血みどろの悪夢

 

序、戦場の異様

 

先行してスピアに向かったエスティから連絡があった。

状況がおかしいというのだ。

王の直衛についていたステルクは、不安を感じながらも、前衛とともに状況確認に出向く。

今回は、スピアは本気での迎撃を試みてくると思っていた。

しかしエスティが率いる前衛は、敵の国境線を容易く突破。被害も殆ど出していない。何かがおかしいのだ。

ステルクは精鋭とともに、エスティが抑えに向かった議事堂に向かう。

スピアの頭脳とも言える、議員達が集う場所だ。既に護衛の兵士達は、ホムンクルスとエスティが率いる先遣部隊に潰されており、辺りは静かだった。

中に入って思ったのは、血の臭いがあまりにも濃い、という事だ。

エスティが、血みどろのまま立っていた。

周囲には、倒したらしい敵のホムンクルス部隊。既に命はない。一瞥だけすると、ステルクは何がおかしいのか、先輩であるエスティに聞く。彼女は、無言のまま、顎をしゃくった。

会議場と呼ばれる空間だ。

議員達が集まって、様々な事を決める、スピアの意思決定機関。

其処は。

血と臓物の、展覧会場となっていた。

「先輩、生かしたまま議員達を拘束するという作戦だったはずです」

「知らないわよ。 私が来た時には、既にこうなっていたの!」

憤慨するエスティに、ステルクは辟易しながらも、すぐに話し合って方針を決める。

証拠は残さず、撤収。それ以外には無い。

協力を申し出ていた議員の死骸もあった。どうやら、議員達が集まって、重要な決定をしているときに、何かとんでも無い事が起きたらしい。

まっすぐ王の所に戻る。

他の施設に向かっていた部隊も、続々戻ってくる。これは情報の整理が大変なことになるだろうと、ステルクは思った。

「どこもかしこも、血の海です。 重要施設はあらかた壊滅。 スピアの幹部は、殆ど誰も生きていない様子です」

「外には警備兵がいたのに、何が起きている」

「わかりません。 このスピア首都は、既に麻痺状態。 民は何が起きているかわからずに、右往左往だけしている模様です」

「まさかとは思うが、クーデターか?」

エスティが、首を横に振る。

連れてきたのは、捕虜にした兵士達だ。彼らには魔術師が催眠を掛けたが、何も知らされていない。

普通に護衛をしていただけだ。

つまり、兵士達がいるその中で、殺戮が行われ。

スピアの首都機能は、完全に麻痺した、という事だ。

悪魔を率いているロードが来た。

青ざめている。

「我々の部隊も、君達と同じものを目撃した。 何が起きているのか、全くわからない」

「此処にいるのは危険だ。 偵察部隊は、周囲に可能な限り散れ。 とにかく異常を発見したら、即座に戻って知らせるように。 主力部隊は、国境まで後退。 何か、とんでも無い罠に巻き込まれている可能性がある」

エスティが頷くと、精鋭部隊を率いて、周囲に散っていった。

ロードが呻く。ステルクだって、このような事態は、予想できなかった。

「空間転移を利用した殺戮か?」

「可能性は考えられるが。 貴殿らも、少し前に空間転移の技術を実用化したと聞いているぞ」

「いや、それには正確な座標が必要だ。 このような的確な殺戮には用いる事が出来ない」

「確かにそうだ。 そうなると、スピアの内部で、何かが起きていると言うことになる」

歴戦のアーランド戦士達は、一糸乱れぬ動きを見せ、無事に国境の外にまで出た。

悪魔達も使い魔を可能な限り放って、状況の確認に努めている。スピアの軍も混乱しているようで、各地の軍基地に張り付かせた斥候は、内部が支離滅裂の有様だと報告してきていた。

夜明けまで、待つ。

日の出とほぼ同時に、エスティが、一度中間報告をまとめに戻ってきた。

スピアの中枢機能は、完全に消滅しているという。

インフラは無事で、民の生活自体は保証されているようなのだけれど。役所の類は大混乱で、まともに機能していないそうだ。

ロード級の悪魔が一体、慌てて戻ってくる。

「首都の一角で、我らの部隊が襲撃を受けています。 非常に強力な敵で、我が一族だけでは、歯が立ちません!」

「ステルク。 すぐに支援に向かえ」

「御意」

周囲を一瞥。

アストリッドはいない。奴はパラケルススを連れて、単独での行動をしていると聞いているが。

まさか、今更馬鹿な事をしないだろう。

ステルクは何名かの部下とともに、危急の支援を求めている地区に向かう。家々の屋根を伝って移動していくステルクを見て、時々スピアの王都に住まう民が、不思議そうな顔をしていた。

モンスターを見た事も無い。

戦ったことさえ無い。

そんな彼らは、ステルクがただの不思議な影にしか見えないのだろう。

弱き者達だ。彼らを剣にかけるなど、出来ればあってはならないと思う。しかし、今は戦場にいる。

部下の一人が、あっと声を上げた。

必死に逃れてくる数体の悪魔を見たからだ。

屋根の上で合流。

「戦況は」

「逃れられたのは、我らだけです。 敵は正体が全く分かりませんが、恐らくはドラゴンだと思われます」

「専用の装備は持っていかなかったのか」

「それが……」

悪魔の一体が、悔しそうにうつむく。

何もかもが、通用しなかったという。案内されるまま行ったのは、あまり大きなものとは思えない施設。

周囲に転々としているのは、見張りらしい兵士だ。スピアの歩哨。何も知らされずに、ただ守っていただけの者達。

当然、既に命は無い。死体を隠すように指示をすると、ステルクは施設の中を覗き込む。

強い血の臭い。

それに、これは、地下に大規模な何かがある。

感じるのだ。凄まじい力を。

それは単純な戦闘力では無い。何というか、禍々しい気配そのものだ。爆発物などではないだろう。

何か、とても良くないものが、この先にいる。

「すぐにエスティ先輩と王を呼んでくるように。 おそらく、此処に何か大規模な敵の拠点がある」

「罠ではありませんか」

「だから、私と先輩で、突破を計る」

あまりもたついていると、民が騒ぎ出す。

大勢が押しかけると、処理が面倒だ。

実のところ、スピアの首都に限っては、だが。民の評判そのものは悪くない。勝者だからというのもあるだろう。敗者は奴隷にされるのが、列強での当たり前の決め事。その一方で、勝者の民は、多くの利潤に恵まれる。

列強の理論。

彼らはそれにより、そこそこに豊かな生活を保障されている。

だから、ステルク達には逆らうだろう。

王がエスティと一緒に来るまで、半刻ほど。呼んでもいないアストリッドも、来ていた。アストリッドは、ステルクに何も言わず、ずかずか入っていく。困惑したように王を見ていたパラケルススだが。ジオが好きにするようにと言うと、アストリッドについていった。

「よろしいのですか」

「アーランドでも余につぐ力の持ち主が、あっさり倒されるようなこともあるまい。 だが、あまり好き勝手もさせられぬな」

「前衛は私が務めます。 ステルクくんはバックアップを」

「承知……」

エスティが先に入る。

王の周囲を、数体のホムンクルス達が固めた。

最後にステルクが入る。悪魔達も、少し躊躇った後、ついてくる。最悪の場合に備えて、空間転移の技を何時でも使えるようにと、話し合っているのが聞こえた。

案の定と言うべきか。

建物の下には、極めて広大な空間がある。

更に言えば、この壁床の材質には見覚えがあった。それも、嫌と言うほど、だ。

「オルトガラクセンと酷似しているな」

戦いの音が響きはじめる。先行していたアストリッドが接敵したのは、確実だった。

 

駆けつける。

アストリッドが、手を叩いて、埃を払っていた。その隣には、既に剣を抜いたエスティと、ジオ王もいた。

彼女の前にいるのは。

あれは、どういうことだ。見覚えがある存在だ。

スニーシュツルム。

アーランドにも姿を見せる、危険なドラゴンである。白銀の鱗を持ち、広い縄張りを飛び回る。

そして勝てそうな相手だけを襲撃し、そうでない敵からは姿を隠す、狡猾なる空の王者。

その背中には、五人の人間達。

間違いない。

あれは、スピアを支配しているという。錬金術師達だ。

ドラゴンは非常に知性が高い上に狡猾で、飼い慣らすことが出来るなどという話は聞いたことが無い。

そうなると、他のモンスター達と同じ。

脳を弄って、傀儡にしたのか。

「さすがはアーランド人戦士。 想像を超える実力じゃなあ」

「お褒めにあずかり光栄だが、貴様らも本気など出してはいまい」

「なんだ、ばれていたのか。 もっとも、戦うつもりなどは最初からないがな」

スニーシュツルムが、翼を広げて雄叫びを上げる。

五人の錬金術師は、年格好もばらばらに思えた。その中で、どうやらリーダー格らしいのが、若い女性である。

ただ、何だろう。

どうも見かけ通りの存在には思えないのだ。

彼らは例外なく強い魔力を身につけているのだが、妙な雰囲気がある。ひょっとして彼奴らは。

「惜しいな。 あれは体をホムンクルスと入れ替えている」

「何故わかる」

「アーランド人でも無いのに、私と素手で渡り合って見せたのだぞ? それくらいは誰でも想像がつくさ」

アストリッドがへらへらと笑う。

いずれにしても。

国家軍事力級の使い手が、此処に四人も集まっている。それに、悪魔達十体以上に、歴戦のアーランド戦士が同数。そしてホムンクルスの戦士達も。

如何にエンシェント級ドラゴンだろうが、ひとたまりも無い戦力だ。

だが、錬金術師達は、慌てる様子も無い。

「そろそろ失礼させてもらおうか。 もう、用事は済んだからなあ」

「用事、だと?」

「気がつかなかったのか。 全ては此奴らの思惑通りだった、ということだ」

いきなり、スニーシュツルムが消え失せる。

最初から、其処には何もいなかったかのように。

それだけではない。

激しい振動が、空間を襲いはじめていた。これは、この施設そのものが、崩れると見て良い。

逃げろ。

ステルクが叫ぶ。

皆、我先に入り口へと走り始める。

悪魔達が空間転移を使って、身近な数人ごと、入り口へ飛ぶ。ステルクは、自分は良いから他の者をと叫びながら、天井から落ちてきた材質不明の板を切り割った。

崩落が激しい。

ジオもエスティも、パラケルススも逃れたことを確認。

面倒くさそうに、アストリッドが片手で払う動作をする。冗談のように、頭上に迫っていた金属板が吹っ飛んで、壁にぶつかった。

悪魔が戻ってきて、また数人を連れて行く。

入り口が崩落していて、そうしないと逃げられないらしい。

舌打ちすると、ステルクはアストリッドへ叫ぶ。

「どういうことだ、説明しろ」

「錬金術師達にとって、この国はもう傀儡だ。 だから、権力者達も、いらなくなっていたんだよ」

「何だと」

「一種のクーデターだな。 我々は、罪を押し被せるためだけに此処に呼ばれた、とみていいだろう。 権力者の代わりは、ホムンクルスか何かで代用するつもりとみて良いだろうな」

何という下劣な連中か。

さっき奴らが使ったのは、恐らくはテレポートの一種とみた。

魔術に関しても一流の奴らだと見て良いだろう。

悪魔が来て、ステルクとアストリッドを空間転移で運ぶ。確かに、入り口は完全に潰れてしまっていた。

一応、突入部隊は、全員が無事だ。

だがこれでは。

「このままでは、非常にまずい事になります」

エスティが、王に青ざめた顔で説明している。

ステルクにもわかる。

この国の権力者達は、これで完全に錬金術師達の傀儡だ。今までとは違って、文字通りの意味で、である。

勿論混乱はあるだろう。

しかし、その後はどうなるか。

「あの錬金術師共がどこに行ったか突き止める方法は、何か無いか」

「あれは五人がかりで使った超長距離テレポートと見て良いだろう。 とてもではないが、居場所など特定できない」

「くそっ!」

ステルクが地面を蹴りつける。

アストリッドは、にやにやとその様子を見つめていた。

いずれにしても、もはや撤退しか無い。ひょっとすると、だが。この件は、此方が想像していた以上に、根が深いのかも知れない。

あの錬金術師達は何者だ。

ジオ王に、決断を迫るエスティ。

確かにこの場にいても、もはや益は無い。

「一つだけ、作業をしてから戻ろう」

「作業、とは」

「此処から東で、ホランドを攻撃しているモンスターの集団がある。 間違いなく、実戦投入されているスピアのモンスターによる兵団と見て良いだろう。 ホランドの軍勢ではなすすべがなく、多くの被害を出しているようだ」

