滅びの理屈
序、破滅の始まり
田原坂麟を追い詰めていて、少し違和感を覚えた。どうして彼奴は自棄にならない。もはや、包囲網突破は最終的には不可能。一つの包囲を抜けても、その先には無数のさらなる包囲がある事を理解しているはずだ。しかも、力の供給までも断たれている。にもかかわらず、である。
陽菜乃は、双眼鏡で覗いていて、おかしいと思った。
笑っているのだ。
ずっと薄笑いを浮かべている。
完全に自棄になっているのかと思ったが、その割には的確に一つずつ包囲網の穴を突いて脱出していく。
勿論、消耗させる目的で、敢えて包囲には穴を作って、追撃をしながら包囲を再構築しているのだけれど。
それにしても妙だ。
何かを知っているのか。
知っているとしたら、なんだ。
そういえば、麟はサメ全ての意識を直接取り込んだ筈。ひょっとして、力の供給が断たれたときに。
何か聞かされたのか。
可能性はある。
もし、それが麟に利する何かだとしたら。
それはおぞましい事なのではあるまいか。
既にインフラの復旧は始まっているが、軍事ネットワークだけは別だ。各国が完全に青ざめて、麟が構築したデータセンターを包囲し、同時攻撃の話し合いを進めているけれど。
理論上それが上手く行ったとして。
核兵器が全部まとめて発射されない保証は無い。
それくらい、田奈が解析した、麟の構築した管理システムはヤバイのだ。
絶対的な自信があるのか。
それとも。
少し考え込んでから、陽菜乃は田奈に連絡を入れる。包囲と追撃の指揮を執っていた田奈は、陽菜乃の言葉に、考え込む。
「珍しいね、考え込むのは」
「いえ。 包囲したときの事を考えると、妙ですね」
「ふむ……」
「ひょっとして、麟にとってはどう転んでも良い結果が来る、とか」
思わず口をつぐむ。
例えば、麟の計画が失敗したとして。
その後何が来たら、麟は喜ぶ。
世界の人間を半分に減らそうとしていた奴だ。その後、計画が完全に頓挫しても笑っているという事は。
何か世界に破滅的な危機が迫っているのではあるまいか。
「すぐに捕まえよう。 出来る?」
「もう少し弱らせましょう」
「どうして」
「まだ世界最強レベルの実力だからですよ。 下手をすれば、周囲が焦土になります」
確かに、それはまずい。
かなり混乱が酷い状況だ。
それなのに、更に混乱を上書きするような真似は出来ない。もう少し削る速度を上げると、田奈は言うと、通話を切った。
陽菜乃はまだ出るなと言われている。
もしもの事があるとまずいからだ。
包囲網を抜けた麟に、トラックが突っ込む。
誰かパワー自慢が投げつけたか。
麟はそれを片手で受け止めると、気にもせずに走っていく。その速度も、相当なものだ。陽菜乃は舌打ち。
あれでは、田奈が慎重になるのも当然か。
市街地を抜けた。
同時に。
対戦車地雷が爆裂。
更に、上空から、気化爆弾が投下された。
爆発が同時に上下から、麟をサンドイッチする。
衝撃波は、街にいた能力者の誰かしらが相殺した様子だ。麟は消耗しながらも、それを抜けてまた姿を見せる。
第四次包囲網構築。
田奈が、淡々と指揮をしている。
さて、あの様子だと。
まだ半日は、安全な捕獲まで時間が掛かるだろう。
陽菜乃の所に、総理大臣から連絡が来る。各国の首脳クラスだと、能力者の事は知っている。
流石に、騒ぎが起きているのかと思ったら、違った。いや、騒ぎには違いないが、想定外のものだった。
「大変だ。 すぐにあの化け物を捕獲してくれないか」
「どうしました」
「どうもこうもない。 全世界の電子マネーが、無茶苦茶に改ざんされていることが分かったんだよ! しかもスパコンでも解読できないような独自の暗号でロックされてる!」
声まで青ざめている総理大臣。
今、ネット上で飛び交っている金は、実体経済を遙かに上回っている。しかもそれがサーキットバースト寸前の状態である事は、誰もが知っている。
その無茶な状態に。
麟が爆弾を仕込んでいたというのか。
「今、ようやくそれが判明してね。 各国政府がパニック状態だ。 中東は既にどの国も株価が紙切れ。 原油は酸素より安くなり、ドバイは砂漠より価値が無くなった。 このままだと、下手をしなくても全世界で一京円規模の損害が出る! 電子マネーに頼り切っていた国は、暴動寸前だ! このままだと世界大戦になる!」
「ドバイショックの倍以上ですね」
「笑い事じゃない!」
総理が悲鳴混じりの声を上げる。
まあ確かにそうだ。
というか、これが狙いだったのか。
いや、どうも違う気がする。単に管理のために、自分に扱いやすいように組み替えただけでは無いのか。
それが、組み替えが、麟本人というコアを失ったことで、機能しなくなった。
麟を捕まえても手遅れのような気がする。
いずれにしても、いつかは来る事だったのだ。
サーキットバースト寸前というのは前から言われていたのだし、実際何度もとんでも無い規模での金額が吹っ飛んでいる。
それにもかかわらず、架空通貨を振り回し続けていたのだ。
いつかこういう事態が来るのは、避けられなかっただろう。
「自衛隊でも在日米軍でも使って良いから、とにかく一秒でも早くあの化け物を捕獲してくれ! 頼む! 場所次第では、核だって使って構わん!」
「了解、と」
田奈に、早速連絡。
田奈が、大きく、本当に嫌そうにため息をついた。気持ちは大いに分かる。分かるけれど、正直此処はかなり強硬な策を採らざるを得ないだろう。
その事については、田奈も同意の様子だ。
「分かりました。 でも、どうなっても知りませんよ」
「嫌な予感がする」
「私もです」
意識の渦が、がばがばな干渉をしている事は今回の件で分かった。そして、恐らくは、だが。
麟を失敗と判断した後は。
更に無茶な手に出る事も想定される。
ひょっとしてだが。
麟はその具体的な内容を知っているのではないのだろうか。
在日米軍に、エンドセラスが交渉。
市街地から引きはがしたところで。
トマホークで飽和攻撃を仕掛ける。
ちなみにトマホークへの指示は、手動入力だ。軍事ネットワークが死んでいるのだから仕方が無い。
こんな手動入力で目標指定など、二次大戦の艦砲射撃のようだが。
やれないことはないのだ。
ただし、正確な弾道誘導が必要だが。
無数の弾道ミサイルが、麟に降り注ぎ、力を消耗させていくのを監視。流石にどんなインチキ能力を持っていても、これはどうしようもない。ましてや、麟は急激に力を失っているのだ。
「陽菜乃さん、出番です」
「ん」
本当だったら、危険を考慮して、更に後まで引き延ばすつもりだったが、このままだと世界大戦になるというなら、仕方が無い。
エンドセラスも、古細菌の連中も。それに田奈も出る。
此処で、勝負を付ける。
二時間ほどの死闘の後。
ついに、麟を捕縛した。
もはや形からして人間では無く。背中には翼を生やし。触手を無数に体から生やしていた麟は。
組み伏せられ、無力化された後も。
その身体能力そのものは健在。
パワーは落ちていない。
洗脳能力や、その他の特殊能力を失っただけ。
つまり、現状でもアフリカ象など十頭まとめて畳める程度の戦闘力は充分に残している、というわけだ。
洒落にならないパワーである。
勿論、ガチガチに拘束した後、一つずつ順番に聞いていく。
「こちらとしても無駄な時間は使いたくないの。 まず、電子マネーのロック暗号について教えてくれる? それと改ざんの内容について」
「電子マネー? ああ、それなら」
意外だ。
にやつきながらも、すんなり教えてくれる。
なんと29進数を使った暗号で、これを非常に複雑な公式に当てはめ。更に独自の電子キーを用いて、解析しているという。
なるほど。
これではスパコンでもどうにもならないわけだ。
電子キーについては、すらすらと内容について話し始める。録音しているが、田奈がその場でバババとキーをタッチ。
そして、実験して、実際に暗号解除を出来る事を確認した。
「出来ますね」
「改ざん内容については」
「それは特に弄ってない。 暗号化して、此方からコントロール出来るようにしただけ」
「田奈、調べてくれる?」
頷くと、田奈が調査を開始。
元々電子マネーは、近年は厳重に相互監視システムが組まれていたのだが。この怪物、田原坂麟にとっては、そんなものは一瞬で突破出来る程度のものでしか無かった。
人間が作った物に。
完全などありえない。
奇しくも、それを証明した形になる。
情けない話だが、バックアップデータも、現在はストレージ化されている状態で。麟はそれらも全て暗号化していた様子だ。
外部にテープ化してバックアップしていたものも。
全て洗脳された人間によって解析され。
事実上、全てのデータが麟の手に落ちていた。
それらも解析してみるが。
どうやら、あまりおかしな点はないらしかった。
ふうと一息。
まず、連絡を入れる。各国首脳同時にだ。米国の大統領は、少し前に麟に勧誘を入れて、袖にされ。そのショックで寝込んでいる。まあ歪曲表現だが、死にかけた結果、今は副大統領が応じて来た。
「なるほど、ロックは解除できた。 此方でも確認した」
「すまない。 とても助かる。 君達がいなければ、人類は滅亡していた」
「いや、まだ喜ぶのは早いですよ」
陽菜乃は咳払い。
青ざめる各国首脳。
まだ軍事ネットワークが死んでいる事に変わりは無いのだ。麟は、それについても、意外に口軽く話してくれる。
「それについては、解除コードを入力しろ。 解除コードの内容は」
眉をひそめる。
また29進数で作られた暗号らしい。なんで29進数なのか聞いてみたいところだが、今は時間がないし。
何より洒落にならない事態が進行している可能性が高いのだ。
軍事ネットワークの凍結解除も、まもなく確認された。
すぐに麟が作ったデータセンターに各国の軍が踏み込み、そして調査を開始する。爆破した方が良いと思うなと陽菜乃は思ったけれど。
