海の邪龍
序、乾いた者は彷徨う
ヒメネスは昔どうしようもない程に荒れていた。国際再建機構に入ってからも同じだった。兎に角乾いていた。世界が腐りきっている事を知っていたからだ。
そんなヒメネスだったが美点が一つあった。強い相手は素直に凄いと認められる事だ。
だからストーム1に自分を認めて貰って。
唯野仁成という、互角以上の相手を見つけて。そして、やっと少し乾きは癒やされた。少しずつ、丸くなっても行った。
だけれども、ヒメネスは見てしまった。
自分と同じような、力絶対至上主義の行く先を。
あのおぞましい工場が、地上で「財団」がやっていた事をそのまま持ち込んだことくらい、ヒメネスにはすぐに分かった。
地上で財団は弱者に文字通りやりたい放題をやっていた事も。
それは、ヒメネスと同じ。
ヒメネスも、弱者には徹底的に冷たかった。ゴミのように弟を殺され。国際再建機構で力を得るまで、弟を惨殺した下手人に鉛玉も叩き込めなかった自分が嫌いだったからだろう。そう、ヒメネスは自分を徹底的に嫌悪していた。弱い自分をだ。
故に、弟の雰囲気が何処かにある弱々しい悪魔バガブーには心を許していた。
そんなバガブーでもどうにも出来ない程に。
今、ヒメネスは心に闇を抱えてしまっていた。
どうにもならない。
自分の映し鏡を、最悪の形で見せられてしまったのだから。
弟だって、あのマフィアのクズ野郎に殺されなければ。財団に売り飛ばされて、あんな風に悪魔と融合させられていたかも知れない。
それだけじゃない。
自分だって、何か切っ掛けがあれば。クソ野郎に雇われて、墜ちるところまで墜ちていたかも知れないし。
強さを求めて、あんな風に悪魔と融合を目論んでいたかも知れない。
分かっている。
そもそもいい年になってから勉強して、読み書きを覚えたヒメネスだ。周囲に知恵でマウントを取られるのが嫌で、散々色々な知識をつけた。今ではサラブレッドの始祖や、スポーツカーの歴史など、知る必要がない雑学まで知っている。
皮肉な話で、中華の歴史の関羽も、知識層を毛嫌いしていた様子で。そういった連中にマウントを取るために、当時の教養書である春秋左氏伝という書物を丸暗記までしていた、という説がある。
有名な英雄でさえそうなのだ。ヒメネスはそういう話を聞いて、ますます知識を増やして、弱者ではない存在であろうとしていて。
そして打ちのめされたのだ。自分の行き着く先がどうなるか、見てしまったのである。
ため息をつくと、コーヒーに明らかに体に良くない量の砂糖を入れる。唯野仁成が隣に座ったが、会話はしない。
砂糖を入れすぎてまずい。
だが、頭を少しでも、今は働かせたかった。
「ヒメネス、大事な話がある。 今は話をしたくないかも知れないが、聞いてほしい」
「……」
「ヒメネス! 話聞く! ヒトナリ、良い奴!」
隣にいるバガブーが言うので。やむを得ない。
ヒメネスも、バガブーの言葉には弱い。やはりどうしても、死んだ弟を思い出してしまうのだ。
「何だ、ヒトナリ。 これからフォルナクスの大母をぶっ潰しにいくとかいう話は俺も把握はしているぜ」
「……アレックスと戦ってきた。 これは話して良いと言われているから伝えるが、アレックスは間違いなく別世界から来た人間だ。 そして恐らくだが、時間遡航もしてきていると見て良い」
「未来人の上に異世界人か。 それがどうしてまた、お前や俺を狙うんだろうな」
「恐らく、俺たちが世界の滅亡に関わるんだろう」
ぴたりと手を止める。
唯野仁成は、こういう所で冗談を言う奴じゃ無い。
咳払いすると、唯野仁成は続けた。
「アレックスのAIであるジョージは、俺がまだこの程度の立場と発言権しか無い事に明確に驚いていた。 アレックスが今まで見てきた世界では、俺はもっとずっと厳しい環境にいたらしい。 多分ヒメネス、お前もだ。 恐らくはゼレーニンもな」
「どういう……事だ」
「それらの世界では、姫様をはじめとしたスペシャルは誰もいなかったんだろう。 アレックスはケンシロウさんをアンノウンと言っていた。 それは、つまりそういうことだ」
ぐっと、コップを強く握る。
何となく分かってきたからだ。
ヒメネスは、自分が馬鹿では無いことを知っている。馬鹿だったら、幼少期に身につけられなかった読み書きを、いい年になってから身につけるのは無理だ。ましてや今、ヒメネスは読み書きだけで二カ国語、聞き取りだけなら五カ国語ほど出来る。英語と母国語、更に英語に近い言語だけだが。
それでも、この言語を聞きこなすことが出来る人間は多く無い。
スラム出身と言う事で舐められるのが兎に角むかついたので、ひたすら勉強して覚えた知識だ。
だからこそ、分かってしまう。
「ヒトナリ、お前は、俺から見れば理想的な軍人に見える。 ストーム1でさえ、ブチ切れると歯止めが利かなくなるのに、お前はキレても冷静だ。 そんなお前でも、あの赤黒が外道って呼ぶような奴に条件次第ではなるってのか」
「そうなんだろう。 俺も少し考えてみた。 誰も周囲にいない時の事を。 姫様もストーム1も、ケンシロウもライドウ氏も。 真田さんも、正太郎長官も、ゴア隊長も、春香も。 そんな風になったら、きっと俺たちに激甚な負担が掛かっていただろう。 このシュバルツバースでだ。 まだ南極を覆い尽くしていないシュバルツバースだが、それもどうだったか分からない。 フォルナクスまで、俺とヒメネスだけが実質的な戦力だけの状態だったら、もっと何倍も時間が掛かっていたはずだ。 死人だって、たくさんたくさん出ていただろう。 そんな状況で、俺は心を保てたのか。 あまり自信が無い」
「……」
ヒメネスもだ。
この船には理解者がいる。ストーム1は、ヒメネスを後継者にしたいとまでいってくれている。
言う事は厳しいが、あの人は正論を言っているし、何よりも的確に指導をしてくれる。そして諦めない。そして本当に強い。文字通り伝説の英雄としか言いようが無い。
戦術について聞きに行くと、歴戦の猛者であるヒメネスも思わず膝を打つような話をしてくれる。本物の英雄である事は、ヒメネスも認めている。
唯野仁成もそうだ。同格の戦士として、とにかく頼りになる。少しだけ唯野仁成が強いが、追いつけない背中じゃ無い。
そういった環境が、どれだけヒメネスを救ってくれているか。
確かに、そういうものがなければ。
ヒメネスはもっと力を求めて、壊れてしまっていた可能性が高い。
更に言えば、もっと無茶をしていただろう。
それこそ、一歩間違えば終わるような。
その結果、とんでも無い事になってしまっていた可能性も高い。
今、軽度のPTSDを発症しているヒメネスだが。
こんな程度では済まなかった可能性が極めて大きい。
もしも、アレックスが、別可能性の世界から来たのだとすれば。
何となく、ヒメネスを狙うのも分かる気がする。
頬を叩いて、考えを変える。
「分かった。 少し本気で休憩を入れてくる。 頭を切り換えてくる」
「それでどうにかなるのか」
「何とかするさ。 元々こんな状態になるのは初めてだからな。 弟が殺された頃とかは、行き場が無い怒りをものにぶつけるくらいで、大人になってからだってあのクソマフィアに鉛玉をぶち込んだとき位にしか本気で怒ったことはなかった。 俺はどういうことをすれば殺されるか、分かっていたんだ。 だから最後の一歩も踏み出し方が分からなかった」
故に、アレックスのいた世界では。
取り返しがつかない間違い方をしたのだろうとも思う。
「休息用のカプセルあるだろ。 あれで深度睡眠モードを使って眠ってくる。 確か二日くらいで、一ヶ月分くらいのリフレッシュが出来る筈だ。 それに加えて、リラクゼーション系のプログラムも全部組んでもらう。 無理矢理にでも頭をはっきりさせる」
「ヒメネス! 大丈夫か! 大丈夫なのか!」
「ブラザー、心配するな。 どっかで進まなければならなかったんだ。 俺は此処でいつまでも腐ってるわけにはいかねえ。 多分心療内科に掛かるくらい悪化していたなら、こういう方法ではどうにもならなかっただろう。 だけれどもな、ブラザー。 俺はこれくらいすれば、治る位置にまだいる。 だから治す」
立ち上がると、唯野仁成に一度バガブーを預ける。
本来こう言う悪魔の譲渡は出来ないのだが、面倒な契約をすれば出来る。唯野仁成は、その面倒な契約を、悪魔召喚プログラムの力を借りたとは言え、受けてくれた。
バガブーも、ヒメネスが最も信頼する相手に預けられたと言う事は分かったのだろう。素直に受け入れてくれた。
「それで、大母とかいうババアとやりあうのはいつだ」
「四層の囚人との戦闘で皆かなり疲弊したからな。 恐らくだが、三日後くらいになると思う」
「なら充分だ。 二日眠って、それでどうにか復帰してみせる」
「分かった。 待っている」
バガブーを残すと、医療室に出向く。
奥ではまだノリスが眠っている。軟弱だとか惰弱だとかいうつもりはない。ノリスは守るべくして守った。
己の心を致命的に壊されてしまったが、それでも己の信念にしたがって守りきったのだ。
昔のヒメネスだったら、多分自分の命が最優先だろとか言っていただろう。だが、今なら違う。
ノリスがやった事は尊敬できると判断している。軍人として理想的に動いた結果だ。
勿論、無意味に英雄的行為をするつもりはない。
だが、ヒメネスはそもそも兵士だ。
だから、兵士として、できる限りの事をして。そもそも戦えない者のために戦う。そのつもりではある。
ゾイに説明をする。難しい顔をしたゾイだが、準備はしてくれた。
デモニカを脱ぐと、薄着になって、後は色々と事前準備をする。二日も眠るのだから、それは代謝など色々あるのだ。
人工呼吸器もつけて、カプセルに入る。
カプセルが閉じると、一気に眠くなってきた。
こんな世界だが。
それでもヒメネスにも、守りたい者が出来た。
国際再建機構なら大丈夫だ。シュバルツバースを出た後も、バガブーと引きはがされるような事は無いだろう。
そもそも悪魔の存在が実際に確認されたのだ。
今後対悪魔の部隊は創設されるだろうし、経験豊富な方舟のクルー、特に機動班は多数がそれに選抜されるのは確定である。
ヒメネスは引退して楽隠居、といけるかは分からないが。
少なくとも未来は保証されている。
ただし、シュバルツバースをどうにかする必要がある。
分かっている。
バガブーは25パーセントも組成に異常がある。悪魔だろうが関係無く、恐らくは長くは生きられないだろう。
だが、生きている間だけでも。
バガブーには楽しくいて欲しい。
そのためには、勝たなければならないのである。
何が大母だか知らないが、人間の悪い真似ばかりするアホ悪魔どもを甘やかす上位空間の支配者。充分以上に軽蔑に値する。
スペシャル達や、唯野仁成だけに任せてはおけない。
ヒメネスも、戦いに必ず赴く。
そして、頭をたたき割ってやる。
徐々に眠くなってきた。そして、ヒメネスは深い睡りの中で、何か強い力を感じていた。
「ふむ、力を求める乾いた魂よ。 面白い可能性に行き着こうとしているのですね」
「なんだてめーは……」
夢だが、夢では無い。
何となく察しがつく。
唯野仁成に話しかけてきている奴に、話しかけられている。さいふぁーとか言ったか。メイドなんて巫山戯た格好をしている奴。それでいながら、方舟のセキュリティを突破してくる化け物堕天使。
「私はさいふぁー。 可能性を求めるもの。 何かの可能性を見て、その背中を後押しするもの」
「あいにくだが、俺は自分の可能性は自分でどうにかするんでね」
「それでいい。 君は混沌に極めて性質が近い。 だったらそれが理想的な答えだ」
「ちっ。 いけすかねえ野郎だ」
聞こえてきている声は女だが、その性質は男に近いとヒメネスは見抜いていた。
勘については自信があるのだ。
「……君は恐らく、本来だったらシュバルツバースの凶暴な自己責任論至上主義に飲み込まれた挙げ句、取り返しがつかない過ちを犯して、代わりに強大な力を手に入れていたはずだ。 だが君はその可能性を振り払い、しかしながら別の強い可能性を手にしようとしている。 とても興味深い」
「そうかよ、ありがとうな。 それでなんだ、景品でもくれるのか」
「バガブーと君が呼んでいる、壊された悪魔。 その体にある死に到る要素を私が治療しておくよ」
「……っ!」
意識が覚醒するかと思った。
夢の中だと言う事は分かっている。だが、話しかけて来ている此奴が、恐らく現実に存在する事も分かる。
そうか、夢の中に入り込んでくるような奴だ。
それくらいは、出来ても不思議では無いか。
