戦の音

 

序、野心に踊り

 

コーネリア王国を目指して、軍勢が移動していた。その動きに無駄はなく、統率はとれ、一目で精鋭だと理解出来る。だが、驚くべき事に、この部隊は、所属する国では特に精鋭でも何でもない。また、この無駄のない動きから言っても、司令官は優れた指揮官なのだと推測出来るが、それも違う。この部隊を指揮するのは、所属国でも平凡な将軍なのだ。

この軍の名は、帝国軍南部方面防衛軍第四師団という。本来は、帝国の南部国境を警備する部隊であるが、現在は攻撃を目的とした進軍を行っていた。兵力は五千百三十七名。部隊は十二の連隊に分かれ、それぞれを大佐が指揮し、副司令官を少将が、師団長を中将が務めている。師団長、つまり司令官の名をゼセーイフ、副司令官の名をジェシィと言い、それぞれ勇名を内外にはせる猛者であった。だが、それでも帝国内では平凡な将に過ぎないのである。帝国軍人材の層の厚さが、この事だけでも明らかだと言えよう。このほかに、二名の将官が同師団に所属していた。いずれも有能な人材であり、他の国では更に高い地位が見込める人材であった。

今回、この部隊は、部隊の所属する兵団の指揮官ミディルア大将の指令を受け、コーネリア王国へ威力偵察を行うために移動していた。コーネリア王国の総兵力は千から三千の間だと推測されており、しかも実戦経験が無い。これだけの戦力であれば、一息に揉み潰し、叩きのめすことは十分に可能であろうと司令官ゼセーイフは考えていた。確かにそれは客観的に見ても正しい考えであり、今のところ、兵士達にも特に悲壮感はない。

ただし、ゼセーイフには、確固たる戦略がなかった。それは彼が優れた戦術家であることの、臨機応変に大概の事態に対応可能であることの裏返しでもあった。中将は、コーネリアに侵入してから、具体的にどうするのか、全く考えていなかったのである。ただ、(迎撃に出てきた敵を撃破する)、(抵抗が弱ければ一気にコーネリア全土を制圧する)等という曖昧でいい加減な戦略だけが彼の頭の中にあり、それ以上のことは全く考えていなかった。

彼の欠点は皇帝も良く知っており、副師団長であるジェシィにわざわざ敵を侮らないよう助言までさせていた。だが、ゼセーイフは、それを聞きながらも、根本的には考えを変えなかった。それには、理由が二つあった。

後方を一度だけ見やって、ゼセーイフは鼻を鳴らした。彼は、明らかに自分より有能な副司令官を決して好いてはいなかった。決して無能ではないのだが、権力欲がとても強い男なのである。副司令官を彼はねたんでおり、積極的に足を引っ張ることはなくとも、失敗したとき庇うことはあり得ないだろう。

今ひとつの理由は、彼の出世が遅れていることだった。実力主義の帝国では、無能な者は例え何年務めたとしても、皇帝の友人だったとしても、高い地位にはつけない。ゼセーイフは帝国の古参の将軍であり、その地位は決して低いとは言えなかったが、同期の将軍達に比べれば大分見劣りする。

つまり彼は、圧倒的な手柄を欲していたのである。背後から猛追してくる部下をけ落とし、前方を疾走する同期達に追いつく程の。彼はもう中年から老年に移ろうとしており、時間がないと言うことも焦りに拍車をかけていた。師団長を務める中将の中には、二十代の人材が六名もいる。彼より年上の将軍は、逆にほんの二〜三人しかいない。豊富な野心を持って生まれた彼には、出世は夢であり、絶対の価値を持つ美味なる果実だった。

だからこそ、ゼセーイフは多少の危険を冒したとしても、圧倒的な勝利を得なくては成らなかった。軍人として生まれ、将となったからには、やはりその頂点を極めたかったのだ。彼には皇帝になろうなどと言う大それた野望はなかったが、皇帝の下で最高の地位を得たいという野望を心の中にて燃えたぎらせていた。そして、コーネリアを短時間で蹂躙しつくし、女王を捕縛すれば、彼の出世は明かとなり、兵団長へつながる梯子に足をかけることができるのだ。そしてこれは、おそらく最後のチャンスだと、ゼセーイフは思いこんでいた。

ゼセーイフを追いつめていたのは、自らのプライドと、もって生まれた野心であった。だが、少なくともそれを表面上は押さえ、軍の運行に支障をきたしていないのは流石であっただろう。実際、ジェシィの建てた行軍計画にきちんと目を通し、自身で修正を加えた手腕は大した物で、誰にも文句を言わせなかった。

コーネリア王国は小さな国である。幾つか大陸中部に残った国の中で、戦略的に価値があるわけでもなく、軍事力が強いわけでもない。情報能力には定評があるが、ただそれだけである。負ける要素はない、とゼセーイフは思っていた。そして、数日後、その推測は、完膚無きまでに粉砕されることとなるのだった。

 

1,国境の攻防

 

「現れました! 敵戦力、およそ五千! まもなく此処に到達します!」

「うむ。 アッセア将軍、タイロン長老に伝達。 我戦闘に入る、作戦通りに行動されたし、とな」

「了解いたしました。 直ちに伝えます!」

敬礼し、足早に立ち去るセルセイア麾下の諜報員を見送ると、家康は視線を国境へ向けた。今、彼が布陣しているのは国境にほど近い狭隘な場所で、左右は高く切り立った崖になっており、見通しは付かない。向こうに唯一見えるは、既に用を為さないように破壊された関所である。無言のまま立ちつくす家康には、怯えや怯みと言った要素は一切無く、周囲の兵士達を安心させる。それは計算上の行動であり、家康はそう言った小さな演出が、馬鹿にならない効果を表すことを熟知していた。

家康の隣には、家伝の武具に身を包むイレイムがいる。彼女は、家康に言われてから、ずっと無言で通していた。小さな体に鎧を纏った女王は、緊張を必死に隠し、右手に弓を持って、本陣の中央に佇立していた。特に勇壮な鎧ではないが、それは歴史の重みを感じさせる渋い作りで、女王の勇気を僅かながら奮い立たせてくれた。その彼女が、僅かに身じろぎした。こちらへと迫り来る、悠然とにじり寄る、土煙を視認したからである。

「総員配置につけ! 命令があるまで動くな!」

家康の言葉が飛ぶと、兵士達の私語が止み、一斉に音が止んだ。だが殺気は充満し、無数の矢が、飛び立つ瞬間を待って舌なめずりをする。家康の指示で作られたこの陣は、少し小高い位置にあり、実に守りやすく攻めにくい。また、射手にとって、とても敵の位置がわかりやすい。最良の位置に築かれた防御陣であり、家康が如何に実戦経験が豊富で論理的な戦の術を身につけているか明かであった。

まもなく、帝国軍がその姿を見せた。半年以上にも及ぶ実戦訓練の成果が、いよいよ試されるときが来たのである。帝国軍の数は、およそ六百。おそらく、後方に残りは控えているのであろう。周囲の地形に対し、余裕を持った陣形で行軍している。この様な地形に大軍を投入しても無意味だと、一般兵士のレベルで既に知っているのであろう。

帝国軍の足が止まった、敵陣に気づいたのである。しばし無言でのにらみ合いが続いたが、やがて帝国軍は後退していった。そして殆ど間をおかず、後方に膨大な援軍をひしめかせて戻ってきたのである。

家康は指揮杖で地面を押しながら、様子を見守っている。その頬が僅かに紅潮しているのは、相手が手強いことを知って、戦に生きる者としての本能が疼いているからであろう。

やがて、帝国軍が動いた。歩兵中心の編成であるが、槍を構え、恐るべき勢いで突貫してくる。その隣には、盾を構えた歩兵の姿も見える。そして彼らの顔が間近ではっきり見えるほどになったとき、家康が指揮杖を振った。同時に一斉に兵士達が立ち上がり、帝国軍に猛烈な矢の雨が降り注いだ。ここに、コーネリア王国を舞台とした戦いは始まったのである。

 

