闇からの呼び声
序、飽食の後
アスラは考えを切り替えると、ひたすら戦いだけが起きるように状況を誘導し直した。今まで蓄えた力の一部を使い、無作為に大量の悪魔を召喚。それら全てを狂わせて、人間共に向かわせたのだ。
狂った悪魔達の苦しみ。
それを迎撃する人間の恐怖。
全てが美味だ。
戦いは、元々狂気と恐怖からなり立つ。それを乗り越えたものが美しい魂を持つ神霊へと変化していく。
それが古くは世界のルールだった。
それなのに、アスラが知らないうちに勝手にそれが書き換えられていた。唯一絶対。法は一つ。そう決めつけている輩のせいで、世界はどんどんおかしくなっていき。やがてアスラが好む原初の死闘は無くなっていった。
アスラは決めている。
方針転換をしたのだ。そろそろ、やり方を変えるべきだと。
元々最終的には形を得て、それで人間の世界に降り立つつもりだったのだ。多少前倒しになるが。それをただ少し早く行うだけである。
ふと、気がつくと。
知らない奴が、アスラの精神の中核にアクセスしてきていた。
どうにも覚えがあるような気もするが、分からない。いずれにしても、アスラにアクセスしてくると言う事は、生半可な相手ではないだろう。
「何者か」
「あわわ、やっとつながりましたぁ。 今回はとっても慎重に事を進めているんですね、アスラさん」
「……何だ貴様は」
「うふふ、さいふぁーとお呼びください」
何だそれ。聞いた事がない。かといってこの反応。明らかに混沌勢力の、それも重鎮クラスの実力者の者だ。
大母の世界ならともかく、どうして此処に降りて来ている。それがよく分からないが、ともかく話は聞かなければなるまい。
「さいふぁーとやらが何用だ。 我はこれから戦に備えて、準備を幾つかこなさなければならないのだが」
「その戦が面白くなくなるかもしれないのだよ」
不意に口調が変わる。アスラは今実体がないが、何となく嫌な予感を覚えていた。此奴は何者だ。
少なくとも、アスラより上の実力者なのではあるまいか。
いずれにしても、意思の疎通は続ける。
「この世界に天使が入り込んでいる事は知っているだろう」
「ああ。 だがどうせ何もできぬわ。 だから放置しておいた」
「それがな、やってのけたのだよ」
「!?」
そういえば、人間共が端末の位置を探し出せたのは。妙に探し出すのが早いとは思ってはいた。
天使共の差し金だったか。なる程、それなら合点がいく。少しばかり調子に乗っているようだが。まあいずれ報いはくれてやる。
今、大母の精神は混沌に傾いている。
人間共がシュバルツバースと呼んでいるこの世界が拡がりきれば、到来するのは混沌の世界だ。
そうなれば、天使共は終わりなのだから。
「それで貴様は何が目的か。 天使共を排除したいのか」
「違う。 天使は女神と手を組んで、人間共の内輪もめを止めた。 このまま工夫無しに動くと貴様は負ける」
「!」
「そういうことです。 では、頑張ってください。 失礼します」
また口調を変えると、さいふぁーとやらの気配は消える。
アスラは苛立ちながらも、その言葉が正しい事を知った。ならば、確かに幾つかの手を打っておく必要があるだろう。
悪魔を無意味に大量に呼び出すのは論外だ。
毎回かなり力を消耗する。もし人間が対策を練ってきた場合、力だけ消耗するばかりか、人間共が持ってきている悪魔を従えるからくりが猛威を振るう可能性がある。
その場合はアスラが損だけをする。
戦は損得で考えて進めるものだ。勝つのは、最終的に相手より得をしたもの。これについては、原始的な戦闘の時代から変わっていない。
ならば、精神攻撃を続けてやるか。
奴らは恐らくだが、そろそろゴミ山を整地して、攻め上がってくるはずである。そこにつけ込む隙がある。
しばし考え込んだ後、アスラは決める。
敵の出鼻を、続いて挫いていくと。
それに、思うようにはさせない。天使共が暗躍しているなら、その鼻っ面を打ち砕いてやる。
幾つかの手を順番に打つ。
アスラは、戦いを楽しむために。どんどん手段を選ばなくなってきている自分に気付きつつも。
それを何処かで楽しんでいた。
さいふぁーがため息をつきながら、アスラとの精神リンクを切る。今腰掛けている岩からは、人間達の鉄船が見える。鉄船は大戦をした後だというのに意気盛ん。まるで挫ける様子も無い。アスラは小手先の策で挑んでいるが、基本的に戦は兵を揃えて正面から押し潰すのが一番勝率が上がることを忘れてしまっているように、さいふぁーには思えていた。
用兵家にはありがちなことだ。高度な戦術を使って華麗に勝つ誘惑に捕らわれ、結局作戦を混乱させてしまう。
人間の悪い影響をモロに受けたアスラだ。
そういった、悪い意味での用兵家としてのあり方も、影響を受けてしまっているのだろう。
恐らくアスラは勝てないだろう。それは分かっている。だが、可能性はアスラにも生じさせた。
可能性を可能な限り増やしたい。それがさいふぁーの考えである。だから、これでいいのだ。
可能性がない世界など、死んでいるも同じ。シュバルツバースが出た時点で、この世界は実の所どの勢力にとっても破滅的な状態になったのだ。それはさいふぁーも理解している。部下達にも周知している。
だが、愚かな一部は。今こそが好機と先走ってしまった。
さいふぁーは混沌陣営の重鎮だが、別に無秩序な混沌が絶対的に正しいとは考えていない。可能性が生じ、それによって無数の選択肢が生じる事を混沌と考えている。だから別に、あんな独善的な奴で無ければ、神に従う選択肢だってあったのだ。本性を見たから、その袂から離れただけだ。
さて、と。
腰を上げると、側に降り経った者がいる。髭を豊富に蓄え、法律家として重そうな服を着ている老悪魔だ。手には分厚い本を持っている。
「ここにおいででしたか、閣下」
「ルキフグスさん、今はさいふぁーですよぉ」
「そうでしたな。 それで、この世界にはもう干渉をしない方針ですか?」
「いいえ、まだまだ」
埃を払ってスカートの皺を伸ばすさいふぁー。メイド服は手入れが色々大変である。そしてこの形を借りた人間は、不器用な分慎重に手入れをするようにしていた。故にこう言うとき癖が出る。
それはそうとして。これから先にあるのは、文字通り次元が違う世界だ。あの鉄船に如何に驚天の英雄達が乗っているとしても。この先に待ち構えているのは、最古の神々である。
正確には……いや、それはまあいい。
それはともかくとして、今後もまだまだ活躍はしなければならないし。何より可能性を見たい。
唯野仁成という人間の可能性は、今だ方向性が定まっていないようにも思える。
昔さいふぁーと刃を交えた人間もいるし。
そのものの魂だって、汚れても鈍ってもいない。
ただ、此処はそれをもってしてもなお、油断出来ぬ魔郷だと言うだけの事だ。
「ベリアルとネビロスは?」
「現在、結界を作る準備に取りかかっております。 閣下の仰った通りの場所に、「あの存在」が封じられておりましたので」
「アリスがいたことを教えてやったか?」
「ええ。 それは喜んでおりました」
アリスはベリアルとネビロスが作り上げた人工悪魔だ。不幸な死を遂げた女の子の死体をベースに作り上げたものだが。作り手が余りにも強大すぎる悪魔だった事もあって、自我を持ち力を持ち、今ではすっかり独立して行動している。
最初は、ベリアルとネビロスは自分の力を誇示するためにアリスを作った様子だが。今はすっかり情が湧いており。オーカスに食われたと知ったときは、オーカスを八つ裂きにしかねない勢いだったので、慌てて止めたほどだ。
復活に成功し人間の手元にいると聞けば、心底安心しただろう。
アリスは決して性格が良いわけではないが。
人間なんてそんなものだ。
悪魔が人間を娘として育てるのはおかしい事だろうか。さいふぁーは、そうだとは思わない。
「ベルゼバブはどうしている?」
「これより例の地点に向かい、結界の構築に参加します。 勿論、私めもこれからそれに加わります」
「予定通りにしてください」
「ええ、分かっておりますよ。 これほどの錚々たる面子、それも閣下に特別に力をいただき己を強化した状態。 かならずやかの者も封じることが出来るでしょう。 例え……」
その先は不要と告げる。
実際問題、この世界にいる存在は。
まあ、それはいい。咳払いすると、さいふぁーは部下を行かせる。そして自身は、これからどうするか考えた。
興味が出て来ているのはアレックスという人間だ。
少し前から身を潜め、また嘆きの胎に向かうつもりの様子である。
唯野仁成にただならぬ憎悪を抱き。
ゼレーニンやヒメネスと言った人間も、抹殺しようとしている。
それは困る。
だから、場合によっては止めようと思っていたのだが。第三勢力も含め、今あの鉄船の人間に死なれると困るものは珍しく無い。
アレックスはそういった存在と対立し。今は窮地にある。
今度はアレックスの可能性を見てみたい。
それがさいふぁーの結論だ。
アレックスが、空間転移した。人間のからくりだが、本来ではとても出来る筈が無い事である。
人間に使える魔術の類ではとうてい質力不足。
からくりは現在魔術を超える火力を有しているけれども。それでも無理だ。
だとすると、一体あのアレックスとやらは何者だ。
いずれにしても、嘆きの胎とデメテルが呼んでいる特殊な空間に移動した様子なので、後で見に行くとする。
凄まじい気迫で戦っているが。
孤立無援であるが故に、そのままでは追い詰められて負けるのが目に見えてしまっている。
それではさいふぁーとしても面白くない。
単身、こんな地獄の真っ青の土地に来ているのだ。余程の強い心があるのだろう。また、魂も黒く濁ってはいるが。その黒さは、まさに漆黒の底とも言える輝きだ。哀しみによって鍛錬され、怒りによって鋳造された魂。
さいふぁーとしては、面白いと思う。
本来全知全能を気取る四文字の神が、手をさしのべ救うべき存在であるはずなのに。
奴は己を信仰させることにだけ興味を持ち、弱き者も。救われるべき者も救おうとしない。
ならばさいふぁーが手を貸す。
それだけだ。
いずれにしても、当面はこのアスラの世界からは離れられない。人間はデルファイナスとか言っていたが。まあ呼び方はどうでもいい。
人間の業、過剰なる排泄。
それがそのままこの世界になった。アスラにしてみれば色々と不本意だろう。こんな場所に己が配置されるなんて。
大母とやらも無情なことをする。
くつくつと笑った後、活発に動いている第三勢力を見に行く。
大天使マンセマットと女神デメテルはどうやら利害が一致した事もあって、協力して行動を開始した様子だ。
邪魔をしない程度に動くのなら、それでいい。
もしも邪魔をするようなら、多少羽根をむしってやるくらいの事は必要になってくるだろう。
色々と計算を巡らせながら、さいふぁーは可能性を探す。
四文字たる自称絶対神と違い。
さいふぁーは己の手を動かす。そうして、可能性を探すのだ。
さいふぁーは傲慢の権化とされるが、別にそう考えるのならそれでいい。ただ世界の可能性を模索していることは。
紛れもない、本当の事だ。
唯野仁成は、デモニカに身を包んで方舟を出る。
会戦の直後だ。負傷者も多く、味方の戦力は半減している。死者は出ていないが、行動不能になった機動班クルーは多い。
だから、必然的に唯野仁成やヒメネスなど、怪我をしていないクルーの負担は大きくなる事になる。
側にいるのはライドウ氏。
この人の実力は、今まで作戦を共にすることが殆ど無かったから、最近まで具体的には知らなかったが。
今ではストーム1やサクナヒメ、ケンシロウにまるで劣らない凄まじいものだと認識している。
ヒメネスが後方を警戒しながら降りて来て。後はブレアとメイビーが続く。
皆、この間の会戦で負傷を免れた、一線級の機動班クルーだ。
デモニカに通信が来る。ゴア隊長からだった。
「野戦陣地とプラントは、自動修復機能が走っているので問題はない。 君達は剥き出しになった山に電波中継器を撒いて、山の全容を暴くために威力偵察をしてほしい」
