折れる比翼

 

序、思い詰めた友

 

水晶の作成は相変わらず苦戦の連続だったが。生成されるものは、少しずつマシになってきていた。

というのも、ロロナが思いついた試みが、上手く行き始めていたからである。

円筒状の耐熱容器に、主に砂を主成分とした、水晶の元となる原石を入れる。此処に、最初は中和剤だけを入れていたのだが。

圧力を浸透させるために、工夫を凝らしたのだ。

足りなかったのは、熱では無く圧力だった。

ロロナはそう結論していた。

というのも、水晶が見つかるのは、洞窟か、もしくはかっては洞窟だった場所だというのである。

つまり膨大な土に押し潰され、地熱でゆっくり変化していった成れの果てが水晶では無いのか。そう考えたのだ。

後は、圧力を擬似的に発生させる技術を、幾つか錬金術師達の研究から引っ張り出すだけで良かった。

調合した薬剤の質も、少しずつ上がって来ている。

このために、シュテル高地まで質が高い素材を取りに行ったのだから当然だ。ステルクはいい顔をしなかったので、入り口だけですぐ引き返してきたが。後は黒き大樹の森や、ネーベル湖畔にも様子を見に行きたい。

炉から、容器を引っ張り出す。

どうやら検証の結果、これだという温度は特定できた。後は、どれだけ圧力を掛けるか、なのだが。

まだ、不格好な、炭の塊みたいなのが出てくる。

だが、冷やしてみると。

側にいるリオネラが、力強く頷いた。

「確実に、強い魔力を吸うようになってるよ」

「よし、あと一息だね」

非常に献身的にリオネラが手伝ってくれて、ロロナとしては嬉しい。心の闇をはき出した後は、リオネラは随分明るくもなった。

外でも、リオネラの事を、聞かれる事がある。

アトリエに出入りしているあの可愛い子は誰だ、と。今までも出入りしていたと応えると、だいたい聞いてくるのは顔見知りのおじさま達だと決まっているのだけれど。みんな、一様に驚くのだった。

それだけ印象が変わったという事だ。

勿論、リオネラはこれから一生掛けて、血塗られた運命と闘っていかなければならない。アーランドに保護された以上、その能力が減退するまで戦わなければならないから、それだけ労働災害に遭う確率だって高くなる。引退した後だって、余生をゆっくり過ごすとはいかないだろう。

若手の魔術師達に、己の技を伝えていかなければならない。

それがアーランド戦士の義務。

リオネラが生きて行くには、そうなるほか無いのだから。否応に、生き方も決まってきてしまう。

咳払いしたクーデリア。

彼女は、どうしたのだろう。

リオネラが明るくなるのと反比例したように、少し前から笑顔が硬くなっている。何か思い詰めている様子が、痛々しい。

「データをメモするから、言って」

「あ、はい。 魔力吸収率は、だいたい9.7です。 蓄積率は、11……くらい」

「そう。 どちらも最初の十倍前後ね」

これは、最初に魔力を吸うようになった結晶に比べての数値を、メモしているのだ。ロロナもメモを見る。

圧力を上げていくと、順当に魔力吸収率、蓄積率が上がっている。

圧力を高めるための薬剤の質を、更に上げていけば。或いは、見かけは大変に不格好でも、やがて実用性が高い水晶もどきが出来る可能性が高い。

ただし、この薬剤が問題だ。

幾つかの薬剤を利用して、圧力をダイレクトに水晶のもとに伝えるようにしているのだけれど。どうしても、圧力を高めるためには、純度が高い天然の素材が必要になってくる。出来れば、ネーベル湖畔の湖底を調べたいのだけれど。行くとしたら、今は黒き大樹の森が限界か。

しかも、彼処も充分すぎるくらい危険な場所だと聞いている。

クーデリアは少し前から様子がおかしい。リオネラは逆に元気いっぱいだけれど、不安要素は決して小さくなかった。

「天然の水晶に比べると、魔力はどれくらい吸ってる?」

「吸収率は五分の一くらい。 蓄積率は、石の大きさにもよるけど……この結晶だったら、やっぱり五分の一くらい、かな」

「つまり、まだ話にもならないんだね」

既に、一ヶ月近くが経っている。

参考のためにもらった資料は、とても役に立っているけれど。このままだと、上手く行かないのは確実だ。

気分転換してくると言って、クーデリアがアトリエを出た。

外でこなーの世話をしていたホムが、入れ替わりに戻ってくる。おそらくクーデリアは、雷鳴の所に行って、鍛えてもらうはずだ。雷鳴の所での修行を逃げ場所にしているというよりも、迷いを払いたいのだろう。

それにしても、一体何を思い詰めているのか。

ロロナに話してくれないのが、歯がゆい。

今までは、どんなことだって、話してくれたのに。

一旦リオネラも帰ると言うことで、今日の研究を此処までで切り上げる。まだまだ改善の余地はある。

今ある材料を確認して、更に強力な圧力伝導剤を作る準備。

圧力を伝導する仕組みは、一つは中和剤からの熱伝導。これを圧力へと切り替えている。もう一つは、蒸気そのものの密度。蒸発したときに、釜の中の圧力を、ぐんと上げるような仕組みになっているのだ。

ただの液体でも、これだけの機能を秘めている。

研究をしていた錬金術師は、開発まで10年を掛けている。それだけ、画期的な発明だったのだけれど。

残念ながら、民間には一切浸透していない。

無念、なのだろうか。

少し前に、師匠に言われたことを思い出す。アストリッド師匠の先代、ロロナから見れば先々代に当たる錬金術師が、どのような研究をしていたか。そしてロロナも、所々で言われるのだ。

先々代に比べて、お前は働き者だと。

顔を叩いて、集中。

何故、この世の中は、こうも上手く行かないのだろう。単純な力の理論が支配している、このアーランドでさえそうだ。

よその国は、もっと人間関係が、ずっと複雑だと聞いている。それでは、もはや魑魅魍魎蠢く魔窟では無いのだろうか。

ソファに横になって、しばらく休む。

師匠が部屋から出てきた。ロロナが作っているものを見て、何だこれはと聞かれたので、応えると。

圧力伝導剤を見て、アドバイスをしてくれた。

「素材の質をもう少し上げた方が良いだろうな」

「はい。 できればネーベル湖畔の湖底をさらいたいんですけど、無理そうだから、少ししたら黒き大樹の森に行こうと思っています」

「よりによって彼処か。 彼処はかなりの危険地帯だ。 最低でもステルクには同行してもらえ」

師匠がこんなことを言うのは珍しい。

ただ、ロロナも危険な場所だというのは聞いているし、備えを怠るつもりは無い。ただ、方法さえ確立できれば、誰でも水晶を生産できるようにならなければ、意味が無い事もわかっている。

品質が低い圧力伝導剤を、高品質にする技も、何かしらの方法で実現しなければならないだろう。

ホムが作ってきた中間薬剤を混ぜ合わせて、完成させる。

今までに比べて、ぐっと品質が上がった筈だ。

経験上、この手の薬剤は、非常に微細な品質の変化で、完成品に大きな影響をもたらす。これにあわせて中和剤をしっかり作り込めば、或いは。極限まで品質を切り上げて、レアリティが低い素材でも、水晶を作り出せるかも知れない。

とりあえず圧力伝導剤は出来たので、今日は休むことにする。

既に外は真っ暗だ。

明日クーデリアが来てから作業をするとして。上手く行くかは、正直不安なところだ。クーデリアの不調は、ロロナの心にも影をおとしている。

誰よりも大事な友達が苦しんでいるのだ。

力になりたいのである。

ベットに入っても、しばらく悶々としていた。

オルトガ遺跡で起きた事件の事も、何だか嫌な予感ばかり想起させる。本当に一体、何がどうしてしまったのだろう。

 

翌朝。

懸念は、ついに現実のものとなった。

クーデリアが、何を思ったか、持ってきたものを見て。唐突に、それを思いだしてしまったのである。

それは、籠手。

「近接戦闘での防御手段として使えって、雷鳴にもらったのよ」

クーデリアはそう言っていた。

事実、そうなのだろう。

だが、色合い。形状。いずれもが、記憶を呼び覚ますには、充分な代物だった。そして、これを持ち歩いて、平然としているという事は。

「くーちゃん。 知っていた、んだね。 ずっと昔から」

「何のことよ」

「わたしとくーちゃんが! 一度、オルトガラクセンで、死んだって事っ!」

口をつぐむクーデリア。

視線をそらす。

ロロナは、絶望が、心の中で、広がっていくのを感じていた。

どうして話してくれなかったのだろう。ロロナを信頼していなかったから、なのか。そんなはずは無い。だってあの時、クーデリアは。クーデリアを死なせたのは。

そうだ。

怖がって嫌がるクーデリアを、無理に引っ張っていったのは。腕白盛りのロロナだったのだ。

一度思い出してしまえば、後は芋づる式だった。

「どうして……」

「えっ……」

「どうして、思い出したのよ! あの時、あんたを殺したのはあたしも同然だって、忘れてて欲しかったのに! 忘れてるなら大丈夫だろうって、わざわざこれを選んだのに!」

クーデリアが、アトリエを飛び出す。

ロロナは、追うことが出来なかった。

 

1、その時起きたこと

 

雨が降り出した。

冷たい、身を切るような雨。

ロロナが、思い出しかけていることは、クーデリアにもわかっていた。だから切っ掛けになるような何かを見せれば、喧嘩になる。それもわかっていた。

だから、わざとやった。

そうしなければ、ロロナも、自分も、守れなかった。いや、ロロナを守れなかったのだ。

涙が溢れてくる。

どうして涙が止まらない。このまま、街の外れのため池にでも身を投げたいほどだった。雨の中、ため池に行く。

囂々と渦巻く水。ぼんやりと眺めているが、どうしても飛び込む気にはなれなかった。この程度の水量と勢いでは、死ねない。アーランド人に生まれてしまった自分が、口惜しくてならない。

屋敷に戻る。

ずぶ濡れで戻ってきたクーデリアを見て、エージェント達は驚いたようだが。何でも無いと言い捨てる。

自室に閉じこもると、目を乱暴に擦る。どれだけ擦っても、涙が溢れてくる。

ロロナと喧嘩をしてしまった。

そして、きっと。

関係は、もう戻らない。

わかっていたのに。こうなると、覚悟だってしていたのに。

それでも、どうにもならなかったことが、悔しくて悲しくてならなかった。

ロロナが忘れていた事は、クーデリアは全て覚えていた。

十年と少し前の事。

クーデリアは、幼い頃、とにかく気弱な子供だった。雷が鳴ればめそめそ泣き、虫を見れば怖がって道を変えるほどだった。

父も、この頃は優しかったように思える。

兄や姉達は、この頃からクーデリアに冷たかったが。それでも、おおむね幸せな生活をしていたような気がする。

全てがおかしくなったのは、あの日。

いつも遊んでいたロロナが、手を引いて、遊びに行こうと言い出したときだった。街の外にあるオルトガ遺跡に、行ってみたいと、ロロナは言うのだった。

子供は、基本的に大人がするなという遊びをする傾向がある。ロロナはとくに腕白で、クーデリアはいつも引っ張り回されては泣いていた。それなのに、ロロナと一緒にいるのが好きで、離れる事なんて考えられなかった。

だがその日は、とてつもなく、嫌な予感がした。

怖いから、別の所で遊ぼう。

そういったが、ロロナは聞いてくれなかった。幼い頃はありがちだが、ロロナはその辺の男の子よりも、ずっと腕白な性格をしていたのだ。そしてそういった子供の方が、アーランドでは喜ばれる。勿論腕白行為は怒られるが、将来有望と見なされるのだ。

オルトガ遺跡に忍び込むのは、本来はとても難しい。だがロロナは大魔術師の娘で、幼いにもかかわらず、図抜けた才能の持ち主だった。いろいろな魔術も、既に身につけていたほどである。

