黒き影の日

 

序、闇を舞う影二つ

 

周囲には、死体が七つ。その全てが、上下二つに分かたれていた。

エスティは剣を振るって、血をおとす。

暗殺を終えて、王宮を脱出した直後のことだ。この国の諜報部隊は事前に潰しておいたから、襲撃されるタイミングがおかしい。しかも、街を離れて、荒野に出た途端の出来事であった。

殺した連中を確認する。

どうやら、いずれもがこの国の民では無い。それどころか、様子からして、人間でさえない。

拍手の音。

少し前から、高みの見物を決め込んでいる奴がいることは知っていた。殺してやろうと思ってはいたが、敢えて出を待っていたのだ。

「どうやら、我が国の精鋭ホムンクルス暗殺部隊でも、国家軍事力級と噂される使い手にはかないませんか」

「スピア連邦の主席諜報官が、何用かしら?」

闇の中から姿を見せるのは、慇懃な紳士のスタイルをした、長身の男性。

スピア連邦の諜報を束ねる男。直に見るのは初めてだ。だが、闇の世界では有名人だし、エスティも知っている。

レオンハルトという勇ましい名前の持ち主である。

見かけ、燕尾服を着た初老の男性だが。闇の世界では、此奴を見て生きて帰った者はいないと言われたほどの使い手だ。エスティが影働きをするようになった頃には、アーランド以外の大陸全土で怖れられるほどの存在となっていた人物である。

だが、気配がおかしい。

アーランド人の上級魔術師並みの魔力を、全身から感じる。これは或いは、此奴もホムンクルスか。ひょっとすると、本人では無いのかも知れない。

そして、ぬっと姿を見せるのは。

背丈が人間の七倍はある、異形の影。

上級悪魔だ。

ロード級かは分からないが、エスティを倒すために連れてきたのだとすれば、そこそこに強い相手とみて良いだろう。

「この間の事件で、あなた方が我らにとって障害になることがはっきりしました。 特に貴方をはじめとする国家軍事力級の使い手は、どれだけの犠牲を払っても倒しておきたいのでね」

「それでわざわざ、衛星国の一つにまで出向いてきたと」

「その通り。 そもそも、我らにも、悪魔達の長との関係は重要だ。 最近は、あまり本国には戻っていないのですよ」

レオンハルトが、杖を一振りすると。

悪魔が、一歩前に出た。

見かけは人間に似ているが、背中に翼があり、額には何本も角を有している。全身に纏っている魔力も、著しく強い。

久しぶりに、本気を出すか。

エスティはほくそ笑むと、全身に掛けていたリミッターを解除。普段はあまり本気を出さない。

というのも、疲れる以上に、体が壊れてしまうからだ。

全力で働かせると、流石に鍛えすぎた今の体は、内側からのパワーに耐えきれないのである。

残像を残しながら、一気に敵への間合いを詰めた。

悪魔も即座に反応する。

降り下ろされた爪が、地面を爆砕する。エスティの影を、地面に叩き潰す。だが、エスティ自身は、既に悪魔の後ろに回り込んでいた。足のすねを、抉るようにして切り裂く。そしてそのまま、走り抜けた。

足から盛大に血を噴き出し、悪魔が後ろ向きに倒れる。

だが。悪魔が地響き立てて、土と接吻することは無かった。

振り抜かれた尻尾が、エスティがいた場所を抉る。

跳躍し、着地。

相手の足が、完璧に復元している。

どうやら、高い再生力を持つか、或いは。何かしらの魔術によるものだろう。

再び、敵に向けて、踏み込む。

だが、その突進は、押し返された。

真正面から吹き付けてきたのは、途方も無い圧力。ただ体から魔力を放っただけで、エスティを押し返すほどの圧力を生じさせる。なるほど、レオンハルトほどの有名人が、確実な仕事のためとやらに、準備してきただけのことはある。

空に、無数の火球が浮かび上がる。詠唱もせずに、悪魔が出現させたのだ。

それらが、一斉に襲いかかってきた。

一つ一つが、人間よりも大きな火球である。しかも、着弾すると同時に、辺りを劫火で吹き飛ばす。

連鎖する爆発の中、エスティは走る。

相変わらず強烈な圧力だが。

今度は、さっきのようにはいかない。身を沈めると、一気に加速して、相手との距離をゼロにした。

足を走り上がりながら、切り裂く。

腹を駆け上がるとき、十四回、斬った。

更に喉を駆け抜けながら、六回。延髄を斬って、跳躍。着地。

着地までに、合計七十三回斬った。

だが、エスティは振り返る。

全身から鮮血を噴き出しながらも、悪魔はまだ屈していない。それどころか、傷が見る間に回復して行くでは無いか。

これは、再生能力と言うには、少しばかり異常だ。

「こんな強力な悪魔、良くも従えられたものね」

「利害が一致しているのですよ」

既にレオンハルトは、姿を消している。かなりの遠くから、魔術を使って此方に声を届けているようだ。

踏みとどまった悪魔が、雄叫びを上げる。

空が真っ白になるほどの火球が出現。辺りを手当たり次第に爆破しはじめた。面倒だ。

エスティも、こんな火球を受けてやられるほど柔では無いが。自慢の速度を、怪我でもしたら殺される。

そうなると、此奴に勝てない、とまではいかないにしても。戦況は、有利になるとは言いがたい。

残像を残して、悪魔が飛ぶ。

上空で、大きく口を開けた。大威力の術式を使うつもりか。

悪魔の口に、巨大な火球が出現。更にふくれあがっていく。エスティは無造作に、小石を投げつける。

がつんと、大きな音がした。

火球を貫通した小石が、悪魔の喉の奥に突き刺さったのだ。

魔力のバランスが崩れた火球が、その場で爆発する。

悲鳴を上げながら、悪魔が落ちてくる所へ、エスティは駆ける。そして、走り抜けぎわに、悪魔の首を切りおとした。

今度こそ、地面に激突する悪魔。

しかし、その力に衰えはまるで感じられない。舌打ちしたエスティが見ている前で、悪魔の首が盛り上がり、次の頭が生えてくる。それに、あれだけ魔術を使っておいて、まったく衰える気配が無い。

「どうです、なかなかのものでしょう」

「ふうん、種はだいたい分かったわ」

「ほう?」

レオンハルトの声は余裕綽々。

それでだいたい、奴が出てきた本当の理由も分かった。これはおそらく、性能実験だ。

今度は無数の火球を低く出現させ、水平射撃に掛かってくる悪魔。右へ左へ避けながら、やはり敵の魔力が減る気配も無い事で、疑惑は確信に変わる。

不意に、悪魔が至近に。

魔術を使っての空間転移か。上位の悪魔には、やるやつもいると聞いているから、別に驚かない。

至近の地面に、思い切り火球を叩き込む悪魔。

自分ごと、エスティを爆破する戦術か。勿論、悪魔はあの再生能力があるから、耐えきれるというわけだ。

流石にこれは、避けきれない。

劫火に包まれながらも、エスティは全力で下がる。

「ははは、国家軍事力級の使い手も、守勢に回ると脆いですなあ」

煙の中から、悪魔が現れる。

エスティは剣を構え直すと、無造作に悪魔に近づき、その膝を蹴って飛ぶ。

悪魔の首が、落ちた。

更に背中を蹴って跳躍したエスティが、首から尻まで、悪魔を一気に斬り下げる。着地。同時にまた跳び、背中を今度は横に斬った。

縦、横、縦、横。連続して、斬撃を浴びせる。

悪魔の傷は見る間に回復していくが、それは別にどうでも良い。狙いは。

七十六回目の斬撃で、ついに露出したのは、悪魔の中に埋め込まれていた、膨大な魔力を蓄えた珠。

それを斬ると同時に、今度こそ全力で跳び離れる。

悪魔が、爆発したのは。

エスティが近くの丘まで全力で走り、飛び込みながら伏せた瞬間だった。

戦っていた平野が、消し飛んでいる。巨大な円形に、地面がえぐれていた。

立ち上がり、額の汗を拭う。

途中一回もらった爆発に加えて、戦闘でのリミッター解除が、体に大きな負担を掛けていた。出来れば早く戻って風呂にでも入りたい。

既にレオンハルトの気配は無い。

今の戦いを見て、充分だと判断したのだろう。食えない輩だ。エスティも、切り札は見せていなかったから、おあいこだが。

爆発が収まってきたので、一度平野に戻る。

あの悪魔が、恐らくは外付けの魔力補強装置を使っていることは、戦っていて分かった。あの異常な再生力に加えて、使っても減る気配が無い魔力。何より、人間如きに顎で使われて黙っている様子からも、そもそもおかしいとは感じていたのだ。

つまり、スピア連邦は。

悪魔を制御する方法を手に入れている。

それも、錬金術の成果だろう。

ただ、悪魔が黙っているとは思えない。特にロード級と呼ばれるような連中が、どうしてそんな非道を許しているのかは、理解できなかった。何体かロード級の悪魔とはやりあった事があるし、彼らが誇り高い戦士であることは、エスティも知っているのだ。

爆心地は一部が溶岩化していた。

これでは、近くの街にまで被害が出ているかも知れない。丘の向こう側に隠れなければ、エスティも危なかった。

調べて廻る。

悪魔は、肉片も残さず消し飛んでいたが。一つだけ、見つけたものがある。

溶けかけた宝石の欠片だ。

アクアマリンだろうか。美しい青色の宝石である。触ってみると、熱い。相当に強い魔力が、込められていたようだ。

この魔力、或いは。

いずれにしても、解析は専門家にやらせることだ。他にも何か無いか、調べていると、ようやく部下達が駆けつけてきた。

「リーダー、無事ですか」

「遅いわよ、貴方たち」

もっとも、此奴らがいても、死なせるだけだったかも知れない。

もしもスピアが、ロード級の悪魔の捕獲に成功して、この装置を埋め込んだら。

いや、それは考えたくない。

実施されたら、スピアはこの大陸を支配するどころか。人間の最盛期と同じ力を手に入れかねない。

しかも、スピアのやり方で、大陸を制圧させたら。

待っているのは、同じ形での破滅だけだ。勿論、アーランドの総力を結集しても、スピアを止める事は出来ないだろう。

予想以上に、事態はまずい方向へ動いているのかも知れない。

一度戻る必要がある。

「例のものは、既に送り届けたわね?」

「は。 既に国境の手練れ達が、王宮へと送り届けました」

「ならばもう此処に用は無いわ。 引き上げるとしましょう」

何事も、常に最悪の事態を想定しなければならない。それが戦場で生きてきたエスティの、基礎的な考え方の一つだ。

スピアがもし、何体かしか存在しないロード級悪魔を捕らえて、あの装置を埋め込んで、意のままに動かしたとしたら。

その時は。

この世が二度目の破滅を迎えることになる。

そしてその先、流石にもはや、人間は生き残ることなど、出来ないだろう。

 

1、暗き闇の主

 

それは、ロード級と呼ばれる悪魔の中でも、最上位の存在だ。

アーランドの人間達が、夜の領域と呼ぶその最深部に。見えない玉座を造り、腰掛けている巨大な人型。

ただしその人型は骨をかたどったマスクを身につけ、腕は4本。纏っているタキシードには、汚れの一つも無い。

人型の名前は、ロードオブロード。

悪魔の王の中の王。

その存在そのものが、名前となっているのだ。

「ふむ、ではスピアは、もはや自分を制御するつもりもないとみて良いようだな」

「仰せの通りでございます」

ロードの前にひれ伏しているのは。スピアに派遣していた、軍事顧問の一人。

そして、彼らの錬金術によって、一族を失ったロード級の悪魔でもある。アルモンという名前を持つが。それは、今は意味が無い。

悪魔の長は、一族そのものを意味する名を持つ。

だから、一族が滅びた今。名前は、もはや何の意味をも持たぬ、無用の長物に過ぎないのだ。

スピアが裏切ったというわけでは無い。

抱えている錬金術師集団の暴走が原因だろう。

かって、旅の人と呼ばれる存在が、この世界を復旧させるために尽力した。その存在は、悪魔達も認めていた。

どんな凶暴な一族の長でさえ、旅の人は客として遇した。そして敬意を払って、その偉大な業績を称えた。

いや、ロード達悪魔の存在が故に。

旅の人は、偉大な者として。いや、ある意味神に等しい存在として、崇拝の対象となったともいえる。

その知恵は、彼方此方で錬金術という形で芽吹いた。

アーランドもその一つ。

そして、スピアの母体となった国の一つ。スルファル王国も、である。

だが、アーランドとスルファルでは、錬金術の発展の歴史が、真逆と言って良いほどに違った。

スルファルは、かっての栄光を取り戻す。それを戦略として、掲げていた。

だからこそ、荒れ果てた大地をよみがえらせることよりも。人間をどう最盛期に戻すかばかり考えた。

人間世界の戦略としては、それで正しかったのかも知れない。

だがロードは知っている。

人間がどうして一度滅びたのか。その原因を知っている以上、スピアにはこれ以上肩入れすることが出来ない。

「アルモン。 どれだけの配下が、スピアの手に落ちた」

「三十名ほどです。 その内六名が、今ではロード級の実力を持つ存在に改造されてしまっています。 私も逃げ出すのが精一杯で、一族の老幼を救えず……。 死罪も、覚悟しております」

