雷幻

 

序、雷雲の長

 

今、唯野仁成は嘆きの胎に来ている。この不可思議なる空間で今まで散々唯野仁成も情報収集してきた。その結果、分かってきている事は幾つもある。

まず第一に重要なのが。浅層から六層まで七層に分かれている嘆きの胎の、一層から六層にまで収監されていた「囚人」。その中の、これから接触する五層の囚人悪魔。

この五層囚人悪魔がほぼ確実に「あの」ゼウスである。

ゼウス。オリンポス神族と呼ばれる、ギリシャ神話における支配者階級の神々の長。恐らく世界でも最も有名な雷神の一柱。比肩する高名な雷神と言えば、北欧神話のトールくらいだろう。

このゼウスについても、戦う前に色々と調べた。悪魔についても神についても戦闘前に調べる事は、とても大事だと唯野仁成も知っていた。人間と戦う時と同じだ。孫子の言葉を引用するわけでは無いが、情報は戦闘で大きな力になるのである。

そもそも、ギリシャ神話というのは。古代に存在した強大な文明共同体、ギリシャにおける神話を強引にまとめたものだ。

ギリシャの民族達の神話を無理矢理まとめていった結果、立場が悪い民族の神は貶められ、或いは悪魔にされ。

立場が強い民族の神は創造神の地位を与えられ。

それらに、もとからあった神話が無理矢理ミックスされ。ギリシャ神話というものが作られていった。

北欧神話やインド神話もこの辺りは同じ。

だから神話の過程で主神が何度も交代する。時代によって、神々の性格も変わってくる。

残忍で冷酷な絶対神だった時代もあるゼウスだが。

時代が降るにつれて、間抜けな好色スケベ爺という印象に変わっていったのは。その方が親しみを持ちやすいからだ。

正義を担保する事こそが、宗教に求められるものだが。

一方で、親しみを持てない神もまた、好まれることは無い。

ギリシャ神話は結局の所どんどん貪欲で淫乱な神々による内ゲバの時代が描かれるものになっていき。神々の性格は時代を経るにつれて人間味を得て、更に言えば悪くなっていったが。

ローマ時代になって、ギリシャ神話の神格がそのままローマの人々に名前を変えて受け入れられると。

今度は法の守護者としての要素を求められるようになり。

一転してお行儀が良い厳格で公正な神々になっていくことになる。

一方で、ただ権力闘争に敗れただけのティターン神族は文字通り邪悪の権化とされていくようになる。

クロノスからローマ時代に転じたサトゥルヌスの絵。我が子を喰らうサトゥルヌスと言う絵画については、誰もが知っているだろう。

唯野仁成は、五層の入り口で、データを閲覧して復習していた。

それが終わった頃に、丁度人員が集まる。戦闘チーム六班が編制され、一線級のクルーが全て整列していた。

勿論この状態、方舟はカラだ。アレックスによる襲撃を受ける可能性がある。このため、方舟は現時点ではプラズマバリアでガチガチに守りを固めている。プラズマバリアについては、既にあの恐らく正体が明けの明星であろう堕天使さいふぁーですら簡単に侵入できないようになった。それならばアレックスだって強行突破は無理だろう。

それ故に、スペシャル達は全員が出てきている。

出し惜しみ無し、文字通りの総力戦だ。

ゼウスがどの時代のギリシャ神話におけるゼウスになるかは分からない。間抜けなスケベ爺のゼウスが出て来てくれれば楽なのだが、そう簡単にはいかないだろう。楽観は思考の放棄だ。

それは軍人である以上、唯野仁成も一番よく分かっている。

それに、である。

ゼウスの姉の一人であるデメテルが、あの実力なのだ。ゼウスが弱い訳がない。今から行われる戦いは、かなり厳しいものとなると見て良いだろう。

既に五層の看守悪魔は、二日掛けて掃討を完了。

調査班が、六層への入り口に大量のタレットや爆発物、更には戦闘用ドローンを配置して、縦深陣地を構築している。

六層の強大な看守悪魔でも、簡単に突破はできない布陣だ。

つまり、野良の悪魔を除けば、脅威は存在しない。全力でゼウスに対して戦う事が出来る。

サクナヒメに対して、ゼウスの説明をライドウ氏がしている。

サクナヒメは腕組みすると、小首をかしげていた。

「何とも面妖な話であるな。 確かにラジエルが言うように、信仰によって神は変わると言うことだが……」

「実力については、最悪の想定で出向くべきでしょう」

「それはそうだな。 ゼウスとやらはどのような武器を持っている」

「まずケラウヌスが最大警戒対象です」

ケラウヌスとは、とサクナヒメが聞く。まあそれは当然だろう。

ライドウ氏も、きちんと説明をしてくれた。

ケラウヌスとは、ゼウスの使う雷の武器だという。形状は様々な伝承が伝わっているが、いずれにしても雷そのものである事は間違いないらしい。それも、周囲の全てを一瞬で焼き尽くす火力だそうだ。日本では、ケラウノスという名前よりも雷霆の方が良く知られているとか。

このケラウヌスは元々ゼウスの武器だった訳ではなく、ゼウスが下した鍛冶の神々が作り出したものであり。一種の献上品である。

この献上品を手にすることにより、ゼウスは最強の雷神へと変わったのだ。

もっとも神話によっては奪われたり、効かない場合もあったそうだが。

まあそれはそれである。

「それと、ひょっとするとアダマスの鎌を有しているかも知れません」

「アダマスの鎌? どのような武器か」

「簡単に説明すると、ゼウスの先代の主神クロノスが、その更に先代の主神ウラノスの、主神としての力を奪った武器です」

正確にはウラノスの男性器を切りおとすのに使った武器だが、まあそこまで説明する必要はないと判断したのだろう。

最高神としての力を奪うほどの武器。それは間違いなく、圧倒的な破壊力を持つ神の武具である。それだけ分かれば充分だ。

「当たれば生半可な神は即死であろうな」

「ほぼ間違いなく」

「そんな武器に加えて、周囲全域を雷で焼き尽くす武器も持つ、か。 雷神はヤナトにも何柱かいたが、全てをあわせても及びそうにないのう」

「北欧神話のトール神なら対抗できるかも知れませんが、いずれにしてもケラウノスは生半可な方法では防げません。 ……其所で彼に盾になって貰います」

テューポーン。

ギリシャ神話にて、完全状態のゼウスを倒した唯一の存在。

その神話が書かれた時代によってはゼウスが一方的に勝利しているようだが、残念ながらテューポーンに倒された神話の方が知られている。

故にゼウスに対していわゆるメタを張る事が出来る。

テューポーン自身、台風の神格化という事もあり、相当な力を持つ邪神だ。確かに側で、びりびりと凄まじい力を感じる。ゼウスの気配を感じて、唸り声を上げているテューポーン。

相当な怒りを蓄えている様子だった。

それはそうだろう。神話において、力では勝てないと判断したゼウスは奸計によってテューポーンを弱体化させ、更には山の下に閉じ込めたのだ。

「変態クソ爺なら楽なんだろうがなあ。 女性クルーは気を付けろよ?」

「割と笑い事では無いから気を付けろ」

ヒメネスの冗談に、ライドウ氏が応じる。

時代にも寄るが、ゼウスは女に対する見境なさでは正直イカレ気味である。これには色々と事情もあるのだが。いずれにしても、外からのイメージで影響を受けることは避けられまい。

ゴア隊長から、声が掛かった。

「方舟からの支援は難しい状態だ。 ただ、一応一つだけ切り札は用意した。 ただ一度しか成功しないとも思う。 気を付けてほしい」

「イエッサ!」

真田さんやゴア隊長は船内で待機だ。

だが、決して前線に出てこないわけでは無く、支援で最大限の力を尽くしてくれる。それについては圧倒的な信頼感がある。

既にライサンダーFは、一線級クルーに普及し始めており。

総合的な火力は、皆爆上がりしている状態だ。

全員で手持ち悪魔の状況を確認した後。六班で、行動を開始。

もはや完全に精鋭特殊部隊である。移動時に、殆ど気配が周囲に漏れない。デモニカによる強化もある。

だがそれ以上に、皆が戦闘経験を嫌でも積んでいる、と言う事だ。

しんとしている第五層。殆どの悪魔を駆除してしまったのだ。看守悪魔は全滅。更に六層からも、簡単に看守悪魔が上がってくることは無い。

何よりも、グルースにおける「幻力」を打ち破るための装置を作るための時間を無駄にしないため。

そして恐ろしく強い事が想定されるグルースの大母に対して少しでも戦力を調整するためにも。

ゼウスの撃破は必須とも言えた。

ゼウスがいると思われる場所の周囲には、ドローンが展開している。

六チームが展開完了。

最前衛はライドウ氏のチームだ。他のチームも、悪魔を展開し終えている。さて、どう出る。

二層までの囚人のように、戦闘を選ばずに解放されれば良いという態度を取ってくれれば良いのだが。

それは楽観だ。

しばらく備えていると、ライドウ氏がまずは動く。テューポーンが、唸り声を上げながら進み始めた。

次の瞬間。

文字通り、世界が白に塗りつぶされた。

ゼウスが閉じ込められてい植物の巨大な牢が、文字通り内側から吹っ飛んだのである。

そこにいたのは、スケベ爺然とした神ではない。

半神が黒、半神が白。猛々しい風貌の壮年の男神である。間違いない。あれがゼウスだ。

その右手には巨大な雷撃の槍らしきもの。あれがケラウノスだろう。

そして左手には、鋭い鎌。草刈り鎌の形状だが、その大きさはまるで鉈だ。

背丈は二十メートルほどと、最近見て来た悪魔達に比べるとそれほど巨大ではないものの。

とんでもない威圧感である。

これは予想の最悪を極められたなと、唯野仁成は植物の影に隠れたまま、様子を見る。

テューポーンに主に収束してケラウノスはぶっ放されたようだが、周囲にもこれだけの影響があるという事だ。

まさに世界でもトールに並ぶ知名度を誇る雷神に相応しい必殺の武器。

確定で命中し確定で殺す雷神の槌ミョルニル程ではないにしても、このケラウノスもとんでも無い代物だ。

「懐かしい気配があると思えばテューポーンか。 ただ残念よな、弱体化している状態か」

「やはり牢など内側から破る事が出来たのだな」

「いや、最近この嘆きの胎を封じていた力がどんどん弱ってきていてな。 あの大母の長に閉じこめられた状態では違ったのだが。 まあどうせ、後ろで誰か悪巧みをしているに違いあるまい」

からからと、威圧的に笑うゼウス。

そして、周囲を睥睨した。

「むっつ、強い気配があるな。 名乗れ。 俺はオリンポスの長にして、雷神ゼウスである。 お前達風に言えば魔神ゼウスというところかな?」

もう、こうなっては仕方があるまい。

姿を見せると、それぞれスペシャルが名乗る。唯野仁成とヒメネスも。ゼレーニンも来ているが。ガブリエルは守りで手一杯だろう。

あのケラウノスを何発も撃たせるわけにはいかない。

しかもあの様子だと、まだ出力が挙がるのはほぼ確定である。

「異国の武神を交えた英雄達か。 面白い。 テューポーンが全力状態であれば言う事はなかったのだが、弱体化した分を補って余りある程の陣容ではないか。 俺に力を認めさせてみよ。 そうすれば、六層へ自由にいけるようにしてやろう。 ただ、俺もしばらく眠らされていて気が立っておる。 簡単に死ぬでないぞ?」

「一つ質問がある、ゼウス神」

「どうした、可能性を多く持つ星の男よ」

「……赤と黒の服を着た女性が姿を見せなかったか?」

勿論アレックスのことだ。

ゼウスに単騎で挑んで手込めに、というのを予想してしまったからである。

ゼウスは手を顎に当てて考えると、思い出したようだった。

「おう、恐らくそれは気配を探っていた者だな。 けなげにもこの俺を倒すべく、情報を探っていたようだが……今は恐らくこの五層の何処かに潜んでいよう。 巧みに姿をかくしておるわ」

「そうか、それは安心した」

「どういう意味か」

「見境なく貴方に孕まされているのではないかと思ってな」

ゼウスは激高するかと思いきや、むしろ大笑いした。そして、笑顔を崩さない。

圧倒的戦闘力から出る余裕が、ゼウスに怒りを抱かせないと言う事だ。

この様子からして、享楽的な後の時代のイメージも抱いている存在なのではあるのだろう。

ただし実力は古き時代のものに近い。

陽気で無邪気に強大な暴力を振るう。そんな、古代の神々らしい存在に仕上がっていると言う事か。

「ははは、まあ言わんとする事は分かる。 俺もスケベである事は自覚しているが、だがそれ以上に山のように子孫を名乗る奴がいてうんざりしている。 あの者に手は出してはおらんよ。 戦ってもおらん。 それに、知っているかも知れないが、オリンポスの神々も安泰ではないのだ」

