蒼き竜

 

序、災いの蛇

 

現在、皇国の暗黒部分における経済で、最強の影響力を持つ存在は

間違いなくドラーケ=ヴォルモズン、通称蝮であろう。

この男は冷酷で卑劣ながらも、常に有能なボディガードを従え、行動は慎重かつ大胆

様々な政治的謀略、それに長年培ってきた人脈を使い、一代で勢力を手にした傑物ではある。

皇国の武器市場は、この男に六割以上も掌握され、残りも全て影響下にある。

そして、その勢力は、この国だけに止まらないのだ。

アスフォルト皇国とフォルモリア連合の戦闘時、この男はフォルモリア大陸に地盤を確保

あろう事か敵対する両勢力に武器を売り、莫大な利益を得ていたのである。

無論、そんな事を周囲に悟らせはしなかった。 幾つもの組織を介し、巧妙に工作して隠蔽し

だが裏では、着実に金を稼ぎ、勢力を伸ばして行ったのだ。

そして今、この男の野望は、世界全土を視野に納めた物へと変貌しようとしていた。

その野望が、幾億の命を飲み込もうと、如何に大地を焦土と化そうと、構わないようだった。

彼の直接指揮下にある人間は、既に一万を超す。 関係や、影響がある人間は更に数倍も多い。

それらは現在、積極的かつ精力的に蠢いていた。

不満分子の割り出し、彼らの情報の収集

武器の所有状況、勢力および能力の分析、加えて道具として有効かどうか

幾らかの工作が行われ、膨大な金が費やされ、やがて蝮はある結論を出した。

それは、皇国を地獄に叩き込むのに、最適の人材である男の選定と操作方法である。

 

サウスロ・ラス人は、ラス人の中で最も勇猛かつ残忍だった民族であり

大陸の混乱期の間は、同族達の主核となって敵をなぎ倒し、同時に残虐な行為で周囲を震え上がらせ

主にシュダール人との勢力争いで血を流し続け、周囲にその名を轟かせた者達である。

その戦闘力は定評があり、勇猛果敢なシュダール人さえ彼らとの戦いは避けたがったが

それは同時に同族の中からも恐れられる結果を呼び、戦い自体が彼らの存在意義となって行く。

時は移ろい、やがて<英雄王>による大陸統一の時がやってきた。

サウスロ・ラス人は頑強な抵抗を続けたが、戦の天才に率いられた大軍の前には為す術が無く

3年ほどの抵抗の後、他のラス人たちと共に降伏、慈悲深い王に許され存在を現在まで維持している。

<英雄王>の寛大な措置は、彼らに二つのものを与えた。

一つは今まで存在しなかった平和、そしてもう一つは同族内での白眼視である。

いざ国内に戦争がない状態が来てしまえば、同族内で彼らはただのお荷物であり

またその常識離れした戦闘力は恐怖の的にさえなり、必然的に孤立は深まっていった。

鬱憤を同族にぶつけるわけにも行かず、また単純な彼らは<英雄王>を素直に崇拝もしていたから

やがてその思考は、神の救済へと移行して行き

サウスロ・ラス人は同族内で最も信仰篤い民族になっていった。

そして、考え得る最悪のタイミングで、<宗教浄化>政策が発動されたのである。

 

サウスロ・ラス人はこの政策による犠牲者を、最も多く出した民族の一つとなった。

この政策により、改宗を強制された彼らは、その信仰心から激しく抵抗し

そして<聖王宮騎士団>に叩きつぶされ、短期間で20万人以上とも呼ばれる被害者を出した。

彼らは磔にされようが火炙りにされようが屈さず、それが被害者を更に拡大

一時期は彼らの人口は最盛期の三割近くにまで落ち込み、現在も回復しきっていない。

百年ほどで彼らは合計して400万人以上の犠牲者を出し、そしてあるものを心に宿した。

それは、一神アスフォルト教への、致命的な憎悪である。

彼らは元々純粋で、勇敢な民族だ。 故に、その戦闘力は比類が無く、連合との戦争でも

特別編成された特殊部隊には何人も人材を派遣し、多大な戦果を上げてきた。

彼らの目には、目先の敵に対する怒りと同時に、教皇に対する憎しみもくすぶり始めている。

それに気付いている者が、どれだけいるだろうか。 おそらく殆どいないだろう。

問題の根は深く、そして重い・・・そしてその問題に、今油が注がれようとしていたのである。

 

それは勇敢ながらも善良な男だった。 名はルティ=ウィンドスレイと言う。

今や大陸で最も貧しい民族である、サウスロ・ラス人の、苦労絶えない顔役である。

彼の元には、此処暫く蝮の部下がひっきりなしに出入りしていた。

ルティの表情は、決して明るくはなかった。

自分がしようとしている行為が、何をもたらすか良く知っていたからである。

しかし、もはや引くわけには行かない。 彼の仲間は、此処数年で何人も餓死していった。

子供達はろくな食べ物も与えられず、教育も充分ではなく

役人達は苛政を敷き、私腹を肥やすことしか考えていないし、しかも中央はそれを奨励さえしていた。

即ち、賄賂という形で。 この地区の執政官たちは、絞れる限り民の血を絞り続けていたのである。

正に地獄、この状況を打破するには、もはやこの国をどうにかするしかないのだった。

ルティは、ひょっとすると自分が駒であることを知っていたかも知れない。

しかし、例えそうであっても、引くわけに行かないのが彼の悲しさであったろう。

彼が見つめる先には、皇国首都がある。 そこを焦土とするべく、彼の頭脳はフル回転していた。

 

1,激務の終息

 

ゾ・ルラーラ地区での爆弾テロ事件以来、魔界大使館も決して平穏な日々を送れてはいなかった。

実行犯は天界の特殊調査チームがすぐに見つけだし、組織もろとも塵としたが

問題はその後で、必要な事後処理が山ほど発生したのである。

まず第一に、使用された爆弾が、どのような経緯で人間に渡ったかが問題であった。

魔界の情報操作部は、この事態を重く見、メリッサの要請に応えてA級諜報員を一名派遣

派遣された諜報員は直ちに情報を収集、整理し、天軍諜報員との情報すりあわせの結果

地上で行われた大会戦の一つ<シーオルジュ遺跡攻防戦>で天軍が遺棄した爆弾が

三年半の時間をかけ、地元の農夫の手から犯罪組織に渡ったことを突き止めた。

その犯罪組織から、七つの組織を経由して、小さな犯罪組織の手に渡ったところまでは突き止めたが

だがそこから六年間、関係者が全員死亡していたため、後を追うことが出来ず

更に四年後に爆弾テロの実行組織に渡ったことは突き止めたが、完全な空白地帯が発生してしまった。

だが、いずれにしろ、どちらの世界もこのテロ事件には関与していないことが様々な証拠から証明され

両世界の軍事政治的緊張(微々たるものであったが)は、とりあえず弛緩する事となった。

ただ、もう一つの問題がある。 爆弾テロが、何故大使館そのものに行われなかったと言うことである。

実のところ、テロ組織がそうしてくれていれば、被害などでなかったのだ。

天界大使館には、魔界大使館とほぼ拮抗する強力な対爆中和防御結界が張られており

あの程度の爆弾であれば、マッチの火にも劣る無力な炎に一瞬で中和することが可能だった。

だが、テロ組織はわざわざ市庁舎を選んだ。 何かしら、非常に魔法に詳しい者がいるか

それともどちらかの世界の関係者がいるか、その可能性が大きいのである。

様々な報告書が、メリッサのデスクに積まれた。 リエルの机にも積まれた。

二人は頭を抱えつつも、自分の地区の政治も行いつつ、事件の処理にも当たることになったのであった。

 

