開花の時

 

序、スプーキー

 

荒れ果てた世界だ。

戦いを生業にする者はどうしても需要がある。

魔族だと、街を訪れるとむしろ声を掛けられるほどだ。うちの街の護衛として働かないか、などと。

数が少ないものの、夜には倍の力を発揮し、優れた魔術を生来備えている魔族は。用心棒としての需要が高い。

魔術は高位の錬金術には及ばないものの。

人間の中で、もっとも魔族が一番達者に使いこなす。

ヒト族の中にも魔術を使うものは珍しくないが。

魔族はどうしても、長い寿命と強靱な肉体もあり、用心棒として期待される。

一方で、傭兵として各地を渡り歩くものは。

獣人族やヒト族が多い。

これは、一度きりの関係で、カネを渡してそれでおしまい、という状況では。数が揃えられる上に、つぶしが利くヒト族や獣人族の方が便利だからだ。

とはいっても、傭兵として活躍するヒト族や獣人族の中にも、優れた使い手は存在しており。

ドラゴンスレイヤーとして名を馳せている者も。

魔族以上の魔術を使いこなして、各地で名を残している者もいる。

変わり種としては、錬金術師でありながら。

各地で傭兵をしている者までいるとか。

そんな傭兵の中に。

一家で傭兵をしていて。

そして人形にしか興味が無いという事で、変わり者として知られる者達がいる。

ワイスベルク一家。

かなり高齢の夫婦と娘から構成される三人で。

この三人は、各地でかなり高名な傭兵として名を馳せ。

邪神討伐や。

暴れる高位ドラゴンの討伐にも参加。

生き残っている強者である。

現在は、三人がそれぞれバラバラに生活しているという話だが。

その一人。

夫婦のうち、夫の方。

フリッツ=ワイズベルグが。この近くに来ている。

ソフィーはそれを聞かされて。

ホルストさんに書状をもたされ。

街道を歩いていた。

雨が降り続いている。

荒野からは、虹色の、見るからに有毒な水が流れ出ており。

辺りに散らばった獣骨を、かりかりと雨に濡れながら、小型のスカベンジャーが囓っていた。

そのスカベンジャーを、すっとさらっていくのは、翠色の巨大な鳥。

アードラである。

今見たのは人間をさらうほどのサイズでは無いが。

小さなスカベンジャーにとっては、音もなく接近してきて、一瞬で仕留めてくるために天敵だ。

なお、アードラは個体間のサイズ差が大きい。

高位のものになるとそれこそ家より巨大なものもいる。

魔術を使うケースも多く。

そういった連中は、猛獣の中でもかなり危険な部類に入ってくる。

言う間でも無く強力な猛獣だが。

幸いこの辺りでの高位アードラの目撃例は無い。

先に行っていたモニカが、コルちゃんと一緒に戻ってきた。

傘はさしていない。

魔術で頭上に障壁を作って、それで雨を防いでいたが。

「見当たらないわ」

「困ったね」

今回は、戦闘を想定していないため。

あたしとモニカ、コルちゃんとオスカーだけで来ている。

それに、最近気合いを入れて街道周辺の猛獣を始末したので、目立った奴はいないはず。いたとしても、逃げるための時間を稼ぐ程度の装備は持ってきている。今の時点では、戦力に不足は感じない。

だが、肝心の傭兵がいないのは困りものだ。

「行き違ったのかな」

「おいらが聞いてみたけれど、植物たちはそれらしい人を見ていないって話だぜ」

「その能力、とても便利ですね」

「コルネリアさん、貴方ね……」

素直に信じているコルちゃんと、それに苦言を言うモニカ。

あたしは信じている方だが。

モニカはまだ信じていないのか。オスカーが植物談義をする度に、毎度呆れたように苦言を呈する。

コルちゃんは小首をかしげているが。

多分商人ならではの観察力で。

オスカーの言葉に嘘が無い事。

更に有用である事を。

見抜いている、という事だろう。

この辺りは流石に場数が違うのだから仕方が無いか。

いずれにしても、もう少し周囲を探してみる。キルヘン=ベルから離れ過ぎると、感知していない猛獣の縄張りにはいるかも知れないから、あまり遠出は出来ないが。

廃屋を見つける。

そういえば。

この廃屋は、まだ調べていなかったか。

街道にぽつんとある廃屋で。

昔この辺りにあった街の名残らしい。

とはいっても壊れかけ。

勿論誰も住んでいないし。

幽霊が出るという噂もある。

そもそも霊が襲ってくるケースもあるのに。

幽霊が出るというのも変な話だが。

それで怖がる人もいるのだから、面白いものである。

あたしはちなみに。平気だ。

雷が落ちた。

ふと、気付く。

物音が聞こえる。

それに、妙な声も。

何かいる。

誰か旅人が潜んでいるのなら良い。

だが猛獣の中には、相応の知能を持ち、待ち伏せをする奴がいる。ヒト族やホムの声真似をして誘き寄せ、相手を捕食するタイプもいるそうだ。

足跡を正確にたどって後退、途中でサイドステップし。

物陰などに隠れて追っ手をやり過ごし。

背後から奇襲する手を使う者もいる。

これは比較的多くの獣が使う手で、知能が格上の相手も容易くだませるため、普及している戦術だ。

比較的知能が低くても。

人間と獣は、荒野でずっとやりあってきた。

獣の側でも、人間に対する策は練ってきているのである。

或いは、対抗戦術を覚えた者が生き延びてきたか。

他の理由かも知れないが。

いずれにしても、家の中に獣が忍び込んでいる可能性は否定出来ない。その場合、非常に危険だ。

ハンドサインをかわし、周囲に展開。

声は人間のようだが。

人間の声真似をする獣もいる。

流石に人里近くだと、危険すぎて駆逐されているという話だが。

しかしながら、ドラゴンが街を襲撃することもある。

絶対は無い。

この間聞いたのだが、アダレットの北部で、街を三つも壊滅させたドラゴンが出て、討伐されたという。

当然多数の死者が出たという事で。

アダレットの派遣した討伐軍にも大きな被害が出て。

その中には、公認錬金術師も混ざっていた、という事だ。

そういうご時世なのである。

何が出てもおかしくない。

そう判断して、行動するしか無い。

モニカが頷くと。

あたしが支援のための詠唱開始。

踏み込むと同時に。

相手の正体を見極める。

その一瞬の間を作るために。

魔術による防壁を念入りに展開。

モニカがし損ねた場合は。

あたしが爆弾を。

この間作ったレヘルンを放り込み。

もろともに消し飛ばす。

これは、二次災害を防ぐため。

この荒野で生きてきているのだ。

モニカだって、それくらいの覚悟はしているし。あたしだって、その場合は仕方が無いと考える。

可能性としては、どうにも見つからない傭兵の場合もあるが。

それはそれ。

もしそうだったら、幸運だと言う事だ。

突入。

扉を蹴破り、踊り込むモニカ。

あたしも、杖を向け。

魔術を叩き込む姿勢に入るが。

どうやら、運が良かったらしい。

中には。おっさんが一人いた。

ただ、明らかに商人では無い。

腰には上物の剣をぶら下げたヒト族の男性で。

顔中ヒゲだらけ。

そして、軽装なのだが。

近づいて見て、分かった。

唸るような強さが身に満ちている。

「何かね」

相手は驚いている様子も無い。多分此方の動きを、既に気配で察していたのだろう。

モニカが咳払いする。

「フリッツさんでよろしいですか」

「いかにも」

「迎えに来ました。 キルヘン=ベルの自警団に所属するモニカです。 廃屋から妙な気配がしたので、強硬手段を採ったところでした」

「ああ、そういえば此処は廃屋だったか。 少しばかり静かな場所で、個人的に気に入ったので、ついつい長居をして、趣味に没頭してしまっていたよ」

からからと笑うフリッツさん。

オスカーとコルちゃんにも目配せして、来て貰う。

まだフリッツ氏を装った匪賊の可能性もあるが。

この人、実力的にも多分アダレットの騎士であるジュリオさんに負けていない。今のあたしやモニカが、普通に戦ってもとても勝てないだろう。爆弾を使えば相打ちくらいに持ち込めるかも知れないが。

そんな腕利きが、匪賊なんかやる理由が無い。

まあ、サイコキラーでどうしても普通にはやっていけないという極小の可能性もあるのだけれど。

実際問題、匪賊はやるにはリスクが高すぎる。

まずフリッツさんと見て良いだろう。

剣を鞘に収めると、モニカは非礼をわび。

あたしも頭を下げる。

フリッツさんはというと。

非常にリアルな、等身大の人形を。

満面の笑みで此方に見せた。

「ところでどうかね。 この美しさは」

「えっ!? に、人形……ですか?」

「そうだとも」

確かに美しいが。

肌のリアルすぎる質感。

恐らくホンモノを使っている髪の毛。

ガラス玉であろう瞳も、非常に丁寧に作っていて、とても造りものには見えない。

これは、確かに凄いが。

ある意味非常に不気味でもあった。

だが、話に聞いている。

迎えに行く傭兵であるフリッツさんは。

スプーキーと呼ばれる筋金入りの変人。

一家揃って人形にしか興味がなく。

腕利きの傭兵として知られると同時に。

人形劇を行って各地を回っていることでも知られているとか。

「今度彼女を使った劇をやってみようと思っているんだが、どうかね。 君達から見ても美しいかね」

「は……はあ。 確かに良く出来ていると思いますが」

「すごい手間暇かかってそうだなー」

オスカーが不用意な発言。

目を子供のように輝かせたフリッツさんが、もの凄い勢いで反応した。

「そうだろう! この肌の質感、美しい髪、何を取っても、何処に出しても恥ずかしくない美しさだ! 感情も表現が容易で、私が操作することによって彼女は魂を得るのだ!」

ふははははと、フリッツさんが、目の色を変えて高笑い。

モニカは真っ青になって硬直している。

半笑いのまま身動きできずにいるのは、余程の恐怖を感じているから、だろうか。

人間は得てして、種族に関係無く、理解出来ないものを見ると恐怖にすくみ上がると聞いている。

モニカは多分。

今丁度その状態なのだろう。

「では、長話も何だ。 さっそくキルヘン=ベルに向かおう。 実はあの街の重役とは、良くも悪くも因縁があってね。 家も用意して貰っているから、続きの作業はそこでやることにするよ」