「素晴らしい可能性を見せてくれた礼だ。 だが、私が君を助けるのはこれが最初で最後だ。 後はバガブーとともに、いや他のクルーともともに、此処を生き残るために頑張りなさい」
「……そうか、助かる。 ありがとうよ」
「……」
それ以上、声は聞こえなくなった。
ヒメネスは、すっと全身が楽になるのを感じた。きっと、これならばいける。これならば戦える。
今まで以上に。
そして、今までどうしようもなかった、力に溺れ力を求める自分からも脱却できる。そうヒメネスは信じていた。
さいふぁーは小さくあくびをする。今、眠っていたからである。
眠る事によって、深層意識世界を渡り。其所を通じて、丁度眠りに入ったヒメネスにアクセスしてきたのだ。
あの人間達の鉄船。人間がレインボウノアと呼ぶ船が、兎に角セキュリティが硬くなってきたので、こうでもしないと接触できなくなってきた。
それで、こうやって接触したのである。
裏技中の裏技だ。
なおバガブーについては、実の所とっくの昔に修復してある。ヒメネスが船の外を歩いているタイミングで、ちょちょいと済ませておいた。
まあ、そういう時間的な因果関係はどうでもいい。
それはそれ、これはこれである。
ベッドから降りると、小さな体。借りているメイドの体で伸びをして、ぐるぐる眼鏡を掛ける。
体の一部になっているメイド服を、パンパンとはたいて伸ばすと。
部屋から出た。
此処は人間達が恐らく次に到達する大母の空間。
天使達が、人間達がセクターエリダヌスと呼んでいた空間よりも更に巨大な拠点を作っている場所。
さいふぁーもまた、此処に拠点を作っていた。
とはいっても、此処で人間に関わるつもりはない。
此処にはちょっと面倒くさいものが存在していて、此処の管理者である大母が監視しているので。
万が一のために、此処に潜伏しているのだ。
幹部達は、それぞれ別の場所に潜伏させている。
さいふぁーだけなら兎も角、他の幹部達までいると、流石に気配が大きくなりすぎて天使とぶつかり合う事になる可能性がある。
それは、また面倒だからだ。
外に出ると、悪魔達がぎょっとした様子でさいふぁーを見て。力がある程度以上あるものはそのまま傅く。
天使達に追われた悪魔が作った一種のスラム。それが此処だ。
何しろ空間の性質状、ある程度集まっているだけでそこは要塞のように頑強な拠点になる。
天使が集まったのも。
悪魔達が身を寄せ合って潜んでいるのも。
それが理由である。
彼らに時々小さい手を振って笑顔を向けながら、さいふぁーは思考を巡らせる。
あと一つ、問題がある。
マンセマットが粉を掛けようとしている人間だ。
最近はかなり精神が落ち着いてきていて、簡単に秩序の陣営の手駒に転がり落ちるような事は無いとは思うが。
それはそれとして、あの狡猾で野心的なマンセマットが、準備を怠っているとも考えにくい。
この間も、わざわざ仲魔共を連れ込むために使った鉄船の設備を、まるごと人間達の心を揺らすためだけに放り捨てたような奴だ。
文字通り蜘蛛の如く、無数の糸を張り巡らせて。獲物を待っているのは間違いない。
悪巧みでだけで言えば、さいふぁーをも凌ぐかも知れないマンセマットである。伊達に長い間天界の掃除屋をやっていない。
腕組みして考え込みながら、歩いていると。やがて、悪魔達が身を寄せている空間の最深部に来ていた。
グレンデルという、欧州の古い伝説に出てくる大きな悪鬼が姿を見せる。実はグレンデルよりもその母の方が強力なのだが、名前が格好良いからか。グレンデルの方が知名度が高い。
「これは偉大なるお方。 如何なさいましたか」
「少しだけ此処で考え事をしたいのですが、もう少しいてもいいですかぁ?」
「それは勿論。 あなた様がいるだけで、天使の脅威からどれだけ我等が守られるか……」
「分かりました。 それでは有り難く場所をお借りさせていただきますぅ」
スカートをちょこんと摘んで礼をすると。
また考え込みながら歩く。
マンセマットがちょっかいを出そうとしている人間に対しては、恐らくだがさいふぁーが直接手を貸すのは悪手だ。武神サクナヒメに心を許す等柔軟性は増してきているようだが、それでも一神教の最大の悪魔たるさいふぁーが直接話をすれば、態度を硬化させるだけだろう。
いずれにしても、中々に難しい問題だ。
しばらく歩き回りながら、弱い悪魔を見ては何か助けられる事がないか聞いて回る。体を欠損したまま回復出来ていない悪魔もいるので、そういう場合は回復の魔術で癒やしてやるが。腹が減っているとか、そういう事まではどうにもできない。
マッカは膨大にあるといっても、限りはある。それに悪魔はマッカを理論上幾らでも喰らう。
聞いてやれる願いだけ聞いてやりながら、歩き回る。
まだ、少しばかり。マンセマットの悪辣な策謀に対してどうするべきかの対策が、さいふぁーの中で練りきれているとは思えなかった。
1、戦いの準備
余り顔色が良くない。
真田はそうそのままサクナヒメに指摘されて、苦笑い。今も半日ほど、回復用のカプセルで休んで無理矢理体力を戻してきた所だ。ゾイにも色々良くない結果が健康診断で出ていると言われている。だが、それも仕方が無い。
無理を続けているのだから。
研究室に戻ると、現状の方舟の様子を確認する。
物資については問題ない。現在嘆きの胎に停泊している方舟だが、弾薬や燃料については大丈夫だ。
後は副動力炉だが、ようやく復旧した。
これで多少は無理が出来る。会戦も可能だろう。
そして、切り札になる幾つかの道具だが。寝ている間に開発が終わるほど、世の中は甘くない。
ラボにいるアーヴィンとチェンからそれぞれ報告書が上がって来ているので見る。
真田が要求する水準があまりにも高いせいか、二人とも泣き言を言っているが。
それぞれ、真田の方でやり方を示して。それで設計を何とかしてもらう。
事実上23世紀からきたのと同じの真田だ。しかもその23世紀は、この世界がそのまま進んだ23世紀よりも遙かに技術も文明も進んでいた。
とはいっても、真田もそのテクノロジーの全てを頭に入れているわけではない。
今できる事を、今ある物資でやっていくしかない。
それは分かっているから、色々とほろ苦い。
そのままレポートを見ていく。
まずは鍵。フォルナクスで見つけた四つの情報集積体の情報を組み合わせ、鍵を作った。だが、まだ使い方が分からない。
情報を見る限り、鍵そのものはこれであっている。
だが、どう使って良いのかがよく分からないのである。
これについては、研究室の全員から仮説を出させているが、どれも真田を納得させるものでは無かった。
もう一つ問題がある。
三つ目の「実り」を回収してきた。これを色々調べていて、分からない事が幾つも出て来た。
この実りというもの、それぞれにぎっしりとんでもない情報が詰まっているのだが。どうやら調べて見る限り、それだけではないようなのだ。
ひょっとすると、これ自体が小さな宇宙に匹敵する代物では無いのかとさえ思えてくる。
だとすると、危険すぎてデメテルのような輩には渡すわけにはいかない。
デメテルの戦闘力は、スペシャル達でもかなり危ないと言わしめる程のものだ。
方舟に強襲を掛けられたときに守る方法は、今のうちに考えておかなければならないだろう。
そして、アレックスについて。
唯野仁成との会話を解析して確定した。
アレックスは平行世界から来た人間だ。しかも、その平行世界の未来から来た人間と言う事で間違いない。
そもそもあの二世代は先を行っているデモニカの時点で、おかしいと思ってはいたのだが。
あのアレックス自身が、今後取るべき行動について、大きな指針を示したとも言える。
必要な情報を頭に入れると、研究室のメンバーにレポートを作るように指示。自身は、艦橋に向かう。
艦橋では、既にスペシャル達が揃っていた。
サクナヒメはもぐもぐとおにぎりを食べているが。姫様はこの間精鋭看守悪魔五体と戦闘した時、真っ先に敵の頭数を減らすために突貫して堕天使フォルネウスを斬り捨て。他の看守悪魔の集中攻撃を受けながら、堕天使アガレスとも最前線で戦ったのだ。
一番回復が遅れているのは仕方が無い事で。食事をサクナヒメがしている事に対して、文句を言う者は誰もいなかった。
唯野仁成は休憩中。ヒメネスは気合いを入れて精神的なダメージを回復すると言う事で、今回復用カプセルで休んでいる。今回の話し合いには加わっていない。まあ、これは仕方が無い。二人とも、最近は負担が大きかったのだから。
真田の方から、軽く説明を終える。
まず鍵について。既に情報化してそれぞれのデモニカに共有している。マッカさえあれば何時でも具現化できる。
それを話すと、ゴア隊長は頷いていた。
「アレックスが問題だ。 何とか話し合いの場を持ちたい所だが……」
「今までの話を総合する限り、恐らくだが……アレックスは四隻の次世代揚陸艦で、シュバルツバースに突入した世界の未来から来ているのだろう」
正太郎長官が言い。真田もそれに同意していた。
最初に計画として持ち上がったそれだが。真田が待ったを掛けたのだ。
確かにダメージコントロールの観点では、四隻に戦力を分散させるのはありだ。戦略的には悪くない判断である。
だが、未知の世界に乗り込むのに、それでは危険が大きすぎる。
だから、真田が主導してこのレインボウノアを作り上げ。そして更に各地からスペシャルを集めた。
結果、現時点においてもクルーの死者は出していない。
これは誇るべき成果であるが。逆にそれが故に、四隻の次世代揚陸艦でシュバルツバースに突入した世界とは、結果があまりにも違っているのかも知れない。
「儂はこう見る。 恐らくだが、アレックスがいた世界では、ゴア君も死亡し、唯野仁成やヒメネスなどのわずかなクルーに絶大な負担が掛かったのだろう。 クルーは毎回大勢の死者を出し、唯野仁成の心はどんどんすり切れていってしまった」
唯野仁成は真田から見ても優秀な軍人だが、妹を大事に思う一人の人間でもある。
心に負担を際限なく掛けていけば、そのうち壊れてしまうのは自明の理だ。
そうなれば、悪魔の誘惑に耳を傾けてしまうかも知れない。
天使の言う通り、秩序のために自我を犠牲にするような世界に荷担してしまうかも知れない。
或いは全てをはねのけるために、あらゆる何もかもを殺して回るような奴になるかも知れない。
真田も幾らでも、人がおかしくなる瞬間は見ていた。PTSDは人間を壊す。心が壊れると、人間はあり得ないような行動を取る。
昔は、男が泣き言を言うのは許されないとか、そういう風潮はあった。
だが、PTSDの存在が周知されるようになって来てから、それらの風潮が如何に問題だらけかは皆分かるようになっていった。
確かに、此処にいるスペシャルが誰もいない状態で、唯野仁成に全責任が押しつけられた世界があったのなら。
アレックスがあれほどヒステリックに殺す事にこだわる、怪物が誕生してしまうのかも知れない。
それは悪魔よりも恐ろしい存在だろう。
何しろ、このシュバルツバースも、恐らく単身でどうにかしてしまうのだろうから。
春香が挙手。
正太郎長官が頷いていた。発言をしてほしい、という意図だ。
「私は思います。 このシュバルツバースでは、人の醜い部分がとにかくこれでもかと人に見せつけられています。 私は、実の所こういうものは幾らでも見て来ました。 私がいた芸能界は、そういう場所だったんです」
真田もそれは知っている。たまたま、春香のいた事務所が良かっただけだ。
だが、芸能界が反社会的勢力とつながりがあるのは古い時代からの悪しき習慣だ。国際再建機構が直に関わるほどの案件では無いが。芸能事務所に別の国の工作資金が流れ込んでいたり。政治家の票田にするための工作資金が流れ込んでいたケースは、真田も幾つか聞いた事がある。
プロのアイドルですらこれだ。
いわゆるインディーズアイドルになってくると更に状態は悲惨で。ちやほやされるために、それこそ何もかもをむしり取られることを容認するような人間まで出て来てしまう。そういう場所には、いわゆる悪い大人が集まり、徹底的に搾取する。
それはシュバルツバースのような悪魔のいる世界と何も違わない。
暴走した自己責任論が、際限なく弱者を食い荒らす最悪の世界だ。
「私は心が壊れてしまった元アイドルだった人を何人も見ています。 悪い仕事をしている人の愛人になったり、薬漬けになって病院から出られなくなったり。 私だって、違う事務所に入るとか……一歩間違えばそうなっていました。 そして……皆さんはこういうと反発すると思いますけれど、この世界にいる悪魔達もそう私には見えています」