「メリッサさん、大丈夫ですか?」

メリッサが書類の整理を終えて一息ついていると、すっかり良くなったフィラーナが

トレイに甘いホットミルクを乗せ、微笑んでいた。 喜んで好意を受けると、メリッサは小首を傾げた。

「大丈夫? それはどういう意味ですの?」

「目の下に隈が出来ています・・・可愛い顔にくっきりと・・・心配です」

驚いたメリッサは手鏡を受け取ると、言葉が嘘ではないことを確認し、愕然とした。

確かに彼女の目の下には、ここ数年出来た試しなど無かった隈が、はっきり浮き上がっていたのである。

また、自慢のセンスで選んだ可愛らしいフリフリびらびらの洋服も、少し汚れ気味であり

それも確認すると、一種の思考停止に陥り、政治家少女は見事に停止した。

数秒の硬直の後、メリッサは頭を振り、自分の精神を現実に引き戻す

この辺の復帰能力は流石である、だがそれは同時に大きな負担を精神にかけるのである。

「はあ・・・・これは美容に良くありませんわね

しかし、この仕事ばかりは、他の方に頼むわけにもいきませんし・・・」

個人の美容など、数千の人名に直結する政治の前で絶対に優先しては行けないことである。

最近のメリッサの生活は、余人の及ばぬ鮮やかさで、大量の仕事を片づけつつ

それが一段落したら、布団も被らず寝るという不健康生活で定着している。

無論補助プログラムを使い、ミスがないように務めてはいるが、それにも限界があるし

当然ヴォルモースも決断する仕事が増え、研究も捗らないようで

そればかりかメリッサの体も心配らしく、フィラーナに幾度か愚痴っていた。

「リエルさんに、会いに行ってみますか?」

唐突なフィラーナの台詞に、再びペンを取ろうとしていたメリッサの動きが停止した。

確かに、それくらいの時間はあるが、何故いきなりそんな事を言い出すのか、不可思議であったからだ。

「前にリエルさんと口喧嘩していたとき、凄く二人とも楽しそうだったから

行ってみましょう、きっと二人とも、良い気晴らしになるはずです」

「そうですわね・・・少し気晴らしも必要ですわね

分かりましたわ。 もうリーダーの許可は取ってますの?」

フィラーナは笑って、まだだと応えた。 苦笑すると、メリッサはヴォルモースの部屋に向かった。

その途中で、彼女は思っていた。 やはり、フィラーナがいてくれて良かったと。

ヴォルモースは、即座にそれに許可を出した。 彼もまた、メリッサと同じ事を思ったようであった。

 

ゾ・ルラーラ地区は騒然としていた一時期に比べて、大分落ち着いていたが

だがやはり<魚>一隻での移動は禁止され、魔軍の護衛艦<フランノーゼズ>と

天軍から派遣されたミサイル巡洋艦<メルカド>が護衛につき、三隻で移動することになった。

この二隻はどちらも最新鋭艦で、フランノーゼズは最新型十二連装パルス荷電粒子砲を主砲とし

メルカドは天軍の最新兵器、小規模連鎖空間転移ミサイル八発を搭載、いずれ劣らぬ破壊力を誇る。

何かしらの攻撃を受けたら、競ってそれを撃破することは疑いなく、安心度は高かった。

やがてゾ・ルラーラ地区に着くと、メリッサは地面を見て不可思議そうに眉をひそめた。

住民が、前に訪ねたときと違い、あまり寄ってこようとはしないのだ。

此処を訪れたのは、メリッサとモルトの二人である。 地面をただ見て何も考えていないモルトに

メリッサは視線を向け、静かに言った。

「モルトさん、見て地面。 何で誰も寄ってこないと思います?」

「何故だろうな。 今更空中魔導戦艦の威容に怯えている訳でもあるまい」

肩をすくめ、メリッサは笑った。 再び視線を地上に戻し、言葉を続ける。

「当然ですわ。 彼らはおそらく・・・テロに巻き込まれるのが怖いのでしょう」

「テロ? 馬鹿な・・・・三重の対爆中和防御結界と、重火器に守られたこの艦を?

私でも、支援無しで正面からこの艦に対して攻撃するには勇気がいるぞ」

モルトは決してせせら笑わず、不思議そうに眉をひそめた。

何故なら彼はメリッサが彼を無意味にからかうはずも無いと、確かに知っていたからである。

<魚>は着陸態勢にはいる。 フランノーゼズが先に着陸して、兵員が展開して警戒に入り

メルカドは上空から、空からの攻撃に備えて小型監視衛星を射出した。

迂遠なことだが、大戦時に天軍が地上に遺棄した兵器が全て回収されるまでは続くだろう

(魔界軍の兵器管理態勢は非常に精密であり、敗戦時さえただの一つも地上に兵器を遺棄はしなかった)

