流れ行く雲が如く

 

序,地上にて

 

ヴォラード地区。 アスフォルト皇国から、魔界に割譲されたこの土地は

貧しく、狭く、進歩なく、活気なく。 経済戦略的、軍事戦略的共に全く見所がなく

支配する価値のない土地で、寂れた地域であった

村の者が娘を奴隷商人に売り飛ばすほどの貧しさはないが、だが精神的には徹底的に貧しく

住民は無気力で、何一つこれと言った産業はない。 これらが無価値を増幅しているのだ

実際問題、この土地を巡って大国同士が争ったことはただの一度もない

当然兵が進駐したことはあるが、戦が起こったことなど一度もない。 それほど価値がない土地なのだ

人口は四千。 小さな海岸に、トモルアという街があり、後は山々に二十四の村がある

現在、此処に赴任しているのは、かっての大陸間戦争で軍功を建てた将軍、ヴィルセ=フリードである

ヴイルセは既に三十代半ばに達しており、陣頭指揮を執るタイプの猛将で、戦略眼には欠ける物の

作戦遂行能力は一級品で、何度も敵国フォルモリア連合の大軍を寡兵で撃破し、味方の窮地を救った

この経歴から、ヴィルセが強面の髭面だと想像する者は多いが、実際は若々しく

しかも柔で美しい容姿を持っており、人間と何か異種族のハーフではないかと言われている

彼は大功を立てたにもかかわらず、こんな田舎に、五百の直属部下と共に配置されてきたが

文句も言わず、とりあえず街を牛耳っていたマフィアを卓絶した手腕で壊滅させ

村を荒らし回っていた山賊も撃滅して、首領を処刑し、当地の治安を確保することに成功していた

しかし、それ以上は何をして良いか、さっぱり分からなかった

壊滅させたマフィアや、汚職管理から押収した金品で、周囲の地区から食料を買い集め

当座の兵糧の確保と、貧民への施しは行った。

汚職管理は追放し、彼らが蓄えていた賄賂は押収し、施しや経費の足しにし

彼らに拘禁されていた者達は、無事に家族の元に返してやった

名君の名は高まり、住民達はヴィルセを褒め称えた。 だが、ヴィルセの表情は憂鬱であった

何故なら、それ以上何をして良いのか、彼には全く分からなかったのだ

それは彼が、生粋の軍人故の悲劇であった。 彼は軍人として有能だったが、逆に言えばそれ故に

一国の主としての才覚には恵まれず、政治家としての素質もなかった

苦悩するヴィルセを、何とか助けようとしていた者がいる。 彼の娘のレイアである

ヴィルセの妻は早死にし、レイアは故に戦場で育った。 ただ、体は弱かったので剣は振るえず

魔法の素質もなく、残った仕事と言えば雑務や事務作業だけであった

だがこの娘は、その事務作業に卓絶した才覚を持っていたのだ

レイアが事務作業をするようになってから、ヴィルセ軍の事務は滞りなく進むようになり

また、元々の誠実な性格が幸いして、だれもに好かれて現在に至る

現在彼女は、ヴィルセ軍内の情報において誰よりも精通している

五百人全員の情報を把握しているのは勿論のこと、好物や夢、それに特徴まで把握しているのだ

だが、彼女に欠落している物があった。 それは、政治に関する知識である

故に、状況は完璧に把握しているにもかかわらず、それをどう活用して良いかさっぱり分からなかった

要するに、レイアに事態打開の妙策はひねり出せなかった。 無論、それは彼女のせいではない

有能であっても、必要な人材としてのタイプが違うというだけのことである

人間に、全てに卓絶した才能など求めようがないし、求めたところで器用貧乏に終わるだけだ

かくして八方ふさがりの状況は作り出された

そして、魔界政府の大使館建造の話が、その状況を打破したのだった

 

1,異界の者達

 

ヴォラード地区の丁度中央、交通の要所に得体の知れない建物が、魔族の手によって建てられ

奇怪な結界が張られ、人間がそこに入れなくなってから数日後

とりあえず軍本部にしているトモルアの砦で、住民からの要請処理に頭を悩ませていたヴィルセは

部下から魔界政府の役人が着いたとの報告を受け、例の建物の側に、二人の部下と共に駆けつけた

天魔大戦時、空を時々巨大な<魚>が行き交いするのを、彼は何度か見たが

その<魚>の中でも小さな物が、其処にはあった。 <いた>ではなく<あった>というのは

無骨で無知な軍人であるヴィルセにも、それが生き物でないことは理解できたからだ

その腹は大きく二つに割れ、大荷物が幾つも外に運び出され

いつの間にか建てられていた館に、次々と収納されていた

それは黒を基調とした威厳ある建物で、三階建てであり、重厚な幅と奥行きを持ち

質実剛健を旨とした作りとなっており、大荷物が、その中へ魔術の如く消えて行く

そして地上では災厄の代表のように恐れられているグレーターデーモンが、せわしなく働いている

しかも一体ではなく、三体もである。 緊張する部下達が、ヴィルセの後ろで、小声で会話していた

「おい・・・あれ・・・グレーターデーモンだぜ!」

「あれだけで、この地区を蹂躙できるんじゃねえか? 上の連中は何を考えてるんだ

あんな化け物を、こんな辺境によこさせやがって・・・俺達の手には負えないぞ」

彼の怒りは最もだったが、貴族化して腐敗した中央の聖騎士団にも

グレーターデーモンを相手に出来る者など、まずいない。 辺境で闘ってきた彼らの方が強いくらいだ

「静まれ。 彼らがこの地区を蹂躙するつもりなら、とっくに出来ていたはずだ

サドルフ! お前はこれから戻って、儂が彼らとの交渉に入ったことを伝えろ

一応レイアにも伝えておけ・・・多分不要だとは思うがな」

「はっ! 了解しました」

部下の一人が片手をあげて敬礼し、馬を駆って軍本部へ帰っていった

ヴィルセは彼の様子を見送ると、馬を下り、呼吸を落ち着け、<魚>へとゆっくり歩み寄っていった

無論、剣は腰に付けたまま。 敵意はなく、だが威厳を持って歩き寄る

やがて、彼らの前に<魚>がその威容を余すことなく示した

<魚>の中では小さいといっても、大きさは文字通り小山の如し。

隣の大陸で転戦していたヴィルセは、鯨を何度か海で見たが

その鯨でさえ、この<魚>の前では子供のようだった。

<魚>の燻銀の体には、無数の突起が付き、小さな存在が近づこうと微動だにしない

無生物故の威容だったかも知れない、だがそれに計り知れない威容が備わっていることは確かだった

「・・・大きいですなあ」

感嘆を込めて、ヴィルセの部下トマスが呟いた。 ヴィルセはそう無邪気に感嘆できなかった

先ほどから荷物運びをしているのは、グレーターデーモン三体だ

これがどういうことかというと、そんな簡単な仕事を、あれほど強力な悪魔に命じられるほど

強力な存在が近くにいて、しかも指示をしていると言うことになる

ヴィルセは当然、この地区が魔界政府に割譲されたことを知っている。

彼は悪魔に対して偏見を持っていない、故にこの地区の人間が全部悪魔に喰われるのではないかとか

奴隷にされるのではないかとか、そういった恐怖には怯えずにすんでいる

(実際、そういう恐怖を抱く住民も多かったが、人望あるヴィルセが落ち着いた態度でいたため

パニックに陥ることはなく、大きな混乱は起こっていない)

