車中の孤独

 

序、誰も知らぬ正体

 

軍でも対処不可能な、危険地帯フィールド。物理法則がねじ曲げられ、怪物が跋扈する人外の土地。

それを攻略する事を生業とする者達を、フィールド探索者と呼ぶ。

異能の持ち主である事が普通のフィールド探索者だから、変わり種も多い。最強と呼ばれる一人Rなどはロボットであるし、とても人間とは思えないような姿をしている者達も少なくない。

此処は、R国の片田舎。

急ピッチで作られたらしい仮設の基地の敷地内には、既に十人を超えるフィールド探索者が集まっていた。

スペランカーが知っている者も多い。最強の名を恣にするMを筆頭に、様々な猛者が揃っていた。奥で武器の手入れをしているのは、ワンマンザアーミー、スーパージョー。特殊能力が脆弱にもかかわらず、その圧倒的な戦闘経験値で、一目置かれる男。彼がいじくっているのは、何かの突撃銃らしいが、軍用兵器の知識が乏しいスペランカーは、詳しくは知らない。彼らの他にも、一流どころとされるフィールド探索者が既に三人、奥で談笑していた。

今回、攻略対象となっているのは、街のすぐ側にある巨大な凍結湖。その湖が、一夜にして、真っ黒い闇に覆われたのである。

しかも闇は、一秒ごとに拡大を続けていた。偵察機を送り込んだところ、内部には世にも奇怪な空間ができあがっていることが、確認できたのである。物理法則もねじ曲げられている様子だ。

何より、その内部には。

現在最も警戒されている異星の邪神ハスターが、姿を隠すことも無く、座していることが分かったのである。

「先輩、情報を仕入れてきました」

スペランカーが最も信頼する後輩、川背が来る。

今回は、風の邪神王と呼ばれる筋金入りの強豪が相手だ。それもあって、フィールド探索者には最強のメンツが集められていると、川背は言う。

まだ此処にいるのは先発隊で、これから更に十名以上が来る予定だという。リストの中には、スペランカーが最も頼りにする一人、騎士アーサーの名が無い。小首をかしげるスペランカーに、川背がフォローしてくれる。

「実は、土の邪神王が動いているという話があります」

「土……」

風がいるのなら、土がいてもおかしくは無いか。

そうなると、いざ土の邪神王が来た場合は、アーサーをはじめとする戦力が対処する、という事なのだろう。

近年は大規模なフィールド攻略が増えている。

何か嫌なことが起きなければ良いのだがと、スペランカーは懸念してしまう。

国連軍は、湖の畔にある街の住民を避難させるので手一杯だ。プレハブの仮設指揮所さえ無く、鉄条網で覆っただけである。

とても寒いが、たき火はある。

自然と、たき火を囲んで、皆が集まる結果になった。

全身を分厚い筋肉で覆った大男、Mが来る。

凶暴な眼光で皆を見回すと、彼は口を開いた。

「早速だが、偵察隊を派遣したいと思う。 無人偵察機では、そろそろ無理が出てきているからな」

ホワイトボードを、軍の人が持ってくる。

Mは腕組みしたまま、大まかな情報が書かれるのを、横目で見ていた。

フィールドの広さは、現時点で四キロ四方。一秒辺り一辺が0.05メートルずつ拡大していて、このベースにまで到達する時間はおよそ三日。

湖を既に覆い尽くす勢いのフィールドは、このままのペースだと、半日後には街を飲み込みはじめるという。

勿論住民の避難は急いでいるが、何かしらの手は打った方が良い。

遅れている戦力は、後八時間もあれば、全員が揃うという。

それなら、その時に総攻撃を仕掛けるためにも。

事前に、敵の出方くらいは、見た方が良い、というわけだ。

「まずは、こういうときの第一人者、スペランカーさん」

スペランカーは、Mが皮肉たっぷりにさん付けをして呼んできたので、思わず苦笑いしていた。

Mがスペランカーを毛嫌いしていることは知っている。

だが、一度聞いてみたいとも思っていた。どうして、そんなにスペランカーを嫌うのか、をである。

「次にマッドエックス」

「ンー、俺か」

奥で駐車しているスポーツカーの中から、声がした。

彼こそは、今回の参加者の中でも、とびきりの変わり種。日がな一日中特殊なスーツに身を包み、顔さえ見せたことが無い人物。マッドエックスだ。いつも特殊なスポーツカーと一緒に現れ、フィールドもそれに乗って攻略する。ロボットだとか、サイボーグだとか、様々な噂がある。

また、彼が乗るマシンも、スポーツカーと言っても、充分に戦闘可能な代物だ。馬力といい頑強さといい、装甲車並みの仕様だと、聞いたことがある。

確かに、偵察人員としては、これ以上無い足だ。

川背が挙手して、同行を認められる。

更に連絡要員として、ベースに残る事を命じられた人員が一人。ここのところ、行動を共にする機会が多くなってきた経験が浅いフィールド探索者、巫女のサヤだ。

彼女は式神を使う能力者で、フィールドの内外の情報をやりとりするには非常に適切である。

「俺も行こうか」

「いや、貴殿は此処に残って、指揮を手伝って欲しい」

挙手したジョーに、Mが言う。

ジョーは何度か作戦を共にしたが、とにかく頼れる戦士だ。戦闘タイプのフィールド探索者と比べるとどうしても身体能力などでは見劣りするが、銃火器の扱いや、歴戦の知恵で、格上とも互角以上に渡り合う。

来てくれれば心強かったのだが、Mの発言力は強い。川背が側にいるだけでかなり頼もしいのだし、これ以上を望むのは贅沢だろう。

とりあえず、マッドエックスに乗せてもらって、フィールドにスペランカーが入ることで決まった。川背がサポート。そして後方支援として、サヤである。

すぐに突入の準備を開始。

遭難したときに備えて、食糧。川背が、幾らかの武器類を見繕う。マッドエックスは、王と呼ばれる戦士と組むことが多いのだが、彼は今回姿が見えない。リストにも名前が無かったから、アーサーと同じ待機要員だろう。

十分ほどで、準備終了。

バタンと音がして、マッドエックスのドアが開いた。

「ンー、乗りたまえ」

「良いの?」

「ンー、フィールドの中に入ったら、屋根に上がってもらう。 それくらいの間は、まあいいだろう」

喋るときに、独特の音がする。マッドエックスがロボットでは無いかと噂される原因の一つだ。

乗せてもらう。

スポーツカーの中はかなり狭い。

マッドエックスと共闘するのは初めてでは無い。だが、車に乗せてもらった事は、あまり多くない。

だが、今回も、以前と変わらない印象を受けた。

負傷者が出たとき、マッドエックスが搬送した事がある。その時車の中に乗せてもらった人が、感想を言っていたのを、聞いたことがある。

おおむねスペランカーと同じだった。

あまり言いたくは無いのだが、墓穴のような感じを受けるのだ。この車は、愛情から生まれたのだとは思えない。中には、悲しみと怒りが籠もっている気がする。

その上、マッドエックス自身は、人相さえ見えない有様だ。あまり良くない評判が立つのは、仕方が無い事かも知れない。

怖いとは思わない。

むしろ、その人となりを知りたいと、スペランカーは前から思っている。気持ち悪いから遠ざけたい、というのでは、下劣な輩と同じだ。

「ンー、出るぞ。 シートベルトはしたか」

「大丈夫」

ぐんと、車が加速した。

だが死ぬほどでは無い。加速自体は柔らかい。

フィールドは、既に静寂の湖を覆い尽くそうとしている。川背は平然と、ルアーつきゴム紐をふるって、ついてきていた。

彼女は生身で車以上の速度を出せる。

「ンー、たいしたものだ」

マッドエックスが、くつくつと、独特の笑い方をした。

 

1、悲しみの戦い

 

自分の名前を付けた車を駆りながら、マッドエックスは思う。

また、ここに来てしまったと。

この湖は、因縁の土地。

彼が家族を失った場所だ。KGB崩れの犯罪組織、通称カンハルー。旧ソが崩壊したとき、多数できた組織の一つだったが、一つ他と違っていたことがある。

多数の生体兵器と、恐ろしい無人兵器の数々を有していたのである。

生半可な戦力で対抗できる組織では無かった。カンハルーは残虐を極め、多くの国で多数の金品を略奪し、本拠であったこの近辺では、意に沿わぬ存在を殺戮して廻っていた。

マッドエックスの父は善良だったのに、警官と言うだけで殺された。

母も弟も妹も、警官の家族だという理由だけで、見るも無惨な殺戮の餌食になった。軍でさえ手をこまねいている中、地獄の炎の中から復讐者が生まれた。

マッドエックスである。

地獄の中、マッドエックスは最強のマシンを造り出し、フィールド認定されたカンハルーの基地を、他のフィールド探索者達と潰して廻った。

そして十カ所目。

カンハルーの基地は公式には九つとされていたのだが、実は十個目があったのである。その存在を、たまたまマッドエックスは知ることが出来た。

奴らの本拠地である此処に殴り込み、連中の真実と対面して。その背景事情を知ったとき。何もかも、むなしくなったのである。

連中が蓄えていた金品など、むなしいものでしかなかった。

後は、生きるために、フィールド探索者になった。

今では、日銭を食いつなぐため、この仕事を続けている。

噂は、知っている。

マッドエックスの愛車に乗ったものが、墓穴に入ったようだと感想を述べている。事実なのだから、仕方が無い。

この車は、走る棺桶だと、マッドエックスは思っている。

カンハルーを滅ぼしたとき、マッドエックスは死んだのだ。今いるのは、動いているだけの死体。

そして、マッドエックスの愛車は、死者を乗せたまま。未だに走り続けているのである。

棺桶に乗れば、陰気な印象を受けるのも無理は無い。

「マッドエックスさん」

「ンー、何だ?」

不意に、助手席のスペランカーが話しかけてきた。

そろそろフィールドに入る。会話するにしても、長くは続かない。あまり他人とは話したくないのだが、少しなら良いだろう。

「車の中に、マスコットとか、お守りとか、そういうのはおかないの?」

「ンー、面白い事を言うな。 俺のマシンは、いつ壊れてもおかしくないから、そういうものは置いていない」

正確には、少し違う。

マッドエックスには、大事なものが一つも無いのである。だから今更、身近に置いておこうとは思わない。

スペランカーが、眉を八の字に下げる。

或いは、見抜いたのかも知れない。マッドエックスが、空っぽに過ぎないことを。だが、スペランカーは、余計な同情を口にすることは無かった。

フィールドの中に、突入。

湖を覆う巨大な闇の中に入り込むと、一瞬の虚脱の後、荒野に出た。

生き物がいるとは思えない、広大な土地。枯れ木さえ生えておらず、赤茶けた錆だらけの大地。

そして、奥の方に見えるのは、巨大な蠢く影。

間違いない。ハスターだ。

あれだけ堂々と姿を見せているという事は、身を隠す必要も無い、という事だ。来るなら何時でも来い、と言うのだろう。

ドアを開けると、スペランカーが降りる。

川背は、此方が車だというのに、まるで遅れることも無くついてきていた。スペランカーの側に、柔らかく着地する川背。

「ハスターは余裕の様子ですね、先輩」

「部下の神様達は、もう残っていないって聞いているのに」

「自分の絶対的な強さに自信があるんでしょう。 その足下を掬うことができれば良いんですが」

ハスターがいるのは、およそ十キロ先。

観測される範囲より著しく大きいが、此処は空間が歪んでいる重異形化フィールドだ。内部空間が、現実と著しく乖離した広さであっても、驚くには値しない。

ハスターはとんでも無い巨大さで存在感を、この距離からも見せつけている。その禍々しい触手の塊のような存在は、その気になれば現時点でも、此処まで攻撃の手を伸ばせるようにさえ思えた。

近代兵器でさえ、とてもかなわない怪物。

あらがえるのは、フィールド探索者の中でも、ごくごく一握りの存在のみ。

「どうします? 一度引き返しますか?」

「ううん、近づいてみよう。 確か偵察機の情報だと、ハスターさんの姿は見えてなかった筈だよね。 何かあるのかも知れない」

川背に手を借りながら、もたもたスペランカーがマッドエックスの愛車の上に。まあ、乗せるのは初めてでは無い。意外に落ちないので、多少は運転を荒くしても大丈夫だろう。登ったのを確認してから、車を出す。

