声が聞こえる

 

序、苦痛の日々

 

笑顔を作るのに苦労した。本当に大変だった。そもそもあたしにとって、笑顔というのは最初理解出来ないものだった。

此処はキルヘン=ベル。

辺境の小さな街だ。

そしてあたしはソフィー=ノイエンミュラー。錬金術師の素質を持つだけのヒト族だ。

この過酷な世界にぽつんと存在している小さな街。人口もそれほど多く無い。用心棒をしてくれている魔族も獣人族もヒト族も、合計して十人を超えない。ホムに至っては噂でしか聞いたことが無い。

街の中央には、仕事をしていないのでは無いかと言う噂がある創造神の教会があって。優しいパメラさんといういつまで経っても老けない不思議なヒトが、シスターを務めている。

彼女には色々恩があるから今でも頭が上がらない。

街の中には夜には酒場になるカフェや。多くの施設が建ち並ぶ通りが一つだけ。

他はどれもあまり豊かとは言えない家が建ち並んでいて。

その端っこに。

あたしの家がある。

一人暮らしだけれど。

これでも生活は出来ている。

おばあちゃんが偉大だったからだ。

この街の守護神と呼ばれた錬金術師で。ドラゴンを退けたり、匪賊を退けたり。多くの活躍の結果、名前を残しているという。あたしが小さな時に死んでしまって、それからはパメラさんを一とする親切な人達に助けて貰って、何とか自立できる年まで成長する事が出来た。

知っている。

街の外は地獄だ。

これでも何百年前かに比べると安定したらしいけれど。街道にも獣やドラゴン、それに匪賊が出る。

この街は、これでもまだマシな方で。

本当に小さな村になってくると。

ろくに食べるものもなくて、住んでいる人達はガリガリにやせこけてしまっているらしい。

錬金術師がいる街はいい。

自衛力があるし、薬も自前で作れる。

逆に言うと。

おばあちゃんが錬金術の素質があると言ってくれたあたしだからこそ。

この街の皆は、助けてくれた。

それだけだ。

そうでなければ、今頃この家も取りあげられてしまっていたかも知れない。

人前では笑顔を浮かべる。

これも大変だ。

昔から。

幼い頃から。

ずっと耳鳴りのように何か聞こえ続けている。

それは時に囁くようだったり。

或いは怒鳴るようだったり。

悲鳴だったり。

何が何だか、よく分からない。

はっきりしているのは。

ろくでなしとして知られた父が、その話をした瞬間、豹変したことだ。それまでは、まだ初の娘と言うこともあって(ちなみに母親は行きずりの娼婦らしい)、クズなりに笑顔も見せてくれていた父だが。

おばあちゃんの所からあたしをさらい。

そして仲間の匪賊の所に行くと。

母を手始めになぶり殺しにし。

あたしにもありとあらゆる暴虐を加え始めた。

殴る蹴るを容赦なく加えられたあたしは、泣くことも出来ず、朦朧とする意識の中で、ただ胃液を吐き戻すことしか出来なかった。

おばあちゃんが助けに来るまで。それが続いた。

あたしはじっと身を丸めて。

いつ飛んでくるか分からない暴力と。

奴隷として売り飛ばそうと相談する匪賊。それに対して、此奴を徹底的に苦しめて殺す方法だけを知りたいと唾を飛ばして叫び、時々死なない程度にあたしを痛めつけに来た父親から。

必死に身を守るしか無かった。

父親は錬金術師としての素質が無かった。

故に、あたしが錬金術師としての素質を持って生まれ。

挙げ句の果てに、その中でも特にレアらしい「ものの声を聞く」力を持って生まれたと聞くや。

その殺意と鬱憤を全開にしてぶつけたのだ。

父親は。彼奴は。

錬金術の素質が無い事で、街の人達に白い目で見られ続け。非行に走った。

だが理由があろうとなかろうとやって良い事と悪い事がある。

おばあちゃんもそれで流石に愛想が尽きたらしい。

今まではどんなに素行不良であっても、息子であったから、何処か甘く接していたらしいのだが。

流石にこの行動はあまりにも目に余りすぎた。

何よりおばあちゃんはキルヘン=ベルの顔役。

自分の息子の悪行の責任は。

自分で取らなければならなかった。

そうなると、おばあちゃんは強かった。

何しろ近隣に名を轟かせていた錬金術師。キルヘン=ベルのような辺境が、此処まで大きくなったのも、おばあちゃんの力が大きかったのだ。

匪賊を皆殺しにし。

そして父の両腕を切りおとすと。

あたしを助けて、キルヘン=ベルに戻り。

其処で法に従って、父を処刑させた。

父は最も重い刑罰で、数日間を掛けて苦しみの限りを与えて殺されたらしいけれど。

これは匪賊に協力するわ、街の子供(あたしの事)を誘拐して暴行を加えるわ、更に匪賊と一緒に商人の隊列に畜生働きをするわの言い逃れようが無い悪事をしたからで。

それまで庇っていたおばあちゃんでさえも。

父を許すことは無かったそうだ。

結局、そういうわけで。

数年前に死んだおばあちゃんのお墓には。

おばあちゃんとおじいちゃんしか入っていない。

おじいちゃんはずっと昔に死んだので、そもそも知らない。

だから、今日も。

あたしは、造りものの笑顔を浮かべて。

耳鳴りのように聞こえる得体が知れない声に苦しみながら。

街外れの森に行く。

お墓参りのためだ。

おばあちゃんはあたしを助けてくれた。

おばあちゃんのおかげであたしは街の人達に良くして貰い、孤児同然なのに此処まで育つ事が出来た。

でも、どうしてだろう。

時々、すごく暗い感情がわき上がってくる。

どうして素質が無ければ錬金術を使う事が出来ないのか。

この世界を作った神様は。

何故そんな不公平なことをしたのだろう。

パメラさんには良くして貰っているけれど。それでもどうしても教会に行く足が鈍るのは。

神様への疑問が大きいから。

教会で飾られている神様の像はとても綺麗。

主神教と呼ばれる信仰を管理している教会の主。この街にいるのは「司祭」という階級らしいけれど。

その司祭さんは親切な人だ。

だがそれとこれとは別で。

あたしの中では。どうしてもあの神様への疑念と。

この不公平な世界。

何よりずっと続いているこの耳鳴りのような声が。

どこかで。

どうしようもなく。

引き裂いてやりたいほど。

不愉快だった。

森に入ると、薄暗い中。更に声が強くなる。幽霊が出るという噂もあるこの森の奥に、おばあちゃんのお墓がある。

毎日は足を運べないけれど。

あたしが足を運ばなくても。今でも人望があついおばあちゃんのお墓は。誰かが手入れしてくれている。

少し髪の毛の寝癖を直す。

このくせっ毛は、おばあちゃん譲りらしく。

あの父親の血を継がなくて良かった、と思うばかりだ。

一方で目元は父親に似ているらしく。

あたしは鏡を見るのがあまり好きじゃ無い。

小さいけれど。

心のこもったお墓。

周囲をお掃除して。

そして手を合わせる。

神様に祈るのでは無く。

おばあちゃんに何があったかを軽く報告する。元気にやっている事だけでも告げれば、それでおばあちゃんは喜んでくれるだろう。その筈だ。

別方向の街はずれにある無縁墓地には足を運ばない。

彼処には、最終的にバラバラにされたあの父親の死体が埋まっている。

あんな所に行くくらいなら。

それこそ、舌でも噛み切った方がマシだ。

森を出ると。

モニカがいた。

あたしの親友の一人。

すらっと背が高い彼女は、勉強のしすぎて目を悪くしてしまっているけれど。文武両道で眉目秀麗。絵に描いたような優等生だ。

教会が推薦しているいわゆる「神聖系統」と呼ばれる魔術も使いこなす。あたしも魔術を使えるけれど。あたしのは単純に強力な魔力をそのまま敵に叩き付けるダイナミックな「物理系統」と呼ばれるものだ。モニカは神聖系統の魔術を学ばないかと何度か誘ってきたけれど。

気が進まないから、話には今まで乗っていない。

モニカは剣術も優れていて。

現に魔族や獣人族の用心棒に混ざって、街の自警団に所属している。周辺の匪賊にも名前は知られているらしく、戦闘時の凄まじい剣捌きから、「瞬き殺し」と呼ばれているそうだ。

その二つ名の通り。

顔の上半分を瞬く間に切りおとされた匪賊は、五人や六人ではないらしい。

「ソフィー、またおばあさまのお墓に行っていたの?」

「うん。 何とかやっている事は伝えたかったから」

「そう。 でも、教会には顔を出さないの?」

「それは勘弁。 気が向いたら行くよ」

帰り道を一緒に歩く。

モニカは背が高いし、髪も長い。

髪を伸ばしているという事は、戦闘に自信があると言うことで。長いクリーム色の髪が邪魔になって彼女が敵に遅れを取ったことは一度もない。

装備も軽装だが。

彼女は得意の魔術で防備を強化していて。

生半可な投石くらい、そのままはじき返してしまう。

強い戦士になると、ヒト族でも魔族でもそれは同じ。

ヒト族のモニカでも、魔族の強い戦士と互角以上に渡り合うが。

この世界では、種族における強さはあくまで参考程度に過ぎず。

本来は弱いとされているホムの中にも、伝説に残るような戦士がいる反面。戦闘が苦手な魔族もいるし。力が弱い獣人族もいる。

「神様はいつも皆を見守ってくれているのよ。 貴方も少しは感謝しないと」

「その意見は平行線だなあ」

「……そうね。 強制はしないわ」

「うん」

この件は二人の間では結論が出ない。

あたしはモニカと何度も口論して。喧嘩になったこともある。

その度に仲直りして。

今ではどちらも強制しない、という事で意見が一致していた。

モニカは、この世界が明らかに不平等で荒廃しているのは、皆の努力が足りていないからで、神様に何もかも頼るべきでは無いと言う。

だがあたしから言わせれば。

生まれたときから素質だの何だのに左右され。

それで人生が決まってしまう世界に。

何の平等があるのだと言いたい。

神様が見守っているのなら。

荒野を彷徨い、何一つ報われず餓死した子供に何をしていたのか、聞きただしてやりたい。

あのとき、あいつが、父親があたしを思う存分痛めつけ、どうやって処分するか話しあっていたときに。

なんで鉄槌を下さなかったのか問い詰めてやりたい。

だが、それで何度も喧嘩になったから、もうモニカとその話はしない。

それだけだ。

通りに出ると。

幼なじみのもう一人。オスカーがいた。

まるまると太った青年で、植物に対する愛情を常に公言している変わり者だ。少し目つきが鋭すぎるが、気の良い青年で。ちょっと太りすぎている事さえ除けば、好感を持てる人物である。

