牢獄に蠢くもの

 

序、進退窮まる

 

アレックスはビバークポイントを作ろうと思ったが。嘆きの胎に入り込んだ途端に、それが無理だと悟ることになった。

嘆きの胎三層。

普段アレックスが力をつけるために利用している階層だ。二層までは単純な構造の嘆きの胎だが、三層からは時空が歪み、一筋縄ではいかなくなる。これはアレックスにとっても有利で、知能があからさまに落ちている看守達をまとめて相手にしなくても良くなる。運が良ければ、力が弱めの看守を捕獲して、手持ちにする事も出来る。

何体か持っている手持ちの内、そうやって今まで二体を捕獲した。

また、強大な看守が現れた場合も、隠れる事は難しく無い。

そもそも嘆きの胎は環境が地上と代わらない。

おぞましい植物が蠢いているが、意外に害は少なく。ただ頑丈で、層と層の間の柱として機能しているだけのものだ。

だが、スキップドライブしてきた途端。

それらの。今までの何度もの周回で知った知識は、全て過去のものとなっていた。

歩いているのは、邪鬼ヘカトンケイレスか。

ギリシャ神話における地獄の門番。ギリシャ神話における冥府の門番ケルベロスは有名だが、此方は冥府では無く地獄。タルタロスの門番である。その戦闘能力は尋常では無く、オリンポス神族と戦力が拮抗したティターン神族(ゼウスの父世代の神々である)の戦闘を一気にひっくり返した怪物達だ。

ギリシャ神話においても爆心地とも言える存在で、百手を持つ彼らは圧倒的な戦闘力をもつ反面、醜いとしてそれぞれの時代のギリシャ神話の主神に疎まれた。それがギリシャ神話における大御所ガイア神の機嫌を損ね。結果としてギガノトマキアやティタノマキアという大戦につながっている。

テューポーンやゼウスを除けば、恐らくギリシャ神話でも最強の戦闘力を持つ巨人が、無言のまま彷徨いている。

明らかにあり得ない事態だ。

それだけではない。

周囲には、それこそ地獄の深奥に済んでいると呼ばれるような悪魔が群れを成して闊歩している状況だ。

主神クラスの手持ちでもない限り、戦闘をするべきではない。

更に確認もしたが、各階層の階段は封じられおり。

各階層の本来の支配者である囚人か。或いはそれ以上の力を持つ者が、力尽くで破らなければならない状態だった。

木の陰に隠れて。アレックスは息を殺す。

流石にヘカトンケイレス三体を同時に相手にして、勝てるとは思えない。

「ジョージ、何が起きているの」

「確か此処の囚人は魔神アモンだったな」

「ええ。 その筈よ」

「アモンはエジプト神話でもかなりの重要な神格で、時期によっては最高神を務めていたこともある存在だ。 後に一神教で悪魔に貶められたが、それでも確か嘆きの胎では囚人として使われているはずだ。 その強大な力は嘆きの胎の囚人では、今までに存在を確認した囚人の中ではゼウスにつぐ。 脱走した可能性があるな」

アモンが脱走。勿論可能性の話だが、アレックスは、思わず爪を噛みたくなった。

アモンは何度か交戦した事があるが、全戦力をつぎ込んでやっと撃退出来るかどうか、という相手だ。なお横やりが入る事が多く、倒せたことは無い。

アモンから派生した一神教の悪魔「マ」モンは、「相当な強者である」と描写されている悪魔の一柱で、戦闘力に関してもその評価に劣らない。

特に嘆きの胎に収監されているアモンは、エジプト神話の神格としての要素がとても強く。

出来れば関わり合いになりたくない相手だった。

ましてやこの状況。

アモンとまで遭遇したら詰む。

スキップドライブは連続して行えるわけでは無い。デモニカでのスキップドライブには制約が多い。

単純にデモニカに蓄積できるエネルギー量が小さいからだ。幾らスキップドライブ出来るからとはいえ、核融合炉を積んでいる次世代揚陸艦のようにポンポンできる訳では無い。

「次にスキップドライブ出来るのは」

「戦闘を避ける事が出来れば91時間後」

「……っ」

「だが、この状況、戦闘を避けられるとは思えない。 最悪の場合、空を飛べる悪魔の手を借りて、二層なりに無理矢理逃げ込むことを推奨する。 現時点での戦力で、此処を打開できる可能性は2%以下だ」

そんなにあるのかと、強がりを言いたくなるが。

ジョージはいつもアレックスのことを考えて、現実的なプランを策定してくれた。

深呼吸をする。

4日近く、此処で潜伏するか。

確かに言われた通り、そうすればアントリアなりボーティーズなり、現状の戦力なら昼寝しても大丈夫な場所に逃げ込むことが出来る。

だが、そうして潜伏できる可能性は極めて低い。

アレックスは悪魔に追われたことも、人間に追われたこともある。

悪魔はとにかく、探し方が荒々しくおおざっぱだ。結界などを張っていても、何もかも壊しながら探すから、無意味になりやすい。

人間はとにかく探し方がしつこい。徹底的に追ってくるという意味では、人間の方がそれに近いだろう。

いずれにしても、何があったにしても。

今回は悪魔が何かを追っている事になる。

ということは、いずれおおざっぱに、三層をあらかたしらみつぶしにし始める筈だ。しかも敵の質は尋常ではない。

隠れながら進む。

何とか外縁部まで出なければならない。

嘆きの胎は北欧神話に出てくるユグドラシルのような巨大な木の中にあるようなものだ。

この三層は空間が歪んではいるが。

それでも、外縁部に出れば脱出は可能。飛ぶ事が出来る悪魔は手持ちにいる。だから、どうにかできる。

マップは過去に彷徨いたときに、隅々まで調べてある。ジョージも、何処の空間がどう歪んでいるかも知っている。

だから、最短ルートは即座に出してくれたが。

しかしながら、二つ目の空間の裂け目に飛び込んだ瞬間。

待ち構えていた悪魔の群れに、息を呑むこととなった。

中空に満面の笑みで浮いているのは女神デメテルだ。秩序属性の悪魔が、どうして嘆きの胎で好き勝手やれているのか。

何よりも、奴が実の所相当な武闘派であることをアレックスは既に知っている。そして、デメテルの足下には、混沌属性である筈の看守が数体。更にヘカトンケイレスも控えていた。

とてもではないが、勝てる戦力では無かった。

スモークグレネードを叩き込むと、真っ先に撤退に掛かる。此処のマップは幸いにも複雑で、頭がおかしくなっている者も多い看守悪魔を撒くことなら出来る筈だ。複雑に走り回って、ひたすら逃げ回る。

逃げる事は得意だ。

得意でなければ、今まで生きてこられなかった。

ジョージのサポートを受けながら、追い詰められないように必死に走り回る。

兎に角、外縁に。

至近。デメテルが出現したので、抜き打ちに光の剣で一撃を浴びせるが。

あっさり剣を掴んで止められたので、愕然としていた。

この光の剣は、高熱のプラズマを空中に固定化することで、あらゆるものを熱で斬るという技術によるもので。

単純に熱で斬るだけではなく、プラズマを直接ぶつける事によって分子結合を崩壊させる事も出来る。

つまり手で受け止められるものではない。

だが、現にそれをやってのけられたのだ。

直後、凄まじい回し蹴りを喰らって、文字通り天地が逆転した。

背中から壁に叩き付けられたと気付いたときには、更に追撃を受けていた。回避が出来たのは奇蹟に等しい。

デメテルの拳が、頑強な筈の嘆きの胎の植物に食い込み。クレーターを穿つ。

正体を現したデメテルは、完全な超武闘派。

ピクシーにも格闘戦で勝てないとうそぶいている事は知っていたが。流石にこれは悪い冗談である。

必至に腹を押さえながら立ち上がる。肋骨を何本かやられた。デモニカのダメージも深刻である。

もう、迷っている暇は無い。

パラスアテナを召喚すると、後を任せて逃げる。

同じオリンポス十二神でも、天地の差があることは分かっている。だが、それしか手がない。

必死に逃げ回る内に、パラスアテナの反応がロスト。

早すぎる。デメテルは軍神でもない筈なのに、どうして。

だが、それでも。走り続けて、必死に外縁に到達。呼吸を整えながら、インドラとダゴンを同時に呼ぶ。

ダゴンが反応。

抜き手を突きだしてきたデメテルの攻撃を、かろうじて止める。

その間にインドラの戦車に飛び乗る。

インドラは戦車(※MBTではなくいわゆる戦闘用馬車チャリオットである)を有していて、これはインド神話における神の敵対者である羅刹の王子メーガナーダに破れた際、戦利品として奪われている。勿論神々の馬車らしく、空を飛ぶことも出来る。

ダゴンが、無言のままのデメテルに対し、至近距離から冷気の魔術を全力で叩き込むが、それが逆鱗に触れたのだろう。

気合いと共に、ダゴンが消し飛ばされていた。

デメテルは何とか上空に逃れたアレックスを、冷たい目で見ているが。

ぐっと身をかがめると、凄まじい勢いで跳躍して。

空中をジグザグに追撃してくる。

「デメテルの戦闘能力がデータに無いレベルだ。 撤退するしかない」

「でも、もう手札が……!」

「良くも私に冬を浴びせてくれましたわね?」

ぞくりと、背筋が凍る。

インドラの戦車の後ろに、デメテルが飛びついて、乗って来ていた。

とっさに光の剣を突き込むが、やはりかわされ。手で掴み取られる。手がじゅうじゅうと音を立てている。小さな子供のような手が。だが、デメテルは眉一つ動かしていない。完全にバケモノだ。

最高位ランクの悪魔の恐ろしさは知っているつもりだった。

だが、デメテルのこの実力は異常だ。

同じオリンポス十二神の、しかもギリシャ神話では殆ど無敵を誇るパラスアテナを一方的に蹂躙し。古代神格として強い力を持っているダゴンも殆ど一蹴している。

その冷たい目は、さながら。

昔、アレックスを追い回した。

雄叫びと共に、一気に剣を押し返す。

剣を面倒くさそうに離したデメテルに、渾身の蹴りを叩き込むと。一旦インドラを引っ込めた。

当然戦車も消滅。自動落下に移行する。

流石にこれにはデメテルも驚いたようで、距離が一気に離れていく。

嘆きの胎の底がどうなっているかは知らない。

だが、途中でインドラを再召喚。強烈な打撃を受けるが、何とか戦車に乗り直すと、全力で走るように指示。

ジョージにサポートを受けながら、必死に呼吸を整えていた。

「体の回復を急いで」

「デモニカの出力、現在79%」

「そんなに落ちているの」

「女神デメテルの戦闘力は明らかに異常だ。 ひょっとすると、嘆きの胎の看守悪魔達を従えているのも、実力で、かも知れない」

呼吸を整えながら、急速回復の痛みに耐える。

デメテルは追ってくるだろう。だから、此方から、嘆きの胎の六層。もっとも迷宮が入り組んでいて複雑な場所に飛び込むと、隠れた。

それから、数日隠れる。

ビバークするのには慣れている。ましてや嘆きの胎は、環境も外と変わらないのである。

六層は、文字通り地獄の底。

神話にて重鎮とされるような悪魔が当たり前のように彷徨き。

現在のアレックスの戦闘力では、どうにもできないような奴もちらほら見受けられる。本来だったら、ヘカトンケイレスは此処を彷徨いている悪魔だ。それがあんな浅い層に出て来ているなんて。

