絶望の未来
序、深層の主
女神デメテルが、嘆きの胎第六層に降り立つ。ちょっとマンセマットをおちょくってきて、奴によって場が引っかき回されるようにしてきた。これで、明けの明星は対策に追われる事になる。
一番の懸念事項は鉄船の者達だ。連中が予定通りに動かなくなることが一番面倒な事態を引き起こす。
二番目が、明けの明星。
奴は単純に強い。故に、此方に干渉される訳にはいかない。
わざわざ愛娘を貸し出してまで、マンセマットに協力してやったのはそれが理由だ。
今、嘆きの胎六層は、多くの実がなる場所になっている。既に改造は完了した。此処は既に豊饒の土地。
デメテルの領土だ。
此処は最初は牢獄だった。混沌に傾いた大母メムアレフが、厄介な秩序陣営や中庸陣営の悪魔を閉じ込めるために作った牢獄。
一番面倒だった唯一神の写し身は人間達がグルースと呼ぶ土地に幽閉し。
更にバアルは勝手にするようにと協定を結んで、その辺に放置した。
バアルはもう何がどうなろうと興味が無い様子で、多数の下層世界をシュバルツバースに作り。次の世界に備えている様子だ。
これについては、牢を抜けた後直接確認した。
はっきりいってその有様は、最古の神と言うにはあまりにも情けないので。デメテルも、もう放置していた。
メムアレフが仮に目覚めたとしても、既にこの土地を侵すことは出来ない。
そして、此処の六層の牢獄には。
歩みを進める。目覚めたその者が、デメテルを認識したようだった。
「そこに誰かいますね。 貴方は……」
「久しぶりですわ、聖母マリア」
「……久しぶりです」
そう。
一神教において神格化された、神の子の母。あまりにも有名なる存在、聖母マリアである。
一神教では偶像崇拝を禁止し、一応神は絶対神のみとしているが。
実の所マリアに対する信仰は篤い。中には、他の神と習合して崇められるケースがあったり。更には日本の隠れキリシタンなどは、観音像に偽装したマリアの像を崇めていたことがある。
つまり聖母たるマリアは、一神教において実の所神に近い存在。
此処にいるマリアは、強いていうならば女神マリア。
勿論一神教では本来そういう事は認めないだろう。
だが、各地にある、特にキリスト教では。その信仰対象としての姿はどうしても非常に印象的である。
偶像崇拝を禁止しながら、結局偶像崇拝から離れられなかった一神教。それがキリスト教だ。
いずれにしても、世界でももっとも影響を持っている宗教、キリスト教において。
唯一絶対の神に次ぐ神の代行者としての圧倒的存在感を持つ存在こそ、この聖母マリアなのである。
実在のキリストの母親であったマリアがどういう人物であったのかなど、それこそどうでもいい。
ただ、信仰の対象だから、女神として此処に存在している。
それだけが、重要な事なのだ。
「貴方は何か企んでいるようですね。 人々を苦しめるつもりか、それとも我欲に基づいた行動か……」
「違いますわマリア。 もう企みは終わっていますのよ」
「……なるほど、理解しました。 間もなく此処に人の子らが来る。 私に出来るのは、その人の子らを試すことだけ。 そういう事ですね」
「ふふ、聡明なことですわ」
指を鳴らすデメテル。
側に歩み出たのは、娘のペルセポネだ。一礼するペルセポネに、マリアは応じる。
「ペルセポネ。 貴方はこれでいいのですか?」
「私は人の信仰と身勝手な神々、双方に踏み荒らされてきた冥界の花。 それならば、せめてささやかな意趣返しをしたい。 それだけよ」
「なんという。 貴方は悲しい存在です」
「同情は結構。 これを」
ペルセポネが引き渡したのは、マンセマットがせっせと作り上げていたもの。
正確にはサリエルがこしらえていたものだ。
マリアは基本的に戦闘を行う神格ではない。だが、力だけは無駄に有り余っている。
これは魔術を展開して、防御を増幅するための道具。
実際には形すらない魔術なのだが。それでも引き渡す事が出来る。
「ただ殴られるのを耐えるだけでは意味がない。 それを使って精々抵抗する事ね」
「はあ。 まあ良いでしょう。 ただ、私なりのやり方を採らせて貰いますよ」
「……」
ペルセポネは、デメテルを一瞥するとその場を去る。
もうこのシュバルツバースで会う事もないだろう。
ペルセポネはオリンポスそのものを嫌っている。デメテルだから何とか姿を見せてくれただけ。
実際には、顔を出すことさえ本来はなかっただろう。
でも、それでいい。
愛娘に会いたいという気持ちだけは、デメテルとしても本当だったのだから。
マリアに後は一言二言話をして、その場を去る。
言った通り、既に此処でやる事は全て終わっている。人間達は、このシュバルツバースと彼らが呼ぶ土地を解析するためにも、実りを集めなければならない。
実りの実体など、デメテルにとってははっきりいってどうでもいい。
顔を上げる。
鉄船が来たのを察知したからだ。
彼らはマリアと戦わざるを得ない。そしてその時には、実りは完成する。他の手は存在しない。なぜなら、彼らがシュバルツバースと呼ぶ土地を解析しなければならないからだ。
ならば、既にデメテルの策はなっているのである。
一旦その場を離れる。如何にこの土地を実質上支配しているとは言え。それでもデメテルにとってリスクがある行動は避けたい。
それに、だ。
五層に潜んでいる赤黒が、万が一にもマリアを倒したらそれはそれで計画が狂う。あれにも、ちょっかいを出しておく必要がある。
さあ、もう少しだ。
オリンポス神族の醜悪な内ゲバに翻弄され続けたデメテルの復讐は、もうすぐ完遂することになる。
そしてその時には。
この星そのものが。デメテルにとって都合が良い場所に変わるのである。
全てが理詰めだ。デメテルは、ほくそ笑みながら、五層に向け動いていた。
赤黒を殺す必要はない。少なくとも、赤黒が余計な事さえしなければいい。
あいつが三層で余計な事をしたせいで、多少の計画の狂いが生じたが、それももう修正ずみである。
これ以上の計画の修正はさせない。
故に、下手に動くようなら拘束はしておく必要があった。
ところが、だ。
赤黒は五層から、インドラの戦車に乗って移動を開始。浅層へ移動する。まさか、直接方舟に接触するつもりか。
五層に入った辺りでそれを察知したデメテルは、少し考え込む。
だが、すぐに凄惨な笑みが浮かんでいた。
赤黒が鉄船の連中と直接接触しても、特に問題は無いか。元々シュバルツバースと鉄船が呼ぶこの世界。
どの道多少の追加知識では、崩壊させる事など出来はしないのだから。
方舟、レインボウノアが再び嘆きの胎に入る。
大物との連戦が続いているが、クルーの負傷者はいても戦死者はでていない。一線級のクルー達の戦闘経験が蓄積されて、それぞれが上手に致命傷を避けているし。医療班も手慣れてきている。前線に出て来ている、メイビーのような元医療班の機動班クルーも存在している。
これから嘆きの胎最深部、六層に侵入することは既に皆に周知されている。六層には化け物のような看守悪魔がゴロゴロ彷徨いていることも。
だが、ゼウスを下し、インド神話の神の力とも呼べるマーヤーを下した今では。
もはや、それらすら手が届かぬ相手では無い。
勿論油断することも出来ないが。
その代わり、過剰に怖れる必要がない相手にもなっていた。
降下を開始する方舟。
もう揺れることも無い。400メートルを超える巨船だが、宇宙に進出した場合、このサイズではまだ小さいという話もある。
いずれこのサイズの宇宙船が量産されることになるのだろうか。
真田さんは、それを見越しているようにも思える。
唯野仁成は物資搬入口で、ヒメネスとともに備える。五層より上の看守悪魔がすっからかんになり。
更にはゼウスがいなくなった事は、六層の看守悪魔達も掴んでいるはずだ。
今までも訳が分からない能力を持った看守悪魔は山ほどいた。
センサーをかいくぐって、其奴らがいきなりなだれ込んでくる可能性は否定出来ない。
勿論、プラズマバリアの性能はあの堕天使ルシファーですら簡単には侵入できないほどに強化されているし。
レーダーも、身を隠すのが得意な悪魔を散々解析した結果、恐るべき強化を遂げている。
それでも、絶対は無い。
戦場を実際に知っている唯野仁成は、絶対というものが存在せず。それを信じる事が如何に危険か知っていたし。
このシュバルツバースで、更に思い知らされてもいた。
方舟が着地。周囲のプラントや野戦陣地は無事だ。姫様が物資搬入口に来る。一神教徒のクルー達も、敬礼は既に欠かさない。
頷くと、姫様は周囲を見回す。
あのゼウスとも真正面から渡り合ったほどの武神だ。
この人が察知できない相手なら、もうどうしようもないだろう。
「悪魔はいないが、違う面倒なのが来ているのう」
「? どういうことだ、姫様」
ヒメネスの言葉に頷くと、マクリアリーを呼ぶサクナヒメ。
すぐに船外のカメラを確認するマクリアリーは。驚いたように、声を上擦らせていた。
「アレックスです! アレックスが、船外に来ています!」
「総員戦闘態勢! 勝てる自信があってきたのかも知れん。 今では危険度は下がったと認知していたが、それでも油断はするな!」
ゴア隊長の声とともに、クルーが更に物資搬入口に増員される。
ストーム1も来たが。ストーム1は、しばし目を細めると、サクナヒメに言う。
「殺気も戦意も感じないが……姫様はどう思う」
「わしも同感だ。 どうやら戦いに来たわけではなさそうだのう」
「デメテルの気配が遠くにある……これは様子を見ていると考えて良さそうだが……」
「あの腹黒が。 何を目論んでいるのやら」
プラズマバリアを解除。野戦陣地は臨戦態勢である。
とはいっても、此処に配置している野戦陣地だけでは、アレックスを仕留めるのは不可能だろう。
そもそも人知を越える戦闘力を今までも見せてきている。
今では、スペシャル達や、唯野仁成やヒメネスがもうアレックスを上回ったと言うだけで。
他のクルーでは、まだアレックスには及ばないだろう。
手持ちを悪魔を全展開されたら、野戦陣地だって蹂躙されるのは確定だ。
つまり、唯野仁成達が出なければならない。
物資搬入口を開く。
さっとクルー達が展開する。最初に飛び出したのはサクナヒメとストーム1である。
その後、唯野仁成とヒメネスも出る。
クルー達が銃を構えるが、サクナヒメが右手を横に。
撃つな、という意味だ。当然だが、ハンドサインはサクナヒメも把握している。
「アレックスよ。 何をしに来た。 今までのそなたの行動を考えると、皆が殺気立つのも当然だと言う事は分かっておるな」
「……武神サクナヒメ、貴方の言葉ももっともね。 ただ、このデモニカは食糧などは生成できても白旗は生成できないの。 こうすればいいかしら?」
アレックスが、光の剣と拳銃を捨て。そして両手を上げた。
そして唯野仁成を見た。
「貴方が今までの唯野仁成とは違うと判断したわ。 故に、全てを話そうと決めたの」
「……他のクルー達にも話をしてほしい。 君が未来の平行世界から来た事はほぼ見当がついている。 具体的に何があったのか、俺とヒメネス、ゼレーニンが何を未来でしでかしたのか、教えてくれ」
「……その前に。 今までに影から確認したのだけれど、ヒメネスもゼレーニンも人間のままなのね。 ライトニングはどうしたの?」
「潰したが。 勿論此方に被害などない」
ストーム1が簡潔に説明をし。流石にアレックスも絶句したようだった。
困惑している様子のアレックスに変わって、ジョージが話す。
「確かにこの巨大な次世代揚陸艦の戦闘力なら、ライトニングなどものともしないのかも知れない。 アレックス、予定通りに進めよう」
「……分かったわ」
「では、降伏を受け入れる。 国際条約に沿って扱うが、かまわないな」
「ええ。 そんなものがまだこの時代には存在していて、私をそう扱う余裕があるのね」
ほろ苦い笑みを浮かべるアレックス。余程の地獄を見て来たのだなと、唯野仁成は悟る。
事実途上国の紛争地帯では、そんな条約何の意味も持たないことが多い。身で味わった事だ。
サクナヒメが、唯野仁成に声を掛けて来た。
「アレックスの方は任せる。 わしは部隊を率いて外を見張る。 どの道科学の難しい話はわしにはわからん」
「ありがとうございます、姫様」
「……アレックスは兎も角、デメテルの動きが気になるのだ。 まあ、奴には何もさせぬよ」
そうサクナヒメが言うと、圧倒的な安心感がある。
