白い部屋
 
序、その部屋
 
壁に白いハンカチが、無数に貼り付けられている。ハンカチを壁に固定しているのは、白い釘だった。床も白く、天井も白い。窓はなく、部屋に明かりをもたらしているのは白い光を放つ蛍光灯だ。その蛍光灯も、金具の部分まで白く塗られている。部屋にあるのは、清潔な白いシートを被せた白いベット、全ての引き戸に白い布と糸が入った白い箪笥、そして部屋の中央にある白い丸テーブルだけだった。
この部屋に時間はない。この部屋の主にも時間はない。しかし、変化はあった。完全なる白へと、収束していく過程としての、変化である。
壁に打ち付けられた無数のハンカチには、様々な模様が縫いつけられている。それらは、丸テーブルの上に載せられた、白い裁縫道具によって行われた。刺繍は、或いは文字のようであったり、風景画のようであったり、人のようであったりした。
部屋の中にある唯一の色彩が動き出した。ベットで寝ていた、この部屋の主人が目を覚ましたのである。流れるような黒髪の、童顔の女性である。彼女は着衣を全て白い服で統一しており、白い手袋をして、白靴下をはいていたので、彼女の首から上だけがこの部屋で唯一白くない部分であった。
その二重で涼しげな目には、かって知性の輝きがあった。しかし現在は、単一の作業を行うための、道具としての役割しか果たしていない。おもむろにベットから起きあがると、彼女は箪笥に向かい、引き戸から白布を取り出した。そしてテーブルに向かい、それに白い糸で刺繍を始める。疲れ、眠くなるまで延々とその作業が繰り返されるのである。食物は、定期的に支給される。それも、全て白い器に盛られていて、白い料理がのせられていた。隣には浴室と便所があったが、そこも似たような様子だった。
彼女は孤独であったが、監視する者はいた。部屋の天井近くに、白く塗られた監視カメラが設置され、一挙一動を見守っている。そしてある条件を満たすと、監視者達は部屋の主が寝るのを見計らい、部屋に進入してハンカチを壁から剥がしていく。条件に合うハンカチだけを回収すると、部屋の主に気づかれないように外に出て、また戸を閉める。そしてまた条件が満たされるまで、根気よく監視を続ける。戸には鍵かかかっているわけではなく、部屋の主も出ようと思えば出られるはずだが、彼女はそうしなかった。そうする必要も、理由もなかったからである。彼女には、この部屋だけが全てだった。
 
白い部屋に昼夜はなかったが、外はそうではない。この部屋はある建物の一室を改装した物で、建物の中身が全て白一色に統一されているわけではないのだ。〈部屋の主〉以外に人も住んでいて、物音を立てぬようにだが、結構頻繁に客も出入りしている。また、とある部屋の上には、監視室とかかれた表札が張られ、白い部屋の様子をいちいちチェックするべく、常駐で監視員が待機していた。しかもその監視員達は、政府より派遣された腕利きのSPである。屋敷の外では、実戦装備の警備員達が、十人以上も監視に当たっていた。
監視室の他にも、〈分析室〉という部屋や、〈会議室〉という部屋もあった。そういった場所には、白衣を着た科学者達が出入りし、熱心に何かを分析していた。その中には、世界でも指折りの名声を持つ科学者が少なくなく、護衛を伴って訪れる者すらもいた。その中の一人に、堂々たる口ひげを蓄え、肥満した体を揺すって無様に歩いていた男がいた。彼は分析室にはいると、熱心に分析をしている若い科学者の前で咳払いをした。
「飯塚君、進展はあったか?」
「はい、六条寺博士。 また式の一部を回収する事に成功いたしました。 それにより、今まで実験で証明されていた現象が、数式上で証明できる事が分かりました」
「うむ、そうか」
「ただ、最も重要な部分の回収はまだです。 それに最近はますます精神の拡散が進行して、これまで同様の早さで式を回収するのは無理になりつつあります」
「そうか、だが作業は続行だ。 何としても式を全て回収するのだ。 ……そういう指示だ」
太った学者はそれだけ言い、分析室を出ていこうとした。飯塚と呼ばれた若い学者は、思い詰めた様子で、その背中に声を掛けた。
「そろそろ……精神病院で、治療を受けさせてあげるわけにはいかないのでしょうか」
「無理だ。 これが国家的、いや世界的プロジェクトだと君も知っているだろう? 超弦理論の完成は、人類に未来を開く。 止めるわけには行かないのだ」
「……」
「それに、菜摘には今こそが幸せなのだろう。 あまり思い詰めるな」
沈黙し、飯塚は頭を垂れた。太った学者は、鼻を鳴らすと、大股で部屋を出ていった。彼としても、罪悪感は深いのであろう。なぜなら彼は、相沢菜摘の親友だったからである。
髪の毛をかき回すと、飯塚は一人ごちた。愛した女性の、哀れすぎる姿を見つめる彼は、際限ないほどの悲しい瞳をしていた。
「世界のため、人類のため、それに彼女のために、か」
白い部屋の監視映像に、飯塚は視線を移す。もはや生ける作業機械へと堕ちようとしている監視対象が、ハンカチを刺繍している様子が映る。監視対象の瞳には、今や知性は何もない。天才といわれた物理学者、相沢菜摘の、残骸だけが其処にあった。
 