頷く。それについては調べた。

クロノスが己の子供達を、地位を奪われるのを怖れて食べてしまった逸話は有名である。ローマ神話時代では、それを題材にした絵画が描かれているほどに。

だが、ゼウスも同じ事をしていることはあまり知られていない。

古い時代における神話では、「予言」は兎に角大事なものだった。予言には、神でさえ逆らえなかった。

北欧神話の神々で、予言を司る運命の三女神が大きな存在感を示しているのもそれが故である。

ギリシャ神話もそれは同じ。

恐らくだが、此処にいるゼウスは、己の地位を保つために、安易に子供を作ることを避ける性格なのだろう。

その行動の是非は、また別の話だ。

「さて、俺のケラウノスもそろそろ温まってきた所だ。 全員掛かりでかまわぬ。 掛かってこい英雄達よ!」

「テューポーンでも本気のケラウノスには長時間耐えられない。 総力で、一気に決着を付ける!」

「イエッサ!」

ライドウ氏の言葉と同時に、全員が同時に一斉に攻撃を開始。

勿論高笑いしながら、ゼウスはそれを雷霆にて迎え撃っていた。

 

五層の奥。

アレックスは身を潜めて、ゼウスが戦いはじめたのを感じていた。

かなり距離を取っているのに、凄まじい気迫である。

明らかにゼウスは楽しんでいる。恐らく、徐々にギアを上げていくつもりなのだろう。ジョージがアレックスではどれだけ頑張っても勝率4パーセントを切ると言ったが、それは今や肌で感じ取ることが出来ていた。

今、手持ちにはアモンがいる。

どうにか蘇生させることが出来たのだ。

だが、それでもこれは、はっきりいってどうにもなるまい。文字通り弄ばれて殺されるのがオチだっただろう。

既にアレックスを凌いでいるあの化け物のような連中でも、簡単に勝てそうにもない。

唇を噛む。

このデモニカは、彼奴らが使っているものより二世代後のもので、それも特注品である。世界の命運を担って作り出された、文字通り最高にして最後のデモニカだ。

自己学習機能だって豊富に備えているし、単独で平行世界に渡ることすら出来る。

だが、そのデモニカを持ってしても、もはや追いつくことは出来ない。

アレックス自身だって研鑽を欠かしているつもりはない。というよりも、研鑽しなければ死ぬ環境にずっといた。

人類最強だとも思っていた。唯野仁成に遭遇するまでは。

世界の破滅を防ぐために、幾つもの世界を渡り、最終的にはこの過去のシュバルツバースにまで来て、そして今。

思い知らされる。世の中、上には上が際限なくいると言う事を。

いつもシュバルツバースで、唯野仁成に勝てなくなる。それはもう、分かっているからいい。諦めている。

だが、唯野仁成以上の怪物達が四人。

更には、いつもはもはや混沌の理に全てを託してしまっているはずのヒメネスが、人間として戦っている。

ゼレーニンも同じだ。ガブリエルなんて最高位天使の一角を従えて、支援に回っている。

あれはやはり。

今まで見てきた、唯野仁成と、レッドスプライトのクルーとは別の存在だ。

「もう少し距離を取るべきだ、バディ。 魔神ゼウスの戦闘力は想像を遙かに超えてしまっている」

「ええ、分かっているわジョージ」

「……交戦を選ばなかったのは正解だったな。 まだ力が上がっていくぞ」

「ひょお。 流石にオリンポスの最高神様だぜ」

いつの間にか、側でシャイターンが手をかざして戦闘の様子を見ている。

魔神ゼウスの放つケラウノスは、五層を無慈悲に蹂躙しているが。不思議と五層に咲き誇っている不思議な花は焼いていない。

理由はよく分からない。

ただ、ケラウノスの雷撃の余波がこの辺りにまで飛んできている。

アレックスは隠れている茂みを、更に戦闘地点から離す。

シャイターンはもっと側で見たさそうにしていたが、手を引いて下がらせた。

「おや、俺様を心配してくれるの?」

「セクハラもしなくなったし、もう別に貴方を敵と思ってはいないわ。 だったら死ぬのを見るのは寝覚めが悪いだけよ。 何度も助けてくれたものね」

「ハハ、そうかそうか」

「それよりもアレックス、どうする。 戦いを見届けたら……」

アレックスは、覚悟を決めた。

それについては、まだジョージにも話していない。

だが、踏み出すのはまだだ。

踏み出すには、力がいる。

当然の話で、アレックスは見て来たからだ。破滅の未来を幾らでも。おぞましい化け物に変わっていく唯野仁成とヒメネス、ゼレーニンの姿を。

奴らによって蹂躙され、終わりを迎えてしまった世界の姿を。

だからこそ、慎重に見極めなければならない。

勿論もう分かっているつもりだ。唯野仁成は、今まで見てきた唯野仁成とは違っていると言うことを。

だが、それでもなお。

今まで見せつけられてきた、悪魔より暴虐を振るい、文字通り誰の手にも負えなかった怪物のイメージは。

脳裏から、離れてくれなかった。

 

1、雷神を屈服させよ

 

ゼウスが高笑いしながら、更に火力が上がっている雷撃を投擲してくる。テューポーンは超再生力を駆使しながら、ゼウスにどんどん近付いていき。それを盾に、皆が狙撃を続けていく。

ゼウスも流石にライサンダーの一斉射には閉口気味で、テューポーンをどうにか焼き尽くすか、それとも全域を一気に焼き払うか悩んでいるようだったが。

そこで、ライドウ氏が不意に仕掛けた。

「テューポーン!」

「ほう?」

ライドウ氏の叫びと共に、テューポーンが不意に姿を変える。

巨大な蛇になると。そう、この間交戦した龍王ヴリトラをも超える巨大な蛇に化身すると。

ゼウスを丸呑みにせんと、襲いかかったのである。

どの道、ケラウノスがぶっ放される度に、クルーが展開している悪魔達が倒されて行っているのだ。

余波だけでも、守に徹している、此処まで成長したクルーの悪魔達がやられるほどの超火力。

長期戦はしない。

最初から、それは周知されている事だった。

ゼウスは鎌を降り下ろし、文字通りテューポーンの頭を唐竹にたたき割る。

あれがアダマスの鎌か。

更に至近距離から、テューポーンに全力でのケラウノスを叩き込む。

至近で雷が落ちた経験は、幼い頃に一度だけあるが。

それをも超える、意識が飛びかねない轟音だった。

流石にこれには、テューポーンもひとたまりもない。消滅していくゼウスを倒せし唯一の神格。

だが、その時にはサクナヒメが突貫していた。

振り仰ぐゼウス。アダマスの鎌を振るい上げて、サクナヒメが既に手元に光らせていた青い神剣を防ぎに掛かる。

光が迸る。

元々ゼウスは邪悪な神格では無い。文字通り、光と光のぶつかり合いだ。

「なるほど、異国最強の武勇というのは話だけではないようだな!」

「ストーム1! やれっ!」

「!」

ゼウスが押し返そうとした瞬間。

迸った光。そう、アレスを一瞬にして屠り去ったフュージョンブラスターの一撃である。

ライサンダーZでゼウスを打ち据えながら、これによる確殺を狙っていたのだ。

ゼウスは流石だ。雷の神格だけの事はある。これを、ケラウノスを盾にすることで、防ぎ切ってみせる。

周囲が燃え上がるような超高温の中、羽衣を使って、距離を取ろうとするサクナヒメ。

させじとケラウノスを更に放とうとするゼウスだが、即座に行動を切り替えその場を飛び退いていた。

いつの間にか接近していたケンシロウに気付いたのである。

「パンクラチオンでは無さそうだが、未知の武術には近付かぬに限る」

ケンシロウの瞬歩に対応して、機敏に移動するゼウス。だが、ゼウスは気付いていない。今のストーム1の一撃、更にケンシロウの移動で、追い詰められていると言う事に。

唯野仁成と、ヒメネスが。同時に叫んでいた。

「斉射!」

詠唱を終えていたアリスをはじめとした唯野仁成の悪魔達全員。更にヒメネスの魔王達全員が、一斉に最大火力の魔術を叩き込む。

ゼウスも流石に顔色を変えて、全力で防ぎに掛かるが。

アリスのトリスアギオンをも数十倍に増幅したこの最大火力。流石の最高神も、防ぎ切る事は出来ない。

ライサンダーをぶっ放すヒメネスを横目に、唯野仁成は突貫。剣を抜く。ケンシロウも同じように突貫している。

雄叫びと共に、己を灼いていた炎を吹っ飛ばし弾き散らすゼウス。

流石に無傷とは行かないが。唯野仁成達より先に仕掛けたサクナヒメの一撃を、アダマスの鎌にて防いで見せる。

それだけではない。

羽衣で空中機動し、縦横無尽に秒間百を超える乱撃を叩き込んでくるサクナヒメに対して、全ての攻撃に応じている。

ゼウスが明らかに笑っている。

楽しんでいるのだ、この圧倒的な戦いを。

そして、そんな状態でも、針の穴を通すようにして、ストーム1が狙撃を完璧に決める。

横っ面と鳩尾を立て続けに張り倒されたゼウスが、流石に苛立って顔を上げるが。その時には、ケンシロウが足下に。

ケラウノスを振るって、ケンシロウの接近を防ぎに掛かるゼウスだが。

しかし、此方は手数が多いのだ。

ゼウスの顔に、何かが貼り付く。ライドウ氏が召喚した悪魔だ。軟体動物のように見えるが、その割りにはゼウスは慌てていた。

「これは、ただの邪神ではないなっ!」

見ると、タコに似ているが、目が体中にあり、非常におぞましい姿をしている。

ゼウスがケラウノスで無理矢理焼き払って引き離すが、その時には唯野仁成が、ゼウスの至近に到達していた。

アサルトの乱射を全身に至近から浴びせてやる。

完全にガードをこじ開けられたゼウスが、流石に呻いて蹈鞴を踏む所に。更にライサンダーFを至近から叩き込む。

顎をアッパーカットでたたき上げられたような格好になったゼウスは、それでもサクナヒメが気迫と共に繰り出した一撃をアダマスの鎌で防いで見せる。

流石に最高神をその座から追った武具だ。とんでもない性能である。

だが、一歩下がった唯野仁成の代わりに、ケンシロウが前に出る。ケンシロウに接近されるのは危険と判断しているのか、ゼウスはケラウノスで吹き飛ばすようにして追い払う以外に手がない。

その瞬間、唯野仁成は。

ケンシロウから教わっていた瞬歩を使って、ゼウスの背後に回っていた。

「何ッ!?」

「このデモニカは、学習を並列化して皆に回す!」

剣を振るう。ゼウスの右アキレス腱が、確かにその瞬間ざっくりとはじけ飛んでいた。

神話でもゼウスはテューポーンに破れた後、アキレス腱などの手足の腱を取りあげられ幽閉されている。つまりアキレス腱はゼウスにとっても弱点だ。

流石に顔色を変えるゼウスだが、それでも全身から雷の魔力を放って周囲の全てを吹っ飛ばす。

仕切り直しといきたいのだろうが、そうは行かない。

地面に降りたサクナヒメが、剣を鞘に収めると、低い態勢を取る。突貫しての居合い。サクナヒメの技の中でも、特に火力が高いものだ。

恐らくゼウスも、それを危険と判断したのだろう。

手を上空に上げると、全力でケラウノスの火力を集中し始める。

顔面にストーム1のライサンダーが直撃するが、それでも歯を食いしばって耐えてみせるゼウス。

だが、その時。

後頭部から、思わぬ一撃が、ゼウスの動きを封じていた。

そう、この時のために用意された武器。

ドローン十機がかりで持ち上げ、運べるようにした野戦砲。ライサンダーZF。

恐らく、最高のタイミングで引き金を引いたのは正太郎長官だろう。

方舟は五層に入る事は出来ないが。

こう言う形で、最高の支援は可能なのである。

「あわせよ!」

サクナヒメが叫ぶと同時に、突貫。

ゼウスは、後頭部をあり得ない火力ではたき倒されたにもかかわらず、それでもサクナヒメの居合いを、アダマスの鎌で防ぎ抜いてみせる。

流石だ。

オリンポスの最高神というだけのことはある。

だが、本命はその後だ。

それも分かっていたのだろう。

さっき後頭部を張り倒されたときに、拡散してしまったケラウノスだが。その火力の残滓を集め。接近していたケンシロウにぶっ放すゼウス。

近付かせてはいけない相手を優先的に処理する。当然の思考だ。というか、それ以外に手がない。

詰め将棋である。

そして、詰め将棋を制したのは、此方だった。

ゼウスが至近にいる唯野仁成に気付いたのは、その瞬間。

サクナヒメが羽衣を使って打ち上げてくれたのである。唯野仁成は剣を抜くと、ゼウスの頭上から腹まで、一気に斬り降ろしていた。

「ぬ、ぬううっ!」

噴き出す鮮血。

更にその傷に、完璧なタイミングで、ヒメネスが狙撃を叩き込む。傷口は高速で塞がっていたが、元々アキレス腱を切られて動きが止まっている状態だ。其所に更にライサンダーの弾が飛び込んだのである。

