ハッピー雪だるま
序、悪夢の目覚め
良くラブコメなどで、幼なじみが起こしに来るとか言う噴飯もののシチュエーションがある。
生憎私にも幼なじみがいるが、奴は起こしに来るどころか、朝から災厄をばらまきにやってくるのだ。
今日も、そうだ。
朝、静かに起きる事さえ出来ない。
いきなりの激痛に見舞われ。
何か美味しいものを食べる幸せな夢を見ていた私は、いきなり現実へと引っ張り起こされる。
視界が定まるとか。
天井が見えるとか。
そう言うことさえ無い。
飛び起きた私は。
そいつ、如月元世の顔を至近距離から見ることになった。しかもそいつは、私の寝室にどうやってか侵入したあげく、ほっぺを両側に引っ張るという悪行をこなしていたのだった。
「起きたか!」
「……」
とりあえず、痛いので離して欲しい。
私より大分体格が小さい元世は。私の上に跨がって、ほっぺを左右に引っ張っていたのだけれど。
此奴、体格が私より小さい割りに、力が無茶苦茶に強いので、迂闊に抵抗できないのである。
私の最悪の幼なじみこそ、この元世だ。
性別が同じだから、朝起こしに毎日来ることもないし。
両親が何故か信頼しているので、部屋に時々、気分次第で侵入してくる迷惑極まりない奴である。
今日起こしに来たのは。多分ろくでもない理由からだろう。
「とりあえず、どいてくれないかな」
「別に良いけど」
「何をすればいいのさ」
うんざりした私が言うと。
元世はにんまりと、邪悪極まりない笑みを浮かべるのだった。
具体的な作業については告げられなかった。
とにかく、今は上をどいてくれただけで嬉しい。体重も軽いのに、なんで此奴は、こんなにパワーがあるのか。
低血圧な私は、目だって覚めるのが遅い。目を擦り擦り起きる私を、値踏みするように、元世は見ている。
何だか、とてつもなく、嫌な予感がした。
叩き起こされて不機嫌どころでは無い私を引き連れて、元世が現れたことで。両親も、朝食をはじめる。
いる事が当然のように朝飯を食べ始める元世。
背丈は私より大分低くて、140センチ後半。これで大学二年生なのだから、世も末である。
かといって、私だって150センチそこそこしか無いから、背はお世辞にも高い方とはいえない。
四人で、むしゃむしゃと朝ご飯を食べているうちに。思いついたらしく、元世が好き勝手なことを言い出す。
「夕方くらいから、雪が降り出す」
「へー、それで?」
「雪だるまを作ろう」
そんな事のために、私の安眠を奪い去ったのかこの偽ロリ女は。
夕方くらいから雪が降り出すと此奴がいうなら、多分そうなのだろう。ただ此奴は大学生で暇かも知れないけれど。私はまだ高校生で、これから受験を控えているのである。此奴はある理由から確か普通の大学生より忙しい筈だが、それでも今の私よりは暇なはずである。
ましてや此奴があっさり東大に入って、私は六大学どころかかなりランクが落ちる大学くらいしか狙えないことを考えると、腹が立って仕方が無い。
まだ十月なのに雪が降るというのは正直解せない部分もあるのだけれど。
まあそれはいい。
此奴の予言は外れたことが無い。
幼い頃は、此奴が言うことがぴたりぴたりとあまりにも当たるので、心の底から尊敬するという愚行を行っていた私である。
今では、それが天才的な勘によって導き出されているという事は知っているし。
此奴が尊敬に値しないことも分かっているから、別に驚かない。
「多分積雪量は十五センチくらいかな」
「まあ、まだ十月なのに、そんなに降るの?」
「異常気象だなあ」
元世の言う事に対して、父母が好き勝手なことを返している。はっきり言って、私の安眠さえ奪わなければどうでも良いのだけれど。
いずれにしても、今日明日の貴重な休みは、此奴の思いつきで潰れることが、多分確定だろう。
「どーでもいいけどさ、夕方に降るのに、どうして今起こしたわけ?」
「準備があるから」
「私、受験生なんだけど」
「まあ、優理香ったら。 元世お姉ちゃんにそんな事をいってはいけませんよ」
母は完全に元世の味方だ。
まあ、ある意味当然かも知れない。東大に現役で一発合格を決めた上に、今でもかなりの上位成績を上げ続けているのである。
東大は世界的に見てそれほどランクが高い大学では無いなどと言う説もあるが、実際には違う。入るために要求される成績取得能力では、間違いなく世界でトップクラスだ。だから両親は、元世が私の勉強を見ることを期待している。それで少しでもマシな大学に入って欲しいと言うのだ。
まあ、その辺りの親心は分からないでもないけれど。
結果、私は此奴のオモチャにされている。
おかしいと思い始めたのは中学のころからだけれど。
「今の志望校なんか、寝てたって入れるんだし、問題ないっしょ」
「ちょ……。 オイ」
リアルで殺意が湧くが、しかし両親は元世の味方だ。
それに私も、頭が良くない以上、此奴に頼らなければならないという悲しい現実もある。いつか下克上してやりたいけれど。
圧倒的な力の差が、そうはさせてくれない。