必殺の間合いで放たれた矢は、帝国軍兵士達に無情につきたち、次々と倒していった。だが、流石に大陸でも最強の訓練を受けた兵士達である。味方が倒れようともひるまず、猛悍に坂道を駆け上がる。非情になることで、過剰なまでに恐怖を無視することで、却って生還率が上がることを知っているのだ。

だが、坂を何とか上りきった彼らを待っていたのは、堅固な柵と槍ぶすまであった。コーネリア王国軍兵士達は長槍を標準装備しており、その長さは帝国軍の物より上だった。しかも、その突きは鋭く、戦闘経験がない兵士のものとは到底思えない。第一波は見る間に突き崩され、後退しようとするその背中に容赦のない追撃の矢が降り注いだ。

盾を構えた兵士達が前に出て、積極的に負傷兵を庇い、後退しようとするが、そうは簡単にいかなかった。前面ばかりか、崖の上から、無数の矢が降り注いで来たのである。

コーネリア王国軍は、崖を塞ぐだけではなく、その上にも布陣していたのだった。盾を構えた兵士達も、立体的な攻撃には為す術が無く、見る間に被害を大きくしていった。第三陣を投入しようとしていたらしい帝国軍指揮官が指揮杖を振り、それと同時に、一端帝国軍は後退していった。

 

「損害を報告せよ」

「当方、損害軽微! 死者三、負傷者が十四名!」

「敵、帝国軍、およそ六十の死亡を確認! 現在、負傷兵が味方の援護を受けて後退しようとしていますが……」

「捨て置け。 それよりも、負傷者の手当を急げ。 敵は又来るぞ!」

勝利に高揚する兵士達の中で、家康は、そしてその隣のイレイムは冷静であった。それが兵士達の頭を冷やし、すぐに落ち着きを取り戻させる。

「後方にはおよそ三千……いや四千はいるな。 あれが入れ替わり立ち替わり攻め来るのだ。 冷静になり、英気を養え。 それに、本番はまだ始まってもいないのだぞ」

家康の言葉は軍内に響き渡る。やがて、損害箇所の仮補修が終わり、指示通り兵士達は息を潜めた。

 

「これは一体、どういう事だ?」

帝国軍本陣で、茫然自失の声があがっていた。コーネリア王国軍が迎撃に出てきたと言うから、一揉みに潰してやろうと攻撃してみれば、敵は理想的な地形に熟練の技で作られたとしか思えない堅固な防御陣を築き、その上間合いをきちんと理解し、攻撃のタイミングもきちんと掴んでいるのだ。平和な田舎の軟弱軍隊どころか、百戦錬磨の帝国軍兵士と互角に渡り合っている。腕を組んで考え込むゼセーイフに、参謀長シラシーア少将が、控えめに提言した。

「一端陣を整え、長期戦に備えるべきではないでしょうか」

「馬鹿を言え、兵士達に弱腰を見せるわけには行かぬ。 ……ただ、この分だと、一息に押しつぶすのは難しそうだな。 後方に陣を張れ」

「了解しました。 それに合わせて、一端後退しますか?」

「愚かなことを言うな。 第二、第三、第四、第五連隊をもって、敵陣に波状攻撃を仕掛ける! 敵に休息する時間を与えるわけにはいかん! 行くぞっ! 残りの部隊は陣を張れ!」

激しい声で叱咤すると、ゼセーイフは自らの愛馬にまたがり、前線へと向かった。先ほど、国境地帯を通ったとき、関所らしい小さな砦に火がかけられ、燃え尽きて炭になっていた。それを処理させる作業でも無意味な時間のロスを起こし、彼は若干苛立ちを覚えていたのだ。前線では、四個連隊が少し余裕を持った縦隊で敵に対しており、彼の攻撃命令を待っている。静かに牙を研ぐ味方に対し、敵はアクションを起こさず、沈黙を守っていた。

「よしっ! 第二次攻撃開始!」

情況が見えやすく、狙撃を受けにくい位置に陣取ると、ゼセーイフは指揮杖を振るった。こういった判断は流石に歴戦の勇将の物であり、一朝一夕で身に付く物ではない。同時に、一死も乱れぬ動きで、第二連隊が突撃を開始した。腕を組んで様子を見守るゼセーイフの眼前で、敵が猛烈で、しかも正確な射撃を第二連隊に見舞う。対し、第二連隊も弓隊を守りつつ応戦、被害を出しつつも、じりじりと敵陣に肉薄していった。

柵際での死闘が開始されたが、情況は第二連隊が明らかに不利だった。敵の防御は堅固で、しかも上からの狙撃もある。弓隊は集中射撃を受けて次々に地面に這い、槍隊も敵の分厚い壁をなかなか破れない。ゼセーイフは舌打ちし、指揮杖を二回振った。第三連隊司令官ジョムセル大佐が頷き、後退する第二連隊と入れ替わって猛烈な突撃を開始した。敵の兵力は、ここから確認出来るだけでおよそ五百は下らないであろう。敵陣の奥にはさらなる兵力が潜んでいる可能性もあるが、接近戦に持ち込んでしまえば数が多いこちらが圧倒的に有利になる。第三連隊は敵の猛烈な射撃を強引にかいくぐり、柵へ肉薄しようとした。だが、ここでアクシデントが起こった。飛来した一本の矢が、ジョムセルの喉を貫いたのである。一瞬の空白が戦場を満たし、その後ジョムセルが崩れ伏した。急所を貫かれた連隊長は、哀れ即死であった。

「ちいっ!」

舌打ちしたゼセーイフが、指揮杖を岩に叩き付けた。まさにラッキーパンチとしか言いようがない当たりであったが、指揮官が前線に出ることの多い帝国軍では、こういったことは珍しくなかった。何にしても、帝国軍南部防衛軍第四師団は、開戦して一日も経たない内に、高級士官を一人失ってしまった。無論こういう時のため、副司令官がすぐに指揮を引き継げるシステムになっているが、今回はあまりにも唐突な事態であったため、対応が若干遅れた。混乱する第三連隊は、すぐに副連隊長が指揮を受け継いだが、彼は唐突な不幸に、兵士同様混乱していた。慌てて逃げ出し、背中に容赦のない追撃を受け、大損害を受けて後退する第三連隊。既に死者は百名を超え、この様子だとあの陣を突破するにはさらなる被害が予想される。連隊長達は、的確に陣を見て攻めており、味方が無能なわけでは断じてない。攻撃の失敗を悟ったゼセーイフは、後方に伝令を向け、ジェシィを呼んだ。

「何事でしょうか、司令官閣下」

「投石機を運べ。 ついでに、がけの上の小うるさい蠅共を黙らせる算段をしろ。 おそらく抜け道があるはずだ」

「前者はすぐにも実行可能ですが、後者は不可能かと」

「何だと?」

白けた声を上げたゼセーイフに、ジェシィは淡々と応えた。その言葉は機械的で、義務以上の物は無く、相手に対して何の感情も抱いていないように思える。

「既にこの周囲は調べましたが、あのがけの上に登るには、一日以上かけて山道を回り込まねばなりません。 其処は此処以上に道が狭く、仮に奇襲を受ければ全滅します。 無理に登ろうとすれば、上から岩を落とされ、被害を無意味に出すばかりでしょう」

「むう……ではがけの上の奴らには、対処のしようがないと言うことか?」

「御意。 弓矢の達人であれば、ひょっとすれば矢が届くかも知れませんが、敵兵を倒すのは無理でしょう。 攻城用の兵器でも使わない限り、効果的な打撃は望めません。 この道では、攻城用の兵器を持ち込むのは不可能でしょう」

大きく舌打ちしたゼセーイフは、敵への侮りを捨て、本腰で戦に望む決意をした。確かに味方の被害は大きいが、敵の数は確実にこちらの半数以下で、しかもいざ接近戦に持ち込むことさえできれば形勢は逆転するのだ。ゼセーイフは目を光らせ、敵陣をにらみつけた。

「面白い……我が軍歴の箔にしてくれるわ。 全軍、一時後退。 一時休息し、その後総攻撃を開始する!」

 

「当たった……」

コーネリア王国軍本陣で、誰よりも呆然と立ちつくしていたのはイレイムだった。彼女は、弓矢を持って狙撃に加わっていたが、今まで十三度射撃して、一人も仕留めることができなかったのだ。それは、家康から、誰よりも冷静な相手をねらえと言われていたからであった。そう言った相手は例外なく優れた使い手であり、付け焼き刃のイレイムの射術では倒すことがなかなかできなかったのである。

