始まりの微少

 

1,夕闇の中で

 

森の、暗闇の中。 大型肉食獣は生息していないが、それでも危険な事に変わりない夜の森

そこで、少女の嗚咽が響いていた。 時々、草を掻き分け、何かを捜す様な音も響く

月明かりが森の中に差し込み、少女の顔を照らした

まだ年は10歳に達していないだろう。 目鼻の整った、銀髪の愛らしい少女であるが

その目からは恐怖と哀しみから涙が溢れ、時々手で拭うため真っ赤に泣きはらしていた

暗い森の中で、しかもこんな時間だというのに、少女は薪を拾っていた

彼女は孤児院に世話になっており、親はいない。 そして、今の住処は決して居場所とは言えなかった

ある理由で、周囲から受け入れられず、差別されていたのである

今日も彼女は、わざわざこんな夜中に薪拾いを命じられた。 嫌だと言えばとんで来るのは鞭だ

肉を切り、皮膚を割く皮鞭の痛み。 一生忘れないだろう

生理的な恐怖さえ、風を切るあの音で感じるほどである。 少女には、あの痛みは耐えられなかった

故に、嘲りを含んだ周囲の視線を浴びながら、少女は外に出て、薪を拾っていたのである

腐敗しきったこの国の役人と取引があり、奴隷商人に子供を売っているとさえ噂される院長は

この子が野犬の餌になろうが、魔物の餌になろうが、行方不明で片づけ、責任を負うことはないだろう

それが、<神の祝福を受けた>この国の現実だった。

教皇はハーレムに入り浸り、血筋だけで権力を得た小人達が欲望にまかせて権力をあさる

今は剛直を持ってなる(ただし、腐敗を正すことには興味がない)皇国最大の実力者

アドルセス将軍の手で国がもってはいるが、彼の死後はどうなる事やら、誰にも判断が付かない

天軍と魔軍の主力部隊が決戦を終えてから、地上には殆ど魔物がいなくなったが

そんな者がいようといまいと、世は乱れに乱れきっていた

かって世の乱れを全て魔物のせいにして、魔物を殺戮して<勇者>とか呼ばれたバカがいたが

そいつがこの現実を見たら何というか興味深い、世の乱れは人の業であり、他の誰のせいでもないのだ

人間が如何に愚かで、低劣な存在だかこれだけでも明かであろう

無論そんな人間ばかりでないのも事実なのだが、少なくともこの国で意志ある人間は歓迎されなかった

ふと、少女が顔を上げた。 せわしなく周囲を見回し、そして戦慄に薪を取り落とす

それが現れたのは、その直後だった。 地響きさえたて、小山のような巨体が地に降り立った

グレーターデーモンと呼ばれる、かなり強力な悪魔だった、しかも二体である

鉄骨のような強固な骨格を、分厚すぎる筋肉が覆い、その皮膚は鋼鉄の如し

高位の魔法を操り、人間如きの使う魔法は殆ど効果を示さない。 鉄の強さを持つ文字通りの怪物

出会ってしまったら、歴戦の戦士ですら勝てるかどうか分からない、絶望を具現化した魔族

悲鳴を上げた少女が、逃げようとしたが、その場で転んでしまう

何とか這って逃げようとするが、彼女の前には大木が立ちふさがった

怯えきった少女の前に、更に複数の人影が現れた

一人は艶やかな黒髪を腰の辺りまで伸ばした、異常に目つきの鋭い剣士であった

月明かりに照らされるその顔は、そこらの女性に引けを取らないほど美しい

目つきが鋭すぎるが、それでも想像を絶する美形である、殆どの女性が虜になるだろう

もう一人は、だらしなく白衣を着崩した赤毛の女性であった

眠そうに目をこすっており、その頭からは二つの三角形がつきだしていた。 角ではなく、耳だった

犬の耳か、猫の耳のように見える。 音がすると動く為、本当に機能しているのだろう

最後の一人は、少女と同年代に見えた。 妙にフリルやレースで飾り立てた服を着ており

いちいち重くて、またデザインから動きにくそうだが、実際はそうでもないらしい。

女の子の動きは軽やかで、服を邪魔には感じていないようだ、最初に発言したのはこの子だった

「この子ですわね。 ふうん・・・現時点での魔力値104・・・潜在能力推定3800・・・

特殊属性<地>、特殊能力操作値66・・・少し鍛えれば、魔界でも通用する能力ですわ

で、間違いは無いわね。 人間形態で取引は済ませた?」

丁寧な言葉で喋りながらも、女の子の目にも口調にも優しさや憐憫と言った要素は全くない

しかも、どうもグレーターデーモンの上司に当たるらしい。 その強さを知る者が見たら驚いただろう

「マチガイアリマセン、スデニコウショウハカンリョウシテオリマス

アノコジインノインチョウハ、ワズカギンカ3マイデ、コノコヲワレワレニウリワタシマシタ

ナマエハフィラーナ。 コトシデ7サイニナルハズデス」

「七歳にしては・・・ふわ・・・あ。 随分と育ちが悪いわね。 ねむーい・・・

なんか、こっちってすんごく眠いわね」

淡々と説明するグレーターデーモンに、動物耳の女性がけだるそうに頭をかきながら応じる

そして、怯えきって震えるばかりの少女を冷静に見ていた黒髪の青年が、静かに口を開いた

「貴公の場合はいつもだろう。 研究してる時以外、眠そうにしていないのは見たことがないぞ

・・・それはそうと、発展途上国や貧しい田舎では、大体人間の子供の体格はこんな所だ。

彼女らは子供が産めるようになると即座に結婚させられ・・・自由はない・・・以降は家のために働く

残念ながら、それが現実だ」

「しょうがないですわ、そういう世界なんですもの。

わたくし達の責任ではありませんし、第一人が解決すべき問題ですわ

それよりも・・・早いところこの子を確保して帰りましょう」

女の子が歩み寄ると、少女は泣き出した。 彼女は目の前にいる者達が人間でないと気付いていたのだ

「いやっ! いやあーっ! こないで、こないで! 誰か助けて!」

草を掻き分ける音と、何かがはいずる音がそれに応えた

月明かりに浮き上がったそれを見て、少女はあまりの恐怖から、意識を闇に墜とした

それほど、現れた者は凄まじい姿をしていた。 少女は、程なくこの世から姿を消した

 

1,戦終わりて

 

大地母神フィアナの魔界亡命から始まり、天軍、魔軍共に壊滅的な打撃を与え

至高神の死で決着した通称<天魔大戦>が終わった現在、両陣営は急速に接近している

天界は軍神でありながら理性的な神ラグレフスの統治によって、軍縮と経済活性が進み

また魔界は懐が深く熟練した統治者である大魔王フォーヴスの指揮の下、若い力が育ちつつある

かっては絶対に考えられなかったことだが、今では両陣営の首都に、大使館さえ建造され

魔界側の天界首都に建造された大使館には、高名な蠅魔王ベルゼブルの子孫であるルミーア・ゼヴルが

一方天界側の、魔界首都に建築された大使館には

両者の和解を常に図っていた、温厚で理性的な熾天使ガブリエルが赴任しているのである

本来、遅すぎる建設であった。 近代国家を自称する以上、敵国の大使館くらい領内に持つのは当然で

相手の存在を一方的に認めなかった至高神が死に、和平に向かう今現在

こういう形で政治的にも歩み寄りが行われるのは、むしろ当たり前なのだ

外交的、政治的な歩み寄りが進む課程で、かって戦場になった人間世界への大使館樹立の話がでたのは

必然の産物であり、同時に必要なことであったろう

そう、今両陣営は、人間世界にも大使館を建造しようとしていたのである

ただ、幾つか問題があった。 現在、両陣営とも若い力が育ちつつあるとはいえ人材不足は深刻で

国家に属する者の内、一線級の人材は国内の復旧に主力としてかりだされ、二線級も余裕がない

また、民間の人材も枯渇しており、若手から人材を発掘するしかないのである

これは両国の外交問題としても、国家の進歩にとっても重要なことであった。

異世界での両者の動向を監視する施設として重要であり、人類との橋渡しの施設としても重要だった

人間世界に戦いが飛び火したのは、人類が権力闘争にそれを利用しようとしたからであり

その様な愚行が起こらないようにするため、または起こることを防ぐためにも必要な施設であった

様々な紆余曲折を経て、人間世界で最大の力を持つ国、アスフォルト皇国に両陣営の使者が同時に赴き

苦労の末、大使館を建てることを皇国に認めさせた

次は派遣する人材であった。 天界側は、若手の天使を二名、そこそこに経験を積んだ天使を二名

それに護衛を何名か派遣することを決定し、やがてそれを実行、大使館の建造に着手した

魔界側でも、人材の選定は行われた。 そして、やがて結論が出た

 

