挑戦の時
序、終わりの始まり
田原坂麟の手で、完全に世界が支配されてから、数日。
たったそれだけで、世界の情勢は激変していた。
陽菜乃の所にも、殆ど情報が入ってこない。
何しろ、人間が悉く洗脳され。
機械的に動く異常な世界が到来していたからである。
勿論マスメディアなど機能などしていない。陽菜乃はテレビをつけてみるけれど、そこで流れているのは、無機質な指示だけだった。
「本日の行動を説明する。 ナンバー12665551から1788114までは、予定通り就業をすること。 食事については各自用意されているものを取るようにせよ。 ナンバー……」
「本当に世界征服されちゃったんだなあ……」
ぼやいて、テレビを切る。
ちなみに、ごくわずかな人数が、地下などに逃げ込んで正気を保っているようだが。勿論連絡など取りようが無い。
米国もロシアも中国も。EUも全部。
発展途上国に至るまで、麟の手に落ちた現状だ。そして麟は、テレビに出ると、堂々と宣言しているのだ。
世界の人口を半分にすると。
管理のためだという。
古い時代から良く言われている。
人間は多くなりすぎた。
現在の技術を保持したまま、半数になれば、世界は幸福に満ちあふれるだろう、と。
勿論それは机上の空論だが。
しかし麟はそれを実施できる力を持ち。そしてこれより行使しようとしているのだ。無論、止めるつもりなどないだろう。
そして、古代生物能力者の大半も、既に麟の支配下に落ちている。
今潜んでいる此処でさえ。
危ない位なのだ。
憂鬱そうな顔をして、田奈が部屋に入ってくる。状況は、と聞くと。あっさり首を横に振られた。
それだけで状況が分かるのが頭に来るが。
もはや手の打ちようが無い。
「古細菌の組織さえ壊滅状態のようです。 そもそもエマージェンシーコールとして残しておいた回線さえ使えない状態で」
「ハハハ、もうどうしようもないねこれ」
「しかも相手の戦闘力は」
サメ。
古代よりもっとも繁栄してきた軟骨魚類。
一種類だけなら、まだしも。
その全ての実力を得ている能力者となると、文字通り実力の桁が違う。ましてやあいつは、古代の生物たちの意識の渦から、直接力を得ている可能性が高いのだ。つまり、自分の能力さえ、いつ使えなくなってもおかしくない。
部屋に入って来たのは、エンドセラスだ。
彼女も不機嫌そうだった。
彼女の組織も既に壊滅状態なのだ。もはやこれでは、どうしようもない。逆転のトライを決める方法が無い。
野球で言うと、一回表で1000点取られ。一回裏であっさりツーアウトまで追い込まれたあげく、最後のバッターが野球経験なし、というような状態だ。
その上、相手のピッチャーは、メジャーで伝説級の活躍をしている投手で、手を抜くつもりもない、と来た。
この状態で、誰が投げ出さずにいられるか。
「何か策は」
「あると思いますか?」
田奈が即答。
あったら試している。
そして麟は、その気になったらすぐにでも人間を半分に減らし始めるだろう。特殊な兵器など、必要としない。
その気になれば麟が世界中を回って殺していくだけで、一年もしないうちに人間は半分になっている筈だ。
その上、身内や恋人が殺されても。
誰も何とも思いさえしないだろう。
エンドセラスが、煙草を吸って良いかと聞いてきたので、ダメと陽菜乃は答える。煙草は嫌いだ。
「エンドセラスさん、何か思いつきません?」
「我々の上位存在が考えを変えたって事は、何か理由があるんだろう。 まずは上位存在に話を聞くのが先じゃないのか」
「でも、能力者になる時以来、あの渦にほとんどアクセスしたことはないけれど」
「奇遇だな。 私も同じだ」
エンドセラスの投げやりな返事。
頭が痛くなるが、田奈はそれを見て、目を細める。
「そういえば、一番最近能力者に目覚めた子は誰でしたっけ」
「二ヶ月前にアロサウルスの能力に目覚めた子がいたけど」
「うちは半月前に未発見のカブトガニの能力に目覚めたのがいた」
「……そのカブトガニの子は」
既に敵の手に落ちているという。
そうか、残念だ。
だが、エンドセラスは言う。
「居場所は分かる」
田奈が、腰をベッドから上げる。
此処は地下鉄の通路の一つ。
そこへ避難してきたのだが。彼女は、何をするつもりか。
「捕まえに行くとして、どうするの?」
「洗脳解除して、能力に目覚めたときの様子を聞きましょう。 それで、何か分かることがあるかも」
「どうやって洗脳解除する」
「電気ショックでも与えてみますか」
田奈は改造したらしいスタンガンを取り出す。人間相手なら50万V0.5アンペアで充分だが、能力者相手だと5000万V4アンペアは必要だ。それを満たしている、超強力スタンガンである。
物騒なことを平気でやるようになってきた田奈だが。
これは陽菜乃も流石に引く。
だが、他に名案も無い。
「分かった、場所は教えるが、殺すなよ」
「可能な限り」
もう時間がない。
限られた協力者も、いつ潰されるか分からない状態なのだ。クトゥルフ小説の邪神ではないが、近づくだけで自我を失い、相手の手に落ちてしまう、というレベルの相手である。田奈や陽菜乃、エンドセラスクラスの能力者でも危ない。
あの化け物揃いの古細菌のグループが壊滅したという事でも、その凄まじさがよく分かる。
桁外れどころでは無い。
自分だけ違うルールで動いている奴なのである。
田奈がそろりと部屋を出て行く。
少し遅れて、エンドセラスも。
煙草を吸いに行ったのだろう。
大きくため息をつく。
もう物資も殆ど無い。地上では山ほど流通しているというのに。その全てを敵が完全管理した結果。無駄に廃棄される物資は殆ど無くなった、という驚くべき状態も生じている。古き時代に、人間が夢想した神の降臨。
その結果がこれと思うと。
皮肉に苦笑しか出てこない。
人類は完全に管理され。
これから半分にされようとしているのだ。
殺されるときも、人間は一切苦痛さえ感じる事は無いだろう。まあ当然の話である。もはや、人類からは、自我が奪われているのも同じなのだから。
この状況でも最強にほどがあるのに。
更に昆虫全部の能力でもインストールしかねない状態で。
完全に古代生物の意識の渦は敵側についていると見て良い。田奈に無茶をして貰うのも、それが理由だ。
ほどなく。
田奈が戻ってくる。
抱えているのは、滅茶苦茶に殴られて、ぐったりしている中学生くらいの女の子だ。本当に手段を選ばなくなったなあと、乾いた笑いが漏れる。
もっとも、だ。
洗脳されている上に、パワーアップまでしている。
手加減している余裕など無かっただろうけれど。
「さて、洗脳解除しましょうか」
「本当に電気ショック以外の方法は無いの?」
「あるなら是非提案を」
「……やってみるか。 まずはちょっとずつ弱めから」
頷くと、田奈は出力を絞って、スタンガンを叩き込む。
びくんと女の子は跳ねたが。
意識はある。
いや、ないと言うべきか。
悲鳴一つあげない。
バイタル問題なし。
完全に洗脳されているのが、外から見ているだけでも分かる。普通だったら、今ので痛いとか、ぎゃっとか、言うはずだ。
情け容赦なく、田奈が出力を上げたスタンガンで、また電気ショックを浴びせる。
またびくりと跳ねるけれど。
女の子は。悲鳴一つあげない。
拷問か。
昔は色々とやったこともあるけれど。それは敵対組織が相手だったから、だ。今回は敵対組織ですらない。
というよりも。
もはや異端は此方。
世界におぞましいとは言え秩序が構築されてしまった現状。それに反発して。ましてや秩序に従ったものをこうやっていたぶっているという事は。此方こそが悪、ということなのではあるまいか。
溜息が零れる。
これでは、何をしているのか、自分でも分からない。
エンドセラスが、煙草から戻ってきた。
つまりそれだけの短時間で、田奈が連れてきた、という事だ。
再び電気ショックを与える。
光が消えていた女の子の目に。
少しずつ、光が戻り始めた。
電気ショックは、兎に角凄まじい激痛を伴う。
確かに、ショック療法を用いるには良いけれど。他に何か無かったのだろうかと、陽菜乃は目を背けた。
「次はもう少し出力を上げますよ」
「……」
蚊が鳴くような声。
容赦なく、田奈は女の子の頬をひっぱたいた。
ばちんと、凄い音がする。
田奈は表情一つ変えていない。
この子をこんな風にしたのも、能力者達による三つどもえの諍いだ。陽菜乃にも、当然原因がある。
元々は、オルガナイザーとして有能だった田奈は。
精神を完全に病むまでは、こんなではなかった。
今も有能極まりないオルガナイザーだが。
その代わり人間味は極端に薄くなってしまった。
「これは暗黒街でもやっていけそうだな。 それも、ゴッドファーザー達ですら怖れて、名前を聞くだけで小便を漏らしそうだ」
「そうですねえ」
原因はお前にもあるだろ。
非難の視線を向けるけれど。
エンドセラスは何処吹く風だ。
それにしても、ユリアーキオータ辺りが来てくれれば、もう少し楽になるのだけれど。なんとか合流は図れないか。
まあ、無事かすら分からない現状だ。
今更贅沢は言えない。
「痛い……やめて……」
尋問中の女の子から、明確なうめき声が漏れる。
少しずつ、正気が戻り始めているようだった。
洗脳解除には、天国から地獄に引き戻すこと。つまり酩酊している状態から、現実に引き戻すこと。
