流れ変える狩りの日

 

序、堤防と濁流

 

アスフォルト皇国における最強の戦闘集団は、皇国最強の名将アドルセスに率いられる七つの師団であり

三つの陸上戦闘師団、一つの海上戦闘師団、一つの都市型戦闘師団

そして二つの騎士団によって構成されたそれは、合計兵力で十万を少し超し

ひとくくりで<アドルセス旅団>と、皇国から正式に呼ばれている。

その中でも、特に強力な戦闘集団が、剛椀を誇る重戦士オドフォードに率いられる<黒騎士団>

そして、魔法戦士マーガレットに率いられる<紅騎士団>である。

両名は皇国最強の使い手というわけではないが、熟練した闘士であり

それ以上に卓絶した作戦指揮遂行能力があり、その能力はヴィルセを確実に上回る。

両騎士団はそれぞれ八千の戦力を有するが、皇国軍の中からも精鋭中の精鋭を集めたこの戦闘集団は

実際の戦闘力はそれぞれ三万の精鋭に匹敵すると言われ、圧倒的な破壊力を振るって敵をなぎ倒して来た。

<黒騎士団>は黒竜、<紅騎士団>は赤竜と内外から称される。

それは全軍一体となって突進するその姿が、人間世界で最悪の竜とされる黒竜と赤竜が襲い来る様に見え

姿と名だけで敵に恐怖を与えるからであり、それは実際の破壊力を更に増幅するのである。

この戦闘集団の破壊力は、連合の名将ターナの率いる高機動戦闘師団<白鵬>にも迫り

皇国の世界最強を担う一翼であることは疑いない事実で、皇国の強さを支える一角であった。

そして今、皇国を内側から崩す一角にもなろうとしていたのである。

アドルセスは戦の天才であり、人身掌握術にも長けていて

今まで一度たりとも部下に裏切られたことはなく、部下達を裏切ったこともなかった。

だが、それも過去形になり果てようとしていた。 確かにアドルセスはミクロレベルでの人心は理解し

造詣も深かったが、だがマクロレベルでの人心、特に政治も絡んだ人心配慮には興味がなかった。

確かに、敵が国外にいる内はそれでも良かったろう。 しかし、今いる敵は国内の存在である。

その敵が、つまり蝮が、部下に施していた策略など、彼は知りもしなかったし

同時に、知ろうともしなかった。 事態が皇国にとって致命傷になるのに、もはや障害は何一つ無かった。

天才になれば天才になるほど、その視野は広く、そして高くなる。

それはアドルセスにしても、メリッサにしても、リエルにしてもそうであり

凡才でありながら、天才的な敵を何人も葬ってきた蝮は、その対処法を良く知っていた。

即ち、足下をすくってやればよいのである。 史上一体何人の天才が、この方法によって命を落としたか。

それは数えることが不可能なほどであり、アドルセスもその一人になろうとしていた。

だが、蝮には唯一の誤算があった。

メリッサの下には、良識的観点からアドバイスをしてくれるフィラーナがいて

そして、凄まじい勢いで知識を吸収し、成長するレイアの存在があったことを。

皇国住民は、殆ど気付いていなかったが、彼らの暮らす地面の下には、今陰謀という名の濁流が渦巻き

そしてそれは、それぞれの意図を含みながら、際限なく拡大しようとしていたのである。

 

1,空と地面

 

ヴォラード地区では、ヴィルセを狙った暗殺未遂から、立て続けに四回の暗殺未遂事件が発生し

冷静な対応、それに実行前の逮捕などによりいずれも死者は出なかったものの

住民の間には騒然とした空気が広まり、自衛のための武器が飛ぶように売れた。

しかも、レイアの情報網から入ってくる情報を総合すると、ドートゥルムはまだまだ諦めていない様子で

暗殺者達を雇い、更に武器を買い集め、魔導兵器を利したテロまで考えているようであった。

無論、そんな事を行えば、メリッサも黙ってはいない。 即座にモルトを投入し、報復行為に出るだろう。

だからそれをさせないために、ヴィルセは四苦八苦して警備態勢を強化し、今まで暗殺を防いできた。

だが、それにも当然限界がある 三度目の暗殺未遂では、二人の兵士が重傷を負い

そのうちの一人は失明して、現在も目が見えない。 待ちの態勢にも限界が来ていた。

ヴィルセは当然メリッサに何度も伺いを立て、そして話し合いをしたが

現在の態勢を変えることを、メリッサは許さず、不満でないしにろヴィルセは不安を味わったのであった。

ヴィルセとメリッサの関係は、今まで良好だった。 両者共に、相手の存在を認め

互いの長所を利して、この地の管理をしてきたと言っても良い。

だが、ヴィルセはふと不安に思ったのだ。 ひょっとして、メリッサに自分は必要ないのではないかと。

これは男女間での要不要ではなく、能力的なプライドでの話であるが

自分の実力にプライドを持っているヴィルセには、それより遙かに重大なことで、根も深いことだった。

事実はどうか。 メリッサがヴィルセを必要だとしている事を裏付ける証拠は今まで幾らでもあり

そして、本人も心底からヴィルセが必要だと考えている。

その様なこと、少しでも冷静になればすぐに分かることであったのだが、冷静さを欠き始めていた将軍は

自身の想像に押し潰され、精神的な疲労を徐々に蓄え始めていた。

生真面目な気質は、普段は周囲からの侮蔑や嘲笑を受ける要因にもなりうるが

だがそれは歴とした長所で、周囲が真似できないからそうなるのである。

しかしながら、こう言った場合には、その利点もマイナスになる。 ヴィルセの苦悩は続いた。

メリッサはそんなヴィルセの様子に、全く気付かなかった。

おそらく、独裁体制だったら、爆発するまで気付かなかっただろう。

しかしあくまで彼女は、魔界大使館の中の役人の一人に過ぎず、決定権はヴォルモースにあった

そしてそのヴォルモースが、事態の異常に、フィラーナとほぼ同時に気付いたのである。

 