「何なら私が、一ヶ月くらいみっちり勉強見てやろうか? 六大学くらいは入れるようにしてやる」
「まあ、元世ちゃん。 是非お願いしても良いかしら」
「うむ、まかして」
冗談じゃ無い。
此奴の学習とやらは、殆ど洗脳に近いのだ。何度か学習を受けたことがあって、実際成績は上がったのだけれど。
その度に体重が数キロずつ落ちた。
ダイエットだとかいうようなものではない。
文字通りの苦行だ。
しかも、たった一日の「勉強」で、体重が三キロ落ちたのである。今の私の体重は四十三キロだから、もし一ヶ月もやったら。
何も残らない。
背筋が凍るかと思った。
いきなり鼻をつままれて、びっくりして跳び上がりそうになる。満面の笑みで、元世がこっちを見ていた。
「今、面白い事考えてたな! さては私に面白おかしく蹂躙される白昼夢でも見ていたのかな」
「見てない!」
「まあ、一ヶ月で三十キロ減ったら、骨と皮どころか、内臓も残らないからなあ」
けらけらと笑う元世。
なんで此奴は人が考えている事が分かるのか。げんなりする。
或いは、三国志演義で、周瑜が諸葛亮に感じた恐怖は、こういうものなのかも知れない。そんな恐怖、知りたくは無かった。
食事が終わると、庭に出る。
何故か分からないけれど、元世は手際よくスコップを取り出す。
そらは晴れている。
しかも、天気予報では降水確率ゼロ%。
どうしてこれで雪が降るなんて判断したのか。だが此奴の予言が冗談ぬきに当たることを、私は知っている。
スコップをふりふり、ニセ童女は庭で妙な踊りを繰り広げていた。
はっきり言って、それだけでも恥ずかしくて、顔から火が出そうなのだけれど。
不意に、後ろから声が飛んできて、思わず縮み上がる。
「ゆーりーか」
「な、何だよ」
振り返ると、其処には。
私を脅かす第二の悪魔がいた。
ちびっ子の元世と違って、此奴は背丈的にも同じくらい。年は元世より一歳下。ただ此奴、現役のアイドルをやっているほどの器量よしだ。もっとも、見かけと性格は正反対だが。
天使のようだと言われる容姿とその声と裏腹に。
元世の大の仲良しであり、悪事の仲間だというだけで、その残虐ぶりがよく分かろうというものである。
大学には行っていないが、既にデビューしてかなり稼いでいる。勿論組んでいるのは、元世とだ。
元世は学生起業家なのである。
普通の学生より忙しいのは、そのためなのだ。
この邪悪なアイドルの名前は平石清音。
悪魔が二匹になった事で、私の退路は無くなった。此奴らがつるむと、破壊力は五十倍くらいになる。
私は知っている。
中学の時、此奴らの悪戯(ばれるはずも無い)で、学校が二日間休みになった事を。
高校のときには。
此奴らの悪戯で、学校が一週間休みになった。
いずれもばれるはずも無い。学校では品行方正の優等生に、カリスマアイドルで通っているのだから。
実際清音にいたっては、学校ではキラキラオーラをばらまきながら、謎の人脈を作り上げていた。近くを歩くだけで。ただそれだけで周囲の男子達を根こそぎ籠絡し、親衛隊まで作っていたほどである。その中の何人かは、高校を清音が出た後も、親衛隊を続けているとか。
まさに人外。
テンプテーションか何かの魔法でも使っているかのような光景だった。しかも効果は女子にまで発動するらしく、嫌われることさえ無かったというのだから、奇怪極まりない。
隣に住んでいる私は、此奴がどんだけ性悪で残虐かよく知っているので。至近に迫られると、恐ろしくて仕方が無いのだけれど。
「んー、相変わらず怯える顔も可愛いのである」
「そうだろ」
何故か清音は、時代劇の殿様みたいなしゃべり方をする。理由はよく分からないけれど、仲間内でだけはそうなのだ。
これが清純派アイドルとしてステージでは天使の歌声を披露しているのだから、正直よく分からない。
しかもどうしてか腕力も強くて、一度襲いかかってきた大型犬を回し蹴りで一撃KOしたのを見た事もある。
あ、これは脚力か。
「で、今回は何をするのであろうか、朋友よ」
「うむ、雪だるまを作る」
「それは上々。 しかしてそこの優理香は如何にして役立てるか」
役立てると来たか。
真っ青になっている私を見て、悪魔二匹はにひひひと笑うのであった。
1、雪やこんこん
本当に雪が降り出した。
まだ十月なのに。しかも、天気予報では、降水確率ゼロ%だったのに。まあ、この辺りは、あの化け物どもに接している私としては、驚くことでは無い。
予言を元世がして。
人数を清音が集めて。
そして私が遊ばれる。
この関係は、昔から変わっていないのである。
「これは痛快なり。 本当に雪が降り出したのであるな」
「何、簡単な事だ。 天気図から洞察しただけのことだよ」
「さすがは元世姉。 それで、これから如何いたす」
「まずはこれだ」
そう言って、何か変なものを庭にばらまきはじめる。
元世の家は製薬会社に務めているだとか。その関係か、物置にはよく分からん薬剤をたくさんためこんでいる。
