<汚れた物>、その本質が見える時
序、清流と濁流
アイフェンドールと北部イレルに、魔界政府と天界政府からの援助物資が届けられ
厳密な管理の元、飢餓民に配られているという情報が入ったのは
最終的な作戦の、最後の詰めを彼が行っていた時であった。
蝮はその報告をナターシャから聞くと、しばし考え込んだ。 相手の意志がどこにあるのか考え
そしてそれに対する対抗策を練るべく、思索を巡らせていたのである。
「ふむ・・・そうか。 奴らは一体どれほどの食料を配った?いや、配る資金をつぎ込んだ?」
「三ヶ月分、程度だと言うことです」
その言葉を聞き、蝮は思わずのけぞった。 両地区は貧しいがかなり大きな地区であり
住民は合計で十五万を超す。 その三ヶ月分の食料といえば、一日二食でも三十万食を超えるのだ。
小国の、国家予算レベルの投資をしないとそれだけの食料を集めることはできないし
それの輸送人員体勢や、その他の経費を考えると、出費は膨大な金額に登る上
何より無関係の地区住民に、そこまでの援助をする理由がどうしても彼には見いだせなかったのである。
「どうしますか? それだけの分量となると、何度かにわたって搬送する物と思われます
である以上、攻撃すればある程度の効果を上げることはできるかと」
「やめておけ。 魔界と天界の正式声明による援助物資だろう
もしそれに手を出したりしたら、魔界と天界から軍が派遣されてくるぞ」
忌々しげに舌打ちしながら、蝮は吐き捨てた。
皇国を一気に大乱を落とす策には、例え捨て駒であったとしても、こやつらの蜂起が絶対条件であり
ましてアドルセスを動かすには、皇国最強である戦闘民族サウスロ=ラス人の力が必要なのだ。
それにしても、自分の指揮下の地区を発展させるための資金を
そんな事に、そんな<偽善的行為>につぎ込む意味が、蝮にはどうしても理解できなかった。
確かに、これで皇国の反乱は収束に向かう可能性がある。
しかし、政治家とは自分が一番大事な連中だ。 正確には、<自分の利権が>であるが
大政治家であっても、極めて利己的な性質を持つのが政治家だ、そう蝮は学習してきた。
五十年間、それに反する例は見たことがなかったし、例えあったとしても周囲につぶされ生き残れず
強者にその躯を食われ、荒野に嘲笑と侮蔑を引き起こし、ばらまいてきた・・・そのはずだった。
だが、今まで蝮が知り得なかったほどの高みにいる大政治家であるメリッサは
その常識を、五十年以上も培われてきた実績ある常識を、見事にうち破ってくれた。
肩をふるわせ、蝮は笑い始めた。 無表情のままそれを見るナターシャ。
「・・・・サウスロ=ラス人どもはどうしている?」
「マカイタイシカン、テンカイタイシカン、と意味も知らずに唱和しているそうです
既に彼らにとって、魔族と天使は親愛と崇拝の対象のようで、歓迎と歓喜の情が満ち
そのうねりを見て、皇国の中央政府にも動揺が走っているとか・・・」
「現金な奴らだ。 民族の誇りなどというのは、所詮命と本能に優先する物ではない
それを見事に証明している事態だな・・・こいつは・・・困ったぞ」
そのとき、初めてナターシャがわずかに驚きの表情を顔に浮かべた。
この口調で蝮が喋ることは滅多になく、そして喋る時は、本当に困っている時しかない。
そればかりか、蝮は困っているだけではなく、相手の行動に困惑し畏怖さえしているようだったからだ。
「天界大使館は、どういう動きを見せている?」
「当方に対する攻撃を三日ほどで中止しました。
以後はアークエンジェルを、首都の駐在官もろとも、メリッサの手伝いに向かわせたようです
攻撃で思ったほどの効果が上がらなかった事もあるようですが」
「実際は、自分もそこで名を売るつもりだろう。 流石に機を見るに敏だな」
吐き捨てると、蝮は手詰まりを覚えた。 武器など、戦意がなければただのがらくたにすぎず
そして、その戦意は、飢餓から来る窮鼠の戦意で無ければ意味がなかったのだ。
無論、メリッサはその効果を知っていたのかもしれない。
だが、それほどの予算をどうやって引っ張り出したのか、蝮には理解できなかった。
天界大使館のそばで起こったテロ事件の際でさえ、両世界は戦艦一隻と一個中隊を渋々派遣しただけで
しかも、騒ぎが収まると、即座にそれを引き上げたのだ。
それを見ても、メリッサが本国から支援を引き出せたなどとはとうてい思えぬ。
天界大使館に至っては、相手のことを考える余裕もあるまい、では、誰が?
「・・・あのガキか!」
唐突にレイアの事を思い出し、蝮は舌打ちした。 その表情が、どす黒く屈辱によって歪む。
完全に忘れていた相手に、足下をすくわれた形になる、そう、それを最も得意とする彼がである。
事務作業の達人だとは聞いていたが、それだけではとうてい無理な離れ業であり
メリッサと連携して、しかも自分も政治を理解していないとできない芸当である、いつの間に化けたか。
「・・・ナターシャ、暫く一人にしてくれ、考えたい」
忠実にその言葉を実行するナターシャがいなくなると、蝮は瞳に炎を輝かせ始めた。
これほどの侮辱を、屈辱を味わったのは久方ぶりだった。 そして、知的興奮を味わうのもである。
「良いだろう・・・最後の策、かわしきれるか見届けてやろう・・・」
それだけ言うと、蝮は笑った。 ただ一人で、笑い続けたのだった。
1,蒼き竜、土を癒し
皇国による土木作業は、様々な副二効果をそれぞれの土地にもたらし
仕事を与え、また放棄されていた建物が次々に修復され、重要施設の拡張が行われていた。
無論、強欲で知られる教皇はそれを渋った。 だが、神官達の中で良識派として知られ
現在は魔界大使館の工作により、メリッサと同盟状態にあるフォーラスが率先して私財を投げ打ち
この政策における、資金浪費のマイナス以上のプラス効果が皇国にあることを説明すると
他の神官や、それに貴族も渋々ながら従い、土木事業は予想以上に潤沢な資金で行われ始めた。
蝮の指示があれば、それに対する破壊工作も行われたかもしれないが、それは無かった。
理由は、スポンサーの何名かがその事業に参加し始めているためであり
スポンサーにそっぽを向かれれば、流石に蝮も干上がってしまう。
そこまでの計算が、この策にはあったのである。
また、この事業には、今まで仕事が無くて退屈していた各地の軍人達も参加
皇国は予想以上の出費を行いながらも、それ以上の経済活性、地域活性を手にしていた。
しかも、この事業は、将来的にも有用である。 道路の周辺に位置した町には、通行人が金を落とし
軍が通過する時などは(その風紀さえしっかりしていれば)かなりの収入がもたらされるのだ。
無論、それには個人の商売の才能が大きく関与してくるし、道路を造ればよいと言う物ではないが
今まで皇国には、幹線道路の役目を果たす主要街道もろくに整備されていなかったのだ。
道路の安全を確保すべく、魔物や山賊の排除も進み、軍人達は久しぶりの仕事で活気を得
この政策は各地に積極的に支持され、金と食料がばらまかれた結果、飢餓民は減り始めた。
日々百人単位で餓死者が出るような地区二つには、メリッサ達が援助をしたこともあり
皇国でくすぶり始めていた反乱の火は、急速に鎮火しつつあった・・・
それから三ヶ月間は、リエルにとっても、メリッサにとっても、そしてレイアにとっても
地獄のような忙しさを伴う時間になった。 レイアは後にそのときのことを聞かれると
首を横に振って応えなかったと言うから、その凄まじさが分かろうという物だ。
そして忘れてはいけないのが、彼らを支えたのが、フィラーナの献身的なサポートである事だろう。
まず、最初に動いたのはリエルだった。 手近な蝮の組織を一掃してしまうと
防衛はゾ・ルラーラの将軍とフェゼラエルに任せ、自身は今まで手がつけられなかった雑務を処理
そして、動かせるだけの人材を全てメリッサの手伝いに回したのだ。
二月間、それを続けた後、リエルは動いた。 地区予算の中から、動かせる資金を調達
追加援助資金として、周囲の物価から最上の食料を買い付け、一月分の食料を送ったのである。
これは天界大使館の援助物資だと言うことを示すため、様々な工夫をしていたが
それはメリッサを苦笑させても、失笑させる事にはならなかった。
