
それにしても、フリッツさんは、戦闘時は荒々しい言動になるものだ。
人形を扱っているときと同一人物だとは思えない。
倒れそうな避難民や。
老人や子供を叱咤して、走らせる。
獣がまだ雨に紛れて散発的な襲撃を掛けてくるが。
此方だって対応は遅れない。
ただ、どうしても。
怪我と疲労が増えていくのはどうにも出来ない。
あたしも手傷を受ける。
後方にまたうに袋を放り投げる。
今回ホルストさんはかなり在庫を大盤振る舞いしたが。それでも、この調子で使っていると、無くなる。
また造りためしておかないといけないだろう。
ぬかるんだ道に転ぶ子供。
ジュリオさんが助け起こす。
襲いかかろうと飛びかかってきたキメラビーストにオスカーが即応。
スコップで顔面をフルスイング。
動きが止まった所を、獣人族の戦士達が滅多打ちにして肉塊に変えた。
谷が見えてくる。
呼吸を整えながら、周囲を確認。
これは死体の処理どころじゃないな。そうぼやきながら、後方を見る。
後方では、あたしの爆弾で死にきれなかった匪賊や獣らしいうめき声や。まだ追いすがろうとしているらしい死体どもの湿った足音がしていた。
谷にさしかかる。
ようやくだ。
だが、既に避難民達のコンディションは限界に近い。一旦此処に閉じこもるしかない。増援は当然期待出来ない。
キルヘン=ベルからこれ以上戦力を出したら。
匪賊からも身を守れなくなるし。
獣か何かが乱入しても対応出来なくなるからだ。
フリッツさんが戻ってくる。
引きずっているのはキメラビーストの死体だ。
さっきオスカーがしばき倒した奴である。
まあ、此奴の肉はとてもまずいのだけれど。贅沢は言っていられない。
あたしが魔術で雨を防ぐと。
疲れ果てている皆が、淡々と点呼を取り始め。
ジュリオさんさえ余裕を無くしている中。
やりきれない面持ちで、降り続ける雨と。慈悲無き天を見上げていた。
谷は決して良い場所では無い。
敵対勢力が存在する場合、簡単に包囲できる。
上も取ることが出来る。
人間も魔族も。
弱点は上なのだ。
ましてやこの天気。
土砂崩れでも起きたら大惨事で。
しかも、それを止めることが出来ないし。
何より匪賊か何かが待ち伏せしていたら、そいつらは簡単に災害を引き起こすことができるのだ。
だが、前後と上だけ警戒すれば良い。まあ先ほどの様子からしても下も、だ。
左右は確認しなくて良い。それだけで、随分と楽になる。
だから谷の入り口で、休憩する。
最悪の場合でも、すぐに谷から脱出できるように。
出口までは行きたかったのだが。
全員が限界のこの状況。
そんな事はしていられない。
戦士達には余裕があるが。
避難民はそうではないのだ。
食事を避難民達にさせる。モニカが慌てた様子で、駆け回っていた。
あたしが最近プラフタに教わって作った栄養圧縮レーションを食べさせている様子からして、栄養失調とこの状況で、バイタルがまずい避難民が出始めているのだろう。
山師の薬は惜しみなく使う。
傷は癒やせるが。
疲労はどうにもならない。
あたしもずっと傘代わりに魔術を使っていて、少し疲弊が溜まってきた。しかも昨日と違って、休憩も無い。
コルちゃんが谷の上に上がって来ようかと言うが、フリッツさんが却下。
この状況。
谷の上に何かがいた場合。
狙い撃ちのカモだ。
今はまだフリッツさんとジュリオさんに多少の余力が(とはいっても二人とも疲れが見え始めているが)あるが。
コルちゃんはもとより専業戦士でも傭兵でもない。
多少機動力がある程度の素人一人に。
偵察なんて任せられない。
「全員、交代で休憩。 上には注意し続けろ」
「畜生、ラスティンは軍をもっと増やせよ……なんで自警団の俺らが此処までしなければならないんだよ」
「そうも言っていられないだろ。 大規模な軍が移動すると、決まってドラゴンや邪神が姿を見せるって話もある」
「いずれにしても、此処は街からたった二日とちょっとの位置なのに、人間の領域じゃないって事だ」
獣人族の戦士達のぼやきが聞こえる。
あたしは座って黙々とレーションを口にしながら、魔術を維持し続ける。今の状態、雨に当たり続けるのは、避難民にとって致命的だ。
歩み寄ってきたのはシェムハザさん。
「どうしましたか」
「代わろう」