「ヴォルモースさん、お話があります!」

人類世界の様々な情報の処理をし、魔界政府との連絡をしていたヴォルモースが振り向くと

そこには真剣な表情のフィラーナが佇んでいた。 手にはトレイを持ち、頼んで於いた紅茶を乗せている。

「フィラーナ、どうしたのだ? そんな表情をして」

「・・・ヴィルセさんの事で、少し話したいことが」

二秒ほどの沈黙が過ぎ、ヴォルモースは顔を(正確には大きな目玉を)上げ

触手の一本を使い、器用に紅茶のカップを受け取ると、それを背中の口に流し込みながら触手を揺らす。

「そうか、お前も気が付いたんだね。 ヴィルセ将軍の様子がおかしいことに」

「ええ。 あの人の事ですから、メリッサさんを裏切ることはないと思います

でも、今のままだと、心がおかしくなってしまう・・・そんな気がするんです」

それがもたらす結果等の、政治的な心配ではなく、純粋なヴィルセに対する心配を顔に浮かべながら

フィラーナは空いていたソファに、勧められるまま座り、言葉を続けた。

「あの頭がいいメリッサさんが、どうしてこんな事に気付かないのかは分かりません。

でも、今のままだと、絶対に良くないことが起こる・・・悲しいことが起こる・・・

絶対にそうなると、私思います。 どうしたらいいんでしょうか・・・」

他者の心理洞察に於いて、フィラーナは非常に優れている。

故に、皆の苦労を理解し、大事に思われてきたし、この間はその力を発揮してリエルの窮地を救った。

だからこそ、現在の状況が如何に良くないか分かっていたし

その結果、良好だったヴィルセとメリッサの関係に、修復不可能な亀裂が生じるとも分かっていた。

一方で、人類の研究を総合的にしているくらいだから、ヴォルモースもヴィルセがプライドを傷つけられ

苦悩しているであろう事は、よく分かっていた。

こういう事態では、魔界と人間世界での<常識>の違いも大きく関わってくる。

流石にメリッサも、そこまでは洞察できないのだろう。

自分の行為で、まさかヴィルセのような有能な人材が心を乱し、苦しむなど

魔界の情報普及率と人材の能力からすると考えられないことであり、ありえない事であったからだ。

「ふむ・・・そうだね。」

紅茶を飲み干すと、ヴォルモースは思案を、人間の数倍もサイズがある胸の中の脳味噌で繰り返し行い

しきりに触手を動かし、胸部にある無数の小さな目で瞬きし、やがて結論を出した。

「分かった。 私に考えがある。 モルトを呼んできなさい」

無言で感謝の表情を浮かべて頷くと、フィラーナは部屋を出ていった。

程なくモルトがヴォルモースの部屋に現れ、白い石鹸を囓りながら、リーダーの言葉に耳を傾ける。

「モルト、悪いが、少し頼まれてくれないか?」

「内容にもよるな。 どのような用件だ?」

どうも食事の最中に呼ばれて機嫌が悪いらしいモルトを、笑みを浮かべながらフィラーナは見守り

その二人を見やりながら、ヴォルモースは触手を揺り動かした。

「何、簡単なことだ。 メリッサには内緒で、ドートゥルムの金蔵と、武器庫を全て焼いてきてくれ

おっと、魔導兵器とやらは、奪取してきてくれ。 構造と中身が知りたいからね

おそらくその後、蝮が支援するだろうが、暗殺の再準備をするにも、別の人員に頼むにしても

確実に半月は時間が稼げるだろうね。死者が出ないように気を付けて

それと、証拠になるような書類は、焼いてしまって構わないよ」

「了解した。 その様なことならすぐにやってこよう」

残っていた小さな塊を口に放り込み、噛み潰すと、小さくモルトは頷いた。

すぐに愛刀を掴み、アスクライド地区へ向かう彼の背中は、ひょっとすると強敵に会えるかも知れない

期待感と高揚感に満ち、刀もそれを察してか嬉しそうに鈍く輝いていた。

 

ほぼ同時刻、蝮はアスクライド地区の隣接区である、デモル地区に滞在していた。

ここは彼の根拠地の一つで、中規模の軍事工場、皇国どころか世界でも珍しいミスリルの鉱山があり

かっては聖王宮騎士団用に、上質の魔法がかかった武具を提供し、現在も産出量は減っていない。

この地区の司令官オッドテールは、完全な蝮の傀儡で、主体性のない男であり

今も指示を受け、意のままにアスクライドに武器を搬送している所だった。

オッドテールにとって、絶対存在である蝮は、現在、上機嫌で彼と酒を酌み交わしており

その表情は愉快げで、滅多にしないワインの批評をし、しかも褒めちぎり

それを見たオッドテールは自分の<新世界>における出世を確信し、舞い上がっていたが

だが、それは哀れにも、見事に打ち砕かれることになった。

全く顔色を変えず、部屋にナターシャが入ってきたのである。 蝮は眉を跳ね上げ、娘に問うた。

「どうした。 何が起こった?」

「アスクライドで、ドートゥルムの屋敷が襲撃されました。

魔導砲七型を奪われたほか、搬送していた通常武器は全焼、金庫も破壊された模様です」

「証拠書類はどうした? 持っていかれたか?」

蝮の言葉に、ナターシャは首を横に振った。 モルトは書類棚を、躊躇無く火中に蹴り込んだからである。

それを見て安堵するボスに、オッドテールは不審そうな顔を向け、蝮は鈍い部下に説明をした。

「実行犯がテロの証拠となる書類を持っていき、アスクライドの非を皇国中にならしたらどうなる?

アスクライドはおそらく、全面謝罪するか、ヴォラードと全面戦争に突入するしかない。

十中八九、アスクライドは後者を選択するはずだ。

連中はヴォラードに良いように振り回されて頭に来ているからな、これ以上の侮辱は耐えられまい

だが、戦力的にヴォラードには勝ち目がない。 魔界軍や魔族を投入すれば話は別だが

天界大使館との話し合いもあり、急には戦闘に動かせないはずだ」

「はあ、成る程。 といいますと・・・」

「鈍い奴だな。 我々との早期決戦を相手が望んでいないと言うことだ

勿論、隙があれば何時でもしかけてくるだろうがな・・・」

ソファに身を任せ、せせら笑いを浮かべると、蝮はワインを一気に煽った

「おそらく、これはあの小憎らしいお嬢ちゃんが考えたことではないな

あの天才お嬢ちゃんだけなら勝ち目が充分以上にあったが、凡才が付いているとなると厄介だ・・・

ふむ、ナターシャ、モルトの戦力は分析できたか?」

蝮は襲撃者の正体を、ナターシャに言われなくとも正確に洞察しており

しかもそれは当たっていた。 ナターシャは頷くと、静かに言った

「襲撃時の戦闘力を見る限り、そうたいしたことはありませんが」

「ありませんが?」

「・・・おそらく、正面切って戦ったら、向こうが本気であったなら私では歯が立ちそうにありません」

蝮とオッドテールの視線を浴びながら、ナターシャは全く躊躇無く冷静な分析を口にした。

もし、ナターシャが暗殺任務に乗り出したら、現在ヴォラードの政治実行中枢であるヴィルセ

トモス、それにレイアは簡単に始末することが出来るだろう。

だが、そんな事になったら、確実にナターシャはモルトと直接戦闘になり、命を落とす。

しかしナターシャは今後も重要な駒となって働く娘である。 絶対にここで無駄死にはさせられない。

蝮は顎に手を当て、しばし思案を巡らせた。 このままヴィルセとメリッサの亀裂を拡大しようと思い

実際それから隙をつこうと考えていたのだが、どうもメリッサには常識人のサポーターがいるようだ。

天才の弱点は、余りに高い空を見るために、足下が見えなくなってしまう所にある。

メリッサは間違いなく天才であり、多くの天才同様の弱点を抱えていたのだが

どうもそれを柔らかく包み、制御するサポーターがいる。 これは蝮にとって想定外のことだった。

おそらく魔界大使館を任されているヴォルモースか、あのフィラーナ嬢か、どちらか或いは両方だろう。

無論蝮は、接着剤であるフィラーナには警戒していたのだが

流石に此処までの能力を持っていたとは、見くびっていたと言うほか無い

「蝮様、どういたしましょう。 支援を行いますか?」

「・・・・相手の出方を見よう。 陽動作戦としてはアレで充分だったからな

これで魔界大使館が反乱鎮静策に乗り出せば、我々は足下を再び攪乱してやればいいし

足元を固める策に出れば、反乱工作をその隙に進めればいい。

いずれにしろ、まだ主導権は此方にある。 心配せず、腰を据えろ」

獰猛な笑みを浮かべ、オッドテールの背中を叩くと、蝮はコートを取りだし羽織った。

魔界大使館に対する対策はこれで良い。 下手に動くことは却って良くない。

だが、強硬策に切り替えた天界大使館に対しては未だに予断を許さない状況である。

リエルもメリッサに劣らぬ超一流の政治家であり、全く侮ることは出来ないからだ。

幸いアークエンジェル達の探査能力はグレーターデーモンのそれに劣るため、まだ隙はつかれていないが

隙をつかれれば一気に畳みかけられる恐れがある・・・まあ、蝮もそこまで無能ではない。

確かに言葉どおり、主導権はまだまだ蝮の側にあった。 状況は、予断を許さない所で漂っていた。

 

2,理屈とプライド

 

メリッサの元に、アスクライドでの放火騒ぎが伝えられてから、彼女はいたって不機嫌だった。

自分の制御外でこのような事件が起こるのは、全く持って想定外であったし

それを行おうと考えたのが誰と誰であるか、すぐに分かってしまい、怒るに怒れなかったからである。

翌日から、ドートゥルムの暗殺者は当然のように現れなくなり、束の間の平和が訪れ

そしてヴィルセの元に、レイアがフィラーナからの手紙を持ってきた。

生真面目なヴィルセは、今こそアスクライドの非を鳴らすときであり、正義は我にあると考えており

故に行動しようとしないメリッサに不満を覚え始めていた矢先だったから、フィラーナの手紙に喜んだ。

フィラーナが、自分の気持ちを、メリッサに代弁してくれたと思ったからである。

だが、手紙の内容は違った。 魔界大使館で、主要メンバーだけのパーティを行うという内容だった。

「フィラーナ嬢・・・貴方は儂の気持ちを分かっているのかも知れないと思っていたが」

怒りよりも絶望を湛え、地面を見るヴィルセ。 レイアは、慌ててフィラーナの弁護をした。

「お父様、フィラーナさんは何か考えがあって、こういうお手紙を出されたんです!

