黒の世界への突入

 

序、極寒の地の大穴

 

顔を上げる。

艦内放送があったからだ。

ベッドから先に起きだしていた俺は、早々に着替えを済ませる。仕官用のベッドだが、別にそれはどうでもいい。実の所、個室があるわけでもない。千人からが長期間過ごす船である。

待遇の不平等は反乱につながる。

綿密な計算の上に、様々な設計がされているこの方舟だが。

俺が使っているベッドは、一般兵卒。この組織では戦士と呼んでいたか。いずれにしても、普通の兵士や、非戦闘員が使っているものと同じである。部屋には他にも船の関係者が寝ている。要するに士官も兵士も、使っているベッドも部屋もあまり変わらないのだ。

ただ、国際再建機構の士官はみな相当な熟練者ばかり。流石に経験を積んでいる。

すぐに着替えを始めていた。

「……南極に着いたようだな」

「ああ」

上のベッドは譲った。

この長身の男に、である。

ケンシロウ。

北斗神拳とかいう超絶の武技を使いこなす男。実はコードネームストーム1で呼ばれている俺もそれなりに長身なのだが、この男ほどでは無い。

そしてこの男、殆ど喋らない上に、生活能力が皆無である。

何でも家では一つ上の兄である三男の家族に養って貰っていたらしく。

超絶の技も現在では日常において使い路が無く。

国際再建機構がスカウトしてようやく使い路が出来、高給取りになった今は。三男の家である孤児院に仕送りしているとか。

兄である三男とは昔相当に揉めたそうだが。

今ではすっかり和解しており。

兄は自分を超える弟が認められて誇りだと素直に喜び。

ケンシロウも、兄に恩返しが出来て嬉しいと喜んでいるようだ。

前に、ぼそりと俺に話してくれた話だ。

ケンシロウは滅多に自分の事を話さない。だから、逆によく覚えている。

国際再建機構のエースとなってからは、肩を並べて各地で悪党を退治して回った。

邪悪な薬物を売りさばく組織。

腐りきった政府の官僚。

テロリストども。

国が腐っている場合は、俺たちに出来る事は少ない。だから、明確な悪党を倒す事だけが俺たちの仕事。

近代戦を得意とする俺と。

超絶のインファイトで絶対に勝てるケンシロウ。

コンビを組む事も多かったし。

別々に戦う事もまた多く。

互いに顔を合わせたときは、戦場がどうだったかを話して。この世のままならさを嘆くくらいの仲にはなっていた。

なお、この国際再建機構も、どこの軍とも代わらずレーションはあまりおいしくないのだが。

ケンシロウは一人でいるときはカップラーメンばかり食べているそうで。

レーションを喜ぶ、俺があった中でも珍しい人間である。

国際再建機構では、兵卒の人間関係はしっかり調べているらしく。

仲が良いもの同士でベッドを近くにしているらしい。

この組織の上層部は、俺も信頼している。

トップがトップだからである。

伝説のロボット操縦者。

鉄人28号を駆って戦後の混乱期に大活躍し。

そして今ではこの組織の長になっている正太郎長官。

歴史にそれほど詳しいわけでは無い俺でも知る、文字通り伝説の男だ。

しかしながら、そんな生ける伝説がこれだけ尽力しても世界はろくでもない事だらけで。

とうとう、こんな訳が分からないシュバルツバースだの悪魔だのの騒ぎまで始まってしまった。

朝の作業を一通り済ませると、デモニカスーツを着込む。

視界は阻害されない。

体も別に重くはならない。動きもほぼ邪魔されない。

この手の極地用スーツというのは、視界は狭まるわ動きも駄目になるわで、昔はロクな代物ではなかった。良い例が宇宙服だろう。宇宙服そのものは人類の叡智の結晶とも言える高度テクノロジーの塊だが、その鈍重さだけはどうしようもなかった。

だがこのデモニカは違う。

むしろ着ている人間の動きを補助すらしてくれる。パワードスーツも兼ねているのだ。

極限までストレスを減らす作りになっているらしい。あの真田技術長官が心血を注いで改良したという話だが。それも納得だ。

正太郎長官の右腕として、「真田さん」と皆に敬愛される人物である。どんなに無茶を言っても答えてくれる。そして真田さんが作ってくれた装備で、俺は夥しい成果を上げてきたのだ。

そんな俺でもいつも通り満足出来る出来だった。

ケンシロウも既にデモニカスーツを着込んでいたが。やはり不器用なせいか、多少苦労していた。

彼は元々拳法をやるために品種改良までしてきたような一族の出らしく。

骨格からして違っている。

怒りが頂点に達すると筋肉が膨れあがって、下手をすると服を吹き飛ばしてしまうらしく。

故にデモニカスーツに高度な伸縮性を持たせる事を真田さんがやったそうである。

まあ、ケンシロウの戦力を思えば当然か。

苦労しながらデモニカスーツを着込んだケンシロウと頷きあうと。

それぞれ持ち場に向かう。

俺がやる事は、艦橋の護衛。

ケンシロウがやる事は、揚陸艦の能力を持つこの方舟の最大の弱点部分。

要するに、物資搬入口の集中護衛だ。

本来は逆を担当すべきと言う声もあったのだが、実はこの巨大な船、艦橋部分は相応に広い。

もしも何かしらに侵入された場合、ケンシロウでも守りきれないかも知れない。

更に言えば、無駄弾を一切撃たない「スペシャル」として今回の任務に呼ばれた俺である。

その辺り、信頼されている、と言う事だ。

前からすたすたと歩いて来る小柄な影。デモニカスーツは着ていない。

向こうから、声を掛けて来た。

「おう、そなたはすとーむわんであったな」

「俺がデモニカスーツを着ていても分かるのか」

「そなたは尋常では無い戦気をまとっておるからのう。 わしくらいになるとすぐに分かるわ」

ガハハハハと、豪快に笑う。

神であるらしいサクナヒメだが。何度か戦闘演習を一緒にやった葛葉ライドウ曰く、この世界には本来存在しない神であるらしい。

伝承が無いどころか。明らかに存在しない場所から来ている、と言う事だ。

「そなた、この戦が終わったらわしの国であるヤナトへ来ぬか? 人から神になったものはヤナトにも多い。 そなたほどの豪傑であれば、我が国でも大いに歓迎するぞ。 それにこの世界が平和になれば、そなたを世界は持て余すだろう」

「有り難い話だが、まずはシュバルツバースに突入してからだ。 それに俺には首脳部や牙無き者を守る大事な任務が第一としてある」

「そうか。 その言葉、誇り高き歴戦の勇士そのものよな。 ……また会おうぞ」

「ああ」

すたすたといくサクナヒメ。歩く様子に子供らしさは無い。むしろ小さいながら、重心をしっかり抑えていて、全く隙が無い。戦闘を知り尽くしている存在の動きである。多分持ち上げるのは相当に難しいはずだ。柔道の達人がそうであるように。

それにしても、サクナヒメというあの神格。大和では無く「ヤナト」と言っていた。

古代の日本が自国をなんと称していたかは諸説あるらしいのだが。

少なくとも「ヤナト」はない筈だ。

そしてサクナヒメは言っていた。また会おうと。

彼女の持ち場はケンシロウ同様、最初に敵が侵入する場所を想定した、物資搬入口である。

此処には他にも手練れを何名か派遣する。

だからこそ、他が危ないのだ。

必ずや生き延びろ。

そう、あの幼児の姿をした武神は暗に言っている。

それに、勿論俺も応えるつもりだ。

艦橋に到着。

既に正太郎長官はいて、敬礼をかわす。

俺は何度か直接話した事があるが。長官に悪い印象を抱いたことは一度もない。

兵卒にも丁寧に接する一方、身内人事を一切しない厳格な人で。家族の居場所は明かしておらず。同時に国際再建機構の幹部にも据えていないらしい。

俺も期待されているらしく。

戦果を重ねてコードネームを貰った頃には、何度か直接話をし。会食などをたまにする仲にもなっていた。

初期から現在まで最前線で国際再建機構を支えた俺だが。

残念ながら既にロートルである。

これ以上自分の身体能力が伸びないことは自覚している。

覚える事は色々出来るだろうが。

基礎能力を上げることは、もう不可能だ。

故に、今回の旅では後継者を育成したい。そういう強い思いがあり。正太郎長官にも、それは伝えていた。

「今日はいよいよ突入の日だ。 高確率で「悪魔」と思われる存在の迎撃があると見て良いだろう。 君には艦橋の皆の命を預ける」

「イエッサ!」

「うむ。 それでは、その席を任せる」

艦橋は生命線だ。

艦の中枢にあるから。簡単に敵の侵入は許しはしないだろうが。

それでも侵入されると、首脳部が壊滅する可能性がある。

俺は、回る椅子に座った。

これは艦橋の全てを一瞬で認識するため、である。普段はロックしてある。

場所も、艦橋の先頭付近。

此処でロックを解除して、椅子ごと回れば。

周囲を一瞬で全て把握することが出来る。

既に葛葉ライドウの協力により、敵の尖兵となりそうな悪魔のデータはデモニカスーツに入れてはいるが。

それでも何があるかは分からない。

敵の一部が、どうも自分より精神力などで劣る相手に、存在を認識させないという能力を持っているらしいので。

気を強く持たなければならないのは事実だった。

艦橋のオペレーター達。

真田さん。それに今回の探索任務の隊長である、ゴア氏が来る。戦歴においても判断力においても、隊長に相応しい人物だ。米軍にいた頃から評判が良く、米軍は手放すのをかなり惜しんだらしい。