現在、魔界で総理大臣に近い仕事をしているのは、国立政治学校の教師をしたこともある魔族であり

名前はアヴォルフォードという。 戦闘力は魔族の中で、中の下と言ったところだろう

性格は剛直にして堅実、多少融通が利かないが、部下の言う事はきちんと聞くため問題は起きていない

かって、これ程の地位で政務を執る魔族は例外なく凄まじい力の持ち主だったが

現在は、そんな事は関係ない。 例外は大魔王で、この地位だけは最強の魔族がつくことになっている

そんなわけで、執務室の外には高位魔族が護衛についている

その護衛に断って、部屋に入ってきた者がいた。 声に気付くと、アヴォルフォードは顔を上げた

其処にいたのは、外務大臣の様な仕事をしている魔族、魔王キュフェルザであった

魔王の名に相応しく、魔界最強と言われる魔力の持ち主で、実際の戦闘力も凄まじいが

日常生活をする能力は皆無に等しく、また一般常識も欠落していて、しかもマイペースなため

先代大魔王に、誕生日プレゼントと称して珍しい魔界生物の唾液を送ったり

大魔王の就任パーティにパジャマで現れたり、外務大臣就任の激励会にサンダルを履いて現れたり

(しかもその時、上にスーツでなくセーターを着ていた)と、幾つか武勇伝を持つ女性である

政治能力に問題はなく、母が魔界出身の魔族ではなく、堕天使だと言うことも

この地位に、現在ついている理由である。 天界に対する憎悪も少なく、政府内外での評価は高い

(魔族の先祖は天使であるが、基本的に魔界生まれを魔族、そして天界から墜ちた者を堕天使という

つまり、魔界誕生の二世以降が、魔族と呼ばれるのである)

「キュフェルザ君か、例の派遣人員が決まったのかな?」

モノクロームを直してアヴォルフォードが聞くと、童顔を綻ばせてキュフェルザは資料を取りだした

「はい、これです。」

今回の人員選定には、幾つか条件がある。

まず、大使館の人員として、トップに据える人間は何らかの名声を持つこと

政治能力の高い補佐がつくこと、そして天界に対する偏見が少ないこと

できれば、人間界に対する緩衝剤も欲しいところである

それらの条件をどう満たすのか、外交にも造詣が深いアヴォルフォードは、興味深げに資料を開いた

だが、一ページ目の資料を見て、総理大臣は思わず顔を引きつらせた

彼の教え子の中で、最も切れる頭脳を持ち、同時に最も性格の悪い生徒がそこに写っていたのである

「・・・正気かね、キュフェルザ君」

「二ページ目も見てください」

どちらかと言えば小柄なキュフェルザが、完全にアヴォルフォードを飲んで続ける

言われるままに老魔族は次のページを開き、更に次を開き、そして最後のページを開いた

そのページを見終わった頃には、彼の顔は蒼白になっていた

「・・・いわゆる四バカだな・・・おまけを付けるとはいえ、此奴らを本気で派遣するのかね?」

ヴォルモース=ファーゲット、サーガス=モルト、リゼア=ルーシィ、メリッサ=ライモンファス

それぞれの業界では、いずれもそこそこに知られている人物である

そして、近しい者達は、皆彼らをセットでこう呼ぶ。 四バカと

キュフェルザは小首を傾げ、相変わらずの笑顔で言う

「彼らが有能であることは、誰もが認めていますよ?

ヴォルはちょっと温厚すぎるけど、人間社会学については魔界でもかなりの上位に入りますし

それにルーシィも、自分の分野においては大学で充分教える実力を持っています

モルトはアレでもAランクの上位に入る剣士です。 魔界、天界通じて上から百番には入ります

そして・・・メリッサですけど」

「あれが有能なことは、私もわかっておる! だがな・・・」

腕を組んで考え込む元政治大学教師。 メリッサには、彼はかなり酷い目に合わせられてきたのだ

一番最初は、この冷酷な少女が一年生の時だった。

飛び級に飛び級を重ね、この子はわずか10歳で博士課程にも等しい高等政治学校に入学してきたが

最初の授業の時、教科書を開こうとしたアヴォルフォードに、手を挙げてこう言ったのである

「先生の選ばれた教科書は、政治学の教科書には適しませんわ。 余りにもお粗末ですもの」

生徒達が驚愕し、唖然とする老人の前で、この娘は誇るでもなく蕩々と教科書内の欠点を指摘

しかもそれはアヴォルフォードもよく見れば間違いだと分かる箇所で、老人は選書の間違いを悔いた

別に注目を集めるためにやったわけではなかったようだったが、神童の名はこの一件で響きわたり

接近してきた者も何名かいたが、いずれもすぐ離れていった。 メリッサの性格が悪すぎたからである

それ以降、メリッサは人前で教師をコケにしなくなったが、その代わり人前以外では散々コケにした

どうもメリッサは、この男が私情で政治をどうこうしないことを悟っていたらしく

故にそのいじめっぷりは容赦なく(ただ、弱い者いじめをして楽しんでいたわけではなく

教師としてのミスをねちねち指摘するだけだったが)しかも吸い出せる知識を全て吸ってしまうと

まるで飽きたように、政治大学を飛び級して卒業していった

勿論、その後すぐに政府に就職したメリッサは、現在政治家としてBランク(上から二番目。

アヴォルフォードはAランクの評価を受けているが、同じ評価を受ける者は九名しかいない。

Bランクは80名ほどだが、メリッサはその中でも群を抜いて優秀である)の評価を受けている

これは単純な経験不足故の評価で、実質的な能力はAランク政治家に充分匹敵し

それを証明するかのように、何カ所かの赴任先で、いずれも大きな成果を上げているのだ

「アヴォルフォード卿、お気持ちは分かりますが、この子なら政治任務を無駄なくこなすはずです

それに、通り名から分かるとおりこの四人は非常に仲の良い友です。

一緒に赴任させてあげれば、必ずや貴公に感謝するのではありませんか?

現在赴任している北部マセイユアート地区の仕事は、別にあの子でなくても勤まるはず

やりがいのある仕事を与えるという意味でも、きっと感謝されますよ」

あいつがそんな素直な子供か。 そう思ったアヴォルフォードだったが、政治に私情は持ち込めない

客観的に物事を見れば、この子ほどの適任はいないのだ

他の者達も能力は間違いなく一線級で、しかも手が空いている貴重な存在なのである

やがて、渋々ながらもアヴォルフォードは判子を押した

判子を押した写真は五人分。 一つには純粋な人間の娘が写っていた

 

2,怠惰な研究者との下準備

 

ヴォルモース=ファーゲットは、小さな邸宅に住んでいる。 二階建てで、一階部分が住居

二階部分は全てが書斎になっており、無数の人類に関する書物が、所狭しと収められている

その家に、いつものように客が訪ねてきた。 休日のこの時間帯に訪ねてくるのは、間違いない

訪ねて来た相手を特定し、家の同居人フィラーナは、掃除の手を休めて玄関に走った

「はーい、どなたですかー?」

「わたしー。 フィーちゃん、あけてー。」

やはり、来訪者は、フィラーナの読み通りルーシィだった

ドアを開けると、いつも通り眠そうにしており、目をこすると大欠伸した

ルーシィは、魔界出身のライカンスロープで、頭の上からは猫の者と形がよく似た耳が飛び出している

普通にしていればそこそこに可愛らしいのだが、無造作に伸び放題の赤毛といい

常に眠そうな様子と言い、あまり人間魔族関係なく、男にもてる要素は持ち合わせていない

魔界でも有数の研究者であり、学会で幾つも有名な論文を発表しているが

怠惰な性格だけは、いつになっても直る様子を見せない(ただし、研究に関しては話が別である

他者の追随を許さぬ強烈な集中力を駆使し、精密な論文をまとめる力には定評がある)

