奇跡と現実
序、騎士の過去
アーランドに所属する騎士ステルクは、今日も不機嫌そうな顔のまま、大通りを歩いていた。
ロロナの所に進捗を見に行ったのだが。どうも上手く行っていないようなのだ。毎回苦労している様子を見ると、気の毒になってくるが。しかし、ロロナがぶつかっている壁の高さを考えると、仕方が無い。
歴代錬金術師達が作り上げてきた遺産の、総決算。
今、ロロナは、徐々にその位置に、近づきつつある。
ステルクは、師と呼べる存在を得なかった。
そう言う意味でも、ロロナには親近感が湧く。ロロナは、とてもではないが、まともな師匠を得ることがついに無かった。アストリッドは、ロロナに基礎の基礎だけを教えた後は、完全に放置を決め込んでいる。
誰か、まともな大人が周囲にいれば。少しはましになっただろうに。
騎士達の宿舎に戻る。
剣の訓練をしている若い騎士がいたので、つきあう。剣はあまり人気のある武器では無いのだけれど。
ステルクはその人気が無い武器で、頂点の一角に立った。
ステルクより何歳か若い騎士は、訓練用の剣を手に取る。ステルクのものよりも、ずっと重量があって、破壊力も大きい剣だ。
大してステルクは、オーソドックスなロングソードを手に取った。
しばらく、構えをとったまま、間合いを計る。
仕掛けてきたのは、相手から。
懐かしい光景だ。ステルクは、後の先の剣。いわゆる、後手から勝ちに行く戦い方を、昔から得意としていた。
降り下ろされた剣を、ゆっくり避ける。
騎士にまでなった戦士だ。その剣筋は鋭い。だが、今のステルクからは、隙だらけに見えた。
何度かの剣撃を避けると、甘い一撃をはじき返す。
ぐわんと凄い音がして、訓練剣が半ばからへし折れた。訓練剣でも、これだけ派手な音が出るものなのだ。
尻餅をつきそうになった若い騎士の喉に、軽く剣の刃を当てる。
「此処までだ」
「有り難うございました!」
頭を下げる若い騎士。
その後は、アドバイスに入る。ステルクが一番気になったのは、騎士の剣の持ち方。幾つかの型にしたがって持つように指導されているはずなのだが。この騎士は、どうも独創的な剣の持ち方をしていた。
それが独自の技につながるのなら、問題ない。
動きを見る限り、既存の型そのままなのだ。これでは、むしろ動きが制限される。無駄が出来てしまう。
それを諭すと、騎士は悔しそうに応える。
「この構え、親父に教わったんです。 親父はついに一流になれなかった剣士でして、この型を極めるのが、夢でした」
「ならば余計に、努力をしていかなければならないな。 その型の戦い方を、自分で編み出すためには、努力と修練が不可欠だ。 時間がある時なら、私もつきあおう」
「はいっ!」
もう何本か、稽古につきあう。
しばらく無心に剣を振るうことで。嫌なことを、全て忘れることが出来た。
尊敬する両親を持っているというのは、良いことだ。ステルクは、ついに師匠にも、両親にも、恵まれなかった。
訓練が終わったので、銭湯に行き。汗を流した後はそのまま、宿舎へ帰り、眠った。
夢は、国家の柱石となった今のステルクでも、当然のことながら見る。騎士は文字通り超人に近い存在だが、それでも夢を見ない、という事は無い。エスティのような裏家業に足を踏み込んでいる騎士は、睡眠をコントロールしているようだし、ステルクもある程度は出来る。だがそれは、体力を消耗する行為なのだ。
悪夢は今日も来た。
幼い頃の記憶は、すなわち悪夢。今でも定期的に見るが。今日もそれだった。来たと思っても、どうにも出来ないのが不快だ。
ステルクが物心ついた頃には、既に父は一線を退いていた。記録などを見る限り、父は少なくとも二流くらいにまでは行った戦士であったらしかった。だが、ステルクは、酒を飲んでは暴れ、外で借金を作って来る父しか見たことが無い。
アーランド人としては、質実剛健が求められる。
だから、父は周囲から、徹底的に軽蔑されていた。
母はとっくの昔に出て行っていたが、それを責める者は誰もいなかった。ステルクの世話をしていたのは、労働者階級の女性で。彼女さえ、給料が出なくなったため、ステルクが十を超えた頃には、家からいなくなっていた。
やがて酒代がかさんだ父は何かの犯罪に手を染めて逮捕されて。ステルクは、孤児院に移った。噂によると、労働者階級の借金取りを殺したとか。ただ、あの男をステルクは父とは思っていないから、調べようとも思わなかったが。
すさんだ心を抱えたステルクは。周囲の孤児達と喧嘩に明け暮れた。
どれだけ武が貴ばれる世界と言っても、ドロップアウトする人間は必ずいる。孤児院でステルクは負け知らずだったが、それが一体何になるというのか。
将来への絶望。
両親への怒り。
あらゆるものが、幼いステルクの心の中で、煮えたぎっていた。それは喧嘩という形でしか発散できず、周囲はその暴力に、台風のように巻き込まれるのだった。
もっとも、孤児院を経営していたのは、かって騎士として名をはせた人物。
ステルクでは、どうあがいても勝てなかった。
何度か暴れた後、孤児院長にぶちのめされた。
雨が降る中、泥水を浴びたステルクは、地面に芋虫のように転がされた。絶対に勝てないレベルの相手がいる。この時、ステルクはようやく思い知ったのである。父はステルクには無関心で、喧嘩をする機会さえ無かった。しかも、風の噂によると、刑務所でアル中をこじらせて死んだと言うことだったから。
「お前は、他の子供達と、一緒には出来ない」
雨に濡れながら、元騎士はそう言った。
同年代の子供相手に無敵を誇ったステルクだったのに。この元騎士には、拳の一発さえ当てられなかった。当たったところで、効きさえしなかっただろう。
そして、なおも元騎士は言う。
「お前の鬱屈は、誰にも愛されず、誰にも構われないことから来るものだな」
その通りだろうか。
他の孤児も皆心がすさんでいたけれど。ステルクほどの暴れ者は、そうそうはいなかった。
無理矢理起こされると、拘束衣を着せられて。
そして、次の日には、別の場所に移された。
其処は、若い戦士を養成する施設だった。正確には、優れた素質を持つ子供達が集められ、将来のエリートとして教育を受ける所だった。
此処なら、好きなだけ力の使い方を学べる。
元騎士は、そう言った。
ステルクは何かに憑かれたように、修練に没頭した。
其処ではあらゆる戦闘技能が教えられていた。一方で、最低限の礼儀作法さえあれば、後はどうでもよいとされた。
とにかく強くあれ。
最強を目指せ。
修練で良い成果を出せれば、美味いものが食える。
何より、周りから褒めて貰える。
生まれてこの方、周囲からの愛情を受けたことが無かったステルクには。むしろ、この方が、丁度良かった。
才能があったのかは、今でも分からない。
分かっているのは、力がぐんぐんついていったこと。周りにも強い奴がいくらでもいたけれど。やがて、ステルクが、騎士でさえ舌を巻くほどに、腕を上げていた事だ。
不思議な話だけれど。
幾つかの戦いで武勲を上げた頃には。幼い頃の破壊衝動と殺意は、何処にもなくなっていた。
評価を受ける。
ただ、ステルクが穏やかでいるには、それだけで充分であったのかも知れない。
恋人も出来た。
幼い頃からの、数少ない知り合い。ステルクを怖がらなかった、変人の中の変人。そいつが、実はステルク以上の実力を持つ怪物的な天才だったと知ったのは、十代半ばの頃だけれど。
不思議な話だが、奴のことをにくいと思った事は無かった。
恋人の名はアストリッド。
そして、その恋は。
アストリッドが、師匠を失うまでは続いた。
目を覚ますと、ステルクは訓練のために、宿舎を出た。幼い頃の夢は、文字通り身を苛む。
ステルクにとっては、全ての災厄の源だ。
悪夢には慣れている。
それに、アストリッドと別れてから、恋人は作っていない。何というか、作ろうという意欲も湧かなかった。
アストリッドがあまりにも強烈な個性の持ち主だったという事も、あるかも知れない。それに、ステルクは、アストリッドの悲しみと怒り、それに起因する闇をよく知っている。安易に否定しようとも、逆に慰められるとも、思ってはいなかった。
アストリッドは完全に壊れてしまったと言ってもいい。
天才だからこそにその闇は深かった。
ステルクに、何か出来た事があったのだろうか。今でも、それは分からない。恋愛沙汰に詳しい人間に話も聞いてみたが。具体的に何をすれば良いのか、さっぱり分からなかった。
アストリッドの悲しみを知っているからこそ。別に恋人を作ろうとは、思わないのだろうか。よく分からない。
それに、他のアーランド人同様、ステルクは性欲が薄かった。別に無理に恋人を作って、性欲を発散しようとも思わなかった。作ろうと思えば作れたのだろうが、トラウマを振り切って作るというところまでに、恋人の必要性を感じなかったのだ。
時々、色宿の側を通りがかるが。中に入っていくのは、大半が労働者階級だ。戦士階級のアーランド人は、殆ど浮気もしないし、若い頃に体ももてあまさない。質実剛健を旨とする生き方が貴ばれるだけではない。
ステルクが思うに、生物としてとても強いから。無理に繁殖する必要がないのだろう。
それに何より、ステルクは、いびつな育ち方をした人間だ。
だから、武術だけが全てだった。特に今は。
性格が落ち着いてきてからも、それに代わりは無かった。今でもステルクは、顔が怖いと言われるけれど。
そもそも、親から笑い方さえ習わなかったのだから、こればかりは仕方が無い。
人間的な感情は得たとは思っているけれど。
それも、何処まで本当なのか。
内心では、それほど自信は無かった。
クーデリアが来ている。
騎士達に、戦い方を教わっているのだ。最近はロロナに言ってはいないようだけれど。頻繁に姿を見せるようになっていた。
騎士ともなると、平凡なアーランド戦士とは比較にならない戦闘力を持つ。クーデリアも既に一人前の実力を有してはいるが。此処ではまだまだひよっこだ。
だが、何度たたきのめされても。
何度うちのめされても。
泥だらけになって這い上がってくる様子は、好感が持てる。事実、騎士達も、悪い感情は抱いていないようだった。
「あの腐れフォイエルバッハの娘にしては、やるじゃねえか」
訓練を受け持っていた騎士が、豪放に笑った。
フォイエルバッハ卿は、武勲を上げた人物であり、むしろ優れた戦士なのだが。性格と、何より現在の行動から、戦士達からは著しく嫌われている。ステルクにはその背後には何かあるのではと思えるのだが。此処で言っても仕方が無いので、黙っている。
アーランドでは、後進を鍛えることは、良いこととされる。
これは何故かというと、自分の技について確認できるからだ。人に教えるには、三倍は知らなければならないという話もある。自分の技がどれだけ未熟か、気付く切っ掛けにもなりやすい。
クーデリアは、射撃精度から言っても、銃を使う戦士としては充分な技量を身につけている。
ただし、この世界では、銃などは牽制用の武器にしかならない。
弾速が遅すぎるのだ。
だから、体術も教えている。
クーデリアの身体能力は高いので、体術さえものになれば、恐らくは多少のモンスターなど縦横に蹴散らせるようになる筈。大物は銃器で牽制しながらロロナの支援を待つか、或いはリミッターを解除してからの大技で仕留めれば良い。