ゼウスが、ついに片膝を突く。

他のクルー達が、斉射の第二弾を準備し始める。

唯野仁成の悪魔達も。

だが、ゼウスは不敵に笑うと、ケラウノスを引っ込める。そして、アダマスの鎌を放って捨てていた。

負けた。その意思表示をしたのだ。

「見事。 実に素晴らしいぞ英雄達よ。 流石にこの階層にまできてはいないな」

「降伏するという判断で間違いないか」

唯野仁成が至近でライサンダーを構えながら言うと、ゼウスはどっかと胡座を組む。

アキレス腱が切られている状態だ。普段は痛くて出来ないだろうが、それは神だから、なのだろう。

それを見て、唯野仁成も、ライサンダーを降ろし。

他の皆も、戦闘態勢を解いていた。

「欲するはこれであろう?」

放り渡される実り。頷く。

ゼウスは鼻を鳴らす。そして、出てこいというのだった。

「姉上、いるのだろう」

「ええ、勿論」

総力戦状態のクルー達の真ん中に、音も無く姿を見せるデメテル。サクナヒメが剣に手を掛けたが。ゼウスは首を横に振った。戦うつもりはないし、好きにもさせないという意思表示だ。

それを見て、サクナヒメも無言で意図を悟ったらしい。剣から手を離していた。

「だいたい目論んでいる事は分かるがな、姉上。 俺は力をかさんぞ」

「かまいませんわ。 私は豊穣神の中の豊穣神。 目的はただの一つ、収穫。 それが自分の手で行われなくても、かまいませんのよ」

「相変わらずの物言いであるな」

「ええ、相変わらずですわ。 ゼウス、お前と同じでね」

気のせいだろうか。

ゼウスとデメテルの問答に、殺気があったような気がする。

元々仲が良いとは言えないオリンポス十二神だと聞いている。トロイア戦争の逸話では、くだらない理由から仲間割れまでしている有様だ。

それに。ゼウスとデメテルは、デメテルの娘ペルセポネの一件で相当な確執があった筈。

要するに、略奪婚されたペルセポネを取り戻そうとゼウスに食ってかかったデメテルを。ゼウスは略奪婚した冥界の王神ハデスの肩を持つ形で、突き放したのである。

この一件は散々後で問題を作ることになるのだが。恐らく、今もその一件が理由で、揉めているのだろう。

デメテルは冷たいやりとりを終えると、唯野仁成を見る。

「実りは回収しましたわね」

「ああ。 だが解析したい」

「勿論貴方が持っていてかまいませんわ。 可能性の塊である貴方が持つのに相応しい品でもありますのよ」

「……分かった。 受け取っておく」

デメテルが消える。

ゼウスが、大きくため息をついた。

「唯野仁成よ。 やはりそなたには、他には無い圧倒的な可能性の光が見える。 他の英雄達も素晴らしいが、そなたの可能性は圧倒的だ」

「自覚は無いが、そうなのだろうか」

「そうだ。 だから姉上をはじめとする腹黒き者達がそなたに目をつけ、狙っているのだ」

確かに妙に高位悪魔に好かれる事は、唯野仁成も自覚はしていた。

ゼウスは更に言う。

「姉上は既に俺とは魂の居所が違う。 秩序陣営にいて、しかも単純に秩序陣営で忠義の犬と化しているわけでもなさそうだ。 気を付けよ。 姉上は豊穣神としては文字通り最高の存在に位置する。 その実力は、今や俺をも凌ぐかも知れないな」

「それほどか」

「……もう少しそなたが力をつけたら、気が向いたら力を貸してやろう。 その時まで、くだらぬ陰謀に引っ掛かって死ぬでないぞ」

ゼウスが消える。

どこに行ったかは分からないが、いずれにしてもはっきりしている事がある。

ゼレーニンが来た。クルー達を守るために、ガブリエルが相当に消耗したようだが。ゼレーニン自身は平気だ。

実りを引き渡す。いずれにしても、唯野仁成が持っていてもどうにもならない代物である。

点呼を周囲で開始している。サクナヒメはどっかと腰を下ろすと、嘆息した。

「やれやれ、厄介な輩であったのう」

「姫様と真正面から片手間にやり合うとは、流石でしたね」

「……気付いていなかったか。 奴はまだ全力ではなかったわ」

「!」

そうか、まだあれより力が上がったのか。

考えてみれば、ライサンダーZFの直撃弾を後頭部に喰らったり。アキレス腱を切られたりしても、まだ交戦可能な状態だった。

ゼウスの本来の戦闘能力は、更に上でも不思議では無い。

ただ、とサクナヒメは言う。

「仮に全力を出されていても、わしらが勝ったがな。 奴はデメテルめの目的を恐らく見抜いているのだろう。 故に単に力を試すためだけに、わしらに戦いを挑んだ。 そして実りとやらも引き渡した。 全ては茶番だった、ということよ」

「茶番で死にかけましたが……」

「奴にとっては人間の死など茶番なのだろう。 ……人間とともに暮らす事がない神は、本当に傲慢になるのだな。 わしも戒めなければならぬ」

点呼が終わる。整列し、そしてすぐに方舟に戻る。

視線を感じたので、一瞬だけ振り向く。恐らくアレックスが戦闘の経緯を観察していたのだろう。

別にかまわない。

それに、今の状態でアレックスに奇襲を受けても、はっきりいって余裕を持って勝つことができる。

六層へは簡単にいけるようになっていたが。やはり六層には、恐ろしい力を持つ看守悪魔が蠢いている様子だ。

入るには、相当な覚悟が必要だろう。

方舟に戻ると、やっと人心地がつけた。

すぐに風呂に行ってシャワーを浴びるものもいるが。ゼレーニンは実りを解析するべく、真田技術長官の所に持っていった。

唯野仁成はデモニカのシステムを使ってレポートを作ると、艦橋に出向く。

敬礼して、ゴア隊長と正太郎長官に状況を説明。

ゴア隊長は敬礼を返してくれた。

「此方でも戦闘の様子は見ていた。 あの凄まじい力を持つゼウスを相手に一歩も引かぬ戦い、見事だったぞ」

「ありがとうございます。 それで……」

「うむ。 真田技術長官による例の装置が出来るまで少し時間がある。 それまでは休憩にしてほしい」

「分かりました。 それでは休憩に入ります」

真田技術長官による「かねてから開発していた」は、今回も炸裂することになりそうだ。

いずれにしても、多分後二日ほどは余裕があるはず。

ゼウスとの近接戦は、ゴア隊長が冷や冷やしていたのも分かる。兎に角、今でも身震いが来る程だ。

それも、まだゼウスはあれで手を抜いていたという。

本気を出していたのなら、どれほどの力が出ていたのだろう。想像するのも恐ろしい話である。

シャワーを浴びて、風呂に入ってから、ベッドに入って眠る事にする。

しばらく無心に眠って、それから起きだす。

手持ちの悪魔達は、今回防御と一回の斉射だけに徹しさせたが、それでも相当に消耗した様子である。

蓄えていたマッカを、相当量取られることとなった。

ため息をつくと、唯野仁成はアイスでも食べに行く。休憩室では、既にヒメネスが来ていて、コーヒーを淹れてくれた。

「今度真田技術長官が、また新しい食い物を作る装置を作ってくれるらしいぜ」

「あの人も寝ているのか不安になるな」

「休息カプセルを使っているらしいが、確かに心配だ。 このくだらねえ戦いが終わったら、ゆっくり休んでほしいものだが……そうもいかないんだろうな」

「ああ」

シュバルツバースが出現したのは、人間のせいだ。

これについては、唯野仁成も擁護できない。

恐らくだが、シュバルツバースから戻り次第、国際再建機構を主導で、地球の国家統一が開始されるだろう。

主力となるのは米軍だろうが、国際再建機構の軍もそれに加わるか、それとも指揮を執るか。

いずれにしても世界をまとめ、まずは宇宙に出る事を優先する必要がある。

人類は地球から搾取しすぎたのだ。このままでは、何度でもシュバルツバースが出る事になる。

それについては、もう分かっていた。

大母の長を倒した所で、結果は同じだろうとも。

仮にもうシュバルツバースが出現しないような処置を執れたとしても。放っておけば、人間が地球を食い潰し、滅亡する未来に代わりは無い。

要するに、シュバルツバースをどうにかして、外に出たとしても。

そこからがむしろ本番なのだ。

真田さんは恐ろしい開発能力を持つが、それでも全能の存在でも何でも無い。悪魔が世界にいることが分かったが。それが表になった所で、どうせ軍事利用を目論む連中がわんさか出てくるのは分かりきっている。

財団はつぶれたが、第二第三の財団がどうせすぐに出てくる。

外に出ても、唯野仁成は戦い続けなければならないだろう。

マンセマットの言葉は間違っていた。

洗脳によって人間をどうにかしてしまえばいいというのははっきり言って暴論である。

だが暴論ではあっても、確かに人間はどうにかしなければならないという部分だけはあっている。

唯野仁成も、人間の可能性が無限大だとか。人間はきっと未来に美しい文明を築くことが出来るとか。

そんな事を、無邪気に信じられるほど頭が子供では無かった。

「本当に、真田の旦那はどうするんだろうな。 シュバルツバースをどうにかした後に、プランはあるのかねえ」

「正太郎長官がそれより心配だ」

「ああ。 鉄人28号を駆った英雄ももう流石に年だ。 クローン人間を作って記憶を移してとか、そういうのはまだ無理だろうしなあ」

「さらっと凄い事を言うな」

「……分かってるんだろ。 世界の富を独占している連中はアホの集まりだ。 どんな天才だって、その子供は天才とは限らない。 どんな凄い英雄が作った国だって、三代目までが勝負どころだ。 国際再建機構だって、今はもうどの国も内心で面倒くさがっているだろうよ。 何しろその手のアホには兎に角厳しい組織だからな」

ヒメネスの言葉は苛烈だが、その通りだとも思う。

結局、外に出ても戦いは避けられまい。

このままでは、だ。

ため息をつく。アレックスは結局の所、此方との交戦意欲を失ってくれた様子だ。それは大変有り難い話ではある。

しかしながら、恐らく平行世界から来ているだろうアレックスの話は、きっと今後の指標になる筈。

出来れば、しっかり話をしておきたい。

「ヒメネス。 もしも戦後、国際再建機構で高給取りの将官として待遇するって話が出たら、どうする?」

「勿論乗るさ。 この状況だと、はっきりいって楽隠居とはいかないだろうからな。 それよりゴア隊長は多分シュバルツバースのもめ事が終わったら国際再建機構の軍事最高責任者になるし、お前を右腕に欲しがるぜ」