そう以前田奈は言っていた気がする。
その言葉を、そのまま実行したわけだ。
ある意味マニュアル通りの行動である。
そして、効果があるから、マニュアルが作られることを考えると。田奈が行った残虐な尋問は正しかったことになる。
田奈は、ゆっくり。
話を聞いていく。
エンドセラスは、部下を滅茶苦茶にされていることを見ても、眉一つ動かさない。左腕だったメガテウシスまで洗脳されて敵の手に落ちているのだ。そんな状態なのである。それもまあ、頷ける話だが。
「能力に目覚める前、最初に、無数の生き物の渦を見た筈です」
「見ました……だからもう、止めてください……」
「OK。 では、その生き物の渦が、どうだったか話してください」
「何だか、すごく秩序だっていました。 あ、そうだ……人が、たくさん浮かんでいたように思います」
まて。
エンドセラスも、顔を上げる。
今の言葉、どういうことだ。
あの意識の渦に、ヒトの形をした生物が浮かんでいることはあったが、人なんて浮かんでいたか。
それも無数にだと。
「未来から来た者達の言葉は間違いなさそうだ、と皆が言っているのが聞こえました」
「読めてきましたね」
田奈が顔を上げる。
これはなるほど、意識の渦にアクセスする前に、必要な事が分かった。
彼らは、人間に乗っ取られたのである。
それも、恐らく現在の人類では無い。
未来の人類だ。
だが、このまま事が推移すれば、下手すると人類そのものが滅亡しかねない状況だというのに。
未来から、古代生物能力者の意識の渦に、どうやってアクセスした。
考え込んでいると。
田奈が仮説を出してくる。
「恐らくですが、その未来というのは、今我々がいる時間軸とは別の未来では」
「詳しく」
「そもそも私達が能力を得たのは、意識の渦に何て言われたから、でしたっけ」
「破滅の未来をさけるため」
顔を上げる。
エンドセラスは、しらけた様子で見ていた。
そういえば。
上位存在である意識の渦が、能力者達の行動に、愛想を尽かすのでは無いかと。そういう話が前からあった。
それはそうだ。
人間の中に宿ってから。
世界を良くしようと動かず。
私利私欲で、世界を勝手にコントロールしようとばかりしていた。
力を得れば、人間は誰だってそうなる。
それは当たり前の話だ。陽菜乃だって、エンドセラスの勢力に対して、対抗するために人には言えないようなことを色々やった。仕方が無いとはいえ、それは事実だったのだから。
意識の渦が失望したとして。
もし建設的に物事を考えたとしたら。
「そうか、今の人類に愛想を尽かしたとして。 実際に滅亡した未来の人類の意識から、アドバイスを受けたのか」
「恐らくそれで間違いないでしょうね」
「面倒くさい話だな」
エンドセラスが大きく舌打ちする。
気持ちは分かるが。
これは正直な話、どうしようもない。
三勢力の諍いが終わってからというもの。此方の世界では極力人類社会を良くしようと動いてきてはいた。
だが、意識の渦は。
もっとダイナミックで、根本的な改革を望んでいたのだろう。
このままでは、滅亡は避けられない。
故に、力を与えた。
それなのに、世界を変えられる者達は。
世界を変えるどころか、私利私欲で動くばかりだったのだ。制御してさえ、私利私欲で動くものは絶えなかった。
愛想を尽かしたのも仕方が無いか。
「それでどうします」
「意識の渦にアクセスするとしても、これではネゴのしようがないね」
「同意だな。 弾かれるのが関の山だ。 そもそも相手側に利が無い」
「……利害を崩すしかないですね」
田奈が言う。
現実的な方策を。
今、サメがあの田原坂麟のメイン能力になっている。サメという種族は、もっとも繁栄した軟骨魚類であり。軟骨魚類としては、現在でも海に降臨している非常に適応力の強い品種である。
だが、もしもだ。
サメがこのまま事態が推移すると、絶滅の憂き目に遭うとするとどうなるか。
「サメが絶滅? あれだけ汎用性が高い生物が?」
「史上最大のサメの一種であるメガロドンは、水温のちょっとした変化で、滅亡したと言われています。 鯱に食い尽くされた、という説もありますがね」
「ふむ、多様化しすぎた結果、滅亡する場合はあっという間だと」
「変化が極端すぎる場合はそうなるでしょう。 ましてや、田原坂麟の行動が、極端では無いと言い切れますか?」
確かにそうだ。
というか彼奴の思考回路は、行動を見ている限り、人類への私怨に満ちている。
サメはそれを利用しているのだろうが。
もしも自分たちという種族そのものに、破滅的な影響が出るとしたら。
意識の渦に、そう働きかけることが出来れば。
活路は見いだせるかも知れない。
「なるほど、ネゴの余地はありそうだな」
「でも、問題は意識の渦に、どうアクセスするか、だけれど」
「問題はそこですね」
田奈も、それは思い当たらないらしい。
とにかく、こればかりは知恵を集めるしかない。
陽菜乃は手を叩くと。
立ち上がった。
「悪いけれど、これから三人で散って、残った全戦力を集めよう」
「それでどうする」
「知恵を募る」
「古典的ですが、それしかもうありませんね……」
はあと、田奈が嘆息する。もはや、希望はそう多くもない。そして、残った時間も、同じように多くは無いのだった。
1、全ての終わりへ
生き延びている能力者達の招集に、八時間ほど。古細菌サイドの能力者も、わずかだが集まってくれた。
とはいっても、全勢力まとめて二十人程度しかいない。
それも、意識がかなり怪しい状態の者も混じっていた。
これでは、文字通り。
あの化け物には、対抗しようがない。
意識の渦の話を最初にする。
挙手したのは、ユリアーキオータ。
どういうわけか、逃げ延びていたらしい。探していたところを、合流してきたようだ。或いは洗脳されたのを、無理矢理自己解除したのか。その辺りは、もはや聞いている余裕が無い。
「意識の渦にアクセスといってもなあ。 何かヒントかなにかはないか。 数百年生きているが、そのようなこと出来た試しもないぞ」
「古細菌のメンバーですらダメですか」
「ヒントがないかと聞いている」
「……」
皆、困惑するばかり。
だが、一人手を上げたのがいる。
コンピュータ関連のシステム開発系エンジニアをしていた能力者だ。
前はエンドセラスの所にプロフェッショナルがいたのだが。それは既に敵の手に落ちてしまっている。
エンジニアと言ってもピンキリだが。
今挙手したのは下の方。
なお、能力者に覚醒しても、あまりその能力そのものはアップしていない。
「意識の渦から力が供給されているとして、どうしてそもそも反逆しているに等しい我々は、能力を失わないのでしょう。 更に言うと、意識の渦が、どうして田原坂麟に、我々の居場所を教えないのでしょう」
「そういえば……」
確かに言われて見るとそうだ。
田原坂麟にして見れば、無視しても全然かまわないのだろうけれど。
それにしても、力の供給が絶たれないのは妙だ。
田奈が挙手。
「今ので、少し見えてきました。 可能性は幾つかありますが、意識の渦の中で、反発している勢力がある。 意識の渦の力は、意識の渦の意思と関係なく伝えられている。 意識の渦は、そもそも乗っ取られている状態ではあっても、そこまで細かく力を供給していない」
「そういえば、もしも意識の渦がもっとしっかり手綱を握っていれば、我々三勢力の争いなど起きるはずもなかったか」
エンドセラスが苦笑いすると。
彼女の部下達の残党が、それに釣られて苦笑いした。
というかさせられた、というべきだろうか。
田奈がまとめる。
「状況から考えて、恐らく三番目の説が正しいでしょう。 そうなると、力の根源を逆にたどれば、むしろ意識の渦に直接干渉するチャンスが出てきます」
「だが、その仮説が正しいと、直接干渉しても、力の供給を立てないのではあるまいか」
ユリアーキオータの反論も、正しく思える。
だが、陽菜乃は。
むしろそれこそが乗ずる隙だとみた。
「いや、恐らく今回は例外的な状況だとみるけれど」
「ふむ、詳しく」
「今回は、一品種が原則の能力供給なのに、一種族の力をまとめて与えるという例外中の例外、暴挙中の暴挙が行われている。 それなのに、意識の渦はそのまま。 これは恐らく、つけいる隙が必ずある」
「なるほど。 それでどうアクセスする」
「もしも、IT的な考えで言うのであれば……UDPのように、一方通行の通信で、力が供給されていると考えるべきなのでは。 そうなれば、力そのものを解析すれば、ひょっとしたら、意識の渦とやらのありかも分かるかと」
ITの奴が言う。
だが、陽菜乃には、もっと根本的な解決が見えていた。
夢だ。
そもそも、夢に干渉してきたのは、最初の最初だけ。そうでなくても、向こうから一方的なアクセスが行われた場合だけ。
此方からしようとしてアクセス出来た事は無い。
ということは、文字通り普遍的無意識の世界に。意識の渦は存在する、ということだろう。
そして力を供給した最初の時だけ。もしくは極めて限定的な状況だけ。
門は開く。
そうなると、だ。
「新しく能力を覚醒した人間が此処にいると錯覚させれば門が開く?」
「どうやって錯覚させる」
「ああ、それなら考えがあります」
田奈が挙手。
そして、前からは想像もつかない。