もうやりたいようにやらせておくべきだろう。
さて、此処からだ。
拘束されている麟と目線を合わせる。
「何を知ってる?」
「何の話」
「あれだけ追い詰められているのににやついていたからね。 この世界をもう滅ぼすつもりだったんでしょ? それなのに、徹底的に追い詰められながら笑ってた。 ということは、早い話が。 世界が滅亡に瀕するようなことが起きる事を知っている……」
「ははは。 下等生物にしては上出来だ」
下等生物か。
まあ確かに麟は、よそ様の力を借りたとは言え、一時期は地球上の全人類、全軍隊が束になって掛かっても、核兵器を全て使っても勝てないほどの力を手に入れていた。人類は麟から見れば下等生物と言うのも当然か。
だが、麟は。
その下等生物の思考回路から抜け切れていない。
それを指摘すると。
麟はぴたりとにやにや笑いを止めた。
「王を自称するなら、負けた時点で潔く素直に全てを吐くんだね」
「……」
「で、何を知っている。 世界を滅亡させかねない何かが起きるんでしょ?」
「意識の渦は、人間を見放した」
やはりそうか。
可能性があるとすれば、それが一番高そうだと思っていた。田奈が、側でキーボードを叩いている。
多分各国政府の動きを、リアルタイムで追っているのだろう。
視線を一瞬だけ向けるが、頷かれる。
意外にスムーズに、後処理が進んでいるらしい。
それだけは良い事だが。
最悪のシナリオは、恐らく此処から来ると見て良いだろう。
麟でさえ手に負えなかった。
しかも此奴が体に入れていたのは、サメという品種の力だけ。昆虫の力も入れていたかも知れないが。
それは我々に振るわれる事は無かった。
どちらにしても、それらを失ってさえ、此処までの戦闘力を持っていたのだ。
他の生物全ての意識が投入された存在か何か作られでもしたら。
それこそこの世界は終わる。
下手をすると。
地球そのものが、砕け散るかも知れない。
「それで、見放した意識の渦は、どう出るの? 知っているんでしょう」
「サメどもの話によると、恐らくは神を具現化させるつもりのようだ」
「神ね……」
此処で言う神とは。
恐らく、神話の時代に語られるような。究極絶対の存在のことだろう。麟でさえ手の出しようが無かったのに。
しかも、である。
麟はどちらかといえばクトゥルフ神話系の神々に近い存在だが。
恐らく意識の渦が「神」として作り出すのなら。
それより更にタチが悪い、古代の人間が考え出した、とにかく絶対最強究極無敵、というようなものが出てくる可能性が高い。
あくまでこの星に限定された力だろうが。
それでも、悪夢に等しい力が具現化することに変わりは無いだろう。
終わりだ。
頭を抱えたくなるが。
それでも、どうにかしなければならない。
もう一度、意識の渦にアクセスするか。
いや、無理だ。
何しろ、平行世界の人間達の意識を取り込むことにより、今回の大事件が勃発したのである。
それらをダメだと判断した今。
現在の人間の言う事なんて、聞くはずが無い。
更に言えば。
意識の渦は、所詮動物の意識によって構築されているものにすぎない。動物の思考回路は、どうしても直線的だ。
ストレートにこの世界の改革を臨むのであれば。
やはり、あらゆる生物を保全しつつ。
環境改善を行う。という形になるだろう。
それは多分、多様性を維持しつつのディストピア。
下手をすると、だが。
地球そのものが、文字通りのガイア理論として、神として目覚め意思を持って動き出すのではあるまいか。
いずれにしても、これからが本番だ。
麟は、これ以上は知らないと言う。
拷問しようかと思ったが、止める。言っている事にウソがあるとは思えない。何より、である。
もはや、この世界の命運は尽きたとしか思えないからだ。
だが、今は。
前回と違って、能力者達が全員無事である、という点が違っている。意見を求めれば。何かいいものが出てくるかも知れない。
田奈がため息をついている。
各国首脳が、好き勝手なことばかりほざいているのだろう。
陽菜乃は、手を叩くと。
この場にいる、それぞれの勢力における重要人物に声を掛けた。
「これから、古代生物能力者の首脳会談を行う。 でも、この首脳会談には、誰もが意見をすることを許可する。 それだけ色々な意見が必要な状態なんだと思ってくれれば間違いないよ」
さて、何か良い意見が出るか。
出てくれれば。
ひょっとすれば。
世界の破滅に、対応出来るかも知れない。
1、黄昏来る
遙か昔。
地球が熱球状態から脱し。海が出来た少し後。
地球は、酸素に満ちた星では無かった。
最初に誕生した生物も。
アミノ酸が何かしらの変化を起こして。徐々に生物とは呼べないようなものから、生物と呼ぶべきものへと変わっていった事が分かっている。
そして、地球の環境は。
ある時を境に、激変していくことになる。
酸素の登場である。
具体的には、酸素を作り出す生物の登場がそれだ。
ラン藻、もしくはその先祖。
それが、酸素を発生させた。そして、地球に革命的な。いや、破滅的な変化を引き起こしていった。
酸素は猛毒だったのだ。
それまでの生物にとっては、全身を焼き尽くす悪夢の毒以外の何者でも無かった。
爆発的に増えていく酸素は。
それまでの生物の体系を根底からひっくり返し。
酸素無しで生活する生物は、僻地の中の僻地へと追われていくことになった。
そして地球は。
酸素呼吸をする生物によって、溢れることになった。
およそ35億年前の出来事である。
これは、50億年の歴史を持つ地球にとって。最大最高の環境激変と言っても良かったかも知れない。
人類は、現在進行形で地球環境を自分に都合良く作り替えているが。
それはラン藻、もしくはその先祖がやり遂げた事に比べれば、些細なものにすぎないのである。
何しろ、生態系が根絶され。
そして新しいものによって塗り替えられたのだから。
窒素呼吸生物によって支配されていた地球が、酸素呼吸生物に乗っ取られた。それくらいのインパクトが、この事件にはあった。
現在に至るまでの進化の過程で。
主流になっているのは、酸素呼吸生物だ。
無脊椎だろうが脊椎だろうがそれに関係は無いのだが。
問題は。これほどのインパクトを生態系にもたらした存在が、ラン藻以降地球には生存していない、という事である。
田奈が調べ上げた。
もっとも世界の生物の歴史で、影響が大きい存在。
それは間違いなくラン藻だ。
ストロマトライトというのは、このラン藻が作り出した存在で。少なくとも27億年前のものが確認されているし。
酸素を作り出す生物は、ラン藻以前にも出現しているが。
世界の環境をもっともダイナミックに変革したのはラン藻以外にはあり得ない。
もしも、だ。
ラン藻全ての意識を投入された能力者。
もしくはラン藻全ての意識が投入された、人間以上の何物か。
それが此処に現れたら。
もはや手の打ちようが無い。
結論としては、それだった。
あらゆる生物の、世界に対する大変革。
それもこれも、何もかもが。
ラン藻が引き起こした変革には及ばない。
何しろ地球の大気を、究極レベルでひっくり返し。それまでの生態系を完全に転覆させたのだ。
地球人類も、凄まじい勢いで他の生物を駆逐しているが。
時間さえ掛かっているが。
ラン藻の起こしている変革に比べれば、微々たるものにすぎない。
それこそ、地球中を核で焼き尽くし。
放射能に適応した新生物が、世界中を支配して廻っているようなものなのだ。
実際、ラン藻の一種の能力者は、今までにも何人か出現しているが。
それ全ての能力を持った者が出てきたら。
絶対に、手に負えない。
サメどころではない。
昆虫全てをあわせたよりもヤバイ。恐竜全部が束になってもかなわないだろう。
それが、田奈の結論だった。
陽菜乃は周囲を見回す。
此処は、ある政府施設の一室。世界の主要な能力者が入れるほどの、大規模な施設である。
ちなみに、各国政府を不安にさせないためにも、会議はオンラインで公開している。ただ、各国のVIPクラスしか視聴は出来ないが。
エンドセラスさえ、黙り込んでいる中。
この状況を打開できる何かを思いつける者はいないか。勿論陽菜乃自身も考えてはいるが。とても何か良い案が出るとは思えない。
悪夢だ。
この世界には、悪夢が降臨しようとしている。
「恐らく、もしも意識の渦が、世界の改変を無理にでもするとしたら、ラン藻の能力全てを持った奴が出てくる可能性が高い。 その実力は古細菌能力者の比では無く、恐らくはあらゆる全ての能力者が束になってもかなわないと思う。 其処の麟でさえ、太刀打ちできないだろうね」
「そんな化け物が来るのか……」
エンドセラスが呻く。
だが、今回は。
此方に一つアドバンテージがある。
知っている、という事だ。
麟の時は不意打ちだった。
とにかく凄まじい進化を遂げていく麟に太刀打ちできず。何もできないまま、世界が一気に破滅に向かって行くのを、見ているしか無かった。
だが、今回は違う。
危機意識を抱いた各国列強も、場合によっては味方につけることも出来る。
更に言えば。
田奈が少し前に、無理矢理三大勢力をまとめてくれたおかげで。ある程度無理矢理にでも、全ての能力者が、同時に動くことも出来る。
推定される実力は。
麟の二十倍前後。
そう田奈は結論したが。
そんな化け物が現れた場合、どう対処するか。
陽菜乃は周囲を見回して、意見を募る。
もたついている暇は無い。
一瞬でも早く意見をまとめて。対応策を編み出さないと。全てが水の泡になる。意識の渦は、とても雑だ。
動物の意識の塊なのだから、こればかりは仕方が無い。
それについては、陽菜乃も認める。
だが、それによって、世界が一方的に変革させられるのを、黙って見ていろと言われて、従えるか。
陽菜乃は従えない。
この世界は、人間のものだとは言わないが。