しばらく休息して、どうにかデモニカの回復は果たす。

体の方も回復したが、けだるさが抜けない。

無理矢理傷を癒やしたから、体の機能回復が間に合っていないのだ。

だが、こんな状況でも、ろくでもない話ばかりが出てくる。

「アレックス。 苦しいだろうが聞いてほしい」

「何、ジョージ」

「どうやら嘆きの胎にあの巨大な次世代揚陸艦が侵入したようだ。 恐らくデルファイナスの攻略が完了したのだろう」

「早すぎる……」

呻く。

デルファイナスのアスラは狡猾な奴で、今まで渡って来たシュバルツバースで、レッドスプライトは散々苦戦させられていた。

今回は、そもそもレッドスプライトでは無い次世代揚陸艦が来ていて。

しかも乗っている人数は従来の数倍。

更には、明らかにおかしい技術を持っている人間が多数いる事もある。アレックスが知らない、とんでも無い強者が多数乗っている。

それもあってか、明らかにそれぞれの世界の攻略が早すぎる。

今は、それに対する怒りや苛立ちよりも。

どうしたらいいのだろうという絶望の方が、強く出てしまっていた。

「デメテルの動きは気になるが、相手の動き次第では暗殺の好機が生じる。 二層に既に奴らは侵入している。 看守が殺気立っている今、暗殺の好機は生じるはずだ」

「奴らは強くなる一方よ……」

「此方の戦力を出し惜しみせず行くしか無い。 少なくともターゲット三人は、今のバディなら倒せる」

「……」

その自信も薄れつつある。

確かにターゲット三人と一対一の状況を作れれば、その通りだ。唯野仁成を殺す事は可能だろう。

だが、敵は明らかに組織戦を意識していて。アレックスに対する厳重な警戒をしてきている。

下手に近付けば、あのケンシロウというインファイターや。

聞いた事もない神格であるサクナヒメが、応戦に出てくるだろう。

それに加えて二人、アンノウンもいる。

通信などから、ストーム1、ライドウと呼ばれているのは確認したが。

どちらも知らない。

少なくとも、今まで渡って来た世界では、聞いた事もないクルーだ。

何度か惜しい所まで追い詰めた世界では、レッドスプライトに押し入って、敵の情報を仕入れたりもした。

メインのクルーについては、そういったときに情報を仕入れているのだが。

いずれも名前にない。

ここシュバルツバースが特異な場所である事は分かっているが。

今回は少しばかり様子がおかしすぎる。

「アレックス。 意地を張らずに、次の世界に賭けるか?」

「駄目よ。 この世界だって、まだ終わった訳じゃないのよ」

「君は、非情に徹しきれないな」

「……」

そうだ。非情に徹しきれない。

もっと残酷になれていれば、少なくともヒメネスは殺せていたのである。だが、ヒメネスを必死に守る悪魔を見て、どうしても手が鈍ってしまった。

自分を守って、凶刃に倒れた家族を思い出してしまったからだ。

そんな事は分かっている。

だから、アレックスは今まで大望を果たせなかった。

「今のバディの精神状態では奴らに勝てない。 ともかく今は戦力の増強が急務だ。 倒せる看守を倒し、デモニカに戦闘経験を蓄積する。 捕獲できそうな悪魔を捕獲し、戦力にする。 これらをこなして行くしか無い」

「二層に奴らが来ているのに……」

「さっきは好機だと思ったが、今のバディの精神状態では無理だと判断した。 恐ろしい程奴らは慎重だ。 普通だったら死んでいるゴアが生きていて、指揮を執っているのもあるだろう。 今回は諦めろ。 流石にどれだけ戦力が強化されていても、エリダヌスでは必ず奴らは苦戦を強いられる。 その間に、戦力を整えるんだ」

言われずとも、分かっている。

アレックスに対して、ジョージは時々基礎に立ち返れと言ってくる。

それにどれだけ助けられたか分からない。

しばらく身を隠して、スキップドライブ出来るだけのエネルギーを蓄積させる。幸い、デメテルは全力で身を隠しているアレックスを見つけることができなかった。何度かヘカトンケイレスが来るのは見えたが。

六層は特に複雑な迷宮だ。

流石にどれだけ力が強くても、頭が弱いヘカトンケイレスにはどうにもできなかったのだろう。

ともかく、残念ながら今は引くしか無い。

唯野仁成が手に負えなくなるのは、恐らくエリダヌスを攻略した辺りか、その次の空間であるフォルナクスに入った頃だ。特にフォルナクスに入った頃には、古代神格を手持ちのチームだけで圧倒するくらいになっている筈。更に今回は敵の次世代揚陸艦に、唯野仁成以上の怪物が四人も乗っている。

それまでに、勝負を付ける。

アレックスは機会を待つ。ビバークポイントで、息をひそめる。

敵は恐らく、三層の攻略にはまだ着手できないはずだ。それなら、まだ此方にチャンスはある。

身を伏せる。今は、ともかく力を蓄える時だ。

時々姿を見せる、勝てる相手を後ろから不意打ちし、倒してマッカを回収する。

或いは従えて、手持ちに加える。

マッカを消費して、今までの世界で仲魔にしてきた悪魔を呼び出す。

そうして淡々と。

アレックスは、戦力の拡充に力を注いでいた。

 

1、金星の土地

 

もの凄い雄叫びを上げながら、四足獣の悪魔が躍りかかってくる。知っている悪魔だ。当然である。従えていたのだから。

オルトロスである。それも、数頭。

苛烈な砲火で迎え撃つ。サクナヒメは、戦闘で剣を杖に様子を見ているだけ。

この程度の相手に、力を使うつもりは無いのだろう。

唯野仁成は、改良を更に重ねているアサルトで敵の足を止めながら、アリスに指示。アリスは、ちょいと冷気の魔法をぶっ放し。数頭のオルトロスを一網打尽にしていた。

一匹、アリスの氷から逃れたのが、死角から襲いかかってくるが。

今回チームを一緒に編成しているメイビーが、召喚した悪魔。

以前ケンシロウが従えたことでデータに残っている妖精セイレーンが、竪琴を鳴らすことで、魔術を発動させる。

文字通り氷の壁に左右から押し潰されたオルトロスが、マッカになって消えていく。

もうケンシロウはセイレーンを使っていない様子だが。

データは共有できる。

だから、こういうことも出来る、と言う事だ。

呼吸を整えながら、周囲に散らばっているマッカを集める。一緒に来ている他の二人。ブレアとアンソニーも、黙々と手を動かしていた。

アンソニーがぼやく。

「またふられちゃったよ……」

アンソニーは、腕は悪くない。

だが、悪魔召喚プログラムの交渉機能で、きれいどころの女悪魔に話しかけてナンパするのにはまってしまっているらしい。

元々ほれっぽい性格だったこともあったけれど。

多分、交渉が上手く行けば美しい女悪魔と一緒に戦える悪魔召喚プログラムの機能が、アンソニーの心の琴線に触れてしまったのだろう。

今では女悪魔に片っ端から交渉を賭けては。

派手に袖にされたり、往復びんたをされたりして。それでも懲りていない様子なのが、何というか哀愁を誘う。

ただ戦闘をさせれば腕は悪くない。

苛烈な戦闘が常に繰り広げられる二層で生き延びているだけのことはある。

ブレアは他人に対しては何も言わない。

戦歴で言えば唯野仁成やヒメネスと殆ど同格の人物だ。少し年齢が上で、それで衰えが来始めているが。その衰えをデモニカで補っている。

ブレアは手持ちに堅実な能力を持つ悪魔を揃えていて、その悪魔に大事にマッカを食わせて成長させている。

元々アグレッサー部隊に行って教官になりたいと言っていた人物だ。

何かを教える、と言う事に興味があるのかも知れなかった。

「マッカの回収完了」

「余力は」

「大丈夫です」

「此方も」

メイビーはたくましくなった。前は兎に角回復と支援しか考えていなかったが。最近は先達が捕まえた強い悪魔を、貯めていたマッカを使って呼び出し、手持ちに加えている。今もセイレーンがオルトロスを撃破したように。確実に戦歴を増やしている。肝も据わってきている。

何よりも、医療の専門家が戦闘チームにいるのが心強い。

デモニカに、通信が入る。ムッチーノからだった。

「もう少し奥に強めの反応がある。 前進して、電波中継器を撒いたら、一度戻って来て欲しい」

「了解」

「面倒じゃ。 倒してしまってもかまわぬだろうに」

「姫様、その。 三層に、強い看守がたくさんいるようなんだ。 三層への階段は見つけたが、そこに可能な限りの戦力を集めてから、二層の囚人と接触したい」

少し前に、デメテルが現れた。

その時の会話で、二層の囚人はイシュタルだと言う事がわかっている。

イシュタルについては唯野仁成も調べた。

バビロニアの女神にて、現在では信仰が受け入れられないような存在だ。

イシュタルの神殿はそのまま巨大な娼館であり。神殿では神事として性交が行われていた。特に重要なときには、神官長と王が性交を行って、イシュタルに信仰を示したという。

こういう信仰の内容から、特に一神教では邪神として扱われ。特に悪魔アスモデウスという存在に貶められたらしいのだが。

この嘆きの胎に監禁されている囚人イシュタルは。アスモデウスになれば混沌属性の悪魔として扱ってやるという申し出を断り。イシュタルであり続けることを選んだのだという。

現在の信仰と過去の信仰は違う。

アスラが言っていた通り、過去の信仰というものは基本的にギブアンドテイクだ。神に捧げ物をして、その代わり何かを下賜される。

多くの場合豊かな実り。

或いは戦における勝利。

そういった原始的な信仰の極北が、性と密接に結びついたイシュタル信仰であり。

他にも古くには、そういった性と結びついた信仰が珍しく無かったという。

今でこそ、邪教扱いされてはいるが。

古くは性のタブーはゆるゆるで。

神話にて頻繁に近親相姦が行われ。エジプト文明では、王家が近親相姦を延々と繰り返していた事からも分かるように。それは何も神話に限った話では無かった事が容易に読み取れる。

勿論、現在にそんな信仰を持ち込む訳にはいかない。

兄妹婚や親子婚を当たり前にやっていた古代には、科学は無かった。

経験的には分かってはいたのだろう。

それで、体が弱い人間や、体がおかしい人間が産まれやすくなることは。

だが人間が少なく。

他の土地に行く事が命がけだった時代には。

それらは、どうしようも無いことではあったのだろう。

いずれにしても、指示通り戻る。唯野仁成は一兵卒だ。一兵卒の現場判断で、好き勝手は許されない。

方舟に戻る。

八時間の休憩を命じられたので、チームを解散して、シャワーを浴びる。その後仮眠を取って。

それから起きだして、再度の作戦参加の間に、コーヒーを飲む。

手持ちの悪魔のコンディションを確認しておく。

イシュタルも古代神格だ。囚人として捕らわれているとしても、弱い訳がない。

攻略には恐らく唯野仁成やヒメネスが動員される。

看守の戦力を考えると、スペシャル達の内大半は三層から上がってくる看守を抑える事に専念しなければならず。

イシュタル戦に投入できる戦力は、唯野仁成達機動班クルーと。後はスペシャル一人が限界だろう。

PCで情報を確認。

皆の手持ちの悪魔をざっと見る。

見た感じ、かなり高レベルの悪魔を手持ちに加えているメンバーが増えてきている。この間、ついにヒメネスは目的としていた魔王バロールの召喚に成功した様子だ。

バロールはアイルランド神話に登場する魔王で、目を見ただけで相手を殺す能力を持っていたとされる存在である。

その目を撃ち抜かれて倒されるまで散々猛威を振るったとされ、最終的に孫であるルーに倒されるが。それは要するに、骨肉の争いを散々していたという事である。どこの歴史でもそれは同じ。神話の時代から、人間は親子兄弟で殺し合っていたのだ。

ともかくバロールは凶悪な魔眼で知られており。ヒメネスが呼び出したバロールも、屈強な肉体に一つ目を乗せている存在である様子だ。普段目を開けていると周囲を皆殺しにしてしまうため。目を閉じているらしい。神話では目の数は色々と説があるようだが、ヒメネスが呼び出したバロールは一つ目だった。

スペシャル達の悪魔は、シークレット扱いになっていて見る事が出来ない。ただ、ケンシロウは殆ど悪魔を呼び出すつもりがないらしく。余程相手の数が多く無い限りは、悪魔を使うつもりは無い様子だ。ただ、戦意を無くした相手に対して、時々交渉を持ちかけているのを見かける。

相手が非道の者で無い限り、降伏は受け入れる、ということなのだろう。無口な事から誤解を招きやすいケンシロウだが。不器用なだけで、悪に怒りを覚える素朴な人物なのだと言う事は何となく唯野仁成には分かっていた。

