序、転覆

 

揺れが来た。

乗っているこの船は、全長240メートルもある豪華客船だ。ちょっとやそっとの波ではびくともしない。

しかも、昔の船では無い。

現在の船は、事故を避けるために、様々な設備を投入している。この船だって、それは同じなのだが。

しかし、この揺れは。

あまりにも強烈だった。

パーティ会場で、転倒する人々。悲鳴が上がる。私も転倒した一人だ。頭を打った者もいる様子だ。

更に、船が傾き始める。

船内放送。

スピーカーから、慌てた様子の声が響き渡る。

「今、三角波を受けました。 お客様方は、何かに捕まって、しばらく待機してください」

「おいおい、大丈夫かよ」

私がぼやく。

強かに足を打って痛いけれど。周囲は私に構うどころではない。

頭を抑えて蹲っている老人や。

全身を床に打ち付けて、身動きできない人もいるようだった。

三角波と言えば、確か別方向から来た波が合流して、巨大な波になったものを言うはずだが。

これほどの巨船を揺るがすとは。

外はどのような有様なのか。

また、揺れが来る。

私は近くの壁に張り付いていたけれど、船が急激に傾いていくのを感じて、ぞっとした。これは、転覆を避けられないかも知れない。

一体何が起きている。

船内放送では、落ち着くようにと繰り返しているけれど。

これでは、それどころではない。

スマホを弄ってみるけれど。

電波が届かない。

医者は。

叫んでいる人がいる。

その人の足下には。

伴侶らしい女性が、意識を無くしたまま、倒れていた。

周囲は、豪華な食事や酒が散らばっていて、さながら地獄絵図だ。馬鹿みたいな金を払って船に乗ったのに。これでは無意味極まりない。

タイタニックじゃあるまいし。

今時大型豪華客船が転覆事故なんて。

いや、分からない。

今でも、海難事故は起きるのだ。

ましてや豪華客船は、どちらかと言えば人気が落ちてきている。

この船は、ひょっとして。

メンテナンス不足とか、そういうので。

今人災として、沈もうとしているのかも知れない。

嫌な予想ばかりがふくれあがる。

また、傾き始めた。今度は別方向だ。

必死に壁に取りすがるけれど。

これは、保たないかも知れないな。

私は自嘲する。

人生最後の贅沢と決めて乗った船だ。

この不況で、将来はお先真っ暗。会社も倒産寸前。人員整理が入って、私は先がない事を見越してさっさと会社を抜けた。

だけれども、新しい仕事なんか、見つかるはずが無い。

先進国は軒並み不況。

調子が良かったアジア圏は、数年前から空前の大不況に叩き込まれて、それに引きずられる形で世界中が底なし沼に沈み始めている。

アフリカではついに国家同士が戦争を始めて、一部では核が飛び交っているという噂さえある。

私のいる日本だって例外じゃ無い。

恐ろしい事に、こんな時でさえ安泰な通貨である円だが。

不況は凄まじいレベルで進行していて。

それに伴って、治安は崩壊。

犯罪発生数は五年前の三十倍。

仕事が無い人間も、五倍以上に増え。

もはや先がない事が明白だった。

文明が終わる時が来ようとしているのかも知れない。何だか、まるでこの船みたいだなと、私は思った。

有り金はたいて乗った船だけれど。

周囲も、自棄ばちな人が目立ったし。

金持ち特有の余裕を見せている人など、殆どいない。

むしろ私のように。

最後の贅沢と思って、船に乗ってきている人も、珍しくない様子だった。

世界中がもう駄目だ。

それが分かっているからか。

私は、どうしてだろう。

船が沈もうとしている今も。

あまり恐怖は感じていなかった。

がくんと、揺れる。

今度は、非常に大きな軋みが聞こえた。

或いは、船の何処かが裂けたのかも知れない。

これは浸水してくるな。

そう思った時には。

もう水音がし始めていた。

悲鳴が響く中、私はむしろ冷静に、甲板に上がってみようと思う。他人を助けている余裕なんかない。

外が大嵐でも。

救助艇に乗り込むことさえ出来れば、或いは助かるかも知れない。

人数分の救助艇はある筈だ。

タイタニックの事件以降、救助艇をきちんと搭載することは、世界中で暗黙の了解になったと聞いている。

だから、救助艇に乗れば。

しかし、である。

甲板に這うようにして出た私は。

既に其処が、地獄絵図と化している事を、悟った。

まるで台風。

いや、台風そのものかも知れない。

そんな話は聞いていないのに。

どうして、船は台風や、それに近い規模の悪天候に、真っ正面から突っ込んだのか。何かのミスか。

甲板には、ひっきりなしに凄まじい波が押し寄せてきていて。

ざぱん、ざぷんと、甲板を洗っていく。慌ててドアを閉めたけれど。その時、ドアが凄まじい勢いで軋んだ。

一瞬でも閉め遅れたら。

船内に、大量の波が流れ込んでいただろう。

これでは脱出艇どころでは無い。

私について走ってきていた者もいたけれど、今ので完全に尻込みしてしまう。何が起きているのか。

その時。

致命的な事が起きた。

今までに無い揺れ。

そして傾き。

あっと気がついたときには。

階段に投げ出されていた。

顔面から、階段にぶつかって。凄まじい音がした。鼻が折れて、歯も。そう思ったのは、一瞬だけ。

激しくからだを打ち付けながら、階段を転がり落ちたのだ。

途中からは。

意識も手放していた。

死んだな。

嫌に冷静にそう思う。

こんな状況だ。

助かるとは思えない。

医師が来るともとても思えないし。

何より船そのものが、とてもではないが保たないだろう。救助船だって、どうせ間に合わない。

でも、むしろそれで良いかもしれない。

ブラック企業で、全身が滅茶苦茶になるまで働き続けて。

今や私の体は、病巣だらけだ。

まだ若いのに。

仕事を辞めるときだって。

散々殴られた。

レイプまがいの事さえされた。

必死に退職届を出して逃げてきたけれど。

次の仕事があると思うなと、ぎゃあぎゃあ叫んでいた上司の声は、まだ耳に残っている。

労基に駆け込んで、退職金だけはどうにか払わせたけれど。

多分私はブラックリストに載せられて、業界に廻されている。

もう、仕事なんて無いだろう。

だから、これでいい。

体が冷えていくのが分かる。

首が折れたのか。

内臓が潰れたのか。

どちらにしても、碌な死に方では無いな。

何だか、不思議な話だけれど。気絶した割りに、どうしてか思考回路が働いている。さっぱり理由は分からないが。

もし、次の人生があったら。

いや。そんなものはいらない。はっきり分かったが、この文明と言うよりも、人類そのものに未来が無い。

エゴの怪物。

世界を食い尽くしていく化け物。

地球規模の寄生虫。

勿論私もその一匹。

結局私は、エゴを振りかざして、弱者を踏みにじっていくこの世界の仕組みそのものに。我慢できなくなったのかも知れない。

もしそうだとすると。

今、生きる意思を放棄しようとしているのも。

納得がいく話だった。

 