手を振って近づいてくるオスカー。

太っているが。

身はかなり軽い。

このため、風船と陰口をたたく者もいるが。

あたしは、ある理由から、オスカーのことをずっと親友だと思っているし。実はかなり体重が変わりやすく、その気になればすぐに痩せられることも知っている。

同年代の子供があまりいない事もあって。

二人はあたしの大事な親友だ。

「おー、二人とも。 墓参りの帰りか?」

「そうだけれど、どうかしたの?」

「それがなあ。 また街道の方で猛獣が出たらしくてな。 たまたま凄腕の傭兵がいて、一瞬で斬り伏せてくれたらしいんだけど。 村の方にまた近づいて来ているって、皆が騒いでるんだよ。 ソフィーも採集だとかで出るんだろ。 気を付けろよ」

「ありがとう。 気を付けるよ」

猛獣、か。

錬金術師さえいればまるで怖くないのに。

そういう声は最近聞こえるようになって来ていた。

幼い頃は良かった。

まだ幼いのだから、錬金術が出来なくても仕方が無いと、多くの街の人は言った。だが、もうソフィーは場所によっては結婚出来る年だ。

それならば、話も違ってくる。

そろそろ錬金術で、キルヘン=ベルに貢献して欲しい。

そういう声も。

どうしても、耳に届くようになっていた。

家の前で二人と別れる。

オスカーは八百屋(※実家)の手伝いがあるし。

モニカはあの話からして、巡回任務だろう。かなり年老いた魔族の用心棒、ヴァルガードさんと。老練な戦士のハイベルクさんと。夕方辺りに巡回に出る筈だ。魔族の力が半減する日中を避け。更に猛獣が活動しやすい夕方から夜に掛けて、敢えてエサとなって彷徨くことで、誘き寄せて仕留める。

何、この街の用心棒は、おばあちゃんと一緒に彼方此方を回った猛者達だ。

生半可な相手に遅れは取らないだろう。

モニカも二人に実力を認められていて。

引退後には街の自警団の指揮を執って欲しいとまで言われているようだ。

ただ、中堅所の戦士達はそれを面白く思っていないようで。

モニカに突っかかる姿も見たことがある。

実力か。

そういう点では、あたしはまったく駄目だ。

錬金術についても、おばあちゃんの残した本を読みながら試行錯誤。それでも、簡単な薬くらいしか作れない。

何よりも、どうしても。

あのことが気になってしまう。

あいつは。

あたしを痛めつけながら。何度も叫んでいた。

どうしてお前には。

素質が備わったんだ。

俺には。

素質が備わらなかったんだ。

それだけで、俺の人生は台無しだ。何もかもが終わりだ。

見捨てられて、村八分にされる気持ちがお前に分かるか。生まれたときから勝ちが確定しているお前に、俺たちみたいな負け犬の気持ちが分かるか。

殺してやる。

お前も。ババアも。

錬金術師はみんな殺してやる。

アルコールの凄まじい臭いをまき散らしながら。

彼奴は吠え続け、あたしを殴り蹴り。

死ぬまであたしを視線で殺そうとさえしていた。

錬金術は何だろう。

家に入る。

一人きりになると、あたしはすっと表情が消える。笑顔を作るのは、どうしても難しい。

普段は怒りとこの世への不満で。

口を引き結んでいる事が多かった。

鏡はあるが、その前は意図的に通らないようにしている。

そのため寝癖が目立つ事も多く。

そしてベットに転がると。

ぼんやりと天井を見ながら、呟くことが多かった。

「黙れよ……」

周囲の声が。

煩わしくて仕方が無い。

そして黙れと告げても。

声は止まる事がなかった。

 

1、その本は

 

どうしても気は進まないが。

それでもやらなければならない。

実のところ、あたしはおばあちゃんの遺産もあるから、その気になれば死ぬまで寝て暮らすことだって出来る。

家族を養う、のおまけ付きでだ。

ただしその場合、キルヘン=ベルには錬金術師がいない状態が長く続くことになる。

それは基幹産業が存在しない事を意味し。

やがて人も経済も離れる。

そうなれば、安泰は終わる。

結局の所。

キルヘン=ベルの事以上に。

自分の事を考えて。

錬金術を勉強しなければならないのだ。

おばあちゃんが残してくれた基礎的な参考書を何冊も読んでいくが、どうしてもあまり頭に入ってこない。

雑念が多いと言うよりも。

どうしても拒否反応が出てしまうのだ。

この薬はこう作れ。

言われているとおりにやれば出来る。

だがそれ以上の質にはならない。

おばあちゃんは幾つものアレンジレシピを残していたが。非常に複雑な専門用語を連ねていて。

とてもではないが、今のあたしに理解出来るものではなかった。

「錬金術師か……」

今でこそ、世界にいる錬金術師は、明確に分かたれている。

それも、数百年くらい前は、それこそ有象無象の錬金術師が、それぞれ武装勢力に荷担して、好き勝手をしていたからで。

しかも質もバラバラ。

そのような状況では、山師が錬金術師を名乗ったり。

禁忌に簡単に手を染めたり。

色々と問題が多かった。

よく経緯は分からないのだけれど、その結果、錬金術師の質を絞る試験が何処かで始まったとかで。

少なくとも、各地にアトリエを構える錬金術師は。

相応の実力者が揃うようになった。

噂によると、邪神を撃退出来る錬金術師もいるとかで。

本当におばあちゃんのような驚天の実力を持つ者も、複数実在している、というわけだ。

だけれども、今のあたしは。

ソフィー=ノイエンミュラーは。

せいぜい出来てお薬を作る事くらい。

それもあまり多くの種類は作れない。

爆弾はまだ試したことが無い。

どうしても、やってみようという気になれないのだ。

だが、時間は容赦なく過ぎていく。

せめて、知識だけでも増やしておこう。

そう思って、おばあちゃんが集めた在庫の本を読んでいく。毎日が、そうして暮れていく中。

ある日。

あたしは、一冊の古い古い本を手に取った。

触ってみると、ほんのりと温かい。

錬金術によって、貴重な本を保存したり。或いは命を与えて、自動で動くようにする事があると言う話は聞いたことがある。

そういった本が野生化して、遺跡に来たヒトを襲うこともあるそうだけれども。

少なくとも、今の時点であたしの家にそういう本は無い筈だ。

しかし、何だろう。

この本からは、強い力を感じる。

力というか。

何というか、強烈な「声」が聞こえる気がするのだ。

あたしは結局の所、周囲から何か聞こえているだけなのだけれども。それが何なのかはよく分かっていない。

いずれにしても、この本からは手を離せない。

目を細める。

アトリエに他の人が来る事もあるから、いつでも笑顔を作れるようにはしているけれども。

笑顔は作るのがそれなりに大変だし。

はあと一つ溜息。

そして本をめくろうとしたとき。

本が浮き上がった。

何が起きた。

やはりこれが、野生化した本なのか。強烈な「声」を感じたのは、それが故だったのだろうか。

あたしは思わず手を離し。

そして、威圧的な声を聞いた。

本なのにどうして喋っているのだろう。

それは良く分からないけれど。

兎に角その本は喋った。

だから、思わず声が漏れる。

「うわ!? 何?」

本は浮き上がると。

声がかなりはっきりしてきた。それは、間違いなく、あたしにも理解出来る言葉だった。

「……此処は何処ですか」

「本が喋ったあ!?」

「本……」

そう。

その本は困惑しているようだったが。

やがて名乗る。

プラフタと。そして、あたしも、自分の名前を名乗った。

 

驚くべき事に。

その本は、本では無いと言う。

錬金術師、それも体を失った成れの果て、だというのだ。

いずれにしても、プラフタなんて名前は聞いたことも無い。しかも相手は記憶を失っているらしい。名前以外は何一つ覚えていないというではないか。

本の姿をした錬金術師。

にわかには信じがたい話だが。

この本は喋るし。

何より宙に浮く。

ただし、錬金術以外の事は殆ど覚えていないという。

難しいレシピも。

ただ、おばあちゃんのレシピを読むだけでは、限界だと感じていたこともある。結局の所、他の人が書いた本だって同じだろう。

要するに、最初から本を読んで勉強するという手段には、無理が来ていた。

それはあたしも分かっていたのだ。

だから、別にそれをマイナスだとは、思わなかった。

「貴方は錬金術師なのですね、ソフィー」

「うん。 まだひよっこの駆け出しだけれどもね」

「そうやって自分の実力を客観的に評価できることは良いことです。 あまり詳しくは覚えていませんが、私は多寡が知れた実力を鼻に掛け、周囲に対して暴悪を振るう錬金術師を多く見てきたような気がします。 どうしてなのでしょう。 殆ど記憶はないのに、こればかりは鮮明に分かるのです」

