幻想郷の形無き妖怪

 

序、闇を司る者

 

幻想郷。

いにしえの時代のルールが未だに残る理想郷。

妖怪は人を襲い。

人は妖怪を恐れ。

そして勇気をふるって妖怪を退治する。

そんないにしえのルールが残る場所だからこそ、もはや逸話が失伝してしまった妖怪や。正体がまったく分からない妖怪も生きていく事が出来る。

古くから妖怪は正体が分からなければ分からない程恐ろしさを増し。

それが故に、敢えて正体を悟らせないようにする者もいたし。

正体が割れてしまえば容易く狩られてしまうのも古くからの基本則だった。

幻想郷には、対処法が分かっていても。

正体がよく分からない、専門家でも小首をかしげる妖怪が少なからず存在しているが。

その一人。

今、黒い球体が、ふよふよと浮きながら。慌てて逃げ出した人間を、追いかけ回していた。

人食いの妖怪として名を知られる者。

闇を操る妖怪。

ルーミアである。

人里でも非常に危険な妖怪として知られていて、見かけたら有無を言わず逃げろとさえ徹底されている。

人間達が住む人里では、危険な妖怪の知識を子供のうちから叩き込まれるが。

ルーミアはその中の一人。

とにかく絶対に勝てないから、すぐに逃げるように。

そう言われる。

夜に里の外に出て、行方不明になった人間は、ルーミアに食われたのでは無いかと言う噂も流れる。

ましてや「闇を操る」妖怪となれば。

その恐怖は、それこそ口にしなくてもすぐに分かるほどだろう。

文字通りこけつまろびつ逃げ出す人間。

だが、黒い球体は途中で木にぶつかり、そして静止。

静止したことに気付かず、人間は、真っ青なまま全速力で逃げていった。

ほどなく、黒い球体が消え。

中から、人間の金髪の幼い女の子のような姿をした妖怪が姿を見せる。

ローファーを履いてネクタイをした特徴的な姿。

そして髪の毛をリボンでまとめている。

これがルーミアの本当の姿である。

妖怪は正体が知られてしまうと、殆どの場合あっけなく退治されてしまうものなのだけれども。

ルーミアほどその法則が当てはまる者はいないだろう。

勿論今の追跡も、人間に威を示す。

つまる幻想郷の妖怪としての責務、つまり納税に等しい行為だっただけで。

本気で人間を食おうとは思っていなかったのだ。

遙か遠い昔。

今とルーミアが名前も姿が違った時代には、話は別だったが。

ルーミアも古い時代の事は、ある理由からほぼ覚えていない。

記憶がぼやけてしまっていて分からないのだ。

同じ理由に起因して、闇を操るという特性の割に、ルーミアは妖怪としてはさほど強くも無い。

良い例が今の追跡。

闇で自分を覆い、正体不明の存在として人間を怖れさせる事は出来るのだが。

闇で自分を覆っている間は、周囲もろくに見えない。

だから木と頭がごっつんこ、何てことまで起こしてしまう。

勿論普通の人間には知られないようにしているが。

一部の妖怪退治を生業にしている本物の専門家には。

ルーミアが大した強さをもたない事は知られてしまっていた。

「あいたたた。 酷い目にあったのだー」

ぼやくルーミア。

大きな音を聞きつけたか、様子を見に来た者がいる。

意思を持った自然現象である妖精であり。

その中でも、特に強い自我と力を持つ者。

氷を操る妖精、チルノである。

下手な妖怪よりも強いチルノは、既に妖精としての領域を踏み外しかけていて。

行動範囲も広く。

人里では出来るだけ近付かないように、という触れもでている。

無邪気な上に強い力を持っているのだから当たり前だ。そういう存在が一番危ないのだから。

「どうしたんだ、ルーミア」

「人間襲おうとしたら、失敗したのだー」

「あはは、頭にコブ出来てる」

「本当なのかー。 本当なのだー」

他人事のような会話だが。

ルーミアは妖怪。

肉体が破損しても、人間ほど深刻なダメージにはならない。妖怪にとって致命的なのは精神の破損で。

肉体が破損しても死なない妖怪も。

精神が破損すると死に到る。

というわけで、別に肉体のダメージは笑い飛ばせる程度のものなのだ。

無邪気な子供のような会話だが。

人間とはまったく別の存在だからなりたつ会話でもある。

ルーミアは頭をなでなでしながら、また浮き上がる。

「今日は人間も襲ったし、これまでにするのだー」

「あれ、どっかに遊びに行ったりしないの?」

「もう疲れたのだ」

「そっか。 あたいは湖の近くにいるから、遊ぶつもりだったらいつでも来てよ」

ルーミアは頷くと、ふよふよと闇に消えていく。

そして、自分の住処である、洞窟へと入ると。

其処で嘆息した。

闇が満ちている場所だと。

少しだけ、気分が落ち着く。

真っ昼間に外に出たり。

或いは人目につく場所だと。

まるで子供のような状態になるルーミアだが。

本当に闇が満ちていて、静寂があり。人間が入ってこないこういう場所だと、少しずつ本来の姿が鎌首をもたげる。

ただし、それをルーミアは良いとは想っていない。

今のルーミアは、何となく。いい加減に。適当に生きていける状態。それに満足している。いや、納得している。

昔のように、激しい闘争の中に身を置き。

人間を喰らい。

人間に殺され。

多くの涙が流れるのを見て。

それでも本能を止められず、殺し合いの中に身を置き続ける。そんな生活は、もうしたくなかった。

幻想郷は平和な場所だ。

闇が満ちている場所では、本来の精神が戻ってくる。

ある意味二重人格なのかも知れない。

昔から、ルーミアは、人間の妖怪退治屋の間では、リボンで本来の力を封じているのでは無いかと言う噂が流れていた。

里ではおおっぴらに口には出来ないが、闇という強力で分かり易い力を扱うにしては弱すぎる。

頭も不自然に悪い。

類例の力を使う妖怪もほとんどいない以上、ルーミアは闇を司る何らかの強大な妖怪の可能性がある。

それがこうも頭も力も弱いのには、何か理由があるのでは無いのか。

そう人間達が噂して、出来た話だ。

ルーミア自身もそれを知っていた。そしてそれは半分正しく半分間違っている。

リボンはただのリボン。「真の力を秘めている」、という事は本当だが。リボンとは関係無い。別に力を解放しても戦闘力は上がらず、人間を圧倒できるわけでもない。ルーミアの力の真価は、戦闘とは違う用途で発揮するものだ。

この住処のような、本来の自分が出せるところでは、それについて苦笑いすることも出来るが。

外に出ると、ルーミアは幼児退行も等しい状態になるから。

綺麗さっぱり昔の事も、悩みも何もかも忘れてしまう。

でもそれは、自分で選んだ道だ。後悔はしていない。

幼児の姿をしていても妖怪は妖怪。

それも古い妖怪となれば。

人を食ったこともあるし。

人を殺し。そして殺されもした。

幻想郷に入ってからは、人殺しも人食いも止めたが。

それが不満だという妖怪も見てきたし。

逆にそれでほっとしたという妖怪も見てきた。

外で馬鹿やっている時は殆ど何も考えないでいるけれど。

ルーミアは思考を放棄することで。

現実という枷から逃れ、ストレスを軽減するという生き方を選んだ。

そういうものだ。

ふと、側に気配。

幻想郷の賢者、つまり支配者階級妖怪である八雲紫だ。

此処は結界で固めていて、ルーミアしか認識も入る事も出来ないようにしているのだけれども。此奴くらいの規格外だと、結界ごとすり抜けて入ってくることが出来る。他にもわずかだけ、此処の存在と、ルーミアの本来の姿を知っている者がいる。

流石に紫ほどの桁外れの妖怪になると、「昔の」ルーミアでもとても勝てない。

外の世界の神々は更に桁外れだが、あれは比べる方がおかしい。

「「久しぶり」ね、ルーミア」

「こんな所に何の用だ、幻想郷の賢者。 此処には敢えて結界まで張って、生き物も人間も近づけず認識出来ないようにしている。 迷惑を掛けているつもりはないし、掛けるつもりもないが」

「ふふ、外にいる時とは本当に別物ねえ」

「そういう生き方を選んだ。 バカになることで楽になるという、な」

わざわざこんな所に来たと言うことは、昔話をしに来た訳でも無いだろう。

ルーミアと世間話をするほど、紫は暇では無い。

外で馬鹿みたいな笑顔を浮かべて飛んでいるときは考える事さえないが。

此処で本来の自分に戻っているときは、ある程度頭も働く。

紫は幻想郷での管理者として多忙な毎日を送っており。

しかもカミソリの上を渡るようなギリギリの判断も常日頃から強いられている。

そんな紫がここに来たのだ。

本来のルーミアに、用があるという事だ。

「地底にてちょっと問題が起きてね。 解決を頼みたいのだけれど」

「性格が悪いサトリの姉妹がいるだろう。 妹の方に至っては面白がって何でもやるんじゃないのか」

「あの二人には対応が難しい問題だから貴方に声を掛けたのよ」

「……分かった。 例の奴か。 すぐに取りかかる。 あれのつらさは私も良く知っているからな」

腰を上げる。

幼女のような姿だが。その動きはむしろ老人に近かったかも知れない。

それも、年を重ねすぎて弱った老人ではなく。

百戦を経て己の肉体を知り尽くした老人だ。そう、例えば円熟しきった剣豪のような。

紫に詳しい話を聞いてからルーミアは外に出る。

外に出ると、今までの人格は雲散霧消。

馬鹿みたいな笑顔を浮かべて、両手を拡げて、年相応に見える表情で飛ぶ。

何をするかは、ぼんやり覚えている。

地底に向かう。

そして、問題を解決する。

問題の内容も覚えている。

荒事といえば荒事だし。

そうでないといえばそうでもない。

闇というものを操れる妖怪だからこそ出来る事。

そして、馬鹿でいられるために、こなさなければならない事でもある。

そういえば。ルーミアは妖怪達から、馬鹿四人組の一人とか言われている。他の面子にはチルノも入っている。

だが、馬鹿であるのは、本当なのだろうか。

人間にしても妖怪にしても、自分より下の存在を設定して嗤い、満足するという傾向がある。

ルーミアは馬鹿にされることを受け入れた。

その意図を、他人に明かすつもりは無かった。

 