気がつく。

病院特有のアルコール臭。

呼吸補助の機器。

意識が少しずつはっきりして行くと同時に、私は悟る。どういうわけか、生き延びてしまったらしい。

看護師が気付いて、医師を呼びに行く。

顔中包帯だらけの私に。

性格が悪そうな医師が来た。

日本では、医療保険制度が二年前に崩壊。以降は、他の国と同様、医療を受けるには凄まじい大金が必要になっている。

昔は、米国で医者には絶対に掛かるなと言う話があったが。

それはもはや、日本でも同じだ。

医者は私の状態を話した上で。

したり顔で言う。

「口座番号を教えてくれますかな」

「金なんかないよ」

「そうか。 じゃあ出ていって貰おうか」

看護師達が、生命維持装置を外し始める。

更に、借金の証文も押しつけられた。

治療費は、一千万。

更に、である。

あの船に来たレスキューは、無料ではない。

今の時代、貧乏人は保険になど入れない。レスキューなど受けようものなら、それこそ一生ものの借金を背負うことになる。

金持ちでさえ、一度のレスキューで財産を失うことがあるくらいなのだ。

なお、借金をしている人間が死んだ場合。

その人間の臓器やら何やらは全て売り飛ばされるし。

それで金が足りなかったら、家族が解体されるケースもある。

勿論、それは。

合法だ。

一時期、高利貸しが美化される漫画が流行ったことがあった。曰く、借金をする方が悪い。それが、美化の理由だった。

同じように。借金をする方が悪いという風潮が、世間に広まっていった。

だが現実はこの通り。

借金取りは人間では無い。

借金取りが国と癒着して、好き勝手をするようになって。

それで誰もが気付いたけれど。

もはやその時には、遅かった。

体中滅茶苦茶。

生命維持装置も外されて。

病院の敷地外に放り出された私は。

ぼんやりと、空を見上げた。

すぐに現れたのは、顔を見たことも無い借金取りだ。

「まだ生きてるな。 新鮮な内臓が取れそうだ」

「すぐに解体業者を手配しろ」

「こんなクズでも、それなりの金にはなるんだから、ぼろい商売だな」

口々に言う人非人ども。

だけれど。

私は、こんな奴らに、好き勝手をさせてやるつもりはない。

医師にも気付かれてはいなかったけれど。

奥歯に仕込んであるのだ。

自殺用の猛毒を。

アルカロイド系の猛毒で、しかも使うと全身を汚染する。内臓なんかも、使い物にならなくなる。

躊躇無く。

人非人どもが目を離した瞬間。

私はそれをかみ砕いていた。

苦しみ抜いて死ぬ事は分かっていたけれど。

どうせもう、人間の尊厳なんて存在しない状態だ。しかも解体業者は、麻酔なんて使わない。

薬になるからという理由で。

脳や目玉まで摘出する。

勿論生きたままで、である。

麻酔を使わないのは、内臓の鮮度を損ねないようにするため、らしい。

これが合法なのだから。

もはや、この世界に先進国などと言うものや。人権などと言う概念は、存在しないと言って良いだろう。

今度こそ、死ねる。

そう思った私は。

耳元で、激高したクズ共が叫んでいるのを、何処か遠くの出来事のように思っていた。

「このアマ、薬で自殺しやがった!」

「解体の様子のスナッフビデオ撮れねえじゃねーか!」

「てめえ、金づるから目離しやがって!」

殴打の音。

ははは。

仲間割れしてやがる。

正直どうでもいい。

気付くと、もう意識も。

無くなっていた。

 

1、渦の中に

 

やっと死ねた。

そう満足した私は。

いつの間にか、巨大な渦の中にいた。全裸だけれど、そんな事はきにならない。渦が水だか空気だか何だか分からないけれど。

良く周囲を見ると。

それは同じように、全裸の人体であることが確認できた。

何だこれは。

どの人体も、意識が無い様子で。

私が特別なのだろうか。

そればかりか、どの人体も透けている。

とても、この世の光景とは思えなかった。

「目が覚めたか」

声が聞こえる。

渦に流されながら、周囲を見回すと。どうやら渦の外側に。無数の目が存在していて。それがじっと此方を見ているようだった。

不気味極まりないけれど。

今更その程度で、何か思う事もない。

「終焉の時代に生きた魂」

「それは私の事か」

「そうだ。 お前の死後、あの世界では全面核戦争が発生し、人類は絶滅する。 そればかりか強烈な放射能汚染で、陸も海も生物が住めなくなる。 大型の動物はあらかた絶滅し、世界には鼠やゴキブリのような、生命力の強い繁殖力の高い生物だけが生き残ることになる。 それさえも放射能汚染に耐えられず、その内絶滅し。 地球には生命と呼べる存在はいなくなる」

「まあ、そうだろうな」

自業自得だ。

それ以外に言葉も無い。

おかしな話で。

ある一時期から、先進国も後進国も、出生率が異常な勢いで下がっていった。

結婚のもつ強烈なデメリットが前面に出てきたこと。

何より、誰もが悟っていたのだろう。

この世界に未来が存在しない事を。

それでも、一部の人間は子供を作ってはいたけれど。

出生率の低下に歯止めは利かなかった。

私が若い頃、結婚は人生の墓場だとか言う言葉が流行したり。結婚後の人生が如何に暗いかを揶揄するような話も散々為されていたけれど。

実際問題、結末はこれだ。

人類は生物として欠陥品で。

自業自得の末路を迎えた、という事なのだろう。

くつくつと、笑い声が漏れてくる。

「それで、私に何の用だ」

「この世界の人類は終わりだ。 平行世界には、まだ人類が生息し、未来がある場所がある。 其方に行くことも出来るが」

「嫌だね」

「即答か」

「もう人間になること自体がいやだって言っている」

正直言って、冗談じゃ無い。

年々複雑化するビジネスコミュニケーション。複雑怪奇な作法の数々。それを守れなければ、どれだけ仕事が出来ようと関係無い。人権そのものが剥奪される。

人間がそういう生物だと言う事は、自分の目で嫌と言うほどみてきた。まだ二十代の私だけれども。それでも未来がない事は一発で分かるほど、この世界は袋小路に入り込んでしまっているのだ。

何もそれは大人だけの話では無い。

何だかなんだ理由をつけて、人間は弱い者を痛めつけるのが大好きなのだ。

私は例え強者になっても、そんな輩にはなりたくないし。

また弱者になって、痛めつけられるのだってごめん被る。

それに、だ。他の知的生命体だって、どうせ大して代わりは無いだろう。何処の世界に行っても、人間なんてどれも同じだ。

「なるほど、随分とやさぐれたものだ」

「私、死んだんだろう。 さっさと眠らせてくれるかな」

「正確にはまだ死んではいない」

「何だよ……」

面倒くさい話だ。

もう生に未練なんかないし。

とっとと無にでも帰りたいのだが。

妙な声はいう。

「ならば、いっそ人間では無く、過去にでも行くか」

「何だそれ」

「まだ未来がある状態の地球にて、過酷でも生を謳歌出来る存在になれば良い、と言っているのだ」

「……」

それは、或いは。

有りかも知れない。

老人がよく、昔は良かったという戯れ言を口にするが。

私でさえ知っている。

犯罪はいつの時代だってたくさん起きていたし。

人間はゲスのママだ。

正直、二度と関わりたくない。

だが、人間がいない世界で。

其処で、好き勝手に生を謳歌出来るというのなら。

「いいな、それ」

「不思議な奴だ。 何にされるかも分からないと言うのに」

「蠅でも何でも構わないさ。 人間ではないと言うだけで充分だ」

「随分と嫌な目にばかりあったのだな。 まあ、それで良いというのなら」

何だか、体が浮き上がるような感覚。

不思議な気分の中、声がする。

「過去を変える必要がある」

「?」

「知識を持つ人間を、過去に送り込んだが、上手く行かなかった。 何をやっても、人間はどうしても世界を破滅させ、食い尽くしてしまうのだ。 時間は掛かれど、結果は同じだ」

「よくわからん」

そんな程度の生物だろうし、何を今更。

それが私の率直な意見だ。

だが、声の主は違うらしい。

「ならば、人間が誕生する遙か前から、世界というものを根元から変えてしまえば良いのだと、我等は結論した」

「また気が長い話だな」

「お前より更に過去に飛んだものもいる。 お前はお前なりに、好きなように生きてみるが良い。 お前だけが希望というわけでもないからな」

「そうさせてもらうよ」

意識が、どんどんと薄れていく。

そして、私は。

いつの間にか。

私ではなくなっていた。

そればかりか。

ヒトでもなくなっていた。

 

1、海の刃

 

