序、赤竜の体内にて

 

赤竜騎士団の騎士団長、マーガレット=フォルゴーンは、このところ得体が知れない男の訪問を受け

不審がる部下たちの目も気にせず、深夜まで歓談していることが多かった。

彼女の騎士団内での評価は、そんなことくらいで揺らぎはしない。

名将たる彼女は、部下たちの間で不敗の伝説とともに、畏怖の目で見られており

例え何をしようとも、簡単に評価は揺るがない、得体が知れない相手と話すくらいでは全く問題はない。

故に、マーガレットが不審な動きをしようと、アドルセスに通報する部下は一人もおらず

鉄壁の規律故に、外にも情報は漏れず、何も問題にはならなかった。

だが、それは内部の癌を、ますます巨大化させる行為に他ならぬ。

個人に対する盲目的な忠誠心が、かえってマイナスに作用することもある、それを如実に示す事態であり

強大な力を持つ、炎を統べる竜の中で、確実に癌は育っていたのである。

このことを、アドルセスは知らなかった。 マーガレットのことを彼は信頼しており

赤竜騎士団も信頼していたから、少しのことで裏切られるなどとは思いもしていなかったのが実情である。

それは部下に対する、忠誠の見返りとしての自由であったが

同時にそれは、もしも不測の事態が起こったときに

事件の発生をくい止めることが、本人の良心以外には不可能であることも示していた。

結果として、アドルセスは自分自身に隙は見せなかった。

だが隙を見せた部下を守りきることができずに、暴走させてしまう結果を生むこととなったのである。

何故そうなったか、それは至って単純明快な要因によってである。

すなわち・・・人心への、マクロレベルでの配慮を怠ったからであった。

なるほど、アドルセスはよき司令官であった。 部下の苦痛は親身になって受け、自分も共に悩み

苦痛は常に共有し、それぞれの部下から個人的に崇拝と尊敬を受けることには成功している。

だが、世の中には、それだけではカバーしきれない事もあるのである。

特に、絶対神を奉じる宗教や、独善的な国家主義が横行する土地ではその傾向がある。

冷静に客観的に見れば、どんなに愚かなことでも、当人たちはそう思わず、大事に思うことがあるのだ。

何故それが生まれるかに至っては、様々な経緯があるが、強大な敵の存在が生み出す必然性があったり

劣悪な生活環境から精神的な統一の必要性が生じたり、或いは有能だが狂信的な君主によって蔓延したり

いずれにしろ、当人たちの不遇な環境か、君主による非理知的な政策がそれを発生させる。

皇国最強の戦闘民族である、サウスロ・ラス人出身のマーガレットの場合

それは<不当に虐げられ続ける同胞>に対する<責任感>から誕生した心理だった。

尊敬し信頼するアドルセスへの忠誠心を、客観的に考えればすぐに矛盾がわかる一種の<愛国心>が

上回り、そして心中の良心を食いつぶしていったのである。

<虐げられ続けた同胞の自由>という甘い臭いを放つ餌が、その背中をさらに押し

皇国でも指折りの実力を持つ名将は、蝮の術中に落ちていったのであった。

現在、蝮のこの行動には誰も気づいていない上

アドルセスに至っては、独自の情報網で蝮の暗躍を知ったにもかかわらず、それを阻止する行動には出ず

却って黙認し、完全な中立の立場をとっている。

なぜなら、戦は彼にとって、趣味であり快楽でありロマンだったからだ。

救いがたい組織的な殺し合いは、これ以上の快楽を与えてくれない、最高の麻薬だったからである。

現在、皇国で蝮の謀略を邪魔すべく、必死に活動しているのはライアット少将ただ一人であり

彼にしても、敬愛する上司であり、若年の自分をここまでの高位につけてくれたアドルセスには

苦言を呈することはできたとしても、根本的には絶対に逆らえない。

しかも、いわば戦争中毒とでも言うべき名将は、部下が敵に回ったら喜ぶかもしれないのだ。

すなわち、敵がさらに強くなり、戦いがいが増したと。

スポーツと命のやりとりは、絶対に同列においてはならないが、アドルセスの場合は同列であり

戦場では、部下が死ぬ悲しみと、敵を倒す喜びが精神の中で化学変化を起こし

究極的なまでの快楽を呼び起こすため、それを排除することは不可能であった。

メリッサも、リエルも、熟練した政治家であるが

さすがにマーガレットに仕掛けられた、精神的な罠までは看破できず

蝮の最終的な罠は、二人のコントロールの外にて完成しようとしていたのである。

 

1,天界大使館、戦闘突入

 