博麗の巫女の元に、八雲紫が姿を見せる。

幻想郷のトラブルを解決する存在である博麗の巫女は、紫と何かと関係が深い。

だから、当然顔見知りで。

古くからの知り合いでもあった。

「これからでるつもりだったんだけれど、何?」

「今回は必要ないわ」

「あの妖気、ちょっと尋常じゃ無いわよ。 私がでなくて本当に大丈夫なわけ?」

「平気よ。 あの子を行かせたから」

それだけで博麗の巫女は状況を悟り。

押し黙った。

博麗の巫女、博麗霊夢はルーミアの真実を知っている数少ない一人だ。

幻想郷の賢者と関係が深く。そしてバランスを司るものだから、という理由もあるのだけれども。

知っておかなければならない立場だからだ。

世の中には、自分というものを捨てたくなる存在もいる。

それは決して弱いからでもなく。

強すぎるからでもなく。

色々な理由がある。

闇の中に生きなければ、とても暮らしていけない存在はいるのだ。それは悪い事だとは限らない。

普段、何も考えずに敵対する相手を叩きのめしていれば良い博麗の巫女だからこそ、それは知っておかなければならない。

余計な事を考えず敵を叩き潰すためには。

世の中が単純な善悪で成り立っていないことを知っていなければならない。

そうでなければ、もしも現実を知ったとき。

いとも簡単に壊れてしまう。

潰れてしまう。

純粋な正義を信じる者ほど、現実を見た時簡単にねじ曲がってしまうものだ。

世の中は単純な仕組みで成り立ってなどいないし。

ましてやこの幻想郷は、とても脆いバランスの上にあるのだ。

紫はそれを知っているからこそ。

幼い頃から霊夢に妖怪に対する膨大な知識を授けたし。

霊夢も面倒くさがりながら、妖怪に対する知識をたっぷり取り込んだ。

怠け者で努力もしない霊夢が、妖怪に対して非常に博識なのは、それが理由である。

一方で、霊夢は外の世界については、知らないようでいて知っている。

人間についても、あながち無知では無いのだ。

ある意味博麗の巫女は、幻想郷を守る壁である博麗大結界を司るが故に。

外も中も知っていなければならない立場で。

何も考えずに問題を起こす存在の頭をかち割るためには。

むしろあらゆる事を知っていなければならない、という難しい立場でもあるのだ。

「まあいいわ。 それで対処できないようなら私が行くだけだし」

「しばらくは待機で。 それと、分かっていると思うけれど」

「それ以上は無用」

「そうね。 必要ないわね」

紫がその場から姿を消す。

博麗の巫女が嘆息しているのが、最後に紫からも見えたが。

あの娘も複雑だろう。

ルーミアという存在の真相を告げたときには、始め驚いて。そして色々な質問もされた。

まだあの頃の博麗の巫女は幼かったし、かわいげもあった。

今はどんな妖怪も、博麗の巫女が来ると聞くだけで震えあがり、土下座して許しを請うほどになったが。

そうなるまでには多くの積み重ねがあったのだ。

努力をまったくしない博麗の巫女だが、実戦経験も知識も豊富に積み上げている。

何もしないで強くなったわけでは無い。多くの血と汗にまみれて博麗の巫女が強くなったことだけは、疑いの無い事実なのである。

さて、後は地底で少し処置をする必要があるか。紫はそう判断する。

地底には、昔幻想郷で支配者階級を気取っていた鬼達が住んでいる。

その中には、紫を友人だと一方的に思っている(実際実力も相当に高い)者もいる。

地底の妖怪には好戦的な者も多く。

下手な横やりが入ると、問題の解決が遅れる可能性も高い。

幾つか手を打つことで。

その横やりを防ぐ。

他の賢者がもう少し働いてくれれば、紫がこんな面倒な事をしなくてもいいのだけれども。

どいつもこいつも働いてくれないのだから仕方が無い。

何名かの強豪妖怪にあって、話をつけておく。

今回の件は介入不要と。

不満そうにする者もいたが。

或いは利で。

或いは論で。

とくとくと説き伏せて、とにかく不介入を約束させた。

強力なのは一通り黙らせたので、後はもう大丈夫だろう。それに、一番の顔役が納得したので、それで他の荒くれ妖怪達も従った。

既にルーミアが問題の相手の所に向かっている。

任せてしまって、問題ない。

紫は、これ以上の介入は不要と判断。地底から、姿を消した。

 

1、メビウスの輪

 

