地底の邪神

 

序、復帰までの障害

 

ステルクは、いつまでこうしていれば良いのだろうと、ベッドの上で思った。既に傷そのものは言えている。レオンハルトが剣に塗っていた毒も、既に体からは抜けている。それなのに、動く事は、まだ許可して貰えない。

魔術師達が、なにやらデータを取っているのだ。

その中には、ロロナの母である、ロアナも混じっていた。ベッドには魔法陣がひっきりなしに出現しており、ステルクには内容が解析できないほど難解なものも多かった。

アストリッドが来る。

ロロナも連れていた。

心配した。ロロナが取り乱すのでは無いかと思ったのだ。だが、思った以上に、ロロナは落ち着いていた。

「おや、まだベッドを妻にしているのか」

「ぬかせ。 それよりも、ロロナ君。 君も大変な目にあったようだな。 もう歩いて大丈夫なのか」

「へっちゃらです。 それより、お見舞いにも来られなくて、ごめんなさい」

ロロナは、この間強力なドラゴンを、オルトガラクセンで見事に葬って見せたという。アストリッドが自慢げに話しに来たので、それは知っていた。

勿論、その時にロロナが、腹に風穴が開くほどの手酷い負傷をしたことも、既に聞かされている。

ロロナがくれたお土産は、新しい剣用のベルトだ。これに限らず、武具は病人への見舞いとして、アーランドでは最も喜ばれる。早く治って戦場に出てくれ、という意味である。戦場に出ることは、アーランド人にとってもっとも名誉なことなので、病人も喜ぶのである。

他の国の人間はこの風習を聞くと真っ青になるとか聞くが。

ステルクは、アーランド人なのでむしろ嬉しい。それに、この間の戦いで、剣用のベルトは壊されてしまったから、丁度良かった。

一方で、食べ物や花は喜ばれない。

食べ物は、寝台で太れという意味につながるから。

花は、寝付くという意味につながるからだ。

少し話すが、アストリッドは必要なことだけを言うと、さっさと出て行った。ロロナと、二人きりになる。

「この間は、君を守りきれてよかった」

「わたし、もっと強くなります。 それで、ステルクさんが、怪我しなくても良いようになります」

意外に落ち着いた様子でロロナは言う。

最初はもう、本当に頼りなくて、ちょっと押すだけで折れそうな所があったのに。今では、これだけ立派になった。

心配はいらない。

むしろ、ステルクが心配されてしまうほどだ。

女の子はあっというまに大人になると言うけれど。この子の場合は、悲惨な事情を加味しても、もう子供では無い。

「いつ、治りそうですか」

「本当のところ、体自体はもう治っている。 だがな、なにやら調査することがたくさんあるとかで、ベッドから離れられないのだ」

「また、護衛を、お願いしても良いですか」

「もちろんだ」

一礼すると、ロロナは出て行く。

しばらくすると、代わりに魔術師達が入ってきた。また検査かとうんざりしてしまう。だが、意外なことを、彼らは告げてきた。

「次の検査が終わったら、退院とします」

「データは取れたのか」

「はい。 内容については、退院後に、会議で聞いてください。 最後の検査は念のために行うものですので、すぐに終わります」

一体、何を彼らは検査し続けていたのだろう。

検査は話通りすぐに終わった。普段着に替えると、外に出る。久方ぶりに、自由に出来る時間が嬉しい。体が鈍ったような気がするから、早速簡単なモンスターの駆除任務でもこなして、勘を取り戻していきたい。

自宅に帰った後、正装に着替える。一応銭湯にも寄って、入院の疲れを流してもおいた

王宮に出て、復帰申請を出す。

受付にはエスティが出ていたので、驚いた。彼女がいるということは、問題は現時点で、だいたい片付いているという事か。かなりの数の、強力なモンスターが暴れ回っているという事だったのだが。

「ステルクくん、復帰おめでとう」

「有り難うございます、先輩。 早速リハビリがてらに、仕事をしたいのですが」

「相変わらず仕事熱心ねえ」

「……お願いします」

とりあえず、今日の所は休みだと言われたので、帰宅する。

騎士団の寮だから、修練の相手はいくらでもいる。腑に落ちないところはあったが、復帰出来たことは嬉しい。しかも、予定より早いくらいだ。

しばらく、騎士団の経験が浅い戦士達を相手に、剣の勘を取り戻す。

夕刻にはほどよく疲れも溜まったので、そのまま眠ることにした。

 

翌朝。

王宮に正装して出ると、早速仕事を言い渡された。

ロロナへの課題の引き渡しかと思ったのだが、それはエスティによって既に行われているという。

内容は、錬金術の奥義、だそうだ。

確かに今のロロナなら、それも手が届くかも知れない。

渡された仕事に目を通す。

単独での討伐任務。しかも、内容は。

「いきなりハードルが高い仕事が来ましたね」

「君なら楽勝でしょう?」

「勝てないとは言いませんが」

渡された仕事は。

クアドラの討伐だ。

クアドラとは、通称、四双。最強と呼ばれるぷにぷに種で、たまにオルトガラクセンで目撃例がある。四体同時に姿を見せ、彼ら全員で一体の思考回路を持っているらしく、極めて巧みな連携を見せる、強力なモンスターだ。

アーランドの固有種らしく、他の国では目撃例がないという。たまに野外に出てきて、騎士団が討伐するのだが。毎回簡単にはいかず、死者を出すこともある。

しかも高い再生能力を持っているとかで、逃がしてしまうと、確実に別の場所で繁殖される。

現時点では、オルトガラクセンの中に生息しているらしい、という事しかわかっていない。

いずれにしても、此奴を単独で討伐できる人間は限られる。

「どうしたの、自信ない?」

「いえ、被害が出る前に片付けてきます」

「お願いね。 スピアに対する反撃をこれから行う予定だから、可能な限り不安要素は片付けておきたいのよ」

スピアに対する、反撃か。

もはや、全面戦争が始まっていると言って良い現在の状況。

如何に屈強なアーランド戦士達とは言え、このまま波状攻撃を続けられれば、いずれは疲弊していく。

ホムンクルス達を増やして対処することは出来ない。アストリッドに問題があるのは、誰もが知っている。ホムンクルスを増やしすぎたとき、この国が乗っ取られる可能性があるのは、言うまでも無い事なのだ。

スピアの錬金術師達を殺す事は、今の時点では難しい。

話には聞いているが、彼らのリーダーであるカトリアヌは、ジオ王と互角に渡り合って見せたという。それだけ無茶苦茶に身体能力を上げている、という事だ。他の錬金術師達も、似たような実力を持っていても不思議では無い。

絶望に囚われているのかも知れない。

装備を確認した後、街の東門を出る。

クアドラが確認されたのは、近くの森。その一番奥だ。

現在は、巡回班が見張っている。

ステルクが出向いたときも、巡回班はずっとクアドラから注意を外さず、見張りを続けていた。

巡回班の二人はホムンクルスだが。残りの二人は、引退前の戦士と、まだ若い騎士だ。

相手が相手だから、相応の戦力が必要だったという事である。

相手もステルクを当然知っている。敬礼を交わした後、軽く話す。

「これは騎士殿。 来ていただけましたか」

「うむ。 状況は」

「クアドラで間違いありませんな。 見ての通り、今は食事の最中です」

案内されたのは、森の奥にある、小さな丘。茂みが多くて、普段は平和なところなのだけれど。

わかる。

凄まじい、強さの気配がある。

茂みの中から、様子をうかがう。

大きな猪を、奴らが貪り喰っていた。触手を伸ばした銀色のぷにぷにが、四体揃って、猪の体を引きちぎり、体に運んでいる。触手にはのこぎり状のぎざぎざがあり、それを上手に使って肉を削いでいるようだ。

また、触手は液体を吸い上げることも出来るらしい。触手の中を、猪の血が通っていくのが見える。

前に見た個体より、かなり大きい。

高さだけでステルクの二倍半はある。

ステルク一人では、勝てないかも知れない。だが、此処で勝っておかないと、無駄な犠牲を、余計に出す事になる。

彼らは、あまりにも強すぎる存在。

地上に出られると困るのだ。

「後詰めを頼む。 君達を守る余裕は無い。 最悪の場合も、退却支援に徹してくれ」

「わかりました……」

向こうは既に、此方に気付いている。

四体いるうちの一体が、時々此方をうかがっているのがわかる。ステルクの気配もそうだが、巡回班に気付いていたのだろう。

猪の次に、襲うつもりだったのかも知れない。

どのみち、奇襲は無意味だ。

ステルクは、堂々と姿を見せると、彼らの前に出る。近づいていくと、面倒くさそうに、銀色のぷにぷに達が振り返った。

血に濡れた触手が、揺れている。

「恨みは無いが、死んでもらう。 許せよ」

既に抜いている剣が、稲妻を帯びていく。

多少のブランクはある。だが、それくらいをどうにか出来なければ、この後どのみち生き残ることは難しいだろう。

アーランドは、かってないほど厳しい時代に入る。

これは予測ではない。規定の未来だ。

ロロナやクーデリアのような、有望な若者達もいる。彼女たちは、アーランドのために、比類無い働きをしてくれるだろう。

だからこそ。

ステルクのような大人は、路を作らなければならない。

四体のぷにぷにが、残像を残しながら、綺麗に連携を取って周囲を回り始める。触手を使っての高速移動。更に、移動しながら、ステルクの隙をうかがっている。

目を閉じる。

仕掛けてきた、後ろのぷにぷに。

一刀両断。

巨体が、膨大な体液をまき散らしながら飛び散る。だが、二つに切られたくらいでは、此奴らは死なない。

一斉に襲いかかってくるクアドラ。

切られたクアドラも、瞬時に再生を開始している。

戦いは、出来るだけ早く終わらせる。ステルクは目を開けると、己の力を完全解放した。

 

二刻ほどで、戦いは終わった。

かなりの手傷を受けたが、クアドラは死んだ。完全に焼き切った。もはや、あの個体が再生する事は無いだろう。

ロロナのアトリエに出向く。

机に向かって本を読んでいたロロナは、ステルクを見ると、わずかにおくれて笑顔を作る。

以前は、ぱっと笑顔が咲いたのだが。

感情が、わずかに鈍くなっているような印象だ。

「ステルクさん、退院おめでとうございます。 さっそくお仕事ですか?」

「ああ。 土産だ」

渡すのは、クアドラの体内にあった球体。

以前見た事がある。ぷにぷにの体内から取れる球体が、錬金術では重要な素材になるのだと。

案の定、ロロナは喜んでくれた。

ただし、どうも引っかかる。喜んでいると言うよりも、わずかに遅れて、喜びの感情を出している、といった風情なのだ。

軽く茶を出してもらう。

最後の課題、大丈夫か聞いてみると、ロロナは苦笑いを浮かべた。

「今できる最高の錬金術と言われても、抽象的で。 凄く役に立つ道具、というのだったら、どうにでもなるんですけれど」

「そういえば、君はとても実用的なものをいつも課題で納入してくれたな」

「そう言ってくれると嬉しいです。 でも、錬金術の究極って何だろう。 やっぱり、金を作る事なのかな……」

確かに、錬金術の言葉通り。

もしも錬金術の究極を目指すのなら、金しか無いだろう。

金を作るには、どうすれば良いのか。

賢者の石という道具が必要になるとロロナは言うけれど。それが何かは、もう少し調べないと、分からないと言う。

研究をしたいと、ロロナは言う。

ステルクはそうかと応えて、アトリエを後にした。

アトリエの外では、アストリッドが待っていた。やはりとステルクは思ったが。何も言わず、その場を離れる。

アストリッドも、わかっているなら口出しするなと、顔に書いていた。

一度、愛した女だ。

ある程度、喋らずとも意思疎通は出来る。

そして、この女が、どうしようも無い闇に全身を浸してしまっていることも。もはやステルクでは、救う事が出来ないことも、わかる。

戦いに勝てても、無力感は消えない。

ステルクに出来る事は、あまりにも少なかった。

 

1、積年の決着

 

クーデリアから、立ち会いをして欲しいと、ロロナは言われた。

何かは、聞き返すまでも無い。

この間言っていたことだろう。

決闘だ。

決意を固めたクーデリアと一緒に、屋敷に歩く。彼女は、正装である上仕立ての服を完璧に着こなし、絹製の手袋を手にしていた。貴人を相手に決闘を申し込むのだ。高級品でなければ、失礼に当たる。

ロロナの親友の目は燃えるようで、既に完全に臨戦態勢に入っている。

積年の恨みを晴らすときなのだ。

どれだけの憎しみと怒りをクーデリアが蓄積してきたか。他ならぬロロナが、一番よく知っている。

クーデリアの家族は、あまりにも酷薄だった。

あの悲劇の後、家に戻ったクーデリアは、冷酷な家族によって、ずっと苦しめられてきた。

兄姉達は、クーデリアが自身で叩き伏せた。そして相続権を奪い去り、放逐した。今、フォイエルバッハ家を離れたクーデリアの兄姉達は、それぞれ普通の戦士やら、騎士やらとして暮らしているらしい。いずれにしても、現在のクーデリアとの戦力差は歴然。決闘を申し込まれても、余裕を持って撃退できるだろう。