両手をあげたアレックスに手錠を掛けようとヒメネスが動いたが、ストーム1が良いと言う。
「どうせ手錠など引きちぎられるだけだ。 そのままでいい」
「そうか、確かにデモニカで超強化されてるからな……その通りっすね。 手錠を無駄にすることはないか」
「唯野仁成、俺と共にアレックスを見張り尋問につきあってくれ。 ヒメネスは、その剣と銃を真田技術長官に届けてほしい。 気を付けて扱え」
「ああ、分かってる」
船内に移動。サクナヒメは十五人ほどの一線級機動班クルーを連れて、外で見張りを続ける。
機動班のクルー達は、サクナヒメにほぼ絶対の信頼を預けているので、全く緊張している様子は無かった。
船内を、アレックスを挟んで、唯野仁成とストーム1で連行する。
いきなり艦橋に連れていくほど大胆にはなれない。幾つか部屋があるので、その中の一つを使う。
部屋に入ると、プラズマバリアを局所的に展開。
この部屋は、方舟が出港する前に、デモニカに経験を積ませる為。ストーム1とケンシロウ、ライドウ氏が戦闘訓練をしていた部屋らしい。
文字通り実戦形式で戦闘をしていたので、プラズマバリアを展開しておかないととてもではないが使えなかったそうだ。
まあスペシャル達の戦闘力を考えると、当然だろう。
椅子や机が部屋に運び込まれてくる。アレックスは周囲を不安そうに見回していたが、ジョージが時々緊張を緩和する為か話しかけていた。
「バディ、彼らに殺意は無い様子だ。 緊張しなくてもいい」
「ええ、分かっているけれども……」
「此方真田だ」
机の上に置かれた端末に、真田技術長官が映り込む。
真田技術長官、真田さんと親しみを込めて呼ばれるこの人は。偉大なる学者にして技術者だが、戦闘能力はない。この場に来るには危険すぎる。遠隔で話をするのは、まあ当然の事とも言えた。
「君がアレックスだね。 私はこの方舟、レインボウノアの設計を担当し、今までも様々な機械を開発してきた国際再建機構の技術長官真田だ。 君が未来の平行世界から来た事は大体想像がついている」
「そう、この巨大な次世代揚陸艦は貴方が作ったのね。 貴方は何者? それに他の異常なスペシャリスト達は何?」
「順番に互いに情報交換をしていこう。 まず国際再建機構からだ。 国際再建機構は、戦後の日本の混乱期に、人型の巨大ロボット鉄人28号を駆って様々な悪の組織と戦った伝説の英雄、金田正太郎長官が設立した国際組織だ。 現在は世界の紛争の半分を解決し、役に立たない国連の代わりに強力な抑止力となっている。 この次世代揚陸艦も、米軍が手放した次世代揚陸艦四隻を国際再建機構が引き取り、その部品を主に使用して建造したものだ」
「聞いた事がない単語ばかりだわ……」
アレックスは更に困惑している様子だ。
ムッチーノが来て、ジュースを置いていく。合成だが悪くない味のものである。唯野仁成が先に飲んで見せて、安心してもらう。
少し迷った後、アレックスはそのジュースを飲んだ。
「君のいた未来には、恐らく国際再建機構は存在しなかったのだろう?」
「ええ。 無能な国連と、先進諸国がやっとどうにか合意して、米軍が建造中の四隻の次世代揚陸艦を中途半端な完成度でシュバルツバースに送り込んだと聞いているわ。 その中の一隻が、本来唯野仁成が乗り込んでいたレッドスプライトよ」
「レッドスプライト、ブルージェット、エルブス、ギガンティックの四隻は、この方舟レインボウノアの素材になった四隻だ。 そうか、あの技術的にも問題だらけの四隻で、このシュバルツバースに突入したのか。 その時点で大きな被害が出たのだろう」
「……私が知っている記録によると、どんなに良い条件でも突入の時点でレッドスプライト以外の三隻は撃沈されたわ。 そしてブルージェットからはヒメネス、エルブスからはゼレーニンしか助からなかった」
それは、また凄惨な話だ。そしてそんな状態では、ヒメネスやゼレーニンは心を病んでしまっても不思議では無い。
更にアレックスは言う。
「レッドスプライトも殆ど座礁同然でアントリアに不時着して、その時点で総隊長のゴアも戦死。 船内に入り込んだ悪魔によって多くの隊員も殺されて、突入前の戦力の80パーセント以上を喪失したと聞いているわ」
「私がどうかしたか」
「!」
ゴア隊長が映像に映り込んだので、アレックスは流石に立ち上がっていた。
ストーム1が鋭い視線を向けたので、無言でそのまま座り込む。ストーム1は針のような注意をずっとアレックスに向けている。最悪の事態に常に備えている、という事である。
「アレックス、間違いなくゴア隊長本人だ。 この世界では生きていると言う事だ」
「し、信じられない……」
「バディ。 現実を客観的に見ろ。 そうして今までも生き延びてきたじゃないか」
「そうね……」
アレックスが俯き、唇を噛む。咳払いをすると、真田さんは更に話を進めて行く。
唯野仁成も、側で話を聞く。そうしなければならない義務があると、知っていたからである。
1、凄惨な未来の話
時々休憩を挟みながら、アレックスと話をする。
トイレなどの使用も許可する。アレックスは船内設備を興味深そうに見ていたが。人間に対しては常に警戒し、誰にも自分を触らせようとはしなかった。
圧倒的に強くても、それは強者の行動では無い。逃げ疲れ、もはや何も信用できなくなった弱者の行動だった。
今の唯野仁成には、それが分かる。
女性クルーが見張る案もあったが、それだと危険だと言う事で、アーサーが見張る。食事やトイレなどの小休止を挟みながら、互いに情報交換をしていく。多分アレックスは、今暴れてもどうにもならないと悟っているのだろう。抵抗する様子は無かった。ただ、体にさわらせることも、デモニカを脱ぐことも絶対にしなかったが。排泄物は、デモニカを脱がず処理出来るらしい。
「なるほど、アントリア、ボーティーズ、カリーナ、デルファイナス、エリダヌス、フォルナクス、グルース、それにホロロジウム。 それらの八つの領域と、嘆きの胎を攻略した記録が未来に残っていたのか。 確かにアーサーが、次の空間にはホロロジウムと名付けると言っていた。 話は一致する」
「ええ。 戦闘要員はほぼ唯野仁成とヒメネスだけでね。 技術者としてはアーヴィンとチェンが殆ど全てを担っていたようだわ。 どの領域でも多くの人員が命を落とし、最終的に戻って来たクルーは私の知るどの世界線でも二十人に達しなかったそうよ」
「それは凄惨な話だ」
「だが、唯野仁成が強力な悪魔に何度も可能性の子と呼ばれているのを俺は聞いている」
ストーム1が、途中で軽く補足する。唯野仁成もそれに頷く。
確かに可能性の塊的な話をされた。そしてこの話を聞く限り、英雄達の分も唯野仁成が経験を収束して強くなり、各世界の支配者悪魔を倒していたのだろう。
しかしながら、その代償は当然小さくは無かった。
結果として、多くのクルーがばたばたと倒れていったのだろう。
無理矢理にメムアレフという大母を倒し。その先はブラックボックスになっていて分からないそうだが。ともかくどうにかシュバルツバースを消滅せしめた。
そして、英雄達が生還してからしばらくして、アレックスの知る時代が来たそうだ。
幼いアレックスでも分かる程に、其所は文字通りの地獄だったそうだが。
真田さんが身を乗り出し、話を聞く。
「君の世界で、一体何があった」
「唯野仁成はシュバルツバースから帰還すると、即座に圧倒的な力を振るって世界に君臨したわ。 召喚した悪魔達の戦闘能力は圧倒的で、各国の軍を力尽くで黙らせるのに一週間と掛からなかったそうよ。 それだけじゃない。 唯野仁成は、自分に逆らう人間を片っ端から殺し、粛正の鉈を振るって世界の人口を十億にまで減らしたわ」
「……それは酷い話だな」
「おばあさまはそんな唯野仁成に唯一諌言できる立場だった。 何故だと思う?」
真田さんは、ずばりと即答した。
アレックスが、唯野仁成の妹の孫だからだろう、と。
黙り込むアレックス。それが図星を指されたからだと言うことは、一目で分かった。
そうか。今まで指摘されたことがあったが、唯野仁成はアレックスの大叔父だったというわけか。
それならば納得がいく事も多い。近親者にこそ、人間は強い怒りを抱くものだからである。
近親者で固めた王朝等が凄惨な殺し合いで潰れるのもその辺りが理由で。
実際問題、人間の家族で絆によって結ばれているものなど、殆ど無い。
それは唯野仁成が良く知っている。事実唯野仁成の産まれた家は崩壊家庭だったのだ。
「遺伝子でも調べたのかしら」
「君は何度我々と戦ったと思っている。 髪の毛くらいは残留していたんだよ」
「……そう。 その通りよ。 私のおばあさまは、暴虐を尽くす唯野仁成に対して何度も諌言した。 でも、唯野仁成はその諌言を一度だって聞く事はなかった。 唯野仁成はこういったわ。 このままだと、何度でもシュバルツバースが出る。 だから、人間という生物の文明圏は縮小するしかない、と。 私からも説得したけれど、話にならなかった」
なるほど。今なら何となく分かる。過酷な戦いの中で、唯野仁成はそんな結論に至ってしまったのか。
確かに孤独な戦いを続けて、シュバルツバースの中で人間の業を見せつけられれば、そんな風に壊れてしまう可能性は決して低くは無い。そしてその結論は、確かにシュバルツバースが人間に対しての地球の怒りだと考えると、納得も行く。
要するに究極のエコテロリストになってしまった訳だ。
現在でもエコテロリストの活動はある。世界中で様々な問題を引き起こしてもいる。
だがそれらを加味しても、その未来の唯野仁成の行動は、問題を先送りにしているに過ぎない。
「おばあさまが平行世界に逃れるための装置を作ったのは晩年の事よ。 だけれども、その研究が唯野仁成にばれた。 唯野仁成は、何の躊躇もなくおばあさまを殺したわ」
「にわかには信じがたい話だが……」
「AIである私が正しいと証言する」
「そうか、ならばそうなのだろう」
ストーム1も、AIが嘘をつくとは思わない様子だ。
ただ、唯野仁成に同情の視線も向ける。確かに誰もスペシャルが乗り込まず、船員の大半を失った次世代揚陸艦での戦闘がどれだけ厳しいものになるか。それが如何に精神を蝕んだかは想像に難くはないからだろう。
唯野仁成だって、そんな状況におかれて正気を保てる自信はあまりない。
「私の両親はとっくに殺されていて、私の家族はジョージだけだった。 おばあさまの協力者達が必死に私を平行世界に逃がしてくれたけれど、その装置は私を逃がすと同時に爆破する仕組みにされていた。 その世界がどうなったかは、今はもう分からないわ。 ただいずれシュバルツバースがまた発生したのは確定でしょうね」
「……続けてほしい」
「続いて私が辿りついたのは、天使が全てを支配している世界だったわ」
何となく分かる。それは恐らくだが。ゼレーニンが、マンセマットの言葉のまま、歌唱機とやらになってしまった世界の結末なのだろう。
アレックスの話によると、その世界では「天使の声」が聞こえる人間とそうでない人間が選別され。
天使の声が聞こえる人間は洗脳されて機械のように全てが決められ。そうでない人間は皆殺しにされていた、と言う事だった。
流石に絶句する。其所まであのペ天使は邪悪な計画を立てていたのか。
そんな世界だったが、アレックスの祖母は平行世界でもレジスタンスを続けていたという。
地下に研究所を作り、そこで何とか強奪して来たデモニカに研究を加えに加えていたという。
天使の声なんて聞こえなかったアレックスが、そこにたどり着けたのは本当に偶然も偶然。何しろその頃、平行世界に転移したアレックスはまだ十代前半で、戦闘訓練も何も受けた事がなかったそうだから。
だが、平行世界でもアレックスの祖母は。アレックスの話を聞いてくれ。
そして、理解もしてくれたのだという。
アレックスは決して涙を見せない。唯野仁成の前では、絶対に泣かないと決めているのだろう。
「そのデモニカが、君が着ているものか」
「……ええ。 今貴方たちが着ているものよりも、二世代先のものよ」
「恐らくだが、真田技術長官が改良を加える前のデモニカの、二世代後のものだろう」
「まって。 もとのデモニカとそれほどに違うの?」
唯野仁成は頷き、幾つかの機能を上げる。
特に戦闘経験の並列化については、アレックスは愕然としたようだった。
基礎的な能力は元々あったものだ。経験によって自己を強化していく能力などは、元々のデモニカに備わっていた。