冷酷な提案を、平然としてきた。
電気ショックの苦痛に呻いている女の子を、ベッドに縛り付ける。そして、田奈はどこから持ってきたか良く分からない薬物を、順番に並べ始める。
殆どの能力者は、外で待機。
ユリアーキオータと、エンドセラスだけに残って貰う。
ユリアーキオータは、こういうやり方は好まないと、憤慨していたけれど。我慢してもらうしかない。
方法とは、こうだ。
まだ能力に目覚めたばかりのカブトガニの子に、エラーが起きたという誤情報を起こさせる。
そう錯覚させる。
意識による力の譲渡だ。
もしもそう本気で錯覚すれば。
確実に意識の世界との門は開き。
エラー修正のために、力がまた送り込まれるはず、というのだ。
ただし、これはあくまで仮説に過ぎないし。
失敗する可能性も高い。
「ネゴは陽菜乃さんに頼みます」
「え?」
「私は、門を開け続けますので」
「……」
そうか。
確かにこんなの、まともな神経じゃ出来ないか。陽菜乃でも、もうまともな神経とは言い難いけれど。
それでも、ここまで壊れてはいない。
呻いているカブトガニに、点滴を打ち。そして、様々な薬品を手際よく注射し続ける田奈。
そして適当な所を見計らって。
耳元に、何かつぶやき始めた。
ユリアーキオータは、嫌々ながらも、カブトガニの手を握ると。
陽菜乃の手も握る。
陽菜乃は意識を集中。
こうすることで、思考をリンクさせるのだ。
陽菜乃だけでは無理だが。
ユリアーキオータの力を借りれば、何とか出来る。
最初、どぼんと海に潜るような感覚。ティランノサウルスは水泳が得意だった、等という話は聞いたことが無い。
むしろ苦手だっただろう。
陽菜乃自身は水泳が苦手では無い。元々体育会系だったし、運動は全般的に得意だったからだ。
さらにいうと、だ。
他人の思考にリンクして。
更に其処から、意識の渦そのものに直接リンクするという、無理の二段重ねである。どんだけの負担が掛かるか、知れたものではない。
それでもやるしかない。
現状、恐らく全世界の人間が、あらゆる兵器を使ったとしても、田原坂麟にはかなわない。
それくらいの無茶な相手になっているのだ。
クトゥルフ神話で言うと、それこそアザトースが目覚めて、人類に対して殺意全開で襲いかかってきたようなもの。
何をしても勝てない。
更に言うと、これ以上相手に伸びしろがあるのだ。
もはやどうしようもない。
だから、足下から崩す。
それをやるには、此方だって無理が必要だ。
田奈が色々やってくれているからだろう。
泳いで行くと、光が見えた。
それは鈍色の光で。
とても美しいとは言えず。
むしろ禍々しい代物だった。だが、それでも臆さずに行く。この先にしか、道は無いのだから。
膜を抜けるような、感触。
まずは、カブトガニの子の意識に接触したか。
どんよりと濁って、非常に不安定な状態だ。
というよりも、むしろ不安定にしている、という状況だ。田奈もえぐいことをする。昔のあの優しい田奈が。
こうもおそろしい化け物と化してしまったのには。
自分にも責任がある。
だから、今は。
少しでも責任を取るためにも、泳ぐ。進む。先へ行く。
まるでヘドロの中を泳いでいるような感触だが。それが故に、見えてくるものもある。人間の意識。
特に他人の意識という奴は。
こうもおぞましく、汚らしく感じるものなのか。
普遍的な無意識が、美しい神々の世界だなどというのは、ウソもウソ。大嘘だと、これだけで分かる。
此処にあるのは。
闇そのものだ。それも、徹底的に凝縮された。
個人の意識だけでも、これである。無数の生物の意識が集まった世界などは、一体どのような代物なのか。
想像するだけで吐き気がする。
だが、それでもだ。
行かなければならない。
さっきよりも数段激しい抵抗。間違いない。この先にある。そう確信した陽菜乃は、一気に先へ。
流れ込んでくる水のような意識。
壊れた能力を修復しようとしているのだろう。だが、それに逆らって、更に先へ。
入る前に、田奈に警告はされた。
恐らく開いている時間はそう長くない。
逆流に気付かれたら、門を閉じられる可能性もある。
だが、それも。
覚悟の上だ。
どうせこのままでは全滅確定。人類を半分減らしたくらいで、あの狂人が満足するとも思えない。
田原坂麟は、完全に狂っている。
その狂気は、恐らく際限なく暴走し。意識の渦がまずいと思った時には、取り返しがつかなくなっているはずだ。
今までだって、がばがばなやり方をしていたものなのだ。
直接接触しても。
恐らくは、相当に曖昧な相手の筈で。
それこそ、クトゥルフ神話に出てくる、アザトースのように。中央に位置する白痴の如きものかもしれない。
抜けた。
抜けたぞ。
思わず、喝采を叫びそうになるが。
ここからが、本番だ。
見えてくる。
そうだ、この光景だ。
最初、力に目覚めたとき、何回か見た夢。
無数の生物たちの記憶。
意識。
そして魂とでもいうべきもの。
銀河系のように、渦を巻いて、ゆっくりと廻っている。その全てが、何かしらの歴史的活躍をした存在で。
この世界に、大きな影響を与えてきたものだ。
中には、ティランノサウルスの姿もある。
今でも姿は諸説あるが。
何しろ自分の能力元だ。
すぐに分かった。
飛びつく。
相手も、驚いたようだった。
「なんだ。 どうして此処にいる」
「今、此方の世界が大変なことになっていてね。 力を貸してくれない」
「大変なことと言うのは、大変革を起こしているからか」
「それがね、力を宿した相手が狂人そのもので、力そのものが完全に乗っ取られているんだよ」
なんだと。
ティランノサウルスが呻く。
やはり、気付いてさえいなかったか。
まあそうだろう。
元々、人間という生物は、抱えている闇が大きすぎる。邪悪さで言えば、ただ生きているだけの動物たちとは桁外れだ。かといって動物が純粋、というわけでもないのだが。ともあれ、人間の悪意というものは、それこそ世界にとって闇でしか無い。
「具体的にどのようなことになっている」
「私怨で世界の人間を半分に減らし、その後も管理のために徹底的に地球環境を改造するだろうね」
「ふむ、それは確かに極端だな」
「多分、海にも無茶な環境変化を起こすと思う。 サメも絶滅するかも。 それどころか、魚類が絶滅する可能性さえある」
跳び上がったティランノサウルス。
まさか其処までの事になっているとは、思ってもいなかったのだろう。
驚愕が、周囲に波紋となって拡がっていく。
門の維持は。
まだ出来ているか。
呼吸を必死に整えて、平静を装う。もしも焦っているとばれでもしたら、それだけで一大事だ。
すぐに、無数の意識が呼応してきた。
「確かに、少しばかり無茶が過ぎているようだな」
「鮫たちの意識をたどって確認してみたが、これは今までの人間より明らかに酷いではないか。 監視役の鮫たちさえ汚染されている」
「エゴによる史上空前規模の大量殺戮と環境改変に手を掛けている。 これは止めるべきだ」
「人間が前回世界を滅ぼしたときよりも、更に滅亡が早まるぞ」
よし。
一気に危機意識が拡散していく。
これに対して、無数に入り込んでいる人間の意識。
「前回」世界を滅ぼした、と言っている事からも。これが恐らく、別の世界の人間だと言う事は明らかだ。
「まて。 以前の世界では、そもそも意思統一そのものがされていなかった」
「大国同士がエゴをぶつけ合い、その結果核が飛び交う惨事となった。 最終的には、中性子弾頭を積んだICBMが世界中に降り注ぎ、地球が死の星となった。 深海に至るまで、生物はまったく生存できなくなった」
「その惨禍を我々は見ているのだ。 まずは完全管理体制でも、構築してみる価値はあるのではあるまいか」
なるほど。
前の人類は、そう滅びたのか。
確かに、陽菜乃達の世界も、そうなる可能性はあった。能力者、という存在がいて。裏側から大きく世界に干渉していたが。
もしもいなかったら。
歯止めがきかなくなった人類は、そうしていた可能性が高い。
だが、今の世界は。
この意識の渦から干渉を受けている、強力な能力者が多数いる。この能力者そのものが、抑止力になれば。
ひょっとすれば、状況を打開できるかも知れない。
「その世界には未来がない」
「多様性を放棄した世界には、未来がない」
真っ先に反発したのは、あまりにも数多きもの。
昆虫たちの意識だ。
あまりにも多すぎるが。その分小粒だ。
だが、昆虫は。
多様性を維持することにより、繁栄してきた種族の象徴的な存在。個々は弱くとも、その多様性と繁殖力を武器に。あらゆる世界の破滅的改革にも耐え。今まで、地上に繁栄し続けた種族だ。
亀裂が走る音がした。
田原坂麟は、この後サメに続いて昆虫をダウンロードする気だった可能性が高い。もしくは既にダウンロードしてしまっているかも知れない。ここでそれに致命的な打撃を与えられたとすると。
其処から一気に崩せる可能性もある。
「鮫たちよ。 海にて最も繁栄した魚類である貴殿らも、これでいいのか。 むしろ強烈な人間の狂気に呑まれ、一緒に暴走しているように見えるが」
「確かにそれは……」
「否めぬな」
サメの中からも離反者が出始める。
さて、これならば。
だが。
大きな反発がある。
強烈な力を持つ相手。
何者か。