そして、それにはもう殆ど時間がかからない。 両世界の諜報員の協力により、もう九割が回収され

残りもほぼ回収が可能であると判断されたところであったからである。

それらの作業が問題なく行われていることを確認すると、メリッサはモルトに向き直った。

「我々の常識と、この世界の民の常識は異なります

彼らには、爆弾の散乱状態なんて分かりませんし、どちらも似たような超兵器にしか見えませんわ

・・・これは後で説明いたしますけど、<常識のすりあわせ>というのは非常に重要な行為で

執政官はは古今を問わず、それで苦労しているのですわ

何しろ、場所と時代どころか、社会的地位や年齢でさえ、<常識>を変化させるのですもの

ましてやそれが文化的に異なる相手ならどうなるか・・・頭痛の種は絶えませんわね」

着陸した<魚>から降りつつ、メリッサは言った。 目の前には、天界大使館が白々しく建っている。

何時もと違う雰囲気であるのは、その周囲をいつもより強力な結界が覆っているからで

出迎えはカズフェル一人のみ。 無言のまま、彼は客人を奥に通し、護衛の艦は空中で待機を続けた。

リエルの部屋は雑然としており、メリッサは思わず溜息をついた。

ライバルの長所を、彼女は知っている。 メリッサと違い、生活能力があることだ。

いつも部屋は綺麗に片づき、女の子らしい小物が丁寧に並び、小綺麗な壺が場に彩りを添えている。

それがこの有様と言うことは、余程凄まじい状況であることを如実に示しているだろう。

必死になって、この地区の経済活性を維持し、また臨時派遣されている天軍の兵達や

情報捜査員に指示を出し、またテロ事件の後始末と、政府との情報交換をしているのだ。

その作業は、おそらくメリッサの物より大変なはずだ。 テロの直撃を受けた分、打撃は大きく

幸いフェゼラエルが死ななかったこと(中級天使の中でもトップクラスの実力を持つ彼女が死ぬには

余りにも少ないエネルギー量だったが)市庁舎の外には被害が出なかった事

レギセエルとカズフェルが全力で彼女をサポートした為、致命的な仕事量にはならなかったが

それでも相当に辛いようで、リエルは毛布を被り、後ろにいるメリッサにも気付かず仕事をしていた。

「アホ小娘天使! 遊びに来てやりましたわ!」

咳払いをし、メリッサが言い放つ。 その時、初めてリエルは後ろに誰かいる事に気付いたようだった。

その瞳が驚きに見開かれ、メリッサを確認する。 目の下には、痛々しい隈が出来ていた。

メリッサの目の下の隈より、更に痛々しい。 明らかに重傷であった。

「ロリ趣味バカじゃない・・・・何で此処にいるの?」

「例えアホといえど、この私のライバルには違いありませんものね

ほら、差し入れですわ。 温度保存で出来立てのまま持ってきてあげましたわよ」

メリッサが取りだしたのは、リエルの好物であるクレタルシュ(チーズケーキのような菓子)であり

レシピを見てフィラーナが作ったそれは、見た瞬間絶品と分かる素晴らしい代物であった。

既にモルトとカズフェルは、部屋から退出している。 友人二人きりにさせてやろうと考えたのだ。

「・・・貴方が考えた事じゃないでしょ。 あの子?」

「その通りですわ。 ほら、早く食べて。 確実に美味しいですわ」

無言でリエルは頷くと、既に切り分けられているクレタルシュを口に運び、食べ終わるまで押し黙った。

そして、珍しく表情をかげらせ、溜息をついた。

「正直、貴方が羨ましいよ。

カズフェルさんは、私たちの能力を引き出す術には長けてる。 信頼するべき能力もある

でもね、私たちにはみんなで守ろうって考えられる存在がいない

こんな風に気が利いて、私たちのことを考えてくれる存在がいない・・・」

故に、我々の信頼は、貴方達のそれに比べて脆い。 リエルは其処まで言わなかったが

言葉が意味しているのは、それであることに疑いはなかっただろう。

メリッサは別に勝ち誇るような真似をするわけでもなく、リエルの愚痴を聞いていたが

やがてパソコンを取りだし、立ち上げるとリエルのそれと接続した。

「さ、片づけてしまいましょう。 二人で連携して仕事をすれば、一気に進むはずですわ

特別に幾つか機密情報教えてさしあげますから、そちらもお願いしますわよ」

「うん、分かった。 一気に片づけよう、ロリ趣味バカ。」

ようやく調子が戻ったリエルを見ると、メリッサの表情が緩む。

我がライバルは、これでなくてはならないと考えたのだ。 一気に精神を集中し、思考分析装置を被る。

「そっちこそ、私の足を引っ張ったら承知しませんわよ、アホ小娘天使!」

 

モルトがフェゼラエルの所を訪れると、フェゼラエルは怪我一つなく、天井の染みを眺めていた。

流石に戦闘専門の彼女は、モルトが自分の間合いにはいると気付いたのだが、先ほどから考えていた。

<あの染みを洗い流すには、五分以上掛かるのだろうか五分以下で済むのだろうか>という命題は

脱線と混線と理解不可能な自問自答を繰り返し、何時しか<染みの洗い方>に移っていたが

流石に部屋に入ったモルトが咳払いをすると、振り返っていつもの笑みを浮かべた。

「こんにちわ、モルトさん。 何のご用ですか?」

「・・・見舞いに来た。 元気そうで何よりだな」

再びフェゼラエルが何かを考え始めたのを見て、モルトが咳払いをした。

それで自分の世界に行きかけていたフェゼラエルは頭をかいて舌を出し、此方の世界に戻ってきた。

カズフェルも毎回、この度を超した夢想癖には苦労しているが、モルトもまたそうだった。

フェゼラエルがモルトを男性として認識していない証拠だが、それはそれでまた良いのかも知れない。

何故なら、それであるからこそ、今のように自然に接す事が出来るからである。

「あ、すみません。 あたしの悪い癖ですよね

心配して来てくれたんですか? でも、あたしより被災者を心配してあげて下さい」

「・・・だが、彼らは皆お前が治療したと聞いた。 高位の神意魔法は使用禁止ではないのか?」

フェゼラエルは首を横に振る、彼女が使ったのは、天使や悪魔が用いる人為を超えた魔法ではなく

地上の人間達が使っている、極ありふれた回復魔法だったのである。

それ故に、効率は悪く、回復に時間が掛かった。 精神力の消耗も激しく、疲労も大きかった。

まあ、フェゼラエルにしてみればそれほどの疲労でも消耗でも無かったし、大した問題でなかったから

現在部屋でぼんやりしていて、時々リエルの指示で犯罪組織を潰したり力仕事をしているのだが。

それにしても、何故自分をモルトが心配しているか、全く考えないこの娘は

精神的に鈍感を通り越して鈍重と言うべきだったのだろうか。 いや、それは違う。

彼女は根っからの<天然>であったから、そう言う行動をとってしまうのだろう。

再び言葉を切り出したのはモルトだった、いつもの様子で少し安心したのである。

「・・・まあ良い。 怪我が無くて安心した

私は帰る。 邪魔をしたな」

部屋を出る瞬間、モルトは一瞬だけフェゼラエルの方に振り向いた

フェゼラエルは、いつもの笑顔を浮かべていた。 それを見て、これで良いのだとモルトは思った。

外には、レギセエルが待っていた。 大柄な黒い天使は、モルトに白い歯を見せて笑うと、静かに言う。

「どうだっタ? フェゼラエルの調子は」

「問題ないだろう。 少なくとも、私には問題が見あたらなかった」

額に手をやり、レギセエルは笑った。 純粋に仲間を案じ、そして安心する笑いだった。

「そっか。 アンタがいうなら大丈夫だろ。 ・・・あの子を心配してくれて有り難うナ

あの子は素っ気ないけど、悪気はないんだ。 許してやってくれ」

「分かっている。 私にも似たところがあるからな」

微妙な笑みを浮かべると、モルトは<魚>に戻っていった。

そして目を瞑り、メリッサが三時間後に戻ってくるまで、一言も言葉を発しなかった。

 

この日の訪問により、天界大使館の激務は一気に減少、手詰まり状態だった仕事も幾つか片づき

また魔界大使館にも有益な情報が幾つも飛び込み、魔界大使館で滞納していた仕事も一気に片づいた。

両者が得た利益は、様々な意味で大きかったと言えるだろう。

リエルは三日ぶりに睡眠をとることが出来、メリッサも睡眠をとって目の下の隈を取り去った。

だが、それが嵐の前の静けさ、一時の休息だと言うことは二人にも、他の誰にも分かっていた。

二人の視野には、蝮の姿がはっきり写っていた。 今後の政策は、この男を抜いて語ることが出来ない。

皇国が、激動にさしかかろうとしている今

その立役者は、天界の代表者からも魔界の代表者からも、悪い意味にせよ注意されていたのであった。

 

2,それぞれの思惑

 

天界大使館が経済の再出発を始めた頃、丁度魔界大使館は陶磁器の製造が軌道に乗り始め

地味ながら堅実な手腕を持つトモスと、天才職人イルフが綺麗に連携して

貴族相手の高級芸術作品と、庶民向けの安価でそれでいて質がいい陶磁器を大量生産し

首都に確保した流通ルートを駆使して、流し込むようにして売り始めた。

事前の宣伝と、実際の商品の良さが重なり、瞬く間にヴォラード製の陶磁器は地位を確保

加えてイルフの作品の一つ、<春蒼き空>という名の大皿が、名門貴族の一つデヴァス侯爵に売れ

その品質の良さが噂を読んで、貴族の間にもファン層が出来始めた。

一方で、流民のお陰で人口が増え、治安の悪化が懸念されたが

ヴィルセの提案の元、兵士を警察任務を行う者と、軍事任務を行う者にはっきりと分け

それぞれ志願者を優先配分し、結果大幅な増員が行われた治安維持部隊は、治安を以前の水準に保った。

警察長官と軍司令官に近い仕事をヴィルセは兼任する事になったが

サポート役のレイアが優秀だった為、大きな混乱は起こらず、現在に至っている。

メリッサの政治手腕、影の実力者であるヴォルモースの能力を疑う者は、もはやヴォラードにはおらず

政治不信は一掃され、民は執政者を信頼し、ヴォラードは進歩に向け前進し始めていた。

だが、周囲の地区は、そう言うわけには行かなかったのが現状である。

特にそれが深刻だったのが、図体がでかいだけで何も統制が取れていないアスクライド地区であった。

トモスやイルフに代表される優秀な人材は、今尽くヴォラードに流出してしまい

残ったのは、弱みをメリッサに握られ、自身の保身ばかり考える、文字通りの屑ばかりである。

当然経済は停滞し、もはや賄賂さえ取れない。

治安の悪化は深刻化し、嫌気がさした住民は次々にヴォラードへ移って行く

この事態は身から出た錆だというのに、当事者達はそう思わず、メリッサを無意味に憎んだ。

ミクロな点であるメリッサだけでなく、マクロな面であるヴォラードも同じように憎んだ。

そんな彼らにつけ込んだ者がいる。 ・・・言わずと知れた蝮である。

 