しばらくは、フィールド内を、無心に走り回ってみる。

荒野はどこまでも続いていて、たまに小石を跳ねる。タイヤはどれだけの難所でも平気なように作っているが、その度に小さく車が揺れる。スプリングで衝撃は緩和するようにしてあるが、それでも揺れは決して無視できない。

所々に、構造物が見え始めた。

単なるオブジェに過ぎないものもあるようだが、中には建物らしきものも散見される。その度に調査をするが、中には当然誰もいない。

何となく、嫌な予感がする。

一通り、フィールドの外縁を走り回る。ハスターにも近づいてみるが、五キロまで近づいた地点では、相手に動きは無かった。

車に搭載したカメラで、フィールド内は一通り撮影する。

今の時点では、怪物の姿は無し。

ハスターは今まで出現する度に、雲霞のような数の怪物をつれていたはずだ。気候も無茶苦茶な状態にしていたはず。

ひょっとすると、今の時点では手の内を見せないつもりなのだろうか。

もしそうだとすると、随分舐められたものだ。

「おかしいね」

「ンー、どういうことだ」

「漠然と、何だけれど。 ハスターって神様が喋っているところを、前に何度か見た事があって、それでおかしいと思うの」

「……」

そういえば、だ。

マッドエックスもハスターが喋るところは見た事がある。

部下に対してとんでも無い暴言を吐き、苦しむところを見て楽しんでいた。まるで鬼畜という言葉が神になったような輩だった。

何かを楽しむわけでも無く。

此方を殺そうとするわけでも無い。

ただ、拡大するフィールドの中枢に鎮座して、ぼんやりと此方を眺めている。本当にそれが、ハスターとやらのやることなのだろうか。

「何かを待っているのかな」

「外部からの援軍については、期待出来ないでしょうね」

川背が言うのももっともだ。

外では、アーサーをはじめとする猛者達が、対処のため手ぐすね引いて待ち構えている。たとえ異星の邪神でも、その網を簡単には突破できないだろう。

勿論ハスターも、それを知っている筈だ。

少し前にMと交戦したことで、ハスターは手傷を受けていると聞いている。だが、それならば。

何故、このフィールドの中央に、姿を見せたのだろう。

「ンー、異星の邪神が得意な、邪悪な術という事は無いのか」

「考えにくいです」

車の外から声。

紙がヒラヒラと飛んでいる。確か、式神とか言う奴だ。

サヤという東洋式の術者が、今回はバックアップに当たっているはず。そいつが飛ばしている偵察要員だという。紙を通して、此方と会話もできるというから、便利だ。フィールド内外での通信には、常に苦労する。

もっとも、まだ安定しない技だというが。

「異星の邪神が念入りに準備するほどの術だったら、外でさえ波動を感知できると思います」

「ンー、そういえば……」

以前、蜘蛛の邪神と戦ったとき。

フィールドの外で、既に何かしらのおぞましい力が働いていると、感知していたようなしないような気がした。

マッドエックスは記憶力が良い方では無い。

というよりも、この姿になったとき、脳の過半を損傷した。喋るときのゆっくりした声も、それによる障害の結果だ。

機械によって思考は補っているのだが、それでも時々思考が鈍る。

脳のリソースの大半を、運転に割り振っているのも、大きい。

この車は、マッドエックスの棺桶であると同時に、ゆりかごでもある。

「まだ、此方の増援は揃わないの?」

「少し時間が掛かります」

「ンー、いっそ、仕掛けてみるか」

此方には、神殺しと名高いスペランカーに、近接戦闘系としては近年めきめきと名を上げている川背がいる。

更に機動力は、マッドエックスで補える。

勝てる、とまでは言わない。

だが、その気になれば、機動戦を挑んで、撤退する事くらいはできるのでは無いのか。

しかしながら、スペランカーは首を縦には振らなかった。

「それは止めた方が良いと思うよ」

「ンー、どうしてだ」

「ハスターさんは、酷い神様だけど。 異星の邪神の中でも特に強いみたいなの。 前に同格だって言うクトゥグアさんと戦ったとき、側にはアーサーさんがいたんだよ。 でも、とにかく、酷い戦いになったの。 思い出したくないくらいね」

ましてや、ハスターはどうも風どころか、空気を操作する力まで持っているらしい。川背が付け加えた。

「僕も先輩の意見に賛成です。 今回は幸いM氏がいますし、全員での総力戦を挑むのが定石だと思います」

「ンー、そんな大げさな話をしているつもりは無いんだが」

「恐らく、攻撃を仕掛けたら、倒すか倒されるかの戦いになると思う」

スペランカーはいつも優しい笑顔を浮かべていることが多いが。先ほどからは、ずっと厳しい表情をしていた。

どうもマッドエックスも、認識を改めないとならないかも知れない。

少なくとも異星の邪神との交戦経験は、スペランカーの方がずっと多いのだ。相手をよく知っているという意味でもある。

「ンー、分かった分かった。 もう少し偵察したら戻ろう」

「それもあるけれど、早めに少し距離を取ったほうがいいと思う」

「ンー? 不死の筈の貴様が、随分と弱腰だな」

「嫌な予感がびりびりするの」

そういえばスペランカーは、体内に邪神ダゴンを取り込んでいるはず。その話を聞いたとき、最初はまさかと思ったが。

しかしアトランティスの事実上の代表となっていて、かの人外の地で半魚人や不死者達に慕われているという話を聞いたとき、笑い飛ばすことはできなくなった。スペランカーには、確かに不思議な力がある。

それは少年漫画で言われるような、曖昧なメンタルパワーでは無い筈だ。第六感と言われるような、未知の力でも無い筈。それにしては、時々言い当てることが、あまりにも正解を引き当てているからだ。

もっと確実で、しっかりしたもの。

川背は判断力についてスペランカーを評価しているようだが、何だかマッドエックスは、そうではないような気がするのだ。

ブレーキを掛け、停止。

「サヤちゃん、もう少し式神を使って偵察をしてみて」

「分かりました」

「無理をしちゃ駄目だよ。 倒れたばかりなんだから」

「大丈夫です。 足手まといにだけはなりません」

サヤとやらは、かわいげの無い川背と比べると、随分愛らしい様子だが。それでも、急速に戦士として育っている様子だ。発言には強い意志の力を感じ取ることができる。

マッドエックスは思う。

機械の体を手に入れて、身体能力は確かに上がった。メンテナンスも、以前に比べて簡単になった。

だが、成長という点では、厳しくなった。

機械のメンテナンスやバージョンアップで、性能を上げることはできる。だが、頭の方の性能は、そうはいかないのだ。

Uターンして、一度帰路に入る。

時間稼ぎをしているのでも無く、此方の出方をうかがっているのでも無いとすると、確かに様子を見た方が良いだろう。

残虐で享楽的だという噂の、ハスターだ。

どんなことを仕掛けてくるか、知れたものでは無い。確かに、此処で仕掛けるのは、軽率かも知れなかった。

 

一旦外に出る。

ガソリンを補給した後、愛車から降りて、マッドエックスは会議に出た。

走り回っていたのは一時間三十分ほどだったはずだが、その間に撮っただけの映像にしては、随分と詳細な地図が作られている。

おそらくは、式神とやらの活動も、大きい意味を持っていたのだろう。

地図の中央部には、大きな目玉のモニュメントがある。

ハスターだ。

「ふん、来るなら来い、と言う話なら……楽なんだがな」

「間違ってもそれは無いだろう」

Mの言葉に、ジョーが応じた。

ジョーは歴戦の勇士であり、映画に出てくるような特殊部隊隊員でさえ敬意を払うような凄腕だ。

通常火器だけでも、怪物と渡り合える数少ない例外。

フィールド探索者が多数跋扈するこの世界でも、彼らに混じって戦っているだけのことはある。ただし、その強さは銃火器を使いこなすことよりも、むしろ経験から創出されている。

まず罠があるだろうと、ジョーは断言。

問題はその罠の性質だと言って、サヤに声を掛けた。

「魔術的な罠として、考えられるものは?」

「ええと……私は、あまり詳しくないですけれど。 突然環境を切り替えるとか、異界から多数の援軍を呼び出すとか……」

「ふむ、なるほどな」

他にも何名かの魔術師がいて、彼らからの幾つかのアドバイスがあった。戦術用語を、ジョーが地図に書き込んでいく。マッドエックスには理解できない部分も多いので、ネットで並列検索しながら、解読に努めた。機械化している部分が多いので、こういう芸当もできる。

ジョーの話によると、一カ所に部隊を集めるのはまずいという。罠がある場合、一度で全滅の危険が出てくるからだ。

かといって戦力を分散しすぎると、各個撃破の可能性が出てくる。

ましてや相手は、桁違いな強者揃いの異星の邪神の中でも、トップクラスの実力者だ。

スペランカーから、異星の邪神について、話を聞くジョー。スペランカーはアトランティスで、敵対的では無い異星の邪神やその眷属と直に接している珍しい人間だ。その話の内容は信頼性が高い。

話を聞き終えると、Mが不敵に唸る。

「つまり、ハスターは決して邪神達の中で最強というわけでは無いが、それでもこの星に来ている異星の邪神の中では、最強の一柱という事は間違いない、ということか」

「単独で余裕を持って大陸を制圧できる程度の力はある様子です。 並のフィールド探索者では、ぶつけるだけ時間の無駄でしょうな。 通常兵器など、何ら役には立たないでしょう」

そう言ったのは、かなり年老いた魔術師だ。

勿論彼は、ジョーをおちょくるつもりでそう言うことを言っているのだが。ジョーも、邪神との戦いにおける切り札を幾つか持っていると、マッドエックスはいつだか聞かされたことがある。

ジョーは挑発には乗らない。というよりも、ジョーが取り乱しているところを、マッドエックスは見たことが無い。

一方で浮いた話も無いらしく、サイボーグでは無いかと言う噂もあるそうだ。ただ、マッドエックスは以前、ジョーが負傷して傷の手当てをしているところを見た事があるから、その噂が違うことは知っている。

「まず、M。 貴方が先陣を切るべきだ」

「ほう? その心は」

「ハスターとの交戦経験があるから。 それに貴方であれば、多少の罠などものともしないのではないのか」

その通りだろうとマッドエックスは思ったが、何が気に入らないのか、Mは鼻を鳴らす。

「何をされても死なないのなら、私よりもうってつけがいると思うが」

「彼女は切り札だ。 分かってはいると思うが」

「ふん……」

Mが凄い目で、ジョーからの視線をそらした。

スペランカーが苦笑いしている。その横で、川背はいざというときは、どう考えても超格上のMと戦う事さえ辞さないような表情だった。

マッドエックスも見た事があるが、スペランカーの必殺武器は、地味だが確かに凶悪である。等価に相手と自分の命を消し去る、という呪われた道具。スペランカー以外には使いこなせない、文字通りの諸刃の刃。

あれを上手に使えば、確かにハスターにも届くはずだ。

だが、どうしてもMは納得しない。

急に感情的になったMのため、会議はこじれて、三十分以上続いた。やがて挙手したのは、スペランカーだった。

「それなら、私が最前線に出ます。 それでいいですか?」

「先輩!」

「川背ちゃんが支えてくれるでしょ? Mさんが言うことももっともだし、今は時間が惜しいはずだよ」

ジョーはしばらく無表情でやりとりを見つめていたが、Mが腕組みして大きく息を吐き出すのを横目に、咳払いする。

「分かった。 それならば、合流予定のメンバーが揃い次第、作戦行動を開始する」

人員が割り振られる。

スペランカーとマッドエックスは同じチームに入る。他にも、マッドエックスが会ったことが無い奴が何人か、同じチームに入った。サヤは相変わらず後方支援。他にも二人、戦闘向きでは無い魔術師が、後方で支援をするという。

Mは単独で一チーム扱いとなった。まあ、戦闘力から言って、無理も無いだろう。合計して四つのチームが、相互連携しながら、ハスターを叩くことになった。フィールドは今のところ環境が安定しているが、各部隊には雪上車が配備される。以前、ハスターの眷属と戦ったとき、強烈な冷気内での戦闘を余儀なくされたため、その対策だ。

スペランカーのチームの指揮は、ジョーが取る事になった。マッドエックスとしては有り難い。指揮官として、これ以上頼りになる存在はいないからだ。

「作戦開始は、二時間後だ。 各自身を休めておくように」

ジョーから通達が出た。

マッドエックスは、せっかくの休みを、有効活用することにした。

無言でベースから出る。

誰も、マッドエックスの後を追ってくることは無かった。

 