一方ストーム1は時々悪魔を使って、狙撃の邪魔をしようとする敵の行動を阻害させている。

知っているだけでもクーフーリンやジャンヌダルクを使っているが。

今後も似たような、英雄として知られる者を呼び出すつもりなのだろうか。

いずれにしても、唯野仁成にはまだ手が届かない。

時間だ。

物資搬入口に出向くと、丁度ヒメネスが戻って来た所だった。バロールの性能試験をしていた所なのだろう。

ムッチーノが艦橋から珍しく出て来ている。

そして、唯野仁成が来ると、人の言い笑顔を浮かべた。

「ヒトナリ、時間通りだな。 二層のマップが完成したから転送しておくよ」

「ありがとう」

「やはりこの間引き返して貰って正解だったよ。 どうやらイシュタルの戦力は相当に高い様子だ。 今、上の方で誰が行くか相談をしているところだよ」

誰が、というのは。

勿論、スペシャル達の誰が、と言う話だろう。

唯野仁成は出るかどうか分からない。ヒメネスは今出ていたばかりだから、恐らくは無いだろう。

また、三層への階段前には、野戦陣地が作られている。

装甲車と野戦砲としてのレールガン、それにこの間ストーム1が使っていた超大型の狙撃銃なども据え付けられている様子だ。

この様子だと、ストーム1は今回は陣地に貼り付きかな。

そう思ったが、意外な事になった。

スペシャル達が来る。既に野戦陣地にはサクナヒメが行っているようで、ライドウ氏、ストーム1、それにケンシロウである。

そのうちストーム1が、連れていくチームを点呼した。

「唯野仁成、メイビー、ミア、ブレア。 皆、俺に続け。 イシュタルに接触するのは、このメンバーと俺で行う」

「イエッサ!」

サクナヒメと行く事になるかと思ったのだが、今回はストーム1か。

ヒメネスは野戦陣地に行くらしい。あのバロールの強力な制圧能力を考えると、妥当とは言える。何が上がってくるか分からないのだ。

一方、クルーの内非戦闘員は方舟内で待機。

プラズマバリアを展開して、非常時に備える。

最悪の場合、方舟は無理矢理二層に機体をねじ込んで、クルーの救出を行うと言うことで。

幾つかのプランについて、出撃前に説明を受けた。

最後にゴア隊長が、通信で告げてくる。

「イシュタルの実力は想像以上のようだ。 また、三層で蠢いている看守が、一斉に攻め上がってくる可能性は否定出来ない。 此方も全力で支援するが、兎も角シュバルツバースの謎を解明するためにも、必ずやこのミッションを達成する」

敬礼すると、機動班がそれぞれ動き出す。

嘆きの胎二層の敵戦力は、デルファイナスにいる悪魔が子供に見えるほどで、文字通りの圧倒的だ。

機動班クルーは負傷者を出しながら、此処に元からいた看守をどうにか駆逐し。

そして今、三層から看守が上がってくるのを防ぎつつ、イシュタルへの道を確保する事にも成功した。

それだけでも充分に凄い。

自分にそう言い聞かせながら、二層を進む。

二層を突破しても、まだ四層残っている。

それを考えると気が重いが。兎も角やるしか無いのも事実である。

それに、アスラ戦と、此処での苛烈な戦闘で。マッカをかなり膨大に取得できたのも事実。

アスラ自体がマッカを蓄えていたのではなく、アスラが実体化のために見境無く呼び出した悪魔が大量にマッカを落としたのである。

此処でクルーが戦闘経験を積めば。それが更に皆に平行で蓄積される。

方舟全体の強化が更に行われ、この先に控えている更に強力な悪魔にも対応出来るようになるだろう。

ストーム1と一緒に唯野仁成は出る。他の班も、黙々と出撃を開始した。野戦陣地に貼り付く部隊が大半。更にバックアップとして、ドローンも複数を展開する。

可能な限りの万全を尽くしている皆を横目に、周囲をクリアリングしながら進む。一応既に出来ているマップには、悪魔の位置なども表示されているが。デモニカの能力を超えた隠密能力を持つ悪魔は珍しくもない。

それは、既にシュバルツバースに入った全員が。

思い知らされていた。

そして、またである。

不意に姿を見せる、悪童じみた姿。下半身は触手のようになっている。見覚えのある奴だ。

ストーム1は銃さえ向けない。唯野仁成以外のメンバーは一瞬銃を向けようとしたが、すぐに銃を下ろしていた。

悪魔シャイターン。

イスラム教における上位悪魔だ。以前、ちらりと姿を見せた事があった。以前も強い力を感じたが。今も相当に凄まじい。

「おー、たくさん人間が来ているなあ。 見覚えのある奴もいる」

「作戦行動中だ。 どいてくれないか?」

「情報を俺は持ってるぜ? どうだ、情報の代わりにちょっとマッカくれよ」

「……唯野仁成隊員」

ストーム1が顎をしゃくる。頷くと、前に出た。

此奴と会話したのは、以前も唯野仁成だった。そして此奴との戦闘で消耗しているヒマも余裕も無い。

「何が目的だ」

「前に此処で見かけた黒髪の女なあ。 何があったのか知らないが、今嘆きの胎総出で追い回してるぜ」

「……」

「こりゃあ流石にもう終わりだな。 この間は三層で追い回されてたけどよ。今は三層から逃げ出して別の場所にいるっぽい」

根拠はと言うと、肩をすくめるシャイターン。

ストーム1に頷いて、マッカを少し渡す。もう少し。更に上乗せすると、満足そうにシャイターンは頷いていた。

「まあこれならいいだろ。 なんでかっていうとな、看守がまだ殺気だって探し廻ってるんだよ。 三層に一杯強いのいるだろ。 あれ、少し前まではもっと多かったんだぜ」

「ふむ、図らずも好機だったという訳か」

「流石に時間の問題だろうけれどな。 急いだ方が良いんじゃないのか? どうせあの黒髪の女もそのうちなぶり殺しにされるだけだし、そうなったら骨の一本くらいは俺もかじれるかもな」

ケケケと笑いながら、シャイターンが消える。

舌打ちするブレア。

軽薄な言動を見て、自他共に厳しそうなこの歴戦の男が腹を立てるのは、無理からぬ事である。

ストーム1は司令部に何か報告していたが、それも短めに。

やがて、また先に進む。

今度は、戦いをせずに済ませられるかは分からない。いずれにしても、強大な悪魔が相手である。

少なくとも相手以上の力が無いと、話にならないだろう。

悪魔は力を基準にして動く。

それは、此処における絶対のルールなのだから。

「強力な悪魔の反応あり。 注意してください」

デモニカが警告してくる。

どうやら、囚人の居場所に到着したらしい。

巨大な木だ。地上には、こんな巨大なものはないだろう。それこそ、千メートルとかあるような、超巨大ビルクラスの大きさである。

うろも桁外れのサイズで、それこそ大型トラックが横に十台並んで入れそうな広さである。

内部に何があるのかは分からないが。兎も角、何もかもがスケール違いだ。

ストーム1が堂々と踏み込む。唯野仁成が続き、ブレアが少しだけ遅れてそれに続くと。メイビーとミアも、勇敢に足を進めた。

内部には光が満ちている。

それはどちらかというと日光と言うよりも、月光が近いかも知れない。そして、そこにいたのは。

薄い布服を着込んだ、巨大な女だった。

色白の肌に、美しい腰まである金髪。横になって寝ていたが、やがて気配に気付いたのだろう。

此方に振り向きながら、半身を起こす。

行動の全てがいちいち無駄に艶っぽく、まあイシュタルが此奴であるなら納得だなと思える動きだった。

「ああら、人間。 此処まで結構看守がいたでしょう。 どうしたの? まさか全部倒したの?」

「そうなるな。 時間がないから単刀直入に言う。 従って貰えるか」

ストーム1の言動はそのままずばりだ。

そして、いつでも戦闘に入れる態勢を取っている。

小さくあくびをすると、イシュタルは笑う。その頭の左右には、角があるのが見えた。恐らくは、悪魔化された影響なのだろうか。

「力を示せ、といいたいところだけれども。 此処までこられているだけで充分でしょうね。 それにアナーヒターの力も感じる。 私が現役で信仰されていたときにも、貴方ほどの英雄はいなかったし。 更には貴方以上とも思える可能性の星がそこにいる。 うふふ、気に入ったわ」

イシュタルは艶然と微笑むと、みるみる縮んでいった。

人間大にまで姿を小さくする。

そうして分かったが、着ているのは上着だけだ。下着は一切つけていないようで、ボディラインがモロに出ている。

それを見て、むしろ唯野仁成はげんなりした。

母子家庭で、女子が多い家で暮らしていたのだ。女に幻想なんて持っていない。目のやり場に困るという場合はあったが、それはむしろげんなりする感情と共にくるものだった。

イシュタルの場合も同じだ。無駄な色気の行き先が無くて、人間に向けている。そういう印象を受けた。

「うーん、英雄さんも其方のアナーヒターを従えている貴方にも、私の誘惑は効きそうに無いわねえ。 ちょっと張り合いが無いかしら」

「その様子だと、同じように「英雄」に袖にされたのでは無いのか」

「ふふ、その通り。 貴方、古代にいても必ず名前を残せたと思うわよ。 名前は?」

「訳あって本名は言えぬが、俺はストーム1。 其方は唯野仁成だ」

そう。寂しそうにイシュタルは言った。

確かバビロニア神話の最高神は暴風神であるマルドゥーク。ストーム1という名前を聞いて、思うところがあったのかも知れない。

いずれにしても、ただの色ボケ女神ではないようだ。

少し悩んだ後、裸足の女神は、無駄に脚線美を強調して歩きながら、唯野仁成の前で止まった。

「貴方にしましょうかしらね。 ほら、これがほしかったのでしょう」

ひょいと投げて寄越される情報集積体。恐らく、「実り」の一つだろう。

感謝の言葉を述べると、イシュタルは寂しそうに笑った。

「古代では当たり前だったことが、時代が経るにつれて当たり前じゃ無くなる。 人間は相変わらず欲望のまま邪悪なのに、いつの間にか我々が悪魔とされ、その邪悪の根元とされる。 信仰はなくなり、敵意へと代わる。 後世でも愛されているギリシャの神々と、我々は大して変わらない。 一体何処が問題だったのかしらね」

「……」

「デメテルには気を付けなさい。 あの子は何か目論んでいるわ。 それじゃあ、私を呼べるくらいにまでは頑張って力をつけなさい。 そうしないと、どの道生き残れないわ」

イシュタルは光になると消える。

悪魔か。

確かに淫売の神と言う風にも出来るが。古代では性が信仰と一体であることも多かったのだ。

イシュタルが言うように、残忍で悪辣な権力闘争を繰り広げたギリシャの神々と、バビロニアの神々は何が違うと言うのか。

色々と考えさせられる。

とにかく巨木を出る。ストーム1が手を横に。止まれというハンドサインだ。降りて来たのは、デメテルだった。

「イシュタルに実りを託されたようですわね。 実りの気配がしますわ」

「悪いが、これも解析させて貰う」

「ふふ、まあ良いでしょう。 収穫のコツは水とたっぷりの日光、栄養を与えることですのよ。 イシュタルと戦った形跡はありませんし……しかも其方の英雄ではなく唯野仁成、貴方が認められていると言う事は。 それだけ貴方が成長していると言う事ですわ」

ハーベストと、満面の笑顔で言うデメテルだが。

一方で、唯野仁成には、この神がますます怪しく見えていた。

イシュタルが気を付けろと警告してきたのも納得に思える。

この神格は、何を目論んでいる。

収穫とは具体的に何だ。どうにも、嫌な予感しかしなかった。

「三層へはイシュタルを呼び出せるくらいで無いと、入るのは自殺行為でしょう。 もう少し力をつけたら、また来るのですわ」

「ああ、そうさせてもらう」

可愛らしく手を振ると、消えるデメテル。

嘆息する。ブレアがぼやく。

「お前やヒメネスが怪しいと言うのも納得だな。 さっきのイシュタルよりも、余程悪意を感じたぞ」

「あー、おっさん、あんたもか。 俺もだ」

ミアがぼやく。

ミアが俺と言う一人称で男っぽく喋る事は知っているが。いつも聞くと驚かされる。

メイビーは無言で、デメテルの去った方を見ていた。

いずれにしても、三層から看守が大挙してくる前に引き上げるのが吉だ。無駄話をしている暇は無い。

ストーム1と共に、二層を急ぐ。

案の定、三層への階段では、複数の看守が上がって来ようとしているのを。野戦陣地が総力で迎撃中だった。

すぐに其所に加わる。装甲車の上で指揮を執っていたゴア隊長が、首尾は確認済みだと言ってくれるので、話が早い。

「メイビー隊員。 君は負傷者二名と共に、方舟に戻ってその情報集積体を真田技術長官に届けてくれ。 ストーム1、行動のグリーンライトを渡す。 他の隊員は……」

指示を受けて、すぐに野戦陣地の各地に散る。

唯野仁成はすぐにアリスとアナーヒターを召喚。

階段を這い上がるようにして、巨大な何か得体が知れない黒い影が上がって来ているが。それに全火力を叩き込む。

更に追加で召喚した朱雀が、強烈な炎の渦を叩き込み。黒い影を、階段の下に叩き落としていた。

アリスがぼやく。

「イシュタルと戦いたかったなー」

「相当に強かっただろうと思うぞ」

「強いもなにも、多分ヒトナリおじさんとストーム1しか生き残れなかったと思うよ」

「それほどか」

アリスは詠唱を開始。また這い上がってくる看守らしい巨大な悪魔に、巨大な雷撃を叩き込む。

雷撃が至近距離に炸裂すると、それはもはや雷の音には聞こえず、爆音にしか思えない。デモニカが緩和はしてくれるが、そんなのの直撃を貰ったら、それこそ流石にどうしようもない。