ふよふよと浮きながら、ルーミアは地底への穴へ降りていく。

幻想郷から地底へ行く方法は幾つかあるが、今回ルーミアは妖怪の山にある、直通路を利用する事にした。

目的は覚えているが。

それ以外は雑念だらけでぼんやりである。

ただ、地底に近付くにつれ。

闇の力が濃くなってきているのも分かって、ルーミアはきゃっきゃっと黄色い声を上げて、ふよふよ揺れながら飛んだ。

住処にいる時と、外で自分が別物である事は。

ルーミアも外にいる時であってもうっすら自覚している。

そして本来の力は、絶対に外では「仕事以外で」使わない事も、自分に課している。

これは強烈な自己暗示によるものだが。

逆に言うと、自分が意図してバカになっていることを。

バカになっている状況でも、理解はしている。

ほどなく深い深い穴を抜け。空洞にでる。

強力な妖怪や。

地上から追放された妖怪がひしめく、幻想郷のスラム。「地底」に出たのだ。

此処には人間を喰らったり殺したりする本能を抑えきれずに、封印措置を施された妖怪や。

昔は妖怪の山を支配していた鬼達。

古い時代には地獄と呼ばれていた場所などがあり。

文字通りのカオスが形成されている。

支配しているのはサトリの妖怪姉妹だが。それもおおざっぱな支配であって、完全に管理は出来ていない。

幻想郷に逃げ込んで消滅を免れたはいいが。

窮屈なルールに耐えきれなくなった妖怪が逃げ込む場所としての側面もあるし。

古い時代の地獄に住んでいた妖怪達が、新しい住処としている受け皿としての側面もある。

勿論地上に対しては絶対に不干渉。

これを守れない場合には、地底の管理を任されているサトリの妖怪姉妹からきつい仕置きがあるし。

場合によってはもっと恐ろしい存在が動く。

幻想郷の賢者だったらまだ良い方で。

その気になれば幻想郷を単独で蹂躙できるような、もっと高位の存在が直接出向く場合もある。

スラムだからと言って何をしても許されるわけではない。スラムにも法はあるのだ。

「血の臭い、混沌の臭い、心地よいのだー」

満面の笑みで、雑多な妖怪達の住宅街の上を飛ぶルーミア。

目的地点は分かっている。

本来の状態ではなく、頭も極端に悪くなっているとは言え、それでも最低限の記憶はきっちり頭の中にある。

目指すは、地底の端。

たまに、妖怪が此方を見ているのを感じるが。

殆どは仕掛けてくる様子も無かった。

これは地底に行くたび毎回。ルーミアから大した力を感じないことが原因だろう。

だが、それでも仕掛けてくる妖怪もいる。

例えばつるべ落としの妖怪であるキスメ。

桶に入った女の子のような姿をしている妖怪だが。

非常に強烈な殺人衝動をもつ妖怪で、勿論人も食う。そればかりか、無差別に首狩りまでする。好戦性も凄まじく、見かけた相手には格上でも突っかかっていく。

そんな危険妖怪なので、幻想郷が出来て間もない頃に地底に封印処置された。

地底でも非常に好戦的な行動を隠さず。

手当たり次第に相手に襲いかかるため、ある意味鬼などの強力な妖怪よりも、注意しなければならない相手である。

だが今日はキスメの気配はない。何処かに出かけているのかも知れない。

ふよふよと浮かびながら、徐々に高度を落としていき。

ほどなく着地。

汚れきった路地。

見るからに好戦的な妖怪の数々。

そんな中、瓢箪をぶら下げ。大きな角を頭の左右に生やした人間の子供のような姿の妖怪が、酔っ払いながら此方に歩いて来た。

元山の四天王。伊吹萃香だ。

見かけはルーミアと同じくらいの年に見えるが、山を昔支配していた事から分かるように、最強の妖怪である鬼。

しかも外の世界では、最強の鬼として伝承に知られる酒呑童子の今の姿である。

流石に萃香に喧嘩を売る気にはならないのか、さっと妖怪達が引く。

笑みを浮かべているルーミアに、萃香は酔眼を向けた。

「よーお、久しぶりだな……と言いたいが、「そっち」じゃ無いか」

「萃香、この間会ったばかりなのだー」

「そうだったそうだった。 また「もう一人」と飲みたいもんだが、そうもいかないんだよなあ、うへへ」

「何のことなのだ−?」

何でも無い、というと。

萃香は視線だけで、集まって来ている妖怪達を追い払い。ついて来るように促す。

千鳥足で、強烈な酒の臭いをまき散らしているが。

これでも日本妖怪の中でもトップメジャーの一人。

幻想郷に居を移した今でも実力は衰えておらず。その身体能力は凄まじい。名と姿こそ変わったし、所詮人間に退治された鬼とは言え、その力は幻想郷屈指だ。

ただ、今はもう流石に人食いはしていない。

ある意味、萃香も同じようなものなのかも知れない。バカになることを選んだルーミアと。

「もう少し先だ。 ういっく、飲むか?」

「今日はお仕事だから、また後にするのだ」

「そうかそうか。 真面目なこったな。 私はもう山の管理がアホらしくなったし、真面目に働いている奴を見ると尊敬するよ」

「そうなのか?」

そうなんだよと、瓢箪を口につけて、ぐっと酒を呷る萃香。

鬼は凄まじい酒豪揃いだが。

幼い子供のように見えても、萃香はその長。

当然酒量は凄まじい。

文字通りのうわばみである。

蛇の妖怪、という意味では無い。底なしに酒を飲む、という意味でだ。

ほどなく、目的地に着く。

其処には、文字通りの悪夢があった。何をすれば良いかは、はっきり分かる。

「すぐにやるのだー!」

「そっか。 じゃあ、周囲には誰も近づけないようにしておくから、さっさとやってくれな」

「萃香は遊んでいかないのか−?」

「私は、遠慮しておく。 ……そいつとは、古い知り合いなんでな」

酔眼の中に、一瞬だけ苛烈な光が宿ったが。ルーミアもそれは気にしない。

そして、目の前のものを見上げる。

山のような無惨な存在感を放つ残骸。

とはいっても、言葉通りの意味では無い。

肉塊が蠢き、塊となって意味のない言葉を発し続けている。赤黒いその肉塊は所々脈打ち、血や膿が噴き出し。

そしてそこら中に人間やら動物やらの顔が浮かんでいて。

内臓やら手足やらも、無差別に生えていた。

小首をかしげたルーミアだが。

やがて満面の笑みで、その残骸に触る。

凄まじい妖気を発している、妖怪の成れの果てに。

膨大な思考が流れ込んでくる。

妖怪は本質的には、肉の体を持っていてもれっきとした精神生命体だ。

死ぬときも、体が壊れたときではなく。

心が壊れたとき。

だからこそ、その存在が失伝してしまった場合。おかしな方向にねじ曲がると、こういうもはや何が何だか分からないものへと変わり果ててしまう。

無邪気な笑みのまま、ルーミアは語りかける。

一緒にバカになるのだ。

考えすぎて苦しくなったり、形を無くしてしまうくらいなら。

バカになって、何も考えずに漂っている方が良いのだ。

それとも、そんな姿のまま、暴走した思考に浮かんでいる方がいいのか。そんな姿では、生きているとは言えないのだ。

じっくり丁寧に語りかけていくと。やがて肉塊は、収縮と蠕動を始め。徐々に、ヒトの形を取っていった。

数時間ほど、掛かっただろうか。

その肉塊は、いつの間にか。ルーミアと同じくらいの背丈の。子供の姿をした何かになっていた。

「あれー? ここどこー?」

「幻想郷の地底なのだー」

「げんそうきょう? ちてい?」

「……後は私が案内する。 しっかり知識がついて様子が落ち着いたら、幻想郷に行かせるよ。 こんな気の良さそうな奴が地底にいるのも何だしな」

萃香が来ていた。いつの間にか、酔いも冷めたようだった。

傍らには、鬼が何人かいる。

つまり、この何者かは、鬼か、或いはそれに近い存在だったのだろう。

ルーミアは、いつの間にか凄く疲れている事に気付いたけれど。いずれにしても、萃香はこの子の古い知り合いだと言っていた。

薄らぼんやりと分かる。

鬼の目にも涙。

萃香は結構本気で悲しんでいる。

嘘を萃香がつけないことも、ルーミアは知っていた。

だから、好きなように。

後は任せる事にする。バカになっていても、それくらいの配慮は出来る。

地底を去る。

今までとは打って変わって、無邪気な笑顔になった新しい妖怪が。

何も考えていない様子で、またねーと、ルーミアに手を振り続けていた。

 

疲れ果てているので、帰り道に友達としてよく遊んでいる妖怪に会っても。遊びは断って、そのまま帰った。

本当に疲れるとおなかも空かなくなる。

くいしんぼうな妖怪だと思われているルーミアだけれども。

実際には見た目相応の食欲で。

あまり大量の食事は必要としない。

それに隠れ家に必要な分の食事はいつも蓄えてある。

だからそれを食べて凌げば良い。

勿論蓄えてある食事は、人肉などでは無い。

疲れたときには甘いものが一番。子供舌なのではなくて、単純に疲れを取るための甘いものだ。

洞窟に戻ってくると。

ラムネの包み紙をほどいて、口に入れる。

しばらく黙々としていると。

紫が姿を見せた。

「お疲れ様。 あの子も解放されたようで何よりだわ」

「こんな救いしか私には出来ないから、そうしただけだ」

「それで良いのよ」

「……」

バカになる、か。

妖怪の中には、伝承すら消滅し、自分の正体が分からなくなってしまう者がいる。

幻想郷でもカバーしきれなくなった場合。

ああいう暴走状態に陥ってしまう。

思考の暴走は妖怪としては致命的なのだ。精神生命体である以上、肉体よりもむしろ精神が本体なのだから。

思考、何より精神が暴走すれば、肉体は当然のようにその影響を受ける。

人型を維持できなくなるとそれは完全な危険信号。

最終的にはさっきバカに生まれ変わった妖怪のように。肉塊になって、もはや何者ですらない存在へと化してしまう。

危険では無いが、そうなってしまうともう事実上終わりだ。記憶どころか、完全に存在がクラッシュしたも同然。ルーミアの手を介さないと元に戻ることもまず出来ない。

恐らく、古くもこういった事例はあった筈だ。

むしろ、妖怪への畏怖が徹底的に薄れた明治の頃。

幻想郷に博麗大結界が張られた頃には、逃げ込み損ねた妖怪が。

消滅したり、或いはあのような哀れな姿になって。

そのまま、専門の退治屋や神々に焼き払われていったのではあるまいか。

そんな哀れな状態になった妖怪を救うには。

幻想郷にたくさんいる、何だかよく分からない妖怪になってしまう事。

それしかない。

ルーミアの場合は、精神を単純化して、バカになる事を選んだ。そうしないと、そもそも形を保てなかったからだ。選んだと言うべきなのだろうか。偶然だったのだろうか。それさえも分からない。

古くに、ルーミアは。あの肉体暴走状態から、自力で立ち直った事がある。

その影響からか。闇の深い所と、そうではない所で、まるで人格が別物となってしまった。

ただし馬鹿になっている時でも。何となくそれについては覚えているし。

自分が助かった方法を、相手に伝えることは出来る。

だからこそに、幻想郷の賢者がわざわざ足を運びに来る程なのだ。

強い妖怪だろうが弱い妖怪だろうが関係無い。

これは妖怪にとっての癌のようなもので。

最悪の意味でのロジックエラーを起こしてしまうと、どんな妖怪でもなってしまう一種の病なのだ。

そして病を治すことには右に出る者がいない事で知られる永遠亭の月人さえも、これだけは対処不能。だからルーミアが出るしか無い。

「経験者」で、「唯一の生還者」だから、である。

「バカになる事が救いってのは、今も本当にそうなのか疑問に感じる。 だが、そうするしか救う道が無い。 何とかならないのか幻想郷の賢者」

「そもそも貴方が例外中の例外なのよ。 ああなってしまった妖怪は、本来はどうにもならない」

「……」

「外ではまともに話も出来ないけれど。 敢えて外では、難しい事を考えないようにして、自分のストレスを押さえ込むように貴方は進化……いや変化したのでしょう。 これからも、きっと同じような状態になる妖怪は出る筈だから、その時はよろしくね」

賢者は隙間に消える。

ルーミアは甘いチョコの菓子を口に入れる。外の世界で売られている高級品だ。紫はルーミアの仕事を考えて、こういうものを特別に仕入れてくれる。

チョコは実のところ大嫌いなのだけれど。

栄養価は高いし、何より甘く思考に優しいので。口にせざるを得ない。

後は、横になって眠るだけだ。

外で眠る事もあるが。

仕事をした後は、こうやって本来の自分で眠り。自分でバカにした妖怪の事を悼むようにしている。

彼処までの極端な変化は。

精神生命体である妖怪に対して、ある意味の死に等しい。

そしてルーミアが特例中の特例であり。

対処策を持っている事は、幻想郷でもごく一部の妖怪と人間しか知らない。

あの妖怪に対して毒舌をまき散らす稗田阿求ですら、これは幻想郷の賢者に知らされていないのだ。

それだけのトップシークレットだと言う事である。

そしてルーミアは外に出たときも。

フラフラ遊んで廻りながら。

「壊れそうになっている」妖怪がいないか、自主的に見張って回っている。

普段連んでいる仲間の中には。

昔、ルーミアがバカにした者も混じっている。

この姿になってから。

昔とは比較にならないほど力が衰えた。

だから、疲れに抗えない。

目がとても重くなってきたので、そのまま眠る事にする。

眠っているとき、無邪気な笑顔で眠れているだろうか。

多分外ではそうだろう。

だけれど、この中ではどうなのだろうか。

自分が眠っているとき、どんな様子かは、流石に分からない。

だけれども、きっとうなされているのでは無いだろうか。

昔は今に比べて力も強かったし。

何より「壊れた」時の悲しい記憶もしっかり残っている。

ルーミアはバカにならなければ、やっていけない。またきっと壊れてしまうだろう。

目が覚める。

案の定、目元には涙の跡があった。

乱暴に拭うと。

外に出る。

しばらくは、無心になって遊ぶだけだ。

いつも遊ぶ頭の悪い妖怪達が、ルーミアを見つけると手を振って来た。

手を振り返して、ルーミアは何の邪気も無い笑顔を浮かべる。

「みんな、お揃いなのだー」

「チルノちゃんがかき氷作るんだって」

「今の時期になのか?」

「今の時期だからいいんだよ」

大妖精と呼ばれる上位妖精に対し、胸を張って自慢げにするチルノ。

かき氷は大好きだ。

「ルーミアは今起きて来たところ?」

「そうだよ。 何だか凄く疲れて、ぐっすりだったのだー」

「あははー、あたいと違って悩みが無くてよさそう」

「チルノちゃん、昨日もぐっすりだったじゃない」

何だか一瞬ぞくりとする言葉が放たれた気がするが。

とにかく気にしないでおく。

良識的に見える大妖精が、時々チルノに異常な執着を見せるのは、ルーミアも知っていたし。

バカなりにその心の危険要素を避ける方法も分かっていた。

「それより、かき氷作るなら、すぐに作るのだー」

「おう、あたいに任せろ。 これをこうして……」

「やだチルノちゃん、そんなに凍らせて、全部食べるの?」

「食べきれない分は溶かせばいいんだ」

チルノは常識外の力を持つ氷の妖精だから、巨大な氷柱を作り出す事も出来る。

今チルノが簡単に作り出して見せたのも、そんな巨大な氷の塊だった。

前に比べて、チルノはとても力が強くなっている。

それもここ最近、特に力が増しているようだ。

これはチルノが「妖精」でいられ続ける日々も、近いうちに終わるかも知れない。

そして妖怪になった妖精は。

今までと勝手が違うため、壊れてしまう事がままある。

チルノが不幸なことにならない事を祈るしか無い。

ぼんやりと、そんな事がルーミアの頭の中を流れるけれども。

それも漠然と。

断片的に、だ。

外にいる時は、難しい事は、あまり考えられないのである。この体の構造的な問題で、である。

「かき氷の早食い競争しよう!」

「私は遠慮しとく。 ルーミアちゃんは?」

「私はかき氷大好きなのだー」

「それなら勝負だ!」

わいわいと、作りすぎたかき氷を片っ端から食べ始める。

無邪気な宴が続く。

だが、どんな無邪気な良い奴だって。いつまでもそうとは限らない。

子供は大人になり。

大人は老人になる。

妖怪でさえ不変の存在ではない。神々ですらいずれは滅びる。

この世に変わらないものなんてない。

ルーミアは目をふさぐことを選んだ。

もうこれ以上進まないことを願った。

それは思考を放棄することだった。

この何も考えない世界に逃げ込むことで、何とか己の存在をつなぎ止めることに成功した。

数少ない成功例なのだ。

チルノはやはり氷精。

どれだけかき氷を食べても平気だ。

きゃっきゃっと喜びながら、ルーミアは負けを認める。別に負けても悔しくない。チルノは強さにこだわるけれど、それは飢えた獣のような渇望では無くて、無邪気で相手に悪意を抱かせない。