「光栄な話だが」

「そう、光栄な話だ。 お前がダチで俺も鼻が高い」

コーヒーを飲み終えると、ヒメネスは通信を受けたらしく、外に出向く。多分二線級クルーの訓練だろう。

唯野仁成も少し遅れて通信を受けた。

姫様の班と一緒に、六層の偵察だ。ゼレーニンは姫様の班に入る。

真田技術長官が、幻力を打ち破り、グルースの大母を引っ張り出す装置を作り出すまでに、できる事は全部やっておかなければならない。

六層の看守は、以前は文字通り勝てる気がしない相手ばかりだった。

だが、今は違う。

野戦陣地を抜けて、六層に。六層は、今までで一番緑の臭いが濃い場所だった。それだけじゃあない。

非常に周囲にはたくさんの木の実がなっている。

どれもこれも、口にしたらまずいものばかりだろう。

サクナヒメが、目を細めてじっと木の実を見ていたが。周囲のクルーに警告する。

「絶対に口にするでないぞ。 恐らくはこのシュバルツバースから出られなくなる」

「ヤナトにもその伝承はあるんですね」

「ああ、そういえば「日本神話」にも似たような話があるそうだな」

「先ほど交戦したゼウスのギリシャ神話にもあります」

唯野仁成が説明すると、大きくため息をつくサクナヒメ。

サクナヒメの憂いの表情が増えてきているのを、唯野仁成は敏感に感じ取っていた。春香の歌を聴いて静かにしている事も多くなってきた。

流石にこの人間の業に満ちあふれた世界では、武神もナイーブにならざるをえないのだろう。

だが、そんな時だからこそ。

この偉大な武神にして豊穣神を、唯野仁成達人間が支えなければならない。

信仰を要求して何も与えず誰も救わない神と違う。

サクナヒメは自分で積極的に前線に立ち、己が傷つくことを一切厭わず戦う事を躊躇しない。

誰かが間違いそうになれば手をさしのべるし。

文字通り悪魔の誘惑に落ちそうになっているクルーは、積極的に救い出してくれる。

「まずは仕事をすませてしまいましょう。 その後、田の仕事を手伝います」

「ああ、そうするか。 散開。 周囲にはどんな罠や悪魔がいるか知れたものではないぞ、油断は絶対にするな」

サクナヒメも意図を汲んでくれたらしい。

黙々と周囲の警戒に当たり。六層入り口付近の調査を始めてくれた。

唯野仁成もそれを見て安心する。

人と共にあり、人が間違えればただすことを選んでくれた神。神秘性ばかり強調し、高尚な宗教哲学をぶち上げて人々を煙に巻き、信仰心だけをむしりとって人を救うことにはなんら興味が無い現在の神々とは違うもの。

だから、唯野仁成は。

サクナヒメになら、全幅の信頼を預けられる。

六層入り口付近の調査をしながら、もう一つの懸念事項について考える。

当然だが、アレックスだ。

出来れば、そろそろ接触したいものだが。

そう簡単にはいくまい。そろそろ、アレックスが会ってきたという鬼畜のような唯野仁成とは違うという事をしっかり示したい。

多分だが、情報集積体だけを集めるだけでは駄目だろう。このシュバルツバースを完全な意味で理解するためには。アレックスの協力が必要なのだ。

 

2、幻力を破る

 

嘆きの胎六層の入り口付近の調査を終え。プラントで物資を補給。そして、方舟に戻って来た所で、春香のアナウンスが流れる。

ゼウス戦では、ガブリエルや、各クルーが育ててくれていた悪魔達による強力な防御。それにゼウスが本気では無かっただろう事もあって、被害は最小限に抑えられた。死者は出なかったし、クルーにも身動きが取れなくなるほどの重傷を受けた者はいない。

だから、グルースの大母ともすぐにやりあえる。

故に、基本的にリラクゼーションも兼ねて流される春香のアナウンスには、少し逆に不安を感じた。

「これよりレインボウノアは再びグルースに戻り、グルースの支配者悪魔、恐らく大母との決戦を行います。 現時点で、戦いの流れは以上のようになります」

原稿を渡されているのだろう。

春香の説明は極めて淡々としていた。

まず第一に、真田さんが開発した思念電磁波中和装置を、今まで調査してきたグルースの各所に設置する。

第二に、一旦クルーを方舟に収納し。グルースの上空。空間の歪みなどが存在していない地点で、状況を観察する。

第三に効果があるかを確認。効果が出次第機動班全クルー及び、戦闘が出来る全クルーを投入。

事前に用意してある野戦陣地などをフル活用して、大母の足を最初から止める。其所に、更にとどめの攻撃を加える。

要は、最初から大母にありったけの火力を叩き付けて、可能な限りの短時間で撃破する。

以上だと言うことだった。

勿論、疑念の声が上がる。まあそうだろうなと、唯野仁成も思う。

「大母が実体を現すとき、かなりのダメージを受けるという予想があった筈だが、どうして即座に総力でしかけないのだろうか、説明を願いたい」

そうデモニカ内の通信で最初に言ったのはブレアだった。

これに対しては、真田さんではなく春香が答える。恐らく原稿にあるのだろう。それにブレアの質問も当然だ。

「解析の結果、グルースはインド神話で言われる幻力、マーヤーによって構成されている世界です。 世界の全てが幻力で作られている訳ではないでしょうが、その根幹を破壊した場合、何が起きるか分かりません。 フォルナクスのティアマトの時も丸ごと世界が書き換わりましたが、あれと同じ状況になる可能性があります。 その時、空間の乱れが多数存在している場所にクルーがいるのは危険すぎます」

「なる程、理解した」

「方舟のプラズマバリアは改良を重ね、現時点では空間からの直接ダメージにもある程度耐えられるようになっています。 現時点でグルースに展開されている野戦陣地や自動迎撃設備は元々使い捨て。 大母に対しては、最初はこれで対応するのが正解でしょう」

それに大母の姿がまったく分からないのも要因の一つだと春香は言う。

ティアマトのように何度も形態変化する可能性は決して低くない。

更に言えば、元々幻力の使い手だ。

インド神話において神々でも悪魔でも修行をするときに関わる幻力。

名前の通りの存在であるから、幻を引き起こす。

それを根幹から破壊された場合。流石に改良を重ねたデモニカでも、いきなりは耐えられない可能性が決して低くは無いのだ。

納得しているクルー達。

ヒメネスも質問を入れる。ヒメネスはこう言うとき、鋭い質問を入れる場合が多い。

「大母への対策は分かった。 ただ、グルースにはまだ厄介な連中が残っている筈だが……」

「天使達については、対策があります」

これについても、春香が答える。

つまり、想定の範囲内と言う事だ。

ヒメネスはすぐに黙る。真田さんがきっちり時間を使って策を練ってくれたという事であり。それを正太郎長官が承認しているのだ。

ゴア隊長も、内容を把握していると見て良いだろう。

それならば、まずは聞くべきである。

「現在、マンセマットの上位に存在する大天使ガブリエルがゼレーニン隊員の手持ちにいます。 天使は大天使ラジエルの声でも、攻撃を躊躇いました。 ましてやガブリエルの声を受ければ、ほぼ動く事は出来ないでしょう」

「なる程、確かに自意識が薄そうな連中だったし、それはあり得るな」

「最初にガブリエルによる声を上空から流します。 これでどのような状態になっても、天使達は介入できなくなるはずです。 問題はマンセマットですが、マンセマットについてだけは対応をお願いいたします」

「まああいつだけなら何とかなりそうだな……」

ヒメネスも力をつけてきている。それに、ヒメネスの手持ちの魔王達を考えると、確かにマンセマットだけが攻めこんできても大丈夫だろう。

ただ、空間を跳躍する能力をマンセマットは持っている可能性がある。

それについては、大いに注意しなければならないだろう。

他に質問は、と春香が更に聞いてくる。

彼女は今、相当分厚い原稿を手にしていて。それを全て把握しているのだろう。この辺り、国際再建機構で雇われた本物のプロだ。

日本を離れた後、色々思った末に国際再建機構に入ったと言うが。

春香を守りたいという動機で国際再建機構に入った隊員は、実の所男女問わずに少なくないと聞いている。

しかも、意外な人物がそうらしい。

流石に気恥ずかしいのか、直接口にすることは滅多に無い様子だが。

世界最高のアイドルともなってくると、その辺りは色々と求心力が大きいのだろう。特に今の春香は、影響力において中規模国家の国家元首を凌ぐとさえ言われているほどなのである。

「質問がないようでしたら、作戦に移ります。 ご武運を!」

通信がきれた。

春香の声が、どれだけ隊員達の心の負担を減らしてきたか分からない。極限環境、悪魔達の群れ。

戦場にずっといると、ベテランの兵士でも心を病むことは珍しくもない。

人を殺すと、PTSDになる兵士は相当数いる。

どれだけ射撃が上手かろうが、格闘戦が強かろうが、それは同じだ。

此処にいるクルーは大半が実戦経験者だが。それでも厳しい状況に代わりは無い。

方舟がスキップドライブ。全く揺れなく、嘆きの胎からグルースへ移動。

着地まで、誰も何も言わない。

エリダヌスからフォルナクスへスキップドライブする時に攻撃してきた相手が何だったのかはまだよく分からない。

恐らく、最初にシュバルツバースに侵入したときに攻撃してきた相手とは別だろう。

だが、それ以降は何故攻撃してこないのか。これが分からない。

ただ、相手が此方を舐めてくれているのならそれはそれで有り難い。

相手が舐めてくれていれば、勝率は上がる。情報戦で、此方がそれだけ優位を得ているからだ。

プラズマバリア解除。

グルースに、再び着艦。周囲のプラントや野戦陣地は、全く荒らされず残っていた。方舟からアクセスし、弾薬などが減っていないことも確認。一旦野戦陣地に格納していたドローンとも無線でアクセスし、それぞれ稼働させた様子だ。この辺りは、強力なスパコンを積み込んできているからこそできる事だろう。アーサーの本領発揮である。

唯野仁成は指示に従って、まずは物資搬入口に出向く。今回はストーム1とライドウ氏、それに唯野仁成とヒメネスの四班で、調査班クルーを守りながら装置を各地に設置しに向かう。

同時に、ありったけのドローンを投入。各地の空間の歪みの側に配置する。

以前、ドローン狩りをしていた悪魔達は根こそぎ処理が完了している。だから、気にする必要はない。

ただ、空間の歪みが狭いので、やはりジープを使うことは出来ない。

それだけが問題ではある。

ケッテンクラートも同じような意味で駄目だろう。

以前調査班が使っていたケッテンクラートも、今回は使えない。更に、調査班が持ち出して来た装置を見て、唯野仁成は口をつぐむ。複数に分割されている。空間の歪みを通すためだろう。

現地に設置して、電源まで確保しなければならない。

その間、まだ仕掛けてくるかも知れない悪魔から調査班を守りつつ。

更には周囲に気を配らなければならない、と言う事だ。

遊撃として姫様とケンシロウが控えてくれる。

二人とも一騎当千の強者である。何か問題があれば、それこそ音速ですっ飛んできてくれるだろう。

だが、出来れば二人には力を温存してほしい所だ。

ティアマトの強さを思い出す。あの時の戦闘のことを考えると、はっきりいってぞっとしない。

大母の実力があれ以上だと言う事を考えると。

正直な話。出来るだけ、今は考えない方向で行きたかった。

調査班が出る。護衛して、唯野仁成達も小隊をそれぞれ率いて出た。一線級のクルーは、この間のゼウス戦で思ったほどの被害を出さなかった。これは幸いに、とでも言うべきだろう。

問題はマッカを大量に消耗したことだが。

それについては、必要経費として諦めるしかない。

捕らぬ狸の皮算用と言うが、此処の大母を倒した時のマッカを先に計上するのは避けた方が良いだろう。

そういう行動は、どうせ碌な事にならないのだから。

調査班は手押し車を用意してきている。電源も含め。一気に部品を運んでしまうつもりのようだが。その分護衛しなければならない調査班の人員が増える。

最初から悪魔達を展開して、目的地に移動。

四班に分かれても、最終的に十六箇所に設置すると言う事なので、丸一日はかかってしまうだろう。

アーサーによるナビがあっても、それくらいは掛かる。

このグルースは、日本列島くらいは広いのだから。

黙々と移動する。

ここに残る事を決めた弱い悪魔達は大丈夫だろうかと、少しだけ不安になる。だが、彼らも覚悟の上だろう。

それに此処の大母は、混沌の中に弱者を放り出して平然としているような奴だ。

一刻も早く、そのような行動は終わらせなければならない。

目的地に到着。

色々な訳が分からない場所を通ってきたが。何だかいわゆる空中都市、マチュピチュを思わせる石造りの場所だ。周囲は高山を思わせる光景が広がっているが、勿論此処で見えるものは一切合切信用できない。