サクナヒメが多数の剣を空中に展開。階段下に一斉に投下。

力に釣られ、更には囚人を解放されて猛り狂っているらしい看守達は、押し合いへし合い上がって来ようとしていたが。

その度に綿密に構築された野戦陣地の攻撃で押し戻され。

何派かの波状攻撃を続けた後。

もう囚人が解放されたことを悟ったらしい。

やがて、距離を取り。忌々しそうに、階上を見上げるだけになった。

とはいっても、此方も弾薬には限りがあるし、一度でも突破されれば尋常では無い被害が出る。

ゴア隊長が指示を出し、順番に撤退を開始する。スペシャル達は皆最後衛に残ったが。唯野仁成も、アナーヒターとアリスを展開して、その場に残る。ヒメネスも残っていたが。これはヒメネス曰く、バロールの性能試験をしたいらしい。

装甲車が下がっていく。野戦砲も、誰かが召喚したらしい大型の悪魔が引っ張っていった。

頃合いか。

ゴア隊長が、撤退と指示。

同時に、皆が方舟に下がりはじめる。敵は追撃をかけてくる様子は無い。どうにも作為的だ。

あのクソガキじみた悪魔。シャイターンの言葉を思い出す。

あの話に出てきた女というのは、間違いなくアレックスだ。嘆きの胎の看守は、どうしてアレックスを優先した。アレックスを優先しなければ、まずはイシュタルを狙って来ると分かっているだろうに。

ただ、看守悪魔はどいつもこいつも様子がおかしい。

あの発狂しているかのような言動。

何か、変なものの影響を受けているとしか思えなかった。

一階階段に装甲車が到着。最後尾のケンシロウが、無言で先に行くようにと手を上げる。

そのまま後退を続ける。途中、悪魔が時々仕掛けてくるが、唯野仁成とヒメネスの手持ちで蹴散らす。

流石に一層の悪魔なら、もう大丈夫だ。バロールの姿を見て、逃げ出す者もいる。

一層の階段を上がっている途中、三層から看守が這いだしているという報告があった。電波中継器で、その存在を確認していると言う事だろう。

急げと、ゴア隊長は言うが。無理を部下にはさせない。そのまま、ゆっくり階段という狭い地形を利用して、下がっていく。

恐らくだが、やがて看守は追撃を諦めたらしい。

炸裂するような殺気は、停止した。

方舟に装甲車が入る。野戦陣地の物資はあらかた回収出来ているので、可とするべきだろう。

唯野仁成も、ケンシロウに促されて、方舟に。

冷や汗が出た。

ヒメネスが、デモニカのヘルメット部分を脱ぐと、大きく嘆息していた。

「バロールは強いが、大物相手には向かないな。 制圧力は高いが、多分あの目の力、雑魚にしかきかねえ」

「また違う悪魔を作るか?」

「ああ、そうするつもりだ」

とはいっても、現時点でヒメネスは二体の魔王を所持している。

大物相手が苦手とは言え、バロールとモラクスで大体の相手はどうにでもなるだろう。問題は、それらでは対処が難しい悪魔だが。恐らく現時点では、それぞれの空間のボスくらいしか考えられない。後は嘆きの胎の最深部看守くらいだろうか。

しばらく、方舟で休息を取る。

イシュタルが戦闘を選ばなかったのは有り難い。だが、三層の様子を少し確認したいと上層部が話し合っているようだ。

欲を掻くと碌な事にならないような気がするのだが。

いずれにしても、唯野仁成は一兵卒だ。

まだまだ隊を任されているわけでは無いし、勝手な判断をするわけにもいかない。

休むようにと言われたので、休む。

幸い、方舟の指揮官達は皆とても有能だ。安心して作戦に従える。無理な作戦を押しつけてくることも無い。危険な作戦はあるが、それも基本的に最前線に最良の戦力を出してもくれる。

だから、それでいい。

ベッドで横になっていると、アリスがPCの中から話しかけてくる。

「ヒトナリおじさん、三層に行くかも知れないんだって?」

「そのようだ。 まだ分からないが」

「止めた方が良いと思うけどな−。 ああ、でもなんか強い看守が散り始めてるみたいだったから、チャンスなのかな」

「分からない。 いずれにしても、俺は仕事をこなすだけだ」

後は、寝る。

寝るのも、大事な仕事の内だからだ。

 

2、第五の世界

 

休憩を充分に取ってから、嘆きの胎三層に、サクナヒメとストーム1の合同チーム。更に唯野仁成に加えてヒメネスとブレアがいる事実上最良と思われるチームで降りる。そして、降りてみて分かったのは、無理、と言う事だった。

巨人が歩いている。

ヘカトンケイレスだ。

ギリシャ神話については調べたから分かる。あれは膠着していたオリンポス神族とティターン神族の戦争を、三体だけでひっくり返すような怪物だ。要するに生半可なオリンポス神族の神よりも遙かに強い。

あいつは何かを探しているようだが、幸いあまり感覚は鋭くはないらしい。或いは、強い相手でもないなら、別に相手にするまでもない、という判断なのかも知れない。

電波中継器を撒くと、さっさと撤退する。

まだアレを相手に出来る手持ちはいない。アリスですら、絶対に戦いたくないと即座に断言した。

要するに今まで戦闘した看守悪魔、キュベレやイシスよりも遙かに強い相手だという事である。

多分だが、あれが六層の看守だろう。それが何かしらの間違いで、此処まで出てきているのだ。

どうしてかは分からないが。そもそも看守は囚人を見張る存在の筈。

逆に、何故こんな所にいるのかが分からない。

入り口付近に電波中継器を撒くしか出来なかった。

なお、イシュタルはまだ作れなかったが。どういうわけか三層の階段にあった壁は消えていた。

これもよく分からない。

二層の時は、アナーヒターを作るまでは壁は消えなかったのに。

いずれにしても、二層に撤退すると、ヒメネスが何度も深呼吸していた。強い奴ほど強い相手には敏感だ。

冷や汗をびっしり掻いているのが、デモニカ越しにも分かる。

「とんでもねえバケモノじゃねーか。 あれ多分アスラの比じゃねーぞ」

「今戦いを挑んで消耗するのは自殺行為だな。 それに三層の階段もどうやら安定していないらしい」

ストーム1が顎をしゃくる。

そうすると、どうしてか壁が出来はじめている。

何なんだこれは一体。

頭に来るが、兎も角次に来る時はイシュタルを呼び出せるくらいの実力が必要になってくるだろう。

ストーム1を一瞥。

この人やライドウ氏、ケンシロウなら余裕で呼び出せると思うのだが。

おそらく、全体の戦力向上を図る為なのだろう。

すぐにでも浅層にある方舟に戻りたい所だったが、真田さんから直接通信が来た。

「ストーム1、姫様。 それと精鋭クルーの皆」

「真田か。 如何した」

「申し訳ないのだが、まだもう少しアスラのロゼッタを解析したい。 そこで、嘆きの胎にて皆の戦力強化を図る。 二層はまだ悪魔を駆逐も出来ていないし、この間の階段の戦闘での物資も回収は完全では無い。 申し訳ないが、周囲の悪魔の駆逐と、調査班の護衛を頼みたい」

「仕方が無いのう……」

ぼやくサクナヒメ。

サクナヒメも、流石にあのヘカトンケイレスを見て、先に進みたいとは思わなかったらしい。

勝てない、とは口にしなかった。

だが、勝つにしても相当な死闘になるだろうし。

そんな死闘をしてまで、今勝つ意味のある相手では無いと判断しているのだろう。

サクナヒメの戦闘力は更に更に上がって来ている。ストーム1やケンシロウ、ライドウ氏も同じようだが。

皆まだ伸びしろがある状態だ。

そんな状態で、無駄に命を捨てるような真似をするのは確かに阿呆の行動だ。

サクナヒメの判断は正しいだろう。

ケンシロウが、調査班を連れて降りてくる。サクナヒメとストーム1は話し合った後、ストーム1が単独で階段を見張ることにした様子だ。また、ライドウ氏は浅い層での演習を再開。

これは恐らくだが、イシュタルの壁がある事や。三層の看守悪魔が、前に比べて落ち着いていることが原因なのだろう。ヘカトンケイレスが相手でも、ストーム1一人で時間稼ぎくらいは出来るという判断なのかも知れない。

「こんな所でワンオペか。 申し訳ないが、あの人にしか頼めないだろうな、こんな事はよ」

「ああ、申し訳ない話だ」

「そなたら、行くぞ。 可能な限り強くなっておく必要がある」

サクナヒメに促されて行く。

途中、かなり強い悪魔がまだまだ彷徨いている。それらは、サクナヒメが見ている中、クルーだけで対処する。

サクナヒメは最後まで手を出さない。

そうすることで、クルーの戦闘経験を稼ぐためだ。デモニカは戦闘経験を蓄積するほど強くなる。

更に戦闘経験は並列化され、全てのデモニカに行き渡る。

皆で訓練を積めば積むほど加速度的に皆が強くなる。

それがデモニカの特性というものだ。

ケンシロウ班の方も戦闘をたまにしているようだが、此方は調査班を連れていることもある。

ケンシロウが時々直接戦っている様子である。

北斗神拳だかいう拳法を繰り出すときの、鋭い叫び声が時々デモニカ越しに聞こえる。攻撃を叩き込まれている悪魔は気の毒である。戦闘ログを見たが、ケンシロウとのインファイトはアレックスさえ圧倒されていた。

それにあの巨大なアスラも、瞬時に頭を一つ爆砕したほどだった。

まあ、絶対に怒らせてはいけない相手だなと、唯野仁成は思う。

改良に改良を重ねているアサルトで、悪魔の群れを足止めしながら、皆の悪魔で敵にとどめを刺していく。

アサルトをショットガンに切り替えると、弾幕を抜けてきた大きな鳥の悪魔を蜂の巣にする。即座にヒメネスのモラクスが、地面に叩き付けて粉々に打ち砕いた。流石はアントリアの支配者。だが、戦争狂になっていたアントリアのモラクスと違って、このモラクスは寡黙で戦いにストイックな雰囲気だ。

二層を隅から隅まで回る。

調査班はその間、色々と調べていた様子だが。それも経験を積むためでもあるのだろう。何よりも、ロゼッタの解析がまだ必要だと言う話もある。スキップドライブに何か難しい技術的要因があるのだろう。