「待て。 そも原初は、地球には酸素などと言うものはなかった。 それまでの多様性は、一度否定されたのだ」
まさか、古細菌か。
確かに原初の地球には、酸素はなかったと聞いている。あくまで一般知識の世界だが。しかし、ラン藻という存在の出現により、地球の環境は激変した。酸素は文字通り猛毒として作用し。
多数の生物を焼き尽くしていったのだ。
そんな地獄の中。
生き延びていた古細菌達は。
酸素がない環境に身を潜め。
そして、ずっと世界で生き続けていた。
皮肉だ。
その一種であるユリアーキオータが。
此処へ導いてくれたのだから。
「だが、この状況での多様性放棄は、地球のためそのものにもならん。 人類の暴走を押さえる処置は必要だとは感じるが」
「多様性を産み出すために、以前の多様性を犠牲にしたくせに、よくもまあそのような事を言えるものだ。 ラン藻の暴走がなければ、今頃世界には、我等の子孫が進化した生物が満ちていた可能性も高い」
「寿命が長い代わりに、動きも鈍い、外来種にはとても勝てない種族がな」
「言うてくれるな……」
無数の怒りが、渦巻き始める。
だが。
昆虫たちの意識の方が、強い。
「いずれにしても、現状は予想以上に悪い様子だ。 予定されていた我々の力の投入は見送りとする」
「そんな。 それでは世界の改革は」
「今まで送っていた力も引き上げる」
「まて、それでは」
人間達の意識が、反発するが。
しかし、鮫たちでさえ、不快感を覚えているのだ。送り込んだ力そのものが暴走していると知って、穏やかではいられないのだろう。
かなり時間的に厳しい。
だが、これで充分だ。
だが、正直な所。
陽菜乃も、現状の世界には不満を覚えている。
星の海に人類が旅立てるのか。
その時には、地球はどうなっているのか。
それらは、ずっと不安としてあった。
能力に目覚めてから随分年月が流れたが。人類は、技術だけ奇形的に発達して、今も生物としてまるで進化していない。
新しい能力を持った人間だって。
力だけ得ているだけで、人間であることに変わりは無い。
田奈のように、壊れてしまっているケースもあるが。
あれは進化と呼べるのだろうか。
かなり疑念が残る。
今回は、良い機会だろう。新しい世界。そして、人間の世界に、本当に神が降臨したらどうなるか。
今の田原坂麟は、いにしえの人間達が夢想した神そのものの力を持つ怪物だ。
だからこそに。
その神が何をするのか。
しっかり記録しておかなければならないだろう。人間という生き物が、まだ進化していない証拠として。
無理矢理にでも進化させるしかないのか。
考えるためのテストケースとして。
門が限界だ。
だが、これならば、どうにかなる。
陽菜乃は、戻る。ティランノサウルスに、後は頼むと言い残して。
ティランノサウルスは不機嫌そうだったが。
それでも、この状況を知っては、どうしようもないと判断したのだろう。嫌々ながらも、陽菜乃の言葉を聞くのだった。
2、崩壊
がくんと、膝を突いた田原坂麟は、思わず何が起きたと呟いていた。
圧倒的な力が、いきなり根こそぎ消し飛んだ。
いや、流石に其処までではないが。
大半の力が、いきなり失われたのである。
今までは、人類と。更には能力者を全部まとめて相手にしても勝てる自信があった。人類が核兵器を使おうと。中性子爆弾を使おうと。耐え抜く自信もあった。
だがこの状態では。
とてもではないが、耐えきれそうにない。
思わず歯がみする。
更に、だ。
頭の中にいたサメの意識集合体が。一瞬で壊れたのも、麟は悟る。
「何が起きた……!」
「意識の渦が、このやり方に異を唱える勢力によって占拠されたらしい」
「なんだと」
「我はもはや自我を保てぬ。 武運を祈る」
サメの声が途切れる。
舌打ち。
幸い、今まで供給された力そのものは残っている。昆虫の力については、全て失われてしまったが。サメの力については、まだ大半が残っているのだが。
それも、もう供給が見込めない。
意識の渦に。
何があった。
考えられるのは、敵対勢力が、何かした、という事だ。
力の根源である意識の渦に直接触れるなんて、とても正気の沙汰では無い。それこそ深淵を覗き込むのと同じだ。
正気でいられるはずがない。
いや、そんな事を度外視して行動に出たと見るべきか。
勝つためには、もはや手段など選んでいられなかったのだろう。
そして。
そこまで追い詰めたのは、麟なのだ。
野球の試合で、圧倒的なパーフェクトゲームに持ち込む寸前に。いきなりスタジアムが台風に見舞われて、無効試合になったくらいの理不尽さだ。
乾いた笑いが漏れてくるが。
すぐに精神的な体勢を立て直す。
このままでは、ダメだ。
此方からも、意識の渦にアクセスして。
しかし、やり方が分からない。基本的に。人間を止めて、周囲の全てを壊しつくしたあの日から。
与えられる力は、一方通行だった。
欲しいとは願っていたけれど。
具体的にどういう風に力が欲しいかはあまり考えていなかったし。何よりも、だ。その頃の自分は。
貧弱極まりない、脆弱な生物だった。
だから、こそに。
これは許せない。
一体何が起きて。
誰が私の大事な力を奪ったのかを、突き止めなくては。
いや、まて。
それ以前に、まずはこの強烈な変化で、世界がどう変わったかを、確かめなければならない。
痛む頭を押さえながら。
構築したネットワークをチェック。
案の定。
凄まじい数のエラーが上がって来ていた。
力が強い奴は、すぐに洗脳からの脱却を始めている。これは、麟の力が弱まったからである。
特に、遠くにいる奴ほど、すぐに洗脳からぬけたようだ。
古細菌どもは念のために拘束していたのだが、それで正解だった。だが、あれらは眠らせているだけ。
殺してしまうべきだったか。
だが、それは優秀な存在は、世界の支配者足るべしと言う思想とも反する。実際、逆らえるのなら逆らってみろというのが、麟のあり方だった。
だから敢えて隙も作っていたし。
自信もさらなる強さと高みを目指していたのだ。
その矢先に。
いきなり足下を崩されるというのは、あまり良い気分では無い。正直な話、今すぐこれをやらかした奴を、八つ裂きにしてやりたい。
此方は人間を止めた後。
肉体改造までしたのだ。
そこまで覚悟して、世界の支配に臨んだのに、どうして受け入れようとも、理解しようともしない。
いや、できない。
不愉快を通り越して、殺意さえ湧いてくる。
これが人間。
世界でもっとも愚かな生物か。
確かにもっとも愚劣な生物らしい行動だと、少し乾いた笑いが漏れてくるが。もはや、笑っている場合では無い。
舌打ちを何回かし。
自分用にしつらえた。世界を管理するための部屋でしばらくうろうろする。
精神を落ち着かせるためだ。
このままでは良くない。
今でも、生半可な能力者なら、束になっても負ける気はしないが。それでも。ティランノサウルスとエンドセラス。それに古細菌勢や、篠崎田奈が束になって掛かって来たら、勝てないだろう。
勝てない。
その結論を、素直に導き出す。
人間とは違って、論理にプライドを優先させないからだ。
モニターを見る。
普通の人間も、既に洗脳が溶け始めている。
特に、地球の裏側ほどそれが顕著だ。
無秩序が全てを支配し。
何もかもが、台無しになって行く。
古代生物たちの意識の渦は、完全に麟を見捨てたか。それとも、麟のやり方に何か問題があったか。
サメどもは、積極的に協力してきていたのに。
それだというのに、どうしてだ。
裏切るのは。
嘘をつくのは。
人間だけだと思っていたが。
右往左往している総理大臣が見えた。洗脳が何かしらの理由で溶けたらしい。奴の部屋に行くと、悲鳴を上げて後ずさった。
「り、麟様!」
「私の事は覚えてはいるのか。 無様な人間が」
「ど、どうかお許しを!」
「貴様などにもはや用は無い。 どことなりに失せるが良い」
部屋から脱兎の勢いで逃げていく総理大臣。
もうどうでもいい。
多分、特殊部隊か何かで、攻撃を仕掛けてくるはずだが。そんなものは怖くもない。問題は水爆だ。
現在の肉体強度では。
水爆の直撃を受けると、流石に耐えきれない。
既にこの様子では、各国首脳は洗脳から解放され始めている、と見て良いだろう。世界は前以上のカオスに落ち始めている。
愚か者どもが。
半分減らしてやれば。
何もかも上手く行ったと言うのに。
思い出してしまう。
弱者を痛めつける事を嬉々として実行していた、小学校のクラスを。教師までもが、それに荷担していた。
人間とはこういう生物だ。
だから管理し。
徹底的に統制しなければならない。
身をもって知った事だ。
両親だってそうだったではないか。
それに、古代生物の意識の渦も、同意していると思っていたのだが。
それは、此方がそう思っていただけに過ぎなかった、という事なのだろうか。だとしたら、滑稽すぎる。
不愉快すぎる。
さて、どうする。
少しばかり考えるが、あまりいい解決案は思い当たらない。
もし案があるとすれば。
もう一度。
意識の渦から、強引にでも力を引っ張り出し返すしかない。
出力が何もかも人間とは違うように体を改造した。
だから、力が入り込んでくるときにどうなるか、解析はしてあった。だが、基本的に弁がついている心臓のようなもので。逆流は起こりえない造りになっていると、最初から分かっていた。
