水底の墓場

 

序、過去に起きたこと

 

怖いから、クーデリアに一緒に来てもらったのは。決して恥ずかしい事ではない筈だと、ロロナは思いたい。

これから聞かされることを思えば、当然だ。何度も、自分にそう強弁した。

パメラの店を訪れると。丁度最後の客が帰ったらしく、店の中はがらんとしていた。カウンターで退屈そうにしていたパメラは、ロロナを見ると、にんまりと笑みを浮かべる。或いは、悟っていたのかも知れない。

そろそろ、ロロナが来る頃だと。

「いらっしゃーい。 ロロナちゃん、今日はどうしたのぉ?」

「今日は、聞きたいことがあって、来ました」

「うーん、そうねえ。 ロロナちゃんを一日脅かし放題なら、話してあげても良いかしら」

「そんな条件でいいなら、是非」

すっと、パメラが目を細めた。

ロロナも、口をつぐんだまま、パメラと相対する。後ろで見ていたクーデリアが、肩をすくめた。

「早く本題に入りなさいよ」

「うん、わかってる」

クーデリアが外に出て、閉店の看板を出してくる。

このお店は、幽霊が経営している、という事もあってか。夕方以降に、冷やかしに来るお客もいるのだ。

だからこそ、こんな風な看板を出してもいる。

ただ、これは以前パメラがコオルに相談して、はじめたことである。パメラは今でも、商売については不慣れなようだ。

クーデリアが戻ってくると、ロロナは咳払いした。

「過去に何があったのか、教えてください」

「……そうねえ。 今のロロナちゃんなら、聞かせても良い頃かな」

ついてくるように、いわれる。

店の奥には階段があって、地下へ降りる事が出来るようになっていた。石の階段だから、踏む度にかつんかつんと音がする。しかも、響く。

幽霊について歩いていると言うことを思うと、ぞっとしない。

だけれど、今は恐怖に駆られている場合では無い。

「ねえ、ロロナちゃん」

「はい、何ですか?」

「悪魔の正体については、もう知っているみたいね。 それじゃあ、今いる貴方達は、一体何だと思ってる? 古き時代の人間とは、毒に対する耐性も、体の強さも、桁外れに強い。 指を失ったくらいなら生えてくるし、多少内臓が傷ついても平気。 癌も自力で克服する事が可能」

「ガン?」

聞いたことも無い単語だ。何かの病気だろうか。

パメラは、知らなくて良いと言った。

きっと、恐ろしい病気だったのだろう。古き時代の人々は、それに苦しめられていたのだろうか。

階段を下りきる。

思ったよりも、ずっと広い空間が、其処には広がっていた。

働いているのは、ホムによく似た子供達。

いや、これは。

「あの子達はね、アストリッドが作ったホムンクルスの中で、戦闘には適さないと判断された、欠陥品達なの」

文句も言わずに働いているけれど。誰もが、体の何処かに欠陥を抱えていたり、何かしらの問題を持っているようだ。

「最近は殆ど出ないようだけれど。 最初期はかなりの頻度で、此処に来る子がいたのよ」

息を呑んだのは、あまりにも異質な空間が、其処にあったからだ。

無数に並んでいる硝子のシリンダは何だろう。

満たされている液体の奇怪なこと。

そして光がぴかぴかと動いている、不思議な箱。アーランドの噴水広場にも、情報掲示用の箱があるけれど。それとはまた、違う形状をしているようだ。工場からの発掘品だろうか。

「これは電算機って言ってね。 古代の文明で活躍した、ものを計算する機械なの」

パメラが、簡単に説明してくれる。。

ロロナには、状況を理解するので、精一杯だ。

一緒に歩きながら、奥へ。

見覚えがある機具が、幾つかある。これは或いは、カタコンベから持ち込んだものかも知れない。

いきなり、銀色の触手が、床から伸びてきた。

これも、カタコンベで見た守護者だ。パメラが手をかざすと、すぐに引っ込む。恐らくは、防犯用だろう。

ネクタルの精製設備がある。

以前カタコンベで見たものよりだいぶ小型だが、間違いない。形状や構造が、酷似していた。

それに、以前ロロナが造り出した道具類が、幾つか此処で造られているようだ。

工場のラインを肩代わりしているのかも知れない。

パメラのお店の地下は、こんなに広い空間だったのか。何もかもが、驚きに満ちていた。

一番奥に、小さな部屋がある。

少し散らかっていた。

この散らかし方は、師匠だろう。きっと此処で、ロロナをどういじくりまわすか、悪巧みをパメラと一緒にしていたに違いなかった。

「座って。 クーデリアちゃんは、紅茶でいいかしら」

「おかまいなく」

「あらそう? 結構美味しく淹れられるんだけどなあ」

パメラと向かい合って座る。

作業自体は、ホムンクルス達がこなしているから、問題は無いのだろう。パメラは時々作業を監督し、古い時代の知識を使って、メンテナンスや構築作業をすればいいだけ、というわけだ。

「結構きつい話になるけど、良いかしら」

「はい、覚悟は出来ています」

「じゃあ、話しましょうか。 私が生きていた時代に、世界に一体何が起きたのか」

パメラが目を伏せる。

この人は、おどけてはいるけれど。本当は、強い悲しみを秘めた存在だ。そんな事はわかっていた。

だけれど、こういう表情を見ると。普段はどれだけの闇を抱えているのかと、思ってしまう。

人の悲しみを、ロロナは知った。

今なら、パメラのことも。前よりずっと深く、理解できるかも知れない。

 

少しお茶を飲んで、間を置いてから、パメラの話が始まる。

それはロロナの予想を遙かに超える、凄まじい代物だった。

今より、ずっとずっと昔の事。

人類は地上に、百億に達するほどの数が存在していたのだという。発展した科学で他の生物を圧倒し、何もかもを自由にしていた。

資本主義という思想が、それを可能にした。

要は、暴力の代わりにお金を用いた、弱肉強食の思想だという。その思想に基づいて、世界は爆発的に発展していった。

幾多に別れた大国列強は、その資本主義。いや、覇権主義とでもいうものに基づいて、虎視眈々と相手を蹴落とすことを狙っていた。

それほど豊かな世界であったのに。

それでも、何もかもを独占したいと、思っていたからである。そして豊かな生活に慣れた殆どの人は、破滅の足音が迫っていることに気付かず、気付いても無視していた。

自分には関係無い。

平穏な生活を乱したくない。

誰もが、そう考えていたから、である。

やがて、怪物が生まれる。

何故、それが生まれ出たのかはわからない。ただはっきりしているのは、いつの間にか世界が閉塞に包まれていて。

それを打開するために、何かが必要と、考えはじめた人達がいた、という事であった。

後になって考えて見れば、明らかに間違っていた思想を、人々は選択することになる。その思想の名は。世界を滅ぼした怪物の名は。

優勢主義、といった。

「優勢主義、ですか?」

「その時代はね、お金持ちはお金持ち、貧乏人は貧乏人で、どうしようもない時代だったの。 そうすると、誰もが考えるようになるの。 努力なんてするだけ無駄。 優れてる奴には、最初から何をやっても勝てないってね」

ロロナには、考えられない。

どんな天才戦士だって、相応の教育を受けて、訓練を積んで、やっと一人前になる。大成する年が早いか遅いかの違いはあるけれど。努力無しで、大成する存在なんて、いないのだ。

アーランドでは常識の事が。その古き時代では、非常識として捉えられていたのだろうか。

理解できない世界だ。

ロロナだって知っている。

幼児は必死に努力を重ねて、喋ることが出来るようになる。あかちゃんだって、最初から立って歩けるわけではない。努力を重ねて、やっと歩けるようになるのだ。喋る。歩く。そんな事でさえ、努力が必要不可欠なのに。

大人が大まじめにそんな事をいっている世界は、一体どれだけ歪んでいたのだろう。

「そのうち、その優勢主義は、ねじくれながら広がるようになって行ったのよ。 優れている者は、何をしてもいい。 優れている者だけが、この世界を統治するべきだってね」

「イカレてるわ」

黙って話を聞いていたクーデリアが、ぼそりという。

ロロナも、言葉は悪いと思うけれど、同感だ。

直接話してわかった。ジオ王は優秀だけれど、それは努力を重ねて、問題があれば自分で動いて。皆のために最善を常に選択しようとしているからこそ、王なのだと。

優れているから何をしてもいい、なんてのは、最初からものごとをはき違えてしまっている。

「やがて彼らは、人々の中で大きな勢力を持つようになった。 そうなると、思想は暴走の一途をたどっていくことになるの。 彼らは考えたわ。 この世界が閉塞しているのは、多くのクズが、好き勝手に振る舞っているからだって。 この世には優秀な人間だけが必要で、クズは全て掃除されるべきだって、ね」

嗚呼。

ロロナは、顔を手で覆いたくなった。

今まで聞いていた情報の、パズルのピースが、ぱたぱたと音を立ててあっていく。何もかもが、最悪の予想を極めていた。

この世は、なんと愚かな人達の、悪意に満ちているのだろう。

パメラが紡ぐ、世界の終わりの物語は。暴走を更に続けていく。救いようが無いのは、明らかな状況証拠の数々が。それを事実だと告げていることだろう。パメラは嘘を言っていない。

話は、進む。

気がついたときには、終焉のラッパは吹き鳴らされていた。

世界にばらまかれたのは、劣悪形質排除ナノマシン。

つまり、劣っている存在を選別して、有無を言わさず殺すための悪魔の道具。しかもこの道具は目に見えないほど小さくて、何処にでも存在でき、しかも勝手に増えるという恐ろしい存在だったのだ。

瞬く間に、世界は大混乱に陥った。

原因不明の突然死が相次ぎ、原因が特定できたときには、どうしようも無いほどにナノマシンは拡散しきっていた。

既存の秩序が崩壊するまで、一年。

列強は必死に封じ込めを行おうとしたけれど。それぞれが好き勝手な覇権の理論で動いていた彼らが、今更協調策を執る事なんて、不可能だった。人類は危機が来ても互いに手を取り合えないほど、既に愚かになり果てていたのだ。それどころか、誰もが勝手に、自分一人だけが生き残ろうとした。親兄弟や友さえ捨てて。

各地で封じ込められていた大戦争が勃発。

いずれもが、安全な水や、食糧を求めてのものだった。

しかし、それさえ無駄な行為だった。

優勢主義者達が最初にばらまいたナノマシンは、風や海流に乗って、世界のあらゆる場所に存在していたのである。もはや空気でさえ、安全な存在では無い状況で。安全な水や食糧など、あるはずもなかった。

やがて、恐怖に駆られた人達が、禁断の兵器に手を出した。劣悪形質排除ナノマシンに汚染された地域を、根こそぎ焼き払おうというのである。その兵器の名は、核兵器。現在存在しているあらゆる兵器を、ことごとく上回る、究極の存在である。

そして、どこの国がそうしたかはわからないけれど。

使ったことそのものが、致命打になった。

疑心暗鬼が恐怖を呼び、世界中に核の雨が降り注いだのである。

秩序が崩壊する前に、モラルなど風化しきっていた。むしろ積極的に、核兵器を使う者達さえいた。

もはや、破滅を止められる存在など、どこにもいなかった。

優勢主義者達でさえ、此処までの惨禍は予想していたのだろうか。もはや、悲劇は、世界の全てを蹂躙しつつあった。

「核兵器の恐ろしさはね。 使った地域を汚染することだけじゃ無いの。 使いすぎると、世界の気候そのものを変えてしまうのよ。 世界は全てが冬になったの。 およそ、三千と数百年にわたってね」

パメラの言葉は、むしろ淡々としていた。

彼女が生きた時代に起きたこと。

それは、人類の罪業が、全て詰まった悪夢だった。

「世界の全てが壊滅し、人類は数を一万分の一にまで減らした。 そして、破滅と汚染から生き延びた人達の子孫が。 今の人類なのよ」

 

しばらくの無言。

何もかものパズルのピースが、組み合わされていく音。それがどれだけの恐怖を秘めているか、ロロナは周囲に問いたいくらいだった。

これでは、話してくれない筈である。

昔のロロナだったら、耐えることなど、出来る筈も無かっただろう。

震えが止まらない。

クーデリアさえ、顔を青ざめさせているほどである。一体過去の人類は、どれだけの罪を犯したのか。

悪魔達が、一種の宗教的な敬虔さを持っていた理由も、何となくこれでわかった。

彼らが世界の汚染を取り除くために命を賭けられる理由は。恐らくは、過去に何が起きたか。人類が何をしでかしたか。知っていたから、なのだろう。

「私はね。 ナノマシンがばらまかれた直後くらいに生まれたの」

パメラの顔には、強い憂いが浮かんでいた。

彼女は幸い頭が良かった。そして、人類が英知を結集して、最後の人材を集めた研究所の一つに所属したのだという。

目的は、ナノマシンを中和する薬剤の精製。

それに、ナノマシンにも耐え抜けるほど、全てを強くする研究だった。

「もちろん研究所の中も汚染されていてね。 研究を進める過程で、ばたばたと人が死んでいったの。 どうにか対抗策を造り出そうとしたけれど。 その時代にも、まだ優勢主義者達は力を持っていてね。 彼方此方の研究所が爆破されたり、襲われたりしたのよ」

