夜の世界の悪魔

 

序、闇の集い

 

其処には、人に似て人にあらぬ者達が、多数集まっていた。

悪魔。いつしか、そう呼ばれるようになった者達である。

いわゆる悪魔の一族は、大陸の全域に分布している。本来は、大陸の環境修復が目的の一族だ。ただし、現在は一族の殆どが人間との戦いに明け暮れ、本来の作業が出来ないのが現実である。

悪魔達の長と言えるのは、すなわちロードオブロード。存在そのものが王である故に、短縮してロードと呼ばれる。ロードは、現在、急ピッチで配下の悪魔達の再編成を進めている。その過程で、嫌でも悪い報告は入ってくる。主にその報告の殆どが、スピア連邦に関係するものだった。

敗走して、夜の領域に逃げ込んできた一族があった。

以前から、さほど数は多くない一族だったのだが。逃げ込んできたときには、既に四半減していた。

無念だと嘆く族長。傷だらけで、興奮は収まらず、まともに会話にならなかった。

ロードは、まずは回復の術を周囲の悪魔達に使わせた。落ち着くように言うと、食事も取らせる。

しばらく待つと、族長は、何があったのか話し始める。

「スピア連邦と呼ばれる国の走狗となった同胞達が、襲ってきたのです。 勿論我らもあらがいましたが、緑化作業を行っている最中に奇襲を受けたこともあり、何しろ相手の数が多かった事もあって、多くの一族が囚われてしまい……」

「そうか。 お前達も、やられたか。 生き残りの者達を休ませ、再戦の機会を待て」

「我ら以外にも、多くの悪魔が狩られたというのですか」

「そうだ。 スピア連邦は、悪魔の頭脳を改造し、人間の走狗にする技術を編み出したらしいのだ。 軍事利用が目的だろう」

怒りの雄叫びを上げる族長を下がらせる。

玉座にて頬杖をついたロードの元に、人間との交渉を進めていた部下が戻ってきたのは、入れ違いだった。

此方は、朗報である。アーランドの王は、交渉に応じるという事だった。

周りの部下達は、決して気分が良さそうでは無い。

だが、今のままスピアを放置することは、この大陸そのもののためにならない。錬金術の使い方を間違えた連中に、この世界を預けるわけにはいかないのだ。

「アーランドの王ジオは、ロロナと呼ばれる錬金術師を伴って、ここに来るそうです」

部下の言葉に、一瞬悩む。

そういえば、ロロナという名前に聞き覚えがあった。少し前、此処に侵入を企てたスピアのホムンクルスを尋問して、聞き出した名前だ。

そのホムンクルスは適当に痛めつけた後、記憶を消してアーランドに放り込んでおいた。今頃普通の労働者階級の子供として、扱われているだろう。アーランドは奴隷制が無い希有な国だし、ストリートチルドレンもいない。扱いは、充分に慈悲を伴ったものだったはずだ。

そいつだけでは無い。

何体かの長老級悪魔から、ロロナという名は聞いていた。直にあったと話している者もいたはずだ。そう、鉱山の悪魔の長や、沼地の悪魔の長だ。

「ロロナと言えば、近年、めざましい業績を上げている錬金術師だな。 鉱山の方にいる一族の長からも、話を聞いている」

「そういえば、私もこの間、鉱山の一族の長から話を聞きました。 大変評判が良い錬金術師のようですね」

「大丈夫、なのでしょうか。 スピアではなく、今度はアーランドが我々を虐げるのではありますまいか」

「アーランドは敵手として我らを認めている。 スピアはもはや、我らを狩りの獲物としか考えていない」

部下達が、わいわいと好き勝手なことを話し始める。

ロードは誤った。

以前は、スピアこそが、この混迷した大陸に一定の秩序をもたらしうると思ったのだ。その秩序の下であれば、緑化政策も効率的に進められると。

だが奴らは、旧時代の人類と同じだった。

森を見れば搾取し、大地を見れば略奪する。おのれを万物の霊長などと錯覚し、他の動物に敬意を一切払うことは無い。

そのような連中に、もはや与するわけにはいかない。

しかし、アーランドの王とて聖人君主では無い。

今までスピアに与していた事を当然責めてくるだろうし、共闘するにしてもどんな条件を出されるかわからない。

ロロナという錬金術師も、実際に会ってみないと、どんな存在かはわからない。それに人は変わるものだ。

長い時を生きて来たからこそ、よく分かる。

「静まれい」

皆が黙り込み、一斉にロードを見た。

立ち上がると、ロードは他の悪魔に比べて、さほど背が高い訳では無い。だが、その威圧感は、他を屈服させるには充分だ。

「とにかく、余はそのもの達に会ってみようと思っている」

「それは本当でありますか」

「危険なのではありますまいか」

「危険は承知だ。 今はとにかく、どのような手を用いてでも、スピアの異常な勢いを止めなくてはならん。 このままスピアが列強諸国を併合し、大陸を統一しても、長期的には悪いことしか起こらぬ」

悪魔達が顔を見合わせる。

彼らの中には、大局が読めない者も多い。わずかな数の一族を、魔術の力で維持しながら、ほそぼそと緑化を続けている者達。

大地の汚染を身に引き受けることで、異形化することを。かって祖先が犯した過ちの罰として受け取る思想にどっぷりと浸かっている者も多いのだ。そう言う者は、だいたい目の前の出来事を、現実的に処理できない。思想を一種の宗教にして、敬虔に守る事を生き甲斐としてしまっているのだから、無理もない。

勿論ロードも、祖先の悪行を償わなければならないとは思っている。

しかし、それには現実的な対処が必要不可欠なのだ。

部下達を解散させると、玉座にて考え込む。

どうも嫌な予感がしてならない。

スピアは本当に、自分だけの力で此処までの技術を手に入れたのか。優秀な五人の錬金術師がいるという話は知っているが、そいつらだけでどうにかなるものなのか。

錬金術は、方法さえ確立すれば、誰にでも出来る。しかしながら、その方法を確立するまでが、才能に左右される学問だ。

しかも、全分野に跨がる才能などと言うものは存在しない。五人程度の錬金術師が揃ったところで、此処まで急激な技術革新が出来るとは思えない。それを言うならば、ロロナもおかしい。まだ十代半ば程度だと聞いているのに、達成した業績が、あまりにも常識離れしすぎているのだ。

一体何が起きている。

ふと思い当たることがある。

もしそうだとすると、非常に面倒な事になる。

そういえば、奴は悪魔という存在そのものを、よしとはしていなかったはず。もし次の手を打ってくるとすれば。

最大級の警戒をしなければ、ならないだろう。

ただ、ロードも悪魔達の長だ。

生半可な相手に敗れるような、柔な存在では無い。大概の罠なら、正面から喰い破ることも出来る。

玉座にて、ロードは大きく息を吐いた。

敵がどこにいるのか。

手札が何なのか。

全く見えてこないこのもどかしさ。あまり、気分が良いものではなかった。

 

1、遠征

 

六日間の休みをゆっくり満喫するわけには、いかなかった。

ロロナとしても、今後の事を考えると、のんびりはしていられなかったのである。未組み立ての湧水の杯を完成させて、王宮に持っていって。他にも納品を要求されているものを作って。

パメラのお店に行って、原液のネクタルを買い込んだ後、ティファナのお店で魔法の道具を買い込んで。

そして、武器屋に出向いて、杖を修理してもらった。

壊れていたのでは無い。

何カ所かに、アーランド石晶を埋め込めるように、調整してもらったのだ。

武器にも外付けの魔力供給装置である宝石を付けることで、更にスムーズな魔術の展開を可能にする。

この間のウィッチローズ戦で、短時間で大威力の魔術を撃ち込むことが出来た。

今後は更に時間を短縮し、消耗を抑えることが課題になる。

やるべき事は、出来るだけやっておいた方が良いのだ。

とにかく、無駄な時間は一秒でも無い。

忙しい中、六日が過ぎる。

武器屋で新しい杖を受け取った後、王宮に出向くと。すぐにステルクが出迎えてくれた。

今日も難しい顔をしている。

ただ、おそらく課題そのものは合格が出ているという確信はあった。事実、ステルクは不機嫌そうではなかった。

「まずは、課題の成果からだな」

ステルクがスクロールを広げる。この瞬間は、どうしてもいつも緊張する。

結果は、文句なしの合格。

まあ、自信はあったけれど。

それでも、やはりひやひやはした。

「既に王宮の魔術師達が、レシピの解析をはじめている。 量産体制が確立すれば、アーランドでの宝石不足は、一気に解消するだろう。 材料が材料であるから、輸出品としても今後は期待が持てる」

「えへへー、良かったです」

「それで、問題は今回の課題だ」

一気に、嬉しい気分が吹き飛ぶ。

ステルクの表情から言って、非常に難しい内容であることは、目に見えていたからだ。

スクロールを見せられて、驚いた。

夜の領域の調査を行う戦士の護衛、というのである。

いつの間にか、側に立っていたのは。

以前、ロロナと一緒にラプターステインを駆除した戦士、ジオであった。

相変わらず、上品な格好をしている。

足運びからもわかるが、ロロナではとうてい及ばないほどの力の持ち主だ。どれだけの戦闘力を秘めているやら、見当もつかない。

まさか、この人を護衛するのか。

げんなりしてしまう。

いくら何でも、無茶苦茶だ。ロロナが護衛される対象になるほどなのだけれど。しかし、ステルクは首を横に振るばかりだ。

「このお方の護衛をしてもらう事になる。 今回は私も同行するし、他にも君が同行を頼める人間全員に声を掛けた方が良いだろう」

「わかりました」

「どうした、自信が無さそうだな。 君には期待しているのだぞ」

ジオが、わかりきったことを言う。

ロロナの実力では、むしろ守られながらおっかなびっくり行く程度だ。

それにロロナだって知っている。

最近国境付近に現れた、超弩級の異境、夜の領域。中は常に夜になっていて、化け物じみた強さのモンスターが大量に闊歩し、岩が浮いていたり、歯車が空に浮いて廻っていたりと、この世とはとても思えない場所だというではないか。

生きて帰れるのだろうか。

とにかく、出発は三日後という事で、一度アトリエに戻る。

無理を言って、護衛してくれそうな人達全員に来てもらわないとまずいだろう。出来れば騎士団にも護衛を頼みたい位なのだけれど。

流石にロロナには、そんな権限は無い。

幸い、課題開始までの六日間で、可能な限りの準備は終えていた、発破の類も、できる限りの種類を集めた。

問題は、夜の領域が、殆ど未踏に近い場所だと言う事だ。

三日後までに、もう少し準備をしておかないと危ない。

最悪の場合は、何とか逃げ延びるための準備だけでもしないと。

幾つか、最悪の事態に備えた道具類を、作っておく。

それだけが、今のロロナに出来る、最低限の備えだった。

 

声を掛けられるだけの人は集めた。

今回は、ステルク、ジオを含めて、総勢で七人という大所帯だ。リオネラ、タントリス、イクセル、クーデリアと、それにロロナ。

これだけの人数で外出するのは、初めてである。

イクセルが来たので、渡しておく。

「はい、イクセくん、これ」

「お、なんだ」

「最悪の場合、地面に叩き付けてね」

「よくわかんねーけど、地面に叩き付ければ良いんだな」

ちなみに中身は煙幕である。

何故イクセルに渡したのか。

この中で、一番最前衛で戦う機会が少ないからだ。勿論必要なときには戦ってもらうけれど。

リオネラにも、渡しておく。

役立つだろうと思って、作っておいた腕輪だ。合計四つのアーランド石晶を埋め込んである。これを使えば、一気に詠唱や、魔術の展開が進められる。更に言えば、魔力の消耗も、押さえ込むことが可能だ。