テロ事件の後も、レイアは自分の仕事を黙々と続け、着実に成果を上げていた。

フィラーナと仲直りが出来たことが、彼女の精神を活性化させ、それは仕事の効率向上に直結

今のレイアは、ヴォラードを数字的に完全に把握しているだけに止まらず、周辺地区のおよそ八割を

自分の頭脳内で、正確に数字情報化して、整理して蓄えている。

それには、メリッサの指示の元、レイアにグレーターデーモン達の情報網を直結させたことが大きい

以前はグレーターデーモンの巨体にいちいちびくびくしていたレイアではあったが

あの事件の後、一皮むけたのか、或いは異形を見ることになれてきたのか

全く臆することなくグレーターデーモン三名に接し、得た情報を整理し、メリッサに届けた。

今やレイアは、メリッサにとっての腹心だった。

この地区での政治は、メリッサが参謀となって方針を考え、それをヴォルモースが承認し

ヴィルセが軍事面を、トモスが行政面の政策を実行、そしてそれらの補助と

得られる情報の整理をし、提出する役目がレイアと、完全に役割分担が確立しつつある。

以前はヴィルセがトモスの仕事を並行していたわけだから、これでも個人の負担は減っており

また各人の役割がはっきりしており、重複する部分が少ないので政治的にも理想型である。

(此処で警察長官に等しい役をする者が出ると、更に理想的なのだが

何故ならそれは軍事と司法の分離を意味し、軍事の独走を防ぐことになるからである)

そんなレイアがある日、護衛を伴って魔界大使館に駆け込んできた。

得られた情報は、無視できぬ物であり、直ちにメリッサの指示を仰ぐべきだと考えたからである。

メリッサは情報を得て、すぐにヴォルモースの指示を仰ぎ

それを重視したヴォルモースは、すぐに皆を召集して会議を開いた。

 

