逆撃

 

序、墜ちたもの

 

ジャック部隊の悶着をとりあえず解決し、一旦フォルナクスに戻って来た。途中、上位空間を移動する際に攻撃をされる事もなく。移動の際に揺れることも無かった。

唯野仁成は、寡黙になってしまったヒメネスを心配になって見やる。

弱者に対して際限なく冷たく接する行為が、どういう結果を招くのか。自分がして来た事の招きうる未来をヒメネスは見せつけられたのだ。

人間を材料にして悪魔と合体させ、兵器を作る。

しかもその材料は、途上国で確保してきた立場が弱い人間。

結果論から言えば、ライトニングは即座に撃墜するべきだった。だが、気になる事もたくさんある。

なんで、このタイミングで。

負けると分かっていただろうに、あんな事を始めたのか。

なんでジャックだけが工場にいて、しかも自爆したのか。

挙げ句、財団側の主要人物は、どうしてみんな殺されていたのか。何もかもが、分からない事ばかりだ。

この世界では、金さえあれば何をやっても良い。

そんな価値観を拡げた阿呆どもは、当然とも言える末路を迎えたとも言えるが。

かといって、世界がだからといって良くなるわけでもない。

唯野仁成も、少し口数が減ったかも知れない。今、フォルナクスに二派に別れて潜って探索中だが。

ひっきりなしに襲ってくる悪魔と、絶妙に狭い通路。

多数の悪魔を展開する訳にもいかず、少数のクルーと限られた精鋭で撃退するしかない。

幸いなのは、電波中継器を撒くことでどんどんマッピングが進む事で。複雑極まりない迷宮をアーサーがサポートしてくれることだが。

しかしながら、歩いていて思うのだ。

此処を彷徨いている悪魔は、一体何を目的としているのかと。

大母を守るつもりなのか。

それとも、アントリアからデルファイナスの空間の主達のように、人間の世界を攻め滅ぼすつもりなのか。

それが分からない。

無言で黙々と進む。

サクナヒメが、足を止めた。じっと目を細めて前を見ている。一緒に来ている数名の機動班クルーが、即座に銃を向けた。

唯野仁成は、アリスを呼び出す。

自分より勘がずっと鋭いサクナヒメだ。足を止めたのには理由がある。

しばしして、奥から何か歩いて来るのが見えた。

大きさは人間と同じくらい。

いや、あれは。見かけだけなら人間だ。

「其所で止まれ。 何者だ」

「おっと失礼。 大母の空間の、こんな奥深くまで人間が潜ってくるとは思いませんでしてね」

そいつは。燕尾服を着た、中年の男性に見えた。

かなり太っていて、ナマズ髭がいかにもである。というか、そもそもこんな場所に燕尾服で来られる人間はいない。

確定で悪魔だ。

唯野仁成が剣に手を掛けると、アリスが声を掛けた。

「あ、ベリアルおじさん!」

「久しぶりだねアリス。 此方では用事が終わったから、ちょっと様子を見に来たよ」

アリスの知り合いか。

ベリアルというと確か一神教における重鎮に当たる悪魔だ。確かソロモン72柱の中で最強と言われているとか。

ただ、その容姿は天使が戦車(チャリオット)にのっているというものであったはず。

しかしながら、アリスがそういうのならアレがベリアルなのだろう。

「どうだい、其方の居心地はいいかい?」

「うん! ヒトナリおじさん優しいし」

「そうかそうか。 お前がそんなに懐く人間はいつ以来だろうな」

ベリアルと呼ばれている中年の男性は、いつの間にか唯野仁成の側にいた。

一瞬で移動してきたことになる。

サクナヒメは剣に手を掛けたまま、鋭い視線を送ってきているが。他の隊員は対応出来ていない。

「アリスに良くしてくれて礼を言うよ。 とても扱いが難しい子だから、これからもよろしくね」

「アリスは貴方に作られたと言っていたが」

「昔々の話だ。 酷い死に方をした可哀想な女の子がいた。 何も悪いことはしていなかったのに、悪魔呼ばわりされてむごい死に方をした。 丁度我等の主が酷い死に方をしそうな人間を救って回っていてね。 我々もそれを真似した。 だけれど、主ほど上手には出来なかった」

最初は力を誇示するためだったと、正直にベリアルは言う。

しかしながら、今は違うとも。

「アリスはきっと何かの世界の危機を救うために役立ってくれる筈だ。 私には主の考えは分からないが、少なくとも君には強い力と可能性を感じる。 他にも信じられない強い力と可能性を感じるが……アリスが選んだのは君だ。 頼むぞ」

ふつりと、いつの間にかベリアルはいなくなっていた。

サクナヒメが大きく嘆息する。

「今までで遭遇した中で最大の力を感じたな。 デメテルやマンセマットをも超える力だっただろう」

「……」

「ベリアルおじさん、いつも唐突にいっちゃうなー。 ああ、でも行った後、大体問題が起きるんだよね」

「そうであろうな」

サクナヒメが振り返り、顎をしゃくる。

呆然としていた機動班クルーが振り返ると、其所には見覚えがある巨体が、殺気を充満させながら立ち尽くしていた。いつの間にか、ではない。ベリアルの気配が強烈すぎて、多分足音をどたどたさせながら近づいて来ていたのに、誰も気付けなかったのだ。サクナヒメ以外は。

オーカスだ。

前戦った時に比べるとかなり小さいが、それでも相当な圧迫感がある。

力そのものは、明らかに増しているらしい。

「見つけたぞ、ブオーノ! 強い力に導かれたと思って来てみれば、やはり貴様らだったか、ブオーノ!」

「オーカスか。 また丸焼きにされにきたか」

「笑止! もはやワシはオーカスでは無い! ワシの真の姿、今こそ見せてやろう!」

やはり此奴も強化されているのか。産みなおしとやらの結果なのだろう。

膨れあがるオーカス。肉が内側からはじけ飛ぶ。

そして、其所に存在していたのは。

巨大な門のような姿をした、得体が知れない悪魔だった。門の中は口になっており、門そのものが顔になっている。

「ワシこそは! ローマ神話にて偉大なる死神として讃えられるオルクス! オーカスとは我が貶められた存在に過ぎぬ! ワシはローマ神話にてハーデスと同一視されしプルートーと同一なる者! そして悪人を冥府にて罰する存在でもある!」

ああなるほど。それならば、一神教への怒りもよく分かる。

オルクスはどちらかというと、本来は仏教における閻魔大王のような存在であったのだろう。

死神というのは調べて見たのだが、別に人を殺しに来る神ではない。

寿命を終えた人間を迎えに来る神だ。

その上悪人を地獄で苦しめる神となれば、それは怖れられなければ意味がない。

その畏れがやがておかしな方向にねじ曲げられ。

更には一神教によって悪魔呼ばわりされれば、人間に対して恨みも抱きはするか。

「ワシは本来喰らうものではなく招く者! 貴様ら人間は既に全てが邪悪なる罪人と呼んでも問題なかろう存在だ! 故に全てくらい、冥府で罰してくれようぞ!」

「くだらん」

サクナヒメが一蹴。

唯野仁成も、困惑している皆に率先して前に出ていた。

「冥府の支配者なら公正な裁きを行うべきだ。 もしも自分の主観で善悪を勝手に決め、挙げ句の果てに私怨で相手を罰するというなら、それはもはや貴方を貶めた一神教の神と代わらない」

「何だとっ!」

「貴方はもはや心まで貶められているようだな。 姿だけは取り戻しても心を取り戻さなければ意味がないのではあるまいか」

「お、おのれ、おのれええええっ!」

良くいったと、サクナヒメが一瞬だけ視線を送ってくる。

モラクスから転じたモロクもそうだったから、此奴もそうなのだろうと思ってはいたのだが、案の定だった。

はっきり分かった事がある。

産み直しを行えるという此処の大母。何者だか知らないが、いずれにしてもはっきりしているのはその心まで貶められる前に戻す事は出来ない、と言う事だ。

勘違いされている事もあるが、閻魔大王は仏教におけるあの世の最高裁判官に過ぎない。

恐ろしい形相で描かれるのは、それは悪人に舐められては意味がないからで。実際には十王と呼ばれる地獄の裁判官達が自分では裁けないと判断した案件を、最後に裁く存在なのである。

それに相当する存在なのであれば。

恐ろしくも公正である事が何より必要なはずだ。

今の人類がどうこう以前に、公正である事。それがオルクスとしての誇りだっただろうに。

怒りが優先して、それを見失ってしまっているようでは。

此処の大母の力の限界も見えたと言える。

意味の分からない絶叫をしながら、オルクスが凄まじい黒い何かを、面制圧するようにぶっ放してくる。

それをアリスが放った黒い力が迎撃。一瞬拮抗する。

唯野仁成は均衡の間に一緒にいるクルーに声を掛ける。

慌てた様子でそのクルー。アンソニーは召喚。

いやいやながら連れていたエース悪魔である魔神トートを召喚する。以前、エリダヌスで遭遇した猿の姿をしたエジプトの賢神だ。

女の子の悪魔だけがいいとだだをこねていたアンソニーだが、実戦で戦略的に使える悪魔を手持ちに入れるようにとゴア隊長に怒られて、手持ちに加えたのである。

アリスとオルクスが弾きあう。

流石に産み直しを受けた悪魔。オルクスの方が、呪文の再展開が速い。

あれはアリスの攻撃と弾きあった事からも分かるように、恐らく高密度の呪いだ。まともにくらったらひとたまりもない。

だが。オルクスが、勝ち誇ってもう一発、強烈な死の塊をぶっ放してきた瞬間。

トート神が展開した光の壁が、その呪いを弾き返していた。

呆然と、己が展開した呪いの逆噴射を受けるオルクス。

同時に、皆が反撃を開始。

他のクルーがアサルトでオルクスの全身を滅多打ちにする。この迷宮の内部と言う事もあり、どうしても大きさには限界があるし。何よりオルクスは通路一杯に拡がっているから、アサルトの弾は外しようがない。口の中には得体のしれない空間が拡がっているが、それはそれ。

顔中に銃弾の乱打を浴びて、豚だったときのようにブオーノとか呻きながら下がるオルクスに、アリスが火の術式を叩き込む。トリスアギオンでは火力がありすぎて此処では使えないが。しかし格が下がる術でもこの閉所なら充分。絶叫するオルクスは、それでも口から凄まじい風を放って炎を吹っ飛ばすが。

その時には、唯野仁成が召喚したアナーヒターが、他クルーの召喚した悪魔達と一緒に、一斉に冷気の魔術を放っていた。

オルクスが凍り付き、全身がひび割れる。

其所に、唯野仁成とサクナヒメが息を合わせて突貫。

唯野仁成は、オルクスの額に剣を突き刺し。

サクナヒメは、恐らく百五十に達する斬撃を叩き込むと。鋭い音を立てて、剣を鞘にしまった。

サクナヒメがオルクスに背中を向ける。

唯野仁成も飛び退く。

オルクスは、呆然としていたが。その全身は、見る間に崩壊していった。

「う、嘘だ、わしは、わしは昔の力を取り戻した、取り戻したはずなのだ……ブオーノ……!」

「ギリシャ神話のハーデースやローマ神話のプルートは、公正な冥府の神だ。 特にハーデースは、狂ったオリンポス神族の兄弟姉妹の仲では唯一といっていいほどの真面目な神だろう。 貴方はもはやそれらの系譜から外れた、ただの愚かな復讐鬼だ。 論ずるに値しない」

「ば、馬鹿な、ばか……な」

全身が砕け散るオルクス。

嘆息する唯野仁成。

オーカスと戦った時よりも遙かに条件が良かったとは言え。相手が力に奢っていなければ。

更にはこんな閉所で無ければ。

此処まで簡単に勝つことはできなかっただろう。

それにオルクスは怒りが先行して、殆ど実力を発揮できていなかったようにも見えた。この辺りは、運が良かったと思うしかない。

アンソニーがオルクスの情報集積体を回収する。

オーカスの時よりも一回り大きい。だが、ここに来る前に指摘されていたのだが。モロクの情報集積体もそうだが、どうにも欠損しているらしい。

大母のものは別として、四つの情報集積体を集めないといけないのかも知れない。

また、面倒な話だった。

サクナヒメがおにぎり休憩を始めたので、方舟に連絡を入れる。

オルクスと遭遇。撃破したことを連絡すると。どうやら方舟でも観測していたらしかった。

なお通信に出たのはムッチーノである。

「もう少しその辺りを探したら、戻って来てくれるかな。 これで恐らく三つある内の一つの道は踏破できたと思うよ。 ただあとちょっとだけ周囲に未踏破地域があるから、其所を埋めてほしいんだ」

「そうか、分かった」

「もう一つのストーム1、ヒメネス班も今佳境に入ってる。 これから君達が行った辺りに、ケンシロウ氏の護衛する調査班を回して、データを取って貰う予定だ。 思ったより攻略が早く進んでいて助かるよ」

頷くと、通信を切る。

サクナヒメはもうおにぎりを食べ終えていた。

流石に他の皆は、此処ではおにぎりは食べられない。また、普通だったらすぐに痛んでしまうので。神の力で特殊な加工をしているらしい。魔術に相当する術を使っているという事なのだろう。

