鬼と言うもの

 

序、正体分からぬそれ

 

妖怪というのは訳が分からない存在だ。

訳が分からないからこそ妖怪とも言える。

私はその山を調査して、降りてきてから。困り果てて、どうレポートをまとめようか難儀していた。

その山には、凶悪な鬼の伝承があるのだが。

これが兎に角分からないのである。

鬼とは。

そもそも何か。

最初、鬼と言う概念は、大陸から渡ってきた。

その時は、正体が分からない何か霊的なモノ、くらいのものに過ぎなかった。

それは良く知られているのだが。

仏教の伝来によって。

鬼は多様に変化した。

そもそも地獄の獄卒として。

或いは、様々な邪悪な存在として。

そして、昔話では。

定番の悪役を務めるようになって行った。

天狗や河童が悪役をする事もある。

違う妖怪が悪役をする事もある。

だが鬼が出てくる場合は。

必ず大立ち回りになるし。

強大な敵として立ちふさがることになる。

天狗の場合は、邪悪では無く強い力を持った神の一種であったり。河童の場合は知恵比べでどうにかなったりするが。

鬼の場合は、余程の英雄を連れて来て。

特別な道具を使わないと倒せない。

そういう存在に成り代わっていったのだ。

だが、それは何故なのか。

それが分からない、

私は大学で民俗学を教えているが。

鬼については。

教授になった今も、正直何がどうしてこうなったのか、良く分からないと言うのが結論である。

そして今山にある集落で調べてきた伝承も。

意味のわからなさ加減では。

今まで見てきた伝承と、大差ない代物だった。

困り果てて。

私はタバコを一服しようと思ったが。

薄汚れた白衣のポケットにはタバコはもうない。

禁煙したのだ。

それも忘れて、タバコを取り出そうとはしてしまった。

どうしても癖は身についている。

仕方が無いので、ガムを出そうとして。

それもない。

最近はソフトキャンディが主流になって来て、ガムは殆ど売られなくなってきた。確かに食べるとゴミが出るのは致命的だし。それにソフトキャンディはとても美味しい。理由は分かるのだが。

