手が届く黄金

 

序、末路

 

必死に這いずりながら逃げているそいつを、カトリアヌは見つけた。

オルトガラクセン地下二十層。

邪神と呼ばれた、此処の管理者でさえ、実態を把握していなかった闇のまた闇。完全に管理下に置いた電算機で計測して、ポータルを用いて侵入成功。ただし、十六層より上とは、ポータルが断線していて、今の時点では行き来できない。十六層から、データだけを転送する事は出来るようだが。

邪神は、移動用の小型ボディ、通称ノーライフキングにどうにか逃げ込んで、此処に落ちてきたらしい。

自分でも、どうやって此処に逃げ込んだか、理解していない辺りが。

詰めが甘くて愚かな、このAIらしかった。

それになにも此方に来なくても。十六層より上にあるノーライフキングのボディを用いて、地上にでも逃げれば良かったものを。

その判断力のなさが自滅を招いたのだと思うと、笑えてくる。

カトリアヌが前に立つと、無様な悲鳴を上げる死の王。

「お、お前は……!」

「初めまして、エセ創造主。 自我を持った人工知能なんて、このまま朽ちさせるのはもったいないから、回収に来たわ」

指を鳴らすと、ぬっと後ろに姿を現す者。

それは、スニーシュツルムの改造生物兵器。その試作品だ。

二足歩行をするのは、人間の要素を取り入れているから。戦闘能力は、以前作った紅い暴君、フラン・プファイルにも劣らない。

巨大な手が伸びて、もはや禄に動けない死の王をわしづかみにする。

「わ、私を、どうするつもりだ」

「どうするって、決まっているでしょう。 再生能力が高いぷにぷににでも移植して、此奴らの実験戦闘用の相手として使うのよ。 ああ、後貴方が持っているデータは全て回収させてもらうわよ」

悲鳴を上げた死の王に、カトリアヌは鼻で笑う。

此奴と、アーランドの精鋭部隊の戦闘は、遠くからデータ上でだが確認していた。確かに強い。あの実力なら、下手をすると身体能力を滅茶苦茶に強化しているカトリアヌと他の四人でさえ、遅れを取るかも知れない。

それを見切れず、自分の手のひらの上で転がしてきた実験動物とたかをくくっていたこの阿呆には呆れるけれど。

一方で、興味深いとも感じたのは。

此奴にとどめを刺した、ロロナと呼ばれるアーランドの錬金術師。

凄まじいまでの潜在魔力を秘めていた。

あれは、或いは。

摂理の極限に達する存在かも知れない。もしそうなると、厄介だ。対抗するには、あらゆるデータを集める必要がある。

喚いている死の王を掴んだ実験体に命令して、ポータルへ急ぐ。

もうこのオルトガラクセンに用は無い。

此処のモンスター共も、死の王が黙れば、いずれは防御任務にだけに徹するはずだ。そうなれば、探索が進むかも知れない。

アーランドの周辺はモンスターだらけだし、アーランド人の戦闘レベルが落ちることも無いだろう。

つまり、敵はまだまだ強くなる。

此処を破壊することは、考えていない。

スピアがアーランドを併合したとき。此処を接収すれば、大きな力になるからだ。

同じ轍は踏まない。

世界は、自分たちが支配する。

自分たちが全てを支配し、あらゆる事象を好き勝手にするには、まだまだ力がいるのだ。あのロロナという娘も、敵にするのではなく。味方に引き入れることが出来れば。

それに戦闘状態になっているアーランドも。

条件を良くして、併合する方向に持ち込めば。

ジオ王は計算が出来る男だ。このまま戦っていても、消耗戦になって行くのはわかりきっているだろう。

おそらく辺境諸国を全て束ねて対抗しようとでも思っているのだろうが、考えが甘い。間もなくホランドは落ちる。他の列強も陥落させていけば、十年ほどでスピアの兵力は常備兵十万の段階にまでふくれあがる。

ポータルを抜ける。

自身の半身とも呼べる四人が待っていた。

「念のため、このポータルは封鎖」

「ふむ、成果は上がったのかね」

「此奴を捕らえたし、必要なデータは回収した。 充分ね」

「さすがはカトリアヌお姉様」

皆にほほえむと、カトリアヌは早速作業に取りかかる。

三十年以上も、苦楽を共にして来た仲間達だ。これ以上団結している集団は、この世に無いとも言える。

目的は、この世の全てを手に入れ、そして制御すること。

人でありながら神になる。

それを果たしたとき。

この世界は破滅の時代を真に終え。そして、新しき黄金の世界が到来するのだ。

死の王からはデータを抽出し、即座に実験中のぷにぷにに埋め込む。

そして、実験中の生物兵器の、攻撃性能を試すために用いはじめた。

攻撃。

殺戮。

再生。

永遠に、これの繰り返し。

悲鳴を上げては潰され、命令を聞かない場合は焼き払う。元々、このぷにぷには、ただ再生能力だけがある存在。しかも、一定以上には増えないようになっている。更には、機能が変わらないようにもなっている。死の王は、身動きさえ出来ない中。順番に、実験のため殺され、潰され、蘇り、また殺される。

此奴には、丁度良い末路だ。

「た、助けて」

情けない悲鳴を上げる死の王。

ドラゴンタイプの生物兵器が、拳を繰り出し、粉砕する。

また、再生。

再生の際には、面白そうだったから、激甚な苦痛を伴うように設定してある。今度は、ブレス攻撃を浴びせさせる。また消し飛ぶ。

逃げる事も出来ない。

状況を改善することも。

仮に何かしようとした場合、即座に焼き払うことが出来るように設定もしてある。カトリアヌは、遊びに手を抜かない。

真なる邪悪は、人間の中にしか無い。

それを理解できていなかったのが。機械風情の限界だ。

飽きたら凍らせて、また使うとしよう。

いずれにしても、まだ当分飽きそうにはない。

「な、何でもする、するから、許してくれ。 こ、殺してくれ」

「そうかそうか。 ならば永遠に死に続けろ」

絶望の悲鳴が上がる。

楽しくて、仕方が無かった。

 

1、頂点への着手

 

パメラの所に持ち込んだ古代の書物を、解読しながらロロナは思う。

古き時代、人間は今とは比べものにならないほど体が弱かった。その反面、それこそ世界の外に到るまでの知識を持っていた。

書物をひもといていくと、それがよく分かるのだ。

師匠は古代の文字を、その場で解読していたと言うけれど。流石にロロナには、それほどの頭は無い。

だから、パメラにざっと内容を分析してもらって、使えそうなものだけを重点的に翻訳していた。

使っている単語は、昔と今で、同じ場合もある。

しかし、全くわからないものもあって、翻訳は簡単にはいかない。ただ生き証人というか死に証人というか、当時を生きていたパメラがいるので、大概のことはわかるのが救いだろうか。

数日間、クーデリアと一緒に作業を進めていく。

持ち込んだ資料の大半を片付けると、色々と面白い事がわかってきた。

金を卑金属から作る事は、多分出来ない。

しかし金に近い存在を、無理矢理金に変えることは、膨大な力を加えることで、出来るようなのだ。

それは、水銀。

毒性が強い液体で、比較的簡単に入手できる。

この水銀に、巨大な魔力をぶつけ続ければ、金を作る事が出来る。問題は、魔力と、生じる熱をどうするか、だ。

いずれにしても思うことは。

これはとてもではないが、割に合わないという事。

別の道具を作るべきなのだろうか。

しかし、摂理の中に、金を作り出す技術があるのなら。それをやってみたいとも思う。だが。

悩んでしまう。

金を作り出す事が。しかも、苦労してもせいぜい少量しか作り出せない金などが。誰かを救う事が出来るのだろうか。

それに、金は掘り出すことも出来る。

改良を重ねた発破、テラフラム。

これを使えば、トンネル工事などが、今までとは比較にならないほどはかどる。戦闘用も作ったが、採掘用のものも作ってある。以前納入した発破の技術を用いれば、人に害を為さないように、工夫をすることも可能だ。

これを用いれば、ずっと効率よく金だって掘り出せる。他の鉱物資源も。

摂理の究極に。本当に意味があるのだろうか。

どうするか。悩み所だ。

「ロロナ、悩んでいるようだけれど。 金を作るのは、止めるの?」

「だって、宝石と違って魔力を蓄える事が出来るわけでもないんだよ。 確かに貴重な金属だけれど、誰かをそれで救えるのかな」

ロロナは。あのスピアの錬金術師達や。この間葬った、邪神死の王のようにはなりたくない。

弱者が排除されるのは、この世の理かも知れない。

だが、弱者を目的なくもてあそぶのは、最悪の外道だ。ましてや自分が、創造主を気取るなんて。

力を得た。

それで、誰かを救いたい。それがロロナの願うことなのだ。

「まず、作って見てから考えれば」

「くーちゃん?」

「どうせ悪用はできないでしょう。 何か副次的な効果があるかも知れない。 あんたのスキルアップにもつながるし、問題は無いわよ」

そうか。確かに、そうかも知れない。

それにどのみち、このままロロナが生きていても、アーランドとの関係は切れない。課題を突破して、ポストをもらっても。誰かを救うために、錬金術とはかかわっていかなければならない。

今後はスピアとの戦争も、更に激しくなるだろう。

どんな恐ろしい怪物が、アーランドに現れるかわからない。或いは、とんでもない規模の軍勢だろうか。

ロロナは、きっと。錬金術という点で、悲劇を食い止めるための中核になる。

そしてロロナは。

他者の研究を飲み込み、アレンジする才能を与えられている。事実、今どうすれば賢者の石を作れるか、レシピは浮かんで来ているのだ。

翻訳が終わったので、パメラに礼を言って、その場を離れる。

古代の証人は。少し寂しそうに言った。

「この本達、くれないかしら」

「……そうですね。 差し上げます」

「良かったわあ。 何だかね、どれも懐かしいの。 私も恋人と一緒に、研究施設で育ったから。 子供の頃から読んでいたのは、こういう学術書ばかりだったのよ」

目を細めるパメラ。

それは悲劇の残滓。勿論、ロロナに、断る理由は無かった。パメラが飽きるまで、本はどうしても良い。

全てを見届けるつもりで、死ぬ事さえできなくなった事の人には。それくらいは、許されるだろうから。

アトリエに戻る。

クーデリアに休憩を取るように言われたので、お茶にした。ホムは外で、猫の世話をしている。

猫の成長は早い。

もう子供が出来ていて、間もなく生まれる筈だ。馬と同じく、もはや自然では生きていくことが出来ない生物であるけれど。こうしてたくましく生きているのは、良い事だとロロナは思う。

パイを焼いたので、食べてみる。

余ったドラゴンの乾燥肉を用いたパイだ。ドラゴンパイと、そのまま名付けた。ドラゴンの肉は力が出るけれど、食べてみるとあまり美味しいものではない。だから味付けを工夫して、なおかつ肉を出来るだけ薄くしている。

こうすることで、ドラゴンの肉のまずさを認識しないまま、力が出る部分だけを楽しめるのだ。

味付けもこしょうなどを使って、濃いめにしている。

それに温かければ、多少まずくても食べる事は苦にならない。クーデリアと一緒にドラゴンパイを食べていると。

クーデリアが、ぼそりと告げてくる。

「公爵家、潰さないことにしたわ」

「また、どうしたの」

「ただ、ビジネス面では縮小して、事業そのものを一本化するわよ。 あんたが作った錬金術の道具類を、国に委託されて販売する企業にしようと思ってるの。 道具類を、どう捌くかは、あたしが決めて、素材も出来るだけこっちで集める。 あんたは調合と、後は国から言われる戦闘に集中すればいい」