「あと少し、此処を調べて戻ればよいのじゃな」

「はい。 ナビはアーサーがしてくれます」

「四回目の突入で攻略か。 まあ充分な成果であろう」

「そうですね」

この三叉に別れた迷宮の一角は、今回で四回目の突入になる。それで最深部にまで到達できたのだから上出来だろう。

皆を促して、周囲を調べる。案の定、もう他に行ける所は無く。残敵を相当し、降伏する相手は悪魔召喚プログラムで麾下に入れ。後は指示通り戻る事にする。

途中様々なものがあるが、下手に触らないように周知されている。調査班が調査して、必要なら回収する。

戻っている途中に、通信が入る。

ストーム1班が、アスラが強化された悪魔と遭遇し、交戦を開始したという事である。まあ、現状のストーム1とヒメネスならば大丈夫だろう。それでも、念のために確認をする。

「支援が必要なら、ナビゲートをしてほしい」

「恐らく必要はないと思いますが、念のため向かってください。 此方で通路はナビゲートします」

「了解」

少し疲れは溜まっているが、あのアスラの圧倒的な力を思い出すと、流石に無視もできないだろう。

大した強さの悪魔もいない。というか途中で苦労しながら掃討したので、帰路は楽だった。

エリダヌスの庭園ほど酷い悪魔の群れに襲われたわけでは無いが、それでもひっきりなしに迷宮で悪魔との交戦を続けて、やっとここまで来たのである。一度の迷宮へのアタックで、それぞれ六時間ほど行動し。その後一日休んでまた突入をと言うのを繰り返したのだ。

どうやらこのフォルナクスの地下迷宮は、相互作用していないことや。地下という閉鎖空間である事。

魔術などで逆に利用されるのを防ぐためか。それぞれの空間を魔術的につなげていないこと、などもあってか。

配置されている悪魔は、最初からそこにいた連中だけ。

故に戦いに行くたびに顔を見せる悪魔の数は減り。

オルクスと戦いになった頃には、もう殆ど悪魔の姿はなくなっていた。

いずれにしても、帰路はただ走るだけで良いし。

デモニカが最大限支援してくれる。

一階に到着。そのまま、三叉路の一つを駆け下りる。

此方も敵の掃討は殆ど終わっている様子で、クリアリングをしながら進むものの、ほぼ敵の気配はなかった。

奥へと進んでいくと、戦闘音が聞こえてくる。

苦戦している雰囲気はないが、それでもまだ戦っていると言う事だろう。

不意に目の前に悪魔が現れる。

巨大な亀の悪魔だ。鈍重だが、それでもとんでもなくタフである。カブラカンという、マヤ神話に登場する悪しき巨人だ。亀の姿をしている理由はよく分からない。

とにかく此奴は硬くて、オルクスに辿りつく途中で交戦するときも苦労した。銃撃しても埒があかないし、魔術も効きにくい。効いたところで中々倒れてくれない。

だがそれでも、一体だ。

仲魔が魔術の乱打を浴びせて動きを止めたところを、サクナヒメが首を刎ね飛ばす。

多少時間は食われたが、これで障害はなくなった。

突貫して、戦場に急ぐ。

ストーム1班は、連れていた機動班クルーが何人か壁にへばっていたが。ヒメネスとストーム1は当然無事。

交戦していたらしいのは、縞々模様の女悪魔だ。

何だアレは。

アスラの始祖が、あのような悪魔なのか。

アスラというのは中東から伝わった悪魔の一族で、単一の悪魔を指す言葉ではないと聞いている。

女性のアスラにああいうのがいるのだろうか。

いや、どうも雰囲気がおかしい。

なお、勝負はもうついている。

壁に貼り付けにされた縞々の女悪魔は、全身に切り傷や、大きな銃撃跡を残していて、回復出来ずにいる。その体を壁に縫い付けているのは、ストーム1の手持ちであるクーフーリンの槍だ。

顔を上げた女悪魔。髪が長い事もあって、表情は鬼気迫るものがあった。

「おのれ、このアシェラトの姿になってもなおも及ばないか……!」

「正直念入りに罠を張って待っていた前回の方が手強かったな」

「其所まで愚弄するか……っ!」

「というか、そもそもあんた、なんだか力があっていないような印象を受けたぜ。 本当にアスラの原型なのか?」

ヒメネスが、酒をほしそうな顔をして、舌打ちした後に言った。

ヒメネスの魔王は大きすぎて出す事が出来ず、それが苦戦につながったらしい。まあその分、ヒメネス自身が戦ったようだが。

いずれにしても、少し遅れたか。

「済まなかったな。 もう少し早く着いていれば」

「馬鹿力で伸された奴が何人かいる。 回復してやってくれ」

「はい」

メイビーが頷くと、すぐにハトホルを呼び出して回復を始める。それで勝ち目が完全に失せた事を察したらしく。アシェラトを名乗る悪魔は歯ぎしりをしていた。

「此処までの屈辱、はらさでおくべきか……っ!」

「そうやって感情的になっている時点で戦いには勝てない。 ……何度でも相手になってやる」

ストーム1が、至近距離からライサンダーの弾を叩き込み、とどめを刺す。

唯野仁成は、疲れきっているストーム1班に代わって。また、勝利の連絡を入れていた。

 

1、邪悪再び

 

一度、方舟に戻った唯野仁成は、艦橋に呼び出される。目立って無口になったヒメネスは、レクリエーションルームでバガブーと話している事が多くなり。また周囲との会話が極端に減っていた。

心配だ。

ヒメネスは銭ゲバめいた言動を以前はしていた。

だが、金こそ力、力こそ全ての財団が、どのような凶行を働いていたのか目の前にして。それで何処か心に罅が入ってしまったらしい。

元々、ヒメネス自身スラム出身で、ろくでもない人生を送ってきたと聞いている。

その渇いた心は、恐らくはその経験が故なのだろうが。

しかしながら、彼が憎んで止まない連中の極北とも言える財団が。力と金にまかせて何をしたかを目にしてしまって。恐らく価値観がクラッシュしてしまったのだろう。

気持ちは分かる。

今は、一番ヒメネスが心を許しているバガブーに任せるしか無い。

そう、唯野仁成は思っていた。

艦橋にヒメネスと共に出向くと、真田さんがいて。ウィリアムズともう一人、艦橋のクルーが何か準備をしていた。

サブの小隊長として認識されてから、唯野仁成は艦橋メンバーと関わる事になった。かなり厳しい顔をした男性のクルーである。カトーという名前であるらしい事が、デモニカの付属PCで分かった。

二人が準備を終えて、真田さんが咳払いをする。

スペシャル達が揃うと同時に、プレゼンが始まった。

「フォルナクスにいつつ存在していた強力な悪魔の反応の内、三つまでを撃破してわかったことがある。 此方を見て欲しい」

情報集積体を並べた様子だが、膨大な文字列が展開されている。

その一部は悪魔の情報の様子だ。

要するに、その情報をベースに、今まで倒した者達。モロク、オルクス、アシェラトを呼び出すことが可能と言う事だ。

だが、それ以外のデータがどうも様子がおかしいという。

「これらは恐らくだが、鍵になっている」

「鍵、とな」

「姫様、ヤナトには魔術的だったり呪術的だったりするような鍵がありませんでしたかな」

「ああ、呪術によって姿を隠す方法や、その隠された空間を暴くための専用の呪術などはあったな。 鍵と言えば鍵であろう。 わしはそれほど詳しくはなかったが……」

そういうものだという。

現在三叉路のうち二箇所の探索が終わっている。これから、最後の一つの道を探す事になるらしいのだが。

どうも反応がおかしいというのだ。

ひょっとするとだが、大母は三叉路の先の何処にもいないかも知れない、ということだった。

そこで、鍵か。

「ならばさっさと最後の一つも回収してくれば良い。 今、皆の戦力は特に墜ちてはいないだろう」

この間の一件。ライトニングが凶行を見せつけた事件以降、何だか多少気性が荒くなったらしいストーム1が言うが。

真田さんは、それを静かに受ける。

「もう一つ問題がある」

「聞かせてほしい」

「アスラがアシェラトに変化したという情報は此方でも確認した。 そして調べて見たのだが。 アシェラトとアスラには何ら関係がない」

やはり、か。

ヒメネスの言葉通りだった、というわけだ。

アシェラトというのは、超古代の神話であるウガリット神話などに登場する古代神格で、その中でも特に高位の女神だという。

神々の中でも最高神の伴侶だったりと、その地位は非常に高く。

しかしながら、そもそもアスラとは起源が異なっているのも確定だそうである。

「アスラの起源は諸説あるものの、少なくともアシェラトとは神格の方向性が違う」

ライドウ氏が真田さんの隣で解説の補助をする。

悪魔の専門家であるライドウ氏だ。その説明には説得力がある。

皆が聞く中、アシェラトがアスラから出現する事の不可解さを幾つかの例を挙げてライドウ氏が説明をしてくれて。

それで、真田さんはまた説明に戻った。

「やはりこれでも仮説が裏付けられたと思う。 この世界にいる悪魔は、神話に登場する悪魔ではない、と言う事だ」

「いずれにしても、ブッ倒す対象であることには代わりは無いだろうさ」

「ああ、そうだな」

真田さんは、ヒメネスのどこか投げやりな言葉に頷くが。

しかし、という。

「倒すだけでは恐らく問題は解決しない。 勿論今まで、空間の支配者の中に、我々との対話が可能な存在はいなかった。 全ての空間支配者、特に大母を撃ち倒すことは当面の目標として。 だが、どこかで折り合いをつける必要があるのやも知れない。 相手が「悪魔」ではないのなら、出来る可能性もある。 事実悪魔召喚プログラムで、配下に加える事が出来た悪魔は良き相棒となってくれているだろう」

「……」

ヒメネスが黙る。

バガブーのことを持ち出されると苦しいのだろう。その気持ちは分かる。

唯野仁成は挙手。

真田さんは、発言を許してくれた。

「まず当面の目標としては、やはり鍵の完成ですか」

「うむ。 だが、もう一つの情報集積体を回収したら、嘆きの胎に向かおうと考えている」

「?」

「例えばこれが一種の電子鍵だと考えると、恐らくだがそう簡単に話はいかない。 この方舟にも強力なスパコンは搭載しているが、その能力を使っても解析に少し掛かる」

それならば、なおさら早めに探しに行くべきでは無いかと思ったが。

いやまて。そうだ、思い出した。

今この方舟は、副動力がやられているのだ。その回復を急がなければならないだろう。

いずれにしても、時間が必要、と言う事か。

ケンシロウが挙手する。

「……恐らくだが、大母を除いた四体の内、まだ打倒していない最後の一体はミトラスだろう。 奴が何者に姿を変えるかはしらないが、俺が叩き伏せないと気が済まない。 俺が行く」

「分かった。 迷宮の中ではどうせ大人数は動けない。 唯野仁成隊員、ケンシロウと組んで動いてほしい」

「イエッサ!」

そこで、会議は終了となる。

真田さんも副動力炉の復旧などで非常に忙しいだろうが、それでも時間を割いて現状分かっている事を説明してくれたのだ。

感謝しなければならないだろう。

ヒメネスが声を掛けて来る。

「ヒトナリ。 ちょっといいか」

「何かあったのか」

「いや、俺は少し医務室で休憩を取る。 ゾイに色々言われてな、健康診断を受けて休まなければならなくなった。 メンタルケアが必要だとかで、次の嘆きの胎での作戦には、前線任務には参加出来ないかも知れない」

「ああ、それが良いと思う。 いつでも復帰を待っている」

ヒメネスは明らかにPTSDを受けていた。

あの工場の有様では仕方が無い。そして機動班クルーの中にも、精神的に不安定になっている者が他にもいる。

この様子では仕方が無い。

そして真田さんが、敢えて時間が必要だと口にしたのは。

戦力を回復させるために、時間を取るべきだという意味も暗に含んでいたのだろう。

ライドウ氏は既に前線復帰が可能らしいのだが。それでもスペシャルは真田さんと一緒に、基本的に殆ど休まずで活動を続けている。

そしてこの間、ウロボロス戦でサクナヒメが負傷して、決定的にバランスが崩れた雰囲気がある。

四人いる戦闘におけるスペシャルが一人欠けたことで、負担が激増したのだ。

サクナヒメが戻って来た今も、その余波は続いていると言える。

この状況は良くない。いずれにしても、ケンシロウとともにさっさと残り一体の強力な悪魔を撃破し。

鍵を作れるようにしなければならないだろう。

ただ、気になる事もある。

此処の大母は産み直しが出来ると言っていた。

さほど手強いとはもはや感じなかったが。モロクやオルクス、更にアシェラトが群れになって現れたら、それはそれで苦労すると思う。

しかしながら、そもそも大母の迷宮には、それほど悪魔がみっちりいるわけではなかったのだ。

それを考えると、大母という存在は、強力な悪魔をドバドバ生み出せる訳では無いのかも知れない。

装備を点検すると、すぐに物資搬入口に。ぼーっと突っ立っているケンシロウの他に、ゴア隊長が選抜した五人がいる。

今回は唯野仁成が副隊長としてこの部隊を回す事になるが。ケンシロウは例の如くの人なので、事実上指揮は唯野仁成が執らなければならない。

多少大変だが、まあケンシロウの戦闘力に関しては、インファイト限定ならあのサクナヒメをも凌ぐし。

何よりこういう迷宮では。ケンシロウの圧倒的な殺傷力が最大の猛威を振るうだろう。

だから問題はさほど感じない。

一人知らない機動班クルーがいる。名前を調べると、タイラーと言うらしい。唯野仁成とはあまり関わってこなかったが、主に別チームで活躍していたそうだ。今までも同一チーム内にいたことは何度かあったようだ。