ガムはガムで良さがある。

舌打ちすると。私は結局ソフトキャンディを取りだし。

乱暴に包み紙を剥がすと。

中身を口に放り込んでいた。

しばし乱暴にソフトキャンディを噛んでいると。

メールが飛んでくる。

「利根川先生、首尾はどうでした?」

「どうもこうもありませんわよ。 意味が分かりませんわ」

「はあ、そうですか」

「切りますわよ」

私は他人と喋るとき、こんな訳が分からんお嬢言葉になるが。

これは親が私に一切構わず。

漫画しか与えなかったからだ。

その結果、漫画のキャラの口調が移ってしまい、それが抜けなくなった。

結局学校でも孤立したし。

随分虐められたが。

おかげで学業に専念し。

そして大学教授にまでなれた。

とはいっても、よその国で教えるほどの知識は無い、しがない民俗学者だし。給料だって良いとは言えないが。

それに、女子力ゼロの容姿と、お嬢言葉のギャップが凄いらしく。

お嬢教授とか言われていて。

生徒の間には、私が豪邸に住んでいるとか言う噂があるらしいが。

残念ながら私は団地出身で。

今も安アパート暮らしだ。

とっておいたビジネスホテルに泊まると。

ベットに横になる。

無駄にあるタッパのおかげで舐められる事はないが。

その代わり、男も寄ってこない。

これでモデル並みの美貌だったら良かったのだけれど。

生憎平凡な容姿しかない。

オツムと体に栄養が行った分。

胸には栄養が行かなかったのだろうし。

モデル体型とは何処の世界の話だろうと、自分の体を洗っていていつも思う。

ともかく、山歩きでつかれたし。

メモを見て内容を復習する。

「笹に宿る鬼、ねえ……」

伝承に残る鬼とは、豪快なものだ。

本来の、大陸伝来の鬼とは違い、いつ頃からか民話に残る鬼はそういう存在になって行った。

西洋の悪魔と比べる例もある。

だが、実際には、仏教で言う鬼はただの獄卒であって。

怖れられることはあっても、邪悪な存在では無い。

夜叉や羅刹といったいわゆる「悪鬼」「鬼神」の類も、それぞれが仏教では仏門に降っているし。

有名な第六天魔王でさえ。

そもそも天国の一つ、「第六天」の支配者である。

第六天魔王の支配する第六天に至っては、文字通り天国としか表現しようがなく。

其処に住めるのなら土下座して頼みたいほどの場所だ。

仏教における最終目的である「悟り」を阻むから忌み嫌われるのであって。

実際には邪悪なわけではないのだ。

鬼も同じ。

獄卒が舐められたら話にもならないので。

怖いだけの話である。

だが、それにしては。

日本の昔話に出てくる鬼は色々とおかしい。

いわゆる酒呑童子などは、三大妖怪の一角に数えられるほどだ。

だが、それらは不思議として。

いずれも退治されている。

日本で真に怖れられているのは、いわゆる三大怨霊などの、元が人間だった怪異なのであって。

元から人間ではない妖怪は。

本当に怖れられる存在ではないのである。

少なくとも、「昔は存在して」、「退治された」ものであったり。

荒ぶる側面を持つ神々だったり。

鬼は退治される役割を担うのだが。

そもこれが今でも分からない。

そもそもにして、怖れられる獄卒である鬼が。

どうして退治されなければならないのか。

今で言うならば。

刑務所で働いていたら、悪党呼ばわりされて、退治されるようなものである。

鬼が解せないとぼやくのではあるまいか。

そも大陸から持ち込まれた概念である鬼は。

仏教においては神側の存在であるし。

悪鬼という言葉もあるが。

そもそもその「悪鬼羅刹」が仏門に降っている事もあって。

祀れば徳を為す、筈なのである。

分からないのは此処からで。

それら理不尽な扱いを受けている鬼が。

どうして此処の山の伝承では、笹なんぞに宿っているか、という事だ。

なお、此処に伝わる昔話は。

以下のようなものである。

ある時、笹に鬼が宿った。

鬼はとても静かだったが、騒ぐと怒り、祟りを為した。

故に笹を植え替え。

鬼が怒らないように、周囲が静かな神社に祀った。

神社に祀られているのは天照大神。

鬼とは本来関係があまりない神だが。

その威光に照らすことで。

鬼を鎮めたのだ。

よく分からないが、天照大神の威光にて鬼は静かになった。

以上である。

類例がない話なので興味は湧くが。

しかしながら、そもそもどうして鬼が天照大神によって静かになるのかがよく分からない。

天照大神と言えば、素戔嗚尊の暴虐に怒って引きこもってしまった、いわゆる天戸隠れの逸話が有名だが。

その時には世界に魔の類が溢れて。

神々は難儀した、と言われている。

しかしながら、日本神話においては、そもそも邪悪という存在はもっと別の表現をされる。

黄泉の住人である者はいるが。

例えば伊弉冉尊に行使された八雷神や。

逃げる伊弉諾尊を追った黄泉醜女なども。

「鬼」とは微妙に違う。

解釈としては同一視できる要素もあるのかも知れないが。

別物だ。

ましてや、光によって周囲を平定する天照大神が、鬼退治をする逸話などない。存在するだけで光が闇を圧倒するだけであって。

ある意味太陽神のあり方に近い。

笹の鬼とは何者だ。

他にも資料をまとめてみるが。

どうも話が少なすぎる。

大半が散逸してしまったか、或いは。

もっと何か闇深い逸話が隠されているか。

しかしながら、そもそも闇深い要素が存在し得ないのである。

更に資料そのものも古く。

この近所から出てきている第三者資料に。

笹鬼の話が出てきている。

これはなんと平安時代の文書で。

この辺りに来ていた役人が書き残したものである。

第三者資料というのは、基本的に関係無い人間が書いたものであるため、客観性が保たれやすく。

その当時から笹鬼という伝承があったのはほぼ間違いないとみて良い。

それも、複数が残っているので。

最低でも平安時代からある古い話であることは、ほぼ確定である。

それは分かったのだが。

そんな時代から、どうしてこんなよくわからん話があるのかが、最高に意味が分からない。

調べるのが学者の仕事だが。

それはそれとして。

はっきりいって面倒くさい。

一時期もてはやされた民俗学だが。

足で探す事。

膨大な資料を調べる事。

いずれもが、時間を大量に消費する大変な仕事である。

特に足で探すのが大変で。

靴の消耗が激しい。

私は風呂から出た後、ベットに寝っ転がると。

あくびをしながら、資料を見る。

どう推理しても。

どんな答えでも。

勝手に関連づけられる。

なお、笹鬼は類例がない逸話だと言うこともあって。

研究した資料もあるにはあるのだが。

どれもこれも大した内容では無いため。

これから本格的に調査するとなると。

結構な手間になるだろう。

先人が道を開いてくれていると。こういう調査はとても楽になるのだけれど。

流石にそうもいくまい。

一眠りしてから、ビジネスホテルを出る。

また山に登るのだが。

今の時期はヤブ蚊もいないのがありがたい。

そもそも大した山では無いし、道路もちゃんと整備されているので、歩いて登るのは苦にならない。

その上この辺りは猛獣も出ないし。

スズメバチさえ駆除が完璧にされているので。

交通事故とか、通り魔とか。

そういうの以外に危険は無い。

つまり人間が一番危ないわけで。

それ以外には危険はないとも言える。

私はそもそも襲いやすい相手には見えないらしいこともあって。

交通事故さえ気を付ければ大丈夫だし。

そもそもそれも、この交通量。

見通しの良い道。

更にいわゆる走り屋が大喜びするような峠道では無い事。

これらを考えると、危険はないと言っても良いだろう。

いわゆる裏道にも属さないので。

変な運転をする車もいない。

たまに三輪オートが通り過ぎるくらいで。

むしろ驚かされる。

三輪オートが此処では現役なのだ。

てくてくと歩いて。

神社に。

神社と言っても若くて可愛い巫女さんなんていない。

寂れた神社で。

年老いた神主が手入れをしている。

その神主も現役引退がいつ起きてもおかしくないし。

その場合は、後は朽ちていくだけだろう。

何処かに合祀できればいいのだが。

そうでなければ、「曰く付き物件」となって、この辺りでは腫れ物扱いになる。

不動産業界では、元神社の物件は特に嫌われるケースが多く。

実際怪談話の舞台になる事も多いそうだ。

まあ事実がどうだかは知らないが。

ともあれ賽銭を入れて。

ガラガラして。

二例二拍手して。

神社を見て回る。

類例がない民話があるという事で、面白い土地なのだが。

神社は三百年ほど前に建て替えられていて。

当時の神社は残っていない。

神体は普通の鏡で。

別にそれほど曰くがあるものではない。

笹は。

一応茂っているが。

別に珍しい品種でもなんでもない。

腕組みして考えていると。

不意に、視線を感じた。

振り返ると、神社の神主だった。

「ああ、学者さん。 賽銭ありがとうよ」

「いいえ、お安い御用ですわ。 それよりも、この笹は」

「ああ、笹鬼さまが住んでおられるでな。 大事にしておるよ」

「……」

笹鬼さまか。

天狗を様付けで呼ぶようなことはあるが。

鬼をそうするのは珍しい。

やっぱりこの民話の主。

普通の昔話で、安易に悪役にされる「鬼」とは別物なのではあるまいか。

だとすると一体何者だ。

少し考え込んでから。

聞いてみる。

「笹鬼という存在を見た事は?」

「わしはないなあ」

「他には?」

「聞いたことは無いなあ」

そうか。

いわゆる「見える人」に見えているものではない、ということか。

まあそれはいい。

しかし、本当に不可解だ。

千年の時を超えた昔話だ。それも類例もない。

此処には一体。

何が眠っている。

 

1、笹影の視線

 

一度大学に戻る。

資料は集めたので、もう滞在する理由もないからだ。ビジネスホテルの代金がかさむということもある。

大学はそこまで金を出してくれない。

ましてや、こんなマイナーな民俗学に。

研究費用など出す物好きな大学などないのだ。

そもそも今は、会社でさえ、自分の所の財産になる筈の研究に金を出さない有様で。この国の未来は暗い。

今回も、学長の弱みを突いて、ようやく金を出させたので。

これ以上の無理は出来ないだろう。

ともあれ。研究室に戻ると。

今まで集めて来た資料を確認するが。

やはり目新しいものはない。

中には、地元で「見える人」やらが、面白い話をしてくれる場合もあるのだが。

それはあくまで「面白い話」であって、何の参考にもならない。

勿論私も。

そんなものは真に受けていない。

今ではすっかり衰退したバラエティ番組の代わりくらいの感覚で。

話を聞いているだけだ。

あくびをしながら、資料のまとめを終える。

ともあれ電子化し。

そして今日は帰ることにした。

電車に揺られて安アパートに。

この時間はそれほどこまないのが嬉しい。

アパートに入ると。

タバコをまた探して。

ないのに気付いて、仕方が無いと、ソフトキャンディを口に入れる。

ぼんやりとソフトキャンディを噛んでいると。

メールが入る。

何かと思ったら、携帯電話の請求明細だった。

嘆息して。

横になると、あの神社について考える。

別に珍しい造りでも無かったし。

何処にでもあるありふれた神社だ。

最も祀られている八幡でも稲荷でもない。

天照大神を祀っている神社はそれほど多く無いのが現実なのだけれども。それはそれとして。

だからといって、レアな神社かと言えばノーだ。

海外の伝承も探ってみるが。

そもそもアジア圏での鬼は、「得体が知れないもの」としての鬼が現役だったり。

或いは地獄の獄卒として、凄まじいまでの恐ろしさで書かれていたりと。

日本の「退治される鬼」とは趣が違う。

ただ。いわゆる「祀れば福を為し、ないがしろにすれば祟る」という性質は共通しているので。

あらゆる神が。

鬼神になり得るのかも知れないが。

類例の話はない。

無害な妖怪はむしろアジアでは珍しく。

日本の妖怪は大人しい方なのだ。

鬼は例外だが。

その鬼の中でも、笹鬼は大した悪事をするわけでもなく。あっさり調伏に成功している。それも、英雄の類が出向いているわけでも無い。

ただ笹を植え替えただけである。

伝染病の類か何かかと思った事もあったが。

そんな病気は無いし。

そもそも、もしも伝染病が起きていたら。

当時の状況では、惨禍は計り知れない。

もっと恐ろしい逸話になっていただろう。

それに、あの笹がずっと神社で大事にされているものだとしたら。

あの品種は、ありふれたものであって。

別に伝染病に関わるようなものでもあるまい。

あくびをしながら、ネットで検索する。

類例がない民話だからか。

一応ヒットはするが。

私が知っている以上の情報は出てこない。

そもそも謎が多すぎる上。

話も短すぎる。

登場人物さえいない。

それ故。

どうして、今まで残っているのかが。

不思議すぎるほどの昔話なのだ。

妖怪の中には、由来がよく分からないものもいる。

最近誕生したものもいる。

だが此奴は、由来がよく分かっているにもかかわらず。

訳が分からないと言う希有な例で。

妖怪というのはそういうものだと片付ける事も出来るには出来るが。

そうするにはすっきりしない。

そういう面倒な存在なのである。

何も収穫無し。

寝ることにする。

とにかく、少しは論文を形にしたいものだが。

何か良い案はないだろうか。

新しい資料でも出てくればいいのだが。

そんな都合の良いことは。

まあ起きる事は無いだろう。

 