何故なら、リエルの行動の意味、嫌と言うほどメリッサにも分かったからであり
立場次第では、自分も似たようなことをしたはずだからであろう。
援助開始から三月が過ぎ、今度動いたのはメリッサだった。 既に彼女は、皇国に様々な工作を行い
アイフェンドールと、北部イレルの地区執政官を交代させていたが
次に着任してきた執政官を二人とも大使館に呼び寄せ、現在両地区で苛政を行うとどうなるか
懇々と説明し、最終的には二人が確実に命を落とすことを言うと、青ざめた顔で執政官達は引き上げ
以降は両地区で、無茶な税が課せられることもなくなり、民衆の生活は若干ましになった。
しかし、その程度で、最貧地区にすむ民衆が楽になるはずもない。
両地区の経済不安を解消するには、常識的観点からすれば、長期的かつ抜本的な改革が必要であり
しかも、それを行使する執政官にも、能力的に秀でた物が無くては不可能だ。
加えて、最大の要因として、民衆と執政者が心を一つにせねば改革など実行できまい。
そこが、今回の最大の問題点であった。
実際問題、この地区は導火線というべき存在である、他にも貧しい地区はまだまだ多いし
皇国に不安を持つ地区は、それこそいくらでも存在している。
援助物資には限界があり、それがつきたら両地区は再び導火線に逆戻りし
暴発したら、周囲の不満分子達も一斉に蜂起するだろう。
そうなれば皇国はアドルセス旅団をうごかさざるをえず、周囲に反乱の本格化を示すことになり
泥沼の内戦、そして周辺国家への隙を見せることにより、連合や帝国の介入を招きかねない。
つまり、この二つの地区は周囲の侮蔑した視線とは裏腹に、政治戦略的に最重要を示す地点であり
メリッサが、そしてリエルが固執するのは当然の話で
それに気づいたレイアも、年齢とは関係なく既に一人前の政治家といえた。
そして、そのレイアが、最後に動いたのである。
北部イレル地区にまず赴き、そしてアイフェンドールを訪れた。
それはメリッサがお膳立てした事態であったが、戦略面を監督したメリッサも
戦術面をどうこうすることはせず、戦術面ではレイアが全てを任されていた。
その顔は引き締まり、幼さを残しながらも同時に威厳に満ちていた。
ただの小娘が、大政治家へと脱皮し覚醒する、瞬間の時であったのやもしれない。
ロッティング=ハルンフォークスは現在52、地区の顔役らしく、一応の知性と威厳を持ってはいるが
これはというカリスマを全身に纏っているわけではなく、水準よりマシ程度の人物にすぎぬ。
レイアが自宅を、護衛の魔族2名(皇国首都で勤務していた者達である)を伴って訪れると
はじめは相手の存在をいぶかしんだが、魔界大使館の使者だと名乗ると、慌てて笑顔を作って応対した。
既に<魔界大使館>および<天界大使館>と言えば、住民を完全に味方につけている存在であり
邪険に扱ったりしたら、自分の顔役としての立場が危うくなる。 元々、大した力があるわけでもなく
周囲から見て比較的有能だからトップになっていることを、本人も良く承知しているのだ。
顔役の家だけあり、他の貧しい民家に比べると、若干マシな作りになっていたが
それでも根本的には農家の大きな物にすぎず、奥の方からは牛の鳴き声がした。
「このような粗末なところにおいで下さり、まことに歓喜の極みでございます。」
ロッテの最初の一言はそれであった。 慇懃な口調で、最小限の教養があることや
更に相手にへりくだってみせる意志があることを、言葉で示して見せたのだが
レイアはただ営業スマイルを浮かべ、それを押しのけ、魔族達の見守る中声を開いた。
「私はレイア=フリード。 ヴォラード地区で、魔界大使館の下で働いている者です」
「ほほう、というと、メリッシャ様のこぶ・・・いや部下になられるわけですな」
「メリッシャではなく、魔界大使館で政治任務に就いているのはメリッサ様です。」
笑顔で返され、ロッテは冷や汗を拭った。 既に襤褸をいくつも出しており
相手が自分を侮蔑するのではないかと冷や冷やし始めていたが、レイアの様子に変化はなく
ロッテが言葉を聞くことのできる存在であることを確認し、むしろ楽しそうに言葉を続けた。
「まあ、大体ロッテさんが想像しているとおりです。」
「そうですか、はは、はははははははは。」
冷や汗を掻きながら、周囲を見回し、笑いを求めるロッテに、同僚達も笑って見せ
若干場が和み、それを見計らったようにレイアは核心をつく。
「早速ですが、本題に入らせていただきます」
「ん、なんでございますかな?」
「皇国に反旗を翻すのを、やめていただきたいんです」
とっさに刀に手をかけた男が、魔族ににらまれて怯えた声を上げた。
ロッテに至っては、猫舌であるというのに一気に茶を飲み干してしまい、しかもそれに気づかず
冷や汗を掻きながら、レイアの次の行動を見守っていた。
「別に、貴方達の誰かが裏切ったわけではありません。 これを見ていただけますか?」
地図を広げたレイア、皆の視線が一気にそれに集中し、レイアは指でその上をなぞりながら説明した
要するに、その説明は、政治戦略的に考えれば、ここに火がつけば皇国が大混乱になることを示す物で
蒼い顔の大人達を前に、まだあどけなさを顔に残すレイアは、淡々と且つ明確にそれを説明
そして、その結果、蝮がここに軍事的な支援をしているという結論にたどり着いたと、言ったのである。
「ば、ばかな、そんな事、推測に・・・」
「町の人たちも、村の人たちも、みんな教えてくれました。
あなた達の家に、怪しい男が出入りして、武器をたくさん運び込んでいるって」
「む、むぐ・・・そんな、そんなはずは! なんというか・・その・・・」
狼狽する大人と、それを厳しい目で見つめるレイア。
果たして、これほどの事が、モルトへの思慕が確かになる前は可能だったろうか。
「いいですか、反乱なんて起こっても、何一つ良いことはありません!」
「こ、小娘が、何が分かる!」
吐き捨てたのは、ロッテの後ろにいて、先ほど刀に手をかけた男だった。
ロッテの方は呆然とするばかりで、ただレイアに圧倒され、話を聞くばかりである。
「蝮殿は、反乱の際には虐げられ続けた我らに、さらなる支援を下さると約束してくれた!」
「違うでしょう? 蝮さんは、あなた達が権力につけて
搾取と暴政を繰り返す、支配者階級に報復できるって言ったんでしょう?
貴方は苦しむ民衆の事なんて考えていません。 権力が欲しいだけでしょう?
やりたい放題がしたいだけでしょう? 今の皇国の、腐敗した権力層のように!」
「う、うぐっ・・・黙れ黙れっ! 貴様のようなガキに、何が分かるって言うんだ!」
立ち上がった男の目には、凶熱があった。 硬直したロッテに変わって、ただひたすら吐き捨てる。
「そうだ、貴様の言うとおりだ! だが、それの何が悪い!
人は権力を欲する生き物だ! 俺も、その人間だ! 確かに汚ねえよ! 悪かったなあ!
けどなあ、この地区の住民が、どんな目に遭っているか知ってるか? 努力なんてするだけ無駄
女子供も死ぬまで働き、みんな三十で老人みたいにふけちまう! 夢も希望もないんだよ!
汚いことだってのは分かってる! だがな、歴史なんて汚辱まみれの物だろうが!」
「それでは、貴方が軽蔑するのは誰ですか?」
「この地区を、こんなにした皇国中央のゲスどもだ!」
「考えてみてください。 ・・・今の貴方は、その皇国中枢の役人達と同じです」
絶句した男は、思わず刀を取り落とした。 完全に平静を保って、レイアは反撃を続けた。
「歴史は確かに汚辱に満ちている部分もあります。 でも、そればかりではありません。
貴方は歴史の全てを目にしたんですか? 政治の全てを目にしたんですか?
私は今地上にいる最も偉大な政治家の一人について、政治を勉強しました。
確かに、政治にはたくさん汚い部分もありました。 確かに、許せないところもありました。
でも、それ以上に、きちんと政治をすれば、民衆は救われる物なんです!
私の地区を見てください。 ヴォラードを見てください!
たった二年足らずで、貧しかった地区が、一気に農業生産率を上げ、陶器の大生産場を完成させ
治安は完全に回復、蝮によるテロを除けば、何一つ民に不安はなく
今や不況は、よその世界のことです。 これでも政治は汚いだけで無能なんですか?