天界大使館のあるゾ・ルラーラ地区は、蝮との完全な戦闘状態に突入していた。

無論、リエルはそれだけをしていた訳ではなく、各国に散った駐在員にはそれぞれの命令を出していたが

この国における政策の安定と、自分に任されたこの地区を繁栄させるためには

蝮の排除が絶対条件だと最終的な判断を下したリエルは、的確な謀略を駆使し

各地にある蝮の組織を洗い出し、片っ端から叩き潰させ、血の雨を降らせていた。

すでに最初の作戦から一週間が経過しただけで、蝮の組織は十四個が壊滅、死者は320人を越し

相手が非合法の組織とはいえ、あまりな苛烈な攻撃に皇国から説明を求める使者が来たほどであった。

無論蝮も黙ってはおらず、無数の暗殺者を雇い、様々な方法でゾ・ルラーラに潜入させたが

驚くべき事に暗殺されたはずの要人たちが尽く生きていた事が判明し、リエルの冷静な指揮もあって

その殆どがフェゼラエル指揮する地区軍に討ち果たされ、蝮を舌打ちさせていた。

蝮にとっても、リエルがここまで積極的な攻撃に出てくるのは、予想外の事態であり

蜥蜴の尻尾切りに等しい、様々な情報操作を駆使し、被害を最小限に減らしつつ

安値で三流の暗殺者や傭兵を雇い、まず相手の足下を攪乱し続ける方策に切り替えていた。

リエルは隙を見せないかもしれない。 また、隙を見せてもつけ込むことは難しいかもしれない。

だが、他の者、たとえばゾ・ルラーラの地区軍司令官や

リエルの手足となって働いている政治家や、経験の少ない若造はそうではない。

元々彼らは二流三流の人材で、超一流の政治家であるリエルに、能力的に急速栽培された人材である。

当然その成長は早すぎるため、歪みも大きく、つけ込む隙は大きく広いのである。

一方で、リエルの方も蝮の組織を壊滅させるたびに、そこの人員を拉致し

全く容赦のない苛烈な拷問を加えては、情報をはき出させていた。

それがさらなる組織の情報をもたらし、血の雨を降らせ

もたらされる赤い河の流れ着く先には、確実に蝮が蜷局を巻いているであろう。

本来こういった強攻策はあまりほめられたものではない、当然リエルもそれを承知している。

だが、メリッサがどうも皇国自体に働きかける策をとったらしい事は、彼女の耳にも届いており

それならば、足を引っ張り合うよりも、自分で蝮自体を叩き潰しておいて

将来の皇国における政治戦略上の布石としておこう、それがリエルの判断の一つであった。

これくらいのレベルの政治家となると、三手先四手先の政治戦略を常に練り

複数の情報を客観的視点で判断して、常人の及ばぬ鮮やかさで処理して、その後結論を出す。

人間だろうが魔族だろうが天使だろうが、政治家である以上、それに全く代わりはない。

故に単純な一つの政治判断をとっても、それをもたらすには膨大な政治的思考が費やされ

精神的な負担も大きい。 政治が根本的に好きでないと、決して政治家には向かない理由の一つがそれだ。

いかに天才といえど、好きでもない政治のことを暇さえあれば考えなければいけないと考えたら

政治に対する意欲が衰えるのは当然で、故に超一流の政治家には、政治が好きでないとまずなれない。

リエルが政治を好きな理由は、それこそが自分の天職だと信じているからであるが

他の者はそれぞれに動機が異なる。 何かに対する欲が政治に対する興味を増大させる者もいるし

メリッサのように、政治を哲学的に考えている者もいる。

民に対する愛が動機である者も、少数ではありながら確実にいることだろう。

だが、それの相対的多数は、いつの時代も揺るがない。

それを持たぬ者には、絶対に理解できない物。 どす黒いながら、何故か<大人>になると肯定される物。

そう、それは権力に対する渇望である。

他者の上に立ち、権力を思いのままに行使して、好きなように世界を動かしたいという渇望。

人間の中で、生理的欲求とつながらない欲望では、これがひょっとすると一番大きいかもしれない。

政治家ではないが、蝮の行動の動機はまさにこれであった。

リエルもメリッサもそれを熟知していたが、それが故にそこを突くことはできない。

なぜならそれこそが陳腐でありながら<人間的感情>であり、<一般的な>思考だからである。

それは確かに陳腐である。 だが一般的だから陳腐なのであり、蝮自身もそれを熟知しているために

そこを機転に足下を掘り崩したり、罠にはめるのは極めて難しいだろう。

メリッサはリエルの積極攻勢を耳にすると、それは役割分担だと判断した。

そして自身は、ヴィルセにテロに対する防御に徹しさせながら、様々な種をばらまき続けたのである。

だが、それには根本的な問題が一つあった。 決定的な鍵となる策が、どうしても浮かばなかったのだ。

 

蝮の私室には、不機嫌そうな蝮と、無表情なナターシャがおり

被害報告をまとめた書類が机の上に山積みされ、青ざめた部下が何人か雁首をそろえていた。

「それにしても、小娘が、ここまで積極的な攻撃に出てくるとは予想外だったな

・・・まあ、情報戦で私が一歩先をとられるとは、さすがはリエルといったところか

相手を過小評価していたのは、或いは私だったかもしれんな」

舌打ちした蝮が呟いた言葉は部屋に広がり、青ざめた男達の顔にわずかな衝撃を与え

息を殺した人形達は、上司の次の行動を、沈黙と畏怖を持って見つめた。

「ナターシャ、あれから天界大使館に動きはないか?」

「はい。 アークエンジェル達は大使館に帰還し、次の指示を待っている模様です

また、フェゼラエルは徹底した警備網を指揮

わずかに損害を出しながらも、我らのテロ活動を完全に妨害しています

送り込んだ暗殺者のうち、すでに65名が消息不明、生き残って連絡を取ってきた者は少数です」

静かな沈黙が流れた後、蝮は鼻を鳴らした。

実際、彼の組織は致命傷を受けたわけでも何でもなく、ほんの枝葉の組織が損害を受けただけで

事実上はさほどの事態でもないのだが、こういう事態は部下の心理に大幅な負の影響を与える。

また、枝葉の組織の中の情報を、蝮が完全に掌握しているわけではない。

リエルは政治的思考とヒューマニズムを全く別に考える、定型的な職業政治家であり

権力欲など皆無に等しく、いかに効率よく政治をするか(政争をするかではなく)を最優先に考え

必要とあれば、自分自身の命さえ、削ることをいとわない。

普通の少女然とした外見に似合わず、苛烈であり冷酷でありながら、政治家としての素質を備えた存在だ。

故に捕獲された蝮の部下は、苛烈な拷問と自白剤の投与により、情報を洗いざらい吐かされているだろう。

となると、何かしらの情報が漏れているのは確実である。 それは連鎖的な相手の攻撃を招聘し

やがて蝮の組織は、失血死に至る可能性がある・・時間は、あまり残されていないといえるかもしれない。

「魔界大使館はどうしている? メリッサとヴィルセがよりを戻したらしい事は聞いたが」

ここでいうよりとは、恋愛感情ではなく、上司と部下としての信頼関係のことである。

静かに報告を待つ蝮の前で、ナターシャは情報を頭の中で整理すると、簡潔に主君の言葉に応える。

「現在は各地にグレーターデーモンを派遣し、様々な情報の取得と、皇国政府との連絡をしています

特にサウスロ=ラス人との人脈確保に躍起となっているようですが、いかが致しましょうか」

「ふん・・・捨て置け。 どうせ奴らは戦う以外には何の能もない連中だ

反乱を今更止めることはできないし、当初から連中は捨て駒にする予定だったしな。

それよりも、マーガレットの軍に仕掛けた罠の方を絶対に見破られるな。」

静かに頷くと、後は二三細かい指示を受け、ナターシャは部屋を出ていった。

そして蝮は、思い出したように部屋にいた男達を見回すと、鼻を鳴らした。

「どうした、言いたいことがあるなら言うがいい。 俺は言によって士大夫を殺すような真似はしない」

「は、はっ! ええと・・・天界大使館の攻撃が激しくなってくるのは目に見えています

私たちは、どうすればいいのか是非ご指示願いたいのですが・・・」

男達は表面上蝮の幹部であるが、この組織は完全なワンマン運営であり

故にこの者達は命令された事を的確にこなせる人材ではあるが、自主的な行動など絶対に任せられない。

蝮は男達の言いたいことを一瞬で理解し、その下劣さに鼻を鳴らした。

もし蝮が気の短い人物だったら、卑劣で情けない惰弱者どもを、この場で斬り捨てていたかもしれない。

要するに彼らは、自分の身の安全と将来の膨大な利益を、蝮に保証してもらいたいのだ。

蝮から言わせれば、笑止の極みだった。 皇国を大乱に巻き込み、世界大戦を誘発させ

世界人口の二割以上を死亡させようと言う巨大陰謀である、自分が地獄に堕ちることなどとうに覚悟済み

自分だけ安全なところでのうのうとその利権だけを貪ろうなど、あまりにも虫がよすぎる話だからだ。

当然蝮は、自分が死ぬことを当然覚悟のうちに入れている。

だがこの者達は、早い話が自分の安全を絶対者である蝮に保証してもらい、なおかつ安全な指示を受けて

都合よく巨大な権力と、膨大な富のおこぼれに預かろうと考えているのだ。

その卑劣さは、まさに<人間>の証であったろう。 卑劣さ加減では、蝮も他人のことなどいえないが

この屑どもには無い美学くらい、きちんと持ち合わせている。

いつだって死ぬ覚悟はしているし、自分の言葉と指示には責任を持つ。

そして行動の卑劣さは、パブリックに限定し、プライベートでは人並みの感情とて持ち合わせているのだ。

そんなことが免罪符になるとは、そもそも悪いことを自分がしているなどと蝮は考えていないが

美学はこの男にとって何よりの精神的財産であり、そして誇りだったのである。

男達に適当な言葉をかけて、部屋を出ていかせると、頬杖をついて蝮は何かを考え込んだ。

自分が魔界か天界に生まれていれば、或いは今よりいい道を進めたかもしれない、そんな事を

そんな他愛のない事を、絵空事を、一瞬だけ思ったのだ。

冷徹な男は、その考えの軟弱さに苦笑すると、以後はそれとそれに類することを、二度と考えなかった

 