「なるほど、潰してから戻る、という事ですね」

ロードも、口惜しそうに頷く。

せめて帰り際の駄賃という訳だ。これで進行速度を削れば、ホランドが体勢を立て直すことも出来る。

あの錬金術師達が如何に怪物じみていても、これだけ一気に国上層の権力者を消したのだ。

すぐに国を掌握し直すのは難しいだろう。

せめて、戦力のバランスを崩してから戻る。それが最適だ。

すぐに、部隊が動き出す。

作戦はもはや、元の目的どころでは無い。どうにか、スピアの進撃速度を削って、兵力を奪うこと意外には、何も残ってはいなかった。

 

1、帰還した騎士

 

ロロナの前にステルクが姿を見せたのは。

しばらくアーランドを後にすると告げてから、一週間と四日の後。つまり、予定よりも少し早かった。

しかし、騎士でありたいと願う男は、随分と憔悴しきっていた。

激しい戦いをしてきたのだろう。

それにこの表情。

勝ったとは、とても思えなかった。

「ステルクさん、ご無事で何よりです」

「うむ……」

「その、戦いは」

「勝ったには勝った。 スピア連邦の戦力を大きく削る事は出来た。 だが、首魁は取り逃がしてしまってな」

それは、悔しいだろう。

アトリエの中でくつろいで欲しかったので、パイを焼いたと告げてみる。しばらくぼんやりロロナを見ていたステルクだが。

促されるまま席に着いた。

ホムが茶を出す。

その間、ロロナは炉にパイを入れて温めた。時々ステルクの様子をうかがうのだけれども。元々無口で強面の騎士は、いつも以上に、貝のようになっていた。

正直、少し怖いけれど。

だが、そうも言ってはいられない。

「次の課題について、伝えておかなければならないな」

そう言ってステルクが出してきたのは、スクロールである。なるほど、王宮に一度寄って、持ってきたという訳か。

それでは、ひょっとして遠いスピアから弾丸コースで帰ってきて、しかもまだ休んでいないのかも知れない。

屈強なステルクでも、それでは疲れ切ってしまうだろう。

少し考えた後、ネクタルを少しパイに薄めて混ぜる。

これで少しは体も回復するはずだ。

ステルクは無言で茶とパイを口にして。そして、スクロールを広げて、見せてくれた。

「……これが、今回の課題だ」

「ええと、これは」

今までの提出課題の改良。

どれを改良するかは問わない。その代わり、全般的に性能を上げること。複数の課題の性能を上げるほど、評価をする。

そう書かれていた。

「ええと、今まで時々納品していた、改良型の発破や栄養剤みたいなものを、もっと納入しろ、ということですか?」

「そうなるな」

これは、思った以上に大変かも知れない。

ただし、ある意味好機でもある。

課題に取り組みはじめた頃と今では、ロロナの知識も技術も段違いに上がっている。最初の頃に納品した課題を改良すれば、大きな効果が見込める。

「わかりました。 すぐに課題に取りかかります。 でも、ステルクさんは、すぐに休んでください」

「そんなに疲れているように見えるか」

「はい。 今は、眠ってください」

「そうさせてもらおう」

覇気の無い様子で言うと、ステルクはアトリエを出て行った。

そして、ロロナにはわかっていた。

ホムは不思議そうに小首をかしげる。

「あの方は、それほど致命的に疲弊しているようには見えませんでしたが」

「ううん、体じゃ無くて、心の問題なんだよ」

「心、ですか」

「きっと、酷い仕事だったんだと思う。 ステルクさん、可哀想。 騎士の良い部分に誇りを持ってるから、きっと耐えられないんだね」

そもそもが、酷いダーティワークが確定の仕事だったのだ。それは、いろいろな情報からも明らかだった。

どれほど、ステルクは傷ついたのだろう。

ロロナは頭を振ると、作業に取りかかる。

今は、自分に出来る事をしなければならない。このまま、世界はどんどん悪くなっていくのかも知れないのだから、余計にだ。

まず、改良できそうなものをリストアップしていく。

作業を一通り終えた頃。クーデリアが来た。

この間の戦いで痛めた手は、もう完治しているようだ。彼女はロロナの様子を見ると、何かあったのと聞きながら、席に着く。

ロロナが出している資料にさっと目を通すと、聞いてくる。

「ひょっとして、課題の改良が課題?」

「うん、そうだよー」

「それならば、今までよりは楽そうね。 ノウハウがあるんだから」

そうクーデリアに言って貰えると嬉しい。

二人で手分けして、資料を整理していく。まず最初にロロナが目をつけたのは、鉱山用の発破。

それに、栄養剤。

更に耐久糧食だ。

これらは改良の余地がまだまだある。発破は以前とは爆薬の知識がまるで違っているし、栄養剤についても、時々悪魔とあった時に、色々話を聞かせて貰っている。

また耐久糧食も同じだ。

パイ作成の技術は、以前とは比べものにならない。ネクタルについても、更に純度が高いものを生成できる。

ただ、難しいものもある。

今でも定期的に納入している湧水の杯が典型だ。

これなどは、毎度頭を捻って改良を試みているのだけれど、どうしても上手く行かない。出てくる水は、どうしても美味しくないのだ。

水が出るだけありがたいという村々にとっては、贅沢は言えない。

だけれども。出来れば、美味しい水を出したいというのが人情だ。幸いにも、アーランド領内の小さな村々には、一応の必要数が出回ったという。これからは予備や不足の分、それに他の国々で困っている村に分ける量を作っていかなければならないだろう。

此方でやるとすれば、小型化。

それに軽量化か。

幻覚発生装置も作った。任意の幻覚を見られるようにする道具。作るのが、本当に大変だった。

アレに関しては、設計上の改良は必要ないだろう。

今でも時々言われて作っているけれど。

これ以上性能を上げなくても良い筈だ。そもそも来賓などを楽しませるつもりで作ったものなのである。あまりたくさん必要だとは思えない。もしやるとすれば、薬の量産化を簡単にするくらいだ。

順番に絞っていくと、幾つか改良できるものがリストアップできた。

全てを改良しきれれば、課題はクリアとみて良いだろう。クーデリアが一通りのものに目を通すと頷いた。

「これなら現実的に行けそうね」

「うん。 くーちゃんも手伝ってくれる?」

「任せておきなさい。 それより、も」

クーデリアが、咳払いする。

そして、周囲を見回した。ホムしかいない。だが、今のクーデリアなら、もっと広い範囲の気配を探れるはずだ。

しばしして、クーデリアは話し始める。

「一つ聞かせてくれる、ロロナ」

「うん。 なーに?」

「このばかげた三年間の課題をこなし終えて、あんたはどうするつもり?」

「王様がね、課題が終わったらポストを約束してくれるって言ったの。 それなら、今までより、状況を改善出来るかなって」

それに、ロロナは、人を救えるこの仕事が、好きになり始めている。

勿論錬金術は恐ろしい力をも生み出す。

かっての人類が、世界を滅ぼしたように。そして、スピア連邦の錬金術師達が、今同じように、世界に牙を剥いているように。

しかし、苦しんでいる人々を救える力を生み出せるのもまた、錬金術なのだ。

相応のポストにつけば、更に作業をやりやすくなる。

国政に対する発言権が加われば、もっともっと動きやすくなるだろう。

貧しい地域に植林して。悪魔達と協力して、緑化作業を進めていく。乾燥地域には優先して湧水の杯を配備していく。

各地の遺跡も、開発を進めていける。

かっての遺産を盗掘屋の好き勝手にさせず、しっかり管理して、世界のために役立てていく。

ポストを得れば、出来る事も増えるのだ。

勿論、煩わしいことも増えるだろう。しかし、クーデリアが側にいるのなら、きっとやり遂げることも出来る筈。

「なるほど、あんたも計算が出来るようになってきたのね」

「いつまでも子供じゃいられないよ」

「いずれにしても、しっかりしたビジョンがあるなら、あたしも協力しやすいわ。 ジオ王は恐ろしい所のある人だけれど、約束を破るような事はしない」

そう太鼓判を押してくれると、心強い。

後は、作業をしっかりこなしていくだけだった。

スピア連邦がとても怖いのは事実だ。きっと今後何十年も、いろいろな形で、戦いは続いていくのだろう。

しかし世界で何が起きたかわかった今。ロロナは引くわけにはいかないのだ。

スケジュールを立て直すと、順番に作業を始める。

まずは、必要な素材を補充するところからはじめるのが、一番良いだろう。ロロナはさっそく、素材採集のために、護衛をしてくれる人達に、声を掛けて廻ることにした。

 