大きなトランクを取り出すと。

ささっと人形を手際よくしまうフリッツさん。

その作業の手慣れた有様は。

もう何というか。

愛情に満ちあふれすぎていた。

また、トランクも、明らかに容量以上の人形が無理なく入っている。

何処かで錬金術師に作ってもらったものなのかも知れない。

それにしても。

まるで本当に人間のような人形だった。

口を出すと、またさっきみたいな勢いで迫られるかも知れないので、迂闊には言えないけれど。

げんなりしているモニカ。

側を歩きながら。

コルちゃんが小首をかしげた。

「ソフィーさん。 モニカさんはどうしたのです」

「ああ、ちょっと未知との遭遇がショッキングすぎたんだと思うよ」

「あの人形、すご……」

すごく良く出来ていた、と言おうとしたのだろうが。

あたしはさっとコルちゃんの口を塞ぐ。

フリッツさんが、こっちに反応する所だったからだ。

多分コルちゃんは商売のことを考えたのだろうが。

相手が悪すぎる。

フリッツさんにとって、あの人形は商売とかそういうのを考える相手ではないとみて良いだろう。

それに、下手をすると。

帰り道、ずっとあの人形のすばらしさについて、語られるかも知れない。

オスカーもげっそりしていた。

あたしは魔術をちょっと強化して、雨に濡れないように壁を広くする。

フリッツさんはそれを見て。

素晴らしい手際だと褒めてくれた。

「まだ若いのに、魔術の腕はいっぱしだな。 どこの傭兵団でも歓迎してくれると思うぞ」

「有難うございます。 でもあたしは錬金術師ですから」

「ほう。 キルヘン=ベルに錬金術師が。 しばらくいなかったと聞いているが」

「まだひよっこですけれど、頑張っています」

若いのに努力を欠かさないのは良いことだ。

そうフリッツさんは言う。

二本の剣を腰に差しているが。

余程腕に自信もあるのだろう。

まあ確かに、隙もまったく見当たらないし、相当な凄腕なのは一目で分かる。この人くらいなら、ドラゴン狩りにも声が掛かるレベルではあるまいか。

キルヘン=ベルに到着。

カフェに案内して、後はホルストさんに引き継ぐ。

ホルストさんはいつも通り笑顔で応対していたが。

ヴァルガードさんはあまり機嫌が良く無さそうだった。

雨が激しくなってきた。

そろそろ、用事も終わったし、引き上げるのが良さそうだ。

カフェの前で皆と解散。

モニカが、ため息をついた。

「苦手だわ、あの人」

「確かに変わってるね」

「それもそうだけれど、ちょっと怖い」

「ああ、そういう理由」

だが、個人的には。別に嫌いじゃあ無い。

人形談義を聞かされるのはちょっと困るが。

それはそれだ。

自警団の人が来たので、フリッツさんの出迎えを終えた事を告げると。

からからと笑われた。

ベテランの戦士だから、知っているのかも知れない。

「あの人なあ。 実力は確かなんだが、一家揃ってあんな調子だから、怖がる奴も多いんだよ」

「他人事じゃありませんよ」

「悪い奴じゃないから、そう怖がらなくても大丈夫だよ。 ただ、傭兵としてはホンモノだ。 敵に回ったら一瞬で首を飛ばされるぞ」

さらりと言われる。

確かにそれは事実だろう。

廃屋に踏み込んだとき。

一瞬だけ感じた殺気は。

今のあたしやモニカでは、手に負える気がしなかった。

アトリエに戻ると、プラフタが待っていた。

錬金術をするという。

頷くと、気持ちを切り替える。

モニカは、一人でいるのが気が滅入るのか。

今日は、錬金術を見学すると、言い出すのだった。

 

1、ペルソナ

 