今回は、負傷から回復していないウルフや。この間の工場での戦いでPTSDを喰らった隊員が何人もいる事もあって、無事だった隊員が少ない。

そのため、いつもはあまり組まない顔ぶれと作戦を共にする。

そういう事でもあるのだろう。

更に、ゼレーニンが来た。ゼレーニンも作戦に参加するというのか。

ケンシロウが眉をひそめる。

「止めた方が良い……。 高確率で、ミトラスが姿を見せる」

「いいえ。 だからこそ行きます」

ゼレーニンは、ラジエルを呼び出す。

ラジエルは、強い力を持つ大天使だ。何度か見たが、回復も出来るし、何より守りにも長けている。

今メンバーの中には回復特化編成のメイビーもいる。

ゼレーニンが戦力になっている今。

確かにいてくれれば、更に回復が手篤くなって心強い。だが、ケンシロウが言う通り、ミトラスが高確率で姿を見せるのだ。

ボーティーズでミトラスがゼレーニンに何をしたかは、今でもよく覚えている。その時ゼレーニンを庇ったノリスは、今でも正気が戻っていない。

それを考えると、ケンシロウの言葉は当然とも言える。

唯野仁成は、だが。だからこそ、顔を上げた。

「ケンシロウさん」

「……」

「行かせてあげましょう。 今こそ、乗り越えるときです」

「……自分の身は、自分で守れ」

はいと、ゼレーニンはあまり大きくは無いが、確実にケンシロウに答えた。

乗り越えようとしている。それはとても立派で尊い事だ。

一度心が折れてしまうと、簡単に人間はそれを修復する事が出来ない。そんな事は、唯野仁成だって分かっている。

母子家庭出身の唯野仁成は、母が酒に狂っていく過程を見てよく覚えているし。

幼少期はキッチンドリンカーになった母の代わりに妹の世話をして、場合によっては通報もして支援を求めなければならなかった。

父親は既に死んでいる。これについては、高校の頃に知った。

元々反社の人間だったらしく、くだらない死に方をしたようだったが、それこそどうでもいい。

縁を切っているし、金を無心に来る事もなかった。ただ酒の酩酊の中で、母がまだ父に未練があるような事を口走っていて、それで反吐が出るとは思ったが。

ただ、今は母を許せないとは思っても。狂気からの回復が如何に難しいかはよく分かっているつもりだ。

今、ヒメネスは心の罅をどうにかしようとしている。

ゼレーニンは、心の罅を乗り越えようとしている。

それを唯野仁成は、邪魔することは出来ない。

出撃。方舟から出て、すぐに建物に入る。内部の悪魔の数は、ぐっと減っているのが分かる。

ブレアが今回来てくれているのは頼もしい。歴戦の傭兵であり。従えているケルベロスが実に頼りになる。

まだ攻略していない三叉路の最後の一つに侵入開始。

前後左右から、ざわざわと決して弱くない悪魔の群れが出現する。

「今回も……四回以内の攻略で片付けるぞ」

「はい」

ドンと、凄い音がした。

いわゆる縮地とも瞬歩とも呼ばれる技を使って、ケンシロウが悪魔との間合いをつめたのだ。

何だか奇怪な悲鳴を上げて、悪魔が爆裂する。

すぐに周囲から悪魔が殺到してくるので、皆で対応。ゼレーニンも、手慣れた様子でラジエルに指示を出して、周囲の支援を的確に行っている。

ケンシロウは。

あれは大丈夫だろう。一人で、一方向の敵を全部蹂躙し尽くす勢いだ。

ならば、唯野仁成は。

アリスとイアペトスを呼び出すと、一方向の敵を食い止めるように任せる。イアペトスが前衛になって、アリスが後衛に。理想的なバディを組んで、閉所でも戦う事が出来る。

唯野仁成は剣を抜くと、更に一方向に突貫。アサルトでの味方の支援を受けつつも、近接戦の技術を磨くべく、敢えて剣で敵を切り伏せに行く。

勿論味方の仲魔が魔術でも支援してくれるから、それは助かるが。

それ以上に、今まで以上に剣技を磨かなければならない。

そうしなければ、恐らくだが。

万全状態のアレックスに勝てない。

相手を取り押さえるというのは、余程の技量差が無いと出来ない。力量差が拮抗しているほど、相手を捕縛することは至難の業だ。

アレックスについては、聞かなければならないことがいくらでもある。

そして現状の戦力では、アレックスを撃退することは出来ても、生かして捕まえることは難しいだろう。

そう考えると、更に技量が必要になる。

無数の触手が伸びてくる。髑髏のような悪魔から伸びてきた触手だが。それを秒で全て斬り伏せる。

邪神ロアと記載されている。ヴードゥー教にて使われる一種の精霊らしい。いずれにしても、相当数がいて。唯野仁成を狙ってきているが。丁度良い。

驟雨のような攻撃を全て斬り伏せながら、少しずつ進んでいく。一体目を、払いのけるように斬り伏せる。二体目。三体目。五体目を斬り伏せた辺りで、体勢を沈める。相手が逃げ腰になったのが分かったからだ。

突貫し、破れかぶれになったロアの群れが放ってきた大量の触手を、渦を巻くようにして一瞬で全て微塵に切り裂く。

そして、縦横無尽に切り裂いて、敵陣を半壊させた。

呼吸を整えながら、一旦下がって様子を見る。アリスとイアペトスは、余裕を持って敵を食い止めている。

ケンシロウは圧勝。流石だ。唯野仁成を遙かに超えるインファイトの技量で、敵を全部輪切りにするか破裂させ終えていた。更にもう一路に向かい、敵の殲滅を開始している。

しばしして、無数に押し寄せてきていた敵が静かになる。

回復を頼むと、唯野仁成はゼレーニンが無言のまま電波中継器を撒く様子を見守る。

ゼレーニンが乗り越えようとしている姿は尊い。

ならば、自分も。

周囲の仲間に負けないように、更にこの世界を乗り越えるべく強くならなければならない。

 

ケンシロウの予定通り、四回目の探索で地下六階に到達。この迷宮はやはり地下六階で統一されているらしく。三叉路の先全てが同じ構造になっている様子だった。

よく分からないが、何か魔術的な意図とかがあるのかも知れない。

ゼレーニンは壁を撮影して、データを取っている。

ただの模様にしか見えないが、例えばルーン文字とか、そういう魔術的な意味がある記号である可能性もある。

いずれにしても唯野仁成は専門家では無い。その辺りは、専門家に任せる他無い。

アーサーから通信が入る。

「唯野仁成隊員。 周囲の警戒をしてください」

「!」

ケンシロウが立ち上がる。それを見て、周囲の隊員も気付いたようだった。ラジエルも、ゼレーニンの肩を掴む。

ゼレーニンが息を呑む。醜悪な笑みを浮かべた其奴は、浮き上がるようにして出現していた。

下半身が球体の石。上半身が半裸の男性で。古代ローマの戦士のような姿をした者、魔王ミトラス。

その邪悪な心は、今でもよく覚えている。

ケンシロウが凄まじい闘気を全身から放つのが分かった。

「良くも姿を見せたわねえ! アタシに与えてくれた屈辱、十倍にして返してやろうと思っていた所よ!」

「黙れ外道。 何度現れようと、俺がお前の全身を打ち砕いてやる」

ケンシロウが前に出る。唯野仁成も、剣を抜いて前に出ていた。

ゼレーニンは頷くと、待ってと声を掛けて来た。

そして、ミトラスに問いかける。

「ミトラス。 私の事は覚えているわね」

「ええ覚えているわ。 逃がしてしまった実験材料!」

「そう。 そんな風にしか人間をやはり考えられないのね」

「貴方達人間だって、動物を実験材料にして、散々色々な事をしているでしょうが! この地球を人間の手から開放するためには、人間を材料にした実験が必須なのよ!」

それは違う。

ゼレーニンが、ぞっとするほど低い声で言う。ミトラスが、思わず黙り込んでいた。

ゼレーニンが前に出る。ラジエルも、ゼレーニンを守るべく、前に出ていた。

「貴方はただ遊んでいただけ。 動物実験は、多くの場合難病の治療研究や他にどうしようも無い場合に行われるの。 それによってどれだけの人が悲惨な病気から助かってきたか分からない。 人間が業に満ちたどうしようもない生き物だというのはある程度同意できるわ。 でも命を弄んでいた貴方は、その最低の人間と同類よ」

「お、おのれ、おのれええええっ! このアタシを人間と同類呼ばわりするかあああっ!」

やはり此奴も精神性は一切変わっていないか。

里が知れるというか。此奴を産み直した大母とやらも、どうせろくでもない事はこの時点でもう分かった。

だから、遠慮する必要も、容赦する必要もないだろう。

ミトラスの全身が膨れあがり、内側から吹き飛ぶ。

そして、巨大な獅子の上半身と、蛇の下半身を持つ、威圧的な存在が其所に出現していた。

「これが我が貶められる前の姿だ……! こうなったが最後、貴様ら楽に死ねるとは思うなよ……!」

「あの時の蛇はそういうことだったか」

「ああ、そうだ。 我が名は司法神ミトラ! 戦神でもある我が力、その身で知れ!」

「その臭い口を今すぐ閉じさせてやる」

ケンシロウの尋常では無い怒りが伝わる。

ケンシロウも感じたのだろう。ミトラが己の邪悪を恥じるどころか、人間の非を批難するばかりだったことを。

要するに此奴は、面白がって人体実験をしていたときとまったく変わっていない。

少なくとも、誇り高い司法の神ミトラでは無い。

言われてはいたことだが、はっきりと身で確信できた。

こいつらは、偽物だ。何か別の存在だ。神話に登場する、誇り高い神々では無い。似て非なる存在だ。

仮説に聞いた中に、人間のシャドウではないのかというものがあったが。そうなのかもしれない。

だとすれば皮肉極まりない話である。

こんな醜くどうしようも無い心の持ち主が、人間のシャドウで。それを利用して、地球が人間を排除しようとしているのだから。

まず、唯野仁成が仕掛ける。同時に他のクルー達も展開すると、アサルトでの弾丸の雨を降らせる。

何か魔術を展開したミトラ。ミトラの周囲に光の壁が展開し、それが弾丸を一斉に跳ね返した。

やはりな。

対策を練っていると思っていたのだ。

凄まじい動きで手を動かし、戻って来た弾丸を全て掴み取るケンシロウ。そして、握りつぶして、ばらばらと地面に落とした。

ミトラは吠え猛ると、突貫してくる。

イアペトスが前に出て。その突撃を受け止める。がっぷり四つ。だが、流石にイアペトスがぐっと押し込まれる。

阿呆でも、カスでも。力だけはそれなりだと言う事だ。

「ハハハハ! イアペトスだな貴様! タイタン神族も墜ちたもの……」

どんと、音がして。

調子に乗っていたミトラの側頭部に大穴が開く。

激突の瞬間、側面に回り込んだ唯野仁成が、ライサンダー2をゼロ距離でぶっ放したのだ。

最初の銃撃反射で、以降銃の使用は控えると思ったのだろう。

馬鹿が。肉体同士でのぶつかり合いをしてくると言うときは、その間は都合良く反射能力など展開出来るものか。

ぐらりと揺れるミトラをイアペトスが放り投げ、一瞬にして無数の刺突を叩き込む。全身が穴だらけになるミトラが絶叫。

だが。獅子の頭部が消し飛び、其所から巨大な蛇が出現する。

これも前と同じパターンか。蛇が大量の霧を吐き、周囲の視界を塞ごうとするが。ケンシロウが動く。

霧など、どうやら北斗神拳には関係無いらしい。

霧の中で、ドゴ、ボゴ、ドガンともの凄い音がする。やがて、霧が消し飛ぶ。霧を展開していた魔術が、強制的に排除されたと言う事だ。

地面で口を開けて大量の血を流しているミトラを、ケンシロウが踏みつけている。だが、どうにも脆すぎる。オルクスもアシェラトも、もう少し硬かった。

次の瞬間、ケンシロウに、正確にはその残像に無数の槍が突き刺さっていた。迷宮の前後左右から突きだしたものだった。

ケンシロウは一瞬速く瞬歩で抜けていたが、デモニカに多少傷がついていた。すぐに駆け寄ったゼレーニンがポリマーで応急処置。高笑いしながら、無数の棘が蛇に収束していく。