だが相互リンクした経験を全員に還元し、総員を加速度的に強くするシステムについては流石に想定外だったらしい。
なおこのシステムは、ブラックボックス化しており。真田技術長官は悪用を怖れて、シュバルツバースに乗り込む前に一旦ブロックを掛けてきたという。
「それで一人で経験を独占しなくても、ほぼ変わらないほどに強かった訳ね……」
「確かにアレックス一人ではかなわなかったのもやむを得ない話だ」
「いや、皆の経験もあるが、スペシャル達の超越的な戦闘力を事前にデモニカが経験蓄積していたのが大きい。 故に最初にアントリアで不時着したときも、戦死者は出なかった」
「……おほん。 まだ先があるのだろう。 続けてほしい」
真田技術長官に促されて、アレックスはしばし躊躇った後話す。
天使達が支配する世界で、何とかデモニカを手に入れたアレックスは。ジョージをデモニカに組み込んで貰うと、天使相手に戦いはじめた。いわゆるレジスタンスと言う奴である。
そこで、アレックスは見たと言う。
真っ白に染まった目を持つ、もはや神の傀儡と化した狂信者唯野仁成を。
人間を半ば止めてしまった、ゼレーニンの姿も。
多数の天使を屠ってきたアレックスも、とてもかなうものではなかった。唯野仁成は、やはりその世界でもメムアレフを実力でねじ伏せてきていたのだ。地球の意思を、である。
更に知ったのだが、その世界はそもそもシュバルツバースによって根本から改良されてしまっており。
天使の声が聞こえる人間を選別するというルールが、地球の理の一つとして根付いてしまっている場所だったという。だからシュバルツバースの再発生の畏れは、皮肉な話だがなくなっていたそうだ。
故に、どれだけ頑張ってもアレックスに勝ち目は無かった。
やがて追い詰められたアレックスに。祖母はくみ上げた平行世界への移動システムをデモニカに組み込み。
アレックスのために作った光の剣と銃をくれたという。
プラズマを空中に固定化して、何もかもを切り裂く必殺の剣と。
あらゆる悪魔を撃ち抜く、弾丸を自動生成する拳銃を。そして悪魔召喚プログラムも、である。
アレックスを平行世界に逃がす祖母が、天使に虐殺されるのが。その天使の世界を離れるアレックスが見た最後の光景だったという。
言葉も無い。確かに、あの時ペ天使の言葉に乗ってしまったら。ゼレーニンはそんな風に変貌していてもおかしくない。ついでに唯野仁成も、そもそも壊れてしまう状況にあったのだ。ゼレーニン同様、壊れてしまったのだろう。
そして、その先の話は、更に過酷だった。
「平行世界に跳んだ私が見たのは、地獄よ」
それは何の誇張もない事実だったという。
そこは、唯野仁成が。瀕死になったバガブーと融合することで、圧倒的な力を得たヒメネスと一緒に戻って来た世界だったという。
記録にはあった。シュバルツバース攻略中、ライトニングとの諍いで、ヒメネスは瀕死に。バガブーも非道な実験の犠牲になり瀕死に。心を許していたバガブーを死なせたくない、自分も死にたくないと思ったヒメネスは。唯野仁成に、無理矢理バガブーとの合体を望み。文字通りの悪魔人間となってしまったのだそうである。
今までの二つの世界では、悪魔人間「大地人」ヒメネスはシュバルツバースで唯野仁成と最終的に戦いになり、討ち取られていたそうだが。
その世界では、唯野仁成はヒメネスと友情を他の世界よりはぐくんでいたのだろう。
いや、混沌の理に飲み込まれ。昔のヒメネスのような、弱者を鑑みない思考に染まってしまっていたのかも知れない。
いずれにしても、そんな唯野仁成は、シュバルツバースによって。頭の悪い連中が崇拝するような単純極まりない弱肉強食「だけ」の世界を作ってしまったそうである。
シュバルツバースは世界を初期化するシステムだとアレックスは言う。
恐らく、天使の世界になった時もそうだが。メムアレフを屈服させたり、或いは話をつける事に成功すれば。シュバルツバースによって、地球の理を上書きすることができるらしいのである。
結果として、始まったのは殺しあいだ。
あらゆる全てが殺し合いをはじめた。地球上の微生物やウィルスは勿論、草食動物も人間も、悪魔も天使も神も何もかもが全て徹底的に殺し合ったという。
流石に唖然とした。
デモニカを着て、天使との戦闘経験があったアレックスは、何もかもが襲いかかって来る中、必死に生き抜いたという。
なお問題を引き起こしたヒメネスはとっくに死んでおり。
生き延びるうちに神も悪魔も何もかもが滅び。
唯野仁成は殺し合いの中心にいるうちに疲弊していて、アレックスに撃ち倒されたのだそうだ。
ただ、既に瀕死の状態だったのを刺しただけだったので。勝ったとはとてもいえなかったそうだが。
文明も何もかもが存在しなくなり。
生物自体がいなくなった、環境だけが綺麗な世界が其所に残っていたという。
もはやそんな場所に、いる意味はない。
アレックスは、また平行世界に転移したそうである。
だが、何度転移しても、この三つの世界のどれかに出る。十三回ほど転移を試した後。成長したデモニカをジョージと相談して機能追加。
過去の。つまり唯野仁成を倒せる可能性があるシュバルツバースに直接乗り込むことに決めたのだそうだ。
そしてシュバルツバースでも、変わらぬ現実を見る事になった。
圧倒的に強い全盛期の唯野仁成には、まるで勝てなかった。素性を知っていながら、平然と殺そうと掛かってくる事も多かった。
いずれにしても、分かっているのはヒメネスとゼレーニンと唯野仁成を殺した後、メムアレフも倒さなければならないと言うこと。
今までとは文字通りレベルが違う悪魔達を相手に必死に研鑽を重ね。
戦いに戦いを続けて。最終的に最初の世界を離れてから三年が経過して、肉体年齢は十七になっていた。
デモニカは伸縮性がしっかりあって肉体年齢にあわせて形を変えてくれたが。何もできなかった三年だった。
話し終えるアレックス。
唯野仁成の口から、大きな溜息が零れた。
スペシャル達がいなければ。このレインボウノアでシュバルツバースに乗り込んでいなければ。
恐らく、アレックスが言う怪物に、唯野仁成は確定でなっていたのだろう。
何度も可能性の子、可能性の塊と唯野仁成は呼ばれて来た。
だけれども、その可能性を、飽くなき殺し合いの勝利に全て使ってしまった結果。唯野仁成は、怪物になってしまったのだ。
それが、アレックスが見て来た現実と言う事だろう。
頭を振るストーム1。流石のストーム1も、呆然とするしかないという訳だ。
真田さんは、それでもかなり冷静だった。
「分かった。 ジョージ、君の持っているシュバルツバースのデータを渡してくれないだろうか」
「そうしてしまえば貴方たちがアレックスに危害を加える可能性がある。 故にそれはできない」
「今の唯野仁成が、君達の知る唯野仁成とは違うという事を理解したからこの方舟に来たのだろう。 もう君達二人を敵だとは思っていない。 これからは……共にこの詰んだ世界を開く方法を模索するべきではないのかね」
真田さんは、聞いた事もない話を始める。
多分、国際再建機構の誰も……いや殆どが知らない話だ。
「これはトップシークレットだが、まあ君達だけになら話しても良いだろう。 正太郎長官しか知らない事だが、私も未来から来た人間だ。 ただしシュバルツバースが発生しなかった22世紀から23世紀に掛けてだがね」
「!」
「その時代では、地球は強大な星間国家に無謀な戦いを挑む愚かで身の程知らずな文明と化していた。 私は二度の自殺的な戦いに挑み、一度は勝利して帰還したが。 二度目の戦いで、あまりにも圧倒的な敵の本拠地に乗り込み。 そこの動力炉を爆破してから、記憶がない。 その時の衝撃で、この平行世界に飛ばされたのだろう。 その後は偶然正太郎長官とであって、どうにか今の位置にいる」
そうか、それでだったのか。真田さんが「かねてから開発していた」が出来たのは。
真田さんは何度か咳払いする。
ちなみに、元々それら自殺的な旅でも、真田さんが大体のものは「かねてから開発していた」をしていたそうである。
流石に2世紀文明が戻った状況では、かなり四苦八苦したのだそうだが。
「私は、同じ過ちを繰り返させないために、正太郎長官と共に地球を変えようと苦労を重ねてきた。 シュバルツバースの出現はあまりにも想定外だったが、未来から来て過去を変えようとしているという点では、君達と同じだよ。 アレックス、ジョージ」
「……嘘をついている可能性0パーセント」
「ジョージが言うならそうなのでしょう。 それにしても、私以外の平行世界の住人で時間遡航者だなんて。 2世紀も先から来たのなら、この船の異常な装備の数々も納得だわ」
「わかったかね。 それでは、情報を渡してくれるか」
それでもアレックスはしばし躊躇ったが。
アレックスは、自分から決断をした様子だ。何となく、見ていて分かる。
もう一度だけ、人間を信じてみようと。
いや、正確には違う。人間という種族は信頼に値しない。だが、この方舟に乗った英傑達なら、信頼出来るかも知れないと思ったのだろう。
光栄なことに、唯野仁成も含めて。本当に、自分の蛮行について聞かされた後だと、有り難い話だった。
「ジョージ、あのデータを渡して」
「良いんだな、アレックス」
「ええ。 此処まで話してくれたのなら、信用するしかないわ」
「OKバディ。 ……それでは、活用してほしい」
デモニカを部屋にあった端末に接続。情報を流し始めるアレックス。
凄まじいデータ量のようで、真田さんも驚いていた。
しばし掛かって、真田さんが、データの受け取りを完了。ざっと目を通した後、話をする。
「このシュバルツバースでも35回も転移していたのか」
「最初の内の十回ほどはもう唯野仁成が手に負えない状況で、情報を仕入れるのが精一杯だったわ。 それから試行錯誤して色々試してみたのだけれど、最初に次世代揚陸艦が全滅した世界に出たり、上手く行かなくて。 ようやく理想的に思える世界に来る事が出来たのが今回だったのよ」
「そうか。 苦労したな」
「……」
恐らくだが。今の話を聞く限り、真田さんにはその言葉をいう資格がある。
ジョージが不意にその場で提案する。風呂を貸してほしいと。
流石にアレックスは、顔色を変えていた。危険すぎるとの判断だろう。
「ジョージ!」
「デモニカには衛生面を完全にクリア出来る洗浄機能があるが、それでもアレックスは三年近く風呂に入っていない。 勿論ベッドで眠ったこともない。 君達に命を預けると決めた身だ。 せめて、アレックスには三年ぶりの休息を与えてほしい」
「分かった。 ただし、サクナヒメに見張りに立って貰う。 共に戦うとは決めたが、君達の戦闘力を侮ってはいないし、心変わりする可能性が1%でもある限り、危険を排除しなければならない立場だ。 もう少しは多少窮屈な思いをして貰う」
「それでかまわない。 アレックス、風呂に入れるぞ。 それにゆっくり眠る事だって出来る」
拳を固め、俯いているアレックス。そうか、洗浄機能がついているとはいえ、三年近くロクに体も洗えずまともに眠る事も出来なかったのか。
ジョージはずっと進んだ世界から来たAIだから、その辺りの心配りをする事が出来るのだろう。
女性クルーが見張れないなら適任は一人しかいない。サクナヒメが呼ばれて来て、アレックスを連れていく。
アレックスがいなくなった後、一旦プラズマバリアで防御が固められ。スペシャル達と方舟の首脳部が集められて、情報の共有が行われた。
真田さんの話もなされる。ただ、流石に他言無用と念を押されたが。
「最初からアレックスからは強い怒りと、それ以上の哀しみを感じていた……」
ケンシロウがもそりもそりと語る。
ケンシロウの話によると、北斗神拳は哀しみと共にある拳だという。歴代の継承者は例外なく過酷な人生を辿り、継承も非人道的な方法によって行われたという。それだけ破壊力が圧倒的であり、故に危険だったからだ。
だから、分かると言うことだ。
ヒメネスはため息をつく。実の所、悪魔の力には憧れていたという。それを素直に白状するのは、立派である。そして、冷静な状態なら、ヒメネスは反省も出来る。
「だが、悪魔と合体した俺は文字通りの化け物になっちまうんだな。 それはきっとバガブーにとっても不幸な話な筈だぜ」
「アレックスの話によるとそうだ。 人格も更に攻撃的で、弱者を平気で手に掛けるようにもなるらしい」