別の遊びを大妖精が提案する。

楽しく享楽的な日々。

だけれども、こんな平穏な日がいつまでも続くはずは無い。

上位妖精である大妖精だって、いずれは妖精では無い、もっと高位の存在になるだろうし。その時は神になるか妖怪になるかは分からないが。いずれにしても今のままではいられない。

チルノは更にその時が近い。既にチルノの力は目に余るほど強すぎるのだ。チルノ自身が気付いていないだけで、もう致命的な変化は始まっているかも知れない。

そしてチルノのように本当に何も考えていない妖精は、妖怪になってから、悲惨な運命を辿ることが多い。

そうならないといいのだけれど。

心の何処かで。外のルーミア自身も自覚できないほど微弱に。そんな思考が流れ続けていた。

まるで、実例を知っているように。

ああ、違う。

実例を知っているから、何処かで哀しみを覚えているのだろう。

今日は、後は思い切り遊ぶことにする。

多分大妖精も気付いている。

チルノが近々不幸なことになるかも知れないことに。

此奴はそこそこ頭が回るから、自分に何か起きたときには、覚悟は出来ているだろう。或いは、チルノが何かあった時に備えて、色々準備を既にしているかも知れない。

ルーミアには見守る事しか出来ない。

外では、バカのままなのだから。

そして、無力であることも選んだのだ。その選択を、今更ねじ曲げるわけにもいかなかった。

夜までがっつり遊んで、それぞれ帰る事にする。

ふとルーミアは、涙が頬を伝っていることに気付いた。

うっすらとしか、その理由は分からなかった。

 

2、古い時代の事

 

ルーミアは古い時代、今とは違う名前を持っていた。勿論姿も違っていたが、そもそも日本の妖怪だった気がする。今のような洋風の姿ではありえなく、当然金髪でも無かった。

何という名前だったかは、忘れた。

正確には、どんな妖怪かさえ、自分でも分からない。

ただ分かっているのは。もはや忘れられた妖怪である事。

外の世界では覚えている人間はおらず。その妖怪について記した記録さえもない、と言う事だ。

記憶や知識は引き継がれていく、という話もあるが。

その一方でロストテクノロジーなんてものが生じるように。

引き継がれず、消滅していく記憶や技術も存在している。

ルーミアの存在もまんまそれだ。

しばらく外で過ごしていたからか。自分の住処に戻ってきたルーミアは、強烈なフラッシュバックに襲われ。頭を抱えて呻く。

外では凶悪な妖怪だった、のだろうか。

それとも夜の闇を代表する妖怪だったのだろうか。

よく分からないけれど。はっきりしているのは、人間には文句なしに怖れられていた、という事実だけだ。

それが嬉しい事なのかと言われると、もう分からない。

当時は人間の恐怖を思いのままに操って、好き勝手していたようにも思えるし。

逆に大物を気取って、でんと鎮座していたような気もする。

頭につけているリボンを思う。

これも、噂とは裏腹にただのリボン。お札になっていてルーミア自身には触れないが、これはそういう処置をして貰ったためだ。

忘れないようにするために。

人里の外で、たまたま仲良くなった人間の女の子に貰ったのだ。

だけれども、ルーミアは凶悪な妖怪とされているし。

何よりも唯一「壊れた」妖怪を助けられる、幻想郷の賢者にとっても大事な手札の一つでもある。

だからその女の子は時間を掛けて記憶を消された。いつの間にか、ルーミアを忘れた。

子供の頃、遊んでくれた誰かがいた。そんな優しい忘れ方をした。

ルーミアにこのリボンをくれた事も覚えていないだろう。

幻想郷の賢者にとって、一人の人間の記憶をいじる事など造作もないのだ。少なくとも、賢者は非人道的な方法ではそれをやらなかった。

幻想郷の外で同じ事をやったら、神々に殺されるだろうが。

少なくとも幻想郷の内部で、相対的な平和のために手を汚すことは、神々も許している。

そもそもルーミアの行為だって。一種の安楽死に等しい。

それが正しい事なのかは。今、本来の状態に戻っているルーミアにさえ分からなかった。

だからこそ、戒めのためにも。

いや、そんな難しい理由では無くて。

単純に、色々と悲しかったのかも知れない。ともかく、リボンは外せないように、事情を知っている先代の博麗の巫女に処置して貰ったのだ。

呼吸を整える。

ぐっと水を呷ると。横になって頭を抱える。

バカでいられる時はとことんバカでいるけれど。

やっぱり本来の状態には時々戻らなければいけないし。

そうなるとフラッシュバックが一気に来る。

何も考えずにいる状態が長いほど、このダメージが強烈で。力を使って疲弊した後だと、更に酷い。

幸い、二度目の「壊れた」状態に陥った事は無いけれど。

精神へのダメージは、妖怪にとっては致命的だ。

いずれこのままだと、ルーミアは死んでしまうかも知れない。

妖怪にとっては精神の死は、滅びを意味している。

肉体を損壊することを怖れない妖怪も、精神攻撃は怖れるのだが。それが理由だ。

ぼんやりとしながら、少しずつダメージを相殺していく。冷や汗が全身を流れているのが分かった。

気がつくと、側に博麗の巫女が座っていた。

此処を知っている、多分唯一の人間だ。

博麗大結界の管理者にて、幻想郷最強の武闘派の一人。人間としては間違いなく最強で、賢者達さえ一目置く者。

勿論博麗の巫女も、ルーミアの裏の仕事は知っている。本来の姿も。

「苦しそうね」

「ずっとバカやってられればいいのだが、そうもいかないからな」

「……紫が心配していたわよ。 だから差し入れ」

「すまない。 迷惑を掛ける」

何とか上半身を起こすと。

とびきり栄養価を高く仕上げてある、甘いだんごを口に入れる。

正直好みの味では無いけれど。こういうものを食べて少しでも頭の回転を円滑にしないと、それだけ疲弊も溜まる。

ルーミアが美味くも無いだんごを無理矢理飲み下すと、博麗の巫女は嘆息した。

「普段はバカみたいな顔して何の悩みも無さそうに笑ってるのに、此処にいるあんたは正直痛々しいわ」

「……そうだな。 私もそう思う」

「ルーミアの顔でそんな事を言われても困るわよ。 とはいっても、今のが本当のあんたなんでしょう」

「そうだ。 本当に全て何もかも捨てられたら、どんなに楽だかな」

ルーミアが処置してきた妖怪達は。

そうなった。

幻想郷には、得体が知れない人型の妖怪が結構いる。

一人一種族なんて言われている彼女らの中には。

かなりルーミアに処置された者が混じっている。

みんな頭が悪く。

だが一方で愛嬌はある。

可愛い子供が好きだったり。

子供のように遊ぶのが好きだったり。

そんな無邪気で害が無い彼女らの、元々の姿は、まったく別物だったりする。性別さえ違う事も珍しくない。元は屈強で寡黙な大男の妖怪だったりするケースさえある。

博麗の巫女は。

少なくとも今ルーミアの目の前にいる、今代の博麗霊夢は。

自我を無くして暴走状態になった妖怪を処理することはしていない。

それはルーミアが全部やってきた。

ルーミアは今までの所、仕事を頼まれたときには、一度も失敗していない。

今後逸話が失伝してしまった妖怪は恐らくもっと増えていく。

外の世界では、妖怪がまだ研究はされているようだけれども。

所詮はそれは「物語」「都市伝説」「民俗学」としてであって。

現役で妖怪が実在しているなんて、本気で信じている人間なんていない。少なくとも大人にはいない。

博麗の巫女が差し出したのは、普通の弁当だ。

がさつな彼女が作ったものではないだろう。

話を聞くと、人里で買ってきたという。

何処の店のかと聞いたが。博麗の巫女が黙っている事で、察した。

リボンをくれた子の店だ。

今は所帯を持って、子供もいると聞いている。ルーミアだけが知っていれば良い話を。紫が多分話したのだろう。

余計な事をと思ったが。

あの子は幼い頃から料理が得意だったっけ。

無言で食事を続ける。

美味しいけれど、とても悲しくもあった。

「無理矢理仕事のための食事ばっかりしていると体に悪いわよ。 きちんとしたものも食べなさいよ」

「悪食でしられるお前に言われると不思議な気分だ。 だが忠告には従っておく事にする」

「しゃべり方からして完全に別物ね。 はあ、色々調子が狂うわ。 あんた元は何の妖怪だったのよ」

「さあな。 中部地方にいたらしい、という話は聞いたことがあるが。 今は私自身にも分からないし、過去を知ろうとも思わん。 それに過去の私は確実に人食いだった。 お前とは相容れない」