なるほど、爆散した獅子の頭部が、ああやってトラップにも代わるのか。

要するに奴は恐らくだが。

解析が出来た。

ならば、その特性を逆利用して潰す。正直ミトラスには今でも怒りしか沸かないし、ミトラも腐った性根が変わっていないのなら同じだ。容赦なくぶっ潰す。

アナーヒターを呼び出す。そして、指示。頷くアナーヒター。

応急処置が終わったケンシロウにも、他のクルーにも、通信で伝える。唯野仁成は、ケンシロウが突貫するのに続いて、突貫。

アサルトの支援を受けながら、再び獅子頭の蛇になったミトラに迫る。ミトラは高笑いしながら、今度は黒い霧を吹き付けてくる。

その霧を拳圧だけでケンシロウがぶっ飛ばしたときは流石にミトラも顔色を変えたが、しかしながら蛇の下半身を上手に利用して下がりつつ、大量の魔術を投擲してくる。その全てを、今度は前に出た唯野仁成が切る。数で攻めてきた分、一発一発の威力は小さめである。充分今の技量なら切れる。

周囲に拡がっていく液体。

予想通りだ。奴の能力は、全身の液体化。既にそれは読んでいるし。読んでいるから、もはや終わりだ。

「ハハハッ! 今度こそ、防ぎ切れまい!」

勝ち誇ったミトラが吠える。

壁に沿って液体が拡がっていくのは此方からもさっきの時点で見えていた。

だから、アナーヒターに手を打って貰っていたのだ。

北斗神拳対策のつもりだったのだろうが、それが逆に墓穴を掘ることとなったのである。

ミトラの高笑いが止まる。見る間に蒼白になっていくミトラ。文字通りの意味である。全身が凍り付いていっている。

氷魔術のスペシャリストであるアナーヒターに。液体を。

そう、本来全身が全て液体で構成されていて、それを自在に操るミトラを、凍らせて貰ったのだ。

そしてわざわざ体を液体化させたのが運の尽きとなった。

突貫するケンシロウ。凍り付きつつも、必死に防ごうとするミトラだったが。

その前に出たゼレーニンが、きっとミトラをにらみつけると。不慣れな手つきで、アサルトの弾丸を顔に叩き込んでいた。

もう、顔を見るのも嫌だ。

そう口を引き結びながら、アサルトの弾が尽きるまで撃ち込み続ける。ミトラは反撃に出ようとしたが。

一番目を離してはいけない相手から、一瞬でも注意を離した。

それが終わりの切っ掛けとなった。

どずんと音がして、ケンシロウが指を地面に突き刺していた。というか、地面をぶち抜いていた。

呆然としていたミトラが。やがて砕け、溶け集まりながら絶叫していた。

もう獅子の頭も、蛇の体も、残らず。ただわめき続ける、汚らしい塊が其所にあるだけだった。

「な、なな、何をしたああああああっ!」

「……醒鋭孔。 お前は今、全ての痛覚が剥き出しになっている」

「!!!!!!!」

絶叫するミトラ。

それはそうだろう。肉体があるならともかく、全身が液体という状態で。全ての痛覚が剥き出しにでもなったらどうなるか。

そんなのは、唯野仁成もこう言うしかない。想像したくない、と。

唯野仁成が見ている先で、何をされても全身に気絶級の痛みが走り。それから解放されもせず、ただもがいているミトラだったものがばたんばたんと暴れている。ゼレーニンも、その有様を見て、何も言わなかった。

北斗神拳は恐ろしいな。

そうは思った。ただ、ミトラに同情はしない。人間の中にも、これくらいの罰を受けるべき輩は幾らでもいる。だが、殆どの場合、罰を受けずに高笑いしながら好き勝手に生きている。

此奴は罰を受けた。

そして、この罰は非人道的でも何でも無く、ごく適正な内容だ。

「こ、ころ、ころしてくれ、ころして……」

「お前の魂に、その痛みは永久に刻まれ続ける。 産み直しとやらを、何度でも受けてみるがいい。 生まれ落ちた瞬間から、その痛みは貴様を貪り続け、治る事もないだろう」

「ひっ……!」

妙な能力を使ったばかりに。

そして、ミトラはついに限界を迎えたのだろう。完全に全身が壊れ、崩壊していく。もはや形を為していなかったが。全てが崩壊しながらマッカになっていく。

同情には一切値しない。

一つ、はっきりしたことがある。

他の連中は、産み直しとやらでまた立ちはだかってくるかも知れない。だが、ミトラスおよびミトラは。

二度と戻ってくる事はないだろう。

北斗神拳を喰らって死んだもの特有の、面白い悲鳴を上げることすら無かった。ミトラスは、もはや意味すらなく、音すら無く。崩壊して完全に死んだ。

後には、情報集積体が残っていた。

ミトラスとミトラのデータは崩壊しているかも知れないが、別にどうでも良い。あんなもの、作る気にもなれないし。

何よりも、必要なのは別の部分のデータなのだから。

ケンシロウがゆらりと立ち上がると、ゼレーニンは吹っ切れたように、てきぱきと周囲を探し始める。

この三叉路の隅々まで調べて、ようやく一旦は終わりだ。

まだこの空間に潜む大母が何処にいるかは分からない状態だが。

それでも、一段落はついた。

そろそろ、副動力炉が回復の目処が立つ頃だろう。

それに、四つの情報集積体から、鍵を解析しなければならない。それでまた時間が取られる。

どちらにしても、すぐには動けないのである。

敵の残存勢力も少しは残っていたが。ミトラの凄まじい死に様を見たからか、

すぐに降参して、仲魔になることを申し出た。他のクルーに、そういう戦意が無い相手は譲る。

勿論油断すれば襲いかかってくるだろう。ただ、側でケンシロウがじっと見ているので、恐ろしくてそれどころでは無いかも知れないが。

程なくして、全てが終わる。

ゼレーニンが、何も言わずに目の辺りを擦っていた。デモニカだから、涙を拭うことは出来ない。

今は、何も声を掛けない方が良い。

唯野仁成は、経験的にそれを知っていた。ケンシロウもそれは何となく分かっている様子で、じっと最悪の敵に打ち克ったゼレーニンの背中を見つめていたのだった。

 

2、鍵の形

 

唯野仁成が方舟に戻る。すぐにゼレーニンは研究室に。休まなくても大丈夫なのかと聞いたが、へっちゃらだと答えられたので。そうかとしか言えなかった。

ケンシロウは相変わらずふらっと消えてしまう。

作戦に参加したクルーは、主に雑魚戦で体力を消耗したこともあったが。ただ。やはり彼らから見ても、ミトラの末路はぞっとするものだったようだ。すぐに休憩をしに戻っていった。

唯野仁成は殆ど負傷をしていないが。

一応、艦橋に出向いて報告だけはする。

ゴア隊長が出迎えてくれる。

既にプラントも回収し弾薬も補充が済み。副動力炉も、もう少しで復旧出来るところまで来ていると言う。

怪我が長引いていたウルフもようやく戦闘復帰が出来る状態になり。

他の一線級メンバーも、どうにか戦えるようになったと言うことだった。

ケンシロウと唯野仁成で頑張った成果が出たのである。

ただ、ヒメネスだけはまだ万全の状態とは思えない。

艦橋に集まったスペシャル達の少し後ろに控えているヒメネスは、鬱屈した様子だったので。

少しだけ心配になった。

ゼレーニンは、越えるべき壁を越えた。これで、余程の事が無い限りはもう大丈夫だろうと思う。

色々と裏で糸を引いている奴がいる気がする。

あのライトニングが持ち込んだ工場と言い。ライトニングが見せつけてきたこの世の邪悪の塊と言い。

どうにも悪意を感じるのだ。

だが、その悪意にも、今のゼレーニンなら打ち勝てる気がする。

勿論ゼレーニンはそれほど心が強靭な方ではないだろうけれども。それでも、今なら心配はしていない。

「真田技術長官は、今研究室で情報集積体を解析中だ。 鍵の解析が出来そうだという報告を聞いている」

「それで、迷宮の奥には何も無かったが……」

「それだ。 それについても、解析をしてくれるそうだ」

ゴア隊長は、ストーム1の疑問にもきちんと答えてくれる。

サクナヒメは回復に専念していたこともあって、もう本調子に戻り。それどころか、神田で収穫も済ませた様子で。更に力が上がっているのが感じ取れる。

これならば、次の大母との戦いも何とかこなせそうだ。

そして時間を無駄にしない為にも。

嘆きの胎四層を、先に攻略してしまうと。

無駄の無いプランである。唯野仁成としても、多少忙しいとは感じるが、それで良いと思う。

どうせ鍵の解析には、スパコンや真田さんの頭脳を総動員したところで、数日はかかるのである。

それならば、今の強化された戦力で、さっさと嘆きの胎四層を叩いて「実り」とやらを回収した方が良い。

実りとやらがなんなのか、デメテルの目的が何なのかは分からないが。

いずれにしても実りとやらが規格外の情報集積体で。

それがシュバルツバースの謎を解き明かす鍵の一端となっているのであれば。それは回収して損は無いはずだ。

既に二つが回収されている。嘆きの胎は入り口に辺る浅層を除けば、六層まで。実りは六分割されているらしいので、恐らく後三つ。もう一つがアレックスの手にあるが、どうせ嘆きの胎に出向けば仕掛けてくる。いずれ回収の機会はあるはずだ。

「予定通り、これより嘆きの胎四層に向かい、一気に攻略する。 四層は入り口付近を調査したところ、やはり空間が歪みに歪んだ複雑な構造をしている様子で、三層よりも更に強大な看守が彷徨いている。 そして恐らくだが、混乱に乗じてアレックスが仕掛けてくる可能性が高い。 しかし、既にアレックスを皆が上回っていると私は信じている」

ゴア隊長の言葉通りだ。

勿論万全の状態でアレックスが仕掛けて来たら、唯野仁成だけなら対応は厳しいだろう。

だが。唯野仁成と誰かスペシャルが組めば。ヒメネスでもいい。それで恐らく撃退は可能である。

「これより嘆きの胎に向かう。 少しスケジュールは押すが、シュバルツバースが今も拡大を続けている状況で、これ以上時間を無駄にはしたくない。 皆の奮闘を期待する」

敬礼をされたので、此方も敬礼を返す。

すぐに方舟が動き出し、スキップドライブを開始。

量子のゆらぎが分かっていれば、スキップドライブの航路そのものはアーサーがすぐに導き出してくれる。

フォルナクスに入るとき攻撃してきた飛翔体も、それ以降は姿を見せることは無い。

スムーズに嘆きの胎に移動する事に成功。

すぐに降りるべく、動こうとしたが。ヒメネスが先んじるように挙手する。

「ゴア隊長」

「どうした、ヒメネス隊員」

「今回俺は正直あまりコンディションが良くない。 いつもライドウの旦那に頼んでいる二線級クルーの演習、俺が引き受けたいんだが、良いだろうか」

「……駄目だ。 アレックスが君を狙ってきたとき、二線級のクルー達を守れない」

ゴア隊長の分析はもっともだ。

しばし俯いていたヒメネスだが、了解と答えて、ゴア隊長の判断に従う。

ライドウ氏は元々マッカをどか食いする悪魔を多数抱えている事もある。こう言う任務や、偵察任務、或いは総力戦時の方が向いている。

今回は多少戦力に余裕がある。

ヒメネスには、前線に出て貰って。更に力をつけて貰う方が良い。ただ、決戦時のメンバーからはゾイからの要請もあって外す。ゴア隊長は、その辺りを丁寧に説明し。ヒメネスも分かっていると言った。