努力すれば、こういう事もできるんです! 政治は、こういう結果を出すことができる物なんです!
そういったミクロな、そしてマクロな努力が無駄だと言って、放棄する方が危険なんです!
私は、メリッサ様と一緒にいますが、あの人は普通の人と同じ生活をしています
魔界大使館の人たちも、みなそうです。 政治家全員が、汚職まみれの権力欲まみれじゃありません!
むしろ、大政治家には、そういった人たちは少ないんです!」
完全に男は黙り込んだ、薄っぺらな言葉ではなく、レイアの言葉に威厳と重みがあったからである。
「貴方達は、どういう立場にいますか? 周りの人たちの、命と安全を預かる立場でしょう?
貴方達の指先一つで、人が死に、人が生きるんですよ。 それがなんですか!
自分のことばかり言って、自分の権力ばかり欲しがって! そんなに甘い汁が飲みたいですか?
甘い汁、それは血でできているんです。 貴方達が憤りを覚える、虐げられた貧民達の血で!
そもそも、政治家がやりたい放題に甘い汁を吸えるのがおかしいんです
政治家ってのは、甘い汁を奪い合う仕事じゃありません!
本当の政治家というのは、政治を使って、みんなの幸せと命を守る価値ある仕事なんです!」
「そうだ・・・そうかもしれんな・・・」
ロッテがその時、ゆっくり立ち上がった。 目から鱗が落ちた表情で、レイアに言う。
「あんたの言葉は青臭い。 年相応に青臭い。
でも、本質はきちんとついていると思う。 それで、一体我々はどうすればいいのだ?」
「・・・これから、魔界大使館は、天界大使館と共同して、この地区の執政官を監視します
この地区が貧しいのは、土地が貧しいからではありません。 あまりにも、執政者が無能で
民から絞れるだけ搾り取り、いじめ抜いてきた結実がこれだからです。
この地区は、きちんとした政治が行われ、民衆が努力すれば、必ず復活できます!
既に、産業の誘致策は、執政官に示しました。 いずれも、実行が可能な物です
民衆が私達の味方である以上、執政官は絶対にそれを実行します。
私達がそれをできるだけサポートします。 貴方達は手伝いとして、執政官の監視をお願いします
それに並行して、援助物資は送れる限り送ります。 それは、先行投資です。
貴方達は民衆がそれに慣れきって、怠惰にならないように監視してください」
「その、二つだけで良いのか?」
半ば拍子抜けした表情で、ロッテは後ろを見た。 二つとも難しいことではあるが、長年の飢餓で
ここの地区の住民は、よそとは比較にならないほど連携を高めている。
不可能なことではないし、むしろ望むところであろう。
「この地区が再生したら、我々に感謝してくだされば、それだけで結構です。」
「・・・・うむ、分かった。 反乱を起こさなくても、我らは餓死せずすむのなら・・・」
「ロ、ロッテ! おまえ・・・こいつらの言うことを聞くのか?」
刀を持っていた男が、困惑した表情でロッテを見た。
「蝮様は、俺たちが貴族になれるって・・・」
「なれやせんよ。 アンタ、そんなこと本当に思っていたのか?
さっき、レイアさんの説明を聞いただろう? 我々は、最初から導火線、ただの捨て駒だったんだよ
我々が反乱を起こせば、皇国どころか世界中が戦争になる、そうだろう?
そうしたら、俺たちが想像もできない数の人たちが死ぬ、そうなんだろう?」
落ち着いた言葉に、レイアは静かに頷き、ロッテは男に親指を立てて見せた。
「何千万人もの死体が転がってる世界だ。 貴族になれたとしても、ただのお飾りだよ
さっきも、レイアさんが言っていただろう? 甘い汁は、血でできている物だって
何千万人も殺して、血を飲みたいのかい? お前さんは」
「しかし・・・こいつの言うことを、信じて良いのか?」
まだ疑っているらしい男に、ロッテはキセルを突きつけ、煙を吐き出した。
「いいか、この人達は、それを使えば、自分の土地をもっともっとずっと開発できるお金を
俺たちに分けてくれたんだ。 見ず知らずの、<みんなのため>にだぞ
しかもその金は、腐れ貴族や、くそ坊主どもが、俺たちからむしり取ったきたねえ金じゃねえ!
尊い、立派な金だ! そう、綺麗で誇り高い金なんだ!
この人達を信じなければ、俺たちは男じゃねえ! 違うか?」
「・・・そうか・・・そうだよな・・・・」
男が肩を落とした、レイアは今度こそ正真正銘の笑顔を見せると、静かに言った。
「大丈夫、この地区が生き返れば、貴方はおいしい物も食べられます
珍しい物だって買えます。 おっきなお家だって建てられます
私みたいな子供じゃなくて、綺麗な大人の女の人だってここに来るようになります」
レイアの言葉に、周囲の男達が笑った。 刀を抜こうとした男など、顔を赤らめて笑っていた。
「だから、がんばりましょう。 我々も、最大限の努力をします!
皇国の首都にあるようなお屋敷なんて、みんな血で作られた物です
そんな物じゃない、正当な労働でたてられたお屋敷が、努力次第では造れるようになるんです
だから・・・・みなさん。」
「おう。 分かった。 任せておけ! 俺らも男だ!
・・・俺の馬鹿息子に、お嬢さんみたいな嫁さんが来てくれると嬉しいんだがよ、無理だろうな」
ロッテが恥ずかしそうに頭を掻き、レイアは目を細めて首を振った。
「ごめんなさい、私、もう好きな人いるんです」
「お、そうか・・・そりゃあ残念だな。 ははははははははははははは!」
ひときわ大きな、暖かな笑いが周囲に満ち、そしてこの地区の未来は約束されたのである。
この後、北部イレル地区は皇国でも有数の織機産業地区として再生
周囲に恥じぬ豊かな土地に生まれ変わり、ヴォラードとゾ=ルラーラと姉妹都市になり、長く繁栄する。
こうして、蒼き竜は枯れた土地を癒した。 次は、燃え上がらんとする炎を沈める番だった。
2,蒼き竜、炎を沈めり
アイフェンドール地区は、サウスロ=ラス人約八万五千が半ば強制収容されている場所で
他の土地にも一応サウスロ=ラス人はいるが、強制的な混血が進み
純粋にサウスロ=ラス人と呼べるのは、アイフェンドール地区にいる八万五千を含め
皇国全体でも、二十五万をわずかに上回る程度しかいない。
かっては百万を越した時期もあったのだが、長年にわたる宗教的弾圧、政治的弾圧は
その数を四分の一以下へ減らし、力を減殺させていた。
サウスロ=ラス人の英雄であり、皇国をたてた<英雄王>の配下だった
モース=ウィンドスレイ将軍の子孫である、ルティ=ウィンドスレイは周囲の期待を一身に集め
若くして土地の顔役になり、現在は不要で無駄な期待と、周囲に押しつけられた権限
それに蝮によって半ば強制的に手渡された武器で全身を押しつぶされ、身動きできない状態だった。
ロッテと違い、実際に有能だったルティは知っていた、蝮の言葉が虚言であり
甘言にすぎず、自分たちは捨て駒にすぎぬと言うことを。
しかし、苛政がますます苛烈になってきた今、蝮の言うことを聞く以外の選択肢は残っておらず
心臓を締め付けられる気分を味わいながら、ルティははやる同胞達を押さえ
何とか地区の延命処置を続けていたが、それも限界に近づきつつあった。
そんなときであった、魔界大使館と天界大使館から、大量の援助物資が届けられたのは。
正確には、援助物資を持った魔族と天使が、貧民に食料をその場で分け与え始めたのであるが
魔界及び天界の正式声明があった上に、皇国政府も認めていたことであったので
強欲な執政官(しかも、こいつは援助物資が届いてからすぐに首にされた)も手出しができず
力があっても食料がないため、餓死寸前だったサウスロ=ラス人達は皆生き返る気分を味わった。
顔役達でさえ、満足な食事をしていない状況である。 どれほど、暖かい粥が農民達に
瀕死の戦士達に、凶剛なサウスロ=ラス騎士達に、感謝とほほえみを与えたか分からぬ。
本来、このような状況下では、村を捨て山賊化する農民が多発するのだが
<民族の誇り>によって、また貧しさによって団結を強めていたこの地区の住民達は
そのようなことをせず、逆にそれが自分の首を絞めていたため、今回の喜びはひとしおだった。
当然、住民達は魔界大使館と、天界大使館を、諸手をあげて歓迎した。
最初のうちは魔族や天使達が苦労して整列させていたのに、元々の団結心の強さもあり
一月が過ぎた頃には皆馬車が見えただけで整列し、病人やけが人のいる場所には
積極的に、むしろ我先に魔族や天使を案内した。
最初は高度な光学センサによる探知で、同一人物の二度貰いを防いでいたのだが
その必要もやがて無くなり、魔族や天使達の間でその素朴さと素直さが評判になったほどである。
そして今日、ロッテの説得に成功したレイアが、ルティの元を訪れた。
ルティの家は、ロッテの家に比べると、豪族の家らしく、質素さと剛毅さに満ち
だが豊かさはかけらもなく、掃除も行き届いておらず、寂れた雰囲気であった。
レイアを迎えたのは、サウスロ=ラス人の顔役達四人であり
一番若いルティを除いて、皆堂々たる口髭を蓄え、全身は猛々しい筋肉と傷に覆われていた。
その場の全員が、例外なく豪快な雰囲気であったが、かといって頑迷というわけではなく
素朴な雰囲気をたたえ、魔界大使館の正式な使者であるレイアが訪れると、皆頭を下げて礼を言った。
それを見届けると、レイアは出された獣皮の敷物に座り、魔族達も敷物に窮屈そうに座って
咳払いをし、一気に緊迫した空気の中、交渉を開始した。
今度の説得の対象は、先の常識的な農民達ではなく、豪快ながら気の短い生粋の武人達である。
父を見て、武人という生き物の難しさを良く知っているレイアは、先以上の緊張を覚えていたが
それを表情に出すことなく、言うべき事を、同じペースで紡いでゆく。
「私は、レイア=フリード。 魔界大使館のメリッサ様に、使者を任された者です」
先からレイアはメリッサに<様>をつけているが、これは公式の場で、上司を呼んでいるからである。
プライベートでは、彼女は上司に<さん>をつけて呼び、それは偉大さを理解した今も変わらない。
「私は、ルティ=ウィンドスレイ。 英雄たるモース雷竜将軍の子孫である
早速であるが、質問をお許し願いたい。 何故、我らに無償で食料を援助していただけるのだ?
