闇舞う言の葉

 

序、スカベンジャー

 

動物の中には、死肉を貪ることで、生をつなぐ存在がいる。

スカベンジャー。

いわゆる徘徊型の捕食者であるプレデターとは、真逆の生き方を選んだ生物だ。

言うまでも無く、彼らは重要な自然の保護者だ。彼らがいるからこそ、死体は速やかに処理され、大地に帰る。

ロロナが手をかざして見ているのも、そのスカベンジャーである。

彼らはヴァルチャー。

アードラ種の中でも中位に属するモンスター。体はアードラよりかなり大きく、爪もくちばしも鋭い。大きな体は、獲物を独占するのに必要だからだ。また、簡単な風の魔術も用いる。

アードラに限らず、ある程度以上大きな鳥のモンスターには、魔術を使うものが少なくない。

これは、そうしないと飛べないからだと、過去の研究が告げているという。

木陰に隠れたロロナは、側で待っていてくれたクーデリアに、頭を振る。

「数百はいるよ」

「最初から分かっていたでしょ」

「うん……」

憂鬱極まりない。

ベヒモスを倒してこいとか、ドラゴンと戦ってこいとか、そんな話ではなかった。それだけは良かった。

最初、次の課題はモンスター退治だと言われたとき。息が止まるかと思ったのだ。

ほっとしたのも、つかの間。

地元の住民の間では有名な、近くの森のすぐ側。通称屍食者の森をどうにかしろという話だとステルクに説明されて、げっそりしてしまった。

下見をしようと思って来たのだけれど。

森の木の枝には、鈴なりにヴァルチャーがいる。どうしてあんなにたくさん、大型の猛禽が群れているのかは、よく分かっていない。

実のところ、調査によると、巣の類は無いのだとか。

ヴァルチャーは体が大きいこともあって、岩山などに大きな巣を作る。ならば、どうしてあのヴァルチャー達は、群れているのだろう。

餌を採るため、とは考えにくい。

というのも、彼らは朝から、めいめい好き勝手な方向に飛んでいくのだ。昼辺りには、ほぼ森は空になる。

そして夕暮れ頃から戻ってきて、夜には森はヴァルチャーだらけになる。

たまに近くの森に迷い込んできたヴァルチャーを、巡回の戦士が仕留めるけれど。殆どのヴァルチャーは、そんなへまをせず、あの森に逃げ込むのだ。

流石にあの数。

熟練の戦士でも、攻撃を躊躇う戦力である。

しかもあの森の土は、栄養価が極めて高い。大量のヴァルチャーが糞をしていて、その下で虫たちがせっせと処理をしているのだから、当然だろう。森の木々はすくすくと育っていて、近くの森よりも背が高い位だ。

害が無いのなら、放置していても良いのだろう。

しかしながら、そうも行かないのが事実だ。

実際あの森から飛来したヴァルチャーが、人を襲った例はたくさんある。幼児がさらわれかけた例さえも。

放置は出来ないのだ。

かといって、森の資源を失うわけにはいかない。

ロロナが求められているのは、森を吹き飛ばすような大威力の火薬で、ヴァルチャーを殲滅することではない。

できる限り穏便に、ヴァルチャーの巣を、もう少し人里から離れた場所へ移すこと。それだけだ。

可能な限り、ヴァルチャーも殺さない方が良いだろう。

スカベンジャーと言う事もあって、人間に対する害も小さい方なのだ。適切な数が存在するなら、むしろ世に有益。

此処にあまりにも多くいるのが、問題なのである。

森の周囲を確認して回る。

今回は、万一を考えて、ステルクにも来てもらっていた。地図通りの森の周囲を、ゆっくり回りながら、調べていく。

昼の間なら、別に問題なく森に侵入できるのだけれど。

既に夜になっている今では、かなり厳しい。

ヴァルチャーは夜目が利かない、いわゆるとりめの動物だけれど。彼らは風の魔術を使いこなす。

下手に近づくと、袋だたきにされる可能性がある。

一体一体は魔力が少なくても、何しろあの数だ。

「ロロナ、こっち」

クーデリアが、手招きしている。ステルクは剣に手を掛けたまま、険しい表情で、ずっとロロナとクーデリアを見下ろしていた。

おそらく、危険があるからだろう。

クーデリアが手招きした先には、小さな川が流れている。

心なしか、水量が寂しい。

「この川、例の水量が減っている奴よ」

「あ、そうなんだ。 確かに、水が少ないね……」

「騎士団では調べてるの?」

「残念だが、まだ調査は完遂されていない」

ステルクはクーデリアの問いに、よどみなく応えてくれた。流石に現役の騎士団員である。

調べるとしたら、水源だろう。

ひょっとすると、彼処だろうか。思い当たるのはシュテル高地。若手戦士達の登竜門とも言うべき場所。

だが、ステルクは、ロロナの考えを読んだのか、首を振る。

「水源は既に調査済みだ。 水源から山を下った辺りまでは、水量が問題ない事を確認している」

「あ、それで……」

「くーちゃん?」

「川の水量が減るって言う事は、川下の村々がそれだけ危険な状態になるって事よ。 放置していたわけじゃなくて、原因が分からないわけ」

移動しながら、クーデリアが話してくれる。ステルクも、その通りであると認めた。

或いは、ロロナに話が行くことになるかも知れないとステルクが言い出したのは、あまりにも想定外だったが。

「え、でも課題は」

「この件は、予想外に深刻だと言う事だ。 もしもこのまま川の水量が減った場合、先ほどクーデリア君が言ったとおりの事態になる」

当然、この課題よりも、話が行った場合。優先度は上になるという。

厄介なことだ。

しばらく森の周りを調査していると、夜半を廻っていた。

一旦近くの森まで戻り、キャンプスペースに。巡回のチームが来た。はて。ベテランに、小さな女の子が混じっている。随分と可愛い服を着ているけれど、何だろう。その上手にしているのは、大ぶりの刃がついたハルバードだ。体に合わせてか、柄が短いので、見かけは随分と不可思議だが。

足下の靴も、もの凄く頑丈そうな、鉄の補強剤いりのものを使っているようである。天才的な子供の戦士か。それにしては、そんな子がいるという話は聞いていないけれど。

「どうだ、新入りの様子は」

「話通りの実力だぜ。 ランカスの野郎が前線に行った穴はこれで埋まったな」

暑苦しい巡回の戦士達が、笑いながら女の子の頭を撫でている。愛されているようで、何よりだ。

ステルクが、黙々と火を熾す。

戦士の一人がステルクに気付いて、呼んでいる。ロロナは荷車を下ろすと、持ってきた干し肉を火で炙りながら言った。

「わたしたちは夕食にしますけど、ステルクさんは?」

「彼らと少し話してくる」

「分かりました」

夕食を済ませたら、街に戻った方が良いだろう。此処で野宿をするよりも、その方が有益だ。

駆け出しの戦士達が、何組かキャンプしている。

駆け出しの内はああやって、ウォルフなんかと戦いながら、徹夜で腕を磨くのだ。クーデリアも、彼らに混じって、実戦訓練をしていた筈。一人前として認められたらしいから、大変結構なことだ。

炙った干し肉から、油がじゅうじゅうと音を立てて垂れている。油が火に落ちる度に、ぼっと火が燃え上がって、とても綺麗。

適当に炙ったところで、口に入れる。

美味しい。

野外で食べると、時々何でも美味しく感じる。せっかくなので、作ってきたパイも出す。圧縮した耐久糧食ではない。普通のミートパイだ。

切り分けて、クーデリアと一緒に食べていると、ステルクが戻ってきた。

「ステルクさんも、どうぞ」

「もらおう」

腰を下ろしたステルクが、ミートパイを食べ始める。流石に男の人だから、すぐになくなってしまった。

ステルクが教えてくれる。

近くの森の周辺で、モンスターが活性化しているという。

ヴァルチャーだけではない。今は巡回の戦士達がいるが、若者達が、凶暴化したモンスターに遭遇すると、危険だとか。

「困ったことだ。 君に、何かヴァルチャーを追い払う手はあるか?」

「来る前に少し調べて見たんですけれど。 やっぱり、臭いを使うのが良いのかな……って思います」

「臭いか」

スカベンジャーは、どの種族でも臭いに敏感だ。当然の話で、腐敗した餌を探すには、臭いを頼るのが一番だからである。

勿論ヴァルチャーも例外ではない。

彼らは猛禽特有の優れた目も活用しているけれど、やはり臭いには敏感なはず。

ロロナとしても、臭いでヴァルチャーを追い払う方向で、進めていきたい。上手にヴァルチャーを追い払えれば、その時点で課題は達成だ。

少し休んで疲れを取ったところで、キャンプスペースを後にする。

今日は荷車も持ってきていないから、アトリエに直行。アトリエの門前で、クーデリアとステルクと、別れた。

アトリエに戻ると、ホムの仕事を確認。

指示した作業は、一応全て終わっている。

「ホムちゃん、ありがとう。 いいよ、今日は上がって」

「それでは、休みます」

一礼すると、ホムは寝室に。

ロロナは明日からの作業をスケジュールにまとめると、休むことにした。

その過程で、ホムの作業について調べておく。調合品はどれも問題が無い。後は、頼んでおいた買い物だけれど。

此方についても、特に問題は無かった。

最近は、お買い物も任せるようになったのだけれど。そちらも、そつなくこなしてくれる。ただし、まだ目利きは出来ないようで、時々変な品質の素材も買ってきてしまうのが、たまにきずか。

