最果ての決断

 

序、墜ちてしまった父

 

二十万からなるアイドルが存在する、大アイドル時代。

その内トップ五百人はSランクアイドルと呼ばれ。その中でも燦然と輝きを放っている。

その中の一人。

音楽の都、オーストリアはウィーン仕込みの帰国子女。

名前は黒井詩花。普段は詩歌とだけ名乗っている。

詩花自身は実の所、日本のトイやホビーに興味津々な、見た目より幼い性格だと自身を分析している。

近年は戦隊ヒーローにはまっているし、ロボットも格好良くて大好きだ。

その一方で、音楽の国オーストリアで磨いてきた歌唱力とダンス、更に「透明な美貌」(自身では苦笑いしてしまうのだけれども)を駆使して。短期間でSランクアイドルにまでなった業界の寵児である。

そんな詩花には悩みがあった。

両親の不仲である。

不倫云々の問題では無い。

詩花の両親は、昔は大恋愛の末に結ばれた夫婦だった。良識的で真面目な母と、アイドルのプロデューサーとして熱量を持っていた父。

だが、仕事の関係で、だろうか。

いつの間にか父は歪んでしまった。

会社を興したけれど。その会社からは悪い評判しか聞かなかった。

母はいつも父の話をするときには悲しそうにまつげを伏せた。

見かけは母によく似ていると言われた詩花は。

幼い頃に優しい父と遊んだ記憶があるから、それが悲しくて仕方が無かった。

何が原因で父が歪んだのか。

それを確かめたいとも思っていた。

丁度、スターリットシーズンという超大規模プロジェクトが行われ。文字通り日本中のアイドルが参加した。

その後と言う事もあって、流石に誰も彼もが疲れ果てていたし。

その隙に、詩花は事を進めることにしたのだ。

詩花は日本に来てから、盟友とも呼べる存在ができた。

名前は玲音。

現在間違いなく世界最高のアイドル。

ランク制で区分けされるアイドルなのに。唯一のランク外。オーバーランクとして君臨する、文字通りの獅子王である。

圧倒的なオーラと、あらゆるスペックが桁外れの女性で。モデル張りの長身と、獅子の鬣のような髪の毛が印象的だ。

自家用ジェットを持っているような超がつくほどの金持ちだが。

あまり詳しい話はしてくれない。

いずれにしても、稼ぎだけでも961プロにいる他のアイドル全員を足したよりも凄いどころか。

その気になれば961プロの筆頭株主になる事も簡単だという。

遊園地を建てようと思えば、自分の資産で作れる。

そのレベルのお金持ちなのだ。

そんな玲音と、今詩花は喫茶店で話していた。

周囲にいる人は、みんな玲音のスタッフである。

盗聴などを防ぐために、玲音はこういった気を常に遣っている。世界レベルのアイドルとなると、これくらいの用心は必要なのだ。

また、あまり詳しくは聞いていないが。

この国の警察も何人か見張りについているとか。

玲音の影響力は凄まじく、全世界で億人以上のファンがいるとかいう話を聞いたことがある。

もしもその気になれば、国一つくらいひっくり返せる力があるのだ。

それは確かに、お巡りさんも見張りにつくのが当然なのかも知れない。

「それで詩花。 今日はどうかしたのか? 亜夜が抜けて、ディアマントも解散して、しばらくは暇だと聞いたけれど」

「どうしてパパがああなったのか、玲音さんは知らない?」

「……」

玲音は目を細め。

周囲を見回す。

この人は、修羅場をくぐってきた場数が違う。

元々海外を主体に活動をしてきたアイドルで、日本に戻ってきたのは比較的最近である。

別に詩花の所属している、父が作った961プロが古巣というわけでもなんでもない。

単に961プロがあらゆる行動権を渡してくれているので、都合が良いからいるだけ。

その気になれば、いつでも抜ける。

玲音が961プロを抜けた場合。961プロはそれこそ致命傷を受けるが。

玲音自身は痛くも痒くもない。

つまり詩花の父である黒井社長よりも、社内での力関係は玲音の方が遙かに上なのである。

これはスターリットシーズンプロジェクトの時も何度か実際に目にした。

このプロジェクトに詩花は玲音、それに亜夜というアイドルと一緒にディアマントというユニットを組んで参加したが。

その時、何度か黒井社長は、三人を社長室に呼んで叱責した。

だがその叱責は。

詩花と、玲音には向いていなかった。

基本的に黒井社長が叱責していたのは亜夜だけだった。

それを、実の娘である詩花は敏感に見抜いていた。

父が歪んでいることは分かっていた。

スターリットシーズンプロジェクトの前には、ステラステージプロジェクトという大規模プロジェクトに参加した事がある。

その時も、明らかに黒井社長は歪んでいた。

歪みがついに我慢できなくて、黒井社長に歪んでいるとはっきり言ったが。

それでも黒井社長は変わらなかった。

だから、ついに決断したのだ。

「何があったかはだいたいアタシも知っているけれど。 確か詩花のお母さんは生きていたよね」

「存命です。 でも、父については一切喋りたがらないの」

「……そうだろうな」

「お願いします。 家の恥ですけれど、何があったのかは知りたいんです」

友人として、対等に接してくれる玲音に頭を下げる。

だいぶ年上で、文字通り忘年の交わりを結んでくれている相手だ。

本当に恩しかない相手なのに。

このような話をしなければならないのが、とても悲しい。

玲音はしばらく黙り込んだ後。

断片的にしか知らないが、と前置きした上で。話をしてくれた。

「事件が起きたのは一世代くらい前らしい。 アタシは海外で活動を中心にやっていて、むしろ日本に来たのは後発なんだが。 日本で本格的に活動を開始することにして、数年前に961プロと協力する事を決めたとき、黒井の部下からその頃のことを聞いたことがある」

「どういう、内容ですか?」

「黒井は若い頃、765プロの高木社長と組んで仕事をしていたらしい。 その頃は厳しい所はあったが、あくまで前向きな厳しさであって、自分にも厳しさを向けていたのだそうだ。 ところがある時を境に歪んだとか」

やはり、何かがあったのか。

そういえば、同規模かそれ以上の力を持つ業界の雄、765プロに対して黒井社長はやたら攻撃的だったと詩花は思い出す。その攻撃性は理不尽なほどで、とにかく酷い話をたくさん聞いている。

玲音がいうに、どうも黒井社長が変わった事件の前後であるアイドルのプロデュースに失敗したらしい。

そのアイドルは、音無というそうだが。

それ以上詳しい話は分からないそうだ。

「音無……765プロの事務員さんに、同じ名字の人がいらっしゃいますね」

「ああ、無関係ではないのかも知れないな。 元々この国の芸能界はとてもクリーンな場所で、アタシも居心地はいい。 それでも、腐った事は時々起こる。 魔王エンジェルってユニットを知っているか?」

「はい。 確かかなり資産を持つリーダーをトップに、勝つためには手段を選ばないと有名な」

「そいつらも業界の腐りきった面を見て失望し、手段を選ばない連中になったそうだが……。 やっぱり不正がある所にはある。 黒井はそういった不正を見て心を痛め続けて、最終的にアイドルのプロデュースが失敗……或いは失敗させられたのかも知れないな。 それで決定的に変わってしまったそうだ」

以降は盟友であった高木とは完全に決裂。

やがて自分に忠実な部下を連れて会社を離脱し。

新たに961プロを立ち上げたという。

961プロを作ってからの黒井社長は、文字通り手段を選ばない業界の問題児となり果てた。

来るアイドルが皆定着しなかったのはそれらが所以。

黒井社長の歪んだ理想を押しつけられたアイドルは。

或いは愛想を尽かし。

或いは潰れ。

皆、961プロから離れていった。

詩花も聞いた事がある。

765プロにて現在一線級で活躍している三人のアイドルは、元々961プロにいた。当時はプロジェクトフェアリーと呼ばれるユニットだったらしい。

今Sランクにもう少しで手が届く、という所にいる男性イケメンユニットジュピターに至っては、黒井社長と激しい口論の末に、961プロから出ていったという話だ。

更にこの間の亜夜さん。

スターリットシーズンプロジェクトで、一緒に戦い抜いたアイドルだ。

彼女は精神に爆弾を抱えていて、詩花と玲音は時々相談して対応していたし。

もう自分達では対応が厳しいと判断した後。

詩花がスターリットシーズンプロジェクトの前。ステラステージプロジェクトでお世話になった、765プロのトッププロデューサーに相談して。どうにか持ち直すことが出来たのである。

アイドルのメンタルケアは重要なのに。

自分で管理できないような奴は必要ないなどと黒井社長は冷酷な事を言い放ち。

強いコンプレックスを抱えて苦しんでいる亜夜に心を痛めていた詩花には。

あの言動は、とても許せるものではなかった。

だから、人間性を取り戻してほしくて。

誕生日プレゼントを贈ったりもしたのだ。

だが、パパは。

黒井社長は変わらなかった。

だからこそ、詩花は決めたのである。

「……それで、詩花」

玲音の声に、顔を上げる。

真っ青になっていたかも知れない。

もう、このまま父を放置しておけない。

そう、詩花は考えていた。

母はいつも悲しそうにしていた。

そんな様子の母に言い寄る男はたくさんいたけれど。母は首を横に振って、誰も近づけはしなかった。

父だって、此方に来てから愛人を作っている様子は無い。

夫婦の仲は破綻しているが、それでも母は昔の父を愛しているのだ。

それなのに。

荒療治が必要だと、詩花はこの時。

決断していた。

「どうするつもりだい? アタシにこんな事を聞くってことは、何か企んでるとみたけれど」

「玲音さん」

「うん?」

「私は、パパ……父には引退して貰おうと思っています」

ほう、と玲音が笑う。

肉食獣の笑みだった。

時々玲音はこういう笑みを浮かべる。

戦って楽しそうなアイドルが見たい。

いつもそう口にしている玲音だ。

海外では獅子王とまで呼ばれる、文字通り規格外の最強アイドル。一世代前にいたという日高舞さんでもどうにか対抗できるかどうか。

詩花ではついていくのがやっと。

それほど桁外れの実力を持っている玲音である。

くぐってきた修羅場も、当然違っていると聞いている。

「パパは、今でもアイドルを見つけてくる手腕に関しては凄いと思っています。 でも、アイドルを見つけた端から潰してしまう。 例外は、一切を好きにさせている玲音さんと、嫌われたくないらしい私だけです」