確かに、それによってもう千名以上の同胞が助かっている。 だが、貴女方にメリットなど無いはずだ
それに、貴女方の仲間が、極めて不穏当な発言もしていた。
我らは命を救っていただいたが、悪魔に魂を差し出せというのならそれは断固断る!」
ルティの言葉には、周囲の武人としか個性がない連中とは、一枚も二枚も違った重みがあり
先に話したロッテよりも数段手強い相手だとはっきり悟ったレイアは、心中で襟を引き締めた。
もっとも、相手の頭が良ければよいほど、説得が容易になる可能性もあり
そういう点もふまえて考えれば、悲観的にばかりなる必要はない。
この時レイアには、その不穏当発言の主がはっきり分かっていたが、別段に何も感じなかった。
何故なら、ルーシィのその言葉は、必ず意味があるはずだと思っていたからである。
「私達の、物資援助の理由はただ一つです。
そして、それは貴方達の、魂が目的ではありません。」
「何か、それを証明する事はあるか?」
「私達が仮に魂が欲しいのなら、物資を援助しなければ良かったのでしょう?
そうすれば、貴方の言っていた千名以上の人達は、死んでしまったのですから。」
むうと呻いて、ルティは黙り込んだ。 周囲の男達は、黙ってやりとりを見つめている。
「私達の目的は、先ほども言ったとおりただ一つ。
貴方達に、皇国に対する反乱を、やめていただきたいだけです」
ロッテの時よりも、数段強烈な反作用が起こった。 男達の顔から、一気に余裕が消し飛び
一番長身の男などは、手近にあった長斧槍を手に取ろうとさえした。
だが、ルティは落ち着いていた。 レイアも落ち着いており、それが破滅を回避することにつながった。
「我々が、そんなことをしようとしていると、何故思う?」
「今の後ろの方達の反応が、何よりの証拠ではありませんか?」
レイアの表情には笑みがあり、ルティも苦笑いすると、後ろの男達に刃を納めるよう促した。
それを見届けると、レイアはロッテの時と同じように、床に地図を広げ
この地区が政治戦略上いかに重要か、懇々と説明し、やがて地図を丸めながら言った。
「私達は、貴方達に無償の食料援助をこれからも、可能な限り続けさせていただきます。
その代わりに、皇国に対する反乱をやめてください」
「そんな証拠がどこにある? さっきのは推論にすぎないではないか」
「いえ、町の人たちから、最近北の砦が秘密裏に修復されたり
貴方達の家に武器が運び込まれているという話を、複数聞かせていただきました。」
レイアの言葉にも、ルティは精神的な体勢を崩さなかった。
そのあたりが、周囲で動揺し、困惑した視線を交わしあっている単純な武人達とは違ったが
だがそれは表に出るか出ないかの差にすぎず、本当は胃が締め付けられるような緊張感を味わっていた。
「・・・分かった。 確かに我らは皇国に対する反乱を企んでいる」
「ル、ルティ!」
「黙れ。 この方は我らが恩人の正式な大使だぞ。 嘘は雷竜将軍の子孫たる誇りにかけて許されん」
後ろで声を上げかけた男を一喝すると、今まで小娘と侮っていたレイアに対し
ルティは向ける視線を変えた、それは一人前の武人を相手にする時の視線であった。
「レイア殿といったか、あなた方の誠意は分かった。 しかしながら、反乱をやめることはできない。」
「何故ですか?」
「これは、我らの誇りに関する戦いだからだ。」
眉を跳ね上げたレイアに対して、ルティは自らも表情を引き締めた。
両者の間に、火花が散るほどの緊迫感が走り、一気に声が緊張を帯びる。
「我々は戦に生きる民だ。 だが、皇国は我々にどういう仕打ちをした?
先の大戦でも、マーガレット将軍をはじめとして、我々の同胞は命を捨て、鬼神のごとき戦いを見せ
強力なターナ将軍の部隊が襲いかかって来た時など、最後尾に残って味方の退却を助けたりもした
だが! 我らの誇りに満ちた戦いに、何が報いられた! 何が報いられてきた!
我らが強い、それだけで皇国は我らを虐げ、痛めつけ、食料を奪い、土地を奪い、そして神を奪った!」
ルティの叫びは炎のごとき熱さであり、後ろの者達も首領が自分たちの考えを代弁していると知り
目頭を押さえる者もおり、また熱い視線を若き首領の背中に送っていた。
「我らの誇りは、数百年にわたって傷つけられてきた!
それを拭う機会も、全て無駄になった! 残されるのは、飢えた末での死
・・・武人として、最低の、最悪の、最も唾棄すべき死だ! 我々は、もう我慢できん!
蝮殿は、そんな我らに機会を下さったのだ。 貴女方には、海よりも深い感謝はしている
だが、誇りは時にそれをしのぐ使命を我らに与えるのだ! 故に、反乱を止めることはできぬ!」
「貴方の誇りは、どこに行ったんですか?」
数秒の沈黙の後、繰り出されたレイアの反撃は、ルティには強烈な精神的打撃を与えたが
後ろの者達はいぶかしむばかりだった、それは二人の間だけで通じる話だった。
それをわかりやすくするために、レイアは咳払いをして、一気に反撃に転じる。
彼女は、ルティの弱点をこの時点で発見し、そして勝機を見ていたのである。
「どうしてまだ嘘をつくんですか? ルティさん」
完全に黙り込み、青ざめたルティ。 蒼き竜たる少女は、一気に言葉を紡ぐ。
「貴方は知っているはずです。 反乱が起これば、想像を絶する数の人が死に
皇国は大混乱に落ち、それに連合や帝国が介入したら、世界大戦になることを。
そして、貴方達が、その導火線にすぎない・・・ただの捨て駒にすぎないことを!」
「・・・・・・。」
「私の父は誇りある武人です。 ヴィルセ=フリードと言う名の無骨な将軍です」
ふと口調を弱めた言葉に、ルティの後ろにいる男の一人が反応した
「聞いたことがある、ターナ将軍の白鳳と戦い、死なずにすんだ名将だな
我々の同胞が包囲されて窮地に陥った時、囲みを突破して助けてくれたことがあったそうだが」
「はい。 そのヴィルセが私の父です。 私の父は、貴方達と同じ無骨な武人です」
連合の名将であり、アドルセスに拮抗する実力を持つターナ将軍の指揮する<白鳳>は
別名ジェネラルキラーと呼ばれる高速機動戦闘集団で、相手の主将の位置を正確に把握し
計算され尽くした精密射撃と集中突撃によって、まず将を葬ることを得意としている部隊である。
故に戦い、生き残れた将は少ないが、ヴィルセはその数少ない例外の一つだった。
男が指摘したのは、大戦時の<第六次レーガット平原会戦>における出来事で
味方の無能な指揮と、敵将ララスの巧妙な指揮で、両側から皇国軍は窮地に陥り
サウスロ=ラス人の部隊1000名ほどが重囲に落ちたのだが、ヴィルセは精鋭を指揮して敵中に突撃
彼らを救うと同時に、ララスの本隊に痛撃を与え、結果戦闘を引き分けに持ち込む事に成功している。
それを知っており、故に顔を上げたルティが、弱々しく反撃を試みた、だが無駄だった。
「・・・ならば、何故我らの気持ちを分かってくれない?」
「違います! 貴方達のしようとしていることは、目先の餌に食いつく行為にすぎません!