クーデリアもその基礎戦略を忠実に守っている。後は、大成するまで、己を鍛えていくだけだ。
「よし、今度は俺だ」
「お願いします」
クーデリアも、流石に訓練を付けてくれる相手には、敬語で喋る。
筋骨隆々とした大男が、槍をしごいて構えをとる。
クーデリアとの実力差は見た瞬間に分かるほど明白。だが、クーデリアは、恐れる事も無く向かっていく。
たたきのめされては立ち上がり。
立ち上がってはぶちのめされる。
他の騎士と訓練をしながら、ステルクはその様子を見ていた。
昼過ぎ。
ぼろぼろになっても、まだ立ち上がるクーデリアを伴って、サンライズ食堂に。おごりだというと、クーデリアは無言でうつむいた。
「借りは作りたくないわ」
「訓練を受けている時点で、借りは出来ている。 それに君の経済状態が、実際にはあまり良くない事も、聞いている」
「……」
クーデリアは、よそでは金持ちのように振る舞っている。
だが、それは違う。
実際には、よそ行きの格好と、戦闘用の装備だけに金を掛けていると言っても良い。フォイエルバッハ卿は、娘であるクーデリアに、小遣いなどほぼ渡していない。今回のプロジェクトでもらっている給金は、殆ど弾丸や外行きの格好のために消えてしまっている。たまにロロナを安心させるために嗜好品を買うこともあるようだが。いずれにしても、プロジェクトの参加者として得ている賃金は、ほぼ残らないようだ。
大盛りのホーホを頼む。
流石に訓練後だから、クーデリアもすぐに平らげた。ステルクは頷くと、幾つか見て気付いたことをアドバイスする。
クーデリアは面倒そうにしながらも、アドバイスは全て飲み込んで吸収する。
天賦の才は無いけれど。
その代わり、根は真面目で、覚えた事も忘れない。きっと成人する頃には、いっぱしの戦士となって、後進から慕われる存在になっているはずだ。実際問題、一部の天才を除けば、クーデリアより成長が早い戦士は、そう多くないのだ。
ステルクはクーデリアと別れると、王宮に。
書類の整理を済ませていると、エスティから声を掛けられた。王がオルトガラクセンの邪神と話を付けてから、アーランド近辺での緊張状態が緩和された。本当にモンスターが出てこなくなったのだ。勿論、今まで荒れ地に生息していたようなモンスターは、普通に姿を見せるが。オルトガラクセンから現れていた連中は、下手をしなくてもドラゴン並みの実力を持っていることが多かった。それだけ、アーランド近辺に、精鋭を貼り付けていなければならなかったのだ。
オルトガラクセンからの圧力が緩和されたことは、大きい。
だから、今まで解決できなかった問題に、注力できるようになったのである。ステルクにも、その関係で、仕事が回ってくるようになっていた。
「ステルク君、新しい仕事」
「見せていただけますか」
書類に目を通す。
エスティはこの機にと、周辺国の問題分子を片端から消しているようだ。
ステルクはというと、強力なモンスターの内、まだ討伐されていない奴の駆除を任された。
近場にいるモンスターの内、一つ気になるものがある。
「先輩、これをロロナくんと一緒に討伐しても構いませんか? 少しでも腕を上げさせたいのです。 勿論、今回の課題が終わってから、ですが」
「構わないわよ。 ただそいつ、今のあの子の手に負えるかしら」
「私がついていますから、どうにかさせます」
格上の相手との死線は、人間の底力を引き出す。
ロロナは成長がかなり早いが、戦闘面での実力はまだまだだ。今のうちに、鍛えられるだけ鍛えた方が良い。
ただでさえこのプロジェクトは、地獄への片道切符に等しいのだ。
生還の可能性は、少しでも上げておく。
それが、かって愛した女の弟子に対する、ステルクの配慮だった。
1、高き壁
げんなりして、ロロナは机に突っ伏した。
駄目だ。
どうしても、発生する水の量を、増やすことが出来ない。あらゆる手段を試しているのだけれど。資料にもしっかり目を通しているのだけれど。どうしても、自動的に発生する水の量が、限られているのだ。
金型が悪いのかと思って、色々と追加発注もした。
だが、これは資料にあるとおりの造りなのだ。どうしても、水が出てくる量が増えない。これでは、予定量の水を、作り出す事が出来ないのだ。
気分転換をしようと思って、作り置きしていたパイを食べる。気がつくと、ホールパイをまるごと食べてしまっていて、胸焼けがした。
ため息が零れる。
今まで、いろいろなものを作ってきた。
苦労しながらも、どれもこれも、完成にはこぎ着けた。
それなのに。
クーデリアが、後ろで咳払い。
来ていたのか。
「その様子だと、どうなっているかは、聞くまでもないわね」
「くーちゃん! 何とかしないと……」
「落ち着きなさい。 まだ時間はあるから」
しかし、そう言われても。
残りの時間があっても、完成させるビジョンが全く見えてこないのだ。
である以上、時間は無いのと同じ。
これでは、焦る気持ちを、抑えられない。
クーデリアと一緒に、資料の整理をするけれど。やっぱり、焦った頭では、殆ど何も入ってこない。
読んでいる資料が、まるで虫がのたくっているかのように思えてきた。頭をかきむしるけれど。
勿論、何も解決などしない。
「別の方向からアプローチするわよ」
「え?」
「まずは広場の噴水を調べて見る。 あれは水の品質は兎も角、出てくる水の量を考えると、間違いなく成功例でしょ?」
確かにその通りだ。
更にクーデリアは、王宮の図書館にも行くべきだという。
確かに、噴水についての資料があるかも知れない。
言われて見れば、その通り。此処にある専門書でも分からないのならば、視点を変えてみるしか無い。
煮詰まると、こんな事も分からなくなる。
「それに気分転換も必要よ。 パメラの店にでも行こうかしら」
「うん、ちょっと待って。 準備するから」
クーデリアはよそ行きのヒラヒラだけれど。ロロナは普段着だ。錬金術師としての正装に変えると、後はホムに任せて、アトリエを出る。
パメラの店に、まずは足を運ぶ。
中は比較的、人が多くなっていた。以前はガラガラだったのだけれど。どうやら不思議な魔術の籠もった道具類が、それなりに売れているようだ。
更に、見知った顔もある。
コオルというなの行商人だ。少年のような見かけをしているが、実年齢は知らない。元から、背が低い一族なのだ。
彼はロロナの所にも、珍しい品物を持ってくる。
今回はどうやら、パメラの相談に乗っていたようだった。
「じゃあ、これは相談料よぉ」
「まいど。 今後もごひいきに」
パメラが料金を渡すと、コオルはロロナに一礼だけして出て行った。
パメラはにこにこと上機嫌だ。客がこれだけ入っているという事は、経営も相応に上手く行っているのだろう。
ロロナも品を見せてもらう。
気付いたのだけれど、ネクタルなどはかなり薄められているようだ。また、魔力が回復するキャンディや、体力の回復を促進する干し肉などには、おそらくパメラ自身が掛けた魔術が宿っている。
そして、値段が上がるほど、籠もる魔力は強くなっている様子だ。
店の入り口には、縄がぶら下がっている。
アレはおそらく、盗難対策だ。
商品にはどれもタグが付けられていて、魔術でロックされている。あれをそのまま持ち出そうとすると、縄に捕まってしまう、という事なのだろう。
知識があると、お店の中のいろいろが分かってくる。
とても不細工なぬいぐるみもあった。
以前クーデリアが買っていったものとは違って、動くようなことはないようだ。ただし、護身用とか書かれている。
爆破の術でも籠もっているのか。商品説明を見ると、それどころではなかった。
強い呪いが籠もっていて、主人以外の者が触れると、相手を身動きさせなくすると言うのだ。
恐ろしい。
幾つかの品を、パメラの所に持っていく。
高純度の、魔力を込めた蜂蜜や。予備用のネクタル。ネクタルは、苗床を足しておけば品質が増すし、増やしておいて損は無い。
お金は若干余裕がある。
だから、買い物に躊躇する理由は無かった。
「はい、まいどありー」
「パメラさん、商売、順調みたいですね」
「ロロナちゃんのおかげよぉ」
「え……」
言われて驚いたのだが。
ロロナは今、かなり知名度が増しているという。ぐうたらだったアストリッドと違う働きもので、緑化でもモンスターの駆除でも成果を上げている。期待の新星だと。
そのロロナが御用達にしていると言うことで、この不思議なお店は、繁盛しはじめたのだとか。
多分あのコオル君の入れ知恵だろう。
苦笑いしながら、商品を受け取る。一旦買い物をコンテナに戻すと、大広場へ。噴水を、しっかり観察。出来れば外して分解したいくらいなのだけれど。流石にそれはできないので、念入りにスケッチし、なおかつ外から分かる部分は調査もしておいた。
それによると。
どうも、水を発生させる部分が、思ったより太く出来ている。
ひょっとすると。
「何か、思い当たる部分があるの?」
「うん、王宮の図書館に行ってみよう!」
半月ぶりに、研究が動く可能性が高い。
技術自体は、さほど難しくないのだ。しかし材料が貴重なので、試行錯誤には限界がある。
成功例を見ながら、やっていくしかないのだ。
小走りで王宮へ急ぐ。実際に自分でやってみると、気がつくことは多い。王宮に出向くと、エスティが受付にいたので、図書館に入れてもらう。勿論、閲覧の際には、噴水についての資料を、真っ先に探した。
たくさんある本棚の中から、見つけ出す。
錬金術師と一緒に、広場に国のシンボルとなる噴水を作った職人の手記だ。
目を通していくと、いろいろな事が分かった。
錬金術師は最初、水が中々増えないことに、苛立ちを見せていたのだという。理論はあっているのに何故だと、何度も周囲に怒鳴り散らしていたとか。その時の錬金術師はとにかくやせ細っていて、目がぎらぎらと輝き、文字通り何かのモンスターのような容姿だったそうだ。
それが苛立ちを周囲にぶつけていたとなると、さぞや怖かった事だろう。
やがて、噴水のデザインが悪いと、錬金術師は言い出した。王ともかなり言い争ったという事だ。
ほどなく、不意に事態は解決する。
思わず、其処に引きつけられる。
「何か分かったの?」
「……分かったかどうかは微妙だけれど、試してみる価値はありそう」
念のため、気になる箇所の全文を模写。
ただし、資料の持ち出しには許可がいる。模写についてもだ。エスティに申請すると、色々と書類を作らされた。拇印を押したりもした。魔術によってロロナの生体情報も写し取られた。
煩わしいが、仕方が無い。
それにしても、エスティの仕事ぶりを見たけれど。驚きだ。
残像を残して動きながら、書類を見る間に捌いていくのである。戦闘技能を、デスクワークでもフル活用していると見て良いだろう。
ロロナが作った書類も、すぐに処理してくれた。
「はい終わり。 じゃ、頑張ってね」
「有り難うございます」
一瞬だけ、エスティがロロナを同情するような目で見たのだけれど。
理由は分からない。丁寧に礼をすると、すぐにアトリエに戻った。
手記によると、錬金術師の作業は、途中から不意に上手く行き始めたのだという。おそらくそれは、噴水のデザインを変えてからの出来事だろうと、手記ではまとめていた。
或いは、だけれども。