真田さんなら何とかしてくれるのだ。

黙って、その行動の成果を待つのみである。

二層でほぼ半日戦い、強めの悪魔をあらかた駆逐した頃に、帰還命令が出る。

流石に散々だった。

看守と遭遇する事はないだろうと思ったが。一瞬の油断で至近まで迫られ、二度サクナヒメが介入した。

その度に平謝りするしか無かった。

サクナヒメも、奇襲に対する対応力を上げておきたいと思っているらしいが。奇襲を防ぐ度にまだ力が足りないと、くどくど言う。

まあこれについてはその通りなので、素直に聞くしか無い。

サクナヒメ自身も、デルファイナスでの出来事を気に病んでいるのだろう。

だいたい、唯野仁成達がもっと強ければ。アレックスを自力で撃退出来るし。そうなれば、どの空間でも攻略難易度は劇的に下がるのだから。

ともかく、半日ほど嘆きの胎で戦い抜いた後、戻る。

演習から戻った機動班クルーは、皆ヘトヘトになっていた様子だ。

殆どが真っ青な顔のままベッドに直行していくが。

正直、棺桶に直行するよりもなんぼかマシだろう。

唯野仁成もベッドに直行したい気分だったが、かなり任務時間が長引いていたこともある。シャワーを浴びてから、ゆっくりと甘いものをとって、リラックスした。

ヒメネスは疲れきったのか、それとも悪魔合体を色々試したいのか、自室に戻っていったので。

唯野仁成も、自室でゆっくりコーヒーを飲みながら、悪魔達の話を聞く。

今回、裏方として朱雀が回復の魔術で皆を随分助けてくれたので、礼を言っておく。アリスは自分しか基本的に回復しないので、助かるのだ。

朱雀はきちんと人間の言葉を理解出来るし、話す事も出来る。それに、面白い事も言う。

「我等方角神は、四神などと言われているが、実際には五神だ」

「東西南北以外にもいるのか」

「ああ。 中央の守護者黄龍が存在している。 この黄龍は皇帝の象徴だ。 中華の皇帝が黄色い服を着るのは、中央の支配者という意味があってな」

勉強になる。

博識な朱雀に色々な話を聞いた後。悪魔合体について、また目撃した悪魔についても調べておく。

恐らく次の空間から、敵悪魔の戦闘力も跳ね上がるだろうというアナウンスはされている。

皆の調整をしっかりしておかなければ、苦戦は必須だろう。

欲しがる悪魔にはマッカを渡すが、やはりアリスとアナーヒターが相当に大食いである。呆れる程消耗する。

今回の、嘆きの胎攻略作戦と。

アスラ撃破の作戦の関係で、相当にマッカは支給されているのに。言われるまま渡していたら殆ど食われてしまった。

三体目のエース悪魔がほしい所だが。

マッカを使って呼び出せそうな悪魔を閲覧するも、スペシャル達が使っている悪魔はまだ唯野仁成の手が届く相手では無い。

かといって、唯野仁成が使えそうな悪魔は。他のクルー達が使っている悪魔よりも一段階レベルが上だ。ヒメネスの使っている悪魔もそうだが、いずれにしても都合が良い悪魔はいなさそうである。

看守悪魔についても調べておくが、キュベレにしてもイシスにしても、今まで遭遇した奴はスペシャルでも使えるか怪しい程強い。

ただ、今度ライドウ氏が作るつもりでいるらしい。

確認をすることがあるとか。

この辺りは、悪魔合体プログラムについての意見交換wikiが艦内のPCで構成されたネットワークに有志で作られていて。

様々な情報が書き込まれていた。

こういうものは、誰が作るのかは分からないが。あると有り難い。真田さんも目を通しているらしく、確定情報以外は書き込まないようにと厳しいお達しがあった。

流石に一通り調査を終えると、眠くなってきたので、ベッドで横になる。

その間にも、ライドウ氏は演習を続けている様子だ。一線級で戦える機動班クルーを、更に増やしておきたいのだろう。

浅層は、戦闘が苦手な機動班クルーでももうどうにでもなるようなので、既に演習の場を一層に移したらしい。これがやがて二層になるのだろう。

一眠りする。

ふと、夢を見た。

何かに追われているアレックスの夢だ。何度も涙を拭い、転んで泥だらけになりながら、必死に逃げている。

見た感じ、現在のアレックスよりも二歳から三歳ほど若いように思える。

今のアレックスは、丁度肉体の全盛期に見える十代後半だが。泣きながら逃げているアレックスは、十代半ばに思えた。

アレックスを追っているのは、戦車などを有する近代軍隊と。

それに悪魔達。

天使も混じっている。

それらがよってたかってアレックスを追い回している。何度も涙を拭いながら、必死に逃げるアレックス。

隙を見て、敵を斬り伏せ。

文字通り血泥に塗れながら、必死に歯を食いしばって悪夢のような追跡から逃れ回っている。

そして、その敵を指揮しているのは。歪みきった笑みを浮かべた、唯野仁成だ。

目が覚める。

頭を振って、何だ今の夢はと自問自答する。分からないが、無視して良い夢にも思えなかった。

デモニカを確認すると、二時間ほど後に真田さんが話をするという。また、演習をしていた機動班クルーも戻ってきている。

そうか、一旦嘆きの胎からは撤退か。

ただ、気になる情報もあった。

巨大な嘆きの胎を外側の空中から監視するように展開しているドローンが、妙な映像を捕らえたという。

電波などでは探知出来なく、光学情報しか得られなかったようなのだが。

何かが三層に、空中から高速で忍び込んでいるようなのだ。

画像を解析したが、ただの悪魔なのか違うのか、どうにも判断が出来ないという。どうにも、嫌な予感がした。

クルーの点呼が始まる。

全員生きている。

こんな環境で、まだ一人も死者を出していないのは奇蹟に等しいと唯野仁成は思う。それもスペシャル達の助力が合っての事だ。本当に感謝しなければならない。

点呼が終わると同時に、プラズマバリアを展開した方舟が上昇を開始する。

これで、今回の探索は一旦終わりか。

真田さんが、予定通りの時間に話を始めた。

「これより、次の空間にスキップドライブを行う。 遅れてしまったのは、このスキップドライブに今までに無い技術を必要としたからだ」

春香が原稿を渡されたのだろう。

彼女が以降の解説を行う。

「現在、ロゼッタの情報を確認する限り、次の空間に行こうとしてもアントリアに戻ってしまうことが分かっています。 要するに円環状に空間がつながっていて、堂々巡りになってしまうのです。 しかしながら、デルファイナスに撒いてきたドローン等の情報、それにロゼッタの徹底的な解析により、これを打ち破る情報が確認されました」

スキップドライブを行うときに入る量子トンネルの内部で、更にスキップドライブを行う。

この座標などの割り出し。

安全性の確保に、相当な時間が掛かった、と言う事だった。

実際には後者が殆どであるらしい。

技術だけだったら即座に可能だったらしいのだが。そもそも安全性をシミュレーションし。それが確定するまでが大変だったそうだ。

「悪魔達の話からも、アントリアからデルファイナスの支配者達の上位に、「大母」と呼ばれる存在がいることが分かっています。 これらの戦闘力は未知数です。 それほど危険な状態にもかかわらず、更に危険を増やしては意味がありません。 時間を掛けたのは、それが理由です」

まあ、それならば仕方が無い。

春香の話し方は、兎に角相手を納得させる説得力を知り尽くしているものだ。これならば、聞いていて反発は覚えない。

此処にわざわざ招かれて来てくれているだけの事はある。

いずれにしても、クルーから不満の声は無かった。

「これよりスキップドライブを行います。 未知の空間に、今までに試していない方法でスキップドライブを行います。 それを考慮して、皆体を近くに固定してください。 不時着の可能性を排除できません」

「おっと、固定固定、と」

部屋の他のクルーが、体の固定を始める。唯野仁成も、壁の近くにあるベルトに体を固定し、壁に体を密着させた。

これで仮に不時着しても、戦闘力は残るだろう。

全員の点呼が行われる。そして、体の固定が終わった後、スキップドライブの開始が宣言された。

まず、空間の穴に方舟が入り込む。

加速していくのはいつもと同じだ。そこからが違う。更に加速を早めて、恐らく第一宇宙速度にまで達した。

流石に初回と言う事もある。

揺れが凄まじい。真田さんでも、こればかりはどうにも出来なかったのだろう。以降は改良してくれるだろうとは思うが。

程なくして、相当な速度に達した方舟レインボウノアが。更にもう一段階、ぐんと加速する。

同時に、何か覚えのある感触があった。

そうだ、これは確か、突入の時の。

物資搬入口で感じた、体が浮くような感触だ。

ぐっと、息を飲み込む。

舌を噛まないように、奥歯を噛みしめた。ほどなく、何かを方舟が抜けたのが分かった。

速度が落ち始める。

減速も、どんどん緩やかになっていき。やがて、方舟は制止していた。

不時着はしていない。冷や汗が流れる。流石に何度も不時着はしたくない。アントリアでも、方舟の復旧は本当に大変だったのだ。

ほどなく、真田さんが技術班と共に、彼方此方を確認しているとのアナウンスが入る。

もう体の固定は解除して良いそうだ。

船外カメラの様子はまだ出ない。恐らく、スキップドライブに相当なエネルギーを消耗したのと。

フルパワーでプラズマバリアを展開しているのが要因だろう。

既に艦橋では状況を得ているのだろうが。まだまだ末端の隊員には情報が来ない。そういう事だと判断して良い筈だ。

しばらく、待つ。

やがて、ゴア隊長から通信があった。

「皆、スキップドライブは成功した様子だ。 安心してほしい。 まだ体を固定している者がいたら、解除し、戦闘に備えてくれ」

「そ、そうだな……」

同室のクルー達が、緊張した様子で戦闘態勢を取り始める。唯野仁成は、既に銃を確認済み。剣についても、確認済みだ。

銃のアップデートはデルファイナスでアスラを倒した後に行われた。

そのうちストーム1が使っているAS100Fにアップデートする予定らしいのだが。機動班の一線級メンバーから優先で。恐らくまだまだ先だろう、という話だった。

唯野仁成も、現状AS25というアサルトライフルを渡されているが。これにしても、外に持っていけばセスナ機くらい買える値段らしい。

というのも、シュバルツバースでは極めて貴重な物資が山のように採れるため。本来外では採算が合わないような強力な武器を幾らでも時間さえあれば作れるらしい。

これに、ライサンダーの強化型もそれぞれ渡されている。

このライサンダーは、まだストーム1が使っている「ライサンダー2」ではないが。あれは常人の身体能力で使えるものではない。

まだまだ、流石に唯野仁成には扱えないだろう。

剣についても、手入れはしている。

現在渡されている剣は、日本刀に形状が似ているが。何でも、鑑賞用の用途が強いものではなく、いわゆる「人斬り包丁」に構造が近いと言う。

だから刃紋とかはなく、ただ単純に相手を殺す事に特化している。

刀の基本素材である鋳鉄を使っているわけでもなく。チタン合金などの最新鋭の技術力で作られた刀であり。

悪魔などから得られた情報により、魔法も付加して火力と切れ味を上げているという。

サクナヒメが切り札として使う必殺剣ほどではないにしても。

大量に襲いかかってくる雑魚悪魔の頭くらいなら、唐竹にたたき割れる切れ味である。

やがて、方舟が高度を下げ始めるのが分かり。

着地する。

ようやくか、と思ったが。其所から先が、だいぶ普段とは違っていた。

マクリアリーが、通信を入れてくる。

「船外カメラの様子、皆に共有します」

「!?」

今度はどんなおぞましい世界なのだろう。それを皆、覚悟していたのは間違いないだろう。

だが、船外に拡がっていたのは、むしろ穏やかそうな庭園だった。

洋風の庭園だろうか。

どこまでも、複雑に立体的に拡がっている庭園である。既にカメラには、そんな庭園を彷徨く、大柄な悪魔の姿が映し出されていた。要するに、我が物顔に巨大な悪魔が闊歩していると言う事だ。

「何だこれ、庭園か!?」

「今までと随分雰囲気が違うな……」

「此方アーサー。 情報を解析したところ、嘆きの胎二層と同等の悪魔が闊歩している模様」

「ちょ、冗談じゃ無いぞ……」

誰かがぼやく。

演習を念のためにしておいたが、それでも厳しいという現実が突きつけられたのだ。アーサーが、やがて更に追加で言った。

「この空間を、アルファベットのEにちなんでエリダヌスと命名します。 恐らくですが、この空間に外へ出るための出口、バニシングポイントが存在しています。 これよりバニシングポイントの探索及び、恐らく高確率で攻撃を仕掛けてくるだろう敵性勢力、今までの悪魔の情報によると「大母」なる存在の撃破及びロゼッタの回収が任務となります」

「任務が多い事だな……」

「此処を突破すれば、一旦の目的であるシュバルツバースからの脱出が可能となる可能性があります。 もっとも、シュバルツバースの拡大を放置したまま脱出する事は、好ましいとは思えませんが」

アーサーが、脱出を望むだろうクルー達に釘を刺す。

唯野仁成は、既に何時でも、外に出られるように準備をしていた。

 

3、可能性の芽

 