思えば。

ロロナの才能は、あの時に制限を受けたのだろう。いや、振り分けを変更されたのかも知れない。

本来のロロナは、魔術師の適正が強い。それも、天真爛漫で、少し残酷でさえある、一種浮き世離れした、言うなれば魔法使い的な存在だったはずだ。

それが今のロロナになるには、やはりあの事故が影響していたのだと言えた。

大人達の目を盗んで、オルトガ遺跡に忍び込んで。

周囲にはモンスターがうろついているのに、奥へ奥へと入り込んでいった。当時は今ほどモンスターは多くなかったが、それでも間近で見るアードラはとても怖くて、生きた心地がしなかった。

鳴き声が凄く大きくて、幼い頃のクーデリアは、それだけで身が竦んでしまった。目をきらきら輝かせて大喜びしているロロナの服の袖を引いて、怖いから帰ろうと言った。そして、その次の瞬間。

ロロナが足を踏み外した。

以前見た穴のようなくぼみに、二人揃って落ちたのだ。

落ちた後の事も、ある程度は覚えている。

ずっと深い所まで落ちて、何度も壁に叩き付けられて。静かになった時、ロロナは頭から血を流して倒れていた。クーデリアも足が折れていて、身動きできない状態だった。

もしも、クーデリアの反応が早かったら。

ロロナは落ちなかった。

周りに濃厚な、あまりにも桁外れなモンスターの気配が満ちていた。

ロロナはこの時、まだ生きていた。

そして、ロロナとクーデリアの前に、彼奴が姿を見せた。

それは、ヨロイを着た騎士のような格好をしたモンスターだった。悪魔を例に出すまでも無く、少数ながら人型のモンスターは存在している。そいつの正体が何だったのかは、未だにわからない。

わかっているのは。

そいつはロロナとクーデリアを見て、残忍そうに目を光らせたのだ。

上半身しかないそいつは宙に浮いていて、手に大きな剣を持っていた。そしてその手は。ロロナについ先ほど見せたのとほぼ同一デザインの籠手が填められていた。

「これは素晴らしいサンプルですね。 データを採取しましょう」

そういうや否や。

ざくりと、斬られた。

袈裟にばっさりやられたロロナが、血だまりの中に倒れる。殆ど間を置かず、クーデリアもおなかを貫かれた。

痙攣しながら、血の海に伏すロロナとクーデリア。

「後は好きにしなさい」

そいつが言うと、近寄ってくるのは、有象無象のモンスター達。

身動きできないロロナとクーデリアに。

殺戮と捕食の宴が、実施された。

 

その後、少しして。

クーデリアは、自分が硝子シリンダの中に浮かんでいることに気付いた。中には液体が満たされていて、ぼんやりと向こうに見えたのは、アストリッドだった。

「ふむ、体の損傷が小さかった分、意識の覚醒はお前の方が早いか。 もっとも、脳が無事だったのが奇跡のような有様だったが」

何を言われているのか、わからなかったけれど。

わかったのは、自分が一度死んだと言うことだ。

しかも、それにロロナを巻き込んでしまった。

隣の硝子シリンダには、ロロナが浮かんでいた。息を呑むような有様だった。可愛かった右手は根こそぎ失われ、おなかも綺麗に抉り取られていた。

そしてクーデリアも。

体の殆どを失っている事に、代わりは無かったのである。

悲鳴を上げようにも、それさえ出来なかった。

アストリッドに聞かされる。

あの後、オルトガラクセンの上層で、ロロナとクーデリアは見つかった。落ちた場所が、そもそもそれほど深くは無かったから、死んでから移動したわけでは無かったのだろう。そして、探索チームにアストリッドがいた事が「幸運」となった。

「お前らの両親に泣きつかれてな。 研究中の技術を使って、お前達の体を再生しているところだ。 ついでに、王宮からも指示が来た。 8年ほど後に、あるプロジェクトをはじめるから、それにあわせて調整しろとな。 勿論、お前らの両親にも、許可は得ている」

許可も何も無いがと、アストリッドがせせら笑う。

何となくわかる。

王宮からの指示となれば、逆らうことは出来ないだろう。ロロナの両親は高名な使い手だが、それでも同じ。

ましてやクーデリアの両親と来たら。

それから、体を再生する作業に、しばらく時間が掛かった。

アストリッドがどうやってか、失われた体の部品を作っては、つなぎ合わせていく。最初は上手く行かなくて、傷口が壊死してしまう事もあった。だが、アストリッドは失敗失敗と笑いながら、淡々と作業をしていくのだった。そのたびに気絶するほどの痛みがあったけれど。

その内、慣れた。

五体満足になるまで、随分時間も掛かった。

ロロナが目覚めるのには、更に時間が掛かった。

その過程で、クーデリアもロロナも、訳が分からない措置をたくさん体に加えられたのである。

今になって思えば、性格を調整され、才能までも弄られていたのだろう。

事実その時を境に、クーデリアの性格はどちらかと言えば影があるものとなったし。ロロナは大変明るい反面、以前のような腕白さが影をひそめて、とても優しくて前向きになった。

ロロナは記憶の多くが欠落。

特に、オルトガ遺跡で何があったかは、完全に忘れ去っていた。何かの病気をして、アストリッドに助けてもらって。それで弟子入りしたと、思い込んだようだった。

クーデリアはと言うと、ここからが地獄の始まりだった。

フォイエルバッハに戻ってから、両親の態度が急変したのだ。

まるでゴミでも扱うように、クーデリアに接するようになった。修行と称するしごきが課せられ、兄姉達も、揃ってクーデリアを虐めた。昔から兄姉達はクーデリアに冷たかったが、拍車が掛かった。

最初は訳が分からなかった。

今だって、この態度の急変については、理由がよく分からない。

とにかく、生きるだけで精一杯になった。

ロロナは相変わらずクーデリアとの友情を崩す事は無かったけれど。いや、それが故に。

クーデリアにとって、ロロナは唯一絶対のものとなっていった。

 

ぼんやりとしたまま、ベッドの上で転がる。

ロロナは、完全にクーデリアの事を嫌いになっただろう。今までの献身的な態度の数々も、底が割れたと思っただろう。

嗚呼。

嘆きが漏れる。

世界の全てを、失った。

起き上がる気力さえない。食事をしようと思ったけれど、ベッドの上から離れる事さえ、億劫になっていた。

王の指示で行動した。逆らわなかった。

つまり自業自得だった。

だが、ロロナは最近、どんどん聡明に、なおかつ鋭くなってきていた。記憶も戻りはじめている節もあった。

遅かれ早かれ、こうなっていたことは間違いが無い。

今のロロナは、クーデリアなんて必要としていない。あれだけのスキルを身につけた後だ。アーランドを離れても、余裕で生き抜いていけるだろう。アストリッドはなんだかんだでロロナを好いているし、周辺を守る戦力については、問題が無い。

そうだ。

例えロロナに嫌われても。

ロロナを守り抜かなければならないという事を、忘れていた。

ロロナが、ゴミでも見るような目で、クーデリアを見たとしてもだ。クーデリアにとっては、世界の全てなのだ。それが闇に閉ざされようが、関係無いではないか。

土下座でもすれば、側にいさせてくれるだろうか。

奴隷のようにでも扱われるだろうか。

部屋を出る。

アルフレッドが、最初にクーデリアと出くわした。老エージェントは、目の下に隈を作っているクーデリアを見て、驚いた。

「何があったのです」

「あんたには……」

「その様子では、ロロナ殿と何かあったのですね」

ずばりと、核心を突かれる。

今は、それに対して、噛みつく余裕さえ無かった。薄ら笑いを浮かべると、まずは食事にすると言って、ダイニングへ。

影の長さから言って、今は昼の少し後か。

時間の感覚まで、おかしくなっていた。

以前と違って、クーデリアの食事は劇的に改善している。フォイエルバッハの屋敷で暮らしていた兄姉達は、それぞれが与えられている家に全員が移動しているから、連中と顔を合わせることも無い。

父だけは例外だが、今は屋敷にいないようだ。つまりクーデリアが、この広い屋敷の、事実上の主である。

兄姉どもは、優雅なご身分だ。

相続権を失ったとしても、庶民よりずっと良い生活が出来るのだから。

クーデリアの場合は、違った。

ロロナには言わなかったが、残飯同然の食事が出たことも何度もある。繰り返された虐待は、心身に容赦なく傷を刻み込んでいった。

ただ、それでも、列強で使い捨てにされている奴隷達よりまだマシかも知れない。

ただ、今の生活水準自体は、よい。

良い生活で堕落するというのであれば、それはクーデリアにも当てはまる。一応テーブルマナーはこなせるが、こんな食事に、何か価値があるのだろうか。

豪奢な料理を口に入れる。

だが、味が全くしなかった。

残しはしない。

クーデリアは飢餓の悲しみを知っている。だから、本能で、出された食事は全て平らげるようにしているのだ。

「修練をしましょう。 雷鳴殿ほどではありませんが、私が今日はお相手をいたします」

「今日は……」

「こういうときこそ、体を動かすべきです」

半ば強引に、アルフレッドに、中庭に連れて行かれる。

雷鳴に訓練を受けるようになってから、しばらくして。アルフレッドから、たまに一本を取れるようになった。

だが。今日は、やり合って見て、勝てる気がしなかった。

何度も地面に叩き付けられる。

アルフレッドは、まるで容赦をしない。クーデリアが、傷ついていても、だ。いや、むしろだからこそ、なのだろう。

アーランドでは、男女の区別は無い。

最強の座に君臨した女戦士は枚挙に暇が無いし、魔術師はむしろ女性の方が強い事が多いのだ。

「もう一度です。 立ち上がられよ」

「……」

兄姉達とは違う。

アルフレッドの目には、強い愛情が宿っている。彼奴らは弱者を嬲って遊んでいただけだ。だから、クーデリアは、少しずつ、心の炎を取り戻していく。

投げ飛ばされ、地面に叩き付けられ。

何度も何度も叩かれている内に、少しずつ、頭がクリアになってきた。

動きも、少しずつ速くなってきた。

「死のうと思われましたか?」

アルフレッドが、訓練用の槍を手に取る。

まだ、本気では無かったという事だ。今までは、素手で組み手をしていた。もやが掛かった頭では、それさえはっきり認識できていなかった。

「喧嘩の原因は、何なのです」

雷光のような突きが、容赦なくクーデリアを吹っ飛ばした。

地面でバウンドして、壁に叩き付けられる。

受け身はとった。

昔だったら、肉塊になっていたような一撃だった。アルフレッドは既に引退した身だが、今でも充分以上にクーデリアより強い。

立ち上がり、咳き込む。

呼吸を整え、前に歩み出る。

アルフレッドは容赦の無い眼光で、クーデリアを見ていた。

「些細な内容ではありますまい。 たとえば、ずっと隠していた、とても大きな事が、ばれてしまった。 そんな事ですか?」

「そうよ。 それがばれることが、どんなに恐ろしかったか」

「それならば、なおさら真正面からぶつかっていきなさい」

女子の関係は男子のそれよりも繊細だけれど。

しかし、此処はアーランドだ。

修羅が生きる国であり、人間世界の最辺境。此処でならば、男女は同じ土俵に立つことが出来る。

「見たところ、ロロナ殿は、貴方にとって比翼の友である筈だ。 しっかり話し合えば、きっとわかり合う事が出来るはず。 会話は必ずしも万能の手段では無いにしても、あなた方二人の中では、違うのではありますまいか」

「……っ」

今までに無く、体が速く動く。

アルフレッドは、遠慮無く受けて立つ。しばらく、激しい訓練を続ける。

気がつくと、中庭の隅で寝かされていた。

多分良い一撃をもらって、伸されたのだろう。まだ若いエージェントの一人が水を持ってきたので、もらう。

よく冷えた水だ。

井戸から、朝一番に汲んだものだろうか。

頭が冴えてきた。

ロロナは、どう思っているのだろう。謝るにしても、どうしたら良いのだろう。

少しずつ、具体的な事が思い当たりはじめる。

魂が抜けたようになっていた体にも。

少しずつ、活力が戻りはじめていた。

 