「共通点は確かにある」
ストーム1が同意すると、ライドウ氏も頷いた。
ストーム1が言う所によると、精神の箍が外れてしまった兵士は、薬物に依存するようになったり、倫理観念が完全に壊れてしまう。
そういう部下を何人も見てきたという。
人によっては、戦場で一人殺しただけでそうなるとも。
そして、確かにシュバルツバースの空間支配悪魔は。それと似た傾向が見られるという。
勿論同情はしない。連中は進んで、クズに墜ちたのだから。
その辺りの物言いは、ストーム1らしい苛烈さだが。サクナヒメも、それに同意していた。
「次の好機は恐らくだが、五層の囚人を確保するときだろう。 その時、わしを出撃させよ」
「姫様?」
「アレックスの力は既に完全に見きった。 どのような手を使ってでも捕らえてみせる」
サクナヒメ曰く。アレックスとは、しっかり話をする必要がある、と言う事だった。
此処で意外な人物が挙手する。
ウィリアムズだった。
彼女は艦橋のメンバーであるが、いつもは基本的に裏方に徹して発言すると言う事はしない。
珍しいなと思いながら、発言を聞く。
「少し心配になったのですが、タイムパラドックスは大丈夫なのでしょうか」
「ああ、それなら問題ない」
「?」
「いや、既に実験済だと言っておこう」
真田がそう言うと、ウィリアムズは引き下がる。
まあ、真田の「かねてから開発していた」が絶大な信頼を得ているように。真田の知識や技術はもはやクルーにとって崇拝の域に達している。ウィリアムズの行動は別に不思議では無い。
なお簡単に種明かしをすると、そもそも23世紀の地球に相当する場所から、この世界に来ている真田が、どんどん新技術を開発しているのだ。
それでタイムパラドックスが起きていないのである。
要するにタイムパラドックスは理論上で提唱されてはいたが、正しい理論では無かった。それだけの話である。
恐らくだが、平行世界に分岐した時点で、未来はどんどん変わるのだろう。過去に転移したという時点で、平行世界が発生していて。それによって、タイムパラドックスは回避されているのだ。
それにアレックスが活動していて、介入もどんどんしてきている状況もある。
タイムパラドックスについては、懸念する必要はなかろう。
ゴア隊長が皆を見回した後発言する。
まとめに入ったのだ。
「それでは、これからするべき事についてまとめよう。 まずはアレックスは、今後敵対勢力ではあるが、重要な証人としても扱う。 勿論簡単に取り押さえられる相手ではないが、何とか確保を試みてほしい。 無為に殺すのは避ける方向でいこう」
「イエッサ」
ストーム1が敬礼する。
デモニカで超強化をされているストーム1。近代戦の専門家だが、毛色が違う他のスペシャル達と総合力ではまるで劣らない。
ぐんぐん唯野仁成が追い上げてきている今でも、それは全く同じである。
要はストーム1から見ても、アレックスはもはや以前のような、絶対的脅威ではないという事だ。
「嘆きの胎五層については、しばらく攻略は控えよう。 更に強力な悪魔が彷徨き、看守悪魔もいる事は確定だ。 まずはセクターフォルナクスを攻略し、大母を下して道を確保してからでも遅くない。 実りという物質の謎もまだ深い。 調べても分かる状態にもないから、これについては後回しだ」
これについても真田は同意できる。
そもそもフォルナクスでどう鍵を使うかに関しては、現地で色々調べなければならない。
ウロボロスの戦闘力を考えると、フォルナクスの大母は更に強大である可能性が決して低くは無い。
要するに会戦も想定されるわけで。
その場合は文字通りの総力戦となるだろう。
全員のコンディションは、万全か。それについては、後でゾイにレポートを出して貰う事になる。
「それでは、これよりフォルナクスに再度侵入する。 大母攻略作戦の再開だ」
すぐに皆が持ち場につく。
真田も今回の戦いのために幾つか切り札を用意してきてある。
更に。副動力炉を復元するのにあわせて、主動力炉の強化と、副動力炉のアップデートも済ませた。
流石に以前真田が乗っていたヤマトに積んでいる波動エンジンに比べると玩具に等しい代物だが。あれはそもそも根本的なテクノロジーが違うのだから仕方が無い。それに現状では、どうやっても再現が不可能だ。
比較対象としてはガミラスに蹂躙されていた22世紀後半の地球連邦の艦艇が積んでいた核融合炉だが。これならば良い勝負が出来る。現時点で出力はその80パーセント程度である。シュバルツバースを出る事には、恐らく同等の出力にまで持って行けるはずだ。
兵器類のチェックを済ませる。
これらについても、全て戦うためだけに作ったのではない。
シュバルツバースを出た後、真田は幾つかの事を構想している。
まず地球から人間の文明圏を広げなければならない。
同時に、ガミラス戦役のような、愚かしい異文明との無策な衝突も避けなければならない。
困難な道であるのは確かだが。
シュバルツバースが地球の怒りなのだとすれば。
地球の怒りをこれ以上買わないように、地球によってはぐくまれた命である人間は、相応の行動を取らなければならないのだ。
アーサーが、全システムのチェックを終えた。
「システムオールグリーン」
「素晴らしい。 真田くんの苦労の賜だな」
「いえ、アーサーの自動メンテナンスシステムがそれだけ進歩しているのですよ」
「ありがとうございます。 それでは、予定通りフォルナクスにスキップドライブします」
方舟が浮き上がり始める。
嘆きの胎は全六層である事が分かっている。後二回の到来で済ませたいものだが、はてさて。
どうも真田には、此処には巨大な秘密があるように思えてならない。
全く揺れない状態で、スキップドライブを始める方舟。
敵悪魔達の言葉を鑑みるに、大母はまたあの悪魔達を再生しているかも知れない。
その場合、決戦になったときが多少厄介だが。
その時は、また奴らを倒して、削り直すしかないだろう。
時間がないのは確かだが。焦ってクルーを失う事は、それ以上にあってはならないのである。
そうこうするうちに、スキップドライブが終わり。
暗黒の空の下、雷が瞬いているフォルナクスにまた出る。
さあ、勝負の時だ。
船が着地する。ピラミッドのような建物はまだ存在している。
観測班のマクリアリーが報告してくる。
「……ピラミッド状の建造物に変更無し」
「此方でも確認しました。 強力な悪魔の反応は増えていません。 大母は自分の力の分散を防ぐために、産み直しを控えたのだと推察されます」
「随分勝手な母親であるな。 子供を己の盾として使い捨てたか」
サクナヒメが苛立ちの声を上げるが、流石に真田はそれには同意できなかった。勿論波風を立てるつもりは無いから何も言わない。
戦略的に見れば、戦力を削るために用意していた壁を、こうもあっさり突破された大母である。戦力を一点集中するのが合理的である。
神であるサクナヒメとしては。神としての視点から、「産み直し」という責務を果たさない事に憤っているのだろうが。
彼女は武神なのだから、戦としての概念から状況を考えてほしいなとも思う。
ただ、それは敢えて言わない。
いずれにしても、まずは鍵をどうするか。そこからである。
クルーが展開を開始する。また、野戦陣地を構築。プラントも構築を始めた。
アスラの時のように。あのピラミッドが、そのまま巨大な悪魔と化しても不思議ではないのである。
シュバルツバースでは何が起きてもおかしくない。
真田は様々な計器に目を通しながら、状況の確認を続ける。
スペシャル達が全員下船した。唯野仁成も降りる。ヒメネスも、休憩から復帰した様子である。
まず悪魔達を召喚して、魔術の知識がある者を呼び出す。
トートが有望だが、それ以外にも魔術の知識がある者は豊富にいる。伊達にこの人数が、悪魔合体を試していないのだ。
知恵の神も多い。
勿論マッカは大量に消耗するが、それは仕方がない話である。
ゼレーニンが、真田の所に通信を入れてくる。
「真田技術長官。 大天使ラジエルが話をしたいそうです」
「うむ、通信を回してくれ」
「わかりました」
わずかな間の後、ラジエルの声が聞こえる。
PCを通じて、船の内外で会話をしているのだ。
「大いなる賢者真田よ。 この鍵は恐らくだが、この空間そのものに作用するようにできている」
「空間そのものに」
「そうだ。 何処か特定の場所に差す鍵ではない。 この空間の、真の姿を現すために必要なものだ」
何となく、それで分かってきた。
鍵のデータをアーサーにも回し、計算を始める。鍵を実体化させるという事そのものが間違いだったのかも知れない。
外に展開しているクルー達にも、一旦悪魔を戦闘用のもの以外は引っ込めさせる。
また、いつでも乗船できるように警告を促した。
エリダヌスでも、上位空間と下位空間が根本的に異なっていたのである。此処フォルナクスでも、その可能性は否定出来ない。
ましてや、今までのシュバルツバースで起きた事を考えると。文字通り、どんな無茶が発生しても不思議では無いのだ。
アーサーが報告してくる。
「建造物内の構造体を確認し、結論が出ました」
「うむ、聞かせてくれ」
「この鍵のデータは、恐らくですが一階中央にある祭壇にデータを投入する事で起動します」
やり方については。アーサーが簡単に説明してくれる。というか理論的には簡単である。
小型のPCを使い、データを祭壇に送り込めば良いという。
なお祭壇にどうデータを送り込むかだが。
ここシュバルツバースで、大量の情報集積体を今まで入手している。それらから、ノウハウは得られる。
すぐに小型のPCを用意させる。更にはデータをそのPCにコピーし、マクロで自動的に送り込むようにセット。
問題はプロトコル(PCでデータをやりとりするために使う規格のようなもの)だが、これは今まで取得したモロクらの情報集積体から解析する。
いずれにしても、相当な技術をあらゆる点で要求してくるが。
それだけ、守りが堅いのだ。
崩したときには、恐らく流石の大母も、姿を見せざるを得ないだろう。
「プロトコル準備できました。 悪魔召喚プログラムで使っているものと同じものが使えると判断したので、そうします」
「相手へデータを送り込む方式は」
「有線式で行います。 現在端子をラボで作成中」
「うむ……」
よし、順調だ。
二時間ほどで、端子の成形が完成。PCを祭壇に置きに行くのはヒメネスが志願したので、やってもらう。
やり方については、此処で真田がサポートする。
「セットしてから一時間でデータのやりとりを始めるようにPC内のマクロに設定してある。 時間は充分にあるから、余裕を持って撤退してくるように」
「了解でさ」
「時に体調はどうだね」
「ああ、快調ですよ」
ヒメネスは確かにそれほど不調なようには見えない。
ライトニングの停泊していた空間で、凶行の跡を見てから。明らかに精神的な体調を崩していたが。もうすっかり大丈夫そうだ。
ピラミッドのような建造物に入ったヒメネスは、油断無く悪魔達を召喚。そして、指定された祭壇。とはいってもそう言われなければ分からなかっただろうが。ともかく、小さなくぼみに迷いなく歩み行くと。PCをセット。端子も接続。
端子は人間が使っているUSB等の端子とは似ても似つかず、何というか手形を押し込むような形になっている。セットの仕方も、かなり独特で。ただ置くだけである。
安定性とかとは無縁に見えるが、まあこれでデータのやりとりは出来る。
すぐに引き上げるようにヒメネスに指示。
あのピラミッド状のものが、そのまま大母に代わる可能性がある。頷くと、すぐヒメネスは戻って来た。
総力戦準備。ゴア隊長が声を張り上げる。
状況がいつどう変わるか全く分からないのである。
当然、何があっても対応出来るように備えるのが当たり前である。方舟のクルー達も、それは理解している。
さて、どうなるか。歴戦に歴戦を重ねてきた真田も、流石に此処まで未知の状況だと冷や汗が出る。
時間が来る。
鍵のデータは、1TBほどもあったが。それでも、流し込まれるまでにそう時間は掛からないはずだ。
やがて、ピラミッドが揺れ始めていた。いや、空間そのものが異常をきたし始めているのだ。
ゴア隊長が、アーサーに向けて叫ぶ。
「アーサー! 状況は!」
「強大な悪魔の気配は現時点で感知できません」
「此方マクリアリー! 上空を見てください!」
慌てきった声。カメラを変えて確認。流石の真田も絶句していた。