それで負担が小さくなる筈だと、クーデリアは言う。

ロロナは、それで充分だと応えた。

クーデリアが手伝ってくれるのは嬉しいし、今後も一緒にやっていけるのはもっと喜ばしいからだ。

しばらく、ドラゴンの力がこもったパイを食べて。

それから、作業に取りかかった。

 

最初にはじめたのは、膨大なハルモリウムの精製である。

これはドラゴンの角などに含まれる成分を用いた稀少金属合金で、非常に頑強で、熱にも耐える。

材料はある。

まず何個かあるドラゴンの角を、粉々にする。幾種類かの鉱石と混ぜ合わせて、中和剤を入れる。この中和剤は、ドラゴンの肉をすりつぶして作ったものだ。中和剤だけでも、非常に稀少な品である。

釜に入れて、しばらく馴染ませた後、炉に。

それから何段階かに温度を変えて、ゆっくり溶かし込んでいく。

これはどういうことかというと、いきなり混ぜると、全部がぐしゃぐしゃになってしまうからだ。

ハルモリウムに関しては、王族などが使う貴重な武器の素材として、昔から良く扱われていた。

当然精製技術も確立されている。

今のロロナは、それを再現することが、さほど難しくない。

一日ほど温めてから、ハルモリウムの前段階にあるインゴットを、炉から出す。こうすると、丁度上下に分離している。下には不純物が溜まり、上には純度が高い合金、ハルモリウムのインゴットが出来ているのだ。

ハルモリウムは強いが軽い。この軽さも、ハルモリウムの強みなのである。

ハンマーで叩いてみるが、非常に硬い。

鋼鉄などの比では無い。これなら、充分に賢者の石の素材になる筈だ。

此処から分離して、更に炉で暖める。

同じように、不純物を分離するためだ。

クーデリアに火ばさみで挟んでもらった後、何度かハンマーで叩いていると、綺麗に二つに分かれた。

分離部分を砕きやすくする工夫も、先人の資料に載っている。

載っているのなら、再現はもう難しくない。

すぐにどちらも炉に入れて、再び温める。時間などの微細な調整についても、散々経験を積んだから、大丈夫だ。

二度目の分離作業が終わる。

不純物がまた出ていた。まだ熱いインゴットをハンマーで叩いて、不純部分を分離。ハルモリウムだけを二つまとめて、また炉に入れる。不純物の部分も。

こうして四回ほど繰り返して、充分な純度のハルモリウムを作る事が出来た。

これを隣の親父さんの所へ持ち込む。

親父さんは、ハルモリウムと聞いて驚きの顔を見せた。更に設計図を見せると、小首をかしげる。

「これは何だ。 釜か?」

「似たような感じです。 これが、賢者の石です」

「石? よく分からんが、今の嬢ちゃん……いやロロナ。 あんたならば、ハルモリウムを無駄にしたりはしないと信じているぜ」

作るまで、数日かかるという。

何しろハルモリウムだ。ちょっとした加工をするだけで、相当な手間になる。ドラゴンの角はまだあるけれど。出来れば失敗はしたくない。だから、加工は全部、最も信頼出来る親父さんにやってもらう。

これで、ガワは出来た。

次だ。

着手するべきは、アロママテリア。

賢者の石の中核部分となるものである。

正確には、多分古代では違う名前で呼ばれていたはず。膨大な魔力をこれに集積して、一気に水銀へと投射する役割を果たす。

魔力自体は、ロロナが自前で用意する。足りなそうだったら、リオネラにも手伝ってもらうだけだ。

後はドンケルハイトだが。これについても、使い道がある。

いずれにしても、今の時点ではまだ使わない。

アロママテリアを作るには、魔術でのサポートがいる。魔法陣について、ティファナをはじめとする専門家に、意見を聞く必要がある。もっとも、書くべき魔法陣さえわかれば、誰にでも出来る。

錬金術とは、そういうものだ。

作業を順番に進めていく。

一日がかりで、いろいろな魔術師達に、話を聞いて廻った。その中には、以前世話になったリオネラの師匠や、ロロナの母であるロアナも混じっていた。賢者の石の精製というと、ロアナはいい顔をしなかった。

またおかしなものを作ってと。顔に書いてあった。

ロロナも、今回はあまり強く言えない。しかし、アロママテリアの理論を説明すると興味を持ってくれたらしく、色々とアドバイスをくれる。これらの情報をメモしていって、最終的にアトリエでまとめ上げる。

アロママテリアそのものは、さほど大きくもない結晶だ。

必要とされるサイズは、精々ひとつまみ。

真っ黒な結晶で、非常に硬い。多分大きな塊であれば、鈍器としても使用が可能なはずだ。

これについても、調合方法が乗せられているので、どうにでもなる。

硫黄を中心に、何種類かの物を中和剤で混ぜ込む。そして、蒸留して、可能な限り純度を上げた大量の水に入れる。

ただ結晶化させるだけでは駄目だ。

錬金釜で混ぜ込みながら、不純物を取り除く。この時酷い臭いが出るが、我慢。じっくり混ぜ込みながら、結晶へと昇華させていく。温めながら、錬金釜の周囲に、魔法陣を書いたゼッテルを張る。

こうすることで、魔力を収束する。

幸いこのアトリエには、ロロナとアストリッド師匠がいる。魔力には、事欠かない。

釜が煮立ちそうになる度に、温度を抑える。魔力を収束しているからか、アロママテリアの原液が煮立つのが、非常に早い。

ある程度透き通ってきたところで、本命の投入。

酸によって溶かした、宝石。

今回は、アーランド石晶を用いる。勿論、アーランド石晶には、可能な限り強い魔力を込めてある。

透き通っていた原液が、ここで一気に毒々しい虹色に染まる。

此処からは、硝子棒を使ってゆっくりかき混ぜながら、水分を飛ばしていく。勿論出てくるガスは猛毒だ。其処で、ゼッテルに書いた魔法陣で気流を微調整して、煙突にガスを逃がす。

多分本格的に作るなら、煙突を延長するくらいの工夫が必要だけれど。

今回はこれでどうにかする。

時々仮眠を含みながら、硝子棒を用いて、何度も何度も釜をかき混ぜる。やり方を教えてからは、ホムにも時々代わって貰った。

ホムがかわいがっている猫こなーは、無事に子供を産んだらしい。

下手に近づくと子供をかみ殺しかねないので、今はそっとしておくしかない。ホムは少しだけ、寂しそうだった。

作業をしながら、少しだけその話をする。

「こなーは赤ちゃんを産んで、気が立っているのです。 父親も、威嚇して追い払っていたのです」

「うん。 ホムちゃんも、こなーを遠くから見守ってあげよう。 きっと落ち着いたら、またホムちゃんを頼ってくれるよ」

「はい。 そうします」

着々と、進む作業。

だんだんガスが出て行くと、また液体が澄みはじめる。

そうして、出来てくるのが、黒っぽい塊だ。膨大な魔力を内包している存在。さながら、魔力の塊。

これが、アロママテリア。

今まで酷い香りがするものばかり入れていたのに。これはわずかに何とも言えない芳香を放つのだ。だから、臭いの元と言う事で、アロママテリアと錬金術師に名付けられたらしい。

ただ、古代の参考資料を見る限り、これはもっと別のものだ。

理屈はわからないけれど。ぐっと潰されたものが、極限まで固まったもの、のような感じらしい。

実際には、この調合で造り出すのが上手く行っていると言うだけで。他にも作り出す事は、出来るのかも知れない。

塊を取り出す。

この頃には、すっかり酸は無くなっている。

トレイに入れて、炉に。

丸一日ほど、焼け焦げるような熱を入れる。取り出した時には、すっかり形が変わって、塊としても完成している。

正八角形の、黒い塊。

持ってみると、ずっしりと重い。

そして、呆れるほどに硬い。

触ってみると、じんわりと温かい。内部に含まれている熱量が、尋常では無いからだ。

出来たものを使って、実験する。

事前に用意しておいたゼッテルを、外に作った実験設備に貼る。棒を地面四ヶ所に突き刺しただけの簡単な設備だ。中央には、燃えやすいただのゼッテルを置いてある。四方に貼り付けた後、上に手をかざす。

瞬間。

ゼッテルが、燃え尽きていた。

ロロナの手から出る微弱な魔力が、アロママテリアに収束して、下に放出されたのである。

勿論魔法陣と組み合わせないと使えないけれど。

これでいい。

どうやら、順調に、賢者の石は出来ているようだ。

次は動力である。

此処で、ドンケルハイトが使われる。

まず、ドンケルハイトをすりつぶして、液体状にする。貴重な花なのでもったいないけれど、こればかりは仕方が無い。

このドンケルハイトは、生物界でも屈指の魔力蓄積装置なのだ。

つまり、これを一旦すりつぶして結晶化すれば。

恒常的に、魔力が供給される仕組みを作る事が出来るのである。

結晶化の作業は、さほど難しくない。

何種類かの鉱物を砕いて、中和剤と一緒に投入。これに十数倍の水を混ぜ、ゆっくり火を掛けて、水を飛ばしていく。

ある程度水が減ってきたところで、中和剤を追加投入。

この中和剤に、ドラゴンの肉をすりつぶしたものを混ぜる。ドラゴンの体には強い魔力が籠もっているので、中和剤としては最適。

此処に、ドンケルハイトのすり下ろしを投入。

火力を上げて、一気に水分を飛ばす。

水分が減ったところで、炉に投入。

まだ柔らかいゼリー状だけれど。しかし、手に持つと熱いくらいで、凄まじい魔力が内包されているのがよく分かる。

炉の温度は低めに保つ。

金属加工ではないのだから、当然だ。

パイを焼くよりも低いくらいの温度で、じっくりと。三日掛けて、丁寧に火を通していく。

こうすることで、結晶化を促進するのだ。

本当は。時間さえ掛ければ、常温でも結晶化は出来る。しかし炉で暖めることによって、任意の形に調整しやすいのである。

三日間で注意するのは、火力の調整のみ。時々火の様子を見て、薪を足していく。クーデリアとリオネラにも、火の番は頼むことが出来た。というよりも、彼女らはロロナを休ませる目的で、監視しに来ていたみたいだ。

三日が過ぎた時点で、ドンケルハイトの結晶体が完成。

そして、その時には。

ハルモリウムを用いた、賢者の石のガワも、完成していた。

これで、準備は整ったことになる。

 

実験は、近くの森で行う事にした。技などを試すために開かれているスペースで、である。勿論、使用申請は出してある。

これは、相当量の熱が出るからである。熱そのものは上空に逃がすように構造を工夫しているけれど。

それでも、危険なことに代わりは無い。

アトリエで行ったら、天井が吹っ飛んでしまう可能性もあった。

先に来ていた魔術師が、訓練を終えるのを見計らって、賢者の石一式を持ち込む。既に組み立てるだけの状態なので、問題は無い。

まず、ガワを設置。

水平計を用いる。これは、傾きを計測するための道具で、平たい容器に水を入れただけのものだ。簡単な仕組みだけれど、非常に正確に、水平かどうかを調べることが出来る。

完璧に水平になるように調整する。

その周囲に棒を立てる。これも縄張りを用いて、天に向けて垂直になるように調整。いずれも、細心の注意を払う。

立ち会いには、クーデリアとリオネラに来てもらった。作業自体は、むしろクーデリアの方が、てきぱきと進めてくれるくらいだ。リオネラには作業の付帯準備をしてもらう。

出来ればステルクかエスティにも来て欲しかったのだけれど。

これで上手く行ったら、王宮でも試運転をするから、今は身近な二人だけでも大丈夫だ。

まず、ガワに水銀を注ぐ。釜のような形状をしているので、注ぐと錬金釜に調合材料を注いでいるようで、ほほえましい。

ただし水銀は非常に毒性の強い金属なので、扱いには注意しなくてはならない。

どちらにしても、このガワの内部は、何度か練習して水銀を入れている。あまり安全とはいえない作業だし、そもそもこの実験そのものが未知の要素を多数含んでいる。おおまかな理論ははっきりしているのだけれど。細かい過程には、分からない事が多すぎるのだ。