マッドエックスはサイボーグだ。

現在の定義では、何らかの機械的なもので体を補っている存在を、サイボーグと呼ぶ。広義では眼鏡を掛けたり銀歯を付けたりしているだけでも、サイボーグなのである。マッドエックスの場合は、体の四割以上が機械化している時点で、重度のサイボーグだと言えた。

車から降りる。

既に廃墟になった村。湖より少し離れていて、街ともわずかに距離がある。

カンハルーによって恐怖の支配が行われていた場所だ。既に誰も住んでいない。そればかりか、マッドエックスの生家に至っては、焼き尽くされて跡形も無かった。警官と、その家族が住んでいたという理由が、殺戮を正当化したのだ。

他にも焼かれた家は多い。

旧ソで役人をしていた。軍にいた。

そんな理由でも、カンハルーにとっては攻撃の対象になった。生きたまま皮を剥がれたり、野犬の餌にされた人もいた。

復讐は、徹底的にした。

この近辺のチンピラで、カンハルーの構成員になって暴利を貪っていた連中は、マッドエックスが皆殺しにした。その頃には、既にカンハルーは「要注意指定団体」として国際指名手配されていたから、他の賞金稼ぎも動いていた。特に幾つかのカンハルー拠点はフィールドになっていたこともあり、マッドエックス以外のフィールド探索者によって殺されたカンハルー構成員も多かっただろう。

やがて、カンハルーは世界各地で叩き潰され、追い詰められていった。

マッドエックスの行き場が無い怒りは、今でも燻っている。ただし、それは闇の中で、だ。

怒りは、消し去れなかった。

カンハルーの中枢を追い詰めて、その姿を見たとき。怒りはどこへ向けて良いのか、分からなくなった。

この世そのものを恨んだこともあった。

既に死んだ村を、無心に歩いて廻る。

ハスターのフィールドが広がっている今、もたついていればやがて此処も飲み込まれる。飲み込まれた後、どうなるかは分からない。

消滅してしまうとすれば、それはそれで良いかもしれない。

カンハルーの末期、此処は国連軍とカンハルーの戦いの舞台ともなった。廃屋の中には、露骨に銃撃戦の跡が残っているものもある。

この村で育ったのに。

機械の体を得て、脳までも幾らか人工物に置き換えたからか。感慨は殆ど無い。年に何度か訪れる場所だというのに。その度に、思うのだ。自分はカンハルーを殺すためにマシンになり、そのまま心まで機械になってしまったのでは無いかと。

いや、機械でも、近年は心を持つ者がいる。

友人の一人、王などは、随分苦悩する姿を、マッドエックスに見せていた。それに比べて、マッドエックスはどうなのだろう。

苦悩しても、まるで心が苦しくない。

涙も、もう流れない。

墓場に着く。

今は、何名かの老人が申し訳程度に管理している、ちいさな墓地。

花を供えた。

右手は全て機械になっている。左手も、肘から先は全て機械だ。花を供えるときに、指先には感触が全く無い。

隅の方には、カンハルーの構成員達を葬った無縁墓地もある。誰の死体かさえも分からないようなものも多く、そうする他なかったのだ。

カンハルーとの戦いの末期、二流くらいのフィールド探索者が参戦した。それからは、戦闘は一方的なものになった。文字通り雑草を刈るようになぎ倒されたカンハルーの構成員の中には、降伏を申し出たのにそのまま焼き殺された奴もいると聞いている。

今までの行動が行動だから、誰も同情はしなかった。

マッドエックスは、ぼんやりと空を見上げる。

まだ、時間はある。

愛車に乗って、墓地を離れる。遠くに見えるハスターの住処は、確実に広がり続けている。

このままだと、一日もしないうちに、此処は飲み込まれてしまうだろう。

もう一カ所、立ち寄る。

小高い岡。

村を見下ろすことができる場所。

此処で、マッドエックスは死んだ。車を停めて、降りる。そして、周囲を見回す。

死んだときのままだ。

十人以上のカンハルー構成員に追い詰められた。敵の全員が、銃器で武装していた。目を暴力に酔わせ、よだれを垂れ流している者もいた。

必死に逃げるマッドエックスの足を、一人の放った銃弾が貫いた。

転んだところを頭を踏まれた。

そして近くの木に吊されて。

的にされた。

十発以上の弾丸を受けても、まだマッドエックスは生きていた。ただし、意識は虚ろで、大小を垂れ流しにしていたかもしれない。げらげら笑うクズ共の声は、未だに耳に残っている。

だが、もう恨みは感じていない。

その場にいた連中は全員が死んだ。誰がやったかは知らない。賞金首を狙って活動していたフィールド探索者だという噂もあるが、調べてもついに誰だかは分からなかった。当時、カンハルーは国際的な問題の隙間に潜り込むようにして行動しており、フィールド探索者として彼らを殺したことを公表されるのを避けたのかも知れない。そのため、礼を言うこともできなかった。

気がついたときには病院にいた。

そして告げられたのだ。

貴方の体の半分以上は、もう使い物にならないと。

その時は、まだ溶岩のような憎悪が、体に滾っていた。だから、奴らを皆殺しにする力が欲しかった。

サイボーグ化してほしい。借金は、カンハルーを狩って返す。

そう言うのに、ためらいは無かった。

そのこと自体は、今でも後悔していない。カンハルーはどのみち放置はしていられなかったのだ。

どのような事情が、裏にあったとしても。

マッドエックスの怒りに興味を示したのが、あるロボット工学者だった。奴が、マッドエックスの愛車をくれたのだ。

戦うための、剣として。

自分がつり下げられた木を見上げる。幹には生々しい弾痕が、無数に残っていた。笑いながら自分をなぶり殺しにした連中は、既にこの世にいない事を思うと、それもまた複雑な気分だ。

脳の一部が機械になっていても、それだけは変わらない。

辺りを歩いて廻る。

骨の一つでも、落ちていないかと思ったのだ。

凄まじい火力で、薙ぎ払った後を見つけた。数本の木が、そのままの姿で丸焼きになっていた。

戦闘の痕だろう。

前にもこの痕跡は残っていたが、今見ると、違う分析もできる。以前は能力によるものだと思っていたのだが、或いは、ガソリンの延焼跡や、火炎放射器の痕跡かも知れない。どちらにしても、此処にいた連中が、薙ぎ払われるように殺され、マッドエックスが助けられた(といえるかは微妙だが)のは事実だ。

里帰りの度に、マッドエックスは自分がもう人間では無いことを思い知らされる。

機械になったのは、体だけでは無い。心もだ。

あてもなく、誰もいない街を車でうろつく。

既に、廃墟となっている街に。人間の居場所は無い。寒冷な気候に包まれた此処では、鳥や猫も殆ど見かけない。たまに野犬が、廃墟の中から、恨めしそうに此方を見ているだけだ。

基地に戻る。

さっきよりも、だいぶ人数が増えていた。チームの分だけ、既にスノーモービルも配備が終わっている。

不機嫌そうな顔をして風船を持った子供が、スペランカーと何か話しているのが見えた。確かアリスとか言うフィールド探索者だ。

さっきいなかった顔だから、今到着したのかも知れない。彼女は、スペランカーにくってかかっている様子である。

「私は反対ですわ!」

「僕だってそれは同じです。 先輩、やはり此処はもう一度話し合うべきです。 このままだと、捨て駒にされてしまいます」

川背も、しらけた様子で応じている。ただし、熱を秘めた休火山だ。冷めた表情の舌には、怒りのマグマがたゆたっているのが一目で分かった。

しかし、怒って良いはずのスペランカーは。眉を八の字にして、二人をなだめていた。

「いざというときは、私がみんなの盾になるから」

盾になる、か。

あの時、マッドエックスは、盾になることさえできなかった。

今は、どうなるのだろう。

狂気の剣になっていた時期はあるような気がする。それ以上の存在に、なれるのだろうか。

日銭を稼ぐためにこの仕事に就いた。人を殺す頻度が極めて少ないというのも、特殊能力持ちというのも、理由だった。

だが、本当の理由は。

作戦行動が開始される。

何だか、もう生きては戻れないような気がした。

 

2、異星の罠

 

スペランカーのチームは合計六名。

ジョーが指揮を執り、スペランカーと川背、それにアリスとマッドエックス、もう一人が加わる。マッドエックスは文字通りの足として行動し、ジョーが支給品のスノーモービルを操作する。他のチームも、おおむね五名から六名という所だ。

外から後方支援組が、魔術や式神やらを使って、情報を有機的に結合。連携しながら、ハスターに肉薄することになる。

また、冷気対策の専門家が、どのチームにも入る。

その専門家が、スノーモービルの後部座席にちょこんと座っている。ローブを被って姿を隠している小柄な人間で、人相は見えない。ただ、魔術師らしく、手元には魔術書が見えた。

フィールドは、未だに不気味な拡大を続けていた。

まず最初に、スペランカーが車上に乗る。車上には重機関銃であるミニガンが据え付けてあるが、これはスペランカーが使うのでは無い。ジョーが車上に移動して、操作する事を想定している。

もっとも、機動戦の名手である川背がいる上、噂では重力使いであると言うアリスが支援に当たるのだ。出番があるかは分からない。

アリスは以前見た時は、非常につんけんした雰囲気の子供だったのだが。今は、怒っている時を除けば、随分空気が柔らかい。

ただ、機動力はさほど高くないようで、スノーモービルにジョーと一緒に乗っている。フィールドに入ってから、柔軟に動きを変える、という事だろう。

スノーモービルと言っても装甲車並みの武装を有していて、小型のミサイルまで備えている。

ただし、異星の邪神が相手になると、その程度では問題にもならないだろう。最後にものをいうのは、フィールド探索者の連携と、武力である。

「ンー、そろそろでるか」

「Mさん、そろそろ良いですか?」

「GO。 内部の様子は、逐一知らせるようにお願いしますよ」

ティランノサウルスどころか、まるで放射能を吐く怪獣のような笑顔を浮かべて、気色悪い敬語を使うM。

周囲のフィールド探索者達が一斉に退く。

Mがスペランカーを毛嫌いしているのは、周知の事実だ。一方で、スペランカーは、Mに対してさえ臆さない。

傲然としているMへの不満が、少しずつ大きくなってくる。

マッドエックスも、スペランカーに影響されているのかも知れない。噂によると、Mに不満を持つフィールド探索者の一派が、アーサーに一時期接近していたという。しかしアーサーが派閥の構成に興味を見せなかったため、今はスペランカーがターゲットになっているそうだ。

もっとも、それにスペランカーが応じているという話も聞かない。

作戦行動、開始。

マッドエックスがアクセルを踏み込み、フィールドに突入する。先ほど、偵察したときは、内部は荒野で、気候も安定していた。

だが。

入った途端、強烈な違和感が襲ってきた。

前に無数に見えるのは何だ。蛸のようなもの、カニのようなもの、虫のようなもの。数は、軽く何万もいる。文字通り、雲霞のようだ。

その中央にいるハスターは、傲然と構え、来るなら来いと言わんばかり。

しかも気温が、見る間に下がっていく。

「すぐにスノーモービルに移れ!」

ジョーが叫ぶ。スペランカーはもたもたしながら、マッドエックスの愛車の中に入った。ドアを少し開けただけでも、強烈な冷気が吹き込んできた。

寒冷地出身のマッドエックスでさえ、これほどの強烈な冷気はそうそう経験が無い。スペランカーは固まっていた。念のために、耐寒服を着ていたのに、だ。

何度も死んでは蘇生している様子だ。

見ると、外部の気温は、マイナス三十度を凄まじい勢いで突破していた。この様子では、マイナス七十度近くまで下がるかも知れない。

北極点並みだ。

遠くで、ハスターが触手を蠢かせているのが見える。

ハスターが嘲笑っているのが、手に取るように分かった。最初の偵察には、何も見せなかったのだ。そして、偵察が戻った後で、いきなり真の戦力を展開した。おそらくは、ただ此方を嘲笑う、それだけの目的で。