少なくとも、圧倒的上位存在から、好き勝手にされていいものでもないはず。
確かに、この世界の未来がないことは事実だが。
それでも、この世界に生きている生物が、どうにかする問題だ。古代生物たちが力を貸してくれているのはありがたい。
だが、過剰干渉はNGだろう。
「出現地点は割り出せないだろうか」
「無理、としか言えない」
田奈の即答に、ギガントピテクスが腕組みする。
エンドセラスの右腕をしているギガントピテクスは、ごつい外見と裏腹に、相当な知略の持ち主だ。
それまで右腕だったメガテウシスを押しのけて、ナンバーツーの地位に収まるほどには、である。
メガテウシスは口を引き結んでいるが。
良い案はないのか。
陽菜乃が話を振ると。
少しばかり悔しそうにした後、無いと吐き捨てた。
ならば仕方が無い。
しばし、他の者にも意見を聞く。
核による飽和攻撃しかないのでは無いのか。そう意見する者もいたけれど。恐らく全盛期の麟も、それで倒すのは不可能だろう。つまり、麟を遙か凌駕する相手に効くわけがない。
それを冷静に指摘すると。
黙るしかなくなった。
対話は。
そういう意見も出た。
今、世界を事実上支配している人類と、建設的に世界の確信に向けて動いていく方法を模索するべきだ。
そう優しい意見を述べたが。
一蹴したのは、ユリアーキオータだ。
「交渉が成立するのは、基本的に相手との力量が拮抗しているか、利害が一致する場合のみじゃよ」
確かにその通り。
相手が一方的に有利な場合。
そもそも、ネゴなどという行動そのものを、相手は選ばない。相手にとって一番良い選択をするだけだ。
つまり、蹂躙である。
蹂躙以外の提案を此方が出来るのなら、話は別だが。
そういう提案を出来るだけのネゴシエーターというと。
ちらっと田奈を見るが。
首を横に振られる。
田奈は、少し冷静を通り越して。冷血なくらいの口調で言う。
「もし私が、世界を改変する目的で地球に出現し、更に其処に拘束されている麟の二十倍程度の力を最初から持っていた場合、人間の交渉になど乗りませんよ。 全部まとめて洗脳して、完全にコントロールした方が早いですからね」
「それ以外に良い方法は」
「そもそも、出現させないという手は」
「意識の渦は、この世界の改革について、そろそろしびれを切らしている。 もしもやるとしたら、今すぐ我々全員が人類を屈服させて、ダイナミックに世界を改革する、くらいしかない」
だが、それも上手く行くだろうか。
そうだとはとても思えない。
勿論人類側も反撃してくるだろう。
古代生物能力者は、色々と常識外の能力を持っているが。それでも水爆を防ぎきるような能力持ちは殆どいない。
人間と戦争をやったら。
勝てない。
実際問題、米国では量産型の古代生物能力者を生産しよう、という案が持ち上がっていたことがあると、聞かされた事がある。
結局実現しなかったが。
それくらい、人間と古代生物能力者の間には、物量差があるのだ。特殊部隊のような活躍は出来ても。
各国を正面からねじ伏せるのは不可能だ。
例え、この場にいる最強の能力者が集ったとしても、である。
手を上げたのは、カブトガニの能力者。
麟から受けた洗脳を強制解除するために電気ショックを田奈に浴びせられたり。
意識の渦にアクセスするための門にされたりした、あの気の毒な子だ。
ちなみに後遺症はないらしく。
ちょっと陽菜乃も心配していたのだけれど。幸い、状況が悪かったこと、何より自分の能力で世界が破滅から免れたことを喜んでくれているようだ。
ちなみに能力そのものは、磁力である。
任意の地点に、かなり強力な磁力を発生させることが出来る。まだ能力覚醒したばかりだから、大した実力はないが。
それでも奇襲にはもってこいの能力だ。
「意識の渦には、二度接触して、私もうっすら覚えています。 彼らはとても焦っているように見えました」
「それは誰も知っている」
「あの、そうではなくて。 焦りの原因を取り除いてみては」
そういえば。
人類による破滅が近いから焦っているのか、彼らは。
確かに、人類は近々主要資源を食い尽くす。どの国もエゴを振りかざして、大量消費文化を無茶苦茶に進めているのが原因だ。
だが、それだけか、原因は。
確か、「前の世界」の人類は、結局核戦争で滅びたと渦で聞いた気がする。中性子爆弾によって、世界中の生物が死に絶えたそうだ。
それは恐ろしいが。
だが、現在問題として、世界で核戦争が起きる危機は回避した。
しかしながら、核兵器というものが、抑止力となっていて。大国同士の総力戦を回避させているのも事実としてある。
だが、実際問題、中性子弾頭を積んだICBMの応酬で、世界が滅んだというのであれば。
それを回避する手段を準備しないといけないだろう。
少し悩んだ後。
陽菜乃は挙手。
自分から、少し意見を述べたいと思ったからだ。
「軍事専門家に質問。 核兵器をこの世界から排除できる可能性は」
「無理」
エンドセラスが即答。
実際問題、核兵器には様々な使い路があるから、というのが理由であるらしい。
更に原子炉は、事実上核兵器と同一の技術を用いている。
一度排除した所で、すぐに造る事が可能だそうだ。
「無力化兵器は」
「実現不能」
これも即答。
漫画や何かに出てくるような、都合が良い核無力化システムなど、存在しえる筈もないとエンドセラスは言う。
少なくとも現在の科学技術では不可能。
更に、である。
エンドセラスはだめ押しをする。
「現在、米国と全世界がやりあっても、米国が勝つというくらいに軍事バランスは崩壊している。 その状況で、核を持ち出さなくても、人類は簡単に最終戦争に突入することを忘れていないか」
「うーむ、どうしたものか」
時間が刻一刻と失われていく中。
議事録を取っていた田奈は。
顔を上げた。
「いっそ、もう一度意識の渦にアクセスしましょうか」
「かなり乱暴な方法だったし、もう一度やると向こうも怒るんじゃないのかな」
「多分ですが、ラン藻能力者が出現したとして。 ラン藻能力者とネゴするよりも、意識の渦にネゴした方が早いはずです」
「……」
確かにそうだが。
だがどうやってネゴする。
田奈は咳払いすると。
周囲を見回した。
「各国首脳も聞いているので言いますが、意識の渦が問題視しているのは、人類が未だに歩調を整えないことです。 このままだと世界の資源を食い尽くして、文明そのものが近いうちに崩壊するのは明白。 それなのに、大国は何処も己のエゴを振りかざして、未だに帝国主義を標榜している。 これでは、核で滅びたという別の世界の人類の言う事を鵜呑みにして、意識の渦が腹を立てるのも当然でしょうね」
「それは正論だが、どうすればいい」
「まずは、いっそのこと、全部の核兵器を放棄しましょう。 幸い、其処の田原坂麟が、何処にどれだけの核兵器があるか全世界に公表した後です。 第三諸国の核は、我々で始末します。 大国では、核の廃棄を始めて貰いましょう」
「無茶だ」
エンドセラスが呆れたように言うが。
しかし、だ。
もしもラン藻能力者が降臨したら、それこそ世界は一瞬で洗脳される。麟の時でさえ、あの有様だったのだ。
その二十倍と推定される奴が来たら。
それこそ、この世界は一瞬にしてディストピアだ。
今度は陽菜乃達でさえ、洗脳から逃れる事は出来ないだろう。
それが現実なのである。
「原子炉は」
「それについては、もっとも発電効率が高いものですし、稼働を続けましょう。 事故には最大限の注意を払わなければなりませんが」
「……反発が予想も出来ないほど大きいと思うけれど」
「やるしかありませんよ。 恐らく、意識の渦はもうラン藻能力者か、もしくは能力を具現化した「神」の降臨を準備しているはずです。 その実力は、多分人間が今まで夢想してきた神話の神々の比では無いでしょう。 クトゥルフ神話の神々は、設定こそ大仰ですが、人間の想像の範疇を超えていません。 今度来る神は、人間が想像するしない以前の問題の相手です」
陽菜乃は頭を抱えた。
実際問題、先進国が核放棄なんぞするわけがない。
エンドセラスも、渋い顔をしている。
会議は、一旦不毛なまま、休憩に入った。
十五分の休憩を終えた後。
エンドセラスが、早速言う。
「先進国は、揃って核放棄を拒否」
「奇遇だね。 わたしの伝手でもダメだった」
「……」
田奈が腕組みする。
もう、思いつく手がないのだろう。
実際問題、この状況下で、核を捨てるのは自殺行為だ。現在の軍事兵器の中には、核並の火力を持つものも存在はしているが。
それはそれ。
抑止力としての核は、やはり世界でもっとも信頼されている兵器の一つ、ということなのである。
「で、どうする? 多分もう時間ないけれど」
「というか、先進国がICBMの準備を始めてる。 出現地点に、水爆を飽和攻撃して、仕留めるつもりらしい」
「馬鹿か」
陽菜乃は思わず呻いていた。
弱体化する前の麟にさえ、水爆は効かない事が明確だった。
だというのに、その二十倍は確実に強い奴が来るというのに、水爆を使って解決しようというのか。
「この会議は見ているはずだろうに、どうして出来もしないことをしようとするかなあ」
「パニック状態だからだ」
陽菜乃の愚痴に、エンドセラスが容赦のない突っ込みを入れる。
ユリアーキオータが、呆れたようにあくびをすると。
部屋の外に出て行った。
古細菌能力者達も、それに続いて出て行く。
「面倒だ。 まずわしらで第三諸国の核を始末してくる」
「行ってらっしゃい。 まあ、抵抗するようなら皆殺しで構わないので」
「分かっておるよ」
ユリアーキオータら古細菌能力者は、第三諸国の軍隊くらいなら、真正面から蹴散らす実力を持っている。
放置していても大丈夫だろう。
問題は先進国だ。
米ロだけでも、世界を焼き尽くせる核を保有している状況である。この状況を、どうにかしなければならないが。