錬金術師も、本当はどうして水が出ているのか、はっきりは分かっていなかったのかも知れない。
あの分からない理論は、一部はあっているのかも知れないけれど。
或いは後付けで、理論を組んでいるのでは無いのか。
手記を元に、金型を改良。
水を産み出す構造部分の、形状を変える。
そもそもは、コップで上手く行ったときのまま、筒状でためしていた。
だが、ひょっとすると。
予想は、当たった。
菱形に形状を変えた筒からは、勢いよく水が湧き出したのである。どうやら、水を産み出すには、入れ物の形が重要なようだった。
庭に入れ物を幾つか並べると、順番に実験をしていく。
まず必要なのは、緑結晶。
これは実際には、アクアライトと呼ばれる宝石や、水に関わる強い魔力を秘めた存在なら、何でも良いようだ。
これを核にする。
次に入れ物だ。
入れ物の内側には、魔術による刻印を彫る。入れ物の形状は何でも良い。その外側に、ゼッテルを貼る。同じように、魔術による刻印が必要だ。入れ物を二重構造にして、間にゼッテルを貼っても良い。
そして、緑結晶に。
水と強い魔力が飽和状態になった中和剤を注ぐ。
蓋を閉じる。この蓋の上にも、ゼッテルを貼る。そして、更に上から、二重の蓋をかぶせるのだ。
そうすると、冗談のように、水が生まれ始める。
ロロナが魔力を注ぐと、生まれ出る水も増える。そして、水の量は、入れ物の形状によって、大きく変わってくる。
この辺りは、理論では書かれていなかった部分だ。
ひょっとして、これを生み出した錬金術師は、自分でも、よく分かっていなかったのでは無いのか。
天才なのに、お茶目なことだとロロナは思った。
だって、周りも分かっていないのを良い事に、分からない理論で煙に巻いたのも同じだからだ。
まず分かったのは、筒状では駄目。
出てくる水の量が、あまり多いとは言えない。
ゼッテルで貼る魔術の刻印などでは、全く影響が出ないことが、ここしばらくの実験ではっきり分かっている。
かといって、ただの筒に入れても駄目なので、気むずかしい。
色々と試していくと、分かったのが。壺状の形態が、一番水が出る、という事だ。何故かはさっぱり分からないけれど。
そして、さらなる問題に、調査中ぶち当たった。
水の質が、さっぱり良くないのである。
まるで泥水のようなのが、わき出してくる。これは困った。しかし、濾過の機能を付けると、大規模になりすぎる。
クーデリアと一緒に、噴水の様子を見に行く。
噴水の方はというと、さほど汚れてもいない。確かに飲料水にするには無理があるけれど、此処まで酷くはない。
まさかとは思って、筒の上に杯の部分を載せてみる。
効果は激烈だった。
水の品質が、一気に変わったのだ。
ますます分からなくなる。これは総当たりで試してみるしかないのではあるまいか。それにこの様子では、水では無くて、とんでもないものがわき出してくるかも知れない。
これほど気むずかしい道具であるとは。
メンテナンスのマニュアルを作る際、錬金術師本人でも仕組みが理解できていないとか、書くべきなのだろうか。
だとしたらあまりにも悲しすぎる。
杯の部分についても、お金がある程度潤沢だとはいっても、親父さんに色々なのを作ってもらうとして、その後量産しなければならないのだ。
そうなれば、いくらお金を蓄えてあっても、まるで足りない。しかもこの様子では、筒の部分や杯の部分に使っている素材でさえ、品質や、出てくるものが変わりそうな勢いなのである。
思わず頭を抱えてしまった。
クーデリアが、あきれ果てたように言う。
「今からでも、他の選択肢を探すという手は?」
「無理だよ。 課題開始の時に二人で調べたでしょ。 条件を都合良く満たしてくれている道具は、これしかないの」
「……そうよね。 なら気になるんだけれど、歴代の他の錬金術師達は、これを利用しての緑化はしなかったのかしら?」
そういえば。
これさえあれば、ため池は造り放題。
わざわざ小川から水を引いてこなくても、半永久的に水が出てくる、凄い仕組みなのである。
それなのに、歴代錬金術師は、どうして湧水の杯に手を出さなかったのか。
考えた末、ロロナは師匠の部屋をノックする。
昨日、部屋に入るのを見た。出てきた雰囲気は無かったから、多分まだいる筈だ。寝ていなければ、出てきてくれるはず。
ノックをした後、少し待つと。
師匠が眼鏡を掛けながら、部屋から出てきた。
まずい。寝起きだ。
滅茶苦茶に機嫌が悪い。この状態の師匠は、腹いせにモンスターを八つ裂きにしてくるほどなのだ。
「どうした。 何かあったか」
「は、はい、あの」
背筋が自然に伸びてしまう。
冷や汗が、全身を流れ落ちているのが分かった。この状態の師匠は、ロロナが幼い頃から、容赦というものを知らなかった。本当に、死ぬと思うような目にも、何度もあわされたのだ。
「歴代錬金術師の、研究過程の資料、知りませんか」
「殆どは処分されているが。 ああそうか、湧水の杯を作りはじめて、他がどうやっていたのか知りたくなったな」
頷くと、アストリッドは。
非情な宣告をしてくれた。
「此処には無いぞ。 というか、湧水の杯を作り出した錬金術師にしてからが、仕組みの解明は放棄したほどだ。 ちなみにあの噴水、作成までに二十年が掛かっている。 試行錯誤の末、ある程度の品質の水を出すまでに、それだけ掛かったという事だ」
「……っ!」
「そんな顔をしてもないものはない。 というか、今更気付いたのか。 私は仕組みを理解しているが、あれは相当に高度な学問の結晶体だ。 元々、生半可な錬金術師の手に負える品物では無い」
真っ青になっているロロナを見て、師匠の機嫌がどんどん良くなっていくのが分かった。この人は筋金入りだ。ロロナが悲しんだり苦しんだりしていると、本気で喜ぶ。ただ、ロロナが粗相をしない限りは暴力を振るったりはしなかったけれど。ロロナが研究で苦しんでいるのを見て、いつも舌なめずりをしていることだけは、事実だった。
師匠が戻ろうとしたので、クーデリアが咳払い。
それで、我に返る。
「そ、その。 せめて何かヒント、貰えませんか?」
「ふむ、お前が試行錯誤して苦しむのを、もう少し見ていたかったのだがなあ。 まあ、良いか。 お前も気付いているようだが、湧水の杯で重要なのは形状だ。 問題は、今まで作られた実例だが。 噴水の他にも何カ所か、確か現存しているはずだ。 そうだな、街の南に、非常時のためのため池があるだろう。 あれに、湧水の杯を使っている筈だ」
そういえば、そんな場所もあった。
周りに柵が作られていて、濁った水がとにかく怖かった印象がある。周囲には監視のための魔術が掛かっていて、もし入ろうとすれば、すぐに大人が飛んできて、怒られることになった。
ロロナも腕白だった幼児の頃は、そうして怒られたことがあった。
ため池という事は、飲める水を使っているはず。溜まっている水自体は緑色で非常に汚かったけれど。
実物を、見ることが出来ないだろうか。
師匠は今度こそ寝に入ってしまったので、もうこれ以上話を聞くことは出来ない。クーデリアと一緒に、まずは王宮に。
珍しく、ステルクとエスティが一緒にいる。
最近は殆どどちらか一人、或いはどちらもいない、という状況しか無かったのに。何かあったのだろうか。
だが、エスティは暇らしく、ロロナを見ると満面の笑みで話しかけてきた。ああ、暇だったんだなと、それを見て思った。
「ロロナちゃん、どうしたの? 課題、達成できた?」
「いえ、流石にまだ……」
「そうなの。 最近はどんどん腕も上げているし、もう達成したかと思っていたのだけれど」
そう言ってくれるのは嬉しいけれど。
だが、まだまだ達成にはほど遠いのが現実。とりあえず用件を言う。エスティは笑顔のままでしばらく黙り込んでいたが。
資料を出してきてくれた。
「まだ、そんな段階なのね。 既に半ばを過ぎているけど、大丈夫?」
「な、何とかします」
「いつも苦労しているわねえ。 少しは余裕を持って課題を達成できると、私やステルク君も、安心できるのだけれど」
面目次第も無い話だ。
エスティが出してきたのは、入場許可書と身分証。身分証は仮のものだ。クーデリアの分も用意してくれた。
更に暇らしく、エスティも同行するという。ただ、暇だと口では言っていたけれど、真相は分からない。
エスティが一緒に来てくれるのははじめてかも知れない。王宮の方の仕事は、他にいる騎士に任せるのだそうだ。
三人連れだって、一緒に街の南にあるため池に。
「知っていると思うけれど、あのため池は、籠城の際に重要な水源になるの。 それに、乾燥が酷くて、街の人達の水が足りないときにも、供給されるのよ。 だから、毒を入れられると大変って事で、非常に厳しく警備されているの」
幼い頃はぴんと来なかったけれど。
しかし、久しぶりに来てみて。エスティの言葉が、嘘でも何でも無いことがよく分かった。
池の周囲に張り巡らされている監視用の魔術は、尋常な代物では無い。凄まじいまでに執拗で、なおかつ高度。
これでは、ロロナが入ろうとしたら、すぐに大人が飛んでくるわけだ。そして、しかられるのも道理である。
柵の辺りには、相当に厳重な監視網が。
魔術に対する知識を得た今なら分かる。これは、腕利きの特殊部隊か何かでも、突破は無理だ。
入った場合は、基本的に分かる仕組みになっていると見て良い。ロロナの母のような腕利きでも、誤魔化すには念入りな調整と準備をして、それでも無理だ。
「こっちよ」
案内されたのはため池の柵をぐるりと迂回して、奥。
見張りの怖い顔をした戦士に、渡された書類を見せる。怖い顔をした戦士は、筋骨隆々で、見るからに強そうだった。
「錬金術師か」
「は、はい!」
声がもの凄く低くて、なおかつ恐ろしい。
背筋が伸びてしまうロロナだが。エスティが、助け船を出してくれる。
「マーロッド君、そんなに威嚇しないの」
「小官は何もしていませんが」
「書類も持ってきているんだし、笑顔の一つも浮かべなさい。 それだから、私より年下なのに、おじさんだと思われるのよ」
「面目次第もありません」
話を聞いている限り、実はかなり若い騎士なのか。ひげ面で凄く怖い顔なので、おじさんだと思っていたのだけれど。
それに、真面目で職務に熱心な人のようでもある。
ロロナは一礼すると、内心で失礼な印象を抱いてしまったことをわびた。いろいろなモンスターと接して、相手を見かけで判断することの意味は分かったはずなのに。どうして、こう本能というのは厄介なのだろう。
見張りの人がいた奥に、小屋が。
ただし、入ってみると小屋は見せかけ。地下に、相応に巨大な監視設備が広がっていた。これは、かなり大きな資産家の邸宅並みの広さがありそうだ。クーデリアが周囲を見回して、目を細めている。
「これ、うちの応接より広いわ」
「天井も高いね!」
「それにみて、あれ。 多分貴重な金属による防爆板よ」
クーデリアが指さした辺りには、無骨な板が張り巡らされている。
なるほど、此処はアーランドの重要施設。生半可な事では入れない、国家の心臓部の一つというわけだ。表にある粗末な小屋は、偽装、なのだろう。
中では労働者階級の人が何名か詰めていて、作業をしていた。どうやら水量の管理や、余った水を下水などに放出しているようだ。