一月ほど、講義やら何やらをこなして。

また現地に出向く。

刑事ではないが、いわゆる現場百回である。

現地を見て回ることで。

何か新しい発見があるかも知れない。

なにしろ、現地でさえ、観光名所にしようとさえしていないのである。そうしていれば、少しは調べやすくもなるのだが。

山の方は、住んでいる人も限られているし。

聴取も終わっているしで。

もう調べる事がない。

麓にある資料館に出向いて。

色々と古い本を漁ってみるが。

どれもこれも、関係無い話ばかりだ。

平安時代の後、此処は鎌倉時代前に激戦区になった経緯があるが。

笹鬼の逸話はそれより更に前の話である。

なお、当然争乱の時代には、妖怪なんぞに構っている暇は無いだろう事から。

笹鬼の話は、資料から消える。

しばらくして、ある程度社会が落ち着いてから、またぽつりと笹鬼の話が出てきたりもするが。

本当にぽつりとで。

「そういう話がある」とだけ書かれていて。

詳細についても、内容はまったく変わっていなかった。

ただ、逆に言うと。

何があっても伝えられていたという事で。

興味がある。

現地の人間は様付けで呼んでいた。

資料がなさ過ぎて分からないのが口惜しい。

例えば、資料が無くて分からない事で知られる諏訪の大社に関しても。実際には色々な資料が出てきていて。

それを整理し切れていないというのが現実としてあるし。

複雑な宗教的事情というのもある程度はわかっている。

つまり、資料はあるけれど、混線している状態で。

それを解きほぐすのに成功していないのだ。

こっちは違う。

そもそも資料が無くて。

探しようがないのである。

アラームが鳴った。

舌打ちすると、ボロ車で帰ることにする。

電車を乗り継ぐと、却って時間が掛かってしまうのだ。だから、黙々と自分の車で戻る方が早い。

高速道路で渋滞に巻き込まれるようなこともなく。

夜には自宅に到着。

冷蔵庫を開けるが。

ほぼ空。

疲れた体を引きずって、近くのコンビニに出向いて、適当に弁当を見繕う。

そしてむしゃむしゃしているうちに。

寝る時間が来た。

今日も収穫無しか。

私自身が、そもそも教授として、それほど華々しい成果を上げたわけではない。

ただ大学で教鞭を執っているだけ。

それも、先人の偉大な研究について教えているだけ。

私自身が何一つ偉大な点など無い。

一つでも、何か独自の研究で成果を上げたいものだけれども。

そうもいかないか。

得体が知れないものが妖怪だとは言え。

今回のは一体どうしたらいいものか。

風呂に入って。

フトンに潜り込む。

幸い睡眠障害を煩うほど働いていないし、ストレスも浴びていない。

故に、眠れるのは嬉しい事だ。

私は睡眠障害になった人間を見た事があるが。

あれは地獄だ。

健康である事。

それだけで、幸せなのだから。

 

夢を見た。

予知夢でも何でもない。

夢の中でも私は仕事をしている。

車を運転して、例の神社に。

聞き込みをして。

笹を見て。

賽銭を入れて。

それで神社を出る。

いずれもが、何もかも何の変哲もない。

それにしても、笹の鬼とはどういうことなのだろう。

そう夢の中でまで私は悩んでいる。

面倒くさいなあ。

どうしてこんな研究を始めてしまったのだろう。そうとさえ、思い始めていた。だけれども、やるにはやる。

研究者として、一つでも自分の成果を残したいし。

何よりもこの謎は。

もやもやするからだ。

妖怪か。

私が妖怪を意識したのは、いつの頃だっただろう。

妖怪はどんどん生まれて行くものだ。

近年でも、バックベアードという妖怪は、創作されて有名になり。様々な作品に登場するようになったが。

あれはそもそも、漫画家が創作した妖怪だ。

妖怪の総大将は、日本には存在しない。

凶悪な邪神というと、アマツミカボシくらいしか存在しないし。

そいつにしても、説によっては調伏されている。

三大怨霊にしても、いずれもが封印されている状態であって。

現役で暴れているわけではないのだ。

近年だと空亡という妖怪が有名になって来たが。

これに至っては。

そもそもゲームが出展だ。

にもかかわらず、大妖怪、妖怪の大将として持ち上げられるのだから。

正直妖怪というのは、昔も今も分からない。

仁和寺の坊主を馬鹿にするある話で。

夜道で愛犬に飛びつかれたのを。

猫又に襲われたと勘違いして大騒ぎした、というものがあるが。

正に妖怪の本質とはそれで。

正体さえ分かってしまえば怖いものでもなんでもないし。

人間には勝てない。

更に言えば、人間由来の妖怪の方が。

遙かに恐ろしい。

一体妖怪とは。

何なのだろう。

ただでさえ不思議極まりない存在なのに。

笹鬼は。

一体何がどうして出現し。

そして今に至るまで、語り継がれているのか。

それを解き明かしたいという気持ちは。

確かにまだ、私の中にある。

目が覚める。

大学に出る準備を整えていると、ふと気付く。

デジカメの写真を整理しておかなければならない。

ちなみに私は、心霊写真の類を撮ったことがない。まあ大体の人がそうだろう。当たり前である。

ざっと写真を整理していくが。

その中の一つに。

変なモノがあった。

勿論心霊写真では無い。

妙な違和感がある。

はて、これはなんだ。

しばし見ていて、気付かされる。

これはひょっとすると。

このわけが分からない問題の解決に関する、糸口になるかも知れない。少なくとも、解決につながる一筋の光である事は、間違いなさそうだ。

頷く。

大学に出たら、これをちょっと調べて見よう。

もしも、私の想像が正しければ。

これは大きな発見に結びつくかも知れない。

私は野心から研究をしている訳では無いが。

このすっきりしない気持ちに論理的な説明がつけられるのであれば。

それはそれで嬉しい。

さっそく大学に出る。

研究室に入ると。

写真の解析を開始。

ゼミの学生に適当に話を割り振って。

そして自身は、写真の解析を続けた。

 

2、忘れ去られたもの

 