それにしても、どうしてアイドルがこんなしゃべり方をしているのか。
あまり詳しくは聞いたことは無いけれど。
彼女は帰国子女で、日本語を時代劇で覚えたから、という話もあった。しかし、私は疑っている。
どうやら、元世に面白いしゃべり方を覚えろと言われて、身につけたらしい。
言われて出来る事では無いし。
何より、しゃべり方を切り替えるというのは、生半可な技では無い。それだけでも、このアイドルが柔な小娘で無い事は確かだ。
とりあえず撒かれたものが何かは知らないけれど。
その後私は、シャベルを使って、地面をならすのを手伝わされた。何か撒いて、地面にならす。
その間も、雪はどんどん強く降り始める。
辺りはパニックになっているけれど。
この家だけは静かなものだ。私も今は、大学受験間近で学校に行っていないので、どうせ急ぐことは無い。
どのみち、親が言うように。
一ヶ月、元世と缶詰で勉強漬け。その間に体重が三分の一くらいになって、死ぬのが未来予想図なのだ。
目を擦りながら地面をならす。
私は一体、何をしているのだろう。
しかも、夕方まで、色々と訳が分からない準備にもつきあわされていて、今の時点でかなりくたくたなのだ。
雪はすぐにつもりはじめた。
ただし、庭はやたらと積もるのが早い。
「雪が溶けないように処置をした」
自慢げに元世が言いながら、今度は別の薬剤を、ドアから門扉まで撒きはじめる。これはおそらく、雪が溶けやすくなる薬剤なのだろう。
手際よくスコップを使って、清音が邪魔っ気な雪を外に出していく。私も手伝うけれど、此奴らの効率の良さには叶わない。
私の家はそこそこに庭も広いから、充分なスペースが確保できるというわけだ。
黙々と手伝わされているうちに。
雪は完全に本降りになった。
「よーし、一旦撤収!」
元世が号令を掛ける。
基本的に元世と清音は非常に仲が良くて、連携が崩れる事はまずない。私は手下としてこき使われる事に何処かであきらめを感じてしまっていて、これから何が起きるのか、途方に暮れるしか無いのが悲しい。
何というか、ホラー映画のモブだ。
ゾンビに襲われてはキャーキャー悲鳴を上げて逃げ回り、むしゃむしゃ食われる。
サメだの大蛇だのに襲われては、キャーキャー以下略。
で、私がむしゃむしゃされてる間に、元世と清音が怪しい新兵器であっさり敵を退治したり、ゾンビの群れを蹴散らすというわけだ。
悲観的に過ぎると思うかも知れないけれど。
実際にこれは事実なのだから仕方が無い。
いつ頃からだろう。
此奴らにひよこのようについていったことが、黒歴史だと思えるようになってきたのは。
とにかく正気に戻る事が出来たのは良かったけれど。はっきり言って、冗談では無い。いつまで此奴らにつきあわされるのだろう。
家に入ると、都合良く両親が温かい鍋を作って待っていた。或いは元世が先に手を回していたのかも知れない。
うまいうまいとむしゃむしゃ食い始める悪魔共。
私もささやかに口に入れたけれど。すぐに鍋の中身はほとんど空っぽになってしまった。アイドルがそんなに喰って良いのかと横目で見たけれど。頭の中身を、速攻で元世に読み取られてしまう。
「その分動いているから平気だ!」
「うむ、私の体内で、今エネルギーが燃えさかっておる!」
「まあ、清音ちゃんたら、相変わらず面白いしゃべり方ね」
それで良いのか、母。
私はげんなりしながら、母が作る美味しい鍋を口に入れた。ちょっとしか残っていなかったけれど。
それから、私の部屋を占領されて、ゲーム大会が始まる。もちろんだが、私の許可なんて、得るはずが無い。
それどころか、何処に何があるかさえ、元世は勝手に把握しているのだった。
どういうことだ。私が知らない間に、部屋に侵入していたのか。鍵だって掛けていたはずなのに。
それにしても、何故ゲームなのか。
しばらくはパーティゲームで時間つぶしをする、と言う事らしいというのは、どうにか見ていて分かった。
私も練習はしているゲームなのだけれど。
此奴らは。特に元世とはまるで勝負が成立しない。此方の手の内は全部読まれて、先手をことごとく打たれる印象だ。
「相変わらず下手だなあ」
事実を冷然と告げられ、言葉も無い。
他の人間。たとえばクラスメイトとかと遊ぶときは、此処まで一方的な結果にはならないのだけれど。
此奴らが、人外にもほどがありすぎるのだ。
対戦以外ならましかというと、そうでもない。
黙々とそれぞれが点数を重ねるようなタイプのゲームだと、余計に実力差が強く浮き彫りになってくる。
「それで、いつまで続けるの」
「まずは明日の朝まで」
「無理ですっ!」
「相変わらずひ弱なことであるな」
清音がケラケラと笑うが。此奴と一緒にだけはされたくない。
勘違いしている人間も多いが、アイドルは体力の塊だ。考えて見れば分かる事だが、まぶしい上に死ぬほど暑いステージの上で、踊って歌って。なおかつ過酷なスケジュールをこなさなければならない。
まともな体力で出来る仕事では無い。