会議に招かれたのは、ヴォルモースを議長、メリッサを進行役として

モルト、ルーシィ、フィラーナ、ヴィルセ、そしてレイアがメリッサの脇におどおどして座り

末席には、今回から参加が認められたトモスが、大人しそうな顔をして

だが瞳の奥には微妙な、形容しがたい光を湛えて座っていた。

この男は、地位的野心はないのだが、常に腹に一物を抱えて生きている男であり

清廉潔白とは到底言い難く、この間も若い娘を愛人にして足繁く通っていることが判明し

周囲には愛妻家を装っていたため、顰蹙を買っていた。

無論、メリッサはそれを公開することはせず、内輪の噂で終わった。

部下の心理配慮も、立派な政治である。 無論、無罪にすることはせず、減給を行ったが

トモスに恥をかかすこともなく、かつ法を順守する、バランスの取れた対処であったろう。

確かに彼は普通の人間から見ると、気味が悪くてしょうがないのだが

有能な人材は癖があることを知り尽くしたメリッサにしてみれば、使いがいのある人材で

トモスもメリッサを正当に評価し、この人物に取って代わろう等とは露ほども考えていないのだった。

ヴォルモースの異形を見た時、トモスは驚いたが、だがそれだけで相手を全評価することなく

それを見抜いたヴォルモースにより、会議の末席に加えることが決定されたのである。

他の者達も、皆トモスの能力は正当に知っていたから、それに不満を唱えることはなかった

トモスの頭髪は、既に半分消滅しており、皺も深い。 しかし、まだまだ頭脳は現役である。

ただ、実績主義のメリッサの評価は客観的で且つ厳しいから

現役引退と彼女が判断したら、容赦なく切り捨てるかも知れない。

その時のために、メリッサは何人も人材を育成し始めてはいるが、使い物になるにはワインと同様

長い時間の熟成が必要であり、それは長期の政治戦略の一端となることであろう。

「では、会議を始める。 レイアさん、例の情報をお願いしますよ」

ヴォルモースが触手を揺らしてレイアを見ると、空気に形容しがたい独特の振動が走る

人間の声とは微妙に異なる空気振動が、ヴォルモースの言葉の特徴であり

それは何時も会議の始動合図となって、皆の心を一様に引き締めるのだった。

レイアは皆の視線を受けて緊張したが、特にヴォルモースに正面から見られて強張ったが

前のフィラーナとの一件以来、彼女は度胸を身につけており、呼吸を整えるとしゃべり始めた。

娘よりも、実は父の方が緊張していたのだが、フィラーナ以外は誰も気付かなかった。

「分かりました。 グレーターデーモンの一人、アズバルトさんの情報なのですが

隣のアスクライド地区の経済官僚フィル=ドートゥルム氏が、どうもおかしな動きをしているようです。

館には、覆面の男が複数回に渡って出入りし、難度か満載された荷車を搬入していました」

皆が顔を見合わせ会い、そしてルーシィが目を細め、静かに笑っていた。

実はこのドートゥルム氏は、彼女のレポートに登場した<F>氏なのであり

その罪業は、全てルーシィに知られており、儲けた具体的な金額まで掴まれていたのだった。

「荷物の中身までは分からないのか? それには食料が積まれていたかも知れないぞ」

「いえ、それは、違うと思います」

珍しく断定的に言うレイアに、問いを発したモルトは驚きを僅かに浮かべ、その顔を見た。

それを見てレイアは真っ赤になってしまい、資料で顔を隠して呟くように言った。

「あ、あの、あんまり見ないで下さい」

「・・・・分かった分かった。 で、何故そう思うのだ?」

真っ赤になってしまったレイアに舌打ちしたモルトは、ヴィルセとトモスの微妙な視線も気にせず

うんざりしきった様子で舌打ちし、視線をずらした。 レイアは呼吸を整えると、自分の結論を言った。

「ドートゥルム氏の経済状況を、この二ヶ月間様々な情報から調べました。

いずれも信頼できる情報です。 間違いありません。

それによると、出費が異常に増え、何人も出自が分からない人を雇っています。

特に美術品や珍品を買いあさっている様子もありません。

出費の原因は・・・あの荷物に間違いないと思います」

「それは具体的に、何の荷物だと思うかい? 君の意見で構わないのだが」

黙り込んだ皆に先立ち、独特の空気振動と共にヴォルモースが発言した。

場が詰まったとき、重要なとき、事態を整合性のある方向に持っていくのは、何時もこの男の役目で

今回も、それを何時も通り果たした形になる。 トモスなどは、そのタイミングに感心を隠せなかった。

「えっと、あの・・・魔導兵器だと思います」

レイアは発言し、父とトモスが凍り付いたので困惑し、声を挙げそうになったが

ヴォルモースがその発言を遮り、メリッサとヴィルセの方に首を伸ばし、意見を求める。

「どう思う、メリッサ、ヴィルセ殿。 思うところを述べてくれ」

「・・・否定の材料は見つかりませんわ。 魔導兵器とは、具体的にどのくらいの威力がある物ですの

ヴィルセ将軍、説明をお願いいたしますわ」

視線を向けられ静かに頷くと、ヴィルセは発言を始める。

若々しい顔に、苦渋の表情が浮かぶ。 彼は前に、魔導兵器に酷い目に遭わされたことがあるのだ。

「あれは悪魔の兵器だ。 ・・・いや、貴方達の事ではない

恐ろしい兵器と言うことだ。 儂はあれを、生み出してはいけない物だったのではないかと思う

原理はよく分からぬ。 魔法の効果を幾倍にも引き出し、打ち出すのだが

色々欠点も多く、発射には術者が必要だそうだし、充填時間も長いらしい

前に敵がそれを用いたとき、我が軍の中央部に光りの華が咲き・・・

兵士の三分の一が、一瞬で殺傷された。 死を免れた者も、怯えきって役に立たなくなった

戦闘にはかろうじて勝ったが、正直あの戦いは思い出したくない。」

メリッサはそれを聞くと、早速サンプルの提示を求めた。

トモスがそれの入手を申し出、メリッサはそれを受諾、話は次の段階に進んだ。

「問題は何故そんな物を、一経済官僚が、しかも二流の官僚が入手しているかだが・・・

メリッサ、どうしてだと思う? ルーシィも、あの人物には詳しいだろう? 何か心当たりはないか?」

「んーとね、あのヒト光り物には興味あるみたいだったけど、軍事マニアじゃ無かったよー

だから、なんか趣味以外の動機だと思うけどー?」

ルーシィは猫耳を動かして、面白そうに応じた。

話題になっている人物を骨の髄まで調べた彼女にとり、何か企んでいると一発で看過できる事態だった。

「と言うことは、ほぼ決定ですわね

どこかの誰かさんが、我々の動きを鈍らせるため、テロ事件を企んでいると考えて間違いありませんわ

ヴィルセ将軍、隠密行動で、国境を見張って下さいな

私はグレーターデーモン達に、例の人物の周囲及び、国境を重点的に見張らせます

国境警備に、ゲズールルさんをお貸しいたしましょう。 なあに、かみつきやしませんわ」

「ありがとうございます、メリッサ殿。 早速、明日から密かに警備を強化します」

此処で問題になってくるのは、魔界製の製品を、この世界で禁止することに大きな制限があることだ。

重要拠点といえど対爆防御結界発生装置を使うわけには行かないし、高位魔法を使うわけにも行かない。

魔界の技術を、この世界で使用することは、無意味な技術の拡散を招くからだ。

<魚>を始めとする軍事技術を、人間に直接触れさせない条件で使うことは認められているが

結界などを常時使用すれば、高位の魔導師にはひょっとすると構造が理解できてしまうかも知れない。

あくまで<かも知れない>ではあるが、人間に今の魔界の軍事技術を渡したりしたら

発生することは、惨劇などという生やさしい言葉では到底済まないだろう。

メリッサはモルトに振り向くと、静かに目配せをして、モルトも静かに顔を下に動かした。

 

会議はその後テロ対策に終始され、要人には出来る限りの護衛増員が決定され

また、この地区への工作員の潜入阻止、魔導兵器の断固たる搬入阻止が方針として決まった。

そして、会議を終えた後、帰り支度をするレイアを、メリッサが引き留めた。

「待った、レイアさん。 少しお話がありますわ」

「ん・・・何ですか?」

レイアの様子を見て、ヴィルセも残ろうとしたが、メリッサは片手をあげて意味ありげな視線を送り

それを見てレイアにだけ用があることを察したヴィルセは、護衛の兵士を残すと、一人帰宅していった。

「メリッサの政治講座、その81ですわ〜。」

それを確認すると、メリッサは人差し指を立てて言う。 レイアはそれを見て、一気に心を引き締めた。

「有能な人材は、有能であればあるほど、必ず癖があります。

性格が歪んでいたり、倫理観が不潔だったり、異常な性癖があったりするのです。

だから、人材は使い方を考えないといけない。 万能型の人材は、殆どいないのだから

それを生かすことを考えるのが、執政者としての仕事であり、義務でもありますわ」

「はい。 それで・・・」

レイアの素直な言葉を聞き、メリッサは笑った。 そして、驚くべき事を言い放った。

「私は、蝮を部下にしようと考えていますわ」

その言葉は、レイアを凍り付かせるのに充分だった。

「あの男は、有能です。 世界をひっくり返して支配するなどと言う無意味で下らない目的ではなく

私が使ってやってこそ、能力を生かすことが出来るでしょう。

何なら組織ごとでも、魔界が吸収しても構いませんわ」

この時、レイアは知った。 倫理などと言う物が、メリッサの前には何の意味も為さないことを

蝮が何をしようと、メリッサは気にしないだろう事を。 笑って部下にするだろう事を。

今まで数十万人以上を死に追いやり、今もその千倍の人間を死に追いやろうとしているというのに!

絶対に敵わないと、レイアは思った。 そして同時に、こう思った。

この人には、政治的な理屈以外のブレーキがない。 ・・・故に、一人の存在としては危険すぎる。

メリッサは、或いは人間を人間として見ていないのかも知れない。

レイアはメリッサに様々なことを教えて貰ってはいたが、ふと怖くなった。

自分も、メリッサにとっては<道具>の一つでないかと、思えてきたのである。

おそらくそれは当たっているはずだ。 唯一絶対に違うフィラーナの立場が、ふと羨ましくなってくる。

それは嫉妬ではない、だがレイアにとっては寂しいことであることも事実だった。

メリッサを尊敬しているからこそ、だからこそ際限ない恐怖が

心の奥底からせり上がるようにして、沸き上がってくるのがレイアには実感できた。

後でフィラーナに相談しよう・・・そう思い、レイアは改めてメリッサを見る。

メリッサには、純粋に、限りなく純粋に政治を追求する故に、大事な物が欠けている。

それを此処まで切実に実感したのは、レイアにとって初めての事だった。

レイアはこの時、メリッサのことが真剣に怖くなった。

尊敬はしているし、それはこれからも変わらない。

だが、メリッサを見る目に、一つの要素が追加されたのは事実だったろう。

良くも悪くも、レイアはただの女の子だった。 能力はともかく、感性は普通の女の子だった。

それがメリッサと違う点であり、それが吉と出るか凶と出るか、良くあるのか悪くあるのかは

誰にも分からないことであった・・・おそらく、結論はこれから決定される事だろう。

メリッサは、それを知ってか知らぬか笑っていた。 有能な人材を、部下に加えられる笑いだった。

彼女には、蝮を支配下に加えられる自信があるようだった。 無論、操る自信もあるのだろう。

レイアはメリッサに断って、早めに大使館を出た。 これ程の恐怖を感じたのは、戦場以来だった。

 