しかし、今回は、彼女に途轍もない幸運が訪れた。ラッキーパンチがヒットしたばかりか、それと同時に敵が算を乱して逃げ出したのである。それが何を意味するか、一兵卒でも理解出来たことであろう。

「陛下が、敵の司令官を屠られたぞ!」

そう叫んだのは家康だった。口調は勇壮であり、表情も高揚に満ちている。半分以上は演技であろうが、それでよいのである。兵士の意気を上げるには、演技が有効だという事を家康は常日頃から口にしていたし、兵士の意気が上がれば生還率も上昇するのだ。小さな事であるが、同時にとても重要なことであった。

しばし喚声が上がり、イレイムは笑顔を作って周囲の歓喜に応えた。それはすぐに止み、イレイム自身も表情を引き締める。敵の攻撃が始まったばかりであり、今浮かれた所で仕方がないことを皆知っているのだ。正確には、勇猛果敢な敵の攻撃によって知らされたと言うべきだが、大した差はない。

「ふむ?」

「家康様、どうしましたか?」

「敵が妙な物を持ち出してきたな。 ……ほう、あれで岩をこちらに放るつもりか」

イレイムの視線の先で、家康は不敵な笑みを湛え、腕組みをしている。やがて彼はなにやら伝令に命じ、崖の上へと走らせた。全く感情を乱さない家康に、イレイムは少し不安になって語りかけた。

「此処まで本気で戦ってしまって、大丈夫なのでしょうか?」

「敵将はかなりの勇将で、しかも戦慣れしている。 あまりにも擬態がわざとらしすぎれば、見破られる可能性もある。 此処はこちらも、ある程度は本気で戦わねばならん」

家康が言い終わるとほぼ同時に、またしても敵兵が突撃を開始した。戦闘開始からおよそ六時間が経過したが、敵の戦意に衰えは見せない。突撃をする帝国兵士達の後方から、車輪の付いた木製の杭のような物が徐々に陣へと迫ってきた。杭の先には紐が取り付けられていて、先には受け皿のような物があり、一抱えもある岩が乗せられていた。いわゆる投石機であった。製造には様々に複雑な技術を必要とするため、コーネリアでは製造が不可能な兵器である。サイズによっては攻城戦にも大きな力を発揮し、今帝国軍が牽引している物であっても、殺傷力は充分に高いことであろう。

風を鉈で叩ききるような音と共に、投石機が回転し、岩が空を飛んだ。それはコーネリア王国軍の陣地の中に着弾し、逃げ遅れた兵士の頭が木っ端微塵になった。投石機は四機、先頭の投石機が石を再装填する間に、次の投石機がうなりを上げる。それは一撃目よりも大分手前に着弾し、柵の一部を破壊した。家康は冷静に指示を出し、穴の開いた部分に対して兵士を集中、その部分に集まろうとする帝国軍に矢で十字砲火を浴びせた。その隙をつくように、帝国軍兵士は隙ができた箇所へ取りつこうとする。この辺の動きは、流石に百戦錬磨の部隊である。家康はそれに対していちいち的確な指示を出し、陣の内部に敵を一歩も入れなかった。

三個目の石が飛来し、柵の内側に密集したコーネリア兵を数人まとめて叩き潰した。イレイムが酸鼻な死体から目を背けるが、家康はそれを激しく叱責した。

「イレイム殿、目を背けるな! 目を背ければ、彼らの奮闘が無に帰すぞ!」

「……はい! 家康様!」

叱責に持ち直したイレイムは、弓を引き絞り、敵兵へと放った。密集した敵の中に飛び込んだため、それは避けることもできず、敵兵の一人がもんどり打って倒れる。家康は大きく頷くと、素早く指揮杖を振り、味方へ合図した。

「今だっ! 落とせいっ!」

家康の叫びに呼応するように、崖の上に紅い塊が出現した。それは、燃え上がりし藁の塊であった。てこの原理を利用して、兵士達がそれを容赦なく帝国軍へ向け落とす。七つの火炎球が、帝国軍の頭上に降り注いだ。悲鳴が上がり、投石機が炎上する。所詮は木で造られた物、如何に構造が複雑だろうと、炎には弱い。ただの高価な松明と化した投石機を放棄し、技術者らしい帝国軍兵士達が逃げ出した。

帝国軍は今の一撃で投石機を全て失い、更に動揺した兵士達を容赦なく矢が追い討ちした。だが、帝国軍はこの程度で屈するほど柔ではなかった。新手を繰り出し、味方の撤退を援護すると同時に、新たな投石機を後方から繰り出したのである。数は、先を凌ぐ六。しかも、今撃破した物より二割り増しほど大きい。家康は目を光らせると、素早く周囲に指示を飛ばし、再び指揮杖を振った。イレイムはその横顔を見やると、唇をかみしめ、再び弓を引き絞った。

 

陽が落ちた頃、帝国軍の攻撃は一時中断した。帝国軍は今日一日の戦闘で、およそ二百七十名を失うという大きな被害を出したが、コーネリア軍の被害も小さくはない。柵は何カ所かがうち破られ、また指揮所らしい小屋にも、投石機が放った大石がめり込んでいる。短時間での補修は不可能であろう。

「もう一息だな。 もう一押しで、敵は崩れる!」

前線で指揮を執り続けたゼセーイフが拳を振り上げると、兵士達が喚声を上げた。ゼセーイフは勇猛で、常に最前線から離れなかった。一度などは彼を狙って矢が崖の上から降り注いだのだが、冷静にその場を離れず、近くの地面に矢が突き刺さっても眉一つ動かさなかった。流石に、ハイマンドに師団長を任されているだけのことはある。優れた将であった。

隊長を失った第三連隊は、既に第一連隊に併合されている。大きな被害を出してはいるが、兵士達の士気は高く、翌日の攻撃次第では敵陣を突破することは不可能ではあるまい。そして敵陣を突破しさえすれば、後は敵国を一気に蹂躙することが可能であろう。

「戦ってみて分かったが、あれはおそらく奴らの最精鋭だな。 最精鋭さえ始末してしまえば、こんな小国にはまともな部隊はいないはず。 一気に蹂躙し尽くしてくれるわ!」

「司令官閣下、今回の作戦の目的をお忘れですか?」

「くかかかかかかか、案ずるな、忘れてはおらぬわ。 だがな、我らだけでこの国を制圧すれば、後の部隊の手間を減らすことにもなる。 それに、もう一度こんな小さな国のために出兵するのは骨だ」

ジェシィの言葉にからからと笑いながら応えると、ゼセーイフは夜襲に警戒するように言い、自らは本幕へ戻っていった。ジェシィは無言でその背中を見送り、やがて第一連隊のアシムト大佐を呼んだ。

「副司令官閣下、何用でしょうか」

「どうも嫌な予感がする。 もし明日、敵が敗走することがあったら、貴方は敵が放棄した陣を死守なさい」

「了解しました。 しかしまた、何故ですか?」

「……今日の戦ぶりを見る限り、敵司令官は相当な戦上手。 ……それに、私が敵の立場なら、有利な場所に引きずり込んで帝国軍を滅ぼす算段をたてるわね」

ジェシィの声は静かであったが、アシムトの心に槍のような存在感を持って突き刺さった。ジェシィの有能さは第四師団でも知られており、その言葉には重き説得力があったのである。表情を改めると、アシムトはジェシィに決意を持って敬礼した。

「了解しました。 我が軍は後方を死守します」

「お願い。 もし勝ち戦になったとしても、貴方の功績は高く評価させて貰うわ」

ジェシィはそれだけ言い残し、自らもテントへと戻っていった。その夜は結局敵の夜襲もなく、警戒しつつも帝国軍は休むことができたのだった。

 

2,罠

 