相沢菜摘は、日本のごく普通の家庭に生まれた。父親は平凡なサラリーマンであり、住宅ローンの返済に常日頃から頭を悩ませる、どこにでもいるような男だった。母親は平凡な主婦で、主婦業の合間に編み物をしたりパッチワークをしたり、普通の生活をする女性だった。このほかに、菜摘には妹が一人いた。香奈子と言う名の妹は、非常に行動的で、しかもしっかりしており、どちらがお姉さんか分からないと言われる事がしばしばあった。
そういう家族に囲まれて、小学生時代の菜摘は良くも悪くも普通の女の子だった。数学がいやに成績がよく、体育の成績が異常に低い以外は、特に目立った長所も短所もない成績であり、おっとりした様子から教室でも目立たなかった。特に虐めを受けるような事も無かったし、それに加わる事もなかった。それに関しては、運の良い小学校時代だったといえるだろう。
彼女が〈普通〉で無くなったのは、物理の授業を受け始めてからである。彼女は物理学に関して常識外の才能を示し、十三にして相対論を完全に理解し、(しかも学習を始めてから数週間で)周囲の者達を驚嘆させた。その常軌を逸した才能は、中学卒業の頃は対外的にも有名になり、飛び級を進められて海外の学校へ転校、更に実力に磨きを掛けていった。
彼女が一芸型の天才である事は、誰から見ても明らかだった。物理と数学以外の成績は地面に激突寸前であったし、運動神経も皆無だった。道を普通に歩いていて、転ばない日の方が少なかったくらいである。しかし、物理に関しての才能は、どこの誰にも負けはしなかった。
菜摘は十六歳で、自分の研究室を与えられた。そして七年ほどの研究で、物理学の世界に革命をもたらす事になった。すなわち、〈統一超弦理論〉の発表である。それは今まで複数の説に分裂していた超紐理論を統一し、解明できなかった現象を全て論理的に証明した物であった。これにより、重力の正体などの、今までどうしても解析できなかった物の本質が白日の下にさらされ、学会は開けた未来に酔いしれ、祭りのような騒ぎが起こった。そしてそれは、菜摘が事故に遭うまで続いた。
 
1,天才の覚醒
 
私の名は相沢香奈子といいます。学者としては超一流ですが、人としては未完成で、不完全で、ですが心優しい相沢菜摘の妹です。いや、妹でした。
背の低い私に比べ、姉は長身で、二つしか年が離れていないのに、全くそうは見えませんでした。姉と私の共通点といえば、黒い綺麗な髪くらいで、それ以外は何もかもが違っていました。
私は背こそ低かったのですが、運動神経には自信がありました。かけっこはいつもクラスで一番でしたし、跳び箱も一番高く跳べました。算数以外の科目も、全て姉に勝っていました。家事は得意でしたし、姉の裁縫の師匠は私です。普通だったら、おっとりしたのんびり屋の姉と、何でも出来る優秀な妹、そう見られたかも知れませんし、事実姉が中学にあがるまではそうでした。しかし、周囲の身勝手で不確実な観察と、事実は大きく異なっていました。私は、姉に自分が遙か及ばない事を、心の底で熟知していたのです。
要領の悪い子なら、姉を越えようと必死にあがいたかも知れません。優秀すぎる父親を持った息子がするように、あがいたかも知れません。でも、私の前に見えた姉は、途轍もなく巨大で、途轍もなく高い壁でした。本能的に敵わないと、私は悟っていたのかも知れません。また、小学生の頃は、姉は頭角を現してはいなかったので、対抗意識も湧きようがなかったのかもしれません。
だからかもしれませんが、私たちの関係は良好でした。一時期を除いて、最後の時まで、ずっと良好でした。
姉は運動神経が鈍いだけではなく、行動もゆったりしていました。そのくせ時間には正確で、朝、私がぎりぎりで起きてくると、姉は必ずテーブルにいて、ゆっくり食事をとっていました。必死に準備をする私の横で、まるでスローモーションのようにのんびりと、鞄に教科書を詰めていました。忘れ物など毎日の事で、酷いときにはランドセルを忘れて学校に行こうとした事さえありました。
集団登校がなかったので、私たちはいつも一緒に学校に行きました。おっとりした姉は、毎朝のように転びましたが、不思議と怪我はしませんでした。
私は独楽鼠のように良く動きました。体育の時も、登下校の時も、勉強の時も。それに対し、姉はまるで象のように、ゆっくりのったり動いていました。私は結構怪我が多かったのに、姉はほとんど怪我をしませんでした。良く転んでいたというのに、怪我らしい怪我もありませんでした。私が転んだときは、例外なく怪我をして泣いたというのに。姉が泣いているところを見た事は、ほとんどありませんでした。そして何をやっても、算数では絶対に姉には勝てませんでした。
私と姉では、周りを流れている時間が違うような気がしてきたのは、中学に姉が入った頃からでした。そして、姉が頭角を現すに従って、私の中でどす黒い感情が蠢き始めました。それは嫉妬と呼ばれる物であったかも知れません。私は、心の中で、誰よりも強烈に姉を意識していたのかも知れません。
潜在能力を爆発させた姉は、見る間に真の姿を現していきました。深層心理で感じていた巨大な壁が、その姿を水面下からせり上げ、怒濤の波頭と共に私を押しつぶしました。私の心には、強烈なストレスがたまり始めました。心がすさんでいくのが、手に取るように分かりました。どんな努力も、全く無意味でした。姉の名声は、天を駆けるかのように舞い上がっていきました。そしてそれが虚名などでは無い事を、私は誰よりも良く知っていました。私は姉を避け始めましたが、姉は全く態度を変えませんでした。耐えきれなくなった私は、ついに姉に論戦を挑みました。
「お姉ちゃん!」
「どうしたの? 香奈子」
どんなに怒気をぶつけられても、姉は平然としていました。今はよく分かります、その理由が。如何に器用な子鼠が怒ったところで、象は痛くも痒くもないんです。
「どうしてよ……どうしていつも平然としてるのよ!」
しかし、それが分かっていなかった私は爆発しました。そして、今までたまりにたまっていた憎しみを、言葉にして叩き付けました。バカでした、私は。勝負は最初から見えていました。まだ心幼い私は、自分の思いなど言葉に出来ずに、ただ怒りをぶつけました。暴力を振るわなかったのは、最低限の理性が残っていたからだと思います。私の言葉が炎を失うには、三時間以上もかかりました。そして、疲れ果て、泣き出した私に、姉はこういいました。
「うん、そうよね。 香奈子の言う事は正しいと思う」
顔を上げた私に、姉は笑顔のまま続けました。
「でも、人にはそれぞれに良いところがあるのよ。 だから、そんなに苦しまないで、自分の良いところを見た方が良いわ」
私は敗北を悟りました。姉は、私の事を全て知っていたのです。そして、姉は、自分を全て知っていたのです。恐ろしい事に、それらを全て受け入れて、平然としていたわけです。
凡人と仙人、小人と巨人の差でした。これ以降、私は姉に対抗しようとあがくのを止めました。そして一旦諦めてしまうと、不思議と悔しくも悲しくも無くなったのでした。精神的な完全敗北、それによってもたらされる一種の無条件降伏でした。
姉は中学を卒業すると、日本の高校に入らず、飛び級してアメリカの大学に旅立っていきました。空港で姉を見送り、私は心の奥底に、安心を覚えている事に気づいて愕然としました。
私は、姉が怖かったんです。あんなに優しくて、あんなに思いやりがあって、あんなに人が出来ていたというのに。それが、私の本音だったのだと思います。
詫びようと、私は思いました。そして、大学卒業と同時に、アメリカに行く決意をしました。今になって考えてみれば、すぐにエアメールなり国際電話なりで謝れば良かったのだと思います。しかし、まだ心幼かった私は、それがどうしても出来ませんでした。
 