皆とも敬礼した後、席に着き。ロックを確認して、更にシートベルトをつける。

全員デモニカスーツを着けている。

これは、最悪の事態を想定してのことだ。

いずれ宇宙に進出した場合。

危険があるときには、常に宇宙服を着けるのが基本。

そうなるのだろう。

それにしても、これだけ巨大な揚陸艇が陸上、それも南極の雪原を進んでいるのに、まるで揺れが伝わってこない。

凄い技術だな。

俺は、素直にそう思っていた。

軽く身じろぎする。

全くという程揺れを感じはしなかったが。それでも、艦が止まったのは分かった。

「春香くん、頼む」

「分かりました」

艦橋の一員。

今回参加している中で、もっとも本来なら戦闘とは縁遠く。しかしながら長期戦でありながら最も重要な役割も果たす人物。

場の空気を改善する達人。

世界最高のアイドルである天海春香が頷き、艦内放送のマイクを手に取った。

「艦内のみなさん、天海春香です。 いよいよシュバルツバース至近に到着しました」

皆、緊張していることだろう。

流石に今寝ている者はいないはずだ。

順番に、やるべき事を春香が指示していく。

アーサーやゴア隊長が話しても良いのだが。

こういう戦闘以外の事も含め、できる限り春香のアナウンスで船内の放送は回していく。

これは事前に決めていることである。

この探索は、恐らく長期になる。

長期になればなる程、ストレスが強烈になっていく。

それをわずかでも緩和するため、だ。

危険物が近くに無いか。ある場合はきちんと固定されているか。それぞれ自分の身を近くに固定しているか。私物などは指定の棚に入れ、ロックしているか。

それぞれを確認するように、もう一度春香が言う。

そして、確認し次第、部屋の長がそれぞれ、安全確認のボタンを押すようにと。

オペレーターが、進捗率を読み上げていく。

準備が良い部屋は、すぐに来たが。

厨房や動力室などは、流石に時間が掛かった。

そして此処のクルーは動きに無駄がない。

真田さんが既に作業を行っている。

この方舟は、核融合炉を使っているらしいのだが。

並列化した電気系統にバッテリーを混ぜ込んでいて。それによって、フルパワーで稼働する動力を、更に普段はため込んでいるらしい。

そして爆発的な力を発揮する事が出来る、ということだった。

強襲揚陸艇なので、ミサイル艦や巡洋艦ほどの重武装ではないのだが。

艦上には三連の主砲が四門ついている。その中でも中央部にある主砲は、一際に大きい。

噂によると核弾頭を発射できるとか言う事だが。

流石に俺も真偽は知らない。

オペレーターが、何か春香の方にデータを回した。

頷くと、春香が通信を入れる。

「227の安全確認が来ていません。 問題はありませんか?」

「此方227……いやラボ。 薬なんかの細かいものの固定にてまどっちょる。 ちょっとまっとくれ」

「分かりました。 ラボは生命線です。 確実に固定を済ませてください」

「おう、すまんな」

ラボならやむを得ないだろう。

真田さんも苦笑していた。

あらゆる病気に対応出来る薬が揃っているはずで。それも長期戦に備えての事である。

ただ、ベースとなる物資は積載に限界がある。

これから入るシュバルツバースで何も得られないとなると。

流石に厳しくはなるだろうな。

そう俺も考えていた。

地獄の戦場を何度も力尽くで鎮圧してきた俺である。

殺した相手には少年兵だっていた。

非人道的な組織は、当然のように余った子供を買い、兵隊に仕立てる。

そういう子供はしっかり戦闘を仕込まれているし。

戦って無傷で制圧出来るような甘い相手では無い。

俺の手は血に濡れているが。それは必要な犠牲だ。

そう割り切り。少しでも世界をよくするために、引き金を引き続けてきた。

逆に言うと、そんな俺だから現実的にものは考える。

程なくして、ラボから問題なしの回答がある。

もう一度、春香が呼びかけをし。

そして、問題ありの返答がある部屋はなかった。

「それでは、シュバルツバースに突入を開始します。 ほぼ確実に迎撃があるという事です。 揺れが懸念されます。 敵が突入してくる可能性もあります。 皆さん、覚悟はしてください」

春香自身の声に恐怖は一切感じられない。

相当な修羅場をくぐってきている事が確実だ。

俺も噂には聞いているが。

春香は戦地に慰撫で出向いていることはあるらしく。

その過程で戦闘訓練は当然のように受けているそうだ。

ダンスという全身運動で鍛えていたこともあり、基礎的な身体能力はかなり高い方で。

体力についても、全くという程問題は無いらしい。

生半可な兵士より出来るという事で。

彼女はその気になれば、デモニカスーツを着れば戦う事も可能なのだろう。

ただ彼女は、艦内の空気を緩和するための人材である。

戦場に出す事は最後まで許されないが。

艦橋に、全周の映像が出る。

凍り付いた南極に、まるで巨大な光の柱が立ち上っているかのようである。

おおと、声が上がる。

既に直径270キロまで拡大していると聞いていたが。これがシュバルツバース外縁か。

これを飛び越えて、内部に侵入する。

今まではドローンでやっていたが、それでは埒があかない。

だから今度は、人力でやるしかない、と言う事だ。

ただ心配はしていない。

此処にいるスタッフは、文字通り世界最強のスペシャリスト達。

できる筈だ。逆に言えば、此処にいる面子で出来なければ、誰にも出来ないだろう。

ゴアが頷くと。

正太郎長官。今は艦長と呼ぶべきか。

声を張り上げていた。

「ふじょーう。 突入かいーし」

「浮上、突入を開始!」

「突入開始!」

幾つかの声が唱和すると同時に、ぐんと船が浮き上がったのが分かった。

それでも揺れは殆ど無い。

この伸ばすやり方は、聞き間違えるのを防ぐためらしいが。

あのご老体で良くもあれだけ声が出るものだと感心する。

そのまま、浮上を続ける方舟。

ただ、ノアの方舟とこの方舟は違う。

破滅から逃れるための方舟がノアのものだが。

此方の方舟は、破滅を食い止めるためのものだ。

傲慢な神が、気にくわない人間を皆殺しにする破滅から。神が言うまま逃れたのがノアの方舟なら。

誰が起こしたか分からないが。兎も角起きてしまった破滅を、根本から改善するのがこの方舟。

真逆の存在なのである。

直上に上昇していく。飛ぶのは二回目。最初はこの方舟を建造していた地下空間から出る時。

だがあの時とは、上昇する距離がまるで違っている。

エベレストを飛び越すほどにまで今回は上昇するのだ。

凄まじいスパークを放っている光の柱は、どこまでも空に伸びているかのようだったが。

やがて、不意に青空が前面に拡がった。雲さえも無い。雲を飛び越え、更に光の柱をも超えたのである。

さて、此処からだ。

「全員、衝撃に備えてください」

春香の声は落ち着いている。

それが、どれだけ兵士達の声を落ち着かせるか分からない。

そのまま、方舟は。ゆっくり前進を開始した。見えないが、既にプラズマバリアを纏っているはず。

旅が、始まったのだ。

 

1、突入シュバルツバース

 

ケンシロウは背中に壁を預けたまま、目を閉じていた。

デモニカには通信機能がついているから、今どうなっているかはよく分かる。

今いる物資搬入口には、船内クルーでも腕利きの兵士達と。

そんな中、座ってにぎりめしを食っているサクナヒメの姿がある。

デモニカも身につけていないが。

既に真空だろうが毒ガスの中だろうが平気であることは実験済みらしい。

昔は平気では無かったらしいのだが。

神としての格が上がってから平気になったのだとか。

いずれにしても、皆緊張している中。

床に座ってにぎりめしを食べ終え、その後は腕組みして黙り込んでいるサクナヒメは。周囲に圧倒的な安心感を与えていた。子供(に見える存在)ですら落ち着き払っているのだ。大人が困惑している訳にもいかないと、誰もが思うのである。

ケンシロウには分かる。

小さいが、この存在は人間とは違う。

圧倒的な戦闘経験が、一目で分かるのである。

相当な修羅場もくぐってきている。

今だって、幾つかのモニタで映し出されている。

此処が空の極めて高い場所で、これから地獄も同然の場所に出向くことは。当然サクナヒメにも分かっている筈だ。

まるでそれを怖れていない。

幼児故の無知から、ではない。

サクナヒメの言動は幼児とはかけ離れているし。

何よりも、圧倒的な経験に行動が裏打ちされている。

ケンシロウも、これならば大丈夫だろうと考えていた。

やがて、ゆっくり方舟が降下を開始する。

シュバルツバースの直上に来た、と言う事だろう。

いつのまにか、百キロ以上も進んでいたらしい。流石に飛行専門ではないとはいえ、飛行出来る機械と言う事だ。高度上昇が止まってから三十分も経っていないから、時速三百キロ以上はでるのだろう。

飛行機としては遅すぎる位だが。

この巨大な強襲揚陸艦だ。

何よりも、これから想定される戦闘に備えてパワーを抑えて飛んでいるのだろうし。

無理もない事ではある。

攻撃が高確率である。それも、悪魔がしてくる攻撃だ。どんな代物かすらわからない。

だから、力は可能な限り温存しなければならない。当然の話である。

サクナヒメが、顔を上げた。

そして、周囲に警告を飛ばしていた。

「来よるぞ! 皆掴まれ!」

直後。

揺れが来た。微少な揺れだが、分かる。確実に、何か異常事態があったのだ。

確かこの船は、核融合炉から出るエネルギーの余剰分を利用して、プラズマバリアというのを展開しているはず。

その能力は折り紙付きで。

ケンシロウも認める強者、ストーム1だけが使える最強の狙撃銃。艦砲なみの火力を持つライサンダーの直撃にすら耐える。

それなのに、揺れが来た。

どんな攻撃が飛んできた。

生半可な巡航ミサイル程度では、びくともしないはずだが。

ケンシロウは壁に背中を預けたまま状況を観察する。

兵士達は皆、やはり動揺しているようだった。

「この巨船が揺れてるぞ!」

「外はどうなってる! 何が来たんだ!」

「どっかの国がICBMでも撃ち込んで来やがったんじゃ無いのか!?」

「強い悪意を感じるのう……」

連続し、更に強まる揺れの中、まるでそれを苦にしない様子で立ち上がるサクナヒメ。

既に手には鍬がある。

サクナヒメは豊穣神と武神の子らしく。

その双方の能力を持っているらしい。

武神としての身体能力もそうなのだが。

豊穣神として、武器は剣だけではない。農具も用いる。

特に鋤や鍬、鎌等は得意らしい。鎌といっても、死神が使うイメージがあるサイズではなく、草刈り鎌の方だが。

今サクナヒメが手にしている鋤が、淡く光を放っているのをケンシロウは見て、自身も何時でも動けるように備えていた。

敵が最初に来るならば。確実に此処だからだ。

また揺れが来る。

船が攻撃されている。

艦外を映しているモニタに一瞬だけそれが入り込んだ。

何か光の塊のようなものが、この方舟に纏わり付くようにして飛んできている。攻撃はいちいち重く、受ける度に方舟は揺れていた。

「は、反撃は……!」

「現在敵を解析中です。 攻撃するためにはプラズマバリアを解除する必要があり、敵の解析が出来ていない現状は無視をするのが最善と判断しています」

「やられっぱなしって事かよ!」

「落ち着け」

アーサーの声に動揺する同僚に対し、静かに低い声を出したのは。ブレアという歴戦の兵士だった。

ケンシロウほどでは無いが長身で、戦闘でも相当な実力者である事は一目で分かった。

サクナヒメに対しても抵抗を最初から殆ど示していなかった人物で。

歴戦の、故に柔軟な思考を持っていることは確実だ。

「此処に俺たちは調査に来た。 それを忘れるな。 今の最優先事項は、纏わり付いてきている蠅を叩き落とすことじゃない。 まずはシュバルツバースに侵入することだ」

「そ、そうだな」

「……」

サクナヒメは一瞥だけすると、視線を忙しく動かしている。

恐らく、攻撃を仕掛けてきている「蠅」が、壁越し更にはプラズマバリア越しに見えているのだろう。

ケンシロウも、気を感じ取ることは出来るが。

どうも異質な気で、サクナヒメほど早くは反応できていない。相手が悪魔、それも高位のものであれば仕方が無い事だ。

そのまま、高度を落としていく。

揺れは徐々に大きくなっていくが。

まだ致命的、と思える揺れは来ていなかった。

不意に、攻撃が止む。

同時に、めまぐるしく周囲の気配が変わり始めた。

サクナヒメが目を細める。

「カメラが……」

兵士達がおののく。

既にカメラに写っているのは砂嵐だ。

それならば、もはやどうしようもあるまい。この立て続けに代わる気配。

恐らくだが。

シュバルツバースに突入したと見て良いだろう。

それに、攻撃も止んだようだ。

強烈な揺れは、一旦止まっていた。だが、明らかな異様さがある。落ちているのか。いや何かが違う。ケンシロウにも分からない。

落ち着きを取り戻す兵士もいるが。怯えきっている兵士も決して少なくは無い。

ただ、それが致命的な所で爆発していないのは、サクナヒメやケンシロウ、ブレアなどの一部の人員が落ち着き払っているからだろう。

だが、突如として。最大規模の揺れが来る。

攻撃では無いな、と冷静にケンシロウは判断。

だが、この揺れは、今までで一番のダメージを船体に与えているようだった。

ふっと、力が抜けるようにして、船が完全に落ち始めるのが分かった。

一瞬からだが浮いたが、それもすぐに止まる。

落下の制御を掛けて、不時着をするつもりだろうな。

ケンシロウはそう思った。

色々な紛争地帯に出向いて、軍の経験は積んだ。

不時着も経験がある。

国際再建機構に対して敬意を示す人間も多いが。自分の利権だけ欲しがって、敵意を剥き出しにしてくる外道もいた。

戦いはどれだけやっても終わらなかった。戦場で心を病む奴も見てきた。

そんな戦いの中。劣悪な作戦には何度も参加し。多くの悪党を倒して来たのだ。

「不時着するぞ! 気を付けろ!」

「どうやら船が落ちるようじゃのう。 それでもどうにかなりそうだが、「此処」は守らねばなるまい。 武神たるわしが手を貸してやろう」

サクナヒメが浮き上がると、周囲に無数の光の帯が伸びる。

兵士達全員に、その帯が結びついた。

「此処にいる者は、戦闘力を残しておかないと話になるまい。 わしが守ってやるでな、感謝せい。 ケンシロウ、そなたは自力で対処できるな」

「当然だ」

「うむ……」

北斗神拳は中華拳法の奥義の集大成のような代物だ。対策は幾らでも出来る。

サクナヒメとの問答の直後。強烈な揺れが、周囲を蹂躙していた。

一瞬、照明が消える。デモニカスーツの補助があっても、周囲は深淵になる。

だが、常闇はすぐに晴れ、予備動力が起動した。ケンシロウはそれほど詳しくはないが、確かこの船の電気は並列化されていて。また仮に動力炉が止まっても、数ヶ月くらいは電力をまかなえるらしい。