武人の誇り、それは何ですか? 何のためにあるものなのですか?
誰よりも誇り高い貴方達に問います、武人の誇りは、誰のためのものなのですか?」
「我ら自身の物、そして我らの民を守るための物だ!」
顔を上げ、言ったルティの顔が、精神的な敗北を味わって硬直した。
完全に役者が違う、それを悟ったのである。 レイアは静かに、ルティの矛盾を叩き突いた。
「だったら・・・この反乱には、何の意味もないじゃないですか。
その誇りは、サウスロ=ラスの民にだけ向けられる物なのですか? 違うでしょう!
貴方達の誇りが、真に尊ぶべき物なら、皇国全体の弱き民を守るために、その誇りを向けるべきです!」
「し、しかし、奴らは我らを差別し続けてきた!」
「それは、今の皇国の政策が、そういう差別を助長しているからでしょう?
魔界大使館と、天界大使館は、皇国に対する大規模な干渉を既に決定、そして開始しています
皇国の中枢に根を張っている腐った体制は、人類社会及び、魔界大使館と天界大使館に有害だと
私の上司、及び天界大使館の政治指導者が判断したためです。
皇国は、私達の手で、そして皇国にすむ人たちの手で、根本から変えます!
貴方達の反乱は、蝮に踊らされ、蝮だけを喜ばせる行為です!
誰一人、それによって幸せにはなりません! 誰一人として、誇りなど得られません!
これは、民を侮辱し、自分の誇りを、命より大事な誇りを踏みにじる行為なんです!
だから、民のためにも、そして誇りのためにも・・・・反乱なんて馬鹿なことはやめてください」
「・・・そうだ・・・そうだな。 確かに・・・貴女の言うとおりだ
では・・・我々は、どうすればいいのだ
貴女は目的をもう達している。 しかし、要望はあるのだろう?」
数十秒の、無限とも思える沈黙の後、敗北を認めたルティが、蒼白な顔で言った。
顔役達は感心したように視線を合わせ、小声で何やら意見を交わしあっていた。
この幼さをまだ残した少女が、根本的には自分達以上の誇りを、熱い心を持つ存在であり
<武人>に極めて近い存在であることを、様々な要因から悟ったからである。
それである以上、少女の行動は彼らにとっても重大な意味を持つし、言葉に屈服することも恥ではない。
無骨な彼らは、そう考えて、レイアの言葉を全身で真剣に聞き始めていた。
それを知って知らずか、レイアは呼吸を整えると、最後の詰めに入る。
「要望は二つあります。
一つは、新しく赴任した執政官と協力して、この地区の建て直しに専念してください
この男は、我々の方からも監視します。 地区の建て直しには、長期の良質な政治が必要ですが
貴方達なら、必ずできるはずです。 我々からも、政治的な支援は惜しみません。」
「了解した。 できるだけ、執政官と協力することにする。 奴が我らに協力するならだが」
レイアは、自然な笑みを浮かべ、そして続けた。
「我々の援助物資は、まだまだそちらに手配しますが
それに慣れきって、民が怠惰にならないように監督してください。
そうなってしまったら、援助物資は意味が無くなってしまいます。」
「了解した。 我ら誇りあるサウスロ=ラスの民、受けた恩を仇で返すことはせぬ。
・・・先ほどは失礼した、私は受けた恩を、仇で返そうとしていたのだな」
「・・・武人の無骨さは、父を見て良く知っています。 まして、誇り高い貴方達なら当然です
この地区が立ち直ったら、貴方達の誇りも、きっと生きてきます。 我らも、それを手伝います
だからこそ、共に頑張りましょう。」
相手の器に圧倒される形で、ルティは頷いた。 ここに、蒼き竜は炎を沈めたのである。
皇国の歴史にこの名外交は残ることがなかった、だが魔界には重要資料として残り
後に魔界の政治学校で教鞭を執るメリッサが、外交交渉の好例として授業の題材にしたほどである。
少女の熱意と、誇りと、政治的知識が、皇国の崩壊をくい止め
一億に達するであろう民の死をくい止めた、それは政治のもたらす成果であることは疑いなく
蒼き竜と、ヴォラードで呼ばれるようになるレイアの、最初にして最大の快挙であった。
数年後、アイフェンドールでは金鉱脈が発見され、経済は一気に好転に向かう
アイフェンドールの民は、地区建て直しの直接功労者であるルティと
そしてそれをもたらした魔界大使館に感謝し、年に一度感謝祭を行うようになった。
後々、ヴォラードとアイフェンドールは密接に結びつきあい、発展してゆくことになるが
その契機となったのは、レイアの説得であった・・・それは歴史的な事実であった。
3,決着
蝮の活動が沈静化したのは、レイアの説得が功を奏してからであったが
メリッサにしてみれば、それは見え透いた沈静化であった。
政治戦略的に考えてみれば、反乱を起こす理由と戦意を喪失したサウスロ=ラス人だが
彼らを無理矢理戦闘にかり出す方法は無いわけでもないし
各地の混乱も鎮静化に向かっているだけで、完全に沈静化したわけではないのだ。
援助物資の第二波を用意するように、レイアに指示すると、早速メリッサは天界大使館へ飛び
リエルと何事かを相談して、それから大使館に戻ってきた。
現在、魔界からの派遣人員の内、九割近くがアイフェンドールと北部イレルに集中し、仕事をしており
余剰人員はグレーターデーモンのゲズールルと、後はモルトしかいない。
天界大使館も同様の状況である、こちらにも余裕などと呼べる物は、一欠片もなかった。
蝮が敗北寸前であると同様、メリッサにもリエルにも予断が許されない状況が続いていたのだ。
それに、例え敗北寸前とは言っても、蝮の組織自体は殆ど無傷である以上
敵には余力が残っており、安心するなど不可能なのが実態だといえただろう。
一瞬の指示ミスが、完全敗北につながる神経戦にも近い状況が、一月間にわたって続き
そして運命の比がやってきた。 皇国主都では、その日冷たい雨が降っていた。
地上で降りしきる雨、しかし地下ではそうではない。 しかし、影響が皆無というわけではない。
三代前の教皇の手で整備された地下下水道は、流れ込む雨水によって、増水していたが
酷い臭いも、走り回るネズミも、そして安全性にもそう大差はなく、その者達は無理なく歩いていた。
先頭を行くは蝮の腹心であるナターシャ、そして後ろに続くのは蝮の組織の構成員で
いずれもサウスロ=ラス人であり、狂信的な輝きを目に宿していた。
既に今日、彼らは七名の貴族を殺害していた。 いずれも下水道や、裏道を通っての犯行であり
いずれもスムーズに行われ、死者も怪我人も出さずに、目的を達している。
そして、最後の標的は、教皇その人であった。
ナターシャが指示し、細い道を通ってゆくと、最終的に出たところは皇宮のすぐ裏であり
雨と言うこともあり、警備員もまばらで、しかも腐敗した国家の兵士達らしくやる気が皆無である。
まだここまで連続テロは情報が流れていないらしく、兵士達に緊張感は見えない。
兵士の一人が、ぬれた顔を拭くと、何やらつぶやき詰め所に戻ってゆく。
おそらく、皆そのような怠慢行為を行っているのだろう。 笑止なほどに腐敗した軍紀だった。
「よし、行け。 油断するな」
兵士が一人もいなくなったことを確認し、ナターシャが手を振ると
鍛え抜かれた狂信者達は、素早く塀を乗り越え、広大な宮廷に入り込んだ。
流石にサウスロ=ラス人らしく、その動きは俊敏で、猛獣を思わせた。
雨が降っている、ただそれだけ、それだけだったのに誰も止める兵士はいない。
聖騎士団が腐敗する前だったら、こう簡単にいったかは疑問であるが
現在聖騎士団といえば、ただの貴族の別称である。 全くおそるるにはたらぬ
しかも、ナターシャの元には完璧な見取り図があり、しかも彼女はそれを完全に記憶していて
潜入は素早く着実に進み、ろくな障害もないまま、やがて彼らの目に教皇が映った。
その部屋は無意味に華美で、素人が見ても高級品だと一目で分かる家具が並び
ナターシャはそれを見て、ほんの一瞬だけ眉をひそめた。
同じ頂点に立つ物でありながら、蝮や、それにメリッサやリエルとはあまりに違う。
怠惰と腐敗に満ち、蝮とは違う意味で邪悪で腐っている。 全く違う存在だと、ナターシャは思った。
教皇は太った老人で、形だけの事務作業を、珍しく(呆れた話だが)している所らしかった。