「な……」

「優勢主義者達にとっては、その時代は天国にも思えたのかも知れないわね。 でも、おかしな話。 ナノマシンは、その優勢主義者達も、容赦なく襲って命を奪っていったのだけれど」

ともかく、だ。

パメラがいた研究所は、地下にあった事もあってか。どうにか、襲撃も爆破も免れて、研究を続けた。

そして、ついに希望の光となるカウンターナノマシンと。世界の生物たちを強くする薬剤を産み出すことに成功したのだ。

何となく、その話を聞いて、理解できた。

「悪魔と、ネクタル、ですね」

「良く出来ました。 今いる悪魔と呼ばれる存在は、カウンターナノマシンを体内に取り込んだ人達の子孫よ。 このカウンターナノマシンには難しい制限があってね。 人の体内で無いと増えない上に、どんどん人の姿形を変えて行ってしまうの。 それに、ナノマシンを完全に浄化できるわけでもないから、体も二重にむしばまれる。 私の恋人も、悪魔になる事を選んだ一人だったわ」

以前、カタコンベで見た映像を思い出す。

白衣を着たパメラが寄り添っていた男性。

きっと、とても気高い人だったのだろう。だから、己の全てを捨てて、世界のために戦う事を選んだのだ。

だから、悪魔達は、世界を緑化する。

毒を体に取り込むことで、カウンターナノマシンを使って浄化する。しかし、その過程で、体も心もむしばまれていく。

あの、スカーレットのように。

「ネクタルの精製レシピを世界中の生き残った研究所にばらまいたところで、ついに人類の文明は力尽きたの。 もうその頃には、優勢主義者も生き残っていなかったし、核兵器が飛び交うことも無かった。 人類は原始時代まで戻っていたし、海は汚染されて、世界中の全てが死に絶えていた。 ネクタルを自動で生成して、ばらまく仕組みを作った後に、私は決めたの。 せめて、意識だけでも。 後の世界に残して、全ての結末を見届けなければならないって」

もう、言葉も無かった。

この古き幽霊は。

人類の業を、全て見てきた人だったのだ。

だからこそ、こうも飄々としていたのだろう。

「これが、過去に起きたこと」

パメラは、目を細めた。

「そして、二度と繰り返してはならない事よ。 もう、人間には。 世界の頂点を気取ることは許されないし、そうしようとしてもいけない。 もし同じ事をしようとする存在が出るのなら。 私は、あらゆる手段を用いて、その存在を滅ぼすわ」

どうしようもない、複数の感情がこもった笑みを、彼女は浮かべた。

怒り。憎悪。悲しみ。憐憫。そして狂気。

ロロナは、しばらく、何も言うことができなかった。

店をどうやって出たのかも、覚えていない。

どうして、そんな愚かな人達に、世界は力を持たせてしまったのか。そんな人達に、好き勝手にさせてしまったのか。

災厄は、まだ消えていない。

冬の時代とパメラは言っていた。今、世界には四季が戻っている。しかし荒野は彼方此方に広がったまま。何よりも、人類は、自分が何をしたのか、忘れ果ててしまっている。そんな事は、許されるはずも無い。

頭を振る。

涙が零れて、仕方が無かった。

「帰りましょう。 今は休息が必要よ」

クーデリアが、ロロナの肩を抱いて、そう言う。

ロロナも頷いた。

きっと、今は感情を整理するために、泣くことしか出来ない。

アーランド人は、冬の時代に、もっとも鍛え抜かれた存在。最強の汚染に打ち克ってきた。

だから強い。

それがわかったところで、何だというのだろう。

人間は、ロロナが思っていたよりも、ずっとずっとおろかだった。それを、パメラの話してくれた過去の真実で。

今、徹底的なまでに。ロロナは、思い知らされていた。

 

1、ほの昏き世界

 

流石に真実を知った後の数日は、まともに頭が働かなかった。

人類の罪業の、あまりの深さ。

全てを忘れ去って、のうのうと同じ事を繰り返そうとしている者達さえいる。

状況を考えると、愉快な気分ではありようがなかった。

事実、その日は何も喉を通らなかった。水さえも、体が拒否したくらいである。何も食べず、一晩を過ごして。

翌日から、ようやく、少しずつ体が動き始めた。

どれだけダメージを受けたとしても。体は生きようと努力する。精神に打撃を受けても、修復を試みる。

まずは、少しだけ水を飲んだ。

ホムが心配したから、だろうか。師匠に、ロロナの様子がおかしいと、話していたらしい。

師匠がおもしろがって状態を見に来たので。

まずは好物からと思って、パイを焼いた。もう、錬金術を使っても、普通に料理したのと遜色ないものが作れるようになっている。種類も、以前よりぐっと増えていた。

「何だ、完全に寝込んでいると思ったのに。 パイなど焼く元気があったか」

「師匠の分も焼いていますよ」

「ふむ、そうか」

じっとロロナの事を、師匠は見る。

そして、いきなり核心部分に踏み込んできた。

「お前、パメラから、全て聞いたな?」

沈黙は、すなわち答えだ。

師匠は悲しんでいるか。否。ロロナが苦しむ様子を見て、むしろ喜んでいる。事実今も、とてもにこにこしていた。

「人間の罪業を知った感想は?」

「あまりに酷すぎて、言葉もありません」

「そうかそうか。 まあ、それが普通の人間の考え方だ。 違う考え方をする奴も、世の中にはいる。 たとえば」

「その力を使えば、世界を再び人間だけが好きにする事が可能だ、ですか?」

満足そうに。

そう、とても満足そうに、師匠は目を細める。

アストリッド。この人は、やはり本質的には、スピアにいる錬金術師達と、同じ穴の狢なのだろう。

どうしてそのような性格になってしまったのか。

わかりきっている。以前、師匠が話してくれた、愛する人に対する、周囲の仕打ちが原因だ。

悲しみは、人をこうも変えてしまう。

パイが焼けた。

釜から、普通のミートパイを取り出す。良い香り。だが、まだ食欲は、殆ど湧いてこない。

作ったばかりのパイを、冷ましてしまっては最悪だ。

普段だったら、ホールパイを丸ごと食べるくらい、朝飯前なのに。今日はそれぞれに切り分けて、テーブルに出して。

ちょっと囓るだけでも、吐き戻しそうだった。

「それでお前は、真相を知った上で、どうするつもりか」

「……今まで通り、課題をこなします」

「まだくそ真面目に、課題などこなすつもりなのか。 まあその辺りは、私が調整した通りの性格だな」

くつくつと、師匠が笑う。

もはや怒る気力もわき上がってこない。

この人にとっては、もう倫理とか、そういうものは世界の彼方に投げ捨ててしまったものなのだろう。

そしてそれは、悲しい事なのだ。

パイをもう一度見る。これにはいろいろな材料が使われている。お肉も。いずれもが、世界から渡された贈り物。お肉に到っては、これを生産するために、狩りで他の生物の命を奪ってもいる。

食べなければ、ならないのだ。

無理矢理に口に入れて、水を飲んでおなかに押し込む。強烈な拒絶反応があったけれど。それでも、耐え抜いた。

とにかく、作業どころでは無い。

寝台で転がって、頭の中で何が起きていたか、反芻する。人類は、一万分の一にまで減った。パメラは恋人と最悪の形で引きはがされた。

この世界は、人間の思い上がりが原因で、一度地獄を経験したのだ。

二度と、引き起こしてはならない地獄を。

思い出したのは、悪魔達から受けていた依頼。

王宮の課題は、既にクリアした。

だから、今度は悪魔達に受けた話を、少しでも進めなければならない。よろよろとアトリエに出ると、資料を漁りはじめる。

まるで、頭に入ってこない。

まず空気を造り出す道具なんてものが、今まで見た資料の中にあっただろうか。それが、思い出せない。

まるでもやが掛かったようで、文字を見ても解読するのがやっと。しかも、読んでも右から左へ流れてしまって、記憶の中には全く留まる気配が無かった。

クーデリアが来てくれた。

彼女も、相当に疲弊しているようだけれど。どうにか、両の足で立っている。

乾いた笑いを浮かべ合うと、一緒に資料を調べはじめた。クーデリアの頭は、こんな状態でも、しっかり働いているようだった。

「何ならあたしが調べるわ。 あんたは休んでいて」

「ううん、平気」

「どうみても、平気な顔色じゃ無いでしょう。 無理はしないようにね」

クーデリアだって、人の事は言えない。ホムが心配して、此方を見ているのがわかった。

そういえば、作業の指示を出していない。席を立つと、ホワイトボードを見て、進捗を確認。

そして、指示を出し直した。

幸い、まだコンテナに、材料はいくらでもあるはずだ。

資料を調べている内に、少しずつ頭がクリアになって行く。やっぱり、友達の存在は、偉大だ。

隣に最悪の悲しみを共有したクーデリアがいる。

それだけで、ぐっと心が楽になる。

午後から、リオネラも来てくれた。彼女はお茶を淹れてくれたり、掃除をしてくれたりと、雑用をこなしてくれて。更に作業が楽になる。

少しずつ、気持ちも上向いていくのがわかった。

 

リオネラにも、過去に何が起きたのかは話した。

流石にショックを受けていたようだったけれど。これは、きっと最終的には、人間全員が共有しなければならない情報の筈だ。

ただ、一度大きな出来事に直面して、心が鍛えられているからか。リオネラの受けたショックは、ロロナよりは小さいようだった。

リオネラは、全てをはき出してから、ぐっと強くなっている。

そんな彼女が、親友でいてくれるだけで。心強い。

作業を進めていく。

今回は、アトリエでの実験と、現地での実験を、何回かに分けて行う必要があると、クーデリアと話して結論した。

というのも、空気が溢れてくる錠剤は、作る事が出来たのだけれど。

それが有害かどうか、いまいち判別がつかないからである。

それに、悪魔達に指定された待ち合わせの日時も近づいている。一度中間的な実験を行って、それで次につなげていきたい。

作業を進めていく内に、期日が来た。念のためにステルクにも声を掛けて、アトリエを出る。

リオネラは、まだ実験の段階ならば、来てもらわなくても大丈夫だろう。彼女は彼女で忙しいようだったので、クーデリアとステルクだけに同行を頼んで、必要な荷物だけを持って、ネーベル湖畔へと向かう。

途中の荒野で、悪魔達と合流。

指定の時間通りに来たからか。悪魔達も、さほど不機嫌ではないようだった。

かって、ただ恐ろしいだけの存在と、ロロナは彼らを考えていた。確かに見かけは、異形そのものだ。

しかし、今は真実を知っている。出来るだけ人間として、彼らと接したい。

相手も、ロロナの態度の変化には、気付いているようだった。多少、反応が柔らかくなったのは、嬉しい限りだ。

話はすぐについた。

特に問題があるような交渉をしなければならないような事も無かったし、ロロナとしても作業にそれほど不安も無い。

ただ、何度か実験を行わなければならないというと、悪魔達は顔を見合わせた。

長老格の髭が生えた小柄な悪魔が、難色を示す。

「貴方の技量を疑うわけではありませんが、具体的な期日は示せますかな」

「今回の実験で、それを計るつもりです。 一応、最終的な計画までは、練ってあります」

「なるほど。 それならば、お任せしましょう」

半信半疑の様子ではあったが、納得してくれたようで嬉しい。

現地へ、案内してもらう。

ステルクはその間、ずっと黙り込んでいた。話をしている際に、時々クーデリアは補助してくれたけれど。これは、対照的な態度だったかも知れない。

 

水は、光を遮る。

どれだけ澄んでいても。どれだけ透明度が高くても。

チューブの底へと進みながら、ロロナはそれを悟らされていた。

持ち込んでいるのは、幾つかの道具。

いずれもが試作品で、まだ実験の段階である。

そして、此処は悪魔達が作った、一種のトンネル。魔力を使って、水を遮っているらしいのだけれど。

確かに、深く進めば進むほど、空気が薄くなっているのがわかる。クーデリアが口を押さえる。

「気をつけて」

顔を上げると、それがいた。

チューブの向こう側に、人間など一呑みにできそうな、巨大な魚がいる。向こうも此方をじっと見ていた。

チューブは相当な強度だと聞いているけれど。あまり良い気分では無い。

側にいるステルクは、剣に手を掛けている。チューブの向こうに雷撃は通せると説明を受けていても、気分が良い光景ではないのだろう。

水の底へ到着。

ネーベル湖は、かなり深いのだと、はじめて知った。既に周囲は夜のように暗い。しかも悪魔達にいわれて、カンテラは持ち込んでいない。話によると、カンテラを付けると、なけなしの空気が一気に減ってしまうそうなのだ。

