円環の巨大蛇

 

序、調整を終えて

 

苦い戦いだった。唯野仁成は、三層の囚人を奪われた事を報告せざるを得なかった。始末書を覚悟していたのだが、それは必要ないと言われた。

戦闘で消耗していたとは言え、アレックスを実力で撃退した事。

更には苛烈な乱戦の中で死者を出さなかったこと。

何よりも、四層への入り口がアモンがいなくなったからか、開いていることが確認されたこと。

そして多数の看守の情報集積体が得られたこと。これらから、失点は充分に帳消しになると言われたのである。

作戦参加したクルーも、皆同じように言われ。誰も責められることは無かった。良い職場だなと唯野仁成は思う。失敗を一度したら殺される、というような職場だったら、もう終わりだったが。

幸い此処は違ったと言うことだ。

ただ、課題も生じている。

アレックスに協力的な姿勢を確実に示すようになったシャイターン。あれは悪童じみた姿をしているが、実力ははっきり言って相当なものだ。看守悪魔にも劣らない。ただ、アレックスに対してかなり露骨なアプローチをしていたから、嫌がられて関係破綻するかも知れないが。

ただアレックスも消耗が激しい様子だったし。この間の戦いで手札は全て見きった自信もある。

今までは実力的な問題もあって、アレックスには勝てる気がしなかったが。

次は、勝てる。

その自信は、唯野仁成の中に、客観的なものとなって根付いていた。

恐らくだが、ヒメネスももうアレックスを撃退出来るはずだ。問題なのは魔神アモンの存在で。

あれだけは、スペシャルが対応しなければならないだろう。

アレックスと交戦時。アレックスのデモニカのAIと思われるジョージの言葉を聞いている。

まだアモンのスペックは、サクナヒメより上だと。

囚人との激戦の末、無理矢理従えたのだ。

アモンは三層には似つかわしくないほど強い囚人だったという話も聞いている。

アレックスは、悪魔達を駆使してアモンを倒したようだが。

いずれにしても、アレックスの戦力が相対的に上がったのもまた事実だろう。

色々思考を彷徨わせながら、唯野仁成はコーヒーをすする。ヒメネスが来たので、コーヒーを淹れようとしたが。ヒメネスが今日は紅茶の気分だといって、紅茶を自分で淹れた。珍しい事もあるものだ。

「四層を少し探索したら、またエリダヌスに戻るそうだ。 鉛玉の補充が終わるからな」

「また大物か、軍勢との戦いがありそうだな」

「ああ……。 魔王ですら、死の声には勝てないんだな」

「……」

少し前のエリダヌスにおける会戦で。ヒメネスが使っているモラクスが、マンドレイクの大群に寄って文字通り縊り殺された。

マッカをつぎ込んで蘇生はさせたが、流石に思うところがあったのだろう。ヒメネスは、あれから色々調べ続けている。

例え魔王であっても。

此処では絶対では無い。

それは、勉強になる事だっただろう。

「看守悪魔の中に、使えそうなのがいないか探してみるつもりだ」

「ロキが充分強いじゃないか」

「まだたりねえ。 ヒトナリ、お前だって、単独でアモンを連れたベストコンディションのアレックスが来たら勝てる気がしないだろう?」

「ああ、それはそうだな」

紅茶を飲みながら、露骨に嫌そうな顔をするヒメネス。

慣れない事はするもんじゃないなとぼやくが。色々と試してみたいと思っての行動なのだろう。

だから止めるつもりは無いし。

失敗したとしても、それは尊い失敗だと思う。

ゼレーニンが来る。

そして、険しい顔のまま、向かいに座る。

「唯野仁成、ヒメネス」

「何だ」

「何かあったか」

「パワー達が望んでいるとおり、力を与えてあげたいの。 悪魔合体というシステムを使いたくはないけれど、他に方法が無いのは認めるわ。 だから……悪魔合体のアドバイスを頂戴」

頷く。ついに、覚悟を決めたか。パワー達が献身的に守ってくれるから、相当につらいだろうが。

そのパワー達がそうしてくれと言っていたらしいのである。それは、ゼレーニンも覚悟を決める他無い。

そもそも天使パワー程度の悪魔では、既に通用しない状況が来ているのだ。それについては、唯野仁成も見ている。嘆きの胎三層でも、パワー達はゼレーニンを守るために粉々になって、また再生されただけだった。そのうち体を張ってもゼレーニンを守れない時が来てしまう。

ゼレーニン自身が豊富な戦闘を行って、パワー達に戦闘経験を積ませる手もある。事実そうやって、あまりランクが高くない悪魔を一線級に無理矢理据え置いている機動班クルーもいる。

だけれども、それははっきりいって効率が悪いという話も既に唯野仁成は聞いている。悪魔にはやはり成長限界のようなものがあって、ある程度のラインから成長しづらくなるらしい。

アリスのようなタイプは例外中の例外。

更に元々高位の悪魔は、特殊な能力を持っている事が多い。地母神キュベレが炎を完全無効化していたように、である。

パワーにはそういうものは一切無い。元々天界における使い捨ての雑兵だからだ。堕天するのも視野に入れた、文字通り十把一絡げの使い捨て。だから弱い。

そろそろ、確かに決断は必要だったと言える。

例え調査班でも。不意の一撃を耐えられるくらいの手持ちがいなければ、今後は足手まといになる。

最近では調査班にも、機動班が使ったデータから割り出し、使いやすい悪魔を配備しているのである。

ゼレーニンも、いい加減動かなければならない所だっただろうと、唯野仁成は思う。

ただ、相当な苦悩の末の決断の筈だ。茶化すことはあってはならない。

理論については、既に知っていると言われた。ヒメネスも頷くと、幾つかの話をしていく。

今まで露骨に嫌っている様子を見せていたゼレーニンに対して、ヒメネスはむしろ何処か熱い様子で必要なノウハウを教えていき。

ゼレーニンは飛び級で博士号を取っている頭脳をフル活用して、真綿が水を吸い込むように全ての情報を吸収していった。

ヒメネスは貪欲に試行錯誤を繰り返している。バガブーは例外として、他の悪魔は同意さえあれば合体の実験材料としてみている節すらある。勿論最終的には強い悪魔になるように調整はしているが。その究極解が「魔王」で手持ちを揃える事なのだろう。

一通りヒメネスからコツを聞いたゼレーニンは、熱心にメモを取っていたが。今度は唯野仁成にも話を聞いてくる。

此方でも、ヒメネスと似たような話しか出来ない。唯野仁成だけが知っているような事はあまりない。

ただ、DBには、千人いるクルーの悪魔合体プログラムに関する所感が多数あり。合体結果が全て載せられている。

それも参考にしてほしいというと、ゼレーニンは頷き。そしてすぐに自分なりの理論を組み立てて行った。

この辺りは流石は本職の学者だ。

自分で戦闘は出来ないかも知れない。だがデモニカで強化は入っている。本当なら、その気になれば銃器を握る事だって、剣を振るうことだって出来る筈だ。だが根本的に性格が戦いに向いていない。

だからゼレーニンは、戦いを仲間に任せる。

悪魔である仲魔にも。

その判断は、決して間違ったものではないと思う。

ゼレーニンはやがて、決断をした。なお、オリジナルのレシピだったが。多分大天使が出来。

更にレシピを悪魔合体プログラムに確認した所。ゼレーニンでも扱える大天使が出来るようだった。

ゼレーニンが、悪魔合体を始めた。

忠義をゼレーニンに誓っているパワー達全てをつぎ込み。

更にDBにある悪魔をマッカを使って呼び出して、ガイドに沿って合体をする。

自分より強い悪魔は従えられない欠点はあるが。ゼレーニンもそれは承知済み。

周囲の人間の戦闘経験などは全て流れ込んできているわけで。悪魔合体プログラムのお墨付きもでている。

悪魔合体プログラムは、昔は何が出来るかも分からなかったし。そもそもこんな小さなPCでは使えなかったとライドウ氏に聞いたが。

今は出来る。ならば、出来る事をする。それだけの話である。

大天使が出来る事は悪魔合体プログラムが墨付きを出した。ただ、今まで誰も作っていない大天使が誕生するようだ。

ヒメネスは眉をひそめる。

「あんまりそういうのこだわらないで、強いのを単純に選んだ方が良いんじゃないのか?」

「パワー達は献身的に尽くしてくれたわ。 だから、せめて願いは叶えて上げたいの」

「そうか。 まあ俺もバガブーのことがあるから、あまりどうこうはいえねえ」

「ありがとう」

ヒメネスとゼレーニンがちゃんと会話してくれるようになって唯野仁成もありがたい。

ゼレーニンが、しばらく悩んだ末に。じっとPCを見つめる。パワー達は既に同意している。

強くなるのは、彼らの願いでもある。

やがて、悪魔合体を行うか否かの最終確認に対して。

ゼレーニンは、ボタンを押していた。

悪魔合体が開始される。

先に唯野仁成が、デモニカを船内の電源につなげておくようにとアドバイスしたが。流石に大天使を作るとなると、そのアドバイスは正しかったらしい。

凄まじいスパークが、ゼレーニンのデモニカを走っているのが見える。

おおと、ヒメネスが面白がる。

魔王を作り出すときも、これくらいのパワーを消耗する。方舟の動力は原子炉、それも核融合だが。

それでやっと何とか電力をまかなえるほどである。

一応理論上はデモニカでも出来るらしいが、バッテリーが大変な事になるだろう。やはり原子炉の力を借りた方が良い。

程なくして、激しい光が迸り。

悪魔合体は終了していた。

咳払いする。

「マッカをつぎ込んで、パワー達をまた呼び出すことも出来るが」

「いいの。 彼らの願い通りに、大天使になって貰ったのだから」

「そうか。 外で呼び出してみよう」

「あのペ天使みてーなのが出てこないと良いけどな」

ヒメネスは、こう言うときまで一言多いな。そう唯野仁成は思ったが、ゼレーニンは寂しそうに笑うだけ。

物資搬入口から出る。まだ此処は嘆きの胎である。周囲のプラントが、物資をガンガン回収して弾や必要物資に変えている。周囲を警戒している機動班クルーもいるが。唯野仁成達が出て来たのを見て、察したらしい。少し距離を取る。

最近は、休憩中に外に出てくると言う事は。

強い悪魔を合体で作り出したという事だと、彼らも噂で聞いているのだろう。

ゼレーニンが悪魔召喚プログラムを操作。

本当に毛嫌いしていたのに。頑張っているなと、唯野仁成は思う。

人の心は、一度傷がつくと簡単に治る事はない。

実際問題、魔王ミトラスに心を壊されてしまったノリスは、未だに医務室で眠り続けている。時々唯野仁成も見に行くが、目覚めるかはかなり厳しいと言うことだ。シュバルツバースで採れる貴重な物資から、高価な薬も作る事が出来る様だが。そもそもそういう問題ではないという事である。

ゼレーニンはその場で、ノリスと同じ目にあっている。

いつ心がひび割れてもおかしくない。誰か悪意あるものがつけ込んでも全く不思議ではない。

だが、ゼレーニンは周囲に支えられ、強くあろうとしている。

その行為は尊いと唯野仁成は考える。だから絶対に茶化す事はしない。

召喚されたのは、無数の翼を持ち、巨大な本を持つ大天使だった。豊富な口ひげを蓄え、威厳のある顔つきと、静かな目をしている。

「我が名は大天使ラジエル。 知恵を司る大天使である」

「聞いた事があるわ。 この世の全ての知識を納めた書物、ラジエルの書の管理者ね」

「うむ……。 我が中に、そなたへの強い憧憬を感じる。 我の素材となった天使達の願いを、我は汲もう。 これより、力なきを嘆いた天使達の代わりに、天の世界の知識番である我がそなたを守ろうぞ」

「ありがとう、ラジエル。 これからお願いするわ」

頷くと、ラジエルはPCに消える。

ヒメネスが、魔王じゃないのは気にくわないがと余計な事を言いながらも、褒めてはいた。

「雑魚から作った割りには良さそうな悪魔じゃねえか。 それに学者には知恵を司る奴は相性が良いかもな」

「貴方なりに褒めてくれているのは分かっているわ。 色々助かったし、礼を言わせて貰うわ。 ありがとう」

「今ので相当に消耗しただろう。 四層を軽く見てくる任務が来る可能性がある。 休んでおいた方が良い」

ゼレーニンはそれを聞くと、頷いて戻っていった。

ヒメネスと共にレクリエーションルームに戻る。ヒメネスは、アレックスとの戦闘ログを見ているようだった。

「こんな化け物と、相手が多少弱体化しているとは言え渡り合えるくらいに強くなってきたんだな、俺たち」

「ああ。 千人いるクルーのデータが並列化され、還元されているからな。 何よりスペシャル達のデータもだ」

「姫様に対アレックスを想定して稽古を何回かつけて貰ったが、やっぱり半端ねえよアレは。 少しでもデモニカを使って力の差を埋められているとは言え、ある程度渡り合えるのはでけえ」