まあ、今の時点で、お金には困っていない。

課題を一つこなすごとに、収入源が増えている。発破にしても栄養剤にしても、それにネクタルにしても。納品すれば、それぞれがお金になる。

お金の使い道は、一応ある。

今ロロナが考えているのは、装備品の一新だ。

手にしている杖は、母からもらった大事なものだけれど。最近、ロロナの魔力の方が、杖を上回りはじめている。

ただ、隣の親父さんによると、これ以上強い杖を作る場合、素材からカスタマイズしないと行けないという。

金属のインゴットを持ってくれば、作ってくれると言うことだけれど。

それもまた、一から研究しなければならないのだと思うと、少し大変だった。もとより、魔術の威力を強化する金属なんて、そうそう多くはないのだ。伝説のオリハルコンやらミスリルやらは、参考書にも名前が出てこない。

とりあえず手が届きそうなのは、ゴルトアイゼンか。

これは陽晶石と呼ばれる鉱石から加工できる金属で、希少性が高い。この近場では、シュテル高地に行くしか、採取手段がない。

一応お店でも売られているのだけれど。品質が良くない上に、非常に高額。まあ、研究用に少量は手に入れたのだけれど。純度の高いインゴットを作ろうと思うと、とてもではないけれど量が足りなかった。

何より、シュテル高地は名うての危険地帯。

ステルクの同行を頼んで足を運ぶには、少し遠すぎる。ドラゴンが出る事もあるという話だし、そうそう気安く行ける場所ではなかった。

予定していた作業が一通り終わったので、小さくあくびをして、寝室に。

ベッドに潜り込むと、翌朝まで眠ることにした。今回は、ちょっと大変になりそうだし、眠れるときに寝ておかなければまずい。

ヴァルチャーを追い払う手段。

それは良いのだけれど。

やはり、この間から、気になっていることが、頭の片隅でちらつく。錬金術は、誰のためのものなのだろう。

みんな、錬金術で、幸せになれるのだろうか。ヴァルチャーだって、どういう意図でかは分からないけれど。あの森から追い払われたら、何処へ行けば良いのだろう。かといって、あそこにいるヴァルチャーが、害を為しているのもまた、事実なのだ。

考え込んでいる内に。ロロナは眠ってしまっていた。

気がつくと、朝。

伸びをして、ベットを這い出す。着替えて顔を洗って。作業の準備を整えてから、資料を引っ張り出す。

動物を追い払うための手段。

ヴァルチャーについての研究。

どちらも、探すのには、骨が折れそうだった。

 

1、禿鷹の森

 

ロロナが足を運んだのは、アーランドの外れにある小さなお店。

魔女が経営していると噂の、寂れた場所である。

此処で言う魔女というのは、外法に手を染めた女性魔術師の事を意味している。禁忌の術を行ったり、或いは魔術によってアーランドそのものを損なうような事をすると、こう言われることがある。

ただ、此処のお店が魔女のというのは、話半分と誰もが知っている。

単に見かけが不気味で、中身が寂れているから、そう子供達が噂しているだけの事だ。

ロロナがお店に入ると、齢百才を越えているかと思われる老婆が、店番に立っていた。かって、アーランドでも上位に入った魔術師だったという噂の女性だけれど。流石に百を超えると、老齢が目立ち、もうろくし始めてもいる。

「いらっしゃい。 何をお探しかね。 惚れ薬なら、其処の棚じゃが」

「おばあちゃん、お久しぶりです」

「おー。 誰じゃったかなあ」

「ロロナです」

しばらく経ってから、反応があった。

まあ、無理もない。このおばあちゃんのお店に足を運んだのは、実に四年ぶりだ。以前はアストリッドと一緒に来た。師匠は何だかよく分からないものを山ほど買い込んでいて、当時は不気味で仕方が無かった。たびたび足を運んでいたのだけれど、師匠はいつからか外に行くのも面倒くさがるようになって、必然的にこのお店にも来なくなった。

ざっと棚を見るけれど。

商品の保存状態は、お世辞にも良いとは言えない。

ただ、ものが分かるようになってきた今は。其処に、珍しいものがたくさんあることが、理解できた。

「これと、これと、それにこれをお願いします」

「はいはい、毎度あり。 またよろしくたのむよう」

代金を渡す。

魔女だとしても、もうすっかり衰えてしまっている。何でも噂に聞いたところによると、戦場で娘を亡くし、孫達とは疎遠だとかで、寂しい老後を送っているという。このお店も、おばあさんが体調を崩してしまったら、おしまいになるのだろうか。

店を出て、今度は工場に。

荷車をがらがら音を立てて引きながら、必要な素材を揃えていく。

今回作ろうとしているのは、一種のお香だ。

ただし、以前作った任意の幻覚を見せるときに使ったアロマとは、放出できる臭いの桁が違っている。

だから、仕組みからして、大がかりなのだ。

森一つ分に、強烈な臭いを行き渡らせなければならないのだから、当然だろう。しっかりした土台も作らなければならない。

課題を突破するには、準備が必要だった。

工場でも素材を集めると、最後に隣の親父さんのお店に。設計図を渡すと、親父さんは唸った。

「これは香炉と言うよりも、鼎に近いな」

「カナエ?」

「大昔にあった、三脚のついた鍋のようなものだな。 ちょっと待ってろ」

親父さんが持ってきたのは、小さな模型。

確かに、ロロナが参考書で見たものと、よく似ている。ただ、これは非常に重いのだとか。

「アーランド戦士でも、二人がかりで運ぶことになるぞ。 ましてや中に一杯薬を入れるんだろ?」

「はい。 まずは実験から、ですけれど」

「どうしてこれにするんだ」

「ヴァルチャーを追い払うための、お薬を入れるんです。 その時、嫌がったヴァルチャーがひっくり返せるようだと、話になりませんし」

何より危ない。

今回のも、あまり激しくないとはいえ、臭いを放出するために火を使う。もしもひっくり返されると、森が火事になってしまう。

ヴァルチャーは体が大きくて、パワーがある上に、風の魔術まで使う。

幸い、自分に届く臭いを防ぐような器用な真似は出来ない様子だけれど。風の魔術で飛ばされてしまうような土台では、使用できない。

ましてや、今回の道具は、時間差を置いて使うのだ。

昼の内に、ヴァルチャーが群れている森に置いてきて、夜くらいには臭いが充満するようにする。

そして、数日は保たなければならない。

大がかりなお香になる。

それこそ、大昔のカナエというものほどに。

「まあ、分かったけれどな。 ただ、これを作るとなると、かなり金が掛かるぜ」

「お金は、どうにかなります」

「そうか。 じゃあ、頼むな」

親父さんに一礼して、お店を出る。用事を一通り済ませて戻ると、お昼近くにまでなっていた。

すぐに食事を作る。

ホムは無言で黙々と働いていた。子供らしく、食事の臭いに敏感になれば面白いのに。殆ど、食べる事に、興味を見せないのだ。

パメラはと言うと、朝から師匠と一緒に出かけている。

何をしているのかは、よく分からなかった。

実のところ、ここ数日、パメラは頻繁に出かけている。何をしているかは教えてくれないのだけれど。師匠と一緒に出かけているのだし、どうせ碌な事をしていないだろう。それにパメラと師匠は、もう隠すこともなくつるんでいる。一緒にロロナをいじくったりするので、大変困り果てていた。