目には生気が無く、あるのは欲望のみ。 近くに控えている僧侶は、愛人の一人であろうか。
仕事中であるというのに、酒を求められ、彼女は部屋の外に出ていった。
ナターシャは注意深く近くを警備する兵士を殺してゆき、そして部屋に突入する。
突入は簡単だった。 鍛え抜かれた男達には、蟻を潰すよりも楽なことだった。
指揮官であるナターシャの命令も簡単を極めた。 何故なら、それで十分だったからだ。
「殺せ。」
豚のような、意味をなさぬ悲鳴、それが教皇の最後の言葉だった。
奇声を上げ、狂信者達が人の形をした豚に躍りかかり、刃物をめったやたらに振り下ろす。
鮮血が噴き上がり、ちぎれ飛んだ右手が転がった。 腹には大きな傷が走っていて、内蔵がはみ出し
頭が叩き潰され、はみ出した脳みそが絨毯を朱に染めた時、別の悲鳴が上がった。
さっきの僧侶の物ではない、襲撃者の一人が、悲鳴の主だった。
彼の体からは、魔力で作られた細い鋭い針が無数にはみ出しており、悲鳴はすぐに止んだ。
怯えきった狂信者が、言葉をはき出した。 彼らは、ナターシャの凄まじい強さを良く知っていた。
「し、司令官! 何を!」
「お前達はもう用済みだ。 散れ。」
ナターシャの実力は、グレーターデーモンにも勝る。 魔法に関する戦闘力なら遙かにしのぐ。
本気になって攻撃してきたら、いくら強剛なサウスロ=ラス人達でもひとたまりもない。
ナターシャの一撃で、男達の頭が吹っ飛び、足がちぎれ飛んだ。 先以上に盛大な悲鳴が上がり
ほんの六秒半で、ナターシャは仕事を終えた。 つまり、部下達を一人残らず殺した。
後は、部屋に先ほど殺した兵士を運び込むだけでよい。
これで、サウスロ=ラス人達は、皇国に徹底的な報復攻撃を受けることになるのだ。
部屋には暗殺者のサウスロ=ラス人の死体と、教皇の死体と、教皇を守ろうとした兵士の死体が転がり
誰が見ても、その<事実>に間違いはない。 他に殺した貴族達も、同じ手口で殺しているために
サウスロ=ラス人討伐に反対する貴族は、おそらく少数派になるだろう。
結果、アイフェンドールには、間違いなくアドルセス旅団が差し向けられる。
生き残るために、サウスロ=ラス人達は蜂起せざるを得ない。 そして、後は先にくみ上げた策・・・
赤竜騎士団を、マーガレット共々に、戦の最中に裏切らせればいいのだ。
そうしてしまえば、沈静化していた用に見えていた反乱の炎は、一気に再び燃え上がる。
それが、蝮の計算であり、ナターシャはそれを正確に実行してのけたのであった。
ナターシャは全て仕事を終えると、宮殿を素早く脱出し、家々の屋根を伝って帰路に就いた。
後は、滑る足下に気をつければ好かった。 帰れば、蝮が褒めてくれるはずだった。
精神的には、この娘は子供に等しい。 ただ能力的に人間を超越していただけなのに、虐待され
蝮に拾われるまでは、人間としてなど扱われなかったのが、主要な原因であり
もしフィラーナが、ヴォルモース達に拾われなかったら、この娘と同じになっていたことは疑いない。
帰れば、今までにないほど、蝮が褒めてくれる。
唯一の喜びがそれ、蝮のよって褒められることであるナターシャは、無表情のまま、家々の屋根を飛ぶ。
そして、殺気にぶつかり、はじかれるように気を取り直して前を見た。
「・・・相変わらず正確な読みだ。 メリッサだけは敵に回したくないものだ。」
彼女の眼前には、既に剣を抜きはなったモルトがいた。
剣に雨が降り注ぎ、わずかに差し込む月光を妖しく反射する。 その表情には、全く容赦がない。
そして、ナターシャの後ろにはもう一名いた。
実力はモルトとほぼ同等、既に愛刀<サーゼリオン>を抜きはなった、天使フェゼラエルだった。
「モルトさん、気をつけて下さいね。 その子、凄く強いですよ」
「分かっている。 ・・・全く、生け捕れとはメリッサも難しい注文をする
で、貴様は、こんな時に何を考えている」
「え? あー、雨の粒って平均でどの位なのかなって。
やっぱり、天界と人間の世界では違うだろうし、その時々によっても違いそうだし」
暢気な会話をしている二人であったが、殺気は既に格下の相手であるナターシャを捕縛している。
ナターシャは確かに強い。 だがこの二人は、更に次元の違う存在なのだ。
フェゼラエルの背後で、爆発が起こった。 ナターシャが眉をひそめ、モルトが口を開いた。
「今頃、ライアット少将が後始末をしている頃だ。
お前達が今日潜入することは分かっていた。 だから、我らはわざと潜入を助けてやり
教皇の暗殺を黙認した。 後は、<教皇が死んだ>という事実だけが残ればいい
既に何度かの打ち合わせで、策は練りきってある。
貴族達の死も、既に処理済みだ。 流石に七人を事故死に見せかけるのは大変だったがな
教皇なぞ、死んだ所で代わりなどいくらでもいる。 壁蝨が一匹消えて、却って有用なほどだ。」
雨に濡れた顔を上げたナターシャが、驚愕に端正な顔を引きつらせた。
精神的には大きな欠落があっても、頭は悪くない彼女は、モルトの言葉の意味が分かったのだ。
「そういうことですよ。 えーと、ですねえ
多分、教皇さんの死は事故による焼死って事で片づけられるでしょう。
周りにある死体もろとも、黒こげじゃ、他に判断しようがありませんものね。
火事も、自然な原因で説明されることでしょう。 教皇さんには、ランプの収拾癖がありましたし
最近は体の動きが鈍くて、床にランプを倒してしまうことが多かったそうですから」
発せられたフェゼラエルの言葉は、ナターシャの心を大きく打った。 蝮に、褒めてもらえない・・・
それは彼女にとって死活問題であり、何よりも優先されることであったからだ。
「メリッサはこうも読んでいた。 この作戦にはおそらく蝮も参加している。
この首都に蝮は潜み、指揮をしているはずだ。
昨日、アークエンジェルのノルエルがその居場所を発見した。 今頃、もう蝮は捕縛されているはずだ。」
次の瞬間、完全に平常心を失ったナターシャが、跳躍した。
今までとは比較にならぬ勢いで、蝮が隠れている場所へと、一気に走る。
雨が彼女を打ち、だが既に灼熱している心は冷えぬ。 とある廃屋に、ナターシャは駆け込んでいた。
「どうした、ナターシャ! 作戦は成功したのか!?」
「蝮様、ここは発見されました! 逃げて・・・!? ・・・・しまった!」
困惑する男達を押しのけ、蝮が姿を見せた。 ナターシャが、罠だと悟った時には遅かった。
廃屋に、上から麻痺を誘発する強烈な魔力が浴びせかけられ、全員を例外なく包む。
その強烈な波動には、ナターシャも抗うこと敵わず、苦悶の表情で地に崩れた。
「メリッサさんはね、こういっていました。
<蝮に肉薄するには、その直接的な腹心を精神的に圧迫するしかない。
今回の作戦では、蝮の正確から言っても、必ずその腹心が直接指揮を執る
だから、それを捕まえて事実を突いた後に、嘘を混ぜて相手を圧迫して>ってね。
最後の言葉だけ、嘘だったんです。 残念でしたね・・・」
麻痺の魔法を放ったフェゼラエルが、微妙な面もちで、下を見ていた。
ここに、皇国における闇の最大実力者、蝮は敗北したのである。
蝮の敗北と同時に、アドルセス旅団でも動きがあった。 マーガレット将軍が、辞表を出したのである。
誇り高い武人であるマーガレットは、ずっと悩み続けていた。
アイフェンドールが危機を脱してから、その悩みは特に大きく
そして今回、責任を取る形で軍を辞めたのである。
マーガレットは、アイフェンドールに戻ると、広範囲に確保した人脈を駆使して復興に尽力
その後、この地区の英雄として、長く崇拝されることになる。
道を誤らずに、正しい道を見据えた結果の、勝ち取ったとも言える未来だっただろう。
4,混乱期を終えて
教皇の死が公式に発表されたのは、蝮の捕縛から四日後のことであり
死は火事による不幸な事故と発表され、すぐに新しい人物が教皇に就任した。
この男はさほど有能ではなかったが、決して強欲ではなく
ライアットがメリッサに良識派の神官として紹介し、リエルとメリッサが二人で人格を確認
教皇になるべく、様々な工作に手を貸し、今回無事に就任することになった。
