攻城戦

 

序、豚王の迷宮

 

アレックスの存在が極めて不安定な要素になっている。それは誰もが分かっている。

スペシャルが全力を挙げないと対処不可能。オーカスとの戦いでも割って入られるかも知れない。

ボーティーズでも不確定要素として最悪の存在になったアレックスだが。

今回も、それは同じ。しかも、カリーナから脱出するスキップドライブが検知されていないと言う事は。いる、ということだ。

勿論方舟への強襲も警戒しなければならない。

一人はスペシャルが方舟に残らなければならない、と言う事だ。

ゴア隊長が結論を下す。

まず先に、アレックスをどうにかする。

その後で、精鋭を募って、一気にオーカスを倒す。

その説明を聞いて、判断は間違っていないと唯野仁成は思った。

だが問題は。アレックスを実際問題どうするか、である。

アレックスが着ているデモニカは、今方舟のクルー達が着ているデモニカよりも、性能が明らかに上だ。

一世代以上上のデモニカを着ていること。

悪魔召喚プログラムも使いこなすこと。

これらからは、アレックスが何処かしらの得体が知れない組織からでも技術提供を受けているのか。

或いは、もっと他の理由から、凄まじいテクノロジーを持っているのか。

どちらも分からないが。はっきりしているのは、そのデモニカの性能を引き出しきっている事だ。

アレックスなんて国際手配犯罪者は唯野仁成も聞いた事がない。

彼処までの実力なら、国際再建機構でもマークされそうなものなのに。

問題は軍人として、唯野仁成は現実的にアレックスに対処しなければならない、という事である。

更にアレックスは、どうもヒメネスやゼレーニンも狙っているらしい。

これらを利用するしか無いだろう。

ゴア隊長が、作戦を練る。そして、皆に放送で伝えてきた。

「オーカスの波動は、現在かなり弱体化している。 オーカスバスターはいつまでも効く、と信じたいが。 相手は魔王とも呼ばれる最高位悪魔だ。 それは楽観として、効いている間に仕留めたい」

その通りだ。

調べて見た所、オーカスというのはどうにも存在が曖昧で、一説によるとギリシャ神話の憎悪の神であるエリスの息子の一柱であるという。エリスは憎悪の女神として名高く、その息子であるオーカスも正義に対する存在として知られている、そうだが。

どうにも正確な資料が乏しい。

そもそもどうやら後世に有名になった存在らしく、本来はもっと別の神格。

ローマ神話のオルクスと呼ばれる冥界の神が貶められたものであるという説が強いようなのだが。

だとするとあの豚の姿は何なのだろう。

いずれにしても、更に強化される可能性は決して否定出来ない。

今のうちに倒すしか無い。

それについては、唯野仁成も同意である。

「姫様」

「おう」

「姫様がアレックスと最も豊富に戦闘経験を積んでいる。 アレックスの食い止め役を任せられるだろうか」

「気持ちは分かるが、わしだけでは無理だな」

アレックスはこの間、高位の女神であるパラスアテナを召喚して見せた。悪魔召喚プログラムでも、この方舟にいるスペシャル達を凌駕している、と言う事だ。

勿論それに対しても、ゴア隊長は対策している。

「ケンシロウ」

「……」

「貴方にも協力してほしい。 ヒメネス、君はこの二人と連携して、アレックスの足止めをする作戦に参加してほしいのだが、頼めるか」

「確かにアレックスを止めるには、なんでか奴が狙っているらしい人員を出すしかねえでしょうね。 だが、それで何とかできるんですかい?」

ヒメネスの不遜なものいいだが。

確かにその通りだ。そもそもどうやってアレックスを誘引するか、というのもある。

これに対して、ゴア隊長は作戦を提示した。

「まずサクナヒメとケンシロウの班はそれぞれ分かれて、機動班クルーとともにオーカスの迷宮に突入。 オーカスの迷宮は、現在判明している部分に電波中継器を撒いたことで、大まかな地図が出来ている」

「なんだこれ……」

誰かがぼやく。

あまりにも立体的で、ぐちゃぐちゃで、訳が分からなかったからである。

それもまあ無理はないだろう。水平に移動している筈が、二階にいたのが三階にいたり。逆のパターンもあったりしている。

電波そのものは届くようだが。中継器の範囲から外れると、もはや其所が何処か分からないのである。

「アレックスは相当な戦闘巧者と見て良い。 不自然な動きをすれば、即座に対応してくると見て良いだろう。 其所でサクナヒメ、君はヒメネスと共にこの地点に出向いてほしい」

「……この辺りに何かあるのか」

「この辺りは未探査地点だ。 此処を探査するフリをする。 アレックスは恐らくそれに気付く筈だ。 其所を釣る」

ヒメネスを確実に殺すために、アレックスは前回以上の戦力を出してくる可能性が高い、とゴア隊長は言う。

この辺りは、スペシャル達と話して出した結論なのだろう。

頷くヒメネス。流石に豪放なヒメネスも青ざめているように見えた。

「アレックスが釣れ次第、迷宮内部に潜んでいたケンシロウ班が移動開始。 アレックスを姫様と一緒に押さえ込んでほしい。 倒す必要はない。 傷を与え、撤退に追い込めればそれでかまわない」

「分かった……」

「そしてストーム1。 アレックス出現と同時に、唯野仁成と他精鋭機動班と出陣。 オーカスを仕留めてくれるか」

「任せてほしいと言いたいところだが、まだ奴までのルートが確保出来ていない」

その通りである。

ヒメネスが釣りとして出向く地点の先に、オーカスがいるかも知れない。

それについては、ゴア隊長が指示を出すという。ともかく、移動地点に電波中継器を撒いて、マップを常に刷新し。交戦地点を変えて行くしか無いと言う事だった。

アリスが案内をしてくれるが、彼女は気まぐれだ。

しかも、まだ入り口付近しか迷宮を探索できていない状態である。

唯野仁成は、アリスを呼び出す。

それを見て、ゼレーニンが眉をひそめた。船内で悪魔を呼び出すのは不要不急の事態以外では禁止、だからだ。ましてや奔放で残忍な所もあるアリスは、ゼレーニンには良く思えない相手だろう。

「アリス、合図を出し次第、オーカスへの直通路を案内できるか」

「直通路なんてないよ。 あの豚ってすんごく用心深いから、迷宮ぐっねぐね。 何度も出入り口を通って、どうにかたどり着ける感じ」

「……それでも案内は出来るだろうか」

「お、豚丸焼きにするの!?」

アリスが目を輝かせる。

当然ゴア隊長も、デモニカを通じてやりとりを聞いている。

「出来れば、今度の戦いでけりをつけたい」

「いいよ、俄然やる気出て来た! おじさん、ぬいぐるみも直してお洗濯もしてくれたもんね!」

「ああ」

アリスがショッピングモールから持ち帰ってきた兎のぬいぐるみ。

唯野仁成が繕い。インフラ班に頭を下げて洗濯もして貰った。勿論洗濯だって無制限に出来るわけじゃ無い。そんな中、強力なアリスという悪魔の機嫌を取るために、敢えてぬいぐるみの洗濯をして貰ったのだ。

結果、新品同様に綺麗になったぬいぐるみが出来。

アリスはすっかり唯野仁成に心を許してくれている。ただし、アリスの残虐性や気まぐれさは何も変わっていない。

多少制御しやすくなった、程度である。要するに、機嫌を損ねれば何をするか分からない危険な悪魔であることに代わりは無い。

ゴア隊長が咳払いをする。

「アリス、話を聞いても良いだろうか」

「うん、いいよー」

「具体的な敵までの直線距離、移動まで掛かる時間は分かるだろうか」

「ええとね。 貴方たちの使ってる単位だと四qって所かな」

四q、か。

ゆっくり歩くと一時間という所だろうか。そして迷宮内部では戦闘も当然想定されるのである。

オーカスが放ったと思われる、悪魔の残骸が山ほど待ち構えているのだから。

オーカスは軍勢を持たないという点で、今まで戦ったモラクスやミトラスとは違っているけれども。

決してオーカスそのものが弱い訳では無い。

一旦ゴア隊長が通信を切る。恐らくアーサーに、突破所要時間や戦力を計算させているのだろう。

程なくして、また通信を入れてくる。

「本来の倍の規模の隊を編成する。 四qの距離を突破するには、それくらいの戦力が必要と判断した。 今まで戦闘に出て貰った機動班の内、嘆きの胎に降りた経験がある隊員は全員出て貰うつもりでいて欲しい」

「イエッサ!」

ゴア隊長は此処で総指揮を執る。

プラントは、まだわずかに残っているオーカスの吐瀉物をどんどん物資に変えているが。

その上で、真田さんに注意もされている。もうオーカスバスターは効かない可能性が高い、と。

オーカスバスターを引き渡されたときに説明を受けたが、情報を吐ききったらもうオーカスにあの武器は通用しないと言われた。

ただ、その代わりオーカスには無敵の肉体はもうない。充分戦いが出来る筈だ。

更に、ストーム1が背負っているライサンダーに改良が加えられているのが分かった。

最近の戦闘で力不足を感じたから、だろう。

ストーム1は何も言わなかったが。真田さんが黙々と改良していたらしい。

今後ライサンダー2、F、Z、ZFと段階を踏んで改良をしていくそうだ。

いずれにしても、今までのような銃弾を弾き返す悪魔に対する対策をした弾丸を入れていくそうで。

此方としては頼りにしたい所だ。

「それでは、出撃。 作戦の成功を祈る!」

ゴア隊長の指示の元、サクナヒメ班とケンシロウ班が出る。

どちらも分隊規模だが。

迷宮を利用して、アレックスとの戦闘に晒されるメンバーは最小限にする予定である。

ヒメネスは悪魔合体を駆使して、また強力な悪魔を作り出していた。

アリスの戦闘をデモニカ越しで見て、強いのがほしくなったのかも知れない。

いずれにしても、なかなかの悪魔のようだ。

二チームが出た後、ストーム1が隊員達を呼ぶ。

隊員の中にはメイビーがいる。メイビーを名指しで呼んだので、彼女はちょっと驚いたようだった。

「今度の戦闘は長期戦になる。 悪魔の回復魔法だけでは恐らく足りなくなるだろう」

「はい。 私の仕事があるかも知れない、と言う事ですね」

「そうなる。 それと例の装置をもっと撒いてほしいと真田技術長官からの連絡があったから、それも頼む」

「分かりました」

一個小隊ほどでは無いが、それでも十二名。外での正式一個分隊よりも少し多いメンバーだ。

この全員が嘆きの胎で戦闘を経験し、生還している。

つまるところ、一線級の戦力を全部集めたと言う事だ。

ゴア隊長の本気度がよく分かる。

そして作戦を失敗するわけにはいかない。

今、オーカスの波動は極めて弱体化しているが。それにしても、この世界に降臨した時に連れていた悪魔を。用済みになるやみな喰らってしまうような奴だ。

何をしでかすか分かったものではない。

絶対に見つけ次第殺す。

唯野仁成は、珍しく本気で頭に来ていた。

別に唯野仁成は仲間意識が強いわけではない。ただ、自衛隊の第一空挺団にいた頃から、単独行動をすることと、仲間と連携して戦う事は別だと考えていたし。仲間と連携して戦うには、自身の行動が重要だと考えていた。

他人に自身の考えを押しつけるつもりは無い。

だが、自分は絶対に他人を裏切らないくらいの覚悟でいるつもりだ。

例え此処が人外の土地であっても、である。

それくらいの強い心を持たなければ、こんな場所から生還することだって。このシュバルツバースを解析し、破壊する事だってとうてい出来やしないのである。

だったら信念を崩さない。心を強く持つ。それだけだ。

ほどなくして、サクナヒメ班、ケンシロウ班がショッピングモールに入る。

アレックスはどういうセキュリティを敷いているのか分からないが、全く探知出来ない。少なくとも電波関連でステルスを敷いているのは間違いないだろう。

まずサクナヒメが、ヒメネスと少数の精鋭とともに出立。入り口はケンシロウ班が固める。

ケンシロウはぼーっとしている様子だが。

いざとなったら、それこそ車もびっくりの速度で走り出す。

周囲は冷や冷やしているようだった。

そのまま、しばし待つ。サクナヒメ班は、迷宮で軽く戦闘し崩れた悪魔を蹴散らしながら、指定の地点に到達。周囲を探索しているように振る舞いはじめる。

さて、アレックスは食いつくか。

「此方ヒメネス! 来やがったぞ赤黒が!」

来た。殆ど何のタイムラグもなかった。

同時にケンシロウ班が動く。実はサクナヒメ班が向かった地点は、もう一つ入り口が確認されている場所。

若干迷宮を迂回しなければならないが。アレックスの背後を取る事が出来るのである。

そしてアレックスは、どうやら迷宮に入る能力を持っていない。

相当に優れたデモニカを着ているが。それでも、その機能だけは此方が上と言う事である。

「よし、ストーム1! あの不遜な大食いの魔王に、引導を渡してくれ!」

「イエッサ! よし、一人も欠けずに帰還するぞ! 負傷は恥じるな! だが、死ぬ事は絶対に避けろ!」

「イエッサ!」

ストーム1はゴア隊長に。

皆はストーム1に。

それぞれ敬礼を返した。

ショッピングモールの入り口に殺到する。既にPCから出ているアリスは、先頭をすーっと飛びながら、まっすぐ迷宮の入り口を目指している。

かなり飛ぶのは速い。

「君の実力で、良く俺に従ってくれたな」

「え、私の実力半分も出てないよ。 豚に食べられて、だいぶ吸われちゃったから」

「半分も出ていなくてあれか」

「んー、でもね、豚が私の能力を使いこなす事は出来ないと思う。 だって私の能力って、あの豚より上位にいるおじさんたちが作ったものだから。 あー、ひょっとすると……」