「そうだな。 まあアタシの場合は利害が一致しているのも大きいんだが」

「そこで、です」

玲音に耳打ちする。

流石にここから先は、絶対に周囲に聞かせるわけにはいかない。

何度か頷いた後。

玲音は、面白そうだと、話に乗ってくれる事を約束した。

詩花は青ざめている。

面白そうだ、という玲音の考えには正直な話賛同できない。本当に戦いが好きなんだなと、こう言うときに思ってしまう。

歪んでさえいなければ。

玲音と黒井社長は、本当は相性が良いのだと思う。

百獣の王として業界に君臨する最強と。

孤高を求める者。

だけれども、皮肉極まりない事に。

黒井社長が求める孤高は。

黒井社長が育てたわけでもないし。

手が届く場所にいるわけでもない。

ましてや、黒井社長が歪んでしまった今となっては。

その関係性は、ある意味誰よりも遠いものとなってしまったのだろう。

具体的な打ち合わせを順番にしていく。

玲音は海外では、殆ど自分で会社を回しているようなもので。かなり手慣れたスタッフを多数抱えているそうだ。

その気になれば遊園地程度簡単に作れるというのは。

金があるから、ではない。

こういうスタッフが、鍛え抜かれているからである。

海外では、日本ほどアイドルが安全に活動できる訳でもないし。修羅場をくぐる事だってある。

そういう場所を切り抜けてきたスタッフは。

多分ぬるま湯に浸かった暴君とかしている黒井社長なんて、問題にもしないだろう。

「まずは、社長業の引き継ぎについてだ。 黒井を引きずり落とすとして、誰が代わりに社長になる?」

「私がなります」

「グッド。 それがいいだろうね」

すぐに社長に関するノウハウを鍛えこんでくれるという。

玲音は事実上社長業をやっているようなものだ。

鍛え抜いたスタッフが、ノウハウをだいたい知っているのだろう。

頷く。

更には、現実的な話をしていく事になる。

「詩花はどうしたい? 黒井を追い出すだけで満足なのか。 それとも黒井のイエスマンは全員粛正したいのか」

「今回の件で罰を受けるのはパパだけで良いと思います。 今まで他のスタッフは、みんなパパが怖くて言いなりになっていただけです」

「甘いなあ。 人員を全部入れ替えるくらいでないとクーデターは上手く行かないよ?」

「私は、961プロで不幸になってしまった人達を、できるだけ救いたいと思っています」

そうか、と玲音は目を細める。

忘年の交わりを結んでいる友人とはいえ。

甘い考えだと思っているのだろう。

詩花の実力は、現在まだまだとても玲音には及ばない。

普段のステージでも、玲音はかなり力をセーブして、詩花にあわせてくれている。

これは一人だけ力量が違うと、ステージが崩れるからだ。

それでいながら、今後の更なる成長も期待しているようである。

戦いがいがあるアイドルに成長するのを待っている。

そういう姿勢なのだろう。

「こういうのは時間を掛けると絶対に密告する奴が出てくる。 電撃作戦で一気に決めるよ。 ただ、そうやって動く前に、詩花が社長としてやっていけるように教育を済ませる必要があるね」

「はい。 どれくらい時間が掛かりそうでしょうか」

「そうだね、詩花の飲み込みから言って……一ヶ月という所かな。 基本さえ覚えてくれれば、アタシのスタッフを貸して支援させる」

「分かりました。 その間、死ぬ気で頑張ります」

頷くと、玲音とは一旦別れる。

そして、その日から。勉強を開始した。

社長の仕事というのは、椅子にふんぞり返っていれば良い、というものではない。

色々とこなさなければならないものがある。

ましてや961プロは典型的なワンマン企業だ。

詩花は知っている。

父は実際には、内側では暴君だが。

取引先には頭を下げることを厭わないし。

どれだけ理不尽を言われても平然と笑っている事が出来る。

歪んだ父の心が向けられるのは。

身内。

それも立場が明確に下の身内だけなのだ。

そんな事は許されてはならない。

二十万からなるアイドルがいる今の日本でも。人材はいくらでも埋まっているというわけではない。

事実業界最大手の346プロなどは、50人近いSランクアイドルを抱えていながら、今でも貪欲に人材を集めているし。

躍進中の765プロなどは、エース13人だけでは無く、30人を越えるアイドルを育成して。

その後発組も、めきめきと力をつけている。

この間のスターリットシーズンプロジェクトでは、見せてもらった。

皆、瞠目すべき成長を短期間で遂げていた。

人材に悉く逃げられる961プロの現状は。

詩花から見ても、決して望ましいものではないし。

会社という観点でも、非常に危ういとしか言えなかった。

一ヶ月間、比較的余暇が多い中で。

詩花は徹底的に社長業の勉強を続ける。

その間黒井社長は新しいプロジェクトに向けて動いているようだったけれども。詩花とは別居しているし。

何を勉強しているかにも興味は一切無いようだった。

レッスンや単発で入る仕事にはきちんと出ているし。

恐らく詩花の事を信頼しきっていて。

何も疑いさえしていないのだろう。

あれほど疑い深いのに。

何となくだけれども。

詩花は、世界中の王朝で、骨肉の争いが起きるのが分かった気がした。

いずれにしても、悲劇と出血は最小限にしたい。

何度か玲音と打ち合わせをして、クーデターについて。更にはその後どうするかのプランを決めていく。

社長業の勉強と並行してだから、かなり大変だったけれども。

それでもどうにでもなる程度には鍛えて来たので。

体がおかしくなる、というような事はない。

詩花の頑張りを見て、目を細めている玲音だが。

それは獲物が育つのを喜んでいる肉食獣の目だった。

いずれにしても、Xデイは近付いている。

玲音が行っている根回しは、恐ろしい程上手く行っているという。会社の役員はみんな黒井社長に不満を持っていたというわけだ。

クーデターの決行日が決まる。後は、実行するだけだった。

 

1、墜ちた父を牢獄に

 

呆然とする黒井社長。

幼い頃、笑顔で自分と遊んでくれたパパのことを思うと、とても胸が痛んだ。

会議に玲音が乱入するのが合図。

呆然とする黒井社長がどうすることもできない間に。

役員全員の買収を終えていた玲音が音頭を取って。

文字通りの社内クーデターが実施された。

それによって、一瞬にして黒井社長は、元黒井社長となった。

途中、専務に悪態をついていた。

この専務が、いつも悲しそうにしていたことを、多分パパは知らないんだろうなと、詩花は思う。

部下達をイエスマンにして、会議を円滑に回す事しか考えていない様子だと玲音から実情を聞かされたとき。

思わず、その場で涙を拭った詩花である。

あまりにも簡単に買収が上手く行ったのも。

今の社長よりも、人望がある詩花に会社の経営権が回る方がマシ。

後ろ盾には玲音もいる。

そうなれば、961プロはまともになる。

役員の全員が、その考えに賛同したと言う事だ。

961プロを設立した直後くらいは、まだ部下の言う事にも耳を傾けたし。アイドルも相応に大事に扱っていたらしいパパ。

だけれども、その頃にはもうとっくに歪んでしまっていたらしく。

以降の評判は下がる一方だったそうだ。

専務には、詩花が直接話をしにいった。

パパは犬としか思っていないらしい専務は(事実詩花も、専務を犬と呼んでいるのを見た事がある)。実は創業当時からの古参部下で。パパが変わっていく様子を誰よりも間近で見て、心を痛めていた一人だった。

そんな周囲の哀しみも完全に無視して。

パパは好き勝手をしていた。

やはり、判断は間違っていなかったんだな。

そう、何もかもが終わり、完全に固まっているパパを見て。詩花は思うのだった。

やがて、役員投票が終わり。

黒井詩花新社長が誕生する。

更に株主総会の話も行われるが。

この辺りは全て事前に談合して決まっている。

要するにただそのまま、決まったことを流すだけだ。

こんな事は本来あってはならないのだけれども。

暴君と化し。

理想さえなかば失いかけているパパに目を覚まして貰うためには、仕方が無い事だった。

ほどなく、会議の全てが終わり。

役員達はパパを一瞥さえせずに、会議室を出て行った。

パパは完全に口から魂が出てしまっていた。

声を掛けようかと思ったが。

玲音に肩を叩かれる。

それで、決心がついて。

詩花は、会議室を出た。

溜息が出る。

外では、何人かの役員が待っていた。

「辛い思いをさせました新社長。 それに良く決断してくださいました」

「いいえ。 父には、後で話をします」

「人事に降格、というものですね。 いいのですか、退職にしなくて」

「父はアイドルを発掘する力に関しては衰えていません。 事実この間弊社を離れた亜夜さんだって、父が発掘してこなければ、今頃どこかでインディーズアイドルでもしていたでしょう」

専務はしばらく俯いていた。

きっと、パパと一緒に会社を作った頃の事を思い出しているのだろう。

玲音が咳払いすると、役員達は散って行く。

後は、やっておく事がある。

玲音のスタッフが、パパを連れ出す。

別室に殆ど抵抗せず連れ出されたパパに対して。詩花は書類を出して、順番に説明をしていった。

今後は人事に出向して貰う。

人事では、アイドルを抜擢する仕事だけは許すが。アイドルの育成関係は一切許さない。

会社資産の内、渡しているものは全て回収。

豪華な社宅からは、出ていって貰う。

既に新しい小さなアパートを用意している。私物は其方に移してある他、最低限の生活物資も其方にある。

だから、明日から其方で暮らすように。

目が完全に死んでいるパパだけれども。

同情はできない。

何人、この目で961プロを出ていったアイドルを見た事か。

みんな、パパが潰してしまったのだ。

パパの理想は孤高。

孤高にて絶対として君臨する最高。

それは別に良いと思う。

だけれども、どんな手段を使ってでもその高みに行こうとするのは間違っている。

実際問題、この間のスターリットシーズンプロジェクトでは。最後に戦った765プロを中心としたユニットルミナスは。どうも互いの長所をそれぞれ取り込みあって高めあい。単独では上がれない所まで研磨して挑んできたらしい。