翌朝、帝国軍は総攻撃を開始した。敵は柵も満足に補修出来なかったようで、抵抗も若干弱くなっている。しかも、昨日さんざん悩まされた、崖上からの攻撃が微弱となっている。これはおそらく、昨日の戦で、守備隊に不足を生じたためだと、ゼセーイフは推測した。第一連隊が攻撃を終えると、敵陣地からの抵抗は弱く、もう一息と言った様子が誰の目からも見えた。所詮は戦慣れしない軟弱軍隊、一日がかりの戦いで消耗しつくし、今日は満足に身動き出来ないのであろう。ゼセーイフはそうも推測し、やがて目を猛々しく光らせた。そして、自ら指揮する最精鋭を前面に出し、自らも攻撃隊に加わり、大地を揺るがして突撃を開始したのである。

ゼセーイフは確かに歴戦の将であり、攻撃は熾烈を極めた。また、最精鋭だけあって、武具も良い物を装備していて、しかも中央には精鋭魔法部隊もいる。崖上からの狙撃を恐れて前面に出せなかった魔法隊も、正面からの攻撃さえガードし、側面からの攻撃に気をつければ問題ない今、容易に投入が可能である。歩兵隊と弓隊が矢を連射しながら敵陣に迫る、敵の抵抗は微弱であったが、柵際になって不意に動きが早くなった。矢の数が明らかに増え、精鋭達も苦悶の声を上げて次々に倒れる。だが、流石に精鋭、敵の猛攻にも屈せず、またゼセーイフも叱責し、じりじりと前進した。そして、頃合いを見計らって、ゼセーイフが咆吼した。

「今だ! 魔法隊、斉射!」

分厚い味方の壁から踊り出た魔法隊が、猛烈な矢の雨を浴びて味方を失いつつも、ねらいすました一撃を柵に放った。タイミング、間合い共に完璧な一撃だった。ついにそれを受けて、忌々しい柵が崩れ、彼方此方で崩壊した。帝国軍の中から喚声が上がり、コーネリア軍が逃げ腰になるのが誰の目にも明らかに見えた。

「全部隊突撃! 敵にとどめを差せっ!」

「おおっ!」

味方の到着まで待てないと言った様子で、ゼセーイフが突進した。敵陣の中に無理矢理入り込んでみれば、周囲は広く、後方で控えていた部隊も充分に展開出来る。ほくそ笑むと、ゼセーイフは抵抗する敵を一気に蹴散らしにかかった。だが、敵の抵抗は案外強固であり、しかも組織的に反撃してくる。むしろ、ゼセーイフ隊は、一度陣の外に追い出されたほどであった。だが、防御柵を失ったコーネリア軍に昨日の勇猛さはなく、再度の突撃には耐えきれず、じりじりと押され始めた。それだけでも大した物であろう。これが普通の軍であれば、この時点で蜘蛛の子を散らすように逃げ出しているのは間違いない。戦意、訓練、ともになかなかに侮れない。

「なかなかしぶといな、だがそれも此処までだ!」

ゼセーイフは敵陣の弱点を見切り、其処へナイフを突き立てるようにして突撃した。それは的確な効果を示し、コーネリア軍兵士は次々に倒れた。後から後から帝国軍は陣の中に侵入してきており、数の差はますます広がっていく。此処に来て、とうとうコーネリア軍は逃走を開始した。ゼセーイフは自ら突出しすぎることなく、味方に巧妙に指示を出しながら、追撃を開始した。ここでこの精鋭部隊に致命傷を与えれば、コーネリア制圧はなったも同然なのである。

だが、コーネリア軍は予想外に頑強だった。逃げ散るかと思えば、不意に強固な反撃を試みてくる。有利な地形に立ったと見るや、猛烈な射撃を見舞ってきたり、反撃しようと押し出してみればもう向こうに消えかけている。先頭に立った第五連隊は三度にわたって巧妙な逆撃を受け、副連隊長を失った。ゼセーイフは声をからして敵を追撃し、実際に大きな戦果を上げた。だが、何度も逆撃を受け、そのたびに反撃している内に、ついつい深入りしすぎてしまったのである。弱みを見せた敵に徹底的につけ込み、立ち直る隙を与えずに屠り去る。それは一つの戦場に限定すれば正しい戦い方だった。

「司令官閣下!」

「おう、ジェシィ少将! もう少しだ、もう少しで敵は滅ぶぞ!」

「それは我が方です」

馬を飛ばして駆け寄ってきたジェシィの言葉に、我に返ったゼセーイフが慌てて周囲を見回すと、其処は何処とも分からぬ土地だった。周囲は鬱蒼と茂った森で、地形は険しく、方角も分からない。その上、隊列はのびきり、前後で連絡も取れない。そして、もはや、追撃していた敵の姿など何処にもなかった。敵は徐々に撤退速度を上げており、それにつられて追撃した結果、部隊間の連絡が取れなくなってしまったのである。それが何を意味するか、ゼセーイフは悟って蒼白になった。敵との名人芸と言っていい駆け引きに熱中するあまり、周囲が見えなくなっていたのだ。早い話、敵将の方が、ゼセーイフよりも一枚上手だったのである。ゼセーイフを巧妙にあしらいつつ、必殺の死地へと誘い込むことに成功したのだから。この手際、おそらく皇国軍を一蹴したミディルア兵団長の手腕にも匹敵するであろう。

「し……しまった! 計られたか!」

その言葉は遅きに過ぎた。 四方八方から喚声が上がり、ついで悲鳴が上がった。右往左往する帝国軍を、周り中からわき出した敵が、寸断し、各個撃破していく。隊列がのびきっている上に、見知らぬ土地にいる帝国軍は、それに為す術がなかった。味方を救おうにも、それが何処にいるか、どう進めばその元に辿り着けるか、さっぱり分からないのである。今や帝国軍は、圧倒的多数で敗走する敵を追撃するどころか、孤立無援で、しかも知らない土地で、多数の敵と戦わねばならなくなったのである。ジェシィの予言は、最悪の形で的中したのであった。

 

「お、おのれ、おのれ、おのれええええっ!」

「ご命令を。 このままでは、我が軍は壊滅します」

「と、兎に角、周囲の味方を集結させろ! バラバラに逃げても、この情況では助からん!」

ゼセーイフは焦りながら、矢継ぎ早に命令を発した。司令官自身の焦りが、兵士達を動揺させると分かっているはずなのに、彼の心臓は激しく上下を続ける。そして、それは当然のように兵士達を動揺させ、精鋭を烏合の衆に変えていった。周囲の阿鼻叫喚はますます激しくなり、断末魔の悲鳴が間断なく響く。ここは文字通り敵の腹の中であり、分断された各部隊は良いようにもてあそばれ、各個撃破されていく。何とか周囲に集結した兵は、なんとか五百いるかいないかといった有様であった。そのうち三百名をジェシィに預けると、ゼセーイフは言葉を吐く。その顔は蒼白であった。

「副司令官は、残兵をまとめながら撤退せよ! 健闘を祈る!」

「了解しました。 司令官閣下は、いかがなさいますか?」

「わしは後詰めをする。 ……こうなってしまった以上、責任は取らねばならん」

この情況が、自分の行動が原因で引き起こされた。ゼセーイフも、それは分かりすぎるほど分かっていた。ゼセーイフは野心豊富な男であるが、司令官としての責任感とそれは関係がない。最も危険な後詰めを務めることで、その失敗の責任を取ろうというのであろう。

背中に複数の矢を受けた兵士が、蹌踉めきながら歩み寄り、跪いた。蒼白なゼセーイフに、その兵士は報告した。

「敵、およそ千が接近しています。 皆歩兵で、この森に慣れているらしく、ましらの様にこちらに迫ってきます!」

「くう、おのれ……おのれおのれぇっ!」

血走った目で、ゼセーイフは呟いた。そして、ジェシィの方を見もせずに言った。

「行け……時間はない! 味方の壊滅を防いでくれっ!」

「御武運を」

それだけ言って、ジェシィは味方と共に後退していった。敵の出現は予想外に早く、そして絶望的だった。ゼセーイフは見事に兵を指揮し、半包囲されつつもゆっくり後退、被害を最小限に押さえながらさがっていった。敵の注意を引きつけ、味方を一人でも多く逃がすために。

 