「地下からあの気色の悪い繭がぱっくんちょ、てことは無いッスよね」
「あの繭については、存在している位置を全て確認済みだ。 また、仮に隠れていても近づけば探知出来るようにもしてある」
「真田さんに感謝か……」
ヒメネスが口悪く色々言うが。
ゴア隊長も、もうそれを咎める気は無い様子だった。
ゼレーニンが散々精神攻撃を食らった上に。今出せる機動班が負傷して減っている状況だから。
ともかく、威力偵察だけでも済ませなければならない。
ライドウ氏が無言で顎をしゃくる。
アレックスによる襲撃も警戒しなければならないが。ライドウ氏は、むしろこれくらいの人数の方が守りやすいと言った。アレックスはパラスアテナとそれに比肩する悪魔を二体も連れていたが。
ライドウ氏から見れば、その程度は大した相手では無いのだろう。
ライドウ氏自身の武勇は、他の三人と比べるとどうしても劣るが。
それでもライドウ氏が連れている悪魔の戦力を加味すると、互角かそれ以上という所に落ち着く。
それについては、唯野仁成も側で見て確認した。
山に入る。
周囲はいつ崩れてもおかしくないゴミの山だ。中には、元が何か分からないようなものも多い。
生ゴミの類はないが。
この辺りは150℃も気温がある。
仮に生ゴミがあっても、こんがり焼けてしまっているだろう。しかも気圧も尋常ではないから、腐るという現象が起こるまい。
踏んでみると、地面は案外しっかりしている。
それでも周囲を徹底的に警戒しながら、少しずつ山を登っていく。これではいつ何が起きても不思議では無い。
ゴミの山はかなり崩落が激しく、道として通れそうな場所と、そうでない場所がはっきり分かれる。
ユルングを召喚して、橋にして沼を越える。ユルングはとても巨大な蛇なので、背中を通って行く事が出来るが。
落ちたらぞっとしないので、アリスにも控えていて貰う。
小柄なアリスだが、脆いといってもあくまで大物悪魔に比べての話。
人間の一人二人抱えて浮くぐらい何でも無い。
ある程度進んだところで、ムッチーノから通信が入った。
「近くに生命反応があるよ。 調べてほしい」
「例の繭じゃねえだろうな」
「違うよヒメネス。 良いから調べて見て」
ちょっとまて。ヒメネスがムッチーノと会話した。驚いたのは唯野仁成だけだろうか。他は気付いていないらしい。
或いは、この間バガブーに助けられて少し考えが変わったのか。
そうかもしれない。
だとしたら、良い変化だと思う。ただ、ぶっきらぼうな言動に関しては、あまり代わりがないようだが。
ゴミの山に慎重に近付く。皆、手持ちの悪魔を出して、周囲を警戒。更に、銃も構える。
生命反応とは言っても、友好的なものとは限らないのだから。
オルトロスを出して、ゴミを避けさせる。
面倒くさそうにゴミを払いのけるオルトロスだが。
程なくして、生命反応の正体が分かった。
何だか分からないが、その場に存在している四角い物体だ。これが生命反応を出している様子である。
ただ、見た感じ機械にしか見えない。
触ってみても、同じ感想しか抱けなかった。
「かなり奥までいっているみたいだし、それを野戦基地まで運んで戻って来てくれるかな」
「分かった。 それでは一旦帰還する」
「頼むよ。 後、真田技術長官が、出来るだけ乱暴に扱わないように、だってさ」
付属装備のワイヤーを使って、オルトロスの背中にくくりつける。
まあ可能な限り丁寧に運ぶが、戦闘で誰かの命が脅かされるようだったら。命を優先する。
此処では悪魔が連日連夜殺し合いをしているのだ。
あまり人命以外を重視している余裕は無い。
さっさと下山すると、既にサクナヒメと調査班が待っていた。珍しく、真田さんがデモニカを着て出て来ている。
野戦陣地の内部に、簡易の研究所を作ると、さっき持ち帰った生体反応を出している機械っぽいものを調べるつもりになったようだ。
サクナヒメは側で見張り。ライドウ氏も此処に残るという。
唯野仁成達は帰還、休憩である。物資搬入口で解散。レクリエーション室に向かう途中、ヒメネスがぼやく。
「此処のボスは一体何を考えていやがるんだろうな」
「遅滞戦術だろう」
「恐らくはそうだろうが……だとしても、戦うつもりがないようにさえ思えるぜ」
「或いはそうかも知れない。 戦闘をさせず、此処で俺たちをずっと引きつけるつもりなのかもな」
ヒメネスが見ている所で、悪魔合体を試す。
この間仲魔にしたクルースニクだが、すっかり参ってしまっているらしく、他の仲魔と合体して強い存在になりたいと希望を申し出てきた。ハトホルも同じような事を言っていたので。良い機会である。
悪魔合体プログラムを走らせる。かなりのパワーを食うので、艦内でデモニカに充電しながらやるように。最近では、そういうお達しも出ていた。彼方此方の部屋で、最近ではクルーが悪魔合体をやっているのが見られる。
程なくして、出現する悪魔。
燃え上がる、いかにも神々しい鳥だった。
「我は霊鳥朱雀。 南方の守護者にして、炎を司る鳳凰とも同一視されし存在。 我を使いこなして見せよ……」
朱雀、か。
神々に近しい神話の鳥を霊鳥。逆に邪悪をばらまく神話の鳥を妖鳥と分類するらしいが、ライトサイドの神の鳥か。
朱雀というのは何処かで聞いた事がある。調べて見ると、方角の守護神だそうで、日本でもそこそこに知名度が高い神格であるらしい。
ヒメネスが、嘆息した。
「良いのをまた捕まえたな。 俺の方はどうにもな。 全部合体させてモラクスを作って以降、どうにも良いのがつかまらねえ」
「マッカを使って、今まで使っていた悪魔を再度呼び出してはどうだ」
「いや、マッカが足りねえんだよ。 モラクスが其方のお嬢さん同様にどか食いするもんでな」
「……この様子だと、強い悪魔ほど大量のマッカを喰らい続けるのだろうな」
地獄の沙汰も金次第と言うが、これほど露骨だと流石にげんなりする。
ともかく、今後生き延びるためにも。強い悪魔を作るのは必至だし。何よりも、魔王アスラをどうにかして、戦闘の場に引っ張り出さなければならない。
やる事は、多かった。
1、万年前の生体遺跡
野戦陣地の真ん中で三日ほど調査を続けていた真田さんが、船内に戻ってきた。それから半日ほど休憩を取る。
真田さんも人間だ。
流石に休憩を時々取らないと死んでしまう。ちょっとの休憩で、「ここはかねてから開発していた」が炸裂してくれるのなら、安いものである。
実際問題、地上への通信や。出口に近付くための情報など、様々な成果を真田さんは上げてきてくれている。
有能な技術者は方舟にたくさん乗っている。アーヴィンもチェンもそうだが。その技術の前段階の設計をして、確実に役に立つものを作れる下地を用意してくれているのは真田さんである。
唯野仁成は、丁度真田さんが船に戻るのと入れ違いに外に調査に出て。
朱雀が強烈な炎と回復の魔法でサポートしてくれる大変強い悪魔だと言う事を実地で検証して知り。
山の各地に調査用に電波中継器を撒いて。
そして戻って来て、真田さんが何か発表するという話を聞かされた所であった。
少し疲れは溜まっているが、発表については聞いておきたい。
なお、発表そのものは春香が行う。
つまり、何か衝撃的な話である、と言う事だ。
「ゴミ山で無造作に捨てられていたものの正体が分かりました。 二万年ほど前に作り上げられたもののようです」
「二万年か……」
これについては、誰も驚かない。
そもそもセクターアントリアで、数万年単位で凍っているような氷などが発見されているのである。
シュバルツバースというのは三次元空間とは関係がない。それについては、もうクルー全員が知っている事だ。
だが、問題はその後だった。
「問題は、この生体装置が、明らかに文明の手によって作られた物だと言う事です。 真田技術長官の仮説によると、数万年前。 時間の流れがシュバルツバースと外では違うので、推定して五万年ほど前に、此処を何かしらの文明が訪れたと言う事で間違いないそうです」
「五万前の文明!?」
「確か最古で発見されている遺跡が、一万年ほど前のものだと聞いているが……」
「みな、落ち着いてください」
春香の声に雑談が止む。
唯野仁成が調べて見た所、現在発見されているもっとも古い文明の遺跡が、紀元前7500年ほどのものであるらしい。
今から約一万年ほど前のものだ。
いわゆるオーパーツなどを例に出して、古代には現在以上の文明が栄えていたという説は根強い。
これはいわゆるクロマニヨン人から現在の人間に対して、どうにもつながりが確認できないから、というのも理由がある。
ネアンデルタール人やクロマニヨン人は、現在の人類の直系先祖ではない。
それは古くから言われている話で。現在でも諸説賛否があると言う。
だが、五万年前に実際にこのシュバルツバースに入り込んでいた文明があるというのは。流石にちょっと現実離れしすぎているようにも、唯野仁成には思えた。
咳払いする春香。
「これが仮に前時代の文明の産物だとすると、ひょっとすると五万年前にもシュバルツバースが出現し、それに対応するべく、当時の文明の所有者……人間であるかは分かりませんが、何者かがシュバルツバースに入り込んだのかも知れません。 ただ、それが実を結んだかというと……」
まあ、あのようにうち捨てられていた状態からしても、かなり厳しいだろう。
様々な神話によると、古代には人間以外の種族が栄えていたと記しているものもあるという。
例えばギリシャ神話では、現人類の前に金銀青銅英雄と呼ばれる種族が存在していて。これらが古くには人間だったとしている。現状の人間は鉄の種族だそうだ。
ギリシャ神話に関しては、デメテルの介入を何度か受けてから調べたのだ。
これらが荒唐無稽な話なら良いのだが。
何かしらの文明が古代にあって。それが神話によって伝わっていると考えている学者も少なくは無いと言う。
更には、もしもシュバルツバースに古代の文明が滅ぼされたのなら。
クロマニヨン人と現在の人間の間に横たわる溝や。
古代文明の痕跡が発見されないことに関しても、説明がつくというものである。
「学問は、一次資料。 つまり証拠が発見されれば、それを基準に理論を組み替えていくものです。 今回発見されたこの五万年前の文明の遺産は、今後更に用途を調査していきますが。 此処の支配者が作り上げたものとも考えにくく、このシュバルツバースの存在を更に深く知るために必須になると思われます」
そう、春香は言って通信を切った。
クルーは雑談を始める。ヒメネスが、さっそく来て話しかけて来た。
「どう思うよヒトナリ」
「仮に五万年前にも文明が存在していて、その文明もシュバルツバースが出現したとすると……」
「何なんだろうな、一体」
「今まで倒して来た魔王達は、人間の愚かしさをひたすらに罵っていただろう」
ヒメネスはそうだなと、気がなさげにぼやく。
だが、ヒメネスはもっとも人間の愚かしさを間近に見ながら育って来た人間の筈だ。興味が無い訳がない。
「現在、地球の環境は危機的状況にある。 モラクスやミトラス、オーカスが罵ったように、人間のせいでな。 際限なく地球を破滅に向かわせる存在が出現したとき、シュバルツバースが出現するのかも知れないな」
「おいおい、それは飛躍しすぎじゃないのか」
「……飛躍しすぎだと良いんだが」
恐らくだが、唯野仁成と同じ事を考えた者は他にもいるはずだ。
それに、である。
もしもこの仮定が正しいとなると、恐ろしい推察も出来てしまう。
仮にこの地球が、致命的汚染に対してシュバルツバースを出現させているのだとすると。それは地球の免疫機構という事になる。
だとすれば、シュバルツバースからの脱出は何ら意味がないし。
仮に破壊に成功したとしても、どうせすぐに新しいシュバルツバースが出現する事になるだろう。
もしもシュバルツバースが出現しなくなったら、それは地球が死んだ事を意味する。
どの道、詰みだ。
あまり考えたくは無いが。このままシュバルツバースを脱出するのも論外。破壊するのも論外となると。