一方フィラーナは、今日も動きやすい服にエプロンを身につけ、その笑顔はいつも通り明るい

流れるような銀髪を肩先まで伸ばし、童顔ながらも雰囲気は大人びており

向日葵のような笑みと言うよりは、どちらかと言えば霞草の笑みを常に浮かべている

昔は泣いてばかりであったこの娘も、今は周囲皆に愛される温かい心を育て

自分の仕事をわきまえて、恩人であるヴォルモースの家で生活している

学者としては優秀でも、それ以外のことはさっぱりなヴォルモースに代わり、全ての家事を行っており

かってはゴミの山だった家が、今は清潔と整頓によって支配される空間に変わっているのだ

しかも、神経質なまでに清潔と言うことはなく、中はいごごちの良い場所であった

フィラーナの様子がいつも通りと確認すると、ルーシィは家に入り、いつも通りのことを言った

「ヴォルちゃんは・・・いつも通りね。 昼まで寝てるか

紅茶ない? 今日は砂糖無しがいいなー」

「はい、用意してあります。 茶葉は何にしますか?」

昔、ヴォルモースが一人暮らしをしていたときは、絶対にあり得なかった会話である

魔界東部産の甘みが強い種類を注文し、嬉しそうに猫耳を動かしながら朝の紅茶を楽しみ

気分が一段落したところで、ルーシィは小さな書類を取りだし、目の前の娘に読めと促した

「今日は遊びに来たんだけどねー。 それを見せるためにも来たの

ヴォルちゃんの事だから、まだフィーちゃんに見せてないでしょ」

小首を傾げたフィラーナがその書類をめくると、それは政府からの命令書だった

その中には五つの写真があり、フィラーナの物もあった。 驚く彼女に、猫耳の学者は身を乗り出した

「人間世界に赴任しろってー。 仲良しの五人一緒にね

ま、それは良いんだけど、フィーちゃんはどうする? あの時計爺ちゃん(アヴォルフォードの事

彼は無類の時計コレクターで、親しみを込めて時計爺ちゃんと呼ばれていた)何考えてるんだろーね

絶対命令じゃないから、いやだって言っても良いんだよ? 行けば嫌でも人間に会うんだから」

お間抜けなルーシィは、相手の心に配慮せず、ずけずけと心の傷に触れる事を言った

誰もが認める、明るく優しい心を持つフィラーナも、大きなトラウマを抱えている

彼女は同族である人間が、心の底から大嫌いなのだ

下手に異能力を持って生まれてきた、それだけで両親は彼女を捨て、周囲の者達はあざ笑い

鞭を振るい、石を投げ、魔界の住人であるヴォルモースに拾われるまでは毎日が苦しみばかりだった

案の定、フィラーナの表情は暗く沈み込んでしまった。 ティーカップを持つ手が震えている

鈍いルーシィも流石にまずい事を言ったと気付き、やがて良い解決法を思いつき、立ち上がっていった

「あ、そーだ、今日来たのは、向こうでの生活道具を一緒に買い物しようと思ったからなんだー

いこ、フィーちゃん。 私ねー、可愛いエプロンが欲しいなー! 新しい白衣もー!」

「あ、ちょっと! ・・・分かりました。 ヴォルモースさんには、書き置きを残していきます」

そういうと、フィラーナは、余人の及ばぬ鮮やかな手際で散らかった居間を片づけ、書き置きを住ませ

他の準備も済ませ、愛用のバッグを肩からかけて、微笑んだ

「さ、いきましょう。 可愛いエプロン、捜しましょうね」

 

魔界特有の紅い空の下、二人は幾つかの店を転々とし、必要な物を買い揃えていった

猫耳の学者が、わざわざ買い物にフィラーナを誘ったのには理由がある

この娘、家庭経営の能力がずば抜けており、その手腕は非常に堅実なのだ

自分一人で行けば、余計な物を山ほど買い込み、無駄を大量に出すことを悟っているルーシィは

そういう理由からも、フィラーナを誘ったのである

(無論、友人と楽しい時間を過ごしたいという理由もあった)

少女はその期待に答え、今日も予算を確実に把握し

無駄な買い物を避け、極めて効率的な生活道具集めをしていた

生活用品は殆どが揃い、幾つか趣味を満たすための物も買い、やがて時刻は正午になろうとしていた

大きな荷物を抱えていたルーシィが、何かの臭いを察知して、ふんふんと鼻を鳴らした

やがて耳でも何かの存在を捕らえたらしく、視線をそちらに釘付けにし、フィラーナの手を引っ張った

こう見えても、ルーシィはライカンスロープで、かなりの力持ちである

まるで幼子を引きずるように、どちらかといえば小柄とはいえ

それでも、もう体格的には大人のフィラーナを、片腕で軽々と引っ張っていく

周囲の魔族や妖魔が視線を向ける中、二人はある一点を目指して突き進んだ

「ルーシィさん! ルーシィさんってば!」

「ねーねー、この臭い・・・音・・・間違いないよー!」

興奮した猫耳娘には、痛がって相手の名を呼ぶフィラーナの声など届かなかった

やがて、二人はある店の前に到達した。 独特の臭いと、中から漏れてくる無数の鳴き声

ペットショップである。 魔界産の生物、天界産の生物に混じり

人間世界産の生物も(生存能力が低い物限定で)何種か売られており

ルーシィが胸の前で手を組み合わせ、目を輝かせた。 そして子供のようにはしゃいで言う

「わーい、兎さんだー!」

地上においては強烈な繁殖力を誇る兎も、魔界では生存能力において貧弱な生物に過ぎない

故に、愛玩動物としての、或いは別用途での携帯が認められている

もし逃げても、繁殖能力で劣るため、増えることも生態系を壊すこともできないからだ

実際、逃げた例は幾例か確認されているが、すぐに土着の生物に捕食され、生き残った例はない

その弱々しい生き物を前にして、猫耳の学者は大喜びし、小躍りする

周囲の者達は、その子供のようなはしゃぎっぷりに呆れたり、或いは目を細めたりしたが

フィラーナは違った。 子供のようにはしゃぐルーシィが、何故喜んでいるか知っていたからである

無垢な学者は、触ることが出来るように展示されている兎の一匹を抱き上げ、頬をすり寄せ

目を細めてその様を見る魔族の店員と、はらはらしながら見るフィラーナを前に言った

「かわいい兎さん! ふわふわもこもこー! ゆわらかー! そして、おいしそー!」

そう、この研究者は、兎を食べ物として大好きだったのである

店員が吹きだし、兎は一瞬の硬直の後、死から逃れようと必死にもがいたが

暴れても微動だにしない、強烈なルーシィの腕力からは逃げられず

舌なめずりして目をらんらんと輝かせる捕食者を恐怖を持って見やるしかなかった

無垢と言うことは、純粋に優しいのと同時に、純粋に残酷である

それを代表するかのような性格を持つルーシィは、無邪気に瞳を輝かせ、振り向いた

「フィーちゃん、この子食べたーい! かおーよ、ねー!」

「駄目です。 ・・・その子を買ったら、予算をオーバーします。」

世にも悲しそうな顔を猫耳の研究者が浮かべたが、しぶしぶ兎を囲いの中に戻した

「あーあ、あの子美味しそうだったなあ・・・」

ペットショップを出てからも、まだルーシィは未練を残しているようだったが

フィラーナに睨まれて黙り込み、やがて用事は全て済み、家路についた

「じゃね、フィーちゃん。 出発はあさってだから、準備しててね」

思い出したようにそういうと、学者は自宅へと帰っていった。 まだ日は高く、仕事も多いのだ

家に帰り着いたフィラーナが、門の前にいる人影を見つけた

それは艶やかな黒い長髪を持つ青年で、魔剣<ブラッディクロウ>を、いつものように腰に付けている

「こんにちわ、モルトさん」

「うむ。 貴公も、元気そうで何よりだ」

敷石に腰掛け、何か白い物を食べていた青年、サーガス=モルトは立ち上がり、僅かに笑みを浮かべた

 

