血塗られた心

 

序、地下資源確保

 

現在、宝石は嗜好品としての価値しか無い時代を終えている。ごく一部の人間だけが所有し、ただのステータスシンボルとなっていた時代は、過去となった。

強い魔力を込める事が出来る。

場合によっては、強力な魔術を、媒介として発動する事が出来る。

これらの効能は、言うまでも無く魔術師にとって非常に有用だ。各国は、高品質な宝石を求めて、躍起になっていると言っても良い。

勿論、宝石を蓄えているのはアーランドだけでは無い。

世界には、こういった魔力を込められる宝石を、高値で取引する傾向が生まれつつあった。

年末年始のお祭りを終え。

課題を受け取りに行ったロロナは。王宮の受付で、それを説明された。

言われるまでも無く、知っている。

ロロナの母は、幾つか高価な宝石を持っていた。これらは切り札として、戦場で使うものであるのだと、説明された。

普段は魔力を込めておき、いざというときには外付けの魔力供給源として用いる。人間の魔力量には限界がある。だから、外付けで魔力を確保しておくのは、実はとても重要なことなのだと。

アーランドは、鉱石はとても良く採れる。

これらの鉱石は、いずれもが日常生活で役立っている。武器も、アーランド人にとっては、日常用品なのだ。

ただし宝石の産出量は、お世辞にも良いとは言えない。諸外国から輸入する場合、宝石は非常に高価なものとなってしまうのだ。

「それで、わたしは、何をすれば」

「宝石を造り出してちょうだい」

「へ……」

受付で、エスティは。笑顔のまま、もう一度繰り返した。

同じ事を言われなくても、わかっている。

またしても、無理難題を押しつけられたという事は。

「造れって、そんな……」

頭の血の巡りが悪いロロナだって、わかっている。

つまり、国益になるような宝石の作成技術を、確立しろというのだ。

現在、アーランドでは、宝石が不足している。

幾つかの鉱脈はあるのだけれど。いずれもが、貧弱なのだ。アクアマリンやルビー、オパールに到っては、完全に外に供給を頼むほか無い。金剛石とも言われるダイヤモンドに関しては、よそから仕入れるほか無い。

傭兵として各地で稼いでいる戦士達は、奴隷だけでは無く、宝石も買い取ってくる。それら宝石は、アーランドでは上級魔術師に配備されて、戦場や、或いは魔法の道具を作る際に活用される。

だが、決定的に、量が足りないのだ。

この間、ロロナはジオが金剛石の指輪を付けているのを見たが。あれは、例外中の例外。

アーランドにおいて宝石は、実用品なのだ。

しかも、魔力が蓄積できない宝石は、ただの光る石扱い。つまり、魔力を蓄えられる宝石が、必要だと言うことなのである。

さらに、である。

大砲の改良と納品についても、求められている。

栄養剤や湧水の杯についても、だ。特に湧水の杯は優先度が高く、あるだけ持ってきて欲しいとまで書かれていた。

もう何年かすると、現在の稼働中物件以外に、別の場所でも緑化計画が持ち上がるかも知れない。

その時には、栄養剤が大量に要求されるのだろうけれど。今はそれよりも、水が不足している村の救済が先だ。ロロナもそれはわかっているから、暇さえあればホムに材料を調合してもらっている。

これは、今回の課題はやばい。

今までもまずかったが、非常に危険な臭いがする。

今度こそ、危ないかも知れないと、ロロナは思った。

「ところで、ロロナちゃん」

「はい……?」

「年末の武術大会は、惜しかったわね」

「え……あ、はい……」

思い出したくも無い事に触れられた。

今年は、武術大会が年末の祭で行われたのだ。ロロナも今回は参加したのだけれど、三回戦止まりだった。

何しろこの武術大会、アーランド中の猛者がこれでもかと言わんばかりに出場する。勿論ロロナも今ではそれなりに力はついてきているけれど、近接系の戦士が相手だと、分が悪い。

三回戦に出てきたのは、時々王宮で見かける騎士だった。あまり有名な騎士ではないようだったけれど、こてんぱんに伸されてしまった。

クーデリアは五回戦まで上がったらしい。

何でも、現役の騎士を二人も沈めての五回戦出場と言う事で、喚声が上がっていたとか。ただ、過去には十歳で決勝まで残った人もいるらしいので、別に驚くような事では無いのだとか。

結局優勝はステルク。

アナウンサーをしていたエスティが、白々しく商品を渡して、大会は終わった。エスティが出ていたら、多分優勝はステルクかエスティだろうと言われていたので、周囲が冷めたのも納得できる。

師匠はというと、人が多いところは嫌だとか言って、大会には参加しなかった。

「近接戦闘が主体のスタイルでは無いのに、三回戦まで残れれば立派よ。 この国の戦士達の強さは、よく知っているでしょう?」

「でも、恥ずかしかったです」

「ま、そう言わずにまた出て。 武装とかを吟味すれば、きっともっと上位ランクまで行けるわよ」

肩を叩かれて、苦笑いしながら、ロロナは王宮を出た。

そういえば。

王宮で働いている小さな女の子が、また増えている。前から考えていたのだけれど、あの子達は、ひょっとして。

考えながら、アトリエに。

師匠が大あくびをしながら、玄関に出てきた。今まで眠っていたのか。

何だろう。

心なしか、何かが腐ったような臭いがした。

「帰ったか。 課題は?」

「宝石を作れって言われました。 それも、国益になるような、作成方法も確立しろって」

「ほう?」

師匠は楽しそうに目を細めた。

ああ。やっぱりこうなるか。

師匠は知っているのだ。これからロロナが、死ぬほど苦労することを。泣きながら、錬金術に取り組まなければならないことを。

だから、早速楽しんでいる。

この人はとても邪悪で、ロロナが苦しむのを本当に喜ぶ。だからこそ、こんな笑顔を浮かべることが出来る。

そんな事はわかっているけれど。

「なあ、ロロナ。 一つ聞きたい」

「何でしょうか」

「お前にとって、錬金術とは何だ」

「力です」

即答できた。どうしてかはわからないけれど。この答えは、すんなり心の奥底から、出てきた。

そして、即答できたからこそ、わかってもいる。

「水を造り出す力で、渇きに苦しむ人達を救えます。 栄養を造り出す力で、大地をよみがえらせることが出来ます。 食べ物を保存する力で、戦場に出る戦士達が、飢えなくなります。 とても遠くを攻撃できる力で、此方を攻撃することを、躊躇わせることが出来ます」

「うむ……その通りだ。 ならばロロナ。 今一つ聞きたい」

どうしてだろう。

師匠の目の奥に、普段からは感じ取れないほどの、強い闇がある。

どうしたのだろう。

何か、師匠は。今、ロロナに、求めているのだろうか。決まった答えを。

「お前に、人にはわかりにくいものしか作れない才能だけが備わっていたとする。 お前自身は優しいのに、人にわかりやすいものが作れなかった。 だから、差別された。 それをお前は、許せるか」

「師匠……?」

「どうだ。 お前が差別されたとき、許せるか。 無能者と罵られ、死病の床に倒れても放置され。 ただ一人しか、側につく者はおらず。 それでもお前は、恨まずにいられるか」

何となく、わかる。

これは師匠にとって、誰か特定の人の話題だ。そしてその誰かは、きっと今、師匠が言ったとおりの扱いを受けたのだ。

「わたしは……」

「どうだ」

「許せるか許せないかはわからないですけれど。 どうにかしようと、努力してみます」

それでどうにもならなかったら。

諦めて、別の路を探します。

そう言うと、師匠は大きくため息をついた。ロロナが言った言葉は、師匠が望んでいた言葉では、無かったのかも知れない。

「そろそろ、お前には教えておいてやろう」

「はい。 何を、ですか」

「お前もよく見るようになった、幼子の戦士達。 あれは私が作り上げた、高性能戦闘用ホムンクルスだ」

ああ、やはりそうだったのか。

何処かホムに似ていると思った。

そしてホムに似ているなら。そんなものを作れるのは、きっと師匠しかいない。師匠がいつも部屋に閉じこもっていたのは、きっと面倒くさがりだと言うだけでは無くて。きっと、ホムンクルスを、たくさん作っていた、という事なのだろう。

「そしてその技術は、私だけでは作れなかった。 不遇だった、私の師匠。 お前も良く聞いているだろう、二代前の錬金術師が、作り上げたものなのだ」

息を呑む。

確かに、それは。

全ての線が一致する。ひょっとして、師匠は。だから、この世界の、あらゆる人々を、憎んでいるのか。

それに、ロロナは見抜いていた。

ホムンクルス達には、何処か共通する点がある。何となく、顔が似ているのだ。あれは、きっと。

涙が零れそうになる。

師匠はきっと、まだ闇の中を、さまよい続けている。

「話はそれだけだ。 私は寝る」

ロロナを拒絶するように、師匠は部屋に閉じこもってしまった。

手を伸ばそうにも、届かない。

ロロナも、わからなくて、困っていることはたくさんある。最近思い出しかけている、オルトガ遺跡の出来事などは、特にそうだ。

だが、師匠が抱えている闇は、もっと深いのでは無いのか。

どうすればいい。何が出来る。

ロロナは涙を拭った。やはり、まだまだ、自分は未熟。出来る事は、こんなにも少ないのだ。

 

1、宝石の研究

 

アトリエを訪れたクーデリアが、久しぶりに機嫌がよさそうにしていた。なんと、兄姉達を全員ぶちのめして、相続権を奪い取ることに成功したのだという。

しかも、クーデリアは、満面の笑顔で言う。

「フォイエルバッハなんて公爵家は、あたしの代でぶっ潰してやるわ」

「貴族やめちゃうの?」

「当然よ」

アーランドでの貴族なんて、形骸化したものに過ぎないという。

社会的地位が欲しい見栄っ張りが、お金をわざわざ出して買う物なのだ。そんなものに誇りもないし、価値だって。

クーデリアが当主になった後、最初にするのは、公爵の地位の撤廃だと言う。

その後は、健全な事業にシフトして、金を堅実に稼ぐのだとか。ロロナもその事業に手を貸して欲しいと言われたので、頷く。

「わたしの錬金術が役に立つなら」

「頼もしいわ。 幾つか量産して欲しい道具もあるのよね。 特に湧水の杯。 あれ、輸出すれば、もの凄い利益をたたき出せるわよ」

クーデリアは、少し明るくなったか。

正直な話、彼女の兄姉達には、良い印象を抱いたことが一度だって無い。ロロナが遊びに行った時なんて、それこそ酷い扱いをされたものだ。クーデリアはあの時、後で珍しく涙を見せた。

ごめんね。あたしのこと、嫌いにならないで。

そう言って泣いていたクーデリアのことを思うと、胸が痛む。だが、あれは一体、いつのことだっただろう。

とにかく、一年は絶対に安泰だ。

その間にクーデリアは、この国のトップクラスの戦士になるまで、腕を磨くと言う。ロロナも負けてはいられない。

そんな地位になっても、人間は転落するとなれば一瞬。

クーデリアを守れるように。確固たる地位を、錬金術を通じて、築いておかなければならないだろう。

久々ににこにこが絶えないクーデリアに、今回の課題を見せる。

宝石か。

呟くと、クーデリアはサンプルを持ってくると言って、一度アトリエを出て行った。なるほど、正式に跡取りとなったのなら、フォイエルバッハの所蔵品を、ある程度動かすことが出来るのか。

すぐに戻ってきたクーデリアが、何種類かの宝石を見せてくれる。

ただ、どれもが商品だから、あげるわけにはいかないという。それは当然の話だ。くれると言っても、ロロナの方が困る。

宝石について、説明を一つずつ受けていく。

「これはルビー。 火焔系の魔力と相性が良いわ。 此方はサファイア。 これやアクアマリンは、水の魔力を強く蓄えるわね。 こっちはオパールで、土の魔力と相性が良いと言われているわ」

「うん、なるほど」

「アーランドでは、どれも殆ど採れないの。 しかも魔術にはいくらあっても足りないくらいだから、よそで買う場合は、だいたい足下を見られることが多いわね」

宝石の魔力は、確か消耗しても再充填できるはず。

だが、それを聞いても、クーデリアは首を横に振る。

絶対量が、根本的に足りないのだという。

そもそもアーランドは、戦士階級の半分以上が、魔術を何かしらの形で使う。戦士と言っても、専門職ほどでは無いにしても、簡単な魔術は使えるのが普通なのだ。クーデリアにしてからがそうなのである。