アリスが言いよどむ。

スチーム1が、今度は聞き返した。

「ひょっとしたら、何かあるのか。 作戦の成功率は1%でも上げたい」

「えっとだけれど……あの崩れた悪魔達、ひょっとすると私の力が豚に食べられた悪魔に混ざったものかも」

「そうなると、あの凄い魔法を使ってくる奴がいるかも知れないって事!?」

「いや、それは無理だと思う。 多分自壊しちゃう」

そうか。いずれにしても、オーカスの非道についてはよく分かった。アリスは戦闘経験でどんどん強くなると言う事だし、戦って貰う分には悪くない。ただアリスはマッカをどか食いする。

しばらく新しい悪魔を作れそうに無い事を、唯野仁成は覚悟していた。

あの崩れた悪魔が落とすマッカはそれほど多く無いのだ。調査班が回収してきて、既に判明している。

今方舟で所有しているマッカの総量は、嘆きの胎で稼いだとはいえ。皆も新しい悪魔を作ったりしているから、有限だ。

唯野仁成が、アリスのためだけにと、マッカを大量要求するわけにもいかないのである。

厳しいのは、皆同じなのだから。機動班は特に、強い悪魔を幾らでも必要とする。無駄に出来るマッカなんてない。

迷宮の中に入ると、数こそ減っているが、まだまだあの崩れた悪魔がお出迎えをしてくる。

先にサクナヒメ班とケンシロウ班が通ったはずなのに、まだまだ安全確保はで来ていないということか。

アリスは迷いなく進んでいく。一応、行く先にサクナヒメとアレックス、更にケンシロウが戦闘している地点が無い事は確認済みだ。

どん、どん、と凄い音がしているのが聞こえる。

もうどうやら、人外の戦場は出現しているらしい。サクナヒメは更に畏怖を集めて力を増しているが。それでもアレックスに単独では及ばないだろう。

それに唯野仁成には、あれきり姿を見せないデメテルや、それに天使達の事が気になる。

彼奴らが変な所で横やりを入れてこなければいいのだけれども。

「うわー、邪魔ー」

幾つか目の迷宮に入ったところで、また大量の崩れた悪魔が出てくる。

皆がアサルトライフルで弾幕を作るが、ストーム1が下がるように指示。携行している大型グレネードを取りだした。

まずい。あれは見た事がある。

「リャナンシー、壁を!」

「私もー」

アリスも壁を展開してくれる。そんなの張れるなら、パラスアテナの攻撃を受けた時に展開してくれれば良かったのに。

ストーム1が使ったのは、単独で面制圧をと言うコンセプトで開発された、大量のグレネードを一気に投射する大火力兵器。スタンピードである。

文字通り悪魔の群れが、通路の中で反響する爆発もあって消し飛ぶ。

後は大量のマッカが残るのみだった。

「あまりこの武器は残弾がないんだがな」

ストーム1はぼやくが。それでも、此処での時間ロスをかなり減らせたのは大きい。

アリスに導かれて、不思議な迷宮を行く。

勿論、不思議の国のアリスのような、ロマンチックな体験では無く。おぞましい地獄絵図を通っての事だったが。

 

1、天使と堕天使

 

ひくりと、マンセマットは頬を引きつらせていた。

良い感じで情報を集めて、つぎの世界の確認をしようと思っていたところだったのだが。

偵察に出した配下の天使部隊が戻らないのである。

マンセマットは悪魔を従える事も許された、天界の汚れ仕事専門の天使、いわば掃除屋だ。似たような役割の天使は他にもいるが、その権限は大きい。かのモーセの逃避行にもマンセマットは関わっている。

ただ、人の世界の信仰は。天界の汚れ役というものに、敬意を払わなかった。

時代を経ると共に、そもそも汚れ役を悪と見なす輩や。そもそも神が完全なら何故に悪がこの世にはびこるのかと考える輩が。

天使の中から、悪を見繕うようになっていった。

それが「敵対者」である。後の時代に「サタン」と呼ばれるようになったものの原型。最初「サタン」というのは固有の悪魔ではなく、悪さをする天使そのものの意味だったのだ。

所詮神は精神生命体。そして神に仕える存在である天使だって同じ事。悪魔使いの人間が、全てを等しく「悪魔」と称しているのもある意味間違ってはいない。根本的な所では、所属する勢力が違うだけで同じなのだから。

いずれにしてもマンセマットの立場は悪くなるばかりだった。

実力はいわゆる四大天使にも劣らないのに。神の覚えがこうも悪くなるようでは、天界での席次は落ちる一方だ。

だから今回の件を買って出たのである。

もしも上手く行けば、いい気になっている四大どもを一気に出し抜くことだって可能だろう。

鉄船の人間共を率いる英雄の内、異国の神。

サクナヒメだったか。あれは、おそらくマンセマットの内心にある野心や渇望を見抜いていただろうが。

だがその程度の事はどうでもいい。

何重にも張り巡らせた糸がある。それを絡め取って、やがて目的を果たせば良いのだから。

「報告します」

「ええ」

「第三小隊、連絡を絶ちました」

「……ご苦労。 味方をまとめておきなさい」

何かが邪魔をしている。

実の所、マンセマットは数億と呼ばれる天界の軍勢の内、ごくわずかしかこの世界。人間がシュバルツバースと呼んだ土地には連れ込んでいない。今配下としている天使は、ほとんど現地調達したものだ。

この世界がどういう存在かは、マンセマットもとっくに知っている。

勿論人間に真実を言うつもりはないが。

そもそも手下を効率よく増やすために、人間にデータの提供を要求したのだから。

いずれにしても、何かが邪魔しているのは確か。現地調達した部下をこうごりごり削られると、非常に腹立たしい。

マンセマットは決断を迫られる。

今、唾をつけている人間。ゼレーニンというあの美貌の持ち主は、もう二押しくらいしないと転ばない。

放って置いても、どうせこの地で嫌と言うほど人間の業を目にする事になる。その筈だった。

だが、あの鉄船に乗っている連中が、やたらと強い。それぞれが、大規模な天界と魔界の激突を鎮めかねない程の英雄ばかりだ。

あいつらと一緒にいると、ゼレーニンは抱き込めない。

だから、情報をもっとしっかり集めておきたい所だったのだが。

「ソロネ達よ」

「は。 此処に」

ソロネ。

天使の中でも、上級に位置する天使。正確には上級三位の天使達である。

炎に燃え、輪の中に佇むような姿をしているソロネは、座天使とも呼ばれる。マンセマットが所属する、天界の重鎮たる大天使達は地位としては上級一位に属するが。今回連れ込んでいるソロネ四体が、マンセマットの腹心と言う事になる。ややこしい事に下級二位にも大天使が存在するのだが、それはまたマンセマット達天使の大幹部とは別である。

「どう状況を見ます。 それぞれ意見を述べなさい」

「偵察部隊にはヴァーチャーやドミニオンら中級天使がいました。 彼らが戻らないと言う事は、何かとてつもなく危険な悪魔がいることになります」

「ふむ。 オーカス以上の実力者がいると」

「恐らくはそうでしょう。 戦力を消耗しきるまえに、一旦此処は距離を取ることをお勧めいたします」

他のソロネ達も同じ考えの様子だ。内心舌打ちする。

そもそも天界の天使達は、秩序というものに芯から染まりきっている。神の与える正しいものを甘受することに一切疑問を持たない。

自分で思考をするという能力が、著しく衰えきっているのだ。

これは汚れ役をしているマンセマットから見ればよく分かる。

勿論マンセマットも神に対する忠義は誰にも負けていないつもりではある。だが、同時に自己顕示欲だってある。

そうでなければ、他の大天使どもが気取って受けようとしない汚れ役なんて、進んでこなすものか。

いずれにしても、ソロネほどの高位天使であっても、こうも意見が揃うと言うことは。此奴らに自主的思考は期待出来ない、と言う事だ。

まあいい。そもそも此奴らには戦闘力以外一切期待していない。

マンセマットが頭を働かせれば良いだけのことだ。

「一度此処を離れますよ。 これ以上の戦力喪失は好ましくない。 この先にある魔王アスラの潜伏している世界で、力を再度蓄えましょうか」

「天使達を集めるのですね」

「そうなります。 いずれにしても私の力によって、これら連続した世界からは、つぎつぎに天使達が集まっています。 それらの天使達を取りこぼさず集めれば、いずれそれぞれの勢力の長どもでも好き勝手は出来ない防御網をくみ上げられるでしょう。 彼らがいう「大母」たちの空間でもね」

くつくつと笑うと。マンセマットは光の軍勢と共に、一旦鉄船のいる空間から離れた。

此処で倒されるわけにはいかない。

鉄船の人間達には、マンセマットを疑っている者もいる。

此処でボロを出すわけにはいかない。野望を達成するためにも。

 

頭を握りつぶした天使が、光の粒子になって消えていく。

さいふぁーと名乗っている堕天使は、空を見上げた。どうやら慎重なマンセマットは、一時撤退を選んだらしい。

これで、オーカスの邪魔をする者はいなくなった。

同様に、鉄船の連中もマンセマットにちょっかいを出されなくなる。

両者はフェアな条件でぶつかり合う事になる。それでいい。それでこそ、色々な可能性がぶつかる。色々な未来が生じる。可能性を増やしたい。それがさいふぁーの願いだ。

それにしても、だ。分からない事が幾つかある。

あのアレックスという人間。明らかにおかしな力を感じる。強いと言うより異質なのだ。

鉄船の中にいる英雄達にも強いのがいる。中にはさいふぁーと昔戦った奴すらもいる。

だけれども、それとはまったく別のおかしな力だ。さいふぁーはこれでも力に自信がある方なのだが。

それでもどうにも正体が分からなかった。

ふと、背後に気配を感じる。相手に殺意はないから、別に迎撃はしない。振り返ると、其所にはギリシャ風の衣服を纏い、花の冠を被った、小柄な女神が降臨していた。

古い古い知り合いである。なお、ローマ神話時代はともかく、争ったことはない。

「あらあら、これはとんでもない大物がおいでですわね」

「そちらこそ。 オリンポス十二神の大御所格ではないですか」

そう、そこにいるのはデメテル。オリンポス十二神の中でも上位に食い込む力を持つ、強大な女神だ。ローマ神話時代はケレースとも呼ばれた。

デメテルの実力は侮れない。一神教が最大勢力を持っている人間の世界でも、未だに物語として愛されているギリシャ神話は、信仰としては死んでいても神々の知名度では死んではいない。

神々が知られていると言う事は、それだけの畏怖を集めると言う事だ。

デメテルの実力は、さいふぁーでも一目置くほどではあるだろう。負けるとは言わないが、余裕では勝てない。さっきまで潰していた、羽虫のような天使とは次元違いだ。

ましてやこの空間では。デメテルは更に力を増しているようにさえ思える。

スカートを摘んで挨拶すると、デメテルはくつくつと笑う。

「老人になったり子供になったり、青年になったりと聞いていますけれど。 最近は女装にはまっていますの?」

「この姿は、非業の死を遂げそうになった地上世界の西欧にいた不幸なメイドから譲り受けたものだよ。 彼女と契約したのさ。 人格の一部と姿を荒事時に使う事を許してほしいとね。 その代わり私は理不尽に命を落とそうとしていた彼女を助けた。 その後彼女は心優しいご主人と結ばれて、子供達も出来て、今は天寿を全うしてあの世だよ。 もう百五十年も前の話だ。 勿論魂を奪ったりも地獄に連れ込んだりもしていない」

「あら、意外に義理堅いんですのね」

「私はいつも契約を守るし他の悪魔よりもむしろ契約のリスクは緩い。 私の様々な姿や人格は、基本的に助けた人間から契約の対価として借り受けているものなのさ。 私は人間の世界を歩くのが好きだ。 人間達の中には、たまに腐りきった世界で一生懸命真面目に生きている尊敬すべき者がいる。 そういう者に協力して、幸せな人生を渡し、代わりに荒事の時に使う姿や形を許可を得て借りる。 それだけだよ。 本来神が救うべき存在を神が救わない。 だから始めたちょっとした遊びさ」