ピラミッドらしき建物の上空が裂けている。そこには真っ黒な空が拡がっていたのだが、文字通り空間が裂けたのだ。
そしてその空間を左右に、内側から出て来た無数の手が引き裂き始める。
動揺の声がクルーから上がり始めた。
「強大な悪魔の気配……今感知しました! あれは恐らくはイメージ的なもので、実際に空間を引き裂いている訳では無いと思われます!」
「いずれにしても、どうやらスペシャル達とこの船で、総力戦をしなければならないようだな」
正太郎長官がいい、スペシャル達はそれぞれジープに乗るよう指示。すぐにアーサーが人員を選抜し。スペシャル四名と、唯野仁成とヒメネスのため六両のジープが用意された。更に二十名ほどの人員がジープに分乗。ゼレーニンは、サクナヒメのジープに乗り込んだ。
他のクルーは全員方舟に戻らせる。
方舟の操縦は、正太郎長官が実施。
空間を引き裂き現れ来る巨大な影は、まだ全身を見せていない。あれがイメージ映像だというのが幸いだ。もしも本当にあの大きさだったら、全長一キロどころでは無いだろう。大きければ強いという訳では無いが、はっきりいって殺しきれる気がしない。
凄まじい雄叫びと共に、ピラミッドが崩壊した。そして、空間の切れ目が、一瞬にして、世界を切り替えていた。
其所は青黒い世界で。何もない。
ただずっと遠くまで、水面のような静かで凹凸のない地面が拡がっている。
これは、凪の海のような地面だ。
そしてピラミッドがあった場所には、多数の女体を無茶苦茶に重ね合わせたような、巨大な何かが存在していた。文字通り女体の山という雰囲気であるが、一応の人型を保っている。胸には多数の乳房が連続していて。腰から下は一体の巨大な女体に見えるが、上半身は何というか、ムカデのように女性の上半身が多数連結し。最後に一つの頭が乗っているように見えた。
ライドウ氏が通信を入れてくる。
「真田技術長官。 あれは邪龍ティアマトだ」
「聞いた事がある。 バビロニア神話の原初の神だな。 ギリシャ神話のガイアや北欧神話のユミルに相当する……」
「そうだ。 世界中に原初の巨人の伝承はある。 日本にもダイダラボッチの伝承があるし、米国ではポールバニヤンという存在が都市伝説として近年出現している。 人間の頭の中にあるアーキタイプとして、原初の巨人というものは存在しているのだろう。 それの一柱があのティアマトだ」
だとすれば、その戦闘力は絶大なはず。
大きさは全長六十メートルほどと、ウロボロスよりは小さいが。それでも恐らくだが、姿を見せたと言う事は本気でやり合うつもりになった、と言う事だ。
四つん這いに近い格好のまま、ティアマトは喋り始める。それは雄叫びとしか思えない。少なくとも、知性体が発する言語とはとても思えなかった。
「我が子らを良くも殺してくれたな人間共……! 挙げ句我が空間に土足で踏みいるとは、万死に値するぞ! 極刑をこれより下す! 滅びよ!」
「総員散開! これより、フォルナクスの大母ティアマトとの総力戦に入る!」
ゴア隊長が言うと同時に、全力で方舟がバック開始。
そういえば、ティアマトは確か原初の海の女神。となると、この原始地球に似た環境や。今のこの青黒い何処までも拡がる空間は。ティアマトにとって極めて都合が良い場所という事になる。
或いは、ウロボロスにとっても。あの宇宙のような空間は、自分にとってとても便利にカスタマイズされた空間だったのかも知れない。
こんな悪魔だらけの空間で、大母と名乗るくらいだ。
空間を己に都合良く調整するくらいは思いのままと言う事なのだろう。
だが、勿論負けるつもりは無い。何が相手だろうと、負ける訳にはいかないのだ。
全火砲が解放され、ティアマトに攻撃を開始する。とっておきのVLSもこの会戦に全て投入する。
巨大な悪魔に対して、真っ正面から叩き込まれる近代火力。
怪獣映画だったら通用しないところだが、残念ながら此方はシュバルツバースでデータを採り続けているのだ。
ティアマトが絶叫し、全身に炸裂した弾頭の痛みにもがく中。
真田は準備をさせる。
この間ストーム1に試運転させた兵器の、大型版。
この方舟に搭載できる兵器としては、理論上最強となる兵器を、である。
核では無い。核弾頭は持ち込んできてはいるが、使うのは本当に最後の最後である。
核では無く使える、しかしながら方舟の全戦力を使い果たすつもりで使う兵器をかねてから開発していたのだ。
ティアマトの足を止めただけで充分。六チームに分散した機動班が、ティアマトに接近成功。
戦闘を開始している。
支援砲撃をアーサーに任せながら、真田は例の兵器の調整を進め。ゴア隊長に頷く。そして、正太郎長官に、撃つタイミングと照準は任せた。
2、邪龍ティアマト咆哮す
文字通り空間を割って登場したティアマトに、誰も怯んでいる様子が無い。それはそうだろう。
意味不明な光景を、散々シュバルツバースで見て来たのである。先陣を切ったのはやはりサクナヒメ。ジープから飛び降りると、支援するようにジープの班に言い残し、真っ先にティアマトへ躍りかかる。
更に其所へケンシロウも加わる。ティアマトは砲撃を受けて鬱陶しそうにしつつ、迫り来る「蠅」をはたき落とそうとして。横っ面を、思い切り張り倒されていた。ストーム1によるライサンダーFによる狙撃である。
巨大な女体をムカデのように積み重ねたという異形ではあるが、全体的には人間には似た形だ。
頭部を横から張り倒されれば、それは体勢もぐらつく。
更に、クルー達もそれぞれジープからライサンダー、或いはライサンダー2で狙撃を一斉に行う。
この強烈な反動が来る超凶悪対物ライフルで機動射撃が出来る機動班クルーは、皆恐ろしく熟練度を上げているとも言えるが。
唯野仁成は、悪魔を全て召喚しつつ、自身もジープを飛び降りる。ヒメネスも魔王達を召喚して、ジープを飛び降りるのが見えた。
サクナヒメが斬りかかる。
最初から、あの青い光の剣で、だ。
要するに速攻で勝負を付けるつもりということだろうが。
流石は大母。
そうさせてはくれない。
今までに見た事も無い、不可思議な壁が出現。サクナヒメの剣を、文字通り弾き返していた。
瞬歩を繰り返して後ろに回ろうとしているケンシロウも仕掛けようとはしていない。
要するに、接近戦を躊躇わせる何かがあるという事だ。
「おのれ鬱陶しい! 大母たる我に対して非礼であるぞ!」
ティアマトが吠える。走りながら、唯野仁成は警告を聞く。何かが降ってくる。
すぐにクルー全員に、上に対して壁を作るように指示。ジープに分乗しているクルー達は、皆慌てて悪魔に指示を出す。唯野仁成も、アナーヒターに指示を出して壁を展開するが。
一瞬置いて降り来たのは、想像を絶する代物だった。
何だか槍のようなものなのだが。壁にぶつかると、もの凄い勢いで炸裂してはじける。
なんだこれは。
氷では無い。この炸裂の様子からして。
水だ。水を超高圧縮して叩き付けてきている。それも、雨が降るように、もの凄い数。一つ一つの槍は十数メートルもあり、それが間断なく降り注いでいる。まずい。もしも想像の通りなら。
皆に通信を入れる。なる程と、返事が返ってきた。移動しつつ、ライサンダーFでの狙撃を続けているストーム1は、更にもう一つ指示を出してきた。
ヒメネスの魔王達のうち一柱。魔王アバドンが、接近に成功。ティアマトにしがみつく。だが、ティアマトはアバドンの頭を押さえつけると。見る間にアバドンの全身が「揺らいで」行った。
「まずい、戻れ!」
戻る暇が無い。一瞬で、アバドンは文字通り液体となって、その場ではじけ飛んでしまう。
海の原初神だ。
元々生物の体内構造は海に似ていると聞いた事がある。悪魔もそれは、同じなのかも知れない。
そしてティアマトは、恐らくだが。
その海を操作したのだ。
接近戦というか、触られることは自殺行為だ。唯野仁成も横殴りに銃撃を浴びながら、接近する好機を窺っていたのだが。これは近接戦闘は最終局面以外は避けた方が無難だろう。
更に反撃に出るティアマト。
周囲の巨大な水の槍が大量に着弾し、湿度が上がっている中で、大きく息を吸い込み始める。
まずい。何かやるつもりだ。
ライドウ氏が何か大きな悪魔を召喚。
これまた、水の悪魔らしいが。頭足類というか何というか、よく分からない姿をしている。
見ると魔神アプスと記載がある。
ティアマト神の夫の一人。水を司る神か。
アプスがティアマトに突進。ティアマトは気にするまでも無く、咆哮をぶっ放していた。
空気中に大量に散らばっている水分が、同時に水蒸気爆発を起こしたのは、その瞬間だった。
猛烈な衝撃波に、思わず顔を庇う。
横転したジープも何台かいたようだった。
「くっそ、巫山戯やがって!」
ヒメネスが頭を振りながら立ち上がるのが見えた。
水の槍を降らせて周囲の湿度を上げつつ、接近を防ぎ。更に防御を展開させることで消耗させ。
その上頃合いを見てブレスをぶっ放し、水蒸気爆発を引き起こすか。
水蒸気爆発については、唯野仁成も予想していたが。水を想像以上に上手に使いこなす相手だ。
アプスも、今の一撃を防ぐために、一瞬で吹き飛んでしまった。
仮にも神話上での伴侶だろうに、ティアマトも容赦がない事である。
ティアマトは間断なく水の槍を降らし続けており、この様子だとまたすぐに次が来るだろう。
危険を承知で、接近するしかない。
だが、イアペトスが叫ぶ。
「まずい、戻れ!」
「!」
飛び退いた。
地面が泥状になっている。そうか、こうやって足を封じる意味もあるのか。擱座しているジープから、這いだしている機動班クルーも、悪魔を展開して必死に水の槍を防いでいるが。
これは、まずい。
此処まで広域戦闘に特化した悪魔とは。
アリスもさっきから反撃はしている。雷撃の最大級の魔術を叩きこんでいるが、効いてはいる。
しかし、相手を怯ませるほどでもない。
サクナヒメも空中機動戦を仕掛けて相手の注意を惹いてくれてはいるのだが。
それでも、あの光の剣でも致命打には届かない。
ライサンダー2をぶっ放して、ダメージの確認をする。腕に当たっているが、確かに効いている。
しかし、超再生しているわけでも無い。
単純にとんでもなくタフなのだ。
何となく理由は分かる。
アレは海の女神だ。海そのものと言っても良い。
だったら、ちょっとやそっとの攻撃で、どうにかなる筈が無い。文字通り、不落不変、圧倒的難攻不落が奴そのものなのだろう。
神話的に多少相性が良い相手はいるのだろうが、それでも大母という状態で、しかも自分に最も都合が良い状況に身を置いているティアマトだ。
攻撃が通じるかどうか。
詠唱を終えたイシュタルが、猛烈な竜巻を引き起こして、ティアマトの全身を包む。
全身を切り裂かれて痛そうに声を上げるティアマトだが。やっぱり致命打には程遠い。タフすぎる。
「暴風神マルドゥークに倒されたから、少しは効くと思ったのに」
「その程度の風など……出力不足だ小娘がぁ!」
とんでもなく巨大な水の槍が降ってくる。それも、多数、飽和攻撃で。
イアペトスが、気合いと共に柔らかくなった地面で踏ん張り、上空に刺突を連発し、水の槍の結合を解く。
だが、同時に水蒸気爆発。
アナーヒターが展開した氷の壁をぶち抜いて、衝撃波が唯野仁成達を張り倒していた。
デモニカが無ければ、瞬時に消し炭だっただろう。
地面に叩き倒されて、それでも何とか立ち上がる。
見ると、消えていくモラクス。
ヒメネスが、呼吸を整えながら、上を見ていた。
「たまには俺がヒトナリを助けないとな!」
「モラクスを盾にしてくれたのか」
「モラクスが自分から、だ」
「……」
声を掛け、立ち上がる。
またライドウ氏が大きな悪魔を召喚し、何とかティアマトと切り結んでいる。巨大な剣がティアマトの肩から食い込むが、ティアマトが剣に触れると、すぐに崩壊が波及していく。
すぐに悪魔を戻すライドウ氏。
とんでも無い怪物だ。
「触られると即死確定、しかし何もしなくても槍が降ってきて、しかも水蒸気爆発までする。 地面はどんどんぬかるんで動けなくなる。 挙げ句にあのタフさだ。 こんな化け物、どうすればいい」
「……少し考えさせてくれ」
「私に考えがあるわ」
ゼレーニンが通信を入れてくる。
恐らく、全員に通信を入れている。それを聞いて、なる程と思った。
恐らくだが、ティアマトの出力は底なしと見て良い。あの異常なタフさも、多分体の重要器官を潰したところでまだ動ける程度は備えていると見て良いだろう。
だったら、一つずつ問題を解決していけば良いのである。
まずは、この水の槍だ。