「おう、戻ってきたナ。 ご苦労さん。 リエルから三十六時間の自由時間が出てるぜ

ゆっくり休んできな・・・次はいつ休めるかわからねえからな。」

「了解いたしました。 では羽を伸ばさせていただきます」

蝮の組織壊滅から帰ってきたアークエンジェル達、ノルエル、レグエル、アスタエルは

レギセエルの出迎えを受け、自室に引き上げていった。

この黒い肌を持つ天使は、ほぼルーシィと同じ研究をしている。

つまり、天界でも有数の人類国家犯罪学の研究者であり、将来を嘱望される人材なのだ。

天界でも人類の国家犯罪は、自分たちも至高神に私物化された国家で似たような事をしていたこともあり

研究が急務とされ、中でも優秀だったレギセエルと、人類学者のカズフェルに白羽の矢がたったのである。

そして、リエルの強硬策で蝮の組織の中身がしれてくると、それは格好の研究材料になった。

天界に帰ったら、妻と会う事の次に、彼は論文を仕上げる気だった。

それほど今回の任務は、良い資料を彼に与えており、十分に鋼鉄の肉体を持つ天使は満足している。

ヘッドホンからは、肩に担いだ巨大なラジカセから発生した音が、耳に直接流れ込み

余剰分は外に漏れている。 彼がお気に入りにしている曲で、何とか言う<ハードロック>の曲だが

家庭でもこの仕事場でも、その話がわかる者が一人もいないので、彼は普段音楽の話はしない。

故にというべきか、自分のみで音楽を楽しむことにしている彼は

軽快にリズムを取りながらリエルの私室に歩いてゆき、そして極めて簡潔に報告する。

「アークエンジェル達、帰ってきたゼ。 ちゃんと休暇の命令は伝えておいたかんな」

「ありがと。 そのチョタルテ、食べていいよ」

振り返りもせず、膨大な書類に目を通しながらリエルは言う。 チョタルテとは甘味が強いお菓子で

この間フィラーナから差し入れされ、あまりにもおいしいので今天界大使館の中でブームになっている。

もっとも、ゾ=ルラーラで市販されている物は、フィラーナが作った物より数段劣るため

リエルも貪り食うような真似をせず、あっさり譲るようなことを申し出たのである。

遠慮無くその厚意を受けると、レギセエルは自分に関係ある書類を手に取り、白い歯を見せて笑った。

「それにしてもこの国、ちょうどいい具合に腐ってやがるナ

<あの事件>を起こした至高神の独裁政権時代だって、ここまで腐ってやがらなかったゼ

この組織は、文字通りの癌だ。 しかも、その悪性腫瘍の方が、健康な組織よりも統制がとれてるときた

何で人間は進歩しねえ? リエル、意見を聞かせてくれよ」

「人間はね、有能無能に関係なく、相対的多数が自分の子孫に権力を継がせたいって考える生き物でね

しかもそれを正当化するために、いろいろな工作をするんだよ。」

分厚い紙束を手に取り、恐ろしい勢いで中身を頭の中に流し込みながら、リエルは言葉を続け

冷徹な観察者の瞳を持ち、同時に政治家としての客観的な視線を持つ天使の少女は淡々と言葉を吐いた

「その結果、どんな優秀な君主にたてられても、どんな優秀な政治体制が取られても

怠惰と権力欲と利己主義に裏付けられた個人的欲望が、悪事を取り締まる網の目をどんどん広げて

国家は腐っていき、最終的にはこうなるんだよ

でも、だれも改革しようとはしない。 現状を変えるのは鬱陶しいし、面倒くさいって考えるから。

まして、それによって、大量に人が死ぬってなればね・・・」

「HAHAHA・・・そうか。 それがずっと繰り返されてきたんだよな。」

笑いには嘲りの要素はなく、むしろ哀れみの要素が大きかった。

残っていたチョタルテを口に放り込むと、かみ砕き、それを飲み込んで、リエルはさらに言った。

「・・・そして、それが最終的には、崩壊と大混乱の時代を生む

新たな秩序が構築されるまでに、地面は大量の血を啜る。 ばかばかしい話だけどね。

政治を汚いって思うよりも先に、政治をきちんとしていれば、こんな事にはならない物を。

戦争を華美に脚色して、楽しむ人間は多いのに、どうして一番実効的な手段である政治を忌み嫌うのか

私には正直分からないよ。 あのロリ趣味ヒラヒラ脳天直撃娘はどう考えてるんだろね・・・」

「そうだな。 戦争に美学を見るのに、政治は一貫して汚いモンだって決めつける

人間の世界に伝わる昔話を調べてみると、たいがい大臣は悪役にされやがる

よく分からない連中だナ・・・俺たちと思考回路は殆ど同じなのに、生活環境が違うとこうも違うか」

更にそれにリエルが応えようとしたとき、第三者の声が割り込んだ。

「リエル、レギセエル、どうも捕獲した者の一人が、興味深い情報を持っていたようだ」

二人が振り向くと、そこにはカズフェルがいて、いつもより少し早めに牛の頭を回していた。

無言のまま二人は立ち上がると、カズフェルの後ろについて会議室に向かった。

既にそこでは、フェゼラエルが相変わらず何かよく分からないことを考えながら待っており

自分の席にめいめい着席すると、空間に響くような音をカズフェルは発する。

「どうやら、蝮が皇国軍に何か工作しているらしい。 確率はかなり高い様子だ

拷問されて瀕死の参考人が、うわごとのようにそういった内容の言葉を口走った。」

カズフェルの言葉は相変わらず事務的で、そして内容も極めて事務的であった。

拷問の監督などを大使館の責任者が何故しているかというと、カズフェルは魂を扱うプロであり

また人間研究の材料にもなるため、わざわざ拷問の監督をかって出たのである。

故にその言葉を聞き、急角度でリエルが眉を跳ね上げる

あり得ることだと彼女はその可能性を想定していたし、大体それが現実なら、状況は極めて悪い。

正規軍でも、地区軍のような、地方の軍だったらまだいいのだが

もしアドルセスの軍が瓦解したりしたら、皇国は確実に空中分解する。

「本当に、その言葉の信憑性は高いの? 信憑性の根拠は?」

「拷問後死んだため、魂を分離して尋問した。

強制精神剥離の結果、<蝮がアドルセス軍に何か工作をしているらしい>との情報が残されていた」

「ん・・・・えぐい真似しますね。」

素直に言葉を吐いたのはフェゼラエルだった。 純粋な武人たる彼女は、殺しが嫌いなわけではないが

やはりこういった拷問の類には嫌悪を覚えるようで、わずかに視線を逸らして何やら口中で呟いた。

ただ、パブリックとプライベートを混同するような真似はしないし

リエルの指示が冷酷に見えても正しいことも分かっているので、反対の意志を表すような真似はしない。

もっとも、これは数百年を生きたフェゼラエルだからできたことで

同じ政治家でも、たとえばレイアだったらその場で反発し、大喧嘩になったかもしれない。

それには一概に良いと言うことも悪いと言うこともない。

感情を完璧にコントロールできれば、それで良いというわけでもないし

逆にいちいち感情を暴発させていては、冷徹な判断を下さねばいけない事もある政治などできない。

リエルはフェゼラエルの様子を見て、反発する気がないことを確認すると

片手をあげて、カズフェルに提案した。 その表情は、いつも通りの冷静さに満ちていた。

「攻勢を強化しよう。 蝮を捕殺するために、増員を行うべきだよ」

「ふむ・・・そうだな」

カズフェルがわずかに牛の頭を上に向け、眼球をめまぐるしく回転させた。

巨大な目の上にある、いわゆる<天使の輪>が、黄色っぽい色から赤くなり、青くなり、また黄色に戻る。

考え込むときに、彼がよく見せる癖である。 やがて、目まぐるしい変化は止んだ。

「だめだな。 既に天界から、何度か詰問の使者が来ている。

本国でも、貴方の強硬策を問題視する者が多く、理由が聞きたいのだそうだ

他国の監視は中立でやっているのに、領地を抱えているからと言って、皇国に干渉しすぎれば問題も多い

故に、追加戦力は期待しない方がいい。 魔界大使館にも、増員は説明せねばならないし

それに、皇国の公務員は殺害できない・・・蝮の組織には、皇国の役人も多いという報告ではないか」

「一人や二人は大丈夫だよ。 それはあくまで公式の話なんだから」

凄まじい台詞を吐いたリエルに、流石にフェゼラエルが非難を込めた視線を送ったが

当人には悪気などないし、倫理的に問題があっても、それも政治的に正しいことではあるので何も言わず

数瞬の沈黙の後、カズフェルは牛の首の回転を止め、逆方向に回した。

「だめだ。 貴公が本格的に動いたら、死ぬ役人は一人や二人ではすまないだろう

しばらくは、情報収集に専念した方がいい。 これ以上の大規模な攻撃は見合わせた方が良いな」

「・・・・・。そうだね。 確かに一理あると思う。

じゃあ、第二次攻撃には、十分な情報を入手してから取りかかる。 それでいい?」

カズフェルは是と応え、リエルは吐息した。 確かに、ここはカズフェルの判断が正しいだろう。

ほぼ同時期に、蝮も攻撃をいったん中断したため、とりあえずの小康状態がここに訪れた。

ゾ=ルラーラの兵士達も疲れ果てていた事ではあるし、一旦戦線を再構築するのは必要な措置だったろう。

こうして、激しい攻撃の後、天界大使館は情報の再統合と戦線の再構築に勤しむこととなり

蝮の組織も、受けた損害を確認し、打撃を回復することに専念することとなったのである。

 