「もう良い。 我々も、このような存在に成り下がって、狡猾さを失っていたのかも知れぬ。 皆の責任だ。 そなたには追って沙汰をする。 くれぐれも、早まった真似はするでないぞ」

アルモンには、一定の謹慎をさせたあと、苦境にある悪魔の一族達を任せたい所だ。

ロード級と呼ばれるまでに力を増す悪魔は、殆ど存在しない。殆どが、途中で命をおとすからだ。確かにアルモンの失敗は致命的だったが、それでも彼はロード級まで成長した有用な仲間だ。安易に死なせるわけにはいかないのである。

ともかく、スピアで何が起きているのか、確かめる必要がある。

夜の領域には、現在三名のロード級がいるから、守りは問題が無い。いざというときには、海王を動かすことも出来る。

アーランドでも攻略が出来なかった、悪魔の牙城だ。

ましてや付け焼き刃のスピアに、落とす事など、絶対に不可能である。

「私がスピアに出向く」

「ご武運を」

「うむ……」

傅く悪魔達に返すと、ロードは己の領域を出る。

これなら、アーランドと手でも結んだ方が、まだマシだったかも知れない。

 

人間の姿を取ることは、実はさほど難しくない。とはいっても、ロード級の悪魔数名にだけ許される秘儀ではある。

ロードは、あらゆる姿を試してきたが。現在では、相手の警戒を買わないように、若々しい女性の姿を選ぶようにしている。元々、性別などあってないようなものだ。この生き方を選んだ者は、どうしても異形化と狂気からは逃れられない。だから発達させた技術を使って、子供を創造する。

生殖という手段には、もう随分前から頼っていない。

しばらくかけて、北上。

報告は受けていたが、スピアの領内では、富国強兵策が急ピッチに進んでいる。現在もっともこの大陸における上り調子の勢力。毎年のように小国をおとし、大国との戦も負け知らず。

おそらく、人口も、既に大陸一だろう。

そういえば。

かの偉大なる存在、旅の人も。妙齢の女性の姿で、この世界に希望となる錬金術の種をまいていった。

それも、警戒を買わないようにするためだったのかも知れない。

領内に入って、彼方此方を見て廻る。

流石に列強だけあって、相応に発展している。おそらく支配下に置いた国々から、古き時代の遺産とも言える技術をかき集めたのだろう。他の国と違うのは、城壁を取っ払っている事だ。

これは経済規模の発展を優先しているからだろう。

軍に自信があるから、街まで近寄らせないという前提で、城壁を取っ払い。発展を優先しているという見方もある。

街の中には、石炭で動く鉄道が走っている。

これはアーランドも同じだが、スピアの場合は別の街まで鉄道で行くことが可能だ。ただし、領内に森は殆ど見られない。

耕地はあるが、いずれも森では無い。

見ると、強力な肥料を使って、耕地を維持しているようだ。ただ、流石に山には緑を残している。

保水力を奪うことが、川にとって致命的だと、知っているのだろう。

だが、それにしても、だ。

荒野を放置して、せっかくよみがえった土から搾取するとは。怒りは沸いてこない。ただ、愚かさに呆れてしまう。しかもこのやり方では、いずれ栄養は枯渇する。無理に栄養を与えても、土は維持できないのだ。

ざっと畑を見て廻ったが、休作をしている場所も無い。というか、知識そのものが無いのだろう。

恐らくは、スピアは大陸を食い尽くす前に、制圧する戦略を採っている。

これでは、確かにアーランドの方が、まだマシだったかも知れない。アーランドに伸張されると厄介だと感じていたのだが。これでは、スピアの方が、危険度が高い。読み間違えていた事は、認めなければならないだろう。

軍の様子も見る。

街とは離れた場所に、幾つかの軍基地がある。大陸随一の規模を誇る常備兵を支えるために、一種の街と言っても良い規模だ。

統率は採れているし、装備も優れている。銃火器の中には、滅亡前のものを再現した、強力なものもあるようだ。

ただし、それでも現在は、人間の方が強い。

人間の兵士達は流石に戦い慣れしているが、アーランド人とは比べものにならない。強化人間とも言えるホムンクルスもいるが、士官などに一部が配備されているだけだ。単純な軍事力は大きいが、兵士の質はアーランドとは比較にならない。

この国の中枢も見ていこう。

数日掛けて、スピア連邦中心都市に到着。

この国では、首都という呼び名は使わない。中心都市と呼ぶ。

中心都市の周囲には、流石に緑があるが。これは美観を優先しているものであって、決して自然の重要性を理解しているものではない。実際、緑の土地を増やそうという様子はないようだ。低木の森にでもすれば、ある程度の自然の恵みは手に入るものを。そういった行為さえ、していない。

中心都市の人口は、十万と、この時代この世界としては、最大規模。ただし、市民と呼ばれている人間は五千ほど。

残りは、全てスピアが制圧した国から連れてきた戦利品だ。

つまり奴隷同然の扱いを受けている民である。

ただ、他の国々も、これは同様。

列強と呼ばれる国は、だいたい何処も奴隷を活用している。

結局の所、人間は増えすぎる存在らしい。

滅亡前も、資源に対して多すぎる人間の数が、大きな問題となっていた。ただ、奴隷化された人間は、基本的に増えない。スピアは今後も、社会を維持するために、周辺を侵略していく事になるだろう。

街を歩きながら、ロードは金貨を出して、市場で食物を買う。

手にとって分かったが、これは旧時代の工場で生産したものだ。旧時代に存在したプラントの幾つかは、この時代にも生きている。アーランドにある奴よりも、ずっと大きくて、多様性に富むものだ。

ただし、プラントは、動かすのにエネルギーがいる。

アーランドは確か地熱を動力に用いているはず。報告だと、此方は燃料が必要の筈なのだが。

石炭では、足りないだろう。

何を使っているのか。

いずれにしても、協力者として派遣していたアルモンの一族が全滅させられたのは痛い。ある程度の情報はあるが、それでも足で稼いでいかないとならないだろう。

それに最大の懸念は、スピアが抱える錬金術師達の集団と、それに議会だ。

食べ物を口に入れてみる。

流石に滅亡前の工場で作っただけの事はあって、うまい。恐らくは人工の肉と野菜なのだろうが、全くそれを感じさせない。

この工場で、満足しておけばいいものを。

ロードは忌々しさを、思わず吐き捨てていた。

 

数日間、街をさまよう。

気配を消して探っていくと、厳重な警備をしている議会にも、隙があることが分かってきた。

忍び込むことは難しくない。

ただ、問題は、錬金術師だ。

アルモンの話によると、現在スピアには、優秀な錬金術師が最低でも五人。彼らがアトリエを作っており、その発言力は国家規模だという話もある。

いちいち別の街にアトリエを作っているというのも考えにくいし、この中心都市にいるとみて良いだろう。

ただし、使い魔も放って情報を収集していたのに。

どうしても、錬金術師達の居場所は掴めない。

まずは議会から探るか。ロードは舌打ちすると、一旦錬金術師達の捜索を切り上げて、議会に直接乗り込んだ。勿論正面から殴り込んだのでは無い。気配を消して、魔術による警戒網の間を縫って、内部へ潜り込んだのだ。

議会は、意外に粗末な建物だった。

巨大さという点でも、旧時代の建物に及ばない。石造りの三階建てで、議会は一階で行われるようだ。

二階三階はいずれもが政務を処理する部屋になっていて、議員の宿舎も外にある。

他の列強は、支配者の権威を示すために、大きな建物を作ることが多いのに。これは、とても不思議な構造だ。

丁度、議会が行われている所に潜入。

議長が、なにやら熱っぽく訴えているところだった。

「我が国は、充分に力を蓄えた! そろそろ、他の列強との対決姿勢を見せていくべきであろう」

「なるほど、対抗できる国を潰すと言う事であるか」

「その通りだ。 列強同士で手を組まれると厄介だ。 かといって、連邦にこれ以上国を加えるのも、皆様方には気分がよくあるまい」

笑い声が漏れる。

なるほど、利権の分配をする人数をこれ以上増やしたくは無い、という事か。

下劣なように思えるが、利権は人間社会を動かしてきた理屈だ。彼らは別に、特別汚い存在では無い。

見ていると、幾つか面白い事が分かってきた。

議員達はいずれもが、スーツを着込んでいる。そしてずきんで頭を隠している。

声は、相応に年老いて見えるのだが。

体が反面、異様に若々しいのだ。

これは、ひょっとすると。

議員が一人、咳き込んだ。

「失礼。 調整の時間のようです」

「気をつけられよ。 特に意見が無いのなら、議会は進めておく」

「うむ……」

咳き込んだ議員が、警備員達に連れられて、外に。

見ていて何となく、からくりが分かってきた。此奴らは、体をホムンクルスに置き換えている。

そのため、体の調整が必要なのだ。

天才の手で、大規模なホムンクルスの生産を実現したアーランドと違って、この国ではまだ技術が確立しきっていない。

ホムンクルスは高級品で、未熟な部分もある。

だから、一部の人間だけが。

その技術の恩恵を受けている、と言うわけだ。

議員が、議会を出て、街の外れに行く。

丸っこい建物で、周囲は非常に厳重な防備で守られていた。ロードでさえ、これは近づけない。

悔しいが、中に入るのは不可能だ。

議会に戻ると、幾つかの議論がまとまるところだった。これから来年に掛けて、スピアは緊張状態が続いていた列強の隣国、ホランド帝国に攻めこむ。兵力差は一対二でスピアが勝っているが、問題はそこでは無い。

スピアには、ロード級の悪魔と対抗できる実力を持つ、アルモンの配下達の成れの果てがいる。

戦闘用のホムンクルスも、量産はされていないが、既に実戦投入されているのを確認済みだ。

ホランドが破れると、スピアは海に面した領土を得ることになる。ホランドの海軍も接収すると、かなり面倒な事になるとみて良い。

戦いが早期に終われば、軍事力も飛躍的に増すことになるだろう。そして、これ以上スピアが強大化すると、もはや大陸に、対抗できる国は無くなる。

勿論、ホランドも他国に援軍を頼み、対抗しようとするだろう。一年や二年でホランドが陥落するとは思えないが、事態は決して面白い方向へ動いてはいなかった。

ともあれ、此処まで情報を探ることが出来れば、充分だ。

ロードはスピアを離れると、一度夜の領域に戻る。

ロード級の悪魔達を集めて、今後の対策を協議する必要があるだろう。海王を動かす必要も、生じるかも知れない。

最悪の場合は、アーランドと手を組む必要さえあるか。

忌々しい話だが、もはや手段は選んでいられない。

夜の領域に到着して、元の姿に戻ると。ようやく、ロードは一息つくことが出来た。部下達の情報を吟味して、自分が得たものとあわせ、これからの対応を決めていかなければならない。

いずれにしても。

今後は、一つの戦略でも誤れば。世界はもう一度の滅亡に向けて、一気に傾きかねなかった。

 

2、大砲という兵器

 