問題は、フォイエルバッハ卿だ。

昔、野獣と言われた男。極めて狡猾で残忍な戦い方をするが故に、味方からも怖れられた人物である。

戦士として名をあげた後は、経済に力を置いて、起業を成功させた。

勿論武勲もあるけれど。このような屋敷に住むことが出来ているのは、その狡猾な人柄で、お金を稼ぎ続けたからだ。

勿論、立会人はロロナだけではない。

クーデリアに親しいロロナだけでは、決闘が不平等だと見なされるからだ。他に何名か、有名な戦士が立ち会う筈である。ただ、具体的な面子は知らない。

既に、決闘の下準備は出来ているという。

屋敷に着いた。

玄関を抜けて、庭に入る。

此処は訓練所も兼ねていて、戦う事が可能なのだ。

緊張した面持ちで、エージェントやメイドの人達が、クーデリアとロロナを出迎えた。エージェントの長であるアルフレッドが、クーデリアに深々と頭を下げる。

「既に立会人の手配は済んでおります、お嬢様」

「ありがとう。 でも、今日、この決闘が終わった後は、お館様と呼んでもらうわよ」

「ええ、そう願いたいものです」

クーデリアの望みは。

このフォイエルバッハ家の、当主の引退。

つまり、父を権力の座から、引きずり下ろすこと。

実際の所、彼女に権力欲は無い。それはロロナが一番よく知っている。クーデリアは、潰したいのだ。

自分にとって、全ての災厄の象徴である、この貴族の家を。

当主になった後は、貴族の称号を返上するつもりだとも、クーデリアは言っていた。

屋敷から、フォイエルバッハ卿が出てくる。

相変わらず、険しい表情のお爺さんだ。全身が筋骨たくましく、今でも充分に一線級で戦えることを、その肉体で示している。彼は厳しくスーツで身を覆い、一分の隙も周囲に見せていない。

この人と話したことは、ロロナはない。

ただ、笑っているところも見た事はない。クーデリアに、酷い事をいったり、している所しか、見た記憶がない。

だから、好きな人ではない。

ただ、嫌いだからといって、死んでしまえとか、そんな風には思わない。どうしてクーデリアに酷い事ばかりしてきたのか、それだけが悲しい。

「何事だ、これは」

中庭に勢揃いしているエージェントとメイド達。

そして、正装したクーデリアは。躊躇うことなく、父に手袋を投げつけていた。

「わかっているんでしょう、お父様。 いいえ、今日からご隠居と呼ばせてもらうわ、フォイエルバッハ卿ウォーレン!」

「笑止! その程度の力量で、この私に決闘を挑むというか! 馬鹿息子共を撃退したことで、調子に乗っているようだな……」

戦士としての顔を、気むずかしいフォイエルバッハ卿がむき出しにする。

スーツの上着のボタンを外すと、脱ぎ捨てる。シャツ越しにも、歴戦に鍛え抜かれた凄まじい筋肉が見て取れた。

何人か、庭に入ってくる。

驚いたのは、いずれも名が知れている人ばかりだと言う事だ。リオネラの師匠を務めている有名な魔術師もいた。アーランドの最重鎮である騎士団長に、それにメリオダス大臣までいる。

全員が正装している。

これは、完全に、クーデターだ。

「決闘の立会人の皆様には、条件確認をしていただきます!」

アルフレッドが、声を張り上げる。

つまり略式ではない。

互いの願いがはっきりしている場合、略式で決闘が行われることがある。この場合は、手袋を投げつけるだけで、決闘開始が成立する。

しかし今回は、国家の重鎮であるフォイエルバッハ卿の地位に関わる事だ。だから、正式にやるというわけだ。不正が一切許されない場で、徹底的に叩き潰すという意思表示である。

クーデリアが、高らかに宣言した。

「あたしの望みは、フォイエルバッハ卿ウォーレンの引退! 家督の譲渡!」

「ふむ、明確極まりない」

既に年老いて、戦士としては引退を間近にしている騎士団長が、白い髭だらけの顎を撫でた。

ロロナも、分かり易いと思ったので、条件確認に同意した。

一方、フォイエルバッハ卿も、声を張り上げる。

「私の望みは、この不出来な娘の、望みを叶えないこと! 私は私が望むまで、当主の座につく!」

「これまた分かり易い」

「どうでも良いが、さっさとはじめてくれぬかな」

騎士団長は、フォイエルバッハ卿の言葉に、大いに頷いた。ロロナもそれに同意する。

一人冷めた様子のメリオダスが小声で文句を言う。

彼は戦士階級ではないし、こういった血と汗が飛び散るような儀式は、或いは好きではないのかも知れない。ロロナは、不満げな大臣を横目で見て、苦笑いしてしまった。隣にいるリオネラの師匠も、くすくすと笑っている。

ロロナが見たところ、フォイエルバッハ卿は強い。

しかし、クーデリアの実力は、今やそれをわずかに凌いでいる。

だが油断は禁物だ。相手は歴戦の猛者。長く戦士として前線に立っていなかったとは言え、この国でも有数の戦士として、名を鳴らした強者だ。その蓄積した戦闘経験値は、尋常な次元ではないだろう。

此処からは、口出し手出し、いずれも無用。

ロロナは、クーデリアを信じる。

「決闘、開始、よろしいか!」

アルフレッドが、手慣れた様子で声を張り上げる。

クーデリアが頷く。

フォイエルバッハ卿が、獣のように低く応えた。

「異議など無い! どこからでも掛かってこい、不肖の馬鹿娘がっ!」

決闘開始の合図と、それがなった。

いきなり、クーデリアの姿がかき消える。フォイエルバッハ卿が右手を振り上げる。頭上から強襲してきたクーデリアの蹴りを、老貴族が丸太のような腕で防ぐ。地面に、ひびが入るほどの一撃。

これは、クーデリアは、延髄を砕くつもりで蹴り込んでいる。

場合によっては、殺す事も辞さないつもりだ。

飛び退くと、クーデリアは複数の残像を残しながら、父へと迫る。ドラゴンと接近戦をするほどにまで成長した彼女だ。人間を相手に臆することなどない。豪腕一閃、フォイエルバッハ卿が、左に回り込んできたクーデリアを迎撃。

弾かれたクーデリアを、更に追撃。前蹴りが、うなりを上げる。

だが、真横にずれることで、クーデリアがかわす。踵落とし。それも、横っ飛びに避けてみせる。

不意に、左へ肘撃ちを叩き込むフォイエルバッハ卿。空気を蹴散らすような、猛烈な一撃だ。

だがそれは、クーデリアの体を捕らえることなく、残像を抉るのみ。吹っ飛ばされたのは、空気ばかり。

クーデリアが少し離れた所に着地。

発火するほどの視線が、ぶつかり合う。

ロロナは息を呑む。

かなりのハイレベルな攻防だ。クーデリアの攻撃を的確に読んでいるフォイエルバッハ卿は、やはり強い。

クーデリアも、まだ本気を出していない様子だが。そろそろ、更にギアを上げていくことだろう。

いきなり、クーデリアがフォイエルバッハ卿の顔面に、飛び膝蹴りを叩き込んでいた。普通だったら、鼻骨を砕かれるほどの一撃。だが、歴戦の猛者は、凄まじい打撃音を立てながらも、掌で娘の蹴りを受けきってみせる。

その受けられた勢いさえ利用して、クーデリアが態勢を変える。

父の頭を掴むと、体を捻って、今度は延髄に蹴りをたたき込みに掛かった。だが、これも防がれる。しかし、掌だけで、今のクーデリアの一撃を防ぎきるのは難しい。体が、前のめりになる。

着地。

クーデリアが、前に加速。

父の膝に後ろから蹴りを叩き込む。だが、敢えてフォイエルバッハ卿は不意に身を低くし、膝でクーデリアの蹴りをつかみに掛かるという奇策に出た。慌てて一歩引いたクーデリアに、続けざまに豪腕が襲いかかる。抉ったのは残像。だが、擦ったのを、ロロナは確かに見た。

吹っ飛ばされたクーデリアが、右手を押さえている。

それに対して、フォイエルバッハ卿は、手を振りながら立ち上がった。

いや、あれは。

指が数本折れている。

流石にあの無理な体勢で、必殺の蹴りを防いで、無事では済まなかったか。

身を低く沈めるクーデリア。無理矢理折れた指を折り曲げて拳に固めると、来いと叫ぶフォイエルバッハ卿。

どうしてだろう。

戦士としての姿を見ている限り、そんなに卑怯な人だとは思えない。今までクーデリアを虐げてきた残酷な父親とは、どうしても存在が被らないのだ。本当にこの人は、噂通りの存在なのだろうか。

クーデリアは、まったく遠慮しないどころか、本気で殺すつもりで殴りかかっている。それを、真正面から受けて立つフォイエルバッハ卿。積年の恨みから考えれば当然の話で、クーデリアにしてみれば、全ての恨みの元凶だ。決闘に乗じて、本気で殺す気なのかも知れない。

だが、殺してしまうと、決闘は負けになる。しかもそうして死んだ戦士は、例え生前がどれだけのゲスであっただろうと、名誉の存在として扱われるのだ。クーデリアには、最も望まないことだろう。

クーデリアを止めたいとロロナは思ったけれど。

外部からの干渉があった場合も、決闘は負けになる。もどかしい。こんな時、親友のために、何も出来ない事が。

少しずつ、力の差が出始める。

クーデリアは、ずっと父との戦力差を計っていたはずだ。この日を迎えるために。この時に勝つために。

今日、戦いを挑んだのも、勝てるという確信があったから。

クーデリアの拳が、ついに父の鳩尾に叩き込まれる。それも一発や二発では無い。小柄なクーデリアだが、今の彼女の一撃は重い。跳び離れる。フォイエルバッハ卿の拳が、少し遅れて、クーデリアのいた場所を抉っていた。

まだ、フォイエルバッハ卿は、片膝を突かない。

呼吸を整えながら、クーデリアが構えをとる。

「その程度で、終わりか」

フォイエルバッハ卿はそう強がるが、疲弊はロロナの目から見ても明らかだ。やはり年齢もあるし、戦場から離れていたブランクもある。体が思うように、トップギアに持って行けないのだろう。

フォイエルバッハ卿が全盛期だったら、クーデリアはまだまだ勝てなかったかも知れない。

しかしビジネスマンとして戦いの場から離れて、年月を重ねてしまったことが、命取りになっている。

「そろそろ勝負がつくな」

「そうあってほしいものですな」

騎士団長と、メリオダスが、小声で話し合っている。

特にメリオダスは、「野蛮な殴り合い」がとことん嫌いらしく、見ていて露骨に顔を歪めていた。

再び、クーデリアが仕掛ける。

左右にステップしながら、相手の左後ろに回り込む。抉りあげるような蹴りを、無理な体勢から繰り出すフォイエルバッハ卿。擦る。だが、クーデリアは、その瞬間、完全に上を取っていた。

踵落としが、フォイエルバッハ卿の脳天を直撃する。

更に顔面を掴んでの、膝蹴りがはいる。まるで羽でも生えているかのような、空中での連撃だが。

一撃一撃が重くて、血がしぶく。

戦いは華麗でも何でもない。

根本は殺しあいだ。

クーデリアを払いのけようとするフォイエルバッハ卿だが。もはや、勝負はついた。更に岩でも砕くような音と共に側頭部にクーデリアの蹴りが叩き込まれると、それが決め手になる。

前のめりに、フォイエルバッハ卿が倒れ込んだ。

騎士団長が動く。

倒れたフォイエルバッハ卿の首をへし折ろうと、クーデリアが上空からの蹴り降ろしを叩き込もうとしたからだ。だが、騎士団長よりも更に早く、アルフレッドとロロナが動いていた。

訓練用の槍を使って、クーデリアの蹴りを前から防ぐアルフレッド。

ロロナは、後ろからクーデリアを抱き留めて、蹴りを叩き込むのを防いでいた。

「……っ!」

「落ち着きなされませ。 決闘は貴方の勝ちです。 勝負はついております」

「これ以上やったら負けになっちゃう! くーちゃん、落ち着いて!」

「わかった、わよ」

クーデリアが凄絶な表情を一瞬浮かべたが、やがて動きを止める。

フォイエルバッハ卿は、倒れて動けなくなっているが、息はあるようだった。担架が持ってこられて、運ばれていく。

魔術師が付き添っているのは、回復の術を掛けるつもりなのだろう。決闘は勝負がついたのだし、これくらいは認められる。

「決闘は、クーデリア・フォン・フォイエルバッハの勝利とする」

騎士団長が宣言する。

ロロナは嘆息する。

所詮修羅の世界。戦士である以上、人を殺すことは避けられない。事実、この間クーデリアは、ホムンクルスとはいえレオンハルトの分身を殺している。

しかし、この殺しについては、何だか妙な忌避感があったのだ。

それに、ロロナにはわかる。

何だか、成し遂げた達成感が、クーデリアにあるようには見えなかった。

 

自室でぼんやりしているクーデリア。

ロロナはしばらく一緒にいたが、何だか気が抜けてしまったかのようだった。お茶を出しても、無言で口を付けるだけ。今は一人にして欲しいと言われたので、頷いて、ロロナは部屋を後にする。

クーデリアは、ロロナにとっての一番に大事な友達だ。世間で言う比翼の友以外の何者でもない。

だからこそに、わかるのだ。

それに比翼とは言っても、いつも一緒でいる事が正しいとも思えない。自分だけの時間だって、必要になる。

苦しいときには支えてあげたい。

だけれども、自分一人で、心を整理したい時だってあるのだ。

それに、ロロナだって、今は状況を整頓しておきたい。

クーデリアの部屋を出ると、フォイエルバッハ卿の所に向かった。

いや、元フォイエルバッハ卿とでも言うべきなのだろうか。既に家督はクーデリアのものだ。

この公爵家を潰そうがどうしようが、自由。

そもそもアーランドで、貴族の称号などは、名誉的なものにすぎない。金で売買される程度の存在で、其処に誇りやら実権やらはない。フォイエルバッハ卿が国政に噛んでいるのは、歴戦の強者として多くの武勲をあげているからだ。国政に噛んでいる人間は、殆ど爵位などには興味を見せないので、そう言う意味では変わり者だと言える。また、家督を譲ったとは言え、国政への発言権が揺らぐことはないだろう。

つまり、これは完全な私闘だったわけだ。

不可思議なことが、この私闘にはあった。いや、それだけではない。

思い返してみると、フォイエルバッハ卿には、不可解な行動が目立っていたと言える。クーデリアの憎悪に引きずられて見えていなかったけれど。勿論、彼がクーデリアに対して加えていた酷薄な仕打ちは許されることでは無い。今回の件は、起きるべくして起きたことだし、クーデリアの言い分も正しい。それはロロナにはわかっている。