「はい、りおちゃんにも、これ。 わたし自身で試してるから、凄く使いやすく調整されてると思うよ」

「わ、ありがと。 ロロナちゃん」

リオネラが吃驚するほど綺麗な笑顔を浮かべたので、ロロナの方が驚いたほどだ。側で見ていたクーデリアも、度肝を抜かれたようで、固まっている。以前までの恥ずかしがり屋で儚げなリオネラでは、明らかに見られなかった表情だ。

クーデリアは、大きなポシェットのようなものをぶら下げていた。

かなりの量の銃弾を用意してきたらしい。ここに来る際に、武器屋の親父さんに頼んで、更に補給までしたそうだ。

つまり、それだけの危険な探索、という事である。

「くーちゃんは、何か必要なもの、ある?」

「大丈夫、準備は終えてあるわ」

「そっか。 じゃあ、大丈夫だね」

二人の間では、それだけで通じる。

後はタントリスだが。タントリスは正直な話、戦闘スタイルが格闘技と言う事もあるし、魔術の類を使うようにも思えない。

其処で持ってきたのが、これだ。

「タントリスさん、これをどうぞ」

「なんだいハニー。 ええと、これは?」

「多分前線で格闘戦をずっとすると思って、ネクタルを濃いめに耐久糧食を作ってきました。 ただ体にはあまり良くないと思うので、ここぞと言うときにだけ食べてください」

「そ、そうかい。 嬉しいよ、ハニー」

タントリスは何故かどん引きしていたけれど、まあそれは良い。この人は何を考えているかよく分からないところがあるし、多分内心では喜んでくれているのだろう。そう信じることで、心を楽にする。

後は、ステルクとジオか。

二人とも優れた戦士だし、今更欲しいものなどないだろう。

一応聞いてみるが、特に問題は無い様子だった。

ジオは育ちが良さそうだから少し不安になったけれど。実際にはサバイバルの訓練は幼い頃からしているとかで、粗食も平気だそうだ。

なるほど。

ロロナが見たところ、相当なエリート教育を受けているという事か。戦士の中でも、特に有望だったのだろう。幼い頃から大人の戦士が受けるのと同じような訓練を、何の文句もなくこなしてきた、というわけだ。

だいたいこの人が誰なのかはもう見当がついているが。

敢えてそれは口にしない。

ただ、その地位に相応しいだけの訓練を、この人は幼い頃からこなしてきて。そしてこの年になっても、こなし続けている。

だからこそに、これだけの強さを維持できているのだろう。

アーランドの北門から出て、ひたすらに北上。

夜の領域は、近づけばすぐにわかると言う事だった。

途中、街道を警邏している巡回班とすれ違う。師匠が言うところの、ホムの姉妹達が、フォーマンセルの中に二人も混じっていた。

相当に、ホムンクルスは増えてきている、という事なのだろう。

それはおそらく、良いことでは無い。

戦争が、近いのかも知れない。アーランド戦士の数を少しでも補うため、ホムンクルスが増やされているのだとすれば。

あまり、喜ばしい事では無い。

丸一日北上して、キャンプスペースで休む。

荷車は二つ。一つは戦闘用の装備。もう一つは、素材を採集後、回収するための荷車である。

どちらもエンチャントしてあるので、運ぶのは極めて楽だ。

ただ、時々ステルクとタントリスが手伝ってくれるのは嬉しい。荷車を連結して移動させると、曲がるときなどが大変なのだ。エンチャントの補助があってもそれは変わらないので、男手が手伝ってくれるのは嬉しい。

イクセルはあまり手伝ってくれない。

というよりも、多分気がつかないのだろう。

この辺りは、幼なじみの悪い所かも知れない。ロロナの事を昔から知っているから、イクセルは遠慮しない反面、困っているときに気付いてくれない。

まあ、それは仕方が無い。

行く途中で消耗してしまっては意味が無い。

気分を切り替えて、進むことにする。

そして、その時が来た。

北上開始から、三日目。

それが、見えてきた。

噂通りというのか、何なのか。本当に、其処だけが、空が夜になっているのだ。あまりにも異様な光景に、頭を何度も振って、見直してしまったほどである。

夜の領域。

アーランドに存在する、超弩級の異界。

ロロナは、ついに其処に来たことを、その時悟った。

周囲には柵が作られ、砦のような見張り小屋が作られている。ステルクが、早速歩哨と交渉に行く。

というか、見て驚く。歩哨は、例の戦闘用ホムンクルスだ。ステルクとは、それこそ二倍近く背丈が違う子もいた。

ステルクが戻ってくると、ジオが皆を見回す。

「よし、ここから先は、何があるかわからん。 気を引き締めるように」

言われるまでも無く、わかっている。

ここから先は、死地。

少しでも油断すれば、死が待つ、悪夢の土地だ。

 

2、夜の領域

 

足を踏み入れてみて、わかったのは。月明かり程度の光は、注ぎ込んでいる、という事だ。

だが、それでも、崖だらけの異様な地形である事は間違いない。

荷車に、カンテラを付ける。

周囲がこれで少しは明るくなった。

見ると、戦いの跡が、彼方此方にある。調査のために訪れた部隊が、この辺りで戦ったのだろう。

不可思議な光を放つ花が、周囲にはたくさんあった。

飛んでいる影が見える。

あれは、何だろう。真っ黒なアードラだろうか。アードラに、あんな種類がいるとは、聞いたことが無い。

いずれにしても、此方には近づいてこないようだ。

「まず、どちらに行く」

「ええと、最初は、見える範囲で地図を作ります。 それが出来たら、周囲を確認して、奥へ進みましょう」

「まあ、それで良いだろう」

どうやらジオは納得してくれたようなので、一安心。

皆で手分けして、周辺の地図を作る。意外にも、今の時点では、モンスターは仕掛けてこない。

ただ、かなりの数が此方をうかがっている。十や二十では無い。それも、どれもこれも、気配が今まで行ったことのある探索地とは、桁外れだ。

これでは、歴戦の猛者揃いのアーランド戦士が、攻略できない筈である。

見かけた珍しいものを採取しながら、地図をある程度作って。それから、まず最初に目指したのは、小高い岡だ。

其処から辺りを見回して、また地図に起こしていく。

空中に浮かんでいる巨大な歯車が、不気味極まりない。一体あれは、何なのだろう。それに、岩が空中に浮かんでいる。しかも、地面から離れて、空に飛んで行っている岩まである。

此処は、本当に異界なのだと、見ているだけで思い知らされる。

「一体此処って、何なんだろう」

「気をつけて。 気を抜いたら、危ないよ」

リオネラはずっと自動防御を展開しっぱなしだ。

ただ、渡しておいた腕輪を上手に使って、魔力の消耗を丁寧に抑えているからか、ある程度喋る余裕があるようだ。

それにしても、リオネラがそんな風に警告をしてくれるなんて。

クーデリアが手を振って、呼んでいる。

何かみつけたのかも知れない。

言われたまま近づいてみると、確かに不可思議なものがあった。

橋だ。

それも、古式ゆかしい吊り橋である。

どこからどう見ても人間の手によって作られたものである。ただ、新しいものだとは、とても思えない。

非常に古い様子で、乗って大丈夫か、判断がつかない。

いきなりステルクが、先に歩き出した。

ぎしぎしと音がしているけれど。橋は、落ちる様子が無い。ただ、奇襲を受けると、非常に危ないだろう。

ステルクが渡りきる。

「次はあたしが行くわ」

「じゃあ、俺も」

イクセルとクーデリアが先に。

続いて、ロロナが、ジオと一緒に。最後に、タントリスとリオネラが、重々警戒しながら渡った。

ジオは平然と辺りを睥睨しているけれど。

モンスターの気配は、ずっと消えることが無い。歩いていて、生きた心地がしないというのは、ぞっとしない。

クーデリアが眉をひそめる。

丘の上から見た地図と、全然地形が違うというのだ。ロロナも見せてもらったが、確かに様子がおかしい。

しばらく辺りを調べて見て、原因がわかった。

起伏が激しくて、丘の上からは地形が隠されていたのだ

厄介極まりない。

それに、もっととんでも無いものが、空に見えた。

真っ黒な空に同化するような、漆黒の巨大なる翼。ゆっくりと辺りを睥睨しつつ飛んでいるその巨体は、間違えるはずも無い。

ドラゴン。

アーランドの戦士達でさえ、単独での戦闘は避ける最強のモンスターだ。それもあの真っ黒な体は、凶悪なことで知られる黒竜だろう。ジオやステルクがいても、簡単に勝てる相手だとは思えない。

ぞっとする。

此処は本当に、人外の地なのだと、一歩ごとに思い知らされてしまう。

とにかく、丘の影に隠れる。

向こうは此方を見つけているかどうか、わからない状態だ。もしも見つかっていたら、攻撃を仕掛けてくるかも知れない。

上空からブレスを吐かれて、対処できるかどうか。

いずれにしても、戦いを避けるのが無難だと、ロロナは判断した。

しばらく、静かにして、ドラゴンをやり過ごす。

ようやく姿が見えなくなって、一安心。これでは行きも帰りも、気が休まる暇なんて、これっぽっちも無さそうだ。

洞窟のような場所を、ステルクが見つけた。

皆で其処に入り込む。奥の方はふさがっていて、どうにか隠れるには充分な空間があった。

火を熾して、食事にする。

あまり食欲は無いけれど。食べられる時に食べておかないと、とてもではないが体が保ちそうに無かった。

こんな恐ろしい所に、一体何の調査に来たのだろう。

此処の危険度は、あの噂に聞くオルトガラクセンに匹敵するか、それ以上では無いのか。

ジオが黙々と干し肉を食べている横に座る。

しばらく悩んだけれど。意を決して話しかけてみることにした。

「あ、あの」

「どうした。 帰りたくなったのかな」

「いえ、そうではないです。 こんな危険な場所に、何を調査するために、来たんですか」

「ふむ、そうさな。 君になら話しても良いだろう」

ジオはもう一つ、干し肉を取り出す。

確かに粗食は平気なようだ。こういう所に持ち込む干し肉は、決して美味しいものではないのだけれど、文句一つなく食べている。

「此処にはな、近隣の悪魔の長がいるのだ」

「悪魔の、長」

「君は悪魔の長と話した事があるかな」

「はい、鉱山にいる長老と、それに以前沼地で緑化作業をしている悪魔の長と、それぞれ話をしました。 話をした感触では、人間とあまり変わらないように思います」

そうかと呟くと、ジオは肉をかじる。

見張りに出ていたステルクが、クーデリアと交代。他のメンバーは、それぞれ順番に休みはじめていた。

「悪魔の長を、調べるために来たんですか?」

「いや、書状を届けに来た」

「……?」

「色々と面倒な事があるのだよ」

それ以上は、話してくれなかった。

悪魔の長と、アーランドのかなり高い地位にいるだろうジオが、何を話す事があるのだろう。

昔から、悪魔と人間は、関係が良いとは言えない。そもそも、悪魔という呼び名が、人間との関係を端的に示していると言える。

いや、悪魔達との会話から、拾い上げた情報を精査していくと。もっと恐ろしい事実が浮かび上がってくるのだけれど。今は、それを口にしても仕方が無い。

以前話した悪魔の中にも、人間を好んでいない様子の者はたくさんいた。会話はしたけれど、友達になる事が出来たとは、思えなかった。

鉱山の悪魔の長老だって、ロロナと話してくれるのは、ギブアンドテイクの関係から、だろう。

若い悪魔達がロロナに敵意をぶつけてきたときだって。

一族のために、争いを収めたという雰囲気が、ありありとあったのだ。

しばらく休憩して、疲れを取ってから、再び外に出る。此処は帰りにも、休憩を取るために確保しておいた方が良いだろう。

ステルクが岩を担いで持ってくると、入り口を塞いだ。

ロロナが術式を掛けて、入り口を偽装。

これで、帰りも使えるはずだ。

複雑に起伏がある地形を、警戒しながら進む。

まだ、最深部は、見えても来ない。

これは想像以上の難所だ。

 