肩をすくめるデメテル。理解出来ないという風情だ。

ギリシャ神話の神々は、人間を玩具くらいにしか思っていない。トロイア戦争のエピソードを見れば明らかだ。

それに対してさいふぁーは、あくまで「後付にて作られた悪しき天使」にすぎない。

神を完全、絶対と言っておきながら。この世の不完全性を説明するために、一神教が後付で作り上げた悪。

だから後の時代になればなる程その姿や言動は凶悪になったが。

さいふぁーくらいになると、その信仰をある程度はねのけて、逆にカリスマに。そして自我を得る事も可能となった。

だから堕天使達はさいふぁーに忠誠を誓うのだ。自分達に希望を与えてくれる星として。

しかしながら彼らはもう天使には戻れないのだ。人間社会の信仰が故に。

それにしても、身勝手極まりないオリンポス十二神の存在は、人間達だって分かっているだろうに。

どうして今でもその物語が魅力的なストーリーとして伝わっているのかだけは、さいふぁーにもよく分からない。

「それで、私と貴方に今は利害関係はないと思うのですが?」

「うふふ、そうですわね。 そして手詰まりなのは共通している。 そこで情報のみ交換と行きませんこと?」

「ふむ……」

「私は知っておりますわ。 この世界の最深部に何が眠っているのか」

ほう、とさいふぁーは呟く。

デメテルがさっきから周囲に結界を展開しているが、それはこのためか。こいつ、結構な食わせ者じゃ無いか。

そう思うと、ちょっと面白い。

「あわわ、びっくりですう。 私は何を提供すればいいですかぁ?」

「ふふ、それがそのメイドさんの人格ですのね。 ……唯野仁成という人間はご存じですわね?」

「ええ。 とても魂が綺麗で、ご主人様のようです」

「そのメイドさん、余程素敵なパートナーに恵まれたんですのね」

一瞬だけ、デメテルの口調に影が差す。

まあそれもそうだろう。ギリシャ神話の物語は、骨肉の醜い争いが延々と続くドロドロのものだ。

冷酷なオリンポスの神々には、多くの人々が弄ばれ。神々も凄惨な争いを繰り広げる。

デメテルもあまり幸運な神としての生を送って等いない。そういう事を考えると、色々面白くはある。

「あの唯野仁成は泳がせたいんですの。 それにはあのアレックスとか言う赤黒が邪魔ですわ」

「ああ、それで助けたんですね」

「ハーベスト! その通り。 理解が早くて助かりますわ」

「なるほどね……」

唯野仁成を泳がせる。

それは実の所、さいふぁーとしても望むところだ。あいつは可能性の塊である。

あの鉄船には、可能性を昔秘めていた英雄達がたくさん乗っている。

まだ可能性を残している者も多い。だが、多くは既に「あり方」が決まってしまっている。

さいふぁーを打倒しうる存在さえもいる。

だけれども、「あり方」が決まってしまっている存在に、さいふぁーの食指は動かない。これは、可能性を追い求める。混沌の権化であるが故の、仕方が無い事ではあった。

つまるところさいふぁーは、自分を凌ぐ力を持つ英雄よりも。

今後強くなっていく未来ある星の方に興味があるのだ。

特に唯野仁成には。大きな大きな可能性を持つ魂の星には。

「貴方の言う赤黒。 アレックスについては、少し情報を提供しておきましょう」

「ハーベスト! それではこちらも……」

話を聞き終えると、思わずさいふぁーは笑い始めていた。

そうか、予想はしていたがそういう事か。だとすれば、全てに説明がつく。

この世界はそもそも詰んでいる。そんな事は分かっていたが。何もかものからくりが解けた。

だが、最高の英雄達が協力し。

なおかつあの唯野仁成という可能性の塊が、もしも理想的な動きを見せれば。

その時は、或いは完全なる詰みを打開できるかも知れない。

実の所、さいふぁーは完全なる混沌など望んでいない。現状の、唯一神教による高圧的な支配は気にくわないが。

逆に言えば、それ以外の可能性が見いだせる世界なら何でも良い。

さいふぁーの実力では、残念ながら四文字にて構成される神には勝てない。

だが、だからこそ。これは、ある意味好機なのかも知れなかった。

「ふむ、予想以上の反応ですわね」

「此方としては必要な情報は全て揃った。 後は何もいらない。 以降は利害が無いだけの他人だよ、女神デメテル」

「望むところですわ、「さいふぁー」さん」

スカートを摘んで挨拶。それに対して、デメテルも最敬礼で答える。

勿論、見た目通りの行動では無い。これ以降、互いに邪魔をしたら殺す。そういう意味合いの挨拶。

簡単に言えば、縁切り。同時に不干渉。そしてそれらを破った場合は即殺である。

デメテルがいなくなると、指を鳴らして結界を消し飛ばす。結構強めの結界だったが、まあこんなものだ。

さて、オーカスはどうなっている。可能性は誰にでも等しく与えられるべきだとさいふぁーは考えている。勿論それはオーカスにもだ。

観察し、目を細める。

残念ながらオーカスは、その実力を生かせない可能性が高そうだ。

次があるという慢心があると、ああも弱体化するものなのか。諭す前よりは少しはマシになったと思ったのだが。

まあいい。今一番興味がある唯野仁成には特に問題は生じていない。

ならば、さいふぁーは満足するだけだ。

 

まずい。

アレックスは、目の前に現れた大柄な男が、インファイトでは勝てない相手だと察していた。背丈は二メートル近くある。それはそれで威圧感になるが。悪魔にはもっとデカイ奴が幾らでもいる。

問題はそんなことじゃない。ジョージも、危険を感じ取ったようで、警告をしてきていた。

「確認されている強力なアンノウンの一人だ。 筋肉の発達が異常でデータにない。 迂闊に近付くな、アレックス」

「……俺は「アンノウン」ではない。 ケンシロウだ。 知っているかも知れないが其方はサクナヒメだ」

「ケンシロウ? 聞いた事がないわね」

「俺もアレックスという女性の名前は……此処で初めて聞いた。 男性名だと思っていた」

マイペースにぼそぼそ言う大男。

さっきまで干戈を交えていたアンノウン。サクナヒメというらしい悪魔が会話内容に呆れている。

パラスアテナにサクナヒメの対処を任せたが、サクナヒメが押し気味だ。更にヒメネスを処理しなければならない事もある。

この大男に、何とか勝たなければならない。

「お前を殴る事はしたくない。 武器を捨てて投降しろ」

「舐めてくれたものね……」

「お前からは果てしない哀しみを感じる。 お前の怒りは哀しみから生じたものだ。 だから、殴りたくは無い」

ずばり心を言い当てられる。そうすると、心が沸騰するようだ。人間は、図星を指されると最大限の怒りを感じる。それは、アレックスも同じである。

この大男、ケンシロウと名乗ったか。ケンシロウがどうやってアレックスを見抜いたのかは分からないが。

その言葉には、マイペースでありながら。強い怒りがあった。アレックスの境遇に対する怒りだ。アレックスに対する怒りでは無い。

「戦うとなれば容赦しない。 だが、その怒りを収める気は無いか。 唯野仁成は……俺が知る限り、仲間を大事にし、妹思いな良い奴だ。 ヒメネスだって殺されるほど悪い奴ではない」

「ああそうかも知れないわね。 少なくとも此処ではそうかもね」

「アレックス、冷静さを失うな。 そいつは尋常なインファイターじゃないぞ」

「だからって、負ける訳にはいかない!」

踏み込むと同時に、光の剣で斬り付ける。

だが、全ての攻撃を読まれているように、悉くかわされる。ぞっとした。秒間数十回斬り付けているのに。その全てをミリ単位で見きっている。

此奴は、確かにジョージが言う通り、生半可なインファイターじゃ無い。

跳び離れると、拳銃を取りだして連射。この拳銃だって、そこいらに転がっているような代物じゃ無い。弾丸を自動生成まで出来る特注品だ。だが、やはり弾丸の軌道を全て読まれる。

ぞくりとした。ケンシロウの足下に、ひびが入ると同時に、間合いを瞬く間に侵略されたのである。こんな技があると聞いた事はあるが、実物を見るのは初めてだ。

ケンシロウの拳が降り下ろされるのが分かった。

本能の反応が勝る。横っ飛びに離れる。剣で弾いたのは、ヒメネスによるケンシロウへの援護射撃だ。アサルトの弾丸を全て切りおとすと、全身の冷や汗を感じる。アサルトの弾丸なんてどうでもいい。このデモニカで防げる。

今のケンシロウの拳。喰らったら、デモニカは確定で貫通され、死んでいた。幾多の死線をくぐったアレックスは、それを良く知っていた。

「よそ見するは早いようじゃな」

「!」

パラスアテナが、消えていくのが見える。まさか、倒したのか。パラスアテナ、オリンポス十二神の一角を。

サクナヒメが、アレックスの両手両足に、羽衣を結びつけているのが分かった。そして、羽衣のたわむ反動を利用し、そのフルパワーで槌を叩き込んできた。

思わず、頭に星が散るかと思った。

吹っ飛ばされたアレックスは、壁に叩き付けられ。そして崩落するショッピングモールの壁の瓦礫に巻き込まれた。

追撃は。

見下ろしているサクナヒメは、呼吸を整えている状態だ。今、ケンシロウという奴に追撃されたら確定で死んでいたが。あいつは或いはインファイト専門なのか。

瓦礫を吹っ飛ばすと、戦闘不能になって実体を失ったパラスアテナに戻るように指示。マッカを食わせて復活させなければならないが、当面時間が掛かる。

何より。体にかなりのダメージを貰ってしまった。

ショッピングモールに空いた穴から飛び出し、一旦戦線を離脱する。まさか、こんなに早く有効打を貰う事になるとは思わなかった。

前は、もっとずっと後。

ずっと後の世界に、レッドスプライトが辿りついた頃。唯野仁成に勝てなくなったのに。

唇を噛む。ジョージが、アドバイスをしてくる。

「今のは運が良かったな。 サクナヒメというあの謎の悪魔が、もしも武器に剣を選んでいたら殺されていた」

「デモニカのダメージは」

「バディ、焦るな。 デモニカの出力は81パーセント。 継戦は可能だが、出来れば避けた方が良いだろう。 ビバークポイントに戻るぞ。 しばらくは回復に努めた方がいい」

「……そうね、分かったわ」

敗走。初の経験じゃ無い。

このシュバルツバースに来る能力を得る前は、それこそ何度も何度も敗走した。泥を啜りながら生きてきた。

悪魔に対して、人間が殆ど何もできない世界だってあった。酷い世界では、基本的に力だけがルールで。力が強い者だけが何をしても良いと言う世界もあった。そこでは悪魔も人間も何もかもが殺し合い。結果誰も生き残れなかった。

唯野仁成が率いる国際機関に追い回された世界もあった。文字通り寝るヒマも無かった。

あの世界の唯野仁成は悪魔だとしか思えなかった。だって、あいつは。

さっき、ケンシロウが言っていた人を。

本当に、ジョージが言う通り、別人なのかも知れない。

今までシュバルツバースで試行錯誤してきて、遭遇した唯野仁成とは違う。ヒメネスもゼレーニンも違う。

何よりあのスペシャル達は何だ。嘆きの胎の強豪悪魔達並みの実力ではないか。

ビバークポイントに辿りつくと、メンテナンスシステムが走る。サクナヒメの一撃で、肋骨にダメージが入っていた。それも診察して直してくれる。痛みも、最小限に抑えてくれる。

この程度の痛みは大丈夫だ。それでも冷や汗を掻く。もう、敗走させられた。その事実が痛すぎる。

「ジョージ、回復までの想定時間は」

「バディ、この世界ではもう仕掛ける余裕は無い。 それは分かっているな」

「分かっているわよ!」

「……OKバディ。 回復までは肉体が48時間、デモニカは6時間という所だな」

頷くと、アレックスは用意しておいた保存食を口にする。デモニカが時間を掛けて生成する装置だ。

このシュバルツバースは何から何までが資源と毒で出来ていて。毒を抜いて加工する事で食糧にも出来る。

あの方舟は自給自足システムを使っているようだが。加工次第では普通に摂取した物資で食糧も作る事が出来る。

とはいっても、あの方舟の科学陣はただものじゃあない。

とっくにそれくらいは気付いているかも知れないが。

「ジョージ、眠るから勝つためのプランを練っておいて」

「勝つためか。 ヒメネスを確認したが、やはり今までの世界に比べて、強さに対する渇望が薄い気がする。 前にカリーナで見たヒメネスは、もうこの時点では力を求めてもっとぎらついた目をしていた」

「……」

「ゼレーニンも同じだ。 狂信性が薄れている。 恐らくだが、マンセマットの危険性を周知している周囲の人間がいるのだろう。 ゼレーニンがマンセマットと接近する機会を減らしているのか、或いは何か諭しているのか」

そう言われても。アレックスは知らない。

やがて力の権化と成り、文字通り世界を破滅させるヒメネス。

秩序の操り人形と化し、世界を停止させるゼレーニン。

その二人しか、アレックスは知らないのだ。

今更、そんな事を言われても、どうして良いか分からない。この絶望的な逃避行を始めた時、アレックスはまだ十二だった。

三つの平行世界を二年かけて渡り。

シュバルツバースに入り込めるようになってから、もう三年。失敗と判断しては何度も平行世界のシュバルツバースに転移して、今は此処にいる。

風呂なんて、シュバルツバースを渡り歩くようになってからは入った事もない。デモニカによる洗浄機能があるとは言え、それでもまともに眠ったのは一体いつの事なのか、覚えてもいない。