「水爆なんて通用しない。 中性子爆弾でも無理。 なのに、どうしてすがる」
陽菜乃は、テレビ画面に向けて言う。
向こうで見ている各国首脳に対しての言葉だ。
だが、どうせ、そっぽを向いているだろう。
実際問題、何処かの国が核を捨てれば。その時点で、他の国が得をするのだ。正直な話、どうしようもない。
核は化け物に対する兵器では無い。
人間に使う事を想定した兵器なのだから。
いずれにしても、これではまず交渉の材料がない。しばし考え込んでいたが。不意に、手を上げた者がいる。
ギガントピテクスだ。
「麟が構築した、軍事ネットワーク乗っ取り機能、生きていますか?」
「まあ何時でも起動は出来ますが」
「無理にそれを使って核を処分しますか」
少し、黙り込む。
これを各国首脳が聞いている上で、発言するギガントピテクスの胆力には、ある意味感心するが。
それは破滅的だ。
各国との協調関係に、致命的なひびが入る。
だが、正直な話。
時間がない。
「いつその邪神が世界に降臨するか分からない状態なのに、もたついていられますか」
「確かにそうだが、その後も考えなければならない立場だと分かっているな、ギガントピテクス」
「分かっています、エンドセラス様」
「ならば少し黙っていろ。 今の発言も忘れろ」
エンドセラスが、苛立ちを隠せずに言う。
もう手詰まりかな。
陽菜乃は、もう一度の休憩を指示。これは、少しばかり頭を冷やした方が良いだろう。そして、自身は、米国大統領とのホットラインに連絡を入れる。
米国の指揮系統頂点は、既に大統領に戻っている。一時麟にノックアウトされて寝込んでいたが、意識を取り戻したからである。
それでも、状態は変わらない。
「会議の経緯は知っていますね。 勇気ある決断を、いざ」
「無茶な事を言ってくれるな」
大統領が呻く。
そもそも彼は、米国内のパワーエリート達の調整役に過ぎない。パワーエリート達によって米国が事実上支配されている現状。
その利にならない事は出来ないのだ。
「既に、パワーエリート達は、核の運用を即座に始めろと突き上げてきている。 出現地点に全ての水爆を叩き込めば、必ず勝てると鼻息も荒い」
「無理だと言っていますが」
「彼らにはそんな言葉は届かない」
分かってくれ。
大統領がうめき声のように言う。
陽菜乃は、もう駄目だなこれはと思った。もはや、神の降臨は止められない。そして、この世界は。
終わる。
2、光あれ
太平洋上。
その光は、衛星からも観測されていた。
何かが、急激に集まっていく。
それが凄まじい熱源であり。
巨大なエネルギーを秘める何者かであり。
それでいながら拡散もせず。
ふくれあがることもなく。
小さな姿のまま、衛星からも観測されるほどの光を放っていることだけが、観測されていた。
何かの自然現象。例えばプラズマなどによるものかと、科学者達が分析を始める中で。早速衛星画像にアクセスした田奈は、即時結論した。
「来ました。 これです」
「間に合わなかったか」
陽菜乃は呻く。
後ろで、麟がけたけた笑っていた。これで世界は終わりだ。余の道連れになって終わりだ。
エンドセラスが殴りつけるが。
黙らない。
降臨した神は、遠くからでも、恐るべき力を持っていることを感じ取ることが出来た。それこそ、今まで感じた力など。
幼児の力に等しいほどに。
これは二十倍どころでは無いかも知れない。
「もっとも世界をダイナミックに変革した生物、か」
酸素は。
人間を一とする様々な生物にとっては、呼吸になくてはならない物質だ。だが、多くの場合、凄まじい猛毒でもある。
酸素を爆発させる事で、圧倒的な能力を得る生物が地球上では多数生息しているけれども。
宇宙では、決してその割合は多くないのでは無いかと言う研究成果もある。
つまり、そういった生物にとって。
地球は青くて美しい星などではなく。
異常な法則で発達した生物が暮らす。
この世の地獄、ということになる。
何しろ、降り立ったら焼き尽くされてしまうのだ。
酸素呼吸のメリットは、確かにある。爆発的な能力を発揮できる、というのがそれだ。
ただし、ラン藻やその先祖が酸素を作り出していったのは。
自分が覇権を握るためではなく。
他の生物を滅ぼすためでもなかっただろうが。
単に、そういう生物として変化したら。
周囲を徹底的に焼き尽くし。
自分たちだけが繁栄していった。
それだけだ。
猛獣を魔物かモンスターのように描いてしまうアニマルパニック映画がたくさんあるが、あれらは間違いだ。
猛獣はただ猛獣。
動物として生きているだけ。
人間より単純に物理的な戦闘力が高いだけ。
狩猟本能を持っているだけ。
人間の方がむしろ異常なのだ。
悪意を持って、或いは面白がって、他の生物を滅ぼす。顕著な例がアメリカリョコウバトだろう。
スポーツハンティングで徹底的に面白おかしく狩られたあげく。
最後に生き残った集団までも、スポーツハンティング「愛好家」の手によって、皆殺しにされた。
動物にそういった悪意はない。
単に狩るだけ。
単に生きているだけなのだ。
ラン藻もそれは同じ。
あの存在が、神か、それに近い存在だとして。もしもこの世界を変革するつもりだとしたら。
ただ淡々と機械的に。
世界をいじくることだろう。
軍事ネットワークは、少し前に回復している。各国で行われたデータセンター破壊作戦が上手く行ったのだ。
ただし、である。
それによる混乱は、大きな爪痕を残している。
現在、世界中が戒厳令状態で。
様々なインフラが麻痺寸前。
日本は比較的回復が早かったが。第三諸国のインフラは、復旧までに数十年は掛かるのでは無いかと言われている様子だ。
電子マネーショックも大きい。
今回の件で電子マネーから現金に切り替えた人間が非常に多く出たため、混乱が発生し、全世界で1600兆円規模の損害が出たという。
1京円規模の損害にまではいかなかったが。
それでも、桁外れのダメージだ。
ドバイショックやリーマンショックに比べると損害は小さく押さえることが出来たが。それは比較の対象が悪すぎる。
こんな中。
神が降臨したとなると。
どんな災厄が起きても、不思議では無い。
「まず様子を見ましょう」
田奈が言う。
陽菜乃も賛成だ。
いきなり人類を皆殺しに掛かって来たり、酸素を窒素に変えたりするかも知れないが。それをされたらどうにもならない。
もしそんな事が出来る相手なら、水爆云々などではどうにもならないし。
何よりも、対応策そのものが存在しない。
対話は可能か。
まず最初に見極めるべきは、それだ。
「私が行ってきます」
「ん……」
「通信は確保し続けていますので、何かあったら後は頼みます」
田奈は冷酷だが。
しかしそれは、自分自身を特別視しないことも意味している。
心が絶対零度まで冷え込んでいる田奈だが。
周囲から致命的な反発を受けないのは。
自分自身を特別扱いせず、場合によっては自分でさえ道具にすることが理由だろうか。
事実田奈は状況次第では常に最前線に立つし。
自分が手を汚すことを厭わない。
手を汚したことを言い訳もしない。
さて、こちらは各国政府と連携だ。
まずは、米国政府から。
水爆をぶち込むと息巻いている米国政府を、少しでも押さえなければならない。それこそ、古い時代の人間が夢想した、設定と実情がちぐはぐな神々とは、まるで桁が違う存在だ。
その気になれば。
全世界の人類を、一瞬で蒸発させるくらい、やりかねない相手なのである。
水爆も効かない。
何度もそう言い聞かせているのに。
水爆なら効く。
中性子爆弾を投入するべきだ。
そうして、米国での首脳部は、大紛糾している様子だ。ロシアに関しても、恐らくそれは同じだろう。
悪夢と言うほか無いが。
これが人間というものだ。
陽菜乃自身も、能力者になって人間から微妙にずれるまでは、それに気付くことが出来なかった。
人間ではなくなってから。
そのおぞましい実態に気付くことになったが。
もはや人間に戻ろうとかは思えないし。
無責任な人間賛歌には、正直冷笑さえ覚えるのが現実である。実際問題、闇のまた闇で、人間の作った社会の矛盾を嫌と言うほどみてきたのだから、それも当然だろう。
「田奈さん、大丈夫かな……」
誰かが呟く。
陽菜乃は、会議室で席に着いたまま、無言でじっとヘリの映像を見ている。
こういうときは黙っている方が良い。
周囲を落ち着かせることが出来るからだ。
咳払いする。
周囲は、それで背筋を伸ばした様子だ。
米軍の輸送ヘリで、田奈は太平洋上の。ラン藻やその先祖が全て集まった能力者なり神なりの居場所へと出向く。
そして、ネゴが出来るならする。
出来ないようなら、次善策を採って欲しい。
そう、田奈は幾つかの策を残していった。
とはいっても。
そんな策が、通じる相手とも思えない。
いずれにしても、田奈の対応待ちだが。
「戻ったぞ」
ユリアーキオータが来る。
どうやら、第三諸国の核兵器を、根こそぎ破壊してきたらしい。その過程で、抵抗する第三諸国の軍やら何やらを相当数殺したようだが、それについては何も言わない。言っても仕方が無いからだ。
子供にしか見えないユリアーキオータは。
画像を見て、鼻を鳴らす。
「始めたか」
「いずれにしても、もはや出来る事はほぼありませんね。 戦ったとしても、勝ち目はゼロです」
「分かっておるわ」
古細菌能力者でさえ、赤子扱い。
そういう次元の相手である。
そもそも麟でさえそうだったのだ。
その最低でも二十倍。
実物の気配を感じた今では、そんな生やさしい次元では無いと確信できる。それほどの無茶苦茶な存在が。
田奈が向かう先にいる。
正直な話。
陽菜乃は、既に絶望していたかも知れない。
田奈は、これで死ぬかなと考えていた。
自分の乗っているヘリは、最新鋭のもので。音速近くまで速度を上げる事が出来るのだけれども。
いざという時。