「私もヒメネスのことは言えないわ。 冷静でいられない世界だったら、マンセマットの誘いに乗って……天使の代行者を騙る怪物になってしまうのね」
ゼレーニンは何度か目を擦った。
どれだけ凄惨な世界を作ってしまったのか、想像が出来るからだろう。
唯野仁成も人の事を言えない。
それら悪夢のような世界の根元となってしまったのは、唯野仁成なのだから。
正太郎長官は周囲を見回してから、ゆっくりとした声で言う。
「儂は戦後の一番酷い時代から、多くの業を見てきた。 今回の旅で、儂はその業を見る旅を終えようと思っていた。 だが、それでもこの様子ではまだ死ねないな。 国際再建機構に戻った後、やる事がまだ幾つかある。 真田君、サイボーグ化による延命について今から準備をしていてくれ」
「正太郎長官、その年齢でですか?」
「何、まだ気合いを入れれば十年くらいは生きられる体力はあるから手術には耐えられるとも。 それに、すぐに死ぬわけにはいかなくなったからな」
ほろ苦い笑みを正太郎長官が浮かべる。それはそうだろう。これほどの事を知ったのだから。
なお、ずっと眠らせていた鉄人28号についても、改良型の後継機を今後は出すつもりだとも話した。確かに象徴としての存在は必要になるだろう。
過剰武力だった鉄人28号も、今後は必要になってくるのかも知れない。
「俺もヒメネスに後継を任せて、隠居するつもりだったのだがな。 そうもいかなくなったらしい。 場合によってはサイボーグ化を頼むか……」
「おいおい、ストーム1の旦那……」
「ヒメネス、お前のポストは俺が保証する。 ただ、ロートルの俺も楽隠居とはいかなくなった。 悪人ある所にはストーム1来ると思わせなければならん。 そういう事だ」
「残念だが、俺はシュバルツバースの攻略までしか協力は出来ないだろう」
ライドウ氏は残念そうに言う。多分だが、姫様もそれは同じの筈だ。
ライドウ氏は世界の危機に呼ばれる、と聞いている。そして姫様も、そんな地球の危機に際して、ライドウ氏が支援をして呼ばれた存在だという話である。呼ばれた以上、使命が終わればヤナトという異世界に帰らなければならない。
本来、ヤナトの武神であるサクナヒメは、手を貸してくれているだけなのだから。
春香は申し訳なさそうに言う。彼女は武力を有していないからだ。
「私は……」
「春香君。 君は語り継いでほしい。 偏見なく、客観的に。 この世界で起きた恐ろしい事と、これからどうするべきかを。 この世界で何を見たかをも。 我等に問題があったのなら、それを語っても良い。 君の目でみたものを偽りなく後世に残してくれ」
正太郎長官が即答。春香はしばらく黙った後、頷いていた。
世界最高のアイドルである彼女が語り継ぐ話には、圧倒的な影響力があるだろう。求心力もしかり。ともかく、彼女にしか出来ない事をやって貰うだけだ。
いずれにしても、まだまだやる事はある。此処で立ち止まってはいられない。
これから赴く大母メムアレフの空間の攻略。それに、六層にいる看守悪魔の排除だ。
通信装置を通じて話を聞いていたらしいサクナヒメが、連絡を入れてくる。
「アレックスは眠ったぞ。 風呂に入るだけで落ちそうになっていたし、本当に酷い戦いの中に身を置いていたのだろう。 張っていた気が緩んだ瞬間、人としての限界が来たのだ。 三年も無理をし続けていたのだから、仕方があるまい」
「ゾイに軽く検査させてほしいのですが。 無理がたたって、バイタルに異常が出ている可能性がありますからな」
「ああ、それならもうゾイがやっておる。 やはり相当に無理がたたっている様子で、デモニカを脱いだ途端にぐったりしておったわ。 それで、この娘はどうする。 閉じ込めるのか。 それとも話した通りともに戦うか。 もうわしは、信頼しても良いと思っているがな」
そうだ。アレックスはどうする。
これから牢に閉じ込めるのか。それとも、一緒に戦うのか。
少し考え込んだ後に、正太郎長官が皆を見回した。
「嘘をつくべきでは無い。 やはり一緒に戦うべきだと儂は思う」
「……」
「彼女の過酷な半生は嘘ではあるまい。 儂も戦後の混乱期に、あまりにも酷い人生を送ってうち捨てられていく人間を大勢見て来た。 彼女は立ち向かう覚悟を持っているし、その力もある。 ならば、背中を預けるに値すると判断する」
「そうだなあ……別の世界の俺がやらかした分くらいは、色々やってやらないとな、と思いやすわ」
ヒメネスが言う。多少冗談めかしていたが、嘘を言っている気配はない。
ゼレーニンも、静かに覚悟を決めた様子で言う。
「私も同感です。 マンセマットをあのような邪悪に貶めてしまったのが人間だったとしたら、人間として償わなければなりません。 それに別世界の私がマンセマットにたぶらかされて世界をおかしくしてしまうのだとしたら、せめてこの私は異議を唱えないと」
「俺も同意します。 大叔父だからではない。 彼女に哀しみを与えてきた分は、せめて俺は償う義務がある」
他のスペシャル達も、皆が同意してくれた。ゴア隊長は少し考え込んだ後、問題ないだろうと許可してくれた。
ならば、後はアレックスが起きだしてから、話をして出立することになるだろう。
アレックスはスペシャル達には及ばないにしても、唯野仁成とヒメネスに次ぐほどの戦闘力を持っている。
それならば、これからは心強い味方だ。
サクナヒメが、通信装置の向こうから話をしてくる。
「アレックスはこの様子では一日は目覚めないだろう。 わしが見張っているから、その間に六層の掃除を進めておいてくれ。 六層の看守悪魔も囚人悪魔も、どうせ弱くはあるまい。 少しでも今から手間を減らしたい」
「分かりました。 アレックスを頼みます」
「ああ、任せよ。 堕天使ルシファーだろうが絶対神だろうが、指一本触れさせぬわ」
流石の武神の言葉である。説得力があまりにもある。
すぐにその場から解散。
サクナヒメを船内に残し、一線級のクルーを集めて六層の掃除を開始する。真田さんは研究室に缶詰だ。ゼレーニンは悩んだ末に、ガブリエルを活用して守る方が役に立てるし、調査班として前線に立ちたいとも思ったのだろう。前線に出てくれた。
六層に降りる。やはり、今までとは桁外れの看守悪魔の実力を感じる。
だが一斉に掛かってくるような事はなく、それぞれが孤立している様子だ。今の皆なら、各個撃破していけば勝ち目は存分にある。
一番厄介なのが以前少しだけ見かけたヘカトンケイレスだ。
そして、早い段階でゼウスを作っておきたい。
アレックスの件があったので、先送りにしていたが。一旦の掃討戦が終わったら、作成に着手した方が良いだろう。
凄まじい雄叫びを上げながら、無数の人間の頭が連なったような球体が転がってくる。ロクな神格ではないだろう。
そのまま、迎撃に掛かる。
名前も知らないそのよく分からない存在は、猛烈な砲火をかいくぐってきたが。至近距離でストーム1のライサンダーZの直撃を喰らって派手に爆ぜ割れ、更に其所をヒメネスが斬り伏せてとどめを刺した。
情報集積体のかなり大きいのが出てくる。看守悪魔でこれか。今のはかなり弱い方だったと見て良い。
周囲を見回すケンシロウ。かなり雰囲気が怖い。
「……デメテルがいない」
「そういえば気配があると姫様が言っていましたね」
「嘆きの胎から離れた様子だ。 何を目論んでいる……」
「気を付けなければいけませんね」
二体目の看守悪魔が現れる。
巨大な目から、大量の触手が生えている、何とも言えない不気味な姿をした存在である。正体も分からないが、とにかく敵意だけは旺盛にあるのが分かる。
それにしても、六層には本当にたくさんの木の実がある。勿論それを食べるとまずい。サクナヒメにも言われた事だ。いわば冥界の果実にも等しいのだろうから。
看守悪魔達も、その木の実を傷つける事は一切しない。
植物で構成されている嘆きの胎だが。
其所にたくさんある木の実は、アンタッチャブルになっているように、唯野仁成には思えた。
2、最後の囚人
激しい戦いを一旦切り上げて戻る。丁度アレックスが起きてくる頃だろうと判断した事もある。
アリスはへとへと。唯野仁成の手持ち悪魔達は皆疲弊していた。最前線で敵に火力投射を行い、或いは魔術で防ぎ。最終的に多くの看守悪魔も、六層の野良悪魔も倒して来たのだ。
故に疲弊が酷いのも当然とは言える。
幸い、六層の悪魔は膨大なマッカを倒す度に落とした。
これは、それだけ強大な力を持っているという事も意味するが。トータルでは充分に黒字になる。
それだけで、まあ可とするべきなのだろう。
戻った後は、一旦休憩を取る。
話によると、まだアレックスは起きて来ていないらしい。姫様が見張っていると言う事だから、万が一もないと思うが。それでも念のために、プラズマバリアを寝室に展開しているそうだ。
シュバルツバースに乗り込んだときにはこんな器用な機能はなかったが。
内部でいつの間にか真田さんが開発していたらしい。
まあ、内部に侵入されたときのことを考えると、当然とも言えるか。
一眠りしてから、食事にして。風呂にも入っておく。
それから、様子を見に行く。
姫様は寝室の前で胡座を掻いて壁に背中を預けていた。別にアレックスを直接見なくても、気配はこれだけ近ければ間違えようがないのだろう。
しっと、指を口に当てるサクナヒメ。この様子だと、まだ起きていないのだろう。
一日は寝ている、と言う見立てだったが。疲れ果てているのだとすると、仕方が無い話ではある。
一度休憩室に行くと、アリス達にマッカを食わせて。更にアイスや飲み物が欲しく無いか聞いておく。
いらないそうである。
やはり、アイスも散々食べて飽きてきたのか。それとも、強力な悪魔と立て続けに戦って疲れているのか。
唯野仁成は、咳払いすると、ゼウスを悪魔合体で作り出せるか試す。
流石にゼウスとなると、オリンポスの最高神格。生半可な力量では作れないだろうと覚悟していたが。
それでも、この間のマーヤーとの会戦で、クルー全員が経験を蓄積し。
先ほど六層の看守悪魔を十数体仕留めて戻って来たのだ。
恐らくだが、これで何とかなるのでは無いかと予測して、イアペトスとアレスを軸に、合体を組んでみる。
しばらく組み合わせを試していると。データにあるオリンポス神族を幾つか組み合わせて、ゼウスができる事が分かった。
実力的にはギリギリか。
だが、そもそも五層で戦ったゼウスは、本気を出していなかったという話もされている。
恐らくだが、戯れで力を貸してくれるにすぎないのだろう。
だから、唯野仁成でも扱う事が出来る。
そういうことだろうなと、判断していた。
唯野仁成は、そのまま合体に必要な情報を集めていき。イアペトスとアレスに話をしておく。
二柱とも、同意はしてくれた。
これで、何とかなるだろう。問題はゼウスを作り出すために必要なマッカがとんでも無い事だが。
これについては、艦橋に連絡を入れて。備蓄の中から分けて貰えないか、相談をする。
ゴア隊長は、あのゼウスを作る事が出来、制御出来るのならと許可をくれた。
いずれにしても、これで恐らく最終戦力の完成だろう。
悪魔合体を開始する。
デモニカのバッテリーだけでは無理なので、休憩室の電源で方舟の動力炉に接続をする。
そうしないととてもではないが、ゼウスを作るためのパワーが確保出来ない。
そのまま悪魔合体をこなす。
この悪魔召喚プログラムに現在は当然のように搭載されている機能に、どれだけ助けられたか分からない。
未来のあり得る可能性の自分の一つが、これで作った凶悪極まりない悪魔の軍団によって、世界の先進諸国の軍を一週間で沈黙させたそうだが。
確かに、もしも地球の意思を無理矢理倒してしまうほどに成長してしまった状態で、作り出す悪魔達なら。
それも可能なのだろう。
凄まじい電力が吸い上げられていき、悪魔合体が行われる。談笑していたクルー達が、強力な悪魔を作っている事を察して離れる。デモニカがスパークして、何度も雷光が走った。
今まで以上に凄まじい合体だ。
作り出しているのがあのゼウスだと考えれば、まあ当然の話ではあるのだけれども。それでも凄まじい。
しばし様子を見る。やがて最高潮に達した悪魔合体のエネルギー消耗は、デモニカを着ていて暑いとすら感じる程だった。
アレックスが、最初の内は手に負えない唯野仁成がいる世界に出てしまっていたという話していたが。
確かに、ゼウスを作り出すような状態に全ての経験を蓄積した唯野仁成はなっていたはずであり。