一流どころになると、更に魔術を使う比率は高くなる。

ステルクなどはロロナの前でも、ばんばん稲妻の魔術を使っている。あの破壊力は、正直ロロナでもまだ叶わないと思わされる。一撃はロロナの大威力砲撃の方が重いけれど、ステルクの雷は連射が出来る上に間を置かない。その上、詠唱を殆どしないで展開できるのだから、殆どサギだ。

いろいろな宝石の実物を見せてもらった後、いつものように、二人で資料を調べていく。

そうすると、色々と厳しいことが確認できる。

まずアーランドでは、価値のある宝石は採れない。

アーランドにおいて、魔力を込められない宝石などと言うものは、ただの光る石に過ぎないからだ。二束三文の値段しかつかない。しかも、その二束三文でも、殆ど産出しない。以上の知識は既存のものだ。これを覆すような情報は、今のところ、何処の資料でも見られない。

幾つか貧弱な鉱脈はあると言うけれど。

掘ってしまえば、すぐ尽きる。

要するに今回ロロナが求められているのは、地下資源の開発だ。今ある何かしらの地下資源を利用して、宝石と呼べるものを作る。それが、ロロナが求められていることなのである。

いろいろな資料を見ていくけれど。

既存の宝石については、ほぼ絶望という結論しか出てこない。

というよりも、宝石の研磨技術は確立されていて、錬金術が入る余地そのものがない。

「それこそ、泥か何かから宝石作る技術でも無いと、駄目だね」

ぼやくと、ロロナは一旦ソファに横になった。

クーデリアは呆れたように、ロロナに何か言いかけたけれど。黙ったのは、ホムが戻ってきたからだ。

ホムは、子猫を抱えていた。

「マスター。 こなーが毛玉を吐きました。 病気でしょうか」

「大丈夫、子猫は毛玉を吐くものだから」

「? 何、そのホムンクルス、子猫飼ってるの?」

「少し前の雨の日に拾ってきたの。 師匠に、アトリエの中では絶対に飼うなって言われてて、外で面倒見てるんだよ」

可愛い人なつっこい猫だけれど。

ロロナは見た。

師匠が、もの凄い猫嫌いだという事実を。

それに、師匠が言うとおり、アトリエで動物を飼うことは出来ない。毛は入るし、悪戯されて硝子機具をひっくり返されたりしたら大変だ。機具の中に毒性の強い薬品でも入っていたら、とんでも無い事になる。

結局散々揉めた後に、ロロナが外で飼うことを提案。それで決着した。

ホムがあれほど捨てることに対して強硬に反対したのも、ロロナは驚いたのだけれど。それ以上に、有無を言わない師匠の行動が、ロロナには相変わらず悲しかった。

現時点で食費は困っていないから、ミルク代などを気にする必要は無い。ホムは猫をつれてすぐに外に出た。大事そうに抱きかかえているのを見て、クーデリアが鼻を鳴らす。

「冷血だと思っていたのだけれどね」

「くーちゃん、それは酷いよ」

「そう。 それより、どうするの。 泥から宝石を造り出す宛てなんて、あるの?」

「ううん、それは何とも」

ロロナとしても、苦笑いするしか無い。

とにかく、今回も苦労するのは、この時点で見えきっている。だが、今までも、散々苦労はしてきた。

ロロナだって、それで色々と、学んだのだ。

まず、こういうときは気分転換。パメラのお店に出てみると、色々不思議な道具が売り出されていた。

特にネクタルが、かなり増えている。

硝子瓶になみなみ入れられたネクタルには、原液は飲まないようにする事と、注意書きが書かれていた。

ロロナが目を引かれたのは、珍しい薬草の数々だ。中々採取できない薬草が、無造作に並べられている。

これは嬉しい。

採取地でも、見つかるとは限らない品ばかりだからだ。

パメラはこのお店の中では肉体があるので、普通にカウンターに立っている。ロロナが幾つか品物を生産すると、嬉しそうに笑みを浮かべる。

「時々買って行ってくれて、助かるわあ」

「パメラさんは、お金を貯めて、欲しいものがあるんですか?」

「今の時点ではないけれどぉ。 せっかくこの世に舞い戻ったのだし、それなら楽しみたいじゃない」

わかるような、わからないような言葉。

他のお客様の対応に行ってしまったので、ロロナは店を出る。買い取った品をコンテナに入れると、すぐに王宮に。

そちらの図書館でも、色々とみておきたいのだ。

予定通りの資料調査が終わるまで、丁度丸一日。とはいっても、殆ど下調べだけだ。明日からは、その下調べした内容を発展検証して、具体的な方法や、有効そうな手段を探していくことになる。

いつものことだが、ここからが難事だ。

クーデリアは泊まって行ってくれるという。

大変助かる。

それに、何しろクーデリアは嬉しそうなのだ。あのろくでもない家のくびきから解放されて、きっと心が緩んでいるのだろう。勿論、油断するのは良くない事だ。だから、クーデリアが喜んで楽しんでいる間は、ロロナが背中を守る。

夜中になってしまったので、一度作業を切り上げる。

クーデリアは雷鳴夫妻の所に顔を出すと言う事なので、気をつけるように言って送り出した後。ホムに差し入れとして、クッキーを送らせる。丁度、クーデリアに追いつく時間で。ホムは外で採集できる、充分な身体能力を持っている。ベテラン戦士並みにまで成長したクーデリアと一緒なら、生半可な相手に遅れは取らないだろう。

勿論、これはロロナなりの、安全管理だ。

ホムを送り出した後、もう少し調査を進めておく。今の時点では、有望なものはない。歴代の錬金術師は、あまり宝石について研究しなかったらしく、資料そのものも、決して多くは無かった。

かろうじて見つかったのは、コメートと呼ばれる宝石の研究だが。

これは残念ながら、既に作成技術が民間にまで降りていて、今更手を入れても仕方が無い。その上原石が必要で、これ自体がかなりの稀少品だ。

実は先ほど、パメラの店でコメートが売られているのも目撃している。

つまり、わざわざロロナが作成して納品しても、だからなんだと言われるような代物なのである。高値はつくだろうけれど。

しかし、画期的な宝石など、どうやって作れば良いのか、見当もつかない。

それこそ泥から宝石でも作る技術か何かを、見つけ出す必要がある。だがそんなものがあれば、おそらく歴代錬金術師の誰かが、実用化に移しているはずだ。そんな気配は、見つからないのである。

ロロナは、腕組みして唸る。

完全なオリジナルの研究を、求められているとみるべきなのだろうか。

しかしながら、ロロナの頭はさほど良くない。

錬金術の研究は、本来何年、何十年と掛けて行うものだ。たった三ヶ月で、無から有を創造するのは、それこそ奇跡の技と言うほか無い。

元に今までの課題も、全て過去の錬金術師達の成果を、自分なりにまとめた事で、突破してきたのだ。

しばらくすると、クーデリアとホムが帰ってきた。

雷鳴夫婦の所で、戦闘技術を見てもらってきたという。今日はかなり本格的に鍛えてもらったという事で、クーデリアは汗を掻いていた。ホムまで鍛えてもらったという。クーデリアに話を聞いてみると、微妙な顔をされた。

「あいつ、今のあたしより強いわよ」

「えっ!? 本当!」

「嘘なんて言ってどうするの。 雷鳴が驚いていたもの」

そうだとすると、ホムの実力は、本当に相当高いと言うことになる。

或いは、手が空いているときには、採集を任せるべきかも知れない。そろそろ、そちらの方でも、手が足りないことがたまにあるからだ。

クーデリアは、今回怒られたと言われた。

「驕っているって、雷鳴にね」

「そっかあ」

「確かに、クーデターが成功して、舞い上がっていたかも知れないわ。 良い機会だから、気を引き締め直そうと思うの。 あんたもあたしが驕ってると思ったら、遠慮無く言いなさい」

「うん。 大丈夫だよ」

雷鳴は、やっぱり信頼出来る人らしい。

ロロナが読んでいたとおり、クーデリアは少し舞い上がっていた。今、危険な状態だと、雷鳴もすぐに理解してくれたのだろう。しっかり、怒ってあげてくれた。ならば、ロロナは、もう言う事も無い。

その晩は、二人で色々と調べて。それが終わった後、同じベッドで休んだ。

研究は、決して進展していない。

しかし、どうしてだろう。

ロロナは、安心できるのを、確かに実感していた。

 

翌日から、資料を精査していく。

クーデリアには、見落としが無いか、調べてもらう。ロロナは、宝石の作成技術を、順番に見て行った。

はっきりしていくのは。どの宝石も、原石を磨いて作っている、という事だ。

宝石の王とも言える、金剛石からしてそうなのである。

コメートは違う。

一種の金属のように、溶かして成形する。これだけは他と違っているけれど。ただし、原石が必要なことに、代わりは無い。

他には、どのような宝石があるか。

変わり種としては、貝が造り出すパール。ただこれは、魔力をあまりため込まない上に、宝石としての寿命がある。

鉱石寿命と呼ばれるもので、百年程度。

あまり、アーランドでは価値を認められない宝石だ。

樹液が固まった琥珀と呼ばれるものもある。

これもあまり魔力をため込まないので、アーランドでは安く買いたたかれる。

他には、どんな宝石があるだろう。

図鑑に載っていたもので、興味深いものがある。魔結晶と言う。これは悪魔が造り出すもので、良く仕組みはわからない。

体内にあるものだという事なのだけれど。或いは、悪魔にとっての内臓なのかも知れない。具体的な正体は、現在でもよく分かっていない。体内の老廃物が固まったものというような説まである様子だ。

しかも、あるかどうかは確実でも無い。

ただこの魔結晶、相当に魔力を蓄えるとかで、一部の魔術師が切り札として持っているという。鉱石寿命も非常に長く、この資料によると、三百年以上前の魔結晶が、現役で動いているのだとか。

生物が造り出す宝石は、つまり一長一短と言う事だ。

其処まで考えて、気付く。

悪魔を殺さなければ魔結晶は手に入らない。それなのに、さらっと流そうとしていた。ロロナは頭を振る。

そんな事ではいけない。

ロロナが接してきた悪魔は、必ずしも邪悪な存在では無かった。そんな素材を得るための、狩りの獲物のように考えるなんて。どうかしている。

気分を入れ替えると、資料の精査に戻る。

ふと、硝子について、書いてある資料が目に入った。

硝子は宝石では無いが、地下資源としては比較的多めに存在している。加工はさほど難しくなく、今のロロナでも出来るだろう。

他に、どんな地下資源があるだろう。

クーデリアと交代しながら、資料を精査していく。時々、クーデリアが、色々と提案してくるけれど。

どうも、どれも乗り気にはなれなかった。

「休憩を入れましょう」

「うん。 ホムちゃんも、何か食べる?」

「お構いなく」

手を動かしながら、ホムはそう返してくる。

作っておいた甘いパイを口にする。クリームもたっぷり入れた、とても甘いフルーツパイだ。

こういう頭脳労働用に、準備しておいた。

口に入れると、頭の巡りがぐんと良くなる気がする。

少し時間をおいてから、再び資料の精査に戻る。

目に入ったのは、水晶。

これはそこそこに地下資源がある。魔力の媒体としても優秀だ。ただし、一つ決定的な問題がある。

加工が難しいのだ。

硬いのでは無くて、水晶は多くの場合、結晶になって存在している。そしてその結晶が、安定しているのである。

つまり、壊すと、だいたいの場合魔力の媒体としての価値が落ちるのだ。

だから、水晶を利用した魔法の道具は、凄く巨大になる。その分破壊力は大きくなるけれど。

どちらにしても、ロロナに、既存の水晶加工技術、採掘技術に介在する余地は無い。これはむしろ魔術師の仕事だし、彼らは昔から、あの手この手で工夫を凝らしてきたのだ。今更調べて見て、何か画期的な発見があるとは思えない。

ただ、水晶の欠点を解消できるとなると、どうだろう。

少し、方向性が見えてきた。

水晶を作る事は、出来ないだろうか。

「ねえくーちゃん、水晶を作れたら、どう思う?」

「それは凄いことだと思うけれど、出来るの?」

「うーん、やってみないと何とも……」

資料を漁ってみる。

こればかりは、どうなのだろう。もしもその辺りの材料から水晶を作る事が出来れば、かなり凄いことだとは、ロロナも思うけれど。成功していたら、錬金術師は歴史に名を残しているはずだ。