苦労しながら、ロロナは大砲について、調べ上げてきたことをまとめる。

飛距離を伸ばす方法。

破壊力を上げる方法。

この二つについては、歴代錬金術師の研究から、どうにか目星がつきそうだ。最初はかなり高級な品になりそうだけれど。量産の体制が整えば、ある程度の改善を見込むことが出来る。

更にエンチャント。正確には、生命付与の魔術を駆使すれば、大砲に関するメンテナンスの手間を、一気に減らすことも可能だ。

大砲の耐久力についても、上げる方法はどうにかなりそうである。

歴代錬金術師の研究を調べていって、粘り腰がある金属の作り方について、見つけたのだ。

ただ、その錬金術師は、大砲の研究をしていたのではない。

アーランドでは軽視されがちな、防具。特に鎧を改善出来ないかと、調べていたのである。

人間の力が著しく強いアーランドでは、防具はあまり役に立たない。武器については相応に使えるものとして認識されているが、防具は不遇である。

この錬金術師は、武器を研究する一方で、防具についても調べていた。恐らくは、鍛冶士に頼まれていたか、或いは一族にいたのだろう。だから武器だけでは無く、防具も売り物にならないかと、模索していたのだ。

彼女は三十年ほどの研究で、どうにか使えるレベルの、粘り腰のある金属を開発。

しかし、コストの問題で、普及することは無かった。

調べて見ると、確かに相応に手間暇が掛かる。だが、実験的に作り上げてみた感触では、かなり強い。

炉から、赤熱したインゴットを引っ張り出す。

これが、その改良型鉄版だ。

アトリエにあるような炉で鉄を加工するのは、勿論錬金術を用いる。

まず炉に魔法陣を書き加えて熱量を増す。その後、中和剤を炉に入れる。この中和剤は、熱量を金属に加える役割を果たす。

砕いた鉱石を中和剤と混ぜ合わせる。

こうすることで、鉱石にまんべんなく、熱が行くようにする。

次に、熱を遮断するか、もしくは耐えられるボウルを作る。ボウルの作成には、魔術を用いても良いし、より強力な金属を使っても良い。ロロナの場合は魔術が得意なので、此方を採用した。

さっそく覚えた耐熱のエンチャントを駆使して、ガチガチに熱に強い鉄のボウルを作成。そして炉で鉱石を溶かして、インゴットにしたのだ。

ここからが、重要である。

かっての錬金術師は、粘り腰のある金属の作り方を、細かくレシピに残していた。

まず重要なのは、炭である。

単に炭が入れば良い、というものではない。

中和剤に、炭を入れ、混ぜ合わせる。この炭は、体積より重さに注意を払い、量った。此処に、何種類かの鉱石を投入。

炭の作り方にしても、細かい指定がある。

幾つかの過程を経て、作り上げた特性の炭を。粉々に砕いて、赤熱している鉄に混ぜるのだ。

その後耐熱性能の高い棒で、赤熱しているインゴットを混ぜ合わせる。

此処に、更に何種類かの鉱石を投入。

そして炉に入れて、熱を加える。

数刻熱した後、赤熱したインゴットを、今度は耐熱性能の高いはさみで、蜜を加えた水に投入。

この時、凄まじい水蒸気が出る。この水蒸気は大変な高温で、触ると火傷程度ではすまない。

非常に危険な作業だけれど。ロロナは入念な準備をして、どうにか乗り切った。

失敗するかと思ったのだけれど。

二年近く、ぎりぎりの危険な調合を繰り返してきたのだ。何とか、一発で成功させることが出来た。

これを、隣の親父さんの所に持ち込む。

親父さんはインゴットの様子を確認していたが、満足げに頷いた。

「少しばかり重いが、非常に良いインゴットだ。 これを大砲の素体にするんだな」

「はい、お願いします!」

「後は設計図だな」

頷くと、ロロナは設計図も見せる。

歴代の錬金術師達が研究してきた設計図の、良いとこ取りだ。

まず、大砲自体が複層構造になっている。これはエンチャントを行うために、どうしても必要だと言う事が一つ。

もう一つの理由は、大砲に掛かる負担を、小さくするためだ。

弾は他の大砲でも、上から入れる仕組みになっているが、これは新型でも採用する。更に、内側の大砲は、敢えてダメージが入りやすく作ってある。

これは壊れるとき、危険を減らすためだ。

「なるほど、自壊することで、外側へのダメージを減らすんだな」

「えへへー。 そうなんです」

硬いだけでは、駄目だ。

それは分かっていた。

研究していくと、衝撃を殺すには、敢えて壊れることだという事が分かってきた。むしろ柔らかい方が、強くなることが多いのだ。

この大砲にも、それを流用している。

他にも、だ。

弾を直接収める部分には、ライフリングが施されている。これは、大砲の弾を、より遠くに、なおかつ正確に飛ばすための工夫だ。

「大砲の弾そのものも、二回りくらい大型になります」

「複雑な機構だが、エンチャントで命を与え、大砲そのものにメンテナンスさせると」

「はい。 発射も、六回から七回までは、連続で耐えられます」

しかも、内側の機構を取り替えることが、容易になっている。

エンチャントは外側の機構に行うため、大砲そのものは、全てを取り替える必要もない。更に言うと、一番内側の機構は、大砲を発射することだけに特化している。今までの一層式の大砲と違い、車輪を付けたり、持ち運びの仕組みを工夫する必要が無い。つまり、それだけ加工の手間が減る。

ライフリングについては技術が必要だが。

それも、親父さんのような熟練の職人の手に掛かれば、どうにかなるはず。その気になれば、工場でだって出来る筈だ。

ただ、これは別に、ロロナが革新的なことをしているわけではない。

大砲は、アーランドでは軽視されてきた。だから、研究をまとめる者もいなかった。それだけのことだ。

実際、これらは既存技術をまとめただけのこと。

幾つか統合する際に設計図を弄ったけれど、それだけだ。問題は、実際に稼働させてみて、動くかどうか。

そして、実戦に耐えるかどうか、だ。

今回は課題として、一機を完成型として納入しなければならないけれど。出来れば、数機は作りたい。

一機作る事が出来れば、設計図から量産が出来る。

前線に新型を配備するのに、一年はかかるだろうから、可能な限り完成型は作っておきたい。

そしてこれも重要なのだけれど。

今までの旧型も、エンチャント措置を施せば、メンテナンスという面で一気に更改する事も可能だ。

「面白い造りだ。 列強が使っている大砲も俺は見た事があるが、此奴は明らかにそれ以上の性能を発揮するだろうな」

「えへへー、有り難うございます」

「ただ、コストがかなり掛かる」

ばっさりと、親父さんに言われる。

それは分かっている。恐らくは、今後はローコスト版をどうすれば良いか、聞かれるはずだ。

対応策は、実のところ考えてきてある。

「材料があるので、多少はコストを軽減できます」

「稀少鉱石はどうしようもないとして。 まさか、既存の大砲を鋳つぶすつもりか」

「そうです」

それが、元の大砲達にも、良いと思う。

というのも、元の大砲達は、あまりにも不遇な扱いを受け続けている兵器だ。兵士達には使えないメンテナンスが大変と言われて、ただ並べられて、時々祝砲として使われるだけ。

大砲という兵器が、お祭り以外には殺戮にしか用途が無いことくらいは、ロロナにも分かっているけれど。

しかし、それはアーランド戦士達だって、根本的には同じではないのか。

可哀想だと思うのは、おかしな事では無い。そう、ロロナは思いたい。

「確かに、埃を被らせたり、錆びさせたり、戦士達に使えないって言われ続けるよりは、鋳つぶして新型の材料にしてやった方が、大砲にとっても幸せだよなあ」

「後は稀少鉱石ですけれど、だいたいはアーランド国有鉱山と、シュテル高地で入手できます」

「……分かった。 とりあえず、作成に取りかかる。 十日はかかるが、残り日数は大丈夫だろうな」

親父さんに頷く。

これが上手く行かないと、恐らくは後が無い。

図面には拡張性が幾つか施してある。だから作り上げた大砲を、ある程度カスタマイズする事が出来るけれど。失敗したら、今回の課題は、無理でしたと素直に諦めなければならない可能性が高かった。

親父さんに後を任せると、アトリエに戻る。

自分の肩を揉みながら、ロロナは上手く行きますようにと願った。今は、もはやそれしか、する事が出来なかった。

辺りには試作品が散乱している。

自動で動くようにした荷車。

ホムが買い物をするときに、使うようにしたものだ。小さな手押し車に、エンチャントで命を与えた。

二重構造にしてあり、荷台の板の間に魔法陣を書き込んだ、強い魔力を込めたゼッテルを入れることで、悪霊を封印してある。

その結果、ホムが買い物に行くときに、人なつっこい子犬みたいに大喜びしてついていき、荷物を自動で搬送してくれるのだ。ホムは役に立つと、それだけ言っていた。

走り回っているのは、命を与えたほうき。

節足を生やしたほうきは、壁や天井さえ這い回って、埃を自動で落としてくれている。

下にいる、同じく節足を生やしたゴミ箱は、ノズルと箱を組み合わせてある。ノズル部分からゴミを吸い込んでは、家から埃を排除してくれる仕組みだ。

見かけが気持ち悪いとリオネラに酷評されたコンビだけれど。

この二つが導入されてから、アトリエの埃はほぼ無くなった。実際、調合の作業精度が、目に見えて上がったほどである。

ただし、調合機具がある机上は掃除しないようにと、徹底して指定したから。そこだけは、自分で掃除しなければならない。

他にも、命を与えた道具は幾つかある。

ころころ自動で転がっているのは、ただの球体。

フラムを自動化しようと思って、作った試作品だ。

敵に向けて自動で飛んでいくフラムがあれば便利だと思ったのだけれど。ただのボールに命を与えてみたら、思いの外愛らしくて、そんな事はさせられなくなってしまった。生きているボールには仕事は無いのだけれど、ホムと時々じゃれている。ホムは邪魔ですと面倒くさそうに言っているのだけれど。時々、まんざらでも無さそうな様子で戯れているので、ロロナにしてみればそのままにしておこうと思っていた。

釜を拭いているのは、命を与えたぞうきん。ではなくて、命を与えたぞうきん拭き。

ぞうきんを与えておくと、自動で絞って、錬金釜を綺麗にしてくれる。それ以外は、壁に立てかかっている、不格好な木片の組み合わせだ。

錬金釜の掃除は、思っての他手間が掛かる。

作って見たのだけれど、丁寧に仕事をしてくれて、ロロナとしては大変助かっている。

その内来客用に、お茶を淹れてくれる生きているティーセットや。パイを作ってくれる、生きているパイセットなども作りたい。

エンチャントの技術は、応用範囲が広い。

大砲に付けるという形で使用するだけでは無くて、こういう愛らしい形で、もっと活用していきたい。

それが、ロロナの本音だった。

生きている布団叩きから、布団を回収すると、少しお昼寝をすることにする。

少し疲れた。

一段落したのだし、後は少し休んでおきたい。どうせ、この後は。色々と立て込むのが、目に見えていたのだから。

 

昼寝から起きたロロナは、耳を澄ます。

騒ぎが聞こえてきたので、ティファナのお店に足を運んだ。

疲れているロロナだけれど。ティファナの所では、魔術が籠もった道具などをいつも購入させてもらっているので、見過ごすことは出来ない。何か役に立てることがあるのなら、手伝いたい。