2、遅すぎた後悔

 

何をするにも、手がつかない。

此処まで気力が減退するのだと、ロロナははじめて思い知らされた。今までも、疲れ切って気を失うように眠ったことはあったけれど。このように、根こそぎ普段からやる気がなくなってしまうと言うのは、初めてだった。

クーデリアは。

どうして、隠していたのだろう。

ロロナがクーデリアを死なせてしまったも、同然だと言う事を。

オルトガ遺跡で起きたことを、今でははっきり思い出せる。悪夢のようなモンスターの宴で、なぶり殺しにされた事も。

そして、違和感もある。

昔と今で、自分が露骨に違うような気がしているのだ。

ため息をつくと、ホムが指摘してきた。

「マスター。 今日だけで、八十七回目のため息です」

「ホムちゃん、数えてたの?」

「記憶する能力は、フルに使うようにと、グランドマスターに言われています。 いざというときに、武器になるそうです」

「そう……」

師匠は、本当に碌な事をホムに教えない。

研究も、全く進展する様子が無かった。データを取りながら、少しずつ試行錯誤する。それだけの話なのに。どうしても、何をやっても上手く行かないのである。

クーデリアの事を嫌いになったのか。

そんなはずが無い。

今でも、大好きだ。誰よりも大事な友達だと思っている。しかし、クーデリアは。側を離れてしまった。

それだけなのに。こんなに力が抜けるとは、思っていなかった。

気分転換しようと思って、パイを焼く。

大好物の筈なのに。

食べても、味が全くしない。

寝ても、疲れが取れる様子も無い。

クーデリアはどうしているのだろうか。

謝るべきなのだろうか。

しかし、受け入れてくれるだろうか。

悩んでいると、また手元が狂った。ため息をついて、掃除をする。一体何回、同じミスを繰り返すのか。

師匠が嬉しそうに、ロロナを見ていた。

怒る気力も無い。

「何だ、くーちゃんと喧嘩でもしたのか」

「相変わらず直球ですね……。 どうしてわかったんですか」

「お前が其処までへこむのは、それ以外には可能性を思い当たらんからな。 あの不器用なクーデリアと、今まで良く喧嘩もなくやってこれたものだと感心していたが。 実際喧嘩になると、こじれるものだな」

容赦なくけらけらと笑う師匠。ロロナが傷ついていることなんて、お構いなしだ。相手を思いやるなんて機能は、この人には備わっていない。

師匠については、言いたいこともある。

思い出してきたから、わかるのだ。

ロロナは、病気を治してもらったのでは無い。

多分師匠に体を弄られて、別の命を得て此処にいるのだ。それは生きているというのとは、微妙に違うのかも知れない。

おそらくだが、多分あっている。

ロロナの体には、いやクーデリアの体にも。

研究途上だった、ホムンクルスの技術が使われている。或いはロロナを散々弄り倒していたのは、ホムンクルスの研究のためだったのかも知れない。

「喧嘩の理由はだいたい見当がつくが。 お前、記憶が戻ったな?」

「……師匠」

「おお、そんな目で見られると興奮してしまうでは無いか。 で、その様子だと、図星だな」

座るように言われたので、ソファに腰掛ける。

師匠は椅子を持ってくると、向かい合って座った。

今はどのみち、作業どころでは無い。

「はっきり指摘しておくが、あの件は事故だ。 子供は本能的に、親がするなと言う事を、する生き物だ。 お前もそうだった、というだけの事。 おそらくクーデリアは、お前をその事で恨んだりはしていないだろう」

「……っ、どうしてそう思うんですか!? わたしもくーちゃんも、あの暗闇で、モンスターの群れに、食いちぎられて、なぶり者にされて、怖くても誰も助けに来てくれなくて、それで!」

「死んだ、か? なら何故、お前の記憶はある」

「それは……」

わからない。

死んだのなら、記憶など残っているとは思えない。

「話を聞く限り、お前もクーデリアも、お互い様の理由で死んだ様子だ。 ひょっとすると、クーデリアの方が、お前を死なせたのは自分だと、思っているかも知れんぞ」

師匠はにやにやにこにこしながら、教えてくれる。

ロロナは思考が混乱して、禄に反論も出来なかった。

「お前達がモンスターどもに食い散らかされている途中に、捜索隊のメンバーが到着したのさ。 で、その場にいたモンスター共を皆殺しにした。 その中には私もいてな、お前の両親とフォイエルバッハの陰険親父に泣きつかれたよ。 娘達を助けて欲しいとな」

肉体的には死んでいたが。

脳の損傷は、まだどうにかなるレベルだったと、アストリッドは言う。

無事だった部分を、さっそくかき集めると。アトリエに戻り、培養槽を作って、放り込んだのだと、師匠は嬉しそうに語った。

その時の師匠の笑顔は、まるでお菓子を見つけた子供のようだったに違いないと、ロロナは思った。きっと間違っていないはずだ。

「ただな。 クーデリアはともかく、お前は此処に運び込んだ時点での損傷が酷くてな」

「酷いって……」

「まあ、一言で説明すると、頭しか残っていなかった。 その頭も、半分くらい潰されていた」

ぞっとする言葉だが。

今のロロナは、どうしてだろう。クーデリアがもっと無事だったことを、素直に喜んでいた。

ともかく、何をどうしたのかはよく分からない。

師匠はロロナの体を作り直して、死にかけていたところを、よみがえらせた。クーデリアも同様。

しかし、何となくわかる。

師匠はまだ、何かを隠しているのではないのか。

「聞きたいことがあるなら、聞け。 可愛い弟子の疑問には、出来る範囲で、何でも答えるぞ」

「それ、何でもじゃないです。 その……師匠がとても凄い錬金術師だって事は知っています。 でも、それでも。 そんな状態になった人間をよみがえらせるなんて、出来るんですか?」

「事実お前が此処にいる」

「……」

「まあ、疑問はもっともだ。 結論から言えば、その時は運が良かったのだ。 たまたま私は、最愛の人をよみがえらせる実験に着手していてな。 丁度良いモルモットが欲しいと思っていた所だったのだ」

流石だ。

ぐうの音も出ない。

自分の弟子をモルモットと言い切るこの人は。恐らくは、もう人間社会の規範など、ゴミとも考えていないだろう。

それで、モルモットにされたロロナは、色々体を弄られたのだ。

何となくわかってきた。クーデリアの体が、妙に小さい理由。それに、ロロナの精神に、不自然な幼さが残っている理由もだ。

何か、体にされたのだろう。

師匠のことだ。ただそのまま、ロロナとクーデリアを、五体満足によみがえらせるとは思えないのである。

「まあ、謝るなら、仲直りするなら早めにしておけ。 今回の課題も期日が近づいているのだろう? そんな状態では、出来る事も出来なくなるぞ」

確かにそれは事実だ。

それにロロナとしても、クーデリアとは仲直りしたいのだ。相手がどう思っているかは知りたいし。何より、こんな悲劇を共有した仲だ。

側に、ずっといて欲しい。

いつの間にか、師匠は自室に戻っていた。

「ホムちゃん、調合を続けていてくれる?」

「かまいませんが、マスターはどうなさるのです」

「わたし、調べ物が出来たから」

出来れば、早くに。

クーデリアと、仲直りしたかった。

 

武器屋に足を運ぶ。

設計図を見せると、親父さんは小首をかしげた。

「お前さんは普段実用的なものを作って欲しいと言ってくるのにな。 これは、何だ」

「えっと、友情の証……的な」

「同じようなことを、少し前にいってきた奴がいたなあ」

小首をかしげながらも、親父さんは作業に取りかかってくれる。

これだったら、二日もあれば出来る。そう、太鼓判を押してくれた。

これで、親父さんに頼む分は良い。

後はリオネラとタントリスを誘って、外に出る。材料が幾つか必要なのだ。そして奇しくも、今回の課題に関連する内容でもあった。

リオネラは、何も言わず、採取地に一緒に来てくれる。タントリスが一緒でも、嫌ではないようだ。

今回は国有鉱山だが、さほど危険は感じない。

ドナーンも、此方を見ると自然に距離を置く。途中かなり大きなドナーンを見かけたのだけれど。

ロロナがどいてと告げると、無言で逃げていった。

「ロロナちゃん、凄い迫力だね」

「そう?」

「ハニーの全身から、高密度の魔力を感じるからねえ。 獣ほど、相手の強さには敏感なんだよ」

タントリスが、いつものような甘ったるい声で言う。

そうなんですかと流して、奥へ。タントリスとの接し方は、最近わかってきた。以前はいちいちウブに反応して相手をおもしろがらせていたから、調子に乗らせている部分があったのだ。

少し冷徹に接するくらいが、この人には丁度良いのである。別に好きな人でも無いから、触られたってそんなに驚きもしない。

そして面白い事に、本人もそれで喜んでいるようだった。

以前リオネラと揉めたらしいのに、タントリスはリオネラにも同じようなやり方で接している。

ただ、リオネラはこの間の一件で、驚くほど強くなった。

ロロナよりもぐっと上手にあしらっているほどである。大した物だと、ロロナは見ていて感心してしまう。

幾つかの素材を集めながら、探す。

廃坑道の奥には、まだ小さいながらも、水晶の欠片が落ちていることがある。これは、水晶そのものを、掘り返した際に、砕けてしまった分だろう。

それも拾っておく。

後は、別の採取地だ。

一度鉱山を出てから、北へ。ネーベル湖畔で、幾らかの採集をしておく。此処はかなり危険なので、深入りはしない。以前より力がついてきているとはいえ、出来ればステルクと来たい場所なのだ。

湖岸で素材を集めて、吟味。

だいたいこれらで問題ないだろう。後は、別の機会を見て、黒き大樹の森に出向いておきたい。

向こう岸で、イグアノスの群れが此方を見ている。

何度かの駆除作業で大幅に数を減らしたそうだけれど。まだまだ手強い相手である事に間違いは無い。

戦いは、避けた方が良いだろう。

「もう、採集は大丈夫かい?」

「はい。 引き上げましょう」

「何だ、残念だ。 もう少しデートを楽しみたかったのだけれど」

タントリスはそう言うが、此処からは強行軍だ。帰路は急ぐことになるし、以前よりぐっとペースを上げもする。

使用している荷車にはエンチャントを施して、移動する際の補助をしているので、以前よりもずっと軽くなっているけれど。

街道を小走りで南下していくと、流石に疲れる。

丸一日歩いて、アーランドに辿り着いたときは、流石にへとへとだった。こうも急いだのは、焦燥を抑えたかったからである。

クーデリアとの仲直りは、まだ上手く行っていない。

タントリスと別れた後、心配げにリオネラが言う。

「クーデリアちゃんと、喧嘩したの?」

「やっぱり、わかる?」

「うん。 こんなに元気が無いロロナちゃん、はじめて見るから」

そういえば、アラーニャとホロホロは、殆ど口を利かない。どうしてなのだろう。

或いは、少しずつ口数を減らして、人格統合の日に備えているのかも知れなかった。

「今、仲直りのために、ちょっと準備をしているんだ」

「そう、羨ましいな。 私にはロロナちゃんの他には、殆ど友達もいないから。 アラーニャやホロホロは私自身だから。 喧嘩する事そのものが、出来ないよ」

「りおちゃんは、これからだよ。 きっとたくさん友達も出来るよ」

ロロナも、交友関係はそれなりにあるけれど。考えて見れば、喧嘩するほど仲良くしていた友達は、それほど多くない。

アトリエで、荷物の積み卸しを手伝ってもらう。

幾つかの素材は、そのまま籠に入れて、調合にすぐ使えるように。特に砂は洗った後、乾かす。

これが、今回の調合で、鍵になる。

「水晶の調合は、まだ上手く行かないよね」

「うん。 だから、試してみたいことがあるんだ」

まず、今まで使っていた、圧力を伝導する薬剤を、十倍に濃くする。

代わりに、熱伝導用の薬剤を、薄くする。

本来だったら、溶けない砂が、これによって一気に圧縮されるはずだ。炉の中にも、幾つか改良を加える。

とはいっても、この炉は、歴代の錬金術師が使ってきたものだ。様々な用途に応じて、変更が出来るようになっている。

「十倍……」

「うん。 十倍」

かなり過激だとは、自分でも思う。

だが、思い切ったことが必要なのだ。今回は。

更に、砂の中に、何種類かの薬剤を投入。

これらも、圧力伝導を補助する目的を持っている。今まで足りなかったのは、圧力だ。そう、ロロナは結論していた。

早速、炉に入れてみる。

一回目で上手く行くとは思っていない。

ただ、うまくいかせたい。

クーデリアと仲直りするためには、これが必要なのだ。

 