今はどのクルーも耐えているが、何とかしなければならない。ティアマトのある程度の力が割かれているだろうこの雨を、まずは何とか止める必要がある。
ヒメネスが、ロキの背中に跨がる。バロールが、ロキを担ぎ上げる。
「俺が行ってくる!」
「分かった。 なら……」
アリスに頷く。アリスは後でアイスいっぱい頂戴というと、全力で詠唱を開始。更に、話を聞いていただろう他のクルー達も、一斉に同一の魔術を詠唱させ始めた。
ヒメネスとロキを投擲するように上空に放り上げるバロール。槍投げの要領だ。勿論デモニカを着ているから耐えられる。そうでなければ、Gで即死である。
ストーム1は黙々と時間稼ぎに徹してくれている。
ライサンダーFの火力は凄まじく、傷をどんどん穿っては拡げてくれている。ティアマトの気を引くには充分。
更に、そもそもとしてサクナヒメの攻撃をティアマトは最初に防いだ。
要するにサクナヒメの攻撃をまともにくらうと、ティアマトさえ面白くないという事である。
総員が動き出す。
この通信は、一定距離からまだ支援攻撃を続けてくれている方舟にも届いているはずである。
さて、恐らく生じる勝機は一瞬だ。頬を叩く。勿論デモニカ越しに。
一気に勝負を付ける。
相手は上位空間の支配者。地球の意思に限りなく近い怪物である。今までの空間支配者など恐らくは足下にも及ばない怪物。産み直しという能力など、本来の海の力の派生程度の代物であって。
今猛威を振るっているこれこそが、本来のティアマトの総力なのだろう。
ライドウ氏が、また別の大型悪魔を召喚。以前も見せたニーズヘッグだ。
ニーズヘッグが、ティアマトに収束した恐らくソニックブームと思われる吐息を叩き込む。
わずかにティアマトが体を揺らがせる。
そして恐らくだが、ティアマトは今までの戦闘を、「子」らを通じて見ていたはず。
ケンシロウが背後に回ろうとしているのを、集中的に水の槍を落とす事で防いでいる。
こうしている間にも、どんどん水の槍は降り注ぎ、クルーの危険が増している。
湿度も上がってきている。
もう一度水蒸気爆発を起こされたら、恐らく死者が出る。
最前線で戦ってくれているスペシャル達も、多分無事では済まないはずだ。
その時。
不意に上空に向けて、とんでも無い光の一撃が放たれていた。
見覚えがある。
そうだ、嘆きの胎四層で、ストーム1が使った武器。フュージョンブラスターといったか。
方舟の方から放たれた。それも、ストーム1が使ったときには、アレスを一瞬にして蒸発させ、更には嘆きの胎四層を貫通するほどの火力を見せつけたが、それどころではない破壊力だった。
文字通り、空を切り裂く光の槍となったそれは、進路上にあった水を恐らく。
一瞬置いて、全て爆裂させていた。
超高熱が水をプラズマ化させ、それが炸裂したのだと分かった。
ティアマトが、愕然とし、周囲全てに壁を張る。
当然、水の槍が降り注ぐのが止まる。
よし、まず一つ。
ゼレーニンは言ったのだ。
雨というのは、上空に雨雲があって初めて成立する。そして雨雲というのは、塵などの小さな雨の核となるものが上空にて漂っているものなのだと。
雨は最初この塵などを核として雪として誕生し、地上に降り注ぐ際に温度によって雪のまま降り注ぐか、雨に代わるか変わってくると言う。
今回の場合、雨雲が。それも、あんな異常な水の槍を作り出すような雨雲が上空にある筈で。それはこの環境で自然発生し得ない。
何かおかしなものがある筈だから、それを破壊してほしい。
ヒメネスは、ロキと共に上空に行き。それを見つけ。方舟に知らせた。
そして方舟は、恐らく動力炉をフルパワーで使う勢いで、さっきの超強化フュージョンブラスターを。恐らく真田さんが開発した主砲をぶっ放した、というわけである。
更に、地上に残っていたバロールが、ここぞとばかりに目を開ける。
全身が水の槍に打ち据えられて、消滅寸前だったが。多分残った力の全てをつぎ込んだのだろう。
バロールの目は、魔眼。見た存在を死に至らしめる、必殺の武器。雑魚にしか効かないと聞いていたが、相手が「モノ」だったらどうか。
ティアマトを守っていた壁の一つが、吹っ飛ぶ。
同時に、唯野仁成が声を掛けた。
「よし、斉射!」
「オープンファイアッ! 全火力叩き込めっ!」
一斉に、それぞれのクルーが、狙撃を。悪魔による雷撃魔術を叩き込む。
アリスも、練りに練った詠唱から繰り出される、最大級の雷撃魔術を叩き込んでいた。
まさにそれは神の雷となって、ティアマトの作り出した防壁に穿たれた穴を通り抜け。ティアマトを直撃する。
絶叫するティアマト。周囲の湿度が、その絶叫により一気に衝撃波となって、弾き散らされる。
勿論時間を掛ければ、また湿度を高めて水蒸気爆発を起こしに来るし。地面がぬかるんでいる事に違いは無い。
シールドが全て消えたのを見て、ライドウ氏が数体の大型悪魔を召喚。一気にティアマトに突貫させる。
それぞれ組み付く大型悪魔。
触られたおしまいだが、ティアマトは全身が焦げていて、動きが明らかに鈍くなっている。
その側頭部に、何度目かのピンホールショットをストーム1が決める。
頭が、ついにはじけ飛ぶ。
だが、吹き飛んだ頭。いや、上半身を吹き飛ばすようにして、巨大なワニのような頭が新たに生えてくる。
人間に近い形状をしていた頭だったが、今度はもう、邪龍という言葉しか出てこない頭である。
牙だらけのその顔は、自分に組み付いている悪魔の一体にかぶりつくと、一瞬にしてかみ砕く。
しかし、その時。
ついに、ケンシロウが、ティアマトへ接近を果たしていた。ノータイムで、北斗神拳の拳が無数に叩き込まれる。
「あたたたたたたたたっ! ほあたああっ!」
「!」
ティアマトはもう何も喋らず、先に全身を爆裂させて、組み付いている悪魔もろともケンシロウを吹き飛ばす。
アレを喰らったらまずいと知っているのだろう。
そして、故に全身を無理矢理形態変化させて。北斗神拳による致命傷を避けたのである。
肉体を吹き飛ばして現れたのは、もはや何というか、無数の海の生物を無理矢理合成したような怪物。
大量の女体を組み合わせたような巨怪よりも、更におぞましい姿だ。
だが無傷では無いし、感じるプレッシャーは小さくなっている。確実に弱くなっている。
ケンシロウが着地すると同時に、そのティアマト第二形態は、無数の触手を全身から噴き出させる。
そして、それらが地面に突き刺さろうとした瞬間。
イアペトスとイシュタルが突貫した。イアペトスが一斉に槍を繰り出して触手を打ち砕き。更にイシュタルが暴風で触手を吹っ飛ばす。
何となく分かる。あの触手が手と同じ役割を果たせるとしたら。
水浸しの今の地面に触られたら、崩壊がフォルナクス全土に波及してもおかしくないのである。
ストーム1が、鰐頭を撃ち抜く。ティアマトが絶叫。
更に、遠くから雷撃の全力射が届く。ティアマトの全身を蹂躙。ティアマトは絶叫しつつも、更に触手を生やし。イアペトスとイシュタルをどんどん押し込んでいく。
あれが一本でも地面に刺さったら、途方もない被害が出る。
サクナヒメが、唯野仁成の側の地面に荒々しく、突き刺さるように降り立った。
「あの触手、一瞬で全部吹き飛ばす。 その後総力での攻撃を叩き込め!」
「イエッサ!」
クラウチングスタートの態勢を取ると。サクナヒメが、周囲の水分全てを吹っ飛ばす勢いで加速。
それをみて、流石にまずいと思ったのか、ティアマトがワニの口を向ける。何かブレスか何かで迎撃しようとしたのだろうが、それはできない。
上空から躍りかかったライドウ氏が、特別製らしい拳銃を乱射し、更に剣を突き刺す。ともに霊剣とか特別製の銃だろうから、ティアマトも無事ではすまない。稼げる時間は一瞬だけだが。
それでも、サクナヒメが接近に成功。
既に限界だったイアペトスとイシュタルが吹っ飛ばされるのと同時に、サクナヒメが剣を抜く。デモニカで極限強化された視力でも、見るのがやっとの超音速抜き打ちである。流石は武神サクナヒメ。同時に数十の斬撃を叩き込んでいた。それも一撃一撃が、以前から見ているサクナヒメの必殺剣並みである。
着地するサクナヒメ。剣を鞘に収める。
ティアマトの全身が、数える事も恐ろしい程の特大斬撃で切り刻まれて。大量の鮮血が噴き上がる。
其所に、更にストーム1が。この間も使っていたフュージョンブラスターを叩き込む。方舟から放たれたものほどの火力は無いが、それでもアレスを瞬殺した超火力武器だ。再生も形態変化も許さず、一気に焼き切る構えである。
だがティアマトは、その猛烈な光の一撃を押し返しつつ、更に体内から何かをせり出し始める。
走りながら、唯野仁成は見た。
それが、巨大な。何というか、正体も良く分からない代物であるという事を。
いや、何処かで見た事がある。そうか、思い出した。
あれこそ、カンブリア紀に最初に王者となった生物、アノマロカリスの復元図だ。最初の海における最強の捕食者。すぐにその座は魚類や頭足類に奪われてしまったが、それでも最初に王者だった存在。
なるほど、原初の海の権化となると、あの姿も納得か。
雨の槍を防ぎ続けたアナーヒターが、最後の力を振り絞って地面に手を突き、氷の道を作ってくれる。
最後に残ったアリスが隣を飛びながら、唯野仁成と頷きあう。
超巨大アノマロカリスの姿を現したティアマトが、上空に躍り出ようとしたその瞬間。
丁度階段状になっていた、アナーヒターの氷の通路を蹴って。唯野仁成は跳躍する。まだ継戦能力を残しているクルー達が、一斉に射撃。悪魔達も、残りの力を振り絞ってティアマトに火力を集中。その隙に、唯野仁成が、相手の関節部に一撃を入れ。更に同時に、アリスも傷口に雷撃をねじ込む。
更には、降りて来たヒメネスが、上空から完璧な狙撃を決める。ロキもまた、特大火力の雷撃を叩き込んでいた。
悲鳴を上げながら、爆ぜ砕けるティアマトアノマロカリス形態。
だが、その内側から、更に這いだしてくるもはや何かさえも分からない、ぶよぶよの塊。
あれは、太古の海で初めて登場した多細胞生物だろうか。
流石にしつこいと言わざるを得ない。
ロキから手を離し、飛び降りるヒメネス。
更に、アリスが残った全魔力で、トリスアギオンを叩き込み。ティアマトの残骸を焼き尽くす。
ヒメネスが先に到達。飛び降りた勢いも駆って、焼け焦げたぶよぶよを刺し貫く。
勝ったように見えた。だが、唯野仁成は何となく気付いていた。多分違う。まだ倒せていない。恐らくだが。
見つける。
ぶよぶよが消えていくのを、大剣を突き刺したまま押さえ込んでいるヒメネスの横を通り抜けると。
唯野仁成は、一見何も無い空間に、剣を突き刺していた。
ずぶりと、奇妙な音がして。確かな手応えがあった。
押し殺した悲鳴とともに、それが這いだしてくる。
何となく分かっていた。ティアマトは、どんどん外皮を捨てながら、内部の一番重要な部分を守っていた。
そして新しい姿をどんどん使い捨てにしていた。
それは恐らくだが、誤認させるため。
本当の姿は、何処か別に。それも、一番安全なティアマトの中にあり。倒されたと錯覚された瞬間に、逃げるつもりだったのだと。
だから、サーチ機能を全力で展開して、妙な状態になっている場所を走りながら探していたのである。
その場所だけ、やたらと湿度が濃かった。
ただ、それだけで。ティアマトは、己の真の姿を隠し損ねたのである。
「お、おのれ、おのれおのれおのれ! 矮小なる人間が……!」
誰もがもはや力を残していない状態で、それが徐々に隠蔽していた姿を現し始める。
滑稽なほど威圧的な鎧を着込んだ女戦士で。なんということは無い。人間が想像する、太古の文明の女王。それ以上でも以下でもなかった。
その胸には唯野仁成が繰り出した剣が、鎧を貫通して突き刺さっていた。
元々女系の文明は古代世界にはたくさんあった。日本でも平安時代までいわゆる通い婚の習慣が残っていたし、世界最強も名高い遊牧騎馬民では女性の発言権が古来より強かった。
ティアマトは、恐らくだが。そんな古代文明の一つが、悪魔化されたもの。
もしくは、人間の考える。古代の女神の姿がこれということだ。
それでも最後の意地を見せて。此方も限界近い唯野仁成の剣を掴み、押し返そうとしてくるティアマト。消耗が激しいのはティアマトも同じ。崩壊の力はもう使えないようだが、人間大でも凄まじい力である。押し返される。駄目か。冷や汗が流れる。
だが、ティアマトの腹から光の剣が生える。
大量に吐血するティアマト。背後から、サクナヒメが突き刺したのだ。