ただ今の様子では、動力室にダメージが行ったはずだ。

どれくらい支えられるかは分からない。

中空に浮いていたが、降りたつサクナヒメ。

既に展開していた光の帯は、彼女の背中に戻っていた。文字通りの羽衣であるらしいのだが、柔軟に使いこなしている。習熟度が尋常では無い。

ケンシロウは、いわゆる発勁を用いて今の衝撃を殺し無傷。兵士達も、サクナヒメの羽衣に守られて無傷。少なくとも、この物資搬入口の兵士達は。

困惑している兵士達。

皆、不時着時の衝撃は、知っているのだろう。

サクナヒメが、明らかに声色を変えた。ケンシロウも、既に身構えている。

「ケンシロウよ、感じるか?」

「ああ、凄まじい悪意に囲まれているようだな」

「来るぞ! 皆、呆けておる場合か! そなたらは戦士であろう! 武器を取れ!」

声を張り上げるサクナヒメ。

やはり武神。戦場でする事を全て心得ている。

ケンシロウは確かにその言葉に嘘は無いと、実感していた。

ケンシロウは普段殆ど口を利かないが、戦闘時は興奮のせいか多弁になる傾向がある。口も悪くなる。

目の前で、物資搬入口の一部が無理矢理こじ開けられ始める。

戦闘は、避けられそうに無かった。

 

真田は急いで、予備電力で確認できる範囲内でのダメージを確認していた。

何か訳が分からないものから攻撃を受けた。それはいい。

正太郎長官の操縦は流石で、途中からは攻撃を完全に見きって、防ぎ切ったからである。プラズマバリアも、全力展開は必要ないほどだった。

ムキになって攻撃を仕掛けてくる正体不明の存在を、余裕を持ってあしらう様子は、流石と思わず呟いたほどだった。

だが問題は、その後だった。

得体が知れない空間に突入した。どんどん奥へ進んでいき。そして、恐らく最奥に来た。

一度止まって、状況を確認すべき。そう判断した直後に、猛烈な衝撃が来たのである。

それは攻撃では無く、何かしらの反発によるものである事を即座に理解した正太郎長官であったが。

それでも遅すぎた。

衝撃に対して、逆らわないように艦を逃がしたが。

その時既にプラズマバリアはやられ。艦のメイン動力は停止。

ただ、0.1秒遅ければ艦は空中分解していただろう。

補助動力をフル活用して、不時着をするべく、全力で艦橋のクルーは動いてくれていた。

不時着には成功した。

だが、現在、艦の周囲がどうなっているかは分からない。

ゴア隊長が立ち上がり、叫ぶ。

「各自戦闘態勢! アーサーは!」

「沈黙しています! 衝撃で主電源が停止したときの影響と思われます!」

オペレーターの悲痛な声。

まあメイン動力が停止したのなら、仕方が無いだろう。

ゴアは頷くと、即座に声を張り上げていた。

「もし私が敵なら、総攻撃を仕掛けてくる筈だ! 艦内に緊急放送を流せるか!?」

「……其方に回します」

「おう、真田技術長官、有り難い」

ゴアが破顔する。

興奮を醒ますためだろう。咳払いすると、春香に耳打ち。気絶を免れていた春香は頷くと、真田が急いで走り書きしたメモを受け取り、すぐにゴアの側にあるマイクに向かって叫んだ。

やはり胆力が尋常ではない。

「現在の状況を説明します。 方舟はシュバルツバースへの侵入に成功しました。 しかしながら、途中で未知の力に遮られ、潰れる前に不時着を判断。 現在不時着し、メイン動力を喪失しています」

叫ぶようなことは無く。

あくまで静かだ。

その声が、艦橋の者達を即座に落ち着かせる。

「艦内に敵性勢力が侵入している可能性があります。 戦闘要員は即座に武器を取り、非戦闘員を守ってください。 追って指示します!」

「オマエ邪魔だなコロス」

不意に出現する気配。

春香の斜め真後ろだ。

其所に出現したのは、デモニカスーツを介しては、何かぼやっとしか分からない存在だったが。

確かに、殺気を込めて。春香に何か降り下ろそうとしていた。

春香はとっさに避けようとしたが、間に合うはずもない。

だが、即応したものがいる。

ストーム1である。

ぎゃっと、悲鳴が上がり。ぼやっとした何かが吹き飛ぶ。

ライサンダーの完璧な狙撃だった。

更にストーム1は、立て続けに彼方此方に四発の弾を叩き込む。ぎゃっとそれぞれ悲鳴が上がり、艦橋に潜入していたらしい者達が撃ちおとされる。

それら死体は全てが人に似ていたが。

翼があったり尻尾があったり。

いずれもが、人間ではなかった。

そして、いつかストーム1とケンシロウが、ライドウさんの召喚した悪魔と戦った時のように消えていく。

「助かりました!」

「ああ。 ……この様子だと内部が危ないな。 俺は近場から回る」

「頼む」

すぐに艦橋を飛び出すストーム1。

ともかく、敵の第一波を凌がなければならない。

春香は手慣れた様子で、倒れている者や、傷を受けているものを見て回り、トリアージを始めている。それを見て、艦橋の補助要因。怪我人が出た場合の医療班も動き始めていた。

ゴア自身も動いて、周囲の怪我人の様子を確認している。

真田は補助動力を使い、敵の侵入経路を調査する。

銃声がする。

この様子だと、かなりの数が既に侵入している。犠牲者を出来ればゼロにしたい。負傷者だって、出したくはない。

だが、可能な限り現実的に動く。それが今、真田がするべき事だ。

春香が真田に声を掛けて来る。

「真田技術長官、腕が! 今応急手当てします!」

「ああ、これは気にしなくて良い。 私のこの腕は作りものだ。 現時点で私の体に問題は無い。 他を回ってくれ」

「分かりました。 無理はなさらずに」

「ありがとう」

左腕を激しくぶつけて多少損傷したが、それくらいは別にどうでもいい。春香に言った通り義手だからである。

真田は複数ある予備電力の一つを更に復旧させる。そして、つながった動力室に連絡を入れた。

「此方艦橋、動力室はどうなっている!」

「此方動力室! ライドウ氏とその悪魔が皆を守ってくれた! 全員無事だ!」

「よし。 動力の様子は」

「メイン動力炉は一旦停止させた! 今は断線した予備動力を復旧中!」

断線の様子が送られてくる。

判断としては正しい。

動力炉は核融合だ。

もしもの事があったら爆発して、方舟どころか周囲全てが消し飛んだのだから。

核融合は基本的に核分裂と違ってその危険はほぼないのだが。それでも万が一の対応としては満点である。

「メイン動力炉の状態を確認後、復旧させろ。 戦闘要員は、そのまま待機!」

「し、しかし物資搬入口で戦闘が行われているようなのです!」

「繰り返す! 戦闘要員は待機だ! 動力炉の守備を優先しろ!」

「イエッサ!」

ふうと、真田は冷や汗を拭った。

スペシャリストの集まりとはいえ、やはりまだまだ経験が足りないか。

艦橋にまで敵が入り込んでいるような状態だ。何処に敵がいるか分かったものではない。

動力炉は文字通りこの方舟の心臓である。

潰されてはたまったものではない。

それに、搬入口にはケンシロウとサクナヒメがいる。彼処に入り込んだ悪魔は、自分の不運を後悔することになるだろう。

真田が次々と、各所へと連絡を入れていく。

倉庫、無事。

戦闘はあったものの、軽傷者少数で人員の損失無し。物資も重要物資は無事。

医療室、無事。

戦闘が行われたものの、ライドウさんの悪魔が駆けつけ、敵を撃破。現在負傷者の治療中。生命線になる医療スタッフは全員無傷。これは非常に大きい。

廊下では各所で戦闘が行われているが、現時点では味方が有利。特にストーム1が参加してからは、ほぼ一方的な戦いのようだ。

真田はその度によし、といって返答するが。

問題が生じていた。

ラボとの連絡がつかないのである。

そうこうしている内に、真田の尽力で電波系統を回復させる。そして、デモニカでの通信を復旧させた。

デモニカは並列化して機能を共有できるだけではない。

こうして通信を互いにする事も可能である。

だが、それには起点としての方舟の電波中継器が必要であり。其所が今までダウンしていたのだ。

今、現地にいる支援チームと連携し、真田が半ば無理矢理復旧させた所だった。

「デモニカとの通信復旧! 各班班長、状況を連絡せよ!」

「此方ラボチーム……」

嫌な予感が当たったか。

そもそもこの攻撃、物資搬入口以外でも重要地点を最初に狙ってきていた。敵には誰かが情報を流していたとしか思えない。

悪魔と結託する輩がいるとは信じたくないが。

ライドウさんの話によると、混沌勢力の悪魔の中にも、人間を手下として使役しているものはおり。

そういった者の中には、テロリストと連携していたりするものがいるという。

カルトの中には、悪魔の息が掛かっているものもあるとかで。

今まで国際再建機構に恨みを抱いていた人間がスパイとして入り込んでいる可能性は否定出来ない。

この船内にいるとまでは思いたくは無いが。

やはり、国際再建機構内にはスパイがいたのだろう。それも方舟の設計を知るレベルの地位に、だ。

「四名、拉致された。 敵は不意打ちを掛けてきて……」

「それ以外の被害は」

「薬がかなりやられた」

「薬はいい。 また作れる。 人員の損害は」

真田が若干声を荒げたのに気付いたか、肩に手を置かれる。

正太郎長官だった。

一呼吸してから、自身の興奮を落ち着ける。

真田こそ、一番冷静でいなければいけない立場なのだ。

真田がもう一度、同じ事を聞き直すと。相手も真田の声の変化に気付いたか、応えてくれる。

「重傷者七名、軽傷者五名。 死者はいないが、重傷者は危険な状態だ」

「よし、医療班は無事が確認されている。 トリアージしろ。 誰も死なせるな!」

「イエッサ」

ラボチームの防衛班チーフも、やっと少し気力を取り戻したようだった。

さて、最大の問題は搬入口だが。

やがて連絡がある。

「此方ブレア。 物資搬入口に侵入した敵の掃討に成功」

「よし。 損害は」

「軽傷者八、重傷者五。 全員、医療室に向かわせる」

「間違っても外に追撃には出るな。 現在、船内の安全さえ確認されていない状態だ」

よし、これで一段落か。

ただ、まだ船内に悪魔がいる可能性は否定出来ない。真田はコンソールを忙しく操作し、復旧作業を進めていく。

何、以前の二回の自殺同然の航海では。この程度の復旧作業、しょっちゅうやっていたのだ。

ましてやこのレインボウノアは、基本設計から全て真田がやっているのである。

一から十まで全て知り尽くしている。何の問題も無い。

程なくして、メイン動力炉が問題が無いことを確認。起動し、プラズマバリアを復旧させる。船内の安全は確保出来たと見て良い。潜伏している悪魔がいても、ライドウさんが潰してくれるはずだ。つまり敵の増援は断った。此処からは、ゴア隊長の役割だ。

