血まみれの美

 

序、第四の空間

 

間もなくスキップドライブが開始される。

一度嘆きの胎からカリーナに戻った方舟、レインボウノアは。解析したオーカスのロゼッタから、量子のゆらぎの情報を得て。次の空間に飛ぶ事が出来るようになった。

もう四つ目の世界に入る事になる。

今更、誰もそれを怖がる事はない。

ただ、何があっても良いように、周囲に自分を固定するように指示は受ける。最初の不時着の経験を生かす。

経験を生かせないのでは、意味がないのだ。

「スキップドライブの準備開始!」

「皆、聞いておいてほしい。 この先には恐らく魔王アスラがいる。 船内にずっと潜んでいた悪魔どもの親玉と見て良い」

ムッチーノの通信の後、真田さんが解説をしてくれる。

確かにその通りだろう。

そして船内に潜み、船員の心に入り込んでいたのだとすれば。

此方の手の内は読まれている可能性が高い。

「故にまずはその対策を徹底してから船を下りる事になる。 それだけは、覚えておいてほしい」

「イエッサ!」

「それでは皆さん、スキップドライブを開始します!」

春香の声で、スキップドライブ開始が告げられる。これは、やはり緊張を和らげるためだろう。

ほどなく、方舟は加速を開始。

一気に、空間の穴を抜けていた。

途中、揺れはない。

もはや真田さんにより、揺れるなどと言う不安定な欠陥は改良されたと見て良いだろう。

やがて速度を落としながら、方舟は着地地点を探し始める。

今回の世界は、巨大な山のように見える。だが、その山は。オーカスが吐き戻したものとは別の意味で、凄まじい代物である事が分かった。

艦内には既に、この世界の有様が見えている。

それは、文字通りゴミの山だった。それも、普通のゴミじゃない。明らかに、有害物質をてんこ盛りに含んでいるものばかりだ。

「これも事前にドローンで得られた映像の通りだな……」

「オーカスの所よりもある意味汚らしいわね」

色々な声が聞こえる。

ほどなくして、アーサーが皆に聞こえるように、通信を入れて来た。

「新しい世界へのスキップドライブ成功。 この世界を、アルファベットのdにちなんでデルファイナスと命名します」

「イルカ座ね。 そういえば空間には星座の名をつけているのね」

ゼレーニンが博識なところを見せるが。

まあアーサーにしてみれば、アルファベット順に聞き間違えにくい名前をつけているだけだろう。

軍隊で、アルファチームとかブラボーチームとか、敢えて部隊の名前を長くするようなものである。

特に其所にしゃれた意図はないのだろう。

真田さんも通信を入れてくる。

「此処がまだ魔王アスラの拠点かはわからないが、その可能性が高い。 今対策が完全か、確認中だ。 降りるまでしばし待ってほしい」

「外の映像が乱れてないか?」

誰かが言う。

確かに、艦外カメラの映像が乱れている。プラズマバリアがかなり激しく発光しているようだ。

機動班は既に戦闘準備を整えている。サクナヒメが歩いて来たので、唯野仁成は敬礼していた。

「姫様、何か問題が起きましたか?」

「この気配程度だとまだわからぬか唯野仁成。 さっきからプラズマバリアとやらに何かが纏わり付いてきておる。 恐らく、手下を全部潰されたアスラとやらが再侵入を試みているのだろうよ」

「それは……」

「何、真田を信じよ。 あ奴はなかなかの知恵者だ」

サクナヒメに頷く。

程なくして、プラズマバリアの発光が止んだ。腹立たしいながらも、入れないとアスラが感じ取ったのかはまだ分からないが。攻撃を止めたのだろう。

間もなく、動力炉の出力に余裕が出来た方舟が動き始める。

着地地点は、山の近く。

この世界では、荒野も全てもれなく紫色だ。猛烈な毒素に汚染されていると見て良いだろう。

何なんだこの世界は。

オーカスが飽食だとすれば、この世界は一体何だ。汚濁だろうか。ちょっと唯野仁成には、何とも言えないが。

ともかく、上の指示を待つしかない。

まず船外にドローンが出たようだ。プラズマバリアの範囲内で、色々と調査をしているらしい。

やがて、船内放送があった。

「機動班、物資搬入口に集合せよ」

「ようやくだな」

一応、出る事は出来ると言う訳か。

ともかく、このデルファイナスという世界。今まで以上の魔郷の可能性が極めて高い。油断は、一秒も出来ないだろう。

物資搬入口に出ると、既に機動班クルーと、ライドウ氏がいた。サクナヒメが少し遅れてくる。

「姫様、内部はどうでした」

「真田にもらったからくりを試してみたが、何処にも残滓はない。 プラズマバリアとやらは完璧ということじゃな。 少なくともアスラの攻撃に対しては」

「了解。 ならばまずは一旦プラズマバリアを拡げ、その範囲内で調査をしましょう」

「うむ」

サクナヒメが手を叩く。

こう言うときは、武神である彼女が全体の指揮を執る。というよりも、ライドウ氏はどうも一歩後ろに控えて全体を俯瞰している雰囲気がある。

力を出し惜しみしている様子は無い。

或いは、ストーム1と同じ理由だろうか。自分は既に全盛期を過ぎているから、後継者がほしい。

そのためには、人材の育成が大事。そういう考えなのだろうか。

いずれにしても、本人にそれは聞いてみないと分からない。調査班が数名来て、それと同時に物資搬入口が開いた。

頭の中に悪魔が入っていた。ぞっとしない話だ。機動班クルーも、皆それで警戒しているようである。

ゴミ山の側にまずはプラントを構築。更に野戦陣地も構築していく。

あのゴミ山に踏み込むには、あのがつんと来た奴を常時自分に行うのか。それとも山全体にあのがつんと来る奴をぶっ放すのか。

それは分からないけれど、まずは対策がいるだろう。

無防備で入り込むのは自殺行為だ。

そもそも此処デルファイナスが、本当にアスラの世界なのかも分からないのだから。

機動班クルーは悪魔を展開して、警備に当たる。

プラズマバリアがあるからと言って油断しない。何があるか分からないのだ。ましてや唯野仁成は知っている。

今まで悪魔がこのプラズマバリアを二度も突破して来ていることを。

それを考えると、とてもではないが油断など出来ようはずも無い。

アリスが手をかざして、物珍しそうにゴミ山を見ている。臭いとかはあまり気にならないらしい。

デモニカを見ると、摂氏150℃、12気圧とある。

普通の人間がデモニカ無しで外に出たら即死するような環境だ。

アリスには何でも無いのだろうが。それにしても、シュバルツバースは何処も恐ろしい世界ばかりである。

「ねえねえヒトナリおじさん」

「どうした」

アリスは、自分を作った「おじさん」がいるからか。少し悩んでから、唯野仁成を「ヒトナリおじさん」と呼ぶようにしたらしい。

此方としてはどうでもいい。

この冷酷で気まぐれな悪魔の女の子を、きちんと制御出来るなら、どれだけでも会話する。

勿論、闇に迂闊に引きずり込まれるようなことは、避けなければならないけれども。

「あの丸いの何?」

「あれは……パラボナアンテナだな」

「人間の世界でも見かけるよね」

「人間は電波というものを使って色々な事をする。 アンテナは電波を受信したりする装置だ」

ほうほうと、アリスは感心した様子で頷く。

オーカスに報復した後去るようなことも無く、唯野仁成の事が気に入ったらしく側にいてくれる。

博識な上に強いので、しばらくは相棒役として重宝しそうだ。ただ、貴重なマッカをどか食いするので燃費は悪いが。

「あれで何するの?」

「俺は一兵卒……まあ下っ端だからな。 知らされてはいない」

「でも、重要な作戦には参加してるじゃん」

「それはそうだが。 兵士として力量を認めて貰っているのは有り難い話だが、出過ぎると反感を買う」

勿論自分でも色々知識は得たいとは思っている。

だが、シュバルツバースでは誰かの独断専行で、簡単に大量の人が死ぬ。それは絶対に避けなければならない。

エゴがないわけじゃあないけれども。

それでも、押さえ込まなければならないのだ。それが唯野仁成が、此処で得た結論である。

「それに国際再建機構は俺が今までいた組織ではもっとも風通しが良い場所だ。 作戦を行う場合は余程の事がない限り事前に教えてくれる。 正太郎長官も真田技術長官も信頼出来る」

「あー、あの二人確かに凄いよね。 もっと若い頃だったら、魂きらきらしてただろうな」

「そうだな」

退屈そうなアリスの話を聞きながらも、周囲に注意をし続ける。

やはり敵の斥候らしいのが見に来ているが、プラズマバリアの危険性を周知されているらしく、近寄っては来ない。

アスラというのが此方の頭に斥候を忍ばせていたというのなら。

それは、手下が近付いてこないのも納得だろう。

ある程度此方の手の内を知っていると見て良い。

また、敵の斥候を全て排除できたとは言っても。今まで敵に相当な情報が渡っているとみるべきで。

迂闊にあのゴミの巨大な山に近付くのは、自殺行為以外の何者でもないと言える。

「野戦基地展開率70%!」

「進捗少し遅れているぞ、急げ!」

重機が行き交い、調査班クルーの行使する悪魔も力作業を手伝っている。

機動班は周囲で目を光らせて、何があっても対応出来るようにしているが。それにしても、敵は静かだ。

此方が攻めてくるのを待っている、ということか。

だが、その判断は、すぐに間違っている事を悟らされた。

わっと声が上がる。ゴミ山の方である。

機動班クルーが、一斉に反応。デモニカに、会話が飛び交った。

「何だ、声が上がっているようだが……」

「交戦の音も聞こえるぞ。 何処かの班が先走ったりしたのか?」

「皆、落ち着くように。 今、ドローンを飛ばして情報収集中だ。 そのまま警戒に当たってくれ」

ゴア隊長の声がして、それで皆静かになる。

しばらく声は続いていたが、やがて聞こえなくなった。何が起きているのか。嫌な予感しかしない。

しばしして、春香の声がした。

「皆さん、ドローンから映像が送られてきました。 此方をご覧ください」

デモニカのバイザーに映像が出る。

それは、思わず口をつぐむ光景だった。

悪魔達が殺し合いをしている。誰かが操っている、という様子も無い。二手に分かれた悪魔が、尋常では無い様子で殺し合っているのだ。

やがて互いが殺し合い終えると、殆ど残らなかった生き残りは、ふらつきながらゴミの山に消えていった。

何だあれは。何をさせている。

此処の支配者は何を考えているのだ。それとも、部下の制御が出来ていなくて、荒くれの部下が殺し合っているだけなのだろうか。

そうは思えない。カリーナのオーカスだって、部下を丸ごと皆殺しにするほどの戦力を有していたのだ。

恐らくそれと同等以上の実力があるだろう此処の魔王だって。

そんなに阿呆ではないだろう。楽観をするのは思考放棄だ。

「悪魔同士の殺し合いの理由は目下調査中です。 現在、複数の装置を展開する事によって、悪魔が頭に入り込むのを防ぐフィールドを構築する準備を整えています。 機動班、調査班、いずれも作業を続けてください」

程なくして、インフラ班も出てくる。

インフラ班は普通方舟から出てこない。ミアみたいに機動班志望の人間が、たまに出てくるくらいである。後は全軍を挙げての総力戦をする時。アントリアの会戦のような時以外は、基本は方舟の中だ。

何やらパラボナに細かい設定をしている様子である。

あれが、その悪魔が入り込むのを防ぐためのフィールドを構築する奴なのだろうか。

唯野仁成には推察しか出来ないが。

ただ、真田さんには圧倒的な信頼感がある。

あの人が開発するものに間違いは無い。それは、断言することが出来る程だ。国際再建機構に数年でも勤めれば、である。

しばらく立ちっぱが続くが。

サクナヒメが様子を見に来た。話をするでも無く、こくりと一礼だけすると先に行く。

やはり悪魔が入り込んでいる可能性を考慮して、見て回ってくれているのだろう。彼女は悪魔を追い出したときのガツンを受けても平気だったようだし。或いは人間に入り込む悪魔を判別できるようになっているのかも知れない。

それから一日ほど、交代しながら機動班で見張りを続ける。

野戦陣地はとっくに出来ている。ユニット化されているから、展開は難しく無いのである。

要するに頭に入り込んでくる悪魔対策で時間が掛かっているという事なのだろう。

一休みして起きだしてきたら、交代の指示があったので外に。ヒメネスとすれ違ったので、互いに苦笑いして出勤した。

外では、ゼレーニンが何やら難しい指示を出して、インフラ班と作業をしている。

真田さんの指示を受けて、パラメータの設定でもしているのだろう。話しかけるわけにもいかない。

そのまま、歩哨の仕事に戻った。

外に出ているスペシャルも面子が変わっていて。ライドウ氏はそのままだが、サクナヒメの代わりにストーム1が出て来ていた。ライサンダー2の調整が終わったのだろう。無言で周囲を見回している。