だが、強力な魔族がほぼ確実にいる事に対しては、危惧を抱かざるを得ない

原始的な恐怖でもあったが、無警戒にいるよりはマシだったろう

しばらくの沈黙の後、ヴィルセは襟を正し、馬を下りると、その手綱を部下に任せ

<魚>へ向けて歩き出した。 やがて、その前に黒衣の男が現れた

戦場を歩いてきたヴィルセも、凄まじい殺気に唖然とした。 それほど、男の放つ殺気は凄まじく

それでいて洗練されており、付け入る隙が全くなかった

ヴィルセと共にいたトマスも硬直していた。 固まる彼らを嘲笑うように、男は口を開いた

「人の子が何用かな? ここは我らが館。 無意味な見物は遠慮していただこう」

「・・・・儂はこの地区の司令官、ヴィルセ=フリードという者だ

貴公は魔界政府の役人か? 儂はこの地区を預かる者として、貴公らの首領に会いたいのだが」

緊張を隠せず、だが凛としてヴィルセが応じる、臆病者には到底とれぬ態度であった

黒衣の男は暫く沈黙していたが、やがて含み笑いを漏らし、言葉を発した

いつの間にか周囲からは殺気が消えており、青年の表情も軟らかい物へと変わっていた

「それは失礼。 私は魔界政府派遣員、退役大佐サーガス=モルトと言う者だ

共に派遣されてきた役人達は戦闘の専門家ではないのでな、私が護衛任務を受けている

我々のリーダーは、今館の中で備品をチェックしているところだ。 会いたいのなら取り次ごう

ただ、貴方一人だけでな。 部下の方にはお帰り願おうか」

「了承した。 トマス、引き返してレイアに私が魔界政府の派遣員との接触に成功したと伝えろ」

圧倒的な殺気に半分腰を抜かしていたトマスは、その言葉を一も二もなく受け、街に逃げ帰っていった

実のところ、モルトのこの対応は、メリッサの入れ知恵によるものだった

それはヴィルセの人格を考慮に入れ、無用の混乱を避けるための必要措置だったが

その計算し尽くされた鮮やかさにモルトが気付くのは、少し後になる

グレーターデーモン達は、少し前からこのやりとりに気付いており

モルトの指示を受けてすぐに結界を操作し、ヴィルセが中にはいるのを助けた

地上の魔導技術とは比較にならない高度な技術で創られた結界を、内側から見上げていたヴィルセは

向こうから、メイド服を着た少女と、奇妙な白い服を着た娘が歩いてくるのに気付いた

それはルーシィとフィラーナだった。 モルトの通信を受け、客を出迎えに来たのだ

「ん? モルトちゃん、そのおにーさんがここの司令官?

随分若々しいね。 おっと・・・きちんと礼をしなきゃ」

いつもの調子で口を開いたルーシィは、モルトの視線を受けて襟を正し、すぐに慇懃な表情を創った

白衣のシミまでは消せなかったが、それでも長い時を生きているだけのことはあり

相手と外交体制を取れるだけの威厳をすぐに創りだし、上品に微笑んでみせる

「私は魔界政府の派遣役人、リゼア=ルーシィと申します

こちらはフィラーナ、私の同僚です。 私たちのリーダーは、此方にいます」

「どうぞ、私達が案内致します」

奇妙な敵意をヴィルセに向けるフィラーナが、だが完成された礼儀で将軍を奥に案内した

妙な敵意に困惑しながらも、ヴィルセはやがて最奥の部屋に通された。

そして、あまりにも想像を絶する姿をした、彼らのリーダーを見て絶句することになった

 

「お父様!」

夕刻近くになって、砦に戻ってきたヴィルセに、心配しきった表情でレイアが駆け寄った

茶色の長髪で、大人しそうな顔立ちと広い額が特徴(周囲の者はチャームポイントだと思っているのに

本人はそれを気にしており、額のことを言われると怒るので誰もそれには触れない)の彼女は

今では実質上のNo2として、皆に認められており(実際、彼女がいなければ軍は経済的に立ち行かない)

その背後には、何人かの兵士が付き従っている。 中には、先に戻ったサドルフとトマスがいた

そして、ヴィルセの腹心である魔法戦士マドフォートと、剣士クレイナが、レイアに遅れて駆け寄る

「ヴィルセ将軍、軽率なまねはやめてください」

「まだマフィアや山賊の残党がいないとも限りません。 自重していただきたいものです」

二人はどちらもまだ若いが、有能な戦士で、常に戦場ではヴィルセのブレーキ役として活躍し

戦後もヴィルセの部下となってこの田舎に赴く事を選び、現在に至っている

本来なら、両名共に一万以上の兵士を指揮できる能力と地位にあるのだが

それを蹴ってヴィルセに付いてきた、文字通りの忠臣である

二人の顔を交互に見、そして改めてレイアの顔を見ると、ヴィルセは溜息をついた

「魔界政府の特使やらと会ってきた。 姿は凄かったが、思ったより理性的な相手でな

話し合いの末に、彼らは儂らに命令を伝えてきた・・・それについては、館の中で話そう」

ヴィルセの顔は青ざめていた。 魔界政府からの命令は極めて論理的で、それについては問題がないが

問題となるのは、彼らの<首領>である

あまりにも常識外のその姿を見たら、住民がパニックを起こすのは間違いないだろう

戦場を渡ってきたヴィルセは、パニックの恐ろしさを良く知っている

いかなる精鋭とて、いかなる大軍とて、パニックを起こせば烏合の衆になり果て

また、混乱下においては、いかに笑止な情報も真実味を帯び、そして凶器になるのだ

そして彼に理解できなかったのは、首領と政治を執る者が違うと言うことだった

それ以上に問題なのは、その政治を執る者というのが・・・子供にしか見えなかった事であった

会議室に主だった部下達を集めると、ヴィルセは幾つかの問題点を話した

「まず、第一に。 一週間後、彼らが方針を発表するそうだ

各自治体つまり村や町の代表者を集めて欲しいと・・・要請があった」

「お父様、それは何故問題なのですか?」

レイアの言葉に、マドフォードとクレイナが同意する。 他の中隊長も頷いた

「それについては、明日レイアを彼らの館・・・・<タイシカン>とかいう場所に連れて行く

レイアの口から聞けば、事態の緊迫が分かるはずだ」

大体の事情を飲み込み、納得するマドフォードが、クレイナに何かを耳打ちした

それには目もくれず、暫く考え込んでいたレイアは、やがて父に質問した

「<タイシカン>とはなんです? 領主館ではないんですか?」

「・・・何でも彼らの考えではな、進んだ社会においては、相手の国の中に

政治的働きかけをする場所をおくことが、自然なのだそうだ。

一応、法的にこの区は魔界の植民地となっている。 だが、彼らはそれでも此処を統治するだけでなく

政治的働きかけをする場所として、利用したいそうだ。

それ故<タイシカン>と言う建物を建てたそうだよ・・・・分かったかな?」

訳が分からず、呆然とする娘を見やって、ヴィルセは苦笑した

実際、ヴィルセにもさっぱり分からないことであるし

彼より頭のいいレイアにも分からないのだから、もはや誰にも分からないだろう。 断じて恥ではない

その後は細かいことの打ち合わせが続き、そして三時間ほどで会議は終結した

部下達は退出し、部屋にはレイアとヴィルセだけが残った

しばしの、気まずい沈黙。 それを打開するように、ふとヴィルセが呟いた。

「それにしても・・・・」

レイアが続きの言葉を促すと、勇将は自嘲気味に言う

「魔界の者達は、随分と人間的だった。 ひょっとすると・・・聖都にいる人間達よりも・・・

ずっと、人間的かもしれないな。 儂はふとそんな風に思ってしまった

天界の者達はどうなのだろう。 彼らと同じなのかも知れない・・・・」

「明日、会うのが楽しみです」

レイアが無邪気に言うと、翌日の娘の苦労を察して、ヴィルセは苦笑したのだった

 