絶対そうです。 今は少し余裕がありますから、クレイナ様とマドフォード様に現場は任せて

少しだけ楽しんできましょう。 ね、そうしましょう。」

「・・・分かった。 そうしよう、レイア」

娘に押されて、失意のままヴィルセは魔界大使館に向かった。

護衛の兵士達は、落ち込む主君を見て影響され、動揺し、自分たちも落ち込んでいた。

かって、戦場にいた頃のヴィルセは、こんな醜態を曝すことは絶対になかった。

何故なら戦場には、無能な上司と有能な敵はいても(アドルセス軍とは別方面の配属だった)

頼れる味方など一人もおらず、故に自分で自分を引き締めざるを得ず、部下には何時も頼もしく見えた。

今は違う。 メリッサという格が違う有能な上司の元について、やりがいのある仕事を任され

メリッサは自分の能力を正当に評価してくれ、結果仕事にも張り合いが出た。

だが、そのメリッサが、今は彼の考えを理解してくれない、それが彼には辛かった。

視点が違っているのは分かっている。 空駆ける大鷲と、ただの小鳥では視点が違って当然だからだ。

ヴィルセは、レイアにさえ心配をかけている、自分に情けなさも感じていた。

魔界大使館に向かう彼の背中は、あくまで寂しく

レイアはその背中を見て、父の背中はこんなにも小さかったのかと、驚きを禁じ得無いでいた。

確かにヴィルセはどちらかというと小柄な男だが、その背中は兵士達を鼓舞するほど大きく見えたはず。

なのに、今はただの無力な男の背中にしか見えなかった。

覇気も活力も自身もない、ただの男の背中にしか見えなかった。

「お父様・・・」

口中で呟くと、レイアは視線を伏せた。 きっとフィラーナには何か秘策があるはずだし

それが駄目だったときは、自分が何とかしなくてはいけないからである。

虚しい時間が過ぎ、ヴィルセは大使館に着いた。 最初の頃はグレーターデーモン達が働いていたが

今はめいめいに皇国の各地に飛び、あちこちで任務をこなしている。 今日は一名もいなかった。

かってこの辺りは何もない荒野だったが、今ではヴォルモースの配慮で

大使館の側には小さな宿舎と、それに酒場が設置されている。

酒場のマスターはアスクライドから流れてきた老亭主で、店を悪徳官吏に没収され、此処に逃げてきたが

ヴォルモースやフィラーナに仕事を作って貰い、以降はこの酒場で心からの感謝と共に仕事している。

故にその仕事ぶりは勤勉を極め、また本人のカクテルの腕もなかなかであり

今ではわざわざトモルアから飲みにくる者までいて、店は繁盛、ウェイトレスも何人か雇っている。

余談であるがモルトはここの常連で、故にウェイトレスの娘は凄絶な競争の末に選ばれた。

ここで酔いつぶれない程度に飲むことを兵士達に許すと、ヴィルセはレイアを伴い、大使館に入った。

「あの店の亭主、メリッサ殿とヴォルモース殿に、心からの忠誠を誓っている

街の者達も、メリッサ殿を悪くいう者はいないし、ヴォルモース殿も同じ事だ

・・・でも、何故儂には・・・儂の気持ちは分かってくれないのだ・・・」

レイアに向けて愚痴を言うと、ヴィルセは戸を開け、パーティ会場に入った。

そこでは、彼同様パーティに不満を持つらしいメリッサが、頬を膨らませて待っていた。

 

部屋は何時もどおり無機的な実用性に満ちた広間であったが、フィラーナが丁寧に準備をしたらしく

テーブルは綺麗に並び、その上ではそこそこに豪勢な料理が幾つも並んでいる。

先に招待されていたらしいトモスと、今回初めて招かれたイルフはその料理に感心し

特にイルフは、気むずかしいこの老人らしくないことに、しきりにフィラーナを誉めていたが

やはり人間は苦手なようで、フィラーナは困った様に微笑んでいた。

「コホン、すみませんイルフさん。 フィラーナさん、お父様が」

駆け寄ったレイアが咳払いすると、流石にイルフも恐縮して、料理をつまみに戻り

フィラーナは感謝したように溜息をつくと、心を開き始めている唯一の人間に笑いかけた。

「ヴィルセ将軍のことは、ヴォルモースさんが何とかしてくれます

・・・迂遠な話ですよね。 どっちもどっちを信頼しているのに、こんな事になるなんて」

向こうのテーブルでは、イルフがヴォルモースに挨拶していたが、剛胆な老人は全く臆せず

喋る方法や、食物の取り方などをしきりに訪ね、ヴォルモースも苦笑しているようだった。

一方で、その更に向こうでは、ルーシィとモルトが、視線を時々ヴィルセに送りながら談笑している。

今回のヴィルセの不安感は、当然ルーシィにも伝わっていたらしく

猫耳を付けた研究者はそれに興味を持ち、何時もより注意深く失意の将軍を観察しているようである。

結局、この一見怠惰で間が抜けた研究者は、他の<四バカ>の誰よりも

フィラーナを除く人間に対して、一貫した冷徹な視点を持ち続けているのかも知れない。

今では、ヴィルセの苦悩する姿は彼女にとって格好の研究対象に過ぎず、追いつめられて暴発でもしたら

悲しむフィラーナとレイアをよそに、一人喜ぶかも知れない。 その確率は、九割を確実に超えるだろう。

やがて、ヴォルモースはイルフとの話を切り上げ、黙々と暗い表情で料理をつまむヴィルセに近づき

将軍が若々しいが憂いに縁取られた顔を上げると、人間で言う笑顔を浮かべて、触手を揺らした。

「ヴィルセ将軍、顔色が優れないようだね。 どうしたのです?」

「・・・何でもない。 儂は元々こう言う顔です」

それだけ吐き捨てるように言うと、ヴィルセは度の強いワインを一息に煽った。

大使館の者だけが贅沢をするわけには行かないから、特に高級なワインではないが

街の者達の内、定職と住居を与えて貰って感謝しているアスクライドからの流民が献上してきた物であり

その親愛の感情の分か、通常のワインより美味しいように将軍には思えた。

「いいワインですな。 何処で仕入れたのですかな?」

「何、メリッサの元に、アスクライドの元住民が持ってきた物ですよ」

言葉を予想していたようで、ヴォルモースは愉快そうに触手を即座に揺らし

それを聞くと、ヴィルセは若々しい顔を僅かに曇らせ、床を見てしまった。

全く頼りない姿であった。 自信を喪失してしまうと、名将もこのような憂き目に陥るのであろうか。

数秒の沈黙が怠惰に流れる間、ヴォルモースは複数ある足で地面を短く小さく叩いていたが

やがて再び触手を揺らし、失意の将軍に語りかける。

「・・・メリッサが、貴方を邪険にしていると思いますか?」

空間が凍結したように、重苦しい雰囲気が周囲を見たし、ヴィルセは言葉を振り絞って応えた

「思う! 儂は今まで、この地区の発展と皇国の未来を思い

メリッサ殿の指示を受けて、死ぬ気で働いてきた! そして成果も上がった!

儂のことを、メリッサ殿は信頼してくれていた! 儂もそれを誇りに思った!

小さな身と目に秘めた輝きは本物だった! 彼女は真の天才、儂は今でもそう思う!

何故、何故! 何故それなのに!