2,天才の飛躍
 
ワシの名は六条寺浩介という。世界でも、一応は有数と言われるくらいの物理学の権威だった男だ。ワシの年齢は既に六十を超え、体型も若い頃の精悍さを無くしている。昔は美人だった妻も、今は豚のような姿だ。性根もすっかり腐ってしまった。その原因のほとんどはワシにある。研究、研究、また研究でほとんど構ってやれなかったからな。今は悪い事をしたと思ってはいるが、今更許してもらえはしないだろう。
ワシの前にあの娘が現れたのは、夏のある日の事だった。そう、ワシが老いを実感し、鬱な気分に沈み込んでいた時だったっけ。とらえどころのない娘でな、なんというか、綿のように浮遊感のある笑みを浮かべていたな。
その日の事を思い出してみよう。夏の、そうとても暑い日じゃったな。日差しは錐のように差し込んできて、アスファルトを灼き、湯気を立てておった。そんな中、ワシは木陰のベンチで静かにしていた。周囲では蝉が合唱していて、とぎれる事のないその歌は、短い生命を爆発させきるように輝いておった。ワシはそんな中、沈み込んでベンチにもたれかかっていた。
ワシが落ち込んだのは、昔だったら屁でもない計算で、若造でもやらないような計算ミスをした事が原因じゃったな。研究室で、どうしても計算が合わなくなって、式を見直してみて、愕然とした。まさかあんなミスを、このワシがした。東大を主席で出て、今まで天才の名を恣にしてきたワシが。まだまだ若い者には負けぬと思っていたのに、その自信が粉みじんに粉砕された瞬間じゃったな。
ぼんやりするワシの前に、その娘はのったりゆったり歩いてきた。そして顔を上げたワシに、笑いかけてきた。
「こんにちわ。 今日はとても暑いですね」
ワシは虫の居所が悪かった。だから娘をにらみつけた。だが、あやつは全くどうぜんかったな。
それがワシと、相沢菜摘の出会いだった。恥ずかしい話じゃが、今思い出してみると、あまりよい出会いじゃあなかったのう。
 