中に入ると、ティファナと老紳士が、押し問答をしていた。

老紳士といっても、背筋はしっかり伸びているし、眼光も鋭い。体に衰えは全く感じ取れない。

正直な話、髪に少し白いものが混じりはじめている事を除けば、男盛りと言って良いほどだ。

背も高く、それに足運びを見るだけでも分かる。

とんでも無く強い。

ロロナが見た中で、トップクラス。ステルクやエスティを凌いでいるかも知れないほどだ。

「困ります、受け取れません」

「そう言われても、既に食べてしまった後だ」

老紳士が差し出しているのは、なんと高価な指輪だ。

ロロナは見る間に真っ赤になって、老紳士が言っていることなど、聞こえなくなってしまった。

ティファナはとても綺麗な人で、特に未亡人になってから、おじさま達のアイドル扱いである事は、ロロナも知っている。

呆れたことに、ロロナの父も、ファンの一人だ。

以前それで、母が烈火のごとく怒って、考えるのも恐ろしいような夫婦げんかに巻き込まれ掛けた。

ロロナの父母はどちらも一流の使い手なので、本気で喧嘩になると、一区画くらいは簡単に消し飛ぶ。

無論、そんなものに巻き込まれたら、怪我だとか、痛いだとかで、すむはずも無い。

あわあわしているロロナの前で、老紳士がティファナに迫っている。とっさにロロナが出来たのは、割って入ることだけだった。

「あ、あのっ!」

「ふむ?」

「ロロナちゃん、助かるわ。 困っていたの」

ティファナの困惑した声が、ロロナに勇気をくれる。

目の前の老紳士は、現役の騎士か或いは魔術師か。どちらにしても、トップクラスの実力者。

怒らせれば、ロロナなんて、それこそ蠅でも潰すように、ぷちっとされてしまうことだろう。

「そ、その、無理矢理はいけないと思います! すごく偉い人みたいですけれど!」

「ふむ、君は確か、噂の錬金術師だな。 君が作ったという耐久糧食には、いつも世話になっているよ。 あれが工場で量産されてから、外に出るのが楽しみになったくらいだ」

「へ……? あ、ありがとうございます」

「勘違いしているようだが、別に私は求婚などしていない。 先ほど此処で食事をさせていただいたのだが、財布を忘れてしまっている事に気付いてな。 金の代わりとして、これをと思ったのだ」

そういって、指輪を見せてくれるが。

ぞっとした。

この指輪、金剛石をあしらったもので、しかもリングの部分はおそらく白金だ。多分相当なお金持ちしか、持てないような代物。

特に金剛石は現在貴重で、小さなカットでも、目玉が飛び出るような価値があると、ロロナも聞いている。

この人は、或いは。

超お金持ちか、その息子さんか。金銭感覚というものが、多分ないのだろう。ティファナが困るのも、無理も無い話だ。

「そ、それなら私が立て替えておきますから」

「そうか、それなら君に渡しておこう。 後でお金を持ってくるから、それまで預かっていてほしい」

「ふえっ!?」

ひょいと指輪を、しかも無造作にロロナの手の上に置くと。老紳士は、さっそうとティファナのお店を出て行った。

ティファナは助かったと言ってくれたので、ロロナは嬉しいけれど。

今度はロロナが、大変な迷惑を背負い込むことになってしまった。

しかも、である。

この迷惑は、更に後へ、糸を引いていくこととなる。

 

親父さんが大砲を作り上げるまで、ロロナにはする事が無い。だから、王宮から要求されている物資を、ホムと一緒に作る事にしていた。栄養剤の生産。更には、湧水の杯の作成。現在は、この二つが主だ。

栄養剤は、要求量が、最近減ってきている。

ロロナが関わった緑地が、既に一段落していて、肥料が自主生産できるようになってきているから、らしい。

実際見に行ったところ、ため池はもうしっかりした形になっているし、低木も根付いている。栄養剤は、大量には必要ない。森に根付いた栄養と植物を、これからは維持していくようにすれば問題ないだろう。

小さな獣は試験的に森に放されていて、鼠やリスは、豊かになった土の上を走り回っていた。この様子だと、もう少し森がしっかりしてきたら、猛禽が。更にその後はウォルフが、放されることだろう。

森そのものも順調広げられているだけでは無い。

森の周囲の街道も、整備が始まっている。アーランドでは、森が出来ると、その側の街道を整備する不文律があって、此処でも例外では無いらしい。石畳で整備された街道は、とても綺麗で。踏んで良いのか、不安になるほどだった。

ロロナが、努力した成果だ。

そう思うと、涙が出そうになる。

働いているおじさま達に、手を振って、その場を離れる。ジェームズさんは、既に別の荒野を調査に出ているそうだ。つまり、ベテランは、もう此処には必要ない、という事である。他に緑化するべき土地は、いくらでもあるのだから、当然だ。

アーランドとしては、最終的に、全ての荒野を緑化したい所だろう。

この緑化した土地の側には、おそらく近々入植の話も出るはずだ。森を守るための戦士達が暮らす村。労働者階級の人達も、入植の応募が出る筈。

そうすれば、また人も増える。

アーランドは、豊かになるのだ。

次は、特に水が不足している村々に、湧水の杯を届けたいと、王宮の指示が出ているから。それに注力して欲しい、というわけだ。

既に三十個ほどは納品している。

作れば作るほどお金になるし、皆もそれで助かるのだ。ロロナとしては、作るのを躊躇する理由が無い。

その一方で、発破やネクタル、ゼッテルや炭なども、作っただけ納品はしていた。

近くの森やカタコンベ、それに鉱山にも、クーデリアやリオネラと一緒に、足を運んで、資材を集めてもいる。

休んでいる日は、あまりない。

師匠が、最近のロロナは、よく働いていて、弄る暇が無いと愚痴っていたと、後からホムに聞いたほどだ。

ただし、湧水の杯は。

あれから研究を更に進めているのだけれど。水の質はどうしても上げられずにいる。飲めるのだから良いのだけれど。口に入れて美味しくない水が湧いてくる現状は、どうにかしたい。

今日も二つ、湧水の杯を完成させた。

ホムに、王宮に持っていって貰う。話によると、二つ一セットで、寒村へ届けているらしい。

まず二つを入れることで、寒村の井戸の代わりにして。

それから、足りない分を随時追加していくのだとか。

勿論、水が際限なく湧いてくると言う、寒村からすれば神に等しい道具だ。王宮から派遣された警備の戦士が、誰かが独占しないように、側で護衛するのだという。しかし、七つも八つも杯が配備される頃には、その警備も必要なくなる。水が、以前と違って、絶対的な貴重品ではなくなるからだ。

ロロナの所には、手紙も来ている。

貴方は神様ですとか書かれている手紙にはおののかされた。本当に困った。それで師匠に散々からかわれたので、もっと泣きそうになった。

ただ、その村の人達が、本当に喜んでいるのは分かった。

山の中腹にある村で、井戸からはロクに水も出ず、必要な水は随分と山を降って、運んでこなければならなかったのだという。

杯が既に五つ配備されているらしいのだけれど。それによって、村の人達は、山を上り下りして水を運ばなくても良くなったばかりか、なんとお風呂にも時々は入れるようになったとか。

驚くべき事に、杯を祀っているという。

ロロナを神像にして飾りたいので、姿のスケッチを送って欲しいとか言われたので、それは丁重に断ったけれど。ただ、これもロロナがした仕事の成果だと思うと、胸が熱くなる。

こんな風に、困っている村を、一つでも救っていきたい。

水が出る杯は、それだけ重要な存在なのだ。渇き谷だけでは無くて、多くの場所を救えるのなら。

ロロナが行っている錬金術は、それだけ価値があると言うことなのだから。

アトリエの戸をノックする音。

出てみると。

あの、老紳士だった。

背筋が思わず伸びる。

無理矢理押しつけられたあの指輪は、しばらくあたふたした後、金庫に放り込んで、触らないようにしていた。

あんな高級品、傷つけでもしたら、取り返しがつかないからだ。

「遅れてすまない。 昨日も来たのだが、出かけていたようだったのでね」

「あ、はい! 昨日は、鉱山に行っていました!」

「鉱山? ああ、国有鉱山か」

鉱石を取りに行くだけでは無くて、悪魔の長老に話を聞いていたのだ。グラビ石の活用方法について、思い当たる所があったから、である。

長老の話によると、出来ると言うことだった。

老紳士が、お金を渡してくれるので、受け取る。実際、ロロナが立て替えてお金は、本当に微々たるものだった。

指輪を返す。

老紳士は、無造作に、ポッケに放り込んだ。

とても生地が良い服なので、本当に育ちが違うのだろうというのは、一目で分かる。この人にとって、あの高価な指輪なんて、ゴミも同然なのだろうか。

「助かったよ。 それに君は、誠実な人物だな。 噂によると、何事にも誠実だと言う事は、聞いていたのだが」

「えへへー。 それほどでも」

「早速で申し訳ないのだが、頼みがある」

また、これはいきなりだ。

丁度クーデリアが来たようだけれど。彼女は老紳士を見上げて、一瞬だけぎょっとしたようだった。

知り合いなのだろうか。

いや、分からない。

とにかく、クーデリアが来てくれたのは助かった。一人でこの世間知らずのお爺さんに接するのは、正直気苦労が絶えなかったのだ。

「あるモンスターを、これから退治しようと思っていてね。 君にも手伝って欲しいのだ」

「え? モンスター、ですか」

「ラプターステインという」

さらりと、老紳士が言う。

心臓が止まりそうになった。

ラプターステイン。その名前を知らないアーランド人など、いないだろう。

グリフォン種の中でも最強と名高い存在で、近辺のモンスターを統括する、文字通りのボスである。

実力は非常に高く、何より獰猛。

今までに何度か討伐が行われているはずだが、いずれも失敗している。獰猛なだけではなく、とにかく狡猾なのだ。

「アーランド戦士は、狡猾な奴にどうも振り回される傾向があるようでな。 君のような錬金術師がついてきてくれると、あるいは狩れるかも知れん。 奴が最近、近くの村の側で目撃されるようになり、民が不安に落ちていると聞いている。 アーランド戦士の一人として、見過ごすことは出来ぬ」

村の名前を聞いて、ロロナは心が動く。

少し前に、湧水の杯を収めたところだ。此処から二日ほど歩くと、到達できる場所にある。

クーデリアに視線を送る。

彼女が頷く。どうやら、やるしかないようだ。

「分かりました。 準備をしますから、待っていていただけますか」

「うむ。 私はサンライズ食堂にいる。 準備とやらが終わったら、すぐに声を掛けてくれるかな」

「はい!」

この人は、ステルクと同等か、それ以上の使い手だ。

それならば、ラプターステインが相手でも、どうにかなるかも知れない。

クーデリアに相談する。

「グリフォンが相手の場合、まずは機動力を殺さないといけないよね」

「正直、そんな必要、ない気もするけれど」

「えっ!?」

「ああ、何でも無いわ。 そうね、爆圧で翼を折れるように、投擲用の発破が必要になるかしら」

そう言いながら、クーデリアはポッケから弾を取り出す。

シルヴァタイトの弾も、何発かあるようだ。スリープショットでシルヴァタイト弾丸を叩き込んだときの破壊力は、この間のスカーレット戦で目撃している。あれなら、直撃すれば、流石のラプターステインでも、ひとたまりもない筈。

「それより、大砲は大丈夫? 失敗したら後がない筈よ」

「親父さんが作ってくれてるから、大丈夫だよ。 後は出来てきた完成品を試運転してみて、オッケーだったら設計図ごと納品しておしまい。 設計図があれば、量産だって出来る筈だし。 それに、エンチャントについて説明すれば、王宮で埃を被ってる大砲だって、活用できるもん」

リオネラやタントリスにも声を掛けようかと思ったが、二人とも生憎姿を見せてはくれなかった。

ましてや数日もかかる仕事では、イクセルを連れ出すわけにはいかない。最近でも、近くの森や鉱山に行くときには、来てもらう事が多いのだけれど。彼はサンライズ食堂を取り仕切っているのだ。

仕方が無い。

老紳士と、ロロナとクーデリアで、最強と名高いグリフォンに挑むほか無かった。

サンライズ食堂に、荷車を引いて出向く。

そうすると、老紳士は、山盛りのホーホを平らげたところだった。前にステルクが食べていた皿よりも大きい。

確かアレは、噂に聞くカイゼルサイズ。

歴戦の戦士でも、中々注文しないし、なおかつ食べきることは出来ないとか聞いている。戦士は、力量が増すと、それだけ激しい運動をする事が多くなる。既に初老でも、これを食べきる程度の運動を常日頃からしている、という事だ。

この人、何者なのだろう。

クーデリアは知っているようなのだけれど。或いは騎士団長だろうか。ステルクやエスティに匹敵する使い手となると、他に考えにくい。

「ふむ、美味であった。 では、行くとしようか」

あれだけの量を、テーブルマナーを完璧に守って食べ終えたらしい。

皿を回収しに来たイクセルが、形容しがたい顔をしていた。

 