それなのに何故・・・メリッサ殿は、今儂の言葉に応えてくれないのだ・・・!」

理由は明かである。 皇国レベル、或いは世界レベルでの視点を持って行動しているメリッサに比べ

ヴィルセの視点はあくまで、第二の故郷たるこのヴォラードにあるからである。

今回はそれが顕著な形で出たわけであるが、やはり常識的な視点を持つヴィルセにそれは理解できず

ヴィルセならそれくらい理解できて当然だと思っているメリッサは、部下の不満の理由を納得できない。

将軍の言葉には、それが如実に現れていた。 苦悩と不満が、溶岩のように流れ出していた。

そして、それを後ろから見ていたメリッサは、ようやく自分の行動が如何に負荷となっていたかを悟った。

「・・・・ヴィルセ将軍、私は・・・・」

無言のまま、無数の足を器用に動かし、ヴォルモースは横にずれて将軍とメリッサの間の障害を無くした。

リーダーの配慮に感謝すると、メリッサは項垂れる将軍に歩み寄り、咳払いをした。

「私は、今でも将軍の言葉を理解していますわ。」

「では、何故応えてくれない!」

「・・・それは、眼前の事よりも、未来を考えているからです。」

ヴィルセが顔を上げる、紅潮したその顔には、理解が漂い始めていた

「蝮との戦はまだ序盤。 そして、ドートゥルムは明らかに無能。

まだまだ息切れするわけには行きませんわ。 私は長期間の政治戦略を既に組み上げていますが

それを実行するのは、遠くではグレーターデーモン達、近くではヴィルセ将軍、貴方です。

今、貴方の望みどおり反撃に出ると、必ず足下をすくわれます。 泥沼のテロ戦争に突入し

蝮はここぞとばかりに、もっとずっと有能な者を投入して私を足止め、皇国を潰す布石にしてきます

その時、ヴィルセ将軍、貴方が動けないと困るのですわ」

既にパーティ会場にいる全員が、メリッサの言葉に耳を傾けていた。

ヴィルセも、だがそれに屈するわけには行かなかった。 部下達は疲れ始め、彼もそうであったからだ。

「しかし、このまま事態が続けば、被害は更に増える!

せめてグレーターデーモンの一名を、此方の守備に回していただきたい!

もしくはモルト殿の援護を頼みたい! こんな事で死んでは、部下達は犬死にだ! それは看過できぬ!」

「却下いたします。 ・・・・いや、分かりましたわ

敵を足止めする策を実行いたしましょう。 今回のテロ空白時間が続く間に、用意して欲しいのですが

まあ、二月は時間が稼げますわ。 それで、態勢を整えて下さい」

ヴィルセは体を乗りださんばかりにして、メリッサの言葉に聞き入っていた。

やがて彼の耳には、メリッサの驚くべき策が入ったのである。

 

パーティが終わり、帰宅するヴィルセの顔は安心に満ち、部下達はそれを見て一息を付いた。

その背中は再び大きく見え、行動にも威厳があった。 兵士達は、感じかけていた失望をうち払い

再びそれを信頼に変え、将軍の背に従って砦に戻っていった。

二週間ほどは、メリッサの指示で警戒が解かれ、兵士達はたまっていた緊張を解きほぐすことに成功し

時間は飛ぶように過ぎ、ドートゥルムが蝮の支援で態勢を整え、再び暗殺の好機を狙い始めた。

この男は気付いていない、自分が指揮を執り、暗殺任務に当たっていることが

とうの昔にメリッサに気付かれ、目を付けられていることを。

ドートゥルムの美点は、自分の好きなことに対しては勤勉なことである。

無能なこの男を蝮が抜擢したのは、メリッサに対する復讐心よりも、むしろその性質を評価したからで

今もその期待に答え、神経を逆なでする程度の足下の攪乱を再開しようとしていた。

だが、そんな折り、アスクライドにヴォラードからの公式文書が届いた。

それはヴィルセからの物で、ドートゥルムにも太守を経由して配達され、そして無能な男は小躍りした。

「やった! 奴め、とうとう年貢の納め時だ!」

召使い達がいぶかしげに見るのも構わず、ドートゥルムが喜んだ手紙の内容は、以下のような物である。

手紙はアスクライドの主な官僚には皆配布され、喜んだ者いぶかしんだ者様々だった。

<アスクライドとヴォラードの友好を深めるため、軍事調練をかねて大規模な狩りを行いたい。

当方の出場者は、皇国少将ヴィルセ=フリード、他文官一名、コック四名、医師一名

兵士を五十名ほど。 そちらの規模は、追って連絡していただきたい

場所はモスクロ樹海、期日は一月半後で行いたい。 快い返事を期待して待つ>

翌日再び行おうとしていたテロの命令を取り消すと、Xデーに向け、ドートゥルムは歓喜して準備し始め

それを冷笑を持って遠くから眺めやりながら、メリッサは、反乱鎮静工作を進め始めたのである。

 

3,<狩りの日>

 

釣りという行為は、美味しい餌で相手を誘い、誘われた相手を一気に捕獲する技術である。

魚釣りがその代表例だが、無論同様の行為は政治の世界でも行われる。

メリッサも行うし、蝮は特にそれを得意とし、様々な人間を、それによって意のままに動かしてきた。

この時期、蝮はリエルの攻勢に対する反抗策を準備中であり、メリッサの方には目が向かず

故にドートゥルムの浅慮には気付かないまま、日が過ぎていった。

ドートゥルムは、同じくメリッサに憎しみを抱く者を集め、その手足たるヴィルセを暗殺すべく

様々な計画を額を集めて話し合い、真面目にそれを構築していった。

当然の事ながら、その間ヴィルセには暗殺者の一人も送られず、メリッサは集中して策を執行

ヴィルセはヴィルセで、<狩り>に出るメンバーを慎重に選抜し、自ら剣をとって訓練した。

やがて、にわかにメリッサの動きが活発化し、様々な情報が流出し始めたことは蝮も知り

憤怒の表情と共に、彼は作戦を遂行中の部下に連絡を取ったが

ドートゥルムは恐れ入るどころか、自身満面に言葉を吐き、蝮を唖然とさせた。

「現在、相手の言い出した狩りを逆手に取り、小憎らしいヴィルセの首を手中にする策を実行中です

蝮様は、ワインでも傾けながら吉報をお待ち下さい」

「愚か者が! それは罠だ!」

蝮はさぞ叫びたくなった事であろう。 陽動を見透かされるのはともかく、こうも簡単に罠にかかるとは。

しかしそれは心中で留め、部下の選択を失敗したことを悔やんだが

ドートゥルムの能力を評価し、自分で選んだのだから誰にも文句など言えない。

舌打ちした蝮は、ドートゥルムに代わる人材を選択、次の足止め策を行う準備を進めると同時に

無い頭を捻って作ったドートゥルムの策がどうするかを静観、そのまま事態の推移を見守り始めた。

確実にメリッサは、この無能な男の策を見抜いている。

故にドートゥルムの策はほぼ100%失敗するだろうが、それでも万が一と言うことはあるからだ。

それに、失敗したらそれを理由に、有無をいわさずドートゥルムを更迭できる。

非公式の組織だからこそ、こういう責任問題は重要になる。 蝮は顎をつまむと、考え込み始め

出されたワインを飲み干すと、次の策を実行に移すべく、ナターシャを呼んだ。

これで立場は五分になってしまった。 だが、先手を取りかえされたわけではないし

相手が無謀な、あるいは未知の策を採りだしたわけではない。

メリッサもリエルも熟練した政治家故に、仰天するような奇策を採ることは珍しく

正攻法で政治をすることが多く、故に対応はしやすく、だがそれに失敗したら一気に畳みかけられる。

安全ではあるが、同時に非常に危険でもある。 地味で堅実である故に、確実に手強い。

実際、その天才的手腕からいっても、途轍もなく厄介な相手であった。

しかも蝮は、そんな怪物を二人も相手にしているのだ。

自信家なら喜ぶだろうし、堅実な努力家なら背に冷や汗を覚えるだろう。

「まだ赤竜騎士団にしかけた策のことは、気付かれていないだろうな」

「はい。 グレーターデーモンにしろ、魔界大使館の情報網にしろ、それを知られた形跡はありません

天界大使館にも、情報は漏れていません。 問題はありません」

「よし。 では蜥蜴の尻尾切りと行くか。 邪魔な駒を処分しておこう」

不敵に微笑むと、蝮は立ち上がった。 彼には、まだまだ採る手が幾らでもあったのである。

 

