瞬きの覚醒
序、作業開始
素材は腐るほどある。だから止まる必要は無い。
ロロナはアトリエに戻ると、全速力での作業を開始した。クーデリアはいずれ手伝いに来てくれる。だが、来てくれたときには、作業をスムーズに出来るようにしておきたい。工程表を再確認した後、順番に全てを見て行く。
一つ目は、鉱山用に開発した発破。
これについては、今まで散々フラムなどを実戦用に改良してきたから、ノウハウが違う。設計図を見た後、元の設計戦略を生かしたまま、改良を行っていく。火薬自体も、火力を増大。
更に耐久性能を上げて、作り直した。
調合は一発で成功。
火薬は散々調合してきた。仕掛けの類も、散々作ってきた。
ホムとリオネラに声を掛けて、近くの森に出かける。爆破の実験のためだ。以前納入していた発破を何度か見ていたのか、リオネラは驚きの声を上げた。
「随分小さくなったね」
「うん。 その方が、持ち運びにも便利だから」
それに、導火線も使わない。
エンチャント技術を用いたので、遠隔爆破が可能となったのだ。
やり方は、まず本体に書いてある魔法陣に触れて、爆とひとことだけ呟く。
その後、もう一つ用意してある起爆用の魔法陣に触れて、起と呟く。
これだけで、爆破を実施できる。
言うまでも無く、起爆用の魔法陣を安全なところに最初に保管すること。爆破の際には、爆弾から充分に離れる事が重要だ。
更に、人間が近くにいると、起爆しない安全装置も盛り込んだ。
これはリオネラにこの間聞いた、エンチャントの技術を利用したものだ。これらの技術は、手順を踏んで魔法陣を書けば良いという事を考えれば、誰にでも出来る。更に言えば、魔法陣さえ準備しておけば、組み立ても量産も出来る。
多少手間暇は掛かるかも知れないが。
安全性と、利便性はぐっと増したのだ。
魔術実験用の広場に、大きめの岩を見つける。あれでいい。
岩の下に穴を掘って、発破を埋めると。手順に沿って、起爆。
大きさは以前の半分以下なのに。
爆発力は、以前と同等、いや二割増し。耳を塞いでいたロロナは、起爆の範囲を、冷静に見切っていた。
メモを取るロロナに、リオネラは不安そうに言う。
「ロロナちゃん、大丈夫? 休んで無くていい?」
「うん。 頭が動いて動いて、仕方が無いの。 働かせて」
発破については、これで問題なし。アトリエに戻ったら量産して、納品してくることにする。
まずは最初の関門をクリア。
受付には、エスティがいた。
ロロナが発破を持ってきたのを見て、何か言いたそうにしたけれど。ステルクの状態を聞くと、ため息をついた。
「その様子だと、もう気に病んではいないようね」
「ステルクさんは、わたしを守ってくれました。 今度は、わたしがステルクさんに、守ってくれた分の活躍を見せる番です」
エスティとリオネラが視線を交わす。
何だろう。
ひょっとして、ロロナがおかしくなっているとでもいうのだろうか。そんな事は無い。吹っ切れたのだし、今はむしろ体が軽いほどだ。
次の作業に取りかかる。
作業工程をチェック。片手間に食事にする。
ホムが茶を持ってきてくれた。茶菓子もある。リオネラが茶菓子を作ってくれたと、ホムが言う。
何だろう。
心が、動かない。
いや、おかしい。少し遅れてから、感動が来た。
「りおちゃん、ありがとう! 助かるよ」
「ロロナちゃん、あの。 聞きたいことがあるの」
「どうしたの?」
「あの後、アトリエに戻ってから、休んだ?」
小首をかしげる。
何故、休む必要があるのか。それに、リオネラは、どうしてなにか可哀想なものを見るような目で、ロロナを見ているのか。
わからない。
とにかく、作業に戻る。
出来そうなものから、順番にやっていく。錬金術で、世界の人々を、できる限り救うのだ。
スピアの錬金術師のようにならないためにも。
今は、休んでいる暇など、無かった。
その日のうちに、栄養剤の圧縮実験を終えた。
これも最初作る時は、随分苦労したけれど。その後散々納品をしている内に、色々とノウハウも掴めてきたし、今では問題なく作る事が出来る。何種類かの栄養剤を準備して、それらの改良もすませた。
散々、調合してきたから出来る事。
今回の課題は、楽に終わるかも知れない。
調合に取りかかる。
ホムに中間薬剤を、半分作るように指示。残りは自分でやる。いつの間にか夜中になってたけれど。
どうしたのだろう。
不思議と、まるで疲れを感じない。
作業を徹底的に進めていく。できる限りの行程を、埋めていく。
気がつくと、朝になっていた。調合作業を一通り終えたので、ホムの様子を見ると。眠そうに、うつらうつらとしているでは無いか。
「どうしたの、ホムちゃん」
「マスター。 四日連続の作業は、流石に厳しいです。 こなーの世話もしたいです」
「そう、先に休んでも良いよ」
「まだ働くつもりですか」
ホムが、無表情な顔のまま、驚愕を喉から絞り出した。
そう言われても、時々休憩自体は採っている。銭湯にも二回行ったし、食事もしている。睡眠は少なめだけれど、あまり疲れていないから、大丈夫だ。
リオネラが来た。
ロロナが作業をしているのを見ると、顔を強ばらせる。
「ロロナちゃん、ひょっとして私が帰ってから、ずっと働いてた?」
「うん。 大丈夫、まだまだ平気……」
「駄目っ! すぐ寝て!」
いきなり血相を変えたリオネラに、寝室に押し込まれる。リオネラがどうしてそんなに心配しているのか、よく分からない。
リオネラに寝るようにもう一度言われた。
非常に険しい顔で。
困り果ててしまう。そんな事をいわれても、睡眠なんて必要なときに採れば良いと思うのだけれど。
ベッドの側に、アラーニャが具現化する。ホロホロも。
「二人とも、ロロナちゃんを見張って。 絶対、ベッドから出したら駄目よ!」
「え、そんな。 どうしたの、りおちゃん」
「良いから、横になって!」
リオネラが本気で言っているのは分かったから、渋々ながら横になる。
ただ、眠ろうとしても、眠れない。
今から作業を進めれば、更に前倒しで仕事が出来るのに。どうして邪魔するのだろう。
睡眠薬を、リオネラが持ってきた。ホットミルクを温めて、それと一緒に出される。リオネラは厳しい表情で、ロロナの体を診察していた。その手が震えているのがわかる。回復術を習うと同時に、医術もある程度教わっていると聞いていたけれど。
今、体は絶好調の筈だ。
「ロロナちゃん。 何も考えないで、眠って」
「どうして? わたし元気だよ」
「それが問題なの。 本来ロロナちゃんは、もう眠らないとどうにもならないくらい、頭が疲れ切ってしまっているの。 あまり長時間眠らずにいると、人間の頭って、壊れてしまうの」
それは、恐ろしい話だけれど。
無理矢理、睡眠薬を飲まされた。ホットミルクが温かくて、おなかにたまる。
しばらくリオネラは険しい表情で唇を噛んでいたけれど。
やがて、彼女はぽつりぽつりと話し始める。
「クーデリアちゃんは、もうすぐ退院してくるって話よ。 彼女からも、ちょっと言って貰わないと」
「どうしたの、りおちゃん。 大げさだなあ」
「……」
不意に、魔術を掛けられる。
それが無理矢理に睡眠を誘発するものだと気付いた。だが、中々術が効かないようで、リオネラは青ざめる。
とにかく、横になっていると、睡眠薬が効き始めた。
リオネラが何度も回復の術式を掛けたからだろう。眠くもなってくる。
ロロナのためにしてくれているとわかっているから、抵抗はしない。ただリオネラは、どうしてそんなに必死なのか、よく分からなかった。
ロロナなんて。
どうなったって、良いはずなのに。
ロロナが眠った。
リオネラは、動悸を抑えるのが、やっとだった。
気付いていないのは本人だけ、だったのだろう。
ロロナの体からは、凄まじいまでに禍々しい魔力が立ち上り続けていた。あれはおそらく、リオネラが精神不安定で、力を制御できなかったときと同じか、それ以上。魔力だけならリオネラが上だけれど。あのまがまがしさは、獲物を求める巨大なモンスターよりも恐ろしかった。
何となく、わかる。
ロロナの心に、狂気が宿りはじめているのだ。
魔力は精神に強く影響を受ける。ロロナは元々魔力が非常に強かったけれど。狂気という器を得て、今爆発的に力が強くなっている。だから体をどれだけ動かしても平気だったし、眠くもならなかったのだろう。だが、それは無理矢理体を動かしているのと同じ。眠らせなければ、死んでしまう可能性さえあった。
理由はきっと、クーデリアとステルクが、ロロナを庇って大きく傷ついたからだ。クーデリアとロロナの過去は、リオネラも聞いている。
トラウマのフラッシュバックに、近い現象だ。
アラーニャとホロホロに見張ってもらって、リオネラは部屋を出る。眠そうなアストリッドが、其処に待ち構えていた。
「どうした、険しい表情をして」
「ロロナちゃんが」
「ふむ……」
少し症状を説明するだけで、アストリッドは心底嬉しそうに表情を歪めた。口が三日月の形に歪んでいる。
この人は、とても顔の造作が綺麗だ。
だからこそに、狂気が表情に表れると、背筋が凍り付く。
「覚醒したな」
「ロロナちゃんに、何をしたんですか」
「何も。 というか、話は聞いているのだろう? お前も参加しているプロジェクトのため、ロロナは八年の時を掛けて調整したのだ。 調整の内容には、才能の追加だけでは無い。 錬金術の究極へ到るための、人工的な措置も含まれる」
わからない。
ただ、はっきり一つだけはわかった。
この人は、ロロナを。
実験動物としか、考えていない。
「いや、そうでもないぞ。 事実ロロナは私にとって可愛い娘も同じだ」
リオネラの考えを読んだように、アストリッドは言う。
そして、ついてくるようにと、促された。
恐怖がせり上がってくる。一体、何を見せられるのか。リオネラは、それでも、いかなければならない。
ロロナは、リオネラを救ってくれた。
この世界に生きる場所が無いと、内心でずっと諦めていたリオネラに。生きて良いと示してくれたのだ。
だから、その悲しみは、知らなければならない。
いざというときは。クーデリアやステルクのように、命を賭けてでも、ロロナを守らなければならない。
アストリッドの部屋に入る。
むっと異臭が漂っていた。無数の硝子容器に浮かんでいる、裸の女の子達。あれは、量産中のホムンクルスだろう。しかも、部屋の一角には、地下への階段もあった。此方に来るようにと、アストリッドが視線で促してくる。
「錬金術はな。 そもそも、金を作るための学問だった。 卑金属を貴金属へ変えるための研究が、錬金術を産み出した」
階段を下りながら、アストリッドが言う。
その程度の基礎知識は、リオネラにもある。ロロナが調合しているのを見ていたし、手伝いもした。
アトリエの地下は、かなり深くまで伸びているようで、階段は長い。
ひたすらに、階段は、地下へ地下へ進む。
「やがて錬金術は、魔術と混ざり合っていった。 違うのは、魔術が素質に依存する学問であるのに対し、錬金術はやり方さえ間違わなければ、誰にも出来る、という事だ。 その誰にも出来る理由は何か。 それは、世界のルールに従った作業だからだ」
それは、リオネラにも何となくわかる。
魔術は摂理を曲げる力だと、師匠に何度も言われた。
錬金術師の中には、魔術師も多い。他ならぬロロナもそうだ。というよりも、ロロナは魔術師一本に絞れば、下手をすれば錬金術師を兼任している今よりも、ビッグになっていたかも知れない。
それに、魔術の中には、固有スキルも多い。
リオネラが使っている、アラーニャとホロホロの具現化はその見本だ。クーデリアが弾丸に魔力を乗せたり、射撃を加速したりしているのも、その一種だろう。ステルクの雷撃も、特に適正が強いから、使えている可能性が高い。
「逆に言えば、だ。 錬金術を極めていけば、この世の摂理の究極。 すなわち、神の領域に到達できると、君は思わないかね」
アストリッドが、階段を下りきる。
其処には。
淡く輝く、何か筒のようなものがあった。
側には、パメラがいる。
つまり、パメラの店と、アトリエは、地下でつながっていた、という事だ。
「神の、領域」
「その成功例の一つは、この国に大きくかかわっている。 この大陸に、多くの利潤をもたらした、伝説の錬金術師。 つまり、旅の人」
その名前は。
リオネラさえ知っている、大陸随一の偉人。
「旅の人は、世界を救った後、姿を隠した。 否、己の力を悪用されることを怖れ、この世界を去ったのだ。 それは具体的にどういう意味かというと」
アストリッドが指を鳴らす。
淡く輝いていた筒状の装置が、膨大な魔力を、周囲に漏らしはじめた。パメラは目を細めると、幾つかの装置を操作しはじめる。
何を、しているのか。
「肉体を捨て、高次の存在に生まれ変わったのさ」
震えが来た。
この人は、ひょっとして。
ロロナを、人工の神にするつもりなのか。
足が恐怖で凍り付いて、動かない。
この機械は、ロロナの状態を計測するためのものか。だとしても、この人がやっていることは。
文字通り、神をも怖れぬ事だ。
「ふむ、覚醒はしたが、まだこれでは不足だな。 最悪、一度肉体を幼児退行させる必要があるかも知れん」
「ロロナちゃんの、人生を、何だと思っているの……!」
「……この計画を主体で推進したがっているのは、何も私だけでは無いのだがな」
肩を叩かれる。
後ろに立っていたのは。
ジオ王だった。
「順調かね、アストリッド」
「まあ、そこそこに。 予想通り、順調に伸びていた力が、大きなショックによって覚醒に結びついたようです」
「素晴らしい。 これでスピアの錬金術師どもも、一網打尽に出来る可能性が高いな」