アレックスは隙を見て嘆きの胎六層を脱出。手持ちの悪魔をかなり増やした。ただ、どうしてもここに来て問題が露呈した気がする。

三層に移動。

少し前に、あの巨大な次世代揚陸艦が撤収の準備を始めたことは確認している。そうなると、恐らくだがデメテルも活動を其方に向けて切り替えるはずだ。

しばらく三層に潜む。そして、反撃の機会を窺う。

まずこの嘆きの胎だが、今までに何度もシュバルツバースを潜ってきて分かってきている事は。

囚人を解放すればするほど、どうやらシュバルツバースの最深部にいる存在に影響がある、と言う事だ。

確かに囚人として捕らわれている悪魔は神話における錚々たる面子である。

第四層だけは別だが、これはどうやらトラップとして、囚人がいる位置に配置されている看守らしい。

まあともかくだ。

アレックスとしては、囚人を一匹でもいいから捕らえたい。

今までのシュバルツバースでは、看守の見張りが厳しすぎてどうしても無理だったが。今回こそは成し遂げなければならなかった。

呼吸を整える。

唯野仁成の成長は早い。もう少しでアレックスには手に負えなくなる。何度もシュバルツバースに潜って、奴が様々に変貌するのを見て来た。

手に負えなくなる頃には、奴は周囲からのストレスからか、様々に代わる。

秩序に傾いたときは、さながら洗脳されたような言動を見せるようになるし。

混沌に傾いたときは、にやにやと笑いながら、殺戮を楽しむ。そう、アレックスが知っている鬼畜のような奴になる。

中庸の時は、寡黙に淡々と敵を殺して行く殺戮マシーンとなっていく。

いずれにしても、もう次を考えなければいけない事は、アレックスも分かっている。

そして次のためには。

囚人を一匹でも、捕獲しておきたいのだ。

特に狙っているのは五層に監禁されている囚人、魔神ゼウスだ。言う間でも無く、オリンポス十二神の筆頭。ギリシャ神話における最高神である。

近くまでたどり着けたことはあるが、看守の警備が極めて厳重で。近付くのがやっと。

その上、ジョージが計測した奴の戦闘能力は、現状のアレックスでは勝率が二十%を切るというものだった。それもベストコンディションを保った状態で、である。

三層の隅にビバークポイントを作る。どうやらデメテルは既にいなくなったらしい。また、ジョージが告げてくる。

「次世代揚陸艦が嘆きの胎を去った。 恐らくだがエリダヌスに向かったと見て良いだろう」

「随分時間が掛かったわね。 あの船には常識外の技術者がいるようだったのに」

「……元々大母達の空間に入るには、相当なリスクが必要になる。 技術者が優秀だったからこそ、慎重なスキップドライブを選んだのだろう。 今までのデータによると、レッドスプライトは技術をアーサーによる解析に依存していて、かなり無茶な状態で航行をしていた様子だ」

「はあ。 優秀な技術者がいるから却って此処では時間が掛かったと。 逆に言えば、彼奴らが遭難して死んでいる可能性も無さそうね」

そんな可能性は最初からない。

なぜならそもそも、彼奴らは泳がされているからだ。

普段は少なくともそうだ。

ただ、今回はアスラを倒すまでの時間が。今までアレックスが知っている世界の半分以下程度である。

それを考えると、大母は目覚めたて。

泳がすために、あの次世代揚陸艦を自分の世界に招いた可能性は低い。要するに自力で奴らは乗り込んだ、と言う事だ。

今まで以上に厳しい状況だ。アレックスは、壁に背中を預けて、ジョージに装備の状態を聞く。

光の剣は問題なし。

メギドファイヤと言われる、偶然入手できた最強の拳銃もまた問題なし。

デモニカのダメージは現時点では大丈夫だが、そろそろオーバーホールをしたいらしい。

耐用年数は二万年とか言っているが。それでも余裕があるなら、オーバーホールをしたいのだとジョージは言う。

「アレックス。 危険が大きい三層では無く、二層に移動しないか。 其所でなら、いっそデモニカを脱いでのオーバーホールも出来る。 水も確保すれば、風呂を作る事だって可能だ」

「悪魔がいる所で服を脱げと」

「二層までの悪魔は極端に削られている。 徹底的にあの次世代揚陸艦のクルー達が駆除して行ったからだ。 勿論この嘆きの胎を面白がってどんどん次が来るだろうが、それまでには時間がある」

「そんな無駄をしている余裕は無いわ」

アレックスと、ジョージはたしなめるように言う。

AIのくせに、此奴は人間より人間らしくて。アレックスにとっては唯一の家族でもある。

だから、どうしてもその言葉には耳を傾けてしまう。

「オーバーホールが必要なのはバディ、君もだ。 如何にデモニカによる清潔化機能があるとは言え、ずっとロクに休んでもいないだろう。 風呂に入ると相当なリラックスが期待出来る。 今の君は普段より明らかに判断力の低下を起こしている。 オーバーホールが必要だ」

「……分かったわ。 一度二層に」

「待てアレックス」

腰を浮かしかけたアレックスだが。

ぞくりと背筋が凍るような感覚に襲われ、思わず光の剣に手を掛けていた。

足音が聞こえる。どういうわけか、この植物に覆われた土地で。デメテルか。敢えて威圧的にやっているのか。

生唾を飲み込む。あいつに散々追い回されてから、苦手意識が根付いてしまっているのかも知れない。

やがて、足音はビバークポイントの間近で止まった。

ひょいと植物の中を覗き込んできたのは、ぐるぐる眼鏡を掛けた小柄な人間のメイドのように見える奴だ。勿論そんなもの、シュバルツバースにいるわけが無い。というか、メイドなんてシュバルツバースに入る前にも見たことすら無かった。娯楽作品などに出てくるテンプレとしてのメイドは見た事があるが、それもあくまでファッションやアイコンとしてのもの。現物なんて、一度も見たことは無い。

「気を付けろアレックス。 相当な高レベルの堕天使だ」

「堕天使……姿を誤魔化す奴は確か何体かいたかと思うけれど」

仕掛けるか。

だが、気配を消していることに関しては自信があった。それを速攻で見破ってくるというのはどういうことか。

ジョージが言う通り、相当な高レベルの堕天使であるのは間違いない。いや、相当な高レベルどころか。

こんな、食ってくださいと言わんばかりの姿でうろつけると言う事は。少なくとも、デメテル以上の実力である事は確定だろう。

「あわわ、休憩のお時間でしたかぁ? だとしたらごめんなさいです」

「何……貴方……」

「私はさいふぁーと申すものです。 アレックスさん」

「!」

更に警戒が強まる。名前をどうしてしっている。さては此奴、斥候代わりにあの次世代揚陸艦のクルーが放った悪魔か。それとも、デメテル辺りの走狗か。

仕掛ける隙を探すが。のたのた動いている割りにまるで隙が無い。ジョージも即座に言う。

「想像を更に超えるレベルの堕天使のようだ。 撤退を推奨する」

「ああ、待ってください。 敵意はありませんよぉ」

「悪魔が言う事を信じるとでも思う!?」

「……その気になれば、貴方が気付く前に串刺しに出来たんですけど」

不意に口調が変わる。見ると、メイド姿の堕天使の手には、鋭い光の槍が握られていた。

ぞっとする。これは見覚えがある。確かケラウノス。遠くから見たことだけはある、魔神ゼウスのメインウェポン。

ギリシャ神話において雷霆とだけ言われる事が多いが。鍛冶の神としても知られるサイクロプス達が主神のために作り上げた究極の武器。文字通り全てを滅ぼす最強の雷である。

そんなものをどうして。

ふっと、ケラウノスがメイドの手から消える。あまりにも不釣り合いな武器だったが。メイドがどうにかなっている様子も無い。

身動きが取れなくなる。あまりにも強大な存在が目の前にいる。それをアレックスは理解出来ていた。

「とりあえず、話だけでも聞いて貰えませんかぁ?」

「……」

「まず貴方、凄く立場が悪いです。 このままだと、貴方を血眼になって追ってるデメテルさんや性悪天使にいずれ追い立てられて、死んでしまいますよ」

「全部蹴散らしてやるわ」

鼻で笑うメイド姿の堕天使。

いちいち頭に来るが、実際問題無理なのはアレックス自身が一番よく分かっているのである。デメテルもマンセマットも、アレックスが手に負える相手では無い。

だから、それについて行動は起こさない。

「ヒントを二つあげますね」

「……何よ」

「一つは実り。 この嘆きの胎でデメテルが探している……ああ、実際はともかくとして、探しているものです」

それについては知っている。

このシュバルツバース以外でも、デメテルはその実りとやらを求めていた。

だがおかしい。あいつの本気は、アレックスも知っている。格闘戦だけでもアレックスを圧倒するほどの実力で、銃弾なんか効きもしない。流石は最強格の豊穣神。

それに、嘆きの胎の看守を自由にしたりする所も見てしまった。

ひょっとしてあいつには、何か秘密があり。何かしらの目的があるのではないのだろうか。

「この実りは、六つで一つになるものです。 要するに一つを有しているだけでも、充分に戦略的な価値がある」

「……」

「そして今この第三階層はスカスカ。 今やるべき事は、唯野仁成やゼレーニン、ヒメネスを殺そうと躍起になる事ではないのでは?」

くつくつと笑う瓶底眼鏡メイド。

よく見ると可愛い顔立ちなのに、何処かぞっとする言動が時々入り込んでくる。

身動きできないアレックスに、更にメイド姿の堕天使は続ける。

「もう一つは、唯野仁成達を殺しても何も解決しないと言う事です。 だって貴方の実力じゃ、大母を仕留める事なんて不可能なんですし」

ずばりと事実を指摘され。

アレックスは、怒りの余り歯を噛んだが。確かにそうだ。今までどれだけ頑張っても、特にこのシュバルツバースの最深部にいる四人の大母の筆頭格。メムアレフにはとても勝てる気がしなかった。

近付いて呼吸の音を聞くだけで、全身が恐怖で震え上がったほどである。

ジョージも戦闘力は測定不能とまで言い切った。

逆に言うと、シュバルツバースで揉まれた唯野仁成は、そんなメムアレフすらも打倒すると言う事だ。

力が、何もかも足りない。

そんな事は、言われなくても分かっていた。

だから嘆きの胎を見つけたときは歓喜した。そして必死に力を蓄え続けているのだ。

だが、何度繰り返しても、唯野仁成を殺せる気がしない。今回も、心が折れかけていることを。既にアレックスは、何処かで自覚していた。

「唯野仁成と、本当にわかり合えないんですかぁ?」

「……っ!」

「貴方が何者かに興味はありますが、それはちょっと後回しです。 貴方が目の敵にしている唯野仁成は可能性の塊のような人間です。 それは逆に言えば、貴方が接触の方法を変えれば……」

光の剣にかけている手が震える。

斬り伏せてやりたいが、動けない。

ケラウノスを即座に具現化するようなバケモノだ。他の悪魔が必殺技にまで昇華している固有魔術も使いこなすかも知れない。

「あなた、本当に……何者、よ」

「私はさいふぁーと言ったでは無いですか。 堕天使さいふぁー、それ以上でも以下でもないですよぉ」

「ふ、巫山戯ないで。 そんな名前の高レベル堕天使、聞いた事もないわ」

「そりゃそうでしょ。 偽名なんだから」

さらりというと、いつの間にか至近から目を覗き込まれていた。

完全に血の気が全身から引く。腰を抜かさなかっただけでも、よく頑張ったと自分を褒めなければならないだろう。

「強い可能性の子。 それも一つや二つの可能性じゃない。 それに地獄を見て来た目でもある。 なるほど、何となく貴方の正体が見えてきた気がする。 英雄達を乗せた鉄船が来る事が出来たのも、ひょっとすると貴方が求めた助けの結果なのかも知れない」

「このっ!」

ようやく、呪縛から解放されたアレックスが光の剣で薙ぎ払うが。

既に、蜃気楼のようにさいふぁーだとかいう悪魔はいなくなっていた。

荒く肩を揺らして呼吸する。

ずっと呼吸をしていなかったような気さえした。

「バディ、大丈夫か。 気をしっかり持て」

「平気よ。 こんなの、おばあさまがあいつに殺された時に比べれば、何でも無いわ」

「そうか。 だが、此処は離れよう。 あの悪魔の推定戦闘能力は恐らくメムアレフすらも超えている。 とてもではないが相手に出来る存在では無い」

「……」

荷物をまとめ、後処理もして、ビバークポイントを出る。

少しずつ心が落ち着いてきたのを悟ったのだろう。

それにあわせて、ジョージが話をしてくる。

「アレックス。 君は嫌がるかも知れないが、あの悪魔が言っていた言葉は聞き逃したり無視するには惜しい。 実りというものをデメテルが求め、それが六つで一つというのは今までのデータからも裏付けが出来る。 嘘をついているにしても、あの悪魔はすべて嘘を言っているのではない」