もしもバラバラな数だけのユニットだったら、それこそ玲音一人が蹴散らして終わりだった。

それが、幾ら詩花と亜夜さんにあわせて力を抑えていたとは言え。

玲音がいる事実上の最強ユニットディアマントに勝利したのだ。

結果が、パパの言う孤高に向かう道が間違っている事を証明しているとも言えた。

やがて。パパは何もかもを失った様子で、家に戻っていった。

ため息をつくと、詩花はその背中を見送る他なかった。

玲音が、静かに言う。

「もう賽は投げられた」

「はい、分かっています」

「明日からは記者会見だのなんだので忙しいよ。 アタシも可能な限り手助けはするけれど、以降はきちんとビジネスパートナーとして自立して貰うからね」

「はい」

玲音の言葉は厳しい。

詩花を認めていると同時に。

もしも社長としてやっていけないようなら、必要以上に助ける事はしないとも言っているのだ。

元々玲音が961プロにいるのは、日本での活動において、掣肘を設けないこと。

やりたい放題させてくれる、と言う事が理由だ。

そうでなければ、こんな事務所にはいないだろう。

実際パパのことはずっと昔から気に入らなかったようで。

「好き勝手させてくれる事は感謝している」とまで言っていた。

逆に言うと、それ以外は全てが気にくわなかったということで。

実際時々激高した玲音が黒井、とパパを呼び捨てにし。

それに対して、パパは青ざめるだけという光景を目にしている。

詩花に対しても、玲音はビジネスパートナーとして以降は接すると言っている。

アイドルとしての伸びも期待はしているだろう。

だが、もしも961プロが、玲音がやりたい放題することさえサポートできないようだったら。

容赦なく足切りをするとも言っているのだ。

厳しいな。

私の年が離れた友達は。

そう思うが。怖いとは思わない。

玲音はこう言う人だ。

強者をひたすらに求め、戦いに悦びを感じる。

たまたま女性に産まれてしまっただけで。古代の狂戦士と本質的には何も変わることがないだろう。

それは分かっているし。

何よりも、自分をそんな人が認めてくれていることが誇らしい。

だったら、期待に応えたい。

そもそも詩花を認めてくれていなければ。

こんなクーデターなんかに、手を貸してくれることなんかなかったのだから。

さっそく、どっさり書類が持ってこられる。

今までワンマンで回していた仕事だが。

どうもパパは決定権だけを所有して、後は部下に好きかってさせていたらしく。彼方此方にほころびが見つかっているという。

役員の再教育も必要だ。

そう、厳しい話を玲音が連れてきた。サングラスを掛けた黒服のスタッフが言う。

961プロは業界では精々中堅の上位くらいの事務所。

この程度の会社の運営ノウハウなんて。

それこそ玲音のスタッフには朝飯前なのだろう。

「役員は現状ではそのまま据え置きだけれども、教育をきちんとうけないような奴は首にする覚悟も必要だよ」

「分かっています。 ですが、そうならないように私が説得します」

「……」

「それに、敢えてパパを人事に残しています。 もしパパが社長に返り咲くことがあればと思うと……役員の皆様も、きっと真面目になってくださるでしょう」

ぷっと玲音が笑う。

意外にあくどいことを考えているものだなと、詩花の事を見直したのかも知れない。

たまに、詩花はとても厳しい自分がいる事に気付く。

これはきっとだけれども。

パパから受け継がれた部分なのだろうと思う。

これが歪みに歪みきったら。

今のパパみたいになる。

それだけは、絶対にならない。

ステラステージプロジェクトの時。765プロのトッププロデューサーに出会った。偶然に近かった。

あれは本当に良い出会いだったと思う。

あの人、飯島桜花プロデューサーは凄い人だ。

基礎スペックがとんでもないのは一発で分かったが。

何より凄いのは、誰も取りこぼさず面倒を見ていたアイドル達を至高の高みに押し上げたこと。

この間のスターリットシーズンプロジェクトでも、29人ものユニットを見事に管理しまとめ上げた。

文字通り、誰一人取りこぼさなかった。

この厳しい業界で、それがどれだけ超人的なことか何て、詩花だって言われなくても一発で分かる。

できるなら、ああいう人のようになりたい。

社長になったばかりの詩花の。

今の目標は、それだった。

 

本格的に仕事が始まったのは翌日である。

パパには人事の一角に部署を与えて。権限の全てを取りあげた。部署と言っても一人だけの場所。

人材発掘だけはしていい。

そういって、イントラネットにつながったPCと。スマホを充電するための電源だけを用意して。

事実上閉じ込めた。

パパはそれに対して、何も言わなかった。

どうやら、自分が負けた事を、素直に受け入れてくれているようだった。

ここからが、大変だ。

まず朝一に、緊急特番を組んでもらう。

961プロは玲音が所属していることもあって、中堅上位程度の実力の事務所としては注目度が高い。

故に、早い段階で。

マスコミが動く前に、先手を打っておく必要があると判断したのだ。

すぐに記者会見を行い。

詩花はいつものアイドルとして活動するときに着る、白を基調とした服のまま。記者会見に臨んだ。

兎に角黒をベースにしていた今までの961プロとは根本的に違う。

それを見せておかなければならなかった。

カメラの砲列が向く。

幸い、此処に呼んでいるのは基本的にまともなマスコミだけだ。

なんでも70年ほど前に世界大戦の危機があったらしく。その時には世界中の政治家の努力で、世界大戦は何とか回避されたという。

以降、社会の有り余ったリソースがアイドル業界に注がれて。

今の時代が作られている。

マスコミも比較的お行儀がいいが。

それは玲音いわく、利権が絡んでいないからというのが大きいらしい。

ひょっとしたら、70年前がターニングポイントで。

世界大戦が起きてしまっていたら、その時に世界そのものが滅んでしまったかも知れないし。

芸能界やマスコミ、アイドルという存在も。

今と全く違うものになってしまっていたのかも知れなかった。

いずれにしてもだ。

詩花はやらなければならない。

まずは、この記者会見からだ。

この間のスターリットシーズンプロジェクトのラストでは、十万を超える観客の前で全力でのライブを披露した詩花だ。

こんなカメラの砲列程度、それこそ何の問題も無く平常心を保てる。

そのまま、順番に社内クーデターの経緯について話をしていく。

誰も、横やりを入れるような事はなかった。

「……以上がクーデターの経緯となります。 何か質問はございますか?」

「よろしいでしょうか」

手を上げたのは、大手マスコミの記者の一人だ。

相応に注目度が高い961プロは、当然黒井「前」社長の悪辣さも有名である。

業界にいるなら当然知っているレベルの話で。

今までの話についても、当然把握していただろう。

「今後の方針について、前社長とは真逆の方向性で行くと言う事でしたが。 具体的なプランなどをお聞かせ願えますでしょうか」

「はい。 今後のアイドル育成プランについてですが……」

順番に説明をしていく。

昔のパパは。プロデューサーにアイドルの管理を任せるのでは無く、全員を自分で指導していた。

社長と兼任での仕事だったから、言う間でもなく激務だった筈だが。

それでも多分、やはり心の奥底では楽しかったのだろう。

何人かに証言を聞いているが。

厳しいながらも、何処か楽しそうだったというのを覚えているという。

結局961プロを離れてしまったアイドルにも話は聞いた。

それによると、961プロ時代は思い出したくもないけれど。

基礎的な部分は学ばせて貰ったと、感謝する気持ちも少しはあるのだそうだ。

近年は年齢による衰えもあって、パパはプロデューサーを置くようになったが。

基本的に自分のイエスマンしか置かない方針を続けていた。

これも再教育の対象だ。

いずれにしても精神論や根性論を廃し、科学的なレッスンを中心に個々の良さを伸ばし、メンタルケアにも力を入れる。

これらには、新しくスタッフを雇う。

また、尊敬している業界随一の豪腕と名高い、765プロのトッププロデューサーにもアドバイスを貰う予定だ。

順番に全てを説明すると、記者は納得したようだった。

「なるほど。 今までの黒井社長の方針とは真逆になりますね」

「そうなります。 今までの方針では、多くのアイドルを取りこぼしてしまっていたのが事実です。 今後はその失敗を鑑みて、一人ずつを大切にして、未来のための人材となって貰います」

勿論記者達はすぐには信じてはいないだろう。

詩花はアイドルとして、今まで醜聞など一切無しに過ごしてきたつもりだが。

それでも今後は口だけでは無く、社長としての行動を見せていく必要がある。

他にも幾つか質問が飛んできたが。

どれも想定の範囲内だ。

全て的確にさばく。

それらを見て、記者達は少なくとも詩花が操り人形ではないと判断したのだろう。納得して、質問の時間が終わった。

その後は、まだまだやる事がある。

少し休憩を入れる。

甘いものを少し食べて。更に水を飲む。

玲音は、今単独で活動して五万人ほどはいる会場を満員にしている。

多分、至近にいる詩花が一皮剥けたのが面白くて、興奮状態にあるのだろう。

軽くスマホで画像を見てみたが、いつも以上にパフォーマンスの切れが鋭い。

リミッターを解除していると見て良さそうだ。

会場の興奮も凄まじい。

観客が冷えることは、これほどの規模の箱でも一切無さそうである。

頷くと、次だ。

すぐに連絡を入れる。秘書が手帳を見ているのは、時間が限られているからである。

連絡を入れたのは、敬愛している765プロのトッププロデューサー。

向こうは先にメールを入れておいた事もあって、すぐに応じてくれた。

「グリュースゴッド。 お久しぶりです、プロデューサーさん」

「久しぶりだ。 961プロで動きがある事は知っていたが、随分と大胆な行動に出たものだな」

「パパには……もうこれ以上歪んでほしくありませんでしたから」

「そうだな。 黒井社長はどうも理想を追い求めるあまり、それが途中からねじ曲がってしまった雰囲気を感じた。 この間酒の席で持論を聞いたが、理想はきちんとある人物ではあると私は思う」

765プロのトッププロデューサーにて、現在業界最高のプロデューサーとも言える彼女は、あらゆる全てがもの凄い。

今回連絡を入れたのは。

協力を仰ぐためだ。

彼女の信念は知っている。

「業界の熱量を上げること」。

一人だけ凄いアイドルがいても、決して業界の熱量そのものは上がらない。ライバルがいてこそ、星々は輝く。

一世代前には日高舞。少し前からは玲音というトップアイドルが存在しているこの世界だけれども。

しかしながら、結局それら規格外アイドルには、ライバルが出現しなかった。

故に熱量は、一人でできる範囲内だった。

日高舞は新曲を出す度に大きなビルが建ったという伝説が残されているが。

逆に言うと、その程度の力しか。

「時代」とまで言われたアイドルが生み出せなかったという事である。

更にもっとこの業界の熱量を上げ。

文字通りの文化として、最高の状態に仕上げたい。

そんな野心を、飯島桜花というこの怪物的プロデューサーは持っているらしい。

彼女はアイドル以外は何でもできるという才覚の持ち主だ。

更には、最初はアイドル志望でもあったらしい。

だから、夢をアイドル達に託している側面もあるらしいのだが。

それでも、現在の彼女の言っていることはまともだし。

何よりも、手腕はどこの大手事務所にいるプロデューサーより上だ。

「それで、私に連絡をしたのは何用か」

「パパのせいで弊社を出て行ってしまったアイドルに覚えがあると思います」

「ああ、うちにも三人いる」

「はい。 勿論プロジェクトフェアリーの三人を引き抜こうなんて思っていません。 パパが潰してしまって、弊社を出て行ったアイドルの内。 インディーズで細々と活動している人達や、活動を止めてしまった人達。 そういった人達を、再雇用しようと思っています」