アレックスは知らない。平穏だった時代なんて。殺し合いが無かった時代なんて。

何もかも唯野仁成とヒメネスとゼレーニンのせいだ。

そう思い、復讐心を焦がして何度も何度もアタックしてきた。そしてその回数だけ失敗した。

今回こそと思ったのに。

アレックスは、戦いに向いていないのかも知れない。これだけ経験を積んで来たのに。それなのに。まだ運命は、アレックスに光を向けてくれない。

いつの間にか眠っていた。

ジョージが精神への負荷を減らすために、無理矢理睡眠薬を処方したのかも知れない。

礼は言わない。

「スキップドライブ出来る力を蓄えたら、嘆きの胎に行くわ」

「OKバディ。 いずれにしても、唯野仁成らはもうオーカスの至近にまで迫っているようだ。 そして今のオーカスなら……。 もう此処で仕掛ける余裕は無い」

「……そう」

「此処で駄目なら次のデルファイナスで決めれば良い。 このデモニカの耐用年数は二万年だ。 アレックス、君は更に言えば今はまだ肉体年齢も十七歳で充分に肉体の最盛期にある。 機会は、死にさえしなければ何度でもある」

ジョージの言葉が。今は、どうしてか。とても嬉しかった。

膝を抱えて、自分の無力を嘆く。勿論、涙など、とっくに枯れ果てた。

 

2、豚魔王との決着

 

「一名負傷。 後退します」

「ああ。 一名補助につけ」

ストーム1の言葉に敬礼すると、機動班の一人が、もう一人と一緒に戻っていく。十二人いたオーカス攻略メンバーは、既に半減していたが。これで更に二人減って、四人しか残っていない。戦死は出していない。しかし負傷したらすぐに撤退させている。此処では簡単に命が消し飛ぶ。それを避ける為だ。

残ったのは唯野仁成とメイビー。それにウルフとストーム1である。

そもそも、オーカスの作り出した迷宮が長い事が分かりきっていた。故にこれだけの一線級機動班メンバーを組んだのである。それから考えれば、四人も残ったのは上出来だと言えた。

さっき、エンゲージしたアレックスを撃退したという連絡があった。喚声がわくのが分かったが。はっきりいって、唯野仁成は喜べなかった。

ケンシロウとアレックスの会話が聞こえていたからである。

ケンシロウは普段ぼーっとしているが、ここぞと言うときに核心を突いた言葉を言う。また、とても正義感が強い事も唯野仁成は知っている。そうでなければ、ミトラス相手に全火力を叩き込まなかっただろう。

そんなケンシロウが、拳を振るいたくないとまで言った。

一体、アレックスというあの女と、自分にどういう関係があるのか。

いずれ知らなければならない。その強い思いが、唯野仁成には宿り始めていた。

アリスが浮かんでいる。殆ど消耗は見られない。

迷宮の途中に現れる、体が崩れた悪魔が落とすマッカの一部を欲しがったので、譲渡しているのだが。

恐らくそれをそのまま、力に変えているのだろう。

「だいぶ減っちゃったねー」

「ああ。 だが、そろそろのようだな」

「お、鋭いねストーム1のおじさん。 すぐそこだよ」

アリスも元々目移りするとまで言っていた強者である。ストーム1には興味があるのだろう。

今回はたまたま唯野仁成を選んでくれた。

唯野仁成がいなければ、ストーム1を選んでいた可能性も高いのかも知れない。

「皆、装備を点検しろ。 必ず勝つ」

「イエッサ!」

迷宮を抜ける。後方の安全を確保しながら進んでいたから、予想以上に時間が掛かってしまったが。

それでも上出来だ。

それに、オーカスの力がどんどん縮んでいる代わりに、変質しているという通信も入ってきている。

ストーム1はそれを聞いて。外科手術でもして、無理矢理座薬されたオーカスバスターを取りだそうとしているのだろうと推察していた。

その場合、オーカスはかなり弱体化するだろうが。もう戦闘どころじゃ無いさっきまでのオーカスと違い。己の軍勢すらも喰らい尽くした、剥き出しの食欲の怪物として、姿を見せることだろう。

豚を侮るな。唯野仁成は、自分に言い聞かせる。

豚は家畜化されているし、弱いイメージはあるが。

あらゆる局面で生きていく事が出来、毒にも強い耐性がある、強力な生物である。

オーカスは人間が持っている豚への負のイメージを凝縮したような姿をしているけれども。

それでも、侮る訳にはいかない相手だった。

迷宮を抜けた先には、大きな扉があった。何か巨大な存在が這いずった後もある。

デモニカのAIが告げてくる。

「強力な悪魔の反応があります。 注意してください」

「ああ、びりびり感じる」

「……」

困惑した様子で、メイビーとウルフが此方を見る。

二人とも、まだ気配は分からないか。

だが、気配を感じる力だって、デモニカによって並列で皆に回されるはず。真田さんが元の状態から強化したこのデモニカの最大の利点は、ネットワークで常に情報を共有し、経験強化を全てのデモニカで共有できることだ。

いずれにしても、あらゆる状況証拠が、この先にオーカスがいる事を告げていた。そして奴にはもう逃げ道も無く、決死の反撃をしてくることも。

皆が装備の点検を終える。

メイビーはシルキーの他に数体の回復専門の悪魔を手持ちにしている。

ウルフは鳥の形をした悪魔ばかり何体か手持ちにしていた。

これはウルフ自身が元々屋内戦闘の専門家として国際再建機構に入ったから、という経緯があるらしく。格闘戦に自信があるから、なのだろう。

とはいっても、流石にウルフもケンシロウの戦闘を見て、いつも呆然としているようだし。

あくまで一般的な兵士に比べて、の話ではあるだろうが。

唯野仁成がオルトロスをはじめ、悪魔達を呼び出す。ウルフの手持ち達と協力して、扉を開けさせる。

扉は巨大なものだったが。

奥には、その扉と似つかわしくないほど小さな姿があった。

レインボウノアと格闘戦をしたときには、全長三百メートルを超えていたオーカスだったのに。

今では全長で二十メートルあるかないか、だろうか。

しかも立っていた人型のモラクスやミトラスと違い、多足で横に長い形だから、むしろ前の二体の魔王よりも小さく見える。

だが、油断は出来ない。

目は鋭く獰猛で。

ショッピングモールの地下で、無作為にものを食い散らかしていたオーカスとは、まるで別物に思えた。

感じる力そのものは確実に弱くなっている。

だが、野生の獣を思わせる戦意がある。そんな雰囲気に、唯野仁成は思わず背筋を伸ばしていた。

オーカスの王冠もマントも復活している。余程無理をして、己を再構築したのだろう。

情報生命体である悪魔にはそれが出来る事が今の唯野仁成には分かっている。だが、それにしても。

脂汗を掻き、大きく体を揺らして呼吸している様子からして。

例え弱体化してでも、戦い抜いて死ぬ。その覚悟を、見て取っていた。

ストーム1が前に出る。そして、二体の悪魔を召喚する。

一人はいつも頼りになるクーフーリン。もう一人は、何だろう。鎧姿の女性だが、静かで理知的な雰囲気に見えた。前にアレックスが召喚した女神パラスアテナに比べると流石に力は劣るようだが、歴戦の雰囲気がある。

「ほう。 伝説になった人間が悪魔化したものか。 貴様は現在の英雄であろう。 相応しい手持ちと言えるかもな。 ブオーノ」

「……オーカス。 弱体化しているようだが、貴様に対して手を抜くつもりはない」

「ふん、それでかまわん。 ワシとて、貴様らの一匹くらいは道連れにしてくれるわ」

「そうか、玉砕覚悟か。 まあいいだろう。 ならば俺が一人たりとて死なせはせん」

ストーム1の言葉が頼もしすぎる。この人の発言にはそれこそ千金の重みがある。

だが、唯野仁成は、聞いておきたい事があった。だから、片手を上げてストーム1に断り、オーカスに語りかける。

「オーカス。 貴方に聞いておきたい事がある」

「何だ人間」

「何故にこのような場所を作り上げた。 やはり人間の真似事か」

「察しがいいな。 モラクスやミトラスと同じよ。 人間の世界に攻めこむには、如何に人間を効率よく滅ぼすかが重要だったからな。 だから調べた。 その結果、分かった事がある。 それは人間が、ワシ以上に貪欲で、過剰に作ったものを過剰に喰らい続けていると言う事よ」

オーカスは静かな、威厳のある声で言う。

もはやオーカスバスターをぶち込まれて、逃げ回っていた豚の情けない姿はない。

力は弱くなっても、その身には魔王としての威厳が戻っていた。

この辺りは、認めても良いかも知れない。

オーカスは堕落しきった身を。命を賭けてまでも、建て直す事に成功したのである。

「だからワシは何もかもを食らう事にした! この世界に侵攻してからは、まずは手当たり次第に情報を作らせ、それを喰らった! 情報が手当たり次第に集まるようになった後は、手下として召喚した者どもを喰らった! いずれこのショッピングモールとやらも喰らってやるつもりだ! そして今此処にいる貴様ら全員を喰らい! あの忌々しい鉄船も喰らって! 地上に出て、人間共を文明ごと全て喰らってやる!」

「そうか、オーカス。 貴方は。 いや、貴方も。 人間の最悪の影の部分を、学習してしまったのだな。 モラクスやミトラスと同じように」

「笑止! 人間に光はあるやもしれん。 だが、それはあくまでわずかに深奥に輝く小さな点に過ぎぬ! ワシは徹底的に調査した! その結果、今のワシですら生ぬるく見える程の消費を人間が無駄にしていることは分かっている! 人間はワシ以上の怪物だ! だから大母の意思に従い、貴様らを滅ぼす!」

ブオーノ。オーカスが凄まじい雄叫びを上げた。

生まれ変わったばかりの魔王は、多数の足を動かし。猛烈な勢いで突貫を開始していた。

 

メイビーもウルフも手持ちの悪魔も加わり、オーカスに総攻撃を浴びせかける。あらゆる種類の魔法が一斉にオーカスに着弾。更に皆でアサルトを浴びせかけつつ、オーカスの足を止めに掛かる。

だが、爆風を蹴散らすようにしてオーカスが出現。もはや此方を侮る悪癖も消えている様子だ。

豚の顔面は装甲が極めて厚く、それ故に突進攻撃を非常に得意としている。

家畜化される前の豚である猪が、強烈な突進をすることは誰でも知っているが。あれは頭の装甲に自信があるから、である。

オーカスは王冠を吹き飛ばされながらも突貫。口を開くと、かぶりつかんとして来た。

その口の中に、完璧なタイミングでグレネードが飛び込む。

ストーム1が投擲したものだ。

爆裂。

オーカスがわずかに怯んだ瞬間、全員が飛び退く。ストーム1が叫ぶ。

「移動しながら攻撃! 前には回るな! 必ず側面か背後をとり続けろ! 前は俺が担当する!」

「イエッサ!」

ストーム1の伝説は、この場にいる誰もが知っている。いずれもが、常識を遙かに超えるものばかり。

リアルムービーヒーロー。ワンマンアーミー。それらの言葉全てが、全く言葉負けしていない。

どんな武装勢力でも、ストーム1の名前を聞くと即座に逃げる準備に取りかかる。

マフィアなどの犯罪組織でも同じ事だ。ストーム1は、文字通り破壊神として、世界の裏側に住まう者に怖れられている。

だが、破壊神は創造の側面も持つ。容赦なく邪悪を討滅するストーム1に救われた牙無き弱者は数も知れない。

ストーム1は、そして。その戦績に驕ることはない。寡黙すぎる言動は、或いは驕りを戒めるためなのかも知れない。

「ちょっと時間稼いでくれるおじさん。 でっかいの行く」

「分かった」

アリスが唯野仁成の耳元に囁いたので、頷く。

苛烈な銃撃を全方位から浴びても、オーカスはまるで怯まない。これだけ弱体化しても、全く弱いとは感じない。

メイビーやウルフが連れている悪魔だって、もう弱い悪魔じゃあない。

それでも、集中砲火を浴びても、さながら不沈艦のようにオーカスは、突貫を繰り返してくる。

その度にストーム1が様々な武器を駆使して、足を止める。

いい加減、オーカスも頭に来たようで、ストーム1に対して体勢を沈める。全身が絶え間なく打ち据えられ爆破されているが。それでも気にする様子も無く。

「決めたぞ。 まずは貴様から喰らってやる! 次の一撃で終わりだ!」

「やれるものならやってみろ」

「ブオーノ!」

オーカスが走り出す。その動きを止めるようにクーフーリンが跳躍すると、槍を投擲。無数に分裂した槍が、突貫するオーカスの全身に突き刺さり、なおかつ爆裂する。

更に女戦士が突貫すると、斬る。

鋭い一撃だった。見ているだけで、思わず感心するほどの綺麗な斬撃だ。

見ると、偉霊ジャンヌダルクとある。

偉霊とは、偉大なる霊的存在に与えられる珍しい分類。聖人や、人格を持たないようなモニュメントとしての神などに与えられる分類らしい。ジャンヌダルクは知っている。フランス百年戦争の英雄だ。