魚類には、主に二種類が存在する。

硬骨魚類と軟骨魚類である。

この二種は密接な関係にあり、軟骨魚類から硬骨魚類が進化したとも、その逆だとも言われているが。

はっきりしているのは、どちらも古い時代から存在している、長い歴史を持つ生物だという事だ。

名前の通り、骨が軟骨かどうか、なのだが。実のところ、世界でも繁栄している種族である鮫は、軟骨魚類なのである。

鮫は頑強な骨格をもっている事からも分かるように。

一概に軟骨魚類だからと言って、体がふにゃふにゃという訳でも無い。

動きも俊敏で。

多くの場合獰猛な捕食者でもある。

ただし、鮫にしても、近縁種のエイにしてもそうだが。

必ずしも全てがそうでは無い。

例外的に、大人しい性質の持ち主もいるし。

生態も様々。

繁殖している地域も、深海から浅い海、時には川にまで進出している者もいる。

長い歴史を持つだけあって。

多様性に関しても、生半可な代物では無いのだ。

ぼんやりしている私は。

いつの間にか。

巨大な魚が多数泳ぐ、海に出ていた。

意識らしきものはある。

そして何となく分かる。

私は鮫になっていた。

大きさは、人間だった頃と、大して変わらないだろう。鮫と言っても、どれもこれもが巨大なわけではない。

特に古代には。

もっと大きな捕食者が、海には幾らでもいた。。

有名な、鎧を着込んだような凶暴な魚、ダンクルオステウスを筆頭に。

全長が十メートル以上に達する、当時の頂点捕食者であった、大型頭足類。いわゆる直角貝も存在していた。

それらにとって、鮫は。

ただの好餌に過ぎなかった。

だが、更に小さな魚にとっては。

鮫は凶暴な天敵であり。

泳ぎながら、分かるのである。

最強の連中はともかくとして。

鮫という生物は。

決して脆弱な存在ではないのだと。

動きが鈍い小魚を、ばくりと一口。

そして気付く。

鮫の歯は、相手を食いちぎる役割よりも。

むしろ食いついた相手を、逃がさないためのものなのだと。突き刺さった歯は容易には抜けないし。

むしろ、喰い破るためにも必須だ。

ぺろりと平らげると。

しばらくはおなかがすかなくなる。

鮫は変温動物だ。

それはつまり、自分の体内で、生命活動維持に必要な熱を作り出せないことを意味している。

早い話が、体が冷え切ると死ぬ。

幾つか、体を温める工夫が体の中にあるけれど。

それも絶対では無い。

水面近くに出て、時々温かい光を補充しなければならない。

そうしないと、動けなくなってしまう事もある。

一方で、この時代の生物はみんなそうだ。

どれだけ大きくても、恒温動物では無い。

それは早い話。

体の燃費がとても良い反面。

温度というものに敏感で。

ものによっては、水温が変わるとあっという間に死んでしまう、という不便な性質を持っていることも意味していた。

もっとも、水温さえ適切なら、日光など受けなくても平気な種族も多い。

単純に変温動物と言っても。

それは様々なのだ。

巨大な捕食者が来た。

たくさんの触手をうねらせて、海を我が物顔に泳いでいる。

直角貝。

エンドセラスだ。

近づけば、それだけで死が待っている。

あいつは獰猛で。

食欲も旺盛。

得物と見定めた場合、まず此方を逃がすようなことはないのだ。

距離を取って見ていると。

エンドセラスは、此方を見た。

まずい。

そう思ったけれど。

反応は違っていた。

「お前、お前もか」

「!」

「歴史の袋小路から来たな」

「何だ。 どうして日本語を知っている。 というよりも、どうして会話が出来ている」

くつくつと、笑い声。

ひょっとして此奴。

中身は私と同じか。

「お前以外にも、似たような奴はたくさんいる。 何でも世界の魂の総量は決まっているらしくてな。 人間の数が増えすぎて、世界が袋小路になってしまった事で、過去に魂を飛ばすことが流行っているそうだ」

「何だそれは。 神か何かの仕業か」

「似たようなものだが、正確には違うらしい。 とはいっても、私も良くは分からないのだがな」

触手を器用に動かして。

エンドセラスが指し示したのは、小魚の群れ。

喰えというのだろう。

有り難く頂戴することにする。

しばし食事をしていると。

此方を見つめながら、エンドセラスは、話をしてくる。

他にも同じような奴にはあったのだが。

そいつらも、やはり袋小路の歴史の中で、悲惨な死に方をしていったそうだ。

「代わりは幾らでもいるの精神で切り捨てていった結果、人材そのものがいなくなって、泡を食っている会社から私は来た。 混乱の中、粉飾決算をしているところを警察に嗅ぎつけられてな。 役員同士がそれぞれ責任を押しつけあって、全員が余罪を全てバラされて、会社は破滅。 私は路頭に迷ったあげく、道ばたでいきなり通り魔に突き刺されて死んだよ」

「それは災難だったな……」

エンドセラスが、私の倍もある巨大な魚を捕まえると。

むしゃむしゃと、凄まじい勢いで食べ始める。

何というか。

未来から来た者同士。

不思議なシンパシィがあるのかも知れない。

相手を襲おうとは思わないのだろう。

「お前はどうだ」

「似たようなものだ。 腐りきった会社で未来も無く、貯金をはたいて人生最後と決めた豪華客船に乗っていたら、海難事故にあった。 生き残ったが、金が無い人間を治療する事は出来ないと放り出されて、生きたまま借金取りに解体され掛けたからな。 そのまま自殺した」

「お互い運が無いな」

「だが、歴史の袋小路だと聞いている。 それならば、結局の所、皆不幸な死に方をしたのだろうな」

最後は核戦争で全滅したとか、あの声は言っていたか。

それはまた、ひどい話だ。

「同じように、未来から来た奴と会うかも知れない。 その時には、何が出来るのか、考えてみよう」

「そうだな……」

命を拾った、というのとは、少し違うかも知れない。

だけれども。

これは、第二の機会だ。

あのどうしようもない、袋小路に陥って、滅亡も確定してしまった世界で、ゴミのように死んでいくよりは。

様々な多様性が花開き。

過酷な生存競争が行われていても。

熱く激しく生きられるこの時代の方が、まだマシだ。

エンドセラスと別れると。

私は、同じような者がいないか、探す事にする。

きっと、いる筈だ。

それに、鮫の武器は遊泳力。

彼方此方を探して、声が届く相手がいないか見つけるのは。

むしろ得意だとも言えた。

 

意外なところで、同類は見つかった。

海底から生えている巨大な海草である。

全長はそれこそ百メートル以上はあるだろう。一本で、小さな森と言えるほどに、巨大な体の持ち主だ。

それが、私に気付いて。

話しかけてきた。

海草と鮫が話すというのも、妙な話だが。

実現できているのだから面白い。

勿論海草にも鮫にも喋るための機能など無い。

無い筈だ。

会話が出来ているのは、どうしてなのだろう。

何よりも。

どちらも口を動かしている様子は一切なく。

それが「会話」の違和感を、更に大きくしていた。

「お前さんも、未来から来たようだのう」

「貴方もか」

「そうだそうだ。 此処まで大きくなるのに、随分掛かってしまったがのう」

のんびりとした、間延びしたしゃべり方。

死ぬ前は老人だったのだろうか。

まあ私も、若造の割りには。

しゃべり方が堅いとか、良く言われていたけれど。

「どれ、此方の生活はどうだね」

「むしろ前より遙かに良い」

「そうだろうそうだろう。 わしもそう感じるよ」

「おかしなものだ。 文明の利器は一つも無く、世界は混沌と殺伐に満ちているというのに、此方の方が良いのだから」

それだけ、あの終焉の世界が。

私にとっては、辛いものだった、ということだろう。

いや、この様子では。

誰にとっても、辛いものだったに違いない。

「人間以外にも、未来から来た者がおるよ」

「それは本当か」

「ああ。 わしの体に群がっている三葉虫がそうさ」

彼らは、海草が元人間だと知ると。

親の敵のように群がってきて、体を囓っていくという。

まあそうだろう。

実際、大多数の生物にとっては人間は親の敵以上の憎悪の対象の筈だ。まして相手が動けないとなれば。

当然報復にも走るだろう。

「我々は何をすれば良いのだろう」

「さてなあ。 こんな所に飛ばされたところで、今更何が出来るとも思えないのだがなあ」

「良い生活をするというのは」

「良い生活も何もあるまい」

穏やかな口調だが。

海草は一刀両断に、私の言葉を切り捨てた。

確かにそうだ。

殺して喰らって眠って増えるだけの生活。

それに良い生活もなにもない。

ただ、海草は、教えてくれる。

「お前さんのような者達が、時々集まって話をしておる。 それに混じって話をすれば、なにか糸口が見えてくるかも知れぬよ」

「……なるほど、確かにそうだ」

「三人寄れば文殊の知恵ともいうからのう」

海草は身じろぎさえせず。

からからと笑う

それは老人と言うよりも。

むしろ、仏像か何かのような、動かしがたい雰囲気まで備えていた。

 

2、増えていくもの

 