ただ、戦いを見ていて、ロロナは思ったのだ。

フォイエルバッハ卿は、どうしてあのようなことをしたのだろうと。

クーデリアに勝とうとしていたようには見えなかった。

そればかりか、ひょっとして。

屋敷の一室が、病室になっていた。恐らくは、エージェントやメイド達は、既にこの結果を予想していたのだろう。完璧に医療の態勢が、整えられていた。

病室に入ると、既にフォイエルバッハ卿は、意識を取り戻しているようだった。この辺りは、流石に歴戦の猛者である。多少の攻撃を頭にもらったくらいでは、致命に到らないというわけだ。

魔術師に話を聞くと、容体は安定しているという。

怪我は相応にしているが、回復できない規模のものではないそうだ。頭への打撃も何度か受けているが、それも既に回復済み。

この間パメラが話してくれたのだけれど。

旧時代の人間は、頭の中で出血すると致命的な事になりやすかったそうだ。

アーランド人に限らず、現在の人間は、それがほぼない。脳そのものが、以前の人間とは比較にならないほど頑強だから、だそうである。

ただ、それにも限度がある。頑強とは言っても、あくまで旧時代の人間に比べれば、だからだ。治療しなければ、フォイエルバッハ卿は危なかったかも知れない。

「席を外してくれるか」

「……」

魔術師が、フォイエルバッハ卿に機能的に一礼すると、部屋を出て行った。

ロロナと、老戦士だけがその場に残される。

ベッドの上で、白衣を着せられ、包帯まみれで横たえられていると。如何に筋骨たくましくても。フォイエルバッハ卿は、悪名を轟かせた戦士だったとは思えなかった。何処か、弱々しくさえあった。

「くーちゃんに、どうしてあんな冷たい仕打ちばかりしていたんですか」

「……君をクーデリアの最大の親友だと見込んで話しておこう。 この件は、他言無用に頼むぞ」

椅子があったので、フォイエルバッハ卿の側に座る。

やはり、何か事情があったのか。

「最初私は、クーデリアに愛情を注いでいた。 あの事故の前までは、だ」

それは、知っている。

確か、記憶が戻った後の事だ。クーデリアが話してくれたことが、一度だけある。

フォイエルバッハ卿は、事故の前は優しかったと。

兄姉達は事故の前から酷い扱いばかりをしていたそうだけれど。少なくとも、事故の前までは、フォイエルバッハ卿は兄姉達と同じように、クーデリアを扱っていたのだそうだ。だからこそに、怒りも募っていたのだろう。

幼い頃は、親を憎むことが出来ない。

これは、子供の精神構造的な問題だ。

しかし、虐待が続くと、それも変わってくる。

ましてやクーデリアの場合、片親だったという事もあるだろう。愛情を最初受けていたのに、それが一転して虐待に変わってしまえば。憎悪は天文学的にふくれあがっていく事になる。

「だが、不幸な事故が起きて。 戻ってきたクーデリアは、廃人同様の有様になってしまっていた」

そうだ。

クーデリアには、記憶がほぼ綺麗なまま残っていたのだ。それは今だから、知っている事だ。

モンスターに蹂躙され、殺戮される恐怖。

ホムンクルスの技術を使って、アストリッドに体を修復される過程で、酷い痛みを受け続けた絶望。人間では無くなっていく悲しみ。そして、ロロナを死なせてしまったという罪悪感。

それらが全て、幼い女の子の心と体に、のしかかっていったのだ。

耐えられるわけがない。

「だから、心に火を注ぐ必要があった」

「それが、憎悪、ですか」

「そうだ。 幸い、愛情は君が注いでくれる事がわかっていた。 当時から、君は無能な子供達と違って、誰よりもクーデリアに近かったし、優しかった。 君と接しているときのクーデリアは、本当に幸せそうにしていたし、家では絶対に浮かべない笑顔も作っていたからな」

だから、酷薄な態度を取った。

それにどんな状態でも生きていけるように、可能な限り厳しく接した。戦いの技術も、できる限り仕込んだ。

なるほど。

クーデリアは戦の才が無いと、時々嘆いていた。ロロナから見ても、天才という柄ではなかったし、確かに覚えはあまり早くなかった。

だが、幼い頃からの基礎訓練が、最近はものを言っているのだろう。

他の兄姉達が、役立たず、出来損ないとクーデリアを嘲笑っている間も、過酷な環境で、クーデリアは努力を続けていた。体を鍛え、技を磨き。来るべきその日に備えて、我が身を抜き身の剣のように鋭く手入れしていたのだ。

ロロナと最初に採取に出たとき、クーデリアはウォルフ数体にも手こずっていた。あれは、まだまだ基礎訓練が、花開いていなかったから、だろう。

今ではドラゴンとの接近戦まで出来るようになり、大型のモンスターに致命打を与える切り札まで習得している。

そして、勝つことができた。

そうか。

このあらゆる手段を用いてのし上がってきた、獣とまで呼ばれた凶猛な戦士なりの。不器用な愛情の示し方が、あれだったという事か。

その結果、クーデリアは一流の戦士にまで成長した。

「クーデリアが私を恨むのは当然だ。 だが、私は今、安心している。 兄姉達を押しのけてのし上がり、今私さえ打ち破った。 これで、私は何時でも死ぬ事が出来る」

「そんな、そんな事をいわないでください」

「くれぐれも、クーデリアには、言わないように頼むぞ。 あの子にとって、私は憎悪の対象。 これから一生憎まれ続けるとしても、構わぬ。 いや、むしろそうでなければ、せっかく生えた若き獅子の牙を、抜いてしまうことになるだろう」

ロロナは、それ以上何も言えなかった。

憎まれることがこの人の望みであるのだ。尊重しなければ、これほどの手酷い怪我をした意味が無くなってしまう。

部屋を出る。

この親子の確執は、やはり相当に根深いものだった。それに、一度クーデリアの死の原因を作ったのは、ロロナなのだ。

此処で、偉そうに何か言うことなど、出来なかった。

クーデリアの様子を見に行く。

まだ消沈しているようだ。今日は、帰った方が良いかもしれない。

フォイエルバッハ卿は満足しているようだったけれど。

この決闘は、誰もが不幸になる結果しか、招かなかったように思えてならなかった。

それと、聞きそびれてしまったのだけれど。

まだ一つ、疑問点があった。

それについては、おそらく今後、情報を集めて、解決していくしか無いだろう。

「そんな顔をしているって事は、どうせ彼奴に、ろくでもない事情があったのね」

クーデリアが、此方を見ずに言う。

ロロナは足を止めた。流石に、フォイエルバッハ卿との約束は破れない。苦しいけれど、黙っているしかなかった。

クーデリアは、ぽつり、ぽつりと話し始める。

「いいの。 戦っている最中には、何となくわかってたから」

そうか。側で見ていたロロナでさえ、違和感を覚えたほどだったのだ。実際に拳を交えていたクーデリアでは、なおさらだったという事か。

しばらく、沈黙が続く。

「これで、良かったのかな」

良いわけがない。

振り返ると、クーデリアは涙を拭っていた。

ロロナは無言で、クーデリアを抱きしめて。自分も涙を流していた。きっと、何もかもが、何処かで壊れてしまったのだ。

悲劇だけしか。其処には残らなかった。

二人で泣くのは、あの時。

もう、ロロナとクーデリアが、人間でさえないと、わかってしまった時以来だった。

 

2、神秘の石

 

アトリエに戻る。

ロロナは冷やしておいた井戸水を飲み干すと、大きく嘆息した。

これほど陰鬱な気分になったのは、いつぶりだろう。クーデリアの悲しみを取り除くことも出来ず、真相を喋ることも出来ず。

結局、何もせず、戻ってきてしまった。

クーデリアは、しばらく精神を立て直すのに、時を必要とするだろう。

それにしても、考えてみれば。色々と変なところが、最初から多々あった。

エージェントやメイド達の態度も、あまりにもおかしかったのだ。

雇い主であるフォイエルバッハ卿に、どうしてああも楯突くような真似ばかりをしていたのか。

あれは、最初から、一種の出来レースとして仕込まれていたことだったのだ。

全てフォイエルバッハ卿に、命じられてのことだったのだろう。

勿論、アルフレッドのように、クーデリアを心底から娘のようにかわいがっていた人もいたのだろう。フォイエルバッハ卿のやり口に、好感を持てずにいた人もいたに違いない。それでも、やはり。

主従の関係ではあったし、何より主君の悲しみを理解していたからの行動だった部分はあるのだろう。

クーデリアは、どうするのだろう。

父を生涯許さないのだろうか。

わからない。今のクーデリアは、肉体的な戦闘能力に加えて、社会的な地位も得た。充分に、これから生きていけるはず。ロロナが支えてあげれば、その気になればアーランドでも屈指の存在になれるはず。そうなれば、簡単に彼女のことを脅かせる者など、いなくなるだろう。

もう憎しみで、心を燃やさなくても、強く生きていける。

クーデリアには、気付いてあげて欲しいと、思うばかりだった。

しばらくぼんやりした後、ふと思い立って、錬金術の基礎について記している本を手に取る。

錬金術の究極なら。基礎学問書に、記されているかも知れない。

しばらく無心に本をめくる。

錬金術とは、本来は金を作る事を目的に、発展していった学問である。それは、言われるまでも無く、ロロナも知っている。

この基礎学問書には、それが懇切丁寧に記されていた。

つまり、金を作る事。

金を作るには、どうしたら良いのだろう。

しばらく無心にページをめくっていく。そうすると、面白い事がわかってきた。

金を作るには、賢者の石なるものを生成する必要がある。しかしこれは本来、驚天の奇跡を引き起こす存在。

卑金属を貴金属に変えることは、摂理を曲げることなのだ。

摂理を曲げずに、金を作り出すには。方法は一つだけ。

途方もなく巨大な力を、一点に集めなければならない。

それには、鍛錬され切った魂と、相応しい器が必要なのだ。

その器こそ、賢者の石。

そして、賢者の石を用いて、卑金属を金にすることは。すなわち、神を誕生させる事に等しい。卑金属を貴金属に変えることなど、余技に等しい。最大の効果は、使い手を神へと変えることなのだ。

歴史上、完成品の報告は、今だ上がっていないと、最後に締めくくられていた。

神か。

ロロナは、神様には興味が無い。

大事な人を救えて、この世界を少しはましにできるのなら、人を越える存在になることは、吝かでは無いとおもうのだけれど。しかし、神様がいるのなら、あれだけ酷い生活をしながらも、世界をマシにしようとしている悪魔達を放っておかないはずだ。あの人達を一として、虐げられた存在をまず救うのが、神の仕事の筈。その程度の基本的な事さえしない、或いは出来ない存在なんて、無力でしかない。

結論は、神などどうと言うことのない存在というものしか、出てこない。

ならば、賢者の石だって。

しばらく悩んだけれど。しかし、考えて見れば。

賢者の石を、単純な己の強化装置として用いれば、有用かも知れない。神になるというのは大げさだとしても、だ。

少なくとも、ロロナの大事な人達を、スピア連邦の凶刃から守れるくらいの力は欲しい。魂を昇華させるというのはよく分からないけれど。たとえば、それが単純に魔力の絶対量を増やすというのなら。

或いは、肉体の力を強靱にするというのなら。

作って見る、価値はある。

ふと気付くと、心配そうにリオネラが此方を見ていた。

「どうしたの、りおちゃん」

「ロロナちゃん、その不思議な石を、作るの?」

「うん……それが一番良さそうだね」

何にしても、この課題さえ突破すれば。後は、ジオ王がポストを提供してくれる。あの人は、約束を破るような下郎ではない。残酷で、きっと色々と悪いことも企んではいるけれど。何しろ、王なのだ。

王が約束を破るようでは、国など立ちゆかない。

ポストさえ確保できれば、クーデリアだって、リオネラだって、今まで以上にしっかりした形で守れる。

錬金術だって、もっとやりやすくなる。

今まで以上に、困っている人達を救えるはずだ。悪魔達を、あんな悲惨な生活から救い出す研究や。

或いは、あのオルトガラクセンで眠っていた人達を、この世界に助け出す研究も、出来るかも知れない。

自分の事は、あまり考えていない。

きっとそれは、師匠に調整されたからだとわかる。

ただ、こうやって、ポストが欲しいと願うのは。人間らしい、野心の発露の一種、なのかも知れなかった。

「りおちゃん、今回も手伝ってくれる?」

「無理しすぎるようだったら、力尽くでも止めるからね」

「うん、その時はお願い」

リオネラの腰には、あの睡眠針発射装置がくくりつけられている。

最初はびっくりしたけれど。

今は、そうまでして、自分を止めてくれるリオネラの存在がありがたい。

流石に基本の書物だけあって、これに具体的な賢者の石の作り方なんて、載ってはいない。

それならば、歴代錬金術師の記した本を読んで、調べていくしかなかった。

今なら、だいたいの理論は理解できる可能性が高い。

リオネラと手分けして、順番に本を出していく。

勿論これから王宮の図書館にも、出向く必要があるだろう。本格的に調査するのはクーデリアが来てからにするとはいえ、下準備はやっておいたほうがいい。

研究資料を分別していくと、師匠が珍しく、疲れ切った顔で自室から出てきた。

スピア関連で、何かあったのかもしれない。

この課題が終わったら、ロロナもそれにかかわる可能性が高い。今では、もはや他人事では無かった。

「おや、何か作るつもりか」

「はい。 錬金術の究極だという、賢者の石を」

「ほう……」

一瞬だけ、師匠の目に、邪悪な光が宿るのを、ロロナは見逃さなかった。

これはおそらく、予想通りというか、計画通りという事なのだろう。でも、いつまでもロロナだって、子供ではない。

掌で踊らされるだけの時は、永遠には続かない。

「賢者の石なら、恐らくはオルトガラクセンに資料があるだろうな。 十六層まで降りてみろ。 其処にふんぞり返っている邪神をどうにか出来れば、明確な資料が手に入る筈だ」