今でも信仰者は多いだろう。それは強いに決まっている。

オーカスはわずかに態勢を崩しながら、それでも突貫を続け笑う。ストーム1が、ライサンダーを構えたのを見たからだろうか。

「その銃は効かぬっ!」

「そうかな」

携行用艦砲ライサンダーが火を噴く。

次の瞬間。オーカスが、突貫を止め。横転すると、凄まじい悲鳴を上げていた。

「ライサンダーは強化されていく。 今のこのライサンダーは、いわばライサンダー2!」

真田さんがやってくれたのだ。あの人の開発するものは本当に凄い。

悲鳴を上げて、片目を押さえて七転八倒しているオーカス。ウルフが勝てる、と叫んだけれども。

次の瞬間、オーカスが凄まじい雄叫びを上げて。それが爆風となって、ストーム1と唯野仁成、アリスを除く全員を吹っ飛ばしていた。勢いを殺して、ストーム1の側に降り経ったクーフーリンとジャンヌダルクもあまり余裕がありそうには見えない。

唯野仁成も、片膝を突いてやっと耐えたほどだ。

ストーム1が頷く。唯野仁成は立ち上がると、転がり回るオーカスに、更に一撃。廉価版とはいえ、ライサンダーである。

そして、見ると傷だらけのオーカスの体には。傷を更に大きく出来る場所が、幾つもあった。

冷静に次々と弾丸を叩き込んでいく。

悲鳴を上げながらのたうち廻るオーカスは、それでも部屋中に凄まじい音波攻撃をぶっ放し続ける。

アリスはまだ詠唱を続けている。ただ、冷や汗を掻いている。この強烈な音波を耐えるのは、アリスほどの悪魔でも相当に大変なのだろう。

オーカスが跳ね起きると、再び突貫開始。

だが、氷の壁が出来。更に、無数の羽根がオーカスの潰れた目に突き刺さる。

メイビーのシルキーが壁を造り。ウルフの鳥の悪魔達が羽根を一斉に投擲したのだ。

壁にぶつかって動きが止まったオーカスが、目を更に抉られて悲鳴を上げ。

ストーム1が、ここぞとばかりにオーカスにライサンダー2の弾丸をプレゼント。

もう一つの目も潰されたオーカスは、悲痛な絶叫を上げていた。

「ブオーノッ! ブオーノーッ! おのれおのれおのれええええっ!」

それでも暴れ狂うのは流石か。

氷の壁を砕き、辺りに吹っ飛ばすオーカス。必死に飛び退いた唯野仁成は、メイビーを庇ったシルキーが潰されるのを見た。ウルフは飛び退くが、鳥たちは一瞬で壊滅してしまった。

ストーム1を庇ったクーフーリンとジャンヌダルクも無事じゃあない。

手負いの獣とは、こうも厄介か。

それでも冷静に、ストーム1が、通信を入れて来た。

「あわせろ」

「はい!」

ストーム1が狙っている位置が、デモニカを通じて見える。そうか、もうこんな境地にまで達したのか。

勿論唯野仁成が天才なのでは無い。デモニカによって、皆の学習が全て全員に行き渡り。それを更に各々が吸収し、強くなっているからだ。

ストーム1がライサンダー2をぶっ放すと同時に、唯野仁成も同じく廉価版ライサンダーをぶっ放す。

放たれた弾丸が、それぞれオーカスののど頸を、左右から同時に直撃。

文字通り、喰らうための場所を完全に潰されたオーカスは、もはや悲鳴も無く、竿立ちになっていた。

「はーい、おまたせ。 豚さんの丸焼きの時間だよー! 良くもやってくれたねきたない豚さん! お仕置きしてあげる!」

アリスが詠唱を終えた。

凄まじい炎が、その全身に纏わり付いている。凄惨な笑みを浮かべているアリスは、人形のように造作が可愛らしいから。余計に恐ろしかった。

くるんと手を回すと、長時間詠唱して完成させた、超絶の魔法をアリスは解き放っていた。

「トリス……」

「あ、がががが、ぎがああああっ!」

「アギオン!」

次の瞬間。全長二十メートルあるオーカスの巨体が、一瞬にしてトーチと化した。

これが、火焔魔法の究極か。きゃっきゃっと喜んでいるアリス。憮然として、一瞬にして炭クズと化していくオーカスを見る。

やがて、オーカスは笑い始める。黒焦げになり、全身が焼け焦げ、機能停止して行く中でも。なおも笑っていた。

「この程度で終わると思うなよ人間共……! 大母はお前達が暴れれば暴れるほど目覚めるのが早くなるだろう! そして大母は不滅だ! そして我等は、その大母の意思によって、人間を……」

「そろそろ黙れ。 ……今、楽にしてやる」

ストーム1が、ライサンダー2によってオーカスの頭を撃ち抜く。

燃やし尽くされて、完全に脆くなっていたからだろう。オーカスの頭は、文字通り吹っ飛んでいた。

頭部を失ったオーカスの体が消えていく。

カリーナの暴食の魔王。オーカスの、最後だった。

そしてオーカスのいた場所には。また知恵の輪のような形をしたロゼッタが、鈍い輝きを見せていた。

 

オーカスの最後と同時に、迷宮に残存していたわずかな体が崩れた悪魔の残党も消滅していった。

恐らくオーカスの力で動かされていたのだろう。

ウルフもメイビーも負傷していたので、まだ負傷が軽かったオルトロスに乗せて帰路を急ぐ。

方舟に戻った時、本当に安心した。

手強い相手だった。オーカスはオーカスバスターが効いている間は情けなかった。だが最後の瞬間は魔王に相応しい意地を見せたと思う。

そして、あのオーカスも、言っていることは根本的には間違っていなかった。

過剰すぎる飽食。それは明らかに人間の業だ。体重三百キロを超えるような肥満体になってしまった人間を見た事があるが。あれはもう、もはや人間という生物による宿業以外の何者でも無い。

オーカスは邪悪で残忍だった。だが、人間の最も薄ら暗い部分を受け継いでしまった。それは、間違いが無い処なのだろう。

モラクスもミトラスもそうだ。

そして、その邪悪さは。唯野仁成が、外で散々見て来たものと、殆ど変わりが無いのだった。

三日の休憩が作戦参加者に言い渡される。その間、インフラ班などが、プラントの片付けを行う。既に物資などは充分に蓄えられている。

その間、死闘を続けた機動班は休憩する。

その権利があるから休憩をする。それだけの話だ。

レクリエーションルームでぼんやりしていると、ヒメネスが来る。コーヒーを淹れてくれたので、有り難く貰う。コーヒーを淹れたり淹れて貰ったりの関係だ。ヒメネスが交遊する相手は少ない。唯野仁成は、だからといってヒメネスとの交友は嫌いでは無い。

「お疲れ。 ストーム1と一緒に豚野郎を仕留めたんだってな」

「ああ。 何とかな」

「汚らしい野郎だったぜ」

「そうだな。 奴は人間の最も汚い部分を学習してしまって、ああなってしまったんだろう。 そういう意味ではモラクスやミトラスと同じだ」

ヒメネスは静かに頷く。

これは、今までの魔王の凶行を見ているから、同意できることなのだろう。

咳払いすると、ヒメネスは少し躊躇った後、言う。

「お前には、ちょっと立ち会って貰いたくてな」

「うん? どういうことだ」

「どうやら、出来るようになったようなんだよ」

物資搬入口から出る。プラントの解体と回収はあらかた終わっているので、既にその辺りは静かだ。

今は二線級の機動班達が、ゴア隊長の下で演習をしている。

その横を通って、少し離れた場所に。勿論プラズマバリアからは出ない。

ヒメネスが、ありったけのマッカを突っ込んで、悪魔を作り始める。今ヒメネスが持っている悪魔の中で、バガブーを除く全ての悪魔を合成しているようだった。

「おい、ヒメネス、何を作るつもりだ」

「大丈夫、悪魔召喚プログラム様のお墨付きだ。 見てな」

それでも、デモニカがスパークしているのが分かる。演習中の部隊が、驚いてヒメネスを見ていた。

ほどなくして。

その場に、とんでもない代物が召喚されていた。

巨大な牛頭の悪魔。

そうだ。出来るという事は分かっていた。そして、第一号がヒメネスか。ヒメネスは、どうよと自慢げに胸を張る。

そこにいたのは、魔王モラクスだった。

「……ふうう。 人間ごときに行使されることになるとはな。 我は魔王モラクス。 今後ともよろしく」

「ああ、せいぜい頑張ってくれよ。 モラクスさんよ」

モラクスがPCに消える。ばちんと、凄いスパークが周囲に走る。

ヒメネス自身も、相当に汗を掻いていた。魔王の悪魔合体と召喚とは、これほどに力を使うものなのか。

デモニカが警告を発している。やはりバッテリーをほぼ使い果たしたらしい。

一度船内に戻り、デモニカのバッテリーを充電。更に、PC内にいるモラクスに話を聞いてみるが。どうも様子がおかしい。

此方に対して恨みを抱いている様子も無い。

それどころか、此方を知っている様子も無かった。

少しモラクスと話をしてから、ヒメネスは聞いてくる。

「ヒトナリ、どう思う?」

「恐らく悪魔としてのデータとしては、魔王モラクスなのだろう。 あの、軍隊を組織して人間世界に攻めこもうとしていたモラクスとは別の個体なのだろうな」

「そういう事か。 記憶などは引き継いでいない、と言う訳だな」

「だが魔王達の言葉は気になる。 恐らくだが……」

記憶を引き継いでいる本物の方とは、またかち合う事になるのだろう。

ぞっとしない話だった。

いずれにしても、一旦別れる。そして、休日を利用して、デモニカのオーバーホールと休憩をすることにした。

その間ショッピングモールの地霊達と一度ゴア隊長が護衛付きで交渉をしに行ったのだが。地霊達とは交渉が上手く行かなかったらしい。

働き者である地霊達にとっては、むしろ仕事を幾らでも作ってくれるオーカスは上客だったらしいのだ。

仲間を散々食われただろうし。

何よりも、これから下手をすると自分達だって食われていただろうに。

悪魔の価値観というのは、よく分からない。

いずれにしても、此処での仕事はもう終わりだ。ワーカーホリックなどと一時期の日本人は揶揄されたが。そのワーカーホリックはもはや全世界に広まり、労働者達は死んだ目で働いている。

その大半が、働きたくも無い仕事をしていることを考えると。

地霊達は、よく分からない意味でのワーカーホリックで。それに同意しているという事なのかも知れない。

ただ、ショッピングモールは取り壊し。工場でも作るものは変えるそうだ。

これからはまた地霊達の世界を作り直すらしい。邪魔はしないから、邪魔もするな。

それだけ言われて、ゴア隊長は戻ってきた。

まあ、敵対しないのならそれでいい。

ただ、率先して此方の仲間になりたいと言う地霊もいないようだったが。ただそれでも、物好きな地霊が50体ほど仲間になることを申し出てきたそうだ。それでも充分だろう。

更に一日が過ぎると。サクナヒメに引率された調査班が、これから地霊達が取り壊しをするショッピングモールに出向き。戦闘で死んだ悪魔の残骸やマッカを根こそぎ回収してきた。

マッカはどれだけあっても足りない。

現時点で、方舟のクルーがマッカで取引をしている様子は無いが。その利便性の高さから、今後は或いは取引をするかも知れない。

何だか、悪い意味でも皆シュバルツバースに馴染み始めている様子で。少しだけ唯野仁成は心配になったが。

一兵卒に過ぎないのだ。まだ、どうにもできない事だった。

そうして、休日が終わった。

 

3、帰路と

 