それでも逃げられないだろう。
一瞬で殺されるのがオチだ。
目を細めたのは、見えてきたから。
海上に、小さな人型が見える。
大きさは二メートル弱。一メートル五十から七十という所だろう。ごくごく小さな人間型である。
そういえば、どんな神話でも。
神は人に似た姿をしている。
人に色々なものを追加した姿、というのが正しいか。
大きかったり、全身に無数の目があったり、翼があったり。或いは腕や頭が多かったり。ベースを人間としていても。
それでありながら、人でない。
それは種族レベルでのナルシズムの結果では無いかと田奈は考えているが。
いずれにしても。
神と呼べるそれは。
人型の、光るナニカ。
人では無いし。
人間離れした存在にも、今の時点では見えなかった。
ヘリが高度を落とす。
パイロットは歴戦の兵士だが。流石に緊張している様子だ。英語で、様々な罵倒の言葉が聞こえる。
当然、出撃前に、家族に別れを告げてきたそうだ。
生きて帰れるとは、思っていないのだろう。
実際問題、田奈ももう生きて帰ることは諦めている。どうすれば、納得してくれるか。それだけを引き出せれば御の字だとさえ思っていた。
ほどなく。
ヘリの高度が、海面すれすれに。
距離は五十メートルほど。
光るナニカは、此方に対して興味さえ示していない。折りたたみ式のゴムボートを海上に放る。
救命用のものだが。
いざという時には。五十メートルくらいなら、ぽんと飛んで逃げられるので、単に腰を据えて話をするためのものだ。
そんな暇さえ無いかも知れない。
田奈は自嘲する。
ちなみに、カメラはヘリに任せる。
重力操作を利用して、光る何者かに近づいていくと。
始めてそれは、田奈の方に向き直った。
驚いた。
光ってはいるが。
それの姿は、田奈そっくりだった。
鏡に映したように似ている。
アースロプレウラとしての力はまったく感じない。
海上に浮いているのも、何か得体が知れない力によるものだろう。いずれにしても、ただ者では無いし。
どうして田奈に姿を似せているかは、分からない。
一瞬だけ躊躇したが。
それでも、話しかける。
この世界で、もっとも公用語として力を持つ、英語でだ。
「始めまして。 貴方は意識の渦から派遣された、世界を改革する者ですね。 私は篠崎田奈。 アースロプレウラの能力者です」
「お前が篠崎田奈か」
「!」
返事は日本語だ。
少し驚いたが。
意識の渦は、それこそ全ての知識を蓄えていても不思議では無い。ひょっとして、話しかけている相手に、そのまま鏡写しの姿を見せているのか。
「貴方は、これから何をしようとしていますか」
「まだ決めていない」
「ふむ」
「まず、現状の地球環境の精査をしている。 人間が多すぎて、その活動が著しい悪影響を周囲に与え。 この星の寿命を縮めていることは今の段階でも分かっているが。 それをどう改善すべきかを分析している」
なるほど。
思ったより、ずっと理知的な存在らしい。
いきなり地球を酸素だけの星にするとか、そういう事はしなかっただけでも。麟に比べると、理性的か。
というか、麟の私怨に満ちた行動が問題視されたからこそ、こういう存在が喚び出されたのだろうが。いや、送り込まれたと言うべきか。
「話し合いをしませんか」
「何を話し合う」
「まず、どうして私の姿を模したのですか。 それを聞かせていただきたい」
「現存する古代生物能力者の中で、お前が一番客観的に人類を見ている上に、判断力も優れていると判断したからだ」
それは光栄の極み。
そう返そうとして、田奈は苦笑いしてしまう。
自分はそんな大したものではないと思っているし。何より、そんな風に評価されたのはいつぶりだろうから。
陽菜乃でさえ。
自分を冷血の権化として見ている昨今。
まさか、客観的に人間を見ている、冷静な観察者などと思われているとは、意外極まりなかった。
田奈は、近年あらゆる意味で自信がなくなりつつあったのだが。
そういう評価をされたことで、少しだけ相手に親近感を持った。
「そして、私を模したことで、何をしようというのです」
「分析だ」
「誰もが幸福になれる未来のために、話し合いをしませんか。 各国首脳は、貴方を怖れています」
「国という概念が既に問題の塊だ。 それぞれがエゴを勝手にぶつけ合うから、地球上の資源を加速度的に浪費している。 人間だけがそれで滅ぶのなら勝手にすればいいが、地球の生命そのものが滅ぶ」
確かにそうだ。
ラン藻は、もっともダイナミックに地球環境を変革した生物だが。
それがエゴによるものではない。
ただ、そういう風に変化して。
世界中から敵を排除し。
自分とその眷属を増やしていった。それだけだ。
この星の進化は、ラン藻によって決定づけられたと言っても良い。それこそ、歴史の最重要存在ともいえる生物種だ。
だが、その行動原理は、エゴでは無いのだ。
地球人類とは、決定的に違う所である。
「各国政府の恐怖を、まずは取り除く必要があると思います。 貴方ほどのスペックがあれば、或いは何かしらの打開策を提案できるかも知れません」
「畏れを感じるぞ、篠崎田奈」
「それは当たり前です。 此処にも、もう生きて帰れない覚悟はして来ていますから」
「私は人では無い。 気分次第で相手を殺したりしない」
そうか。
そこは、田原坂麟とは決定的に違うのだな。
田奈は、ふうと嘆息する。
そこだけは安心してもいいか。だが、安心して良いのは、文字通り其処だけだ。感情や気分で行動しないとしても。
それ故に、何か始めたら、もはや徹底的に。
情けも容赦もなく、全てを蹂躙していくだろう。
それが、この存在だと言う事は、少し話しただけでよく分かった。光の神とでも言うべきこのものは。
それこそ、自分の子孫が滅びようとも。
まるで眉一つ動かさず。
改革を断行するだろう。
そして、その改革は。
いにしえの海で、ラン藻が世界そのものを変えていったように。
下手をすると、この星の根本的なルールから、徹底的に変化させていくことは、間違いないだろう。
相手は神。
それも人間が夢想した、人間のような心を持つ存在でも。
逆に、狂気に満ちた、悪意の塊でもなく。
ただの、現象としての神。
いうならば、原始信仰の神に近い。
「各国政府との話し合いの場を作ります。 其処で、貴方の要求を、各国に伝えていただきたいのですが」
「各国、等というのが既に煩わしい。 ざっと調べたところ、認識されているだけでも二百以上の国家とそれに準じる組織があるではないか。 そのような数のものが、我が要求を一様に聞き入れるのか」
「田原坂麟の危険性を、多様性の崩壊という点で拒否したという話を聞いています。 これも多様性の形の一つとして受け入れられませんか」
「多様性と言うのとは少し違う。 なぜなら、国家というものの点で、それらは全て共通しているからだ」
これは取りつく島もないか。
しかも、である。
分析をとっくに終えているのか。
光の者は言う。
「それに、どうせ「主要国」だけだろう。 我との話し合いの場に出てくるのは」
「その辺りは、此方で膳立てをします」
「この世界を知るが故にか」
「そうなります」
口をつぐむ光の者。
何を考えている。
冷や汗が流れっぱなしだ。この存在と、会話をしているだけで、それこそ精神をごっそり持って行かれそうなのだ。
気まぐれでは殺さない。
そう断言はしたが。
必要とあれば、それこそその場にあるゴミを払うようにして、地球上の人間を一瞬で焼き尽くしかねない化け物だ。
田奈が何をやっても勝てない。
というか、世界中の人類と。能力者が。総力を挙げても勝てない。
「分かった。 時間を与えよう。 この世界の国家とやらの代表者全てを集めよ。 時間は、72時間ほどやろう」
「分かりました」
「その上で、要求を伝える。 この世界の国家をまず一つにせよ。 この世界の資源を食い尽くしているのは、複数国家による覇権主義のぶつかり合いが故だ。 国家が単一であっても、多様性は確保できる。 むしろそうすることによって、多様性を尊重する事が出来るはずだ」
口惜しいが。
此奴はもう人間について知り尽くしているとみるべきだ。
意識の渦にあったという、滅亡した未来世界の人間から、情報を得ているのかも知れない。
いずれにしても、断る選択肢は無い。
田奈はボートを動かして、ヘリに戻ると。
通信機に呼びかけた。
「聞いての通りです。 すぐに、対応の準備を」
3、神との対話
それは決して超常的な存在では無い。
何しろ、古くから存在し。現在までも生き延びている生物の、意識の渦から来たものなのだから。
目に見えないだけ。
だがそこにいる。
それが、光の者。
この世界で、もっとも神と喚ぶにふさわしい存在だろう。
化け物と言えば化け物だが。
そういう事を言うなら。
人間も、化け物中の化け物だろう。
田奈との会話を見ていて、陽菜乃は参ったなと思った。たったの三日。それだけで、主要国どころか、地球上全ての国家の首脳を会談に応じさせる準備をしろ、というのか。無茶苦茶を言ってくれる。
主要国が主導したとしても。
会談に応じない国家は多いだろう。
それだけではない。
会談に応じたところで。
光の者の言葉を、どれだけの国家が聞く事か。
実際問題、過激な原理主義に国家そのものが染まっている場所もある。それらは、光の者を「悪魔」と呼んでいるようだ。
そして、自分たちが信じる「神」が、悪魔を滅ぼしてくれると盲信さえしているようなのである。
どうしようもない。
エンドセラスが来る。
田奈と光の者の交渉が終わった後。
三時間の状況だ。
「主要国は対話に応じる準備が出来たと言っている。 もっとも、相手の要求次第では、水爆を撃ち込むつもりのようだが」
「殺してくれと言っているようなものだね……」
「ああ、その通りだが。 何度言っても納得しない。 というか、納得したくないのだろうな」