以前、プラフタに拡張肉体の話をされた事がある。

簡単に説明すると、自分を補うための擬似的な肉体で。錬金術で作成し。特に不意を突かれたときなどに、オートで反応してくれるという。

確かに、戦闘中。

不意を突かれると、どうしてもどんな達人でも、不覚を取る事はある。

ましてや、普段から研究に力を注いでいる錬金術師ならなおさら。

あたしだって、相応に戦える自信はあるけれど。

獣にいきなり不意打ちされたら。

其処でやられる可能性は当然ある。

そんなときのための拡張肉体だ。

とはいっても、昔のプラフタが使っていたような高度なものは、まだ早すぎると、はっきり言われる。

それはそうだろう。

あたしはまだまだひよっこだ。

錬金術だって、基本をこなしている所だし。

応用はまだ先が長い。

その基本でさえ、レヘルンの破壊力を見て、驚かされる事ばかり。

要するに。

基本さえ、まだしっかり身につけられていない、という事を意味しているのである。

それではまだ早いと言われるのも当然である。

「それで、今日はどんな風なものを作るの?」

「魔術を応用した錬金術の場合、ものに悪霊などを宿らせて、それで動かす事があるのですが、今回はもの自体に擬似的な意識を宿らせるやり方を試します」

「その方が難しくないの!?」

「簡単に説明すると、ものにやどった意思を、自分で動きやすくする、というのが今回の錬金術の要点です。 意思にそって、自主的にものを変質させるのです」

やっぱり悪霊か何か宿らせた方が簡単な気がするが。

プラフタはマスタークラスの錬金術師だ。

彼女がそういうのなら、そうなのだろう。

あたしはあくまで魔術師としても腕前があるから、錬金術には疑問を感じているのだろうし。

それならば、本職の言う通りまず動いてみるのが良いはずだ。

「それで、どういう風に役に立つの?」

「簡単に言うと、感覚を拡張して、背後が見えるようになります。 簡単な防御術も展開してくれるので、抜群に戦闘の安定性が増しますよ」

「興味深いわ」

髪の毛を拭いていたモニカが、話に加わってくる。

彼女も錬金術の講義には興味があるようだし。

何より実戦でダイレクトに使えるとなると。

確かに面白そうだと感じるだろう。

あたしだってそう思っているのだ。

「では作って見ましょう」

「はーい」

まず木材を削る。

今回作るのは、友愛のペルソナと呼ばれる仮面。

とはいっても顔には被らない。

背中に引っかけるようにして使うという。

背負う感じ、と言うわけだ。

それならば、背後が見えるというのも分かる。

ただしその場合、戦闘時何かを背負って動くのは難しくなる。

鎧を着ている場合、その上から友愛のペルソナを引っかける事になるだろう。

激しく動き回るときには、当然ぶらんぶらん揺れるわけで。

固定する仕組みも必要だ。

だが、見越したかのように。

プラフタは言う。

「大丈夫。 吸着機能も付けます」

「へえ。 凄いね」

「まだまだ初歩ですよ」

そう言われると言葉も無い。

それにしても、此方の心を読んでいるかのような言動だが。

コレは恐らく。

プラフタが、もの凄く苦労しながら。

独学で、錬金術を身につけていったから、ではないのだろうか。

それ故に、詰まった所などでは、すっと記憶が出てくる。

錬金術の事以外は、極めて記憶が曖昧なようだけれども。

しかしながら、それでも錬金術をがっちりと覚えているという事は。

それだけ、人生と錬金術が、一つだったという事だ。

錬金術に生き。

錬金術に死んだ。

きっとそんな人生だったのだろう。

だからこそ、これだけ丁寧に教えられる。

採点も厳しいけれど。

今までの時点では、不平等は一切感じない。

あたしはぶきっちょなので、木材加工はちょっと苦手なのだけれど。

先にモニカが、少し薄めの板にスライスしてくれたので。

それを彫刻刀で削って行けば良かった。

一刻ほど掛けて。

何とか仮面らしきものが出来る。

事前に何種類か用意していた中和剤だが。

意外な使い方をするという。

まず、水を使って作った中和剤に。

塗料を混ぜる。

この塗料、色々なものがあるのだが。

今回は顔料を用いる。

塗料の中には、動物の糞尿などを用いるケースもあり、衛生面で問題があったりするのだけれども。

今回は鉱石の一種を使うので。

その辺りは大丈夫だ。

念入りに、混ぜていく。

その過程で変質を感じるが。

雑音を感じたら、即座に手を止める。

モニカが不思議そうにその様子を見ていたが。

特に口出しはしてこなかった。

この雑音。

前よりもクリアに聞こえるようになって来た。

これが兎に角煩わしい。

爆発の実験をするとき。

非常にすかっとするのだが。

それは、雑音によるストレスが大きくなってきているから、なのだろう。

いずれコレが、きちんとした声に聞こえるようになるのだろうか。

だとすれば良いのだが。

一旦常温を保ったまま、放置するように指示されたので。

魔術でドームを作って。

その中に、塗料と混ぜた中和剤を置く。

同時に。

先ほど削った仮面を、水の中和剤に付ける。

そして、馴染ませる。

「この作業には、丸一日かかります」

「中和剤同士で悪さをしたりとかはないの?」

「良い質問ですね。 それを起こさないために、同じ水から作り出した中和剤を用いるのです」

「なるほど」

基本的に、中和剤は一つしか使わない。

これは絶対だと、プラフタは断言した。

或いは、複雑な調合になると、その過程で複数種類の中和剤を使うケースもあるらしいのだけれども。

それも、一つ一つの「調合」が終わるまでは、絶対に混ぜてはいけないという。

極限までの悪しき変化が起こるから、だそうだ。

「根絶という言葉は聞いたことがありますか?」

「うん。 魔術でも禁忌中の禁忌のあれでしょ? 自分の未来を捧げることによって、超強力な死霊になったりする」

「出来れば、その言葉は聞きたくなかったわ」

モニカが目を伏せる。

それはそうだろう。

この辺で、最悪のアンタッチャブルモンスター、ノーライフキング。

出身はキルヘン=ベルではないらしいのだが。

自分の力を高めるために、自ら命を放り出した究極のサイコ野郎で。

その結果、死霊として次元違いの実力を獲得。

北東にある巨大な洞窟に住んでいるのだが。

其処に獣でも何でも引きずり込んでは。

強制的に己の眷属に変えているという。

不死の力を手にいれた匪賊。

そういう存在だ。

今までに何度か討伐が試みられているが。

そもそも洞窟周辺に、奴が呼び寄せたらしい強大な猛獣が多数集まっており。近づくことさえ出来ない。

おばあちゃんが封印を施し。

周囲に害悪をまき散らすことさえなくなったが。

今でも、彼処には近づかない事が、この近辺の人間にとっては、絶対の掟になっている程だ。

「魔術でも根絶の力を利用するものがあります。 錬金術でもそれは同じです」

「まさか」

「直接根絶につながるわけではありませんが、複数種類の「ものの意思」を強引に混ぜることは、それすなわち禁忌です。 とてつもない負の結果が待っている可能性が高い上に、周囲にある「未来」をねじ曲げてしまうケースが多く、絶対にやってはいけないことなのです」

「分かった。 気を付けるよ」

なるほど。

プラフタが念を押すわけだ。

それは確かにまずい。

魔術をやっているあたしだからこそ分かるとも言えるが。

正直な話。

洒落になっていない、というのが本音だ。

ノーライフキングと同じ事をするようになったら、流石におしまいだ。

匪賊は容赦なく殺すあたしだけれども。

それでも世界そのものを殺すつもりにはなれない。

世界には不満がたっぷりあるけれど。

それを無理矢理ねじ曲げたら。

匪賊以下だ。

やるならば、そんなせせこましいことでは無くて。

創造神を引っ張り出して。

根底から変えさせる。

それくらいはしないと駄目だろう。

いずれにしても、そんな些細な事で、世界のルールに抵触する事をするわけにはいかない。

モニカは此処で帰宅。

雨も止んでいたし。

何より夜も遅い。

ただ、帰る前に片付けはしてくれたので。

それは随分と助かった。

プラフタに小言を言われる事も増えていたし。

何よりも、掃除が錬金術にはまり込めばはまり込むほど、億劫になってきていたからである。

時間が掛かるし。

この隙に休んでおくとする。

フトンに入ってぼんやりしていると。

パチパチと、泡がはじけるような音がした。

「何だろう……」

「木材と中和剤が反応している音です」

「……」

そうか。

ならば、順調だと言う事か。

それならば、文句も無いし、言う事も無い。

あたしはあくびをすると。

眠ることにした。

 

夢を見た。

錬金術師として腕を上げたあたしは。

ノーライフキングを叩き潰し。

そして奴の命乞いを聞いていた。

助けてくれ。

何でもする。

あたしは、うっすら笑いを浮かべる。

だったらあたしの父親を、死んだときの姿のまま、永遠に死なないようにして此処に呼びだしてくれるかな。

物理的に干渉できる状態で。

ノーライフキングは、もう殴られるのは嫌だと顔に書きながら(とはいっても、どんな顔なのかよく分からなかったが)、必死にその作業をし。

バラバラになって死んだ父親が、その場に実体化する。

さっそくあたしは。

彼奴の頭を、その場で踏みつぶした。

即時再生。

悲鳴を上げるクズ野郎の睾丸を今度は踏みつぶす。

あたしは暗い笑みを浮かべていた。

あらゆる人体急所に攻撃を叩き込み。

クズ野郎が悲鳴を上げる度に。

あたしは歓喜の笑みを抑えられなかった。

死ね。

死ね。

死ね!

何度も何度も、魔術で焼き尽くす。徹底的に破壊し尽くす。それでも復活するクズ野郎は、泣き始めた。

もう死なせてくれ。

一度死んだんだから良いじゃないか。

許してくれ。

巫山戯るなこのクズが。

更に攻撃は苛烈さをまし。

震えあがりながら、ノーライフキングがそれを見ていた。

目が覚める。

プラフタが、側に浮かんでいた。

「どうしたのですか、ソフィー。 ごちそうを食べる夢でも見ていましたか? とても無邪気な笑顔を浮かべていましたが」

「ううん、もっと良い夢を見ていたの」

「そうですか」

プラフタが促す。

塗料の方はもう大丈夫だそうだ。

見てみると。

塗料は非常に強い粘性を帯びていた。

なるほど。

作るにしても、かなり派手な配色になりそうだ。

なおあたしは絵心がほぼ無い。

ピアノの方は、練習すれば何とかなると言われた事があるのだけれど。絵そのものはほぼ駄目だ。

それは素直にプラフタに告げたのだけれど。

しかし厳しい反応が返ってきた。

「それでも何でも良いから書きなさい」

「出来に影響しない?」

「します」

「困ったね」

本当に困った。

さっきまで良い夢を見ていたというのに。

かといって、この絵も錬金術師が直接書かないと意味がないという。それでは、他の人にやってもらうわけにはいかないか。

少し頭を捻った後。

仮面には別に絵を描く必要はない、と判断し無理矢理納得したが。

しかしながら、更に追撃を貰う。

「この道具では、「顔」を認識させる事が大事なのです」

「顔」

「そうです。 少なくとも、誰が見ても顔と分かるものにしなければなりません」

「……」

困った。

とりあえず、そうこうしているうちに、木材の方も中和剤と馴染んだ。

これは一旦中和剤から上げてから、一日ほど乾燥させるという。急速に乾燥させると痛んでしまうそうだ。

その乾燥作業はじっくり行うとして。

その間に、顔と認識出来るものを描くにはどうするべきか考える。絵で無くても、顔に見えるデザインを作らないといけなくはなってしまった。

絵が得意な人はいたっけ。

一瞬エリーゼさんを思い浮かべたが。

あの人は、文字専門だった。

確か小説は書いているはずだが。

絵の方はからっきしだと聞いた事がある。

絵本を以前書いてみたらしいのだが。

その絵を見て、子供達がギャーギャー泣き出したらしく。

それ以降、絵本を書くことは試みていないらしい。

ちなみにあたしも見たけれど。

教会で言っている地獄みたいな光景が広がっている絵で、おぞましいほどリアルだったので。

確かに子供が泣くのも仕方が無いかとは思った。

要するにエリーゼさんは、意図したものと全く違う絵を無意識に描いてしまうタイプらしい。

故に、絵はからっきしだと、自己申告しているそうだ。

そうなると、だめか。

モニカは絵なんて書いているところを見た事がないし。

オスカーだって同じだろう。

フリッツさんは。

いや、いきなり頼みに行くのも失礼か。

そうなると。

思いつく。

ゼッテルを何枚か持って、そのまま出かけたのは。

ハロルさんのところだ。

今日は運良く店を開けている。

本人は、銃を弄っていたが。あたしが顔を見せると、うんざりした様子で聞いてくる。

「何だ、匪賊狩りか?」

「違うよ。 ハロルさん、絵描けない?」

「どうしてそう思う」

「図面とか得意でしょ? 顔をちょっと描かないといけないんだけれど、アドバイスが欲しいの」

面倒くさそうにするハロルさんだが。

あたしが無言で立っているのを見て。

悪いと流石に思ったのか。

貸してみろと、ゼッテルを引き取った。

それから、しばらく、顔に見えるコツを教えて貰う。

やはりそうか。

図面を書いている以上、ものの特徴を抑えるコツは知っている、ということだ。

何度か練習して。

一応出来た。

ハロルさんは、苦虫を噛み潰したような顔をしていたが。

あたしが描いた顔が、余程気に入らないのだろうか。

「それは、邪神か何かが子供を全力で泣かそうとしている顔か?」

「普通の顔のつもりだけれど?」

「そうか。 まあ顔には見える」

「それは良かった」

半日以上使ったのだ。

一応顔に見えるようになったのなら何より。

笑顔で店を出て、丁度出会ったモニカにそれを見せる。

モニカは一瞬、フリッツさんの人形愛を語る姿を見たときのような顔をしたが。

しばらく絶句した後。

言うのだった。

「それを、どうするの?」

「あの仮面に描くの」

「本気……?」

「本気だけれど。 顔に見えれば大丈夫ってプラフタも言っていたし」

くらっとしている様子のモニカ。

何だろう。

この間のフリッツさんの人形愛に当てられて、体調でも崩したか。

いずれにしても、アトリエに戻る。

なお、プラフタは。

あたしが描いた顔については。

ノーコメントを貫いた。

 

2、自衛力

 