「はい。 ただし、まだまだ覚醒したとは言え、その力は未熟。 周囲の者達も、力を貸さないと難しいでしょう」
鼻を鳴らすと、王は前に出る。
リオネラは、恐怖のまま、立ち尽くすことしか出来なかった。
ロロナは、今眠っている。
彼女を連れて、逃げるべきなのだろうか。だが、ロロナはもう逃げようとはしないはず。もはや、万策は尽きたのかも知れない。
淡く輝く機械を見たと言うことは。
余計な事をいえば、消すという意思表示に他ならない。
リオネラは、もはや逃れる場所など無い事を、悟らざるを得なかった。
1、快進撃
リオネラに無理矢理眠らされた後、しばらくして目を覚ます。
眠った後だというのに、あまり快適感が無い。
ただ、小さくあくびはした。
ロロナはベッドから起き出すと、アトリエに出る。ソファに座っていたリオネラが、ロロナを見上げた。
「おはよう、りおちゃん」
「……おはよう」
何かあったのだろうか。リオネラの顔は、青ざめていた。
早速作業を始める。今日辺り、クーデリアが来てくれるはずだ。このまま行けば、課題の期日を半分残して、作業を終えられるかも知れない。
そうなれば、神速自在帯の研究も、ブレイブマスクの改良も、思いのままだ。勿論、合間にオルトガラクセンの調査をしなければならないが、それでも時間は余るとみて良いだろう。
今回の課題が終われば、残りは一つ。
ステルクの治療も、一月ほどで終わると聞いている。それならば、きっと大丈夫な筈だ。
クーデリアの手伝いが必要な作業は、まだある。
特に湧水の杯は、緻密な研究が必要になってくるはずだから、最後まで残しておいた方が良い。
栄養剤の調合を、先に済ませておく。
錬金釜に向かって、中間液の混ぜあわせをしていると。リオネラが、後ろから声を掛けてきた。
「ロロナちゃん、本当に、疲れとか、溜まってない?」
「うん、へっちゃらだよ。 なんで?」
「ううん、何でも無い」
リオネラが悲しそうにしているけれど。どうしても理由が推察できない。何か、あったのだろうか。
ステルクとクーデリアは無事なことも、じきに復帰出来ることもわかっている。悲しむ時期は終わった。帰ってきた二人を、笑顔で迎えてあげるべきなのだ。
調合が仕上がる。
出来た栄養剤を、順番に樽詰めしていく。夕方までに、5樽分が出来た。
それぞれ用途別に分けた栄養剤である。もしもまた大規模な開拓作業が始まったときには、すぐに量産できる体制も作っておきたい。だから、マニュアルの整備と、実際に調合して効果を試せるようにすることは重要だ。
すぐに、王宮へ運んでいく。エスティは今日はおらず。その気が弱そうな妹さんが、受付に立っていた。
何でも、騎士団は皆出払っているという。
おそらく、スピアが余計な事をして来ているのだろう。モンスターの退治なら、ロロナも引き受けたい。
やたら手際が悪い受付のせいで、少し時間は掛かってしまったけれど。
無事に納品は終了。
次だ。
耐久糧食については、圧縮パイと、ネクタルの配分が重要になる。更に、包み紙としてのゼッテルにも、改良の余地がある。
圧縮してなお美味しく、栄養があるパイは、流石に今のロロナでも難しいけれど。
ゼッテルは、それこそ山のように調合してきた。しかもクーデリアが、どういう素材を使えば、よりよくなるかをしっかり記憶してくれている。ロロナ自身も、だいたいは勘でわかる。
今回は、素材も充分に揃っている。
以前のものとは、根本的に違う耐久糧食を作る事が可能だ。
調合の準備を始める。
ホムが、ふらついているのが見えた。
リオネラが支えて、寝室に運んでいく。どうしたのだろう。また、ロロナより先にばてるなんて。
ホムは少し前のクーデリアが、自分より強いと太鼓判を押していたほど、身体能力が優れているはずなのに。
何かの病気だろうか。
それなら、師匠に見てもらわないと、直せないかも知れない。
寝室からリオネラが出てきた。ロロナに、抗議の目を向けてくる。
「どうして! 気付いてあげられないの!」
「えっ!?」
「ホムちゃん、ロロナちゃんにつきあって、ずっと作業していたんでしょ? 体力がもつわけないよ!」
「……そんな」
困り果てて眉を下げたロロナから、リオネラが視線をそらす。
どうしたのだろう。
何だか、急激に物事が、かみあわなくなりつつある気がした。
クーデリアがアトリエに来る。
すっかり体の調子は良いようだ。この辺りは、アーランド人なだけのことはある。ロロナが笑顔で、無事で良かったというと。
クーデリアは、渋い顔をした。
「リオネラから聞いているけれど、様子がおかしいわね」
「え、わたしが?」
「とりあえず、作業工程はあたしが作るから。 ちょっと見せて」
言われるままに見せる。
作業工程そのものは、以前クーデリアと一緒に作ったものだ。それほど無理がある内容では無い、筈なのだけれど。
「休憩がごっそり削られてるけど、これは」
「うん、体が軽くて、頭も働いて仕方が無いの。 だから休憩、削ってみたんだけど」
「駄目、戻して」
「ええー」
クーデリアまで、そんな事をいうのか。
だが、リオネラも、ずっと厳しい表情のままだ。二人がそう言うのならば、仕方が無い。リオネラとクーデリアは、前は良く対立していたのに。どうしていつの間にか、結託してロロナにこんな事をするようになってしまったのか。
とにかく、言うとおりに、行程を直す。
この様子だと、徹夜も出来なくなる。ちょっと、面倒かも知れない。
いずれにしても、クーデリアが来れば百人力だ。
さっそく、どう改良するかの図を見せる。
リオネラも、内容を見た。圧縮するパイには、いろいろな旨みの成分を凝縮して入れる。通称、一なる粉。
これだけで、だいたいの料理が美味しくなるという、究極の調味料。幾つかの文献から情報を集めて、この間の課題前に調合に成功した。ただ、まだまだこれ自体は改良が見込める。
何度か試してみて、実際に味がどうなるか、確認する必要もあるだろう。
これについては、綿密な実験が必要だ。だから、クーデリアが来るまで、残しておいたのだ。
「最初は普通にパイに入れる適正量を……」
「問題はこの一なる粉が、圧縮時に変質しないか、だけれど」
「うん、それは多分大丈夫だと思う」
実のところ、何度か一なる粉に対する実験はしているのだ。
この粉そのものは、非常に安定していて、焼こうが煮ようが、変な味になることはないと、証明できている。
問題は、料理に混ぜて使った場合だ。
それだけは、まだよく分からない。
今までのノウハウがあるとはいえ、新しく主軸に使うものに関しては、まだわからない部分が多いと言うのは、充分な不安要素だ。
だからこそ、クーデリアを待ったのである。
早速、今回使うパイを焼く。
痛みやすくなる素材は使わない。
干し肉や乾燥フルーツといった、簡単には傷まない素材を用いる事で、更に耐久性そのものをあげるのだ。
含ませるネクタルの量も、以前とは微妙に変えてある。
最初に焼いたパイ自体を、皆で試食。
非常に味が薄い。
これから圧縮するのだから、当然だ。
更に、その間に、包装に用いるゼッテルを引っ張り出してくる。此方も改良を進めてあり、生半可な事では痛まない。
今度は作ったパイを圧縮。
その間に、ゼッテルについて、説明をしておく。
外側に用いる耐水ゼッテル。これに関しては、何種類かの薬品を塗ることで、浸水を防ぐ。一方で、内側には、耐水ゼッテルは使わない。
また、何層かにしてある。
真ん中のゼッテルは、少し耐久性をあげていて、小さな魔法陣を書いてある。
遮断のエンチャントだ。
「なるほど、これなら大概の環境には耐えられそうね」
「魔法陣の内容も難しくは無いから、多分駆け出しの魔術師が、片手間に作れるはずだよ」
「つまりそういった層の、小遣い稼ぎにもなると」
「うん。 問題は量産する場合だけれど」
幾つかの問題を詰めていく。
そうこうしているうちに、パイの圧縮が仕上がった。
炉から出して、皆でまず食べてみる。
今までの耐久糧食の圧縮パイよりも、数段美味しくなっている。しかもネクタルの味を感じさせない。
ただ、少しぱさついているように、ロロナには思えた。
耐久糧食の肝は、食べて喉が渇かない、と言うことにある。食べた後にぱさついてしまっていては、その肝が潰されてしまう。
「これは駄目ね」
「くーちゃんもそう思う? やっぱり、ちょっと水分が足りないね」
「もったいないなあ」
リオネラが眉をひそめた。
勿論、無駄にはしない。元々圧縮してあるから、掌サイズだ。皆ですぐに分けて、食べてしまう。
最初のレシピを改良。
多分、一なる粉を入れた影響だ。一なる粉が、水分を飛ばす役割を果たしてしまったのかも知れない。
いっそのこと、一なる粉は、圧縮した後に振りかけるか。
それも手の一つだろう。
クーデリアに相談しながら、何種類かレシピを造り、すぐにパイを焼いてみる。
やはり圧縮前は、かなり味気ない。炉で同時に何個かの試作品を圧縮しながら、ロロナは他の作業を、並行で進めていった。
第二陣が焼き上がる。
皆で分けて食べてみる。
やはり、焼く前に一なる粉を入れたパターンは。ぱさつきが出る。
どうしてかはわからない。
或いは、一なる粉が、水分を吸ってしまうのかも知れない。
そうなってくると、パイそのものの種類を変えていく必要があるか。
外側に、ちょっと堅めの皮を作って、内側にしっとり柔らかい部分を作る。そして、一なる粉は圧縮後、皮の部分に掛ける。
すぐにレシピを書く。
これでも作ったパイの種類は既に百を超えているのだ。このくらいのレシピ改造くらい、すぐである。
作業の合間に、ホムにゼッテルを生産してもらう。
素材は、山ほどある。
生産自体には、困らない。
黙々とパイ生地をこねていると、リオネラが咳払いした。
「そろそろ、休憩の時間だよ」
「うん、じゃあこのパイを焼いている間に、休むね」
クーデリアにも言われ、リオネラにも怒られてしまっては、仕方が無い。
本当はもっと働きたいのだけれど。普段温厚なリオネラがあんなに怒るくらいなのだ。こればかりは、どうしようもなかった。
パイを炉に突っ込んだ後、ソファに座る。
リオネラが、甘いお菓子を外で買ってきた。ティファナのお店で売り出した新作らしい。とはいっても、ティファナ自身が焼いたわけでは無くて、幾つかの小売り先から仕入れているもののようだけれど。
食べてみたが、どうやら内部に魔法陣が仕込まれているようで、非常に新鮮な甘みがした。
素材の品質を保つための工夫というわけだ。
焼き菓子なのだが、慎重に開いてみると。なるほど、中の生地に、焼きごてを使って魔法陣が書かれている。
耐久糧食に用いる圧縮パイには使えない手法だ。
「これは、面白いね」
「良いから、今は休む」
「……」
ロロナが腰を浮かせかけたのを見て、クーデリアがぴしゃりといった。
流石だ。
ロロナが、レシピに応用できないかと思ったのを、即座に見抜いたのだろう。リオネラが、お茶を淹れてくれる。
とても美味しく淹れられていて、感心した。
お砂糖もミルクも、ロロナの好みの量どんぴしゃである。この辺りは、リオネラの細かい気配りがうかがえて、とても嬉しい。
お茶菓子を食べ終えた後、言われるままゆっくりする。
自覚症状は無いのだけれど。
これだけクーデリアが血相を変えるのだ。余程何かおかしい状態なのだろう。そう判断するしか無い。
「昼寝した方が良いかもしれないわね」
「え、そんなの、流石に怠けすぎだよ」
「あんたは、ちょっとは静かにしてなさい。 リオネラ、どう思う?」
「お師匠様に、睡眠導入剤と、眠りへ誘う魔術を聞いてくる。 ロロナちゃん、お願いだから、眠るときは眠って」
そう言われてしまっても、困る。
ただ、眠れないという訳では無い。眠っても、あまり体に変化が感じられない、というだけなのだ。
ただ、リオネラは顔をくしゃくしゃにしていて、泣きそうなのだ。ならば、休むしか無い。
規定の時間が過ぎたので、作業に戻る。
早速、圧縮パイを焼いてみるけれど。炉から取り出したパイは、割れてしまっていた。
表面を硬くしたパイの場合、圧縮が難しい事は知っていたけれど。中身のしっとりした柔かさを保全したまま、表皮の硬さを保とうとすると、こうも難しいのか。
他にも、色々と試してみる。
パイに関しては、ロロナが他の錬金術師に一歩も二歩も先んじている自負がある。ただ、それでも過去の業績は偉大だ。調べて見ると、何かわかるかも知れない。
それに、割れてしまっているとは言え、この場で食べる分には問題ない。外側に一なる粉を振りかけて食べてみると、充分以上に美味しい。あまりそうな分は、近所の家にお裾分けして行く。
無駄に捨てるのは、止めておきたいからだ。
パイの表皮の硬さを調整して焼いてみる。
半生の状態にしても、他と堅さが違うと、どうしても圧力が集中して、砕けてしまうらしい。
しかしながら、最初からものすごく硬くしてしまうと、圧縮後に歯が立たなくなってしまう。
クーデリアが、できあがり品のデータを取りながら、まとめてくれる。
「これは思ったよりもずっと難しいわね」
「うん。 結構技術がついてきたと思ったのに」
「その一なる粉が全ての原因じゃ無いの? 今までのレシピでも、充分に美味しいものは作れるんだし、ゼッテルの包装だけ改良するのもアリよ」
腕組みして、小首を捻る。
それでも良いのだけれど。
何だか、悔しいのだ。
実際問題、包装部分については、とっくに完成している。しかも、実証実験も済んでいる。
今まで採取地に持っていった際に、様々な工夫を凝らしてきている。それらの集大成になるわけだから、問題は無い。
ホムが、ゼッテルを大量に仕上げてくれた。
品質も問題ない。