ヴィルセの不満は雲散霧消した。 メリッサが本腰を入れて対応を打ち出してくれたわけであるし

何より、立て続けに起こっていたテロが中断したのは、紛れもない事実であったからである。

その隙に、トモスはヴィルセの指示の元、流民を手際よく捌き

同時に陶器の輸出ルートを整備して、売り上げを着々と伸ばしつつあった。

流民の質は、此処暫くで大きく代わりつつある。

レイアの調査の結果、アスクライドから流入していた貧民は減り始めており

代わりに各地を転戦していたが、今では仕事のない傭兵部隊が、少し数を増やしていた。

彼らは剣士にしろ魔法戦士にしろ、例外なく荒くれ揃いで、住民との摩擦が懸念されたが

メリッサは素早くヴィルセに指示を飛ばし、素早く軍に組み込み前線に配置することで事なきを得た。

最終的なレイアの試算では、現在のヴォラードの人口は6000名を僅かに超す程度である。

魔界大使館が来てから五割り増しになったわけであるが、経済はますます活性化し

また農産物の自給体制も進み、山は緑を取り戻しつつある。

これでテロの恐怖と、皇国全体を覆う不安感がなければよいのだがとは、住民揃っての意見であった。

メリッサは、よその地区の権力者層には、特に腐敗した権力者層には憎まれていたが

住民や貧民には人気があり、それはアスクライドでもその他の地区でも同じである。

流入する住民はアスクライドの民が一番多かったが、それだけではなく

他の地区の住民も、僅かながら流れ込み、また移住したいと希望する者も少なくなかった。

それらの者の中には、当然スパイや、犯罪者の類も混じっていたが

ヴィルセには付け入る隙を見いだせず、何一つ実行に移すことなど出来はしなかった。

やがて、<狩りの日>がやってきた。 ヴィルセは選抜した五十名の兵士と、コック四名、医師一名

他に文官一人を連れ、トモルアの砦を、日の出と共に出発し

ヴォラードの区境を突破し、昼過ぎにはモスクロ樹海の側に陣取っていた、アスクライド軍と合流した。

 

アスクライドの官僚が全て敵というわけではないが、迎えの中にはドートゥルムの姿もあり

兵の中には暗殺者が、しかも手練れの混じっていることが容易に予想される。

この時点で、戦地にいるのと同様の緊張を、ヴィルセは全身で感じていた。

幾ら無能なドートゥルムといえど、ヴォラードとアスクライドが全面戦争になるような行為

つまりいきなりヴィルセを殺害するような事はしない。 事故に装って殺そうとするつもりだった。

確かに圧倒的な兵力で圧殺すれば確実だが、相手は百戦錬磨の名将、どんな間違いがあるか分からないし

第一そんな事をすれば、魔界政府に喧嘩を売るような者であるからだ。

一時的にヴォラード地区に勝つ事は、戦力差からしても容易ではあるが

魔界政府を本気で怒らせれば、一匹で一個師団に匹敵するという魔族の群れがアスクライドを襲うだろう。

だが、それが明かに<事故>であれば、魔界政府も動けまい。

ドートゥルムが協力者達と話し合って出した結論がそれであり、確かに結論は一部を除いて確かだった。

間違っている箇所としては、メリッサがとっくに彼らの思考と行動を見抜いており

報復攻撃をするにしても、以前の天界大使館テロ事件のように、策の実行者だけであろう事

それには魔界軍など必要なく、モルト一人で充分であること、があげられる。

ただ、ヴィルセを失ってしまったら、メリッサの行動選択肢は大幅に減るし

父を亡くした哀しみで、レイアも役に立たなくなるだろう。 それは非常に大きな痛手であり

当分は人類世界に対する監視どころか、皇国に対するちょっかいさえ出せないだろう。

それは非常な痛事であり、結局誰ひとり余裕を持ってこの<狩り>に参加している者などいなかった。

実のところ、こういうリスクの大きい策は、メリッサの好むところではないが

ヴィルセを納得させるにはこれしかなく、またヴィルセも喜んで死地に赴いたのである。

「初めまして、ヴィルセ将軍。 貴方の勇名は常日頃から聞き及んでおります」

人が良さそうな老人が、ヴィルセの前に進み出た。

アスクライドを任されているフォライデン=ブライト司教である。

ブライトは温厚であったが、残念ながら何の能力もない男であり、可愛くて仕方がない孫娘の未来と

趣味であるカーテンの収集以外は何の情熱も見せず、結果として悪気はないながらも

この地区の実権を、汚職官僚共にゆだね、民衆を苦しめてしまっている。

かっては有能な政治家であったらしいのだが、駿馬も老いれば駄馬にも劣る例であったのだろう。

「いえ、貴方の篤実仲良な振る舞いは、遠くにおいても聞き及んでおりました

今日は狩りをご一緒できて光栄です。 是非とも儂と貴公の力で、両地区の友好を成功させましょうぞ」

ヴィルセの言葉は、多少の苛立ちに満ちてはいながらも、凛として周囲に響きわたり

暗殺者の何人かは、相手の器と暗殺の困難さを感じて嘆息し、小声で声をかわしあった。

また、ブライトはヴィルセに多大な好感を抱いたようで

心中に於いて孫娘の結婚相手の候補に、この勇猛で将来性のある、壮年の将軍をあげ始めていた。

そう、ヴィルセは壮年なのである。 しかしその顔立ちもさることながら、態度や行動、それに言動は

若々しく、活力に満ちており、暗殺を企む者達も舌打ちしてその様を見守るしかなかった。

「所で将軍、そちらの方は?」

「此方は儂の随伴員で、リア=ミラルダと言う者です

まだ若輩者だが、有能な娘で、いずれ我が地区を背負って立つ人材であることは間違いありません」

声をかけられると、その娘、帽子に髪を全て押し込み、顔を隠していた娘が僅かに頷いた。

状況を確認すると、ドートゥルムは仲間達と小声で雑談し、計画を崩さない事を決めると

暗殺者達に、予定どおりの行動をとるように命じた。 正午のことであった。

 

大規模な狩りは、無数の兵士が<勢子>の役目をし、森を囲んで中の動物達を圧迫

飛び出してきた動物を弓矢や槍でしとめ、その後皆で味わって食べるという一般的な物である。

当然その過程では、指揮官の能力が非常に重要になってくるし、兵士達の一糸乱れぬ行動も重要で

充分に軍事調練になり、しかも危険度は少なく士気も挙げることが出来る一石二鳥の策であった。

魔物が多く生息する地域では、危険も出てくるが、この辺りには強力な魔物と言っても

せいぜいアークウォーム(体長三メートル強の肉食生物。芋虫に似ており

成虫がどういう姿をしているかは全く知られていない。 実は妖精の一種である)位で、数自体少なく

軍隊を圧倒するような力はないし、単独行動でもしなければ普通の兵士にも充分に対応可能である

「A隊、B隊、鶴翼陣のまま展開。 獲物を追い立てにかかれ!

C隊、D隊は弓矢準備! 獲物を出来るだけ傷つけずに倒した者には報償を与える!