前線で戦った機動班の休日が終わり、クルーの全員が方舟に戻る。

次の空間に行くのだろうと誰もが予測したのだが。その前に大事な事があると、真田さんが放送で告げた。

春香が放送を代わる。要するに、皆のショックを緩和するためである。

長期間の旅のストレスを緩和するために危険を承知できてくれた、場の空気を緩和するスペシャリスト。世界最高のアイドル天海春香。

その声は、相変わらず落ち着いていて。聞いていて不安になる者はいない。

どんな報道官よりも有能だろうという声があるが。それについては唯野仁成も同意である。

「このセクターを出る前に、二つほどやっておくべき事があります」

「二つ……?」

「まず一つは、外との通信をする準備が整いました」

「!」

皆の顔が唯野仁成から見ても、明らかに明るくなる。

それはそうだろう。確かにその話はあったが、ついに完成した、と言う事か。

春香が説明をしていく。原稿を作るくらいのヒマはあった、と言う事なのだろう。

何でも、そもそもシュバルツバースと外の世界を関係無く透過できる粒子が存在していれば、通信は可能であるという結論は前から出ていたのだという。

それは確かにその通りだが。少し考えて、合点がいく。あのオーカスが作り出した滅茶苦茶になっている空間を使って、実験をしていたのか。

そして、どうやら重力子がその透過できる粒子に該当すると結論が出たらしい。

重力子については、既に10年ほど前に国際再建機構が支援している大学で発見されている。

重力子を用いた通信機については、最新鋭の技術で、限られた場所にしかない筈だが。

当然の事ながら、国際再建機構の本部にはある筈だ。

早速通信を始めるという。

春香が言ったもう一つの事は少し気になるが、ともかく通信は最優先であろう。興奮に湧く艦内。皆、デモニカの通信機能を入れたり、或いはモニタの前に殺到している。

「それでは、通信を始めます。 3、2、1……」

砂嵐が、モニタに映るが。やがて、それが徐々に形を帯びていく。

おおと、声が上がる。どうやら、各国の要人と。それに国際再建機構の居残り組がいるようだった。

「画像込みの通信成功です!」

「ゴア隊長! 正太郎長官! 無事かね!」

最初に声を掛けて来たのは、恐らく米国大統領だ。この人数が集まっている様子からして、実際には既に試運転は済ませ。人は集めていたのだろう。

今回はデモンストレーションとしてのお披露目というわけだ。

こればかりは、ゴア隊長が答えなければならない。春香からマイクを受け継ぐと、米国大統領と話し始める。

「はい無事です。 クルーに戦死者も出していません。 シュバルツバースの調査も順調に進んでおります」

「おお。 それは……何とも素晴らしい朗報だ!」

「通信はつながりましたが、まずは其方との情報交換が必要かと」

「うむ。 まず君達がシュバルツバースに突入し消息を絶ってから、三週間が経過している」

皆顔を見合わせる。やはりこの空間は、外とでは時間の流れが違うという事か。

更に、表示される南極の状況。やはりシュバルツバースは更に拡大しているようだ。突入時よりも更にえげつなく、南極を覆うように存在感を示していた。

「現時点では、報道規制は出来ているが……其方の状況を教えてほしい」

「現在此方では三つの空間を攻略。 内部にて、状況の調査を進めています。 データは其方に送ります」

「うむ、有り難い。 此方から対応するためのデータが見つかるかもしれん」

「其方では目立った動きはありませんか」

米国大統領は少しだけ悩んだ後、周囲を見回す。ロシアの大統領は不満げだし、他の国の首脳部もあまり口は軽く無さそうだが。

それでも、何しろ世界の危機なのだ。話しておくべきだと考えたのだろう。

「幾つかの財団が、おかしな動きをしている」

「おかしな動き?」

「うむ。 南米の最貧国幾つかと話をつけて、何か大きなものを移動させているようなのだ。 南極に向けてな」

この時期に、南極に向けて。

財団の名前までは米国大統領は口にしなかったが、データは送ってくれるという。また、米軍が衛星画像から取得した、運んでいるものの画像もくれるそうである。

ムッチーノが告げてくる。

「画像ありの通信には大きな負荷が通信装置に掛かります。 そろそろ切り上げてください」

「との事です。 それでは、互いに最低限の情報だけを以降はやりとりしましょう」

「分かった。 君達に対する支援は欠かさないつもりだ。 出来る範囲で、だがね」

「ありがとうございます」

通信が切れる。実時間にして十分ほど。ただ、データそのもののやりとりは、今後も行うようだ。

通信が終わると、春香がまたマイクを代わったようだった。

「今回、直接話はしませんでしたが、交換した情報の中にはシュバルツバース内での位置座表についてのものがあります。 これを利用すれば、シュバルツバースに入った後通った地点の確認や、何より突入地点の確認が出来ます。 この地点はバニシングポイントと名付ける予定ですが、そのバニシングポイントを割り出すこともいずれは可能でしょう」

「ヒャッホウ! てことは、帰れるんだな!」

「落ち着いてヒメネス。 今帰っても、何の解決にもならないわ。 シュバルツバースは今も広がり続けていて、このままだと地球全土が壊れてしまうのよ」

ヒメネスをたしなめるゼレーニン。やっぱり仲が良いじゃないか。そう唯野仁成は思う。ただ、勿論本人達にそれを指摘するつもりはない。

春香はなおも続ける。この辺り、どうなるか真田さんには全て分かっていたのだろう。

「バニシングポイントの調査と同時に、シュバルツバースをどうにかする方法についても調査を続行します。 ただ、今回の件で、大きく調査が進展したことは事実です」

皆の歓声が艦内に拡がる。

だが、それが一瞬で凍り付いていた。

「続いての情報です。 皆さん、ちょっと体調を崩すかも知れません。 移動などは控えてください」

「? どういうことだ」

「3、2、1……」

春香のカウントが終わる。

同時に、唯野仁成は、世界がひっくり返るような感触を覚えていた。

一瞬、意識を失っていたかも知れない。目が覚めると、周囲は死屍累々。ヒメネスが立ち上がろうとして、四苦八苦していたので。先にどうにか立ち上がった唯野仁成が、手を貸していた。

何だ、今のは。何が起きた。

春香が通信を入れて来たという事は。方舟の首脳部は分かっていてこれをやったということになる。

デモニカを通じて状況を調べる。プラズマバリアは無事だ。ならば、船内に異常が起きているとは考えにくいが。

しばしして、春香の声がまた通信に乗る。あまり、彼女も無事そうには思えなかったが。それでもしっかり、皆を元気づけるべく。声を整えているのが分かった。

「周囲のクルーの状況を確認してください。 倒れている人も珍しくはないと思いますから、無事を確認し次第連絡をしてください。 医療班は動けるように成り次第、負傷者の手当をお願いします」

「何が起きた……」

「予想以上に状況が深刻なようじゃな」

サクナヒメの声が通信に割り込む。

春香も相当に参っていたのだろう。サクナヒメが通信を代わるようだった。

彼女はあんまりこういうのが得意そうには思えないのだが。逆に言うと、サクナヒメだけが艦橋でまともに動けるのかも知れない。

「あーあー、不意打ちですまなかったな。 だが、これは必要な事だった。 皆、そういうものだと思ってほしい。 簡単にいうとな、シュバルツバースに突入した時点で、悪魔がこの船に入り込んでいたのじゃ」

「!」

そういえば。シュバルツバースに突入し、アントリアに不時着した直後。どうやってかも分からない方法で、クルーが誘拐された。

その時の事は、不安には思っていたが。真田さんが、ずっと解析を続けてくれていて。そしてさっきのガツンで、何とかしてくれたと言う事か。

「入り込んでいた悪魔は人間の精神に入り込む厄介な奴でのう。 なおかつ一体化すると、実体を無実体に一定時間出来るようであった。 今までの空間を渡り歩きながら、真田は研究を続けていたが、ついに対策が出来た、ということよ」

なるほど、それで急にがつんと来た訳だ。

だがそうなると、悪魔が辺りにいるのではないのか。

唯野仁成は不安になったが、悪魔の存在を示す警告などは無い。通信も、うめき声や苦痛は聞こえるが、それくらいだ。

「恐らくだが、別の空間の悪魔の仕業だろう。 悪魔はそれぞれに交易のようなことをしていたと聞く。 降伏してきた悪魔の口から、恐らく下手人だろう悪魔の名前も出て来ておる。 魔王アスラ。 それが、このくだらぬ仕掛けをした輩の名よ」

サクナヒメの声が、まだちょっと頭に響く。

だが、もう周囲を確認するのは問題ない。

ハトホルを出して、辛そうにしているクルーの回復を進めて貰う。ヒメネスは回復を断った。意地を張っているのか、それとも。何か思うところがあるのか。

他のクルーも、比較的無事な者と、症状が重い者に二分されているようだが。

いずれにしても、船内に潜んでいた脅威は、これで事前に排除できた、と言う事だ。

サクナヒメは締めた。

「この様子では今日は皆つかいものにならんじゃろう。 恐らく出立は明日。 また、嘆きの胎に出向く事になる。 皆、準備はしておくようにの。 あー、たくさん喋ると疲れたわい。 春香よ、そなたはようこんなことをいつもやれておるな」

 

頭の中に悪魔が入り込んでいた。

ぞっとしない話だが。いずれにしても、それは全て消し去る事が出来たらしい。

真田さんの話だ。とりあえず信じられる。

サクナヒメが言った通り、一日は全クルーに休みが出た。というよりも、ストーム1やケンシロウはそれでも平然としていたらしいが。大半のクルーが使い物にならなくなっていたので。当然の処置だったと言えるだろう。

ともかく、一日休憩して、死者も出ず。負傷者も最小限にする事ができた。もしも魔王アスラとやらの支配する空間にこの状態で行っていたらどうなったか、想像するのも恐ろしい話である。

一度、嘆きの胎にスキップドライブする。三度目のスキップドライブだ。今更驚きも何も無い。

更に言えば、既に物資は充分。

それだったら、一線級で戦える機動班クルーの人数を少しでも増やしておきたい。

既に浅層は完全に構造の解析が終わっている。故に浅層から地下に潜る事が出来るらしい階段。以前の探索で発見しておいた階段の側に、方舟は着地。

今回は、ライドウ氏がもう少しで一線級になれそうなクルーを連れて浅層を周り。

ケンシロウとサクナヒメがそれぞれ精鋭を率いて、一層に潜る。

ストーム1は今回はお留守番。

何でも、この間のオーカス戦でお披露目したライサンダー2の調整があるのだとか。

あの火力で、命中精度で、まだ少し不満があるらしい。

ストーム1ほどの使い手だ。常人には理解出来ないレベルの些細な不具合がすぐに分かるのかも知れないし。言う事は何も無い。

まずはサクナヒメ班が先行して、安全圏を拡げる。

その後、調査班を含めた数人を連れたケンシロウ班が続き。電波中継器などを撒いていくことになる。

いつもと方針は殆ど変わらない。

ただ、階段を下りた瞬間。唯野仁成は、全身に悪寒を感じた。一緒に来ているヒメネスも、口を露骨に閉じる。

ヤバイ。

幾つも死線をくぐり抜けてきた唯野仁成だ。だから分かる。此処は、尋常では無く危険だ。残虐非道なマフィアに支配されている街や。自爆テロを子供に共用するような凶暴なカルトが支配している国なんか、此処に比べれば天国も同然。

周囲から、びりびりと殺気がある。

アレックスが、少し前にスキップドライブして嘆きの胎に消えたことは分かっている。

あの娘は、もっと下にいると見て良いだろう。

顔を叩く。気負けしていたら、勝てる相手にも勝てなくなる。看守に遭遇したら、腹をくくるしかない。

幸いと言うべきか、周囲の構造はそれほど今までとは変わっていない。サクナヒメ班のメンバーは、唯野仁成、ヒメネス、ブレア、メイビーの四人である。メイビーはこの間、的確にオーカスに対して足を止めたことが評価された。どんどん実戦経験を積んでいて、スペシャル達からの評判も良い。更に医療知識もあるので頼もしい。

やはり経験や身体能力ではブレアやヒメネスに劣ってしまうし、使える悪魔も少し弱いけれども。

医療知識のあるクルーが、ある程度自衛能力を持っているのは本当に大きいと言えるだろう。

黙々と潜る。

不意に、姿を見せる青い肌の女。無言で剣を構えるサクナヒメ。女の周囲には輪が浮かんでおり。頭には角が生えていた。女は全裸で、体には白い模様が入っている。ただ、目には狂気が浮かび、とても会話が出来そうには無かった。

「アハハハハハ、見つけた見つけた! 侵入者みーつけたぁ!」

「どうやら深層の看守のようだのう。 しばらくアレックスがいなかったから、此処まで出て来たと言う事か」

「ズタズタに切り刻んで食べてあーゲルぅ」

殆ど一瞬で、凄まじい炎が襲いかかってくる。

サクナヒメが剣を振るって吹っ飛ばすが、周囲の植物が一瞬にして真っ黒焦げになるほどだ。

この嘆きの胎の植物は、尋常では無く頑強なのに。それほどの怪物か。

すうと息を吸い込む女悪魔だが、サクナヒメが切り込んで、それを止める。接近戦を挑み、連続で打撃を叩き込んで魔法を徹底的に封じに掛かる。

鬱陶しそうに、女悪魔は体の周りに浮いている輪を回転させ始め。それを使って、サクナヒメの攻撃を悉く弾き返す。火花が凄まじい。

「あれ地母神キュベレだね。 でもあんなにいかれてたかなあ……」

アリスがぼやく。今はどんな悪魔か調べている余裕は無い。

更にバージョンアップした結果、ついに今までストーム1が使っていたライサンダーに匹敵する能力になった廉価版、いや通常版ライサンダーを構え、腰が引けている皆に叱責する。