シュバルツバースが出現した後、何もかもが崩壊した世界を受け入れるのか。
或いは、定期的にシュバルツバースに入って、強大な悪魔達と戦いながら破壊しなければならないのか。
どちらかを選ばなければならないのかも知れない。
どちらにしても、先は地獄だ。
大きくため息をつくと、ヒメネスは何だらしくないなという。唯野仁成は鉄の心を持っている訳じゃあない。
いずれにしても、今後の動きはよく考えなければならないのではないのか。
そして、唯野仁成が思いつく程度の事だ。
真田さんが気がついていない筈が無い。
とんでもない代物を見つけてしまったなと、唯野仁成は思ったが。今更である。どうせいつかは見つけていただろう。
数万年前に、地球を滅ぼしかねない文明があって。
シュバルツバースに侵入することが可能なほどだったのなら。
いずれにしても、いつかはその遺跡が見つかっていたのだろうから。
ゼレーニンが来る。
意外にも、話しかけたのはヒメネスだった。
「何だ寝ていなくて良いのか。 散々精神攻撃やられたんだろ」
「もう大丈夫よ。 それよりも、調査をしなければならない事が幾つか出て来たわ。 機動班クルーで動ける人間はあまり多く無い。 出来れば護衛を頼みたいのだけれど」
「まあドンパチの後だしな。 あれだけ派手にやって死人が出なかっただけで御の字だぜ」
「……」
前だったら即座に責めていただろうけれど。今はそんな事もなく、ゼレーニンは悲しそうにヒメネスを見つめた。
どうしてそんなに乱暴なことばかり言うのだろう。
そういう視線だ。
もっとも、ヒメネスは何処吹く風だが。
「既に他に出る奴は決まってるのか?」
「ええ、プリンセスが出てくれるそうよ」
「問題はアレックスだが……」
「それなら平気。 アレックスは、既にスキップドライブした痕跡が発見されたわ。 嘆きの胎に向かった様子よ」
そうか。また、鍛え直しに行ったのか。それとも手持ちの悪魔を増やしに行ったのか、
いずれにしても、アレックスが最大懸念事項だったのだ。特に最近は、攻撃が極めて苛烈だった。
此処のボスである悪魔も、軍勢を見境無く召喚してけしかけてくるような真似をしたが。あんな大がかりな召喚、何度も出来はしないだろう。
だったら、今は調査の好機である。
方舟から出る。既にサクナヒメとライドウ氏が話し込んで待っていた。これから、ライドウ氏は真田さんの護衛にあたり。サクナヒメが来てくれるという。
ゼレーニンを見て少しだけ心配そうにしたサクナヒメだが。
ゼレーニンの方から、サクナヒメに話しかけていた。
「プリンセス、調査の護衛をお願いします」
「おう、真田より聞いておる。 任せておけ。 アレックスめの奇襲を許して肩身が狭い所じゃ。 ここらで挽回せぬとな」
「姫様はそんな失点問題にならないくらい俺たち助けてくれてるじゃねえか」
「一度の失敗で人は簡単に死ぬ。 そう簡単に割り切れんよ」
サクナヒメはヒラヒラと手を振ると。
ついてくるように促す。
真田さんは、機密化された研究室で、一心不乱にあの生体装置を調べている様子だ。
少しは休まないのだろうかと、ちょっとだけ唯野仁成も心配になっていた。
山に昇り始めてからしばしして、ゼレーニンが地図を皆と共有する。
あの繭が埋まっている場所。それに、通る事が出来る場所などの地図である。
また、ゼレーニンは掃除機のような道具を持ってきていた。
「何だそれ。 それで情報集積体を回収するのか?」
「いいえ。 危険な物質が沼になっている場所があるでしょう。 それをこれで無力化させてしまうのよ」
「真田さんの発明か」
「発明と言うよりも、既存品の改良ね。 汚染物質の組成さえ分かってしまえば、無力化はそれほど難しくは無いの」
ゼレーニンが言いながら、コロコロのついた掃除機もどきを引っ張っている。本当に育ちが良いのだなと、ちょっと眉をひそめてしまう。
天使に力を借りてはどうかと提案したが、ゼレーニンは首を横に振る。天の御使いにそんな事はさせられないと。
呆れたようにサクナヒメが、周囲を警戒しながら言う。
「其奴らは一種の使い魔のようなものであろう。 大事にするのは結構だが、戦闘力にも限界がある。 そなたは調査班の人間で、いざという時に頭がつかえなければどうしようもあるまい。 得意分野を分担せよ」
「その通りだと俺も思うが」
「神の御使いに雑用などさせられないわ……」
今までと違い、悲しそうな声での反発。
やりにくそうにヒメネスが視線を背ける。サクナヒメはその様子をしらけた目で見ていたが。もうしばらく時間をおくべきだと思ったのだろう。さきに身軽にぽんぽんと飛んで行く。
程なく、さっきの沼に出た。ゼレーニンが掃除機もどきを使うと、一瞬で沼が凝固する。
ゼレーニンが自身で沼に踏み込んでみせる。確かにもう、少なくともデモニカ越しなら安全なようだ。
皆で沼を渡る。そうやって、危険地帯を幾つも無力化していく。山を彼方此方見て回るが、デモニカは強力な悪魔に反応しない。
負の思念を吸い込むことで強力になるとか言うあの繭を、やはり全部潰すしかないのではあるまいか。
そう思うが、黙っておく。
一兵卒だ。意見を出すにしても、状況を調べきってから。ゴア隊長は、今頃正太郎長官や、真田さんと緊密に情報をやりとりしながら、状況の確認をし続けているはずで。唯野仁成が勝手な事をして良い状況では無い。
電波中継器をゼレーニンが撒くのを見ながら、ヒメネスがため息をつく。不意に、PCから出て来たバガブー。
人なつっこい性格で、よくヒメネスに懐いているのは知っているが。
かなり好き勝手にさせているのだなと、改めて確認する。
「ヒメネス! ヒメネス!」
「どうしたブラザー」
「なんかいる! なんかいる!」
「!」
サクナヒメが即座に跳躍して、上空から周囲を見回す。唯野仁成もアリス他悪魔達を展開して、周囲を確認させた。
バガブーはログを見る限り、かなり勘が鋭い様子で何度もヒメネスを助けている。
力が弱くても、そういう所で助けられる事はある。それは、唯野仁成もログを見て確認済みだ。
「愚かな人間共よ。 ああ、それに与する異教の神もか。 からくりを使い、我が領地を我が物顔に踏み荒らして、覚悟は出来ているのだろうな」
周囲から轟く声。
ゼレーニンも、慌てて作業を中断し、嫌そうにしながらも展開された悪魔達の円陣の内側に入る。
サクナヒメが、名乗りを上げた。
「我が名はヤナトの武神にて豊穣神サクナヒメ。 名のある武神と見受ける。 何者か」
「ほう、貴殿ほどの力の持ち主が慇懃に名乗るか。 では此方も礼を失するわけにもいくまいな。 我が名は魔王アスラ。 この世界を統べるものだ。 ヤナトという国は知らぬが、そなたの力は本物だ。 幾多の世界を見て来た我が保証しよう」
大当たりか。此処の支配者は恐らくアスラだろうと既に見当はついていたが、ついに相手が直接名乗ったことになる。
問題は、この声がどこから響いているか分からない、と言う事だ。
何処にいるのか分からなければ、倒す事など出来ない。
デモニカを調べるが、どうやら音波のようだが。周囲全土が喋っている。山全域から、音がしているようだ。
音が大きいので、彼方此方でゴミが崩落もしている。
「武神として勝負を申し込みたい。 さっさと出てくるが良い」
「そうしたいのは山々だが、今の我には大母を守る役割がある。 残念ながら、その申し出は受けられぬ」
「使い走りにされて満足か」
「満足では無いが、我等が悲願を達成するためには必要な事だ。 そのためには、誇りの一つや二つ、喜んで捨てよう」
これは、手強い相手だ。
そもそも此奴は、戦争の仕方を知っている。その上で、遅滞戦術を敢えてしている事を今認めた。
更に、手段を選ばないとも言っている。
既に分かっているとおり、スキップドライブで更に先の空間に行くには、量子のゆらぎを固定化し、更にそのゆらぎのパターンを空間の支配者から取得できるロゼッタより解析しなければならない。
どの道、魔王アスラとは雌雄を決さなければならないのだ。
「唯野仁成隊員」
通信が入る。どうやら真田さんからのようだ。
サクナヒメとアスラが問答をしている間に通信を入れて来たという事は。作戦指示という事である。
「アスラという存在を解析したい。 サクナヒメとの会話が止んだら、君が話しかけてみてほしい」
「分かりました」
サクナヒメの方を見る。サクナヒメは、何度かアスラを挑発したが、相手は涼しい顔である。
要するに戦うつもりは無いと言う事だ。
唯野仁成は、どういうわけか上級悪魔に気に入られる傾向にある。
アリスに目配せ。
アリスも、意図を察して頷いてくれた。
ハトホルの後継として入ってくれた朱雀が今はいる事もある。回復は任せられる。少し強気に出ても良いだろう。
サクナヒメが腕組みして、むすっとする。どうにも暖簾に腕押しで、面白くないらしい。
サクナヒメに呼びかけて、話を代わりたいと言うと。うんざりしていたのか、あっさり代わってくれた。
「魔王アスラ。 聞きたいことがある」
「ほう、面白い魂の輝きを持つ人間だな。 そこにいる乾いた魂、純潔の魂とはまた違う美しさよ。 強いていうなら可能性の魂か」
乾いた魂とは恐らくヒメネス、純潔の魂とはゼレーニンのことか。
だとすると此奴は、ゼレーニンを純潔と見なしていながら汚そうとしたことになる。極めて不愉快だ。不快感が腹までせり上がってくるが、我慢する。
「そもこの世界は何だ。 今まで倒して来た魔王達は、いずれも人間を学習し、滅ぼす事を口にしていた。 貴方は一体人間の何を学習した」
「我が学習したのは人間が際限なく排泄し、世界を汚す存在だと言う事だ。 丁度このゴミの山のようにな」
なるほど、此処は排泄か。
真田さんは今頃解析を進めてくれているだろう。彼方此方に撒いた電波中継器も役に立ってくれる筈だ。
「そこで我は最初、そなた達の頭に我が分身を送り込み、思い出させてやろうとしたのだ」
「……」
「原初の戦い。 その美しき有様をな。 そうすれば、少しは己がやっている無駄な排泄の醜さを思い出すだろうと思ったのだが。 お前達はその芽を先に摘んでしまった。 もったいなき事よ」
「そうか、やはり貴方もか」
情けない話だと、唯野仁成は思う。
シュバルツバースの空間は、四つ目。嘆きの胎はちょっと毛色が違うので除外するとして、いずれにしても四つ目の空間で、四体目の支配者に遭遇し。そして話を聞いてみて、分かった事は。
どいつもこいつも人間を学習して。
その最悪の部分ばかりを取り込んでしまっている、と言う事だ。
色々言いたそうにしているヒメネスを視線で牽制。ゼレーニンは、この声に聞き覚えがあるのだろう。真っ青なまま立ち尽くして、何も言わない。
「人間の最悪の部分ばかり学んでしまうのは何故だ。 貴方がアスラだとすれば、善神でもあり悪魔でもあり、武神でもある懐の広い存在だろう。 人間の営みを見て来て、信仰を得てきた貴方が、どうしてそうも今更になって、そんな思考に捕らわれた」
「笑止。 人間の信仰は今と昔では違う。 昔は対価の代わりに実利を得るごく素朴なものだった。 それに対して今世界でもっとも拡がっている信仰はどうだ。 唯一絶対の四文字の信仰を確認するものであって、それ以外は全て悪魔と貶めるものであろうが」
「一神教のことか。 確かにそういう思想の持ち主もいるだろうが」
「比較的穏健な者もいると? 違うな。 そのゼレーニンとやらの思考を我はずっと覗いてきた」
びくりと、ゼレーニンが身を震わせる。
頭の中に悪魔が入っていたのだ。その思考が、アスラに筒抜けだったのもそれは当然だろう。
セクハラなんてレベルではないが。いずれにしても、アスラは知っている。
ずっとゼレーニンがサクナヒメに苦手意識を持っていて。何処かでその存在を拒んでいたことを。
唯野仁成が見ても分かる程のことだ。
頭を覗いていた奴が、分からない筈が無い。