ステルクが、素材採集に同行してくれたのは意外だった。

せっかく同行してくれたのだから、しっかり採集をしていきたい。そう思ったロロナは、まずネーベル湖畔から足を運ぶ。

悪魔達が作った湖底へのチューブは、今は封鎖されている。悪魔達ならまた封鎖を解けるのだけれど、今は行く必要も無い。

確かに珍しい素材も手に入れられるけれど。

彼処は、悪人達に触れるようにしていてはいけない場所なのだ。

昔は片端から採集していた素材も、今では善し悪しがかなりわかるようになってきている。

丁寧に見極めながら、素材を集めていき。夕刻には、充分な素材を集めきることが出来た。

戦闘は、発生しない。

いつもより更に険な雰囲気のステルクがしっかり周囲を見張っていたという事もあるけれど。

今はロロナもクーデリアも、以前とは比べものにならないほど力を付けている。モンスターの方が、此方を避けてくれていた。

そのまま東へ向かい、黒き大樹の森へ。

中に入ると、以前とは意味がわからないほどに地形が変わっていた。話には聞いていたけれど、本当に全くと言って良いほど地形が変わってしまうのだとわかって、驚かされる。

何しろ此処は、森が同じ木の中にあると言って良いほどの、不可思議な場所なのだ。無理もない事である。

珍しい素材が山ほど取れるけれど。

此処でも、敢えて良いものだけを選んで採る。今では、手当たり次第としなくても、充分に見極めがつくからだ。

散々調合した。

試行錯誤を繰り返してきた。

だから、ものを見る目もついてきた。

それだけのこと。

南下して、今度はカタコンベに向かう事を告げると、ステルクは咳払いした。

「随分彼方此方を廻るのだな」

「途中にある村で一泊します。 果樹園がある村ですから、幾つかの果実も購入していく予定です」

「うむ……以前とは比べものにならないほどしっかりしてきているようだな」

そう言ってくれると嬉しい。

ただ、ステルクの目には懸念があるのがわかった。ひょっとすると、スピアに関連する事かも知れない。

今の時点では、不自然な大規模戦力による襲撃は受けていない。

何度か、まだ若いモンスターによる襲撃はあった。小競り合い程度の規模で、いずれもそう撃退は難しくなかった。

ステルクもクーデリアも、それでも不自然すぎるくらいに、周囲を警戒している。何かあっても、おかしくないという事なのだろう。

予定通りに、南下を開始。

今の時点では、異変は起きていない。

だが。

泊まる予定の村が見え始めてきた頃に。ステルクとクーデリアの懸念は、現実のものとなった。

あまりにも自然にそれが姿を見せたので、ロロナも反応が一瞬遅れたほどである。

成体のベヒモス。

それも、かなり大柄だ。

この街道の近辺は森もまばらで、かといって大規模な荒野も無く、あまり多くのモンスターはいないはず。こんな大物が出てきたら、流石に周辺で騒ぎになる筈なのだけれど。

少なくとも、南にある村は、気付いていない様子だ。

姿を見せたのは、ベヒモスだけでは無い。

大柄なドナーンが、十頭以上いる。

しかもどれもが、ロロナ達に殺気を向けてきている。頭には、よく分からない機械が据え付けられているようだ。

「なりふりを構わなくなってきたな」

ステルクが、怒りを声に含めていた。

まず間違いなく、スピア連邦によるものだろう。

囲まれてしまうと、まずい。

南に見えている村に逃げ込んで、其処で防戦するしか無い。

荷車から取り出したのはメテオールである。これを閃光弾代わりに用いる。それで、村でも気付くだろう。

メテオールに点火して、放り投げる。

同時に、ベヒモスが凄まじい雄叫びを上げた。攻撃開始の合図であることは、間違いが無かった。

どっと、巨大なモンスターの群れが、躍りかかってくる。

先頭のドナーンの鼻面に、クーデリアが火焔弾を連射。炎に顔を包まれたドナーンが、悲鳴を上げながら態勢を崩す。

わずかに鈍る進撃速度の間を縫い。

一気に走る。

村の方でも、気付いたらしい。門を開いて、早く来るようにと戦士が叫んでいるのが見えた。

魔術師達が、連続して攻撃魔術を放っている。

ドナーンの群れが、連続して火球を放つ。火力の応酬が続く中、飛び出したのはベヒモスだ。

村から飛んでくる魔術をものともせず、豪腕をふるって、追いすがってきた。

ステルクが即応。

巨大な光の柱が、ベヒモスの身を包み込んだ。

それが雷だと気付くのと、轟音が爆裂するのは同時。思わず耳を塞いでしまう。今までそうだとは感じていたけれど。

やはりステルクは、相当に戦闘で手加減していたのだ。ロロナの成長を促すのが、目的だったのだろうか。

前のめりに倒れるベヒモス。

目もくれず、ひたすら走るようにステルクが叫ぶ。

村から飛来する魔術が、ドナーン達の足を鈍らせる。これなら、逃げ込めるか。

しかし、その考えが甘いことを、すぐに悟らされた。

真っ黒い雷が、至近に連続して着弾したのだ。

爆裂した地面が、石つぶてを飛ばしてくる。ロロナは必死に蛇行しながら逃げるけれど、それは当然、逃走速度を落とすことにつながる。

この雷は、何だろう。

勿論ステルクでは無い。見ると、上空に、何かいる。

悪魔、だろうか。

頭に何か機械を付けられている。

なんと言うことを。悪魔は、悲しい路を選んだ人々の事なのに。おそらくスピアの錬金術師は、それを知っているのに。

本当に、これが人間のすることなのか。

錬金術の闇。

間違った力の使い方。ロロナは、唇を噛む。こんな事は、絶対に許してはいけない。錬金術を扱う資格が無い人は、確かに存在する。それを、思い知らされる。どうしてこんな事をする人が、錬金術を扱ってしまっているのか。

力は、使い方によって救いの手にも破壊の魔にもなる。

そんな事は、ロロナにもわかっている位なのに。

ステルクが、悪魔に雷撃を叩き付けようとするけれど。

しかし、立ち上がったベヒモスが、うなりを上げて突進。豪腕の一撃を、ステルクが剣を振るって迎撃する。更に其処へ、ドナーンの群れが殺到。村からの援護射撃を受けながらも、ステルクは多対一で苦しい戦いを強いられている。

更に、だ。

上空から降りてきた悪魔だけでは無い。

いきなりその場に姿を現した悪魔が数体。いずれも、ロロナを狙っている。空間転移を利用して、遠くから飛んできたのだろう。

最初から、ステルクを引きはがすための駒として、ベヒモスとドナーン達を使ったのか。村からの援護射撃も、こうなると分散せざるを得ない。

「やるしかないわ」

クーデリアに、決断を促される。

わかっている。

もう、あの悪魔達は助からない。モンスター達も。

許せない。

完全に、スピアの錬金術師達は、越えてはいけない一線を踏み抜いた。神様がこの世にいなくて、罰を下さないのなら。

誰かが、対処しなければ、ならないだろう。

前の課題が終わってから、今回の課題が始まるまで、時間はあった。だから、今までにないほどに、準備はしている。

悪魔は四体。

クーデリアに二体任せるとして、瞬時に一体を葬れば、戦況は此方に傾く。

荷車から取り出したのは。大型のフラム。

怖れずに近寄ってくる、大柄な悪魔、

無造作に着火して、放り投げる。悪魔は爆発に巻き込まれても、平然としていた。

煙を斬り破って、悪魔が姿を見せる。

だが。

その時。

悪魔の首から上は、綺麗に消し飛んでいた。前のめりに倒れる悪魔。他の洗脳された悪魔達が、周囲を見回す。既にその場にロロナはいない。

ロロナが、実戦投入した、加速のための道具。神速自在帯。

幾つものアーランド石晶をちりばめ、膨大な魔力を蓄える事によって、加速の魔術を最大限にまで掛ける。

詠唱の加速。

移動の加速。

何度もは使えないが、今のように一瞬で詠唱を完了させて、大威力の砲撃を叩き込む事も可能なのだ。

ただし、負担も尋常では無い。

今の一瞬で、ロロナは全身の魔力を、吸い尽くされるような感覚を味わっていた。それだけではない。

加速を開始した瞬間、粘つくような空気の中、呼吸さえ困難になった。体中が重くて、相当に無理をしないと、動く事さえ出来なかった。

強烈な副次効果があることは、試験運用段階でわかっていたのだけれど。

実戦で試してみると、その負担が想像以上であることがわかって、ロロナは呼吸を整えながら、まだ改良しなければならないと思い知らされていた。

ともかく、加速した時間の中で高速詠唱して、術式発動。敵が煙幕で此方を見失っている内に、頭に叩き込んで。

なおかつ砲撃直後に移動開始。

敵の頭が消し飛ぶと同時に、後ろに回り込むことには成功していた。

敵は此方を見失っている。

そして、後ろに回り込んでいたロロナが、第二射を準備。神速自在帯を起動。

同じように時間加速を開始。

二回目の加速は、更に負担が大きかった。

一歩進むだけで、空気が鉛のように纏わり付いてくる。加速中の詠唱をしている際にも、口の中を切ったのか、鉄錆のような味がした。

これは時間の前借りだと、ロロナは思った。

本来動く時間を先取りしているから、摂理にも反している。だから、体への反発も、とんでもなく大きい。

それでも、今は。

勝たなくてはいけない。

この悪魔達は、もう助けられない。

一秒でも早く救ってあげなくては、可哀想だ。

こんな方法でしか救えないことが、非常に悔しい。

詠唱完了。

同時に、緩やかに動いていた時間が、一気に戻る。

砲撃が、悪魔を貫いていた。

胸に大穴を開けた悪魔が、血反吐を吐きながら倒れ込む。クーデリアも、この間見せた超加速連射を駆使して、一体を瞬時に屠り去っていた。

三体の悪魔が、戦闘不能になって転がっている。

ロロナの消耗も大きいが、敵の損失はそれ以上に大きい。

残るは、一体。

加速はもう出来ない。

試作品だから、二回の使用が限度か。煙を上げている神速自在帯を外すと、投げ捨てる。後で拾って、改良するのだけれど。今は、少しでも体を軽くしたい。

唸り声を上げながら、形勢逆転したロロナとクーデリアを、交互に見る悪魔。

ロロナは詠唱しながら、ゆっくり後ろに回り込む。

体の負担は大きいけれど。まだ一度や二度の砲撃なら可能だ。伊達に修羅場を何度も何度もくぐっていない。

クーデリアは、この間渡しておいた、回復を加速する魔術を込めた道具、ブレイブマスクを背中にくくりつけている。これならば、連続してあの超加速射撃を使えなくても、一撃で戦闘離脱という事態を避けられる。

これも、課題が終わってから、作り上げた道具の一つだ。

クーデリアの手を見る限り、既に射撃は可能な状態にまで回復していた。何度も瞬間回復は出来ないが、そんなものはここぞと言うときにだけ使えるだけでも、随分違うのである。

悪魔が雄叫びを上げる。

そして、飛び去った。

ベヒモス達も、それを合図にしてか、散り散りに逃げはじめる。ステルクが追撃の雷撃を浴びせたが、ドナーンが盾になって、ベヒモスを庇う。

結局、数体のドナーンは葬ったが。ベヒモスは取り逃がしたようだった。

どうにか、勝つことができたか。

魔力の消耗が激しい。

それに、あの襲撃、もしも此方をピンポイントで狙っているとすると。カタコンベに行くのは、諦めた方が良いかもしれない。

ステルクが来る。

少しだけ、彼は驚いていたようだった。

「三体の改造悪魔を、二人だけで屠ったのか」

「力も使い果たしましたけど」

苦笑いするロロナの肩を叩くと、ステルクはよくやったと褒めてくれた。

そのまま、村へ入る。

村では、厳重警戒を開始していた。まさかあのようなモンスターが多数周辺に現れるとは、驚きの事態と言う事なのだろう。すぐにアーランドに、伝令が出る。ステルクが状況を説明するべく、長老の所に向かう。

ロロナは拾ってきた神速自在帯を確認。

アーランド石晶はひび割れたりはしていないけれど。

蓄えていた魔力はすっからかん。

更に、エンチャントの呪文を書き込んでいるゼッテルは、焦げてしまっていた。

この辺りは、作り直さないと行けないだろう。

更に、体への負担も尋常では無い。

戦いが終わってから、一気にフィードバックが来た。

その場に倒れそうになるが、クーデリアが支えてくれた。

「もう少し、人数を誘った方が良かったわね」

「うん……」

宿へと移動。

小さな村だが、旅人用の寂れた宿はあった。中で休ませてもらう。足ががくがくだ。耐久糧食を食べて、横になる。

じっとしていると、痛みがじわじわと来た。

これは、安易に神速自在帯は使えない。改良と同時に、幾つかの点を見直さないといけないだろう。

破壊力はもの凄い。

ただし、使い所を間違えると、自爆しかねない、恐ろしい道具だと思った。

寝台に座ったクーデリアに聞いてみる。

「ブレイブマスクの調子はどう?」

「傷は一瞬で治るけれど、その分体力を前借りされる感じね。 一気に疲労が来たわ」

「大丈夫?」

「鍛え方が違うから平気よ。 ただ、改良はして欲しいわね」

クーデリアも、言い終えると、もぐもぐと耐久糧食を噛み始めた。

しばらく無言で、耐久糧食を口にする。部屋にステルクが入ってきたのは、クーデリアが疲労からか、うつらうつらとし始めた頃だった。

「大丈夫、ではなさそうだな」

「試作品を実戦投入したんですけれど、負担が大きくて」

「あの破壊力では無理もないだろうな。 あの改造悪魔は、さほどは強くない方ではあったが、それでも二体を瞬時に倒すとは」

「ステルクさんだって、あの数の敵を一人で相手にしていて、凄いですね」

もちろんこれはかまを掛けてみるための発言だが。

ステルクは、乗ってこなかった。

少し休んでいるようにと言い残すと、部屋を出て行く。クーデリアが限界らしく、横になると言った。

ロロナは、体中が痛くて、眠るどころでは無い。

クーデリアの隣で横になったまま、ぼんやりと天井を見つめた。

 

結局からだが動くようになってから、翌日はアトリエに直帰することとなった。カタコンベに寄る予定もあったのだけれど、切り上げである。ただ、それに関しては、ステルクに同意した。

まだ、体が痛い。

ステルクは殆ど戦いのダメージがないようだけれど。

あのように、分断する戦い方を、敵は平然と行ってくる。それだけ組織戦になれている、ということだ。

当然、ステルクはそれでも最善を尽くしてくれるだろうけれど。ロロナやクーデリアが、身を守れるかわからない。

である以上、可能な限り急いできりあげるのは、当然だ。

途中、此方に来るエスティとすれ違った。巡回の部隊を三つも引き連れている。戦いがあった辺りを調べて、敵の侵入経路を調査するのだろう。昨日、村から出て行った伝令が呼んできたのは間違いない。