霊夢は黙ったまま話を聞き。

そしてルーミアが食べ終えた弁当を返すと。

無言で受け取った。

流石にルーミアは人里には入れない。

過剰に恐ろしい噂を人里に流し。妖怪退治人以外に「弱い」事を明かさないように情報隠蔽までしているのだ。

そんな事情があるから、今更あの子に会うことは出来ないし。

この弁当の礼を言うことさえ出来なかった。

悔しいな。

洞窟の壁に背中を預けると、疲労の中茫洋とそう思う。

自分で選んだ道で、後悔はしていなくても。それで悲しくなることは時々ある。それはどうしようもない事実だ。

博麗の巫女は、仕事モードに入ると、本当に情けも容赦も無くなる反面。

たまに、相手の心情を察してくれることもある。

弱い妖怪にはとことん怖れられている仕置き人であり、処刑人でもあるけれど。

「普通の女の子」では無いにしても。

此奴に情が全く無いかというと、そうでもないのだ。

「美味かったよ。 本人には伝えられないから、お前に伝えておく」

「そう。 買ってきた甲斐があったわ」

「ありがとう」

「……どういたしまして」

ルーミアの住処を出ると。博麗の巫女は何処かに消える。

嘆息すると、ぼんやりと天井を見つめた。

蝙蝠や虫さえも此処を知らない。

ある意味幻想郷の闇の中の闇。

ルーミアが仕事をしなければならない日は、あまり多く無いが。それでも確実にあるから、紫はずっと同じようにルーミアに接し続けるだろう。

幻想郷も、いつまでこのまま続くか分からないが。

少なくとも、続いている間は、ルーミアは必要なのだ。

一眠りしてから、外に出る。

疲れも取れたし、バカになる方が体にも良い。

外に出ると、すっと何もかも悩みが晴れて。

無邪気な笑顔を浮かべて、両手を拡げたまま、空を飛ぶ。

外は夜だ。

人間を襲うわけでも無いので、周囲に闇の力は展開しない。まだ太陽もでていないことだし。

新月の夜には、例外的に闇の力を展開しないが。

その理由も、他の妖怪には告げていなかった。

というか、自分でも良く理由は分かっていなかった。

何となくだが。

新月の光は浴びても平気。

そうとしか思っていない。

他の光だって浴びているのに、不思議な話である。

或いは過去の正体についての手がかりなのかも知れないが。それについて、探るつもりはなかった。

誰か遊ぶ相手はいないだろうか。

そう思って飛んでいると、ふと目に入るのは、修練をしている長身の女性。赤い髪の、中華風の服を着た、すらりと均整が取れた体が目立つ。

幻想郷でも強い力を持つ吸血鬼姉妹が住まう紅魔館の門番。

紅美鈴である。

そういえば此処は紅魔館の門前だ。

美鈴はとにかく面倒見が良い優しい妖怪だが。格闘技に関しては非常に優れたものをもっている。

あまり門番としては優秀では無いが。

自分と同じように正体がよく分からない妖怪で。

出会うと遊んでくれるので。

ルーミアはバカになっている状態の時にも、美鈴は好きだった。

「カラテなのかー?」

「中華拳法ですよ。 正確には今やっているのは八極拳です」

「はっきょくけん?」

「そうです。 ルーミアさんもやってみますか?」

美鈴は紅魔館に来た人間に対しても、それほど高圧的に追い返したりしない。

門番としては無能とか言われている事を知っているが。

それは代わりがいなくて、ずっと門番の仕事をしているからで。うつらうつらと船を漕いでいる姿が目立つからだ。流石に四六時中門番をしていれば、体力だってもたない。

その性格を知っているからか。

人里から、腕試しに武芸者が来たり。

子供がたまに引率つきで美鈴に武芸を習いに来たりするが。

その全てに丁寧に接している様子だ。

流石にそうしているときに、ルーミアが混ざるわけにはいかないので、遠くから見ているだけだが。

美鈴もそれについては、多分事情を紫に聞かされているのだろう。

一度混じっては、と言われた事はあるけれど。

それだけだ。以降、同じ事を言われることは無かった。

月の下で、軽く拳法について習う。

美鈴は色々な拳法を習得している。人間よりもずっと長い年月を生きているのだから、覚えている拳法が多彩なのもまあ当然だろう。

近接戦闘用のもの。

相手が遠距離にいる時に、一気に間を詰めて倒すためのもの。

様々な拳法が存在していて。

武器と併用するものも多いと言う。

美鈴自身の能力は「気を操る」程度のものだという事だが。

むしろ拳法における発勁と呼ばれる技術が主体なのではなかろうか。

美鈴の指導は丁寧で。

ルーミアに、逐一細かく教えてくれる。

実戦仕込みの本格的な中華拳法で、実際に戦闘で使うときは激しい殺気を帯びるようだが。

教えるときの美鈴はとても穏やかで。むしろ優しすぎるくらいだった。

拳で相手を殺す事の意味を知っているから、かも知れない。

前に聞いたのだが。

基本的に他人にものを教えるには、自分が三倍は知らなければならないという話で。

拳法家として人に拳法を教える事は自分自身のためにもなるのだという。

だから単純にお人好しとして拳法を教えてくれるためだけでは無く。

紅魔館を守るためにも、拳法を他の人に気前よく教えるし、他流試合だって受ける。

そういう姿勢を保っているのだとか。

とはいっても、美鈴がいい奴なのは、何となくルーミアには分かっていたが。

「美鈴はとても真面目なのだ」

「いいえ、門番としてはポンコツとか言われて、返す言葉もありませんから。 ルーミアさん、其処はもうちょっと腰を落として、こうです」

「こうなのかー」

「そうですよ」

地面に足をつけて拳法をする機会は多分無いと思う。

実際問題、リーチが短すぎるし。

ルーミアは特に素早いわけでも無い。

背が低いから、素早くてパワーがあれば、拳法は有用かも知れないけれど。別に素早くも無いしパワーも無いから、拳法はルーミアには向いていない。

早い話、拳法で他の存在とやり合うには、悪条件が整いすぎているのだ。

普通の人間よりもフィジカルは強いかも知れないけれど。妖怪退治を本職にしている連中にはとてもかなわないし。

ましてや武闘派の妖怪に、にわか仕込みの拳法なんて通じるはずも無い。

だけれど、教えてくれる美鈴が兎に角楽しそうなので。

教えてくれるときはいつも素直に教わる。

ルーミア自身も楽しい。

今は頭が空っぽになっているから。

楽しい事はとても大事だった。

遊びの一環として、拳法を学ぶことが出来る。文字通り、頭を空っぽにして、である。

「そんなところです。 今日は其処までにしておきましょう」

「美鈴はそういえば、元々は何の妖怪なのだ?」

「さあ、何なんでしょうね。 私は紅魔館に中華で合流しましたが、その時にはもう妖怪でした。 彼方では文革という文化に対する悲しい出来事がありましてね。 きっとその時、私の話も失われてしまったのだと思います。 「私だけが覚えている拳法」も、結構あるんですよ」

「そうなのかー」

そうなんです。

そう、美鈴は少しだけ悲しそうに応えた。

或いは本当は知っているかも知れないが、話す事は出来ないのかも知れない。

それにしても、美鈴がいなくなれば、それらの失われた幻の拳法もなくなってしまうのか。

それは悲しい。

文化の死と言える。

もしも美鈴が、ルーミアが処置しなければならないような状態になってしまったら。その時に、確実にその拳法は失われてしまうだろう。

「弟子を取ったらどうなのだ?」

「私はこれでも人間にとっては表向き最も脅威度が高いとされている極悪妖怪である吸血鬼、レミリアお嬢様のしもべです。 お嬢様や妹様が実際にはもう人を殺していない事は関係無く、その事実に変わりはありません。 だから、余程の事が無い限り、弟子を取ったり、本格的な奥義の伝授をしたりする事はないでしょう」

「妖怪の弟子を取ることは出来ないのか−?」

「ふふ、評価してくれるのは嬉しいですが、私はどちらかと言えば幻想郷では弱い方の妖怪です。 徒手空拳を得意とする武闘派でも、私より強い方は幾らでも……人間や、元人間にさえいます。 敢えて私の弟子になりたいなんて妖怪はいませんよ」