主要国にも、一神教の信者は多い。
何を崇めようと自由だ。勿論それは確かだが。しかしこういうとき。その自由が、足枷になる。
そもそも、自由の美名の下に。
無法の限りを尽くしてきたから、対に地球側から、こういう存在が送り込まれてきた、と考えるべきだろう。
「主要国の衛星国は」
「それは心配ない。 問題は、幾つかの第三諸国だ。 そもそも代表が誰なのかさえ分からないケースも多い」
「エンドセラスさんの支配下にある国は良いとして。 いっそのこと、処分しちゃおうか」
「それしかないか」
第三諸国では。
政府軍と、反乱軍が、血で血を洗う争いをしている様な国が、幾つでもある。そういった国では、政府軍も反乱軍も同じ穴の狢。
人間の悪意と邪悪を凝縮したような存在が。
仁義無き殺し合いをしているようなケースが殆どだ。
結局の所、こういう国が、世界には数十もある。
それだけではない。
もはや国家の体を為していないような失敗国家や。
あらゆる意味で、全てがまともに機能していない地域さえある。それらについては、どうするのか。
処分するのは。
これらの国だ。
いずれの国も、政体としての寿命を終わらせる。
過激だが、足並みを揃えるには仕方が無い。
勿論生活している人間には、極力害を加えないように工夫はするが。いずれにしても、どうにかするしかない。
現在、失敗国家や内乱国家になっている国をリストアップ。
全体の二割ほど。
つまり40程の国が、まともに対話に応じられそうにない。
これらを、三日で片付けるしかない。
幾つかの特に面倒な国は、古細菌達らに任せる。無茶苦茶な独裁政権を敷いている独裁者は、秘密裏に処分して。国家として、無理矢理よそと統合してしまうしかないだろう。今回は非常事態だ。
下手をすると、人類が滅ぶのだ。
幾つかの国にも、全力を挙げて軍を動かして貰う。
三日しかない。
その中で、四十ある問題国家を、まとめなければならないのだ。
「アフリカの方は任せられる、エンドセラスさん」
「問題国家の内、七つは私の支配国家だ。 任せておけ」
「それらの国家に、残りを統合するとして。 私達は、中央アジアを片付けるか……」
問題国家の殆どは。
資源があまりにも少なすぎるのが問題で、それを奪い合って人間達が仁義無き殺し合いをしているケースが殆どである。
だから、テロリストやら、犯罪組織やらを全部片付けても、正直な所、何ら解決にはならないが。
今は、三日だけしのげればいいのである。
各国に手練れを派遣して。
無理矢理統一をするしかない。
勿論それが流血を伴うし。
支配者側のエゴに満ちたやり方だと言う事も充分に承知しているが。それでも、今回はやるしかない。
冷戦という時代の負の遺産を。
まとめて片付ける、大掃除の時が来たのだ。
今、やらなければ。
全てが終わる。
さっそく、動き出す。陽菜乃自身も、数千人単位で殺さなければならないだろうなと考えると、気が重い。
だが、それでも。
三日でやらなければならない以上。
無理を承知で。
全てを片付けなければならなかった。
世界地図に記された赤い部分。
いずれもが、これから処置しなければならない場所。
手練れが各国に散って。無理矢理処理を始めて。順番に、赤い色が消えていく。大国も、それぞれが軍を全力で動かし、無理矢理の統一作戦を開始していた。
とにかく三日後だ。
水爆も中性子爆弾も効かないと、何度も念押ししている。
それでも、強硬派はいたが。
どうにか説得には成功したらしい。実際問題、本当に効かなかったときの衝撃は、洒落にならないと判断したのだろう。
隕石が降ってくる以上の脅威なのだ。
一日目には、十四個の赤が消えた。それこそ、この日だけで十万以上の人命が自然死や病死以外の理由で失われたが、もはや構っている暇が無い。
二日目には、残りは七つになった。
その時点で、陽菜乃は、反政府勢力を二十七個皆殺しにし。
ついでに政府の軍も七つを壊滅させた。
それで、言う事を無理矢理聞かせる態勢を造りながら、次の国へ。次の国へと進む。最後は、中東だ。
田奈には、二日目の朝には、既に各国首脳の会談準備を整えて貰う。空席があったらまずい。
だから、無理矢理にでも、誰かしらを仕立てる。
無茶苦茶にもほどがあるが。
三日目には、たまたま運良く近場に停泊していた米海軍が、ソマリアを完全制圧したことで、どうにか全ての国が、短時間でも対話が出来る体勢が整った。この三日だけで、六十万人を超える人間が死んだが。
それでも、全世界の人口から考えると、少なすぎるほどだ。
勿論後が色々問題になるだろうが。
それでも仕方が無い。
とにかく、今はやるしかないのだ。
政情不安定な国の首脳には、手練れの能力者をつける。
正直それでも不安な位なのだけれど。
二日目の夕方には、どうにか四十の国の準備全てが整い。他の国も、ぐずっていた連中はどうにか無理矢理に説得した。
言うことを聞きそうに無い連中は。
この世から退場して貰った。
陽菜乃は、血まみれのまま、中東の一国で、田奈に連絡する。周囲には、世界でもっとも残虐とされたテロ集団の残骸が散らばっている。今回はもはや手加減をする暇も無かった。
少年兵も多くいたが。
皆殺しにするしかなかった。
これが、人類が積み上げてきた罪のツケだと思うと、酷すぎるとも感じるが。
それでも、問答無用で人類が滅ぼされかねない状況に来ているのだ。
田原坂麟の恐怖が去った直後。
それ以上の悪夢が来るほどに、状況は逼迫している。
そのおぞましすぎる状態を理解させるのに、60万を超える犠牲が必要だった、と考えると。
今後の反動が恐ろしい。
死角から狙撃。
ライフル弾を掴むと、投げ返す。
まだ生きていた残党の頭が吹っ飛ぶのを横目に。陽菜乃は、田奈に状況を聞いた。
「で、どんな感じ」
「海上に、既に対話のための設備を構築しています。 光の者は、微動だにしません」
「本当に72時間だけ待ってくれるんだねえ」
「そういう意味では、人間より遙かに良心的ですね」
ある意味乾いた笑いが漏れてくる。
この国も散々酷い国だが。
兎に角、これで対話が出来る態勢は整った。後十五分ほどで、敵の残党は残らず処分する。
他の国でも、手練れが必死に頑張ってくれているが。
それでも、この後の反動を押さえることは出来ないだろう。
悪魔。
この国の言葉で、そう叫ぶ声が聞こえた。
違うな。
陽菜乃は、内心で呟く。
そして、叫んだ奴の近くの地面を蹴り砕き。
周囲数十メートルを消し飛ばした。
勿論叫んだ奴は木っ端みじん。
欠片も残らなかった。
爆弾を体中に巻き付けた子供が。叫びながら、突進してくる。ぴんと指を弾く。指弾である。
小さな砂粒を、音速の十倍以上の速度で叩き付けたのだ。
勿論、子供は欠片も残らず。
爆弾も起爆さえしなかった。
心を殺せ。
田奈だって、そうした。
むしろ、田奈にこういった仕事を押しつけてしまった結果が。あの冷徹な心に落ちた田奈の結末だ。
自分だって、これくらいはしろ。
もはや、世界が滅びる寸前なのだ。
これ以上、エゴを振りかざす連中のために。この世界を滅茶苦茶にさせるわけにはいかないのだ。
殺せ。
ひたすらに。
ただ静かに。
殺しつくせ。
陽菜乃は、口を引き結ぶと。
それから十五分で。
千二百人ほどを殺しつくし。全身返り血で真っ赤になったまま、次の戦地へ赴くのだった。
4、おぞましきもの
200を超える国家の首脳が、全てテレビ会議に映っている。無理矢理通信をつないで、会話が出来るようにしたものだ。
光の者は、72時間きっかりで動きだした。
そこまで待ってくれたと言うだけで。
どれだけ良心的なのか分からない。
陽菜乃は、全ての作戦行動を終えて。一旦米軍のキャンプに。シャワーを浴びる余裕も無い。
其処で、疲労困憊した米軍の兵士達を横目に。
テレビ会議の様子を見に行った。
田奈とのホットラインも確保してある。
ネゴには、田奈が補助で当たるのだ。
「全ての国家首脳が、対話に応じる準備ができました」
「よろしい。 誠意は受け取った」
「では、要求を」
「これより、人類はその国家を一つと為せ」
いきなり、ストレートに。
無茶な要求が飛ぶ。
米国の大統領が、流石に青ざめた。
というよりも、どこの国の政治家でも、同じ反応を返すだろう。
「無理だ。 各国の利権の調整が、どれだけ難しいか」
「貴方が神に等しい存在だと言う事は分かっている。 だが、それが故に、どれだけ人類をまとめ上げるのが難しいかは、理解しているはずだ」
ロシアの首相も言う。
ちなみに完全に腰が引けている。
理由は簡単。
光の者を見て、実感してしまったからだろう。此奴には、本当にありとあらゆる兵器が通用しないし。
その気になれば、人間を滅ぼすことなど、片手間に出来てしまうのだと。
今の時代、政治家は、実際には政治屋の側面が強い。
金をどれだけ使ってどれだけ国や人を豊かにするのではなく。
権力闘争のために、うつつを抜かす側面の方が強いのが、近現代の政治家の特徴だ。富国強兵という言葉が死語になって久しいし。それが帝国主義につながるというのもある。だが、実際には、資本主義社会が風船のように勝手に膨らむ傾向があり。政治家の手を離れて、国が暴走しているケースも珍しくない。
そういう状態で。
舵取りが如何に難しいかは。
陽菜乃も分かっているつもりだ。
もっとも、志のある政治家が、全世界的に極端に減っているのも事実なのだろうが。
「此方から幾つか案を出す。 まず、一つ。 人間を半分に減らす。 お前達が減らす人間を選べないというのなら、我が今すぐやってやろう。 次に、二つ。 お前達で話しあって、統一政体を作れ。 時間は同じく72時間の猶予をやろう。 最後に、三つ。 いっそ、人間を新しい段階に進化させてやろう」
「新しい段階へ進化、とは」