森の彼方此方で、似たような光景が繰り広げられていた。敵を追っていた帝国軍連隊が、何処とも分からぬ場所にいることに気づいて唖然とする。或いは、不意の攻撃を受けて分断され、位置が分からなくなってしまう。周囲をうろうろしている内に、ますます居場所が分からなくなり、気づけば圧倒的多数の敵に包囲されている。逃げようにも、方角が分からない。有利だったはずなのに、今や攻守は完全に逆転、帝国軍の絶望的な抵抗が繰り返され、知識と訓練と地形的な有利さに物を言わせて、コーネリア軍はそれを叩き潰していった。組織的な反撃は一秒ごとに減っていき、帝国軍兵士達は少数の部隊で周囲を逃げ回り、味方と連絡を取ろうとした。だが、味方と連絡を取れた兵士は少数だった。哀れにも、魔物の巣に入り込んでしまった兵士さえ実在した。

ジェシィは絶望的な情況の中、優れた指揮能力を発揮し、右往左往する味方を探しだし、合流していった。敵は組織的に行動しており、逆にそれが付け込む隙でもある。敵の行動さえ見切ることができれば、敵に接触せず逃げ切れるのだ。敵のいない方角を見切る勘や、素早い行動力は、彼女が暗殺兵器として作られたが所以である。だが、それにも限界がある。味方を千名弱ほど迄集めた所で、ついに敵に補足されたのである。

「迎え撃て! 冷静に迎撃すれば、恐るるにたりぬ!」

ジェシィは最前衛に立って、おそらく膨大な戦果を上げてきたであろう敵の前衛に一撃を与えた。この様子からして、敵はこの森での戦闘訓練を徹底的に受けているはずだ。戦っても勝ち目は無く、逃げるしかない。だが、それが逆に優越感を産み、敵に隙も作る。ジェシィの、その推測は正しく、思わぬ抵抗を受けてひるみ、コーネリア軍が若干後退した。生じた天恵にも等しい隙をつき、ジェシィは全軍に後退を命令する。この魔の森の出口は、恐らくもう少しであり、兵士達は生への欲望に駆られて疾走した。転んだり、逃げ遅れたりした兵士達は、たちまち追いすがる敵に狩られた。何しろ、敵は装備のレベルで、森の中で動きやすいように工夫を凝らしていて、その上この森を知り尽くしているのだ。

だが、ジェシィは常識では考えられぬほどの奮戦を行い、何度も敵に逆撃を与え、不利な状況にもかかわらず何人も逃げ遅れた味方を救った。しかし、当然の事ながら、それが敵の憎悪を集めた。複数の矢がジェシィに向けて放たれ、そのうちの一本が鎧を貫通し、彼女の右肩を貫いた。無言のまま、ジェシィは矢を引き抜いた。手慣れた作業であり、鏃が肉の中に残るようなことはなかったが、右腕は治療するまで使い物にならないだろう。

それでもジェシィは冷静であったが、指揮能力が落ちたことは否めない事実であった。もはや周囲の兵士達も必死にジェシィを守り、必死に来た道を思い出しながら戻った。ようやく彼らが死の森を脱したときには、既に陽が落ちかけていた。森の中からは未だ戦いの音が響いているが、戻るのは文字通りの自殺行為だった。もし此処で敵が追ってきていれば、痛烈な反撃を浴びせてやる所だが、敵将は其処まで甘い相手ではなかった。流石に、ゼセーイフを手玉に取った相手だけのことはある。もう、敵の姿はない。地形を熟知しているからこそ、深追いをすればどうなるかよく理解しているのであろう。

「ジェシィ少将!」

アシムト大佐の声がして、ジェシィが振り向くと、顔中に緊迫を湛えた当人が其処にいた。味方を救援する準備をしているらしいその陣を見ると、ジェシィは首を横に振った。

「森に入っては駄目。 全滅するだけよ。 無論追撃を受ける兵士を見たら助けなさい。 でも、無計画にはいることは禁止よ」

「し、しかし、味方を見殺しにするわけには」

「それよりも、燃やせる物を集めて。 勘のいい者なら、煙を目印に逃げることができる。 そして、ここに防御陣を構築、逃げてきた味方を収容すること」

「……は、はっ。 了解しました」

アシムトは幾つかの指令を部下に出していたが、ふと大事なことに気づいた。司令官の姿が、この場に見あたらないのである。

「あの、副司令官閣下。 司令官閣下は?」

「……後詰めを自ら買って出られた。 恐らく、もう助からない」

ジェシィの言葉は過剰なまでに機械的で、事務的であった。何か言いかけて、アシムトは止めた。ジェシィが口にしたのは正論であり、彼女が出した指示は全て理にかなった物だ。軍では、それが全てであり、下手な感情論は破滅を招くのである。

ジェシィの策は当たった。叩きのめされた帝国軍は、月夜に登る煙を見て、おいおい森から脱出してきた。その数は、全て合わせても、森に突入したときの六割に満たなかった。そして、ゼセーイフ中将は、ついに帰還しなかったのである。

 

3,退く者、退かぬ者

 

轟、近づく音は、アッセア率いる部隊が、帝国軍をかけ散らす音であった。森の中、最も重要な戦略拠点に陣取ったセルセイアは、周囲の部下達に、矢継ぎ早に情報を伝達し、戦闘中の部隊に伝えさせる。否、現時点で戦闘中ではないと言うだけで、この部隊も間断なく戦闘を行っていた。セルセイアの隣には家康がいて、その周りをコーネリア王国軍主力が固めている。息を潜める彼らの耳に、風を切る独特の音が響き渡った。同時に、主力部隊が移動を開始し、他の部隊が追いつめた敵へと間を詰めていく。そして、口の端をつり上げた家康は、視認した敵に対し、見る間に包囲を整え、無数の矢を叩き込み、抵抗力をそいでいった。苛烈で巧妙な指揮の前に、帝国軍部隊が壊滅するのに、さほど時間はかからなかった。

現在、戦闘は掃討戦へ移行している。家康の戦略は完全に図に当たり、分断された帝国軍は、自分の居場所も分からぬまま各個撃破され、一秒ごとに数を減らしている。ただ、敵も然る者、相当数が既に森から脱出したらしく、またまだ頑強に抵抗している部隊もあった。

セルセイアは部下を使い、各部隊へ情報を伝達していた。彼女の部隊は森を百五十のブロックに分け、それを機能的に分類することで、情報の疎通を容易にしていた。これは家康から策の詳細を告げられた際、セルセイアが自ら提案したことで、家康も喜んでそれを受け入れた。それにしても、セルセイアは作戦指揮をしている家康を見たのは初めてであったが、その猛々しさ、的確さには驚かざるを得なかった。以前家族の話を聞かされて、人間味もあるのだと驚いたが、今回はそれとは別の意味で驚きが隠せなかった。少しずつ仮面が剥がれてきた観はあるが、それにしても奥の深い人間性に何度も感心させられるのが事実であった。

セルセイアの元にひっきりなしに入ってくる情報の中には、第七特務部隊の物もあった。件の部隊は、少数に孤立した帝国軍部隊を片っ端から倒しているという報告が入っており、その実力は予想を遙かに外れて、むしろ常軌を逸している。わずか六人の部隊が、戦闘開始から現在までに、既に五十人以上の敵を倒しているのだ。戦局を変えるほどの力はないが、味方の無駄な損害が減っているのは事実であった。ただ、そのあまりな強さを目にした味方がおびえているという報告もあり、後々何かしらの処理が必要であろう。

それよりも、問題はイレイムだった。イレイムはまだ戦闘に参加し、最も敵の抵抗が激しい場所で直接指揮を執っている。恐らく近くにはアッセアもいるはずだが、セルセイアは心配で心配でならなかった。

先ほど、家康が誘導を完了した際、セルセイアはイレイムが無事な姿を見て、胸をなで下ろした。だが、イレイムは、セルセイアにすぐこう言い放ったのだ。

「まだ戦いは終わっていません。 私は、兵士達と危険を共有する義務があります」

それだけ言うと、イレイムは護衛を伴って、かけ去ってしまった。家康は苦笑すると、全軍の指揮にそのまま移行し、現在に至っている。

セルセイアとしては、実の妹以上に思っているイレイムのことが心配であり、できればすぐに側に行きたいのである。だが、セルセイアと諜報部隊は、今回の作戦の要であり、個人的な願望をそんな形で満たすわけには行かないのだ。セルセイアは、自分の感情を整理出来る大人であったが、それでもやはりどうにもできないことはある。時々、彼女は周囲に隠れて、木を蹴りつけ、苛立ちと不安を紛らわそうと苦労していた。