不思議な事が起きる。

私が増えたのだ。

意識が二つに分裂したというのではなくて。意識が単純に増えて、それが相互にネットワークを組んでいる印象だ。

どうやら。

同じ種族に、私の意識がどんどんコピーされて行っているらしい。

だから私が何処かで死んだり。

或いは何処で繁殖したり。

そういう奇妙な感覚が。

一日中、ネットワークを通じて、発生するのだった。

他の生物になった人間も同じらしい。

以前知り合いになった生物に遭遇すると、話が成立する。同じ動物同士で遭遇すると。二カ所で会話が出来たりする。

その一方で。

数が増えたから、遠慮する必要はないと思うのだろうか。

エンドセラスは、人間の意識が宿っている他の生物であっても、遠慮無く襲って喰らっているようだった。

そして面白い事に。

それをされても、誰も気にしないのである。

この辺りは。

生物と、意識が混じり合っているのかも知れない。

殺す殺されないの世界での話だ。

いちいち同種が喰われたくらいで、反応する奴などいない、という事なのだろう。

数が増えたから、代表者を海草の所に派遣する。

其処には、同じように人間だったものが。

たくさんたくさん集まっていた。

大きさも様々だ。

知識も、である。

「エンドセラスがいるということは、四億年程度前の地球と言う事か。 しかし、同じ地球とは必ずしも限らないな」

「確かに似た生物がいるだけで、収斂進化の結果かも知れない」

元々学者だったらしい者達が、話している。

そうか。

エンドセラスというのはそんなに古い生物だったのか。

「この時代だと、地上はまだ荒野に近いだろうな」

「それに、何度かの大量絶滅もある。 意識を同種の生物に分散していても、流石に絶滅したらどうにもなるまい」

「どうするか考えて行く必要があるな」

難しい話がされている中。

私は会話に参加できず、困り果てていた。

鮫は。

というか、今私がなっている品種は。

それほど体も大きくない。

鮫としては、古い種族で。

決して強い生物ではない。

勿論小魚などに比べれば強いけれど。

この世界の海には、エンドセラスを例に挙げるまでも無く、強大な捕食者がそれこそ幾らでもいるのだ。

鮫などその中では。

どちらかと言えば、底辺に近い存在である。

「意識が飛ばされたのだ。 同じ事は出来ないだろうか」

「今度は未来に意識を飛ばすのか。 しかし、どうやって。 それに、未来に戻ったところで、地球が破滅的な状況な事には代わりは無いだろう」

「それを変えれば良い」

「……ちょっといいか」

声がする。

しかし、姿は見えない。

どうやら、いわゆる古細菌の類らしい。

そうらしいというのは、自分でそう名乗ったからだ。

この会議が始まってから、しばらくすると。

面白い事に、ここに来られないものや。下手をすると時代が違う存在までもが、会議に参加してくるようになっていた。

何だか神々の会議のようだけれど。

実際に起きていて。

話を聞くことが出来るのだから、事実だ。

オカルトというのは、事実では説明できないし、再現も出来ないことをいうのだけれども。

今起きているコレは。

実際に私が体験しているし。

捕食者も、会議の間は、エサを口にしない。

そういう異常事態が起きている上。

様々な情報が入ってきている以上。

オカルトでは無い。

「我々はもはや、それぞれが単独の意識とは言い難い存在だ」

「確かに、元の人間がどうだったかなんて、どうでも良くなりつつあるな」

古細菌に応えたのは、エンドセラスだ。

ちなみにエンドセラスは、数体が会議の場に来ている。

いずれもが、とんでもない巨体で。

その迫力は、まるで潜水艦だ。

そして、大きさもまちまちなのに。

それぞれが同じ意識の元動いているものだから。何処でエンドセラスに遭遇しても、同じ話が出来る。

もっとも、相手が腹を減らしている場合。

ひとたまりも無く喰われてしまう事も珍しくは無かったが。

「それならば、時代に大きな影響を与えた生物に移ることも出来るのではあるまいか」

「それでどうする」

「世界を観測する」

聞いた事がある。

この世界は、観測者の存在によって、その姿を変えていくという。

幾つか量子力学では実験的に証明もされていて。

その理論を裏付ける、特殊な実験も成功しているという。

それを考えると。

確かに時代の主役になっている生物に意識を移せば。

世界を改変できるかも知れない。

そしてここからが重要なのだが。

もう我々は。

一人の人間としてのエゴを失っている、という事だ。

人間としてのエゴがあった頃には。それぞれが愚かしい争いを繰り返し。弱者を虐げ。強者が暴虐を振るっていた。

その結果、世界を焼き尽くした。

隕石などで、地球の環境が激減して。

大多数の生物が絶滅していった歴史は、確かに存在している。だけれども、地球の生物は、そこからも立ち直って、繁栄していった。

だが人間による大破壊は違う。

人間は核兵器を世界中に叩き込んで、放射能によって汚染し、もはや自分たち以外の生物までも根絶やしにした。

海も同じだ。

半永久的な半減期を持つ放射性物質が膨大に流れ込み。

そして、他の国を兵糧攻めにするために。

敢えて毒性の強い薬品までもが、陸に撒かれるばかりか、海にまで流し込まれたという。

時代の果てで。

本当に人間が行った愚行の数々だ。

そのような事をした生物だ。

エゴが無くなったというのは。

むしろ喜ばしい事なのだろうと、私は思う。

いや、むしろ私達と言うべきか。

「観測して、世界の破滅を遠ざけるのか」

「いや、人類が出るまでは、地球の歴史はむしろ上手く行っていた。 多くの絶滅と破滅を繰り返しながらも、たくましく生物たちは地球に根付き、多くの子孫を残しながら繁栄していった。 ならば、人間に、我等の意識を移して、世界を改変すればいいのだと思うが」

「ふむ……興味深い」

「それも一興じゃのう。 どうせこのまま、海の中で漂い続けているのも、退屈極まりない話であるしな」

海草がいう。

まったくその通りだ。

意見を集めるが。

反対意見は、殆どでなかった。

最も繁栄していたり。

或いは強大な種族を、集める。

それら、歴史の主役となっている生物に宿っている意識が観測することによって、世界を変えることが出来るのだ。

新しい時代に、我等の力を。

人間の歴史を書き換えて。

この地球そのものが破滅するのを、避けるために。

私は、あの悲惨な死に方をよく覚えている。

もはやどうしようもない状況。

極限まで汚された尊厳。

あのような死に方をするくらいなら。それこそ、他の猛獣の餌にでもなった方が遙かにマシだ。

何にしても。

私は、未来を変えることには賛成だ。

私も、鮫をたくさん集める。

同じ種類だけでは無くて。他の鮫にも、意識は伝播し始めていた。

膨大な生物が、それぞれ巨大な群れを造り。

観測を開始する。

そして、観測することによって。それぞれの意識と能力を、未来へと移動させるのだ。時間は掛かる。だけれども。時間は、それこそいくらでもある。

能力を移動させた後は。

引き継ぎも行う。

複数の個体に、私の意識が宿っているといっても。

コピーがどれだけ出来たとしても。

個体が減れば、それに影響は出る。

だから、確実に意識を残すように。

時々同種族を集めて。

私の意識を統合して。

目的を確認。

未来を変えるべく、動いていかなければならなかった。

あんな未来は、二度とごめんだ。

例えば、他の大型動物に喰われるのは、とてもつらい。苦しいしいたいし、何よりも悲しい。

だけれど、生物としての未来がある事が分かる。

死ぬ事によって、未来にバトンを渡していくことが、理解できている。

死ぬのではない。

他を生かすのだ。

それが、満足できる理由。

あの時、階段から落ちて。全身を強打して。沈み行く船の中で、もはや何一つ希望さえ感じられず。

溶けるようにして意識を失い。

生き延びた後も、金が無いからと言う理由で、徹底的に尊厳を否定されて死んでいったときとは、根本的には違うのだ。

もはや、私は。

元の名前がなんであったのかさえ、どうでも良くなりつつあった。

数百万年が過ぎた頃には。

元々私が憑依した種族は絶滅し。

次の種族へと。

バトンを渡し終えていた。

 

何度目かさえ忘れた会議が行われる。

毎回、少しずつ皆の能力が向上しているから、だろうか。あの大きな海草の所に集まらなくても。

定時に会議を行えるようになっていた。

無数の意識が観測することによって、なせる技だ。

ちなみに私の意識も。

少しずつ、発言権が強くなっている。

海の中でも決して強い生物ではなかった鮫だけれども。

種類が増え。

強い種類も出てきたし。

何より、海だけでは無く川にも進出していったのが、その理由であるのだろう。意識が少しずつ、確実に強くなっているのが分かるのだ。

「古細菌を一とした複数の意識の観測した力が、既に未来に送られている。 この時代に限らず、少しずつ終焉の時代を変えるための工夫をしていくことが、今後も課題となる事だろうて」