冷や汗を拭う。

アーサーの復旧がまだである事。悪魔の侵入経路がよく分からない事。

これらが解決できていない以上。まだまだ、安心は出来なかった。

ゴア隊長が声を掛けて来る。

「真田技術長官、船内の安全は確保出来たか」

「うむ、それは間違いない」

「よし、それならばこれより拉致された四名の救出作戦を開始する」

ゴア隊長が自身もアサルトライフルを持って、物資搬入口に向かう。

真田は一瞬止めるべきかと思ったが、大丈夫。

さっきの報告で、負傷者にサクナヒメやケンシロウはいなかった。ストーム1やライドウさんも無事である。

それならば、ゴア隊長が救出部隊の指揮を執る必要はない。

最悪の事態に備えて、物資搬入口で指揮を執るだけだろう。

後は、プラズマバリアの状態を確認しつつ。真田は、支援するだけだった。

 

2、異界の者達

 

唯野仁成は苛烈な戦闘を終え、一息ついた。不時着後、不意に姿を見せた悪魔には流石に肝を冷やしたが。それでもヒメネスと連携して戦闘し、目の前に現れた悪魔の殲滅には成功した。ただ、ドロドロに体が溶けた見るからに弱そうな奴だったので、運が良かっただけかも知れない。

既にデモニカスーツの通信機能は復旧しており、倒した悪魔が「外道」という分類に属する「スライム」という種族であったことが分かっている。説明によると悪魔はマグネタイトなるものを吸収して形を為すらしいのだが、それに失敗したものらしい。要するに、本来はもっと別の姿があったのだろう。

何だか哀れだなと思いながら、通信に従ってヒメネスと共に物資搬入口に急ぐ。情報共有は行われている。他にも十数種類の悪魔が攻めこんできたようで、それらの一覧も表示されていたが。

外道スライムは、その中でも一番弱い悪魔だったようなのだから。

唯野仁成は運が良かったのだ。

物資搬入口に到着。

其所には、無傷のサクナヒメとケンシロウが仁王立ちし。ゴアがアサルトライフルを持って待っていた。

サクナヒメは武功を誇る様子も無い。ケンシロウもしかり。

ただ、開いたままの物資搬入口と。

負傷して、運ばれて行く数名の戦士が確認できた。デモニカスーツの破損部分には、ポリマーのスプレーで応急処置が行われている。

何しろ極限環境だ。

そうしないと、中の人間がもたないのである。

ゴア隊長が声を張り上げる。

「皆、初戦闘を乗り切ってくれてありがとう。 皆の活躍あって、負傷者はかなり多く出したものの、戦死者は一人も出すことが無かった。 誰も欠けてはこの困難な調査は成し遂げられない。 故にこれは戦術的勝利と言える」

「ごもっとも。 ……敢えて負傷させたのかも知れないけれどな」

ヒメネスが小声で呟いていた。

テロリストなどが使う手口であり、或いは地雷などの兵器における思想なのだが。

相手を殺すよりも、負傷させる方が総合的に大きな負担を掛けることが出来る、という非人道的なものがある。

敵悪魔は、それこそ大量の人員を投入してきたので、流石にそもそもこの方舟を制圧するつもりだったように唯野仁成には思えるが。

しかしながら、此方には優秀な医療班と、真田さんこと真田技術長官がいる。

手足を失ったとしても、本物と性能が遜色ない義手義足を用意してくれるだろうし。

敵のもくろみは成功したとは言えないはずだ。

「そもそもどうやってこの方舟に敵が侵入してきたのかは謎が残るが、現時点ではプラズマバリアによる防御があるから大丈夫だ。 悪魔はよほど高位のものでもない限り、この障壁を突破出来ない事は突入前に既に実証されている。 だが、問題が発生している」

咳払いすると、ゴア隊長は続けた。

四人、敵が拉致したと。

拉致されたのはいずれも非戦闘員であり、支援要因として重要なクルーばかりである。そして、もう一度ゴア隊長は強調した。

「この過酷なシュバルツバースの困難な旅を完遂するために集められた人員は、いずれもがスペシャリスト達である! 誰一人欠けることはあってはならない。 故にこれより救出ミッションを開始する」

「二次遭難になりそうだな……」

「おい貴様!」

ヒメネスに、倉庫班のチーフが食ってかかるが、ヒメネスは無視。

唯野仁成が見た所、ヒメネスは自分が認めた相手以外とは口もロクにきかない傾向がある。

そしてそれが許されるだけの実績を出しているので、文句を周囲は言いづらいようで。上役ですら、持て余しているようだ。

ストーム1が認めている、というのも大きいだろう。

ただ、ストーム1に苦情が行っているらしいという噂も唯野仁成は聞いている。

国際再建機構の精鋭が集うこの方舟も。

残念ながら、一枚岩では無いと言う事だ。

ヒメネスが挙手。

「どうやってこの搬入口を介さずに悪魔が四名を拉致したのか、どうやって探すのかなどの問題は」

「前者については、これから真田技術長官が調査する」

「……それなら安心ですねえ」

「ああ」

ヒメネスも、それしか言えないのだろう。

それに真田技術長官は殆ど伝説的な人物である。国際再建機構の標準装備が世界的に見ても一世代以上上なのは周知の事実だが、それらの殆ど全てを設計改良したのがあの人なのである。

「ただ、ゴア隊長が直接探索に出るのは賛成しかねますが」

「小官もそれは同意です」

ヒメネスの言葉に、唯野仁成も同意していた。

此処でゴアまで二次遭難したら、この方舟が受けるダメージは計り知れない。

更にはまだアーサーが再起動していない。

プラズマバリアを再展開出来たとはいえ。

この船の強みは、スペシャリストである人間と、最高の性能を持つAIが連携してなり立っている。

その片方にて。

将官として大きな実績を残している優秀な指揮官、ゴアを失う事はあってはならない。

正太郎長官がまだいるとはいえ、敢えて今回は船の操縦に全力を注ぎたいとあの人は言ったという話である。

代わりはいないのだ。

「分かっている。 そこで精鋭クルーを選抜して、探索に当たる。 姫様」

「うむ」

サクナヒメが、鎌を振るって悪魔の残骸らしいのを落とす。

周囲からひそひそと声が聞こえてくる。

「あいつだけでこの搬入口に殺到した数百はいた悪魔の四割くらいを倒したらしいぜ……」

「「あの」ケンシロウよりもキルカウントが多かったらしいな」

「武神というのは本当かもしれん」

サクナヒメは周囲を見回すと、指さす。

ヒメネス、唯野仁成。それに後三名の手練れが指さされた。

「そなたら、同行せい。 ヒメネス、それに唯野仁成であったな。 そなたら二人は戦闘班だ。 残りは救助した者達の護衛要員」

「彼女は既に知っているとおり、外での活動をデモニカ無しで問題なくこなせる。 戦闘経験も素晴らしい。 従ってほしい」

「イエッサ!」

ヒメネスは若干不満そうだったが、唯野仁成は敬礼して指示に従う。

このままゴアは搬入口に残り、周辺の制圧作業を進める様子だ。プラズマバリアの内側にまだ何かいるかも知れない。

まだこの方舟は、万全の状態ではないのである。

サクナヒメが搬入口から出る。その後ろに、合計五名の戦士が続いた。

今後戦闘担当のクルーは機動班という分類にされるそうだが。

多分この五名は、その機動班に全員配属されるだろう。

勿論。生きて帰れれば、の話だが。

サクナヒメは殆ど迷う事無く進んでいる。

周囲は氷の洞窟のような地形で、方舟が落ちてきたらしい天井の方は、闇が渦巻いていて先が見えない。

デモニカスーツのバイザーには、氷点下90℃と表示されていて、有毒物質もあるようだが。

サクナヒメは口から白い息も漏らしていなかった。

「なあサクナヒメさんよ」

「姫様とよべい。 前に言ったであろう」

「OK姫様。 宛てはあるのか」

「ある。 敵はある程度組織的に動いていて、その一部がどうにかして船に潜り込んだ」

その通りだ。

敵の組織行動については、相手が知的生命体だと聞かされていた時点で、唯野仁成も予測はしていた。

それに、そもそもヒメネスと背中をあわせて最初の襲撃を撃退した時に。

敵が明らかに死角からの攻撃を狙う奴と、正面から気を引く奴に分担しているのが分かった。

敵は訓練されていると見て良い。

ただ、練度そのものは高いとは言えなかったが。

「敵の痕跡が残っておる。 此方だ」

「足跡の類は見当たらないが……」

「そのでもにかという服はあらゆる状況に対応して強くなると聞いている。 いずれ分かるようになる」

「了解了解」

ヒメネスのやる気のなさに、周囲は明らかに眉をひそめたが。

唯野仁成は無言でハンドサインを送り、周囲への警戒を促す。

嫌な予感がぴりぴりする。

不意に、物陰から人が飛び出し、サクナヒメ以外の全員が一斉にアサルトライフルの銃口を向けるが。

ヒメネスと唯野仁成が殆ど同時に、銃口を降ろし。

他のクルーもわずかに遅れてそれに習った。

「た、たた、助かった! 危なく奴らのスペシャルディナーにされる所だった!」

デモニカスーツをぎこちなく着ている太めの男だ。

ID照合によると、ムッチーノという人物であるらしい。

支援班の一人であり、太ってはいるが気さくな人物である。経歴を軽く見るが、どうやら通信班であるらしい。

「他のクルーは」

「分からないが、悲鳴を上げながら引きずられていく女性のクルーを見た! 助けてやってほしい!」

「オマエなんかより、其奴の方が食われてそうだな」

「……一人ついて船に戻れ。 後方に敵の気配はない」

サクナヒメが顎をしゃくる。

頷くと、ついて来た戦士が一人。ムッチーノに肩を貸して、戻っていった。

そのまま、サクナヒメは地面に手を突き目をつぶる。

そして、顔を上げた。

「此方だ。 ……待ち伏せがいる。 戦闘態勢を取っておけ」

無言でヒメネスが銃を構え直す。

サクナヒメの能力は、今ので信頼したと言う事だろう。

他のクルーも銃を構えながら進む。

それほど入り組んでいる洞窟ではなく、かなり広い。また、足跡が大量に残っているのが見えた。

これらは恐らく、搬入口に攻めこんできた悪魔達の第一陣本隊のものだろう。サクナヒメは目もくれなかった。

「凍っているのに、つららの類は見えないな……」

「水が一度も溶けたことが無いんだろう」

「ああ、なるほどな」

「来るぞ」

サクナヒメが警戒を促すと同時に、ヒメネスと唯野仁成は反応、周囲に提供されているAS20アサルトライフルの弾丸で掃射した。

数体の悪魔が、飛びかかってきたところを薙ぎ払われる。

遅れて他のクルーも参戦し、不意を逆に突かれた悪魔達を、まとめて薙ぎ払っていた。

手を上げて、銃撃をやめさせるサクナヒメ。

「まだ残りがいるようだが」

「戦意が無い相手だし放っておけ。 それにその銃とやら、すとーむわんの話によると鉛玉を使うのであろう。 わしの世界にも似たような武器である大筒があったから知っておる。 無駄遣いは控えよ」