「言語を必要とせず、互いの複雑な意思疎通を可能とする生物へだ。 利害の調整に、延々と話し合う必要もない。 社会に害悪を為す存在も、即座に発見することが出来る」
全人類を、一瞬で進化させることが可能だ。
光の者は言う。
青ざめた首脳達。
「横暴だ!」
叫んだのは、印度の首相。
貴方が神に一番近い存在だとしても、人間の支配するこの星に、そんな要求を突きつけるのは、侵略者のそれでしかない。
叫ぶが、光の者は一笑に付す。
「そう言って人間賛歌とやらを紡いできたお前達が、今この星を滅ぼそうとしているのは滑稽極まりないな。 既にこの星は、抜き差しならぬ所まで来ている。 我はこの世界をもっとも激しく変革した生物の権化である。 故に指摘しよう。 そなた達のは変革ではなく、ただの破滅だと」
「侵略だ!」
「暴虐だ!」
ぎゃあぎゃあと声が上がる。
なんとか無理矢理国家代表に仕立てた連中だ。
この状態を準備するだけでも精一杯だったのは分かっている。
役に立たなくてもいいから座っていてくれ。
そう指示したのに。
案の定、馬鹿丸出しである。
頭を抱えたくなる。
田奈がどれだけ苦労して、この怪物とネゴしたか、分かっているのか。田奈がネゴしていなければ、世界はとっくに滅ぼされていた可能性も低くなかったのだ。それだというのに、此奴らは。
「侵略と言えば侵略だろう。 事実我は、この星を徹底的に侵略した。 酸素という手段でな」
「……?」
「無知なものは科学者にでも聞け。 だが、酸素を利用して呼吸することによって、この星の生物は、爆発的な身体能力を得ることに成功。 ダイナミックにこの星の上を駆けることが出来るようになった。 寿命はその代わり縮んだが、体を激しく燃やしながら生きるその姿は、酸素がこの星に満ちたが故だ」
結局の所。
確かにそれは真実だ。
他の星から見て、地球は美しい蒼に見えるだろうか。
見えるかも知れない。
同じ酸素呼吸型の生物なら、そう見えるだろう。
だが、そうでない生物にとっては。
此処はそれこそ。
灼熱の地獄。
酸素という猛毒が満ちた、悪夢の世界に見えるはずだ。
事実、古細菌達にとってはそうだった。
彼らは今や、酸素が極端に少ない、特殊な環境でしか生きていく事が出来ない。それも、ラン藻やその先祖による世界の改変の結果だ。
しかしながら、それにより。
この星は今の姿を保っている。
人類にとっては。
ラン藻やその先祖は、それこそひれ伏しても拝まなければならない、大恩人に違いないのだ。
「つまり、この星はとても強くなった。 お前達がやっている、根源的な部分からの破滅とは根本的に違う。 そして私の介入がなければ、もはやお前達は、数世代を待たずして、この世界を滅ぼすだろう」
その通り。
陽菜乃は、豆乳のパックを開けて、ストローを突っ込みながら呟く。
事実、重要資源の幾つかは、既に枯渇し始めている。
先ほどから、光の者は何一つ理不尽を言っていない。
むしろエゴを振りかざして勝手を言っているのは、人類の方だ。それについては、陽菜乃もぐうの音も出ないほど同意できる。
七つの大罪という言葉があるが。
その七つの大罪がなければ、人類は発展しなかった。
だが、今。
その発展が、人類に最後通牒を突きつける事態になっている。
人類が星の海に出たとしても、災厄をまき散らすだけの存在になるのは、もはや明確な現状。
光の者による通告は。
どうしようもない、正論の矢として突き刺さってくる。
「わ、我が国は戦うぞ! 大国ばかり良い思いをして、我々から搾取を続けているこの世界だ! 独立まで奪われてたまるか!」
「我が国もだ!」
二十、三十の国の指導者が喚く。
頭を抱えたくなる。
どれだけの相手が目の前にいるか、分かっているのだろうか。
光の者は一顧だにしない。
ただ、手をすっと横に動かしただけ。
それだけで、全員が黙り込んだ。
恐怖を、誘発させたのだ。それだけの行為で、全員が恐怖で凍り付いて、喋る事さえ出来なくなった。
「また72時間やろう。 先の三つの提案の中から、好きなものを選べ。 もしも選べないようなら、我が強制的に執行する。 我は先行していたサメの意識を持つ者、田原坂麟のように優しくは無いぞ。 一瞬にして、この星の全てを改革する。 我にはその力も義務もある」
「……」
陽菜乃は、終わったなと思った。
田奈が、せめてネゴの前面に立っていれば。
誰もが恐怖で動けない中。
ある国の指導者が。誰かに引っ張られて、画面外に消えた。
アフリカの小さな国のだ。
「今から交渉を代わります。 たった今、この国の実権を掌握した篠崎田奈です」
「ほう。 アースロプレウラか」
「な、なんだね! 君は確かにこの場を準備してくれたが、そんな乱暴なやり方は」
「このままだと、人類は問答無用で滅亡しますよ。 少し黙っていなさい」
むしろ静かな声だったのに。
凄まじい威圧感に満ちた言葉は。
どの国の首相も、一発で黙るに充分だった。
光の者だけが平然としている。
陽菜乃はポテチを開けると、さて面白くなってきたと思ったが。それにしても、田奈もまた、大胆なことをする。
手段を選ばない子になっているが。
ここまでやると、むしろ小気味が良い。
「第四の提案をしたいのですが、よろしいですか」
「第四の提案か。 具体的に申せ」
「どのみちこのままでは、人類は資源を使い切って文明が崩壊するか、もし何かの間違えで宇宙に出る事が出来ても、他の星に際限なく迷惑を掛ける、B級映画のエイリアンそのものになるでしょう。 それならば、地球人類はどのみち変革しなければならない。 しかし、洗脳や強制的な圧力によっての変革では、どうしても結局無理が出ます」
「ふむ、それで」
光の者は、田奈の話は聞いている。
他と違って不毛では無いからだろう。
実際先ほどまでの、エゴに満ちた言動とは違うものがある。田奈の場合は、自分を犠牲にすることを何とも思っていないのが大きい。
「ならば、古代生物能力者の能力を限界まで引き上げ、この世界を円滑に統治できる存在によって、世界を改革していけば良い。 どのみち、ダイナミックに世界を変革するために、古代生物能力者は力を与えられた。 今後は指導者として、もっと積極的に関わっていく事が必要だと、前から私は思っていましたので」
「ふむ、少数の、古代生物の力を得た絶対者による、完全なる統治か。 だが、それには問題がある」
「分かっています。 現状の古代生物能力者は、不老に近いですが、エゴはきっちり残っている。 それを排除してしまう必要があるでしょう」
「まて」
エンドセラスが呻く。
陽菜乃は、おいおいと思った。
それは、今世界にいる古代生物能力者達が、全員田奈のようになる、という事か。
確かに、古代生物能力者はそれぞれが圧倒的な力を持っている。だが、それはあくまで力であって、田奈のように頭が切れる奴は珍しいし。政治に向いているエンドセラスのような例は更に珍しい。
「エゴが残っている神に近い存在としては、田原坂麟という悪例が至近にあります。 もし貴方が改革するべきならば、それは古代生物能力者にするべきだ。 これが第四の選択としての提案です」
「……ふむ、興味深い」
「ま、待て! 我々は蚊帳の外か!」
「当たり前だ。 ではこの者以上の提案か、72時間以内の世界統一を成し遂げてみせられるのか」
米国の大統領が抗議するが、完全に一蹴される。
気の毒だが。
これは、化け物同士の会談と化している。
もはや人間が割って入る余地はない。
海千山千のパワーエリートどもとやり合ってきている米国大統領だろうが、今回ばかりは相手が悪すぎる。
相手は本物の神にもっとも近しき存在と。
地獄を見てきた、等という言葉では生やさしすぎる。本当の地獄から来たネゴシエーターだ。
実際、田奈が話をまとめなければ。
そもそもこの席さえ実現しなかった。
そしてその席をぶちこわしにしようとしている人間達に。
田奈が愛想を尽かすのも、当然だと言えた。
「に、人間の強制進化をして、この星がまともになる保証は」
「100%」
光の者が、米国大統領に即答。
大きく、米国大統領は嘆息した。
「だが、そんなもんは人間じゃない」
「その異常なまでの人間に対する過大評価が、この世界を終わりの寸前にまで導き、我の降臨を招いた」
「72時間くれ。 世界中の科学者を収集して、何か他に案が無いか会議を行う。 もしもそれで有用な案が出なければ、先ほどの第四の案を」
「アースロプレウラ、異存はないか」
もはや、この場での最大の発言力を持つ田奈に、光の者が話を振ったのは、当然だとも言えるだろう。
田奈は、大きく嘆息すると。
ご随意に、と言った。
田奈の所に出向く。
虚ろな目をしたメイド達が、部屋を片付けていた。
此処はアフリカの小さな国。
くだらない民族紛争で無数の死者を毎年のように出し。それでいながら何ら改善もせず。改善しようともしない国だ。
無理矢理大統領に据えた人物も。
どうせ一年と保たなかっただろう。
事実、部屋はミンチの山。
田奈が必要ないと判断して、首脳部を全部処理したのだろう。重力使いの田奈にとって、大量虐殺はお手の物だ。
この子は今、それだけの力を持っている。
そして、恐ろしい事に。
やろうと思えば、いつでも万単位での殺戮が可能だ。
事実この国の過激派も反乱勢力も。
四時間と掛からずに、田奈に皆殺しにされている。
それほど大きな国ではないから、ではあるけれど。それでも、もう実力は陽菜乃と遜色ない。
今やこの国の民は、篠崎田奈という名前を聞くだけで、恐怖で失禁しそうな顔をするほどである。
悪魔と呼んでいる者もいるようだ。
迷信深いこの土地で、悪魔と呼ばれる事がいかなる意味を持つかなど、言うまでも無い事である。
「随分乱暴にやったね」
「もはや他に方法はありませんよ。 陽菜乃さん、此処を任せても良いですか」
「何、代理として座ってろって?」