「……この力は、少し過ぎているかも知れない。 慎重に使わなければいけないだろうな」

ヒメネスは、その言葉には応えなかった。

少しぼんやりと休憩をした後、呼び出しが入る。案の定、四層を軽く偵察するということだった。

ストーム1とサクナヒメが、十人ほどの機動班クルーを選抜する。

更に、ケンシロウが四人の機動班クルーと、ゼレーニンともう二人、調査班クルーを選抜した。

ライドウ氏は、二線級のクルーを連れて、二層で演習中だ。

まず複雑極まりなかった嘆きの胎三層の完全なマッピングを終え、姿を見せている看守をこの戦力で一掃し。今後演習が行えるように整える。また、探索の過程で、貴重な物資などが無いかも調べる。

ただでさえ、三層の囚人アモンと、デメテルが欲しがっている「実り」は奪われてしまっているのである。

転んだのだ。だが、転んでもただでは起きないくらいの心構えでいないと、この先は進めないだろう。

だから、そう図太くある。

アーサーのサポートを受けながら、まだ進めていない箇所の探索を進める。空間が歪んでいるから、時々点呼をしながら進んでいく。ストーム1が時々超反応をして、不意打ちを仕掛けようとしてきた悪魔の頭を撃ち抜く。

そういえば、またライサンダーがバージョンアップしている様子だ。前はライサンダー2だったのだが。かなり形状が変わってきている。

唯野仁成が見ているのに気付いたのか、説明をしてくれた。

「これはまだ試作段階のライサンダーFだ」

「確かライサンダー2の次の段階、ですね」

「そうだ。 俺が時々使っている巨大な砲があるだろう。 あれが最終的なライサンダーの完成形、ライサンダーZFだが。 見ての通り、現状では持ち運ぶのが出来ない代物になっていてな。 そこで少しずつ実戦でデータを取りながら、真田技術長官が改良をして、やがて携行可能なサイズにまで落とし込んでくれる。 お前達用にも、そろそろライサンダー2が支給されるそうだぞ」

「開発してくれているわけだな。 ありがたいぜ」

ヒメネスの言葉には完全に同意だ。ただ、サクナヒメに、周囲への警戒を怠るなと釘を刺されたが。

散発的な戦闘はあるが、エリダヌス上層ほどの激しい戦闘は今のところ起きてはいない。たまに生き残った看守がいるが、前に三層に大集結していた化け物のような看守ではないので、対応は可能だ。

倒してしまえば、情報集積体を落とす。

つまり、それを解析すれば、悪魔合体で作り出せると言う事でもある。嘆きの胎の情報も持っているだろう。

いずれにしても、見つけ次第倒さなければならない。

それで、この謎の場所の解析が進むし。戦力も増えるのだから。

二日ほど掛けて、三層の完全なマップを作り上げる。空間の歪みは凄まじく、入り口から見えているのに、ぐっと大回りしてやっとたどり着けるような場所もあった。

また、この辺りの、嘆きの胎を構成している植物は「蜜」のような何かを分泌していて。それを調査班が熱心に回収していた。

専門用語が飛び交っているので、よく分からないが、いずれもが、貴重な品であるらしい。

外で揃えようと思うと、ちょっとの分量で豪邸が建つような品ばかりだそうで。

聞いていて、頭がくらくらしてくる。

ただ、そもそも今機動班クルーが手にしている装備だって、それぞれ高級車に匹敵するようなものばかりなのである。

そう考えてみると、戦争は金が掛かるし。

此処では、それを軽減できるだけマシだと考えるしか無いのかも知れない。いずれにしても、割切る必要があるだろう。

三層の入り口に集合。アモンが倒れたからか、三層入り口すぐ近くに、四層への階段が見つかっている。

ただ、四層の看守は更に力を増している様子である。

そのうち二線級クルーの演習を、この三層で行う事になるのだろう。

それに、である。

この間のマンドレイクとの会戦などでも分かったが、二線級といっても既にどのクルー達もそれなりの悪魔を従えている状態になっている。千人程度の人員しかいない方舟クルーだが、実際の戦力は機甲師団十個分には余裕で匹敵するだろう。

外にでた後悶着が無ければ良いが。

四層の入り口で、唯野仁成は整列して次の指示を待つ。調査班を連れたケンシロウ班が一度方舟に戻り。そして戻って来てから、次の指示が来た。

四層の入り口部分を軽く威力偵察して戻るように。まあ、予想通りの指示だ。

四層に足を踏み入れる。何があるか分からないから、勿論手持ちの最強悪魔を常に展開している状態だ。

だが、ぶるっと悪寒がある。

力がついてきているからだろう。四層の悪魔が、更に凶悪な連中だと言う事が、肌でわかるのだ。

看守もヤバイのがいるだろう。此処もまた、一秒でも気を抜けない場所だ。

サクナヒメも剣を抜いたまま、周囲を厳しく見張っている。ストーム1も、ずっとアサルトに手を掛けていた。

そのまま、電波中継器を撒きながら、入り口付近を調査する。

看守は姿を見せないが、興味を持ったらしい悪魔が寄ってくる。いきなり襲いかかってくる奴はあまりいない。

こんな危険な場所に住んでいる悪魔だ。

相手の実力くらいは、見ただけである程度分かるのだろう。迂闊に仕掛ければ死ぬと知っているのだ。

一方で、仲魔になりたがって向こうから声を掛けて来る悪魔はいる。

他のクルーが応じて、悪魔召喚プログラムを利用して、契約して配下にしていく。ただ、四層の悪魔だから桁外れに強いと言う上手い話もなく。或いは四層では厳しいと判断して、これ幸いと強い者につこうとしているのかも知れない。

此処もまた、厳しい場所なのだ。悪魔の世界も、色々苦しいだろう事は、見ていて理解出来た。

軽く回って、戦闘も少しこなして、戻る事にする。

そろそろ、物資の補給も完了する頃だ。演習をしていたライドウ班も撤退を開始しているらしい。

長居すると、六層からまた危険な悪魔が上がってくる可能性がある。遭遇戦で、誰かを死なせるような事だけは、あってはならなかった。

 

1、輪廻の龍へ迫る

 

人間がエリダヌスと呼んでいる空間に、鉄船が戻って来た。ちょっと高い所で、椅子に座ってその様子を見ていたメイドの姿をした小柄な堕天使は。ぐるぐる眼鏡を直して、やっと戻って来たかと呟いていた。

勿論椅子もろとも宙に浮いている。

居場所は、鬼神達が拠点を作った場所の上空である。このエリダヌスが、エリダヌスであるギリギリの地点。

堕天使はさいふぁー。

可能性を求めて、今このシュバルツバースを彷徨っているものだ。

嘆きの胎で。さいふぁーも目をつけている人間、唯野仁成が。ついに超格上だったアレックスを打ち破ったのは見た。

感動した。

まさに可能性の結末だ。アレックスも、可能性を散らせること無く、撤退していった。魔神アモンを従えたのは大きい。

それに、女神デメテルが「実り」と呼んでいる例の物資をアレックスが回収していったのもまた大きい。

あれは使いようによっては色々な事が出来る。

つまり、可能性を様々に展開する事が出来るのだ。

傲慢の権化などと呼ばれているさいふぁーだが。その傲慢は、単に一神教の四文字からなる神に反逆したという設定から来ているもの。

今では、可能性を純粋に求め。

唯一絶対の法とやらからこぼれ落ちる者を救いながら。

それらが作り出す可能性に触れる事が、生き甲斐になっていたし。

何よりも、脳筋ばかりの混沌勢力のまとめ役としては。

未完成な法治主義を振りかざす秩序陣営の悪魔に一矢報いるために世界にくさびを打ち込む作業として、可能性を探したかった。

そういう意味では、嘆きの胎三層での死闘は、まさに理想的な形だった。

シャイターンの熱烈なアレックスへの求愛は、見ていて苦笑いしか湧かなかった。アレックスが受け入れる可能性が存在しなかったからだ。

ただ、シャイターンが折衷案として、アレックスの仲魔になるのであれば可能性はあると言える。

それを今度アドバイスしてやりたいところだ。幸い、存在はとても近いので、話は聞いてくれるだろう。

さて、と。

人間達の鉄船が戻って来た所で、状況を整理しておくか。

現在さいふぁーの配下である四体の最精鋭悪魔が、このシュバルツバースの最深部にて仕掛けを施している。

この仕掛けは大変に大がかりなもので、さいふぁーが与えた力によって強化された精鋭達であっても、しばらく時間が掛かるだろう。

さいふぁーが打つ大がかりな手は、現時点ではこれだけ。

他は、全て自然の成り行きに任せるつもりだ。勿論、要所で悩んでいる者にアドバイスはするつもりだが。

此処エリダヌスでは、天使の軍勢と鬼神の軍勢が、互いに城を作ってにらみ合いの真っ最中。

エリダヌスの支配者であるウロボロスは我関せず。

いずれ、戦闘は開始されるだろう。

更に言えば、ウロボロスが覚醒したことで、連鎖的に四体いる大母が、全て覚醒しつつある。

このシュバルツバースの深奥にいる大母、メムアレフだけはまだ目が覚めきっていない様子だが。

残り二体は、既に目が覚め、蠢動を開始している様子だ。

問題はそのうち一体。

夜魔という種族の頂点に位置する存在。マーヤーのいる空間だ。

此処には、メムアレフがシュバルツバースを混沌に傾けたときに、とんでも無いものを封印した形跡がある。

もしもあの封印が解除されると、シュバルツバースの形勢が一瞬で傾く可能性がある。

そうなると、可能性を持つ多くの者達が潰されてしまうだろう。

それだけは、さいふぁーは避けなければならない。

幸い、メムアレフは念入りにあれを。

このシュバルツバース空間における四文字たる神を封じているようで。そこだけは安心できるが。

もしも天使共がそれに気づき。何かしらの手を打ってきた場合。流石にさいふぁーも動かなければならなくなるかも知れない。

その時は流石に、なりふりは構っていられなくなるだろう。メムアレフですら、手に負えるか分からない相手だ。

今鉄船には、さいふぁーすら打倒しうる英雄が乗ってはいるが。

それでも、いきなりの環境激変が起きたら対応出来るかどうか。

いずれにしても、最大懸念事項は其所だ。

ちらりと。今エリダヌスに入ってきた鉄船では無い。もっと小さい、後からシュバルツバースに来た鉄船を見る。

あれは駄目だな。

そう、さいふぁーは感じる。何というか、内部に可能性がまるで見えないのである。

それに、ぷんぷんと臭う。

ここのところ姿を見せず暗躍していないマンセマットが、同類の掃除屋達とつるんで、何か悪さを目論んでいるのは確定。

恐らくだが、秩序の星たる可能性を秘めている人間を、自分の都合が良い操り人形にでもするために蠢動しているのだろう。

唯野仁成は、恐らく大丈夫だと思う。

問題は、マンセマットに目をつけられている人間。ゼレーニンとかいったか。あの、敬虔そうで真面目な娘だ。

小さくあくびをして、幾つかの可能性を考える。

ゼレーニンは、マンセマットが思っているほど、今精神がぐらついていない。周囲に支えられているからだ。

愚かしくも、外の世界の人間は、今自分達がどうやって文明を作り、発展させてきたか忘れてしまったかのようである。

愚劣な弱肉強食論や自己責任論を無責任に唱え。それによって多数の可能性を潰しては、ケラケラ笑っている。

さいふぁーとしても由々しき事態だ。

考え無しの混沌勢力の悪魔には、これこそ正しい姿と喜ぶ脳無しがいるが。

ただの混沌なんて、ジャングルと代わらない。

そもそも生物の強さは戦闘力だけに所以する訳では無い。そうだったら、どうしてゴキブリが三億年も地球上で一定のシェアを確保し続けているだろうか。ゴキブリは戦闘力で言えば、ずっと食物連鎖の下層に存在し続けていて。今後もそれは代わることはないだろう。

時々混沌勢力の重鎮を集めるとき、さいふぁーはその話をするのだが。

どうしても理解出来ない部下は多くいて。その度に、さいふぁーは頭を痛めるのだった。

いずれにしても、注目点を頭の中でまとめると。一度唯野仁成に、出来ればその後くらいにゼレーニンに接触を試みようと考えて歩き出す。

もう一人、ヒメネスという青年も面白そうなのだが。こっちは放っておいても大丈夫そうだ。

あからさまに巨大な可能性を秘めている存在に接触するのは、さいふぁーにとっての楽しみだが。

一方で、小さな可能性を掘り返して、大きく育てるのも楽しみなのだ。

そういう意味では、手が掛からない可能性には、直接接触する必要はない。そのままでも充分に育つし。

何より、下手に接触すると、台無しにしてしまう可能性があるからだ。

まだしばらくさいふぁーはエリダヌスにいるつもりである。

指を鳴らすと、椅子が消える。このメイド姿を借りた、ずっと昔に生きていた人間が死ぬまで愛用していた椅子だ。理不尽な死から助けた人間から代わりに、荒事でその姿と人格を使う事を許して貰う。それだけの緩い契約を重ねてきた結果、今「さいふぁー」である者は、数千を超える姿を有している。