E隊は二名ずつで行動、各隊のサポートに当たれ! 命令は以上だ。」

矢継ぎ早に指示を飛ばすと、展開する明確な位置を隊長クラスの兵士に告げ

ヴィルセは状況を見るべく、ブライトとミラルダと共に、高台に昇った。

同時にアスクライド軍も動き出したが、練度は低く、動きも若干鈍い。

アスクライド軍の司令官ミーマスが苛立ちに舌打ちするのを見ながら、ブライトはヴィルセに話しかけた。

「流石は名将の軍、見事な動きですな。 どうもうちの地区の軍は、動きが鈍くていけません」

「いえ、そんな事はありません。 A隊、少し北に寄りすぎた。 若干南に進路を変更させろ」

曖昧に応じると、ヴィルセは指示を飛ばし、それは完璧な精度を持ってA隊に伝わった

森の中から喧噪が聞こえ始める。 怒号と追う音、騒ぎの音が重なり

動物が追い立てられ、気が早い鹿が一頭、アスクライド軍の手前に飛び出した。

「撃て! 撃て撃て! 逃がすな!」

ミーマスが叫び、慌てた兵士達が一斉射撃を行うが、兵士の中には弓を取り落とす者さえいて

疾走する鹿には一矢も当てられず、やがて鹿は大回りに逃げて、安全地帯に逃げ込んでしまった。

「申し訳ありません、ブライト執政官。 醜態をお見せしました」

頭を下げるミーマスに、ブライトは鷹揚に手を振り、その失態を攻めるようなことをしなかった。

これは単純に優しいからで、それが如何に部下の心理に作用するか、全く考えていないのは明白だった。

今回はそれがプラスに作用するだろうが、長期的にはマイナスになる部分も多い

人間的な美徳も、政治家となるとそうでなくなることが多く、それも政治の矛盾の一端であった。

「いや、次でしとめればいい。 気にするでないぞ」

感謝したようにミーマスは深々と礼をし、持ち場に戻った。

ヴィルセはその背中を見送ると、森に視線を凝らす。 そして、ゆっくりと片手をあげ、降ろした。

「撃て!」

ただ一言、それだけで充分だった。

D隊の十名が一糸乱れぬ斉射を行い、飛び出してきた熊が咆吼して倒れた。

矢は全て急所に突き立っており、兵の練度がうかがえる。

ミーマスなどは、舌打ちを忘れ、感嘆して斉射を見守った程であった。

「おお、お見事! 素晴らしい! 流石は将軍の精鋭だ!」

「光栄です。 早速解体しましょう」

素直に、子供のような喜びで手を叩くブライトに微笑みかけると、ヴィルセはE隊に命じ熊を回収させた。

続いてアスクライド軍の前に、続けて二頭、鹿が飛び出した。

半ば意地と言うべきか、競争意識を煽られたアスクライド軍の兵士達は、滅多やたらに矢を打ちかけ

鹿は針鼠のようになって倒れ、数秒の痙攣の後、動かなくなった。

兵士達は歓声を上げたが、随伴しているコック達は渋い顔をしていた。 これでは料理が大変である。

やがて、勢子と射手の距離が近づいて来るにつれ、飛び出してくる動物の数は激増し

いちいち冷静に対応したヴィルセの指揮の下、その九割方をヴォラード軍はしとめたが

やはり練度の違いは歴然で、アスクライド軍は半分もしとめることが出来ず

昼過ぎに一旦狩りが終了すると、兵力はアスクライド軍が多いにも関わらず、収穫量は少なかった。

当然昼食には足りなかったが、ヴィルセは気前よく獲物をアスクライド軍にも出し

しかも全く嫌みではなかったので、アスクライド兵達は感謝し、喜んで昼食を頬張った。

午後の狩りも似たような結果に終わり、夕食は慎ましく行われ、炊煙が夜空に昇る。

食事に入る兵士達を見ながら、ヴィルセは自分から離れないブライトの言葉に曖昧に応えていた。

この老人が悪くない人物であることは、話してみて分かったが、暗殺者が何時現れるかは分からないし

何より、その凶刃の対象が自分だけに降りかかるとは限らない。 一時も油断は出来なかった。

ブライトに対して、さほど侮蔑をヴィルセは感じなかった。 不敵な場所に配置されているとは感じたが

それは本人の意思とは関係ないだろうし、善意の人ではある。

良心的で有能な政治家にサポートさえされれば、良い結果を残すタイプなのだろう。

或いは本人も、それを自覚しているかも知れない。

そんな事を考えながら、ヴィルセは兵士達が食事を済ませるのを見届けてから食事をし

しかもそれは兵士達と同じ物で、決して兵士達以上に豪勢な物を食べようとはしなかった。

パーティに出席するときも、彼は兵士達に交代で休暇を与えるし、自分だけ楽しむようなことはしない。

将軍は黙々と食事を済ませると、ミラルダと二言三言、短めに言葉をかわし、ようやく休憩に入った。

その姿を見て、兵士達は将軍への忠誠度をますます厚くした。 こう言った態度を偽善ととる者もいるが

ヴィルセの場合、それは下心のない行動であるし

論理的に考えても、兵士の忠誠度を増すこともできる以上何が悪いというのであろうか。

一日目は大過無く終わった。 そして、二日目の狩りが始まった。

 

広大なモスクロ樹海の、ほんの一部を舞台にした今回の<狩り>は

総員212名を動員した大規模な物で、四日に渡って続けられることが決まっている。

無論、同じ箇所でばかり狩りを続けても効果は薄いので、それぞれに場所を変えながらの狩りになるが

ドートゥルムが狙っていたのは、その三日目の午後の狩りであった。

既に準備は万端整っており、ドートゥルムはそれを確認しに、森の中に向かった。

其処には一頭の熊が捕らえられていた。 雌の熊のようで、檻に噛み付きながらしきりに吼え

しかもその前には、無惨な死体となって、その子供が転がっている。

熊はドートゥルムを見て吼え、泡を飛ばして檻にかぶりついたが

その強度は熊の歯程度でどうにか出来る物ではなく、目に凶熱を湛えて吼えるばかりであった。

必死な様を、冷笑を持って眺めやりながら、汚職官吏は笑う

「チャンスは一度だ。 二段構えの策とは言え、抜かるなよ」

「はっ。 しかし、ブライト様は終日ヴィルセと行動を共にしていますが・・・」

「構わぬ。 あんな老いぼれ、生きていようと死のうと関係ない。

必要と見なせば、もろともに殺せ。 躊躇する必要はないわ」

話の間、ドートゥルムは終始冷徹そうな、だが何処か軽薄な笑みを浮かべていた

実際、ブライトが死んだ所で、その娘婿であるアッシャーがアスクライドの執政官になるだけであり

しかもこの男は義父に勝るとも劣らぬ低能であり、既に籠絡は完成している。

むしろ欲望にまみれている分、ブライトより操作しやすいほどで

故に執政官の生死など、汚職官僚達には何ら問題はない、蝮の怒りの方が余程彼らには恐ろしかった。

「よし、行け。 分かってはいるだろうが、事故と言うことを上手く強調しろ

もしそれが出来なければ、お前達は例外なく魔族に喰われるぞ。 分かったな。」

暗殺者達はもう一度敬礼すると、行動を開始した。

ドートゥルムはそれを見届けると、満足げに自分の居場所に戻った。

 