その状態では、アレックスではどうにもならなかっただろう。
悪魔合体が終わる。
もの凄く疲弊した。唯野仁成は、汗を拭うと、物資搬入口から外に出る。外では、ゼレーニンがプラントをチェックしていた。
渡された行動ログから、生産された食糧を幾らか盗られていたらしい。それを確認していたそうだ。
それによると、盗られた食糧はささいな量で。特に気にすることはなかったのだとか。
ゼウスを呼び出すので立ち会ってほしいと言うと、ゼレーニンも流石に眉をひそめた。
「あのゼウスを作ったの!?」
「もう少し力をつければ、気が向いたら仲魔になるとゼウスは言っていた。 恐らく戯れに力を貸してくれているだけだろうから、本来ほどの強さでは無いだろう」
「……そうでしょうね。 分かったわ、立ち会う」
「俺もいいか?」
いつの間にかヒメネスが来る。
外で二線級のクルーを鍛えていた帰りだという。二線級と言っても、既に相当な実力まで仕上がっているが。単に嘆きの胎の深層や、これから赴くだろうホロロジウムと名付けるらしい世界では通用しないと言うだけの話で。もう少し鍛えれば、一線級になれるクルーも多いとか。
とりあえず、この三人で見届けるのも良いだろう。
召喚プログラムを走らせ、ゼウスを呼び出す。
召喚されたゼウスは、以前戦った時に比べて半分くらいの背丈に縮んでいた。やはり戯れというのは本当なのだろう。
ただ、威圧感と、不敵な雰囲気は変わっていない。
「ほう、もう俺を呼び出したか。 想像以上のようだな」
「呼び出しに応じたと言う事は、力を貸してくれると言う事だな」
「ああ。 あくまで俺の気分の範囲内で、だがな。 それに俺の叔父やアレスめが、お前には極めて好意的だ。 その辺りとても興味深い」
からからと笑うと、ゼウスは引っ込む。
イアペトスとアレスは、随分助けになってくれた。ゼウスはその力を引き継いでいる。
あの凶悪なケラウノスには、恐らくアレスの力も付与されたはずだ。これで、戯れであっても、かなりその力の減少は抑えられたはず。
頼もしい話である。
「相変わらず猛々しいオッサンだな」
「一番有名なゼウスのイメージとは随分と違うわね。 このシュバルツバースで召喚されたから、かしら」
「いずれにしても、今後ケラウノスとアダマスの鎌で武装したゼウスが一緒に戦ってくれるのは心強い」
「そうだな。 俺も何かしら作っておくよ。 今の手持ちは充分強いが、バロールとモラクスが、そろそろ更に強い悪魔になりたいって言っていてな。 今の俺なら、それに答えられると思う」
ヒメネスに頷く。
そして、手元に通信が入った。サクナヒメからである。
姫様によると、アレックスが起きたそうである。すぐにトイレに向かったそうだが。
食事も済ませて貰ってから、正太郎長官が正式に説得し。ゴア隊長が許可をして、一緒に戦う事になるという。
ただ部隊長のような扱いでは無く、遊撃をして貰うつもりだとか。
恐らくその方が、本人としてもやりやすいだろうから、というのが理由らしい。
一緒に食事をするか、と思ったが、流石に止めておく。
アレックスもやっと決断してくれたのだし。何よりも狂気に蝕まれた唯野仁成に、ずっと苦しめられてきたのだ。
いきなりなれなれしく接しても、反感を買うだけだろう。
此処はまだ距離を置いておいた方が良い。そう、唯野仁成は判断していた。
見張りはサクナヒメがしてくれると言う事なので、そのままゴア隊長に看守悪魔を退治しに行きたい旨を伝える。
丁度ケンシロウが休憩を終えたそうなので、一緒に二十名ほどのクルーと共に六層へ降りる。
六層にいる悪魔は相当に強い者ばかりだが。やはり今の面子なら倒せる。
更にゼウスに出て貰う。ゼウスは不敵に周囲を見やると、早速ケラウノスの大火力をぶっ放していた。
収束も拡散も出来るようだが。収束した場合、あのテューポーンすら耐えきれないほどの火力を出す。
六層の看守悪魔達も、流石にひとたまりもないと言いたいところだが。
流石に最深層の看守悪魔。ケラウノスを耐え抜いて、更に突貫してくる奴がザラにいる。
それをみて、ゼウスはからからと笑う。
「これはこれは。 大母どのも流石に此処に配置した悪魔共は選りすぐっているようだな」
「接近されたらアダマスの鎌を頼む」
「ああ、分かっておる」
まあ、接近はさせないが。
クルー達で、アサルトを一斉射して足を止め。更に、ライサンダーを何度もぶち込んでいく。
足が止まったところに、アリスとアナーヒターが他のクルーの悪魔達と連携して、大火力の魔術を叩き込み。
更に、ケンシロウとイシュタルが近接戦を挑む。
イシュタルの拳が直撃して吹っ飛んだ看守悪魔を、空中でケンシロウが一瞬にしてバラバラに切り裂いていた。
情報集積体とマッカがどっと周囲に散らばる。
すぐに周囲の警戒体勢を取り。連れてきている調査班のクルーに、マッカの回収を頼んだ。
ゼウスはずっとおかしそうに笑っていた。
「やはり近付かせないでよかったのう。 それはパンクラチオンとは系統が違う武術か、異国の猛き英雄よ」
「北斗神拳……インドにて産まれ、大月氏を経て中華に渡り、其所で完成した拳法だ」
「おお、完全に系統違いだな。 もしも接近されていたら今のように切り裂かれたか、それとも……」
「爆発四散させていた」
やはり笑うゼウス。
何がおかしいのか分からないが、まあ現在の人間の英雄の強さが、兎に角刺激的なのかも知れない。
まあケンシロウの所は家族全員がこんな感じで強いらしいので。それを見たら、ゼウスは更に笑いそうだが。
それはとりあえずいい。
少し気になる。六層の看守悪魔が、あまりにもバラバラに配置されすぎているという事が、である。
ゴア隊長に連絡を入れる。六層は単純極まりない階層で、周囲は開けていて空間の裂け目も殆ど無い。
ただ、多数いる看守悪魔があまりにも危険なので。残しておく訳にはいかない。
広い空間を回って、看守悪魔を潰して行くしかないが。それにしても、この各個撃破してくださいとでも言わんばかりの状況はどうだ。
罠の臭いがプンプンする。
それとも、看守悪魔を倒す事を強いられている事自体が罠なのかも知れない。
マッカの回収が終わったと、調査班が連絡を入れてくる。
調査班は、調査のために役に立つ悪魔を従えていて。金を集めたり揃えたりするのが得意な悪魔を従えていたりする。
そういう悪魔は得てして戦闘力があまり高くは無いのだが。
ただ、自分は戦いには出ない事を承知しているのか、文句一つなく働いていた。働けばマッカも貰えるのだし。
ゴア隊長は、しばしして連絡を返してくる。
「今、アレックスと話をしている。 一緒に戦う事は向こうとしても異存はないらしい」
「それは有り難い話です」
「ただ、予想通りやはり遊撃のポジションを希望してきた。 いきなり全面的に信頼するわけにも行かないし、唯野仁成隊員や、ヒメネス隊員、ゼレーニン隊員とは一緒に行動しない方が良いだろう。 サクナヒメが、しばらくは共に戦ってくれるそうだ」
「それで本人が良いのなら」
元々高い戦闘力を駆使して、最前線でバリバリ肉弾戦を挑むという点では、サクナヒメとアレックスは似ている。
確かに、姫様が側で見張るのが一番良いだろう。
「それはそうと、一度戻って来て欲しい」
「分かりました。 ……何か起きたんですか?」
「ドローンを展開して、六層の悪魔の分布を確認し終えたが、ヘカトンケイレスがいる」
その名前を聞いて、箸が転がるのを見ても笑っていたゼウスが黙る。
それはそうだろう。
ティタノマキアと言われるゼウスらオリンポス神族とクロノス率いるタイタン神族との戦いは、年単位で長期化した。それだけ力が拮抗していたからだ。
それをひっくり返したのがヘカトンケイレスである。
圧倒的な力を持つ百の手を持つ巨人。それが三体。弱い訳がない。
「更には、そのヘカトンケイレスが守っている辺りに、強力な悪魔の反応がある。 ただ、妙でな。 力そのものはあるのだが……」
「いずれにしても戻って対策を練った方が良さそうですね」
「そうなる。 頼むぞ」
「イエッサ」
すぐに撤退に取りかかる。
看守悪魔達は、己の持ち場に貼り付いているだけで、近付かなければ襲ってくる気配もないが。
かといって、囚人に近付けば一斉に来る可能性がある。今のうちに、全て潰しておかなければならないだろう。
だが、それもヘカトンケイレスが面倒な位置にいるなら対処の必要がある。
一度方舟に戻ると、既にスペシャル達は集まっていた。
アレックスも、デモニカを着直している。光の剣と拳銃も返されたようだ。真田技術長官は、もう解析を終えたのだろう。
そしてアレックスの側にはサクナヒメがついているが。
これは安全という観点から仕方が無い。
アレックスも、受け入れているようだった。ただ、唯野仁成とは、あまり視線を合わせてくれなかったが。
艦橋で、軽くミーティングをする。六層の地図が既に出来ている。まだ、四十を超える看守悪魔が残っている様子だ。
「恐らく一番手強いヘカトンケイレスが、此処、此処、それに此処」
真田さんが、立体映像の地図にそれぞれポインタを当てる。
それを見て、ストーム1が応じた。
「なるほど、相互連携可能な厄介な位置にいる」
「その様子では、三体同時に相手にせざるを得なさそうであるな」
「はい。 というわけで、まずは他の看守悪魔を全て片付けます。 時間は掛かりますが、その間に此方でも可能な限り装備の強化を進めておきます」
サクナヒメに、真田さんは丁寧に応じる。
頷くと、サクナヒメは進軍路を示してほしいと言い。すぐにそれがポインタで示された。
何チームかに別れて、六層の看守悪魔を駆除して行く。いずれも手強い相手ばかりだから、端から順番に崩す。
だが、進軍路を見て、ヒメネスが異議を唱えた。
「待った、真田の旦那。 それだと、ヘカトンケイレスが反応する可能性が……」
「その通りだ。 仮に反応した場合は、こう動いてほしい」
進軍路をすぐに切り替えたものが地図に映し出される。ヘカトンケイレスが釣られた場合には、それぞれが一気に合流して、総力を挙げて叩くと言うわけだ。
なる程。ただこれだと、一回や二回の遠征では敵を倒しきれないだろう。
まあ、それでも別に良い。
真田さんとしては、時間もほしいのだろうから。
「アレックス君。 君は姫様と共同で六層の看守悪魔を倒して回ってほしい」
「別にかまわないけれど。 六層の囚人に対策はしないのかしら」
「勿論最大限の対策はする。 ただ強力な看守悪魔達を倒しておかないと、情報を集めるどころではなさそうだからな」
「そう……」
興味が無さそうにアレックスは返事をすると、立ち上がった。行くならさっさと行くべきだと態度で示している、と言う訳だ。
すぐに六つの機動班が出る。
相手は凶悪極まりない六層の看守悪魔達だ。基本的に二班合同で、三路から進撃する。そしてヘカトンケイレスが反応した場合には、全ての班が集結して対応する。その間、方舟はプラズマバリアを張って待機と行きたい所だが。現在浅層から五層まではガチガチに縦深陣地を展開して固めていて、簡単に方舟に近付かれることはないし。仮に敵が方舟を狙ってきても、それほど迎撃は難しく無い。
そこで、正太郎長官がドローンに空輸させるライサンダーZFを使って支援をしてくれるという。
ゴア隊長も万が一に備えて、装甲車に乗って出てくれるという。
クルー達も野戦陣地に展開して、最悪の事態が起きた場合の救援に備えてくれるそうだ。
まあ、これくらい慎重に戦わないと厳しい相手だ。判断は正しいと思う。
サクナヒメがケンシロウと共に先に行く。そういえばアレックスにはシャイターンが纏わり付いていたはずだが。
姿が見かけられない。
少し悩んだ後、話を聞くと。意外な話が聞けた。
「シャイターンなら、契約を受け入れて私の手持ちになったわ」
「無理な契約を持ちかけられなかったか?」
「いいえ。 惚れた相手の側にいたいそうよ。 私としてはどうでもいいけれど」
「そうか」
アレックスはすぐに通信を切る。
まあ、恐らくだが、シャイターンも態度を改めて。双方で落としどころを見つけたのだろう。
アレックス自身も、流石に悪魔とつがいになる気はなくとも、側にいる事くらいは別に気にならないのだとしたら。
それはそれで、良い結末なのかも知れない。
唯野仁成はライドウ氏と。ヒメネスはストーム1と組む。