ふむと、通話の向こうで765プロのトッププロデューサーは頷いたようだった。

どうやら、彼女とも利害は一致する。

恐らくは一致するだろうと詩花も思っていたのだが。

こればかりは話してみないと何とも言えない。故に、少しだけほっとした。

「私に求めるのは再教育のスターターか?」

「後は本当に申し訳ないのですが、引率もお願いしたく思います」

「分かった。 其方で声を掛けられそうな人材については任せる。 無理そうな者はリストを送ってくれ。 此方で説得する」

「ありがとうございます、桜花プロデューサー」

うむ、と小さく頷くと。

それだけで相手は通話を切った。

すぐにメールでリストを送る。

秘書が視線を送ってきたので、詩花は立ち上がると。

すぐにタクシーを使って、さっきの話。

961プロを離れてしまったアイドル達との交渉に向かう。

一人だけでは無い。

玲音が貸してくれたスタッフも一緒だ。

秘書に、移動中に話を聞く。

「パパはどうしているかしら?」

「ふらふらと外を歩いておられるようです」

「……仕方が無いわ。 監視だけしてあげて」

「了解しました」

秘書は実の所、今回のクーデターにおける唯一の懸念事項だった。

パパが犬として育成しなかった珍しい人材だからだ。

何でも、流石に秘書はイエスマンとするわけにはいかなかったらしく。自分の知っているノウハウを叩き込んだらしい。

やり方は当然厳しかったそうだが。

しかしながら、この秘書自身はパパに感謝しているらしく。

玲音がそれを一度相談しにきた。

だが、詩花が話をしに行くと。

秘書はクーデターに驚くほどあっさり賛同して、協力的だった。

裏でパパに情報を流すのでは無いかと懸念したが、そんな事もなく。

どうやら、同じように。

パパがおかしくなっていく様子を間近で見て、何とかしたいと思っていたらしかった。

秘書はいったのだ。

黒井社長を首にしないことが、協力する条件だと。

詩花はそれを受けた。

だから、今も秘書は詩花の秘書をしてくれている。

「まずは此方ですね。 既にアポは取り付けてあります」

「ありがとう。 それではいきましょう」

頷くと、玲音の貸してくれたスタッフと一緒に降りる。タクシーの運転手は可哀想だ。助手席に乗っていたのはそのスタッフ。サングラスに黒スーツの、威圧的な人物なのだから。

玲音が日本がお気に入りだというのもよく分かる。

こんな風なスタッフを周囲に置かなければならないというのは。

それだけ、危険な国でも仕事をしていたと言う事なのだろうから。

今は殆ど戦争が起きている国なんてないとはいっても。

それでも危険な国は、やはり存在するのだ。

小さなカフェだ。

雰囲気はそこそこにいい。だけれども、待ち合わせをしていた元アイドルで。パパに潰されてしまった子は。窶れてしまっていた。

詩花が挨拶をすると、悲しそうに礼をする。

まず最初に、パパがしてしまった歪んだ接し方について頭を下げる。ぐっと唇を噛んでいた相手だが。

詩花に顔を上げてくださいと言うのだった。

「私、インディーズのアイドルとして、どんな仕事もしてきました。 今後は、それが変わると判断して良いんですか」

「勿論です。 もう二度と、歪んだ持論の押しつけはありません」

「……信じても、いいんですね」

「契約書です」

すっと契約書を出す。相手はそれを食い入るように見ていた。

普通、悪徳企業が出す契約書は殆どの場合細かい文字が大量に書き連ねられていて、契約者をだまくらかし。なおかつ自分にとって契約書が不利だった場合は、平気でそれを破棄もする。

アイドル業界だと滅多にないが、インディーズアイドルなどのかなり下の方になってくるとやはりいるらしい。

犯罪組織は現在も悲しい事に存在している。

オーストリアにもいた。

そういった犯罪組織が絡んでいる会社になると、よくあることだという。

需要があれば、供給を求められる。

人間性を放棄するような仕事をさせる会社は、だいたいの場合契約なども極めていい加減だ。

玲音が連れてきたスタッフは、その辺り非常にしっかりしている。

ちゃんとした契約書だと言う事を、どうやら弁護士でもあるらしいスタッフが順番に説明していく。勿論弁護士の登録ナンバーもしっかり見せる。

本当に良いスタッフを抱えているんだな。

詩花は感心するばかりである。

「分かりました。 どうやら信じて良さそうですね」

「此方でもレッスンやメンタルケアなどには最高のスタッフを用意します。 ただし、努力の方はできる範囲でしっかりしてください」

「はい」

窶れていた顔に、少しずつ生気が戻り始めている。

パパが滅茶苦茶にしてしまった人生を。

詩花が少しでも、取り戻させてあげなければならなかった。

 

2、再起を開始

 

765プロのトッププロデューサー、飯島さんが来る。

961プロに足を運んで貰ったのは別に初めてではない。最近961プロは詩花と玲音の稼ぎで一気に大きくなったが。

それ以降にも、何度か足を運んで貰っている。

スターリットシーズンプロジェクトの時も。パパが色々難癖をつけて、実力勝負なども此処でした。

多分あの時は、珍しく不正はなかったと詩花は思う。

というのも、パパは確信していたようだからだ。

当時詩花が所属していたディアマントの実力を。

現在、業界随一の名物プロデューサーである765プロのトッププロデューサーは記憶力が凄まじく。

一度入った建物は、構造などを完全に把握しているという話である。

大したものだなと驚かされるが。

今回も、予定通り数人の不安そうなアイドルを引率して、此方に来てくれた。

「久しぶりだな詩花」

「グリュースゴッド。 飯島さんも久しぶりです」

「ああ。 腕は鈍っていないだろうな」

「勿論です」

社長になってからも、レッスンを欠かした事は無いし。

最前線で仕事を続けている。

これからもそうだろう。

詩花は社長であると同時にアイドルでもある。

ただし、ワンマン体制ではそれは無理だ。

今後は玲音との緻密な連携が必要になってくる。

玲音が楽しめそうなアイドルを育て上げる事。

それが協力の最低条件。

わざわざ契約はしていないが。

懇意にしているから分かるのだ。

あの人は獅子も同然。

強者と戦う事が大好きで。

その戦いが、たまたまアイドルとしての力のぶつけ合いだった、というだけである。

飯島さんには、スターリットシーズンプロジェクトの前に参加したステラステージプロジェクトで、随分とお世話になった。

その時はまだ玲音とは懇意にしておらず。

独力では限界があると判断していた詩花に対して、非常に科学的かつ理論的なレッスンをしてくれた。

頼んでみたところ、あっさり引き受けてくれたときには驚いたが。

持論を聞いて納得がいった。

その時に飯島さんは言ったものだ。

今のうちの子達なら、ステラステージプロジェクトだったらさほど苦労せず突破することができる。

だが、それでは成長が伸び悩む。

君もそれについては同じ筈だ。

業界というものは、どんなものでもそうだが。一強状態ではどうしても限界が出てくる。

多数の強力な存在があってこそ、火花を散らして互いに高め合う事が出来る。

君は私の育てている子達と比肩するかそれ以上の素質の持ち主だ。

だから敢えて手を貸す。

ライバルがいればいるほど、業界の熱量があがり。

更に皆の力が上がるからだ。

それを聞いて、本当に感心したし。

詩花自身の実力も文字通り跳ね上がった。

そして、何より自信もついた。

今まで暴虐を悲しい目で見ることしか出来なかったパパに対して、意見を初めてすることができたのも。

確かステラステージプロジェクトの後だった。

その時は一時的にショックを受けていたらしいパパだったけれど。

残念な事に変わることはなかった。

もう変わることは無理な年だ。

そう、飯島さんは言っていたっけ。

詩花が連れてきていたアイドル達と、飯島さんが連れてきていたアイドル達が合流。961プロの広い社内レッスン場で、顔合わせをする。

殆ど、互いに知っている者達ばかりだ。

苦笑いをするもの。

寂しく笑うもの。

皆、反応は様々だった。

それはそうだろう。

みんなパパに潰されて此処を出ていったか。愛想を尽かして出ていったのだ。

それを、体制が変わったことで何とか連れ戻したのである。

また無茶苦茶をさせられるかも知れない。

そう思えば、怖がるのも当たり前だった。

レッスン場で用意したジャージに着替えて貰った後、まずは謝罪をする。

詩花として、最大限の誠意は見せなければならなかった。

社長が頭を下げることは恥じゃない。

パパは外では普通に営業周りで頭を下げていたし。

幾らでも卑屈になる事が出来た。

社員達には見せなかった。

恐らくだが、部下は全部イエスマンであるべきだと思っていたから、なのだろう。

悲しい話だ。

挨拶を終えた後、リハビリを兼ねた初期のレッスンは全て飯島さんに一任する。

飯島さんは頷くと、まずは体力をはじめとした各自のスペックの測定を始める。

これは最初、詩花もやられて驚いたが。

どうやら飯島さんは、Sランクになった事があるアイドルを過去も含め全員。

現時点でBランク以上のアイドル全員を把握しているらしく。

此処にいる全員も、経歴から何まで知っているそうだ。

その上で。自分の知っている状態からどれくらい変わったのかを測定し。

以降どうやってレッスンをすれば良いかの指標を立てる。

そういう事であるらしい。

詩花も同じ事をさせられて。

961プロのトレーナーが何も言えなくなるくらいの的確なレッスン方針を指導してくれ。

実際それで、飛躍的に力が上がった。

玲音が面白がって、目をつけるほどには。

一通り測定を終えると、以降は具体的なレッスンに入る。

最後まで見届けられないのが残念だ。

詩花も忙しい。

此処で突っ立っているだけなんて暇は無い。

今日は収録だけで三件あるし。

社長業もある。

勿論本来なら物理的にこなせないので、今までのワンマン体制を崩してしっかり仕事を会社で回している。

パパは無能だと思っていたスタッフだが。

まがりなりにもこの厳しい世界で鍛え抜かれた精鋭達だ。

イエスマンを強要していたが。

その枷を外して軽く再教育しただけで、充分なスペックを発揮するようになっていて。

詩花は少なくとも困る事はなかったし。

監視に当たっている玲音のスタッフ達からも、苦情が上がる事はなかった。

「よし、ダンスの腕は退社前から衰えていないようだな。 しかし体力がかなり衰えてしまっている。 筋力もだ。 故にしばらくは持久力をつけ、インナーマッスルを回復させろ。 具体的には……」