2,四バカとの出会い

 

翌日、早朝のこと。 砦の入り口が騒がしくなり、ヴィルセは目を覚まして入り口に急いだ

部下達が、何人か騒いでいる。 ただの喧嘩なら仲裁するだけでいいのだが、次の政策を行わない

(正確には行えないのだが)ヴィルセに業を煮やした住民が、押し掛けたのなら洒落にならない

その予測は幸い外れたものの、トラブルはトラブルだった。

兵士達が困惑し、一人の少女が肩に付いた埃を払っている、その前には兵士が一人倒れていた

「何事だ! ・・・確か貴女は・・・」

「貴方はヴィルセ将軍?  ・・・こほん、部下の教育はどう行っているんですか?」

そういって、ヴィルセを睨み付けたのは、いつものようにメイド服を着たフィラーナだった

兵士は死んではいないようだが、かなり痛烈に地面に叩き付けられたらしく、泡を吹いている

ヴィルセが兵長を睨み付けると、彼は困惑しきった様子で状況を報告した

「その・・・・将軍に会わせろとこの女性が言って・・・

それでまだ将軍が寝ているという事を説明したのですが、どうしても退いてくれなくて

ツイスがカッとなって肩を掴んだ所、いきなり宙に浮かんで、地面にああいう風に」

そういって彼が移した視線の先には、地面にめり込むようにして兵士が倒れている

それにしても、これは下手をすれば外交問題である。 政治が分からないヴィルセでは会ったが

最初の印象が大事なことは知っているから、心中で頭を抱えざるを得なかった

ここでフィラーナをかばえば、兵士達の反感を買う(しかも魔界の者をかばったと言うことになれば

今までの信頼が崩れる可能性がある)

また、兵士をかばえば、フィラーナの悪印象を受けることは疑いないだろう

ヴィルセは昨日大使館を訪れて、フィラーナが皆から大きな信頼を受けているのを目にしている

その彼女に悪印象をもたれたら・・・今後面白くないのは、ほぼ確実であろう

こんな細身の少女が、訓練を受けた兵士を一瞬でねじ伏せたことよりも、これらの事の方が重要事だ

数秒の思考の末、ヴィルセは結論を出した。 臨機応変な彼らしい素早い行動だった

「フィラーナ嬢。 兵士の非礼は詫びる。 だがよければ、この様なことを何故したか教えてくだされ

この兵士は、任務に従ったまでのこと。 また貴方の言葉も、すぐかなえるには無理のあることだった

確かに兵士は無礼を働いたかも知れぬが、これはあんまりなのではないか?」

それは、柔らかく相手の非をならす行為だった。 まず自分の非を認め、それでいて相手の非もならす

バランスが取れた判断であり、理性的な言葉であったが、相手の反応はそうではなかった

「・・・・私に、触らないでください!」

種族レベルでの憎悪を抱いた声を叩き付けられて、兵士達が困惑した

熟練した武人であるヴィルセは驚きはしたが、精神的に後退はしなかった

この少女は、人間でありながら魔界で暮らしていたと聞く

おそらくそうなったのは、ろくな原因ではなかっただろう。 異常な人間への憎悪が、その証拠だ

兵士を瞬時にねじ伏せた能力が原因なのかは分からないが、ヴィルセは刺激しない方がいいと結論した

それ以上彼女を怒らせると、また誤って傷つけでもしたら

打開策になりうる魔界政府の役人達に、そっぽを向かれる可能性があった

これらは政治的判断と言うべきものだったが、ヴィルセは気付いていない、意図的に考えたのでもない

そして、国家レベルでの政治など、彼には思いつきもしなかった

だがこういった小規模の政治的判断が無意識で出来たから、彼は戦場を渡り、生き延びて来られたのだ

加えて、能力的にはそれが限界であり

小規模な政治的判断しかできなかったから、いま困惑しているのである

フィラーナは暫く肩を振るわせていたが(目尻には涙さえ浮かんでいた。 どれほど深刻な憎悪

それ以上の恐怖を人に対して抱いているか、明らかだった)やがて咳払いをして、言った

「今日、ヴォルモースさんが、将軍と昨日の話に出たレイアさんに、館に来て欲しいそうです

時刻は昼、食事は用意してあります。 用件は以上です。 では、私は帰らせていただきます」

きびすを返し、フィラーナはそのまま帰っていった。 一度も振り返ることはなかった

一応攻撃は手加減されていたため、兵士は苦痛の声を挙げながらもやがて目を覚ました

彼を部下に介抱させると、ヴィルセはしばし考え込み、やがて自らレイアを呼びに行った

 

レイアは、たたき起こされて機嫌が悪かった。

元々低血圧で、故に機嫌が悪いだけである、父によって起こされても、それは変わらない

しばらくはむっつりして無言のまま食事をしていたレイアであったが、目が冴えてくると機嫌は直り

やがて父の言葉を聞き、小首を傾げた

「何故、そんな事をわざわざ告げに来たのでしょう。 お父様に、重要なことは昨日伝えたのでは」

「そうだな、儂にもそれはよく分からぬ。 だがな

あの娘には気を付けた方がいい。 ある意味、魔物より危険だ

とにかく、絶対に刺激しないようにしろ・・・特に体には、何があっても絶対に触るな」

ヴィルセの表情は真剣そのもので、それを受けてレイアは困惑したが

やがて被害にあった兵士達を呼び、詳しく細部の情報を聞き、それを頭に入れ始めた

出来るだけ詳細な情報を仕入れてから、事に赴くというのは誉められる事である

それを活かす術を知らなくとも、必ず役に立つ。 その点だけでは、レイアは優れた政治家だった

やがて、正午が来た。 狭い地区だけあり、馬を使えば大使館へは半日もかからない

レイアの乗馬は下手だが、それでも落馬するようなことはもう無いだろう

「良し、行くぞ。 何かあったらマドフォードに連絡しろ。 分かったな、クレイナ」

どちらかと言えば知恵を売りにしているマドフォード、それに対してクレイナは単純な武人であり

本人もそれを理解しているから、不満をこぼすことなく頷いた

この二人は、自分の欠点と相手の長所を良く知っているから、コンビとして長く続いているのである

二人の様子を満足げに眺めると、ヴィルセは出発の準備を始めた

護衛の兵士の隊長はマドフォードの副官が務め、15名の兵士と共に

ヴィルセとレイアは大使館に向かった。 無論のこと、大使館は動かず彼らを待っていた

 