「唯一絶対以外は全て悪魔! 武神サクナヒメよ、そなたをこの者はデーモンと内心で呼んでいたのだぞ。 そんなものを助けるのか!」
「はあ。 くだらぬ」
サクナヒメが一蹴。
頭を抱えて蹲り、震えているゼレーニンの肩に手を置きながら、アスラに言い返す。
「人の思考は様々。 外道に落ちる事もあれば、光を持つ事もある。 わしは武神として、ただ人を守り、その過ちをただす。 過ちを犯したからと言って、全てを壊していては、それはまさに悪魔の所業であろう。 そなたが毛嫌いしている四文字の神が犯しているようにな」
「な……」
「そなたは最も嫌っている四文字の神とやらの、負の側面を今そのまま体現しようとしておる。 誇りある武神であるというのなら、どうして同じにならぬと宣言できぬのか」
「だ、だだ、だ……」
どうやら逆鱗に触れたな。
勿論サクナヒメは意図的にやっているのだろうが。これは大きい。
ずっと余裕を持って話をしていたアスラの声から、既に余裕が完全に消し飛んでいるのが分かった。
それだけでも、真田さんは恐らくガッツポーズを取っているはずである。
「黙れ黙れ黙れ! おのれ、貴様……!」
「わしも同じように一神教とやらのある世界から来ておる。 だが別に、一神教とやらを滅ぼそうとも、その首魁たる唯一神とやらと戦おうとも思わぬ。 なぜならば、人間は様々な考え方を持って、ようやく人間たり得るからだ。 外道に落ちようとしているならば手をさしのべ助ける。 それが神のあるべき路では無いのか。 少なくとも気に入らぬ思考を持つ者を焼こうというのであれば、それはもはや神の取る行動ではない。 まあわしも、泥を引っかけられたら怒るが、それはそれだ」
「誇りはどうした!」
「わしはヤナト最強の武神にて豊穣神サクナヒメ! 我が誇りは、守護たる存在である事そのものにある! そなたこそ、偉大なる古代神格としての誇りは何処に捨てた! 今の貴様は、気に入らぬものを焼き尽くすだけのただの災厄だ!」
ヒメネスが拍手。
皮肉混じりに笑顔を浮かべているが、多分良く言ってくれたと心から思っているのだろう。
実際、唯野仁成も、今のサクナヒメだったら神と信じたいと思う。信仰とは無縁の生活をずっと送ってきたが。此処まで言ってくれる神様だったら、いてくれれば嬉しい。
「何たる侮辱……! この屈辱、忘れぬぞ……! こ、後悔せよ……!」
「ふん、そなたなどに恨まれても怖くも何ともないわ。 精々この腐った山で震えておれ」
戻るぞ、と言われて。
唯野仁成は頷き、戻る事にする。
天使達は思うところがあったのか、ゼレーニンに肩を貸して、歩く手助けをする。またゼレーニンの持ち込んだ機械を、もう一体が手にし運んでいた。
ヒメネスが、狂乱のまま怒りの声を上げるアスラを尻目に言う。
「姫様、良く言ってくれた。 本当にすかっとしたぜ。 あの手の勘違いヤローはマジで頭に来るからな」
「自分の正しさを担保してくれるという事が、唯一神信仰とやらの強みであろう。 だがな、それは排他性を産む。 その排他性が行き着く先は、ああいう犠牲者だ」
サクナヒメの声は低い。多分嫌と言うほどみてきたのだろう。
唯野仁成も、紛争地帯で狂信的カルト信者の凶行を嫌と言うほどみてきたが、納得出来る。
確かに己の正義を担保してくれる神には、すがってしまいたくなるのかも知れない。
だがその先にあるのは、際限のない思想の暴走と凶暴化なのだ。
アスラは最初は被害者だったかも知れない。
だが今や、その思想を完全に狂わせた、ただの災厄に過ぎない存在に果てていた。
山を下りると、背後から凶悪な気配がする。
恐らく、極限レベルの侮辱を受けたアスラが、何かしらの作戦を始めたと見て良いだろう。
ゼレーニンに促して、方舟へ急ぐ。
もう一度くらい、会戦があるかも知れない。その時、戦えないゼレーニンは邪魔になってくる。
調査班は調査班で重要な存在だ。戦いで調査班が活躍する必要はない。
あくまで戦闘は、唯野仁成達が行えば良いことだった。
2、錯乱狂乱
唯野仁成が方舟に戻り、一旦外に展開しているクルー達も戻り始める。ゴア隊長による指示によるものだ。
アスラが明らかにおかしくなった。
故に、何を仕掛けてくるか分からない。
一旦方舟に入って、様子見をする。それは最善手である。唯野仁成が指揮官であっても、同じ判断をしただろう。
サクナヒメに促されて、唯野仁成はヒメネス、ゼレーニンとともに艦橋に出向く。船内で悪魔を出す事を嫌がっていたゼレーニンだが、今回は天使によって支えられることを止めず。
誰もそれを咎めなかった。
ただ、艦橋に入った後は、流石に天使を引っ込める。
青い顔をしていたが、それでもしっかり立とうとするゼレーニンを。唯野仁成は止めるつもりは無かった。
まずはゴア隊長が咳払い。
「アスラに対して、痛烈な反撃、見ていて心地よかった。 そしてアスラが、明らかに感情にまかせて暴走を開始したのを此方でも確認した」
「何、あやつは本来は誇り高き神格だったのだろうよ。 だが、それが墜ちた。 それだけの事だ。 決定打は人間に対する学習であろうがな」
「……姫様、それについても交えて、幾つかの仮説について真田技術長官と、ライドウ氏から説明があるそうです。 これについては、船内放送で流します。 クルーが全員戻り次第始めましょう」
「うむ……」
サクナヒメは壁に背中を預けると、目を閉じる。
色々と考えているのだろう。
戦いを司る部分もある神であることは、アスラもサクナヒメと共通しているのだ。何が両者を別ったか。
それは恐らくだが。サクナヒメに以前聞かされた話だ。
サクナヒメは、人間と一緒に辺境にて苦労した。互いに力と知恵を分け合い、収穫の喜びを感じ。人間を守って戦い。人間はサクナヒメを支えた。
その経験があるからこそ、サクナヒメは人間にとって厳しくも優しい神となってくれている。
理想的な神のありかたとも言えるが。
それは、人間の現実を間近で、嫌と言うほどみてきたからなのだろう。多分人間と喧嘩もしたし。
逆に、人間に驚かされもした。
それらの経験が、サクナヒメを変えた。昔はどうしようもないお馬鹿なボンボンだったと、サクナヒメが自嘲していたが。
それは掛け値無しの実話だろう。
だが、それに対してアスラはどうなのか。
信仰は地域を渡る度に代わる。理由は、隣国、或いは別集団の信仰は敵だからだ。故に守護者だったり悪魔だったり、戦神だったりあらゆる信仰がまぜこぜになった。とどめに来たのが全否定。
一神教による、唯一絶対の神以外は全て悪魔と言う思想である。
それらを見てくれば、アスラ……単一神格の呼び名ではないから、きっとあれは阿修羅なのだろうけれども。阿修羅が歪みに歪むのは無理もない。
ましてやその上で、現在の地上の惨状を研究すればどうなるか。
唯野仁成は、同情はしない。ただ、アスラがああなってしまうのについては、分かる気がした。
ムッチーノが全体に通信を入れる。
「クルーの全員収容を確認! 念のために点呼を!」
「点呼開始!」
唯野仁成も点呼に応じる。程なくして点呼が終わると、サクナヒメは目を空け、唯野仁成の側に歩いて来た。
艦橋にいる面子だけではない。
これは、今クルー全員が聞くべき話だと、ライドウ氏は判断したのだろう。真田技術長官もである。
「アスラの狂乱ぶりは、クルーの皆も通信で見たかも知れない。 いずれにしても、この空間、デルファイナスの支配者がアスラである事は確定した。 そして、幾つかの仮説が裏付けられたことになる」
真田さんがPCを操作。
そうすると、皆のデモニカに、画像が入り込む。
分かりやすく作り上げた図だ。
「悪魔と言うのは精神生命体だ。 精神生命体というのは、基本的に何かしらの存在の精神を栄養にして活動する。 つまり物質生命体の後に誕生した存在だと言う事だ。 恐らくだが、今まで倒して来たモラクス、ミトラス、オーカスもそうだし、アスラもそうなのだろう」
精神生命体は、肉体を持つ通常の生命体の精神を、何かしらで栄養にする。
物質化出来るタイプは、肉そのものを食べる事もある。
そして、物質化には幾つかのプロセスが必要で。
外の世界ではマグネタイトと呼ばれる物質を必要とし。
そしてシュバルツバースでは、主にエネルギーが通貨化したものであるマッカを媒介にしている。
マッカを使ってダメージを受けた悪魔を修復したり。
更に、マッカを喰らった悪魔が更に強くなるのは、その辺りが理由だ。倒した悪魔から、マッカが落ちるのも、である。
サクナヒメは、マグネタイト方式で実体化しているらしい。
これはそもそもシュバルツバースに突入する前にいたのだから、まあそうだと判断は出来るのだが。
問題は此処からだ。
「シュバルツバースの悪魔の大半はこのマッカ方式だが、一部の悪魔は違うと言う結論が出ている。 具体的にはそれぞれの空間の王達だ」
「? どういうことだ」
「まず彼らは、情報集積体を核にして出現している。 更に倒した時に零れるマッカがあまりにも少なすぎる。 これらは戦闘の結果を確認して、既に事実だと判明している」
また図が代わる。
要するに、シュバルツバースではマッカを主にして実体化する悪魔と、別の方法を使う実体化悪魔がいる。
そういうことだ。
その別の方法というのが、どうやら外の世界から思念を取り込むこと、であるらしいのである。
だから、どの魔王も人間の最悪の部分を学習していた。
なるほど、それは納得がいく説明である。唯野仁成は魔王達と会話したが、いずれもが人間の最悪の部分を学習し、その結果あのような存在になっていた。
モラクスも状況証拠になっているだろう。
実際問題、ヒメネスの行使しているモラクスはマッカ方式で実体化したものだが。
唯野仁成が交戦したモラクスは、恐らく外の世界の人間達の思念によって実体化したものなのだ。
シュバルツバースは文字通りの思念を吸い込むブラックホールであり。
その行き着く先には、思念をエサに実体化する悪魔の王達が控えていた、と判断して良いのだろう。
「これでもまだ説明できない事があり、検証中なのだがそれについては割愛する。 さてアスラだが、執拗な精神攻撃や、我々に寄生しての観察などの搦め手を使用してきていた事は覚えていると思う。 これについては戦術という点もあるが、恐らくアスラは、実体化を敢えてしない方針を採ったのだろう」
「実体化を、敢えてしない!?」
「ちょっと待って、それって……」
「推察だが……」
真田さんが話を代わる。
ライドウ氏はあまり長話が得意ではないようだし。解説に関しては、真田さんの方が本職だからだ。
咳払いすると、真田さんが順番に説明していく。
「アスラは恐らくだが、同格の三体の魔王のやり方が、いずれも失敗すると判断していたのだ。 これについては、交易に関わっていた悪魔達の証言からも、裏が取れている」
「……」
「その上で、アスラは策を練っていた。 人間という存在を如何に効率よく滅ぼすか、冷静に調べるべきだと。 そして恐らくアスラは、あのゴミ山を見ても、先の会話を見ても、こう判断したと見て良い。 人間は相争わせ、自滅させるのが一番だと」
一切自分は手を汚さず。
勝手に全てを排泄しきった人間が、ゴミ山に埋もれて自滅するのを高みの見物か。
効率的とは言えるが、流石にあまりにもムシが良すぎる話にも唯野仁成は思えてきた。
いずれにしても神がやる事でも悪魔がやる事でもないだろう。
人間は放っておけば勝手に自滅する。
だから、自滅した後のゴミ山に降臨して、その後世界を浄化すればいいと。
互いに相争わせようとした理由については、良く分からないが。
アスラなりの意趣返しだったのだろうか。
いずれにしても、戦いが美しいだとか抜かしていたから、変質していく内に精神に異常をきたしたのかも知れない。
原始的な宗教は、基本的に神と人間のギブアンドテイクで成立する。
戦いが美しいから戦うなんて思想は、元々のアスラが持っていたものだとは思えない。
或いは、際限なく消費して排泄する人間があまりにも醜いと判断したから、戦い続ける古き時代の人間に却って美を見いだしたのか。