以前とは、使っている魔法の草の品質が根本的に違うのだから、当然だ。今使っている魔法の草は、シュテル高地の奥地で取れるものを厳選している。そして、これで上手く行った後、近くの森などで取れるものに素材をグレードダウンして、品質を出来るだけ近づけるように、工夫しているのだ。
処置も、ある程度はホムに任せようとロロナは思ったけれど。
ただ、ホムがぐったりしているのが、気になった。
「どうしたの? 疲れた?」
「はい。 ここのところ、マスターの方が、ホムよりも体力があるように感じます」
「感じるじゃ無くて、あるのよ。 其処まで燃え尽きる前に、自己申告しなさい」
「……はい」
クーデリアに促されて、ホムが休む。休む前に、ホムは悲しそうにロロナを見た。殆ど感情が顔に出ないホムだから、ちょっと驚きだ。
大きくクーデリアが嘆息した。
「あんた、このままじゃ、あのホムンクルスまで死なせるわよ」
「そんな、くーちゃんってば、大げさだよ」
「気付いてないのは、本当に重症だわ」
リオネラが青ざめている。
何か、何処かで聞いたのだろうか。会話の流れからして、ロロナに何が起きているのか、師匠にでも聞いたのかも知れない。
だとすると、色々と面倒だ。
きっとろくでもない事を、吹き込まれたのだろうから。
作業を再開する。今日中に、表皮が硬いパイを圧縮して、硬くて歯ごたえの良い外側と、しっとり柔らかくて喉が渇かない内側。それに、一なる粉を完成品に振りかける事で、味を良くする。以上の行程を、終わらせてしまいたかった。
早朝。
ロロナは夜半手前に無理矢理クーデリアに眠らされて、ベッドに突っ込まれた事を思い出した。
当のクーデリアは、おそらく雷鳴の所だろう。あれだけ酷い怪我をした後だ。リハビリ代わりに修行しておかないと、腕も鈍ってしまう。
起き出した後は、顔を井戸水で洗った。冷やしておいた井戸水を呷る。
以前は、こういう作業が、リフレッシュを促してくれたのだけれど。
今では、起きたときにはもうからだが覚醒してしまっていて、あまり代わりがあるようには思えなかった。
リオネラもいない。
彼女は多分、クーデリアと示し合わせて、先に上がったのだろう。帰るところは見なかったけれど、それくらいは推察できる。
ただし、普段と違う事もあった。
珍しく、師匠が朝から起きてきている。
何か調合しているようだけれど。作業は、すぐに終わった。
作業を横目に、てきぱきと着替える。錬金術師の正装に着替え終えた頃には、師匠は錬金釜から、携帯用フラスコに、怪しげな液体を移動させていた。スポイトで採っては、何回かに分けてフラスコに移している。手際は非常に良くて、まだまだロロナではこの人に及ばないと悟らされる。
「珍しいですね、師匠がアトリエで調合するなんて」
「あくまで私用に使うものだ。 ホム、釜を洗っておけ。 念入りにな」
「はい、グランドマスター」
師匠が持っていたのは、淡く光る液体だ。
あれを飲むのは、流石に今のロロナでもぞっとしない。
無造作にアトリエに誰か入ってくる。見覚えが無い子供だ。綺麗な顔立ちをしていて、何度か見かけたことがある。
「ん? 用が無い限りここには来るなと教えてあるはずだが」
「マスター、緊急事態です」
「ふむ……」
師匠は自室に薬を置くと、子供と一緒に出て行った。ほぼ間違いなくホムンクルスだろう。何か大きな事が起きたと見て良い。
外から声が聞こえてくる。
パラケルススと、子供は呼ばれていた。
足運びを見る限り、他のホムンクルス達よりも、一段上の使い手に設定されているようだ。
それに、何だか嫌な予感がする。
すぐに、師匠が戻ってきた。
「面倒くさい事になった。 私は数日、アトリエには戻らん」
「スピア連邦に関連することですか?」
「さあな。 だがどちらにしても、放置する訳にはいかん案件だ。 留守にしておくのは……まあお前はもう一人で放って置いても大丈夫だろうから、心配はしていないがな」
ロロナに内容を教えてくれないという事は、それだけろくでもないことなのだろうと言う事は、間違いない。
すぐに荷物をまとめて、師匠が出ていく。
アトリエの外を見ると、数人のホムンクルスが、武装したままいた。つまり、実戦があるのだろう。
リオネラが来たのは、直後のこと。
彼女はなにやら、魔術の道具らしいものを持ってきていた。ロロナが聞くと、強制睡眠導入用の魔術が掛かったものだとか。彼女の師匠に借りてきたのだという。
形態的には、小型の針を撃ち出す、片手で扱えるボウガンのようになっている。
これを撃ち込んで、眠らせるのだという。
「戦闘時に、モンスターを眠らせるくらい強力なものよ」
「ちょっと、ええと。 あの、それをわたしに撃つの!?」
「うん。 だってそうでもしないと、ロロナちゃん寝てくれないもの。 これ以上、絶対に無理はさせられない」
即答したリオネラの目が完全に据わっている。流石にロロナも、笑顔が引きつる。
落ち着いてと言おうと思ったけれど。ロロナの事を思っての行動だから、それ以上文句は言えなかった。リオネラは本気だ。ロロナの様子がおかしいから、何をしてでも止めようと、考えた末の行動だろう。
ロロナには自覚が無いのだけれど。やはり、それだけ、本当に調子がおかしいのだとみて良いだろう。
此処まで来ると、そう判断する他ない。
スケジュールを確認。
今日も色々と実験をして、作業を進めるのだけれど。その合間に強制的に休みを入れられた。
抗議出来る雰囲気ではなかったので、しぶしぶ受け入れるしかない。
昨日の実験の続きをはじめると。リオネラはホムと何かをはじめていた。横目で見ている限り、物騒なことでは無さそうだけれど。
パイはすぐに焼き上がる。
そして、圧縮すべく、炉の設定を切り替え。中に放り込んで、次のパイに取りかかる。もう、こうなると好きも何も無い。
完全に作業だ。
クーデリアが来る前に、昨日の積み残しは片付けておきたい。
しかし、作業と割り切ると、効率が上がるのも事実。
圧縮パイが仕上がった。
やはり、表皮がひび割れている。これも駄目か。リオネラが、罅の状態をメモしてくれた。
「わたしの後に続く錬金術師が、こういうデータを参考にしてくれるのかな」
「きっとその筈だよ」
リオネラが嬉しそうにはにかむ。
ただし、その腰には、ボウガンがくくりつけられたままだ。
トラウマを克服したリオネラだけれど。ひょっとして将来特定の相手が出来たら、滅茶苦茶相手を拘束するのかも知れない。
次のパイが焼き上がる。
すぐに圧縮行程に掛かる。勿論、全てレシピは変えてある。
昼までに、二十三枚のホールパイを作った。その内、二つがひび割れを克服。ただしどちらも、表皮がさほど硬くない。
これでは、一なる粉を後から掛けても、あまり意味が無いだろう。
クーデリアが来たのは、昼少し過ぎ。
疲れが残っているように見えた。
雷鳴の所で、壮絶な訓練をしているのだろう。聞いてみると、その通りだった。
「クロスノヴァの改良をしようと思っているのよ」
「あの必殺技?」
「そう言いたいところだけれど、この間レオンハルトを殺しきれなかったし、まだまだ必殺と言うには足りないわね」
敵への飽和攻撃と、強力な魔術を込めた弾丸による制圧力という点では素晴らしいと、雷鳴は太鼓判を押してくれたという。
ただし反動をどうにかしないと、実戦では使用するための場が限られすぎる。
今、幾つか緩和策を考えていて、雷鳴と一緒に練習中だという。
クーデリアが、今日の実験結果を見る。
目を留めたのは、ひび割れてしまった一つだ。
複層にして焼いたパイなのだけれど。表皮はかなり硬くなっていた。しかも、上手い具合に中のしっとり感を閉じ込めることに成功している。
これなら、長期的にも保つ。
しかし、ひび割れてしまうと、やはり其処から状況が変わってしまう。如何にネクタルを練り込んでいるとは言え、痛んでしまう可能性もある。
「何も圧縮前に硬くしなくても良いんじゃ無いの?」
「ううん、素材だけを変えて作って見ろって事?」
「そういうこと。 堅さが他と違うから、圧力が変に掛かってひびが入るっていうんだったら、他と同じ柔らかさで、圧縮すれば堅さが変わるっていう風にすればいいんじゃないのかしら」
リオネラは、口出ししてこない。
黙々と笑顔のまま、メモを取っている。
彼女が機嫌良くしている理由は、先ほどクーデリアが来る少し前に、ロロナが予定通り休憩を取ったからだ。
というよりも、そうしないと、睡眠針で撃たれるところだった。
クーデリアの意見を元に、作業を進めていく。
レシピを改良して、最初のものを焼き上げる。早速圧縮。
完成品を炉から引っ張り出したときには、夕刻になっていた。
ひび割れていない。
口に入れてみると、かなり良い感じだ。味は悪くない。外はぱりぱり、中はしっとり。しかも複層の皮が水分の浸透を防いでいる。これならば、長期間品質が変わらずに保つはずだ。
何回か同一レシピで焼いてみて、同じものが作れることを確認。
一なる粉を掛けて食べてみると、更に美味しくもなる。これは、パイ自体は完成とみて良いだろう。
問題はこの後の耐久実験だ。
さっそく用意しておいたゼッテルに包んで、外に。
魔法陣を書いて、何種類かの環境を再現した実験スペースに置く。酷暑、酷寒、湿気、腐敗物、いろいろな要素に耐え抜けるようでないと、戦場で耐久糧食になどなりえない。ただ、此方の耐久実験については、さほど心配はしていない。
使用するゼッテルは、今まで何度も改良して、外で実績を確認しているものばかりだからだ。
問題は、中のパイである。
ゼッテルに仕込んだ魔法陣の中には、環境安定も含まれる。これはゼッテルで包んだパイそのものに作用するから、湿気が皮を腐食させる事も防いでくれる。事実、今までの実績で確認済みだ。
ただ、此処までゼッテルにいろいろな処置を施すと、量産の際に邪魔になるかも知れない。
ロロナは簡単に作れるけれど。
工場で量産する際に、何か簡略化する工夫が必要かも知れなかった。
魔法陣に試作品をセットして、パイについては完了。
次は大砲か。
大砲については。幾つかの案がある。実際、最初に納入したものよりも、今は良いものを作れるはずだ。
問題はその次。
「湧水の杯の改良ね」
クーデリアが、核心に触れる。
恐らくは、今回の課題における、それが最大の難関になる筈だった。
2、地獄の釜の底
緊急事態が発生した。
エスティが知ったときには、思わず息が止まるかと思った。
オルトガラクセンを経由して、スピアのモンスター兵団が、アーランドの彼方此方に転送されていると判明したのである。
魔術部隊による解析によると、、その規模は、想像を絶していた。
すぐにジオが会議を招集。
負傷中のステルクを除く、プロジェクトMの参加者全員が集められる。クーデリアとリオネラはロロナの調合を手伝っている最中に来たらしく、なにやら甘い香りを体に付けていた。これは、あの耐久糧食に用いるパイかも知れない。
「それで、オルトガラクセンを経由しているとは、いかなる事か」
「どうやらオルトガラクセンにある転送装置を、踏み台にしているようなのです。 元々は、スピアの拠点の一つから、オルトガラクセンに経路を繋ぎ。 更に其処から、アーランドの各地へ、兵を飛ばしているようでして」
「参ったな」
ぼやいたのは王だ。
ようやくオルトガラクセンの邪神と話を付けたと思ったらこれだ。
すぐにエスティに話が振られた。
「対策は」
「今すぐ、オルトガラクセンに行くほかないでしょう。 邪神が契約違反を犯したのは、明白だと考えます。 少し前にも、シュテル高地に改造されたとおもわしきスニーシュツルムが二体同時に出現していることからも、このまま好き勝手にさせていたら、スピアの兵がこのアーランドのあらゆる場所に、好きなときに出現できるという事態が来かねません」
エスティが、そう報告して。
アストリッドを見た。
アストリッドが、今開発中の何かを用いると、会議の前に言っていた。詳しい理屈はわからないが、どれほどの効果が見込めるのか。
アストリッドが、挙手。
発言を王が許可した。
「今回の件ですが、恒久的な対策を練らなければ、いたちごっこになるは明白」
「つまり、邪神を討伐せよというか」
「いえ、あのオルトガラクセンを完全に潰してしまうのは惜しい。 むしろ、スピア側が踏み台にしている転送装置に、これを用いようと思います」
アストリッドが示したのは、理屈はよく分からないが、機械を狂わせる液体、だという。事前勿論説明は聞いた。ただ、エスティには理解できなかった。
この液体を用いて、スピア側が踏み台にしている転送装置を狂わせるという。
問題は、その転送装置を、どうやって特定するか、だが。
今、手が足りない。
スピアは、数に勝るという利点を、最大限に生かして、攪乱戦を行ってきていた。
「現在も、アーランドの彼方此方に、ひっきりなしといってよい頻度で強力なモンスターが出現しています。 此処にいる主力部隊を全てオルトガラクセンに投入するのは、不可能でしょう」
「その上、良くない報告が」
挙手したタントリス。
彼によると、スピアが兵力を立て直し、ホランドへ攻撃を再開しているという。ホランドも必死の防戦を行っているが、劣勢は覆しがたいとか。
モンスターによる兵団は、この間の攻撃で壊滅させた。
しかし、元々スピアは通常兵力でもかなりの数を有している。優れた武器も、軍に支給されている。
各地の列強から援軍が出ているとは言え、ホランドが劣勢を覆すのは、このままではかなり難しいだろう。
文字通りの、八方ふさがりだ。
此処で会議をしているのも、惜しい位なのである。腕組みしているジオ王を、皆が見る。決断を、急いで欲しいというのだろう。