「……OK姫様。 だが気が変わって襲ってくるかも知れないぜ」

「その時は叩き潰せば良い。 その程度の相手だ。 今は進むぞ」

見ると、小型の人型。デモニカスーツのデータでは「妖精」という分類に属する「ピクシー」が数匹固まって、ぶるぶる震えていた。

確かに巻き込まれただけ、という感触だ。

一瞥だけすると、奥に進む。

途中で、また人影が飛び出してきた。壮年のやせ形の男性クルーだ。

銃を向ける皆の中で。ヒメネスだけが銃を向けなかった。

「た、助かった! はあ、はあっ……」

「ID照合。 アーヴィンだな」

「ああ、そうだ。 ラボの開発班ぜよ」

「一人ついて船に連れて戻れ。 後方に敵はおらん」

サクナヒメは、ずっと前を向いている。戦闘を一度もしていないが、彼女が出るまでもないと言う事なのだろう。

そういえばこの口調、聞いた事がある。

ラボにかなり陽気なベテラン開発者がいると聞いていたが。

多分この人物だろう。

「悪魔ども、かなり乱暴に引きずっていきよってなあ。 可哀想に、女性クルーの確かメイビーだったと思うが、丁度ラボに来ていた所をさらわれて、怯えきって泣き叫んでいたんじゃ。 はよう助けてやってくれ」

「この様子だと、「人質がいればいい」という印象じゃな」

「……」

サクナヒメがぼそりと呟く。

最大限に嫌な予感がしたが。それはヒメネスも同じようだった。

そのまま、一人がアーヴィンを連れて戻る。

途中、大きな岩があったが。

サクナヒメが無言で一刀両断。武器は鎌とか槌とか、色々好き勝手に変えられるらしい。斬るときは剣にするようだ。

凄いなと思ったが、流石に他のクルーは反応しきれていない。

唯一ヒメネスだけが、ひゅうと口笛を吹いていた。

物陰から飛び出してきたのは、また一人さらわれたクルーである。

マクリアリーとIDにはある。

気弱そうな人物で、戦闘とは全く無縁に見えた。

良くこの過酷な任務に選抜されたものだと、唯野仁成は思ったが。サクナヒメはただ静かに言うだけだ。

「一人ついて船に戻れ」

「ま、まだ一人さらわれたクルーがいる! その子が本命のようで! 悲鳴を上げていて、とても見ていられなかった! ざ、残虐すぎる! まさに彼奴らは悪魔だ!」

「ああ、そりゃあ怖かっただろうよ」

冷酷なヒメネスの言葉に眉をひそめた様子だったが。

サクナヒメに促されて、ついてきた一人が一緒に戻る。

これで、サクナヒメとヒメネス、唯野仁成だけになった。

「なあ姫様よ。 悪魔の大好物って言えば、昔から女子供と決まってる。 「あらゆる意味」でな。 今からとんでもねえもの見るかも知れねえぜ」

「心配は無用よ。 人の世界の醜悪な業ならわしも見飽きておるわ」

「そうか、それは武神なら当然か」

「……二人を残したのは、手練れだからよ。 それに今後お前達には経験を積ませてほしいとも言われておる。 これから桁外れの荒事になる。 身は自分で守れ」

やはりそういう事か。

嫌な予感が確信に変わったが。唯野仁成は、それを口にはしなかった。

ほどなくして、広い空間に出る。

案の定と言うべきか。地面に這いつくばされて、震え上がっている小さな人影。

あれが話にあった女性クルーだろう。

その上に浮いているのは、明らかに手強いと思える悪魔だった。

馬に跨がっている騎士のように見えるのだが。その両手は蛇。馬の尻尾も蛇になっている。

顔は獅子に近く、それでも人間の言葉を流ちょうに喋ってきた。

此奴は恐らくだが、襲撃班ではないだろう。

それよりも上位の存在。つまり、襲撃の総指揮を執った高位の悪魔だと判断して良い筈だ。

「なんだ、思ったよりも慎重だな。 軽率にもっと高位の人材か多数の救助班を出してくると思ったのだが」

「何だ貴様は」

「……異境の神か。 ならば礼を失するわけにはいかんな。 名乗らねばなるまい。 俺は堕天使オリアス。 以後死ぬまでの短い時間だけお見知りおきを」

「そうかだてんしオリアス。 天使というのは以前わしの国でも聞いた事がある。 堕天使はその一種だったな。 わしは武神にて豊穣神サクナヒメ。 死ぬまでの短い間だが、覚えておけい」

無言でデモニカのデータと照合するが、データに無い悪魔だ。

堕天使というのは分類としてある。

一神教において、天使でありながら神に背いた者、であるそうだ。

何種類か堕天使になるプロセスは存在しているらしいのだが。いずれにしても、あのオリアスという奴がどんな堕天使なのかは分からない。それより今は、もっと重要な問題がある。

「このエサを生かしておいたのは、船の高位の指揮官や、多数の救助要員を引っ張り出すためだったんだがなあ。 三匹しか釣れなかったのでは、話にならんな。 お前らを捕まえて、もう少し丁寧に釣りをす……何っ!」

ふっと、掴まっていた女性クルーの姿が消える。

オリアスが思わず軽口を止めたほどの早業だった。

サクナヒメの背中にある羽衣が、凄まじい勢いで女性クルーを捕まえると、手元に引き寄せたのである。

視線を一瞬向けられたので、意図を悟り。

ヒメネスと共に、銃を構えて女性クルーを守るべく立ちふさがる。

この広い空間。いわゆる死地だ。入り口は狭く。奥は広くなっている場所。

城などでは、入り口付近にこういうものをつくると唯野仁成は聞いた事がある。

迎撃側は全戦力で敵を迎え撃つことが出来。

攻めこむ側は、全方向から飛んでくる攻撃を、どうにかいなさなければならない。

まさに此処はそれ。

要するに、敵はそれを知っている程度の知恵はあるという事である。

案の定周囲には訳が分からない数の悪魔が、らんらんと目を輝かせて姿を見せていた。数百は軽くいると見て良いだろう。

ヒメネスも軽口を叩かない。

とっくに背後も塞がれていて、この女性クルーを守りながら脱出するのは現時点では不可能だ。

サクナヒメが余裕な様子なことだけが、安心できる要素ではあるが。

「き、貴様……!」

「相手の力量も分からぬ上で長広舌を振るうておるからだ。 まだ力を取り戻せていないとはいえ、このサクナヒメ。 貴様如き三下に侮られるような神格ではないわ」

「この俺を三下だと! おのれ異境の神め許さぬぞ! もはや塵も残さぬ! 死に絶えよ!」

激高したオリアスが、一斉に手下をけしかけてくる。

同時に、真っ正面からミサイルのように特攻したサクナヒメが。

殆ど一瞬で。地面にオリアスを、グシャグシャに叩き潰しながらめり込ませていた。

悪魔だろうが関係無い。どう見ても分かる。即死である。

突貫してきた悪魔達が、消えていくオリアスを見て、動きを止めて呆然とする中。

好機とみたヒメネスが、アサルトライフルを乱射し始める。

唯野仁成もそれに習い、可能な限り混乱している敵をたたく。後方に回った敵も、右往左往している。

捕虜を守って脱出するには、これに乗じる以外の選択肢は無い。

「ヒメネス!」

「! よしっ!」

二人で後方にいる敵に乱射を浴びせて、片っ端から片付けると。ヒメネスが乱暴に女性クルーを担いで、死地を走り抜ける。

虚脱から立ち直った悪魔の群れが、怒濤のように追いかけてくるが。

その悪魔の群れが、無数の光の奔流によって、文字通り薙ぎ払われるのが後ろで見えた。

「広いところで、しかも遠慮の必要がないからのう。 ちいと力の虫干しをさせてもらうぞ雑魚どもよ! この程度の質と数でわしを止められると思ったその愚かさ、後悔するがよいわ!」

サクナヒメが暴れ狂っているのだろう。

文字通りゴミクズのように悪魔の大軍が引きちぎられているのが見えた。

本当に武神なんだな。

そう唯野仁成は感心しつつ。まだこっちに来る悪魔の群れを、銃撃して撃退。

ヒメネスは地面に乱暴に女性クルーを放り出すと、アサルトライフルに持ち替え。出口に待ち伏せしていた悪魔の群れを、薙ぎ払うように打ち払った。

当然、出口にも伏兵がいたわけだが。

いきなり真っ先に指揮官が潰されるという事態で、混乱したのだろう。

手練れを配置していたようだが。

ヒメネスの射撃は集弾率が凄まじく高く、激しい乱打を浴びて踊るようにしていた悪魔は、やがて崩れるように消えていった。

唯野仁成は、逆に死地からこちらを追撃してこようとしている悪魔を狙って、片端からたたく。

ただ、サクナヒメの暴れぶりに巻き込まれて、射撃している途中に消し飛んでしまう悪魔も多く。

文字通り戦いは一方的なようだったが。しばしして、静かになる。

ほとんど無傷のサクナヒメが戻ってくる。

ただ、さすがに力の虫干しなどといっていたように。現状の彼女の戦力は、本来の戦力には及ばないようだが。

「終わったわい。 人質は無事か」

「心配ないぜ姫様。 流石だ。 想像以上にすげえなあんた」

「……」

震え上がっている女性クルー。

IDを照合して名前を見ると、メイビーというらしい。

アーヴィンが言っていた名前と一致する。そもそも医療班の一員なのだろう。戦闘は最初から想定していなかっただろうに。

怖い思いをしたに違いない。

唯野仁成が根気よく声を掛けていくが。

ヒメネスの反応は冷淡だった。

「此処には悪魔がいて、最悪頭から囓って食われることだって覚悟していた筈だ。 それなのにヘタってるような奴、放っておけよ」

「今は精神的ショックを受けているだけだ。 医療チームの重要性はお前も知っているだろう」

「ちっ。 確かにそれもそうだな」

「無駄口は後にせい。 船に戻るぞ。 まずは全員の無事を確認してからだ。 それと、ほれ」

サクナヒメが、小さな掌に載せているのは、何やら得体が知れない塊だ。

何というか、結晶体とでも言うのか。不可思議なものである。

「オリアスとやらの残骸に光っていたわ。 あの様子からして、この辺りの悪魔の元締めだったのがオリアスとやらだったのだろうよ。 調べれば何か分かろう。 わしにはこれが何かはわからん。 だから渡しておくとする」

「……その、受け取っておきます」

メイビーが、真っ青な顔で挙手する。

そして、硝子製らしいサンプル採取用の容器にそれを入れていた。

肩を貸そうかと提案するが、首を横に振る。

ヒメネスに言われた言葉に、思う事があったのかも知れない。

ともかく、戻る。

帰り道、ヒメネスが言う。

「まだかなり悪魔が残っていたようだが……」

「悪魔は知的生命体だとかいっておったな」

「ああ。 この様子を見るとそれで間違いないだろう」

「……わしが見た所、此処の悪魔は一枚岩ではないのう。 オリアスとやらに力で従えられていたらしい連中は、右往左往して逃げ惑うばかりであったわ。 わしが倒しておいたのは、明らかに害のある連中だけだ」

なるほど、そういうものか。

知的生命体であるのなら、確かに派閥などを作ってそれぞれ考え方が違ってくる可能性はある。

洞窟そのものは複雑でもなんでもない。

何よりも、デモニカにはオートマッピング機能がついている。

デモニカの相互連携は方舟から離れ過ぎるとできないが。

それはそれとして、デモニカスーツは自立した状態でも、それ一個で一戦闘単位になる程の性能があるのだ。

実戦で使って見て、唯野仁成は確信した。

この装備は強い、と。

方舟が見えてくる。

既に待っていたゴア隊長が、思わず泣き出したメイビーを医療班に任せると、手を差し出してきた。

まずは唯野仁成。つづいてヒメネスと握手する。

「デモニカの通信機能を介して様子は見ていた。 見事な判断だった」

「有難うございます」

「帰還後の昇進は頼みますぜ」

「この腕なら帰還後に勲章でもボーナスでも出す。 心配せず、活躍をしてくれ」

俗物的なヒメネスの言葉にも、何も文句を言うことは無く、ゴア隊長は応じる。

欲が強い相手との接し方について、心得ているのかも知れない。

そしてゴア隊長は最後に、サクナヒメに最敬礼をしていた。

「我が部下達を助けていただき感謝する。 武神サクナヒメ」

「姫様でよい」

「では姫様、これからもよろしく願います」

「うむ……」

サクナヒメは流石に暴れ疲れたのか、奥に戻っていく。

そういえば神の田とやらで力を増すという事だが。

米でも食べて力を回復するのかも知れない。

一度、搬入口が閉じられる。

そしてもう一度、念のためクルー全員の点呼が行われ。最終的な損害が確定した。

最初の戦いでは、軽傷者43名、重傷者26名。

重傷者の中には、右腕を丸々食い千切られた者や、まだ意識が戻っていないものもいるのだが。

それでも死者を出さなかっただけマシだ。

メイン動力は先ほどやっと復旧。現在アーサーの再起動作業をしているらしい。

これでどうにか一段落だな。

そう、唯野仁成は思った。

 