仮面に顔料で顔を描き。

そして乾かす。

その後もまたちょっと面倒で。

蜜に手を加えて、ニスを造り。

顔料の上から塗る。

こうすることで、顔料を木に完全定着させるのである。色々と面倒くさいけれども、仕方が無い。

これらの作業を経て。

友愛のペルソナが完成した。

木はすっかり変質し。

自動で防御魔術を唱えるようになっている。魔術を使うのにも、無尽蔵の大気中のマナを使用しているので、使い手に負担も掛からない。

背負うようにして使うのだけれど。

確かに凄い。

背後の光景が見える。

一度、どれくらいの防御魔術が使えるのか確認。

あたしの杖を叩き付けてみるけれど。

ガインと凄い音と共に、文字通りはじき返された。

おうと、思わず興奮の声が漏れる。

確かに、そもそも疑似生命体だ。

他に何ら考えず、魔術を使う事が出来るとすれば。

それだけに注力できるわけで。

防御魔術の威力が圧巻なのも納得である。

仮面に描いてある顔は、なんと変化する。普段は無表情なのだけれど、防御魔術を展開するときは、憤怒の表情になる。

コレは素晴らしい。

敵を威嚇する効果もあるはずだ。

また、意思を明白に持っているらしく。

攻撃した後は、ごめんね。実験のためだったからといってなだめないと、ずっと不機嫌そうにしていた。

「これが意思の定着です」

プラフタが言う。

もっと技術が洗練されてくると、意思を更に先鋭化させ、洗練させることも出来ると言う。

そうなると、より細かい作業をさせることも、可能になるそうだ。

早速完成品を持って、ホルストさん達を呼び、実験に出る。

今回は爆弾では無く、自警団に装備する備品である事。

背後からの攻撃を防ぐと同時に、本人に常時防御魔術が掛かる事。

それらを告げると。

ホルストさんは、有用だと喜んでくれた。ただし実物を見た瞬間真顔になったが。

「これをまさか被るのですか?」

「いえ? こうやって、背負います。 こうすることで、背後からの攻撃を防ぐと同時に、背後に視界を確保できます。 背中に吸着するため、激しく動いても外れません」

「文字通り背中に目が出来る、というわけですね」

「実際に使って見てください」

ホルストさんが一瞬固まったが。

なんでだろう。

笑顔のまま、あたしが友愛のペルソナを差し出すと。

言われるままに、背負う。

そして驚いたようだった。

本当に背後が見えるのだから、当然だろう。

背中を見せているホルストさんに、指を立てて見せる。

「何本ですか?」

「三本ですね」

「面白い。 俺にも使わせろ」

ヴァルガードさんは、魔術を展開する道具と判断して、興味津々。元々魔術は魔族がこの世界に持ち込んだと言われている技術だ。

やはり、人一倍興味を引かれるのだろう。

ちょっとヒモを調整。

ヴァルガードさんはヒト族の倍も背丈がある。

背負うにしても、そのままだとヒモが切れてしまうのである。

腰をかがめているヴァルガードさんに、友愛のペルソナをつける。

そうすると、懐かしいと言われた。

「昔はお前も高い高いとか、背負ったりとかしたな」

「懐かしいです。 ヴァルガードさんは昔から昼間は優しかった」

「そうだな。 魔族の性だ。 夜に凶暴化するのは許して欲しい」

立ち上がったヴァルガードさん。

おうと、嬉しそうに周囲を見回した。

視界が360°全方位になるのだ。それは嬉しいだろう。

更には、自分で展開しなくても、背後には防御魔術が展開されるのである。

我も我もと、自警団員が試したいと言ってくるので、一旦爆弾の実験をしている場所へ移動。

またソフィーが面白いものをつくった。

今度は使わせてくれるらしい。

そういう声が聞こえて。

キルヘン=ベルの重要人物が、ぞろぞろと集まって来た。

この間、インゴットをとられて、悲しそうな顔をしていたロジーさんが。使いたいと名乗りを上げたので、渡して、使い方を説明。

ロジーさんは職人だ。

鍛冶屋では、なにも金属加工だけをするのではない。

革製品や、布製品、木製品も扱う。

だから、友愛のペルソナが、普通の仮面では無い事はすぐに悟ったのだろう。

「個性的なデザインだが……」

「どうです、使って見てください」

「ああ。 ただ子供が泣きそうだな……」

視界が全域になるのを感じ取り、ロジーさんは驚いて振り向いたりしていたが。

やがて、性能実験を兼ねて、モニカが訓練用の剣で背後から斬り付ける。

ガインと凄い音がして弾かれるのを見ると。

皆、おおと声を上げた。

モニカの腕前は皆知っている。

これは充分な性能だと、喜んでいるのだ。

「ソフィー。 これは中々に良いですね。 自警団の人数分、調達できますか」

「少し時間が掛かりますよ」

「構いません。 これならば、鎧を配備するよりも遙かに安上がりに、更に鎧よりも有用だ」

友愛のペルソナの防御魔術は、背後を主に守るが。

しかしながら、体全体を守護もする。

ただ、弱点としてマナが無い場所では発動できないが。

だがこの世界には、基本何処にでも無尽蔵のマナがある。

それは心配しなくても良いだろう。

良い感触だ。

これならば、実際に盾なんかを持つよりも、よっぽど戦士の生存力が上がるはずだ。ドラゴンや猛獣との戦闘でも、ちょっとしたコツで生き残れることが結構ある。流石にまともにやり合うのが厳しい相手でも。

この装備があれば。

逃げに徹することで、ある程度はカバーできるはずだ。

ホルストさんに正式な発注を受けたので、すぐにアトリエに戻る。

プラフタは、どうだったかと聞いて来たので。

好評だと答えると。

そうですか、と少し寂しげに言う。

「何かあったの?」

「分かりません。 ただ、ひょっとすると、私も昔、栄達を重ねていたのかも知れません」

「それはそう……」

「どうしましたか?」

何となく分かったが。

其処からは口をつぐむ。

おそらくプラフタは。

栄達した後。

転落したのではあるまいか。

 