通り過ぎる時に会釈。

相手も、にっこりほほえんで、歩いて行った。

エスティ自身がいる上に、三つも手練れの部隊がいるのだ。生半可な敵に遅れを取るはずも無い。何も心配はいらないだろう。

アトリエには、昼過ぎに到着。ステルクはちょっとだけ片付けを手伝ってくれたけれど、後はお茶も受けずに、すぐに帰って行った。疲れ切っているロロナを見て、むしろ気を遣ってくれたのかも知れない。

無言でコンテナへ素材を格納。その後はソファにクーデリアと一緒に並んで座って、ぼんやりとした。

疲れがそれだけ一気に出たのだ。

強力な道具だったけれど、副作用が凶悪すぎる。改良を進めながら、使い所を見極めるように、練習もしていかなければならない。

ただ、それだけ圧倒的に強力だったことも事実だ。

高名な魔術師達が使っていた道具も参考に、幾つかの試作品もまだ作っている。それらも実戦投入していきたいけれど、まだまだ改良が必須だ。

リオネラが来た。

二人ともぐったりしているので、驚いたようだった。

「ホムちゃん、二人はどうしたの?」

「試作品の道具を使ったところ、体力を使い果たしてしまったようです」

「それなら、甘いものを食べれば少しは良くなるかな。 ちょっと待っててね。 お茶を淹れるから」

エプロンを手慣れた動作で身につけると、リオネラが作業を始める。

初々しくて、何だか新妻のようだ。

あれだけ禍々しい過去と、それによって傷ついた心が痛々しかったのに。今のリオネラは、心の傷を克服しつつある。

お茶を淹れてくれたので、三人で少し談笑する事にする。

カタコンベには行けなかったけれど、素材そのものは相応に集まったのだ。ただ、改良作業を進めていくとなると、少し足りないかも知れない。

今度はステルクに加えてリオネラにも来てもらって、カタコンベと、出来ればシュテル高地に足を運んでおきたい。

改良計画については、その後だ。

幸い今回は、そこそこに時間が余りそうではある。

茶菓子に、甘いお菓子を、リオネラが出してくれる。

魔術の修行の傍らに、こういう「女の子らしいスキル」を磨いているのだという。師匠の一人が、魔術の修行だけでは駄目だと言って、教えてくれるのだとか。リオネラ自身も、覚えるのは吝かではないようで、スキルがぐんぐんあがっているのが、よく分かる。

「それで、どんな道具を使ったら、そんなに疲れたの?」

「うん、一つはこれ。 神速自在帯。 エンチャントで超加速するの。 これがしっかり使えるようになったら、わたしに対するガードが必要なくなるから、りおちゃんもアタッカーとして働けるかなって」

「なるほど……」

「それで此方がブレイブマスク。 ちょっとかっこわるいけど、体力を急激に回復するエンチャントが掛けてあるから、一度や二度負傷しても、すぐに立ち直れるの」

問題は、どちらも副作用が凄まじいことだが。

リオネラが、見せてと言ってきたので、渡す。

神速自在帯は、大仰な名前ではあるけれど、実質的にはただの帯と見かけが変わらない。ブレイブマスクは木製の仮面で、紅く塗ってある。これはかってアーランド人が蛮族と呼ばれるほど凶猛だった時代、一族の勇者が身につけていたという仮面を参考にした。見かけが微妙だけれど、調べて見ると、宝石を埋め込んで魔術の力を引き出すには、最適な形状だったのだ。

怪我が絶えないクーデリアには、丁度良い道具の筈である。

この強烈すぎる副作用を克服できれば。

他にも、幾つか作ってある。

いずれも、前回の課題終了後、余った時間を利用して、王宮の図書館で調べ上げて作ったものだ。

高位の魔術師や、国を代表する勇者達が身につけて使った国宝の数々。

宝石を量産できるようになった今、研究する事が出来るけれど。まだまだエンチャントについては、分からない事も多い。

実際問題、ロロナとクーデリアは、これほど消耗してしまっている。連戦になっていたら、どうなっていたことか。

「持っていって良い? お師匠様に、意見を聞いてみたいの」

「いいけれど、次の採取で出立するまでには返してね」

リオネラに、二つの道具と、後幾つかの試作品を渡しておく。

甘い物をおなかに入れたからか、少し気分が楽になった。

今なら、リオネラは信頼出来る。

かって不安定だった力は急激に安定してきているし、何より彼女はロロナの事を、本当に大事に思ってくれているのがわかる。ロロナにとっても、リオネラは大事な存在だ。

リオネラも交えて、これからどうするか、話す。

ざっとこれからのスケジュールを確認。三日後に、ステルクを誘って、シュテル高地に出る。

不安そうに、リオネラがそれを聞くと言う。

「大丈夫かな。 今、シュテル高地、危ないみたいなの」

「どういうこと?」

クーデリアも話を聞きたがる。

ロロナ達が、採取に出ている間に、何かあったのか。

リオネラは頷くと、教えてくれる。

どうやら、スニーシュツルムが、暴れているのだという。

それならば、騎士団の出番の筈なのだけれど。まだ騎士団は動いていない、という事か。

何かあるのかも知れない。

ひょっとしたら、ステルクが、ロロナ達を誘って、討伐の話を持ち込んでくるかも知れない。

今までも、手配されているモンスターの討伐に、ロロナは散々かり出されてきた。

今回はドラゴンという超大物だが、手配書モンスターである事に変わりは無い。或いは、あり得るかも知れない。

しかも、この間のステルクを見る限り、もう彼は本気で戦っている。

以前から気になっていたのだけれど。前はロロナの実力にあわせて、戦闘力にリミッターを掛けていた可能性が高い。

当然の話で、ステルクはこの国に何人もいない国家軍事力級の使い手だ。最初から本気で戦っていたら、多分ロロナが巻き込まれているよく分からないプロジェクトに支障をきたしていただろう。

逆に言うと、ステルクが本気で戦うほどに、状況が悪化しているとも言える。

今後は、本当に戦闘で気をつけないと、一瞬で首を持って行かれる可能性も高かった。

「りおちゃん、嫌な予感がするの。 お師匠様って人に、出来るだけ急いで、神速自在帯とブレイブマスク、見てもらってくれるかな」

「わかった。 すぐに行ってくる」

「あたしはあたしで、ちょっと調べ物をしておくわ」

クーデリアが席を立つ。

まだ疲れが溜まっているのでは無いかと心配したけれど。少なくとも、クーデリアはもう動くのに支障がないようだった。ただ倦怠感は抜けていないようだから、無理は禁物だろう。

二人とも行ってしまったので、ロロナはホムと二人きりになる。

まずは、コンテナに行って、発破や道具の在庫を確認。

ホムの作ってくれた中間素材を見て、調合できるものはしておく。

後は、ステルクがいつ来ても大丈夫なように、準備をしておいた方が良いだろう。もしもドラゴン狩りにかり出される場合は。

非常に厳しい戦いになる事が、容易に想像できる。

今後の事も考えて、準備はしすぎるということがなかった。

 

2、白銀の邪竜

 

山道に転々と散らばっているのは、襲撃を受けたキャラバンの荷物だろう。

酷い。

元々スニーシュツルムは、弱い者を率先して狙う、狡猾なドラゴンだったと、行商の人達に聞いてはいた。

しかし、これは。文字通りの無差別殺戮だ。

死んでいる人も二人や三人では無い。幸い、獣たちが荒らす前に、到着することが出来た。

此処はシュテル高地。

ロロナは、案の定来たステルクに連れられて、クーデリアとリオネラと一緒に、もはや魔境と化したここを訪れたのだけれど。

ステルクが急いで声を掛けに来る筈である。

元々此処はスニーシュツルムの縄張りで、危険を承知で行商の人達は売り物を採取しに来る。

だが、それもしばらくは中止だろう。

今回ステルクと、四つの巡回チームが此処に急行している。ステルクが指揮官という形で、ロロナ達はサポート要員だ。

ただ、気になる事がある。

ドラゴンと戦う時は、何種類かの武器が必須だ。

これは子供でも知っている事だ。ドラゴンなどの桁外れなモンスターと戦う場合は、特殊な戦術を用いて、敵の強みを潰しながら戦うのである。長い間、多くの犠牲を出しながら得た教訓を元に、練られた戦術である。

しかし、今回の討伐チームは、それを持ち込んでいないのだ。

何かあると、ロロナは思っているけれど。クーデリアにそれを聞いてみる暇も無くて、今はただ、状況の検分をするしかなかった。

「一チームは遺骸をキャンプスペースに搬送。 検分後、埋葬」

「わかりました」

機械的に応えたのは、ロロナよりも背が低い女の子である。

間違いなくホムンクルスだ。今回は四チームが来ているが、その中に七人ホムンクルスが混じっている。しかも一チームは、ホムンクルスのみで構成されている。

ステルクがホムンクルスのみのチームに遺体の検分を任せたのは、下手な情が入り込まないから、だろう。

ホムンクルスのチームが、荷車へ無造作に死体を詰め込んでいく。

その中には、食いちぎられたものや、半ば炭化しているものもあって、ロロナは悲しくなった。

危険覚悟できているのだから、仕方が無い。

しかし、度が過ぎた殺戮はおかしい。

しかも、見ると半分程度しか喰らっていない死体も多いのだ。殺戮そのものを目的としているとしか思えない。

ドラゴンは、狡猾であっても誇り高い獣の筈なのに。

「生存者だ!」

叫び声が聞こえた。

すぐにそちらに急行。

荷車の影に隠れていて、助かったらしい。しかも、知り合いだ。

「コオルくん!」

思わず声を上げてしまう。

そう、生き残ったのは、ロロナのアトリエに時々ものを売りに来る、行商人のコオルだった。

荷物の影で、潰れるようにして。コオルは意識を失っていた。

逆にそれで助かったらしい。

安堵の声が漏れる。

悲劇の中、一人でも命が助かったのは、本当に良かった。

 

毛布を被ったコオルは、しばらく何も喋らなかった。

余程に怖かったのだろうか。

話が聞けないようなら、尋問はホムンクルス達に任せると、ステルクが決める。流石にドライすぎるのでは無いのかとロロナは思ったけれど。

しかし、周囲の有様を考える限り、ステルクの判断は正しい。

此処は既に戦場だ。

油断すれば、即座に命を奪われる場所だ。

他の巡回チームは、周囲の探索に向かう。元々シュテル高地は、ベテランの戦士以上の実力者しか、入る事が許されない場所だ。行商人達は、護衛を付けるか、彼ら独自の抜け道を利用して、危険をかいくぐって商売品を手に入れる。

あまり良くない噂によると、この路を通って密輸の類をする事もあるという。

だから、此処で死ぬ事は自己責任ではあるのだけれど。

其処まで、ロロナは割り切ることが出来なかった。

故に、クーデリアとリオネラに周囲の警戒は頼んで、何度もコオルに話しかける。商売相手とは言え、何度も話をした仲だ。

コオルはしっかりもので、どちらが年上か分からない事もよくあった。

商売のコツなんかを話し始めると、延々と喋るので、本当に困ってしまった時だってあった。

それでいて、年相応に幼い表情も見せることがあるので、面白いと思わされもした。

行商人という難しい立場でも、たくましく生きている。それが、ロロナの知るコオルだった。

だから、何度も話しかける。

しばらくして、反応があった。

やっと、ロロナだと認識できたらしい。ぼんやりしているコオルの目に、少しずつ光が戻ってくる。

泣き出すかも知れない。

そう思ったけれど。コオルは、泣かなかった。

商売柄、怖い目にもあいなれているし、仲間の死もよく見るから、だろうか。

コオルが、話し始める。

「少し前に、シュテル高地で、宝石の鉱脈が露出したんだ。 アーランドでは、滅多に無いほどの規模の鉱脈だった」

もはやここに入ることは出来ないから、だろう。コオルは、一度話し始めると、後はぺらぺらと喋る。

言うまでも無く、宝石は今でも貴重品だ。

ロロナがアーランド石晶の作成技術を作り上げたとは言え、まだまだ大量生産、民間への普及にまでは到っていない。

それに対して、宝石の原石が、掘り出せるとなったら。

多数の人間が、求めるのは当然のこと。

行商をしている一族にとっては、文字通りのかき入れ時、だったのだろう。

「だが、変な噂もあった。 鉱脈の辺りで、スニーシュツルムに襲われる奴が、絶えないって」

「えっ……。 まさかとは思うけど」

「そのまさかじゃねーのかな。 あのクソドラゴン、宝石の鉱脈に人間が寄って来るって知ってて、釣りをしてやがったんだ」

それは。

ドラゴンが、人間をたくさん殺すために罠を仕掛けるなんて話、聞いたことも無い。

しかもこれは、人間の特性を理解していないと、張ることが出来ない罠だ。一体どういうことなのだろう。

「気をつけろ、あのドラゴン、仲間をろくに喰いもしなかった。 ただ殺すためだけに、火を吐いて、爪をふるって。 俺は、じっちゃんに庇われて、荷車の下に押し込まれて、助かった……んだな。 ハハ、一人になっちまった」