それだけ、唯一絶対にて公平なる神とやらが、仕事をしていない良い証拠なのだが。

まあそれはいい。

ここからが正念場だ。此処シュバルツバースの重要性に、秩序属性の重鎮どもも、漸く気づき始めたようなのだから。

 

弾薬や物資の補給を済ませ、エリダヌスに戻って来た方舟から、唯野仁成は下りる。方舟が着陸したのは、上位エリダヌスの一角。恐らく、三つ目の「電池」が存在している地点の近くである。

電池は残り二つ。その二つを潰せば、此処の支配者であるウロボロスに手が届く。

それは既に唯野仁成も知らされている。

問題はその後。

ウロボロスを葬れば、バニシングポイントが剥き出しになる。そうなれば、条件次第では帰れるかも知れない。

だが今帰っても、何の解決にもならない。シュバルツバースは、下手をすると一年以内に地球を埋め尽くしてしまうのだ。

またシュバルツバースに突入する好機があるかは分からないし。何よりも、シュバルツバース内部の時間の流れが、外と違っている事も分かっている。

幸い今までは、外よりも時間の流れが速い空間ばかりに入っている。

だが、その逆が来たら、時間は想像以上に残っていないかも知れないのだ。

無駄にする時間など、一秒だってない。とはいっても、クルーの疲労はそのまま死につながる。

だから、慎重を期さなければならなかったが。

プラントを組み立て。野戦陣地も作り始める。

この間のマンドレイクとの会戦を加味して、クルー達は何時でも出られるように、全員に声が掛かっている。

今回はサクナヒメとケンシロウが機動班クルーを率い。ライドウ氏が少し遅れて調査班クルーを率いて続く。

電池から少し距離を取っているのも、大物に不意打ちを食らって方舟が致命傷を受けるのを避ける為だ。

なお、ライトニングはまだエリダヌスにいて。ウロボロスが潜んでいる「柱」を挟んで向こう側になるように、嫌がらせのように位置取りして滞空している。

一定の注意を払わなければならない相手である。

ストーム1が苛立つのも、唯野仁成には分かる気がした。

野戦陣地の設営が完了。サクナヒメとケンシロウが、堂々と前に進み始めると、クルーが生唾を飲み込むのが分かった。

二人の武勇はバランス型のサクナヒメと、インファイト専門のケンシロウで少し違うが。二人とも互いを認め合っていて、時々戦闘についての話をしているのも見かける。ケンシロウは寡黙だが、必要な事はきちんと喋っているので、サクナヒメも不満は無い様子だ。

そしてサクナヒメもケンシロウも、誰一人周囲の人間を死なせていない。

外では、違ったという。サクナヒメにとっては故郷の話だろうが。

だからこそ、此処では。より危険な此処では、誰もクルーを死なせない。

そういう強い覚悟で、二人は動いているのかも知れない。

機動班クルーは、サクナヒメについて動く。ケンシロウは、自由勝手に動いて良いと、行動のグリーンライトを貰っている。

というのも、ケンシロウは今までの戦闘ではっきりしたが、一人で好きかって動く方が戦果を出せるし、味方も守れる。

そういう意味では、確かに単独で動く方が好ましいといえるだろう。

電池があると思われる地点に移動を続ける。後方には天使の基地があるが、此方にかまうつもりはないらしい。

有り難い話である。横やりを入れてこられたら、被害が途方も無い事になるのは確定だからだ。

少なくとも、現時点で周囲に悪魔は見当たらない。

ティターンとイシュタルを展開して、警戒に当たらせる。イシュタルは何度か使ってみて、結構ガチガチの武闘派だと言う事がわかってきたので、ティターンと共に壁役をやって貰うのが一番良い。勿論魔術の腕前も優れているから、周囲の警戒に関しても隙はない。

だいたい、目的地点付近に到着したか。

サクナヒメとケンシロウが、同時に足を止めた。

どっちが早かったかは、少なくとも分からない。

アレックスの剣撃を見切れるようになって来た唯野仁成でも、それは分からない程だった。

勿論剣に手を掛け、更にはアリスとアナーヒターを召喚する。ヒメネスは魔王達。モラクス、バロール、それにロキを。

他のクルー達も、手持ちの最強悪魔達を呼び出していた。

さて、何が出てくる。

しばしの沈黙の後、地面が揺れるようなことはなく。不意にその場に、突如として何かが現れていた。

蛙か、これは。

ただ、尋常では無いサイズだ。此処の守護者である事は、間違いないだろう。

ゆっくり、蛙が此方を見る。

戦意があるのは確定だ。殆ど一瞬にして、蛙が舌を伸ばしてきたが。音速に達するだろうそれを、サクナヒメの剣が斬り払っていた。

後方で、斬り払われた蛙の舌が、地面に着弾。吹き飛ぶ。

だが、舌を切り裂かれても気にする様子も無く。蛙が喉を膨らませる。

「此方機動班! 電池のガーディアンらしき悪魔と接触! 交戦開始!」

「此方でも確認した! 支援する!」

蛙の大きさは、全長二十メートルほどか。

両生類という生物は、魚類から環境に適応し、半陸上生活を送るようになった最初の種族だ。やがて両生類は更に陸上への適応を進め、爬虫類という現在地球に生きている陸上脊椎動物の基礎となるような優れた生物モデルが出現する事になる。

古い時代の巨大な両生類には、鰐のような姿をしたものも存在していて。七メートルを超えるようなものもいた。

両生類は様々な意味で中途半端な生物で、水場とその周辺で生きるか。むりやり自分が生きられるように、過酷な身体改造をして環境に適応してきた生物だが。この巨大な蛙は、そういうものではなく、何か作為的なものを感じる。

一斉に皆が悪魔に攻撃を命じ、大量の火球が蛙を包み込む。まあそれはそうだ。蛙に一番効くのは多分炎だろうから。

だが、鬱陶しそうに炎を払いのけると、巨体の蛙は、無言のままのしのしと進んでくる。

現在でも最大種の蛙は、蛇を餌にする事がある。

また一部の大型の蛙は貪欲で、見境無く動く者を襲い、喰らう性質を持っている。

この蛙は凄まじい分厚い装甲を持ち、あの音速以上で動く舌を用いて、敵を捕獲するというわけか。

だが、それでも今まで交戦してきた相手に比べれば楽な筈だ。

サクナヒメが仕掛ける。槌に持ち替えると、至近に踏み込んで、顎を跳ね上げる。

だが、蛙には殆ど効いている様子が無い。

打撃が通じない相手か。

だが、周囲を見ると、銃撃をしているクルーも目立つ。銃撃も効いていないのか。

炎も駄目だとすると。

何も言わず、アリスが雷撃を落とす。だが、蛙には通用している様子が無い。文字通り、蛙の面に小便だ。

ケンシロウが腕を払う。

再生した舌が、誰かをさらって喰らおうとしたのだろう。その舌を弾いたのだ。ケンシロウが、呟くように言う。

「重い上に速いな」

「……妙だ。 どうにも手応えがないのう」

サクナヒメがぼやいた。

さっきから、接近戦に移行したサクナヒメは、秒間百を超える斬撃を叩き込みまくっている様子なのだが。全く効いているように見えない。

少し前には、エジプト神話で主神を一時務めた頃があるアモンすら屠ったサクナヒメの剣撃が通じていない。

あらゆる魔術も、通じている気配がない。

そうなってくると、何か根本的におかしいという他無いだろう。

恐らく間合いに入ったのか。

狙撃が来る。

蛙の右目に、ライサンダー2、いやライサンダーFの弾丸と思われる狙撃が直撃。爆発まで引き起こしたが、蛙はそれでも平然としている。ゆったりのったり動きながら、確実に進んできて。時々舌で誰かを食おうとしてくる。

何だこの悪魔は。今までに、対応したことがないタイプだ。

「駄目だなこれは。 一端退け! 対策を考えねばなるまい!」

「しんがりは俺が務める。 いけ……」

ケンシロウの言葉に、機動班クルーが下がりはじめる。唯野仁成は、アリスに指示して、あらゆる種類の魔術を撃たせる。当然、隣にいるヒメネスも、魔王に指示して同じ事をさせていた。だが、効いている様子が無い。

やはり退くしか無いか。

他の機動班クルーが下がったのを見届けると、後退。サクナヒメとケンシロウが、最後尾で追撃を防いでくれているが。そうでなければ、機動班クルーはもう皆蛙の餌だっただろう。

何だ、あれは。

蛙は間合いから此方が離れたとみるや、姿を消す。

まるでおちょくっているかのようだったが。此処で怒っても仕方が無い。一旦距離を取って、体勢を立て直す。

野戦陣地まで後退。

ゼレーニンが、珍しく外に出て来ている真田さんと。更にはあのラジエルという大天使と一緒に、外に構築されたPC一式で、キーボードを叩いていた。

真田さんが顔を上げると、唯野仁成を呼ぶ。

「唯野仁成隊員、ヒメネス隊員」

「はい」

「おう」

サクナヒメとケンシロウは艦橋に。他のメンバーは、休憩に行く様子だ。

あの蛙の不死身要塞ぶりは、この野戦陣地に展開しているクルー皆が見ていた様子だ。明らかに士気が下がっている。それはそうだろう。ホラー映画のモンスターのように、あらゆる攻撃が通じないのだから。

ホラーというものは、グロテスクなクリーチャーがどばんと出てくるものよりも。対抗のしようがない得体が知れないものに追い回されるものの方が、恐怖を煽るという話は聞いたことがある。

この得体が知れないものは別に幽霊だのゾンビだのである必要さえなく、場合によってはでっかいおっさんでもかまわないそうだ。

要するに人間の心をもっとも簡単にへし折るには、「何も通用しない」という事が最大条件になる。

あの蛙は、存在そのものが、それを満たしていたと言うことだ。

「戦闘の様子は見せてもらった。 攻撃が一切通じていなかったようだね」

「はい。 サクナヒメの斬撃は、三層の囚人アモンを斬り伏せるほどのものだった事が確認できています。 更にストーム1の射撃や、アリス他による様々な魔法も一切通じている様子がありませんでした」

「……そうとも限らないみたいです」

ゼレーニンが、モニタで映像を固定する。

後ろにいる大天使ラジエルがアドバイスをしていたようだが。それに沿って、色々と調べていたらしい。

そして出て来た映像は、サクナヒメが跳び離れた直後。

蛙には、大きな傷が多数穿たれている。中には、明らかに骨にまで到達しているものもあった。

だが、次の映像。0.1秒後のものだが。その時には、全ての傷が塞がってしまっている。

「なんだこりゃ……」

「これは、超再生能力という訳か。 姫様の攻撃でも、焼き切れないほどの防御、再生力を兼ね備えていると言う事だ」

「もしそうだとすると、打つ手がありませんね。 飽和攻撃をしかけても、その都度回復されるだけです」

「飽和攻撃が駄目なのは同意だ。 だが、必ずしも倒す手段が無いとはいえない」

真田さんが、順番に話をしていく。

まず蛙は、追撃を掛けてこなかった。動きが鈍いとはいえ、追撃を掛けて来たら此方は逃げるしか無かったのに。ある地点で、ぴたりと動きを止めている。これは余裕からなのか。

どうも違うようだと、真田さんは映像を加工して見せてくれる。

蛙に、膨大な何かよく分からないものが纏わり付いている。モノクロに加工した画像なのだが。

このよく分からないものは何だ。唯野仁成が小首をかしげていると、ぽんとPCから出て来たアリスが言う。

「あ、これひょっとして魔力?」

「悪魔の体から放出され、魔術を使う時に媒介にされる力を魔力というのであればそうだろうな。 シュバルツバースではこうやって観測することも出来る。 観測を確定で出来るようになったのは最近の話だが」

真田さんがいうには、魔力は分かりやすく噴き出している場合もあるが。そうでなく、相手にわかりにくいように展開している場合もあると言う。

そして、この魔力測定の技術に関しては。膨大な情報集積体を解析し。今までのデモニカが収拾してきたデータなどから、ようやく作り出せたものだという。

蛙の身を覆っている魔力は、明らかに地面からでていると、真田さんはいう。

「つまり、埋まっている巨大情報集積体から、この蛙は力を得ていると見て良いだろう」

「真田さん。ちょっと待ってくれ。 それって、要するに……」

「危険だが、他に方法は無い。 蛙を何とか押さえ込みつつ、情報集積体を掘り出し、回収するしかないだろう」

「情報集積体を掘り出すだけで、蛙が消えるでしょうか」

疑念を口にする唯野仁成だが。

其所は、アリスがフォローを真田さんにいれた。

「仕組みさえ分かれば問題なし。 私とアナーヒター、もし足りなかったらイシュタルも一緒に、蛙に供給されてる魔力をシャットアウトするよ。 でも、情報集積体を掘り出さないと無理だけど」