館は高度な技術によって建造された物であったが、外観は実に古風で、重厚な作りとなっており

華美な装飾は一切無く、機能だけを最優先して創られていた

これは魔界建築の特徴である。 逆に、既に建造されたという天界大使館は、周囲に装飾が施され

機能よりも外見を重視して創られているため、神々しくあっても実用性に欠ける

いずれにしろ、戦場や前線地ばかりを転々としていたレイアは、こういう館に入った経験が余りなく

ましてや防御結界で強固に防備を固めた館など、見るのも初めてだったので、緊張していた

護衛の兵士達を返すと、ヴィルセは館に足を向けた。 既に<魚>の姿は其処にない

時間通り現れたヴィルセとレイアを館の中から見付けたグレーターデーモンが、魔導装置を操作し

人間が入れるように、結界を開く。 それを確認すると、ヴィルセは振り向いた

「良いか、彼らは魔界の住人だ。 幾ら心を持ち、理性があるとはいえ、姿はそれに関係ない

あまりにも突飛な姿をしていても、驚くな。 いや、違うな。 驚くのは良いが、取り乱すな

彼らから見ても、我らが突飛な格好をしていると思え。 異相はお互い様だ

そうすれば、その行為が如何に失礼か分かるはずだ」

「分かりました。 努力してみます・・・」

緊張に顔を強張らせ、レイアは館に入った。 中も古風な作りだが、目に見えないところには

ハイテクノロジーによる科学技術が、山のように詰まっているのだ

その足が止まった、彼女の前には、迎えが立っていたからである

それはグレーターデーモンの一人だった。 始めて見る小山のような巨体に、生唾を飲み込むレイア

怯えを隠せるわけもない。 あの巨大な口・・・噛み付かれたら一瞬で煎餅にされてしまうだろう

そして熊手のような爪・・・あれが振り下ろされたら、歴戦の勇士でも一撃で粉々にされてしまう

<人間が勝ちうる限界>と、グレーターデーモンは評される。 実際、倒した記録は幾つかある

だが、その限界が如何に厳しい物か、レイアは身をもって実感していた

「キャクジンヨ、ヨクマイラレタ。 ミナハオクデオマチダ

クチニアウカハワカラヌガ、ショクジモヨウイシタ。 ゴユルリト、タノシンデイッテクレ」

たどたどしい言葉で、グレーターデーモンが慇懃な礼をした

言葉がたどたどしいのは、彼の知能が低いのではなく

構造的に、口が人間の言葉を発音するのに向いていないだけである

「了承した。 行くぞ、レイア」

ヴィルセが言葉に応え、硬直している娘の手を取り、グレーターデーモンに続いて奥に引っ張って行く

そして、広間の前で振り向き、静かに言った

「彼らのリーダーはあんなものではないぞ、心して於け」

無情な音と共に広場の扉は開き、そこには魔界の住人がいた

 

レイアは硬直していた。 其処にいたのは、彼女の想像をあまりにも絶する者だったからだ

そこには、おそらく体長にして14mを超す、巨大な百足がいたのである

百足は深い蒼の全身を鎧の様な外骨格で覆い、無数の足を生やし、蜷局を巻いてレイアを見つめていた

フォルモリア連合の飼い慣らした魔物を、幾度か戦場でレイアは見かけたが

目の前にいる百足は、全くプレッシャーが違った。 炸裂するような、押し潰すような精神的圧力

「い・・・・・いやあああああああああああぁ!」

怯えきったレイアが悲鳴を上げ、そのまま精根尽き果てたように膝から崩れ落ちた

百足は頭を揺らしてその様を見ていたが、やがてヴィルセが咳払いすると、笑い始めた

「ふっふふふーん。 驚いたー? ヴィルちゃん、驚いたー?」

「驚いた。 だから人間の姿に戻っていただきたい。 娘が腰を抜かしてしまったからな」

口を利く百足を、朦朧とする頭で見つめるレイア

その前で、巨大な百足が見る見る縮み、人の姿になっていった

赤毛に、猫のような耳が付いている事を除けば、どこから見ても普通の人だ

その娘、百足のライカンスロープであるリゼア=ルーシィは、笑みを浮かべたままレイアに歩み寄り

あまりの出来事に怯える少女の顎をつまんで、顔を覗き込んだ

「んー、こんにちわー、レイアちゃん。 私はリゼア=ルーシィ。 ここで研究員をしてるのよー

よろしくね、これから私には短い間だけど、レイアちゃんにとっては長い間お世話になるから」

笑顔は明るく、無垢であると同時に残酷さも秘めていた。

精神的に締め落とされたレイアが応えるより先に、ドアが開き、更に二人が現れる

一人は艶やかな黒髪を持つ青年、そしていま一人は先ほど砦に現れたフィラーナだった

「悲鳴が聞こえたが、どうしたのだ? ルーシィ」

「私の正体見たら、この子腰ぬかしちゃったー。 モルちゃんのほうはもっと凄いのにねー」

それを聞いて失神し欠けるレイアは、精神的に余裕を完全に喪失

モルトが驚くほどの美形であることに、全く気付いていない

「娘が失礼なことをした。 悲鳴を上げたことについては、落ち着いてから謝罪させるので

どうか気を悪くしないでいただきたい」

ヴィルセが頭を下げた。 その時、初めてレイアは自分が取り返しの付かない事をしかけた事に気付く

もし、此処で魔界の者達の機嫌を損ねれば、この地区は貧困の果てに滅び去りかねないのだ

兵士達も養えなくなり、残された道は餓死か反乱しかない。

後者を選んだ所で、ヴィルセ以上の戦上手であるアドルセス将軍がいる以上、敗北と死は確実だ

やりきれない思いが心を満たし、頭を抱え込むレイアを立たせると、ヴィルセはもう一度頭を下げた

「本当に申し訳ない。 この償いはいかようにも」

「も・・・申し訳ありません! すみません・・・

私・・・私・・・・・」

沈鬱な表情のレイアを見ると、ルーシィは笑った。 そして、二人の肩を交互に叩いた

「気にしない気にしない。 驚かせよーと思ってやったんだから

ただ、私に驚いているようじゃ、ヴォルちゃん見たらもっと驚くぞ」

再び遠のく意識を、必死に引き戻しながら、引きつる顔で無理にレイアは微笑んで見せた

正直なところ、彼女には、これ以上の凄まじい光景に耐える自身がなかったのである

 

再び扉が開いたのは、それから少し経ってのことだった。 フィラーナが黙々と料理を運び

(レイアが一度手伝いを申し入れたが、すげなく断られている)他の者達は椅子に座って待っていた

そして、五分ほど経過したとき、扉が開いて、いま一人の魔界の者が姿を見せた

フリフリびらびらの、可愛らしさを極限まで追求した服を身に纏い、その少女はレイアに歩み寄った

無論、その過程でヴィルセとレイアも立ち上がっている。 二人は小声で声をかわした

「あの子も・・・魔界政府の役人なんですか?」

「そうだ。 しかも、この地区の政治行政を、魔界政府に一手に任されている者だ

魔界では、かなり有名な政治家らしい。 既に幾つもの地区を、政治的に立て直したそうだ」

驚きに硬直するレイアの前に、既に少女、メリッサ=ライモンファスは立っており

明らかにこういう場所になれていないレイアを一瞥すると、内心はどうあれ慇懃に礼をした

「初めまして、わたくしはメリッサ=ライモンファスという者ですわ

魔界政府から、この地区の政治任務を一手に任されています。 今後とも、よろしくお願いいたします」

「い、いえ・・・此方こそお願いいたします」

硬い表情のレイアに対し、既にメリッサは儀礼的挨拶を終え、相手の分析に入っている

ヴィルセの言葉により、この娘がヴォラード地区の情報に誰よりも通じているのは明白で

それ故に、それを余すことなく引っぱり出すことが、今後の政治に重要だった

メリッサは目を光らせると、他愛ない質問を幾つかしてみた。 それは相手の能力を探るための物で

相手の意図に気付かないレイアは、正直にそれにいちいち応え、そして結論を導き出させた

結果は、<発展途上>であった。 光る物はあるのだが、覚醒していないと言うのが率直な印象である

それを引きずり出すのに何が必要なのかは分からないが、引き出さないと政治の効率が悪い

である以上、引きずり出すのは今後絶対必要になってくる。 こんな貧しい地区では、特にである

一方で、レイアはメリッサの底知れぬ知性を感じ、子供と侮ったことを心中で詫びていた

後で徹底的に振り回される相手などとは知るよしもないし、性格が激烈に悪いことも当然知らない

まして、決してルーシィに劣らぬその正体など、知るわけもない。

ひとまず安心したレイアを、ヴィルセは複雑な面もちで見つめていた

「おっと、来たようですわよ、我らがリーダー、ねぼすけ学者が」

扉が開き、ヴィルセが顔を強張らせる。 一瞬後、場に静寂が訪れた

余りにも凄まじいヴォルモースの姿を見たレイアが、泡を吹いて失神したからである

これが四バカと、フリード親子との、最初の出会いとなった

 