黙々と設置作業を行う調査班達。

流石に何度もシミュレーションしていたのだろう。真田さんが装置を開発してから、体を動かして組み立てをするシミュレーションをする時間は幾らでもあったはずだ。

電源までセットし、更に周囲に自動迎撃用のセントリーガンを設置して作業完了。

これで一つ。

すぐに次の装置を設置しに行く。

途中、何度か悪魔に、それも決して弱くない悪魔に襲撃されるが。一線級の機動班クルーは既に慣れたものである。

唯野仁成が出るまでも無い場面も多い。

見る間にサクサクと斬り伏せておしまい。そんな場面を何度か見て、安心させられた。

まあ、この間のゼウス戦でも更に鍛えられている面子であり。そしてその鍛えられた経験が全員に平行で活用され。強化にも使われているのだ。

それは、多少の悪魔くらいなら。もう怖くもないのは当然とは言える。

唯野仁成は大物に備える。

それでいい。

割切って考えながら、方舟に到着。既に第二弾が用意されていた。ゴア隊長が、装甲車に乗って出て来ている。敬礼して、調査班が装備を持ち出しているのを横目に話を聞く。

「天使達のいる辺りで何か問題が起きているようだが、これは好機とみる。 そのまま作戦を続行してほしい」

「何か観測されたのですか?」

「天使達が展開している魔術による防御の壁らしきものが揺らいでいる。 弱い悪魔達の集落を何者かが守っていたのは複数証言から判明しているが、或いはその存在が仕掛けているのかも知れない」

「……なるほど」

恐らく其奴はあのさいふぁーだろうと唯野仁成は結論しているが、勿論口には出さない。あくまで勘だからだ。

そしてさいふぁーの正体は。これは勘では無く状況証拠からほぼ確定だが。一神教でもっとも有名な悪魔である明けの明星だろう。

だとすると、明けの明星も秩序側の戦力を少しでも削っておきたいのかも知れない。

いずれにしても、予想の範囲を超えないか。

調査班が手を振って来たので、ゴア隊長に敬礼し、二つ目の機械の設置に向かう。

皆体力がついてきていて、問題なく対応が出来る。

途中ムッチーノが通信を入れて来た。

「唯野仁成、二つ目の装置の設置が終わったら小休止をいれてくれ。 僕の方で料理を用意しておいたよ」

「それは有り難い。 皆喜ぶと思う」

「次の場所への移動、帰還の時間を考えて、調理をして一番美味しい状態にしておくからね」

機動班クルーも、皆聞いていたのだろう。

それぞれ嬉しそうにしている。こういう、良い意味で士気を保つのは大事だ。

その上で唯野仁成は、やるべき事がある。他のチームが上手く行っているか、確認する必要があるのだ。

ストーム1班とヒメネス班は問題なし。ライドウ班は予想よりも早く進んでいる。これはライドウ班が悪魔を大量に展開して、機動班と調査班の露払いをしているのが要因らしい。

ドローンがたくさん側を抜けるようにして飛んで行くのが見えた。

恐らくだが、インフラ班が今アーサーの指示で、プラントで作ったばかりのドローンをたくさん飛ばしているのだろう。

今運んでいる装置は、悪魔の体に実害を与えないという話だから、気にする必要もない。

EMPのような効果を発揮することも少しだけ心配したが。

あの真田さんが、そんなへまはしないだろう。

二つ目の設置地点に到達。

今度はひんやりとした、何だろう。冷蔵庫の中のような場所だ。彼方此方につららが点々としていて。

棚には食料品……かどうかよく分からないものがたくさん置かれている。

まるでカリーナのショッピングモールのようだが。

あれともまた、微妙に違う。

空間の歪みを通る度に滅茶苦茶に変わるグルースの光景だが。下位空間の、何処かを模している可能性も高い。

ともかく、設置作業はして貰う。

見た目と裏腹に、此処の環境も他とあまり気温湿度大気組成など含めて変わっていないようなのだから。

装置の設置まで、周囲を念入りに見張る。

此方に仕掛けてくる悪魔は今のところいないが。視線は感じる。

暇そうにしているアリスが、小さくあくびをしてから言う。

「ヒトナリおじさん。 なんか見てるけど、消し飛ばす?」

「無駄な労力は使わなくて良い。 自動迎撃装置もつけるから、どうせ何もできない」

「そっか。 合理的だね」

「視線は敵意に満ちているから、それでいい。 もしも此方に興味があるようだったら、交渉を持ちかける事も考えるが。 今は大母が最大の仮想敵だ。 それにアリスも備えてほしい」

はーいと心のこもらない返事があるが。

アリスだって、此処の大母が相当にヤバイだろう事は当然把握しているだろう。

アナーヒターが話しかけてくる。

「この辺りの氷、偽物ねえ。 一体どういう世界から情報を持ってきているのかしらね」

「さあ。 ただ、人間の世界にはこう言う大規模な冷蔵庫が幾つもある。 何かそれを模している意味があるのかも知れない」

「色々便利になっているのねえ」

「まあ、そうだな。 だが便利になった分、心が貧しくなっている世界でもあるのは確かだ」

これについては指摘されるまでもなく、唯野仁成もそう思う。

そのまま、設置を見守る。程なく、組み立ては完了。調査班が親指を立てたので、頷いて撤収を開始。

方舟に戻ると、満面の笑みでムッチーノが全員分の料理を用意してくれていた。

四班それぞれが作業時間や移動距離で時間差があるから、それに会わせて温めて一番美味しいタイミングにしてくれたらしい。

ムッチーノは見かけ通り食べるのが好きなようだが。自分の料理を美味しく食べて貰うのも好きらしい。

すぐに皆に好きに散って食事にして貰う。

勿論合成である事は分かっているのだが、味は普通にそこそこのレストランで食べるものだ。

妹の婚約者と顔を合わせたときも、こんな風な料理を口にしたっけ。

そう思いながら、唯野仁成は料理を口に運ぶ。良い感じだ。食事はひとときの快楽に過ぎないが。

それでも、心が豊かになるのも事実だった。

程なく、ささやかだが心が豊かになる食事が終わる。合成だろうと、美味しいものは美味しい。

真田さんが、色々な物資から、本物と遜色ない食材を作れる装置を作ってくれているのだろう。

何が元になっているかは考えない方が良いと思うが。

それでも栄養にしても味にしても、本物と遜色ないのは事実なのだろうし。感謝して味わうだけだ。

「ありがとう。 美味しかったよムッチーノ」

「皆嬉しそうに食べてくれて僕も嬉しいよ。 では頑張って来てくれ。 僕はまだまだ料理をしなければならないからね」

「ああ」

そのまま、すぐに次の作戦に出向く。

設置は残り半分。

そして、作業が終わったのは。予想通り、ほぼ一日を掛けた後だった。勿論ゴア隊長が陣頭指揮を執り、インフラ班と連携してドローンの配備、各地にストーム1が配置した迎撃設備などのチェックも終えている。

全ての作戦が、現時点では完璧に進んでいるが。

作戦が完璧に進んでいるときほど危ない。

それは戦場に身を置いてきた唯野仁成だからこそ、分かる。

装置の設置が全て終わり。アーサーが装置と連携を終えた事を確認。八時間の休憩を貰ったので、仮眠を取る事にする。

無心に眠った後は、起きだし。これからの戦闘について、頭の中でシミュレーションを行いながら、物資搬入口に向かう。

ゴア隊長は、既に来ていた。

見ると装甲車だけでは無い。この間のゼウス戦で、ここぞと言うときに投入されたライサンダーZF空輸版もある。装甲車には、小型化は出来ていないがライサンダーZFが据え付けられていた。

野戦砲は全てレールガンに換装されている。

この辺りは電力を確保出来たことが大きいのだろう。

レールガンは電気式の鉄砲に過ぎず、別に火薬式の鉄砲よりも強い訳ではない。

このレールガンは、最近真田さんに聞かされたのだが。宇宙での戦闘を想定して作られているそうである。

レールガンは構造上、発射時の反動が小さく、宇宙空間での戦闘では銃火器と同じように扱われる可能性が高いという。

要するに今後の事を考えての、レールガンの実戦投入というわけだ。

また、一線級の機動班クルーも。スペシャル達も揃っている。

ティアマト戦での苦戦を考え、総力戦の準備を徹底的に、徹底的すぎるほどに整えているというわけだ。

良いと思う。あの戦闘は本当にきつかったので。

サクナヒメが、周囲を一瞥した。

「凄まじい威容よな。 ヤナトにもからくり造りが得意な友がいたのだが、見せてやりたいほどだ」

「その友とは神ですか?」

「そうだ。 彼方此方の山の地質を完璧に覚えているほどの知恵者でな。 真田と話をさせたら面白いかも知れないぞ」

「そうですね。 その方にも来ていただければ心強かったのですが」

サクナヒメは首を横に振る。

流石にヤナト最強の武神であるサクナヒメだけではなく、ヤナト最高の知恵者までその場を離れるとまずい、というのである。

ヤナトも其所まで安全な国ではないらしく、サクナヒメが武神として全く平和呆けしていない辺りからもそれは伺える。

やがて、方舟は浮上を開始。

ある程度のラインまで浮上したところで、誰かが声を上げた。

「見ろ!」

艦外の様子を映し出すモニタに、画像が出ている。

恐らく天使達の陣地だろうが、何か一方的に蹂躙されている様子だ。混沌の勢力は、このグルースではそれほど強大ではなかったはず。

そうなると、恐らくは明けの明星だろう。

天使については思うところが多いクルーも多いようで、明らかにバツが悪そうにしている。

一神教徒は船内にも多いのだ。

ゼレーニンに対して、マンセマットがどのような暴言を吐き、何をしようとしていたかが判明した今でも。それに変わりはない。

唯野仁成は、無言のまま状況の推移を待つ。

程なくして、方舟は上昇を停止。

春香の声で、アナウンスが入った。

「これより予定通り作戦を開始します!」

「イエッサ!」

皆の返事に気合いが入る。

恐らくだが。皆、迷いを振り切りたいのだろう。そういう意味で、皆の意思は今、グルースの大母排除という一点で結束したとも言えた。

 

3、決戦マーヤー

 

まず、グルースの意味不明な景色が混ざり合った世界に、罅が入った。

そう。動いたのである。

調査班を護衛して、各地に設置した装置が十六個同時に。何故十六個なのか。それは、グルースの地形を総合的に配置し。装置が稼働することで、全ての効果を最大のパフォーマンスで発揮するためにその数、その位置に配置したからだと事前に報告を受けている。

真田さんは、嘆きの胎でゼウスとやり合っている間にも、対グルースの大母との戦略を練ってくれていたのだ。

ここまでお膳立てしてくれたのだ。

後の戦術は、唯野仁成達で処理しなければならない。

世界に、強烈な衝撃が走ったのが分かった。アーサーから、通信が入る。

「外からの音を遮断します」

「!」

どんと、強烈な揺れが入った。恐らくだが、音だけで、これだけの衝撃波が来たのだろう。

軍の演習などで、戦車砲をぶっ放す所などを見ると分かるが。ある程度以上になると、音というのはそれそのものが凶器になる。

音そのものが物理的な破壊力を有するようになるのだ。

今、プラズマバリアを展開はしなかったが。モロに音を聞かせると、クルーにダメージになるとアーサーが判断したのだろう。

この強靭な方舟が揺れるほどだ。

とんでも無い音……恐らく大母の悲鳴が迸ったのは、確定だった。

空に無数のひびが入り、外の光景がめまぐるしく変わっていく。見ているだけで、発狂しそうな勢いで原色の光景がめまぐるしく変わっていく。

恐ろしくも美しいが。やがて虹色の、荒野だけが周囲に拡がり始めた。

そして、上空から、何かの人型が落ちてくる。

大きさはティアマトくらいだろうか。ティアマトよりもずっと人間型をしている。全身が真っ黒の、顔がない女体だ。正確には目が存在しない。額に第三の目が存在するが、あれは確かチャクラとかインド神話でいうのだったか。

それが、地面に落ちていく。

ストーム1が予想し、様々な装備を配置した場所だ。

すぐに、作戦行動を進める。

まず、ゼレーニンが頷くと。ガブリエルに、指示を出して貰った。

ガブリエルが、船外へ声を出すスピーカーに、穏やかだがしかし威厳のある声で呼びかける。

「天使達よ。 マンセマットは既に天界より見放されし者。 許されぬ外道の行いに手を染めし存在です。 大天使ガブリエルの名によって命じます。 マンセマットの麾下から離脱し、別世界で指揮を執っている大天使の元に合流しなさい」

世界が虹色の気味が悪い荒野に切り替わっても、まだ天使達は半分蹂躙され気味の戦闘を続けていたようだが。

その言葉が決定的になったのだろう。

わっと散って行くのが見えた。これは、さぞやマンセマットは悔しそうに顔を歪めているだろう。

それに、今の声を聞いて、ゼレーニンがガブリエルを従えたことも知ったはずだ。

恐らくは、もはやグルースでの悪巧みは考えないだろう。

これで、邪魔が一つ消えた。

方舟が一気に降下を開始する。同時に、とんでも無い爆発が起きるのが、この位置からも見えた。

ストーム1が専用で使用を任されている超火力爆弾C70。いわゆるC4プラスティック爆弾の超々強化版だが。

この爆弾が、大母が落ちてくると推定される場所に大量に配置され。落ちてくる大母に向けて、一斉に射出され、ストーム1がスイッチを押すことで起爆するようにセットされていたのである。