「大丈夫ですか。 いざという時に走れなくなると困りますよ」
「君は錬金術師だろう。 君がいないとこの一団は下手をしなくても全滅する。 儂の命より君の疲弊を回復する方が優先度が高い」
その通りだが。
疲れているのは皆同じだ。
少し黙り込んだ後。
折衷案を出す。
「それなら、少し全力で寝ますので、その間だけお願いします」
「心得た」
「モニカ、見張り頼むよ」
「ごめん、余力無いわ。 コルネリアさん、頼めるかしら」
モニカは即答。あたし以上に魔力を消耗しているし、仕方が無いか。
五十人からの負傷者、足弱の者が、この状態なのだ。当然とも言える。
それでも山師の薬をつぎ込んだおかげで、生傷だけはどうにか出来ているのは救いと言えるか。
コルちゃんが来る。
そして、フリッツさんとあたしに、あまり聞きたくないことを言った。だが、こういうことは聞かなければならない。
「計算すると、明日も襲撃を受けた場合、薬が足りなくなるのです」
「食物は」
「それは大丈夫なのです」
コルちゃんが視線で指した先には、解体されてみんなの腹に収まりつつあるキメラビーストの死骸がある。
丁度骨を割って軟骨を取りだし、炙っているところだった。
あたしは指先を頭に当てると。
嘆息し。
そしてフリッツさんに言う。
「とりあえず少し全力で寝ます。 移動か何かあったら起こしてください」
「分かった。 シェムハザ老、頼むぞ。 ハロル、周囲の警戒に当たってくれ」
「うむ……」
「了解した」
濡れていて気持ち悪いけれど、谷の岩に背中を預けて、目を閉じる。
さて、やる事は決まっている。
少し全力で休んだ後。
とにかく少しでも早く谷を抜ける。
谷さえ抜ければ、それほど強力な猛獣は出ないはず。匪賊も最近念入りに消毒したから、減っている。
ここぞとばかりに姿を見せていた匪賊どもは、隣街の関連者ばかりだった。
ならば、此処さえ抜ければ。
勝機は見えてくる。
雨音の中、疲れから、あたしはすぐに眠りに落ちた。
生きて起きられるかは、分からない眠りに。
4、突破
目が覚めると、知らない人が此方を見ていた。
まだ雨が降っているが。しかも夜だが。
灯りの魔術をシェムハザさんが展開していて。それで分かった。
「貴方は?」
「レオンよ。 可愛い錬金術師さん」
「ああ、貴方が」
そういえばそうだった。
血まみれの状況から救助したから、誰だか一瞬分からなかった。包帯の上から半壊した軽鎧をつけているが。包帯が見えているし、戦闘は出来そうに無い。
意識が戻ったのか。
「とても良く効く薬で助かったわ。 錬金術師は本当に凄いわね」
「まだ治りきってはいないでしょうから、戦闘は駄目ですよ」
「分かっているわ。 その代わり、ほら」
荷車の開いた箇所に、ちょっと状態がまずい人を代わりに乗せる。
これで、谷を突破するくらいまでは走れるはずだ。
荷車を押すのも避難民にやって貰う。
問題は谷だが。
フリッツさんが言う。
「先ほど、ジュリオとコルネリアくんで軽く偵察に行って貰った。 予想通り、谷の上で待ち伏せがいる」
「つまり、このままは進めないと」
「そういう事だ。 だが、それを逆手に取る」
つまり、今から動く、という事だ。
死体どもは仕掛けて来ていないが。
それもこの谷を抜けてしまえば、ノーライフキングの勢力圏ではないから、だろう。
もう諦めたか。
それとも最後に一気に仕掛けてくるか。
いずれにしても、谷の出口が勝負だ。
其処を突破したら、恐らく勝ちと判断できるだろう。
皆の負傷も癒えている。
ただ体力がまだ心許ない。
故に一手を加えるべきだが。
フリッツさんは何人かを呼ぶ。
その中には、あたしも混じっていた。
軽く説明をされる。
なるほど。理にかなった作戦である。
あたしもそう思ったし。
一緒に上に登るオスカー。コルちゃん。それとジュリオさんも納得したはずだ。
あたしも含めて四人が。
避難民五十人と、その護衛の命を握ることになる。
体力は少しは回復しているものの、タフな獣人族の戦士達でさえ、これ以上の激しい戦いは厳しいだろう。
此処を突破した所で、死体の大軍勢が待ち伏せていたり。
匪賊どもが一斉に襲いかかってきたり。
ネームド級の猛獣が姿を見せたりしたら。
もう終わりだ。
だが、その場合でも、半分は生還できるように。