夕刻。

ロロナがぼんやり立ち尽くしていると。クーデリアが来た。

屋敷まで行って、アルフレッドに頼んだのだ。

クーデリアは、ロロナがいる事には気付いていた。だが、来てはくれた。問題は、此処からだ。

「くーちゃん」

「何よ……」

「場所、変えよう。 アトリエが良い? それともくーちゃんの部屋にする?」

「……」

無言でクーデリアが顎をしゃくる。

彼女が指定してきたのは。

幼い頃、二人で隠れ家にしていた場所だ。

街の南にあるため池の側で、壁際にある小さな林。いや、当時は林だと思っていたのだけれど。

今来てみると、何というか。

とても小さな木々が雑多に生えているだけの場所だ。思うに、公園として作ったのを、放棄してしまったのだろう。

アーランドでは、こういう若干いい加減な都市計画が散見される。

重要なインフラはしっかり整備しているのだけれど。それ以外の、重要度が落ちるインフラについては、扱いが雑になりがちなのだ。

ましてや戦士であることが重視される国だ。休息というものについては、どうしても軽視される。

隅っこの方に、腰掛ける。

幼い頃は、此処がとても広く感じたのに。

今では、狭苦しく思えた。

背が伸びたから、だろうか。

戦士として、殺し合いを経験したから、かも知れない。

いずれにしても、かって二人で使っていた小さな空間は。もう、二人にとっては、狭くなりすぎていた。

「どうして、話してくれなかったの?」

「あんたが、あたしを恨んでるって思ったから」

「恨むわけ無いよ。 わたしが、くーちゃんを殺したのも同じだったのに。 覚えてたんだったら、わたしのこと、怒っても罵っても良かったのに」

やっと、記憶が共有できた。

あれは悲劇だったのだ。

幼い頃の、考え無しの子供が起こしてしまった悲劇。それは誰の責任でも無い、無邪気が産んだ地獄。

見せる。

不格好だけど、出来たのだ。水晶が。

殆ど透明度は無い。だけれど、魔力は本物並みに吸い込む。それに、蓄積速度も、本物と大差ない。

「最初のは、くーちゃんにあげる」

腕輪にしてある。

クーデリアの場合、手に近い所に、魔力の供給源があった方が良いはず。しかし指輪だと、おそらく銃の引き金にとって邪魔になる。

今後、クーデリアが戦闘で、より力を発揮するためには。

外付けの魔力供給装置が必須だ。

だから、こういう形状にしたのだ。

「アーランド石晶って名付けたの。 納品までには、量産と、もう少し綺麗に見せる工夫をするつもり。 でも、わたしだけじゃ無理そう。 くーちゃんに、手伝って欲しいな」

「……あたしからも、これ」

見せられたのは。

以前、ロロナが失敗して、偶然作った緑色の塊。不格好で、でもキラキラしていて。そういえば、クーデリアが珍しく欲しいと言ったので、あげたのだ。

ただ、それは。

二つに割れてしまっていた。

いや、恐らくは、割ったのだ。

それぞれがペンダントに加工されている。

「なんで、こんな事になったんだろう」

ペンダントを受け取ったロロナは。

あの悲劇のことを、思い出す。

幼い頃の、考え無しの行動が産んだ地獄。

欲求と行動が直結している年頃は、誰にだってある。今になって思えば、後悔する事ばかりだ。

「あんたの側にいて、あたしってば、ずっと怖かったんだと思う。 あんたがもしも思い出したら、恨まれて、絶対許さないって言われて。 それで、何もかもが無くなると、思ったから」

「わたしが、馬鹿だったから起きたことだよ。 くーちゃんは、何も悪くない……」

結局、ただのすれ違いだったのか。

ペンダントは、とても似合った。

「ごめんね……」

「あたしこそ、ごめんなさい」

それから、二人で声を殺して泣いた。

最悪の悲劇。

自分が、恐らくは人間でさえない体になっている事。

思えば、全ての説明がつく。

過去の錬金術師達の偉業を、どうしてこうも簡単にまとめる事が出来てきたのか。これは、考えて見ればおかしな事だったのだ。

錬金術師達は、皆我が強いとは言え、過去の遺産に目を通していなかった筈が無い。

ロロナがこれだけの事をこなせてきたのは。

恐らくは、偉業をまとめて、形にするという点で、常識離れした才能を持っていたから、なのだろう。

そして、クーデリアも、それを補佐するという点で、才能を強化されていたのだ。それに、クーデリアのいつまで経っても発育しない体も、説明がつく。

結局ロロナもクーデリアも、人間では無かったのだ。

アーランド人さえ上回る、進化した存在なのか。或いは、師匠に調整された、ホムンクルスと混ざった存在なのか。

それさえ、わからない。

わかっているのは。

悲劇を共有する存在が側にいて。

そして、これからも変わらない、親友だと言う事だ。

 

アトリエに戻ると、しばらく無言のまま、実験結果を精査する。

圧力を上げるだけでは、透明度の高い水晶は出来ないだろう。クーデリアは、開口一番にそう言った。

「水晶の研究結果を、もう少し見た方が良いわね」

「うん、調べて見よう」

ホムが小首をかしげている。

ロロナとクーデリアが、前のように戻ったから、だろうか。

遠慮の無い言葉を、ホムンクルスである彼女は言う。

「仲直りをしたのですか?」

「そうだよ」

「気恥ずかしいけど、やっぱりあんたが側にいると落ち着くわ。 それに、あんたの世話をしてると、楽しいのも事実よ」

「もう、くーちゃんてば」

炉の様子を確認。

第一号であるアーランド石晶は、あまり綺麗では無かったけれど。クーデリアが大事にしてくれているし、何より実用的な魔力供給手段として役立つなら、プレゼントとしてこれ以上のものはないだろう。

ロロナの方でも、これからアーランド石晶を使った、外付けの魔力供給装置を作って、身につけておきたい。

大威力の魔力砲をぶっ放す際、自分だけで魔術を構築すると、どうしても時間のロスが生じる部分があるのだ。

だから最低でも四つ。

魔力砲を放つ際に展開する魔法陣を構築するための補助として、何かしらの道具を身につけておきたい。

クーデリアが、顔を上げる。

何かみつけたらしい。

「おそらく、色を付けるには、環境が影響しているはずよ。 アーランド国有鉱山の水晶が採れた地点の周囲で、何か他のものはなかった?」

「うーん、もう一度調べに行こうか」

「時間のロスがもったいないわよ。 いっそのこと、グラビ石でも混ぜてみる?」

「あ、それ面白そうだね!」

今までの沈鬱は。

完全に、吹き払われていた。

クーデリアとは、最大の秘密を共有したことになる。それに、師匠も言っていた。ホムンクルスだって、生殖能力があると。つまりそれは、作り方が違うだけで、人間とあまり代わりが無いと言う事だ。

ロロナだって、クーデリアだって、同じ筈。

今は、側で一緒に仕事が出来るだけで嬉しい。

ロロナもクーデリアも、強い人間では無いかも知れないけれど。

秘密を共有した親友だ。

なら、きっと一緒に、乗り越えていけるはず。そう、ロロナは思った。

 

3、森の悪夢

 

できあがった水晶は、今までに無く澄んでいた。

既に魔力の吸収量も、蓄積量も、現物の水晶と大差ない。量産品の此方が90だとすると、天然物は100という所だ。そろそろ、能力判断も、天然物の水晶を基準にした方が良いと思って、切り替えてもいる。

勿論天然物は加工が難しいという難点があるので、量産できるロロナ式水晶、つまりアーランド石晶の方が、利便性では分がある。

ただ、やはり可能な限り、量産の方式は確保しておきたい。

作り方を単純にして。

量産しても、品質にムラが出ないようにする。

まだ、納品までは時間がある。

それくらいのことは、やっておきたかった。

アトリエの戸をノックする音。

手が空いていないので、ホムに出てもらう。入ってきたのは、イクセルだった。

「よーっす、生きてるか?」

「うん、大丈夫だよ。 どうしたの、イクセくん」

「ちょいと、入手して欲しいものがあってな」

アトリエの中を無遠慮に見回すイクセル。

クーデリアは、今雷鳴の所だ。腕輪に仕込んだアーランド石晶をいきなり実戦投入するのでは無くて、ベテランのアドバイスを聞いてから、使っていきたいという事だった。

当然の話である。

ロロナだって、同じようにするだろう。

そして今、ロロナも石晶を用いたアクセサリを生産している、二つは腕輪に。もう二つはどうするか悩んでいるのだけれど、多分服の下に隠すタイプのネックレスにするだろう。

これらの石晶を利用した魔力展開で、魔術を構築するまでの時間を、理論上は一気に短縮することが可能だ。

こういう計算をしていると、楽しい。

ロロナが本質的には魔術師だから、なのだろう。

「やっぱり、ないか。 黒き大樹の森にならあるっていうんだけどな」

「何を探してるの?」

「夢見る王冠って茸なんだけどな。 何だか特殊な臭いを発してるとかで、豚を使って探すらしいんだ」

聞いたことも無い素材だ。

話を聞く限り、極上というべき味の茸だという。

しかし、黒き大樹の森は、非常に危険な場所だ。行くとしたら、ステルクも誘う必要があるだろう。

「彼処って、ベテランのアーランド戦士でも手こずるって話だよ。 素材のために、そんな危険を冒すの?」

「だからお前に声を掛けてるんだよ。 話に聞いたけど、最近大物の手配モンスターを何匹も沈めてるんだろ。 それなら、行けるかと思ってな」

「ううん、そうだね。 現物があれば、少しは調べられるかも」

「あるぜ、これだ」

あっさり取り出してみせるイクセル。

触ってみると、ひんやりとしていて、丸くて、独特の茸だった。メモを取っておく。念のためホムにも見て覚えてもらった。

スケッチをしたあと、臭いについてメモ。後は、何処で採れるのかも聞いておいた。

此奴は、或いは。

ロロナの性格を全て先読みして、準備をしてきたのか。何だかこれ以上踏み入ると、失礼なことを言われるような気がしたので、話を切り上げる。

「わかった。 森にはどうせ行く予定だったし。 ただ、イクセくんも来てくれる? くーちゃんとステルクさんと、後イクセくんで、短期決戦の構えで行くよ」

「え? 俺も行くのか?」

「うん、できれば」

有無を言わさぬ雰囲気で言うと、面倒くさそうだが、それでもイクセルは時間を作ると約束してくれた。

この間から、こういう風に、一種のネゴシエイトをする知恵がついてきた。

イクセルには今回は、言い出しっぺとしての責任も取って欲しいのである。黒き大樹の森と言えば名うての危険地帯だし、欲しいと言うならせめて自分も来て欲しい。イクセルも相応の使い手で、最近も修行は怠っていないというのだから、当然のことだろう。