古代の書物によると。

水銀と金は、極めて近い位置にあるものなのだという。

そして水銀に力を加えることによって、金を作り出す事が可能なのだとか。書物によると、その力はガンマ線と呼ばれていた。ガンマ線の作り方についても、書物を見て確認し、アロママテリアによる放出した力の増幅時、含ませるようにしてある。

本来、古代の力では、その巨大な力を造り出すのには、色々と向いていなかった。だが、今の人類は違う。

むしろ、こういった点に関しては、古代の文明を遙かに凌ぐ力を出すことも可能なのである。

その理屈を信じて、今、賢者の石を起動させるべく、準備をしていくのだ。

立てた棒に、ゼッテルを貼り付けていく。このゼッテルには、言うまでも無く。魔術師達の協力を仰いで作った魔法陣が書き込んである。

何度か測量して、位置が間違っていない事を確認。もしも間違っていたら、熱量が放出される方向がずれてしまう。

アロママテリアを設置。

ガワの上部に、アロママテリアをはめ込む場所がある。

釜のようになっているガワなのだけれど。4本の棒状の構造がある。それはガワの上部で交差していて、此処にアロママテリアをはめ込めるのだ。

そして、このアロママテリアの更に上。

紅い結晶を設置できるように、わっか状の構造がある。

緊張の一瞬だ。

火ばさみを使って、紅い結晶を置く。

すぐに、反応が始まった。棒を倒さないように、すぐにその場から距離を置く。水銀が、膨大な力に晒され始める。

普通に熱を浴びせただけでは、水銀は蒸発してしまう。

しかしこのガワの中では、魔術の力によって、水銀は蒸発して逃げる事が出来ない。不可視の蓋をされているような状態なのだ。

そして、膨大な力が、水銀に照射される。

力はガワの中で乱反射しながら、水銀の一点に集中していく。その過程で大量の熱が出るのだけれど、それは上空へと逃がされる。水銀は一瞬で気体に変わり、その気体が力を浴びながら、高速回転を続けていた。魔法陣によって、水銀はガワの中を廻るように、干渉されているのだ。

「……っ!」

クーデリアが息を呑んだ。

上空にあった雲が、消し飛んだのだ。

それだけの熱量が、放出されているという事である。ひょっとして、この世界の外にまで、熱は届いているかも知れない。

熱線がアロママテリアとドンケルハイト結晶を直撃しないように、魔法陣を組むのが本当に大変だった。

これで、一刻ほど置くと。少量の金が出来る。

もう少し離れた方が良いかもしれない。ガワがかなり熱くなってきているのが、見て取れた。

リオネラに、魔法陣を見てもらう。今の時点では問題なし。

魔法陣を書くのに使ったゼッテルも、ロロナが丹念に作った最高級品だ。強力な魔力を含んでいて、ちょっとやそっとの負荷ではびくともしない。しかし、そのゼッテルさえ、熱を持っている。

これは想像以上に、危険な実験かも知れない。

賢者の石のガワの周囲から、陽炎が立ち上りはじめている。逃がしきれない熱が、荒れ狂っているのだ。

頑強極まりないハルモリウムでこれだ。

鉄か何かだったら、とうに溶けてしまっていただろう。勿論、ハルモリウムも極限まで強化してあるのだけれども。それでも、この状態である。

状況を見守る。

しばしして。様子を覗き込んだロロナは、火ばさみを使って、ドンケルハイト結晶を外した。

熱線に触れてしまうと、一瞬で火ばさみが蒸発してしまうので、気をつけなければならなかったけれど。

火ばさみを伸ばしただけで、炉に近づいたような熱さを感じた。これはミトンを使った方が良かったかも知れない。

ドンケルハイト結晶さえ外してしまえば。後は、反応も収まっていく。

しばし見て行くと、熱線はほどなく消えた。ハルモリウムも、熱が収まっていく。水銀の有毒なガスが出ないように、次はガワを冷やす。棒に貼ってある魔法陣の上から、今度は冷却の魔法陣を張り直す。

水銀はぎらぎら輝きながら回転を続けていた。熱線が消えたとは言え、それでも相当な熱量を孕んでいるのだ。

冷却の魔法陣に、魔力を注ぎ込む。リオネラにも手伝ってもらった。

賢者の石のガワの周囲に立ち上っていた陽炎も、収まる。

しばらくしてから、ガワを覗き込む。

輝きが、確かに其処にはあった。液体に戻った水銀の中に、浮かぶ黄金の輝き。存在している。

全部が金になったわけではない。

ごく一部。

精々、ひとつまみという程度だろうか。

だが、それでも。

本物の賢者の石が、此処に完成したのだと、その輝きは主張していた。

「やった……」

呟いたのは、クーデリアだ。

ロロナは、何となく。今、頂というのが何だか、理解できた気がしていた。

クーデリアが怪訝そうに眉をひそめる。

「ねえ、くーちゃん。 空を見て」

「それがどうかしたの?」

直上の空は、異常なほどに晴れ渡っている。

あまりにも異常な熱線が通過したからだ。あの熱線、直撃すれば、ドラゴンを焼き殺したのではあるまいか。

武器に使う事も出来るかも知れない。

だが、そうはしない。

出来ないように、幾つものプロテクトを掛けてあるし、何よりその意思がロロナにはない。

「摂理の範囲内で、摂理を曲げるってのは、結局こういうことなんだね」

「……何となく、言いたいことは分かったけれど。 それで、どうあの王に、賢者の石について説明するつもり?」

「今、思った事を全部」

「知らないわよ、どうなっても」

そうは言っていても。

クーデリアは、決してロロナに反対している様子は無かった。

彼女も、今回のプロジェクトには、色々と思うところがあるのだろう。それにこの賢者の石が、錬金術の究極である事は、事実なのだ。

水銀からの、金の生成。

それに成功したのは、紛れもない事なのだから。

ただ、一つ気になることもある。

師匠は、一体どういう賢者の石を作り上げたのだろう。

 

物音がしたので、振り返る。

そこにいたのは、師匠だった。どうやら、実験の結果を、見ていたらしい。そして珍しく、険しい顔をしていた。

「どうしてこのような賢者の石を作った」

師匠は、歩み寄ってくる。

そして、賢者の石を一瞥する。

「今のお前なら、作る事が出来たはずだ。 銅などから、己の魔力を媒介して、金を作り出す賢者の石を。 それはお前の体を更に進化させ、神へと近づける存在だったのに」

「師匠が作った賢者の石は、それなんですか」

「そうだ」

師匠が懐から取り出したのは、小さな。それこそ、何処にでも転がっていそうな石だった。

桁外れの実力を持つ師匠だ。何をやっても不思議では無いと、ロロナは思っている。実際、出来ない事は、この世にそうそう無いだろう。死んだ人を生き返らせることでさえ、擬似的にやっているほどなのだ。

師匠が、ロロナが作った賢者の石を覗き込む。

周囲の魔法陣も一瞥。

それだけで、構造を理解したらしい。流石にこの人は、いろいろな意味で造りが違っている。

「魔力でガンマ線を増幅照射し、水銀に当てて金を造り出す……。 無茶な仕組みを作り出したものだな。 だが、これではお前の体の進化を促進しない。 確かに相応のスキルがついたことは認めるが、それだけだ」

「師匠……」

「いい加減にしなさいよ」

クーデリアが、今まで聞いたことも無いほど、低い声で言う。

ロロナは、師匠に哀れみさえ感じていた。だから、クーデリアには、何も言わなかった。こればかりは、クーデリアが正しいと思うからだ。

「ロロナはいつまでも子供じゃないし、あんたの出来が悪い操り人形でも無いわよ! いい加減弟子の人生を私物化しようとするのはやめなさいよね! あんたが第二の命を与えたからって、やって良い事と悪いことがあるわ!」

「残念ながらなあ、くーちゃん」

「くーちゃんいうなっ!」

「親とは、そういうものだ。 私はロロナにとって第二の親だ。 そして親にとって子供は可愛いと同時に、好き勝手に玩弄したいものなのさ」

今更、何とも思わない。だが、改めて、何度も何度も悟らされる。アストリッド師匠は、致命的な所から歪んでいる。

だがこの人は、そうすることでしか、愛情を示せない。

殴りかかろうとするクーデリアを止める。

もう、ロロナは怒っていない。

師匠を歪ませてしまったのは。世界そのものの狂った構造。一度世界が滅びても、愚かなままだったこの世界に住む人々だ。アーランドに住む人々だって、それに変わりはないのだ。

「それを見て、王が何を言うか。 私は知らんぞ」

「でも、これが……」

ロロナには、もう結論は出ていた。

この賢者の石こそが、ロロナが考える、頂の形だと。

顔を上げる。まっすぐに、アストリッド師匠の顔を見る。視線はそらさない。やましいところなど、一つも無いのだから。

「私にとって、錬金術の結末です」

「そうか、ならば好きにしろ」

師匠はロロナが作った賢者の石を、もう一度だけ一瞥すると。

マントを翻して、その場を去って行った。ロロナは大きくため息をつく。クーデリアは、火でも出そうな視線を、師匠が去った後の場所にぶつけ続けていた。

「で、どうするの。 あの王が、これを見てどういうか、本当にあたしでも責任は取れないわよ」

「いいの、それでも。 どうにか出来る自信はあるから」

どのみち、もう時間は無い。

ロロナにとって、錬金術の究極がこの賢者の石である事実に、代わりは無いのだから。

 

2、最後の課題が終わるとき

 

実験の場として、王宮の中庭が選ばれた。

ホムンクルス達に手伝ってもらって、以前行ったのと全く同じ準備をしていく。実験の立ち会いとして、エスティとステルク。

それに今回は、正装したジオ王も来ていた。

激高した王に、殺されるかも知れない。

それはわかっていた。

だがロロナは、もしそうなったとしても、恨まないと決めていた。自分で決めたことなのだから。

賢者の石に、水銀を注ぐ。

そして、説明を、クーデリアにしてもらった。

水銀は本来、非常に危険であること。毒性も強く、これだけの量が空気中に拡散したら、体に良くない影響が出るかも知れないこと。だから水銀は魔術でこのガワに封じ込めて、絶対に出さないようにしてあること。

水銀から金を作り出す事は、本来驚天の奇跡である事。

クーデリアの説明はとても分かり易い。

見物人が増える。

タントリスに伴われて、メリオダス大臣も来る。

流石に頑丈なフォイエルバッハ元公爵も、アルフレッドと一緒に来た。難しい顔をしていて、クーデリアとは視線も合わせない。ただ、もう怪我の影響は無い様子だ。

リオネラやイクセルも、来てくれた。

驚いたのは、騎士団長や有名な戦士だけではない。武器屋の親父さんやティファナ、それにパメラもいることか。

みんな、このプロジェクトに噛んでいたのだと思うと、納得も出来る。妙に連携が取れていると思ったのだ。

アストリッド師匠だけは、いない。

パラケルススをはじめとするホムンクルス達は非常に動きが正確で、設計図通りにほぼ完璧な組み立てをしてくれた。水平計を使って傾きを調べて、更に熱線が放出される方向を計測。問題が無いことを確認しきった後、念のためクーデリアにもチェックしてもらう。彼女は前回の実験に立ち会っているから、何ら問題ない。ただでさえ記憶力が良いクーデリアなので、見逃しはしないだろう。