そう。逆流はあり得ないのだ。
それだというのに。
どうやって、その逆流を奴らは突破した。
まて。
新しく能力に覚醒するとき、あの意識の渦に触れる。そういう例外がある。もしその時だけは、意識の渦に触れられるとすると。
自室に戻ると。
調査。
案の場だ。
最近能力に目覚めた奴が一人、姿を消している。
なるほど、無理矢理引っさらったか。
そして恐らくは、だ。
これに何かをしたのだろう。
例えば、無理矢理に力を引きずり出したり、或いは未熟な力を敢えて壊したり。未熟な力を敢えて壊したりしたら、そうしたら意識の渦から、また力が流れ込んで、エラーの修復に取りかかるはず。
もしそうなれば。
なるほど。
確かに、逆流を無理矢理突破する隙が出来る。
考えたものだ。
勿論壊された奴は死の危険に瀕することになるが。今は、世界が滅亡する瀬戸際だ、と考えたのだろう。
犠牲については、容認するつもりだった、というわけだ。
恐らくこれは、篠崎田奈の思考だ。
彼奴は、オルガナイザーとして超一流だが。
同時に、完全に頭がブッ切れている。
色々あって壊れたと聞いているが。
此処まで過激な手段に出てくるとは思わなかった。実際問題、世界を改革する貴重な能力者を、一人死なせるところだったのだ。
それでもやらざるを得なかった。
そういうことなのだろう。
追い詰めすぎるのも考え物だなと、少しばかり麟は反省してしまう。確かに、窮鼠猫を噛むの例え通りだ。
そして唯一絶対最強無敵だった筈の能力が。
その土台から崩されると、こうも脆いものだったというのはショックだ。
力は最強の状態の十分の一以下と見て良い。
戦略を練り直さなければならない。
モニターの一つがハッキングを受けている。放置していると、やがて米国大統領が映り込んだ。
「田原坂麟はいるかね」
「いるが、何用か」
「悪い事は言わないから、我が国に来たまえ。 世界を一瞬でも支配したその力、我が国の下でこそ使ってみないかね」
「下等な人間が、良く囀る」
ふんと、米国大統領は鼻を鳴らすが。
次の瞬間、真っ青になって倒れ伏した。
舌打ち。
頭を破裂させてやろうと思ったのだが。
気絶させるのがやっとか。
これでは、全盛期どころではないなと、自嘲してしまうが。それでも、出来る事は幾らでもあるはずだ。
まずは計画を下方修正する。
やるべき事は、一つ。
まずは生きる事。
せっかく力を手に入れたことには変わらない。それも、超絶的、圧倒的なほどの力である。
世界を支配して。
全てを改革することは、無理になってしまったが。
それでも、出来る事はいくらでもある。
しばらくは身を潜めて。
状況が変化するのを待つべきだろう。
ふと、見た先には。
核兵器の発射ボタン。
先進国を根こそぎ陥落させたときに。この部屋から操作できるように、調整しておいたのだ。
ちなみに、どのように操作するかも調整してある。
つまり米国から全世界にICBMをぶっ放すのも。
戦略原水からやるのも。
自由自在だ。
それも、その気になれば、今すぐにでも出来る。
混乱を加速させるために。
いっそ米中ロの間に最終核戦争を引き起こさせるか。それも悪くは無いなと麟は思ったけれど。
そうすると、放射能汚染で、致命的な環境の破壊が引き起こされる。
米ロの所有する核の数は、正気の沙汰では無い。
地球を破壊するのは不可能だが。
地上を焼き払うには充分だ。
これらを使ったら。
それこそ人間なんぞはどうでもいいが。地球の環境そのものが、壊滅的な打撃を受ける事になるだろう。
そんな事をすれば。
まだ体に留め置いている力も、愛想を尽かして出て行くのは間違いない。
あの残忍冷徹なエンドセラスでさえ。
野心に満ちて行動し、世界を積極的に支配下に置いてはいたが。それでも、この星の未来の芽を摘むようなまねはしなかったのだ。
混乱しているうちに。
アラートが鳴る。
構築した監視システムに、ハッキングか仕掛けられている。多分先進国が総出で潰しに来たのだろう。
面白い、迎え撃ってやるとするか。
カウンタープログラムを起動。
これも暇なうちに組んでいたものだ。
もっとも。
今は時間稼ぎ程度にしか使えないだろうが。
即座にハッキングの元を特定。
一気に逆探知から、ハッキングを仕返す。そしてデータを根こそぎ破壊すると、沈黙させた。
相当な凄腕のハッカーを使っていたのだろうが。
残念だが、此方は生物という土台からして違うのだ。人間では、もはや私には勝てない。このプログラムだって、戯れに組んだもので。
今でも、そらで暗誦できるキーをネットでどこからでも打ち込め。そして打ち込みさえすれば、即時起動する。
だが、問題はこの後だ。
部屋を封鎖すると、その場を後にする。
一旦、此方も身を隠さなければならないだろう。王たる余が、なんたる無様か。非常にいらだたしいが。
こういう状況で冷静に判断し、行動できてこそ。
王を名乗る資格があるとも言えるのだ。
一旦崩壊したシステムは放棄する。
この後、どうするかは、一旦身を隠してから、考え直すことにする。
いまだ、世界最強の実力を持っていることは事実なのだ。
手段は、幾らでもある。
これから巻き返すには。
いくらか無理をしなければならないが。それでも、やるべき手は、今でさえも幾つでも思いつくのだから。
幾つか準備しておいた、いざという時の脱出路を通る。
そして、麟は。
世界の支配者の座を捨てて。
地下に潜った。
3、追撃
無理矢理のアクセスは、やはり無理がありすぎた。
意識の渦から離れた途端。
陽菜乃は、ベッドに突っ伏していた。
強烈に来た。
頭が痛いなんてもんじゃない。
脳が完全にオーバーヒートしている。
これは頭が壊れなかっただけでも、僥倖と考えるべきだろう。良くも頭が壊れずに、もったものだ。
何度か頭を振ると。
周囲に状況を聞く。
田奈が、唯一持ち込めた小さなPCを、ネットワークにつないで、情報をかき集めているようだった。
「どうやら成功したようですね。 各国首脳は、いち早く洗脳から抜け出ました。 もっともそれは、カオスを引き起こしていますが」
「そ、そう……」
「無理をなさらず。 此方を」
渡されたのは、砂糖水だ。
というか、何かのジュースである。
まずは脳に当分を入れることで、思考回路を安定させろ、という優しい田奈の心遣いというわけだ。
まあいい。
今はその心遣いに甘えるとしよう。
ごくごく甘いのを飲んでいる内に。
田奈は幾つか調べてくれる。
まず、各国は、支配のために構築されたネットワークシステムをハッキングしようと、こぞってネットワークから攻撃を仕掛けたが。逆にハッキングされて、ネットワークに壊滅的な打撃を喰らったらしい。
各国でも指折りのハッカーが参加しただろうに。
悉く、蹴散らされたというわけだ。
「まだ世界最強程度のスペックは残っているようですね」
「だが無敵では無いな。 もし無敵なら、守りになどでない」
ベッドで横になって、ガンガンする頭を冷やしながら、田奈とエンドセラスの会話を聞き流す。
二人は何かしら話しているが。
専門用語だらけだ。
普段のコンディションなら分かるのだろうけれど。
嘔吐をこらえるのが精一杯の状況。
これでは、動きようがない。
体によるダメージより、脳に対するダメージの方が、強烈に来る。それを陽菜乃は、今更ながらに理解していた。
しばらく横になっていると。
田奈が、頭に濡れたタオルを掛けてくれた。
多少は楽になったが。
まだ予断を許さない状況だと、側で田奈が説明してくれる。
「恐らく田原坂麟は、ICBM等の核関係の制御系を握ったまま、一旦地下に潜ったはずです。 このまま放置しておくと、極めて危険な事態が到来するでしょうね」
「全世界が焼き尽くされる?」
「そうなってもおかしくないでしょう」
「洒落にならないなあ」
追い詰め方を間違えると。
多分躊躇無く核を全世界にぶっ放すはずだと、田奈は言う。
しかし、実は。
陽菜乃は、そうは考えない。
「彼奴も、桁外れとはいえ、古代生物能力者でしょ。 ということは、世界の未来を閉ざすような行為には出ないんじゃ無いのかな」
「今までの行動を見ていて、本当にそう思いますか」
「うん。 今までのも、もう歯止めがきかなくなっている人類を、自分なりのやり方で制御しようとしているように見えたし」
「随分と優しい解釈ですね」
陽菜乃は、苦笑いしか返せない。
田奈は冷厳だが。
その田奈でさえ怒るほどに、確かに強行的すぎる麟の行動は、危険性が高かった。実際、世界の人間の半分が、もう少し遅れたら消し去られていただろう。
ほんの一瞬だが。
完全なディストピアが、完成していた位なのだ。
世界征服さえ達成した化け物。
その栄光は一瞬だったが。
それでも、人類がどうしても出来なかった事を、成し遂げた化け物である。
故に、此方も。
視線が歪む。
確かに麟がやったことはとてもではないが、許せる事ではない。だが、冷静に、何者なのかを判断していくのが先だろう。
此処で言う何者かというのは。
今後核を使って、心中に世界を巻き込むような輩か。
そうではなくて、自分なりにやはり改革を目指していく者か、という意味である。どちらにしても、厄介極まりないが。
多分今なら。
総力を結集すれば倒せるだろう。
エンドセラスが、コートを羽織ると、部屋を出て行く。