「余程強烈な衝撃を受けたのかもね」

プラフタは丁寧すぎるほどの口調だけれども。

それでいながら、凄く厳しい事が何となく分かった。

ソフィーに対して、何というか。

見極めるようにしているというのか。

観察しているというのか。

それも容赦のない目で、だ。

この人は。

本当に本に宿った疑似生命体が、錬金術師を自称している、とかでなければ。恐らくは相当に自分にも他人にも厳しいヒトだったのだろう。

そうソフィーは思う。

「錬金術を実施してみてくれますか。 少しはアドバイスが出来るかもしれません」

「えっ。 人前で?」

「恥ずかしい事では無いと思いますが」

「ううん……」

気が進まない。

ただでさえ錬金術には苦手意識がある。それは自覚さえしている。ましてや、この本が、本当に遙か昔の錬金術師で。

しかも元人間だったとすると。

それは、相当な高レベル錬金術師だった、ということだろう。

本になるなんて、それこそ何があったのか。

どうしたら出来るのか。

高レベルの錬金術師になると、それこそ驚天の奇蹟を起こすと言うけれども。恐らくそういう次元の存在の筈で。

見られると、どんなだめ押しをされるか。

本は容赦なく言う。

「実際に生成物や錬金術の過程を見ない限り判断する事は出来ません。 見ると氷室も備えている様子。 簡単な薬一つでも、錬金術師の力量は判断できるものです。 早々に始めてください」

「ええっ。 強引だなあ」

「貴方を見極めたいのです」

何だろう。

切実な何かを感じる。

だが、あたしとしても困るというのが本音で。

困っているところに。

ドアがノックされた。

何かの救いか。

そう思ったが。

ドアを開けてみると、いるのはモニカだった。

「ソフィー。 今良いかしら」

モニカは浮いている本を見ると。

反射的に剣に手を掛ける。

そういえば、彼女は周辺の治安確保のために、遠出も経験している筈だ。錬金術師が命を与え。野生化したあげく、人を襲うようになった本を見たことがあるのかも知れない。

「待って、モニカ。 この人?はプラフタ。 一応、危害を加えるつもりはないようだよ」

「プラフタ?」

「はじめまして。 貴方はモニカというのですか? 聞いての通り、私はプラフタ。 体を失った錬金術師です。 経緯は分かりませんが、今は本になっているようです」

「……そう」

モニカはしばし剣に手を掛け、戦闘態勢を取っていたが。

確かにあたしに本が危害を加える様子が無いことをみると。

剣から手を離した。

「はじめまして、という事は。 この街に来たのは初めてなのかしら、プラフタさん」

「いえ、恐らくずっとこの街に、正確にはこのアトリエにいたのだと思います。 何かしらの切っ掛けで目覚めたのでしょう」

「そう。 ならばソフィー、後でプラフタに街を案内してあげた方が良さそうね」

「そうだね」

ちょっと、と手招きすると。

モニカはプラフタを連れて外に出る。

何だろう。

よく分からないけれど。

あたしはその場に残された。

修羅場になるとは思えないけれど。どちらかといえば几帳面そうなプラフタと。委員長タイプの生真面目なモニカだ。

そんなに、衝突する事は無い。

そう思えた。

 

アトリエから出ると。

モニカは眼鏡を直す。

ソフィーには表情の変化を見せなかったが、実は結構驚いていた。動揺を表に出さないように結構苦労したのだ。

本の魔物と呼ばれる、錬金術師が命を与え、野生化して人を襲うようになった本との交戦経験は何度かある。いずれも魔術を使いこなして襲ってくる上、普通の本と見分けがつかない厄介な相手だった。本棚に潜んでいて、いきなり奇襲を受けた経験もある。こういった、擬態を使いこなす猛獣や魔物は本当に厄介なのだ。

だから心配したのだが。

ソフィーが普通に話しているという事は、大丈夫なのだろう。

だが、幾つか注意事項がある。

この街に来た人間には。

話しておかなければならない事があるのだ。

「どうしたのですか。 貴方はソフィーの親友のようですが」

「ごめんなさい、プラフタさん。 この街に来た人、特にソフィーと接触するヒトには、話しておかなければならない事があるから」

「プラフタでかまいません。 何か問題があるのですか」

「ありがとう。 それでだけれども、あの子の前で両親の話は絶対にしないで。 多分殺されるわよ」

ソフィーはあまり自覚していないが。

魔術の使い手としては非常に高い次元にある。

錬金術師としてはへっぽこかも知れないが。

元々の魔力が凄まじい次元で高く。

あの年にして、上級魔族ヴァルガードさんのお墨付きである。生半可な魔族では、ソフィーの足下にも及ばないという。

単に実戦経験が不足しているが。

それは彼女の精神が極めて不安定な事を皆が知っているため。

余程上手く使いこなせるようにならないと。

危なくて仕方が無いのである。

「殺されるとは、物騒ですね」

「あの子の家族はおばあさましかいないの。 この街の繁栄を作った偉大な錬金術師だったヒトよ。 その子供、つまりあの子の父親は筋金入りのろくでなしで、あの子を殺す寸前まで虐待したあげく、匪賊と連んで多くの人を殺したわ。 最後には処刑されたのだけれど、その事であの子は大きな傷を心に受けているの。 一度、旅人があの子をそれでからかったとき、本気で殺しかけて、止めるのに大変だったわ」

モニカは見せる。

本気になったソフィーから貰った魔術の一撃で出来た傷。

右腕が無くなるところだった。

モニカが全力で防御魔術を展開して、それでもである。

半殺しにされた旅人は、恐怖で心が壊れてしまい。

しばらくソフィーも、危なくて外には出せなかった。

「分かりました。 悲しい話ですね」

「ソフィーは今でこそおっちょこちょいで半人前の錬金術師というところに「落ち着いた」のよ。 あの子の錬金術師としての素質がどうなのかは私には正直よく分からないのだけれど、とにかく不用意な発言だけには気を付けて。 あの子が本気でキレたら、多分この街が半壊するくらいじゃすまないだろうから」

「……心しておきます」

プラフタは本として浮きながらだが。

真摯に話を聞いてくれた。

ほっとする。

ソフィーがブチ切れるときは、スイッチが入るようにして、いきなり切り替わるのだ。あっと思った時にはもう遅い。誰にも止められなくなる。

前に暴走したのは三年前だったが。

その時はまだ止められた。

今度はどうなるか知れたものではない。ソフィーの魔力はあの時とは比べものにならないほどに上がっている。モニカだって研鑽しているが、それを凌いでいる可能性が高いからだ。

この街の人間が、ソフィーをからかったり。犯罪者の娘呼ばわりしないのは。ソフィーのおばあさまが有能な錬金術師で、皆の恩人だから、というだけではない。

ソフィーがバケモノレベルの魔術師で。

本気で怒らせたら、街が消し飛ぶからだ。

かといって、此処を離れても他が良いとはとても言えない。

誰でも知っている。

世界は荒野が拡がり。

無法者と多くの猛獣が住み着き。

中にはドラゴンや邪神さえもが、人里の近くで猛威を振るっている。

そういう世界である以上。

安易に街を離れるわけにはいかないのだ。

アトリエに戻る。

ベットに腰掛けて、足をぶらぶらさせていたソフィーに、アドバイスする。錬金術師としての現状の力を見せたら、プラフタにこの街を案内してあげたらどうか、と。

ソフィーもそれには乗り気のようで。

プラフタも興味を示したようだった。

一礼して、一旦アトリエを出る。

あのプラフタというヒト。

錬金術師だと名乗っていたが。

まあ事実そうなのだろう。

本になる、何てこと。

余程の錬金術師でもなければ不可能だ。

錬金術が驚天の御技で、文字通り神々の使う技術だと言う事くらいは、モニカだって知っている。

だとすれば。

何かの切っ掛けで、本になる事くらいは起きてもおかしくない。

嘆息すると。

報告のために自警団の事務所に足を運ぶことにする。

自警団は十名ほどだが。

いずれも実戦経験者で。

ヴァルガードさんを一として、優れた使い手ばかりだ。

その内の半数ほどは、ソフィーのおばあさまの仲間として、彼方此方で戦いを繰り広げた歴戦の勇士。

モニカも彼らに剣を習い。

そして学問さえも習った。

傭兵として各地を渡り歩いていたが。

此処に落ち着いた者もいる。

そういう人の中には、複数の言葉を使いこなせる例もあって。

案外頭が良かったりもするのだ。

主要なメンバーは集まっていたが。

全員では無い。

だが皆の頭となっているヴァルガードさんがいるので。

モニカは先に起きたことを話しておく。

頭に鋭い一対の角を持ち。

常にソフィーのおばあさまが作ったという強力で巨大な槍を手にしているヴァルガードさんは。青黒い肌を持つ上級魔族だ。歴戦の勇者らしく、左の翼に大きな傷跡があり、其処が変色している。

昔ソフィーのおばあさまと一緒に、下級の邪神を倒した時。

相手につけられた傷らしい。

凄まじい戦いだったと。何度か聞かされた。

そして、いずれモニカも、そういった相手と戦わなければならないかも知れないとも。

話をすると。

腕組みしたヴァルガードさんはうなり。

しばしして言った。

「あいつは、錬金術に関する本を集める趣味があったからな。 何歳になっても貪欲に錬金術に没頭し、他人のレシピには常に興味を持っていた。 どんな本でも集めまくっていたから、その中にあったのだろう」