3,任務開始

 

早朝、静寂が世界を満たす時間。 だが、今日はそうではなかった

静寂は確かに続いていたのだが、それは唐突に打ち砕かれたのである

「いやあああああああああああああああぁ!」

トモルアの砦に、悲鳴が響きわたった。 その悲鳴の主は、間違いなくレイアであり

それを聞きつけたヴィルセが、レイアの部屋に駆け込むと、娘は自分の肩を抱きしめ震えていた

「レイア、どうした!」

「お父様・・・お父様!」

ヴィルセに続いて、腹心の部下達もレイアの部屋に入ってきた。

がさつな者達だが、これは戦場の習慣だ。

暗殺者などに襲われたのなら、女性の部屋に入る云々などと言っていられない

まして、レイアがこうやって心を乱すなど、滅多にないことだ。 彼らの行動は当然のことだったろう

「レイア様、どういたしました! 曲者ですか?」

「・・・・・ごめんなさい・・・・余りにも怖い夢を見て・・・

大丈夫です。 危険はありません・・・・ご迷惑をおかけいたしました」

レイアの表情は青ざめていたが、それを聞いて皆は安心し、ヴィルセを除いて部屋を出ていった

娘が夢と言った時点で、ヴィルセにはその正体が分かっていた。 ヴォルモースの夢を見たのだろう

正に異形、正に怪物。 話してみて、どこの誰よりも温厚で心優しい者だとは分かっているが

あの姿は、少し刺激が強すぎる。 巨大な目、体色、それに地上のどの生き物とも異なるフォルム

文字通り、魔界の住人である。 姿と性格が、全く関連を持たない良い証拠であったろうが・・・

あの後、意識を取り戻したレイアは、歓迎パーティを受けたが

終始虚ろな目をしており、言われたことも殆ど耳に入っていない様子だった

である以上、言われたこともほぼ確実に覚えていまい。 ヴィルセは頭をかき、言った

「レイア、覚えているか? 昨日メリッサ嬢に言われたことだが・・・」

「え・・・・? 何のことですか?」

案の上である。 しかし、それを責めないのも、ヴィルセの長所だった

こういう場合、自分の<正義>を盾に相手を怒鳴りつける類の輩がいるが、そんな連中は器が小さい

将軍としての器を持つヴィルセは、相手の精神疲労を理解した上で、言葉を選んだ

「ふむ。 昨日のパーティが終わりに近づいたとき、お前はこう言われたのだ

明日、この地区の情報を精密に聞きたいから、私の部屋まで来て欲しいとな

多分聞こえていないだろうとは思っていたが、案の定だったな。 護衛の兵士達はもう用意してある

昼までに来てくれと言われていたから、早めに準備をしておけ」

レイアが勢い良く飛び起き、転びかけた。

娘を支えてやると、ヴィルセは部屋をで、そしてドアの所で振り向いた

「あまり気にするな。 あれを見て驚かない人間の方が珍しいだろう

お前の足りないところは、儂が補う。 それが家族というものだ」

レイアは、感謝の言葉もなかった。

良い親を持てたことを実感しながら、同時に自身の情けなさを思い知り、暫く俯いていた

 

大使館にて、既にメリッサは待っていた。 政治家少女の部屋は、極めて女の子らしい空間で

ぬいぐるみは無かったが、随所にフリルやレースがちりばめられ、配色も実に可愛らしい

女の子らしすぎる空間が、此処であった。 らしすぎる故にか、却って居づらくなるのも事実である

大使館に入ってから、レイアはずっとびくびくしていた。

夢で見るくらいだから、ヴォルモースは怖かったし、巨大な百足になるルーシィも怖かった

だが一方で、父が認めていると言うことは、彼らの人格が問題ないものだと言うことも理解できる

そんな彼らを、外見だけで判断し、怯えている自分に対する自己嫌悪も、恐怖の一因となっていた

「とりあえず、落ち着いて。 ここにはヴォルモースさんは来ませんわ」

内心を見透かされて硬直するレイアに、メリッサは続ける

「私が欲しいのは、この地区を活性化させる情報ですわ。 別に貴方がこの地区をどう思おうが

逆に私たちが貴方の底の浅さを見透かしていようが、そんな事は関係ありませんもの

私達には、あなた方には決して出来ない、この地区の再建が出来る

だから、貴方の父上は、気味が悪くて仕方がない私達のご機嫌を取って、頭を下げた・・・

全ては民衆のために、そして兵士達のために。 それをむげにしようとしている貴方。

そんな貴方に、此方も配慮してあげているのだから、もう少ししゃきっとしたらどうですの?」

政治家少女の目はひたすら冷徹に輝き、事実を指摘し続ける。 レイアは愕然とし、呆然としていた

しかし、精神を何とか引き戻す。 此処で負けるわけには行かなかったからだ。

相手の指摘はもっともだし、それに此処で敗北したら、父の苦労は全て無駄になり

何よりこの地区は、貧困と退廃の中に沈み込んでしまうだろう

苦悩し、一念発起するレイアの様子を楽しげに見ながら、メリッサは続けた

「・・・じゃあ、情報を色々聞かせていただきますわ。 この地区が再生するかは貴方次第

覚悟は、よろしいですわね。 では、まずこれを見ていただけます?」

床の一角が割れ、レイアの前に、何かがせり上がってきた

それはこの地区の1/10000模型であった。 自動的に立体写真から模型を創る装置により創られ

とにかく個性が無く、無味乾燥した模型であったが、それでもこの地区を非常に正確に再現している

メリッサは細い棒を取りだし、山々を何度か叩くと、レイアに声を発した

「まず、これらの村の名前、それに特徴を教えていただきます?」

「・・・・・はい。 まずこの山がヴォケイロス山。 此処にはアッカード村とレイレイル村が

それにこの斜面には、木こりのお爺さんが娘夫婦と暮らしています

まだお孫さんはいないようですが、この間娘さんが・・・」

模型の精密さに驚いていたレイアは、一瞬の虚脱の後、自分の知識を披露し始めた。

概略を披露し、そして徐々に精密な情報に移っていく方式で、その知識は事実に裏付けられた緻密さで

メリッサは目を細めて、自分でも頭にその情報を入れつつ、録音装置に言葉を記憶させていた

「この村の村長さんは、結構村人の評判はいいですが、そのかわり・・・

この人が村長さんになってから、山が一気に禿げ山になってきました

現在は息子夫婦と、六人の孫と一緒に暮らしています。 時々、ヴィルセ将軍に会いに来るのですが

いつも街で甘いお菓子を買って帰るようです。 孫が好きなのだと言っていますが

本当の所は・・・自分が好きで好きでしょうがないようです

お気に入りの店は・・・・大体の予算は・・・・好みは・・・・」

ある村の村長を精密に評論すると、レイアは一息ついた。

これらの情報に嘘偽りがないかを確認する必要が当然あるが、情報の精密さは疑いない

おそらく、将軍が意図的に娘に情報が集中するように、様々な工作をしたのだろうが

娘はそれに良く応え、情報を大量に蓄え、政治に活かそうと四苦八苦しているのだろう

その辺を瞬時に見抜いたメリッサは、この娘を内心で認め始めていた。

政治家としても将来性があるし

今後は、非常に役立つ事が疑いない。 こんな田舎でくすぶる人材でないのは確かだ

都会にでるという選択肢もあるが、どうせならこの地区を都会にしてしまうのが面白いかも知れない

「はい、これを舐めて。 喋るのが少し楽になりますわ」

そういって、メリッサはのど飴をレイアに渡した。 その視線は、先ほどより心なしか優しかった

 