ようやく、涙を一筋流すコオル。

抱きしめて、背中をさする。ロロナは、頑張ったねと、小さな行商人に声を掛ける。

しばらく無言。

やがて、落ち着いたコオルを、巡回チームの一つに任せる。

後は、ドラゴン退治だ。

敵討ちなどという事をいうつもりは無い。この有様、やり口は卑劣の極み。でも、ここに来ている行商人達は、命の危険を覚悟した上で、商売品を集めているからだ。

しかし、ドラゴン、スニーシュツルムは倒さなければならない。明らかに、獣の域を逸脱してしまっている。人に対して明確な害を為す存在と化しているからだ。

それに。

ステルクを一瞬だけ見る。

何を知っているのだろう。何か、スニーシュツルムに対して、情報を持っているとしか思えない。

そうでなければ、ドラゴンに対する戦術を駆使するのでは無く。戦力にものを言わせて、潰そうとはしないはずだ。

わからない。

だが、ステルクは、きっと教えてくれる。

信頼は、疑惑を越える。

ロロナは頷くと、戦いの場へ赴くべく、心身を整え直した。

 

巡回部隊の一つが、スニーシュツルムを見つけた。

宝石の鉱脈があると、コオルが証言していた場所の近くだ。巡回班と探索を続けていたロロナも、ステルクと一緒に、急行する。

既にクーデリアとリオネラは、その近くで待機していた。

幾つかのチームが、周囲に別れて点在している。スニーシュツルムは、翼を畳んで、山陰に隠れるようにして、休んでいるようだった。

噂に聞いてはいたけれど。

美しい白銀の鱗を持つ竜だ。

ついこの間、失われた民の都で交戦した機械の竜も白い体をしていた。しかしスニーシュツルムは、白と言うよりも銀の要素が強い。

どうして、あのように美しく高貴な竜が、殺戮の権化となってしまったのだろう。

何だか嫌な予感がする。

巡回班三つが、周囲に展開。

ステルクは剣を抜くと、ロロナに声を掛けてきた。

「私と君、クーデリア君とリオネラくん。 この4名だけで、仕掛ける」

「えっ!?」

「他の戦士は、逃走を防ぐための防壁として活動してもらう。 それに……」

ステルクが、クーデリアとリオネラを手招き。

そして、声を落とした。

「此処だけの話だ。 他言無用に願う」

「はい。 やはりあのドラゴンには、何かあるんですね」

「流石に気付いたか」

「そりゃあそうよ。 ドラゴン専用の装備も持ってきていないし、何よりこの大げさすぎる人数だもの。 あたしは当然、ロロナだって気付くわよ」

肩をすくめるクーデリア。

当然のことだが、彼女も気付いていたようだ。

咳払いすると、ステルクは言う。

「少し前に、スピア連邦で私は、あのドラゴンと交戦した。 あのドラゴン、スニーシュツルムは、スピアに巣くう邪悪な錬金術師達の走狗と化していた」

「……っ!」

「そうだ。 奴らはついに、ドラゴンさえ自由にする力を得てしまったのだ。 もはや奴らを掣肘するものは存在しない。 見つけ次第殺さなければ、何をしでかすかわからないほどの危険な相手になり果ててしまっている」

その時は殆ど戦わなかったが、訳が分からない特殊能力を、山のように追加されている可能性が高いと、ステルクは言う。

それだけではない。

辺りをもう一度見回してから、ステルクは更に付け加えた。

「何故このタイミングで、スニーシュツルムが、よりによってこの山に現れたかが気になるのだ」

「確かに、スピア連邦に拉致されていたのでしたら、おかしいですね」

「とにかく、この戦いでは何が起きるかわからない。 私が最悪の場合、体を張ってでも君達を守るが。 自分の身は自分で守る工夫はして欲しい」

ステルクの話によると、また多くの凶悪なモンスターが彼方此方に現れていて、他の国家軍事力級戦士は、手が足りないのだという。

なるほど、ロロナ達がかり出されるわけだ。

腰に付けている神速自在帯。

短時間での改良は、やはり出来なかった。

リオネラの師匠の話によると、これに掛かっているエンチャントは、強力すぎるのだという。

ロロナが掛けた魔術が、強力すぎる魔力に依存しているというのが、原因だそうだ。ロロナの魔力は、リオネラほどでは無いにしても、相当に強いのだとか。そういえば、以前母に言われた。

もう魔力だけなら、母より上かも知れないと。

ただ、元の才覚によるものではないだろう。アストリッドに聞いたとおり、ロロナはクーデリア共々体を色々いじくられて、人間でさえないような状態になっている。魔力が強いというのは、不思議でも無いのだろう。

いずれにしても、今の時点では、自分へのフィードバックダメージを緩和する手段が無い。今後は改善をして行くにしても、今はこの、副作用が強烈すぎる道具を、切り札として活用するしか無いのだ。

リオネラにも、同じように試作品を渡している。

危険だと言ったのだけど。彼女はどうしても使いたいと言うのだ。

渡した試作品は、全身の身体能力を上げる指輪。グナーデリングという。

これもロロナが、英雄達が使っていた魔術の道具を参考に、作り上げたものである。宝石を複数あしらった指輪で、強力な身体強化のエンチャントを仕込んである。

ただこの指輪は、いわゆるアクティブスペル。

通常時から、肉体能力が強化される魔術が掛かっている。

勿論これは補助なので、本人の魔力はあまり関係が無い。元々リオネラは身体能力があまり高くなかったので、これは相性が良い道具の筈だ。

問題は副作用。

これに関しては、もうフィードバックが少なくなるように、祈るしか無い。リオネラは何があっても恨まないと言ってくれたけれど。ロロナの作った道具のせいで半身不随にでもなられたら、立ち直れない。

作戦を、ざっと決める。

ステルクが総力での雷撃を、まず叩き込む。

ロロナは相手の動きを止めることに専念。

地上に降ろしてから、総攻撃。

以上が、大まかな作戦だ。

細かい戦術については、幾つか打ち合わせをしておく。問題は、ドラゴンが斜面にいることだ。

隠れるに丁度良い上、此方からの接近が丸見えになる。

錬金術師に改造されているという話だけれど。しかし、それでも知能は落ちていないと、判断するべきだろう。

ステルクに、聞いてみる。

「全力での雷撃の射程範囲は」

「奴の視界の外から行ける。 問題は、それがどれだけの有効打になるか、だが」

荷車の中を見る。

翼さえへし折れば、ドラゴンの戦闘力は半減させることが出来る。問題は、奴がこの間戦った湖底の機械竜ほどの戦闘力を有していた場合。

今回は、ドラゴン戦と言う事もあって、持てるだけの道具は持ってきている。

勝てるとは、信じたいけれど。

最悪の事態には、備えておきたい。

打ち合わせを幾つかした後、動く。

相手は今までで最大級の相手だ。どれほど備えても、良いはず。

ステルクが、死角を上手に突きながら、ドラゴンとの距離を詰めていく。

交戦可能距離まで、あと少し。他のチームも、遠距離攻撃を準備して、ドラゴンの逃走に備えていた。

息を呑む。

どうしても、こういうときは緊張する。

ステルクほどの使い手だ。ドラゴンに、逆に隙を突かれても、簡単には倒されないはず。

しかし、それでも相手は最大級のモンスターだ。どうしても、平常心を保つのが難しい。

ついに、所定位置に、ステルクが到着。

攻撃開始の準備を待つ。

荷車に手を入れて、メテオールを取り出した。さて、ステルクの雷撃が、どれだけ通用するか、だけれど。

今、ドラゴンは斜面にいて、丸まっている。

ステルクはその死角、斜め後ろの岩の影。

ロロナ達は、ドラゴンが落ちてきたら、丁度攻撃範囲に入る所で、伏せている。リオネラはロロナの側に。クーデリアは遊撃と言う事もあって、ロロナから少し離れた所に。

緊張の一瞬。

それが、崩壊する。

いきなり、あらぬ角度から、閃光が瞬いたのである。

ステルクが隠れていた辺りが、爆音とともに吹き飛ばされる。

陽光を遮り、姿を見せるあり得ない影。

天高く雄叫びを上げるそれは。

間違いなく、スニーシュツルムだった。そして、今まで眠っていたスニーシュツルムも。遊びはこれまでだとばかりに、鎌首をもたげる。

ドラゴンが、二匹。

全身を、戦慄と絶望が、駆け抜けていた。

 

3、双竜の暴虐

 

凄まじい雄叫びが、山を蹂躙する。

ステルクが無事かどうか、全く見当がつかない。だが、クーデリアが声を張り上げたことで、ロロナは心を立て直す。

「一匹はあたし達で引き受けるわよ! 後詰めに信号弾! 手練れの巡回チームが三つあれば、ドラゴンくらいどうにかなるわ!」

「うん、わかった!」

こうなったら、総力戦だ。

取り出し掛けていたメテオールを、投げつける。翼を広げて飛び立とうとしていた、スニーシュツルムAが、機先を制した爆撃に叩き付けられて、怒りの雄叫びを上げる。空にいる方が、此方を見る。

しかし、今の信号弾で攻撃開始を知った後続部隊が、連続して長距離魔術を叩き付ける。空にいたBが、鬱陶しそうに、其方へと向き直った。

ドラゴンは縄張り意識が強い生き物で、幼体のときでも無ければ、同箇所に二匹もいるなんて事はまずあり得ない。

子供でも知っている事だから、成体のドラゴンが二匹もいて、しかも連携して動いているという異常事態に、頭がくらくらする。

ある筈も無い光景。だが、現実。受け入れなければ、まず戦う事さえ出来ない。

クーデリアが、仕掛けた。

火焔弾を乱射しながら、斜面を駆け上がり、スニーシュツルムに牽制。ロロナも詠唱。まだ神速自在帯を使うのは、早い。クーデリアの火焔弾が、ドラゴンの鱗に弾かれているのが見えるが、焦らない。クーデリアはまだまだ本気ではないし、ドラゴンが強い抗魔力を持っているのは承知の上。

既にもう一体とは、後続の部隊が交戦を開始している。とにかくロロナがするべきは、この一体を可能な限り早く仕留める事。だが、焦って神速自在帯を使ってしまったら、残っているもう一匹にずたずたにされてしまう。

また発破を投げる。

首を回して、クーデリアにブレスを叩き付けようとしていたドラゴンが。面倒くさそうに翼をふるって、発破の爆撃を受け止める。

リオネラが、後ろに回った。

巨大化したアラーニャが、ドラゴンに飛びつく。

唸り声を上げて、面倒くさそうに体を揺するドラゴン。白銀の体は、斜面にもかかわらず、しっかりその場に支え付けられていた。余程足の力が強いのだろう。岩しかない地面に体を縫い付けるようだ。