「旧部下どもを取り戻しに行く」
「此方は私がやっておきます。 休んでおいてください」
「んー、ごめんねえ」
田奈も、適当な所で切り上げて、部屋を出て行った。
今の時点では、どちらにも争う理由がない。エンドセラスは相変わらずの野心家だが。こんな状況で野心を振りかざしても仕方が無いことくらいは、きちんと理解している奴だ。それは散々やりあってきたから知っている。
それにしても皮肉だ。
横で眠っているカブトガニの能力者を見る。
生まれたての。大変ひ弱な能力者。
それだというのに。
その弱さが故に。
最強の足下を崩し、転倒させる切り札になった。これほど皮肉な話は、世界的にも例を見ないだろう。
弱肉強食などというものが、如何に滑稽か。
これを見てもよく分かる。
世界は力の論理で動いているかもしれないが。
そんなものは。
簡単にひっくり返るのだ。
数時間ほど、休む。
古代生物能力者になってから老化は止まっているが。それでも、脳へのダメージはかなり深刻だ。
回復まで時間だって掛かる。
ぼんやりしていると、夢を見る。
ティランノサウルスの能力に目覚めたばかりの頃。
あの頃は、何もかもが分からなかった。
突然手に入った圧倒的過ぎる力。
だが、それをどう生かすべきなのか、さっぱり分からなかった。
まあ当然だろう。
膨大すぎる力をいきなり手に入れて。
使いこなせる方が不思議だ。
だが、陽菜乃はむしろ力を使いこなすのが早かった。今になってみると、それがよく分かる。
故に多くの危険もむしろ近寄ってきたし。
危ない目にあいながら、より速く成長もした。
目が覚める。
ぐっしょりと汗を掻いていたし。頭もまだかなり痛い。だけれども、そろそろ動く事は可能か。
部屋の外に出る。
まだ二人は戻ってきていない。時計を確認。二人とも出て行って、二時間程度が経過している。
周囲を見てまわろうかと思ったけれど、やめておく。
麟も必死なのだ。
もしも此処を探し出してきた場合。
本調子では無い陽菜乃では、とても勝ち目などないだろう。
ちょっとテレビをつけて、情報を見る。
殆どの番組が砂嵐だ。
まあ、これでも良くやった方だろうか。実際、完全に支配下に置かれていたのだから。無理矢理に、何かしらの手段で、システムを切り離したのだろう。
でも、番組をやっている局はほぼない。
あるとしても、大混乱している様子で。ニュースキャスターが、自分でも訳が分からない様子で、早口で原稿を読んでいた。
内容も支離滅裂。
まともな情報が入っていないのだろう。
ラジオも確認。
どうやら、全世界的に戒厳令が敷かれているらしい。
こういう時をチャンスとして動くような連中もいるだろうが。
不思議と、その手の国は大人しい。
失敗したと判断した麟が。
そういった国のシステムを、完全破壊してから地下に潜ったのかも知れない。まあ可能性は九割を超えるだろう。
自室で、再びぼんやりする。
甘い物をしこたま飲むと。
また横になった。
呼吸をゆっくり整える。
人外とも言える古代生物能力者になってから。本来人間では回復しない細胞も回復するようになっている。
脳細胞もそうだ。
しばらく、全身を回復に任せていると。
姿を見せたのは、田奈だった。
「調子はどうですか」
「最悪」
「でしょうね。 此方を」
「んー」
田奈は、コンビニ袋を手にしていて。中には肉やらなにやら入っていた。
大混乱だそうだが。
なんとインフラそのものは既に復旧が始まっているらしく。コンビニは既に動き始めているそうだ。
この辺りは、何か麟が仕掛けをして行ったのかも知れないが。
良く分からない。
うまくもないコンビニメシを食べていると、田奈は言う。
「何人かとは連絡が取れました。 洗脳はかなりの速度で解け始めています。 洗脳する速度が速度でしたから、解けるのも速いんでしょう」
「迷惑な話だなあと思うけれど」
「いや、今回の件は反省点です。 正直な話、我々もあまりにも干渉しなさすぎたのでしょう。 だから、古代生物達の意識の渦も、しびれを切らしたのだと思います」
「相変わらず……いたた」
まだかなり頭が痛い。
甘い飲み物が幾らでも欲しい。
脳がオーバーヒートしたフィードバックがでかすぎる。これではしばらく、まともに頭が動かない。
頭が動かなければ、体だって動かない。
そういうものだ。
「エンドセラスは」
「その内戻ってきますよ。 まだしばらくは、首脳部が此処にあった方が良いはずですからね」
「どうしてそう思う?」
「田原坂麟は、我々全員が束になって、やっと勝てる相手です。 その事実は、まだ変わっていません」
それはそうだ。
勝てる相手にはなった。
だが、それでも。
単独でやりあったら、とても勝ち目などない。
エンドセラスの能力なら発見はされづらいだろうけれども。それでも麟ほどの実力者になれば、近づけば気付くだろう。
万が一を今は避ける必要がある。
安易な行動が、一番危険だ。
「しばらく休んでいてください。 私がやりますから」
「あまり無茶はしないでよ」
「無茶とは」
「心配なんだよ。 田奈、三組織間の争いを鎮めてから、どうも様子がおかしいし」
嘆息する田奈。
冷酷な目で此方を見る。
ちょっとだけ、ぞくりと来た。
「私がああしなければ、今頃争いが極限にまで達して、下手をすると人類は滅んでいたかも知れないでしょう」
「それは何度も謝ったよ」
「分かっています。 私自身も、あの時の事はもう怒っていません。 私自身が壊れたことについても、後悔はしていません」
田奈がそう言うなら、仕方が無いか。
しばらくPCのキーボードを叩いていた田奈だが。
どうやら、古細菌のメンバーとも連絡が取れたらしい。
そういえばユリアーキオータは。
出て行ったきり戻ってこないのか。
ああ、なるほど。
捕獲されていた仲間を助けに行ったのか。
「早めに体を治してくださいね。 それが終わったら、田原坂麟を仕留めるべく、追撃に出ます」
「物騒だね」
「あれは、怪物です。 生きていても、いずれ人類に利用されるか、或いは何かしらの方法で人類を利用して世界を滅ぼすか、どちらかでしょう。 あの独善的な思考回路は、そのどちらかの結末しか産みません」
「そうかなあ」
出発点は。
イジメを受けていた、弱い子供だった。
周囲があまりにも異常すぎる環境だったから。
あの怪物を作ったのは。
むしろ人間だ。
嬉々としてイジメを行い。
親でさえ子供を邪魔者として扱った。その結果、怪物が生まれた。周囲のクズ共は全部自業自得の末路を遂げたが。
一度生じた怪物は。
燎原の火のように燃え広がり。
今でも、くすぶり続けている。それは、火に原因があると言えるのだろうか。
ぼんやりと、考えてしまう。
和解は難しいだろう。
だが、せめて、だ。
話し合う事は、出来ないのだろうか。
この世界を、建設的に改革することが可能な力を持っている奴だ。殺してしまうのは、少しもったいない気がする。
まだ少し休んでいるように。
そう田奈に言われるが。
本調子になるには、後どれだけ掛かるのだろう。
再び目が覚める。
部屋には、かなりの人数がいた。
エンドセラスもユリアーキオータも戻ってきている。それだけではない。うちの幹部連中と。エンドセラスの幹部も、大体がいた。
皆、戻ってきていたのだ。
メガテウシスに至っては、すごく肩身が狭そうだった。
それはそうだろう。
あんな事になったのだから。
これからしばらく、エンドセラスにこき使われ続ける事だろう。まあ、それは仕方が無い事ではある。
自業自得とは言い過ぎだが。
ちょっとばかりおいたが過ぎた、とでもいうべきか。
「起きましたか」
「ん、どうなった?」
「洗脳は、世界中でほぼ解除が完了した」
エンドセラスが代わりに答えてくれる。ただ、その口調からして。まだ予断を許さない状況なのだろう。
核管制システムが完全に乗っ取られたまま。
それだけではない。
軍事管制関連のシステムは、全て敵が掌握したままだという。しかも無理にシステムロックを外そうとすると。
一斉に世界中のICBMが、各大国にめがけて放たれ。迎撃ミサイルも起動しないようにされているという。
もちろん世界中の政府が血眼になって麟を追っているが。
あれが簡単に足を掴ませるはずもない。
それどころか。
時々テレビ局などにふらりと現れては、番組を乗っ取って、色々な事をしていくという。
完全におちょくっているのだ。
というよりも、心理戦のつもりなのだろう。
各国政府の神経を逆なでしつつ。
動きをコントロールしようとしている、というわけだ。
その一方で、各地のテロリストなどを皆殺しにしたりもしているようで。
動きが掴めないのだとか。
「手の打ちようが無い」
「しかし、それは向こうも同じと」
「各国の政府はそう思っていない」
実際問題。
自分たちが、どれだけ危険な火器を振り回して、核の均衡とかほざいていたのか、今更思い知らされているのだ。
麟がその気になれば。
世界を心中させることを、それこそ一瞬で行える。
その時抗えるものはいない。
今どこの国も軍用機を飛ばしてスクランブルしているそうだが。レーダーがそもそも動かないし。相互リンクシステムなども全滅しているそうで。手探りで、砂場に落ちているちょっと他と違う砂を探すような有様だそうだ。
陽菜乃も、そろそろ起き出す。