歩哨に立つと、ムッチーノから通信が来た。

「ヒトナリ、ずっと立ちっぱお疲れさん」

「ああ」

「交代の度に、通信班で引き継ぎをやっているんだ。 あれから何度か、ゴミ山の方で悪魔の群れ同士で殺し合いをしていたよ。 規模は数十から、大きいときは百を超えることもあった」

「此処の親玉は何を考えている?」

ムッチーノは分からない、調査中だと言う。

いずれにしても、唯野仁成は別に戦闘そのものが好きなわけでは無い。自衛隊の第一空挺団にいた頃からそれは同じだ。

国際再建機構に入ってからも、多くの作戦で人は殺してきた。だが、だからといって別に人を殺す事が楽しいとは思っていない。

相手は弱き民を脅かすテロリストや反社団体、邪悪な企業の私兵部隊。独裁者の作り上げた狂った軍隊。そんな連中ばかりだった。

国際再建機構が、世界の紛争の半分を解決しているとも言われている今の時代。参加していれば、どうしても実戦経験は積む。

しかし、だからといって殺し合いが好きなわけでも何でも無い。

機動班の歩哨も、流石に集中力が切れてきているらしい。苛立ちを見せている者も目立ちはじめていた。

「インフラ班の連中、何を手こずってやがるんだよ……」

「プラズマバリアがあるんだ、俺たち必要か?」

「そういうな。 俺の聞いた話によると、複数の世界のデータを全て検索し、その結果ようやく頭に潜んでいる悪魔のパターンを割り出したらしい。 それほど巧妙に頭に入り込む相手だ。 真田さんだって手を焼くのは仕方が無い事だ」

驚くことに、ストーム1が愚痴を言う機動班の会話に割り込んできた。

慌てて背筋を伸ばしている何人か。

ちょっと滑稽だったが、ストーム1自身は至って真面目だろう。部下のメンタルケアもきっちりやる。そういうことだ。

オーカスとの戦いの時、誰も死なせないと言ったのを唯野仁成は忘れていない。

ワンマンザアーミーという名前は。

一人でも生還するという意味も。一人で一軍に匹敵するという意味もあるが。

その力を持ってして、部下を守り抜くという意味もあるのだろう。

だったら、その背中を皆で守れば良い。

それが、軍人として。唯野仁成に出来る事だ。

しばらくして、ようやくインフラ班が引き揚げて行く。更に、春香からの通信が入った。

「展開中の全クルーは全て方舟に引き上げてください。 その後点呼を行います」

「やっとか……」

誰かがぼやく。

野戦陣地は、自動迎撃機能を持っている。だから、無人にしておいても問題は無い。

クルーが戻り始め、物資搬入口を閉じると、点呼が開始される。一人も欠けていない。勿論デモニカの反応も調べて、人間になりすまして入り込んでいる悪魔などについてもチェックしているのだろう。

プラズマバリアを再展開し、方舟だけを守る。更に、外の野戦陣地にて、例のパラボナが稼働を開始したらしい。

多分今頃真田さんは研究室に貼り付きっぱなしの筈だ。

徹夜作業だろうなと思うと、少し心配になった。

そのまま、休憩を命じられる。要するに、何か重要な用事がこれから来る、という事である。

唯野仁成は、また自室に戻る。途中、アンソニーに出会った。

モーショボーというモンゴルの伝承にある女の子の悪魔を作ったらしい。PCを見せて可愛い子なんだとデレデレして自慢していたが。鳥の翼を持ち遊牧民の衣装を着込んだむしろ可愛いと言うより幼いように見えるその悪魔は、アンソニーのデレデレした話をPCの内部で渋面を作って聞いていた。

明らかに嫌がられている。

アリスがぽんとPCから出てくると、ずばり言った。

「アンなんとかさんさ」

「え、うん」

「明らかに嫌われてるよ」

「……」

絶句するアンソニー。唯野仁成は真顔になる。モーショボーがこくこくとPCの中で頷いているので、更に救いがない。

完全に石になったアンソニーを放っておくと。

唯野仁成は、自室に戻って、休むとした。あいつにはきっと、また良い出会いがあるだろう。

これから大変なのだ。戦地でああなられるよりは、まだ此処でああなられた方が良い。そう思った。

 

1、地獄の泥土

 

機動班クルーが、三班に分けられて物資搬入口に集合する。いずれも一線級のメンバーばかりだが、その数が増えている。嘆きの胎で過酷な演習をした結果だ。またメイビーなどのように、自身で志願し。努力を重ねた結果、一線級と認められたクルーも増えてきているようだ。

今回は、ライドウ氏、ストーム1、サクナヒメで出る。その代わり、ケンシロウが方舟に残るようだ。

唯野仁成はライドウ氏と組む。

実は組んだ回数は殆ど無い。もの凄く強力な悪魔を複数所持している事からも、かなりの使い手であることは知っているが。

お手並み拝見と行きたいところである。

ゴア隊長が来たので、敬礼。

ゴア隊長は咳払いすると、デモニカを操作して、映像を送ってくれた。

「ドローンによる空撮、それに野戦陣地に展開したレーダー群から、現在敵の根拠地についてはこのようになっていると分かっている。 君達はまずは前線に出て、状況を確認する威力偵察を行って貰う」

「調査班は連れていかないので?」

ヒメネスが挙手し、聞く。

声に揶揄が籠もっているのは気のせいではあるまい。ただ、ヒメネスの言う通り。今回はいつも護衛対象になる調査班の姿がない。

ゴア隊長は頷くと、ヒメネスのもっともな質問にきちんと答えてくれた。

「現在真田技術長官が開発した、人間の精神に入り込む悪魔を追い払うフィールドを展開しているが。 この機能はデモニカにも装着している。 その機能を、明らかに機能が働いている地点で活用出来るか確認したい」

「要は人身御供と」

「そういう事になる。 勿論最悪の事態に備えて、強力な耐性を持っているスペシャル達の同行も頼む」

ヒメネスが分かりやすくため息をつくが、こればかりは誰かがやらなければならない事である。

また、活動範囲、活動時間についてもそれほど広く長くはない。

唯野仁成としては、異存ない任務だった。

すぐに三班に別れて活動開始。ゴミ山に近付くにつれて、地面がぬかるみになっていくのが分かった。

異常な高熱。

それに、非常に危険な物質の数々が検知されている。

触っただけで指がなくなるような物質も垂れ流されているようだ。また放射性物質もある様子である。

人間社会にある、危険な廃棄物をまとめて集めた。

そういう風情だ。

ライドウ氏は率先して進んでいる。展開している悪魔はどれも大物ばかりで、周囲を油断無く睥睨している。アリスに聞いてみると、知っている顔ばかりだという。なるほど、そういうものか。

やがて、ゴミ山の麓に到着。見ると、廃棄物で、河が出来ている。河の先には沼があり、とてもではないが足を踏み入れて生きていられるとは思えなかった。

ビーコンを撒いて、危険地帯として認識して貰うようにする。

それにしても、これは。

ボーティーズにも危険物質をぶちまけているような廊下はあったけれども。これは桁外れの汚染だ。

ここの土から、物資は補給できるだろうか。見ていて不安になってくる。

周囲を指定された範囲内で巡回。帰投命令が間もなく出る。どうやら、精神に入り込んでくる悪魔は排除できていると判断されたらしい。頷いて、戻ろうとしたその瞬間だった。

ドカンと、凄い音がした。

サクナヒメ班の方だ。嫌な予感がするが。予感より先に、ライドウ氏が走り出していた。機動班全員が続くが、速い。デモニカの補助で、皆車より速く走れるようになってはいるが、ライドウ氏はそれとも段違いだ。元の身体能力が桁外れなのだろう。

まさに疾風だ。

ライドウ氏が飛び込んだ先では、アレックスがサクナヒメと対峙していた。パラスアテナもいるが、それは他の機動班クルーの悪魔と、更にはヒメネスのモラクスが押さえ込んでいる。

アレックスは流石に形勢不利と判断したのだろう。パラスアテナも戻して即時撤退を選ぶが。ヒメネスはゴミ山に叩き込まれ、意識が無い様子だった。バガブーが、ヒメネスを揺すって悲痛な声を上げている。

サクナヒメが、じっとぽんぽんと跳んで逃げるアレックスの背中を見つめていた。

「ヒメネス、無事か!」

「……」

「すぐに戻るぞ。 医療班に予約を」

「分かりました!」

ライドウ氏が先導して、撤退を支援。指揮をする一方、しんがりはライドウ氏が務めてくれるようだった。

それにしても、戦闘が起きるやいなやのしなやかな動き。今は落ち着いた雰囲気だが、まるで剽悍な猫科の猛獣を思わせた。若い頃はこの人、血気盛んな青年だったのではないのだろうか。

方舟に戻る。ヒメネスは即座に医療室に運ばれて行ったが、いずれにしても大した怪我はないらしい。

予定通りの見回りは終わったのだ。得に問題は無いと考えて良いだろう。

全クルーの収容を確認して、物資搬入口が閉じる。サクナヒメとライドウ氏が話をしていた。

「アレックスがためらった!?」

「ああ。 まずアレックスの奴、わし相手にパラスアテナというあの女神と、同格の悪魔をけしかけてきよってな。 もうパラスアテナに負ける事はないが、もう一体の同時攻撃もあってわしの反応が遅れた瞬間、ヒメネスを狙って一直線に殺しに来よった。 だが、そこでヒメネスのバガブーが、ヒメネスを庇った。 そうしたら、明らかに躊躇いよってな、わずかに一撃がずれた」

そうでなければ、光の剣がヒメネスの胸を貫いていただろうと、サクナヒメは悔しげに言う。

かなり責任を感じている様子である。

「わしも焼きが回ったな。 アレックスの奇襲は何度も見ているというに」

「姫様の責任ではありません。 お気になさらず」

「ああ、そう言ってくれるとありがたいが。 唯野仁成、そなたも気を付けよ。 先回りして来たアレックスの殺意は今まで以上じゃ」

「はい」

聞こえてしまっていたので、聞いてしまったが。まあ聞かせるつもりでもあったのだろう。

サクナヒメは注意を促すと、風呂に入ると言い残して物資搬入口を去る。

考え込んでいたライドウ氏。熟考している様子は、何というか堂に入っている。

唯野仁成は、敬礼すると話をしておくべきだと思った。

「アレックスについてなのですが……」

「うん、何か知っているのか」

「以前ケンシロウ氏と交戦したときのログは確認しましたか?」

「いや、忙しくて見れていない」

頷くと、データを共有する。ざっと見た後、ライドウ氏は更に考え込む。既にデモニカの頭部部分は脱いでいるが。余計に考え込んでいると、憂いの色が強かった。

この人は悪魔対策の専門家として、国際再建機構に来たと言う。

何でも世界の危機がある場所に「呼ばれる」らしく。今回はその縁でこの世界に来て。国際再建機構に協力を申し出たとか。

何処まで本当かは分からないが、サクナヒメなどの存在もある。信じては良いのだろうと唯野仁成も思う。

そして悪魔対策の専門家だというのなら。それこそ心の隙間に入り込んでくる精神生命体と、年がら年中接していると言う事でもある。

苦悩はそれこそ、常人では思いもよらない場所にあるだろう。

「どうにもおかしいと思っていた事がある。 君の意見を聞かせてほしい」

「はい、俺で良ければ」

「アレックスはどうして君達にこうも執着するのかだが。 どうにも君達自身を知っているとしか思えない」

「それは俺も思いました。 俺は外道とまで呼ばれたこともあります」

確かに紛争地帯で殺し合いをした事はある唯野仁成だ。唯野仁成を個人的に恨んでいる者もいても不思議ではない。

だが、国際再建機構といえば、ストーム1が所属している。

下手に敵対を表明すれば、もって一月、である。国際再建機構に対しては、何処の武装勢力もマフィアもアンタッチャブル扱いしていて。もしも目をつけられたら、即座に離散するような状態になっている。

そんな状況で、唯野仁成が余計に強い憎悪を集めるとも思えないのだ。

「君の戦歴を見たが、ダーティーワークはやっていないな」

「普通の作戦任務だけです。 暗殺などはしていないですし、民間人に対する攻撃などもってのほかですが」

「そうか。 アレックスのは、逆恨みにしては反応がおかしい。 特に今回の一件は、明らかにバガブーの献身的なヒメネスへの行動を見て手を鈍らせている。 絶好の好機だったというのに。 逆恨みをするような人間は、基本的に自己中心的で、己の正義を信じて疑わない。 アレックスという娘は、何かもっと大きな目的があって此処に来ているのではないのだろうか」