「先に散々搦め手を使って来たのはそなただ。 まさか卑怯と言うまいな」
更に、跳び離れた唯野仁成とサクナヒメを待っていたように。ティアマトの側頭部をライサンダーFの狙撃が張り倒す。
そして、ケンシロウが、もはや形を崩し、消えつつあるティアマトに歩み寄っていった。
「今、楽にしてやる」
「せ、せめて、貴様も、道連れ、に」
哀れむように、ケンシロウが最後の反撃に繰り出されたらしい地面から伸びてきた触手を振り返りもせず切り払い。
そして、瞬歩を使って、ティアマトの隣を通り抜けていた。
ティアマトは、白目を剥くと、地面に倒れふす。だが、苦しんだ様子は無い。楽に死ぬように慈悲を掛けたのだろう。
その体が、膨大なマッカになって、周囲に巨大な山を作り始める。
ライドウ氏が、周囲に呼びかけて、トリアージを開始している。もう雨は降っていないが、地面はグチャグチャなままだ。
唯野仁成も限界だ。呼吸を整えながら、片膝をついてしまう。剣を杖に何とか起きているのがやっとだ。
アリスを始め、悪魔達はもう皆PCに戻っている。
やはり今回も、楽には勝たせて貰えなかった。
上位空間の支配者、大母。例え子供の教育に失敗した愚かな存在だったとしても、戦闘能力だけは確かに超一流だった。
メイビーが来る。回復の魔術を使い始める。また、方舟が来て、医療班が展開を開始していた。
どんどん運び込まれていく機動班クルー。
それに、唯野仁成は見た。新たに据え付けられたらしい砲塔の一つが、半ば融解しているのを。
どうやら、まだ開発したての武器を、ここぞのタイミングでぶっ放してくれたらしい。
多分正太郎長官の判断だろう。そして、開発したての武器にも関わらず、ティアマトの力の核となる雨の元を打ち砕いてくれたというわけだ。
やっぱり、皆凄いな。
唯野仁成は、担架で運ばれながら、犠牲者は出ていないか医療班のクルーに聞く。死者は出ていない。
そう言われて。漸く安心して、意識を手放す事が出来ていた。
3、大母半減
戦闘の様子を確認した天使達が戻って来て、マンセマットは頷いていた。ライトニングから持ち出した機械類を使って、天使達は言われた通り戦闘のデータを採れるだけ採って来ていたが。内容はあまり喜ばしいものではなかった。
ゼレーニンが、積極的になりすぎている。
ラジエルの防御で身を守っているアドバンテージは確かにある。だが、ティアマトの弱点を解析し皆に伝え。それを皆が信頼して、ティアマトの力の核となっていた上空の魔力集積体を粉砕するのに一役買った。
許しがたい。マンセマットは、その戦闘データを見て、怒りが噴き上がるのを抑えられなかった。
マンセマットの機嫌が悪いことを察していない天使達が、跪いたままなので。苛立ち紛れに下がらせる。
こんな事なら、ライトニングの人間共を生かしておけば良かったか。
ライトニングそのものはこの後使い路があるのだが。
それはそれとして、この結果はマンセマットにとって許せる、満足出来るものとは言い難かった。
カマエルが来る。
「何度目かのアタック」に失敗したらしい。集まって来ている天使の内、かなりの数を失ったようだった。
カマエル自身もかなりダメージを受けている。
この辺りは流石は大母の長。トラップの性能は流石としか言いようが無い。
「全くもって不愉快な話だ。 封印が強力すぎる」
「封印が強力なのは分かっていました。 それを混沌勢力の悪魔が更に守っているだろう事もね」
「……其方も上手く行かなかったのか」
「いや、予想よりも余計な知恵を身につけ始めていましてね」
鼻を鳴らすカマエル。
いやはや、本当に不愉快な話である。
マンセマットに言わせれば、人間に自主性など必要ない。元々愚かしい生物なのだから、神がいうままに道具として動いていれば良いのである。
神にとって、信仰心を捧げるだけの生きた道具。それが人間であるべきだ。
一神教とはそもそもそういう思想だ。唯一絶対の神が存在しているのだから、その唯一絶対を疑わず、ただ忠実であればいい。
そう考えるノアを神は生き残らせたし。自分の子を生け贄に捧げよと命じ、躊躇無く従ったアブラハムを激賞した。
人間など、神の指示の元動いていれば良い。
そして神に絶対忠誠を誓うマンセマットら大天使の思うように、ただ肉人形としてあればいいのである。
そうしない人間が。今どれだけ醜悪な文明を築いているか。
現状の、地球を食い尽くし食い荒らそうとしている人間が、どれだけ愚かな自滅の道を辿っているか。
マンセマットにしてみれば、今の人間の醜態こそが、人間に思考力が必要ない良い証拠である。
勿論反論など認めない。マンセマットは大天使であり。神の代行者なのだから。
「まったく、寵愛を受けうる立場にありながら、自分でものを考えようとするなどとは、本当に度し難い。 少しばかりゼレーニンには仕置きが必要かも知れませんね……」
「相変わらず貴様は悪趣味なことだ」
「子供に対する大事な躾ですよ。 我々大天使にとっては、人間は守るべき子のような存在なのですからね」
そう、躾が足りなかった。
いずれにしてもはっきりしている事がある。準備は整っているのだから、次で勝負を決めてしまう方が良いだろう。
恐らく介入があるはずだ。だが、それに対しても勿論対策を講じてある。
混沌勢力の悪魔達は、サリエルが抑えられる。
今人間がエリダヌスと呼んでいる空間で行われている会戦は、双方互角の戦況だが。
この三つ目の大母の空間では、秩序陣営の悪魔が遙かに有利に戦いが進んでいる。
この空間の支配者である大母は、そもそもそれらに興味が無いようで。空間の奥に引きこもっており。
それもまた、マンセマットにとっては好都合。
仮にあの明けの明星だろうが、マンセマットの邪魔をする事は出来ない。
ここシュバルツバースとは、そういう場所なのだ。
天使を何名か呼ぶ。
合図と同時に、ライトニングとか言うあの鉄船を、最後に活用するためである。
それでゼレーニンが墜ちないようなら。
強制的に再教育だ。
人間が、自主的に思考すればどれだけ愚かしい存在になるか見せつけてやったのに。ゼレーニンは、あろうことかミトラスから転じたミトラに、自分の思考から反論していた。
その一連の様子は配下の天使が画像に納めていたが。
到底許せるものではない。
許してはならないのだ。神の御名の下に、全てが美しい秩序によって支配される世界では。自主的思考などと言うものは。
苛立ちあまりに、マンセマットはつい爪を噛み切ってしまっていた。
回復の魔術ですぐに治すと。
鼻を鳴らして、マンセマットは人間達が都合の良い所まで動くまで、しばし休む事とした。
何とか身を潜めて、動けるようになったアレックスは。嘆きの胎で雑魚悪魔を狩ってマッカを集め、手持ちの悪魔の復活をさせるべく、必死に苦労を重ねていた。
唯野仁成との戦闘で、出力が60パーセントまで墜ちたデモニカは何とか持ち直して修復が終わったが。
今の時点では、手持ちの戦力は半減以下である。
雑魚悪魔では、当然マッカも落とす量が知れているし。
そもそもあの巨大な次世代揚陸艦。唯野仁成は確かレインボウノアと呼んでいたあの巨船にのる化け物のように強い連中が、四層より上の看守はあらかた狩ってしまった。
今まで何度もシュバルツバースには潜ってきた。いろんなシュバルツバースを見て来た。
だが、此処まで安全な嘆きの胎は初めてである。
勿論デメテルが徘徊してアレックスを狙っている今、油断は出来ないが。それでも、平穏な場所だなと思ってしまう事が時々ある。
「よーう。 だいぶ回復したじゃねえか」
鬱陶しいのが来た。シャイターンだ。
シャイターンは唯野仁成との戦いの後、俺の女になれだの子供を産めだのは言わなくなった。
唯野仁成が何か言ったのだろう事は容易に想像がつく。
ただ、鬱陶しいことは変わらない。それでいて、此奴がいて助かるのも事実なのが腹立たしい。
「ほら、食えるもの持ってきたぜ。 後、悪魔の群れも見つけてきた。 恐らく外の世界から、この黒の世界に興味を持ってきた連中だ。 勝手が分かってないからすぐに狩れると思うぜ」
「コレは一体何?」
「外では見た事がない植物の実だ。 データベースに存在しない」
「ああ、これはこのシュバルツバース産の石榴だ」
流石に絶句する。
アレックスも知っている。神話にはあの世を訪れた者が、あの世の食べ物を口にして帰れなくなる話が幾つもある。
神でさえその定めからは逃れられない。
日本神話では伊弉冉がそれによって黄泉の国から帰ることが出来なくなった。
そしてギリシャ神話では、女神ペルセポネが同じようにしてあの世から帰る事が出来なくなった。
その時口にしたのが石榴である。この石榴、恐らくはそれと同等のものだろう。
「食べ物は有り難いけれど、流石にこれは食べられないわ。 貴方で食べなさい」
「なんだよ。 もう覚悟決めろよ。 それ食べれば、シュバルツバースの悪魔と同等の力が得られるぜ。 体もシュバルツバースに馴染んで、その服に頼りっきりでなくても平気になるし、服だって脱げる。 なんか体を綺麗にする機能があるらしいが、それでもずっとその服着てるのいやだろ?」
「シャイターン!」
「おっと、これセクハラとかになるんだったな。 OK、分かったよ。 俺様も惚れた相手には嫌われたくないからな」
シャイターンに悪気は無い。悪魔らしく気を遣ってくれただけだ。ため息をつくと、とりあえず悪魔の狩りには出向く。
流石に同類を殺すつもりにはなれないのか、ニヤニヤしながらシャイターンは見ているだけだった。
三層で彷徨いていた悪魔の群れ。恐らくインド神話系の神々だろうが。下級の者達だろう。
不意を打って、殆ど抵抗も出来ないところを一掃する。マッカを集めて、嘆息。
これでインドラに続いてパラスアテナが呼び戻せる。
もう少しマッカを集めたら、ダゴン、ランダ、そしてアモンの順番に呼び出していき。そして五層の囚人、ゼウスを撃ち倒したい。
ゼウスを仮に従える事が出来れば、その戦闘力は絶大。ただし、ゼウスはアモンより二回りは強いと言う話が出ている。現状の戦力では厳しい。
実は、基本的に何回か今まで潜ったシュバルツバースでは、この辺りで既に見切りをつけてしまう。
唯野仁成の戦闘力が上がりきって、どうしても勝てなくなるからだ。
今回、此処に残っているのは、ジョージによる進言があるという理由もあるのだが。
唯野仁成がいつもと違うと感じているのは、アレックスも同じ。それが一番大きかった。
ビバークポイントに戻ると、膝を抱えて座る。シャイターンが何処に行っていたのか知らないが。情報を仕入れてきた。
「アレックス、凄い情報手に入れてきたぞー!」
「何よ」
「ティアマト様が倒された」
「!」
セクターフォルナクスの主。ティアマト。大母を名乗る四体の悪魔の中でも、産み直しという貶められた悪魔を元の姿にする能力を持つ巨大な邪龍だ。
バビロニア神話における原初の巨人でもあり。北欧神話のユミルやギリシャ神話のガイア、日本のダイダラボッチなどと共通する要素を持つ存在でもある。それをついに撃ち倒したのか。
ジョージが聞き直す。
「その情報源はどこだ、シャイターン」
「俺様は俺様で、世界を渡ることが出来るんだよ。 まあそもそもこのシュバルツバースにも、外から来たくらいだしなヘヘヘ。 それに、感じ取ることも出来る。 今、大母は一柱が眠っていて、一柱が起きているんだが。 それに加えてティアマト神の気配が今まではあった。 それが消えた。 誰が消したのか何て、言わなくても分かるだろ?」
「分かった、参考にして後で調査する」
「何だ、まだ信用してくれねえのか?」
ジョージは信用している、と答えた。確かにアレックスの体目当てとは言え、シャイターンは強引な手は使ってこないし。何よりも今まで嘘を一度も言っていない。
その辺りは、アレックスも信じるに値すると思っている。
それにしても、もうティアマトを倒すなんて。普段の半分以下の時間での攻略だ。あの化け物じみた連中の力もあるだろうが。唯野仁成の普段の成長を考えると、正直空恐ろしい。
少し休憩をしてから、すぐに嘆きの胎を周り、更に雑魚悪魔を倒して回る。たまに降伏を申し出てくるので、受け入れる。マッカを使って悪魔を作り出すよりも、実はこうして交渉して捕獲した悪魔を素材にする方が安くつく。今はマッカが幾らでも必要な状況だから、多少は節約しなければならない。
デメテルの姿は幸い見かけないが。
現時点の戦力では、奴には勝てない。奴の実力はティアマトを更に超えている。ゼウスを凌ぐかも知れない。