今日は得意なミートパイにする。丁度良い兎が手に入ったこともあって、これ以外には考えられなかった。

既に、単純なパイなら、錬金術でお店のものか、それ以上のものが作れるようになっている。

数を散々こなしたからである。

ホールパイを切り分けて、二人で食べる。師匠はどうせ、今日は帰ってこないだろう。

「ホムちゃん、美味しい?」

「美味しいです」

「そっかあ。 全然表情が変わらないから、分からないよ」

「申し訳ありません。 マスターに、表情を作る機能は、付けていただけませんでしたので」

そうか。そう言われると、少し悲しい。

ホムは、本当に人工の生命なのだと、再認識してしまう。

「量は大丈夫かな」

「問題ありません。 少し多すぎるくらいです」

「うん、それじゃあ次からは減らすね」

片付けを済ませると、次。

集めて来た材料は、実験用も含んでいる。色々調べて見たのだけれど。鳥よけの香料は、存在している。

たとえば小鳥よけ。

小鳥を追い払うには、猛禽の臭いを使うのが良いとされている。小鳥がたくさん集まって、糞害に困っている場合に、使用するものだ。

普通使うのは隼や鷹の翼や肉、後は糞など。

ただ、今回追い払うのは猛禽だ。そうなると、やはり蛇が対象になるだろうか。しかし、蛇を好んで食べる鳥もいる。蛇が鳥の天敵だとするには、少し考えが安直だ。

ヴァルチャーを、捕獲しなければならないだろうか。

資料を調べていく。

どうやら、近くの森の東側にある小さな林が、ヴァルチャーの群れに占領されたのは、時間にして60年ほど前だそうである。

丁度その頃は、アーランドが隣国と戦争をしていた事もあって、顧みられることもなかった。

戦争そのものはアーランドの圧勝で幕を閉じたらしいのだけれども。相手の国力がアーランドの数十倍はあったという事で、王様も前線に出るほどの総力戦だったそうである。ちなみにその結果、相手国は滅亡。ただし、アーランドも相応の被害を被った。

ともかく、その影響で、本来だったらあり得ない状況が出来、放置されて今まで来てしまったのだ。

それからヴァルチャーの群れが掃討されなかったのは。

ヴァルチャーがいついてから、森が露骨に豊かになった事。これはヴァルチャーが運び込んだ死肉やその糞が原因だろう。

彼らの営巣地ではないことが確認されたこと。

更に言えば、被害が出ているとは言え、小さいということ。

もう一つを付け加えるなら、この戦い以降、アーランドでは戦士の数が露骨に不足した。何でも滅亡した国も領土に取り込んだ結果、巡回する地域が膨大に増えてしまい、戦士の手数が足りなくなったのだという。

このため、とてもではないが、危険性が小さい相手をわざわざ討伐する余裕など、なくなってしまったらしい。

いろいろな理由から、ヴァルチャーの群れは放置され。

そして、今に到っている。

ロロナがその対処を任されたのは、名誉なことなのだろうか。もしそうだとすれば、なんとしても成し遂げなければならない。

それに、ヴァルチャーを殲滅してしまうのは、それはそれでまずい。

やはり、お香を使って追い払うのが、一番だろう。

資料を調べる。

鷹を操作するお香というのを見つけたので、付箋を付けておく。ただこれは、鷹の感情をある程度コントロールする目的のものらしい。

鷹を使って狩りをする、辺境でも更に辺境の人々のために、十何代か前の錬金術師が作った道具だけれど。

アーランドではなじみがない。

確か、鳩を使った手紙配達は、何処かでやっていると聞いているけれど。それもまた、今回の作業では、応用が利かないだろう。

「マスター。 栄養剤、仕上がりました」

「うん、分かった。 樽を、コンテナに入れておいて」

「分かりました」

黙々と、ホムが樽を運んでいく。力ならロロナより確実に上だ。実際、苦労もせず、自分以上の体積はある樽を運んでいる。

師匠が作ったのだから、何とも思わない。

あの人はどれだけの無茶を実現しても、不思議では無いのだ。ため息が漏れてしまう。師匠がこの課題に手を付けたら、一瞬で終わってしまうだろうに。

少しはやる気を出して欲しい。

師匠が、帰ってきた。

参考書に目を通しているロロナを一瞥だけすると、どっかとソファに座る。そういえば、パメラがいない。

「あれ、パメラさんは?」

「ああ、彼奴はこれから店をやる事になった」

「お店、ですか?」

「ティファナの家の二つ隣に、空き家になっている襤褸屋があるだろう。 彼処を買い取って、パメラが住むことにした」

確かあの店は、かなり古くて、幽霊が出るという噂があった。何でも前の持ち主が、夫婦揃って戦死。その無念もあって、今でも化けて出るという。どちらも死んだときの姿のままで、凄まじい形相で迫ってくるとか。

師匠に聞かされた、トラウマ昔話の一つだ。

その後、ぶるぶる震えているロロナを、師匠が恍惚たる笑みで見ていた事を、よく覚えている。

「あの家、確か幽霊が」

「嘘に決まってるだろう。 というか、前の持ち主は、家を売ってもっと大きな家に引っ越したのだ。 今でも元気にやっている」

「ししょー! 酷いです!」

「だってお前が怖がる様子が、あまりにも面白かったのでな! ついその場ででっち上げてしまったのだよ、許せ」

けらけら笑いながら、師匠が自室に引き上げていく。

どっと疲れたけれど。言い返す気力も沸かなかった。とりあえず、近いうちにお土産でも持って足を運ぼう。

それに、パメラが売るものにも、興味があった。

そう決めると、作業を続行。今日は一日、この作業に費やすことに決めている。気がつくと、夕刻。

パメラがいないと、ぐっと静かだ。

散々いじくられたし、怖がらせられもしたけれど。アトリエからいなくなると、少し残念ではあった。

 

翌朝。

ホムを連れて、クーデリアと外出する。ホムがどれだけの能力があるか、実際に見ておきたかったからだ。

荷車は最初ロロナが引いていたが、街を出た辺りで、ホムに代わる。

栄養剤を納品する際に、どれだけやれるか。見ておきたいのである。クーデリアが、リボルバーを開けて弾を隣で確認していた。

そういえば、隣の親父さんが。クーデリアに用があると言っていた事を思い出す。

「くーちゃん、今日の帰り、親父さんの所に寄ろう。 銃を改良してくれるって言ってたよ」

「そうね。 威力不足が目についてきたし」

「ショットガンはどう?」

「ショットガンよりも徹甲弾が使えるライフルが良いのだけれど。 ただ、取り回しがね」

クーデリアは身体能力も上がってきているし、銃の重さなど気にならないだろう。ライフル如きでは役に立たないから、どうせなら軽い方が良いと言う事で、牽制用に拳銃を使っているという意味もあるようだ。

ただ、やはりライフル弾に能力を乗せると、威力は相応に上がるのだという。

「拳銃でライフル弾を撃てないかな」

「そんな馬鹿な事……出来るなら、それが良いけれど」

理論的には出来る筈だ。

ただ、銃火器はアーランドではあまり発達していない。役に立たないからである。上位の戦士になると、銃弾なんか見切って斬るのは当たり前。当たったところでびくともしないのだから、当然か。

ひよっこだって、銃弾では殺しきれない。

ロロナだって、ライフル弾くらいで死ぬほど柔ではない。ロロナでさえ、そうなのだ。

「仮にライフル弾撃てる拳銃を作っても、反動が大きいから、牽制の意味ではちょっと使い道がね。 破壊力はライフル弾並で、今までの銃と同じには出来ないのかしら」

「くーちゃん、それは流石に……」

「分かってる。 あたしもこれで、魔力は毎日鍛え込んでるから。 今後は、もう幾つか切り札増やす予定だし、ね」

会話を横目に、ホムは無言で荷車を引いている。

小さな体だけれど、全く問題は無い。やがて、荒れ地が見えてくる。既にびっしりと雑草が生い茂っていて、キューブ栄養剤の効果で、低木も葉っぱを豊かに付けている。ただし、ため池の水量は、相変わらず寂しい。今後森の中核になるような大きな木を生やす場合は、もっと水がいる。