ロロナとしては、何種類かの薬剤の材料が欲しい所だ。

せっかく出向くのだ。イクセルの用事だけで、全てを済ませる余裕は無い。

イクセルが帰った後、アーランド石晶の実験データをまとめる。

面白い事に、いろいろな素材を加えることで、できあがる結晶の質が変わるのである。

今の時点では、圧力を上げる方向で問題ない。ただあげすぎると、非常に汚く濁った結晶になってしまう。

だいたいの圧力量はわかった。

此処に様々な鉱物。たとえばグラビ石やら鉄やらを加えると、できあがる結晶の色が変わってくる。

奥が深いのは、圧力を伝導する薬剤の品質でも、透明度に影響が出てくる事だ。

これは考えて見れば当然で、水晶の材料になっている砂に混ざり込んでいるのだ。圧縮される際に、一緒になるのだ。水晶が固まったとき、影響が出るのは当たり前。

そして、品質を上げれば、この薬剤は澄む。

それだけ、できあがるアーランド石晶の品質も、向上することは間違いない。

問題が一つあるとすれば。

それが量産可能な素材でなければならない、ということだ。

危険地帯に行かないと採れないようなものでは、量産が出来ない。だから、色々高品質な素材で試しながら、周辺で容易く採れる素材に、ソフトランディングを計っていく必要がある。

ロロナだって、それくらいの知恵は働く。

量産可能でなければ、意味が無いのだ。

とにかく、今は。

クーデリアとロロナの安全を、まず確保しないと行けない。この間の一件でロロナは確信した事がある。その危険から身を守るには、まずは実績を上げていくことだ。そして三年間の課題を走りきれば。

実績を上げて、今後も国益になる二人を、排除する可能性は無くなる。

どんどん、最近頭が働くようになっている。

でもその一方で、パイは大好きだし、ホムも大好き。可愛いものには目が無いし、言動が時々幼いなと自分でも感じてしまう。

やはりこのいびつさは。

一生抜け出せない、枷か業のようなものなのだろう。

準備を終えた後、ステルクに声を掛けるべく、王宮に出向く。何だかばたばたしていた。何かあったのだろうか。

エスティが、苛立っている様子で、事務作業をしていた。

前だったら、そのまま回れ右をしていたかも知れない。

「どうしたんですか、エスティさん」

「ああ、ちょっとばかり大きな問題が起きてね」

「何か、手伝えることはありますか?」

「ううん、ロロナちゃんは大丈夫よ。 むしろステルクくんがねえ」

そう言われると、心配になる。

ただ、ステルクがいないと、黒き大樹の森に行くのは無理だろう。そろそろネーベル湖畔くらいだったら、深入りしなければどうにかなるとは思うけれど。

ステルクを見つけた。

いつも以上に顔を強ばらせて、何か騎士と話している。

ロロナに気付くと、此方に来た。

「どうした、問題か」

「はい。 黒き大樹の森に行く予定です。 ステルクさん、その様子だと、忙しい……ですか?」

「あんな危険地帯に行くのか。 しかし……そうだな」

しばらくステルクは渋い顔をしていたけれど。

ロロナがじっと見ていると、要求を呑んでくれた。忙しいというのとは、少し違うのかも知れない。

クーデリアにはもう声を掛けてある。

念のため、リオネラとタントリスにも声は掛けたけれど。二人とも重要な用事があるとかで、同行はして貰えなかった。

まあ、ステルクがいるならば、充分だろう。

黒き大樹の森は、少し辿り着くまで時間も掛かる。採取を終えて戻れば、余剰の時間はあまりない。

ただ。今回の場合、既に量産までは後一歩。

現在の状態でも、提出すれば突破できる自信はある。つまり、これはあくまで念のための保険だ。

ただ、この保険が後々になってきいてくるはず。

後は、充分な準備をしていけば。問題は、ない筈だ。

 

翌朝。

四人で、アーランドを出て北上。途中の街道を東に向かう。

この辺りは、荒野がずっと広がっている。途中の街道周辺にある村で水と食糧は補給する予定だけれど。念のために、耐久糧食は多めにもってきてある。

この耐久糧食が、軍で喜ばれていると時々聞くので、それは嬉しい。

ロロナが作ったものが認められて、多くの人がそれで助かっているとわかるのは、とても喜ばしい事だ。

色々計算が働くようになった今でも。素直に誰かのためにはなりたいと、思ってはいるのである。

カタコンベを横目に、東へ。

途中、乾ききった荒野を、そのまま突っ切った。かなりの数のモンスターがいたけれど、激しい交戦は上手に避けることが出来た。途中何度か大型のドナーンに襲われたのだけれど、いきなり火焔を纏った弾丸をクーデリアがぶっ放して、近づけさせもしなかった。しかも、かなり負担が小さくなっている様子だ。

腕輪を活用してくれている。

そう思うと、ロロナは嬉しい。

しばらく探索を一緒にしていなかったイクセルだけれど。

腕は、決して悪くない。

料理をしながら、相応に体は鍛えていたのだろう。ただ、歴戦を重ねてきたクーデリアに比べると、やはり成長はかなり遅いようだが。

数日かけて、幾つかの村で補給をしながら東へ。この様子だと、到着まで四日。探索に二日。それに、帰還に四日。

会わせて十日ほどで、全てが片付くだろう。

まだ最後の月に突入していなかったけれど、帰宅した頃には足を踏み入れる。

「途中で通った荒野ですけれど、緑化の計画は無いんですか?」

「現在、近くの森を北部に向けて拡大する計画はあるが、あの荒野まで行くには、おそらく百年は先になるだろう」

「気が長い話ね」

「ロロナの作った栄養剤を、ぱぱーって撒いて森に出来ないのか?」

無理と、イクセルに即答。

ロロナも緑化について学んだけれど、あれは豊富な経験を持つ人が携わり、大地に栄養を与え、少しずつ草木を生やして、最終的に大地に緑を根付かせるという、段階を踏んだものなのだ。

ただ、今は湧水の杯が量産できる体制に入りつつある。

水さえあれば、緑化の難易度は下がるのも事実だ。ひょっとすれば、あまり長い時を置かずに、緑化に着手できるかも知れない。

ただその時には、ロロナは確実におばあちゃんだろう。

「ステルクさん、そういえば、王宮で何かあったんですか?」

「他国の間諜が最近非常に活発に活動していてな。 国境付近で、何回か交戦が起きている。 盗賊に偽装して入り込み、かなり先進的な武器を持ち込む輩もいて、油断できない状況だ」

盗賊、か。

保護して、今では工場で働いているおじさんの事を思い出す。ああいう人は、本当にどうしようも無くて、悪事に手を染めた。

しかし、間諜として入り込んでくるような盗賊は、おそらく違う。

洗脳か何かはわからないけれど。人を殺すことに一切の躊躇もなければ、裏切る事も奪うことも、何ら罪悪感を覚えないような人達だろう。何しろ、それが仕事なのだ。

戦うしか無い相手だ。

場合によっては、殺すしか方法も無い。

黒き大樹の森が見えてきたのは、そんな事を考えていた、夕方の事。

流石にこの時間から入り込むのは自殺行為だ。

手をかざして見ていると、かなりの数のアードラが、上空で待っている。いや、あれはアードラでは無い。多分上位種だろう。遠く過ぎて見えないけれど、かなり危険なモンスターの筈だ。

それにしても、噂には聞いていたけれど。

森と言うよりも、巨大な木の塊。

しかし、其処を外れると、すぐに荒野になっている。何ともいびつな場所だ。

近くを流れている小川の岸周辺は、雑草も生えているのだけれど。どういっても、結局周囲は荒野に覆われている。

まだ、緑は少ない。

アーランド王都へ直接通じる街道の左右には緑があるけれど。それを外れてしまえば、この通りなのだ。

キャンプスペースで、一晩を過ごす。

イクセルはステルクに、今度作る料理について語っていた。ロロナは半分聞き流しつつ、既に横になって休む。

此処は危険地帯だ。

今は、可能な限り、体力を回復しておくのがいい。キャンプスペースだから、見張りはあまり考慮しなくても良いのが、嬉しいところだ。

 

翌朝。

早朝、太陽が昇るのと同時に、黒き大樹の森へ足を踏み入れる。

話には聞いていたが、森と言うよりも、巨大樹の体内に入っていくような感触だ。しかも、中に住んでいる動物たちが、どれも異形ばかり。リスのように見えて複眼がたくさんあったり、鼠のようでありながら節足を持っていたり。

虫もとても大きい。

毒針を持っているような虫もいた。これはリオネラに来てもらうべきかと、一瞬後悔した。

しかし、いない以上は仕方が無い。

それにしても、腕ほどもある百足や、犬ほどもあるごきぶりが闊歩しているのを見ると、流石に驚かされる。

この森は、何なのだろう。

張り巡らされている根は地面も同じで、其処からたくさんの木々が生えている。

巨大な木の体内には、別の木が生えて、生態系が作られている。何だかちぐはぐで、そして不思議な空間だ。

根が柔らかく崩れている場所があったので、掘り返してみる。

どうやら、これが目的の茸らしい。イクセルに渡す。掘り返すと、かなりの数が出てくるので、そのまま半分は渡した。

「あれ? 全部くれよ」

「だーめ。 持って帰ったら、調べるんだから。 高品質の素材になるかも知れないし、そうなったら色々今後の研究がはかどるでしょ?」

「お前、たくましくなったなあ」

「えへへー。 ありがとー」

他にも、何か無いか。

調べていくと、世にも奇妙な植物が、彼方此方に生えている。そして気付いたのだけれど。

むしろこの環境は、安定しているのかも知れない。

苛烈な生存競争が行われているのかと一見して思ったのだけれど。見ていると、動物はどれも動きがそれほど速くない。

ただモンスターが多い。

そして、植物の育成速度も、相当なもののようだ。

恐ろしくいびつな空間である。

ステルクが時々、行く手に雷撃を放って、露払いをしている。クーデリアも時々上を見たり、後ろを確認したりしていた。

「くーちゃん、ここに来たことあるの?」

「前に一度ね。 此処、モンスターが相当に強いわよ。 油断したら、すぐ襲いかかってくると思って」

それは、わかっている。

確かに少し前から、かなりの数の、紅いドナーンが此方を見ている。あれは噂に聞く、上位種ドナーンのサラマンダーだろう。

火の中で生きているという伝説を持つ強力な生物で、ドナーン種としては相当に強いと聞いている。

ステルクが雑草を切り開いて、路を作った。

広い空間に出る。

水たまりが出来ていて、その周囲に花畑が出来ていた。うっすら差し込んでいる光と、グロテスクな根の塊の地面が、とても印象的な対比を作っている。咲いている花々は遠目にはカラフルで美しかったけれど。近づいてみると、異形の花が多くて、苦笑いしてしまった。