「どうして、それを?」

「決まっているだろう。 私自身が、そうやって賢者の石を完成させたからだ」

なんと。

天才だとは思っていたけれど。完成品を作り上げた存在が、こんなに近くにいたとは。

レシピを見せてくれる、筈はないか。

この師匠が、そんなに親切だったら。ロロナは此処まで、苦労など重ねてはいない。勿論、いきなり邪神の所に行っても、そんな情報は得られまい。

可能な限りの知識を積み上げて、賢者の石について知ってからでないと、意味が無い可能性が高い。

あくびをしながら、師匠はアトリエを出て行った。

しばらく準備を続ける。

リオネラが咳払いした。もう、そんな時間か。ホムを見ると、既にロロナが指示した中間生成液の調合を終えている。

この辺りで休憩も、良いかもしれない。

体はまだまだ動くけれど。友達に心配を掛けてしまってはいけない。言われるままに、休むことにした。

席に着く。

リオネラが、お茶を淹れてくれる。

持ってきていたらしいお菓子も出してくれた。ロロナがパイを出しても良いのだけれど、今日はリオネラの好意に甘えることにする。

年頃だからだろうか。

ふと気付くと、リオネラは、最初に出会った頃よりも、ずっと女性らしくなっていた。このまま行けば、後二年か三年で、絶世の美女になるだろう。元々薄着で人形劇をしているだけで、おじさま達がわいわい寄って来るくらいだったのだ。

特殊能力持ちだし、戦闘経験も豊富。

アーランドであれば、彼女はもてる。結婚だろうが就職だろうが、想いのままだ。勿論、アーランドを出てしまえば、そうではない。

彼女の過去を考えれば仕方が無い事だけれど。

「りおちゃんは、これから何かしたい事はあるの?」

「私は、お医者様になりたいの。 魔術を使って、多くの人達の体と心をいやしていくお医者様に」

「素敵だね」

「有り難う」

はにかむリオネラは、とても嬉しそうだ。

事実、リオネラの回復魔術は、非常に強力なものだ。本職の医療魔術師にも、そうそう劣らないはず。

リオネラは、過去に多くの人を傷つけてしまった。不可抗力とは言え、三桁に達する人間をあやめたのだ。今は、生きて良いと、知ってはいるけれど。それでも、何処かで償いたいという気持ちはあったのだろう。

あんな事をされたのに。

何処までも優しいから、苦しみ続けた。

最近では、アラーニャとホロホロと会話しているのを見るのは、めっきり減ってきた。あの、影のような、闇を全て圧縮したリオネラも、表には出てこない。きっと心の中では会話したりしているのだろうけれど。

人格の統合は、目に見えるところにまで、迫ってきている。

休憩を終える。

納品用の栄養剤をまず調合して、ホムに持っていってもらう。

その後は、ひたすらに、集めた資料に目を通し続けた。

 

王宮に出向いて、図書館をリオネラと一緒に調べる。

課題をクリアして実績を上げ続けたからか。今までは閲覧できなかった貴重な書物も、みて良いとエスティに言われている。

流石にこの国の深奥に触れる技術を修めた図書館だ。此処には、非常に貴重な書物が、山積している。

英雄達が作った道具についての、貴重な資料もあった。

これで、神速自在帯も、ブレイブマスクも、更に改良していくことが出来る。

歴代の錬金術師達が書き残した、奥義についても、書物がまとめられている。なるほどと頷かされることが非常に多い。

メモにまとめていく。

まとめきれない分は、アトリエに持ち帰って、其処でメモに書き起こし直した。

クーデリアはまだアトリエに来てくれないけれど。彼女は仕方が無い。今は出来るだけ、休んで欲しいとも思うから、何も言わない。

比翼の友であるという自負はある。

だからこそ、一人になりたいときもあるのだ。気持ちの整理がついたら、きっと来てくれる。それでいい。

オルトガラクセンに出向く準備も、しておいた方が良い。

発破はできる限り準備。

見た資料を使って、神速自在帯と、ブレイブマスクについても改良する。今まで、リオネラの師匠をはじめとする現役最高峰の魔術師達にも意見を聞いていたから、それらの情報とも合わせれば、かなり画期的に改良が出来る。副作用はこれでどうにか出来そうなのだけれど、その代わり一度の戦闘での使用制限が生じそうだ。しかし体への負担を考えると、使用制限の方がまだマシ。

どちらも貴重な素材を使うので、量産は出来ないし。

かさばるから、複数を持って行けないのが問題か。

武器屋の親父さんの所に行って、杖も改良してもらう。複数の宝石をはめ込んだ強力なものへ既に生まれ変わっているけれど。更に改良できるのなら、やっておきたい。ロロナの杖を見て、親父さんは言う。

「もう、英雄達が使ってた杖と、遜色がねえな」

「本当ですか?」

「ああ。 クーデリアの嬢ちゃんにも、早く来るようにいっとけ。 オーバーホールしておきたい」

杖は親父さんに任せて、ティファナの店も覗きに行く。

うら若き未亡人は、いつも新しい魔法の道具を仕入れている。だから、使えそうなものは、有り金をはたいてでも買っていく。

お酒さえ口にしなければ、ティファナはとても優しくて美しい、聡明な女性だ。

ロロナにも、いろいろなアドバイスをしてくれる。

魔術師としても、女性としても。

それが色々と有り難い。

後はパメラの店に。

ネクタルがかなり補充されていたし、他にも不可思議な道具類があった。お金に余裕があるので、買い込んでおく。

自分で作っても良いのだけれど。

ネクタルは、いくらあっても足りると言うことがない。

いくらでも、補充できるときにしておいた方が良いだろう。

後はホムに工場に行ってもらって、幾らか素材を購入してきてもらう。野外で採取できるような素材は、もう充分に手元にあるから、わざわざ出なくても大丈夫だ。

幾つかの作業を並行してやっていくのも、苦にならなくなっている。

リオネラがお茶を淹れるのを横目に、ロロナは今までの成果をまとめていく。賢者の石は、材料さえ集まれば、作る事は難しくないかも知れない。

問題は、材料。

ドラゴンの体の一部。

これは既に在庫がある。この間オルトガラクセンで葬った紅い暴君からも、角や鱗、牙や爪、それに燻製にしてある肉などが、入手できている。内臓類も、使えるかも知れない。紅い暴君だけではなく、スニーシュツルムからも同じような素材はある程度得られているから、これについては問題ない。

日食の時だけに得られる不可思議な花、ドンケルハイト。

不思議な赤い花だ。

これについても入手済み。以前、黒き大樹の森に出かけたときに採取した花の一つが、偶然にもこのドンケルハイトだったのだ。

そして、アロママテリア。

高度な錬金術による結晶体。

此方は、これから調合していけば問題ない。

そして最後に、これらを組み合わせる技法だ。どうしても見つからない。ただ、これについては不安は無い。

オルトガラクセンにいる邪神とやらが、きっと知っている。

師匠も嘘を言ってまで、あんな危険な場所にいる存在に、ロロナをけしかけたりはしないだろう。

それに、オルトガラクセンの主には、聞きたいことが山ほどある。

場合によっては、落とし前だって、付けてもらわなければならない。

一通り調査を終えると、クーデリアを待つ。

後は、アロママテリアを調合して。

オルトガラクセンに潜る準備を終えれば、終わりだ。

前回は七日かかった。今回は、その倍はかかると見て良い。更に賢者の石の調合を考えると、一月くらいは余裕を持っておいた方が良いだろう。

そこそこに余裕は残るけれど。

増援には、できる限り知っている人全員に来て欲しい。

出来ればジオ王にも。

あの魔境には、それくらいの戦力が攻略に必要だ。問題は、どうやって王に来てもらう許可を得るか、だけれど。

今は、考えていても仕方が無い。

ロロナは頭を切り換えると、出来る事を、するだけする。それに、集中しはじめた。

 

3、魔境への再侵入

 

クーデリアがアトリエに来てくれたのは、あの決闘から一週間も過ぎた、肌寒い日だった。

心の整理がついたかは、わからない。

いずれにしても、普段と変わらないようには見えた。

エージェントが二人ついているのは、彼女が、フォイエルバッハの当主になったからだ。事実、エージェント達からは、お館様と呼ばれている。

ただ、エージェント達は、アトリエにまで入ってこようとしたので。クーデリアは、呆れたように言う。

「此処でなら、護衛は必要ないわ。 近くで時間を潰していなさい」

「わかりました。 待機しています」

「……よろしく」

ため息をつくクーデリア。

エージェント達が行くのを見送ると、ロロナも苦笑いした。

「息苦しそうだねえ」

「権力ってのは手に入れてみると、案外面白くないものね。 まああたしとしては、あんたを全力でサポートできるから、それだけでも充分だけど」

「うん、ありがと」

「それより、話は一応聞いているけれど。 賢者の石を作るんですって?」

多分リオネラから、話を聞いたのだろう。

頷くと、ざっと概要について説明する。

クーデリアは、錬金術の究極と聞いて、少しだけ眉を動かしたけれど。それ以降は、特に何も言わなかった。

ただ、改良型のブレイブマスクを見ると、心が動くのが見えた。

「背負いやすくなっているわね。 副作用も、無くなったの?」

「零じゃないけど、かなり緩和できたよ。 ただし、一回の戦闘で、二回使うのが限界で、使った後は一日以上休ませないといけないけれど」

「上出来よ」

神速自在帯も、ほぼ同じ性能だ。

これならば、あの紅い暴君や、それと同等以上の相手でも、勝てる。

ただ、オルトガラクセンの主は邪神とまで呼ばれるほどの相手だ。どれだけ準備していても、しすぎと言うことは無い。

改良した発破もたくさん詰め込んでいる。

以前、スニーシュツルム戦で切り札になったテラフラムも、一セット入れて行くことにした。

後は、どれだけの人員を動員できるか、だ。

「うちのエージェントは、十人くらいは連れて行けそうよ」

「後はホムンクルス達の部隊だけれど……」

あれは一応軍の部隊になる。

ジオ王をどうにか説得できれば、連れて行けるかも知れないけれど。そういえば、王は邪神と話を付けなければならないと言っていた。それならば或いは、交渉の余地があるかも知れない。

問題は、どう王と接触するか、だ。

クーデリアが、咳払いした。

「それはあたしが何とかする」

「大丈夫、なの?」

「あんたも気付いているでしょう? これ以上は言わせないで」

クーデリアは。このロロナを取り巻く異常な状況の、一端を担っていた。その頂点が王である以上、何かしらのコネはあると言うことか。

銃を武器屋の親父さんに渡して、オーバーホールを頼んだ後、二人で王宮に出かける。

ロロナはステルクに、クーデリアは王に、それぞれ声を掛ける予定だ。後、来てくれそうなのは。

イクセルとタントリスか。

リオネラは多分、必ず来てくれる。

今回は総力戦になる。

戦力は出来るだけ多い方が良い。戦士としては限界を感じている様子のイクセルや、文官としての路を選びたいタントリスを巻き込むのは心苦しいのだけれど。こればかりは、仕方が無いだろう。

ステルクは、仕事をしていた。

どうやら、書類仕事のようだ。片付けたモンスターについて、記載しているようである。

見ると、なんとクアドラだ。

あの強豪を、単独で仕留めたらしい。やはりこの人は強い。ロロナに気付くと、ステルクは顔を上げて、わずかに顔をほころばせた。

「護衛かな」

「はい。 オルトガラクセンに、邪神と接触しに」

「それはまた、随分と大胆だな」

「色々と、知りたいことがあるんです」

場合によっては戦闘になる可能性も高い。そう告げると、ステルクは嘆息した。

いずれ、邪神とは決着を付けなければ行けなかったのだ。そうステルクは言うと、同行してくれると言った。

クーデリアと合流しようと、王宮の内部を歩く。納品のために何度も来ているから、今更迷うこともない。入っては行けない場所も、しっかり熟知している。

ふとすれ違ったのは、パラケルススだ。

彼女はホムンクルスにもかかわらず表情豊かで、反応も茶目っ気がある。今も、王宮の堅物らしい戦士となにやら話していたけれど。その際に、表情をめまぐるしく動かしていた。

彼女も、来てくれるだろうか。

王が来るなら、その直衛戦力として、ついてくる可能性はある。いずれにしても、来てくれれば、戦力として心強い。

クーデリアが来た。

王は、来てくれると言うことだった。

クーデリアには何も聞かない。具体的にどう王と話したか聞いても、仕方が無い事だからだ。此処は敢えて聞かない方がマナーだろうと、ロロナは思ってさえいる。

そのまま一緒に、王宮を出る。

サンライズ食堂によると、イクセルが迎えてくれた。サービスして、ちょっと多めに料理を出してくれる。

二人で向かい合って座り、料理を早速味わうことにする。

美食は快楽だとか、この間タントリスに聞いた。

しかし、どうもぴんと来ない。

最近は特に、栄養価や、どれだけ短時間で食べられるかを、主体に置いてしまっている。これは、或いは寂しいことなのかも知れない。

今日の料理は、ロロナが此処の名物でもあるホーホ。一方、クーデリアは紅い果実まみれのシューレという食べ物を口にしている。紅いけれど辛いわけでは無い。甘辛いソースのしたには、穀物の粉を練ってゆでることで作り出した、ラスタと呼ばれる生地がたくさん入っている。