ヴォラード地区から大陸の端と端にあるゾ・ルラーラ地区では、同じような議題で会議が行われており

そして、全く別の結論が出されていた。 議上で、リエルは冷徹に瞳を光らせ、静かに言った。

「蝮を、殺す。 それが一番良いはずだよ」

「そうか。 手段はともかく、どうしてそう言う結論が出た?」

カズフェルが牛の頭の回転を早め、巨大な眼球をリエルに真っ直ぐ向けると、リエルは額に手をやった。

それはこの娘の癖だった。 何か考え事をするとき、必ずリエルはそのポーズを取る。

かって眼鏡をしていたからでもあるが、額に手を付けるのはそれ以前からの癖だったかも知れない。

「・・・あの男は、確かに有用な人材だけど、私にも使いこなせるとは思うけど

でも、危険だと思う。 ひょっとすると、私の裏さえかくかも知れない」

「それは、早い話が、本当は使いこなす自信が無いってことダナ?」

口を挟んだレギセエルに、リエルは視線を向けたが

その視線は向けられた言葉を遠回しに肯定する物で、レギセエルは笑って視線をずらした。

これは、能力の差と言うよりも、性格の差であったかも知れない。

言うならば<攻め>のメリッサよりも、<守り>のリエルなのであり、それに優劣はないだろう。

「・・・分かった、貴方の言葉が正しいだろう

で、具体的にはどうする? 蝮の所在さえつかめないのだろう?」

空間を振るわすような、荘厳な雰囲気のカズフェルの声を受け、リエルは笑った。

彼女の下には、アークエンジェル三名が配備されており、その能力はグレーターデーモンにも劣らず

既に蝮の下部組織を幾つか特定し、その気になれば何時でも攻撃できることが可能なのである。

「非公式では大きな権力を持ってるけど、蝮を狙う人間は幾らでもいるから

首根っこを押さえるには、無論フェゼラの力がいるけど、此奴らを支援してまず圧力を掛ける

それで圧迫を欠けて於いて、あいつをあぶり出す。 最終的には殺す」

フェゼラエルは表情を変えなかった。 この娘は元軍人であり、その気になれば幾らでも人を殺せる。

蝮を見付けて、斬れと言われれば即座に殺すだろう。 今までも、幾つかの犯罪組織を叩きつぶし

合計して80人以上の人間を殺害し、特に何人かの下司は原型も残らない肉塊にされたのである。

返り血を浴びて佇むその姿は、ゾ・ルラーラでも知られていて、<戦の女神>とか

<返り血の天使>と呼ばれ、尊敬されると同時に恐れられているのが事実だった。

「あたしは、蝮を殺すことに反対はしない

でも、リエルさん、出来るだけ被害が出ない方法にしてね」

それは、軍人が見せる、僅かながらであれど精一杯の優しさだったかも知れない。

リエルは軍人ではなかったから、特にそれに対して感銘は受けなかった様ではあるが

それでもフェゼラエルの心は感じた様で、静かに頷き、死人が少なくて済む策を練り始めたようだった。

能力的にリエルは、メリッサに拮抗している。 しかし、この時は完全に方針が別れた。

それが彼らの中を割くことにはならない。 何故なら、政治的判断と個人感情は別だと

二人とも共通して、割り切って考えているからである。

この瞬間、一人の人間を巡って、屈指の政治家二人が、策を異なる方法で巡らし始めた。

それがこの大陸にとって何をもたらすのかは、まだ二人にも分からなかった。

ふとリエルが見た方向には、偶然ではあったが、火種たるサウスロ・ラス人が最も多く暮らす

アイフェンドール地区が、苛政と執政と飢餓に覆われて、厳然とあった。

この時点では、まだリエルは其処に重点的な視線を向けていない。

無論火種の重要な候補だと知ってはいたが、さほど注目はしていないのが事実だった。

だが、間もなく着目する事になる。 その時は、着々と迫っていたのである。

 

3,民が燃え上がる理由

 

ゾ・ルラーラに続いて、ヴォラードでもテロが起こったのは、メリッサの招集した会議の三日後だった。

それは爆弾による物ではなく、原始的な武器、剣と矢によるものであった。

即ち、ヴィルセが部下三名と歩いているとき、暗殺者達に襲撃されたのである。

 

夜道を歩いていたヴィルセは、手練れの兵士三名と共に歩いていたが、不意に足を止めた。

前方の茂みに、何か潜んでいる。 ヴィルセは咳払いをして、兵士達の瞳にも緊張が走った。

「何者だ。 儂に用があるなら、早く出てくるがいい」

言葉に返答はなかった。 代わりにあったのは、毒が塗られた矢の斉射だった。

矢の一本がヴィルセの馬に直撃し、竿立ちになった馬からヴィルセは飛び降り、剣を抜き放つ

常識離れした身のこなしであった、彼なら百年前の聖王宮騎士団に間違いなく入れたことだろう。

兵士達も皆盾で矢を防ぐなり、身をかわすなりして無事であった。

襲撃者達が姿を現すのと、泡を吹いた馬が地面に倒れ、死ぬのは同時だった。

姿を見せた襲撃者は全員覆面をして、シミターを構えており

刀身は蒼く光り、何か塗られていることは明らかだ。 ヴィルセは舌打ちすると、威厳を持って叫んだ。

「行くぞ! アミンはファイアーボール、ラッセとミウは儂に続け!」

剣を引き抜いたヴィルセが地を蹴り、まだ少女の魔法剣士アミンが印を切り、魔法を唱え始める

熟練した兵士のラッセが、バトルアックスを振りかざしてヴィルセに続き、ミウがその後を追う

襲撃者は六人、だがヴィルセは躊躇することなく、戦闘にいた男に斬りかかった

剣閃が男の体に、常識離れした速度で浮かび上がると、男は鮮血をばらまきながら吹っ飛び、倒れ伏す。

その間二人の兵士が敵二人と渡り合い、互角以上に渡り合っていたが

何しろ相手は毒を塗った武器を装備しているのだ、全く油断は出来ないと言えよう。

ヴィルセは一人目を倒すと、側面に回り込んだ敵に回し蹴りを見舞い、ひるんだ相手に構わず

残りの敵に向け、激しい斬撃を浴びせた。 その剣技、正に雷光が如し

瞬く間に二人が切り倒され、暗殺者の目に明らかなひるみが浮かんだ。

「つ、強いっ!」

それが彼の最後の言葉となった。 アミンがファイアーボールを発動、兵士達が一斉に飛び退く。

「我此処に、火神に生け贄をささげん! 飲み込め爆炎、ファイアーボール!」

飛んだ火球は、敵に接触した瞬間に爆裂、生き残り全てを巻き込み吹き飛ばした。

 

事件は早速周囲に広がり、軽い混乱が発生したが

ヴィルセが全く無傷なところを兵士達の前に表したこと、暗殺者を一人残らず殺害もしくは捕縛した事

それに政策に全く支障がないことを周囲に知らしめると、混乱は収束に向かった。

しかし、こんな襲撃は序の口に過ぎないことが誰の目にも明かである。

警備体制はすぐに裏側から強化され、市内には兵士達が緊張した視線を向けることになった。

そして、この状況の裏で、思惑をメリッサは巡らせていた。

メリッサは、この事態が蝮に有利なことを看破していた。 おそらく蝮は、ヴォラードの力をそぎ

魔界大使館の干渉を抑えるのと同時に、自分に向く力を減らす為、ドートゥルムをけしかけたのだろう。

ドートゥルムのような低能、その気になれば何時でも消すことが出来るが

代わりなどそれこそ幾らでもいるため、根本的な解決にはならない。

むしろ無能な奴に暗殺作戦の指揮を執らせておいた方が、メリッサとしても対応しやすいほどだ。

此処で問題になってくる、一番簡単な解決策は、蝮を捕獲することである。

それで何か手を使って、部下にしてしまえばいいのだが、それにはまず奴をおびき出さねばならない。

だが、蝮は用心深く、なかなか姿を現さない。 グレーターデーモンは何回か奴を確認したが

強力なボディーガードの存在が確認されており、返り討ちに会う可能性があるため

万全を期して、捕獲はモルトの手で行いたい所だ。

そう考えていたところ、レイアがメリッサの部屋を訪れた。 その表情は、決意に引き締まっていた。

 