「よし、わかった。 少数精鋭で、オルトガラクセンに潜る。 人員は私と、それにクーデリア。 リオネラ」
名前を呼ばれたクーデリアが、驚いたように王を見る。それに、リオネラも。
そして、ロロナの名前が挙げられた。
後は、パラケルススを一とするホムンクルスを、何名か連れて行くようだ。純粋に支援要員という扱いだろう。
「薬剤の使い方を教えてもらおうか」
「わかりました。 しかし私が行かなくてもよろしいので?」
「お前はエスティと供に、動かせるホムンクルス部隊を総動員し、暴れているモンスターの全てを処理せよ」
ステルクが動かせないのが痛い。
だが、国家軍事力級の使い手が全員出れば、暴れているスピアのモンスター兵器ぐらい、対応は難しくない。
王が少し考え込んだ後に、言う。
「夜の領域の悪魔達はどうしている」
「あちらも、スピアのモンスター部隊による猛攻に晒されている模様です。 こちらに援軍を出す余裕は無いでしょう」
「好き勝手をしおって……!」
解散、と。鋭く王が告げ。席を立った。
王は本気で怒っているようだ。あの様子だと、オルトガラクセンでほぼ間違いなく待ち構えているだろうスピアの連中に、容赦もしなければ遠慮もしないことだろう。連中は不幸と言うほか無い。
今でも、ジオ王はこの国最強の戦士だ。
ステルクとエスティが同時に掛かっても勝てるかわからない。戦士の中の戦士。その怒りは、文字通り敵の破滅そのものである。
めいめいそれぞれ、会議室を出て行く。エスティは咳払いすると、クーデリアを呼び止めた。
「オルトガラクセンに潜るのは初めてだけれど、大丈夫?」
「平気よ。 ただ、判明している限りの地図は欲しいわ」
「それは勿論用意するけれど」
クーデリアは、今は相当に強くなっている。
この間の、スニーシュツルム討伐戦のレポートを見たが、現時点での実力はアーランドの一線級の戦士達に劣らない。ベテランから更に一歩ぬきんでた印象だ。
これで、ステルクが負傷していなければ。もう少し手数が増えるのに。
クーデリアとリオネラが行くのを確認してから、書類をまとめる。
多分これからしばらくは、寮に戻ることさえできなくなるだろう。完全に後手に回ってしまった。兵力が少ないアーランドが後手に回ると言う事は、破滅に直結する。如何に最強の戦士を抱えていても、その事実に変わりは無いのだ。
虫が好かない連中だが。
少なくとも、スピアの錬金術師どもは、無能ではない。兵力の使い方も、数の生かし方も、良く心得ている。
アストリッドはにやにやしていた。
何が面白いのか。
エスティはこれから憂鬱極まりない殺戮の限りを尽くす仕事をしなければならないというのに。
「あんたねえ、何がそんなに面白いのよ」
「決まっているだろう。 ついにロロナが、一線級の任務にかり出されるようになったということがだ」
「ドラゴンスレイヤーなんだから当然でしょう?」
「このプロジェクトが開始されてから、三年弱程度だぞ。 それではな垂れがドラゴンを倒せるようにまでなった。 私の調整が、如何に素晴らしかったという話だ」
ため息が漏れる。
此奴はこの調子で、弟子の人生を今後も私物化していくのではあるまいか。
ロロナは確かに、一度死んだ。
新しい生を得るために、大きな代償を払うことになった。
少し前に、詳細をエスティも見た。酷い話だと思った。
だが、だからといって。恩人に何もかもを捧げなくても良い筈だ。アストリッドはいつか、大きなしっぺ返しを受けるかも知れない。
「とにかく、少しはロロナちゃんに優しくしてあげなさい」
「いつも私は優しくしているとも」
「……」
手をヒラヒラとふると、エスティは会議室を出た。
ますます狂ってきているアストリッドには。正直ついていけない所がある。話していると、疲れるのだ。
もっとも、アーランド戦士の中でも、もっとも後ろ暗い仕事を続けているエスティだって、狂気とは無縁ではいられない。
いずれああなるのかも知れない。
そう思うと、ぞっとしなかった。
どのみち血塗られた世界にいることには変わらない。或いは、客観的に見れば自分もああなのかも知れない。それが、憂鬱極まりない、エスティの結論だった。
小型化して、水量は元のままを保つ。どうしても、それが出来ない。
大砲の改良を終えた後、ロロナはどうしても、湧水の杯を改良できず、苦労していた。様々に実験を繰り返してみたのだけれど。大きさを変えると、どうしても水量そのものも減ってしまうのだ。
改良は、難しいかも知れない。
しかし湧水の杯は、今後この世界を救いうる、貴重な道具になる。
どうにか、小型化は実現したい。
ただ、思うこともある。
あまりにもたくさん作りすぎたり、性能を上げすぎたりすると、世界そのものに悪影響を与える可能性もある。
研究メモに、書き記しておく。
後の時代の人が、警告として受け取ってくれるかも知れないからだ。
どちらにしても、改良は上手く行かない。
耐久糧食よりも、更に苦労しているかも知れない。腕組みして悩んでいるロロナは。強い気配が近づいてきたので、顔を上げた。以前は全くわからなかったけれど。最近は、気配も読めるようになってきていた。
ドアを開けて姿を見せたのは、ジオ王である。
「失礼する」
「あ、へいか。 お久しぶりです」
「うむ。 元気にやっているようで何よりだ」
早速、椅子を勧める。
丁度煮詰まっていたところだ。誰かと話せるというのは、良い気分転換になる。ただでさえ最近は、乗って来ても休憩を入れろとかで、リオネラに怒られるのだから。
お茶を淹れて、さっそく新しい耐久糧食を出す。
既にマニュアルと供に納品済みだけれど。王にも味わって欲しいと思ったからだ。
「ほう、これが新作の耐久糧食か」
「はい。 その場で食べるお菓子にはどうしても及ばないですけれど、持ち運びが出来て、ながもちするし、力もつきます。 味もずっと良くなりました」
「更に美味くなっているというのかね。 それは素晴らしい」
王は早速口に入れる。
この人は、最強の戦士であり、とても怖い王様でもあるけれど。
接していて、わかってきたことは。
案外好奇心が旺盛で、茶目っ気のある部分も大きい、という事だ。
一つ二つ口に入れて、ジオは嬉しそうに目を細めた。
「うむ、確かに。 外はさくさく、中はしっとり。 食感を楽しむことが出来る。 甘すぎず、口にも優しいし、喉も渇かない。 しかも食べると、力が湧いてくるのがよく分かるな。 味も本職のパティシエが作る最高級品ほどではないが、充分に美味い」
「包装用のゼッテルも、前よりずっと頑丈になっています。 ただちょっと作るのにコストが掛かるかも知れません。 だから、前のバージョンと、分けて作るのもいいかなって思います」
「検討しておこう。 で、だ」
早速来たか。
わざわざ王が来るくらいだ。
或いは、アストリッドが、血相を変えて出て行ったのと、同じ件かも知れない。
「すまぬが、出来るだけ急いで準備をしてくれ。 これからオルトガラクセンに潜る」
「オルトガラクセン……」
ロロナにとっては、ついに来るべき時が来たか。
行かなければならない場所ではあった。
研究が終わったら、事実向かうつもりでもあったのだ。
しかし、これほど早く、その時期が来るとは。
王は、クーデリアとリオネラも、今回の探索には同行してもらうと言う。出来れば、他にも何名かには来て欲しい。
イクセルは、どうだろう。
こられるのなら、手伝って欲しい所だけれど。
「ホムンクルスの三個部隊が同行する。 君の方でも、増援を手配するなら、早めにして貰えるか」
「わかりました。 すぐに」
どのみち、拒否権は無いのだ。
それに、義務もある。
ロロナは、あまり自覚は無いが。この間、スニーシュツルムの撃破に、大きな功績を残した。
この結果、ドラゴンスレイヤーとして認められたのだ。
ドラゴンスレイヤーとして認められると、戦士としての格が上がる。だが、これは必ずしも、良いことばかりでは無い。
メリットとしては、危険地帯に入ることが許されるようになるし、戦闘系の任務をこなすと、国から特別金が支給される。この特別金はかなりの高額で、危険任務をこなすことで、屋敷を建てることも夢では無い。ただし国から指定される危険任務は、相当な強力モンスターとの戦いを始め、ベテラン以上の実力を持つ戦士でも、命の危険にさらされるものばかりだ。
更には、配偶者を複数得る事も可能だ。現在、国の重鎮となっている戦士の中には、この制度を利用してたくさんの子供を設けている者もいる。クーデリアの父であるフォイエルバッハ公爵が、その代表例だろう。必ずしも優れた戦士の子供が優れた戦士になるわけではないのだけれど。やはり、優れた素質を持つ子供が出来る可能性は、それなりにあるようだった。
一方で、デメリットも大きい。
まずは、国から任務が来た場合、断れない。
国から重要戦力として認められたわけだから、当然である。ある意味、一種の公務員として、強制登録されるに等しい。
もっとも、ロロナの場合。
そうなるずっと前から、いろいろな意味で公務員も同然だったので、あまり関係は無い。
更に老後は、若い戦士達に、自分の技を全て教え込まなければならない。書物にして、戦歴や技術を残す義務もある。
こうすることでアーランドは、戦士の技と質を保ってきたのだから、当然だとは言えるけれど。
今後の手間を考えると、ロロナは喜んでばかりもいられなかった。
まず、イクセルを探しに行く。
サンライズ食堂の前で、イクセルは大きくため息をついていた。掃除を続けているのだが。
これは、吐瀉物をぶちまけられたらしい。
おがくずをまず撒いて、それから掃除する。後は、芳香剤などで臭いを消す。見かねて、ロロナも手伝う。丁度良い消臭剤があったので、持ってくる。
お酒をだす店であるから、どうしてもこういうトラブルは必ず起きる。それにこの疲弊した様子。
ひょっとして、ティファナが来たのか。
あの人は普段はとても上品な女性だが、酒が入ると人格が一変する。しかも悪いときには昼間から飲み始めるので、周囲の被害者は数知れない。
ロロナも何度か巻き込まれたことがある。しかもあの人は魔術師としてかなりの強者であり、戦闘経験も豊富で、下手に逆らえない。だから随分怖い思いもした。
「イクセくん、大変だね」
「ああ、まあ慣れっこだからな」
「今、忙しい?」
「採取か、いやその様子だと、戦闘主体か?」
頷く。
イクセルも自分で努力して技を磨いている。
スニーシュツルム戦の後、何度か採取地に同行してもらったのだけれど。技はかなり向上していて、充分に自分を守りきれる。
ただ、今回は手数がいくらでも必要な状態だ。
正直、来られる人はみんな来て欲しいというのが、素直なところである。出来ればタントリスにも来て欲しいのだけれど。大臣の仕事を覚えるのが忙しいと言っていたから、難しいか。
「良いぜ。 俺も煮詰まってた所だし」
「新作料理が出来ないの?」
「そんなところだ」
どんなに美味しい料理を出していても、一本じゃ飽きられる。そう、無念そうにイクセルは言うのだった。
確かに彼が言うように、料理は非常に厳しい世界なのかも知れない。
腕をどれだけ磨いても、お客様はいつも来てくれるとは限らないのだ。次々に新しい料理も求められる。どんなに苦労して新しい料理を造り出しても、相手の舌にあわなければそれまでだ。
「お前の錬金術は、娯楽とは違うからな。 いいものをつくれば、それがずっと金になるから、羨ましいよ。 俺ら料理人はどうしても娯楽産業だから、どうしてもお客の飽きが怖い。 何とか、誰も飽きない料理を作りたいぜ」
「でも、サンライズ食堂、儲かってるよ」
「そんなもうけなんて、客に飽きられたら一瞬で終わりだよ。 まあ、今は俺以外にも店員がいるし、しばらくはどうにかなりそうだけどな」
掃除を終えると、イクセルと待ち合わせについて決める。
その後、タントリスの様子を見に行ったが。彼は今回も忙しくて、出てこられないという事だった。
こればかりは、仕方ない。
タントリスは、父であるメリオダス大臣と、和解に成功したのだ。今でもメリオダスは口うるさくタントリスに文句を言うそうなのだけれど。タントリスは、その口うるささが、愛情から来ている事を知っている。
それならば、タントリスを邪魔してはいけない。
少し戦力が削られるけど、今回は我慢だ。あのジオ王が一緒に来てくれるのだし、余程の戦力がこなければ大丈夫な筈。
ただ、それでも、念には念だ。
アトリエに戻った後、荷車に物資を詰め込む。
新しい耐久糧食を一として、発破の類もできる限りたくさん。最悪、ドラゴンレベルの相手との交戦も予想しなければ危ない。
何しろこの間は、ドラゴンが二体も姿を見せたのだ。
少し悩んだ後、試作中の道具も荷車に積む。
神速自在帯は、研究の合間に調べて、何カ所か改良を加えた。しかしそれでも、使えば疲弊が酷い事には変わらない。
ブレイブマスクもそうだ。
今は若いからいいけれど。もう何年か経過してから同じように使ったら、一気に体を壊してしまう可能性もある。
前に比べると、フィードバックダメージは抑えられている。多分、一度の戦闘で、二回までは使えるようになった。
しかし、それでも危険なことに代わりは無い。
他にも、幾つか道具は持っていく。
イクセル用にと思って、一つ積み込んだ。前衛で戦ってもらうのなら、必要だと思ったのだ。
それは、鎖に吊された、金色のメダルである。首から掛けて使う。
英雄のメダルという。
何代か前の、不死と言われたほど頑強だったアーランド王が身につけていたものだ。ブレイブマスクに似ているが、これはオート発動する所が違っている。つまり、使い手が死にかけたとき、一気に蘇生させるのだ。