ドラゴンが、反撃を開始する。

いきなりブレスを吐く。走りながら射撃を続けていたクーデリアに向けて。あまりにもノーモーションだったので、対応しようが無かった。

しかもそのブレスは拡散型で、複数の光弾が、クーデリアのいた辺りを爆撃。煙が濛々とわき上がり、此方からはクーデリアの無事は確認できない。

あんな速度で、ブレスを展開できるのか。

押さえ込んできているアラーニャを、軽々と振り払う白銀竜。

吹っ飛ばされたアラーニャに、ブレスを更に叩き付けようとする。しかし今度は、リオネラの対応が早い。一瞬早くアラーニャが実体を失い、ブレスは虚空を抉るに留まる。ロロナが詠唱を完了。

足場が悪いけれど、やるしか無い。

踏ん張ると、その場で全力の砲撃をぶっ放す。

ドラゴンが、ロロナを見る。

その鼻面の先に。

虹色の防壁が、出現していた。

防壁と、砲撃が、真正面からぶつかり合う。

ロロナの態勢が崩れる。じわじわと押される。砲撃の反動で、体が宙に浮かされそうだ。それなのにドラゴンは、詠唱さえしないで造り出した防壁だけで、軽々とロロナの大威力術式を、防いで見せている。

力が、根本的に違う。

ついに、砲撃が弾かれる。

だが、煙を斬り破るようにして、クーデリアが戦闘の場に躍り出た。

同時に、今度はホロホロが具現化。真上から、ドラゴンに飛びついた。体重を掛けて押し潰しに掛かるホロホロに、流石に面倒くさそうにドラゴンが雄叫びを上げる。この雄叫びだけで、山崩れが起きそうだ。

ロロナは冷や汗を流しながら、次の詠唱に掛かる。

あのブレスの展開の速さ、危険だ。最悪の場合、神速自在帯を、いつでも使えるように準備しなければ。

クーデリアが、火焔弾をドラゴンの目に直撃させる。

はじめて白銀竜が、苦痛の声を上げた。

即座に反撃。

足を降り下ろす白銀竜。無造作な一撃だけれど、あまりにも正確。クーデリアの姿が、消える。

今は、クーデリアを信頼するしか無い。

走りながら、詠唱を続ける。ドラゴンから見て、上の位置を採る。

さっきの様子からして、砲撃を防いだという事は、当てさえすれば効く。そうでなければ、そもそも防壁を張らないはずだ。

この位置なら、もう一体のドラゴンを警戒しつつ、相手がブレスを吐こうとすれば、即応できる。

何度か体を揺すって、ホロホロを叩き落とそうとするドラゴン。だが、ホロホロは翼を主に押さえ込んで、必死にドラゴンが飛ぶのを防いでいる。後一手、何かあれば。時々発破を投げつけるロロナだけれど。ドラゴンは、そんなものは効かないと言わんばかりに、尻尾を振るったり、翼を振るったりして、中途で叩き落としてしまう。

湖底で戦った機械の竜に、勝るとも劣らない圧倒的な攻防の性能。

これが、生物界の頂点に立つ存在か。

いい加減面倒になってきたのか。

ドラゴンが、ホロホロに噛みつく。そのまま、体を食いちぎりに掛かる。

だが、これこそ、勝機だった。

アラーニャが出現して、ドラゴンの頭を押さえ込みに掛かったのだ。

更にクーデリアが姿を見せる。

ホロホロの影に隠れていた彼女が、ドラゴンの鼻面に、火焔弾を連射。

完全に無防備になるドラゴンの横っ腹。

其処へ、横殴りに叩き付けられた極太の雷撃。

悲鳴を上げた白銀竜が、態勢を崩す。

そして、斜面から、転げ落ちていった。

今だ。

ロロナは、先に仕掛けておいた、大威力の発破に向けて、フラムを投げる。普通に投げたのでは届かないから、紐を付けておいたのだ。これを振り回して、タイミングを合わせて放す。そうすることで、普通に投げるより、遙かに遠くまで飛ばすことが出来る。

ドラゴンが、斜面を転げ落ち、地面に体を直撃させる。

其処に、ロロナが埋めておいた、今回の切り札。テラフラムとでも呼ぶべき特大の発破に、フラムが着火。

耳を塞いで。

ロロナは叫びつつも、自分も耳を塞いでいた。

ドラゴンを中心に。

炎のドームが出来たのは、その次の瞬間だった。

ドームは空気を蹂躙しながらふくれあがり、更に瞬きの先に。空気に押し返されて、茸のような形を作った。

上空へ、巨大な茸の雲がわき上がる。

膨大な土砂が崩れ落ちていく。ロロナは、必死に体を支えるので精一杯だった。崩れ落ちる土砂に巻き込まれないようにするだけで、全力を使うほどだ。

クーデリアは。

リオネラは。

無事だ。ドラゴンがいた辺りの斜面に張り付いている。ただ、クーデリアはドラゴンを相手に、ずっと至近で渡り合っていたこともあり、少なからず傷ついているようだ。

そして、雷撃を放ったステルクも。

ステルクは、爆発に巻き込まれたのだろう。全身が酷く傷ついているようだった。だが、大岩の上に立っている彼は、飛びながら後方の部隊と戦っている方のドラゴンにも睨みを利かせている。不動の武神のようだ。

キノコ雲が、収まりはじめる。

巨大な円形状に、地面が抉り取られていた。その中心には、体の彼方此方の鱗を剥げさせながらも、まだ健在のドラゴンが。

しかしその翼は大きく傷ついていて、既に飛ぶにはあたわず。

戦力の半分を削り取るのに、成功したのだ。

目を真っ赤に充血させたドラゴンが、怒りの雄叫びを上げる。

ここからが、本番だ。

 

跳躍したステルクが。ドラゴンの近くに降り立つ。

クーデリアが、その横に並んだとき。心なしか、不敵に騎士は微笑んでいるように見えた。

なるほど、騎士らしい戦いが出来て、内心は嬉しくて仕方が無い訳か。

ステルクは、とても戦士の鏡とは言えない父親に育てられたと、クーデリアは聞いている。幼い頃は、孤児院にいたとも。

尊敬できない父。幼い頃の、誰にも認められない苦悩。

それが、騎士らしい騎士への強いあこがれを、この男の中で育てていったのだろう。

そして大人になってからは、実際の騎士がしなければならないダーティワークと。物語の中で輝かしい戦いを繰り広げる騎士のギャップに、苦しんできた。

だからこそ、今は嬉しくて仕方が無い、と言うわけだ。

「私が、奴の注意を引く。 君は全力での支援をしてくれ」

「了解、と」

あの禿げた鱗の部分になら、クーデリアの火焔弾も通るはずだ。

ドラゴンは、あのキノコ雲が出来るような爆発にも耐え抜いた。だから、火焔弾が多少通ったくらいで、どうにか出来るとは、クーデリアも思っていない。しかし、不思議と負ける気はしない。

隣にいるステルクが、傷だらけになっていても健在で。

国家軍事力級の名に恥じない使い手であることが、確認できたから、かも知れない。

ステルクが、残像を残して跳躍。

真上から、ドラゴンに斬りかかる。

中距離を保ったままのリオネラが、何か詠唱しているのが、此処からも見えた。遠距離にいるロロナは、おそらく特大威力の砲撃を準備中だ。あれを叩き込めば、おそらく勝てる。

ドラゴンが、下がりながら、ステルクの一撃を光のシールドで受け止めた。

どうしたのだろう。

先ほどまで、あれほど強気に足を止めての殴り合いに終始していたのに。ドラゴンはむしろ、一転して下がることを選びはじめている。

此処はシュテル高地。

ベテラン戦士でも入る事を躊躇する危険地帯だ。傷ついたドラゴンを逃がしてしまうと、追い切れないかも知れない。

走りながら、退路に回り込む。その過程で火焔弾を連射して、鱗が禿げた皮膚を狙っていく。ドラゴンは此方にも注意を怠っていない。わずかに体をずらすことで、傷口への直撃を、確実に避けてくる。

それでいながら、光の壁を上手に使い、ステルクの攻撃をしっかり捌いているのだから、凄まじい。

一体どれだけの戦闘経験値を積み上げているのか。

巨体が浮き上がる。

いや、違う。

上空から降り注いできたそれを避けるために、跳んだのだ。

地響き立てて着陸したのは、先ほどまでより二回りは大きくなったアラーニャ。殆ど反射的にドラゴンがブレスを叩き込むが、それを完全に防ぎきってみせる。見ると、アラーニャと、ホロホロの模様が混じり合っている。

自分の人格を混ぜ合わせて、強力なアバターを作った訳か。

着地したドラゴン。

ステルクが、真横から斬りかかる。

どうも妙だ。ステルクと、アラーニャを同時に相手にしながら、ドラゴンは何かを狙っているように見える。

もう一体は。

三隊の巡回班と激しい交戦の最中だ。此方に介入する余裕は無い。

まさか、とは思うが。

ぞくりと、背筋に悪寒が走る。今、このドラゴンとの交戦に、全員が夢中になっている。特にロロナは、長距離を保って、砲撃の準備を行っている最中だ。

この間、改造悪魔の群れに襲われたとき。

奴らは明らかに、ロロナとステルクを引き離す動きをしていた。

スピア連邦は、ひょっとして。

ロロナを狙いに掛かっているのではないのか。アーランドにとって、ロロナが重要なプロジェクトの中核で、育ちきっていない今こそ殺す好機だと、判断しているのではないのか。

冗談では無い。

そのために、ドラゴンを二体も繰り出してきているのなら。

「此処は任せるわ!」

「どうした、今は手が足りないのだが!」

「お願い!」

ステルクに言い捨てると、身を低くして、全力疾走の態勢に入る。ここぞとばかりに、ドラゴンが尻尾をふるって叩き付けてくるが、間一髪、避けることに成功。ステルクに近接戦を任せ、走る。

ロロナが、怪訝そうに、明後日の方向に走り出したクーデリアを見る。

気付いて欲しい。この状況の異常さを。しかし、あまり露骨な驚きを見せられても困る。おそらく、クーデリアの動きに気付いたら、その瞬間に敵は仕掛けてくると見て良い。

何処だ。

何処に伏せている。

必死に、周囲を探る。

或いは、伏せていないのか。そうなると、空間転移を用いて、遠くから一気にロロナを襲撃するつもりか。

それならば。

瞬間転移には距離の限界があると聞いている。この間ロロナが持ち帰った死者の書にも、そう書かれていたようだ。

もしも同じ技術を用いているとしたら。

雪山の中、必死に走る。今ロロナがいる位置を、ぎりぎり襲撃できる場所は。

見つけた。

山裾に、一つ洞窟がある。クーデリアが飛び込むと、其処には、とんでも無い存在がいた。

護衛らしい悪魔を連れた、紳士然とした、初老の男。

おそらくアーランド人では無いが。その体から感じる威圧感、並の使い手では無い。アーランド人のベテラン戦士以上の使い手だろう。

「ほう? どうやら頭が回る者がいたようですね」

「あんたは……っ!」

言葉に微妙ななまりがある。

間違いなく、アーランド人では無いとみて良いだろう。しかもこの実力。恐らくは、スピアのスパイの元締めか、それに近い存在とみた。相当な使い手だ。

もしもあのままドラゴンとの戦いに夢中になっていたら。遠距離からの砲撃に徹していたロロナは、ドラゴンを倒した瞬間、後ろから刺されていただろう。

「お初にお目に掛かる。 私の名はレオンハルト。 スピア連邦の主席諜報官をしております」

「聞いたことがあるわ。 スピアの闇を一手に引き受けている存在よね」

「貴方のような若き戦士にも名を知られているのは光栄です」

「嘘仰い」

唾棄しそうになった。

レオンハルトと言えば、クーデリアのようなはな垂れなんて、歯牙にも掛けない有名人だ。

此奴が潰した国は幾つか知れない。文字通り、スピアの伸張を支えてきた怪物。多分この大陸随一の諜報員だろう。

だが、気になる。

確かこの間のスピア首都襲撃の歳、ステルクらは見たという。

スピアの首脳陣が、根こそぎ錬金術師達の陰謀で消されているという、おぞましい光景を。まさか此奴、錬金術師達と結託して、クーデターに荷担したのか。

そうと考えるべきなのだろう。

でなければ、此処にいる意味が考えられない。

改造悪魔が、前に出ようとする。人間の倍ほどある、中型の悪魔だ。

だが、此奴自体は、大した相手では無い。いきなり機先を制して顔面に膝蹴りを叩き込んでやる。残像を残して動きながら、クーデリアはスリープショットを背中から連続して打ち込み、壁に叩き付ける。