手を打つのである。
無言のまま、作戦開始。
この作戦の正否が。
生還に掛かる。
流石にあたしも。
気を引き締めざるをえなかった。
作戦は単純だ。
まず、引き続きシェムハザさんは照明弾を打ち上げ続ける。これに対して、谷の上に登るメンバーは、松明一つ持たない。
豪雨は収まってきているが。
まだ夜闇だ。
暗視なんて便利な魔術もあるが。
これは脳に直接働きかける事もあり、戦闘しながら同時発動するのが難しい。一人が棒立ちで暗視しながら指示をして。他が戦うというのが本来の使い方になる。勿論あたしも、例外的な使い方は出来ない。
しかも今日は星もない。暗闇の中を動き回るのは困難だ。
本来なら。
オスカーが、植物と会話しながら、コルちゃんとジュリオさんに指示、あたしにも声を掛けてくる。
崖の上は植物がちらほらあった。
だから、植物と会話が出来るオスカーが。
此処では有利だ。
「ソフィー、ぎりぎりになる。 気を付けろ」
「ヤー」
会話は最小限。
崖のギリギリを進むようにして、ゆっくり移動。
徐々に崖の上。
一番高い地点にと上がる。
その過程で、オスカーが植物から話を聞き。匪賊が何処にどれくらい隠れているかは把握した。
此処からはジュリオさんの出番である。
コルちゃんも支援をする。
すっと、コルちゃんが走り抜ける。
伏せている敵が、一瞬気を取られた瞬間。
背後に回ったジュリオさんが、匪賊の口を塞いで首をかっ切る。
夜闇の事だ。
闇に目が慣れていても。
此方が植物を味方に付けていて。
崖の上には、多少の植物がある時点で。
圧倒的優位を得られるのだ。
一人ずつ、斥候に出ている匪賊を片付けていく。
敵は照明弾が上がっている此方の方に注意していて。
対応が遅れるはずだが。
それでも斥候をあらかた始末した頃には。
おかしいと悟り始めたようで。
声が聞こえはじめた。
「斥候はどうしている」
「戻りません」
「まさか、罠に……」
残りの匪賊が、まとまっていることを確認。
オスカーが、植物に被害を与えないことを条件に、位置を詳細に告げてくれた。崖の上にある洞窟。
その入り口付近だ。
内部にこの辺りの匪賊どもの元締めがいると判断して良いだろう。
連日の戦いで部下を殺されまくって、相当に頭に血が上っているはずだ。
「もういい、仕掛けるぞ! 崖を崩して混乱させた後、背中を追い討って死体どもの方へ追い込んでやる!」
「残念」
激高した野太い声が聞こえたが。
その声が、却ってあたしに居場所を教えてくれる。
下手投げで投擲したのはレヘルンだ。
フラムやクラフトだと。
緩んでいる地盤を崩す可能性があった。
ちなみに今回持ち込んでいる最後のレヘルン。
外すと後が無い。
投擲し。
爆裂させた。
ごっと、周囲の雨粒さえ凍らせながら、冷気が来る。
オスカーが、植物たちに謝っていた。
強烈な音。
バキバキと激しいそれは。地面が凍り付いていくものに違いなかった。
更に照明弾を打ち上げる。
氷柱と。
その周囲に立ち尽くしたり、砕けたりして命を無くした匪賊の死骸。
わずかに生き残ったのがいる。
ジュリオさんが無言で突入すると。
全員にとどめを刺していった。
さて、これで終わりか。
殺気。
オスカーが、とっさにあたしの後ろに躍り出るが、吹っ飛ばされる。
野獣の反応速度だ。
吹っ飛んだオスカーは、谷の方には行かず。近くの岩に叩き付けられて、動かなくなった。
ジュリオさんが異変に気付くが。
あたしはもうそれどころじゃない。
前にいるのは、真っ黒い何かもやもやしたもの。
猛獣ではない。
霊である。
霊とは、よく分からない姿形を取る。
此奴のように。
物理攻撃は効くには効くが。
それ以上に此奴らの特性は、空間転移を自在にこなすこと。更に魔術も使う事、だ。
ノーライフキングはこの辺りで、霊の親玉のような事をしている。
厳密にはプラフタも霊なのだろうが。
目の前にいる此奴からは、悪意しか感じない。
偵察要員として来ていたコルちゃんを庇う。
放電している霊。
下手に動けば。
一瞬で決まる。
此方が詠唱している余裕など無いだろう。
ジュリオさんは遠すぎる。
谷にいるメンバーの支援は期待出来ない。
友愛のペルソナで防ぎきれるか。