「科学者の会議に出てきます。 どうせ放置しておいても、まともな意見なんて出ませんから」
田奈は其処まで言うようになったか。
人間の未来を一切信用していない。
というか、それもそうか。
客観的に見れば、人間ほど信頼出来ない生物もそうそういないのだから、まあ当然だろう。
「場合によっては、多少殺します」
「あまり無茶はしないでよ」
「人類が滅ぶかの瀬戸際ですよ」
「……そうだけれどさ」
こりゃ、下手すると。
自棄になった大国が、ありったけの核を光の者にぶち込みかねない。
それであっさり返り討ちにされる。
その図が、ありありと脳裏に浮かんでくる。
田原坂麟を倒したのは、無駄だったのか。
そうとさえ思えてきた。
というよりも、だ。
田原坂麟が出てきたとき。既にこの世界の命運について、古代生物の意識の渦は、諦めていたのかも知れない。
である以上。
田原坂麟を倒しても、それ以上の者を繰り出してくるのは。当たり前だったのだろう。
努力は無駄だったのか。
否。
そうさせてはならない。
田奈に全てを任せていたら。
恐らくこの世は、地獄になる。
「田奈。 わたしも出る、その会議」
「私を信用しないんですね」
「はっきりいうと、今の田奈はもう人間じゃないと思う。 まあわたし達もそうなんだけれどさ」
はっきりとぶっちゃける。
実際問題、不老。
更に得体が知れない能力。
この二つを得ているだけで。
既に人間からは、完全にかけ離れている、と言わざるを得ない。
自分たちは人間だと言っても。
人間が認めることがそもそもないだろう。
だが、それでもだ。
人間の世界で生きてきた、という自負はある。
勿論散々汚れ仕事もしてきた。
犠牲者も大勢出した。
田奈もその一人。
何とかするには。暴走を食い止めるしかない。そして仮に光の者を倒せても。次が来るのは明白。
そしてもしも光の者を撃退でもしようものなら。
次に来る奴は、恐らくは問答無用で、人類を滅ぼすだろう。
田奈が、仕方が無いと言って。
テレビ会議のシステムを、この部屋に移動させる。
陽菜乃は連れてきた何人かを、押さえに外に行かせた。その対象は、言うまでも無い事だが。
この国の民だ。
武装した連中は田奈が皆殺しにしたが、元々治安が悪い国である。
今は、正直暴動にまで発展すると面倒だ。
恐怖で押さえつけるしかない。
一人は広域テレパシーの能力者。
不満分子が集まっていたら、問答無用で殲滅せよ。
それだけの過激な命令を出すしか無かった。
テレビ会議が始まる。
世界の有名な科学者一万人ほどが、彼方此方の会議場に集まっている。あらゆる分野の専門家達が、だ。
これらの全員が、会談の内容を見ている。
中には、最初から鼻で笑っているものもいるようだった。
「あのようなトリック映像に騙されるものか。 仮にそんな化け物がいるとしても、即座に水爆で焼き払ってし……」
次の瞬間。
その大物経済学者は、ぞうきんのようにねじられて、潰れて死んだ。
田奈の手の者が、彼方此方の会議場にいるのだ。
建設的な話をしない奴は消せ。
そう命じているらしかった。
陽菜乃はひえっと思ったが。だが、世界が滅亡するかの瀬戸際で、こんな脳みそが腐った阿呆を好きに喋らせておく時間は惜しい。その理屈も、分かるのである。だから、何も言わない。
介入もしない。
田奈が、会議に出ている科学者達を。
それこそ、ゴミでも見るような目で言った。
「建設的な議論が出来ない人間はその場で殺します。 どれだけ実績を積んでいる科学者でも例外はありませんよ」
恐怖に青ざめる科学者達。
田奈の目が、完全に狂人のそれだから、というのもあるだろう。
というか、狂人と言うよりも。
もはや完全に人間をブッ飛んでしまった精神状態、というべきか。あんなに優しかった子なのに。
どれだけ後悔してもしきれない。
「それでは、人類を滅亡から救う具体案をどうぞ」
「今こそ、マルクスの提言した、真なる社会主義を立ち上げるときだ。 資本主義の終焉の先に、マルクスの唱える真なる社会主義が」
「そんなものが成立すると本気で思っているのかね。 カンボジアの悪夢を忘れたと」
「あれは、マルクスの提唱した社会主義とは別物だ!」
社会学者達が早速喧々諤々。
生物学者達も、それぞれ提案する。
「人類を半分に減らすとして、その配分をどうするか、だな。 あの光の存在が、どうやって人間を半分にするかは分からないし。 仮に出来るとする。 だが、その後の世界は、人間がどう分布しているのかが問題だ」
「先進国の人間ばかり生き残るようでは色々問題があるだろう。 しかし人口爆発の原因になっている第三諸国の人間が生き残るのも問題だな。 あっという間に元の木阿弥になる」
「人口抑制も同時に頼むしかないな」
此奴らは、案外楽天的である。
自分がその減らされる人数に混じっていても、大丈夫なのだろうか。というか、そうなるとは思ってもいないのだろう。
自分たちの知恵に絶対の自信を持っていて。
選ばれた人間だと思っているのだろうから。
歴史学者は言う。
「古来よりも、発展した文明が何度も滅亡してきているのは周知の事実だ。 この文明にもその時が来た、と言うだけのことだな」
「ならば一度原始時代に戻れ、というのか」
「それが運命ならば」
「そんな運命受け入れられるか!」
誰かが拳で机を叩く。
不意に。
AIの研究者が、挙手した。
「いっそ、第四の提案を支持しては」
「な……」
「化け物どもに、世界の統治を任せろというのか!」
さっそく非難囂々だが。
AIの専門家達は、むしろ静かな表情だった。
「いずれ、この世界の多くを人間より優れた判断力を持つAIが担うようになるのは規定の未来でした。 それならば、現状で人間よりも優れた存在が、その代わりになるのはむしろ自然な未来の図では」
「相手はそれこそ、単独で国を落とすような化け物だぞ!」
「かの偉大な物理学者も、AIが支配したら人類は滅ぶと言っていましたが。 もしそれで滅ぶようなら、人類はそれまでだったということですよ。 そもそも近年では、三原則を古いと嘲笑うような連中まで出てきている。 それだけ人類は愚かで、何ら進歩がないって事です。 偉大な文明? 万物の霊長? 聞いて呆れる」
また、随分と攻撃的な論調だが。
言っている事は間違っていないと、陽菜乃も思う。
実際問題、この世界は。
というよりも、この世界に満ちている技術は。
人間の手に余るものになりつつある。
「奇形的に発達した技術と、石器時代からまったく変わらない劣悪な脳みそ。 人間という生物には、もう限界が来ていたんですよ。 もしも進化した人類が現れるのなら、それに導いて貰いましょう。 どうせAIが人類をその内導くようになっていたんですから」
「そ、それは、人類に対する冒涜だ!」
「冒涜するような尊厳なんて、人類の歴史にありませんがね。 年がら年中くだらない理由で差別し合い、利害を巡って殺し合い、平和を作るために殺して良い、健康のためには死んでも良い、嗜好さえ許してはいけない、架空の存在に人権を与えて表現さえ許してはいけない。 そんな事をやっている生物が、尊厳なんて口にする資格は欠片もありませんよ。 むしろ来るべき時が早まった、というだけでしょうに」
「貴様っ!」
殴りかかった大柄な科学者が。
びたんと、凄まじい勢いで床にたたきつけられる。
田奈が冷め切った声で言った。
「建設的な意見を。 出せないなら次で殺します」
「……っ!」
「というわけで、私は第四の案に賛成します。 実際には、生物学者の中にも、同じ意見の人は多いんじゃないですか」
AIの研究家の言葉に。
賛同するものがで始める。
少しばかりまずいかも知れない。
田奈によるコントロールが。この世界を、完全に動かし始めている。このままだと、最悪の結末になりかねない。
会議は12時間ほどぶっ続けで行われ。
最終的に、幾つかの案が出された。
人口を半分にする場合、それは公平に行い。なおかつ、人口爆発をしている国々に対しては、抑制を行う事。
人類を進化させる場合。
それは公平に行うこと。
第四の選択肢を選ぶ場合。
先進国の指導者達が、それを受け入れる事。
戦うという案は出なかった。
実際やり合っても勝てないのだ。太陽が地球を焼き尽くそうと迫ってきたとして。どうにかなると思う人間がいるだろうか。
そう思っていたアホは、田奈が早々に処理してしまったし。
陽菜乃も何度か田奈を押さえたが。
それでも、押さえきれなかった。
結局、現時点では、第四の選択肢が強い。だが、この結末に、先進国の指導者達が、喜ぶ筈はなかった。
「ならば残りの60時間で、化け物どもを皆殺しにするだけだ!」
そう声高に叫ぶ者もいたが。
十秒後にミンチになった。
完全に一触即発の状況が続く中。
先進国首脳の前に田奈が姿を見せる。冷徹な声で、彼女は告げた。
「どうせ前のようにしても、そもそも話し合いにならないでしょう。 此処からは私が、光の者と話します」
「何を言うか! 勝手に地球の代表を気取るつもりか!」
「実際今まで貴方たちが何をしていましたか。 己のエゴを満たすためにこの星の貴重な資源を浪費し、寿命を縮めていた貴方たちが!」
田奈の言葉は痛烈で。
というよりも、生物として上位にあるものの怒りが。
人間という枠を超えていない先進国指導者達を、一瞬で黙らせる。
久しぶりだ。
田奈が本気で怒る姿を見るのは。
というよりも、いつぶりだろう。
「いずれにしても、結論は出ました。 交渉はこれから行います。 もう、貴方たちが確保していた利権など、何の意味もない時代が来ます。 それは理解しておいてください」
「……」
「それでは、ごきげんよう」
陽菜乃は、傍観するしかなかった。
もはや、この世界は。
滅ぶか、それとも無理矢理変えられるか。
その二つに一つしか、ないように思えた。
(続)
|