意思の定着については、色々と分かった。

友愛のペルソナそのものは、時間こそ掛かるが、作るのは並行で出来るし、更に一度作れば友愛のペルソナ自体が魔術で自己メンテナンスを行うため、極めてもちが良い。

作って納品すれば。

それでおしまい、と判断して良いだろう。

更に言うと。

行程ごとに時間が掛かるので。

作業をする際には、並行作業で、他の事も出来る。

注文を受けた二十セットを準備する。

モニカが来たので、一段落したところで応対。

モニカは、複雑な表情だった。

「あの不気味な仮面をこれから皆で背負って戦うの?」

「モニカも性能は見たでしょ?」

「確かに性能は凄いけれど」

「それに威嚇も出来るよ」

確かに、背後に回ったとして。

敵がいきなり表情の変わるペルソナに驚けば。

それだけで一瞬の隙を作る事が出来る。

更に言えば、である。

その隙が、戦場では死につながる。

あたしもモニカも実戦経験者だ。

戦場での一瞬が。

どれだけ大事なものかくらいは。分かりきっているのである。

「あまり気が進まないわ」

「何なら、デザインを変えてみる?」

「出来るの?」

「うーん、実を言うとね、友愛のペルソナ以外にも、似たようなものを作って見ようかなと思ってはいてね」

錬金術師の作る道具には。

支援装備として有用なものが幾つもある、という。

前からプラフタが言っている拡張肉体などもそうだし。

今回作った友愛のペルソナのように、特定の魔術を道具の意思で発動してくれるものや。

それ以上の、摂理を超える現象を引き起こす道具も作れるという。

今回、プラフタに言われているのだ。

友愛のペルソナをベースに。

レシピを考えて見てくれ、と。

プラフタに書き込んだら。

何か記憶が戻るかもしれない。

プラフタは記憶が極めて曖昧な状態だ。

記憶が戻る事になれば。

この街にとっても。

更に言えば、あたしという錬金術師にとっても。

極めて有用である。

勿論プラフタにとっても、それは同じだろう。

皆が嬉しい結末、と言うわけだ。

「何が良い? 眼鏡にする?」

「これは駄目よ。 そもそも眼鏡は貴重品なんだから」

「ああ、それもそうか」

モニカもエリーゼさんもそうだが。

眼鏡というのは、機械がそもそも稀少技術であるように。何処にでも転がっているものではない。

色々な機械による技術を使い。

ガラスなどを磨き上げて。

それによって作り上げられるらしく。

基本的に、機械を扱っているそれなりに大きな街にならないと、生産は不可能らしいのである。

モニカ達がどうしてもっているかというと。

おばあちゃんが活躍して、都会で購入してきたからで。

それに魔術で調整を施して。

使えるようにしている、というわけだ。

貴重品なのに渡されているのは、モニカにしてもエリーゼさんにしても、キルヘン=ベルを守る上で重要な存在だからで。

目が見えなくなってきた老人などは。

魔術による支援を受けて。

視力を補強しているのが現実である。

「指輪は?」

「気が進まないわね。 勘違いされそうだもの」

「ああ、そっか」

実のところ。

モニカはもてる。

今、モニカが伴侶を持っていないのは、簡単な事で、街の守りの要だから、である。次代の自警団長という事で。家庭に入る暇も、子供を作る余裕も無い。

ただモニカはルックスが優れている上に、文武両道。

ある程度落ち着いたら、多分ホルストさんが、適当な相手と結婚するように勧めることだろう。

ただでさえ人が少ないこの時代だ。

子供が作れるなら作っておくべき。

そういう考えはある。

モニカは実のところ、それが非常に煩わしいらしく。

その手の噂があれば早々に潰すし。

疑わしい真似は一切したくない、という事だった。

「それならば、手甲は?」

「! いいかも」

モニカは剣と言っても、手を守るナックルガード付きのものを使っているのだけれども。

これは構造的な問題もあって、取り回しが色々と面倒くさい。

剣は基本的に、シンプルな構造が一番強い。

血抜きなどはあった方が良いが。

下手に構造がひねくれていると、強度が落ちるケースが多く。戦闘中で剣が役に立たなくなったら後の運命はお察しだ。

モニカは魔術も使えるが、防御、回復系統が主体の神聖魔術である。

ナックルガード付きの剣は、それだけ重くなる。

それならば。

手元の防御は装備で補って。

剣そのものは、分厚くて単純なものに変えたい、と考える心理はよく分かる。

「ただ、手甲をそのまま作る技術はあたしにはないよ」

「加工そのものはロジーにやってもらいなさい」

「プラフタ、それって良いの?」

「問題ありません。 金属に意思を持たせる事は、手甲を作った後でも構いません」

なるほど。

レシピを思いついたかもしれない。

少し不安そうにするモニカ。

あたしが、ちょっと邪悪な笑みを浮かべていたから、かも知れないが。それについてはどうでも良い。

この間から何度か試しているインゴットを引っ張り出す。

何度か作っている内に。

魔術が籠もった銀が、手甲を作れるくらいの分量は揃った。

鉄インゴットはホルストさんにその都度納入しているのだけれど。

この銀インゴットは、いざという時のために残しておいたのだ。

ただ、魔術の掛かった銀としては品質がまだまだらしく。

この間キメラビーストの巣になっていた洞窟から回収してきた鉱石も合わせて、品質を上げようと四苦八苦しているのだが。

まだプラフタには40点を貰えていない。

「少し時間が掛かると思うから、待っていてくれる?」

「ええ。 でもあの仮面は……正直何とかならないかしら」

「改良するとなると、もっと余計に時間かかるよ?」

「分かった分かりました。 それは諦めるわ」

モニカも流石に其処までは待てないと思ったのだろう。

聞き分けてくれたのは何よりだ。

いずれにしても、キルヘン=ベルの人口が増えるのは、今後期待出来る。それと同時に、自衛能力を上げる必要もある。

そのためには、あたしは色々な道具を作っていかなければならない。

少し悩んだ後。

あたしは決める。

「遠出する」

「材料採集ですか?」

「丁度フリッツさんが来てくれているでしょ。 護衛を頼んで、ちょっと遠出をして見ようかなって思ってる。 恐らく危険地帯ほど、良い鉱石が手に入るだろうし」

「無茶な事を考えますね。 フリッツの実力は私も遠くから確認しましたが、それでもドラゴンにでも出くわしたら貴方はひとたまりもありませんよ。 フリッツは生き残れるでしょうが」

それはきちんと考えている。

モニカ達が巡回している警戒地帯の、最辺縁。

北部に、ナーセリーが掘っていたらしい鉱石地帯がある。

ナーセリーに残っていたカーエン石や鉱石から考えて。

まだ良いものがある可能性は低くない。

実のところ、この世界では、鉱脈というのは枯れるという事がないらしく。大きめの鉱山が見つかると、其処を中心に何百年も街が発展し続けるものだ。そういった街が潰されるのは、邪神やドラゴンによる襲撃が主で。

資源の枯渇、というのはまず起きないらしい。

この辺については、前にホルストさんとヴァルガードさんが、非常に真面目に議論しているのを聞いた事がある。

つまり、護衛さえいれば。

ナーセリーの人達が生命線にしていたもっと良い鉱石が、手に入る可能性が低くは無いのである。

「分かりました。 ただし、くれぐれも気を付けなさい」

「大丈夫。 任せておいて」

「……」

やはり過保護だな、プラフタは。

すぐにホルストさんに声を掛けに行く。

勿論友愛のペルソナを納入した後に出かけるが。

フリッツさんを護衛として借りたいと言うと。

ホルストさんは眉をひそめた。

「別に構いませんが、彼奴は兎に角癖が強い。 もめ事を起こさないように心がけてください」

「分かっています」

これも、全ては自衛のためだ。

カフェを出ると、フリッツさんにも声を掛けに行く。

丁度エリーゼさんの本屋の側に、家を貰って住み着いているフリッツさんだが。

早速怖れられているようだった。

今も中から、不気味な笑い声がしている。

「おお、なんと君は美しい! その肌! その瞳! まるで地上に降臨した女神のようではないか!」

独り言が大きい。

子供が怖がって泣きそうになっている。

丁度此方に来ていたオスカーが。

呆れたように見ていた。

「おいらだって、植物と話すときは、もうちょっと声量落とすんだけどな」

「まあ、その辺は人それぞれだよ」

「で、あの人の力を借りるのか?」

「うん」

オスカーだって実戦経験者。

凄腕の傭兵の力を借りるというのが、何を意味するかは理解しているはずだ。

近いうちに、危険な場所に採集に向かう。

それが分かっていれば。

此方としては、不満は無かった。

 

3、死の石山

 

完全に破壊されているナーセリーは。実は、更に昔に滅ぼされた小さな街の側に作られて「いた」。

この街も、ドラゴンだかに襲われたかで滅びたようなのだけれど。

規模はキルヘン=ベルに匹敵し。

墓場や地下の構造物はまるまる残っている。

当たり前の話だが。

こういった場所は猛獣の住処だ。

更にタチが悪いことに。

夜になると霊が出る。

そして、噂に過ぎないのだが。

この近辺で、邪神を目撃した、という話があるらしい。

流石に邪神ともなると、高位の錬金術師が、凄腕の護衛達を連れて、やっと相手に出来る存在だ。

今のあたしには流石に無理。

というわけで、廃墟は迂回。

その少し北にある、廃鉱山に出向く。

今回はフリッツさんとジュリオさん。モニカとオスカー。それにコルちゃんの五人と一緒に来た。

ハロルさんは、使っている銃の性能を調整したいとかで、今回はパスされた。

コルちゃんが来ている事を。

実はフリッツさんはあまりよく見ていないらしい。

表情は飄々としているが。

コルちゃんに、あまり優しくない言葉を掛けていた。

「此処は既に人の領域じゃあ無い。 それは分かっているね」

「分かっています。 貴方ほどの武力はありませんから、身を守ることに専念するのです」

「それほどまでに、商売の材料が欲しいのかね」

「それは当然です」

コルちゃんは、怖れる様子なく言う。

モニカは冷や冷やしているようだが。

ジュリオさんが、以外に冷静に言う。

「大丈夫。 あの人は、見かけよりずっと理性的な人だよ」

コルちゃんは実際、足手まといにはなっていない。

ちょっとタフネスに問題があるが。

今回、試験として。

友愛のペルソナを背負ってきている。

なお、本人は承諾を二つ返事でしたらしい。

理由は簡単。

実戦で使えるかのモニター役として、料金を貰ったから、らしい。

ちゃっかりを通り越して、したたかである。

既に、街道を離れて半日。

岩などを利用しつつ。

周囲を常に確認しながら移動。

それにしても、こうして歩いていると。

本当に荒野が何処までも拡がっている。

日時計と影の向きから、現在の位置を確認しつつ進む。

ちょっと油断すると。

あっという間に今の場所が分からなくなる。

隠れるのに使った岩陰などには、模様を残しておくが。これは、基本的に街道からどれくらい離れているのか、どの方向にあるのかを、調べて書き記している。

もしも、誰かが迷った時。

これを見れば、街道にたどり着ける。

そういう意図もある。

もっとも、街道でさえ安全とはとても言えないのが現在なので。

あくまで自分達用、というのが重要なのだが。

フリッツさんが片手を上げる。

止まれ、という意味だ。

ジュリオさんが、さっと殿軍に回る。

どうやら、何か大きめの死骸があって。スカベンジャー達がわいわいとそれを貪っている様子だ。

「島魚だ」

フリッツさんが声を落として言う。

この辺りに川があるのか。

島魚というのは、水陸両用の凶暴な生物で、小型のものでも全長は七歩から八歩くらいはある。

その上肉食性の傾向が強く。

陸上でも活発に動き回って、酷い場合には川から半日も離れている場所にいた人間を襲うことがある。

勿論川辺では、更に戦闘力と凶暴性が増すため。

非常に危険な生物として、見かけたら駆除するのが基本だ。

今見ている死骸は、サイズからしてごく小型のようだが。

問題は、この辺りの地図があまり良く出来ていないことで。

川があるとすると。

島魚におそわれる事を警戒しなくてはならないし。

更に問題なのは。

あの島魚を殺した奴が近くにいる可能性が高い、という事だ。

しばし様子を見ていたフリッツさんだが。

判断。

「魔術で殺されている。 恐らく人間の仕業だ。 魔族かヒト族かは分からないが」

「こんなところで、島魚と一戦やらかす何て、何を考えていたのかしらね」

「植物……いないや」

「いずれにしても、この場から離れよう。 食事中のスカベンジャーを刺激して、無駄な戦闘をする事も無い」

頷くと、ちょっと迂回して北上。

其処で今日は休む事にした。

岩陰にテントを張り。

ツーマンセルで見張り。

交代をしながら、翌日を待つ。

なお、荷車に七日分の食糧は積んで来ているが。

明日中には鉱山跡を見つけてしまいたい。

何が起きるか分からないからだ。

ここに来るまでほぼ丸一日かかっている。

人間は、食事をせずに動き回れる日数がそれほど多く無い。

荷車を破損し、食糧を失った場合。

あたし達は文字通り遭難する。

 