やはりこの森は、不可思議なところだ。

霧が出てきた。

この森の中を、広範囲に覆っている。此処で少し休んだ方が良いとステルクが提案。確かに、このまま進むのは、奇襲を受けに行くようなものだ。

ただ、それなら一度この森を出た方が良いかもしれない。

森に入ってから、それほど時間も経っていない。出る事は、そう難しくないと思うのだけれど。

提案をしてみる。

しかし、ステルクは、乗ってくれなかった。

「霧が出ている以上、動かない方が良い。 下からさえ奇襲が考えられる魔境だ。 今は静かに、霧が晴れるのを待つ」

「……はい」

ステルクの表情は厳しい。

何か気に触ることを言っただろうか。クーデリアはと言うと、嬉しそうに茸を撫で撫でしているイクセルを一瞥だけして、周囲を見て廻っている。

ロロナもせっかくなので、水を調べて見ることにした。

手を入れてみて驚いたのは、非常に冷たい、という事だ。

触ってみてわかったけれど、これは極めて純度が高い水かも知れない。汲んでみて、密封。持ち帰った後で、調べて見ることにする。

他にも、珍しい素材がたくさんある。

オアシスのようになっている泉の周辺だけでこれだ。他をもっと探してみれば、更に色々見つかるかも知れない。

霧は、まだ晴れない。

少し座って、休むことにする。

クーデリアが、ステルクと話していた。

「サラマンダーがかなりいるわね。 攻撃してきたらどうするの」

「私が道を開くが。 君もかなり腕を上げている。 ロロナ君の護衛は任せるぞ」

「わかったわ」

イクセルはというと、料理をはじめていた。

携帯用の炭焼きを行う装置に、フライパンを乗せて。先ほど捌いていた鼠だか何だかわからない動物を焼きはじめる。

結構良い匂いだ。

内臓は全部出してしまっていたが、それは仕方が無い。訳が分からない寄生虫が、一杯湧いていたからである。

しっかり肉に火を通してしまえば、大丈夫だろう。

しばらく火を通していたイクセルが、味見。食べる事は、出来るようだ。

「美味しい?」

「うーん、正直売り物にはならねーな。 ちょっと水っぽい」

「どれどれ」

ロロナも吊られて食べてみるが、確かに少し味が薄い。

イクセルが調理をはじめて、それが終わった頃には、霧も少しは晴れていた。せっかくなので、皆で食事にする。

食べられる時に食べておくのは重要だ。

味付けが良かったので、少しは食べられるものになっていたが。それでも、量が少なくて、物足りない。

耐久糧食を出してきて、皆で分ける。

少しもったいないけれど。モンスターが多数いる状況なのだ。あまり惜しんでもいられない。

霧が晴れたので、もう少し奥へと行く。

何だか、動物の体内を、降っていくかのようだ。

不意に、土が見えた。

知らぬ間に、本来の地面についていたらしい。

上を見上げると、ドーム状に枝だか根だかわからないものが絡み合い、隙間から光が差し込んできている。

ステルクが顎をしゃくった。

地面がぬかるんでいて、歩く度にぬちゃぬちゃと音がする。

この不可思議なドーム空間の奥の方に、何かいる。

「手配モンスターの一体、ウィッチローズ。 此処に逃げ込んだと聞いていたから、今回は同行を許可した。 同じような凶暴モンスターが今、同時多数暴れていてな。 一時期の、オルトガラクセンからモンスターが多数現れてきたときと同様の面倒事になっている」

「それで、忙しい中、同行してくれたんですか」

「そうだ。 他にも倒さなければならない者が多数いる。 今回は、必ず打ち倒して、他の戦士達の負担を少しでも減らすぞ」

あの、ファングと同じ存在だろうか。

倒した時、何か体内から機械のようなものが出てきたのを、ロロナは見ていた。そうなると、この事態は。

人為的に引き起こされた、という事か。

ステルクは既に剣を抜いており、青白い光を刃に宿らせている。

奥の方にあるこんもりとした塊も。追跡者にとっくに気付いているようで、その異形の巨体を広げつつあった。

魔女のバラ。

そう言われる存在である事は、ステルクの放つ雷光にそれが照らされた時、納得できた。中心部には、バラのような存在が確かにある。だがそれはあくまで似ているだけ。全体は巨大な棘だらけの触手の塊で、凄まじい魔力を纏っており、その触手を用いて、動き回ることが出来る様子だった。

プレッシャーが、凄まじい。

ファングと同等か、それ以上の敵と見て良さそうだ。

「国境で、隣国の兵士五十名以上を殺傷して、アーランドに逃げ込んできた強力なモンスターだ。 逃がして何処かの村を襲いでもしたら、取り返しがつかん。 必ずや撃滅する」

「わかりました!」

既に、向こうも此方を敵手として認めている。

そして、ファングと同じように、手負いでもあるようだ。辺りには食い散らかしたらしい、サラマンダーの死骸が点々としている。

だが、ロロナは、不安を感じてはいなかった。

「くーちゃん、大丈夫?」

「ええ。 彼奴程度なら」

「わかった。 わたしが大威力の砲撃を叩き込むから、時間を稼いで。 イクセくんは守備に集中してくれる?」

「良いのか?」

問題ないと、応える。

今回は、ステルクの戦力を宛てにしないで戦って見る予定だ。そしてそれでも勝てると、ロロナは計算を既に済ませていた。

何故、そのような事をするか。

多分クーデリアも気付いているのだが。どうも嫌な気配が、先ほどから追尾してきている。

下手をすると、この強大なモンスター以上の存在と、連戦になりかねない。

おそらくそれは、ステルクも気付いている筈だ。

あまり戦いには、時間を掛けられないが。

しかし、やれる。

一瞬だけ後方に視線を向けた後、ロロナは詠唱を開始する。一気に、敵を葬る。

 

4、影の蠕動

 

あれが、ヴァレットが報告してきたアーランドの錬金術師、ロロナか。

自分がアーランドにけしかけた、洗脳したモンスターの一体。ウォルフ種の最強モンスター、ファングを打ち破ったとも聞いている。

マリオネルは、腕組みしたまま、戦いの様子を見守る。

ヴァレットを一とする部下達が必死に集めて来た情報によると、普段は幼児のような言動を見せるが、戦闘では相応に立ち回ると言う話であったか。しかし、マリオネルが見ている感触では、相応どころでは無い。

バケモノと名高いアーランドのベテラン戦士と同等か、それ以上にやりあっているではないか。

側に控えさせているα2が、唸り声を上げる。

馬鹿な悪魔を捕らえて、錬金術の秘儀によって脳改造し、しもべにした存在。既に実戦投入は済ませており、隣国ホランド帝国との戦闘で、著しい戦果を上げていた。ホランドは、既に戦線崩壊の様相であり、周辺国が慌てて投入してきた援軍も、戦況を変えるには到っていない。

無数の触手が、ウィッチローズから展開される。

だがその全てが、青い稲妻、それに放たれた火焔弾によって迎撃され、中途で爆砕された。

触手はいずれもが、残像を残すほどの速さで鞭振るわれ、なおかつ爆砕されても即時に再生するほどなのだが。

「マリオネル様」

「どうしたの?」

側に跪いたのは、今回連れてきた戦闘用ホムンクルスの一体。アーランドが実用化している戦闘用ホムンクルス達に勝るとも劣らない性能を持つ最新型だ。名前はニュートンという。

マリオネル同様指揮官タイプだが、今は此奴の方が立場が下。

だが、此奴も、おそらくそれを由とはしていないだろう。

「本当に仕掛けるのですか」

「ああ。 此処で疲弊したところが好機だ。 α2の性能で、一気にロロナを葬りさる」

「不可能かと思います」

「何……?」

ロロナが、大威力の砲撃を仕掛ける。

報告より、ずっと展開が速い。直線上に敵との距離を一気に蹂躙した砲撃が、ウィッチローズの展開した魔力壁に撃ち当たる。

凄まじい火花が散り、両者共にずり下がっていく中。

前に出たステルクが、一刀を降り下ろし、魔力壁を粉砕。

更にそのすぐ後ろにいつの間にか出ていたクーデリアが、連射。ウィッチローズの本体が、炎に包まれた。

其処へ、ロロナの大威力砲撃が直撃。

爆発。轟音。

黒き大樹の森が、内側からの容赦ない衝撃に揺れる。

落ちてきた木の実を、無造作に手を振って粉砕しながら、マリオネルはぼやいた。

「ふむ、第一形態では、勝負にもならんか。 国境にいたオモア連合国の弛んだ兵士共は、第一形態で充分だったのだがな」

爆炎の中、爆発的に成長していく影。

これが、ウィッチローズの戦闘形態。

見る間に形を為していくそれは、悪意に染まった世界樹とでも言うべきもの。巨大な幹を持ち、無数の枝が腕のようにしなる。

そして、その腕の全てから、毒の霧を放出。

幹にある巨大な目が光る。

閃光が、辺りを爆砕する。猛毒の霧を放ちつつ、魔力の光で辺りを攻撃。更に、反撃も、高密度の魔力が展開する防壁で防ぎ抜く。

攻防ともに隙が無い、マリオネルの作り手である錬金術師、ハーネルの自信作だ。

側に国家軍事力級の戦闘力を誇るステルクがいるから、勝てるとはマリオネルも思っていない。

だがこのウィッチローズは量産を前提とされたモンスターウェポンであり、それはファングも同様。

最終的には、戦場には人間がいらなくなると、ハーネルは豪語していた。

マリオネルやニュートンのような戦闘向けホムンクルスや、脳改造した傀儡悪魔、それにモンスターウェポンが、恐怖におののく敵国の戦力を蹂躙していく。それが、未来の戦争のスタイルなのだという。

毒霧が、見る間に広がっていく。

連続して撃ち込まれる閃光。

更に触手が伸びて、辺りを滅多打ちにする。対軍用のモンスターウェポンだ。特に今見せている戦闘形態は、一体で一つの軍基地を殲滅することを主眼に置かれている存在なのである。

勝てなくても、ある程度の打撃は、与えられるはず。

「だから、無理だと言っています」

ニュートンが言うと、同時だった。

爆発で、ウィッチローズの左半分が、消し飛んだ。

何が起きた。

見ると、ロロナが取り出した爆発物を、見知らぬ若造がフライパンで撃ち込んでいるでは無いか。

防御壁はどうなったのか。

至近で攻撃を続けているクーデリアが、打ち抜いたのだと、今更に気付く。そして攻撃をしている触手と閃光は。全て、ステルクが防ぎ抜いている。時々流れ弾も飛んでいくが、それさえも、知らない若造がフライパンをふるってはじき返していた。

どういうことだ。

即興で、これだけのコンビネーション戦闘を行えるというのか。

毒霧が充満している空間である。如何に多少の毒などものともしないアーランド人でも、動きは掣肘されるはず。それなのに。

あり得ない。

何度も、口中で呟いてしまう。

しかもその間。ロロナは先以上の大威力魔力砲を、準備している。

戦慄が背中に走った。

先ほどの異様な速さでの魔力砲撃。つまり、詠唱をそれだけ短縮できることを意味している。

逆に言えば、これだけの時間を掛けて詠唱すれば、どうなるのか。

奴の周囲に、巨大な魔法陣が四つ、出現している。あの全てが、ロロナの魔力を増幅しているのだと気付いて、マリオネルは戦慄した。

こんな大威力砲撃を、短時間で二回連続、放てるというのか。

彼奴はアーランド人としては頂点に立つ魔術師でさえない筈。もっと強い魔術師は、いくらでもいると聞いている。

それでも、これだけの実力があるというのか。

しかし、ステルクはどうなのか。奴は国家軍事力級の使い手と聞いている。それほど、ロロナと差があるように見えない。

側のニュートンは、至って冷静だ。

「気付かれませんか? ステルクはまだ本気を出していません」

「何……っ!?」

「進言します。 撤退を。 α2を今失うのは、無駄に他なりません」

「……っ!」

怒りが、こみ上げてくる。

ロロナはまだ十代半ば。今、最も成長する年代だと言う事は、マリオネルにもわかっているが。

まさか短期間で、これほどまでに強くなったというのか。

ウィッチローズが悲鳴を上げながらも、体勢を立て直す。ロロナから撃ち込まれた、先に数倍する破壊力の魔力砲を、全力展開した防御壁で防ぎ抜いてみせる。

しかし、背後に回ったクーデリアが、火焔の砲撃を連射。

ウィッチローズの全身が、容赦なく燃え上がっていった。植物は何処まで行っても植物だ。

下手に知能を与えられてしまったのが、却って裏目に出る。炎に包まれて、恐怖の声を上げるウィッチローズ。

此処まで、悲鳴が轟いてくる。

更に、ステルクが撃ち込んだ雷撃が、とどめとなった。

全身が真っ二つに分かたれたウィッチローズが、崩れるようにして、その場に倒れていく。

言葉も、ない。

これは、今此処にある戦力で、手に負える相手では無かった。

悲鳴混じりのヴァレットからの報告を、今更ながらに思い出す。

戦力が、足りない。

奴は、そう何度も繰り返していた。

「撤退だ。 ニュートン、α2、引くぞ」

「……」

脳改造されている悪魔は、粛々と指示に従う。

もう一度、ロロナを一瞥。

向こうは、此方に気付いているようだった。呼吸を整えながら、じっと此方を見ている。流石に連続での魔力砲は、消耗につながったという事か。だが、ファングにそう劣らない戦力評価をされているウィッチローズを、こうも簡単に仕留めるとは。