相沢菜摘に研究室が与えられている事、その研究室が次々に驚くべき成果を上げている事を知ったワシは驚いた。あんなとろくさい娘が、ワシ以上に高い評価を受け、期待を一心に浴びている、というのだからとうぜんじゃった。こうして、ワシはあやつを強烈に意識するようになった。
同時に、ワシは活力を取り戻した。あのような輩に負けてなるものかと、必死に研究を再開したわけじゃが、いやはや今になってみれば冷や汗が出る。頑固に古いものを守り、旧態依然のワシの研究室。新しいものに全く抵抗が無く、フレッシュな頭脳で次々に独創的なアイディアをひねり出す菜摘の研究室。勝ち目などはじめから存在してはいなかったのにな。それは年寄りの冷や水ではあったが、同時に活力を復活させる行為でもあったな。人は、生き甲斐を見つけると、目的を見つけると、ああも元気になるものなのだのう。極端な話、もしもあやつが現れなければ、ワシはそう時間をおかずに引退し、老人ホームへ移っていたかもしれん。そしてそうなれば、そうそうに呆けてしまったじゃろう。
まがりなりにも、特に日本人の物理学者で、菜摘と渡り合えたのはワシしかいなかった。ワシの研究室も、あやつの研究室には及ばなかったものの、それでも新しい発見を幾つか繰り出し、物理学の発展に貢献した。ワシと菜摘の張り合いは、大学自体に活力と熱気を産み、ジャーナリストどもも注目を開始したな。そんな中、ワシはふと機会があって、菜摘の研究室を訪れた。今になって考えてみれば、完全敗北を悟ったのは、あのときだったかもしれないのう。
ワシが研究室にはいると、研究員が出迎えてくれた。咳払いするワシに、だらしのない笑みを浮かべていたそいつは、飯塚という名前だった。こいつもかなりの俊英じゃったが、菜摘に比べると、月の前の蛍もどうぜんじゃったの。ともあれ、そいつに菜摘を呼ばせに行きながら、ワシは煙草に火をつけた。それで、周囲を見る余裕が出来たワシは、驚いた。
研究室ってのは、殺伐としているべきだとワシは思っていた。新しい何かを生み出し、社会の発展に貢献し、己をも磨く場は、そうあるべきだと思っていた。ワシ以上の業績を上げている菜摘の研究室は、当然そうだと思っていた。しかし、それは違った。
壁に掛けられているのは、花畑の絵だった。パソコンの脇には花瓶があり、小さな花が何本も生けられている。マウスパットは少女趣味なデザインで、カーテンにはあろう事かフリルがついておった。全体的に白を基調とし、小汚いにもかかわらず、柔らかい印象を入った者に与える場所。ここは、まさしくワシの知らない世界だった。
ワシの研究室は、研究員に〈拷問部屋〉と呼ばれていると聞いた事がある。全てにおいて完璧に整理され、床には塵一つ無い。どこに何があるか完璧にワシは把握し、計算ミスでもしようものなら即座に怒号が飛ぶ。だが、それは必要な事だから仕方がないとワシは思っていた。そういう状況を維持しているから、素晴らしい業績を上げる事が出来るものなのだとワシは信じてきた。しかし、ここはどうじゃ。問題なのは、研究室の中身じゃあない。こんな場所にもかかわらず、物理学の最先端を行っている、という事が問題じゃった。それは、今までのワシの信念が、音を立てて崩れる瞬間であったの。
菜摘が現れた。ワシは相変わらずむっつりしていたが、あやつはへらへら笑っておった。ワシは、すっかりペースを崩し、主導権を失っておったかの。
「六条寺博士、こんにちわ。 今日は研究室に遊びに来てくれてありがとうございます」
「……遊びに来たわけではない」
これでもワシは六十年以上も生きてきた。根回しのやり方や、子供の扱い方くらいは知っておった。若い連中を、どうやっててなづけるかも、詳しく知っていたはずじゃ。だが、こやつにはそれらの経験が全く通じそうもなかった。
不機嫌そうに用件を言うワシの顔を、小首を傾げながら見つめると、菜摘は部屋の奥に必要な資料を取りに行った。そう見えたのじゃが、事実は違った。あやつは、すぐに湯気の立つティーポットと、ケーキを持って帰ってきたのだ。
「書類は飯塚さんが持ってきます。 待っている時間、これを食べていてくださいね」
そのケーキは、奇妙に甘かった。市販品ではなく、手作りだったらしいの。後で知ったのじゃが、あやつは書類の位置を把握しているのにもかかわらず、こういった事をしたらしい。理由は、ワシと仲良くしたかった、からだそうじゃ。人なつっこい菜摘は、徐々にワシの心を開かせていった。やがて、飯塚が書類を集めて持ってきたが、そのころ既にワシは、すっかり菜摘に骨抜きにされ、主導権を握られていたの。たった数時間話しただけで、ワシの顔は別人のようにゆるんでいったわけじゃ。
とにかく菜摘は、心理の分析が巧いようじゃった。異常なほどの物理の才能と同時に、これは天があやつに与えた第二の才能だったのじゃろう。あやつはワシの心を巧みに掴み、弱みを握り、快点を擽り、気がつくとワシはあやつにすっかり心を許していた。そして、その時点では、ワシはそれに気づかなかった。笑える話じゃな、六十年以上を行き、酸いも甘いも見てきたワシが、三分の一も年が下な小娘に、良いように籠絡されたのじゃからのう。だが、ワシは不愉快ではなかった。そして、今も不愉快ではない。なぜなら、そうと悟っても、不快にはならない不思議な魅力があやつにはあったからだ。また、あやつには悪意がなかった。それも、心を開かせる要因となったのじゃろうな。
「六条寺博士、これからも切磋琢磨しましょうね」
「おう、そうじゃな。 ワシも頼れる孫が出来たみたいで嬉しいわい」
ワシは、だらしなく破顔していた。入ってきたときとは、別人のようにな。
 