まず、荷車から取り出したのは、錠剤である。

正式名称はエアドロップという。

百三十年ほど前の錬金術師が開発した道具を、再現したものだ。元々の錬金術師は、口に含む事で水に潜れる道具を、と考えていたらしい。しかしながら、口の中で空気が出るくらいでは、深く潜る事なんて出来ない。何度かの失敗でそれを悟った錬金術師は、悲しみに暮れながら日記に恨み言を綴っていた。

確かに、口に含んで潜る事は出来ないかも知れない。

しかし、空気を出すというのは、それはそれで画期的な発明だ。全て捨ててしまうのは、もったいない。錬金術師は、悲しみにくれるあまり、そう柔軟に考える事が出来なかったのだ。

とてももったいない話だけれど。

成功の影には、無数の失敗がある。どんな天才だって、最初は上手く行かないものなのだと、ロロナはいろいろな錬金術師の手記を見て知っている。

天才だって人間なのだ。

ましてやロロナのような、失敗の多い人間なんて。何度も試行錯誤を繰り返していくのが当然だ。

エアドロップは、複数種類用意してきた。これが上手く行ったら、次の段階に進む予定だけれど。まずは実験。

使い方は簡単。

水に入れるだけである。口の中に入れれば、唾液と反応して、空気を出す。

チューブで自ら守られているので、持ってきた水筒から、撒いたエアドロップに水を注ぐ。

しばらくすると、少しは息苦しさが緩和されたように思えた。

「A薬はこのくらい、と」

エアドロップは、中途で研究が放棄されてしまった発明だ。

作り方はそう難しいものではなく、何種類かの素材を、中和剤を介して混ぜ合わせるだけでいい。

だが、その素材の配合や中和剤についてが、非常に不完全なのだ。

主な素材として、このネーベル湖畔で取れる泡立つ水が使われる。ただしこれをそのまま錠剤にすると、あまり体に良くない空気が出てしまう。そのため、いろいろな処置が必要なのだけれど。

発明した錬金術師は、自由自在に泳ぐという夢が破れたからか、研究のモチベーションを喪失したのだろう。研究を投げ出してしまったのである。

以降はロロナが、四苦八苦をしなければならなかった。

場所を移して、今度は次の薬を試してみる。一応、出てくる前に毒ガスが出るようなものは省いておいてはあるけれど。地道で、時間が掛かる実験だ。

今度のは、先と比べると、効果がぐっと薄いようだ。

これは駄目と、ロロナは×を付けた。

チューブの外では、物珍しそうに、此方を見ている多くの魚たちがいる。何度かチューブに噛みついた後、諦めて遠ざかっていった大きな魚もいた。チューブはこれ以上伸ばせないでいる。

それは、事前の説明通り、空気が薄くて作業が出来ないからだ。

十種類ほどのエアドロップを、順番に試していくけれど。どれも、効果は劇的に高くは無い。

ただ、幾つかのエアドロップについては、明らかに息が楽になる。

メモを取りながら、ロロナはこれなら次の段階に入れるなと思った。毒性がある場合を考慮して、意図的に噴出する空気の量を減らしておいたのだ。

第一段階はクリア。

有望な幾つかのデータを検証して、それらから、より強力なエアドロップを作って。

その後に、ある道具を作る予定だ。

一度、チューブの外に出る。

湖底に触る事は出来たので、珍しそうなものは採取を済ませてはおいた。この辺り、ロロナは自分でもわかるほどに、したたかになっていた。

外では悪魔達が待っていた。

「状況をお教えいただきますか」

「どうにか、実験は成功しました。 これから改良を重ねて、次の実験に備えます」

悪魔達には、何度か実験を行って、最終的に空気を造り出す装置につなげると、説明はしてある。

第一段階が上手く行ったと聞いて、悪魔達は胸をなで下ろしていた。

少し前に、彼らとは、約束をした。

ロロナの協力で、失われた民の都に辿り着く事が出来たのなら。其処に何が眠っているのか、説明してもらうと。

彼らは承知をしてくれている。

もしも嘘をつかれたら。

その場合は、ロロナも相応に対応するしか無い。彼らが人間と同じメンタリティの持ち主である事は、もうロロナも理解している。だから、無茶は言わない。嘘だって言うだろうし、悲しむ事もある。

次の実験についての日取りを軽く打ち合わせした後、その場を離れる。

ステルクは話が終わった後、ぼそりと感想を漏らした。

「次は同行できるかわからない」

「えっ。 どうしたんですか」

「近々、大きめの作戦があるかも知れない。 私やエスティ先輩は、その時にはかり出されるだろう」

きっとその作戦とは。

ジオが悪魔の王と話していた、スピア連邦に対する攻撃に関するものだろう。出来れば、あまり人が死なないで欲しい。勿論、悪魔達も。

しかし、スピア連邦がしていることは、話を聞く限り許されるものではない。

ロロナも、嫌だけれど。誰かがどうにかしなければならないのだ。ましてや、真相を知った今では、なおさらにそう思う。

「わたしやくーちゃんは、参加しなくても……良いんですか?」

「今の時点では、君達の参戦は必要ない。 ただ、ロロナ君の作った道具に関しては、必要になるかも知れないな」

ステルクは最近、前よりは喋るようになってくれたし、表情も柔らかくなってきたけれど。

それでも、無駄なことは殆どいわない。

後の帰り道は、何も言うことが無かった。

アトリエについてからは、お茶を出そうかと思ったのだけれど。それさえも断られたくらいである。

さっさと帰って行くステルクを見送ると、ロロナはクーデリアと、次にどうするか、作業について詰め始めた。

世界は、どんどんきな臭い方向へ動いている。

大陸の中枢部では、多数の兵を有する列強が、仁義なき争いをしているのだから、それが波及してきてもおかしくは無いけれど。

この世界を一度食い尽くしてしまった人間が、再生前にさらなる暴挙を働こうとするのは、間違っているとロロナは思う。

だから、出来る事はしなければならない。

それは、真実を知ったロロナには、厳然たる義務だった。

 

エアドロップの改良版を作成。

毒を出さない事はわかっている。成分を圧縮して、一気に大量の空気を出せるようにもした。

此処まで、かなりの試行錯誤が必要だったけれど。

今まで苦労した課題の品に比べれば、随分と楽だったような気がする。

とりあえず、出来たものを、用意してきた機具に入れる。

これも、この間の実験で、性能を試したものだ。

マリンナイザーという。

むき出しのエアドロップを使うのでは無くて、実際にはこの機具を使って、チューブの中の空気をコントロールするのだ。

道具としては、簡単である。

エアドロップを固形成分として、中に入れてある筒状のものだ。これに、水をいれたタンクが接続してある。

そして、バルブを捻ると、水がエアドロップにかかる。

当然空気が生じる。

筒の上部から空気を放出するわけなのだけれど。これも、バルブで量を調節する。

水を掛ける量によって、どれだけの空気が出るか、わからないのが現状だから、コントロール出来るようにしたのが、この機具だ。

勿論これは安全措置を兼ねている。

もしも毒の成分が、あふれ出る空気に混じっていた場合。空気が元々薄い水底のチューブでは、致命的な事になりかねない。

最悪の事態を防ぐために、必要な機具でもあるのだ。

構造自体は簡単なので、外側は親父さんに作ってもらい、後はロロナとクーデリアで、すぐにくみたてることができた。

工場で売っているバルブやチューブなどを組み合わせて、完成。

第二段階の実験を行うべく、ネーベル湖畔に向かう。今回はステルクが忙しいという事なので、タントリスに来てもらった。

マリンナイザーはかなり重い機具で、荷車に積み込むとき、タントリスも眉をひそめていたけれど。

それでも、アーランド人なら誰でも持ち上げられる程度のものだ。

ただ、チューブを、これを背負って降りていくとなると、かなり骨かも知れない。

街道を北上しながら、進む。

タントリスは、マリンナイザーの説明を受けて、あまり感心したようには見えなかった。前はいちいち甘ったるい声で接してきたのだけれど。ロロナがあしらい方を覚えてからは、少し態度を変えてきている。

「道具としては、それほど複雑なものではないようだね」

「はい。 量産も可能だと思います」

「それで、どう使うんだい? あまり多くの使い道があるとは、思えないのだけれど」

「そうですね。 たとえば炭鉱とか」

ロロナも聞いているけれど。

たとえば炭鉱などの深部では、空気が薄くなって、労働者が苦労することが多いと言う。それならばマリンナイザーを実用化すれば、彼らも作業がしやすくなるはずだ。ただ、空気が多くなると、ものが燃えやすくなるともいう。

あまり安易な提案は出来ないだろう。

実験を重ねて、検証をしていく必要がある。

途中、荒野で見つけた兎を捕らえておく。

食べるのでは無くて、空気の実験に用いるのだ。今回はある意味とても危険な実験なので、動物にも協力してもらう。

勿論、大丈夫なはずだけれど。

駄目な場合、死んでしまった兎は、感謝しながら食べるつもりだ。

ネーベル湖畔へ到着。

此処まで、かなり距離もある。往復は後一回で済ませたいところだ。

見張りの悪魔に一礼して、中に。今回で、実験を完遂したいと話すと、悪魔は鷹揚に頷いていた。

不安なのだろう。

この奥には、悪魔にとってとても大事な宝があると言う。それはおそらく、宝石の類では無くて、技術だ。

一体何をするための技術なのかは、よく分からないけれど。いにしえの時代に起きたことを知った今では、他人事では無い。

チューブを降りていく。

階段があるわけでもないので、傾斜がきついところはかなり降りるのが大変だ。ただ、彼方此方に置かれている魔法のカンテラが、暗闇に落ちた水の中で、幻想的な光の空間を作り出している。

集まってきている魚は、どれも物珍しい。

網に掛かった魚はどれだけでも見た事があるけれど。実際に泳いでいる姿は、上からしか見たことが無い。

悪魔達の技術は凄い。

タントリスは、目を細めた。

「これは凄い。 チューブがもっと安定したら、デートに来たいくらいだ」

「今、誰か特定の女性はいるんですか?」

「一晩の友はたくさんいるけれど。 結婚を前提におつきあいしたい相手は、今のところいないねえ」

タントリスらしい。

苦笑いするロロナに、クーデリアが咳払いした。

まともに相手にするな、というのだろう。クーデリアはこういう話が嫌いのようだし、無理も無い。

湖底に降り立つと、マリンナイザーを設置する。

側には縛り上げた兎を。

そして、バルブを捻る。

安全のために、すぐに避難。いきなり大量の空気を出さないように調整はしてあるけれど、何が起きるかわからない。

元々辺りは空気が薄くて、非常に過ごしづらい。

しばらく、遠くから様子を見る。

チューブを通じて上から少しは空気が来るけれど。もしも毒が発生していたら、ひとたまりも無い。

「どう、平気そう?」

「うん……」

何だろう。

あまり良い予感はしない。

近寄ってみると、兎は生きていた。あまりにも異質な空間に連れてこられて、恐怖ですくみ上がっているけれど。まだ、ぴんぴんしている。

それよりも、空気は。

深呼吸してみる。

さっきより、多少は過ごしやすい。もう少し、バルブを捻ってみて、少しおかしいなと思った。

「ねえ、くーちゃん」

クーデリアが噴き出す。

視線をタントリスがそらした。

気付いた。何だか、声がおかしい。凄く高くなっている。

口をつぐんだクーデリアが、顔を真っ赤にして、そらす。ロロナも、その場でゆでだこになりそうだった。

この空気は、毒は無いかも知れないけれど、変だ。

一旦外に出る。外で深呼吸して、しばらくしてから喋ると、ようやく声が元に戻った。クーデリアが、マリンナイザーを、しげしげと眺める。

「失敗だったけれど。 これはこれで、面白いんじゃ無い?」

「もう!」

さっきのは、本当に恥ずかしかった。

珍しく本気でロロナが怒っているのに気付いたか、クーデリアはすぐにその話題から離れた。

タントリスはしばらく無言。

女の子といる時は散々喋り倒すのに。

ロロナも流石に頭に来て、縛り上げていた兎を荒野に放す。兎は此方を見た後、すぐに逃げていった。

悪魔が、逃げていく兎を、しらけた目で見つめている。

「失敗したのですかな?」

「空気を出す実験そのものは上手く行きました。 問題は空気そのものの質が、毒では無いんですけど、声が変になるものになっていて……」

「声が変に」

「はい。 もう少し、サンプルを調整してきます」

毒性は無かったけれど、あれは本当に大丈夫なのか、気になる。

それにしても、さっきの声は、思い出したくない。

ロロナだって女だから、声くらいはコントロール出来る。女の子が好きな男の子の前で、声が高くなるというのは本当だ。人によっては若い声を作る事だって、男の子の声を真似ることだって出来る。