丸二日ほど移動して、地図を造りながら進んで。だいたい、わかってきたことが一つだけある。

外から見えているよりも、この空間はずっと広い。

二つ目の丘を越えた頃だろうか。巨大な崖が見えてきた。路など、とうの昔になくなっている。

あれは、クライミングして越えるか、或いは迂回するしか無い。

クライミングは危険が大きすぎる。

そうなると、左右を確認して、迂回できる路を探すのがベターだろう。

事実、何も言わなくても、ステルクもジオも、そう動き始めていた。

岩が、空に向けて飛んでいる。

クレバスになっている場所は、底知れない闇が覗いていた。あんな場所に落ちたら、どうなるのか。

死ねるかさえ、わからない。

永久に落ち続けるとしたら、本当にぞっとしない。

此処は一体、何なのだろう。

地図を造りながら、崖を迂回していくと。段差状になっている部分を発見。此処からなら、上に上がる事が出来るだろう。

良かったと言いたいところだが。

すぐに、その楽観は消し飛ぶことになった。

四方八方から、殺気が生じたのである。

モンスターだ。

それも、この気配。明らかに、待ち伏せしていたに違いない。荷車を中心に、円陣を組む。

星空のような照度だから、遠くまでは見えない。

だから、それらが近づいてきたとき、思わずロロナは声を上げてしまった。

一目で上級悪魔と分かる存在達。

しかし、頭に何か、おかしな機械のようなものを付けられている。以前から状態がおかしいモンスターには遭遇してきたが、これは露骨すぎるほどだ。

これが、合計で四体。

しかも、それだけではない。

明らかに此方に敵意を向けているモンスターが、ぞろぞろと、四方から現れる。どれも様子がおかしい。

きっとファングやウィッチローズと同じだ。

数は、五十を越えている。

「囲まれると不利だな」

平然と、ジオが言う。

きっと、不利だなどとは、みじんも思っていないのだ。この人の実力から言えば、当然なのかも知れない。

でも、ロロナ達は、身を守りきれない。

すばやく、辺りの地形を確認。

もし戦うとすれば、方法はあまり多くない。

「ステルクさん、あの一角を突破して、下がりながら戦うしか……」

「そうだな。 それがいいだろう」

あの様子がおかしいモンスター達は、此処から来たのだろうか。

いや、それは違う。

はっきり確信できたけれど。あれは人為的なものだ。それも、ジオがいるところに仕掛けてきた所から考えて、アーランドの内部から来ているとは考えにくい。というのも、もしもあんな事が出来るとしたら、アストリッドくらいしか、ロロナには思いつかない。アーランドには魔術師は多いけれど、機械の類を使いこなせる人材はあまりいない。技術者だって、複雑な魔術が絡んだ技術に関しては、お手上げの場合が多いのだ。

そうなると、よその国の錬金術師の仕業と見て良い。

アストリッドは確かにこの国を恨んでいる。

それは、ロロナが一番よく知っている。

でも、流石にこんなやり方は出来ない。監視もされているだろうし、何よりも規模がおかしい。

荷車から、発破を取り出し、処置をする。任意のタイミングで爆発させることが出来るように、だ。

モンスター達は、お構いなしに近づいてくる。そうだろう。そう動く事は、わかっていた。

その一角に、いきなり束にして、発破を投げつけた。

耳を塞ぐ。

みな、それに倣ってくれる。

この闇の世界に、いきなり太陽が出現したかのような光。耳を塞いでいても、凄まじい轟音が、びりびりと伝わってくる。

改良中のメガフラムを、束にして放ったのだ。

包囲網の一角が、文字通り消し飛んでいる。可哀想だけれど、今は同情している暇が無い。

「突貫っ!」

叫ぶと、穴を開けた方位に向けて、走り出す。

同時にモンスター達も、一気に輪を縮めてきた。下り坂を、全力で走る。前衛をステルクが、後衛をジオが努めてくれる。包囲網を塞ごうと数体のモンスターが緩慢に動くけれど、連携があまり上手に取れていない。

飛びついてきた一体を、リオネラの自動防御が吹き飛ばす。致命傷にはならないが、遠ざけるだけで充分。

前衛を、ステルクが切り伏せ、路を作る。

其処を、一気に走り抜けた。

怒濤のように、敵が追ってくる。ジオが残像を残して走りながら、追いついてきた。

「逃げるのかね」

「戦いやすい地形に、誘導します!」

「ほう……」

ジオがにやりと笑うと、少し距離を取り、近づいてくる敵を片端から斬り伏せはじめる。

しかし、モンスターは包囲を作っていた者達だけでは無かった。

前を塞ぐようにして、また一団が姿を見せる。一体どれだけの数が、待ち伏せしていたのか。文字通り、必殺の態勢に、ロロナ達を追い込むつもりだったのだろう。

至近。

腕を振り上げる、小型のベヒモス。

だが、即応したクーデリアが、連続して火焔弾を顔面に叩き込む。更に跳躍して、膝蹴りを頭に叩き込んだ。

巨体が冗談のように揺らいで、尻餅をつく。

もう、昔のクーデリアでは無い。

一斉に飛びかかったモンスター達を軽くいなしながら、クーデリアは連続して発砲。時には体術を駆使して、敵を寄せ付けない。

走る。

脱落者は出ていない。ロロナも時々、左右や後ろに、発破を投擲。爆発を尻目に、ひたすら走る。

前衛はステルクが、切り開いてくれる。

そう信じさせるだけの力が、ステルクにはある。事実雷光が閃く度に、モンスターが吹き飛び、斬り伏せられている。

大型の百足のようなモンスターが、真横から勢いよく迫ってくる。

ジオは後ろで、機械を頭に付けた悪魔と交戦中だ。ステルクも、此方に構っている余裕が無い。

ロロナ達だけで、どうにかするしか無い。

発破を投げつけるけれど。煙を斬り破って、無理矢理に突進してくる。

まずい。勢いを殺しきれない。

更に最悪なことに、このタイミングで、横殴りに複数の火球。リオネラの自動防御のキャパシティを明らかに越える。

クーデリアが即応、火球を全て叩き落とす。

上空から落ちるようにして、百足にタントリスが蹴りを叩き込む。

だが、それを待っていたように。

ファングよりは若干小型だが、それでも充分に巨大で凶猛な黒い狼が、突進を仕掛けてきた。

自動防御に、全力で噛みついてくる。

火花が散る中、走る。

「おおおらああっ!」

イクセルが、連続してフライパンでの一撃を叩き込むが、まるで平然としている。ファングも凄まじい耐久力を誇った。

アレに近い性能を持っているのだとしたら、頷ける。

タントリスが、横っ面を張り倒すように、狼に蹴りを浴びせかける。

どうにか、それで自動防御から弾くことが出来たけれど。

乱戦の中、ステルクとジオが、少しずつ遠くなっていく。

もう少しで、予定の地点にまで行けるのに。ひょっとして、誘導されているのは、むしろ此方では無いのか。

懸念が、間もなく現実となる。

ロロナが敵を誘導しようとしていたのは、来る途中にあった狭い小道。此処なら、左右を気にせず、迎撃に専念できる。その筈だった。

其処には、ジオが相手しているのとよく似た大型の悪魔が、仁王立ちして待っていたのである。

しかも、頭には機械が付けられている。

詰みだ。

退路は完全に防がれた。しかも、ステルクとジオには多数の敵が群がって、ロロナ達とは距離が離れはじめている。

どうする。

このままでは、完全に包囲されてしまう。

一斉攻撃を受けたら終わりだ。ただでさえ攻勢をかけて来ているモンスター達は、異常な強者揃いなのだ。

「どうする? あの悪魔を瞬殺して、突破する?」

「多分無理だよ」

ロロナは、意外なほど冷静に、そうクーデリアに応えていた。

上級悪魔の実力は、ロロナだって知っている。というよりも、今ならば、肌で感じるというのが正しい。

しかも頭に機械を付けているあの悪魔、明らかに様子がおかしい。

通常の悪魔とは、何かが違っていてもおかしくない。

そそり立った岩壁の、その麓へ走り込む。

こうなったら、後ろを気にしない状況だけでも作って、それで戦うしか無い。不本意だけれど、他に手が無いのだ。

荷車から、発破を取り出す。

そして、迫り来るモンスター達に、片っ端から投げつけた。

雷光が炸裂し、氷の嵐が吹き荒れる。

上空に打ち上げられた発破が、殺戮の嵐を巻き起こす。

翼を折られたアードラの大型種が地面に激突し、顔が凍ったドナーンがもんどり打って地面に倒れる。

だが、仲間の死骸を踏み越えて、モンスターが次から次へと来る。

死など、全く怖れていない。

これでは、まるで。

死者の兵団だ。

クーデリアの速射は凄まじい。威力が伴っていなかった今までと違って、敵を確実に劫火へ包む。

炎に包まれたモンスターは転げ回って消火するが、それでも時間は稼げる。

その間に、ロロナが発破を投げつけ、魔力砲撃を浴びせて、敵の数を削りに掛かるけれど。怒濤のごとく押し寄せるモンスターは、タントリスとイクセルだけではとてもではないが防ぎきれない。

ステルクは、遠くで苛烈な包囲に晒されたまま。

ジオもだ。

唸り声を上げながら、迫ってくるのは、ベヒモス。しかも、悪魔と同じように、頭に機械を付けられている。

今更、退路を作ることは難しい。

しかもこのモンスターの群れは、頭を潰しても動き続けるだろう。死屍累々の中、延々と迫ってくる様子からも、それは明らかだ。

不意に、鈍い音がした。

反射的に杖で弾いてしまったけれど、何だろう。拾っている余裕は無いから、見るだけ。

ライフルの弾が落ちているのを視認。

つまり、狙撃を受けたという事か。

ライフルの弾程度なら、別にもらっても何でも無い。むしろ、今は好機かも知れない。

「くーちゃん!」

「わかった!」

もしも、頭を潰すのなら。

モンスターのでは駄目だ。

ベヒモスの顔面に、いきなり魔力砲を叩き込む。のけぞった巨体に、更に発破を投げつけた。

荷車の中にある発破は、どんどん減ってきている。

爆発を押し破るようにして、ベヒモスが突き進んでくる。他のモンスターも、容赦なく間を詰めてきた。

「りおちゃん、頑張って! 出来るだけ耐えて!」

「ロロナちゃんこそ、大丈夫!?」

「うん……!」

あまり大丈夫じゃ無い。

大威力の魔術を連続して使っているのだ。魔力を蓄えておいたアーランド石晶も、そろそろ限界が来る。

でも、どうにか耐え抜く。

タントリスとイクセルが、頑張って壁になってくれている。

後は、もう少し耐え抜けば。

大丈夫。

クーデリアなら、やってくれる。

そう信じて、ロロナは残り少ない魔力を、振り絞った。

 