海草が説明をしてくれる。

エンドセラス達は、この頃には。

すっかり数を減らしていた。

巨大で強いということだけでは、生きていく事は出来ない。

効率よく繁殖したり。

上手にエサを捕まえたり。

そういうことが出来ないと。

強くても、海の中では滅びてしまうのだ。

勿論陸上でもそれは同じ。

かといって、強すぎても、それは滅びの路へとつながってしまう。単純に頂点捕食者といっても、それぞれ苦労が絶えないのだ。

エンドセラスが言う。

「我々の種族もすっかり衰えた。 そろそろ意識を未来に飛ばしてしまっておきたい」

「そうさな。 エンドセラスほどの強力な種族の力だ。 観測して未来に転送する事が出来れば、人類をダイナミックに改革する大きな力になるだろう」

「同じように、時代の代表となった生物の力を未来に効率よく送っていきたいものだが、何か妙案は無いか」

「あのう」

声が上がる。

三葉虫だった。

海草に群がって、貪り喰っているだけの三葉虫ではない。

人間の意識が未来から宿った三葉虫である。

此処では無い、別の時代で繁栄している種の三葉虫だ。

勿論、人間の意識が宿り、影響力を持ってもいる。

今、此処にいるかどうかは、あまりもう関係がない。意識のネットワークは、それだけ広範囲に拡がり。

つながっているのだ。

「いっそのこと、皆の意識を混ぜてしまうのはどうでしょうか」

「意識を混ぜる?」

「恐らく、このままだと、未来へ送る意識や力に、偏りが出てしまうかと思います。 それでは人類の未来と言うよりも、地球の最終的な破滅を避けるためには、あまり好ましくないでしょう。 今までは無秩序に能力を送り込んでいましたが。 人間の性質上、それではいずれ派閥争いを起こしたり。 力を持つ者持たない者の間で、争いを起こして却って歴史が悪化する懸念も」

「確かにその通りだ」

エンドセラスが呻く。

海草が咳払いした。

「前者は賛成だが、後者は反対じゃのう」

「ほう、意見を聞かせて欲しい」

「意識を統合して、歴史の主役となった生物の力を未来に送り込むことは、わしとしても大賛成だ。 だが、其処から錬磨と研磨がなければ、結局人類に兵器として扱われておしまいだろう」

おや。

温厚そうな奴だと思っていたのに。

随分と過激な意見が飛び出すものだ。

私は興味深く話を聞いていたが。

確かに海草が言う事にも一理ある。

「それに、どんな人間でも良いという訳にはいくまい」

「確かに人間は9割方がゴミクズだ」

そう吐き捨てたのは。

アロマロカリスである。

元の人間は、余程周囲に迫害されていたのだろう。未来を変えるというもくろみに、もっとも懐疑的な存在だったのが、彼だ。

「例えば、エンドセラスやティランノサウルスといった強力な生物の力を宿した人間は、ダイナミックに世界を変えていくだろう。 だがそれは、世界の滅亡を早める事にもつながっていく」

「監視者が必要だな」

「そのためにも、意識の統合はしておいた方が良いかもしれない」

「ふむ……」

ざわざわと、声がする。

私は、賛成だ。

だから、最初に宣言した。

「私は、意識の統合には賛成する。 正直、今更元の人間の自我やら記憶やらなど、どうでも良くなっている。 むしろ、あの愚かしい時代に対する怒りと。 そんな愚かしい連中が、この世界を滅ぼした事実に苛立ちを覚える。 あれを防げるのであれば、意識の統合なんて、それこそ何でもない」

その言葉が、決め手となった。

と言うよりも、恐らくは。

此処で会議に参加している者達は。

皆、未来の人類の醜態に、怒りを覚えていたのだろう。

あんな歴史を繰り返させるわけにはいかない。

そんな事になるのなら。

世界を観測して。

切り替えてしまうのが一番だろう。

「いっそ、人類を誕生しないようにしてしまう手もありそうだがな」

アノマロカリスが呟く。

だけれどそれは無しだ。

この星は資源にしても有限で。

人類が、唯一。

この星からよそへと脱出し。この星だけで終わらない生物の連鎖を作る可能性があるからだ。

前の歴史では。それに失敗した。

せっかくの可能性を全て台無しにし。

愚かしい滅亡を迎えてしまった。

だからこそに。

今、こうして。

歴史を変えなければならないのだ。

「皆の意識を一つに!」

海草が叫ぶ。

そして、皆が、意識が一つであると、観測し始める。

不思議な事に。

其処には、巨大な渦ができはじめた。

思念と意識の渦。

あれ。

過去に飛ばされたときも、似たようなものを見た気がする。その時見たものは、無数の夥しい人体だったが。

今回は、更に規模が何十倍、いやもっと激しい倍率で拡大した、とんでも無い数の生物たち。

それが、意識を統合し。

世界を観測する。

おお。

思わず声が漏れた。

前に見た、人間の渦などとは、比較にならない巨大な意識の流れだ。普遍的無意識などというものが存在するらしいが。

これは人間の専売特許だったそれとはちがう。

強いていうならば。

全生物統合意識世界とでも言うべきか。

いつの間にか、渦の中に混じり込んでいた私は。

これは素晴らしいと。

あまりに巨大な意識の流れに身を任せながら、思い続けていた。

 

3、生まれ出でるもの

 

会議はもはや開かれなくなった。

当然の話だ。

あの意識統合の日から。

様々な生物に宿っていた意識は。存在として、一つ上のステージに上がったからである。

滑稽な話だ。

万物の霊長だとか。

人間だけが、高次元の魂を持っているとか。

そういう寝言が嘘だと言う事が。

此処で証明されてしまった。

会議は必要ない。

混じり合った無数の意識が、今度は更にダイナミックに世界を観測して。世界を変えていくのだ。

まず着手したのは。

落ちてくる隕石のタイミングに合わせての、絶滅のコントロールだ。

勿論大絶滅の切っ掛けは隕石だけではないのだけれど。

この巨大な意識の渦による干渉で。より世界に大きな影響力を作り出せる生物を生み出せるように。

隕石をコントロールすることも出来るようになった。

また、その逆に。

あまりにも巨大すぎる隕石に関しては。

事前に弾いてしまうことも、出来るようになった。

素晴らしい成果だ。

だが、それよりも恐ろしいのは。

人間が最終的に開始する核戦争だ。

私のいた時代では。

人類は、ついに破壊力が一ギガトンに達する巨大水爆を作り上げ、それを世界中に配備していった。

落ちたときの惨禍も凄まじく。

生じる汚染も、尋常では無かった。

それでも人類は。

核兵器開発を止めなかった。

自分が全てを掌握したいから。

醜悪なエゴで。

他の全てを殺戮しつくしてもいい。

それが平均的な人間の考え方。だからこそ、世界は、人間どころか、他の生物まで全て巻き込んで、滅びてしまったのだ。

宇宙でも比較的レアな、生物が発生した星だったのに。

地球史上もっとも愚かな生物による愚行で。

そのきらめきは、粉々に砕かれてしまったのだ。

だから、それを変えなければならない。

繁栄する生物を、増やしていく作業を、私は渦に混じりながら行う。前にも生存していた生物を。

更に強く。

更に増やし。

そして、世界の生物の繁栄を、より激しく。

生存競争を、なお過酷に。

そうして造り出された更に強い生物に、意識を宿して。世界を観測させ。そして最終的に、渦へと加えていく。

渦の力が。

ゆっくりだが。

確実に強くなって行くのが分かる。

弱い生物だって、その渦に加われない、ということはない。

弱い生物は弱い生物なりに、世界に大きな影響を与えているからだ。それらも徐々に意識の渦に取り込んで。

世界そのものをダイナミックに変革する力の一部に変えていく。

この力。

そうだ。

人間の基準で言えば、恐らくはこう言うはずだ。

神、と。

だとすると。

神の根元は人間で。

その人間は、世界を滅ぼした愚かしい連中だと言う事にもなる。

おかしな話だ。

世界を一度エゴまみれの理屈で滅ぼしていった、地球史上最低最悪の失敗作が。滅んでから、ようやく神という存在への路へ、手を掛けたのだから。

それまで万物の霊長などとほざいて、やりたい放題だったゴミクズどもが。

滅亡してから、ようやく世界の事を考えるようになったのだから。

何にしても、だ。

もはや、失われた未来はどうにもならない。

海底まで汚染されつくした世界だ。

例えばエイリアンが到来したとしても。どうしてこの世界は、エゴまみれの生物が支配したあげくに、知的生命体とも思えない愚かしい争いの果てに滅びてしまったのだろうと、小首をかしげるだけの世界。

そんな世界は。

もはや実現させない。

そのためには、どのようなことでも、私はするつもりだ。

 

隕石が落ちる。

直径十二キロ。

地上に落ちたときの火力は、TNT火薬換算で一億メガトン。私が人間だった世界で、世界を焼き尽くした核兵器の、全てをあわせた五十倍以上の火力である。つまり、やり方次第では、地球を焼き尽くすには充分な隕石だった、という事だ。

だけれども。

隕石による致命的な破壊は生じるけれど。

それは汚染にはつながらない。

意識の世界に混じり込んだ時代の主役を取り込み終えたから。

更に意識の渦を強化するために。

さらなる新しい時代を作るために。

隕石を呼び込んだのだ。

思えば、だが。

前の時代では、地球人類にやりたい放題させすぎた、というのがまずかったのだろう。今後はそうはさせないようにしていかなければならない。それは私も含めた、渦の総意である。