ツーマンセルで、あたしとフリッツさんが見張りになった。

焚き火を囲み。それぞれ死角を補いながら、軽く話す。これは眠気を誘発するのを避ける為だ。

フリッツさんは、意外にもと言うべきか。

荒野では、殆ど人形のことは口にしなかった。

ジュリオさん以上に雰囲気が厳しい。

ジュリオさんは、多分あたし達を気遣ってか、笑顔を作ることが多いのに。

フリッツさんは本職だからだろう。

ずっと厳しい表情のままだった。

「ソフィーくん。 君は錬金術師という事だが、あの本、プラフタくんが師匠というのは本当かね」

「本当ですよ」

「彼女は魔物なのかね」

「いえ、元々は人間だったようです。 魂だけが本に宿っている状態だとか。 死人だと言う事は事実でしょうね」

ふむと、フリッツさんは考え込む。

フリッツさんによると。

魂がものに宿るケースは実際にあるらしい。

傭兵として各地を回っていると、不思議なものを見る。

滅ぼされた村は彼方此方で見かけるが。

恨みを残して死んで行った者が、いつまでも消えること無く霊として居座っているケースも多く。

そういう場合は、恐ろしい怪奇現象も起きるそうだ。

「だが、プラフタくんは、そういう事はしないようだね」

「いつか、人間に戻してあげたいですけれど」

「流石にそれは驚天の奇蹟だ」

「驚天の奇跡を起こすのが錬金術ですよ」

あたしは何度もそれを見てきている。

フリッツさんは、一本取られたと、苦笑いしたようだった。

それから、交代して。休む。

こういう場所で休む訓練も。

自警団でやった。

魔術を軽く展開して、虫除けにすると。

地面に横になる。

横になった方が、飛び起きるのが早い。

休み方はそれぞれだが。

休んでいる状態から、即座に反応して、戦闘態勢に入れるようにする。それは訓練されているから出来る。

夜明け近くまで眠り。

其処からまた交代して見張り。

そして陽が上がってから。

偵察にモニカとコルちゃんが出て。

すぐに戻ってきた。

「どうやらそれらしい場所が見つかったわ」

ただし。

やはり、一筋縄ではいきそうにもなかったが。

皆で鉱石を掘っていたらしい穴の周囲に展開。

穴そのものはそれほど深くない。

問題は、その中に。

明らかに獣の気配がある、という事だ。

眠っているようだが。

気配はしっかりしているし。

此方に気付いている可能性は決して低くないだろう。

各地には、名前を与えられている、要注意の猛獣が存在する。いわゆるネームドと呼ばれる連中で。

猛獣の中でも、特に大きな被害を周囲に与えていたり。

危険な性格をしていて、人間の味を覚えていたりするケースがこれに該当する。

ネームドの戦闘力は、通常の猛獣とは比較にならない事が多く。

ドラゴンスレイヤーでも遅れを取るような奴もいるそうだ。

キルヘン=ベル周辺でも、猛獣では無いがノーライフキングなどはアンタッチャブル扱いされているし。

場合によっては国が軍を出して討伐する。

そういったネームドでないと良いのだが。

フリッツさんが、ハンドサイン。

一度距離を取れ、と指示してきた。

ジュリオさんも同感のようだ。

一旦離れた後。

あたしはレヘルンを取り出す。

「これでパンと行きます?」

「それが噂の氷結爆弾か。 先手を取れるのは良いが、獣の正体と戦闘力が分からない以上、まだ使用は控えた方が良い。 上位のネームドになると、特定の強力な魔術を使いこなし、四大属性を無効化するケースがある」

「ひえ」

素直に感心した。

其処まで出来る猛獣がいるのか。

フリッツさんは、待っていろとハンドサインを出すと。

コルちゃんを手招きし。

二人で入る。

多分だが、いざという時には、コルちゃんを逃がすのが目的だろう。

そして此方に情報を伝えさせると。

更に言うと。

相手はとっくにこっちに気付いている可能性が高い。

敢えてコルちゃんを連れて行くのも。

お見通しだよと、相手に示すためなのだろう。

ジュリオさんが剣に手を掛けている。

モニカもだ。

オスカーは、荷車に手を掛けていた。

これは、最悪の場合に、逃げる事ためだ。

フリッツさんを殿軍にすれば、多分よほどのとんでもない相手で無い限りは、逃げ切る事も出来るだろう。

あたしは、いつでもレヘルンを放り込めるように準備をしたまま、洞窟の入り口に張り付く。

間もなく。

すっと、音もなく。

コルちゃんが出てきた。

「十拍後に、レヘルンを」

「はーい」

心臓の鼓動十拍分。

カウントすると。

飛び出してきたフリッツさんの姿を見届けつつ、レヘルンを放り込む。

全力で跳び離れ、モニカと一緒に防御魔術全力で展開。

レヘルンが炸裂。

洞窟から飛び出してこようとしていた、大型のキメラビーストの恐らく亜種だろう獣を。

一撃で、洞窟の入り口の彫像としていた。

あれの直撃を食らったのだ。

ひとたまりもない。

強烈な冷気が、ごっと音を立て周囲にまき散らされる。

まあ、こうなったら、毛皮とかは使いものにならないか。

あたしは無造作に近寄ると。

杖の一撃で、洞窟の主を気取っていた獣を、粉々に粉砕していた。

頭だけは持って帰る。

かちんこちんに凍っていたが。まあキルヘン=ベルに到着する頃には、丁度良いあんばいに解凍されているだろう。

モニカが汗を拭う。

フリッツさんは、多分何かの錬金術の道具らしいもので。

冷気を防いだようだった。

「流石に凄まじいな。 大都市になると錬金術の爆弾も売っているが、魔術ではこれには対抗できん」

「まだプラフタには40点代しか貰った事がありません。 あたしはひよっこですよ」

「それでも、だ。 ……これでそんな評価をつけるとは、プラフタくんは本当に凄い錬金術師だったのだろうな」

奥にはもう気配はないと言う。

バラバラになった凶暴な獣の死骸を避けながら。

凍り付きそうなほどに冷え込んでいる洞窟に入る。

奥の方。

つるはしなどの朽ち果てた残骸がある。

やはり此処で掘っていたのだ。

そして人間が来なくなって。

此奴が住み着いたのだろう。

手分けして、辺りを掘り返す。

あたしは、プラフタに言われた事を思い出しながら。

雑音が強く聞こえる方を探してみる。

鉱石らしいのを見つけたので、耳を近づける。

雑音は弱めだ。

これは駄目だな。

次。

ちょっと壁を掘り返してみる。

発破は流石に使えないが、少し掘るくらいなら大丈夫だろう。奥の方から、雑音が強い鉱石を発見。

かなり大きいが。

オスカーに手伝って貰って引っ張り出す。

洞窟の温度が少しずつ上がって来た。

潮時だろう。

同じように、雑音が強めの鉱石を幾つか拾う。カーエン石もあった。集めておく。ただ、ハクレイ石はなかった。

「引き上げるよー」

皆に声を掛ける。

さて、ここからが気を付けなければ行けないところだ。

戦利品を抱えて引き上げるときが、一番気が緩みやすいのである。

ましてや今回は、この間以上に荷車ぎっしり。

戦闘の要になるジュリオさんとフリッツさんは手が空いている方が良い。あたしとオスカーで荷車を動かす。

さんさんと太陽が照りつける中。

徐々に解凍されてきた獣の首が。

ぎざぎざの凄惨な切り口から。

血を滴らせ始めていた。

口の方は油紙で塞ぎ。

傷口の方は、荷車の中にある桶に向けてあるので。血を追って獣が来る事はないだろうが。

氷が溶けてくると。

此奴がキメラビーストの亜種で。

それ故に大きい事がよく分かってきた。

「此奴はファングだな」

フリッツさんがいう。

キメラビーストには危険な亜種が複数いるが。

その一つらしい。

手練れの傭兵団が本来は相手をする獣で。

ひよっこの集団だと、襲われてそのまま壊滅するケースもあるそうだ。

まあ今回は不意を撃てたので、一瞬で殺せたが。

そうでなければ、此方に死者が出ていただろう。

良かった。

なお、コルちゃんだが。歩きながら言う。

「実は、背中に一撃貰ったのです」

「どうして言わないの!?」

「仮面が守ってくれたのです」

そういえば。

友愛のペルソナが、ずっと怒り顔になっている。

そうか、此奴。

寝たふりをして気を伺い。

そして与しやすそうで、なおかつ美味しそうなコルちゃんを、背後から奇襲した、というわけだ。

まあ獣らしい思考回路である。実際ホムは、この手の獣には美味しそうに見えるらしく、襲撃を受けることも多いそうだ。ホムは商人をしている事も多いので、その場合は荒野を行くとき護衛の傭兵も警戒に必死だろう。

モニカが問診しているが。

コルちゃんは至って平気だそうだ。

「この魔術防御は凄いですね。 私だけだったら、きっと死んでいたと思います」

「私も一瞬ひやっとさせられたよ。 と、どうやら客のようだな」

空を舞う影。

明らかに此方を狙っている。

アードラだ。かなり大きい。

まあいい。アレも、分解すればそれなりに良いお金になる。それに恐らくアレは、きっと此方にずっと気付いて、帰路につくのを待っていたのだろう。弱ってから仕留めに掛かるというわけだ。

返り討ちにしてくれる。

勿論コルちゃんを狙って急降下してくる翠の巨体。

あたしはフラムを掴むと、下手投げで放り投げた。

爆裂。

空中での爆発は、翼に対して致命的なダメージを与える。

アードラの場合、魔力も使って飛んでいるようだが、それでも顔面の至近距離でフラムが炸裂したら、どうにもならない。

翼がへし折れたのが見えたが。

流石に大物。

それでも体勢を立て直して、爪にコルちゃんを引っかけようと、迫ってくる。

瞬時に動いたのは、ジュリオさんとフリッツさん。

二人が残像を作って動き。

アードラを左右から斬りつけた。

鮮血が派手にぶちまけられる中、それでもかっさらって飛んでいこうと、まだ突っ込んでくる。

若い個体だな。

狡猾なようで頭が悪い。

モニカが壁を展開。

真正面から激突したアードラは、凄まじい形相に見えるほど、顔をグチャグチャに潰され。

更にその時には頭上に跳び上がっていたオスカーのスコップが。

脳天をたたき割っていた。

とどめは。

刺すまでもないか。

いずれにしても、その場で解体。時間はあるし、休憩も兼ねて、休みながら燻製にする。解体の手際が良いのを見て。

フリッツさんは、褒めてくれた。

「おお、手慣れているな」

「有難うございます。 コルちゃんとフリッツさんに、一番良い場所をあげますね」

「どうしてです?」

「さっきのキメラビースト亜種はそもそも美味しくないし、何より二人が一番危ない仕事をしたでしょ。 コルちゃんとフリッツさんには、美味しい部分を食べる権利があるんだよ」

