居場所無き者

 

序、禿鷹の前

 

ロロナは、王宮の図書館に足を運んで、ヴァルチャーについて調べ上げていた。ここ三日、ずっと同じ作業ばかりしていた。

調べていたのは、ヴァルチャーの生息域についてだ。

少し前に、小川の水量がほぼ回復。緊急で入った課題については、これでクリアと見なされた。

監視用の小屋も見に行ったが、問題は無い。沼沢地は着実に緑化していて、問題なく青い草が生え始めている。遠巻きに監視している人間達を無視するように、悪魔達は作業を続けているようだった。

そうなれば、残るのはヴァルチャーだ。

幾つかの資料を借りていく。王宮の図書館である。クーデリアと相談するには、少しばかり場所が悪い。

アトリエに戻る途中、リオネラとばったり会った。

リオネラはロロナを見て少し驚いた様子だ。ロロナは手に四冊も分厚い本を抱えていたので、本ごしにしか挨拶できなかったけれど。

ただ、リオネラの身に纏っている魔力が、露骨に強くなっている。

歩きながら話を聞かせてもらう。

「りおちゃん、修行してるって聞いたけど」

「うん……」

「此奴、自分が役に立たないって気に病んでてな」

「確かに自動防御が頼りないってのは事実だものね」

ホロホロとアラーニャが口々に言う。

リオネラは、自分でも悩んでいたのか。しかし、本当に強烈な魔力だ。制御方法さえ覚えれば、ロロナよりずっと強力な魔術を使えるのではないか。

魔力を高めただけではない。

いろいろな、回復や支援の術式を、魔術師達に習っていたのだという。

攻撃は怖いから苦手だと言っていたけれど。支援特化で構わないので、強くなってくれているのなら、それで充分だ。

ただ、まだものにはなっていないという。早く身につけたいと、リオネラはうつむきながら言うのだった。

アトリエに上がってもらう。

クーデリアはもう来ていた。今日も顔の何カ所かに、傷跡が出来ている。訓練で作ったものだろう。

「あら、久しぶりね」

「どうも……」

リオネラは不安そうに、クーデリアに応える。

一旦本を下ろすと、二人にロロナは向き直った。

「ちょっと相談したいことがあるの」

「はいはい、どんな難題よ」

「わたしなりに調べて見たんだけど、ヴァルチャーは、どうやら大きな縄張りの中で、毎日動いているみたいなの」

その中心点にあるのが、街の側にある、ヴァルチャーのたくさん住んでいる森だ。他にも何カ所かの森で、ヴァルチャーは集まっているらしい。

其処で、だ。

来られると困る森に、ヴァルチャーよけの香料を焚く。

「なるほど、近くの森とかに来ないように、事前にヴァルチャーよけを焚いておく、というわけね」

「うん。 できれば、何日か。 ううん、もっと長い間が良いかな」

そうすることで、ヴァルチャーの縄張りそのものを、ずらしてしまうのだ。

このままだと、人間にとってもヴァルチャーにとっても、不幸なことになる。それならば、広大な縄張りを、少しだけ動かしてもらう。

流石にヴァルチャーに言葉は通じないから、そうするしか他に手がない。

「合理的な判断だけれど。 問題は、その香料ね」

はて。

今、クーデリアは、妙に言葉に間があったような。

小首をかしげたくなったけれど。とにかく、この結論は、動かない。

とりあえずだ。ここからが、本題になる。

「くーちゃんが言うとおり、香料の材料が問題だよね。 ヴァルチャーの天敵となると、やっぱり原初ベヒモスが一番みたいだから」

「で、骨なり化石なりは、宛てがある?」

既に、一月近くが経過している。

調査やら何やらで、時間が吹っ飛んでしまった。

だから、採集作業は、可能な限り短く済ませなければならない。

「カタコンベに、行ってみるしか無いと思う」

「ステルクに同行は頼めた?」

「ううん、無理だった」

クーデリアはあまり驚かない。やはり、何かあるのだろうか。ただ、それを追求している暇は無い。

今回は、ステルク無しで、カタコンベに行くしか無いだろう。

モンスターはいないが、以前死にかけた危険地帯だ。いくならば、慎重に行動しなければならない。

それに、本当に骨があるかも分からない。

もし無かった場合は、お手上げだ。

いや、もう一つだけ、宛てがある。調べていて、見つけたのだ。

「危険度は高いけど。 実は、もう一つだけ、上手く行きそうなのがあるの」

「何、それは」

「シュテル高地辺りに住んでいる原初の鳥」

原初の鳥。最近縄張りを拡大している、アードラ種の上位生物だ。高い戦闘力と大きな体を持ち、他の鳥の縄張りを侵略して廻っている。彼らがどうして突然縄張りを広げはじめたのかはまだよく分かっていない。

ヴァルチャーの天敵ではないけれど。

この間から、何度か資料を見た。原初の鳥を見ると、ヴァルチャーは一目散に逃げ出してしまうのだとか。

ただ、この場合、原初の鳥は、視覚情報で確認されている可能性が高い。

しかし、鳥は頭が良い。張りぼて程度では、絶対にごまかせなくなる。もし本気で追い払うのなら。

原初の鳥を捕まえてきて、飼い慣らすくらいの事はしないと無理だろう。

この面子では到底不可能だ。

原初の鳥はアードラ種の中でも上位に入る実力を持ち、単独でも高い戦闘能力を持つのだという。

しかもシュテル高地には、この近辺にいるものとは比較にならないほど戦闘力が高いウォルフが多数住み着いているほか、悪魔族も姿を見せ、時には上位種のグリフォンや、ドラゴンまで出ると言うでは無いか。

「だから、まずカタコンベに出向いて、駄目なら一か八かで、シュテル高地に行ってみよう」

「あんた、無茶にもほどがあるわよ」

「あの……」

リオネラが、おそるおそる挙手する。

クーデリアが不機嫌そうに見たので、リオネラは小さく悲鳴を上げた。泣きそうになるリオネラを、ロロナはなだめる。

「どうしたの、りおちゃん」

「うん……。 あのね、この人数で足りないなら、一人か二人、増やせば」

「そのつもりだよ。 タントリスさんを呼ぼうと思ってるけど」

青ざめたリオネラが、一歩露骨に引いたので、ロロナは困った。

確かに前に何かあったらしい事は知っているけれど。本当にそこまで引かれると、どう言って良いのか。

確かに、泊まりで出かける場合、タントリスと一緒は問題がありそうだけれど。

別にタントリスと二人きりになる訳でも無い。

アーランドの野外は過酷だ。タントリスも一人前の戦士であれば、外で気を抜くような事はしないだろう。

「ともかくよ。 先にカタコンベで良いのね」

「他に選択肢はないと思う。 これでもヴァルチャーについて、散々調べたんだから」

「それにしてもあの鳥ども、どうしてあんな街の近くに集まってるのかしら。 今までは討伐隊が出なかったけれど、もし来たら一巻の終わりだって分かっているでしょうに」

「……」

実は。ロロナには、仮説がある。

この間の、沼地の悪魔と話していて、ふと疑問に思って。王宮の図書館で、調べて見たのだ。

そうすると、妙なことが分かった。

モンスターは、どうも人間では住めないような過酷な場所に、わざわざ住み着く性質があるらしいのだ。

ヴァルチャーも、かってはただのスカベンジャーの猛禽だったそうだけれど。世界が荒廃してから、今までの間に、とんでもなく強靱になった。或いは、別種の生き物が、かっての生物の名を取って、ヴァルチャーと呼ばれるようになった。いずれにしても、ヴァルチャーは今やモンスター。

そして、沼地の悪魔の行動を見る限り。そして、ヴァルチャーの住み着く森の現状を見る限り。

いや、その疑問については後だ。

とにかく、今は目の前の問題を片付ける方が先である。

二人に、原初ベヒモスの骨について説明する。原初ベヒモスそのものを倒せればそれはそれで結構なのだけれど、流石にもう世界の何処にもいないだろう。或いは別の大陸まで足を運べばいるかも知れないけれど。そんな機動力は、ロロナには備わっていない。

「大きさ的には、持ち運びが可能なサイズのものもあるのね」

「場合によっては砕けば良いよ。 大きさについては、だいたいこのくらい」

「何だ、今のベヒモスとは比較にならないじゃない。 どうしてこんなのに、昔の人間は苦戦してたのよ」

「うーん、なんでだろうね」

資料を、すぐにクーデリアは覚えた。リオネラにも、渡しておく。

一番かさばる骨でも、ロロナよりちょっと大きいくらい。これならば、荷車で運ぶのは、難しくない。

リオネラと調整して、出かけるのは明日となった。

耐久糧食は、たっぷり用意してある。最近は更に味を改良して、しっとりとした、上品な甘さにしてある。工場の方では味を再現し切れていないという事だけれど。前線に出ている人達からは、とても評判が良いそうだ。

これを、二十日分。

更に、シュテル高地に行く事を想定して、発破の類も出来るだけ持っていく。

荷車をもう二回りくらい大きくしたいけれど。今回は、行く前から、かなり重くなりそうだ。

さて、此処からだ。

一度、準備のために戻ったリオネラを見送ると。タントリスを探しに、街に出る。

最近はふらふらと歩き回っているようだけれど。ロロナを見つけると、だいたい声を掛けてくるので。タントリスに見つかるようにすればいい。

クーデリアは、新調した銃を腰にぶら下げていた。威力と射撃精度がかなり向上しているという事で、今後の戦いでの活躍が期待出来る。

ロロナも新しい杖が欲しいけど。

だけれど、今はその余裕が無い。

大広場に出ると、タントリスはいないけれど。しばらく街を歩いていると、不意に後ろから現れた。

「やあハニー。 元気にしてたかい?」

「ゴキブリみたいに神出鬼没ね」

「くーちゃん、いくら何でも酷いよぉ」

「ははは、ゴキブリか。 あれほど素早く生命力の強い男になりたいものだね」

さらりと流すタントリス。クーデリアはいつも突っかかるけれど、気にしている様子は無い。

或いは、男の度量という奴だろうか。

そういえば、この性格だ。男の人はみんな敵に回しそうなのだけれど。タントリスが、男の人と喧嘩しているところは見たことが無い。

意外に、女の人とは、誠実に接しているのかも知れない。いや、それはどうか。微妙な気がする。

咳払いして、長期の採集に出ることを告げる。案外、簡単にオッケーしてくれた。これで四人。

流石にイクセルを、長期間連れ出すのは無理だろう。

最近も近くの森などでの採集では、時々同行はしてくれるのだけれど。やはり、料理人として忙しいのだ。外で採集につきあうのは、なかなか難しいと言っていた。

ステルクが来てくれれば心強いけれど。今回はそれも望めない。

王宮では、しばらくは無理だと言われてしまった。

確かに、今非常に忙しい様子で、騎士達がばたばた走り回っている。こんな状態で、騎士の中でもかなり強いらしいステルクを、独占するのは厳しい。

とにかくだ。

集まる人員は、手元に揃った。

後は、どうにかして、原初ベヒモスの骨を探すだけ。それが駄目なら、原初の鳥を倒すか捕まえるかして、代用するしかない。

一度アトリエに戻る。

一人になった後は、荷車の調整と、荷物の準備。それから、ホムに対して、留守の間の作業について説明。

栄養剤の納品と、後は少し前にまた頼まれた発破の納品。発破の調合は流石に任せられないので、コンテナに作り置きしておいた分を、王宮に持っていって貰う。それらの説明と、細かいスケジュールをホムと一緒に作る。