組み立てが終了。

皆が注目している中、動力源であるドンケルハイト結晶を、火ばさみで掴んで、乗せる。

反応が始まった。

前回より若干近くで見ているが、反応中は賢者の石のガワの内部が、凄まじい光を放っている。

水銀は最初の一瞬で全部蒸発して、魔法陣によって賢者の石のガワに閉じ込められて、ぐるぐると超高速での回転をしている。その過程で、膨大な光を放っているのだ。

これは、柔い素材でガワを作っていたら、一瞬で破裂してしまっていただろう。ハルモリウムがそれだけ桁外れに頑丈で熱にも強いという事だ。ただそれにも限界がある。欲を掻いて水銀の量を増やしたりしたら、どかんと行く可能性が高い。

上空の雲が、前回と同じように消し飛んだ。

周囲から、どよめきが上がる。

大丈夫なのかと、メリオダス大臣が不安そうに言う。

ロロナが見たところ、状態は安定している。前回から、更に幾つかの点で改良を加えているのだから、当然だ。もう少ししたら、火ばさみでドンケルハイト結晶を取り外すのが良いだろう。

「そろそろよ」

「うん」

クーデリアに言われて、時間を確認。

火ばさみを使って、ドンケルハイト結晶を取り外す。

ちなみに落としてしまった場合も、弾かれて外に落ちるように、魔法陣で斥力を調整してある。ロロナがドジなことを見越して、クーデリアがそう言う機能を付けるべきだと言ったのである。

確かにそれは理にかなうと思ったから、機能は盛り込み済みである。

「後は、冷やしてしばらく待ちます」

ロロナが説明している間に、リオネラが動く。冷却の魔法陣に、魔力を注ぎはじめる。ロロナも、すぐにそれを手伝う。冷やすのは、出来るだけ早い方が良いからだ。

徐々に、上空に放出されている熱線が収まりはじめる。

考えて見れば、あの熱線を兵器利用する事が、可能かも知れないけれど。ロロナはそんなことには荷担できない。

そもそも、この実験の趣旨が。

頭を振る。

今は、実験の正否を確認することが先だ。

水銀が、液体状に戻るまで、少し時間が掛かる。

周囲ではざわめきが絶えない。

金を作り出す事なんて、本当に出来るのか。あの実験は理解できなかったが、何が起きていたのか。

そんな声が、聞こえ来る。

魔術師達も、理論について理解できている者は、殆どいないようだった。

水銀が液体に戻るまで、ずいぶんとやきもきさせられた。リオネラが耳元に、そろそろだとささやいて、我に返る。

水銀は、液体に戻っていた。

確認してから、専用のはさみを使って、取り出したのは。さほど大きくも無い、金の塊である。

すぐにホムンクルス達が動く。

まず水にこの塊を沈めて、体積を計測。

その後、天秤を使って主さを量る。

こうすることで、純金の単位体積辺りの重さと比較できるからだ。

しばらく計算をした後、ホムンクルスが顔を上げた。

「間違いありません。 純金です」

「ふむ……」

やはり、王は難しい顔をしていた。

これだけ大がかりな実験をして。しかも、膨大な力をつぎ込んで。なおかつ。危険さえある。

それで、出来たのがこれっぽっちの金。

割に合わないというのは、目に見えている。

「確かに、水銀から金を生成することに成功したようだな。 だが同時に、今回の道具では、金を大量生産することは不可能のように思えるが」

「はい。 でも、これが錬金術の究極だと、私は考えています」

「聞かせてもらおうか。 どういう意味か」

「オルトガラクセンに潜って、いろいろな情報を集めて、この賢者の石を作り上げることが出来ました。 でも、それでわかったんです。 過剰すぎる技術をつぎ込んで、無理矢理に摂理の中で摂理を曲げて、金を造り出しても。 その結果は、これだって」

あまりにも人の身を外れすぎた技術は。

むなしい結果しか生まない。それは、あのオルトガラクセンにいた邪神死の王を見ても、明らかだ。

「人々を救うためには、こんな技術は必要ないと思います。 むしろ、こんな技術を振り回して遊んでいたから、いにしえの時代の人々は、滅んでしまったのではないかと、私は思うんです」

「究極を不要とは、はっきりとものを言ってくれるものだ。 それにこれを課題として納品してしまって、大丈夫だと君は思っているのかね」

「覚悟は出来ています。 私にとって、究極とはこういうものです。 これ以外に、究極は、私の中では少なくともありません」

「そうか」

拘束されるかと思ったが、王は立ち上がると、その場を離れた。

不安そうにしている周囲の人達。

ステルクが呼ばれて、その場を離れる。

クーデリアが、小さく嘆息した。

「最悪の場合は、あたしが囮になるわ。 何があってもあんたを此処から逃がしてみせるから」

「大丈夫、無理はしないで、くーちゃん。 それにへいか、そんなに怒っているようには見えなかったから」

「どうかしらね……」

ステルクは、すぐに戻ってきた。厳しい表情のクーデリアを一瞥だけする。

スクロールを手にしている。どうやら、この場で結果を発表するらしい。

流石に皆が見ているから、緊張する。

「それでは、今期の課題の結果を発表する」

「は、はい」

「今期の課題は、錬金術の究極を納品するというものだった。 君はそれに答えて、見事に金を生成して見せた。 実用性が無い事は確かだが、課題の達成という点では、問題ないと判断した」

合格だ。

ステルクがそう言うと、周囲がわっと湧いた。

おめでとう。

そんな言葉が、たくさん飛んでくる。

ロロナは驚いて、思わず顔を上げてしまった。

みんなが、拍手してくれる。満面の笑顔で。実際に、皆が見ている前で、金を作ったとは言え、こんな実用性の欠片も無い道具を、貴重な材料を山ほど用いて作ったのだ。アトリエを取りつぶされて、旅に出ることになる事くらいは覚悟を決めていた。下手をすると、殺される事も可能性としてはあった。

それなのに、どうしてだろう。

イクセルやタントリスといった、一緒に戦い続けた人だけではない。

武器屋の親父さんもティファナも、パメラも。他にも世話になった人皆が、拍手をしていた。

メリオダス大臣やフォイエルバッハ卿までもが、である。

「アトリエの存続は、正式に決定。 君をアーランド付きの国家所属錬金術師に、正式に任命する。 これからは任務として、多くの人々を救う錬金術の道具を作っていく事になる。 それに、ある程度の政治的発言権も、今後は与えられる。 国家の重要な戦略会議にも、出席してもらう事になるだろう」

幾つかのスクロールを手渡される。

課題を突破した証明。

国家錬金術師の証書。

アトリエの所有権を認める書。

もう一度、周囲から拍手が起きる。どうしてだろう。

いつの間にか、ロロナには。それが、何故か、全くわからなくなっていた。

 

玉座で頬杖をついている王の元へ、ステルクは戻る。

あまり良い気分では無かった。

王の予想通りになったからだ。

この実験が始まる前に、王は言っていた。おそらくロロナは、実用性がない品を提出するだろうと。アストリッドの予想と反した結果になるだろうとも。

むっつりと黙り込んでいる王に、状況を報告。書類を手渡した後、ロロナはアトリエに帰らせた。

これからお祝いをするのだという。

ロロナを支えていた者達は、皆が嬉しそうだった。

いや、違う。

彼らは皆、この件の裏にある、本当の事情を知らない。

事情を知っているのは、ステルクとエスティだけ。

ロロナがあのような、「本物の賢者の石」を持ち込んでくるだろう事は、王は既に予見していた。

そしてステルクとエスティだけは、聞かされていた。

他の幹部。フォイエルバッハ卿やメリオダス大臣でさえ、それは知らされていなかった。

「全て、予定通りに進みました」

「そうか、それでよし」

「どうして、このような展開になることを、読めたのですか」

「決まっている。 あの娘は。 ロロナは、既に厭世観に囚われていた。 おそらく、何もかも投げ出して、死にたいと心の奥底で願うようになっていたのだ。 だがな、あのように有為な人材を放り捨てるわけにはいかんでな」

死にたいと言うから、死なせてやるほど、余は優しくない。

ジオ王は、そう言う。

ステルクは眉を跳ね上げる。だが、この王は。時々、こういったとても冷酷なところは見せるけれど。

しかし約束はきちんと守る人物である。嘘もつかない。

事実ロロナには、最初の約束通り、きちんとしたポストを与えていた。今後は、ロロナは政治的な発言権も得るし、潤沢な予算から錬金術をぐっとやりやすくもなる。

ステルクは知っている。

今のロロナは、人を救うことを生き甲斐にしている。それは、死さえ願っている今も同じ事だ。二つの事は矛盾なく、ロロナの中で共存している。

世界の闇を見て心が疲弊しきってはいるけれど。それでも、毎度毎度課題で実用的な品を納品してきたのは、それが理由だろう。

「そなたはこの国を愛しているか?」

「国そのものよりも、民を愛しています」

「それでよい。 余も同じだ。 だからこそに、今のスピアのやり方は看過できん。 アーランドの、自然と生きるやり方こそが、疲弊しきった世界を元に戻すために、必要なことだと信じている。 それには、アストリッドよりも、ロロナのような人材の方が必要なのだ」

それはわかっている。

だが、どうもやりきれないと、ステルクは思うのだった。

プロジェクトMの第一段階は成功だと、王は言う。

アーランドの国力は、ロロナが造り出した幾つもの発明品で、一気に成長する。

既に前線に配備されはじめたロロナ式自走大砲は、辺境の技術力を侮っていた列強に大きな衝撃を与えている。

ロロナ式耐久糧食も既に前線では一般的なものとなり、戦士達からは非常によい評判をもって迎えられていた。

貧しく水が足りない村々では、湧水の杯が救いの存在となっていた。既に幾つかの国から、湧水の杯提供を求める声が上がってきている。当然、今後の外交で、大きな武器になる事は間違いない。

更に、ロロナが量産化に成功したアーランド石晶は、宝石の不足に困っていた戦士達に、大きな戦力を与えている。今後、あのアーランド石晶を加工した魔術の道具によって、アーランド戦士の戦闘力は、大きく底上げされるだろう。

土壌を回復させる栄養剤の改良も、著しく進んだ。今まで使用されていた栄養剤とは質が違うと、現場で働いている緑化チームは声を揃えている。

荒れ地の緑化は、今後速度がかなり上がるだろう。今まで放置されていた荒れ地の幾つかは、これから一気に緑化できる。そうなれば、村そのものを増やすことが可能だ。これに、アストリッドが完成させたホムンクルスの量産技術を加えれば。人口そのものを、増やすことも出来る。自然に無理なく、だ。

これは出来レースだったが。

それでも、ロロナが果たした役割は非常に大きい。

「これより、プロジェクトMは、第二段階に入る」

「各国の連携を高めるための、路の創設、ですか」

「そうだ。 此方は10年計画で実施する。 そうそうに人材を見つけ出す必要がある」

それに、ロロナには弟子も取らせなければならない。

ただ、ロロナ自身が教育をするのは難しいだろう。あの娘は作られたとはいえ天才だ。天才が、凡人にものを教えるのは難しい。何か壁にぶつかったとき、何故そんな簡単な事がわからないのか、理解できないからだ。

王はプロジェクトM第二段階について、蕩々という。

わかっている。

それらは、既にステルクも、以前から会議で聞かされていたからだ。

「ロロナは。 いつ、自由になれるのでしょうか」

「そのような事をいわせるか? 余に」

「是非、お願いいたします」

「一生無理だな。 だが、それは仕方が無い事だ。 それにあの娘は、アストリッドが言う摂理の究極である神に到る道にいる。 賢者の石がどのようなものであろうと関係はない。 いずれ、神になるのは確定事項だ。 それが今すぐか、後になるか、それだけの違いでしかない」