特に此奴は、確か今年の夏のステージで、十二曲をぶっ続けで歌い通したという伝説まで作っている。
ドルオタと呼ばれるファンの間では、いずれ芸能界のドンになると噂されているらしいと聞いているけれど。
この抜群のルックスと体力、何より邪悪極まりない性格があれば、それも可能なのだろう。
時々清音には、芸能界の嫌な現実を散々聞かされる。
誰がSMマニアだとか。
宗教の広告塔になっているとか。
不倫関係になっているのが誰々だとか。有名な男性アイドル事務所は、社長が権力を笠に若い肉体を蹂躙し、その結果全員が尻を開発されているとか。週刊誌に流されているのは、その一部の情報に過ぎないとか、嫌なことをたくさん教えてくれた。
清音も凄まじいが、更に上を行くのが元世である。
確か何年か前のマラソン大会で、十五キロを走り抜いた後汗一つ掻いていなかったのを見た事があるが、そんなのは序の口。
四徹して平気だとか言う噂がある。
信じたくない。
「じゃ、体を動かすか」
「ちょ、やめ」
いきなりひょいと元世に担ぎ上げられた。体格は私の方が全然上なのに、体のつくりが根本的に違うのだろう。
それこそ砂糖の小袋でも運ぶように、元世は私を運んでいく。もがくけれど、何しろ足が地面についていない状態で、下手に落とされたら本当に命が危ない。がくがく震えながら、抗議するしかできなかった。
「外で踊るのであるか」
「いいねえ、これを傘にして踊るか」
「やめて! 死ぬ!」
「何、大丈夫であろう。 私としても、その光景は是非見てみたいものよ」
からからと笑う悪魔アイドル。
雪は更に強く降り出していて、まるで視界が白く覆われるよう。ふと、元世が足を止めた。
「如何した、元世姉」
「……ちょっと降りすぎるかも知れん」
「何だ、調整をするか」
「その前に下ろして!」
いきなり顔面が地面に急接近したので、心臓が止まるかと思った。
不自然な体勢のまま元世は、けらけらと笑っていた。ブリッジみたいなこの体制でどうやって立ってられるのか。さっぱり分からない。
そのまま、ひょいと下ろされる。
尻餅をついた私はもう涙目で、抗議する余力も無い。逃げ出したいけれど、何処へ逃げ込めば良いのか。
物置から、元世がシャベルと薬を持ってくる。
撒くように言われたので、涙目のまま、作業に取りかかる。どうせ私に人権は無いんだ。そう、嘆くほか無かった。
家の外は、もう完全に真っ白。
車の轍が残っているけれど、それだけだ。
「アイドルの仕事は……」
「私は活動が動画投稿サイト中心だからな。 故に問題が無い」
「はあ」
何でも元世は、芸能界に見切りを付けていて、清音を現在力がある動画サイトを中心に活躍させているという。
それでもテレビなどより集客効果は凄まじいらしく、CDやグッズも売れに売れているのだとか。
テレビ局が目をつけて交渉に来てからも、そのスタイルに変更は無い。
むしろテレビ側が足下を見られて、地団駄を踏んでいるらしい。かって彼らは芸能界という巨大な闇を支配する邪悪な魔王に等しかったけれど。動画投稿サイトなどの隆盛で、テレビの権力は著しく落ちてきている。
ネットを中心にカリスマ的な戦力を有している清音は、いろいろな意味で、テレビにとっては黒船なのだ。
そのような状況なら、忙しいように思えるのだけれど。
なんで元世と清音は遊んでいられるのか、それが分からない。しかし、それについては応えてくれなかった。
ぐしょぐしょに溶けたままの雪を、スコップで掻き出す。
薬剤を撒いたかそうで無いかで、完全に見栄えが変わっている。ご機嫌な様子で、元世が鼻歌。
「ご機嫌よな、元世姉」
「雪やこんこん、霰やこんこん、だ」
「うむ。 時に優理香はどうする」
「雪だるまにしようか」
背筋が凍りそうになる。
だが、此奴らならやりかねない。逃げようと思った瞬間、伸びてきた手に襟首を掴まれ。小動物のように釣られた。
「も、もう許して」
「何、もう少しの辛抱だ。 時に元世姉、このくらいで薬は平気か」
「丁度良いだろう。 さて、朝までゲームをして遊ぶか」
何だろう。此奴らのテンションは。
さっぱり分からないが、とにかく私は生きて朝を迎えられるのか、さっぱり分からなかった。
2、一面の銀
翌朝。
とはいっても、眠ることなど出来なかったけれど。一晩中、元世と清音に遊ばれていたのだから。
幼い頃は、一緒に遊んで貰う事が、とにかく楽しかったけれど。
今では、恐怖しか感じない。
多分、怖い者知らずだったのだ。側にいるのがライオンと虎だと知らずに、兎が遊んでいた。
それが私という存在だったのだろう。
家の外に出ると、真っ白。文字通り、銀世界という奴だ。
「うむ、良い頃合いだな」
「元世姉、撮影機材の準備はどうなっておる」
「既に手配済み」
何だろ。
いや、何となく分かってきた。此奴ら、まさか。
清音のPVか何かを撮影するつもりで、ずっと行動していたのか。なるほど、それなら分かる。
元世が手慣れた様子で、カメラをセットする。
邪魔になりそうだから、逃げようかと思った私は。襟首を掴まれて、ぐえっと思わず呻いていた。