現地に出向く。

写真から解析できた地点は、既に割り出し済みだ。

まっすぐ行く。

この辺りは、散々足を運んだし。

もう地元も同然である。

駐車場に車を止め。

黙々と歩く。

そして、偶然写真に写り込んだそれを見つけた。

道祖神である。

道祖神は日本中にあるが。

これはちょっと普通と違っている。

本来蛇に関連する神という話もあるのだが。

そういう意味では極めて古い存在になってくる。

ともあれ。

此奴が写真に写ったのは僥倖だ。

何しろ、木々に隠れるようにして。

殆ど原形をとどめていなかったのだから。

或いは意図的に、地元の住民が隠していたのかも知れない。ただ、それも世代が重なるうちに、忘れ去られてしまったのだろう。

写真を何枚か撮る。

やはり様子がおかしい。

普通の道祖神とは、明らかに違う特徴が複数見られる。

まず第一に。

笹が周囲にたくさん植えられている。

あからさまに植生がおかしいのだ。

その笹に隠れるようにして。

道祖神がある。

ひょっとして鬼とは。

これのことではないのか。

しばし見ていると。

地元の老人が通りかかる。

何か探しているのかと聞かれたので、素直に道祖神に顎をしゃくると。その老人は、見る間に青ざめた。

「あれ、笹鬼ではありませんこと?」

「し、知らん!」

「……」

これは、何かあるな。

ひょっとしてだが。

これは地元のタブーか。

咳払いすると。

順番に話を聞いていく。

道祖神にしては様子がおかしい。

そもそも此処は街道に面していないし、人が多く通る場所でも無い。

何より道祖神は、どんと焼きなどの行事に使われることもあるので、人目につくように配置される。

それをなさず。

敢えて路からそらし。

隠している。

意図があるとしか思えない。

それを順番に指摘していくと。

老人は青ざめたまま、逃げ腰になった。

「そ、それには触れてはいけないんだ! 喋っただけで祟られる!」

「祟られるのは私ですし、気にしないでも……」

「お前さんは知らないだけだ! 笹鬼様を怒らせたら、どれだけ恐ろしいか!」

驚いた。

無害な怪異だと思っていたのに。

こんなに現役で怖れられていたのか。

より興味が湧く。

とにかく怯えきっていて話にならないので、神社に出向く。

この様子だと。

神社に移して大人しくなったという逸話そのものが嘘だなと、私は推察したが。まあそれはいい。

賽銭を入れて。

ガラガラして。

二例二拍手して。

そして神主が現れるのを待つ。

神主が姿を見せたので。

早速写真を突きつけると。

神主は、完全にフリーズした。

やはりか。

地元のタブーだな。

今まで、こっちの神社を中心に調べる研究者はいても、あの隠されている道祖神に気付くものはいなかったのだろう。

いや、多分アレは。

私の予想では道祖神では無いが。

ともかく、話を聞くしか無い。

「伝承を正しく伝えるのは大事な事ですわよ。 見るとこの集落、もう限界が近いのでしょう? 下手をすると、その危険な神様が、野放しになりますわよ」

「……!」

「今のうちに、合祀でも何でもした方が良いのでは?」

「い、今までにも、何人か腕利きの祓い屋にたのんだんだ」

祓い屋と来たか。

つまり明確にヤバイ代物だと認識しているというわけだ。

それで、と聞いてみるが。

結果は分かりきっていた。

「わしの曾祖父の代に頼んだ祓い屋は、見た瞬間手に終えないと言って逃げた。 その前に呼んだ祓い屋は祟り殺された」

「だったら、今のうちにもっと腕が利く祓い屋を呼ぶか、或いは祭り上げる方が良いのではありませんこと?」

「どうすれば……」

「三大怨霊の話は知っています?」

頷かれる。

まあ日本人だったらだいたいは知っているだろう。

特にその中でも、最凶と名高い平将門。

現在でも恐怖の逸話が満載であり。

周辺のオフィスビルまで、配慮して配置されているという、筋金入りの祟り神。元実在の人間だとは思えないほどの扱い。

だが、平将門は。

周囲から敬意を払われ。

祀られることによって。

眠ってくれている。

「大きめの神社に合祀すれば、祟り神でも鎮めることが出来ますよ」

「……あんたはそんな伝手があるのか」

「まあそれは」

一応これでも民俗学者だ。

その手の話は良く知っている。

ついでに、ここの神様も合祀して貰うと良いだろうと話すと。

神主は、大きく肩を落とした。

分かっていたのだろう。

既にこの山の集落が、限界だと言う事は。

それだったら、何か手を打たなければならないという事も。

もっとも、私はもう少し穿った目で見ているが。

これほどの恐怖を呼び起こす信仰。

興味深い。

「此処は境内ですし、神様のご加護もありましょう? 詳しい話をしていただけませんこと?」

「そ、その。 誰にも話さないのなら」

「こうしましょう。 大きめの神社に合祀して、祭り上げる所まで私が面倒を見ますので、その後に論文にするのを許可していただきたく」

「……それなら」

老人は、話し始める。

意外なところから突破口が開けたが。

これは興味深い話が聞けそうだ。

メモを取り出す。

そして、レコーダーも。

老人は、周囲を見回し。

特に笹の方を見てから。

本殿に入る。

しばしして、神主は。

話し始めた。

「笹鬼様は、そもそも本当に恐ろしい祟り神でな。 鬼などと言うものではなく、どちらかというと鬼神に近い」

「本来仏教伝来と共に概念がもたらされた鬼神は、祀れば福を為す存在ですわよ。 夜叉や羅刹にしてもそうです。 怖れず続けてくださいな」

「……そうだな。 ともあれ笹鬼様は、古い時代に、この土地においでなさってな。 空から光と共に現れたともいわれておる」

ふむ。

流石に宇宙人というのは安直として。

小型の隕石か何かか。

話の続きを促す。

周囲には知られる事さえ無かったが。

何しろ平安時代と言えば。

名前と裏腹に、都以外は極めて物騒だった時代だ。

多少の事件が起きても。

問題にもならなかっただろう事は、容易に想像が出来る。

ともあれ空から笹鬼様というのが降りてきて。

周囲に害を為したという。

理由はよく分かっていないが。

昔からして、小さな山の集落だ。

此処で被害をどうにかして食い止めなければならないと、考えたのだろう。

生き残ることを優先せず、食い止めようと思ったのなら。

それは立派なことだ。

今の時代でさえ、人間は自分の事を優先して、平然と逃げようとする。

何処ぞの街で連続殺傷事件が白日堂々発生したときも。

犯人の犠牲になったのは、周囲の人達を守ろうと立ち向かった勇敢な人々だった。

逆に言うと、それ以外の連中は逃げ惑うばかりだったわけで。

結果命を落としたのは、自分を盾にしてでも他人を守った勇敢な人々だったのだ。

この時も。

そんな事が起きたのだろう。

珍しくはあるが。

武士なんて概念が出来るのはもっと後の時代だし。

ましてや武士道なんてモノが出来るのは更に更に後の時代だ。

地元の民は、多くの犠牲を出しながらも。

笹鬼様とやらを、神社に封印したそうである。

正確には祭り上げる事で。

その被害を押さえ込んだのだそうだ。

「そこまではよくあるお話ですわね」

「だったらよいのだがな。 何度も言ったが、この笹鬼様は、此処で眠っておられるだけであって、いなくなられたわけではない。 此処の祭神である天照大神様の威光が無ければ、すぐにでも周囲に被害を出すだろう。 さっきも言ったとおり、何度も祓い屋が返り討ちにされている。 お前さんだって、今きっと笹鬼様がもう見ている筈だ」

「祓い屋なんてのはおいておくとして」

実際問題として。

私はそれなりに民俗学の研究をしているが。

実際に怖いのは常に神ではなく人間だ。

信仰なんてのは都合が良い道具に過ぎないし。

人間がそれを利用して、恐怖をばらまいているのが実態である。

空から何かがふってきて。

それが切っ掛けで問題が起きたとする。

それは良しとして。

問題は、何が起きたかだ。

詳しく話を聞いていくと。

祟り殺された、という話しかない。

「喰われたとか、襲われたとか、ではなく?」

「そうだ。 笹鬼様は祟り神なのだ」

「ふむ……」

私の様子を見て。

不可思議そうにしている神主。

妙だなと思ったのだ。

仮にも恐ろしい鬼神扱いされている存在なら。

人間を喰ったりするものだ。

鬼と言えば、大体が人食いの逸話と切っても切り離せない存在。地獄の獄卒でさえ、亡者を喰ったりして責め苛んだりする。

昔話の鬼なら更にその傾向は強い。

それが祟り殺すだけ。

むしろそういう事をするのは。

土着の得体が知れない祟り神。

つまり、大和朝廷が持ち込んだ神々が信仰する前にいた。

古い神々ではないのだろうか。

ミジャグジ様にしても、夜刀の神にしても。

そういった神々ならば、祟り殺すというのなら分かる。

特に夜刀の神は、目撃者を一族まで根絶やしにするという、強烈な呪いを扱う神である。そう。呪い祟り殺すのであって、喰うわけでは無い。

此処に隔絶がある。

もしも人間を積極的にさらって喰うタイプのものとなってくると。

それは祟り神ではなく。

妖怪、鬼神になってくる。

だが、今回問題になっている笹鬼は。

名前の割りには祟り神の性質が強い。

これはひょっとしてだが。

まだ何か、裏があるのではあるまいか。

「何か特徴的な逸話はありませんこと?」

「特徴的というても……」

「例えば姿とか」

「武装した恐ろしげな姿をしているときいておる。 見るだけでおそろしゅうなる鎧武者だそうだ」

待て。

鎧武者。

何だか少しだけ。

分かってきた気がする。

鬼の名前を冠しているのに、鎧武者というのは決定的におかしい。

勿論いわゆる大鎧は平安時代初期にはなかったが。その原型となったものは存在したし、平安時代後期にはほぼ形としては完成していた。この辺りに普及していたかはともかくとして、そういうものを着ていたという事だろう。

ならば何となくだが。

その正体が分かってきた気がする。

隠そうとしてきた理由も、である。

少し調べて見る必要があるだろう。

ちょっと調べる角度を変えれば。

笹鬼の正体が、あっさり分かってくるかも知れない。

「合祀の関係については、此方で手を打っておきますよ。 其方は心配せず、ただ待っていてくださいまし」

「は、はあ。 学者さんや、悪い事はいわん。 笹鬼様を起こしたり、刺激したりするのは避ける事じゃ」

「いずれにしても、この神社は誰も面倒を見なくなりますよ。 そうなったら、笹鬼様はもっと怒るでしょうね」

「それは……」

まったく。

もっと早くに手を打っておけば良いものを。

大体祓い屋なんてのは、ほぼ間違いなく詐欺師だ。

普段怖れておいて。

いざという時にそんなのに頼ろうとする時点で色々とおかしい。

山を下りる。

これは、早い段階で資料をまとめて。

良い論文を書けるかも知れない。

勿論、合意を取った上になるが。

まあ神社の移転費用くらいは、無駄に金を持っている老人達が自分で出せるだろう。

それで彼らが安心できるのなら。

なおさらだ。

訳が分からない祓い屋だのを呼べば、法外な金を取られるだけで。

それで効果がないとあれば。

根本から問題を片付けるしかない。

それだけである。

 