まだ、アーランドと直接対決のときは来ない。

だが、それでも。

スピアはまだ戦力を整える必要がありそうだ。この異常な戦力を有するアーランドを中心に辺境諸国がまとまると、面倒な事になる。

数倍の国力を有する隣国を、正面から滅ぼしたという歴史的事実は、嘘でも誇張でも無かった、という事だ。

今までは、ヴァレットの報告を、話半分程度にしか考えていなかった。だが、今事実を目の当たりにすると、流石に考えを変えざるを得なくなる。

さっさと森を出て、北上。

国境付近にある隠れ家にまで移動する。追撃はしてきていない。

隠れ家に入った後は、すぐに書状をしたためた。

ニュートンに手渡す。

「ハーネル師に、可能な限り早く渡すように」

「わかりました」

自分より性能が下のホムンクルスに顎で使われるのは、さぞや不満だろう。ニュートンは不平を目の奥に隠しながら、その場を後にした。

さて、どうしたものか。

ロロナを殺す方が良いことは、確かだ。そして殺すには、おそらく採取地での待ち伏せが最適。

この戦略は、今後も変わらない。

だが、今のロロナは、ウィッチローズやファング程度なら、ものともしないと判断した方が良いだろう。

さらなる大戦力を要求するか。

それとも、たとえばドラゴンとの戦闘で消耗したところを叩くか。

いずれにしても、手札が足りない。

旧型とは言え、経験についてはニュートンを一とする最新鋭ホムンクルスより上の自信もある。

廃棄処分にされないようにするためには、今後存在感を示していく必要がある。

思惑を、巡らせる。

ロロナを、確実に殺すために。

既にマリオネルは、ロロナを最強の敵手として、自分の中で認識していた。最悪の場合は、差し違えても倒さなければならない。

ハーネル師のためにも。

スピア連邦のためにも。

 

「どうする? 追撃して捕縛する?」

「ううん、放っておこう」

ウィッチローズの亡骸の側を離れて、此方に来たクーデリアに。ロロナは、そう返していた。

アーランド石晶の、魔力蓄積効果は抜群だ。天然物の水晶ほどでは無いが、十分な効果を期待出来る。

事実ロロナも、短時間で魔力砲を展開できた。今までだったら、全部自分の魔力で賄わなければならなかったから、こうは行かなかった。アーランド石晶の大量生産を確立すれば、魔術師は更に戦力を拡大できる。

そして、クーデリアも。

負担が著しく小さくなったから、スリープショットも火焔弾も、連射が前より遙かに楽に出来るようになっている。

以前は無理をすると内臓を痛めるほどだったのに。

今では、充分に余裕を持って、難敵に効果的な打撃をたたき込めるようになっていた。

イクセルも、久々に一緒に戦ったが、充分な働きを見せてくれていたし、今回は久々に快勝と言って良いかも知れない。

戦力がよく分からない相手を追撃して、やぶ蛇になったら損だ。

ウィッチローズの残骸を、皆で手分けして調べる。

やはり、機械のようなものが入っていたが。それは、ステルクに取り上げられてしまった。

他の体の部品を調べていくと、妙なものが見つかる。

花だ。

だが、とても美しい。この世のものとは思えない。

赤を基調としているのだけれど。全体的に虹色で、しかも不思議な弾力性があった。香りも素晴らしい。

何だろう、これは。

大事に、荷車にしまい込む。

なんだかわからないけれど。これは今後、とても大事な素材として機能するような気がした。

他にも、色々珍しいものが、残骸から見つかる。どれも荷車に詰め込む。

「後は、何か必要なものはあるか」

「いえ、大丈夫です。 引き上げましょう」

「やれやれ、やっとか」

イクセルがぼやく。

いつもこんなモンスターと戦っているのかと聞かれたので。ロロナは、笑顔のまま、応じた。

「普段はもっと手強い相手と、死にそうになりながら戦ってるよ」

「そっかあ。 じゃあ、次からは出来るだけ、手伝うようにするよ。 今までは話半分に聞いてた。 すまなかったな」

「でも、お店は大丈夫なの?」

「仕方がねえだろ。 幼なじみがこんなヤバイ状態で戦ってるのに、俺だけ店があるからなんて、いってられねーよ」

イクセルがやる気になってくれたのは嬉しいけれど。

今後は、更に厳しい状況が続くと、ロロナは思っている。

それに、まだまだ。此処から、楽に帰れはしないようだ。

周囲に、無数の影。

どうやら戦いが終わるのを待っていたらしいモンスター達。サラマンダーが多数に、大型のウォルフ。それに、見た事も無い奇怪な生物たち。

いずれもが、このホール状の空間を、包囲していた。

突破しないと、戻れそうにもない。

だが、ロロナはもう、怖れてはいなかった。

「私が突破口を開く」

ステルクが前に出て、剣を抜く。

その刀身には、既に青白い魔術の稲妻が、力強く宿っていた。

 

5、人工の宝石

 

炉を開ける。

リオネラとクーデリアが見ている前で、ロロナは耐熱ミトンで、中にあるアーランド石晶を取り出す。

やはり、美しい水晶に比べると、かなり濁っているけれど。

それでも、青黒い、味のある輝きが其処には宿っていた。

早速、リオネラが検査をしてくれる。

「水晶に比べて、魔力吸収率95%、蓄積率92%」

「あら、もう遜色ないわね」

「うん!」

良かった。

これで、量産体制は確立だ。

黒き大樹の森から持ち帰った素材を用いて、最高級のアーランド石晶を作った。その後、素材をグレードダウンしながら、量産できる素材に、ソフトランディングさせていったのだ。

この作業が、存外に時間を浪費した。

現在は、課題の期日の九日前。辺りには、たくさんのアーランド石晶が転がっている。いずれも品質はまちまちだけれど。どれも、納品すれば問題なしというだけの品には仕上げてあった。

特に、黒き大樹の森で仕入れてきた素材を使ったアーランド石晶は、はっきり言って天然物にも劣らない品質である。

これを量産すれば。

宝石の不足に苦しんでいたアーランドの戦士達、特に魔術師達は。今後、一気に戦況を好転させることが出来る。

ロロナがやったように、外付けの魔力供給装置を使えば、大威力の魔術を高速発動させることが出来るのだ。

今まで大魔術師達が独占していた宝石も。今後は、中堅所以下の戦士達に、出回ることになる。

そうすれば、戦力が底上げされる。

ロロナにも、その意味はよく分かる。

この課題の意義も。

そして、ロロナには、もうおぼろげに見えている。一体何が、周囲で起きているのか。

だが、今それを口にしても仕方が無い。

今するべきは、アーランドにとって、ロロナを重要な存在として認めさせること。そして、クーデリアも同様だと、認識させることだ。

後は三日ほどを掛けて、この量産可能型アーランド石晶を10個ほど生産して、納品すれば終わりだ。

リオネラがお茶を淹れてくれたので、少し休む。

ホムはまだ働けると言っていたけれど。これから三日が、少しばかりきつくなる。だから、早めに休んでもらう事にした。

アトリエの隅には、未組み立ての湧水の杯が幾つかある。ホムが黒き大樹の森に行っている間に、作っていてくれたものだ。

クーデリアが、ふと口にする。

「湧水の杯、まだ納品の指示が来ているのね」

「まだまだ、水が足りない村があるみたいだからね。 それに、将来的には、くーちゃんが言っていたみたいに、周囲の国に輸出するんじゃ無いのかな」

「その場合、多分今とは比較にならない数が必要になるわよ」

「うーん、それはどうするんだろう」

幾つか考えられる事はあるけれど。

敢えて口にはしない。

それにしても、ここ最近、どんどん血の巡りが良くなってきている感じがある。記憶が戻ってから、特に顕著なのだ。

だが、それはクーデリアも同じ筈。

きっと、何があっても乗り切れる。そう、思う。

お茶をして、気分転換をしてから。ロロナはさっとスケジュールについて書く。クーデリアとリオネラに、どう手伝ってもらうか、だ。勿論二人が、アトリエから出る事も想定している。

二人はあくまで補助をしてくれている立場。

三日間の徹夜に、つきあわせるわけには行かないのだ。

スケジュールが出来た後、作業を開始。

とにかく、三人が揃っている間に、出来る作業は全て済ませる。中間薬剤を造り、圧力伝導剤を生成。

炉の状態の調整、メンテ。これらはロロナがやる必要があるけれど。

任せられることは、いくらでもある。

素材の搬送、切り分け、不純物の取り除き。お茶を淹れたり、掃除したりというのも、重要だ。

あくびをしながら、師匠が自分の部屋から出てきた。

興味なさげに作業を一瞥だけすると、外に出て行く。

クーデリアもリオネラも、それには何も言わない。

まずは、作業を、終わらせることだ。

 

三日ほぼ徹夜して。

予定通りのアーランド石晶を作成出来た。出来たには出来たけれど、やはりくたくただ。本当は少し余裕を持って仕上げる予定だったのだけれど、数刻ほどオーバーしてしまった。やはり、黒き大樹の森から戻った後、突貫工事で作業したのは、無謀だったかも知れない。実際、駄目にしてしまった石晶も、かなりあった。

ただ、予定量が出来たのは事実。

それに、三日の徹夜と言っても、まだ六日ほど時間がある。とはいっても、今回も課題の期日までかなりギリギリである。何かの大きな失敗をした場合、リカバリーが効くぎりぎりの日数を残して作業していたのだから。結局の所、ロロナはいつもギリギリになって、やっと作業を終わらせられる状況で、綱渡りをしている。

今まで作った試作品も、全て荷車に詰め込む。手元が狂って、何度も緩衝材に包んだ石晶を落としているのを見かねて、途中からリオネラが手伝ってくれた。

荷車に積み終えると、王宮へ。

リオネラはアトリエで、手を振って見送ってくれた。

お風呂どころでは無かったので、納品が終わったら、みんなで行きたいところだ。クーデリアもついてきてくれる。

路の途中で行き倒れたりしたら困ると彼女は言っていたが。

多分、目的は違うはずだ。

黒き大樹の森で、此方を見ていた人影。

ロロナの予想が正しければ、あれは。とにかく、あの人影から、ロロナを守るために、来てくれているのだろう。

受付には、ステルクが詰めていた。

ロロナが課題の納品に来たというと、非常に渋い顔をする。ひょっとしてまずいタイミングだったかと思ったが、違った。

「もう少し身繕いをしてはどうだ。 君は年頃の女性だという自覚があるのかな」

「え……?」

無言で、クーデリアが鏡を見せてくる。

髪はほつれているし、目の下に隈も出来ている。みるみる真っ赤になるロロナに、呆れたようにクーデリアは言う。

「だから、出る前に言ったでしょ。 本当にその格好で行くのかって」

「え、でも!」

「ほら、さっさと済ませて帰るわよ。 あんたは鋭くなったと思ったのに、こういう所は全然変わってないんだから」

返す言葉も無いロロナの代わりに、クーデリアがてきぱきと作業を終えてくれた。

ステルクは驚いたように、アーランド石晶の現物を見る。

「本当に水晶を作ったのか」

「はい。 素材はその辺りにあるもので大丈夫です。 魔力吸収量も蓄積量も、天然の水晶の九割程度の能力を有しています。 レシピについては、後で納品します」

「君は成長したな。 とりあえず、明日詳しい話は聞きに行くから、今日はゆっくり休むと良い。 これらについては、王宮付きの魔術師が精査するから、後は気にしなくても良いだろう」

周囲の騎士達も、驚いたようにロロナを見ている。

アーランドにとって、資源の不足。特に宝石の不足は、昔からの課題だったのだ。魔術を使う際、外付けの魔力供給装置として機能する宝石は、戦闘力の拡大を促す最高の品。外で傭兵として稼いでいるアーランド戦士達も、宝石を購入してくるのは、それが理由だ。