予定通り、三路から進撃を開始。ドローンの支援を受けながら、一体ずつ確実に看守悪魔を仕留めていく。
どうにもこのとっちらかって、多数で襲いかかってこない配置に悪意を感じるのだが。
それについては、兎も角看守悪魔を全て片付けてしまう他無い。
何度か、絶対に木の実を口にしないようにライドウ氏が周囲に厳命する。
悪魔にも食べさせないように、と厳しい指示が飛んでいた。
まあ当然の判断だろう。
さて、看守悪魔が見えてきた。今度もまた、よく分からないのが出て来た。子供くらいの背丈だが、頭が十くらいは生えていて、手は昆虫の節くれたそれににている。すぐに此方に反応して、襲いかかってくる。
勿論近付かせない。
どんな能力を持っているか、知れたものではないのだから。
丸二日を掛けて、何度も出撃をして。どうにかヘカトンケイレス以外の看守悪魔の処理を完了する。
そうすると、ヘカトンケイレス達は囚人の前に三体とも集結。どうも、最初からこう動く事を予定していたとしか思えない。
いずれにしても、三体同時のヘカトンケイレスと戦わなければならないのは確定のようである。
一度戻り、対策を練る。下手をするとだが。ゼウスの時と同じように、囚人は既に戒めを自力で突破出来る状態なのかも知れない。
そして看守悪魔は、どいつもこいつも会話が成立する状態ではなく。
六層の囚人が何なのかは、まったく分かりそうになかった。
一応、野良の悪魔に話は聞いたのだが。秩序属性の高位の神格らしいと言う話だけしか分からない。
その情報では、ないのと同じである。
恐らくだが、存在そのものが秘匿されていて。野良の悪魔程度では、分からないのではあるまいか。
方舟で、対策会議を行う。
ヘカトンケイレス三体が相手になると、合計の戦力はゼウスより上と判断するべきだろう。
拮抗していたティタノマキアをひっくり返した怪物だ。本来は悲劇的な生まれの可哀想な神格ではあるのだが。今は同情をしている余地はない。
なおアレックスの戦いぶりは、充分に満足出来るとサクナヒメが太鼓判を押していた。
少なくとも足を引っ張る事はないだろう。
ただ、気になる事がある。
どうやってアレックスの実力で、メムアレフを倒すつもりだったのか、ということだ。
真田さんは恐らくだが、情報提供を受けて知っている筈だが。
何か、まだ更に切り札があるのかも知れない。
図が表示される。
「これで六層の看守悪魔は、ヘカトンケイレス三体のみになった。 気になるのは、囚人がいるだろう巨大な木のうろの真ん前に陣取っていることだ。 或いは囚人と連携して動く可能性がある。」
「囚人は一体何の悪魔だろうか」
「ゼウスも知らないと言う話です」
唯野仁成が、情報を捕捉しておく。五層の囚人悪魔が知らないとなると、本当に何がいるのやら、という感じではあるが。
意外なところから、情報が飛んでくる。
ゼレーニンが挙手。ガブリエルが、戦いをしたくないと言っているというのである。
「ガブリエルが?」
「はい。 今回の囚人悪魔との戦闘は行わないと言っています。 恐らくですが、一神教関係者ではないかと……」
「神の子はあり得ないか。 そうなると……」
ライドウ氏が考え込む。
ライドウ氏が言った神の子とは、恐らくイエスキリストの事だろう。絶対神はグルースに封じられている可能性が高いと言う事だ。だとすると、何だ。
「高位の大天使の可能性はあるだろうか」
「いえ、ガブリエルの反応からして、恐らくは上位の存在に対するものだと思います」
「ガブリエルより明確な上位存在……そうなると天使ではないのか?」
小首をかしげているライドウ氏。
いずれにしても、ライドウ氏が思い当たらないのなら、仕方が無い。ぶっつけ本番でいくしかない。
全戦力を投入する。既に嘆きの胎には、危険な看守悪魔は最後のヘカトンケイレスだけになった。
もう二線級のクルー達でさえ、引率がいればそれほど危険な状態ではなくなっているのである。
それならば、何とかなる可能性はあるが。それでも、一応最大級の警戒をするべきだろう。
方舟からは、ライサンダーZFでの支援をしてくれるらしい。この他、装甲車を出してくれるという。
ゴア隊長は装甲車で六層まで来てくれる。この装甲車には、それぞれライサンダーZFが搭載され。更に小型のプラズマバリアも搭載されている。一発くらいの攻撃なら、対応は可能だと言う事だ。
勿論接近戦は危険すぎる。基本的に遠距離から、機動戦を仕掛けていき。ダメージが限界となったら引き上げると言うことだろう。
すぐに編成がアーサーによって行われ、六層にクルー達が降りる。
明確に空気が変わったのに、唯野仁成が気付く。スペシャル達も、即座に気付いたようだった。
「ようこそ勇者達。 此方にいらしてください」
威厳のある女性の声だ。
最初に踏み出したのはサクナヒメである。皆、陣形を保ったまま、慎重に敵への距離を詰める。
ヘカトンケイレス達は、うろの前に文字通り門番のように立ち尽くしていた。
顔が五十、手が百という文字通りの怪物だが。その異形を嫌われ、地獄の門番へと追いやられた経緯を思うと複雑な存在だ。
ヘカトンケイレス達に戦意はないようで、小首をかしげる。既に此方はやる気なのだが。敵にはさっぱり敵意がない。
それどころか、六班が揃い、装甲車が戦闘態勢を整えるのを見届けると。ヘカトンケイレス達が、巨木のうろを引き裂き始めた。
どういうことだ。看守悪魔では無いのか。
すぐにうろが引き裂かれる。そして、中からはとんでもない量の光があふれ出していた。
其所には、女性が座っていた。
ベールを被り、全身に白い衣服を纏った女性である。秩序陣営の重鎮。それを前提として考察しうるこの姿は恐らくだが。
「聖母、マリア……!?」
「恥ずかしくもそう呼ばれています」
六層の囚人悪魔は、唯野仁成の問いに静かに微笑む。何だか悲しげな微笑みだと思った。
いずれにしても、確かにそれならガブリエルが戦闘を拒否するのも納得である。相手が聖母マリアとなると。
ただ、聖母マリアが神格なのかはちょっとばかり分からない。困惑してライドウ氏を見ると、ライドウ氏はなるほどと一人で理解していた。
「キリスト教におけるマリア信仰の顕現か……」
「そういうことです、おそらく世界最高であろう悪魔払いの勇者。 私は此処に囚人として閉じ込められていましたが、既にこの通り嘆きの胎は大母メムアレフの支配下にはありません。 そしてメムアレフの影響を与える看守悪魔達は、既に貴方たちが倒してしまいました」
まあ、その通りではあるのだが。
困惑する此方に、聖母マリアは言う。
「私は戦うすべを持ちません。 何よりも、この状況を作り出したある存在に対して同情と同時に危惧を抱いています。 実りは譲渡しましょう」
「……おいおい、いいのか?」
「かまいません。 本来はヘカトンケイレス達も、戦いばかりを好む好戦的な存在ではありません」
それについては、何となく分かる。
ギリシャ神話の支配者神格達に翻弄された哀れな神々。それがヘカトンケイレスだ。それに対する怒りや恨みをぶつけてくることも想定されたが。少なくとも、今の時点でそのつもりは無い様子だった。
「ただ、実りを譲渡するにあたって、一つ条件があります」
「条件を聞かせてもらおう、異国の女神よ」
サクナヒメが応じるが。サクナヒメに対しても、マリアはそれほど嫌悪を示す様子はない。
やはり理想的なキリスト教で考えられる、全てを許す慈愛の聖母という信仰によってこの存在は作られているのだと見た。
「メムアレフと交渉次第では、地球の全てを造り替えることが出来ます。 しかし、それを行えば、現在の人間は全て異質のものに変じてしまうでしょう。 かといって、今のままの人類では地球に未来はありません。 またメムアレフを倒すだけでも、何も解決しないでしょう」
「要はメムアレフとやらと話をつけた上で、人類もしっかり管理し直せと」
「そういう事です。 私の戦いは、それが出来る人材が此処にいるか見極める事。 どうやら貴方たちなら、未来を託すことが出来そうです。 私の息子の隣人愛の思想を、原罪と復讐と絶対服従の思想にねじ曲げた者達も、しっかり躾け直してください」
苦虫を噛み潰している様子のサクナヒメ。
話を変わってほしいと、正太郎長官が通信装置で呼びかける。サクナヒメも、すぐにそれに応じた。
「話は分かりました、聖母マリア。 貴方が戦うつもりもない中立の立場であるという事は。 ただ、絶対は世の中にはありません。 シュバルツバースの内部で見て来た人間の業は我々でも許しがたいものだった。 故に対応は勿論します。 しかしながら、絶対はあり得ない……。 それだけは、ご承知おきいただけるか」
「もしも上手く行かなければ、また貴方方が言うシュバルツバースが湧くだけです。 大母メムアレフは地球の意思。 もしも無理矢理力でねじ伏せる事が出来たとしても、すぐに再生し状況次第ではまたシュバルツバースを発生させるでしょう」
やはりそうか。
しばし考え込んだ後、正太郎長官は言う。
「分かりました。 此方としても、現状の地球に未来はないと考えています。 ただ何度も言うように、世界に絶対はありません」
「苦しい立場である事は承知しております」
「……」
「この階層の強大な看守悪魔達を倒す事が出来た貴方たちなら、未来を信じて実りを渡しましょう。 ただこの実りは、もはやメムアレフの手を離れたこの嘆きの胎の力を全て凝縮したものです」
同じ規模の力を持つものが四つ、シュバルツバースの最深部にまだ存在していると言う。
それぞれがメムアレフの領域にあり、それら全てを使えば。或いは、別の道を模索できるかも知れない、と言う事だった。
サクナヒメが鞘に掛けていた手を離す。
そして、唯野仁成に顎をしゃくった。
唯野仁成は頷くと、マリアの側に。聖母としてキリスト教にて崇められ続けた、偶像崇拝否定との矛盾に位置する存在、マリア。その実在の人生よりも、神秘性を強調された。過去に、実際に生きていた人。
恐らく、もとの人の人格などは残ってなどいないだろう。
それでも、此処にいるマリアは、人間の事を憂い未来を案じることが出来る神格だ。信用しても良いとおもう。
跪き、実りを受け取る。
マリアは頷くと、唯野仁成に言う。
「頼みましたよ、可能性の子。 貴方が暴力で全てを解決する力の化身になってしまっていたら、私は死力を尽くして反撃しなければならなかったでしょう。 しかし可能性の子である貴方は、今はそうではなく人としてきちんとあるべき形にある。 それでいながら、人を恐らく超えられる。 期待しています」
「ありがとうございます、偉大なる聖母よ」
「それでは行きなさい。 もはや危険がないこの土地からは、全ての物資を回収していった方が良いでしょう。 そして二度と来てはいけません。 次に人がここに来ることがあったら、私はもう人を信じる事はないでしょう」
頷く。
いずれにしても、本物がどうだったかはともかく。此処に存在した聖母マリアは、尊敬に値する神格だった。
そう、唯一神教と呼ばれるのに。キリスト教で明確に神格として崇拝されているマリアは。
本来なら、とても難しい存在だっただろう。
だが、幸いにも此処では、光の集合体のような存在になる事が出来ていた。有り難い話である。
実りを回収すると、撤収を開始。
方舟の首脳部は、本当に全てを回収するべきか悩んでいる様子だったが。いずれにしても今回は戦闘も起きず、此処に物資を残していく理由がない。
戦闘は金と手間と物資が掛かるのだ。
戦闘が避けられたというのなら、それは良い事なのだろう。
最後尾にサクナヒメが残り、皆が方舟に乗るのを守る。インフラ班と調査班が共同して、縦深陣の回収をしていった。
ヘカトンケイレス三兄弟は、多分マリアを守ってあの場所にあるのだろう。
それが一番幸せかも知れない。
ここはもう地獄では無いのだから。
ただ、やはり気になる事がある。デメテルは、何を目論んでいる。さきもアレックスを見張るように気配があった様子だ。多分、この嘆きの胎で何かろくでもない事を目論んでいたのだろう。
不安要素はまだある。
逃げ延びたマンセマットが、いつ仕掛けてくるか分からない。
それも懸念事項としてある。
ただ、進まなければならない。如何に時間の流れが違うと言っても、外では何が起きているのか分からないのだから。
3、最後の空間への突入
セクターエリダヌスにスキップドライブ。全ての物資を回収した後、方舟はエリダヌスへ、問題なく戻って来た。