2,覚醒する才能

 

メリッサの部屋には、紙くずが無数に転がっていた。 同時に、無数のため息がはき出されていた。

今まで彼女は、魔界のいくつもの土地を立て直してきた。

それ故に若くしてBランクという高位の評価を受け、評価以上の功績を着実に挙げてきたが

しかし、ここは魔界ではなく、天界でもなく、人間の世界である。

技術さえも現地調達せねばならぬ過酷な環境、三権分立のなんたるかさえ知らない民に対する政治等

苦労は絶えなかったし、これからも絶えないことは疑いないが、それでも弱気など吐いたことはない。

しかし流石の彼女も、ここまで条件が限定されると、心労が絶えないようであった。

どうすればいいのか、彼女の中には展望がある。 しかし、それはあくまで<やるべき事>であって

具体的に何をするのかの、細部の調整はまだできておらず、その起爆剤となる策も無い。

唯一の救いは着実な成長を見せているヴォラード、自分を支えてくれる仲間達であるが

それにしてもこの状況の悪さは、ため息を途絶えさせることがない。

しかも、代わりの人員も魔界には余剰が無く、派遣など期待できないのだ。

状況は天界大使館も同じである。 故に、メリッサもリエルも、人材の現地調達と育成を重視し

両者共に苦労しつつも、ようやくまともな力を持つ人材が育ち始めていた。

中でも、リエルとメリッサが共に注目しているのが、抜群の記憶力と情報処理能力を持つレイアである。

メリッサのレイアに対する評価は、Cランクである。 これは小国の政治を十分に任せられるレベルで

今はまだ小粒だが、感情の制御と知識の習得を効率よく進めれば、Bランクも夢ではないと判断していた。

無論、現在の総合的な能力では、歴戦の勇者である父には及ばないものの

ひょっとすると将来的には、武芸はともかく、確実に父を越える人材になる事ができるかもしれないのだ。

そんなレイアも、年頃の女の子らしく、美麗な容姿を持つモルトに興味があるらしく

時々おずおずとモルトの話をメリッサに聞こうとしたが、複雑な感情を込めた視線を向けられ

更に鼻で笑われ、真っ赤になって引き下がることが多かった。

「メリッサ、何用だ」

そういって私室に入ってきたのはモルトだった。 床の様子を見回し、そしてメリッサの顔を凝視する。

「どうした、この有様は」

「どうもこうも、最終的な策が思い浮かびませんわ。 政治戦略は既に完成しているのに・・・」

無骨なモルトの言葉に頭を掻いて苦笑すると、丸められた紙の一つを手に取り、メリッサはゴミ箱に投じ

ゴミ箱が不要なゴミと自動判断し、焼却処理する音を聞きながら、同僚に続ける。

「やっぱり、政治が分かるのが私だけでは限界がありますわね

せめてもう一人、C級クラスの政治家がいれば、ずいぶん楽になるんですけど」

「だったら人材を育成するしかあるまい。 レイアを何とか一人前に育てればいい」

モルトの言葉は淡々としていたが、同時に的を得ており、メリッサも静かに頷いた。

政治に興味を持たないこの男でも、現在の状況で何をするべきかくらいは分かるし

それができなければ、今まで生き残ってくることが不可能だっただろう。

「で、何用なのだ?」

脱線していた話をスタートラインまで引き戻すと、モルトはメリッサを見た。

その様子を町にいる娘達が見たら、思わず心臓の鼓動を高くしただろう。 相変わらずの美麗な容姿で

低めの声も独特の威圧感があり、彼の余計な魅力を増す要因となっている。

「何用って、先ほどまでの会話から察して欲しいものですわ

レイアさんは年頃の女の子、カンフル剤を打てば何よりもがんばる年頃です

で、あの年頃の女の子に、一番効くカンフル剤といえば・・・」

「断る。 私は二度と妻をめとらぬと言ったはずだ。 まして人間の妻は絶対にめとらぬ!」

声に不快感を潜ませて、モルトは目をつぶった。 それは絶対的な信念に裏付けられており

魔界でも決して醜男ではない彼が、一度妻を失ってから、結婚しようとしない理由も込められていた

「まじめに取りすぎですわよ、モルトさん。

相手は恋に恋する小娘、要するに貴方の魅力を見せつけるだけでよいのですわ」

不愉快さを顔面中に出して押し黙ったモルトを楽しそうに見ながら、メリッサは続ける。

これは人の心を弄ぶ行為にはいるのであろうが、当然メリッサはそれに気づいていた。

だが、実際モルトがレイアをどう考えるかはこの後に決まることでもあるし

レイアの頑張り次第でも、いくらでも状況は変わるはずだ。

残念ながら、現在は箸にも棒にもかけられていないが、今後もそうかは誰にも分からない。

また、モルトもこのヴォラード地区に愛着を感じ始めており、何かしたいという感情も背中を押した。

「・・・・分かった。 具体的に何をすればいいのだ?」

「その剣、ブラッディクロウの事でも、話して差し上げればよろしいですわ」

入浴するとき以外は、いや入浴するときでも手元に置いている愛刀を軽く持ち上げると

モルトはやるべき事を把握し、純粋な少女に精神的なトラップを仕掛けることに罪悪感を感じながら

部屋を、静かに出ていった。 その背中には、寂しげな雰囲気が薄く張り付いていた。

「ふーん、モルちゃんに、ずいぶん過酷なことさせるんだねー」

「・・・レイアさんが、傷つかないといいのだけど」

「一人の女の子の心を弄ぶのか? 私はあの子が傷ついても責任は持てないよ」

「・・・ま、いろいろ考えてのことですわ」

暫くして、部屋の中に入ってきたルーシィとフィラーナ

それにヴォルモースは、事情を聞くと口々に言った。 声は一様に、非好意的ではあったが

メリッサのことを信用してもいたから、断定的な否定は無く、理由を尋ねる要素の方が大きかった。

結局、メリッサは何も言わなかったが、ヴォルモースだけはその理由を察し

やがて、いつもと同じ、温厚な口調で言う。

「ふむ・・・まあ思うとおりにやってみなさい。 ただし、レイアさんを傷つけてはいけないよ

あの子は純粋だが、純粋というのは白にも黒にも染まるのだ。 ああいう子が壊れると一番怖いよ」

「・・・ま、多分大丈夫ですわ。 モルトさん次第ですけど」

それだけ言うと、メリッサは再び執務に戻り、皆は部屋を出ていった。

まだメリッサには処理する仕事が山ほどあり、無駄口を叩いている暇など残っていなかったからである。

 

この所、レイアも加速度的に忙しくなっている。

流民の数は最近落ち着き、陶磁器の工房はほぼ経営が軌道に乗ったため、収入は問題がなかったが

彼女が処理せねばならない情報はますます増え、また護衛も父から常時つけられたため

精神的に休まることが少なく(ヒステリーを起こすような事はなく、それ故にストレスは更にたまった)