いつの間にか、時間は正午をとうに過ぎていたが

メリッサの熱心で緻密な追求は、レイアの情報を次々に引き出させ

無論のことレイアも真剣にそれに応えたため、時間が過ぎるのは感じられなかった

「へえ、なるほど。 塩のルートはそうやって確保されているの」

「はい。 西にある大きな浜辺で創られて、此処に運ばれてきます」

それは、生活の必需品である塩に関する話だった。 ヴォラードでは、現在塩の製造は行われておらず

余所から塩を入れているのだという、言うまでもないが塩は命を維持するのに必要な物資である

メリッサはそれを聞くと、早速取り寄せ済みの皇国法を調べた。 塩の民間製造を規制する物はなく

また、塩を創ってはいけないとする社会的風潮もない

「どうやって塩を創るか、知っている者は軍内にいません?」

「確か・・・一人います。 正直で真面目な方で、親が塩田持ちだとか

でも、それがどうしたんですか?」

「メリッサの政治講座、その1ですわ。 経費を削減するには、生活必需品を自分で生産するべし

尚かつ、それを官で独占すれば、経費の削減どころか膨大な収入につながる

ただ、あまり値段はつり上げないこと。 それをやると、大規模な反乱につながりますわ

・・・この地区にある砂浜を先ほど調べましたが、この地区で必要となる塩くらい、充分生産できます

むしろ、輸出が可能なほどですわ。 いざというときのために、生産手段を確保しておきましょう」

理路整然と言うと、メリッサは相手に反論を許さず、次の質問に移った

それは村の者達がどうやって生活しているかという物で、それにもレイアは理路整然と応えた

「村の方達は、木こりと農業で生計を立てています。 農業は幾つかの野菜が中心で

それを街の人達に売って、生計を立て、自分たちの糧にもしています

木材は質が良く、そこそこ良い値段で売れるため、貴重な収入源ですが

斬りすぎて、もう殆ど山には残っていません・・・」

「そう。 それはとりあえず置いて於いて・・・具体的な野菜の種類を教えていただけます?」

「はい。 ホルコモ(ソバに近い野菜)、ドッカルト(大根に似た野菜)、あと村によっては・・・・

ホルコモは、全ての村で栽培しています。 ドッカルトは此処を除いた全部

それに・・・・後はこの村が・・・栽培量は・・・

主食となっているのはホルコモですが、あまり味がよろしくないので、余所の街から経由して

ラムア(麦ににた植物)を街で買い、それを食べている者が少なくないようです」

メリッサは満足し、模型にデータを打ち込んでいった

そうすることで、この模型は立体的な地区情報の集積体となるのだ

また、今の情報は非常に有意義である。 村が閉鎖的社会ではないことが分かるし

一方で、極めて効率が悪い事をやっていることも分かる。 改善の余地は幾らでもあるだろう

「じゃあ、次の質問ですわ。

ピルテア(馬鈴薯とほぼ同じ特性を持った野菜)は、この辺りで手に入ります?」

「ええ。 ただ、とても小数しか入りませんが・・・

栽培法も分かります。 ピルテアを重点的に作っている地区の出身者が、軍に何人かいらっしゃいます」

「分かりましたわ。 次の質問ですけど・・・」

その質問が一段落した頃、陽が落ちた。 それに気付き、驚くレイアの腹が鳴った

「・・・・・・あ・・・・すみません」

顔を紅くして、呟くように言うレイア。 その時、初めてメリッサが笑った

「じゃ、夕御飯は私達がおごりますわ。 明日は、今度は父上と来てくださいな」

「はい、分かりました。 申し訳ありません・・・こんな事しかできなくて」

「気にしなくて良いですわ。 ・・・そんな事すら出来ない輩が、この世の大半を占めてるんですから」

その言葉は、メリッサらしい冷徹な苛烈さに満ちていたが、決して間違いではなかった

少しだけ互いに心を開いた少女達。 この日は、彼らにとって有意義だったことは間違いないだろう

翌日、翌々日と合議は重ねられ、ヴォルモースやヴィルセを交えての話し合いも一段落した頃

政策発表の日が訪れた。 いよいよ、メリッサがこの地区に猛威を振るう瞬間がやってきたのである

しかも、その時既に準備は整いきっていた。 アヴォルフォードが見たら、恐ろしい子だと呟いたろう

 

4,祭りの前に

 