「本人と話を持つ機会があれば良いのですが……」

これについては、嘘偽りない本音だ。アレックスには、どうにもシンパシィを感じるのである。

咳払いすると、周囲を見回して。そしてライドウ氏は言う。

「俺の経験則ですまないのだが。 人間は、身内にこそ最も強い憎悪を向ける傾向があってな」

「身内……。 俺の家は母子家庭で、母はもういません。 縁者はいませんし、俺の家族は少し年が離れた妹とその夫である義理の弟だけで、仲だってそれほど悪い訳では」

「……ふむ、なるほど。 妹さんは妊娠が発覚して居残り組になった国際再建機構の学者なのか」

「ええ。 頭が良い、自慢の妹です」

だとすると違うかと、独りごちるライドウ氏。

そして、妙なことを言った。

「アレックスというあの娘なのだがな。 どうにも君に目の辺りが似ているような印象を受けたのだ」

「しかし俺には子供はいませんし、仮にいてもあんな年齢では……」

「分かっている。 ともかく、もう少し情報を精査するべきだな」

一度戻るように指示される。

今回は、いきなりアレックスが更に戦力を増やして仕掛けて来ている。

作戦に不備があったとは思わないが。

更に念には念を入れて、作戦を構築するべきだ。そう、唯野仁成は思った。

 

レクリエーションルームで休憩していると、ヒメネスが来る。今、首脳部が作戦を練り直しているらしい。

アレックスが今までに無い殺意で来ている事もある。

恐らく、編成などを見直すつもりなのだろう。

「危なかったな」

「ああ。 マジで三途の川だったかが見えた気がしたぜ」

「バガブーが庇ってくれたんだって?」

「そうだ。 守るつもりが守られちまった。 バガブーは良い奴だぜ、俺に似ずにな」

若干ヒメネスの顔に影が差すが。だが、バガブーは弱いだけの悪魔ではなく。ヒメネスを本当に信頼してくれている事も分かって微笑ましい。

コーヒーを淹れて渡す。周囲でも、不安そうに会話をしていた。

何でも調べれば調べるほど、このゴミ山は難攻不落の要塞も良い所であることが分かってきているらしい。

彼方此方に有害廃棄物らしい物質の河や池が出来ていて、足場も不安定。

戦闘なんて無理だという声まで上がり始めているとか。

その上、悪魔同士が戦闘をしていて。彼方此方で崩落まで起きていると言う。ゴミ山が不安定なのだ。

「あの赤黒、何を考えていやがるんだろうな。 冷酷な殺人マシーンかと思ったら、両手を拡げて俺を庇ったバガブーを見て、明らかに手を鈍らせやがった。 お前は一体どう思う?」

「分からないが、冷徹な殺人マシーンという前提がそもそも間違っているのかも知れない」

「一度殺されたのにな」

「殺意は本物だが……ケンシロウ氏の言う所によると、あの怒りは哀しみより来ていると言う事だ」

そういえばそんな事を言っていたなと、ヒメネスはコーヒーを飲み干す。

意外にヒメネスは砂糖を入れる方だ。雰囲気的にはブラックを好みそうなのだが。

「酒をいれてえが、流石にこんな任務中じゃなあ」

「娯楽については彼方此方のPCにあるデータベースから楽しむしかないな」

「分かってる。 嗜好品は殆ど積む余裕が無かったそうだしな」

「……今回も厳しい攻略戦になりそうだ」

ため息をつくと、通信が丁度入った。二人揃って、物資搬入口に。

スペシャルは前回と同じ三人。そしてゴア隊長が、既に指揮のために来ていた。

調査班がいる。と言う事は、この間の威力偵察はハプニングはあったとはいえ。精神に入り込んでくる悪魔に関しては、問題をクリア出来たと考えたのだろう。

「これより第二次威力偵察を行う。 今回はアレックスが相当に旺盛な戦意を抱えている様子だ。 故に三班が一つになって、奇襲を警戒しながら行動する」

「それは頼もしいッスね」

「ヒメネス!」

「へいへい」

たしなめるゼレーニンに、ヒメネスが明らかに挑発的に返すが。ゴア隊長はやれやれと呟くだけだ。

唯野仁成から見ても、ヒメネスとゼレーニンは殺し合いに発展するほど仲が悪いようには見えないし。むしろ息があっているようにすら見える。

だから、放っておいて良いと思うのだが。

いずれにしても、三班合同で調査をするという事は、皆である程度固まって行動すると言う事だ。

アレックスも流石に簡単には仕掛けられないだろう。

「今回の目的は、ゴミ山の状態の調査だ。 ゴミ山のどこにこの世界の首魁が潜んでいるか分からないので、まずはゴミ山そのものを崩す事を考えている。 ゴミ山を平らにしてしまえば、崩落どころでは無いからな」

「それはまた、随分と力業ですね……」

「ゴミ山がもしも何かしらの秩序を持ってくみ上げられているのなら、登り道を探したい所でもある。 いずれにしても調査には非常に大きな危険が伴う。 また調査班は、電波中継器を撒いて貰いたい。 今回の電波中継器は改良型で、パラボナから発せられる電波を増幅し拡散する」

要するに精神に入り込んでくる悪魔を排除し、撃退出来ると言う事だ。

それは有り難い話である。デモニカにも似たような機能がついているが、それでも悪魔を撃退する能力は強力な方が良い。

すぐに物資搬入口から出て、三隊で一部隊を作る。通常編成の一個小隊と同人数くらいだ。

全部隊の支援を受けながら動いている訳だし、周囲を見ると一線級の機動班クルーと、調査班のみの構成だ。

更にストーム1とサクナヒメ、ライドウ氏もいる。

生半可な悪魔では、即座に返り討ちである。

だが、それでも油断は絶対に厳禁だ。それぞれが注意しながら、移動を開始。ゴミ山に到着すると、すぐに調査班が運んできた機器を使って測定を開始。更に電波中継器を撒きはじめる。

上空に行っていたアリスが降りてくる。

「アレックスいないよー」

「ありがとう」

「どういたしまして。 また偵察に行く?」

「頼む」

アリスがすいーと飛んで行く。力を順調に取り戻しているようで何よりだ。周囲を油断無く警戒しつつ、調査班を守る。サクナヒメが、ゴミ山にひょいひょいと登るが。眉をひそめる。

「この有様では翼でもない限り戦どころではないのう」

「姫様、足場は悪いようですか?」

「悪いもなにも、ちょっと力を入れるだけで崩れるわこんなもの。 それに、みてみい」

サクナヒメが示した先にあるのは、ダンプカーらしい大きなゴミだ。

オーカスの所と同じようなレプリカなのだろうけれども。それにしても、あれが崩れてきたらどうなるか、ぞっとしない。

「ショッピングモールと似ていやがるな」

「……確かに似ているが、ちょっと何というか。 作った奴が、興味も無く積んでるように見えるな」

「そういえば積まれているゴミに秩序が感じられないな」

口々に話しているのが聞こえる。

やがて調査班が手を振って来たので、移動を開始。わっと喚声が上がったのは直後だった。

移動先で、数十対数十で悪魔が殺し合いをしている。ゴミ山で視線を遮るように、ストーム1がハンドサイン。機動班がすぐに動き、調査班もそれに続いて移動する。

ライドウ氏が小首をかしげる。

「おかしい。 種族同士で別れて殺し合っている様子は無い。 正気を失ってそれぞれ滅茶苦茶に殺し合っているような様子だ」

「つまり軍勢同士で殺し合っているわけでは無いと」

「そうなるな」

何だそれは。此処のボスは、それを止める気すらない、ということか。

オーカスは呼び出した軍勢をそのまま喰らってしまった。

此処の奴は、呼び出した軍勢に殺し合いをさせている。悪魔らしいと言うか何というか、よく分からない。

ともかく、殺し合いが収まるまでしばらく身を隠し。

戦闘が終わった後、その場に行く。

大量のマッカが散らばっている以外、数体の悪魔が瀕死で倒れていた。何体かの悪魔に声を掛ける。殆どはそのまま死んでしまうが、一体まだ比較的無事なのがいた。

調べて見ると、マント姿の影がある青年だ。幻魔クルースニクとある。

デモニカのデータによると、クルースニクというのは吸血鬼退治に特化した存在であるらしい。

クドラクと呼ばれる邪悪な吸血鬼と、殺し合いを延々続ける運命にある存在であるのだとか。

いずれにしても、会話は出来る。唯野仁成は、悪魔召喚プログラムを起動。何とか、仲魔には出来そうだ。

話をして、契約を成立させる。といっても瀕死で、相手はうわごとのようにブツブツ答えるだけで。契約はすぐに終わったが。

PCに吸い込まれるクルースニク。まずはマッカを与えて回復させ、それから証言を得たい。

他にも数人が、生存している悪魔を見つけて、契約に成功したらしい。

その場を離れた方が良いとストーム1が提案。すぐに戦闘の跡地を離れて、作戦行動を継続する。

アレックスは仕掛けてくる様子は無いが、やはりゴミ山の彼方此方で戦闘が行われているらしい。

瀕死の悪魔も時々見かけた。

モラクスとミトラスは、軍勢を使って身を守っていたが。

オーカスは己を最強にし、要塞を作ることで身を守る工夫をしていた。

此処の奴は何がしたいのかよく分からない。

ともかく、捕獲した悪魔から聴取を続行するするしかないだろう。戦いに勝つために必要なのは、いつも正しい情報だ。敵は或いは、其所まで把握しているのかも知れない。

しばらく調査班を護衛しながら移動を続ける。

少し休みたいとゼレーニンが言い出したが、ヒメネスが歩けと一喝。それに対して、サクナヒメが苦言を呈そうとした瞬間。

ライドウ氏とストーム1が、同時に動いていた。

飛来した二体の悪魔。パラスアテナと、後一体は何だ。半魚人みたいな姿をした、何とも言えない強力そうな悪魔だ。

「うえ、あいつ邪神ダゴンだよ」

「総員警戒!」

アリスの言葉に、サクナヒメが跳躍し、そして一気に加速。

パラスアテナとダゴンと戦いはじめたストーム1とライドウ氏の間を縫うようにして、完璧なタイミングでアレックスが突貫してきたのだ。

間に合う。アレックスの一撃を、完璧にサクナヒメが防ぎ抜く。だが、アレックスが悔しそうにしている様子は無い。

ということは。狙いは別と言う事だ。

ヒメネスは、モラクスによって守られている。だが、戦い慣れしていないゼレーニンは、周囲を雑に天使で守っているだけだ。

そこに、矢が飛来する。殆ど完璧な一矢で、天使達の間を縫うようにして、ゼレーニンの頭に迫る。まずい。唯野仁成は気付けた。だが、とても間に合わない。

誰も対応出来ないその時。

ふわりと降り経った見覚えのある奴が。その矢を受け止めていた。

「おっと、やらせませんよ」

「マンセマット!」

アレックスが、今度こそ舌打ちする。サクナヒメとも、既に接近戦で互角の状況。パラスアテナもダゴンも押されている様子だ。

形勢不利を判断したのだろう。アレックスが叫ぶ。

「魔神インドラ、引きなさい! 撤退よ!」

「クソ、逃がすか!」

「止せ」

ヒメネスがライサンダーを構えるが、サクナヒメが止める。パラスアテナもダゴンも消滅し、その場から消えていた。

ヒメネスも、サクナヒメの言葉は素直に聞く。武神としての判断力、戦闘力に敬意を表しているからだろう。

ただ、どうして止めたかは聞いていた。対するサクナヒメの言葉は理路整然としていた。

「こんな訳の分からない場所で深追いなんぞしたら死ぬだけじゃ。 それくらい分からぬそなたではあるまい、ヒメネス」

「確かに姫様の言う通りだな。 何度もすまねえ」

「いい。 そなたはどんどん腕を上げている。 もっと腕を上げよ」

「ふふ、素晴らしい連携ですね。 何よりも、邪悪の矢よりも敬虔なる神の使徒を守れたようで何よりです」

何も反論を許さないように、いきなり場に割り込んできたマンセマットが、その場を離れていく。

ゼレーニンは感謝して、何やら祈りの言葉を唱えていたが。

唯野仁成は、その行動を止めたくなった。

仮にゼレーニンが信じるような神がいたとしても。あのペ天使は恐らく自分の目的で行動している。

あいつに祈りや感謝の言葉を捧げるのは無駄だ。

ともかく、これでデルファイナスに入ってから二度の襲撃だ。調査はかなり進めた。ライドウ氏がゴア隊長に話をしている。少し悩んだ後、ゴア隊長は。

一旦の撤退を決定したようだった。

 