ホムは徹夜も平気だと言うけれど。

ロロナが、嫌だ。

スケジュールを組み終えて、食事をすると、もう夜になっていた。

見つかるかも分からない素材を探しに行かなければならない。しかも、見つからなければ、詰む。

今回は、今までの課題でも、かなり厳しい方に入るかも知れない。

最悪の場合は、ヴァルチャーの大群に戦いを挑むしかないのか。しかし、出来ればそれは避けたい。

ベットに入っても、悩みは消えない。

戦いの際、悩みを抱えるのは致命的だ。

分かっていても。

どうにもならないことは、確かにあった。

 

1、手探りの探索

 

カタコンベでの探索は、既に二日目に入った。

皆でカタコンベに出向いて、それから資料を手に手分けして探しているのだが。案の定、簡単には見つからない。

巡回の戦士達も、呆れている様子だ。

どうして骨を血眼になって探しているのか、分からないのだろう。

「こっちに大きな骨があったよ」

いきなり後ろから首筋に息を吐きかけられて、そう言われたので。ロロナは思わず跳び上がってしまった。

クーデリアが無言で銃を抜いたので、慌てて止める。

「タントリスさん! カタコンベの中! やめてください!」

「涙目で言われても説得力がないなあ。 で、骨をどうするんだい?」

「……見ます」

クーデリアが射殺すような目でタントリスを見ていたけれど。今は、二人の喧嘩に関わっている暇が無い。

大きな骨を見つけたという度に出向いていたのだけれど。

今の時点では、殆どが違う獣のものばかりだ。原初ベヒモスは、何カ所かに特徴がある骨がある。

それは、見つからない。

今回も、空振りに終わった。脱力するロロナに、おろおろしながらリオネラが言う。

「もっと奥、探してみないの?」

「うん、そうしようか」

確かに表層の通路で見つかる骨は、小さいものばかり。

深層では、あの銀色の触手が、作業の邪魔をしないように見張っている。危険性も高い。しかし、もうこれ以上は、表層近くでは、大きな骨は見つからないだろう。

荷車を引いて、深い階層に出向く。

やはり機械がまだ動いている。ネクタルを生産して、地面に流し込んでいるのだろう。機械に近づかないように、タントリスに言う。きざな吟遊詩人は、君の言う事ならばとかいうのだった。

「銀色の触手は、悪いことをしなければ仕掛けてこないはずだから、くれぐれも気をつけてね」

「分かっているわよ」

散って、調査を始める。

幾つかの、ぎっしり骨が詰まっている通路に入ってみる。大きな骨が幾つもある。中には、ロロナの体よりも大きな牙もあった。

確か、もう絶滅した象という動物のものだ。特徴的な牙なので、よく覚えている。

絶滅動物の骨があるのなら。或いは、原初ベヒモスのものも、あるかも知れない。

もっと奥には通路が続いているようだけれど。銀色の触手に怒られそうで、踏み込むのは覚悟がいる。

骨の山に潜るようにして、探していく。

何度か呼ばれて、大きな骨を見に行くけれど、違うものばかり。中には、現在のベヒモスの骨もあった。

一応砕いて持っていく。

ひょっとしたら、効くかも知れないからだ。

一旦カタコンベを出て、食事に。

今の時点では、成果無し。

不安になってくる。だけれども、どうにかしなければならない。

一応近くに村があるので、其処まで戻って宿に泊まる。虱だらけのベットでも、無いよりはマシだ。

お風呂に入りたいけれど、こればかりはどうしようもない。

ぬれタオルで体を拭いて誤魔化す。

「いつまで粘る? もう少し深層に行くか、シュテル高地に行くか、そろそろ判断しないとまずいわよ」

「うん……」

クーデリアは、現実的に物を言う。

だから、ロロナも選択を迫られる。いつまでも此処で探していたって、どうにもならない可能性が高い。

それに、骨が見つかったところで、かなり広域を歩き回って、お香を仕掛けてこなければならない。

いずれにしても、厳しい。

「今からでも、別の方法は考えつかないの?」

「何か候補があれば良かったんだけれど。 あの大群を、力押しで追い払うのは無理だし、それに生半可なやり方じゃあ、一度追い払っても、すぐに戻って来ちゃうよ」

ロロナがぼやくと、クーデリアはため息をついた。

確かに、雲を掴むような話なのだ。

本当に上手く行くか分からないし、だいたい素材が見つからない。今回ほど、不安が刺激される課題は初めてだ。

とにかく、残りはまだ時間がある。

ぶっつけ本番だけは避けなければならない。

「シュテル高地に行くなら、早めにね」

クーデリアはそれだけ言うと、さっさと寝てしまう。

ロロナだって、分かっているけれど。シュテル高地は、本当に最後の手段にしたいのだ。この面子だと、非常に危険だと言う事は、言われるまでも無く分かっている。腕を上げているとは言え、まだベテランから見れば貧弱なクーデリアと、火力はあっても大した力はないロロナ。戦闘経験が不足しているリオネラと、強いけれど何を考えているかよく分からないタントリスでは、戦闘もかみあわないし、多数の敵に囲まれたとき、どうにもならない可能性が高い。

翌朝からは、最初からカタコンベ最深部に潜って、骨を探し続けた。

やはり、無い。

古い骨に絞って調べているのだけれど。見つからない。

骨で埋まっている通路の奥に、意を決して踏み込む。骨をかき分けるようにして奥へ行くと、階段で更に下へ通じている事が分かった。

銀色の触手が、所々に見える。

やっぱり、此方を警戒しているのだろう。余計な事をするなと、言われているようだった。

何度か触手に謝りながら、骨で埋まった通路を降りる。

広い空間に出た。

こんなに膨大な骨を見るのは、初めてだ。

不意に姿が浮かび上がる。あれ。これは。パメラだろうか。

いつもとは違う、白衣を着て、眼鏡を掛けている。普段のふわふわした雰囲気と違って、随分としっかりした感触だ。

幽霊かと思ってびっくりしたが、違う。何というか、気配がない。

「劣悪形質排除ナノマシンの脅威は、世界中に広がっています。 カウンターナノマシン精製設備は、原理主義者のテロによって破壊され、今やその脅威は制御不能です。 核戦争の災禍も留まるところを知らず、各地のシェルターも率先して攻撃されていると報告があります。 残された方法は、劣悪形質排除ナノマシン……」

姿が、途切れる。

その下に、古い機械があるのを見つけた。これが、パメラの姿を作っていたとみて、間違いないだろう。

どうやら機械が壊れてしまっているようだ。

ロロナは小首をかしげながらも、広い場所を歩く。

いつの間にか追いついてきていたクーデリアに、袖を引かれた。

「ちょっと、何こんな奥まで、ふらふら来てるのよ!」

「くーちゃん、今の見た?」

「あの幽霊女、遺跡より古いくらいの存在だって、分かっていたことでしょう? それに、彼奴が何とかナノマシンって口にするのは前にも聞いていたし、驚くことは何一つ無いわよ」

「……そう、だね」

ロロナは、今のを見て、ある事に気付いてしまった。

この間、沼地の悪魔に聞かされた事。それに、今昔のパメラらしい姿が言っていた事を聞く限り。ある仮説が思い当たるのだ。

ひょっとして、ネクタルは。

いや、それは今は良い。とにかく、たくさんある骨から、探していくしかない。

部屋の四隅には、触手ではなくて、大きな人型の姿がある。動く様子は無いけれど。多分触手と同じ、ガーディアンとみて良いだろう。

リオネラとタントリスも呼んで、探すのを手伝ってもらう。

とにかく凄い量の骨だ。そして、時々、パメラの姿が不意に浮かび上がってくる。どれも、悲しそうな顔をして、何かの説明をしているようだった。

大きな骨が見つかったので、呼ばれて出向く。

これは、ひょっとして。

非常に古い骨だ。しかも、幾つかの特徴が、原初ベヒモスのそれに一致している。骨としては肋骨だけれど。ロロナの背よりも、少しあるくらいの、巨大なサイズである。

「これ、もしかして」

「うん、間違いなさそう。 運びだそう」

あった。

本当に。

良かった。これが効果を為さなかったら、完全に詰む。だが、希望の一つは、これでどうにか得ることが出来た。

途中、また映像の一つが浮かび上がった。

白衣のパメラが、誰か男性と一緒に並んで立っている。恋人だろうか。寄り添う姿は、とても幸せそうだ。夫婦かも知れない。

何より古い幽霊だ。

かって、恋人や夫がいても、不思議では無いだろう。

パメラは、姿形からして、きっとこの白衣の頃から、あまり年を経ずになくなっているはずだ。

ならば、恋人とも死に別れた可能性が高い。

もし、そうならば。

パメラは、どうして笑っていられるのだろう。

 

どうにかカタコンベから、骨を運び出す事には成功した。全身が埃まみれだ。何より、超危険地帯のシュテル高地に出向かずに済んだことは大きい。

カタコンベを出ると、疲れ果てていることに気付いて、腰が抜けそうになった。やっぱり、ずうっと監視されながら作業をするのは、かなりのストレスになる。

ため息が漏れた。

村に一度寄って、夕方からぐっすり休んだ。

タントリスは平気な顔をしていたけれど。これから、調合もその後の作業も強行軍になる。クーデリアにもリオネラにも、手伝って欲しい所だ。

朝方には目が覚めた。まだ疲れているリオネラの回復を待ってから、村を出ることにして。ロロナはまだ肌寒い中、外に出て、荷車をチェック。何かを取られているような事は無かった。

ふと気付くと。

リオネラが、宿を出て行くのが見えた。

村の外に出ると、其処にタントリスが。二人が何か話しているのが聞こえる。隠れてしまったのは。雰囲気が、あまり良くなかったからだ。

「まだ、僕を恨んでいるのかい?」

「当たり前だろう。 あんな街の連中の言うとおりに、悪行に荷担しやがって」

「危うくリオネラは焼き殺されるところだったのよ」

穏やかではない話だ。

多分、後ろ暗い仕事もしているだろう事は知っていた。だが、まさかリオネラと、命のやりとりに近い事までしていたとは。

リオネラは青ざめている様子だ。

しかし、タントリスには余裕がある。

「僕も仕事で食べていかなければならないからね。 それに僕が追い出したから、死なずに済んだのでは無いのかな」

「巫山戯るなよ、てめー」

「やめて、ホロホロ。 タントリスさんは、そうやっていつも立場が弱い人を、追い出しているんですか?」

「難儀な仕事だと言う事は、僕も理解しているよ」

聞こえてくる話を総合する限り。

タントリスは、どうやら追い出し屋と呼ばれていたようだ。聞いたことが無い仕事だけれど、話の内容から察するに。

厄介者を、村の人などに頼まれて、追い出すのだろう。

或いは力尽くで。

若しくは、いろいろな手管を使って。

なるほど、優男できざなのに、腕が立つのはそれでなのか。吟遊詩人というのも、武器の一つにしているのだろう。

彼方此方に出向いても不思議がられないし、何より目だっても不審ではない。

「ロロナちゃんも、そうやって……」

「彼女に手を出す気は無いよ。 それに……」

これは、気付かれているとみて良さそうだ。

一瞬だけ、タントリスは此方を見た。

まあ、熟練の戦士なら当然か。ロロナの技術では、ハイドなど出来るわけもない。

「まあ、昔は昔、今は今だ。 君も昔より多少は丸くなっているじゃないか。 例の仕事も、もうやっていないんだろう?」

「その事は、ロロナちゃんには言わないで」

「おや、口調が変わったね。 嫌われるのが怖いのかい? その程度の事を打ち明けられないのなら、友達とは言えないよ」

冷酷な物言いだ。

リオネラが非常に臆病だと言う事を、全く配慮していない。

ロロナがタントリスにあまり魅力を感じないのは、きっとこういう冷酷さが、にじみ出ているからではないのだろうか。元々、裏家業の人だろうと言う事は分かっていた。それに、アーランド戦士は冷酷でなんぼだと言う事も理解している。だが、それでも、人間味は欲しいとロロナは思うのだ。