結局ライドウ氏が二線級のクルーの演習を引き受け。

インフラ班と調査班が、連携してプラントを設置し始める。

物資はあるという事だが。一応予備を作っておくつもりなのだろう。

サクナヒメと唯野仁成が。ストーム1とヒメネスが組む。そしてケンシロウは、調査班数名を連れて、後方から行く。

四層入り口に設置したタレットなどは無事だ。

元々悪魔にとっては、生体エネルギーの探知などは得意なようだが。逆に全て機械で出来ていて、自動反応で攻撃してくるタレットのような兵器はむしろ苦手らしい。

大火力の弾丸、それもシュバルツバースに来てから開発された対悪魔用の弾丸を撃ち込める重機関銃を搭載したタレットである。

既にそれに引っ掛かった間抜けの残骸が階段にマッカとなって散らばっていて。

味方の最後を見て、二の足を踏んだのだろう。わざわざ四層を超えて此方に様子を見に来ようとする悪魔もいないようだった。

インフラ班が、タレットの更なる補充と、弾丸の補給をしている。

どうやら全ての階層の入り口にタレットの設置を行い、それぞれの階層を悪魔が好き勝手行き来できないようにするらしい。

また恐らくだが、監視カメラ付きでの自動迎撃陣地を作る事で、アレックスの動きもある程度封じるつもりなのだろう。

ただアレックスは、魔神インドラを駆使し、その神の武具である空飛ぶ戦車を有している。

わざわざ階段なんて使って階層を行き来はしまい。

しかしながらアレックスは、嘆きの胎を徘徊しているデメテルと対立しており、目もつけられている。

目立つ事も、あまりする気は無いだろう。

怪我から復帰した一線級の機動班クルー二十名ほどが、四層に降り立つ。これに機動班五名を連れたケンシロウが続く事になる。

まだ負傷中の機動班クルーはいるが。

その回復を待つ意味も当然ある。四層は、さっさと今回で攻略してしまいたいものである。

四層に入ると、やはり周囲から感じる殺意と敵意が強い。

六層の看守ほどでは無いが、やはり相当に危険なのがうようよいる。

更に空間が彼方此方歪みまくっていて。無数の植物で覆われた不思議な土地である嘆きの胎も。

空間が乱れに乱れて、何が何やら分からない光景になっていた。

「あー、此方ムッチーノ。 僕から姫様班のみんなはサポートするよ。 調査班も支援するけれど、移動しながら渡してある電波中継器は撒いていってね」

「了解だ」

唯野仁成が応じる。サクナヒメは、じっと周囲に目を配っている。

この様子からして、サクナヒメでも油断出来ないレベルの相手がいるということだろう。

デモニカを通じて聞こえるが、どうもストーム1班は春香がサポートをしているらしい。まあ、ヒメネスの調子が良くないから、という理由もあるのだろうが。

うらやましがっている機動班クルーも散見されたので、苦笑いするしか無かった。

そのまま、周囲を探索して行く。

植物は浅層から比べて、太く逞しくなっていく一方だ。一部では花が咲き、実がついている場所もある。

その一方で得体が知れない色の泉が湧いていたり。

その周囲には、息絶えたらしい悪魔の残骸が、マッカになって散らばっていたり。

或いはそのマッカを栄養分にしたのか、見た事も無い奇怪な植物が、大輪の花を咲かせたりもしていた。

地面も全て植物。うねっている状態だ。

周囲を見回すが、今日はデメテルはちょっかいを出してこない。何を目論んでいるか分からないから、ひやりとする。

前回、三層を突破する時に遭遇したときは、接近にすら気付けなかった。

デメテルの実力は、まだまだ唯野仁成などでは及ぶところでは無い。

更に力をつけないと。大母の一柱目を下し。フォルナクスで戻って来た空間の主達を仕留めたくらいで、調子になど乗っていられない。

のそりと、姿を見せる悪魔。

下半身は痩せ果てた人間のようだが。上半身はざっと十体以上の人間が無理矢理融合したような姿をしていて。

無数にある手には、さび付いた包丁を大量に持っている。

顔も全てが狂気に歪んでいて、その有様を見るだけで悲鳴を零す隊員もいた。

凄まじい姿だが、姿だけでは無い。感じる圧迫感も尋常では無い。意味不明の言葉を多数ある口から垂れ流しながら、跳躍する看守らしき悪魔。

上空から、無数の斬撃が降り注いでくる。

アナーヒターが氷の壁でそれを防いでいる間に散開。

氷の壁がぶち抜かれるが、その時は既に包囲網を完成させ、一斉に周囲からアサルトを浴びせかける。

更に唯野仁成はイアペトスと共に接近戦を敢行。イアペトスが人間部分を立て続けに数人分貫き、唯野仁成は駆け抜け様に一人分を切りおとす。

だが、斬り飛ばした人間部分は、見る間に再生していく。

魔術もその間に悪魔にどんどん着弾しているが。枯れ細ったように見える下半身部分に突き刺さった魔術も、相手の動きを止められていない。

また生えてきた手が、武器ごとミサイルのように射出される。速さも重さも尋常では無く、撃ち出される度に衝撃波が迸るのが見えた。誰かの手持ち悪魔が、その度に一体ずつやられていく。

流石に四層の看守悪魔だ。油断出来る相手では無い。

サクナヒメが動く。悪魔では無く、クルーを狙った一撃を、踏み込みと同時に弾き飛ばす。

そして一呼吸で、悪魔の至近を抜け。

胴体を、一閃。上半身を丸ごと切りおとしていた。

地面に落ちた悪魔の上半身が消えていく中、真っ二つになった下半身も消滅していく。剣を鞘に収めたサクナヒメが、飛び退く。

まだ終わりでは無いと判断しているのか。唯野仁成も、アリスに魔術の指示。

アリスも小首をかしげながら、詠唱を続けていく。

悪魔の死体があった場所から、猛烈な勢いで何かが飛び出してくる。それは恐らくだが、寄生虫か何かのように見えた。

人型の悪魔にあれが寄生して、あのような姿にしていたと言う事か。超巨大なギョウ虫のように見えるそれは、凄まじい蠕動をしながら、次の寄生先を見定めようとしている様子だ。

そこに、狙い澄ましたアリスの大威力火焔魔術が直撃し。文字通り炎の塔になる悪魔の寄生虫。

だが、脱皮して無理矢理その炎を体から引きはがす。

しかし、そのまだ柔らかい体に。追加で呼び出したイシュタルが拳を叩き込み。イアペトスが無数の槍での乱打を叩き込み。更にアナーヒターが、冷気の魔術を思う存分叩き込む。

動きを止めた寄生虫は、更に脱皮。

いや、違う。

体内が全部卵になっていて、それを周囲にばらまこうとしたのか。

だが、其所でサクナヒメが動く。

跳躍し、着地。

卵らしきものは、全て粉々になり。空中でマッカになって消えていった。

「悪魔を全てPCに戻せ! 寄生されていないか気を付けるんだ!」

唯野仁成が呼びかける。サクナヒメは大丈夫か少し不安になったが、見ると青いオーラで全身を覆っている。

毒や熱などを防ぐ事が出来ることは知っていたが。

恐らく、力を取り戻す過程でまた使えるようになった本来の力なのだろう。

サクナヒメは鬱陶しそうに、切り損ねた卵の一つを手で掴み取ると、握りつぶしている。

青い光は、サクナヒメに害を為すものを全て遮断できるらしい。ただ、恐らくは弱い相手限定で使える力なのだろうが。

デモニカで解析し、そして卵を全て破壊し尽くした後。通信を入れて、他の隊員に注意を促す。

この悪魔は非常に危険だ。データが後から出てくる。サンニヤカーとある。

何でもスリランカの悪魔で、疫病を司る「ヤカー」の上位存在に当たるらしい。

だとしても、このような悪趣味な能力にしなくてもいいのにとちょっとだけ唯野仁成はげんなりした。

スリランカにおける夜叉の姿という説もあるらしいが。

悪魔は基本的に、国境を跨ぐと姿をがらりと変える。

いずれにしても病魔がベースになった悪魔なのだとすれば、どれだけ恐ろしい存在でも不思議では無い。

後は調査班に引き継いで、先に進む。

やはり四層は相当に空間が複雑に入り組んでいて、途中で何度か看守と遭遇戦にもなる。いずれ劣らぬ強者ばかりで、どうしても消耗は避けられない。

クルーの消耗を見て、一度サクナヒメが撤退を指示。無言で皆、それに従う。

いずれ数日は此処を探索し、実りを回収する予定なのである。

ならば、休息はしっかりとらないといけないだろう。

入り口でサクナヒメが、念入りに体のチェック。サンニヤカーの卵がまだ付着していないか、確認しているのだろう。

流石にサクナヒメくらいになると、寄生されれば自力で気付けるだろうが。寄生されるのは良い気分がしないのだろう。

クルー達の方も確認して、卵が付着していないか調べてくれる。

デモニカの機能は優秀で、寄生を受けたクルーはいなかった。すぐにデータを真田さんの方に回し、寄生に対するチェック機能を有するパッチを配布して貰う。デモニカは無限に等しい拡張性が特徴だ。パッチを当てて、どんどん機能を強化していくことが出来る。

流石にギョウ虫の親玉や、更に悪趣味の極みみたいな悪魔を見て、食欲が無いのか。自室に直行するクルーが多い中。

唯野仁成は、レクリエーションルームに移動して、其所でコーヒーを飲む。

しばらく休んでいると、ストーム1のチームも戻って来た。2チームで手分けして探索して、今丁度マップの進捗が三割くらいだそうである。次の探索ではまた人員を入れ替えて、調査をする事になる。

ヒメネスが来るかなと思ったのだが。やはり相当に参っているのだろう。ヒメネスは来なかった。ならば少し休んでおくかと思って、自室に移動する。途中、ぽんとPCから出て来たアリスに聞かれる。

「ヒトナリおじさん、ヒメネス待ってたの?」

「ああ。 様子がおかしいからな」

「友情?」

「そんなところだ」

ほーと、嬉しそうにいうアリス。

なんか変な勘違いをされてそうなので咳払いをする。アリスは興味津々の様子である。

まあ理由は分からないでもない。

アリスは保護者があんなだし、本人の性格もこんなだ。

魔界にいたとして。周囲に対等な立場の友達がいたとも思えない。魔界以外でも、それは同じだろう。

アリスがちょっと力加減を間違えたら壊れてしまうような相手しか周囲にいなかったことは想像に難くなく。

その辺り、ベリアルとネビロスだったか。

過保護な親達が、気を揉むのも分かる気がする。

「友情ってどんな感じ?」

「アリスも同年代の友達がほしいか?」

「うん。 年が違う友達はいるんだけどなー」

「そうだろうな。 同じくらいの年の悪魔で、強力なのはいないのか?」

首を横に振るアリス。

子供の姿をしていても、中身はそうではなかったり。力がかなり違ったりで、相当に厄介だという。

何より保護者が保護者なので、混沌陣営の重鎮でも中々条件が合う友達はいないし。

秩序陣営の悪魔は論外。

たまに人間世界にふらりと足を運んだりもするけれど。

やっぱり力が違いすぎるか、もしくは年がかなり離れているかで。同年代の友達はできないという。

此処で言う年というのは、精神年齢の話だ。

まあ、アリスのような極大の力を持っている子供がいるかというと、それはノーだろう。

或いはあのぐるぐる眼鏡の堕天使だったら、子供の姿くらいは持っていそうだが。立場が恐らく違う。

難しいものだなと、唯野仁成は思う。

自室でベッドで横になると、アリスをPCに戻す。アリスが友情の話を聞きたがるので、高校時代や、第一空挺団にいた頃の話をする。国際再建機構に入ってからは、唯野仁成はぐんぐんエースとして頭角を伸ばしたので。アリスと似たような状態になっていった。要するに同格の友達は殆どいなくなってしまった。

それは寂しい状態では確かにあったが。

唯野仁成は既にその時にはとっくに成人していたし。

何よりも、別に孤独を苦にするタイプでは無かったので。別に、問題だと感じる事はなかった。

「ドライなんだねヒトナリおじさん」

「そうだな。 そうでなければ、やっていけなかったのだろうな」

「色々めんどうくさーい」

「その通りだ。 だけれども、その辺りの仕組みは悪魔の世界だって同じだろう?」

アリスもそれで納得したのだろう。頷くと、静かになった。

後は唯野仁成も目を閉じて、少しの時間休む事にする。

後二回の探索で、恐らくは囚人の所にまで行ける。アレックスは恐らく仕掛けてくるとみた。

今度こそ、取り押さえたい。相手の力を上回り始めた今なら。

捕縛は不可能では無い筈だった。

 

アレックスは四層にて、遭遇した看守を片付けながら。囚人が収監されている牢の前にて待ち伏せていた。

唯野仁成が来ている。

そして、通信を傍受(かなりジョージも苦労していたが)する限り。もう唯野仁成達は、フォルナクスの攻略を半ば完了させている状態だ。

驚異的な速度である。

普通の世界線だったら、まだ連中はデルファイナスで苦労している頃だ。良くてエリダヌスに入ったばかり。

フォルナクスに入った頃には、既に南極を覆い尽くしたシュバルツバースが、南米とアフリカに到達。

解き放たれた悪魔が、無差別虐殺を開始している頃である。

核によるシュバルツバース破壊作戦も実施され、それも一切合切効果が無く。

第三諸国の軍など悪魔には手も足も出ない状態で。

国連軍も腐敗し弱体化した結果、文字通り指をくわえて虐殺を見ているしかない。

そんな地獄絵図が展開されている頃だというのに。

まだシュバルツバースが南極を覆い尽くしてもいないタイミングで、フォルナクスの攻略に王手を掛けているのか。

いつもは、だいたいこの辺りで戦いを諦めて、次の世界線に行く事をアレックスはジョージに提案され。それを受け入れている。

理由は簡単で。唯野仁成に勝てなくなるからだ。

そしてこの世界でも。この間の戦いで、アモンとの激戦の直後とは言え、唯野仁成に遅れを取ってしまった。

異様にハイスピードで進んでいても、唯野仁成の成長速度はまるで変わっていない。

それどころか、普段の世界線だったら絶対に死んでいるゴアがずっと生きて、皆の支柱になっていたり。

他にも訳が分からない強さの奴が何人も紛れていたりと。

この世界線は、今までアレックスが経験してきたどれとも違う。だからなのか。ジョージは次に行こうとは、提案してこない。

異常に強いデメテルなど、不安になる要素も確かにあるのだが。

ジョージは極めて合理的にものを考える、頼りになるバディだ。昔のAIと違ってジョークも言えるし、アレックスの心にも配慮してくれる。

何かジョージには考えがある。それが分かるから、アレックスも信頼して、こうやって戦いに備えているのだ。

「ようアレックス。 今回は囚人を狙わないのか」

「……」

うんざりして苦虫を噛み潰す。

潜んでいるアレックスに話しかけてくるのは、下半身が触手になっている悪童という雰囲気の悪魔、シャイターンである。

一神教でもイスラム教における高位悪魔で、実力は非常に高い。本来なら好意的に接してきてくるのは良いことだと思うのだが、愛情表現がストレートすぎてうんざりである。はっきりいってセクハラにしかなっていない。