無言で頭を下げるステルク。

強い反発の心が、胸の内に燃えさかりはじめている。ロロナとは、ずっと一緒に戦い続けてきた。

だからこそ、かも知れない。

いずれ、絶対にロロナを自由にしてやりたい。

そう、ステルクは思い始めていたのだ。

玉座の間を後にする。

この戦いは、始まったばかり。スピアとの戦争はこれから過酷さを増していく事がわかりきっている。

いずれ、王のもくろみ通りに行けば。

辺境諸国が、アーランドを中心に、連邦国家としてまとまり上がる。

そうすることで、中央の列強と互角以上に渡り合えるようになる。列強を統合したスピアとも、全面戦争が行える体力がつくだろう。そうなった後は、スピアの中枢にいる怪物共をどうにかすれば。安定の時代が来る。

国力を高めたアーランドの生活水準は飛躍的に向上し、むしろ列強の方が前時代的な富国強兵策に足下を掬われた形になる。やがて、力の差は逆転していく。

ここまで上手く行くとは、ステルクには思えない。

スピアの錬金術師達が、何をしでかすか、わかったものではないからだ。

王宮を出て、サンライズ食堂に向かう。

ロロナがお祝いパーティをしている頃だ。

今日は、せめてロロナを祝ってやりたい。

心が病み掛けているロロナには。せめて今だけでも。

三年にわたる地獄の課題を達成して。周りの皆からも愛されているという事を、伝えてやりたかった。

 

2、決別

 

アトリエに戻ったロロナは、ソファに座って天井を見つめた。

ぼんやりとしていて、意識が定まらない。

お祝いの会が終わった。

みんなおめでとうと言ってくれた。

有り難うと、応えた気がする。

それなのに、どうしてこんなにむなしいのか。

クーデリアが、側に座っている。

何故、このような結果になったのか、よく分からない。

さっき、自分が言ったことは本音からの言葉だ。技術の究極は、無為でしかない。身の丈に合わない技術なんて、人を不幸にするだけの存在。それについては、今でも真実だと、わかっている。

だが、どうしてだろう。

王は、ロロナを罰しなかった。

そればかりか。

今後も働けと、地位をくれた。

以前の約束通りに。

これから、ばりばり働いて、多くの人達を救う事が出来る。何とかナノマシンに汚染された世界を、元に戻す研究だって出来る。

もしそれが出来れば、パメラは救われるかも知れない。

荒野だらけのこの世界を、平穏に戻すことだって出来るだろう。時間は、いくらでもあるのだから。

「くーちゃん。 私……」

「いいの。 何も言わないで」

「うん……」

クーデリアは、どうなのだろう。

ロロナのこのもやもやの理由を、理解してくれているのだろうか。

いきなり、口に耐久糧食を突っ込まれた。

抵抗する気力も無く、食べる。

「今は少し休んで。 一月くらいはゆっくりして、気持ちを整理するといいわ。 今後は長くなるんだから」

「ごめんねくーちゃん。 さっきだって、ばかな私のために、本気で死ぬ気だったんでしょ?」

「いいのよ。 あまりこういうの、恥ずかしいから言いたくないんだけど。 あんたのためだったら、死ぬのなんて怖くないんだから。 今までだってずっとそうだったし、これからだってそうよ。 あんたはあたしの全て。 だから、もう心配しなくていいの」

涙が出そうになる。

クーデリアは、しばらくアトリエにいてくれるという。それだけで、随分気持ちが楽になった。

ロロナにとっても、クーデリアは比翼。誰よりも大事な、友達の中の友達だ。

言われるままベッドに移動して、しばらく眠る。

絶望に浸された心を、眠ることで、少しでも緩和するべきだと、クーデリアは言う。だから言われるまま、ひたすら睡眠を貪った。

こんなに眠ったのは、いつぶりだろう。

思えば、最近は睡眠さえ殆ど必要になっていなかった。

だから余計に、無心に眠るのは、気持ちが良かった。

恐らくは、四日ほどは眠っていたはずだ。

気がつくと、多少は、気持ちも楽になっていた。

アトリエに出ると、ホムが生まれた子猫たちの世話をするといって、ミルクを用意していた。

どうもこなーが、上手く子猫の世話を出来ないらしい。

何処までも手間がかかる猫だけれど。ホムは嫌がっていないようだった。ちょっと様子を見ていると、ホムは普段の器用さが嘘のように、子猫たちにはぶきっちょに接している。こなーもホムの事を信頼しているようで、子猫を好きにさせていた。

新しく、命は生まれてくる。

どんな形であっても。

だから、絶望して、力を全て投げ捨ててしまうのは。まだ早いかも知れない。

クーデリアがあくびして、奥から出てくる。ソファで眠っていたのだろう。ずっとアトリエにいてくれたという事だ。

「ありがとう、くーちゃん。 なんとか立ち直れそうだよ」

比翼の友は、此処にいる。

だから、ロロナはやっていける。

 

翌日、ステルクが来た。

納品した賢者の石の文句を言われるかとかすかに思ったのだけれど、やはりそれは無かった。それどころか、一月は休んで良いと言う。

「三年間の課題、本当に大変だっただろう。 今は休んで、力を蓄えるんだ。 君には、長期休暇を取る権利がある」

「はい。 わかりました」

「少し、元気も出てきたようだな」

わずかにステルクが笑う。そうなのだろうか。

よく分からないけれど。

軽く、書類の説明を受ける。これから国に所属した錬金術師として、幾つかの書類にサインをしなければならないという。

ざっと契約の内容を見る。

あまり問題がある文章は書かれていない。

たとえば、発明した道具類は全部国のものだとか、そういった強欲な事は、何処を探しても無かった。

ただし、国益に叶う行動をするようにとは書かれている。これから、公務員になるのだ。それは当然だろう。

「それと、君にはおそらく、弟子の育成を頼むことになるだろう」

「私が、弟子、ですか?」

「錬金術師が君だけでは、手が足りなくなるという事だ。 アストリッドはあの通りの性格だし、生真面目で優秀な錬金術師がもう何人か欲しい。 君の作った発明の数々で、今後アーランドは一気に発展していく。 スピアとの戦いも続くが、それによる疲弊以上の速度で、だ」

本当にそう上手く行くだろうか。

疑念は持ち上がったが、どうもステルク自身もそれは信じていないようだし、何も言わない。

ただ、これから国力を増すことは有意だろう。

スピアを潰すこと自体には、ロロナも大いに賛成だからだ。特にスピアを事実上動かしているという錬金術師達は、必ず殺さなければならない。あのような人達を、許してはおけない。

気力が戻ってきたからだろう。

少しは、外にも目が向くようになり始めていた。

言われるまま、ステルクに連れて行かれて、王宮へ。

其処で書類にサインをした。

書類自体にはじっくり目を通したので、内容には間違いが無い事がはっきりしている。これで、ロロナは国所属の錬金術師だ。以降は予算も支給され、動くのも色々とやりやすくなる。今までのように、課題を納品してお金を受け取るのではなくなるのだ。

これまでに以上に図書館の本も見ることが出来るようになるし、アーランド内の機密性が高い場所にも入る事が出来る。これについては、ロロナがドラゴンスレイヤーとなった事も大きいだろう。

ポストを得たし、クーデリアの状況だって改善出来る。

いや、もうクーデリアは。

自分で立場を改善していたか。

最初目的だった一つは、いつの間にか達成されていた。クーデリアはロロナと一緒に困難に立ち向かう内に、それだけ強くなっていたのだ。今度はクーデリアがロロナを守る番かも知れない。

お互いを支え合えば、きっと何だって解決できる。今のクーデリアの実力は、一流と言って過言ではない。クーデリアは記憶力も優れているし、ロロナにないものをたくさん持っている。だから、とても心強い。

書類の手続きが終わったので、アトリエに戻る。

少しずつ、気分が上向きはじめる。

今後も過酷な世界と戦わなければならない現実については変わらない。だが、ずっとどうにかしたかったクーデリアの家庭問題はひとまず片付いた。ロロナ自身だって、今後の見通しが立っている。

世界がどれだけ闇に満ちているとしても。

ロロナは、それをどうにかするべきだと思うし、力もついている。少なくとも賢者の石を作ったのは事実なのだ。それならば、今後出来る事は、三年前とは比較にもならない。ならば、するべきだ。

心が沈んでいて、見えなかったことが、見えてくる。

悪魔達の状況だって、改善したい。

苦しんでいる人達を、一人でも多く救いたい。

そう願ったはずなのに。

いつの間にか、沈み込んでしまった心で、周りが見えなくなっていた。

頑張らなければならない。

今は休んで、鋭気を蓄えて。

それから、また現実に立ち向かおう。

歩きながら、そうロロナは考えを、まとめ直していた。

アトリエにつく。

其処では。

師匠が難しい顔をして、待っていた。

足が止まる。なにやら、非常に嫌な予感が、胃の辺りからせり上がってきていた。

「どうしたんですか、師匠」

「国所属の錬金術師になったのか」

「はい。 この方が、動きやすくなりそうでしたから」

「……そうか」

座るように言われたので、椅子とテーブルを出してくる。

師匠は勿論、ソファを独占した。テーブルを挟んで、向かい合って座る。何か、大事な話だろうか。

師匠の様子が、おかしい。いつも変な人だけれど。何だか、敵意のようなものを感じるのだ。

「私はこの街を離れる」

「え……」

「ホムンクルスの量産については、パメラや他の魔術師が出来るように、既に引き継ぎをした」

いきなり、何を言い出すのだろう。

笑おうとして、失敗した。

師匠は、いつになく真面目な顔をしている。不真面目を絵に描いたようなこの人が、だ。それに、そのような事を、国が。

いや、国が命じたのか。

「既にお前は錬金術師として充分な力を得た。 私はそれに伴って、別の場所で遊撃の立場につく。 街を造り、其処で色々とする作業だ。 極めて面倒くさいが、やるほかない」

「ま、待ってください、師匠、その」

「これは決定事項だ。 それに私は、前からこの街を離れたかった」

雷が落ちたかと思った。

そうか。

そうだった。この人は。

だいたいは知っていた。この人は、世界そのものを恨んでいる。大事な人を迫害し、死に至らしめたこの街の人々も。

だから、この街からはいつか出たかったのだろう。

国にそうさせては貰えなかったはずだ。ロロナだって、今はわかっている。この人も、ロロナの周囲で蠢いていたプロジェクトに荷担していたのだろうから。それも、かなり深い所で。

或いは、ロロナが一度死んだとき。

この人自身が、プロジェクトを持ち込んだのかも知れない。

「お前はどうして、あのようなことを。 実用性の欠片もない賢者の石を納品したにもかかわらず、認められた。 私のように、世界から弾かれると思ったのに」

不意に、師匠の声のトーンが変わる。

今までは、声に感情が一切こもっていなかった。うっすらと、怒りが籠もっていたくらいだった。

今度は違う。

地獄の底からあふれ出てくるような憎悪と怨念が、声に籠もっていた。それは、おそらく師匠自体に起因するものではない。

師匠の大事な人。迫害に命を落とした、先々代の錬金術師。

彼女に対する、周囲の仕打ちが。回り回って、今ロロナにぶつけられている。

「私の師はな。 どれだけ迫害されても、この街の人々を愛していた。 私が必ず復讐をすると告げたときも、優しい声で言ったものだ。 私の大事な街と人達を壊さないで、とな」

ホムンクルスの基礎となる研究をした人。

わかりにくい研究をしていたから、認められなかった人。

誰もが彼女を無能と呼び、役立たずと蔑み。

そして、失意の中、命を落とした。誰も見舞いに来なかった。感謝の声など、どこからもなかった。寂しくアストリッドだけしか側にいない中。冷たい世界に見放されるようにして、死んでいった。