だけれど、さっきの声は、それとは少し違っていた。

「次で成功させます」

「わかりました。 次は、此方も探索チームを連れてきます。 貴方の力量には、皆期待しています。 お願いしますよ」

悪魔達の目には、わずかな不審が浮かんでいた。

多分彼らは、声が変になるくらいで、と思っているのだろう。しかしロロナにしてみれば、何があるかわからない以上、慎重になるしか無い。

或いは、このマリンナイザーにじょうごか何かを付けて、出てくる空気を直接吸い込んでみるのはどうだろう。

実験としては、それも良い。

マリンナイザーの能力自体は、これで証明できたのだ。次は、きっとうまく生かせる。

それに、データも集まってきた。

アトリエに戻った後、すぐに作業に取りかかる。勿論、湖底で拾い集めてきた珍しい素材も、コンテナに大事にしまった。特に虹色に輝く珊瑚は、とても強い魔力を秘めている。或いは、何か非常に貴重な素材として重宝するかも知れない。

タントリスにはもう良いと言ったのだけれど。

彼は珍しく、仕分けなどを手伝ってくれた。

「今日は暇でね。 君の仕事ぶりを見せてくれないだろうか」

「別に構わないですけれど」

わずかに警戒したロロナを安心させるためか、何もしないとタントリスは言う。信用できないけれど。クーデリアもホムもいるし、大丈夫だろう。

クーデリアと話して、すぐにデータの検証に取りかかる。

錬金術師の研究データも引っ張り出す。それによると、どうやら、少し余計な成分が多すぎたらしいと言う事がわかってきた。

素材の量を調整して、エアドロップを作り直す。

圧縮したエアドロップは、わずかな水を掛けるだけで、爆発的な量の空気を噴き出す。これは冗談でも何でも無い。本当に、爆発するかのようなのだ。マリンナイザーのバルブをあまりに勢いよく捻ると、実際に吹っ飛ぶかも知れない。そうなったら、大けがをしてしまうだろう。

バルブの調整を、ロロナがやっている内に。

クーデリアが、資料をまとめてくれた。

ホムがお茶を淹れてくれたので、茶菓子を食べながら、検討する。クーデリアは錬金術師では無いけれど。データにはとにかく強い。元々の記憶力もあるから、ロロナが作ってきたレシピは、そらで全て暗記しているかも知れない。

タントリスは、何もしないで、ただ作業を見ていた。邪魔はしないけれど。役にも立ってくれない。

「音楽でもどうだい?」

「ええと……」

「もう良いわ。 五月蠅くないのをお願い」

「かしこまりました、フラウ」

クーデリアが、一番怒りそうな呼び方だったけれど。そうはならなかった。

タントリスはいつもキタラのような楽器を作っているけれど。今日は笛だ。横笛を器用に使って、深林に差し込む日の光のような曲を奏でてくれる。

確かにこれなら、邪魔にならない。

クーデリアと作業を進めていく。幾つかの材料を慎重に混ぜ合わせて、エアドロップを作成。マリンナイザーに入れて、バルブを捻る。

緊張の瞬間だ。

出てきた空気を、何度か深呼吸してみる。

意識が飛ぶようなこともないし、声が変にもならない。

念のため、捕まえてきた野良ウォルフを使って、一日動物実験をすることにする。マリンナイザーを、ウォルフを入れた小屋につないで、しばらく放置。もしも毒性があるなら、ウォルフは死ぬ。

ウォルフは逃げ出せないように、両足を縛っておいておく。

中庭に作った小さな小屋。

わずかに掘って他より低くしてあるのは、毒ガスが出た場合の対処を楽にするため。それに、毒ガスが出た場合、すぐにウォルフに効果が出るようにするためだ。

少し可哀想だけれど、モンスターが相手なのだ。これくらいはしておかないと、後でロロナが怒られてしまう。

空気は、かなりの量が安定して出ている。

エアドロップそのものの調合は、上手く行った証拠だ。問題はその空気の質。しばらくロロナは、縛り上げられたウォルフの側に座っていた。

もしも異変が出るようなら、助けてあげたいと思ったからだ。

「ハニーは優しいね」

側に、タントリスが座った。

クーデリアは時々此方を見ながら、データを整理してくれている。ホムに到っては、黙々と作業を続けていて、此方には興味がなさそうだ。

満天の星空。

いつの間に、音楽を止めたのだろう。

少なくとも、作業の邪魔にはならなかった。

「タントリスさんは、どうしてわたしに近づいてきたんですか?」

「これは直球だね」

「だって、タントリスさんの好みに、明らかにわたしは入らない筈です。 女の子のことが何よりも大事そうなタントリスさんがわたしに近づいてきているのは、やっぱり仕事だから、ですよね」

何のために、側に来たのか。

もう、結論は出ているけれど。タントリスから、直接聞いておきたい。

タントリスは、不意に真顔になる。

「確かに君はまだ乳臭い子供だけれど」

「……」

「だが、いずれはとても美しい女性になると思っているよ。 あまり自分の事を卑下するようなことは、言わない方が良い」

すっぱり言ってくれるものだ。

ロロナとしては、どう反応して良いのか分からない。ただ、タントリスは、真剣なようだった。

「まあ、君の言うとおりだ。 僕はね、仕事で君に接近したのさ。 仕事の内容は、君の周囲の人間関係を引っかき回すこと」

「どうして、そんな事を」

「君により大きなストレスを与えるのが、理由さ」

何故か、までは応えてくれない。

ただ、それだけで充分だった。

何となくはわかった。

要するに、ロロナが順調に作業を進めるようではいけないと、誰かが考えたのだろう。其処で、わざわざタントリスが足を運ぶことになった。

この人は本職の諜報員だろうと、ロロナはにらんでいる。

既に、ジオがロロナの周辺環境に絡んでいることは、掴んでいる。つまり、王が直接関わってくるほどの何かおおきなものなのだ。一諜報員が、関わってくる事くらいは、不思議でも何でも無い。

「ただ、今は少し難しい立場になっていてね」

「難しい、立場?」

「要は、僕の父上が、この任務から僕を外したがっている。 でも、僕自身は、この任務を続けたい」

何故だろう。

立身のためだろうか。

ロロナだって、クーデリアの立場をしっかりしたものにするという目的があって、モチベーションを維持している。

そう考えてみれば、立身のために動いているのと、あまり変わらない。

どうして、とは。

だから聞かなかった。

しばらく様子を見たが、ウォルフは苦しむこともなければ、暴れ出すようなことも無かった。

念のため、丸一日をおくつもりだけれど。

多分実験は成功とみて良いだろう。

「僕は仕事とは言え、君に散々迷惑を掛けてきた。 リオネラくんの一件だって、僕が裏から糸を引いていたからね」

「えっ……」

「酷い事をしたとは思っているよ」

だから罪滅ぼしを少しはしておきたい。

そういうと、タントリスは立ち上がり、アトリエに戻っていった。

既に夜も更けている。

どうするつもりかと聞くまでも無く、タントリスはアトリエを出て行った。

そうか。あの人が、ロロナの側にいたのは、そういう理由だったのか。それならば、少なくとも今は、心配しなくても良さそうだ。

クーデリアは泊まっていくと言っていた。ロロナはどうするかしばらく悩んだけれど。タントリスは、もういい大人だ。彼は彼なりに考えて、今の結論を出しているならば、それを尊重しなければならないだろう。

だから、追わないことにした。

罪滅ぼしか。

記憶が戻った今では、それがどれだけ苦しいことか。ロロナには、よく分かっていた。

 

2、大臣の苦悩

 

プロジェクトの会議は、淡々と終わった。クーデリアは無言で、自分の肩を揉んでいた。

現在は、ロロナが全く問題なく課題をこなせているため、会議でわざわざ話し合う事が無いのだ。むしろスピア連邦にどう対処するかに、今は会議の比重が移りはじめている。ロロナには言っていないけれど。

場合によっては、スピアの首都を、火の海にするかも知れない。

その場合は、万を超す死者が出るだろう。

だが、そうでもしないと、今のスピアは止められない。それほど世界そのものにとって危険な存在になりつつあるのだ。

クーデリアはフォイエルバッハ卿とは口も聞かない。視線も合わせない。

同じように、タントリスことトリスタンとメリオダスも、最近は目だって間が冷え切っていた。

話によると、タントリスはスピアへの攻撃計画について、参加を希望しているのだという。

今回の作戦は、王を一として、アーランドの重鎮があらかた出るほどの大規模なものだ。当然スピアも総力で反撃してくるだろう。彼らが作っている生物兵器の性能は、クーデリアも嫌と言うほど知っている。

命の保証など無い。

罪滅ぼしを望むというタントリスと、可能な限り平穏に暮らしたいと考えているらしいメリオダスでは、意見に対立が生じて当然かも知れない。

いずれにしても、クーデリアには関係無い。

というよりも、だ。

思春期の一番大事な時期に、父と激しい確執があったクーデリアには。父と子の関係というのが、よく分からないのだ。

クーデリアにとって、父は対立している相手であり、最終的に叩き潰す敵でもある。会話するどころか、同じ空気を吸うのでさえ嫌だ。

タントリスは、父と意見を対立させてはいるが、喋るときは冷静に応じているし、会話だって理性的に行っている。クーデリアと父に比べれば、全然マシだ。

とりあえず、クーデリアには関係無い。

今のところ、ロロナに直接危険があるような議題は上がっていない。それだけがクーデリアの興味の対象だから、どうでも良いと言ってしまっても構わなかった。

地下を出て、地上に。

会議はすぐに終わったけれど、既に時刻は夕方だ。中には、酒を飲みに行く者もいる様子である。

メリオダス大臣がその一人だったのは驚いた。

クーデリアはまだ酒を出しては貰えない年なので、ロロナのアトリエに向かう事にする。どんどん鋭くなっているから、或いはクーデリアが会議に出ていたことも気付くかも知れないけれど。

もう、それさえ、どうでも良かった。

「クーデリア君」

振り向くと、ステルクだ。

聞くまでも無く、用件を言ってくる。雷鳴が呼んでいるという。

何故、わざわざステルクがそのような事をいうのか。理由は推察できる。恐らくは、今回のスピア首都攻撃作戦に、クーデリアを加える可能性があるのだろう。だから、今は少しでも鍛えておく必要がある、と。

別に驚きはしない。

以前から、その可能性については、あり得ると思っていたからだ。

言われるまま、雷鳴の所に向かう。

実は少し前に、会議で明確に言われたのだけれど。クーデリアは、今後この国の公務員に据えるという。

ポストを提示されたと言うわけだ。

おそらく所属は騎士団になる。

騎士団は近々解体されるという噂もあるけれど、その後継組織は残る。軍となるのか、或いは別の名前になるのかはわからないけれど。とにかく、この国にとって重要なポストを任されるのは確定だ。

ロロナのためにも、今は余計な波風を立てるわけにはいかない。

雷鳴の所に出向いたときには、既に日が地平に沈もうとしていた。

 

ひとしきり、雷鳴の所で修行する。

最近は、基礎訓練だけではなく、様々なスキルや戦いでの心得も、直接教えてもらうようになった。

雷鳴は、自分の後継者を作ろうとしているのかも知れない。

勿論、雷鳴も引退時に、己のスキルを文書化して、王宮の図書館に残している。それにも目は通したけれど。

記憶力に自信があるクーデリアがこういうのは変かも知れないが。直接教わると、やはり違うものがあるのだ。

雷鳴には子孫もいるはずなのだけれど。彼らに技は伝えなかったのだろうか。

聞いてみようかと思ったが、最近の修練はかなり激しくて、そんな余裕は無かった。組み手にしても、死ぬ気で掛かってこいと言わんばかりの気迫で、向かってくるのである。余計な事を喋る余裕は無い。下手をすれば、舌を噛む。

何度もたたきのめされて。

地面に這いつくばっては立ち上がる。

その度に、今は何が悪かったのかを、懇切丁寧に説明された。

元々クーデリアは記憶力が良い。だからそれらを全て覚えるのは、難しい作業では無い。

一方で、戦闘の才能そのものはあまりない。

だからわかっていても、一発で出来るとは限らない。

それでも雷鳴は、丁寧に教え込んでくれた。

すっかり日が暮れた頃に、今日の修行を終える。帰りにロロナのアトリエに寄ろうと思ったのは、銭湯へ行くつもりだからだ。

今ではフォイエルバッハの風呂も使えるようになったのだけれど。

やっぱり、風呂でロロナと一緒に過ごすと、だいぶ気分もいい。

雷鳴の老妻は、お土産と言って、小さなケーキを焼いてくれた。この人もいっぱしの戦士だったはずなのだけれど。今では雷鳴とクーデリアの訓練を見守る、優しいおばあさんとなっている。