「どういたしましたの、レイアさん」

「メリッサさん、あの・・・民衆の反乱が、何故起こるか・・・教えていただけないですか?」

余りに意外な言葉に、メリッサは眉をひそめた。

魔界と事情が少々異なるこの世界で、何故反乱が起こるか、メリッサは研究の末熟知している

だが、何故レイアがそんな事を聞く理由が分からない。 今は仕事に若干の余裕が出てきており

敵の出方を待つ状態故に、時間があったから、咳払いの末メリッサは真面目に応えた

「メリッサの政治講座、その91ですわ〜

民衆が支配者に不満を抱く場合は多くあれど、支配者を倒そうと考えるのは一つの時だけ

それは即ち、自分の命が危ないと考えたとき。 もしくは、集団ヒステリーでそう思いこんだとき

具体的にそれを呼び起こすのは、最も多い理由として食料の不足、次に長期に渡る戦争

所得の極端な不平等、何かしらによる扇動政策の結実等が続きますわ。

ここで問題になってくるのは、民衆は、自由がないときに反乱を起こす、何て事は絶対にないこと

どんな政治体制であろうと、民衆は命さえ安全なら反乱を起こそう等とは考えませんことよ

政治体制が共産主義だろうが、資本主義だろうが、専制主義だろうが、宗教国家だろうが

自分の命が保証され、食料が与えられさえすれば、民衆は最低限の満足を得る者なのですわ

それが、この世界の民衆の特性です。 それが変わるには、昔の魔界のように生存環境が劣悪になって

上も下も全力を尽くさねばいきられぬ状態になるか、高度な精神文明が発達するか

そのどちらかしか、あり得ないと私は断言いたしますわ」

メリッサの言葉は、政治の基本事項であった。 生かさず殺さずとは、具体的にこう言う事を意味する。

即ち、支配者への反乱を考えない程度に財産を搾り取る、という事だ。

この水準を引き下げるのに一番便利なのが、宗教やイデオロギーによる洗脳であり

それが故に、古代から支配者は宗教を利用し、支配者に追従する人間もそれに準じてきたのである。

特に一見清潔な倫理観を抱えた絶対的一神教は、それに最適な資質を持っており

そう言う意味で、極めて利己的ではありながらも、アスフォルトの初代教皇ドレステンは

間違いなく有能であったと、評価することが出来るだろう。

「じゃ、じゃあ、あの、今皇国で反乱が起きそうな地域は・・・」

「とっくに特定できていますわ。 これを見ていただけます?」

メリッサの凄まじい現実的な言葉に激しく動揺しながらも、レイアは次の言葉に移った。

今日の朝、レイアはフィラーナと話し、決意した。 メリッサは尊敬できるが、蝮を部下にし

この国をその結果混乱させても良いというような考えは、絶対に間違っていると。

フィラーナも、そのレイアの言葉を受け入れてくれた。

それがレイアにとって、どれだけ励みになったことか、どれだけ勇気を与えてくれたことか。

レイアにとっても、フィラーナは必要な存在になりつつあったのだった

浮かび上がった地図は、皇国で一般普及している物よりも、遙かに精密な地図であり

その何カ所には、メリッサが印を付けていた。 その上に、指を滑らせ、冷徹な政治家少女は言う。

「まず、北部イレル地区。 最も貧しい上に、執政官の能力が最低

この地区では、毎日50人以上の餓死者が出て、そろそろ民衆の不満は爆発寸前ですわ

続いて、アイフェンドール地区。 皇国最強の戦闘民族サウスロ・ラス人が押し込められている

いわば公認の強制収容所地区ですわ。 此処も連日餓死者が出て、治安は最悪

私が蝮だったら、この地区に武器を流し込んで、最も重要な破壊の火種にする所ですわね」

更に四つの地区を説明すると、メリッサは鼻を鳴らし、地図を握り拳で叩いた。

「総合して、皇国の状態は41点。 私がこの国の執政官だったら、10年で立て直して見せますけど

無能なこの国の政治家共には、状況を打開することは不可能ですわ」

「・・・これらの地区にいる人達・・・可哀想・・・

偉い人達にも、蝮にも痛めつけられて、これから利用されるのね・・・」

レイアの言葉は、純粋な同情と哀れみに満ちていた。

確かに、心優しい少女らしい言葉であったが、冷徹なメリッサには何の感銘ももたらさなかった。

「自業自得ですわ。 それでも反乱を起こさないのは、相対的多数がその政府に満足している証拠

私に言わせれば、今まで良くこんなカス政府に満足していましたわ。 魔界だったら三日で政権交代

政治機構から、上の方の人員まで、力尽くで交代させられている所ですのに」

「・・・メリッサさん、どうすれば、この地区にいる人達を助けられますか?」

メリッサの言葉が止まった。 沈鬱な表情で、政治家少女を見上げながら、事務の達人は続ける。

その目には、涙が浮かび、それはやがて堰を切って溢れ始めた。

「このままじゃ・・・酷すぎます・・・・こんなのって・・・・・!」

「泣いても何にも解決しませんわ。 打開策は幾らでもありますけど」

まるで動揺しないメリッサであったが、次の瞬間レイアの手がメリッサの服を掴んだ。

思いも寄らぬ相手の行動に、僅かに動揺するメリッサに対し、レイアは畳みかけた。

「メリッサさん! お願い、何とかして下さい!

政治的には仕方がないことなのかも知れないし、虐げられる弱者は絶対いなくならないのかも知れない

でも、でも! メリッサさんだったら何とかなるんじゃないんですか?

何とか出来るのに放って置かれるなんて、あんまりです! 酷すぎます!

今のままでは、フィラーナさんみたいな犠牲者が・・・際限なく大量生産されるんですよ!」

「フィラーナさんと連中は事情が違いますわ。 強いが故に恐れられ、迫害されたのがフィラーナさん

弱いが故に、迫害され痛めつけられるのが彼ら・・・」

「同じです! 結局、力で心も体も踏みにじられ、痛めつけられて・・・!」

それ以上は言葉にならなかった。 数分の慟哭の後、レイアは泣き濡れた顔を上げた。

「それじゃあ・・・メリッサさんは、これからどうするつもりなんですか・・・

蝮が、一億人以上の人を、殺し尽くすのを容認するんですか!?」

この瞬間、メリッサはレイアに圧倒されていたかも知れない。

少女とは言え政治知識では右に出る者少なく、常に冷静沈着、冷徹な思考で判断できる熟練の政治家が

情緒精神共に不安定な、一人の少女の心の叫びに、心を乱されているのである。

ある意味、驚くべき光景であったろう。

実は先ほどから扉の外で一部始終を聞いていたモルトとルーシィ、それにヴォルモースとフィラーナは

困惑した顔を見合わせあい、中の音を聞きもらさじと精神を集中していた。

「そんな事はしませんわ、蝮に反乱を起こさせて、それを失敗させようとは思ってますけど」

「それじゃあ、戦乱に巻き込まれる人達はどうなるんですか・・・・!」

レイアの脳裏には、戦時中に見た、合戦に巻き込まれた村の姿が鮮やかに蘇っていた。

紅蓮の炎が全てを焼き尽くし、男性だか女性だかも分からぬ焼けこげた死体が無数に転がり

兵士の死体が周囲に折り重なり、血臭と飛び散る火の粉が、レイアの視界を紅蓮に染めていた。

無論、レイアもメリッサが相対的多数のことを考え、策を練っていることくらいは分かっている。

だが、<必要な犠牲>とやらは、いつも結局こう言う事態を容認することに過ぎない。

それが政治の矛盾である。 そしてそれは、皆が努力して解決して行かねばならないことなのに

<政治は難しい>とか<政治は分からない>だとか思考停止して、それを投げ出す輩の何と愚かな事か。

咳払いをすると、メリッサは自分の腹心に、策を話し始める。

何でそんな気になったのかは分からないが、自己弁護も少しはあったのかも知れない。

実のところ、メリッサは最初、反乱を起こさせない策を考案していた。

だが、周囲の状況からそれを不可能と判断、最善から最良に策を移して準備を始めたのだ。

無論、ヴォルモースから政府に上申し、協力を仰げる場合を想定しての話であり

最大限の協力を得て、ようやく以下のような策が実行可能と、政治家少女は結論したのである。

「いいですの、魔界政府は、反乱で混乱状態になった皇国のうち、有能な人材を積極的に支援

そして蝮の反乱が中途で失敗する工作を行い、失敗して逃亡する奴を捕獲しますわ

皇国の改革がスムーズに進むように、その過程でクリーンアップを積極的に支援し

何人かの要人暗殺を裏で支援、特に教皇は制度そのものから永久に消えて貰います

最終的にはこの国の政府に恩を売るだけではなく、一気に政治の清浄化を実現させられます

反乱の規模は、皇国中枢に後一歩で迫る程度に抑えるつもりですわ。

さっき示したとおり、反乱の中枢は既に抑えています。 内部に干渉することは簡単ですし

反乱軍の結束を崩せば、強力なアドルセスの軍の前に、寄せ集めの軍はひとたまりもありませんわ

首都を反乱軍を落とせば、人口の一割以上が参加する大反乱が発生しますけど

それが出来なければ、反乱はお終い。 私が、反乱は絶対に成功させませんわ

そうでないと、折角作り上げた交易ルートが全てパアになりますもの

その過程で死ぬ人間は、推定で350万人。 皇国人口の1%弱に抑えられます」

レイアを冷徹に見据えると、メリッサは更に続けた。

「もし、これ以上の効果をもたらすことが出来、民衆の反乱も起きない策があるなら

是非この場で、披露していただけます? 拝聴いたしますわ」

「フィラーナさん・・・悲しませたくないから・・・私、策を考えます!