3、アントリアの地

 

レインボウノアの幹部が集まる。とは言っても、会議室のような無駄な部屋は作っていない。

この方舟は元々長期生存のために、色々な機能を盛り込んでいるのだ。

サクナヒメのための神田のために内部に大きなスペースを作ってもいる。

よって、会議は艦橋で行う。

現時点で、幹部に欠員はいない。死者も最初の戦闘では出さなかった。

それだけが救いか。

先ほどようやくアーサーが復旧した事で、どうにか一息はついたが。

それでも、そもそも状況が最悪であると言う事態は、何ら変わっていないのもまた、事実だった。

真田が咳払いして、アーサーに話をさせる。

なお、この会議の様子は、一般のクルーにも公開している。

隠すようなやましい話はないからである。

「それでは現在の状況について説明します」

こう言うときは、AIが一番便利だ。

プレゼンを行うのは、どうしても人間だと才能依存の「技術」が必要になってくるが。

状況を客観的に分析し。

最適解に直線で辿りつくには、どうしてもAIの方が有利である。

これは真田が、二度の旅で良く知っていることでもある。

AIは得意分野においては、人間を遙かに凌ぐ性能を持っているのだ。

「まず現在レインボウノアは、シュバルツバース内部に不時着しています。 不時着の過程で分析した幾つかの事が分かっています。 まずこのシュバルツバースは多層構造になっていて、複数の異なる小さな宇宙とでも言うべき空間が多数存在している、と言う事になります」

「ではこの場所は、その一つに過ぎないと」

「そういう事になります」

「続けてくれ」

真田の指示で。

アーサーは続ける。

まず何故このレインボウノアが不時着したのか。

それは、この今いる階層に入った後。一旦浮上して状況を確認しようとした際に、猛烈な抵抗を浴びたから、だという。

複数ある空間の穴を通ってこのレインボウノアは此処まで来たのだが。

その穴は半ば一方通行とでもいう仕様になっており。

プラズマバリアが、モロに弾かれたのが原因だという。

「流石に核融合の膨大なエネルギーでも、小さな宇宙そのものを突破は出来なかったと言う事だな」

「そういう事です。 そんな中、即座に方針を変えた正太郎艦長の判断が皆を救いました」

「……更に早く判断出来ていれば、被害を抑えられかも知れないが」

正太郎長官が項垂れる。

流石に年だ。こう言うときには、弱気になるのかも知れない。

いずれにしても、この土地で当面は調査活動を行う必要があるとアーサーは言う。

勿論反発の声が上がる。

デモニカの通信を通じて、聞こえてくる。

こんな場所からは一刻も早く戻りたい。

そういう声もあった。

まずは生きて帰るべきだろう。

そんな声もあった。

だが、不可能だとアーサーは断言する。

「侵入時にデータは可能な限り取りましたが、最低でも四つの空間を介してレインボウノアはこの空間に到達しています。 観測できただけでも四つです。 それらを遡る必要はあるでしょうし、空間の穴を通ったときに、同じ空間にたどり着けるかすらも分かりません」

絶望の声が上がるが。

真田は落ち着いているし。ゴア隊長も平然としている。正太郎長官に至っては全く動じていない。

春香が促されて、デモニカを通じて声を皆にかけた。

「現在、レインボウノアの人員に死者はなく、生存のために必要な物資も一切損失がありません。 まだ絶望するのは早いと考えます。 一つずつ、問題を解決していきましょう」

「ありがとう春香。 現在いるこの空間を、アルファベットのAからアントリアと命名します。 このアントリアで情報を収集し、此処からの脱出方法を探す。 それが最優先事項となるでしょう」

アーサーの話は論理的だ。

文句がある人間もいるようだが。

実際問題、他に方法も無いのである。

だったら、アーサーの言葉通り、一つずつやっていくしかない。

「続けて本船の状況です。 現在レインボウノアの主電源は復旧し、条件……空間の穴を通るという事がクリア出来れば、次の空間へ行く事も可能です。 しかしながら船内ではダメージも大きく、また先の戦いで負傷した人員も多いため、各人の負担は増えます」

真田が現在、復旧作業を急ピッチで進めているが。

特に兵器関係のコントロールがやられている。

それ以外にも問題は多い。

敵が、どうやって艦橋にまで侵入したのが分からないのである。

懸念事項は山積していると言えた。

「それではまずミッションを発動します。 このレインボウノア周辺の状況を調査し、物資の回収、更には安全圏の確保、拡大、勢力の分布の調査を行ってください」

「勢力の分布?」

「それについてはわしから説明する」

一休みしてから戻って来ていたサクナヒメが、艦内放送に入ってくる。

艦橋に戻って来たサクナヒメは、少なくとも声に疲れを感じさせる様子は無かった。

「戦闘して見て分かったが、此処……あんとりあと名付けたのだな。 まあアントリアでよいじゃろう。 ともかく、此処には支配者となる存在がいるようだが、必ずしも悪魔は好戦的ではなく、一枚岩でも無い様子だ。 勿論敵意を剥き出しにしている連中もいるし、それが主流のようだがな」

「支配者はいるが、全ての悪魔の心を掴んでいるわけではない、と言う事か」

「それについては俺からも保証する」

ライドウさんが捕捉する。

ライドウさんによると、悪魔と言うのは自分より強い相手には無条件で従う事が多いそうである。

特に混沌勢力の悪魔はその傾向が強く。

自分より強い相手が現れた場合は、例えば魔王などの最高位悪魔でも、屈服を抵抗無く行うとか。

ここで、悪魔召喚プログラムについて説明をアーサーが行う。

そもそも、デモニカには悪魔についての解析機能などを搭載していることを既にクルーには説明しているが。

混乱を避けるために。悪魔との会話をサポートし同意があれば相手を従え。データ化して格納しておくことが出来る事は説明していない。

この話をすると。特に一神教文化圏の人間は、相当な忌避感を示したようだった。

無理もない。

多神教の文化圏では、悪魔は必ずしも邪悪の権化ではない。いわゆる鬼神の類が、貢ぎ物などを捧げられることによって人間の守護者に変わる例は幾らでもある。実は一神教の文化圏でも、古くはソロモン王の行使した魔神72柱を見ても分かるように、必ずしも悪魔は邪悪の権化という訳でも無かったのだが。時代を経るにつれて、唯一絶対の神とそれ以外、という形で悪魔や異境の神は邪悪の権化にされていった。

真田はその弊害を、右腕に育ってほしいと思っているゼレーニンの発言で特に強く感じている。

悪魔を従える、という時点で拒否反応を示す者も多いはずだ。

ゴア隊長が咳払いした。

「皆の中には抵抗を示す者も多いだろう。 故にこの悪魔召喚プログラムについては、使用は任意とする。 しかしながら、悪魔との会話機能についてだけは必ず起動しておくように。 相手はどんな存在であっても知的生命体だ。 相手の会話から、何か勝機が掴める可能性もある。 上手く会話を出来れば、絶対の危地を逃れられる可能性もある」

「し、しかし悪魔と言うのは人間を言葉巧みに騙すものだと……」

「勿論その通りだ」

通信の中で誰かが呟いたのに、ゴア隊長は的確に反応した。

この辺り、部下の統率を良く理解出来ている。

「だからこそ、皆は心を強く持ってほしい。 悪魔を逆に騙して従えてやるくらいの気持ちと強かさを持たなければ、此処を生き残る事は出来ないだろう」

「……」

ゴア隊長の人望は流石だ。

いずれにしても、春香の言葉と、ゴア隊長による説明で、隊員達の不安は一旦は収束した。

これでいい。

更に、アーサーが重要な話をする。

「機動班の精鋭は、敵対性が薄い悪魔と接触を図ってください。 この土地に住んでいる知的生命体から情報を集める事が出来れば。 更に状況解決へと進む事が出来ます」

「悪魔は嘘しか言わないかも知れないぜ」

「複数の証言を照らし合わせて、私アーサーが判断を行いましょう」

「そうかいそうかい。 頼むぜアーサー」

多分悪態をついていたのはヒメネスか。

先の戦闘で、狡猾かつ戦術を使いこなす悪魔達を見て相当苛立っている様子だ。

知的生命体と聞いていたが。

その「知的」のレベルがまるで違っていたからだろう。

確かに相手は練度が低いとは言え、個々の能力が高いため、精鋭の軍部隊も同様である。

その上主力部隊の攻撃と同時に、要所に仕掛ける戦術まで実施。更には敢えて殺さず人員をさらい、更なる打撃を狙うという高度な心理戦術まで見せた。

そして今後、敵が弱くなる保証などまるでないのだ。

オリアスという悪魔がこの辺りの元締めをしていたという話で、真田も軽くデータベースにアクセスしてみたのだが。

オリアスはソロモン72柱の中の一柱である。

別にオリアスは堕天使の中でも武勇の逸話がある存在ではなく。それほど強大な悪魔でも無い。

ソロモン72柱の中には、まったく武勇と関係無いような能力を持っている者が多く、また邪悪でも何でも無い者もいる。

狡猾な戦術を使いこなした相手だが。

オリアスがこのアントリアの総元締めと考えるのは、まだ気が早いだろう。

兎も角、可能な限り情報がいる。

まあこれから真田は、壊れている部分の修理と。

周囲の解析で忙しい時間を過ごすことになるのだが。

いずれにしても、編成が行われる。

まず船の守りには、ストーム1とケンシロウが残る。

この二人は前から仲が良く、ストーム1は近代戦の専門家でもある。船の構造も熟知しているし、船内での戦闘もそつなくこなす。

ケンシロウは悪魔の「気」を覚えたらしく。

これから船内に潜伏している悪魔がいないか再調査をしてくれるそうだ。

有り難い話である。

ライドウさんに頼り切りになるかと思っていた所に、専門家が加わってくれたことになるのだから。

外には、ライドウさんが出る事になる。

これは、外で調査を行う部隊。中でも主に戦闘を行う「機動班」に対して、悪魔との接し方をレクチュアする事が一つ。

強大な悪魔が出て来た場合、対応するために専門家が必要であることがもう一つだ。

サクナヒメは居残り。

先の戦いで、悪魔の群れを蹴散らす際に、それなりに力を消耗したらしい。

神田で回復しつつ、少し力を蓄えるそうだ。

何でもサクナヒメは、現時点でフルパワーの二割ほどしか発揮できていないらしく、力も蓄えが余り出来ていないとか。

シュバルツバースに来る前、かなり急いで力を蓄えて貰ったのだが。このシュバルツバースでの状況は、彼女でも慣れるのに時間が掛かるそうである。

ただし、戦士達の中にはサクナヒメの凄まじい戦いを見て畏敬を抱いた者もいるようで。

それがサクナヒメの力に変わってはいるようだ。

信仰が力になる。神というのは面倒な性質の持ち主だが。今後は、此処にいる皆がサクナヒメを信頼すれば。それだけ力が強化されるのも早くなっていくだろう。

また、今回の戦いで、スペシャル以外で著しい活躍を見せた二人。

ヒメネスと唯野仁成は、今後機動班にて次世代の主力を期待する事になる。

人員は現場で更に育成して伸ばしていくのが当たり前だ。

二人とも悪魔召喚プログラムの使用には忌避感を持っていないようなので、ライドウさんの話をすぐに飲み込んでくれるだろう。

頼もしい話である。

すぐに部隊が編成され、動き始める。

機動班クルーには、調査班も同行する。当然戦闘訓練を受けていない者もいるので、戦闘力に問題があるが、その中の何名かは、悪魔召喚プログラムを使うことに同意している。それである程度戦闘力を補える。