崖の上。

数人を発見。明らかに、どれも人間だ。

爆発に紛れて姿を消したクーデリアは、乱戦の中から、一人抜け出していた。

この間、ロロナと秘密を共有してから。

体がとにかく軽い。

雷鳴にも、一皮むけたと太鼓判を押してもらっていた。

事実、火焔を弾丸に纏わせるのも。圧力を纏わせるのも。以前とは、破壊力の次元が違っている。

結局の所、今までのクーデリアは、時間稼ぎと足止めに特化した能力者だったけれど。

今は違う。

敵の軍勢を、正面から向かい討てる能力者へと変わっていた。

影に隠れながら、崖の上に這い上がる。

モンスター達を指揮している連中が見えてきた。

何か機械のようなものを使って、大まかな指示を出しているらしいのが、一人。白衣を着ていて、身体能力はそう高いようには見えない。

あれは、錬金術師か。

見たところ、やせこけた中年男性だ。髪の毛は禿げてしまっていて、体も不摂生が目立つ。

周囲には、身体能力が高いのが一人。いわゆるメイド服を着込んでいる、赤髪の美しい女の子だ。嫌みのように整った顔立ちが、むしろ非人間的である。

見かけ、クーデリアと年も変わらない女の子に見えるが。

わかる。

アレは人間では無い。多分クーデリアやロロナと同類。つまり、人造の生命体か、体の一部を改造している存在だろう。クーデリアは体の不足部分を人造の生体パーツで補っている状況だけれど、これに関しては本能で察知できる。

もう数人は。

見かけたことのある奴がいる。

あれはおそらく、ロロナをつけ回して監視している奴だ。ライフルを構えている所から言って、あれが狙撃してきた奴だろう。

「駄目だな。 ライフルでは通らん」

「だから魔術も乗せていない弾では、無駄だと言っています」

「しかしな、ニュートン。 この弾丸は、ハルモニウムでつくったものなんだよ」

「ハルモニウムだろうが何だろうが、ライフルの弾速では同じ事です」

ライフル持ちに、ニュートンと呼ばれた女の子が応えている。

他の護衛は、どうと言うことも無い連中ばかり。あのニュートンというのを制圧すれば、勝ちが確定だ。

「一人、減ってませんか?」

「乱戦の中で、倒されたのでしょう」

「いいえ、此処にいるわよ」

返事は、待たない。

会話している間に後ろに回り込んだクーデリアは、容赦なくドロップキックをニュートンとやらに叩き込んでいた。

不意を打たれたが、それでも空中で体制を立て直し、地面を擦りながら向き直るニュートン。

だが、それだけで充分だ。

既にクーデリアの手には、錬金術師が持っていた機械がある。

そして右手の銃は、錬金術師に向けていた。

「動かないで。 動くと火だるまよ」

「い、いつの間に!」

「……ふむ、さすがはアーランド人だ」

錬金術師が、平然と言う。

護衛の連中など、ものともしない。至近からライフルを叩き込まれても、今なら避けることさえ出来る。

問題は、少し距離を置いたニュートンという奴だけ。

だが、しかし。この錬金術師らしい男の余裕は、どこから来るのだろう。

「モンスター達を止めなさい」

「そうはいかん。 此処であの戦闘狂を葬っておかなければ、我が国にどんな影響があるかわからんでな」

「殺すわよ」

「君に出来るのかな?」

無造作に、クーデリアは周りを囲んだままだった一人を蹴り飛ばす。

冗談のように吹っ飛んだそいつは、地面で二度バウンドして、動かなくなった。アーランド人の身体能力を、列強の人間に叩き付ければこの通り。クーデリアが腕を上げてきていると言うよりも、相手が脆弱すぎるのだ。

ライフル男が、真っ青になって後ずさる。

「悪いけど、殺しは経験済み。 あたしだけじゃなくて、アーランド人の戦士階級なら、幼い頃に全員、ね」

「聞きしに勝る修羅の国だ。 その様子だと、脅しでは無くて、本当に殺しに来そうだな」

「最初からそう言っているけれど」

「ニュートン!」

瞬時、間合いを詰められる。

しかし、動きは見きった。

クーデリアも歴戦をこなしてきたのだ。

繰り出された蹴りを、態勢を低くして避けながら、機械を放り上げる。そして、至近から、遠慮無く弾丸を撃ち込む。

残像を残して、避ける。

だが、二発はなった弾丸は、相手の逃げ道を特定するためのものだ。

開いている手で、ニュートンの顔面を掴み、地面に叩き付ける。手を掴んで、押し返そうとしてくるが、力の入れ方に工夫をしている。押し返せず、もがくばかり。力は相手の方が強いようだが、経験は此方が上だ。

錬金術師は。

なんと、背中に翼を生やして、空にいる。

いや、違う。おそらくアレもモンスターの一種だろう。体に付着させて、そのまま操作するタイプとみた。

「もういい。 一旦距離を取ることにしよう。 適当に君達も逃げてくるように」

「そ、そんな!」

「それで逃げたつもりかしら」

「そのつもりだよ」

不意に、体を跳ね上げられる。

空中で機械をキャッチしながら、着地。

起き上がりながら、ニュートンが服の埃を払っている。

さては此奴。

クーデリアの注意を引きつけるために、わざと押し倒されたか。だが、それでも。クーデリアの方が一枚上手だ。

ばらばらと、周りにいた護衛らしき連中が逃げ出す。

錬金術師は高笑いしながら、飛んでいった。単独で行ったと言うことは、あの翼のモンスターには、自衛能力もあるのだろう。

「この機械の使い方は?」

「それはダミーです。 マスターが離れていったので、モンスター達はじきに戦線を離脱します」

「本当かしらね」

横目に、崖下を確認。

確かに、モンスターの動きが鈍っている。一部は撤退を開始したようだ。

ロロナはかなり追い詰められていたから、攻撃を緩和する理由が無い。確かに、このニュートンとやらが言うとおりなのだろう。

不意打ちの飛び膝をかわしながら、機械を放り捨てる。

見向きもしない。

やはり、本当か。

連続で繰り出される蹴りをかわしながら、相手が本気で無い事を理解。或いは、人間は殺せないように作られているのかも知れない。

顔面を抉るように繰り出された蹴りを、掴む。

膠着。

力は相手の方が強いが、力のかけ方がまだ未熟。外させない。

跳ね上がったニュートンが、体を旋回させ、無理矢理に外しに掛かるが。しかし、クーデリアの方が、もう一枚上手だ。自身も跳び上がりながら、地面に叩き付ける。受け身を取れなければ、どんなに頑強な体でも、ダメージは免れない。此方は雷鳴に、格闘戦を徹底的に鍛え込まれているのだ。

くぐもった悲鳴。

更に、顔面に、銃を突きつけた。

「あらかた喋ってもらうわよ」

「死など怖れません。 撃つならご自由に」

「……うぉおおおおおおっ! 逃げろっ!」

いきなり、飛びかかってきた男がいる。

今、逃げ散った中の一人だった。多分ロロナを撃った男だろう。一瞬だけ気が逸れる。その瞬間に、ニュートンは逃げ去っていた。さっき、クーデリアが蹴倒した一人を、抱えた上で。

勿論、ただでは逃がさなかった。外す瞬間、無理な力が肩に掛かるようにした。しばらくは戦闘など出来ないはずだ。

男はと言うと、クーデリアに組み伏せられて、もがいている。

下では、戦闘が終わっていた。嘆息するが、むしろ此方の方が良かったかも知れない。あれが死を怖れていたとは、思えなかったからだ。

「名前は?」

「ヴァレット……」

「何故こんな無謀なことを? 貴方たちにとって、あのニュートンという子は、消耗品じゃないの?」

「錬金術師の糞野郎はそう言うかも知れないけどな。 俺にも血はつながってないが、あれくらいの年頃の、面倒を見ている娘がいるんだよ。 見捨ててはおけないだろ。 放って置いたら、どんな拷問をされるか、知れたもんじゃないからな」

此奴は、おそらく間諜の筈だけれど。

こんな風に考える間諜もいるのか。

少し、クーデリアは驚かされた。

男を縛り上げると、担いで下に降りる。この程度の崖なら、クライミングをする必要も無い。

ポンポンと飛び降りるクーデリアを見て、男は目を剥いた。

着地すると、ずたぼろにやられていたロロナが、出迎えてくれる。彼女の期待に応えることが出来て、良かった。

「敵性勢力は?」

「逃げてったよ。 くーちゃん、その人は?」

「見覚えが無い? あんたをつけ回していた奴よ」

ロロナは相変わらずで、もう少しで全滅という所まで追い込まれたのに、気にしてもいないようだった。

それはそれでいい。

ロロナは、そうであってほしいと、クーデリアは思う。

ステルクとジオが戻ってきた。ジオは流石だ。あの洗脳悪魔四体を同時に相手にして、軽傷で済んでいる。

ステルクも、あれだけの数のモンスターを相手にして、無事生還していた。まだまだ、ステルクには勝てる気がしない。

ジオはさらなる高みにいる。

生きている間に追いつけるのだろうか。リボルバーを開けて、弾丸を装填しながら、クーデリアはそう思った。

「二体は仕留めたが、もう二体には逃げられてしまった」

そう言うジオは、何だかとても楽しそうだった。

だからこそに。

この男は、修羅の集うこの国で、最強なのかも知れない。

 

3、王と王

 

ロロナは焦りを押し殺しながら、手当を進めた。

よく分からない勢力に追撃を受けている以上、ゆっくりはしていられなかった。書状をジオが渡すのが今回の探索の目的だというのなら。可能な限り、急がなければならないだろう。

皆に耐久糧食を配って、その後医薬品を出す。

幸い、重傷者はいなかったけれど。

問題は、魔力の枯渇だ。

特にロロナは、持ち込んでいるアーランド石晶の魔力を、殆ど使い尽くしてしまった。これから補充するとなると、数日はかかる。

耐久糧食を、少し多めに食べる。

体の中から、力が湧いてくるのがわかるけれど。それでも足りない事も、よく分かってしまうのだ。

物資は既に相当量を浪費した。

このままだと、次の襲撃があった場合、支えきれないかも知れない。

ステルクが戻ってきた。

先には、待ち伏せの類は無いという。一度丘の上まで行ってみて、周囲を確認。それから、奥に行くのが賢明だろうと。

ロロナも同意見だ。

ジオが音頭を取ってくれる。

「そろそろ行くぞ。 忘れ物はないか」

誰も、文句は言わない。

坂を上がり始める。ロロナの側に来たリオネラが、小声で不安そうに言う。

「大丈夫、ロロナちゃん」

「うん、何とか。 でも、もう一度さっきの敵に襲撃されたら、厳しいかも知れない」

「無茶、したら駄目だよ。 いざというときは、私がどうにかするから」

リオネラの魔力は、ロロナよりもずっと上だ。

しかし乱戦では、出来れば自動防御を頼りにしたいのである。先ほどの戦いでも、リオネラに助けられた部分は、非常に大きかったのだ。

地面に点々としている死体が、減り始める。

乱戦の場を抜けたという事だ。

細切れにされ、散らばっている悪魔の死骸を見て、ロロナは目を背けた。明らかに洗脳されている様子だったし、助ける方法は無かったのだろうか。クーデリアが首を振る。きっと、無かったのだろう。