2、ゴミ山の王

 

ゴミ。文明の排泄物。

あまりにも美しくないそれを積み上げに積み上げて。魔王アスラは支配している世界を眺めやっていた。

其所には、既に鉄船が来ている。モラクス、ミトラス、オーカスを既に倒した人間共ののる鉄船が。

そしてアスラが放っておいた分身までも退けてのけた。

まさか、其所までの手を打てるとは思わなかったが。まあそれも想定の範囲内だ。備えは存分にしてある。

アスラは捕まえられない。

更に言えば、アスラは今こうしている瞬間も、力を増し続けているのである。

呼び出した悪魔共は、何が何だか分からず殺し合いを続けている。そして屍をさらし。その屍からまた新しく悪魔を呼び出す。

そうしてひたすらに殺し合わせる。

此処は人間を研究して作り出した、「無意味」の世界だ。

本来だったら使われるはずだったのに、使われなくなったものを徹底的に集めた。その結果が、オーカスの吐瀉物にも似たゴミの山。

そのゴミの山で、本来だったら行われるべきだった美しい行為。

純粋なる戦闘を行わせることで、この世界に「禊ぎ」をする。

それこそがアスラの目的。

アスラの美学である。

二度、人間共は鉄船から出て来たが。どちらでも何もできず、戻っていった。それはそうだろう。そもそもアスラが何処にいるかさえも分からないのだろうから。

更に言えば、分身を退けるために使ったからくりなど、アスラには無意味である。

まあ分身を近づけないようには出来るだろうが。出来て其所までだ。

徹底的に殺し合いをさせ。そして生き残ったものから精鋭を募り、人間の世界に攻めこむ。

そして自堕落に排泄を続けている人間共に、真に美しい戦闘そのものをひたすら行わせることで。世界を正しい形に戻す。それがアスラによる、世界の浄化だ。

元々アスラは戦の神。

ゾロアスター教から印度へ。印度で散々変質し。更には周辺諸国に拡散する過程で、そのあり方を散々変えて行った。

本来はアスラというのは単一の神をさす言葉ですらない。

それほどまでに原形を留めないほどに貶められているが。

だが、今はそれでも可としよう。

戦の神として、此処に不埒にも攻め寄せた人間共を叩き潰し、人間世界へ攻めこむ嚆矢とする。

それはさながら、いにしえに行われていた、戦の前に行われる祈祷。生け贄を捧げられる喜び。

アスラは為す術無く右往左往している人間を見ながら、その美酒を思い出しているだけで良かった。

さて、鉄船に戻った人間共だが。どうするつもりか。

このまま抵抗も出来ずにアスラに屈したり。奴らが言うシュバルツバースが大地を覆い尽くすまで何もできないのでは少し興ざめだ。

せいぜいあがけ。

そう思いながら様子を見ていると、何やらおかしな動きを始めた。

それはいい。あがいて楽しませろ。そうアスラはほくそ笑みながら様子を見ていたのだが。

やがて、それが驚愕に代わる。

奴らは溶かしはじめたのである。敢えて柔らかく崩れやすく作った、この要塞を。

オーカスは鉄壁を要塞と勘違いしていた。

だが実際には、沼沢地帯などの地形に守られた拠点こそが、要塞と言うべき存在であって。

要塞そのものは、むしろそれほど堅固で無くても、守りきる事は可能なのである。

しかし人間共は。何かを撒きはじめ。毒の沼も河も、更にはゴミの山も、根こそぎ台無しにし始めている。

それだけじゃあない。

なにやら人間共の車とやらが出てくると、ゴミの山をどんどん勝手に持っていく。それも、凄まじい勢いで。

崩れて埋もれてしまうかと思いきや。途中、突然鉄船が火を噴き、ゴミ山を崩しに掛かってくる。

これは、大規模な土地に対する改変。人間共が、外でやっている作業そのものだ。

憤怒の形相が普段だったら浮かんでいたかも知れない。だが、アスラはそれが出来る状態に今はない。

そしてこの戦い方を選んだ時点で、すぐに「戦う」事は出来ない。

いきなり前提から崩しに掛かった人間どもを見て、アスラは怒りに打ち震えるしかなかった。

天使共が飛んでいる。

そういえば、少し前に大天使がこの空間に入り込んで来た。奴は此方の手の内を即座に看破すると、部下に対策。しかも、戦力を増やして侮りがたい状態になって来ている。

上手く行かないことが増えて苛立つ。

その苛立ちを、この世界に呼び出した悪魔共にぶつける。

見る間に殺し合いをはじめる悪魔共。

どうせなんぼでも呼び出せるのである。徹底的に殺し合わせて、生き残ったものだけを活用してやる。

それに、戦いは美しい。苛立ちが、多少はやわらぐのをアスラは感じた。

もっと血を流せ。もっと互いの武を競え。そして勝ったものは負けたものを当然の権利として蹂躙しろ。

それこそが、本来の美しい生物のあり方だ。

それなのに、あの四文字からなる神が現れてからと言うもの、奴の信仰は世界中で好き勝手なことをしている。

一矢報いたいと思わないのか人間共は。

奴は人間を救うことなどしていない。ただ、自分の絶対性を信仰することだけを求めている。

それなのに。ああ、それだというのに。

殺し合いを見て、気分を落ち着かせる。今は、怒りを爆発させるべき時ではない。

戦いでは、心を乱すことがもっとも負けにつながりやすい。

今は様子を見て、敵の更に裏を掻く。それが重要だと、アスラは判断していた。

 

ゼレーニンは気分が弾んでいた。やはり大天使マンセマットはゼレーニンを助けてくれた。ヒメネスも唯野仁成も、マンセマットを良く想っていないようだが。それは信仰のすばらしさを知らないからだろうとゼレーニンは思っている。

世界には貧しい生活をしている人。苦しい生活をしている人がたくさんいる。

そんな人達にとっては、信仰こそは救いだ。

勿論それは一種の現実逃避になるのかも知れない。だが、厳しい現実を突きつけられている人達に対して、現実と戦えというのは酷すぎると思う。それは弱い者は死ねというのと何が違うのだろうか。

近年は、一神教の内部でも抗争が激しい。昔も激しかったが、今は更にその抗争が苛烈に、かつ排他的になって来ている。

ゼレーニンはそれほど敬虔な一神教徒ではないつもりだが。

それでも、昨今の状況は好ましい事では無いと思っていた。

ゴミの山を見上げる。

何度か出陣して、周囲にセンサをばらまいてきた。ドローンも使って、同じようにセンサを撒いた。

その結果、このゴミ山の規模はほぼ分かった。

現在、悪魔達も動員し。更に方舟に積んできたトラックを使って、ゴミ山を根こそぎ処理する作戦を開始している。

真田さんの発案だ。

ゴミ山の規模は相当なものだが、方舟の砲撃で先に崩落を誘発しつつ。有害物質はそのまま固めてしまう。

更にゴミそのものはどんどん回収してプラントに放り込む。

こうやって、一角からどんどん崩していくことにより。

相手の本陣を潰してしまう。

何も、相手が作り上げた城に、正面から乗り込んでいくことなどない。その城の強みを潰してしまえば良い。

難攻不落の要塞と言う奴は、歴史上陥落しなかった試しが無い。

そしてだいたいの場合は、要塞としての強みを潰された事によって、それらは陥落していったのだ。

真田さんは尊敬できる。

だけれども、その真田さんに言われたのだ。

マンセマットは危険だ。

言う事を鵜呑みにするのは絶対に避けろ、と。それを聞いて、ゼレーニンはとても悲しかった。

あの地獄から助け出してくれたのはマンセマットだ。マンセマットがいなければ、ノリスと一緒にミトラスの宮殿で精神も肉体も朽ちていただろう。悪魔によって慰み者にされていただろう。

それなのに、どうして皆そんな事を言うのだろうか。

首を横に振ると、天使達の護衛を受けながら、ゼレーニンは敵要塞の攻略作業の指揮を続ける。

真田さん生え抜きの技術陣の中でも、天使の護衛があるゼレーニンは、こうして前線に赴くことが多い。

唯野仁成が来たので、敬礼。進捗を話すと、唯野仁成は頷いた。側には、女の子の悪いところを詰め込んで、綺麗な容姿に入れただけのようなアリスが浮かんでいる。アリスはにやにやとゼレーニンを見ているので、不愉快極まりなかった。

「アレックスが仕掛けてくるかも知れない。 気を抜かないようにしてほしい」

「今、ケンシロウさんとライドウさんがその辺りを見回ってくれているし、プリンセスも周囲を見てくれているわ。 平気よ」

「君は本当に戦闘に向いていないんだな」

「……ええ。 それは分かっているわ。 こんな所にいて良いのかって思うくらい」

自覚はある。

ヒメネスに散々煽り倒されるのも、仕方が無いとはゼレーニンも思ってはいるのだ。

だけれども、戦いそのものが嫌なのだ。

ロシアから脱出して米国に来た後。ロシアがどのような状態になったか、嫌と言うほど見せられた。

文字通り力があれば何をやっても良い場所になったロシアは。それこそ目を覆うような国となってしまった。

国際再建機構が様々な支援をしてくれているが、人心の荒廃はどうにもならない。

かといって、米国だって似たようなものだ。どうして人は仲良く出来ない。人間がずっと苦労して練り上げてきた法は、それでも欠陥だらけだ。誰も彼もが、自分に都合良く法を利用しようとねじ曲げるからだ。

「君のようなタイプが一番危ない。 心の隙間に入り込まれないように、気を付けるんだ」

「忠告有難う。 貴方はどんどん力をつけているようね」

「光栄な話だが、そろそろスペシャル達と同じように一部隊を任せて貰えるという話が出て来ている」

そうか、唯野仁成は此処ですら単独行動が出来るようになりつつあるという事か。この地獄の土地ですら。

唯野仁成が巡回に戻る。その直後、耳元に嫌な声が聞こえてきた。

「潔癖で美しい乙女だ。 だが、お前のような者は、周囲から自分がどう見られているかわかっているのか?」

「誰……!?」

ゼレーニンは天使達に警戒を促す。すぐにパワー達は周囲に展開し、槍を構えた。

戦闘は苦手でも、それくらいは出来る。天使達も周囲を警戒してくれるが、正直アレックスが使うような強力な悪魔にはどこまで対抗できるだろうか。

今の声は、耳に聞こえてきたのでは無い。忙しくデモニカを操作してログを調べるが、声が聞こえていた様子は無い。それなのに。更に声が聞こえてくる。

「女どもはこう言っている。 綺麗なだけが取り柄の頭でっかち。 男を何度もとっかえひっかえしては味見している。 真田という凄い技術者には、体で取り入ったに違いないだろう。 ボーティーズでは悪魔に体を売って生き残った。 ノリスに守られていながら、見捨てて悪魔の……」

あまりに卑猥で、聞き苦しい言葉が続いたので、悲鳴を上げてゼレーニンは思わず蹲っていた。

即座に側に降り経ったサクナヒメが、声を掛けて来る。

「どうしたゼレーニン! ものども、周囲を警戒せよ!」

「はい!」

機動班クルーが来て、周囲に悪魔をたくさん呼び出す。

いや。そう言いたいけれど、此処では悪魔を呼び出さないと事実上何もできない。サクナヒメへの警戒は薄れてきてはいるけれど、やっぱり原初の荒々しい神格であるサクナヒメには。更には一神教の神格ですらないデーモンには。心を許しがたい。

サクナヒメは周囲を警戒しつつも、腰を落として目を覗き込んでくる。視線を合わせてくれる。

神でありながら、そういう事をしてくれることはとても尊敬できるとゼレーニンは分かっている。

今だ幾つかの国では王族などの旧支配階級が生き残っているが。それらの人間は、基本的に庶民に膝など突かない。ましてや神が、である。

「何があった。 話してみよ」

「変な声が……私を侮辱するような言葉を……」

「デモニカに反応はないのじゃな」

「ええ……」

サクナヒメは、手を叩くと、調査班を連れてくるように周囲に指示。ゼレーニンは大丈夫と言おうとしたが、サクナヒメに厳しく諭された。

顔色が土気色だと。

「そのような顔色の者に仕事などさせられぬ。 それに、敵の手の内が精神に入り込む悪魔だけだとは限らぬのだ。 もしも敵による何かしらの攻撃であるのなら、それを解析すれば味方を安全に行動させられる」