タントリスが、宿に戻っていく。

立ち尽くしていたリオネラは、何度か乱暴に目を擦ると。しばらく風にでも当たりたいのか。

夜明けの村の中を、ぶらつきはじめていた。

何だか悪いことを聞いてしまったかも知れない。

リオネラは、大丈夫だろうか。

宿に戻った後も、リオネラが帰ってくるまで、結局眠ることが出来なかった。せっかく求めていたものが手に入ったのに。

 

結局、大げさな準備はしたものの。アトリエに戻った時までには、さほどの交戦は行う事も無かった。多少ウォルフに纏わり付かれたくらいである。勿論、問題なく追い払う事が出来た。

隣の親父さんの店から、お香を入れるための金属台を回収。

全部で三つ。

これは、ヴァルチャーのいる森。近くの森。それに、少し離れた所にある村の周辺に広がっている森に、置いてくる。

特に、今回煙でいぶす対象になる森の側の村は厄介だ。なにしろ、もろに森の中にあるのだから。元々、緑化した地域を管理するために作られた村なのだ。此処にヴァルチャーが大挙して押しかけると面倒な事になる。

次は、お香の準備だ。

以前使った幻覚作用のあるアロマと違って、今回のは少し派手に煙が出るようにする。そしてその煙は、軽すぎず重すぎず。

重すぎれば、地面に留まってしまって、ヴァルチャーがいる辺りまで届かない。

一方で軽すぎると、そのまま上空に立ち上ってしまって、ヴァルチャー達の殆どが気付かなくなるだろう。

それでは困る。

レシピを見ながら、調合を進めていく。

勿論、事前にレシピは組んである。今回は、調べることが色々出来た上。以前の幻覚作用がある薬を作成した際に、資料を見ているから、ノウハウもある。

幸い、持って帰った原初ベヒモスの骨は非常に大きいので、多少削ったくらいではなくならない。

お香の主成分は、これで確保できる。

問題は乗せる煙だ。

これは、木のものを使う。

つまり、一旦、骨の香りを抽出して、これを液状化する。

そして事前に集めておいた木材に、しみこませる。

木材は運びやすいように、チップ状に砕く。そして燃えやすいように、何種類かの薬剤と混ぜる。

その中には、事前に作ってある、錬金炭もある。

そして中和剤を此処で投入。

煙と香りを親和させる意味がある。魔法陣の上で、幾つかの要素を、中和剤を媒介して親和させて。

半日ほどおけば、完成だ。

まずは、初回。

いきなり最初から上手く行くとは、ロロナも思っていない。

近くの森で、小規模に焚いてみて、状況を見る。

一回目は、案の定駄目だった。

煙があんまりにも、しょぼいのだ。鼎に入れて焚いてみると、煙が筋状には上がるのだけれど。これでは、ヴァルチャーは驚きもしないだろう。

部屋に閉じこもって使う薬剤だったら良かったのだけれど。これでは、あまりにも意味がない。

しかし、だからといって、煙の臭いが強すぎるとなると。原初ベヒモスの要素が消されてしまう。

煙は、かなり臭うものなのだ。

材料に使う木はこれで問題ないはず。ならば、煙を爆発的に出せるようにすれば良い。資料を漁って、いろいろな木を確認。

近場にあって、大量の煙を出す木は。

木が無いのだとすれば、薬剤で補えば良い。最初に見つけた薬剤は、かなり臭いが強いので、却下。

一応レシピは組んであったのに。

実際に動かしてみると、駄目。こういう自分が未熟なところを見せつけられると、かなりへこむ。

だけれども。

いつまでも、へこんではいられなかった。

第二弾が出来たのは、四日後のこと。出来れば、可能な限り早く仕上げたかったのだけれど。

近くの森に試作品を持ち込んで、焚いてみる。

かなり煙が出る。

これならば、鼎に入れて焚けば、相当量の煙が蔓延するだろう。ただし、臭いを嗅いでみて、失敗を悟る。

殆ど原初ベヒモスの香りが、消されてしまっていた。

何となく理由は分かった。使った木に、消臭剤の効果があったのだ。実際に焚いてみるまでは、これは分からなかった。

意外な苦戦。

だが、一番の難関だと思っていたものは、手に入っているのだ。

それならば、いつまでも足踏みはしていられない。さっさと片付けて、次に行かなければ。

気分転換をしよう。

そう思い当たったのは、第四弾が失敗した辺りである。

どうも、煙を強くすれば香りが消えてしまう。香りを残すと、煙が弱くなってしまう。そのジレンマが、克服できない。

まだパメラのお店に行けていないことに気付いたので、行ってみることにした。どうせ、すぐ近くなのだ。

イライラしたままでは、失敗だってする。

気分転換をした後なら、レシピの調整だって、上手く行くに違いない。

クーデリアを誘ったのは。以前、そのお店に幽霊の噂があったから。本物の幽霊が今は住み着いているし、噂は師匠が作った嘘だとは分かってはいるのだけれど。怖いものは怖いのだ。

苦手意識が、あるのかも知れない。

クーデリアは呆れた様子だったが、それでもつきあってはくれた。

すぐ近所のお店は。中ががらんとしていた。一応商品は陳列されているのだけれど。魔法のお店と言うよりは、怪しいものばかりを置いている変なところになっている。外側から中を確認しただけでこれだ。

お客は案の定、殆ど入っていなかった。

入り口から入ると、すっと奥からパメラが姿を見せた。

あれ、歩いている。足もあるし、空中に浮かんでもいない。

何処かで、肉体を得たのだろうか。

「あらー、いらっしゃい。 やっと来てくれたのね」

「開店おめでとうございます。 これ、差し入れです」

無駄になるかと思ったのだが、念のためパイを焼いてきた。以前から作って見ようと思っていた、ベリーを中心にたくさんの果物を使った、豪華なパイだ。クリームも甘さを少し抑えた、皆が楽しめる味になっている。

だが、パメラが実体を得ているのなら。

幸い、無駄になることは無さそうだ。

販売している品を見せてもらう。驚いたことに、ネクタルを売っていた。工場に提供しているのだから、売り出していてもおかしくはないと思っていたのだけれど。まさか、本家本元であろうパメラが販売に乗り出すとは、思っていなかった。

他にも、魔術の籠もった品が、かなり置いてある。

気味の悪い人形は、触ろうとしたら噛みついてきた。

びっくりして手を引っ込めると、また動かなくなる。しかし、クーデリアが触ると、何も起こらないのだった。

「ああ、それはねえ。 臆病な子には強気に出る人形よぉ」

「ええー」

「面白いわね」

意外にも、クーデリアは気に入ったらしく、その場で即金にて買っていく。

魔術の籠もった品はいくらでも見た事があるが。此処に置いてあるのは、数こそ少ないが、とても珍しい品ばかりのようだった。

地下の方で、何か大きな気配がある。

だが、パメラは其処までは見せてくれなかった。まあ、お店のバックヤードにお客が入れる場所は、あまりない。

ロロナも、こんな不思議な品をどうやって作るのかは興味があったし。何より、どうやってネクタルを作っているのかは知りたかったけれど。だが、流石に見せてと言うのもぶしつけなので、黙っていることにした。

とりあえず、パイを引き渡すと、一旦引き上げた。

クーデリアも、自宅に戻る。

栄養ドリンクを飲むと、少し寝ることにした。お昼寝のような形になるが、気分転換は出来たのだ。

また、此処から、気合いを入れて望むには。

休憩は、必要不可欠だった。

 

臭いがない煙で、なおかつ丁度木の上くらいに留まる重さ。

なおかつ量が出て、元の臭いを消すこともない。

最初に組んでいたレシピでは、これを実現することが、どうしても出来なかった。素材を色々変えてみても、中々難しかった。

重い煙そのものは、研究を始めてしばらくして、ようやく実現できた。

時々来る行商の男の子が売ってくれた木材で、燃やすと非常に重い煙が留まるものがあったのだ。

コオル君という背の低い男の子なのだけれど。

確か彼らは、非常に背が低い一族で、アーランドに限らず各地で行商を行っているのだという。

噂によると、異世界にまで足を伸ばしているとか言うけれど。まあ、話半分に聞く方が良いだろう。行商のネットワークがそれだけ凄いという事で、ロロナは納得していた。

話によると、この木材は、占いなどをする一族が、雰囲気作りのために用いるのだという。

元々の木ではこうは行かず、特殊なタールと混ぜることによって、重い煙を造り出すのだ。

とりあえず、言われたとおりに試してみて、重い煙そのものは出来た。

臭いもない。

ただし、これに原初ベヒモスの香りを乗せることが、中々出来なかった。

煮詰まってきたと思ったので、大広場に出向く。

リオネラが久しぶりに、人形劇をやっていた。以前は人の視線を浴びるだけで青ざめていたのに。

今では、多少は営業スマイルを浮かべるようにはなっていた。

この間、タントリスとリオネラが話していた事が、気になる。一体彼女は、以前の住処で、何をしていたのだろう。

だが、とても悲しい過去なのは、間違いなさそうだ。

人形劇が終わって、逃げるように広場を後にするリオネラを。先回りして、捕まえる。アトリエに呼んで、一緒に食事にした。

ロロナも煮詰まっていることを話すと、リオネラは寂しそうに笑った。

「そうか、ロロナちゃんも、そんな風に苦労はしているのね」

「それはそうだよ。 というよりも、わたしなんて、いつも苦労ばっかり。 いつかは、迷い無く動けるようになりたいって、思ってるよ」

一緒に食事をするだけで、随分気が楽になる。

少し気分も晴れたので、リオネラに手伝ってもらって、資料を整理。

もう、時間はあまり残っていない。

ぶっつけ本番にならないためにも。

余裕を持って、お香を完成させなければならなかった。

 

2、退魔のお香

 

結局、お香を入れた鼎を運ぶために、新しく荷車を買う事になった。

実験に用いるのは、ヴァルチャーが大量に住み着いている目的の森ではない。以前から目をつけていた、十羽くらいのヴァルチャーが夕暮れ時くらいに来る、近くの森の一角だ。群れからはぐれているのか、或いは小休止なのかは分からないけれど。