若い頃は獰猛さで怖れられた戦士だったと言うから、人は変わるものだと驚かされる。

「また来ます」

「うむ。 出来るだけ早く来なさい」

訓練の時の容赦なさと裏腹に、雷鳴はとても優しい声で、そう言ってくれる。クーデリアが一番好きな老人は、この夫婦かも知れない。

一礼すると、雷鳴の屋敷を出る。

後は、ロロナのアトリエに寄るだけだ。

その途中、サンライズ食堂を通りかかったのだが。意外な人物が、其処で飲んだくれているのを見かけた。

メリオダス大臣である。

その時は、放っておくことにした。

メリオダスは戦士階級との軋轢を避ける事天才的と言われているけれど。それでストレスが溜まらないはずもない。

大人には色々あって当然だ。

変に深入りするのは、却って失礼に当たるだろう。

ただ、相当に落ち込んでいるようだった。

あれほど「出来る」人でも、落ち込むのか。それは、そうだろう。完全な人間などいない以上、当然のことだ。

ロロナのアトリエに到着。実験の正否を見せてもらう。どうやら、マリンナイザーは問題なく完成したようだった。

これで一安心である。

お土産のケーキを開く。

クリームを殆ど使っていない、少し大人向けの造りだ。丁度来ていたリオネラとロロナと、ホムと一緒に四人で食べる。丁度四つあったので、問題ない。

あまり美味しくは無いけれど。

安心できる味だ。

お茶を淹れてから、しばらく無言になる。

クーデリアも、こんな両親がいたら良かったのに。こういうとき、つくづくそう感じてしまう。

何故、クーデリアの父は、ああも薄情なのだろう。今でも、家では冷戦が続いていて、ろくに口もきかない。

エージェント達はクーデリアに味方はしてくれるけれど。フォイエルバッハ卿は名ばかりの貴族達とは違って、国政にも発言権を持つ大物だ。きっと内心では、ひやひやのし通しなのだろう。

それから、連れだって銭湯に行く。

ホムは全く成長しないのかと思ったのだけれど。ロロナの話では、少しずつ確実に背が伸びているという。

元々クーデリアより背が高かった上に、これ以上伸びるというのか。口惜しい事だ。

背中をロロナに流してもらいながら、聞いてみる。

或いは、ホムンクルスへの対抗心から、かも知れない。

「ねえ、ロロナ。 あたしってば、怪我減った?」

「うん! 受け身も上手になったんだよ、きっと。 背中も、前よりずっと綺麗だよ」

「そう……」

成長は、しているのか。

雷鳴が手加減してくれているとは思えない。

ステルクが太鼓判を押してくれている。クーデリアの実力は、充分にベテラン戦士達に並ぶものだと。

ロロナと一緒にアホみたいな格上のモンスターと死闘を続け。必死に鍛錬を続けた成果だ。

少しだけ、気が楽になった。

ちらりと隣を見る。ロロナが、今度はリオネラの背中を流していた。此方はと言うと、本職の暗殺者だった時代から随分時間が経っているからか、とても綺麗な背中である。

リオネラは相変わらずの美しいプロポーションだ。

最近は殆ど、以前の薄着での人形劇をしない。クーデリアがリオネラと一緒にいるところを見ていたおっさん達から、リオネラは人形劇をしないのかと、たまに聞かれる事がある。

本人次第だろうと応えるようにしているのだけれど。

今のリオネラは、憑き物が落ちたようなものだ。きっと、薄着を来て、小銭を稼ぐための人形劇をする事は無いだろう。

それに、最近では、アラーニャとホロホロを連れていないことさえある。

恐らくは、近いうちに、人格が統合すると見て良い。

体を綺麗に洗った後は、湯船でくつろぐ。

風呂に入ってきた人がいる。

エスティだ。

「あらこんばんわ。 貴方たち、仲良くお風呂?」

「こんばんわー」

ご機嫌の様子でロロナが言うので、クーデリアとリオネラも吊られて返事する。

それにしても、エスティは大変魅惑的な体つきだ。これで男が出来ないのだから、余程性格が悪いのだろう。

エスティと入れ替わるようにして、風呂を出る。

少し体を冷やしてから、帰ることにした。休息所で牛乳を呷ってから、少し椅子に座ってゆっくりする。他愛も無い事を少し喋って、それからアトリエに戻るべく、銭湯を出る。

つれだって、サンライズ食堂の前を通りかかったとき。トラブルが起きる。

店から出てきたメリオダスが、真っ赤になって壁に崩れ落ちるところに遭遇したのだ。余程痛飲したのだろう。

ロロナが、即座に介抱をはじめる。

「放っておきなさい。 巡回が見つけるわよ」

「でも、この人、大臣だよ」

知っていたのか。

ひょっとすると、王が顔合わせをさせたのかも知れない。もしそうだとすると、アーランドの柱石として、ロロナを据えるつもりなのか。

あり得ることだ。

リオネラが、すぐに回復の魔術をかけ始めた。傷を治すものではなくて、体調を整える、より繊細で難しい術だ。こんな技術も身につけたのか。本格的にリオネラが勉強をしているのだとわかって、少し焦燥さえ感じる。完全にろれつが回っていなかったメリオダスは、誰が自分を介抱しているのかもわからないようだった。

仕方が無いので、クーデリアも水を汲んでくる。

ロロナはアトリエにひとっ走りして、酔い止めの薬をとってきた。どうしてこんなものがあるかというと、単純に調合したのである。

時間がある時に、少しでもスキルを付けようと、ロロナはいろいろなものを作っている。その中の一つだ。

水をまず最初に飲ませて、次に酔い止めを。

真っ赤に血走った目を、メリオダスはロロナに向ける。

「なんだ、老人扱いするな。 わしは、この国の大臣なんだぞ。 まだ若い、若いんだ」

「大丈夫、これを飲んで」

「み、みんなわしを馬鹿にしおって! この程度の酒、わしにとっては、なんでもないわい!」

しかし、明らかにクーデリアから見ても、この状態は許容量を超えている。

メリオダスは凄まじい酒臭を、口から吐き散らしている。それに、喋っていることも、支離滅裂。

アーランドの中でも、殆どいない労働者階級の高官が、このような姿をさらしていると知れば、多くの民は嘆くだろう。

頭を掻きながら、サンライズ食堂から、イクセルが出てきた。流石に、騒ぎを聞きつけたのだろう。

「イクセくん、どうしてこんなに飲ませたの!?」

「そんなこと言われてもなあ」

「うるさい! 放せ! わしは、家に帰る!」

立ち上がろうとしたメリオダスが、顔面から地面に倒れそうになったので、慌ててリオネラが支えた。

メリオダスはぶつぶつと、何か恨み言を言っている。

内容は、逐一聞こえてしまう。

息子達が、跡を継いでくれない。

みんな言うことを聞いてくれない。

元々メリオダスは、この様子では、スピアとの会戦には反対だったのだろう。クーデリアだって、国力が何倍か知れない上に、強力な錬金術師を五人も抱えているスピアと戦うのは不安だ。

だが、今なら勝てる可能性が高い。

スピアを好き勝手させれば、この大陸どころか、人類が致命打を受ける可能性が大きい以上、やるしか無いのだ。

確かにスピアのやり方なら、ある程度豊かな生活を享受できるかも知れない。モンスターに襲われる怖れも無くなり、民は平穏に生きられる。しかし、その先に待っているのは、資源を完全に使い果たした荒廃だけだ。

今、荒野が世界中に広がっている状況で、これ以上自分たちだけ贅沢をするなんて、考えられない。

「ほら、此処に寝てください」

「年寄り扱いするなと、いっているだろう! そもそもわしは」

「大臣ですよね。 メリオダスさん」

ロロナが耳元でささやくと、一瞬だけメリオダスは正気になったようだった。

嘆息すると、クーデリアは、無言でその場を離れた。

ある単語が、聞こえたからである。

 

タントリスがどこにいるかは知っている。

あの男は、色宿を転々とし、ガールフレンドをとっかえひっかえしながら、毎日を過ごしている。

それだけモテると言う事だ。

ただし、その分金遣いが激しくて、すかんぴんも同様だという。諜報員としての給金も、殆ど女遊びに使ってしまっているそうだった。

問題にならない理由は二つ。

一つは、アーランド人以外の恋人を作らないこと。

これは諜報員になった時に申請されていて、もし破ると文字通り首が飛ぶという。当然、ハニートラップを避けるための工夫だ。

もう一つは、居場所をしっかり諜報部隊に申請していること。

これも、ハニートラップを防ぐための工夫である。

色宿にクーデリアが足を運ぶと、店長が不思議そうな目で見た。小さな宿であり、壁は隙間だらけ。一階建ての木造はくたびれていて、隙間から漏れたあえぎが、此処まで聞こえてきている。

部屋はどこも、夜の営みの真っ最中というわけだ。

タントリスは、一番奥の部屋だと、店主は言う。廊下まで安っぽくて、歩いていると木の床を踏んで、いちいちぎしぎし音が鳴った。

戸をノックすると、半裸のタントリスが出てくる。奥のベッドには事を終えて、満足そうな女性戦士が、全裸のままいる。

確か最近ようやくベテラン入りした戦士だ。クーデリアとも、何度か顔を合わせたことがあった。

性交の後だからか、タントリスの声は、いつもより艶があるように思えた。

「おや、どうしたんだい、クーデリア君。 僕の所に来てくれるなんて、光栄だというべきなのだろうけれど。 君ではまだ艶事には早いように思えるな」

「あいにくだけど、これでももう成人扱いされる年になってるわよ。 ……あんたの親父さんが、路上で酔いつぶれているのよ。 対応は任せるわ」

面倒だと思いながらも、更に付け加える。

「あたしだって、こんな所に来たくないわよ。 てか、あんたに抱かれるくらいだったら、ドラゴンに踏みつぶされた方がマシね」

「まあ、君はロロナくんにしか興味が無いようだし、それもそうか」

残念だが、それもノーだ。

ロロナは誰よりも大事な存在だ。あの子のためなら死んでも良いと、クーデリアは本気で思っている。

しかし、ロロナ本人に性的な興奮を覚えた事は一度も無い。抱きたいとも抱かれたいとも思わない。

クーデリアは男性にも女性にも、そもそも性的な魅力というのを殆ど感じない。ロロナでさえ時々格好いい男の人がどうこう、という話をするのに。まるでそういった事に、興味が湧かないのだ。

体が未成熟なまま止まってしまっているのが原因の一つだろう。正直、今後結婚したり、子供を産んだりすることは、半ば諦めてもいる。

これも、一度死んで、無理矢理蘇生させられたことの弊害の一つ。

口に出さなくても、それはわかりきっていた。

女性戦士とタントリスがなにやら話している。濃厚なキスをした後、部屋を出てきた。

「意外ね。 あんな親父知るかって言うかと思ったのだけれど」

「あの人は、寂しい人なんだよ。 僕も外で色々と活動して、人の業に触れてきて、ようやくそれがわかってきたのさ」

「あんたの下半身も、その業かしら」

「それは否定しないよ。 何しろ外では、女性断ちをしているも同じでね」

ただ、そろそろかも知れないと、タントリスは言う。

アーランドでは、身を固めてからの浮気は好ましい事とはされない。戦士としての業績を上げれば複数の配偶者を持つ事が許される国ではあるが、それ以外の異性との関係は戦士として最大の恥とされる。

現地に着く。

まだ、ロロナとリオネラが、酔いつぶれた大臣の手当をしていた。サンライズ食堂の前で酔っ払いが騒ぐのは珍しくもないし、通行人は気にもしていない。

そのまま、クーデリアは距離を置いた。

タントリスは、酔いつぶれてしまっている父に歩み寄ると、抱え上げる。そして、器用に背負って見せた。

ロロナは、タントリスがどうして来たのか。すぐに悟ったようだった。

「すまないね、父が迷惑を掛けた」

「タントリスさん……」

「僕が父の泥酔の原因を作ったも同然だ。 それに、散々迷惑を掛けた君に、これ以上迷惑を掛けようとは思わない。 父は、僕が連れて行くよ」

無言のまま、タントリスが行く。

呼びに来てくれて有り難うと、隣を通るときに、クーデリアに言い残していった。

歩みからして、相当にメリオダスは軽くなっていたらしい。

いつのまにか、隣にロロナが来ていた。

「有り難う、くーちゃん」

「別に、どうって事も無いわよ」

リオネラが、はいこれと、手渡してくれる。

どうやらタントリスが置いていったらしい。恐らくは、あの恋人の一人にでももらった、お菓子か何かだろう。

ひょっとしてあの男。

性的な話以外では、女性との接し方が、案外下手なのでは無いのか。

顔を見合わせて、苦笑する。

少しだけ、タントリスのことが、分かったような気がした。

 

3、よどんだ湖の底

 