何日も掛けて、少しずつ調べていく。

クーデリアも、リオネラも手伝ってくれる。時々、ステルクにも意見を聞いた。流石にステルクは、魔術にも詳しかった。

魔術師にも、である。

何人か紹介された魔術師の所に出向いて、水晶について聞く。どんな情報でもよい。全てをメモして、頭に入れてから、礼をしてその場を離れる。

ロロナの母の所にも出向いた。

家に珍しくいた母は、水晶のことを聞くと、目を細める。

「今度は、魔術師の領域を、侵そうというの?」

「違うよおかーさん。 水晶を、作り出せないかと思って、今調べてるの」

「水晶を、作り出す……」

やはり、あまり気分は良くないようだ。

母は職人意識が強く、魔術師としての力量も高い。だからこそに、錬金術が、魔術師の分野にしゃしゃり出てくることを好ましく感じないのだろう。

だが、ロロナは説明していく。

「水晶は結構産出量がある宝石だけれど、加工の欠点があるでしょ? だから、それをどうにかしたいと思ってるの。 それなら、まず水晶を作って見るのが一番かなって」

「錬金術は、そのような事まで出来るのね」

「うん……怖い力だと、思う」

「それがわかっているのなら良いわ」

いろいろな事を教わって、家を後に。

このままだと、いずれ母も商売敵になるかも知れない。それはとても怖い未来予想図だ。出来れば避けたい。

アトリエに戻って、集めた情報と資料を整理。

クーデリアも、戻ってきた。水晶について書かれた本などを、まとめて持ってきてくれたのだ。

いずれも、図書館などで借りた資料である。

勿論王宮の図書館でも本をこれから借りて来るつもりだけれど。街にある図書館にも、参考になる本が、あるかも知れない。

しばらくは、本を読みながらの、地味な作業が続く。

何冊目の本を読んでいるときだろうか。

不意に、クーデリアが言う。

「もう三年目に入ったけれど。 もしも課題が駄目だったら、どうするの?」

「その場合は仕方が無いから、師匠と一緒に街を出るよ」

アトリエを引き払うとして、国外追放となったら。その場合は、生きていける自信は、今ならある。

辺境のどこの国でもいい。

適当にアトリエを作って、其処で一から始めていく。

たとえば湧水の杯。耐久糧食。今なら、地元の人達を喜ばせる道具を、幾つも作れる。散々苦労したから、レシピは頭の中に入っている。

それに、この街を出たって、永久にクーデリアに会えなくなる訳でも無い。必ず、いずれ何かしらの形では戻ってくる。

それだけの国家貢献はした自信もある。師匠は、もう帰ってこられないかも知れないけれど。

いや、それはどうか。

ホムンクルスの話を聞いた後だと、それもわからなくなってきた。

ただ、表に出ていないだけ。師匠は、裏でずっと、この国のために尽くしてきたのでは無いのか。

「そう。 たくましくなったわね、あんたも」

「くーちゃんだって、あの嫌なお兄さんやお姉さん達、みんなやっつけたんでしょ?」

「ええ。 次はあの糞親父も、権力の座から叩き落として、公爵家そのものを潰してやるわ」

「過激だね。 でも、くーちゃんの夢がそれなら、止めないよ」

少し、面白い記述を見つけた。

ひょっとすると、上手く行くかも知れない。クーデリアに見せて、資料の精査を、更に進めていく。

意外に、糸口の発見が早い。

これはひょっとすると、今回は、思ったよりも上手く行くかも知れない。

調査の方向性が決まると、一気に進展速度が上がる。クーデリアは、資料を精査して、ロロナの前に持ってくる。

そしてロロナは、役立ちそうな情報をまとめて、レシピを構成していく。

少しずつこの作業も。以前より早くなってきていた。

「材料の目星は立ちそう?」

「そうだね。 とりあえず、一応手元にあるものだけでも、試作品は作れそうだよ。 ただ、幾つか品質が高いのが欲しいけれど」

「具体的にはどこに取りに行くの?」

「ええとね。 シュテル高地と、それに黒き大樹の森、かな」

あんな危険地帯にと、クーデリアが呟く。

以前シュテル高地は、クーデリア抜きで行ったことがあるが、確かに彼処は恐ろしいほどに危険な場所だ。ステルクがいなければ、今でも生還できる気がしない。

ただ、危険地帯だけに、有用な鉱石もゴロゴロしている。

ロロナが見つけに行きたいのも、それだ。

鉱脈があるのではない。

強い魔力を蓄えた、純度の高い材料が欲しいのだ。

それに、黒き大樹の森には、植物に関して非常に使えそうな材料があるのだ。これに関しては、資料を精査していてたまたま見つけた。ただし、此方も採取は命がけになるだろう。

ただ、先に行くとしたら、黒き大樹の森だ。

というのも、今シュテル高地では、スニー・シュツルムが暴れ回っている。出来れば此方は後回しにして、状況の変化を見ておきたいのである。

それと、もう一カ所。

行っておきたいところがある。

水に潜るための道具を、少し前に見つけて、レシピを起こした。

これを使って、ネーベル湖畔の底を調べたいのだ。今、必要なものがある可能性が高い。

ただ、水上でさえ危険なネーベル湖畔だ。直接潜るのがどれだけ危ないかは、ロロナもよく分かっていた。

精査を続けて、十日。

とりあえず、どうにか調査は一段落した。

肩を叩きながら、一度気晴らしにと外に出る。クーデリアも調査が終わったところで、帰宅してもらった。

此処からだ。

今回も、先人の知恵を生かして、まとめていく作業になりそうだ。

 

2、分かたれしものの統合

 

仲が良い親子と、そうではない家族。

ステルクは、その実例を見ていた。

たとえばロロナの場合は、両親と上手く行っていると言える。両親は一定距離を置きながらも、ロロナのためなら、いざというときに命を投げ出すことを躊躇わないだろう。

王についても、それは同じであると、ステルクは知っている。

天才的な素質を持っていたジオに、あらゆる英才教育を、先代の王夫婦は惜しまなかった。その結果、アーランド史上でも屈指の怪物的実力を持つ王が誕生したのだ。

それに対して、ステルクやクーデリア、タントリスにリオネラ。両親と、上手く行っていない者もいる。ステルクやリオネラは、そもそももはや溝を埋めることが不可能。ステルクの父は死んだし、母だって生きているかはわからない。リオネラは両親がいたとしても、近寄りたいとさえ思わないだろう。

プロジェクトの進捗会議では、ずっとクーデリアとフォイエルバッハ公の対立が続いている。

前は冷戦だったのだが。

最近は、会議場で殺気を飛ばしあっていて、心が痛い。

クーデリアはもはや、父への敵意を隠そうとしていない。充分な実力がつけば、おそらく手袋を叩き付けるだろうと、ステルクは見ていた。

そして、タントリスも。

以前は目立たなかったのだが。最近は、父であるメリオダスとの対立が、ステルクにもわかるようになってきた。

「ロロナ式大砲を量産するためのラインは確保できました。 魔術部門は何名かの魔術師に協力を仰ぎます。 試作品として納入された一機をコピーし、最初の量産機が出来るまで、二ヶ月は掛かるとみて良いでしょう」

「二ヶ月か。 その後はどの程度のペースで作れる」

「年内に三十機は。 国境線に配備することが出来ます」

「うむ。 ペースをおとさず、来年以降も生産を続けよ」

王の命令に、メリオダスはかしこまりましたと応えるが。

しかし、今回は珍しく、否定的な材料を出してきている。潰すラインが多いというのである。

工場のライン数には限界がある。

そして、その中で、生活必需品も含めて、多くの品を生産しているのだ。大砲は軍需製品であり、しかも戦士達の評判が悪い。

この世界の人間は、今だ銃火器を遙かに凌ぐ性能を誇る。

当然とも言える。

腕組みする王に、大臣は恭しく提案した。

「そろそろ、工場の拡大が必要な時期だと思われます。 アーランドの西にある、ヘル荒野を利用できないでしょうか」

「今はまだならん。 状況が落ち着いた後だ」

「しかし、どうラインの不足を補いますか」

「スピアとの対立に加えて、どう動くかわからない「邪神」の存在がある。 それに夜の領域の悪魔共も、どう動くかわからん。 今はこのまま、現状を発展させて、状況を改善する努力を続けよ」

工場以外で出来る作業は、そちらに回すように。

そうすることで、雇用も作れ。

王が指示すると。不満があるのか無いのか、大臣は黙ってそれに従った。ステルクは見ていて冷や冷やさせられるが、エスティは平然としていて、流石だ。

実際問題、工場は極めて便利だが。

それ以外で、生産が可能な生活必需品は存在するのだ。確かにそれを工場以外で生産すれば、雇用を作る事も出来る。

労働者階級の中には、中々安定した仕事が得られずに、苦労している者もいる。そういった者達には、むしろ丁度良い仕事となるだろう。

エスティから、次に報告が為される。

スピアがどうやら悪魔を改造した生体兵器を、実用に移したという事。その性能が、下手をするとロード級の悪魔に匹敵するという内容である。

皆がひそひそと言葉を交わす。

「それは、スピア連邦が悪魔と手を結んだという事か」

「いえ、悪魔は同胞とのつながりを大事にする種族です。 同胞にこのようなことをされて、黙っているとは思えません。 恐らくは、かっては手を組んでいた、というのが正しい認識でしょう」

「ふむ、ならばおそらく、悪魔側には此方に対する同盟を結ぼうという機運が生まれるのではあるまいか」

「調査中です。 まだ、判断できる状態にはありません」

エスティが席に着く。

ジオ王は、立ち上がると、皆を見回した。

「ここに来て、また多くの問題が持ち上がっている。 だが、予定通りプロジェクトが進んでいることで、確実に一つずつの問題が解決する兆しもある。 今後は森を増やし、人を増やし、戦士の質を維持しながら、この国を保っていく。 列強の侵攻に対しては、辺境諸国が一丸となる態勢が、いよいよ整おうとしている。 希望は見えている。 各人、光に向けて努力するように」

会議が解散される。

ステルクは嘆息すると、無言で席を立ったリオネラを呼び止めた。

「リオネラ君。 少し良いか」

「はい……」

相変わらず、臆病な様子でリオネラは言う。

彼女は既に元暗殺者だと言う事が、ロロナに露見している。それ以降も普通につきあいは続いているようだが。

何か変化があったかと聞くと、首を横に振った。

「ロロナちゃんは、私を怖れもしないですし、変に扱ったりもしません」

「そうか。 それならば、今後も問題は無さそうだな」

「でも、ひょっとしたら。 ひょっとしたらですけど、ロロナちゃんは、私の秘密に気付いているかも知れません。 もしそれを気付かれたら、私……」

秘密とは、何だろう。

しかし、リオネラは首を横に振って、ステルクの前から姿を消した。

何だか嫌な予感がする。

ロロナは大変善良な娘だ。それはステルクもよく分かっている。戦士としての力量と、性格はあまり関係が無い。このアーランドで暮らしている中では、例外的に優しく、他者を思いやれる性格だとも言える。

だが、それでも。人間は完璧では無い。

リオネラは、その過去がトラウマの塊だ。もしも下手なトラウマを刺激すると、人間関係が暴発しかねない。それくらいはステルクもわかっている。

しかしながら、ロロナが怖いところは。

それを全く怖れないで、真っ正面から突っ切りに行くことだ。ステルクも、その危うさは、見ていて冷や冷やさせられる。

地下を出る。

冬の空気が冷たい、とはいかない。

アーランドの機構は温暖湿潤で、冬でもさほど過酷では無い。騎士として新米の頃は、彼方此方の国に出かけたから、知っている。冬が過酷な地域もあるし、夏が地獄になる国もある。

アーランドをはじめとする辺境は、そういった意味で、どんな生物にも優しいのかも知れない。

一度、宿舎に戻る。

ここのところ、ハードな作業が続いていた。これからロロナには更に強くなってもらうつもりでもあるし、倒す手配モンスターを見繕っておかなければならない。いずれにしても、休憩が必要だ。