「やれやれ、要するに誰かが蛙を引きつけて、その間に姫様がでっかい知恵の輪を掘り出さなければならないって事か……」

「蛙のような悪魔の引きつけは、ケンシロウに頼む予定だ。 後の作戦の細かいプランは、アーサーに提案して貰う。 少し時間が掛かる。 作戦の核になる君達は、少し休憩をしてきてくれ」

敬礼をすると、その場を離れる。ヒメネスが大きく嘆息する。まあ、気持ちはよくよく分かる。

あの蛙の攻撃、決して激しいとは言えなかったが。それでもあの舌は視認できないほど速かった。

今のデモニカを着ている状態でも、である。

全長二十メートルの蛙が繰り出してくる舌だ。捕まったら、間違いなく即座に胃にまっさかさま。

しかも相手は悪魔蛙だ。一瞬で溶かされておだぶつだろう。

レクリエーションルームに歩きながら、ヒメネスと話をする。

「ガタイがいい俺の魔王達があの蛙を押さえ込む。 舌はどうにもできないから、ケンシロウの旦那に頼むとして。 他の攻撃を蛙野郎が持っていた場合にどうするか、だな」

「例えば毒性の強い粘液とか、か?」

「ああ、そうなるな」

「メイビーが強力な解毒能力を持つ悪魔を何体か有していたはずだ。 支援を頼むしかないだろうな」

他にも、何をやってくるか分からない相手だ。あらゆる対抗手段を用意しておいた方が良いだろう。

それに、巨大な悪魔と真っ向の力勝負をするサクナヒメが蛙を投げ飛ばすことが出来なかった。

其所から考えて、あの蛙はひょっとすると、地面から引きはがすことが出来ないのかも知れない。

ヒメネスは、メイビーの支援を受けることを嫌がらなかった。いずれにしても細かい作戦プランはアーサーが練るだろうが、此方でも打ち合わせをしておくことは損にはならないはずである。

メイビーに連絡を入れておく。

そうすると、快諾してくれた。

何でもメイビーは、この間の三層でのアレックスとの戦闘後にデメテルが見せた広域回復に興味を持ったらしく。

今までデータとして取得した悪魔の中に、同じ力を持つ者がいないか、確認している様子だ。

それによると、どうやら以前戦った看守悪魔の地母神イシスが本来なら回復魔術を持っているらしく。

どうにかして作る事が出来ないか、模索しているという。

ただ、唯野仁成はそれを聞いて少し心配になった。イシスはかなりの高レベル悪魔に思えたからだ。

メイビーも既に一線級のクルーとして活躍はしてくれているが。イシスを作り出すのは厳しいように思えた。

だがその辺りは、メイビーも考えているらしく。

イシスの類縁に、回復能力を持つ女神がいないか。調べているようだった。

第二次作戦が開始される。

人が死ななければ、此処では幾らでもやり直しが利くと言いたいところだが。時間という問題もある。

シュバルツバースが南極を超えて拡がり始めたらおしまいだ。どれだけの被害が出るか分かったものではない。

すぐにクルー達が編成され、サクナヒメとケンシロウが率いてでる。またレインボウノアも、退却時の支援をするために、砲口を蛙に向けた。

蛙はいる。敵意を察知したか出現し、無言のまま蹲っている。ひょっとすると此方の狙いに気付いたのかも知れない。

だが、やる事は同じだ。

無理矢理情報集積体がある場所から引っ張り出し、そして。

情報集積体を取りあげて、再生能力を奪う。

それがなれば、恐らくは倒せる。

あの蛙が何者かは分からないが、はっきりしているのはウロボロスの関係者と言う事で。力を供給し、核さえ防ぐバリアを展開する一助になっていると言う事だ。

ならば、撃ち倒すのみ。

十人ほどのクルーが、一斉に動き出す。面倒くさそうに此方に振り返った蛙に、挨拶代わりとばかりに方舟から主砲が叩き込まれる。勿論効かない。のたのたと体を鈍重に動かしつつも。文字通り、舌だけは超音速で飛んでくる。ケンシロウが動き、その舌を手刀で真っ二つにした。

瞬時に舌が再生する様子が、今度は見えた。デモニカは経験を蓄積する。故にこういう事も起きる。

それに唯野仁成は、この間アレックスと真正面から打ち合った。その時相手の剣筋が見えていた。

と言う事は、デモニカによる強化で、スペシャル達に並び始めているのかも知れない。勿論スペシャル達も同じ条件で強化されているので、まだまだ溝は埋まらないだろうが。それでも、出来る事は確実に多くなるはずだ。

攻撃を浴びせながら、蛙が苛立って動くのを待つ。ラジエルを従えたゼレーニンが前に出たので、驚いた。だが、蛙の一撃を、ラジエルが印を切って作り出したシールドが防ぎ抜く。

防御特化の大天使か。確かにゼレーニンの使役悪魔らしいといえばらしい。ただ、明らかに他より弱そうと判断したのか、蛙がゼレーニンに向き直り、何度も舌を撃ちだしてくるが。

その舌を、ケンシロウが掴み取っていた。

「汚らしい野郎だ。 ……引き抜いてやる」

流石に唖然としたのか、舌を引き抜かれそうになった蛙が、もたつきながら前に出る。

其所に、ヒメネスの魔王三体が殺到。巨体を押さえ込みに掛かる。

地面から引きはがせなくとも、押さえ込む事は出来る。蛙は流石に慌てたようで、巨体を揺らして魔王達を吹っ飛ばそうとするが、上手く行かない。その間、サクナヒメと唯野仁成が走る。ゼレーニンもシールドを解除して、蛙の後ろに回り込んだ。

蛙も、流石に狙いに気付いたらしく、緩慢に振り返ろうとするが、そうはさせない。ヒメネスの魔王達が必死に蛙を押さえ込み。更に他のクルーの悪魔達も蛙に組み付く。

案の定というか、凄まじい酸を全身から分泌しているようで、魔王達の手から煙が上がっているが。

サクナヒメが、ゼレーニンと共に情報集積体が埋まっている地点に到達。

掘り返し始める。蛙が必死に舌を引き戻そうとするが、ケンシロウの筋肉が膨れあがり、真っ向から蛙の舌を掴んで離さない。恐らく力のかけ方などを完全に理解しているのだろうが。あの巨体に真正面から力勝負をするとは。サクナヒメとも力勝負が出来るかもしれない。

北斗神拳の恐ろしさは何度も見てきたつもりだったが。

またそれを思い知らされることとなった。

「急げ! 魔王達が限界だ!」

「もう少し時間を稼いでみせるわ!」

メイビーが前に出ると、悪魔を召喚。

女神だ。エジプト神話の女神らしく、浅黒い肌に特徴的な化粧をしているが、誰だろう。今は分からない。兎も角、その女神が回復魔術を発動。淡い光が女神の掌に収束し。魔王達に向かって放たれる。三体の魔王達は、その光を受けると力を取り戻し、蛙を更に無理矢理押し込む。

蛙が、舌を振り回そうと必死になるが。元々鈍重極まりないのだ。

サクナヒメが、石畳を砕く。ゼレーニンが、ラジエルと協力して、情報集積体を掘り出すことに成功。蛙が後ろ足で何度も蹴ろうとしている至近だが。ゼレーニンは怖れている様子が無い。

一皮剥けたんだな。そう唯野仁成は思う。

そのまま、アリス、アナーヒター、イシュタルが魔術を展開。巨大な情報集積体を包み込む。

蛙が苦痛の表情を浮かべた。そして、あからさまに、回復力がなくなる。

次の瞬間、蛙の口の中に。方舟の至近から、大火力の一撃が叩き込まれていた。

ストーム1による狙撃だ。恐らくライサンダーの究極系の試作品によるものだろう。まだ大きさの課題が残っているが、遠距離から野戦砲として使うのならこの通り。

文字通り蛙の口から飛び込んだ砲弾は、蛙の体内で滅茶苦茶に反響し、全身を一瞬にしてズタズタにした。

更にケンシロウが舌を離し、突貫。サクナヒメも、同じようにして突貫。

二人が交差するようにして、蛙の前後にでた瞬間。蛙は文字通り、さいの目にみじん切りにされ。

苦悶の声を上げながら、消滅していくのだった。

膨大なマッカがばらまかれる。サクナヒメが、周囲を警戒しているのが分かる。ケンシロウもだ。

何かが此方を伺っているのかも知れない。いずれにしても、さっさと情報集積体を回収しなければならないだろう。

ラジエルが情報集積体を抱えて、ゼレーニンと共に方舟に急ぐ。唯野仁成は、ティターンも召喚すると、その護衛に入って、周囲に目を光らせる。

ヒメネスの魔王は、かなり蛙を押さえ込む事でダメージを受けたようだが。メイビーが召喚した女神の回復魔術でどうにかなっている様子だ。消耗するマッカも最小限で済みそうだった。

あの女神は、何だろう。今は、ともかく皆での無事な撤退が最優先だ。

ケンシロウがしんがりを務めてくれて、今の冷や汗を掻くような戦いで疲弊したクルーが皆方舟に戻る。情報集積体を真田さんに引き渡した頃に、ケンシロウが方舟に戻った。後は展開した野戦陣地などを回収して、次の電池を止める作業だ。

唯野仁成は、自分で志願して方舟の外で監視任務に就く。サクナヒメもケンシロウも警戒していた。

何か危険な存在がいるのかも知れない。

イシュタルが退屈そうにあくびをしたので、聞いてみる。

「何か強い敵意や悪意を感じなかったか、イシュタル神」

「いや、私は感じ取れなかったけれど」

「私も感じられなかったわねえ」

アナーヒターも右に倣う。

アリスはというと、退屈そうにしていて、話に興味が無さそうだ。ちょっと色々言いたくなったが、ぐっと堪える。

いずれにしてもこのくらいの神格でも気付けない相手が見ていたとすれば。ちょっと洒落にならないかも知れない。

アサルトライフルのチェックをしてから、監視に戻る。

程なく、物資や設備の回収が終わる。同時に、最後の電池を確認しに行っていたライドウ班が戻ってくる。

さて、後は最後の電池だ。どうせまた、ろくでもない守りにて固められているのだろうが。

時間は有限だ。

さっさとぶっつぶして、回収作業を済ませたかった。

 

2、崩壊する疑似輪廻

 

ライドウ氏を交えて、艦橋でミーティングをする。唯野仁成とヒメネス、ゼレーニンも参加している。

エリダヌスの攻略作戦が終わったら、正式に唯野仁成とヒメネスは、それぞれ機動班の一線級クルーを率いての隊長に昇格、と言う話もあった。

だが、作戦後の生活を口にしていたヒメネスが、喜んでいる様子はない。

シュバルツバースでの過酷な任務を経て、一人で此処から脱出する事の無意味さを悟ったのかも知れない。

或いは、こんな状況で「ビジネス」のために乗り込んで来たジャック部隊を反面教師にしたのだろうか。

ジャック部隊は愚かしい連中で、論外としか言いようが無いが。反面教師としては優秀と言えるのかも知れない。

いずれにしても、作戦の詳細について聞いていく。

「撮影してきたこれを見て欲しい」

「これは……!」

皆がどよめく。

それは何というか、巨大な骨の塊だった。骨だけでは無く、其所に薄汚れて腐敗した肉もたくさんこびりつき。更にはそれが蠢いている。

肉に大量に湧いているのは蛆虫だろうか。

此処の環境を考えると、蛆虫なんて湧きようがないのだが。いずれにしても、あの肉も骨も蛆虫も。

悪魔だとみるべきだろう。

「ライドウの旦那。 あの悪魔に心当たりは?」

「見た事も無い悪魔だ。 あの巨大な蛙もそう」

「アンタほどの専門家でもか……」

「ああ、残念だがな。 専門家ほど、此処では違いに困惑させられることが多いようだな」

ライドウ氏が苦笑いする。

そして、咳払いしたゴア隊長が、皆を見回した。

「それで、この巨大な腐肉の塊は、恐らく確定で情報集積体の真上に積み重ねられている状況だ。 つまり蛙のように、攻撃を誘って引っ張り出すことも出来ない」

「しかもこの様子だと、あの蛙並みの再生能力を持っていても不思議ではないのう」

サクナヒメがうんざりした様子で言う。

農業では肥料が基本だ。当然サクナヒメも、肥を扱ったことがあるという。蛆虫は散々見慣れているはずだが。

それにしても、こう腐肉と骨を積み重ねて、大量の蛆虫となると流石に勝手も違ってくるのだろう。

「まずは仕掛けてみるしかない。 ストーム1」

「おう」

「遠距離からの攻撃で、敵の耐久力などを確認してほしい。 そのデータを元に、近接攻撃を仕掛けるか、それとも弾薬を使い果たすことを覚悟の上で会戦を挑むか、決める」

「分かった、任せてほしい」

ミーティング終了。すぐに方舟が動き出す。

天使と鬼神の陣地を見やるが。どちらもあまり雰囲気が良くない。時々斥候が小競り合いを起こしているようで、爆発音がしている。

とばっちりを食らうかも知れないので、急ぐ。

いずれにしても、関わらない方が良いだろう。秩序陣営だか混沌陣営だか知らないが、わざわざこんな文字通り奈落の底にまで出向いてきて、好き勝手をしている連中に関わる余裕は無い。