ジェームズに手を振る。

気むずかしい老人は、ロロナを見ると鼻を鳴らした。

「栄養剤の納品か。 さっさと来い」

「今日は、この子が交渉をします」

「よろしくお願いします」

ぺこりと一礼をするホム。

ロロナは笑顔のまま側に立ち、様子を見守る事にした。ジェームズは若干うんざりしたようだけれど。

きちんと、対応してくれる。

納品した樽を受け取って、中身の確認。

今回はキューブ状栄養剤を樽二つ。普通の栄養剤を樽三つ、作ってきた。栄養価は、以前より上がっている筈だ。

「良いだろう。 俺から上に報告はしておくから、後で王宮に行って報酬うけとりな」

「有り難うございます」

ホムが頭を下げる。

交渉はつつがなく終わった。と言いたいところだが。

実際には、何ら問題が無かったのだから当然だ。何か問題を仕込むべきだったかとロロナは思ったけれど。まあ、最初はこんな所だろう。

今回の件で、通常通りの納品なら、ホムに任せられることが分かった。問題はモンスターに襲われたり、イレギュラーがあった場合だが。

流石に、こんな小さな子を、モンスターにけしかけるわけにはいかない。師匠は強いと言っていたけれど。ロロナの倫理観が許さない。

アトリエに先にホムを戻すと、クーデリアと一緒に、親父さんの店に。

親父さんは、金床で、何かを忙しく叩いていた。

「今、忙しい。 ちょっと待ってろ」

不機嫌そうな声。

そういえば、少し前から、親父さんは相当に忙しいそうだ。確かに大物モンスターが彼方此方に出没しているとなると、それも当然だろう。

戦士の武器は消耗品だ。

どれだけ丁寧に扱っていても、痛む。折れないにしても、刃こぼれを直さなければならない。

手入れくらいは、どの戦士も出来るとしても。

痛みすぎた場合は、親父さんのような本職で無ければ、どうにも出来ないというのが現実だ。

仕事が終わったらしく、親父さんがこっちを向く。手元には、柔らかそうな毛皮に包んだ抜き身の剣があった。

「銃を、改良できるという話だけれど」

「見せてみな」

クーデリアから、やっぱり機嫌が悪い親父さんが、銃を受け取る。

しばらく上下に見回していたけれど。やがて嘆息した。

「これは、誰にもらった」

「うちの倉庫にあったものよ。 兄たちはもっと良い武器をもらっていたようだけれど」

「なるほど。 これはな、コルトって言う銃だ。 オルトガラクセンなんかの遺跡で発見される、旧時代の銃火器だよ。 旧時代のだから現在の人間やモンスターには通じないが、作成している技術力は向こうが圧倒的に上でな。 詰め込む銃弾次第では、強烈な威力を発揮するんだよ」

幾つかのパーツについて説明してくれたけれど。確かに、現在の冶金技術では、作れないものも多いようだ。

ただ、それでも親父さんは、銃を分解して、調整を行う。

しばらくハンマーで無心に叩いていたが。やがて、難しい顔をして、クーデリアに手渡した。

「どれ、取り回してみな」

クーデリアが、手慣れた動作で、体を動かす。

舞うような動き。

クーデリアは敵の気を引くことが極めて上手だ。ロロナが術式を展開するまでの時間を、いつも稼いでくれる。

そして彼女の舞には、実戦武術の動きが、貪欲に取り込まれている。ロロナから見ても、以前とは雲泥の差だ。確かに、クーデリアは、確実に強くなっている。

「良い感じよ。 前より、かなり軽くなったわ」

「幾つかの部品が、ほんのちょっと曲がっていたのさ。 技量が上がってくると、そういった些細な事で、取り回しに影響が出てくる。 弾丸の方も見せてみな」

クーデリアが、言われるままに、ポケットから弾丸を取り出す。

殆どはただの鉛弾だ。ただし、表面には文字がしっかり書き込まれている。言うまでも無く、その弾丸には、魔術を掛けられるようになっているのだ。クーデリアの特殊能力を知っているロロナは、驚かない。

「もっと良い金属を使わないのか」

「あたしが自由に出来るお金は、そう多くないわ」

「そうか。 ちょっとこれを試してみな」

親父さんが、青黒い弾丸を取り出してくる。

いずれもが、色以外は、今までクーデリアが使っていたものと、大差ないように思えたけれど。

クーデリアは弾丸を見て、驚きの声を漏らす。

「これ、ひょっとして」

「シルヴァタイトだ。 かなりの高級金属だが、切り札をこの弾に乗せてみな。 吃驚するくらい、威力が出るぜ」

一発ずつの値段が、相当高額になるとも、親父さんは付け加えた。

シルヴァタイトといえば、かなりの貴重な金属だ。加工次第では、相当に強力な武器防具に化けるとも聞いている。

もっとも、使い手の方が優れている現在。武器防具が如何に優れていても、場合によっては通用しないが。

クーデリアが見つめている弾丸も、それは同じだろう。

拳銃という武器そのものが、人間には通じにくいのだ。弾が基本的に遅い。残像を残して動くような奴が珍しくもない現在、拳銃の弾程度では、そもそも強い相手には当たらないのである。

つまり、弾丸の威力がどれだけあっても、使い所を間違えれば塵になってしまう。実力がついてきたからこそ、親父さんはクーデリアに、この弾を渡したのだろう。

「弾速を上げられないかしら」

「今の弾速だと遅いか?」

「残像を残すような相手だと、戦術を工夫しないとかなり厳しいわね。 格上の相手と戦う時のことを想定すると、今の拳銃だとパワー不足よ」

「いきなり武器を変えると、慣れるまで時間が掛かるぞ。 ちょっと待っていろ」

親父さんは店の奥に行くと、幾つか銃を取り出してくる。

その中には、クーデリアの手には大きすぎるように見える、見るからに凶悪な銃も幾つかあった。

流石に、何でも揃っている。

親父さんが考えた末にクーデリアに渡したのは。もう拳銃とは思えない、とても大きなものだった。銃身も非常に長い。

「此奴はライフル弾を発射できる銃だが、反動がデカイ。 現在の技術では作れない代物だから、触るときには気をつけろ」

しかも、ライフル弾だけではなくて、大口径の弾丸もだいたいは扱えるという。非常にキワモノ的な代物だ。

大きいし、何よりおっかない。

これだと、重さが禍して、クーデリアが使いこなせないのでは。ロロナは心配したが。しばらく取り回していたクーデリアは、意外なことを言った。

「思ったより、随分軽いわ」

「撃ってみるか」

「……」

クーデリアは言われるまま、店の裏の射撃場に。

其処で的に向けて、何度か発砲。発砲音がかなり凄い。ただ、クーデリアの狙いは正確そのもので、最初から的の中心部に命中させた。その後も、連続して的の中心部に、ほぼ誤差もなく当ててみせる。

問題は、現在。弾丸が当たったところで、倒せるような魔物などほぼいないという事だが。

「弾速もかなり出るわね。 これなら当てやすいわ」

「それは流石に売れないから、俺が作ったカスタムモデルを用意するわ。 マグナム弾を発射できるようにしてある。 形状はほぼ同じだ。 金は用意できるか」

「どうにか」

受け取りは、数日後と決まった。

クーデリアの手形を取った親父さんが、何だかよく分からない部品を幾つか出してくる。これから、クーデリアの手に合わせて、調整するのだろう。

ロロナの杖についても聞いてみる。

幾つか出してきた、重そうな杖。それに、どれもこれも、非常に高額そうだ。ただ、持ってみて、驚いた。

軽いのだ。とても。

「力がついてきたな。 後は、金属が相応にあれば、安く作れるぜ」

「やっぱり、そうなりますか」

「ああ。 此方でも、貴重な金属は高値になるんでな。 まあ、用意できないことはないが」

値段を聞く限り、どれも手が出ない。

クーデリアはお金持ちという事を、こういうときに、思い知らされる。

カタログを見せられて、やはりゴルトアイゼンが適当だろうと、ロロナは結論。加工法についてのアドバイスをもらった後、引き上げることにした。

アトリエに戻ると、すでにホムがコンテナに荷物を片付け終えていた。

「ホムちゃん、そのまま栄養剤の中間素材の生成をお願いね」

「分かりました」

ロロナ自身は、昨日に引き続いて、ヴァルチャーを追い払う臭いを研究する。クーデリアにも手伝ってもらう。

ヴァルチャーに天敵がいれば良いのだけれど。

少なくとも、今までの資料で、それはほぼ見つけられなかった。蛇のモンスターでも、ヴァルチャーを専門で狙う奴などいないだろう。

と、思っていたのだけれど。

しばらく資料を探していたクーデリアが、何か見つけてきた。

「ロロナ、これは?」

「えっ……」

思わず声を上げてしまう。

なんと、天敵の記述がある。慌てて資料を見直すと、全く関係ないと思い込んでいたものだった。

過去の獣という資料である。

どうやって調べたのかよく分からないけれど。既にアーランドにはいない生物の記録が、多数残されている。

よく調べてみると、オルトガラクセンの内部に、そういった情報を記録する機械があったのだという。

なるほど、それは確かに、過去の獣だ。

二人で資料を読み進めてみる。

それによると、記述はこのようになっていた。

その獣は、現在ベヒモスと言われているモンスターの直接の先祖であったらしい。世界がまだ混沌に包まれていて、アーランドでも王都以外にほぼ村も街もなく、人々がその日暮らしをやっと送っていた、更に前。荒野で王者として君臨していたそうだ。

見ると、今のベヒモスよりもだいぶ小さい。

ただ、当時の人類では、太刀打ちできない相手であったそうだ。遭遇する度に多くの被害が出たと、記録が残されている。

今では、更に強力なベヒモスでもそう苦労せずに狩っているのに。昔は、そんな時代もあったのだと思うと、不思議だ。

原初ベヒモスとでもいうべきそのモンスターは、多くの動物を好んで喰らったが。中でも鳥が好物で、大型の鳥類。特にアードラなどを、好んで食したという。勿論ヴァルチャーも、その中に入る。