それを実現するためには。

渦をより強くしていかなければならない。

そして渦を強くするためには必要なことだ。

隕石が、落ちた。

凄まじい破壊力が、地球を焼き払う。

巨大な津波と、桁外れの地震が起きて。

生物の八割が死滅。

此処から、更に強靱な生物を見繕っていくことになる。

不思議な話で。これだけ破壊されても、生物は汚染さえされなければ、どんどんニッチを埋める形で、進化していく。

いや、進化というのも妙か。

変化していくと言うべきだ。

生態系にはニッチというものが存在し、それぞれに必要な役割の生物がいる。その生物が絶滅すると。生態系は混乱の果てに、代わりになる生物が登場してくることになる。そして、収斂進化で、その生物は似やすいのだ。

意識の渦でも、確認するが。

滅びた人類の歴史で確認されていた古代生物と、今いる古代生物は、殆ど変わりが無い。

巨大な意識の渦による干渉が行われているにもかかわらず、である。

不思議な話だが。

コレは現実として、受け入れていかなければならないし。収斂進化で出現した世界の観測者も、どんどん渦に取り入れていかなければならない。

地球人類は、そのまま誕生させる。

これは、歴史を変えすぎると。

今度は前のノウハウを生かせないからだ。

渦全体を総動員して。

隕石が落ちて壊滅した生態系をチェック。

流石に隕石が直撃した地点や、その周辺では復興が遅いけれど。それでも、十万年もすると生態系がしっかり構成されていく。

太陽からの熱量なども、重要だ。

それによって植物性プランクトンが効率よく栄養を造り出し。

食物連鎖を下支えする。

それが巨大な生物の出現を促すし。

生態系の繁栄も促すからだ。

無数の意識が混じり合った中。

私は、もう自分が誰だったのか。

どんな人生を送っていたのかさえも。

忘れようとしていた。

だけれども、それでも良いかもしれない。

私にとっては、もはやこれが生き甲斐だ。人間として生きていた頃よりも、今の方が余程楽しい。

世界を好き勝手に弄るのでは無い。

未来のために。

世界をよりよい方向へと動かすのだ。

これが、誇りある仕事で無くて、なんだというのか。

ふと、気付く。

渦に何かが混じり込んできている。

他の意識も気付いたようだ。

もう、どの意識もヒトの形をしていないけれど。

共通点としては。

前の世界に強い不満を持っていたこと。

そして、前の世界の滅亡を見て、怒りを覚えていること。

人類の進歩しなさ加減に、あきれ果てていることだ。

だから、入り込んでくる意識が。

自分たちを過去に送り込んだ存在だと知って、良い気分はしなかった。その意識は、早い話が。

未来世界。

滅びた世界の。

人類の普遍的無意識だったからだ。

「何の用だ、世界を滅ぼした無能」

激しい拒絶の声が上がる。

この緑の星を焼き払い。

生物の存在しない無に変えた愚か者達の意識。

だが。

その意識は。

明確な意思を持っていた。

「我々は、ヒトという種そのものの深層意識。 だから、ヒトの可能性を信じていた者達だ」

そう、入り込んでくる意識は言う。

時空間さえ超えて。

人類が誕生する二億年以上も前のこの時代に。

わざわざ現れた理由は何だ。

ぶつかり合う意識。

そも、此方は。

そのヒトという種というマジョリティに迫害されていたサイドの意識だ。今更現れたところで、仲良くなど出来るはずもない。

だが、相手に戦う気は無いのだと悟ると。こちら側の渦も、戦意を納めた。前の人類のように。容姿が気に入らなければ皆殺し。思想が違えば皆殺し。複雑怪奇な作法を全てこなせなければ皆殺し。弱い奴は皆殺し、というような存在にはならないと。今の意識の渦は決めている。

だから、相手に戦意が無いのなら。

拒絶はしても、殺戮はしない。

それがルールなのだ。

「それで、何をしに来た」

「ノウハウを提供したい」

「ほう」

「我々が失敗した理由を知れば、恐らくは次の人類を、効率よく滅亡から救う事が出来るはずだ。 それに、次の人類が失敗した場合も。 更にその次に、可能性をつなげる事が出来るだろう」

しばし待て。

深い所から響いてくる声。

あの海草だ。

ずっと眠っていたかと思っていたのだけれど。

この未曾有の事態に目覚めたか。

「お前達は、未来を求めているのか」

「そうだ。 ありのままの人類が素晴らしいという思想が、世界を滅ぼしてしまった過ちを、繰り返さないためにこの平行世界に来た。 力を合わせて対応したい」

「身勝手な話だな」

「その通りだ。 だが、身勝手に滅びてしまったからこそ、次は繰り返したくないのだ」

正論ではある。

だが、そのせいで、一つの世界が滅び。

私は一生涯を棒に振った。

許せる相手では無い。

だけれども。

ノウハウを得られるのは有益だ。

それに、このまま人類が誕生すれば、また此奴のような集合的、普遍的無意識が誕生してくる。

制御には。

ノウハウが必要になってくるだろう。

今の時点でも、手は打っているが。

より確実を期したい。

というのも、だ。

多くの生物に意識を移して。

そして知ったのだ。

この世界は、人間の私物では無いのだと。

そもそも、そこを勘違いしていたのだと。

人間の私物ではない以上、やるべき事は、破滅の回避だ。隕石が落ちることそのものは、破滅では無くてブレークスルーだ。

勿論死ぬ生物たちは悲しむし苦しむが。

その後には、ニッチを埋めるための大きな変革が訪れる。

だが、人間による核の劫火と。

万物を全て略奪し私物化していく行動は、それとは根本的に異なっている。

手を変えなければならない。

「分かった。 お前達よりも、既に此方の方が力も大きい。 好き勝手な事はさせないからそう思え」

「勿論そのつもりだ。 以前世界を滅ぼしておいて、同じ過ちを独善のままするほど我等も愚かでは無い」

「さあどうだか」

「怒りを収めよ」

海草が、私にたしなめるよう指示。

私も。

舌打ちすると。

それに従った。

正論を聞く事が出来ないのは、負けの始まりだ。

耳障りが良い言葉ばかりを優先して、正論を受け入れられない状況になると。現実に対応出来なくなる。

仲良しごっこで世界は廻らない。

正論を誰かがいい。

それを取り入れて、世界を動かしていかなければ。

前と同じ破滅が待っているだけだ。

人類は文明単位でそれを行い、世界を焼き尽くしてしまった。

私は、もう人間であるという意識もないけれど。

その過ちの中にいたことは理解している。

排斥される側だったとしても。

それは同じだ。

だからこそに。

同じ過ちは繰り返さないし。繰り返させることも無いのだ。

 

普遍的無意識を取り込んだことで。

一気に意識の渦は巨大化した。

更に、今までの生物たちの意識も、大々的に取り入れていくことにする。

渦は。

さながら、巨大な円となっていった。

私は鮫という生物の意識そのもの全てを統括し。多くの種族が産み出される、ダイナミックな感覚を覚えていた。

大きなものから小さなものまで。

変温動物は、出力が小さいという弱点があるのだが。

鮫は進化の過程で。

それを克服する、様々な工夫をその身に宿していった。

その一方で、原始的なまま長い年月を生き延びた種族もいる。

いや、意識と同調した今なら分かる。

必要ないからだ。

生物というものは、その全てが。

その生活圏で、最高の形状をしている。

人間くらいだ。

歪んだ生物としての形となり。明らかに他の生物に対する異常なアドバンテージを得て。結果驕り高ぶり、生態系を弾き壊してしまったのは。

進化というのは、要するに適応で。

適応が必要ない場所にいるものは。

敢えて進化など必要としない。

だからこそ、古代の姿のまま、変わらぬ存在もいる。

そしてそれは。

貴重なものでもある。

進化だけを貴び。

古いものを全てくだらないと考えていた、大多数の人間とは違う現実を。私は人間を離れることで、ようやく客観的に認識する事ができていた。

おかしな話だ。

知恵ある生き物だとか。

万物の霊長だとかいう自称が。

これほど滑稽だったことにきづけたのは。

その万物の霊長様を止めてから、なのだから。

意識の渦の中には。

膨大な生物の意識が、既に溶け込んでいる。

人類が認識していなかった生物も多数。

環境が変化して滅びていった生物も。

適応を上手に出来ずに、進化しきれずに滅びてしまった生物もいる。

それは私や、海草になったもののように。

既に意識の巨大な渦に溶け込み。

それそのものが世界を動かす存在と化していたから。もはや、何が何だか、分からないほどに混ざり合っていた。

この世界は。

既に、物理的な存在だけでは無い。

精神的な存在へと。

代わり始めていた。

 