大学に戻ると。

史学の教授に連絡。

笹鬼の伝承が残る地域に詳しい教授を紹介して貰う。

伝手をたどって連絡を入れ。

平安時代の土豪同士の争いについて確認を取ると。

良い資料を紹介してくれた。

早速大きめの図書館に行き。

資料を確認。

司書が面倒くさそうに取り出してきた資料は。

かなりの大きな本で。

それこそ、抱えるようにして運んできた。

貸し出しは出来ないと言われたので。

頷いて、自分でコピーを取る。

重要な箇所を読んでいくが。

結構な手間暇の掛かる作業だ。

だが、意外なところからアプローチが出たところで。

相手の正体が掴めそうなのである。

これは是非。

相手の尻尾を掴んでおきたい。

土着の祟り神については、別にいい。

正体は大体割れている。

問題はそれと、笹鬼がどうしてくっついたか、と言うことであって。

地元でも正体はタブー扱いされていたという事は。

余程の後ろ暗い事情があった、という事なのだろう。

ましてや鎧姿となると。

一般的な鬼とはあまりに違いすぎる。

そもそも昔話に出てくる鬼は。

あまりに巨体。

あまりに頑強。

故に鎧などいらない。

人間が鎧兜などを着けるのは、弱いからであって。

巨体と圧倒的な力を誇る鬼には。

人間と戦うための鎧など必要ないのだ。

それこそ、巨大な鉄の金棒と、トラ皮のふんどしだけで充分。

それは単純に、鬼と言う存在が圧倒的に強いから、なのである。

しかしながら、鬼神となるとまた事情は変わり。

相手がそもそも人間ではなくなるからか、武装しているケースが出てくる。

ただし、鬼神の場合は。

文字通り、神々になってくるので。

そもそも獄卒である鬼とは、根本的に存在が違ってくる。

今回のケースは。

それらがぐちゃぐちゃに混ざっているもので。

地元の民は鬼神と呼んでいるが。

実際には妖怪に近い。

さて、資料を見ていくと。

問題の地区は、笹鬼の伝承が出来たと思われる時期には。案の定、血で血を洗う争いが起きている。

それはそうだろう。

私の予想する正体を後は割り出すだけだが。

幾つかの予想図が出てくる。

何回かの会戦が起きたことも確認。

滅びた家も出ている様子だ。

それらを調べた後。

勢力の興亡について。地図と照らし合わせながら、確認をしていく。

候補を七つにまで絞り込んだところで時間切れ。

本を返して。

自宅に戻る。

後は残業だ。

黙々と、地図を前に検証していく。

しばらくすると、夜半に達していたので。

その日は眠る。

流石に明日、授業があるのだ。

大学教授と言っても、ずっと研究だけしているわけにはいかないのである。

だが、笹鬼の正体については。

ほぼ、結論は出た。

とても気持ちが良い。

謎が解けるというのは。

こうも嬉しい事なのだと。

再確認出来る。

もやもやが続いていた昨今だが。今日は。気持ちよく、ゆっくり眠る事が出来そうで。何よりだ。

少しばかり時間も遅くなってしまったが。

疲れが溜まっていたこともあるのだろう。

すぐに眠る事が出来た。

 

大学での講義を終えて。

研究室に籠もる。

絞り込んでいた候補を大体まとめて。

そして結論。

ほぼ間違いない。

ある人物が浮かび上がってきたのである。

その資料を基に。

現地に出向く。

流石に今日出向くと、真夜中になってしまうので。

実際に足を運ぶのは翌日だが。

それでも、充分な成果を出すことは出来たのだし、個人的には大満足である。

勿論歴史には暴いてはいけないものもある。

眠らせておいたほうがいい存在もいる。

だが、この歴史は。

不名誉な祟り神の名をかぶせられ。

消滅させられようとした者の、名誉を回復させるためのものだ。

勿論現在信仰を守っている人間に罪は無い。

だからこそに。

これについては、はっきりさせなければならない。

翌日、車を出す。

おんぼろだが、それでもしっかり走行距離は伸びている。

きちんと車検にも出しているし、今の時点では殆ど問題も起こしていない。

まだしばらくは。この車が足として活躍してくれるだろう。

軽自動車だが。

それで充分だ。

現地に到着。

神社に出向くと。

神主の老人が姿を見せる。

あからさまに警戒している様子だが。

私が、ある名前を口にすると。

真っ青になった。

やはり大当たりか。

「篠山兵三」

「ど、どうしてその名前を」

「この辺りで、笹の兵三と呼ばれていた猛者だそうですわね。 戦に敗れてこの山に逃げてきて、落ち武者狩りにあって命を落とした。 それも、優しく歓待するフリをして、疲れている相手の寝首を掻いたのでしょう?」

わなわなと震え始める神主。

私は、ふんと鼻を鳴らした。

どうやら、正体は。

祖先の悪行が、形を為したものだったのだ。

「この兵三、この辺りの集落の民のために、命を張って戦っていた義人だったそうではありませんの。 それを裏切って首を取り、敵対勢力に差し出して自分達の命だけを守るなんて、随分ではありませんの?」

「何でそれを知っている!」

「歴史学を舐めて貰ってはこまりますわよ。 兵三さんの資料はあまり多くはありませんでしたけれども、何も名前が残っているのはこの神社だけではありませんのよ」

祟りの正体についても分かっている。

異常気象だ。

いわゆる小氷河期、等と呼ばれる異常寒冷が、歴史上何度か起きているが。

此処の民が凶行を働いた翌年。

もろに直撃したのである。

当然異常気象で収穫は激減。

更には病気も流行しただろう。

大慌てした村の者達は。

慌てて兵三を神として祀った。

祟りだとしか思えなかったのだろう。

何より彼らも。

罪悪感は覚えていたのだ。

根っからの悪党というのもいるが。

全員が全員そうではない。

ここに住んでいる連中は。

強かであっても。

鬼畜外道ではなく。

単に小ずるいだけの連中だった。

それが天変地異に見舞われれば。

恐怖もするし。

畏れに支配されもする。

故に、笹鬼などと言う不可思議な伝承を作り上げ。

祭り上げる事によって。

鬼神にし。

災厄を逃れようとしたのだろう。

そして、鬼神の元になった人物の名前は。

神主の一族だけに受け継がれた。

そも、不思議な伝承として調べようとしたから駄目だったので。

何かしら、論理的な話ではないのかと思って調べて見たら。

ヤブから蛇が出てきた。

それだけの話だった。

「では、合祀の準備は此方で」

「ま、待ってくれ!」

「何か?」

「今のは、本当に禁忌の中の禁忌なんだ! 笹鬼様も、今の話で目を覚まして、怒り狂っておられるかも知れない! 論文なんかにしたら、どんな災厄が降りかかるか、知れたものじゃない!」

何をバカな。

追いすがって来る老人を袖にする。

「もし篠山兵三が怒るのだとしたら、自分を鬼神に祭り上げたあげく、自分達の悪行を隠そうとする事だと思いますわ」

「ま、待ってくれ!」

「待ちません」

「な、何でもする! そ、そうだ! 笹鬼様の鎧がある! それを見せても良い!」

何を言い出すかと思えば。

文化財としては価値があるかも知れないが。

そんなものを見せられて、私はどうすればいいというのか。

眉をひそめている私に。

神主の老人は更に言う。

「ただでさえの限界集落なんだ! こんな恥を知られたら、もはや我等に行く場所なんて!」

「別に山から出て行く必要なんてないですわよ」

「な……」

「神社の合祀の手続きはこっちでやりますし、問題ありませんわ」

へたり込む神主。

そうそう、その鎧とやらも、此方で調べさせて貰おう。

それにしても、だ。

色々な神が各地に祀られている。

八百万の神々とは良く言ったもので。

神として祀られるようになった経緯がよく分からないものや。

多くの神がごちゃごちゃに混ぜられているものや。

なんで神に祀られるようになったのかよく分からないものが。

この日本には。

山のように溢れている。

日本で最も信仰されている八幡でさえ。

どうやら九州由来、という事以外、よく分かっていない神様なのだ。

そんな神様だらけの中。

落ち武者狩りにあって命を落とした義人が。

神様になっていたとしても、おかしくはないのではあるまいか。

車に乗って、さっさとその場を離れる。

言質はとれた。

後は神社の移転と。

それと論文の作成だ。

ふと、視線を感じた。

誰か、此方を見ている。

ひょっとして、笹鬼に祭り上げられて。怒り心頭のまま封じられていた兵三かと思ったけれども。

まさかなと考え直し。

私は道を、事故を起こさないように戻っていった。

 

3、鬼神の正体

 