「雪だるま」
「えっ!?」
「雪だるまを作る」
笑みのまま顔を近づけてくる元世。とにかく怖い。
此奴が笑っているときは、ろくでもない事を考えていると、相場が決まっているのだ。口をへの字にしている時は、それ以上にタチが悪い。機嫌が悪いときは、此奴は文字通り、周囲を壊滅的にまで振り回すからだ。
言われたまま、雪を掻き回して、まずは球体を。それを雪の上で転がして、少しずつ大きくしていく。
「そっちは撮影で使うから」
細かい指示が入った。
玄関から門扉に伸びている、雪が無い路。
其処から向かって右側を、アイドルである清音のライブ撮影に用いるらしい。私は向かって左側で、黙々と雪だるまを作るというわけだ。
はて、雪だるま。
何のために。
ある程度雪玉が大きくなってきたところで、不意に元世が割って入る。そして器用に雪玉を抱えて、持っていった。
「もうちょい小さなのをもう一個」
「えー?」
「もう一個」
「あっはい」
逆らおうものなら、多分コブラツイストを掛けられる。此奴のパワーは、男子にも負けないくらいなのだ。
事実クソ重いはずの撮影機器を、何の苦労もせず持ち運んでいる。常識など、此奴には通用しないのである。
嘆きながら、雪だるまをもう一つ作成。
此方もやはり、元世がひょいと抱え上げて、持っていった。
そこからが凄かった。
なにやらスプレーらしきものを取り出して、雪だるまに噴きかけていく。どうやら雪だるまを成形するためらしい。
滅茶苦茶綺麗な球体に、見る間に仕上がっていく雪だるま。
更に棒を突き刺し、手袋を。
バケツをかぶせて、帽子に。
手慣れている。
手慣れすぎている。
此奴と一緒に、雪だるまなんて作った覚えは無いのに。色々持ってくるように言われて、そのまま動く。
あまりにも手慣れているけれど、考えて見れば元世は特別製だ。何をどうすればどういう結果が生まれるかくらい、頭の中で即座にシミュレートできるのだろう。そう思えば不思議でも何でも無い。
その間に、清音はと言うと。
何か良く分からないものを、ステージにするらしい雪の上に撒いていた。
「雪が降れば完璧なのであるが」
「いや、昼からは平年並みの気温になって、一気に雪が溶け出す。 撮影まで時間はあまりないぞ」
「分かったのである。 元世姉がそういうなら、そうなのであろう」
清音は発声練習を始めていた。
声だけは抜群に綺麗だ。
性格が最悪だと、此奴のファンに教えてやりたい位なのだけれど。そんな情報、どうせすぐにガセとしてかき消されるか、或いは相手にもされないだろう。
雪だるま完成。
散々こき使われてげんなりしている私の前で、清音はなにやらサンタらしいコスチュームに着替えていた。風俗とかで誰かが来ていそうな、パッツンスカートの奴だけれど。このルックス抜群の邪悪アイドルが着ると、とても見栄えが良くなるのだから不可思議極まりない。
人だかりが、既にできはじめている。
だが、それを途中から来たワゴン車が、追い払いはじめる。グラサンをかけた強面が来たので、皆さっと散っていった。
「何あれ」
「うちのスタッフである」
「あそう」
そうとしか、もはや応えられない。
確かに芸能界は修羅の世界だとか聞いているし、これくらいの連中を待機させておかないと、無理なのだろう。
実際テレビ局関係者から嫌がらせがあった事が、一切では無いとか、笑いながら元世が話しているのを、聞いたことがある。
しかし東大法学部にいる元世は、文字通り法の専門家だ。学習効率が極めてよく、既に六法全書はそらで暗記しているとか言う話だし、生半可な法律家では刃が立たないだろう。つまり、テレビ局側も、下手なことをすればどんな反撃があるか分からない、ということで、攻めあぐねているのだ。
「現在のテレビはなあ。 金とコネが物を言う魔境だが、それは閉鎖的な環境が造り出したよどみに覆われているからだ」
不意に、元世が機材をチェックしながら言い出す。
私も勿論手伝わされる。
不必要な力仕事が、余計に廻されるのは、悲しくて仕方が無い。だが、逆らえない。
「ブッ細工で歌もダンスも下手な、不自然なアイドルがたくさんいるだろ。 あれは事務所の関係者や、テレビ局の身内だ。 たまに綺麗なのもいたが、枕営業だの何だのを強要されて、まともな精神じゃやっていけない。 金がたまって腐敗すると、人間の組織なんてそんなになる。 利権がガチガチに絡んで、モラルが腐る。 それが現実でな」
そんな事をいわれても。
確かにおかしな事はたくさんあるとは思ったけれど。
ただ、モラル云々に関しては、元世や清音は別の世界の人間も同然なので、あまりどうこう言う資格は無さそうに感じるけれど。
「私は、そんなの分からない」
「与えられたものを喰うだけか? それじゃ豚だ。 与えられたものについて考えようとか、育てていこうとか考えなければ、それは家畜だ」
酷い言いようだけれど。
何だか語りはじめた元世は、口調も攻撃的になる。
ほどなく、準備が整ったらしい。