飯島さんが、一人ずつ丁寧に指針を示している。

更に具体的な方法を丁寧にレクチュアして、それをメモに書き起こして渡している。

無能なトレーナーだったらこんな風に言うだろう。

ただ一言「努力しろ」。

そんな言葉は何の意味もない。

努力は人を裏切らないと言うが、それは大嘘だ。

的確に方針を決めて、明確な戦略の下に努力しないと、全てが無駄になる。

飯島さんは、それを全部知っている。

少しだけ聞いたが。

この人も、アイドルとしての才能だけがないと自嘲している。

要するに、昔はアイドル志望だった事に対してコンプレックスを持っている。

つまり挫折を経験していると言う事だ。

恐らくダンスにしても歌唱力にしても、今いるどのSランクアイドルでも真似できるか怪しい実力の持ち主なのに。

アイドルとしての素質がない。

それが原因であるらしいのだが。

逆に言うと、素質がないとこの人レベルでも駄目だと言う事を、体でもって知っていると言うことだ。

故に、何もかも試したことがあって。

それ故に、的確にアドバイスができるのだろう。

短期間で、13人ものアイドルをSランク、それも不動のSランクに押し上げた実力は伊達では無いと言う事だ。

玲音が貸してくれたスタッフに一礼すると、その場を離れる。

後は任せてしまって大丈夫だろう。

961プロに以前から残ってくれていた、わずかなアイドルと共に収録に出る。

玲音とは、今の時点では一緒に収録には出ない。しばらくは一緒のライブをすることはないだろう。

勿論スマホを使って連携はしているが。

それはそれ、これはこれだ。

スタジオで収録する。幾つかの番組を持っている詩歌だが、まとめ取りをしてもらう。

社長になったからと言って、いきなり周囲への態度を変えるつもりは無い。

少しだけ冷や冷やしていた様子の961プロのアイドル達だが。

皆、詩歌が変わっていないことを悟って、安心したようだった。

また、今まで無理矢理着せられていたらしい黒系の衣装もそれぞれの好みや特性に応じて変えたいと言ってきたのなら変えさせる。

黒は孤高にて絶対の色。

それがパパの持論だったっけ。

確かに黒が格好良く映える人もいる。

だけれども、それは全員じゃあない。

それにパパはそもそも、詩歌には黒を強要しなかった。

この辺り親の甘さが出ていたと言うよりも。

単にパパが衰えてきている証拠だったのだろうと、詩歌は考えていた。

幾つかの曲の撮影を終える。

テレビ収録に来ていた人達は、今まで以上に生き生きしていると皆喜んでいてくれた。

また、トークにも応じるが。

意図しているのか、或いは番組の要望なのか。

かなりきわどい質問も飛んできた。

主にクーデターについての質問が多かったが。

それについても、全て丁寧に捌いていく。

そういう質問が飛んでくるのは既に想定済だったので。別に何の問題にもならないからである。

番組の収録が終わった後は、会社に戻る。

デスクワークはもう随分前からやり方を練習していたし。もう今ではすらすらとこなすことができる。

一通り終わった頃には、八時を過ぎていた。

もっとスケジュール管理を上手にやっていかないと潰れてしまう。

今後は無駄な作業を極力廃して。

更に効率化を進めないといけないだろう。

そういえば、パパからメールが来ていた。

レッスンをすると聞いて。様子が見たいと言う事だ。

恐らくだけれど。初期レッスンで来た飯島さんがパパに顔見せにいったのだろう。

あれだけ嫌がらせをされたのに、飯島さんはなんとも思っていないようだった。文字通り痛くも痒くもなかったのだろう。

あの人は、玲音と同じ。

生態系の絶対王者だ。

だからこそ、圧倒的余裕を持って構えていられる。

故に、元からパパの嫌がらせなんて、何でも無かったのだろう。

もうあの年で変わるのは難しい。

その言葉を思い出す。

玲音にも言われた。

黒井元社長は、隙さえ見せれば、すぐに社長に返り咲こうとするはずだ。それはもう体に染みついた病気のようなものだから。

それは分かる。詩花も、パパがそういう人だと言うことは分かっている。

だけれども、娘だから信じたいのだ。

昔のパパが、どれだけ真摯に業界に向き合っていたか知っているママから話だって聞いているのだから。

少しでもいい。

良い方向に、わずかでも良いから代わってほしいと。

レッスンの映像は保存してある。

詩花が抜けた後の映像を見たが。

窶れていたり荒んでいたりしたアイドル達が。

みんな憑き物が落ちたようにして、かぶりつきでレッスンに集中していた。

それはそうだろう。

飯島さんの話は聞いたことがあっただろうけれども。それでも此処までのレッスンを受けられるとは思わなかったのだろうから。

目を細めてその様子を見終えると。

少しでも、昔を取り戻してくれることを願って、パパに映像を送る。

詩花は、まだ全て何もかもを諦めたわけじゃあない。

パパが元に戻ってくれたら嬉しい。

それは本音としてあるのだ。

作業を全て終えて、九時を過ぎていた。

家に戻って、休む事にする。

かなり遅い時間だが、多分70年前のターニングポイント。世界中の政治家達が努力して、世界大戦を回避しなければ。

もっと酷い労働が、皆を蝕んでいただろうなと詩花は思う。

疲れはさっさと取って眠る。

無理に労働しても、効率なんて上がらない。

芸能事務所だと、深夜まで人がいるのが当たり前だけれども。

それも仕事のやり方をどんどん変えて行って、定時には上がれるように最終的にはしたい。

残業は効率を落とすだけだ。

残業をしている人間が偉いという風潮がそもそもおかしい。

それらを浸透させつつ。

実際に残業なんてしなくても帰れるように、職場の調整をしていく。

いずれにしても、詩花は風呂に入って夕食をとった後。

ママにも連絡は入れておく。

ママもクーデターの事は知っていた。

寂しそうだったけれども。

それでも、仕方が無い事だと言う事は、理解してくれていたようだった。

それだけで詩花には充分。

後は眠って、明日に備える。

まだまだ、始まったばかりなのだから。

 

数日すると、パパが新人アイドル発掘のために動き出した。

また、自分が知っている有望そうなアイドルを発掘したいらしい。

色々と要求してきたので、玲音のスタッフと軽く協議した上で、手を打つ。

どうやらパパも、恐らく飯島さんが発破を掛けたことでやる気になったらしい。

昔のプロデューサー時代の魂に、火が点ったのだろう。

良い事だと思う。

ただ、やはりパパは根本的な所ではもう変わらないとも思う。

だから、油断だけはしてはならなかった。

契約書などを書き、スタッフに目を通して貰った後決済。

961プロは少数精鋭と称した、一部の人間だけが滅茶苦茶に働いて稼ぐ体制を変えなければならない。

今、一気に気力を取り戻して、凄まじい勢いで再デビューに向けてレッスンしているアイドル達が仕上がってきたら。

彼女ら彼らと一緒に、社内ですら競いあえる状況を作り。

飯島さん曰くの熱量を上げる。

勿論陰湿な足の引っ張り合いが起きないようにも気を付けなければならないが。

ともかく、熱量を上げなければ、全体的な質が上がらない。

それは確かだった。

デスクワークを終えると、レッスンに出る。

厳しいメニューを自分に課すが、それが社長業でデスクワークが増えたからだ。短時間で効率よくレッスンをしなければならない。

休むのは移動をするときなど。

それ以外は、誰もが引くほどのレッスンをして。

自身を高めることに尽力する。

社長が自らきっちりレッスンしている。

それを見て、他のアイドル達も気力が俄然上がる。

それはそうだろう。

偉そうに構えているだけのワンマン社長なんて、誰がまともな存在だと思うか。

基本的に詩歌は口出しをしない。

皆、飯島さんが残してくれたメモの通りに、リハビリとなるレッスンに夢中になっている。

それを邪魔するのは良い事では無い。

ともかく、仕上がるまでそう時間は掛からない。

仕上がった子から順番にユニットを組んだりソロでだったり、再デビューをしてもらって。

961プロの再生を印象づける狙いがある。

レッスン修了。

流石に鍛えている詩歌でも意気が上がる。

信じられないくらいまずい栄養ドリンクを飲んで、そして次。収録だ。

社用車なんてものは使わない。

維持費だの何だので、結局タクシーより高くつくからだ。

社用車内部で、秘書からスケジュールを聞きつつ、十分、或いは二十分と移動中に休憩を取る。

眠っている詩歌に対して、誰も何も声を掛けない。

静かだ。

だけれども、パパの目指した間違った孤高では無い。

そう信じたい所である。

無言でいるうちに、テレビ局に。

気を切り替えて。目を覚ます。

楽屋でメイクなどをセッティングし直すと、既に来ていた961プロのアイドル達と合流。

無駄に時間を掛けず、最低限の時間でミーティングをする。

今回は全員でのライブとかはないので、それぞれに仕事に行って貰う。

プロデューサーの再教育も急ピッチで進めているが、足りない分は玲音から借りたスタッフに対応して貰う。

皆厳しい訓練で鍛え抜かれたスタッフだ。

この程度の仕事は、むしろぬるい様子だった。

詩花自身は、バラエティ番組に出る。

前はパパの方針で、共演NGの会社。特に765プロとは共演を禁止されるケースが多かったが。

今はそれもない。

収録所で、765プロのエースアイドルである天海春香さんと会う。

挨拶すると、向こうも快く挨拶を返してくれた。

笑顔が素敵な優しい人だ。

昔から、飯島さんを通じて時々接点があったが。嫌な思いをしたことは一度もなかった。何しろパパがああだったので、実は腰を据えてゆっくり話せたことは殆ど無い。今後は相手をもっと良く知りたいと詩花は思っていた。趣味にお菓子作りがあるので、その点でも話があうことは多い。だが、それ以外の話もしたい。