そういう事情である以上、新教皇は魔界大使館と天界大使館に巨大な借りを持っており
直接的な、しかも強力なパイプが確保された事になる。
無論、両世界の外交方針として、人間世界に対する干渉は最小限に押さえるという物があり
それは保険としてのパイプ確保であったが、魔界からも天界からも、既にくぎを差す使者が来ており
メリッサは混乱期以外は干渉を押さえることを明言、実際に二年後からは干渉を一切しなくなった。
これはリエルにもいえることで、以後はそれぞれの担当地区及び、他の国家の監視に重点を置き
安定期であり、中興期に入った皇国の中で、ヴォラードとゾ=ルラーラは安定した発展を見せる。
後百五十年後、ある事件で連合が大混乱に陥る時が来るが
その時まで、メリッサは人間世界への国家レベルの干渉を行わず、以降は沈黙を守った。
戦いは終わった。 武器を使っての戦いと、殆ど変わらない壮絶な戦いであり
様々な汚濁と、それ以上に大きい志に満ちた戦いだったが、表に出る戦いではなかった。
それを端的に示す事件が、蝮の捕縛から一月後に、魔界大使館にて起こった。
その日、魔界大使館には、多くの人が集まっていた。
天界大使館の主要メンバー四名、カズフェル、レギセエル、リエルとフェゼラエルをはじめとして
ヴォルモース、メリッサ、ルーシィ、モルト、フィラーナの魔界大使館メンバー。
それに加えてヴィルセ、レイア、トモスとイルフらのヴォラード地区の主要メンバー。
そして、皇国の人物では、ライアット将軍が、数名の部下と共に訪れていた。
ライアットは流石にヴォルモースとカズフェルに驚いたが、その辺は流石に軍人であり
すぐに精神的に立ち直り、現在は平常心で着席している。
彼らが視線を注いでいるのは、円卓の中央に、手錠をはめられて憮然としている蝮である。
蝮は視線を浴びながらも、周囲を見回すことなく、その場で座っており
不安そうに見守るレイアや、興味深そうに眺めるトモスの視線にも、一切反応しなかった。
「早速だけど、本題に入ってくれる?」
肩肘を付きながら、白けた目でメリッサを見たのはリエルである。
もしこれが二人きりの場合だったら、何やら凄まじい悪口が飛び交ったことは疑いないが
場所は公であり、口調も抑えめである。 メリッサも、悪口を言うことはなかった。
「はいはい、分かりましたわ。 今日の話は、この蝮さんの処分方法ですわ」
「処分・・・ですか。」
「やったことがやったことだ。 本来だったらどんな目にあってもおかしくない」
控えめに異議を唱えようとした娘を、ヴィルセが制した。 他の者達は黙って蝮を見ている。
蝮は蝮で、このやりとりを聞くと、楽しそうに椅子の上でふんぞり返り、目をつぶってしまった。
「あのさ、殺すんだったらウチにくれない?」
片手を上げ、リエルが発言した。 驚いたのはライアットだけで、他の者は腕を組んで平然としている。
「ちょっと待ってください! その男は!」
「皇国だけでなく、世界を大乱に巻き込もうとした大悪人、ですわね。
しかし、能力的に見れば実に魅力的。 それは、我々の共通の認識ですわ」
ライアットの困惑した反論を断ち切り、メリッサが言う。
個人的には反発を覚えているレイアも、メリッサが考えていることを理解でき始めていたし
もし自分の立場が、と考えれば無理もないことだったので、黙っていた。
「ま、言うこと聞かなければ洗脳でもするだけのことだし。
蝮、私の所で働いてみない? まじめに働けば、天界の役人にしてあげるよ」
「にゃはははは、リーちゃん、それは流石に問屋がおろさないでしょー。
メリッサちゃんだって欲しがってるんだしー、レイアちゃんだって欲しいんじゃないの?」
「え、私ですか?」
唐突にルーシィに話を振られたレイアは困惑し、そして心を見透かされた気分を味わって顔を下げた。
実際問題、普段はぼんやりしていても、ルーシィは恐ろしく頭がいい娘である。
隠し事をするのは非常に困難な話だ。 メリッサでも難しいに違いない。
「ま、そういうことですわ。 魔界政府としても、今はネコの手でも借りたい時期
天界政府としても、それは同じと言うことですし、それで今日会議を招集しましたわ」
「待ってください! 我らにもそいつを引き取る権利を下さい!
そいつは絶対に許せません。 我らの手で、是非裁かせてください!」
「やめとけ、ボーズ。 そいつは皇国の裏の情報を山ほど握ってるんだゼ?
下手に殺せば、スキャンダルがいろんな所から流出するぞ? 黙ってみてな・・・」
今度はレギセエルがライアットを黙らせた。 普段は冷静な将軍も、こういった話は流石に免疫が無く
我慢ができないようで、口中で何か呟きながら、不満を顔中に浮かべていた。
見かねてか、レイアがライアットを外に連れ出した。 それを見届けると、メリッサが再び話を戻す。
「で、どうやって引き取るかですけども・・・」
「まちな。 引き取られた先で働くのは俺だ。 一つ俺からも条件を提示させろ
それさえ飲んでくれれば、俺は新しい職場で働いてやる。」
唐突に発言した蝮、その目が開くと、ゆっくりモルトとフェゼラエルを見据え、そして言った
「俺の娘・・・ナターシャは無事だろうな」
「無事だ。 封印結界に監禁しているが、命に別状はない」
「ただ、貴方に会いたくて、時々つらそうにしています。
えーと・・・・・・・・そうそう。 自分はどうなっても良いから蝮様を助けてって再三言っています」
「泣けるな・・・親は屑でも娘は立派に育つモンだ」
大げさに涙を拭う動作をすると、蝮は卓上に視線を戻した。
「娘を助けてやって欲しい。 そっちのアンタ、フィラーナって言ったか?」
「はい。 私はフィラーナといいます」
「あいつは、ナターシャはアンタとよく似た境遇なんだ。」
「・・・・・・・。」
黙り込んだのは皆同じだった。 特に魔界大使館のメンバーは、急に殺気立っている。
下手に蝮がフィラーナを傷つけたら、彼ら全員が蝮を殺しにかかりかねない。
彼らにとって、フィラーナは文字通りの急所であり、何よりも大事な存在だ。
それを端的に示しているのが、彼女が傷つけられた時の魔界大使館の混乱ぶりであろう。
リエルが舌打ちし、慎重に場を見守る。 場の空気が緊迫した。
「アンタのこと、調べさせてもらった。 アンタは魔界に引き取られて、無事に優しい心を取り戻した
だが、ナターシャは、魔界からの誘いが来なかったんだ」
「・・・・。」
フィラーナの心に、ヴォルモースにつれられて魔界に行った頃のことが浮かぶ。
はじめは怖くて仕方なかった、だがヴォルモースの誠意ある行動と優しさに徐々に心は解け
苦手な家事を、四人分まとめて引き受けるようになったあのころ。
異能力が、結局予備選力程度にしかならないことが判明し
ヴォルモースとの同居が続けられる事になり、どれほど本当は嬉しかったか。
今では、四バカのメンバー全員が、フィラーナの家族だ。 一人だって、絶対に欠けて欲しくない。
そして、フィラーナも、四バカに同じように思われているのだ。
蝮が咳払いし、ふとフィラーナは我に返った。 蝮の目が、心なしか優しさを帯びていた。
「・・・あいつを、ここなり魔界なりで使ってやってくれ。
まともな心さえ、あればどこでもいいんだ。 まともに生きられれば、どこでもいいんだ。
あいつを引き取った俺は、あいつの凄まじい力を良いことに、色々汚ねえ仕事をさせてきた。
俺みたいなのを、あいつは慕ってくれたが、本当は俺に親になる権利なんてねえんだ。
あいつさえ使ってくれれば、あいつに良くしてくれれば、俺は地獄ででもなんででも働く
勿論、俺なんざ殺してくれてもかまわねえ。 ・・・なんでもするぜ」
「冷徹非常な貴方が、急にどういう風の吹き回しなのかな?」
そのとき、初めてヴォルモースが発言した。
蝮の取り合いになるようであったら、出るつもりだったようだが
彼の予測ではもう引取先は決まっているし、何よりフィラーナがらみのことでは黙っていられないのだ。
「・・・そこの綺麗な顔の兄ちゃん、それに天使の姉ちゃん。 アンタらに捕まって、俺は考えた
一人しかいない牢屋の中で、権力を得ることと、それとナターシャのことをな。
あいつと二度とあえなくなると思ったら、急に気づいたんだ。 笑えるだろ?