帰り道、ロロナが荷車を引いているのに出くわす。これは、王宮から宿舎への路が、ロロナが住んでいる職人通りに通じているので、仕方が無い。今までも、良くあった。

挨拶をした後、気付く。かなりの量、不可思議な薬品を積んでいる。

「どうした。 君が薬品をよそで買うとは珍しいな」

「ええと、どれも魔術で作ったものです。 大半は水晶を作るためのものなんですけれど……」

「水晶を作る?」

「はい。 鉱物資源としては、それが一番有効そうだと思いましたから」

はにかむロロナだが。

目に入った薬品は、それだけでは無い。精神に作用する、危険なものも幾らか含まれているようだ。

それについて聞こうとするが、ロロナは急いでいるという事で、そそくさと行ってしまう。

何とも言いようのない不安がわき上がってくるが。

ロロナは多くの実績を積み上げてきた、優秀な錬金術師だ。あまり無茶な追求も出来ない。

相手を大人として、ステルクは扱っていきたいのである。ましてやロロナは、今回のプロジェクトの関係で、本人は気付かないだろうが、多くのものを失っている。多少は温情を持って接したい。

だが、とにかく今はどうにも出来ない。

一度宿舎に戻る。

嫌な予感が図に当たったのは、翌日のことである。

騎士の一人が、朝早くに、ステルクの宿舎の戸を叩いた。彼はリオネラの監視を任されている。

「ステルク殿!」

「急用か」

「はい。 リオネラ殿が、取り乱しているようです。 普段とはまるで、様子が違っています」

「わかった、すぐに向かおう」

リオネラはここに来た頃、何度も取り乱しては、脱走を図った。ロロナは知らないが、元々あの子は精神が不安定だった時期の方が長いのだ。今は落ち着いてきているが、時々発作を起こすこともある。

その時は、暴れる。

取り押さえる必要が生じたことも、何度かあった。

すぐに騎士と一緒に、現場に向かう。

リオネラが今いるのは、騎士団の宿舎の近く。国が公認の宿だ。その二階の奥の部屋に、リオネラは泊まり込んでいる。これは言うまでも無く、監視が容易で、脱走しづらいからである。

彼方此方を点々としたリオネラは、結局この宿に落ち着いた。

何名かの魔術師に教えを請いながら、技を磨いている彼女は。最近はぐっと落ち着いてきたと、評判だったのだが。

泊まっている部屋の外では、女騎士が青ざめたまま立っていた。ステルクを見ると、敬礼してくる。

「状況は」

「かなり手酷く取り乱していて、部屋に入ろうとしたら枕を投げつけられました。 今は静かですが、いつ暴れ出すか」

「何か刺激するようなことはしたのか」

「いえ、ただ。 ぬいぐるみが動かないと、本人が叫んでいたようです」

「……っ」

なるほど、そうか。

ついに、来るべき時が来たというわけだ。

リオネラが、いきなり部屋を出てくる。真っ青になっていて、両手には大事そうに、大きな猫のぬいぐるみを抱えていた。いつもは浮いているぬいぐるみ達は、ぴくりともしない。毒舌のホロホロも、おしゃまなアラーニャも、何一つ言わない。

唇までリオネラは真っ青だ。

下手をすると、このまま首をくくりかねない。

「どいてください。 ロロナちゃんの所に、行きます」

「どうするつもりだ」

「ロロナちゃんなら、きっと直してくれます」

薄ら笑いを浮かべるリオネラの体からは、途方も無い魔力がダダ漏れになっている。この娘は、凄まじい魔力の持ち主だ。その魔力量は、上位の悪魔にも匹敵すると、師になっている魔術師から聞かされた。今までさほど強くは無かったのは。魔力の扱い方が、わかっていないからだとも。

付き添おうと言うと、無視してリオネラが歩き出す。

毛布を掛けてやると、鬱陶しそうにステルクを見る。その目には、強い闇が宿っていた。暗殺者をしていた頃は、こんな目をしていたのだろうか。

「いつから、ぬいぐるみが動かなくなったのだ」

「朝、起きたらです。 昨日の夜は、あんなに色々、話してくれたのに。 二人とも、私が嫌いになったのかな」

外に出たリオネラの体から、禍々しいまでに黒い魔力が溢れている。

それだけではない。精神が混濁しているからか、目の瞳孔が完全に開ききっている。危険な状況だ。この魔力量、アーランドに来た頃とは比べものにもならない。

もしも暴発したら。

一つや二つ、区画が更地になる。ステルクは、ついてきた女騎士に、防御の魔術が使える人間を呼んでくるよう、小声で指示。これは、下手をすると、最悪の事態もありうる。ステルクもその場合、リオネラを斬る必要が生じるかも知れない。ロロナには一生恨まれるだろうが、街に暮らす人々を守るのが、ステルクの仕事だ。

それにプロジェクトは。

リオネラがいなくても、進展はするのだ。

無情な言い方だが、ステルクもこのプロジェクトがどれだけ大きな意味を持っているかは知っている。

「ロロナちゃん。 助けて。 二人を、助けて」

「案ずるな。 まずは、ロロナの所へ行こう」

涙を流しているのかと思ったが。リオネラは、焦点の合わない目で、ぶつぶつと呟いているだけだ。

しかも、声のトーンや口調も、喋るごとにかなり変わってきている。

変な方に行こうとしたりするリオネラを、必死に誘導。職人通りについた頃、やっと術者が来た。

しかも、アストリッドである。

「ほう、なるほどな。 こういうことか」

「何が、こういうことだ。 お前、何か知っているのか」

「知っているもなにもな。 ロロナでさえ、もううすうす気付いていただろうよ」

明らかに楽しんでいる口調のアストリッド。ステルクは苛立ちが募るのを感じたが、今は喧嘩している場合では無い。

リオネラの体から漏れる魔力は、更に酷くなってきている。

彼方此方でスパークが起きているのは、あまりにも高密度の魔力が、空間に干渉しているからだ。

平然としているアストリッド。

此奴は、爆発が起きて、人々が死んでも平気だとでも言うのか。

いや、愚問か。

今のアストリッドは、そう考える人間だ。何しろ、彼女を追い詰めたのは。

「ついたぞ。 アトリエだ」

まるで客がついたように、ドアを無遠慮にノックするアストリッド。

そして、リオネラの手を引いて、アトリエの中に入った。

既に通行人の避難は完了している。両隣にある店。武器屋と、ティファナの雑貨屋からも、人間は皆避難させた。

外では魔術班が待機して、爆発が起きたときに備えて、結界を張る。

冷や汗が流れるステルク。

まだ、アストリッドの余裕の理由は、わからない。

一体リオネラには、何があったのだろう。

 

アトリエに入ってきたリオネラは、酷い状態だった。目の焦点もあっていないし、ダダ漏れになっている禍々しい魔力の恐ろしさといったらどうだ。ロロナを見ると、ようやくリオネラは、声を絞り出す。

アストリッドが見ていることなんて、お構いなしだ。

「ロロナちゃん、助けて」

「ど、どうしたの!?」

「二人が、動かなくなっちゃった」

差し出されるアラーニャとホロホロ。

確かに、動かない。いつもの陽気な猫たちは。今は、物言わぬ、抜け殻になったかのようだ。

触ってみて、確信できたことが一つある。

そして、この時のために、準備してきたものもある。それにしても、どういう皮肉だろう。昨日念のために、その核となる素材を準備してきたのだ。リオネラの精神が限界近いことはわかっていた。

だからといって、この偶然は酷すぎる。

毛布は誰が掛けてくれたのだろう。アストリッドは、違うか。師匠は心底楽しそうに、様子を見ている。

わかっているのかも知れない。

ロロナが、この件を、解決できると。

まずはホムにお茶を淹れてもらう。鎮静剤も入れておいた。飲ませると、リオネラは少しは落ち着いたのか。体からダダ漏れになっていた黒い魔力も、少しずつ量が減っていった。

だが応急処置だ。

ロロナはすぐに、調合をはじめる。リオネラについては、今までの情報から、わかっていたのだ。

何が病根か。

どうすれば取り除くことが出来るのか。

ならば、ロロナは。彼女を救う。そうすることで、大事な友達の一人を苦しめている、鎖を取り払うのだ。

何種類かの薬品と、薬草を混ぜ合わせる。

ホムが不可解そうに小首をかしげた。

「マスター、その薬は」

「大丈夫。 量さえ間違わなければ、大丈夫だから。 ね、こなーが怖がると思うから、側にいてあげて」

「わかりました」

ホムをアトリエから出す。

そして、調合が終わるまでの間に、アトリエの四隅に行って、防爆の仕組みについて、再確認。

最悪の場合でも。

アトリエが吹っ飛んでも、周囲が大火事になるような状態だけは、避けなければならない。そんな事になったら、ロロナもリオネラも死んでしまうかも知れないけれど。関係の無い多くの人を巻き込むよりも、ずっとマシだ。

こんな時にクーデリアがいてくれれば。

いや、リオネラと相性が悪いクーデリアでは、いても力になれないかも知れない。

ソファに座っているリオネラは、寒いのか、そうではないのか。じっと焦点の合わない目のまま、肩を掴んで震えている。

「二人は、助かるの?」

「うん、大丈夫。 大丈夫だよ」

何か、とても嫌な言葉が聞こえた。

だが、聞こえないふりをする。わかっている。だから、それを受け止める。

薬品が仕上がった。

幾つかの試薬を通してみて、大丈夫である事を確認。

リオネラをなだめながら、説明する。

「いい、りおちゃん。 この薬を、りおちゃんが飲むの」

「……どうして?」

「わたしを信じて。 大丈夫だから、ね」

リオネラが暴れ出したら。

いや、どうにかなる。リオネラは、ロロナを信頼してくれている。ロロナも、リオネラを信頼している。

大丈夫。

自分に言い聞かせる。

緊張の瞬間。

リオネラは。薬を口元へ持っていった。

 

目を見開いたまま、ソファにぐったりと転がっているリオネラ。

漏出魔力については、ある程度落ち着いた。

くつくつと笑う師匠。

「いつから、気付いていたんだ」

「確信が持てたのは、最近です。 前にも、何度かそうだとわかる出来事はあって。 わたし、頭が悪いから、やっと最近わかりました」

「ふむ、まあ良いだろう。 で、どうするつもりだ」

「ホロホロちゃん、アラーニャちゃん。 もう、演技は良いよ。 もう、わかってるの、二人が、りおちゃんの心の一部だって事は」

「何だ、ばれてたのか。 よっと」

ホロホロが、ぬいぐるみではなくなる。

正確には、元の姿に戻る。

光を放つ、魔力の塊が、ホロホロのあった場所で、浮遊し続けていた。更に、アラーニャも、同じ事になる。

「リオネラ自身もわかっていなかったのに、どうしてばれたの?」

「それは、色々、そうだと分かる事があったから」

そもそも、だ。

この二人は、ぬいぐるみと言うにはあまりにも無理があった。

自動防御の際の機動。あれは、完全に元の姿、つまりリオネラの魔力に戻って、一種のシールドを張る機能だったのだ。

それに、以前見た切り札。

巨大化して大暴れするというのも、元がぬいぐるみでは厳しい。

何より、おそらくロロナなんて比べものにもならないほど過酷な人生を歩んできただろうリオネラが。

こんな大きなぬいぐるみを二体も、幼い頃に手に入れるのは難しい。

他にもおかしな点は、まだまだあった。

幼い頃から大事にしているわりには、ホロホロもアラーニャも綺麗すぎる。どんなに洗濯しても繕っても、ぬいぐるみだ。汚れはどうしても付着するものなのだ。それなのに、二人とも新品も同然。

それに、決定的なのは。

リオネラが喋っているとき、二人は一切口を利かないこと。

そして、リオネラの中に、明らかに幾つかの人格がある事。これは、カタコンベなどで、ロロナも実際に目撃している。

幼い頃に悲惨な目に遭うことで、人格が分裂することがある。それは、ロロナも聞いたことがあった。実例を見るのは初めてだけれど。実在する病気だと言う事は、知識として持っていた。

だから、結論できたのだ。

リオネラは、涙を流している。今飲ませたのは、意識を保ったまま、身動きできないようにする薬。

こうしないと、リオネラは。

真実と向き合えないと、ロロナは思ったからだ。

「どうする、俺たちから、全部話すか?」

「いえ、リオネラに話させましょう。 リオネラ、ロロナちゃんは、貴方の全てを知っても受け止めてくれるはずよ。 だから私達は、力だけを残して消えようと話し合って決めたのよ」