確かに、美鈴以上の武闘派なんて、それこそ幻想郷には幾らでもいるし。

体を敢えて拳法で鍛えて強くなろうなんて妖怪もいない。

成長して大人になる妖怪だってしかり。

妖怪は年も取らず。

親もおらず子もいない。

希に人間との間に子供を作る事が出来る妖怪もいるらしいけれど。

それも、人間とは生きる時間が違うから、最終的には悲しい結末になるだけだと、何処かで聞いた事がある。

とりあえず、美鈴が死ぬ事はおそらく無いだろう。

少なくとも当面は。

だから、幻想郷にしかなくなってしまった拳法も。

今は忘れられる恐れはない、と言う事か。

拳法を一通り教わった後。

言われた通りに実演してみせる。

飲み込みが早いと、美鈴は褒めてくれた。少し嬉しい。

美鈴は褒めて伸ばすのがとても上手いのだなと、ルーミアは思った。

妖怪としてそれほど強くは無いかも知れないが。

強い妖怪が、ものを上手に教えられるわけでもないだろう。

何かしらの理由で美鈴がもっと力を伸ばせば。

或いは幻想郷の妖怪達の中から、美鈴の弟子になりたいと思う者が出てきたりして。

そして失われ掛けている拳法が。

失伝せず、伝えられていくのかも知れない。

拳法を一通りやった後。

後は軽く話す。

今日はチルノもいないし、他に親しくしている妖怪も見当たらない。

美鈴も退屈なのだろう。

嫌な顔一つせず、ルーミアとのおしゃべりに応じてくれた。

しばしして。

かなり空が明るくなってくる。

もう帰る、と腰を上げると。

一度だけ引き留められた。

「ルーミアさん」

「どうしたのだー?」

「何だか少し懐かしい感じがします。 ひょっとして、貴方中華由来の妖怪なのではありませんか?」

「分からないのだー」

美鈴はほろ苦い笑みを浮かべる。

自分でも良く正体が分からないのであれば。

美鈴も、或いは仲間が欲しいのかも知れない。

懐かしい感じか。

或いはひょっとしてだが。

昔の姿も名前も違った頃には。

美鈴と会ったことがあったのかもしれない。

だが、その時の記憶は無いし。

そうだったとしても、向こうももう分からないだろう。何しろ、面影さえないのだから。

洞窟に戻って、休もうとすると。

不意に紫が姿を見せる。

何かあったな。

バカから戻って、フラッシュバックが来たばかりだ。

少し疲労が溜まっているのだが。

仕方が無い。

「どうした幻想郷の賢者」

「少し急ぎの用事よ。 疲れている時に悪いけれど、すぐに出てくれるかしら」

「いつもの奴か」

「いいえ、違うわ」

目を細める。

だったら、ルーミアなんかに用は無いはずだ。今の馬鹿では無い状態であっても、別にルーミアはそれほど強いわけでも無いし。

武闘派なら博麗の巫女が。

頭脳労働なら他に仕事が出来る奴が幾らでもいるはず。

ルーミアにしか出来ない事は、殆ど無いと言って良い。

バカになるとき捨てたものは、色々と多いのだ。

その中には、古き妖怪だったときに持ち合わせていた、強い妖力だって含まれている。

移動しながら、説明するという。

そうなると、余程の事か。

賢者が開けた空間の裂け目、隙間に一緒に入る。

中には無数のがらくたが浮かんでいる空間があった。これが、隙間の中なのだろう。既に、バカに戻りつつあるルーミアに、紫は言う。

「貴方が以前友達になったあの子。 あの子の娘さんが行方不明になってね。 人里の外、よりにもよって魔法の森の近くで遊んでいたらしいのよ」

「!」

「多分貴方なら気配で追えると思うわ。 正確には貴方のリボンが気配を覚えている、でしょうけれど」

「分かったのだ」

隙間を空けて、外に出る。

もうかなり明るいし、人里の近くだ。

闇を纏う。

こうなると、周囲が見えなくなるので困るのだが。

ナビゲートをつけてくれるという。

声が聞こえた。

聞き覚えのある声だ。確か命蓮寺の信者になっている山彦、幽谷響子だったか。

命蓮寺は人間と非常に友好的に接している珍しい妖怪勢力で、人妖平等という思想を掲げ、人間の檀家もたくさんいる。人なつっこい響子も普通に人間の子供とも接している筈。

犬を思わせる耳や尻尾はあるけれど。それくらいは別に恐怖感を呼ばないはずだ。

戦闘では役に立たないかも知れないけれど、確かに人間を怖がらせない相方としては、丁度良いだろう。何より響子は山彦。最悪の場合は、大声で助けも呼べる。

「住職に言われて来たんだけれど、ルーミアちゃんと、迷子を探せば良いの?」

「そうよ。 ちょっと人間には入れない場所に迷い込んでしまったようだから、急いで頂戴。 成り立ての妖獣に襲われると面倒だわ」

「どうしてそんな事に」

「……あの家系はどうも血統的に厄につかれやすいらしくてね。 ルーミア、覚えがあるんじゃ無いの?」

ぼんやりとだが。

何となくバカになっている状態でも分かる。

脅かそうとしたあの子は。

最初きょとんとしていて。

そして逃げようとしてすっころび。

気絶した。

本当にルーミアが人を食うのなら、その時点で命は無かっただろう。だがルーミアは、まさか何も無いところですっころんで気絶するとも思わず。困り果てて、自分で介抱した。

相手はルーミアが無害なことを知って。

以降は友達だと認識された。

それは、悲しい友情の話だった。

何処か抜けたところがある子だなと思ってはいたのだけれど。紫に言われて、何となく思い当たる節がある。

きっとあれは偶然では無く。

古くは強大な厄を放っていたルーミアに、体質的に引き寄せられたのだろう。

向こうがもう覚えていなくても。

あの子の子供が死ぬのはあまり良い気分では無い。

指定された場所は、よりにもよって魔法の森。

それも、人間が普段は入る事が出来ない場所だ。

魔法の森に住んでいる物好きな人間や、元人間は何人かいるが。そんな者達でさえ近寄らない場所。

敢えて言うならば、闇が濃い所である。

「すぐに探すのだ」

「あ、待って」

響子をバディに指定したのは、多分子供が好きで、人なつっこくて。相手が警戒しないから、だろう。

ルーミアについては、人里で警戒し、怖れるように教育しているはずだ。

急がないと危ない。

魔法の森は、幻想郷における、屈指の危険地帯の一つなのだから。

 

3、闇宵

 

闇を纏ったまま、森の中を行く。

手をつないでいる響子は、少し怖がっているようだった。

此処は魔法の森の中でもかなり暗い。

しかも闇の気配が濃厚で、それに紛れて感覚も麻痺してしまう。

ルーミアは思い切って、纏っている闇を解除。

人に見られることはないだろうし。

何より、手探りで探している場合ではないからだ。

ルーミアを見たら逃げるかも知れないが。その時は何とかして追いかけて捕まえればいい。

「ルーミアちゃん、凄く暗いね此処……」

「闇が気持ちいいのだ」

「そうなんだ」

「……急ぐぞ」

口調が変わったことに気付いたのか。

響子はびくりと震えた後、頷く。

リボンが覚えている、か。

闇の中に入ったからか、意識がクリアになってくる。

気配が、よく分かる。

確かに、リボンに染み付いたあの子に似た気配がある。

人里には近づけないから、あの子が今どうしているかは知らない。所帯を持ったと言う事しか分からない。

もう既に相手は子供ではないし。向こうは此方を見ても分からない。

しかし、此方はあの子を見て一目で分かる確信はある。

遠くで獣が遠吠えをしている。

外で絶滅したニホンオオカミも、幻想郷には存在している。

妖怪の山の方に行くと、熊もいると聞いている。

いずれにしても、脅威は妖怪だけではない。

山の中、暗い森の中では、足を挫くだけで死に直結するし。

ましてやこんな闇の濃い場所、人間の子供なんて、一日ともたないだろう。

それにしても、紫が言うには、厄に引き寄せられると言う話だったが。

この森そのものに呼ばれたと言うことか。

だとしたら難儀な性質だ。

あの子が大人になって所帯を持っている事からも、血筋の人間が子供の頃だけに発現する性質なのかも知れないが。

それにしても、どうにかならないのだろうか。

気配が近づいて来ているのが分かる。

だが、別の気配も。

ずるずると音がした。

これは、多分いわゆる現象としての妖怪。

自我をもたず、一定のルールに従って人間に害を為すもの。

相手が妖怪であっても関係無い。

そんな迷惑な奴だ。

響子に振り返らないように言う。

正体は分からないが、多分振り返るとその瞬間襲ってくると見て良い。

こういうタイプの妖怪の場合、スペルカードルールでの戦闘に応じてくれることは無いだろう。そんな知性が存在しないのだ。

森を突き抜けて空に出れば戦えるかも知れないが。

そうなると、多分近くにいる子供が襲われる可能性が上がる。それも跳ね上がる。

それはどうにかして避けなければならない。

響子もルーミアがいつもと違う事は何となく察しているのだろう。頷くと、森の中を粛々と歩く。

ついてきている何かは、うめき声を上げながら、ルーミアの方を狙っているようだった。

別にかまわない。

妖怪は肉体が破損したって死なない。

ややこしいことになっているルーミアだってそれは変わりない。実際、今まで退治屋に何度か事故同然でやられたこともある。

此奴が危険な妖怪である事は間違いないと思うけれど。

だからといって、怖れる事はない。

負ける事には慣れているし。負けたってだから何だというのだ。

むしろ今は。昔、悲しい別れをしなければならなかった相手の子供を守る。

その方がよっぽど大事だ。

見つけた。

どうしてこんな所に迷い込んだのか。

いずれにしても、木の下に蹲っている。

出口の方向は分かる。

そして、追ってきている妖怪の注意は、ルーミアが惹かなければならないだろう。

「響子。 あの子の手を引いて、あっちに逃げろ」

「う、うん。 ルーミアちゃんは」

「彼奴の相手をする」

「わ、分かった。 気を付けて。 危なくなったら逃げて」

無言で手を離す。

響子が蹲っている子供を助け起こす。

子供は響子が分かるようで、わっと泣いて抱きついた。

母親に似ている。

そうか、そういえば確かに何というか。やはり気配が近い。リボンが教えてくれるというのも納得である。この気配を辿らなければ、見つけられなかった。濃い闇が満ちているし、博麗の巫女にも探すのは無理だっただろう。

そして背後の妖怪が、子供に興味を向けかけた瞬間。

ルーミアが振り返る。

瞬時に、本能に従った妖怪。

相手を追跡し。振り返ったら襲いかかる妖怪。名前は知らないが、博麗の巫女なら知っているかも知れない。

ともかく、闇の化身のようなそれが、ルーミアに襲いかかってきた。

「走れ! 振り返るな!」

ルーミアの叱咤と同時に響子が子供の手を引き、走る。

大丈夫、逃げ道の方に走っている。

魔法の森のこんな奥深くに入り込んでしまうような厄の持ち主だ。或いは、あの子が生き延びたことからして、幼い頃に一度だけ大厄を経験するような体質なのかも知れない。いずれにしても厄介極まりない。