暇な奴と言うよりも、もはや阿呆だ。だが、それが故にタチが悪い。

「耐冷気フィールドを展開しろ、早く!」

「空気が澄んでいるのに、何という寒さだ」

ジョーがUターンを命じる。

まさか、これほどの戦力が、いきなり重厚な布陣を敷いているとは、予想外だったのだろう。

一度フィールドの外縁で停止し、それで気付く。

ジョーは、全く慌てていない。命令は矢継ぎ早に出していたが、ひょっとしたら、予想していたのか。

周囲の寒気が、緩和されはじめる。

同時に、別のチームが、フィールドに突っ込んできた。

そのうち一人が、Mである。Mは全身から凄まじい熱気を放っており、それだけで周囲の寒気を緩和している様子だ。

「作戦をBプランに」

「ああ、良いだろう。 ふん、お前の予想が当たったな、ジョー」

「えっ……?」

「ンー、どういうことだ」

ジョーは別に顔色を変えるでも無く、話す。

「ハスターとフィールド探索者が激突するのは、これで二回目。 歴史上での言い伝えを含めると、もう少し多い。 それら記録と、今までのハスターの言動と、Mとの交戦記録から、性格を割り出しただけだ。 もっとも、プランは七つ用意していたが」

スペランカーが、耐寒服をかき寄せた。

「外の温度、どれくらい?」

「ンー、今、マイナス十三度だ」

「そろそろ、大丈夫、かな」

スペランカーは、明らかに囮にされたことを、気にしている様子も無い。

それに前進を開始したMも、いきなり攻撃する気配はなかった。Bプラントやらについて説明を受けるが、唖然とする。

よくMに、そんな作戦を納得させたものだ。

「川背ちゃん、いけそう? アリスちゃんは?」

「僕はいつでも」

「私も行けますわ」

態勢が、即座に立て直されていく。その間も、スノーモービルは移動を続け、それに追従する形で、マッドエックスも愛車を動かし続けた。

邪神の眷属達は、全く動きを見せない。

だが、それが、突然に変化を見せる。

不意に、凄まじい揺れが襲ってきた。フィールド全体が、軋み、歪むほどの地震だ。震度は六近いかも知れない。

愛車を止める。

悪路にも耐える愛車だが、それでもこの揺れの中、走り続けるのはつらい。最初から空中に浮いているMは、腕組みしたまま、じっと敵の方を見つめていた。

揺れが納まる。

しかし、その時には。

フィールドは、また別物のような変化を遂げていたのである。

壁状の岩が無数に立ち並び、まるで大小の部屋に区切られているかのようだ。しかも一つ一つの壁は恐ろしく高い。視界は一気に遮られた。

壁を壊して行くにしても、これでは無理がある。どれだけの壁を壊せば良いのか、見当もつかない。

「スノーモービルの損傷は!」

「一号車両、二号車両、問題なし!」

「東方面から突入した部隊にトラブル! スノーモービル大破! 予備車両搬入中!」

「まるで迷宮だな」

Mがつぶやき、立ちふさがる壁の群れを睥睨した。

違う。

震えが来た。

見覚えがある光景だからだ。まさかこのような形で、またここに来ることになるなんて。規模は違うが、間違いない。

此処は、カンハルーの本拠地。

通称、ステージ10だ。

「マッドエックスさん?」

「ンー……」

何でも無い、とは応えられない。車を降りようとしたスペランカーが、じっと此方を見つめてくる。

此奴は勘が鋭い。気付いたのかも知れない。

それにしてもハスターは、どうしてこんなフィールドを巣に選んだのか。しかも、かってマッドエックスが滅ぼしたフィールドではないか。

運命の、皮肉。

あれ以来、ずっとマッドエックスは、空っぽのままだ。

「もたついている暇は無い。 突入を開始する!」

Mが灼熱の炎を手から放ち、壁の一つを爆砕した。

同時に、無数の異形の怪物達が、あふれ出るようにして、襲いかかってきた。

 

地面に叩き付けられた海老のような怪物の首が取れ掛かっていた。脳漿らしい液体をぶちまけながら、痙攣する怪物を、スノーモービルが踏み砕いていく。

空中を、敵を足場に跳び回り、次々に叩き落としているのは川背だ。

それだけではない。

ブルドーザーのように、此方に迫ってくる、カニのような怪物。

その巨体が、見るも無惨に、押し潰される。

上空から降りてきたアリスが、柔らかくその上に乗ったかと思った瞬間、カニの運命は決まっていたのだ。

今の時点では、Mが介入する必要さえ無い。

次から次へと現れる怪物は、一騎当千の猛者共の手に掛かり、次々肉片へと変じ続けていた。

ただし、問題もある。

敵が減る様子が無い、ということだ。

ジョーは既にマッドエックスの車上に移動し、重機関銃をぶっ放しながら、時々無線で指示を出している様子だ。スペランカーは、外をぱたぱた走り回っている。そして時々、敵の攻撃に対応しきれなくなった味方の盾になっている。

スペランカーの能力は、話に聞く限り、海神の呪いというものだ。

不老不死を実現する代わりにスペックが著しく低下する。全力疾走もできないし、頭も良いとは言えない。

凶悪なのは、そのカウンター効果だ。

死んだとき、身体に欠損があると、周囲から物質を補って蘇生する。何かしらの悪意ある攻撃を受けた場合、攻撃者から欠損部分を補って蘇生する。

本人の攻撃手段は、極めて限定的だが。

このカウンター能力のために、非常に強力なフィールド能力者として、一部からは認識されている。

また、昔はその能力ばかりが着目されていたのだが。

見ていると、確実に味方を守って、敵の攻撃を受けている。優れた判断力を持っているというのは、事実であるらしかった。

Mがまた、分厚い壁を、パンチ一発で粉砕する。

だが長城のように立ち並んでいる壁は、まるで終わりが見えない。

そればかりか、壁の裏側やかげに潜んでいた異星の怪物達が、次から次へと襲いかかってくる。

「M、少し進撃速度を緩めよう!」

「駄目だな。 もう少し進むまでは、このままいく。 そうしないと、作戦を維持できない」

誰かが言うが、Mが言下に拒絶。

マッドエックスが見たところ、Mは相当に機嫌が悪い。作戦の内容が内容だから、だろう。

壁の残骸を伝って高く飛んでいた川背が、怪物と一緒に落ちてきた。

古生代にいたような怪魚は、地面に落ちてくると同時に、首をへし折られて即死していた。川背は無論、何でも無い。埃を払って、立ち上がる余裕さえ見せている。

「まだだいぶ距離があります。 ハスターのいる辺りは、要塞のようになっているようです」

「ふん、むしろ好都合だな」

Mに、鯨のような巨大な怪物がかぶりつく。

だが空中に浮かんだままのMは、右手を一振りしただけだった。それだけで怪物は上空高くに吹き飛ばされ、地面に落ちてくる。地面で痙攣している巨大怪物は、体の半分以上が粉砕されていた。

それで一旦、敵が途切れる。

「疲労が激しい者から、スノーモービルに。 食糧を口に入れろ。 補給だ」

ジョーが指示を出し、我先にスノーモービルへ駆け込むフィールド探索者達。二人いる寒気を緩和する魔術師も、交代で休みはじめたようだ。

けが人も、少しずつ出始めている。スペランカーはマッドエックスの車上に上がると、ジョーと何か話している様子だ。内容については、聞こえないが。

アリスをマッドエックスに乗せる。

彼女が持ち込んでいたリュックの中には、スコーンとティーセットが入っていた。そういえば此奴は、E国のフィールド探索者だったか。

流石に茶を沸かす余裕は無いらしく、急いで支給品のチョコを口にしているアリス。黙々と食べている様子は、相当にこういった探索になれている事を示していた。まだ幼い子供といえど、人外の戦場で生きることを生業にしている者だ。

その間も、スノーモービルは進み続けている。

今運転しているのは誰だろうと思ったのだが、見ると誰もいない。AIによる自動操作機能だろうか。

「貴方は、何も食べませんの?」

「ンー、俺はいい」

「そうですの」

いざというときに身動きできなくなる、とでも言うかと思ったが。此方が素人では無いことくらい、知っているのだろう。アリスは何も言わなかった。神経質そうな子供だと思っていたのだが、意外に言動に良い意味でのゆとりがある。

正確には、マッドエックスは固形物を口にできないのだ。

消化器官は全てが取り替えられてしまっていて、栄養価が高いペースト状の食物しか、受け付けてくれない。

いずれもっと高性能な人工胃を取り付けたいところだが、それには仕事をしなければならない。しかし元々マッドエックスは零細のフィールド探索社所属で、給料も体を維持することを前提にすれば決して高くは無い。

「東の部隊が苦戦しているな。 少し下がらせる。 補給を入れて、再進撃させる」

「西のチームは」

「こちらは逆に順調すぎる。 進撃速度を落とすように指示を出しておく」

ジョーが休憩中だというのに、忙しく指示を出し続けていた。

あの時、ハスターに仕掛けるべきだったのだろうか。一瞬だけ、そう思ってしまう。だが、ジョーの意図は、そもそも東西の部隊を陽動とすることだ。更に、陽動には、もう一つ大きな駒を用いる。

少し広めの場所に出た。

壁がかなり離れていて、周囲から路が集まるような構造だ。

Mが高度を上げて、そして笑った。

「来たな。 どうやら、一旦兵を引いたのは、これが目的だったらしい」

前後左右から、途方も無い数の敵が殺到してくる。此処が、正念場だ。

殆どは、異星の怪物ばかりだが。

一部、違う姿が見受けられた。

やはり、間違いない。

アリスがチョコのついた口を拭うと、外に飛び出していく。だが、いきなりはじき飛ばされるようにして、すっころんだ。

飛び上がったのは、カエルのような怪物。寸胴の蛇のようなものもいる。

アリスが飛び退き、丸呑みにしようとしたカエルの口を、寸前で逃れる。だが、口から飛び出した舌が、アリスの足を絡め取る。

「しまっ……!」

アリスを振り回し、地面に叩き付けようとするカエル。

次の瞬間、マッドエックスは加速し、その横っ腹に突っ込んでいた。愛車の装甲が軋む音がする。

あの時より、ずっと装甲は増しているはずなのに。

アリスが手で舌を叩くと、まるで鈍器で押し潰されたかのように、舌がクレーター状にえぐれた。

思わずカエルが飛び退く。

だが、まだ蛇が残っている。

「気をつけろ! 透明な奴もいる!」

飛び出したのは、スペランカー。

アリスを突き飛ばしたスペランカーが、蛇の下敷きになった。

辺りは阿鼻叫喚である。敵の数もさながら、その中に混じっている不可視の怪物と、今までと攻撃パターンがまるで違う相手が、被害を少しずつ大きくしている。

目玉だけの怪物が、空中に多数出現。

Mに対して、周囲を巡回しながら、レーザーらしい光線を浴びせる。流石に光速の攻撃は防ぎきれず、Mも舌打ちしながら、拳で迎撃に掛かった。

「このおっ!」

アリスがドロップキックを透明な何者かに浴びせ、数体がまとめて吹き飛んだ。

蛇が這いずって逃げようとし、腹の辺りを抉られて、悲鳴を上げながら横転する。よろよろ立ち上がるのは、スペランカー。海神の呪いが、発動したのだろう。血まみれの中、緩慢に周囲を見回している。

緑色の、装甲車。

まさか、あれもいるのか。

カンハルーの本拠地で、デッドヒートを演じた無人車だ。それだけではない。この様子では、散々苦戦させられた、あいつもいるかもしれない。

鋭角の三角形の形をした、指揮ロボット。

その中身は。

マッドエックスを走らせ、透明な敵をはじき飛ばして廻る。

装甲が歪むが、文句は言っていられない。Mはレーザーを放ってくる目玉に釘付けにされていて、此方の支援どころでは無い。

重機関銃をぶっ放し、時々手榴弾を投げながら、ジョーが言う。どれだけ荒い運転をしていても、振り落とされる気配は無い。

「そろそろ作戦行動に出る」

「正気か! この敵の数だぞ!」

「だからこそだ」

ジョーが冷静に、カエルの怪物を蜂の巣にする。

ペースを取り戻したアリスも、空中を跳び回りながら、辺りの怪物に押し潰すような蹴りを叩き込んだり、平手を浴びせて吹き飛ばしたり、川背と連携して暴れ回っていた。

しかし、スノーモービルに数体の敵が、同時に取りすがる。

敵の数が多すぎるのだ。歴戦の猛者達は頑張っているが、それでも数の暴力は圧倒的だ。

カエルの舌に絡め取られた一人が、地面に叩き付けられる。

一斉に、敵がその男に飛びかかった。

男が放った衝撃波で全ての敵が肉塊になり、吹き飛ぶ。だが、男はふらふらで、しばらく休まないと戦えそうに無い。

スペランカーが男の手を引いて、マッドエックスの所へ。

中におしこまれた血まみれの男は、呻きながら、医療キットで治療をはじめる。

「ちい、ドジ踏んじまったぜ」

「円陣!」

何度もドリフトするマッドエックスの車の上で、ジョーが叫ぶ。

川背が大きめの敵の首筋を抉るようにして打ち倒し、地面に叩き落とす。あの女が手にしているリュックは、確か空間転送の力があったはず。それを使ったのだろう。

数体の敵が下敷きになり、鮮血をばらまく。

だが、此処が勝機とみているのだろう。

敵は更に数を増して、押し寄せてきていた。

地面には、姿が見えない敵がうようよいるらしく、時々交戦中のフィールド探索者が、いきなり後ろから突き飛ばされ、或いは見えない剣で切り裂かれている。流石に歴戦の猛者達で有り、一撃での死は免れているが、とてもではないが無傷とは行かない。ドリフトしながら味方を支援して廻っているマッドエックスも、時々見えない敵をひき殺している。いきなり衝撃が来るので、心臓に悪い。