3、最強の戦士

 

老紳士は、とても歩くのが速かった。

ロロナも相応に鍛えてはいるけれど、しかし、ついていくのがやっとだ。見ていると、歩く際に、独特な歩法を使っている。体重が殆ど足の裏に掛からないように歩いているようで、まるで雲の上か何かを進んでいるかのようだ。

クーデリアと、小声で話す。

「あの人、凄い使い手だね」

「……そうね」

クーデリアの反応が、歯切れが悪い。

街から西に向かって、丸一日。

キャンプスペースで、一晩を過ごす。考えて見れば、クーデリアが一緒とは言え、見知らぬ人とこんな遠出をすることになるなんて。しかも、相手はラプターステインである。何だか、無茶にもほどがあるような気がした。

ただ、どうしてだろう。

殆ど、不安感は無い。

耐久糧食を出すと、老紳士は平然と平らげる。

「そういえば、お名前は」

「私はジオという。 ロロナ君と、クーデリア君であったな。 以降は呼び捨てにしてくれて構わない」

「いえ、とんでもないです、はい。 ジオさんは、やはり騎士団に所属しているんですか?」

「そのようなところだ」

圧縮パイについて聞かれたので、応える。

パイが大好きなのだというと、ジオはなるほどと呟いた。

「この耐久糧食は評判が良くてな。 今までのまずい缶詰と違って、これを食べる事が遠征の楽しみの一つだという戦士までいる。 君はパイが好きで、その愛情が籠もっているのだとすれば、納得も行く話だ」

「いえー、そんなー」

照れているロロナに、ジオはストレートに褒め言葉を言ってくれるので、気恥ずかしくて仕方が無い。

巡回の戦士が来たので、ジオが席を外す。

戦士が敬礼をしているのを見た。やはり、相当に偉い人なのだろう。

クーデリアは口数が少ない。銃を確認しているが、いつもより更に寡黙な気がする。そういえば、クーデリアはロロナの側以外では口数が極端に減ると聞いたことが以前あった。或いは、緊張しているのか。

ジオが戻ってくる。

「ラプターステインはまだいる。 退治の好機だ。 明日の朝、仕掛けるぞ」

「分かりました。 作戦は」

「まずは、君達二人で仕掛けて欲しい。 機動力をつぶせるか」

「そのつもりで、準備してきました」

用意してきたものを見せる。

まずは、据え置き式の発破。

テラフラムと名付けようと思っているのだけれど、それにしてはまだ威力がささやかだ。だから今の時点では、メガフラム、くらいか。

箱詰めした発破で、此処までラプターステインをおびき寄せてから、着火。

それから、もう一つの秘密兵器を用いる。

それが、荷車から出したもの。

星形の爆弾だ。

メテオールという。

一度滞空してから、爆発するという、二段式の発破だ。対空の仕組みは、単純な魔術で、少しの間、上空に留まる。

爆発力は相応だけれど。

鳥もグリフォンも、翼は極めてデリケートだ。特に、翼を広げたところで爆破すれば、ひとたまりもない筈。

勿論斃す事など出来ないだろう。

ただ、足止めなら、これで充分の筈だ。

問題は、ジオの実力。

足止めさえ出来れば、倒してみせるとジオは言うけれど。クーデリアに意見を聞いてみると、遠くを見るような目をされた。

「それで問題ないわよ、きっと」

「あれ? どうしたの、くーちゃん。 いつも戦術を凄く丁寧に練ってくれるのに、投げやりだね」

「大丈夫、それでいけるわ」

「? うん」

まあ、クーデリアがそういうなら、大丈夫なのだろう。

しかしラプターステインと言えば、相当な強者の筈。クーデリアの投げやりっぷりは、何故なのだろう。

ジオが、それだけの使い手、という事か。

とにかく、さっさと眠ることにする。

この間のスカーレット戦以来、このアーランドにいるモンスターの実力を、ロロナは改めて思い知らされている。

明日は早くから体調を整えて。

戦に備えなくてはならないのだ。

 

早朝。

準備を整えると、戦地に赴く。

ラプターステインは、普段村の側にある泉に姿を見せるという。グリフォン種は、基本的に広い縄張りを造り、その中で餌を調達する。多くの場合、餌は鹿や野生の牛などの、大型草食獣。

特に馬を好むのが、グリフォンが嫌われる理由だ。

馬は今や稀少な家畜なのである。

かっては戦に使われたともいうけれど、馬はもう人間が保護しなければ、この過酷な世界では生きていけない存在になってしまった。それを狙うとなれば、グリフォンが嫌われるのも、当然だろう。

勿論グリフォンは人も襲う。

ただ、アーランド人には自衛能力がある。グリフォンよりも危険なモンスターもいるし、その点ではさほど問題視はされない。

泉の側の茂みで、様子をうかがう。

いた。

丁度、大きめのヘラジカを、貪り喰っているようだ。

ラプターステインは、体が金色に近い、かなり大きなグリフォンだ。そして、これがどうして討伐対象になっているか、見てようやく理解できた。

非常に強い魔力を、身に纏っている。

大きさもそうだが、問題はこの魔力だ。恐らくは相当に長生きして、知恵と魔力を蓄えたのだろう。

人間を翻弄するほどの知恵。

危険視されるのも無理はない。これは、相当な強豪モンスターだ。ただ、ベヒモスやドラゴンと比べると、戦闘力はどうと言うことも無さそうだ。やはり空を飛ぶと言う事と、その機動力、知恵が危険視されている、ということだろう。

打ち合わせ通りに。

クーデリアはに頷く。

既に、フラムは仕掛けてある。爆発のタイミングは、ロロナの方でコントロール出来る。そして、メテオールも、準備万端だ。

ジオは。

気配が無い。いや、姿は見えるのだけど、気配は全く無い。

ロロナも少しは気配が読めるようになってきたから、分かる。このハイド技術、桁外れだ。その気になれば、相手に姿を見せたまま、正面まで行って、そのまま斬り伏せる事も、出来そうだ。

達人の中には、そうやって暗殺をするものもいるという。

「もう、気付かれてるわよ」

「分かってる」

食事中の獣に手を出すと、激高する。

それはロロナもよく知っている。だからこそ、それを利用する。

激高すれば、どれだけ知恵が回っても、削ぐことが出来る。力だけなら、どんな猛獣だって、そう怖くは無いのだ。

カウント。

ゼロになったところで、仕掛けた。

茂みから立ち上げると、低威力の魔力の矢を放って、ラプターステインの背中に直撃させる。

凄まじい雄叫びを上げて、ラプターステインが跳び上がった。

威圧感が尋常では無い。

さすがは、グリフォン最強と言われる存在か。残像を残しながら、見る間に迫ってくる。クーデリアが発砲。弾が、残像を抉った。速い。走りながら、フラムの場所へ、誘導する。すぐ至近。

後ろで、太い前足が、降り下ろされる気配。

振り向きざまに、大威力の術式を、ぶっ放す。

ラプターステインが、恐らくはその生体魔力を利用して、壁を造り、はじき返してくる。さすがは上級モンスター。このくらいの芸当は、朝飯前か。

だが、時間は稼げた。

クーデリアが更に発砲して、ラプターステインの目に命中。視力を奪うことまでは出来なかったようだが、一瞬だけでも、時間が出来る。

走り抜ける。

ラプターステインは相当に頭に来ている。

食事を邪魔された上に、それをやったのがロロナとクーデリアのような未熟者、だからだろう。

ただ、知恵がある分、早めに片を付けなければまずい。もしも罠に気付かれたら、飛ばれて、逃げられてしまう。

不意に、ラプターステインが足を止める。

やはり、何かおかしいと気付いたか。だが、間髪入れず、ロロナが振り返って、魔術を叩き込む。

ラプターステインが、鬱陶しそうにくちばしをふるって、はじき返してきた。凄まじい魔力が産み出す、圧倒的な防壁だ。

クーデリアがわざとらしく大きな動作で、弾を再装填。連射して、弾丸を叩き付けに掛かる。

ラプターステインは動かない。もう少し、前に出させれば、一気に罠に填められるのに。それなら、ロロナが、相手の動きを引き出す。

詠唱開始。

ロロナの周囲に魔法陣が出現。それぞれが別の要素を秘めており、相乗効果で強化しながら、ロロナの魔力を高め上げて行くのだ。

流石にラプターステインが、瞠目する。

迷うはずだ。

引くべきか、その前にロロナを仕留めるべきか。

だが、ラプターステインは、獣の習性で。引くことを選んだ。そしてそれが故に、歴戦のモンスターである事も証明して見せた。

分からないものとは戦わない。

リスクは可能な限り避ける。

しかし、ロロナもそれくらいは想定済みだ。そして、隣で、不意に弾丸装填を即時完了させるクーデリアも。

多少威力をおとしながらも、ロロナが光の槍をぶっ放す。

ラプターステインの、直上へ。

身を思わず伏せるラプターステインの左右に、クーデリアが今までとは比較にならない大威力の弾丸を叩き込む。

炎の魔術を乗せた弾が、地面を爆裂させた。既に、リミッターを解除していたのか。

大きな隙が、此方に出来る。

ラプターステインに生じる、わずかな迷い。

それが致命打になった。

「ジオさん、今です!」

真後ろ。

今まで、完全に気配を消していたジオが、ラプターステインの背後から、蹴りを叩き込む。

不意を突かれたラプターステインが、地面に突っ込んだ。

そして、起爆。

ラプターステインが、メガフラムの火力で、空に打ち上げられた瞬間。

ロロナは、メテオールを投擲していた。

空に、火花が咲く。

濛々たる煙が、辺りの視界を容赦なく奪う。

地面に激突する音。

翼が折れているのが分かった。だが、ラプターステイン本体は、殆ど無傷も良い所だ。しかし、この瞬間。勝負はついた。

ジオが抜刀する。

赤が、世界に満ちる。

翼が両方とも切断されて、傷口から血が噴き出したのだ。

「長い間、手こずらせてくれたな」

後は、あまりにも凄惨な光景だった。

地面でもがくラプターステインに向けて。ジオは、まるで何事でもないように。これから行われる事が、些事であるように。

ただ、近づいていった。

「死ね」

ジオはそれだけ告げた。

斬る。

ラプターステインの前足が、丸ごと斬り飛ばされた。脇腹が抉られ、血が噴き出す。その血の奔流さえ斬られ、次は内臓が飛び出す。

悲鳴を上げたラプターステインの喉が、大きく抉られる。

ジオの姿は四方八方に見えた。

あまりにも動きが速すぎて、残像しか捕らえられない。その残像も、一度に十以上は出現していた。

そして残像が消える度に、ラプターステインが切り裂かれる。

斬られる度に、手足が吹っ飛び、体がきざまれ、血が噴き出し、飛び出した内臓さえ抉られていく。

程なく、グリフォンの王は。

悲鳴も残せないまま、ただの肉塊と変わり果てた。

そしてジオは返り血一つ浴びていない。

あまりにも、強すぎる。この人は、修羅が集う土地アーランドでも、おそらく最強ランクの使い手だと、ロロナは悟った。

「此奴を、地面に縫い付けさえ出来れば良かった。 良くやってくれたな」

「はい、その……」

「ついでだ。 君が救った村の様子を、見て行くと良いだろう」

なんと言って良いのか、分からない。

残忍さを責めるつもりは無かった。殺すのであれば、どうしようと同じ事だ。人を襲うモンスターを許すわけにはいかない。モンスターはモンスターの居場所で、人間は人間の居場所で。それぞれ暮らすべきだ。

勿論人間がモンスターの住処を侵しているのは事実だが、その代わり居場所も提供している。

そしてモンスターの側も、人間の理屈に従う謂われは無い。

双方の理屈が相容れない状況では、殺し合うしか無い。ロロナもそうして、今まで多くのモンスターを殺してきたのだ。

ただ、ジオの技は。

あまりにも、圧倒的だった。感想さえ浮かんでこない。

とりあえず、ラプターステインの亡骸を検分。拾うべきものは、全て拾っておくこととする。

皮も骨も、綺麗に切断されていた。

特に頑丈な骨が、一刀に斬られていたのは凄まじい。ジオの剣撃の前には、分厚い鋼鉄の壁程度では、まるで役に立たないのではないのか。

必要な分は肉も皮も切り取って、荷車に積む。

グリフォンの肉はあまり美味しくは無いけれど。皮はとても有用で、様々に活用できる。特にこのラプターステインは強い魔力を持っていた。皮は煎じても良いし、なめしても良いだろう。