先ほどクーデリアが捕らえてきた男は、無言で歩いている。

側を離れないように言ってある。此処は魔境だ。アーランド人でも危ない場所。そうで無い人なんて、下手をすれば瞬時に命を落としてしまう。

モンスターが散見されはじめる。

先ほどの戦いの様子を、うかがっていた者達だろう。

気が早いモンスターの中には、死骸を貪りはじめている者達もいた。なんと言うことの無い、自然の摂理だ。

丘の上に、出た。

なにやら、巨大な目のようなものが見える。

洞窟状になっている場所があって、その真上。

ひょっとすると、あれが中心部だろうか。

かなりの数の悪魔が飛び交っているのが見える。おそらくは、ひょっとしなくても、その筈だ。

最大限の警戒を払いながら、進む。

ジオが、側に来た。クーデリアが、不安そうに眉をひそめるけれど。ロロナは、この人が無茶な事はしても、理不尽なことはしないと思っている。

「ロロナ君、少しばかり良いかな」

「はい、何でしょう」

「この探索が終わったら、君に同行して欲しい所があるのだ。 何、すぐに終わる程度の事だよ」

「わたしだけに、ですか?」

そうだと言われる。

何だか嫌な予感がしたが、話を最後まで聞く事にした。

「先ほど逃げていくモンスターどもの退路を、視線で追っていたが、どうやらアーランド側からではなく、隣国から入り込んでいるようでな」

「……なるほど」

まあ、当然だろう。

アーランド側は、砦も同然の監視施設で、がっちり固められていた。歴戦のアーランド戦士も、相当数が詰めているはず。

あのようなモンスターの群れが、通れるはずが無い。

「そうなると、謎が生じてくる。 連中は、どうして此方の動きを読めていたのか、わからない」

「つまり、見張りがいる、ということですか?」

「そうだ。 それをこの後、潰しに行く」

そうさらりと言うジオ。

相手を皆殺しにする気満々だとわかって、ロロナは眉根を下げた。だが、この人の言う事も、正しいとは思う。

不意に、大きな気配。

空から舞い降りてくるのは、非常に巨大な悪魔だった。今まで見た最大級のベヒモスよりも大きい。

思わず戦闘態勢を取る皆を、前に出たジオが制する。

「貴様らは何者か」

「招かれた者だが」

「証を、見せてもらおう」

ジオが取り出したのは、恐らくは髑髏をかたどった水晶だ。

それを悪魔の掌に置く。まるで豆粒のような水晶を、悪魔はしばらく見ていたが。ついてこいと言った。

どうやら、洗脳はされていないらしい。

ほっとため息をつくのもつかの間。

左右に、ずらりと悪魔が並んでいく。数十体はいるだろう。彼らがその気になったら、きっとジオとステルク以外は、誰も生き残ることが出来ない。悪魔達が路を作ったその間を、黙々と進んでいく。

生きた心地がしない。

ロロナは、悪魔は人間と同じだと思っている。

だからこそに、こういうときは怖いのだ。相手がその気になったら、此方はひとたまりもなく鏖殺されてしまう。

洞窟の入り口には、明かりを放つ、不思議な花がたくさん植えられていた。

それも一種類では無い。赤青緑、様々な色が重なり合って、幻想的な美しさを造り出している。

荷物を預かると言われた。

不安だったけれど仕方が無い。その場に荷車を置いて、ジオと一緒に中へ。他の皆は、此処に残るようにとも。

いざというときの人質、という扱いなのだろう。

洞窟の中は良く整備されている。鉱山などで見かける小型の悪魔が、隅々まで飛び回って、綺麗にしているようだ。

所々にあるろうそくは、火を出さず、魔術で明かりを灯している様子。

中には、小さな噴水もある。

だけれど、多分湧水の杯を使っているのでは無い。洞窟の中の、地下水をくみ上げているのだろう。

悪魔達の生活水準は、予想以上に高い。

いや、そうとも言えないだろう。

此処が悪魔達にとっての王宮だとすれば。或いは、これが精一杯、なのかも知れない。

奥に、広い空間があった。

天井が高い。

というよりも、天井そのものがなくて、岩が空に浮き上がっていたり、謎の歯車が廻ったりしている、謎の空間が直に見えている。

玉座に腰掛けているのは、何だろう。

今まで見た悪魔の中で、最大級のプレッシャーを感じる。腕が4本。骨をかたどった仮面を付けていて、タキシードのような、豪奢な衣服を身につけている。

あれが、悪魔の王の中の王なのだろうか。

腰掛けて此方を見ていた悪魔の王だけれど。

ジオが歩み出ると、立ち上がって、出迎えた。

これで確信できた。

ただの使者に、こんな風に接するはずが無い。ジオは。

「アーランドの王よ。 招きに応じていただき、感謝している」

「悪魔の王よ、途上の路で襲撃を受けたのだが」

「すまぬ。 此方もこの空間を維持するので手一杯でな。 襲撃に気付いたときには、既に貴殿らが撃退した後だった」

やはり、そうか。

アーランドでも最高位の人だろうとは思っていたけれど。王宮で見かけた騎士団長が名誉職的なお爺さんであった事や、働いている騎士の中にジオがいなかったこと。それに何より、今の悪魔の王の態度から言っても。

この人が。アーランドの国王である事は、間違いなかった。

まあ、もっとも。だいたい見当はついていたので、驚きは無かった。記憶がしっかり戻ってからというもの、頭が冴えている。他にも色々と推理できていることはあるのだけれど、まだ状況証拠が足りない。それらについては、仮説の域を出ないので、口にはしないことにしていた。

悪魔の王が、姿を変える。

人間になった。

それも、妙齢の女性にだ。ロロナよりも少し年上で、銀髪の美しいとても上品な女性だ。

「相手の警戒を買わぬ姿を取らせてもらっている。 不快であれば言って貰いたい」

「いいや、問題ない」

書状が、交換される。

ロロナは立ち入って良い話では無いので、少し距離を置いて、じっと見ていた。悪魔の中に、以前沼地で話をした、ひれの生えた姿がある。ロロナがにこりとすると、向こうも一礼してきた。

王同士の会話は、順調に進んでいるようだ。

少なくとも、ロロナの位置まで、険悪な雰囲気は伝わってこない。

「なるほど。 以前はスピアに与していた事を、認めるのだな」

「大陸を早期に統一した後、緑化を効率よく進めるという条約を結んでいたのだ。 スピアが抱える錬金術師に、技術も提供した。 だが、彼らはそれを兵器転用し、我らの技術者まで捕縛し、生物兵器に変えてしまった」

「なるほど、アーランドにここしばらく潜入していたモンスターがそれか」

「そうだ。 アーランド戦士の戦闘力を利用して、試行実験していたのだろう。 我らはスピアの凶行を、これ以上放置することは出来ぬ。 アーランドがスピアの中枢に打撃を加えるというならば、できる限りの手助けをしよう」

戦争に、なるのだろうか。

聞こえてくる話の断片だけでも、かなり物騒だ。

しばらくは、細かい部分の交渉が続く。今までの会話は、それぞれの認識についての確認のようだった。

ロロナは少し居心地が悪くなったけれど。

不意に、袖を引かれる。

悪魔の一体が、こっちに来て欲しいと言っているのだ。

言われたまま、少し距離を取って、壁際に。

見かけからして、沼地の悪魔の眷属だろうか。

「以前はお世話になりました。 提供していただいた物資で、無事に緑化作業を終わらせることが出来た事、感謝します。 我らが族長も、礼を述べていました。 今は忙しくて、直接話す事が出来ないのが、残念ですが」

「いいえ、役に立ってよかったですよう」

「其処で、お話しがあるのですが」

ジオの方を見た。

まだ、話はまとまっていないようだ。まとまるにしてもそうでないにしても、ロロナにはどうすることも出来ない。

それにあの様子では、交渉決裂したとしても、双方殺し合い、という事態にはならないだろう。

「わかりました、後で聞きますね」

「お願いいたします」

きっと、緑化についての話だろう。そうでなかったとしても、ロロナの力を宛てにしてくれるのは、嬉しい。

頭が冴えている今でも、人の役に立ちたいという気持ちは変わらないのだ。

ジオが何か書類を出している。悪魔の王がそれを見て、驚いているようだった。

「これを何処で手に入れた」

「うちの間諜は優秀でね。 それに、此方としても、スピアの中枢に探りは入れていたのだ。 一部の議員は、どうも急激な拡張策を好ましく思っていないようでな。 内通者を作る事にも成功している」

「むむ……」

「悪いが、もう少し、譲歩してもらおう。 君達の緑化技術の一部を、提供していただきたい。 残念ながら、スピアを潰しただけでは、アーランドの平穏は保てそうにもないのだ。 列強の信奉する経済主義は、最近拡大する一方。 スピアの急激な拡張も、それに基づいている部分が大きいのでね」

なにやら、悪魔側に都合が悪い資料が提供されたらしい。

露骨に困り果てている悪魔の王。

それに対して、攻勢に出たジオ王は、色々と条件を提示しているようだ。

見ていると、悪魔達は、大変素直だ。アーランド人も素直だけれど、それ以上に純朴なように思える。

だから、なのだろう。

話の断片を聞く限り、北にあって急成長しているスピア連邦に、騙されたのは。

一度、休憩が入った。

悪魔の王が、側近達と話を整理したいのだという。ジオとしても、それを受けるつもりのようだ。

ジオが、外に行って、ステルクと話をしてくると言う。ロロナが頷くと、口の端をつり上げるジオ。

「私の素性を知って、驚かないのだね」

「ここに来る前には、もう見当もついていましたから」

「そうかそうか。 最初に君を見た時は、とにかく頼りない錬金術師の卵だと思ったものだが、やはりアーランド人だな。 戦いを通じて、大きく成長する。 君が成人した頃には、アーランドの柱石になっている事を、祈っているよ」

此処に取り残される。

ジオは、ロロナが成長したと、素直に喜んでいたけれど。

それで、確信できてしまったこともある。

きっとあの人は。

いや、それを今恨んでも仕方が無い。ロロナとしては、今はとにかく、立場を少しでも良くすることだ。

クーデリアの立場を改善すること。それが当面の目標の一つである事は変わらないのである。

「そろそろ、よろしいですか?」

「あ、はい。 行きます」

悪魔に促されて、奥へ。ロロナとしても、話は早めに済ませておきたい。

広い空間からは、幾つかの通路が延びていて、その先に小さめの部屋があった。其処には地図が広げられていて、長老クラスらしい髭の生えた小型の悪魔達が、何名か話し合っていた。

ロロナを見ると、彼らは不安の光を目に宿らせたけれど。

ロロナが丁寧に頭を下げて礼をすると、少し緊張を和らげてくれたようだ。

地図には、失われた民の都、とある。

「貴方が、アーランドで噂になっている錬金術師、ですな。 鉱山にいる長老からも、良い評判を聞いております」

「ありがとうございます。 あの長老さんは、とてもいい人で、いつも助かっています」

そう言うと、悪魔達は、微妙な顔をした。

やはり、そうか。

今の反応で、一つ確信が持てた。

でも、敢えて自分からは言わない。言っても、やぶ蛇になるだけ。その程度の知恵は、今なら働く。

「実は、少しばかり手伝って欲しい事があるのです。 このいにしえの都は、今封印されているも同然の状態でしてな。 我らの大事な技術を、どうにか回収したいと思っているのですが、中々上手く行かない状態なのです」