リオネラは応えない。

解毒剤を飲ませる。しばらくして、体が動くようになっても。

リオネラはさめざめと泣いていた。

落ち着くまで、待つ。今日の作業は、一段落している。時間は、充分に残っている。だから、リオネラの。

ロロナにとって、大事な親友の一人の悲しみを聞く事は、出来る。

一刻も過ぎた頃だろうか。

ようやく、リオネラが喋りはじめる。

彼女の、血塗られた、過去の物語を。

「私、魔女なの」

「それって、確か魔術師とは少し違う系統の、魔力を直接用いて奇跡を行う術者の事だよね」

「そんな風に考えてくれるの? 私の村では、魔女というのは災厄の象徴で、悪魔の手先というべき存在だったわ」

最初は、手を触れずに、ものを動かしたりするくらいだった。

その気になれば、自分が飛ぶことも、姿を消すことも出来るようになって。それを無邪気に使っていたら。見る間に、周囲の態度が豹変していった。

父も。母も。

優しかった周囲の人達も。

リオネラを、バケモノとして扱ったのだ。

「村にいる魔術師が作った、結界を張り巡らせた小屋の中に閉じ込められたとき、どうしていいか本当にわからなくなったの。 真っ暗な中に入れられて、どれだけ泣いても叫んでも、絶対に出してくれなかった。 ごめんなさい、許して。 なんで閉じ込められたかもわからないのに、謝り続けたの。 出てくる食べ物は必ず傷んでいて、虫が湧いていて、何もかも垂れ流しで」

リオネラが、涙をぼろぼろこぼしながら、悲惨な過去について語ってくれる。

ロロナは黙って、話を聞くしか出来なかった。

ロロナも聞いたことがある。

特に辺境の中の辺境では、特殊な信仰や、偏狭な思想が蔓延することがあると言う。リオネラのいる所では、特殊な能力者が、魔女として迫害される土壌があったのだろう。それはとても悲しい事だ。少なくともアーランドに生まれていたら、むしろ能力持ちのエリートとして、英才教育を受けられたかも知れないのに。

泣いているリオネラは、それでもお父さんとお母さんを憎みきれなかったと言う。幼子には、親を憎むことが出来ないのだ。そんな幼子を信仰と恐怖心から虐待した村の人達に、ロロナは心底悲しみを覚えた。

いつまでも続く闇の世界。どうして生まれてきたのだろうと、リオネラは後悔さえ覚えた。

何時からだろう。

誰か、話し相手が欲しいと思ったリオネラは。

話し相手を、作った。

最初は、自分の外に。これが、アラーニャとホロホロだ。何故ねこのぬいぐるみだったかは、自由で好きなように生きているねこが、羨ましかったからだろう。人間の文化圏でしか生きられない脆弱な生き物だけれど、それでも図太くやっている姿が、リオネラには羨ましかったのだろうなと、ロロナは推察した。

そして、次は中に、話し相手を作った。

「それが私よ」

不意に、リオネラの雰囲気が変わる。

蠱惑的で妖艶で。それでいて邪悪な。そう、カタコンベなどで表に出てきた、リオネラの別人格の一つ。

くつくつと笑っている彼女は、リオネラの闇そのものだ。

「貧弱な檻をぶっ壊したのは、村が火事になったとき。 理由はわからないけれど、何かの理由で、村が火事になって。 それで、力尽くで檻をぶっ壊して逃げたの。 その時、両親とか近所の奴らとかが、鬼みたいな形相で追ってきたから、ぶっ潰しちゃった」

「……っ!」

「しょうがないわよね。 そうしないと、殺されたんだから。 元々彼奴ら、近々私を殺すつもりだったんだし、ね」

不意に、リオネラが元の人格に戻る。

真っ青になったリオネラ。

ひょっとして、知らなかったのか。暗殺をしている事は知っていたけれど。その最初が両親や故郷の村の人達だったなんて、思いもしなかったのか。頭を抱えるリオネラを抱きしめて、背中を撫でる。

「大丈夫。 大丈夫だよ」

漏出する魔力が凄まじい。

アトリエが吹き飛ぶかも知れない。

だが、逃げる選択肢はない。リオネラを放っていくわけにはいかないからだ。

「それから、どうしたの。 わたしは、りおちゃんの全てを受け止めるよ。 だから、話して」

「……」

もう服はぐしゃぐしゃだけれど、気にはならなかった。

闇のリオネラが、出てくる。くつくつと笑いながら、世にもおぞましい話をしてくれる。

「逃げ出してすぐね、馬鹿な私ってば、両親の所に行ったの。 何をされたかも忘れ果ててね。 そうしたら彼奴ら、知らない子供と一緒にいた。 後で家の中を漁ってみてわかったんだけど、私の妹と弟を奴隷に売り払って、毛並みのいいのをよそから買ってきたみたい。 弟と妹は、顔が気に入らなかったから売ったんだって」

けらけら。

笑い声は、ロロナにはそうだとは聞こえなかった。

それは、血涙。

リオネラがずっと流してきた。心に溜まった、血だ。

「開口一番に、彼奴ら、私を見てなんて言ったと思う? バケモノが出てきた! みんな来てくれ、だって! きゃははははははは! それでさ、更に私に石投げてきたよ。 両方揃ってね。 毛並みの良いのも、笑いながら石投げてきた。 だから、力を使って、果実みたいに三人まとめて、頭を潰してやったの。 楽しかったわ」

「そう。 つらかったよね」

「なんでさ、あんなに楽しかったのに」

独白は、まだ続く。

村では、見かけた人間全てが襲ってきた。鍬を振るって、鎌を振るって、剣や槍で。魔術で。

ただの山火事だったのに。

この火事は、お前のせいか、バケモノ。そう罵られた。

本気で殺すつもりで、村人達は襲ってきた。

「リオネラってば、多分村を追い出されたとか売り飛ばされたとか都合良く思ってるんだろうねえ。 あはははは、つらい記憶は全部私に押しつけてさ。 村の連中は、全部自分で殺したのにね! 首を捻ったり頭を潰したりしてさ! 気がつくと、村には家畜も含めて、生きた奴は残ってなかった! みんな、私が殺したんだ!」

鋭い痛み。

漏出した魔力が、ロロナを傷つけているのだ。

でも、離さない。

リオネラを今離してしまったら、何もかもが台無しになる。

「村の外に出てもおんなじだった! ストリートチルドレンの餓鬼にどの大人が優しくするもんか! 奪うしか生きる方法はなかった! その内悪い奴らに声を掛けられて、暗殺をするようになった! 上手く行けば美味いものが食えたよ! 今から考えると、残飯同然だったけどな! アラーニャ、ホロホロ、あんたたち、何人殺したっけ?」

「俺は三十五人」

「私は二十九人」

「アハハハハ! 聞いての通りよ! いい加減にいやになって、犯罪組織から逃げるときも、追っ手を随分殺したっけ! アハハハハ、トータルで二百人は軽く超えてるね! 多分あの国じゃ、私は今でも見つけ次第抹殺するレベルの凶悪犯罪者よ!」

それでも、私を受け止めるとか、好き勝手なことを言うのか。

吐き捨てられた言葉。

人一倍優しかった女の子が、殺戮の権化に変わっていった、悪夢の生。ただ、他の人とは、少し違う能力を持っていただけだったのに。

ロロナは、もう良いんだよと、もう一度言う。

リオネラは、明らかに怯む。

恐怖が、目に宿っていた。

わかっている。わかっているのだ。

リオネラはそうやって、ずっと自分を傷つけてきた。身を守るために戦って、それが多くの人間を殺す事になった。暗殺だって、生きるためにしていたことだ。彼女が吐き捨てたように、結果として凶悪犯罪者になったが。

それは、周囲が、そうさせた結果ではないのか。

此処で、心の膿を全部出さなければ、リオネラは今後、生きていけない。そしてロロナは、今までの事を、許すつもりだ。

誰かが、リオネラを許さなければならない。

生きるために殺さなければならなかった。それを心の底から苦しみ、傷ついている、ロロナの友達を。

誰かが許さなければいけないのなら。ロロナがそうする。

リオネラは、なおも言った。

「其処の馬鹿二人はね。 あんたがいるから、もう自分たちは消えた方が良いって考えたのさ。 心が幾つもあって、その全てが人格を持ってるなんて、本人のためには良くない事だってね。 本物の友達がいるなら、俺たちはいない方がいい。 そろそろ頃合いだってね」

「そうさ。 そいつ、昔は人とろくに口もきけなかったんだ。 それがあんたと出会ってから、どんどん喋るようになって。 苦しんだり悲しんだりもしたが、それでも自分でどうにか乗り越えて。 最近なんか、魔術師に弟子入りなんて真似まで」

「信じられなかったわ。 だから、決めたの。 貴方がいるなら、もう消えるべきだって」

「……っ」

唇を噛む。

リオネラは毒を吐ききったからか。もう、ぐったりしていた。

体から放出される魔力も、収まりつつある。

リオネラは、不意に元に戻る。

青ざめているが。しかし、もはや悲しむ力も、使い果たしているようだった。

「ロロナちゃん、血だらけ……。 私のせい……ごめんなさい……」

「うん。 でも、いいよ。 りおちゃんのこと、わかったから。 このくらいの傷なんて、何でもないよ」

消えるか、消えないか。

そんなのは、リオネラが自分で決めることだ。

ロロナがどうこう言うことでは無い。だが、ロロナは思う。まだ、アラーニャとホロホロが、リオネラの側にいてあげれば。それはとても素敵なことだと。

いずれは、消えなければならないのかも知れないけれど。

しかし、リオネラの孤独は、完全に癒やされたわけではない。

「大丈夫。 わたしは、りおちゃんの側にいる。 ホロホロもアラーニャも、黒いりおちゃんだって。 だから、今は休んで」

そう告げると。

リオネラは。精根が尽き果てたのか、その場で意識を手放した。

何故だろう。

意識を失ったリオネラを抱きしめながら。ロロナも、涙が止まらないことを、自覚していた。

痛みからでは無い事は、確かだった。

 

家を出ると、ステルクがいた。それだけではない。防御結界を得意とする、ロロナも知っているような有名な魔術師が何人も。

ひょっとして、騒ぎになっていたのか。

それは、そうか。

あの状態で、此処まで来れば。

「酷い傷だが、大丈夫なのか」

「はい、何とか。 これくらい、唾でも付けておけば、治ります。 それに応急処置も、しましたから」

「そうか。 リオネラ君は」

「疲れ果てて眠りました。 大丈夫、わたしに全て打ち明けてくれました。 だから、もう平気だと思います」

ステルクが、念のためと言って、魔術師達をアトリエに入れる。

非常に強力な魔力が、漏出を続けていたのだ。アトリエ自体に大きな傷がなかったのは、師匠が処置してくれたからだろう。

魔術師達は、暴発の怖れなしと結論。

ステルクは、大きく嘆息した。

「無茶をしたな。 傷が残っては大変だ。 すぐに手当をするとよい」

「……りおちゃんは、どうなるんですか?」

「どうなるとは?」

「何処だかはわかりません。 りおちゃんは、生きるために、酷い虐待を受けていた故郷を滅ぼしたみたいなんです。 その後も、ずっと暗殺のお仕事を」

流石にステルクも驚いたようだが。

しかし、約束してくれた。

「騎士団の方で、預かりの調査としよう」

「他に方法はなかったみたいなんです。 りおちゃんに酷い事をしないって、約束してくれますか」

「彼女は臆病だが、何度も君を守って獅子奮迅の活躍をしてくれた。 今後も、有能な魔術師としての未来が期待出来る。 それならば、アーランドには居場所がある。 心配はしなくても良いだろう」

胸をなで下ろす。

此処は、アーランド。修羅の集まる国。

だからこそ、救われる存在もある。

ステルクは嘘をつかないはずだ。ロロナは一安心すると、アトリエに戻る。正直、不安な部分もあったのだ。だけれど、リオネラを助けたいという気持ちの方が、より強かった。

リオネラは完全に力を使い果たして眠っている。

ロロナは寝顔を見ると、手当をはじめた。さっきしたのは応急手当のみ。漏出した魔力に晒されている間、ずっとカミソリで体を削がれているようなものだったのだ。体中は傷だらけ血だらけ。深い傷は全て塞いだけれど、まだ血が止まっていない場所もある。

薬を塗りおえると、すぐに耐久糧食を口に入れた。

ネクタルをそのまま飲んでも良いかと思ったが、流石にそれはやめておく。原液のネクタルが危険な薬品だと言う事は、ロロナも幾つかの実例を見て、身に染みて知っているからだ。

ホムに戻ってもらった後は、背中を見せて、傷を確認してもらう。

薬が塗れていない場所があったので、ホムに手伝ってもらった。耐久糧食を口に入れた後だから、体がぽかぽかしている。すぐに、傷は治るだろう。ただ、今晩は痛みが酷くて、苦しむことになりそうだ。