この一角には、短時間だけ、必ずヴァルチャーが来る。

鼎を置いて、お香を焚く。

結局、どうやって問題を解決したかというと。香りの成分を抽出して、圧縮することで、対応した。

不思議な事で、同じ量の香りでも。

圧縮すると、随分と撒いたときに、違うのだった。

そして圧縮してみて気付いたのだけれど。

原初ベヒモスの香りは、威圧的だ。

嗅いでみて分かったのだけれど、おそらく存在そのものが最強だったから、威圧的な臭いを纏うことで、存在を誇示していたのだろう。

勿論現在では、最強でも何でもないけれど。

当時は、圧倒的な力を持って、大地に君臨していたことは。臭いを嗅ぐだけで、何となく分かった。

お香に火を入れると、もくもくと煙が上がり始める。

予定通り、周囲に煙幕が出来るほどの量だ。

順調に広がっていく。そして、木の枝の上にも届いた。

木陰に隠れて、しばらく待つ。

夕暮れに、ヴァルチャーが来た。その頃には、煙は一応消えていたのだが。上手く行けば、臭いが枝の上に残っている筈だ。

上手く行って欲しい。

ロロナはしばらく様子を見ていた。

固唾を呑むとは、このことだ。

側には、何時でも戦えるように、クーデリアが控えてくれている。タントリスも、今回は呼んできている。

数羽のヴァルチャーに一斉に襲われたら、かなり面倒だからだ。

近くで見れば分かるが、ヴァルチャーは翼長だけで長身のタントリスの背丈よりも、更に数割増しはある。

爪も牙も鋭いし、魔術まで使うほどだ。

なめてかかれる相手では無い。空を舞うと言う事も含めて、相応の敵だと認識すべき存在なのだ。

旋回していたヴァルチャーが、枝の上に降りてくる。

枝に、何事もなかったかのようにとまった。

翼を繕いはじめるヴァルチャー。魔術を飛行に併用しているとは言え、翼は彼らにとっての生命線だ。

地上を走るタイプの鳥以外に取って、翼は文字通り命の次に大事なものなのである。もう一羽が、枝の上に降りてくる。

緊張の一瞬。

そろそろ、臭いに気付くはずだ。

木陰で、ぎゅっと身を縮める。

上手く行かなかったら、今までの苦労が水の泡だ。天敵だった原初ベヒモス以外、ヴァルチャーを追い払える存在が、想像できない。

不意に、けたたましい悲鳴をヴァルチャーが上げたのは、その時だった。

明らかに一羽が、異常な様子で舞い上がる。他のヴァルチャー達は少し戸惑っていたが、最初の一羽に倣った。

慌てた、というよりも、もはやパニックに陥っている。

可能な限り、高度を稼ごうとしている。必死に翼をばたつかせている様子は、滑稽でさえあったけれど。

彼らが必死である事はロロナには分かっていた。だから、息を飲み込む。笑うことではない。

効いたのか。本当に。

数羽のヴァルチャーは、慌てて連れ立って、飛び去っていった。人間が魔術で脅かしたときの比では無い。

元々ヴァルチャーは、体が大きいこともあって、決して臆病な鳥ではないのだ。アードラの一族らしく、堂々たる猛禽の一種。それが、あれほど怯えて飛び去るのは、ロロナもはじめて見た。

呼吸を整えて、木陰から出る。

一旦鼎を片付ける。しばらくは、経過観察だ。数日間調べて、あのヴァルチャー達が必ず夕刻ここに来る事は分かっている。ならば数日また調べて、彼らが二度とここに来ないことを、しっかり確かめなければならない。

「良く効いたわね」

「うん。 でも、あんなに吃驚させて、可哀想だったかなあ」

ロロナだって、今まで何度も戦場に立って、敵を屠ってきたのだ。戦場で敵に憐憫を覚える事も、情けを掛ける事も無い。少なくとも、無力化するまでは。

しかし、ヴァルチャーは潜在的に危険だとはいっても。彼らと直接の利害関係はないのだし、今回の件は気の毒でならなかった。

一度、アトリエに戻る。

途中、護衛をしてくれたタントリスが、面白い話をしてくれた。

「これは西の方で聞いた話なのだけれどね」

「旅先ですか?」

「そうだとも。 ある小さな村に、優しい男がいた。 ある日男は凶暴なアードラを撃ちおとしたのだけれど。 そのアードラが雛のために、必死に人間を追い払おうとしていることに気付いて、情けを掛けた」

それから、悲劇が始まった。

彼らには、人間で言う情けなどと言う概念はない。

単に撃ちおとされた恨みだけがあったのだ。

数年後、村は多数のアードラに襲われた。男は後悔したが、時は既に遅い。アードラは撃退して皆殺しにしたけれど。

村は襲撃によって滅茶苦茶になって。人も多く死んだのだった。

「動物と人間の概念は違う。 ましてや、情けを掛けるなどというのは、だいたいは人間の自己満足に過ぎないのさ。 だから君も、遠慮せずに行動するといいのではないのかな」

「……そう、ですよね」

言われるまでも無く、分かっている。

タントリスが言ったのは、おそらく民話の類だろうけれど。それでも、真実の一端は射貫いているだろうと思う。

殆どの動物は、喰らい、眠り、増える事だけを考えている。

知能が高くても、ヴァルチャーもその例に漏れない。

おそらく、アトリエに戻った後、ロロナが悶々とすることを、見越してそんな事を言ってくれたのだろうけれど。

タントリスは冷酷だと、少し前から気付いていたからよかったが。そうでなかったら、反感を覚えていたかも知れない。

そう言う意味で、タントリスは或いは。とっくにロロナが、タントリスをそう見ていることに、気付いているのだろうか。

女子の事が大好きだから、しっかり観察しているという事なのだろう。

アトリエに到着。

タントリスは作業を手伝おうかと言ってくれたけれど、丁重に断る。クーデリアと一緒に、一旦鼎を片付けた。

これからは、しばらく地味な観察を続けなければならない。

二人で、プランを練る。

一応、計画は事前に作ってあったけれど。細部に問題が無いか、見直していく必要もある。

「くーちゃん、あんなに効くなんて思わなかったけれど。 びっくりしなかった?」

「数羽を撃退できただけよ。 此処にあるけれど」

資料の一角を、クーデリアが指さす。

環境アセスメントと書かれていた。

何かを使う場合、それが最終的にどんな影響をもたらすのか、しっかり調べていく必要がある、という概念のようだ。

「あのヴァルチャーが、どんな風な反応を示して、落ち着くまでどう行動するかを、しっかり見て行かないと駄目よ。 大挙してアーランドや近辺の村を襲いでもしたら、目も当てられないわ」

「うん、分かってる」

「最悪の場合、間引かないと行けないでしょうね」

それは。

分かっているけれど、避けたい。

戦う事は怖くは無いし、最悪の場合は間引かなければならないことも、分かっている。ただし今回は、穏便に事を済ませることが出来るカードが手元にあるのだ。ならば、使っていきたい。

クーデリアは、戦士として、急速にたくましくなっている。

それは分かっているし、頼もしくもあるのだけれど。

ロロナは、置いていかれているのではないかと思って、時々不安になるのだった。

翌日。

夕刻に、同じ場所に足を運ぶ。

木陰に隠れていると、ヴァルチャーが来るのが見えた。昨日と同じ個体だと、目が良いロロナにはすぐ分かった。

ゆっくり木の上を旋回する屍食漁りの猛禽たち。

降りてこない。

或いは、上空で。既に残っている臭いを、察知できているのかも知れなかった。

勿論、いつまでも、臭いが残るとは思えない。

問題は其処だ。

原初ベヒモスの骨は、いつまでも手に入り続けるものではない。使えば減る。一度原初ベヒモスが来たからと言って、定期的に使わなければ、いずれヴァルチャー達は戻ってきてしまうだろう。

今はこれで良いけれど。

代替の臭いを、いずれ用意しなければならないはずだ。

ヴァルチャー達は降りてこず、他のヴァルチャー達がいる森へと飛んでいった。合流するつもりなのだろう。

念のために一緒に隠れてくれていたクーデリアが嘆息する。

「上手く行っているみたいだけれど。 どうするの」

「計画の前倒し、出来るかな」

「やめておいた方がいいわよ。 ただでさえあんたの作るもの、毎回何かしら欠陥があるんだもの。 しっかり第一段階を確認して、それからの方が良いわね」

「はい……」

流石に親友。

容赦のない物言いに、ぐっさりきたけれど。

言われるまでも無く、その通りなのだ。今回はまだ時間もあるし、じっくり時間を掛けて検証した方が良い。

アトリエに戻る。

計画では、あと二日間、確認してから先へ進む。

その間に、出来る事はやっておきたい。

お香として焚く分は、既に充分な量を確保している。最後にヴァルチャーのいる森で焚く分、周辺の森でも焚く分は、調合済みだ。鼎についても、準備は済ませてある。

もし、問題があるとすれば。

クーデリアと話して、色々と問題を詰めておく。

何が起きても、不思議では無いのだから。

翌日、更に翌日と、観察。

翌日は、まだヴァルチャーも戻ってきたけれど。その次の日は、とうとうヴァルチャーは姿を見せなかった。

どうやら、効果はあると見て良さそうだ。

計画を、先に進める。

明日は、決戦だ。

 

王宮に行ってみたけれど。やはり、ステルクは重要な用件で、席を外しているという事だった。

そういえば、少し前から。王宮で、女の子が働いている姿を、頻繁に見るようになった。見間違えでは無いだろう。みんな可愛いのだけれど、何処かホムのように無表情で、周囲とも距離を置いている様子がうかがえた。

あれは、何なのだろう。

そんな中、ひげ面のベテラン騎士が一人、妙に女の子に良くしている。そう言う趣味なのかと思ったが、それにしては妙だ。好きな相手に接していると言うよりも、親子のような関係に見える。

騎士の部下らしい戦士達も、同じように女の子に接している所を見ると、あの集団だけは、どうしてか他とは違う考えのようだ。

別に何人かいる女の子の中で、特別愛想が良いわけでもないし、可愛いようにも見えないのだけれど。

不思議な話だ。

「ヴァーデン殿、次の討伐任務が決まりました!」

「応。 もう問題ないか? 腕の調子は」

「大丈夫です。 行けます」

「そうか、よし」

触るようなこともなく、ヴァーデンと呼ばれた騎士は適切に距離を保って、女の子と接している。

其処には思いやりを見て取ることが出来て、ほほえましかった。

良いものを朝から見たけれど。

ステルクの助力が得られなかったことに代わりはない。強化した荷車で、鼎と薬剤を運ぶ。

クーデリアと相談して決めたのだけれど。この薬は、香り立つ野生と名付けることにした。ちょっと格好を付けすぎかなと思ったのだけれど。原初ベヒモスの香りは、そうとしか形容の仕様が無いのだ。奇をてらっても仕方が無いし、分かり易い名前が一番良いだろう。

街の門には、リオネラとタントリスが、既に待っていた。

落ち着かない様子のリオネラは、明らかにタントリスと距離を取っている。気にもせず、ちょっと格好を付けたポーズで、挨拶してくるタントリス。

「やあ、おはようハニー」

「おはようございます。 タントリスさん、りおちゃん」

「あの小さな子はまだだよ。 彼女が君と一緒に来ないのは珍しいね」

「今日は、ちょっと用事があって、別行動していたんです。 そろそろ来ると思うんですけれど」

クーデリアが来る前に、作戦会議をしておいた方が良いだろう。

通行人の邪魔になると問題なので、ちょっと道から外れたところに移動。タントリスは、戦闘の可能性が高いと言っておいたのに、丸腰だ。

やはり、素手での戦闘を主体とするから、だろう。

「なるほど、ヴァルチャーの大群を、煙でいぶして追い払うのだね」

「ちょっと違いますけれど、そんな感じです。 既に効果があることは確認済みなので、今日は先に、ヴァルチャーが来ると困る場所に、煙を撒いてから行動します」

そのために、鼎を三つも作ったのだ。

一つでも結構な出費だったけれど。今回は、しっかり森に臭いを根付かせる必要がある。だから、必要なことだ。

勿論、上手く行けば、王宮に代金は請求できるだろう。

六十年も放置していた案件なのだ。これが解決すれば、多少のお金は出してくれるだろう事は、疑いない。

まあ、それは別に良い。

問題は、今、問題を解決できるか。だ。

クーデリアが来る。

かなり面倒な作業だっただろうに、押しつけてしまって、本当に申し訳なかった。

「やあ、小さなレディ」

「うっさい、色ボケ吟遊詩人」

「これは相変わらずの毒舌だ。 それがまた可愛らしい」

相も変わらず、女性に対しては妙に甘ったるい声で喋るタントリス。一度男性と話しているところを見た事があるのだけれど、声のトーンまで変えていたので、ちょっとロロナも困惑した。