軽く話しながら、収録所での打ち合わせに参加する。

もう前の961プロでは無い。

よりにもよって765プロと共演している。

そう驚くスタッフもいるが。

それこそが、どんどん共演をしていく目的だ。

話題性である程度は稼ぐ事も出来るし。何よりも前と変わった事を、鮮烈にイメージさせる事も出来る。

料理番組だったので、得意のオーストリア料理を作る。

春香さんはどちらかというと家庭的な日本料理が得意なようなので、互いに分野を分担。メインディッシュは譲って、食後のお菓子に注力した。

番組の評判は上々。

収録が終わった後、すぐにまた一緒に出てほしいと言われたので。

玲音の貸してくれたスタッフに頼んで、ネゴは任せる。

春香さんに挨拶すると。向こうも挨拶を返してくれた。

「まさか一緒の番組に出られるとは思わなかった。 今後も一緒に頑張ろうね」

「はい。 それではダンケシェ」

礼をして、その場を離れる。

会社に戻ったときは、もう夕方。

駄目だな。もっと仕事のやり方を改革していかないと。

そう思いながら頬を叩く。

パパが、何人かの目をつけていたアイドルをスカウトしてくれるらしい。どうやら有言実行してみせたようだ。

勿論パパとしては、詩花に対してアピールもしているのだろう。

仕事はできるぞ。

だからもっと権限を寄越せと。

だけれども、それは駄目だ。

パパ自身も分かっているだろう。

それはもう病気だ。

だから、パパにはずっと、新人の発掘だけして貰う。それだけが、今のパパに残ったものなのだから。

新人のリストに目を通して。その後飯島さんに連絡を入れる。

軽く見て欲しいとお願いする。

勿論、その分の見返りも用意する。ずっとただでお世話になっていては悪いから、である。

飯島さんはああいう人なので、無言で寡黙ではあっても。業界の健全化と熱量を上げる事に関しては、本当に全力で取り組んでいる。

故に給料にはあんまり執着を見せないらしい。

961プロが使っているレッスン場の利用契約や、専属契約だったトレーナーの契約についての話を軽く持ちかける。

これらについては、所帯が大きくなってきている765プロにとっても美味しい話になる筈だ。

勿論利害を一致させるとか、そういう目的じゃない。

単なる恩を返すつもりの行動である。

飯島さんから退社直前にメールが来る。

それでかまわない、ということだった。

今まで、排他的だった961プロは。いいレッスン場やトレーナーを囲い込んだりすることがあった。

今後はそういう事はどんどんなくしていきたい。

そう告げると、良い事だと答えてくれたので、嬉しかった。

あの人は、あまり面と向かっては言えないが。

詩花にとっては年の離れたお姉さんのように思える。

一人っ子で、事実上片親も同然。

どんどん冷え込んでいく家庭を見て育った詩花からして見たら。

本音だったら、961プロに来て欲しいくらいの気持ちはあった。

勿論引き抜きなんてするつもりはない。

だけれども、受けた恩は正直返しきれないとも思っている。

返信のメールをしばらくぼんやり見つめた後。

詩花はさっさと仕事を終わらせるべく。

頭を切り換えて、社長としての業務に没頭。それが終わった後、軽くレッスンをした。

アイドルとしても。

社長としても。

今後やっていく覚悟に関しては。何処の誰にも負けるつもりはなかった。

 

3、健全化と活性化

 

玲音から借りたスタッフから、収録後に連絡があった。

何人かのリハビリ中のアイドルが、そろそろものになると。

頷くと、すぐにリストをまわしてもらう。

その後、会議に掛けた。

ワンマン時代は、パパの気分次第で会議は動いていたし。何よりも皆がイエスマンである事を強いられた。

今は違う。

会議にも、熱量が出ていた。

パパはこの人達の強みを全部殺していたんだな。

そう思いながら、詩花は順番に議題を片付けていく。

「分かりました。 それでは彼女たち三人はユニットで再デビューしてもらいます」

「デビューには問題ありませんが、まだ独り立ちさせるには少し不安ですね」

「その辺りは、スタッフでサポートしていきます。 またデビューライブには、私が立ち会います」

「おお。 意欲的なことですな」

前は「犬」とまで呼ばれていた専務も、今は生き生きしている。

創業からずっとパパと一緒にいて。

ずっと無言で支えてきた人なのに。

いつの間にか、パパはこの人を犬と呼ぶようになっていた。

酷い話だと思う。

今は反省してくれているだろうか。

反省はしてくれるかも知れないが。

きっと限定的な反省の筈だ。

だから、パパには今後も気をつけて行かなければならない。

だけれども、相当なスペシャリストでもあるパパには、意見を聞きたいのも事実ではあった。

後で飯島さんとパパに、それぞれ意見を聞いてみよう。

そう詩花は思いながら、議題を進めていく。

議論はするが、無駄な時間は使わない。

そういう風に、会議は進める。

当たり前の事だ。

会議で無駄な話をしていて、それが何の利益に結びつくのか。誰かの幸せになると言うのか。

残業代を稼ぎたいなんてのは論外だ。

お仕事をして、その分の適正な給料を貰えば良い。

パパみたいに、無駄に高価な社用車とか社宅を会社経費で落として、バカみたいに浪費することはあってはならない。

時間通りに会議を切り上げると。

詩花はそのまま、レッスンに出る。

社長が出るからと行って、レッスンを止める必要は一切無い。

それについては、レッスン中のアイドルに告げてある。だから、皆広いレッスン場で、好きなようにレッスンをしていた。

もうリハビリが終わったアイドルは、それぞれトレーナーに従って、科学的な見地に基づいた理論的なレッスンをしている。

それでも、時々飯島さんのメモを見ているのは。

それだけ、今後自分の長所を伸ばしていきたいと本気で思っているからだろう。

あの熱量を消してはならない。

詩歌自身も、レッスンで体をしっかり動かす。

また、過剰すぎるスケジュールについても断るように指示を出していた。

あまり番組に出すぎても稼げる訳でもないし、飽きられるのも早くなる。

何より消耗がひどくなりすぎると、文字通り寿命を縮めることになる。

精神を病んでしまったりすると最悪で。

タチが悪いカルトとかに引っ張られてしまうこともある。

そういう事がないように、しっかりメンタルケアにも気を遣わなければならない。

それは何も、詩歌自身も例外では無い。

手を叩いて、何人かを呼ぶ。

だいぶ仕上がってきたので、今回一緒に番組に出て貰う面子だ。トークなどは必要ない。今回は、ライブに参加して貰う。

一発参加ではない。

勿論きちんと事前に通しで練習はしてある。色々なパートでできるようにも、である。

詩花から言う事は一つだけ。

いつも通りやってください。

それだけだ。

此処でリハビリをしているアイドル達の中には、詩花より芸歴が長い人も、年上の人もいる。

だから詩花は社長だからと偉ぶるのではなく。

皆に敬語で話すようにしていた。

番組に引率して。

歌番組に出る。

今回は、センターも他のアイドルに任せる。こうやって、961プロは詩花と玲音だけではない事をどんどんアピールしていく。

番組が終わったら、それぞれ楽屋で反省会をしてもらい。それぞれタクシーで送る。

詩花自身は、挨拶回りを行って。

途中で出会った別の事務所のアイドルとも、勿論丁寧に接した。

以前スターリットシーズンプロジェクトで顔を合わせた業界最大手、346プロのアイドル達と丁度番組で共演した。

残念ながら皆対戦したユニットであるルミナスにいたアイドルでは無かったが。

どのアイドルも、相当な素質を持っている人ばかりだ。

流石は業界最大手。

二十万いるアイドルの内、上位500人をSランクというが。

50人近いSランクアイドルを抱えているだけのことはある。

本当に凄い人ばかりいるなあと、感心するばかりだ。

向こうも詩花に敬意を払ってくれるので、対応はやりやすい。

玲音の話によると、国によっては治安が最悪で、楽屋が荒らされるとかのトラブルまで起きるという事だったので。

丁寧に応じれば丁寧に返してくれる今の状況は、本当に有り難かった。

そういえば。オーストリアではアイドルとしての活動は殆どしなかったな、とも思い出す。

向こうでは大人の歌手や音楽家が芸能活動の主軸を担っていて。

日本のような未成年のアイドルが働く文化があまりなかった。

米国などは日本以上のアイドル文化が花咲いているのだけれども。

国によってこういう風に特色が色々ある。

オーストリアに、日本のアイドル文化を輸出できないだろうか。

向こうの耳が肥えた人達には、どう映るかは分からない。

いずれにしても、961プロの再建がなってからだ。

しばらくは詩花と玲音の稼ぎでどうにでもなる。とにかく、リハビリを済ませたアイドル達をできる限りどんどん前線に投入したい。

皆、とても意欲的だ。

失った時間を取り戻したいと考えている人はたくさんいる。

だから、それらに答えたい。

全てを台無しにしてしまったパパの、償いのためにもだ。

テレビ局を出て、タクシーに乗る。

少し疲れている様子だとスタッフに言われたので。会社に戻るまで仮眠することにする。

まだまだ体力が足りないな。

そう自嘲する。

無理に体力を絞り上げても、寿命を縮めるだけだ。あらゆる意味で無茶な仕事はしてはいけないのである。

だから基礎体力をもっと増やしたいけれど。

やはり、こればかりは限界がある。

詩花も、一線級で頑張っているアイドルとは言え、それでもまだまだだ。

目が覚めた。

どうやら、会社についたらしい。

さあ、もうひとがんばりしよう。

まだまだ、今日は終わったわけじゃない。後、もう少し社長としての業務をこなして。それからレッスンもして。

少し頭がくらくらしていたので、気持ちを引き締め直す。

ここが、ふんばりどころだ。

決して無理をしてはいけないけれど。

それでも、何とかできる範囲内で、頑張らなければならなかった。

 