「そうなると、流れ流れて偶然にソフィーの所に辿り着いたと」

「恐らくはな。 ソフィーが図抜けた魔力の持ち主だから、触ったところで反応したのかも知れん」

「いずれにしても、しばらくは監視が必要ですね」

見解は一致する。

プラフタは特に邪悪な存在には見えなかったが、モニカだってまだ青二才と呼ばれる年だ。

人間は自分の邪悪を兎に角巧妙に偽装する。

外面だけ良い人間は、まったく信用に値しないが。

その外面だけ良い人間は、相手の心に滑り込んでくる。

真の邪悪と呼べるその手の輩を。

見抜くのは、とても難しいのだ。

「この間の巡回で、この辺りの猛獣は一掃した。 しばらくは特に問題もないだろうし、モニカ。 お前がソフィーの護衛についてくれるか」

「構わないのですか」

「ソフィーが錬金術師として大成するのはこの街にとっても良い事だし、何より差し迫った危険という点でもソフィーから目を離すわけにはいかない。 あの子はこの街の繁栄を約束する存在であると同時に、爆弾でもある」

頷く。

幼なじみだからこそ分かる。

ソフィーが此処まで精神を立て直すのに、どれだけ苦労したか。

そして今も導火線付きの爆弾も同然で。

爆発したらどれだけの惨禍が起きるか。

あのプラフタという本が、それにどんな変化を起こすか。注意深く見守らなければならない。

場合によっては。

斬る必要が。

生じるかも知れない。

だが、それは最終手段だ。

このご時世である。

モニカだって人を斬った。何人も。

匪賊に対して情けを掛ける余裕は無い。

相手は此方を殺し犯すつもりで襲いかかってくる。捕らえられでもしたら、あらゆる陵辱を受けたあげくに殺される。

それが嫌なら、強くなるしか無い。

この世の理がそうである以上。

モニカも剣から手を離すわけにはいかないし。

ソフィーという究極の劇物を、この街は活用して行かなければならないのだ。

任されたモニカは、若干気が重いながらも。

少なくともオスカーには話しておくことにする。

オスカーはもう少し痩せてくれれば。

それと、変なことを時々言わなければ。

ごく普通にもてると思うのだが。

ともあれ、大事な親友には間違いない。

自分の肩を何度か叩くと。

モニカは眼鏡を外し。目を拭って。

そして歩き始める。

今頃。ソフィーはあの本と、何を話しているのだろう。

いずれにしても、親友でさえ利用しないと生きていけないのがこの世界。

誰がこんな世界にしてしまったのかは分からないが。

それでも、生きていかなければならないのが、つらいところだった。

 

2、錬金術師としてのお仕事

 

気は進まなかったけれど。

プラフタに言われるまま、お薬を調合して。

見事に駄目出しを貰った。

あたしの腕前を見て、プラフタは。

分かり易すぎるくらい直球で言った。

「完全にひよっこですね。 評価する点がありません。 この薬も、市販品としてギリギリ使うのが精一杯の品質しかありません」

「そうだよねえ。 分かってる」

プラフタは、だが素質はある、という。

ソフィーもそれは知っている。

錬金術は、そもそも素質が無ければ出来ない学問なのだ。

これがあたしの不満なところ。

元々誰でもルールに従って作れば同じものが出来るのが、学問のあるべき姿ではないのだろうかと思うのだ。

だが錬金術は違う。

素質が全てなのだ。

「錬金術について、詳しく誰かに習いましたか?」

「ううん。 あたしのおばあちゃんは、まだ小さい頃に死んじゃったから」

「そうですか。 それではこれも仕方が無いのかも知れません。 独学で錬金術を学んで、大成できる人間は限られています」

プラフタが言うには。

錬金術の基本を、ソフィーは理解していないという。

座学をするしかない。

コレはある意味、貴重な経験だ。

プラフタは順番に話してくれる。

「錬金術というのは、そも何か分かっていますか?」

「概要しか分からないよ」

「そうでしょうね。 まず錬金術というのは、ものの意思を汲み取り、それにそってものを作り替える技術のことです」

それについてはいつかおばあちゃんに聞いた事があるような気がする。

だが、プラフタの説明は。

更に踏み込んでいた。

恐らくそれは、おばあちゃんが詳しくなかったのでは無くて。

単にあたしがもう色々な事を理解出来る年齢だと、プラフタが判断しているからなのだろう。

「錬金術の思想では、この世の全てのものに意思があるとされています。 高度な才能を持つ錬金術師は、その意思を聞き取ることが出来るそうです。 この意思に沿ってものを作り替えていく技術を錬金術と言うのです」

「その声らしいもの、聞こえるんだよね」

「本当ですか」

「うん。 おかげで碌な目にあわなかったけど」

口をつぐむプラフタ。

反応からして分かった。

これはモニカに聞いたな。

まあそれはいい。

「まだそんなにはっきりとは聞こえないけれど」

「それならば、才能を伸ばしていくしかないでしょう。 なお私と……名前は思い出せませんが。 ともかく、非常に優秀な錬金術師だった人物も、結局声を聞く事は出来ませんでした」

「そう、なんだ」

「それでも、錬金術師として高みへと上り詰めることは出来ました。 貴方なら更なる高みへ行ける事でしょう」

なるほど。

褒める所は褒めるやり方なのか。

座学には色々苦労していたのだが。

こうやって詳しいヒトに話を聞くと言うのは分かり易い。

教えるには三倍知っていないと駄目、という話があるらしいが。

それも頷ける。

このヒトは。

本の姿になる前は、本当に優秀な錬金術師だったのだろう。

「それでは、助言をします。 順番に錬金術をこなしてみましょう」

「分かった。 やってみ……あれ?」

「どうしましたか?」

気付く。

プラフタはふわふわと側で浮いているのだが。

本の中には、空白のページが目立つのだ。

錬金術師として優れた存在だったことは疑う余地もないと思うのだが。

未完成の本にでも乗り移ったか、或いは変身したのだろうか。

まあ、今は良い。

とにかく、まずはやってみることだ。

まず錬金釜を綺麗に洗浄する。

この作業について。

プラフタは異常なほどに神経質だった。

「まず湯を沸かして、熱いうちに釜に入れます」

「火傷しそう」

「正確には、それによって目に見えないほど小さな生き物や、埃などを取り除くのです」

「へええ」

この沸かす湯についても。

最初に沸かした湯の上に、蒸留装置を置いて。

純粋な水を作る。

そしてその水を更に湧かして。

それで釜を洗うのだ。

こうすることによって。

より精度の高い錬金術が行える、というのだ。

なるほどと思ったが。

同時に大変だなあと苦笑してしまう。今までは、なんと無しにレシピに沿って作業をしていたのだが。

そのレシピには、こういう下準備が必須だったわけだ。

「プラフタも釜をこんな風に扱っていたの?」

「私は……分かりません」

「ごめん。 記憶喪失だし、仕方が無いよね」

「そうですね。 記憶を取り戻す方法が分かれば良いのですが」

側に浮いているプラフタ。

悲しそうだが、こればかりはどうにも出来ない。

いずれにしても、薬草をまず用意。

これについては、アトリエの側に自生している。

というか、おばあちゃんが育てていたものが、勝手に繁殖しているらしい。あたしは正直その辺りはずぼらなので。勝手に増えてくれていて有り難い、くらいにしか考えていないのだが。