そして、顔を叩いて、気合いを入れ直した。
これくらい元気になってくれば、そろそろ頃合いだろう。
「じゃ、そろそろ追撃に出ようか」
「居場所が分からない」
「いや、分かるよ」
陽菜乃の言葉に。
周囲の全員が仰天した。
どうやら、頭痛の原因は、ダメージばかりではなかったようだ。
何度か夢を見ている内に。
それらしいものを見たのである。
どうやら、古代生物の意識の渦も、相当に混乱しているようで。
この間無理矢理アクセスした陽菜乃に対して。
情報が漏れているようなのである。
そして、その中には。
麟の行動パターンがあった。
「サメ狩りだ。 ただ、相手は手負いとはいえ、世界最強の能力者。 絶対に気を抜かないようにね」
周囲を見まわして、念を押す。
此処からだ。
本番は。
4、サメ狩り
麟は、地下下水道を通りながら、高速で移動していた。少し前にテレビ局で、全国ネットで各国政府に面白い発表をしてやった。
具体的には、主要国が保有している核兵器の量と、その具体的な位置である。ついでに、第三諸国に流れた粗悪品の核兵器についても、どこの国がどれだけ持っているかも、垂れ流してやった。
腹いせという事もある。
何より、この世界にさらなる致命的な事態を引き起こすのが狙いだ。
意外に思われるかも知れないが。
麟は既にパニックから立ち直っている。
この状況を打開する方法は、これしかないと考えての事だ。
つまり、である。
全世界に破滅的かつ致命的な事態を引き起こし。
一旦文明そのものを壊滅させる。
その後、絶対者として君臨する。
世界に与えるダメージは大きい。
だが、その後に完全管理を実施すれば。それによる利益の方が、より大きくなる。この星にとってもだ。
どのみち、大国が帝国主義を抱えて好き勝手をやっている時点で、この星にはもう未来がない。
星の海に人類が進出する前に。
資源を食い尽くして滅ぶだけだ。
そうなるくらいなら。
まだ、一旦人類をまとめるために。地球を核の炎で包む方がマシ。そう判断しての行動である。
だが、それを人間共が快く思うはずもない。
だから一旦身を隠す。
勿論あらゆる手段で探しに来るだろうが。
全て返り討ちだ。
現に、今までに何回か特殊部隊に襲撃されたが。
洗脳能力はなくしていても。
今でも、ある程度の威圧は可能である。
これは生物としての本能に訴えかけるもので。
絶対勝てないと、認識させるもの。
特殊部隊とはいえ、所詮は人間。
見た瞬間、戦意を無くすどころか。
脳が見なかったことにする事により、認識していながら認識出来ていない、という状況に出来る。
一旦地下下水道を抜け、地下鉄の非常通路に入る。
此処から、港に出て。
タンカーに乗り込むのだ。
衛星が死んでいる今、監視を怖れる必要はないが。
その一方で、現時点で古代生物能力者どもに総出で仕掛けられると、多分勝つことはできないだろう。
今まで蓄えた力は残っているが。
それだけだ。
もう供給は止まっている。
これ以上の力は得られない。
つまり、使い切ってしまったらおしまい。
それが、どれだけ不利な条件下は、わざわざ説明されなくても自分で分かっている。長期戦は厳禁だし。
攻撃も防御も。
やればやるほど弱体化するのだ。
大胆に体を作り替えることも出来ない。
前のように、体を作り替えることが出来れば。
いっそのこと、無限に自己増殖するようにして。数の暴力で、人類を一気に蹂躙、という手も使えたのだが。
これではどうしようもない。
不意に、声が聞こえる。
サメの声だ。
また、どうして急に聞こえるようになったのか。疑念が湧いてくるが、それはもうどうでもいい。耳を澄ませる。
「しばらく静観していた。 結局の所、もはや力を貸すことは出来ない」
「裏切り者が」
「この世界にはもはや未来がないと、意識の渦は判断した。 お前のやり方ではダメだとも、見切りをつけた」
「……」
なんたる消極的な思考回路か。
いっそのこと、全ての力をまとめて寄越せ。
そうすれば、この星を二秒で制圧してやる。その後は、完全支配下に置いた世界を、完全な存在が統治するという理想的な状況を作る事が出来たのに。
罵声を叩き付けるが。
サメの声は、あくまで冷淡だった。
「その独善的すぎる思考回路が、一番の懸念事項とされた。 仮に人類を完全支配して、地球の環境における多様性を同時に確保できたとしても。 その後、ふとした気まぐれから、世界を滅ぼしかねない。 そう意識の渦は判断したのだ」
「余をあまり舐めてくれるなよ。 想定したとおりの行動はする」
「本当にそうか」
「何……」
意識の渦は、問題視したという。
最初の、大掃除を、だ。
改めて考えてみると、あれは必要がない殺しだった、というのだ。確かに周辺環境を整えるのには必要だったかも知れないが。
その一方で、その気になれば洗脳して、手駒にすることだって出来たはず。
それを、私怨から殺した。
そして精神構造は。
その時から、あまり変わっていない。
これが、意識の渦が、問題視した最大の部分だというのだ。
何を馬鹿な。
吐き捨てて、笑おうとして失敗する。
サメの声の淡々とした様子。
これは前とは決定的に違う。
前は一緒になって楽しんでいる節があった。だがあれは。考えてみれば、自分たちの種族が、また新しく繁栄できる、という前提があったから、ではないのだろうか。勿論そうさせてやるつもりではいた。
だが、意識の渦そのものが、判断した。
気まぐれで、世界を滅ぼし、あらゆる生物を消し去りかねない、と。
その意識の渦には。
サメのものも当然含まれているのだ。
「お前とは、最後近くまで戦った仲だから教えておこう。 今後はいっそのこと、人類による一極支配を考え直そうという意見が出始めている。 意識の渦に入り込んできた、滅びた世界の人間共の意識ですら、それを支持している」
「なんだと……どういう意味だ」
「文字通りの意味だ。 人間では無く、最初から意識の渦を体現した存在を作り出そうというのだ」
なんだそれは。
まさか、自分たちで、神とでも呼べるような存在を作るつもりか。
それこそ傲慢では無いか。
どれだけ意識の渦は、世界を振り回したら気が済む。それは無数の生物の意識が集まり、この星の未来のために動いているとは言え。
根本的には同じでは無いか。
この自分と。
世界の支配に王手を掛けた、田原坂麟と。
世界の支配に王手を掛けておきながら、そもそも盤面を全て根底からひっくり返されたこの屈辱。
いつか思い知らせてくれる。
凄まじい憎悪を感じ取っただろうに。
サメの声は淡々としていた。
「そこがまずい」
「なんだと」
「そもそも、お前の力は借り物だ。 確かに知恵がついてからの矢継ぎ早の行動については、驚くべきものがあった。 だが結局の所、お前がしていたのは、我々が貸し与えた力を乱用することだけだった。 しかもそれを正当と考え、疑うことは一度としてなかっただろう。 借り物の力だと言う事を、最後まで忘れていたな」
屈辱に、身が震える。
確かに、この力は借り物だ。
だが、だからといって。
あの状況を。
学校も家族も、全力でひ弱な余を殺そうとしていた有様を、どう打開できた。児相でさえ、全く動こうとはしなかった。金にならないからだ。既に、本当に至近に死が見えていた。
そんな状況で。
どう、打開策があった。
サメの声が聞こえなくなる。
そして、思い知らされる。結局、自分は脆弱な生物に過ぎなかったという事を。
所詮人間に過ぎなかったという事を。
この世界全ての王。
そう名乗るだけの力も、知恵もある。
だが、結局の所。
与えられたものを有効活用しただけ。
自分で、得たものではなかった。
自分で、作り上げたものではなかった。
だが、何ができた。
包丁で、あのイジメを行っていた連中を刺し殺せたか。無理だ。最初の一人に返り討ちにされ。
あげく全てを正当化されただろう。
逃げ出したとして、どうなったか。
連れ戻されただろう。
警察が味方をしてくれたか。
するわけがない。
児相でさえシカトしていた状態だ。何度も児相に助けを求めたのに、ハイハイと冷淡な対応をされた。
教師側が、イジメを完全に黙認していたのが原因だ。教師側にヒアリングして、余が悪いという結論を児相が出したのだろう。今になって考えてみれば、それが一番事実に近い気がする。
結局、死ぬしか無かったのか。
天を仰ぐ。
コンクリに阻まれ、見る事は出来ない天を。
もはや、この世界に居場所は無い。
持ってきているノートPCを取り出す。いっそ、今、此処で。核を世界中に降らせてやろうか。
復讐するべき相手は。
今、世界そのものに変わったと言っても良い。
どのみち、本当だったらあの時死んでいた命だ。親に虐待されて死ぬか。学校でのイジメが原因で「事故死」するか。
どっちか、二つに一つしかなかった。
第三の路は開けていると思っていたのに。
現実はこれだ。
では、もはや現実にも用は無い。
それほど、意識の渦による最強の力を持った、完璧な存在でも創造したいというのであれば。
それをやりやすい環境を、作ってやる。
一旦全部リセットしてやった方が、やりやすいだろう。
PCを立ち上げる。
そして、掌握している全ての軍事ネットワークに、命令を下すべく、準備を開始したが。最悪の間で、気配を感じる。