「セルセイア殿、現在の情況を」

家康の言葉に、セルセイアは顔を上げた。これは家康に大してというよりも、周囲で聞いている者達に対しても説明せねばならない。むしろ家康は、情報を逐一頭に叩き込んでいるようで、その指揮に全く乱れはない。帝国軍のミディルア将軍や、ゴルヴィス将軍にも匹敵するかも知れないと、セルセイアは思っていた。

「現在、おそらく森の中で生き残っている帝国軍兵士は六百弱。 既に二千六百から四百は逃走に成功しています。 既に組織的な抵抗はほぼ止んでいますが、この地点では敵の最精鋭と思われる部隊が必死の抵抗を見せ、味方の逃走を助けています」

「その部隊の数は?」

「最新の報告によると、ほぼ百。 敵司令官ゼセーイフ中将らしい人物が、必死の指揮を執っている模様です」

「なるほど、大分数が減ったな。 遠巻きにじわじわ痛めつけても良いが……」

わざとらしく家康は考え込んだ。そして、もうとっくに決まっているであろう思案を、もったいぶった後にはき出す。

「よし、連中を投入しよう。 目指すはゼセーイフだけだ。 奴を討ち取りさえすれば、組織的な抵抗は終わる」

 

森の中、激しい音が連続して響き渡る。斧が鎧をうち砕き、剣が肉に食い込み、槍が突き立つ音であった。戦闘を行っているのは、第七特務部隊の面々と、帝国軍兵士九人であった。だが、数の多い方は既に逃げ腰であり、特務部隊は容赦なくそれを追撃している最中である。元々疲労が大きい上に、森の中を必死に逃げ回り、挙げ句帝国最強の特殊部隊(クールランス)顔負けの手練れにであってしまったのだから、無理もない話であった。

鋭角に小さな影が移動する。複数の木が、短く衝撃を受けて細かく揺れた。小さな影が、木を蹴りながら、重力を感じないような速度で移動しているのだ。後方に回り込まれたことを悟った帝国軍兵士が振り向くが、時既に遅し。その頸動脈が一閃した槍にて切り裂かれ、盛大に血しぶきが上がった。それを気に、帝国兵達は本格的に逃走を開始、森の奥に消えていった。どうせ逃げられはしないだろうが、気力が限界に達したら降伏するかも知れない。周囲には七つの死体が転がっており、そのうち二つは今兵士を倒した、藍の槍にて屠られた物であった。

「これで六十?」

「そうねえ。 さすがにつかれてきたから、すこしやすみましょうか」

おおおおおおおおおおおお、かーちゃん! 無理はいけねえっ!

「だいじょうぶよぉ。 じゃあ、ほんじんにいったんもどりましょう」

藍は少し不満そうな顔をしたが、他の者達は疲労が濃いらしく、一も二もなく頷いた。ロフェレス夫妻と藍だけが無傷だが、他の者達は少しずつ手傷も負っている。一端この辺で体勢を立て直すか、或いは獲物が多い場所に移動したい所であろう。

「アッセア将軍は、まだ戦ってんのかな」

「そりゃあそうだ。 組織的な抵抗が止むまでは、まだまだ休むわけにはいかねえだろ」

周囲を見回すミシュクに、ヨシュアが言った。ヨシュアは脇腹に槍を受けており、傷こそ浅いが痛みは激しいようで、誰よりも休みが欲しいようだった。その傷を見やり、ミシュクはなにか思う所があるようで、口の中で何か呟いて視線を逸らした。同時にコーラルが撤退を正式に指示し、皆本陣の方へと移動を開始した。

 

何回かの軽い戦闘を経て、本陣に戻ると、そこでは救護兵がフル稼働し、負傷者の回復に当たっていた。彼方でも此方でも回復の光が瞬き、兵士のうめき声が聞こえる。勝ち戦なのにこの有様なのだから、負け戦は一体どれほど悲惨なのか。その中を第七特務部隊は移動し、ミシュクとヨシュア、それにセイシェルが救護を受けるために一端離脱した。コーラルは一端司令部に顔を出し、次の作戦を授かるため、フィフィと藍を残して、天幕へ歩いていった。後には、藍と、無言のまま立ちつくすフィフィが取り残された。

「……」

藍はフィフィとコーラルが苦手であった。コーラルにはどうやってもかなわない物を感じるし、フィフィは単純に怖いからであった。フィフィの頭の中身が子供だと言うことは分かっているが、それでもあの言動には何度接しても慣れないのが現状である。

しばし気まずい沈黙が続く。周囲は兵士が忙しそうに動き回っており、時々息せき切って伝令が駆け込んでくる。見張りの兵士が緊張して周囲を見回っているのは、小規模の襲撃があったからかも知れない。第七特務部隊が大きな戦果を上げているのは彼らにも伝わっているらしく、時々向けられる視線は畏怖を含む物であった。

藍は先ほどまで、何とか自分の中の怪物を押さえることができていた。だが、これからはどうもそれが効きそうもない。ロフェレス夫妻が、自分と同じ悩みを持つ者達が側にいるから、何とか押さえられては来たが。あの常軌を逸する快楽の味を覚えた今となっては、それと対を為す怪物を目覚めさせたくて仕方がないのだ。ちらちらと藍はフィフィに視線を向けた。単独行動を命じられたらいいなと思い、それを悟られていないか気になったのだ。一方フィフィはそんな藍の視線には気づきもしないようで、じっとコーラルが去った方を見続けていた。

数分後、まずミシュクとセイシェルが戻ってきた。彼らの傷は回復魔法ですぐに処理することができる程度の物であり、もう問題はない。一方ヨシュアの傷は深く、今後戦闘に出れば足を引っ張ることが予測されるため、救護兵長に、これ以上の戦闘参加を禁じられた。無論戦いが劣勢になれば戦場にかり出されるだろうが、今後そうなることはまずあり得ない。帝国軍の戦力は、誰の目にも明らかなほどに低下を起こしており、もう総力を挙げた所で攻勢に出ることは不可能だ。

「……なんかよ、実感がないんだよな」

ぼそりとミシュクが言った。平和な国で生まれ育った彼は、今回初めて人を殺すこととなった。だが、意外に早く順応し、今日は多くの敵をうち倒すことに成功していた。

「この手で俺、人を殺して、人生を奪って、未来を奪った。 この怪我は、人生を奪おうとして繰り出された武器で受けた。 頭では分かるんだよ……でも、それ以上ではわからねえ」

「……僕は分かる。 戦いは、余り好きではないな。 もし今後、戦に出ろと言われれば出るが、それ以外で武器は持ちたくない。 僕達は今日、小さな村の人口分、未来を奪ったんだ」

ミシュクの言葉を遮るように、セイシェルが言った。槌の使い手である彼は、最も強烈に肉を叩き潰す感触を手に覚えるポジションだった。無口ではあるが、決して自己主張しないわけではない彼は、何か思うことがあると、今のように遠慮無く何でも言った。

「そうか、そうだよな。 悪かった、セイシェル」

「……必要だったのだから仕方がない。 でも、理のない戦には参加したくないな」

それは普通の人間らしい独白であった。友達を守るため以上に、自分の快楽のために参戦している藍は、それを聞いて自分が如何に普通の人間から離れてしまったかを実感し、小さくため息をついた。

「みんなぁ、つぎのさくせんがきまったわよ」

不意にかけられた声に、皆が振り向くと、其処には家康とコーラルがいた。慌てて敬礼する第七特務部隊の面々、それに一瞬遅れて藍が敬礼し、頷くと家康が口を開いた。

「諸君には、これからこの戦を終わらせるべく動いてもらう。 これより、儂の率いる最精鋭と共に、森の北部に移動、敵将ゼセーイフの部隊にとどめを刺す事がそれだ」

皆の緊張を感じると、満足そうに家康は頷いた。そして、作戦の詳細へと移った。彼はここ数日殆ど寝ていないはずだが、その目には瑞々しい活力が宿り、体力の衰えや疲労は感じさせない。