勿論、体を二つにされてしまうような事になったら、どうしようもない。
ただ、何かしらのダメージで心臓麻痺でも起こした場合には、取り返しがきく。元々頑強なアーランド人だ。すぐに蘇生すれば、ほぼ後遺症も残らない。イクセルも、相応に修練をつんだアーランド人だ。これを付けていれば、かなりの危険を防げるだろう。
しかも英雄のメダルには、薄いけれど魔術防御の膜が掛かるように、自動で設定もしてある。
自動蘇生と、魔術防御。
これに加えて、本人の頑強極まりない体。
これが、不死の秘密だ。
参考資料でそれを見つけて、作って見た。おそらく蘇生には相当な負担が掛かるだろう。心配だけれど。
使うのは、イクセルに任せることにする。
荷車の準備を終えた頃、クーデリアが来る。
リオネラも一緒だ。
「もう、出られるかしら」
「うん。 オルトガラクセンに入るのは、大丈夫、なんだね」
「平気よ……」
クーデリアの声は、歯切れが悪い。
先ほど王と話したけれど、今回の探索では、特定のポイントへの到達だけが目標になるという。
探索目標日数は、七日。
それならば、戻ってから、改良作業を進められる。
湧き水の杯の改良が完成できれば、ロロナとしては今回の課題を安心して終えられる。時間的には、間に合うはずだ。
リオネラは心配そうに、ロロナの腰にある神速自在帯を見ていた。
クーデリアも、ためらいなくブレイブマスクを背負う。ブレイブマスクは、魔術的な方法で、使用者の意思と直結している。使おう。そう思えば、超再生力が解放される仕組みである。
これはロロナの神速自在帯も同じ。
いずれ、フィードバックを抑えたバージョンを作れば。戦場の歴史が変わるはずだ。
三人で連れ立って、街の南へ。
此方の門から出るのは、久方ぶりだ。確かこの間、荒れ地の開発の締めが行われたとかで、後は栄養剤を投入しなくても大丈夫と言われた。それ以来、南には足を運んでいないのである。
城門で、イクセルと王が待っていた。
それに、ホムンクルスが十二名。いずれもが、ホムと同年代の女の子に見える。その中の一人は、何度か見た事がある。
挨拶をすると、向こうも流ちょうな言葉遣いで返してきた。
「貴方と任務を同じくするのは、これが初めてですね。 パラケルススと申します。 以降よろしく」
「うん。 よろしくね」
非常に聡明な目をしている子で、話していて不安感が無い。
ただ、他のホムンクルスの子達は、皆無表情だったり、感情が希薄だったりするようだ。みんなとても可愛いのに、服装も目立たない、アーランド人が標準的に来ている麻服ばかり。
流石に、戦場にスーツでは出かけないか。
彼らの中の二名が、荷駄を担当するらしい。更に二名が、護衛につくそうだ。つまり、一隊が完全に後方支援となる態勢である。
ロロナの荷車も任せる。
エンチャントで軽く扱いやすくしているけれど。それでも、専門の護衛がついてくれるのは嬉しい。
イクセルは、かなり頑丈そうなフライパンを持ってきた。
道すがら、英雄のメダルについて説明する。頷いて聞いていたイクセルだが。ためらいなく、身につけた。
「死にかけたら、自動で発動するんだな」
「うん。 でも反動も酷いと思うから、無理はしたら駄目だよ」
「わーってるって。 ……そうだな。 これくらいの道具が必要な場所だって事だよな」
以降、会話は無くなる。
クーデリアが、銃をチェックしている。新しい銃を、彼女は今回、二丁も持ってきていた。
雷鳴に言われて、銃器も変えたのだそうだ。
以前、武器屋の親父さんと話しているのをみたけれど。かなり大型の、強力な銃器を持っていているらしい。
弾速は、以前より遙かに上がっている。
この状態で、あの超加速射撃をぶっ放せば、殆どの相手はひとたまりも無いだろう。
それに、以前からクーデリアが愛用していた銃は痛みが酷かった。手だけではなく、銃にも負担が大きいのは目に見えていたし、仕方が無い。
オルトガ遺跡が、見えてくる。
巡回の戦士達が、時々王に敬礼をしていた。
彼方此方に、巡回班や、討伐隊が出かけているのともすれ違う。帰ってきている戦士達も、皆傷ついているようだった。
王様が、ロロナを誘いに来たのは。きっと手が足りないから。
それはわかっていたけれど。
状況は、予想していたより、遙かに悪かったかも知れない。
オルトガラクセン。オルトガ遺跡の内部に広がる、巨大な空間。いわゆるダンジョンである。
かって此処から、アーランドを発展させた錬金術師が、無数の文明を持ちだした。そして、その文明の力が、アーランドに工場を作り、民の生活を豊かにした。アーランド人は暴虐なる蛮族から脱皮して。今では、凶猛なる戦士の一族となっている。残虐なだけの一族が、誇り高い戦士へと変わるには。やはり、ある程度の豊かな生活が必要だったのだ。
それはアーランドの、誰もが知る歴史。
そのオルトガラクセンに入る方法は、幾つかある。その中で、ロロナが知っているのは二つ。
一つは、かってのロロナやクーデリアがそうしたように。オルトガ遺跡の上部にある割れ目や穴などから、落ちること。
この場合、まず助かることは無い。
もう一つは、国が管理している幾つかの入り口から、堂々と入る事だ。
ロロナは入るために必要な身分証を、以前受け取っている。
入り口で警備に当たっていたのは、ロロナの父だ。普段はいい加減に過ごしている事も多い父だが、戦士としては一流である事は、ロロナも知るところ。仕事場にいる今は、当然戦士の顔になっていた。
身分証を見せると、父はあまりいい顔をしなかった。
「ロロナ。 此処がどれだけ危ない場所かはわかっているな」
「うん。 わかってる」
「良いか、絶対に油断するな。 何があっても、必ず疑ってかかれ。 此処にいるモンスターは、アーランド人でさえ死を覚悟しなければならないほどの化け物揃いだ。 油断したら、俺でも危ない。 忘れるなよ」
父は、何度もロロナの肩を叩いて、そう言う。
わかっている。
父は、ロロナがここに入るのには、本当は反対なのだろう。ジオ王が咳払いすると、口惜しそうに、父は離れた。
そして、敬礼する。
ホムンクルスの部隊が、一斉に敬礼を返した。
入り口と言っても、オルトガ遺跡に開いている大きな穴だ。かって、錬金術師が開けたものとも、内部のモンスターがこじ開けたものだとも言われている。
ジオ王は慣れているらしく、平然と足を踏み入れる。
ロロナも、それに続いた。
まるで獣の口のような入り口を抜けると、内部は薄暗いながらも光がある。ずっと下に向けて、通路のような、スロープのようなものが伸びていた。
壁が、発光している。
二部隊のホムンクルス達は、綺麗な魚鱗陣を作って、王の周囲を固めていた。王のすぐ脇に、パラケルススという指揮官らしい子が。その後ろに、ロロナ達が固まって、少しずつスロープを降りていく。
彼方此方に、案内板のようなものがある。
アーランドの言葉で書かれている所から見て、後から入った調査部隊によるものだろう。地図が書かれていたり、何処に罠があると記されていたり。
「この辺りには、モンスターはいないんですか?」
「いる」
王は即答。
話によると、この辺りの階層も、あらかた調べられているとは言え。脇道にそれたり、細い通路に入ると、まだまだ未踏破の部分があると言う。
そういう所には、モンスターが住み着いているとか。
しかも、その面子が尋常では無い。
「グリフォンの上位種に、精神を病んだ悪魔、それに兎」
「!」
当然のことだが。
最強とも言われる凶暴なぷにぷにの仲間、うさぷにもいると言うことだろう。あれはベテランのアーランド戦士に匹敵するとさえ言われる凶猛なモンスター。出来れば、遭遇はしたくない。
「とにかく、はぐれるなよ。 はぐれた場合、助けることはまず無理だ」
王の言葉は、脅しでは無い。
事実、壁や床には、血痕がある。
人間のものだったり、そうではないものだったり。つまり、それだけ激しく、日常的に戦いが行われている、という事だ。
しばらく、無言でひたすらに地下へ地下へと降りていく。
途中、光る柱みたいなものがあった。
「これはポータルと言ってな。 テレポートを機械的に行う装置だ」
王に言われるまま、柱に入る。全員が入るのに、充分な大きさがある光の柱。
気がつくと、別の場所にいた。
周囲の様子も一変している。
遠くで、モンスターの咆哮が上がっている。この辺りもまだ制圧下にあると王は言うけれど。
それでも、はぐれたら、ひとたまりも無さそうだ。
また、黙々と通路を下りはじめる。
巡回班が前から来た。
八人一組の編成で、みな見た事がある有名な戦士ばかりである。これくらいの戦力で無いと、危なくてここには来られない、という事だ。王が軽く話してから、すぐに状況を説明してくれた。
「あまり状況は良くないな。 巡回班が、戦闘を何度もしている。 普段ならば、人間の制圧地域に、モンスターが出る事はほぼ無いのだが。 しかもこの浅い階層で、だ」
「此処は、そんなに浅いんですか?」
「まだ第4層だ。 これから向かうのは、第16層。 相当にモンスターが活性化していると見て良いだろう」
これは、一週間では、戻れないかも知れない。
だが、念のためにも、食糧は大量に持ち込んでいる。飢えることだけはないのが救いだろうか。
第8層に到着。
周囲の血の臭いが、露骨に濃くなりはじめていた。
クーデリアは既に臨戦態勢に入っている。辺りには、此方をうかがう気配の数々。王が、呻くように言った。
「これはまた、掃除をし直さなければならんな。 しばらく巡回だけで大丈夫だったのだが」
通路は広い。
それこそ、アーランドの大通りが、まるまる入ってしまうほどに。
だからこそ、巨大なモンスターも、悠然と歩いて来る。
真正面から来たのは、数体のベヒモス。いずれもが成体で、皆殺意に目を煮えたぎらせていた。
更にその足下には、随伴するかのように、小型のモンスター達。
小型と言っても、いずれもが凶暴なモンスターばかりだ。ウォルフがいるが、外にいる者の数倍の体躯を持ち、全身が真っ黒である。以前交戦したファングよりは小さいが、かなり威圧感が大きい。
他にも、様々なモンスターが、ひしめくように迫ってきていた。
ホムンクルス達が、ポータルを背後に、綺麗な陣形を組む。
剣を抜いたパラケルススが前に出た。ジオ王と並んで、陣の外に出る。
見ると、パラケルススは、魔術が掛かった道具を幾つも身につけている。あれはどれも国宝級の道具の筈。
つまり、何度かの戦いで。重鎮並の実力を持っていると判断されて、装備を渡されているという事だ。
「私とパラケルススで、可能な限り敵の数を削る。 君達は陣形の維持に務めてくれるかな」
「わかりましたっ!」
なるほど、此方に来ている敵戦力を削りきってから、進む訳か。
ロロナが頷くと、残像を残し、二人が消える。
そして、殺戮の宴が始まった。
ジオ王の無数の残像が出現し、それが消える度にモンスターの体が斬り伏せられ、消し飛ぶ。
パラケルススは直線的に敵の中に飛び込むと、当たるを幸いに斬り伏せはじめた。
陣形を組んだままのホムンクルス達は、人形のように微動だにしない。
右往左往するベヒモスの足が輪切りにされ、巨体が横転して壁に激突。血をまき散らしながら倒れる。しかも、倒れたときには、首が胴と離れていた。
強い。
いや、強いなんて次元じゃ無い。滅茶苦茶だ。
だが、それでも多勢に無勢。
甲高い声を上げて、アードラの変種が、殺戮の嵐を抜けた。そのまま、此方に飛んでくる。
それを皮切りに、ぽつぽつと、小物のモンスターが、血と斬撃の嵐を縫って、此方に迫り来る。
無言で動いたクーデリアが、先頭の鳥を撃ちおとす。顔面に、神がかった技で、数発のスリープショットを浴びせたのだ。
地面に激突した鳥を踏みしだいて、迫ってきた複数のウォルフ。怒濤のごとく迫ってくる。クーデリアが水平射撃を浴びせるが、徐々に前線との距離が迫ってくる。
「第一波、来るわ」
弾丸の再装填をしながら、クーデリアが淡々と言う。
どっと、押し寄せてくるモンスター達。
炸裂。
爆炎が、彼らの肉体を引きちぎり、焼き払った。
ロロナが、タイミングを合わせて、発破を放ったのだ。以前のフラムとは、火力も破壊力も段違いになっている。
だが、爆炎を蹴散らすようにして、すぐに次のモンスターが姿を見せる。
槍を揃えて、ホムンクルス達が迎撃。
クーデリアも弾丸を再装填すると、次々と敵を打ち抜く。当たって、効くかはどうでもいい。一瞬でも動きが止まれば、それで良い。
ロロナが腰だめして、砲撃を連続して敵に叩き込む。吹っ飛んだモンスターだが、仲間の苦境など気にもせず、次々に新手が来る。
ホムンクルス達のフェンスは崩れず、迫る敵を確実に処理していくが。
敵の数が徐々に増えているので、ひやりとさせられる。
また発破を投げる。爆裂。
通路に、血と肉がぶちまけられる。イクセルが、時々、ロロナを見てくる。
「大丈夫なのか。 俺も前線に」
「もう少し、待って」
不意に、敵陣から虹色の光が飛来。
だが、既にこの時に備えて、リオネラが自動防御を展開済み。虹色の光がはじき返される。魔術を使うのもいるか。
ひっきりなしに押し寄せてくるモンスターの群れ。
ロロナも既に十回以上弱威力の砲撃を浴びせてきているが、モンスター単体の能力がそれぞれ高いので、あまり手加減もしていられない。場合によっては撤退も考えなければならない。
雑魚を蹴散らすようにして、大きいのが来た。
四つん這いで、雄叫びを上げながら、此方に突進してくる。熊に似ているモンスターだ。あれは、真正面から受けると、危ないかも知れない。形は熊に似ているけれど、足は横から出ている。本当は、違う生き物なのだろう。