「はい、ありがとうございます……」

「背負うぞ」

調査班の交代要員が来たので、サクナヒメがゼレーニンを軽々と背負い、方舟にぽんぽんと跳んで戻る。

本当に凄まじい身体能力で、ゼレーニンは何もする事が出来なかった。天使達をPCに戻すくらいか。

医療室に運び込まれる。サクナヒメの代わりにストーム1が外に出た様子だ。真田技術長官が来て、何があったのか聞かれる。

サクナヒメも側にいるが、これは悪魔が突然出現でもした場合に、対応するため、だろう。

「突然耳元で、心を抉るような言葉が聞こえました。 デモニカにもそのログは残っていなくて……」

「私には言えないような内容かね」

「……」

「分かった。 ゾイ医療班チーフ」

真田技術長官が、ゾイに代わってくれる。

サクナヒメが側に壁に背中を預け、腕組みして見守っている中。ゾイに、何を言われたのか話す。

顔を覆うゼレーニンに、ゾイはカルテをとっていた。

また、デモニカは真田技術長官が持っていった。ログを更に詳しく解析するためだろう。

話を聞き終えた後、サクナヒメが言う。

「唯野仁成も、船に入り込んで来た悪魔に何やら言われたという話だ。 わしでも分からぬほどの力量で、船に忍び込める強豪がいる。 そんな状況じゃ。 プラズマバリアを船にしか展開していない今、一隊員の心を侵してくる悪魔がいても不思議ではあるまい」

「此方では何とも。 トラウマによるフラッシュバックかと思いましたが、ゼレーニン隊員のメンタルは其所まで乱れてはいないように私には思えます」

「わしもそれは同感じゃな。 いずれにしてもゾイ、そなたは医師であろう。 医師としての見解は。 出来る事は」

「……心因性のものではないと思います。 真田技術長官の調査を待ちましょう」

ゼレーニンは一日休むように言われて、それに従う。仕事をさせてくれと言っても、どうせ許可は貰えなかっただろう。

サクナヒメはゾイがいなくなると、咳払いした。

「そなたがわしを苦手と思うておる事は知っておる。 それはそなたの信仰する教えでは、神は一つと教えているからか」

「……」

「その信仰に干渉するつもりは無い。 わしの仲間にも、同じように考えていた者がいたからな。 別に信仰はそれぞれ自由だ。 だがそなたは科学者で技術者であろう、ゼレーニン」

サクナヒメの言葉は、鋭く論理的だ。

子供にしか見えないこの武神は、火が出るような戦い方といい。その鋭い洞察眼といい。見かけと性格が乖離しすぎている。ガハハハハと豪放に笑ったと思えば、極めて緻密な言葉も発する。子供のように見えて、精神は明らかにそうではない。

ベッドで半身を起こしているゼレーニンに、サクナヒメはオニギリを渡してくる。

悔しいが、これがとても美味しい事は、ゼレーニンも知っていた。

「普通の者はこれを食って美味いと思う。 わしを畏怖するものは、これを食えばわしに信心を向ける。 だが、真田は言うておった。 技術者や科学者は、これがどうして美味いのか分析する、とな」

「そうかも知れませんね、プリンセス。 分かる気がします」

「分かれば良い。 真田はそなたを買っておる。 ならば、悪魔と言うだけで拒絶反応を示すのではなく、相手を分析せよ。 そしてその分析が、ノリスのような犠牲者を減らす事になろう」

サクナヒメは、今だカプセルの中で眠らされているノリスを視線で指すと。

医療室を出ていった。

ゼレーニンは、返す言葉も無く、ベッドで項垂れるしか無かった。

お前は信仰の徒である前に科学者だ。科学をもって皆を救え。そう、サクナヒメは言っていたのだ。

そしてそれが正しい事は、ゼレーニンにも分かっている。

オニギリは悔しいくらい美味しい。天穂というブランドらしいが、本当にシンプルなのにおいしい。シンプルイズベストという奴なのだろう。しかもこれでいて、とても奥が深い食べ物だという。

目元を何度か拭う。そして、一日休んだ後、許可を貰ってまたプラントの調子を確認するべく仕事に復帰した。

一日休んだ筈なのに。外に出てしばらくプラントを見ていると。やはり声が聞こえはじめる。天使を周囲に展開しているが、反応する様子は無い。明らかにゼレーニンを狙い撃ちしてきているのだ。

稼働しているプラントは、此処で得られた物資を使って、ユニット化して更に二セット増やしている。

ベルトコンベアを作り、大きなゴミもどんどん運び込み。資源化している。

此処のゴミは、大きなゴミが多く。汚染物質も多いが。その分極めて貴重な物質を山のように含んでいる様子で。

プラントから出てくる物資は、どれも極めて高価なものばかりだった。

ラボは大歓喜。真田技術長官に許可を貰って、どんどん前倒しで色々なものを作っているらしい。

また、方舟から砲撃。ゴミの山を崩しているのだ。そんな中でも、やはり声が聞こえる。嫌な声が。

「お前は心が美しいが硝子のように脆い。 女共はお前を忌み嫌っている。 自分よりも美しいからだ。 では男共はどう思っているか。 お前に性欲をぶつけて、思うままに蹂躙しようと思っている。 そう、ボーティーズとお前達が呼んだ世界で、ミトラス配下の悪魔どもがお前にそうしようとしたようにな」

「やめて……!」

「視線には気付いているのだろう? お前の胸や腰に男の視線は常に纏わり付いているのだ。 なぜなら別に育てる気など無くてもお前に子供を作らせたいし、お前で欲望を発散したいからだ。 それが人間というものだ」

「ゼレーニン!」

鋭い声と共に顔を上げると、ヒメネスだった。

厳しい表情で、思わず小さく悲鳴が漏れた。だが、ヒメネスは周囲を油断無く見張っている。

「なんか変な声が聞こえてるんだろ。 また聞こえてるのか!?」

「さ、触らないで……!」

「何だお前男性恐怖症か何かか?」

違う。そんな事はない。ただ、さっきから聞こえている声は。明らかにトラウマを誘うものだった。

確かに男女では性に関する考えが違うし、人間の動物としての部分がある事くらいはゼレーニンだって分かっている。

だが若くして俊英ともてはやされ、飛び級で大学を出て、国際再建機構に入って忙しく働いているゼレーニンは男女交際の経験も無かったし。両親は敬虔なロシア正教徒だった事もあって、ゼレーニンに早く男を作れとか、そういう要求もしてこなかった。

それにゼレーニンはいわゆる高嶺の花だったからだろう。自覚はあまりないが容姿はとても優れているらしいし、博士号持ち。更に言えば国際再建機構のエリートである。男もあまり寄ってこなかった。それでいながら、昨日も今日も聞こえてくる声が指摘してくるように。

ゼレーニンに対する周囲の視線は、肉食獣のそれだった。

分かっている。そういうものだと。だけれども、どうしても、ボーティーズのトラウマが抉られる。それも分かっている。分かっているのに、どうしようもない。

首を振ると、まだ揶揄するように飛んでくる声。

「どうして欲望に忠実にならない。 悪魔とみだらにまぐわえ。 そなたの欲求は全て一発で消し飛ぶだろう。 人間などより余程強烈な快楽が得られるぞ。 周囲に悪魔は幾らでもいる。 何なら性を知り尽くした悪魔を寄越してやろうか?」

「い、いやっ!」

「様子がおかしい! 誰か、女性クルーいるか! こいつを医務室に連れてけ! ああもう、クソッ!」

ヒメネスが苛立っているのが聞こえて。それが怖くて仕方が無い。ヒメネスはどうしてゼレーニンに敵意を向けるのか。ゼレーニンだって、ヒメネスが苦手だけれども。いつもどうしてああ痛烈な言葉ばかり叩き付けてくるのか。

メイビーが来て、ゼレーニンに肩を貸してくれる。また医務室に。デモニカを真田技術長官が持っていく。

ゾイに、心の中に言われた事を全て言って、カルテをとられる。

それだけでも、相当な屈辱だった。

「別に貴方男性恐怖症でもないでしょう? そうなるとボーティーズの出来事がトラウマになっているのかしら」

「……」

「ボーティーズの件は仕方が無かったのよ。 元々ミトラスの配下は破落戸同然だったようだし、ノリスだって貴方を恨んだりはしていないわ。 悪魔は心の隙間を突こうと狙って来るという話だし、此処の悪魔にはその傾向があるのかも知れない。 もしも悪魔の攻撃であるのなら、真田技術長官がどうにかしてくれるわ」

「……はい」

また一日休むように言われた。

外では殆ど戦闘は起こっていないらしいが。それでも、時々怪我人が運び込まれてくる。機動班は怪我とずっと向き合う仕事だ。ましてデモニカが破損すると、極限環境ではそれだけで命に関わる。

眠る。両親はずっとゼレーニンを大事にしてくれた。あのおぞましい声は、流石に船内では聞こえない。

目が覚めると、真田技術長官に呼ばれる。デモニカに異常が見つかったのだろうか。

研究室に出向くと、真田技術長官がゼレーニンのデモニカのログを調べていた。こう言うときの真田技術長官は、少しばかり怖い。

鬼気迫っているというか。本当に研究が好きで、其所から色々なものを作り出してきた人の凄みというか。そういうものが感じられる。

真田技術長官は、ゼレーニンに座るように言うが。ゼレーニンの方を見ていなかった。

「ログを確認した。 どうやら極めて微弱ながら、脳に直接何かしらの思念が送り込まれている様子だ。 デモニカを通るときは思念は平坦だが、脳の内部で増幅されているようだな」

「やはり悪魔の仕業だった、と言う事ですか」

「そうなる。 今、デモニカのアップデートをしているところだ。 だが、物理的に直接悪魔が話しかけてくる可能性も今後はある。 それに今回の件で、君はトラウマを刺激されたのでは無いのか」

真田技術長官はずばりと聞いてくる。ゼレーニンは、その通りだから。応える事が出来なかった。

大きくため息をつく。

「サクナヒメとの会話については把握している。 姫様が言う通り、我等はまず技術者で科学者だ。 君もそれは同じ筈だ。 マンセマットを今まで以上にこの場で罵倒するつもりは無い。 だが、君はまず科学者として、客観的見地から現象を観察し、分析するべき立場にいるのではないのかな」

「返す言葉もございません」

「……君は優れた科学者だ。 だからこそ、君に的を絞って敵は仕掛けて来たのだとも言えるだろう。 デモニカを改良したから、君に対しての精神攻撃は防ぐことが出来ると思う。 悪いが、すぐに外に出て、効果を確認してほしい」

頷くと、ゼレーニンはデモニカを着込んで、外に。

メイビーが一瞬心配そうにしたが、大丈夫と言ってプラントの指揮に戻る。ゴミ山を崩す作業はまだまだ中途なのだ。休んではいられない。

見ると、かなり作業は進捗している。ゴミ山は建築途上のピラミッドが如き姿になっている。どんどん崩されている様子だ。プラントも、もう一つ作ろうという勢いである。

声は、聞こえない。前は、もうプラントの指揮に取りかかったら即座にという勢いだったのに。

だが、警告音は鳴っている。恐らくだが、精神攻撃を仕掛けてきているのだろう。だけれども、もう何も聞こえなかった。

ヒメネスが来る。表情は険しいが、或いは敵意は無いのかも知れない。

「おう。 真田の旦那が昨日皆に話してたぜ。 精神攻撃を受けたんだって?」

「ええ。 とても卑劣な攻撃だと思うわ」

「それは違うぜ。 戦争では勝った方生き残った方が正義だ。 精神攻撃は立派な戦術の一つでな。 敵はその辺りを良く知っているって事だな。 誰だか知らないが手強いぞ」

ヒメネスの言葉は現実的だ。スラム出身のこのヒスパニックの精悍な男性は、いつものようにゼレーニンに対して敵意むき出しでは無かった。

いつも攻撃的なのは、何故なのか。聞いてみようかと思ったが、止める。ヒメネスが、相棒にしているバガブーを呼び出すと、一緒に哨戒に行ってしまったからである。言いたいことだけ言って。そうぼやきたくなったが、今は仕事だ。

それに、精神攻撃をして来た悪魔は許せない。

この作業は、敵の城を崩すための作業でもある。城を崩してしまえば。無敵の鎧を失ったオーカスのように、敵の弱体化は必至だ。

勿論まだまだ何重にも防御策を講じている可能性もある。油断は出来ないが、それでもやらなければならない。

プラントにどんどんゴミが吸い込まれていく。

警告音はまだ鳴っていた。

完全に無視していると。やがて静かになったが。効果がなくなったと、敵も判断したのだろう。

不愉快だけれども、ヒメネスが言うように。敵が戦いというものを知り尽くしているというのは本当なのだろう。

効果が無いと判断した瞬間、精神攻撃を止めたのだから。

 