ジョーの指揮で、どうにか円陣をくみ上げて、外からの浸透を防ぎつつ、敵を薙ぎ払う体制が出来た。

上空で、巨大な爆発。

キレたMが、凄まじい火力の技を、何か使ったらしい。

消し炭になった目玉の怪物が、ぼとぼとと落ちてきた。

衝撃波は空中を無抵抗で伝わる。目玉の怪物は、全滅だ。だが、空を覆うほどの数が、まだ敵にはいるはずである。

手当をしていたフィールド探索者の男が、マッドエックスの車から出て行く。

座席は血だらけだが、気にする事も無い。

地面が揺れる。

巨大なムカデみたいな怪物が出てきた。しかも多数。味方さえ蹴散らしながら、ムカデの群れが迫ってくる。

絶望的な状況。

だが、初めての経験では、ない。

 

ようやく敵の攻撃が一段落したのは、たっぷり三時間以上も戦った頃だった。負傷者でさえ戦っていた状況である。無傷の者は、殆どいない。

辺りは死体の山だ。怪物の死体の山を、力自慢のフィールド探索者が積み上げて、バリケードにしている。その横で、まだ生きている奴を、ジョーがとどめを刺して廻っていた。流石に至近から頭に銃弾を喰らえば即死である。透明な怪物達も、血まみれになってしまえば、何となく姿が分かる。

以前、マッドエックスが戦ったとき、どんな姿かは分からなかった。だが、今は違う。

人間のようなもの、四つ足の動物に似ているもの、様々な種類がいた。いずれもさほど大きくは無く、人間に不意打ちで致命傷を与えられなかったのも、無理は無いと言えた。

血なまぐさいと言うよりも、文字通りの屍山血河である。

アリスが横になって、それでも帽子は被ったまま、風船も手放せない。能力発動のトリガーなのだろう。アリスはムカデを七匹仕留めたのだが、最後の一匹に、尻尾で痛烈な張り手をもらったのだ。何とか命に支障は無いが、それでもしばらくは身動きしない方が良いと、ジョーが判断していた。

他にも横になって、手当を受けている者も多い。

死者は出ていないが、無傷な者もいない。

スペランカーが、服がぼろぼろのまま、皆の治療にあたっている。不器用な手つきで包帯などの物資を運び、比較的傷が少ない川背が治療をしている様子だ。とはいっても、応急手当しかできないが。

Mはというと、既にいない。

作戦に沿って、遠くに飛んでいった。

「手当を急げ。 またいつ来るか分からん」

「他のチームは」

「現在、東チームが敵の大部隊と交戦中。 西チームは順調に進んで、そろそろ予定の地点に到着できる」

このチーム自体は、既に予定のポイントまで到達しているという。

つまり、次の作戦までは、敵の攻撃に耐えなければならない、という事だ。

既に重機関銃は弾を撃ち尽くしているため、放棄された。ジョーは弾を補充するという能力を持っているらしいが、アサルトライフル程度の火器までしか使えないそうだ。スノーモービルに搭載されていた小型ミサイルは、二機とも使い果たしていた。これも既に放棄済みである。他にも、使い終えた弾丸などが、一カ所にまとめられて、放棄されていた。今回はハスターを相手にすると言う事もあり、最初から厳しい戦闘が想定されていた。だからかなりの物資が用意されていたのだが、それでもあれだけの敵との戦いとなると、やはり無事では済まない。

かといって、此処から増援を頼むのは、フィールド外縁の距離からも、現実的では無い。内部の広さもそうだが、後方も今は安全圏とは言いがたいのだ。

窓硝子を叩かれた。

ジョーに呼ばれて、外に出る。円陣の外には、敵の死骸で作り上げたバリケードが有り、油を掛けて火を付けた後だった。

敵に対して此方の位置を示す意味もあるが、敵の生き残りによる奇襲を防ぐ目的もある。岩に腰を下ろしたジョーが吐く息は白い。

「このフィールドについて、何か知っているな?」

「ンー、どうしてそう思う、ワンマンザアーミー」

「態度を見ていれば分かる」

そういうものなのか。

煙草をくれたが、首を横に振る。ジョーは、煙草をくわえているが、どうも煙をすう本来の意味の煙草では無く、一種の菓子らしい。子供向けのものではなく、噛むことで落ち着く意味がある、噛み煙草に近いものだ。

「カンハルーに関係があるのか」

「ンー……」

「俺も、かつてカンハルーと戦ったことがある。 カンハルーのステージ2、ステージ6を潰したのは俺達だ」

息を呑む。

そうか。確かカンハルーがフィールド探索者に潰されたとき、交戦した者の名簿に、確かにジョーの名前があった。

ただ、ジョーが単独で戦ったという話も聞いていない。

「他のステージの話も聞いている。 だが、此処とは似ていないな」

「ンー、そこまで知っているなら、隠す必要も無い、か。 これは恐らく、カンハルーの最後の秘密基地、ステージ10だ。 俺が戦ったときは、地下に存在して、此処ほどは広くは無かったし、敵の戦力も大きくは無かったが」

「カンハルーの基地は、9つまでと聞いていたが……」

「9つめが潰された時点で、カンハルーは確かに姿を消した。 奴らの表向きの首領も、討ち取られた。 ンー、だがな。 奴らの裏側の事情は、それだけじゃあなかったのさ」

ジョーは、目を光らせる。

「詳しく、聞かせてもらおうか」

 

3、闇の十番

 

ロシアの巨大国際犯罪シンジケート、カンハルーの勢力が大きくなりすぎた頃。最初に重い腰を上げたのは国連軍だった。

だが、カンハルーの基地に踏み込んだ軍は大きな被害を出すことになる。訳が分からない怪物の群れに襲撃されたためだ。それだけではなく、無数の自動兵器が、軍を襲ったのだ。

この結果、カンハルーの基地はフィールドと認定された。

邪悪な力が動く事無くとも、自然のままであっても。フィールドとなる例はある。

そして、それがカンハルーにとって、終わりの始まりとなった。

乗り込んできたフィールド探索者の戦闘力は、軍とは比較にならなかったのである。見る間に、カンハルーの基地は、各地で狩りでもするかのように潰されていった。彼らが強奪した金品も、根こそぎ奪い返されていった。

ただ、おかしな事も起こった。

カンハルーの構成員達が、見当たらなかったのである。重武装の構成員達は最初脅威とみなされていたのだが。

壊滅した基地を調べても、彼らの痕跡は存在しなかった。

痕跡が発見されたのは、第七ステージの事。

攻略に加わったマッドエックスは、この時点で二つのステージを潰しており、もう二つに決定的な打撃を与えていた。

だからこそ、先鋒を任され、歴戦の猛者達に先んじて突入したのだが。

それが故に、見てしまったのだ。

「ンー、ワンマンザアーミー、あんたはカンハルーについて、どれだけ知っている?」

「悪いが、貴様の様子がおかしいことに気付いたのは、スペランカーだ。 俺は基地の攻略作戦に参加はしたが、あまりカンハルーについては、詳しくない。 事情は彼女にも話してやってもらえるか」

いつの間にか、作業を終えたスペランカーが、此方に歩いて来るのが見えた。

そうか、最初に車に乗せたときか。

スペランカーが、ちょこんと腰を下ろす。

服はぼろぼろだが、そのぼろぼろの衣服の間から見える肌色に、傷がついている様子は無い。

海神の呪い。

噂以上に、厄介で、頼りにもなる能力のようだ。

「マッドエックスさん、話してくれるかな。 恐らく邪神ハスターさんは、そのカンハルーって組織に何かしらの形で関わっていたんだと思う。 そうでなければ、その痕跡を利用して、このフィールドを作ったんだよ。 なら、被害を減らすためにも、知っておきたい」

「同意だ。 情報の公開を頼めるか」

頭が悪いと聞いていたのに。

そうか、自分で思いついたことでは無いのか。恐らく、違和感だけだったのだろう。だが、そこからが違っていた。おそらくは周囲に相談して、正確な結論を出した。しかも、それを選び取っている。

此奴、頭が悪いにしても、その活用方法を知っている。

躊躇が生じた。

だが、スペランカーは、辛抱強く待ってくれる。時間が、さほどある訳でも、ないのに。

根負けしたマッドエックスは、話すことにする。

呪われた、カンハルーの話を。

「ンー。 ……俺はカンハルーに殺されて、人間を止めた。 俺の体の半分以上は機械で、脳みそも一部機械化している」

「そうか、復讐が目的だったんだね」

「最初はな。 ンー、七番ステージで、あの悪夢を見るまでは、カンハルーの連中を皆殺しにしてやろうと思っていたよ」

「何を見たの?」

やはり、躊躇してしまう。

彼処で、マッドエックスが見たのは。

「ンー、この世の地獄だ」

そして、最後のステージ10の情報。

全てを終わらせるために、マッドエックスは誰にも知らせず、カンハルーの本拠地、ステージ10に殴り込んだ。

ステージ10は、皮肉にも、この湖の地下に存在していた。旧ソの極秘軍事施設だったらしいので、突飛なところに作られていたのである。

いずれにしても、激しい戦いの後、劫火と共に全ては終わった。その筈だったのに。

「ンー。 スペランカー、あんたは邪神に詳しいと聞いている。 ハスターとかいったか、そいつがカンハルーの背後に最初からいた可能性は、あるのか?」

「ううん、それはないと思う。 ハスターはずっと眠っていて、最近目覚めたはずだから」

「そうか」

「だけれど、高位の邪神の中には、眠っていても一部の意識を動かして、人を操るものもいるんだって」

絶対は無い。

その言葉を聞いて、安心するマッドエックスは、自分の愚かさに怒りを覚えた。きっと言って欲しかったのだ。

全ては、ハスターの仕業だと。

漫画だったら、そんな展開もあったかも知れない。

だが、現実は、小説よりも奇で、漫画よりも醜悪だ。あの悲劇は、全て人間の手によって、生み出されたのだ。

「カンハルーって、その様子だと、普通の犯罪組織じゃ無いみたいだね。 正体は、いったい何? 何を見たの?」

「ンー……」

「つらいだろうが、攻略の助けが得られれば、被害を減らすことも可能だ。 これ以上の被害を出さないためにも、言って貰えないか」

機械の肺で無ければ、大きく嘆息していただろう。

機械化されている脳で無ければ、泣いていたかも知れない。

ヘルメットを取らないのでは無い。戦闘服を脱がないのでは無い。

もう、顔も無いのだ。

皮膚も無いのだ。

「ンー、旧ソが作り上げた、人体実験を一手に背負った組織、それがカンハルーだったのさ。 構成員は、全てが世界各地から集められた、人体実験の被験者だ。 それに、カンハルーの基地にいた怪物達もな」