クーデリアに手伝ってもらって、血抜きも済ませる。

何種類かの内臓も切り取って、積み込んだ。

ただ、あまり多くは積み込めない。

要所は切り取ったし、後は良いだろう。

少し離れたところに、小さな村。一応、アーランド戦士もいるが、どうもラプターステインには手を焼いていたようで。倒したことを告げると皆喜んでいた。

村は小高いところにあって、森を守るように配置されている。

全体的に寂れている理由は、すぐに分かった。

井戸が涸れてしまっている。

森そのものも、元気が無い。

山の中腹にあるこの村は、おそらくは山頂近くにある水源から来た川に沿って、水を得ていたのだろう。

しかし、その川の流れが、何かしらの理由で変わってしまった。

土砂崩れか、何かは分からない。森には注ぎ込まれているようだけれど、村には水が来なくなってしまった。

だが。

村の真ん中には、五つの湧水の杯。

水を提供し続けているそれは、間違いなくロロナが作ったものだ。こればかりは工場では生産できない。

水の殆どは、村のため池に流し込まれている。

村の人達は、生活用水を、杯の側。丁度石で作ってある水路から、くみ上げているようだった。

「あっ! 錬金術師だ!」

いきなり、若い女の子が声を上げる。

同時に、村の人達が、一斉にロロナを見た。青ざめて一歩下がるロロナに、どっと人が殺到してくる。

「錬金術師様!」

「奇跡の杯を作り出してくださった方だ! もしや、ラプターステインを倒してくれたのも、貴方でしたか!」

「おお、ありがたやありがたや! 生き神様だ!」

「ちょ、ちょっと」

クーデリアは、あっさりと逃れて、少し遠くでじっと見ている。

ロロナならどうにか出来ると判断しての事なのか、それとも。助けを求めれば、助けてくれる確信はあるけれど。

しばらく、村人達にもみくちゃにされて。

ついでに、万歳万歳と胴上げされて。

ぐしゃぐしゃになって、ようやく逃げ出してきたロロナを見て、クーデリアは大きく嘆息した。

「まさか、こんな事になっている、なんてね」

「うう、確かに」

「ほら、男手はラプターステインの亡骸を処理しているみたいだし、今のうちに離れるわよ。 またもみくちゃにされたくないでしょ」

「はい……」

げんなりしたロロナは。

手を振って、ロロナを見送る村人達に、無理矢理笑顔を作って手を振り返すと、そそくさとその場を後にする。

ジオは。

帰り道に、いた。

村の戦士達と、なにやら話していた。

「なるほどな。 村への侵入は食い止めていたが、此奴のせいで水汲みにも支障をきたしていたのか」

「はい。 ですが、湧き水の杯と森の泉で、今後はどうにでもなりそうです。 もう一個配備してくれれば、風呂も作れそうなのですが」

「すまぬが、他にも水が足りない村が多いのだ。 今、足りない村に優先的に廻している所でな。 それらが済んでから廻す。 今は耐えてくれるか」

「耐えるなんてとんでもありません。 生活は劇的に改善しましたし、水を奪い合って醜い争いが起きることも無くなりました。 本当に、感謝の言葉もありません」

話を聞いている限り。

やはり、相当に偉い人なのだろう。

アーランドでは、単純に強い人は、偉くなる。ステルクやエスティをも凌ぐ強さとなると、国でも上位の偉い人である事は、間違いなさそうだ。

ロロナが近づいていくと、ジオは気付いて、此方に来る。

いや、とっくに気付いていただろう。それで、わざと聞かせるために、あんな会話をしていたとみるべきだ。

ロロナにだって、それくらいは分かる。

「どうだったね、歓迎は」

「も、もみくちゃでした」

「そうかそうか。 それでは、引き上げよう。 あまり時間も無いのだろう?」

試運転さえ上手く行けば、ある程度の時間は作る事が出来る。

だけれども。

嫌な予感が、ずっとしているのだ。

ロロナに出されている課題は、ひょっとして、何かとんでも無く巨大な流れの中の、一部では無いのか。

元々錬金術は、この国を発展させてきた、礎の技術。

歴代の資料を見れば見るほど、それを実感できる。緑化の根幹にも関わってきたし、人々の生活を支える技術も、錬金術から来た。

今街を支えている工場だって、錬金術師が技術を再生しなければ、動く事さえ無かったのだ。

結果、アーランドは豊かになった。

人手はどこでも足りていないけれど。みんな過不足無く生きることが出来ている。それだけで、噂に聞く、周辺国よりもずっとましだ。

だが、ロロナの手で、誰かが救われて。

いや、それだけで済んでいるのだろうか。

そして、今回ロロナと関わってきた、このジオさん。こんな強い人が、本当に偶然で、ロロナと関わったのだろうか。

嫌な予感が消えない。

二日掛けて、アトリエに戻る。

とても良い素材が手に入ったというのに。全く、心は晴れなかった。

 

4、アウトレンジ

 

ステルクが、アトリエに来た。

頼んでいたのだ。少し前に。

来てくれたのは嬉しい。そして、これからの試運転につきあってもらう事も。クーデリアは既に準備万端。

今回は、リオネラが来てくれない代わりに、タントリスがいる。

正直ステルクもいるから大丈夫だとは思っているのだけれど。今回は、ステルクは見届け人だ。

大砲の威力を、試したいのである。

勿論、威力というのは、物理的な破壊力の事では無い。有用性を意味している。

タントリスは、街の門で控えてくれている。

後は、クーデリアとステルクと、打ち合わせをして、街を出れば合流できる。

「それで、その大砲が、完成品か?」

「はい。 見て貰えますか?」

「うむ……」

「きゃのんちゃん、挨拶して」

自動で大砲が、礼をする。

エンチャントを施しているのだから、当然だ。ステルクは少し驚いたようだが、大砲を検分していった。

きゃのんと名付けたこの試作一号機は、今までの大砲と長さが倍近く違っている。今までは携帯できるほど小さかったのだけれど、今回は中にロロナが入れるほどだ。

土台の部分には台車があり、此処にもエンチャントが。そして、ロープが4本、大砲に巻き付いている。

大砲の弾を、発射時はこのロープが、自動装填する。

装填は大砲の上部にある発射口を開けて、中に弾を入れる方式だ。前込式は危険も大きいので、今回は採用しなかった。後込式もしかり。

砲の角度は、此方が指示をすれば調整できる。

発射のタイミングも。

それらを説明し終えると。ステルクは、弾はと聞いて来た。

「弾は、五発だけあります」

大きさを指定して、親父さんにつくってもらったのだ。

他の大砲のものよりも、かなり大きな弾で、一発一発がずっしり重い。アーランド人のロロナにも重いのだし、他の国の人では持ち上げられないかも知れない。

この弾も、荷車で輸送する。

そして弾に関しては、設計図があれば量産可能である事も、ステルクには告げた。

頷くと、ステルクは性能を見たいという。

其処で、ロロナは提案する。

「ナインタイラーを、これで討伐します」

「ほう。 ナインタイラーか」

「はい。 ステルクさんが、少し前に討伐したいと言っていた、あのモンスターです」

ナインタイラー。

ネーベル湖畔近辺に姿を見せる、島魚の大型品種だ。

虎柄の巨体を持つ凶暴な島魚で、或いは突然変異では無いかと言われている。全身は目が覚めるような緑色。その獰猛さと巨体で、近隣でも目をつけられている、討伐対象モンスターの一種である。

この大型大砲でも、多分アーランド戦士には通用しないと、ロロナは見ている。勿論、強力なモンスターであるナインタイラーにも。

だが、戦術を工夫すれば。

倒すための、重要な存在にはなり得るのだ。

作戦そのものは、クーデリアと練った。

既に大砲の試運転自体も済ませている。予定通り、今までの大砲を遙かに凌ぐ距離まで、弾を飛ばすことが出来た。

「よし、試す価値はありそうだな。 すぐに出立できるか」

作戦を聞くと、ステルクも乗り気になってくれた。

ならば、後は。

実際に作戦を実行して。ナインタイラーを、討伐するだけだ。

 

街道を北上する。

すれ違う誰もが、勝手に動いてロロナについてくる大砲を見て、驚いていた。大砲は犬のように、ロロナに忠実についてきている。しかもその動きは、驚くほど軽やかだ。巨体に反して軽やかなのには、勿論理由がある。

グラビ石だ。

大砲を運ぶ荷台の方に、重量軽減のために、仕込んでいるのだ。

これを悪魔の長老に聞いていたのである。実際使って見ると、巨大な大砲が、実にスムーズに進んでいく。荷台への負担も小さい。

今回の課題で、この荷台の仕組みも納品する予定だ。

タントリスが、肩をすくめる。

「これは何というか、とても不気味だね」

「えー。 タントリスさん、きゃのんちゃんが可哀想ですよ」

「そ、そうかい。 相変わらず独創的なことをするね、ハニーは」

名前を付けている事を知って、タントリスはどん引きしたようだけれど。ロロナにしてみれば、可愛い創造物だ。そしてこれからの戦いで、供に死線をくぐる戦友でもある。それならば、少しでも途中で、一緒にいてあげたい。

時々撫でて、声を掛けてあげる。

エンチャントして命を受けているのだ。多分声は聞こえているはずで、ロロナが喋り掛ければ反応もする。

子犬を飼うときは、こんな感じなのだろうか。ロロナは師匠の所に住むようになってから、愛玩用の動物を飼ったことは無いので、よく分からない。

ステルクはむっつりと黙り込んでいた。

タントリスは時々話しかけてくるので、態度が対照的だ。

クーデリアはと言うと、ステルクと、武器の調整について、時々話している。拳銃の操作について、見てもらってもいるようだ。

「かなり腕を上げたな。 これならば、もうベテランと呼んでも良い腕前だろう。 相当な死線をくぐってきたのだな」

「そうよ。 守りたいものがあるから」

「モチベーションを上げるには、多くの場合理由が必要だ。 君の場合は、守りたい何かが、重要だったのだな」

断片的に、会話が聞こえてくる。

クーデリアは、もうベテランか。

ロロナももっと魔術の威力を上げて、詠唱の速度も磨いて。敵に対する殲滅力を、高めなければならない。

足りない分は、爆弾で補う。

ロロナだって、今はもう、消極的な理由では戦っていない。師匠と一緒に、外の世界でさまようのは嫌だけれど。

錬金術で出来る事を実感した今は。

出来る事で、可能な限り、多くの人達を助けていきたかった。

この間の村のように、もみくちゃにされるのは困りものだけれど。それでも、村の人達が喜んでいたのは伝わったし、事実役に立ってもいるのだ。

不意に、クーデリアとステルクの会話が聞こえなくなった。

ステルクが眉をひそめているのが分かった。

何か、深刻な話をしているのだろう。

それなら、聞き耳を立てるのは、上品な行動では無い。むしろ、隣から話しかけてくるタントリスの言葉にでも、集中した方が良い。

タントリスはと言うと、ロロナが喜ぶと思ったのか、甘いお菓子の話や、お花の話を色々としてくれる。お菓子の話は興味があるけれど、正直な話、今はあまり甘味に困っていないのだ。

ただ、美味しいお店のお菓子は、色々と参考に出来る部分も多い。だから、話だけは聞くことにした。

街道を北上する。

何カ所かのキャンプスペースを経て、ネーベル湖畔に到着。ただし、今回は、ネーベル湖そのものには入らない。

きゃのんちゃんを設置。

ステルクが、驚いたようだった。

「こんなに遠くから、狙うのか」

「はい。 アウトレンジからの攻撃が、大砲の最大の強みです。 今までは、人間の能力に大砲が追いついていなかったのですけれど。 歴代の錬金術師が考えた技術を全て投入して、射程距離を極限まで伸ばして、場合によっては一方的に相手を叩けるようにしました」