いや、厳しい。此奴から感じる魔力は魔族並だ。さっき匪賊が激高していたように。手下を散々潰されたノーライフキングが、直接派遣してきたほどの部下、という事になる。ならば。
不意に、あたしが態勢を崩す。
もらったとばかりに、霊が極太の雷撃を放った。
それは白い蛇となって、雨の中を驀進してくるが。
あたしはコルちゃんを突き飛ばし。それをもろに真正面から受け止めた。
凄まじい衝撃が走る。
泥水を伝って、直接あたしにも雷撃が走ってくるが。
それも友愛のペルソナと。
あたしの魔術で防ぐ。
更に押し込んでくる霊。
ただでさえ態勢を崩しているあたしの魔力が、凄まじい勢いで削られる。
壁を抜かれたら、一瞬で消し炭。
流石に冷や汗が流れるが。
次の瞬間。
ジュリオさんが、霊を斬っていた。
悲鳴を上げる霊。
そう。
あたしが敢えて隙を見せることによって。
あたしに攻撃を集中させ。
ジュリオさんの攻撃機会を作る。
そしてジュリオさんが持っている剣は、色々魔術が掛かった特注品。アダレットの精鋭騎士が持ち込んでいるのだ。当たり前の話である。
雷撃が止む。
体中の虚脱感が酷い。
体の彼方此方から煙も上がっているが。
それでも薄く笑う。
勝った。
徹底的に霊を切り刻むジュリオさん。もたつきながら、逃げようとするよく分からない塊。
だが、最初の一撃で気を失わなかったオスカーが。
頭から血を流しつつ。
お返しとばかりに、スコップをフルスイングで叩き付けていた。
ジュリオさんが鋭い一撃なら。
オスカーのそれは、文字通りの必殺の重い一撃だ。
物理攻撃が通用する霊にも、それは同じ。
不定形が拡散し。
それにあたしが、魔術砲を叩き込む、。
更にコルちゃんが出て。
ようやく溜まった仕込み手甲のマナをフルにつぎ込み。
一撃を叩き込む。
爆裂。
周囲の雨が、凄まじい熱で蒸気に代わり、吹き付けて来る中。
誰もが肩を揺らして呼吸を整える。
余裕のある者など。
一人も残っていなかった。
そして、ここからが本番だ。
照明弾を打ち上げる。
安全確保の合図だ。
同時にあたしたちは、谷の下にいるメンバーが動き出すのを確認。
コルちゃんは身軽に谷の向こう側に渡る。ジュリオさんも。
そして、両側から、安全を確保しつつ、谷の出口へと走る。オスカーは途中植物と話ながら、もう危険が無い事を確認していた。
谷の出口。
さて、此処が最後だ。
四人が見守る中。
最前衛を任された獣人族の戦士達が来る。彼らは展開して、地面の下から死体が沸いてきても対処できるようにする。
更に避難民達が来た。
まず避難民達を谷から逃しながら、ゆっくり扇状に獣人族の戦士達が拡がり、警戒範囲を拡げる。
適当なタイミングで、シェムハザさんも来て、照明弾を打ち上げた。
かなり弱々しい。
魔力が限界なのだろう。
無理も無い。
相当な老齢なのだ。
モニカが見えてきた。
ハロルさんも。
ハロルさんは谷の出口に留まると、長距離射撃の態勢を整える。どこから敵が来ても、初撃は取れるようにするためだ。
そして荷車隊が通り。
フリッツさんが最後尾で姿を見せて。
ようやく一安心した。
谷を、抜けたのだ。
「谷を抜けて、もう少し行くと、開けた場所に休憩所がある。 其処まで歩け! 其処にたどり着ければ、キルヘン=ベルは指呼の距離だ!」
「僕が殿軍になる。 君達から降りてくれ」
ジュリオさんが、崖の向こうから声を掛けてきた。
頷くと、あたしは。
オスカーが言う通りの経路で、崖を降りる。
オスカーが、大きく嘆息した。
「酷い話だな。 お前がいなければ、キルヘン=ベルでも、あの人達をよその街に更に追い払わなければならかったんだろ?」
「そうだね」
荒野の世界だ。
食べられるものには限界がある。
そして、あの人達に。
もう次の街に辿り着く力なんて無かっただろう。
フリッツさんが、ジュリオさんを確認すると、隊列の中央に戻り。
そしてあたしは、フラフラになりながらも、歩き続ける。
もう少しだ。
キルヘン=ベルについたら、お風呂に入って、ゆっくり寝て。それから。
歩きながらうつらうつらしている事に気付いて、顔を叩く。
戦闘が警戒される状況で、気を緩めるとは何事だ。
おばあちゃんに怒られてしまう。
それだけ疲労がひどいという事だが。
それでも許されることでは無い。
休憩所が見えた。
廃屋もある。