ライトニングはというと、柱を挟んで向こう側にいたのが。電池を回収した地面の辺りに降りたって、何か調査をしているのが分かった。

ビジネスだか何だか知らないが、目につかない所でやってほしいものである。悪魔に襲われて全滅してしまえ、というような事は流石に不謹慎すぎて言えないが。多少は痛い目にあった方が良いとも思う。

ただ、違和感はある。ストーム1が最も邪悪な人間の一人だといったジャックという男が指揮している割りには、動きに狡猾さがない。ずっと此方を観察して、どうでるかを測っているかのようだ。

それは何というか、消極的である。こんな所に来てまで、消極的に動く理由がよく分からない。

いずれにしても、嫌な予感しかしない。警戒は、もっと高めるべきだと思った。

一度方舟が着陸する。物資搬入口から、ストーム1が野戦砲と共にでる。唯野仁成とヒメネスは、声を掛けられて一緒にでた。

ヒメネスはぽんと双眼鏡を渡される。観測手を務めろ、というのだろう。

スナイパーは、観測手という役割のバディと組む事で、その狙撃成功率を抜群に上げる事が出来る。

ただ勿論発見される確率も上がるので、状況次第だ。

唯野仁成は、悪魔を展開して周囲を警戒するように言われる。頷いて、警戒を開始。

ヒメネスは真剣だ。俺を超えろと、ストーム1に言われている。つまり後継者として期待されている。

最初はストーム1を良く想っていなかったらしいヒメネスだが、最近は無言での尊敬を感じる。

こう言う仕事を任されたことは、素直に嬉しいのだろう。

大火力の、いずれ携行できるように改良される野戦砲が火を噴く。

近くでその様子を見ると、凄まじい音と火力だ。衝撃波も迸るのが露骨に見える程である。弾速はマッハ20以上は出ているのでは無いだろうか。

これを携行用に小型に改良するというのは、真田さんなら出来るのかも知れないが。苦戦しているのも納得である。

ヒメネスが、双眼鏡を見たまま言う。

「着弾を確認。 ……効果はあり。 骨の一部が消し飛んでいる。 再生はしていない様子だが……」

「第二射行く」

「了解」

最小限の会話で、二人は更なる狙撃の準備に入る。

だが、狙撃をしようとした瞬間。アナーヒターが動き、氷の魔術で壁を展開していた。更にティターンが前に出る。

氷の壁に、大量の蛆虫が着弾したのは、その時だった。

ストーム1は気付いていたようで、となりにいつも連れている英雄二人。クーフーリンとジャンヌダルクが既に召喚されている。ヒメネスは一瞬遅れて魔王達を召喚していたが、間に合わなかった。

まだ反応速度に差があるか。

「カウンタースナイプが入ったな。 あの蛆虫は」

「既に消滅しています」

飛んできた蛆虫は、氷の壁に突き刺さった後。少量のマッカになって消えていく。

更なる追撃が来るかも知れないと警戒したが。

肉の塊は、多少削れた後、そのままになっている。ストーム1は少しだけ考えた後、方舟に戻るように指示。

作戦を思いついたのだろう。

方舟に戻る。ストーム1が艦橋に消え、休憩を貰う。ヒメネスはシャワーを浴びて寝ると言う事だったので、唯野仁成はレクリエーションルームに。アリスが食べているのを見て興味を持ったか、イシュタルがアイスを欲しがったので、作ってやる。

「まあ美味しい。 こんなもの、私の時代には無かったわ。 氷室に保管した氷を食べる事はあったけれど」

「魔術を使えば出来そうな気はするが」

「ああ、それは無理よ。 そもそも人間がそんな事を発想できないもの。 私達神々は、人間の信仰とともにある。 想像力の及ばないことは、神々には出来ないのよ」

そういうものか。

ただ、今アイスを食べたことによって、以降は「知識を得た」ために出来るようになるという。

アナーヒターも興味を持ったので、アイスを馳走する。多少マッカを消費するが、それくらいはどうでもいい。あの蛙との戦いでも、膨大なマッカを得られたのだから。

アナーヒターにもアイスは好評だ。いつの時代も、甘味は女性には好評であるケースが多いらしい。

ただ、辛口が好きな女性もいるので、必ずしもそれが正では無い。なお唯野仁成の妹がその口だ。幼い頃からアイスが大嫌いで、大人になってからは激辛カレーを愛食していた。妹の口に合わせて、激辛のカレーを作ったことが何度か唯野仁成はあって。その度に目が痛くなったりするので辟易したものだ。

「えー、クルーの皆さんへ連絡します」

春香の声だ。

これは、作戦が決まったのだろうなと、唯野仁成は思う。一応備えるが、春香の声はそれほど緊迫感に満ちてはいなかった。

「これから、エリダヌス攻略作戦の最終局面に入ります。 クルーが出る事はないとは思いますが、念のため戦闘に備えてください」

「……どういうことだ?」

レクリエーションルームにいたウルフが腰を上げかけるが。ブレアにたしなめられて座り直す。

ブレアはこの間、アレックスを取り逃したことを気に病んでいるようで。手持ち最強の悪魔魔獣ケルベロスを外で呼び出しては、色々と話をしている様子だ。冥府の番犬として名高い三つ首の魔犬は、実際の所甘いものが好きで感動的な音楽に涙を流す人情家だったりするのだが。後世で名前ばかりが先行して、恐ろしい化け物のように扱われてしまっている。

ブレアが使っているケルベロスは、どちらかといえば本来のギリシャ神話のケルベロスに近い様子で。言葉も喋ることが出来るし。ブレアと意思疎通を積極的に行っては、戦闘の打ち合わせをしている。

魔獣をたくさん展開するウルフとも相性が良いらしく。最近は一緒にいることが多いようだった。

レクリエーションルームにも艦外の様子を映すモニタはある。

方舟が動き始めて、目標である骨と腐肉の山に向け、全砲門を展開。プラズマバリアを解除。

射撃戦を行うのか。

ストーム1は、ひょっとしてだが。射撃戦だけであの巨大な腐肉の塊を処理出来ると判断しているのだろうか。

いや、それが間違いかどうかはすぐに分かる。いずれにしても、様子を今は見守るだけである。

砲撃が開始された。砲撃音は凄まじく、三qほど離れた腐肉と骨の塊に、速射砲が次々と着弾。

炸裂弾を使っているらしく、派手に爆発が連鎖する。斉射を終えると、方舟はプラズマバリアを展開。

案の定、カウンターで大量の蛆虫が此方に向けて飛ばされてきて、プラズマバリアに激突し、蒸発していった。

「プラズマバリアの出力、95、90、88……88で安定」

「敵の様子は」

「再生している形跡無し」

「プラズマバリアの回復を待ち次第、第二射を行う」

アーサーとゴア隊長がやりとりをしているのが、デモニカの通信に入ってくる。勿論聞かせているのだろう。

クルーの大半が、今の射撃戦を見守っているのだろうから。

ブレアが唯野仁成に話しかけて来た。恐らくだが。今の攻撃をどう見たか、興味があるのだろう。

「どう思う、唯野仁成」

「あの腐肉の塊は、極めて単純なルールで存在しているように見えます。 攻撃をすれば、蛆虫を飛ばして返してくる。 もしも迂闊に近接戦を仕掛ければ、大きな被害が出ると思います。 それならば、最大の盾を展開出来る方舟そのもので戦いを挑むべき、そういう判断ではないでしょうか」

「ふむ……。 俺と見解は一致するな。 ただ、それでこの階層のガーディアンが沈黙してくれればいいのだが」

その懸念は確かにある。だが、いずれにしても、あの腐肉の塊に接近戦を挑むよりはマシだろう。

ほどなく、プラズマバリアが回復。位置を微調整すると、またレインボウノアの速射砲が全て攻撃を開始。今度は焼夷弾を使っている様子で、着弾点が派手に燃え上がったのが見えた。

文字通り丸焼きになった蛆虫が、もがいているのが見える。

側では、さぞやおぞましい臭いがしているのだろうが。敵には残念ながらデモニカがあるので、その邪悪な臭いでダメージを受けることはない。

すぐにプラズマバリアが展開される。

蛆虫は生きていようがいまいが関係無い様子で、文字通りプラズマバリアに向けて射出されてくる。

狙いも正確だ。

プラズマバリアを展開したまま方舟は動いていたのだが、蛆虫は全弾着弾した。これはひょっとするとだが。

いや、まあそれはいい。兎も角様子を見守る。

「敵の67パーセントが消滅。 第三射に入ります」

「……」

淡々としたアーサーの説明。ゴア隊長は、歴戦の指揮官らしく、嫌な予感を覚えているようだったが。

唯野仁成もそれは同じだ。

ストーム1の声が、不意に通信に割り込む。

「攻撃を停止してほしい」

「ストーム1、如何なさいましたか」

「来る」

「分かりました。 プラズマバリアの回復に専念します」

アーサーが答えるのと、殆ど同時だった。さっきの比では無い、驟雨の如き勢いで、膨大な蛆が飛来する。

それは文字通りプラズマバリアを滅多打ちにしていく。ぞっとする光景だった。

ストーム1は、歴戦に歴戦を重ね。戦場でずっと生活しているうちに、勘を実用的な武器にまで昇華させたという話だが。

その勘が、適中したことになる。

アーサーの声が、淡々と響く。

「動力炉の出力を、全てプラズマバリアに回します。 プラズマバリアの出力、90、87、82、79……」

「お、おいおいっ!」

ウルフが明らかにたじろぐ。ブレアは無言で腕組みして、その様子を見ていたが。内心冷や汗を掻いているのかも知れない。

凄まじい勢いで飛んでくる蛆虫が、プラズマバリアをどんどん削って行く。焼夷弾に反応した、というわけではないだろう。

まさかとは思うが。

あの腐肉と骨の塊が主体なのではなくて。この蛆虫の方が、ガーディアンとしては本命なのか。

「プラズマバリア、出力50パーセントを切りました。 更に低下します」

「総員戦闘に備えろ」

ゴア隊長の声と共に、機動班にそれぞれ指示が出る。唯野仁成も、当然それに沿って動く。

物資搬入口に移動して、其所で戦闘準備。寝に入ったばかりのヒメネスも、もう出て来ていた。

まだ蛆虫による飽和攻撃は続いている。船がかなり揺れている。プラズマバリアの出力が30%を切った。どよめきが拡がるが、ヒメネスは平然としている。

「この船の装甲は、シュバルツバースに入ってからも強化が続いているんだ。 逆に言えば、この船の装甲を貫通されるようだったら、何処に逃げても同じさ」

「肝が据わってるな、お前」

「まあ、色々あったしな。 ここに入る前よりは据わっただろうよ」

ヒメネスが、ウルフに答える。以前は会話さえしなかったのだが。

ミアなどの機動班も兼ねているメンバーが来る。これは、相当にまずいと首脳部が判断しているのか。

「緊急時につき、補助動力も動員してプラズマバリアを補強します」

アーサーの声と共に、プラズマバリアの色が変わる。

そして、20%を切っていた出力が、一気に50%まで回復する。こうなれば根比べか。

そういえばさっき移動したのは、敵の攻撃の正確性を見る為か。なるほど、ならば移動に使う動力も、プラズマバリアに回した方が合理的と言う事だ。

ほどなく。不意に蛆虫による攻撃がやむ。プラズマバリアの出力は、40%で安定していた。

そして一気に100%にまで回復する。

「此方観測班マクリアリー。 外部に展開しているドローンから映像が入った」

皆が息を呑んでいるのが分かった。モニタに映し出されたそれは、もはや何と形容して良いか分からない代物だったからである。

肉と骨の塊は、殆ど黒焦げ。その真ん中に巨大な穴が開いていて、其所から大量の蛆虫が這い出している。

いや、あれは本当に蛆虫なのか。

やがて、蛆虫は、此方に向けて威嚇の声を上げていたが。其所に、不意にプラズマバリアを消去した方舟から、第三射が浴びせられる。今度は蛆虫を徹底的に狙っている様子である。