3、ゴミ山に巣くうもの

 

ゼレーニンに対して精神攻撃が行われた。その発表があった後、デモニカに改良が加えられた。

真田さんは流石だと、唯野仁成は思う。

実際問題、デモニカが現状感知できなかった異常を探し当てて、対策を即座にしてくれたのだ。

「此処はかねてから開発していた」と真田さんが言えば、問題が次の瞬間には解決している。

国際再建機構の人間なら誰もが知っている事実だ。国際再建機構の外では都市伝説化しているらしいが。それが事実なのは、内部の人間は皆知っている。

唯野仁成は、ゴミ山を監視しながら、周囲を巡回して回る。

アレックスがまだいること。

邪神ダゴンというのと、魔神インドラという悪魔を更に連れていることは確認済みである。

調べて見た所、ダゴンというのは古い古い神であるそうだ。実体はよく分かっていない部分も多く、一神教の聖書で貶められることも多いとか。邪神という分類は、神の中でも特に独善的で、残忍な者達をさすと言う。魔王とは微妙に違い、魔王は混沌を望むのに対して、邪神は独善的な秩序を構築する事を目的とするとか。

だとすると、一神教の神は邪神の総本山のような気がするが。唯野仁成は、その辺りはよく分からない。

一方魔神は神々の中でも中庸の最重鎮に当たる存在で、多くの神話における主要な神は大体この魔神に相当するという。

インドラも調べて見ると、相当な大物だ。

現在印度ではヒンドゥーの信仰が主流だが、その前身の信仰では主神だった存在で。現在でも「神々の王」として神話にて存在感を示しているという。なお仏教では帝釈天と呼ばれているとか。

帝釈天なら有名な映画の前口上もあって、唯野仁成も知っている。

いずれにしても、ダゴンにしてもインドラにしても、極めて強力な神であることは、唯野仁成にもすぐに分かった。アレックスは、今後も更に戦力を増してくるだろう。パラスアテナと同格の悪魔を更に相手にしなければならない、と言う事だ。

ふと、気付く。ペ天使のお出ましだ。

周囲の機動班クルーも警戒している中。唯野仁成の側に、マンセマットが降り立っていた。

今の時点で警戒しろとは言われているが、この間ゼレーニンを助けてくれたのも事実である。

インドラが放った矢は、神話では強力な悪魔を即殺したともいうし。ゼレーニンがもし喰らっていたら、文字通り跡形も残らなかっただろう。

「やあ唯野仁成。 貴方を見かけたので降りて来ました。 どうやら大規模な土木工事を行っている様子。 何か此方で手伝えることはありませんか?」

「特にはない。 この間はゼレーニンを助けてくれて感謝している、大天使マンセマット」

「いいのですよ。 敬虔な神の信徒を救うのは、御使いとしての役割ですから」

色々言いたいことはあるが、此処では言わない。

実際問題、ゼレーニンを助けてくれたのは事実なのだから。

ただ、子供の使いではないのだ。何が目的できたのかを、知る必要があるだろう。

「俺の所に来たという事は、何か目的があるのだろう」

「鋭いですね。 そろそろ困っているところではないかと思いましてね。 情報交換をしようと思って来たのです」

「情報交換……」

「此方で見つけました。 この世界を支配している悪魔の端末です。 座標はあなたのそのからくりに送っておきましょう」

すっとマンセマットが指を動かすと、デモニカにデータが入り込んだようだった。確認すると地図データだ。意外にデジタルに順応しているのだなと驚かされる。

ただ、後でウィルスか何か仕込まれていないか確認しないと危ないなと、唯野仁成は思ったが。勿論顔には出さない。

「ありがとう。 それで此方はどうすればいい」

「少し前に魔王モラクスを配下にしたようですね。 そのデータをいただけませんか?」

「此方真田だ」

不意に通信に真田さんの声が割り込む。

どうやら、マンセマットが現れた事は察知していたらしい。様子をモニタしていたのだろう。

「データは渡してもかまわない。 そろそろヒメネスだけではなく、他にも数人使えるようになる悪魔だ。 此方としては切り札ともいえない」

「……大天使マンセマット、許可が下りた。 データを渡そう」

「それではデータをいただきましょう。 うむ、これでよい。 それでは失礼いたします」

慇懃に礼をすると、マンセマットは光に包まれて羽根を撒きながら昇天していく。相変わらず大げさな退場方法だなあと呆れる。

まあ文字通り天使が昇天して去って行くのだから、別に不思議な事ではないのだろう。荘厳な音楽とか流れそうな雰囲気だったが。

嘆息すると、一旦方舟に戻る事にする。データの解析と、受け取ったデータによる影響を調べなければならないからだ。

ゴア隊長に許可を貰って、持ち場を離れる。唯野仁成はそろそろ一部隊を任せると言う話が出て来ているらしいが。残念ながら現状ではアレックスが仕掛けて来たときに対応出来ない。

ヒメネスも同じ話が出て来ているらしいのだが。正直な話、辞退したい気分なのである。ヒメネスは乗り気であるようだが。不安しか無い。

とはいっても、現在四人のスペシャルにかなり戦闘面では依存しているのも事実で。

それを拡張したいと思うゴア隊長の気持ちは良く分かる。だから、一兵士としてあまり意見は口にできなかった。

一度着替えると、真田さんの研究室に出向いて、デモニカをそのまま引き渡す。

データを確認していた真田さんは、しばらく考え込んでいた。

「嫌な予感がする」

「予感ですか」

「うむ。 今プラントに直結したベルトコンベアに崩したゴミをどんどん乗せているだろう。 そろそろ敵も看過できなくなってくる頃だ。 其所にマンセマットが情報を持ち込んできた。 何かあると思えないか」

「自分もあのゴミ山の守り手ならば、確かにそろそろ座して待つのは止める時期ではあります」

真田さんが指示を出している。

一旦ゴミ山を崩すのを中止、というものらしい。確かに今まで順調にいきすぎたのである。

そろそろ、敵としても対策を練ってきてもおかしくない所だ。

データによると、もう少し崩した所に敵の端末の反応があると言う。すぐに唯野仁成は、戻るように指示を受けた、同時に、マンセマットから受け取ったデータは全削除。もしもデモニカ内部のネットワークで、ウィルスでも動いたら洒落にならないからである。

デモニカを着直すとすぐに外に出て、戦闘態勢。トラックなどの輸送用車両は、即座に方舟に引き上げ開始。機動班クルーも、一旦距離を取り、野戦陣地まで戻った。

ベルトコンベアやプラントは別に後からでもどうにでもなる。

すぐに方舟の砲塔が動き出していた。

外に出ているのは、今はサクナヒメとストーム1、それにライドウ氏である。どうもライドウ氏はこの空間が気になるらしく、いつもは留守が多いのに此処に残ってくれている。

それだけ此処が危険、と言う事なのだろうか。

よく分からないが、兎に角備えて待つしかない。

しばしして、砲撃が開始される。更に強化されている方舟の主砲が連続して、マンセマットが指定した地点を撃ち抜き始める。徹甲弾を最初は使い。次は炸裂弾に切り替えた様子だ。

さて、どうなるか。

派手にゴミ山が崩れ始めるが。其所から現れたものを見て、皆おののきの声を上げていた。

禍々しい色をしたそれは、食虫植物なのか。或いは繭なのか。

いずれにしても触手を伸ばして、びたんびたんと蠢いている。大きさは、それこそスクールバスほどもある。アレが崩れ落ちてきたら。そう思ったクルー達が、慌てて逃げ始めるが。

繭らしいものは、別に崩れ落ちてくることも無く。何かの根があるようで、その場で蠢き続けていた。

「なんだアレは。 気色がわりいな」

ヒメネスがぼやく。迂闊に手を出さないようにと、即座に指示が飛んだので、誰もが発砲を避ける。

確かに変則的な攻撃ばかりをして来ているこの空間の主だ。

この空間で捕獲した悪魔に聴取をしたが、呼ばれただけで何も分からないと言う返事しか来ていない。

要するに、此処のボスも、オーカス同様軍勢を必要としない悪魔であるという事は確定したわけだ。

つまるところ、無敵状態のオーカスをも凌ぐかも知れない。

確かに下手に手を出す事は悪手だろう。

前に出てきたライドウ氏。機動班クルーが道を譲る中、しばらくあの繭のようなものを見つめる。

ストーム1と会話しているのが、通信に流れてくる。

「どう思う専門家としては。 撃ち抜けというなら即座にやるが」

「……妖樹や神樹ではないな」

神話には様々な植物が出てくる。

その中で、人に害を為すような邪悪な植物を妖樹、神々に貢献するような植物を神樹と分類するらしい。

だが、ライドウ氏の様子からして、それらとは違うと言う訳か。

「前に聞いたことがある。 大物の魔王は、最初スライムなどの実体化し損ねた、元とは似ても似つかない形態になり、そこから現状に沿った強大な姿になる事があると。 あれはそういった、変化前の存在なのかも知れない」

「だとすれば今のうちに潰すべきではないのか」

「……少し試してみたい事がある」

ライドウ氏が、大きな鳥の悪魔を呼び出すと、その背中に身軽に乗り、上空へ。あの繭と高度でも同じくらいの場所に行く。

そして、何かやっているのが見えた。魔法だろうか。悪魔対策の専門家だ。魔法が使えても不思議では無い。

しばらくして、空中に巨大な星形の図が出て来た。

何だか分からないが、魔法のようなものなのだろう。繭の周囲が、光に包まれる。繭が、いきなり口を開いた。巨大な口は繭そのものを横に割くように拡がり、牙がたくさん生えていた。

唸り声を上げ、触手を振るって暴れ始める繭。ライドウ氏はそれでも何か術を施していたが。

やがてぶちぶちと音がして、繭が根から自分を切り離したらしい。そのまま、今度こそ転がり落ちてくる。

ゴア隊長とライドウ氏が会話をしている。

「攻撃を開始すべきだ」

「いや、もう少し待ってくれ。 勿論近付かないように」

「……総員、距離を取って戦闘態勢を維持。 勿論周囲からの奇襲にも備えてくれ」

「イエッサ!」

ゴア隊長が装甲車に乗って出て来ている状態だ。正直、あの気色悪い繭がどう動くかも分からない。

ゴミ山の麓近くまで落ちてきた繭は、凄まじい唸り声を上げながら、触手を振るって周囲を打ち据えていたが。

やがて、大量の体液を吐き出す。緑色の体液は、臭いを遮断している状態でも、これは嗅ぐだけでまずいと察知できそうな代物だった。

繭がしぼみ始める。どうやら、戦う必要は無さそうだが。

降りて来たライドウ氏が、印を切って繭の側に歩いて行く。しばらく見て回っていたが。やがて大胆に枯れ果てた繭の口の中に手を突っ込むと、何かを取りだしていた。

「調査班」

「はい!」

ゼレーニンが前に出ると、情報集積体らしいそれを受け取る。ライドウ氏は別に嫌がる様子も無い。

徐々に枯れていき、やがて消えていく繭。

悪魔の死に様と同じである。後に、尋常で無く大量のマッカが残ったことも同じだった。

「何だったんだこれは……」

「ライドウの旦那。 あれは一体何でさ」

「まだ特定は出来ないが、恐らく強大な悪魔が、何かを捕食するためにあのゴミ山に潜ませている端末だと思う。 しかも物理的に悪魔から端末が伸びているような単純な話でも無さそうだ」

「捕食、か」

ヒメネスがぼやく。殺し合い、死にかけた悪魔が。どこかにフラフラと歩いて行くのを既に何度も確認している。

それらがゴミ山に消えていったことも。

要するに、その悪魔達は。この繭に食われたと言う事で正しいのだろうか。

何でもかんでも見境無く喰らっていたオーカスと違って、此処の親玉はグルメなのだろうか。

ヒメネスは複雑そうな表情である。それに、ライドウ氏の様子も気になる。悪魔の専門家として、何か不安があるのだろうか。

唯野仁成は挙手すると聞いておく。疑問があるなら解決するべきだ。

「ライドウさん。 貴方ほどの専門家が、それほどに気になる事とは。 何か仮説は立てられませんか?」

「……上位の悪魔になると、面倒な能力を持っている奴が色々いる。 嘆きの胎で君達が交戦したキュベレのようなのは強さは兎も角まだわかり安い方だ。 此処にいる悪魔の能力次第では、文字通りそれを一つずつ剥がして、やっと決戦にたどり着けるかも知れない」