時々は目の下に隈を作ることもあり、それを鏡で見ると、レイアはますます落ち込むのだった。

たまりかねたヴィルセは、娘を自室に呼び、開口一番に言った

「レイア、少しは休め」

「休むっていっても・・・お父様、私どうすれば良いんですか?」

無骨な父に連れられ、戦場を歩いていたレイア。 その間、ずっとしていたのは事務仕事。

遊ぶ方法など知らないし、同世代の女友達などいるはずもない。

引っ込み思案な性格も災いして、今までレイアに友達といって良い存在は一人もいなかった。

最近はフィラーナと良好な関係が続いており、フィラーナは友だといえるかもしれないが

レイアにはまだ若干の遠慮があるようで、素直になりきれないのが事実である。

だから、友達と遊ぶという発想もなかったし、何か趣味をするという事も思いつかないし

ましてや男友達とデートするなど、この少女には想像することさえできなかった。

「・・・そうだな、ではフィラーナさんと、何かしてくるといい」

「分かりました。 魔界大使館に行って来ます」

疲れ切った様子で、レイアは父の私室をでた。 そのまま護衛の兵士と共に、大使館に向かい

フィラーナを呼ぶと、タイミングが悪かったのか、メイドの少女は出かけている最中だった。

そのまま肩を落とし、レイアは帰ろうとしたが、それを見つけたモルトに呼び止められ

魔界大使館の居間に通されて、茶菓子と紅茶を出されたのであった。

護衛の兵士は、例のごとくレイアが帰るまで自由時間であり、近くの酒場でくつろいでいる。

何を話して良いか分からず、ただ縮こまっているレイアと、むっつりと黙っているモルト。

居心地の悪い空気が周囲を包み、やがてレイアは顔を上げた。

「あの・・・私・・・邪魔だったら帰ります」

「いや、別に帰る必要はない。 フィラーナの友は我が友でもある、ゆっくりくつろいでいくがいい」

これでもモルトにとっては精一杯の優しい言葉であり、だが非常に滑稽でもあったので

物陰から見ているルーシィは思わず吹き出し、実は出かけて等いなかったフィラーナと顔を見合わせた。

モルトは不器用な男である、器用な人物だったら、遙か昔失った妻のことにとっくにけじめをつけ

そのことに縛られず、もっとずっと器用に日々を送っているはずだ。

モルトの言葉を受けたレイアも、相手が優しい言葉をかけてくれたことには気づいたが

それにどう反応して良いか分からなかったので、小さく頷いて、再び黙りこくってしまった。

色恋沙汰に精通した者は、魔界大使館にはいなかったが、それでもルーシィなどは歯がゆかったようで

いらいらしながら二人の様子を見つめ、フィラーナに引っ張られて舌打ちした。

やがて、沈黙を破ったのはモルトだった。 任務を思い出したこともあるし、沈黙を億劫に感じたのだ。

「そういえばずいぶん疲れているようだが、どうした。」

「えっ・・・それは・・・自分でもよく分かりません

・・・仕事はやりがいがありますし、魔界大使館のみなさんが来てから、驚くことばかり・・・

怖いこともありましたけど、それは戦場ではしょっちゅうでしたし・・・・」

しどろもどろなレイアの言葉に、モルトは舌打ちしそうになったが

相手が必死に話そうとしていることを察し、平静を装って相手の言葉の続きを待つ。

「・・・・多分・・・あの・・・仕事がいつもよりずっと多いから・・・

それがずっと続いたから・・・・疲れたんだと思います。」

「そうか。 自分の状態を分析できるのは良いことだ。

疲労を回復するには趣味がもっとも良い。 何か趣味を持ってはいないのか?」

モルトの言葉に、レイアは首を横に振った。 先ほどからのぞき見に加わっているヴォルモースが

フィラーナを見ながら、楽しげに触手を揺らす。

彼らにモルトは気づいているだろう事は、当然承知の上でである。

「ほほう、うまいな。 上手に話に持ち込んだぞ」

「メリッサさんの作戦通りですね。 でも、レイアさんが傷つかないようにして欲しいですが」

「じょぶじょぶ、だいじょーぶ。 あれでもモルちゃんはフェミニストだからー。」

一瞬だけ、モルトが殺気を込めた視線をルーシィが隠れている方に向けたので

三人は一斉に首をすくめ、無駄話をやめてその場を離れた。 これ以上は必要ないと感じたからだ。

 

趣味は何かと聞かれたレイアは、ショックを受けたようで、暫くうつむいてまた黙り込んでしまったが

やがて顔を上げ、沈鬱な表情でモルトに応えた。

「趣味・・・ありません。 作る暇もなかったし、何をして良いかも分からないし・・・」

「それではどうやってストレスを発散する。 そんなことではいずれ爆発してしまうだろう」

モルトの言葉はもっともであったし、レイアもその正しさを理解できたが、同時に反発がこみ上げてきた。

「そんな・・・・でもどうしていいのか・・・」

「無ければ作ればいいのだ。 フィラーナに菓子の作り方でも教えてもらったらどうだ」

「前に作ってみましたが・・・黒こげにしてしまって・・・」

その言葉で、モルトは以前の奇妙な菓子のことを思い出した。

この間、フィラーナが料理を失敗したとかで、黒こげのクッカス(若干苦みのある菓子)を

モルトとルーシィで、たっぷり一人前以上処理したことがあったのである。

考えてみれば、フィラーナがあそこまで酷い失敗をするわけがない。

あのとき、レイアが大使館に来ていたことを考えれば、何故あんな失敗をフィラーナがしたのか頷ける。

レイアも、趣味を作ろうと努力はしているのだろう。 しかし、元々引っ込み思案のこの少女は

一度の失敗でめげてしまい、もうそれには手を出したがらないのだろうか。

「はじめは誰でもあんな物だ。 フィラーナもな、我々が引き取ってすぐは、料理も下手でな

あのクッカスより酷い菓子を食べたこともある。 だが、今ではこの通りだ」

そういって、モルトは菓子を口に放り込み、茶で胃に流し込んだ。

だが、レイアは笑わなかった。 さっきより沈鬱な表情で、静かにモルトに応える。

「・・・私は、フィラーナさんじゃありません。」

 