それから、ワシと菜摘の関係は、ライバルから盟友へと変わった。忘年の交わり、という言葉があるが、ワシらの関係はまさにそれじゃったの。足を引っ張りかねない関係から、積極的に協調し、情報を分け合う仲になった訳じゃ。
同時に、ワシの研究室のあだ名が変わった。〈拷問部屋〉から、〈相沢研究室分室〉へとな。じゃが、ワシは研究員共が何を言おうと元々気になどせんかったし、素直にそれを認めていたから、気にならんかったわい。
もし、菜摘とワシが同年代だったら、恐怖を覚えたかもしれん。じゃが、ワシのように自分の限界が見えている人間には、相手の大きさが素直に崇拝できた。そう、あやつは、いうなれば巨人じゃった。一緒に研究するようになって、それがすぐに分かった。
あやつの専門分野は、ワシと同じく超弦理論じゃった。この理論を一言で説明すると、今まで数々あった理論を統合し、矛盾点を説明できる究極的な理論とでも言うべき物じゃな。例えば、アインシュタインの相対性理論ではどうしても説明できない重力の正体も、この理論にかかれば一目瞭然だ。菜摘が現れるまで、この理論はいくつかに分裂し、それぞれにシンパがいて好き勝手に行動していたのじゃが、やがてそれが終わるときが来る。菜摘と研究を始め、三ヶ月もしないうちに、ワシはそれを悟っていた。そして、それはそう時間を掛けずに、現実になろうとした。
ワシは圧倒的な天才に会えた事で、有頂天になっていた。やがて、ワシは菜摘の悲しい心に触れる事になるが、それまでワシは有頂天であり続けた。
……男はいつまで経っても子供だという話がある。結局ワシは、新しく珍しい玩具を見つけた、ただの子供にすぎなかったのかもしれんな。可哀想に、早く気づいてやるべきじゃった。
 
3,天才の肖像
 
僕の名前は飯塚光太郎といいます。相沢菜摘博士の研究室で、何年か助手を務めていました。これでも天才って言われて、アメリカの大学に入れたんですが、いやはや僕なんて、菜摘博士に比べれば、無能も無能、低能も低能、カミツキガメとガメラの差でしたね。自分は天才だなんて思いこんで舞い上がってた僕は、アメリカで自分の実力を思い知る事になったわけです。結局の所、菜摘博士の研究室に早めに入れて、良かったのでしょう。このまま自分を天才だなんて思い続けていたら、いずれ痛い目を見た事は疑いなかったでしょう。僕は単に、少しだけ器用なだけだったんです。
菜摘博士は、物理の才能の他に、人たらしの魅力がありました。味方を作る力よりも、敵を味方にする力に、凄まじい物がありました。はい、日本の歴史上の人物で言えば、豊臣秀吉が持っていましたね。博士はあれをもっていて、それを知覚していて、利用する事に何のためらいも覚えていないようでした。
日本での超弦理論の権威、六条寺博士を友にしてしまったのを手始めに、量子力学の権威アイランズ=ホークス博士、相対論の権威リチャード=ブルックマン博士、空間相転移の権威マジュースーバロック博士なども、次々に博士の親友になっていきました。先輩や、庇護者や、部下というのではなく、友達にです。皆、とても気むずかしい人たちだったのに、奇跡だとしか言いようがありません。
バロック博士の研究室の人たちなどは、菜摘博士の研究室でしかバロック博士の笑顔は見る事が出来ないと、常々から言っていました。六条寺博士の評判は、菜摘博士に会ってからぐんと良くなりました。いつもむっつりしていたのが、急に人当たりが良くなったかららしいです。研究室のあだ名さえ変わった事を、僕は良く覚えています。
そういう長所がある一方で、博士には生活整理能力が欠けていたのも事実です。研究室は雑然としていて、僕は其処の管理を任されていました。もし僕に謀反気があれば、いくらでも博士に不利な事が出来たでしょうに、博士は平然と僕に管理を任せていました。これは、後で理由が分かるのですが、僕の限界を博士が知っていたからみたいです。僕にはそんな度胸も根性も無いって事を、博士は良く悟っていたんです。情けない話ですが、それは事実でした。ははは、本当に情けない話ですね。でも、僕はそんな話を聞いても不快にはなりませんでした。あの相沢博士が、こんな程度の力しかない僕を全面的に信頼してくれたのは、疑いようもない事実だったのですから。
博士はいつものんびりしていて、良くハンカチの刺繍をしていました。博士の台詞によると、これしか博士にはまともに出来る家事がないのだそうでした。刺繍の師匠は妹さんだったとかで、実際に結構刺繍は上手でした。そういう趣味をやりながら、驚異的な発想を次々に繰り出し、超弦理論に新しい風を吹き込み続ける博士は、まさに天才でした。必死に無意味な学問ばかりを修得し続けて、挙げ句にたいした力が付かなかった僕とは、偉い差です。
そんな様子でしたから、研究室はいつもやんわりした雰囲気でした。場所が場所だけに、無論最低限必要な一線は守られていましたが、アットホームな、和やかな雰囲気である事に違いはありませんでした。なんでも博士は十六からこの研究室にいるとかで、博士の親ほどの年の旧研究員が、土産を持って研究室を訪れる事もありました。僕は柔らかい雰囲気の中で、しかし充実した生活を送っていました。
研究室が一気に忙しくなったのは、去年の夏でした。実は、その少し前から、博士が実験的に驚異的な新説を組み立てていて、自分でそれに関する実験を少しずつ行ってはいました。でも、それはあくまで仮説の段階だったので、僕たちに忙しさは全面的に回っては来なかったのです。しかし、いくつかの実験の結果、それがどうも正しいらしいと言う事になり、博士が本格的に動き始めたわけです。
博士のやり方は、少し変わっていました。何でも理論を組み立てる計算式は全て頭の中に入っているとかで、複雑きわまるそれを少しずつ示しては、証明するための実験を行いました。そしてそれらは、いちいち成功を収めました。研究を始めてから少しすると、ホークス博士やブルックマン博士、六条寺博士も手伝いに駆けつけ、我が研究室では学界の権威の展覧会と化しました。こういう事には疎いマスコミさえかぎつけて、カメラマンが取材に来た事もあったほどです。
博士が提示する式は、いちいち学界の権威達を驚愕させました。何とかついていけていた僕も、何度も感心させられました。しかし、それらを導き出す事になった根本的な式に関しては、結局いつまで経っても、誰にも明かしてはくれませんでした。これは博士の癖でもありました。新しい理論を発表するときは、完全に正しいと確信したとき以外は、絶対に誰にも中身を明かさないのです。しかし、それでも、いつもは幾つかヒント程度はくれたのに、今回に関してはそれすらありませんでした。
物が物だけに、逆算で中枢になる式を分析できるような甘い物ではありません。僕たちは、博士の言うままに、学界の権威達が見守る中、或いは簡単な、或いは複雑な実験を、金に糸目をつけず作られた最新の実験装置で行いました。今までの常識が崩されるのなど日常茶飯事で、六条寺博士の研究室の研究員や、ブルックマン博士の研究員達も、必死にメモをとっていました。許可されていないのに、実験前の説明会に潜り込もうとする教授も後を絶ちませんでした。それだけ、内外で菜摘博士の実験は有名になっていたわけです。
やがて、その日が来ました。〈統一超弦理論〉を、博士が発表する事にしたのです。今まで博士が提示した式の根元となる、画期的な新理論。それが正しい事は、今まで無数に行われた実験が証明していました。まるで、前夜祭のような雰囲気が、大学を包んだのを良く覚えています。そしてそれは、翌日まで続きましたが、それで一気に鎮火しました。あの事件が起こったからです。
 