まず最初にやるべき事は、周辺の安全確認だ。

プラズマバリアの範囲を拡げ、艦周辺まで絶対安全圏を拡大する。

ライドウさんが内部も、艦の外部も既に確認してくれているので、潜伏している危険な悪魔はいないはず。

もしもプラズマバリアを破れるような奴がいた場合は。

その時は、もう内部のクルーに多数の被害が出ている。

現時点では問題はないと判断していい。

降車した調査班が、まずはサンプルを採取していく。土から何から、順番にである。

更に、真田の所に連絡が来る。

「此方ラボぜよ」

「うむ。 何か分かったのかね」

「真田さん、これは凄い代物ぜよ。 コホン、メイビーが持ち帰ってきてくれた何か得体が知れないものを調べたんだが、ちょっと情報を其方に送る」

「どれ、確認する」

ラボには薬だけでは無く、真田の研究室ほどではないにしても相応の設備が揃っている。

武器などを作る為の3Dプリンタだけではなく、薬を生産する設備。

そして解析装置など、である。

これは真田の研究室がやられたときに備えて、機能分散している事もあるのだが。

現時点で真田は船内の破損箇所を復旧するために忙しいので、ラボに外部の解析は任せてしまっているのだ。

データを見る。

なるほど、これは凄い。

オリアスの体内から見つかった物質だが、地上でも宇宙でも見た事がない、極めて特殊な結晶体だ。

どうやったらこんな風な結合をするかよく分からないが。

はっきりしているのは、分子レベルで情報が詰まっている、という事である。

なるほど。

悪魔は精神生命体であるという事は聞いていたが。

悪魔召喚プログラムの内容を確認する限り。

情報生命体でもあるわけだ。

高位の情報生命体は、一度物質化さえしてしまえば、体内にこのような恐ろしい密度の情報集積体を作り出す。

下位のものも作り出してはいるのだろうが。

何度か見た、死ぬときに消えていくあの様子からして。

すぐに分解して、空気やらに溶けてしまうのだろう。

これは凄い発見だと、真田は感心しつつ。

ラボに礼を言う。

そのまま、外の状態を確認。

調査班は、必要なサンプルを持ち帰ってきていた。

まず土壌だが、汚染物質が酷すぎて話にならない状態だ。

氷の洞窟という事だが、−90℃という過酷な環境で凍っていて正解なのかも知れない。こんな所で氷が溶け出したら、どんなおぞましい事態になるか分かった事ではない。

住んでいる悪魔達は平気なのだろうが。

デモニカ無しでは、人間はあっと言う間に死んでしまう。

だが、土壌の成分は、汚染物質だけではなかった。

ボーキサイトや高純度の銅。更にはプラチナをはじめとする貴重な物質が、わんさか含まれているのである。

汚染物質の除去が手間だが、これは有り難い。

今回の敵の奇襲で失った物資は決して少なくない。

すぐに調査班に連絡し、プレハブを作らせる。重機も持ち込んでいるのだが、それも使う。またラボに指示して、3Dプリンタで加工機器を作成させる。

プラントを構築して汚染物質を船外にて排除し。そのまま貴重な物資を取りだして、回収するためだ。

アントリアに永住するつもりはないが。

ある程度の期間、ここは離れられないだろう。

また水についてだが。

彼方此方に凍り付いた水が存在している。

当然汚染物質塗れであったが。

この汚染物質も、取り除いてしまえば普通に水として格納できる。

持ち込んでいる水は充分な量があるが。

今後、水が足りなくなった時の事を考え。

ここのプラントで作成した機器を使って浄水を行い。

元々持ち込んでいる水を補うのは、充分にありだろう。

「此方ケンシロウ。 船内外の安全確認完了」

「よし。 ライドウさん、通信は届いているか」

「ああ。 問題ない」

「船外を悪魔によって監視してほしい。 プラズマバリアを一旦解除する」

連携を取りながら、順番に作業をしていく。

ゼレーニンらに指示して、ラボで解析したオリアスの残骸を調べさせつつ。真田は方舟の修理を進める。

応急処置だった箇所を本修理し。

更に放置していた軽微な損害を全て直していく。

インフラ班には苦労して貰う事になるが。

交代で休んで、何とか凌いで貰う事になる。

茶を春香が淹れてくれたので、ありがたくいただく。ただ、しばらくは休憩どころではないが。

ゴア隊長が声を掛けて来た。

「真田技術長官、よろしいかな」

「なんなりと」

「これから私は、ライドウ氏のレクチュアを視察する。 悪魔との接し方を機動班に編制したクルーが覚えるのと同時に、私も習得するつもりだ」

「前線に出るのはお控えください」

そうもいかんとゴア隊長は言う。

今回は死者こそ出なかったが、船員の7%近くが負傷している。勝利ではあったが完勝ではないのだ。

そしてアントリアを出て他のシュバルツバース内世界に出向いたとき。

もっと手強い悪魔が出てくる可能性は否定出来ないのだ。

「現場を知らない上官は無能だ。 私も前線で現場をしっかり把握しておく必要がある」

「そうまでいうなら止めませんが、貴方は死んではならない人間だ。 それを理解しておいてください」

「うむ」

敬礼をすると、ゴア隊長は護衛を連れて艦橋を出ていった。

正太郎長官が、流石に疲れたらしく、休憩に出る。

艦橋のオペレーターも交代で休ませているが。

まだしばらくは、状況は安定しないだろう。

アーサーが声を掛けて来る。

「外で講習が始まったようです」

「モニタに映してくれ」

「分かりました」

「皆も、手が開いているなら見ておくように」

真田自身は、サイボーグ化した手を限界速度で動かして、補修作業を続けている。

現在クリティカルな問題は殆ど片付いているが。

残念ながら、不時着の際に発生した軽微な損傷は殆ど治せていない。

こういう軽微な損傷が後々効いてくる。

それにしても、これだけタフに作ったのに、突入早々このダメージである。

これでは、もしも初期案の通り四機で突入とかしていたら、どうなったのか想像するのも恐ろしい。

モニタに映ったのは、整列してライドウさんの話を聞いている戦闘担当の機動班と、少し後ろで見ているゴア隊長。それに護衛の数名だった。なお、先の戦いでサクナヒメがつれていったヒメネスと唯野仁成も混じっている。

「悪魔召喚プログラムについて、細かい機能を説明していく。 基本的に悪魔と言う存在は、契約を人間より遙かに重要視する傾向がある。 契約を結ぶのは難しいが、契約さえ結べばそれを裏切る事はない」

悪魔召喚プログラムの白眉は、その契約をプログラム化し、悪魔につけいる隙を与えない所にあると言う。

ライドウさんの時代には、色々な方法で悪魔を従え。いつ寝首を掻かれるか分からない状態で対応していたらしいので。

それは確かに革命的ではある。

「また、悪魔召喚プログラムでは、悪魔との会話もサポートする。 相手につけいられるような会話は自動的にシャットアウトされ、相手が文句を言いようが無い方向に話を進めて行く事が出来る」

「それはまた便利だな。 人間召喚プログラムも作ってくれないか?」

「ヒメネス」

「分かっていやすよ」

ゴア隊長がたしなめる。

皮肉屋のヒメネスの言う事も分かる。

もしも契約を悪魔が重視し、一度結べば破らないというのであれば。

それは人間よりもよっぽど信用できると言う事だ。

ヒメネスは経歴を見る限り最貧国のスラム出身で、人間が如何に残忍で嘘つきか間近で見て来ているだろう。

契約なんてあってないようなものだった世界である。

そんな所で生きてきたヒメネスは、それは即物的にもなるし。言動だって実利を重視するようにだってなる。

「この悪魔召喚プログラムは起源が良く分かっていない。 ただ、古くはナカジマという天才プログラマーが作ったのでは無いかという説があるが、俺自身が見たわけではないので何ともいえない。 しかしながら、俺が信頼している何名かの人物の証言があるので、信憑性は高い。 その基礎となった悪魔召喚プログラムを、現在はスティーブンという車いすに乗った人物がばらまいているのだが、この人物は恐らく人間ではない」

「ブラックボックス化されていると聞いているが、そのような経緯があったのか……」

「世の裏側には悪魔召喚プログラムを使って活動している人物がかなりいて、それら有志によって検証作業は徹底的に行われている。 俺自身も使ったことがあるが、結論としては先に述べた機能を完璧に実行する、それ以上でも以下でもない。 故に堅牢性は抜群に高い。 そういうものだ」

まずやってみせると言って。

ライドウが前に出る。

興味を持ったのか、妖精としか形容できない小型の悪魔が、彼女によっていくのが見えた。軽く調べて見ると、妖精ピクシーであるらしい。人間を道に迷わせる存在であるそうだ。

ライドウさんに聞いたが、妖精という存在は日本の妖怪並みに多彩で、そもそも人間がイメージするような陽気で優しい牧歌的な種族ではないそうだ。性格は非常に狡猾で、人間に害を為す者も多いという。

要はくせ者と言う事だ。

以前聞いた分類では、どちらかというと中立の中の中立に属する、バランス的には中庸の権化だそうだが。

それが狡猾極まりないというのだから、色々考えさせられる。

会話を始めるが、ライドウ自身は口を動かしていない。

ただ、相手側の単純な要求と。

それに対してイエスノーでの返答を、悪魔召喚プログラムが実施している。

やがて、仲間にするということで契約が成立したらしい。

悪魔を仲間にする場合、仲「魔」と称するらしいが。

まあそれはいい。

見本を見て、なる程と頷く者。

妖精とは言え、悪魔を従えるのかと、怖れる者。

反応は両極端だった。

「まずはこの機能について学習して貰う。 ただ、各自覚悟してほしい。 デモニカでサポートされているが、基本的に自分より弱い相手には悪魔は絶対に従わないし、相手の要求を全て呑んでいたら丸裸に剥かれる。 悪魔と言うのはそういう存在だ」

ライドウさんが、皆に何かを配る。

マッカというらしい。

悪魔の死骸に、きらきら輝くものが落ちていた。それのようだ。

先ほど説明を受けたのだが、悪魔の間で使われている通貨で。兼餌だそうである。

マッカは食えば悪魔の力になるし。

交渉の材料にもなる。

何でも魔界と呼ばれる場所で、エネルギーを形にして作り上げているそうで。人間界で流通している紙幣や硬貨とは根本的に別の通貨であるのだそうだ。昔は金が使われたこともあったらしいのだが、魔界でも金は貴重なため単純なエネルギーに切り替えたらしいとライドウさんが説明してくれる。