ジョージが代わりに答えている。

「シャイターン。 この階層の囚人は、既に看守に入れ替わっていることを知っているか」

「ああ、罠だろ。 中から感じる雰囲気がちげえもん。 ただ、それでもその高い力を秘めたものはあの中にあるぜ」

「実りのことか」

「そうそう実り。 デメテルがそう呼んでる奴な。 それ、スゲーパワーがあるぜ。 俺にくれたら、彼奴らみんなまとめて倒してやる。 ただ俺の子供を産むのと条件は引き替えだけどな」

苛ついているアレックスに気付いているのだろう。

ジョージは、シャイターンが機嫌を損ねないようにも配慮しながら対応してくれる。

「提案としては悪くないが、その実りというものの解析がまだ此方では済んでいない上に、そもそも唯野仁成を滅ぼすだけでは問題は解決しない。 故に申し訳ないがその提案は受けられない」

「何だよ、簡単に終わるのに。 それに俺様だったら、人間の男なんかより何百倍も強い快感与えてやれるんだけどなー」

「結構よ!」

「ハハハ、恥ずかしがるなって。 だいたいお前の肉体年齢、子供を産むのに最も適してるじゃないか。 生物としては子供を作るのが普通だし、何より俺様みたいな高位悪魔の子供産んでおけば、多分後で楽できるぜ? どんな世界でも子供達と一緒にやっていけるし、何より俺様も守ってやるよ」

頭を抱えたくなるが、シャイターンには本気で悪気は無いらしい。

いずれにしても邪魔をしないように念を押すと、しばらく潜んで様子を見る。ジョージが警告をしてきたのは、しばし後だった。

「やはり来たぞ。 サクナヒメというアンノウン。 ストーム1というアンノウン。 これに加えて、唯野仁成とヒメネスがいる。 ヒメネスとケンシロウというアンノウンは距離が離れているな。 今回ヒメネスは最前線に出ることを控えているようだ」

「あの巨大な次世代揚陸艦が来ている事から言っても、恐らくは来るとは思っていたのだけれども。 やはり来たようね」

「仕掛けるか」

「この間の戦闘の結果を見る限り、敵の戦力は更に増していると見て良いわ。 恐らく敵は罠を力尽くで喰い破りに来る筈。 消耗したところを叩くわよ」

OKバディ。そう答えると、ジョージは黙り込む。

シャイターンは空気を読んだのか、静かになる。

やがて、囚人の周囲にいる看守達も動き出す。

かなりの数の看守が集まっていたのだが。それが悉く、迎撃に向かったようだった。

激しい戦いの音が響きはじめる。ジョージが、それで分析がやりやすくなったと言っている。

「ふむ。 あの中には囚人の代わりに現在看守が五体いる。 ……堕天使フォルネウス、堕天使アガレス、魔王ラーヴァナ、魔王インドラジット、破壊神アレスだな」

「いずれ劣らぬ面子ばかりね」

「ああ。 元々中にいたデメテルを上回る戦力をと言う事でかき集めたのだろう。 だが、解せないことも多い。 ラーヴァナとインドラジットの親子を除くといずれもが神話において別に仲が良いわけでもない連中だ。 混沌属性という事以外に共通点がない」

堕天使フォルネウスとアガレスは、それぞれソロモン王が行使したことで伝説になっている魔神である。いわゆるソロモン王72柱のうち二柱だ。そのうちアガレスは序列一位。とはいっても、別に序列が高いからといって強い訳でも偉いわけでも無いのだが。この辺りは、元々の神話がいい加減と言う事である。勿論この二柱は別に仲良くもない。

魔王ラーヴァナはインド神話における悪魔的存在の一角である羅刹(ラクシャーサ)(同じく夜叉がいるが、羅刹は夜叉とは別物である)の王であり。インド古代神話の重要な物語である「ラーマーヤナ」における最大の魔王である。インドラジットはその息子で実際の名前はメーガナーダといい、ラーヴァナをも凌ぐ力を持ち、神々の王インドラを破ったことから「インドラを破った者」を意味するインドラジットの名前を、最高位の神であるブラフマーから貰った逸話がある。なおこの時インドラの戦車も奪っている。

インド神話では面白い事に神も悪魔も修行を行って強くなるのだが。インドラジットは修行を失敗して弱体化して、その結果討ち取られてしまうと言うインド神話らしい不思議な負け方をしている。

アレスはギリシャ神話の支配者階級オリンポス神族の一角である。軍神ではあるが、同じく軍神である女神パラスアテナの噛ませ犬として当てがわれており、性格も悪い。ただしツラだけは当時の基準で美しいという事にされている存在だ。

これはアレスがギリシャという民族共同体文化圏の中では、マイナーで立場が弱い民族が信仰していた神だった事が要因である。ギリシャ神話では噛ませ犬に常にされている挙げ句、性格も最悪の最低な神であるアレスだが。ローマ神話でマルスになると、お行儀がよいローマ神話の中で信仰を集め、知恵の神ミネルヴァへと代わっていったパラスアテナと上手に棲み分けを行う事に成功。クリーンで性格もいい軍神へと変わっている。

いずれにしてもどいつもこいつも相当に手強い神格ばかりだ。

五層にはあのゼウスが収監されていることが分かっているが。

それを差し引いても、過剰戦力と言わざるを得ないだろう。

戦闘が徐々に近付いてくるとジョージが言うので、アレックスは身を潜めて待つ。

途中、悲鳴が何度も聞こえる。いずれも悪魔の悲鳴ばかりだった。

「ほー。 ここに来ようとしている連中、相変わらずすげーなあ。 此処の看守、強い奴ばっかりなのに殆ど苦にしてないぜ」

「既に大母の空間にまで侵入している連中よ。 しかも見た所、殆ど被害も出していない」

「ハハ、それじゃあ大魔王様も形無しかもな。 アレックス、いっそのこと相手についちまえよ。 そうするのが俺様から見れば一番合理的だと思うけどな」

「……」

けらけら笑うシャイターン。複雑な気分だ。

唯野仁成は、明らかに今まで見てきた唯野仁成と違う。

シュバルツバースの外で見た唯野仁成は、外道、人でなし、悪魔、それらの言葉を全てぶつけても足りないほどの相手だったし。

シュバルツバースの内部で遭遇した唯野仁成だって。最初の内は、相手を観察して違うかも知れないと思ったが。

いずれの世界でも、辿る結末は。狂った戦闘狂か。いかれた狂信者か。殺戮マシーンかの三択でしか無かった。

今回は様子が違う。確認しようとジョージは言っている。確かにアレックスと会話をしようと試みてきてもいる。

ぐっと身を伏せて、様子を窺う。やがて、奴らが姿を見せた。

囚人の存在を確認したらしい。だが。その場で待っている。まさか、戦力を増やすつもりか。

そのまさかであった。サクナヒメとストーム1がいる上、更にケンシロウが来る。ゼレーニンの姿もあるが。ゼレーニンは普段、連れることがない筈の悪魔を連れていた。

あれは大天使のように見えるが。

ジョージがサポートしてくれる。ラジエルという大天使で、神の知識を詰め込んだラジエルの書という一神教における重要な道具を管理している存在だそうだ。

驚愕を隠せない。ラジエルなんてどうでもいい。ゼレーニンの行動にである。

今まで幾つものシュバルツバースを渡って、ゼレーニンについて研究してきた。一神教に都合が良い、心の根幹に「神の絶対」をおいている科学者で。悪魔を嫌悪する、典型的な西洋圏の人間だった。だからこそマンセマットにつけ込まれたし、最悪の事態を引き起こしたのだが。

「あの悪魔召喚プログラム嫌いのゼレーニンが、悪魔召喚プログラムで大天使とはいえ悪魔を作っているというの!?」

「そういう事になる。 やはりこの世界は、今までとは違うとみるべきだろう」

「……やっぱり、信じられない。 何か幻を見せられているのではないでしょうね」

「アレックス、やはり君は柔軟性を失っているんだ。 素直に彼らに接触しよう。 どうも今の彼らは、我々が知る鬼畜外道の代名詞だった唯野仁成と、その関係者だとは思えない」

ジョージはついに戦闘の放棄まで提案してきたが。やはり納得いかない。

ただし、ジョージに対する信頼もある。それは当然消えるわけが無い。事実上の家族なのだ。

ジョージはAIだ。だが実体が無かろうがあろうが関係無い。

ジョージがいなければ、アレックスは此処まで生きてくることさえ出来なかったのだから。間違いなくジョージはアレックスの家族である。

「予定通り連中の消耗を待つ……いや見て」

「!」

見ると、唯野仁成以外の全員が、あの囚人が待つ罠の中に入っていく。そして、唯野仁成は剣を抜くと、此方に呼びかけてきていた。

「アレックス! いるな。 此方は逃げも隠れもしない。 話をしよう」

すぐに罠の中では戦闘が始まった様子だ。要するにあの化け物じみた連中は、内部で強大な悪魔五柱と激戦の真っ最中。小細工を此方に仕掛けてくる余裕は無いはずだ。

ジョージは。何も言わない。

アレックスに任せると言うことだ。

実際問題、唯野仁成は、手持ちの悪魔だけを展開して此方を待っている状態である。

アレックスの方にも問題はある。

アモンがまだ不調で。全力を出すどころか、出せない。これはマッカ不足もある。

しかしながら、唯野仁成一人だけなら。今のアレックスで。

しばしの葛藤の後、ついにアレックスは決断した。

隠れていた茂みから姿を見せる。同時に、手持ちの悪魔達を召喚する。唯野仁成も悪魔を召喚済だから、条件は五分だ。

「アモンは出さなくてもいいのか」

「ハンデよ。 あんたなんか、アモン無しで充分だわ」

「違うな。 君の性格上、アモンを出せないというのはマッカが足りていないと言うことだろう。 アモンほどの悪魔だ。 単独行動を続けている君が、嘆きの胎で充分にマッカを集められるとも思えない。 復活に必要な分のマッカが足りないのだろう」

「知った風な口を……!」

苛立ちながら、光の剣を起動する。

プラズマによって一瞬で敵を焼き切る必殺の剣だ。だがこいつは。唯野仁成は、合金製の剣でこれと渡り合ってくる。

もう、油断はしない。

そして今回は、アモン戦の消耗もない。アモンはいないが、条件は此方が有利だ。

構えを取ると、唯野仁成も構えを取る。戦いを受けて立つと言う事だ。

話し合いを望んでいたようだが、頭の切り替えも速い。まあいい。どうせ殺すんだから関係無い。

殺意一色で頭を塗りつぶすと。

アレックスは、地面を蹴って。雄叫びと共に、恨み重なる相手に躍りかかっていた。

 

3、崩れる均衡

 

アレックスが伏せていることは唯野仁成には分かっていた。更に、デメテルが収監されていたらしい場所に、相当数の凶悪な看守がいる事も。

だから、唯野仁成は、突入を悩むサクナヒメとストーム1に挙手し。

方舟の守りを担当するライドウ氏以外の全戦力を集結させるべきだと言った。

更に、そろそろアレックスとは話をつけておかなければならないとも思った。場合によっては殺す事も視野に入れなければならない。

唯野仁成は軍人だ。どうしてもわかり合えない相手は殺す事を割り切れる。

実力に差がなく捕獲が難しい場合もそれは同じ。

しかし、今なら。

アレックスを恐らく引っ張り出すことが出来る。戦うにしても、恐らく取り押さえる機会がある。

故に戦力を集結させるべくケンシロウを呼び出して。更にはアレックスを引きずり出すために、唯野仁成だけが残る事を提案したのである。

サクナヒメも、これ以上の不毛な奇襲を受けるのはうんざりしていたのだろう。提案に乗った。

そしてケンシロウに来て貰い。更に一人きりになって、アレックスを待った。

現在、激しく刃を交えているアレックスは、残念ながら話を聞いてはくれなかったが。それはそれだ。

ともかく、分かった事がある。

アリスが魔術をぶっ放すと。パラスアテナが光の壁を展開し、前に出る。これがアリスが魔法を放つのを躊躇した原因か。だが、槍の石突きでパラスアテナをイアペトスが吹っ飛ばす。

魔法は空を切ったが、跳ね返されるよりマシだ。

パラスアテナとイアペトスが向かい合う。オリンポス神族とタイタン神族で因縁のカードである。その上実力は文字通り伯仲。双方はにらみ合いの末、激しい激突を始めた。どうも打撃はパラスアテナに効果が殆ど無いようだが、イアペトスは魔術が籠もった槍でパラスアテナに攻撃を通しているようだ。