私の他にも、数名の民俗学者が来ている。

それなりに有名な人物ばかりだ。

神社の移転作業を行う際に、声を掛けたのだ。

地元民は首を伸ばして此方を見ていて。

神主は真っ青に青ざめたまま。

既に、民俗学者達には。

仮作成した論文を見せている。

それらを裏付ける証拠が、この寂れた神社からは、次々に出てきていた。

鎧は、間違いなく千年前のもの。

当時のものとしてはかなり高価な品で。

間違いなく指揮官級の武人が着ていたものだという。

痛々しい傷跡も残っていて。

血の跡らしいものも付着していた。

油断せず、鎧を着たまま休んでいたのか。

それとも合戦で受けた傷なのかは分からない。

ともかく兵三はこの山に逃げ込み。

再起を図るつもりだったのだろう。

しかし、裏切られ。

殺されてしまった。

恐らく、あの謎道祖神のあった場所が。

実際に兵三が討たれた場所とみて良いだろう。

笹が信仰のモチーフにされたのは。

この国ではよくあることだ。

それに、兵三はそもそも、笹の兵三と名乗っていたらしく。

この山の住民と最初から交流があったのなら。

そもそも住民達は、最初から確信犯で、笹をモチーフに祭り上げようとしたのかもしれない。

いずれにしても恥ずべき背信行為であり。

落ち武者狩りで疲れ果てた兵三を殺した後。

偶然訪れた冷害と疫病を。

祟りと考えても、不思議では無かっただろう。

他の神社の神主が祝詞を唱え。天照大神の分霊と。此処に祀られている笹鬼を、自分の神社に移すための準備をしている。

物珍しいのか、たまたまこの近くに来ていた外国人記者が、その様子を写真に収めていた。

まあ、それくらいは兵三も怒らないだろう。

鎧については、大喜びして写真に収めていたが。

それについては、ちょっとむっとするかも知れないだろうが。ただ、流石にこの山の連中に対するほどは怒らないだろうし、放っておく。

祝詞が終わり。

順番にご神体や、鎧などが運び出されていく。

依頼をした神社は、近くにある大きめのもので。

天照大神を信仰している神社なので。

まあ心配は無いだろう。

天照大神を脅かす神など、この国にはアマツミカボシくらいしか存在していないし。

由来からしても、笹鬼はその係累では無い。

ついでに、あの謎道祖神も持っていって貰う。

事情については軽く話してあるので。

相手の神社側も快く話を受けてくれた。

実際問題、霊障だの何だのが起きたという話は聞いたことが無いし。

仮にも天照大神の神社で、そんな事をする不埒な悪霊がいるとも思えない。

トラックが神社から神体を運び出していった後。

神主がまた祝詞を唱えていた。

神がいなくなった後、悪しきものが神社に入る事があるらしく。

それを防ぐためだそうである。

よく分からないが。

まあ好きにやって貰う。

住民達はおっかなびっくり様子を見ていたが。

やがて、全ての儀式が終わったのを見て、引き揚げて行った。

これで笹鬼様の恐怖に怯えなくても良くなる。

そういう声も聞かれた。

神主は真っ青になったまま俯いているが。

放っておく。

彼奴は、ずっと隠してきた悪行と。

これから向き合う義務が待っている。

それは絶対にやらなければならない事であって。

もしも笹鬼となった兵三に祟られるとしたら、あの神主だ。

ならば責任は取って貰わなければならないだろう。そういうものである。

自分の肩を叩きながら。

情報交換をする。

他の民俗学者達は。

私の論文を見て、大喜びしていたし。

今の神社移転の様子を見て、更にはしゃいでいた。

「いやー、利根川さん。 良いものを見せてもらいました」

「落ち武者狩りから生じた鬼神信仰が終わる瞬間なんて、そうそう見られるものじゃありませんよ。 民俗学者をしていて良かった」

「これで貴方も、学会で名が売れますね」

「あまりそういう事には興味がありませんのよ」

外国人記者が来る。

そして流ちょうな日本語で、話を聞いて来たので。

軽く説明をする。

日本の信仰は不思議だと言われた。

苦笑するしかない。

「多神教は、我々が信仰する一神教とは色々違いますが、実際に生きていた人間を神として祀るというのはやはり理解出来ない所が多いです。 記事にしてしまっていいのでしょうか?」

「良いでしょう。 もうこの悪しき信仰は終わりを告げたのですし」

「分かりました。 記事にさせていただきます」

きちんと取材料を私と神主に払っていく記者。

神主は呆然としていたが。

それでもきちんと金は受け取っていた。

それにしても日本の記者とはえらい違いだ。

きちんと取材料を払っていくとは立派だし。

自分を神か何かと勘違いもしていない。

とはいっても、海外の新聞も最近は不祥事だらけだし。

たまたま質の良い記者だったのだろう。

まあ取材にも不満は無かったし。

それで良しとしよう。

なお、取材の様子はレコーダーに残してあるので。

もしもトンデモ記事を書かれた場合は、それを元に告訴してやるだけである。

さて、場所を移す。

移動しながら、軽く話をするが。

民俗学者ならではの話題が出てくる。

特に神格が付与されるような人物では無いのに、祀り上げられるケースもある。

不幸な死に方をしたり。

周囲の顔役だったり。

或いは、何かしらタブーになっている土地での死だったり。

そういった事から。

妙な神様は登場したりするそうだ。

「今回の笹鬼様も、似たようなケースでしょうね。 彼の人生は不幸ではありますが、戦乱の中ではありふれた死です。 わざわざ持ち上げられるほどの話では、本来はありますまい」

「それだけ恥さらしな行動を取ったこの近所の民が、相当に怖れたのでしょう。 実際に「天罰」が降ったわけですし」

「とはいっても、まだ不可解な点はあります」

「?」

一人が、不意に口調を変えた。

周囲に対して。

声を低くするようにして言う。

「いくら何でも、この醜聞を隠しきれたとは思えません。 そもそも兵三は相当な武勇の持ち主であったらしく、周囲の歴史にも記憶が残っています。 ましてや落ち武者狩りをした後、どうして鎧などを売り払わずにとっておいたのか。 首だけ差し出して恩賞を受け取るにしても、妙な話ではあります」

「確かに妙ですね」

「余程祟りを怖れたにしても、鎧を残しておいたのは何故なのか。 足がつくと考えるにしても、幾らでも手はあったでしょう。 ましてや殺し合いが日常の当時の民にしてみれば、人の命なんて奪っても何ら罪悪感など覚えなかった可能性も」

「……」

そういえば。

何故だ。

どうして、笹鬼は。

此処まで怖れられた。

幾つか仮説を立ててみる。

例えば、凄まじい抵抗で、落ち武者狩りの人間を多数殺傷した場合。

いや、これは考えにくい。

負け戦で疲れ切っていた状態だ。

酒でも与えられれば。

あっという間に寝込んでしまっただろう。

そうなれば、殺しになれた当時の民なら。

簡単に殺す事が出来たはずだ。

では、呪いの言葉でも吐いたのか。

殺される寸前に意識を取り戻した兵三は。

周囲にこうとでも叫んだのか。

裏切り者。

恥知らず。

貴様らを末代までも呪ってやろうぞ。

その言葉通り、翌年に大冷害が発生。疫病も起きた。

そうなれば、流石に。

人を殺すことを何とも思っていない輩でも。

迷信深い当時の民だ。

恐怖するのは不思議では無い。

或いは、誰かしらが兵三の幻覚でも見たか。

これは可能性がある。

人間の脳みそはいい加減だ。

無いものが簡単に見えたりする。

悪しき行いで手に入れた富に、罪悪感を覚え。

幻覚という形で、兵三を見ても不思議では無いだろう。

だが、何かが違う気がする。

決定打が足りないような気がするのだ。

一体何だ。

腕組みして、考え込む。

そして、気がついた。

そういえば、あの神主。

どうして詳しい事情まで知っていた。

そんな呪われた逸話なら。

いつまでも残しておくとは思えない。

さっさと祀り上げて。

本人達だって忘れてしまうのが一番だと思うのだが。

まてよ。

ひょっとして、だが。

もう一つ、可能性はないだろうか。

皆に先に行くように告げて。

私は神社の跡地に戻る。

そして、神主が此方に気付く。

青ざめる神主に。

私は大股で歩み寄った。

「一つ聞きたいことがあるのですが、よろしいですの?」

「も、もう放っておいてくれ!」

「不可解なんですよ。 どうして此処まできちんとした伝承が残っているのか。 ひょっとして、兵三の関係者が、後から復讐したんじゃないんですか?」

「……!」

やはり。

そうか。

或いは、兵三本人が生き延びたかもしれない。

いや、それは流石に可能性が低い。

兵三は確か、討ち取られたときに40代だった筈で、その時代なら孫がいてもおかしくない年齢だ。

子か孫が。

後で真相を知って、復讐に来たのではあるまいか。

震えあがっている神主の様子からして。

どうやら間違いない。

これは、更に論文に追記が必要だ。

「何か資料ありませんか」

「……あの鎧」

「!」

そういうことか。

どうも妙だとは思っていた。

確かに、さっさと売り払ったのなら、どうして残っている。

あれは兵三のものではなく。

復讐を果たした人間のものだったのではあるまいか。

兵三の家族か、或いは家臣か。

そもこの神社は。

途中から兵三の関係者に乗っ取られ。

後は兵三の一族が、恨みを込めて周囲に呪いを撒き。

民を苦しめるために。

兵三を鬼神に祀り上げさせた。

そしてその祀り上げさせることによって。

末代まで恐怖と呪いを撒かせた。

そういう、非常に気の長い、かつ陰湿な復讐を行ったのではないのだろうか。

すぐに戻り、学者達と合流。

そして、合祀先の神社に行く。

鎧をもう一度調査。

その結果、幾つか分かったことがある。

「この様子からして、首に致命傷を受けた様子が無いですね。 少なくとも首から大出血はしていません。 というか、鎧を着た人物が致命傷を受けたほどの出血をしていませんね」