完成したマリンナイザーを三機。更に、エアドロップを充分な量詰め込んで、ロロナはアトリエを出た。

既にクーデリアにひとっ走り行って貰って、悪魔達との合流は日時をあわせてある。

後は、ステルクに出来れば護衛を頼みたかったのだけれど。

今回は無理と言われてしまったので、仕方が無い。ロロナとクーデリア、リオネラだけで行くことにする。

タントリスは父の所で大臣の修行をすることに決めたとか、この間告げてきた。今後も護衛の仕事は受けるけれど、その頻度は下がるだろうとも。勿論修行したからと言って大臣になれるわけではないだろうけれど。父を安心させる事は出来るのだろう。

良い事だと、ロロナは思う。

クーデリアの所の悲しい親子関係を見ていると、なおさらそう感じるのだ。

改善出来る関係なら、そうした方が良い。

荒野をできる限り急いで北上する。何だかおかしな事になっているようだし、襲撃を受ける可能性もあるからだ。

今なら、多少の戦力なら、跳ね返せる自信はある。

あれから杖も改良を続けている。体にも、幾つかアクセサリを付けて、それらには皆アーランド石晶を仕込んでいる。

今開発しているのは、神速自在帯とでも名付けようと思う装飾。

これは加速の魔術を極限まで掛けて、なおかつ仕込んだアーランド石晶にエンチャント持続の効果を入れることで、半永久的に戦闘での加速機動を実現するものだ。これを完成させれば、ロロナは完全に攻撃に回ることが出来、ガードが必要なくなる。

そうなれば、リオネラもクーデリアも、それぞれが攻撃に全力を集中することが可能になる。

似たような装飾は、上級魔術師が今まで作った事があるけれど。

それらは、目玉が飛び出すような高級品だった。勿論、最上位の魔術師や、とてもお金がある人、アーランドで言えば国家軍事力級の使い手にしか支給されないような、国宝だったのだ。

ロロナがこれを量産することが出来れば、戦場の歴史が変わる。もっとも、今はまだ試作段階で、問題が山積しているが。

ただ、今までに無かった技術では、ない。

単に宝石が高価で、作りようが無かったものなのだ。ロロナがアーランド石晶の量産に成功したからこそ、出来るようになっただけ。

別に凄い発明品では無いと、ロロナ自身も思っている。恐らくは、宝石がたくさん産出する国では、実用化している場所もある可能性が高い。

これはまだ実用には届いていないが、幾つか試作段階のアクセサリを身につけているし、今回の戦力は今までで最大。ステルクがいなくても、どうにかなる自信はある。ただ、それでも、万全は期したいのだ。

悪魔達と合流。

今回は荒事を想定しているからか、かなりの大型悪魔も一緒にいた。強面で、見るからに機嫌が悪い。

頭を下げて挨拶するけれど、返事もしてくれなかった。

きっと、人間を良く想っていない悪魔の一人なのだろう。

「それで、今回は問題ない、という事なのですかな」

「はい。 完成しました」

「おお……」

歓喜の声を上げる長老と裏腹に、他の悪魔達が顔を見合わせる。

それにしても、水中に伸ばせるチューブを作れるほどの技術があるのに。空気を作り出す事が出来ないというのも、どこかちぐはぐではある。

まず、ロロナ達で、チューブの最下層に降りる。

そして、マリンナイザーのバルブを捻った。少しずつ、放出する空気の量を、多くしていく。

クーデリアはしばらく無言だった。

やがて、ロロナが咳払いして、話しかける。

「どう、声、変じゃ無いかな」

「今回はまともよ」

「そう、良かった」

それなら、安心か。

更に空気の量を多くしていく。緊張の一瞬だ。ウォルフは実験の後放してあげたけれと、ぴんぴんしていた。

人間だって、平気な筈。

リオネラが、不安そうにしている。彼女は以前と違って、とても明るくなったけれど。反面、怖がったりしている様子が、非常に人間らしく出るようになった。何というか、庇護欲を誘う雰囲気である。

多分男子から見たら、以前の薄幸で影があるリオネラと。今の人間らしい優しげなリオネラとで、好みが分かれることだろう。

「ロロナちゃん、まだ、実験は終わらないの?」

「うん、大丈夫」

「アラーニャとホロホロが、気をつけろって言っているの。 念のため、自動防御を展開するよ?」

「! わかった。 お願い」

何か危険があると言うことだ。

リオネラの魔力は、ロロナよりずっと上。その分、勘も働くと言う事だ。

ここから先は何があるかわからないし、慎重には慎重を重ねた方が良い。ロロナは深呼吸すると、一旦戻る事にした。

悪魔達は、首を長くして待っていたけれど。

下の呼吸は、かなり楽になったことを伝えると、何人かが連れ立ってロロナと一緒に来た。

そして、目を見張る。

「おう。 非常に空気が濃くなっている!」

「これなら作業に支障が無い」

「気をつけてください、何だか嫌な予感がします。 奥に恐ろしい存在がいるのかも」

「わかっています。 いわゆるガーディアンがいる事は、想定済みです」

悪魔の技術者達が、さっそく作業を始める。

魔術を展開していくのだけれど、彼らのは、人間が使うものと根本的に違う。今まではゆっくり側で見ることが出来なかったので、参考になる。

人間は魔術を口で唱えたり、動作で完成させる。

いわゆる呪文詠唱である。

だが悪魔達は、同じ事を別の手段で行っている。息を吸い込むことで喉を鳴らし、魔術を詠唱するのだ。

つまり、吸うと吐くの違いである。

それに、これならば魔術が使えない理由もよく分かった。

マリンナイザーを、もう少し捻っておく。空気が更に濃くなってきて、悪魔達は喜び勇んで魔術を使う。

チューブがみしみしと音を立てながら、奥に広がっていくのが分かる。マリンナイザーが爆発しないように、バルブを再調整。

リオネラはじっと、奥の方を見ていた。

きっと、そちらに何かいるのだ。クーデリアが無言のまま、上に行く。荷車を取りに行ったのだ。ロロナも手伝う。

チューブの傾斜は激しくて、荷車を下にまで運ぶのは苦労する。リオネラには、自動防御を展開していてほしいから、そのままでいて貰う。運びながら、クーデリアは、珍しく不安げな事をいった。

「もしも何か危険があるなら、入り口の方じゃないかしら」

「うん、それはわたしも思う。 もしこの間の、夜の領域みたいな兵力で襲撃されたら、逃げ道がなくなっちゃうね」

「だから籠城に備えて、これを運んでいるのよ」

「あ、なるほど」

このチューブは、延長が出来る。

最悪の場合、入り口を閉じてしまって、別の所から脱出すれば良い、というわけだ。

最下層まで降りる。冗談のように巨大な魚が、此方を物珍しそうに見ていた。島魚でさえ一呑みにしそうなサイズだ。

ロロナと目が合う。

向こうも、目があった事に気付いたのか、じっと見つめ返してきた。

いきなり、ぱくりとしてくるけれど、チューブに阻まれる。ひれを小刻みに動かしながら、大きな魚はもやが掛かったように暗い水の向こうへ消えていった。

リオネラが自動防御を展開している横で、悪魔達が詠唱を連続して行って、チューブを延長している。

その中の長老が、降りてきたロロナに聞いてくる。

「もっと空気を濃く出来ませんかな」

「ごめんなさい、これが限界です。 これ以上バルブを捻ることが出来ないように、設計してあります。 下手をすると、マリンナイザーが爆発してしまうので」

「なんと。 なるほど、それは慎重に」

ひょっとして、勝手にいじろうとしたのか。

危ないと思ったので、マニュアルを渡す。提出分では無いので、ざっとクーデリアに精査してもらっただけだけれど。

ロロナがよく使ってしまう擬音は、できるだけ排除してある。

魔術を唱えてチューブを拡大する悪魔達の中で、監督のような仕事をしている長老が、なるほどと何回か頷きながら、目を通していた。

確かに、チューブを広げれば広げるほど、空気が薄くなっているのがわかる。

「少し休憩を入れながら作業を進めてください!」

呼びかけて、作業速度を落としてもらおうと思った。だが、悪魔達は聞いてくれない。

心配しなくても、エアドロップはたくさんたくさん持ってきている。おそらく、どれだけ乱暴に使っても、尽きることは無いだろう。

ただ、作業速度が、予想より早すぎる。

しかも悪魔達は休憩知らずで作業をするものだから、このままだと、マリンナイザーの空気供給速度が追いつかなくなる。

このままだと事故になりかねない。

長老を呼んで、今後の計画について話す。長老によると、これからチューブを一気に目的地まで伸ばしたいという。休憩無し。しかも、今日中に、だ。

「一体どうしてそんなに急いでいるんですか」

「……悪いが、安易に話せることでは無い」

「でも、此方も危険を考慮して、作業をしています。 このままだと、事故につながりかねません」

休憩を入れた悪魔達は、また考え無しにチューブを伸ばしはじめた。

マリンナイザーの二機目を起動しようかと思ったけれど。考え直さなければならないかも知れない。

湖底の洞窟が見えてきたと、前の方にいた悪魔が知らせに来た。

この洞窟を抜けた、地底の空洞に、その目的の遺跡があると言う。ロロナとしても、早めに目的は達成したいとは思っている。

しかし、今のままでは、危険すぎる。

クーデリアが咳払いした。

目が据わっている。これは、ひとこと言うつもりだ。

「計画を練り直すわよ」

「そんな、勝手な」

「そちらの方が勝手でしょう!? 危険を顧みずに作業をするなって言っているのに、どうして聞かないのよ!」

悪魔達とロロナ達の間に、険悪な空気が流れる。

悪魔の長老が、一旦作業を停止すると言うと、ようやく空気がわずかに弛緩した。ただし、作業中の悪魔達は、不満をありありと目に浮かべていた。

 

マリンナイザーから、空気は出したままにする。現在工事中の最深部へ置いてきたのは、其処から空気を出す事で、薄くなったり汚染されたりしている分を追うためだ。

一旦地上に出たのは、クールダウンのため。

湖底とはいえ、水を防ぐチューブの中にいるからだろうか。中は妙に暑い。それで、皆もイライラしてしまうのでは無いのか。そう思って、外に出てきたのである。

地図を広げる。

大柄な悪魔達と、面と向かって工事計画について話すのは初めてだけれど。先のようなことになると、後が大変だ。しっかり計画は練らないと危ない。

「なるほど、作業の空気消費量と、マリンナイザーの空気生成量が、釣り合っていないというのですな」

「はい。 このままだと、きっと倒れる人が出ます」

「しかし、我らにも時間が無い。 近々スピアとの戦いも控えているし、このままでは間に合わぬのだ」

「……?」

どういうことか。

この先にあるのは、兵器か何かと言う事なのだろうか。

長老は頭を振ると、教えてくれる。

「やむを得ん。 どうせ辿り着けば話す事になったのだし、貴方なら、良いだろう。 確かに噂通り極めて誠実な錬金術師のようだ。 実はな、空間転移の技術が、この先にあるのだ」

「空間転移、ですか」

「とはいっても、さほど便利なものではない。 上級の悪魔や魔術師が使うこともある程度のものだ。 使うには魔力も必要とするし、事前に転移座標を決めておかなければならない。 それほどの長距離も移動できない。 ただ短距離を飛んで奇襲したり、撤退するには有益な技だ」

確かにそう言う技術がある事を、ロロナも知っている。

同じような技術で、空中に見えない足場を作ったり、あり得ない超加速を行ったりする技もある。

ただこれらは一種のスキルに近い存在として認識されている。

つまり、万人が使えるものではない。

万人が使える技術となったら。確かに、それが産み出す利潤は、計り知れないものとなるだろう。

なるほど、悪魔達が、発掘に躍起となる筈だ。

「発掘と言っても、何かの書物として、あるんですか?」

「説明してもわからぬだろうが、そんなところだ。 とにかく、急いで進めなければならん」

地図を取り出してくる長老。

ロロナは頷くと、今までの様子から考えて、線を何カ所かに引いていく。

「此処まで進んだら、一旦休憩としましょう。 空気を入れ直して、それから続きの作業です。 後は、順次同じように」

「いいなりになるようで気に入らん」

不意に口を挟んできたのは、最初に顔合わせをした、非常に大柄な悪魔だ。

目には強い不審。怒り。

それに、自身への信頼が宿っていた。

「俺たちの屈強な肉体を用いれば、多少の過酷な環境での作業くらい何でも無い。 そもそも貴様らに力を借りる必要さえないのだ」

「ジョネフェス!」

「いいや、長老、言わせて貰うぞ。 確かに此奴は、嘘を言わずに、何だか空気が出る道具を持ってきた。 それは人間にしては立派だと認める。 だがな、そんなもの最初からいらないと、俺は言っていたはずだ。 最悪俺一人でも、発掘はやり遂げてみせる」

「ちょっとあんた、言いたい放題ね。 あんた一人で好き勝手して、失敗したらどうするっていうのよ!」

「クーデリアちゃん」

真っ青になって、立ち上がりかけたクーデリアの袖をリオネラが引く。

クーデリアとジョネフェス。二人の視線は、火花が出るほどに激しくぶつかり合っていた。

しかもロロナが見たところ、この大柄な悪魔ジョネフェスの実力は、纏っている魔力や足捌きなどから判断して、多分クーデリアと同じくらいだ。ロード級というほどでは無いにしても、相当な猛者である。