かって、共産圏という怪物がいた。

現在でも、生き残りが世界の一部にいる。

本来の理想が歪められ、一種の搾取制度として機能した、怪物。搾取される貧民達を救わず、一部の権力者が強欲を貪るためだけに動いてしまった、凍土の化け物。

ひょっとしたら、資本主義と違うあり方を作れたかも知れないその制度は、結局は支配者に都合が良い搾取のための仕組みとなってしまった。

やがて、共産圏は、破滅の危機へ突き進む。

だが、それにあらがおうとした者達がいた。

最低限の倫理までも、投げ捨てて。

勿論、権力欲がそれに大きく寄与したに違いない。カンハルーは切り札として育てられ、やがてとんでもない勢力を内包するようになっていった。

マッドエックスが知ったところによると、流石に旧ソの幹部もカンハルーを放置してはおけなくなり、解体しようとしたらしい。

だがあまりにも危険すぎる組織に成長していたカンハルーは、逆に追っ手を返り討ちにしてしまった。

そして、世の中全てに復讐するべく、行動を開始したのである。

旧KGBの一部を、其処に取り込んで。

世界各地で金品を無作為に集めたのは、復讐のためだったのだ。

写真を一つ、取り出す。

ステージ7で、マッドエックスが見たものだ。今やサイボーグとなったマッドエックスは、記憶を写真にする事ができる。

「ンー。 もしも、ハスターがカンハルーの怨念を取り込んで、このフィールドを作ったんだとしたら、大変なことになる」

連中は、文字通り体を持った亡霊だったのだ。

その怨念は、生きとし生けるもの全てに向けられていた。だからあえて支配地域で暴虐そのものの統治を行っていたのだ。

カンハルーを滅ぼしたのは、マッドエックスだ。

だからこそ、逆に、断言することができる。

彼らはもう、眠らせてあげなければならないのだ。おぞましい邪神などに、利用させてはならないのである。

それから、マッドエックスは。

全ての知識を、カンハルーを滅ぼしてくれる引き替えになればと、披露していった。

 

要塞状の建造物に突入したMは、拳を振るって瓦礫を落とすと、周囲を見回した。

立ち並んでいる硝子シリンダー。

中には、人間の子供らしい死体が浮かんでいる。培養液は泡立ち続けていて、死体を保存する役割を果たしている様子だ。死体だとどうして分かったかというと、人間の生体反応が感じられないからである。

Mには多数の能力がある。その中には、一目で相手を人間と判別できる、というものがある。

だから、Mからすれば、スペランカーはおぞましい呪いに包まれた、邪神を体内に抱え込んでさえいる、人間とはとても思えない存在にしか見えないのだ。いつも立ち上っている邪悪なるオーラは、奴の本性がどうあれ、Mには不快なものでしかない。

鼻を鳴らすと、奥へ歩く。

最奥に、ハスターの気配がある。一度戦った相手だ。忘れるはずも無い。

床をぶち抜いていこうかと思ったが、そんな必要も無さそうだった。ジョーが言っていた通り、そろそろ仕掛けてくるだろうと、勘で察知する。

「ひゃはははははははは、よーく来たなあ」

「悪趣味な歓迎だな、ハスター」

「何を言っていやがる。 その硝子の中のごちそうはなあ。 お前ら人間が作ったものなんだが?」

一斉に、死体が動くのが分かった。

見る間にふくれあがり、硝子を内側から破って、外に出てくる。

巨大なカエルのようなもの、蛇のようなもの。異形の獣に変じてから、透明になるもの。目玉だけの肥大化した怪物。

「生き残るためには、何をしてもいい! それがお前達の理屈だと、俺は感心しながら見ていたよ! 子供を捕らえてきては生体実験の材料にし! 女を捕らえてきては怪物の苗床にし! 脳をいじくって超能力者にし! 体をいじくって怪物にし! ひゃーははははははは! 何も手を出さなくても、人間は元から化け物だ! 俺たちよりも化け物らしいぜ、なあ? そんな化け物の筆頭!」

「一理あるな。 それで?」

「この場で俺を倒せるのは、お前とスペランカーだけ。 特にお前が厄介だ。 だから、此処で封じさせてもらう」

周囲の空間が、ひび割れる。

怪物共は、飛びかかってくるのでは無い。もとから不安定なこの空間を操作するためだけに、目覚めさせられたのだ。

生け贄として。

怪物達が苦痛の声を上げながら、消滅していく。

Mは無言で加速すると、壁をぶち抜き、ハスターの至近にまで迫る。

見えた。

ハスターは眷属を従え、その触手だらけの体を蠢かせ、嘲笑しながらMを見ていた。その体の中心にある巨大な目玉は、直径十メートルはあるだろう。触手も、一本一本が、百二十メートル以上はありそうだ。

巨大な蛸とも烏賊ともつかない姿をした、風の邪神王。

拳を叩き込んだ瞬間、ハスターの目玉の前の空間がひび割れる。

そして、闇が、Mを飲み込んだ。

「ご愁傷様ー! ぎゃははははは!」

バカが。想定内だ。Mは口中で毒づく。

ジョーはこの結果を読んでいた。

更に言えば、ハスターはMを封じるため、力の大半を使わなければならない。手練れが多数迫る事を屁とも思っていないようだが、それがハスターの命取りになる。

後は、此奴がスペランカー対策に何か考えている事を、突破すれば良いだけだ。

それも、大体は見当がついている。

閉じ込められた空間は、光も何も無い。普通の人間だったら、数時間もあれば発狂するような空間だ。

だが、Mは違う。

座禅を組むと、両手を左右に広げて、力を練り上げる。

ハスターは恐らく、これからスペランカーの力を削ぐために、作戦行動に入るだろう。

狙うは、奴がダメージを受けた瞬間。

この空間ごと、奴をぶっ潰す。

そのために、Mは力を蓄える。暗闇など、Mの敵では無い。精神攻撃など、Mの前には、意味をなさない。

最強である事。それが、Mに課せられたことなのだ。

かっては、Mもこれほど強かったわけでは無い。Mは強くならなければならなかったのだ。

だから、ありとあらゆる能力を、貪欲に身につけていった。

これからも、強さには貪欲であろうと思っている。

全てを、打ち砕くためにも。

 

三方向から突入を開始した部隊が、それぞれようやく所定の作戦行動地点に到達した。

スペランカーを屋根に乗せて、マッドエックスは愛車を発進させる。まだかろうじて無事な二機のスノーモービルが、駆動音を響かせて、動き始めていた。ジョーはと言うと、車に随伴する形で歩いている。

今のところ、怪物の姿は無い。

ジョーの話によると、Mを抑えるため、ハスターは力の相当部分を使うという。そしてここからが重要なのだが。

恐らく、スペランカーを全力で潰しに来るという。

つまり、このチームに、敵の主力が来る可能性が高い、という事だ。ハスターも含めた上で。

実際問題、先の襲撃も、他のチームが受けていたのとは規模が桁一つ違っていたと、ジョーは言っていた。

ハスターにしてみれば、邪魔なのはスペランカーとM。

Mを封じた後は、スペランカーを潰しに来る可能性が高い、という事だ。

勿論、そう理論的には動かない可能性も否定はできない。

ジョーは先ほどから、他の二チームに連絡を入れては、細かい指示を出している。歩きながら、時々周囲を見回しているのは、何故だろう。

マッドエックスは、思うのだ。

此処は掘り起こしてはいけない墓地。

異星の邪神は、きっとそうだと知っていたからこそ。この闇の歴史に、踏み込んできたのだろうと。

マッドエックスは、ステージ10で見た。

巨大な培養槽の中。

無数のコードで連結された、子供の脳みそを。

それこそが、カンハルーの本体であり、頭脳。世界への復讐だけを考える、孤独な魂の集合体。

人間はどこまで残虐になれるのか。

それを示した、悪夢のような光景だった。

「来たぞ!」

ジョーの叫びと同時に、全員が一気に緊張の度を高めた。

力自慢のフィールド探索者が砕いた壁の向こうから、先と同等か、それ以上とも思える数の敵が、あふれ出てくるのが見えた。

それだけではない。

ハスターが、いる。

怪物共の中に、ハスターの姿がある。巨大な軟体動物に見える邪神は、此方を嘲笑いながら、異様を見せつけるようにして、迫ってきていた。

「全員、総力戦用意!」

スペランカーを乗せたまま、マッドエックスが発進する。

作戦は、本当に上手く行くだろうか。

それだけが、不安だった。

 

4、邪神の誤算

 

迷彩を解除して、降り立つ。

邪神が総力を挙げてこの場を離れたことは、既に分かっていた。流石の邪神であっても、歴戦の猛者の本気の迷彩までは、見抜けなかった。或いは、他の世界の人間であれば、見抜けたかも知れない。

だが此処は、多くの邪神が返り討ちにあっている世界。

スペランカーだけが、異星の邪神を倒しているわけでは無いのだ。

天井から床に降り立ったSは、迷彩を解除すると、確認する。

辺りの床は、生体組織も同然だ。肉の壁ができていて、未だに蠢き続けている。その中央にあるのは。

なるほど、これがジョーが言っていた、このフィールドのコアか。

宇宙で戦い続けてきたSは、生体実験のおぞましさをよく知っている。S自身が後天的なフィールド探索者。つまり、強化人間であるから、その非人道性と、実験の対象に与えられる屈辱と悲しみは、理解しているつもりだ。

「つらかっただろうね……」

「……」

巨大な培養槽。

触手に絡みつかれたそれの中には。無数の重なり合う子供の脳みそがあった。

恐らく超能力を強化するか、或いは生体コンピュータとして作られたのだろう。子供らしい純粋な知能で、怪物を作るための狂った方程式を立てさせられたのか、或いは怪物化するための遺伝子変異を調査するのに必要だったのか。

これをやった連中は、全て死んだ。

突入したマッドエックスが、皆殺しにしたという。そして全て焼き尽くし、自身は何も告げず、この場を去った。

これを見てしまえば、そうせざるを得なかったことも分かる。

Sも歴戦の猛者であるが、それでもこの光景を許せないと思う。しかも、眠っていたところを、墓石をどけて無理矢理に再生するなんて。鬼畜と言うべきくず共が作った歴史の闇。それを笑いながら利用した邪神。どちらも、Sは許さない。

硝子に触れる。

Sは強化の結果、ある程度の超能力を有している。サイコキネシスの類は無いが、精神をそのまま相手に送ることが可能だ。テレパシーと言うほどでは無いが。それをつかって、メトロイドと呼ばれる怪物と戦うとき、相手の動きなどを予想していた。強化人間に過ぎないSが凶悪な宇宙生物と戦えたのも、それがもたらす先読み効果の結果なのだ。

殺して。

子供達の脳が言う。

辺りを観察。

きっとハスターは、邪悪な奴に相応しい罠を仕掛けているはずだ。安易に壊すわけにはいかない。

「ごめんね。 少しだけ、我慢して」

辺りに小型の爆弾を仕掛けていく。

小型と言っても、火力は相当なものだ。というのも、魔術によって破壊力を強化している、フィールド探索用の特殊兵器だからだ。

レンズ爆縮で破壊力を更に増すように、考え抜いた配置にする。

弱体化しているとは言え、ハスターの配下には、下級に限れば、まだ異星の邪神もいるはずだ。あまりもたついてはいられない。

狙うは、ハスターがジョー率いる本隊と交戦に入った瞬間。

一度、要塞状の空間をでる。

この空間を破壊するのは、ハスターを倒すその時。

まだ、あの子達には苦しんでいてもらわなければならないと思うと、つらい。

飛来した式神を通じて、ジョーと連絡を取る。

「ジョー、戦況は」

「敵本隊と交戦中。 そちらは」

「これから支援に入る。 ハスターはいるかい」

「今、川背とスペランカーが対処中だが、戦況は良くないな。 俺が参戦しようと思っていた所だ。 そろそろ、そちらのB隊にも、異星の邪神が迫っているのでは無いのか」

おそらく、その通りだろう。

Sはホバースクータに跨がると、味方と合流すべく、急ぐ。

既に敵の中枢には、壊滅的な被害をもたらす火力の爆発物が、仕掛けられている。しかももたつくと、ハスターに気付かれるだろう。

怪物を見かけたので、撃ち落としておく。

無造作に死骸を踏みにじりながら、Sは味方の元へ急いだ。今回も、厳しい戦いになることは、避けられない。

既に、B隊には、怪物が無数に群がっていた。

味方は円陣を組んで、迎撃に当たっている。だが、何しろ数か数だ。それに一匹、もの凄いのが混じっている。

怪獣のような背丈の雪男だ。

あれは自分が倒す。

Sはそう決めると、迷彩をオンにして、音もなく敵の足下へ忍び寄っていった。

 