「わたしは、何をすれば良いんですか?」

「空気を造り出す道具を、造って欲しいのです」

悪魔達が言うには、現在魔力でチューブを造って、中に入り込もうとしているらしいのだけれど。

どうしても、新鮮な空気が不足して、活動時間が足りないのだという。

話を聞いていくと、驚く。

なんとこの都、ネーベル湖の地下にある、湖底洞窟から行けるというのだ。

完全に水没してしまっていて、普通ではどうやっても行く事が出来ない。しかし、悪魔達の手助けを受ければ、或いは。

ロロナとしても、様々な湖底の素材には興味がある。

それに、悪魔のほしがる技術とは何だろう。

一応、皆には話した方が良いとは思うけれど。最悪の場合、その場で止めれば良い。ロロナも立ち会うつもりだ。

「わかりました。 わたしと、仲間達も其処へ出向くという条件で、何とかします」

「助かります。 それで、具体的な話ですが……」

幾つか話をして、それで頭を下げて部屋を出る。

外では、クーデリアが待っていた。

「そろそろまた始まるらしいわ。 急いで」

「うん。 それにしてもわたし、どうして呼ばれたんだろう」

「さっき小耳に挟んだんだけれど、悪魔の王が貴方に興味を持っているらしいわよ。 王同士の交渉の後、声が掛かるかもね」

「ふうん……」

ロロナの業績は、悪魔達にも認められている、という事なのだろうか。

いや、それはあまりにも、楽観的にものを考えすぎだ。

誰もいないことを確認してから、ロロナは声を落とす。

「もう確信できたことがあるんだけど」

「何」

「悪魔って、きっと人間そのものだった人達が、何かのきっかけで変わってしまった存在なんだね」

「……やっぱり」

クーデリアも、それは感じていたのだろう。

話を総合すると、人類が滅びかけた時代、世界にはあまりにも危険な何かがばらまかれた。

それを命に代えて回収しながら、世界を少しでも良くしようとしている人達が、今の悪魔なのだろう。

それならば、人間の姿のままでのうのうとしていると、激高した悪魔の若者達の事も、理解できる。

多くの悪魔が、人を恨む事も。

「帰ったら、パメラさんと、師匠に聞いてみるつもり」

「そうね、それがいいわね。 今のあんたになら、きっと教えてくれるわよ」

「うん……」

知恵がつくと、わからない方が良かったことが、どんどんわかってきてしまう。

ロロナには、クーデリアが。周辺を取り巻くこの異様な環境を作ってきた立役者の一人である事も、もうわかっている。

だけれど、それでも関係なしに、クーデリアは大親友だ。

何かあったら、まずクーデリアに相談する。何か発見があったら、二人で共有する。今後も、それに変わりは無いだろう。

広い空間に出ると、ジオが丁度来たところだった。

悪魔の王も、既に側近達との話を終えたらしい。休憩は終わりだ。これから、実際に刃を交えるのと変わらない、激しい戦いが、また始まるのだ。

 

二度の休憩を挟んで、ロロナは荷車の方へ一度戻った。

現在の戦力を、確認して起きたかったから、である。

発破の類は、半分以上を使ってしまっている。

ただし、耐久糧食はまだ充分にある。

イクセルは悪魔達に断って、堂々と辺りで食べられそうなものを探しているようだ。茸をたくさん見つけてきては、素材回収用の荷車にどっさり入れている。タントリスはと言うと、悪魔に可愛い女の子はいないかと聞いて、どん引きさせていた。

彼らのようなたくましさが、ロロナにも欲しい所だ。

リオネラは荷車の影で座っていた。

やはり、不安なのだろうかと思ったけれど。違う。

アラーニャとホロホロと、自分の中で会話しているようだ。奇襲を受けたらどうするか、最悪の事態はどうしたらよいのか。そんな風なことを、詰めているらしい。

邪魔しては悪い。

そう思って、そっとロロナは側を離れた。

ステルクはと言うと、堂々と皆が見える位置に立って、警戒を怠っていない。

最悪の場合は、自分が盾になって、皆を逃がすつもりなのだろう。縛られたまま憮然としている間諜のおじさんは、何も喋らない。もう、観念しているのかもしれなかった。

「ロロナ君、交渉は順調に進んでいるか?」

「はい。 ええと、陛下は」

「あの方も、趣味が悪い。 君がとっくに気付いているのを理解した上で、同じように呼ばせていたからな。 わかっているとは思うが、よそでは陛下と呼ばないように。 あれでもお忍びのつもりなのだ」

「はあ……」

確かに今考えて見ると、色々とおかしな事が多すぎるけれど。

まあ、言われなければ、それほど目立つことは無いだろう。

ステルクはと言うと、そんな王様に、腹も立てているようだ。自覚を持って欲しいとか、もっと民のために働いて欲しいとか、ずっとぶつぶつ言っている。

ひとこと断って、交渉の場に戻る。

そろそろ、始まる頃だと思ったからだ。

代わりに待っていてくれていたクーデリアが、交代して荷車の所に戻る。交渉はもう大詰め。

だいたいの話に妥協点が出たようで、ジオは満足げに頷いていた。

「うむ、これなら良いだろう」

「我らも世界のために生きているのだ。 それを忘れないでいてほしい」

「わかっている。 やがてこの大陸が再び緑に包まれるときには、貴殿らも人と呼ばれる存在に戻れることを、祈りたいところだ」

王二人が、握手を交わす。

ロロナが拍手すると、見ていた他の悪魔達も、それに倣った。

ジオは少し驚いたようだが。

悪魔の王は、もっと驚いていたようだった。

帰りには、護衛を付けてくれると、ジオが話してくれた。行きの際の襲撃を考慮して、ロード級の悪魔数体が、一族を連れて護衛してくれるという。

ジオが、声を落とした。

「それでは、夜の領域を出たら、クーデリア君とステルクに荷物を預けて、後は別行動だ」

「わかりました。 でも、発破は持っていっても良いですか?」

「そうだな。 しかし、奇襲をするのに邪魔にならぬか」

「大丈夫です。 何とかします」

ジオの目的が読めない以上、怖い事には違いない。

だが、此処を無事に出られる事の方が、今は嬉しい。

数体の巨大な悪魔が、周囲を飛び始めた。彼らが護衛だろう。あまり此方を良く想っていない悪魔も多いだろうけれど。王の命令だ。少なくとも、此処を出るまでは、しっかり仕事をしてくれるはずだ。

クーデリアとステルクに、話はしておく。

「せめて、あたしが残りたいんだけれど」

「ううん、陛下が駄目だっていうから」

「そう。 万が一は無いと思うけれど、気をつけて」

クーデリアが、荷車を持ち帰ってくれることを約束。彼女に任せておけば、仕分けも問題なくやってくれるだろう。

帰り道、珍しい素材をあらかた回収。

これで、今期の課題は終了、と言うことになる。王の護衛が出来たかはわからないけれど。

いや、違う。

これはきっと、何か別の目的があっての事だったのだろう。

一度だけ、悪魔達の王宮になっている場所を、振り仰ぐ。

やっぱり、わかっていたけれど。

悪魔とは、人間だった。

人間が、悪魔に一番近い存在だと言う事はわかっていたけれど。

こんな皮肉。一体、世の中は、どうなっているのだろう。

それに、ロロナが知る限り、人間の方が、余程悪魔らしい。胸の中のもやもやを、はき出す手段が無いのが口惜しい。

リオネラが心配そうに、ロロナを見ている。

心配させてはいけないなと思って。ロロナは、無理矢理に、笑顔を作ったのだった。

 

4、追撃

 

ジオは、何というか。アーランド人であるロロナから見ても、人間離れしていた。

夜の領域を離れて、即座に彼がしたのは。足跡と痕跡から、どうやって間諜達が逃亡したのか、特定したことだった。

しかも、クーデリアからひとことふたこと聞いただけで、全員の人物像を把握したのだから凄まじい。

記憶力の良いクーデリアが、その場にいた間諜全員の特徴を覚えていたことは、別に不思議では無いけれど。

口聞きしたその内容を、即座にフィードバックできるのは、やはり並大抵のことでは無いと、ロロナは思った。

ジオによると、逃亡した間諜は、東に逃げているという。

そっちには、幾つかの村があるのだけれど。その側に、小さな森がある。モンスターもまだ放していない、成長途上の森だと言う事で。隠れ潜むには、絶好の場所と言って良いだろう。

ただ、どうしてロロナが連れてこられているのか、それがわからない。

皆と別れて、小さな荷車だけを引いて、ロロナはジオについていく。

足跡が見えているのか、それとも臭いを追っているのか。ジオはまるで躊躇することなく、歩いていた。

「ええと、陛下」

「何かな」

「どうしてわたしを、連れてきたんですか」

しばらく、無言が続いた。

装備の大半を失った荷車が、ころころと音を立てている。エンチャントしてあるから、自動で動く荷車だけれど。

「それはな。 君にそろそろ、この国を取り巻く現状を、知っていて欲しいと思ったからだよ」

「……それが、わたしを使って、何だかわからないプロジェクトを実行している理由なんですか?」

「ほう?」

面白そうに、ジオはロロナを見た。

やっぱり、そうだったのか。

頭が冴えてきているから、わかる。ロロナは何か、とんでも無く大きなプロジェクトに巻き込まれている。

最初からおかしいとは思っていたのだ。

アトリエの存続を掛けた課題と言うには、あまりにもマクロ的な戦略に基づいた課題が、多すぎた。

最初から準備されていたように、着実に上がっていく難易度。

困っていた人を救うために頑張っていたけれど。

その規模がだんだん大きくなっているのを見て、ロロナはおかしいと思っていた。アトリエの存続をはかるためにしては、あまりにも事が大きすぎると。

特に耐久糧食。湧水の杯。アーランド石晶。

これらは、アーランドの国力にも影響しかねない、巨大なプロジェクトだ。

ロロナが改良した大砲についても、そうだ。

国境に配備が始まったと、この間ステルクに聞いたけれど。大砲達は、今後、アーランドを分かり易く守るための盾になる。

いずれもが、国家規模の事ばかり。

言い方は悪いが、一アトリエの存続に関係するような事業だとは、とても思えない。

「その様子だと、もう君は、自分の身に起きたことにも気付いているのかな」

「はい。 わたしが馬鹿だったから、くーちゃんを巻き込んで、こんな……」

「まあ、その体の是非については、ゆっくり考えると良い。 さて、そろそろ、という所かな」

既に、空はすっかり漆黒と星々に染められている。

森の中に、たき火が見えた。

呆れた話だ。村の人達は、どうして放置しているのだろう。ちょっと手をかざして見ると、一応村の側からは見えないように工夫はしているようだけれど。それにしても、あまりにもずさんだ。

きっと疲れ果てて、まともな判断力を無くしてしまっているのだろう。

「ふむ、数は九か。 戦闘用ホムンクルスが一体いるな」

「この距離で、わかるんですか」

「私も幼い頃から、戦士としての帝王教育と英才教育をずっと真面目に受け続けてきたからな。 単に私は才能があったのでは無く、誰よりも努力しただけだったのだろう。 父も母も超えることが出来た」