インドラは次々に矢を引き絞るが、残像を作ってそれをかわしながら、インファイトを挑むイシュタル。

ダゴンは水の魔術を使って、アナーヒターと互角のぶつかり合い。そうなると、問題は残り一体だ。

降りてくるアリス。肩に手を当てて回している。

もう一体は、派手な色をした、恐らく東南アジア系の悪魔だ。女性悪魔のようだが、原色の刺青をしている。蠱惑的と言うよりも、それが恐ろしいまでに原始的な印象を受ける。

「鬼女ランダかー。 打撃を一切合切無効化する上に、色々面倒な魔術使うんだよねー」

「任せられるか」

「合点」

アリスが、ランダと呼ばれた悪魔に向けてすっ飛んでいく。ランダは爪を伸ばしてインファイトに備えたが。アリスは至近で上昇すると、上空から火焔の魔術を叩き込む。

物理攻撃に無敵でも、魔術に対してまでは無敵ではないのだろう。しかもアリスが面倒な魔術を使うと言っていた。と言う事は、纏わり付いて離れない方が良いと言う事でもあるのだろう。

アレックスの剣撃を捌きながら、周囲を確認。

恐らくだが、まだいる。シャイターンである。

現在、スペシャル三人とクルー二十人弱が、デメテルの代わりに実りを守っている看守悪魔の精鋭五体と戦闘中だが。そっちはもう任せるしか無い。問題は相当に強いと既に太鼓判を押されているシャイターンだ。奴は遊び半分で、名前も知られているギリシャ神話の魔犬ケルベロスを体当たりで吹っ飛ばしてみせる程の力がある。イスラム教における高位悪魔だというから、まあ無理もないだろう。

シャイターンの介入が入る前に決める。

アレックスが飛び下がると、拳銃を何発か撃ってくるが、弾丸を全て空中で切り飛ばす。当然こんな芸当昔は出来なかったが、こちとら伊達に空間の支配者悪魔との戦闘で揉まれていない。更には他のクルーの経験も並列化して蓄えている。

本来だったら人間には無理な芸当だが、今はスペシャル達がやってのけた絶技もデモニカが経験として蓄積してくれている。唯野仁成にも真似が出来る。

壮絶な表情を浮かべたアレックスが、グレネードに手を掛けるが、瞬歩で間合いを詰める。

以前とは逆の状況。

グレネードをけり跳ばす。アレックスは残像を残しながら下がるが、下がった分だけ間を詰めて、上段から斬り込む。激しい剣撃で、更に押し込んでいく。

もう、力量は見きった。

首を刎ねに来た一撃を、下段から跳ね上げて、更に体当たりを入れる。

吹っ飛んだアレックスを横目に、後ろからインドラをライサンダー2で狙撃。モロに直撃が入ったインドラは、イシュタルに首をへし折られて無念の声を上げながら消滅していく。

これで前線の戦闘力の拮抗が崩れる。

壁に叩き付けられながらも、上空に跳び上がって、即座に光の剣で斬り付けてくるアレックス。旺盛な戦意だが、残念ながら見切らせて貰った。三合切り結んだ後、強めの一撃を上段から叩き込む。

此方はあのサクナヒメの剣撃を見て鍛えても貰っている。更にライドウ氏が振るう剣も見ているのだ。

アレックスの剣は確かに絶技だ。

だが、ケンシロウが言う所の我流。ケンシロウに以前話を聞いたのだが、どんな天才であろうとも、数千年と錬磨された武術や剣術に、一世代で追いつくのは不可能だという。ケンシロウ自身が異次元に強いのは確かだが、その強さを引きだしているのは神秘的なまでに磨き抜かれた北斗神拳なのだ。

今、唯野仁成が振るっているのは。文字通り武神が磨き抜いた剣と、歴戦の悪魔払いが鍛え抜いた剣。それに、クルー全員の剣の経験。更にデモニカで補助を受けた戦闘能力。

アレックスもデモニカで経験を蓄積してきているだろう。

だが彼女は孤独だ。年齢的にも、どうみても二十代にまだ到達していない。

どんな天才でも、ここまで状況が整ってしまうと、もはやどうしようもない。

上段からの一撃に、アレックスが下がる。更に逆袈裟から追撃。更にアレックスが下がる。その背中が壁につく。

一瞬、動きが止まる。

それだけで、充分だ。

既に前線の均衡は崩れている。アレックスの使役悪魔は全滅。一斉に飛んできた魔法が、アレックスを直撃。

耐えるための準備をする余裕も無かった。

手を上げて、攻撃を控えさせる。さっき、わざわざインドラを背後から撃ち抜いたのは、この状況を作る為だ。

煙を上げながら、片膝をつくアレックス。呼吸を整えて、必死に立とうとするが、出来ずにいる。

一番厄介だったシャイターンの介入を防ぐために、一気に形勢を傾ける必要があった。すぐに周囲に仲魔が展開する。

アレックスが、凄まじい形相で見上げてくる。

「殺しなさい! 貴方がいつもやっているように! みんなにそうしてきたように!」

「俺は確かに兵士で、戦場で人を殺した事は何度もある。 だが、君の言い分を聞く限り、俺が非戦闘員に手を掛けたような口ぶりだな」

「違うとでも言うの!」

「俺が所属する国際再建機構では、ダーティーワークもするが、その相手は反社勢力の構成員だったり、国際司法をかいくぐっている悪徳企業の幹部だったり、独裁政権の汚職官吏だったり、いずれも「市民」ではない。 俺が知る限り、もっとも所属することを誇れる国際武装勢力だ」

アレックスが、ぎりぎりと歯を噛む。

シャイターンは介入してこない。というよりも、悪魔と言う存在の性質上出来ないのだろう。

混沌勢力の悪魔は、基本的に自分を優先する。あれはアレックスに友好的なようだったが、それでも自分に優先するほどではないということだ。

「アレックス、私に少し話をさせてほしい」

「ジョージ!」

「バディ、良いから任せろ。 看守悪魔の内既にラーヴァナとフォルネウスが倒され、アガレスももう瀕死だ。 このままだと更に大きな戦力に囲まれる。 唯野仁成。 貴方は国際再建機構という勢力に所属しているのか。 シュバルツバースの対策に作られた国際合同機関ではなく?」

「ああ、そうだ。 国際再建機構のテクノロジーで、元から米軍が開発していた次世代揚陸艦に手を加え、方舟……レインボウノアを作り。 其所に周到に準備を重ねて用意した人材と共に乗り込んで来た」

AIであるらしいジョージが考え込む。

そして、更に質問をぶつけてきた。

「唯野仁成。 貴方は確か自衛隊の出身だったな。 その国際再建機構という組織にいつから所属している」

「もう数年になる」

「……妹がいるな。 何をしている」

「俺を追って国際再建機構に入り、科学者として活躍している。 本来なら一緒にシュバルツバースに来る予定だったが、既に結婚していてな。 妊娠が発覚して、方舟への搭乗を見合わせた」

ジョージがまた考え込む。

何だこの質問は。唯野仁成を執拗に狙って来ると思ったが、妹にも関係があると言うのか。

妹を狙うというのならただではおかないと一瞬思ったが。いや、それならヒメネスやゼレーニンを狙う理由もよく分からない。どういうことだ。

「アレックス。 やはりこの唯野仁成は我々が知る唯野仁成とは、大きく違う人生を歩んでいる様子だ。 人間の性格は環境によって大きく異なる。 我々が見て来た唯野仁成とは、全く異なるパーソナリティを持つと考えて良い」

「信じられない!」

「ではこうしよう。 唯野仁成、以降我々は貴方だけを狙い、他のクルー……ヒメネスやゼレーニンへの攻撃を控える。 この条件で、撤退を見逃して貰えないか」

「残念だが、君を方舟のクルーは危険視している。 俺はまだ小隊長程度の権限しか無いから、判断の権限は無い。 だが、君はテロリストではないから捕虜として国際条約に基づいて扱う。 手荒なことはしない。 一度話を聞かせて貰えないだろうか」

唯野仁成としては、勝手に此処でアレックスを見逃すことは出来ない。そもそも、危険な看守悪魔五体を相手に、皆が必死の戦闘をしているのだ。其所で撒き餌になって唯野仁成はアレックスを捕まえる作戦を提案した。この作戦は失敗できない。

撃退については既に成功しているとも言える。周囲にいる悪魔達は、シャイターンによる介入も、アレックスの決死の反撃も許しはしない。

「貴方が現時点で小隊長程度の権限しかないだと……!?」

「周りがあまりにも桁外れだからな。 サクナヒメやケンシロウの凄まじさは君も良く知っているだろう」

「アレックス。 一端退くぞ」

「……分かったわ!」

逃がすか。そう思ったが、アレックスはいきなり別の場所に転移する。これは、ひょっとしてデモニカの機能か。そういえば一部の悪魔が使う魔術に空間転移があると聞いているが、それを限定的に出来るのか。

完全に背後を見せて逃げるアレックスと唯野仁成の間に、シャイターンが割り込む。アリスが舌なめずりして前に出るが、手を横に。

どうもまだ看守悪魔との戦闘が続いている。いずれにしても、手持ち全てを失った状態のアレックスは、当面動けない。アモンが出てこなかった時点で、マッカ不足になっているのは確定だ。その状態で、手持ちの全滅からすぐには立て直せない。更に今有益な情報を多数聞き出すことが出来た。無理に追撃して、窮鼠に噛まれることは避けたい。

「おっと、簡単にはやられないぜ?」

「そのようだな。 一つだけ忠告をしておくぞ」

「なんだよ」

「シャイターン、年頃の女子相手には言葉を選べ。 俺も随分あの年頃の妹を相手にする時には苦労した。 多分つがいになれとか子供を産めとかいうような言葉は、相手を怒らせるだけだぞ」

きょとんとするシャイターン。

困惑した様子で、自分を指さすので頷いた。ため息をつく。

「何だ、強い相手から子供を産めと言われたら、喜んで従うのかと思ったんだが……」

「それは野獣の理屈だ」

「分かった、俺様もあいつに嫌われたくは無いからな。 ちょっとアプローチを考え直してみるわ」

もう距離が開いたからだろう。シャイターンは時間稼ぎは充分と判断して、消えていった。

唯野仁成は仲魔の状態を確認。一番ダメージを受けていたのはイアペトスだが、既に回復魔術で応急処置は済んでいる。

さて、此処からだ。まだ看守悪魔の始末が残っている。早足から、走るのに切り替え。一気に最大速度まで上げる。

看守悪魔が伏せていた空間では、現在残ったワニに乗った老人を、サクナヒメが滅茶苦茶に斬り付けて追い込んでいるところだった。もう一体、古代ローマ風の鎧を着た剣士を。ストーム1が追い込んでいて。更に多腕多頭の巨神を、ケンシロウが圧倒していた。

他のクルー達が繰り出す悪魔の支援もある。元々有利だったのが、もう追い込んでいる状態と言うことだろう。

唯野仁成が、悪魔達に加勢するように指示。多分ローマ風の鎧を着た剣士が一番傷が浅い。見ると破壊神アレスとある。名前は聞いたことがある。オリンポス十二神の一角で、もっともギリシャ神話で貧乏くじを引かされている気の毒な神だ。

ストーム1に並ぶと、息を合わせてライサンダー2の弾丸を叩き込む。既に鎧はボロボロ。接近しようにも、ストーム1の従えているクーフーリンとジャンヌダルクがさせない。唸り声を上げて悔しそうにする剣士の兜の間からは、口ひげ豊富な口元が、血に塗れている様子が窺えた。

ストーム1が、狙撃しながら聞いてくる。

「アレックスは」

「惜しい所で逃がしましたが、重要な情報を多数入手しました。 更には、相手の手札は全て潰しました。 再起は簡単にはできないと思います」

「よし。 80点と言う所だ。 一気に勝負を付けるぞ」

ストーム1が、ライサンダーFを背負うと、地面においていた何か凄そうな銃を手に取る。

頷くと、唯野仁成は突貫。剣を抜くと、前線で戦っているクーフーリンとジャンヌダルクに加勢。

ガチガチに魔術で防御を固めているらしいアレスだが、ストーム1による激しい攻撃と、更に周囲のクルーが繰り出した悪魔達の魔術によって強力だと思われる鎧も損壊が目立った。

上空に躍り出ると。上段から一撃を叩き込む。

アレックスとやり合っても、まだこれくらいの余力がある。アレックスを追い抜いた後は、残忍なほどこのデモニカによる経験蓄積と能力強化がものをいうようになった。唯野仁成は、もうアレックスには負けない。

剣の一撃が、アレスの兜を削り取り。更に肩から腹に掛けて切り裂いた。

アレスが大きな剣を振るって薙ぎ払ってくるが、ジャンヌダルクと共に切り上げて防ぎ抜く。

火花が散る中、大きく体勢を崩したアレスに、周囲から悪魔が一斉に魔術を叩き込む。蹈鞴を踏んで下がったアレス。散開。その声が届いたので、飛び退く。アレスが呆然としている中、ストーム1が新しい銃をぶっ放していた。

それはとんでもない光を放ち、一瞬にしてアレスを焼き切っていた。アレスがいた後ろの壁を貫通し、四層を端まで突き抜いていた。

ストーム1が、一瞬でエネルギー切れを起こしてしまったらしいその秘密兵器を放り捨てる。

「フュージョンブラスターの最初のエジキとなった事を光栄に思うんだな。 ……話に聞いてはいたが、一発で戦場では再装填出来なくなるのは贅沢な兵器だ。 火力は申し分ない」