「無茶なことをなさいますね、マスター」

「りおちゃんを、助けたかったの」

「わかりません。 どうして他人のために、其処まで必死になれるんですか」

ホムは心底から分からないと言う風情で、そう言う。

でも、ロロナだって知っている。

「もしもこなーがモンスターに襲われたら、ホムちゃんはどうする?」

「モンスターを倒します」

「わたしもそう。 りおちゃんは大事な友達だから、助けたかったの。 自分が危ない目に遭うことくらいは、怖くなかったよ」

「……」

やはりわからないと、ホムは視線をそらした。

服を着直そうとして、盛大に破れてしまう。ちょっと恥ずかしい。まあ、あれだけズタズタになったのだ。服だけ無事で済む筈もない。

お気に入りの服だったけれど。これはもう駄目だろう。新しい服を着直した後、ひょっとしたら可能性があるかも知れないから、繕ってはみる。

ロロナ自身も、疲れた。

とりあえず明日休んで、リオネラが無事に起きてくるのを確認したい。

リオネラは、もう大丈夫の筈だ。

それは、ロロナにとっても、とても嬉しい事だった。

 

3、不思議な水晶

 

材料は、よく分からない原石。鉱物でもなく、宝石でもない。何処の鉱山にも、たくさん落ちている、砂のような石のような、そんなものだ。

まずこれを、筒状の装置に入れて、熱する。

温度は熱くなりすぎては駄目。炉の温度を調整するよりも、使う中和剤を減らす方が、ずっと早い。

何度か失敗した作業だ。今度こそ、うまくいかせたい。

炉をじっと見ているロロナの後ろで、固唾を飲んでいるのは、クーデリアではなくてリオネラだ。

クーデリアは、今日、資料を集めに行ってくれている。

リオネラは、魔術という方向から、宝石についてのアドバイスをくれるということで、アトリエにいてくれた。

予想通りというか何というか。

今回も、苦労していたのだ。

あの一件以来、リオネラはロロナに対して、もっと心を開いてくれた。悲しみを共有したから、というのもあるだろうか。

アラーニャとホロホロは、結局しばらくリオネラの側にいることになったらしい。心が分かたれていると、精神にはあまりよい影響を与えないらしいのだけれど。それでも、リオネラにとって、二人はそれだけ重要な存在なのだ。

ロロナにも、見ていてそれがよく分かった。

だから、何も言わずに、見守る事にした。もしもアラーニャとホロホロが本当に消えるときが来たら。

それは、リオネラが、本当に大人になったときなのだろう。

そういえば、リオネラは魔術師としてやっていくことに決めたらしい。本格的に修行をして、力をしっかり使えるようにすることが、今後の目標のようだ。そのせいもあってか、格好も以前の旅芸人スタイルから、ぐっと露出が少ない服装に替わった。もうアラーニャとホロホロ、何より自分の体そのものを売り物にして、お金を稼がないで生きようと決めたから、だろう。

とても良い事だと、ロロナは思う。

元々恥ずかしがりのリオネラに、あんな格好で尊厳を切り売りするようなお仕事は、決定的に向いていなかったのだ。

リオネラの肌を目当てに人形劇を見に来ていたおじさまたちには悪いけれど。

時間が丁度経ったので、耐熱ミトンを填めて、炉から水晶の材料を取り出す。

きらきらと、筒の中で輝いてはいるけれど。

見ると、やはり不格好な塊だ。

いろいろな資料からレシピを組んでみたのだけれど。どうしても綺麗にできあがらない。本来なら、これできちんとした形に、仕上がるはずなのに。

鉄ばさみで取り出して、しばらく冷やす。

リオネラに確認してもらうが。

彼女はやはり、首を横に振った。

「駄目。 魔力を吸わない。 魔力を取り出すことも出来ない」

「困ったなあ……」

どうして駄目なのだろう。

机の上には、サンプルとして持ってきた水晶がある。クーデリアに貸してもらった、本物の水晶だ。

ロロナが触ってみてもわかるほど、強い魔力が中に蓄えられている。そればかりか、その気になればもっと蓄積させる事も出来る。

水晶は、アーランドではいくらでも欲しい、本来の意味での宝石なのだ。魔術の媒体として、大変有用なのが、実物に触ればよく分かる。

しかし、水晶の材料から作った、それっぽいものは、どうしてきちんとしたものにならないのだろう。

不格好な塊を、成形してみた事もあるけれど。

それでも上手く行かない。

湧水の杯のように、形で水がどう出るか決まる、というような事は無かった。

クーデリアが戻ってくる。

リオネラとクーデリアは、まだ打ち解けきっていないようだけれど。クーデリア自身は、リオネラの悲しい過去を、知った。

だから、多少は二人の間の溝も埋まると信じたい。

「ほら、借りてきたわよ」

「ありがとう、くーちゃん! ちょっと見せてね」

クーデリアが借りてきたのは、王宮にあった参考資料。水晶について、昔の学者が書き記したものだ。

学術書なので、読んでいて面白い内容ではまったくない。

淡々とどういう場所でどれだけ水晶が採れて、どんな風に有用なのか、ただ書かれているだけの本だ。

それによると、やはり水晶は、砂や何かと、素材が共通しているようだ。

つまり、素材そのものは、無尽蔵にあるとみて良いだろう。

問題はその先。

どうやっても水晶を加工する作業が上手く行かない。解決策が、未だに浮かばないという事である。

作業の合間に、湧水の杯も増やす。栄養剤も作っておく。

材料の加工自体はホムに任せてしまって、組み立てだけはロロナがしている。その間に炉では、水晶の元が熱せられているわけだけど。

クーデリアが、実験の結果に目を通す。

「ねえ、ロロナ」

「どうしたの?」

「もっとぐっと低い温度でやってみたら? ひょっとして、熱量が高すぎるのかも知れないわよ」

「それでも、鉄よりずっと抑えてるんだけどなあ……」

確かに、クーデリアの言う事には、一理ある。

鉄を溶かして加工するときよりも、温度そのものは下げているのだけれど。未だに解決の糸口が見えないという事は、何かしら根本的な所で間違ってしまっている可能性が高いのだ。

案の定、次の結果も駄目。

形だけは水晶っぽく仕上がるのだけれど。自然にある水晶と違って、全く魔力を吸わないのである。

クーデリアが言うとおり、入れる中和剤の量を調整する。

炉の温度を下げると言うよりも、水晶に掛かる温度と圧力を減らすためだ。さて、今度はどうだろう。

湧水の杯を組み立て終えたときに、丁度出来る。

取り出してみるが、やはり上手くは行かない。今度は水晶どころか、完全に黒ずんでしまっていた。

だが。

リオネラが触ってみて、顔を上げる。

「ほんのちょっとだけど、魔力を吸うよ」

「えっ!」

自分でも試してみる。

確かに吸う。ただ、それほど多くは吸い込んでくれない。天然の水晶から比べると、微々たる量だ。

それに、蓄積限界も小さい。

すぐに、魔力を吸わなくなってしまった。

しかし、だ。

パイを作るような温度で熱しても、素材は溶けない。ただ熱くなるだけだ。これ以上温度を下げても、恐らくは上手く行かないだろう。

どうすればいい。

三人で手分けして、資料を精査。

解決の糸口は、まだ見えない。

 

ステルクが来たのは、苦労しているロロナを見かねたのか、或いは。

とにかく、大苦戦しているロロナの所に、ステルクが来た。また、討伐対象モンスターの撃破に、人手が足りないのだという。

クーデリアは丁度席を外しているので、リオネラが今はアトリエにいた。最近は、暇さえあれば手伝ってくれるのだ。あの一件以来、リオネラはロロナを心の底から信頼してくれたらしく、何でも話してくれる。それに、色々と、ロロナのためにしてくれるようにもなっていた。

「ステルクさん、今度は何と戦うんですか?」

「おお、やる気だな。 ファングというモンスターだ」

「ええと……確か」

「師匠から聞いたことがあります。 いわゆる一匹狼の中でも、非常に凶暴な一体だとか」

リオネラが、代わりに応えてくれた。

師匠というのは、魔術を教えてくれている一人だろう。ステルクに対しても物怖じしていないし、しゃべり方もぐっとはっきりしてきている。

この間の一件で、リオネラは生まれ変わったのかも知れない。

ステルクも、目を見張っていた。

「間違っていましたか?」

「いや、その通りだ。 困ったことに、このファングがオルトガ遺跡に姿を見せてな」

それは、まずいかも知れない。

オルトガ遺跡は、この国にとって非常に重要な場所だ。ロロナにとっては色々とトラウマがある場所でもあるけれど。それでも、強力なモンスターが近辺を跋扈しているとしたら、放置はしておけない。

すぐに、クーデリアとタントリスに声を掛けに出る。

クーデリアは来てくれるが、タントリスは無理。何でも丁度デートだとかで、ロロナは少し呆れたけれど。ただ、男の人にはきっと大事なことなのだろうと思って、納得した。イクセルは一応見に行ったが、サンライズ食堂は行列が出来るほどの人気で、手伝いなんて出来る状態ではなかった。

幸い、オルトガ遺跡はすぐ其処だ。

荷車に、爆弾を積み込む。

今回は近場と言う事もあるし、装備は応急処置用の医薬品を除けば、火力重視で問題ないはず。

次にするべきは、作戦会議だ。

「ファングというモンスターについて、わかる限り教えてもらえますか」

「良いだろう。 まず大きさは、通常のウォルフの三倍ほど。 重さは三十倍近いだろう巨体だ。 全身は黒い毛並みで、非常に動きが速い。 その上、炎の魔力を操るという報告も受けている」

「凄いですね、それは」

「ウォルフ種の中では、間違いなく最強の存在だろう」

グリフォンに続いて、ウォルフ最強のモンスターを見ることになるとは、幸運なのか不幸なのか、よく分からない。

ただはっきりしているのは。

手を抜けば、死ぬと言うこと。

そして放置しておけば、多くの人が傷つけられる、という事だ。

「今まで倒せなかったのは、やはり動きが凄く速いから、ですか?」

「いや、そうではない。 やはりこのモンスターも狡猾でな。 討伐隊が出ると、さっと身を隠してしまうのだ。 だから、大規模の討伐隊は編成出来ない。 錬金術の力も借りて、少数精鋭で、可能な限りの速攻を掛けたいのだ」

「わかりました」

クーデリアに意見を聞いてみる。

彼女は腕組みすると、罠を張るべきだと言う。

確かにそれはロロナも同意だ。高速機動を得意とする相手なら、足を殺してから叩くのが基本になる。

リオネラが挙手。

「私、餌になります」

「大丈夫、危ないよ?」

「アラーニャとホロホロが守ってくれるから、大丈夫です」

クーデリアが何か言おうとするが、肘鉄。

リオネラの決意は強い。

彼女の心を、無駄にしてはいけない。

今、遺跡のどの辺りにいるのか。それを確認した後、どう罠を張って、そちらに誘い込むかを決める。

話がまとまるまで、時間はそう掛からなかった。

すぐに荷車を引いて出る。入り口では、こなーを抱いたホムが、見送りしてくれた。ホムには、まだまだ足りない湧水の杯の部材量産を頼んでいる。帰ってきた後、気分を入れ替えて、作業に戻りたいところだ。