剣を抜くジオ。

抜き身の白刃をぶら下げて、歩き始める。

このままでは、殺戮の宴が、その場に出現するのは必至だ。よその国の人達、それも辺境出身では無くて、列強のぬるま湯になれた間諜なんて。ロロナにだって勝てない。ましてや、この人が本気で刃を振るったら。

人数分、ミンチ肉が出来るだけだ。

「一つ聞かせてください」

「何かな」

「三年間の課題が終わったら。 わたしとくーちゃんを、自由にしてくれますか」

「勿論、二人にはそれ相応のポストを用意するつもりだ」

王が、嘘をつくことは許されない。

ただ、ジオは今、自由にするとは言わなかったけれど。相応のポストをくれると言った。つまり、それだけ行動権と、発言権が備わると言う事だ。

それならば、好き勝手にはされなくなる。

悪くない内容だ。

昔だったら、こんな風には絶対に考えなかっただろう。記憶が戻ってからと言うもの、考え方にシャープさが増していることを、ロロナは自覚していた。クーデリアは、こんな思考を、ずっとしていたのだろうか。

そうかも知れない。

だとすると、苦しかっただろう。現実主義は、必ずしも良い事ばかりでは無いと、ロロナは思う。

いずれにしても、今は将来のポストを少しでも良くするべく、行動を続けるときだ。

ロロナは頷く。

「わたしに、任せて貰えませんか?」

「どうにかする手があるのかね」

「やってみます」

戦闘用のホムンクルスがいるのなら。かなり危険もある。ホムは話によると、今のクーデリアよりも強いという。

それならば、接近戦ではロロナが勝てる相手では無い。

しかし、ジオが突っ込んでいったら、この場にいる相手は皆殺しだ。出来れば、それは避けたい。

必要な場合は、相手を殺す事は仕方が無い。

そんな事はわかっているし、今までも状況に応じて実行してきた。

しかし、殺さずにも済むのなら。

それに話を聞くことが出来れば、殺してしまうより、有益な情報だって、手に入りやすい筈だ。

ジオが足を止めた。

彼処に、八人。そう教えてくれたので、ロロナは歩き始める。

森の中に足を踏み入れると、空気がひんやりした。多分戦闘用ホムンクルスは、もうロロナに気付いたはずだ。

それでも、遠慮無く、進んでいった。

たき火が見える。

それを囲んでいる八人。いずれも、労働者階級の、普通の人達に見えた。みんな不安そうに、青ざめた様子で、たき火の周りで座っていた。

「リーダーは戻ってこないな」

「アーランド戦士に捕まったんだぞ。 逃げられるわけが無い」

「今頃、モンスターの餌にされちまったんだろうな」

「本国が、助けてくれるわけがないよな。 俺たち、これからどうすればいいんだろうな」

予想通りと言うべきか。

いや、好機と言うべきか。

あのヴァレットという人は、間諜達のリーダーだったらしい。

これなら、説得に応じてくれやすい。

咳払いすると、青ざめた間諜の人達が、一斉に振り返った。ロロナは努めて笑みを作る。だが、悲鳴を飲み込む声が、聞こえた。

女の人に到っては、腰を抜かし掛けているようだ。

「ひっ!」

「こんな所でたき火して、街道から丸見えですよ。 それに煙も上がっているから、すぐに近くの村の人も、不審に思ってくると思います」

「だ、だまれっ! ニュートン!」

ホムより少し背が高くて、だけれど無表情な女の子が立ち上がる。

彼女が、戦闘用ホムンクルスか。

確かに足運びを見る限り、かなり強い。だけれど。

いや、ホムよりかなり力は劣るようだ。ロロナより近接戦闘は出来るだろうけれど、一瞬で殺されるほど力の差は無い。

何より、肩を押さえている。

今のクーデリアが、無傷のまま逃がすはずもない。相当な深手を負わされていたのだろう。

みな、震えながらナイフやらライフルやらを構えているけれど。

きっと分かっている筈だ。

「もう、降参してもらえませんか」

「こ、殺す気だろう!」

「そのつもりだったら、たき火に向けて、大威力の砲撃を撃ち込んでいます。 わたしのことは、知っているし、調べてもいるんでしょう?」

一人が、ナイフを取り落とす。

さっきロロナが言ったことを、思い出したのだろう。

街道から、丸見えだったと。

「殺したりしません。 多分尋問はされるし、牢屋にも入れられると思いますけれど、このままアーランド戦士のたくさんいる街でこそこそ情報を探るよりも、ずっと安全だと思います」

「……ほ、本当に、殺さないんだな」

「貴方たちのリーダーも、死んでいません。 捕まえましたけど」

今、ロロナが懸念しているのは。

パニックになった間諜達が、四方八方に逃げる事だ。そうなったら、即座にジオが動くだろう。

そして全員、ミンチ肉だ。

「武器を捨てて」

努めて優しい笑顔を作る。

恐怖で顔をくしゃくしゃにした一人が、ライフルを手放した。それが切っ掛けになって、皆武器を捨てていく。

嘆息。

良かった。困り果てたようにホムンクルスが、彼らに聞く。

「私はどうすれば良いのですか?」

「た、たのむ、降参してくれ! 俺たちまで殺される!」

「お願いだから、ね! ね!」

必死の懇願を受けて、ホムンクルスは悩んでいたようだけれど。多分、頭が難しい問題にオーバーヒートしてしまったのだろう。

両手を挙げたまま、固まってしまう。

荷車に入れてきた縄を使って、皆を縛り上げる。縛るのはあまり上手ではないし、経験も積んでいないので、苦労した。

アーランド人として、モンスターとの戦い方や獣の捌き方は身につけているけれど。人を縛る方法は、不慣れなのだ。

「へいかー! みんな、捕まえました!」

「ご苦労」

ぬっと、ジオがその場に現れる。

今まで気配が全く無かったのに。いきなりその場に姿を見せたので、涙を流しながら恐怖の悲鳴を上げる間諜も少なからずいた。

全員を見回して、ジオは満足そうに頷く。

「これで、残りはアーランド王都にいる者達だけだな。 良い。 身柄さえ確保できれば、後は魔術師と諜報部隊が、残りも一網打尽にしてくれるだろう」

「あまり酷い事はしないであげてください」

「する必要も無い。 尋問に使う魔術は発達している。 別に拷問などせずとも、情報は引き出すことが可能だ」

絶望しきった目の諜報員達。

ジオが側の村に行って、戦士を何人か連れてくる。

後は、アーランドまで無事に護送すれば終わりだ。

良かったと、心底から思った。殺されずに済むのなら、何よりだろう。

戦士達が乱暴に間諜を立たせようとしたので、思わず言う。

「もう抵抗も出来ません。 乱暴にしないで」

「何だよてめーは。 ん? おっと、あんたは」

「錬金術師殿ではありませんか! おい、お前ら、この方の言うとおりにしろ。 この方が作った湧水の杯で、ヒラヌア村の連中は、水に困らなくなって、近くの川まで往復して水汲みにも行かなくて良くなったし、風呂にも入れるようになったんだぞ」

「わかってる! 俺のいとこも随分助かってるんだ! 言うとおりにする!」

戦士達が、わいわいと言う。

妙なところで名前が浸透しているようで、ロロナはちょっと苦笑いしてしまった。だけれど、もう振るう必要が無い暴力を、振るわなくて良いのは嬉しい。

引っ立てられていく間諜達を見ながら、ロロナは思う。

これで、良かったのだと。

 

ジオと一緒に、アーランドに到着。

荷物は既にクーデリアが、片付けてくれていた。色々と話を聞いていると、ジオがまだ一仕事あるという。

何だろうと、緊張に身を固くしてしまう。

まだ、戦いがあるのだろうか。

ある意味戦いだと、ジオは口の端をつり上げる。ロロナは生唾を飲み込んでしまった。

つまり、どういうことなのだろう。

クーデリアはその場に残るようにと、わざわざジオが言う。そう言われると、口をつぐまざるを得ない。

連れだって、大通りへ。

そして、普段は絶対足を踏み入れない、高級住宅街へ。

何度か、両親に連れられて、来たことはある。アーランド戦士の中でも一流の両親は、ここに住んでいる人達にもコネクションがあるらしくて、その気になれば住むことも出来ると、いつか言っていた。

クーデリアの家は、この地区には無い。

どうしてかはわからないけれど、どちらかと言えば貧しい人々が住む区画の端っこにある。だから余計に目立つ。これは或いは、フォイエルバッハ卿に何か考えがあっての事かも知れない。屋敷自体は相応に大きくて、高級住宅街にあるものと、全く遜色がないのだから。

「此処だ」

ジオが足を止めたのは、この地区にしては質素な家。

いや、勿論大きいのだけれど。何というか。全体的に、節制が染みついている印象の家だ。

ただ、中ではメイドさんも働いているようだし、ある程度の調度品も整っている。

「屋敷の主人がいることは、確認済みだ」

「此処は……?」

「この国の大臣の屋敷だ」

思わず、身を縮めてしまう。

身繕いは大丈夫だろうか。

よその国ほど、アーランドでは見かけを気にしないと聞いたことはあるけれど。流石に大臣の前に出るとなると、話は別。

ただ、王様が事情があるとは言え、これだけフランクに庶民と接している国なのだ。

あまり、気にする必要は無いのかも知れないけれど。

さっそく堂々と屋敷に入るジオ。

ロロナは慌てて後に続く。

屋敷の人達は、ジオのことを知っているらしく、慌てて左右に分かれて最敬礼する。そして、応接に入ると、大臣がいた。

頭のはげ上がった、小柄なお爺さんだ。

そういえば、この人は。王宮で何度か見かけたことがある。体制の不満を口にしながら、ぶつぶつと歩き回っているので、有名な人だ。

まさか、大臣だったとは思わなかった。

「メリオダス、遠征の帰りに寄ったぞ」

「また急なお越しでありますな。 あまりもてなしは出来ませんが」

「良い。 今日はロロナくんとの顔合わせをしておこうと思ってな」

いきなり話を振られたので、慌てて頭を下げる。

メリオダス大臣の反応は薄い。この様子からして、おそらく相手は、ロロナの事を知っているらしい。

まあ、無理もないだろう。

ロロナの推理通りだとすれば、多分メリオダス大臣も、この良くわからないほどの大規模プロジェクトに、一枚噛んでいるのだから。

柔らかいソファに座らされる。

良い香りの紅茶が出た。あまり美味しいものではなくて、高級感を楽しむもののようだ。実際、高級品が美味しいとは限らないことは、ロロナもよく知っている。

ただ、このソファの柔らかさはいけない。あまりにも、気持ちが良すぎるのだ。

或いは、駄目な人を生産するためのソファかも知れないとさえ思ってしまった。

「夜の領域での件は、どうでありましたか」

「交渉は上手く行った。 後の会議で提示するが、大幅に相手から譲歩を引き出すことに成功したよ」

「それは、流石にございます」

「それでどういうわけかな。 間諜に情報を流したのは、お前だろう」

いきなり。

空気が、殺気を孕んで、氷点下になる。

ロロナは思わず、口を付けかけた紅茶を、噴き出すところだった。

「な……」

「夜の領域で、あまりにも完璧な状況で奇襲を受けてな。 おかしいと思って色々と調べて見たのだが、そう言う結論になった。 無論お前の事だから、この国を思ってのことだとは知っているが。 具体的な理由を聞こう」