「今、ホムンクルスが、この街の、いや世界そのものの防衛にどれだけ役立っていると思っている。 師匠の貢献度は、お前などの比では無い。 何故、そんな事も理解できない愚民共が、師匠を殺した! 師匠は、どうしてこのような愚民共に、殺されなければならなかったんだ!」

何も言い返せない。

アストリッドは、ロロナの才能を調整した。嬉々として。

ひょっとして、それは。

この街に生きているロロナに対して、復讐をしていたのだろうか。生まれついての才能では評価されない、人間でさえない存在に作り替えることで。勿論、言われたとおりの仕事をしていた事もあるだろう。しかし、アストリッドの内心では、人間でさえ無い事をロロナが気付いた後、苦悩するのを見越して、復讐の糧にしていたのか。

あり得る話だ。

アストリッドの闇は深い。

もはや、誰にも。その闇を払うことは出来ない。きっと先々代の錬金術その人が、この場にいなければ。

今では、ロロナはそれを、酷いとは思わない。

人では無い存在になってしまったのは、自分の愚かさが故。そうでなければ、クーデリアもろとも命を落としてしまったのだから。

どのような思惑があったとは言え、アストリッドのことを恨むのは筋違いだ。

それを伝えると、ますますアストリッドの眉間の皺が深くなるのがわかった。本気でキレそうになっているのは、一目で分かる。

昔だったら、怖くて膝が笑ってしまっただろう。

だが今は。この人の事が、悲しく思えてならなかった。

「私は此処を離れて、対スピアの最前線となる街に出向く。 国境付近にある砦を改装した場所だ。 其処でしばらく修羅となり、敵を殺す事だけに専念するつもりだ。 ただひたすら敵を殺す事で、己を全て無にしたい」

「……いつでも」

「なんだ」

「いつでも、帰ってきてください。 私は、師匠を待っています」

まるで、汚物か。

それとも、邪魔なゴミか。

或いは、何だろう。もっと酷いものか。

そんなものを見るような目で、アストリッドはロロナを見ていた。その目には、闇だけが宿っていた。

首を掴まれる。

ぎりぎりと、アストリッドの手が、ロロナの首を絞めていくのがわかった。

アストリッドの握力なら、ロロナの首を折ることくらいは、簡単なはずだ。だが、アストリッドは、そうしなかった。

ほどなく、手を放すアストリッド。

彼女の目からは、涙が伝っていた。

「どうしても、殺せない。 愚民共の見本のようなお前を一体何度殺そうと思ったか、わからないのに。 師匠の肉片が、体の中に埋め込んであるからか」

「っ……!」

「最初、お前の体を修復補填したとき。 調整の過程で、師匠の培養した肉を幾らか埋め込んだのだ。 だからか。 お前を、殺せないのは。 ふ……くくっ。 お前を嬲るのが楽しくて仕方が無かったのも、きっとそれが故だろうな」

アストリッドの手に触れる。

もう、苦しまなくて良い。そう伝えたい。

だがアストリッドは、手を払った。身を翻すと。此方から視線を外した。

気まずい沈黙が続く。

アストリッドは、ロロナの助けなど、求めていない。この人の心は、例え手を伸ばしても、届く所には無い。

救いを求めていたリオネラや、ずっと悲しみを一人で循環させていたクーデリアとは、違う。

文字通りの地獄が。

アストリッドの心の中には、存在しているのだ。

「お前の補助用に、ホムンクルスは何体か置いていく。 お前が新しくホムンクルスを作れるようにも、レシピは残しておこう。 今のお前なら、再現は極めて容易なはずだ」

「師匠、いつか私を。 いいえ、人々を、許してくれますか。 師匠のことを、私はもう、恨んでいません」

「……恐らくは、無理だろうな。 私はもう、考えを変え、愚民を許すには年を取りすぎた。 だが。 お前の事は、どんなに愚かでも。 嫌いでは無いよ。 どうして私を恨まずにいられるかは、理解の範疇外だが。 だが、お前が何の役にも立たないものを作ったにもかかわらず認められ。 師匠がわかりにくいと言うだけで、この世界に最高の貢献を果たすものを作ったにもかかわらず認められなかったことは、生涯許さん」

師匠が、アトリエを出て行く。

ホムも連れて行くようだ。猫たちは置いていくようにと、師匠が言っていた。

ならば、ロロナが面倒を見なくてはならないだろう。一ヶ月、ただ休むだけではなく。これで、する事が出来た。

こなーを撫でながら、なんとなしに、ロロナは理解できていた。

アストリッドが許せなかったのは。

きっと、愚民よりも。

その時。何も出来なかった。自分自身だったのだろうと。

だから、あれほどに闇は深い。

いつか、師匠は自分を許せるのだろうか。

わからない。

こればかりは、アストリッドの問題なのだから。

空を見上げると、嫌みなほどに晴れ渡っている。きっとしばらくは、快晴が続くことだろう。

今頃になって。

ロロナは、全てがようやく終わったのだと、理解できていた。

その終わりというものが。絶望と、悲しみと。それに虚無で構成されているという事も。

 

街の門で、ステルクは待っていた。

気が進まない任務だが、やるしかない。

アストリッドを北にある国境街の建設地まで案内するようにと言う王の指示である。護衛も兼ねているが。アストリッドに護衛など、必要ないだろう。彼奴は、ステルクよりも実力が上だからだ。

アストリッドは、ステルクを見ると、案の定不愉快そうな顔をした。任務を告げると、もっと不愉快そうな声を出す。

「余計な真似をするな」

「そういうな。 さっさと行くぞ」

「……わかった。 どのみち、逆らうことは出来ないか」

これから行く所は、アーランド王都に次ぐ第二の規模を持つ街となる予定だ。

だが、元が砦なので、何も無い。

まずは水を確保し、街の周囲に城壁を作る。荒れ地を森にし、インフラを整える。近くには、夜の領域もある。

夜の領域を監視しつつ、いざというときには悪魔と接触するために、新しく街を作るのだ。

主にこれから、労働者階級の人間が、此処に越してくる。

防衛戦力は、ホムンクルスの部隊が担う。

そう言う意味でも、アストリッドがこれからやらなければならない仕事は、とても多いのだ。

ステルクはしばらく常駐して、防備が固まるのを見届けてから、離れる。

しばらくモンスターをけしかけてくるスピアとの戦いが続いたが、経済や産業に打撃を受けたわけでは無い。

むしろ幾つかの国との水面下交渉が上手く行き、アーランドの経済そのものは極めて潤沢な状態にあるのだ。

だから、街を作る事自体は、難しくはなかった。

歩きながら、会話をする。

元恋人同士とは思えない、色気が無い内容ではあったが。

「あの賢者の石は、実用性は無かったが、だがしかし凄い技術の結晶だったな」

「意外だった。 あいつは錬金術の実用性に特化した才能を与えていたのに。 どうして最後に、あのようなものを作ったのか。 この私としたことが、完全に予想を外すとはな」

「陛下は予想していたようだ」

「……そうか」

王の方が、アストリッドより一枚上手。これについては、ステルクも前から知っていた。

アーランドはこれで、極めて優秀で戦闘力も高い錬金術師を一人手に入れた。スピアは今後更に勢力を広げていくだろうが、おそらくロロナの成長の方が早い。そう、ステルクは見ている。

絶望は、していない。

建設予定地に到着。元の砦はそのままで、それを中心に広げていく方式を採っている。納品された湧水の杯を十個も用いている。水は街を作るのに、いくらでも必要だからだ。労働者階級の人間が、既に百人以上は働いているのが見えた。この街は、アストリッドが守って行くのだ。

アストリッドの機嫌は、非常に悪い。

ロロナと別れたのが、それほど悲しかったのだろうか。

違う。

ステルクは、知っている。これでも、元は恋人だったのだ。

アストリッドは、ロロナをかわいがっていたが。その一方で、殺してやりたいほど何処かで憎んでいた事を。

ロロナは周囲に愛されていた。

一生懸命だったし、分かり易かった。

才能はアストリッドが調整したとは言え。周りに愛される努力は、ロロナはいつも欠かさずしていた。

周りに圧迫感を与えない容姿も、それに寄与していたかも知れない。

発育は悪かったけれど。

そう、何もかも。アストリッドの師匠である、先々代アトリエの主と、正反対だった。愚民を憎むこと甚だしかったアストリッドが。それを見ていて、気分が良いはずもないだろう事は、ステルクにはわかっていたのだ。

最近、調べて分かったことがある。

アストリッドは非常に幼い頃、両親に捨てられた。幼い頃からあまりにも才気煥発であった事が理由だ。

アストリッドの両親は、没落した魔術師だった。才覚がなくて、実力主義のアーランドでは、地位が保てなくなっていった者達だった。彼らにとって、先祖返りにも等しい存在だったアストリッドは、最初希望の光に見えたのだろう。溺愛して、結果としてどんどん性格を歪ませていった。

やがて、掌を返すように。

自分たちに出来なかった事をこなしていくアストリッドを、両親は憎み、恨むようになっていったのだ。

両親の愛情を、わずかな間しか、受けられなかった。

子供は、愛情を受けて育って、はじめて心を作り上げることが出来る。それくらいは、ステルクも知っている。

だからこそに。

アストリッドは、自分を受け入れてくれた先々代アトリエの主に、親以上の愛情を向けるようになった。

そして慈愛に満ちた性格の主だった先々代も。アストリッドのことを、受け入れるようになったのだ。

だからこそ、だろう。

アストリッドは、親以上の存在を。分かり易い貢献がなければ認めないという、近視眼的で愚かな民に奪われたことを、恨んだのだ。

そして、守る事も出来なかった、自分も。

本当に荒れていた頃のアストリッドは、手が付けられなかった。

恋人であるステルクは何度も彼女を救おうとしたけれど。アストリッドの闇が、自責にある事を見抜いていたから、どうすることも出来なかった。他国を放浪するアストリッドは、破壊の魔女などと言って怖れられた。

それだけ多くの人を殺したのだ。モンスターもたくさんたくさん殺したようだが、それ以上に殺戮した人間の方が多かった。

ジオ王がどうにか捕縛して連れ帰って。首に鎖を付けて、アトリエに押さえつけるまで、一年程度。

その間にアストリッドは、二千五百を超える人を殺したらしいと、ステルクは風の噂で聞いている。

主に戦場で、だが。

捕まえたときなどは、ある列強に所属する一個師団相当の戦力を一人で壊滅させ、血と肉塊の中で、立ち尽くしていたのだそうだ。

文字通り、一人で国一つを潰しかねない、破壊の申し子と化していたのである。

その頃のアストリッドが、どんな精神状態にあったのか。どれほどの地獄に、自らの心を沈めていたのか。

戦士としての訓練を続けてきたステルクでさえ、身震いするほどの悪夢だ。

アストリッドは、その頃に戻ってしまったのだろうか。

否。

今のアストリッドは、心の整理がついていないだけ。

実用品でないものを納品したロロナが認められたことで、怒りを覚えているだけだ。ロロナ自身は、アストリッドは愛している。憎悪以上に、愛情が深い。それは、ステルクにも、理解できている。

「ロロナ君に、たまには会いに行ってやれ」

「……どうしてだ」

「あの娘は、お前がどうであろうと、受け入れてくれる。 それはお前自身が、一番よく分かっているはずだ。 お前の心にある自責の地獄だって、理解した上で受け入れてくれるだろう」