化石の図が書かれていた。

骨になっている原初ベヒモスの腹の中に、多数の獲物の骨。糞の化石も載せられている。頭からばりばり食べてしまうようで、かなり砕かれた骨が見える。確かに、ヴァルチャーの骨が、相応に見えるようだった。

これは、使えるかも知れない。

「この原初ベヒモスって、もういないのかな」

「いるでしょ、ベヒモスが」

「うーん。 でも、原初ベヒモスそのものの方が、良いような気がするんだよね」

思い立ったので、コンテナに。

以前カタコンベから拾い集めてきた骨を調べて見る。どれもベヒモスのものではない。ましてや、原初ベヒモスのものも、含まれてはいなかった。もしもあるとすれば、相当に古いものとなるだろう。

以前幼体ベヒモスを倒した時に、体の部品を幾らかもらった。

今、骨にして飾っている分がある。それを少し使って見れば、或いは効果があるかも知れないけれど。

考え込んだ末に、一旦保留。

ベヒモスが、鳥を好んで食べるなどと言う話は、聞いたことがない。原初ベヒモスとは、好みが違うのかも知れない。

クーデリアにも聞いてみるが、首を横に振るばかりだった。

「昔はアードラやヴァルチャーが手頃な獲物だったのかも知れないけれど。 今のベヒモスは、もっと捕らえやすい手頃な獲物がいくらでもいるでしょう。 多分、鳥を襲うことがあっても、好んで食べる、という事はないでしょうね」

「そうだよねえ。 でも、原初のベヒモスなんて、もういないでしょ。 骨も、何処で見つければ良いんだろう」

カタコンベにいくしかないか。

彼処なら、骨と名がつくものなら、だいたい揃っていそうだ。

今回も、ぎりぎりになるかも知れない。

動くなら、早い方が良い。

 

2、さらなる課題

 

青ざめることになった。

ステルクの所に、カタコンベへの同行を頼みに行ったら。最悪の事態を聞かされたのである。

追加依頼だ。

「此方を優先的に解決して欲しい」

そういって渡されたのは、予想通りの依頼だった。

あの荒れ地に流れ込んでいる、小川の調査である。

数日前から、更に水量が減ってきているらしいのだ。水源は問題が無いのだが、それから川下に到る地域を調べるとなると、手が足りない。

ロロナも息を呑む。

かなりの広域が、調査対象となっていた。

勿論場合によっては戦闘も想定される。ステルクがついてきてくれるのが不幸中の幸いだけれど。

それにこの課題は、川下の村の人達にとっては、死活問題だ。

ロロナとしても、放置しておく訳にはいかなかった。

「分かりました。 すぐ、対応します」

「頼むぞ」

咳払いしたのはクーデリアだ。

袖を引かれる。王宮を出た後、案の定がみがみ言われた。

「ちょっと、抗議の一つくらいしなさいよ。 本来あんたの仕事じゃないし、騎士団の怠慢でしょう!」

「そうだけど。 でも、やっぱり放ってはおけないよ」

「お人好し」

「ごめんね。 でも、大勢の人を助ければ、きっと……」

それ以上の言葉は飲み込んだ。

ロロナが考えている事は、クーデリアには悟らせたくないのだ。ため息をつくと、クーデリアはアトリエに戻ろうと言った。

明日から出かけるにしても、準備がいる。川をさかのぼって調べるにしても、数日は歩き通しになるだろう。

アトリエに戻ると、まずコンテナから耐久糧食を引っ張り出す。

念のため、十日分を準備。それ以外にも、持ち運べそうな発破や武器類は、みんな持っていくことにした。

回復薬や、包帯の類も揃える。

いそいそと準備をしていると、アストリッドが大あくびをしながら部屋から出てきた。

「どうした、くーちゃんと楽しくキャンプか?」

「くーちゃんいうな。 新しい仕事が押しつけられたのよ」

「ふうん。 その様子だと、調査作業。 あの涸れかけている小川のだな」

流石に師匠は鋭い。

でも、助けてくれそうにはなかった。

昼食を作れと言われたので、準備はクーデリアに頼んで、さっさと料理する。丁度良いお魚があったので、火を通して焼き魚に。サラダ類も準備して、師匠の待っているテーブルに並べた。

ただ焼くだけではなく、サワーアップルの絞り汁を使って、味にアクセントを付けている。

クーデリアとロロナの分を焼いた頃には。師匠はもう食べ終えていた。

「料理も上手くなってきたな」

「もう、師匠も手伝ってくださいよ」

「まあそういうな。 そうそう、パメラの奴が、もうすぐ店を準備できそうだ。 お前達が帰ってきた頃には開けるだろう。 帰りにでも寄ってやれ」

分かりましたと応えるけれど。気が重い。

どうせ散々脅かされるに決まっている。

準備が終わったのは、夕刻。それからは、原初ベヒモスについて、もう少し調べておいた。

もしもヴァルチャーにとっての絶対的な天敵だったのなら。その骨を香料に混ぜれば、必ず追い払う事が出来るはず。

準備は、並行で進めておかなければならない。

 

遠出になる事が分かっていたので、ホムには細かく指示を出しておいた。

栄養剤の調合も、昨日のうちに教えた。問題なく作れることも分かっていたので、納品についても指示をしておく。

ステルクとクーデリアに同行は頼めたが。案の定イクセルは駄目。リオネラはここ数日姿が見えないし、タントリスも用事があると言うことで、結局この三人で出かけることになった。

リオネラが、病院にもいなかった事は少し気になるけれど。

彼女も、一人で生活している立派な大人だ。

それに、何か事故が起きたという話も聞いていない。ただ、何処かにいるにしても、声は掛けて欲しいのだけれど。

北門に出ると、ステルクが待っていた。

どういうわけか、タントリスもいる。何か話していたようだけれど、近づくと、タントリスはいつも通り、気持ち悪いくらいの甘い声で話しかけてくる。

「やあハニー。 久しぶりだね」

「昨日あったじゃないですか」

「それは随分と久しぶりなことだ。 君の顔を見られなくて寂しかったよ」

苦笑いするロロナの前で、クーデリアが咳払いする。

さっさと行こうと、促された。

「ああ、待ちなよ。 リオネラ君のことだけれどね」

「えっ!?」

「どうやら病院を出て、近くの安宿に移ったようだよ。 何でも魔術の修行をするのが目的だとか」

そういえば。

最近、彼女の自動防御が少し物足りないと思い始めていた。何も口にはしなかったけれど、自主的に勉強をするつもりになったのかも知れない。

でも、どうしてそれを知っているのだろう。

クーデリアに促されて、先に行く。

一応お礼の言葉は口にしたけれど。どうも引っかかる。あの人、何か隠しているのではないのか。

ステルクに聞いてみるが、知らないとしか言われない。

「それで、どうする」

「まず、西に。 小川に行き当たったら、上流へ北上します」

「ふむ……」

ステルクは反対しない。

街を出ると、すぐ荒野になる。川の近くは緑がある場所もあるけれど。やはりこの世界は、まだまだ緑になるには遠いのだ。

荷車を引きながら、小川に出るまで、数刻歩く。

小川に突き当たると、既に水量が、相当に削り取られているのが分かった。このまま水量が減り続けると、危険だ。

ステルクは既に剣に手を掛けながら歩いている。

何が出ても不思議では無いことは、ロロナも分かっている。だから、荷車には、あらゆる道具類を積んできているのだ。

「ステルクさんは、この辺りに来たことは?」

「前に何度かあるが、そう詳しくはない」

「そうですよね。 何か、今回の件で、心当たりとかはありませんか?」

ないと即答されて、少し困ったけれど。

確かに、騎士団でも心当たりがあれば、それを突いているだろう。

上流へと、黙々と歩く。

時々何か話を振るけれど。既にステルクは戦闘モードに入っていて、返答はいずれもそっけない。

歩いていると、時間は容赦なく過ぎていく。

支流にぶつかった。

協力して、荷車を担いで川を渡る。橋などある筈もない。ずっと東に行って街道に行けばあるけれど。そんな時間はない。

川には魚も少し泳いでいるけれど。

このまま水量が減れば、いずれ川ではなくなってしまうだろう。非常に危険な状態だと言える。

「騎士団は、忙しいんですか?」

「少し前に、アランヤでモンスターの大量発生があってな。 どうもオルトガラクセンから、定期的に強力なモンスターが出てきて、そいつらが他のモンスターを統率して、群れを作っているらしいのだ」