クーデリアが、ホムンクルス達のフェンスを抜ける。
そして、熊の顔面に、蹴りを叩き込んでいた。更に頭を踏みつけながら上空に飛び、火焔弾を十数発叩き込む。
火だるまになった熊が竿立ちになり、滅茶苦茶に腕を振り回す。着地したクーデリアを見つけ、雄叫びを上げる。
だが、その横っ腹に。
詠唱を終えたロロナが、大威力の砲撃を叩き込んでいた。
子供がオモチャを投げるように吹っ飛んだ熊が、遙か向こうの壁にぶつかり、紅い染みになる。
汗を拭う。
モンスターが、不意に途切れた。
此方に、ジオとパラケルススが戻ってくる。
パラケルススは少し返り血を浴びていたが。ジオ王は、まるで疲れている様子が無く、返り血も一切浴びていなかった。
「損害は」
「ありません。 武器などの損傷も軽微です」
「一旦休憩。 回復後、探索に戻ります」
パラケルススが言うと、ホムンクルス達はその場に座って、休みはじめた。休むときまで、一矢も乱れない。
凄まじい血の臭いが辺りには充満していたけれど。これくらいで音を上げるものは、此処にはいない。すぐに荷車から耐久糧食を出して、皆に配る。クーデリアは黙々と食べ始めた。手の様子は、見た感じ大丈夫か。
皆の状態を確認し終えると、やっとロロナは一息つくことが出来た。
というよりも、一息つかされる。
リオネラが、じっと厳しい目で見ていたからだ。休まなければ、怒られてしまう。ジオが隣に座った。黙々と、耐久糧食を口にしている。
「この先は、更に厳しくなるとみて良いだろう」
「前から、こんなに恐ろしい場所だったんですか?」
「いや、これは異常だ。 恐らくは、モンスター共が活性化しているのだろう。 援軍を呼んだ方が良いかも知れん」
勿論援軍を呼ぶと言っても、この有様では一度戻るしか無いだろう。
そう思ったのだが。
ジオ王は、ホムンクルスを二体呼ぶと、壁際にある小さなポータルを指さした。
「封印解除を許可する。 それを用いて、地上に援軍を呼びに行け。 ホムンクルスを最低でも二隊だ。 出来れば四隊。 急げ」
無言で頷くと、ホムンクルス達はポータルに入り、なにやら操作しはじめた。
その姿が、消える。
ジオ王が説明してくれる。あれは、地上への一方通行の通路として、利用できるのだと。ならば、任せてしまうのが一番だろう。
しばらく、そのまま休む。
こういった空間でも、虫の類はいるらしい。死んだモンスターに、死肉を漁る虫たちが群がりはじめる。
ひんやりした空気でも、肉は腐り始める。
そうすると、腐った肉を食べる虫たちには、ごちそうになるのだ。
こういった光景は、決しておぞましいものではない。ロロナ達には、見慣れたものだ。腐った肉を分解する虫たちがいて、やがては肥料になって行く。自然の摂理であり、目を背けるべきものではない。
「地図がはっきり分かっている事だけが、救いだな」
王が指示すると、パラケルススが荷駄から地図を出してくる。
パラケルススが、綺麗な。そう、鈴が鳴るようなとでも表現するべき声で、説明をはじめた。
見ると、このオルトガラクセンは、必ずしも物理的につながっている空間ではないのだという。
階層ごとはポータルでつながっていて、その気になれば一気に16層まで行けるそうなのだけれど。
それをしないのは、状況確認のためだ。
最悪、16層まで行かなくても良い可能性があるという事だけれど。最悪の事態に備えておいた方が良いだろうなと、ロロナは思った。
新手のモンスターは現れない。時々鼠が肉片をくわえて走り去ったり、小さな鳥が来て死肉をついばんでいたけれど、それくらいだ。
ひょっとして此処は。
地下では無いのだろうか。
いや、それは流石に無いだろう。
ポータルが光り、先ほどの二人に加えて、八名のホムンクルスが現れた。一人は書状をもっていて、ジオ王がそれを読んで舌打ちした。多分、増援を二隊しか送れない理由が記されているのだろう。
普段は毅然とした行動を取る王が、舌打ちする位なのだ。余程のことがあったのだとみて良い。それくらいは、ロロナにだって判断がつく。
「そろそろ良いだろう。 先へ進むぞ」
機嫌が悪そうな王に、周りがびくびくしている。クーデリアは平然としていたが、彼女は元から怖い物知らずだ。
ロロナも埃を払うと立ち上がる。
このまま、まずは9層を目指すという。
この様子では、激しい戦闘が今後も続くことは、間違いない。
だが、不思議と怖くないのは、何故だろう。
11層に入った頃には、辺りは闇そのものという有様になっていた。相変わらず機械で作られた壁と床。それに天井。それなのに、此処が人間の場所ではないと、五感の全てが告げてくるのである。
機械は、かっての文明の名残だというのに。
今では、威圧感と恐怖しか造り出さない。そんな馬鹿な事があるかと、昔の人は一笑に付すかも知れないけれど。
事実、過去の地獄をくぐり抜けたアーランド人であるロロナでさえ、そう感じるほどだ。パメラから聞いた、悲惨極まりない過去の物語を越えて。人類が立ち上がったとき。文明は、何か致命的な変質をきたしたのだろうか。
わからない。
調べてみないと、何とも言えない。
襲撃は、ひっきりなしにある。
八層ほど大規模な攻撃は今の時点ではないけれど。しかし、ずっとリオネラは気を張っていた。既に負傷者も出始めている。ホムンクルスの何名かは怪我をしていて、時々休憩時にリオネラが回復術を掛けてあげていた。
ジオやパラケルススでさえ気配を察しえないほど、巧みに近づいてくるモンスターも、零では無いのだ。
今も、リオネラが自動防御を展開していなければ、ホムンクルスが一人さらわれるところだった。
天井から無造作に伸びてきた触手の仕業だ。
ロロナが天井に砲撃して、叩き落としてみれば。
落ちてきたのは、世にもおぞましい、もはや形容しようが無い存在だった。芋虫のようでそうでなく、イソギンチャクのようでありながら違う。四肢があり、目がたくさん体についていて、砲撃を浴びせて焼き払ったにもかかわらず蠢いていた。こんなものの触手に捕らえられたら、どのような目に遭うのか。正直、考えたくも無い。
ジオ王が、罠がある場所などを、歩きながら指示してくれる。
これらは、事前に調査したときに、見つけたものなのだろう。
「この辺りから、あれが見られるな」
ぼそりと、王が呟く。
あれとは、何だろう。疑問を感じたが、すぐに氷解した。
広めの通路に出る。
其処には、モンスターはいたが、敵意を此方に向けてこない。むしろ、周囲にある「それ」に触るなよと、警告しているようだった。
ベヒモスや、巨大な蛇のモンスターもいる。
それなのに、皆同じ反応を見せているのである。
しかも、それをとても大事に守っている様子がうかがえる。中には、それをメンテナンスして廻っているモンスターまでいるようだった。蛇のモンスターに到っては、カプセルを己の体で此方から守ろうというそぶりさえ見せている。
カプセル状の容器に入った、人間。
どの人間も、意識があるようには思えない。
死んでいるのか。
いや、そうではない。生体魔力が、極めて微弱ながら、感じ取れるのだ。生きた人間が、カプセルに入れられている。
これは、一体何なのだろう。
息を呑むロロナに、王が声を掛けてくる。
「カプセルには触ってはいかんぞ。 一斉に攻撃してくる」
「こ、これは……!」
「良くは分からんが、アストリッドの話によると、破滅の時代を生き延びるために、眠ることを選んだ古い時代の人間だそうだ。 選択肢としては、ありなのだろう。 今更どうこうしてやろうとも思わないがな」
林立するカプセルは、どう見ても数十はある。
しかも、この広間を抜けてから、また別の広間で同じ光景を見かけた。
息を呑む。
一体此処は、何だ。
生きている過去の人間がいるなら、一体どういう時代だったのか、話を聞いてみたいというのはある。
だが。パメラの話によると、おそらく今の世界には、彼らには猛毒となるなんとかナノマシンが充満している。カプセルから出せば、すぐに死んでしまう事になるだろう。悲しい話だ。
モンスター達は、どうしてカプセルの人間を襲わない。
ひやりとしたのは。ある仮説が、浮かび上がってきたからだ。背筋に冷や汗が流れるのを、止められない。
もしそうだとすれば。
不意に、ジオが顔を上げた。
「反応が近いな。 皆、備えろ。 おそらく、目的のものはここ11層にある」
「防御円陣!」
パラケルススが不意に声を張り上げ、ホムンクルス達が一矢も乱れぬ円陣を組む。
今まで、迷いなくまっすぐ歩いていたジオが、不意に方向を変える。
目的のものとは、何だろう。
また、このように、不可解で。見るだけで、過去の事を想起させられて。困らされるものなのだろうか。
地図に無い通路に入り込む。
ジオが見ているのは何かはわからない。ただ、この先に、何かとんでも無いものがあるのは、確実だ。
不意にクーデリアが飛び出して、何か壁から出てきたものを蹴り挙げる。
それが光を発して、天井が赤熱するのが見えた。あんなものが直撃したら。そのままクーデリアが、ホムンクルス達に、その何か棒状のものをへし折らせる。
スパークを発しながら、へし折れたそれは、動かなくなった。
辺りは罠だらけだ。
ホムンクルスばかり連れてきた理由がわかった。
彼女らは露払い。
死んでも代わりが効く人材。
ジオ王は冷酷な一面もあるとはわかっていたけれど。
唇を噛む。
だったら絶対に、ロロナが一人も死なせない。クーデリアをみて、頷く。彼女も、恐らくは、ロロナと意思を同じくしてくれるはずだ。
「あぶねえっ!」
飛び出したイクセルが、ホムンクルスの一人を抱えて飛び退く。
地面から突きだした槍が。一瞬前まで、ホムンクルスがいた地点を貫いていた。勿論、刺されていたら即死だ。
リオネラが真っ青になっている。
これは、魔術か何かでトラップを掛けられている場所を、絨毯爆撃的に潰して行くに等しい作業だ。
イクセルも、今ので脇腹を抉られていた。すぐに傷薬を出して、治癒をはじめる。安全範囲を、少しずつでも拡大していくしか無い。
「いってえ。 やられちまったな」
「大丈夫。 円陣の内側に入って」
「ああ。 すまねえ」
諸肌を脱いで座ったイクセルに包帯を巻いて、手当終了。
後は回復を待つ。イクセルもアーランド人だし、数刻も休めば戦えるようになるだろう。今、イクセルに救われたホムンクルスが、ぺこりと一礼。
「有り難うございます」
「良いって事よ。 だが、もっと命は大事にしろよな」
それは、ホムンクルスには、残酷な言葉かも知れない。ロロナはうつむいたまま、その言葉を聞いていた。
ロロナだって、同類なのだ。
だから、無駄に命が散っていくのは、見過ごせない。
「イクセくん、ありがと。 これ、食べておいて」
「ああ。 何だかこんな風にしか役に立てなくて、すまねえな」
「ううん、うれしいよ」
イクセルが、耐久糧食を口に放り込むと、そうかと言って視線をそらした。
休憩は、そう多くも取っていられない。彼方此方にある罠を、片端から潰しながら進んでいく。
大がかりな罠もある。
中には変なガスを噴き出すようなものもあったけれど。ロロナ達には、何でも無かった。多分毒ガスで、過去の時代に生きていた人間には、致命的な代物だったのだろう。
壁に、妙な印がある。
「待って」
クーデリアが、全員を制止。
床の材質が変わっている。ひょっとして、これは。
パラケルススが前に出た。ジオは動かず、そのまま様子を見ている。
不意に、床がせり上がってくる。更に、天井が落ちてくる。パラケルススが、さっと走り出して、押し潰されるのを避けた。
ぐしゃりと、凄まじい音が響き渡る。
危なかった。そのまま進み出ていたら、何人かはぺしゃんこだっただろう。
床の何カ所かが、踏むとトラップを起動させるようだ。何度かパラケルススが実験して確認。
さっさと、全員で危険地域を乗り越える。
ジオが言うには、もう少しで、到達できるという。しかし、この階層になると、地図が出来ていない場所も多いのだとか。
それに、奥から、強い気配がある。
多分、何かもの凄いのがいる。
通路が複雑に分岐していても、ジオ王は躊躇わずに、行く方向を指示。少し気になったので、聞いてみる。
「あの、そろそろ、今回の目的について、教えて貰えませんか?」
「ふむ。 そうだな」
パラケルススが先に出て、地面の様子を確認。
案の定、踏むと爆発する罠がたくさん仕掛けられていた。残像を残して飛び回りながら、爆発物を片付けていくパラケルスス。
更に、先ほど光線を放った棒状の罠がたくさん出てくる。
クーデリアが即応して、片端から撃ち壊す。更にリオネラが自動防御を展開。無数の紅い光が突き刺さってくるが、充分に余裕をもって防ぎきっていた。
間もなく、罠の全てが沈黙。
パラケルススは、負傷を少ししているようだった。すぐに手当をする。
通路に満ちていた粉塵が収まってきたが。
その向こうには、まだ何も見えない。
「この先に、スピア連邦が、余計な事をしたポータルがある。 それをこれより、封鎖しに行く」
「余計な事、ですか」
何となく、わかってきた。
最近、非常に強力なモンスターが、彼方此方で暴れているという話がある。恐らくは、それのことだろう。
誰も救援に来ないはずだ。
多分、一線級の戦士は、殆どがオルトガラクセンから出払ってしまっているのだろう。普段だったら、モンスターが増えても、彼らが対処するはず。此処までモンスターに好き勝手させているのは、単純に手数が足りないという事だ。
「既に場所を特定するための道具と、封鎖の手段はアストリッドに作らせてある。 だから、問題のポータルを見つければ、即座に帰還が可能だ。 後はこの事態を、此処の主が把握しているかどうか、だな」