男なんてどうでも良いと、本気で考えているタイプなのだろう。

クーデリアはタントリスに冷酷な対応をすると、ロロナに無言で書類を突きだしてくる。面倒くさかったと、顔に書いてあった。

クーデリアは、数日前から、王宮に申請を出していた。

近くの森で、かなり大規模に、煙をいぶすと。

「うん、問題無さそうだね。 ありがとう、くーちゃん」

「別に良いわよ。 これで騎士団にコネも作れたしね。 ただし失敗したら大恥だから、それは覚悟しておきなさい」

「分かってる」

絶対に成功させる。

クーデリアは多分うすうす勘付いているだろうけれど。今回の件は、上手く行けば、かなり大きな功績になる。

今までも、色々ロロナが作ったものが、アーランドの役には立ってきたようなのだけれど。

今回のが上手く行けば、六十年来の問題が解決するのだ。

そして、それを主体的に解決したロロナもそうだけれど。正面で動いていたクーデリアにも、良い印象が集まるはず。

つまり、待遇改善に向けて、必ず動きも出る。

アーランドでは、有能な人間は、優遇される。血筋が良くても、無能であれば良い職場にはつけないものなのだ。戦士の国だから、という事が大きいだろう。

クーデリアは急激に腕を上げているし、此処でコネを作っておけば、必ず将来が良い方向に動く。

ロロナも、この程度の計算は出来るのだ。

一旦、近くの森に移動。風向きなどを考えて、何処に鼎を置くかは、事前に念入りに調べてある。

森全体を、煙でいぶすのだ。

濃霧ほど視界が遮られるわけではないけれど。それでも、視界は悪くなる。今日は、新人達には、訓練を休んでもらう事になる。

巡回の戦士が来たので、挨拶しておく。

ロロナはすっかり顔を覚えられており、挨拶すると笑顔で応じてくれるのが嬉しい。

「よう、今日はなんか、鳥を煙でいぶして追い払うんだって?」

「はい。 ヴァルチャーを、今日でどうにかします」

「お、それは助かるな。 たまに新人があれに襲われると、怪我するからよう。 対処が面倒なんだわ。 さっさと片付けてくれな」

手をヒラヒラと振って、戦士のおじさんは行く。

どうやら、最近知ったのだけれど。

彼らに、ロロナの作った耐久糧食や、お薬が配られるようになり始めたようなのだ。特にネクタルを混ぜ込んだお薬は効果抜群と言う事で、非常に重宝されているらしい。自分のブランドができはじめているのだと知って、ロロナも嬉しい。

鼎を一つ設置。

火を入れると、煙がもくもくと出始めた。

ゆっくり、わき出すようにして煙が広がりはじめる。これを使うのをはじめて見たリオネラは、露骨に怯えた。

「何これ、怖い……」

「空気より少し重い煙を使ってるの。 だから、空に一直線にならないで、森に広がっていくんだよ」

「霧みたい」

リオネラは反応が女の子っぽくて可愛い。

ただ、アーランドでは、こういう脆そうな子はあまり受けが良くない。女の子でも、戦士として有能である事が求められるからだ。

さて、此処はこれで良い。

次は、此処から移動して、昼間くらいにたどり着ける村の側の森。

ヴァルチャーがたまに飛来する場所と言う事もある。村には既に許可を取ってあるので、鼎に火を入れて、すぐにいぶす。

村長を連れてきておいたのは、しっかり現場をみておいてもらいたいからだ。

もくもくとわき出る煙を見て、まだ若干頼りなさそうな村長は、不安そうに眉をひそめた。

戦士としては相応の人らしいのだけれど。

未知の存在が怖いのは、男女関係無し、なのかも知れない。

「本当にこれで、ヴァルチャーが寄りつかなくなるのかね」

「既に効果は実証済みです」

「まあ、王宮からもお達しが出ているけどねえ。 ほら」

村の中から、複数の視線が、此方に向けられている。

煙を気味悪がっているのは、明らかだ。この村は、森を守ってきた一族のもの。かなり初期に、錬金術師が緑化を行って、この森を作った。それ以来、森を大事に守り、周囲の荒れ地をゆっくり緑化して大地を整え、畑を作り、森にいる獣たちを狩って、彼らは生活してきた。

他の獣にも、原初ベヒモスの臭いはおそらく天敵として作用するはずだけれど。

ヴァルチャーと違って、彼らには居場所がない。

だから、何処かに逃げだそうとせず、巣穴に籠もってやり過ごそうとするはずだ。しばらくは肩身が狭くなるかも知れないが、我慢してもらう他無い。

「うちの村でもね、赤ん坊がヴァルチャーにさらわれかけた事が何度かあってね。 ヴァルチャーを追い払ってくれれば、感謝はするが。 ただ、錬金術師に対して、あまり良い印象がない人間も多いんだ」

「えっ……!?」

「森を作ってくれたことは感謝している。 元々アーランドでは二線級だった人間達が、開拓民として此方の村に移ってきて、その子孫が我々なんだ。 戦士として一流になれなかった者達にも生き甲斐をくれたんだから、感謝は当然だけどね。 だけど、戦士とは違う存在で、訳が分からない力を持っている君達を、怖いと思うことは、自然なんだよ」

そう言われてしまうと、確かにそうなのかも知れない。

だが、ロロナは頭を下げる。

上手く行くはずなので、今回は我慢して欲しいと。

こうしていぶしておかないと、此処に大挙してヴァルチャーがやってくる可能性がある。そうなると、ベテランの戦士達でも、対処が面倒になるだろうとも。

どうにか、納得してもらって。次に。

いよいよ次が本命だ。

この時間帯、ヴァルチャーはいない。その筈だ。黙々と南下して、最後に煙を仕掛ける森に行く。

街道を南下していくと、何処かに強力なモンスターを討伐に行くらしい戦士達の一団とすれ違った。

部隊の規模からして、かなりの凶悪モンスターか、或いは数が多いか、どちらかだろう。ロロナも知っているような強い戦士の顔も、見かけられた。その中に、ロロナの両親の姿もあったので、吃驚だ。

二人とも、少し前に重傷を受けて帰ってから、傷を無理矢理いやして、殆ど休む暇も無く彼方此方忙しく飛び回っている。

まさか、こんな所ですれ違うとは思わなかった。

軽く挨拶を交わして、すぐに離れる。

両親にもロロナにも、それぞれの仕事がある。どちらの仕事も、アーランドのためになるものなのだ。

近くの森に戻ってきた。

既に、かなりの煙が充満している。さあ、後はヴァルチャーの森だ。

これは、アーランドのみんなのため。

それに。ヴァルチャーのためでもある。ヴァルチャーには休憩所がなくなるかも知れないが、このままではどちらも不幸になる。

それだけは、避けなければならない。

 

3、黒きもの

 

森に入ると、妙な違和感があった。

元々此処は、ヴァルチャーが数百羽も来る場所。かなりの量の糞が落ちていて、それを目当てに飛んでくる蠅や、小虫が、たくさんいる。そしてそれらを狙う虫もいるので、非常に臭う場所なのだけれど。

虫が、見当たらない。

「これは、何かいるね」

タントリスが言う。

ロロナは荷車を一旦その場において、周囲を見回した。森の中に、何かが来ているのだろうか。

来ているとすれば、何だろう。

唸り声が聞こえた。

明らかに、此方に向けている。そして、あっと思った時には、黒くて大きな塊が、ロロナの至近にまで迫っていた。

凄まじい音と共に、はじき返される黒いもの。

リオネラの自動防御。しかも、以前よりも、ずっと強力だ。右手を此方に向けているリオネラ。

そして、黒いものは。

木の上。枝に乗って、此方を見下ろしていた。

あれは。

見たことが無いモンスターだ。全体的には、馬に近いのだろうか。だが、それにしては妙だ。

全身が真っ黒で、足は蹄ではなくて爪。

そして口からは、恐ろしい牙が覗いている。

元々馬はかなり大きな生物で、体重にしてもロロナの十倍くらいは軽くある。ただし、あまりにも過酷な現在の環境では、人間の家畜としてしか生きていけない存在でもある。

だが、あれは。

黒いたてがみが、強い魔力を秘めているのを、一目で理解できた。まるで燃え上がる炎のようだ。

分からないけれど、何か得体が知れないモンスター。近辺では、見た事も無い。しかも、見ると深手を負っている。

あれは、聞く耳など持たないだろう。ロロナ達をむしゃむしゃ食べて、傷を癒やす糧にするつもりなのは間違いない。

クーデリアが、仕掛けた。

新調した銃から弾丸、連続して撃ち込む。

凄まじい連射で、飛び避けた馬に、弾丸は全弾命中。効いているようには見えないが、当たればそれでいい。

わずかに動きが鈍ったところに、既に木の幹を蹴り、枝の上に回り込んでいたタントリスが、踵を叩き込む。しかし。

馬の姿が消える。

そして、気付いたときには、至近。

高速で移動したのか。竿立ちになった馬が、足を振り下ろしてくる。

自動防御は、まだ発動しているが。

ばぎんと、もの凄い音がした。悲鳴とともに、リオネラが吹っ飛ばされる。今の一撃、それほど凄まじかったのか。ロロナは間一髪逃れながら、ため込んでいた魔力を叩き込むが、相手の対応が早い。残像を擦るだけ。

馬が、背後に回り込む。

なんて速さ。

息を呑むロロナの真後ろで、馬が牙だらけの口を開ける。ゆっくり、唾液と血に塗れた牙が、ロロナに迫るのが見えた。

走りながら、クーデリアが弾丸を横殴りに叩き込む。一発が馬の目を抉るが、それでも視力を奪えていない。

馬が、飛び退く。

意外に臆病な性格なのか。

ロロナもリオネラを庇いながら、杖から光を放つ。

わずかに動きが鈍ったところに、着地したタントリスが飛び膝を撃ち込むが。頭を軽くふるって、タントリスの蹴りを叩き返す馬。

いななきが、凄まじい威圧感を放っている。

馬が、走る。

いや、もう速すぎて、空間を飛びながら進んでいるかのようだ。

馬が、クーデリアに見る間に追いつく。口を開けて、噛みつく。地面がえぐれるほど爆裂し、土砂が吹っ飛んだのは、それだけのパワーがあると言うことだ。逃れたクーデリアは、木の枝を蹴って上空に。其処から、馬へ弾丸を乱射。

全てが、かすりもしない。

しかし。

馬が空中に跳び上がったとき。クーデリアは、既に術式を解放していた。ダメージを受けずとも、リミッターを解除できるようになったのか。

炎を纏った特大の火球が、クーデリアの銃から撃ち放たれる。

更に言うと、今までの射撃は、馬が逃れる先をなくすための布石だったという事だろう。

直撃。

馬が、はじめて苦痛のいななきを上げる。

着地したクーデリア。

殆ど間を置かず、馬が踏みつぶしに掛かる。しかし、弾丸を装填しながら、クーデリアは飛び退いていた。

立ち上がったリオネラが、再度自動防御を展開。

一瞬だけ見えた。

ホロホロが、半分ほど抉り取られていた。

ぬいぐるみの傷口は、光のようなものに覆われていた。仮説が確信に変わるけれど、ロロナは何も言わず、詠唱を開始。

あの馬、多分耐久力はそれほどでもない。

それならば。

タントリスが仕掛ける。徐々に、馬の速さについて行っている。足を鞭のようにしならせて、馬に叩き付ける。馬は鬱陶しそうに首をふるって、自身からも叩き付けた。本来の馬だったらあり得ない動きだが。