「つまり首を落とされていない」

「そういう事です。 この鎧は、恐らく落ち武者狩りにあった兵三のものではないと判断して良いでしょう」

「……」

なるほど。

そういうことか。

どうやら予想は辺りだ。

だが、状況証拠だけで少し情報が足りない。

もう少し、論文を補強するための資料が欲しい。

いずれにしても、兵三が笹鬼の正体である事は間違いない。祟り神として、鬼神に祀り上げられたことも間違いない。

だからちぐはぐな伝承になったのも、間違いない。

だがその経緯が、まだ状況証拠の段階だ。

第三者資料は無いか。

いずれにしても、一時的に論文は発表するが。

もう少しこの件については。

私が民俗学者の誇りにかけて調べ上げたい。

いずれにしても、この件は。

笹鬼という存在が。

想像以上に深く。

面白い怪異だと言う事を知らしめてくれた。

怪異というよりは鬼神だが。

元人間だし。

妖怪と言っても差し支えないだろう。

こういった、元人間を神にまで祀り上げるケースは、一神教では珍しいだろう。向こうでも聖人という形で、自分達にとっての偉業を成し遂げた人物を持ち上げるケースはあるが、あくまで人として、である。

神にまで持ち上げる訳では無い。

この辺りの価値観の違いはあるが。

意外にも、根底には似たようなものがあるのかも知れない。

ともあれ、俄然やる気は湧いてきた。

妖怪の根底には。

人間の営みがある。

そして鬼神にまで祀られたとしても。

それに何ら代わりは無いのだ。

 

4、妖怪は此処にあり

 

論文を発表すると。

あまり評判は出なかった。

まあそれはそうだろう。

一時期は民俗学ブームも起きたことがあったが。

それも一時的なもの。

結局の所、ブームはブーム。

今では、昔通りの所に落ち着いているからだ。

ただ、民俗学界隈では。

話題にはなった。

笹鬼というのは、本当に正体が分からない存在で。

今までに幾つかの論文が出ているが。

いずれも「正体不明」で結論してしまっていたからだ。

今回は、幸いにも色々と幸運が重なって正体を暴き出すことが出来たが。

それでも幾つか謎は残っている。

実際問題、資料が少なすぎるのだ。

ただ、今後はこれがきっかけになって、研究が進むかも知れないが。

神社への合祀が終わってからも。

現地で祟りだの何だのが起きたという話はない。

まあそれはそうだろう。

綺麗さっぱり何もかもが片付いたのだ。

勿論合祀先でも問題は起きていないようだ。

鎧は飾られていて。

誰でも見学が可能な状態にされている。

傷跡が残った古い鎧だが。

その傷跡が逆にリアルで。

人気が出ているようだ。

むしろ、買い取りたいという人まで出てきているそうだが。

流石にそれは、神社側で断っているという。

一応ご神体である。

何があっても責任を取れない、というのが理由らしい。

まあそれらしい理由ではあるが。

実際には美術館にでも入れて、丁寧に補修するべきでは無いかとも私は思うし。

大学で研究を直接するのも良いと思う。

いずれにしても、まだしばらくは駄目だ。

ほとぼりが冷めるまでは。

というか、笹鬼という怪異が完全にいなくなるまでは。

どんなトラブルが起きるか分からない。

私は、怨霊なんてものは信じていないが。

人間が持ち込む訳が分からないしがらみの恐ろしさは良く知っている。

だからこそに。

妖怪は恐ろしいのだ。

人間の存在が故に。

さて、論文を発表した後。

神社後地を見に行く。

神主はもう引退していて。

誰もいなくなっていた。

笹も植え替えられて。

なくなっている。

あの道祖神の痕も。

既に草に覆われていた。

それはそうだ。

元々土地が豊かな日本である。

手入れしなければあっという間に雑草に侵略され、何もかもが緑に埋まってしまう。こういう山ならなおさらだ。

しばらく歩き回っていると。

老人が一人。

声を掛けてきた。

「この間まで良く着ていた学者さんかね」

「利根川ですわ」

「ああ、利根川先生。 笹鬼様をお鎮めいただき、有難うございます」

「はあ。 こちらこそ」

笹鬼を鎮めた。

まあ結果的にはそうなるのか。

老人はありがたやと手をあわせてくるので。

私は困惑したが。

好きにさせる。

そして、老人は。

更に驚くべき事を言った。

「最近、笹鬼様が出なくなりましてな」

「!?」

「おや、そういえば言っていませんでしたか。 笹鬼様は、機嫌が悪くなると、時々村にお姿を見せていたのです。 しかしそれを口にすると、どうしても不幸が起きる。 だから誰も言えなかったのです」

「はあ」

だが、笹鬼の気配は消え。

皆安心したのだとか。

そんな事を言われても。

此方は困るだけなのだが。

老人は此方の困惑は無視したように続ける。

「笹鬼様は、合祀先の神社におりましたよ。 安らかな顔で、じっと大事にされている鎧を見ておりました」

「……」

「きっと、無念が晴れたのでしょう。 ずっとこの世に留まっていた怨霊となっていた笹鬼様ですが、これできっと極楽に行けるはずです」

「そ、そうですか」

礼をすると。

ふらりと老人は消える。

何だ今の老人は。

てか、この山には散々足を運んで。

インタビューをしてきたが。

あんな老人いたか。

格好にしても、何だか随分と古めかしかったような気がするが。

慌てて追いかけたが。

もういない。

何だ今のは。

まさか、本当に妖怪かなにかか。

そんなものいるわけないだろう。

自分の中の理性が、それを否定するが。

どうにも気味が悪くて仕方が無い。

ため息をつくと、周囲を見て回りながら、山を下り。

そして、合祀先の神社に足を運ぶ。

其方の神主はまだ若く。

話を聞いてみるが。

トラブルは起きていないという。

「合祀をすると、時々妙なことが起きる事はあるという話は聞きますが、今の時点では何も起きていません」

「それは良かった」

「ただ、境内に見慣れない人がいる事がありますね。 真夜中にふらふらしているので、幽霊か何かかもしれませんが……いずれにしても不浄の存在では無いでしょう」

そうなのか。

よく分からないが。

あの言葉は本当だ、という事か。

笹鬼の話は、此処の神主にもしてある。

だから、それについて意見を求めると。

少し考え込んでから。

神主は言う。

「笹鬼信仰の人らしい老人が一時期はかなり姿を見せましたが、今はそれもほぼなくなりましたね。 最近では、鎧を目当てに来る人と。 笹鬼に関しての祈念碑を見に来る人が増えました。 神社としては、人が来てくれると言うだけで、好ましい事です」

「資料館でも建てますか」

「いや、そこまでは考えていませんが。 ただ海外のお客様が、鎧を写真に撮って行かれますね。 もしも笹鬼様があの鎧に執着があるのなら、怒って写真など撮らせないでしょうが、そういう事は起きていないようなので、多分大丈夫なのでしょう」

「……」

一応、念のため。

境内にいる見慣れない人とやらについて聞いてみる。

そうすると、周囲を見回した後。

神主は声を落とした。

「今、丁度此方を見ています。 貴方に興味があるようです。 悪意は無いようですが、あまり気を引くような行動はしない方が良いでしょう」

「へえ、そうなのですわね」

「具体的には、古い時代らしい粗末な格好をした青年です。 若くして亡くなった様子ですが、怨念の類は感じられません。 神様の一歩手前、という感じにまで昇華された存在ですね」