3,ニヒルな剣士との下準備

 

モルトは、ルーシィと同じように、魔界出身の強力なライカンスロープである

この青年は元々剣術が好きで、自分の腕を高めることがそれ以上に好きで

愛剣を繰って、何かを斬るのが更に好きだった。 危険な性質だが、抑える事が出来ないわけでもなく

今まで、民間相手にトラブルは起こしていない

もっとも、相手が軍人の場合は、攻撃が必要以上に苛烈になることが一再ではなかったようであるが。

そういった戦闘向きの性格が評価され、若いうちから軍隊に入り

中位天使を主に相手にしながら、鬼神の如き活躍を見せ、幾つもの戦場で華々しい戦果を挙げた

一線を退いたのはある理由からであったが、現在でも性格は変わらず、腕も落ちていない

また、こう言った一芸型の天才に相応しく、ルーシィ同様生活能力が完璧に欠落していた

一時はメイドを雇っていたらしいのだが、余りにも水が合わなかったらしく

現在は一人で暮らしているようである、故に金銭的に余裕はあるようだ

ヴォルモースとの最初の邂逅はよく分からないが、いわゆる<四バカ>のメンバーの中では最も古参で

つきあいは古く、一説にはもう100年以上も交友関係を持っているとかいう

モルトは、家に招き入れようとするフィラーナに

既にヴォルモースに、彼女を借り受けることを承諾させたことを説明した

ルーシィ同様、青年は身支度が下手で、プロ級の家事の腕前を持つフィラーナを頼りに来たのである

「私も生活用具を揃えるのは苦手でな。 是非貴公を頼りたいのだ」

「分かりました。 微力を尽くさせていただきます」

おかしさを堪えながら、フィラーナもわざと堅苦しい口調を創って言った

そうすると、大まじめにモルトは頷き、数秒考えた後に、再び言う

「ところで、地上の生活には、一体何が必要なのだ」

 

この大まじめでクールでニヒルな青年は、デパートなどまともに行ったことが無く

(買い物は殆ど通信販売で済ませてしまうし、それも極めていい加減である

軍の退職金は豊富にあり、金銭面の心配はないが、自宅がどうなっているかは容易に想像がつく)

デパートに入ると、都会に初めて出てきた田舎者のように、物珍しげに周囲を見回した

「ほう。 様々な物が揃っているな

しかし、こんなに沢山の物を、どこから仕入れてくるのだ?」

「さあ・・・とりあえず、買い物を済ませましょう

モルトさんは、苦手な物とかありますか? 空気成分とか、土地とか、空気中の特質性マナとか」

フィラーナの言った事は、魔界生物の中には、そういった物が苦手な種族がいるからである

日光が苦手な者もいれば、大気中の聖属性マナが苦手な者もいる。

そういった弱点は、特に弱い魔族が多く持っているが、まれにモルトのような強者も持っているのだ

体質がそれらの理由で、地上に合わない場合

特殊なマジックアイテムでそれらを中和すれば、活動できるようになる

それらはかなり高価だが、おそらく代金は政府が支給してくれるはずだ

「特に無い。 ・・・私の特性は頑丈なことだ」

フィラーナの説明にモルトは淡々と応え、安堵する様子も見ずに手近にあった石鹸を手に取った

極めて見かけは美しいが、化学物質で合成された物であり、あまり彼の好みではない

表面には、ロックデーモン種用と書いてある

彼ら特有の岩の様な肌でも洗える強力な洗浄力を持つ石鹸であり、人間が使ったら酷い目に遭うだろう

てきぱきと生活用品を買うフィラーナの横で、モルトは幾つか石鹸を物色していたが

やがて天然素材石鹸の前にて足を止め、食い入るように見つめ始めた

魔族の店員が、妖魔の頭が四つある店員と、それを見て不審そうな表情を浮かべたが

モルト程度の美形なら、魔界に腐るほどいる。 やがて、フィラーナは彼の様子に気付き、駆け寄った

「モルトさん、石鹸ですか? ・・・地上の物は、全部天然素材で、ずっと安いと思いますよ?」

「うむ。 それは分かってはいるが・・・前に食べた石鹸が美味しくてな、捜しているのだ

今回の任務は長くなりそうだから、魔界産の石鹸が恋しくなると辛い

流石に、地上までは通信販売も届かないだろうしな・・・」

「メーカーは分かりますか?」

異常な言葉を会話に交ぜながら、二人は普通の口調で会話を行っていた

モルトは元になっている動物が原因で、異常なまでの悪食である

二年や三年賞味期限が過ぎた食べ物など物ともしないし、恐るべき事に好物は石鹸だ

石鹸のメーカーをモルトが思い出したので、フィラーナは妖魔の店員を呼び、在庫を聞いてみた

店員は四つの頭を揺らして在庫を調べていたが、やがてそれを探しだし、四つの石鹸を持ってきた

それはかなりの高級品だったが、全て厳選された天然素材で、<女性魔族用>と書かれていた

「そちらのお嬢さん、人間のようですけど・・・贈り物ですか?

これは生体マナを活性化させる効果がある石鹸で、特に人間とは波長が合わないから

最善でも肌荒れを起こしますよ? 悪ければかなり酷い目に・・・」

「そちらの女性が使うのではない。 私が食べるのだ」

店員が吹きだし、黙り込んだ。 流石に超多民族国家である魔界でも、石鹸を好んで食べる者は珍しい

モルトは四つの石鹸全てを購入し、ご満悦の表情で別の売場に移った

その時、既にフィラーナは日用雑貨の購入を済ませており(家具の支給は決まっているので問題ない)

後幾つかの必要品を捜していたが、その二人に、妙に乙女チックな服を着た少女が駆け寄ってきた

「こんにちわ、フィラーナさん、モルトさん」

「あ、メリッサさん!」

「・・・メリッサ、お前も来ていたのか」

メリッサと呼ばれた、そこそこに整った顔立ちと、ダークブラウンの三つ編みにした髪と

冷酷そうな、冷たい光を秘めた大きな瞳が特徴な少女は

ドレスをつまんで会釈すると、モルトを、目を細めて見つめた

「モルトさん、また石鹸ですの?」

「石鹸だ。 これ程私にとって、美味しい物もないのでな」

メリッサが邪悪に笑い出し、周囲の者達が怪訝そうな視線を向けた

「ふふふ・・・ま、アナタみたいな猪武者には、それがお似合いですわ」

「ふ・・・確かにその通りだ。 ふふふはははははははははははは」

メリッサの言葉の意味を悟ったモルトが笑い出し、それに釣られてフィラーナも笑った

政治家少女はこう言ったのである、自分に必要な下準備をしていると言うことで、結構な話だと

普通の者が聞いたら、ただの痛烈な弾劾にしか聞こえなかっただろうが、彼らの間にそれはない

「貴公の方は大丈夫なのか、メリッサ」

「生活用品はもう揃えましたわ。 後は、少し準備があるのですけど・・・

フィラーナさん、手伝って貰えませんこと? やっぱり手助けは、わたくしといえど必要ですわ」

信頼するフィラーナにメリッサは言い、楽しそうにお手伝いさんは応じた

「ええ。 まずモルトさんの買い物を終わらせて、それにヴォルモースさんに連絡も取らないと」

「もう連絡は取っておきましたわ・・・わたくしを誰だと思ってますの?」

初めて子供らしい表情をメリッサが浮かべ、悪戯っぽく笑った

 

4,政治家少女との下準備

 