4、未来を作るために

 

膨大な意識の渦の中で。

意見が生まれ始めた。

「特別な力を持つものを誕生させよう」

「それについては、既にやっている。 世界のターニングポイントになるべく、特殊な力を持つものを、人類の中に誕生させる試みだ」

「いや、それの更に先を見据えた計画だ」

「どういうことか」

意識は全て接続されている。

それぞれが別の意思を持っているが。

意思疎通は、光の速さで行われる。

精神の世界とは、そういうものだ。

人間の脳内だけで完結していた、妄念の世界とは違う。かといって、霊的なと言われるような存在とも、また違うのだろう。

強いていうならば。

思考だけが肉体から独立し。

その全てが混じり合ったもの。

それがこの世界の本質だ。

「力を持つものを、人間の中に生じさせる事は決定事項として良いだろう。 更にその中に、世界をダイナミックに動かしうる存在を、造り出していく事こそが、未来を確実に変える事になるはずだ」

「だが相手は人間だ」

「それは懸念事項として確かにある」

私にも、分かっている。

人間という生物は。

エゴの怪物だ。

今、やっと肉体から切り離されて。普遍的無意識そのものも融合を果たして。人間だったものは。

人間とは違う存在へと変わる事が出来た。

人間だけが価値があり。

人間の認めたものだけが生きる価値があり。

いや。人間の中の大多数派だけが生きる価値があり。

少数派は迫害してもよく。

むしろストレスのはけ口として、迫害することを推奨する。

そういう意識は、やっと此処の段階で切り離された。

だが、肉体を持った新しい人類が誕生した場合。それはまた、エゴの怪物として、世界を蹂躙する。

大きな力を与えた場合。

その災厄は、更に大きくなる可能性がある。

だから当初の計画は。

いわゆるマイノリティ。

少数派に、特別な力を得る人間を誕生させる事で。

むしろ客観的に世界を改革させる。

そういう計画だったのだ。

事実、未来へ力を既に送り込み始めている。

人間が誕生した頃には。

様々な特殊能力を持つ人間が、生まれ出でて。

世界をダイナミックに改革するはずだ。

だが、更に其処に大きな力を与える、というのか。

力を持つ者の中に。

さらなる大きな力を持つものを。

それは、恐らく。

独裁者というのも生やさしい、それこそ蟻の中に生じたドラゴンの如き怪物になるのではあるまいか。

海草が、いや。

既に海草とは言い難い。もはや意識の渦の長ともいえるべき存在が。皆を代表して、懸念を口にする。

「どうやって驕り高ぶることを防ぐ」

「我等そのものが、その特別な存在を動かすのはどうか」

「それでは、人間の精神がもつまい。 確実にパンクする」

「ふむ……」

人間の脳はいい加減だ。

簡単に幻覚の類を見るし。

非常に未完成な部分が大きい。

新しい世界でも、結局人間を造り出すように調整するというのなら。それは同じように、残忍でいい加減な人間を造り出す事を意味している。

その程度の生物の脳では。

これだけ巨大な規模になった意識の渦を制御などできない。

頭に入れた瞬間。

ショートするだろう。

今のこの意識の渦は。

人間文明の基準でいうならば。

神という存在が一番近い。

そして人間の脳では。

神の降臨には耐えられない。

「我等の操作に耐え抜ける人間を特別に造るのはどうか」

「それは賛成できない」

「その人間が、巨大な権力を独占し、暴虐な独裁を敷くだけの結果になるのは目に見えている」

「だが、計画そのものは悪くない。 何かひと味を加えて、計画を更に完成させていきたいものだが」

海草がまとめる。

私は少し考え込んだ後に。思い出した。

ヒトだった頃の話だ。

その頃、私は兎に角無力だった。

社会の巨大なうねりの中で。

どうしようもなくすりつぶされ。

そして自殺した。

思えばあの豪華客船事故が切っ掛けの死だって、実際には殆どが自殺も同然だったのだろうと、今なら分かる。最終的に自殺はしたが。豪華客船に乗った時点で、事実上自殺をしていたのだ。

生きようという意思があれば。

少しはマシになっただろうに。

それを完全に放棄した時点で。

私はもう、死んでいたのだ。

「ならば、特別に強い意思を持つものを造り出すべきではないのか」

「ふむ、脳を強化したり、我等が直接操作するのでは無く、意思そのものが強い変種とも言える人間を造ると言うことか」

「あくまで突然変異的な存在としてだ。 それに我等が力を送り込むことで、世界の破滅を免れる可能性が上がるのではあるまいか。 変種として作らなくてもいい。 我等を受け入れやすい状態になっている人間を探す手もある。 恐らくは精神が崩壊しかけている子供が最適だ」

勿論、こんな考えは。

脆弱だったヒトだった頃の私では、思いつきもしなかっただろう。

今や、あらゆる種類の鮫の意識を統合している私だからこそ。

その膨大な意識を飲み込み。

そして自己に変換して。

こういった、多角的客観的な思考回路を造り出す事が出来るようになっている。勿論、人間をいじる事になんの抵抗もない。

「面白い。 もう少し計画を詰めてみよう」

「シミュレーション班」

海草が、意識の一部に呼びかける。

実は、未来に力を送り込むのと同時に。意識の渦の一部では、シミュレーションを行って。

人類の一部に異能者を造り出した場合、どうなるかを検証していたのだ。

今までは、あまり思わしくはなかった。

だけれども。

今は少しばかり違う。

「その世界で、最も繁栄した種族の力を与える人間を多数造り出したところで。 恐らくは、人間という生物が常に行う内輪もめの延長線になるだけでしょう。 しかしながら、それらを統率しうる存在が誕生し。 更に生物の限界を超えた寿命と能力を得た場合、大きな変化が生まれると予想されます」

「可能性は」

「97%」

「人類が世界を滅ぼす可能性の変動は」

シミュレーション班が、計算を始める。

人間が造り出したスパコンなどとは比較にもならないほどの、凄まじい処理速度での計算だ。

当たり前の話である。

何しろ、此処に接続している意識は、兆の単位に達している。

スパコンレベルの性能の意識が。

兆単位で並列思考しているのだ。

その処理能力は、人間などが及びもつかない存在になるのも、当然の話であろう。

「47%にまで低下します」

「元が100%だから、半分以下だな」

「いや、それは0と50を比べるのと同じで、意味がない計算だ。 むしろ、ゼロだった可能性が、変動したとみるべきだろう」

「やってみる価値はある」

素直に嬉しい。

私の提案が受け入れられた。

同時に。

別方向からも、提案が来る。

「だが、半分程度の確率で、同じ事がまだ起こりうる」

「何か妙案があるか」

「この次の世界についても、考えておくべきだろう」

「……そうだな」

この世界も、人間によって焼き滅ぼされる可能性がある。

いや、むしろその可能性は、極めて高いと考えるべきだろう。

それならば。

次について、考えておくのも重要だ。

同じ過ちを、三度四度と繰り返すわけにはいかない。

一度で過ちは終わりにしたいのだから。

「バックアップを取ることを考えるべきだ」

「それには、意識の渦の中で。 世界の覇者となった生物たちをアーキタイプにして、形を作るべきだろう」

「良い提案だ」

「ならば私は……」

鮫という品種は、多数。古くから繁栄してきたから、海の中でもかなりの優位を占めてきた存在だ。

巨大なものから小さなものまで。

地球の生物史に与えた影響は計り知れない。

だからこそに。

複数に意識を分割してしまった方が良いだろう。

「計画を、開始する」

海草が言う。

おおと、渦が声を上げた。

此処からだ。

此処から、全ての破滅を食い止めるための。

本当の計画が始まる。

 

5、生まれ出る神

 