いずれにしても、狂ってしまったのだなと言う感想しか出てこなかった。
「さて、此処からだ。 アスラは先ほど完全に激高した。 恐らくだが、これから実体化を始めて、此方を潰しに掛かってくるだろう」
「上等だ」
ヒメネスが拳をあわせるが。
真田さんは、更にろくでもない予想を口にするのだった。
「もしも今の段階から実体化するとなると、今までと同じ方式を使ってくる可能性が高い」
「それは……」
「精神エネルギーを吸収して、それによって実体化する。 恐らく、今までとは比べものにならないほどの悪魔を召喚して、それを殺し合わせる筈だ。 その余波は、当然方舟にも及ぶだろう。 戦いによって生じる負のエネルギー。 恐怖、絶望、痛み等を糧にして、アスラは実体化を図るはずだ」
「オイオイ、冗談じゃねえぞ……」
「これより、プラズマバリアを全開にし、状況の推移を見守る。 またプラント類や野戦陣地は、即座に撤収開始。 悪魔の召喚が開始されるのを確認し次第、それらは放棄してしまってかまわない。 アスラを撃ち倒して、その後物資は再度回収すればいいのだから」
ゴア隊長が、咳払いすると。
総力戦態勢で、プラントなどの回収を任務として出した。
すぐに調査班を中心に、回収作業が始まる。
これは会戦よりも大変かもしれない。悪魔も総出で、物資を回収に取りかかる。倉庫はまだ余裕があるにはあるのだが。
それでも今後の展開が厳しいのは、容易に想像がつく。
動力炉の方で、クルーが話をしている。
「プラズマバリアを全開って。 如何にこっちに来てから何度か弄って強化しているとは言え、嘆きの胎の深部にいるような悪魔の攻撃には耐えられないって話が……」
「それに、想像を絶する数の悪魔が出てくるんだろ。 前の会戦で、まだ数十人動けない人間がいるんだぞ。 本当に大丈夫なのか?」
そういう不安が、奴に力を与えるのに。
唯野仁成は諭したくなったが、それについては止めておく。真田さんが来て、ゼレーニンやアーヴィン、チェンらと一緒に、動力炉を弄り始める。かなり本気で作業をしているようだし、邪魔をしては悪い。
ゴア隊長は冷や汗を流しながら、指揮をしている。
時々正太郎長官に指示を仰いでは、指揮に工夫をしているようだが、かなりの負担だろう。
唯野仁成は外に出て見張りをすることを申し出たが、駄目だと言われた。
アレックスが仕掛けてくる可能性があるからだという。
アレックスは一旦スキップドライブして、この世界を離れた形跡があるらしいが。
この狂騒は少し続く。
もしも撤退作業の間に仕掛けて来たら、とんでもないカオスが生じる事になる。アレックスが相当に戦意旺盛なことは唯野仁成も確認している。確かに、敢えてその戦意を刺激する事はない。
取り押さえられれば言う事は無いのだが。
そんな事が出来る甘い相手でもない。
やむを得ないか。悪魔達を総動員して、貴重な物資などを含め、プラントを根こそぎ回収していく。
最後にトラックなどが回収され、クルーも全員が船に乗り込み終わると。
物資搬入口が閉じた。
プラズマバリアが機動する。今までに無い色だ。動力炉が大丈夫なのか、少し不安になったが。
どうやら間に合ったらしい。
真田さんとライドウ氏の予見したとおりになった。ゴミ山の上空に穴が開くと、信じられない数の悪魔が姿を見せたのである。
下手をすると万単位ではないのか。
いずれもが質が低い悪魔ばかりのようだが、早速見境無しに殺し合い始める。同時に、山からあの繭が現れると、口を開いて凄まじい勢いで負の思念を吸収し始めていた。
どうやら、サクナヒメに言われた事で、本気で頭に来たらしい。
だが、それは好機だ。
戦場では、冷静さを欠いた方が負ける。現在、此方はそういう意味で優位にある。ヒメネスが、ライサンダーのメンテナンスをしている。もう戦闘を出来るように、心身を調整している訳だ。
この辺りは流石である。歴戦の傭兵であるヒメネスは、この辺りで極めてストイックだ。
唯野仁成は、悪魔達を召喚すると、話を聞く。此処は物資搬入口。今は機動班が殆どで、同じように悪魔を召喚してミーティングをしている者が目立つ。
朱雀とオルトロス、ユルングを主力に。
切り札としてアリスを有する現在の唯野仁成の手持ちは。ライドウ氏を別格とすると、機動班クルーではヒメネスと並んでトップだ。
ヒメネスが有しているモラクスは、単体で悪魔の群れを蹴散らす実力を持つが、それはアリスも同じ。
要するに他の悪魔の分、唯野仁成の手持ちの方が有利、という事になる。
軽く悪魔達と話をするが。
外の状況を見て、皆あまり表情は良くない。面白がっているのはアリスだけである。
「人間の事貪欲だのたくさん排泄するだのいっといて、自分で全く同じ事してるじゃんアスラのやつ」
「そうだな、その通りだ。 人間の一番悪い所を完全に取り込んでしまったんだな」
「その上高みの見物を決め込むってのは、ずるいねー」
「……そうだな」
アリスは挑発的に言っているが、これは恐らくだが、周囲の人間に対しても言っている皮肉だろう。
とはいっても、アリスは唯野仁成を気に入ってくれている。
時々服を繕ってだの靴を直してだの言われるのだが。それを黙々とこなすところがいいらしい。
アリスは話を聞く限り、サクナヒメほどでは無いにしても結構なお嬢様だ。
この辺りは、ごく自然に身についている動作であって、悪気は無いのだろう。別に唯野仁成も気にしていない。
「それで実体化したアスラとどう戦うの? 多分だけれど、オーカスなんかの比じゃないよ」
「それについても切り札があるそうだ」
「へえ?」
アスラは無作為に負の感情を固めた肉体を作ろうとしている。
それだったら、対策がある。元々精神生命体は、信仰というものを利用して形を作る。マグネタイトを利用しないなら、それでしか実体化は不可能だと言う事もある。
だが、アスラの場合は、信仰ではない上に。きわめて偏った精神をエサにして実体化を果たそうとしている。
それならば、充分に勝ち目はある。
今回はライドウ氏が先頭に出る。唯野仁成、ヒメネスの二人が後ろを固め。他の班はアスラが繰り出してくるだろう攻撃の対策だ。
これに方舟からの支援砲撃を加えて、アスラを屠る。
切り札については渡されているが。これが本当に効くかは、ちょっと不安ではある。ただ、真田さんが検証したものだ。効くだろう。
ある意味これも信仰かも知れないと思って。唯野仁成は、苦笑いしていた。
プラズマバリアの負荷が上がっている。無作為にゴミ山の上で戦っている悪魔達。万にも達するそれらが、無作為に戦闘を繰り広げている内に、一部がこっちに来たのである。
プラズマバリアにぶつかって焼け死んでいく様子は、集蛾灯で感電死していく虫のようである。
気の毒ではあるが、仕方が無い。呼び出したアスラも、もう無茶苦茶に殺し合わせる事しか考えていないのだろう。
死んで行く悪魔には悪いが。
もう、来た場所が悪いと思って、諦めてもらうしかない。
やがて、悪魔の召喚が止まる。
充分だと、アスラが判断したと見て良い。ゴミ山が揺れ、其所から伸びていた繭が朽ちていく。
役目を終えたのだ。
だから、もう必要ない。そういう事か。
自分の体の一部ですら斬り捨てる。無茶苦茶にも程があるが、アスラとはそういう風に人間の影響を受けたと言う事だ。
アーサーから通信が入る。
「今までに無い強大な悪魔の気配です。 注意してください」
デモニカも、警告音を慣らしっぱなしだ。
あの山が、丸ごとアスラとなろうとしているのが、唯野仁成にも分かった。周囲にあからさまな動揺の声が走る。
レインボウノアが。
方舟が、全力で後退を開始。プラズマバリアを解除。
今まで搦め手で如何に此方の力を削ぐかに徹していたアスラは、最後の最後で感情にまかせた。
この時点で、此方が優位に立っている。後は、優位を如何に維持するか、だ。
此処で感情にまかせていきり立っているアスラに力勝負を挑むのは愚の骨頂。下がりながら、更に挑発する。
プラズマバリアを解除すると同時に、無数の弾丸を、実体化しつつあるアスラに向けぶっ放す方舟。
とても効くとは思えないが、それでも大量の弾丸が速射砲から撃ち込まれる。霧状の巨大な人影になっているアスラの全身で、それが炸裂し続ける。
まずは切り札一。効果が出てくるのはまだ時間が掛かる。バックを続けるが、アスラはもはや此方を完全に捕捉していた。
霧が消し飛ぶ。
其所には、赤黒い肌を持つ、野性的な刺青をした、巨大な人型がいた。
腕は四本。顔も三つ。その巨体は、最大級にまで肥大化していたオーカスを思わせる。流石に彼処までではないだろうが、身長は百メートル近い。
なるほど、確かにこれならば、他の魔王達に対して余裕綽々の行動を取れる筈だ。
いざとなったら、これだけの戦闘力を得られるのであれば。モラクスやミトラスなんか、ゴミにしか思えなかっただろう。
雄叫びを上げるアスラ。
その巨体が、ゆっくりとゴミ山から踏み出し始める。四本ある腕には、それぞれ違う武器が握られている。
「機動班、出撃。 作戦通りに」
「おいおい、あれと真正面からやりあうのかよ……」
「真田さんの立てた作戦だぞ。 勝てるだろ」
「そうだよなあ……」
ぼやいている面子がいるが、やるしかない。
走っている最中の方舟の物資搬入口が開き、ジープで三班に分かれた機動班が乱暴に降り立つ。
方舟自体が時速六十キロほどで後退しているから、かなり着地と同時に揺れたが。
それでも、流石国際再建機構のジープである。ちゃんと着地し、横転するようなことも無かった。
ライドウ氏は、それどころか。
ジープのボンネットに腕組みして立っている有様だ。
サクナヒメ班とケンシロウ班と、更に別れる。
二つの班には、それぞれ八人ずつの人員を配備。作戦の進展に応じて、それぞれ動いて貰う。
アスラが、目を光らせる。三つの頭、六つの目だから、その迫力は凄まじい。
山のような巨人が雄叫びを上げると、走り始める。一歩ずつ、地面が吹っ飛ぶような地響きが起きる。
狙っているのはサクナヒメ班だ。まあそれはそうだろう。あれだけの屈辱を浴びせられたのである。
プライドばかり肥大化した、災害の権化みたいな存在になってしまったアスラにとっては。真っ先のデリート対象の筈である。サクナヒメも、流石にあの巨体が相手では分が悪いだろう。
その時。
アスラが、ぐらりと揺れた。
方舟の、空いたままの物資搬入口から、恐らく自力では持てないだろう巨大な対物ライフルを手に、ストーム1が狙撃したのである。狙撃した先は足下。
あの対物ライフルは何だ。開発中の新兵器か。野戦砲として使っているレールガン以上の火力だ。
方舟に残ったストーム1の狙撃でアスラの意識を逸らせることは作戦にあった。だが、あの兵器は知らされていない。いずれにしても、艦砲以上の火力となると、あまりにもとんでもない。
更に言えば、それでもアスラは転倒していない。踏み込むと、無理矢理体勢を立て直す。傷も塞がっていく。
だが、その過程で、明らかにサクナヒメ以外の地点からは、視界がそれた。
それはそうだろう。殺意を全力で向けている相手。更にはこの無敵状態に等しいアスラに有効打を与えてきた相手。それ以外に、注意を向ける余力があったら、搦め手なんか使ってこない。
完全に注意がそれたアスラの至近に、ライドウ氏を乗せたジープが突貫する。
勝負は、此処からだ。
3、アスラ倒れる
高台に上がったマンセマットは、巨大化したアスラの凄まじい威容を見て、素直に感心していた。
この土地の特性の使いようによっては、あのような力を得られるわけだ。
このシュバルツバース、魅力的な土地である。
無言で控えている天使共は、どうでもいい。
此奴らにはもはや何も期待していない。所詮はデクだ。その上、ゼレーニンに貸し出したパワーどもは既に論外。
彼奴らは、明らかにゼレーニンの周囲にいるものどもの影響を受け始めている。
ゼレーニンを護衛する以外の事はしなくて良い。