メリッサは、貧しい家の出身で、ライカンスロープである

彼女は、人間世界に生まれていたら、ただの貧乏人として暮らし、ろくな人生を送れなかっただろうが

有能な人材を抜擢し、育成する魔界の制度は、メリッサを裕福な生活に押し上げた

初等学校で、メリッサは卓絶した才能を示し、幾つもの学級を飛び級にて突破

政府からの支給品で学費の心配はなくなり、それは彼女の飛躍を更に手助けし、押し上げた

その才能は運動面には向けられなかったが、理系文系共に卓絶した実力を発揮

特に政治学については、他に類を見ない成績を上げ

その結果、10歳で高等政治学校に入学するという快挙を成し遂げた

ただ、彼女は魔界始まって以来の英才というわけではない

高名な、二代前の大魔王ルシファーは、彼女より更に早く高等政治学校に入学したという経歴を持ち

戦闘力においては、全く比較にならなかった

また、メリッサは同世代で最高の才能を持つというわけでもない

丁度彼女の動機には、魔界新世代のホープと言われる魔王アトミシアがおり

此方は純粋な武人ながらも、注目度はメリッサより遙かに大きいのである

ともあれ。 最高ではないにしろ、メリッサの俊英は全く非の付け所もなく

実際赴任先でかなりの成果を上げ、魔界から支給されるその給料は<四バカ>の中で最大額である

メリッサは裕福になってくると、家に仕送りするのは当然のこと、今まで欲しくても買えなかった服

特にフリルやレースがごてごてと付いた服を大喜びして買い集め

それでいながら、貧乏時代の苦労を忘れず、一着一着大事に扱い、日々着ている

今日も、メリッサはそういった服の一着を着ていた

モルトの買い物を終わらせ、家に送り届けると、政治家少女はフィラーナに振り向く

「さ、行きましょう。 最初の目的地は魔界軍第十八師団司令部ですわ」

 

現在、天界においても、魔界においても、大幅な軍縮が行われ

一線級の人材達が、民間へと帰還を始めている。 しかし、軍自体が無くなったわけではなく

未だに、軍属の魔族は非常に多い。 その中でも、地上での戦闘を主に担当していた十七つの師団の内

第十八師団は、軍縮の中、その人員をほぼ保っていた

これは同師団の人員が歴戦の猛者達によってしめられていた、からではない。 その逆である

この師団は基本的に常に予備戦力として活動し、三つの大会戦にも参加したが

前線での死闘には加わらず、主に後方で補給物資の調達、情報の確保に奔走していた

故に大戦終結時にも高い生還率を誇り、現在でもまともに部隊として機能しているのである

これは大戦に参加した部隊の中では、特に珍しいことだ

(酷いところでは十三個の師団が合併されて、ようやく一つの師団に形を整えているのである

師団内で、二人しか生存者が出なかった所さえある)

以上のような事情があり、地上部西部戦線に参加していた第十八師団で情報収集することは

これより地上に出、政治を行うメリッサにとって重要なのであった

そもそも、最初に赴任命令を受けたのは、実のところ彼女である

いきなり知りもしない土地に行って政治をするというのは、大政治家であろうと無理な話だ

下準備をする時間を与えられたメリッサは、赴任地を様々な手段で調べ上げ

既に地形、季節の特性、人口、民衆の特性などは頭に入れてはあるが、それらは机上の知識に過ぎない

実際に当地に赴いた第十八師団の情報将校に、直接話を聞き

知識を机上の物から実際役立つ物へと変えようとの考えから、わざわざ軍の駐屯地を訪れたのだ

無論、その後現地での実地調査を欠かすつもりはない。 より完全な知識を得るためのステップである

様々な角度から情報を得ることにより、政治に役立つ生きた情報が初めて得られる

それはアヴォルフォードの持論であり、メリッサも理にかなうと感じて取り入れた理論だった

歩哨はBクラス政治家(このランクになると、名声だけでは絶対になれない)の身分証明書

それに政府の命令書を見せられ、フィラーナとメリッサを奥に通した

実際問題、現在彼らは暇である。 勿論仕事はあるが、命に関わるような物はないし

かなり大きな中立地帯を勢力境界に創り、なおかつ監視を絶やさないので

此処にいる彼らには、戦闘の危険はないのだ。 もっとも戦闘になっても大した役には立たないだろう

奥にいた情報将校ヴォディス大佐も、メリッサが咳払いをするまでテレビを見て大笑いしていた

だが、流石に任務に気付くと、テレビを消して姿勢を改め、血色の悪い顔で無理に微笑んで見せた

「第十八師団大佐、ヴォディスであります。 何のご用でしょうか」

「メリッサ=ライモンファスですわ。 こちらはわたくしの助手、フィラーナさん

用件は、ごくごく単純な話です、大佐。

アスフォルト皇国南部、ヴォラード地区の情報に詳しい方はいらっしゃいません?」

「少しお待ちください。 ・・・確かあの地区には・・・」

しばらくヴォディスは考え込んでいたが、やがて一人の年老いた魔族を呼び出した

年老いたとはいえ、さほど賢そうに見えぬ魔族は、きょとんとした顔でメリッサとフィラーナを見つめ

やがて、はげ上がった頭をかきながら言った

「なんじゃのう・・・ここは魔界じゃったはずじゃが・・・人間の娘っこがおる・・・」

「フォドン大尉、此方は政府派遣のBランク政治家メリッサ殿、こちらはその助手のフィラーナ嬢だ

ヴォラード地区の情報を聞きたいと言うことだ。 では、私は任務がありますので、よろしく頼みます」

言うだけいうと、素早く敬礼し、ヴォディス大佐はその場を後にした

この老魔族が最近特にぼけてきており、ろくな情報が聞き出せないことを知っていたからである

それは決してメリッサへの嫌がらせではない。 自分が恥をかくのを避けるための行為であった

状況を即座に理解したメリッサであったが、ここで引き下がるわけには行かない

彼女は矢継ぎ早に、論理的な質問をしたが、老魔族は質問の意味を理解するどころか聞き取れず

あげくに立ったまま居眠りまで始め、若き政治家を激怒させた

「このボケ老人が! わたくしをなめるとは、良い度胸ですわ!」

「まって、メリッサさん。 私に少し時間を頂けません?」

机に両手を叩き付け、両目に炎を宿らせるメリッサを、フィラーナが柔らかい言葉で受け止めた

そのまま、メモ帳を開くように視線で促し、老魔族の前に座って話し始める

「こんにちわ。 こ・ん・に・ち・わ。 分かりますか? 私は、フィラーナといいます」

「あー? あー、ああ。 分かるぞ。 こんにちわー、ふぃらーなお嬢ちゃん

さっきのー、言葉は早口でー、ようききとれんかったが、お嬢ちゃんのー、言葉は、わかりやすいのう」

微笑みを浮かべると、フィラーナはまず、地上はどういうところだったか

どういう闘いに参加したか、それに好きな場所はどこだったか、順々に根気強く聞いていった

老魔族は、最初はしどろもどろだったが、話し相手になってくれることが嬉しかったらしく

実は豊富な知識を疲労して、様々なことをフィラーナに語った

やがて話はヴォラード地区の事に移ったが、老魔族は最初だだをこね、だがやがてそれを話し始めた

「しゃあないのう・・・後でミスラクト地区の話も聞いてくれよ?