ナーバスな精神が、うつむいたレイアの心を、染みのように浸食していた。

今まで憧れていた男性と話すことができたというのに、話せば話すほど染みは心を浸食し

現在では別に、モルトと話しても何も感慨を受けることができなくなってきていた。

それを察したモルトは、相手の扱いを失敗したことを感じ、数秒の思案の末に話を再開した。

「この刀、私の愛刀だが」

緩慢に顔を上げたレイアは、モルトが常に持っている巨大な刀が、机におかれたのを見た。

この剣はモルトの愛刀という域を超え、命と言っても良いほどの銘刀で

その破壊力は高位魔族や熾天使にも通用するほどで、現にモルトは以前熾天使を一人倒したこともある。

それを手放し、机の上に置く、それがどれほどの事か、レイアにもすぐ理解でき

心配そうにモルトを見上げたが、美麗な青年は顎をしゃくって触るように促した。

おっかなびっくり伸びたレイアの指が、電気に触れたように動かなくなった。

凄まじいほどの愛着が、刀に込められているとレイアにも理解できた。 物に対する以上の愛着が注がれ

ふれただけで、全身にその息吹が、暖かみが伝わってくる。

同時にそれは殺戮の道具らしく、強烈な威圧感と殺意をレイアに伝え

一瞬の硬直の後、レイアは指を引いた。 それを見届けると、モルトは口を開く。

「どうだ、我が妻のさわり心地は」

「・・・? え?」

「その刀は我が愛刀、ブラッディクロウ。 血を啜り、力を増す存在であり、絵に描いたような妖刀だ

だが、これは元々私の妻だった。 もう五百年も前の話だ」

あまりな話に唖然とするレイアに、モルトは淡々と話を続ける。

もし、モルトがレイアのことを嫌っていたら、こんな話をしただろうか。

愛と好きには大きな格差があるとはいえ、命令だとはいえ

モルトが決してレイアを嫌っていないのは、この一言からも明らかだった。

或いは、現在いる仲間以外に、全てをいえる相手を欲していたのは

この無骨な青年だったのかもしれず、それを察したからヴォルモースは反対し無かったのかもしれない

「私の妻は人間で、今地上には影も形もない、アッテリアという小国の神官をしていた

出会いはひょんな事でな、当時遊撃部隊として地上で単独行動をしていた私が

人間と天軍の関係を知るため、彼らの神殿に潜り込んだのがはじめだった。

任務としては全く下らぬ結果だった。 彼らは支配に都合がいい宗教を崇拝しているだけで

実際には天軍とは何の関係もなく、殆ど無意味な任務だったよ。

そこで回復魔法もろくに使えず、つまはじきされている娘が一人いた。 それが我が妻だった」

レイアの表情は真剣で、モルトの言葉の一つ一つすら聞きもらさじと話に入り込み

一方でモルトは相手の様子など気にするでもなく、淡々と話を続けた。

「我が妻の名はフラード。 様々な経緯の末に、私についてきた彼女だったが

私にはもったいないできた娘でな、私の正体を見ても怯えることもなかったし、普通に接してくれた

やがて神官をやめた彼女は、私について魔界に来た。 そこで驚くべき事が判明した

彼女は魔法が使えない訳ではない・・・無意識下で強力すぎる自分の魔力を封印していたのだよ

魔界でも通じるほどの魔力が一旦解放されると、十分彼女は魔界でも受け入れられた

私は彼女を正式に妻にめとり、二人の生活が始まった。 子供は結局できなかったがな」

「それで、どうなったんですか?」

「どうもならんよ。 私と彼女の寿命があまりにも違いすぎた、それだけのことだ」

その時、初めてモルトの顔に寂しさが差し、思わずレイアは鼓動が高鳴るのを感じた。

「84歳でフラードは死んだ。 人間としては標準だったな

だが、最後に彼女は、自分の魔力を全て使い、自分を刀にしたのだ

死ぬ前に、笑みを浮かべてフラードは言った。

<貴方にとって、一番大事な趣味は刀。 だったら、私は貴方の最も優れた刀になります

そうすれば、貴方は心安らごうとするとき、いつでも私と一緒にいられます

私も、貴方と一緒にいられれば幸せだし、こうするのが、二人にとって一番いいんだわ>とな

あいつは、心を安らがせる事がいかに大事か知っていた。

そして、自分の最後の力を使って、私のためになってくれたのだ」

落涙していたのはレイアだった。 モルトは刀を再び腰にくくりつけると、話をくくった。

「一番好きなことを、趣味にすればいい。 それだけだ。 それだけで、ずいぶん楽になる

私のような幸運は殆ど巡りこないが、それでもどこかにそういう物はあるはずだ」

モルトの言葉には重みがあり、それ以上の説得力があった。

ハンカチを押さえていたレイアは頷くと、茶をゆっくり飲み干し、挨拶して部屋を出ていった。

「そう、うまくいきました?」

「・・・まあまあだ。」

部屋に入ってきたメリッサが、成果を確認すると、モルトはむっつりと応じた。

レイアの成果よりも、モルトに対する成果の方が、メリッサとしては楽しみだったのだが

それには気づかなかったようで、モルトの言葉はあくまで冷静かつ淡々としていた。

あの様子からして、レイアがこれからやる気を出して、一気に精力的に活動するのは疑いない。

その原動力となるのが、趣味に対する情熱と(まだ何を趣味にするのかは分からないが)

モルトへの、今までは淡く、だが今確信へ変わった想いであろう。

それらのもたらす力を知っているのは、メリッサの若さに似合わず持ち合わされた老獪さ故であろうか。

ともあれ、メリッサの策は見事に成功したことになる。

ミクロの点を刺激することで、マクロの点を活性化させる策としては、見本のように優れていたが

同時に人の心を操作するという点で、後には批判を受けるやもしれない。

だが、それが政治という物の美醜を兼ね備えた点であり、その点だけを見て全てを論じ

一概にメリッサが悪だと決めつけるのは、政治的に早計であろう。

政治判断で、最もやっていけない事は、、ミクロとマクロのすり替えであるが

実際問題、ミクロとマクロは互いに密接な関係にあり

有力なミクロを刺激することによって、マクロが強力に活性化することもあるのである。

今後、メリッサの読み通り、レイアは一気に才能を覚醒させ、そして政治的な大金星を上げる事になる。

 

3,破滅の足音

 

皇国の辺境で、再び反乱が活性化し始めたのは、モルトとレイアの会話から半月が過ぎた頃であった。

まず、火花が散ったのは、四千の人口を抱える、皇国最南端の地区ロモルタールであり

ここは連合との戦当時、三回にわたって連合に制圧され、同じ回数皇国に奪還された場所で

そのたびに戦渦に巻き込まれたため町は荒廃、しかも現在は苛政に苦しめられていた。

ここで貧民が一斉放棄したのを皮切りに、隣のメドルスア地区でも火花があがり

他四つの地区でも立て続けに反乱が起こって、それらの反乱軍は合流、合計一万に達する大兵力となった。

これに対し、皇国は南部地区の監視駐留、第八、第九、第十師団を動員、合計三万の戦力で応戦したが

反乱軍は土地を利用したゲリラ戦を展開、容易に敗北を許さなかった。

強固な抵抗を反乱軍が見せたのには、或いは連合による助勢が期待できると考えたからだが

連合は完全な沈黙を守り、動乱をただ眺めているにとどまった。

これは冷静な判断である。 皇国を引きずり回したいのなら、もっと反乱が拡大してからの方がいいし

第一、今は金貨一枚を惜しんで国を復旧している状態である、無駄な戦力など出しようがない。

皇国はこの事態を重く見た。 無能な政治屋達は、連合がこの混乱に介入してくることを心配し

アドルセスに出撃を要請、却って混乱を加速させることとなった。

結局、アドルセスは出撃を見合わせることになり、更に四つの師団が南部に援軍として投入されたが

戦闘は容易に収束せず、ただ死者ばかりが増えていった。

結局、死者合計4500名を出して、この局地反乱は収束したが

皇国の政治的混乱は更に加速、慢性的な反乱が起こりうる状況となり、魔界大使館では会議が招集された。

 