アトリエの側に生えている草を見に行き。

プラフタは絶句していた。

「これは少し元気すぎますね」

「おばあちゃんが土地を豊かにするって、お薬をたくさん撒いていたからね」

「……」

何か思うところがあるようで。

プラフタは周囲を見回す。

この街の周囲は、比較的森が多いけれど。

それは例外的なことだ。

殆どは荒野ばかりなのがこの世界である事は、それこそ子供でも、どんな世間知らずでも知っている。

街の周囲にある森や草原は。

大体錬金術師や。

珍しくやる気のある下級の神などが。

ちまちまと力を使って。

育てていったものなのだ。

キルヘン=ベル周辺の緑もそれについては同じで。

主におばあちゃんが育てた。

だからかなり若い森で。

木の実とかはあまり収穫できない。

いつか錬金術師達がもっと仕事をするようになれば、更に世界からは荒野を減らせるのだろうけれど。

そうもいかない。

錬金術師の絶対数が足りなさすぎるし。

何より危険すぎる。

猛獣や匪賊、それにドラゴンや邪神。

こういった荒野を支配する存在達にとっては。

傭兵よりも、錬金術師が天敵だ。

錬金術師は、外を出歩くと、狙われるという話もある。中には錬金術師をターゲットにしている専門の暗殺者までいるそうだ。

モニカに聞いた話だが。

その手の輩が、おばあちゃんと戦ったこともあるらしい。

又聞きになってしまうので何とも言えないが。

いずれにしても、荒野を我が物顔でのし歩く者達にとっては。

錬金術師は脅威と認識され。

邪魔だと思われている、という事である。

「いずれにしても、此処までの緑化を行うには、数十年と言う時が掛かったでしょう」

「だからキルヘン=ベルは平和なんだよ」

「そうなのでしょうね」

咳払いをすると。

プラフタが指示をしてくれる。

どの薬草の、どの辺りが採り頃だとか。

色々詳しくアドバイスをしてくれた。

今までは図鑑を見ておおざっぱに集めていたので。こういう本当に詳しいヒトのアドバイスは実に助かる。

収穫を終えて。

そして井戸水をまた沸かして綺麗にする。

なお、湯を沸かすのは。

あたしの魔術で行う。

魔力量は相応に高いらしく。湯は即座に沸かせる。これだけは、生活で便利な事の一つである。

「確か私は錬金術師だった頃、魔術は使えなかった覚えがあります。 貴方の強みの一つですね」

「えへへ、ありがとう」

「それはそうと、沸騰した湯を、洗浄した容器に移してください。 それから冷まして、調合を開始します」

まずは器具類も全て洗う。

プラフタが言うには、埃はいうに及ばず。不純物の類は、汗や息なども出来るだけ入らない方が良い、という事だった。

器具類については、おばあちゃんが使っていたものが、一通り揃っている。

マスクも出来ればした方が良い。

そう言われた。

「魔術で空気遮断できるけど」

「並行で錬金術も出来ますか?」

「うーん、ちょっと集中力は落ちるかも」

「それならば素直にマスクをしなさい。 少し古いですが、きちんとしまわれていただけあって、良い性能のマスクのようです」

そう言われると仕方が無い。

いずれにしても、とプラフタは言う。

もっと洗濯をこまめにしろと。

ちょっと散らかっていると。

実はモニカに掃除はして貰っているのだけれども。

彼女は掃除の度に教会に来て賛美歌を聴けとか教えを聞けとか言ってくるので、その辺もあって頼みづらい。

そしてあたしのずぼらな性格もあって。

どうしても部屋は散らかりやすいのだ。

まあいずれにしても、プラフタの言葉が正論だと言う事は分かるし。正論というのは正しいから正論なのだ。

正論を聞けないようになったら。

人間は終わりだ。

そんな事をおばあちゃんは言っていた気がする。

ともかく、これでやっと調合の下準備が終わった。

綺麗になった器具類。

釜。

丁寧にすりつぶした薬草。

それらを、順番に調合していくが。

やはり専門家が側で見てアドバイスをくれると、精度がまるで違った。

おおと、思わず声が漏れる。

まず薬草を混ぜ合わせ。

温度を測った湯に、フラスコに入れて漬ける。

それできっかり時間を計った後。

取り出して、また別の薬草を、はかりできっちり計測した分量混ぜ合わせ。

今度は粉のまま、先ほど温めておいたものへ投入。

これを「中間生成液」というそうだ。

この中間生成液を複数造り。

順番に混ぜていく。

この過程で、重要な指示を受ける。

「貴方なら分かるはずです。 ものの意思に沿ってものを作り替えるとき、「すんなりと」調合が進みます。 もしも上手く行かない場合は、ものの意思に反しているという事で、それは良い結果を生みません」

「なるほど……確かに何というか、ちょっと雑音が優しいかも」

「雑音などと言ってはいけませんよ、ソフィー。 ものに宿る意思は、とても大事で、其処だけはこの過酷な世界でも平等なものなのです」

「そうなんだね」

今まで自分がどれだけ手抜きをしていたのか。

本職に教わると、色々と分かってくるのが悲しいというか寂しいというか。

確かに言われて見れば、調合の際に理解出来ない声が聞こえていたし。

それが五月蠅かったり静かだったりしたような気もする。

あれは、そういう理由で聞こえていたのか。

ともかくだ。

そのまま作業を続行。

汗が落ちないように気を付けながら、順番に調合を進めていく。

途中、何回か駄目出しをされるが。

作り直しはせず。

そもままやるように言われた。

どうしてかというと。

失敗した方が覚える、というのである。

「私も最初は苦労しながら錬金術を覚えました。 貴方は私が最初持っていなかったものを多く持っています。 ならば努力次第で、どんどん伸びるはずです。 ものの意思を汲み取るだけでは錬金術は大成できません。 技術が備わらなければならないのです。 貴方ならそれができる筈ですよ」

「嬉しいな。 そんな事言われたの初めてだよ」

「私もこんな事を言うのは初めてです。 ヒトにものを教えたことは……無かったような気がします」

記憶が欠落するのは大変だな。

そう思いながら手を動かして。

ようやく夜半少し前に。

薬が完成した。

いわゆる山師の薬、である。

基本的に万能薬として使われる塗り薬で、それこそ品質レシピ千差万別。傷を治すことが主体になるのだが。

凄い錬金術師が作ると。

それこそ、傷が見る間に消えていくほどの効果があるという。

高位の神聖魔術でも其処までの効果は出せない。

錬金術師は神の御技を使うと言われるが。

その所以だ。

基礎的な薬でさえ。

作る人間次第では、驚天の奇蹟を起こすのである。

早速、出来を確認し。

プラフタに見てもらう。

自分としては今までに無いほど良く出来たが。

プラフタはやはり駄目出しした。

使わなくても、見るだけで質は分かるらしかった。

「最初に作ったのを100点満点で5点とすると、これは25点という所でしょう」

「そっかあ、まだ先は長いね」

「いえ、市販品としては充分な品です。 助言をした事、機材が揃っていること、良い素材がある事を考えても、これは売り物になります。 ただし、錬金術師の作る薬としては、まだまだ下の方だと言う事を忘れてはなりませんよ」

「はい」

素直に返事。

プラフタは教え方も分かり易いし。

何より、今までのものとは比べものにならない薬が出来た。

これを早速、明日売りに出かけるとしよう。

ついでにプラフタを皆に紹介しておきたい。

キルヘン=ベルには。

ソフィーの親友以外にも。

世話になっているヒトが、大勢いるのだから。

 

3、キルヘン=ベル

 

基本的に錬金術の成果物は、カフェと呼ばれる店に納品する。これはおばあちゃんの時代からの決まりである。

カフェとはいうが。

実際にはそんな軽い施設では無い。

基本的にこの街の中心にあり。

社交場を兼ね。

更に流通の中心でもある。

傭兵達はここに来て情報交換をするため。

昼間はヒト族と獣人族。

夜は魔族が基本的に一人はいる。

この街の自警団は此処を中心に動いていて。指揮系統の中枢でもあるため。此処を潰されると、街が陥落する可能性がある。

要するに此処は。

政庁であり。

軍司令部でもあるのだ。

あたしの国では、街ごとに自治を任せている。だからそもそもこういった司令部そのものが無いような小さな村なども多いけれど。

此処では頭になる施設があって。

それが大事な役割を果たしている。

このため、カフェの店長であるホルスト=バスラー氏は、一見すると温和そうな老紳士だが。

実際は相当な武闘派で。

素手で大型の猛獣を殴り倒したこともあるらしい。

ヒト族の中で其処までの猛者はあまり多く無いらしいが。少なくとも、おばあちゃんが信頼していただけのことはある。

また各地を回っていたことからも目利きに優れ。

多くの情報の真偽を聞き分けることにもその能力は発揮されている。

要するに。

おばあちゃんが生きていた時代は、この街のナンバーツーだったヒトで。

今はこの街の事実上の支配者だ。

最初に此処に足を運んだのは。

街の仕組みを知って貰いたいから、である。

店長はプラフタを見ると、モニカと同じ反応をしたけれど。

丁寧に自己紹介をプラフタがすると。

剣から手を離した。

一応、自衛のためにも。

今でも剣を腰に帯びているのだ。

外は、今でも荒野が拡がっていて。

いつ匪賊が攻め入ってくるか分からない。

それはこの街でも同じ。

腕利きの自警団がいても。

ドラゴンや邪神が攻めこんでくるかも知れない。

そういうときに備えて、戦えるものは常に武器を身につけている。それが基本なのだと。ソフィーが会った事のある戦士や傭兵は、口を揃えていたし。

ホルストさんもそれに変わりは無かった。

一方で、この店は無骨なだけでは無く若干の余裕もあり。

店の奥にはピアノもある。

一度やってみてはどうかと進められたこともあるのだが。

どうにも気が向かなくて、触っていない。

ともあれ、皆が見ている中、プラフタの紹介を済ませると。

薬を納品する。

山師の薬と言えば、何処でも定番の錬金術の産物だが。

さっと目を通して、ホルストさんも驚いていた。

「これは、本当にソフィーが作ったのかい」

「ええ。 まだまだだとプラフタには駄目出しされましたけれど」

「いや、これは売り物に充分になる出来だ。 見てご覧」

何のためらいもなくホルストさんは刃物を腕に当てると、軽く引いて傷を作る。

血が流れる其処にソフィーの薬を塗り込むと。

本当に冗談かと思える速度で、傷が塞がり。血が止まっていった。

これが。

錬金術で作った薬の、本当の力か。

今までソフィーが作った薬は、どうしても薬草を使って普通に自然の回復力を促す、以上のものではなかったし。

回復魔術に比べれば、鼻で笑われるような代物でしかなかった。

だがこれは。

回復魔術と同等か。

それ以上ではあるまいか。

しかもプラフタが言う限り、これは25点である。

100点満点の薬だったら、一体どんな奇跡を起こすのか。

いずれにしても、全セットを納品してしまう。

今まであたしがカフェに顔を出したとき、まだ一人前にならないのかと、露骨な哀しみの声が聞こえることがあったが。

皆が今は。

良い方向で、此方を見てくれているようだった。

早速ホルスト氏が、まだ怪我をしている自警団の人間を呼ぶ。

毎日巡回任務をしていれば、猛獣などとの小競り合いは起きる。

相手の実力にもよるが。

どうしても怪我はする。

薬を塗り込むと、あっという間にその怪我が治癒していくのを見て。

自警団に所属している、一回り年上の男性戦士は驚いていた。

「これはびっくりだ。 昔のあの薬ほどじゃないが、奇蹟の薬だ」

「そうですね。 だが、もっと伸びるでしょう」

「楽しみだぜ」

わいわいと、喜んでいる周囲の傭兵達。

それはそうだ。

回復魔術に頼らなくても良くなったのだ。それぞれが回復手段を備えていると言うのは、大きな強みなのである。この薬は即効性で、しかも塗り薬である。携帯には便利だし、戦いには大いに役立つだろう。

そして、ソフィーは。

今までの駄賃とは違って。

充分な額の賃金を貰った。

これが仕事をする、という事なのか。

やっと実感が。

ソフィーにも芽生えた気がした。

 