大臣は、どうみても戦士階級の人ではない。

ロロナだって、この国の大臣が、労働者階級出身でありながら、戦士階級からも尊敬される珍しい人だという噂くらいは聞いたことがある。

だがそれは、あくまで労働者階級だという事も意味している。

武力で立身した人では無いのだ。

つまり、王がその気になれば。

瞬時にミンチにされてしまう。殺気を叩き付ければ、それだけで心臓を止めてしまう事だって、可能だろう。

しかし、王はいつそんな事を調べたのだろう。

そういえば、帰路で何度か見失ったことがあったけれど。あの時に、間諜に尋問していたのか。

それとも、尋問の成果を、聞きに行っていたのかも知れない。

「応えよ。 場合によっては斬る」

「も、申し訳ございません。 相談が遅れました。 実は、スピアの側から、私に接触があったのです。 情報を交換しないかと」

「乗ったのか」

「はい。 彼らの諜報網を、一網打尽にする好機でありましたので。 陛下の武力であれば、多少の戦力はものともしないだろうという計算もありました。 私の落ち度にございます。 まさか、あれほどの戦力を一度に動員して来ようとは」

しばらく、今まで見た事も無い厳しい目でジオは大臣を見ていた。

震えが来るほどだ。

モンスターで言えば、ジオはドラゴンの王にも等しい。この世で最強の一角に数えられる戦闘に特化した生命体だ。

それが、本気での怒りを見せている。

どういう意味かは、ロロナにもわかっている。この人の気まぐれで、この屋敷はあまり時間を掛けずに、住民や構造物ごと、この世から無くなる。並のアーランド戦士では、この人には束になっても勝てない。

「貴様らしくも無い失態だな」

「急いで陛下には知らせようかと思ったのですが、彼らにしてみれば、監視も付けていたことでしょう。 彼らが陛下を侮っていることを逆用し、後で伝えるしか無いと思いましたので」

「余を信用してくれることは嬉しいのだがな」

「恐縮にございます」

メリオダスが、深々と頭を下げた。

はげ上がった頭には、冷や汗が浮かんでいた。

ロロナは同席はしたけれど、それ以上何も出来なかった。ソファの柔らかさなんて、もう世界の果てにまで消え失せている。

文字通り、生きた心地がしなかった。

それに、本来のジオは、一人称を余とする事も、はじめて知った。それは確か王様などの、高貴な人が使う一人称の筈。

つまり、ジオは普段はあれでも、猫を被っていた、という事だ。

本来のこの人は、どれだけ怖いのだろう。

想像するだけでも、背筋を悪寒が這い上る。

「それで、どれほどの情報を引き出せた」

「はい。 既にスピアは、戦闘タイプのホムンクルスを生産しはじめています。 ただ、どうもその戦闘力は、アストリッドが生産しているものにくらべると、一段落ちるようなのです」

「それは既に戦場で目撃した」

「恐縮です。 もう一つ、此方がより重要かと思われるのですが」

聞かされた内容は、ロロナにも無関係ではなかった。

この世界で過去、何が起きたのか。

悪魔達に要請された、いにしえのみやこの探索。

それに、今後するべき事。

その全てに、関わっていた。

 

大臣の屋敷を出る。

使用人が、不意にロロナに、便せんを手渡してきた。まさかこのタイミングで、ラブレターと言う事は無いだろう。

ジオは知らぬふりをしている。

つまり、話が既についている事象、という事なのだろう。

「開けてみて、良いですか?」

「アトリエに戻ってからにしなさい」

「はい」

それほど強い口調で言われた話では無いのだけれど。

それでも、背筋が伸びてしまう。

或いは、ジオの目的は、これだったのかも知れない。ロロナを決定的に、自分に屈服させる必要があった。だから、ジオが怖いところを、自然に見せられる場所に、連れ出した。もしそうだとすると。

歩きながら、ちらりとジオに視線をやる。

この人は、武勇に偏りがちなアーランド人の中で。珍しく、とても悪い知恵が回る人、と言うことになるだろう。

アトリエについた。

すっかり空は暗くなっている。クーデリアは待ってくれていた。料理も作ってくれたようだ。

「それでは、私は失礼する」

いつの間にか、一人称は元に戻っていた。

クーデリアは、ジオがいなくなるのを見送ってから、ため息をつく。

「余計な事は言わなかったでしょうね」

「そんな余裕は無かったよぉ」

正直、今でも腰が抜けそうなのだ。ジオが本気で怒ったあの眼光を思い出すだけで、乾いた笑いが漏れてくる。

これでも、結構力はついてきたつもりだったのに。世の中には、まだまだとんでも無い存在が、いるものなのだと、感心してしまった。

ホムがシチューを運んできたので、夕食にする。

食卓を囲んで、しばし三人、無言でおなかにシチューを入れた。クーデリアが、一段落したところで、言う。

「何を聞いたの」

「うん。 スピア連邦は、この世界の秘密に、手が届きそうなんだって。 だから、いろいろな技術を復活させて、戦争でも使っているみたいなの」

「愚かとしか言いようが無いけれど。 問題は、それを誰がやっているか、という事ね」

「この手紙、もらったんだけれど」

開いてみる。

其処には、通行許可証が入っていた。ロロナの分だけでは無い。クーデリアの分もある。

そして、何処への通行許可証かというと。

オルトガラクセン。

ロロナとクーデリアにとって、ある意味はじまりの場所。そして、自分が一度、終わった場所でもある。

意図は、明らかすぎるほどだった。

オルトガラクセンは、この国に錬金術師が、科学と工場をもたらしたとき。発掘を行った遺跡。

そして、ロロナでさえ知っている。

其処は多くのモンスターが住まう人外の魔境であり、邪神と呼ばれる謎の存在が管理しているらしいと言う。

つまり、だ。

ロロナの手で、あの場所を暴け。

という事なのだろう。

スピアが禁断の兵器を作りだしたときに、それに対抗するために。最大の切り札を、掴んでおく必要がある。

だが、ロロナは思うのだ。

アーランドがその兵器を手にしてしまったとき。

平静でいられるのだろうか、と。

ロロナはこの間、大砲を劇的に強化改良した。だがそれは、既存の兵器の枠組みを超えない存在として、だ。

もしも、いにしえの時代、世界を滅ぼしたような兵器が姿を見せたら。今までロロナが携わってきたことなんて、風前の灯火と化すだろう。

そのようなものは。

誰にも渡してはいけない。

この世界を。荒れ地だらけで、未だに人が住めず、森も出来ない場所がたくさんある世界を見て。

なおも、旧時代の兵器を掘り出して、野望を叶えようなんて人がいるなら。ロロナは、どんな手を使っても、その人を、たたきのめさなければならない。場合によっては、殺さなければならない。

覚悟は、とっくに出来ている。

「くーちゃん。 明日、パメラさんの所に行こう」

「そう、ね。 そろそろ、良い機会の筈よ」

まずは、一番近いところに。

過去、何が起きたのか。

そろそろ、知らなければならないときが、近づいていた。

 

5、白き殺戮の翼

 

スピア連邦の錬金術師、カトリアヌは、報告を受けて研究所へ急いでいた。アーランドから帰還したばかりのヌチェスを含めた他の四人も、急いでいるはず。

ついに、手に入ったのだ。

昔、此処には小さなアトリエがあった。

国からもどこからも価値を認められなかった、錬金術の牙城。悔しい思いをしながら、それでも五人は力を合わせ、頑張ってきた。

いつか、世界を再生する。

そして、皆を認めさせる。

今、アトリエだった施設は。五階建ての巨大研究所へ、姿を変えていた。とはいっても、あるのは地下だが。

アーランドにあるオルトガラクセンのような巨大遺跡の一つを、兵力に物を言わせて制圧し、作り上げた研究所。それが、此処だ。

研究所の頭脳は、既に従えている。

だからこそ、スピアの技術は短期間で急激に進歩した。そして、今。派遣していた捕縛隊が。最高の素材を、持ち帰ったのだ。

縛り上げられているそれは、ドラゴン。

白い鱗に包まれた最強の生物は、身じろぎできぬほどに、高硬度ワイヤーでがんじがらめにされている。

だが、それでも敵意を周囲に向けているのは流石だ。口を何度も開こうと、乱暴に身をよじっているが。

このワイヤーには、非常に強力な魔術が、何重にも掛けられている。

例えドラゴンでも。あらがうことは不可能だ。

「此奴が、スニー・シュツルム?」

「はい。 捕らえるのに、強化悪魔二体、討伐隊の隊員三十名が命を落としました」

「その程度の損害で済んだの? 大朗報ね!」

声を上げたのは、「一の五人」の最年少、マガレットだ。

非常に幼い容姿をしているが、それは此処の技術を使ってのこと。実際の年齢は、六十を超えている。

もっとも、それは他の錬金術師達も同じだ。

勿論、美貌の女性の姿をしたカトリアヌも。

スピア連邦は、既に此処にいる「一の五人」の傀儡に過ぎない。兵器も産業も、錬金術が無ければ立ちゆかないのだ。

「で、此奴をどうする」

「まずはクローン措置を施して量産。 その後は脳改造し、戦場に投入。 いかにアーランド人と言えど、空から襲い来るドラゴンの群れにはなすすべが無いわ。 他の国の弛んだ連中など、それこそ一網打尽ね」

「それも良いが、そろそろ悪魔共もアーランドの人外どもも、此方を本気で潰しに来る頃だぞ。 対応がもたつくと手遅れになる」

「まずは強力な試作品を仕上げましょう。 適当に隣国にけしかけて性能実験をしてから、前線に投入して。 改良を施した後、首都に配備しますか」

口々に言う皆を見回しながら、カトリアヌは満足していた。

この五人なら、かっての人類の栄光を、取り戻すことが出来る。

他の星にまで足を伸ばし、世界の全ての生物を支配した、万物の霊長としての座へ、人類が返り咲くのだ。

そのためなら。

こんな荒れ果てた世界の一つや二つ、どうなっても構わない。

元々動物とはエゴイスティックな存在だ。どうして自分だけが、欲を捨てて、周囲のために尽くさなければならないのか。

大陸を緑で埋め尽くそうとしているアーランドのことを、本気でカトリアヌは軽蔑していた。

この世界は、人間だけのもの。

それ以外の生物など、人間の気まぐれで滅ぼされる程度のものでなければならない。

人間こそ、絶対なのだ。

そうでなければ、今までずっと堪え忍んできた意味が無いでは無いか。

カトリアヌは忘れない。

五人で飢え死にしかけた、あの冬の日のことを。

ひもじい中、誰も助けてくれず。雑草を錬金術で調合して、どうにか命をつないだことを。

屈辱。

誰よりも世界を改革しうる存在に。世界はどう報いたか。

世界など、一個人がねじ伏せる存在で無ければならない。

泥水を啜って生き延びながら、カトリアヌはそう誓った。そして今。世界を組み伏せる王手に、近づこうとしている。

わいわいとドラゴンで遊びはじめた他の四人は放って置いて、カトリアヌは研究所の最深層に足を運ぶ。

其処には、かっての遺産である、超高速計算装置が眠っているのだ。

既に結論は見えている。だが、念のため、結果を見ておきたい。

最強の生物兵器を、あのドラゴンを元に開発した場合。アーランドの精鋭が此処を急襲してきたとして、撃破できる可能性は。

計算を終えて、満足する。

確率は。

百%と出ていた。

誰にも、もはや邪魔をされることは無い。

世界を五人が組み伏せる時は近い。あの屈辱を精算し、そして誰もが跪く。

自分にとって、理想の世界は。もはや、手に届く所にまで、迫っていた。

 

(続)