勿論、ロロナも無からこれを創造したわけでは無い。

しかし、この功績は大きい。

アトリエに戻る途中、何だか後を付けられているように思って、振り返った。誰もいない。クーデリアが、小声で言う。

「気にするほどの相手でも無いわ。 この間森で狙ってた連中と違って、此方を見張ることしか出来ない小物よ」

「ずっと昔から、付けてきていたのかな」

「マークされはじめたのは最近ね。 さ、アトリエに戻って、一休みして。 それからみんなで銭湯にでも行きましょう」

頷くと、ロロナは今回の課題を無事終えられたことを確信。

そして、今後にとっても、大きな一歩になる手応えを感じ取っていた。

 

ステルクは、会議に出席すると、空気が浮ついているのを敏感に悟った。

今回のプロジェクトM進展会議は、最初から興奮を孕んでいた。何名かの魔術師が、既に聞いている噂について、小声で話し合っていたほどだ。

ロロナの母であるロアナも、その例外では無い。

宝石の人工精製に成功。

しかも、天然物の宝石に、ほぼ拮抗する性能を持っている。

この言葉だけで、アーランド人にとって、どれだけの大きな意味があるか。稼いだ外貨を浪費して宝石を購入しなければならないことを、忌々しく思っているアーランド人は多かったのだ。

王の前に、綺麗にカットされたアーランド石晶が出される。

色は濁り気味で透明度は少ないが、しかし味のある青、緑などの着色が為されている。そして、王宮付きの魔術師が、太鼓判を押してきていた。

天然物の水晶より若干劣るが、魔力の外付け供給装置として、充分に機能すると。

おおと、魔術師達が声を上げる。

彼ら彼女らにとっても、宝石の高価さは悩みの種だったのだ。特に上級の魔術師になってくると、複数の魔術を展開するためにも、どうしても宝石によるバックアップが必要不可欠だった。

この間、ステルクは黒き大樹の森でロロナが大威力魔力砲を連続で撃ち放つのを見た。あれはこの水晶のようなものによるバックアップの成果だろう。どんな大魔術師でも、生身だけでは、あのような大技を連続で放つことはできないのだ。

例え多少質が落ちるとしても。

宝石が増えるというのは、アーランドの力がそれだけ底上げされるという事を意味している。

特に戦士として、魔術を補助的に使う者には、詠唱や術式展開時の集中力が重要になってくる。

宝石は、それら前衛で戦う戦士にとっても、大きな力になるのである。

現在、レシピを解析中だと、ステルクが付け加えると。

鷹揚に王は頷いた。

ジオ王の口元には、満足げな笑みさえ浮かんでいる。この王がこうも楽しそうにしているのを見るのは、いつぶりだろうか。

少し前に、クーデリアに残酷な命令を出したのも、この成果を出すための伏線。本人を前にしても、王はそう言い出しかねない。

時に酷く残忍なところを見せるジオ王だが。

しかし、それでありながら。思いやりを見せる事も多い。ステルクも、まだこの王の事を、計りかねているところがあった。

「量産を開始せよ。 工場は、流石にラインが限界か」

「は。 流石にもはや……」

「それなら若手の魔術師や技術者達を集めて、量産するための体制を作れ。 宝石を量産できるという事の意味は、此処の誰もがわかっていると思う」

メリオダスにそう指示すると、王は黙った。それ以上、付け加えることも無い、という意味だ。

この人工宝石の存在は、大きい。アーランドを一気に強化出来るだけではない。

周辺諸国に輸出すれば、それそのものを外交の切り札とする事も出来る。

プロジェクトMの進展はめざましい。

アストリッドが八年掛けて調整しただけの事はある。ロロナは、予定を遙かに超える成果を、あげ続けていた。

特にここしばらくの成果物は素晴らしい。

いずれもが、国家の柱石となる物ばかりだ。

しかし、暗雲もある。

挙手したのは、エスティ。

「展開している諜報員から、良くない知らせが一つ」

「何か」

「ホランド帝国と開戦したスピア連邦が、幾つかの会戦で大勝。 ホランドは劣勢に立たされています」

「確かホランド側には、周辺の幾つかの列強が援軍を送っているという話だが」

王の問いに、エスティはそれでもホランドは敗れ続けていると言う。

講和の提案も、スピアは拒否。

ホランドを全面降伏に追い込むまで、戦いを続ける様子だという。もしもホランドがスピアに敗れると、もはや大陸中央部で、スピアに対抗できる国は無くなる。スピアは常備兵五万、海軍まで備える大国へ変貌を遂げるだろうと、エスティは言った。

誰もが、戦慄する。

この大陸で、常備兵五万などと言う国家は、いまだ存在した事が無い。

それだけ過去の破滅的な大量絶滅で、人間が減り、大地が荒廃したからだ。アーランドは辺境でも最大の国家だが、常備兵と呼べる戦力はせいぜい数千。列強でも、一万を超える国は多くない。

「ホランドが落ちれば、他の列強も次々にスピアに飲まれるでしょう」

「特にスピアに名将がいるとは聞いていないが、どういうことだ」

「それが、どうやらスピアは生物兵器を実戦投入したようなのです。 アーランドで近年、他国から侵入したり、或いは元からいたモンスターが凶暴化する例が相次いでいましたが……それらの一部にスピアが関わっていることが、確認できました」

エスティに目配せされて、ステルクが提示したのは、脳を操作する装置である。

この間仕留めたファング。

それに、つい先日戦ったウィッチローズ。

他にも数体の中から、装置が見つかっている。

スピアにいるという五名の錬金術師が関わっているのは明白だ。どうやらスピアは、もはや戦場でモンスターを行使することさえ、躊躇わなくなってきている。

「間に合うのか」

誰かが口にした。

プロジェクトMが進展した先には、辺境諸国の連合編成がある。ただ、辺境諸国が連合したときに、スピアが列強を全て統合していたとき。

モンスターを自在に操り、悪魔さえも従えていたら、どうなるのか。

想像は容易に出来る。

数の暴力に、辺境は飲まれる事となるだろう。

「少し、スピアの進行速度を削る必要があるな」

「主力を潰しますか」

王の言葉に、エスティが提案。

続きを言うように、王が促した。

「実は、夜の領域にいる悪魔との接触に成功しました。 彼らの王と呼ばれる存在が、陛下との会談を求めています。 どうやら彼らもスピアの進行速度を懸念しているようでして、場合によっては援軍となりうるかと思います」

「ふむ……」

「陛下、提案が」

ステルクが挙手。

プロジェクトMの進捗は、著しく進んでいる。

それならば、次のプロジェクト課題に、王を夜の領域にて護衛するというミッションを含んではどうだろうかと。

勿論王に護衛などいらない。

それだけの戦闘力を持っている存在だからだ。

此処で重要なのは、ロロナが夜の領域に出向くと言う事。今、既にスピアは、ロロナに監視を付けている。

そのロロナが夜の領域に行けば。

大きな牽制になる。

それだけではない。アーランド戦士の戦闘力が、スピアには警戒の種だ。この間二千の精鋭を一瞬で殲滅されたという事件も、既にスピアにはアーランドの仕業だと分かっている筈。

現在、スピアが抱えている生物兵器の兵団を、アーランドが潰したら。

スピアは、進撃速度を落とさざるを得なくなる。

「ロード級の悪魔数体と連携すれば、決して無理な作戦では無いでしょう。 陛下、ご決断を」

「うむ……そうだな。 よし、良きに計らうように」

勿論、万全の対策を施してから挑む事だ。

ロロナにはステルクが護衛につく。出来ればエスティにも来て欲しいところだが、今は忙しくて王宮から動けない。

ステルクはほっとした。

ロロナ一人を、あの魔境に放り込むわけにはいかない。ステルクだけではなく、王も側につけば、安全度はぐっと向上する。

アストリッドが、挙手した。

「此方からも提案が」

「何か」

「今回の件ですが、ホムンクルスの量産の片手間に、調べてみたく存じます。 私にサンプルをいただけませんでしょうか」

「……メリオダス」

王が面倒くさそうに言う。飄々としているアストリッドに、メリオダスが眼鏡を直しながら立ち上がって相対した。

大臣の目には、穏やかそうに見えて、だが確実な拒絶が含まれていた。

「貴殿はホムンクルスの生産に全力を尽くしてもらいたい。 予定通りの生産が出来ているとは言え、今後は状況がどう変化するかわからん」

「モンスターを此方の道具として扱えば、強力な戦力に出来るとは思いませんか?」

「今は不安要素が大きすぎる」

アストリッドと真正面からやり合える人間は、そう多くない。

メリオダスはその一人だ。勿論武力という意味では無いが。しかし、それだけアストリッドは、制御が難しいと周囲に思われている存在なのである。

しばらく涼しい顔をしていたアストリッドだが。やがて、くつくつと笑った。

「まあ良いでしょう。 ただ、後から悔いても知りませんが」

「今回の会議は、此処までとする」

王が話を切り上げて、会議は解散となった。

クーデリアはずっと黙り込んでいたが、勿論夜の領域には同行してくるだろう。いや、ロロナの周辺で動ける戦力は、出来るだけ全員に出て欲しい所だ。

大人数になるが、それだけ危険が大きい場所なのである。

悪魔がどれだけ信用できるかもわからない。

ロロナは悪魔と接し慣れているようだが、その彼女でさえも言う。人間と悪魔は、同じだと思うと。

ふと、気付く。

タントリスと、メリオダスが、立ち話をしていた。

会議が終わった後に、二人で話しているのは珍しい。

「ロロナの周辺環境を引っかき回すのは、もう一段落しただろう。 そろそろプロジェクトから手を引いてはどうだ。 既に周辺の戦力は充分に揃っているようだし、お前が無理に側にいなくても大丈夫だろう」

「いやですね。 僕は今では、好きであの子の手伝いをしています。 色々と引っかき回して苦労もさせましたが、その分成長したのを見ていますから。 まあ「女の子」としては乳臭すぎてストライクゾーンの範囲外ですけど」

「だが危険が大きすぎる。 今後はスピアの暗殺者や生物兵器が襲ってくる可能性も決して低くは無いのだぞ」

「アーランド戦士なら困難に立ち向かうのは当然のことでしょう。 むしろ、僕は苦労をさせた分くらいは、あの子を守りたいんですよ」

沈黙が、帯電する。

メリオダスは、労働者階級の出身者だ。だからアーランド戦士のような武力には、生涯恵まれなかった。

一方その子達は違う。母親がアーランド戦士だったから、高い戦闘力と、戦士としての意識を受け継いでいる。

タントリス、すなわちメリオダスの息子であるトリスタンも同じ。

どんなに裏家業を続けていたとしても。アーランド戦士としての影の影だったとしても。結局の所、戦士としての本能を強く宿しているのだ。

先に目をそらしたのは、メリオダスだった。

「お前も、他の子らと同じか」

「跡継ぎの話ですか」

「確かに私は自由にして良いといったさ。 だがな、なんで全員が揃って、私の業績を否定する」

「……」

タントリスは、困り果てて眉根を下げた。

咳払いしたステルクが、見かねて間に入る。

「メリオダス殿。 此処でそのような話をする事もありますまい」

「……わかっている。 失礼した」

すっかり小さくなった背中を丸めて、メリオダスが階段を上がっていく。

タントリスは。ため息を一つついた。

「母に先立たれてから、随分と父は弱くなりましたね」

「そうじゃない」

「はて? どういうことでしょう」

「君は優秀な戦士で、人の心にも通じているはずだが、わからないか。 誰もが年を取れば、心も弱くなるものだ。 メリオダス大臣は、若い頃は敏腕で、誰にも負けない心を持っていたからこそ、アーランドでも屈指の女性戦士の心を射止めることが出来た。 だが、それでも年を取れば、心は弱くなる。 それは恥ずかしい事では無くて、仕方が無い事なのだ」

ぴんと来ない様子のタントリスに、たまには酒でも一緒に飲んでやれとアドバイスすると。

ステルクは、これからの課題の過酷さに、思いをはせていた。

次は、単純な戦闘が主体になってくる。

この時のために鍛え上げてきたから、ロロナは相当に強くなっている。だが、それでも、夜の領域で通用するかどうか。

リミッターは、次の戦いでは全て外してしまおう。

そう、ステルクは決めていた。

 

(続)