今考えつかないなら、修行して絶対に考えられる力を付けます!」

「! ・・・卑怯ですわ、そんな事言うなんて!」

初めてメリッサの顔に明かな動揺が浮かんだ。 ルーシィなどは、その言葉を聞いて口を押さえている。

「すごーい、メリッサちゃんが、動揺してるよー」

「確かに、滅多に見られることではないな・・・フィラーナと居るときは、結構感情を出すが」

モルトとルーシィの言葉は、完全に頭に血が上った二人には気付かれなかった。

涙を手の甲で拭うと、レイアはメリッサを真っ直ぐ見据え、言葉を吐き出す。

「これから、暇が出来たら何時でも来ます! 政治の勉強、お願いいたしますっ!

いっぱい勉強して、誰も死なない策を考えますからっ!」

「望むところですわ! 地獄の特訓をして差し上げますから、覚悟していらっしゃい!」

慌てて扉から離れる四人に気付いてか気付かずか、乱暴に扉をレイアは開け、外に出ていった。

控えめで大人しい少女が、初めて喧嘩をした瞬間でもあったのだが

それを知るのは本人の他はヴィルセだけだろう、それほどレイアは大人しい少女だったのだ。

一方で、メリッサは人間相手に本気で怒ったのは久しぶりだから、困惑を隠せない様子で

部屋をうろうろと歩き回り、やがて机に頬杖を付くと、暗い表情で溜息をついた。

「全く・・・・あんなに理想を抱えなくても・・・」

その言葉をはいてから、メリッサは苦笑していた。

理想無くして、向上などあり得ない。 若者が理想と野心を掲げるのは正しい姿であり

それが行われなくなった社会に待つのは、衰退と縮小である。

故に、さっきのレイアの言葉は、むしろ若人のあるべき姿で

若者らしくないのは、精神的に老いていたのは、自分の方だと思い知ったのである。

魔界の訓戒に、<若者も老人も、心を若く持て>と言う物がある。

それは若さ故の向上心と野心が、進歩と前進の原動力であり、貴重な物である事

そして、老いていても、野心と向上心を忘れては良い仕事が出来ないと言う事を示した言葉なのだが

今のメリッサは、自分には正にその言葉こそ貴重だと気付いたのである。

「・・・若造か。 ふふ・・・・そうでしたわね

よく考えてみれば、私も政治家としては最若年に位置する一人

妥協しないでもっと向上を目指すべきなのに・・・ふふ・・・ふふふふふ・・・」

メリッサは一人笑い、そして机に拳を叩き付けた。

「面白い、勝負ですわ、レイアさん!

反乱など起こらず、しかも皇国の中枢を大掃除する方法をどっちが先に考えるか!」

政治家少女の瞳に、リエルに対した時同様の、熱い炎が燃え上がった。

無論レイアはまだまだ未発展で、政治家としては小粒だ、だがその青さに、メリッサは感心し

自分を感心させたその真っ直ぐで純粋な心に、勝負を挑むことを決意させたのである。

魔界大使館の中で、久しぶりにメリッサが強力な活力を身に宿し、仕事を始めていた。

それは珍しい光景ではあったが、悪い光景では決してない。

蝮にとって、予想外の事態だった。 彼はメリッサを歴戦の政治家と正しく分析しており

故に妥協案を採ることを推測、その足下をすくおうと考えていたからである。

翌日から、魔界政府の工作員達に対する指令が、目に見えて活発になっていった。

悪しき流れが、変わろうとした瞬間であった

それをもたらしたレイアの心は、正に竜と形容してよかったであろう。

 

4,人並みの心

 

蝮はこのところ、本拠地ではなく、各重要拠点をナターシャを連れて回り

作戦の進行状況、武器の流出状況、それに反乱準備の進行状況を己の目で確かめ

責任者に細かい指示を飛ばし、策の完成度を更に細かくするべく奔走していた。

メリッサが反乱の完全発生封殺を考え始めたことは、彼にとって予想外のことだった。

魔界政府の干渉次第ではあるが、メリッサの能力は、人類が擁する世界最高の政治家以上である。

蝮が考える以上の策を考える可能性は非常に高く、蝮にとって非常に危険な事態が襲来したことになる。

また、天界大使館の動向も気になる。 アークエンジェル程度なら、ナターシャでも倒せるが

もし複数で来るか、フェゼラエルが出てきたら最高の魔導兵器でも全く太刀打ちできないだろう。

ゲリラ戦になれている蝮も、故に楽な戦いなど出来なかった。

奇襲戦闘が彼の本分であり、組織が大きくなりすぎた今、却って苦労しているのだ。

時々、蝮はナターシャに愚痴った。 感情を無くし、人形同然である娘だから愚痴ったのかも知れない

何時もつれているこの娘を、心の底では自分の子のように蝮は思っていたが

そんな事を口にしたことは一度もなく、常に冷淡に接していた。

「蝮様、ルティ様から報告が届きました

魔導砲七型を、後二十門輸送して欲しいとのことです」

ナターシャが、考え込む蝮に報告する、機械が発したように起伏のない言葉だった。

銀髪、背格好はフィラーナに近い。

髪の長さを除けば、後ろ姿の外見はフィラーナに似ていたかも知れない。

しかし、顔を見た瞬間、いや表情を見た瞬間、そんな考えは消し飛ぶはずだ。

全く感情がない、人形のような顔のナターシャ。 無機質で、無感動な姿であった。

蝮は報告を受けると、しばし考え込み、そして舌打ちした。

ルティの経済状況がますます悪くなっているのは知っているが、魔導砲七型二十門と言えば

充分に反乱を起こすに足る兵器の量である。 これを渡してしまえば、まだ時期でもないのに

せっかちなルティが、反乱を勝手に始めてしまう可能性がある、それではまずい。

また、あまり送るのを延ばしても、兵力不足のままで反乱を始められたら

計画そのものが破綻してしまうだろう。 それは蝮としては、絶対に避けたい事だった。

「どういたしますか、蝮様」

「・・・適当にごまかせ。 送る必要はない

ちっ、せっかちな若造が・・・まだ早いというのが分からんか」

露骨な嫌悪を浮かべ、蝮は吐き捨てた。 形相は凄まじく、かたぎの人間が見たら腰を抜かしただろう。

だがナターシャは動じることなく、同じ口調で続けた。

「分かりました。 そう伝えます」

「・・・・・」

感情の無い答えを受けて、今度押し黙ったのは蝮だった。

もしこの娘が、自分以外に拾われていたらどうなっていたのだろうかと考えたのだ。

玩具にされて殺されたのだろうか、或いは魔界政府に拾われたのだろうか

いずれにしろ、今と比べてどうだったのだろうか。 幸せに、なれたのだろうか?

こんな人並みの感情を、自分が持ち合わせていることに気付き、蝮はおかしくなって含み笑いをしたが

ナターシャは全く反応せず、部屋から出ていった。 それを見ながら、蝮は呟いていた。

「悪いな・・・俺の元に居なければ、少しはましな生活が出来たのかも知れねえのにな」

ナターシャの戦闘力は、グレーターデーモン以上である。 それを利用し、今まで何度も人を殺させた。

蝮が拾ったときには、もうナターシャは感情を無くしていたが、それでも人を殺させた事は変わらない。

一度などは、館もろとも吹き飛ばさせたことがある。 その時も、ナターシャは無言だった。

頭を振ると、蝮は雑念を追い払った。 冷徹で残虐な頭脳が、人並みな感情に代わって動き始めていた。

                                    (続)