はっきりいってあの数のC70を喰らったら、世界最大の原子力空母でも一瞬で船体が消滅するレベルのダメージを受ける。

更に、周囲に最初から配置されていた野戦砲が、一斉に火を噴きはじめる。

グルースの大母が、悲鳴を上げてもがいているのが見えた。人型が劫火に焼かれているのは少しばかり痛々しい光景だが。

奴が今までやっていたことを考えると、同情する気にはとてもなれなかった。

急ぎ気味で方舟が降下していく中、ゴア隊長が声を張り上げた。

「機動班六つが出次第、戦えるクルーは全員展開! 総力戦だ! 気合いを入れて行け!」

「イエッサ!」

方舟自体はいつものように正太郎長官が操船を全て任されるのだろう。あの超火力フュージョンブラスターが配置されているのが大きい。

当然前回に比べ改良も加えられているだろう。一発で砲身融解とはいかないはずだ。火力そのものまで挙がっているかは分からないが。

着地。

物資搬入口が開くと同時に、ケンシロウとサクナヒメがほぼ同時に飛び出す。春香からのアナウンスが入る。

「空間の歪み、調査完了。 歪みは全て消えています!」

「良い方向に進んでいる!」

「これより空間の歪みはないものと判断して戦ってください!」

戦闘時まで春香のアナウンスが入るのは珍しい。ティアマト戦での苦戦を鑑みて、それだけ今回は綿密に戦略を練り、全力で戦う事が事前に決まっていたのだろう。

唯野仁成も、ストーム1、ライドウ氏、ヒメネスと一緒に飛び出す。機動班の一線級クルー全員が続き、遅れて装甲車が出るのが見えた。装甲車といえど、既にライサンダーZFをそれぞれが搭載している。

更に、バギーも全台飛び出す。野戦砲をそれぞれ乗せている様子だった。

砲撃を最初に開始したのは方舟だ。速射砲とVLSを連射して、一斉にまだ立ち上がれずにいる大母に飽和攻撃を浴びせかける。

凄まじい火力で全身を焼かれながらも、大母の真っ黒な全身は崩壊していない。それどころか、凶悪な声が聞こえてきた。

空間そのものを揺らすような声だ。

「おのれ人間共。 この幻力の権化たるマーヤーに、これほどの傷をつけるとは! 神々ですらこのマーヤーにはひれ伏し、力を得るために修行をするのだぞ! それなのにこの愚かしい振る舞い、許されると思うな!」

手を振るって、近場の無人野戦砲を吹き飛ばすマーヤー。

だが、C70爆弾の飽和攻撃でのダメージがあるのか、立ち上がれずにいる。好機だ。まだ攻撃に気を惹かれている間に、接近する。

一気に突貫する。デモニカによる強化が凄まじく、唯野仁成ももう時速120キロ以上で走れるようになっている。多分本気で走ればもっとずっと速度が出るだろう。ジープより小回りが聞く分、足で走る方が速い。

サクナヒメは既に接敵したようだ。閃光がきらめいているが、何だかよく分からない光の壁が出現して、サクナヒメの出会い頭の一撃が防がれているのが見えた。ケンシロウも、その光の壁に弾き飛ばされたようである。

ティアマトも似たような光壁を展開したが、アレは攻撃を浴びせれば普通に壊れた。

何だ今のは。ちょっと違うような気がする。

「今の光の壁、解析をお願いします!」

「分かった、真田さんに回すよ!」

通信班のムッチーノが応じた。多分この総力戦状態でも、ムッチーノは船内に居残りなのだろう。

それでいい。戦えそうにもないし、外で武器を振り回すよりも、オペレーションに専念してくれた方が役立てる。

展開した味方クルーの一斉攻撃が開始される。

マーヤーの右側にストーム1とヒメネスが。左側にライドウ氏と唯野仁成が回り込み、射撃によるフレンドリファイヤを避ける。

既に展開している悪魔達は、もう攻撃射程に入った。

一斉に効力射を開始させる。

それで何となく分かってきた。

マーヤーは、全身を常に再生しつつ、更には致命的な攻撃を確実に防いできているように見える。

接近しながら、その様子を見る。

やはりサクナヒメの手数で防ぐ攻撃は体に受けているが、大きな攻撃は確実に光の壁で防いでいる。

更にその状態で、どんどん傷が回復して行っている。

飛び退いてきたサクナヒメが、忌々しげに呟いた。

「唯野仁成、もう気付いておろう」

「はい、超回復に加えて、一定以上の火力を全部遮断しているように見えます」

「その通りよ。 ただ、ある程度以上は回復出来ない様子じゃ。 このまま攻めるしかあるまいな」

再び突貫するサクナヒメ。

不意に、マーヤーの姿が変わる。危険な相手が増えたから、だろうか。

首が増え始め、腕もまた増え始める。

下半身は寝そべったままだが、無作為に頭と腕が体中から生えてきた。

今までの人型だったのが、完全にホラー映画の合成ゾンビのような姿になっていく。真っ黒なままの体が、却って不気味だ。また、顔もないまま。不気味の谷が、恐怖感を加速させる。

それだけではない。

上空から、何か落ちてくる。

防げ。

全員にヒメネスが叫ぶ。同時に、それが落ちてきたのでは無いと分かった。

重力操作だ。体がもの凄く重くなった。それでも顔を上げて、ライサンダーをぶち込むが、狙いがはずれる。重力が滅茶苦茶になって、弾道がずれたのだ。

更に、叫ぶマーヤー。今度は、押される。これは恐らくだが、斥力だろうか。文字通り、排斥する力だ。

ぐっと押されて、思わず歯を食いしばる。

空間そのものに攻撃を干渉してきている。恐らくだが、まだ生きている十六個の装置がある限り、マーヤーは全力を出しきれない筈だ。だがそれにしても、この圧倒的な火力。装置もいつまでももつかどうか。

無数の手が振られる。これは、まずい。

周囲が、一斉に噴火したように炎を巻き上げた。

ガブリエルが全力で防御魔術を展開したが、クルーは兎も角悪魔までは守りきれない。アリスが困惑気味に言う。

「これじゃ近寄れないよっ! 大きい攻撃も通らない!」

「今真田さんが解析しているはずだ!」

「分かった! じゃあ耐える!」

アリスもアイス製造器の事で、真田さんには一目置いている様子である。まあ、そういうものだ子供は。

周囲を見る。まだ唯野仁成の悪魔達は一人もやられていないが、他のクルーは少しずつ確実に消耗している。

またマーヤーが手を動かし始める。

今度は雷撃か。

周囲に、猛烈な。まるで砲撃のような音と共に雷撃が降り注ぐ。間髪入れずに、雹が飛んできた。

広域を徹底的に叩き、近付く相手を排除するつもりか。野戦陣の攻撃も当たっているはずだが、回復力を上回れていない。

呼吸を整えつつ、防御を固めるように指示。

勝機を探る。

あの光の壁。あれさえどうにか出来れば、突破は出来る筈。真田さんも、解析はしているはずだ。

ストーム1がスタンピードをぶっ放すが、やはり光の壁で防いでくる。グレネードの大軍をまともにくらうとまずいと判断するだけの判断力はあるのだろう。相手がマーヤーそのものだとすると、インド神話の三柱の最高神を全てあわせたよりも強いかも知れない。それでも、引けない。

ライサンダーの弾を浴びせながら、味方野戦陣地の砲撃の射線に入らないよう気を付けつつ走る。

ケンシロウが悪魔を召喚。珍しい光景だ。

出現したのは、以前も姿を見せたキュベレ。それだけではなくイシスもいる。他にも何体かの看守悪魔。

ケンシロウの実力ならば、従えるのは難しくもないのだろう。

マーヤーが放った炎を、キュベレが弾き返す。マーヤーが苛立ち紛れに、今度は雷撃を叩き込もうとするが、別の看守悪魔が防ぐ。

ケンシロウに接近されるとまずいと判断しているらしいマーヤーだ。看守悪魔の影を縫うように瞬歩を使っているケンシロウに苛立つのだろう。動きは速いがまだ見えるサクナヒメよりも、対応の優先順位をあげていると言う事だ。

解析は、まだか。

今、ケンシロウが時間を稼いでくれている。あの如何にもマッカをどか食いしそうな悪魔達である。長い時間はもたないだろう。

それに、虹色の大地が、少しずつ揺らいでいるように見える。

十六置いてきた装置に、ダメージが入っているのかも知れない。だが、慌てない。真田さんなら、どうにかしてくれる。そう信じる。

次の瞬間。

待ちに待った、真田さんの言葉が来た。

「解析完了。 光の壁が展開した瞬間、マーヤーのチャクラを貫いてほしい」

「どういうことですか」

「光の壁が展開する瞬間、マーヤーの額の第三の目に強力な悪魔の反応が集まることが分かった。 誰かが大威力の攻撃を入れ、光の壁を出現させた瞬間、チャクラを貫く。 出来るだろうか」

「姫様!」

サクナヒメが来たので、事情を話す。頷くと、サクナヒメは剣を鞘に収める。マーヤーは、目なんて関係無いのだろう。サクナヒメの方に頭の一つを向けた。勿論、あの頭にあるチャクラかどうかは分からない。

サクナヒメが踏み込むと同時に、超音速での抜き打ちを叩き込む。

だが、光の壁が防ぐ。

その瞬間、唯野仁成は、ヒメネスとストーム1とあわせて、それぞれ別の頭にあるチャクラを貫いていた。

絶叫するマーヤー。また斥力か。

だが、今の攻撃、モロに通った。頭が三つ、それぞれはじけ飛んでいる。

なるほど、分かってきた。

マーヤーは即座にまた首を再生している。今あるマーヤーの首は五つ。

ちらりと見る。ドローンで輸送されているライサンダーZF。これに唯野仁成、ヒメネス、何よりストーム1で四人。

もう一人、狙撃を完璧に成功させる人員がいる。

ライドウ氏は手持ちが拳銃だ。狙撃には向かない。悪魔達は大火力攻撃には向いているが、針の穴を通すような狙撃は難しいだろう。

ブレアが声を掛けて来る。

「狙撃だな。 俺がやる」

「……頼めるか?」

「ふっ。 戦歴ならお前らより上だ。 今のお前達の実力は認めるが、俺の力、侮って貰っては困るな」

多分、好機はもう一度。

また手を動かし始めているマーヤー。野戦陣を狙っている。あれが何の攻撃か分からないが、直撃したら被害は計り知れない。

だから、ここで勝負を付ける。

そもそも、もう周囲の光景がおかしくなりはじめている事から考えて、装置がもたないと見て良い。

次が、最後の好機。

そしてブレアだって、膨大な経験を並列でデモニカによって蓄積しているのだ。

ライサンダーFを渡されているクルーの一人でもある。

やれる。

姫様が頷くと、あの光の剣。全力でぶっ放すあの剣を手に、跳躍する。

マーヤーはそれを見て、流石にまずいと判断したのだろう。全力で光の壁を展開。サクナヒメも、それに対して、フルパワーらしい一撃を叩き込んでいた。

力が、拮抗する。

同時に、突貫するドローンで輸送されているライサンダーZF。一つだけは、正面から撃たなければならない。ならば、自爆特攻しかない。

正太郎長官なら、自壊しつつあるライサンダーZFの狙撃を当ててくれるはずだ。

そう信じて、唯野仁成は、狙いを絞り。

そして、引き金を引いていた。

同時に、マーヤーの五つ生えていた頭のチャクラが吹っ飛び、消し飛ぶ。

頭もないのに、絶叫するマーヤー。どういう仕組みかはよく分からない。

サクナヒメは光の壁で弾き飛ばされたが、次の瞬間。飛び退く。

方舟から、最大出力での主砲。フュージョンブラスターがぶっ放されたからである。

頭を全て失ったマーヤーが、声も無く焼き尽くされていくが、肉片が四方八方に飛び散る。そして、空間の異常化は収まっていない。

悪魔達に指示。全て破壊しろ。

一斉に魔術をぶっ放す悪魔達。肉塊が、片っ端から消し飛ばされていく。

そんな中、上空に一つだけ、飛んで行く大きな塊を確認。

ケンシロウが看守悪魔達の手を借りて、高々と跳躍。拳を固めると、地面に向けて叩き返した。

見える。凄まじい速度で再生しつつある。他の肉塊とあれは違う。あれは、潰さないとまずい。

唯野仁成は、味方の射線に飛び込む事も気にせず突貫する。

そして、再生しつつある、恐らくはマーヤーの心臓部だろう肉塊を。真っ正面から、叩ききっていた。

今までで一番凄まじい絶叫が周囲に轟くと同時に、空間の異常が収まっていく。

唯野仁成は、羽衣に守られていた。野戦陣の総力砲撃の射線上に入ってしまっていたのだ。それは覚悟の上だったが、とっさに姫様が動いてくれていた。

「お、おのれ、神への敬意を忘れ、己を高めることをも忘れ、ただ惰眠と快楽を貪るだけの獣以下に墜ち果てた人間どもめ……このような辱めを、神の力そのものであるこのマーヤーに行うとは……」