あの地区はなー、ワシの赴任した所でー、一番酷いところじゃった

遊牧民系の先住民とー、農耕民族系の先住民がー、長いこと争ってての

それに目を付けた領主が、政治をやりやすいように対立を煽ったモンじゃから、収集がつかなくてな

主に街には遊牧民系の連中が・・・山には農耕民族系の連中が集まったんじゃ

今はもう、遊牧民達も、昔の生き方なんぞすっかり忘れちょるが、畑を耕す事には抵抗があるようでの

魚取ったり、外で家畜飼ったりしちょるが・・・街は活気が無くて、半分スラム街じゃ

農耕民族の連中も、焼き畑やっとた様な奴らじゃし、皇国のアホ共は彼らにろくな技術なんて

おしえんかったからな・・・綺麗な山は日に日にあれてって、もう見る影もない」

メリッサが目を光らせ、素早くペンを動かし始めた。 全身を耳に、老魔族の言葉を聞き始める

これだから、彼女はフィラーナを連れてきたのだ。

鋭すぎるメリッサには出来ない事を、優しい言葉で成し遂げる

老人の言葉は、生きた知識だった。 自身で体験した事を元にした、生きている言葉だった

それを受け、メリッサの中の情報が更に精度を増して行く

しかも、以外にも最近の出来事に詳しく、メリッサを驚嘆させるような情報もあった

周囲の地区情報も、メリッサには有り難かった。 五時間ほど時間をかけ、老魔族は楽しげに話した

彼が満足するまで話させると、メリッサはフィラーナを連れ、老魔族のアドレスを確保した後

名残惜しそうに見送る老魔族に手を振り、軍キャンプを出た。

「フィラーナさん、感謝いたしますわ。 じゃ、明日、会議で会いましょう」

それだけ言うと、政治家少女はフィラーナを家まで送り、自分も帰路に就いた

既に日は傾いており、周囲は暗くなっている。 そして家では、ヴォルモースが待っていた

「大変だったね。 もう休みなさい。 後は私がやっておくから」

いつも通り優しい言葉が、自然に学者の口から発せられる

その下心無き優しさに、いつものように嬉しさを感じたフィラーナは、今日ばかりは甘えることにした

「はい、わかりました。 明日の会議のために、朝、準備もしなければなりませんものね」

家の明かりは、やがて消えた。 翌日は、更に忙しい日が来る

それは嵐の前の静けさと言っても良い暗闇で、翌日の激しさを予想させるかのような日の終わりだった

 

5,会議を回す

 

翌日。 ヴォルモースの家には、朝早くから掃除と資料を整理する音が響き

ほどなく、「四バカ」のメンバーが家に集まり始めた

最初に家を訪れたのは、やはりルーシィ。 次いでモルトが門戸を叩き、最後にメリッサが現れた

この順番は、暗黙の了解に近く、いつも変動しない。 怠惰ながらも時間にはまめなルーシィ

クールでニヒルながらも、時間には若干いい加減なモルト

そして時間には正確なのだが、常に下準備をかかさないため、結局待ち合わせ時間を遅れるメリッサ

この三人の性格が上手い具合に作用して、こういう結果が毎回もたらされるのである

かってゴミの山だった居間は、現在綺麗に片づき、会議用の大きなテーブルが出され

各人用に、それぞれ好みの食べ物と飲み物が出され、良い香りをたてている

モルトには魔界西武産の豆を使った濃いコーヒーが、メリッサとフィラーナは甘みを抑えた紅茶

それにルーシィ用には、先日と同じ茶葉の紅茶が出させ、主賓の到着を待っている

主賓と言っても、この家の住人であり、しかも今十メートルも離れていないのだが

ねぼすけなこの男にとっては、その距離をこの時間克服するのは大変なようで、まだ現れない

他のメンバーが終結してから一時間が経過。 皆が退屈しだしたころ、ようやく主賓が現れた

階段を引きずるような音がして、二杯目の紅茶を飲んでいたメリッサが振り向いた

「よーやく起きてきましたわね、ねぼすけ学者が」

その声に反応するようにドアが開き、ヴォルモース=ファーゲットが姿を見せた

 