スタッフが一人、門扉の外で言った。
「元世さん、準備整いました」
「オッケー! ではいくぞ、清音!」
「合点!」
足も股まで出しているし、凄く寒そうな格好なのに。
つらそうなそぶりは欠片も見せない清音。
むしろ、今からのライブが楽しみで仕方が無いという顔をしている。内心はどうあれ、完璧に外面を調整できるのだ。
普段の性格の悪さを知っている私としては悔しいけれど。これがプロとしての清音の姿だ。
ライブが始まる。
音声は抑え気味だけれど。
撮影機器はプロ仕様の高級品。音響も、雪の中と言うこともあって、悪くない。しかも家の周囲に遮音板を張り巡らせるという徹底ぶりだ。
清音が、雪の上で作ったステージで踊り出す。
雪だるまも其処にあるけれど。
ダンスは滅茶苦茶考えられていて、動きにもキレがある。清音が凄まじい運動神経の持ち主だと言うことは知っているけれど、一度や二度の練習で、こんな事が出来るはずがない。
しかも滑りやすい雪のステージで、である。
テレビ局にちやほやされて。
ろくにレッスンもしていないような、コネで成り上がったアイドルには、とうてい無理な芸当だ。
声も充分に響いていて、美しい。
生まれて始めて。このステージを作った元世と、アイドルとしての姿を見せる清音を、私は凄いと思った。
一曲目、終了。
「はい、二曲目の準備だ」
「へ」
「へじゃない」
渡されたのは、巨大ななんというか、T字の棒。
元世はと言うと、ひょいと雪だるまを抱えて、別の方向に持っていく。持っていきながら、立ち尽くしている私に言う。
「ステージをならす!」
「あっはい」
もはや、逆らうことさえ出来ない。
言われるままにステージをならして、次の準備。雪はかなりの速度で溶け始めている。スポットライトが熱いのもそうだけれど。露骨に気温が上がり始めているのが原因なのだろう。
本当に昨日の雪は、何だったのか。
ステージをならして綺麗にすると、すぐにその撮影。
さっきより滑りやすくなっているはずなのに。キュートな動物をイメージした服に着替えてきた清音は、まるで先と遜色ないダンスを、最初から最後まで通してみせる。元々スペックが常人と段違いな元世と違って、清音はそれほどの天才では無かったはず。
本職のアイドルになってから。
余暇を全部レッスンにつぎ込んでいるのだろうか。
或いは、側にいる元世に、直接指導を受けているのかも知れない。
いずれにしても、尋常な努力で出来ることではない事くらいは、私にも分かる。少なくとも、生半可な人間に、同じ事は出来ない。凄いという事だけは、素直に認める。此奴らが悪魔も同然だから、褒められはしないけれど。
今度の歌は、雪そのものを題材にしているものではない。
多分夏を題材にしたものだ。
それを雪の中で撮影するというギャップが、曲の魅力を引き立てる、という事なのだろう。
完璧に清音がダンスをこなし終える。
二曲もこのスポットライトと雪の中で踊り歌いきったのだ。しかし、すぐに三曲目を入れるという。
「きゅ、休憩は」
「不要! この程度のダンスで、疲労など感じぬ」
清音も、汗一つ掻いていない。
化け物か此奴らは。
それよりも、時間の経過が、元世には怖いようだった。何度も時計を見ている。またT字棒を渡されたので、無言で雪のステージをならす。
少しは慣れてきたけれど。
考えて見れば、私は何故、こんなただ働きをさせられているのだろう。受験生だというのに。
大学受験の勉強を見てもらうことが報酬か。
しかし、此奴の勉強で、体重が激減したことを思うと、全然嬉しくないのも事実である。
元世がひょいと雪だるまを担ぎ上げると、また場所を変える。
撮影機器を調整しているが。
よく見ると、尋常な手の動きでは無い。ピアノでも弾くかのように、凄まじいペースで設定を変更している。
IT関連でも此奴は化け物か。
三曲目が始まった。
続けて四曲目。
そして七曲連続で歌い終わったころ、雪がついに尽きてきた。日差しも温かくなり、何よりスポットライトの熱量で、ステージに使っていた雪が溶けてしまったのだ。
「ふむ、此処までか。 元世姉、どうする」
「予定通り行けたからよしとしよう。 もう少し降れば、あと一曲は行けたのだが」
「それは惜しいがやむを得まい」
元世が手を叩いて、スタッフに終了を告げている。
そうすると、外で聴衆を追い払っていたスタッフが、ワゴンに乗って撤収していった。更に、遮音晩から最初に、撮影機具なども、順番に片付けはじめる。
勿論私は。
その力仕事の、殆どを手伝わされたのだった。
3、溶けゆく雪
夕方には、すっかり天気は元に戻って。
雪だるまも、溶け始めていた。
あれだけ元世は持ち運びして移動させていたけれど。どうして形が崩れなかったのか、分からない。
頬を撫でてみる。
雪だるまは、もうお別れだねと言わんばかりに、触ったところから溶けていった。
10月の、時ならぬ大雪。
それを予期していた元世。
あらゆる意味で、私には常識外れの出来事ばかり。