「敵将の周りには今だ百名ほどの兵士が健在であり、なかなかに激しい抵抗を行っている。 まず第一に、儂の率いる部隊が、アッセア将軍の率いる部隊と連携し、其処へ打撃を加える。 目的は、敵精鋭と敵将の分断だ。 そしてそれがなりし後、諸君らは敵将を討ち取って欲しい。 それで、敵の組織的な抵抗は止む」

家康が指を鳴らすと、配下が森の地図を取り出し、詳細な説明へと移った。地図上には、どの場所に大体どれほどの敵が存在しているかが詳細に描き込まれており、頻繁に更新されているようであった。藍はその詳細さに驚いたが、セルセイアが全面的に作戦に関与していることを思い出して、成る程と頷いた。藍は何度かセルセイアに同行したが、一度も無能だの低能だのと言った感じを覚えたことはない。確かにセルセイアはコーネリアを代表する人材の一人であり、今回の作戦でもそれに衰えはなかったのであろう。

家康は説明を追えると、自ら馬にまたがり、森の奥へと向かった。無論、第七特務部隊の手が必要なければ、そのときは自らの手だけで敵を屠るつもりであろう。周囲を固める兵士達の目には、既に家康に対する絶対的な信頼がある。幾つかの演習を経、そしてこの実戦を経て、家康の評価が如何に兵士達の中で高まったか、その目が充分以上に雄弁に語っていた。

「名将、ね。 わたしたちも、さっさといくわよぉ」

コーラルの言葉に、第七特務部隊の面々は頷き、いそいでその後を追った。森はさほど広いとも言えず、道さえ知っていれば目的地まではそう時間がかからない。一方で、道を知らなければ、何日歩いても目的地にはたどり着くことができない。周囲から聞こえ来る戦の音は、始まったときに比べると大分小さくなってきており、戦闘が沈静化しているのが誰の耳にも明かであった。

 

そこは攻めるに難く守るに易い場所であった。突入口が少なく、遮蔽物も多い。尖った岩や、朽ちた木が多く転がり、行動の自由も大幅に制限される。そこに百名ほどの精鋭が潜み、徹底抗戦を行っているのである。

アッセアとイレイムは、この部隊の封じ込めを行いつつ、他の部隊の掃討戦を行っていた。だが、敵は隙をついては攻撃を行い、手だれた動作ですぐに撤退する。攻撃は的確で、それによる被害は大きく、無視し得ない物になりつつあった。話に聞くと、敵将ゼセーイフは戦術家として有能だそうで、本来この規模の部隊を率いさせると最大限の力を発揮する人材だったのかも知れなかった。また、潜んでいる兵士達は皆決死の覚悟を持ち、此処で死ぬ気のようであった。おそらく、敗戦の罪を、こういう形で償うつもりなのであろう。それが良い事かどうかは別にして、手強い敵となっているのは事実であった。戦を行う者は、常に現実を見て、それを処理して行かねばならない。敵の信念をどうこう思う暇があったら、それを撃破する策を考えねばならないのである。まったくもって、救いがたい仕事であった。

家康が現地に到達した頃には、それでもアッセアの巧妙な指揮のせいもあって、敵の戦力は既に半減していた。最初、敵は二百ほどいたのだが、激しい戦いを交え続けた結果、現在は百名に減っているのである。負傷者も多く、それ以上に体力の消耗も激しいだろうに、追いつめられた鼠の執念とは確かに恐ろしい物があった。家康は、じっくり周囲を見回り、地図が如何に正確かを自分の目で確認すると、コーネリア軍幹部を集めて、簡単な作戦会議を行った。周囲には誰もおらず、それ故家康の口調は客将としての物であった。

「まずはイレイム殿、敵を屠るには如何なる方法があると思う? 忌憚無い意見が聞きたい」

「これ以上の交戦は無意味です。 降伏を勧告してはどうでしょうか」

「……ふむ。 確かに一理はあるが、難点があるな。 まず第一に、敵は自分に此方の注意を引きつけようとして、派手に抗戦しているという事だ。 降伏勧告をした場合、おそらく連中は時間稼ぎにそれを利用するだろう。 良策とは言えまい」

家康の言葉にはよどみが無く、誰もを納得させる説得力があった。しかし、相手を思いやるイレイムの言葉に感じ入ったのか、歴戦の名将は僅かに表情をゆるめた。

「だが、おそらく敵将を倒せば、残りの兵士達は戦意をなくすだろう。 そのときには、降伏勧告が意味を為してくるやも知れぬな」

「はい……」

「アッセア将軍、貴公はどう思う?」

「まず。敵将は陣頭指揮を執ることが多い。 そこで、餌を使っておびき出すのはどうだろうか。 餌を使って、のこのこ姿を見せた所を、家康殿に後方との連絡を絶って欲しい」

「成る程、有用な策だな。 問題は餌に誰を使うかだが、アッセア将軍、出来るか?」

当然、発言した以上責任を取るつもりであったらしいアッセアが、そのまま頷いた。実際問題、ここで早めに敵中枢を潰しておかないと、味方の被害は増えるばかりなのである。そして、元々極めて少数の兵力しか動員出来ないコーネリア王国軍にとって、被害を受けるのは何よりも恐ろしい事なのだ。

「無論だ、私が陣頭に立ち、ゼセーイフをおびき寄せよう」

「いえ、私が餌になります」

「陛下、それは剰りにも危険です。 もう戦いの趨勢は決まっておりますし、ご自愛下さい」

「であれば、アッセア様と家康様が、揃って来ることもないではありませんか。 私が、最後の仕上げの、要になります」

イレイムは言い、その瞳の奥に炎が燃え上がる。以前、家康は、何度かこの、強きイレイムの表情を見たことがある。瞳の奥に燃え上がるは、意志を曲げぬ事を決めた、強烈な信念の炎だった。これは、心の優しさ、真面目さに加えた、イレイムの強さの一つであった。

「……了解した、陛下。 貴方にこの戦の、最後の要になって頂こう」

 

作戦の概略は決まった。まず第一に、イレイムが率いる部隊が、わざと正面から攻撃を行う。敵の防備は硬いので、恐らく突破はできない。そして、イレイムがいることをアピールしながら、後退。その途中で、アッセア隊の一部が攻撃するように移動し、イレイム隊の背後を塞ぐ。そして、味方に阻まれて退却出来ないように、大げさに混乱してみせる。

第二に、敵将が飛び出したのを確認し、先に伏せていた家康隊が、後方との連絡を遮断する。同時に第七特務部隊が行動を開始。おそらく、タイムリミットは三十秒。それまでに敵将を倒せなければ、包囲を崩され、イレイムが倒される。そうすれば、勝利は揺るがぬとも、大きすぎる痛手となり、結果コーネリアは崩壊するであろう。敵将の周囲にいる兵の数が、二十名以下になれば、何とか勝機はあるとコーラルは判断した。

イレイムは、国一番の名馬にまたがり、その周囲を精鋭が固めた。そして、決意の表情を崩さぬまま、作戦決行へと動き始めた。藍は槍を持って佇立したまま、通り過ぎるその横顔を見た。そして、その決意を感じ取った。

藍の住む、家康の時代から四百年後の日本。そこに、これほどの決意と、揺るがぬ魂を持った者がいたであろうか。社会が退廃し、誰もが気力を失い、社会自体が衰退しつつある世界。そこで生き続けてきた藍は、無論殺し合いも知らなかったし、戦争も見たことがなかった。そして、この様な信念を持つ存在に、会うことだって無かった。

このたましいの強靱さは、時に危険さにつながるとも、藍は知っていた。だが、イレイムのこの心に関しては、評価して良いはずだと藍は思った。そして、それは、彼女の心に、別の何かを確かに生み出した。眼鏡を軽くずりあげると、藍は言った。

「コーラルさん、道、開いてくれる?」

「……わかったわぁ。 でも、ぜったいに、しっぱいはゆるさないぞ」

コーラルは一瞬で意味を悟ったようで、笑みを浮かべて藍の頭を軽く小突いた。第七特務部隊は、静かなる緊張を持って、所定の位置に伏せた。この戦い、最後の決戦が、これから始まろうとしていた。