崩れ果てながら、肉塊が恨み事を口にする。

唯野仁成は呼吸を整えながら。近付いてくる皆の前で、剣を振るい。そして、逆手に持ち替え、肉塊に突き立てていた。

断末魔の悲鳴が上がった。

「貴方はそんな愚かな人間の誰よりも、愚かな人間の思念を吸い取って力に変えていただろう。 貴方は愚かな人間の同類だ」

「神すらも求める力そのものに説法するつもりか……!」

「貴方は尊敬に値しない。 ましてやインドの地にカースト制度をもたらし未だに害を及ぼし続けている罪は重い」

「其所までの愚弄をするか……! まあいい……! どうせ最後の大母メムアレフには到底貴様ら程度では及ばぬ……! メムアレフは地球そのものの意思を体現する大母! それに敵視されたことの意味を知りながら、地獄の業火に灼かれるがいい……!」

肉塊が崩壊し、消滅していく。

同時に、周囲の歪みきった光景も落ち着いていく。

デモニカを通じて見ても発狂しかねないような状況でもなく。主を失い、幻力の吸引も止めたその空間は。

ただの巨大な荒野に変わり果てようとしていた。

膨大なマッカが小山のようになっている。更には、その中にはやはりロゼッタもある様子だ。

最後の大母と、マーヤーは言っていた。

その力は、此方では及びもつかないと。

周囲では歓喜の声が湧いているが。今のマーヤーの言葉、とても嘘だとは唯野仁成には思えない。

幻力という概念は、そもそも人間が作り出した程度の存在に過ぎない。もしも地球そのものの怒りが先に話に出たメムアレフという存在なのであれば。

それはもはや、人知が及ぶ存在ではない。

姫様が咳払いをする。

周囲が撤収を始めていた。それに、天使達の動向も気になる所である。考え事にふけるのは、後にした方が良いだろう。

「唯野仁成よ。 マーヤーという大母の言葉は恐らく嘘ではないぞ」

「俺もそう感じました。 相手がこの星の意思だというのなら、その力はこの英雄達をもってしても超えられるかどうか……」

「いずれにしても相談が必要であろう。 それにそのようなものを迂闊に倒しでもしたら、この星がどうなるかも分からぬわ」

頷く。その通りだ。

サクナヒメは昔は自分は馬鹿だったと自嘲しているが。多分昔から戦闘に頭を全て割り振っているタイプだったのだろう。

今は、鋭いことを普通に口にするし、最前線で戦う事を全く厭うことがない。

空間の歪みもなくなったのだ。すぐに方舟が飛んできて、物資の回収などを開始する。唯野仁成ら方舟幹部は艦橋に招かれる。

真田さんが、ほろ苦い笑みを浮かべていた。

「これを見て欲しい」

「……」

戦闘中、撮影されたもののようだ。艦橋のメインスクリーンに映し出されている。

小柄な影が、天使達が作った城塞に何度となく攻撃を仕掛けている。そもそもガブリエルの呼びかけで、大半の天使が離散した後だ。その防御は、紙のように脆くなっていたのだろう。

程なくして、小柄な影が天使達の守りを打ち砕く。

影の隣を、また別の影が去って行ったが。小柄な影は、一顧だにしなかった。

あの小柄な影。間違いない。堕天使さいふぁーだ。

そうなると、さいふぁーは何かしらの理由でこの天使達の拠点を攻撃していたことになる。

奴の正体が恐らくは明けの明星である事を考えれば、絶対神の走狗である天使共を処理しに掛かるのは無理もない話ではあるだろうが。

しかしながら。何が起きていたのかは、本人にでも聞かないと分からないだろう。

いずれにしても、守りを砕かれた後は蹂躙だった様子だ。影が映っている。

間違いない。マンセマットだ。

部下達を盾に、一人逃げ出したようである。

嘆きが漏れるほどの情けない姿だが、それは別にどうでも良い。問題は、天使を駆逐した後の堕天使さいふぁーの動向だ。

しばらく地面の一点を見つめていたが、鼻を鳴らすと飛び去っている。

何かを確認した後、去った雰囲気だった。

何だったのだろう。天使を蹂躙するのはついでの目的に見えた。だとすると、天使達は何かが目的でグルースに布陣していたのか。

グルースでゼレーニンを勧誘したのは、何か理由があったのか。

あの狡猾なマンセマットだ。その可能性は、決して低いとは言えないだろう。

「マーヤーが倒されるとほとんど同時に、強力な悪魔の気配はグルースからほぼなくなった。 後は次の空間にロゼッタを解析して行く事になるだろうが……」

「聞いていたかと思いますが、マーヤーが次の大母と口にしていました。 名はメムアレフと」

「うむ、それについては確認している。 それにしてもメムアレフ……そんな神格はデータベースには存在しないが」

「恐らくですが、ヘブライ語で「始まりの水」という言葉を意味しているかと思います」

「アーサー、それは本当か」

正太郎長官に、アーサーはよどみなく答える。

こういう知識を引っ張り出す作業は、やはりAIが有利だ。余程の神話マニアでも、すぐには思いつかないだろう。

「恐らくは。 もしも大母最強の存在が、原初の地球の意思だとすれば、この言葉が一番相応しいかと思われますので」

「やれやれ、始まりの水ねえ。 水の惑星である地球の始まりの存在を敵に回しちまったって事か」

「仕方が無いわヒメネス。 地球人類の蛮行を考えると……」

「ああ、そうだな。 俺も正直擁護はしきれねえ。 シュバルツバースでは嫌になる程その蛮行が見せられたからな。 もっとも、無抵抗でやられてやるつもりもないが」

ゼレーニンに、ヒメネスが応じる。

咳払いをしたのは、ライドウ氏だった。

「星の意思をまともに相手になるとすると、それは神よりも更にランクが上の相手だと判断して良いと思う。 マーヤーが言っていた様に、そもそも此方の戦力では倒せないし、倒してもいけないだろう。 何か対策を考えなければならない」

「……俺に考えがあります」

唯野仁成が言う。皆が、視線を集める。

鍵は、恐らくはアレックスだ。

アレックスは破滅の未来から来た。それはほぼ確定だ。そしてその破滅には、唯野仁成と、ヒメネス、それにゼレーニンが大きく関わっていたのだろう。

恐らくだが、この英雄達と共に行動しなかった唯野仁成は、圧倒的な経験を収束した結果。

単独でそのメムアレフを無理矢理倒してしまったのだと思う。

その結果、何もかも全てがおかしくなってしまったのではあるまいか。

だとすれば、鍵となるのはアレックスだ。アレックスを見つけ出す必要がある。いるとしたら、恐らくは嘆きの胎。

もう唯野仁成達に関わろうとしてこないと言う事は。別の世界に行ってしまった可能性もあるが。

ただ、この世界ではまだ可能性があるとアレックスは考えているかもしれない。主にアレックスのデモニカAIのジョージの言動を鑑みた結果の考察だ。

アレックスに接触し、話を聞けば。

或いは解決の糸口が見つけ出せる可能性がある。それに、どの道このままでは情報が足りないのだ。

嘆きの胎をしっかり調べて、更に情報を集めなければならないだろう。デメテルの動向も気になる所だ。

「正太郎長官」

「ふむ……」

ゴア隊長が正太郎長官に決断を仰ぐ。元々後見役としてこの方舟に乗ってくれているような人だ。

こう言うときは、やはり判断を仰ぎたいのだろう。

それに戦後の混乱期から、様々な悪の組織と渡り合い、鉄人28号を駆って来た人の蓄積経験は次元が違う。

「まずは真田技術長官。 君は予定通りロゼッタを解析してほしい。 マーヤーのロゼッタはどれほどの解析時間が必要だろうか」

「三日ほどかと」

「それならば、その間に皆を休ませよう。 一旦方舟は嘆きの胎に移動し、六層を調べるべきだ」

皆が頷く。

それは、唯野仁成も賛成できる。そもそもあそこでデメテルが目論んでいる事が非常に気になる。

はっきりいって嫌な予感しかしない。放置しておくと、非常に危険な事態が待っているようにしか思えないのだ。

真田技術長官が、回収されてきた巨大なロゼッタを持って研究室に消える。どんどん大型化しているロゼッタだが、あれが全部情報を最高効率で詰め込んでいると思うとぞっとしない話だ。

機動班クルーは大半が休憩を命じられたが、後片付けがある。

プラントや野戦陣地の回収がそれだ。インフラ班と調査班が連携して当たっているが、やはりかなり時間が掛かるらしい。

唯野仁成は、一日だけ休憩した後、ヒメネスとサクナヒメとライドウ氏とともに、天使が陣を張っていた場所に赴く。

滅茶苦茶に破壊されていた。周囲には、外から持ち込んだらしい高級家具の残骸らしいものが散らばっている。

ライドウ氏はしばらく考え込んでいたが、サクナヒメと一言二言話す。

サクナヒメはじっと周囲を見つめていたが、やがて一点に向け歩き出した。

天使達が玉座のようにおいていた椅子と、神殿のような建物は。恐らくさいふぁーとの戦闘で完全に破壊されていたが。

その一箇所に、明らかに地下通路らしきものがある。

何度か槌を大ぶりして瓦礫をどかし、姫様がそれを露出させるが。ライドウ氏は、近付かないように言った。

「これは、出来れば触らない方が良いだろう」

「同感じゃな」

「姫様、どういうことで?」

「この先にはもの凄く強い力を感じる。 恐らくマーヤーの比ではあるまい。 わしの推察だが、マーヤーは恐らくただ此処を守るためだけに配置されていたのだろう。 大母達は同格などでは無い。 話にあったメムアレフとやらがあまりにも圧倒的過ぎて、他は単なる使い走りだったのだろう。 のう、さいふぁーとやら」

振り向くヒメネス。唯野仁成も振り向く。ライドウ氏は、既に気付いていたようだった。サクナヒメは、余裕を持って不敵に笑いながら。そこにいる小柄なメイド姿のぐるぐる眼鏡を掛けた堕天使に話しかける。

そう。そこにいたのは、堕天使さいふぁーだった。

「正解です、うふふ。 其所に眠っているのは、人の世界の影たるこの世界が混沌に傾いたときに、最も最初に封印されし存在。 まあ、そのままの形で封じられたわけではないようですけれど」

「てめー……何しに出て来やがった」

「バガブーを助けてあげた事に対する礼は?」

「……それに関しては感謝する」

素直に謝るヒメネス。サクナヒメが呆れたようにため息をついた。

ライドウ氏は恐らく旧知なのだろう。さいふぁーに臆する様子も無かった。

「毎度色々な姿で現れるが、また随分と可愛らしい姿を選んだものだな、明けの明星」

「その名前はあまり口にしてはいけないですよ最強の退魔師。 流石に本気になった貴方を敵に回すにはちょっとリスクが高すぎるから、あまり此方も強引な手には出られませんですけど」

やはり知り合いか。

そしてついに認めた。こいつは一神教における最大の堕天使。後の時代に勘違いから作り出された存在でありながら、しかしながら今は闇のカリスマとして知られる者。

堕天使ルシファーだ。

「その先に行くのなら、リスクは承知でやり合わなければなりません」

「……このシュバルツバースを消すとき、此処に影響がないというのなら何もするつもりは無い」

「影響はおそらく無いでしょう。 だってこのシュバルツバースは、もう気付いていると思いますけれど。 数万年前にも出現して、当時の知的生命体を地球から駆逐したんですもの」

まあ、知ってはいたことだが。

それにしても、堕天使ルシファーか。方舟のセキュリティを無視して入り込んでくるのも納得である。

不意に、さいふぁーが唯野仁成を見た。柔らかい、穏やかそうな女の子の口調から変わっていた。たまに此奴は、口調が変わっていたなと思い直すが。この至近距離だ。いざとなったら、覚悟を決めなければならないだろう。