弾きあった二者が離れる上空に、クーデリアが。

雨のように弾丸を降らせ下ろす。

地面に着弾する弾丸。

馬が鬱陶しそうに、魔術の類を発動。傘状の光が、弾丸を全てはじき返す。

タントリスが、抉るような拳を叩き込む。

馬が足を止めて、頭突きを見舞う。

タントリスが吹っ飛ばされ、木に叩き付けられた。大木がへし折れ、タントリスごと後ろに倒れる。

更に、馬が口から火球を吐き出した。

自動防御を直撃。

貫通はされなかったが、かなりの距離をリオネラと一緒にずり下がる。詠唱は止めない。馬が唸り声を上げて、此方に突っ込んでくる。

着地したクーデリアが、併走しながら弾丸を連続して叩き込む。

馬が、じろりとクーデリアを見た。

体に着弾しはじめている。それが、苛立ちを募らせているのだろう。

残像を残してジグザグに走りながら、馬が木の幹を蹴った。そして上空に躍り出ると、特大の火球を口から吐く。

馬の顔面には魔法陣が出現していた。

つまり、魔術の一種だ。

爆裂。

地面が、円形に削られる。流石のクーデリアも、この火球は避けきれず、吹っ飛ばされる。地面で受け身は取ったようだが。至近にまで迫っていた馬が、後ろ足で強烈な蹴りを叩き込む。

骨が折れる音。

だが、本来だったら致命打になりかねないその一撃を浴びながらも、クーデリアは二発応射。一発は馬の首筋を擦るだけだったが。一発は、傷口に潜り込み、盛大に血しぶきを上げた。

馬が悲鳴を上げる。

更に、入れ替わりにタントリスが突っ込み、馬の横面に蹴りを叩き込んだ。

四肢を踏ん張って、吹っ飛ばされながらも耐え抜く馬。

その口に、また特大の火球が宿る。

クーデリアはさっきの蹴りを受けて、まだ立ち上がれずにいる。タントリスがなにやら拳法らしい構えをとり、衝撃に備える。

馬が、火球を放った。

タントリスが息を吐き出すと、踏み込み、上空に向け火球をたたき上げる。

森の上空で、火球が炸裂。

だがその時、既に馬は、タントリスの眼前に迫っていた。

頭突きが、タントリスを直撃。森の外にまで、吹っ飛ばされた。

しかし、それこそが。

ロロナの待っていた瞬間だ。

杖の先には、既に充分な光が溜まっていた。

馬が、此方に振り返る。

その首筋に、着弾。倒れたままの、クーデリアが放ったものだ。馬が、凄絶な表情を浮かべた。

「フルハート……!」

空に、光が満ちる。

ロロナの向けた杖から、膨大な魔力が噴き出す。

「アターック!」

それは一旦空に向けて収束し。

馬のいる地点を中心にして、降り注いだ。

絶叫を上げる馬のモンスター。容赦なく降り注ぐ光の雨が、その全身を抉り取っていく。自慢の快速が完全に封じられた馬が、それでも体勢を立て直す。そして、口に火球を出現させた。

差し違えるつもりか。

どうして、こんなところで。人間を狙うのか、分からない。だけれども、恐ろしいまでの執念を感じた。

このようなモンスターは見た事も無いけれど。何か、原因があるのか。あるとしたら、一体何だろう。

光の槍が、馬の背骨を打ち砕く手応え。

だが、馬は、火球をそれでも、完成させ。そして、ロロナに放とうとする。

「寝てなさい!」

しかし。

横殴りに叩き付けられた圧力が、馬の全身を強かに打ちのめした。

クーデリアが放った、スリープショットの一撃だ。これだけの打撃を受けたのだ。放つのは難しくもないだろう。

更に、おそらくだが。

威力が何倍にも増しているところからして、シルヴァタイトの弾丸を使ったのだ。

馬が、ついに力尽きる。

火球が誘爆。

今までに無い規模の焔が、森の真ん中で炸裂した。

 

呼吸を整える。

戦いには勝ったけれど。酷い内容だった。

どうして襲われたのかよく分からない。なんであんな凶暴なモンスターが、こんな街の近くにいるのかも。

この間の巨大百足と同じように、オルトガラクセンから来た存在なのだろうか。

だとしたら、本当に困る。

それに、あんなモンスターが、アーランドの外に出たら。

アーランドだから対処は出来た。

辺境地域の国々でも、どうにかできるだろう。

でも、噂に聞く大陸中央部の街々に、あんなモンスターが入り込んだら。どれだけの被害が出るのか、想像も出来ない。

クーデリアは、やっぱり骨をやられていた。肋骨を何本か、折られたらしい。息をゆっくり吸うクーデリア。骨がなる音がした。

「大丈夫、内臓に刺さるのは避けたわよ」

「もう少しだけ、我慢してね」

「いいから、さっさと作業を済ませなさい。 それにしても何よあの馬……!」

応急手当をすると、ロロナは頷く。クーデリアは多分相当痛いのだろう。やせ我慢していても分かる。

額には汗が浮かんでいるし、いつもより悪態が多い。

できるだけ早く、回復術を使える人の所に、連れて行きたい。傷薬では骨折の類は、どうにもならないのだ。

鼎を設置すると、火を入れる。

森の中心部で爆発が起きたが、木々にはさほど影響も無かった。数本がなぎ倒されたが、その程度で済んだ。それだけ広い森だし、何より今は乾燥もしていない。

念入りに調べたけれど。

爆発で生じた火は、何処にも残ってはいなかった。

鼎から、膨大な煙が出始める。

これで、よし。

馬の死体をどうしようと思ったけれど。どういう存在だったのか。死んだ後は、何も残骸がなかった。

「何だったんだろう、あれ……」

「さあね。 噂に聞く魔界の生物かもね」

「魔界?」

「此処より更に過酷な環境の、別世界だそうよ。 もっとも、そんなのは嘘で、実際にはこの世界にいる凶暴なモンスターを、魔界の存在とか言うだけって説もあるらしいけれど」

クーデリアが苦しそうに言う。

もう、設置は終わった。

後は、引き上げるだけだ。

荷車はぐっと軽くなったので、負傷が一番酷いクーデリアを乗せる。近くの森まで行けば、回復術が使える人がいるはず。其処で肋骨をつないでもらって、体内に傷がないか確認してもらえれば、終わりだ。

クーデリアは耐久糧食を口に入れている。

ネクタルが含まれているから、食べるだけでかなり効果があるはずだ。痛みが和らいだのか、嘆息するクーデリア。

殿軍はタントリスに任せる。

無言で急ぐロロナに、おろおろしながらリオネラが聞いて来た。

「ど、どうするの? 森、あれでいいの?」

「後は、しばらく放置して、結果を確認するしかないよ……」

本当だったら、近くに隠れていて、状況を見たいのだけれど。

今回は緊急事態だ。

近くの森では、まだ薄い霧状の煙が、全体を覆っている。しばらくは消えない。

持ってきた鼎に、丸一日ほどは煙が出続けるように、香料を入れてきたのだ。巡回の戦士達は普通にいるはず。

しばらく探していると、いた。

ただし、表情が強ばっている。此方でも、何かあったのか。

「お前ら、無事か!」

「いえ、くーちゃんが」

「けが人が出たか。 とにかく、あっちのキャンプスペースに急げ! 回復術が使える魔術師が待機してる!」

やはり、何かあったのだ。

荷車を出来るだけ急いで飛ばす。一瞬だけ、この煙で訳が分からないモンスターが呼び寄せられたのかと思ったが、それはない。

この煙は、単に絶滅した原初ベヒモスの臭いを撒くだけのものだ。

モンスターを呼び寄せる効果など、付与していない。考えにくい。

キャンプスペースに。

巡回の戦士達が、殺気だった様子で走り回っていた。他にもけが人がいるらしい。

回復の術者は、何度か見た事がある、中年の女性だ。腕の良い回復術者だそうで、いつも彼方此方を走り回っている。噂によると、病気に関する治療でも、相当な腕の持ち主なのだとか。

彼女はクーデリアを一目見ると、すぐに回復術をかけ始めた。

「何と戦ったの?」

「真っ黒い馬のモンスターです。 苦労しましたけど、どうにかやっつけました」

「……!」

魔術師が、戦士の一人を呼ぶ。

まだ若いが、来た女性は既に一人前の戦士だ。彼女に、色々と話を聞かれる。馬との交戦と、撃破の経緯を告げると、彼女は嘆息した。

「そうか、倒せたか。 良くやってくれた。 礼を言うぞ」

「まさか、あの馬が」

「いや、奴は群れの中の一匹に過ぎない。 またオルトガラクセンからモンスターの群れが現れてな。 監視のチームが大半は倒したが、数匹が此方にまで逃げてきたのだ。 その内殆どは我々で始末したが、三匹がまだ逃げていた。 今、お前達が倒したので、残りは二匹。 後は我々でどうにかする」

「もの凄く強かったです。 気をつけてください」

女戦士は頷くと、他の巡回班と一緒に、森の中に出ていった。

霧状の煙といっても、視界が遮られるほどではない。ただし、駆け出しの戦士達は、此処にいない方が良いだろう。

そうなると、不幸中の幸い、と言うべきなのか。

回復が終わった。

とはいっても、骨をつないで、体中の傷を修復しただけだ。

ロロナやタントリスも見てもらう。リオネラは、大丈夫そうだ。そういえば、ホロホロは。

半分にえぐれていたのに、もう治っている。

やはり、間違いなさそうだ。

戦いの音が、遠くで聞こえる。どうやら、巡回班が接敵したらしい。増援に、数名が出て行く。

すぐに戦いの音が止んだ。

片付けたと見て良いだろう。あの馬のモンスターレベルの相手でも、ベテランのアーランド戦士がこれだけいる場所に出てきてしまえば、ひとたまりもない。

女戦士が戻ってくる。

「片付けた。 これで残り一匹だ」

「此方からも伝令が来たぞ。 南の方でも、生き残りを片付けたらしい」

「そうか、ならば王宮に連絡だな。 ひょっとしたら討ちもらしがいるかも知れないから、全員で巡回を行って、それからだが」

周囲の警戒が、薄れていく。

嘆息したロロナに。巡回班のチームリーダーらしい、豊富な髭を蓄えた長身の男性戦士が近づいてきた。

確か武神とか言う二つ名まで持っている、高名な戦士だ。何度も見た事がある。

彼が出張ってくるほどだ。余程、強いモンスターが、周辺にいたのだろう。

「馬のモンスターを倒してくれたそうだな。 手が回らなかった所に、助力してくれて感謝する」

「いえ、そんな」

「だが、今は早くアーランドの中に戻った方が良い。 どうにか確認できたモンスターは片付けたが、それでも残党がいる可能性がある。 見たところ、一人前の実力はあるようだから、帰りは護衛も必要ないな」