「……」

まあオカルトについては信じていないので。

そういうものが見えると言う事にしておこう。

一応お祓いをしてくれるとか言うので。

まあ受けておく。

そして、神社を出る。

そういえば、一度変な視線を感じたことがあったか。

あれは、その何だかよく分からない青年なのか。

もしかすると。

兵三の仇を討った息子か孫か。

どっちにしても、その後早くして亡くなったのだとすると。

私を見ていて。

感謝したのも。

無理は無いのかも知れない。

車に乗って、家に戻る。

心なしか、アクセルを少し強めに踏んでしまう。

アパートまでは無事に到着したが。

何だか気持ちが悪かった。

ぼんやりとスマホを弄っていると。

ニュースが出てきた。

笹鬼に関するものだ。

ローカル誌が取りあげたものらしく。

合祀に関するいきさつや。

私の論文についても乗っていた。

私は取材を受けた覚えは無いのだが。

何だか非常に不愉快である。

さっそくクレームを入れてやる。

相手はよく分かっていないようだが。

告訴をちらつかせると、慌てて原稿料を払ってきた。

何だか色々と腑に落ちないが。

おかしな事が起きたのは、その直後である。

原稿料を持ってきた、出版社の人間が。

汗ダラダラで、平身低頭してきたのである。

翌々日に喫茶で会ったのだが。

この手のマスコミの人間は、異常に居丈高と相場が決まっているのに。何かに怯えきっているかのようだった。

差し出される原稿料を受け取ると。

不審だなと思って話を聞いてみる。

そうすると。

怪奇現象が続発している、というのだ。

「会社の中で、幽霊が出まくっているんです。 もう、みんな見ています。 我は笹鬼なり。 大恩ある者を侮辱したそなたらを許さぬ。 早々に謝罪せよ。 言葉は聞き取りにくいですが、そんなような事をずっと口にしていて。 ノイローゼになって、会社に来なくなった人もいます。 それで慌てて、貴方の事だろうと言う事になって、原稿料を持ってきた次第で……」

分厚い紙袋だ。

中身を見ると、三桁の一万円札が入っている。

これは、余程脅かされたのだろう。

閉口した私に。

深々と記者は頭を下げる。

「じ、実は私の家にも現れまして。 はよう無礼を働いた事を謝罪しにいけと怒鳴られました。 そ、その恐ろしくて。 済みません」

「分かりましたわ。 では、という事で」

「お許しを」

「分かったって言ってるだろ!」

原稿料関連の書類にサインを押すと。

さっさと受け取って帰路につく。

なるほど。

どうやら、オカルトを信じない私でも。

今回ばかりは、何か得体が知れない力が働いていることを、認めざるを得ないらしい。

此処まで傍若無人で知られるマスコミが下手に出ると言うことは。

余程恐ろしい目に会ったのだろう。

これは私も、気合いを入れて。

笹鬼の真相について、もっと資料を集めなければならないかも知れない。

現状の状況証拠だけの論文では。

名誉を回復した、とは言い切れないだろうから。

冷や汗が流れる。

この金は。

そのために受け取ったものとしては。

ちょっとばかり安すぎるかも知れない。

大学の給金よりはずっとマシだけれども。

それでも、たかがこの程度の金では。

正直、足りないとしか謂いようが無い。

安アパートに戻ると。

謝罪のメールが会社から来ていた。

もういい。

私はフトンを被ると。

さっさと眠ることにする。

何だか、寒気がしてきた。

私は何か、ひょっとして。

本当にヤバイものに、関わってしまったのではないのだろうか。

そういう考えが。

脳裏をよぎって仕方が無い。

案の定というか。

その日は周囲が気になって。

眠るどころではなかった。

 

数日後。

夢を見た。

大学の授業を終えて。その後。

呼び止められたのだ。

古風な格好をした青年だ。

何だか姿はぼんやりしていたが。

どうしてか、そいつが。

笹鬼だと分かった。

「父の無念を晴らしてくれたこと感謝する」

「あ、いえ」

「怖れる事はない。 わしはそなたの生活には干渉せぬし、むしろ邪魔をする者がいたら祟る。 守護神を気取るつもりはないが、せめて少しでも生活が楽に出来るように大恩あるそなたには尽くさせていただこう」

「はあ、ありがとうございますわ」

困り果てている私に。

笹鬼は言う。

「何か聞きたいことがあれば答えよう。 まだわしについて調べているのだろう」

「そ、それでは。 実際には何があったのですの」

「だいたいそなたの推察通りだ。 戦に敗れたわしの父は、落ち武者狩りにあって、恩を仇で返された。 からくも生き延びたわしは、やがて手勢をまとめて復讐した。 信仰を乗っ取るという形でな。 その後長くは生きられなかったが、それは乱世故に仕方なき事よ」

「平安末期も乱世だったですので、それは納得ですが。 しかし、幾つか腑に落ちないことがあるのですが」

頷く笹鬼。

話を順番に聞いていく。

そして、その全てに。

笹鬼は丁寧に答えてくれた。

やがて質問もなくなる。

話は分かったが。

第三者の資料がなければこれ以上の証明は厳しい。

そういう話をすると。

腕組みをされた。

「流石にわしも、わしのことを書かれた書物が何処にあるかなどは分からぬ。 力になれずすまぬな」

「いいえ、助かりますわ」

「それならば良かった。 今後の栄達を」

「ありがとうございます」

ぺこりと頭を下げると。

いつの間にか、笹鬼はいなくなっていた。

フトンから飛び起きる。

冷や汗をぐっしょり掻いていた。

本当にあれは。

鬼神の類ではなかったのか。

どうやら間違いない。

私は意図せず。

大蛇の住むヤブをつついていたらしい。

頭を掻き回す。

これはちょっとばかり洒落にならない。

オカルトなんて信じていない私だが。

此処まで色々なものを見てしまうと。

流石に考えを改めざるを得ない。

今回、研究対象だった笹鬼は、基本的に善良で。祀れば福を為し、ないがしろにすれば祟る典型的な鬼神だったから良かった。

だがこれが。

ミジャグジ様のような、本当に気むずかしい神だったり。

問答無用の怨霊だったら。

今頃私は。

ぞくりとしてしまう。

民俗学は思った以上にリスクが高いな。

そう感じてしまったのだ。

勿論、オカルトは今でも信じていないし。これも何か脳が起こしたエラーかも知れないが。

いずれにしても、慎重にやっていかなければならないだろう。

そうしないと、何が起きるか分からない。

私は出かける準備をすると。

大学に向かう。

笹鬼についての研究はしばらく続けよう。

あの様子だと、笹鬼は祀られている間は福を為す。

神社でも祀ってくれる。

だったら、私がないがしろにしなければ。

少なくとも私が酷い目にあうことはないだろうから。

黙々と、作業を続けていると。

以前、一緒に笹鬼の合祀を見学した民俗学者が、連絡を入れてきた。

「利根川さん、今よろしいですか」

「はあ、時間ならあまりありませんが」

「少しで済みます。 実は、民俗学の資料を調べていたら、黒鬼火というものを見つけまして」

「聞いた事がないですね」

何でも一種の鬼神で。

鬼火をかざして、山を練り歩く複数の人影だという。

どうも正体がよく分からないので。

研究を手伝ってくれないか、というのである。

まあいいだろう。

この間は、随分と助かったし。

今度は此方が手伝う番だ。

だが、その時。

ぞくりと悪寒がした。

やめておけ。

それは本当に危険だ。

そう誰かに言われた気がした。

この声には聞き覚えがある。

笹鬼だ。

「すみません、ちょっと大きめの用事が入りましたわ。 この間助けていただいて申し訳ないのですが、今回は……」

「そうですか。 利根川先生の助けがあれば、随分と楽が出来ると思ったのですが」

「すみません」

電話を切る。

心臓が跳ね回るかのようだった。

勿論周囲には誰もいない。

もしも、下手に手を出していたらどうなっていたのだろう。

本当に警告通り。

想像を絶する酷い目にあっていたのだろうか。

生唾を飲み込む。

そして私は。

早足で研究室に向かう。

これ以上。

訳が分からない危険に接するのはごめんだ。

今の警告には従っておくことにしよう。

何となく、私は。

妖怪の面白さと恐ろしさを。

同時に知った気がした。

 

(終)