いきなり後ろからほっぺを左右に引っ張られたので、跳び上がりそうになった。
「な、何を」
「打ち上げだ。 早く入れ」
後ろにいたのは、当然元世だ。
家の中に入ると、清音はもう普段着に戻っていた。あれだけ歌って踊ったのに、平気な顔をしているのは、凄まじい。
此奴の体力に、上限というものは。
多分無いんだろうなあと、げんなりしながら思った。
夢を壊すようだが、アイドルにとって重要なのは、体力なのかもしれない。まずは体力。それからその他のスキル。
「おう、連れ戻ったか、元世姉」
「うむ、時に出来たライブ映像を流して見るか」
「そうしよう」
ライブの時は、声のトーンをあげて、あんなに可愛らしい歌を口から発していたというのに。
清音は家に戻ると、瞬く間にこの殿様口調に逆戻りだ。
でんと置かれたテレビで、ライブ映像とやらが流れる。もの凄く綺麗に映っていて、本職のアイドルの仕事というのが、一目で分かる。
大したものだと、感心してしまった。
その直後に。
あの悪魔二匹がこれを作ったのだと思い出して、げんなりしたが。
「此処、少し変えられないか、元世姉」
「そうよな。 調整しよう」
なにやら細かい部分の話をしている。ぼーっとしていたら、そのうち映像が終わった。これを動画サイトに流す、というわけだ。
新曲も、二つ含まれているという。
まずは再生数をどれだけ伸ばせるか、の勝負になるのだろう。
それからCD何かを実売する。
勿論通販で。
CDショップなんかは利権の塊だが、通販を利用して売るのであれば、そういったものを素通りできる。
勿論大手の通販では法外の手数料を取られるので、別の手段からだ。
こうして膨大な金が動く。
今では、元世の資産は、六億を超えているとか言う話だが。正直ぞっとしない。此奴に金なんか持たせても、碌な事にならないとしか思えない。
「それと、これを付録映像でつける」
映像が終わってから、元世が機材を弄る。
其処には。
右往左往している私が移っていた。
「ちょっ……!」
「これは面白いな!」
愕然とする私。
しかし、映像は容赦なく流れていった。
「清音ちゃんの新しい付き人、名前は優理香ちゃん! まだ慣れていない優理香ちゃんは、お仕事にも一苦労だ!」
止めようと飛びかかろうとした私だけれど。
即応した元世が顔面を掴んで、机に叩き付ける。
ぴくぴく痙攣する私を横目に、映像が流れていく。
泣きそうになって動き回る私。
元世に担がれて移動させられる私。地面寸前に顔を動かされて、真っ青になる私。だれが、いつ、とった。
清音が悪魔のような笑みを浮かべている。
こ い つ か。
「実に素晴らしい! 満足な出来である!」
「どーせろくな大学に行く気も無いんだろうし、此奴もアイドルとしてデビューさせよう、それでいい。 これはデビューPVとして丁度良いな」
「うむ、そうなるとまずはダンスと歌を徹底的に仕込むとしようず」
「幸い顔は並のアイドルくらいには良いからな。 お前のユニットに加えれば、そこそこファンもつくだろう」
ばたばた暴れる私だけれど。
何しろ元世の力は万力も同然だ。脱出などとうてい無理。
更に、である。
「あら、元世ちゃん。 うちの子、アイドルにしてくれるの?」
「どのみち将来はさほど明るくないでしょうし、それならば私の会社にて、面倒を見てさしあげましょう」
「まあまあ、素敵! 是非頼むわ!」
ちょっとまて。
私の人生は。
ぞっとする。此奴に一生、好き勝手にされるというのか。冗談じゃ無い。ばたばたあばれる私だけれど。
父まで、好き勝手なことを言い出した。
「良かったなあ、優理香。 お前は顔はそこそこに良いし、アイドルやれるかも知れないって、父さんは内心思っていたんだぞ」
「……!」
どっか抑えられているらしく、喋ることが出来ない。
私の恥ずかしい画像は、まだ流れていた。
締めは、雪の中ですっころんで、顔面から雪の塊の中に突っ込んだ所。しかも顔が抜けなくて、ばたばたもがいている様子。
「実にキュートな尻だ!」
「私は動物か!」
思わず清音に抗議するが、とどめを刺したのは、その後の自動音声によるコメントである。
「ドジッ子付き人優理香ちゃんは今日も頑張る! 新しい清音ちゃんの付き人に、エールを!」
絶句した私の前で。
映像は終わった。
「な、なにこれ……」
「良かったな、優理香」
両親が、本当に嬉しそうに。両側から肩を叩いた。
本気で怖いのだけれど。
どうして此奴らは、元世の好き勝手に。いや、清音も合わせて、好き勝手にされているのか。
洗脳でもされているのか。
それとも、私がおかしくて。周囲がみんな正常なのか。
皆の笑顔が、何か悪魔のものに思えてきた。逃げだそうと思ったけれど、がっつり元世に肩をホールドされる。
「よし、これからが正念場だ。 大学の受験勉強と合わせて、私がお前を一人前のアイドルに育て上げてやろう」
「ひいっ……!」
「お前はアホで間抜けでドジッ子というキャラがあるから、キャラは作らんでもいいな」