改造悪魔が、無様に血を壁に塗りたくりながらずり落ちる。

弾丸をリボルバーに再装填しながら、クーデリアはレオンハルトから視線を外さない。

此奴はおそらく、空間転移の技を身につけている。ロロナを襲撃は、させない。

「ほう。 なかなかの腕前だ。 その若さで、良くも其処まで速さと技を磨き抜きましたね」

「お褒めにあずかり光栄よ」

「特に才覚は感じ取れない様子からして、余程良い師に恵まれ、壮絶な戦闘経験を積み重ねてきたのでしょう。 殺すのは、惜しいですが」

クーデリアは相手の狙いを見抜く。だから、それをひょいと避ける。

足下から、無数の触手が伸び、クーデリアの残像を抉っていた。

この分かり易い雑魚護衛からして、本命が潜んでいるのはわかっていた。からからと、レオンハルトが笑う。

此奴自身には、まだ仕掛けない。

どれほどの実力を秘めているかわからないし、何よりハイリスク過ぎる。

狙うは、空間転移の瞬間。

ロロナは、クーデリアの動きを見て、異変に気付いている筈。保険は掛けた。後は、レオンハルトが、どう動くか。

地面を割り砕いて姿を見せたのは、背中に触手を大量に生やした改造悪魔。これは、悪魔に他のモンスターを移植したのか。しかも大きさは、先に沈めた悪魔の倍はある。とてもではないが、油断できる相手では無い。

触手が広がって、レオンハルトとクーデリアの間を遮る。

まずい。

此奴は、片手間にどうにかできる存在では無い。洞窟を逃れて、ロロナの直衛に入るか。しかし、それも読まれていた。

洞窟の入り口からも、悪魔の気配。

この触手悪魔と、ほぼ同等の実力のようだ。

レオンハルトは、触手の向こう。

二体の強力な悪魔に挟まれて、クーデリアが動くタイミングを計っているのを、余裕綽々で見ていた。

此奴にしてみれば、クーデリアの実力など、手のひらの上、という事か。

腹立たしいが、経験の蓄積が違うのだろう。クーデリアも、格上のモンスターと死闘を繰り広げてきたし、戦士としては大ベテランの雷鳴やアルフレッドから指導を受けてきているが。それでも、数十年を戦いに費やした相手をどうこうできると思うほど、頭は温くない。

レオンハルトが見せているのは油断では無い。

余裕だ。

悪魔も、前後を挟んだまま動かない。

突破するなら、手はある。しかし、安易に使えば、おそらく詰む。今以上に、状況が悪化すると見て良い。レオンハルトは、詰みを維持したまま、動くつもりが無いようだ。恐らくは、戦況を何かしらの手段で、遠隔把握している。

「ねえ、疑問があるんだけど」

「何でしょう、若き戦士よ」

「あんた、スピア連邦に忠誠心とかないわけ?」

何を馬鹿なと、鼻で笑うレオンハルト。

会話を維持しているのは、レオンハルトが戦況を遠隔把握する兆しを掴むためだ。此奴の事情など、知ったことでは無い。

勿論、レオンハルトも、そのくらいのことは読んだ上で、話に乗って来ている。

「私は五十二年間スピア連邦……いや、その前身となった国家の時代から仕えてきましたが。 それに対して、国が何を報いたと思います?」

「影働き主体では、大した報酬は無かったでしょうね」

「良くわかっているではないですか。 だから、私は報酬が優れている方についただけのことですよ」

なるほど、分かり易い。

しかもこの男、身体能力から見て、改造を受けているとみて良いだろう。ホムンクルスか何かの技術を使っているとみた。

つまり、ロロナやクーデリアと同じだ。

人間を半ば止めている、という事である。

外で轟音。

今の音からして、おそらくステルクだ。大威力の雷撃を、あの忌々しいドラゴンに叩き込んだのだろう。

至近で戦っていたクーデリアは、ブレスにも巻き込まれ掛けたし、踏みつぶされそうにもなった。

どちらも間一髪で避けたが、余波で打撃も受けている。

ブレイブマスクの力は、使えて一回。

もう一つの切り札も、同じく一回。ブレイブマスク使用後にもう一回使えば、もう身動きは出来なくなる。

勿論、相手に切り札がある事も、考慮しなければならない。

全く動いていないのに。

駆け引きは、今もめまぐるしく動き続けていた。

「ふむ、お嬢さんと話すのは楽しいが、そろそろ時間のようですね」

鼻で笑い合う。

嘘が見え見えだ。もしもそうだったら、この男はとっくに空間転移していることだろう。クーデリアの心理を揺さぶるための嘘。クーデリアも、それを嘘だと見抜いて、平然としている。

微弱な可能性についても、気にしていない。

傷ついたあのドラゴンなら、ロロナ達が負ける可能性はない。

此奴を此処に固定しているだけでも、意味がある。

「ロロナを殺させはしないわよ。 あたしがいる限りね」

「覚えておき……」

クーデリアが動いたのは、レオンハルトが異変を見せたからだ。

その身に纏う魔力が、明らかに揺らいだのだ。死者の書をロロナと解析している時に、見た揺らぎと同質のものだった。

会話をするフリをしていたのも、心理的な油断を誘うため。

見抜いたクーデリアは、まず手前の悪魔に、数発のスリープショットを叩き込む。いきなり動いたクーデリアに、改造悪魔は触手を壁にして対応。しかし、それは予想済みだ。

まっすぐ、真正面に突っ込む。

悪魔が、腕を振り下ろしてくる。

紙一重の間を抜けて、前に。

無理矢理の突破。擦った拳が、肩の辺りを切り裂く。

だが、悪魔を抜ける。

触手によって掴まれることは意図しない。今は、レオンハルトを打ち抜くことだけを、考える。

レオンハルトが、転移の術式の光に、半ば包まれている。

其処へ、クーデリアは、全力でタックルを浴びせた。

空間転移の術式が、触ったものを丸ごと転送するのは実証済みだ。

世界が、暗転する。

そして、光が満ちた。

叩き付けられたのは、地面にだ。

すぐ側に、ロロナ。詠唱を終えて、今まさに、大威力術式を、ドラゴンに向け放とうとしている所のようだ。

更に、レオンハルト。

無言のままナイフを引き抜いている。仕込み杖の一種か。

間に割って入る。

そして、躊躇無く、切り札を発動した。

数十発の弾丸を、瞬時に叩き込む。前回よりも、更に苛烈。このレオンハルトという男が、それだけの相手だとわかっているからだ。

驚くべき事に。

レオンハルトは、その嵐が如き連撃を、一瞬にして全て切り返してみせる。

にやりと、初老の男が笑うのがわかった。

ロロナが、気にせず、全力での砲撃を撃ち込む。クーデリアを、全面的に信頼してくれたのだ。

絶対に裏切れない信頼だ。

ステルクが足止めし、更にシールドを自分に向けて展開もさせていた。完璧なタイミング。更に、此方を見ようとしたドラゴンを、アラーニャが押さえ込む。

ドラゴンの、傷だらけの脇腹に、ロロナの砲撃が直撃。

閃光が、此方に届く。

クーデリアの手から、血がしぶく。やはり、負担が大きすぎる技だ。クロスノヴァとでも名付けようと思っているけれど。早くこのフィードバックダメージを解決しないと、使い物にならない。

手が酷く痛む。感覚が、一瞬で消し飛ぶ。だが、痛みなどどうでもいい。ロロナを守る事が、クーデリアの全てだ。

第二の切り札を用いる。

ブレイブマスクの、超回復力を発動。

体力を犠牲にしながら、一気に手を治す。

今の連撃をことごとくはじき返したレオンハルトが、流石に目を見張る。

まず、一発。

スリープショットを込めた弾丸を、放つ。

はじき返すレオンハルト。

だが、その時動いたクーデリアが、レオンハルトの顔面に蹴りを叩き込む事に、成功していた。

鼻が折れる感触。吹っ飛ぶ暗殺者。

やはりこれほどの連撃、至近から切り返して、無事で済む筈も無かったか。

上に躍り出たクーデリアは、容赦なく倒れ込んだレオンハルトに、連射連射連射。跳ね起きようとするレオンハルトの機先を制して、更に弾丸を叩き込み続ける。クロスノヴァは、まだだ。

此奴は何か、まだ切り札を隠している可能性が高い。それよりも、押し切れるなら、此処で。

弾丸が尽きる。

瞬時に空中で、次を装填。

切り札ともなりうる、シルヴァタイトの弾丸。跳び離れようとするレオンハルトに、容赦なくぶち込む。

剣で斬り弾こうとして、レオンハルトが失敗。

弾丸の破片が、首筋をかすめた。血が噴き出す。

勝機。

そのまま、全体重を掛けて、腹にストンピングを浴びせる。

「ぐあっ!」

悲鳴を上げたレオンハルトの顔面に、銃弾を乱射。右手を挙げて、弾丸を肉で無理矢理防ぎながら、体を捻ってクーデリアをはじき飛ばすレオンハルト。着地。爆発音。ロロナが放った砲撃が、ついに白銀竜を撃滅したのだ。

気配が消えていく。

白銀竜を打ち倒したことを悟る。だから、そちらはみない。

立ち上がったレオンハルトは、左手で剣を構える。息を整えながら、クーデリアは、弾を再装填。

一瞬も、どちらも止まらない。粘つくように流れる時間の中、駆け引きは過酷に繰り返される。

だが、クーデリアにはわかっていた。

次が、勝敗を分ける。

跳躍。

互いに加速して、間合いを詰める。弾丸を乱射。切り返してくるレオンハルト。

衝撃波が跳んできて、クーデリアの体を切り裂く。

この辺りの技は、此奴の方が遙かに上だ。だが、今は問答無用の肉弾戦。このまま、押し切る。

間合いをゼロにしたクーデリアが、低い態勢から蹴りを叩き込む。避けながら、剣を振り上げてくるレオンハルト。

ふくらはぎから入った剣が、膝の下で抜ける。骨に擦って、肉をかなり切られた。

だが、剣が上がった。

その隙に、数発の弾丸を撃ち込む。

レオンハルトの腹に一発が潜り込む。わずかに鈍る動き。

血が、忘れていたように、しぶく。

離れようとするレオンハルトを追う。一瞬でも休ませたら、ロロナに対して何か致命的な攻撃を浴びせて来かねない。絶対にやらせない。

斬られた足で踏み込む。痛いが、どうでもいい。

そのまま前に躍り出ると、降り下ろされたレオンハルトの剣を銃で止めながら、砲弾のような頭突きを叩き込んでいた。

肋骨を数本、へし折った。

もつれ合うようにして、斜面に飛び込む。

ロロナから、かなり距離を取ることに成功。そのまま、マウントをとると、レオンハルトの体に銃口を押しつけて、何度も引き金を引く。

ずぶりと、嫌な音。

脇腹に、剣を刺されていた。

にやりと、レオンハルトが笑うのがわかった。クーデリアは表情を変えない。そのまま、何度も何度も何度も、弾丸を至近から叩き込み続けた。

刃が食い込んでくる。

弾丸を再装填。更に発射。密着状態で、防げる筈も無い。容赦なく至近距離から食い込んだ弾丸が、レオンハルトの体を内側から破壊していく。互いをつぶし合うチキンレース。だが、実力に劣るクーデリアからすれば、望む状況。格上を相手にしているのだ。これくらいでないと、勝ち目なんて無い。