政策発表の前夜のこと。 四バカは、会議室に集まり、今までの成果を確認していた

議事進行は、当然ヴォルモース。 大きな目を揺らして、彼は発言した

「まず最初に、メリッサ。 どうだい、この地区の再建は出来そうかな?」

「やって見せますわ。 手段は全て整いました

それと、ルーシィさん、これ。 この地区の、貴方に必要な情報をまとめた物ですわ

ヴォルモースさんにはこっち。 同じく、です」

メリッサが差し出した小さなカードを、猫耳の研究者は嬉しそうに受け取り、懐に納めた

その様子を見るフィラーナ。 彼女はそれが何かを追求しないが、一応興味はある

ただ、時が来たら教えてくれるはずだという信頼が興味を上回っているので、何も追求しないのだ

実際、その信頼は裏切られることがないだろう。 ルーシィもフィラーナもそういう者達だった

一方で、ヴォルモースに渡された物は分かっている。

人類学の大家である彼には、この地区の社会情勢を情報化しただけの青図が渡されたはずだ

「次に、ルーシィ。 どうだね、政府に報告できるような研究になりそうかい」

「んー、微妙ー。 派遣した偵察衛星を、今分析してるんだけどねー。

まあ、この分野の学問は、地道な研究が命だから。 時間掛けてやってく」

「そうか、それならばいい」

ヴォルモースは嬉しそうに目を揺らし、言った。 そういう風にルーシィが言うときは

研究が順調であり、そして期待できることを示唆しているからである

もし、見込みがないときは、一言駄目としか、ルーシィは言わない

そして、そう彼女が言ったときは、いつも例外なく研究は失敗しているのである

「そして、モルト。 君の方は大丈夫か。」

「私は大丈夫だ。 ただ・・・・」

皆の視線が集中し、黒髪の剣士は頭をかいて困惑した

「実は、ちょくちょく街で石鹸を買っている。 そうしたら、街の娘達が皆私を見ているのだ

しかも、遠くから集団で・・・・この町には、娘だけで結成された監視組織でもあるのか?」

「はは、それはな、君が格好いいからだろう。 年頃の娘から見ても、成熟した女性から見ても

君は充分魅力的に見えるはずだ。 私の研究からすると、この地区の美的感覚に君は適合している

だから安心して良い。 間違っても、鬱陶しいからと言って殺したりしてはいかんぞ」

「案ずるな、あんな弱い者達を斬ったりはせぬ

それにしても・・・・此処には戦いがいのありそうな者がいないな。 岩も豆腐のような強度だ

何か手応えのある者を、物を、斬りたい・・・・斬りたいな・・・」

悶々とするモルトであったが、近い内に天界大使館の連中が此方に来ること

その時、おそらくフェゼラエルとの手合わせが出来ることを告げられると、途端に機嫌が良くなった

これは彼らと会えるのが嬉しいのではなく、力量が拮抗している相手と

例えそれが模擬であっても、戦闘できる事が楽しみなのである

根っからの戦闘狂ではあるが、悪い者ではない。 フィラーナに対する態度がその証拠だ

咳払いをすると、ヴォルモースは続けた

「私だが、研究は順調だ。 諜報員の方に頼んで、幾つか重要な本も手に入れてもらった

これらは原始的な哲学に基づいた・・・・ごほん、とにかく順調だと言うことだ

・・・最後に、フィラーナ。 どうだね、人間とは接しられそうかい?」

深刻な台詞に、周囲は一瞬凍結した。 だが、やがてフィラーナは決然と顔を上げた

「頑張ります。 私、頑張ってみます

・・・せめて、みんなの迷惑にならないように、最低限人間と接することが出来るように頑張ります」

「うん、良い心がけだ。 よし・・・・」

ヴォルモースが立ち上がり、一際高く目を上げた。 皆が注目する中、そのまま続ける

「では、皆それぞれの任務に向かって頑張ろう

私とフィラーナはサポートに徹する。 困ったことがあったら、いつでも相談するように」

言われるまでもないことだった。 このメンバーの中に、隠し事など存在しないに等しい

無論あるにはあるが、それは個人深層レベルの話であって、相談できないことなど無い

だが、それでもそれは必要な言葉だった。 全員立ち上がり、表情を引き締め、敬礼する

「我らが為に!」

声を揃えて言う皆の表情は、他の全員に対する信頼に満ち満ちていた

 

朝、大使館の中庭には、トモルアの町長、各村の村長、それにヴィルセ達ら30名ほどが集まり

魔界政府の役人達による、政策発表を待っていた。

皆の顔は一様に緊張していたが、落ち着いていたのは、人望あるヴィルセが堂々としていたからで

有能な将軍は、腕を組んで目を瞑り、静かに時が来るのを待っていた

時は、唐突に来た。 広場の入り口を塞ぐように、グレーターデーモン三体が入ってきたのである

その威容は動く小山の如し。 破壊的な威圧感が、場を瞬時にして制圧する

「静まれ! あの悪魔は儂らに危害を加えたりはしない。 落ち着くのだ」

凛とした声で、ヴィルセがうろたえかける皆に先制の一声を放った

正に鶴の一声、全員がそれで沈黙する。 満足げにそれを眺め、メリッサとモルトが場に姿を現した

今回、ヴィルセの提案で、ヴォルモースとルーシィは姿を見せないことになっている

これは姿云々もあるのだが、姿を見せないことで無言の圧力を掛けようと言う意図もあった

まず最初に、あることを確認すべくメリッサが周囲を見回す。 結果は、彼女の予想通りであった

「どうした、メリッサ」

「情報通り、高齢化が進んでいますわ。 街の代表に、若者が全くいませんもの

それに肉体的な高齢化よりも、この様子では精神的な高齢化の方がより深刻なはず・・・」

そう言って鼻を鳴らすメリッサの目は、氷のように冷ややかだった

此処で言う若者は、三十代前後の、社会的大人になったばかりの人間のことだが

どうやら最年少でも50以上のようで、しかも実質上の肉体年齢はもっと上であろう

平和である良い証拠だが(女性や若者が酷使されるのは基本的に混乱期と決まっている)

これでは改革が出来ない。 若手から人材を発掘するのは時間を掛けてやるとして

現時点では、彼らにも分かる方法で、改革を示して行かねばならないのである

だが、それは予想済みのことである。 メリッサは設置されたマイクの前に行くと、声を張り上げた

「お集まりの、ヴォラード地区代表者の皆様、私はメリッサ=ライモンファスと申します

この地区の政治管理を、魔界政府から一任されてきた者ですわ。 以後よろしくお願いいたします」

不平満々の視線が、メリッサに向けられた。 相手が子供だと言うことで、侮っているのだ

「まず、トモルアの町長、前にでていただけません?」

メリッサの声に、誰も反応しなかった。 ヴィルセは苦々しげに後ろを見たが、老人達は誰も応えない

実の所、メリッサは既に誰がトモルアの町長だか知っている。 目を細めた彼女の感情が沸点に達した

「モルトさん!」

小さな呼び声と共に、モルトが愛剣に手を掛け、凄まじい勢いで宙に閃光を走らせた

次の瞬間、広場の真ん中に亀裂が走った。 そして、はるか向こうにある岩が、轟音と共に粉々となる

全員、その様を慄然と眺めていたが、黒髪の剣士は気にせず言った

「メリッサに逆らうとこうなると思え・・・・次は当てるぞ。

ちなみに、メリッサも私と同じくらい強い・・・本気で怒らせたらこの地区がまとめて消し飛ぶぞ」

「ひ・・・ひっ! わたしめがトモルアの町長です! 無礼をお許しくださいませ!」

転がるように、背の低い太った男が進み出た。 そして、メリッサの前で何度も頭を下げる

モルトの言葉の内、後半は半分嘘である。 メリッサは魔法戦闘に関してかなりの力があり

実際、この地区を壊滅させることは可能だろうが、モルトと比べたら数段劣る

咳払いをすると、メリッサは町長に何か分厚い紙束を渡した

そして順番に村長を呼び、次々に紙束を渡す。 それは今後の政策を示した書類だった

もう一度町長を呼びつけるとメリッサは街の模型を取りだし(精巧さに村長達が目を見張った)