「可能性の子唯野仁成。 私は最後の地で待っている。 嘆きの胎にて、「囚人」をどうにかするつもりなのだろう? デメテルが何をするつもりかは分からない。 それに私にもする事がある。 嘆きの胎の事は私も調べたが分からずじまいでな。 其方は君達に一任するよ」

「貴方は何が目的なんだ」

「大した事ではないさ。 私は可能性というものが見たい。 唯一絶対を自称するあの神から離反した時から、ずっと私は唯一絶対ではないものを探し求めてきた。 可能性を見せてくれた者には礼をしてきた。 私は別に、神を今すぐ撃ち倒したい等とは思ってはいない。 ただ、神が否定してやまない絶対ではないものを見届けたいだけなのさ」

「嘘は言っていない」

サクナヒメが側で言う。手を剣にかけてはいるが、それだけだ。

戦うつもりはないと判断した。ライドウ氏が本気になったら危ないとさいふぁーは言っていた。

と言う事は、ほぼ同格まで力を上げているサクナヒメがライドウ氏とともに掛かって来たら、勝てないという事である。

スカートを摘んで礼をすると、さいふぁーは消える。

ヒメネスが、大きくため息をついた。

「至近だととんでもねえ気配を感じたぜ。 あれが、堕天使ルシファーなのか? 俺は無神論者だが、そんな俺でも聞いた事がある程の奴だよな……」

「ああ、間違いない。 そしてそんなルシファーでも、この先にいる奴には躊躇していた」

「……可能性は二つ。 バアルか唯一神の写し身だろうな」

ライドウ氏が自説を述べる。

神々の中でも、もっとも古く、もっとも世界に影響を与えた神格。それこそがバアル。そして此処が影の世界である以上、恐らくは唯一絶対の神の写し身も此処にいるはず。そして、少し考えた後、ライドウ氏は後者だと特定した。

「バアルは恐らく此処では中庸陣営に属する魔神の筈だ。 混沌属性に傾いた大母としても、争うことを考えなければそれでいい。 むしろ警戒するべきは、秩序陣営において現在最強の神格……そういうことだろう。 だから、此処に使い走りを置いてまで封じたというわけだ」

「近寄らない方が良さそうですね」

「ああ。 一神教を信仰するクルーも方舟には多いだろうが、正直な話人間に都合良くなど動いてはくれないだろう。 彼らには知らせない方が良い」

行くぞと、サクナヒメが促す。

もう此処には用は無いというわけだ。唯野仁成も、それは同感だった。

通信を艦橋に入れる。話は聞いていたはずだ。しっかり話をあわせておかなければならない。

正太郎長官に今の話を聞いていたか、確認を取る。唯野仁成が話をして良いかと皆に確認をとる。ライドウ氏も、サクナヒメも、ヒメネスも賛同してくれた。

頷いてから、正太郎長官に連絡すると、やはり聞いていたようだった。

「蠢動している者の存在は知っていたが、やはり明けの明星であったか」

「正体については知らせない方が良いと思います。 天使の軍勢との戦闘になっただけであれだけのもめ事が起きました。 ましてや堕天使ルシファーが此方に好意的に接していると知ったら、どれだけのクルーが動揺するか分かりません」

「君の意見の通りだな」

「箝口令をお願いいたします」

「分かった。 ただ、ゼレーニン君は知る権利があるだろう。 彼女には、真田技術長官から話すように言っておく」

通信を切る。サクナヒメが、鼻を鳴らしていた。

この世界の一神教の醜さに呆れ果てたのか。いや、違うだろう。この世界の一神教をこんな風にしたのは人間だ。

神が先にあるのでは無い。

神が創造主などでは無い。それは、様々な歴史的発見物が証明している。化石なども全てが証明している。

人間の信仰が神を作ったのだ。ひょっとしたらヤナトでは違うのかも知れないが、少なくともこの世界ではそうだ。

だから、この世界の神々が醜いのだとしたら。それは、好き勝手なことを神に願い。好き勝手に欲望の充足を求め。敵となった人間を否定し。自分を肯定してくれる神を作り上げた。

つまり、人間に問題があるのだ。

「くだらぬ茶番だな。 この世界が人間の心の影だとして、それをまともに受け入れられもしないというのは……」

「それでも、方舟のクルーは良くやっている方です。 悪魔召喚プログラムにも比較的早めに順応しました。 ただ、やはり産まれ育った文化圏は、人の心を蝕みます。 一神教徒の文化圏では、信仰の多様化は著しく阻まれますし。 インドでは悪しきカースト制度が未だに現存しています。 更に古い信仰が存在している地域では、生け贄の風習が未だに残っている場所さえあります」

「……何かをよりどころにしなければ生きられぬ人間は多い。 それはわしも理解はしておる。 だからわしらが率先して見本を見せなければならぬと思っているのだがな」

「姫様の行動は正しいかと思います」

何度も思うのだ。

この姫様が、本当にこの世界の神だったらどれだけよかっただろうかと。

残念ながらサクナヒメは異世界の神で有り、そのあり方はこの世界の神々とは違っている。

それはシュバルツバースの旅を通じて理解出来た。

サクナヒメは人と共にあり、人に支えられつつも、人の先頭に立って見本を示しながら戦う。

自分をデーモンと内心で考えていたゼレーニンにも手をさしのべ。

一神教を信仰しているクルー達でさえ、サクナヒメに対しては敬意を払っているのが現状だ。

方舟に戻る。そろそろ、出立の準備は出来ていた。

ゼレーニンには、既に正太郎長官から話が行っている様子だ。

この後に及んで、まだ方舟内には火種がある。恐らく今までで最大最強の存在が控えていて、それを打倒しなければならないのに、だ。

更に言えば嘆きの胎六層に何が隠されているかも分からない。

それらを暴かない限り、シュバルツバースを真の意味で止める事など出来はしないだろう。

休憩を一日貰ったので、無心に休む。休憩が終わって、目を覚ましてすぐに物資搬入口が閉じる。

点呼が開始された。点呼に応じながら、唯野仁成は悟る。

物資の回収などが完了したのである。つまり、このグルースを旅立つ準備が出来たと言う事だ。

グルースは、シュバルツバースで旅してきた世界でも。最低最悪の人間の業を見せつけられた場所だったかも知れない。

そう思うと、色々複雑だ。

またロゼッタの解析や。更にデモニカの強化を行う必要もある。ついでに情報が知らされたのだが。

件の最強狙撃銃、ライサンダーZFの小型化もどうにか行う予定だそうだ。

ストーム1が振るっているライサンダーZの火力は超越的だが。それを更に越えて来る訳である。

これは、負けてはいられない。

そろそろ、唯野仁成は、ゼウスの召喚に挑戦したい。素材としては、幸いオリンポス系のアレスと、タイタン神族のイアペトスがいる。更に膨大な悪魔の情報があるから、それらからゼウスを作り出せる可能性がある。ただ、まだギリギリだろう。

方舟が動き出した。

まずは、嘆きの胎へ。

横腹を突かれる恐れがある。デメテルの問題を、どうにかしなければならないし。何よりも、出来ればこの侵入で、アレックスとの接触を果たしたかった。

 

4、一人きり

 

たった一人になってしまったマンセマットは。最後の大母の空間に逃げ込むと、頭を抱えて震えあがっていた。

この世界は、文字通り原初の地球そのもの。

周囲を彷徨いているのは、少し覗いた嘆きの胎六層にいるような、原初の荒々しい神々ばかりだ。

まさか、明けの明星が、彼処まで大胆な攻勢に出てくるとは。

そして、デメテルが貸し出してくれたペルセポネは、防ぎきれないと判断するとさっさと逃げてしまった。

母親と示し合わせていたのだろう。

防御を破った明けの明星は、後は一方的にマンセマットの配下達を蹂躙。マンセマットも狙ってきたが、部下全てを防ぐように差し向けて、何とか逃げ切る事に成功した。

だが、分かっている。

あれは、逃がされたのだと。

明けの明星が本気だったら、多分もうマンセマットは生きていない。それくらい格上の大堕天使だからだ。

そもそも天界のダークサイドであるマンセマットだからこそ分かる。ルシファーは勝てる相手ではない。

それに、だ。

ガブリエルの声で、天使達は殆ど最初の段階で逃げ散ってしまった。忌々しい事に、ゼレーニンがガブリエルを従えていたのだ。

あれがなければ、多分明けの明星の攻撃を防ぎきることも出来ただろうに。

それを思うと、忌々しくてならなかった。

必死に次の手を考える。

だが、逃げ散った天使達が行く先なんて、人間共がエリダヌスと呼ぶ地に決まっている。

彼処には七大のハニエルが来ていたし、それで全てが知らされてしまうだろう。

天使達の最大の弱点は思考能力をほぼ放棄していることだ。彼らに隠し事をするという思考回路はそもそも存在しない。

もはや、マンセマットに帰る場所はなくなった。

こうなったら、堕天使になるか。

それとも、全てを無茶苦茶にしてくれたあの鉄船の人間共を皆殺しにして、その首を手土産に。

いや、それでは何も解決しない。シュバルツバースに飲み込まれたら、天界もその影響を受けることは確実だ。

大きくため息をつくと、マンセマットは物陰に座り込む。何とも、天界の誇るダーティーワーカーとしては考えられない、情けない姿だった。

不意に顔を覗かれて、びくりとする。

そこにいたのは、デメテルだった。

「あら。 生き延びていましたのね」

「貴方の娘が勝手に敵前逃亡したおかげでこの有様です。 どうしてくれるのですかオリンポスの豊穣神」

「何を馬鹿な。 あのまま戦わせていたら、ペルセポネは負けていましたわ。 戦いの経緯は全て娘に聞いていますのよ。 それにしてもガブリエルを従えられて、それで大半の天使に離反されるとは」

「だ、黙れッ!」

地金が出てしまうが、必死に気の高ぶりを抑える。

そもそも此奴を相手に勝てる見込みがもうないのだ。此奴の実力は、マンセマットとカマエルとサリエルをあわせたのと、同等かそれ以上。

はっきりいってこの至近距離だったら、勝ち目は0である。

「それで、何をしに来たのですか」

「ああ、お別れを告げに来ましたわ。 貴方には利用価値が無くなりましたので」

「お、おの、おのれこのあばずれが……!」

「負け犬の遠吠え、実に結構。 此処に放置しておけば、いずれ明けの明星なり、あの鉄船の人間達が貴方を見つけて処理するでしょう。 私には知った事ではありませんわ」

その通りだ。悔しいが、もはやどこに行く場所すらもない。

マンセマットは震えながらも、それでも呪詛を喉から絞り出していた。

「鉄船の人間共に殺されるのは貴方も同じだデメテル。 奴らはあのマーヤーすらも退けたのだぞ」

「私は彼らと戦う事などしませんわ。 まあ指摘通り勝てないのが理由ですけれども」

「!?」

「私の目的は別にあるのですわ。 それではごきげんよう。 モーセの逃避行で粋がっていた頃が、貴方の全盛期でしたわね。 もう何千年も前の話ですわ」

文字通り、マンセマットの心に致命傷を入れると、くすくす笑いながらデメテルは消えていった。

意味を成さない叫び声を上げながら、マンセマットは隠れていた場所を飛び出すと。何事かと振り向く悪魔に襲いかかり、頭から丸かじりにした。

流石に狂気を剥き出しに暴れ狂うマンセマットを見て、距離を取った方が良さそうだと判断した悪魔達は逃げるが。マンセマットは気にせず、かぶりついた悪魔を食い尽くし、死んだ後もマッカを貪り喰った。

こうなったら自棄だ。この最後の大母がいる空間を徘徊し、手当たり次第に悪魔を喰らい、力をつけ。

この世界を道連れにしてやる。

あの鉄船の人間共に少しでも損害を与えれば、メムアレフとかいう大母の長に勝てる可能性がそれだけ減る。

明けの明星が人間共に加勢するかも知れないが、この感じる凄まじい力、恐らくはそれでも簡単には勝てまい。

だったら、とことん足を引っ張り、何もかもを道連れにしてやる。

髪を振り乱し、既に真っ黒になっている翼が、更に乱れ荒々しくなっていくマンセマット。

この時、既に大天使ではあらゆる意味でなくなったことを、マンセマットは気付いたが。

もはやどうでもよかった。

見つけ次第、全てを喰らってやる。

以前馬鹿にしていたオーカスと同レベルの精神にまで墜ちた「堕天使」マンセマットは、雄叫びを上げながら、周囲を飛び回り始めた。

 

(続)