勝ちを確信しているのか、ハスターは大胆に迫ってくる。

奴が近づくほど、温度が下がっているのが分かった。既にスノーモービルに乗っている耐寒術式を展開している術者は、二人ともフル稼働のようだ。

マッドエックスは、エンジンを全開に、走る。

この車は、最初此処までの性能では無かった。

オフロードは走ることができたが、カンハルーの無人兵器には無力だったし、怪物に真正面から受け止められたことさえある。

後で分かったのだが、エンジンのパワーが露骨に足りなかったのだ。旧東側の技術で作られた、あまり質の良くないエンジンであったらしい。

だから、最初は自身のカスタマイズでは無く、車の強化を優先した。

最低限でも、カンハルーの怪物くらいは蹴散らせるように。

至近。

迫ってきた、クラゲのような怪物。アクセルを踏み込んで、一気に吹き飛ばす。フロントは強化硝子で、多少の衝撃どころか、ロケットランチャーでもびくともしない。

ドリフトしながら、犬のような怪物をひき殺す。

透明な怪物が、無数に群がってきたのが、何となく分かった。上空。サメのような生物が、無数の触手を伸ばしてきた。

だが、稲妻のようにかすめた影。

サメは体をくの字にへし折られ、文字通り吹き飛ぶ。

着地した川背が、ルアー付きゴム紐をふるって、また残像を残して消える。

速いなんてものじゃあ無い。以前見た時よりも、更に強くなっている。

「川背ちゃん、凄く強くなってるなあ」

「ンー、危なげが無いな。 それよりも、振り落とされるな」

「ねえ、マッドエックスさん」

急ブレーキをかける。

スペランカーは落ちない。急バックをして、後ろに回っていた大きなウミウシの様な怪物を引く。数十メートル引きずって、ガコンという音を聞いた。車の下に怪物が入って、轢殺されたのだ。

ジョーが至近で突撃銃をぶっ放しているのが見えた。この乱戦の中、突撃銃と手榴弾だけで渡り合っているのは、本当に凄まじい。辺りは身の丈大の怪物だらけで、動きも並の人間よりずっと早いのに、だ。

スペランカーは、落ちない。何度か死んでいるのかも知れないが、それでも落ちない。むしろ、止まった隙に、話しかけてくる。

見えた。三角形の車に見える敵。白い色をしたそれは、指揮戦闘車。中に人は乗っていないが、アレがいる限り、敵は組織的な行動を続ける。

戦慄するマッドエックスの目の前で、敵指揮戦闘車が消し飛ぶ。スノーモービルから放たれた小型ミサイルが、吹き飛ばしたのだ。

ほっとする暇も無く、スペランカーが話しかけてくる。

「生身に、戻りたいと思う?」

「ンー、そうだな。 できるなら、戻りたい」

人を止めたとき。

マッドエックスは、まだほんの子供だったのだ。お父さんとお母さんの事は、今でも思い出すと、胸が苦しくなる。

カンハルーに滅茶苦茶に蹂躙された子供達の恨みも分かるから、今はそれを心の糧にはしないと決めている。

「私には、何ができるか、分からないけれど」

前、敵が多数。

まるで盾を揃えたかのように、一斉に進撃してくる。巨大なダンゴムシのような怪物達だ。

ハスターはまだ遠く。

あれを突破しないと、少なくとも先には進めそうに無い。

射撃能力を持つフィールド探索者達が、大火力の術式で射すくめるが、多少隊列に穴が空いても、怪物達は気にもしない。

「力には、なりたい」

「そうか。 そう言ってくれるだけで、俺は嬉しいよ」

どうやら、使うときが来たようだ。

「ンー。 全力で、いく」

マッドエックスの能力。

全身からコードを延ばして、車と完全に一体化する。それだけではない。車の前に、特殊なシールドを展開する。

シールドというには、少し言葉がおかしいかも知れない。

「突破する。 穴を開けたら、俺に続いて欲しい!」

「先輩、こっちに」

川背が車の屋根に着地すると、スペランカーを抱えて離脱する。

それでいい。

まずは、穴を開けることだ。

敵の隊列に、突入する。空間ごと抉り去るこのシールドは、ある意味ドリルに近いかも知れない。

展開できる時間は、わずか十五秒。

だが。

時速百キロで突っ込んだマッドエックスが、その能力を発動し、一気に敵の陣列に突入した。

思い出す。

以前この能力を使ったのは、ステージ10での事。

重なり合う無数の脳みそを見て、全てを理解したマッドエックスは。咆哮を上げて、突入した。

全てを破壊し尽くして、その後。

空っぽになった。

結局復讐の連鎖は、破滅の炎を巻き起こしただけだった。断ち切らなければならなかったのだ。

無数の怪物が、空間ごとえぐり取られ、消えていく。

巨大な穴が、怪物共の陣列に空いた。突破。残り、三秒。ハスター。巨体が見える。真空を展開したらしい。だが、此方はサイボーグだ。そのまま、全速力で。

タイヤが、パンクして、スピンする。

けたけた笑うハスターが、触手を振り下ろしてきた。丸太のような太さ。巨木が、降って来たに等しい。

嗚呼、これで。

俺も、カンハルーの、悪夢の連鎖から、逃れることができる。

意識がかき消える中、マッドエックスは、思い出す。

自分の、昔の姿を。

花を持ってたたずむ、家族と一緒の姿を。

 

「総員突破ぁ!」

ジョーの声と共に、一斉に皆が攻勢に出た。

敵の動く盾のような隊列に巨大な穴が空いて、其処にスノーモービルを繰って突撃を開始する。

魔術が使える能力者は、手当たり次第に周囲に大威力の術式を撃ち込みはじめた。吹き飛ぶ怪物達。

ジョーは走りながら、式神と話している。

敵の隊列が、乱れるのが分かった。

ハスターが、怒りの雄叫びを上げた。無数の触手を唸らせ、部下までなぎ倒している。よほどのことがあったのだ。

「東西に派遣していた部下の邪神を倒されたな」

「あの役立たずどもが……!」

スペランカーの脳裏に、強烈な怒りの思念が叩き付けられる。

ハスターは恐らく、配下を東西から来ている部隊に叩き付けることで、壊滅させるつもりだったのだろう。

スペランカーとMしか、邪神が倒せる存在がいないと思っていたに違いない。だから、そうすることで全軍で一気にスペランカーのいる本隊をたたけると思っていたのだ。

違う。

この世界の人間達は、異星の邪神とさえ、渡り合ってきた。

西からも、東からも。勢いに乗った味方が迫っている。ジョーが叫ぶと、露骨にハスターの麾下の怪物達が、おびえの声を上げた。

触手が叩き付けられる。

だが、横から飛来したアリスが手をつくと、冗談のように拉げて、吹っ飛んだ。

アリスは手にも足にも包帯を巻いているが、闘志は衰えていない。至近、迫り来たエイのような怪物を紙一重でかわし、蹴りを叩き込む。

巨大なクレーター状の傷を作ったエイがバランスを崩し、地面に激突、土埃を巻き上げながらばらばらに引きちぎれた。

「重さは私の味方ですのよ……!」

「川背ちゃん、アリスちゃん!」

スペランカーが、ブラスターを構えた。

猛り狂うハスターは、全力でスペランカーを潰しに来る。それは恐らく、スペランカーのもつ海神の呪いを、真正面から叩き潰すという形で発揮してくるはずだ。

本当は、もっと姑息な手を使ってくるつもりだったのだろう。

だが、それが事前に潰されてしまった今。怒り狂ったハスターは、あまり多くの選択肢を持っていない。

此処からは。

壮絶な我慢比べだ。

「路を、作って。 ハスターさんは、私がどうにかする!」

「先輩、任せてください」

「全員、スペランカーを支援! 雑魚共を一匹たりとて近づけるな!」

「おおおーっ!」

ジョーの叫びに、皆が応えてくれる。

辺りは血みどろの阿鼻叫喚。

戦いを一刻でも早く終わらせるために。

「行くよ……! ハスターさん!」

「この貧弱で惰弱な生物が……! 四元神最強と謳われたこのハスターに、対等の勝負を挑むというか!」

無数の触手が、うなりを上げる。

それが魔術の詠唱だと気付いたときには、既に術式は発動していた。ダゴンでさえ、術式発動には数秒の時間を必要としたのに。

意識が、消し飛ぶ。

どうも打ち上げられて、地面に叩き付けられたらしいと、気付いた。全身を覆うあまりにも酷すぎる痛み。それを認識できるようになるまで、何百回、今の瞬間で死んで蘇生したのか。

辺りは巨大な氷のつららで覆われている。

血だらけの中、スペランカーは気付く。体が凍って動けないことに。

「貴様は、何十万という死を与えられても耐え抜いた。 アカシックレコードからの削除や、マイクロブラックホールへの投擲という、最大規模での暴力にも堪えた。 肉体では無く、精神が、だ」

記憶を覗かれたのだろうか。

少しずつ、体の機能が回復していく。だが、それがとても遅い。

恐らく、海神の呪い、そのものに干渉されている。実際ハスターの体の周囲に、カウンターで生じる黒い霧は見えていない。

「だが、億、兆、更にその万倍に達する死ならどうだ!」

周囲の時間が、ゆっくり流れていくのが分かった。

そうか、そういう手か。

スペランカーの周囲の空間、その時間そのものを操作し、徹底的なまでの蹂躙を加える。そして、心を破壊して、無力化する。

電撃、冷気、灼熱、切断、押し潰し、ねじ切り。

術式によるものだろう、あらゆる痛みが、間断なく襲ってくる。身動きさえできないスペランカーに。

視界さえ、完璧に封じられる。

爆発四散し、溶け、粉々にされ。

誰かが、ささやく。

お前の事は、昔から大嫌いだった。

父が言う。

どうだ、素晴らしいプレゼントだろう。お前がずっと苦しみ続けるのを見るのは、とても楽しいぞ。

母が言う。

お前は本当に楽でいい。

エサをやらなくていいんだから。

体が、大きく跳ねるのが分かった。

ハスターは、やはり他の神格とは違う。単純なダメージで勝負するのでは無く、此方の弱みを知った上で、精神を破壊しようとして来ている。

どうしてだろう。

激しい怒りがわいてきてもおかしいのに。

友だと思っていた人達が、皆嘲笑っている。けたけた。けたけた。醜く歪む、皆の顔。あらゆる侮辱が、体に加えられる。

全身を、無数の針で貫かれる。

焼かれる切られる皮を剥がれる。唾を吐きかけられ、肉を食いちぎられる。

心が、軋む。

だが、スペランカーは、目を開く。

見えてくる。視界が、ようやく定まりはじめる。さっきまでぐわんぐわん鳴っていた音が、外での戦闘音だと、わかりはじめる。

川背が見えた。

ハスターの触手の一本を、リュックをふるって勇敢に切断している。しかも、その後カウンターに叩き付けられた触手を、かわしてみせる。

それで、術式が、一瞬途切れたか。

「小生意気な蠅がっ!」

ハスターが、今度は川背に術式を定めたようだ。

だが。その頭上から、アリスが蹴りを叩き込む。彼女の能力は、重力子の操作だと聞いている。

通常で浴びる重力子の、どれだけの倍数が、今の瞬間に撃ち込まれたのだろう。

冗談のようなハスターの巨体が、一瞬、紙のようにへこんだ。

だが、瞬時に再生したハスターが、衝撃波を放つ。

アリスを抱えた川背が、地面に自分を叩き付けるようにして、それをかわした。ハスターは余裕綽々。

それに対して、今の機動だけで、川背は相当に消耗しているのが、一目で分かった。

「貴様……っ!」

ハスターが気付く。

後十メートル少しまで、近づいているスペランカーに。

ぱんと、体が破裂するのが分かった。空間を操作して、真空状態を造り出したのだろう。蘇生の度に、体が破裂する。ハスターは、体の周りに、真空の壁を造ったと見ていい。苦しい。

でも。

蘇生の、ほんの一瞬の度に。

ほんのわずかずつ、進む。

「何故だ……!」

ハスターの声に、わずかずつ、恐怖が混じりはじめる。

飛び退いたハスター。一気に巨体が、数十メートルの距離を稼ぐ。だが、その瞬間、川背がハスターの目玉に、全力でのドロップキックを叩き込んだ。以前ダゴンには手も足も出なかったと聞いている川背だが、わずかに怯んだハスターの目玉を、リュックをふるって抉り去る。