「くーちゃん!」

泣き顔のロロナが、腕を止める。

気付くと、レオンハルトは死んでいた。

脇腹に刺さった剣を、無理矢理引き抜く。かなり深く刺さっていた。筋肉で止めていたけれど、下手をすれば真っ二つにされていたかも知れない。

若さが、勝ちを拾ったのか。

いや。何か、違和感が、頭の中を巡っている。

「おかしい……」

「今、手当てするから!」

ロロナが、そう言って、横になるように言う。

彼方此方切り裂かれて、血だらけになっていた。剣には毒を塗られていたようだけれど、すぐにロロナが毒消しを口に含ませてくる。

耐久糧食を無理矢理口に突っ込まれたので、閉口したけれど。

今更になって気付く。

全身が、ズタズタになっていた。

ブレイブマスクのフィードバックも来る。一気に疲弊が全身を駆け巡り、呼吸が困難になるほどだ。

血を吐いたので、ロロナが小さな悲鳴を上げた。

「もう、わたしが神速自在帯使えば、どうにでもなったのに!」

「……ごめん、そうだった、わね」

「りおちゃんがすぐ来るからね! 頑張って!」

だが、やはりおかしい。

レオンハルトは、闇に生きているとは言え、歴戦の勇者の筈。この程度の。クーデリア如きが決死の戦いを挑んで、切り札を総動員したくらいで、倒せる相手だったのか。

ちらりと、崖の下を見る。

腹に大穴を開けたドラゴンが死んでいた。

三つの巡回チームも、ついにドラゴンを空から叩き落として、肉弾戦を始めている。ステルクもそれに加わっている。あちらも、間もなく決着がつくだろう。ベテラン戦士とホムンクルスで構成された巡回班の戦闘力は、それだけ高いという事だ。

リオネラが来た。

クーデリアを見ると口を押さえて、すぐに回復術を使い始める。リオネラ自身も酷く傷ついていたが、これはドラゴンを押さえ込むため、無理をしたからだろう。

「命に、別状は、ないわ。 だから泣かないで」

「……っ! 馬鹿っ! くーちゃんがまたどうにかなったら、わたし生きていけないよっ!」

ロロナがわんわん泣くので、流石にクーデリアも軽口を叩けなかった。

仕方が無い。

ステルクが来たら、頼むしか無い。

好きでは無い相手だけれど、今は手段を選んでいられない。やはりおかしいのだ。あの程度で、アーランドの諜報部隊と渡り合い続けたレオンハルトが、どうにかなるとはとても思えない。

彼奴は、ひょっとして。

影武者か、或いはホムンクルスか何かだったのではあるまいか。

 

結果として、クーデリアの懸念は当たった。

しかも、最悪の形で。

 

4、負傷者二人

 

二体のドラゴンを辛くも仕留める事に成功したのは、ロロナの位置からも見えた。二体目の白銀竜は地面に引きずり下ろされたところを、ステルクを一とする猛者達に集中攻撃され、程なく倒れた。

だが、予断は許さない。

クーデリアはまだ時々血を吐く状態で、リオネラの回復術を、ずっとかけ続けていないと、危なかった。

本人は命の別状が無いと言っているけれど。

自分のせいかもしれない。

ロロナは、悔しくて涙が止まらない。もっと改良を施せておけば、フィードバックダメージを緩和できたかも知れないのに。凄まじい高速で展開されていた戦闘だったけれど、ロロナも状況は把握していたのだ。

もう一発クーデリアがあの超高速連続射撃を決めていたらその時点で勝負はついていた。クーデリアは敵の切り札を警戒して切り札を抑えざるを得なかったのだ。

ステルクが来た。

クーデリアの様子を見て、すぐに担架を手配する。クーデリアが、淡い回復魔術の光に包まれたまま、ステルクを呼ぶ。珍しい。

何か、耳打ちしているようだ。

ステルクが、頷いて。立ち上がりかけた、その時だった。

まるで。

闇からしみ出すような殺気が。ロロナの背後に生じる。

誰もの注意が、ロロナから外れたその一瞬を。それは狙っていたに間違いなかった。

「危ないっ!」

突き飛ばされる。

飛び出してきたのは、ステルク。

そして、ロロナは見る。

ステルクが、自分の代わりに。闇からしみ出すようにして姿を見せた、初老の紳士が繰り出した剣によって、貫かれている有様を。

「ふむ、さすがは国家軍事力級の使い手。 今の攻撃を、身を挺したとは言え庇いきるとは」

「貴様が、レオンハルト、か」

「いかにも。 先ほど倒されたのは、私の経験の一部を移植したホムンクルスに過ぎません。 まあ、本当はあれで充分だと思っていたのですが、其処の若き戦士に撃退されてしまいましたからね。 私が出ざるを得なくなった訳です」

慇懃な老人は、剣を引き抜く。

レオンハルトという老人は、周囲を歴戦の猛者達に囲まれても慌てない。ステルクが、地面に膝を突く。完全に、急所である肝臓を貫かれていた。

どんな攻撃を浴びても、不死身のように戦っていた騎士が。

今、脂汗を掻いて、片膝を突いているのを、ロロナは見てしまった。

声も出ない。

レオンハルトの声は冷たい。感情など、一切存在しないかのような声。

人生を暗殺と諜報に捧げた、最強の怪物は。蕩々と喋る。

「其処の錬金術師を殺せなかったのは残念ですが、国家軍事力級の使い手を一人行動不能にし、未来のアーランドの柱石の技を見ることも出来たのだからよしとしましょう。 それでは、これにて」

誰も、何も出来なかった。

老人は闇に溶けるようにして、消えたからだ。

これは、空間転移の術式。それも、ロロナが最近見た、死者の書に記されていたのとは違う。

きっと個人が練り上げた、固有技術としてのそれだ。

「すぐに担架を! 回復術!」

巡回班のリーダーの一人が、声を張り上げる。

呆然としているロロナは。思考が完全に麻痺して、何もすることが出来なかった。

 

気がつくと、シュテル高地から下山していた。

キャンプスペースの一角で、ロロナは膝を抱えていた。リオネラが、隣で横になっている。額には、濡れた布がかぶせられていた。

わかっている。

おそらく、倒れるまで回復術を使ったのだ。

アーランド人の頑強さから言っても、ステルクは多分死なない。肝臓を抜かれたようだったけれど、処置も早かったはずだ。歴戦の使い手達が側にいたし、その中には回復術を得意とする魔術師もいた。

何より、ロロナが持ち込んだ耐久糧食もあった。

最悪の事態に備えて、かなり濃いネクタルも持ち込んでいたのだ。

だが、ロロナを守るために。

クーデリアは瀕死にまで身を追い込み。ステルクもまた、身を挺して刺されてしまった。

ショックから、頭が立ち直ってくれない。

強くなったと思っていたのに。

現実に立ち向かおうと思っていたのに。

こんな事で、本当に今後やっていけるのか。

不意に、頭に何かの感触。

顔を上げると。アストリッドが、そこにいた。水の入ったカップを、ロロナの頭に乗せていたのだ。

「飲め。 まずはそれからだ」

無言のまま、渡された水を飲み干す。異常に冷たかった。何か、錬金術を用いたのかも知れない。

冷たい水だから、一気に頭が冷えてきた。

そのまま、手を引っ張られて、立ち上がる。クーデリアとステルクは、どうなっているのだろう。

今更ながらに、恐怖が足下からせり上がってくる。

「随分強くなったと思ったのに。 まだまだ、こんな程度でがたつくのか。 また、調整するべきかな」

「いや……」

「ほう。 まあいい。 二人は、此処だ」

見ると、天幕が作られている。

そして、ロロナのよく知っている人が、そこにいた。

母である。

以前少しだけ顔を合わせた、母の部下もいた。確か名前はアンダルシアか。催眠を得意としている魔術師だ。確か前線戦闘の心得もあるとかで、生傷も絶えなかったはずだ。

天幕の中に、案内される。

ステルクは眠ったようだった。良かった。生きている。腹の傷はかなり酷かったようで、強力な回復魔術が、今も展開されている。

「彼は、一月は動けないでしょうね」

母が非情な宣告をする。

そして、ロロナに向き直った。

「貴方のせいじゃないと、しっかり認識しておきなさい。 むしろ彼は、貴方を守れて嬉しかったと言っていたわ」

そんな事をいわれても。

ロロナが、もっと強かったら。あんな剣の一撃、避けることは簡単だったのに。

クーデリアは。

隣に寝かされていた。此方は意識もあるようだけれど。ただ、顔色は良くなかった。全身に手酷く傷を受けているので、ステルクより重傷にさえ見える。

ロロナを見ると、クーデリアは不器用に言う。

「何て顔してるの、よ」

「だって、くーちゃんが」

「褒めてよ。 あたし、劣化コピーとはいえ、あのレオンハルトを撃破したのよ。 しかも彼奴の戦い方はわかった。 次に来た時は、本体を確実にブッ殺してやるわ」

隣に座ると、手を伸ばしてくる。

やっぱり、力が無い。

ブレイブマスクで無理に体を治した反動で、回復力が落ちているのだ。彼女も、一週間は絶対安静だと、母は言うのだった。

天幕から出る。

母は、厳しい表情を崩さなかった。

「今回、貴方の作った道具が、多くの命を救ったわ。 耐久糧食もネクタルも、それに発破の類も。 それなのに、どうしてそんなに憔悴しているの?」

「だって、二人が」

「しっかりなさい。 貴方は自分の役割をしっかり果たした。 それで充分よ」

何でも出来る存在など、この世にはいない。

アーランド最強を誇る王でさえ、何でもかんでもできるわけではない。

いつの間にか、師匠はいなくなっていた。

面倒くさくなって、席を外したのだろうと思った。

心の整理がつかない。

母が言うことは正しいのだと、わかる。だけれども。

戦士としての生き方をしてきたアーランド人だ。誰かが傷つくのは、散々見てきた。戦いの際に、酷い傷を負う皆も、見てきた。

それなのに、どうして今回は、こんなにショックを受けているのだろう。

ロロナの人間としての要素が、少しずつ出始めているからでは無いのか。

記憶が戻って、頭が冴える反面。

何処か、脆い部分が出始めているのでは無いのか。クーデリアをどうやって一度死なせてしまったかわかっているから、かも知れない。

頬を叩く。

二人は、こんなロロナを望んではいないはずだ。

命を賭けて二人が守ってくれた自分にならなければ。

そう言い聞かせる。

水をもらって、何度も飲んだ。

顔も洗った。

リオネラが、心配そうにロロナを見ていた。彼女に、無言で荷車から取り出した耐久糧食を渡す。

「ごめん、りおちゃん。 回復術、がんばれる?」

「うん。 ロロナちゃんは平気?」

「平気。 平気に、ならないと」

唇を噛みしめる。

話が大きい事はわかっていたのだ。いずれ、スピア連邦の刺客が来るかも知れないことも、である。

それなのに、覚悟を決めていないで、どうするというのか。

アーランド人は修羅の世界の存在。

ロロナもその一人なのだ。

この程度でへばっていて、今後はやっていけるというのか。それに、スピア連邦の錬金術師達の残忍さは、まだまだこんなものでは無いはずだ、勝つためには、もっと心を強くしていかなければならない。

母が見ている横で、ロロナは頷く。

とにかく、これで材料はあらかた揃った。ドラゴンは二匹倒したのだし、素材もたくさんたくさん手に入れた。しかも、高品質なものばかり、だ。

戻ったら、一気に課題を仕上げる。

そして、オルトガラクセンに挑む準備をする。

これからの採取地では、あんな危険が、今までに無い比である可能性が高い。それなら、ロロナがもっと頑張って、色々作っていけばよい。

神速自在帯も、ブレイブマスクも、もっと他の道具も、いろいろだ。

頭が、ようやく働き始めた。

もう一度、頬を叩く。

泣かない。

二度と、泣くものか。

今度はロロナが、クーデリアを守る番だ。ステルクが命を賭けて守ってくれたことに、相応しい存在になるべきだ。

母は、もう何も言わなかった。

決意を新たにすると、ロロナは天幕に。クーデリアに、悲しんでいる顔を見せてばかりでは駄目だと思ったからだ。

戦う。

もう負けない。

ロロナの決意は、一歩一歩踏みしめるごとに、強くなって行った。

 

(続)