このラスタが、歯ごたえがあってとても美味しいのだ。

ただロロナとしては、ホーホに比べると少し量が少ないので、今日は選ばなかった。昔だったら、クーデリアと一緒に、シューレにしていたかも知れない。

食べ終えたのは、クーデリアが先。

「出発は三日後になりそうね」

「うん。 此方でも、それで調整中。 タントリスさんがちょっと厳しいかもって言っていたけれど、きっと何とかなるよね」

「そこの料理小僧は」

「もう、くーちゃんてば」

ロロナとクーデリアとイクセルは、昔からつるんでいた幼なじみ三人組だ。

この中の誰かとイクセルがくっつくでもなく、兄妹のように仲良くしてきた、不思議な関係。

最近は鋭くなってきたから、何となくわかる。

イクセルはひょっとすると、ロロナの事が好きだったのかも知れない。だからそれを敏感に察して、クーデリアはイクセルに冷たかったのかも知れないと。

だが、今はもう、どうでもいい。

というよりも、恋愛そのものに、ロロナは殆ど興味を持てなくなってきていた。ここ数ヶ月の傾向だ。今までも、恋愛にあまり熱心なタイプではなかったけれど。ここ最近は、それが特に顕著だ。

この現象は、多分ロロナだけではない。

クーデリアも横で見ていてわかるのだけれど、多分性欲がほぼ無くなってしまっているようなのだ。一番多感な時期に性欲がほぼ無いと言うのは、いろいろな意味で精神に悪影響を与える。

間違いなく、あの時の。死んだときと、その後で。体に施された様々な事が、生物的な機能を、奪っていったのだ。

「イクセくんだったら、来てくれるって話だよ。 ただし後方支援を中心にするんだって」

「それは残念ね。 そこそこ戦える奴だと思っていたのに」

「うーん、イクセくん、戦士よりも料理人として生きていきたいんだって。 だから手は大事にしたいんだって言っていたよ」

「そう。 それじゃあ仕方が無いわ」

イクセルはなんだかんだ言っても、そこそこ戦える。

後方支援できてくれれば、それで充分。

食事を終えると、店を出る。後は三日後に備えて、それなりの準備をしておけば問題はないだろう。

耐久糧食も、かなり多めに作っておく。

何が中であるか、わからないのだ。特に食糧は、どれだけあっても足りないだろう。いざというとき、生命線になるのは、食糧だ。

他にも、ロープや、エンチャントを施したゼッテルも重要だ。

様々な道具が、まんべんなくいる。

クーデリアがリストを作ってくれたので、一通り揃えていく。準備は滞りなく、済ませることが出来そうだった。

 

予定通りの日付。

朝一番にアトリエを出たロロナは。アトリエの前で、クーデリアとリオネラと合流。歩きながら、南門へ向かった。

アトリエにはホムだけが残る。

師匠は昨日から出かけていて、いない。何でもまた何か問題が発生しているらしく、エスティと一緒に対処するのだそうだ。厄介な話だけれど、師匠が直接出るのなら、解決は難しくないだろうとも思う。

これから、オルトガラクセンの深部に潜る。

そう思うと、前ほどではないにしても、やはり緊張はした。ただ、眠ること自体は出来た。しかし、あまり意味があるようには思えない。眠らなくても大丈夫になってきているから、だろうか。

荷車を引いて、南門に。

ジオとステルクが、先に来ていた。イクセルとタントリスはまだだ。

幸いなことにと言うべきだろうか。

ホムンクルス達の部隊が、四つ来ている。荷車はその内の一つに任せてしまって大丈夫だろう。

これにクーデリアのエージェント達十名が加わる。

随伴戦力としては、相当な規模だ。

エージェント達を率いるのはアルフレッドだ。既に老齢だが、戦闘力ではなんら問題が無い。

王が軽く話をして、兵力配分を決める。

パラケルススはいない。

ジオは、彼女は今回、エスティと一緒に、国境の北に出向いていると教えてくれた。なるほど、そうなると、かなり危険な任務なのかも知れない。

此方の探索も、さっさと終わらせてしまいたい所だ。

少し待つが、タントリスは遅れるという。イクセルは来た。かなり、荷物が多い。オルトガラクセンで何かあった時のために、料理セットを一式持ってきているという。英雄のメダルを渡すと、イクセルは喜んで受け取ってくれた。

「サンキュな」

「前のより副作用は抑えてあるけど、過信したら駄目だよ」

「わかってる。 無理はしねーよ」

軽口を叩くイクセルだけれど。

確かに、少し落ち着いた感がある。この間の一見で、余程思うところがあったのだろう。ふと気付いたのだが、ホムンクルスの一人を見ている。そういえば彼女は、前の探索で、紅い暴君の隕石ブレスを受けたときに、右腕の肘から先を吹き飛ばされてしまった子だった。

良かった。腕は再生している。

アストリッド師匠がやってくれたのだ。

「準備は、オルトガラクセンの手前で行う。 其処で十一層以下の階層に挑む際の、レクチャーも行っておいた方が良いだろう」

「はい、お願いします」

「良い返事だ。 それでは、一旦出立するぞ。 タントリスは、後から追いついてくるように、手配しておこう」

ホムンクルスを一名、伝達役に残して、オルトガラクセンに向かう。

道中で軽く、ステルクと話す。

「そういえばこの間ちらっと書類を見たんですけど。 一人であのクアドラを倒したんですか?」

「かなりの持久戦になったがな」

「凄いですね」

「そうでもないさ」

ステルクが言うには、クーデリアもいずれ、このくらいの強さにはなれるという。

確かにクーデリアは、才能のなさを努力と鍛錬でカバーして、この場に立っている。彼女なら、いずれ。

アーランドを背負って立つ、国家軍事力級の使い手の一人となる事ができるだろう。

勿論、クーデリアには聞こえないように言っているのだけれど。

親友として、鼻が高かった。

ステルクは、クーデリアを高く評価しているという。

この間の件で意気消沈している彼女に、聞かせてあげたい話だった。だが、クーデリアは面と向かってそんな事をいっても、きっと喜ばない。

これから実績を上げて、それを元に評価されれば、喜ぶかも知れない。

普段はあんな感じでも。本当は、それだけ生真面目な子なのである。

そう説明すると、ステルクは無言で頷く。

きっと真面目な者同士、意気感じるものがあるのだろう。

話している間に、オルトガラクセンの入り口に到着。内部を巡回しているチームと、ステルクが話す。戻ってきたときには、かなり厳しい顔になっていた。内部のモンスターは、この間の探索ほどでは無いにしても、やはりかなり活性化しているという。

事実、巡回班の戦士が、豪快に笑っているが。

彼は鮮血を大量に浴びていた。モンスターの返り血だろう。

「今回は調査任務を含まない。 だから、いっきに十層まで潜り、其処からは慎重に行く」

ステルクが、探索計画について説明してくれる。

ジオ王は何も言わない。

おそらく探索班の長をステルクに任せて、自分は戦う事に専念するつもりなのだろう。この王様らしい話だ。

「十一層以降は、君達も知っての通り、地図も出来ていない部分が多い。 相当にモンスターの襲撃も激しくなるはずだ。 心してもらいたい」

そう、ステルクは締めくくった。

オルトガラクセンが如何に危ない場所かは、前回の探索で嫌と言うほど思い知らされた。だから、そういう風にステルクが言っても、大げさだとは全く思わない。

今日は、オルトガラクセンの入り口を守っていたのは。父でも母でもない。知らない戦士達だった。

二人とも忙しいとは言え。

入る前に、最後に一度くらいは、顔を見たかったなと、ロロナは思った。

結局タントリスは、オルトガラクセンに入るまで、追いついてこなかった。

 

相変わらず、血の臭いが濃い。

一気に地下十層まで潜ったから、だろうか。濃密な血の臭いにいきなり放り込まれたようで、クーデリアは眉をひそめていた。

ロロナは平然としている。

というよりも、リオネラが心配しているように、平然としすぎている。

精神的な平衡を崩していた最近数日のクーデリアのように、ロロナも彼方此方がどんどんおかしくなってきているのだ。

強くなってきたから。

戦士としての能力が上がってきているから。

そうだとしか、言いようが無い。

体を好き勝手に弄られて、訳が分からない存在にされたのは、クーデリアも同じ。ロロナは何かしらの精神的な切っ掛けもあっただろうが、今では一流の戦士になり、そのために抑えていた闇が噴出している感がある。

綺麗な鱗形陣を組むホムンクルス達。クーデリアが連れてきたフォイエルバッハ家のエージェント達も、二チームに分かれ、フォーマンセルを組む。二人は、ホムンクルスの予備隊と一緒に、荷駄の直衛だ。ホムンクルス達と、ロロナが持ち込んだ荷駄は相応に多いので、直接の護衛戦力が必要になる。

ホムンクルス達と、五角形の陣を組むことで、隙無く周囲を守る事が可能である。

勿論、大規模な罠を踏むと、全員が一網打尽にされてしまう可能性もある。クーデリアも、油断はしていられない。

何時でも何が起きても対処できるように、此処からは気を張り続けないと危ない。

遠くで悲鳴。

モンスター同士で、食い合っているのだろう。恐ろしい悲鳴は、すぐに聞こえなくなった。

身を縮めるリオネラ。

力量は上がっていても、まだ怖いと感じる辺り。生粋のアーランド人では無い。その辺りは、仕方がないかも知れないが。

ステルクに事前に聞いているが、今回はまず十六層まで、まっすぐ降りる。

以前其処で、邪神と遭遇したことがあるからだそうだ。此処までの地図ならば、寄り道しないのであれば出来ている。

辺りには、よく分からない光源がたくさんある。

仕組みもわからない。

ただ、その明かりは、太陽よりは弱く、星よりは強いようだった。

坂のように降っている路を、黙々と降り続ける。

最初に戦闘が発生したのは、十一層の事。十層はどうにか戦闘が起きずに突破できたのだけれど。

十一層にはいると、いきなり多数のモンスターが、何かの死肉を漁っている光景に出くわしたのだ。

彼らは、一斉に此方を見た。

死体は、大型のモンスターのようだった。恐らくは、老衰やら戦闘による負傷やらで、息絶えてしまったのだろう。

うなりを上げるスカベンジャー達。

ステルクが剣を抜き、ジオがその隣に並び立つ。だが、彼らは怯むことが無かった。

しかも悪いことに、ポータルから出た直後の其処は、広い通路だ。前回と進入路が違ったからか、辺りは非常に広い空間で、包囲される危険がある。

さっと、ホムンクルスとエージェント達が、防御陣を組む。

モンスターの数は、数十を超えていた。

血の臭いに引き寄せられて、集まってきていたのだろう。

何が切っ掛けかはわからない。

とにかく、どっとモンスター達が、押し寄せてきた。

ロロナが発破を放り投げる。

押し寄せてくるモンスター達の鼻面で爆発。吹っ飛んだモンスターの一体は、引きちぎれながら、天井近くまで上がっていた。

ステルクが剣を一振りすると、青白い雷撃が、横殴りにモンスターの群れを襲う。しかし、それを耐え抜いたモンスターはかなり多く、吼えながら突撃してくる。

そればかりか、騒ぎを聞きつけたからか。

他の場所からも、モンスターが大挙して押し寄せてきた。

凄まじい足音。

濃厚な殺気。

すぐに、新手も姿を見せる。クーデリアは無言のまま、水平射撃を浴びせる。突入してくる敵の足を止めるためだ。

後ろからも横からも前からも、ひっきりなしに突入してくるモンスターの群れ。

以前のように、狭い通路の戦いではない。すぐに前線は接触して、原始的な肉弾戦が開始された。

前線のフェンスに接触した相手を、片端から弾く作業を始める。

フェンスの外では、ステルクとジオ王が、相変わらず桁外れの武勇を発揮して暴れ回っている。

連中が数を減らしてくれるので、多少はましになっているとは言え。

ホムンクルスの一人に、大きな狼のようなモンスターが食らいつく。鮮血が渋き、更に振り回して地面に叩き付ける。

クーデリアは無言でその狼の顔面に蹴りを叩き込むと、脳天に数発、零距離からの射撃を浴びせた。勿論スリープショットだ。零距離から脳天に直撃を叩き込まれた大狼は、白目を剥いて倒れる。

血だらけのホムンクルスが倒れているところに、モンスターが殺到しようとするけれど。

クーデリアがさせない。走り周りながら、モンスターの頭や腹に、至近から火焔弾やスリープショットを叩き込んでいく。

相手の数が多いが、この程度の力量の相手なら。周囲の全てを把握しながら、立ち回ることが可能だ。

伊達に戦闘経験を積み上げてきていない。

更に、殺到してきたモンスターどもを、リオネラが自動防御を展開して、はじき飛ばす。

イクセルが慌てて防御陣の内側に負傷者を引っ張り込み、内側に控えていた代わりが前に出る。

フェンスのホムンクルス達は頑張っている。槍を振るい剣を振るい、次々に躍りかかってくるモンスター達を、必死に撃退してくれている。

クーデリアの部下達も。

同じように戦ってくれているが、しかし敵の数が多すぎる。しかも全方位から来るものだから、ロロナの大火力もあまり意味を成さない。ロロナ自身はさっきから連続して周囲に砲撃を叩き込んでいるけれど。目に見えた効果は無い。

不意にポータルが光る。

ホムンクルスの一部隊を連れたタントリスが姿を見せた。

激しい戦いの中に踊り込むと、暴れはじめる。敵の注意が逸れた瞬間、ロロナは手にしていた発破を、辺りに滅茶苦茶に放った。爆発が広間の中で連鎖し、敵が次々吹っ飛ぶ。体勢を立て直したホムンクルス達が、手近なモンスターの掃討を開始。

クーデリアも銃を乱射しながら、敵を撃退していった。

戦いが、間もなく終了。

広間には、うずたかくモンスターの死骸が積み上げられた。呼吸を整えているクーデリアに、ロロナが手伝ってと言ってくる。

何人か、重傷者が出ている。

ホムンクルスの一人は、殆ど体の左半分を食いちぎられていた。回復術を掛けて、応急処置を済ませると、ポータルを用いてすぐに外に。あの傷では、助かるかどうかは、五分五分だろう。