足音が、近づいてくる。
もはや、近づくことさえ出来なかった以前とは違う。
平然と近づいてくるその足音は。間違いない。
ティランノサウルスだ。
「見つけたよ」
「今度は逃げ隠れするのは余の番であったな。 本気で探して、とっと殺しておけば良かったわ」
「ふふ、余か。 確かに世界の王たる力を手に入れたのに、色々もったいないね」
「ほざけ、人間」
PCを閉じると、しまう。
気配は一つだけじゃない。
もはや、これまでか。
周囲は、恐らく世界中の、第一線と思われる能力者に、完全包囲されていた。多分エンドセラスが見つけて。
此方の探知範囲外から、同時に仕掛けてきた、と言う所だろう。
だが、こちらには、もはや失うものなどない。
この状況。
今度は、王手を掛けられたのは、此方だと言う事だ。
だが、それがなんだ。
失うものがない以上。
怖れるものなど、何一つとしてないのだ。
「まず、世界中の軍事ネットワークを返してくれる? そうすれば、此方で対応を考えるけれど」
「何を対応するというのか」
「もう意識の渦のバックアップを受けていないことは分かってる。 力を使い果たせば、ただのちょっと肉体が強い生物になり果てることもね」
お見通しか。
そういえば、そもそもだ。
どうやって此方を見つけた。
まさか此奴。
意識の渦に干渉したのは、此奴自身か。
無理をしてあんなものに干渉したという事は、その時に副作用で、何かしらの力を得ていてもおかしくない。
或いは、一瞬でも。此方の思考パターンを覗いたか。
その可能性は高そうだ。
ティランノサウルスは、篠崎田奈つまりアースロプレウラほど頭は切れないようだが。それでも、周囲に頼ることを知っている。
思考回路を分析出来たのなら。
周囲と話して。
それを解析できたかも知れない。
いずれにしても、本当に不覚だ。
余裕をなまじ持ったが故に。
この逆転を許した。
意識の渦は、所詮ガバガバだった。実際問題、余に無制限の力を、途中まで与えていて。実際世界征服までさせたのだから。
此奴が余計な悪あがきをしなければ。
そう思うと。
憤怒が吹き上がってくる。
だがそれ以上に。
冷静さが、自分を押さえ込んでくる。
此処でやり合っても、勝ち目は無い。どうにかして逃げ延びるほかない。だが、どうやって。
周囲は、古細菌クラスの能力者で固められている。包囲を突破したとしても、多分第二第三の包囲網がすぐに構築される。
此奴らは対人戦に関しては、特化どころでは無いし。
対能力者戦に関してもそうだ。
「どうしかけてくるつもりだ」
「まずは、力を削りきる」
「ほう。 それで」
「その後は、此方の監視下で、静かに暮らして貰う」
反吐が出る。
何が静かに暮らして貰う、だ。
だが、陽菜乃は笑顔のまま。
まさか此奴、本気か。
「此方も調査はしているんでね。 麟ちゃんの元になった子が、どういう環境で無茶苦茶な虐待を受け、周囲の大人も一切合切何もせず、殺される寸前だったことは分かっているからね。 確かに皆殺しにしたのはやり過ぎだと思うけれど、そのまま放置していれば殺されたのも事実。 正当防衛と言うには少しやり過ぎだったね。 だから、後は静かに余生を過ごして貰うよ。 悪いけれど」
「何を抜かすか……!」
「この世は不条理なものなんだよ。 あらゆる生物がそれに直面しているし、いつの時代だって弱者は蹂躙されるものなの。 それも、理不尽極まりない形でね。 だから麟ちゃんの事は理解出来る。 許すとは別の話でね」
「おのれ勝手な事を!」
時間は、確実に情報を増やしていく。
言葉と裏腹に、麟の頭は冷静だ。
周囲にいる能力者は十人程度。というか、恐らく間もなく仕掛けてくる。田奈による重力攻撃で動きを封じて。後は袋だたき、と言う所か。
実際問題、陽菜乃が何かを喋り掛けた瞬間。
ぐんと、周囲が重くなった。
だが、この程度の重力では、余の動きは掣肘できない。
そう思った矢先。
ノートPCが奪われる。
エンドセラスか。
意識をそらすためだけに、重力操作を使ったというわけだ。だが、あれの暗号は、余でないと解読は不可能だ。
一度でも入力ミスすれば、その時点で全世界に水爆つきのICBMが発射され。対空迎撃システムも稼働しない。
だから、別になんら痛痒は無い。
解析も不可能だ。
世界中の何処にも流通していない、独自プログラムを此方で組んだ。解析しようとした瞬間、水爆が発射されるようにもしてある。
バックアップが万全だったときにやったことだ。
「さて、どうする。 これ以上は、此方も黙ってはいないが」
「もう詰んでるよ」
「ほう」
同時に。
周囲の全員が、一斉に距離を取る。
何が起きた。
そう思った時には。既に周囲は、崩落していた。
呼吸は必要ない。
そう体を改造したからだ。
闇に飲まれていても、意識は壊れない。
同じく、だ。
恐らく、この辺りの地盤全てを粉砕したのだろう。地上に古細菌クラスの能力者を配置し。
此方が予定通りの位置につき。準備が整ったと判断した瞬間に、である。
乾いた笑いが漏れてくる。
想像もできないほどの重量に押し潰され。身動きは一切取れない状態になっているにも関わらず。
どうしてか、笑いが零れてくる。
周囲には酸素もない。
だが、この程度の土砂で、余をどうにか出来ると思ったか。
次の瞬間、土砂が凍り始める。これは、−200℃を更に下回っている。多分これも古細菌か、それクラスの能力者の手によるものだろう。土砂で徹底的に埋めたあげく、今度は氷づけか。
だが、それでも。
この力を凌駕するには足りない。
振動によって熱を上げて、一気に冷気をはじき返す。
そして、少しずつ、確実に。
地面に向かって、進んでいく。
勿論地上では、包囲陣が既に組まれているだろう。
だから、地上には出ない。
ある程度、空間を確保した所で。
今度は、一気に地下へと進む。更に地下へ進み、今度は横に移動することで、奴らの包囲を抜けるのだ。
力が消耗されていく。
これは、向こうとしても想定内だろう。
だが、何処へ逃げられるか分からない、という点では、想定を外している筈だ。実際問題、余でも適当な方角に穴を掘って進んでいるのだから。
土でもコンクリでも関係無い。
ぶち抜きながら、一気に進む。後ろが崩落するが、関係無い。十重二十重の包囲だろうが、知った事か。
抜けてやる。
だが、確実に力が失われていくのも事実だ。既に数キロは進んでいるが、それによる消耗は馬鹿にならない。
この辺りで、良いか。
一旦上に向けて進み始める。
まだ、世界最強の能力者である事に変わりは無い。一気に地上まで突き抜ける。
そして、周囲を見回した。
何処だ、此処は。
何も無い荒野だが。
この辺りは、世界最大のメガロポリスの一角。こんな地区が、しかも最後にいた地点から数キロ程度で、出てくるはずが無い。
何が起きている
これも能力か。
そうだ、確かエンドセラスの配下に、異世界に引きずり込む能力者がいたはずだ。つまり、崩落の瞬間、既にその罠にはまっていたか。だが、その能力者が能力を展開するのには気付かなかった。
どういうことだ。
冷気を防ぐ際に、隙が出来たか。
それとも、何か別の理由か。
いずれにしても、周囲には誰もいない。主力はまだ地下にいると見て良いか。無理矢理空間を引き裂くと、外に。
呼吸を整える。
流石に力の消耗がひどくなってきた。
しかも、回復しないのだ。
外に出ると、周囲を確認。
地図を覚えている。
新宿の一角だ。
そのまま走って、その場を離れる。包囲は突破した。後は、追撃をかわしていけばいいだけのことだ。
5、逆転、そして
田奈が確認したノートPCの内容は、危険すぎて触れない、だった。
独自のプログラム。
OSさえ独自構築している。
更にこれが、各国の軍事ネットワークを完全掌握している。一度完全にシャットダウンするにしても、恐らく起動すると再度これに支配される。ついでにいうと、これはトリガーに過ぎない。
本体は、麟が世界中に作らせたデータセンターそのもの。
世界に数十カ所あるそれらを、全て同時に破壊しない限り。
緊急事態と判断され。
水爆が世界中にぶち込まれるのだ。
だが、此処までは想定通り。
麟が今新宿にいる事も、確認している。
後は、力を使い切らせるだけだ。
既に世界最強の力も、半減している。
あれだけの無茶苦茶をしたのだから当然。更に此処から削っていって、最終的には並の能力者と同等くらいになった所で捕獲する。
「結局、借り物の力って点ではわたし達と同じか……」
陽菜乃はぼやく。
相手も所詮は、能力者、という点では変わらなかった。
つまり、意識の渦に力を与えられたものという点では。結局同じ土俵に立っていたのだ。桁外れすぎて忘れていたが。
今後も、同じような事が起きるかも知れない。
そうなると、対応は考えておく必要があるだろう。
「包囲網構築完了。 二次攻撃しかけます」
「死者を出さないようにね」
「分かっています」
田奈の言葉に、頷く。
結局の所、この世界を変えるには。何か根本的に違う対策が必要なのかも知れない。陽菜乃はそう思い。
腕組みし、作戦の推移を聞きながらも。
どうすればいいのか。
しばし考え続けるのだった。
(終)
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