……今だから言います。僕は博士が好きでした。二歳年上の博士は、僕を信頼してくれていましたし、何より優しかったからです。今まで女性と縁がなかったわけではありませんが、本当の意味で好きになったのは、これが初めてだったかも知れません。
ある意味で、僕が利用されているのは分かっていました。でも、僕はそんな事など気になりませんでした。博士に悪意はなかったし、何より僕自身が博士を好きだったからです。もっとも、博士はそれを見越した上で、僕を利用していたのでしょうけど。だけど、僕は不満を覚えたり、後悔したりはしていません。
事件が起こったとき、僕は頭が真っ白になるのを感じました。そして、博士が如何に辛い思いをしていたのか、始めて知りました。僕はバカでした。そんな事、考えようともしなかったんですから。
 
4,天才の墜落
 
わたしの名前は相沢菜摘といいます。ふふふふ、相沢菜摘だった、と言うべきなのかも知れませんね。もうわたしに、新しくアイデアをひねり出したり、数式を組み立てたりする力はありません。だからわたしは、相沢菜摘であって、相沢菜摘ではないのです。わたしには、もう存在意義はないんです。
昔からわたしは、自分が大っきらいでした。ふと気がつくと、周りを利用している自分。活発だけど思いやりのある妹、わたしを心の底から愛している人、天才を私の中に見て期待している人、みんなをわたしは利用していました。おそらく、自分自身さえ利用していたはずです。わたしは合理主義者で、酷い女でした。だからわたしは、自分が大っきらいでした。
わたしはいつもへらへらしていました。そうすれば、良い印象を大概与える事が出来たからです。わたしは相手の心が、手に取るように分かりました。自分の心も、手に取るように分かっていました。これが凄い事だと気づいたのは、小学生にあがった頃の事です。わたしはこれを利用する事が大っきらいでしたが、でも利用すればこれ以上もないほど自由自在に周囲を操れる事を知ると、どんどん利用していくようになりました。わたしの柔らかな外見と、物腰と、この能力があれば、利用できない人なんていませんでした。話術なんか必要じゃありません。話を丁寧に組み立てる事さえ出来れば、たらし込む成功率は百パーセントでした。先生だろうが、学友だろうが、両親だろうが、同じ事でした。誰もがわたしを好きになって、良くしてくれました。主体性のない〈好き〉の虜になって、わたしの親友になりました。言うならば、恒星の重力にとらわれた小惑星のように。そうですね、わたしは光り輝き、近くを通った遊星を重力で捕らえ、惑星にしてしまう恒星によく似ていたのでしょうね。だから、それだからこそ、わたしは自分が大っきらいでした。ふふふふ、もう小学校の頃には、わたしはわたしが嫌いだったんですね。
中学にあがったとき、わたしは妹の香奈子と喧嘩しました。いや、あれは喧嘩などというにも値しませんでした。わたしには、香奈子の気持ちが手に取るように分かりました。そして、諦めるように言うしかなかったんです。香奈子はショックを受けていました。わたしの存在自体が巨大な壁に見えたからでしょう。それ以来、あの子はわたしに反発する事もなくなってしまいました。文字通りの骨抜きでした。とても可哀想な事をしました。わたしは、ますますわたしが嫌いになりました。わたしは象で、あの子は器用な子鼠だったかもしれません。とても小さな、とるに足らないほど小さな存在だったかも知れません。だからって、踏みつぶして気分がいいわけないじゃないですか。
アメリカに行ってから、一番可哀想だった餌食は六条時博士でした。わたしには、博士の家庭が寂しい事、故郷を懐かしんでいる事、プライドが異常に高い事、などがすぐに分かってしまいました。後は、赤子の手をひねるよりも簡単でした。このころから、わたしは人に会うのが嫌になり始めていました。誰かとふれあうと、ほとんど必ずその人の心につけ込んで、利用してしまうからです。わたしは自分がこれ以上もなく嫌になったとき、ハンカチに刺繍する癖がありましたが、その回数は一日ごとに多くなっていきました。学会の権威達が、わたしの重力下に次々に落ち込んでいきました。わたしは、一秒ごとに自分が嫌いになっていきました。
わたしには、心を開いてくれる親友がたくさんいました。しかし、血を分けられるほどの友は誰一人いませんでした。本当は、作ろうと思えば作れたのかも知れません。しかしそれをしなかった理由は、分かり切っていました。わたしは自分自身が大っきらいで、こんな汚いわたしに、他人を触れさせたくないと思っていたからです。わたしは周囲からはオープンな性格だと思われていたようですが、本当のところ、誰にも本心など明かした事はなく、本性を見た人など誰もいませんでした。わたしは極悪人です。わたしより罪深い人など、世界のどこにもいはしません。