今のとんでもない超火力、フュージョンブラスターというのか。ほしいが、流石にストーム1戦用の武器だろう。回して貰うには、まだまだ当面真田さんによる開発と強化が必須になる。

それにはストーム1による実戦使用も含まれると見て良い。

サクナヒメが気合いと共に、ワニに乗っていた老人の頭をかち割る。老人は、嘆きながらぼやく。

「だから、わしは魔術専門だと言ったのに! こんな仕事は……」

情けない泣き言を言いながら消えていく老人の悪魔。どうやら堕天使アガレスというらしい。

サクナヒメが剣を振るって見やる。というか、全員の視線が集中する先で。

多腕に多数の武器を握っていた悪魔。調べると、魔王インドラジットという存在と、ケンシロウの苛烈な戦いも勝負がついていた。

ケンシロウの一撃が、背丈十五メートルはあるインドラジットの何カ所かを貫いていたのである。

激しく吐血しながら、下がるインドラジット。全身が膨れあがり、爆発していく。

「ぐ、ぐわ、あぐぶあば!」

「腕が多い割りには、遅い攻撃だったな」

「ば、馬鹿な! インドラを倒した者という称号を得た最強のラクシャーサであるこの余が……! 如何に拳を練り上げきった者とは言え、人間を相手に……! 父上もろとも敗れるとは……! がぶべごっ!」

複数ある頭が順番に爆発して行き。やがて、マッカに代わっていくインドラジット。

ケンシロウは、技名を呟いていた。

「北斗八悶九断」

最後に爆裂して、四散するインドラジット。伏せていた看守悪魔は全滅。ゼレーニンが駆けていき、「実り」を回収していた。

すぐに点呼が行われ、負傷者の手当が開始される。サクナヒメが剣に手を掛けたままである理由だろう者が、すぐに降り立ったが。

「これだけの数の強豪看守悪魔を倒すとは。 唯野仁成以外も、本当に凄まじい英雄ばかりですのね」

「女神デメテル。 見ていたのか」

「ええ。 唯野仁成も、あの赤黒を文字通りもはや歯牙にも掛けぬ戦いぶり。 文字通りハーヴェスト!」

何を収穫するつもりなのやら。

幼女の姿をした女神は無邪気に笑みを浮かべているが、唯野仁成は喜ぶ事は出来なかった。

むしろアレックスが心配である。デメテルも、アレックスがほぼベストのコンディションで唯野仁成に一騎打ちを挑んで、完全に敗走に追い込まれたのは見ていたのだろうから。

「今度こそ実りは回収しましたわね?」

「ああ、ゼレーニンや真田さんが研究するために」

「まあいいですわ。 そのまま、実りの回収を続けてくださいまし。 あの実りは集めてこそ意味があるものなのですわ」

デメテルが消える。サクナヒメが近くに歩いて来る。既に手は剣にかけていなかった。

かなり傷が多い。恐らくだが、先手を打って突貫し、敵を真っ先に無理にでも倒したのだろう。

その代わりに集中攻撃を受けたという所か。もっとも、ケンシロウも話を聞いている限り二体の看守悪魔を倒したようだから、サクナヒメだけに負担が大きかったわけでは無いが。

「唯野仁成よ。 確かアレスとやらはあのデメテルと同輩の悪魔の筈であったな」

「ええ。 同じオリンポス十二神の筈です。 ただアレスは、いわゆる鼻つまみ者ではありますが」

「分かりやすい奴よ。 同輩が倒されたというのに、眉一つ動かさなかったわ。 あの様子では、目的のためには家族でも手に掛けるだろうな」

反吐が出ると、サクナヒメは吐き捨てると。先に戻ると言って、負傷が激しいクルーを連れて引き揚げて行った。なお、試作品らしいフュージョンブラスターという武器も一緒に持ち帰っていった。

ケンシロウも物資をまとめたゼレーニンを護衛しながらそれに続く。唯野仁成は、比較的無事だったクルーをまとめると、ゴア隊長に報告。

ゴア隊長は、少し残念そうに、分かったと言った。

「相手の心は揺れているようだな。 ジョージというAIの言動を聞く限り、恐らくだが和解の道もある」

「はい。 少なくともジョージというAIはアレックスのことを思いやっていますし、此方を冷静に見極めようとしているのは分かりました。 嘘をついている可能性についても考慮しましたが、恐らくはないと思います」

「此方アーサー。 会話のログを確認しましたが、アレックスと口裏を合わせて嘘をついている可能性は0です。 ジョージというAIは、此方との和解を望んでいると判断して良いでしょう」

「だそうだ。 これから残った四層の未到達地域を探索し、それから戻ってほしい」

イエッサと敬礼を返すと、ストーム1と共に周囲の確認を行う。

そうこうしている内に、ケンシロウが調査班を連れて戻ってくる。そして、先に倒した看守悪魔の残骸やマッカ、貴重な物資などを回収していった。唯野仁成はそれを見ているだけでいい。

役割分担が出来ているからだ。

それにしても、もう何というか、確定で分かったが。

アレックスという人物は、恐らく別の世界から来ている。そして、別の唯野仁成と会っているのだろう。

外道とまで罵倒された自分は、どんな存在だったのか。

そしてアレックスは、一体どんな未来を阻止しようとしているのか。

アレックスの世界では、唯野仁成は誰を殺したのか。

以前ライドウ氏に、唯野仁成とアレックスは似ているという話をされた事がある。目の辺りが似ている、と言う事だった。

そういえば、アレックスというのは「アレクサンドロス」の欧州系の呼び方で、色々な国でその名前を持つ人がいるらしい。

更にジョージが聞いてきた、妹の事。

まさか、あの子は。

いや、だとすると時間遡航までして来ていることになる。

ストーム1に、通信を入れられた。

「任務中だ。 会話のログは後でアーサーが精査してくれる。 集中を切らせるな」

「イエッサ」

「お前らしくも無いな。 あれほどの殺意を向けてきた相手との決着を事実上つけたのだから、仕方が無いとも言えるが」

新人の兵士のようなミスをして、情けない。

勿論ストーム1は、他の兵士に聞こえないように、オンリーで通信を入れて来た。そういう優しさはある人だ。

気合いを入れ直すと、遭遇した看守悪魔を、ストーム1と一緒に息を合わせて瞬殺する。

探索を終えると、戻る。四層はこれで大丈夫だろう。

ただ、五層を探索する余裕はまだない。

更に言えば、時間は充分に有効活用出来た。次は万全な状態で、フォルナクスで大母を気取る愚か者を退治する時間だった。

 

4、星の可能性

 

おやおやと、さいふぁーは呟いていた。

みんなやんちゃなことだ。

だが、それでこそである。可能性を求めて、それぞれのためにベストを尽くす。そうでなければならない。

あくまでさいふぁーは背中を押すだけ。そして、背中を押すくらいの干渉だけでいい。

昔は違った。

全知全能をうそぶきながら、何もせず。より弱きものを救わず。公平性も持たず。ただ絶対の信仰だけを求める四文字たる神に対する反発から、色々して回った。勿論さいふぁーなりの信念に基づいての行動だったが。途中で気付いた。

これでは相手と同じだと。

だから、四文字たる神が救おうともしない弱者を救うことに血道を上げはじめた。

そうすることで、相手を否定出来ると思ったからだ。

結論から言えば、それでは何も変わらないこともわかり。今では趣味に落ち着いている。

今は、趣味を行いつつ。戦略的に大局的な観点からの手も打つ。それくらいの位置にさいふぁーはいた。

見下ろしている先にいるのはアレックスである。

呼吸を整えながら、水を飲んでいる。嘆きの胎に用意したビバークポイントで、ダメージの回復を待っているのだ。

今回はアモン無しとはいえ、殆どベストのコンディションで挑んだにもかかわらず、唯野仁成に敗れた。

屈辱だっただろう。更に唯野仁成に哀れまれ、見逃されまでした。

アレックスが恐らくは、別の平行世界から来ている事はさいふぁーも理解している。あらゆる全ての言動がそれを裏付けている。

問題はその平行世界が、未来の可能性があることで。

是非詳細なデータがほしい。

実際問題、今のまま文明を暴走させた人間が自滅するのは、さいふぁーとしても困るのである。

困難な世界になれば、はっきりいって信仰は強くなる。

過酷な世界で秩序が崩壊すれば、混沌陣営の悪魔達は嬉々として人間を襲いに行くだろう。さいふぁーも立場上それを止められない。

だが、そうなれば人間は四文字たる神に救いを求めるだけだ。奴はそうすることで力を増す。

実際秩序陣営のペ天使共の一部は、その状況を狙っているし。

そもそも可能性が薄れるそんな世界は、さいふぁーとしても望むところでは無い。

人間は当然万物の霊長などでは無い。

ただし、可能性はある。

勿論無限などではないが。それでもその可能性の先を、さいふぁーは見てみたいのだった。

疲弊しきっているアレックスの前に姿を見せる。

思わず剣を手に取るアレックス。にこにことさいふぁーは笑顔を崩さない。

「そんな戦力では戦いは無理ですよぉ。 それに戦いになれば、どうせあの腹黒女神が来ますし」

「……何が目的」

「取引をしにきました」

「……」

さいふぁーの方からは情報を出す。五層にいる強力な看守悪魔の名前と数。デメテルが支配下に置いている看守悪魔の名前と数。

更には、五層の囚人ゼウスの弱点について。

はっきりいって、アレックスは強い。単独での戦闘力でついに唯野仁成に遅れを取ったが、あれは相手が唯野仁成だったからだ。

アモンより二回り強いゼウスでも、倒せば従う可能性があり。

もしも充分なマッカを確保して、アモンとゼウスを同時に従えれば。

アレックスが置かれている絶望的な状況を、充分にひっくり返す事が可能になる。

ひょっとしたら、メムアレフに手が届くかも知れない。

ついでに、実りについても教えてやろうかと思ったが。

それはどうせジョージがそのうち解析するだろう。だから別に教えなくても大丈夫だ。

「至れりつくせりね。 それで此方からは何を出せばいいわけ?」

「貴方がいた世界の情報を」

「……っ」

「アレックス、冷静に。 さいふぁーといったな。 貴方の正体は既に想像がついている」

頷く。

まあこの聡明なAIなら、とっくに気付いているだろう事も分かっていた。

だからこそ、取引にも乗るだろうと。

情報を出してくるジョージ。頷きながら、記憶する。人間よりスペックが高いから、メモ帳なんて必要ない。その場で全て覚えてしまう。

なるほど、なるほど。

唯野仁成が周囲に恵まれないとそうなるのか。確かに可能性の塊といっても、研磨が過ぎればいびつに歪む。

予想はついていたのだが、生々しい話を聞けて満足だ。

ああいう可能性の塊みたいな人間は、時代の転換期に必ず出てくる。そして英雄と呼ばれる。

本来は英雄と呼ばれる人間が、あの方舟には結集していて。さいふぁーすらも打倒出来るものもいる。

だからこそ、面白い。

そして、今後の参考になった。

さいふぁーの方も情報を出す。

もっとも、さいふぁーは計算を終えていた。アレックスではゼウスには勝てない。

古いギリシャの伝承では、ゼウスは好色スケベ爺という雰囲気ではなく。冷厳で強力な絶対神である。その強さも圧倒的で、原初神の一角である混沌そのもののカオスを撃ち倒したりと、やりたい放題をしている。

この嘆きの胎はシュバルツバースの他の場所とは違う。

収監されている囚人の性格も。

ゼウスはどちらかというと、冷厳で残忍な原初のギリシャ神話の性格が色濃く出ていて。

恐らくだが、アレックスを孕ませようとするよりも。戦って強さを引きだした後は容赦なく殺そうとするだろう。

それをどう切り抜けるのか。さいふぁーは楽しみだ。

「それでは取引成立です。 ではではー」

借りている人格と姿に沿って可愛く手を振り、その場を離れると。

さいふぁーは、部下達にいわゆるテレパシーで連絡を取る。

「ペ天使共はどうしている」

「案の定、大母の空間にて、例のものの上に陣取ったようです」

「ハ。 メムアレフに勝てるつもりか」

「如何なさいますか」

捨て置けと指示。どうせあのペ天使達では、束になってもメムアレフの封印を解くことは不可能だ。

四文字たる自称絶対神に匹敵するか、それ以上の実力を持つ大母の長、メムアレフ。その実力は、ペ天使が束になっても及ぶものではない。

傲慢の権化とされるさいふぁーだが。

むしろ傲慢なのは、絶対者の庇護を受け、自分達こそ絶対正義と信じるマンセマットのようなペ天使では無いのかとも思うのである。

いずれにしても、面白くなってきているところだ。

それに、マンセマットがあのライトニングとか言う鉄船をまだ残している事が気になる。乾いた魂であるヒメネスが、どうやって立ち直ろうとするかも、である。

この世界は面白い。

まだまだ、目を離すことは出来なかった。

 

(続)