「むしろもう少し普通の方が良いかも知れぬぞ、元世姉」
さんざんな言われようだが。
家全体が悪魔の巣と化した今。もはや私に、逃れる場所も、隠れる部屋も、存在していなかった。
しかも悪魔の触手に捕まっている今、どうしようもないのが実情。
もはや、喰われる以外の路は、残されていない。
「まずは洗脳で、体重を落としつつ、学力をつけさせるか」
「い、今洗脳って言った!」
「今更言葉を飾っても仕方あるまい。 ついでに体力を付けて、なおかつアイドルやれるようにルックスも調整だな」
「逃げないように、モチベーション管理できるよう、精神にくさびを打ち込むのも良いかもしれぬぞ、元世姉」
かわされている会話が、ことごとくいろんな意味でおかしい。
私はもはや、この世に神はいない事を知ってはいたけれど。悪魔がこうも支配しているとは思えなかった。
さっきまでは。
今は嫌すぎる現実を、どうあがいても認識せざるを得ない。
この世は悪魔の支配地域。
そして私は。
哀れで無様な、悪魔の餌だ。ゾンビに襲われ、サメに食われる、哀れで無能なホラー映画のモブに過ぎないのだ。
「そ、それで私は、ど、ど、どうなる、の」
震えながら私が言うと。
満面の笑みで、元世は応えるのだった。
「一生、私のオモチャだ」
4、新しい朝
かくして、私の人生は終わった。
大学は元世が洗脳もとい勉強を教えてくれたおかげで、そこそこの所には入れたけれど。
その過程で、体重が二十キロ減った。
私の体重は四十キロ台だったから、文字通り半分になったのである。その時の有様は、はっきり言って思い出したくも無い。
骨と皮だけ。
しかも内臓にも大きな負担が掛かる。
ダイエットなんて、もう二度とやらない。絶対だ。絶対にだ。そう決意させられるほど、凄まじかった。
その上勉強とやらも、耳元から元世が訳が分からない言葉を延々と吹き込むという恐ろしいもので、それで成績が上がってしまうのだから謎極まりない。受験はあっさり突破出来たけれど。
勉強なんてした覚えは、さっぱり無かった。
恐ろしい事に、元世は、計画的にそれをやった。
その後、喰うものからどう運動するかまで完璧にコントロールされ。私はさながら、元世に好き勝手される人形と化した。
その結果、同世代の女子とは比較にならない、アイドルのものに相応しい、文字通り売り物の体になったのだが。
足も手も完璧なくらいの肉付き。
ついでにそれを行う過程で、散々体力を付けさせられた。
呆然としているうちに、歌を覚えさせられ。
大学の二年になったころに、デビューと称して動画を撮られ。恥ずかしい動画を、世界中にばらまかれた。
もっとも、高校のころに「ドジッ子付き人優理香ちゃん」として動画をアップされたころからファンはいたらしく。
私の恥ずかしすぎる動画をアップされたときには、なんと一日で40万ヒットという凄まじい記録をたたき出したのだが。
今も私は。
呆然としたまま。
恥ずかしい衣装を着せられて。
ライトがさんさんと輝くステージに、立たされている。
いつ頃からだろうか。
私の側には、雪だるまがいるようになった。
そして、語りかけてくるのだ。
「良かったね、優理香ちゃん。 アイドルになれて」
当然、私は。
怖くて、そっちを見られない。
「ちゃんと踊らないと、化けて出るからね」
背筋を冷や汗が流れる。
泣きそうだけれど。此奴が何をするか分からない以上、しっかりやり遂げないとならない。
或いは、洗脳の過程で元世に仕込まれたのかも知れないけれど。
もう、それを知るすべは無い。
もしかすると、あの雪の日の出来事は。これを見込んでの事だったのかも知れない。だとするとあの化け物は、一体何処まで先を読んでいるのか。やはり三国志演義の諸葛亮が、悪に落ちたかのような存在だ。
曲が始まった。
客どもが、サイリウムを振るっている。
既にテレビ局による、アイドルの一括支配の時代は終わっている。元世が終わらせたのだ。
今では地下アイドルやローカルアイドル、それに私や清音のようなネットアイドルの方が、テレビアイドルより力がある時代になっている。
当然、ライブにも客が集まる。
テレビも巻き返しに必死だが。
殿様商売を続けたせいで、他の業界の全てからそっぽを向かれているのが現状だ。視聴率も地面に激突寸前で、多分近いうちに一局か二局潰れるだろう。
歌いきると、すぐに次の曲。
四曲をステージで歌いきると、流石に疲れ切った。アンコールと客が騒いでいる。乾いた笑いが漏れてきた。
「いかないのかい?」
背中を、雪だるまに叩かれた。
いかないと、くっちまうぞ。
そう言われている様に思えた。
全身の恐怖と疲弊を引きずったまま、私はステージに戻る。
其処には、いかにも私で毎晩抜いていますという感じの顔で、「ファン」が大勢サイリウムを振っていた。
アイドルって何だろう。
そう、アンコールに応えながら、私は思った。
(終)
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