騎士団は討伐にてんてこ舞い。

どれだけ人員がいても、足りないのだという。

王も毎日出陣しては、モンスターを片付けていると言うから、なおさらだ。ロロナに声が掛かる位なのである。壮絶な忙しさなのは、間違いないのだろう。

ステルクはそんな中。時間を無理に作ってくれたのだとか。

確かにこの任務、騎士団が本来するものだ。ステルクが来てくれたのはありがたいけれど。責任も重大である。

日が暮れた頃、野営する。

水は側にあるけれど、火を通して濾過しないと危ない。

食べ物は用意してあるから大丈夫だけれど。クーデリアが火を熾しているのを横目に、ステルクはじっと遠くを見ていた。

何か、そちらにあるのだろうか。

「ステルクさん、どうしたんですか?」

「私の友人が、足を路ならぬ闇に踏み外してな。 私ではどうすることも出来ずに、困っていた。 考えても、どうすれば良いのか分からない」

思ったよりも、深刻な悩みだ。

アーランド戦士は、ずっと過酷な環境にいるから、心が壊れてしまうことも多いとロロナは聞いている。

ステルクの友達とは、騎士だろうか。

だとすれば、悲しい事だ。

「ステルクさんは、その人が好きなんですか?」

「そうだな。 かっては愛したこともあったか」

これは、意外な話を聞くことになった。

ロロナだって、恋愛沙汰には興味がある。ただ、ステルクの表情が深刻だったので、あまり深く追求することは出来なかった。

耐久糧食は持ってきているけれど。今日はまだ、使わない方が良いだろう。その辺りで、ステルクが取ってきた野ウサギを捌いて、焼いて食べる。

しばらく肉を焼いていると、油がたき火に垂れはじめた。

本当に小さい子ウサギであれば、骨ごとかみ砕いて食べる事が出来るのだけれど。今日取ってきたのは、どれも大人の兎なので、そうはいかない。

骨のついた肉をしゃぶりながら、ロロナはステルクの話を聞く。

「もう少し北上すると、小川が分岐している。 片方は、ネーベル湖に流れ込んでいる」

「ネーベル湖ですか。 一度、行ったみたいですね。 前に師匠から聞いたんですけれど、避暑地として最適だとか」

「危ないぞ。 彼奴だからモンスターをものともしないのであって、君達の力量では、かなり命がけになる」

ぱちんと、たき火が音を立てて爆ぜた。

それから、三人で交代して、休む。順番に一人ずつ見張りに立って、明け方まで休むのだ。

ステルクにも休んでもらう。

今回は長丁場になる可能性が高い。

徹夜くらいは平気だと思うけれど。それも、最初から最後までやっていたら、いくら何でもからだがもたないだろう。

ロロナは最初の見張りになった。

二人には寝袋に入ってもらって、一人たき火の側に座り込む。毛布を被ると眠ってしまうので、敢えて少し寒い格好にする。

星の読み方は分かるから、今がだいたいどれくらいの時間かは分かる。

既に遠くには、アーランドは見えなくなっていた。アーランドの明かりの付き方でも時刻はだいたい分かるのだけれど。

東の方には、小さな明かりがある。

おそらくあれは、街道沿いにある村の一つだろう。

ロロナの調査が上手く行かなければ、ああいう村が幾つか、とても困ることになる。勿論その場合は、騎士団が優先順位を上げて対応に掛かるのだろうけれど。せっかくいままでの課題をこなして築き上げてきた信頼も、地に落ちてしまう。

モンスターが原因ではないと良いのだけれど。

遠くで、何かが吠えているのがわかった。

狼にしては、少し声が野太い。

凶暴性が強い特殊な狼も何種類かいると、ロロナは聞いたことがある。群れと戦えば、苦労は免れないだろう。

ぎゅっと身を縮めた。

思ったほど怖くはないけれど。

戦う時には、クーデリアが、自分が傷つくことを厭わないだろう。それがロロナには、あまり好ましく思えなかった。

 

朝から、北上を続ける。

相変わらず、川の水量は落ちている。まだ、原因と思える地点は、発見できない。丸一日掛けて川沿いに北上。

勿論、川の分岐点も確認した。

ネーベル湖に向かっている支流も、少し水量が落ちているようだ。ただ、ネーベル湖には四ヶ所から水が流れ込んでいるという事だから、干上がることはないだろうけれど。支流も調査したので、かなりの時間をロスした。泊まり込みながら、調べていったが、成果無し。

もっと上流に上がるしかないだろう。

上流に進むと、川から時々顔を覗かせている大きな白い姿がある。

「島魚だ」

「あれが! うわ、おっきいですね!」

「近寄るなよ。 非常に獰猛だ」

聞いたことはある。陸上にも平気で上がってくる、極めて獰猛な魚の一種。いや、魚かどうかさえ、よく分かっていないモンスター。

巨体を使って獲物を押し潰して食べる。口は巨大で、小さな獲物なら、そのまま一呑みにしてしまう。

ステルクが見張ってくれているから、多分大丈夫だろうけれど。

川の中に点々としていて、何とも恐ろしい。

ただ、支流との分岐点から離れると、生息域から外れたのだろう。もう姿を見ることは無くなった。

更に北上。支流を見つけては、調査。

その間、何の成果もなかった。流石にこれだけの日にち、野営を繰り返しながら歩き続けたのは初めてだ。

疲れはしないけれど、少しずつ神経がすり減っていくのが分かる。

ステルクは平然としている。

クーデリアも、疲れをまだ見せてはいない。

街から離れると、それだけ周囲はモンスターの気配が、露骨に強くなって行く。ロロナとしても、これ以上街から離れたくはなかったけれど。

まだ、原因地点は特定できない。

いい加減不安になってきた頃。

それは、唐突に現れたのだった。

ステルクが足を止める。

小川に、支流が出来ている。それも、かなり大きな奴だ。すぐ側に沼沢地があるけれど、其処へ流れ込んでいる。

しかし、どうも様子がおかしい。

地図を見ると、昔からある沼沢地なのだけれど。どうも水が多すぎるように思えるのだ。しかも、小川の様子を見ると。その支流の辺りから、水量が露骨に減っている。

どうやら、此処が原因に間違いないか。

地図を、もう一回確認。ステルクにも見てもらう。

どうやら、此処には前から支流があったらしいのだけれど。

確認すると、明らかに広げられた形跡がある。川の岸を確認。間違いない。無理に広げた大きな爪痕があった。

明らかにモンスターの仕業と見て良いだろう。

「この爪痕、生半可な相手じゃないわよ」

「ステルクさん、どうすれば良いですか? これ、騎士団を呼んだ方が……」

「まず、応急処置をしよう。 水量を調整することで、下流へ行く水の量を、元に戻す」

ステルクが顎で示したのは、荒野にごろごろしている大岩だ。

ロロナが運ぶのは難しいけれど。ステルクが運ぶのなら、そうそう苦労はしないだろう。問題は、運んでいる間の事だ。

「周辺の警戒に当たってくれるか」

「分かりましたっ!」

すぐに、荷車から、発破類を取り出す。

手投げ式のフラムも、今回は幾つか持ってきた。勿論、最初に作ったフラムに比べると、破壊力が段違いだ。発破をたくさん作って納品している内に、こつも掴めてきているのである。

「くーちゃん、周囲に何かいる?」

「今の時点で、近くに気配は感じないけれど。 あっちの沼沢地には、多分いるわね」

そうなると、彼処に住んでいるモンスターが、原因だろうか。もしそうだとすると、応急処置だけでは、駄目かも知れない。

モンスターの気配については、クーデリアの言葉が正しい様子だ。

ステルクがじっと沼地を見ているので、まず間違いなくいるとみて良いだろう。

知能が高いモンスターであれば、会話が成立するかも知れないけれど。流石にそれは望み薄だ。

悪魔の長老と会話した経験はあるけれど。

あれは、どうも例外のように思えてならない。

「ステルクさん、護衛を頼めますか」

「何をするつもりだ」

「モンスターに、まず呼びかけてみます。 ひょっとしたら、会話が出来る、知能が高いモンスターかも」

「何を馬鹿な」

一笑に付そうとしたステルクだが。

ロロナの表情が真面目なので、咳払いした。クーデリアはやれやれと肩をすくめている。最初から、そう言い出すことを、分かっていたのだろう。

沼地に、入り込む。

「すみませーん! お邪魔します!」

真っ正面から行ったので、ステルクが唖然としていた。クーデリアは平然としている。これは、ロロナをあまり知らない人間と、知っている人間の差だ。

沼の中に入ると、かなり足が沈み込む。

だが、いわゆる底なしではなくて、ある程度でとまった。それにしても、汚いというか、生理的な嫌悪感を刺激される沼だ。所々青紫色の泥が泡立っていて、動物もいない。異臭も酷かった。

ロロナは進み出ながら、何度か挨拶。

やがて、住処を荒らされたからか。面倒だと思ったからか。

或いは、真面目に真正面から入ったロロナに、感心してくれたのか。いずれかは分からないけれど。

沼の一角が、泡立ちはじめた。

泥と水草を押しのけるようにして、巨体が姿を見せる。

それはおそらく、悪魔の一種だろう。手足に水かきがついているが、以前見た悪魔の長老に、姿がよく似ている。ただし、子供程度の大きさだった向こうとは違って、とにかく大きかった。