凄まじいうめき声を上げながら、闇の塊のようなそれが飛びかかってくる。

「月符、ムーンライトレイ!」

ルーミアは闇の魔術を発動し、スペルカードルールに従ってぶつけるが、勿論乗ってくるわけがない。

巨大な軟体動物のようなそれは、触手を展開し、闇の魔術を弾き返すと。一気にルーミアを丸呑みにせんと躍りかかってくる。

勿論即座にやられてしまったら、次に狙われるのは響子と救助対象だ。

あの子の娘を、殺させるわけには行かない。

身を闇で包むと、かろうじて触手による猛攻をかわしつつ、相手の間合いギリギリに逃れる。

だが、本能で生きている奴ほど、むしろ厄介なのだ。何しろ相手を殺す事だけに全ての能力を全振りしているのだから。

闇の塊のような妖怪は、身を撓ませると。

凄まじいバネを生かして、躍りかかってきた。

まずい。避けようが無い。

かろうじて直撃は避けるが、擦っただけで吹っ飛ばされ。

木に叩き付けられて、そのままずり落ちる。

形が無いそれが、何か音を発する。

「い、ぐぶは、あ、おお、えええええええ」

「何を言っているか分からないな。 そういうバカになるのは同じバカでも感心しない」

「おげぶばあああああ!」

触手が伸び、かろうじて避けたルーミアをはじき飛ばす。擦っただけで吹っ飛ばされた。

受け身は取るが、そういえば美鈴に教わった奴だ。

いや、付け焼き刃にしては妙に動きが良い。

きっと、記憶の残滓。

それが、たまたま身を守った。

再び跳び上がると、追いすがるように飛びかかってくる正体不明の妖怪。

もうスペルカードルールでの戦いをするつもりはない。そのまま。高濃度に圧縮した闇を叩き込む。

一瞬の均衡。

それだけでかまわない。

飛び退き、相手が牙だらけの口で地面を抉るのを避けると。更に軟体動物のような闇色の背中に、攻撃を連続して叩き込む。

大した力は出せないけれど、相手を怒らせるには充分。

凄まじい雄叫びを上げながら、襲いかかってくる。

飛んで逃げる。

右、左、左、右。

木々を避けながら飛ぶ。

触手が何度か飛んできて、ルーミアの服を、靴を、傷つける。体も何度か抉る。鮮血も噴き出す。

肉体の破損は、後で服も含めて直せる。

だが、リボンだけは守りたい。

激しく木を傷つけながら、闇の塊が至近を直撃。衝撃波で吹っ飛ばされたルーミアは、腐葉土に叩き付けられ、バウンドして転がった。

口に入った土を吐き捨てながら立ち上がる。

「どうした、来い。 本能で動く事しか出来ない下等」

「げ、ぼえあ、お、あああおう」

もう少しだ。

だが、闇の濃い此処を抜けたら、もう勝ち目は無くなる。

一瞬で勝負を付けなければならない。

此奴は放置しておけない。

いずれ、また誰かが此処に迷い込んだとき。

必ず襲うだろう。

少なくとも、人間が退治できる状態にまでしないと。

ひゅうと風を切る音。

モロに触手が腹を直撃し、吹っ飛ばされたルーミアは木をへし折りながら吹っ飛び、岩に叩き付けられる。

顔を上げると。

嫌にスローに、牙だらけの口が迫ってくるのが見える。

肉体が壊れるのはどうでもいい。

このリボンだけは。

絶対に守らないと。

フルパワーで闇を集めて、相手を押し返す。

だが、明らかに相手の方が強い。

はじき飛ばされて、また地面に叩き付けられた。

もう感覚がかなり無くなってきている。触手を蠢かせながら、とどめを刺しに来る軟体妖怪。

だが、にやりと、ルーミアは口の端をつり上げていた。

貰った。

そのまま身に闇を纏うと、一気に後退。

最後の力だ。

当然相手は追ってくる。

そして、森を飛び出し、日光の真下に出ていた。

既に朝になっていたのだ。

モロに日光を浴びて、絶叫する追跡者。

同時に、追跡者の頭上から、強烈な一撃が叩き込まれる。

一撃は拳。

猛禽のように頭上から襲いかかった博麗の巫女が、拳を叩き込んだのだ。

呼吸を整えながら、ふらふらとルーミアは逃げる。

後ろでは、博麗の巫女主催の素手による妖怪解体ショーが行われているが、そんなものにかまっている余裕は無い。

博麗の巫女はあの手の妖怪には容赦しない。普段も獰猛だが、いつも以上に徹底的に潰すだろう。

多分封印処置までしてしまう筈だ。

悲鳴が聞こえる。

素手で博麗の巫女が妖怪を解体しているのが、見なくても分かった。だが、同情はしない。同じ闇の妖怪でもだ。

自分で触れないリボンだが。何とか守り切れた事は分かった。

後は、自分の住処に戻って、回復を。

そう思った瞬間だった。

体を背中から何かが貫いた。

纏っていた闇がかき消える。

どうやら最後のあがきで、あの妖怪が、自分の体の一部を錐のようにして。射出したらしかった。

「しまった! このっ!」

博麗の巫女が、薄れ行く視界の中で、妖怪をズタズタに引きちぎっているのが見える。あれは流石にやり過ぎに思えるが、仕方が無い。凶悪な危険妖怪なのだから。

あの妖怪は封印処置をされ、地底に閉じ込められ、二度と幻想郷に現れる事は出来ない。

リボンは守った。友達だった相手の子供も守った。それでいい。

それよりも、一番どうでも良いことだが、自分はどうなったのだろう。

おなかがあつい。

最初に思ったのは、それだった。

ルーミアは、自分の体を錐か槍のようなものが貫き。串刺しにされて、地面に転がっているのを悟った。

重要臓器の幾つかがやられている。

ああ、これは致命傷だ。そう冷静に分析できた。

肉体が死ぬ。精神は、多分大丈夫だろう。

だけれども、何だかむしろ暖かい気分だ。

血を吐き戻すが、気分は悪くない。

死んだ後、リボンはついてきてくれるだろうか。外れてしまうといやだな。そんな事を考える。

血だまりが拡がっていく中。博麗の巫女が覗き込んでいるのが分かった。

「しっかりしなさい、バカ! 気を強くもって!」

「何を慌てているのだ……妖怪は肉体が滅びても死なないのだ……」

「これは物理的な攻撃だけじゃ無い! 強烈な精神攻撃……高濃度の呪いも含んでいるわ! あんたこのままじゃ精神も死ぬわよ! すぐに永遠亭に……!」

「……」

もう何も聞こえない。

リボンは守れたかな。あの子の思い出は。

もう何もかも忘れるのは嫌だな。それだけ、ルーミアは考え続けていた。

 

これは誰だろう。

形が無い妖怪がいた。

夜闇の世界を這い回り。そして見つけた人間を襲う。

幻想郷ではない。外の世界だ。相手は抵抗してくる。普通の人間ではない。妖怪退治屋だ。

妖怪退治屋みなが強いわけでは無いが。それでも、根本的に妖怪は人間には勝てない。

幻想郷の人里には例外を除いてあまり強い退治屋はいないが。昔の外の世界には、それこそ幻想郷の賢者でも勝てそうに無い退治屋がゴロゴロいたのだ。

そして、激しい光の術を浴びて、自分が焼き切られた。

妖怪は負けるものなのだ。分かっている。そうでなければ、外の世界は妖怪が支配していただろう。

人間が世界を支配している。

それが、全てを物語っているとも言えた。

目が覚める。

あれは、自分だった。

形が無いのは、多分自分でももう形を覚えていないから。記憶が混乱しているのだ。

いや、多分撃ち込まれた高濃度の呪いが。

自分の記憶に入り込んで、あんな不純物を見せていたのだろう。

別にどうでもいい。

目が覚めると同時に、意識が切り替わる。

バカになったのが分かった。

そして、バカでも分かる。

此処は永遠亭。

幻想郷に住む月の賢者の住処。

本来なら神々として月にいる筈の者達が住まう、幻想郷における中立勢力。

そして賢者に相応しい医療技術を駆使し。

人間も妖怪も治してくれる場所だ。

月の技術は外の世界の人間とは比べものにならないほど進んでいる、とか聞いた事がある。

具体的にどう進んでいるのかは分からないが。

周囲には見た事がないものばかりで。

興味をそそられる。

起きようとしたが。側でルーミアを看病していた人間の女の子に兎の耳を生やしたような姿をした玉兎、鈴仙に止められる。

というか、そうされずとも気付いた。

まだ動ける状態じゃ無い。

慌てた様子の玉兎は、わたわたした後ナースコールとかいうボタンを押して。

しずしずと永遠亭の主である。

八意永琳が姿を見せる。

長身の落ち着いた雰囲気の女性だが。

幻想郷の誰よりも。そう賢者達よりも年長で。

その実力に関しても、幻想郷随一と噂されている。ただ、普段は名目上の永遠亭の主である蓬莱山輝夜にあわせて、力を抑えているそうだが。

「何か食べたい……」

「優曇華。 栄養食を」

「はい」

ぱたぱたと、鈴仙が部屋から出て行く。鈴仙は長い名前の持ち主で、優曇華というのは名前の一部だ。

永琳は咳払いすると。

ルーミアが一週間寝ていたことを教えてくれた。

「貴方は同族からの呪いを受けたのです。 裏切りものだと思われたのでしょう」

「裏切り者……?」

「本来の貴方についても少し調べました。 此処で敢えて言う事はありませんが、本来の貴方は、森で貴方が時間稼ぎのために戦った闇の妖怪の同類が、たまたま知恵を得た存在だったようですね」

「よくわからないのだー」

力が出ない。

リボンはあるようで。

それだけは安心した。

順番に永琳が説明してくれる。

突き刺さった呪いの槍を抜き。

そして呪いを除去して。

肉体も回復させた。

その過程で、かなり無理をして。ルーミアは何度か、形状を保てなくなりそうになった。

だがどうにか永琳のもつ技術を総動員して、現在の状況に戻したのだという。

バカになっている状態だと、それくらいしか理解出来なかった。詳しい専門用語などは分からなかった。

いずれにしても、助けて貰った事は確かだ。

鈴仙が、美味しくなさそうなスープをもってきた。

そのまま食べさせて貰うが。

はっきりいって美味しくない。

顔をしかめるが。

栄養がたっぷりだから我慢しろと言われて、そうすることにする。永琳には何度か世話になったが。今回も世話になってしまった。

永遠亭が外と交流するようになってから。

世話になっている妖怪は多いのだ。

「お金はどうする。 あんまり今は手持ちがないのだ」

「お金なら、幻想郷の賢者が払ってくれましたよ」

「……」

「今は体を治すことに専念なさい。 それと、博麗の巫女にも、貴方が一命を取り留めたことは伝えておきます」

永琳が部屋を出る。

治療しなければならない他の患者や。

調剤をしなければならないのだろう。

代わりに鈴仙が来て。幾つか話をしてくれる。

人里で、魔法の森の危険性が改めて喧伝されて、絶対に近付かないようにと厳命が出たこと。

魔法の森に潜んでいた、恐らく幻想郷が出来る前からいた妖怪が、博麗の巫女に退治され、地底に封印されたこと。

魔法の森に住んでいる物好きな有志達によって掃討作戦が行われ、度を超して有害な妖怪が数名地底送りにされた事。

何故か鈴仙もそれに参加させられ。

散々怖い目にあった事。

「もう、酷い目にあいましたよ。 お師匠様も、か弱い乙女に酷い事をさせるものです」

「鈴仙はか弱いのかー」

「それはもう」

「そうは思えないのだ」

むっとする鈴仙だが。

この子は強い。

単に勇気を出せないだけだ。

多分万全の状態でも、ルーミアでは勝てないだろう。少なくとも、そのくらいの力は感じる。

上手く行かないものだ。

力を捨て。

知恵も捨てたルーミアのような者もいると思えば。

力があるのに、それをきちんと活用できず、憶病で弱いと自分で思い込んでいる者。

知恵をしっかり活用して、多くの人々を助けることが出来る者がいると思えば。

知恵を捨てる事で。

自分の存在をやっと保つ事に成功した者。

世の中は不条理に満ちている。

ルーミアと鈴仙は真逆のような関係だ。

でも、鈴仙はそれに気付いてもいないのだろう。ただ、ルーミアに、如何にいつも酷い目にあっているか、ぶちぶち愚痴をこぼすのだった。

美味しくない栄養食と。

もっと美味しくないお薬を貰って、更に一週間後には退院することが出来た。

永遠亭がある迷いの竹林から外に案内して貰って、後は自分で行く。

案内をしてくれた人里の自警団員、藤原妹紅が、闇を纏ったままのルーミアに教えてくれる。彼女はルーミアが弱い事を知っている。それに無意味に恐ろしい設定が付与されて人里で近寄らないように周知されている事も。

ただし、その理由までは知らない。

多分最近まで、人里に近寄ることがなかったから、なのだろう。

なお不死の存在であるらしく。

その上妖怪退治をずっと続けて来たことから戦闘力も非常に高く、博麗の巫女ほどではないが相当な使い手であるとルーミアも聞いていた。

妹紅が、顛末について話してくれる。

救助対象はそもそも、外で遊んでいる所を、何かの声に呼ばれるように魔法の森に入ってしまったこと。

我に返ったときには自力脱出が不可能な状態だったこと。

魔法の森でも特に危険で闇の力が濃く、探索が難しい場所で遭難したこと。

脱出後、金髪のお姉さんが助けてくれたと証言していた事。

「お前だな」

「確かそうだったのだ。 それくらいしか分からないのだ」

「お前が実際には人間なんか食ってないし、無害なことは分かっているから別にかまわない。 むしろ言葉が通じないような凶悪妖怪から命がけで里の人間を助けてくれて感謝する」