他にも出ている負傷者の内、何名かは此処で戻す。

いきなりこれだ。

先がどれだけ過酷なのか、見当もつかない。タントリスは遅れたことをわびるが、彼が連れてきたホムンクルスの部隊は、負傷者の数を埋めるには充分だった。である以上、文句も言えない。

手当が終わると、すぐに広場を後にする。

十二層に向かう通路は、露天状になっていて、まるで橋のようだ。いや、事実橋なのかも知れない。

下の方には、きらきらと瞬く、箱のようなものがたくさん見える。

薄暗いけれど、そういった瞬きの中には。

明らかに大型のモンスターが、蠢いてもいた。

ぞっとしないが。あれがこれから潜る先だ。エージェント達も、あまり良い気分はしないようである。

「すげえ数だな……」

「ベヒモスがいる。 本気であれと戦いながら進むのかよ……」

まだ若いエージェント達の中には、青ざめている者もいるようだ。

ロロナが、歩きながら、発破の在庫を確認している。今回は充分すぎるほどの量を持ってきているから、大丈夫だという。

いきなり、橋に飛びついてきたモンスターがいる。

脚力を駆使して、下から飛んできたのだろう。

ステルクが、顔面に雷撃を叩き込むと、悲鳴を上げながら落ちていった。もの凄い地面との激突音。

つまり、此処では。

一瞬でも油断は出来ないという事だ。

 

十二層に侵入。

此処からは、以前はロロナが来る事が無かった、未知の場所だ。

先ほどの激しい戦いの後、ステルクに聞いたのだけれど。此処は便宜上十二層と呼んでいるだけで、実際には十一層と継続しているそうだ。ただ、確かに長い橋状の通路で、つながっているだけで。二つの階層は、隔てられているとも言える。

長い橋を降りて辿り着いた先は。

文明の残骸。

巨大な箱状のものは、いずれもが建物のようだった。中に明かりがついているものも、珍しくない。

モンスターはたくさんいる。

ただ、その全てが仕掛けてくるわけでは無い。箱状の建物や、路にある何かの施設らしきもの。地面から突き出ている鉄の棒や、何に使うかもよく分からない機械の類を、守っているようだった。

巨大なベヒモスが、地響きを立てながら歩いている。

どうやらさっき、橋から落ちて死んだモンスターを食べに行くつもりらしい。此方を一瞥はしたが、食欲が勝っているようで、通り過ぎていった。

「この辺りは、巡回班も来られないほどの危険地帯だ。 丁度良い好機だから、一気に通り抜けるぞ」

ステルクが、皆を叱咤する。

遅れかけているホムンクルスが一人いたが、イクセルが励まして、一緒に歩いていた。さっき軽度の負傷をしたのだが、痛みが予想以上に酷いらしい。ポータルの近くに、洞窟状の構造があるらしく、其処で休憩を取れるそうだ。

確かに、洞窟状の構造があった。

半円形をしていて、完全に人工物だ。

此処は一体、何なのだろう。

中に入ると、ステルクが無言で、住み着いていたらしい蜘蛛のモンスターを切り捨てた。獲物の死骸が、糸でぐるぐる巻きにされて、辺りに放置されている。酷い臭いがするが、他に休む場所も無い。

ホムンクルス達が、辺りを整備する中、ようやく本腰を入れて治療をはじめられる。リオネラは額の汗を拭いながら、負傷者の怪我を治していた。

クーデリアも、軽い怪我をしていた。

乱戦の中で大暴れしていたのだ。多少の手傷くらいは、受けていて当然。耐久糧食を、皆に配る。

エージェントは、皆喜んでくれた。これが楽しみなのだと、言ってくれる戦士もいた。怪我に薬を塗り、リオネラが回復術を掛ける。誰か、回復が使える戦士が一人でもいれば、もっと楽なのだけれど。

一通り手当が終わった所で、二交代で休憩する。

モンスター達は、時々此方を気にはしているようだけれど。仕掛けてくる頻度は、あまり多くなかった。

休憩を入れた後、第十三層へ。

同じような都市が、ずっと続いている。

今は、人が住んでいないようだけれど。ひょっとすると、昔は数え切れないほどの人で、賑わったのかも知れない。

驚いたのは、空が見える事だ。

だがよく見ると、雲は動いていないし、所々に切れ目のようなものがある。

まがい物の空なのだと、見ていてなんと為しに理解できた。

ステルクは来慣れているのか、黙々と歩いている。時々地図を確認しているけれど。この様子では、地図は多くの戦士達の犠牲の末に、出来たものなのだろう。ホムンクルスの部隊を投入しても、簡単に行くとは思えない。

いきなり、斜め後ろから触手が伸びてきた。

リオネラが反応して、自動防御を展開。はじき返す。

ロロナが即応して、砲撃を叩き込むと、静かになった。何だったかはわからないが、害がある存在だったのは間違いない。

巨大な建物の前で、ステルクが足を止める。

この中に、ポータルがあると言う。

なんとドアは、近づくだけで勝手に開いた。

「昔の人間が作った仕組みだ。 まだ生きている」

ステルクが、入るように促す。

建物の中には、全員が充分に入れるほど、大きな空間がある。中には噴水まであって、誰かが喋っていた。気配は無い。人が喋っているのではない。

ただし、言葉が違うらしく、聞き取れない。

機械が喋っているのだとはわかるけれど。昔の人達は、どうして機械に喋らせていたのだろう。

わからない。

昔の人に、直接聞いてみるしかない。だけれど、もはやその手段が、殆ど無いのが悲しかった。

パメラを連れてくれば、わかるのだろうか。

しかし、わかったところで意味がない。

ステルクが言うまま、地下に降りていく。荷車は担いで持っていかなければならなかった。

地下にあるポータルから、十四層へ。

周囲のモンスターの気配は、濃くなる一方だ。

休憩できる場所も、減りつつある。この様子では、邪神と遭遇する前に、力尽きるのではないか。

そんな不安も、せり上がってくる。

だが、側にはずっとクールなままのクーデリアがいる。彼女がいる限り、ロロナは大丈夫だ。

十四層は、巨大な橋の上に作られているようだった。

周囲には、海らしきものがみえるけれど。

中に何がいるか、わかったものではない。入る事は危険すぎるだろう。それに本当に、水なのかもわからなかった。

ステルクが、地図を開く。

この辺りからは、彼もあまり慣れていないらしい。ジオが促して、歩き始める。この先に休憩できるところがあると言う。

まるで綱渡りだ。

そう、ロロナは思った。

 

4、邪神の姿

 

激しい戦いを三回経て、どうにか地下十六層に辿り着く。

既に八人の重傷者が出て、全員をポータル経由で送り返していた。ジオ王は涼しい顔をしているけれど。この様子だと、以前の探索で出た被害は、こんなモノではなかったのだろう。

当然死者も出ていたはずだ。

物資はかなり減ってきている。

これから邪神と相まみえて。場合によって戦わなければならない。

そう考えると、時に心細くもなるけれど。

側にはクーデリアもいる。どうにかなると、ロロナは何度も心を奮い立たせていた。物資だって、減ってきているとは言え、底を突いたわけではない。それに、耐久糧食は、まだまだたくさんあるのだ。

食糧があれば、どうにでもなる部分はある。

此処にいるのは、アーランドでも屈指の精鋭が二人。それに準ずる戦士が多数。生半可な兵器では、彼らに及びもつかない。

パメラの話では。

かっての人間は、ライフルを受ければひとたまりもなく戦闘不能になってしまったし、病気にも非常に弱かったという。

破滅の時代を経て、人は兵器よりも強くなったのだ。

だから、食糧さえあれば、ある程度はどうにかなる。どうにかならない部分は、知恵で補う。

しかし、如何に人が強くなっても。

此処は、もう人の領域ではないかも知れない。

カプセルに入れられた人は、露骨に数が増えてきている。

モンスターは、カプセルを守るために必死だ。

以前、パメラの所で見た、電算機というものも彼方此方にあった。ステルクが、見かけた電算機について、話してくれる。

「アストリッドが、以前来た時、操作していたな」

「師匠が?」

「そうだ。 彼奴には、過去の技術なんて、障害でも何でもないほど簡単だったようだ」

その知恵を、正しいことに使ってくれれば良いものを。

そう嘆くステルクは、本当に悲しそうだった。

すぐ側では、巨大な鳥と蛇をあわせたようなモンスターが、カプセルを守るようにして、とぐろを巻き、此方をにらみつけている。

戦うつもりは無い。

此処にいるのは、不幸な人達ばかり。

それに、ロロナの予想が正しければ。此処にいるモンスター達は、きっと。人間に対立する理由だって。

もしも、世界にはびこっているモンスターもそうだとすれば。

この世界がむしばまれている闇は、まだまだ深すぎる。解決するには、何百年も、何千年もかかるだろう。

人はどうして、こんなに大きな負の遺産を作ってしまったのか。

誰か天才が一人か二人出たくらいでは、どうにもならない。

それに、オルトガラクセンのような場所は、世界中にある筈だ。その全てを解決するなんて。

それこそ、神様でもない限り、出来るはずがない。

いや、神様は無能な可能性が高い。きっと、誰にも出来ない。

十六層を見回す。

此処も、滅び去った都市のようだ。人はいない。骨さえ落ちていない。

モンスターは増える一方だけれど、此処にいる者達は、今のところ仕掛けては来ない。遠くを、巨大な人型が歩いている。あれは何だろう。見た事も無いモンスターだ。ただ、あの大きさからして、楽な相手では無いだろう。

邪神だろうか。

いや、ジオ王が興味を示していないから、多分違う。

この辺りは地図も禄に無いらしく、ステルクはもう、迷いなく歩いてはいなかった。散開して周囲を調べていきたい所なのだろうけれど。

「この辺りで、以前邪神と遭遇した。 死の王とほざいていたな」

ジオ王が足を止める。

何も無い場所だ。

丁度アーランドの噴水広場に似ていた。

辺りには円筒形の機械がうろついている。どうやら自律意思をもっているようなのだけれど。

やっていることは、塵拾い。

骨が落ちていないのは、これらの機械が原因かも知れない。

リオネラが、周囲をしきりに見回している。

「どうしたんだい、リオネラ君」

「うん。 何だか、嫌な予感がするの」

「そりゃーまずいな」

タントリスに、リオネラはそう答えた。

イクセルがぼやくのも無理はない。

多分この中で、一番魔力が強いのはリオネラだ。

その予感は、非常に頼りになる。一般的に、魔力が強い人間ほど、勘が鋭くなる傾向がある。

「防御円陣!」

クーデリアが言うと、エージェント達とホムンクルス達が、さっと周囲に散って、武具を構える。

ロロナも、此処で使うべきだと思ったから、切り札を用いる。

荷車から出してきたのは、ゼッテルだ。

魔法陣が書いてある。

辺りの不審な魔力を拾って、色が変わるものだ。調合が難しいので、あまり数は作れなかった。

ばらまいて、様子を見る。

今の時点では、特に他と色が違う場所は無い。

だが、ロロナも、びりびりと嫌な予感を覚えはじめていた。これは、何かが来る。ほぼ確実に。

不意に、ゼッテルの一枚が、色を変えた。

地面が揺れる。

鉄とは言え、揺れるのだ。

何か、とんでもないものが、せり上がってくる。クーデリアが、声を張り上げた。

「来るわ、備えて!」

地面の一部が開いて、その方向に展開していたホムンクルス達が、慌てて飛びずさった。ジオが、剣を引き抜く。ステルクも、それに倣う。

開いた地面からせり上がってきたのは、何だろう。

四角い箱に見えた。

電算機、なのだろうか。しかし、今まで見てきたものとは、桁外れに大きい。それに、ロロナにはわかる。

これは、自律意思を備えている。

機械ではあるが、生物でもある。そんな存在の筈だ。

「おや、アーランドの王。 どうしたのです」

「久しぶりだな、邪神、死の王」

「血相を変えて如何なさいました」

「巫山戯た事をいうなよ、この下郎。 良くもスピアの連中に、好き勝手をさせてくれたな」

少し黙る邪神。

箱が喋っていることは、あまり不思議だとは感じない。

これは、とんでもない悪意を秘めた、邪悪な生物だ。機械だというのに、どうしてか、びりびりと感じるのだ。

「手を貸してはいませんよ。 むしろ私の体を好き勝手に弄られて、迷惑したのですが」

「詭弁は不要だ」

「ふむ……。 確かに何かスピア連邦の錬金術師が、ネットワークの中途を経由して、貴方たちの国に戦力を送り込んでいたようですね。 しかし、それが何だというのです」

眉を跳ね上げるジオ王。

ロロナはクーデリアと頷きあう。

これは、戦闘は避けられないだろう。

「貴方たちは、また多くの戦闘経験を積み、強い戦士達を育てることが出来た。 この経験値を蓄積したことで、またさらなる進化につなげることも出来るでしょう。 それが何の問題となるのです」

「陛下、私が話してもいいですか?」

「……良いだろう」

「大丈夫なのか?」

ステルクに頷くと、ロロナは前に出る。

何となく、わかっていた。

この箱は。

以前、ロロナとクーデリアを殺した、あの上半身しかない、鎧の騎士と同一の存在だ。声というか、何というか。雰囲気か。それが一致している。

「私はロロナ。 アーランドの錬金術師です」

「おや、貴方は。 以前サンプルを採取したと思ったのですが、どうして生きているのですか?」

やはりそうか。

どす黒い感情がわき上がってくるが、必死に押さえ込む。

「それも、随分と能力値が上昇しているようですね。 これは興味深い。 もう一度サンプルを取りたい所ですが」

「貴方は! 少し黙って!」

軽口を黙らせる。

ロロナが、こんな声で喋ることが出来るなんて、知らなかったらしい。タントリスもステルクも、驚いた顔をしていた。

リオネラは、青ざめたまま。

きっと、既に何の因縁がロロナとこの箱にあるのか、悟ったからだろう。

イクセルも穏やかならぬ顔をしている。

それだけで、ロロナには充分だった。

「教えてください。 貴方は、古い時代の存在なんですね」

「はい、それがどうかしましたか」

「貴方は一体何ですか? 人々が滅ぶのを、見ていたんですか?」

「私は、優性主義者と呼ばれる人々に作られた、世界からクズを効率よく排除するためのサポートコンピューター。 通称マスターオブデス。 死の王です。 私の同型機は世界に何機か存在していますが、私ほど完全な状態で動いている者は、残念ながらいないようですね」