デモニカの様子を確認。出力はほぼ回復した。自動回復機能があるこのデモニカは、本当の意味での一品モノだ。
文字通り世界の命運を背負って作り出された最後の一つ。
だから、アレックスはどんな手を使ってでも、勝たなければならない。そして破滅の運命を変えなければならないのだ。
数日掛けて、手持ちの悪魔達を蘇生させる。アモンだけはまだ蘇生できない。それだけ桁外れにマッカを食うのだ。
それに、である。
アモンがいても、唯野仁成に勝てるだろうか。
この間の戦いで、唯野仁成はアレックスと戦いながら悪魔同士の乱戦に介入。均衡が崩れるのは一瞬で、仲魔を失ったアレックスは袋だたきにあった。
あの時よりも更に唯野仁成は強くなっていると考えるべきで。アモンほどの悪魔を従えていても、それでも勝てるかは分からない。
危険承知で、五層を探すべきか。
手持ちのデータベースを確認する。二軍として捕獲だけしてある悪魔を全て合体させたとしても、アレックスの現状の手助けになるような悪魔を作り出す事は出来ない。また、今回のシュバルツバースはいつも潜伏する場所とかなり違っている。ゼウスの戦力も、今までは間近では確認できていなかった。どうにか近くでデータを取りたい。
勿論五層の看守の戦闘力を考えると、下手に五層に踏み込むのは危険だ。消耗したところにデメテルに遭遇でもしたら目も当てられない。更に最近は姿を見せていないが、マンセマットが介入してくる可能性もある。
いずれにしても行動は慎重にせざるを得ない。
シャイターンはその間にも情報を集めてくる。何でもあの巨大な次世代揚陸艦は、フォルナクスから動いていないそうだ。流石にティアマトとの死闘で、相当なダメージを受け、物資を消耗したらしい。
普段だったら、ダメージはある程度妥協して先に進んでいるほど追い詰められているのだが。
今回の唯野仁成らは、普段の半分以下の時間でシュバルツバースを攻略している。じっくり強化や補給をしながら進む余裕があるのだろう。
手札が足りない。いつもの唯野仁成だったら、まだ好機があったかも知れない。だが、今はゼウスが手札にいても足りないかも知れないとさえ感じる。焦るのは負けにつながる。それは分かっている。アレックスは、どんな人間よりも修羅場をくぐってきているのだから。それでもどうにもならないと感じてしまう。
五層に足を踏み入れる。此処にはあまり足を踏み入れたことがない。全容は殆ど分かっていない。
ジョージが油断しないように警告してくる。分かっていると答えながら、身を潜め進む。
やはり彷徨いている看守悪魔が強い。
伏せている目の前を通って行ったのは、見た事も無い巨体の悪魔だ。体はアンバランスで、上半身が異常に肥大化していて。下半身を引きずるように、巨大な腕で這いずりながら進んでいた。
そんな悪魔は体中に目と口があり。放っている魔力も凄まじく。何かずっと繰り言を呟いていた。
はっきり言って、まともに見たら普通の人間だったらそれだけで発狂しかねない姿だった。
データを確認するが、アンノウンとある。もう此処にいる悪魔は、知られている悪魔ばかりではないと判断した方が良いだろう。更に六層になると、神話で地獄の深層にいるような奴が、ヘカトンケイレスをはじめとして姿を見せる事になる。正直、今の手持ちでは、看守悪魔にさえ勝てるかどうか。
それでも、可能性を探らなければならない。
ジョージに警告を受ける。
「アレックス、これ以上は進むな」
「!」
「恐らくゼウスだ。 予想より更に実力が上だと判断して良いだろう」
「何てこと……」
アレックスも少し遅れて気付く。
五層の囚人だ。弱い訳がない。ましてやゼウスと言えば、今でも高い知名度を持つギリシャ神話の主神である。
そんなゼウスの気配が、確かにびりびりと伝わってくる。
この階層の看守悪魔が強いのも納得だ。脱出をゼウスが謀った場合、弱い看守悪魔ではそれこそ十把一絡げに黒焦げにされてしまうからなのだろう。
アモンより二回りは強い事を覚悟していたが。
常に予想の最悪を越えて来るのが現実だ。それについては、アレックスは散々経験しているから今更ではあるが。
それにしても、現在ジョージが計測しているゼウスの力はどれほどか。
「断片的にしか計測できていないが、それでもとんでもない実力だ。 アモンが完全な状態であったとしても、現在戦闘して勝てる確率は4パーセントを切る」
「4……!」
「しかも、これは最も楽観的な数字だ。 バディ、一旦引くぞ。 この階層の看守悪魔の実力とデメテルの脅威を考えると、とてもゼウスを倒せる見込みは無い。 4パーセントに賭けるようなことがあってはならない」
「もう少し近くで調べて、可能性が変動する事は?」
ありえないとジョージは一蹴。
確率は勿論変動するだろうが、勝率が20パーセントを超えることは確定でないだろうということだった。
ゼウスはしかも、この様子だとその気になれば何時でも脱獄できるのでは無いかとジョージは言う。
それは、そうかもしれない。
これほどの強力な悪魔の気配、アレックスも初めて感じた。悪魔だらけになった世界で生き抜いた事もあるが、それでもこれほどの悪魔の気配は初めてである。高位の魔王を倒した事もあるアレックスだが、はっきりいって其奴が子供に思えるほどの気配をゼウスは放っている。
この有様では、六層の囚人は更に力が上だろう。
一体何が六層には収監されているのか。
いずれにしても、現状で戦って勝てる見込みは無い。
慎重に撤退を開始。五層を抜けて、四層に戻る。四層に入ると、もう看守悪魔はいないが。
それでも此方をデメテルが捕捉していたら、一気に襲いかかってくる可能性があるし。五層から看守悪魔が上がってくる可能性もある。
ビバークポイントまで戻って、そこでやっと一息をつく。
何度か深呼吸して、気付く。手汗どころか、全身にびっしり冷や汗を掻いていた。
「アレックス。 これから新しくプランを策定する」
「まだ、何かできる事があるの?」
「弱気になるなバディ。 我々の目的を忘れてはならない。 我々の目的を、もう一度思い出してみるんだアレックス」
「……最悪の未来を、どうにかする事よ」
そうだと、ジョージは言う。
いつも厳しいAIだ。AIなのに、アレックスの心理をしっかり把握している。昔のAIは人間心理をロクに理解出来ない代物だったらしいのだけれども。アレックスが物心ついた頃には、もうジョージくらいの性能のAIは、裕福な家ではどこでも使っていた。
とはいっても、その裕福は、邪悪な力によって担保されたものだったが。
どうしても、納得がいかない。
唯野仁成は、アレックスは何度も見てきた。今回の唯野仁成は、あまりにも違いすぎるのだ。
本当にあれが唯野仁成なのか。
どうしても、認める事が出来ない。
「嘆きの胎五層の単独攻略は不可能だと結論する」
「ジョージ!」
「現状の戦力を加味する限り、どのように事を進めても攻略は不可能だ。 魔神ゼウスはあの怪物じみた現状の巨大な次世代揚陸艦のクルー達をぶつけて、やっと倒せるかどうかと言うレベルの相手であることがさっき計測できた。 君はあの連中とまともにやりあって、正面から打倒出来る自信があるか、アレックス」
そう言われると、言葉も無い。
そしてジョージはAIらしく、もっとも実現性が高い実行可能なプランを提案してくれている。
「第一に、唯野仁成ら次世代揚陸艦のクルー達が魔神ゼウスと戦闘し、互いに消耗したところを突く作戦が上げられる。 だがこの作戦は成功率が低く推奨できない」
「理由は」
「一つは、ティアマトをも短時間で沈めた者達だと言う事だ。 魔神ゼウスを倒した後でも、我々の戦力を上回っている可能性が極めて高い。 それも、不意打ちを確定で警戒しているだろう。 人質を取るなどの作戦をとれば或いは勝機は出るかも知れないが、そんな隙を見せてくれる筈が無い。 第一君に、そんな真似は出来ない」
「……」
その通りだ。そんな事をしたら、アレックスが知る最悪の唯野仁成と同じになってしまう。
それだけは、死んでも嫌だ。
「第二の策だ。 次世代揚陸艦に対して、共闘を持ちかける。 魔神ゼウスを倒すのに彼らの力を借りる」
「……」
「これに関しても成功率は高くない。 なぜなら、もはや彼らは我々の戦力を凌駕しているからだ」
悔しいが、その通りだ。
実際前回の交戦では、唯野仁成一人さえ打倒することが出来なかった。そして奴らには、唯野仁成以上の実力者が最低四人確認されている。
はっきり言って、此処にアレックスが加わった所で、漁夫の利を得る事なんて出来ないだろう。
「第三の策だが、事情を話して彼らに合流し、彼らと共に事態の打開を図る」
「……」
「此方だけしか持っていない情報はまだいくらでもある。 交渉の余地はある。 そしてこの世界の唯野仁成は、あの……君の祖母を惨殺した唯野仁成とは違う。 今までシュバルツバースで見てきた、獣以下に墜ちた唯野仁成とも違う。 人間としての理性をきちんと保っている人物だ。 降伏すれば、受け入れてくれる可能性は高い。 現状、一番可能性が高いのが、このプランだ」
そのプランだけは受け入れられない。
少なくとも、今はまだ無理だ。
少し時間をおいて、ジョージが第四の策について話し始める。
「勧めることは出来ないのだが、もう一つプランがある。 これは、絶対に止めるべきだと判断したが。 最後の切り札として、理解しておいてほしい」
「まだ、打つ手が存在しているの?」
「……実りについて解析した。 これは高密度の情報集積体というだけではない。 圧縮した小さな宇宙ともいうべき存在だ」
何だそれは。圧縮した宇宙だって。
流石に驚いたアレックスに、更にジョージは続ける。
「正確にはその一部だ。 どうやらこの嘆きの胎は、宇宙を作り出すために作り上げられたものを、牢獄に改装したものらしい。 シュバルツバースの内部でも、地球に対して何かできないか色々模索しているらしいことは分かっていた。 人類を抹殺する事だけを考えているのでは無く、例えば地球の環境を根本的に変えるとか、或いは別の次元から力を吸い上げるとか。 そんな中の一つが、シュバルツバースの力を凝縮することで生み出される新しい宇宙の卵というわけだ。 恐らくこれは、その卵の分割された一部だ」
とんでもない代物だ。
これを実りと呼んでいたのも、何となく分かる。
そして、ジョージは言う。
「理論の解析は完了している。 この実りの力を、デモニカの機能と引き替えに引き出し、君を超人に変えることが可能だ。 実りは崩壊するが、その代わり君はゼウスどころか、かの明けの明星をも超える力を手に入れる事が可能だろう」
「待ちなさいジョージ、そんな事をしたら」
「ああ。 私は消滅する。 そして君も、間違いなく短時間で命を落とす事になるだろう」
だから勧められないと、ジョージは言うのだ。
第四の策は、文字通り最後の特攻策だとも。
「どうしても、あの唯野仁成を殺す方法というのであれば。 魔神ゼウスを倒すよりも、この実りの力を取り込んで超越存在となり、それで正面から戦った方がまだ可能性が高いといえる。 だが分かっているなアレックス。 今あの唯野仁成とその周囲にいる者達は、それでも勝てない可能性がある。 それも決して低くない可能性だ」
「……」
「何よりそんな事を君にさせたら、私は君の祖母に顔向けができない。 君を守るように頼まれた身だ。 私は君を絶対に守る。 故に、この策を君が採用するようならば、機能停止してでも止めるつもりだ」
「ならばどうして教えたの」
ジョージは即答する。
完全に希望を失っているアレックスには、どんなものであっても希望が必要だからだ、と。
そうか、こんなものでも、希望と呼べるのか。
確かに唯野仁成は殺す事が出来るかも知れない。だがその先にあるのは、恐らく深淵の虚無そのものだ。
何一つなせない。
少なくともこの世界を救うことは出来ないだろう。
実りを取りだし、見つめる。
例えば。シュバルツバースの支配者であるメムアレフを打倒するために、この実りの力を使うというのはありかも知れない。だが、それにしても。メムアレフを倒した所で、世界が救われる保証は無い。
シュバルツバースはそもそも、地球が発動させた自衛機能だ。
メムアレフは地球の意思ではあるが。生命体とは微妙に違う。例えどれほどの犠牲を払って倒したとしても。またいずれ復活する可能性もあると、ジョージに言われている。
地球をこれだけ人類が汚染した今。
メムアレフを倒して、シュバルツバースを破壊する事に成功したところで、それが何だというのか。