 

4,戦神、一閃

 

家康の立てた作戦は、もろに図に当たった。イレイムの部隊が混乱するのを見てとったゼセーイフは、麾下の部隊を繰り、自らも長大なハルバードを振るい、陣を躍り出たのである。ゼセーイフの鎧には既に返り血がこびりつき、その形相も鬼のようであった。今、この男は、文字通り死に場所を求めているのである。ゼセーイフの馬も傷を受け、だが必死の形相で、泡を吹きつつ大地を疾走した。

「行くぞっ! 我が最後の戦い、とくと見届けるが良いっ!」

ひょっとすると、この男は、罠を承知で飛び出してきたのかも知れない。だが、それを確認する術は誰も持ち合わせていなかった。家康が指揮杖を振り、縦隊となったゼセーイフ隊の側面を直撃する。体勢を崩した部隊に、家康隊は食らいつき、草食獣の内蔵を引きずり出す肉食獣のように、一気にその中枢へ、牙を突き貫いた。

それからの光景は、藍にとってコマ送りのようだった。ゼセーイフと、その周辺に残った兵士は二十三名。いずれも傷ついているが、歴戦の猛者であることが一目で分かる。その向かう先には、槍を構える兵士達と、逃げることもなく敵を見据えるイレイムがいた。

周囲の第七特務部隊隊員が、一斉に地を蹴り、一瞬遅れて藍がそれに続いた。敵の戦力は、騎兵五、歩兵十八。一つの獣のように、塊となって疾走するそれに、第七特務部隊は漁師が放った矢の如く、右側面から食らいついた。

まず最初に出たのは、セイシェルだった。得意の槌を振るって、敵襲に気づき振り向こうとした帝国軍兵士の側頭部を粉砕した。ゆっくり倒れ、左側にいる同僚に倒れ込む兵士の傍らで、気合いと共にミシュクが剣を振り上げ、更に一人を切り倒す。帝国軍歩兵達が必死の形相で剣を振るい、槌を振り上げていないセイシェルに斬りつけ、一瞬遅れてセイシェルが槌をその兵士に叩き付ける。セイシェルの右腕から鮮血が吹き出し、同時に帝国軍兵士が吹っ飛んだ。更に、ミシュクが剣を激しい勢いで突きだし、今一人を倒すが、同時に襲いかかった一名は相当な手練れで、すぐには倒せず、乱戦となった。その傍らを、騎兵達が疾走し、歩兵達も通り過ぎていく。だが、今度は帝国軍の右斜め前方から、ロフェレス夫妻が躍り出た。まず最初に、コーラルが唱えていた魔法の力を解放する。光弾が飛んだ先は、騎兵達の足下。盛大に土埃が吹き上がり、三頭の馬が竿立ちになる。だが土煙を蹴破って、騎兵二名と、残りの歩兵達が躍り出る。巨大なバトルアックスを構え、咆吼しながら、フィフィが正面からそれに突進した。帝国軍兵士達が、それを、最後の壁を打ち抜き、一気にイレイムの元に殺到しようとした瞬間。閃光が、彼らの中を、予期せぬ方向から、まったく警戒していなかった方向から、斜めに貫いた。硬直した時が終わり、斜めに陣を貫いた存在が、戦神高柳藍が、血に染まった槍を一振りした。そして、思い出したかのように、ゼセーイフの喉から鮮血が迸り、白目を剥いた中将が呟いた。

「……む……ねん」

ゼセーイフが馬から落ち、地面に激突した。だが、最後まで得物は手放さず、恐るべき執念を周囲に示した。そして、惚けたように立ちつくす帝国軍に、家康が良く通る声で呼びかけた。

「汝らの将、ゼセーイフは倒れた! これ以上の抗戦は無意味である! 降伏すれば、汝らの命は保証しよう! 無駄に命を捨てることはない! 降伏せよ!」

 

戦いは終わった。森の中から勝利を告げる喚声と、ゼセーイフを討ち取った事を喜ぶ声が聞こえ来るのを確認したジェシィ少将は、残兵をまとめて退却に移った。無論、家康はそれを追撃するような真似はしなかった。ジェシィが引いた防御陣に隙が無く、攻撃をかけた所で逆撃を受けるだけだったからである。

帝国軍の損害はおよそ死者二千強にも達し、残兵の内、およそ四百強が森の中で追いつめられ、或いは主将の死を知り、降伏した。森から何とか脱出することができた兵士達も、殆どが傷ついており、戦意を無くしていた。文字通りの壊滅的敗北であり、帝国軍南部方面防衛軍第四師団は、実質上その戦闘能力を喪失した。

対し、コーネリア王国軍の損害は、死者百七十にとどまった。ただし、その中には精鋭部隊の兵士も多く、損害は少ないとは言い難い。人数だけは何とか補充が可能だが、予備の人員を訓練している暇はない。無論陽動や攻勢の際の人員には使えるが、それ以上の役には到底立たないであろう。

ともあれ、(第一次コーネリア北部国境攻防戦)と後に言われるこの戦いは、コーネリア軍の完全勝利に終わった。そしてそれの主軸となったのは、ことよせが異界から呼び寄せた、二人の人間の手に寄ることは、事情を知るものであれば誰でも知っていたのであった。

 

勝利に浮かれる陣の中で、藍は槍を木に立てかけ、膝を抱えてぼんやりとしていた。敵将を屠り去ったというのに、特に嬉しそうでもなく(無論勲章を受け取った際は笑顔を浮かべていたが)、周りの喧噪には加わろうとはしない。そんな彼女に、誰かがジュース入りのジョッキを差し出した。果実酒の大ジョッキを手に、まったく酔う素振りを見せないコーラルだった。

「藍ちゃん、どうしたのぉ?」

「……守るために戦うって、良く言うよね。 私も、友達のために戦うってのが、槍取った理由の一つだったよ。 ……確かに、自分の中の欲望に促されたのも、事実だったけどさ」

藍の言葉を、静かにコーラルは聞いた。自分と同じ悩みを共有する相手だからこそ、藍は彼女に、淡々と言の葉を紡いでいく。

「でもさ。 守るために戦うってのは、自分の大事な物を守るために、何かを傷つけることだって、私気づいちゃったよ。 結局、武器ってのは、利己的に何かを傷つける物なんだよね」

「そうねぇ。 そのとおりね」

「……私、斬る瞬間、敵将の目を見たんだ。 仲間を逃がそうと思う決意、失敗の責任を取ろうとする決意。 方向は違ったけど、結局陛下と同じだった。 私、遠慮無く斬れた。 ……ひょっとしたら、その気になれば、友達だって簡単に斬れるんじゃないかって思えちゃった。 そうしたら……」

膝を抱えたまま、藍が視線をゆっくりずらす。その視線の先には、兵士達に振る舞い料理を作るアイサの姿があった。

「……斬ってみたくて、仕方が無くなってきた」

無言が場を圧した。コーラルは表情を変えず、藍は膝に顔を埋めた。そして、肩を振るわせ、笑い始めた。

「ふふふふふふっ、私さ、あの戦いに行く陛下の目見て、凄く感心したんだよ。 この人を、何があっても絶対に守りたいって、心の底から思ったよ。 これは正真正銘本当、天に誓っても神に誓約しても良い。 でもさ、何の感銘もなく、同じ目をした人間を斬れたんだ。 ……私……一体……どうしたんだろうね」

「藍ちゃん、それがおかしいっておもえるようになればぁ、あなたはだいじょうぶよ。 あとは、じっくりかんがえて。 あなたは、きっと、じぶんのなかの怪物をおさえられるようになるわぁ」

僅かに目線を上げ、藍はコーラルを見た。彼女は、果実酒を一息に飲み干すと、まったく変わらぬ笑顔を浮かべた。そして、肩を叩いて、喧噪の中に戻っていった。

藍は再び木に背中を預け、満点の星空を仰ぎ見た。其処には、無数の星が瞬き、地上に光を落としていた。故郷の物と星の配置はまったく違ったが、美しさに変わりはなかった。小さくため息をつくと、藍は目を閉じ、眠りに就いた。周囲の喧噪の音は、それとは関わらず、ますます大きくなっていった。

(続)