狩りは順調に進んでいた。 ヴィルセが指揮所に選んだのは、近くになだらかな坂がある平地で

今日も冷静な指揮を執りつつ、ブライトの話し相手も行い、的確に獲物をしとめていた。

躍起になったミーマスも、兵士達を叱咤激励し、ようやく成果を上げ始めており

ヴィルセへの感情は、今までの屈辱よりも、指揮ぶりに対する感嘆の方が大きく

機会を見付けて、用兵の妙を訪ねたい、等とも考え始めていた。

アスクライド軍が、怪我人を出しながらも、森から飛び出してきた熊をしとめた直後、事件が起こった

後方の森に殺気が漂い、ヴィルセが視線を返すやいなや、手負いの巨大な熊が飛び出してきたのである。

それは、暗殺者達が檻を放置し、遠くからの操作で解放した、先ほどの熊であった。

既に熊が突進したのを見計らい、檻は暗殺者達が森の奥に運び、証拠を隠滅している。

もうこの熊にとっては、人間は憎むべき敵と言うよりも、むしろ不倶戴天の仇敵に他ならず

故に復讐する人間など、目に付きさえすれば、それこそオスでもメスでもどれでも良かった。

ただ近くにいる人間を引き裂き、叩きつぶし、捻り殺そうと考えていた。

それほど盲目的な怒りが、子供を殺された熊の頭脳を支配していたのである。

無論ブライトにも護衛官はついているが、主君同様咆吼する熊に腰を抜かしてしまい

怯える馬から降りると、ヴィルセは素早く剣を抜きはなった。

護衛の兵士もそれにならい、付き従っていたミラルダは油断無く周囲に目を配った。

熊が突進した。 鋭い爪を振りかぶり、ヴィルセを襤褸雑巾のように引き裂こうと躍りかかり

ヴィルセの頬に、三本の紅い筋が入った。 軽く身を捻って、致命的な一撃は避けたつもりだったのだが

熊の動きは予想以上に素早く、将軍は躊躇無く殺すことに決め、愛用の剣を熊の肩にうち下ろす。

鈍い音がして、熊の肩に剣がめり込み、熊の悲鳴が挙がった。 護衛の兵士も、それに習って剣を突き

怒り狂った熊は、激痛に顔をゆがめ、再び咆吼した。

味方の兵士達とは距離があり、異常に気付いてもすぐには助けに来られない。

また、熊はまだまだ元気で、ますます狂気に猛気を加え、兵士を一撃ではじき飛ばし

吹き飛ばされた兵士は、地面に叩き付けられ、意識を失った。 結果、戦えるのはヴィルセ一人となった。

文官の娘は、冷静に状況を見ているのか、将軍を助けようとはしない。

やがて、再び一定距離を置いて退治した熊とヴィルセは、一気に間を詰め、互いの武器を振るった。

交錯は一瞬、勝負もしかり。

空に紅い噴水が、一時的に彩りを添えた。 片膝を付いたヴィルセの腹と肩から、鮮血が吹き出し

そしてその傍らで、袈裟懸けに斬られ、物言わぬ亡骸となった熊が、ゆっくりと崩れ伏そうとしていた。

次の瞬間、無数の矢が、正確にヴィルセに向け、虚空を切り裂くかのように襲いかかった。

今の一撃で、対応能力を無くしていたヴィルセは、矢の軌跡を見るだけで精一杯であり

ブライトが声をあげかけたときには、その身に無数の矢が突き立った・・・様に見えた。

だが、固く目を閉じたブライトが、瞳をゆっくりこじ開けると、そこにはあり得ない光景が広がっていた。

なんと、今まで何も行動しなかったミラルダが、熊の亡骸をひっつかんでヴィルセの前に立ちふさがり

飛び来た矢は、全てその死体に突き刺さり、ヴィルセに食い込むことはなかったのである。

溜息をつくと、娘は熊の亡骸を、人形でも投げるかのように放り捨て、帽子を取った。

娘の頭には、猫のような耳が一対付いており、欠伸をすると心底面倒くさそうに言う。

「ふぁ・・・・あ。 眠たいレディを酷使するなんて、マナー違反だぞ。

ヴィルちゃん、しっかりしてよー」

「・・・済まない。 助かった、ルーシィ殿」

直後、未練たらしくまた数本の矢が飛んできたが、ヴィルセは剣を振るい、その全てを叩き落とし

残りは全てはずれ、暗殺は失敗に終わった。

ヴィルセが熊から受けた傷は深かったが、致命傷になるような物ではなく

すぐに消毒し、治療した結果、何の後遺症も残さなかった。

「・・・あの様子では、余程人間に酷いことをされたのだろうな。

手厚く葬ってやろう。 酷い戦いだった。 それと、暗殺者は生かして捕らえろ!」

熊の死骸を省み、駆け寄ってきた部下に命じると、ヴィルセは視線を逸らし、他の者達の安全を確認した。

 

文官の娘、<ミラルダ>の正体は、言うまでもなくルーシィであり

作戦を告げられた当初、不精の彼女はきりっとした服を着る事を嫌がったのだが

兎が食べ放題であることを伝えられると、態度を一転、自分から服を着てヴィルセに付いていった。

もっとも、本当のところは、ドートゥルムを自分で観察し、論文の完成を見たいこともあったのだろう。

フィラーナが洗濯した服は、糊が利いていて、多少ルーシィには着心地が悪かったようだが

それでも<演技>を崩さず、ルーシィはずっとヴィルセの側で随伴していた。

暗殺の失敗を聞き、パニック状態になったドートゥルムは、自らヴィルセを確認に向かい

それが無事だったことを確認すると、熱を出して倒れてしまい、部下達に泡を吹いて叫んだ。

「私は、私はもうダメだ! 蝮様が殺しに来るに違いない!

助けてくれ・・・助けてくれ・・・助けてくれ!」

応える部下はなく、体調不良を理由にドートゥルムはその場を離れ、屋敷に帰っていったが

翌日、姿が見えなくなった。 ナターシャによって、欠片も残さず消し飛ばされたのである。

その後も、あきらめが悪いドートゥルムの協力者の手によって、食事に毒を入れようとしたり

寝込みを襲おうとしたり、何度か暗殺が企まれたが、ヴィルセは全く隙を見せず

そればかりかブライト執政官に多大な信頼感を芽生えさせ、狩りは終わった。

結局、この事件は、蝮にとって完全敗北に終わったわけだが

それだけで主導権をメリッサが握るわけにも行かず、また皇国でついに火種が弾けた事もあり

この事だけで、楽観は許さない状況であった。

ヴォラードに帰還したヴィルセは、魔界大使館に早速呼ばれ、驚くべき事態の到来を知る。

このヴォラードから西に二つの区を挟んだオッペンハイマー地区で、民衆による反乱が発生したのである。

 

4,火薬庫へ近づく導火線

 

反乱自体は、小さな物だった。 オッペンハイマー地区はヴォラードより一回りほど大きな区で

異常な干ばつに数年来見舞われており、しかも中央から派遣された援助物資を高官が横領したため

民衆の飢餓は頂点に達しており、メリッサが反乱発生予備軍としてあげた地区の一つだった。

反乱の発生原因は、民衆の間に、高官による物資横領の噂が流れたこと

そして、民衆の間に、武器が流され、決起に充分な戦力が整ったことにある。

民衆1500名ほどは、武器を持ってオッペンハイマー地区の区都を襲撃、兵士の一部も取り込んで

同地区の指令を殺害、彼が蓄えていた大量の物資を強奪すると、皆に分配した。

これに対し、皇国は四つの地区に反乱軍の掃討を命じ、合計5000強の兵が討伐に向かった。

ヴィルセが帰ってきたのは、丁度これが起こった日であり、そして伝わり来る情報は錯綜を極めた。

まず反乱軍と接触したのは1220名の兵士を派遣したメドル地区の将軍であったが

元々兵力が少ないこともあり、激戦の後、軍は敗退、将軍は他の地区の軍とようやく合流した。

その間反乱軍は兵力をかき集め、2000程にまで膨れ上がったが(この過程の情報が非常に錯綜した)

敵軍の主力部隊と正面から衝突した結果、もともと寄せ集めの軍であったこともあって大敗を喫し

散り散りバラバラになった反乱軍の掃討が終わるまでおよそ二週間、反乱の終結まで約一月を要した。

この間、アスクライドでは蝮がついに軍事顧問を派遣、ドートゥルムの部下の一人を指令にして

再びヴォラードの足下を引っかき回し始め、またリエルのいるゾ=ルラーラでも同様の策を実行

此方はヴィルセほどの有能な将軍がいない事もあり、連続の暗殺事件によって七名が死亡

12名が重傷を負ったと発表され、足下をすくわれたリエルは再び建て直しに移るように見えた。

 

「作戦は完全に実行されたな。 よくやった、ナターシャ

ドートゥルムの低能は失敗したが、最終的な作戦行動に変更はない。」

「御意。」

蝮の私室で、短い会話が交わされていた。 オッペンハイマー地区の司令官は、蝮の子飼いであり

横領した物資の殆どは、蝮の懐に流れ、歓心を買うのに使用されていた。

だが、司令官は余りにも無能な男だった。 それに、行動に充分以上の見返りを求める男でもあった。

それ故に最近は要求が拡大する一方で、鬱陶しくなってきたため、蝮は切り捨てを決定したのである。

かってレイアも言ったことだが、強者の掌の上で踊らされ、弄ばれる住民の何と哀れなことだろうか。

この内乱<オッペンハイマー争乱>で、死者は合計1744名に達し

負傷者や家屋を失った者はその数倍に達する上、今後、皇国からの迫害にあうのは必至だった。

唾棄すべき事に、蝮は別に彼らに哀れみなど感じてはいない。

駒を駒として動かしたくらいにしか考えていないし、それで何が悪いのだと考えてもいる。

何故この男が、此処まで身勝手な利己主義を採るようになったのか

誰も知らないし、本人も黙して決して語ろうとはしない。

だが、それがこの男の冷酷性を強化し、また能力を強化しているのは間違いない事実であった。

 