ため池の水量は相応にある。だから、そういった用水の補助をするには、うってつけなのだろう。
札がたくさん並べられていて、壁には水路の図。
なるほど、これは国家機密だ。
関係者では無い人がここに入ったら、それこそ大変なことになる。この図さえ手に入れてしまえば、アーランドの水路を破壊することは、決して難しくは無い。
エスティが同道しているとは言え、此処にはいることが出来たというのは、ロロナがそれだけ信頼を得たという事だ。
それは単純に、嬉しかった。
「ロロナちゃん、話がついたわ。 でも、決して触らないように、という事よ」
「は、はい」
気後れしてしまうけれど、奥へ案内してもらう。
水音がした。
入ってみると、噴水より更に巨大な杯があった。形状は非常に独特で、何というか、くびれた壺のようだ。
すぐにスケッチを採る。
驚いたのは、左右対称の形状では無いと言うことか。
なるほど、これは驚いた。こんな形状で、澄んだ水が出てくるようになるのか。
作った人の名前は。
調べて見ると、噴水を作ったのと、同じ錬金術師だ。
ただし年代が違う。
なんと、噴水を作ったのと、更に三十年も後。おそらく、錬金術師は、老婆になってしまっていただろう。
同じ形状の湧水の杯が、五つも並べられている。
あふれ出ている水は、溝におとされて。其処から、水路へ。更に、水路の奥へと流れ込んでいる様子だ。
その水路から、ため池に水が入り込んでいるのだろう。
また、ため池そのものも、土を掘って作った物では無い様子だ。表面上はそうだが、基幹部分は石造り。幾つかのバルブと弁で管理されていて、彼方此方に水を送り込んでいるようである。
表面の濁った水は、ずさんな管理をしているふりをするためのものか。
別の部屋に、労働者階級の人が案内してくれる。
大規模な装置があった。
どうやら、同じ錬金術師が作ったものらしい。気むずかしそうなおじさんが、資料を見せてくれた。
其処には。
錬金術師の苦悩が、書かれていた。
結局六十年以上この研究に携わってきたけれど。根幹の理論は後付けで、どうしてもノウハウだけしか作る事が出来なかった。しかも天才を恣にしてきた手前、それを誰にも話す事が出来なかった。
この濾過設備は、せめてもの償いの証。
きっと、自分が天才だと言う事の嘘は、知っている人達もいたのだろう。
だが、彼らは実績を作った事で、許してくれたのだ。
だから、恩を返したい。
そう、手記にはあった。
驚かされる。彼女の遺した資料はたくさんみたのだけれど、どれも天才が鼻につく内容で、他の人をみくだしている様子がありありと出ていた。
きっと七十代後半か八十代か。そんな年代で書いただろうこの手記では、随分と丸くなった人柄がうかがえる。
師匠は。
あの、他の人達を憎んでいる事がうすうすとうかがえる言動が。年を取ったら、少しは和らぐのだろうか。
ノウハウが、乗せられている資料は無いか。聞いてみたが、流石におじさんは、首を横に振った。
「そもそも、あの湧水の杯は、貴重な金で出来ているんだよ。 さびないようにな」
驚いて見直したが、確かにその通りだ。
噴水は、さびにくい特殊な金属を使っていたけれど。此方はさびてはいけないので、完全にさびない物を使った、というわけか。
文字通りの、国家事業。
それだけの精神的負担を跳ね返した、この錬金術師は。やはり、国家の柱石として、大きな役割を果たしたのだろう。
凄いなと、素直に尊敬してしまう。
ノウハウについて得られなかったのは仕方が無い。だが、形状はメモした。これで、きっとどうにかなる。
頭を下げて、その場を後にする。
エスティは責任者らしい人と話していた。時々難しい顔になっていると言うことは、何か問題があるのだろうか。
話を盗み聞きするのも悪い。
湧水の杯が置かれている部屋にまで戻る。細かい意匠まで、全てチェックし、メモに説明を付け足す。
クーデリアが、横から補助してくれる。
観察眼が優れている彼女のアドバイスは、本当に頼りになる。
メモをしっかり完成させた頃、エスティが戻ってきた。
「もう良いかしら?」
「はい、有り難うございます! これで、どうにかなりそうです!」
「頑張ってね」
施設を出ると、身分証も書類も、全部取り上げられた。
それだけ大事なものだ、という事だ。
後はアトリエに戻って、今得た情報を生かすだけ。どうにかして、最低でも十五個、湧き水の杯を作りたい。
どうにか、希望が見えてきた。
今月中に、一個目の完成品を作る事が出来れば。
後の十四も、きっと作る事が出来る。
流石に金で作るような事は出来ないけれど。さびにくい加工ならば、いくらでも手がある。
アトリエに戻る間、ひとことも喋らなかった。
そして、アトリエに戻ってからは。
一心不乱に、作業に取りかかったのだった。
2、侵食森での強運
今回の調合は、もう自分がいなくても大丈夫だ。
ホムと一緒に、一心不乱の作業を始めたロロナに、帰ることだけを告げて。クーデリアは、アトリエを出た。
ステルクが、調査作業に同道させてくれると言っていたので。今回は、お邪魔させてもらうことにしていたのだ。
場所は、黒い大樹の森。
アーランドの北西部に広がる、酷く汚染された土地に作られた森だ。正確には、森かどうかさえ怪しい。樹木らしいものがあるのだけれど、根本的に生態系が違うため、入ってみないとどうなっているかは分からないと言う札付きの場所だ。
昔はとにかく汚染が酷くて、アーランド人でも入る事が出来なかったのだけれど。近年は汚染がだいぶ薄れてきて、入る事が可能となってきたのだ。調査が先送りにされていたのは、他でも無い。
オルトガラクセンからのモンスター発生が頻出しており、なおかつ北の国境付近にある、夜の領域の存在が原因だ。
幸い、此処は偵察部隊が何度か入り、夜の領域ほどの魔境では無いと結論が出ている。クーデリアのような、一人前になったばかりの者が同行を許されたのは、比較的危険度が低いと判断されているから、である。
それでも、当然命の危険はある。
見ると、リオネラも同道している。彼女はクーデリアを見ると、真っ青になってうつむいた。
「どうしてあの子を連れてきたのよ」
「彼女の希望だ」
「……へえ?」
何でも、リオネラは何人かの魔術師に技を教わっているそうなのだけれど。
その全員から、言われたのだそうだ。
これ以上強くなるつもりなら、実戦の経験を積めと。
クーデリアがリオネラの事が気に入らないのは、こういう所で同類嫌悪を感じるからだろうか。
同じようなことを、クーデリアもアルフレッドをはじめとする、フォイエルバッハのエージェント達に言われる。
それで、実戦経験を積みたいと思って、ここに来たのだから。
ネーベル湖畔を左に見ながら、東へ。ネーベル湖畔にいるモンスターは、随分数を減らしたようだ。
容赦のない駆除作業が行われたことは、言われずとも分かる。
元々、少しばかりモンスターが多すぎたのだ。この間のような事故が起きなくても、いずれ駆除は行われていただろう。
数日がかりの行軍でも、リオネラは音を上げなくなっていた。
クーデリアだって余裕だ。この程度の事で音を上げるほど、もう柔では無い。ただ、黒い大樹の森を見たときには、流石に呻きが漏れていた。
これは、何だ。
草木も生えないと聞く零ポイント。緑化は散々苦労すると聞いている。
だが、此処は違う。
草木が、異常に生い茂っている。薄黒い木々が、塊のようになりながら、先を争うように空へ伸びているのだ。
周辺は荒野だというのに。
此処だけは、まるで。たとえるならば、木で出来た山だ。その木もよく見ると、尋常なものではない。
ねじくれ、曲がり、訳の分からない液体を垂れ流している。
モンスターもかなり住み着いている。此処は確か、ドナーン上位種であるサラマンダーの住処として知られているとか聞いている。というのは、此処からサラマンダーが現れる事があるそうで、それが原因だろう。
内部では、どんな風に住み着いているかは、まだ未知数だ。
調査チームは二十名。
何名かいる魔術師が、中に入った後、地形の探査を魔術で行う。その間、護衛をするのが、クーデリア達の仕事だ。
今回はリミッターを解除しているステルクもいるし、問題は無いと思うけれど。
しかし、どうしてだろう。
胃がひりつくような不安が、せり上がってくる。ステルクを見ると、他の戦士達に、油断するなと声を掛けていた。
そういえば、今回はホムンクルスがいない様子だが。
ステルクに聞こうと思ったが。チームのリーダーである初老の戦士が、手を叩いて皆を見回した。雷鳴という二つ名を持つ、熟練の戦士である。クーデリアも知るベテランで、ドラゴンスレイヤーとしても知られる猛者だが。流石に年には勝てないので、既に戦士としては現役を退いている。隠居が近いとも言われている。
「これより調査に入る。 今まで二度行われた調査でも、死者は出していないが、油断はしないように」
「アーランドのために!」
皆で唱和すると、調査のために森に踏みいる。
とはいっても、踏みいると言うよりも、木の幹を這い上がるというのが近い。最初からしてこれだ。
中はまさに迷路のように入り組んでいる。この有様では、以前作った地図など、何の役にも立たないだろう。
案の定、探索の術式を掛けた魔術師達が困惑の声を上げている。
「以前と地形が全く違います」
「調査を続行せよ」
不機嫌そうに、雷鳴が唸った。
此処は、人が入って良い領域では無いのかも知れない。リスのような小動物が、上から此方を見ていたが。
その顔は複眼だらけで、尋常な生き物だとは思えなかった。
ひょっとすると、此処は。
以前ロロナと一緒に見たような。悪魔達が、緑化した土地なのかも知れない。あくまで推測だが、それならば零ポイントがこうも緑化した理由の説明がつく。蛇のように巨大な百足が、足下を通り過ぎる。
踏みつぶそうとしたが、器用に木の根の間に逃げ込んでいった。
近辺の調査が終わったので、少し奥に進む。
それだけで、殆ど光が差し込まなくなった。
まるで、洞窟だ。
張り巡らされた枝が、陽光を殆ど全て遮ってしまっている。木は確か、日光で成長するはずで。この森の異様な木々も例外では無いとすれば。
此処での生存競争は、異常な次元で行われているとみて良いだろう。
開けた場所に出た。
広場のようになっていて、床とでも言うべき場所には、大きな。そう、人間大の花が、多数咲いている。
此処だけは光が差し込んでいるが、それは花があるから、だろうか。
奥の方に、サラマンダーが数体、丸くなって寝ている。此方を見ても、仕掛けてくる様子は無かった。
サラマンダーは全身が真っ赤で、炎の中でも生きられると言われるほど、強靱な鱗を持つドナーンの上位種。大きさも通常のドナーンの倍は標準であり、その戦闘力は尋常では無い。
だが、この場にいる戦士達は、それを軽々と凌いでいる。クーデリアとリオネラを除いて、だが。
魔術師達が、調査を続け、地図を作り上げていく。
まだ、モンスターの襲撃は無い。
だが、ステルクは、既に険しい顔で、辺りを見回していた。何かに気付いているのだろうか。
「どうした、ステルク」
「いえ。 少し周囲のモンスターが多いと思いまして」
「そなたも気付いたか。 サラマンダーが数百はいるな」
「それに加えて、大型のウォルフが、先ほどから此方をうかがっている様子です」