少し、皆に其処で休んで貰う。
嫌みな事に。
今更ながら雨は止み。そして、夜明けの光が見え始めていた。
キルヘン=ベルでは、既に住民が総出で、負傷者の引き受けと、治療のための態勢を整えて待ってくれていた。
安全を確保した時点でジュリオさんが先行。
状況を伝えてくれたのだ。
あたしも、キルヘン=ベルに入ると同時に、腰砕けになってしまった。
流石に魔力を使いすぎた。
錬金術の道具も。
道具類は、まだホルストさんにかなり納品している。特に医薬品は、相当量のストックがある筈だ。
後は、もう街の皆に任せて良いか。
パメラさんが、てきぱきと指示を飛ばして、老幼の手当をしている。
負傷者も、本格的な治療を、何人かいる魔術師が始めていた。
モニカも引き続きそれを手伝おうかとしていたが。
留守のキルヘン=ベルを守っていたヴァルガードさんに止められる。
夕方を少し過ぎていたから。
荒々しくなっていた。
「もういい。 お前は充分すぎるほど働いた。 今日は大丈夫だから、戻って休め」
「しかし」
「くどい!」
モニカは口を引き結ぶと。
分かりました、と返事して、家に戻る。
彼女は今回無理をしすぎた。
これ以上無理をすると倒れるかも知れない。
厳しすぎるように見えて。
ヴァルガードさんの判断は妥当だ。
ホルストさんが来る。
なんと、プラフタもである。
「大丈夫でしたか、ソフィー」
「見ての通りです、ホルストさん。 キルヘン=ベルでも何かあったんですか?」
「何度も匪賊の襲撃がありましたよ。 恐らくは貴方たちを襲うのと連動しての行動でしょうね」
もっとも。
全て撃退したそうだが。
まあそれはそうだろう。
ホルストさんからして、優れた戦士だし。
現役で超強いヴァルガードさんもハイベルクさんもいる。
此方へのトラブルも想定して、戦力を出したのだ。それにあたしが作った爆弾だってある。
「全員は引き受けられそうですか?」
「問題なく」
「それは、良かった」
「ソフィー、もう大丈夫ですから、アトリエに戻りましょう」
プラフタが、たまりかねたのか提案。
あたしは苦笑すると。
丁度様子を見に来たエリーゼさんに肩を借りて、アトリエに歩く。正直、此処で寝たいくらいだったが。そうもいかないか。
エリーゼさんは無言のまま肩を貸してくれたが。
プラフタはがみがみという。
「無茶苦茶な撤退行だったと聞いています。 そんなにボロボロになるまで無理をして」
「でも、助けられた」
「……それだけは褒めてあげます」
「ふふ」
それに、だ。
大勢匪賊どもも殺せた。
何よりだ。
あの切り札としてノーライフキングが繰り出してきた霊の実力で、大体ノーライフキングの戦力も分かった。
もはやノーライフキング。
おそるるに足らず。
おばあちゃんの封印で、相当に弱体化したのだ。
考えてみれば、今回の戦力の大盤振る舞いっぷりもおかしかったと言える。相当に焦っているのだろう。自分の弱体化を。
そして奴は賭けに失敗した。手持ちのコインを殆ど失ったのだ。この状況で出し惜しみしていたとは思えないから、奴は今丸裸同然の筈。
ならば、今こそ。
決戦の時だ。
アトリエにつくと。
モニカ、と声を掛けようとして、口をつぐむ。
モニカもボロボロになっていて、今頃家族に怒られているだろう。
家族、か。
エリーゼさんが、先に風呂に入るかと聞いてきたけれど。先に寝ることにする。そうすると、既に用意していたらしいぬれタオルを出す。
エリーゼさんは熱使いだ。
一瞬で濡れタオルを暖かくした。
そしてあたしの顔やらを拭くと。
用意してある寝間着に着替える手伝いをしてくれた。
戦闘用の衣服は汚れているし。
何よりゆったりと寝られないからである。
「起きたらお風呂に入って、体を綺麗にするのですよ」
まだプラフタもがみがみ言っている。
だが理由は分かる。
プラフタも、同じように悲惨な荒野での逃避行を続けた身だ。
だからこそ。
あたしが同じ目に会っているのを見て、気楽ではいられなかったのだろう。
今回ばかりは。
流石にあたしも疲れた。
後は全てをプラフタと、キルヘン=ベルの皆に任せて。
眠りの闇に、落ちる事にした。
(続)
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