ヴォルモース=ファーゲットは、魔族が天界から来るより先に魔界に先住していた種族

<妖魔種>の一員で、その中でも特に珍しい<ウィップテイル・イビルアイ>種の一人である

全体的な体のフォルムは蜥蜴に似ているが、一目見ただけではそれとは到底思えない

本来頭がある位置からは、一本の長い突起が上に伸び、その先端には大きな目玉がついている

その長く大きな、蝸牛の物にも似た目の周りには、睫のような感覚器官が数本生えており

胸に当たる部分には、小さな目が無数についている

そして口があるのは背中に当たる部分だ。 鋭い牙が生えた、円状の口の周りには、触手が無数に生え

その内の一本は特に華奢で、空気を振動させて音を発生させる、つまり喋るときに使用される

残りの触手は食事や物書きにも使用できるが、それほど大きな物はつかめない

何故なら、この種族は草食で、動物を捕食する必要はないからである

足は蜥蜴と同じように体の横についているが、その見かけはむしろ昆虫のそれに近い

後ろの三対は歩行に使われるのだが、細く短い何本かの触手がついた一番前の足は

器用に動かして、人間の手のように扱う事が出来るのである

そして、種族名の由来にもなっている<鞭の尻尾>。 体の後部に伸びた尻尾は、二メートルにも達し

上部には細かい突起が無数に生え、歩くときはこれを波打たせて進むのだ

全体的に青みがかかったフォルムは、魔界ですら異相である。

フィラーナは、初めてヴォルモースを見た時失神してしまったが、別にそれを恥じることはないだろう

ドアを開けた学者は、寝ぼけ眼を触手の一本でこすりながら、専用の長い、長すぎる椅子に座った

そして、フィラーナが素早く用意した紅茶を、背中の口に運んで一口啜り、それから発言した

「みんな、良く来てくれたね。 早速・・・といっても、私の寝坊で随分時間が経ってしまったが

ともかく、身内会議を始めよう。 議題は勿論、地上行きの事についてだ」

皆が一様に緊張する、ヴォルモースの言葉には静かな威圧感と、それ以上の強制的でない牽引力があり

誰もが彼の言葉を聞くと、そのカリスマの前に黙り込むのである

咳払いをすると、ヴォルモースは突起の先の目をメリッサに向けた

「じゃあ、メリッサ。 何故今回こういう状況になったのか、説明してくれないか

私たちが、しかも全員が選ばれた理由、それに事件の背景・・・君はもう推察しているのだろう?」

「ええ、お察しの通り。 少し長くなりますけど、よろしいですか?」

そういって、政治家少女が視線を周囲に向けると、皆は頷いて一言ずつ承認の言葉を述べた

「私は構わぬ」

「うん、わかりやすく説明してね」

「お願いします、メリッサさん」

皆の視線と期待を受けたメリッサは、満足げに微笑むと、静かに状況を話し始めた

「まず、何故わたくしたちが選ばれたかを話さねばいけませんが

それには、何故、両政府が地上世界に大使館を創らねばならなかったかを説明しなければいけませんわ

一言で説明すると、様々に不便だからです。

いずれ他にも機関は創られるでしょうが、大使館が創られた理由は、第一に両陣営の政治干渉の監視

・・・よーするに、どっちかの陣営が、抜け駆けして地上世界に政治監視するのを防ぐためですわ

それには、地上に直接大使館を建てておかないと、不便でしょうがないのです

逆に、人間の国家によるこざかしい干渉を監視する意味もあるのですけど・・・」

「センセ、質問。」

手を挙げたのは、ルーシィだった。 今まで、論文を創るとき同様の集中力を発揮し、話を聞いていた

「どうぞ、ルーシィさん」

「両陣営は戦争で疲弊しきっちゃって、もうそれどころじゃないんじゃないの?」

「同感だ。 両陣営は、もう経済的にも軍事的にも

戦略的に価値が薄い地上世界に手を出す余力はない、のではないかな?」

口々に言うルーシィとヴォルモースの言葉に鼻を鳴らしたメリッサ、内心で感謝しながら呆れて見せる

こういう至極基本的な質問は、自分の考えをまとめるためにも有益なのだ

「一言でその答えを説明すると、念のため、ですわ

幾ら地上世界が力弱いといえど、政治干渉のやり方次第では、有益な資源や人材を引っぱり出せる

戦争中、わたくしたちがフィラーナさんをひっぱってきたようにね

天軍も、地上世界で知られていないタングステンの鉱山を掘らせて、自分の所で使ってましたし

故に実際の干渉が無理だと分かっていても、互いの干渉を監視し、ブロックする為の場所が必要となる

わたくしたちは、いうならば主核です。 ・・・赴任すれば、互いの動向がどうのとか

情報を、山ほど裁かなくてはならなくなりますわ」

「うえ、大変そう・・・」

口に手を当てたルーシィ、彼女はこれからプロの監視員(つまりスパイ)や

低高度無人魔導監視衛星からもたらされた情報を裁く手伝いをすることを実感し、青ざめた

実際には、両陣営はお互いに地上に対する干渉行動を出来ないと条約を取り交わしているし

また、やむを得ずする場合にも、互いの大使館に連絡を入れねばならぬと決めてある

スパイは大使館同様念のために派遣される。 もう両陣営に戦争などする余力はないし

至高神が滅んだ今、その必要もない。 万が一、秘密裏の干渉を行っても高い確率でばれるし

ばれれば外交問題に発展するし、発展すれば、両陣営に確実にマイナスになる。

どんな過激派の阿呆でも、それくらいは理解できる

後は、それすら理解できない正真正銘のバカを見張ればいいのだ

地上で互いを監視する大使館が創られる以上、何かすればばれる可能性は非常に高くなる

念のためとは、国家レベルでの、非合法行為のリスクをあげる事でもあるのだ

ルーシィにそこまで追加して説明すると、メリッサは一旦言葉を切り、本題に移った

「では、何故わたくしたちが派遣されるかですけど、簡単に言うと見栄の張り合いですわ」

政治家少女を除く全員が同時に吹き出す、唖然とする皆の中で

最初に精神的な体勢を整えたヴォルモースが、足の一本を挙げて発言した

この男は、リーダーの役目をきちんと心得ている。 分かりにくい話が出ると、率先してそれを聞く

それによって、他の者がどれだけ安心するか、事態が収束に向かうか、良く知っているのである

「・・・両陣営に、見栄の張り合いだの、念のためだので、人員を派遣する余裕がこうもあるのかい?」

「無いのを、隠すためにこれを行うのですわ。 まず、それぞれの役目を説明いたしますね

ヴォルモースさんは、我らがリーダー。

政府はヴォルモースさんの、統率力と人望を高く買っています、我ら全員認めるようにね

そして、政府は内外に知られた人物を派遣することで、天界には自分たちの余力を示し

魔界には本腰で自分たちが取り組んでいると言うことを示す、と言うことですわよ」

苦しい生活に、長期間の妖魔種と魔族の戦争、天界との慢性的な戦争をこなしてきた魔界は

民衆の末端まで、リーダーの役割を知っている。 要は人材の特性を引き出し、やる気にさせ

まとめあげ、的確な情報を見分けて決断することの出来る人物がそれに相応しい

本人がその事柄に通じている必要はなく、通じている人物を使いこなせればいいのだ

皆が満足げに頷き、そしてメリッサは一旦紅茶を飲み、のど飴を噛み潰して飲み込み、言葉を続けた

「わたくしは政治の専門家として、各国の動向を監視して天界の干渉がないか調べ

それにもう一つ仕事をこなして、わたくしの手腕そのもので天界大使館を牽制することですわ」

「もう一つの仕事とは何かね?」

「それは次の説明で。」

ヴォルモースの義務的な追求に対し、メリッサはあっさり応えた。 義務に義務で応えただけである

「続けますわ。 モルトさんの仕事は、わたくしたちの護衛です

現在、条約で地上世界への総能力合計千二百万以上の存在、つまり高位魔族及び熾天使

それに下級以上の神族の派遣は禁止されてますけど、中級天使を相手に戦績を重ねたモルトさんは

たとえそれを相手にしても、監視衛星がそれをキャッチし

援軍の高位魔族か魔神が現れるまでは、確実に持ちこたえられます

これによって、相手の奇襲を防ぎます

ちなみに、天界側の大使館は、護衛官としてフェゼラエルを派遣したそうですわ」

「フェゼラ・・・奴か。」

モルトが形の良い顎に指を当て、深刻に考え込んだ。 何度か対戦した相手であり、実力はほぼ五分

向こうも同様に、高位魔族に奇襲されても大丈夫な護衛を選んだことになる、当然の対応だった

「そして、ルーシィさん。 アナタの役割は、決められた条約、研究者の派遣に基づくことです

つまり、わたくしたちの補助をすると同時に、より効率よく人間の研究をさせる・・・

これは天界との打ち合わせで、政治関係ではない者の派遣を両者で決めているという事情もあります」

「ふーん、そーなんだ。 でも、ほんとにそれだけ?」

<天然>と呼ばれる者にしばしば見られる特徴は、鈍重に見える精神の裏に

異常なまでに鋭い、常人とは違った視点の感性を併せ持つことだ

ルーシィもそれに漏れず、ずばり核心をついた。 メリッサは笑い、その鋭い感性に応えた

「流石ですわね、ルーシィさん。 その通り、アナタには他にも仕事があります

まあ、それについてはまた、二人の時に話しますわ」

「・・・一息入れよう。 三十分後、また始めてくれるかな?」

皆の疲労を察したヴォルモースが挙手して言うと、全員が納得し、場は静寂に包まれた

 

話の間、フィラーナはずっと周囲の世話をしていた。 水の減ったコップを取り替え

おしぼりを渡し、メリッサにのど飴を渡したのも彼女だった

周囲の者達は、会議が円滑に進むのは、ヴォルモースとフィラーナのおかげだと知っていた

時間はすぐに過ぎ、そろそろ昼になろうとしていた。 会議は再開された

「では、最後にフィラーナさんが何故派遣されたか、お話ししますわ」

始まったばかりだというのに、場の空気が一瞬凍結したかと思われた

悪い意味ではないが、余りにも不可解な言葉に、である

「え、私ですか? 私はオマケじゃ・・・」

「まさか・・・無駄な人員は出せない。 それはもう絶対の事項ですわ

フィラーナさんは、接着剤として、それに緩衝剤として派遣されるのです」

意味が分からず呆然とするフィラーナ、実際今の言葉を理解できたのはヴォルモースだけだった

「なるほど・・・そういうことか。

フィラーナ、私たちのメンバーは、昔よく喧嘩していたのを覚えているかい?

メリッサとモルト、それにルーシィと私は仲が悪かった。 しかし、今ではそれも殆どない

無論致命的な物は一度もないが、何故だと思う?」

「・・・私、みなさんが喧嘩するのがいやでした

だから・・・みんなが喧嘩しないように、無い知恵を絞って」

困惑する様に応えるフィラーナに、人間で言えば優しい視線を投げかけながら、彼女の保護者は続ける

「我々はスペシャリストだ。 だが、同時に生活能力は揃いも揃って破綻している

コミュニケーション能力も、あるとは言えない。

皆、フィラーナに感謝しているんだよ

仕事云々関係無しに、心から真心を込めて私たちの生活の世話をしてくれる君にね」

「全くだ。 フィラーナ、お前が来るまでの、私の部屋の有様を覚えているか?