魔界が実在するのも驚きだが。

それだと少し疑問には思う。

このシュバルツバースは、魔界ではないのだろうか、と。

まあいい。

まず唯野仁成が前に出て、同じようにピクシーを仲魔にするべく話を始めた。

悪魔の要求に対して、唯野仁成はそれなりに巧みに交渉していたが。

ネゴシエーターとしての能力も持っているのかも知れない。

元々エリートとして今回の作戦に参加した人物ではあるのだが。

なかなかの逸材だ。

そういえば、あの気むずかしいヒメネスが好意的に話をしている数少ない相手である。実力を認めているだけではなく、話がしやすいという事もあるのだろう。

やがてピクシーは仲間になることを承知。

唯野仁成のデモニカスーツについている、小型PCに入っていった。

つづいてヒメネスが出るが。

ヒメネスは、より荒々しそうな悪魔を選ぶ。真田もデモニカ越しに調べて見るが、妖鬼オニと出ている。

はて。

オニは見れば分かる。妖鬼というのは分類だろう。それはいい。問題はそこでは無い。

ライドウさんが召喚したオニとは、雰囲気が違う。どういうことだ。

真田は先に、ライドウさんに連絡を入れておく。

「後で確認したいことがある。 クルーが有した悪魔のデータを、此方でも精査するが、出来るだろうか」

「できる筈だ」

「分かった。 後でクルーに連絡を入れた上で対応する」

今、ヒメネスと交渉しているオニは、サクナヒメに鏖殺されたオリアスの配下の一体であるらしい。

戦力差に戦意喪失して、今はこうして話に応じているわけだが。

一歩間違えば、殺し合いになっていただろう相手だ。

だがヒメネスは抵抗を感じている様子は無い。

むしろ荒くれ同士、気があうかのようで。

話をすいすいと進めて行っている。

やがてオニはヒメネスの仲間になることを承諾した。

順調だな。

そう判断して、視線を一旦そらし。修復作業に注力する。

少し疲労が溜まってきた。

今抱えているタスクを後幾つか処理したら、仮眠を取る事にする。

タスクを処理しているうちに、ゴア隊長も含めて機動班全員に、悪魔を仲間にする方法は伝わったらしい。

研修終了、というわけだ。

「悪魔召喚プログラムにはまだ機能があるが、一旦はこれでいいだろう。 応用機能については、各自の保有悪魔が増え次第説明する」

「ありがとうライドウ氏。 これで機動班の戦力は倍増する」

「……話してみて分かったと思うが、悪魔は狡猾だ。 人間の価値基準で美しかったり可愛らしかったりするような悪魔が一番危ない。 各自気を付けて対応してほしい」

そのまま、ライドウさんはゴア隊長の背後に控える。

あくまで顧問という態度を崩さない訳だ。

この辺りが、クルーが得体の知れない悪魔使いと、ライドウさんを拒否しない要員になっている。

出過ぎないことを、ライドウさんは知っているのだろう。

「それでは、これより機動班は何班かに分かれ、行動を開始する。 アーサーの出したミッション通り、周辺の安全確保と地理の把握、情報の収集が最重要課題だ。 好戦的な悪魔は近場にはもういないと思うが、それでも最低でもフォーマンセルで動き、一人になる事は避けるように。 生理的反応を覚えたら即時に方舟に帰還せよ」

苦笑いする者も出るが。

そもそも外は−90℃。

デモニカを脱いだら即死に近い状態になる。

デモニカは、着ているときのストレスを極限まで軽減する造りにはなっているが。

それでも、着ていればそのうち「ある事が当たり前」になってしまうかも知れない。

そういう危険は、常に意識しておかなければならないのだ。

ゴア隊長は、麾下の手練れを連れて、自身は方舟近くに留まる。ライドウさんは、少し距離を取って、周囲の気配を探っている様子だ。

ストーム1が艦橋に来た。

丁度休もうと思っていた所だ。有り難い。

「ストーム1か。 丁度良い。 艦橋の守備を頼むぞ」

「それはかまわないのだが、戦闘記録を見て気になる事があった」

「何かね」

「敵は明らかに人間の組織戦を真似てきている。 以前言われた事を覚えているだろうか」

頷く。

違和感は真田も感じている。

「混沌勢力の悪魔は、秩序勢力の真逆の性格で、独立志向が強いと」

「そうだ。 おそらくあのオリアスはこのアントリアの支配者ではないだろうが、いずれにしてもアントリアの支配者が軍事調練をしているのは確実だ。 それも人間式の、な」

人間を馬鹿にしきっているはずの高位悪魔が、そんな事をする筈が無い。

ストーム1は言い切る。

真田も同意見だ。

幾つかおかしいと思う点があったので、後で資料を確認するつもりである。

「真田技術長官。 周囲の安全が確保出来たら、ケンシロウに方舟の内部は任せて俺が外に出たいが、かまわないだろうか」

「君は出撃のグリーンライト持ちだ。 ただ、私だけではなくゴア隊長に話はつけてくれ」

「それは勿論承知している」

頷くと、艦橋を任せて真田は休む事にする。

医療室には、睡眠と回復を促すカプセルベッドがあるが、電気を食うので普段は普通のベッドを用いるようにしている。ただ今は、出来るだけ短い時間で効率的に回復したい。同じ事を考えているようで、正太郎長官もカプセルベッドを使っていた。

医療スタッフのチーフであるゾイが声を掛けて来る。

ベテラン医師の彼女は、国際再建機構がスカウトした逸材である。責任感の強い良い医者だ。

「体をサイボーグ化しているとは言え、あまり無理はなさらないように、真田技術長官」

「うむ、それは分かっている。 四時間ほど寝る。 ただ問題が起きたらすぐにでも起こしてくれ」

「分かりました」

腕を食い千切られた重傷者がいたが、義手が用意されている。

真田が持ち込んだ技術で、義手も著しく性能が向上している。生身の腕と殆ど変わらない感覚で使うことが可能だ。

カプセルベッドに入りながら、真田は次にこなすタスクと。

違和感について考えていたが。

やがて、心地よい眠りに落ちていた。

まだ旅は長い。

休めるときに、休まなければならないのだ。

 

4、そこは見知った場所

 

報告を受けた俺、ストーム1が早足で行く。

既に周囲は完全に安全圏。

仲間にならなかった悪魔もいるが、会話の結果縄張りを侵さないなら攻撃しないという事で交渉は成立したという。

また長期戦を見越して持ち込んだ合成肉と交換で、インゴットに加工した高純度のプラチナなどの貴重な物資を得られたらしく。

資材については、かなりの+になったそうだ。

また、方舟近くのプラントも既に稼働を開始し。故障した機器の材料などは、どんどん生産しているという。

上手くは行っている。

だが、主に妖精達で構成されている悪魔達から、話を聞かされたのである。

アントリアの主が、やはりオリアスではないと。

それは更に地下にいると。

その地下への通路を、唯野仁成とヒメネスのコンビが見つけて。今、俺が呼ばれて出向いている所だった。

悪魔召喚プログラムは既に使っている。

悪魔との会話だけでは無い。

仲魔も得た。

妖精の中で腕自慢の者をと頼んだところ。精悍な騎士のような者が出てきたのである。

正確には妖精では無く、「幻魔」とよばれる分類に入る「クーフーリン」という者だそうだが。

うっすらと俺も名前は聞いたことがある。

確かケルトの英雄だったか。

クーフーリンは鎧姿に槍を一本持った誠実そうな青年で。

俺に対しても無茶な交渉をしてくる事はなく。

自然に仲間となってくれた。仲魔だったか。

恐らくは、実力を認めてくれたのだろう。

ヒメネスがハンドサインを送ってきている。

他の機動班は、其所からは離れさせた。話を聞く限り、とても安全とは思えないからである。

全員を生還させることを目標とする。

真田技術長官も、正太郎長官もそう言っていた。

これほどのミッションだ。

犠牲は避けられないだろうと、俺は現実的に考えているが。

しかしながら、最優先目標に全員生還を挙げるのは賛成だ。

目標というのは、基本的に最善から設定。

それから、状況を見て下げて行く。

そうすることで最高の成果を上げられることを、俺は長年の経験で知っていた。

敬礼する唯野仁成。

ヒメネスが、顎でしゃくった。

「この下でさ」

「良く此処が分かったな」

「俺の仲魔が教えてくれたんで。 どうも悪魔は、鞍替えすると前の主の事を気にしないようでね」

そうかと、俺は呟く。

まるで欧州の傭兵だなと思ったからだ。

そこは暗がりへとつながるような、深い深い穴。ゆっくりと、クリアリングしながら降りていく。

そして、一番下まで到着した俺は。

即時で連絡を入れていた。

通信は、展開している機動班のデモニカを経由して行う。

「此方ストーム1。 恐らくアントリアの深部に到着した」

「此方ゴア。 これは……!」

「そのままデモニカの映像を其方に送っている」

「分かった。 対策を練ろう。 一旦戻って来て欲しい」

どうもそうはいかないらしい。

ハンドサインを送り、先に唯野仁成とヒメネスを戻す。俺は、仁王立ちし。俺用に真田さんが開発してくれた最強のアサルトライフル、AS100Fを構えていた。弾丸の一つずつが象を殺傷しうる、圧倒的火力を投射できる制圧火器だ。

無数の悪魔の群れが、此方に向かってきている。

それも、恐らくサクナヒメが薙ぎ払った以上の数だ。

「軽く運動してから戻る」

「いくら君がワンマンアーミーでも……!」

「この数を削れば、かなり此処の支配者の戦力を削れる。 何、死ぬような無様はしない」

クーフーリンが、槍を構える。

そして中空に躍り上がると。その槍を投擲していた。

空中で多数に分裂した槍が、飛来する大量の悪魔に真正面から襲いかかる。

見る間に地獄絵図になるその場で、俺はアサルトライフルを乱射しながら、ゆっくり敵を誘うように穴の中に下がっていく。

当然敵もそれを追撃に掛かってくるが。

其所に投擲したのは、俺用に開発された特殊グレネードである。

密集して身動きが出来ない悪魔の大軍が、一瞬でまとめて肉塊になる。

予想外の抵抗に慌てたらしい敵が及び腰になった所に、背負っていたライサンダーを引き抜くと、即時に狙撃。

少し後方、二qほど先にいた大きめの敵の頭を撃ち抜いていた。騎士のような姿をした悪魔だったが、ライサンダーによるヘッドショットには耐えられなかった。

「ベレス様っ!」

「あれも前線の将にすぎないようだな……」

「おのれ人間があっ!」

やはり敵の調練は足りていない。露骨な混乱が見える敵を見てそう判断。

人間式の戦い方を仕込まれているようだが、所詮付け焼き刃だ。また洞窟の中に戻る。敵は迂闊に追撃は仕掛けてこないが。洞窟の入り口には集まり、どう追撃するかぎゃあぎゃあ騒いでいる。

馬鹿共が。終わりだ。

周囲には、俺が戦場で使いやすいように改良したC4の発展型。C70爆弾が、最初にクーフーリンが槍を投擲したときに仕掛けてあるのだから。

起動。

爆裂と同時に、外では悲鳴が聞こえなくなった。

爆炎越しに、洞窟を飛び出しつつ、更に第二射の槍をクーフーリンが投擲する。

それは視界を遮られていようが関係無く、敵をまとめて貫き、殺傷したようだった。

気配消失。

煙が消えたタイミングを見計らって洞窟を出ると、わずかに生き残った敵は慌てて逃げ出すところだった。

それにしても、此処は。

周囲を見回す。

まるで、戦場だ。

焼け焦げた家。燃える何かの建造物。真っ赤に焼ける空。

空爆でも行われたかのような、恐ろしい光景である。俺が、何度も今まで見てきたものだ。

そして、ドローンで事前に送られてきた映像そのもの。

あれは、実際の光景だったのだ。

「入り口の敵を掃討。 指示通り戻る」

「ああ。 ……流石ワンマンアーミーだな」

「何、勝てる条件が整っていただけだ。 それにここから先は骨が折れるだろう」

俺は通信を切ると、一度戻る事にする。

今数百ほど敵を削ってやったが、それでも敵の主力がまだいる可能性は否定出来ない。

それに何より。洞窟を降りてきたのに、空がある。真っ赤な空が。

この有様を見る限り、此処が氷の洞窟の地下だとはとても思えない。

どうやら、無数の宇宙が重なりあった不可思議な世界だというのは本当らしい。

そう俺は思いながら。一度指示通りに撤退した。

 

(続)