どちらにも、クーデリアは気付けなかった。
此処はそれだけの魔境だと言う事だ。一応一人前のアーランド戦士として認められているクーデリアでこれなのだから、普通の人間などは間違えて入りでもしたら、瞬く間にモンスターの餌だろう。
調査を急ぐように、雷鳴が言う。
此処は、長居する場所ではないと判断したのだろう。
地図を造りながら、奥を目指していく。
ステルクによると、相変わらずかなりの数のモンスターが、周囲で様子をうかがっているという。
時々ステルクが、雷を纏った剣を振るって、地面を爆砕する。いや、地面と言うべきなのか。真っ黒で巨大な根が張り巡らされたそれは、まるで巨大な何者かの、糞便に汚れた内臓のようだ。
異臭も酷い。
面白いのは、そういった根から、草木が生えていること。
植物の根から、更に植物が生えている。確かそういった寄生植物が存在することは知っていたけれど。
これは寄生と言うよりは、むしろ、異様な地面にたくましく生えている普通の草、という印象である。
所々泥沼のようにさえなっていて、瘴気が噴き出している場所さえある。
彼方此方に、異常な魔力の反応もあって、クーデリアは気が休まる暇が無かった。ステルクは周囲を警戒しながら、声を掛けてくれる。
「未熟なうちにここに来ると、発狂する可能性もあるな。 まずいと思ったら、大声で知らせろ」
「どうするつもりよ」
「気絶させる」
息を呑むクーデリア。
だが、確かにそれが一番だろう。暴れられたら面倒だし、これ以上精神的な負荷を受けないには、意識を閉じてしまうのが一番だ。
警戒を続けながら、奥に。
まるで生物の血管のように、洞窟状の森が枝分かれしている。
魔術師達が、ついに音を上げた。
「複雑すぎて、これ以上の侵入は危険です! モンスターとの交戦が起きる前に、一度引きましょう!」
「どうしますか?」
「ふむ……」
雷鳴が、腕組みして考え込む。
その時。
偶然。クーデリアは、それに気付いた。気配無く、何かが上から来る。叫ぶ。上です、と。
瞬時に反応したステルクが、上方に雷撃を放つ。
絶叫しながら蒸発していくそれは。恐ろしく巨大なぷにぷにだった。泡を食って、魔術師達も、攻撃術を空に放つ。
残骸が丸ごと焼き尽くされるが、同時に息がとまるような悪臭が、周囲を覆った。思わず咳き込むクーデリア。
リオネラは真っ青なまま、ひとことも口を利かない。全力で自動防御を展開して、身を守るので精一杯のようだ。
「防御円陣!」
「今のは、危なかった」
ステルクが言う。
確かにあの大きさのぷにぷにに、頭上から奇襲を受けていたら。流石に歴戦のアーランド戦士達でも、身動きできないまま一網打尽にされてしまっていただろう。クーデリアはたまたま視界に入った危険を知らせただけだが。だが、全滅を防いだことに、間違いは無かった。
一度引き上げることになる。
解毒の術を魔術師達が掛けるが、皆苦しそうにしていた。あの巨大ぷにぷには、おそらく森の主だったのだろう。こんな恐ろしい森の主となれば、全身が毒の体液で満たされていても不思議では無い。
ようやく森から出る。
魔術師は疲労困憊。
森の方からは、何をしに来たのだろうという面持ちで、サラマンダーの群れが此方を見ていた。
確かに、何をしに来たのか分からない。
だが、死者も出さなかった。
「これは、噂以上に厄介だ」
雷鳴が冷や汗を拭いながら言う。前に来た調査チームも、強力なモンスターに遭遇したとは報告していたのだとか。
ただし、あのようなトリッキーな相手では、アーランド戦士は実力を発揮できない。クーデリアが、雷鳴に呼ばれた。
「見事な判断だった。 君はまだ未熟なようだが、見所があるな」
「あ、ありがとうございます」
敬語は使い慣れていないけれど。
この雷鳴は、アーランドでも上位に入る戦士で、社会的地位で言えばステルクよりも更に上だ。
戦士として現役であり、実力もあるステルクと違って、もう一線は退いているが。その知識と経験で、部隊の指揮なら現役時代よりも見事にこなせるはず。実際今回も、撤退の判断が速く、余計な犠牲は一切出さなかった。
ステルクが、クーデリアを紹介する。
少し考え込んだ雷鳴だが。
聞き捨てならぬことを言い出す。
「そうか、ひょっとして君は、オルトガラクセン遭難事故の」
「! 知って、いるんですか」
「知っているも何も、あれは私が引退する切っ掛けとなった、最後の戦いだからな。 あの時私は、現れたベヒモスと一騎打ちをした。 倒したには倒したが、その後に見たのは……」
言われるまでも無い。
其処で何が起きたのかなんて。ロロナは忘れていても、クーデリアははっきり覚えている。
「あの時、敵を倒せはしたが、衰えを実感してしまってな。 君達の事もあって、結局引退をすることにしたのだ」
「そうだったのですか」
「そうか、あの時のお嬢さんが、大きくなったものだ。 強くなりたいという話であったな。 これから、稽古を見てやろう」
「! あ、有り難うございます!」
頭を下げる。
これは、僥倖。
まさか、このような幸運が続くなんて。
雷鳴は、アルフレッドが引き合いに出すほどの高名な戦士。若い頃の実力はアーランドでもトップクラスで、多分今のステルクよりも強かったはずだ。
ひょっとすると、クーデリアは今、ものすごくついているのかもしれない。リオネラを一瞥する。
彼女はと言うと。意外だ。
先ほどのぷにぷに落下時に、最大限の自動防御を展開していたらしく、魔術師達が術をぶっ放す時間を、稼ぐのに成功したとかで。何名かの魔術師が、好意的に声を掛けている。これは、探索は失敗したけれど。クーデリアとリオネラには、どちらも良い方向に、事が転んだか。
とりあえず、今までよりもずっと深くまで調査できたのは事実。
それにこの程度のモンスターなら、外にさえ出てこなければ問題は無いとも結論。一旦調査チームは、撤退する事となった。
雷鳴の家のアドレスをもらった後、話を聞く。
何でも雷鳴は既に孫達とも離れて、老夫婦で暮らしているのだという。小さな家は寂しいとかで、時々来てくれると嬉しいと言うことだった。
或いは、単に孫恋しさの事なのかも知れないが。
だが、クーデリアにとっても好都合。歴戦の戦士に技を教わり、戦い方をアドバイスして貰えれば、ロロナを守れるのだ。
一人前の、上に行く機会が。思ったよりも早く、巡ってきたかも知れない。
街に到着。
必ずうかがうことを約束すると、クーデリアは自宅に戻る。途中アトリエに寄ろうかと思ったが、それは後で良い。
その日、クーデリアは。
貯めておいたお金を使って、ささやかなケーキを買い。自分だけで楽しんだ。
ロロナと一緒に楽しむには、理由を明かせない。それに、一度で良いから、ケーキを独り占めしてみたかったのだ。
寂しくて、あまり楽しいとはいえなかったけれど。
これは、壁を越えうる好機を掴んだ記念だ。
黙々とケーキを食べて、そして早めに休むことにする。
ロロナも、そろそろ杯の作成を軌道に乗せているはず。クーデリアもそれを補助するべく、全力で動かなければならなかった。
3、水溢れるとき
図面を見た親父さんは、気むずかしそうに唸った。
確かに、用途が分からないものは、不審を呼んで当然だ。
「なあ、なんでこんなに杯ばっかり作るんだ。 しかもいらない奴を鋳潰して、また杯にするとか、意味が分からん。 料金だって、馬鹿になっていないじゃないか」
「形が重要だって、分かったんです」
ロロナは、誰にでも分かるように、クーデリアが書いてくれたメモを見せる。
水をいくらでも産み出す奇跡の杯には、その形状が最大の意味を持つ。水を澄ませるも汚すも、杯の形次第。
杯を綺麗に作る事が出来れば。
それは奇跡の杯となって、作り手どころか、周囲の喉まで潤すだろう。
「錬金術が不思議な学問だって事は知ってるさ。 実際、お前さんの作った耐久糧食が凄いって噂は、俺の所まで届いているからな」
「えへへー。 有り難うございます」
「だが、これはどうにも信じられん。 まあ、作れというなら作るさ。 ただ、金は掛かるからな。 覚悟はしておいてくれよ」
お願いしますというと、お店を出る。
その足で、アトリエの前を横切って、ティファナの店にも。此処で、幾つか魔法の品を仕入れていく必要がある。
注文していた品は、既にできあがっていた。
「はい、これが魔法の紐よ」
「有り難うございます!」
受け取った紐は、ある程度の命令を受け付け、忠実に動く品。
これは、メンテナンスを容易にするために用いる。勿論湧水の杯を野ざらしにするつもりはないのだけれど。それでも、専門家がいつでも側にいるわけでは無いのだ。だから、状況に応じて、柔軟にメンテナンスが行われるように、先に指示をしておくのだ。
いわゆるエンチャントによって、命を得た紐は。アーランドでもあまり数が多くない、珍しい品だ。
ティファナはかって腕が良い魔術師として、前線で活躍していたから、準備が出来た。それでも安くは無かった。
というよりも、だ。
十五個の杯を作り上げた頃には、おそらくスッカラカンになることが確実だった。
これから、ホムに栄養剤や発破の材料を生産させて、ロロナが納品して。補助的な収入を得るとしても、失敗する分を考えると、かなりカツカツになるのは確実。
もはや、退路は無い。
アトリエに戻ると、ホムが栄養剤を樽詰めしていた。
「納品してきます」
「うん、お願い。 道中は気をつけてね」
軽々と樽を担ぎ上げると、新調した荷車に乗せて、ホムはアトリエを出て行く。
今回の納品先は、王宮。
栄養剤の生産が軌道に乗った事もあって、エスティに話をしてみたところ。王宮にも納品して欲しいと言われたのだ。
ある程度の資金を、これで補える。
さて、問題は。此処からだ。
クーデリアに手伝ってもらって、調整に調整を重ねた湧水の杯が手元にある。水を産み出す筒の部分は、極めて複雑な形状となっていた。周り中にボタンのような凹凸があり、文様もきざまれている。
これらは、アーランドのため池を作るのに使われている、黄金の杯を参考に作り上げたものだ。
此処に、水を作り出す機構を組み込む。
勿論、作業は裏庭で行った。
上手く行ってくれるか。
行ってくれないと、困る。素材によって、求められる形状が違うとかになってしまうと、もはやロロナには手に負えない。
今の時点でさえ、頭がオーバーヒートしかねないほどの複雑な内容なのだ。水を造り出す、事だけはどうにかなる。
しかし、その量と、品質を確保するのが。
これほど難しいなんて、思いもしなかった。
杯を筒にかぶせて、更に魔法の紐で固定。魔法の紐には、事前に幾つかの命令を与えてあるから、これについては問題ない。事実、稼働確認も済ませた。
後は、水さえきちんと出れば。
生唾を飲み込む。
側で静かに見ているクーデリアも、何も言わない。問題は、此処からだ。湧水の杯が、どれだけデリケートな道具かは、ロロナもクーデリアも、嫌と言うほど分かっているのだから。
水が。
出始める。
見る間に、杯に溜まっていく。
やったと思ったのもつかの間。すぐに杯の部分に溜まった水を、クーデリアが汲む。またロロナは、水が溢れるのを防ぐために、杯をわざと傾けて、なおかつ事前に用意しておいた注ぎ口をセット。
こうすることで、杯からの水が、一方向に注がれるようにする。