「どじを踏んだだけなのだ。 むしろ、死ぬようなドジを踏んだのが悪いのだ」

そうか、と妹紅が呟く。

何かしらの理由を悟ったのかも知れない。

竹林を出ると、後はそのまままっすぐ住処に帰る。

人里をちらりと見る。

救助対象。

あの子の娘は助かった。

命蓮寺関係者の響子がきっちり人里に送り届けただろうし。

それに本人も懲りただろう。

今後は人里から離れた場所で遊ぼうなんて思う事はない筈だ。

子供の頃は好奇心が何にも勝って。

どんな無茶苦茶でもしてしまうことがある。

時にはそれが貴重な経験をもたらしてくれる事もあるのだけれども。だいたいの場合、その先に待っているのは死だ。

自分の住処に戻ると。

ようやく本来の自分に戻れる。

意識を失っていたからだろうか。

フラッシュバックのダメージは思ったより小さかった。

ふうと嘆息すると。

膝を抱えて座り込む。

ぼんやりしていると、紫が来た。

「退院おめでとう。 こんな時くらいは、好物をもってきたわよ」

「助かる」

ルーミアは洋菓子の類は実はあまり好きでは無く。

和菓子。それも羊羹が好物だ。

バカになっている時はあまりにもまずいもの以外は喜んで何でも食べるのだが。

今は違う。

無言で羊羹を口にするルーミアに。

紫は言う。

「今回は助かったわ。 幻想郷で制御外の問題が起こると外の神々が五月蠅いから、本当に色々と大変なのよ」

「分かっている。 私も覚えてはいないが、神々には何度も退治された気がする」

「ふふ、月面戦争にも参加したのにね」

「そうなのか……そうかも知れないな」

紫が全盛期の妖怪を引き連れて、月に攻めこんだ事があるとは聞いている。

覚えていないから、多分昔の、本来の名前と姿のルーミアが。無謀な作戦に参加して、コテンパンにされて敗走したのだろう。

「ありがとう。 病院食のまずさには辟易していた所だった」

「しばらくは、恐らく仕事は無いわ。 ゆっくり休んで頂戴」

「そうか。 じゃあバカのまま、外で遊んでいるとするさ」

「……そうね」

隙間に消える紫。

ルーミアは幻想郷でさえ、その姿を保てなかった妖怪に、第二の生を促す者。

だから人間が近付かないように徹底的に恐ろしい噂を流し。

弱いと言う事も隠蔽する。

幻想郷の仕組みは複雑で。

その仕組みの一端である事も受け入れている。

バカになったこと、力を失ったことに関しては、後悔もしていない。

他の形を失った妖怪をバカにした、その後の追跡調査もしていない。

或いはそういった妖怪達も、時々素に戻って苦しんでいるのだろうか。

だとしたら、それはルーミアのせいでもある。

悲しい話だが、それも出来る限界の外だ。

しばらく無心に眠る。

やはり生まれ変わったからか。

もう、昔の事はどうやっても思い出せない。

夢に見ることも無い。

だが、リボンを守れて良かったと想っていると言う事は。

少なくとも今のルーミアは。

人間を思うままに喰らい。

そして人間から敵として認識され、容赦なく殺し返される存在ではなくなった。

そう考えても、良いのかも知れなかった。

 

4、お仕事の後に

 

久しぶりに「仕事」が来た。

今回もまた地底。

ただ、今回は大物妖怪の知り合いでも成れの果てでもなく。地方の伝承が散逸してしまった妖怪だった。

肉塊となって呻いているそれにさわり。

ゆっくり時間を掛けてバカになるように促して行く。

ほどなく、やはり人の姿になった妖怪は。

ぱちくりとルーミアを見た後。

無邪気に笑って、手をさしのべて来た。

「此方で引き取ります」

地底を管理している(管理態勢はゆるゆるだが)サトリの姉妹の姉、古明地さとりが妖怪の手を引き、つれていく。

幻想郷のルールを教えた後。

地上に放つのだろう。

ルーミアは疲労を感じながら地上に戻ると。

新月の夜だった。

この暦の時だけは、ルーミアはとても相性が良いのか。闇を纏わずにも、外で疲弊せず。むしろ力がみなぎるのを感じる。

そうか、今日は新月だったか。

気持ちよく飛んでいると、チルノとばったり。向こうは遊んでいる最中だったようで、声を掛けてきた。

「ルーミア、良い所に! でっかい雪だるま作ってるんだけれど、一緒にやらないか?」

「かまわないのだー」

消耗しているけれど、新月なら大丈夫だろう。

チルノに連れて行かれた先では、妖精何体かとチルノが、一緒になっておっきな雪だるまを作っていた。

此処は妖怪の山の麓だけれども。

大丈夫なのだろうか。

妖怪の山は、色々な勢力がしのぎを削る魔境だと聞いているのだけれども。

案の定、すぐに何か飛んでくる。

天狗だったら逃げ散るしか無かったけれど。

幸いにも天狗では無かった。

「何をやっているんですか、貴方たち」

「あっ、緑の巫女!」

「早苗です」

「緑の巫女、見てみて! あたいでっかい雪だるまつくったんだ!」

話を聞いていないチルノに、笑顔を引きつらせる早苗。

今は初秋だ。

確かに涼しくなってきてはいるが、元気に巨大雪だるまを作る氷精の元気さというか馬鹿さというか、それに呆れてもいるのだろう。

「それで、この雪だるまをどうするつもりですか?」

「えっ? ……考えてない」

「勢いで作るのはかまいませんが、後片付けはきちんとするように。 雪だるまをこのまま放置したら、この辺りはグシャグシャになってしまいますよ。 遊びは片付けまでして、始めて遊びになるんです」

「分かったよもう」

口を尖らせるチルノ。

ルーミアは無言で雪を固めていたが。

ふと気付く。

雪だるまに、リボンをいつのまにか取り付けていた。

勿論自分のリボンは外せない。

その辺に落ちていた木くずを使って。

それっぽくしたのだ。

早苗はそれに気付いた。

「あら、ルーミアさん。 おしゃれをさせてあげているんですね」

「分かるのかー? 早苗もお年頃なのだー」

「ふふ、そうですね。 でも、後片付けはきちんとしてください」

「わかったのだー」

しばらく雪だるまをああでもないこうでもないと作っていたら。

何か良く分からないものに仕上がってしまった。

みなでひとしきり笑った後。

早苗に言われたように、きちんと片付ける。

雪だるまをみんなで近くの湖に運んで、其処にドボン。

まだ初秋だ。

水は充分に温い。

大きな雪だるまだったけれど、水に入れられてしまうとひとたまりも無い。すぐに溶けて消えていった。

「あー楽しかった! あたい次は何をして遊ぼうかな」

「私はもう帰るのだ」

「あれ、そういえばルーミア、地底から出てきてたよな。 あんな危ない所で何してたんだ?」

「秘密ー」

笑顔で妖精達に手を振って、その場を後にする。

雪だるまのリボン代わりにした木くずは、何となく持ち帰った。

住処につくと、紫が事前においていったチョコを口にする。

何度か深呼吸する。

フラッシュバックのダメージが、あの時。

死にかけたときから、少しずつ重くなっている。

何事も不変のものは無いとは分かっている。

今日は新月だったから多少消耗は抑えられたが。

今後は下手をすると、無理をしたらまた永遠亭送りになるかも知れない。

多分だが、あの同族の呪いが。

まだ体の何処かに残っていて。

それが体をむしばんでいる。

今度永遠亭に行く必要があるだろう。しかし、外に出ると、どうしてもバカになって遊んでしまう。

仕事をするときは、強い意思で自分を動かせる。

救う、という目的意識が、他に優先して働くからだ。

だが、それ以外の時は。

自分に対して無頓着な事が、こういうときに徒になる。

本来なら、リボンだって。

自分で大切に洗ったりして管理するべきなのだろうに。

封印までして状態固定しているのは、バカになっている時は自分に対する無頓着さが出て、汚してしまうから。

手鏡を使って、リボンを見る。

さっき持ち帰った木片を、何処かにつけてみると、似合うかも知れない。

似合うはずも無い。

木片は所詮木片だ。

疲れが溜まっているし、眠る事にする。

このままだとルーミアは。

ずっとこの誰にも知らない封印の場所で、眠り続けて。たまにだけ、外に出るようになるかも知れない。

それも悪くない。

昔は昔、今は今。

だとしても、昔はこのリボンをくれた子のような人間を喰らった事もあっただろうし。

遺族の恨みだって買っただろう。

深い業を背負った身だ。

今更、この状態のままで日の下を歩こうと思う事はない。そんな度胸が無いと言うべきなのだろう。

気付く。

しばらく寝ていただろうか。

いつのまにか、博麗の巫女が来ていた。

「退院したって聞いてね。 預かりものよ」

「……預かりもの?」

「これ」

目を見張る。

それは。

今頭につけているリボンによく似たリボン。

「親子だけあって趣味は似ているわね。 親の方は貴方の事は具体的に覚えてはいなかったけれど、子供の頃誰か大事な友達がいて、リボンをあげた事は覚えていたわよ。 無害だから紫は記憶を消さなくて良いと言っていたけれど」

「……」

「娘の方が、体を張って守ってくれたあんたにお礼をしたいって言ってね。 それで多分、あんたがつけていたリボンを覚えていたんでしょう。 似たデザインのものを見つけてきたらしいわ」

つけてあげると言って、ルーミアの頭にもう一つのリボンを括り。

更に封印の札までつけ始める霊夢。

分かっているのだ。

普段外で極めて自分に無頓着になるルーミアの性質を。

どうして封印までして、絶対に外れないようにリボンをつけているかも。

なんでだろう。

涙が零れてきた。

「こんな事しているってばれたら、ますます神社に人が来なくなるぞ」

「ばれやしないわよ。 此処を知ってる人間なんて、私くらい。 あんたの真相を知ってる人間も、数人。 口を滑らせる可能性もない面子よ」

「私が昔は……」

「それも分かってる。 でももう昔のあんたは死んで、今のバカが残っている。 私に取っては、それだけよ。 まあ今後、本当に人を食ったりしたら、容赦なく退治して地底送りにするけれどね」

リボンをつけるのが終わったらしい。

ちょっと頭が華やかになった。

基本的に仲間の妖怪以外には見せないが。

それでもこれは、ルーミアの新しい宝物になりそうだった。

「疲れたからもう少し眠る……」

「その呪いが抜けるまでは時間が掛かるわ。 紫から声が掛かるまでは、ずっと寝ているくらいで良いかもね」

「それもいいな……何も思い出さないくらいになるまで、もっとバカになりたいくらいだ」

「理解出来ないけれど、あんたがそれで納得しているならいいんじゃないのかしらね」

博麗の巫女がその場を去る。

ルーミアはじっと手を見る。

幼子の手。

だが本当は、多数の人間を喰らい。

殺し殺されてきた血に塗れた手だ。

美鈴が実戦仕込みの拳法を使うように。

本来は全く違った形の手で、多くの命を無為に奪い、そして目の敵にされ殺し返されてもきた。

いずれ報いは受けるのかも知れない。

それとも、これが報いなのだろうか。

あの救助対象も、いずれ紫にゆっくり記憶を消される。

妖怪に友好的な人間が増えすぎると困るからだ。

ましてやルーミアは「残忍な」「人食い妖怪」として認識されていなければならない。

もし、あの子の娘が成長して。

またその子供が出来て。

更に厄を呼び込む体質だったら。

その時に幻想郷がまだ存続していたのなら。

ぼんやりと闇の中で、ルーミアは。

その時までは。

生きていたいと思った。

 

(終)