激しいイジメを受けて、既に学校に出ることは不可能になりつつあった。心身ともにボロボロになって。

それでも周囲は言うのだった。

お前のしゃべり方が悪い。

イジメを受ける方も悪い。

イジメを行った方が、将来が心配だ。

暴力を含むイジメが始まったのは、小学生の時。

単に何が気に入らなかったのか分からないが。

イジメを始めたのは、クラスで一番腕力が強い男子だった。そいつは市会議員の息子で、大体何をしても許されると勘違いしていた。

そして、彼奴には何をしても良いという暗黙のルールが出来ると。

クラス全員が、ストレスのはけ口として。

ツールとして利用するようになりはじめた。

連日、暴力を含むイジメが開始され。

教師は当然見てみぬふり。

両親は弱いお前が悪いと断言して。

イジメを受けて帰ってくると。

泣く方が悪いと殴り。

そればかりか、イジメを行っている連中は。家にまで押しかけてきて、投石までして窓硝子を割った。

両親は、そこまでされても。

悪いのは弱い私だと、決めつけた。

小学生の時点で。

精神が崩壊しつつある状況。

それは理解していたが。

どうにもならなかった。

荒れ果てた家。

そのそも、両親はこうなる前から、離婚寸前。

「若い頃にやんちゃしていた」父親と。面白半分にそいつと子供を作った母親。結婚生活など上手く行くはずも無い。

私が生きているのは。

単純に、祖母が時々見に来てくれたから。

その祖母も、私に対して愛情を注いでいたわけでは無くて。

殺すと世間的にまずいから。

死なない程度に世話をしていた。

ただそれだけだった。

幼児の頃から、全身に煙草を押しつけられた跡が絶えず。

だからだろう。

弱い奴は痛めつけても良い。

何をしても良い。

そういう理屈で動いている人間社会では。私は、好きなように痛めつけて良い相手として、認識されたというわけだ。

死にたい。

10歳にもならない内に。

私はそう思っていた。

腹も減った。

体も、同年代の子供に比べて、一回り小さい。

だから余計にイジメには抵抗しようも無かった。学校に生きたくないというと、手加減無しの平手打ちも飛んでくる。

恥を掻かせる気か。

そんな事だから、家に石を投げられる。

全部お前のせいだ。

特に父親は、私のせいで仕事を首になったと決めつけているらしく。暴力は連日ひどくなる一方だった。

裸にして、寒い中ずっと立たされたこともある。

躾だという話だった。

母はというと、家には最近もう戻ってこない。

よそでホストとかいうのと遊んでいるらしく。借金を大量にこさえながら、性欲のままに遊びほうけている様子だった。

一度借金取りというおじさんがきたけれど。

やせこけて痣だらけの私を見て、閉口したらしく。

何も言わずに帰って行った。

そういえば。

三日前から、父も帰っていない。

お水も蛇口から出ない。

意識がもうろうとする中。

私は、不意に気付く。

何か、私の中に入ってくる。

「お前が最適だ」

何だろう。

私の中にそれが入ってきた途端。もの凄い力が、全身を満たしていくのが分かった。体が軽くなる。痛みが消えていく。

そればかりか。

朦朧としていた意識が、はっきりしていた。

「お前の壊れかけた脳が、むしろ私を受け入れるには最適だ。 そして私を受け入れた後は。 段階的に我々全てを受け入れていくことになる」

「誰……」

「私は鮫という種族そのもの」

「……」

鮫。

海にいる、ヒトを食べるあれか。

でも、どうして喋るのだろう。

はっきりしているのは。

私が、今。

全てにおいて、変わった、という事だ。

 

着替えると、学校に出る。

教室に入ると。まだ授業は始まっていなかった。

私を虐めていた主犯格が、私を見て、満面の笑みを浮かべた。オモチャが来た。そう顔に書いてある。

そして、その顔のまま。

頭が胴体と泣き別れになった。

膨大な血が、噴水のように噴き出す中。竿立ちになった市議の息子の体は。しばらく立ち尽くしていたけれど。

やがて転がっている頭の上に倒れ伏す。

他の子供達も。

私のイジメに荷担していた連中は。

全て同じ運命をたどった。

三十人の教室が。

一瞬にして朱に塗りたくられたのである。

ちなみに、此処に出てくる前に。

両親も同じ処置をしてきた。

父親は、何だかよく分からない怖そうな人達が一杯いるビルの中で、薬をやってけらけら笑っていたけれど。

その場にいた怖そうな人達もろとも、全部こうした。

母親は、ホストクラブとかいうところに入り込んで、若い男をたくさん侍らせて酔っ払っていたので。

体をねじ切ってやった。

その場にいたホストとかいう連中も、全部同じ目にあわせた。

そして、其処にあったお金は。

全部奪い取った。

だから、生活にはもう困らない。

教室に教師が入ってくる。

私が席に着くと。

血だらけ死体だらけの教室にもかかわらず。

教師は、何も不思議そうにせず、言う。

「授業を始めます」

「その前に死ね」

私は、また指一つ触れず。

その教師を空中につり上げると。

一瞬で八つ裂きにした。

 

おかしな話である。

学校で大量殺人。

ホストクラブで大量殺人。

なんか怖い人達がたくさんまとめて大量殺人。

それらが行われたのに。

ニュースにさえならない。

私は家に帰ると。まず清掃業者に電話を入れた。どうしてかは分からないけれど、そういう知恵が働いた。

恐らくは、私に入ってきた、鮫そのものの意識とやらの仕業なのだろう。

使える物は全部使う。

それだけだ。

清掃業者は、私の目を見ると。

後は何の疑問も持たずに、汚染されつくした家を徹底的に綺麗にしていった。

私は親の借金を全て強奪した金で払いきると。

使えるようになったカードを利用して、通販で生活必需品を取りそろえる。親は二人とも馬鹿だったから、パスワードをPCに貼り付けていたし。通販サイトでは子供であるかの確認なんかしない。利用は簡単だった。

あの怖い人達はヤクザとかマフィアいうらしく。しかも、どうやら海外から来た人達だったらしいのだけれど。

普通、あれだけ殺されれば、血眼になって私を殺しに来そうなものなのに。

それから何もしようとはしてこなかった。

食材が届く。

殺したいじめっ子の肉しか食べていなかったので、少しばかり腹が減っていたけれど。どうしてか食材を何の問題も無く料理することが出来た。食べてみると、実に美味しい。こんな美味しいものを食べるのは初めてだ。

食べれば食べるほど。

力が体中にみなぎってくる。

ふうと、息を吐いた。

そうすると。

頭の中に、声が響いてくる。

例の鮫だ。

「当面の問題は排除した。 これから、政府の人間がお前に接触してくる。 お前は其処で、我々の力の一部を受け継いでいる者達と遭遇する事になるだろう」

「それで、どうすればいいの」

「従えろ」

従える。

難しい言葉だけれど。

意味はわかった。

今、この世界では。

ティランノサウルスの力を持った人間と。エンドセラスの力を持った人間が。古細菌の力を持った人間と協力して、裏側を支配しているという。

前は三人が激しく争っていたらしいのだけれど。

今は三者が和解して。

世界の滅びを防ぐために、動いているのだとか。

だが。

三頭政治というやつは、どうしてもほころびが生じやすい。

しかもこの三者は力が拮抗していて、何処かでバランスが崩れると、とんでもないことになるというのだ。

其処で、必要なのが。

絶対的な支配者。

「いいの、私人殺しだけれど」

「かまわん。 死んで当然の連中を、当然のように処理しただけだ。 お前が強奪した金だって、非合法の手段で弱者から収奪したものにすぎん」

「ふうん……」

「何より、お前の能力は、今世界に存在している能力者の中でも頂点に立つものだ。 お前がその気になれば、この世界最強の軍隊でさえも、数時間でこの世から消し去ることが出来るだろう」

それは、すごい。

しかもだ。

まだ力が完成していないというのだから、なおも凄い。

「お前は世界を支配しろ。 人間が夢想する存在に過ぎなかった本物の神となって、この世界を破滅から遠ざけるのだ。 この世界は人間の私物では無い。 世界を焼き滅ぼさせる訳にはいかない。 そのために、お前は人間を止めた」

「……そう。 それも良いかもしれない」

人間などに。

何の未練もない。

もし人間のままでいたら。

あと数日で餓死していただろう。

助かる可能性はゼロだった。

社会に受け入れられる可能性だって、同じくゼロだ。

頭が良くなってきたから分かる。

この世界では、弱い人間には、人権なんてない。

強い人間は、弱い人間に何をしても良い。

暴力を振るうのも。理屈を押しつけるのも。殺すのも奪うのも。何もかも自由なのが、この世界だ。

だが、既に立場は逆転した。

人間は、これから。

私が管理する。

そしてその手足として。

人間より強き者達が。

私の配下に加わる。

そうか、良い気分かも知れない。

「まずは、体をしっかり作れ。 この能力は最強だが、無限というわけではない。 体を作り上げながら、我々を受け入れ。 最終的には、一体となることで。 この世界を破滅から救うのだ」

「了解……」

難しい言葉が口から出る。

そして。

チャイムがなった。

来たな。

私は鮫そのものの笑顔を浮かべると。玄関に向かったのだった。

 

(終)