路を行く途中で、ステルクに聞いてみる。

「あの、今回の報酬ですけど」

「何か問題がありそうか」

「いえ、現物支給は出来ないでしょうか。 出来れば水晶が欲しいんですけど」

「わかった、交渉して見よう」

いずれにしても、ファングを斃す事が出来たら、の話だ。

オルトガ遺跡までは、ゆっくり歩いてもそう時間は掛からない。クーデリアの表情は、硬い。

そしてロロナも。

此処が強力なモンスターの巣窟だと言う事はわかっている。それに何より、ロロナの思い出しつつある記憶が、ここに行かないようにと、警告を飛ばしてきているのだ。

遺跡が見えてくる。

監視チームの人と、ステルクが話を始めた。まだファングは、動いていないという。遺跡の上の方で、じっと丸くなって、疲れを癒やしている様子だとか。

「ファングは手傷を受けているのか」

「おそらくこの国の外、別の辺境諸国で暴れていた所を、討伐隊に攻撃されたのでしょうね。 かなりの手傷を受けているようで、凶暴性も増しているはずです」

「好都合だ」

「はい、わたしもそう思います」

手傷を受けた獣が凶暴で危険だというのは、当然の話。

そう言う獣は、持久力もなくすし、何より判断力もおとす。罠に填めやすくなる。獣だって、体力は無限ではない。

凶暴なはぐれ狼を仕留めるのは、今をおいてないだろう。

すぐに、クーデリアとリオネラと、頷きあう。

此処で昔、色々とあった。そしてその記憶が、ロロナの中でよみがえりつつある。でも、それは今は後だ。

「ステルクさん、すぐに行きましょう!」

「皆は退路を塞げ。 我々でファングを仕留めるが、万が一の時も考えられる。 手負いの獣を絶対に逃すな」

「はっ!」

騎士団の人もいるから、心強い。

どちらにしても、これではファングはもう逃げられなかっただろう。

遺跡に入ってから、荷車を引いて、複雑な地形を上がっていく。途中で何度も、荒らされた獣の死体や、残骸を見た。

此処は、森ではないけれど。力の論理が支配する、修羅の地だ。

食い荒らされたアードラの巣。ぐちゃぐちゃに潰された卵からは、血が滴っている。中の雛は、もう形になっていたのだろう。何が殺したのか。粘液がある事から、おそらくぷにぷにだ。黒ぷにか、兎か。どちらにしても、遭遇はしたくない。時間を大きくロスしてしまうからだ。

時々駆除をしているのに、相変わらずモンスターは多い。

ステルクがにらんで、アードラを追い払った。

アードラ達がついばんでいたのは、同胞の亡骸。死んでしまえば、同種のアードラでも、ごちそうに早変わり。

リオネラは大丈夫だろうか。

驚いたことに、平気な様子だ。むしろ、率先して進もうとしている。

こんなに人は、小さな切っ掛けで強くなるものなのか。クーデリアも、驚いているようだ。

そろそろの筈だが。

臨戦態勢に入る。荷車は一旦影に隠して、身を低くして進む。

周囲を調べて見る。

どうやら、ファングは最初指定されていた場所から、移動しているようだ。奇襲を受ける可能性もある。あまり油断すると危ない。

ステルクが、先に行く。

リオネラはいつでも、自動防御を展開できるように。クーデリアはいつでも発砲できるように、構える。

ステルクは、すぐに戻ってきた。

「いるぞ。 理由はわからないが、最初報告された位置と、少し違う場所で休んでいる」

「わかりました」

眠っている所に、全力での一撃を叩き込めば、それだけで勝負がつくかも知れない。

ウォルフの通常種に比べて三倍といっても、モンスターとしてはさほど大きいわけではない。

スピード自慢の相手なのだ。

致命打を浴びせてしまえば、それだけで一気に此方が有利になる。

ステルクが案内する後ろについて、忍び足。

段差に身を隠して、向こうをうかがうと、いた。

確かに、とんでもなく大きなウォルフだ。全身は闇を溶かしたかのような漆黒。そして、丸くなって、寝息を立てている。

周囲には、ばらばらに引きちぎられたアードラ。

或いは、これを仕留めて食べるのに忙しかったから、場所を移していたのかも知れない。眠っているなら、いずれにしても好都合。

しかけるなら、今をおいてない。

ロロナが詠唱開始すると、一気に場が張り詰めた。

ステルクまでいるのだ。いくら何でも負ける事は無いと思うけれど、此処は足場が悪いし、念のため。

やれることを、徹底的にやる。

ロロナの魔力砲は、射程距離も伸びている。

あの大きさの相手なら、直撃すれば木っ端みじん。外したとしても、衝撃波でかなりのダメージを与えられるはずだ。

詠唱は、完了。

後は、撃ち込むタイミングだが。

どうも嫌な予感がする。万全の態勢で備えている筈だし、距離もそれなりにある。外しても、一瞬で間を詰められるようなことは、ない筈だけれど。

息を呑む。

上級のモンスターは知恵が回る。寝たふりくらいは、していてもおかしくない。しかし、長距離砲撃が来る事を知った上で、出来る寝たふりというのはどうしたことだろう。完全に避ける自信があるのか、それとも。

「ロロナ?」

「うん、今から撃ち込むよ。 だから、備えて」

「何か不安を感じてるの?」

その通りだ。

クーデリアは流石にわかってくれている。

意を決して、ロロナは全力で、魔術をぶっ放した。

炸裂する閃光。

だが、手応えがない。気付くと、凄まじい打撃音が、真横から響いていた。自動防御の上から、である。

心臓が止まるかと思った。

この距離を一瞬で詰めたファングが、そこにいたからである。しかも、自動防御を半ば喰い破られていた。

ほんの鼻先で、がつん、がつんと巨大な口がかみあわされている。なんていう速さだ。掠るどころでは無い。これほど速く動けるモンスターは、はじめて見た。むしろこの速さこそが、ファングの武器だったのではないか。

最初に反応したのはステルクだ。

即座に斬り付けるが、剣は空を斬る。

そればかりか、ステルクは四方八方からファングの体当たりを浴びたらしく、滅茶苦茶に吹っ飛ばされて、かなり遠くの床に叩き付けられた。

ファングは余裕の様子である。

そして、寝たふりを止めたファングは、その禍々しい真っ赤な目を既に此方に見せつけていた。

何という、強い殺気。

背筋が凍るかと思った。

「作戦通りに!」

「うん!」

リオネラが、率先して言ってくれる。

以前だったら、あり得ない事だ。怖がったり泣いたり、逃げ腰になったり。

でも、今のリオネラは違う。

まず取り出すのは、フラムだ。それを、敢えて四方八方に投げる。彼方此方で爆発が生じる中、ファングは余裕を崩さず、此方を見ている。多少動きを封じられた程度では、恐ろしくも何ともないというのだろう。

圧倒的な戦闘経験が、自信を後押ししている。

ステルクは既に此方に走ってきているが、かなり到着まで掛かる。それほど、派手に吹っ飛ばされたのだ。

フラムはたくさんあるけれど、勿論数には限界がある。リオネラが、ゆっくり、一人だけ前に出る。

クーデリアが、構えをとる。

狙いは、一瞬。

外したら、終わりだ。

だが、リオネラは、ロロナとクーデリアを信用してくれている。その信頼を、裏切る訳にはいかない。

リオネラが、自動防御の外に出た。

どういう原理なのかは、今なら理解できる。だが、何も敢えて言わない。

「……」

リオネラだって、覚悟が決まっているとは言っても、怖いはずだ。

ファングがステルクを吹っ飛ばしたところは見ているのだから。ステルクが此方に来るまで待つという選択肢をどうして採らなかったのか、ファングは悩んでいるはず。それに、ロロナが見てもわかる手傷が、ファングにはある。

判断力を鈍らせた獣は。

どれだけ獰猛でも。狡猾でも。

ファングが、動く。

リオネラの首を、食いちぎるつもりで、飛びかかる。あまりにも速すぎて、そうしたのだとわかったのは、直後のこと。

リオネラが、目を見開く。

そして、ファングが、空中にとまった。

文字通り、停止したのだ。

「今だよ!」

間髪入れず、クーデリアが動く。

ファングの全身に、火焔弾を叩き込む。

いくら巨体でも、ウォルフ。つまり、動物。

全身が燃え上がってしまえば、パニックは避けられない。ロロナがリオネラに飛びついて、横っ飛びに離れるのと、拘束が解除されるのは同時。

悲鳴を上げながら、ファングが地面に激突。

更に其処へ、クーデリアが連射して、火焔弾を叩き込んだ。

暴れ狂うファングが、彼方此方を滅茶苦茶に傷つける。

自動防御が再開されるが、その上から、重い一撃が何度も来た。貫通もする。肌を、何カ所も切り裂かれた。ずしんと重いのももらった。リオネラは、怖れていない。必死に荒れ狂う黒い獣を見据えて、自動防御を展開してくれている。

ファングが、炎をまき散らしながら、全力での突進を仕掛けてきた。

立ちはだかったクーデリアが、連射したのは、スリープショットの一撃。

だが、ファングは屈しない。猛烈な圧力を浴びながらも、強引に突破を行ってくる。クーデリアが吹っ飛ばされ、くぐもった声を上げながら、床に叩き付けられた。きちんと受け身を採っているのは見えた。

下がりながら、ロロナは砲撃前に仕掛けておいた爆弾を起爆。

上空に、ファングが打ち上げられる。

だが、ファングは驚くべき事に、空中を足場にして、ジグザグに機動。無理矢理に、地面に自分を叩き付けるようにして、着地。

全身はまだ燃え上がっている。

それなのに、黒き獣は、その殺意を衰えさせない。

咆哮。

思わず、リオネラが身を竦ませる。

残っていたフラムを、ロロナが全て投擲。連鎖する爆発に、動きが鈍りはじめているファングが巻き込まれるが。それでも。

煙を斬り破って、全身ズタズタのファングが姿を見せる。

其処へ、頭上からの雷が、直撃。遠距離から直撃させたステルクの技のさえを感じてしまう。

流石に竿立ちになったファングが、苦痛の絶叫をあげた。

更に、横殴りに、クーデリアが火焔弾の連射を叩き付ける。転がり廻って火を消そうとするファング。

その動きが、とまる。

リオネラが、自動防御を解除して、拘束のために力を使ったのだ。

ファングがもがく。

しかし、抜け出せない。リオネラは、おそらく今。はじめて、呪われし力を、他人のために使っている。

ロロナのため。今はそれで良い。

きっと、そのうち。ファングに傷つけられるかも知れない人達を、救うために使える。

「決めて、ロロナちゃん!」

「任せて!」

第二射は、既に準備を終えている。

ロロナに、躊躇う理由は無い。

全力で、ぶっ放す。

直撃。ファングの巨体が、いっきに壁にまで下がり、叩き付けられる。殲滅の光が、壁を見る間に赤熱させていく。そして、ロロナの体も、凄まじい反発で、ずり下がっていった。

後ろは、崖も同然。

冷や汗が流れるが。ファングはこれだけの魔力砲を浴びつつも、なおももがいている。一瞬でもロロナか拘束を続けているリオネラが気を抜けば、形勢逆転。拘束から抜けて、反撃をしかねない。クーデリアが、数発の弾丸を更に叩き込む。爆焔が、ファングの全身を焼き焦がす。

しかし、ファングは、それでももがく。ロロナの魔力砲を押し返そうとし、リオネラの拘束を力尽くで外そうとする。

あれだけ炎上しているのに。

まだ、巨大なる黒の狼は、抵抗の意思を捨てていない。

不意に、背中に誰かの力が掛かる。

クーデリアが、支えてくれているのだ。

「後ろは気にしない! 全力で攻撃を続けなさい!」

「うんっ!」

心強い。

だからロロナは、徐々に壁から、ファングをずり上げて行った。大爆発が起きても、大丈夫なように。

がつんがつんと、ファングは顎をかみ合わせている。

殺してやる。

食いちぎってやる。

殺意が、その全身から、まだまだあふれかえっている。

ついに到着したステルクが、横殴りに、特大の雷撃を浴びせかける。ファングが悲鳴を上げた瞬間、一気にロロナは火力を上げて、ファングを壁から、空中へと押し出した。

空高く打ち上げられながら、ファングはなおも、憎悪と殺意を込めた視線を、ロロナに送り続けていた。

だが、それも、ついに尽きる。

大爆発が巻き起こる。

太陽が二つに増えたような光が降り注ぐ中。

ロロナは、確かな手応えを感じて、力を抜いていた。

魔力を、殆ど使い果たしてしまった。呼吸を整えながら、残心。体内の魔力を、調整する。

ぱらぱらと落ちてくるのは、ファングの残骸。

中に、妙なものが混じっていた。

機械、だろうか。

肉片と一緒になっている。何かの間違いで、口に入れたものだろうか、それとも。拾おうとしたら、ステルクが先に拾った。

「大変な討伐だったが、無事か」

「はい、どうにか……」

ファングの攻撃は激烈だった。

見れば、クーデリアもリオネラも、ずたずただ。すぐにアトリエに戻って、手当をした方が良いだろう。

応急処置を、すぐにする。

ステルクはあれだけの距離を吹っ飛ばされたにもかかわらず、ほぼ傷一つない。少し前から疑問に思っていた事が、これで確信できたが。敢えて何も言わないことにする。それにしても、ひょっとして。

ロロナは、何だかとても大きな事に、ずっと巻き込まれているのではないのか。

帰り道、退路を塞いでいた戦士達が、手を振って来る。

ロロナも、笑顔でそれに応えるが。

疑問は、大きくなる一方だった。

 