俺は地獄に堕ちても良いって思ってた。 それでも良いから権力が欲しかった。
だけどよ、ナターシャが殺されてるかもしれねえって思ったら、そんな考えがふっとんじまったんだよ。
へ・・・へ・・・へ・・・そうだ、俺は子煩悩なただの親だったんだよ
それに気づいた時、今まで価値があるって思ってたモンが、全部崩れていきやがった・・・
なあ、俺は本当にどうなってもかまわねえんだ。 ただ、娘だけは何とかして欲しい」
「嘘発見器には、嘘を示す波長は出ておりません。 正真正銘の本気だ」
人知れず嘘発見器を弄くっていたカズフェルが、牛の頭を回しながら発言すると、場は沈黙に包まれた。
そして、その沈黙は、少女の手によって破られた。
「ねーメリッサ、魔界は今、戦士と政治家どっちが不足してるの?」
「戦士は掃いて捨てるほどいますわ。 政治家が足りませんわね」
「じゃあ決まりだね。 蝮、私が貴方の子供を引き取ってあげる。 天軍の戦士として育ててあげる
ウチだったら、フィラーナも遊びに来れるし、それで丁度いいんじゃない?
メリッサ、その代わり、目玉商品はそっちにあげる。 感謝しなさいよ」
立ち上がって発言したリエルに、場で反論する者は誰一人いなかった。
「やれやれ、分かりましたわ。 私としても、その決定に依存はありませんわ
蝮さん、いいですわね。 貴方には、これから魔界でC級政治家として働いてもらいます
魔界では非常に政治制度がしっかりしていますから、横領や権力の私物化は不可能です。
また、貴方が馬鹿なことをすれば、ナターシャさんの立場が悪くなると考えなさい。
今の貴方は、それがどういう事か、よく分かってますわね」
「了解・・・ナターシャが幸せにさえなれれば、俺はかまわねえ。」
そのとき、場にライアットが戻ってきた。 話を全て聞いていた彼は、静かにうなだれていた。
「・・・私としても、依存はありません。 一人に罪を負わせても、何も解決にはなりません
公式の場合は、そうは行きませんが、あくまで蝮は非公式の人間・・・
また、ナターシャの方も、差別の末にそういった目に遭っていたのなら、罪は問えないでしょう
私は、このことを黙認します・・・だけど、私自身は、絶対に貴方を許さない!」
その言葉に、皇国を愛する者として、どれほどの重みがあったか、言うまでもないことであろう。
蝮は帽子を取って一礼すると、メリッサについで歩き出す。
それから後、この男が地上に姿を見せることは二度と無く、元々ワンマン体勢だった組織は崩壊した。
こうして、蝮と魔界大使館及び天界大使館の死闘は終わったのであった。
後。 ヴォラードは、メリッサの政治戦略と、レイアとヴィルセの政治手腕により
皇国有数の豊かな地区に発展、<恵みのヴォラード>と呼ばれるようになる。
ゾ=ルラーラも蝮の死闘の後は、人材の育成が順調に進み、ヴォラードと同等の発展を見せ
こちらは皇国北部の大産業都市として、周囲に名をとどろかせることになる。
ヴィルセ将軍に、アスクライドの執政官が娘との見合いを持ちかけたのは
蝮との死闘が集結して丁度一年後、困惑するヴィルセに、メリッサは肩を叩いた。
「人格は私が確認しましたわ。
多少他人を振り回す所がありますけど、しっかり監督すれば良い娘です
そろそろ、娘の幸せよりも、自分の幸せを考えてみてはどうですの?
もう、あの子は大分幸せをつかんでますわよ。」
メリッサがそういって指さす先には、モルトと大分仲良くなり
恋をしたせいかずいぶん綺麗になって、仕事にも精を出すレイアの姿があった。
モルトは相変わらずの無骨さだったが、レイアは気にしていないようである。
「そういえば、あなた方はいつまでこちらにとどまるのですかな?」
「慌てて話を逸らしましたわね。 まだまだ子供ですわ。
私たちは、とりあえずの成果が認められて、暫くここにとどまることになりますわ
ま・・・三百年か、四百年くらいですわね
ま、あのアホ天使も同じくらい止まることでしょうね。 忌々しい話ですけど」
「そうか、ではその間は、この地区は安心ですな」
魔族の寿命を改めて思い知らされ、閉口したヴィルセに、メリッサは肩をすくめて大使館に戻った。
そこではルーシィが、いつものように壁に張り付き、ひなたぼっこを楽しみ
応接間では、フィラーナの出した茶菓子と紅茶が出され、ヴォルモースが新聞を読んでいた。
「メリッサさん、興味深い記事が出ているよ。 魔界政府、国力回復21.5%を提言
大分回復してきたね。 貴方もここにいて大丈夫だろう、A級政治家殿」
「ま、当然ですわ。 あの時計爺は無能ではありませんものね」
「にゃははは・・・ふいー、ねむい。 私の論文も、結構評価されてねー
正式に人類国家犯罪学の権威として、政府に上級博士の資格もらったよー。」
「それは素敵ですわね。 大した物ですわ」
この度、正式に魔界で10人目のA級政治家として認知されたメリッサが
上級博士に正式任命されたルーシィに、興味なさげに応え
机に座って、茶菓子をほう張る。 それはいずれも絶妙な味で、メリッサは満足そうに笑みを浮かべた。
実際は、ヴォルモースも上級博士の資格を魔界政府から授与され、モルトも勲章を受けていたが
皆それを当然のことだと考え、誰一人自分の業績を本心で誇っている者はいなかった。
一級の料理店並みのお菓子が日常的に食べられるのは、フィラーナの家族の特権だ。
それを見ると、ルーシィもふらふら机に歩み寄り、ロングチェアに座って茶菓子を頬張った。
「私たちが、これだけの成果を出せたのは、フィラーナさんのおかげですわね。
勿論リーダー、貴方が的確な決断をしてくれた、それにも理由がありますけど」
「ははは、そうかもしれないね。 我ら、いつまでも共にいられると良いのだが」
寿命の違い、それは無情な物だ。 フィラーナが死んだら、四バカはどうなるのだろうか。
かってモルトが苦しんだように、これからは四人がその苦しみを分かち合うことになる。
「私、まだ二十歳前ですよ? そんな未来の話をしないで下さい」
ふと、メリッサが後ろを見ると、フィラーナが苦笑していた。
その笑顔は、未来ある者の笑顔だった。 それを悟ったメリッサは、静かに紅茶を飲み干し、思う。
支えてくれる人、絆の人。 フィラーナを大事にしようと。
魔界大使館の四バカは、フィラーナを交え、今後も独自のペースで業績を残していくことになるが
それはまた別の話である。 紅茶の香りが満ちる中、平穏に戻った時はただ静かに流れていた。
(終)