空中に展開したドローンの画像から、蛆虫がピンポイントで撃ち抜かれて消滅していくのが分かる。

凄まじい光景だ。はじけ飛ぶ大量の蛆虫の残骸を見て、目を背けるクルーも多い様子だった。

アレに接近戦を挑んでいたらどうなったか、あまり考えたくない。相当な被害は確定で出ただろう。

ストーム1とサクナヒメが来る。ジープを出すように指示。唯野仁成と、ヒメネス、更にゼレーニンに声を掛けた。

「出るぞ。 確認したが、あの蛆虫は無限湧きしている」

「あの蛙と同じですか?」

「そうなるな。 だから、速射砲で蛆虫を射すくめている間に接近して、あの黒い穴をどうにかする」

「具体的にはどうするんで」

ヒメネスが皮肉混じりにジープの運転席に。助手席で、ライサンダー2の改良型、ライサンダーFのチェックをしていたストーム1は、こともなげに言った。

思わず唯野仁成も目を丸くしたほどである。

「あの穴の下に情報集積体がある。 だったら、穴の下を物理的に掘り進めて、情報集積体を回収すれば良い」

「ええっ!」

「だからわしが出る。 あの穴の側を掘り返して、其所から横に掘り進み、情報集積体を回収。 蛙の時のように、唯野仁成、そなたの悪魔達で封印する。 その後の処置はゼレーニンよ、そなたに頼むぞ」

「分かりました」

接近後は、ストーム1と英雄二人。そしてヒメネスと魔王三体で蛆虫を片っ端から処理するという。

無茶な作戦だが、他に方法も無さそうだ。もっと凄い魔法が使える悪魔が手持ちにいたら、或いは別の手段もあったのかも知れないが。だが、他に方法が無い。

ライドウ氏が出てくる。最悪の事態に備えて、レインボウノアを守るべく、大型の悪魔を展開する準備を始めていた。

ケンシロウも続く。

蛆虫を素手で撃墜するつもりなのだろう。この人なら冗談抜きにやりかねないので恐ろしい。

ジープが出る。

一気に加速しつつ、それぞれ悪魔を展開。ラジエルが最初に出たのは驚いた。吹っ切れてから、ゼレーニンの行動はとても積極的になっている。続けてアリスとアナーヒター、それにイシュタルが出る。ロキも、である。ヒメネスが使っている三体の悪魔の中では、空を飛べる唯一の者だから、だろう。

ジープが接敵する間も、速射砲からの焼夷弾による射撃は続いていて。蛆虫を片っ端から射すくめている。

周囲は凄まじい熱だ。接近と同時に、ストーム1が片手を上げ。方舟からの射撃は止まった。

横殴りにドリフトして止まったジープから飛び降りると同時に、ストーム1とヒメネス、唯野仁成が陸戦要員を展開。

もう腐肉も骨も無く。空間に開いている黒い穴から、蛆虫がぼたぼたと落ちてきている世紀末的な光景だけが其所にあった。

何の悪魔なのだろうとちょっとだけ気になったが、それはもう良い。

アサルトで、蛆虫を処理に掛かるストーム1。ヒメネス、唯野仁成もそれに習う。サクナヒメは適当な所を掘り返し始めるが、これに時間が掛かるのは前にも分かっている。蛆虫の湧く速度が、想像以上に速い。普段は投げて使っている槍を、クーフーリンが薙ぐようにして使っている。

ティターンは黙々と剣を振るい。その足下で、機敏な動きでジャンヌダルクが次々蛆虫を屠る。

バロールが巨大な目を開けると、文字通り蛆虫が大量に吹っ飛び、消し飛ぶ。

だが、この目の力は連続では使えないらしく、目をすぐに閉じる。しかも大物には使えないと言う事だから、若干使い勝手が悪いか。

唯野仁成も、アサルトで蛆虫を処理し続けるが。それにしても敵が湧くのが速すぎる。

其所に、二両のジープが遅れて到着。

一線級の機動班が八名ジープを飛び降りる。悪魔を出し、アサルトでの掃射を始める。

ストーム1は無言でそれを許可する。状況からいって、ゴア隊長の指示だろう。

心強い援軍だ。これで、何とか蛆虫の大群を押さえ込む事が出来る。

サクナヒメがかなり深く掘り進めている。だが、それを危機と感じ取ったのだろう。更に蛆虫の噴き出す速度が倍加する。アサルトのマガジンを取り替えながら、唯野仁成はぼやく。

「姫様、急いでくれ……!」

「敵接近!」

「何っ!」

悲痛な声に、ブレアが呻く。恐らくだが、最後の電池の危機をウロボロスが感じ取ったのだろう。

柱の方から、雑魚とは思えない大型の悪魔が大勢来るのが見えた。凄まじい勢いで沸き続ける蛆虫を処理しつつ、あれに対応する余力は無い。

だが、その時方舟が動く。

速射砲を乱射しながら、悪魔達との間に割り込んでくる。かなりの至近距離でのことなので、迫力は満点だった。

これなら、後は彼方の相手はライドウ氏にまかせてしまって大丈夫だろう。

とても心強い話である。

サクナヒメが穴から顔を出す。ゼレーニンを呼ぶ。すぐにゼレーニンが、ラジエルと共に穴に飛び込む。彼女も状況は理解していると言う事だ。

唯野仁成は、アリス、アナーヒター、イシュタルを下がらせ。ティターンと二人で前線に出る。

深呼吸をすると剣を抜き、蛆虫の群れに切り込む。

アレックスと戦った時を思い出せ。この剣は。正確には、姫様に鍛えて貰い、ライドウ氏からも教えて貰い。更に多くの戦闘経験を経て昇華した剣術は、あのアレックスの光の剣すら弾き返した。

こんな蛆虫共なんて、恐るるに足りない。

何か、精神的に入り込んだ気がした。無言のまま、蛆虫を凄まじい勢いで斬り伏せ続ける。味方も、それに続いて一気に攻勢に出る。敵も、負けじと更に蛆虫を繰り出してくる。

ラジエルが、ゼレーニンと情報集積体を両の腕に抱えて飛び出してきた。

すぐにアリス達が封印に懸かる。

蛆虫たちが、わっと襲いかかろうとするが、ティターンが壁になってその突貫を防ぎ抜く。だが蛆虫に殺到されたのはどうにもならない。すぐにPCに戻すが、一瞬で原形を留めないほど溶かされていた。

ぞっとするが、そのティターンの献身が生きた。

アリス達による封印魔術が完成。同時に、黒い穴が嘘のように消え。蛆虫たちは供給を絶たれ。後は一方的に蹂躙され、消滅していった。

 

ティターンをマッカを使って回復する。かなり危ない戦いだった。ストーム1の判断は終始正しかったが。それでも危なかった。ゴア隊長の柔軟な支援の判断が無ければ、死人は当然出ていただろう。

四つの巨大な情報集積体を、今真田さんが全力で解析している。

方舟は一旦エリダヌス下層に撤退すると、其所でプラントを展開。物資の回収に入っていた。

ゼレーニンが動力炉の方に、他の研究室クルーと一緒に出向いている。

恐らくだが、動力炉に相当な無理をさせたのだろう。

あの苛烈な戦いだ。やむを得なかったとは言え、補助動力まで動員してプラズマバリアを展開したのだ。

被害が小さく済む筈も無かった。

二線級のクルー達が、外でプラントの護衛に当たっている。ともかく巨大で凶暴な蛆虫の群れと至近で戦ったのである。一線級のクルー達は、メンタルケアも考慮して貰ったのだろう。休憩を貰って、それぞれ休んでいた。

唯野仁成は、ぼんやりと自室のベッドで横になる。

写真を取りだす。妹の写真だ。

随分とおてんばで、手を焼かされたが。人の道に外れるようなことはしない妹でもあった。

それになんだかんだでお兄ちゃん子だったので、随分と世話を焼くことにもなった。

母子家庭だったから。唯野仁成には、年の離れた妹に対する父親の役割も求められたのだろう。

同年代の子供達からは、唯野仁成は浮いた。

それは、経験が違うのだから、当たり前だとも言えた。

写真をしまう。一眠りして、そして起きる。これからウロボロスとの決戦が控えている。当然、あの四つの電池の守護者よりも強いだろう。起きだしてから、ティターンのコンディションを確認。精神的にダメージを受けているようなこともなかった。

ふと、顔を上げると。

いつぞやの瓶底眼鏡のメイド姿の堕天使がいた。

「ずっと見ていたのか」

「ずっと見ていたと言えばそうですよお。 とはいっても側に来たのは今ですけれど」

「何の用だ、堕天使さいふぁー」

「ふふ。 まさか大母の空間を、これほどの速度で攻略するとは思っていませんでしてね」

さいふぁーの予想では、大母の空間はこの三倍は時間を掛けて攻略し、しかも犠牲も少なからず出ただろうという話だった。

それはそうだ。この巨大な空間。あの恐ろしい電池を守る敵。苦労しないはずがない。

だが、唯野仁成には、信頼出来る戦友達と。更には尊敬できる英雄達のバックアップがある。

唯野仁成は可能性が云々と言われたが。それは皆の可能性も受けているだけだ。

「貴方の成長は図抜けている。 もうモラクスやミトラスではそれこそ相手にもならないです。 一体どこから、その成長力は来ているんですかあ?」

「分からない。 俺がどうして可能性可能性と言われるのも、ぴんと来ない」

「ふうん……。 なる程ね。 何となく此方では分かってきました」

「其方で勝手に納得だけされても困る」

くつくつと笑うさいふぁー。

此奴がとんでも無く恐ろしい悪魔だと言う事は分かっている。だけれども、どうしてだろう。

憎もうという気にはなれなかった。

仲間であるクルー達に手を掛けようとしたりしないのが要因だろうか。

「天使どもが目をつけていた光の御子たり得る者は精神を人間に揺り戻しつつあるし、混沌の申し子に思えた乾いた魂はその渇きを癒やしつつある。 それはそれで此方としても面白い。 その中心にいる貴方という存在についても、興味が尽きない」

「それでどうするつもりだ」

「見ているだけですよぉ。 もしも可能性を更に引き出せるのならそうしますけれど、今は出来る事が思いつきません」

正直な奴だ。咳払いすると、さいふぁーは言った。

もう一つの鉄船に気を付けろ、と。あれは悪意によって支配され、放置しておくと確実に全てを悪い方向に傾けると。

意味を聞こうとしたときには。もうさいふぁーはいなかった。

また侵入されたことに危機感を感じるよりも先に。やはりという感情が表に出てきた。やはり、あの鉄船。要するにライトニングは危険だ。

じっと手を見る。出来る事は決して多くは無い。だが、注意はできる限り払わなければならなかった。

 

3、決戦ウロボロス

 

物資の補給完了。

クルーのコンディション回復を確認。それらを済ませると、レインボウノアは飛び立ち、上位エリダヌスへと再びスキップドライブする。

やはり毎回改良が加えられているらしく、今度は殆ど揺れなかった。真田さんも、休憩しているのか心配になる。

スキップドライブした後は、まずは勢力の状態を確認。

天使と鬼神の陣地は、既に戦闘を開始している様子だ。相当数の天使と、巨大な鬼神達が、もみ合うようにして戦っている。

勿論介入する意味はない。どちらもウロボロスに興味は無いと言っていた。ならば近付くのは時間の無駄だし、弾薬の無駄でもある。

ライトニングは。相変わらず停泊して、何か作業をしているが。いずれにしても不意に介入してくる様子は無い。

勿論目を離してはいけない相手だが。それはそれとして、現時点では脅威にはなっていない。

ならば、決戦を挑むのは今しか無い。

柱の前に方舟は降り立つ。話には唯野仁成も聞いていたが、バリアが張られていたらしいのだが。

今ではそのバリアは、跡形も無く消し去られていた。

更に、悪魔の反応も、以前より明らかに小さくなっているという。

今が好機だ。ゴア隊長は、そう断言した。

艦橋に集まっているのは、主要メンバーに加えて。これから戦闘に参加する機動班精鋭二十名である。

レインボウノアにゴア隊長は残り、残り三勢力からの横やりを防ぐ。今回は、ライドウ氏、ストーム1、ケンシロウ、サクナヒメの全員が同時に出る。

勿論、さいふぁーにまた侵入されたことは報告済みだ。

だが今は、それに対策するよりも先に。

ウロボロスを撃破して、状況を進展させるのが先だと、ゴア隊長は言った。

春香が咳払いすると、原稿を読み上げる。

皆の精神を、少しでも和らげるための処置である。

「ウロボロスの戦闘力は、恐らくは手持ちの悪魔を全て展開したアレックスにほぼ匹敵すると思われます。 逆に言えば、このメンバーであればどうにか出来る筈です」

「戦闘力だけならばな……」

サクナヒメがぼやく。

そして、彼女は挙手。皆を見回しながら、サクナヒメは言った。

「この空間。 特に上位エリダヌスにて、「電池」を守っていた連中を、皆思い出してほしい。 いずれもが、生と死に関係する存在だった」

相手を問答無用に死に追いやる暴威の権化、龍であるバシリスク。相手を死に至らしめる声を放ち、一方で生命力の象徴でもある植物、マンドレイク。雨期の到来を告げ、多くの生命に祝福の歌を贈る蛙。そして死肉に発生し、その掃除をして新しい生に備える蛆虫。