多分100年と掛からず、また次のシュバルツバースが出現する。
たったの100年では、時間稼ぎにすらならない。それは、アレックスが一番良く知っていた。
「第五の策は」
「ない。 別のシュバルツバースに転移して、またやり直すという手もあるが……そこの状況が、此処より良いという保証も無い。 それとも、シュバルツバースが出現し得ない地球に転移を謀る手もある。 文字通りの逃げだが……このコンディションでは、逃げを選択するのは一つの手だ。 このまま作戦を遂行しても、アレックス。 君を死なせるだけになる」
ジョージはいつもアレックスのことを気遣ってくれている。
だからこそ、その言葉は重い。
その言葉は苦しい。
立ち上がると、アレックスは決める。このシュバルツバースからは逃げない。だが、今まで上げられたプランでも納得出来ない。
「もう少し戦力の拡充を図るわ。 それにティアマトのいるフォルナクスの次の空間で、唯野仁成がどう動くかがデータとしてしか残っていない。 これだけ戦力が違うと、全く違う状況になる可能性も低くない」
「多くの場合グルースと呼ばれるセクターで、様子を見ると言うことか」
「そういう事になるわね」
グルースについては、シュバルツバースへの突入を決めたときに。データを収拾済である。シュバルツバースを攻略した唯野仁成がいた世界で。唯野仁成がシュバルツバースから持ち帰ったデータを、決死の覚悟で入手したのだ。
其所では混沌勢力と秩序勢力の大規模戦闘があり。
そして秩序勢力の主戦力である天使は強大な切り札を守るように布陣していたはず。
ただ、その切り札が切られることは無かったようだが。
もしも、その大規模戦闘にあの巨大な次世代揚陸艦が巻き込まれた場合、或いは好機が巡ってくるかも知れない。
でも、何の好機だろう。
いずれにしても、この嘆きの胎にもういる必要性は無い。ゼウスを倒せる可能性が限りなく低い事が分かったのだ。
だったら、次世代揚陸艦の側について、隙をうかがう方が良い。
それに、心の底では何となく分かっているのだ。
あの唯野仁成だったら、ひょっとしたら会話が成立するかも知れないと。
だったら、話をするべきなのではないかと。
アレックスが知る、たくさんの世界。どの世界でも、唯野仁成はシュバルツバースから生還した。
シュバルツバース内で平然と生き抜いた。
だが、そのどの唯野仁成も。
地球を本当の意味で救う事は出来なかったのだ。
もしも、その全てのデータを保有しているアレックスが接触すれば、未来を変えられるかも知れない。
理屈としては分かる。分かるが。
ただ二人の家族だった、ジョージと祖母。そのうち祖母を、血縁者にもかかわらず眉一つ動かさず惨殺した唯野仁成の事が、どうしても記憶の隅にちらつくのだ。
昔は悲鳴と共に飛び起きることだってあった。今は、流石にそれもなくなってきているが。それでもどうしても、信じ切ることは出来ずにいる。
折り合いをつけなければならない。それは分かっているが。
やはり、どうしても。その折り合いをつけるのは、厳しいように思えてならなかった。
4、次の大母の空間へ
ピラミッドも崩壊したセクターフォルナクスで、補給と方舟の修繕を進める。やはりあのティアマトの魔術の雨を打ち砕いた方舟の主砲。相当に使うのに無理が掛かる兵器であったらしく。修理に数日はかかると言われていた。
その間唯野仁成は、物資を補給すべく動いているプラントを横目に、周囲を巡回して回る。
ティアマトが倒された。
それを聞いて、興味を持った悪魔がいるのだろう。フォルナクスにはまだ悪魔が多数到来していて。方舟に面白がって近寄ってくる。
面白がって来るだけなら良いのだが、勿論人間を取って食おうとする奴もいる。それも大母の空間に来られるような奴となると、弱い奴だけではない。
其所で、巡回が必要になっていた。
ティアマト戦での活躍が評価され。更に嘆きの胎四層で、単独でアレックスを退けた事もあり。
ついに唯野仁成は、機動班クルーの一部隊を率いて独立行動をすることを許可された。
勿論スペシャル達にはまだ及ばないことを理解しているが。それでもこれは大出世である。
ヒメネスも同様。
多数の魔王を従え、戦闘で使いこなしていることが評価され、同じ立場についている。
今は六つの班が出来た事になり。
その六つの班をローテーションで廻しながら、プラントと方舟の周囲を巡回。近寄ってくる悪魔が悪戯しないように見張り。従えられるようなら従え。襲ってくるようなら退けるべく、周囲を回っていた。
姫様が来る。数名の機動班クルーを連れていた。
「唯野仁成よ。 交代の時間だ。 方舟に戻って休むといい」
「有難うございます。 それでは後はお任せします」
「うむ」
唯野仁成はそのまま引き継ぎを行って、サクナヒメにその場を任せる。プラントは相変わらず旺盛に物資を回収しているが。まだ物資を回収し続けていると言う事は、あの戦いでのダメージが、それだけ大きかったと言う事だ。
船内ではインフラ班が、部品をカートに乗せて行き交っている様子が見える。
邪魔にならないようにレクリエーションルームに戻ると、手持ちの悪魔を確認する。
四層では、複数の看守悪魔を倒したが。囚人だったデメテルは例の如く逃亡中。新しく戦力は加えられていない。
ただ現時点で、戦力の不足も感じてはいない。
大母級の相手とまともに正面からやり合う場合になれば戦力不足が露呈するかも知れないが。
現時点で、そんな無謀なことはしないし。する予定もない。
ただ、四層の戦いで得られた情報集積体を見ていく。
魔王インドラジッドが強そうだ。インド神話において、ヒンドゥーが主体になる前に主神だった存在、魔神インドラに勝利したもの。最強の羅刹にて、数十億の敵を蹴散らしたという逸話を持つ存在。
インド神話は中国神話同様にとんでも無い数字が出てくるとは言え、それにしても凄まじい数字に思わず苦笑してしまう。
ただ、魔王だったらヒメネスに譲りたい。ヒメネスは最強の悪魔で手持ちを揃えたいようだし、インドラジットのような強さの権化だったら、それは欲しがるだろう。別に唯野仁成にとってどうしても必要な悪魔ではないのだから。
それよりも、興味があるのは堕天使アガレスだ。
ワニに乗った老人の姿で顕現していたが、元々ソロモン72柱の序列一位であるこの堕天使は(資料によっては第二位)。そもそも老人の姿では無く、女の子の姿で現れる事もあるという。
いずれにしても強力な堕天使であり、魔術を使わせると早々遅れを取る事もあるまい。アガレスはサクナヒメにぼこぼこにされていたが、アレは接近戦を挑まれた上に相手が悪かったからだ。
ただイアペトスが居心地が悪そうにしているので、男性悪魔もほしいのは事実。そう考えると破壊神アレスもいいか。
破壊神というのは、神々の中でも破壊と創造を担当する存在の事。破壊神というと何だか邪悪な神のように思えるが、実体はそんな事もなく、破壊と同時に創造も司ることが殆どだ。
ヒンドゥーのシヴァ神が特に有名だが、アレスも破壊神としては悪くは無い。ローマ神話のマルスとしての要素が強く出てくれれば、ツラだけイケメンのただのアホな噛ませ犬という残念神格ではなく。武勇優れた誇り高い神として顕現してくれるかも知れない。
少し悩んだ後、唯野仁成は手持ちの悪魔を確認。戦闘では使わない、周囲で交渉などで捕獲した悪魔達。
これに加えて、データベースから悪魔の情報を取得。
アレスを作れるか確認する。
タイタン神族のイアペトスとは少し仲が悪いかも知れないが。しかしながらオリンポス神族の中でも鼻つまみ者のアレスだ。逆に馬が合うかも知れない。
少し調べて見たが。この間のティアマト戦で得られたマッカの量が途方もなかった事もあって。どうやらアレスを作る事は難しく無さそうだ。
一応艦橋に申請を入れる。許可も下りた。
デモニカを電源に接続。アレスの悪魔合体を開始する。
凄まじい電力を食う。
流石にどれだけ弱くても、オリンポス十二神の一角だ。流石に作り出すのには相当な苦労を擁するか。
しばしして、合体が完了。ざっとデータを確認するが、良い。恐らく、ローマ神話のマルスとしての要素が強く出ている。これならば、弱くて足手まといと言う事にはならないだろう。
方舟を出ると、丁度部屋からヒメネスが出てくる所だった。
苦笑いするヒメネス。恐らくヒメネスも、同じように新しい悪魔を作っていたところだったのだろう。
「考える事は同じだな。 何作ったんだ」
「最初はアガレスにしようかと思った。 だが、俺の手持ちでは、イアペトスがどうにも居心地が悪そうにしていてな。 破壊神アレスにした」
「アレスか。 支援魔術のスペシャリストらしいな。 前線でも戦える」
「戦闘ログを見たが、そのようだ。 ストーム1の狙撃にもあれだけ耐えていたし、相当にタフなのだろう」
ヒメネスはと言うと、どうやら悩んだ挙げ句にラーヴァナにしたらしい。
インドラジットにしなかったのかと聞いたのだが。インドラジットは、スルトと同格くらいの神格らしく。
どうやらまだヒメネスの手には負えないそうだ。
そうなると、唯野仁成でも作るのは難しかったかも知れない。
まあ、この辺りは世の中上手く行かないものだ。
プラントの側で、二人揃って新しい悪魔を召喚する。
雄々しい巨神が二人、側に出現していた。
一人はローマ風の鎧兜に身を包んだ、雄々しい巨神。ただ、寡黙なイアペトスと比べると、だいぶおしゃべりなようだったが。
「我を呼び出したのは貴様か。 中々見所がありそうな奴。 我が剣、預けるぞ」
「ああ、頼むぞ破壊神アレス」
「任せよ。 我が剣は勝利を呼ぶ剣にて、我が盾は不屈を示すもの。 我を呼んだことを後悔はさせぬ」
言うだけ言って高笑いすると、アレスはPCに消える。
そして、そんな様子を呆れてラーヴァナは見ていた。
インド神話の羅刹らしく、多腕多頭の巨大な姿である。見るからに邪悪な姿をしているが、魔王とはそういうものだ。
「軽薄な男よ。 まあいい。 実力は相応にあるようだからな」
「おっさんがラーヴァナだな」
「いかにも余こそランカーを支配するラクシャーサの王ラーヴァナである。 余を従えるとは見所があるな人間よ。 名を聞かせよ」
「ヒメネスだ。 これからよろしく頼むぜ」
たくさんの頭で頷くと、ラーヴァナはPCに消える。
やれやれと頭を掻くヒメネス。
唯野仁成の視線に気付いて、こっちを見た。
「なんだヒトナリ」
「すっかり調子が戻ったようだな」
「……ああ。 何とかなった。 ありがとうな」
「良いんだ。 後は懸念していることが一つある」
咳払いすると、周囲を見回す。これだけのスペシャルが巡回している状況だ。多分盗み聞きはないと思うが。
それでも、デモニカの通信を利用して会話をする。
「ライトニングの一件、どうにもおかしいと感じないか」
「ああ、今になって冷静に考えると作為的だな」
「もしもあのライトニングの件、裏で糸を引いているとしたら誰だと思う」
「……確か財団は秩序属性の勢力にいるとか聞いていたが」
そうだ。
そして、思い当たる強力な秩序陣営の悪魔は二柱。
一柱はデメテル。恐らくこっちは違う。というのも、デメテルは嘆きの胎を中心に活動している。実りとやらを収穫する事に興味があるようだが。それ以外にはあまり出張ってこない。
一方怪しい奴がいる。
最近姿を見せない上に、視線を感じるのだ。どうも天使が最近、近くを彷徨いているのが気になっていた。
あれが、奴の指示だったとすると。状況を観察していることになる。
「要はあのペ天使か」
「まだ確証は無いが、可能性は高い。 そして奴が狙っているのは、恐らくゼレーニンだ」
「……確かにあの一件で、本当だったら一番ダメージを受けそうだったのはゼレーニンの方だったよな」
カルトに墜ちる人間は、心に大きなダメージを受けた後の事が多い。
元々それなりに敬虔な一神教信者のゼレーニンだ。此処で徹底的な人間不信を植え付ければ、後は。
頷きあう。後、念のためゼレーニンにも連絡を入れておく。
ゼレーニンは、マンセマットの動きが怪しいと言う話をしても、以前想定されたような拒絶反応を見せず。静かに可能性はあると答えていた。
ならば、後はすることは決まっている。
奴の尻尾を掴む。
恐らく、マンセマットが行動に出てくるとしたらそろそろだと思って良い。
備えておくに、こした事はなかった。
(続)
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