「あの妙な繭はその奇妙な能力に関係していると」

「恐らくは。 それにあの大天使マンセマットは、何かしらの目的があって我等に繭の位置を知らせてきた筈だ。 油断は出来ない」

同意できる。そうなってくると、あの繭は見た目以上に危険かも知れない。

調査班が徹底的に調べていった後、一旦現状維持を指示される。プラントも動かさないようだ。

ゴミ山に対してどう仕掛けるか。実際に四苦八苦していたのは確かだし。更にあの妙な繭の出現で更にそれが加速したこともある。

もしも、複雑な条件を満たさなければ、ここのボスは姿すら見せず。

この世界の法則すら支配しているのだとすれば。

苦戦は必至だなと、唯野仁成は慄然としていた。

 

翌日、国際再建機構本部に連絡を入れる。

四つ目の空間に侵入し、攻略をしている途中であると言う旨の連絡と。向こうからの定時連絡を受ける。

それを受けて分かったのは、やはりシュバルツバース内は、時間の流れが外と違うらしい、と言う事だった。

「どうやらシュバルツバースの内部では、二倍から三倍の速度で時間が流れているようだな」

「恐らく空間によっても違うのでしょう」

「厄介な……」

米国大統領が頭をかきむしる。他の面子も、あまり明るい様子では無い。

バニシングポイントの特定がもう少しで出来そうだという朗報はあるものの。

デルファイナスでの攻防が、お世辞にも上手く行っているとは言えないというのが大きいだろう。

クルーに死者さえだしてはいないが。

それでも負傷者は連日出ているし、アレックスは虎視眈々と此方を狙っている。

映像つきでの情報交換を幾つかした後、米国大統領は咳払いして、南極に向かっている何かについての話をした。

「どうやら南極に向かっている何かは、幾つかの財団の支援を受けて、民間軍事会社が護衛に当たっているらしい。 それも相当に潤沢な資金を用意しているそうだ」

「民間軍事会社ですか? わざわざそんなものを護衛に……」

民間軍事会社。各国で台頭してきている、要するに民間の傭兵部隊だ。

戦闘では正規兵より強かったりはするものの、一方で捕虜になった場合正規兵と同様の扱いは期待出来ないし。

当然仕事が仕事だから死ぬ事だって多い。

紛争が減ってきている今、彼らの仕事も減ってきている傾向にあるため。

そこそこ良い人材を、安値でかき集められるだろう。数だけ揃える場合は、である。

しかしながら、財団規模の連中が、どうしてまた。しかも潤沢に金を出していると言う事は、相当に良い人材が集められた可能性がある。

「南極に向かってきていると言う事は、シュバルツバースに次世代揚陸艦を投入しようとしているのでは」

「いや……それは分からない」

「米国大統領」

アーサーが不意にゴア隊長と米国大統領の会話に割り込む。通信できる残り時間はあまり多く無い。

アーサーの事は知っている米国大統領だから、それほど不快そうではなかったのだが。

それでも、アーサーが言い出した事を聞いて、顔色を変えた。

「ライトニング号は現在どうなっていますか? 米国軍は各地での紛争に資金を散逸し、型落ちの兵器を売り出したと聞いていますが」

「し、知らん」

「嘘をついている確率88%」

「ライトニング号についてしらないのは本当だ! と、ともかく通信は終わりだ。 これで今回の定時連絡は終了とする」

通話が切れる。

勿論重力子を用いたデータのやりとりは続行されているが。アーサーの言葉に、皆ざわついていた。

「ライトニング号ってなんだ……?」

「いや、俺も聞いた事がない。 俺は米海軍からの出向組だが、分からない」

「皆、落ち着いてほしい。 シールズ出身で将官まで出世した私にも分からない事だ」

ゴア隊長の文字通り鶴の一声で、皆が黙り込む。

咳払いを敢えて大きくすると、ゴア隊長は、アーサーに対して問いただすのだった。

「ライトニング号とは一体何だ、アーサー」

「それについては私が説明しましょう」

「真田技術長官」

「ライトニング号は、米軍が開発をした次世代揚陸艦のプロトタイプです。 複数の欠陥が確認されており、やがて廃棄処分になりました。 その技術が、この方舟の前の世代に当たる次世代揚陸艦……四隻の船、既にこの船に分解されて部品を使われたレッドスプライト他の船に受け継がれております」

つまり、この方舟の二世代前の次世代揚陸艦と言う事だ。

アーサーが、皆のデモニカに映像を送ってくる。小型にした方舟という雰囲気だが、若干武装などが多いようだ。

アーサーの説明は淡々としているが。あまり内容は、嬉しくないものである。

「このライトニングは、紛争地帯などに直接乗り込んで、周囲の敵を実力で制圧する事を目的として開発されていました。 そのため重武装で、攻撃を受けても平気なように装甲も分厚いです。 ただしプラズマバリアの出力はかなり低く、また動力も核融合炉ではなく核分裂炉が使われていました」

「本当に方舟のご先祖なのだな」

「しかしながら、もし何処かからこの方舟の技術の一部でも流出していた場合、ライトニングは脅威になり得ます。 元々戦闘を最初から想定し、文字通りの強襲揚陸をして敵を制圧する事を目的に開発されていた艦です。 対艦ミサイルなど問題外、核にすら耐える事をコンセプトにしていたものです。 開発当時は技術的な側面から開発が断念されましたが、もしも技術が流出していると……」

何処かしらの財団が山盛り雇った兵隊を満載して、ライトニング号がシュバルツバースに殴り込んでくる可能性が出て来た、と言う事か。

勿論援軍としても考える事が出来るが。

そもそも有名無実化して久しい国連は機能していないし。各国すら介さず勝手をしている財閥達の思惑など分からない。

もしも南極に向かっているのがライトニング号だとして。

味方だと考えるのは無理があるなと、唯野仁成は考えていた。

ヒメネスが話に割り込む。

「それでアーサー、どうしてそのライトニング号の話を出したんだ」

「米国大統領は明らかに慌てていたように、米国は財務歳出が良くない状態で、中古の兵器を各国に売り出していました。 ライトニングも、その過程で機密を抜き取られた状態とは言え売り飛ばされていたようです。 記録が殆ど残っていませんが、停泊していた基地から忽然と消えていた事から考えても、政府がそのまま主導して売り払ったのは確定でしょう」

「おいおい、馬鹿じゃ無いのか……」

「米国としては、この方舟が代わりになると判断していたのでしょう。 今となっては、その判断が徒となったわけですが」

ヒメネスの直接的すぎる表現だが。今回ばかりは唯野仁成も同意だ。もしも買い取ったのが何処かの財閥だとすると。正直な話、ロクな結果にならないだろう。

現在は1%の人間が世界の過半の富を独占しているなどと言われるように、各国に根を張る財閥系企業の資金力は凄まじいものがある。

仮に米国が機密を引っこ抜いた上でライトニング号を売り払ったとしても。それら財閥が自前の技術者に復旧させ。更には横流しされた方舟の技術でも盛り込んでいたら、とんでもない怪物艦に代わる可能性がある。

とてもではないが、油断出来る状態ではない。

困惑の声がデモニカのネットワークに満ちる中、真田さんは言う。

「いずれにしても、どれだけ改造してもライトニングは方舟には勝てない。 それだけは断言して良い。 この船には世界最高の英雄達が乗っている。 これは精神論ではなく単純な事実だ。 マシンパワーや物資の量でどうしても勝てない相手は存在するし、戦略とはそういうものだが。 今回の場合は、戦略的な見地から考えても此方の不利にはなり得ない。 安心してほしい」

それで、一気に不安の声が聞いていく。

真田さんの発言が、どれだけクルーに信頼されているかがこれだけでも明らかだ。

ただ、真田さんですら圧勝とは言っていなかった。それは留意しなければならない。

真田さんは、更に発言を続ける。

「デルファイナスの調査の件だが、もう少しサンプルがほしい。 あの謎の繭について、調査を進めてほしい。 既に繭のあると思われる場所については、繭が出現した時点でデータを採っているので突き止めている。 戦闘も想定されるから、機動班はすぐに備えてほしい」

ようやく出番か。

すぐに物資搬入口に出向く。ヒメネスは先に待っていた。今回は、出る人数がかなり多い様子だ。

アレックスに対する警戒をしながら、更に何だかよく分からない繭の調査を進めなければならないのだ。

警戒はしすぎるという事は無いだろう。

ゴア隊長も、装甲車で出る。レールガンも野砲として持ち出し。据え付けが終わっていた。

会戦が出来るほどの規模の人員が出て、それぞれ指示通りに配置につく。

「アントリアの戦以来じゃのう」

サクナヒメが周囲を見てにこにこしている。やはり武神であるから、血が騒ぐのかも知れない。

調査班は唯野仁成ら機動班に守られて、一旦ベルトコンベアなどのプラントに関する物資を回収するだけ回収する。

敵は手の内の一部を見られたわけで、次からは激烈に反撃してくる可能性がある。機動班に選抜されたようなメンバーは、基本的に全員が実戦経験者だ。その程度の事は、言われなくても判断出来るだろう。

ビーコンを、ストーム1が打ち込む。

程なくして、方舟がその主砲をビーコンに向ける。

速射砲が火を噴き、ゴミの山が派手に吹き飛ばされ始める。何度も爆裂が連鎖する内に、何だか嫌な音がし始めた。

デモニカに警告が来ている。どうやら、ゼレーニンに対して行われた精神攻撃の類であるらしい。

現状は防げているが、嫌な予感がする。

ゴア隊長が、声を張り上げていた。

「総員、周囲を警戒! 敵の奇襲を防げ!」

武器を持っているクルーは全員が武器を出して、周囲を確認。悪魔も全て展開する。

前に比べてクルーが展開出来る悪魔がとても多くなっていることもあって、極めて壮観である。

激しい爆発が連鎖して、やがてゴミが崩れ出す。あの気色が悪い繭だか食虫植物だかが見えてきた。

そして、ストーム1が根っこらしい箇所をピンポイントで撃ち抜く。

スクールバスほどもある気味の悪い巨体が、転がりながら落ちてきた。

やはり触手を動かし、巨大な口を開いて、凄まじい声を上げる。根っこがつながって無くても、すぐには死なないと言うことなのだろうか。

皆が恐怖しているのを見て、またおぞましい声を上げる繭。ライドウ氏は、今度は何もせず見ていたが。

やがて、いきなり多数の触手を蠢かせながら、躍りかかってくる繭。元気いっぱいではないか。

総員が攻撃を開始する。壁を張る悪魔達もいるが。その壁を繭は軽々とぶち抜いて、乱入しようとしてくる。

だが、図上に躍り出たサクナヒメが、槌での一撃を叩き込み、吹っ飛ばす。

ゴミ山に突っ込んだ繭だが。多数の魔法の乱打を浴びながらも、すぐに体勢を立て直す。凄まじい叫びを上げて、此方に突貫してくる。

ヒメネスがモラクスを召喚。データはマンセマットに渡したが、別に現物を引き渡した訳では無い。魔王の巨体が、繭を受け止めた。繭はかぶりつこうとするが、毛むくじゃらの牛頭の巨体は、その体を押さえ込む。其所に、機動班が対物ライフルを一斉に叩き込む。もうライサンダーを渡されている機動班隊員も珍しくはないし、一瞬で倒せるかと思ったが。

恐怖の声が上がる。殆ど効いている様子が無い。

ライドウ氏が前に出ると、この間と同じように印を切る。印が、繭を包み込む。

そうすると、ようやく繭が大人しくなりはじめ。攻撃を止めよとサクナヒメがいい、皆が慌てて攻撃を止めた頃には。溶けて死に果てていた。

ライドウ氏が、通信を皆に入れる。

「仕組みの一つが分かった。 あの繭はアンテナだ」

「アンテナ?」

「今展開したのは、日本神道に伝わる術式の一つで、悪意を遮断するものだ。 あの繭は、悪意を際限なく吸収して、己の存在の担保に変える。 皆あの醜悪な姿を見て怖れていただろう。 それはそのまま、奴のエサになり、奴の力になっていたと言うことだ」

唯野仁成は戦慄する。

悪魔は精神生命体だ。それはわかっていても、それを此処まで完全に使いこなすとは思わなかった。

このような姿を見て、恐怖を感じない人間などいないだろう。唯野仁成だって、あの巨大な口でかぶりつかれたらと思ってしまう。ましてや触手や、あの巨大な牙だらけの口。見るだけで嫌悪感に取り憑かれるものもいるはず。そういえば、体は敢えてブツブツになっていた。