巨大な目玉が、冗談のように消え失せる。

だが、目玉があった位置に、巨大な口が今度は生じる。一瞬動きが止まった川背に、上下から牙が、プレス機のごとく迫る。

「拙い技だなァ! そんなとろくさい攻撃で、このハスターの体力を削り取れるものかよぉ!」

口調が、変わる。

つまり、ハスターはそれだけ動揺している、という事だ。

ハスターの体に、槍が真横から突き刺さる。

サヤの式神、大入道が投擲した槍だ。物理的な破壊で、口の動きを一瞬だけ止める。その瞬間、川背が食い合わされる歯から逃れる。

ハスターの周囲に、黒い霧が生じ始めた。

ダゴンや、アトラク=ナクアとの戦いの時に見た、海神の呪いの正体。ダメージのカウンター効果を現しているもの。

今までは、ハスターの絶大な力で押さえ込まれていたのだろう。だが、ついに闇が、見え始める。

「このくされアマがああああっ!」

地面をジグザグに走る川背に、四方八方から氷の刃が叩き付けられる。恐らく、真空による刃も、見えない中叩き付けられているはずだ。

だが、川背は、既に表情を無くしている。

文字通りの、無の境地。邪神の攻撃を、紙一重でかわし続けている。物理法則も、すでに川背の体を縛ってはいないようだった。

振るい上げられたリュックが、触手を両断。空間を抉って、触手ごと削り取ったのだ。

同時に、真横に回り込んでいたアリスが、全力でのドロップキックを、巨大なハスターの体に叩き込む。

ハスターの体が拉げる。

気付いただろうか。

ハスターは、自分が今、数メートル弾かれて。そして、スペランカーに近づいたことに。ブラスターを構えているスペランカーが、後十二メートルほどの距離にまで、近づいていることに。

動揺が、邪神に生じる。

だが、さすがは四元素神最強を自称するハスター。

「はあっ! てめーのそのおぞましい「鏡」以外で、俺を殺せると思うんじゃねーぞ、この腐れ雌犬がああああっ!」

既に蓄積ダメージが極限に達しているスペランカーは、全裸だ。

その体に、四方八方から、数十メートルはある氷塊が叩き付けられる。瞬時に、何十万回死んだか分からない。蘇生の度に、凄まじい痛みが走る。

心が、酷い軋みを挙げる。

見える。

どこか、遠くの光景のように。

ついに攻撃をかわしきれなくなった川背が、横殴りの一撃を浴びる。正確には掠る。それだけで、ついに芸術的な機動が狂い、吹っ飛ぶ。

アリスが衝撃を殺しながら、川背を受け止める。

だが、尻餅をついてしまう。

川背が肩を押さえて、苦痛の表情を浮かべている。滅多なことでは、悲鳴だって上げない子なのに。

アリスも、肩で息をついている。滝のように流れている汗は、彼女の優雅たらんとする信念を、嘲笑うかのようだ。

限界が、来たのだ。

笑いながら、ハスターが、とんでも無い破壊力の術式を準備しはじめる。瞬きの間に詠唱を完成させたハスターが、数十秒にも及ぶ詠唱をしているのだ。

「鬱陶しい蠅が! 無限の闇に幽閉されろ!」

心が、溶けかけているかのようだ。一体どれだけの痛みを感じさせられたのか。殺された回数は、ハスターが言うように、既に兆の位を越えているかも知れない。

触手が、高々と振るい上げられる。合計四本。その間に、胎動する光が生まれる。それは光で有りながら、漆黒の闇を孕んでいた。

ハスターの、恐らく切り札の術。川背とアリスが、危ない。

動け、体。

命じるが、精神の軋みが酷い。動こうとすると、全身が壊れるかのようだ。動こうとするだけで、何度も死ぬ。

ハスターは、スペランカーから注意をそらした。それは油断からでは、ない。スペランカーを、暴力的な死の嵐で、無効化したと判断したから、だろう。

その時。

ハスターの体に、大穴が空く。

地面に転がっていた、残骸。潰れた車から、上半身だけを出した、マッドエックス。

装甲服は壊れ、中身が覗いていた。皮膚さえ残っていない、むき出しの筋肉。飛び出した目。歯は金属製で、しかもダメージを受けたからか、血とも油ともつかないものが、滴っていた。

最後の力を、振り絞ってくれたのだ。

邪神の巨体が、揺らぐ。

更に、ハスターの顔面を、ジョーの放った銃弾が貫く。弾丸が抉った後は、直径二メートルもある大穴になっていた。恐らく、以前鳥の姿をした邪神との戦いで使ったものと、同じ弾。

ジョーは、式神に指示を出していた。遠くへの、通信だ。

「やってくれ、S」

地面が、揺れた。何処かで爆発が起きたのだ。

ハスターが、怒りの声を上げる。空間に、何かの致命的なダメージが入った、という事だろう。

もう言葉を聞き取ることさえできない。瞬時に体を再生したハスターが、触手を潰れかけたマッドエックスに振り下ろそうとする。

そして、気付いたのだろう。

歩み来る、全身から自分以上の怒りのオーラを放つ、巨体に。

「M……!」

全身の筋肉を隆々と盛り上がらせたその巨人は、満面の笑みを浮かべていた。目は煌々と光を放ち、全身からあふれ出ている強さの気配は、邪神さえ凌ぐと思わせるほどだ。

ジョーの事前の説明では、Mはまず囮になって、ハスターの力を封印に注がせる、という事だった。

それが出てきているという事は。

此処が、勝負所。

さっきの爆発が、多分このフィールドに致命打をあたえ、Mを解放したのだ。

即座に、ハスターが反撃に出る。無数の触手を蠢かせ、Mにとんでも無い威力の術式を放とうとする。

だが、音速以上だろうと思われる動きで間合いを詰めたMが、ハスターに拳を叩き込むと。

冗談のように、その体が四散する。

「びゅげああああっ!?」

「再生してみろ、そらあああっ!」

瞬時に再生したハスターに、拳のラッシュが叩き込まれる。拳の乱打は、それこそ数え切れないほどに。しかも一撃がそれぞれ凄まじい爆圧を伴っていて、地面が衝撃波のあおりを受けて削れていく。ハスターが、血みどろになりながら、咆哮した。再生しきれていない。

Mが、ハスターを蹴り挙げる。

マッハコーンを伴って高空に打ち上げられたハスターに中途で追いつくと、今度は蹴り下げる。

更に地面に先回りするM。

もはや、人間では無い次元の強さだ。妥協が無い怒りが、その力を燃え上がらせている。

両手を広げ、空に向けるM。その手の間に、太陽かと思えるほどの熱が、生まれる。

「アトミック……!」

「人間風情が、調子にのるなあああああああっ!」

ハスターが、無数の光の槍を降らせ来る。再生が追いつかないながらも、その辺りは最強を名乗るだけの意地と言うことか。

「ファイアーボール・キャノン!」

Mが、空に向けて、ちいさな太陽を放つ。太陽に向けて光の槍を降らせるハスターだが、その全てが効果を示さない。

直撃した。

ハスターの絶叫が轟き、凄まじい光が、辺りを覆い尽くした。

それでも死なず、炎を纏って隕石のように落ちてきたハスターは、気付いただろうか。

至近。

スペランカーが、自分にブラスターを向けていることを。

勿論、ブラスターの射程距離内。

しかも、外し得ない状態。

詰みだ。

「な、なな……! なぜ、貴様が、立っている! 立っていられる! 貴様の精神は、一体どうなっている!」

「私は、暴力には屈しないよ。 たとえそれが、どれだけ悲しい暴力でも」

恐らくハスターは、Mによる極限の暴力にさえ、耐え抜くだろう。

四元素神最強を名乗るほどの存在なのだ。単純な力でいえば、以前戦ったクトゥヴァより上に違いない。

それならば。

決め手となるのは、最初からスペランカーのブラスター。

そしてMは、嫌々を承知で、派手な陽動をすることを、受けたのだ。

絶叫するハスター。

Mの攻撃で受けたダメージに、今まで緩和していたスペランカーの海神の呪いが、一気に殺到したのだ。

後から後から沸いてくる黒い殺戮の霧が、最強を名乗る邪神を包み込み、体を溶かしていく。

「いてえーっ! いてええええええええっ!」

無様な悲鳴を上げる、巨体。触手が溶け、千切れ飛ぶ。

再生が追いついていない。スペランカーは全裸のまま、ブラスターの引き金に、指を掛ける。

「やっと、痛みを知ることが、できたんだね。 違う。 自覚、できたんだね」

「ふざけるなああっ! 俺は四元素神最強のハスター! 俺に勝ちうるものは、宇宙の中心に座する白痴か、その右腕たる門しかいない! 人間が、人間如きが、この俺に心を、感情を、語るかああああっ!」

触手を振り上げるハスター。

術式を使おうとしたのだろう。

だが、左右から。右から川背が全力でのドロップキックを叩き込み。左からはアリスがフルパワーでの重力子を、直接手から撃ち込んでいた。

一瞬、動きが止まる。

それで、充分だった。

「ごめんね、ハスターさん。 もっ早く、貴方の孤独に気付くべきだった」

「おのれおのれおのれ人間が! 調子にのるな! この俺が孤独だと! 完全に殺してやる! 兆回で駄目なら京回、京回でだめなら垓回殺してやる! 俺は屈しない! 俺だけが、俺だけが宇宙で……!」

「先輩!」

川背の声に頷くと、スペランカーは、ブラスターを撃つ。

意識が消える中、ハスターの断末魔が、空間を越えて届くのを感じた。

それは、孤独はもう嫌だと、いっているように聞こえた。

 

5、孤独の形

 

ハスターは、孤独な存在だった。

あまりにも強すぎて、それが故に暴力でしか自己表現ができなかった。誰も対等の者は存在せず、周囲はいつしかハスターを恐れへつらうものばかりになった。目上の存在も、ハスターには無関心だった。

だから、みんな蹂躙したかったのだ。

酷いダメージだった。

今までで一番長い眠りだったかも知れない。スペランカーは、ハスターによる殺戮を受けながら、その存在の孤独を感じ取っていた。

暴力でしか、自己表現ができない存在。

何だか、人に似ているなと、スペランカーは感じる。

愛情という言葉でしか、自分を保てない者。お金しか信じられない者。人間にだって、たくさんそう言う人はいる。

体を起こそうとして、失敗する。

病院のベッドだ。多分、国連軍と関係がある、かなり大きな病院だろう。

ナースコールを押すと、川背が最初に来た。彼女もびっこを引いている。あれだけの無理をしたのだ。当然だろう。

「先輩、おはようございます」

「川背ちゃん、今はいつ?」

告げられたのは、戦いから二週間後だった。

そうか、二週間も。体を起こしてもらいながら、スペランカーは聞く。

「マッドエックスさんは?」

「自分を心配してください、先輩」

「ううん、私は大丈夫だから」

ダメージは、確かに酷い。

だがスペランカーは死にたくても死ねないのだ。今回それがよりはっきり分かった。ハスターは、本気でスペランカーという存在を破壊しようとしただろう。実際、精神には大きなダメージを受けた。

だが、其処までだった。

心の傷も、回復すると思う。というのも、ハスターと戦っていたときに比べて、随分楽になったからだ。

むしろ、あの攻撃は、ハスターが如何に孤独かが分かって、痛々しかった。

「マッドエックスさんは、今集中治療室です。 サイボーグとしての改造に無理が出ていたそうで、人間としての部分を切り離して、再構成するとか」

「……上手く行くの?」

川背は、分からないとだけいった。

もし上手く行っても、更に人間の部分は減ることになるだろうとも、川背は言う。もとより、サイボーグの寿命は、現在ではさほど長くないのだという。

クローンの技術を使っても、欠損部分の修復は難しいだろうと聞いて、スペランカーは布団を握りしめた。

マッドエックスに聞いた、悲しいカンハルーの物語。

邪神が再生はしたかも知れない。

だが最初にそれを作り上げたのは、人間だ。

戦争に勝てばいい。生き残ればいい。自分だけが。

そう言う理屈で、どれだけの被害を出しても構わないと考えるのが、人間だ。それが、人間なのだ。

人間の相互理解なんて、どれだけできるのだろう。

わかり合える人もいる。

だが、全ての人々が、相互理解するなんて、絶対に不可能だ。

マッドエックスが無事に退院できたら、会いに行こう。

そう決める。

理解し合える人はいる。

理解し合えない人だっている。ならば、理解し合える人とは、せめて理解し合いたい。

そう、スペランカーは思った。

 

(終)