天使と鬼神達は相変わらず激しく争っているようで、火線が飛び交っているのが船内からも確認できる。
勿論介入する事はしない。そんな事をしても意味がないから、である。
まず第一にするのは。国際再建機構本部への、進捗の報告だった。勿論情報としては逐一重力子通信で送ってはいるのだが。
やはり映像での通信を行う事によって、メリハリが出るのである。
スペシャル達と幹部達が艦橋に集まったところで、通信を始める。アレックスにもいてもらうことにした。
映像が出る。
米国の大統領は冷や汗を流していた。まあそれはそうだろう。シュバルツバースの拡大は続いているのだから。
「おお、ゴア隊長。 無事であったかね」
「はい。 無事にセクターグルースを攻略いたしました。 これより更に先の領域に進みます」
「それはまた素晴らしい報告だ。 ただ、あまり良くない報告を其方にしなければならない」
良くない報告とは、とゴア隊長が言うと。
米国大統領は、やはり何度もハンカチで冷や汗を拭っていた。
「恐らくだが、此方の時間で十日ほどで、南極はシュバルツバースに完全に飲み込まれることになる」
「!」
「シュバルツバース内の時間の流れは此方と違っている事は分かっている。 だが、次の空間で時間の流れがどうなっているかは分からない。 とにかく、攻略を急いで欲しいのだが」
「分かりました。 最善を尽くします」
南極が全てシュバルツバースに沈んだら、もう情報統制も難しくなるだろう。南米やアフリカにシュバルツバースが到達した頃には、悪魔の大軍が米軍を中心とした各国の軍隊と、更には国際再建機構の軍との戦闘を開始しているはず。
中には魔王や邪神も存在しているだろう。
そんなのを相手にして、近代兵器は通じる事は通じるが。それでも何処まで通じるか、被害を抑えられるか。分からない。
何より、核を使う事を想定に入れる国家も当然出てくる筈だ。
そうなったら、記録的な被害が出る。絶対に、食い止めなければならない。
「シュバルツバースを消滅させる方法は見つかりそうかね」
「現在真田技術長官が解析中です。 ですが、そろそろ情報が揃う頃かと思います」
「核での攻撃は無意味であると分かっている。 其方が頼りだ。 人類が滅ぶ前に、頼むぞ」
通信がきれた。
ため息をつく声が聞こえた。情けないというのだろう。まあ、分かるには分かる。
世界最強の米軍が出て来ても、多分どうにもならない。アレックスの言う最悪の未来では、地球の軍隊は唯野仁成の手によって一週間で潰されたという話である。恐らくは、送っている情報で向こうも分かっているのだろう。
シュバルツバースにいる悪魔の戦闘力が、既存の人間相手を想定した兵器でどうにかなるものではなく。
それこそライサンダーなどの超越的な兵器を持ち出さないと、とても対応出来ないことは。
核ですらシュバルツバースは破壊出来ないのである。デモニカを着て悪魔召喚プログラムを使ったから、対応出来ていただけであって。魔王や邪神になってくると、通常兵器ではどれだけ犠牲を出しても倒す事は難しい。今更装備の変更なども根本的にしている時間はない。国際再建機構だって、真田さんが用意した兵器をフル活用したって、南米とアフリカに上陸してくるだろう悪魔を抑えきるのは不可能だ。
要するに、もはや打つ手などは無い。
米国大統領は、本当にすがるしかないのだ。今此処にいる、方舟のクルー達に。アフリカ、南米が落ちれば。連鎖的にユーラシアと北米にも戦禍が波及する。それにシュバルツバース自体の拡大も進むから、一度陥落した土地はもうどうにもならない。
しらけた目で様子を見ていたアレックスに、ゴア隊長が咳払いする。
「そういえば、実りはどうしたのだ」
「あるわよ。 ただこれは、引き渡す事は出来ないわ」
「何か問題でもあるのか」
「これは最後の切り札よ。 もう其方でも知っているかも知れないけれども、宇宙を産み出すほどの力を秘めたものなの。 これを使えば、最悪体が自壊するのと引き替えに、メムアレフを倒す事が出来る」
つまり、それだけの覚悟を決めていたと言う事だ。
唯野仁成は、それを少し不自然に感じた。
いや、アレックスの覚悟が、ではない。デメテルの行動が、である。
彼奴の事だ。マリアがどう動くか位は読んでいたのでは無いのだろうか。つまり、実りが此方の手に渡るのは想定済。
むしろ、実りを作り出すのがデメテルの目的であったのなら。少しばかり、まずいかも知れない。
あの腹黒そうなデメテルだ。どうせ最終的な目的はろくなものではないだろう。実りを利用するのが目的ではないのだとしたら、一体何だ。
ともかく、二日ほどの休憩を貰う。
装備の調整や、六層での看守悪魔との連戦で消耗した物資などの補給を行う必要があるからだ。
一度エリダヌスの下層に移動して、其所でプラントから物資を回収する。嘆きの胎にあった物資も全て回収したが、まだやっておきたい事があるのだ。
皆が動いている様子を見て、アレックスは呆れたように言う。
「本当にこの世界は勝手が違うのね。 他の世界では、レッドスプライトだけ生き残ったシュバルツバースに乗り込んだ人間達は、プラントなんか展開する余裕も維持する力もなかったわ」
「そうなると、悪魔から物資も何もかも回収していたと言う事だろうか」
「そうよ」
アレックスの言葉に、ゴア隊長は肝が冷えたようだった。
ましてや、突入時にゴア隊長が死んだという話も聞かされていれば。その後どうなったかは、容易に想像がついただろうから。
他にも色々と気になる事は多いとアレックスは言う。
「貴方たちの攻略は少しばかり速すぎるわ。 本来だったら、ホロロジウムに突入する頃にはとっくに南米とアフリカに悪魔があふれかえっていたのよ」
「そうか、唯野仁成隊員とヒメネス隊員だけが戦闘要員に等しい状態では、それも無理がなかったのかも知れないな」
「ええ。 記録によるとその時だけで十億人が命を落としたらしいわ」
「既に十億か……ホロロジウムの攻略にもたつけば、結果は同じになるだろうな」
アレックスは頷く。
さっさとすすめというのだろうか。だが、ゴア隊長は、真田さんが改良している武器などの説明をする。
ストーム1が使っているライサンダーZの更に小型化携行化が可能という話を聞いて。流石のアレックスも顔色を変えた。
ライサンダーについては、アレックスもその身で威力を味わっているのである。
特にストーム1が使っているライサンダーの火力が次元違いであることは、彼女も分かっている。
「他にも皆の装備の改良を行い、生存率を上げる。 全員の経験が並行蓄積されるから、その方が効率が良くなると試算が出ている」
「此方でも試算した。 確かにそのシステムなら、全員に高レベルな装備を配布した方が都合が良い」
「なるほど、もたついているように見せて、それでいながら攻略が速いわけだわ」
「君も協力してくれるという事で、更に心強い。 いずれにしても、ホロロジウムのデータは殆ど無いと言うことで、此方も今まで同様の苦戦が予想される。 手札は一つでも多い方が良い。 勿論私も手札の一つだ」
ゴア隊長に握手を求められ、少し困惑した後。アレックスは握手に応じていた。
唯野仁成の方には、まだ警戒が強い様子で、余り話してはくれない。
それは仕方が無い。
時間が掛かるのは分かっているのだから。
ヒメネスに呼ばれたので、其方に行く。どうやら実力が足りたらしい。モラクスとバロール、それにラーヴァナが合体に同意。更に素材の悪魔のデータも揃ったので、ロキとアバドンを残し、新しい魔王を作るそうだ。
休憩室に出向く。何を作るのかと聞いたところ、インドラジットだという。
まあ、インドラジットなら確かに充分過ぎる程の実力者だ。ゼウスとやり合えるほどかは分からないが、ライドウ氏が連れている悪魔にも早々劣らない実力と言い切ってしまってかまわないだろう。
「モラクスも、敵として遭遇したときはどうしようもねえカスだったが、仲魔としては心強かったな。 バロールもそうだ。 魔王といっても、あくまで敵対者としての悪魔と言う事だ。 俺たちがしっかり扱えば、抑止力になるし、道を開くための仲魔としても見る事が出来るんだな」
「ああ。 お前はずっと力だけを求めて悪魔を作っていたから、少しばかり心配だったが……」
「いや、別にその心配は的外れじゃあない。 アレックスの話を聞いて、力に溺れた俺がどうなったかはよく分かった。 そんな俺はクソくらえだ。 弟を面白がって殺して何の社会的制裁も受けなかったあのマフィアのクソ野郎と同じだ。 そんな存在になるくらいなら、俺は死んだ方がまだマシだね」
情報を出し合って、インドラジットの合成が可能である事を確認。また、マッカは充分にある。
周囲でも、デモニカを動力炉の電源に直通して、悪魔の刷新をしている。
中には看守悪魔を作っている者も目立つ。
メイビーも更に回復の魔術が使える悪魔を揃えている様子だ。
皆、心強い話である。
外に出て、インドラジットを召喚する。
ラーマーヤナに登場する、最強の羅刹。武力なら、恐らく羅刹王ラーヴァナをも超える文字通りの最強。
その最期は修行の失敗で自爆するという哀れなものではあったが。
完全とも言えるステルス能力といい、圧倒的な制圧能力といい。従える事が出来れば文字通りの最強である。
だが、ヒメネスは更に上を目指すという。
「丁度北欧系のロキがいるからな。 スルトを作りたい」
「確か前は実力が足りなくて、悪魔召喚プログラムに弾かれていたな」
「ああ。 だが、今なら出来る筈だ」
召喚されたインドラジットは、多数の頭と腕を持つ、インド神話の神格らしい姿をしていた。
羅刹と夜叉、それにアスラ神族がインド神話における悪役だが。
その中でも羅刹最強を誇るインドラジットは、別に敗れた事に対する恨み事を口にするような事もなかった。
「ふむ、余を召喚するか。 余は羅刹の王子メーガナーダ。 通称インドラジット。 神々の王すらも下す余を従えた事を誇るが良い、強き戦士よ」
「あんたにそう言って貰えると光栄だ。 こっからはすげえ敵ばかりらしいからな。 頼りにしているぜインドラに勝利したもの」
「ああ、頼りにしてくれ。 いかなる敵とて斬り伏せ打ち破らん」
さて、次はスルトだ。
また船内に戻り、悪魔合体を始める。唯野仁成の方はどうするのかと聞かれたので、このまま行くと告げる。
アリスをはじめとする魔術による火力は充分。
近接戦はゼウスとイシュタルがいる。
いずれも劣らぬ凄まじい面子ばかりであり、更に皆の連携は充分に取れている状況である。
それだったら、もはや悪魔の刷新は必要ない。
これで充分。後は、悪魔達と一緒に、唯野仁成が強くなるだけである。
そうかと答えると、ヒメネスは続けてスルトの作成に取りかかる。
北欧神話を文字通り終わらせる終焉の魔王スルト。ムスペルという炎の巨人族の長としてしられている。
ムスペルヘイムと呼ばれる土地から来るその魔王スルトは、多くの神話と違って、世界を蹂躙することを成功させてしまう。そして全てを焼き払った後、何処ともなく消えていくのである。
そんな神格だから、実力も充分。特に火焔系の魔術に関しては、恐らく究極とも言えるものを撃てるはずだ。
此方も、悪魔合体につきあう。
実力は、充分と言う事で。ヒメネスはにやりと笑った。唯野仁成も、苦笑してその笑みを受け止める。
ただ、マッカが膨大にいるので。艦橋に連絡して、補完しているマッカを分けて貰う必要が生じた。
スルトを従えられるのなら、それで充分とも言える。
程なく、許可は下りた。
ロキとアバドンを使い。他にも多数の神格を合体させることで、スルトを作り出すが。やはり電力の消耗はとんでも無く、文字通り動力炉から根こそぎ電力を吸い上げかねない勢いだった。
他のクルーも今せっせと最終決戦に備えて悪魔を合成しているから、ブレーカーが落ちるのではないかと心配したが。
其所は真田さんが作った動力炉だ。
そんな無様を晒すことも無く、ちゃんと個別に電力を分けて、時間を掛けても悪魔合体を成功させるようにしてくれていた。
凄まじい電力を食い、周囲が光るほどのスパークが放たれる中。スルトが完成する。
外で呼び出すと。
スルトは、荒々しい衣服に身を包んだ、四角い顔の巨人として出現した。
手には巨大な炎の剣を持っている。
これこそ、かの有名なレーヴァテインだろう。