噂には聞いている。
オルトガラクセンには、邪神と呼ばれる正体不明の主がいると。
ひょっとして、ロロナとクーデリアを殺した彼奴だろうか。それはわからないけれど、いずれ対決しなければならない時が来るかも知れない。
オルトガラクセンの調査をしろ。
そう言われている以上、可能性は零では無いのだ。
煙が晴れてきた。
念入りに罠が残っていない事を確認してから、先へ。気配は、強くなる一方だ。この先に、何かとんでも無いものがいる。
3、炎の矢
通路を抜けると、とても広い空間に出た。
空が、見える。
星空、だろうか。
いや、そうとも言い切れない。とにかく、天井は機械では無くて、星屑のような不思議な光を秘めた空間に変わっていた。
周囲には、多数の機械。
どれもこれもが、埃を被ることもなく。美しいまま、陳列されている。
空間は床が整備されていて、何処までも平坦。
その中央に、とても目を引く二つのものがあった。
一つは、巨大なポータル。
あれならば、此処にいる全員が、一度に使う事が出来そうだ。
そして、そのポータルを守るようにして。
巨大なドラゴンが、体を丸めていた。
以前戦った、スニーシュツルムと、よく似た姿をしている。違うのは、その全身が、血のような深紅だと言う事だろうか。
以前聞いたのだけれど、ドラゴンは個体がそれぞれ、別種の生物と言って良いほど、姿が違うという。
それならば、あの姿は。
きっとスニーシュツルムと、同じ悲劇にあった存在なのだろう。
或いは、あの二匹のスニーシュツルムのように。
「誰かいるな」
ジオが剣を抜く。
つまり、そのレベルの相手と言う事だ。
ドラゴンが鎌首をもたげ、ゆっくりと身を起こす。大きい。以前戦ったスニーシュツルムと比べても、三周りは大きい。
勿論、大きさがドラゴンの強さを表すわけでは無いだろうけど。ロロナには見えるのだ。あのドラゴンの身に纏っている、凄まじいまでの灼熱の魔力を。クーデリアもリオネラも、とっくに臨戦態勢に入っている。
イクセルも、何度か英雄のメダルを確認していた。
ドラゴンの影から、何者かが姿を見せる。まだ若い女性だ。せいぜい二十歳か、その少し上くらい。控えめの化粧と、あまり目立たない服装。顔立ちも、目を引くほど、美しいというわけでは無い。ごくごく平凡な、陰気な印象を受ける人。
いや、あの身に纏っている魔力。
本当は、若くなど無い。
そればかりか、あれは。
「レオンハルトの予想通りになったな。 この手の作業をさせて、あの男の右に出る者はおるまい」
「以前見かけたな。 貴様は」
「スピアの錬金術師、カトリアヌ」
「名は聞いているぞ。 スピアの、一なる五人の首領だな」
禍々しい笑みを、カトリアヌと呼ばれた女性が浮かべる。あの人は、おそらく。
ロロナと同じような存在だ。
もう加齢は関係無く、生物の摂理からも反してしまっている。
おかしな話だ。錬金術は、世界の摂理の中で、何かをする学問だと聞いているのに。或いは、摂理に反しないように、摂理に反しているのか。ちょっと混乱してきたけれど。あまりまともな存在とはいえないのは、明らかだ。
「あれは私が相手をする」
「……っ、わかりました」
「君達は、あのドラゴンを打ち倒してくれ。 わかってはいるだろうが、ポータルには傷を付けるなよ。 何が起きるかわからん」
カトリアヌが、指を鳴らす。
広い空間に、ざわりと、殺気が満ちた。
あちらからもこちらからも、モンスターが次々に入り込んでくる。どのモンスターも、頭に機械を付けている。スピアが得意な洗脳操作をしたモンスターと言う事か。
悪魔もかなりの数がいる。いずれもが、既に頭に機械を付けられてしまって、助かりようもないようだった。
ジオが相手をするほどの、超絶的な使い手に。これだけの数のモンスター、それに、強力な力を持っているドラゴン。
更に、だ。
ポータルが光ると、モンスターが更に現れる。
「さて、遊ぶとしましょうか」
カトリアヌの不遜な言葉が終わるか終わらないかの内に、ジオが、仕掛けた。
いきなり数十の分身と供に、カトリアヌに斬りかかる。だが、上空に、一瞬早くカトリアヌが逃れていた。
ジオの斬撃をかわすことが出来る存在なんて、はじめて見た。
何か鳥のようなモンスターに掴まると、カトリアヌが、余裕に満ちた笑みを浮かべる。
同時に、多数のモンスターが、凄まじい勢いで殺到してきた。
怒濤。迫り来るモンスターは、それ以外に言いようが無い。単体がそれぞれ強い上に、頭の中を殺気だけにしている。戦う他に、路は無い。
ホムンクルス達に任せるしか無いが、それにしても。
パラケルススが、剣を抜いて前に出る。
「路を作ります。 あのドラゴンを放置すると、ブレスが危険です。 可能な限り、短時間で仕留めてください」
数体のモンスターが、見る間に切り裂かれて、真っ二つになる。
ロロナは頷くと、荷車から取り出した発破を、ありったけ辺りに放り投げた。大爆発。連鎖する炎の花。クーデリアが、声を張り上げた。
「ファランクス! 突貫っ!」
ホムンクルス達が密集体型を造り、一斉に突撃を開始する。
全員で一丸となって敵をぶち破り、あのドラゴンが好き勝手に暴れる前に仕留める。
ふと気付くと、クーデリアがいない。
なるほど、そう言うことか。ならば、ロロナは、作戦通り動けば良い。
ドラゴンが翼を広げる。
その口の中に、殺戮の光が宿りはじめる。
ロロナが間髪入れず、砲撃。
ドラゴンがブレスを放つのと、同時。
中間地点で、二つの光がぶつかり合い、凄まじい熱と破壊音をまき散らしながら、収束していく。
力が、弾きあう。
爆発が、広場の色を、全てかき消した。
モンスターの群れを、無理矢理に突破しながら、ロロナは見る。
既に、ドラゴンの至近に、クーデリアが潜り込んでいた。尻尾が振るわれ、小さな戦士を叩き潰しに掛かる。だが、クーデリアの目的は、あくまでドラゴンの注意を引くこと。リオネラと、頷きあう。
左右のファランクスは、敵の突撃を確実に防いでくれている。しかし数が数だ。ロロナは何度も砲撃を加えながら、確実にドラゴンへの間合いを詰めていく。頭上では、ジオが訳が分からない次元の戦いを繰り広げていた。時々閃光が走るようにして、二人の超人がぶつかり合っている。
既に五十に達している筈のジオは、考えられないほどの戦闘経験を積み上げているはず。カトリアヌというあのスピアの錬金術師、互角に戦えると言う事は、余程能力を滅茶苦茶にあげている、という事なのだろう。どうやっているのだろうか。
クーデリアの放つ火焔弾が、ドラゴンの視界を塞ぐ。
面倒くさくなってきたらしく、ドラゴンが一気に息を吸い込んだ。
「りおちゃん!」
ロロナも、叫ぶと詠唱を開始。
あのドラゴン、やはり戦闘経験はあまり大きくない。連射しながら、クーデリアが下がる。そして、思い切り、モンスターの死体を踏んづけて転んだ。
其処へ、ドラゴンが。
己の防御力を誇るように、地面に全力でのブレスを叩き込んだ。
爆炎が、広間を蹂躙し尽くす。
膨大な火焔が、辺りを徹底的に破壊していった。
ロロナが顔を上げる。
リオネラが、冷や汗を掻いているのがわかった。
自動防御で、今の全力ブレスを耐え抜いた。
勿論、身につけているグナーデリングの身体強化があっての事だ。それに、今の一撃で。
広場に満ちていたモンスターの半数以上が、消し飛んでいた。
燃え上がった死体の山。
既に炭になっている死体も多い。炎に焦がされ、死にきれぬモンスターを見かねて、ロロナが火を付けたフラムを叩き込む。爆発の中、粉々に消し飛ぶ影を見て、ロロナは唇を噛んだ。
リオネラの消耗は大きい。
だが、これで一気に道は開けた。
クーデリアはと言うと、ドラゴンの頭上。わざと転んで、ブレスによる同士討ちを誘った彼女は、行きがけの駄賃にとドラゴンの頭を踏みつけ、至近距離から十発以上、スリープショットを叩き込む。
してやられた。
それにドラゴンが気付いたときには、もうロロナは至近。
そして、詠唱も終えていた。
真下から、顎を突き上げるようにして、大威力の砲撃。クーデリアが飛び退くのと、砲撃が直撃するのは、同時だった。
防御障壁を張る暇も無い。
ドラゴンの体が浮き上がる。
ロロナの体が、圧力に押されて沈み込む。モンスターの残党が殺到してくるが、ホムンクルス達がファランクスから防御円陣に切り替え、寄せ付けない。
爆発。
ドラゴンの絶叫が、とどろき渡った。
呼吸を整えながら、残心の構えをとろうとした瞬間。
ロロナを抱えて、クーデリアが飛び退く。ドラゴンの足が、今までロロナがいた場所を、踏みつぶしていた。
慌てて散開し、下がる。
無事、なのか。
今の直撃を受けて。煙を斬り破るようにして現れたドラゴンは、無傷とはいかないにしても、充分な継戦能力を残している。
更に、その目には怒りが宿り、ロロナをまっすぐ見つめていた。
「散開! 残敵を掃討!」
クーデリアが叫ぶ。
同時に、ドラゴンが吼え猛った。
予想以上のタフネスだ。唸り声を上げながら、突進してくる紅いドラゴンは、何度も弱威力のブレスを放ってくる。左右にステップして避けながら、クーデリアは相手に魔力を込めた弾丸を撃ち込みつつ、下がる。
先ほどの砲撃で無傷とはいかなかったとはいえ、決定打にもなっていない。
ロロナの魔力は、既にアーランド戦士の中でも最上位層に入るほどなのに。このドラゴンの戦闘力は、尋常では無い。
「手伝いましょうか?」
残存戦力の掃討をしていたパラケルススが、小耳にささやいてくる。
すぐにその場からかき消え、他のモンスターの相手をしている此奴の実力が凄まじいことは、クーデリアも聞いていたが。
これはもう何年かすると、エスティやステルクに並ぶのでは無いのか。
「ロロナの砲撃だけだと、埒があかないかも知れないわね」
ドラゴンが、ロロナにまた、ブレスを叩き付ける。
リオネラが自動防御を展開。淡い光の膜が、ブレスをはじき返す。
だが、ドラゴンが突貫し、その巨大な前足を降り下ろしていた。自動防御を強引に突破。ロロナがリオネラもろとも、もろに吹っ飛ばされる。
クーデリアが走りながら、ドラゴンの顔面に連射。しかし翼を広げて、射線を遮ってくる。
急激に学習している。
その時。
不意に、ドラゴンの頭が沈んだ。
死角から仕掛けたイクセルが、頭にフライパンで一撃を叩き込んだのだ。
更に、ロロナが幾つかの発破を投げつける。ドラゴンの顔面が凍り付く。頭をふるって氷をはじき飛ばすが、しかし。
その間に、ロロナは走って、ドラゴンとの距離を取り直す。
これで仕切り直し。
そう思った瞬間、事態が悪化。
ポータルが光る。
そして、また無数のモンスターが、場に姿を見せる。
考えて見れば、当然か。ジオ王が、頭上で戦っているあの化け物錬金術師は、本国からいくらでも兵を呼べるという事だ。
空に向けて、ドラゴンが叫ぶ。
彼奴をどうにかしないと、戦況を変えることは出来ない。そればかりか、じり貧になって行くばかりだろう。
背中にある、ブレイブマスクの感触を確認。
やるならば、勝負は一瞬。
ドラゴンに共通する弱点である、口の中を撃ち貫くしか無い。至近からのロロナの全力砲撃に耐え抜くほどのドラゴンであっても、口の中に致命打を叩き込まれれば、ひとたまりもない筈だ。
身を低くすると、加速。
一気にドラゴンとの間合いを詰める。
ドラゴンの冷たい目が、クーデリアを見た。
口に、光が集まっていくのがわかる。鎌首が振り回され。そして。
驚くべき事に。
ドラゴンは、頭上に向けて、そのブレスを撃ちはなったのだ。
そんな行動、見た事も聞いたことも無い。そして、直後。まるで流星雨のごとく、無数の灼熱の光線が、辺りを滅多打ちにし、更に爆裂していた。
もはや、増援など関係無いというのか。
クーデリアも、爆発に巻き込まれた。
凄まじい痛みに、全身が焼け付くようだ。ドラゴンはゆうゆうと、クーデリアに近づいてくる。モンスター共もあらかた巻き込まれたが。今の無茶なブレスで、ホムンクルス達の部隊も、壊滅同然の打撃を受けていた。皆身動きできないようで、地面に叩き付けられて、伸びている。
信じがたい戦闘力だ。
ドラゴンの横っ面が爆発する。
今のを辛くも逃れたイクセルだ。フライパンに魔力を込めて、打撃と同時に爆発させたのだろう。
だが、二撃目は無かった。
ドラゴンが前足を振るうと、小さな人形のように吹っ飛ばされたイクセルが、壁に叩き付けられたのだ。
そのまま動かなくなる。
ドラゴンが、ブレスを無造作に叩き込んだのは、ロロナ達へ。
リオネラが必死に自動防御を展開していたが、防げたとは思えない。呼吸を整えながら、立ち上がる。
やらせるものか。
もう一度、あの隕石ブレスを放たれたら終わりだ。
今動けるのは、クーデリアだけ。ドラゴンは、受けて立つと言わんばかりに、弱威力のブレスを、横薙ぎに放ってくる。跳躍。当然読んでいたようで、尻尾を振るってきた。
此処で、切り札を発動する。
尻尾が空を切る。
空中機動したクーデリアを見て、ドラゴンが目を細める。
雷鳴に言われて開発した技の一つだ。魔力を暴発させる事で、空砲を撃つ。それにより、空中機動を実現する。そう器用には動けないが、奇襲には充分。空中で弾丸を再装填し、ドラゴンの頭上へ。面倒くさそうに此方を見たドラゴンの口の中には、既に光が宿っていた。
目を閉じて、集中。
此処で、超加速射撃を。
ドラゴンが、不意に口を閉じる。
そして、にやりと笑ったように見えた。
まさか。
「そのまさかだ」
声が聞こえてきて。クーデリアは横殴りの一撃に、吹っ飛ばされていた。
「くーちゃん!」
壁に叩き付けられて、床に転がるクーデリア。ぴくりとも動かない。