そうマンセマットは事前に教えたはずなのに。勝手にゼレーニンを助けて行動し始めた。もはやあれらは天使では無い。堕天使である。いずれ時間を見て、処分してしまうとしよう。
そのアスラがすっころびかけ。
その足下に、滑り込むように唯野仁成ら三人が乗るジープが潜り込む。
お手並み拝見と行きたいところだが。
隣に賓客が降り立ったので、其方の対応をしなければならなくなった。
「おお女神デメテル。 ようやくおつきですかな」
「今、手を打ってきた所ですのよ。 アレックスというあの赤黒が、せいぜい苦しむようにね」
「ふふ、中々性格が悪い」
「これからもっとも重要になる収穫の場、嘆きの胎。 そこを、可能性の苗である唯野仁成でもないのに土足で踏みにじろうとするのが悪いのですわよ」
デメテルはご立腹の様子だ。笑顔は崩していないが、マンセマットには分かる。此奴は相当な食わせ物である。
まあそれはそうだろう。オリンポス十二神と言えば、骨肉の争いの果てに生き残った最高位の神々達。
ギリシャ神話の醜い身内の争いの詳細は、マンセマットですら苦笑するほどの代物である。
それは、デメテルだって性格も悪くはなるだろう。
「それであの醜い巨人がアスラの正体だと?」
「どちらかといえば戦闘形態と言うべきでしょう。 それも不本意にとった姿のようですね。 元々アスラは、この世界で実体すら持たずに人間を持久戦で翻弄し、消耗させるだけ消耗させるつもりだったようですからねえ」
「上を行かれたわけですわね」
「そうなりますね。 あの鉄船に乗っている人間の技術者、其方にいるヘパイストス神にも劣らぬのでは」
露骨に嫌そうな顔をするデメテル。
ヘパイストスが相当なぶ男である事はマンセマットも知っている。デメテルの美的感覚には合わず、性格もあわないのかも知れない。
まあそれはいい。
接近した人間の一人が、巨大な悪魔を召喚したのだ。それは、無数の足を持つ、巨大な口を持つ長い体の竜。見覚えがある。北欧神話の邪竜、ニーズヘッグだ。北欧神話の中心地であり、世界を支える世界樹の根を囓り続け。世界の終わりにはその世界樹を囓り倒してしまう巨大な竜。白い体を持ち、蛇に無数の足を生やし、口には剥き出しの歯がたくさん生えているような醜い姿。
体格的には、アスラにも及ぶそれが、全身を巻き付ける。
「まるでテューポーンとゼウスの戦いですわね……」
「彼方の男、その両方を召喚しかねませんな。 動き次第では我等の脅威となりましょう」
デメテルはその言葉を無視。まあいい。マンセマットとデメテルは、単に利害が一致しているから協力しているだけだ。
一緒にされたら頭に来る、という心理も分からないでもない。
それにしても、オリンポス十二神などと言う信仰も失った神格から、一神教の重鎮にしてやろうという交渉をしているのに。
頭の硬い古代神は困ったものだ。
そう思って、アスラの様子を見る。
アスラは絡みついたニーズヘッグを四本の腕で剥ぎ取ろうとするが、その全身にジープに乗っていた唯野仁成が何かを打ち込む。
ほう、と思わず呟いていた。
打ち込んだものが何か、分かったからだ。
すぐにジープが離れる。
横転しながら、地面にニーズヘッグの頭を叩き付け、拘束を解くアスラ。立ち上がろうとするが、恐らくその瞬間異変に気付いたのだろう。
絶叫するアスラの顔は、三つとも酷く恐怖に歪んでいた。
「手の内を晒しすぎるからそうなる……」
酷く残忍な笑みを、マンセマットは浮かべていたかも知れない。
いずれにしても、混沌の悪魔がどうなろうと知った事ではない。まだ秩序陣営で協力が見込めるデメテルについては心も動くが。
混沌に身をやつした神など、それこそ滅びれば良いだけの存在だ。
悲鳴を上げながらもがくアスラ。全身がどんどん黒ずんでいく。
あれは、アスラの分身体を打ち込まれたのだ。
今まで方舟のクルーに寄生させていたアスラの分身体。それらは人間が。この世界に来る時に駆除してしまったようだが。同時にサンプルも採っていたのだろう。
そしてそのサンプルに細工をしたのだ。
元がアスラの分身体である。体に打ち込まれれば、それは元の体と一つになろうとする。そもそも、遠隔でコントロールするくらいしか出来ない簡易の分身である。複雑な命令をこなせるような高尚なものではない。
それが、体内で無作為に。アスラにとって、有害な思考なり思想なり。或いは現在アスラが捕らわれている思考なりと反するものを含んでいたらどうなるか。
最初の砲撃は、この本命の切り札を更に良く効くようにしむける薬か何かだったのだろう。
「おおぉおおのれええええっ! 何をした人間! 何をしたあああっ!」
聞き苦しい絶叫が轟く中。少し前までアスラの同僚だったモラクスが出現。アスラをニーズヘッグの代わりに押さえつける。今のアスラの膝までしかモラクスは背丈がないが、それでも狂乱し恐怖している相手なら充分だ。
そして、アリスが大きめの魔術詠唱を始める。
あの忌々しい邪悪の娘が唱える魔術。おぞましいと感じて、口元を抑えるマンセマット。どうやらデメテルも不愉快らしく、目を細めていた。
まあデメテルが不愉快なのは恐らく違う理由からだろう。
デメテルは冬を嫌っている。
大事な娘を奪い去られた記憶を、思い出してしまうからだろうからだ。
モラクスが消えると同時に、アスラを無数の氷の杭が貫いていた。絶叫するアスラが、それでも立ち上がろうとするが。
接近していたサクナヒメが、横っ面をフルパワーで張り倒す。
冗談のように巨体が揺れる。
流石だ。異教の神とは言え、なかなかの力では無いか。
更に其所へ、跳躍したもう一人が、アスラへと無数のラッシュを叩き込む。アスラはそのうち半数ほどを避ける。
あれはケンシロウとか言う拳法の達人だが。
アスラは、血を吐きながらも、嘲笑ってみせる。
「拳法は、我が最も信仰された印度で生まれたもの! カラリパヤットこそが起源であり、避けるは容易いわ!」
「お前が知っているカラリパヤットは、いにしえに産み出されたそのままのものだろう」
男の言葉は痛烈だ。
事実、どうやらかわせた攻撃は、全てフェイントだったらしい。
アスラの半身から、大量の鮮血が噴き出し始める。
絶叫するアスラの顔が一つ吹っ飛ぶ。
「印度より大月氏、中華を経て完成した北斗神拳! 磨き抜かれた後世のカラリパヤットなら兎も角、お前のカビが生えたカラリパヤットなど、もはや敵ではない!」
「ふ、ふざけ、人間如きが……!」
頭を一つ失いながらも、アスラは体勢を立て直し。
そして大きく息を吸い込み始める。
あれは、ちょっと危ないかも知れないな。そう思って、マンセマットはシールドを展開する。
デメテルも、同じようにシールドを展開していた。
何かを、アスラがぶっ放そうとする。
恐らくだが、召喚した悪魔を凶暴化させ、互いに殺し合わせる技を極限まで凝縮、指向性を持たせてぶつける技だろう。
如何に対策をしているとは言え、出力が違いすぎる。
これは喰らったら危ないかな。そう思いながら見ていたが。アスラの肺が、次の瞬間爆発していた。
鮮血が、胸から噴き出している。
方舟からの狙撃によるものだ。あのストーム1とかいう戦士による、神域の狙撃が。今のケンシロウとやらの技を受けて弱体化していたアスラの胸を貫いたのである。
後ろに一歩、二歩と下がるアスラ。
その下半身に、また召喚されたモラクスが組み付く。
更に、機動班クルーの全員が展開した悪魔が、一斉攻撃を放ち、魔法を無数に叩き込みまくる。
それでも踏ん張るアスラだが。
上空では、既ににんまり笑ったアリスが、極大の魔法を用意し。更に青く輝く剣を、サクナヒメが構えていた。
ああ、終わったな。
あのサクナヒメの剣、多分まともに喰らったらデメテルやマンセマットでも危ない文字通り武神の奥義だ。アスラは、必死に逃れようとするが、間に合うはずがない。
膝を突かなかった事だけが、最後の意地だったかも知れない。
アリスがぶっ放した巨大な氷塊が、三つある頭の一つを容赦なく打ち砕く。頭がメロンのように爆ぜ割れて、周囲に大量の鮮血と肉塊が降り注ぐ。
更にそこに、サクナヒメが渾身の、大上段からの一撃を叩き込む。
アスラの上半身が、残った最後の頭ごと、真っ二つに割られたのはその時だった。
「お、おのれ、おのれ……!」
なおもアスラが呻き続ける。
全身を分割して逃げる事も出来まい。さっき叩き込まれた、汚染された分身が致命的だったのだ。
アレに対抗するだけの時間が、アスラには与えられなかった。
本来だったら物理的な実体を失っても、逃げる術はあっただろう。だが、それすらもなかった。
とうとう力尽き、膝を突くアスラ。
モラクスは離れると、哀れみを持ってアスラを見る。やはりアレは、この世界で軍を組織しようとしていたモラクスとは違うな。そうマンセマットは思う。まあデータを貰って解析済みなので、知っている事だが。
「に、人間がいにしえの理を忘れ、大地を汚し尽くし、やがて自滅する存在であるという事実に代わりは無い……! そして我は、一度敗れた程度で屈するほど弱くもない……!」
ケンシロウが、アスラの胸に一撃を叩き込んだ。
アスラは言葉を失うと。だが、苦痛に歪めていた顔を、少しずつ和らげていくようだった。
「本来であればお前は誇り高き神だったはずだ。 最後の慈悲をやる」
「……慈悲か。 その慈悲、高くつくと心得……」
アスラが、安らいだ表情のまま爆散する。
ケンシロウは着地すると、静かに技の名前を言った。
「北斗有情破顔拳」
同時に、この空間に満ちていた。純粋な殺し合いをもたらす気が消えていく。
アスラは死んだ。
少なくとも、この空間では。
くつくつとマンセマットは笑う。
少なくとも、マンセマットの目的は、この空間では達成出来た。如何に周囲が支えているとは言え、ゼレーニンの心には大きなくさびが打ち込まれたのだ。
もっとも秩序に対する強い可能性を持つ魂。それをゼレーニンが持っているのは既に確認済み。
やがてゼレーニンは、必ずマンセマットの手に落ちる。それが確信できただけで、充分である。
周囲を確認。
天使達はかなり数も質も増している。これならば、ちょっとやそっとの相手に敗れることはないだろう。
更に、である。
アスラが死んだ事で、大母とやらが目覚めたようだ。奴らの空間は、最初かなりややこしいものだったのだが。これで簡単に侵入できる。
更に言えば、もっと大きな力も行使できるだろう。
此処にいるでくの坊ではなく、大天使も呼び出せるかも知れない。
とはいっても、現在天界にいる連中ではないが。まあそれはどうでもいい。
「それでは私は行きますよ豊穣神デメテル。 貴方はまだしばらく此処に残りますか?」
「私は収穫のために嘆きの胎に少しばかり用がありますの。 どうせ人間達も其方に来ますし、其所で少しばかりあの赤黒に仕置きをしておきますわ」
「ふふ、追撃を容赦なく徹底的に行うのですね」
「古き神を怒らせることが何を意味するのか、あの赤黒にはせいぜい思い知らせて差し上げませんと」
元々ただの利害の一致だ。
デメテルが消えるのを見届けると、マンセマットはこの空間を離れる。
もはやこの汚らしい空間になど用は無い。
このシュバルツバースと人間が呼ぶ世界を利用し。
マンセマットの願いを叶えるまで、もう少しだ。
アスラの亡骸から採取されたロゼッタは、すぐに真田の研究室に運び込まれていた。
アスラとの戦いは予想通り激戦だった。サクナヒメによる挑発で、アスラが本気でやりあうつもりにならなかったら、恐らくもっと長引いていただろう。
或いはもっと此方の戦力が充実していなかったら、アスラは調子に乗って姿を見せたかも知れないが。
残念ながら、アスラは今までの世界での戦いを見て、方舟の戦力を警戒していた。
冷静さを崩さなければ、千日手をずっと維持しようとした筈で。
その時には、此方には為す術は無かった。
同じ武神の属性を利用して、サクナヒメが相手に叩き込んだ否定という呪いは。アスラという神格を完全に戦闘へと傾けた。
言葉は呪いになる。
それを真田は、充分に思い知らされた。