性格も似ているようだし、それならばぶつかり合うのも当然かも知れない。

「ジョネフェス、落ち着け。 ロロナ殿。 作業が遅れているのも事実なのだ。 多少無理してでも、一気に進めたい此方の気持ちもわかって欲しい」

「命を無駄にしても、ですか。 それは」

「俺たちはな、生まれたときから、命なんて無駄にしているも同然なんだよ」

怒りを込めて、ジョネフェスが声を絞り出す。

彼らの事情は、もうロロナも知っている。だから、その意味は、よく分かる。

生まれながらにして、世界に撒かれた恐ろしい毒を中和する路を選んだ一族。その過程で異形化し、生殖さえ出来ない身になり、今でも苦しみと闘いながら、世界の浄化を続けている。

元は同じ人間。

それなのに、異形から悪魔と呼ばれるようになってしまった存在。

悲劇を知っている。だから絶対に、彼らの命を、粗末になどしてはいけないのだ。

ぎゅっと唇を噛む。

此処は説得しなければならない。例え、力尽くでも。

「貴方たちの命は、無駄なんかじゃありません!」

「知った風な口を」

「知っています! だから、無駄じゃないって言うんです!」

ジョネフェスが、怒りのうなりを上げた。

ロロナだって引けない。

「止めて!」

「止めぬか!」

同時に、二つの声が、間に割り込む。

ジョネフェスの体に、光の輪が巻き付くのと。ロロナが、不意にへたり込むのは同時だった。

何だろう、今のは。

無理矢理座らされたようだった。

リオネラの目が、淡く光を帯びて輝いている。これが、或いは。話に聞いた、サイコキネシスの、本来の使い方なのか。

ジョネフェスも不満そうだけれど、そのまま無理矢理座らされる。

長老が大きく嘆息した。ジョネフェスを縛った光は、長老の魔術であったらしい。

「折衷案と行こう。 このままでは、無駄に時間を浪費するだけだ」

「……休憩時間を減らす、という事ですか」

「いや、距離を減らそう。 つまり、休憩を小刻みに多めに入れる」

長老が、地図に線を入れていく。

ロロナが引いた線の、間に一本ずつ。なるほど、それならロロナとしても、異存は無い。細かく作業をしていくことで、危険度も減らすことが出来る。

「ちっ。 まあいい、それでいいだろう」

ジョネフェスが視線をそらす。

ロロナも、少し熱くなりすぎていた。

作業が再開される。

時間が空いたからか、チューブの中はかなり過ごしやすくなっていた。クーデリアが、外に残るという。

「見張りはあたしが悪魔達と行うわ。 中は任せるわよ」

「うん、お願いね」

暗い湖底での作業が進められる。

悪魔達が息を吸いながら、魔術を展開。確かに言うだけあって、ジョネフェスの作業効率は高く、見る間にチューブが進んでいく。

湖底の洞窟に突入。

二つ目のマリンナイザーを設置して、バルブを開いた。こうすることで、毒の空気を、効率よく追い出すのだ。

一旦休憩。

やはり進む速度が極端すぎる。少し息を吸って吐いて、しばらくはマリンナイザーを動かさないと駄目だと、ロロナは判断。また、マリンナイザーに、エアドロップを追加もした。

作業を横目で見ていたジョネフェスが、語りかけてくる。

「なあ、知ってるか」

「何を、でしょうか」

「俺たちは息を吐くとき、同時に毒を吐いているらしいんだよ。 昔の人間だったら、今のこの場所にいたら、とっくに死んでいる、って話だ」

「……」

そう言う意味でも、人は強くなっているのか。

パメラに聞いた、人の罪業の歴史を思い出してしまう。ジョネフェスは、巨大な人型だが、生殖器も見えないし、角もたくさん頭に生えている。部分的には、あまり人間とは似通っていない姿だ。

しかし、そのシルエットは、翼と尻尾を除けば、人そのもの。

「俺は生まれたとき、男だったのか女だったのかさえわからん。 俺が子供を作る時は、一族の他の誰かとの情報を混ぜ合わせて、魔術で作る。 そうして出来た子供は、半分も、一年を生きられない」

命って何だ。

俺たちは、なんでこんな戦い方を、生まれる前に選んだんだ。

どんと、空気のチューブをジョネフェスが叩いた。ロロナには、応えることが出来ない。人間は罪業の時代を超えて、強くなった。

「俺は、俺たちがこんな事を続けなければならない時代を、さっさと終わらせたいんだよ」

そういうジョネフェスの顔は、ロロナの所からは見えなかった。

しばらく待つ。

空気がそろそろ充填されてきたので、作業再開の指示。

長老が監督している事もあって、今度は悪魔達も、言うことを聞いてくれる。作業は着々と、進んでいった。

無駄口は、誰も叩かない。

或いは、ジョネフェスと同じ事を。みな、考えているのかも知れない。

 

4、湖底の墓標

 

湖底の洞窟はかなり曲がりくねっていて、チューブの作成作業は大変だった。途中、空気が溜まっている場所もあったのだけれど。流石に、何も動物は住んでいないようだった。

其処を中継地点にして、チューブを進める。

曲がりくねった洞窟は、上に行ったり下に行ったり、本当に進むだけで苦労させられる。皮肉な話だけれど。ロロナとジョネフェスがあれだけ対立したのに、洞窟に入ってしまえば、結局進行速度を落とさなければならなかった。

洞窟を抜けたとき、思わずロロナは呻く。

何しろ、底知れないほど深い穴に出たからだ。

魔法のカンテラで照らしているのだけれど、上も下も見えない。こんな恐ろしい空洞が、下にあったのか。

「此処は、かってシェルターと言われていた場所らしい」

長老が来て、教えてくれる。

昔の人達の中には、自分たちだけ終末の地獄から逃れようとしたのがいたそうだ。彼らは土の中に空洞を造り、其処に逃げ込んだ。

核兵器という恐ろしい武器には、どうにか耐え抜いたシェルターもあったらしい。

しかし様子を見ようと、外の空気を入れてしまったら、それで終わりだった。

まだ仕組みはよく分からないけれど、劣悪形質排除ナノマシンという恐ろしい毒が、一気に流れ込んでしまったからだ。

このシェルターも、そんな人達が逃げ込んだ場所の一つの、成れの果て。しかもこの様子からして、恐らくは攻撃に耐え抜けなかったのだろう。

チューブを、底へ底へと伸ばしていく。

壁に沿うようにして、ゆっくりとらせん状に。真下に伸ばしてしまったら、そのまますとんと落ちてしまう。

マリンナイザーを、此方に持ってくる。三つでは足りなかったかも知れない。

思案の末、途中でエアドロップをまとめて、幾つか水を掛けて焚いておいた。こうすることで、一気に空気を排出することが出来る。

水底に到着。

其処は、とても恐ろしい場所だった。

辺りには、無数の残骸。

何だったのか、正体が分からないけれど。どうやら家だったもののようだ。四角くて、穴が開いていて。

そしてどれもが、壊れていた。

死体の類は見当たらない。

魚もかなり泳いでいるし、みんな粉々か、食べられてしまったのだろう。だけれども、何となくわかるのだ。

此処は怨念の塊。

地獄が顕現した場所。

どれだけの人が、此処で死んだのだろう。想像もつかない。

しばらく魔力を計っていた悪魔達が、一方向へチューブを伸ばしはじめる。吐き気をこらえていたロロナだが、リオネラが袖を引いた。

「一度出る?」

無言で首を横に振った。

見届けるためだ。

何があったか、ロロナはもう知っている。だからこそ、事実を見届けなければならない。人類の罪業を。何が起きたかを。

クーデリアが来た。

外に悪魔の集団が来ているという。もう一つ、護衛のために一族が派遣されてきたらしい。

更にそれだけではなく、アーランドの巡回部隊が二つ来ている。

「ホムンクルスが五人も混じっているわ。 フォーマンセル二隊で五人よ」

あきれ果てた様子で、クーデリアは吐き捨てた。

確かに相当な数だ。

もはやアーランドは、臨戦態勢なのかも知れない。いずれにしてもその数なら、生半可な相手の襲撃ではびくともしない。

マリンナイザーを抱えたまま、慎重に奥へ。

崩れていない建物を見つけた。

苔どころか、藻さえない。

何だか奇怪な魚たちが、周囲を泳いでいた。ごく少数だけれど、此処にも魚が住んでいるようだ。

頑強な扉があったけれど、窓が空洞になっていたので、其処から侵入。中にはまだ健在な扉もあるようだった。

「此処からは、技術者が調べる」

ぞろぞろと悪魔達が入ってくる。

そして建物全体に空気チューブを広げて覆い、徹底的に調べはじめた。

何だか不安だ。

彼らがロロナを排除したりしなければ。いや、彼らはむしろ人間より、余程純朴な一族だ。

ロロナが疑うべきでは無い。

それに万が一の場合も、簡単にやられるような戦力ではない。

リオネラが悲しそうに、拾ってきたものを見せてくれた。どうやら人形らしい。ただ、材質が全くわからない。水中で劣化していないと言う事は、よほど優れた技術による人形なのだろう。

ただ、服も髪も、禿げてしまっていた。

「此処にも、子供がいたんだね」

「うん。 世界中にいた子供達も、容赦なく破滅に巻き込まれていったんだと思う」

「酷い。 どうしてこんな事になったの?」

全くだ。絶対に繰り返してはいけないことなのに。

私欲で、同じ事をしようとするなんて。しかも、スピアの錬金術師達は、真相を知っているような気がする。

どうしてそんな事が出来るのか、理解できない。話を聞いてみたい。それで、どうしても会話が成立しないのなら。止めなければならない。場合によっては、力尽くでも。

扉の一つが、開いた。

中に入ると、むわっと嫌な臭い。ミイラ化した死体が幾つか散らばっている。無言のまま、クーデリアが荷車に入れていた包装用のゼッテルを掛けて、埋葬布代わりにした。

どの死体も、苦しみ抜いたらしい。

身をよじって、顔には絶望がありありと浮かび上がっていた。

「電気系統は」

「調査中です」

分からない事を、悪魔達が話し合っている。

どうやらこの建物、かなり深く下にまで続いているようだ。

何カ所かの扉を無理矢理開ける。或いは悪魔達が何か機械を操作して、開かせる。

不意に、辺りが明るくなる。

「非常電源復旧!」

「ガーディアンシステムがいる可能性が高い! 周囲に警戒!」

「何だろう」

嫌な予感がする。

悪魔達も、明らかに武闘派の大柄な戦士達が、周囲を油断なく見張っていた。

明かりがついたのは良いけれど、光源の正体がよく分からない。棒状で、光っている。あれはどういう仕組みなのだろう。

クーデリアはとっくに銃を抜いていた。

何か危険を察知しているのだろう。リオネラに言って、自動防御を展開してもらう。

程なく、嫌な予感は、現実のものとなった。

下の方から悲鳴。

ジョネフェスが飛び込んで行く。ロロナも、階段を駆け下りて、それに続いた。

下に、広い空間があって。

そこには、真っ白な体の、何か大きなものがいた。

あれは、ひょっとして。

「ドラゴン……!?」

畏怖とともに、生物界最強の存在の名が、口から漏れ出る。

何しろそれは、巨大な蜥蜴によく似た、非常に大きな姿だったからだ。

全身は白銀色に輝き、背中には巨大な翼。ドナーンなどとは比較にもならない威圧感。巨大なドナーンはドラゴンに匹敵するサイズになる事もあると聞いたことがあるけれど、これは違う。