レイアは此処頻繁にメリッサの元を訪れており、政治の勉強に勤しんでおり

それに応え、メリッサも時間を割いて、積極的にレイアの勉学に協力していた。

オッペンハイマー争乱の直後、ヴォルモースは皆を収集し、会議で問題点と対策を指定していたが

本日はそのまとめと具体点の説明で、レイアはノートを持参し、真剣に聞き入っていた。

「では、この争乱が何故起こったか、今後の皇国にどういう問題を起こすかの講義を始めますわ」

黒板にチョークを近づけながら、メリッサが言う。 本来はもっと高度な筆記具が幾らでもあるのだが

人間世界の住人であるレイアに、必要以上に見せるわけには行かない。

レイアと並んで、どういう訳かフィラーナも授業を受けており、楽しそうにメリッサの様子を見ていた。

本人曰く、自分も政治を知りたいからだそうだが、実際はメリッサのカンフル剤になるべくだろう。

そしてその意図は見事に功を奏し、メリッサはかってないやる気で、気合いを入れて授業をしていた。

「ではまず第一。 この争乱の最大の原因は、何でしょう」

手をフィラーナが挙げ、続いてレイアがあげた、メリッサはチョークでレイアを指す。

「はい、レイアさん。 何故ですの?」

「・・・貧困が極限まで達していた上に、武器を与えられ、しかも集団ヒステリーになったからです」

「正解。 これが反乱発生直前の、オッペンハイマー地区の状況ですわ」

黒板の左手のスクリーンに、幾枚化の写真が映し出された。 その惨状にフィラーナは顔をしかめ

レイアは視線を逸らそうとしたが、脂汗を流しながら、何とかそれを直視した。

餓鬼のように痩せ、飢えた住民が、目だけを輝かせて無気力そうに、粗末な家の壁により掛かり

その反面、寺院は豪勢な内装を付けており、貴族の住居も似たような状況である。

ヴォラードにある教会は、最近開かれた物で、皇国には珍しい良心的な神官が経営しているが

最近の皇国に於いて、教会と言えば腐敗と堕落の象徴とも言えるほど、精神面の劣化が進んでいる。

メリッサはそれらの写真を写し終えると、続いて黒板に、様々な事項を欠き

彼女の生徒達がそれを書き写すのを確認すると、次の事項に入った。

「じゃ、次の問題ですわ。 この争乱は、今後どういう問題を起こします? はい、フィラーナさん。」

「住民の方々が、長い間苦しむことになりそうですね」

「うーん、五十点って所ですわ。 正解だけど、重要な点はもっと別にあります」

そう言って、メリッサは黒板の文字を消し、新たに何かを書き始めた。

「フィラーナさんの言葉は、ミクロレベルでは全くの正解です

しかし、この争乱の最大の問題点は、マクロレベルでの事にあります。

・・・近い内に、第二、第三の反乱が群発して起こるでしょう。 やがて、サウスロ・ラス人他の

貧しくとも強力な勢力が、皇国に対して反旗を翻すはずですわ」

レイアは淡々と言葉を続けると、再び黒板に文字を書き足し、スクリーンに幾つかの資料を投影すると

それに対する細かい解説を加え、やがて次の事項に移った。

「では次。 これらの反乱を起こさないには、どうすれば良かったんですの?」

次に手を挙げたのは、レイアだけだった。 メリッサは数秒間フィラーナの挙手を待ったが

フィラーナはそれを察して政治家少女に微笑みかけ、舌打ちしてメリッサはレイアを指した。

「はい、レイアさん。」

「充分なご飯と、安全なお家があれば・・・」

「まあ、その通りですわ。 その基本事項が分かっていれば大体三十点ですわね」

辛口の批評をすると、メリッサはチョークの粉を払い、自動粉塵吸引装置にゴミを処理させると

黒板消しで文字を消し、また幾つかの事項を書き加えると、メリッサは解説を開始する。

「まあ、その基本事項をどうするかが、政治家の腕の見せ所ですわ

無償の報酬だけでは、住民はやがて怠け者になり、生産効率は著しく低下しますわ

しかし、労働による報酬を保証するにしても、報酬を払う人間に何らかのブレーキをかけないと

やがて労働条件は極限まで悪化、民衆は死ぬまで働いても、食糧確保だけが精一杯になります。」

メリッサはこの後、写真と映像で三十分に渡って具体例を提示し、自身の言葉を証明すると

再び黒板に向かい、その後更に専門的な話に入る。

「此処で更に加わるのが、土地による労働効率です。

場所によっては、土地の痩せすぎている場所、経済軍事戦略的に僻地に位置している場所

また特産物の存在が無く、或いは住民がその存在を知らない

更に支配者階級の度が過ぎた搾取等で、働いても何の意味もない場所がありますわ

しかし、ヴォラードの例を見るように、それは変革が可能です

そして変革するのに最大の必要がある物は、其処に住む住民達の、やる気を引き出すことですわ」

その後も、更に授業は続いた。 そしてそれが終わったとき、思い出したようにレイアが挙手した。

「あの・・・先生、質問が・・・」

「はい、何ですの、レイアさん。」

片づける手を止め、メリッサが言うと、レイアは顔を上げた。

「今後起こりうる・・・大反乱を止めるには、どうしたらいいんですか?」

「・・・ま、皇国の内部改革、反乱組織を一つ一つ潰し、各地の経済格差を無くし

貧民に充分な食料と、生命の安全を保障する。 それらを一気に行うには、ある秘策が必要ですわ。」

笑顔ながら、フィラーナが困惑しているのを見て、メリッサは慌てて付け加えた

「フィラーナさん、ええと、これ以上は秘密ですわ」

「ふふ、そうですか。 じゃあ、みんな疲れたでしょうから、クッキーを焼きましょう

メリッサさん、レイアさん、紅茶とコーヒー、どっちが良いですか?」

レイアは紅茶をリクエストし、メリッサはコーヒーが良いと言った。

 

ゾ=ルラーラでは、一気に事態が風雲急を告げていた

流石に今までの事態で、先手を取られっぱなしだったことに反省したリエルは

巧妙な偽装工作によって重要人物が暗殺されたように見せかけ、自身は情報収集に徹し

フェゼラエルとアークエンジェルに、行動開始を言明していた

「さ、勝負の時だよ。 私たちを今まで散々コケにした、蝮を叩きつぶす!」

無論リエルは他の国の情報員達にも、ちゃんと指示を出しているし、大使館員としての仕事もしている。

カズフェルはそれを承認し、ゾ=ルラーラの要人を集めた会議で、リエルは高々と言明した。

「これから三日間で、蝮の下部組織七つを叩きつぶす!

その一つは、蝮の重要な経済活動に起因するものだよ。 奴の足下を掘り崩し、逆に足下をすくってやる!

反作用で一気にテロが来るけど、それはフェゼラエルで抑える。

これは戦争だよ。 みんな、覚悟を決めて!」

リエルの偽装工作に参加した、ゾ=ルラーラの要人達が、皆一斉に歓声を上げた。

「そう言えば、リエル、魔界大使館との連携は必要ないのか?」

「もう取ってるよ。 向こうは穏健な策で終始行くみたいだけど」

これは、あくまで天界大使館の方針と比べて、の話である

メリッサは今後、皇国要人の何人かを暗殺することを手助けしかねないし、大体あの現実主義者のことだ

どんな冷酷な手を使っても、どんな卑劣な手を使っても、全く不思議ではないだろう。

リエルの言葉の後。 ゾ=ルラーラへのテロの指揮を執っていた者が、瞬く間に抹殺されたのを皮切りに

わずか三日で、その言葉どおり、蝮の指揮下にある七つの小組織が粉砕され

天界大使館と蝮は、一気に実質的な戦闘状態に突入した。

だが、それも蝮にとっては想定内のことで、故に取り乱すようなことはなく、不敵な態度を保っていた。

蝮の切り札である陰謀は、皇国最強の一角、赤騎士団の内部にある。

それに気付いている者は、今の時点では、皇国どころか世界の何処にもいなかった。

                                   (続)