会議の招集と同時に、不安げだったのはレイアだった。

最近政治のことが大分理解できてきた彼女は、今回の状況がいかにまずいか分かったし

大体理想主義者でもあったから、こういった無駄なことで人が死ぬのには耐えられなかったのである。

前にメリッサにくってかかったこともあるし、能力も信頼していたし

メリッサがこれ以上の損害を増やさずすませられるとも信じていたから、余計に不安は募ったのだろう。

一方で、期待されている政治家少女は、実は既にいろいろと手を回し

ロモルタールの地区反乱軍の瓦解促進工作に成功、死者を最小限に減らした功労者なのだが

それをわざわざ誇るような真似をせず、主要メンバーがそろったのを確認すると

ヴォルモースに確認し、改めて咳払いをして会議の開始を宣言した。

会議の最初のうちは、ヴォラードにおける政策が確認され

ヴィルセの指揮する特務部隊が、着実に破壊工作を防ぎ、テロリストを撃退していることが確認され

また同時に、イルフの陶磁器がよく売れていること、塩田の経営が問題ないこと

はげ山となっていた山々の復興が順調であること、農作物が十分な量の収穫を見せていること

それに新市街地区が六割ほど完成し、開墾も進んでいること等が確認されると、ため息があがった。

「正直、たかが二年弱で、ここまで行けるとは思っていなかった」

ため息の主であるヴィルセが呟くと、トモスからも賛同の声が挙がり、メリッサは鼻を鳴らした。

「この程度の事、私にとっては余技にすぎませんわ

適当な人員がいれば、魔界のB級政治家なら誰にでもできる程度のこと。

それよりも、本題はこの後のことですわ。 まず、第一に」

メリッサが指を横に滑らすと、宙に皇国の地図が出現し、いくつかの地区が赤く示された。

それらの地区に、レイアは見覚えがあった。 皇国における、最大貧困地区である。

中には既に反乱が起こった地区もあり、それらは紫色に塗り潰されていた。

「これらの地区に、政治のまずさ、宗教差別、民族差別

それらによってあまりにも物資が不足している。 それが反乱に結びついています。

で、それを解消するには、どうしたらいいのか」

皆が沈黙し、メリッサの言葉を待った。 演出を兼ねてか、目をつぶると、政治家少女は言葉を紡ぐ。

「それには、道を造って、風通しをよくすることですわ」

「ほう、道ですか」

楽しそうに応じたのはトモスだった。 彼には、メリッサの言葉が何を意味するか理解できたのである。

一方で、不可解そうな顔をしたはヴィルセで、挙手して言葉を吐く。

「具体的に、何故それが反乱の抑制につながるのか、儂にもわかりやすくご説明願えぬだろうか」

「了解しましたわ。」

メリッサが机の上のキーボードを操作すると、皇国の主要道路が画面に追加して映し出され

そしてそれをよく観察すると、貧困地区はいずれも主要道路からはずれ、或いは外側に位置していた。

「歴史的に見ると、最も発展した町はいずれも物資の中継地点、或いは生産地点です

逆に言うと、物資の流通ルートにも位置せず、何もとれぬ場所は、絶対に発展いたしませんわ」

「なるほど、そしてそれをどうやって行うのだ? また、行ってもすぐには物資は満ちぬのではないか?」

「行う方法としては、皇国に圧力をかけますわ。

問題は、どうやって皇国に道を作らせるかですけれども、策がないわけではありませんわ

いくつかの地区には、既に展望があります。

この地区、それにこの地区、この地区は首都と南部の大都市を結ぶ道路が造れます

これに関してはさほど問題はないでしょう。 皇国に、どれだけ儲かるか示してやればいいのですわ

実際に、既に皇国に書状を送って、行動ははじめさせております

現地では多数の人夫が雇われ、既に工事が始まっているところもあり、経済は活性化が始まっています

天界大使館に連絡したところ、向こうも異議は唱えませんでしたわ。

そればかりか、向こうからも提案があり、更に効率的に作業は開始されています

民衆には食料が行き渡り始め、反乱の火は下火になっていますわ

しかし問題は・・・こことここですわ」

メリッサの指が指したのは、北部イレル地区と、アイフェンドール地区の二つであった。

これらは最も貧しい場所にあるばかりか、大都市を結ぶ線上にもなく、大体に執政官の能力が低すぎる。

何かしらの利益を上げるにしても、まず執政官を更迭することから始めなくてはならず

その手間は、まさに想像を絶する。 尋常な策では、この地区を活性化させるのは不可能だろう。

そして、特にアイフェンドール地区が、最大最悪の問題点である。

ここに住む者達は、皇国に対して絶対的なまでの憎悪を、無限大の恨みを抱いてしまっている。

それを消すことは不可能に近く、長期的な融和策で、徐々に憎悪を解いて行かねばならないが

今はその時間がない。 そして、これらの地区に蝮が手を回している可能性はほぼ100%だろう。

「ここを活性化させるに、私には具体的な策がありませんわ

そして、この二つが本格的に蜂起したら、皇国の地区軍の手には負えません

そうなると、必ずアドルセス旅団が介入する事になりますが、それは内戦の本格化を内外に示すような物

下火になっていた反乱の気運も、一気に加熱して、皇国の戦乱は一気に加速しますわ。

いかにアドルセスが名将といえど、100倍の敵には勝てませんもの

そうなったらどうなるか、子供でも分かることでしょう」

「・・・そうなったら、皇国は終わりということですな」

「ふーん、そっか。 そりは大変だねー」

さほど悲しそうでもない口調で、トモスが言い、隣ではルーシィが頬杖をつきながら応じている。

トモスにしてみれば、そうなってもメリッサの部下になっていれば生き残る自身があるし

ルーシィの立場から見れば、そうなればますます人間の国家犯罪の観察ができるのである。

「あの、メリッサさん、反乱はどういう人が起こそうとするんですか?」

「そうですわね、北部イレル地区では、執政官に反対する農民の組織があるらしいんですけど

多分その長を首領として、反乱が起きるでしょう

アイフェンドールでは、おそらくサウスロ=ラス人の顔役が首領になりますわ」

挙手したレイアの発言を聞き、メリッサは彼女が何をしたいのか即座に察していたが

それでもわざとらしく、そして会議の出席者にわかりやすく状況を説明した。

「具体的な、その人達の名前は分かりますか?」

「サウスロ=ラス人の首領となるのは、おそらくルティ=ウィンドスレイという男ですわ

まだ若いながらも、サウスロ=ラス人の英雄の血を引くとかで、高い人望があり

実際本人は極めてまじめな性格で、実直な能力を持ち、そこを蝮につけ込まれたんでしょう」

隣で聞いていたモルトが、わずかに顎を引いた。 それを見て、メリッサは付け加えた。

「その通り、蝮がこのルティに手を出しているのはほぼ間違いありませんわ

アスクライドに持ち込まれていたのと同じような、魔導兵器が持ち込まれているのは疑いないでしょう

既に蝮の部下の活動を、ここで確認しています。」

「北部イレル地区の代表は、どんな人ですか?」

「こっちは普通のおじさんですわ。 確かどっかの医院を経営しているとかで、農民に人望がありますが

私から言わせれば、他にろくな人材がいないから、<比較的まともな>この男が選ばれているだけですわ

確か名前は、フルネームでロッテング=ハルンフォークスとかいうそうですけど

あまりに長すぎるので、ロッテって周囲に短縮して呼ばれているそうです」

レイアは、ひとしきり情報を得ると、顎に指を当てて考え込んでいた。

この最高幹部会議では、他では絶対に漏れない情報も机上に上がる。

今流れた情報がまさにそれであり、イルフなどは蚊帳の外から政治的な話を眺めているが

メリッサやレイア、それにトモスやヴォルモースには重要な話なので、皆耳を真摯に傾けている。

「・・・説得すれば、反乱をやめさせられそうなのは、どちらの方でしょうか」

「どっちも不可能ですわ。 言葉だけでミクロの人間を動かしても、長期的なマクロの波は動きません

である以上、例え一人の心を動かしても、一時的に動かしても、それはただの無駄。」

「では、何か餌があれば・・・動きますか?」

身を乗り出したレイアの瞳は真剣で、それを受けてメリッサも知的好奇心に満ちて輝いた。

「もちろん。 でも、地区の民が一気に飢餓から解放されるくらいの物でなくてはいけませんわ」

「時間稼ぎになる物はあります。 最近在庫を調整して、ある程度の金を蓄えることに成功しました

これは勿論ヴォラードの発展に使う物ですけど、これの一部で・・・」

レイアは地図上に指を走らせ、幾つかの地区を順々に指さし、無数の視線を浴びながら臆せず言う。

「こことこことでホルコモ、ここでドッカルド、ここでアンドラーセス・・・

野菜と穀物をそれぞれ買い付けると、両地区の住民の三月分の食料くらいになります。

これを、天界と魔界からの援助物資として、<皇国最大の貧困区>である両地区に、正式に譲渡しては?