リオネラは胸に手を当てて、必死に呼吸を整えているが、もういくらも自動防御を展開できないだろう。
あの声は、ドラゴンから聞こえてきていた。
まさか、あのドラゴンは。人間の言葉を理解するどころか、心まで読むのか。
それに、今のは。どうやった。
「尻尾を用いて、ソニックブームを起こした。 慣れれば簡単なことだ」
ドラゴンが、ゆうゆうと、ロロナの方に来る。
イクセルは動ける様子も無い。クーデリアも、倒れたままぴくりともしない。
ホムンクルス達も、壊滅状態。生きているかさえわからない。モンスターも全滅しているけれど。
増援がいつ来るかもわからないし、ジオだってあの錬金術師相手に、優勢だとは思えなかった。
もし、あのドラゴンを倒す方法が、あるとすれば。
全身を、床にたたきつけられた痛みが酷い。骨も、何本か折れているはずだ。
「ほう。 まだあらがうつもりか」
「貴方は何故戦うの? 意識があるのなら、何をされたかは、わかっているんでしょう?」
「勿論わかっている。 というよりも、あのような連中に従っているつもりなどない」
驚いた。
脳を改造されていないのか。
それとも、何か理由があるのか。
「だったら、戦う理由は」
「ある。 私は戦う事が好きだ。 少しは手応えがある相手が来ると聞いていたから、戯れに此処を守ってやっていた」
ぞくりと来た。
そんな考えは。余裕がある存在だから、抱けるものだ。
アーランド人は戦いを好むけれど、だからといって無意味な殺戮はしない。それは、戦士としての誇りを持っているからだ。
戦いそのものを楽しむためだけに。こんな事をするなんて。
怒りがわき上がってくる。
このドラゴンが、上にいる錬金術師に同意した理由が、よく分かった。同じくらい、性根が腐りきっている。
「上で戦っている奴は少しは手応えがありそうだが、お前はもういい。 消えろ。 そうすれば、見逃してやる」
「わたしは、貴方を見逃せない」
「ほう……?」
リオネラと頷きあう。
やるなら、連携で、一気に倒しきるしか無い。
それも、作戦を伝えている暇も、考えている余裕も無い。
戦士としての本能のまま、身を動かして、あのおごり高ぶった赤の暴君を仕留めきる。魔力はあまり残されていない。懐から、耐久糧食を取り出して、口に入れる。ほんのわずかな回復だけれど。
今は、それでも、心強かった。
「そうか、最後の火花を散らすか。 良いだろう、来てみよ! 受けて立ってやろう!」
「GO!」
それだけを叫ぶと、前に出た。
まず、リオネラが仕掛ける。
以前の戦いでも見せた、アラーニャとホロホロを融合させた、巨大なぬいぐるみを出現させ、真上からドラゴンへ落とした。立ち上がったドラゴンの背中に、アラーニャが組み付く。面倒くさそうに払いのけようとするドラゴンの顔面に、放ったのはレヘルン。爆発し、顔を凍り付かせた。
一瞬で氷が砕かれる。
だが、それでいい。
走る。前に出る。
ドラゴンが尻尾を振るい、アラーニャをはじき飛ばす。視線がそれたその瞬間、動くのはクーデリア。
ブレイブマスクの超回復を、ここぞと使ったのだ。
そして倒れたまま、超加速射撃。
ドラゴンの横っ面が、張り倒される。巨体が揺らぐ。
そして其処で、今まで姿を隠していたパラケルススが。ドラゴンの左足に、強烈な斬撃を叩き込んでいた。
更に、である。
飛来したフライパンが、傷口に突き刺さる。
投げたのは、血まみれのイクセルだ。英雄のメダルの蘇生効果で、どうにか息を吹き返したのか。
態勢を崩したドラゴン。
だが崩しながらも、ブレスを叩き込んでくる。
避ける手段など、ない。
ロロナが、ブレスに吹っ飛ばされる。
しかし、だ。
ドラゴンも、完全に横転し、腹を空に晒した。
横転したドラゴンは、気付いたはずだ。
そのおなかの上に、ロロナが降り立ったことに。
流石に驚愕したらしいドラゴンに、ロロナは杖を下に向けながら、言う。全力の魔力砲撃の準備は、既に整っていた。
神速自在帯を用いたのだ。
「どんなに硬くたって、内臓を押し潰されたら、終わりだよね!」
「……っ!」
みんな、動いてくれた。
考えなくても、ロロナが絶対の好機を作れるように、路を作ってくれた。
砲撃を、躊躇う理由など、一つも無い。
そのまま、全力で。
ロロナの魔力の全てを破壊力と圧力に変え。至近ではなく、零距離から、ドラゴンに叩き込んでいた。
空へと吹っ飛ばされるのがわかる。天井に激突。天井があったという事は、あの星空見たいのは何か別のだったのだろう。背中に鋭い痛み。何か、刺さったみたいだけれど。今は、気にしていられない。
叫びながら、砲撃の火力を、上げて行く。
ドラゴンが、悲鳴を上げながら、もがく。しかし、首筋を抜けざまにパラケルススが斬ったことで、悲鳴が断末魔に変わる。
倒れているホムンクルスを担いで、リオネラとパラケルススが退避するのが、見えた。
「いっけえええええええええええっ!」
ロロナの叫びと供に。
傲岸なる赤の暴君の腹と、内臓を押し潰す大爆発が、引き起こされていた。
意識を失う。
落ちていくのを感じる。
きっと、誰かが受け止めてくれる。
ロロナは、薄れる意識の中で、そう願っていた。
気がつくと、ジオがロロナを見下ろしていた。何度か咳き込む。凄く苦い。血の味と言うよりも、体液の味だろうか。
背中に刺さったとがった何かは、おなかにまで抜けていたそうだ。急所を貫いてはいなかったから、致命打にはならなかったけれど。
受け止めてくれたのは、クーデリアらしい。
手の傷は。思ったほど、酷くはないようだった。短時間で、雷鳴の所で、必死に改良した成果が出たのだろう。ただ。それでも、血だらけだったが。
青ざめた顔で、リオネラが回復術を掛けてくれている。
さっきまで、危ない状態だったのだと、リオネラは涙声で言う。しかし、どうしてだろう。
その割りには、何だか体の中が、それほど酷くはないような気がするのだ。
回復も、予想以上に早い。
「あの、人は……」
「形勢不利とみて逃亡した。 ポータルの中にな。 既にポータルは、アストリッドから提供された道具を使って封鎖。 転送の仕組みそのものを破壊した。 これで、スピアからモンスターが、アーランドに直接転送されることはない筈だ。 だが……」
ジオは、此処にいる邪神に、落とし前を付けなければならないと言う。
乾いた笑いが漏れた。
戦いは、後にして欲しい。
ドラゴンは。
見ると、腹を完全に押し潰され、舌を出して死んでいた。暴君の末路だ。あれだけ強かったのだから、誇りを持って、生き物の王らしく振る舞っていれば良かったのに。どうして、あのように性根が腐ってしまったのだろう。
ホムンクルスの部隊は、重傷者が多数は出たが、死者は出なかったらしい。ただ、手足を失った子が何名かいる。指を飛ばされた子達も。師匠がどうにか治癒させてくれると、信じたい。
とにかく、死者を出さずにこの困難な闘いを生き抜いた。それだけは、救いだった。
少し前にあるポータルを使って戻る。ポータルを出ると、其処はなんと、アーランドから一日以上南にある街道だった。近くの村へ、順番に負傷者を運んでいく。村の長は、いきなり多数の負傷者が現れて、驚いたようだった。
宿で、本格的に手当をしてもらう。
しかし、その時には、ロロナは歩けるところまで回復していた。眉をひそめたのはクーデリアである。彼女も、ブレイブマスクを使った割りには、疲弊が小さい。だがそれにしても、おなかに風穴が開いたロロナの回復速度は少しおかしい。何名か負傷が軽かったホムンクルス達が伝令となってアーランドに出向き、回復の専門部隊を連れてきた。荷車の物資を使い切るほどの苦戦だったけれど。どうにか生還できたのは、嬉しい限りだ。
そのまま、荷車に乗せられて、アーランドに搬送される。
奇しくも。
予定通りの七日で、ロロナは帰還することが出来た。
そして帰還したときには、立って歩くのは、何ら苦も無くなっていた。
4、見え始める路の先
湧水の杯を納品する。結局、大した改良は出来なかったけれど、それでも二割ほど用いる金属を減らすことには成功した。少し小さくなって、それでいながら出てくる水の量は同じなのだから、充分な改良と言って良いだろう。
耐久性については、幾つかの仕組みで補った。改修のためのマニュアルについても整備を終えている。
これに加えて今までの課題で納品したものについても、あらかた何かしらの改良が終えてある。
残りは四日しか無かったが、これはロロナが途中で、オルトガラクセンでの戦いで、負傷したからである。
結局もう歩けるというのに、クーデリアやリオネラに休むように言われて、四日も時間を無駄にした。
二人とも、ロロナをちょっと甘やかしすぎだと、自分で思う。
納品を受け付けてくれたのは、エスティだ。
どうやらモンスターの大量発生が一段落したらしく、王宮も多少は余裕があるようだ。だが、納品を終えて、ステルクの事を聞くと。エスティは、渋い顔をした。
「まだステルクくん、治療中なのよ」
「え……?」
「ちょっと色々事情があってね。 ただ、来月には復帰出来ると思うわよ」
そうか、それは良かった。
胸をなで下ろすと、お見舞いに行きたいと言う。しかし、それも拒否されてしまった。何でも国の機密にかかわる治療を行っているらしく、今のロロナでも、見せるわけにはいかないそうである。
落胆して、ロロナは帰路につく。
どうにか間に合った。
課題の改良を全て終えたし、これで大丈夫な筈だ。勿論、最近作った道具などに関しては、微細な改良しか施せなかった。しかしそれでも、全体的に改良を大幅に行う事が出来たのは事実なのだ。
満足のいく結果の筈。
これならば、課題は突破出来ると思う。出来なかったとしても、これ以上の成果はあげられなかったはずだ。
アトリエにつくと、クーデリアが来ていた。
リオネラと一緒に、ブレイブマスクと神速自在帯について、いろいろな識者にアドバイスをもらいに行っていた帰りだという。
幾つかのアイデアを聞く。なるほど、改良について、参考になりそうだ。お茶を出して、お菓子を棚から出していると。
後ろから、クーデリアが声を掛けてきた。
「少しね、嫌な予感がするのよ」
「え? でも、わたしは特に何も感じないよ」
「……そう。 体には気をつけて、ね。 くれぐれもよ」
向かい合って席について、お茶にする。
しばらくゆっくり過ごすが。新しく得た情報で、せっかくの道具を改良したくて、仕方が無かった。
だが、休みを入れるようにとクーデリアに言われているし、こればかりは我慢するほか無い。
茶を飲み干すと。
クーデリアは、不意に話を変えてきた。
「そろそろあたしも、あのクソ親父と決着を付けようと思ってる」
「えっ?」
「勝てるわ、今なら」
クーデリアの目に、深い妄執の炎が宿るのを、ロロナは見た。
頷くと、頑張ってと、それだけ告げた。
クーデリアがアトリエを出て行くと。入れ替わりに、イクセルが来る。
傷はまだ回復しきっていない様子であったけれど。既に料理人としては、復帰しているようだった。
持ってきてくれた料理は、肉を豊富に含んだ、スタミナ食だ。
「皿は後で持ってきてくれよな」
「うん! ありがとう」
「いいっていいって」
笑い会うと。イクセルは、不意に真面目な顔を作る。
これからやりたいことが、決まったのだとか。
「この間の戦いを見て、幾つか分かったことがある。 俺はやっぱり、料理人なんだって事だ」
「どういうこと?」
「戦士達と一緒に、前線で戦うって事は出来ないって事だよ。 何というか、やっぱり限界があるんだろうな。 ああ、精神面の話というか、大事なものの話だ」
この間の戦いで。
イクセルは、自分の手を痛めることを、躊躇してしまったのだという。
指を失ったり、手首から先を失ったホムンクルス達をみて、恐怖がわき上がって。身動きできず、ロロナが仕掛けるまで、死んだフリをしていたのだそうだ。
「俺にとって、一番大事なのは料理だって、その時ようやくわかったよ。 今まで何となく適正があるからって料理をしていたけど、今後は全力で料理に取り組んでいくつもりだ」
「そう、良かったね」
この幼なじみは、若い頃から、ノリと勢いで行動してきた。
戦士としての実力も、一応それなりにはあった。料理人としての適正は、それ以上にあった。
いい加減な性格だったから、良い意味で楽天的だった。
しかし、彼もそろそろ大人として認められる年だ。いつまでも、子供と言う事に甘えていることは、出来ない。
「勿論、今後も手伝えることは手伝うぜ。 だが、料理人として、今後は扱ってくれよな」
アーランドでは、料理人は戦場で重宝される。
だが、戦士としての比重を、料理人より下げる人間は珍しい。だが、それも生き方の一つだろうと、ロロナは思った。
イクセルが帰った後、作ってくれた料理を食べる。
とても美味しい。
味がなにやら、一皮むけたようだった。
綺麗に料理を食べ終わると、ロロナは羨ましいと思った。イクセルは、自分の路を、選ぶ事が出来るのだから。
嫉妬はしない。
ただ、もはや選ぶ路も無く。そして人間では無い事がはっきりしている事が。
ロロナには、悲しくも、時に思えるのだった。
それでも、どうにかしていきたい。
クーデリアの事を助けたいとも思う。
それに、誰かのことを救える仕事として、錬金術に誇りも感じ始めている。路を選ぶことは、もう出来ないかも知れないけれど。
せめて、ある路を、可能な限り頑張って進んでいこう。
路を確固たるものとして見いだした幼なじみの事を見て、ロロナはそう思わされていた。
(続)
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