新規のユニットや、ソロで再デビューするアイドル達が何人か出はじめた。

更に他のアイドル達も、そろそろモノになる時期が来始めていた。

要するにそれだけ仕上がってきたと言う事だ。

皆モチベも高かったが、それ以上に飯島さんの初期指導が的確だったのである。

何よりも、みんな元々高い素質を持っていただけの事はある。

それに、何よりも「孤高」を強制されず。

それぞれの長所を、無理なく伸ばしたのが大きかった。

今でも詩花はパパの人を見る目については信頼している。

パパと軽くデビューするアイドルについて話をするけれど。

飯島さんと意見が一致している事が多く。

やはりパパのアイドルを見る目は衰えていないのだなと、感心させられる。

そう、アイドルを見る目は間違っていない。

その後の育成が壊滅的なだけだ。

ならば育成は他の人に任せれば良かったのに。

自分の信念を押しつけて。

多くの人を潰してしまった罪は重い。

パパにはしばらく個室で反省して貰う。

勿論、今後も育成には関わらせない。

パパは今、水を得た魚のように新人発掘をしてくれている。

だけれども、平気でダーティーな手を採ったりと。根は変わっていないことが分かるのだ。

話は聞いた。

どうか隙を見せないで欲しいと、独り言を呟いていたらしい。

恐らく詩花が隙を見せたら。

やはり野心を燃やして、会社をまた乗っ取りに来るのだろう。

その時は多分、961プロはもう終わりだ。

そもそも今回のクーデターが上手く行ったのは、パパのせいで今まで多くの有望なエース候補であったアイドルが出ていったことや潰されてしまったことが大きい。

今後経営方針などが全て元に戻ったら。今度こそ、961プロは潰れる。

そうなったら、恐らくだけれども。

パパにとっても、もっとも不幸な結末が待っているのだろうから。

会社に来たテレビ局の人と打ち合わせする。

詩花が作ったお菓子は絶品と評判だが、まだママが作ったものほどではないとも思っている。

いずれにしても、舌が肥えているテレビ局の人達も喜んでくれているようなので。

それはありがたい話ではあった。

デビューについての話や、ライブの放映権などの話では、一切妥協はしない。

今まで961プロはこの辺りで暴利を貪っていた。

だからといって、今後土下座外交をするつもりもない。

高く売りつけるつもりはないが。

安売りをする気も無い。

人間が最低限、自尊心を失ってしまった場合。

客観的にものを見る事も出来なくなるし。

何よりも自分の価値も見失ってしまう。

自分を安売りするのは最悪の行為だし。

自分の事務所にいるアイドルを安売りするのも、全く同じレベルの最悪の行為である。

交渉は熱を帯びたが、玲音の貸してくれているスタッフの尽力もあって、基本的に予定通りのラインでまとまった。

交渉が終わった所で、秘書が紅茶を淹れてくれる。

詩花はため息をついた。流石に疲れた、と思ったからだ。

「これで八ユニット目ですね。 最初に連れてきたメンバーだと、後一人残っていますが……」

「今のレッスンの様子を見る限り、仕上がりはとても良好です。 近いうちにデビューして貰いましょう」

暗に斬り捨てるか、と言われたのだが。勿論そんな事はしない。

実際他のメンバーのリハビリが早すぎるだけで、充分な素質は持っているのだ。

むしろ最後に残った一人だって、充分すぎる位の仕上がりになって来ている。

今、961プロ。正確には詩花の新生961プロが乗っていることは業界でも話題になっており。

あまり評判が良くない人から、まっとうな人まで。

様々な記者が取材に来るのだった。

詩花自身もレッスンに出る。

初期に集めた面子の、最後の一人がレッスンを淡々としている。

あまりにもレッスンが多すぎると却って体を駄目にする。

そのため、時々監視に当たっているスタッフが声を掛ける。

そのスタッフにも、飯島さんが書いてくれたメモはコピーして渡してあるので。

意思疎通については問題ない。

詩花が来ても、皆目があったら目礼するくらいで、基本的にレッスンは止めない。

ここでは社長では無く、自分がいつか越えるためのライバルだと思ってください。

萎縮する人には、以前そう言ったこともある。

頭を場所によって切り替える事もアイドルにとっては大事だ。

軽くストレッチをしてから、誰よりもきついレッスンに入る。

特に発声練習には力を入れているが。

それと同じくらい、体力作りにも力を入れている。

インナーマッスルもがっつり鍛えているので。

細くて華奢に見える詩歌も、多分抱きしめると硬いと思う。

抱きしめられるつもりは今の時点ではないけれども。

おなかとかはライブの時に衣装次第では出すので、筋肉で割れたりしないようにいつも気を付けている。

全身運動であるダンスをしながら歌うというのはそれくらい大変なのである。

流石におなかが筋肉で割れたりしたら、イメージが壊れてしまうので。

さて、柔軟もこなし。

体力作りをしながら、後から来た組を見る。

零細事務所から引き抜いてきたり。

或いは夢破れて腐っていたりした子達だが。

パパが見つけてきただけあって、皆素質は充分過ぎるくらいにある。

一時期は凄い髪型になっていたり。

不自然に髪を染めていたような子もいたが。

今ではそれもなくなり。

すっかり真面目な顔でレッスンに取り組んでいた。

過去にまずい仕事をさせられていたような子もいる。

そんな悪徳事務所にいたということだ。

昔の961プロはパパのやり方とアイドルへの負荷が尋常ではなかったけれども。そういった仕事は絶対にやらせなかった。

底辺の事務所になってくると、今でもそういう事をさせる事務所はある。

中には悪い人達と関係があるような事務所もあって。

そういうところでも、平然とパパは乗り込んでいくので。まだまだ詩花とは修羅場のくぐった数が違うのだなと感心する。

いずれにしても、新しい組の子達もみんな真剣にやっている。

無理に仲が悪い子と仲良くする必要はない、という話もしてある。

スターリットシーズンプロジェクトで戦ったルミナスは、29人がぴったり息があっているという、驚異的なユニットだったが。

あんなのは飯島さんのような怪物じみたプロデューサーが指揮を執って初めて出来る事だったし。

話を聞いたところによると、アイドル業界でも現在上位にいる765プロのエース勢が率先して中心となって。

更に皆をまとめ上げたという手法を採っているらしい。

残念ながら、詩花はそういうことができるタイプでは無い。

玲音もそうだ。

どちらも、どちらかというと必要なだけ周囲と組む感じで。

詩花も友達と仲良くすることはできるが。

リーダーシップを取ってぐいぐい引っ張ったり、豪腕で集団をまとめるのはあまり得意ではない。

そういう事もあって、詩花は特に皆に口出しはしない。

ただし、あからさまに仲が悪い子がいるのなら、それについては報告するようにと。

レッスンを指導しているプロデューサー達には指示してあるし。

今のところ、詩花が見て避けあっているアイドルはいない。

後は、もう少し仕上がった後。

ユニットを組むときなどに、一緒に行動して貰い。

その時に判断すれば良いだろう。

レッスンが終わった。

短い時間で、激しいレッスンを詰め込んだので、流石に詩花も息が上がる。

すぐにスポーツドリンクを飲んで、更に色々と栄養が入っているとんでもなくまずい飲み物も口にする。

まずいけれど、これで体が更に仕上がると思えば安いものだ。

お菓子だけ食べて強くなることはない。

そんな事は、お菓子作りには一家言ある詩花ですら分かっていた。

ただ最近は流石にお菓子作りをする時間と余裕がなくなってきているので。

そういう意味でも、もっと体力は作りたいなと思う。

レッスン場を後にする。

まだ体力作りが途中の子は、ばてていたりもする。

まだまだだけれども。

原石としては光っている。

それに、何よりだ。

今度こそ、勝ち抜いてやるという光が目に宿っている。

ディアマントで組んでいた亜夜が目に宿していた、復讐と怨念が籠もったぎらついた光では無い。

公正な競争で。しかも取りこぼしがないようにレッスンがされているという。努力が報われる場に来て。

今までと違うことが分かって、俄然やる気が刺激された者の目だ。

亜夜だって、スターリットシーズンプロジェクトの途中で、憑き物が落ちて。目が完全に変わってから。

全くという程の別物になった。

それから、明らかに復讐と怨念で動いていたときよりも動きが良くなった。

そういうものだ。

会社を出て、秘書と一緒にタクシーに。

休憩は車の中で行う。

そのまま、今日のスケジュールについて確認。

今日は他のユニットやソロ活動している961プロのアイドル達がテレビに出ている。その様子を見つつ、詩花も番組に出る。

何より嬉しいのは、久しぶりに亜夜と会えることか。

スターリットシーズンプロジェクトが終わった後、仕上がった所を見計らって引き抜かれてしまった亜夜だが。

最近もたまにテレビ局で顔を合わせる。

今では極限までレッスンで自分を痛めつけていた、目がぎらついていた頃と違って。

真面目にストイックに努力をし。

才能の差を補いながら、トレンドに強いアイドルとして自分を売り込んでいる。

元ルミナスにいた奧空心白というアイドルとユニットを組んでいるが。

心白は才能の塊みたいなアイドルなので。文字通り亜夜とは黒と白。全てが真逆であり。ユニットとしてもとても映えている。

テレビ局で、収録について確認。

早朝収録が終わった961プロのアイドルと顔を合わせて、そのまま打ち合わせを楽屋で軽くする。

特に不満は無いらしい。

無理をさせられることもないということだった。

「たまにアドリブが飛んでくるくらいで、そこまで無茶はさせられません」

「それならば、そのまま今日は帰宅してください。 レッスンについては、各自の判断に任せます」

「分かりました。 まだ仕事は体力的に余裕があります。 入れられるようなら入れてください」

「はい。 それではダンケシェ」

礼をして、仕事が終わったアイドル達を見送る。

皆、生き生きとしていて。

パパの時代とは全く違う。

その後、テレビ局のディレクターと軽く話をする。

やはり、パパの時代とは根本的に違うという事だった。

「前は一人一人が兎に角尖っていて、周囲とあわせることを拒否するような指導をされていたようだったのですけれど。 今はすんなり馴染んでいて、他の事務所のアイドルともあわせやすくて助かります」

「ありがとうございます。 他に何か問題などはありませんか?」

「皆さんとても良く仕上がっていて、視聴率なども好調です。 前は会社のイメージがその……。 それでCM等は難しかったのですが。 詩花さんが新社長になってからはそれも払拭されましたので」

「分かりました。 後で詳しい話は聞かせていただきましょう。 その時は、弊社のスタッフが交渉に応じます」

安請け合いはしない。

そのためにも、こういう所で迂闊な返事はしない。

相手は内心舌打ちしたようだが。

詩花だって、この辺りは社長業の勉強をするときに散々頭に叩き込んでいる。

すぐに幾つかの収録をこなす。

社長だろうが現場では関係無く接してほしい。

他の961プロのアイドルにはそう話してあるので。

特に問題はない。

ただあまりにもイメージが違う仕事については、事前に断りを入れている。

この業界は厳しいから、弱みにつけ込めると思ったら、無茶な仕事を回してくることもある。

そういう場合は、きっぱり断るようにしていた。

幾つかの仕事が終わった後、亜夜が楽屋に来る。

立ち上がって、思わず笑顔を浮かべていた。

「詩花さん! お久しぶりです!」

「グリュースゴッド! 亜夜ちゃん、元気にしていましたか?」

「はい! 憑き物が落ちてから、体が軽いし仕事もとっても楽しいです!」

ひょこんと頭を下げる亜夜。

平均より少し背が高い詩花や、モデル並みの長身である玲音に挟まれて、小柄なことが余計に目立っていた亜夜である。この子は普通に黒が似合うため、今でも黒主体の服で活動しているようだ。