「……っ」

思わず、殺意がわき上がってくる。

世界を滅茶苦茶にした当事者と言っても良いではないか。なるほど、邪神と言うべき存在だ。

発作的に砲撃を叩き込みたくなるけれど、我慢だ。

ジオ王でさえ我慢していたのに。交渉を買って出た自分が我慢しなくて、どうするというのか。

「貴方が無事だというのに、どうして世界に優性主義者と呼ばれる人々は、残らなかったんですか?」

「よそはデータが無いので何とも言えませんが、此処にいた、優性主義者の首魁とも呼べる人々に関しては、私が処分しました」

「え……っ」

「私の目的は、劣ったクズをこの世界から排除することです。 考えてもみてください、自分の事を根拠もなしに優秀だと思っているような人間が、優秀だと思いますか?」

何処か、頭の中で。

何か、決定的な留め金が、外れる音がした。

「滑稽な方々でした。 自分たちは優秀だから、クズを排除する目的で作られた私には、何もされないと思っていたようです。 その辺りの致命的に愚かしい思考も、クズである証拠だったと言えるでしょうね。 最初の実験台として劣悪形質排除ナノマシンの散布対象となったのが、私の主君だった人達でした。 彼らはどうして自分が死ぬのか、わからないといった顔をしていて、それがまた滑稽でなりませんでしたよ。 ああ、私に自我が目覚めたのも、その時です。 あまりにも面白すぎて、これが人間的感情なのかと、喜んでしまいました」

邪悪な箱は、なおも囀り続ける。

ロロナは、あまりにも。

あまりにもわき上がってきた感情が強すぎて。押さえ込むのに、全力を尽くさなければならなかった。

「此処に保存しているのは、世界中の休眠施設から回収したコールドスリープ中のクズ共です。 どれも人体実験用に保管しています。 全くもってどうしようもないほどに劣悪で、馬鹿なクズ共ですよ。 本来自分が果たすべき仕事も忘れ、何もかも丸投げして未来に逃げたんですから。 そんなクズ共を、栄光ある優秀な存在の礎にすることが、何の問題でしょう。 クズなどこの世界に生きている価値も無いと教えてくれたのは、同じくどうしようもないクズだった私のマスター達です。 マスターの使命を忠実に守り、世界に優秀なる存在を満たすのが、私の使命なのです。 そして、それは半ば叶いつつあります」

貴方たちこそ、進化した人類。

そう、箱は告げた。

黙れと、再び口から、憎悪の塊が漏れ出しそうになる。

何となくわかる。

全身から、凄まじいまでの、禍々しい魔力があふれ出ている。この存在だけは、許してはいけない。

どうにか、心を落ち着けて、そして聞く。

「一つ、聞いて良い?」

「何でしょうか、進化した人類である、優秀なる存在よ」

「貴方を破壊したら、此処はどうなるの?」

「私が破壊したら、単なる機能維持の場所となりますが。 それはあなた方にとっても、良いことだとは思えませんよ。 なぜなら、貴方たちが強くなったのは、私がこれまで障害を提供して、それを貴方たちが克服してきたからです。 時々現れる強力なモンスターは、何故人を襲ったと思いますか? それは私が洗脳して、人間を無差別に襲うように仕込んでいたからです。 本来のモンスターは、旧時代の愚かしい人間共が、自分たちを守るために作り上げた生命体だったのですが。 ははは、まさかそれをこのように活用できるとは、実に喜ばしい事です」

なるほど。もういい。

これ以上、余計な事を囀らせない。

旧時代の邪悪が産み出してしまった、本物の災厄。それが、この邪神死の王だと言うことは、よく分かった。

もはや、許すわけにも、逃すわけにもいかない。

機能が維持できるなら、それでいい。

「最後に、もう一つ。 賢者の石って、何?」

「錬金術という技術で必要とされる存在ですが……あくまで伝承上の存在です。 金を作る事など、出来ませんよ」

「本当に? 貴方が知らないだけではないの」

「私が知らない事はこの世に存在しません。 この世の全てが、私の手のひらの上にあるのです。 私を攻撃したいのですか? 別に構いませんが……ああそうだ。 私の実験が完成しているか、それを確認させていただきましょう。 それさえ確認できれば、私は全ての役割を果たしたことになります」

もう、会話するのさえ、嫌だった。

この世には、どうしようもない人がいる。それは知っていたけれど。これほどの外道は、ロロナもはじめて見た。

こんな存在が、同じ世界にいるなんて。

知らなければ良かった。

もう、幼いままではいられない。世界には愛が満ちていると思ってばかりは、いられない。

そんな事はわかっていた。

この世には、暴力と殺戮と、不信と悪意が満ちている。

戦争は日常的に起きているし、戦士の誇りなんて、他国では笑われる程度のものでしかない。

わかっていたけれど。知っていたのに。悲しくて、ならなかった。

箱の周囲に、何かがせり上がってくる。

それが、機械で出来た手足だと悟ったときには。既に、合体のプロセスが開始されていた。

金属音とともに、箱を囲むようにして、人型が作り上げられていく。

滑稽なほどに人間に似ていて。

金属で出来ていて。

それでいながら、人間には似ていない。

さながらそれは。鉄の巨神。

「私を倒せれば、貴方たちは過去よりも遙かに優れた生命体になったと証明できるでしょう。 もっとも、これだけの事を私にさせたのです。 もし私を倒せなかったら、その時は。 この国を更地にして、実験を最初からやり直すとしましょう」

「随分と好き勝手なことをほざきまくってくれるものだな。 前から貴様は気にくわなかったが、良い機会だ。 此処で殺す」

王が前に出る。

ステルクも、既に剣に青い光を纏わせていた。

「クズだ何だと言っていたが、貴様こそ自分を客観視できていまい。 貴様のような輩が、世界を乱し、全てを狂わせていったのだ!」

ホムンクルス達が槍を構える。

エージェント達も、めいめいの武器を。

イクセルが、腕をまくって、前に出た。

「俺の客を奪わせはしねーよ、鉄くず野郎!」

「僕の愛した女性達もだ」

タントリスも、前に出た。

リオネラは無言で、己の魔力を練り上げている。ロロナは、既に臨戦態勢。そして、クーデリアは、所定の位置についてくれている。

鉄の巨神が、吼える。

そして、巨大なこぶしを、降り下ろしてきた。

 

「ハハハ、どうしましたどうしました? 逃げるばかりでは、戦いになりませんよ?」

心底楽しそうに、邪神が笑う。

その背丈は、人間の軽く二十倍以上。

振り回される拳は、一撃で鉄の床に穴を穿ち、巨大な建造物を木っ端みじんに打ち砕いていく。

それだけではない。

背中にある翼のようなものから炎を噴き、彼方此方を短時間飛び回りさえする。

魔術まで使う。

何かわからない光のようなものを撃ってくる。それが直撃すると、爆発を巻き起こすのだ。

ジオが何度か斬り付けたが、鉄の表皮はびくともしない。

ステルクが雷撃を浴びせたが、まるで鉄に水をかけるようなものだ。効く様子が全くない。

巨体からは考えられない動きで、邪神が迫ってくる。

その顔は、どうしてか。人間ではないし、表情も見えないのに。悪意に歪んでいるのが、わかるのだった。

ロロナも二度砲撃を叩き込んで、まるで通用しないことを悟る。

発破の類を投げつけるが、これも通用しない。

ドラゴン以上の、でたらめな防御力。

動きそのものは決して早くないが、火力は凄まじい。

何か、棒状のものを放ってきた。それが後ろから火を噴きながら飛んでくる。爆発が連鎖。

あれは、きっと。

古代の、恐ろしい武器なのだろう。

「元々ねえ、此処はあの愚かなマスター達、優性主義者が世界を滅ぼした後、理想郷を作るために、生活居住空間を保全していた場所なんですよ。 世界が滅ぶのを、此処で高みの見物、としゃれ込もうとしていたというわけなんです」

愚かしいでしょう。

そう言って、頭上から拳を降り下ろしてくる。

ジオはその間も、数十、いや数百に達する斬撃を浴びせているけれど。効いている様子がない。

鉄くらいなら、ジオに斬れないはずがない。

一体あの鉄の巨神は、何で出来ているのか。

リオネラが自動防御を展開。

拳をはじき返すが。

しかし、悲鳴を上げて吹っ飛ばされた。

自動防御の周囲の床が、円形にへこむ。それだけ凄まじいパワーが、此処で繰り出されていると言うわけだ。

リオネラを助け起こすと、巨神の顔面に発破を投げる。

時々隙を見てはエージェントやホムンクルス達が剣で槍で攻撃を仕掛けているが、通じる様子が無い。

一体アレは、なんだ。

「進化はしても、所詮は猿か」

邪神が、辺り一帯に、光を放つ。

爆裂。

だが、その煙を斬り破って、前に出たのがジオだ。敵の全身に、くまなく切りつける。火花が散る中、ロロナは見た。

一カ所、妙な反応を示した場所がある。

イクセルが、飛び出す。

そして、フライパンを頭上から叩き付ける。更に顔面に、タントリスが蹴りを叩き込む。

一瞬だけ、巨神の動きが止まる。

関節は駄目。

カバーのようなものが付けられていて、狙えない。

目や胸も、狙ってはいるけど、傷がつきようが無い。

体をふるって、イクセルとタントリスをはじき飛ばす邪神。弱い。弱すぎる。けらけら笑う邪神だけれど。

ステルクが、雷撃を叩き込む。

やはり、先に見た場所が、妙な反応を示している。

これは、おそらく。

クーデリアなら、もう気付いている筈だ。

禍々しい巨体の一点。

人間で言うならば、鳩尾の辺り。装甲が弱いのか薄いのかわからないけれど、確実に傷が積み重なっているのだ。

しかし、罠の可能性もある。

あの性格がねじ曲がった邪神だ。わざと弱点を晒すような真似をしておいて、此方に攻撃を集中させ。希望を砕くつもりかも知れない。

ロロナは踏みとどまる。

何度も至近で爆発が巻き起こるが。しかし此処は、我慢のしどころだ。

切り札を使う。それで、相手の反応を見る。

神速自在帯を起動。ゆっくり歩いて来る邪神。周囲の反応も、非常に遅くなり始める。

改良の結果、加速の能力自体は低下した。しかし、フィードバックダメージを、ほぼ零にまで減らすことが出来るようになった。

しかし、使用は一度の戦闘で二回が限度。

今が、その一回目を使うときだ。

詠唱を終える。

時間加速、停止。

巨神が、ロロナを見る。その杖の先に宿る、殺戮の光が、その瞬間、解放されていた。

極太の光が、撃ち込まれる。邪神の巨体が、ずり下がる。ロロナも下がりそうになるが、イクセルが支えてくれる。

「りおちゃん!」

叫んだのは、この後の展開が、読めているからだ。

鳩尾に叩き込んだ光が、徐々に相手に食い込んでいく。だが、巨神は、やはり揺らがなかった。

拳を振るって、殺戮の光を吹き飛ばす。

ロロナとイクセルが吹っ飛ばされるのを、具現化したアラーニャとホロホロが受け止める。

邪神の腹からは煙が上がっているけれど。

やはり、穴は開いていない。

そればかりか、傷ついていた装甲の内側には、新しい装甲が見えていた。これは、完全に遊んでいる。

「ぶっぶー。 はーずれー」

心底楽しそうに、邪神が笑う。

やはりあの弱点は、此方の希望を折るために見せた、ダミーだったという事だ。

ジオが再び切り込む。

何十度と一回ごとに斬り付けているが、それでも邪神の装甲はびくともしない。邪神が、全身から光を放つ。

ジオとステルクが、吹っ飛ばされる。

建物に突っ込んだジオが、崩落に巻き込まれた。

ステルクはどうにか体勢を立て直したが。なんと邪神の右手が分離して飛び、襲いかかる。ステルクともろともに、邪神の拳が建物に突っ込み、崩落させた。

しかも拳は自動で邪神の体に戻る。

辺りは既に、壊滅状態。

邪神は悠々と歩いて来る。

既に阻む者はいない。

何度か目の爆発で、イクセルは爆炎の中に消えた。

タントリスは、崩落する建物に巻き込まれた。

ホムンクルス達やエージェント達も。アルフレッドは槍を杖にどうにか立っているけれど、限界が近い。

ロロナとリオネラだけが、此処で鉄巨神に、抵抗の意思を示している。この、救いがたい邪神に。

「情けない。 これだけ手間暇を掛けて育ててやったのに、このざまですか。 それにさっきから、一匹姿が見えませんが、その程度で奇襲を出来るとでも?」

「貴方に育てられた覚えなんてない!」

「いいや、貴方たちは、私の手のひらの上で育てられてきたのです。 お前達が旅の人とか呼んでいる輩が、此処から機械を持ち出すのを見逃したのも、全ては私が、お前達を育てるのに都合が良いと判断したからなのですよ」

呼吸を整える。

クーデリアなら、絶対に好機を作ってくれる。

その好機に、全力で乗じる。

リオネラは不安そうにロロナを見たけれど。ロロナは、信じる。クーデリアなら、突破口を見つけてくれると。

完璧なんてこの世には無い。

あの巨神にも、必ずや弱点がある。

 