一旦水は、排水路に向けて掘った溝へと流す。
そうしないと、庭が水浸しになってしまうからだ。
汲んだ水を、早速調査。
毒物や劇物が入っていないかを確認。幾つかの確認方法がある。試験管に水を小分けに入れて行って、様々な試験薬を入れて行く。見た感じ、不純物は非常に少ない。毒に関しては、反応は出ない。
触ってみる。
刺激は、無し。
酸なども含まれていないと見て良さそうだ。
臭いについても、無い。幾らかのデータを取っていくが、少なくとも蒸留して飲む分には、問題は無さそうだ。
原液は、行けるか。
クーデリアが、野良犬を引っ張ってくる。
こういった動物実験をするようにと、ロロナは前から口うるさく言われていた。野良犬の前に、水を入れた皿を出す。
野良犬はしばらく臭いを嗅いでいたが。
やがて、飲み出した。
「犬に分かる範囲では、危険物は無いと見て良さそうね」
「うん。 後は経過観察をして、それから……だね」
上手く、行ったのだろうか。
期日まで、時間は殆ど無い。
渇き谷の方でも、準備はしておいてもらわないとまずい。ため池の方であれだけ厳重に管理しているのを見ると、その辺にほっぽっておくわけにはいかないと、ロロナも思うようになったのだ。
その辺の交渉は、クーデリアがしてくれると言ってくれたけれど。
それについては、断った。
ロロナが現物を所持して、現地で説明を行いたいのだ。
翌日まで待ってみて、犬はぴんぴんしていることを確認。最後に、自分でも水を飲んでみる。
問題は無し。
念のために、サンプルをティファナをはじめとする、何名かの魔術師の所に持ち込んで、解析してもらった。
不純物、毒物、いずれも無視できるレベルで微少。
例外無しに、そう結論が出た。
直接飲んでみて分かったが、あまり美味しい水では無い。冷やしておけば、飲むことは出来る、という程度だ。
ただ最初からわき出してくる水はそれなりに冷たいし、日差しに当てて放置でもしない限り、美味しく飲む事は出来るだろう。
最終的な実験を全て終えて、やっとロロナは結論した。
成功だと。
寸分違わず作った五つの、湧水の杯。杯の部分を取り外してあるのは、運ぶ途中に水浸しになっては困るからだ。
この五つは、第一陣である。
渇き谷には、昨日のうちに話を付けておいた。
いくらでも水が湧いてくる道具を作ったと言っても、相手は半信半疑だったけれど。しかし、ロロナは国から課題を受けている錬金術師だ。笑い飛ばすことは無く、一応話は聞いてくれた。
管理用の小屋を作ってもらい、其処に専任の監視チームを作ることを確約させた。
後は、どうやって、水を管理していくか、だ。
実際に、まずスタッフを集めて、彼らの前で水を出してみせる。
湧水の杯を組み立てると、すぐに水が出始めた。その水量に、此処を統括しているスタッフは目を剥いた。
「ほ、本当に水が!」
「あと、十個作ってきます。 この五つを含めて、飲料水用に使えます。 勿論、お風呂や下水にも使えます」
一旦杯を外す。
そうすると、水が止まる。
何事かと、老人達も集まってきた。彼らも、物珍しそうに、湧水の杯を見ていた。
何度か使い方を説明する。マニュアルもあるけれど、最初は勿論口頭だ。
水は文字通り、杯から湧き出してくる。勿論手品などでは無い。ロロナも本当は、原理がよく分からないのだけれど。
一定品質の、冷たくて飲む事が出来る水が出てくる道具なのは事実。
そんな夢のような道具が、此処にあるのだ。
「すごい……!」
老人の一人が、まるで神の奇跡でも見たかのように呟く。
ロロナだって、これを見たときは、随分驚いた。錬金術の可能性の神髄を、見せつけられた気もした。
スタッフが、慌てて会議を始める。
まさか、これほどのものをロロナが用意してくるとは、思ってもみなかったのだろう。以前話したときは、話半分というのが、ありありと態度に出ていた。今回、ロロナはカタログスペック通りのものを作り上げた。
その代わり、蓄えていた資金は、すっからかんになってしまったが。
しばらく待たされる。
途中、おばあさんの一人が、甘いお菓子を持ってきてくれたので。礼を言って、クーデリアと分けて食べた。
錬金術師かと聞かれたので頷くと、嬉しそうにおばあさんは言う。
「実はわしの妹も錬金術師でのう。 もう随分前に命をおとしたが、不思議な道具をたくさん作っては、見せてくれたものだよ」
「えっ! それは……」
「その妹さんのお名前は?」
クーデリアが聞くと、応えてくれるおばあさん。
聞き覚えの無い名だ。おばあさんの年頃からして、恐らくは三代前か、もう一つ前の錬金術師だと思うのだけれど。そんな名前だっただろうか。
もしくは、見習いの内に異国に旅に出た錬金術師かも知れない。
錬金術師が多くいた頃は、他の辺境諸国に請われて、アーランドを離れた錬金術師がいたとか聞いている。
大陸中央の列強にも錬金術師がいるらしいのだけれど、師匠に詳しい話は聞けなかったから、分からない。
最近は、錬金術師の研究資料を調べることが多いので、有名人はかなり覚えた。その中にいないと言うことは、恐らくはアーランドを離れた人だったのだろう。
しばらくすると、スタッフが戻ってくる。
おばあさんに礼を言うと、案内された先は洞窟だ。会議室のようになっていて、ひんやりした空気が心地よい。
この蒸し暑い渇き谷では、主に倒れた老人を介護したり、或いは看取るときに用いるのだとか。
十五人ほどいるスタッフが、勢揃いしている。
それだけロロナが持ち込んだ道具は、重要だったという事なのだろう。
一番年かさの、立派な口ひげを蓄えた初老の男性が、まず口を開いた。
「結論から言わせていただくが、さっそく、その水を産み出す道具を使わせていただきたい。 その道具があれば、省力化が出来て、今まで回らなかった所に手を伸ばせる。 そればかりか、豊富な水を使って、風呂なども沸かすことが出来るようになる。 老人方は、皆喜ぶはずだ」
「勿論そのつもりで持ってきました。 マニュアルもあります。 目を通してください」
すぐに渡すと、頷いて、リーダーは配置する場所について説明してくれた。
何しろ貴重な道具だ。人目にはさらせないという。
何カ所か、狭い洞窟の中に、使われていない部屋があると言う。見ると、洞窟の壁は機械的な部品が所々見える。
ひょっとしてこれは。
オルトガラクセンと同じような、古代の遺物か。
それならばあの頑強さも納得がいく。一枚岩が丸ごと古代の遺物だったとしたら、頑丈なのも当然だろう。
こういった狭い部屋に置いて、パイプなどを配置。
このパイプは、アーランドで加工している、耐水の金属を用いる。そしてパイプを搬送してから、ため池を作る。
ため池に流し込む水は、杯二つ分。
このため池からは、下水など、多目的に用いる。
別の部屋にもう二つ。
此方は井戸と併用する、飲料水として用いる。パイプでこの谷の彼方此方に繋ぎ、バルブを用いて水をすぐ出せるようにする。
そのために、貯水タンクが必要になる。
これもアーランドで、購入が可能。すぐに作る事が出来る。
一個は予備用。
普段から水を出しておき、切り替え装置で貯水タンクにも、ため池にも、水を流し込めるようにする。
設計図を、すぐにスタッフが作っていく。
この渇き谷を知り尽くしているスタッフだ。それに、医療スタッフだけでは無く、技術者もいるらしい。
更に、驚いたことに。
おじいさんおばあさんが、何名か呼ばれて来た。
お年寄り達が、図面を見て、説明を受けて。ああだこうだと話ながら、すぐになにやら書き始める。
此処にいる人達は、年老いていても。みなスペシャリストということか。
「この国では、どうしても戦士が労働者の上位になる。 過酷な世界ですから、それが仕方が無い事は理解しています」
リーダーが、蕩々という。
ロロナは、この光景に驚かされたけれど。しかし、納得もする。
「ですが、我らにも、アーランドを支えてきた者だという自負がある。 此処で余生を送るだけが、我ら老人の全てでは無いと、見せて差し上げましょう。 此処を快適な場所にするという依頼を、達成してくれた貴方への、せめてもの礼です」
驚くべき速さで図面が引かれた。
スタッフが何名か、工場に向かう。パイプを注文しに行くのだろう。
ロロナは、改めて礼を言われた。
そして、決める。
何が何でも、この課題を達成する。残り十個の湧き水の杯を、できる限り急いで、作り上げるのだと。
追加で五つの杯を持ち込んだときには、渇き谷はかなり様子が変わっていた。
彼方此方にパイプが張り巡らされ、老人達も活気を取り戻しているように見える。まだ、今の水量では、大した事は出来ないはずだとロロナは考えていたのだけれど。品質が形状で変わると分かった今、劣化品を作る意味は無い。飲める水を出せる湧水の杯を十五個。それが、今回の目標だ。
時間はもうあまり残っていないが、充分に作る時間はある。
後は、渇き谷の人達が、どうにかしてくれると思うと、多少は気も楽だ。
荷車に乗せた湧水の杯を見て、老人達が歓声を上げた。中にはありがたやと祈りはじめる人までいたので、ロロナは本当に困り果てた。
スタッフが来て、荷車ごとロロナを奥に連れて行く。
そして、現在の状況を見せてくれた。
主に話をしてくれたのはあのリーダーだけれど。彼も何だか、若返ったように見えた。背筋は伸びているし、しゃべり方もはっきりしている。それどころか、目もきらきらと輝いている。
やりがいが出来たからか。
やりがいは、こうも人を変えるのか。
「稼働、水量、水質、いずれも問題は無し。 一角に作ったため池に、落ちる老人が出ないように、柵を急ピッチで作っています。 水の量は、井戸のと合わせれば充分と言えるでしょう」
「あの、余った水を撒いて、冷却に使えませんか?」
「検討しましょう。 確かに、この暑さを和らげるには、気化熱が一番だ」
専門用語も、当然知っている。
時々圧倒されるほどの熱気が、老人達から感じ取れる。
「次の五個は、どうしますか」
「二つは水道に追加。 もう一つはため池に。 一つは予備に、最後の一つを、実験的に、水まきに使用してみますか」
水まきは、重労働になる。
だが、暇をしている老婆達が、撒く作業をすると言ってくれたそうだ。確かに、体を動かしていると、呆けを防止するのにもよい。
マニュアルについては、増やして、持ってきた。
現在、時間と資材の状況から考えて、多分十六個は湧水の杯を作る事が出来る。つまり、予定より一つ多く作れるけれど。
これは国に納品して、何かの役に立ててもらおうと思っていた。
設置を手伝った後、ロロナも操作する様子を見学したのだけれど。みなマニュアルを徹底的に読み込んでいるようで、まるでロロナでは無くてこの人達が作ったかのように、湧水の杯を危なげなく扱っていた。
はっきりいって、メンテナンス以外は、何も口にする必要が無さそうだ。
それに金型もあるし、いざとなったら新しく作れば良い。今回の課題について突破できれば、おそらく国から補助金も出る。
珍しい素材も使うのだけれど。
しかし、それ以上に、この効果は大きかった。
一旦アトリエに戻る事にする。
渇き谷から出るとき、老人達が揃って、ロロナを見送ってくれた。何だか、ぼんやりしてしまう。
「どうしたの、にやにやして」
「幸せ」
「うん?」