頷くと、撤収する事に決めた。

クーデリアは包帯を巻き終えると、自分で歩くと言って、荷車から降りた。

本当に大丈夫か不安になったが、クーデリアの足取りはしっかりしている。骨が折れただけで、受け身はしっかりとっていた、という事なのだろう。

アーランドは一体これからどうなるのだろう。

ロロナも聞いたのだけれど。北の方で、訳が分からない異変が起きていると言う。何でも、普通では考えられないような空間が出現したのだとか。

ロロナの両親が出陣していったのも、それの調査のためだろうか。

早く片付くと良いのだけれど。

アーランドの城門に辿り着いて、ほっと一息。

この中に入れば、流石に安心だ。

後は明日以降、森の様子を見に行けば良い。

ヴァルチャーは追い払う事が出来ているだろうか。出来ているのなら、課題は達成だ。出来て、いるだろうか。

クーデリアは念のためちゃんと医師に掛かった方が良いと言って、少しアトリエで休んだ後連れて行った。

ロロナもそれなりに傷は受けたけれど。このくらいは、別に何でもない。

回復の術が使えれば良いのだけれど。

リオネラは肩をおとしているようだった。

今回、彼女の自動防御は、かなりパワーアップしていた。それでも、決定打にならなかった。

それが原因だろう。

アトリエに戻ると、リオネラにお茶を出す。

ずっとふさぎ込んでいるリオネラは、痛々しかった。

「りおちゃん……」

「ごめんなさい、役に立てなくて」

「ううん、前の自動防御だったら、お馬さんの攻撃が貫通してわたし死んでたよ。 りおちゃんのおかげで、勝てたんだよ」

成長はゆっくりだけれど、確かに頑張っているのがよく分かった。

ステルクがいれば、もっと簡単に勝てたのだろうけれど。今回は本当に忙しかったようだし、仕方が無い。

現有の戦力で此処までやれたのだ。

よしとするべきだろう。

「もっと、いろいろな技を身につけたいな」

リオネラが、そう言ってくれるだけで嬉しい。

ロロナは弱いことは悪いことと言う、アーランドの理屈があまり好きでは無い。リオネラのように、自分の速度でしっかり強くなろうとしてくれるだけで充分だ。

とりあえず、知っている魔術師を、何名か紹介する。

攻撃にするのか、回復にするのか、防御を伸ばすのか。

どうするのかは分からないけれど。

リオネラの役に立ってくれるのなら、それでよかった。

 

4、終わりの始まり

 

ステルクは舌打ちした。

リミッターはとっくの昔に解除している。調査に来ただけ。

それなのに、被害が大きすぎる。

負傷者多数。

このままだと、死者も出る。

あまりにも、この夜の領域は、人外の土地過ぎる。それほど広くもない空間だというのに、重力を無視してそそり立つ岩壁。そして、明らかに異常すぎるモンスター。そして何よりも、昼間なのに真っ暗な空。星も見えず、異常な構造物が点々としている所が、更に神経を削る。

此処の危険度は、オルトガラクセンの深部並だ。

周囲に点々としているモンスターの死骸は、どれもこれもステルクが倒したものだ。ただし、どいつもこいつも、簡単には勝たせては貰えなかった。他の戦士達も奮戦しているが、これ以上進むのは無理だ。

また、岸壁の向こう側から、新手が現れる。

ドラゴンだけで、今日四体も倒したが。敵の戦意は旺盛で、次々に新しい戦力を繰り出してくる。

部下達の疲弊が濃いことを見て取ったステルクは。

一旦司令部にまで引き返して、王に対して頭を垂れた。

「陛下、撤退を」

「やむを得ぬか」

ジオは怪我の一つもしていないが、それでも不快そうに舌打ちする。

剣を振るって血をおとすと、撤退を指示。退路を確保していることだけが救いか。結局、これだけのベテランを連れてきたのに、外側から確認できた地域の半分しか踏破できなかった。その上、この奥には、さらなる強力なモンスターがいる事確実である。

巫山戯た話だが。

夜の領域を出ると、いきなり昼になる。この空間では、空までもがおかしいのだ。呆然としている戦士達を叱咤して、後方拠点まで移動。けが人だらけだ。中には手足を失っている戦士も、珍しくない。

二度目の探索で、これだ。一回目は更に被害が大きかった。

オルトガラクセンの方も、放置はしておけない。押さえの戦士を置いて、内部には踏み込まないのが最上だろう。

そうステルクは判断した。

実際、夜の領域からモンスターは出てこないのだ。

全員の撤退が終わった所で、幹部が招集される。夜の領域の外側に作られている監視小屋の中での会議が行われた。ステルクは王に進言。これ以上の探索は不可能。撤退すべしと。監視を置くだけで、しばらくは放置するべきだと。

王は腕組みして考え込んでいたが。今回から参戦しているアストリッドが、挙手した。

「ホムンクルスの部隊を予定より増産して、監視に当てましょう」

「いや、それは駄目だ」

王は即時で拒絶した。

現在、1500を目標としている生産数だが。だれもが警戒しているのだ。ホムンクルスが増えすぎると、この国を乗っ取られるのではないかと。

実際、ベテラン戦士並みの実力を持つアストリッドのホムンクルスを、懸念する声は高まっている。

今回の探索でも、命を省みない戦いぶりで、多くの戦士の命を救った。

感謝している者もいる。

だが、ステルクは分かる。

あれはそう言う命令だから、動いているだけ。人間の事が好きなわけでも無いし、もし裏切るようアストリッドが指示したら。

いや、其処まで簡単な問題ではないだろうけれど。事実、天才とはいえどアストリッドには、幾つも鎖が付けられている。簡単に反逆など出来るはずがない。

しかし、アストリッドには、致命的に人望がない。

本人も、それを努力で埋めようとまったく行動しない。

だから、彼奴はいつ裏切ってもおかしくない。

そう考える戦士は、いるのだ。

アストリッドが排斥されないのは、アーランドで最も尊ばれる、強い存在だからだ。そうでなければ、とっくに居場所など無くしていただろう。

「とにかく、監視所には相応の人員を配置せねばなるまいな。 予定以上の増産は許さぬが。 これから生産するホムンクルスの一部を、此処に廻すほか無いな」

「分かりました」

アストリッドが薄笑いを浮かべて引き下がる。

此奴も、今回の戦いでは、群がるモンスターの群れを多数なぎ倒した。王とステルク、それにアストリッドだけで、半分は敵を倒したかも知れない。

だが、夜の領域にいるモンスターは無尽蔵だ。

此処は魔界ではないかという噂さえあるそうだが。それも、あながち嘘ではないように思えてきた。

「陛下、よろしいですか」

挙手したのは、ロロナの父親であるライアンだ。

国家軍事力級の使い手ではないが、今回も夫婦そろっての息があっての連携を見せて、多くのモンスターを打ち倒した。此処で幹部として呼ばれているのも、確かな実力があってのことだ。

「この訳が分からん場所は後回しにしましょう。 またアーランドの方で、モンスターがオルトガラクセンから出てきているという報告もあります。 そっちを先に処理すべきかと」

「私も同意見です。 これ以上の探索は被害を増やすだけです」

ロロナの母親であるロアナも、意見を同じくしているようだ。

王はしばし考え込んでいたが。

やがて、意を決したようだ。

「いずれにしても、この疲弊度では、此処の探索は進むまい。 一度戻り、戦力を立て直す必要がある以上、此処で議論しても始まらぬ。 引き上げるぞ」

肩の力が抜けた。

これで、これ以上負傷者が増える事は無い。回復の術を使える魔術師達が、フル活動している中。撤退が始まる。

確かに、アーランドの近辺が危険な状態なのだ。

夜の領域が、これだけ危険な場所だと分かっただけで、今はよしとするべきだろう。

撤退は、数日がかり。

ステルクは最後尾に残って、夜の領域からモンスターが出てこないことを確認。

その後、追加できた部隊に、監視小屋を設置させる。小屋と言っても、砦ほども規模があるものだ。

夜の領域のモンスターの実力を考えると、それくらいは当然である。

後から来たエスティが、建設途上の砦を見て、嘆息した。

「やっぱり、こうなるわよねえ」

「先輩はこの事態を見越していたのですか」

「何となくはね。 女の勘って奴よ。 とにかく、砦が出来るまではあたしが見張るから、あんたは戻りなさい」

そう言われても苦笑するしかない。

女子力とやらの不足を常に嘆いているエスティだ。多分それは女の勘と言うよりも、熟練戦士の経験だと思うのだけれど。口に出すと殺されそうなので、ステルクは黙っていた。

エスティに引き継ぎを済ませると、最後まで残っていた部隊と一緒に、アーランドに戻る。

今回は死者こそ出なかったが、惨敗と言って良い。

足取りは、決して軽くなかった。

 

王宮に戻ると、ロロナの仕事の成果を聞かされる。

今回も、見事な働きぶりであったそうだ。禿鷹の森から、ヴァルチャーは全て追い払われ。近隣の森にも、姿を見せていないという。

あれだけの数のヴァルチャーがどこに行ったのか。調べて見ると、かなりアーランドから離れた湖の側にある森に移動したようだった。

何度か戻ってこようとしたようだが。しかし居着くことはなく。あれから何度かロロナが煙を追加で焚いた結果、ヴァルチャーは二度と近くの森に近寄らなくなった。

繁殖地だったら、それでも必死に居着いていたかも知れない。

だが、ヴァルチャーは岩山で雛を育てる。

そもそも、どうしてあの森に居着いていたのかが分からないのだ。それに、場所を変えたと言うことは。

別に、あの森でなくても、良かったのだろう。

ステルクはほっとした。

今回の、夜の領域調査作戦が散々だった事もある。半ばほどまでは調査隊を進めることは出来たが、それだけだ。

最深部には一体何がいるのか、見当もつかない。

エスティの部下が来た。無言で手紙を渡していく。

ざっと目を通すと、夜の領域の近辺にある隣国が、警戒しているとの事だ。さもありなん。アーランド戦士でもどうにもならなかった魔境である。幾つかの隣国では、パニックに陥っている事だろう。

今後、一気に周辺の勢力図が動く可能性もある。

既に王宮からは、隣国へ使者も出ているようだ。夜の領域の危険性を告げるものである。アーランド戦士が苦労したという一文だけで、隣国は事態を理解するだろう。間違っても制圧しようと兵を進める、などと言うことはしないはずだ。

ステルクは頭を抱えたくなる。

これで、更に周辺の状況が混沌とするのは確実。

夜の領域が不可侵となるのはいい。

逆に言うと、それだけ国境が変動すると言うことになる。アーランドも幾つかの隣国も、夜の領域に少なくない戦力を貼り付けなければならなくなる。更に言えば、今の時代、どこの国でも人手は足りない。

このようなことをしている余裕などはない。

一体どうして、この世界はこうも過酷なのか。

気分を変えようと思い、ロロナの所に出向く。課題の結果は既に確認している。これならば、合格としても良いだろう。

まだ二週間ほど残っているが、別に構わない。

アトリエに出向くと、ロロナはいた。

なにやら調合を行っている。ドアはノックして開けたのだが。ステルクには気付いていなかった。

だが、すぐに気付いた。

「あ、ステルクさん! おはようござい……ます。 徹夜ですか?」

「ああ、そんなところだ」

目の下に隈でも出来ていただろうか。

ステルクはまだ若いと思っていたのだけれど。そろそろ、数日の徹夜で目の下に隈ができるようになる年ではある。

元々ステルクは体の頑強さには自信があった。

若い頃はもっと長い期間無茶な労働をしても耐えられた。その代わり、二日三日丸ごと眠ったりもした。

今は、少しずつだが。

加齢の影響で、無理が利かなくなりつつある。

これが、年を取ると言うことだ。

ネクタル入りの栄養剤を渡されたので、飲み干す。耐久糧食でネクタルが如何に有用かと言う事は分かっているが。あまり濃すぎると妙な影響も出るようだし、ほどほどにしないと危険だろう。