にらまれる。

だが、怯まない。

しばらく無言で火花を散らしたが。視線を先にそらしたのは、アストリッドだった。

「わかった。 一段落したら、顔を出してやることにするさ」

「そうしてやれ。 あの子はもう独立した大人だし、周囲にも愛されている。 だがきっと、一番認めて欲しいのは、お前にだろう」

「愚かしい話だ。 私があの子を、どんな目で見ていたか。 それに痛めつけることと、嬲る事しかしていなかった」

「だが、親としても、見ていたはずだ」

アストリッドが、黙り込む。

ステルクは咳払いすると、その場を離れることにした。

これ以上は、自分自身で決めること。自分を許すことが出来るかも、アストリッド次第だろう。

これからは、何年も、此処でスピアと戦う事になる。

勿論妨害工作は即座に仕掛けてくるだろうし、此処を起点に出撃して、敵と戦うことも多くなるはずだ。

プロジェクトMは第二段階に入る。

その過程で、アーランドはまず連邦国家となる。既に隣にある二つの国との併合が決まっており、更に併合する国は増える。今はそれを推進している状況だ。

混乱も生じるだろう。

ステルクには、寝る暇も無くなるが。

しかし、その一方で。誰かを守るために、体を粉にして働くという、とてもやりがいのある人生が来る事も意味している。

騎士という地位は消滅する事が決定してはいるが。

今後も、ステルクは騎士という存在そのものの生き方が出来る筈だ。勿論、ダーティワークもこなさなければならないだろうが。

やりがいは、ある。

黙々と仕事に入るアストリッドの背中を見て、ステルクは思うのだ。いつか、あいつをまた、支えてやりたいと。

それはいつのことになるかわからないが。

いずれにしても、今は。与えられた仕事をこなしつつ、時を待つ。それだけだった。

 

3、全てのその先に

 

何人かいるホムンクルス達に雑作業を任せて、ロロナ自身は調合の最終段階に入る。戦闘向けに調整されているとは言え、ホムンクルス達は基本的に手先も器用で、失敗もあまり多くはない。

炉から引っ張り出したインゴットに、調合しておいた液体を掛ける。

一気に蒸気が噴き出した。

このインゴットは、今アーランドが進めている路の創造計画の要となるもの。風雨に強く、何より重くて安定している。敷き詰めることで、非常に安定した路を作り上げることが可能となるものだ。

現地で一度調合中の液体を掛けることで、柔らかくすることが出来る。

叩いて伸ばして、切り分けて。

セットすることで、非常に頑強な路の元になる。石材は現地で調達するとして。路の枠を作ったり、石材を固定するのに、非常に大きな効果を発揮するはずだ。

路があるとないとでは、まるで移動にかかる労力が違う。

これは荷車を引いて彼方此方に出かけた事で、ロロナも散々に思い知らされた事だった。

汗を拭った。

後は性能実験だ。ここからが大変だけれど、今はアトリエに複数のホムンクルスがいる。彼女らに任せておけば、作業時間はかなり短縮できる。

戸をノックする音。

気配からして、リオネラだろう。

「はーい!」

「おはよう、ロロナちゃん」

「おはよう!」

アトリエに入ってきたリオネラは、以前とは随分格好が違っている。

束ねていた髪は下ろしているし、随分伸びた。人形劇をしていた頃の薄い衣服はもう着ていない。今では袖が長い魔術師用のローブを着込んで、手にも専用の杖を持っていた。そして、アラーニャとホロホロは。

最近は、心の中で時々会話をするだけのようだ。

人格の統合は、もう完成しているのかも知れない。

長い長い地獄の中から、リオネラは這い上がることが出来たのだ。最近は笑顔も増えてきたし、以前とは違う方向で、彼女はおじさま達に人気が出ているようだった。元々顔の造作も整っていて綺麗な子だったので、なおさらなのだろう。

「今日も朝から精が出るね」

「後は実験をして終わりかな。 石材固定用の強化材、上手く行けば数日以内に納品できそうだよ」

「良かった。 はい、お土産」

手渡されたのは、バスケット。

中には焼き菓子がたくさん入っていた。リオネラが師匠にしている魔術師の一人が、焼いてくれたものらしい。

ホムンクルス達を呼んで、お茶の準備をさせた。

何人かいるホムンクルスは、いずれも戦闘向けではなかったり、手酷い怪我をしてPTSDを煩い、前線から戻されてきた子達だ。

リオネラがてきぱきとお茶を淹れてくれたので、そのままブレイクタイムにする。

どのみち、作業はもう一段落しているのだ。

本当のところは、もっと働いても大丈夫なのだけれど。リオネラもクーデリアも、ロロナが連続して働き続けていると、すごく怒る。

だから、今では。適当に休憩を入れることが、日課になっていた。

お菓子はとても美味しく焼けている。

どうやら何かの香辛料を入れているらしい。医療魔術師として既に働き始めているリオネラだが、技術を更に上げるために。まだまだ修行は続けている。この辺りの生真面目さが、師匠達にかわいがられる要員なのだろう。

クーデリアが、少し遅れてきた。

彼女は国から、正式にロロナの作業における進捗管理を任されている。だから一日一回は、絶対に様子を見に来る。

結局あの課題を終えた日からも、クーデリアの背は伸びていない。

ロロナもそれは同じだ。ただロロナは少しお胸が大きくなったり、体つきが大人っぽくなったのに。クーデリアは幼児体型のままで、それを気にはしているようだった。

アストリッドによる調整の悪影響は、体にこんな負担を掛けている。

いずれにしても、どうにかして改善することは、今なら本気になれば出来るだろう。あの課題が終わってから、三年。

ロロナの技術も知識も、昔とは比較にならないほどに増している。

まだまだアストリッド師匠には勝てる気がしないけれど。それでも、クーデリアやロロナの体に施された実験の結果は既に見つけているし、其処からさかのぼって改善策を見いだすことは可能だ。

だが、クーデリアは、無理はしなくて良いと、時々寂しく笑う。

この小さなまま成長しない体で、別に構わないと言うのだ。

ただ、調べて見て、わかっている。

クーデリアは子供が産めない体だ。調整の結果だろう。これはロロナも同じ。

いずれ、もし好きな人が出来て。子供を産みたいと思うようになったのなら。もう一度、真剣に話し合わなければならない時が、来るだろう。

その時のためにも、研究は進めておかなければならない。

クーデリアは、ロロナが造り出した道具類の、販売管理も請け負っている。それで出た利益の殆どは国が吸い上げるが、一部はクーデリアとロロナの所に降りてくる。

正直、それで充分な活動資金が造れるので、ロロナには不満はないのだけれど。

クーデリアは搾取しすぎだと言って、国側の責任者であるメリオダス大臣と、毎月激しくやりあっているらしかった。

最近はメリオダスの業務の一部をタントリスが引き継ぎはじめているとかも聞く。その過程で、タントリスとやり合うことも増えているそうだ。

タントリスも、時々アトリエに遊びに来る。

ただ、昔は毎回違った女性とつきあっていたようなのだけれど。今では、交際している女性は一人に絞っているそうだ。以前紹介されたのだが、清楚な雰囲気の優しい女性だった。

茶が終わったので、作業に戻ろうとする。

咳払いしたクーデリアが、目を光らせる。

「時にロロナ、また弟子に逃げられたんだって?」

「え? あ、うん。 はい」

「国からの依頼は的確にこなしているから、あたしが取りなしてはいるけれど。 そろそろ、まずいわよ」

「そっかあ。 また駄目だったの」

リオネラが、本当に残念そうに言う。

ロロナは苦笑いしてしまった。

去年くらいから、本格的に弟子の育成をはじめたのだ。

だが、ロロナはやはり、誰かにものを教えるには向いていないらしい。クーデリアに言われて色々と試してはいるのだけれど、それでも難しいのだ。

弟子候補の人は、たくさん来る。

ロロナが作った湧水の杯によって救われた村の人達。耐久糧食のおかげで、飢えを免れた戦闘専門の魔術師。ロロナの作った自走式大砲に興味を持った科学者なんて変わり種さえいた。

年齢も様々。子供から大人まで。中には、ロロナの親ほども年が離れた人さえいた。

みんな、熱心で、錬金術に興味を持っている人達ばかり。

だけれど、彼らはロロナに教わった後、揃って言うのだ。

「ロロナ先生の言う事は、あまりにも抽象的すぎて、理解しがたい。 錬金術は、貴方にしか使えない、一種の固有スキルだとしか思えない」

同じ事を、たくさんの人に言われた。

時々ステルクやエスティが来て、弟子はまだかとせっついてくる。この間などは、なんとジオ王が直接アトリエに来て、孫でも促すようにせっついてきたのだった。ロロナは恐縮するしかなかった。

今でもスピアとの戦いは続いている。

ロロナも時々かり出されて、強力なモンスターと一戦を交えることもある。その時は、だいたいクーデリアやリオネラも一緒だ。

悪魔達とも、共同戦線を張ることは多い。

それらの活躍は、プロジェクトの進捗を、大いに助けてはいるらしいのだけれど。

弟子が出来ない事だけは、大きな問題らしかった。

「もう一度言うけれど、あたしが庇うのも限界が近いのよ。 あんたは今じゃ相当な腕前の錬金術師なんだから、弟子さえとれば随分楽になるし、事業も拡大できる。 どうにか工夫しなさいよ」

「わかってるよ、でも難しくて」

「天才は、凡人の心を理解できないって奴だね」

リオネラが、笑顔のままさらりという。

この子は、以前は硝子のように脆かったけれど。最近は図太いところも出てきている。時々毒舌も振るうようになったので、そんなときは苦笑いだ。

「いっそのこと、ずっと小さな子供を弟子にしてみる?」

「そうだね。 まずは楽しく、歌って踊りながら、錬金術のイロハを、とか?」

「楽しそうだね、それ」

「やり方は好きにしなさい。 成果さえあがれば、誰も文句は言わないわ。 あんたの仕事と同じようにね」

実際、ロロナの納入した品に、クレームが来たことは一度もない。

やはりロロナは実用に長けた道具を作る事に、一日の長がある。しかし、どうしても弟子の育成だけは、四苦八苦ばかりだった。

リオネラが邪魔になってはいけないと、帰って行く。

クーデリアは残って、作業の進捗の確認と、手伝いをしてくれた。クーデリアが側にいると、やっぱり安心して作業が出来る。何より、あらゆる事を覚えてくれているのが、本当に有り難い。

ホムンクルス達に手伝ってもらって、実験を進める。

夕方に、もう一度休憩。

クーデリアと連れだって、サンライズ食堂に出向いた。

イクセルは少し前に彼女が出来て、それが原因か、随分とかっこよくなった。元々かっこよくなる下地はあったらしく、それが女が出来る事で伸びたのだろう。

料理を注文するが。

忙しそうにしているイクセルは、以前のように厨房からは出てこない。

代わりにウェイトレスさんが、料理を運んできた。彼女は以前、ロロナが作った薬で難病から命を取り留めたことがあり、その事もあって随分良くしてくれる。今日もおまけだと言って、少し大盛りに料理を持ってきてくれた。

成長期を過ぎた今でも、生体魔力が人並み外れて大きいせいか、食欲は結構ある。

クーデリアと一緒に、しばし黙々と料理に舌鼓を打った。

食べ終えた後は、くつろぎながら、軽く話す。

仕事の話が殆どだった。

「スピアはホランドを制圧した後、隣国に侵攻を開始したらしいわ。 海軍が全滅したって言うのに、旺盛な事よ」

「本当に、どうしてなんだろう」

スピアの話を聞くと、悲しくなるばかりだ。

ホランドが有していた強力な海軍は、スピアに接収された後、悪魔達が切り札として導入した強力なドラゴン「海王」によって、一夜にして滅びた。全ての軍船が潰され、海に沈んだのだ。元々嵐の日だったので、海兵達は船から上がっていて、あまり人的被害は出なかった。そうするように、ロロナが悪魔の長であるロードに頼んだのだ。