少し良い気分だ。

街の人達に、プラフタを紹介して回る。

まずは八百屋。

オスカーには、本当はモニカの次に紹介したかったのだが。まあこればっかりはタイミングというものがある。

それにオスカーは、ソフィーとある意味同じ能力の持ち主だ。

ちょっとプラフタに話を聞いておきたい。

若々しい名物おかみであるオスカーのお母さんは、浮かぶ本プラフタをみるとぎょっとしたが。

オスカーはむしろ興味津々の様子である。

「はー、人間が本になるって、どういうことなんだ!?」

「私にも分からないのです。 何が起きてこうなったのか……」

「ねえプラフタ。 オスカーは、植物と会話が出来るらしいんだ」

「植物とですか」

本当だぜと、オスカーは自慢そうに胸を張るが。大きな腹がぶよんと揺れるだけだった。もうちょっと痩せるべきだろう。

いずれにしても、このような体格の人間がいるというだけ。

キルヘン=ベルは栄養に満ちている、という事だ。

「植物はおいらの友達だ。 八百屋にも、植物の体の一部を分けて貰って、栄養のある部分を提供して貰ってるんだぜ」

「オスカー、それ前から聞きたかったんだけれど、植物にとっては体の一部を切り取るようなものじゃないの?」

「それがな、植物にとってはあくまで種としての存続が大事らしいんだ。 栄養価のある部分を取り出して、その代わり生きるための土地を提供してくれるというなら、それは立派な共生なんだってさ」

「だって。 プラフタ、どう思う?」

少し考えていたプラフタだが。

オスカーをじっと観察した後。

面白い意見を出してくれた。

「ひょっとすると、錬金術師の素質があるかも知れませんね」

「そうなの!?」

「ものの声を聞く能力は稀少な素質なのですが、あらゆるものの声が聞こえる場合と、特定の種類のものの声が聞こえる場合があるようなのです。 ただ、正直な話をすると、これはあくまで一説なので、真相がどうかまでは私には分かりません」

「そっか。 いずれにしても、頭ごなしに否定はしないんだな。 モニカなんか中々信じてくれないんだけどな」

頭を掻くオスカー。

いつもカボチャを模した帽子を被っているくらい、植物が好きなのだ。

いずれにしても、全否定をされなかったのは、嬉しい事だったのだろう。

通りの周辺を回る。

世話になっている店は大体この辺りに集中しているので、それだけでプラフタに街はあらかた紹介できる。

まあ所詮、数百人しかいない街だ。

司令部がカフェだとすると、憩いの場は教会になるが。

どっちにしても、距離は大して離れていない。

時計屋を見る。

やる気の無い店主がいるお店なのだが。

どうやら今日も仕事をするつもりはないらしい。

閉店と看板が下がっていた。

「今日もだめか。 本当にやる気が無いんだなあ」

「そのお店は」

「知り合いのやっているお店だよ。 機械に強いヒトだから、プラフタにも紹介したかったんだけれど」

「機械、ですか」

機械。

魔術と双璧を為すこの世界の重要な技術。

噂によると、幾つかの世界から迫害された人々が逃れてきたとき。魔術を持ち込んだ人々と別系統で、持ち込まれた技術らしい。これもあくまで噂に過ぎないけれど、魔術は魔族が。機械はヒト族が。それぞれ持ち込んだとも言われている。とはいっても魔術だけでも複数系統が存在しているので、どこまでそれが事実かは分からない。

いずれにしても機械は難解だ。

主に鉄等の金属と、動力となる部分を組み合わせて作るものだけれども。

誰にでも作る事が出来る反面。

極めて高度で繊細な知識が要求されるため。

錬金術以上の稀少な技術となっている。

キルヘン=ベルのような小さな街で機械関連の技術者がいるケースは本当に希らしいと、ホルストさんに以前聞いた事があるので。

そういう意味でも、プラフタには紹介したかったのだが。

ただ、この店の状態からもすぐ分かるように。このお店の主、ハロル=ジーメンスさんは、街ではあまり評判が良くない。

先代が天才的な技術者だった事もあり。

芸のない二代目である彼は。

肩身が狭い思いをしていて。

それが原因で、店を半ば開店休業状態にしている、という話もある。

たまに見かける時も。

暗い目をしていて。

周囲に対して、あまり良い印象を持っていない様子である。

ただ、多分その辺りがソフィーと同じものを感じるのか。

口だけは利いてくれるが。

その近くには。

鍛冶屋がある。

まだ若いロジーという青年がやっているのだが。

鍛冶は「機械」と違ってかなり一般的な技術で。持っている人も珍しくない。小規模な街なら、大体技術者がいる。

金になるからである。

ロジーは素朴な青年で。

物静かで、誰にでも物腰は柔らかい。

ただ、あまり長い時間同じ所には留まらないらしく。

彼方此方の街で仕事をしながら、いずれ何処か住み着ける場所を見つけられないか、探しているそうだ。

此処で永住すれば良いのではないのかと思うのだが。

本人としては、寂しく笑うばかりだった。

色々なところを旅しているからか。

プラフタを見ても、驚くことはなく。

普通に挨拶を交わして。

そしてプラフタは、ロジーが作った装備品を見て、感心していた。

「この技術なら、大きな街でもやっていけるでしょう。 ソフィー。 今のうちにお金を貯めておきなさい。 この店で装備を作ってもらうのです」

「そう言って貰えると嬉しいな」

「正当な評価をしているだけです。 この技術なら、確かにどこでもやっていけるでしょう」

べた褒めである。

何だかこっちの方が恥ずかしくなってきた。

ともかく、一礼をすると。

一度店を出る。

後は、街外れか。

街外れに、基本的にあまり価値が無い本をたくさん集めた店がある。本と言えば貴重品なのだが。此処に集まっている本は、昔話だったり、小説だったり。基本的に娯楽品ばかりで。

錬金術の参考書のような、実用品はほとんどない。

それ故に、店がどうして経営できているのかよく分からないのだが。

恐らくは、店主本人が相応の魔術の使い手で。

時々自警団に声を掛けられるので。

実際にはその収入で食べているのかも知れない。

店に入ると。

本の山の中で。

音も立てずに本を読んでいる人影が。

まるで人形のように椅子に座って。

微動だにしなかった。

呼吸さえしていないように見える。

眼鏡を掛けている彼女は、エリーゼ=フューリー。

背はあたしより少し高くて、モニカより少し低い。髪の毛はモニカ同様伸ばしているのだが、彼方がさらさら綺麗な髪なのに対して。エリーゼさんはぼっさぼさの黒髪だ。身繕いには、ソフィー以上に興味が無いらしい。