全てが、生と死の循環に関係しているという。

「春香が言う通り、ウロボロスの力はアレックスと同じくらいとわしは見た。 それに加えて、妙な能力を持っている可能性が高い。 気を付けよ」

故に、全戦力を投入するわけだ。多分危険性を、サクナヒメが先に警告した結果の、この過剰とも思える戦力投入なのだろう。

真田さんが咳払いをする。更に付け加えることがあるらしい。

「今回は野戦陣地などを展開する事は出来ない。 このスペシャルと精鋭クルーだけでの戦闘となる。 それは皆覚悟してほしい」

「他はこの船に引きこもるって事ですかい?」

「言い方は悪いがそうだ」

ヒメネスに、そのまま真田さんが繕わずに返す。この辺り、真田さんはヒメネスへの対処法を心得ている。

周囲は眉をひそめたが、順番に真田さんは説明をしていく。

「今までは一瞬で全滅するような能力を行使するような相手はいなかったし、まずスペシャル達で仕掛けて相手の戦力をはかる事が出来た。 だが今回は違う。 このエリダヌスにて要所を守っていた悪魔達を思い出してほしい。 いずれもが危険な能力持ちで、しかもウロボロスはその親玉だ。 もしも妙な能力が放たれた場合、方舟のクルーが一瞬で全滅する可能性がある」

「……確かにそれはまずいですね」

「ああ、そういうことだ。 勿論相手の能力を解析出来次第、方舟から可能な限りの支援をする。 解析に関しては、いつも通り全力を尽くすつもりだ」

真田さん以外の人間だったら、ヒメネスは何か皮肉を言っただろうが。

今回は真田さんがそう言っている。

いかなる困難でも、様々な道具を開発し。対応出来るようにしてくれた、この船の技術的な守護神がだ。

だから、ヒメネスも矛を収めた。

唯野仁成は、ヒメネスが進んで泥を被ってくれていると考えている。別に今の発言を咎めるつもりはない。

他のクルー達も、ひやひやはしているだろうが。

概ねそれと同じだろう。

ライドウ氏が咳払いすると前に出る。ウロボロスに対する話だ。

「ウロボロスは種族としては龍王に所属することが多く、本来は単に輪廻そのものを現すだけの記号的な存在だ。 人格すら持っていない場合が多く、俺も遭遇したときには別に苦労した事はない。 だがこのエリダヌスにて「大母」となっているウロボロスは違う」

本来想定される能力についての説明は受けるが。

全てが通じないと判断した方が良いだろうと、何とも酷い話をされた。

だが、最高の専門家ですらこういうしかない相手なのだ。何もかもが、桁外れと言う事だろう。

いずれにしても、これから勝負を仕掛ける。

まず前衛としてライドウ氏とサクナヒメが出る。続けて、その後方からストーム1とケンシロウ。

そして、他の精鋭クルーが、状況を見ながら仕掛ける。

戦力の逐次投入に近い形だが、今回は文字通り広域即死攻撃を問答無用に仕掛けて来かねない相手だ。

その上、核すら防ぐようなバリアで身を守っていた相手でもある。

はっきりいって、こう言う策しか展開出来ない。

物資搬入口に、クルーが集結する。

まずはサクナヒメとライドウ氏が、率先して飛び出した。敵まではそこそこの距離があるが。

それでも、今の状態ですら。

敵の攻撃次第では、一瞬で方舟が壊滅しかねない恐怖がある。

観測班のマクリアリーが連絡を入れてくる。

「エンゲージ開始を確認。 二人がウロボロスに仕掛けた」

「よし。 出る」

無言のままケンシロウが、弾丸のように突貫。ストーム1が、かなり小型化はしたが、それでも持ち運びは厳しそうなライサンダーの最終型を物資搬入口から構えて、射撃を開始する。

前線から、ライドウ氏が通信を入れて来た。

敵は、殆ど此方の攻撃を受けつけないという。

「蛙が見せた超再生力に近い。 簡単に突破することは厳しい。 あらゆる属性の攻撃が通じるが、同時に決定打にならない」

「ライドウ!」

「!」

サクナヒメの警告と共に、ウロボロスが全身から光を放った。

それが周囲を押し潰す。何か重力を操作する魔術だったのだろう。いずれにしても、二人で無ければ避けられなかった。

まずい。こんなのを相手に接近戦をしなければならないのか。あの蛙並みの再生力に、百メートルを超えるガタイ。

柱から動く様子が無いことだけが救いではあるが。

しかしながら、恐らくだが動かなくてもそもそも何の問題もないのだろう。

「愚かな人間共。 大母たる我に逆らい、あまつさえ武器を向けるとは」

「わしは人間ではないが」

「そうか。 だが人間に与する以上同じよ。 等しく潰れて大地の肥やしとなれ」

再び重力波が叩き込まれる。あの、対悪魔クラスター弾でもびくともせず、サクナヒメが「耕す」という神の儀式を行ってやっと突破出来た石畳が、潰れるのがデモニカの映像越しに分かった。

周囲数百メートルを、一度に潰す事が出来ている様子だ。

しかも、押し潰すことが出来るという事は。

「重力異常を検知!」

ムッチーノが、恐怖に上擦った声を上げる。

それはそうだろう。ライドウ氏が展開している悪魔が、次々に潰されているのだ。

今まで、ライドウ氏が展開した悪魔は、空間のボスにさえ殆ど遅れを取っている事がなかったのに。

今度は重力がなくなり、潰れて砕けた石畳が浮き上がり始める。重力の操作を自由自在と言う事か。

口で尾を咥えているから、炎を吐いたり魔術を使ったりする事はないようだが。

重力操作能力に関しては、自由自在というわけだ。更に言えば、今まで電池にしていた悪魔と同じ事が出来ても不思議では無い。

サクナヒメがそれでも至近に接近し、頭に強烈な一撃を叩き込む。

だが、百メートルを超える龍である。頭を切りおとすまでには至らない。

しかも頭の傷は、見る間に再生を開始する。

とんでもない怪物だ。

今までの空間の支配者が、子供か幼児にしか見えない。大母と呼ばれるだけの事は確かにある。

完全に格が違う相手だと、客観的に認めざるを得なかった。

ストーム1が舌打ち。効いている様子が無いのだろう。ケンシロウも前線に突入したが、そもそも秘孔といったか。攻撃が通らない様子だ。斬撃に切り替えているようだが。それも切り裂いた端から塞がってしまう。

ライドウ氏は巨大な悪魔を次々召喚して挑ませているが、重力を増やしたり減らしたり好き勝手する上、即座に攻撃を受けても回復するウロボロスの前にはどうにもできない。ヒメネスが、たまりかねて叫ぶ。

「おい、これだと犬死にするだけだ! 撤退しか……」

「今解析中だ。 もう少し待て」

「……!」

真田さんの冷静な声。恐らくだが、真田さんも冷や汗を流しながら相手を解析しているはずである。

或いは。重力子を使って通信をしているのだ。ひょっとして、あの重力操作に対する何かの切り札を持っているのか。

サクナヒメが地面に叩き付けられ、押し潰されるのが見えた。立ち上がろうとしているが、重力が一体何G掛かっているのか。あのサクナヒメが、立ち上がろうとして出来ないでいる。

ライドウ氏が四体同時に展開した大物悪魔が、一斉に特大の魔術を浴びせているが、まるで効果がない。

ストーム1の攻撃もだ。

信じろ。真田さんを。自分に言い聞かせ、唯野仁成は出撃を待つ。

そして、その瞬間は、ついに来た。

真田さんが、どんと机を叩いたようだった。

「よし、重力子を指定の地点に全力照射しろ! 急げ!」

技術班が動く。その瞬間、戦況が代わった。ウロボロスが、微動だにしなかったのに、露骨にぐるりと体を回転させる。だが傷だらけのサクナヒメが立ち上がると、口を拭った。重力操作が、働いていない。

ゴア隊長が叫んだ。

「よし、機動班突入! 敵はまだ奥の手を隠している可能性がある! 気を付けろ!」

「イエッサ!」

ようやくの出番だ。

唯野仁成は、真っ先に突貫する。悪魔達全てを展開して、前線に走る。デモニカによる強化がある。ジープを使っても良かったのだが、もう走る方が速い。

前線と映像を共有する。サクナヒメが一旦下がり、ライドウ氏が出した悪魔の回復魔術で傷を癒やし始める。それに対してケンシロウが出ると、凄まじい斬撃でウロボロスを削り始める。

体の彼方此方を凄まじい勢いで切り裂かれながらも、ウロボロスはまだ余裕を崩していない。

「愚かな人間よ。 大地の力を封じたくらいで、どうにか出来ると思うたか?」

ウロボロスの全身の鱗が逆立ち、振動を開始する。

アリスがおおとぼやいた。

「あれ呪文詠唱だよ」

「口を使わなくても呪文詠唱が出来るのか」

「私達、別に口を使って人間語喋ってるわけじゃないからねー」

脳天気なアリスだが。状況は正直、それどころではない。

ずんと、もの凄いプレッシャーが来て、思わず両腕で顔を庇っていた。アリスが使う、あの高密度の死そのものに近い気がした。

周囲に、次々と着弾する「死」。

「気を付けろ! 恐らく死を誘発する術だ!」

「散開!」

ブレアが叫び、悪魔達を盾にしながらクルーがウロボロスに迫る。もう殆ど至近だ。方舟からも連絡がある。

ゴア隊長の声も、かなり焦っている様子だった。

「ウロボロスの重力制御能力を、重力子を発生地点にぶつける事で現在相殺しているが、動力炉は長い時間もたない! それくらいエネルギーを食う! 一刻も早く、奴に痛打を浴びせる活路を見いだしてほしい! 活路を発見し次第、支援砲撃を開始する!」

「イエッサ!」

今までの戦闘を見ていた。

あらゆる魔術は通用する。攻撃そのものは通っているのだ。だが超回復力が、あっと言う間に傷を塞いでしまう。

だが、あの蛙が情報集積体を引っ張り出されて一気に弱体化したように。ウロボロスにも何か弱点があるはずだ。

もしも、弱点があるとすれば。

ウロボロスの内部にもあるだろう、ロゼッタか。

いや、ロゼッタは恐らく、悪魔が死ぬときに形を変えた結果出現するものだ。意図して相手から引っ張り出すことは出来ないだろう。

それならば、可能性は一つしか無い。

「ヒメネス、あの大きいのの動きを止められるか!?」

「よくわからんが、それが何か意味があるのか?」

「あいつは円環そのものが重要な形になっている。 説明は聞いただろう。 輪廻を司るとか、そういう概念そのものがウロボロスだ」

周囲に隕石群が如く、炎が降り注ぐ。

前線のダメージは甚大だが、負傷者はすぐに下げる。悪魔もどんどん躊躇無く展開する。

炎に強い悪魔を盾にしながら、接近する。もうアサルトの間合いだ。アサルトの弾丸を叩き込みながら、ヒメネスに言う。

「頼む、止めてくれ」

「分かった、やってやる!」

ヒメネスが指示すると、三体の魔王が巨体を揺らしながら突貫。ウロボロスに、それぞれ組み付いていた。

もし、考えている事が出来るとしたら、ケンシロウとサクナヒメだ。

ケンシロウにデモニカごしに通信を入れる。その間、悪魔達には総力で巨体を攻撃して貰う。

アリスのトリスアギオンでさえ、ウロボロスにはロクに効いている様子が無い。アナーヒターがトリスアギオンが直撃した地点に冷気の特大魔術を叩きこんでいるが、効果は殆ど無さそうだ。

続けてイシュタルが烈風を纏った拳を叩き込んでいるが。それも効いている様子がほとんどない。

効いてはいるが。

即座に再生しているのだ。

更に格上のライドウ氏の悪魔の攻撃ですらきかないのである。はっきりいって、普通に攻撃をしても無駄だ。

それは、唯野仁成の中で、結論としてあった。

サクナヒメが、呼吸を整えながら立ち上がる横に。そして、説明をする。サクナヒメは、乾いた笑いを浮かべた。

「全身が痛いんだがのう」

「恐らく、現時点でそれが出来るのは姫様だけです。 お願いします」

「よし、いいだろう。 その代わり、唯野仁成よ。 そなたにはわしの神田で手伝いを命ずる」

「イエッサ!」

神田には、限られたスタッフしか入れないと聞いている。方舟に作られたビオトープの一種である其所には、小さな田んぼが存在しているそうだ。サクナヒメは普段から其所に足を運び、稲作をしては豊穣神としての力を蓄えているという。神田での行動全てがサクナヒメの力になる。