集合体恐怖症の人にも、この繭は色々きつい相手かも知れない。

なる程、分かってきた。此処の悪魔は、恐怖や嫌悪、憎悪といった負の感情を吸収してエサにしているのか。

それならば、納得がいく。

そもそも船の中に多数の分身を送り込んできたのは、人間の負の感情をエサにさせて成長させるか、いざという時操るためだったのだ。

ひょっとするとだが、此処の支配者はその分身そのものを売り物に、他の魔王と交易していたのではあるまいか。

あり得る話だ。

事実、ミトラスの所では色々不可解なものが発見されている。此処の主が出所ならば、全て説明がつく。

だが、我田引水という言葉もある。

素人である唯野仁成が考察するのでは無く、プロの分析を待つべきだろう。

更に、もう一つ段階が進む。機動班の面子が、アレを見ろと指さしたのである。

其所には、ゴミが減って、剥き出しになった山が現れていた。どうやら、今までゴミをせっせとくみ出していたのは無駄では無かったらしい。

とはいっても、山に足を踏み入れたら、足下からあの繭が姿を見せるかも知れない。

そうなったら、ばくりだ。ひとたまりもない。

アリスがPCから出ると、手をかざして山を見る。

おーと面白そうに声を上げるアリス。周囲が眉をひそめるので、唯野仁成はアリスに聞く。

「何かありそうなのか?」

「うん。 悪魔がたっぷり召喚されそうだよ」

「!」

アーサーから殆ど間を置かず、警告の通信が来る。

大量の悪魔の出現を検知。それぞれ、戦闘態勢を取るように、というものだった。

幸い、現在総力戦態勢にある。更にゴア隊長が、船内にいるクルーを呼び出し、戦闘に出られる者は全員出るようにと指示が飛んだ。

空間に、幾つか穴が開くと。

雑多な悪魔が、それこそ十把一絡げに、大量に虚空より現れる。

ああやって呼び出された悪魔が、毎日無秩序に殺し合いをさせられていた、と言う事なのか。

ただ数が多い上に、人間を見て明らかにエサだと認識したのだろう。此方に向かってきている。

先頭に立つサクナヒメが、手持ちの武器を剣に変えていた。

「迎え撃つぞ! 戦士達よ、勇気を振り絞れ!」

「おおっ!」

流石は武神。最前列に立って、皆を鼓舞する事には長けている。

程なく、無作為に向かってくる大量の悪魔を、方舟の対空迎撃システムも連携しての迎撃戦が開始される。

アリスがぶっ放した極大火力の魔法でも、生き残りがかなり出る辺り、相当に悪魔の質が高い。前線に接触する前に、サクナヒメが疾風のように悪魔を斬り伏せるが。かなり強い悪魔も点々と混じっているようだった。

激しい戦いがしばらく続く。負傷者は即座に戻るように指示が飛び。兎に角無理はさせずに戻らされる。唯野仁成は、最前線でライサンダーをぶっ放し。或いは剣で接近してきた悪魔の首を刎ね飛ばしながら、冷静に観察する。

敵は群がるように迫ってきているが、どうにも様子がおかしい。やはり、無茶苦茶に仕掛けて来ているだけのようにも思える。

誰かの悲鳴が上がる。地面に押し倒されて、そのまま殺されそうになるクルーがいた。

即座に地面にクルーを押し倒していた悪魔の首が飛ぶ。ライドウ氏が、一瞬の早業で抜き打ちを放ったのだ。

悪魔の群れは引くことを知らず、やられてもやられても迫ってくるが。

その全てが悉く撃墜されていく。

二時間ほどして、大量の負傷者を出した上。野戦陣地にも多大な被害は出したものの。

どうにかクルーの戦死者を出すのは防ぎ、凌ぎきった。

だが。また同じように悪魔を出現させられると、防ぎ切るのは厳しいだろう。

すぐにゴア隊長が、隊員達を方舟に戻す。広めにプラズマバリアを展開して、一旦回復に専念する事にする。

野戦陣地とプラントをプラズマバリアで守っている状態だから、若干不安ではあるが。そもそも今の戦いで、方舟は弾丸の半分ほどを失ったらしい。プラントを止めるわけにはいかないだろう。

誰もが無言になる。完全に正気を失って迫ってくる悪魔の群れを見て、恐怖を感じざるを得なかったのだろう。

PTSDを発症しなければ良いが。

そう、唯野仁成は、自室のベッドで横になりながら、考えていた。

或いはゼレーニンにそうしたように。

それが、敵の目的そのものなのかも知れない。

だとしたら、少しばかり下劣だ。ヒメネスは心理戦だと否定しそうだが、あまり個人的には賛成したくない。

じっと手を見る。

敵を斬った感触は。デモニカによる支援があるとしても、どうしても残っていた。

 

4、ゴミ山の裏で

 

アレックスは最高の機会だと判断して、悪魔の大軍と交戦を開始した次世代揚陸艦の方に向かったのだが。

それに立ちふさがったものがいた。

即座に悪魔を展開する。油断どころか、手を抜ける相手では無いからだ。

大天使マンセマット。

未来にて、破滅を作る原因の一角。天界の重鎮で、天使の中でも相当な強者である。

今までアレックスがマンセマットと交戦した事は何度もあるが、「この世界」では、この間インドラの矢を防がれたときの交戦が初である。

いずれにしても、はっきりしているのは。

此奴の実力は、現時点のアレックスでは、全戦力を動員しても勝てるかどうか分からない、と言う事だ。

「おっと、行かせませんよ」

「この世界に巣くっている魔王アスラの性質は貴方も知っているでしょう。 邪魔をされる理由は無いはずだけれど」

「理由は二つ。 ゼレーニンを貴方の汚い手に掛けさせるわけにはいかない」

「どの口が言うかっ!」

激高するアレックスだが、マンセマットは涼しい顔である。

此奴のせいでゼレーニンがどんどん一神教の信仰に耽溺していき、最終的には世界を滅ぼすトリガーを引く。

それは既に自分の目で確認している。ゼレーニンを殺そうとしているのは、それを防ぐためなのだ。

マンセマットは天使かも知れないが、はっきりいってその存在は手段を選ばない野心家である。

天界の天使達はいずれもが心清き存在であり、唯一絶対の神に忠実な下僕である。

そういう話は聞いた事はあるが、とんだお笑いぐさだ。こいつが野心によってゼレーニンを傀儡化しようとしていることを、アレックスは知っているのだから。

それだけじゃあない。

「もう一つは、ゼレーニンの成長のためです。 精神に干渉する事を得意とする此処の悪魔に打ち克ったとき、ゼレーニンの心は更に美しく研磨されるでしょう。 それを邪魔されるわけにはいきません」

「何が……!」

「バディ、落ち着け。 冷静さを欠いて勝てる相手じゃあないぞ」

「……そうね、ジョージ。 落ち着いたわ」

アレックスは、展開しているパラスアテナ、ダゴン、インドラにそれぞれ周囲の天使どもを任せる。

マンセマットを此処で屠ってしまうと言う手もあるのだ。そうすれば、ゼレーニンをたぶらかすペ天使はいなくなる。

勿論簡単に倒せる相手ではないだろうが、此処にいる手持ちの悪魔達の総力を挙げれば。

突貫。マンセマットは、にこにこと笑ったまま、構えもとらない。

嫌な予感がしたので、サイドステップして全力で避ける。予感は的中。至近に、特大クラスの雷撃が直撃していた。

喰らっていれば、此処まで成長したデモニカでも、危なかったかも知れない。

マンセマットは余裕の様子。更に、魔法を使った様子も無い。

此奴では無い、ということだ。

では誰だ。

殺気に気づき、斬撃をかわす。髪の毛が数本散らされた。飛び退きつつ、銃弾を乱射する。

弾丸を防いだのは。小柄な女神だった。花の冠を被った、子供の様に幼い顔つきの女神。

間違いない。女神デメテル。秩序陣営の悪魔として、シュバルツバースで活動しているのを確認していたが。

此奴、こんな所にいたのか。

小さな手を振るっているデメテル。今の斬撃、まさか手刀か。こいつ、この見かけで、とんでもない武闘派だ。此奴との交戦経験は無い。今回で、解析するしかない。

「あらあら。 もう少しでざっくりでしたのに」

「助かりましたよデメテルどの。 不埒なる闖入者を撃退するべく手を貸していただけるとは、何とも光栄です」

「良くも動く口ですわね。 まあ収穫のためですわ。 本来なら一神教の天使など、手を貸すのも反吐が出ますのに、こうしなければならない我が身がのろわしい」

「そういわないでいただきたい。 何ならこの戦いが終わった後、貴方を天界の重鎮、大天使としてお迎えいたしましょう。 何なら神霊でもかまいませんよ」

くつくつと笑うマンセマット。まるでバケモノ同士の化かし合いだ。

アレックスは呼吸を整える。そして、周囲を軽く見た後、跳躍。その場を離れに掛かる。

見たところ、マンセマットとデメテルの実力は殆ど互角。

早い話。まともにやりあって、勝てる相手では無くなったという事だ。

ジョージに言われるまでも無い。此処は撤退の一手しか無かった。

「おっと、逃がしませんよ」

マンセマットが初めて能動的に動く。空から無数の光の矢が飛び来て、アレックスの残像を次々貫く。

冷や汗が流れる中、前を塞ごうとしてくる天使を片っ端から斬り伏せつつ、その場を離れに掛かる。敵は追撃をしてこないが。パラスアテナ達は既にロストしているようだった。

ようやく敵の反応が消えた後、悪魔達をPCに戻す。ダゴンもインドラもやられていた。どっちもそれぞれ重鎮とも言えるほどの悪魔なのに。それでも勝てないほど、あの二匹が強いと言う事だ。

特にデメテルには、空恐ろしいものを感じる。

マンセマットはまだ分かりやすい。あいつは野心のために動いている。そして、ゼレーニンを籠絡することに成功した世界では、奴は野心を達成してしまうのである。

だが、デメテルは。

此処数回のシュバルツバースへの挑戦で見かけるようになったあのオリンポス十二神の重鎮は、どうにも動きと考えが読めない。嘆きの胎にいる囚人の解放を狙っているようではあるのだが。

それにしてもおかしな動きが多すぎる。

「アレックス。 この世界からの撤退を推奨する」

「……まさか、マンセマットとデメテルが連携して動いているとはね」

「それもある。 だが、まだ不確定な動きをする第三勢力が他にもいる」

そうだった。毎回姿を変えている、不可思議な奴。正体は分からない。分かっているのは、混沌勢力の大物だと言う事だ。今回も恐らくだが、当然のように来ているだろう。どんな姿をしているのかは分からないが。

確かに、こんな状況ではもはや唯野仁成にも、ヒメネスにも、ゼレーニンにも、仕掛ける余裕は無いだろう。

この間、ヒメネスへの攻撃を躊躇ったり。

ゼレーニンを仕留め損ねたのが、本当に効いてきている。

どうしてヒメネスを仕留めきらなかったのかと、ジョージにも苦言を呈されたが。

ヒメネスを必至に守ろうとするあの弱そうな悪魔を見て、思い出してしまったのだ。

凶行から自分を守ろうとして、散ったあの人を。

私は、凶行に手を染めた、彼奴らとは一緒になりたくない。

非情になると決めたのに。

どうしてもアレックスは、非情になりきれていない。

やはり戦士には向いていないのだろうか。

極限までデモニカを磨き抜いて強くなったというのに。根本的に向いていないというのだろうか。

しばらく黙り込んでいると、ジョージは言う。

「パラスアテナ達を回復させ次第、嘆きの胎に向かおう。 恐らく奴らは、看守悪魔との苛烈な戦いを嘆きの胎で行うはずだ。 それを考えれば、其方の方がまだターゲット抹殺の好機があると言える」

「……」

「フォルナクスに奴らが到達する頃には、唯野仁成は更に強力な悪魔を手に入れる。 更に今回は、奴らには得体が知れないアンノウンが複数ついている。 いっそ、この世界は諦めるのもありだぞバディ」

「いや、やるだけはやりましょう。 幾ら平行世界がたくさんあるといっても、この世界に生きている人達はいるのよ」

アレックスはそう、絞り出すように言うと。

顔を覆って、しばらく一人にしてほしいと告げた。

ジョージは意を汲んだのか黙ってくれる。

どんなに世界が腐っていたとしても。たくさん、必死に生きている人はいる。そんな人達を地獄に叩き込まないためにも、アレックスがやらなければならないのだ。

しばしして、気分を整え直すと、アレックスはジョージに告げる。

嘆きの胎に向かうと。

力を蓄え。暗殺の好機を窺うために。

 

(続)