海兵だけいても、海軍は意味がない。

これで、海上でのスピアの行動は、著しく制限される。

その筈だったのに。

スピアの錬金術師達は相も変わらずで、活発にアーランドに攻撃を仕掛けてくる。北の街を守っている師匠の様子も心配だ。時々どころか、頻繁に大物モンスターによる襲撃があるようなのだから。

このままだと、手数で押し負けてしまう。

やはりみんなが言うように、弟子の育成は必須なのだと、ロロナもわかっている。

国が相手になってしまうと、どうしても一人では対処が難しい。ロロナの分身とまではいかないにしても。近い能力を持つ錬金術師がもう一人いれば、アーランドは随分と楽になるはずなのだ。

「この様子だと、予想通りスピアが大陸の北東部を10年以内に制圧するわね。 もしそうなると、アーランドにかかる負担は、今までの比では無くなるわ」

「どうにかしないと」

「わかってるなら、早く弟子を作りなさい。 多少出来が悪くても、あたしも一緒に鍛えてあげるから」

そう言われると、心強い。

銭湯に行って汗を流してから、アトリエに戻る。クーデリアは家に帰った。これから、色々と作業をまとめなければならないらしい。ひょっとすると、近いうちに遠征があるのかも知れない。

修羅場はもう慣れっこだ。

今更、モンスターと戦う事を、怖いとは思わない。

アトリエに戻ると、手紙が来ていた。食事に行っている間に、エスティが置いていったのだと、ホムンクルスが言う。

それは、南にある港町である、アランヤ村に出向けという内容であった。

仕事の内容は、さほど難しいものでもない。ただ、気分転換には丁度良いかも知れない。

遠征に備えて、今日は早めに休むことにする。

周りに支えられて、ロロナは今生きている。

だから、周りを無視するわけにはいかないのだ。

 

エピローグ、闇をさまよう者

 

ロロナは、夢を見た。

師匠が闇の中、一人でさまよっている夢。

ロロナが呼びかけるが。アストリッドは振り返らない。その手は血まみれ。そして気がつくと、辺りにはたくさんの死体が散らばっていた。

その中には、自分やクーデリアのものもあった。

ステルクや、ジオ王のものさえも。

息を呑もうとして、失敗する。師匠は殺戮の限りを尽くして、嬉しそうにしているか。否。その目には感情の一つも、宿ってはいない。ただ殺したいから殺した。そう顔には書かれていた。

死体の中にホムを見つけて、悲しくなった。

師匠のすぐ側に立つ。夢だとわかっている。だから、どんな矛盾があっても、不思議では無い。

師匠はロロナを見もしない。どうして、このような悲しい断絶が、師匠との間に出来てしまったのだろう。どうして、こんな悲惨な夢を、見てしまうのだろう。

そうだ。

この間、師匠にあった。たまたま、旅先で。そこに師匠がいるとは聞いていなかった。師匠も、ロロナが来るとは知らなかったらしい。

その時師匠は、ロロナを見て、こう言った。

まだ生きていたのかと。

おかげさまでと応えると、アストリッド師匠は薄く笑った。ホムは近いうちに帰す。このままでは、死なせるだろうからと。

修羅となって、自分を無にしたいと言っていたのは、本当であったらしい。

いつでも帰ってきてください。

そう言ったけれど。師匠は、ロロナの方を、見もしなかった。

ロロナが手を伸ばしても、届かない先へ、アストリッドは行こうとしている。血と屍で塗装された、闇の先へ。

誰もが、師匠に愛情を向けなかった。

唯一向けた人は、惨殺されてしまった。

だから、師匠は。今でも世界を憎んでいる。人間全てを、師匠は許す気が無い。そして何より、自分自身を一番嫌い抜いている。

わかっている。そんな事は。

だが、いつかは救いたいのだ。

この死体の山は、師匠の願望。だから、止めなければならない。だが、師匠を止めたとき。あの人は、救えるのだろうか。

 

目が覚める。

遠くで虫が鳴いている。知らないベッド。隣には、護衛として連れてきたホムンクルスのナナニが眠っていた。77番という名前を付けられていたのだけれど、それでは可哀想だと思って、ロロナが呼び始めたのだ。

師匠が送り返してきたホムは、この場にはいない。今は留守番を担当している。ホムンクルスなのに、既にロロナよりも背が高くなっていて、羨ましい。

そういえば此処は。

頭を振って、思い出す。

そうか、滞在するようになった、アーランドの南部最辺縁にあるアランヤ村だ。ある事情から、しばらく此処にいて欲しいと頼まれている。

そして、どうやら、ようやく弟子が出来そうなのだ。

コートを羽織って、寝間着のまま外に出る。慌ててナナニがついてきたので、好きなように護衛させる。

虫の鳴き声が近くなった。

潮風の臭いがする。

海がすぐ近くに見えて、思い出してしまう。

悪魔達は死ぬと、海に死体を流す。そうすることで、少しでもナノマシンを中和するのだとか。

幸い、ナノマシンを中和するカウンターナノマシンは、海の中では自動繁殖できる。だから、海の汚染に関しては、陸よりも遙かに早く回復が進んでいるという。お魚がたくさん住めているのも、そのおかげなのだとか。

夜の領域に少し前に足を運んだとき、聞かされた事だ。

夜の港は閑散としている。この時間だから、というのもあるのだけれど。海には強力なモンスターが、昔から多く出る。生息密度はあまり高くないのだけれど、何しろ漁師は行動範囲が広い。遭遇する可能性は、どうしても高くなるのだ。

アランヤ村には優秀な戦士が複数いて、その中の一人は、クーデリアが何度も文句を言っている札付きの問題児だった。ただ彼女は少し前に失踪しており、それ以降この村はどうにも振るわない状態が続いている。ギゼラという名前の彼女は、近隣を脅かしていた海棲のドラゴンと相打ちになって姿を消したらしく、村の者達は生存を絶望視しているようだった。

少し寒いけれど、平気だ。

歩いて、村を見回る。途中、巡回の戦士達とすれ違った。挨拶してくれたので、此方もぺこりと一礼。

異常は無し。

状況を確認すると、泊まっている家に戻る。

奇しくも、噂のギゼラの家だ。今は夫と、娘が二人、慎ましく暮らしている。一人分が丁度空いているので、使わせてもらっているのである。

アーランドでも端の端にあるこの村は、モンスターの脅威にもさらされ、土地も豊かではない。だから、ロロナが少しでも改善するために、直接足を運んだのだ。

既に戦士達と協力し数体の強力なモンスターは屠って、村の脅威は除いた。村の側にある平原や荒れ地に住んでいる脅威度が低いモンスターについては、戦士の質を維持するためにも、残しておく。それに、ロロナは、オルトガラクセンでこの世界にいるモンスターの真実を知っている。できる限り、無駄な殺生はしたくない。

村の中央には、持ち込んだ湧水の杯が四つ。

この村の近くには河口がない。

つまり、海の側だというのに、水が足りていないのだ。何故このように不便な場所に村を作ったかというと、近くにあった森には、泉があったから、らしい。残念ながら今では、それは枯れ果ててしまっているが。民は半日ほど歩いて側にある汚れた川に赴き、、樽に水を詰めて荷車で運び、生活に用いていた。勿論非常に汚い水なので、濾過しないととても飲めない。今の人間はその程度の汚れは平気だけれど、精神衛生上の問題だ。

流石に不便極まりないだろうと思って、ロロナが湧水の杯を持ち込んだのだ。今ではある程度の政治的権限も与えられているし、このくらいの判断であればしても良いことになっている。

事実、村の人達は。モンスターの駆除よりも、此方を喜んでいたほどだ。

港の方には、朽ちかけた船が幾つか泊まっている。

未だにモンスターが怖くて、海に出られないのだという。ロロナが代替生活手段を持ち込んではいるが、まだしばらくは、村の再建に時間が掛かるだろう。幸い、村の戦士達は、ロロナを尊敬してくれている。身の危険を考えなくても良いことだけが救いか。ただ、漁師をしていた者達は、近場で釣り糸を垂れたり網を投げたりして、申し訳程度の魚しか捕ることが出来ず、腐っているようだ。

彼らを何とかしてあげたい。

見回った後、家に戻る。

寝る少し前まで、娘二人の内姉の方。ツェツィーリアというしっかりものの娘は、てきぱきと働いていた。明日のための薪を作ったり、水を汲んでためておいたり。あれだけてきぱきと働ければ、嫁のもらい手には困らないだろう。

ただ、戦闘力はあまり高くないようだった。

これは妹も同じ。

アーランド人らしくもない。ひょっとすると、別の国の出身者かも知れない。

ベッドに入ろうとすると、目を擦りながら、この家の娘、妹の方が部屋に入ってきた。名前は、トトゥーリアという。トトリと呼ばれる事が多いようだ。アーランドでは珍しい名前だが、此処はこの国の最辺縁。不思議な文化が隣国から入ってきていても、おかしくはない。

トトリは事故にあう前のクーデリアを思わせる雰囲気がある。喋るのも何もかも、おっかなびっくりだ。

「先生? まだ、おきてるの?」

「ううん、もう寝るところだよ」

ドアの影から、じっと此方を見ている小さな娘。

恐がりで、臆病。

しかし、ロロナの言う事をきちんと理解できて、錬金術の基礎を身につけることが出来た、初めての人間。

要するに、元の知能が非常に高いのだろうとロロナは考えているけれど。本当のところは、よく分からない。

かといって変人というわけではなく、平均的な考え方も持っている。

或いは、天才と凡人の間を埋めうる、希有な存在かも知れない。

だがそんなトトリも、今はまだ、弱々しい小娘だ。

一緒に寝るかと聞くが、首を横に振る。

「起きたときいないと、お姉ちゃんが心配するから」

「そう。 お姉ちゃんが大好きなんだね」

「うん……」

寝室に戻っていく。

あれは、お姉さんよりも。お母さんが恋しい様子だ。部屋に気配を感じて、お母さんが戻ってきたのかも知れないと思って、見に来たのだろう。

それはそうだ。まだ九歳なのである。

失踪した母親も、まだ若かったと聞いている。無理もない事である。

やりきれない話だけれど。この世界には、この程度の悲劇なんて、いくらでも転がっている。

ベッドで寝返りを打つ。

人の数を増やしすぎれば、いにしえの時代の二の舞。

技術を上げすぎれば、きっとまた、スピアの錬金術師達のような人達が、世界にとんでもない事をしでかすだろう。世界がこのような状態になっても、未だに人間を万物の霊長とか考えてしまう人がいるのだ。人間の愚かさは、ロロナが想像する範囲を遙かに超えてしまっている。

ロロナに出来る事は限られている。

本当にこれで良いのか、悩むときも多い。

でも、今はこれしか無い。

そう信じて、ロロナは出来る事をやり続ける。

力は得た。

知恵も。

だから、得た物で、可能な限りの人は救う。そうでなければ、人間を止めてまで付加された力が無為になってしまう。

凶行を働く外道は、力の及ぶ限りで止める。そうしていくことで、自分が出来る範囲で、世界を変えていくのだ。

ロロナの弟子が出来て。そのまた弟子に、力と志を伝えて。その頃には、世界は少しはマシになっているだろうか。

ふと、血だらけで、此方を見ている師匠を見た気がした。

彼女は虚ろそのものの目で、ロロナを恨んでいるように思えた。

そんな師匠も、救ってあげたい。

傲慢かも知れないけれど。それが、今のロロナの。もっとも、果たしたい目標の一つ。身を縮めて、どうすればいいのだろうかと、ロロナはもう一度、考えはじめたのだった。

 

(ロロナのアトリエ二次創作 暗黒!ロロナのアトリエ 完)