砂浜の一部分を指さすと、静かに言った

「一応書類にも書いておきましたが、無職の者、意欲ある者を集め、ここに塩田を作ること

ノウハウは全て準備済みですので、後で渡します。」

「はあ・・・塩田ですか・・・・金は誰が出してくれるんですか?」

メリッサが視線を送ったのは、ヴィルセだった。

実のところ、既に汚職管理やマフィアから奪取した金は、全て大使館の管轄下にあるのだが

それを誰も知らないため、メリッサはヴィルセに視線を送ったのである

「その金なら、既に用意してある。 後で取りに来るが良い。

細かいことは、全て書類に書いてある故、目を通し、街の者達と相談することを忘れるな

ちなみに、塩田の製作は、儂の軍の者と、其処にいるグレーターデーモンが監視する

もし横領したり、作業を怠けたりしたら、即座に首が飛ぶと思え。 悪魔達より先に、儂がゆるさん」

青ざめた町長が引き下がる、ヴィルセは町民に絶大な指示を受けており

もし横領がばれたら、軍や悪魔やヴィルセより先に、怒り狂った町民達に殺されることだろう。

つまり、横領などしたくてもできないのだ。

しかも、見ると予算はギリギリで、命がけで横領する金額ではない

引き下がった町長を一瞥し、次にメリッサは、禿げかかっている山に住む村の長達を呼んだ

彼らの前に、二つの小さな土の山と、それに何本かの木が置かれている

「まず、貴方達に説明しますわ。 これ以降、街では山で切り倒した木を買い取りません」

村長達が吹きだし、抗議の声を挙げたが、メリッサに視線で射すくめられ、黙り込む

老人達が黙り込むと、政治家少女はグレーターデーモンの一体を呼び、じょうろを持たせた

「まず、貴方達にこれを見ていただきますわ。 此方の土の山は、草を生やした物

こちらは、ただの土の山。 これに、上からじょうろで水を掛けるとどうなるか・・・」

結果は歴然だった。 ただの土の山は、あっという間に崩れ去ってしまったのである

村長達は困惑していた、メリッサは咳払いをすると、静かに言った

「いいですか、これは貴方達の住む山の末路ですわ

このまま木を切り続けると、山は雨によってどんどん崩れ、そして村を土砂が押し流します

覚えがあるんじゃないんですの、フォル村の村長さん。」

「し、しかし・・・・木を売らないと、わしらは喰っていけんのじゃ・・・」

「そこで。 まず第一に、これから罰金と懸賞を設定します

この木を、山に植えたら銀貨一枚。 更に、根付かせることに成功したらもう一枚の懸賞を出します

しかし、切り倒したら・・・一本に付き、銀貨三枚の罰金を払ってもらいます

払えなかったら、捕らえて罰金分の強制労働ですわ

次に、ある程度山が戻ってきたら、売ることの出来る木を植えます

ただし、今度は綿密な計画を元に、ですわ。 ま、数十年単位の事だと覚悟してください」

冷酷な眼差しで後ろにある木を指さし、メリッサは言った。

この言葉を聞き、村長達の文句が止まった。 木を植えてその収入があれば、充分に飯を食えるからだ

本来、高度な農業技術を持つ民族なら、こんな事を言わなくても

植林や山を休めることの大事さは知っているし、自分たちで工夫して実力で農業を発展させる

だが此処の民族の農業技術は、大陸で最も低いレベルである。 基礎から教えなければならないのだ

この木は、繁殖力が強くどこにでも生える種類で、近くの荒れ地から引っこ抜いてきた物である

つまり、原価は零。 政治家少女は、村長達の前で続けた

「そして、これから貴方達にこれを支給します」

メリッサの前に、フィラーナが荷車を押してきた。 車の中には、ピルテアの種芋が入っていた

「これはピルテア。 荒れ地にも生え、災害に強く、虫にも病気にも強く、収穫も簡単

工夫次第でどうにでも食べられる野菜ですわ

栽培法のノウハウは、後で詳しく説明いたします。

他にも、皆様方には、これから農業について全般的に見直してもらいますわ

で、これが実際にどういう味かは、今味わっていただきましょう」

湯気立つ芋料理が、皆の前に出された。 料理したのはフィラーナである

無論、それは美味しかった。 この地区の住民がどういう味を好むかは調べ尽くしてあるし

何より、料理人の腕が絶倫である。 絶品の芋料理は、すぐに皆の胃袋に収まってしまった

他にも様々な高度な農業のノウハウを、メリッサは調べ上げており

それを村長達にレクチャーする人材も、既にヴィルセの軍の中からスカウトしている

これは、人間世界に不必要なテクノロジーを持ち込まないと言う、天界と魔界の条約から来た行動で

メリッサは、あらゆる意味で現地調達を行わねばならない立場だった。 技術でさえも、である

「よろしいですわね。 つまりこれからは、貴方達には生活の根本から見直していただきます

結果、貴方達の生活は格段に向上しますわ。」

まだ半信半疑の様子である(だが満腹して幸せそうな)村長らに言うと、メリッサは一旦言葉を切った

とりあえず、これで大まかな政策の説明は完了した。 これらが完成したとき、次の作業が待っている

極端な話をすると、これらはヴォラード地区の根本生活を維持する物に過ぎない

街を活性化させるには、豊かなところから、人と金を流し込まねばならないのである

その過程で悪化する治安を(一度極限まで悪化した為、住民は慣れているが)抑える方法や

そもそもに金を稼ぐ方法を、本格的に考えねばならないのが辛いところである

無論、メリッサには将来的展望があった。 だが、政治という物は一歩一歩積み重ねる物で

現在は、この根本的に、徹底的に貧しい街を、最低限の生活水準まで引き上げねばならない

それに全力を注ぐのが、現在のメリッサの使命だった

基礎がしっかりしていないと、山を作ることは出来ないのだ

メリッサは、この山を作るのが大好きだった。 高く高く山を作るのがなお大好きだった

今回は、文字通り基礎の基礎から作らねばならないが、それ故、徹底的にやりがいのある仕事だった

何故なら基礎から、自分が好きなように、巨大な山を築きあげることが出来るからである

フィラーナの手作りである、おいしい芋料理を食べて、村長達は幸せそうだったが

本当の所一番幸せだったのは、最大の困難に立ち向かっている、この政治家少女だったろう

この少女にとって、困難は糧だった。 無論迫害などは望まないが、困難な仕事は喜びだった

困難であればあるほど、少女はやりがいを感じた。 それは生まれついての性格だった

その日発表された政策は、いずれもすぐに実行に移された。

問題はヴィルセの元にある資金だったが、もとより有効利用を望まれていた金である

それが有効に使用されることを、ヴィルセもレイアも嫌がらなかった

無論、資金は無限ではない。 二人は軍の維持費を極力節約することを、一番に考え始めた

 

「お疲れさま、メリッサさん」

「いえいえ、この程度何でもない、ですわ」

自室でくつろいでいるメリッサに、フィラーナが声を掛けたのは、夜も半ばのことであった

政策発表の場で、ルーシィやヴォルモースは、何もしていなかったわけではない

彼らは高感度マイクや監視カメラを使って、人間の動きを詳細にチェックし、自分の研究に役立て

そして、芋料理の作成や、書類の作成にはきちんと加わっていたのである

フィラーナは疲れているであろう皆に気を使い、それを減らすように尽力しており

例えば今は紅茶とお菓子をもって、メリッサの元を訪れていた

これは頭脳労働後の政治家少女が、砂糖をたくさんほしがるためであり

気が利いたフィラーナの行動をメリッサは喜び、何時もは食べない甘いお菓子を嬉しそうに頬張った

「・・・メリッサさん、成功しそうですか?」

「ん・・・微妙ですわ。 本当のところは」

お菓子を食べる手を休めず、メリッサは応える。 脳味噌が大量にブドウ糖を要求しているらしい

やがて政治家少女の目が知的輝きを帯び、紅茶を一息に飲み干すと言った

「一番簡単なのは、住民に向上心がある場合。

それが表にない場合は、向上心を引き出してやらねばならない。

そして、向上心がそもそも無いときは・・・作ってやらねばならない

いずれも政治家の仕事ですわ。 今回はその最悪のケース。 腕が鳴るのはなりますけど・・・

今回の政策で、とりあえず基礎生活力を作ったら、次は発展する力を作らなくてはいけませんわ」

心底楽しそうに言う、メリッサの顔は輝いていた

その様を目を細めて見つめると、フィラーナは思った

自分の好きな皆が、幸せになって欲しいものだと。 それは、大それた願いではないはずだ

そう思い、外を見たフィラーナの視線の先には、魔界とは違う黄色い月があった

 

メリッサの政策は、見事に功を奏し、他にも様々な細かい政策によって

この地区の住民は徐々に生活力を身につけ始める、やがてそれが成長力まで発展する

今まで惰眠を貪っていたヴォラード地区が、胎動を始めた、その瞬間であった

元々、殆ど未開発状態の地区である。 潜在能力は文字通り未知数・・・

そしてその手つかずの潜在能力が、今メリッサの手によって引きずり出されようとしているのだ

同時に、此処とそう遠くない場所で、黒い陰謀が動き始める

それはまだ小さい。 まだ弱い。

だが、それが大きく成長し、強大な力を身につけ始めるまで・・・さほど時間はかからなかった

それは、大きな哀しみと、怒りと、そして絶望を伴う事件へと、後に発展していく

                                  (続)