「詐欺師は嘘を真実に混ぜるものよ」

「その通りだ。 だが、詐欺師の論法とも違った。 あれはどちらかというと……観察者に近かった」

観察者か。

確かに、隅から隅まで見られたような気がする。いずれにしても、第三層にはまだ強力な看守がいる。確かにジョージが言う通り、此処は離れ、少し休憩を取った方が良いだろう。

そして隙を見て、三層の囚人、魔神アモンを従える。

アモンは強大な悪魔だ。エジプト神話の主神格なのだから当然である。現在手持ちの一線級はパラスアテナとダゴンとインドラ。しかしながら、アモンはこれらの戦力を更に上回るだろう。

アモンを手に入れれば、また好機が巡ってくるかも知れない。それに実りとやらを手に入れれば。

デメテルに一矢報いる可能性が出てくる。

それだけじゃあない。

現状のアレックスの戦力では、恐らく何もこれから出来ない。何かしらのリスクを背負わなければいけない事は覚悟していた。例えば悪魔合体で、強力な悪魔と融合するとか。或いは、片道切符覚悟で、デモニカのスペックを本来以上に引きだして、シュバルツバースの主を打倒するとか。

だが、今までに何度も唯野仁成に。そう、シュバルツバースの主を打倒するあいつに挑んで、勝てた試しがあったか。

今回のように、殺せたまではいかないにしても。惜しい所まで追い込めたことは何回かあった。

だが奴は恐ろしい速度で成長し、やがてアレックスをいとも簡単に乗り越える。

奴に相手にされなくなるのは、大体この先の空間であるフォルナクスやホロロジウムに奴が辿りついた頃。

その頃には、奴に何をしても勝てなくなる。

今回はむしろ唯野仁成の成長は遅い。

だが、それでも周囲が異常過ぎる。だから、いつもの半分程度の時間で、犠牲もなく進んでいるのだ。

いずれにしても、今のままでは駄目だ。

それについては、アレックスも同意できる。

「まずは直近の目標として、デメテルの隙をうかがいながら、アモンを倒そう。 バディ、君の戦力ならアモンであれば倒せるはずだ。 問題はその先。 戦略的な選択肢が増えるから、或いは唯野仁成と接触するのも良いだろう」

「あいつと! いやよ!」

「感情論でものを語ってはいけない。 ましてやアレックス、君は何のためにシュバルツバースまできた」

「……そうね」

そうだ。分かっている。

可能性によって人は変わる。

唯野仁成は、今までの世界では救いようが無い外道だった。場合によっては人類が悉く殺戮されるのに手を貸し。場合によっては人類が悉く洗脳され、そして地獄のような管理社会が作り上げられるのに貢献し。

場合によっては英雄の名を恣にする独裁者となって、地球に君臨した。

だが、それら唯野仁成は。

今、シュバルツバースで相対している唯野仁成と、確かに違っていた気がする。

いや、今までの唯野仁成も、或いはだが。

全てを押しつけられて、急速に成長する過程で、何処かが壊れてしまったのではないのだろうか。

その結果、化け物になっていった。

だとすれば。さっきのあのよく分からない堕天使がいっていた事も、何となく納得は出来る。

後は、時間だろう。

いずれにしても、現時点では目標を変える。まずは、アモンを撃ち倒すことからだ。

「ジョージ。 最優先目標を一度変更。 魔神アモン攻略のためのプラン作成をお願い」

「OKバディ。 すぐに最高にクールなプランを作成する」

「はあ。 貴方のそういう所、何処で学んだのかしら」

「古いハリウッド映画だよ。 余裕があった頃の人類の文化は、今から見ても様々に興味深い」

ため息をつく。だが、ジョージが好きならば別に良い。アレックスに趣味を押しつけてくる訳でもないのだから。

しばらく、体力の温存に努める。

それにしても、あの堕天使は本当に何をしにきた。

アレックスをたきつけて、何をさせたい。

それだけは、ジョージが何を言おうとも。最大級の警戒をしなければならなかった。

 

三層が静かになった。

これまでも、随分と苦労はした。

何しろ、インドラの戦車を用いて、六層から三層まで暴れ回り、敵の注意を引きつけたからである。

やはりデメテルは網を張っているようで、時々遭遇した。はっきりいって勝てる相手ではないので、ジョージが最初から作成したプラン通りに逃げ回った。しかし逃げるだけではなく。その過程で、倒せる悪魔はしっかり倒した。

十を超える看守を仕留め。

更に手持ちを増やし。手持ちを合体させて扱える範囲での高レベル悪魔を備えて。

そして好機を待つ。

何度もそうやってゲリラ戦術で相手を引っかき回している内に、必然的に敵の強豪悪魔は分散。

特に四層に、敵が集中していった。

これは四層の囚人を狙っているように、陽動を仕掛けていったからである。

四層は囚人に見せかけて、実は看守が収監されている。これはどういうことかというと。以前別のシュバルツバースで活動していたときに調べたのだが。本来デメテルがこの四層に収監されており。それが脱走した事で、トラップとして敢えて看守を入れておくという事にしたらしい。

此処の支配をしているメムアレフはずっと眠っているらしいが。

看守は何となしのその意思を感じ取っては、ふらふらと動く。

問題はあまりにも急激に混沌にメムアレフの思考が傾いたため。看守達の頭がクラッシュした事で。

今ではどいつもこいつも、完全に狂ってしまっている事か。

時間を掛けて手持ちの戦力を増やし、なおかつ敵の戦力を遊兵化させながら、好機を狙う。

単純な強さで言うと、人間は悪魔にはかなわない。

なぜなら悪魔は、精神生命体であり。人間の精神をエサにして力に変えている存在だからである。

こんな時代には、それこそ悪魔の大好物である人間のエゴがそれこそ満ちに満ちており。

更に史上最大の個体数を人間が確保している。

ということは、それだけ上質なエサを持つ人間が大量にいるというわけで。

エサに困らない精神生命体が弱くなるわけが無いのだ。

だが、人間にも勝ち目がある分野はある。

一万年近くも蓄え続けた戦争の記憶だ。

ジョージはその全てを蓄えたデータベースを持っており。常にプランの策定を行ってくれる。

それに今まで、どれだけ助けられたか。

「そろそろ良いかしら」

「いや、デメテルが四層にて待機している。 奴が六層に行くまで、様子を見た方が良いだろう」

「……そうね。 ならばもう一回くらい、陽動が必要かしら」

「その通りだバディ。 看守はただでさえ狂っている。 そこに疑心暗鬼を生じさせていく。 その上、どういうわけか看守を操るのに成功しているデメテルを上手くおびき出せれば、アモンを撃ち倒すのに充分な時間を稼ぐ事が出来るだろう」

頷くと、アレックスは腰を上げる。

アモンを倒すのは今だ。

今までに訪れたシュバルツバースで、アモンを倒す事は出来なかった。看守が強力すぎて、どうにもならなかったからだ。

今回は皮肉な話で、唯野仁成以上の戦力を持つ次世代揚陸艦のアンノウンが複数いることで、普段は苦戦する看守が少なからず既に落ちている。

ただ、一番警戒しなければいけない極めて危険な看守がまだ無事なので。

それだけは注意しなければならなかったが。

闇に身を潜めて、待つ。

恐らく最大の好機は、次にあの次世代揚陸艦がこの嘆きの胎に来た時。それまでに、念入りに準備をしておくべきだろう。

ただでさえ、エリダヌスにて、奴らは散々なトラブルに見舞われる。

レッドスプライトに乗っている普段は、それで進退窮まる程だ。

今回は、レッドスプライトよりもあからさまに強力な、更に強大な次世代揚陸艦に乗っているから、どうなるかは分からないが。

今までのように半分の時間でエリダヌスを攻略するとしても。

それでも、アレックスには最大の好機がある筈だ。

デモニカが生成した栄養食を口にしながら、ぼんやりと待つ。

今は、ただ待つ事しか出来ない。

だが、勝つためのチャンスがあるのだったら。

アレックスは、どれだけでも泥を啜る覚悟は出来ていた。

待つ事なんて何でも無い。

今まで見てきた地獄に比べれば。ただ待つ事なんて、それこそ天国に等しかった。

 

4、闖入者

 

スキップドライブに成功し、庭園のような世界の片隅に着地した後。しばらく周囲の調査を実施し。クルーは下りる事が出来なかった。

美しい庭園のような世界だが、外の環境は今までに無い苛烈さだと言う事がわかってきているのだ。

気温は二百度を超え、気圧も三十気圧近くある。大気の成分には、何と水銀が大量に含まれており。酸素は1%もない。

澄んだ青空と、美しい庭園が拡がっている世界だというのに。

そして、既にドローンが確認しているのだが。

彼方此方に、あからさまな有毒物質で満たされた毒の沼が点在しているのである。

いずれにしても、全てに対策が必要だ、という結論を方舟の上層部が出したらしかった。

真田さんは研究室に缶詰。

一方で、幹部達は公開映像で、国際再建機構の本部と連絡を取っていた。

新しい空間に侵入成功した事。

更に、どうやら此処が脱出可能なバニシングポイントである可能性が高い事を告げると。米国大統領は、冷や汗を掻きながらめでたいと言った。

映像通信では無いが。今まで、重力子通信でデータはやりとりしている。

今まで得られたシュバルツバースのデータを常に送り続け。逆に外の状態も送られ続けている。

幾つかの情報を口頭でやりとりするのは、基本的に「安心」のためだ。

また、通信装置に余裕があるから、でもある。

地獄のシュバルツバースを航海しているクルーの心の安全。

シュバルツバースが日々拡大していることに怯えている外の首脳部の心の安心。

それらのためにも。

こういった、直接通信は必要になってくる。

しばしして、米国大統領に、居残り組のボスである国際再建機構の副長官が替わる。

実直な人物だ。居残り組を、良くまとめてくれてもいる。

データもきちんと送ってくれていて。既に南極の半分以上がシュバルツバースに飲み込まれたことも、それで分かった。

「此方でも、判明した事がある。 ライトニング号のことだが……」

「き、きみ!」

「ライトニング号は、米国政府によって「財団」に売却されたことが分かった。 機密になるものは抜いた上でな」

「やはりそうでしたか」

アーサーの答えは淡白だ。

既に前回の通信で、ライトニング号についてのやりとりはしたし。それで予想はついていたことである。

唯野仁成も「財団」の事は知っている。

いわゆる巨大軍産複合体で、近年は流通業に手を出し、莫大な利益を上げている組織である。

その工場は現在の強制収容所と呼ばれる程に過酷な労働が労働者を蝕み、人権も何もあったものではないのだが。

何しろ国際的に巨大な影響力を持つ組織である。国際再建機構でも、潰すのには入念な準備がいる。

シュバルツバースが出現する前には、正太郎長官はこの財団との対決を準備していたようなのだが。

運が悪いことにシュバルツバースが出現。

国際再建機構の総力を、対応に傾けなければならなくなってしまったのである。

アーサーが感情の無い声で、淡々と追撃を掛ける。

「米国大統領。 貴方はこの件を知っていましたね」

「……ぜ、前任者のした事だ。 ただでさえウチの国は、今完全失業率が25%にも達しているんだぞ。 余分な金なんて……」

「そうなると、ライトニング号を近代改修した財団が、シュバルツバースにライトニング号を送り込もうとしていることは間違いないでしょう。 現在、ライトニング号と思われるアンノウンの位置は」

「もう南極のすぐ側だな」

周囲の軽蔑しきった視線に、米国大統領が萎縮するが。

周囲の連中だって、別にクリーンな政治家でも何でも無い。

国際的に問題だらけの現在、どいつもこいつも似たようなもの。同じ穴の狢である。

というか、こんな連中が好き勝手をしているから、シュバルツバースが湧いたのだろう。

唯野仁成は、情けないを通り越して、怒りさえ沸いてくるのを感じた。

「米国の諜報機関はその様子では動いていますね。 ライトニング号に搭載されている装備や人員については分かりませんか」

「……分かっている範囲でデータを送る」

「それで結構です。 通信時間がそろそろ限界のようなので、画像ありの通信は以上とします」

ふつりと画像を斬る。

ゴア隊長がため息をつく。母国の大統領である。あまりにも情けないと、全身で思うのだろう。

とはいっても、今の時代まともな国家元首なんて方がレアケースだ。

唯野仁成の国だって、ロクな国家元首が出ていない。

どこでも同じである。

アーサーが、淡々と言う。

「財団が仕掛けてくるとなると厄介です。 今までも、複数の紛争を裏から操り、それで莫大な利益を得てきた集団です。 基本的にエゴでのみ動く組織であり、シュバルツバースに突入してきたら何をするか分かりません」