「行くぞ! 姫様を援護する!」

「ふっ、頼もしくなったな! 任せろ!」

「俺が最初に当ててやるよっ! モラクス! 出番だぞ!」

ヒメネスがモラクスを召喚。

牛頭の魔王を見て、機動班クルーは流石に驚きの声を上げたが。一瞬、キュベレが此方を見たのも事実。隙が出来たのだ。

サクナヒメが、頭に直撃弾を入れる。

殆ど同時に、ライサンダーの弾三発が、キュベレの全身に吸い込まれ。回転していた刃物が凄まじい勢いで乱れ、互いにぶつかり合った。

吹っ飛んだキュベレだが、頭を抑えると立ち上がり、爪を伸ばしてサクナヒメの追撃を防いで見せる。

其所にモラクスが、火球を叩き込むが。それをアリスがとっさに放った氷の魔法が相殺していた。

「何しやがる!」

「あいつに炎は効かないよ」

「何だと……」

「最上位の悪魔になってくると、特定の種類の攻撃が全く効かない相手がいるの。 あいつもそう。 覚えがあるんじゃない? あいつには炎を浴びせると元気になるだけだよ」

そういえば。

パラスアテナに銃撃を浴びせても効いている様子が無かった。ライサンダーの弾でさえ、である。

ヒメネスはそれを聞いてなるほどと頷く。ヒメネスは強いと認めた相手の言う事はきちんと聞く。アリスが子供であっても、ヒメネスは強いと認めているのだろう。

更に、ライサンダーで射撃を続ける。

キュベレは残像を作って動き回りながら狙撃をかわすが、サクナヒメに足をいちいち止められる。

モラクスも炎が効かないという話は聞いていたのだろう。

違う魔法を用意し始める。それを見て、アリスも詠唱を開始。大きいのをぶっ放すつもりだろう。

唯野仁成は、とっさに剣を抜く。

キュベレが飛ばしてきた回転刃が、至近に来ていたからだ。

一瞬遅れて反応したヒメネスが、刃をライサンダーで撃つ。如何に神の刃といえど、相手は艦砲並みの火力を誇るライサンダーの弾だ。刃に弾が直撃。勢いが弱った所を、デモニカの支援を受けた剣術で斬り下げて、刃を地面に叩き込む。

恐ろしい事に刃は、地面でもしばらく回転を続けていた。もしこれの直撃を喰らったらどうなるか、ぞっとしなかった。

キュベレは即座に回転刃をまた一つ体の周りに増やす。

これが深層の看守の実力。こんなのと、アレックスは常に戦っているのか。

「あーもう面倒だなァ! ちっこいのもまとめて、全部バラバラにしてやる!」

「そう言いながら、わしに一発も当てられておらんだろうが」

「生意気なガキが! このワタシを愚弄するかあああっ!」

「あいにく恐らくだがわしはそなたより年上だ」

言葉のつばぜり合いの合間に、サクナヒメが徐々に押し込み始める。力が増しているサクナヒメだが、それはこの間のアレックス戦で、パラスアテナを実力で屠ったことからも確かである。

此方にまた刃を飛ばそうとするキュベレ。

其所に、唯野仁成が声を掛けて、皆で一斉射。何と、メイビーもライサンダーでの効力射に成功。

四発同時のライサンダー弾の直撃を喰らったキュベレは、絶叫。そこに、更にサクナヒメの追撃。振りかぶった槌が、モロに角をへし折りながら、キュベレの横っ面を張り倒していた。

首がすっ飛ぶような一撃をもらって、焦げた植物に突っ込み。

更に、それを倒壊させ。崩落に巻き込まれるキュベレ。

とっさに前に出たモラクスが、炭クズを吹っ飛ばしながら全域にキュベレが展開してきた獄炎地獄を体で防ぐ。

恐らくモラクスも、熱には極端に強い悪魔だったのだろうが。それでも片膝を突き、うめき声を上げる。

即座にヒメネスがモラクスの背後に隠れるように、皆に促したから良かったが。

避け損ねていたら、多分即座に全滅だっただろう。

サクナヒメでさえ、今のは羽衣を展開して全力防御に徹していたほどだ。

残っていた炭クズをどかしながら出現したキュベレは、片角になった頭をこきこきとならしながら、全身から炎を噴き上げる。

文字通りの鬼相だ。

完全にブチ切れた事が、遠目にも分かった。

だがその瞬間、アリスとモラクスが、同時に詠唱準備していた極大火力の雷撃魔法を叩き込む。モラクスよりもアリスの方が更に魔力が勝るようだが、それはともかく二発同時に特大の雷撃が直撃。

絶叫するキュベレ。サクナヒメが、大上段に構えた。

「四秒、稼げ」

「分かった姫様。 四秒だな」

突貫。唯野仁成が、オルトロスとユルングを召喚し、前面に出る。負けじと、ヒメネスも。

ブレアが無言で狙撃。メイビーも、一瞬遅れてそれに習う。

二発のライサンダーの弾が、キュベレに直撃。それぞれ心臓、肺のある辺りに直撃している筈なのに、それでも致命打になっていない。人間大の悪魔なのに、なんという耐久力か。

オルトロスに跨がる唯野仁成。音波砲でユルングが支援。

ヒメネスが雄叫びを上げながら、アサルトの弾丸を乱射。五月蠅そうに、手をかざして壁を作るキュベレ。

其所に踊り込んだオルトロス。オルトロスごと斬り伏せようと、円盤刃を飛ばしてくるキュベレだが。

オルトロスをPCに引っ込めた唯野仁成は、キュベレの背後をとっていた。

上空に躍り上がった時点で、更に唯野仁成はデモニカの支援を得て跳んでいたのである。

そして、剣で至近から斬りかかる。

振り返ったキュベレは、凄まじい牙を剥きだして、無数の回転する恐ろしい刃を叩き込んで来ようとするが。

その瞬間、動きが止まる。

四秒、稼いだ。その時点で、キュベレの負けは確定していたのである。

サクナヒメが、既に至近に。その手には、普段使っている古代日本の古墳から出てくるような剣ではなく。

青白く輝く剣が握られていた。

思わず目を奪われる。あれは、恐らく神の力。本当のサクナヒメの、武神としての神髄。此処まで力を取り戻したから、使えるようになった、本当の奥義。

キュベレが全力で逃げようとするが。悪いがさせない。唯野仁成が、無言でその背中に剣を突き立てる。

ライサンダーの弾があたっていた場所だ。剣は、滑り込むようにキュベレの体に入り込んでいた。

絶叫するキュベレの首を両断するサクナヒメの青い神剣。更に神剣は、大上段に振りかぶられ。

唯野仁成が剣を抜くと同時に、キュベレを唐竹に、身に纏っている回転刃ごと斬り伏せていた。首だけになってすっ飛びながら、まだキュベレは呻いていた。

「うが、げ、ぎゃ……ぎぎ……!」

「おじさん、サクナちゃん、離れて!」

「!」

アリスがキュベレの周囲に壁を展開したのを見てサクナヒメは全力で横っ飛び。唯野仁成を、再召喚したオルトロスがくわえて、飛び退く。

直後、キュベレは爆散していた。爆発の規模は凄まじく、一層の天井を焼き、貫通しかねないほどだった。アリスが壁を作って爆発の火力を上に逃さなければ、多分死んでいただろう。

呼吸を整える。前に浅層で戦った看守とは、完全に次元違いの怪物だった。サクナヒメも冷や汗を拭っている。もしも一対一だったら、勝ち目は無かっただろう。

すぐにメイビーが回復の魔法を得意とする悪魔を複数呼び出して、皆の回復を始める。ゴア隊長へ通信をブレアが入れていた。ヒメネスは、キュベレが落としたらしい情報集積体を要領よく拾っている。

「深層から出現したと思われる看守と交戦、撃破。 今確認した所によると、地母神キュベレと判明」

「損害は」

「死者はないが、継戦は不可能だ。 即座に後退する」

「了解した。 浅層にいるライドウ班に支援させる」

手をさしのべて来たのはヒメネスだ。ヒメネスはこの力しか信じない男らしくもない、人なつっこい笑みを浮かべていた。

強きものは素直に認める。ヒメネスは、そういう素直な所も確かに持っている男だ。その良い部分が、今出ているのだろう。

「あのバケモノ女に接近戦を挑むとは、やるなヒトナリ。 更に強くなってるじゃねえか」

「何、姫様が四秒稼いでくれと言った通りにしただけの事だ。 もしも本気で打ち合っていたら、とてもあいつには勝てなかったよ」

「良いから診察と回復を受けてください」

メイビーが、立ち上がった唯野仁成とヒメネスの状態を確認。モラクスをPCに戻すヒメネスだが。うげと呻いていた。

モラクスのダメージが、相当な状態だったらしい。モラクスも、人間の最悪の面を学習してしまわなければ。或いは誇り高い魔王だったのかも知れない。そう考えると、色々忸怩たるものがある。

程なくして、ライドウ班が来たので、合流して戻る。ライドウ氏は強大な悪魔を複数引き連れていて。演習していた機動班の面々は、周囲にびくつくばかりだった。とんでもない戦闘が行われたのは、一目で分かったのだろうから。

また、調査班を連れて一層入り口付近を調べていたケンシロウ班とも合流。そのまま、方舟に戻った。

そこで、医療室に行って、本格的に診察を受ける。

メイビーによる応急処置は完璧だったらしく。医療班のチーフであるゾイは、少し休めば大丈夫だと太鼓判を押してくれた。

ただブレアとメイビーの連れていた悪魔の消耗が大きいらしい。またヒメネスのモラクスも、消耗が酷いという話だった。

「一層がこれほど危険な場所だとはね……」

ゾイがぼやく。国際再建機構にスカウトされた彼女は、確か国際的な医師団体に昔は所属していて。各地の紛争地帯などで散々修羅場をくぐっていると聞いている。

そんな彼女がぼやくほどだ。

唯野仁成は、半日休憩をしっかり取るように念押しされて、医療室を出る。一瞬だけ、奥で寝かされている人影を見る。あれは、ボーティーズで壊されてしまったクルーの一人、ノリスだろう。

視線に気付いたか、ゾイは眉を伏せた。

「彼はまだ正気を取り戻していないわ。 時々ゼレーニン隊員が見に来るのよ。 自分を守るために、心を壊されてしまったのだからね」

「回復の見込みはあるだろうか」

「年単位での治療が必要になるでしょうね。 それでも回復出来るとは断言できないわ」

「そうか。 彼は勇敢に戦った。 それが報われると良いのだが」

頷くゾイ。

自室に戻ると、唯野仁成は横になる。サクナヒメも、奥義を出さなければならないほど深層から上がってくる看守は強い。そして恐らくそれらと、日常的にアレックスはやりあっている。

まだだ。全然力が足りない。

だが、あのような存在が持っている力は、何処かが狂っているとしか思えない自分もまたいる。

アリスにPCごしに呼びかけてみる。彼女は直撃弾を受けていないので、マッカを食わせれば放っておいても回復する。だからアリスは、普通に会話に答えてくれた。

「アリス、キュベレについて詳しかったが、知っているのか?」

「混沌勢力に協力的な地母神の中でも大物だからね。 私を作ったおじさん達と一緒にいる時とか、時々顔を合わせたりしたよ」

「地母神というのは何だ?」

「うーん、簡単に言うと大地そのものの神様かな。 殆どの場合女性の人格を取る事が多くて、古い古い神様の形態だね。 古い神様だから生け贄とか普通に欲しがるし、人間が邪教とか呼ぶようなのと殆ど変わらない荒々しい信仰を好むことが多いの。 最初サクナちゃん見た時には、地母神かと思ったんだけれど。 サクナちゃんは生け贄とか欲しがりそうもないし、古い神格だけれど女神よりだと思う」

そういうものなのか。

地母神というのは分かった。デモニカを軽く操作して調べて見るが、だいたいアリスの言う通りだ。荒々しい古い神々のうち、大地そのものの力を持つ神か。

ベッドで横になりながら、アリスの話を聞く。

「でもおかしいなあ。 キュベレは確かに古い神だけれど、あんなに頭おかしくなかったと思うんだよね。 何だか凶暴化してる雰囲気だった」

「生け贄を求めるような神だ。 元々凶暴では無いのか?」

「うーん、今の人達にはぴんと来ないのかなあ。 昔は神様にお願い事をする時は、神様に捧げ物をするのが当たり前だったんだって。 私を作ったおじさん達の受け売りだけれど。 古い時代は、作物が色々な理由で採れなかったりすると、それだけで大勢人が死んだでしょ。 だから大地の神様には、一番大事なものが捧げられたんだよ。 つまり綺麗な女の人とか、未来を担う子供とか」

そうか。だが、それは悪しき因習で、終わらせなければならないことだ。どのような理由があっても、現在は肯定してはならないだろう。

ただ、言わんとする事も分かる。人間は自分を取り巻く環境というものに対する敬意を忘れすぎたのかも知れない。あまりにも地球上で増えすぎて、他の生物に対する絶対優位を得て。

更には自分を万物の霊長と妄想するようになって、それは加速してしまったのだろう。

勿論生け贄に人間を捧げるなどと言うのは論外だが。しかしながら、大地への敬意は忘れる訳にはいかないだろう。それについては、唯野仁成は同意できる。

「ありがとうアリス。 色々分かった」

「どういたしましてー。 それにしても、良くもあのキュベレに接近戦を挑もうと思えたね」

「姫様には本当に世話になっているし、有言実行を見ているからな」

「そっか」

我が儘で残忍だけれど、戦闘では頼りになるアリスとの会話を閉じる。

休むように言われていたのだ。休む事にする。

それから、ベッドで溶けるように眠り。起きてからはシャワーと食事を済ませて。いつでも戦える体勢を取った。

呼び出しがあったので、出向く。

物資搬入口で、ヒメネスが待っていた。サクナヒメも、存分に回復したようだ。今度はウルフとミアがいる。

他に、ケンシロウ班と、ライドウ班が既に整列していた。

ゴア隊長が来る。敬礼をする。ゴア隊長が即時撤退を決断し、ライドウ班を廻してくれなければかなり危なかっただろう。やはりこの人は指揮官としてとても有能だ。

「皆、危険な戦いを良くくぐり抜けてくれた。 一層の奥に、先の戦いの影響で恐らく反応しただろう、強力な悪魔の気配がある。 看守という言葉からも想像がつくように、「囚人」の可能性がある。 シュバルツバースの秘密を解き明かすためにも、接触は必要だ」