「無理をしては駄目ですよ」

「分かっている。 それよりも、課題をよくこなしてくれたな」

「有り難うございます。 本当に、一時はどうなるかと思いました」

ロロナはへらへらと笑っているが。

一時は本当に焦り、相当に苦労していたという。だが、それでもこの娘は乗り切った。

自分は知らないだろうが。

中々、普通の人間には出来ることではない。

八年掛けて調整された。それを、今後この娘は、知る事があるのだろうか。もし知ったら、どうするのだろう。

正式に課題の達成を伝えると、ロロナは肩の荷が下りたとはにかむ。

前ほど、ステルクの事を怖がらなくなってくれたのは、嬉しいが。

「何の調合をしていたのかな」

「ええと、今後の事を考えて、火薬の調合を。 発破の中でも、実戦投入できそうな小型のものを作っておこうと思って」

「目を離して大丈夫なのか?」

「平気です。 まだ、危険な調合はこれからですから」

何種類かの薬剤が、乳鉢に入れられ並べられている。

これらを調合して、火薬にする。

多くの錬金術師が研究してきた爆薬は、様々な使い道に、それぞれ特化している。発破のように、岩を砕くことを専門としているもの。戦闘で用いる小型のもの。ロロナが作っているのは、戦闘用だろう。

「わたしも、大火力だけじゃなくて、小回りが利く攻撃手段が欲しくて。 でも、使うとすぐになくなっちゃうから、量産もできないと行けないし。 難しいですね」

「なるほど、な」

「今作ってるのは、メテオールって爆弾です。 空に打ち上げて、頭上から火の雨を降らせるんですよ。 上からの攻撃で、高い制圧力があります」

そう語っているところを見ると、やはりロロナもアーランド人だと分かって、安心できる。

とりあえず、用事は済んだ。

どうしてだろう。

ロロナと話した後は。少しは、気分も晴れていた。

 

サンライズ食堂で、料理をかなり多めに注文した。激しく戦った後で、あまり食べていなかったので。

腹が、かなり減っていたのだ。

アーランド戦士は一般的に大食いだが、特に戦いの後は、誰もがそれに拍車が掛かる。

ステルクも例外ではない。

大皿に盛られた料理が、見る間に消えていくのを見て。

たまたま居合わせたタントリスと名乗っているトリスタンが、呆れたように言う。

「良くもそれだけ食べますね」

「そうだな。 多くのモンスターを斬った後だ。 体が栄養を欲している」

「そうですか」

トリスタンが声をおとした。

そして、状況報告を受ける。

此奴は少し前から、ロロナの友人ポジションにあるリオネラを精神的に突いている。そうすることで、ロロナに精神的な負荷を掛けるのが狙いだ。

勿論、そのほかにも、色々と行っている。

クーデリアにも、声を掛けているようだ。嫌がっているようだが、今後ある策を実行に移すという。

不愉快な話だ。

ロロナは確かに今後、ストレスをはねのけられる強さが必要とされる立場にいるが。上手く行っている人間関係をかき乱すのは、見ていて気分が良いものではない。リオネラのように精神が脆い娘を嬲るような真似は、なおさら好かない。

「それで、君自身はロロナくんをどう思っている」

「僕ですか? 乳臭すぎてまだストライクゾーンには入りませんよ。 ただねえ、光るものはありますね。 手を出して良いと言うのなら、僕好みに磨いてあげるんですけれど」

「止めておけ。 アストリッドに殺されるぞ」

「それは流石に遠慮したい。 あの御仁にだけはかないそうにない」

冗談めかしてトリスタンは言うが、これは実は本当だ。

トリスタンはアストリッドと昔確執があり、半殺しにされた事がある。しかも時期が最悪だった。

丁度アストリッドの師が亡くなった頃、ある理由で突っかかったのだ。

ステルクが止めに入らなければ、原型がなくなるほど挽きつぶされ、殺されていただろう。

それ以来、トリスタンはアストリッドにだけはかなわないと認識している様子だ。トラウマになっているのだろう。

事実、トリスタンの実力では、アストリッドには勝てない。

他にも、幾つかの報告を受けておく。

ロロナがめざましい活躍をしている事は、既に話題になり始めているという。おそらく、幾つかの国が目をつけはじめるまで、そう時間は掛からないはずだ。勿論プロジェクトMに気付かれるわけにはいかない。

「まだ草はいませんけれど。 見つけたら、消しますか」

「消す前に捕らえてくるように。 私が取り調べる」

「貴方が直接? それは恐ろしい」

「無体な真似はしないさ」

相手次第だがと、口中でステルクは付け加えた。

いやだが、拷問の心得くらいはある。あまり表沙汰には出来ないような任務も、ステルクはこなしてきた。

その中には、敵国の人間の口を割らせたり、洗脳したりして使うようなものもあった。専門にしているエスティほどではないし、実際にやりたい仕事ではない。だが、騎士らしくありたいと願うことと、民の最大幸福を求めることは、どうしても時に路が交わらない。汚れ仕事は、多くの人々のために、時に必要になるのだ。

流石にステルクくらいの実績を積み上げると、ある程度は自由も利くようになってはきたが。

それでも、時々汚れ仕事は回ってくる。

敵を殺すだけのものもあるけれど。

スキルを使う必要に迫られる場合もある。唾棄すべき仕事だとは思う。だが、どうにも出来ない部分も大きい。

「あの子のおかげで、この国の未来の道筋も見え始めているでしょうに。 何だか同時に、加速度的にアーランド周辺がきな臭くなっているように思えますが。 僕の気のせいですか?」

「さあな。 ただ、覚悟は決めておけ」

「分かっていますよ……」

元々、大陸中央部での戦乱は、加速が予想されていた。その予想は、ほぼ確実に当たると見なされていた。

そして、それが予想通りに当たった。

或いは、それ以上かも知れない。

アーランドが、大陸中央部にある強国の侵攻に耐えられる国力を身につけるのが先か。大国同士での仁義なきつぶし合いが、一段落して、最強の統一国家が出来るのが先か。いずれにしても、多くの血が流れる。

人間は、最盛期とは比べものにならないほど減ってしまった。

それなのに、未だ。

人間は、殺し合いを止めることが出来ない。

ロロナは光になれるのだろうか。

まだ、ステルクには、分からない。

 

5、乾き

 

クーデリアが会議に出向くと、皆が小声で話し合っていた。

ロロナによるヴァルチャーの撃退作戦は見事に成功した。その成果については、誰も疑っていない。

それなのに、この空気の悪さは、どういうことか。

着席して、耳を澄ます。

だが、どうにも聞き取ることは出来なかった。

王が来ると、一気に場の空気が引き締まる。

クーデリアも、この間の夜の領域調査が失敗したことは知っている。その事かと思ったのだが、違った。

まず、メリオダスから現状の説明。

この間のロロナによる緑化計画が成功したことで、アーランドの南部における開拓計画のモデルケースが完成した。

今まで、いろいろなパターンの荒れ地を緑化してきた歴代錬金術師達の技術が、此処で集大成を得た。

アーランドはこれより、時間さえ掛ければあらゆる荒れ地を緑化できる。かの悪名高いゼロポイントでさえ緑化に成功している事例があるのだ。しかも、その技術をパッケージ化して、辺境諸国に売り込むことも可能だ。

更に、今回ロロナが実用化したモンスターの駆除技術は、かなり大きい。

この駆除技術を応用することによって、群れになっているモンスターを、追い払う事が可能となる。

勿論効かない相手はいるだろう。

だが、天敵を有するモンスターには通用するとみて良い。

これらの技術は、外交の武器になる。

更に、今回は、次の段階に課題を進めることとなる。

「前回の会議で告げた通り、アーランドの少し南にある孤立集落、乾き谷にロロナを派遣する」

「かなり前倒しになりますが」

「何、今までも二回前倒しにしているのだ。 元々、次の課題は、上手く行かないときに備えたクッションだったのだ。 取り払うことは問題あるまい」

「分かりました。 それでは、乾き谷の水源確保を、次の課題といたしましょう」

メリオダスが資料を配る。

クーデリアも、課題の流れについては理解していた。だが、こうも前倒しが進められるという事は。

周辺の国々の動きが、それだけまずいということなのだろう。

乾き谷は、名前の通りの場所だ。

谷状の地形になっていて、その中に人々が住んでいる。元々は刑務所として活用されていたのだけれど。今は一種の貧民窟だ。監視の櫓が近くに一つあるが、それ以外には戦力は無い。

谷の中では、労働者階級の中でも貧しい者達が、身を寄せ合うようにして暮らしている。彼らの殆どは、身寄りの無い老人だ。肉体労働が出来なくなって、此方に移ってきているのである。生活保障はきちんとされていて、餓死の怖れはないけれど。とても陰鬱で、寂しい場所だ。

険しい地形のため、モンスターに侵入されることは無い。彼らは此処で暮らしながら、時々アーランドから持ち込まれる加工や細工などの作業をこなし、日銭に変えているのだ。

他国のスラムと比べるとましだけれど。恐らくは、アーランドでももっとも貧しい場所の一つ、だろう。

そういえば、ロロナの所に出入りしている行商の一族も、此処で仕入れを行っているはず。

此処が一種の沈鬱な貧民窟になってしまっているのには、理由がある。

近くには、川がある。

しかし岩盤が非常に硬く、どうしても水を直接引くことが出来ないのだ。

井戸はあるにはあるのだが。かなり水量が少ない。

其処で、この井戸の改良を行いつつ、抜本的な問題の解決を図る。それが、ロロナに次に与えられる課題である。

更に、もう一つ、乾き谷には大きな問題がある。

とにかく暑いのだ。

一度クーデリアも下見に行ったことがあるのだが、吹き込む風の影響なのか、水分が少ないからなのか、よく分からないけれど。とにかく暑い。

この暑さも、出来るだけ緩和したい。

そう課題にはある。

アバウトな対応が、ロロナには任されている。実力がついてきたロロナだが。今回は、大丈夫なのだろうか。

前回の課題を、出来るわけが無いとクーデリアは思った。

だから色々と裏で手も打った。

しかし、ロロナは苦労をした末とは言え、見事に解決して見せた。正直、クーデリアはロロナを低く見積もりすぎていたのかも知れない。

今回は、ロロナを信頼するべきなのだろうか。

「ステルク、次よりリミッターを一段階外せ」

「分かりました」

「え……?」

「聞いていないのか。 次の課題には、アストリッドの話によると、ネーベル湖畔での採集が必要不可欠だそうだ。 彼処で採集を行うとなると、少なくとも島魚やイグアノスを蹴散らせるだけの実力が必要になる」

クーデリアも実力はついてきたが、確かにロロナを中級モンスターの巣窟であるネーベル湖畔で守りきるのは厳しい。

ステルクがリミッターを解除すると言うことは、それだけ激しい戦いが想定されるという事だ。

まだ、強さが足りない。

銃を改良しただけでは、駄目か。

腕を磨き続けていても、まだまだ届かない。

何か、強くなる手は無いのか。

決定的な方法が欲しい。

ロロナは着実に腕を上げている。その隣を歩けるだけの実力を得るには、どうすれば良いのか。

エージェント達に教わるだけでは駄目なのか。アルフレッドに毎日徹底的に鍛えてもらっているが、まだ足りないのか。実戦も豊富に積んできているが、それでも足りないとすれば、どうすればいい。

会議が終わった後も、クーデリアは悶々としていた。

次の課題は、更に厳しい内容になる。ロロナを信頼するのは、別に良い。

どうすれば、強くなれる。

クーデリアは。自問自答することしか、出来ずにいた。

 

(続)