飯塚君は、とてもいい人でした。彼がわたしを愛している事は、すぐに分かりました。でも、わたしの好みではありませんでいた。……語弊がありますね、言い換えましょう。彼にも、わたしは心を開きたくありませんでした。なんでなんでしょうね、わたしの心が、彼と触れ合う事を拒絶していました。わたしは自分の心がよく分かっていたので、結局彼とは一線をおいて接する事にしていました。好いてもいない相手と触れ合ったところで、結局虚しいだけだからです。飯塚君はそんな事には気づかず、結局わたしの重力下に落ちました。このとき、わたしの中で、わたしはついに敵となったのです。それには、理由がありました。わたしの重力にとらえられ、自由な存在から、恒星から逃れられぬ惑星に落ちた飯塚君が、非常に香奈子に似ている事に気づいたからです。わたしは、香奈子と同じような犠牲者をまた作ってしまいました。わたしは、じぶんの罪の深さに、憎しみを覚えました。そしてその憎しみは、自分自身へと向かったのです。
わたしはこれでも合理主義者ですから、宗教などには走りませんでした。お酒や麻薬とも縁がありませんでした。思えば、お酒や、信じる何かがあれば、少しはマシになったかも知れません。でも、そんな物はわたしの周りにはありませんでした。寿命を迎えた恒星のように、全てが自分の内へと向かって落ち込んでいきました。そして、起こるべくして超新星爆発が起こったわけです。
その事件が起こったきっかけは、香奈子の手紙でした。日本から来たその手紙は、非常に丁寧な謝罪文でした。香奈子がわたしを怖がっていた事は、良く知っていました。そして、その手紙を書くのに如何に苦労したのかも、よく分かりました。血のにじむような手紙でした。これを読んだとき、ついにわたしの中で何かがはじけとびました。
 
わたしはお金持ちでした。わたしの研究はアメリカでも日本でも最大級の評価をされていて、政府から支援金がたくさん出ていたからです。
アメリカの家は、日本の家に比べると随分安いです。土地も同じ事です。わたしはまず豪邸と言っていい家に住み込んでいました。わたしが久しぶりに帰宅すると、香奈子からのエアメールが来ていました。懐かしさに頬をゆるめながら、わたしは香奈子の手紙を読みました。そして、如何にわたしが香奈子を骨抜きにしてしまったのか、手ひどく自由なき重力の墓場に落とし込んだのか、悟りました。わたしの中で、ついにわたしへの憎悪がはじけ飛んだんです。
わたしはパソコンを立ち上げ、文章を編集するソフトを立ち上げると、自分という存在を書き始めました。自分がいかなる存在であり、如何に罪深い存在であり、如何に許し難い存在であるかを。近づいてくる人間を片っ端から利用し、骨抜きにし、自分の重力下に落とし込んで、利用してきたか。罪悪感を覚えながらも、止めようとせず、積極的にそれを利用してきたか。自分の罪業を、次々に文字にしてはき出していきました。それは誰に見せるためでもありませんでした。自分自身に見せつけるためだけの行動でした。わたしは、いつしか落涙していました。思えば、わたしは赤ん坊の頃以来、泣いた事などありませんでした。いつも笑っていました。わたしはつくづく最低な女でした。
それが終わると、わたしはひいきにしている手芸屋さんに電話をしました。白い糸と白いハンカチを、ありったけ注文しました。その分量に手芸屋さんは腰を抜かしましたが、しかしこれ以上もない儲けのチャンスだと悟ったらしく、あっちこっちに手を回して集めてくれました。わたしは電話を終えると、倉庫から白いペンキを引っ張り出してきて、自室に向かいました。バスとトイレに隣接しているその部屋は、基本的に白の色彩が多い部屋でしたが、残っている有色の部分を、わたしは片っ端から白く塗りつぶしていきました。
続いてわたしは、板を窓に打ち付けました。そして内側から真っ白に塗りたくりました。わたしが白を好きなのは、清浄な色だからではありません。白こそは、無を表現した色だと思っていたからです。白くなりたい。真っ白になりたい。わたしは、真っ白になりたい!
多量の布が届きました。わたしは針を真っ白に塗ると、布に自分自身を刺繍していきました。思い出を一つ一つ、自分の罪業を一つ一つ、そして自分の生み出した理論を一つ一つ。それを三日ほど繰り返したとき、ついに不審に思った大学の人たちが、家にやってきました。しかしそのときには、既に手遅れでした。わたしは、たんなるオートマターになっていました。
わたしは幸せでした。ふふふふ、それも当然です。汚いわたしが、徐々に白くなっていくのが分かりましたから。記憶を刺繍してはき出すたびに、わたしの中が白くなっていきました。汚いわたしが、これによって浄化されているような気分を味わいました。わたしの中から、どんどん色彩が抜け落ちていって、白がそれに変わっていきました。
周りで色々と何かが行われたようでしたが、わたしにはもうどうでも良いことです。わたしは白くなりたい。白い存在になりたい。わたしの望みはそれだけです。ふふ……うふふ……ふふふふふふ……。もう少し……もう少し……わたしは……白い……完全なる白い存在になれる……ふふ……ふふふふ……もう……少し……後……少し……わたしは……わ……た……し……は……白……白に……白に!
 