北欧神話でもっとも人気がある神の一柱であるフレイは、絶対勝利する剣というインチキ武器を持っていたのだが。ある理由から手放してしまった。そのため、北欧神話の最後の時ラグナロクでは、スルトと何故か鹿の角で戦う事になり。勿論手も足も出ずに叩き殺される事になる。
スルトは、燃え上がる剣を振るって、周囲を睥睨すると。
鼻を鳴らしていた。
「何とも軟弱な者達よな。 だが、余を呼び出したからには従うのが道理というものか」
「頼むぜ、世界の終焉をもたらせるほどのムスペルヘイムの王さんよ」
「……不遜だが面白い。 良いだろう。 この終焉の力を持って、そなたの剣となってやろうぞ。 余はスルト、ムスペルの王である。 心してその炎が全てを焼き払う様を見届けるが良い」
わははははと笑いながら、半裸の四角い顔の巨人はPCに消えていく。
周囲でも、かなり強力な悪魔が皆によって作り上げられている。
一方で、一緒に戦ってきた悪魔達と、最後まで行く覚悟を決めたクルーもいるようである。
アリスにずばり正論を指摘されていたアンソニーもその一人。
アンソニーは、ゴモリーという強力な堕天使を召喚することに成功していたが。
そのゴモリーから有り難い話を散々聞かされたらしく。色々な女性悪魔に目移りするのではなく。皆に丁寧に接するようになった結果。相手側からの対応も露骨に変わったと言うことだった。
ブレアはケルベロスとツイツイミトルを連れて最終決戦まで出向く様子だ。
驚いたことに、メイビーがマリアの召喚に成功していた。恐らくだが、実りの中にマリアのデータがあったのだろう。
寡黙に一礼だけするマリアと。凄いのを召喚してしまったと呆然としているメイビーの様子が対比的である。
メイビーはどうしようと視線で訴えかけていたが。
まあ、一神教徒に自慢しなければ良いだろうという話をすると。困惑しながらもそれで納得した様子だった。
いずれにしても、唯野仁成の用事は終わる。
二日ほどの休暇だ。休むタイミングは各自に任されている。
唯野仁成は、ベッドで寝る事にした。
出来れば、これから最も過酷な世界に挑む前に、疲れは全て取っておきたかった。
アレックスは、まだ当然唯野仁成を警戒しているだろう。一応監視はついてはいるが、既にアレックス自身は此方の味方として活動してくれるようだが。当然、すぐに素直になれるはずもない。
だったら、素直になってくれるまで待つ。
それが、唯野仁成がするべき事だ。
一眠りした後、状況を確認。物資の積み込みは完了。必要なものは、もうこれ以上は存在しないという。
寝ている間に、ライトニングを此方に運んできていた、ともいう。
ライトニングの残骸を、このシュバルツバースに置き去りにするのもまずいだろうという判断からだそうだ。
工場などは全て撤去。
そして、ライトニングを牽引してこのエリダヌスに到着。どうせ脱出の際にはバニシングポイントを使うのである。
中身がすっからかんの鉄船には、今総力で殺し合いをしている天使と鬼神達ではかまっている余裕もあるまい。
バニシングポイントの前に置いて、それっきりだという。
それで良いと思う。
世界でもっとも強欲で愚かな者達の墓標としては、それでかまわないだろう。どうせ動力炉も外されているし、もう何もできないのだから。
最後に、ノリスの様子を見に行く。
医療室は、もう仕事も一段落している様子で、カプセルで休んでいるクルーが散見されるくらいだった。
ノリスは奥で眠っている。
やはり、シュバルツバースから出る前に目覚めるのは無理だろうか。
ゾイが来たので、話を聞いておく。
ゾイは頷く。一応眠っている状況で、トラウマの除去を試みているらしいが、数年は掛かるだろうと答えがあった。
勿論それらの費用は国際再建機構で出す事になる。
まあ当たり前の話だ。戦闘での名誉の負傷なのである。唯野仁成が知る国際再建機構は、そういう組織だ。
必ず、この世界をどうにかして外に戻り。
貴方が目覚めるまでには、外の世界で二度とシュバルツバースが出現しないように処置をする。
そう誓うと、唯野仁成は呼ばれている事に気付いて、通信を受ける。
正太郎長官だった。
艦橋では無い。個室の一つである。
何だろうと思って、個室に出向く。営倉などに使う事を想定したらしい部屋だが、セキュリティも最高レベルである。
正太郎長官はもう高齢なのに、背筋も伸びていて、最終決戦に出向く勇者達の後見人としては申し分ない威厳だ。
座るように言われたので、そうする。向かい合って座ると。正太郎長官は言う。
「先に話をしておく。 国際再建機構は、次代のリーダーを探していた。 勿論分かっていると思うが、次のリーダーはゴア隊長に頼むつもりだ。 彼なら必ずや国際再建機構の理念を保ったまま、今後真田君が策定する計画に沿って、地球人類を宇宙に進出させてくれるだろう」
「はい。 俺もそう思います」
「うむ。 そしてゴア隊長の次のリーダーは、君に内定した」
「!」
正太郎長官は破顔する。
これは、既に国際再建機構の本部とも話をして、随分前から決めている事だという。
ヒメネスはトップには向かない。
彼には今後も、最前線での仕事をストーム1やケンシロウと一緒にして貰う。
今の時代悪人がのさばっているのは、悪人を裁く法システムが未完成の上に上手く行っていないからだ。
アルカポネの時代から、推定無罪の原理は理想論に過ぎず、悪人の良いように使われるものでしかなかった。
現在でもそれは変わっていない。だが、テロリストや麻薬密売組織に対しては、現在ストーム1が圧倒的抑止力として君臨しているのも事実。
それによって途上国での犯罪組織は、著しく数を減らしている。
「残念ながら、人間は法で制御出来る生物では現状ではないし、今後も当面は厳しいだろう。 そこで君をトップに、前線で悪を倒すための存在が必要になってくる。 古くはヒーローと呼ばれた概念でもあるが……」
「分かりました。 俺は必ずや、アレックスが来た未来の俺にはならないと誓います」
「……頼むぞ」
それだけで、話は終わった。
淡々と、だが確実に皆の司令官を務めてくれたゴア隊長。それは次世代の長がゴア隊長になるのは当然だ。
その後は、唯野仁成の時代か。
ただ、正太郎長官も、真田さんも当面は引退できまい。
シュバルツバースを出た後、すぐにその人事が発行されるというわけでは無さそうだ。
外に出ると、アレックスにばったり出会う。アレックスはサクナヒメと歩いていたが、むっとした様子で足を止めた。
正太郎長官も出ていったのを見ただろう。
何をしていたのかと、刺すような視線が告げている。
正直に内容を話すが。アレックスは、あまりいい顔はしなかった。
「アレックスよ。 この唯野仁成は、そなたが知っている悪鬼とは違う。 忘れるでないぞ」
「分かっているわよ武神サクナヒメ」
「姫様とよべ」
「……」
やりづらそうである。まあ、サクナヒメは今やクルー達には姫様と呼ばれている。一神教徒も、サクナヒメを武神と呼ぶのは流石に色々やりづらいというのもあるのだろう。だが、姫様と呼ぶのであれば、一神教の教義に外れる事もない。
偶像崇拝の概念を否定しているのに、偶像崇拝の権化となった神の子やマリアを例に出すまでも無い。
基本的に宗教というものは、わかり安い方が正義だ。
それを考えると、姫様と呼んで武神である事を誤魔化す事は、それはそれとしてありなのだろう。
まさかデーモン呼ばわりする訳にもいかないのだから。
「ホロロジウムについてはほぼブラックボックス化されていて分からない事だらけらしいのだが、それでも一部、気温や気圧などについてのデータだけはアレックスが提供してくれたデータにあったそうだ。 今、真田がそれに沿ってデモニカを最終調整してくれておる。 ホロロジウムで戦う時は、スムーズにやれるだろうよ」
「有難うアレックス」
「……ええ」
ついと視線を背けると、アレックスは先に行く。サクナヒメは視線だけ送ると、頷いてついていった。
唯野仁成は気付いていた。
アレックスの動作の細かい所が、妹そっくりであることを。
血統主義は唾棄すべき愚論だが。こう言う細かい所に遺伝は出る。
そして、大叔父である以上。
これ以上、アレックスに血涙を流させるわけにもいかない。唯野仁成は、そう決意を固めていた。
4、最深淵目覚める。
最後の大母の空間で、暴れ狂っていたマンセマット。悪魔を見るや殺し、骨も残さず食い荒らす。
既に鬼相は天使としての面影も残しておらず。
最後の大母の空間を彷徨く凶悪な悪魔達も、マンセマットを見るだけで交戦を避けていた。
そんな中、狂気のまま殺戮を繰り返し。あろうことか迷い込んでいた他の天使を殺して喰らっていたマンセマットは。
顔を上げていた。
どうやら、大母が目覚めたらしい。今までの大母とは比較にもならないと言う事は分かっていたのだが。
それでもその圧倒的な力は、もはや化け物となり果ててしまったマンセマットでさえ、思わず息を呑むほどだった。
動きを止めたマンセマットは。口を拭う。
たくさんの悪魔を殺して喰らった。そして、自身の姿がもはや堕天使になっている事も分かっている。
だからこそ、マンセマットは凄惨な笑みを浮かべていた。
これぞ、好機だ。
ふらふらと、深淵の最深部を目指す。
最後の大母メムアレフは、文字通り地球のルールを決定しうる存在。そんな怪物を御しきれる訳がない。
無理矢理に倒すか、それとも乗っ取るか。
どちらか二択だ。
いつの間にか、深淵のまた最深淵にマンセマットはいた。そこは巨大な空間で、まさに地球の心臓部とでも言うべきか。
周囲にはマグマなどが流れている河があり。発光するマグマにより地底にもかかわらず明るかったが。
その奥は、闇に落ちたマンセマットでさえ。闇が濃いと感じる程だった。
「だれぞ……」
声が聞こえる。
マンセマットは、歓喜に震えた。
どうやら、大母は既に目覚めている。それが分かれば充分だ。それに今のマンセマットは混沌に傾いてしまっている。既に堕天使になっているからだ。
混沌に傾いている大母には攻撃されない。その筈である。
「我が名は堕天使マンセマット。 大母メムアレフよ、お初にお目に掛かる」
「マンセマット? ……ああ、マスティマとも呼ばれる羽虫か。 鬱陶しいから我が前より失せよ。 そなたには何の用も無い」
「幾つも役に立つ情報を持ち合わせておりますが」
「いらぬ。 そなたの情報など、何の役にも立たぬ」
箸にも棒にもかからぬか。
だが、別にどうでも良い。マンセマットは恭しく礼をすると、その場を離れる。確認したかったのは。あれがどれだけの強さを実際に持っているかだ。
くつくつと笑いが零れる。
あれは、どうしようもない。明けの明星ですら、倒す事は不可能だ。人間共が鉄船に乗り込んでここまで来たとしても、どうにもなるまい。それが確認できれば、もはやマンセマットには後がどうなろうと、それこそどうでも良かった。
奇声を上げてマンセマットは跳び上がる。
まだまだ食い足りない。
アレには勝てない事が分かったが。それでも、唯野仁成とかいう人間や、あのゼレーニンとか言う雌豚には思い知らせてやらなければ気が済まない。ましてやあの大天使ガブリエルは絶対に許すことが出来ない。
必ずや殺して、八つ裂きにして、喰らってやる。
完全に頭のネジが外れたマンセマットは、待ち伏せをすることに決める。
唯野仁成は殺す。
いや、他も全部殺す。
そして喰らった頃には、あの明けの明星にも勝てる実力が備わっているはず。そうしたら、明けの明星も殺す。
最後には、大母が初期化した世界に降り立ち。
絶対神の座について、新しい世界に誕生する知的生命体達の支配者になる。
一つ気になる事はある。
デメテルが何を目論んでいるか分からない事だ。
ただ、それもどうでもいい。
大母が地球を初期化してしまえば、それでおしまいなのだから。
狂気の笑いを上げながら、飛び回って餌を探す。もうエサは何でも良い。見かけた相手は全部エサだ。
ふと、気付いて鏡のようになっている切り立った岩を見る。黒曜石だろう。姿が写った。
其所には、もはや大天使だった頃のマンセマットの姿はなく。
巨大な鳥のように羽毛に覆われ。
耳まで裂けた口には牙が並び。
目には煌々と赤い光が宿った、悪魔が写っていた。
それを見ても、もはや今のマンセマットは何も思う事はなく。ぎゃっぎゃっと狂気に笑いながら、飛び回るばかりだった。
(続)
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