声を掛けると、音も立てずに此方を見るエリーゼさん。

プラフタが、わずかに下がったような気がしたが。

理由はよく分からない。

「あらソフィー。 その本は?」

「プラフタです」

少し距離を取ったまま、プラフタが自己紹介する。

エリーゼさんは自己紹介をすると。じっと見つめていた。

目にも感情が一切見られないし。

余計な事もほぼ喋らない。

この人、本の虫という言葉以外の表現が見つからないほどの本好きで。山と積まれている膨大な蔵書全てを熟読しているとさえ言われている。まだ若いのに、である。

一方で、火炎系統の魔術に関しては相当な実力者で。

街に仕掛けてきた匪賊の放った炎を、一瞬で鎮火させたり。

更に火矢を放とうとした匪賊を、瞬時に松明にしたりと。

火そのものを、生き物のように操る。

何も言葉を発せず、淡々と敵と見なした相手を焼き払っていく様子から、氷の炎と呼ばれていて。

強力な敵がキルヘン=ベルに迫った場合などは。

声を掛けられて、迎撃に出る。

その関係からか。

モニカとはとても仲が良いらしく。

時々、この店で二人が顔を合わせて、一方的にモニカが喋っているのを目にする。一応会話は成立しているらしい。

エリーゼさんは目に感情がまったく見えないが。

これでもプラフタに興味津々らしい。

触ってみたいと言われたが。

プラフタが、帰りましょうと言うので。

仕方が無いので、切り上げる。

頭を下げて、店を出ると。

プラフタは、ほっとした様子だった。

「ひょっとして、炎使いは苦手?」

「そうではありません。 あの方は、本そのものに尋常では無い執着を持っているようでしたから」

「ああ、何となく分かる。 じろじろ見られると、気恥ずかしいよね」

「それどころか、あの方の魔力、相当に強いですね。 あの若さで火炎系統の魔術の凄腕というのも納得できます。 拘束されて、しまわれてしまいそうです」

ああやりかねないなとあたしは思ったが。

それについては言わない。

エリーゼさんは、そういう意味でも、街ではどちらかというと畏怖の対象だ。

それに本は重い。

あれだけの量の本を扱っているエリーゼさんは、相当な力持ちだとも聞いている。

モニカに聞いたのだが、戦闘では等身大の巨大なバトルハンマーを軽々振り回すらしく。

魔術師の懐に飛び込めば楽勝だろうとたかをくくった匪賊が。

重量武器らしい凄まじい加速力から産み出される一撃で。

一瞬にしてぺしゃんこにされる所を見たそうだ。

勿論即死である。

まあ、プラフタは知識はあっても、今は残念ながら無力な本だ。ああいうタイプのヒトは、苦手だろう。

そういえば、何らかの理由で、エリーゼさんは魔族の力を持っているとか聞く。

人間と魔族は交配できないので。

その辺りの理由は、いずれ聞いてみたいものだ。

最後に教会による。

街の中心にある教会は。

おばあちゃんがキルヘン=ベルを発展させる前からあって。

昔はかなり寂れていたらしいのだけれど。

おばあちゃんが、心のよりどころが必要だろうと考え。

更に孤児院としての機能も期待して。

お金を投資。

大きな街から、信頼出来る司祭さんを呼んで。

任せたそうだ。

実際の所、神様への信仰を疑う人間は、私だけでは無くたくさんいる。魔族の中には特に多いと聞いている。

いわゆる「深淵の者」と呼ばれる、この世界の存在そのものに疑念を持つ人々の中でも、特に高位の獣人族と魔族が多いと聞いているし。

その辺りは、仕方が無いのかも知れない。

広義で言えば。

破壊活動さえしていないものの。

あたしだって「深淵の者」に思想的には近いかも知れない。

だから、教会にはあまり足を運びたくない。

ただ、此処にいるシスターのパメラさんには、とにかく尋常では無くお世話になった。

だからプラフタは紹介しておきたいのだ。

パメラさんは、いつでも教会にいる。

何年経っても老けない。

噂によると、古老レベルの人達が若い頃からいて。

その頃からあの姿だったという。

実は魔族では無いのか、とか。

高位の魔術師で、年齢を保存しているのでは無いかとかいう噂はあるが。

いずれにしても、おっとりゆっくりしゃべる、優しい人だ。

格好としては、本来は黒い系統の服が好まれるシスターだが。

灰色の、それもドレスを着ている。

そして紫色の若干ウェーブが掛かった髪を揺らして。

ゆっくりゆっくり移動するのだが。

足音がまったくしない。

子供達には異常に好かれるヒトなのだが。

こういう理由から、大人になると苦手だと思うケースもあるそうだ。

教会の前で、丁度パメラさんが花壇に水を撒いていたので。

挨拶する。

プラフタは、ぎょっとした様子だった。

「貴方は……!?」

「あら、何処かで会ったことがあったかしら?」

ゆっくり笑みを浮かべるパメラさんだが。

プラフタは自己紹介を済ませると。

さっさとこの場を離れようと言い出す。小声で。

何だろう。

何か怖い事でもあるのだろうか。

軽く話だけすると。

言われたまま、その場を離れる。

どうしたのかと聞いてみると。

プラフタは、少し躊躇った後、言うのだった。

「ソフィー。 貴方は魔術師としての力を持つのに、気がつかないのですか?」

「どういうこと?」

「あの人、摂理から外れています。 少なくとも生きた人間ではありませんよ」

「え」

そんな馬鹿な。

いや、確かに妙な話は聞いているが。

「恐らくですが、何百年も生きている、という話を聞いたことがありませんか?」

「街の老人達が若い頃からあの姿だって話は聞いたことがあるけれど。 子供の頃から良くして貰っていたし、逆に疑問に思わなかったよ。 凄い魔術師か何かで、若さを保存しているのでは無いのかなと思ってた」

「いえ、あの人は魔術師というよりは……」

少し悩んだ後。

プラフタは、ソフィーに、落ち着くように言う。

何だ。

どうしてそんな事を言う。

「世界のルールに手を掛けた存在でしょう」

「ルールに手を掛けた存在って、それって要するに、各地で暴れている邪神と同じようなもの、ってこと?」

「ごく少数ですが、世界を良くするためにまだ尽力している神は上級下級を問わずに存在していると聞いています。 あの人が神かどうかは分かりませんが、それに関係していることは間違いなさそうです」

「何だか不愉快だなあ」

恩人を貶されている気がして。

ソフィーは思わず、苛立ちを感じたけれど。

プラフタは、それを予期していたのだろう。

だから落ち着くようにと、先に言ったというわけだ。

しばし無言で。

だが、その後は大きく深呼吸した。

いずれにしても、紹介したい人はだいたい紹介した。

自警団メンバーは、いずれ何か荒事があったときにでも、話をすれば良い。今回お薬を納品したことで、ソフィーはやっと街の人達から期待される存在に昇華することが出来たはずで。

恐らく今後は、荒事の対応にも声が掛かる。

プラフタには、色々助言が欲しい。

特に錬金術の道具を使う場合には、である。

嫌でも顔を合わせることになるのだから。

今敢えて、交代勤務で仕事をしている人達に、声を掛けて回ることも無いだろう。

アトリエに戻る。

薬は大半納品してしまったが。

それ以外にも、自分用に少し残してある。

プラフタは言う。

「まずは自衛用の道具を作っていきましょう」

「爆弾?」

「そうですね。 爆弾が手っ取り早いでしょう。 本当は拡張肉体も作っていきたい所ですが」

「拡張肉体?」

聞いた事が無い言葉だ。

プラフタは説明してくれる。

「うっすらとしか覚えていませんが、私は錬金術師だった頃、一対の空中で独立機動する腕を護身に用いていた記憶があります。 自衛のために、自動で活動する、自分の肉体の延長線上の存在は、とても有用です」

「そういうものなんだ」

「そういうものです。 どれだけ優れた戦士でも、どうしても難敵との戦闘中では注意がそれてしまうものです。 攻撃に対して自動反応してくれる装備があると、背中に目があるのと同じ状態になります」

「便利だね」

ただ、今のソフィーでは。

作るのに技量が足りなさすぎる、とも駄目出しされた。

まあこれに関してはその通り。

まずやれる所から、一歩ずつやっていくしか無い。

「有能な錬金術師は、そうやって自衛能力を持っているのが当たり前でした。 ソフィー、貴方は魔術師として高い力量を持っているのだから、それに物理防衛能力を追加すれば更に強くなるでしょう。 どのような方法を用いるかは、貴方に任せますが」

「うん。 やっぱり違うなあ」

「何がですか?」

「おばあちゃんがいなくなってから、大体全部独学と座学でやってたから、どうしても、ね。 専門家に色々教えて貰って、それで分かる事ってあるんだね。 プラフタが来てくれて、本当に良かった」

プラフタは黙る。

この不思議な本が、実はかなり気むずかしい事を、ソフィーはもう見抜いていた。

だけれども、口にはしない。

何だか、後天的な性格のように思えていたからだ。

そして後天的に几帳面な性格になるという事は。

余程の事件に直面した、と考えるべきだと思う。

この辺りは勘だけれど。

魔術の才能がある人間には。

勘は決していい加減なものではなく。

指標になる大事な啓示だ。

思えば、プラフタを手に取ったのも。

その勘がゆえかも知れない。

その後は、爆弾の作り方を教わる。

爆弾には何種類もあるらしいのだけれど。

その中でもっとも基本になるのは。

「圧力」を利用して、周囲に破壊をまき散らす事。

この圧力の発生源が問題で。

木の実などを腐らせて作るガスを蓄え。それを任意のタイミングで均衡を崩し、破裂させるタイプと。

火薬と呼ばれる強烈な発火剤を使い。

それで爆破するタイプの。

二パターンに分かれるという。

後者は分かり易い。

あたしが魔術で敵を撃破するなら、それを使うからだ。

事実、そうやって匪賊を仕留めたこともある。

ただあたしの魔術は火力が大きすぎる事もあってか。

戦闘時は、モニカが側についていて。

使うときは、声を掛け。

一斉に下がるのが通例だった。

巻き込まれたら、上級の魔族でも危ないからである。

「木の実の方に興味があるな」

「どちらにしても、先ほど見た氷室には材料がありません。 植物に詳しい人間がいましたね。 オスカーと言いましたか、あの少し体型が丸い青年」

「太ってるけど、良い人だよ」

「そうですか。 貴方は見かけで相手を貶めないのですね。 ともあれ、彼に相談して、適当な時期に良い木の実を探しにいきましょう」

「?」

何だろう。

今の言葉。

もの凄く辛そうだったが。

だが、記憶が無いプラフタには、「何となく」でしか分からない事なのだろう。

ともかく、記憶を取り戻すには、少しずつ、色々やっていかなければならない。プラフタが記憶を取り戻せば、ソフィーは錬金術師としてがんばれる。

おばあちゃんのような錬金術師になれるし。

何より、おばあちゃんのように。

この街の周囲を、緑に覆っていくことが出来る。

荒野を豊かな土地に変え。

匪賊を減らし。

人々が安全に暮らせるように出来る。

或いは、あたし以外の錬金術師を誘致できるかも知れない。

ある程度以上の人口を得て。

更に自衛用の戦士達。

それに複数の錬金術師がそろうと。

街は急激に安定する。

これは二大国、キルヘン=ベルの場合は所属しているラスティンが重要拠点と見なして、緊急事態には軍を送ってくれるからで。

そうなると、流石に匪賊程度では襲撃できなくなるし。

ドラゴンでも撃退出来る。

それこそ上位の邪神でもでてこない限りは平和になる。

上位の邪神については、各地で動向が逐一監視もされているので。

そいつらについては、心配はしなくても大丈夫だろう。

「ソフィー。 貴方は錬金術師として大成したいですか?」

「うん。 おばあちゃんみたいな錬金術師になりたい」

「……今はそれで良いでしょう。 さあ、始めますよ。 まずは理論から覚えてしまいましょう」

頷くと、ソフィーは。

座学を面白いと感じながら。

爆弾についての基礎理論について。

頼りになる師匠から。

一つずつ、教わり始めた。

 

4、深淵の二人

 