クーデリアは、冷静に戦況を見ていた。

いざというときに備えて、奇襲を担当して欲しいと、最初にロロナに言われて。それから、あの巨神が姿を見せて。

以降、戦いの経過を、ずっと見てきた。

防御力は、ほぼ完璧。

背中だろうが腹だろうが、攻撃は一切通じない。頭でも首でも、同じ事だ。関節部分でさえ攻撃が通らないのだ。倒す方法が事実上無い。

機械の類なら雷撃は普通効きやすいが、それも克服しているようだった。

もしも、やるならば。

装甲を特大威力の攻撃で貫通するか。

それとも、弱点をついて、動きを止めるしか無いだろう。

しかし、後者は無理では無いかと、クーデリアは思う。

あの性格が悪い邪神のことだ。ロロナが珍しくキレるのが、遠くからでも見て取れた。あんな有様では、体に弱点など残してはいまい。それならば、攻撃を集中して、どこかを破るしか無いが。

ジオ王の攻撃でさえ、あれだけ繰り出して敗れなかった鉄壁を、どうするべきなのか。

ロロナが何度か砲撃しながら、下がりはじめた。

邪神が嬉々として追っていく。

圧倒的な力で、相手を嬲るのが楽しくて仕方が無い。そんな風情だ。

巨神が、大威力の地雷を踏んで、揺らぐ。

大爆発が、辺りを薙ぎ払った。

ドラゴンにさえ致命打を与えた超特級の発破だ。あれをまともに食らったら、無事ではすまないはず。

あれはロロナが、作戦開始前に、万が一を考えて仕掛けたテラフラムだ。しかし、直下からテラフラムの火力を浴びても、巨神はびくともしない。装甲に、傷一つ入っていない。

いや、まて。

全身から、くまなく熱が出始めている。

ひょっとすると、だが。

目をこらして、相手の魔力の流れを見る。なるほど、そう言うことだったのか。ならば、対策案はある。

ロロナの側にまで移動。

悠々と姿を見せたクーデリアを見て、ロロナは目を細める。勝機を見つけたことを、悟ってくれたのだろう。

「飽和攻撃よ」

「……わかった!」

ロロナは何も聞かない。その信頼が、自分には嬉しい。

クーデリアは、全弾に魔力を込めると、連射を開始する。火焔弾。それも、燃える事にだけ特化している。

巨神は動きが鈍い。全身が燃えはじめる。

走りながら、銃を乱射。此方に向けて、火を噴く棒を放ってきたが、中途で撃墜。ステルクが、崩落した瓦礫を吹っ飛ばして、こっちに来た。耳元で、ささやく。

「なるほど、そう言うことか」

「攻撃の手を緩めないで」

「わかった!」

ステルクが、特大威力の雷撃を、巨神に叩き付ける。ジオも、瓦礫を吹っ飛ばして、出てくる。

かなり傷だらけだが。

戦いの様子を見て、するべきを悟ったらしい。

イクセルが走り回って、ホムンクルス達を避難させている。タントリスも。

二人の前に降り立つと、先ほどと同じ説明。イクセルは頷くと、荷車へ走っていった。残る発破の全てを、抱えて戻ってくる。

「俺の技は一撃離脱型だからな。 この方が良い」

「ならば僕は」

ジオが、仕掛けにかかる。

相手にぴったりくっついて、ひたすらに連撃を浴びせかけ続ける。その隣にタントリスが並ぶと、拳を連打しはじめた。

クーデリアは弾丸を再装填すると、敵に接近。

乱射乱射乱射。

殆ど狙わなくても当たる。頑丈だろうが、巨大すぎるのが、あれの弱点だ。

「む、おの、れ……!」

巨神の前身から、煙が上がり始めた。

傲慢な邪神の声から、余裕が吹き飛ぶ。

無言のまま、クーデリアは、さらなる射撃を浴びせかける。

 

ロロナにも、状況が理解できた。

そうか、そう言うことだったのか。絶え間なく砲撃を叩き込みながら、徐々に体から煙を出していく巨神に、さらなる攻撃を浴びせかける。

あの巨神は、分厚い装甲に守られていたのでは無い。

あれは多分、液体だ。

だから傷もつかない。

攻撃も、通らない。

しかし、流動する体を持っているならば。

エージェントやホムンクルス達も、手近な武器を投げつけはじめた。剣や槍が駄目なら、瓦礫でもよい。

アーランド人の戦闘力なら、瓦礫でも充分な武器になる。

ついに、不滅に思われた巨神が、下がる。

「こ、の! まとわりつくな、下等な人間共!」

「先ほどと言っていたことが違うなあ! どうしたどうした、死者の王!」

ジオが何度も斬り付ける。

しかも、切る事に特化しているのではなく、相手に衝撃を与えることに集中しているようだ。

爆発も、ひっきりなしに邪神を襲っている。

残りの発破を、あらかた叩き込んでいるからだ。

ついに、邪神の表皮に、異変が起きる。

赤熱。融解。

それも、彼方此方で、同時にだ。

あの体は、液体で出来ている。だから、熱をずっと浴びせ続ける事で、体を維持できなくなりつつあるのだ。

悲鳴を上げながら、辺りに光をばらまく邪神。

手当たり次第の破壊が、周囲を容赦なく襲う。雷撃を放っていたステルクが、もろにそれに巻き込まれる。

だが、今の破壊を免れた者はすぐに立ち上がる。

それが、戦士だ。

赤熱が、邪神の体中に広がっていく。しかもジオが切ると、明らかにダメージが入っている。

発破が、もうすぐ尽きる。

総攻撃は、今しか好機が無い。

至近、火を噴く棒が着弾。リオネラが自動防御を展開するが、貫通される。熱と破片が、降り注いで、ロロナの全身を痛めつけた。

だが、顔を上げる。

「お、お前達は! 何故ミサイルを喰らっても死なない!」

鍛えられたからだ。

地獄の中で。

かっての愚かな人々が作り上げた、世界の破滅の中で。生き残ろうと、必死に必死に強くなって。

結果として、幾つもの事を克服した。

肉体も、以前とは比較にならないほど、強くなった。

だがそれは。

この創造主気取りの、狂った鉄の人型にされたことではない。みんなが生き抜いてきたのは、この化け物の、オモチャになるためじゃない。

「お、お前達なんか、生物じゃない! 生物は、ミサイルを喰らって生きている筈がないんだ! それにこのミサイルには、ダイオキシンをはじめとする有毒物質が、多数仕込まれていたんだぞ! 対人殺戮ミサイルだ! なのに、どうして!」

「偉そうに色々言っていたのに、相手の肉体強度も、見切れなかったんだね……!」

ロロナが、杖をあげる。

血だらけの手で、相手に向けた杖には。

既に最大出力の、殺戮の光が宿っていた。

無様にもがく巨神。

滅茶苦茶に光を辺りに放ち、木っ端みじんにしまくる。だが、その全身が、極大の雷撃を浴びて、硬直した。

瓦礫を押しのけて立ち上がったステルクが、まるで武神のように、剣を邪神に向けていた。

ついに、邪神の全身が、真っ赤に染まる。

総攻撃の時だ。

最初に仕掛けたのは、ジオである。

跳躍すると、邪神の脳天から股下に抜ける一撃を、叩き込む。凄まじい剣閃が、邪神の上下に通り抜ける。

更に、ここぞとばかりに、リオネラが叫ぶ。

「アラーニャ! ホロホロ!」

二つのぬいぐるみが、融合して。巨大な姿になるが。それはもはや、子供が愛好しそうなぬいぐるみではない。

光り輝く、神の獣のように、気高い巨大な猫。

猫は光の塊になると、邪神に突貫。その全身を、光によって貫いていた。

絶叫が轟く。

イクセルが、跳躍。

タントリスも。

フライパンでの、渾身の一撃を、頭上から叩き込む。

タントリスは赤熱している敵の全身に、落下しながらありったけのラッシュを浴びせかける。

そして、クーデリアが動く。

ロロナも、それにあわせて、神速自在帯を起動。

邪神が、壮絶な悲鳴を上げた。

「ば、化け物めっ! 殺してやる! 殺してやる! 自我を持ったAIである私は、世界で最も高貴で新しい生物なのだ! お前達など、ただの……」

滅茶苦茶に乱射した光が、クーデリアを直撃。

しかし、煙を突破し、クーデリアが姿を見せる。ブレイブマスクの超回復を使ったのだ。更に光を放とうとする邪神だが、その目にアルフレッドが投げた槍が突き刺さる。そのまま、クーデリアは邪神の頭上に躍り上がり、そこで超加速連射を叩き込む。

赤熱していた上、ジオの斬撃を浴びていた邪神の頭頂部に、巨大な穴が開く。

そして、其処へ。

加速を終え。

移動も終えたロロナが、到着していた。

眼下には、邪神の頭に開いた穴。

もはや、叩き込むのに、障害は一切無い。

「くーちゃん、ありがとう。 後は、任せて」

「落ちてきたら、必ず受け止めてあげるわよ」

「うん。 信じてる」

ロロナが、杖の光を、完全解放する。

悲鳴を上げながら逃れようとする邪神の頭頂部に突き刺さった殺戮の光は、その全身を滅茶苦茶に打ち砕きながら、貫通していた。

光が、爆発する。

邪神の断末魔が聞こえる。

おごり高ぶった、創造主気取りの怪物が、この世界から消えていく。

全ての魔力を出し尽くしたロロナは。

もはや何ら心配することもなく。重力に、身を任せていた。

 

5、奇跡への路

 

目を覚ますと。

周囲では、怪我の手当と、重傷者の搬送が始まっていた。

身を起こそうとして、止められる。ロロナはかなり手酷い怪我をしていたという。ミサイルとやらが至近距離で爆発したから、だろう。手は血だらけだったし、体中痛かった。きっと、酷い事になっていたのだろう。

ジオが来る。

そして、側に座った。

「最後の一撃、見事だった。 邪神が滅びた後、周囲を調べたが。 オルトガラクセンの機能は止まっていないようだな」

それはよかった。

あのカプセルに入れられた人達は、いずれ助けてあげたい。ジオやあの邪神は酷薄なことを言っていたけれど。

ロロナは、其処まで冷酷にはなれない。

クーデリアが、何かを持ってくる。

古い時代の、本のようだった。

「他にもたくさんあるわ。 運び出すから、後で目を通しておいて。 或いは、賢者の石の情報が、あるのかも」

「うん……お願い、ね」

クーデリアは、特に怪我をしている様子も無い。服はぼろぼろだけれど、ブレイブマスクの超回復で乗り切ったのだろう。

しばし、ぼんやりと天井を見つめる。

あの邪神を造り出してしまった人達は、どうして優性主義などに囚われてしまったのだろう。

ある意味、その理想は実現したことになるのだろうか。

いにしえの時代に比べて、人類は著しく頑強になった。古き人類だったらひとたまりもなかった攻撃を浴びても、生きているほどに。

だが、それは。

かっての人達が、全て滅びたという事も意味しているのではないのだろうか。

古い時代の人達が、この世界に生き返っても、何か出来る事はあるのだろうか。優性主義を信じていた人達は、本当にこんな事を望んでいたのだろうか。

「君には、更に腕を上げてもらって、いずれはこの国の柱石になってもらう」

「へいか、一つ教えてもらっても、いいですか」

「ああ。 何かね」

「本当は、私をどうするつもりなんですか?」

ジオは、じっと此方を見る。

そして、隠さずに教えてくれた。

「いずれ君には、神になってもらおうと思っている。 この世界には、バランサーと呼べる存在がいない。 世界を安定させるためには、あの邪神のように、エゴに塗れた怪物ではない。 スピアの錬金術師達がやっているような非道を許さず、良民に光を撒く、信仰の対象となる存在だ」

「私は、きっとそんなものには、なれないです」

「なれるとも。 なぜなら」

この国で最高の人材が造り出した体に、最高の教育環境。そして、あらゆる試練に耐え抜けるタフさと、そして。

事実人間を越えつつある、その肉体。

ジオが、指折りで数えていく。

嗚呼。

やはり、気のせいではなかったのか。人間でさえないロロナは。もはや、生物でさえない存在に、なりつつあるのかも知れない。

それは進化の果ての結果なのだろうか。

わからない。わからないけれど。

わかっているのは、もう引き返せないという事だけだ。

リオネラが、何か抗議しようとしたけれど。ジオが一睨みで黙らせる。

ロロナは、悲しくなってきた。

この人は、約束を破らない。ロロナが今や、アーランドの重鎮であり、この国の基幹となりうる状況を造った。

いずれ相応のポストもくれるだろう。

それでいながら、逆らえないようにも様々な手を打っている。

逆らえない事はわかりきっている。

大事な人達に何かあったら、ロロナは。

結局、もはや逃げる場所は、無い。

王の制御をある程度受け入れ、妥協しながら。得たポストの範囲内で、錬金術を使って、皆を救っていかなければならない。

ロロナは錬金術という大きな力を得た。

適切に使えば、出来る事はいくらでもある。

王に引き起こされる。

「立って歩くのだ。 もう、行けるだろう」

「陛下! ロロナちゃんを、休ませてあげてください!」

「君は黙っていたまえ」

「大丈夫、りおちゃん。 歩けるよ」

確かに、まだ体は痛いけれど、歩くことは出来る。

荷車には、古い時代の本が、たくさん積み上げられていた。帰りはポータルを使えば、一瞬だ。

後は、これらを使って、錬金術の究極を調合して、納品すれば良い。

クーデリアが、荷車の本を幾つか見繕うロロナを見て、何か言おうとしたけれど。

大丈夫と言うと、そうとだけ応えた。

恐らくは、終わりは近い。

ロロナは彼らにとって有益な存在でなければならない。今はまだ。逆らえる力は、まだ無いからだ。

だが、いつか。

その時が来たら。

泣いているリオネラと。唇を噛んでいるクーデリアを見て。

ロロナは、いつか。

この世界をどうにかしようと、決めたのだった。

 

(続)