「錬金術ってね、何だろうって、随分悩んでたんだ。 恐ろしい兵器にもなるし、きっと人が人でなくなるようなものだってつくれる。 作った事で、誰かが幸せになるかも、分からないって思ってた」
でも。
この間から、錬金術が、人を幸せにする現場に、何度も立ち会っている。
勿論、運が良いことは分かっている。多くのモンスターの命を奪っても来たし、必ずしも良い結果に結びつくとは思えない事象も見てきた。
だからこそに、思うのだ。
「やっと、錬金術師に、誇りが持てるようになってきたのかも」
「まだまだ、ようやくスタートラインに立った所じゃ無いの?」
「うん、そうだね」
クーデリアの言うとおりだ。
気を引き締めなければならないと、ロロナは思った。
アトリエに戻ると、残る五つの作成作業に着手する。もう少しで、課題達成だ。今回は、いつもの課題にもまして、期日ギリギリになる。
だが、それでも。
老人達の笑顔を見ることが出来たし、ロロナは幸せだ。
きっとこれで、あの人達は。
人生で最後のやりがいを得て。なおかつ、きっと安らかに、逝くことが出来る筈だ。それだけでも、ロロナは。
この課題を達成する意味があると、感じていた。
4、闇の中の光
エスティは、ステルクより一つ年上の、アーランドでは重鎮と呼ばれる地位にある騎士である。
勿論社会的地位ではもっと上の存在が、何名もいる。
ただし騎士達の中で現役最強なのは、間違いなくエスティとステルクの二人。特にエスティは、その暗殺向きの能力と、仕事を選ばない性格から、王から重宝されていた。
当然の話だが、普段から暗殺ばかりしているわけではない。
この仕事をするようになったのは、騎士に成り立ての頃。激しい乱戦の中、的確にモンスターの群れのボスの背後に忍び寄り、首を後ろから刺し貫いて見せたときから。当時の騎士団長に目を掛けられて、今では押しも押されぬ存在へとのし上がったのだ。
出仕すると、まずは今日の仕事について確認。
午前中に、仕事が一つ入っている。
ロロナが、どうやら課題を達成したらしい。カレンダーを確認すると、なんと期日の三日前だ。
この間の課題はかなり余裕を持って達成していたので、今回は本当に危なかった事になる。
これからするべき事は、決まっている。
内容を確認して、王に報告。
出来れば午前中に済ませておきたい。何しろ午後からは、暗殺のために三つ隣の国へ出かけなければならないのだ。
此方の作業に到っては、既に現地で部下達が待機している。
いよいよ列強の統合が進み始めていて、その手先としてアーランドにちょっかいをかけて来ている国だ。特に最近は、幾つかの面倒なプロジェクトに着手しており、その中の一つが、王による抹殺指令の引き金となった。
当然の話だが、相手もアーランドを敵に回すことがどういう意味か。手の者を潜入させて、くだらないことをするのが何を指すかくらいは理解している。ならば、対等の敵手とみて良い。
手先と言っても、アーランドより国力はずっと上。
放置していては、いずれ禍の種になる。
計画を潰すためにも、関係者は根こそぎ処分しておかなければならなかった。勿論備えはしているだろうし、暗殺の実行には、念入りな準備と、本気での対応が必要だ。
まず、渇き谷へ。
何名かの文官と技術者、魔術師に声を掛けて、供に出向く。
渇き谷自体は非常に近いので、出向くのに時間は掛からない。赤茶けた、過去の遺産らしい不思議な一枚岩の、割れ目の中にある小さな谷。
足を踏み入れてみると、目を疑う光景が現出していた。
水が、満ちているのだ。
ロロナが、水を産み出す道具を量産したという事は、エスティも聞いていた。しかもこれ自体は、既に実用化されている技術だとも知っている。
アーランドの水の幾らかは、これで賄われているのだ。
だが、ブラックボックス化されている技術だと言う話も、事前に説明を受けていた。ロロナの凄いところは、先人の遺産をまとめ上げて、量産可能な場所に落とし込む所だ。今まで彼女が作り上げてきた道具類は、皆そうである。
彼方此方を見て廻る。
殺風景だった谷には、パイプが縦横に走っている。
これは老人達が、自分でどうにかしたものだろう。
風呂が作られているようだ。二百人近い老人達は、当番制で風呂に入っているようである。
今までは、ぬらしたタオルを使って体を綺麗にしていたようだから、これは大きい。リフレッシュの意味もあるし、何より大きな意識的余裕が生まれる。
それに、作業を進めている老人達の、生き生きとしたこと。
此処を監督しているリーダーが、エスティに気付いて此方に来た。
ヘルメットを被り、図面を手にしている。完全に、現場監督の趣だ。
「これは騎士殿。 査察でありますか」
「そんなところです。 これは、当代錬金術師の納品物による成果ですか?」
「ええ。 水を造り出す道具があるとは聞いていたのですが、飲む事が出来る水を、こうも量産できるとは思いませんでした。 今までの苦労を、殆ど省力化することが出来そうです」
谷自体も、涼しくなっている。
見ると、彼方此方で老婆達が水まきをしている。水が蒸発するとき、熱を奪うことは、エスティも知っている。
今までは、小さな井戸で、必死にやりくりしていた水なのに。豊富にある現在は、使い道をいくらでも選べると言うわけだ。
下水も、自動化しているようだ。
今までは糞便の処理が、相当に大きな問題であっただろう。しかし、豊富な水で、一気に流すことが出来ている。
流した水は、谷の外の荒野に運ばれている。
元々糞尿をうち捨てていた場所だ。今更其処へ下水を通しても、何ら問題は無い。汚水とは言え水が来たとなると、環境にも影響があるだろう。もしも今後汚水が増えるようなら、ため池を作るか、或いは汚水の処理設備を作れば良い。それだけ、労働者階級に仕事を作る事が出来る。
いっそのこと、アーランドの汚水処理設備とくっつけるという手もある。いずれにしても、エスティの管轄外の話だが。
技術者達がリスニングをした後、戻ってきた。
「彼らは元々スペシャリストです。 水をこれだけ産み出す道具という奇跡を前にして、血が騒いだのでしょう」
「課題の判定は、聞くまでも無いか」
「合格です。 谷の環境は、劇的な改善を見ています。 この水を産み出す道具、量産が可能なのであれば、幾つかの村にも配備したい。 幾つかの村では、定量の水が得られずに、苦労していますが故」
「ロロナちゃんに伝えておくわ」
苦労はしたが。
それでも、成し遂げた。
ロロナはどんどん立派になっている。このような人外の奇跡まで、起こすに到ったのだから。
満足して、谷を後にする。
老人達はみな生き生きとしていた。あれなら寿命も延びるだろうし、ボケを防止するにも良いだろう。
アトリエに出向く。
ロロナは疲れ果てたからか、ぐっすりと眠っていた。流石に寝室に踏み込むのも何なので、ソファで伸びていたクーデリアに話を聞くことにする。側でホムが無言での作業をしているが、どうでも良い。
「それで、貴方は最後まで手伝っていたと?」
「頼まれただけよ」
クーデリアも、徹夜で作業を手伝ったのだろう。
できあがった杯の微調整。水が出るかどうかの実験。魔術師達の間を廻って、水質の確認調査。
ロロナがクーデリアに頼むことは、それこそいくらでもあった。
一心不乱に手を動かしているロロナに変わって、魔術師達に水質検査のため、水を届けて廻ったという。
ホムやリオネラも、同じように作業を手伝わされ。
そして話を聞いたイクセルも、料理を出前してくれていたのだとか。
かなり塵も出たという。
こういうときのために作り置きしておいた耐久糧食は、殆ど食べてしまったそうだ。つまり、料理をする暇も無かったという事らしい。
戦士としていっぱしになってきたクーデリアがのびるくらいである。
余程に、ハードな数日だったのだろう。
スクロールを手渡す。
課題達成の証だ。代わりにロロナに渡しておいてというと、クーデリアはじっと此方を見つめてきた。
「何? どうかしたの?」
「次の課題は、本当に例の内容になるのね」
「そうよ」
クーデリアはどうしてか、よほど特別な相手以外には、ため口を利く。
流石に王や宿老達には敬語で喋っているのだが。戦士として遙か格上のステルクや、勝ち目が全く無いアストリッドにも態度を変えない。勿論エスティに対しても、それは同じだ。
まあ、別に今のうちはいい。プロジェクト内での同僚だからだ。
もしも部下にした場合は。
徹底的に鍛え直すだけである。
「大砲の改良……」
クーデリアは、どうもそれをやらせたくないらしい。
まあ、気持ちは分かる。
だが、旧態依然としたアーランド式の大砲は、既に抑止力にさえならなくなっている。元々戦士達の間でも、こんな武器は役に立たないと笑われているほどなのだ。しかも老朽化が酷く、メンテナンスに意味さえ感じられない。
だから、改良版を作成する。
それを次の課題とする。
役に立つ大砲の開発。
今眠っているロロナは、人を救うために、奇跡のような道具を量産して見せた。それなのに、次は。
大量殺戮以外に使い道が無い道具の作成依頼が来ることとなる。
エスティはきちんと課題の達成と、次期課題について伝えるように指示すると、アトリエを出る。
街の北門を出てからは、後は人目を気にすることも無い。
残像を残しながら、走る。
既に現地に潜入しているメンバーから、情報は得ている。暗殺には、まあ二日もかからないだろう。
アーランドに戻ってきた頃には、次の課題が始まっている。
ロロナは腕を上げてきているが。人殺しのための道具の改良に、どんな反応を示すか。乗り切ることが出来るのか。
其処が、興味深かった。
5、絡まりはじめる糸
暗殺に出かけているエスティを除く、アーランドの幹部が招集された。
ステルクもその一人だが。まだ、理由は聞かされていない。
今回のは、プロジェクトMの進展とも異なる様子であるのは、集まっている面子からもよく分かる。アストリッドはいない代わりに、ホムンクルス達を束ねているパラケルススはいる。クーデリアはいないが、フォイエルバッハ卿はいる。そのほかにも、アーランドの戦士達を束ねる宿老の顔が散見された。
十中八九、大陸中央部にある列強についての、報告とみて良いだろう。
会議室は同じでも、集まる面子が違うと、随分と雰囲気が変わる。
メリオダス大臣が来る。かなり急いでいるらしく、書類の並べ方が乱雑だった。王が促すと、大臣は話し始めた。
「由々しき事態が発生しました」
「具体的には?」
「大陸北部で、大規模な会戦が発生。 スピア連邦が介入を行った国々が、連合して抵抗した結果の戦争のようです」
「結果は」
スピアの大勝だそうである。
こうして、スピアは複数の国々を、力尽くで傘下に収めた。大陸中央部の動きは、これで一気に加速したとみて良い。
ロロナは予想以上の働きを見せているが、まずい。
スピアがこのまま勢力を拡大させていくと、予想より数年早く、アーランドとぶつかる事になる。
国力差は現時点で1対100。
しかも以前、六十年前に隣国を破った時とは、状況が違う。スピアにも錬金術師が複数いるし、優れた戦士の育成にも力を入れているという事なのだ。
「他の列強の動きは」
「勢いのあるスピアと事を構えるのは避けたいのでしょう。 殆どが静観か、戦いを避ける姿勢を見せています」