文字通り、見上げるほどの巨体だ。

この間戦った幼体ベヒモスよりも更に大きい。

「すみません、すみかに入ってしまって!」

「人間か。 何用か」

「水を沼地に引き込んだのは貴方ですか?」

幸運だ。

怒らせないように、できる限り穏便に話を進めたい。それに、何よりだ。会話が成立しているという幸運が此処にある。

長老と話してみて分かったのだが、悪魔族は人間と殆ど精神的には変わらない。

残忍だ残虐だと色々伝承が残っているが、それは人間だって同じだ。ロロナが知る限り、悪魔と人間には、姿以外の差は無い。

ただ、それはあくまで知っている範囲で、だ。

種族によって考え方が違うのは当然。人間に到っては、種族どころか民族や国によっても考え方が違ってくるのだ。

「いかにも、沼地に水を引き込んだのは私だ」

「気をつけろ。 ロードと呼ばれる上級悪魔だ」

ステルクが、後ろから小声で警告してくる。

既に後ろの二人は、いざというときには、即時に介入できるようにしていた。無理もない話である。

この大きさで、言葉を使いこなす器用な知能。

以前戦った幼体ベヒモスとは、桁外れの相手とみて良いだろう。

「下流の村々が、水不足で困っています! 出来れば、水の流れを戻していただけると助かります!」

「……この辺りの荒野は、lskdfhlaiogaLfdaによって汚染されている。 一族を集めて、環境の回復を行いたいのだ。 それには水がいる」

途中、何か聞き取れない単語が出てきた。

だが、意図は分かった。

それに、悪魔は、ステルクとクーデリアには警戒しているけれど。ロロナの言葉は聞いてくれている。

何とかしたい。

出来れば、戦いは避けたい。会話が成立しない獣が相手ではないのだ。

「緑化作業をすれば、土地の保水力は上がると思います! それで、どうにかならないですか!?」

「ほう……?」

無理な話ではない。

既に、栄養剤の集中投入の時期は終わっている。ホムの手を借りれば、相応の数の栄養剤は生産が可能だ。事実、ホムにアトリエを任せて、ロロナは遠出が出来る状態なのである。悪魔の長老は、しばしロロナを見ていたが。

やがて、顔を背けた。

「そなたは本気のようだが。 そのような事をして、他の人間は黙っているのか?」

「基本的に、アーランドでは、人間を群れを成して襲ったりはしない限り、モンスターの駆除作戦は行われません」

ステルクを見る。

眉間に皺を寄せているのが分かった。

勝手な事をいうなというのだろうか。いや、これはちょっと違うとみて良いか。責任は持てない、だろうか。

分からないけれど。

ただ、この会話できる時間を、無駄にはしたくなかった。

「分かった。 良いだろう。 我らとて、屈強なアーランド戦士と敵対して、生き延びられるとは思っておらぬ。 むしろ人間の中に協力者が得られるのであれば、それは好ましい事だ」

「有り難うございますっ!」

ひょこんと頭を下げる。

まず、水の量を戻したいと言うと、悪魔は無言で顎をしゃくった。

ステルクの所に、歩いて戻る。ステルクは百言くらいは言いたそうな顔をしていたが。満面の笑顔のロロナを見ると、咳払いをするにとどめた。

「全く、冷や冷やしたわよ」

「大丈夫、会話がちゃんと成立したよ!」

「分かったから、まずは作業を済ませるわよ」

まず、近くにある幾つかの大岩を、発破で砕く。

どかん、どずんと、凄まじい音がして、岩が破砕された。砕けた岩の破片を、沼地に流れ込んでいる支流に入れて、水量を調節。

丸一日がかりの作業になったけれど。

ステルクが凄い力を発揮して、岩を運んでくれたので。それだけでどうにか水量をある程度回復させることが出来た。

岩を運んで水流を変えた後は、泥を入れて、岩の間を埋める。

その後は、ロロナが持ち込んだ固定材を流し込んだ。速乾性のある泥のようなものだ。以前、参考書で見て、作っておいた。使うときは空気に触れさせればいい。あっという間に固まってくれる。

更にステルクが、何カ所かに杭を打ち込む。その杭から縦横に板を伸ばして、補強するのだ。

ただ今回は、板がそもそも足りていない。

だから要所に板を置いて、岩を固定する作業を、更に進めた。砂利も、そのまま運んでくる。

発破を使う必要は、もう無さそうだ。

作業を進めて、川の水量の調整は終わった。

沼地に入り込む水の量は減った。

心なしか、下流に向かう水量も、回復しているように思える。これなら、きっと少しはましになるだろう。

それに、これから緑化作業を進めていけば。保水力が上がって、沼地が干上がってしまうのは避けられるはずだ。

「数日以内には、栄養剤を持ってきます!」

「我らの一族は、水を必要とする。 あまり長い時間は待てぬぞ」

数日経っても戻らないなら、堰を破壊する。そういうつもりなのだろう。

往復に四日。栄養剤を準備するのに丸二日。六日で戻る事が出来るだろう。かなりの強行軍になるが、今までと比べれば、どうと言うことは無い。寄り道をせず、まっすぐ行くだけなので、だいぶ気分も楽だ。

すぐに出立する。

悪魔の姿が見えなくなってから、ようやくステルクが口を開いた。

「報告書を後で提出してもらうぞ」

「ええー」

「当たり前だ。 確かに君が言うように、積極的に人間を襲わないモンスターであれば、余程のことがなければ討伐対象にはならない。 だが、それにも限度がある」

今ロロナが話していたのは、それこそ熟練のアーランド戦士でも、命の危険があるほどの相手だと、ステルクは言う。

ただ、ロロナは。先ほどから、沼の周囲を見ていて、思ったのだ。

「川の周囲にも、ほとんど草木がなかったですね。 川の中にも、お魚が殆どいなかったですし」

「あんた、意外に細かい所を見てるじゃない」

「えへへー、そうかな」

「それで?」

ステルクが、先を言うよう促してくる。

ロロナは、思ったのだ。あの悪魔は、何だか聞き取れない言葉で言った。汚染されていると。

確かに、そうかも知れない。

事実、生き物が見当たらないのだ。この小川も、単に地盤が良いから薙がれているだけではないのか。

川の周囲にしっかりした緑がないと、大雨が降ったときに、大氾濫するのではないのだろうか。

それに、土地の保水力も落ちる。

この辺りは、地平の彼方まで、赤茶けた土だ。街道の辺りはどうにか緑が散見できるけれど。

これだけ豊かに水があって、荒れ地がずっと続いているなんて。

この間まで着手していた緑化作業を、どれだけ繰り返せれば、世界は緑に覆われるのだろう。

汚染されているというのが本当なのだとすれば。

悪魔とでも場合によってはモンスターとも協力して、世界を緑化していかなければならないのでは。そう、ロロナは思うのだ。

実際こんな涸れた土地では、人は住む事が出来ない。人だけじゃない。どんな動物だって、住めない。

「なるほど、な」

説明を終えると、ステルクは頷いてくれた。

がらがらと荷車が、乾ききった土を踏んで、嫌な音を立てる。これが、黒ずんで緑に覆われた土だったら、きっとこんな嫌な音は出ないはずだ。

「ステルクさん、往復分の護衛もお願いできますか?」

「私は構わないが。 ヴァルチャー退治は問題ないのかな」

「何とかします」

忘れてはいない。

原初ベヒモスの骨を、近いうちにどうにかして探さなければならない。或いは、恐ろしいモンスターが多数いるというオルトガ遺跡にあるかも知れないけれど。今のロロナでは、とてもでは無いが潜れる場所ではない。

今は、問題を一つずつ解決していくことだ。

悪魔が言っていた通り、この辺りを見ていると。世界の状態が、思ったよりずっと悪いのではないかと思えてくる。

世界に、過去、一体何が起きたのだろう。

師匠やパメラは知っているのだろうか。

知るのが、怖いけれど。

錬金術師は、何かを知って、はじめて為す事を理解できる。いずれ、知らなければならない。

それは、ロロナに限ったことではない。そう、この世界を見て、思う。

アトリエに戻っても、其処からは確実に強行軍になる。途中の休憩を減らしながら、ロロナは可能な限り、ステルクとクーデリアに、急いでもらった。

 

3、パメラとアストリッド

 

ロロナが栄養剤を可能な限り生成して、飛び出していくのを、アストリッドは横目に見ていた。

アストリッドはと言うと、パメラの店と称する、精製工場を作る件と、ホムンクルスの量産作業で手一杯である。ロロナが何をやっているかは、不平満々でこの間から怖い顔を崩さないステルクに聞いてはいるけれど。介入しようとは思わなかった。