「そうか。 興味深い」

やはりステルクも戦士なのだ。

こういった話をすると、食いついてくる。

きゃのんちゃんに指示を出した後、準備をしていく。幾つか持ってきた爆弾を、作戦通りに設置。

遙か向こう。

四千歩ほど先の小島。

ネーベル湖の中にある島で、我が物顔に寝そべっているナインタイラーは、既に見つけている。

この位置からも分かるほど、他の島魚とは体格からして違う。遠くから見る限り、他の島魚の五割増しは大きい。

悠々と寝そべっているのは、それだけ圧倒的な実力があって、自信につながっているからだ。

そしてこれは勿論。

いざというときは、湖に飛び込んで、逃げる事が出来る、という利点もある。

その全てを、これから潰す。

「きゃのんちゃん! 狙って! 目標、ナインタイラー! 効力射準備!」

大砲が、自動で動き出す。

エンチャントによって、命を与えられているのだ。照準を合わせるのも、事前に指示さえ与えておけば、勝手に行う。

これで、操作やメンテナンスが面倒くさいなどとは、もう言わせない。

皆が、作戦通りの位置についている事を確認した所で、ロロナは命令した。

「ファイエルっ!」

大砲が、火を噴いた。

撃ち出された砲弾が、四千歩の距離を瞬く間に侵略。そして、無防備に寝そべっていたナインタイラーの腹を、直撃する。

爆裂。

流石に跳び上がったナインタイラー。

ロロナは堂々と姿を見せている。砲身が冷えるまで、少し時間がある。その間に、詠唱を進めておく。

第二射。

また、直撃。

周囲の魔物が、ばらばらと逃げ出していく。

ナインタイラーは、完全に頭に血が上ったらしい。巨大な口を開けると、凄まじい雄叫びを上げて、直線的にロロナに向けて、突っ込んできた。湖に飛び込むと、バシャバシャと凄い音を立てて、此方に泳いでくる。

手を下げたのは、待ての指示。

そして、湖岸に上がった瞬間、第三射。直撃。

顔面に砲弾を浴びたナインタイラーが、流石に悲鳴を上げた。死ぬほどのダメージでは無いが、連続して一方的に攻撃されると、精神的な打撃が大きくなる。

此処で、更に戦術的な一手を打つ。

湖が、凍り付いていく。

事前に準備しておいたレヘルンを、起爆したのだ。氷結爆弾によって、ナインタイラーの退路が、塞がれる。

唖然としたナインタイラーに、第四の射撃が直撃。

跳び上がった巨体は、殺気を込めて、ロロナをにらむ。まだ距離がある。詠唱は、既に完了していた。

ナインタイラーは意を決したのか、ロロナに向けて、まっすぐ突入してきた。

凄まじい早さだ。

陸上でも、これだけの動きが出来るのか。

しかしそれも想定内。横殴りに叩き付けられた射撃に、ナインタイラーが思わず身じろぎする。更に反対側から、雷撃が叩き付けられる。

ステルクと、クーデリアだ。

そして、動きが止まったところに、地面が爆裂。

こちらも、事前に仕掛けておいた発破である。巨体が浮き上がるほどの破壊力だが、流石に討伐対象モンスター。これでもまだ死なない。死なないのは分かっている。だから、これでとどめだ。

腰だめしたロロナが、全力で魔術の砲撃を叩き込んだ。

地面を抉りながら、殺戮の閃光が、全てを漂白していく。ロロナ自身が、押し下げられるほどの出力。

勿論、動きを止めたナインタイラーが、避けられる筈も無い。

直撃。

絶叫が、ロロナの所にまで届く。

巨体が、ずり下がっていく。

だが、それでも、意地だろうか。ナインタイラーは、踏ん張ると、少しずつ、進もうとしてくる。

凄まじい押し合い。

クーデリアが、ラッシュを掛ける。火焔弾を、連射。ひたすらに、ナインタイラーに叩き込み続ける。

見上げるような巨体でも、全身が烈火に包まれていけば、疲弊するはず。どれだけ分厚い皮膚でも、灼熱に直接晒されれば。

更に、ステルクが、上空から稲妻をおとす。

直撃。

しかし。

なおも、それでも古豪は屈しない。これが、上級モンスターの意地か。

ナインタイラーが、全身から膨大な魔力を放つ。

炎が消し飛ばされ、ロロナの魔力砲が、一瞬途切れる。

そして、巨体が、空に舞った。

あの巨体で、跳躍できるのか。

それに今の魔力。長年生きてきたことで、蓄えてきたものだろう。全身を傷つけられながらも、なおもナインタイラーは、地面に体を叩き付ける。

凄まじい衝撃波が、襲ってきた。

吹っ飛ばされそうになる。

クーデリアがバックステップして距離を取るのが見えた。ロロナの魔力砲が途切れる。大口を開けて、突進してくるナインタイラー。

だが、此処で。

割り込んできたタントリスが。ナインタイラーの直下に潜り込むように身を沈めると、巨体を蹴り挙げる。

思わぬ奇襲に、ナインタイラーの動きが止まる。

此処が、勝機だ。

既に準備しておいたレヘルンを、放り投げる。

ナインタイラーの口の中に。

これだけの近距離なら、難しい事では無い。コントロールがいい加減なロロナでも、行ける。

氷の爆弾が、炸裂。

ナインタイラーの口の中が、凍り付く。七転八倒する巨体に、更に投げるのは、ドナーストーン。

此方は、放電する石を組み込んだ、雷の爆弾だ。

「目を閉じて!」

この爆弾は、破壊力よりも、閃光が凄まじい。まともに光を見てしまうと、しばらく目が使い物にならなくなる。

ただでさえ、今までの戦いで全身が傷ついているナインタイラーに、その傷口を抉る雷撃のおまけ。

とどめに、ステルクが、特大の雷撃を、頭上から叩き付ける。

口中の氷を、それでもかみ砕いたナインタイラーだったが。もはや、これ以上の猛攻に、耐えるすべは持っていなかった。

極太の雷撃を、頭上から浴びて。

全身を硬直させると。

近隣で覇を唱えた巨大なる島魚は。

横倒しになり、それきり動く事は無くなった。

呼吸を整える。

予想を遙かに超える強さだった。スカーレットも手強かったが、この叩いても叩いても前進してくる凄まじいしぶとさ、まるで生きた兵器のようだった。魔力をゆっくり練り上げて、体内で循環させていく。

大威力の術式を使った後は、こうやって魔力を整える必要がある。やらなくても良いのだけれど、その場合は露骨に傷の治りが遅くなる。

ましてや今回は、巨体を誇る魔物と、純粋な力比べをしたのだ。出来るときには、きちんとやっておきたい。

口をだらしなく開けて横たわっているナインタイラー。ごめんねとひとこと呟いて、近寄ろうとした、その瞬間。

真横から、発砲。

前を見ると。

なんと、まだ動いていたナインタイラーが、のど元の傷から煙を上げていた。無念そうに、今度こそ倒れ伏す巨体。

最後に、一矢報いる好機を狙っていたのか。

そして、見ると。

大砲が、最後の弾を、発射し終えたところだった。砲身から煙が上がっている。ロロナを、助けてくれたのか。

最後の弾は予備として、使うつもりは無かったのだけれど。

「見事」

ステルクが、きゃのんちゃんに声を掛けてくれた。

嬉しい。

自分が作ったものが、認められたと言うよりも。きゃのんちゃんのとっさの行動が、評価された事が。

予想以上のナインタイラーの実力という不安要素はあったものの、試運転は上手く行った。

「ありがとう。 本当に、助かったよ。 きゃのんちゃん、大好きだよ」

大砲を撫でてあげる。

やっぱりタントリスは、形容しがたい表情で、ロロナの行動を見ていた。

 

ナインタイラーを解体して、貴重な素材を手に入れた後は。近所の村の人達を呼んで、死骸を引き取ってもらった。

帰り道に、きゃのんちゃんの整備をしながら、ステルクに評価を聞く。まだ戦闘では若干危なっかしいところがあるが、既に上級のモンスターを討伐できる力があると、太鼓判を押してくれた。

クーデリアもベテラン並と言われていたし、嬉しい事にある程度力はついてきた、のかも知れない。

激しい戦いと、死線をくぐり抜け続けたからだ。

別にロロナが天才の訳では無い。もっと幼くても、最前線に出ている戦士はいくらでもいるのだ。

「その大砲も、問題ない性能だ。 課題はこれで合格と見なして良いだろう。 すぐに設計図を納品してくれ。 その大砲自体も」

「かわいがってあげてください。 きゃのんちゃんには、命がありますから」

「そうだな。 アーランド戦士は、誇り高い魂の持ち主には共感を持つ。 君を的確に守ったことを、他の戦士達に伝えておこう。 きっと前線では、敬意を払って接してもらえる筈だ」

ステルクは大まじめにそう言ってくれたが。

どうしてだろう。

クーデリアが、口をつぐんで、一瞬視線をそらした。笑いをこらえているように見えたのだけれど。

タントリスが、珍しくクーデリアと話している。

「今日は珍しく、君と意見が合いそうだね」

「そうね。 まあ、あの子の行動が妙なのは昔からだから、別に驚かないけれど」

聞こえている。

だけれど、まあ今は気分が良いからよい。

アトリエに戻ると、早速全ての設計図を、クーデリアと一緒にコピーする。これで実用に耐えると、分かったからだ。

隣の親父さんに太鼓判を押してもらったのだけれど。工場の方で、部品の生産は、この設計図で可能だという。

更には、王宮から免許をもらっている何名かの職人で、大砲も作る事が出来るのだとか。

砲弾の方は、既存技術だから問題ない。

これで、課題はどうにかなった。

今回は最終的に、いつもに比べてかなり時間が余った。それならば、要求されている物資の納品以外にも、他の研究も色々と進めておきたい。

来年も厳しい課題が続くのは、目に見えている。

クーデリアも力を付けてきたし、ロロナが此処で更に評価を上げていけば、盤石な結果になる筈だ。

図面を写し終えたので、王宮に持っていく。きゃのんちゃんと別れるのは少し寂しいけれど、それでもこれで良かったのだと想う。燻っている他の大砲達も、エンチャント処置を行えば、ずっとマシになる。

きゃのんちゃんの兄弟達が量産されれば、アーランドが侵略される可能性だって、ぐっと減る。

元々人数が少ない上に、繁殖力が低いアーランド人は、侵略には向かない。

これで良かったのだと、ロロナは不安を押し殺すように、自分に言い聞かせた。

納品が終わって、ほっと一息。

自動で動く大砲を見て、戦士達も度肝を抜かれているようだ。

射程距離については、実のところ研究を進めれば、もっと伸ばせると思うけれど。確か、人間の視力では一万歩くらいまでしか確認できないと聞いているので、それ以上は止めた方が良いだろう。

アトリエに辿り着くと、急に疲れが出てきた。

黙々と働いているホムの作業を確認した後、ベットにごろんと横になる。今は何も考えず、しばらく眠りたい。

クーデリアも疲れているようだけれど。

既に、体力にはかなり差がではじめていた。

布団を掛けてくれるクーデリア。ベット横に腰掛ける彼女を見ると、凄く安心する。

「ねえ、くーちゃん」

「今は眠りなさい。 私も、もうすぐ寝るから。 リミッターの解除は上手に出来るようになってきたけれど、それでも消耗、結構するの」

「うん。 あのね。 今日、思ったんだけど。 兵器と人の差って、何だろう」

エンチャントを使えば、擬似的な命は作り出せる。

そして、その命は、ロロナに応えもしてくれた。

ホムンクルスも、ある意味擬似的な命と言えるはずだ。師匠の話によると、ホムは人間と同じように育って、子供も産むことが出来ると言う。それならば、何処が人間と違うのか、分からない。

クーデリアはしばらく口をつぐんでいたが。

やがて言う。

「アーランド人も、よそから見れば、兵器みたいなものかもね。 戦闘そのものを生きるための柱にして、森や林にモンスターを住まわせて、自分たちを鍛えるため戒めるための存在にする。 きっと、他の人間から見れば、理解しがたい修羅の筈よ」