醸し出す威圧感が、桁外れだ。

強い。

生唾を飲み込む。

しかし、よく見ると違う。形はドラゴンに似ているが、鱗が見当たらない。体は機械で出来ているようだ。侵入者に反応して、動き出したのだろうか。

白い大きなものは、丸太のように太い足で、先行していた悪魔の一人を踏みにじっていた。口からは、光が漏れている。あれは、ブレスか。

悪魔達が、周囲に散る。戦闘態勢を取ったのだ。

「りおちゃん!」

無言で、リオネラが自動防御の形状を変更。前面に、壁のように造り出す。

白い殺戮兵器は、唸り声とともに、光の束を此方へと撃ち込んできた。

ぐんと、体が後ろに引っ張られるような感覚。

気がつくと、リオネラと一緒に、壁に叩き付けられていた。咳き込む。思わず、呼吸が止まるほどの衝撃だった。

リオネラも苦しそうに表情を歪めている。

これだけ力を増しているリオネラの自動防御を、一撃貫通。冗談じゃ無い。何という火力だ。

クーデリアは、今の一撃を逃れていたけれど。逃げ惑う悪魔達を、白い怪物は容赦なく蹂躙して廻っている。尻尾を振るう度に肉塊が千切れとび、鮮血がまき散らされる。

大柄な悪魔達でも、同じ。

勿論やられてばかりではない。反撃して、魔術を叩き付けている。大きな武器をふるって殴りつけたり、時には肉弾戦も挑んでいる。

しかし、大きな蜂に、小さな羽虫が挑むような光景だ。力が違いすぎて、攻撃がことごとく通じていない。

これでは、一方的な虐殺だ。

詠唱開始。

これ以上、好き勝手はさせない。

クーデリアも、連続して火焔弾を叩き込みはじめる。だが、表皮で溶けるように、火焔が霧散してしまう。

何だろう、どういうことだろう。

機械の白竜が、雄叫びを上げた。

背中に飛びついたジョネフェスが、太い拳を固めて、何度も殴りつける。だが、体を揺すって、振り落としに掛かる白竜。

不意に、そこに出現した巨大なホロホロが、竜に組み付く。

「今です!」

「攻撃を集中!」

悪魔達が、反撃を集中。四方八方から、術式を浴びせる。

ロロナの詠唱も、此処で完成した。

射線から逃れて。そう叫ぶと、全力で魔力砲をぶっ放す。今までに無い破壊力の、極太の魔力による殲滅の一撃。空間を蹂躙し、白竜を直撃。ずり下がる竜。背中から飛び退くジョネフェス。

だが。

大きく口を開けた白竜が、気合いの雄叫びを上げると同時に。

ロロナの魔力砲は、打ち消されてしまった。

愕然とする。

今のは、どういうことだ。

クーデリアが、至近から、スリープショットを連射して叩き込む。だが、鬱陶しそうにそちらを見た白竜が、尻尾を振るうだけで、吹っ飛ばされる。クーデリアの速度でも、避けられなかった。

壁に叩き付けられたクーデリアは、悲鳴さえ漏らさない。そのまま、動かなくなる。

ホロホロが飛びつくが、それもはじき飛ばされた。同じくらいの体格の相手なのに、圧倒的なパワー差だ。

白竜の口に、殺戮の光が宿る。

まずい。攻防ともに、桁外れすぎる。悪魔達も、もはや逃げ腰になり始めていた。

持ってきていた発破を、次々に投げつける。

だが、時間稼ぎにもならない。

白竜の口が凍った。レヘルンによるものだ。

だが、白竜が頭を振るうだけで、凍結していた口が、自由になる。

ホロホロとアラーニャが、左右から組み付く。しかし、白竜が両手をふるって、二人を吹き飛ばす。その時、爪で大きく二人が引き裂かれるのを、ロロナは見た。

悲鳴を上げたリオネラが蹲る。

血が流れているのがわかった。自分の別人格だ。致命的な打撃を受ければ、本人も怪我をするという事か。

這いずって逃げようとしていた悪魔が、容赦なく白竜に踏みつぶされる。悪魔達はもう戦意喪失も良い所で、逃げ回っている者の方が多い。

飛び散る血を見て、ロロナは。

必死に精神を立て直した。

杖を構えて、相手に向ける。

このままでは、全滅してしまう。さっきの魔力砲が駄目なら。

試してみるしか無い。

今までに無い威力での、全力での砲撃を。

しかし、普通に撃って効くとは思えない。もし、撃ち込むとすれば。

口の中。

竜の弱点と言えば、それだ。しかし、ブレスを吐く寸前にそれを叩き込むとして、タイミングをどうするか。

ふと、目の前に影。

血だらけの、クーデリアだ。

「口の中に、それをぶちこむのね」

詠唱中だから、応えられない。だが、クーデリアは、意図を察してくれていた。

同じように、前に立ちはだかる者。

満身創痍のジョネフェスだ。

「やってやろう。 この程度の危機、我ら悪魔の一族は、今まで何度も乗り越えてきたのだ」

手を、胸の前で打ち合わせるジョネフェス。

膨大な黒い光が、両手を包むようにして集まっていく。

クーデリアは、詠唱を既に終えているようだった。

白竜が、此方に気付く。

忌々しげに、きっと機械で出来ているだろう目に、光が宿る。それは、生物では無いのに、露骨すぎるほどの殺気を放っていた。

後ろ足で、白竜が立ち上がる。

口の中に、凄まじい光が宿っていく。

あれを撃ち放たれたら、終わりだ。この広間そのものが、消し飛んでしまうだろう。悪魔達が、恐怖の声を上げた。

瞬間、クーデリアとジョネフェスが、左右に飛び退いた。

手を、床につくジョネフェス。

黒い光が拡散し、辺りを覆っていく。白竜の足にそれが絡みついて、登りはじめる。面倒くさそうに、下を見た瞬間。

クーデリアが、おそらく二十発以上のスリープショットを、殆ど瞬く間に放った。

今のは、おそらく銃器の稼働加速。

魔術を利用して、銃弾を、何より銃器の稼働を超加速して、連続発射したのだ。指先や手の動きも、魔術で瞬間的に加速したのだろう。

しかもその弾丸のことごとくが、白竜の口に集中。

ブレスが、誘爆する。

詠唱は、完了している。

ロロナの後ろに、リオネラが。

彼女の魔力が、流れ込んでくる。これならば、想定以上の破壊力を出す事も、可能だ。

目を開ける。

口から煙を上げているドラゴンが、此方を見た瞬間。

術式の、最後の一節を唱えあげる。

先ほど、壁に叩き付けられたダメージだけで、体中はがたがただけれど。それでも、やらなければならない。

術式を、発動する。

凄まじい衝撃に、一気にロロナ自身もリオネラと一緒に壁に叩き付けられた。

光の柱が、白竜を飲み込む。

周囲に展開した魔法陣が、あまりの魔力に、ぎしぎしと悲鳴のような音を立てる。内側から崩壊しそうになる。

これが、今のロロナに出来る、最強の術式。

白竜が、口の中に殲滅の砲撃を浴びながらも、必死に体を立て直そうとする。その全身から、光が漏れているのがわかった。内側まで潜り込んだ光が、体内をズタズタに破壊しているのだ。

断末魔の、悲鳴。

いや、違う。それは、使命を果たせないことに対する、怒り。

踏みとどまりながら、最後の魔力の一欠片まで、叩き込む。

貫通する、手応え。

気がつくと、目の前には。

大量の水が流れ込んできていた。

あの材質もわからない壁を、ぶち抜いたらしかった。

その中で、半壊した白竜が、まだ鎌首をもたげようとしている。頭は綺麗に消し飛んでしまっているというのに。

全身の装甲が内側から吹き飛ばされ、穴だらけになっていると言うのに。

戦慄する。

それ以上に悲しくなる。

それほどまでに、此処を守りたいのか。

「チューブの修復作業を急げ!」

「支援部隊!」

悪魔達が、悲鳴を上げながら走り回っている。

その中で、まだ不死身の白竜は、立ち上がろうとしている。ロロナは既に魔力を全て出し切った。

クーデリアも、今の絶技を放った後だ。もう動けまい。

倒れそうになる所を、リオネラに支えられる。

「後は、任せてもらおう」

ジョネフェスが、膨大な水を全身から浴びながら、立ちはだかる。

ようやく、後方から来た増援の悪魔達が、ジョネフェスと一緒に、白竜に躍りかかった。もはや抵抗する力も無いだろうに、それでも機械の塊は、激しく暴れる。しかし、装甲も失った今、もはや勝ち目は無かった。

 

完全に破壊された白竜は、機械の塊と言うよりも、臓物と肉の集まりに見えた。

体中のアクセサリに蓄えていた魔力も、ことごとく使い切ってしまっている。これでは、しばらくは戦えない。

まともに動けもしない。

リオネラが見かねてか、耐久糧食を持ってきてくれた。

噛んでいると、力が湧いてくる。それでも、体を支えられながら起こすのがやっとだ。クーデリアが来る。

無理をしたからか。

両手が、真っ赤に染まっていた。手首の辺りから、いや手全体、指からも、大量に出血していたのだ。傷がひび割れのように走っている。骨もダメージを受けているに違いない。血は止まったようだけれど、数日は引き金を触らない方が良さそうだ。

座り込んだクーデリア。手が時々震えているのがわかる。本当だったら、叫び出したいほどに痛いはずだ。

排水作業が終わって、悪魔達が調査を再開する。

どうやらこの広場が、最下層であったらしい。

長老が来た。

「多くの一族を失いましたが、どうにか発見できたようです。 あなた方には、感謝してもしきれません」

そう言って頭を下げる長老を見ると、悲しくなった。

ロロナがもっと強ければ、もっとたくさんの悪魔達を救えたのに。

排水時、ぐちゃぐちゃに潰された悪魔の死骸を、無造作に片付けていく様子を見て、ロロナは涙が止まらなかった。

悪魔達にとって、死はアーランド人以上に、身近なのだ。

だから、同胞の死は。こうも軽くなってしまうのだろう。

渡されたのは、石版。

いや、これはアーランドにもある、情報表示板に近い。解析はされていないのだけれど、遺跡から発掘されたもので、情報を何も無い空間に表示する。噴水のある大広間などには設置されていて、王宮からの発表や、仕事などの求人情報が表示されるのに用いられている。

触ると、文字が出てきた。

何とか読める。

「いうならば死者の書、とでもいうべきものでしょう。 我らの求めていたものです」

「どうして、私に」

「勘違いなされますな。 貴方にも、です。 既に我らも、同じものを多数確保しています。 貴方なら、これを正しく使う事が出来ると信じておりますぞ」

悪魔の長老が言うことを信じるなら、これは空間転移を可能とする技術を乗せた書物。

ロロナは、きちんと約束を守った長老に、深々と頭を下げることしか出来なかった。今はもう、状況次第では、信頼を守らなくても良い筈なのに。

この人は、きちんと約束を守ったのだ。

大事にしなければならない。

そして、正しく使わなければならない。

此処に眠る人達のためにも。

信頼してくれた、悪魔の長老のためにも。

 

5、暗雲の先

 

アトリエに戻ると、ステルクが待っていた。

ズタズタに傷ついているロロナ達を見て、咳払いしたのは何故だろう。いずれにしても、ロロナはもう精神的にも限界近い。途中耐久糧食を多めに食べて体力を回復はしてきたけれど。

今回は魔力を根こそぎ使い切ったこともあって、疲弊が酷かった。

まだ、立ち直りきったとは言えない状況である。

「今回の課題の結果だ。 少し早いが、渡しておく」

スクロールを見せられる。

あまりにも魔力を使いすぎて、まだ全身がだるいけれど。これは目を通さないわけにはいかない。

緊張しながらスクロールを開く。

大きくため息が漏れた。合格となっていたのだ。

ジオ王の護衛には成功したのだし、当然だろう。これで不合格だったら、流石にひとこと言いたいところだった。ただ、それでも不安がついてまわっていたのは、事実なのだ。

これで、あと二回。

それに、状況を見て、オルトガラクセンに潜らなければならない。どうにかして時間を捻出しなければならないだろう。

「私はこれから、しばらく外出する。 戻るのは二週間ほど後になるだろう。 それまでに、体を治しておくように」

何となく、それでわかった。

これから、いよいよスピアに対しての戦いを挑むのだろう。

次の課題がどうなるのかは、まだわからない。

ただロロナは、これから多くの人が死ぬだろうのだと思うと。憂鬱でならなかった。

アストリッドが、旅支度で部屋から出てくる。

「うん? お前達、随分酷い目にあったようだな。 何と戦った」

「湖の底で、機械のドラゴンと戦って来ました」

「ああ、ガーディアンか。 古代兵器の中では弱い方だが、勝てるまで成長したというのは立派だ。 後で褒めてやろう」

「余計なお世話よ」

嫌そうにいうクーデリアの声にも、力がこもっていない。

けらけらと笑うと、アストリッドはアトリエを出て行った。

旅支度という事は。

師匠も、参戦するのだろう。

アトリエの外には、ホムンクルスの一部隊がいた。何処かで見たような顔立ちの、指揮官らしいホムンクルスが、アストリッドを待っている。

手をヒラヒラとふると、アストリッドは、そのホムンクルスと一緒に、城門の方へ歩いて行く。

あの様子では、帰りはステルクと同じか。

勝てるのだろうか。

わからない。ただ今できることは。

残りの時間を使って、体を癒やすこと。それに、出来る事を、全てやっておくことだ。

まずは眠ろう。

家に着いたからか、急激に疲れが襲ってくる。

お風呂に入るより、まず眠りたい。クーデリアもリオネラも、それは同じようだった。

寝室に、三人一緒に倒れ込む。

ホムが見えたので、荷物をコンテナに移しておくように頼むと。

もう次の瞬間には、ロロナの意識は、夢の世界へ旅立っていた。

色々やりたいことはある。

だが、今は、休憩が先だと、ロロナは思った。

 

(続)