5,純粋なる白
 
相沢菜摘が壊れた事は、すぐに大学中に広がり、ついで世界中に広がった。彼女がパソコン内に残したデータは残っており、それは周囲の者達を驚愕させるに充分だった。どこの誰もが、彼女がここまで深い自責にとらわれ、自分を嫌っていたなど知らなかったのである。
菜摘はもはやロボットに等しい状態で、誰の問いかけにも応じず、ひたすらハンカチを刺繍していた。周囲の者が無理に裁縫道具を取り上げようとしたが、自傷行動を誘発してしまったため、すぐに戻された。自分の血の色さえ菜摘は気に入らないようで、壁に飛び散った赤も、翌日には白く塗りつぶされていた。
極論すれば、彼女には親友がたくさんいたが、彼女自身は誰も親友だとは思っていなかったのである。学界の権威達は、等しく自責の念にくれた。菜摘にあって人柄が丸くなったと評判だったバロック博士などは、菜摘が壊れたのは自分のせいだと絶叫し、自殺を図ろうとしたほどだった。日本から姉の見舞いに来た相沢香奈子などは、事態を知ると泣き崩れ、強烈なトラウマを心に宿してしまった。
精神病院に移して治療するべきだと言う意見も出た、だが反対意見もあった。ハンカチには、結局菜摘が未発表のままだった〈統一超弦理論〉の核心部分の一部が、その時点で何十枚にも分割されて刺繍されており、もし無理に治療すれば残りの回収が不可能になるかも知れないと言うのである。菜摘に親しい者達の意見も、二つに割れた。治療してやるべきだという意見、本人の望み通りにしてやりたいという意見。ただ、後者の意見を唱える者も、菜摘がやっている事が〈緩慢な自殺〉だと悟っていた事は疑いないだろう。
やがて、政府からの指示が出た。それは菜摘をそのままにして、データを回収しろと言う物だった。世界でも有数の精神科医達が集められ、更に警護のためにSPの精鋭達も集められた。それだけ、〈統一超弦理論〉は魅力的な代物だったのである。その数式を実験などから分析するのは、スーパーコンピューターを使ってもとうてい無理だという現実もあった。表向きは、菜摘は精神病院で治療を受けていると言う事にされた。そして事実は、数式を絞り出すための媒体にされたのである。
六条寺と飯塚は、菜摘の側に残る事を許された。これは菜摘の理論を知る身近な者が必要だと判断されたからである。壊れる前に親友だった博士達も、見舞いに来る事を許されていた。ただし、居場所を公表する事だけは絶対に許されなかった。
そうして一年が過ぎた。式はほぼ全てが回収された。だが、全てではなかった。政府の方針に変更はなく、菜摘の監視は続いた。六条寺も、飯塚も知っていた、そろそろ菜摘が究極的な〈白〉に近づいている事を。それが死に等しいと言う事を。だが、どうしてやる事も出来なかった。
 
監視カメラを除いていた飯塚が、硬直していた。うなだれた彼は、肩を振るわせながら、研究員にハンカチの回収をするように命じた。石になったように、飯塚はうなだれ、その両目からは涙が伝っていた。
「飯塚君、菜摘はどうし……」
部屋に入ってきた六条寺博士の声が止まった。飯塚の様子から、何が起こったかを正確に察したからである。
菜摘は全てをはき出し、〈完全なる白〉になったのである。もはや動きはなく、ただ〈生きている〉だけの存在となっていた。植物人間と大差なく、生活行動だけは出来るだろうが、もはや何も生み出す事の出来ない存在だった。部屋にかけられた無数のハンカチ。最後に菜摘が刺繍したハンカチに、統一超弦理論の最後の一式が書かれている事が確認され、研究員が安堵の声を上げていた。
「これで良いんだ」
六条寺博士が言った。その声は、悲しみに震えていた。
「見ろ、菜摘の幸せそうな顔を」
飯塚は顔を上げ、涙をぬぐい、菜摘の顔を見た。いつもへらへらして、優しそうな笑みを浮かべていた菜摘。だが、考えてみれば幸せそうな顔など、飯塚は一度も見た事は無かった。しかし、今は違う。
モニターの向こうの相沢菜摘は、際限なく幸せそうだった。その中には、彼女が求めていた、〈完全なる白〉が満ちているであろう事は、疑いのない事実であった。
(終)