そういうものなのか。

コルちゃんは小首をかしげていたが。

燻製肉を見ると、商魂が働いたらしい。

この場で食べる分は良いとして。

キルヘン=ベルで売れないか、というのである。

いいんじゃないのだろうか。

ただ、荷車はもう満杯である。

骨なども手際よく砕いているモニカと相談。少し考えた後、あたしは決める。

「それならば、ジュリオさん、頼めますか。 袋を一つおろしますので、それに換金できそうな燻製と、骨、後は羽ですね。 詰めます。 帰り道にまた運んで貰えないでしょうか」

「いいよ。 ただし戦力は落ちるから、気を付けて欲しい」

「その辺りはフォローしますよ」

コルちゃんが嬉しそうに頷く。

商魂たくましいと言っても。

まだあたしより年下という事か。

それから、黙々淡々と帰路につく。

なんだかんだで、結構危ない場面もあった。

だが、それでも。

ベテランの護衛と。

錬金術の火力があわされば。

何ら怖れる事は無い。

そう判断するのは、間違いではなかった。

 

4、鉄拳

 

アトリエに戻った後。

回収してきた素材をコンテナに入れる。ジュリオさんは荷物を運んでくれただけで充分と判断して、手伝いはモニカとオスカーにやってもらった。なお、ジュリオさんはコルちゃんに頼まれて、荷物を何処かに持っていったようだった。後で袋だけ返してくれればそれでいい。

コンテナに荷物を入れて行くのをみて。

プラフタがごく当たり前の事をいう。

「そろそろ荷車の強化を考えますか?」

「お、いいね。 プラフタ、やっぱり前言っていたような、勝手に動く荷車にするの?」

「それもいいでしょうが、容積が足りていません。 二回りほど大きくした方が、今後は取り回しが良くなるでしょう」

幸いにも素材であれば。

有り余っている。

モニカは呆れていた。

「勝手に動く荷車? 錬金術はもう何でもありなのね」

「そうか? 魔術見てると、それくらいは出来そうな気がするけれどなあ」

オスカーは魔術が使えない。

適正が無いのだ。

錬金術同様、魔術も適正がものをいう技術だ。適正がないととことんものにならない。もっとも、魔族はどんなに適正が無くても、人間の平均以上には魔術を使えるらしいのだけれども。元々魔術をこの世界に持ち込んだのは魔族らしいので、これは仕方が無いとも言えるか。

その一方でオスカーは植物に対する豊富な識見を持ち、更に太ってはいるが非常に身軽に動き回れる。

この身体能力は大きな武器になる。

八百屋での仕事を見ていても、腕力は非常に強い事が分かるくらいで。事実野菜が満載された箱を運ぶのを、なんら苦にしていない。スコップで獣の頭を軽々かち割るわけである。

モニカに比べてオスカーが弱いかと聞けば。

キルヘン=ベルの自警団は、皆が悩む。

そういうレベルだ。

ただ、使えないものに詳しくないのは、仕方が無い所ではある。

「魔術でも似たような事は出来るけれど、錬金術ほど万能じゃあないわ。 もし出来るんなら、とっくにソフィーがやっているわよ」

「そうなのか?」

「モニカが使う神聖魔術と違って、あたしの使う魔術の方がどちらかと言えばそういうのには適しているね。 でも全自動荷車なんて代物は、多分あたしの力量じゃとてもじゃないけれど無理で、ヴァルガードさんレベルでも、作れはしてもメンテナンスに凄く手間を喰うはずだよ」

「そっか。 魔術も色々制約が多いんだな」

オスカーが言うには。

利用すれば、八百屋での作業が楽にならないか、というのである。

まあ気持ちは分からないでも無い。

八百屋の名物女将(※オスカーのお母さん)はまだまだ若々しいが。

それでも、彼女は子持ちで、四十路近いのである。

どうしてもガタが来始める年齢で。

仕事をさぼっているように見えるオスカーでも、力仕事をさぼることは無いし。それに関して相談されたこともある。

いずれにしても納品は終了。

二人は戻っていった。

鉱石をプラフタと確認。

かなり品質が良いようで、プラフタは喜んでいた。

「これはかなり良い銀が取れますね。 コルネリアの所で複製して貰うと良いでしょう」

「やっぱり、ナーセリーが滅びたのは痛いね。 あたしの代には復興させたい」

「私の時代にも、理不尽に滅ぼされる集落はたくさんありました。 ですがソフィー、貴方なら、きっと成し遂げられるはずですよ」

そうか。

それは良かった。

他にも良さそうなのが幾つかあったので、用途ごとに分類。増やしておいた方が良さそうなものを、コルちゃんの所に持ち込む。

その後は、手間暇掛けてインゴット造りだ。

そして、新しいレシピを作る。

二つほど、試してみたいものがあるのだ。

 