戦いで手段を選ばない事をアスラは表明した。それを、まんまサクナヒメは相手に返したのだ。
結果として、呪詛返しの通り。アスラは自滅に近い末路を遂げることになった。因果応報と言えばそれまでだが。色々と考えさせられる。
さて、気分を変えてロゼッタを解析するが、様子がおかしい。小首を捻っている内に、アーサーが連絡を入れてきた。
「真田技術長官。 貴方にしては時間が掛かっていますね」
「このロゼッタを解析したが、このままスキップドライブするとアントリアに戻ってしまうな」
「つまり空間が輪のようにつながっていると言う事ですか」
「そうなる。 ただ、そもそも我々はこの空間の他に、もう一つ別の空間を通ってシュバルツバースに不時着している。 それについて、少しばかり解析させてほしい」
アーサーはクルーに伝達すると言うと、通信を切った。
アーサーのAIの出来は仕方が無い。この時代では、真田が共に宇宙を旅したアナライザーほどの性能を持つAIは作りようがない。まだまだ人間の技術力は、其所に辿りつくには未熟すぎるのだ。
問題は別の所にある。
相手の自滅もあったとはいえ、クルーの死闘の末に何とか仕留めたアスラだ。このロゼッタは、必ずや的確に解析しなければならない。
しばらく考えたり、データを分析したりするが。
そもそもロゼッタとは、最高効率の情報集積体である。其所に格納されている情報は、あまりにも巨大だ。
解きほぐすようにして、膨大なデータを調べていく。
また、今までのロゼッタのデータも全て引っ張り出し、確認していく。
空間のデータも調査。
量子のゆらぎもしらべていくが。其所で、幾つかおかしな点を見つけた。
観測班に連絡を入れて、周囲を調査し、調べて貰う。
現在、アスラ戦で消耗した弾薬を回復するために、再びプラントをフル活動させている状態だが。
勿論機動班も観測班も出している。
重力子測定による現在地の確認。
更に、今までの航路の確認。
そして何よりも、バニシングポイントとみなされる地点の確認などを念入りに調べていくと。
どうやら、それらしきものが分かってきた。
シミュレートを何回かしてみる。
そもそも重力子による測定によると、現在はかなりシュバルツバースの深部にいることになる。
深部だから敵が強いかというとそうでもない。
実際問題、嘆きの胎は座標的にいうと此処よりずっと地上に近いのである。
むしろ、侵入者を最深部まで叩き落としに掛かった、と言うのが正しいのだろう。
こういうのは面白い。色々調べていく。
幾つかの空間のデータを再度確認していくと、今まで量子が揺らいでいて、通行不可能だった量子トンネルが存在している。
勿論それらの世界にも、電波中継器は撒いてきてあるし、未だに通信することも出来る。
既に量子トンネルは安定しているから、である。
データをかき集めて、世界の変化を確認していく。
そして、同時にロゼッタも、動力炉のフルパワーを費やして解析を実施。
しばらく解析を続けて、やがて結論が出た。
バニシングポイントは、今までとは同じやり方では辿り着く事が出来ない。
今までは、隣り合う空間同士が量子トンネルでつながっていたのだが。この量子トンネルはあくまで水平方向にしか展開していなかった。
此処で、いわゆる上位次元にスキップドライブする必要が生じてくる。
しかしながら、それはどうすれば出来る。
量子のゆらぎそのものは収まっているので、それらしき量子トンネルに突入することは出来そうだが。
遡って、そのままバニシングポイントにたどり着けるかというと、また別の問題である。
先に小型のドローンを複数飛ばして、データを収拾する方が良いだろう。
現在はまだ時間がある。時間があるのだから、それを有効活用する。
物資が充分に集まったという報告が入る。だとすれば、何も此処でぼんやりしている事も無いだろう。
一度、報告に出向く。
艦橋に出ると、ゴア隊長と正太郎長官が話し合いをしていた。
「クルーの一部が浮き足立っています。 何とかこの辺りで引き締めを行わないと、危ないですな」
「君に一任したいのだが、相談してきたと言う事は何かあるのかね」
「はい。 どうにも一旦此処を脱出したいと考えているクルーが、少なからずいるようでして」
「ヒメネス君に感化されているのだろうな。 気持ちは分からないでもないが、シュバルツバースは恐らく実時間で二年もかからず世界全てを飲み込む。 脱出した所で次の機会などない」
頷くゴア隊長。
春香が心配そうにやりとりを見ているが。真田が咳払いすると、皆此方を見た。
「お忙しいところ失礼します、正太郎長官」
「うむ、真田君。 苦戦しているようだな」
「ええ。 それで幾つか提案が」
まずドローンの件。
これについては、すぐに了承が貰えた。同時に、時間を無駄にしてもいられないので、嘆きの胎についても提案する。
「アスラの実力はオーカス以上だったと判断します。 更にアスラの言動を見る限り、更に上がいると見て良さそうです。 バニシングポイントに至っては、桁外れの悪魔がいてもおかしくないでしょう。 そこで嘆きの胎で、皆の戦闘訓練を積んでおくべきだと提案します」
「うむ……。 ゴア隊長、どう思う」
「アスラ戦での傷は皆もう癒えています。 更に嘆きの胎の浅層、第一層はどうにか解明しました。 まだ五層残っている事を考えると、このシュバルツバースを攻略するためには必要な調査でしょう」
「そうだな。 では、すぐに両方に取りかかってほしい」
正太郎長官は流石だ。
物わかりが良い。判断も速い。
これで年齢が無ければ、他の英雄達と一緒に戦うことも出来ただろう。流石に今の年齢の正太郎長官は、年齢を考慮すると後見役以外は難しい。たまに方舟を神がかった操作してくれることもあるが。それも長時間続けるのは厳しいだろう。
まずはドローンを展開。
これは自立式で、量子トンネルを調査もしてくれる。
更に、ドローンが量子トンネルを調査し始めたのを横目に、嘆きの胎にスキップドライブすることを全クルーに通知。
この空間、デルファイナスからの撤退を急がせる。
デルファイナスには、在来の悪魔はいたのだろうか。
いずれにしても、アスラのあの様子では、同士討ちで皆殺しの憂き目にあってしまったのだろう。
悲惨な話だ。
アスラはサクナヒメに論破されていたように。一神教の神を傲慢で許しがたいと憤慨していたが。
結局その一神教の神がノアの方舟のエピソードで人間を皆殺しにしたように。残忍な行動でジェノサイドを行っていた。
図星を指すと、人間はもっとも激高するものだが。
アスラも神で有りながら、それは同じであったらしい。
だが、それについては少しばかり疑問が生じている。何度かライドウ氏と話をし、幾つかのデータを集めているのだが。
まだもう少し、結論が出るには時間が掛かりそうだ。
クルーの回収完了。
点呼も完了。
すぐに嘆きの胎にスキップドライブする。
ライドウ氏には、いつもの通り二線級の機動班を率いて、浅層で演習をして貰う。浅層と言っても、はっきりいってデルファイナスよりも強い悪魔が出る。ライドウ氏に演習して貰うには丁度良い。
サクナヒメとケンシロウには、そのままそれぞれ小隊を率いて、潜って貰う。まずは一層の安全確保からだ。以前も、一層では強力な看守悪魔に遭遇し、大幅に戦力を削られた。
なお、一層に捕らわれていた天女アナーヒターは、まだ唯野仁成も作る事が出来ない状態だという。
それだけ強大な神格と言う事だ。
本当に此処は、一体何の場所なのか。
ストーム1も出ると言ってくれたので、任せる事にする。浅層にライドウ氏がいるので、方舟の守りそのものは大丈夫だろう。それぞれ、一線級に育った機動班を連れて、一層に潜る。
看守悪魔との遭遇については、今のところ報告がない。
ただ、散発的に戦闘は起きている様子で。
調査班を護衛しているケンシロウ班から、ストーム1班とサクナヒメ班は離れられない様子だった。
真田自身は研究室に戻ると、ドローンなどから回収されるデータ。何よりロゼッタから回収されるデータを調査していく。
七割ほど分かってきたが。まだちょっと足りないかも知れない。
腕組みして、少し考え込んだ後。ゼレーニンに意見を求める。
今回彼女は、嘆きの胎に出向いていない。別の研究所クルーに出て貰っている。
「ゼレーニン君、どう思う」
「このデータを見る限りだと、量子トンネル内で更にスキップドライブする必要があるのではないでしょうか」
「ふむ……」
同じ見解だ。
量子トンネル。どれでもいい。ともかく量子トンネル内に、量子のゆらぎが安定した部分が生じている。
スキップドライブ中に、其所に向けて更にスキップドライブする。
だが、それはかなり危険な賭だ。
真田も、二度の旅で。ワープ航法を用いてマゼランに出向いたが。その時も、最初ワープするときは相当に危険な賭だった。
技術的には出来るとは分かっていても、上手く行かなかったら大変な事になるのが確定だったからだ。
ともかく、ゼレーニンにプログラムを組ませる。
アスラに色々言われて、相当参っているだろう。今は単純に仕事をさせた方が良いと判断する。
不意にパワーがゼレーニンのPCから出現すると、紅茶を淹れ始める。
驚いた。絶対に船内では悪魔を使わなかったのに。パワーが自主的にゼレーニンを支えるようになって来ている。ゼレーニンも、それを受け入れている。
マンセマットの出したデク兼監視役と思っていたのだが。
「ゼレーニン様、紅茶を淹れました」
「ありがとう。 他の研究メンバーにも配ってくれるかしら」
「了解しました」
鎧姿のパワーだが、機械を使うことに抵抗もないようで、紅茶を淹れてくれる。真田も紅茶を淹れて貰って、疑いは無く飲んだ。
此処の紅茶は省力化を考えて機械式だが、プロのやり方を研究して、充分に美味しいものが飲めるように真田が機械を設計している。つまりインスタントでも充分に美味しい。パワーは気を利かせて、クリームと砂糖もつけてくれたので、有り難く利用する。頭を使うときは、砂糖がほしくなるものだ。
しばし無言でデータの解析を続ける。
用事が済むと、パワーはゼレーニンのPCに戻っていった。
「ゼレーニン君」
「はい」
「天使達が望むようなら、更に上位の天使に悪魔合体をさせてみては」
「……」
悪魔としてのグレードを上げる合体は、既に存在が確認されている。
最近ライドウ氏が周知してくれたのだが、精霊合体と呼ばれるものだ。
世界の要素を構成する、根本的な悪魔。精霊というのだが。それを素材に合体させると、ものによっては上位の悪魔になってくれる。
勿論その場合、上位の悪魔になる事で自我などは色々失われたりするのだろうが。
悪魔は強くなることを望む精神生命体だ。だから、ゼレーニンのPCにいるパワーも、それは同じなのではないのだろうか。
「まだ抵抗はあるかね」
「はい。 人道的にどうかとも思いますし、何よりも悪魔を使うと言うことが怖いのです」
「人道が適応されるのは人間に対してだ。 悪魔は悪魔の論理で動いている。 天使もそれは同じだろう」
「はい、分かっては……います」
まだ少し考えさせてほしいと言うので、好きなようにさせる。
いずれにしても、ゼレーニンの守護天使は少しばかり力が足りないと思う。今後の事を考えると、より強力な守りが必要になってくる筈だ。
特にマンセマットが全く信頼出来ない状況を考えると。
それに、アレックスによる暗殺が後一歩で成功しかけたことも考えると。
少なくとも、誰かが助けに行くまでに天使がゼレーニンを守れるくらいでなければ、話にならないだろう。
唯野仁成とヒメネスは、そろそろその状態になりつつある。
連れている悪魔が、スペシャル達の使っている悪魔と同格くらいにまで成長しつつあるからだ。
ゼレーニンも、調査班として、更に独立して動けるように。
そうあってほしかった。
やがて、ドローンからデータが届く。
間違いない。ゼレーニンの提唱したとおり、スキップドライブを重ねることで、恐らくはバニシングポイントに到達することが出来ると判断して良いだろう。