前はツインテールをトレードマークにしていたが。

それは今も変わっていない。

トレンドに強いから、今後はひょっとしたらブームにあわせて髪型を変えたりするかも知れないが。

少し遅れて、心白も楽屋に来る。

丁寧な挨拶を受けたので、詩花も嬉しくなった。

心白は、亜夜が黒だとしたら白。全く雰囲気から何まで完全に真逆で、それが強烈な対比を作っている。

実は961プロ時代に組んでいた事がある二人だが。

ある理由から心白が961プロを抜けてしまい。

以降亜夜の心には鬼が宿ってしまった。

正直見ていて痛々しかったが。

元鞘に収まった今は、とても仲が良さそうで安心である。

あまり無駄話ができないのが口惜しい。

ささっと番組の打ち合わせをする。

「玲音さんは今回はでないんですか?」

「会社の経営が安定するまでは、しばらくは大規模ライブで巡業をしてくれる話になっています。 毎回凄い額を稼いでくれるし、海外からもファンが来るんですよ」

「相変わらずもの凄いですね。 流石はオーバーランク」

「ええ。 本当に自慢の友達です」

楽屋を出て、そのまま番組に移行する。

今回はクイズ番組だが、どちらかというとこの手の番組は取れ高を優先する傾向がある。

普通にやったら勝つようなアイドルが順調に勝ってしまう展開は好まれない。

例えば意外な知識を持っていることを見せたり。

頭が悪そうな雰囲気があるアイドルが、そのまま兎に角頭が悪そうな発言をしたりと。

そういった一種のロールプレイが要求される。

故にセメントマッチなんて言われている、最初から脚本が決まっているプロレスなどとかなり近い所がある。

実は出る問題なども全て決まっている事があるほどなのだが。

今回出る番組は其処まで厳しく決まっておらず。

その代わり、アドリブが幾らか求められる場だった。

他の事務所からも何人かアイドルが出ているが。昔だったらこんな柔軟な仕事はできなかっただろう。

パパだったらガチガチに961プロの人間だけで固めたりとか、そういう風に番組作りを要求したはずだ。

詩花はクイズ番組の収録で、日本の歴史やホビーに博識な所を見せながら。

周囲にも目を配る。

場合によっては解答するチャンスを与えなければならない。

今のところ、萎縮している子はいないようで。

それは安心だった。

亜夜がものすごく難しい時事問題を正確に答えたので、歓声が上がる。

こう言う場所での勝ち負けは、殆ど問題にはならない。

セメントマッチだからだ。

実際、詩花も勝つ事には殆ど興味が無かった。

収録が終わった後、亜夜と心白と軽く話して、その場を後にする。

秘書に言われた。

「亜夜さんはとてもすっきりした様子で、自然体ですね。 いつも後がないという顔をしていた頃とは大違いです。 それに笑顔がとても増えましたね」

「ええ。 とても生き生きしていて、私も嬉しいです」

「……あと一つ収録が残っています。 それと、これから二ユニットが収録に来ますので、軽く打ち合わせをお願いします」

「はい」

すぐに楽屋に向かって、話をする。

詩歌の楽屋に集まって貰って軽く話をするが、今の時点で不仲が生じているようなユニットは存在しないようだ。

人間には相性があるから、どうしてもあわない相手はいる。

番組側でも共演NGリストなんてのを作って、それで対応はしているが。

そういうものはないようで、少し安心した。

それぞれのメンバーに一人ずつ話を聞く。

その内容は、全て録音している。

この録音内容は、後で専門のスタッフに聞いて貰って。何か精神的に問題が生じていないかなどを、全て確認して貰う。

メンタルケアには専用のスタッフを雇っているほどで。今は相当に力を入れている。

その辺りは、アイドル達も皆信頼してくれているようだった。

「はい、みなさん大丈夫なようですね。 それでは収録に向かってください。 私は別番組なのでその場のフォローはできませんが、きっとどうにか出来る筈です。 自分を信じて、頑張って。 失敗しても、立て直す事が出来るのがプロです。 焦りすぎないで」

「はいっ!」

皆が頭を下げて、戦場に向かう。

さて、後は此処からだ。詩花自身も番組に出る。

今度は少しお堅い番組で、歴史番組のレポーターを務める。

美声を売りにしている、と言われる詩花だが。

実際にはウィーンで散々鍛えただけで、元から美声だった訳でも何でも無い。

また日本の歴史には興味があるし。他の国も同じく。

歴史番組のレポーターとしては詩花はとても評判が良くて、今回も極めてスムーズにこなすことができた。

ただし、ただ脳死でレポートをする事はしない。

事前に脚本を見せてもらって、その歴史について貶めたり。或いは解釈が古かったり。そういった事がないか、念入りにチェックする。

今日は事前に内容を見せてもらって、何度か打ち合わせをしているのだが。

それでもいきなり当日に内容を変えてくるケースがあるので、油断は禁物だ。

現場に入ると、礼をして今回の番組について軽く話す。

打ち合わせの段階では、特に問題は無かった。

脚本も受け取るが。

内容も特に打ち合わせの段階と変わっていないようだ。

ここまでで一段落である。

もしも内容が変わっていたりしたら、やり合わなければならない所だった。

それもないということは。

のびのびレポーターが出来るという事である。

「それでは詩花さん、お願いいたします」

「はい」

背景がそのまま表示されているわけではなく、場合によっては何度も収録することになる。

いずれにしてもNGなんか出さない。

全部一発でクリアする。

社長になったからと言って、アイドルとして手を抜くつもりは一切無い。

収録の時に、あの人は一切NGを出さない。トラブルを起こさない。

そう思わせるくらいの実力を見せる事で、存在感を示す。

今Sランクにいる詩花だが。

それも盤石だと思わせるくらいでないといけない。

業界の熱量を上げるためにも。

Sランクにいる詩花は、それなりの責任を背負っているのだ。

一通りレポーターが終わって、収録終わり。

予定より四十分も早く終わったので、スタッフ達が皆喜んでいた。

昔だったらお菓子でも配っていたところだが。

まだ残念ながら、仕事の最適化ができていないので、そこまでの事は出来ない。番組スタッフに礼をして、そのまま会社に戻る。

ふうと、溜息が出ていた。そのまま飴を受け取って、喉に入れる。

脳を酷使したので、染み渡るようである。

「他の皆は大丈夫ですか?」

「はい。 今日はトラブルについては報告されていません」

「しっかり皆に目を配って、問題が起きていないかは常に確認してください。 皆は商品ではなく人間です」

「分かっております」

そのまま、会社に戻る。タクシーの中で軽く仮眠。少しだけ寝ると、それで結構違うものなのだ。

さて、此処からまだ一仕事ある。会議などは無駄な時間にならないように、事前に徹底的に議題などを組んでもらっている。

会社について、起きて。そのまま廊下を歩きながら、会議の議題について聞く。

頭にそれらを全て叩き込みながら、詩花は思う。

これから、どんどん厳しくなるけれど。

絶対にやり遂げるのだと。

 

4、不動の

 

久しぶりにライブに出る。

今回は複数事務所からエース級が出る大型イベントで。このイベントが数日続く大きなプロジェクトだ。

総合観客人数は四日で八十五万人を予想しており。

現在この業界がどれだけ活発に動いているかをよく示している。

なおスターリットシーズンプロジェクトの最後にこけら落としが行われた大規模ステージを使うので。

箱としては最大級であり。

故にこれだけの人数を捌ける、というのもあった。

玲音と現地で待ち合わせ。

相変わらずというか。

玲音は、周囲を見回して。

戦って楽しそうな相手がいないか、見定めているようだった。

年が一回り離れた、文字通り忘年の交わりを結んだ親友、玲音。

今回のクーデターに関して、玲音は利害が一致したから協力してくれたのであって。友人だから協力してくれたのでは無い。

友人であると同時に。

玲音にとっては、詩花は多分美味しそうな獲物に見えているはず。

もっと育ったらその時は、と言うわけである。

獅子王らしい考えであり。

友人としての玲音と、アイドルとしての玲音は別。

そう考えて、詩花は接している。

勿論、玲音もそれを隠すつもりもない。

「アタシ達は今日のトリか。 さっき亜夜と心白を見たけれど、息がぴったりで中々よかったよ。 そろそろ勝負できるかな……」

「いずれすぐに勝負出来る時が来ます」

「そうだね。 その時はセッティングを頼む」

「はい」

玲音は女性ではあるが、とんでもなく好戦的だ。

勿論相手を物理的にどうこうしたい、というわけではなくて。相手と真正面からの勝負をして、ねじ伏せたいと考えているだけ。その戦いの方法が、アイドルとしての力量勝負である。

この人はその気になればスポーツでも格闘技でも何でもトップクラスになれるはず。

あの765プロの飯島さんと似たような存在であって。

生態系の頂点である。

詩花ですら、現時点では本気を出した玲音には遠く及ばない。

それは分かっているからこそ。

この不可思議な関係が継続しているとも言える。

待ち時間の間に、詩花も体を温めたり。会社の人間から来た連絡などをさばいたりしておく。

それを見て、目を細めている玲音。

恐らくだが、今回の件で、更に詩花が成長するのも見越していたのだろう。

だから気前よくスタッフを貸した。

そういうわけだ。

「ではZWEIGLANZさん。 出演をお願いいたします!」

「よし。 いくよ詩花」

「はい」

再結成したZWEIGLANZ。詩花と玲音のユニットである。961プロを大躍進させた最強のユニットの一つだ。

ディアマントを結成したとき、一旦解散したのだが。

亜夜が961プロを出て行ってから、再結成したのである。

なお殆どZWEIGLANZとしての活動はできておらず、これが久々のZWEIGLANZとしてのライブになる。

既に箱は温まっていて。

充分に戦う事が出来そうだった。

玲音は完全に戦闘態勢に入っている、と言いたいところだが。

目を細めているところをみると、まだ若干物足りないらしい。

マイクパフォーマンスなどは、詩花が行う。

そして、見せる。

社長になったからと行って、別にレッスンを疎かにしていないと言うことを。

実際問題、スターリットシーズンプロジェクトで最後にルミナスに破れた時。これなら負けたのは当然だとも思いつつ。悔しいとは感じたのだ。

だから次は勝つ。

こういう所は、きっとパパの性格が遺伝したのだと思う。

心の中にある闘志を燃やしつつ。

三曲を、順番に歌っていく。

歌もダンスも、パフォーマンスも超一流である所を見せる。

何しろ隣にいるのは世界最高。

恥ずかしいところ何て絶対に見せられない。

体力だって落ちていない。

三曲連続で歌って踊って見せても、息など上がらない。

暑いステージの上だから汗は掻くが。

その程度、どうということもない。

今日のトリは、ZWEIGLANZがいただいた。

観客の興奮は最高潮であり、ステージから退屈している観客がいないことが見渡せる。

笑顔で手を振りながら、思う。

やはり、この道で間違っていなかった。

今後も、この道を行く。

パパがどうしても出来なかった事は。

私が成し遂げるのだ。

方法論は違ってくる。

パパのように歪むことだって絶対にしない。

だけれども、最高を目指した所だけは間違っていなかった。

それは、詩花にだって分かっている。

アンコールのコールを、勿論受ける。

最後に一曲歌って、締めである。

詩歌はまだまだ上に行ける。

そう、自分に言い聞かせながら。最高潮に盛り上がっているステージを。更に盛り上げる。

 

(終)