また、ホルストさん達を集めてお披露目回を行う。

今回は二つ同時である。

ホルストさん達は、喜んでいた。

この間、友愛のペルソナの納品が終わったのだが。自警団員全員に行き渡る数が準備できたのと。

コルちゃんがキメラビースト亜種の攻撃でほぼ無傷に済んだ頑強さが、自警団での検証でも実証され。

コレは使えると、非常に皆が喜んでいたところだ。

あたしが更に二つの品を投入となれば。

喜ぶのも無理は無いだろう。

今まで、成功例ばかりではなかった。

というか、プラフタに言われながら四苦八苦して。

どの道具も、実用に至るまでには、随分苦労したのだ。

実は今回の道具は。

どちらも滅茶苦茶に苦労した。

理由としては。

あたしがどちらかと言えば繊細な細工やら編み物やらについては、あまり得意ではない事が上げられる。

レシピを書けても。

実際に作れるかは話が別なのである。

まずはミトン状の手袋。

モニカはナックルガード付きの剣を使っているが。

言う間でも無くナックルガードはかさばるし、鞘の部分で邪魔になる。剣を腰に付けている時に、色々と不具合も生じる。

剣そのものも、重心が低くなるため。

使いづらくなる。

モニカも最初は手甲、いわゆるガントレットをつけて剣を振るっていたのだが。

彼女のパワーだと、ヨロイを着て、更にガントレットもつけて剣を振ると、重量でどうしても持ち味の早さを生かせなくなる。

元々彼女が神聖魔術に凝ったのは、その辺りのジレンマをどうにかしようとしたためで。

結果として、今の重装甲の騎士も舌を巻く頑強さが作り出されたのだが。

頑強だと遅くなる、というのでは。

高位の魔術を使う腕利きの匪賊や、強力なネームドの猛獣が相手になると、どうしても分が悪い。

堅くて早ければ最強である。

当たり前の話だ。

そこで、あたしは。

友愛のペルソナと同じ仕組みで。

手袋を作った。

手袋に意思を持たせるためには、手袋に顔を描かなければならないわけで。

これが大変だった。

木彫りの仮面に顔を描くのとは訳が違うのである。

編み物なんて殆どやった事がないあたしが。

自然界で取れる糸の一つとして知られる、大型の蜘蛛の糸をより合わせたものを購入し。

編み物が得意なお婆さんに教わりながら。

図面通りあみあみするのに、本当にもう二度とやりたくないほど手間が掛かってしまった。

糸を染料で染めるのは簡単だったのだけれど。

そういうわけで、実物を作り上げるのは、本当に大変で。

更にニスを使うわけにも行かず。

染料をどうやって糸に固定するか四苦八苦したあげく。

プラフタのアドバイスを受けて、染料を糸そのものに馴染ませ。

糸の色を変える事で、どうにか解決した。

これらの苦労は、結局二週間ほどの間に解決はしたのだが。

その間ずっと集中していたため。

殆ど眠れなかった。

時々プラフタに言われて無理矢理風呂に入れさせられたり。

見に来たモニカが絶句して、慌てて食事を口に突っ込まれたりとかしたが。

プラフタとモニカが、研究が手間取っているときは定期的に見に来た方が良いと言う意見で一致し。

難しいレシピを考えるときは事前に連絡するようにと、モニカにがみがみ言われて、ちょっと閉口してしまった。

ともあれ、である。

完成品として、指先が出るこのミトン状の手袋が出来た。

マイスターミトンとでも名付けるか。

モニカはさっそくつけてみて。

剣を握る。

羽のような軽さに加えて。

生半可な手甲を遙かに凌ぐ頑強さを併せ持つ。

モニカは大いに満足したようで。

普段使っているナックルガード付きの、刃が細い剣では無くて。

分厚い重い剣を試して。

いつもと同じ速度で軽々振り回していた。

試験だから、強度も試す必要がある。

魔術を解除した後、獣人族の戦士であるタレントさんが来る。

彼女も剣を使う。

弓矢も使えるのだが、剣の方が性に合うそうだ。

なお、使うのは、ヒト族では扱いが難しいバスタードソードである。

腕力がヒト族より遙かに優れている獣人族は、女性でも重量武器を軽々と振り回せるものなのだ。

何度か軽くぶつけたあと。

気合いと共に、踏み込んでの一撃。

モニカは手甲で弾く様子で、訓練用とはいえ、バスタードソードの一撃を防いで見せる。

おおと声が上がった。

すぐにミトンを外して、状態を確認。

モニカの手は、綺麗なままだ。

打撲による内出血などもない。

モニカはまたミトンを付けると、剣を振るってみせる。剣捌きには、何ら問題が見受けられなかった。

「これはいいな。 良いガントレットになると凄まじい高値がつくし何より重いんだが、これを支給して貰えるなら言う事がない」

何人かのヒト族の戦士が言う。

重装備というのは、それだけ安全性を保障するが。相手が大型の獣の場合、プレートメイルなんて役にも立たないケースがある。

しかしながら、軽鎧だと、それこそ擦っただけで死ぬ、というような場合もある訳で。

装備の重量というものは、ジレンマを産む。

軽くて強い。

それが最強なのは、当然の話だ。

勿論このミトンは、あらゆる攻撃を防げる、というほどの性能は無いが。それでも、重くて剣捌きに影響が出てくるガントレットをつけるよりも。

軽くて頑強なこのミトンが、如何に優位かは、言う間でも無い。

ただ、不気味な顔が手袋に描かれているのは何とかならないかと言われたが。こればかりは心外である。

不気味では無いからだ。

ホルストさんが拍手してくれる。

「大変だったでしょう、コレを作るのは。 納品は出来ますか?」

「完成までは苦労しましたが、今はもうノウハウは確保できています」

「よろしい。 では、友愛のペルソナと同数、自警団員全員に行き渡る数を納品願います」

「……分かりました」

分かってはいた。そう言われることは。

あの編み物の苦労を考えると、ちょっとげんなりしたが。

幸い、この糸は、非常に伸縮性が優れている。

何人かいる魔族は流石にサイズを変えなければならないが。

それでも、それほど工夫は必要ないだろう。

続けて、もう一つ。

銀を主体にしたインゴットを加工して貰ったガントレットだ。

これは多少重いのだが。

それを覆せるほどの利点がある。

コルちゃんが、手甲を装備して、少し体を動かしてみる。

兎に角身軽なコルちゃんだが。

動きは阻害されていない。

ホルストさんに、様子を確認されて、答えるコルちゃん。

「軽いのです」

「でも手は自在に動かせないでしょう」

「そうですね、ものを持ったりは出来そうに無いのです」

その通り。

だが、コルちゃんは武器を振り回すタイプの戦士では無い。

これは戦闘時に。

グーに握っていれば、それでいいものなのだ。

仕込み手甲、とでもいうべきか。

コルちゃんがすばしっこく動き回る上に、身のこなしも優れている事は、既にキルヘン=ベルでも知られている。

だが、此処からだ。

丁度良い石材を準備して貰う。

それに向かって、コルちゃんは加速。

拳を叩き込む。

同時に、拳の上下から熱が放出され。

石材が粉砕される。

強烈な破砕音が。

周囲に響き渡った。

喚声が上がる。

「おお!」

「素晴らしい破壊力だ!」

誰よりも吃驚した様子のコルちゃんが、ぽかんとしたまま、へたり込んでいる中。

壊れた石材を、皆で大喜びでなで回している光景が、色々とほほえましい。

あたしとしても。

大満足である。

仕込み手甲と言っても、別に武器だの何だのを仕込んでいるわけでは無い。

通常時、マナを周囲から吸収。

攻撃時、マナを圧縮。

熱変換して、エネルギーに変化させ。

それをぶつけているのだ。

銀はこの手の魔術とは相性が良く。

錬金術で、銀インゴットを、魔術を吸収しやすいように変化させ。

後はロジーさんに渡して、手甲にしてもらった。

勿論普通の銀だと強度に問題があるしすぐ錆びるので、錬金術で変質させてあり。なおかつ錬金術で変質させた鉄でコーティングし、錆びないようにもしてある。

「コルちゃん、手に衝撃は?」

「だ、だだ、大丈夫なのです。 この恐ろしい破壊は、本当に私が、やったのです?」

完全に目を回しているコルちゃんである。

実に可愛い。

モニカが手甲を外すと、ちっちゃいコルちゃんの手を確認。骨が折れている事も無いし、勿論傷も無い。

というか、あの拳の一撃。

素人丸出しだったのに。

この火力である。

そして腕に負担も掛かっていない。

「衝撃は熱に変換して上下に逃がすからね。 敵に押さえ込まれているような状況で使ったら丸焼きになっちゃうから気を付けてね。 後、マナを吸収するのに時間が掛かるから、基本一回の戦闘に一度しかつかえないよ。 今後は改良を考えているけれど。 火力を出す時には、此処が青くなっている時じゃないと駄目だよ。 マナが足りていないからね」

「……」

コルちゃんは青ざめて手甲を見ていたが。

しかし、これがあれば、自衛力が身につくと、ある程度割り切ったのだろう。頬を叩くと、自分用のを受け取って戻っていった。

ロジーさんも見に来ていたが。

やはりあの草食。

女より仕事が好きなのだ。

成し遂げた男の顔をして、手甲の破壊跡を見ていた。

まあロジーさんが加工してくれなければ、この手甲は作れなかったので。半分はロジーさんの功績であるのは確かだが。

「コレも素晴らしい。 経験の浅い戦士が、格上の相手に痛打を浴びせられる」

「だが、それほどの数はいらないな。 そもそも手甲で戦う戦士があまり多く無い」

ヴァルガードさんが見たのはテスさんだ。

彼女も少し眠そうにはしていたが。

此処に来ていた。

まあキルヘン=ベル恒例のお披露目会になっているので、手が空いている場合は出るのも仕方が無いか。

「CQC専門のテス用に作ってくれるか。 そのほかにも二セット。 これは後々、格闘戦をする戦士が出てきた時のために、ストックしておくためだ」

「分かりました」

「ホルスト、もう少し実験したいがいいか?」

「構いませんよ」

その場では、解散。

大体ヴァルガードさんの意図は分かったので、あたしは一度アトリエに戻り。予備に作っておいた手甲をコンテナから出すと。しばらく時間をおいて、夕方少し前に実験場に戻ってくる。

ヴァルガードさんは、モニカと一緒に待っていた。

「モニカ」

「はい」

モニカが、神聖魔術で防壁を展開する。

仕込み手甲はサイズをある程度調整可能なので、あたしにも使える。試作品はコルちゃんにプレゼントするつもりで最初から作っていたのだが。自分でも実験できないようなものを、他人にいきなり使わせるわけにはいかない。

当然散々岩だの何だのをぶん殴って、破壊力を確認してからお披露目会に出したのである。

防壁は敢えて斜めにしている。

意図は理解出来た。

だが、対策済みだ。

突貫。

仕込み手甲で、斜めにしている壁を殴る。

熱量が上下に放出されるが。

それは綺麗に流れて消える。

熱量を、相応に工夫して逃しているため。

自分に返ってこないようにしているのだ。

「なるほど、斜めに攻撃を防ぐのは基本だが、対策済みか」

「はい。 これでもあたしも実戦経験者なので」

「凄い火力ね……」

モニカが壁を解除。

魔術で作った鉄壁には。

ひびが入っていた。

コルちゃんの腕力だと無理だっただろうけれど。

あたしが使えばこの通りだ。

ちなみに熱量は、手甲が判断して、分散して放出するようにしている。こうすることで、敵の動きを見ながら、手甲が危険ではないよう熱量の放出角度を調整してくれるのである。

「確か機械にパイルバンカーというものがあるそうだが、それに近い発想だな」

「そんなものがあるんですか」

「大きな都市だと、機械技術者が多いからな。 昔から過酷なこの世界だ。 どうにか乗り切ろうと、皆工夫している、という事だ」

ヴァルガードさんはいう。

これはいい装備だが。

まだ機械で実現できる範囲だと。

そして機械では。

この荒野の世界を、救う事が出来ない。少なくとも、今まで出来る目処は立っていない。

魔術でも同じ。魔族の中にも、この荒野の世界を救おうとしている者は多いらしい。だが、どうにもならないのが現状なのだ。

だからこそ、頑張って欲しいと。

神の御技を再現できる錬金術師であるあたしに。

「頼むぞ、ソフィー」

「はい」

アトリエに戻る。

プラフタも試験は見ていたが。いち早く戻って、お婆ちゃんのレシピを読んでいたのだ。彼女はあたしに気付くと。

さっそく、思いついたレシピを書くように頼んでくる。

記憶を戻したい。

その欲求も、かなり強くなってきている、という事なのだろう。

レシピを書き込む。

しばしして、プラフタは言う。

「……どうやら私は、最貧民として、比翼の友とも言えるものと、幼い頃はずっと彷徨っていたようです。 たまたま手に入れた錬金術の本が無ければ、きっとのたれ死んでいたでしょう」

「今でも改善していないね、この世界」

「ええ。 しかし情勢は当時より明らかに落ち着いています。 二大国による統治は、当時では考えられませんでした。 あの頃は、匪賊そのもの、周囲からの略奪で生計を立てている国家も存在していましたから」

それは酷い。

とはいっても、ドラゴンや邪神が襲撃してきた場合、そんな国家を助けようという国などないだろう。

それにしても、だ。

ここ数百年、二大国が安定して統治をしていると聞いている。

それでもどうにもならないほど世界情勢が酷いのだが。

しかし、どうも妙だ。

プラフタは恐らく500年ほど前から来た、という事だが。

それ以降、どうしてこうも政治情勢ばかり安定している。

ドラゴンや邪神に対する対応も早くなっている様子だと、プラフタは言っていたが。

混沌だけが続いていたら、そうなっていただろうか。

作為的な何かを感じる。

いずれにしても、今は出来る事をやるだけだ。

キルヘン=ベル発展の噂は流れているらしく、またこの間十五人ほど住人が増えた。このまま行けば、今年中にはお婆ちゃんがいた頃の最盛期に匹敵するほど人が増える、という事である。

その後は、ナーセリーの復興を本格的に視野に入れ。

その時には、あたしも錬金術の腕前を、もっと上げていないと話にならないだろう。

「さあ、もっと勉強を進めていきましょう。 時間が流れるのは、想像以上に早いですよ」

今回の新しいレシピも、プラフタから40点しか貰えなかった。

まだまだ先は遠い。

あたしは頷くと。

座学をするべく。プラフタの前に座った。

 

(続)