ゼレーニンにデータを見せて、プログラムの微調整をして貰う。
真田も、他の研究室メンバーに声を掛けて、デバッグをして貰った。
真田自身は、全部のデータを俯瞰的に確認する。
「かねてから開発していた」と真田がいうと、皆が興奮する。必ず事態が解決するからだ。
だが、その「かねてから開発」には、このような苦労が伴っているのである。
勿論苦労をひけらかすつもりはない。
真田はむしろ神格化されていた方が、クルーの士気が上がると判断していたし。実際国際再建機構でも、暗黙の了解でその神格化を認めている。その方が、敵の士気を挫けるし。味方の士気も上がるからだ。
程なくプログラムが出来る。
後は、デバッグを徹底的に行うだけだ。アーサーにも、デバッグには協力して貰う事にしよう。
艦橋に出向く。
一度戻って来たサクナヒメ班が、物資搬入口でミーティングをしているのが見えた。
一層には看守悪魔は来ていないものの、二層の入り口らしき場所が、かなり強い力で封じられているらしい。
サクナヒメのあの光る神剣ならブチ抜けそうだという事だが。
あれはどう見ても、使った後にしばらく行動不能になる必殺剣だ。
ほいほいと使うわけにも行かないだろう。
そうなってくると。
そろそろ、唯野仁成ら、スペシャルにぐんぐん成長して迫っている面子の力が頼りになってくる。
その唯野仁成が、ストーム1と一緒に戻って来たので、真田は通信を入れた。
「戦闘経験を積む事が出来たかね」
「はい、真田技術長官」
「それでは、アナーヒターを作れるか試してほしい」
「分かりました、すぐに」
恐らくだが、分かりやすい強い防御。一層の囚人であるアナーヒターが解放された事によって展開されたものだろう。
だったら、アナーヒターであれば、突破は可能であるかも知れない。
しばしして、唯野仁成がかなりの量のマッカを要求してくる。
アナーヒターを作る為には、幾つかのデータベースにいる悪魔をマッカをつぎ込んで呼び出さなければならず。
大食らいのアリスを抱えている状況でマッカが貯められない唯野仁成は、現状の手持ちでは作れない、というのだ。
少し相談した後、マッカを回す。
先行投資である。
どうせアスラを倒した後、デルファイナスでうなるほどマッカは入手できている。別に問題はないだろう。
ほどなくして、唯野仁成が悪魔合体を始める。
アーサーが警告してきた。
「今までに無い強力なエネルギーが方舟に満ちています。 流石に今回ばかりは船外で悪魔合体をするべきかと思います」
「いや、いい。 今後どんなトラブルがあるかわからん。 強力な悪魔を方舟内で作ったくらいでどうにかなるようでは、乗り越えられないだろう」
「……分かりました。 真田技術長官がそういうのであれば」
とはいえ、本当に方舟が揺れている。
アナーヒターというのは、それほど強力な悪魔だ、ということだ。
ゾロアスター教の重要な女神だと言う事だが。確かに見てみると、かなり重要なポジションにあるらしい。
そもそもゾロアスター教は天使の概念を作り上げた宗教。
バアル信仰などの更に古い中東の信仰に比べると新しいものの。
それでも相当に古い信仰だ。
やがて、船内での揺れがピークに達し。そして収まっていた。
物資搬入口のカメラを確認。
唯野仁成の前に。以前見た、マントを羽織り、首飾りをつけ、ベルトをしているほぼ全裸の女悪魔の姿があった。
炎のように全身が揺らめいているが、それは水だ。
とても、とても強い水の力を持つ悪魔と言う事である。
「あら、ようやくかしら。 待ちくたびれたわ。 他の英雄方に呼んで貰っても良かったのよ?」
「今後の成長も考え、俺が呼ぶのが好ましいという判断だそうだ」
「ふふ、兵卒は大変ねえ。 いずれにしても、そこのお嬢さんと同じくらいは活躍してみせるわよ」
PCに引っ込む強大なる女悪魔。艦橋のメンバーには、冷や汗を掻いているものも多いようだった。
真田は一旦研究室に戻る。
既に話は何度かしたのだが、今回の探索で、嘆きの胎は二層まで探索を終える予定らしい。
アスラ戦での思いの他の苦戦もある。
更に一線級で戦える機動班クルーを増やし。
搦め手や、精神攻撃を使ってくる悪魔に対して、対抗するためという判断だそうだ。
正しいと真田は思う。
故に、それを止めるつもりは一切無かった。
4、胎にて待つ者
嘆きの胎第一層、最深部。サクナヒメ班に入って、ヒメネスと一緒にここまで来た唯野仁成は。既に周囲を楽しそうに見て回っているアリスに加えて、アナーヒターを召喚していた。
オルトロスが素材になりたがり。更にユルングも。他にも何体かの手持ちの悪魔が素材として立候補した。
彼らの意思を汲み。更にマッカを回して貰って作り上げたとっておきの中のとっておきである。
アリスと同格の力を感じる。これで、また唯野仁成は、機動班クルーで頭一つ抜けたと思う。
ただ、ライドウ氏は更に桁外れに強い悪魔を使うようだし。
ケンシロウ氏やストーム1は無言で悪魔を連れているが。その悪魔も、アナーヒター以上の実力者ばかりである。
サクナヒメは本人があのアレックスを既に単身で食い止めるほどであり。
まだまだ、かの人達には届かない。
更に言うと、今ヒメネスが更に強力な魔王を召喚したいと考えている様子で。悪魔召喚プログラムを色々弄って調べている。
うかうかしていたら、すぐに追い抜かれるだろう。
アナーヒターは、階段の前に張られている強い力場を見て、鼻を鳴らすと、手をかざす。
そして、力場が打ち砕かれていた。
ほんの一瞬の出来事である。
「この力場には見覚えがあるわねえ。 出て来なさい、デメテル」
「ふふ、アナーヒター。 よく分かりましたわね」
皆が警戒する中。
堂々と姿を見せるデメテル。くつくつと嗤いあっているが、この壁を作ったというのはどういうことか。
現在、ヒメネスの他にメイビーとアンソニーがいるが。二人は眼中に無い様子で、強豪悪魔二人は話をしている。
「この下の気配、イシュタルかしら? イシュタルも封じられているの?」
「ええ。 アスモデウスになるのを拒んだので、封じられてしまいましたわ」
「そう、大母は其所まで見境がなくなっているのね」
「完全にバランスが崩れた以上、仕方がありませんわ」
デメテルが唯野仁成の方を見る。
観察する目だ。
幼い見た目に騙されてはいけない。アリス以上に、強かで。残酷で。そして強い悪魔である。
見た目で判断するのは、人間にとって最大の悪癖ともいえるものだが。
だからこそ、その悪癖からは、唯野仁成だけでも無縁で無ければならない。
「唯野仁成、よくアナーヒターを従える事に成功しましたわね。 ハーベストですわ」
「苛烈な戦闘を重ねてきたからな」
「しかし、これから貴方たちが赴くのは、アスラなど芥子粒のようにしか思えない存在が支配する領域。 気を付けるのですのよ」
「ああ、気を付けさせて貰う」
ふふ、と笑うと。
デメテルは消える。そして、あくびをしながら、アナーヒタもPCに戻っていった。
サクナヒメがぼやく。
「腹黒女神が。 最後までわしと目をあわせなかったな」
「何だか嫌な感じだぜ。 ヒトナリ、気を付けろよ。 俺もあの子供みてーな女神には、嫌な感じしかしない」
「分かっている」
そういえば、女好きのアンソニーもまるで反応していない。メイビーに至っては、強すぎる力に当てられたからか、真っ青になっている。
いずれにしても、後方に連絡。一階階段を守って貰う。
一度戻る必要はないだろう。戦闘はしていないのだ。そのまま階段を下りて、二層に出向く。
二層は、更に凄まじいジャングルになっていた。
ケンシロウ班が来て、入り口付近で電波中継器を撒いていく。それを守りながら、看守の到来に備える。
いつ来てもおかしくないのである。
「デメテルのメスガキが、どうしてあんな壁なんか張ってたんだろうな」
「さあ。 だが、いずれにしても……行き来は不自由になると思う。 俺以外のクルーも、アナーヒターを召喚できるようになると良いんだが」
「俺はもう少しでいけるそうだが、あの女はどうも好みじゃねえ。 今までの予定通り、バロールって魔王を召喚することを目的とするつもりだ」
「いいんじゃないのか。 バロールはデータを見たが、中々に強そうな悪魔だ」
ヒメネスと話ながら、周囲を警戒する。
サクナヒメとケンシロウもいるから万が一はないと思うが、それでも念のためである。
もう少し電波探知機を撒きたいというので、ストーム1班が来るのを待ってから、調査範囲を拡げる。
露骨に周囲をうろついている悪魔の気配が濃い。
危険な悪魔ばかりがいるようだ。これは、油断をすればあっと言う間に命を刈り取られるだろう。
それに看守も加わるのである。
一秒だって、油断何て出来なかった。
不意に飛んできた、巨大な氷塊を、サクナヒメが羽衣で防ぎ抜く。霧が晴れてくる中、姿を見せたのは、浅黒い肌をした、鳥のように服を着込んでいる女だ。気配が段違いに強い。周囲にいる悪魔達が、さっと姿を消すのが見えた。
「?」
「どうした、アリス」
「んー、なんだろ。 あれ、なんかおかしいよ。 高位の地母神だと思うけど。 キュベレもそうだったけど、此処の看守になるとどっか狂うのかな?」
「ともかく、看守だったらやりあうしかなさそうだな。 どうせ逃がしてくれないだろうしな。 ケンシロウの旦那、看守が出た! 調査班を守って引いてくれ!」
ヒメネスが通信を入れ、それぞれが最強の悪魔を召喚する。
アナーヒターが、うふふと笑いながら声を掛ける。
「あらあらイシス、そんな姿になってしまって。 理性がかっとんでしまっているようだけれど、ナニカされたのかしら?」
「……」
イシスという悪魔が、周囲に氷の槍を出現させる。詠唱した気配すらない。氷の槍は一つずつが全長十メートルはあり、それが数百は同時に出現した。その上、氷の槍は鋭い風を纏っている。直撃したら即死は免れないだろうし、擦ってもズタズタだろう。
アリスが大きい魔法を放つとき、詠唱をするのを何度も唯野仁成は見ている。
つまり、イシスがどれだけ桁外れのことをしているのか、一目で分かった。
イシスが指さすと同時に、一斉に飛んでくる氷の槍。
最初から、手篤い歓迎だ。
手持ちの悪魔が総力で壁を作るなか、イシスが狙撃される。頭ががくんと揺れるが、全く意に介している様子が無い。
目に意思が宿っていないというか。
まるで人形だ。それも出来が悪い。出来が良い人形は、時に意思を感じるような目をしているものなのだが。
このイシスという悪魔には、そんな意思すら感じ取れない。
狙撃したのは、ストーム1で間違いないだろう。イシスは更に二発狙撃を受けるが、体にダメージを受けているだろうに気にせず、氷の槍を作り出しては飽和攻撃を続けてくる。無茶苦茶だ。
生命に関する執着とか、そういう当たり前の思考すら無い様子だ。
至近。
サクナヒメがもう、距離を詰めていた。
そして、居合いにて斬り伏せる。
一瞬置いて、鮮血が噴き出すが。鮮血を噴き出しながら、イシスは不気味に体をぐねぐねと動かして。更に氷の槍を産み出そうとしていたが。
見苦しいとばかりに、アナーヒターが放ったカミソリのような氷が首を吹き飛ばし。
それでやっと動かなくなった。
アリスが冷や汗を拭っている。
「サクナちゃん流石ー。 火力が危なすぎて、攻勢に出られなかったよ」
「姫様と呼べ。 それより一度戻るぞ。 こんなのと何度もやりあってはおれんわ」
サクナヒメの言う通りだ。
ストーム1班が合流してきたので、すぐに一緒に戻る。追撃してくる悪魔はいなかった。メイビーが要領よくイシスの残骸から情報集積体を集めていたが、マッカまで回収する余裕はなかったようだ。
すぐに戻る。
いずれにしても、今回の探索で嘆きの胎二層を突破するとなると。
その苦労が、今から思いやられた。
(続)
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