其所に加わると言う事は。戦闘以上に、ミスが許されない事を意味していた。

「愚かな人間どもよ。 我の前から消え……」

ウロボロスの口が止まる。

ストーム1による狙撃が、口の中に飛び込んだのだ。如何に相手が大きいとは言え、口の中にピンホールショットを決めるとは、流石である。

更に口の中で反響した弾丸は、ウロボロスの巨体の内部をズタズタに切り裂いた様子である。

流石に怒り心頭に達したのだろう。ウロボロスが、全身の鱗を振動させ始める。特大の魔術で、周囲全部をまとめて薙ぎ払うつもりだ。

即座にあらゆる傷が回復する最強の肉体と、あらゆる敵を圧倒する超火力。

文字通りの矛と盾だが。

しかしながら、矛を繰り出す瞬間には手元に隙が生じるし。

盾を構えているときには、攻撃を行う事が出来ない。

どんな完璧に見える相手でも。

絶対に隙は存在している。それは、この世の摂理だ。どれほど硬い物質でも砕く事が出来る。そういう事である。

サクナヒメが跳躍する。ケンシロウも、それにあわせて動いていた。

同時に唯野仁成は、方舟にも通信を入れる。ゴア隊長は、あわせてくれるということだった。

周囲の皆にも通信を入れる。

さあ、ここからが勝負だ。

サクナヒメが上空に出ると、鼻で笑うウロボロス。恐らくだが、周囲全てを一気に粉砕するほどの超特大魔術の準備がもう終わるのだろう。

だが、残念な話だが。

それが発動する未来は来ない。

サクナヒメが大上段に構えを取る。光の剣が、その力を増していく。数秒のため。そう、最近は連発すら出来るようになっていたサクナヒメの神剣。それを、更に現在の全力で、フルパワーで放つと言う事だ。

其所で、怯む様子も無かったら、諦めるしか無かっただろう。

だが、ウロボロスはあからさまに怯んだ。

つまり、大体予想通りに行く、と言う事だ。

慌てて、ウロボロスが周囲に魔術をぶっ放す。中途だったが、それでも火力は文字通り絶大。

吹っ飛ぶクルーが見えた。

悪魔が消し飛ぶのが分かった。

頼む、死なないでくれよ。そう呟きながら、アナーヒターが作った氷の盾の影にて、唯野仁成は猛烈な魔術の驟雨を凌ぐ。

サクナヒメも、数発の直撃を受けたようだが。

ためは、終わった。

文字通り、天地が左右に切り裂かれたかと思った。

サクナヒメが、青白く輝く神剣を、大上段から降り下ろしたのである。流石のウロボロスの肉体も、これにはひとたまりもない。首の辺りを、完全に一刀両断され。尻尾の辺りも、一瞬遅れて一刀両断された。

左右に別たれたウロボロスが、見る間に弱体化していく。

やはりそうだ。

奴の姿は円環そのもの。輪廻そのものの概念だというのなら、左右に切り裂かれて能力を維持できる訳がない。

力を流石に使い果たして落ちてきたサクナヒメを、ぼろぼろになってなおも動くティターンが受け止める。

サクナヒメが落ちてくるのと入れ替わりのように、ケンシロウが跳躍し、それでも再生を開始しつつあるウロボロスの傷口に無数の拳を叩き込んだ。向こう側に抜けるケンシロウと、傷口が爆裂し、円環が完全に断たれるウロボロス。絶叫する巨大なる蛇。既に円環ですらないその全身に、息を合わせて全員が、一斉に攻撃を叩き込んだ。

クルー達が、それぞれ手にしている得物で一斉に射撃。悪魔達は魔術や炎の息やらを総力で叩き込む。

其所に、方舟からの援護射撃が加わり。

再生が止まったウロボロスの全身を、文字通り滅多打ちにしていった。

二つに切り裂かれ、体中が穴だらけになりつつも、ウロボロスはなおも吠え猛る。

その顔面を、アリスのトリスアギオン二発目が直撃。言葉にならない絶叫が、周囲を蹂躙していた。

更に、ライドウ氏が手持ちの全ての大型悪魔をけしかける。彼らはヒメネスの悪魔達と連携して、ウロボロスを左右に引きはがしに掛かる。ライドウ氏が走る。唯野仁成もそれに習う。

後方から、ヒメネスがライサンダーで援護射撃をしてくれる。ウロボロスの鱗が次々に吹っ飛ぶ。

最初に仕掛けたのはライドウ氏だ。

ウロボロスに向け跳躍すると剣を抜き、ウロボロスの体を駆け上がりながら凄まじい斬撃を浴びせて斬り上がって行く。

唯野仁成は、イシュタルに頼んで、風で上空に飛ばして貰うと。

ウロボロスの頭の、上に出た。

そして、其所から加速して、一気に下に。

ウロボロスが、恐怖の声を上げるのが分かった。

「愚かな! 大母に! 生と死の循環に手を掛けるなど、何と罪深い! だから人間は、この世界から滅びようと……!」

「貴方は大母なんかじゃあない。 この地球の自衛機能が暴走しただけの、ただの狂った生体装置だ!」

渾身の一撃を込めて、剣を降り下ろす。

勿論、今まで皆が攻撃していたのが効いていて、脆くなっていたのもある。

だが、それもあるが。デモニカによる強化効果が、極限まで唯野仁成の剣撃を強化してくれた。

文字通りその剣は、ウロボロスの首を刎ね飛ばした。

三つに切り裂かれたウロボロスは、断末魔の絶叫を上げながら、塵に返っていく。

着地地点に、イシュタルが風でクッションを作ってくれていた。多少荒々しい風のクッションだったが。

少し遅れて、ライドウ氏もちゃっかりその風のクッションを利用し、着地する。

総力戦だった。

「見事な作戦だった。 今回のMVPは君だな」

「ありがとうございます。 でも、誰の力が欠けても、この勝利はありませんでした」

謙遜では無い。本当にそう思う。

ヒメネスが手を振って走り寄ってくる。やったなと、珍しく掛け値無しの笑顔を浮かべていた。

 

4、勝利の後の苦い酒

 

重傷を受けた機動班クルーが、医療室に運ばれて行く。やはりかなり手酷い重傷を受けているクルーが多く、すぐに一線級のクルーで動かせない者が出ていた。ブレアは左半身の肋骨をグチャグチャに潰され。ウルフは右足を粉砕骨折していた。他にもすぐに来た医療班が、ポリマーでデモニカを応急処置し、運んでいくクルーは多い。唯野仁成やヒメネスは比較的無傷だが、それでも手傷はかなり酷かった。

メイビーが、エジプト神話の女神らしい悪魔を使って、周囲に広域回復を掛け続けている。

ウロボロスが全力での制圧魔術をぶっ放した直後から、ずっとそうしていたらしい。

そうしなければ、恐らく死者が出ていたし。重傷者はもっと酷い傷を受けていただろうと、現場に駆けつけた医療班チーフのゾイに言われた。

すぐに方舟に戻る。サクナヒメは、さっきの全力での神剣の一撃で力を使い果たした様子で、ぐったりしたまま後から駆けつけた機動班クルーに運ばれて行く。ライドウ氏もケンシロウも、無傷とはとうていいかないようだった。

天使も鬼神も、最後まで介入してこなかった。それだけは救いだが。本当にこの空間の支配者には興味が無かったんだなと、唯野仁成は少し呆れてしまった。

ゼレーニンが来る。

そして、ウロボロスの残骸から。今まで「電池」として回収していた情報集積体よりも、更に桁外れに巨大なロゼッタを回収していた。

流石に「大母」のロゼッタだ。

ストーム1が来た。周囲を守るので、戻るようにと声を掛けて来る。あの最終局面における方舟による狙撃は正太郎長官によるものだが。その時にも、再生が速い箇所をストーム1が撃ち抜いていたことは、ログを見て知っている。

あれだけの状況でも冷静さを崩さない。流石ワンマンアーミー。安心して此処を任せられる。

医務室に入ると、デモニカを脱いで。治療を頼む。周囲は地獄絵図だが、医療班クルーは皆冷静で、着実に治療をしてくれていた。

重傷者は出ているが、致命的な傷を受けている者はいないと言う。ただ、やはりしばらく動けないクルーもいるそうだ。特にウルフは、精密検査をしてみたところ、複雑骨折の様子が思わしくないらしい。

此処の医療設備は、何処の大学病院でも舌を巻くほどのもので。クルーの腕前も、何処の病院でもエースを張れる程のものだが。それでも、当面は動かせないそうだ。

またメイビーも、左腕が完全に折れている状態でずっと前線にいたらしく。ゾイが珍しく静かに怒り狂って叱っていた。元々メイビーは医療班の出だ。無理が何を呼ぶか、知っているのにとった行動。まあゾイが怒るのも、無理はないと言える。

なお、医療室ではメイビーが召喚した悪魔数体が、ずっと回復の魔術をかけ続けてくれている。

それで痛みなどはかなり楽になっているが。

それでも医療班の負担がなくなるわけではない。魔術は万能では無い。それは、悪魔を使うようになってから、唯野仁成も思い知らされた。

やがて、クルーや物資の回収が完了したらしい。方舟は一旦プラズマバリアで船を守り、穴熊に入ると言う。

それはそうだ。今回の戦いでは、スペシャル達ですら負傷した。サクナヒメは消耗しすぎて目をまだ覚ましていないし、ケンシロウやライドウ氏も軽傷を受けている。無事なのはストーム1だけ。一線級の機動班クルーは壊滅状態。

戦力が四半減している、と言う事だ。

春香の通信が入る。

「ウロボロスの撃退、皆様お疲れ様でした。 幾つか、報告をしなければなりません」

春香が通信をしてくると言う事は。

あまり良い内容では無いのだろうなと、唯野仁成は直感を覚えたが。その直感は当たった。

「まずバニシングポイントですが、ウロボロスが完全消滅した後、その柱の上空に出現しているのを確認しました。 巨大な空間の穴で、外に通じているのは確定です。 しかし……」

しかし、なんだ。

恐らくだが、問題があるという事なのだろう。

「バニシングポイントの内部に、空間的な壁があるのを確認しました。 最初にアントリアで方舟が脱出を試みた時に防いで来たものと、同等のものです。 ただし出力は桁外れ……恐らくですが、無闇に脱出を測れば、即座に方舟といえども粉々になってしまうでしょう」

そうか。やはり簡単に脱出はさせてくれないか。

それに、確か大母は複数いると言う話だ。

それならば、いずれにしてもどうせまだまだシュバルツバースには留まらなければならなかったのだ。

やむを得ないと言える。

「これから、アントリアからボーティーズ、カリーナ、デルファイナスにそれぞれ渡ったように。 バニシングポイント内部から、同じ高位次元にある別空間に移動する事になるかと思います。 回収した巨大なロゼッタに、その量子のゆらぎのパターンがありました」

複数いる大母の中でも、バニシングポイントを守っていたのと同等のがまだまだいるというわけだ。

これは愉快な話である。

処置が終わったと言うことで、唯野仁成は自室で寝ると言って医務室を後にする。後は自分の治癒能力でどうにか出来る。唯野仁成を気に入ってくれているアリスに回復も頼む。

医務室は可能な限り開けておいた方が良い。医療班の負担は減らしたい。

ヒメネスはもう医務室にいない。まあ、同じように考えたのだろう。ヒメネスの場合は、恐らくだが、弱みを見せたくなかったから、だろうが。

「ただ、希望もあります。 ウロボロスのロゼッタには、今までに無い桁外れの情報が詰まっていました。 これと同等のものが更に見つかれば……恐らくですが、このシュバルツバースを破壊する方法を、確実に発見できるかと思います」

通信が終わった。

春香の通信は気休めでは無い。メンタルケアを兼ねていて。更に脚本ありきのものである。

彼女がいるから、この地獄の航海でのメンタルケアが適切に行われ。クルーの負担も減っている。

感謝しなければならない相手だ。

自室に戻ると、アリスを召喚。傷を見せて、回復して貰う。アリスは嫌がる事もなく、回復の魔術を使ってくれた。最初だったら、こうはいかなかっただろう。信頼してくれているのだ。

一通り回復が済んだので、後でアイスを奢ることを約束して、PCに戻って貰う。

珍しく、PC内からイシュタルが話しかけて来た。

「勝ったには勝ったけれど、戦略的には大惨敗という所かしら?」

「ああ、残念ながらしばらく動けない」

「そう。 それならば嘆きの胎に出向くと良いかも知れないわよ」

「あの危険地帯にか」

イシュタルはくつくつと笑う。

唯野仁成は、無言で先を促す。

何でも四層は、そもそもデメテルが収監されていた階層。だが、其所にはおかしな事だらけだという。

「そもそもあのデメテルが、四層の実りを求めているのがおかしいのよ。 あの子だって囚人だったのよ?」

「そういえば、あの実力なら、実りをどうして落としたのかが分からないな」

「四層には囚人の代わりに、罠として看守が待ち構えているはず。 それに私があの赤黒の子だったら、戦力が落ちた状態で探索をすれば確実に仕掛けるわね」

「危機を好機に変えろと言う事か」

イシュタルはにんまりと笑う。

確かに一利ある。上層部に上申してみると告げると、イシュタルはPCの中で黙った。

嘆息すると、手を見る。

大母。今までの空間の支配者とは桁外れの相手だった。あんなのがまだまだいる。そう思うと、手が震える。

だが、臆してはいられないし。

何よりこの船には英雄達が乗っている。

一緒に戦えば、絶対に倒せる。そう信じて、唯野仁成は震えを握りつぶしていた。

 

(続)