「看守よりも強いんじゃないんですかね、そいつ」

「いや、感じ取ることが出来る気配は、看守よりも弱いようだ。 既にアーサーが分析を終えているが、実力は撃破時のオーカスより少し上、と言う所らしい」

「ならば楽勝だな……」

舌なめずりするヒメネス。確かにモラクスがいる事もある。前よりは戦況は良いとは思うが。

ただ、其処まで上手く行くかどうか。

挙手して、意見を述べる。

「また深層から看守が来る可能性もあります。 その場合は撤退しますか」

「一層に昨日、危険を押して電波中継器を撒いてきたのが功を奏して、マップは殆ど出来上がっている。 現時点では逃走経路なども提示できる状態だ。 今の機会を逃す手はない」

頷く。確かにゴア隊長の言う通りだ。

ライドウ氏の班、ケンシロウ班は、今回は支援チームとして動く。ケンシロウ班には調査班としては一人だけゼレーニンが参加する。これは危険な戦闘の中で、天使に守られているゼレーニンだけがまともに動けそうだから、である。可能な限りこの嘆きの胎の情報も集めておきたいのだ。

「一秒が惜しい。 すぐに出撃してほしい」

「イエッサ!」

外に出る。恐らく、看守悪魔が上がって来たときの備えだろう。なけなしの装甲車、レールガンも全て出て、野戦陣地も作られている。突貫でやってくれたのだろう。

ゴア隊長は、最善を尽くしてくれている。それならば、それに答えるのが一軍人としての使命だ。

サクナヒメが頷く。全員が頷き返すと、猛禽のように一層奥にある強力な気配へと突貫する。

場所が分かっているのなら、なんとでもなる。途中、悪魔がぽつぽつと姿を見せるが。強いには強いが、昨日姿を見せた深層の看守に比べれば全然。モラクスを見るだけで、引く者もいた。

やがて、最深部へ到達する。

此処が、檻か。

サクナヒメが、封印らしいのを斬り捨てる。頷くと、奥へ入り込む。

其所には、巨大な女が眠っていた。全身を水のようなものが覆っており。そして蠢いている。髪の毛も水だ。水なのに、炎が揺らめいているようである。

何だ此奴は。強力な悪魔のようだが。

サクナヒメが目を細める。

「これが、囚人か?」

「囚人? ふあーあ……」

目を覚ます悪魔。封印が斬られたことで、意識が覚醒したのだろう。みるみる人間大に縮んでいく。

背伸びをしていた女は、殆ど全裸だ。正確には、常に周囲を蠢いている水がその衣服になっているようだ。調べて見ると天女アナーヒターと表示が出る。天女という分類は前にもアプサラスで見た。

調べて見ると、ゾロアスター教信仰における重要な女神であるとある。見ていると、黄金の首飾りが出現し。太陽を思わせる赤い美しいマントを身につける。また、出現したベルトは思った以上に力強い。だが、はだけた胸や蠱惑的な肉体は、水の服で隠すだけ。目のやりどころに困る。

植物に着地するアナーヒタは、サクナヒメを見る。

「貴方が、封印を斬ったのかしら。 見た事がない神格のようだけれど」

「わしはヤナト随一の武神にて豊穣神サクナヒメ。 話によると、此処とは違う世界の神格であるそうだ」

「そう、それならば見た事がないのも納得ね。 私はアナーヒター。 此処に収監されていた囚人の一人よ」

アナーヒターは、周囲を見回した後。ふっと笑う。

そして、唯野仁成に小さな欠片を放って寄越した。

「貴方の魂が一番面白そう。 私が此処に封印されていると言う事は、破れた後に混沌の勢力がこの土地を支配したのでしょうね」

「これは?」

「実りというものよ。 まあ、分割された欠片の一つだけれど。 ……ついでに私の情報も籠もっている。 調べて見れば、私を呼び出すことも可能になるでしょう。 力がついてきてから、試してみなさい。 もう少し力がつけば、私を呼び出せるでしょう」

くつくつと笑うアナーヒタ。

そして、その姿は、蜃気楼のように消えてしまった。

警告が入る。ゴア隊長からの通信である。

「看守悪魔の気配だ。 急いでその場を離れろ。 此方は全力で迎撃の態勢に入る」

「了解した。 即座に撤退する」

また、キュベレ並みのが来たら勝てるかは分からない。即座にこの場を離れた方が良いだろう。

牢は今、破られた。

看守がいるのなら、激怒するのも当然だろうから。

しんがりはサクナヒメに任せて、全力で方舟に。一層入り口では、ライドウ氏が手持ち最強らしい悪魔達を展開して、防衛線を展開してくれていた。その隣には、拳を鳴らしているケンシロウもいる。

すぐに方舟に逃げ込む。看守悪魔も、ライドウ氏とケンシロウ、更にそれに加勢したサクナヒメを見て二の足を踏んだらしく、追撃を諦めた様子だ。ゴア隊長はそれを見て、即座に総員の撤収を指示。

方舟に戻り、上空へと退避する。

看守悪魔は上空までは追ってこない。数体の、キュベレと同格の悪魔が来ていたようだが。見上げているだけだ。

冷や汗を拭っているウルフ。彼もオーカスと一緒に戦った一線級の機動班クルーなのに。恐ろしさは嫌と言うほど分かったのだろう。

此処は、魔郷だ。

そしてその魔郷を一つ、今日は踏破することに成功したのだ。

 

4、実り

 

一度実りを、真田さんに引き渡す。アナーヒターの言葉も気になるし、そもそも囚人は何かと言う事も気になるからだ。

自室に戻る。そうすると、意外な来客があった。

恐らくは、前にさいふぁーと遭遇したときと同じ状況だ。

周囲には誰もおらず。そいつだけがいた。

以前、一瞬でアレックスに殺された唯野仁成の命を救ってくれた。小さな子供のように見える女神。ヒメネスは子供を産んだ体をしていると言っていたが。まあそうなのだろうかはよく分からない。

花の冠をつけ、ギリシャ風の衣服を身につけた小柄な存在。

女神デメテルである。

「唯野仁成、囚人を一柱解放したのですのね。 実りまで手に入れるとは。 貴方は苗木のようなものでしたけれども、もう育ち始めていますわ」

「……この船はプラズマバリアで守られているはずだが」

「うふふ、そんな玩具私くらいになるとどうにでもなりますのよ。 内部で暴れるつもりはありませんからご心配なく」

武器に手を掛けたくなるが、まずは話を聞く事にする。

もし殺すつもりなら、こんな迂遠な行動には出ないはずだから、である。

「それで、実りはどうして手放しましたの?」

「情報の共有は生き残るために必要だからだ。 あれがほしいのか」

「ほしいですわ!」

「……聞かせてほしい。 貴方はギリシャ神話でもトップに位置する、オリンポス十二神の一角だろう。 一体何を目論んでいる」

「私は豊穣神の最高点にいるもの。 その目的と言えば、豊穣の収穫に決まっているではありませんの?」

そう抽象的なことを言われても困るが。兎も角実りを欲しがっている、と言う事については理解出来た。

だが、どうにも嫌な感じがする。

この女神は。同じ女神でも竹を割ったようなサクナヒメとは真逆に思えるのだ。サクナヒメは人間を冷静に見ながら、それでも慈しんでくれる理想的な神だ。一緒に戦い、傷つくことも厭わない。

恐らく彼女が言っていた、駆け出しの頃に人間と共に苦労して、共に苦境を乗り切った経験がその性格を作り出しているのだろう。

だがデメテルは違う。人間を弄び、完全に収穫するための道具としか考えていない。

さっきアリスが言っていたが、ギブアンドテイクの関係が古代の神と人の間にはあったようだが。

此奴の場合、それすらないように思える。

「実りについては集めるつもりだ。 あの嘆きの胎はシュバルツバースの秘密に関わっているようだし、囚人となっている悪魔達に話も聞きたいからな」

「貴方の命を助けたんですのよ。 それなのに、実りを渡すと言えませんの?」

「命を助けてくれた事には感謝している。 だが、貴方の奴隷になるつもりはない。 ……それに俺は一兵士だ。 もしも実りというものがほしいのなら、この船の首脳部であるゴア隊長や、正太郎長官の前に現れて交渉をしてほしい」

「あら、真面目ですのね。 まあ良いですわ。 ともかく実りを集めて、混沌の悪魔どもに渡さないようにしてくださいまし」

すっとデメテルが消える。

同時に、肩を揺さぶられていることに気付いた。相手はゼレーニンだった。

やはり、一人で停止しているように見えていたらしい。前と、さいふぁーに会った時と全く同じだ。

「仁成、大丈夫!?」

「……ああ。 真田さんとゴア隊長、正太郎長官に相談するべき事が出来た。 艦の首脳部にも話しておくべきだと思う」

「? どういうこと?」

「船のセキュリティに問題がある」

さいふぁーに続いてデメテルだ。同じように侵入され、好き勝手を言われた。

前のさいふぁーの事は真田さんには話してはある。その時に解析などはしてくれているはずだが。更に上を行かれたと言う事だ。

今後更に強力な悪魔が現れる可能性が高い事を考えると、プラズマバリアの堅牢性に疑念が生じる。

程なくして、アポが通った。

カリーナで得た、オーカスのロゼッタから分析し、次の空間へ行く話をしていた所らしいのだが。唯野仁成は、光栄にもこの船の指揮官達からも認められているらしい。

艦橋に出向き、全てを話す。

真田さんは腕組みして考え込んだ。

「ログは調べて見るが、プラズマバリアではそもそも侵入を防げないのかもしれないな」

「少なくとも二体の悪魔が俺に対して干渉してきています。 それを考えると、今後は更に強力な防壁が必要でしょう」

「その通りだ。 ログを更に徹底的に検証し、対策をする」

真田さんがそう言うならば信頼出来る。

ゴア隊長も不審そうに眉をひそめた。

「それにしても実りとはなんだ。 真田技術長官、わかりますか」

「天女アナーヒターから回収した実りというものは、調べて見た所単独では単なる情報集積体にすぎませんね。 しかしながらバラバラにされた形跡があり、一部のデータが破損しています。 ひょっとすると、この破損部分のデータを、デメテルは求めているのかも知れません」

「いずれにしても、シュバルツバースの秘密に迫るには重要だが、同時に最高位悪魔が喉から手が出るほど欲しがっているというわけか……」

「入手には細心の注意が必要でしょうな」

正太郎長官が咳払いする。

皆、其方に注目した。

「では、後見人としてちょっと口出しをさせて貰う。 方針を決めておこう。 真田くん、君はまず、悪魔に好き放題入られるセキュリティに対して守りの強化を」

「はっ!」

「ゴア隊長は、部下達に目を配ってほしい。 姫様、ライドウ氏、ストーム1、ケンシロウ。 君達は、いかなる相手にも勝てると儂は確信しているが。 最高位悪魔の不意打ちを常に警戒してほしい」

「イエッサ!」

威勢良く敬礼したのはゴア隊長とストーム1だけ。無言でライドウ氏とサクナヒメは頷き、ケンシロウはぼーっとしているように見えた。

そして、正太郎長官は、唯野仁成を見る。

「高位悪魔が君に興味を示していることは前から様々な情報が裏付けしている。 君は、一番気を付けてくれ。 悪魔は心の隙間に入り込むという。 どうにもあのアレックスという娘の強烈な殺意が気になってならないのだ」

「自分もです。 以降、気を付けます」

「うむ。 それでは、各自次の空間に行く準備を整えてほしい。 翌日には、この嘆きの胎を出立する」

敬礼して、艦橋を後にする。

声を唯野仁成に掛けて来たのは、艦橋で話を聞いていた天海春香だ。

直接声を掛けられるのは初めてだ。流石に唯野仁成も驚いた。

「唯野仁成隊員」

「はい。 なんでしょうか」

「今までのログは私も見ています。 一番危険なのは、恐らくデメテルという方だと私は感じました」

「……」

天海春香は言う。

彼女は悪意が渦巻く芸能界で生きてきた人間だ。強力な悪意は嫌と言うほどみてきていると言う。

幸い、とても優れたプロデューサーと、アイドルをとても大事にしてくれる事務所のおかげで此処まで来られた。

だが、やはりそれでも。おぞましい漆黒の悪意は散々見て来たという。

国際再建機構に移籍してからもそれは同じ。慰問で各地に出向くと、やはり人間の業は嫌と言うほど見る事になったと、悲しげに言う。

その上で断言した。

「魔王以上の悪意をデメテルさんからは感じます。 一番注意を払ってくださいね」

「分かりました。 忠告、最大限に生かします」

敬礼する。微笑みを返される。

唯野仁成は自室に戻りながら、状況を分析する。これほどの人物に言われたのなら、ほぼ間違いないだろう。デメテルの内心は真っ黒と見て良い。

何故実りとやらを求める。

最大限の警戒をしなければならないのは、確定だった。

 

(続)