ファングを倒した報酬は、かなり多かった。水晶だけで四つも、こぶし大のものをもらってしまったのだ。しかも未加工で、魔力を一番強く充填する事が出来る形状である。これは、研究に役立つ。

クーデリアが持ってきてくれたものは借り物だけれど。これは好きに調べることが出来るのが、嬉しい。

報酬として渡された水晶を調べながら、ロロナは気付いたことがある。

ひょっとして、これは。

水晶の材料になる砂を入れる容器を工夫することを、クーデリアに提案してみる。腕組みしながら、彼女は、ロロナの説明を聞いていた。

「なるほど、確かに考えられるわね」

「うん。 この仮説が正しかったら、きっとどうにか出来ると思う」

この説の大きな所は、上手く行けば水晶をいくらでも作り出せることだ。

魔術の媒体として優秀な水晶が増えれば、それだけアーランドは魔術に関する戦力を得ることになる。

もしも戦いになった場合、それだけ有利になる、という事だ。

早速試してみようとしたが、クーデリアは席を立つ。

「一旦戻るわ」

「修行? 頑張ってね」

「ええ」

修行では無いようだけれど。クーデリアにも当然プライバシーがある。追求しようとは思わなかった。

リオネラは、もっと修行が必要だと言って、アトリエで手当を終えると、師匠の所へ行ってしまったから、これで一人になった。ホムは買い出しに出かけているし、アストリッドはいるかいないかもわからないから、完全に一人だ。

目を細めると、集中する。

考えを、まとめておきたいのだ。

さきほど、オルトガ遺跡に行って。ファングとの戦いの帰りに、幾つかの地形を見て、思いだしたことがある。

ロロナはクーデリアと事故にあった。

それは覚えていたのだが、その内容の一部だ。

確か、昔は、クーデリアはとてもおとなしくて、小さなお花が咲いたような雰囲気の子だった。

それに対してロロナは、男の子達と混じっては、泥だらけになって転んで、生傷が絶えなかったような気がする。

それが、あの事件を切っ掛けに、変わった。

特にクーデリアは、性格が正反対といって良いほど違う。何があったのか。これは、ロロナにも関係していることだ。

リオネラの心の闇と触れてわかったが、人は例え自分に責任が無い場合でも、それを背負い込んでしまうことがある。

多分、それはロロナだって同じ筈だ。

クーデリアも。

一体あの時に、何があったのだろう。

しっかり検証しておかなければならないと、ロロナは思う。

これから、水晶の作成に関して、試すことがある。その前に、出来ればこの問題は、解決してしまいたい。

そして、出来れば。

三年間の課題が終わったときには。すっきりした気持ちで、全てを片付けておきたいのだ。

師匠が帰ってきた。

眠そうにしている。かなり疲れていると言うことだろう。

甘いパイをだすと、退屈そうに頬張る。

「あれ、美味しくないですか?」

「美味いさ。 だからつまらん。 最近はお前、何でも腕が上がってきて、いじくりがいが無くて困る」

そんなことを言われても、苦笑いするしか無い。

ホムンクルスをまた作っているのかと聞くと、師匠は無言のまま、外を見た。

「今、この国の周囲が、どんどんきな臭くなっている」

「そう、なんですか」

「そうだ。 下手をすると十年以内に、辺境諸国と何処かしらの列強が、総力戦になるかも知れないな」

人間が少ないアーランドでは、その時ホムンクルスの戦力が重要になってくる。

アストリッドの言いたいことは分かる。

そして、師匠は、きっとそれよりずっと怖い事を考えているとも。

パイを食べ終えると、師匠は部屋に入る。

きっとあの中は。

ふと、嫌な想像が浮かんだ。そしてロロナは、それを妄想だとして、片付けられなかった。

ひょっとして、ロロナとクーデリアは。

検証する必要があるかも知れない。そして全てを知ったとき。ロロナは、あの時に何があったとしても。

真正面から、受け止めなければならなかった。

 

4、黒い糸の蜘蛛

 

クーデリアが王宮に出向くと、エスティが既に資料をまとめてくれていた。

頼んでいたのだ。今後の事を考えると、必要になるから。

リオネラの話を聞いて、幾つか腑に落ちない点があった。

クーデリアは以前、聞いたことがあったのだ。リオネラの悲惨な暗殺者家業の裏に、アーランドの関与があったと。

というよりも、そうでもなければ、リオネラはこの国に来なかっただろう。ずっと彼方此方をさまよいながら旅芸人の真似事を続け、暗殺家業からも足を洗えず。最後はきっと、道ばたでゴミのようにのたれ死にしていたに違いない。

「それにしても、どういうつもり?」

「ロロナの理解力と推理力が、どんどん鋭くなっているのよ。 このままだと、近いうちに、プロジェクトの事にも勘付くわ」

「ふうん、それでその時のために」

「ええ。 あたしにとっては、あの子は世界そのものよ。 あの子には嘘をつけないし、つきたくも無いの」

これは文字通りの意味だが。

エスティがそれを知っているかはわからない。肩をすくめたエスティの前から、資料を借りて、図書室へ移動。

そして、資料を見ていった。

リオネラについての情報が、まとめられている。まとめたのは、エスティの先代にあたる、諜報の元締めだ。

アーランドが、よその国で、使えそうな人材を拾ってきていることは、クーデリアも知っている。

純粋な労働力として奴隷を買い、アーランドに連れてきて労働者階級として地位と権利を保護している事は、クーデリアもよく知っているのだが。それだけではなく、この資料を見る限り、別の国で迫害されているような能力者にも、唾を付けているようだ。

リオネラもその一人だった、とある。

資料によると、リオネラは、アーランドとは大陸の反対側にあるほど遠い国の出身である。

彼女は今でもその国では、史上最悪の大量虐殺犯として、指名手配されているという。しかもデッドオアアライブで手配されていて、報酬額は小さな屋敷が建つほどだ。理由は、彼女自身が言っていたとおり。二百三十人に達する殺害に関与するという、レコードクラスの殺人犯だからだ。

ある村で生まれたリオネラは、その閉鎖的な風習から、能力の覚醒時期以降軟禁。殺される予定だったようなのだが、偶然発生した火事に乗じて脱出。

その際、火事の原因はリオネラだと勘違いした両親を含む村人全てに殺戮を目的とした攻撃を受け、返り討ちにした、という。

リオネラの能力は、魔力そのものを手足のように使う力で。古い言葉では、サイコキネシスとかいうそうである。魔術の極めて古い原型となった能力であり、単純であるが故に力も極めて強いという。単純なら制御も簡単そうなのだが、リオネラは精神が極めて不安定だから、難易度を自分で上げてしまっているのだろう。記憶の混乱も、おそらく其処から来ているに違いない。

それから、村を脱出したリオネラは、犯罪組織に目をつけられ。其処の暗殺者として、多くの人を殺した。

この辺りで、アーランドの諜報員が目をつけたのだという。

諜報員はリオネラと接触すると、少しずつ能力の使い方を教え、脱出を誘導。追ってきた犯罪組織の半分はリオネラが片付けたそうなのだが。

残りの半分は、諜報員が彼女が知らぬ間に、消していたのだそうだ。

それで、ここに追っ手が来ないわけだ。

勿論、その国としては、リオネラの事を掴んではいたのだろう。だが、何しろ大陸の反対側にあるほど遠いアーランド。しかも、最強の戦士を有することで有名な武闘派国家だ。敵に回す勇気も無く、今ではほぼ沈黙しているという。

諜報員は何年か掛けて、リオネラを育てながら、大陸南部へ誘導。

ただこの過程で、幾つもトラブルが生じた。別の組織内で動いていた「追い出し屋」トリスタンとの確執も、此処で生じたらしい。

組織内で、情報伝達が上手く行っていなかったため、危うくリオネラはトリスタンが扇動した民に、焼き殺される所だったそうだ。

なるほど、それでは仲が悪いわけだ。

そして今回、プロジェクトのメンバーとして相応しいと判断。この国に招き入れたのだとか。

嘆息する。

最悪の予想だけは免れた。

最初の火事にも、アーランドが関与していたのでは無いかと、クーデリアは疑ったのだ。

だが、どうやらそれだけは無いらしい。単純な失火に過ぎなかったという事だ。

ただし、もしもリオネラの事を、アーランドの諜報員が察知していたらどうなっていただろう。

その場合は、座敷牢だけを破壊して、リオネラを救い出していただろうか。

それとも。

咳払いの音。ステルクだった。

「リオネラ君のことを調べて、どうするのかな」

「あんたには関係無いでしょ。 ロロナのためよ。 何もかもね」

「……君に、つらい仕事を王が申しつけるそうだ」

ぞくりと、何か嫌な予感がした。この不快なくらい善良で真面目なステルクがこう言うのである。碌な事でないのは確実だ。

言われるまま資料をしまい、王の元へ出向く。

ジオ王は、王座で退屈そうに肘を突いていた。側では、無表情のまま、パラケルススが控えている。

パラケルススが指揮するホムンクルスの数は、増える一方だ。

巡回などで経験を積んでから、順次前線に向かっているホムンクルス達は、既に相当数に達している。前線の拠点によっては、既に百を超える数が配属されている場所もあるそうだ。

おそらく近いうちに、パラケルススは歴戦の武人達や、将軍と肩を並べる発言権を手にするはず。

その時、此奴が豹変したら、誰が止められるのだろう。

王には勿論止められる。

だが、人間を殺す以外のことは大概出来るとも聞いている。本当に、大丈夫なのだろうか。

跪くと、王は言う。

「ロロナは順調に育っているようで、何よりだ」

それを確認するために、この間わざわざ様子を見に来た、と言うわけだ。

戦闘面での力量も確認したかったのだろう。だからわざわざ、その気になれば単独で瞬殺出来るラプターステイン程度との戦いに誘ったという訳か。

「此処で、強くたくましく育てるための、最後の試練を課したい。 クーデリア、君が思いつく限り最悪の理由で、ロロナと喧嘩するように。 それも、絶交するレベルでだ」

「えっ……」

「いやかね? フォイエルバッハ家で不要なお家騒動を君が起こしたことは、とうの昔に掴んでいる。 返答次第では、国が介入せざるを得ないのだが」

それは、困る。

まだ父と戦うには早いし、国に介入されると面倒な事も多いのだ。

しかし、ロロナと喧嘩するなんて。

頭の中が、真っ白になった。

「これは命令だ。 すぐに実行に移すのだ」

「わ、わかりました……」

「陛下!」

ステルクが、声を強ばらせる。

だが、ジオ王は、一瞥だけで黙らせる。

ステルクでは、王には勝てない。エスティと一緒に戦っても、勝ち目は無いだろう。そのくらい、この男は桁外れに強いのだ。

この大陸における戦士としては、間違いなく最強。

悪魔やドラゴンを勘定に入れても、その地位が揺らぐかどうか。

「何、私としても無茶を言っているわけでは無い」

玉座から立ち上がった王が、歩み寄ってくる。

震えているクーデリアの顎を掴むと、視線を無理矢理合わせた。

「見たところ、君達は一度離れて、互いを見直した方が良いだろう。 今の関係は、多少いびつに思える。 勿論プロジェクトとして、ロロナを鍛えるのが最優先なのは事実だが、な。 これは私からのアドバイスだ。 関係を一度見直しなさい」

冷や汗が、全身を伝う。

あまりにも力が違いすぎる相手に、視線を合わされるのは、これほどまでに怖いのか。

気がつくと、王はまた座に戻っていた。

うなだれると、クーデリアは謁見の間を出る。

ロロナは、ひょっとすると。気づきはじめているかも知れない。あの時、何が起きたのかを。

気付いているのなら。

頭を横に振る。

ロロナに嫌われるのは、死ぬよりつらいことだ。だが、今王に逆らうわけにはいかない。ふと気付くと、タントリスが青ざめた顔で、メリオダスの執務室から出てきたところだった。苦笑いするきざ男。

「どうしたんだい、小さなレディ。 相談だったら僕が乗るが」

「あんたこそ、相談が必要なんじゃ無いかしら。 エスティさんにでも相談したら」

「これは手厳しい」

肩をすくめると、タントリスはその場を離れる。

大股で歩きながら、クーデリアは悟る。自分がかってない窮地に立ったことに。

ロロナを守るためなら、クーデリアは死んでも良い。

だが、ロロナがそれを拒否したら。

心は強くなったと思ったのに。

絶望の黒い染みが、広がっていくのを、クーデリアは感じていた。

 

(続)