二つの小さな人影。

どちらも、虫を思わせるかぶり物をしていて。

旅装に身を固めている。

顔は殆ど隠しているが。

異常に落ち着いた目が。この二人を、ただ者では無いと周囲に知らしめていた。

二人は子供だ。

この荒野で、子供が二人だけで移動するなんて行為は、それこそ自殺同然。あっという間に匪賊か猛獣に襲われ、殺されるか奪われるか。

いずれにしても、死。

もしくはそれに近い運命しか待たない。

だが、この二人に関してはそれはない。

なぜなら二人の側に立つのは、深淵の者。

世界に対して反旗を翻した、強大なる力の持ち主達。

匪賊などには特に怖れられていて。

彼らは、深淵の者が来たと聞くと、そそくさと逃げ出してしまう。

猛獣は、きゃんと情けなく一声鳴いて、去って行く。

更に言えば。

二人の肉体は。

ヒト族のようでいてそうではなく。

ホムのようでいてそうでもなかった。

そして更に言うならば。

実際には子供ですらも無いのだった。

ついでにいうと。

代わりさえ利くのだ。

「アトミナ。 感じ取った気配は、間違いなく彼女のようだね」

「そうね、メクレット。 ようやく、ね。 あの時以来、ずっと行方不明になっていた彼女が、ようやく姿を見せてくれた。 という事は、世界を変えうる何かを見つけた、と判断して良さそうね」

「世界を変えるときが来たのですな」

側で傅く者が。

おおと声を上げた。

年老いた魔族である。

背中の翼は大きく欠け。

紫色の肌には、彼方此方消えようが無い傷が残っている。

主に二人の護衛を担当してくれている魔族で。

名前はソーシャルコーンという。

なお。本名では無いらしい。

彼は元々、深淵の者になる前には、面白半分に「魔族狩り」をしていた邪神によって、一族を皆殺しにされ。

ヒト族のタチが悪い奴隷商に売られたという過去がある。

邪神の中には、ヒト族のアンダーグラウンドと連んでいる連中がいて。

エサの提供を受ける代わりに、ヒト族のアンダーグラウンドに手を貸しているケースがあるのだ。

もっとも邪神の方が絶対的に立場が有利で。

交渉を試みようなどと考えれば。

その場で即座に殺されてしまうものだが。

深淵の者に所属する魔族は。

主にヒト族よりも、創世神の手を離れた邪神達に怒りの矛先を向けている。

それと、創世神そのものにも、である。

二人はその辺りの事情を知っている。

何よりも、ある理由から深淵の者達は、二人に対しては絶対服従の立場だ。勿論二人にとっても、深淵の者は非常に重要な戦力である。

彼らは強者揃い。

各地を乱す世界の敵を滅ぼすために、助力を受けなければならない。

何より二人は。

「今は」力を失ってしまっている身。

どうしても、深淵の者と連携して動かなければならない。

それに、深淵の者達は、服従を自主的にしてくれている。

これについても理由があるのだが。

わざわざ毎回諭す事も無い。

此処は小さな丘。

キルヘン=ベルの街を見下ろすことが出来る。

此処には、数十年前から監視を続けていた。

非常に優秀な錬金術師が根城にしていて。

或いは彼女なら、と思ったからである。

だが、彼女は。

手が届かなかった。

残念な事に。

不運も重なり。

才覚も足りず。

世界を変えるまでの力を手に入れる事は出来なかった。

その子息は無能極まりない男で。

むしろ世界を乱す側に荷担した。

なお、その子息を処分するのに、アトミナとメクレットは影から協力している。

匪賊狩りは深淵の者の重要な仕事だが。

その情報網を使い。

匪賊と。

クズ男を消すために、錬金術師をけしかけさせたのである。

というよりも、クズ男をさっさと殺さないと。

未来の有望な錬金術師が死ぬかも知れず。

それは避けなければならなかった。

不意に、側に気配が現れる。

まったく音もなく近づいて来た彼女は。

この街の顔役。

そして、誰にも知られていないが。

深淵の者の幹部だ。

もっとも、深淵の者としては、荒事はほぼ担当しない。情報網を司ってはいるが。

最古参の幹部である彼女は。

世界を変える最初の好機だった事件が破綻する場所に居合わせた、深淵の者最高幹部の一人でもある。

「パメラ。 君が来たと言うことは、間違いなさそうだね」

「ええ。 プラフタの復活を確認したわ」

「それは良かった」

くすくすと、二人は笑う。

復活と言っても、まだ本に魂が宿った状態だから、本調子とはほど遠い様子だが。

しかしながら、復活したことに意味がある。

「それで、やはり原因はあの子かい?」

「ソフィーちゃんね。 魔術師として優れた実力を持つ事に加えて、錬金術師としても怪物級の才能の持ち主、という主様の判断、間違っていなかったのね」

「今までは才能を上手に引き出せていなかっただけよ。 いずれ挨拶にでも伺おうかしら」

アトミナ。女の子の方が言うと。

男の子の方であるメクレットは、肩をすくめた。

アトミナは何事にも興味津々で。

昔抑圧されていたことを、その分発散しようとしているかのようだ。

一方メクレットは穏やかで。

その分若干陰湿でもある。

抑圧されていたことで溜まっていた怒りや憎悪が。

沈殿しているような性格である。

そもそも二人が男女に分かれているのも。

視野を多角的にして、世界を見る為。

本当はもっと「増えても」良いのだけれども。しばらくはこれでいい。不足は感じていないからだ。

「しばらく監視は任せるよ、パメラ」

「ええ、行ってらっしゃい。 お土産はいらないわ」

「ふふ、相変わらずね」

可愛く手を振るパメラに一礼し、身を翻すと。

二人はキルヘン=ベルから離れる。

まだしばらくは、此処に直接的な用は無い。

どうせプラフタは記憶も失っているだろうし。会いに行くのはもう少し先で良い。

やる事は幾つもある。

ほんの少し前に、ラスティンの首都で、史上最年少の公認錬金術師が誕生した。

ライゼンベルグという街での出来事である。

其処は、現在錬金術師の聖地である。

色々な出来事があった結果。

深淵の者とラスティンが共同し。

錬金術師の質を上げるために作り上げたのだ。

深淵の者の情報網と技術力を流し。

裏側から、多大な協力をした。

ラスティンの上層部の中から、無能者を排除し。

有能な錬金術師が優遇される仕組みを確立させ。

公認錬金術師と呼ばれる精鋭錬金術師を育成する仕組みを作り。

世界に蔓延っていた錬金術師もどきから、その地位を奪った。

地位にしがみつこうとするエセ錬金術師は。場合によっては暗殺した。

社会が正常に動くように。

必死に影働きを続け。

そしてようやく、此処までの状態に落ち着かせたのだ。

命が短いヒト族でも。

社会に関心が薄い魔族でも。

こんな長期的な活動は出来なかっただろう。

いずれにしても、錬金術師もどきは詐欺師にまで落ちぶれ。過去に優れた錬金術師がいたからといって、その遺産だけで街を支配できるような者はいなくなった。

同時に、目に余る被害を出している匪賊やドラゴンを処分して回り。

各地で安定した街を造り。

人が安心して暮らせるように尽力もした。

人間を敵視し、殺して回っていた邪神の何体かも封印した。

結果、現在は公認錬金術師と呼ばれる、精鋭錬金術師がそこそこ大きめの街には必ず常駐していて。治安と平穏を守り。

大きめの街では、機械文明の保存が行われ。

もう一つの大国、武王の立てたアダレットと緩やかな対立関係を築いている。

本当はアダレットに全土を統一させる計画も最初はあったのだが。

そうすると、どうしても堕落が始まる。

唯一絶対の統一政権は駄目だ。これについては、古い文献を幾つも調べ。この世界に招かれた種族達の情報を集める過程で確認した。

総力戦をやるほど激しく対立せず。

かといって、油断すれば寝首を掻かれる。

その程度の関係が丁度良い。

そう判断して。

今も腐敗が起きないように監視し。

有能な人材には唾を付け。

世界のために動き続けている。

およそ五百年掛けて。

世界を力尽くでゆっくりゆっくり変えてきた。

その行動をもって、アトミナとメクレットは、深淵の者の盟主に収まり続けていると言っても良い。

力を失ったとしても。

頭脳や理想は失っていない。

そして、プラフタが蘇った今。

ついに最終計画を起動できる。

だが焦るな。

五百年も待ったのだ。

焦って詰めを誤っては何の意味もない。

それに、その計画が失敗したら、全てが破綻してしまうのでも駄目だ。

何か失敗したときのために、常に手を打っておく。

それこそが。

深淵の者達と共に。

少しずつでも、世界を変えてきた二人の原動力。

アトミナは少し擦れ始めている。

メクレットだって、あまり気分は良くない。

人は変わらない。

何百年経っても。

だが、今度こそ。

世界を根本的に変えることが出来るかも知れないのだ。

近くの遺跡に移動。

既に護衛の深淵の者達が待っていた。

「お待ちしておりました、主様」

「それで、例の子は、もう故郷に戻っているの?」

「間違いありません。 ライゼンベルグの試験突破年齢はやはり史上最年少で、話題になっている様子です」

「実力は?」

中々だと。

深淵の者の一人。

錬金術師でありながら、深淵の者になった男。ヒュペリオンが率直に述べる。

側にいるケンタウルス族の獣人、レンデルセスが。牙を剥いた。

彼女は理から外れたティオグレン王の末裔で。

深淵の者の中でも現在最も期待されている若手だった。

とはいっても、長命種なので、既に五十を超えているが。

「同族だからと言って、贔屓しておるまいな」

「幼児でありながらあの試験を突破したのだ。 間違いなく天才と言って良い。 ただ少しばかり家庭環境が不幸でな。 其処が少しばかり不安ではある」

「まあまあ二人とも。 それは現地の深淵の者にサポートさせれば良い。 では案内してくれるかい、ヒュペリオン」

「主様の仰せのままに」

メクレットが声を掛けると。

恭しく、ヒュペリオンが空間転送の道具を起動させた。

その場には何も残らない。

深淵の者数名もろとも。

アトミナとメクレットは。

姿を消していた。

 

(続)