「まずいな……」
王が腕組みする。
如何に精鋭を多数有するアーランドであり、ホムンクルスの量産で兵力を倍増させているとは言っても。このままスピアの大軍が押し寄せたら、対抗する手段が無い。此処の戦士の実力は段違いでも、相手は集団戦のエキスパートだ。それに、アーランド戦士に対する戦術も磨き抜いているとみて良いだろう。
スピアが覇道を推し進めている現在、その矛先は間違いなく此方に向く。
緩衝地帯にある小国が飲み込まれていくのは、時間の問題だ。
辺境諸国を統合できれば、戦力的な意味でも対抗は出来る。だが、プロジェクトMの進展速度から考えても。スピアは少しばかり、動きが速すぎる。
「スピアの国力は、それほどにまで増加しているのか」
「調べたところ、軍事力の強化が著しいようです。 先進的な武器類も、次々と実戦投入しているらしく。 恐らくは先人の遺産を活用しているか、或いは錬金術師達がフル稼働して軍のバックアップをしているか、そのどちらかでしょう」
「対応策は。 幾つかの列強に、遠交近攻策を仕掛けているはずだが」
挙手した老人は、雷鳴。この間ステルクが任務に同行した老英雄である。
彼の言葉を受けて、幾つかの意見が出される。
その中に、興味深いものがあった。
大陸北部の強国の一つ。フルグアイ王国。此処が近年、農作物の収穫高減少に苦しんでいるのだという。
理由は、土地の荒廃だ。
元々荒れ果てた土地ばかりのこの世界。戦争のために無理な農作物の収穫を続ければ、残り少ない土地も更に痛むことになる。
「我が国の緑化技術をカードに、スピアの後方を突かせることはできませんか」
「どうだ、メリオダス」
「ふむ、そうですね。 確かにフルグアイは、我が国の緑化技術に興味を示していると、以前から報告を受けています」
流石に列強。耳も早い。
それならば、交渉のテーブルに着かせるのは、簡単だ。
フルグアイ単独では、スピアに戦いを挑むのは難しい。しかし、緑化技術をカードにして、フルグアイを中心とした数国で、スピアに対する連携を行えば。スピアの進軍速度は、一気に遅れる。
フルグアイとしても、これ以上のスピアの伸張は面白くないはず。
利害は一致する。
問題は、アーランドおよびフルグアイ両国の間に、距離がありすぎる、という事だ。
ステルク単独なら、十日もあればたどり着けるだろう。
だが、物資を携えた者を護衛しながら、敵国の間も抜けて進むとなると。その倍は、掛かるとみて良い。
間に友好国ばかりでは無い。
幾つかの敵対国も通らなければならない。そればかりか、そもそも交渉が上手く行くとも限らない。
スピアに切れ者がいれば、二手三手先を読み、対抗策をとっているだろう。しかもその可能性は、極めて高いのだ。
「フルグアイと交渉を進めよ。 それと同時に、プロジェクトを更に前倒しする」
「しかし、陛下。 ロロナ君は既に、限界近い状態で努力を続けております。 八年越しの調整を受けているとはいえ、無理をして潰れてしまうようでは、元も子もありますまい」
「ステルク、今は国家危急の時だ。 スピアがこのまま勢力を伸ばし、辺境諸国の何処とでも国境を接すれば終わりだ。 今一番危ないのはおそらくアールズだが、アールズに限らず、どこの国でも代わりは無い。 とにかく今はプロジェクトの進捗速度を上げつつ、敵の進撃を遅らせるほか無い」
王の言葉はもっともだ。
実際ステルクとしても、スピアとまとまりに欠く現在の辺境諸国が戦って、勝てるとは思えない。
一度や二度なら押し返せる。
敵に相当な損害を出させることも出来るだろう。
だが、物量が根本的に違う。それになにより、アーランド戦士は、その繁殖力が、大陸中央部の人間とは違いすぎる。
一人が百人を倒しても、なお帳尻が合うまい。
最悪の場合は、ホムンクルスの生産数を増やすしか無いが。
いや、それはまずい。
アストリッドは、バランスが保たれているから、鎖につながれているのだ。もしもホムンクルスが増えすぎた場合。
彼女らを先導して、国を乗っ取り、復讐に乗り出しかねない。
アストリッドをよく知っているからこそ、ステルクはその危険に思い当たる。アストリッドは、アーランドを許していない。それどころか、今でも滅ぼしてやろうと思っているはずだ。
パラケルススが、挙手している。
少し躊躇った後、王は発言を許した。他の幹部達の視線はあまり好意的では無い。まだまだ、ホムンクルスの実力を心情的に認められない者は多いのだ。
「スピア連邦の中枢に、私がホムンクルスの部隊を率いて、強襲を掛けるというのはどうでしょう」
「ほう?」
「状況を聞く限り、スピア連邦は各地に兵を派遣していて、中枢部の守りは薄くなっているはずです。 大規模な合戦が起こる時を狙い、中枢部にホムンクルス百名ほどによって、奇襲を仕掛けます。 敵の中枢部を叩ければ、動きは鈍化すると思うのですが」
不安そうにする幹部達。
雷鳴が、咳払いした。
「自分たちを捨て石にすると申し出ているのかな」
「元々我々の用途はその筈です。 出来れば全員生還したいとは考えています」
「陛下」
ステルクが、今までに無い険しい声で言うが。
王は、考えがそちらにも傾いているようだ。確かに、手としてはアリだ。
それはステルクも分かっているのだが。心情的には、納得しがたいものがある。ホムンクルスによる奇襲部隊の編成。それによる一撃離脱。
大国を引っかき回すには丁度良い。
それにアーランド戦士をそれほどの数動かすのは、現状困難だ。ホムンクルスであれば、どうにでもなるという強みもある。
「よし、実験的な作戦をまず行う。 パラケルスス、百名のホムンクルスであれば、どれだけの規模の軍隊を正面から打ち破れる」
「相手の装備にも寄りますが、十倍までなら容易く。 二十倍にでも勝てるでしょう」
「メリオダス。 二千規模のスピア連邦部隊が動いている地区を割り出せ。 それを急襲させ、結果を見て判断する」
「分かりました。 直ちに」
他にも幾つかの手が提案されて、会議は終わる。フルグアイとの交渉については、メリオダス大臣が一任された。彼にはエスティ配下の諜報員が何名か付けられ、今後のやりとりを行う。
ステルクは、あまり良い気分を覚えなかった。
今までロロナが作ってきたものが、戦争を行うためのカードとなる。更に、歴代錬金術師が作り上げてきた技術が、大量殺戮のための直接的な切り札となる。
ホムンクルスは人を基本的に殺せないように作ってある。
だから、ホムンクルスに随伴した部隊が、直接的な殺しは担当する形になるだろう。ホムンクルス百の、戦士十という所か。
その中に、ステルクは立候補するつもりでいた。
結局、作戦は止められなかった。
だからせめて、責任は取らなければならない。
会議が終わると、ステルクは大きく嘆息した。雷鳴が、肩を叩いた。
「気が進まないか」
「ええ。 私も色々と、分別はついてきましたから、分かるのです。 人類は壊滅を乗り切って、ようやくここまで来た。 それなのに、相も変わらず戦争ばかり繰り返して、未だに進歩しようとしない。 進歩したのは、強さばかりだ」
飲みに誘われたので、ついていく。
今日はサンライズ食堂では無く、騎士が多く集まる、少し高めの店だ。驕ってくれるというので、少し恐縮してしまった。
ワインが運ばれてくる。
このワインも、工場で生産できるようになるまでは、幻の飲み物だった。今後、プロジェクトMが完遂し、次の各国への路をつなげる作業が進めば、アーランドにもワインは入ってくるだろう。
その時には、工場は別の物資を生産できる。
少し酒が入ると、いろいろな話を、雷鳴はしてくれた。
雷鳴は少し前から、クーデリアの訓練を見ているそうだ。何でも雷鳴が言うには、クーデリアは昔の自分によく似ているらしい。性別は違うが、才能がなく、身体能力があっても実力を発揮しきれず。生真面目な性格が悪い方向に作用して、家族にも認められなかった。
結局雷鳴がこの国の最上位層に躍り出たのは、三十を過ぎてから。
非常に遅咲きだったのだ。
ただし、それからは長かった。実に事実上の引退まで四十年以上、最上位層の戦士として活躍したのだそうだ。
「あの子は強くなる。 私の子は誰もが戦士としては一流になれなかった。 孫達もそうだ。 だがあの子には、強さの片鱗がある」
悔しく、思っていたのだろうか。
だが、雷鳴が言うには、彼らはそれぞれの才能を生かして、相応にやっているという。子供達には放任主義を採って、むしろ好き勝手をやらせたのだそうだ。
そう言う意味では。
クーデリアは、雷鳴にとって、数少ない本物の「弟子」なのかも知れない。
多くの騎士達からも、クーデリアはアドバイスを受けているはずだ。
その貪欲な姿勢が。
今回の幸運を、引き寄せたのかも知れない。
「君も、もっと鍛えてやってくれるか。 明日のアーランドの柱石になる人材だ」
「分かりました。 この身に換えても」
「近代屈指の騎士がそう言ってくれると心強い。 あの子の鬱屈した目、ロロナという娘にしか心を許していない孤独、見ていてとても心が痛むのだ。 戦士として一流になれば、アーランドでは認められる。 認められれば、きっと心も穏やかになるし、丸くもなるだろう」
雷鳴は事情を知らないのか。プロジェクトに参加していないのなら、無理もない。確か雷鳴はクーデリアとロロナが巻き込まれた事故の、救出作戦の当事者だった筈だが。その後に起きたことについては、知らなくても不思議では無い。
ステルクも、詳しい話をアストリッドに聞かされたのは、ごくごく最近だ。アストリッドと話していて、たまたま真相を知ることになったのである。確かにあれならば、フォイエルバッハ卿があのような態度を取るのも頷けるが。しかし、悲劇に代わりは無い。
少なくとも、クーデリアに罪は無い。フォイエルバッハ卿が怒るのも無理はないのだが。クーデリアに対する態度を正当化する理由にはならない。
幼き時代の、悪意無い行動が。
今にまで、悪影響を及ぼしている。
いつかそれが、きっと大きな悲劇になる。アストリッドのように。前は、どうにも出来なかった。
しかし、今は社会的な地位がある。
ステルクにも、出来る事があるはずだ。
酒場を出ると、ステルクは一旦王宮に戻り、手続きをしておく。
もしも、ホムンクルス達による攪乱作戦が実施されるのなら、ステルクもそれに参加する。
その手続きだ。
酒がまだ抜けないから、書類を仕上げるのに、少し手間取ったが。
それでも、するべき事は全て終わらせてから、寮に戻る。
アストリッドは、今回の決定について、なんと言うだろう。復讐を遂げるための奇貨にするか、それとも。
分からない。
ステルクが理想とする騎士など、この世のどこにもいない。
騎士の仕事は。
手を血に染めることだ。
そんな事は分かっている。だからこそ、普段は、騎士らしくありたいのだ。
翌日、出仕すると。自分の願いが受け入れられたことが、告げられた。
ロロナはこれより、大砲の改良の課題に着手することになる。ステルクは異国の地で、大量虐殺に手を染めなければならない。
二千の敵部隊を相手に戦果を上げれば、更に作戦自体は加速することになるだろう。
騎士とは、何だろう。
求めるものが、遙か遠くにある事を。
ステルクは、実感せざるを得なかった。
(続)
|