この地区からの援助物資であれば、リエルさんもきっと文句を言いません

それに、三月分の食料でも、貧困になれているあの人達なら、もっと持たせられるかも」

「ふーむ、なるほど。 確かにそれは時間稼ぎになりますわ」

一瞬、不満そうな視線をトモスが向けたが、反乱が起こると彼がイルフと共に行っている陶磁器の市場が

一気に壊滅する算段を示されると、すぐに押し黙って意見に従った。

「問題は、同地区の執政官達による猫ばばですね。 蝮による略奪も心配です」

「いや、後者は問題がありませんわ。

魔界と天界が公式に声明を出せば、それは両世界からの正式な援助物資。

それを略奪したら、両世界からの大艦隊が蝮を灰にしに襲い来る・・・と判断するでしょう」

このメリッサの洞察は、完全に正しい。 蝮がこの場にいたら、正にその通りと呟いただろう。

ただし、前者に何もふれていないと言うことは、それが問題だとメリッサも認めていることである。

それにしても、ヴィルセはレイアの態度に目を見張っていた。

この間以来、娘の成長ぶりは驚くばかりで、今も堂々と政治的な話を、皆の視線を浴びながらしている。

一方で、若干不快そうなのはトモスだった。

今まではただの小娘にすぎないと思っていたレイアが、確実に自分の座を脅かす存在になって来たからだ。

現在、二人はそれぞれ得意分野を分担し合っている形だが、レイアがここで更に実力を付けてきたら

トモスは仕事を失うか、或いは三十も年下の小娘を、上司として仰がねばならなくなるであろう。

俗に言う<汚い大人>であるトモスは、権力欲も豊富だし、必要だったら相手にこびへつらう。

だからこそ、レイアに負けるのはプライドが許さなかった。 あわてて汗を掻きながら、提案する。

「グレーターデーモンといいましたか、あの悪魔達を護衛につけてはどうなのですかな?」

「にゃはははは、ライバルには負けてられないってー?」

「ごほん。 ルーシィ、無意味な発言は慎みなさい」

発言したトモスに、ルーシィが白けきった声を投げかけ、ヴォルモースが咳払いをした。

隣では、完璧に心を見透かされたトモスが、青い顔でルーシィを見やっている。

メリッサはヴォルモースが場をまとめたのを見届けると、トモスとレイアを共に見、静かに言う。

「いいですか、今は権力闘争をしている場合ではありませんわ

ましてトモスさん、孫のような年の女の子に、向きになって突っかかっていくのは感心しませんわ」

「し、しかし、しかしメリッサ様!」

「私は、貴方の能力を買っています。 今日のことでも、地位をどうこうする気はありません

でも、権力欲に取り憑かれて、同僚の足をひっぱたりしたら遠慮無く更迭しますわ

成長しつつあるレイアさんに負けたくなかったら、自分も政治的能力を磨けばいい。 違います?」

「その通りだ、トモス殿。 負けたくなければ能力を磨けばいい。」

ヴィルセにも言われ、トモスは恐れ入って引き下がった。

それを確認し、十分ほどの休憩の後、メリッサは再び会議の口火を切った。

「では、話を戻しますわ。 アイフェンドール地区の執政官、イクゥオーバーネギテス

北部イレル地区の執政官、ドラントール=ロー。 この二人は物欲と権力欲の権化ですわ

しかも無能、猫ばばがしれたらどうなるかなんて考えもしないでしょうし

自分の足下がどうなっているかなんて、思いつきもしないことでしょうね」

「つまり、それは本人達に説明をしても無駄だということかな?」

皆を代表してヴォルモースが言うと、メリッサは頷き、後ろにある暖炉で、薪が大きく爆ぜた

「ならばどうすればいいか。 暗殺か執政官の交代か・・・」

「悪事を皇国政府に示すってのはだめですか?」

レイアの発言は常識的だったが、それは常時では意味のないことであった。

何故ならこれらの地区での悪政は、半ば公認の物であり

そしてそれら不正な手段で得た金品は、中央の役人への賄賂に使われていたからだ。

要するにこれは、皇国による民族レベルでの公認略奪行為であると言い切っても良かったかもしれない。

それを中止させねば、この地区に住む民族達は、何をしても未来を得られないことになる。

だが、今回においてレイアの発言は、大使館を通しての発言で、というおまけが付く。

惰弱な皇国の中央政府の役人達に、魔界大使館の追求に空とぼけるなどと言う芸当はできないし

もしできたとしても、多少脅してやればすぐに何とかなるだろう。

メリッサは、最終的な策を先送りにすると、ヴォルモースに何やら耳打ちし

そして、その承認を得ると、咳払いの後発言した。

「では、結論ですわ。 まず私は、これよりレイアさんの出した試算通り余剰資産を食料に変換

天界、魔界の政府に交渉して、それを援助物資としてアイフェンドールと北部イレルに流し込みます

それと平行して、魔界政府の名で両地区の執政官の罪状を告発、交代させます

モルトさん、ヴィルセさんは共同して、地区の守備に当たってください

その間、手が足りなかったら、ルーシィさんも手伝って。

レイアさん、貴方には二つのことをしてもらいます。 一つは、両地区活性の切り札となる策を考える。

もう一つは、ルティとロッテの説得。 グレーターデーモンのゲズールルさんを護衛につけますので

援助物資が届き次第、早速任務にかかってください。 よろしいですか?

トモスさん、それにイルフさんは財政の管理! 今は金品が少しでも欲しいですわ

なんとしても金を工面し、できれば更に援助物資を用意できるほどにも受けて下さい

でも、民の信頼を損ねたり、我が地区の信頼を損ねるような真似は禁止です。」

全員が一様に頷き、自分の任務を確認すると、席を立った。

無論この間、メリッサは皇国に働きかけて、道を造るのを促進させてやらねばならないし

天界大使館や魔界政府とも、ヴォルモースと共に交渉して、自分の策の手助けをさせねばならない。

早速レイアは、流民達の間から聞き出し、自分でも調査した物価の表をメリッサに提出

暫く実力の増強に精を出し、地味な活動に徹していたヴォラードは、目に見えて活発に動き始めた。

それは不況にあえぐ周囲の地区の民衆からは、希望の光ともとれたし

一方で蝮からは、不吉な活動の前兆にも見えた。 故に、暗殺者は活発に進入するようになってきた。

同時期、天界大使館も情報の取得をほぼ完了、また攻勢に出るべく準備を始めていた。

 

4,魔界の助け

 

サウスロ=ラス人達の生活は、限界に達していた。

執政官の暴政はますます過酷さを増し、今では餓死者が出ない日の方が珍しいほどだ。

ルティの元には、ひっきりなしに悲鳴が届いていた。 曰く、力が残っているうちに出撃を、と。

だが、ルティはどうしても、反乱を起こす決断に踏み切れなかった。

自分が命令を下せば、もう後戻りはできないし、大量の人が死ぬ。

その<大量の人>が、蝮の運んでくる兵器や、それに時々伝わってくる周囲の様子からも

自分が想像している数よりも遙かに多いであろう事は(実際に、桁二つ上回っていた)

ルティにも、それに周囲の幹部達にもわかり始めていたのである。

だが、この地区はもう終わりだ、その結論に違いはなかった。

全員の頭にある違いは、反乱を起こすタイミングだけで、その微妙な違い以外には差はなかった。

「ルティ首領!」

若いサウスロ=ラス人が、血相を変えて飛び込んできた。

また蝮が武器を運んできたかと、ルティはため息をついたが、それは違っていた。

「マカイタイシカンとか、テンカイタイシカンとか言う所から、エンジョブッシとかいうのが来ました!」

「援助物資?・・・なんだそれは」

「食いモンでさぁ! 荷馬車だけで数百両もあらあ! しかも、俺たちに無償で分けてくれるそうだ!」

うつろな目をしていた幹部達が、一斉に顔を上げ、外に飛び出していった。

そこには山のような食料があり、見たこともないこ汚い服を着た、ネコのような耳をつけた娘が

食料を均等に配り、住民達を悪魔が整列させ、植えた民達に配っていた。

炊き出しの形で配られた食料は、まず液体状の物が与えられ、そして形のある物が与えられている。

これは飢餓状態にある者が急に何かを食べると、窒息するのを防ぐためで

呆然とするルティの前で食料は淡々と配られ、民は皆目を輝かせて<マカイタイシカン>に礼をしていた。

皆、<マカイタイシカン>が何かとか、<エンジョブッシ>が何かなど知るよしもなかったが

それでも救ってくれたのだから感謝の声は絶えず、皆喜んでいた。

「あなた方は、何者だ。」

自分も食料をもらいに走る幹部達を横目で見ると、ルティはネコ耳の娘、ルーシィに語りかけた。

ルーシィは人相描きでルティの事を知っていたので、目を細めると、愉快げに応える。

「んー、私はね。 いうならば悪魔の使いって所かな」

「だったら、何で我らを助けてくれる。」

「悪魔は、貴方が考えているような存在じゃないのかもよー?

それにこれ、天界の援助ってのも入ってるんだ。 形式だけだけどね。

ま、みんな無償だと思ってるみたいだけど、そんなことはないよー。

魂が欲しいだなんて事は言わないけどね。 にゃははははははは」

黙り込んだルティ、ルーシィは礼を言う目ばかりが輝いている痩せこけた子供の頭をなでると

荷馬車の方に振り返り、そして言った。

「私たちは、貴方達に反乱をやめてもらえればそれでいいの。

詳しい話は、後で来るコがあつーく語ってくれるから、それで満足してね」

反論を待たずに、ルーシィは馬車の方に消えていった。 この日、実に百十五人が餓死を免れたのである