私にとって、いや私たちにとってお前はかけがいのない存在だ。 本当に感謝している

メリッサとの喧嘩を出来るだけしないように試みているのも、お前を悲しませたくないからだ」

皆が、青年剣士の言葉に頷いた。 顔を赤らめ、目頭を熱くするフィラーナであった

咳払いをして、メリッサは、その次へ言葉を進めた

「緩衝剤、についてはまた別の機会に話すとして、話を次に進めますわよ

次は、大使館建造における、地上での状況についてお話いたします

地上世界の文明は、まだまだ発展途上に過ぎません

民主主義なんて概念ありませんし、未だに宗教による一元思想が、世界を覆い尽くしています」

「そこがもんだいなのよねー。 でも、それは人間達が解決するべきことだし

無理に技術を進歩させても、精神が追いつかなくては使いこなせないものねー」

頷くルーシィ。 ふと、その時フィラーナは小首を傾げた

彼女は、この猫耳学者の研究を詳しく聞いたことがなかった

一度聞こうとしたとき、別人のように怖い表情になって、駄目だといったのを良く覚えている

それ以来真面目なフィラーナは、一度も学者の研究を調べようとしていない

「単刀直入に話しましょう。 地上世界には、まだ大使館の概念がありません

魔界政府も、天界政府も、一番苦労したのは其処でしたわ」

「やっぱり。 そんな事だと思ったよー。 にゃはははははははは!」

猫耳を揺らして楽しげに笑うルーシィを無視するかのように、メリッサは更に言葉を紡ぐ

「そこで両政府は、地上世界最大の国家、アスフォルト皇国に交渉を持ちかけましたの

大使館と言っても分からないから、交渉の内容は領土の割譲でしたけど

同国の首領、教皇は非常に強欲で好色な男であり

毎日尼僧の控え室と銘打ったハレムに入り浸っているような男でしたので、交渉官は苦労したようです

何しろこの豚、両国政府に美女を所望してきたそうですから」

どっと笑う皆の中で、フィラーナは不快感に顔を青ざめさせていた

きまじめな彼女には、確かに不愉快極まる話だったろう、愉快なはずがない

愚かさを極める君主は、いつの時代も不滅なのだ

特に世襲制の国家と、宗教に支配された国家においては。 まして、その二つが融合していたら。

アスフォルト皇国は、清潔に見える倫理観に後押しされた、非常に一方向的な思想の宗教に支配され

百五十年前に皇帝と大主教の地位が融合、以降は一方向的な倫理概念で国民を統制し

国民の洗脳と、それに基づく支配を円滑に進めてきた国家である

そんな国家だから、仮想敵国で<悪>でもある、異宗教を信奉する別の国家には全く容赦がなく

十七年前の戦闘では、ある国家の住民60万人以上を、神の正義の元虐殺した

他にもこの国が正義の名の下に虐殺した異教徒は、合計で億の単位に達するとも言われ

また政治も老衰し、腐敗しきっているため、ここに大使館を建造することを問題視する声も起こったが

ここより楽に領土割譲を認められる大国はなく、余所の国とて大して差はなかったので、決定したのだ

「まあ、そんな事が認められる訳がありませんものね。

天界政府は教皇に対し、天罰が墜ちるとか何とかいって、脅しで領土割譲を認めさせたそうですわ

魔界政府は、喰われても良いのならという条件を付け加え(確かに、人肉を食す魔族もいる

人肉だけしか食べられないという偏食な種族はいない、いたら魔界では軟弱すぎて生き残れない)

怯えきった教皇は、一も二もなく領土割譲を認めたそうです」

「はっはっは、あの嬢ちゃん(キュフェルザのこと)らしいな

・・・と言うことは、メリッサ。 お前のもう一つの仕事は・・・」

モルトの言葉に起因する、全員の視線を受けながら、メリッサは鼻を鳴らした

「ふっ、その通り。 当地の政治を担当することですわ

腕が鳴りますわ・・・ふふ・・・しかも当地は非常に貧しく、民族対立が耐えぬ土地

わたくしの手腕を更に強化する、良い、良すぎる機会の到来!」

目に狂喜を浮かべるメリッサを見て、ヴォルモースは<時計爺ちゃん>のもう一つの思惑を理解した

要するに、手に負えないこの天才少女に、恩を売ろうというのだろう

メリッサは冷酷だが、音を忘れる事は決してない。 少なくとも、絶対に感謝だけはするだろう

そうすれば今後は、少しは扱いやすくなる、良く気持ちは分かる事だったが

「というわけで、この土地の統治はわたくしが担当いたします

ふふふふふ・・・楽しみですわ・・・人類に真の政治を見せつけて差し上げます!

ふふ・・・ふふふふふ・・・・ふふふふふふふふふふ・・・ふふふふふふふふ・・・・!」

完全に遠い世界へ行ってしまっているメリッサ、彼女は確かに政治家に適任だっただろう

何しろ、政治をこんなにも好きで好きでたまらないのだから

呆れる皆の前で、メリッサは三十分以上も笑い続け、やがて我に返って咳払いした

「えっと、後我々がセットで派遣される理由は、チームワークを重視してのことだと思われます

前の任務の時も大きな成果を上げましたし、我らのコンビネーションは高く評価されているのでしょう

それに、余剰の人材がわたくしたちしかいないという事情もありますが」

他にも、メリッサは今後の細かいスケジュールをいい、大使館は既に建造され、完成していること

ヴォルモースの蔵書は、残さず向こうへ持っていけること

ルーシィ用に研究所も創られるていること、食料は現地調達の他にも支給されること

各に部屋が用意されていること、間取りや外観の写真が提出され

それに予算、当地の気候、他様々を説明すると、流石にまた疲労の色が濃くで始めた

だが、もう必要事項はそろった。 これだけの情報があれば、問題なく当地に赴くことが出来る

「・・・大体、以上で終わりかな?」

ヴォルモースの言葉に、メリッサは頷いた。

着席した政治家少女は、フィラーナが差し出したタオルを遠慮なく受け、深く椅子に腰掛け汗を拭いた

「みな、わかっているな? 出発はあさってだ

明日政府の配送業者が荷物を取りに来る。 あさっては、一日がかりでゲートへの移動

事実上、休みは今日で最後だと言っていい。 しばらく魔界には帰れないから、何かすることがあれば

今の内に、やっておいた方がいい。 だから、会議は終わりにしよう」

「いや、関係ない。 だからこそ、今日は一日、この家でゆっくり過ごそう

フィラーナ、それが我々としては一番良いと思うのだが、どうだ?」

メリッサも、ルーシィもその言葉に頷き、フィラーナを見た

「分かりました。 ・・・美味しい紅茶を入れますね」

彼らが信頼する人の子の娘は、笑顔でその期待に応えたのだった

 

6,いざ地上へ

 

ゲートとは、かって地上世界の大魔導師が、異世界への扉として創りだし

偶然魔界とつながってしまい、その後は天界ともつながってしまい、後の争乱の原因となった物である

一度つながってしまった空間は、魔界の優れた魔導技術で安定し、今は自在に物体の送り迎えが出来る

既に荷物は完成し、膨大なヴォルモースの蔵書も、随時ピストン輸送されていた

人間や魔族を輸送する場合は、空中魔導戦艦のような<ポット>を使う

昔は貨物船のような空間で、殆ど身動きできなかった様子だが

現在の技術では普通の電車くらいの快適さである(つまり、あまり快適というわけではない)

ポットに乗り込む際、五人はそれぞれに呟き、魔界を見やった

「行って来るよー。 ま、すぐに帰ってくるね」

ルーシィはそういい、<ポット>に駆け込んだ。 続いてモルトが、愛剣と共に乗り込む

「ふむ・・・地上に、私の相手になるような者がいればよいのだが

せめて斬りがいのある物体があれば、気も晴れるのだがな」

「ふっ、これだから戦闘バカは。 待ってなさい、人類!

このわたくしが、あなた方に政治が如何に美しいか、とくと見せつけて差し上げますわ」

メリッサが乗り込むのを見ると、ヴォルモースもポットに乗り込んだ。 荷物は最小限である

最後に残ったフィラーナは、魔界特有の冷たい風に、髪がなびくのを任せていた

そして、ヴォルモースの家がある方を見つめ、やがて呟いた

「いかに私が暮らすには過酷でも・・・ここ・・・魔界は私の故郷です

必ず帰ってきます。 だから・・・その時は暖かく迎えてください」

<ポット>に乗り込むフィラーナは、もう一度家の方に振り返り、名残惜しそうに溜息をついた

他に護衛用のグレーターデーモン三名、アズバルト、ゲスールル、ドルハイツが乗り込み

空間を超え、<ポット>は異世界へと赴いたのである

強制的に平和を持続させるために創られた大使館。 やがて、魔界大使館では、天界大使館も巻き込み

アズフォルト皇国全土を焦土と化さんとする謀略に接することになるが、それはまた後の話である

冷酷非情なメリッサにとって、人間嫌いなフィラーナにとって、大きな転機となり

ある無骨な将軍、その娘の運命を変えることになる出会いは、すぐ其処にまで迫っていた

                                    (続)