「でも、りおちゃんとはわかり合えたよ」

「……そうね。 でも、みんなとわかり合うなんて事は、きっと無理でしょうね」

何だか悲しい結論だ。

ロロナだって、戦いの時は、取捨選択している。みんな救う事が出来ないことは。分かっている。

みんなのために。

そう思って、錬金術をはじめて来たけれど。やはり、何処まで行っても、悩みは晴れそうに無かった。

いつの間にか、眠っていた。

夢を見る。

オルトガ遺跡の夢。

其処で、ロロナは。

目が覚めたとき、隣でクーデリアが眠っていた。少しずつ、思い出してきている。思い出してはいけないことを。

そして、気付く。

ひょっとしてクーデリアは。

とっくの昔に、思い出しているのでは無いのだろうか、と。

何があっても、クーデリアはロロナの親友だ。だが、最近怖くもなるのだ。ロロナの事をどれだけ献身的に理解してくれている人だって、ロロナ自身では無い。いつか、彼女と何かの理由で、亀裂が生じるのでは無いかと。

外に出ると、まだ真夜中だった。

月が空に出ている。

あれは狂気の象徴だと聞いたことがある。誰にだって、狂気はあるとも。

ロロナは。

クーデリアが離れていったとき。正気でいられるのだろうか。そんな事は考えたくも無いけれど。

恐怖は、ふくれあがる一方だった。

 

5、下克上の時

 

クーデリアが叩き伏せたのは、二番目の兄だ。

手をはたいて、立ち上がる。周囲では、今までクーデリアを馬鹿にしきっていた兄姉達が、青い顔をしていた。

「確かにあたしは才能が無かったけれど。 安全な場所でぬくぬくとしてたあんた達が、ロロナと一緒に数段も格上のモンスターと決死の戦いを続けてきたあたしより、いつまでも上だと思っていたのかしら?」

此処は、屋敷の中庭。

クーデリアは、手袋を、兄姉全員分、用意してきた。

アーランドでは、決闘が行われるときがある。色々と問題がある人間関係に、決定的な決着を付ける場合にのみ許される、儀式だ。

手袋を投げつけることで始まるこれには、幾つか厳正なルールがある。

この決闘で、相手を殺してはいけない。決闘を受けた場合、勝者は敗者に、一つ条件を出す事が出来る。決闘には代理を立てることが出来る。ただし、代理を立てた場合は、勝利しても条件を出す事が出来ない。相手が病気などで弱っている場合は、決闘は出来ない。一度決闘した場合、一年は再決闘を申し込めない。複数の代理人が必要で、条件は明快で無ければならない。

他にも細かいルールは幾つかあるが。

クーデリアは今回、その全てをクリアしていた。

また、手袋を投げつける。

相手は、クーデリアにいつも暴言を吐いていた、四歳上の姉だ。此奴には、恨みが山ほど募っている。

「決闘を受けないことは、戦士として最大の恥。 それがあのお父様にどう採られるかは、分かっているわね……」

「……っ!」

長身の姉は、クーデリアよりぐっと体格も優れている。

確か、騎士候補としても名前が挙がっている槍使いの筈だが。

実際に戦って見ると、もう動きも鈍くて遅くて、戦術の判断も甘い。クーデリアは雷鳴の所で鍛えて、更にロロナと一緒に格上のモンスターと戦い続けて。こうも強くなった自分に、むしろ驚いていた。

叩き潰すまで、八秒半。

ジャーマンスープレックスで地面に頭から叩き付けられ、白目を剥いて泡を吹いている姉を一瞥。此奴には散々訓練と称して、暴力を振るわれた。

多少は溜飲が下がる。

ちなみにクーデリアは素手だ。雷鳴の所で、素手での戦闘について、徹底的に仕込まれた。それで、銃撃についても、かなりマシになると言われた。実際今、鍛え抜いた技と経験で、復讐を思いのままにしている。銃撃についても、ナインタイラー戦では一発も外していない。

更に、また兄に手袋を叩き付ける。

「何の騒ぎだ!」

父が来た。

だが、クーデリアは、その父の視線を、真っ正面から受け止める。かっては怖くて仕方が無かった夜叉のような顔も、今ではもう、耐えきれる。

「神聖な決闘の最中よ。 邪魔は例えお父様でも許されないわ」

「何だと……」

「面倒ね。 二人一片にどうぞ。 それともあたしが怖いかしら?」

もう一人の兄にも、手袋を。

何歳も年上の兄姉達を、殆ど時間をおかずにたたきのめす。一人、一人、一人。父の前で、順番にぶっ潰していく。

かっては、勝てる気がしなかった。

だが、此奴らは戦って見てよく分かったが、年相応の実力しか無い。クーデリアは、歴戦の猛者が相手にするようなモンスターとの戦いで、死線をくぐってきた。多少の才能の差など、くぐり抜けてきた戦闘の質と、師匠の教えで、この通りクリアできる。クーデリアはいろんな戦士に頭を下げて、教えを請うてきた。その全てを、プライドを捨てながら、身につけていった。ロロナを守るためなら、プライドなんて、いくらでも捨てられた。そして決定的だったのが、雷鳴の教えを受けたことだ。あの人の老練な技は、クーデリアにとって、正に天啓に等しかった。

クーデリアは弱かった。

だからこそ、今は。此奴らに勝てるのだ。

最後に残ったのは、最年長の兄。

他は全員泡を吹いて、その辺に転がっている。正直事故を装って首をへし折ってやりたかったのだけれど。それは止めてやった。

そう。選択肢が、クーデリアの手には、増えていたのだ。

立ち上がったクーデリアが、埃を払う。鈍っている此奴らなんて。スカーレットやナインタイラーに比べれば、塵芥も同然だ。武器も使っての立ち会いだったら、瞬時にブチ殺してやれるのに。そう思うと、決闘なんて手段を選んだのが、ちょっとばからしくもあった。

だが、これも必要なことなのだ。

そう自分に言い聞かせて。憎悪と怒りを、コントロールする。今まで十年以上蓄えてきた鬱屈を晴らすのは、今なのだ。

「ミカエル兄様。 決着を付けましょうか」

「こ、この、調子に乗るなよ……!」

「調子に乗る? あたしを才能が無いって見下して、油断して逆転された人に言われたくは無いわ」

青ざめた兄ミカエルは、クーデリアより十一歳上。

既に成人していて、妻もいる。そして、フォイエルバッハ家の跡取りでもある。

その跡取りの座を。

この決闘で。叩き潰す。

奴らが馬鹿にしきっていたクーデリアの手で、全てを叩き潰して、奪い去ってやる。暗い情熱が、クーデリアの腹の底で、じりじりと蠢いていた。

ミカエルが訓練剣を手にする。

クーデリアは少し足を開いて、手をだらんとたらして立つ。流石に此奴は相応に強い。父にはまだ勝てないとクーデリアは思っているが。此奴については、油断したら負ける可能性もあると考えている。

つまり、いつも通りやれば勝てる。

構えを見るだけで、それがわかった。

思ったよりずっと速い切り込みを、ミカエルが叩き込んできた。

わずかに足を下げ、体幹をずらして避ける。切り上げてきた。すっと音を立てて下がり、剣が鼻先を通り抜けるのを感じる。また、降り下ろしてくる。

ゆっくり、前に出る。

自分でも驚くほど、クーデリアは落ち着いていた。

雷鳴は、こう言った。

憎悪や怒りを、戦闘で持つ事は、悪いことでは無い。

ただそれは、一点に集中させ、爆発させろと。

ミカエルの脇腹に触れる。

焦ったミカエルが跳び離れる。掌底からの衝撃波を叩き込まれると思ったのだろう。その通りだ。飛び退いただけでも、他の兄弟姉妹よりはましか。だが、同時にクーデリアも加速。

構えを採ろうとした兄ミカエルの顎を、雷鳴仕込みの鋭さで、蹴り砕く。

更に、倒れそうになったところを追撃。

踵落としを顔面に叩き込み、地面に叩き付けた。

死ね。

心中で呟く。

足を掴むと、そのまま体を振り回し、投げた。悲鳴を上げた兄ミカエルが、何度か地面でバウンドして吹っ飛んだあげく、庭の植木に突っ込んだところで、エージェントを代表してアルフレッドが止めに入った。

「其処までにございます」

「……わかったわ」

助け出された兄の顔面はぐちゃぐちゃだ。

端正な顔だけに、より凄惨である。ただ、あの甘っちょろいマスクである。縫い目の一つや二つも増えた方が良いだろう。無様に悲鳴を上げながら引きずられていく兄を、一瞥だけした。

あの程度で、何だ。

クーデリアなんて、体中に消えない傷跡が残っている。

体だけでは無い。

心にもだ。

父が、怒りを押し殺しながら言う。

「何の目的で、決闘などした、クーデリア」

「フォイエルバッハ家の相続権」

「何……っ!」

「全員に放棄してもらいました。 これであたしが、誰もが認めるフォイエルバッハの跡取りです。 神聖な決闘である事は、この場の全員が見届けています。 文句はありませんわね、お、と、う、さ、ま」

わざと区切って言う。

正直な話、此処で父が激高する可能性についても考えていた。しかし、此処にいるエージェント達は、今回のクーデターに全員が荷担している。

既に現役を退いて久しい父は、クーデリア一人に勝てても。このエージェント達全員を、一人で相手することは出来ない。

更に、決闘のタブーもある。

今の決闘で得られた成果を否定する場合、最低でも一年をおいて再決闘をする必要がある。

修羅の国アーランドだからこそ、出来たクーデターだ。

父は何も言わず、自室に引き上げていった。

エージェント達が、拍手する。

「おめでとうございます。 これで貴方が次期フォイエルバッハ公です」

「ええ。 その地位を盤石にするためにも、これからも徹底的に鍛えなくてはね。 貴方たちの技を教えて。 何もかもが、必要だわ」

この勝ちは、万全のものでは無い。

父が何かしらの陰謀を仕掛けてくる可能性も高い。兄たち姉たちも、いずれ復讐のために、何か手を打ってくるかも知れない。

それに備えるためにも。

クーデリアは、更に力を付けていかなければならなかった。

そして最終的に、ロロナを守る。

思ったよりずっと早くフォイエルバッハを掌握できたのは僥倖だ。このまま、ロロナを守るための準備を整えていく。

もはや、クーデリアは、一人で泣いている小娘では無い。

運命を自力で切り開き、誰よりも大事な友を守る。その力を、得たのだ。

 

フォイエルバッハ公に、王が咳払いする。

屋敷から出てきた公は、ステルクと王の前だというのに、殺意の塊みたいな顔をしていた。

「どうやら、してやられたようだな」

「……」

すっと、公の顔が変わる。

無表情に。

殺意を、内に閉じ込めたのか。それとも、或いは。

「これより、会議を行う。 プロジェクトMに進展があった。 納品された大砲の性能が、想像以上でな。 これより工場のラインを幾つか量産へと廻す。 それについての会議だ」

「わかりました。 直ちに」

公は、どうしたのだろうか。

ステルクの疑念に、王が応えてくれる。

「全く、不器用な男だ」

「はあ?」

「まあ、いずれお前にもわかる。 それよりも、来年中にロロナ式大砲の量産を成功させれば、国境の状況が一気に安定する。 これからその準備で忙しくなるぞ」

王に促され、クーデターが起きたフォイエルバッハの屋敷を後にする。

クーデリアのことは、ステルクも心配していた。公と上手く行っていなかった事が目に見えていたし、ロロナの事で思い詰めている様子も痛々しかった。ただ、ステルクはフォイエルバッハ公の事情も知っていたから、どちらに肩入れも出来なかった。

それに、このまま、全てが上手く行くとはどうしても思えない。

クーデリアは状況を改善するために、かなりの無茶をした。

確かに彼女は苦労に見合った成果をようやく得たが、それにしても今回の件で、逆恨みだとしても周囲から憎悪を受けるはずだ。

勿論尊敬もされるし、今まで愚かな兄弟達に悩まされていたエージェントやメイド達には支えて貰えるだろう。

しかし、憎悪の恐ろしさは、ステルクもよく知っている。

身をもって、だ。

これから会議だというのならば、クーデリアも来る。その帰りにでも、少し話してみるとしよう。

そう、ステルクは決めていた。

 

(続)