「この方舟ですら空中分解しかけたんだぜ。 無事に突入なんか出来るのか?」

ヒメネスの言い分ももっともだが。

それは楽観だ。

案の定、アーサーがその楽観は好ましくない事を指摘する。

「国際再建機構から漏洩した技術の一部が財団に渡っている事は、残念ながら既に確認済みです。 更に、この重力子通信を彼らが傍受していたとなれば、対策を講じていてもおかしくはないでしょう」

「ハッ。 人類が滅ぶまで一年だか二年だかしか残ってないんだろ? 銭ゲバのカス共が、何を考えて……」

「そんな事よりも、奴らが脅威になった時に如何に叩き潰すかを考えておくべきだろう」

さらっとストーム1が言う。

皆が、ぞくりとした。

ストーム1は兵士だ。時々とんでもない合理主義的な事を口にする。普段は弱者の爪牙たれと心がけているようだが。

逆に言うと、世界の富を独占してやりたい放題している現在の地球のガンに対しては、あまり良い感情を持っていないどころか。その私兵を蹂躙することをむしろ積極的に行っている様子だ。

好待遇でこれらの大規模軍産複合体が傭兵を雇おうとしても、有名な人物は殆ど立候補しないらしいが。

それはストーム1に目をつけられることを警戒して、のことらしい。

まあそれはそうだ。残忍で怖い物知らずの麻薬密売組織が、ストーム1を敵に回すと判断したら、速攻で離散してしまうほどなのである。

地獄のような紛争を、文字通りの圧倒的暴力で早期解決したことが一度や二度では無い文字通りの「唯一なる」「ストーム」。

そのストーム1が、怒りを覚えているのは確実だ。

「仮にライトニング号が突入してきて、財団の連中が横やりを入れてきたら、対応は俺に任せてほしい。 鎮圧なら三分でやってやる」

「お、相変わらず頼もしいなストーム1の旦那」

「……そうだな」

ストーム1の声には、怒り以上に強い憂いもあるようだった。

気持ちは、何となく分かる。

このシュバルツバースで、皆が嫌と言うほど人間の業を見てきているのである。それについては、重力子通信で外にも送られているはずだ。

それなのに、そんな状態を何とも思わず。

重力子通信を介して、シュバルツバースに眠っている資源だのビジネスチャンスだのだけを狙って、わざわざ米軍の骨董品を駆ってシュバルツバースに来て、好き放題するつもりだとしたら。

それこそ悪魔が大笑いするレベルの愚かさだ。

いずれにしても、殺気立っている空気の中。咳払いの声が響いた。

真田さんだった。

「皆、待たせて済まない。 これよりデモニカの根本アップデートを行う。 デルファイナス以上の危険物質と、今までのシュバルツバースの空間からも考えられないほどの危険な環境での活動のためだ。 今までのデモニカでも活動は可能だと判断していたが、より安全を期するためにも、かねてから開発していた機能を幾つか盛り込むことにした。 機動班から順番に改良を実施する」

おおと、皆の中から喜びの声が上がる。

来ましたかねてから開発していた。

真田さんのこの言葉が出るだけで、どれだけの安心感があることか。

すぐに皆、指定された物資搬入口に急ぐ。既にデモニカの根本アップデートのための装置が準備されていた。

デモニカは情報を蓄積し、経験を力に変えていくスーツだ。

しかも真田さんが改良したデモニカは、その経験を並列化し、着ている全員の経験を集約して、各自に還元する。

今まででもその機能があったが。

根本アップデートした後のデモニカの説明書を軽く見てみると。その効率が今後は更に上がるらしい。

有り難い話である。

半日ほど掛けて、クルー全員分の根本アップデートを完了。

その後は、いつもと同じだ。

まずは一旦降りて、周囲のデータを採集する。

唯野仁成も、今回はケンシロウ班に混ざって降りる。周囲は荒野ではないが。調査班がサンプルを回収して調べていくと。生えている草らしきものは、どうも地上の草とは完全に別物であるらしい事が分かってきた。

デモニカが無ければ、一呼吸で絶命は確定の地獄だ。

生えている草も、青々と茂っていても全くの別物でも不思議では無い。

食虫植物ではないだろうか。そんな不安もあったが。

機動班として、ゼレーニンをはじめとする調査班が、まずは方舟の周囲を調査するのを護衛している限り。

いきなり植物から不意打ちを食らうことは無かった。

何度か調査班を護衛し、プラズマバリアの範囲内で調査を続けていく。ゴア隊長も、装甲車に乗って出ていて、いざという時に備えてくれていた。

三度目。

ストーム1の配下として、出る。ストーム1は寡黙だったが。咳払いして、話しかけてみることにする。

「財団と、何かあったんですか」

「……財団にジャックという傭兵がいる。 名前から察しがつくと思うが偽名だがな」

「腕利きなんですか」

「腕という点ではそこまでではない。 だが、恐らく俺が知る限り、もっとも邪悪な人間の一人だ」

其処まで言う程の相手か。

唯野仁成も、人間の業は散々見てきているが。ストーム1ほどの人がそこまでいうとなると、穏やかではない。

「少し前にクズの金持ちが、私有地の島にて盛大に児童虐待をやっていた事が明らかになっただろう」

「はい。 あれは国際再建機構で暴いて、動きが鈍いICPOに代わって部隊を派遣して鎮圧したんでしたね」

「そうだ。 その時には逃げられたが、あれは財団絡みの案件だ。 ジャックはあの案件で、財団側から顧問として派遣されていた。 人身売買と護衛のな」

初耳だ。

恐らくだが、国際再建機構でも最近掴んだ情報なのだろう。そしてそんな機密を話しても良いとストーム1が判断するほど、唯野仁成が信頼されはじめている、と言う事も意味する。

「財団は何でも売る。 世界中に根を張った奴らは、子供の臓器だろうが麻薬だろうが、テロリストだろうが、無差別テロ用の爆弾だろうがドローンだろうが、それこそ金になるものは何でも扱う。 何度も支部は叩いたが、それでも致命打は与えられていない。 もしも許されない人間の業が存在するとしたら、その極北とも言える集団だろうな」

「ジャックという男はその急先鋒なんですか」

「ああ。 昔から傭兵の面汚しと言われていた奴だが、財団に入ってからはその手口の残虐性は更に増してな。 さっき例に挙げた事件でも、財団が関わった証拠をあらかた消したのが奴だ。 見つけ次第殺してやるつもりだったが、財団が切り札として派遣してくるなら間違いなく奴だろう。 丁度良い。 姿を見かけ次第、頭を撃ち抜いてやる」

凄まじい。ストーム1が此処までの怒りを見せるのは初めて見た。

ケンシロウを怒らせるのが一番危ないと思っていたが。

ストーム1も、考えてみれば世界中のテロリストを怖れさせている最強のワンマンアーミーだ。

この人も、本気で怒らせるのは避けよう。

そう、唯野仁成は思った。

一旦、撤収命令が出る。同時に、プラントが外に展開された。物資は充分な筈だが。色々やる事はあるのだろう。そもそもデモニカの根本バージョンアップをしたばかりだ。何か貴重な物質が足りなくなっているのかも知れない。

プラントの稼働と同時に、機動班クルーの精鋭が整列する。

これからエリダヌスを攻略するのだが。此処はさながら迷路だ。

複雑極まりない此処を攻略するには、迷子にならないように少しずつ、確実に進んでいくしか無い。

調査班のクルーが一チームに一人必ず入る事が説明される。

機動班クルーは複雑な顔をしたが。

調査班が、いつも適切な仕事をしているのは事実だ。

何より調査班が持ち帰った情報で、マップが作られたり。何より真田さんが新しい開発をしてくれる。

それを考えると、今回はやむを得ないのかも知れない。

皆が揃った所で、ゴア隊長から説明がある。

「エリダヌスの規模は、今までの空間とは桁外れだ。 この庭園のような宮殿部分だけでも、嘆きの胎を除く四空間の数倍だと言う事がわかっている。 バニシングポイントがあるから、というのもあるだろうが。 それより懸念するべきは、悪魔達がたびたび口にしていた「大母」という存在だ」

頷く。

大母という存在が何かは分かっていないが、既にクルーの間では憶測が飛び交っている。

例えばギリシャ神話に登場するガイアなどの、地母神の中でも最高クラスの神々か。

それとも、メソポタミア神話に登場するティアマトや、北欧神話に登場するユミルのような、原初の神か。

いずれにしても、相当な手強い存在であることは確定だろう。

「此方にはスペシャルがいるといっても、この庭園の構造は複雑極まりなく、連携は極めて難しいと判断して良い。 無理だと判断したら即時撤退してほしい。 恐らく、今まで遭遇してきた空間の支配者よりも、更に格上の存在だと考えるべきだろう。 それでも皆で生還する。 そのために頑張ろう」

敬礼し、皆でイエッサと答える。

それから、プラズマバリアを解除。

デモニカの根本アップデートの性能を試すのはこれからだ。ただ、手にしている装備が若干軽くは感じる。

ストーム1班に入った唯野仁成は、サクナヒメ班に入ったゼレーニン、ライドウ氏の班に入ったヒメネスと、それぞれ別に複雑な庭園に入る事になる。

このチームに入った調査班のクルーは寡黙な男性で、今までも何回か任務を一緒にこなしたが。ケンシロウ以上に何も喋らない。

ただ、無言でそこそこ強い悪魔を展開して支援してくれるので、安心感はある。

庭園に入ると、殆ど間を置かずに、大きな猿のような悪魔が姿を見せる。学者のような格好をしているが、あくびをしている様子から、敵意はないようだ。

「驚いた。 人間がもうこんな空間まで来たのか」

「敵意は無さそうだな。 貴様は」

「わしか? わしは魔神トート」

すぐに調べて見る。

エジプト神話に登場する神の一柱だ。ヒヒやトキの姿をしていて、現在ではトートと呼ばれているが、実際にはジェフティと呼ばれていたらしい。

知恵を司る神だから、学者っぽい格好をしているのだろう。

いずれにしても古代神だ。敵意が無いなら、情報源として期待出来る。

ストーム1が頷いたので、唯野仁成が前に出る。

興味本位か、アリスもぽんとPCから出て来た。

「おさるさんだあ」

「おや、お嬢さんは確かベリアルやネビロスが作った」

「アリスだよー」

「久しいな。 こんな所で合う事になるとは思わなかったよ。 今はその人間にしたがっているのかい?」

うんうんと頷くアリス。猿が好きなのだろうか。

ともかく咳払いすると、話を聞く事にする。トートも、唯野仁成を見ると、興味を持ってくれたようだった。

「人間がこのシュバルツバースに来ている事を知っているのか?」

「そりゃあそうよ。 だってわしも同じように外から来たのだからのう」

「!」

「今此処には、あらゆる勢力の神々やその下僕が集まっておる。 確かあんたたちの国の神々も見かけたぞ」

そうか、日本神話の神々もいるのか。

サクナヒメが見たら何というかちょっと不安だが。ともかく、順番に話を聞いていく。

「貴方はどうして此処に?」

「そりゃあ力を回復する為よ。 此処は地球に対して色々やりすぎてしまった人間の負の精神を吸い上げているからのう。 わしらにとっては、居ながらにして力が増すようなものじゃて」

「なるほど……」

「わしらの世界も厳しいんじゃよ。 何しろ、一神教徒が油断するとすぐ迫害に来るからのう」

トートは魔神と言う事は、中庸の重鎮と言う事になる。

中庸の勢力にも、一神教は良く想われていないのか。相当だな。そう思いながら、順番に話を聞いていく事にする。

トートは唯野仁成をやはり気に入ったようで、色々な話をしてくれる。

これが力になると信じ。

周囲の警戒を任せて、唯野仁成は順番に話を聞いていくのだった。

 

(続)