それにしても、ロード級悪魔の巣に、正面から乗り込んで。なおかつ、相手との交渉を成功させるとは。

流石だ。

ロロナは普段は駄目な娘だし、実際に頭も良くないが。

強みは全般にわたる才能と、あの肝が据わったところだ。並の錬金術師では、束になってもああはいかない。

悪魔の巣というだけで、尻込みしてしまうだろう。

四体のホムンクルスを完成させたので、硝子の培養槽から引っ張り出す。流れ作業になってきているが、これだけは他の者には任せられない。名前を割り振っていく。既にホムンクルスの名前は、40番台に突入していた。月あたりの生産数は、この様子だと、近いうちに30を突破するだろう。

最終的な目標生産数は、1500。

熟練アーランド戦士が、1500人一気に増強されるのと同じだ。今までの戦力不足が、完全に解消される。

元々アーランド人は、その戦闘能力に反比例するように、繁殖力が極めて弱い。その辺りは、むやみやたらに増える他の人間と比べて、明らかな弱点だ。弱点を補うために、禁断の手段に手を染めたとも言えるが。

アストリッドにとって、倫理はもうどうでも良いものともなっている。

そもそも、この世界を一度滅ぼした人間共に、倫理を語る資格など無いのかも知れなかった。まあ、アストリッドにとっては。師匠をあんな風に死なせた時点で、人間共に倫理など期待していない。

何より、師匠の死に自分も関与している時点で。

自分を許すつもりも、一生なかった。

番号を割り振ったホムンクルス達を、自分で王宮に届ける。エスティに引き渡すと、自身はさっさと引き上げた。

何処に配属するかは、ほぼ興味が無い。

今の時点では、各地の前線にある砦よりも、要注意地帯を巡回したり警備したりしている部隊に配属して、実戦経験を積ませている様子だ。

今後は押し出すように、実戦をある程度経験させた者から、前線に廻すのだろう。

アトリエに戻ると、すぐに次のホムンクルス作成に取りかかったが。

作業を始めようとした矢先、アトリエの戸を、せわしなく叩く音がした。ひげ面の騎士が、ホムンクルスを背負っている。

あれは確か、騎士ヴァーデン。ステルクより4歳ほど年上で、騎士の中でも上位に入る使い手だ。

背負っているホムンクルスは。確か、22番。

適当に名前を付けていても、姿形は全て記憶している。色々と歪んでいることは自覚しているけれど。

それでも、ホムンクルス達を、自分の子だと考えている事に、違いはないのだ。

「おお、いたか。 良かった」

「貴様は確か、南のアランヤ村近辺で、モンスターの掃討作戦を行っていたはずだが」

「サンドバジリスクにやられた。 急いで戻ってきたのだ」

サンドバジリスクか。それは厄介だ。

南の海岸線付近に広がる砂漠地帯に生息する、猛毒の蜥蜴だ。かって同じ名前の怪物が、神話に登場したと言うけれど。そうではなくて、実在した、水上を走る蜥蜴を祖先に持つ生物である。

とにかくその毒は強烈。噛みついて牙から注入もしてくるが、それ以上に霧状に吹きかけてくるものが危険。知らず知らずのうちに吸い込んでしまうと、屈強なアーランド戦士でも長くは保たない。

ヴァーデンなら、半日程度で此処まで走ってこられるだろう。

すぐに22を受け取り、手術台に横たえる。22は亜麻色の髪を腰の辺りまで伸ばしていて、もう何歳か年を取ればかなり美しく成長する事が確実な、バタ臭い顔立ちをしている。ただし、戦闘力は、若干抑えめだ。

目を閉じていた22は、アストリッドが診察しているのを見ると、ぼんやりとしながら言った。

「マスター。 体が、寒いです」

「何カ所かで、壊死が始まっている。 解毒剤を飲ませた後、培養槽で調整する」

「助かるのか」

「どうにかする」

ヴァーデンをアトリエから出すと、22の服を脱がせた。

作業中だったホムを呼んで、服を念入りに洗わせた。どうやら、22は他のアーランド戦士の盾となって、もろに噛みつかれたらしい。

噛まれた左腕は、既に青黒く変色していて、切りおとすしかないだろう。切りおとした後、細胞を採取して、もう一度作る。

調整には、さほど時間は掛からないが。

体には負担が掛かる。寿命は縮むだろう。

ホムンクルス達は、140年ほどの寿命を設定したパラケルススを筆頭に、だいたい80年程度の寿命を見込んでいるが。

多分22は、今回の件で10年は命を縮めたと見て良い。

ただし、それでもまだマシか。サンドバジリスクに噛まれて、死なずに澄んだのだから。

切りおとした左腕を、焼却処分。

細胞を弄って、すぐに再生に取りかからせる。勿論、幾つかの魔術も併用。錬金術だけでは、再生はすぐには出来ない。

外に出ると、困惑した様子で、ヴァーデンがうろうろしていた。

部下の死など散々見てきただろうに。まるで出産を控えた妻を待つ夫のような情けなさだ。

「どうした。 戦場に戻らないのか」

「22の容体は」

「命に別状はないが、寿命は縮むな。 80年は生きられる所が、70年程度で死ぬと見て良いだろう」

「そうか……」

顔を曇らせるヴァーデン。嘆息すると、歴戦の男は言う。

あれを助けてくれと。

他の戦士に邪険にされているにもかかわらず、22は気にする様子も無く、ためらいなく身を投げ出したのだとか。

それで他の戦士達も、皆奮起した。

アランヤ村周辺での掃討作戦が、一気に加速したのは、22の犠牲があったから、だという。

実際には。

ホムンクルスには、人間が喜ぶ情の類は薄い。

あれは、人間を守るようにと、設定しているから起こした行動だ。だが、勘違いしてくれたのなら、それでよい。

いずれにしても、22の戦線復帰は当分無理だ。

ヴァーデンには、もう一度戻るように言った。

 

22の容体が落ち着いたので、パメラの店に様子を見に行く。

パメラの店と言っても、一般客はほぼ入らない。一応名目上は魔法のお店ということにしているのだけれど。

実際は、広い地下空間を持つ、生成工房だ。パメラは、其処の管理人である。

そろそろ、様々な作業が、ロロナの手には余るようになってきている。発破の作成、栄養剤の増産、ネクタルの精製。

これらの作業を王宮からの指示で代行して、納品するべく作るのが、此処での主な仕事だ。

地下で働かせているのは、パメラに引き渡したホムンクルス何名か。

とはいっても、いずれもが命を持ち育ちはしたが、戦闘には適さない者達だ。主にホムンクルスの増産を開始してから、最初期の頃に出来た者達。名前にも、数字を割り振っていない。

彼女らは黙々と、薄暗い空間で、錬金術の生成物を増やし続けている。

パメラがリストを見ている横に、アストリッドは並んだ。

「どうだ、順調か」

「あらー。 可愛い子供の一人が、死にかけたって聞いたけれど?」

「戦闘目的で作ったホムンクルスだ。 消耗することは、最初から覚悟している」

「非情なのねえ」

「情などとっくに捨てた」

薄暗い空間は、六十歩四方ほど。

国から提供されている、かなり広い地下工房だ。実は以前、此処で危険な魔術の実験を行っていたらしいのだけれど。その詳細についてまでは、アストリッドも知らない。

分かっているのは、プロジェクトMが動いた頃には。既に、アーランドでは、周辺国家との摩擦が問題視されていたという事だ。戦力の不足を、歴代の王は様々な方法で乗り切ろうとしてきた。

魔術の研究による強化も、その一つだったのだ。

結果、この部屋には、強い魔力が満ちている。

二つある錬金釜は全力で動き続けている。素材についても、見習いの若い戦士達が、定期的に集めてくる。

彼らには、丁度採集地での戦闘経験も積むことが出来るので、丁度良い様子だ。

幽霊で物理干渉できないと不便なので、アストリッドはパメラに体を持ったが結局心を持てなかったホムンクルスの一体を与えた。

それに憑依することで、今パメラは擬似的な肉体を得ている。

元々此奴は、良いところのお嬢だった様子で、体を得ても動きはそれほど速くない。戦闘は出来ないとみて良いだろう。

ただし、此奴の知恵は必要だ。

何しろ此奴は、失われた過去の知識を、山のように蓄えている。そして此奴自身、それを使う事に、ためらいを感じていない。

アストリッドとは、ギブアンドテイクの関係が成立する。利害関係の調整が上手くいく以上、パメラはアストリッドにとって有用な存在だ。

「時に、オルトガラクセンの攻略は、上手く行っているの?」

「王が前線に立っているが、まだ14層近辺だそうだ。 ポータルの封印を其処までは完成させているが、なかなか、な」

「早くしないと、最深層にいる「邪神」が目覚めるわよお?」

「目覚めたところで、今更何も出来んさ。 せいぜいアーランドと相打ちになる程度だ」

そうなれば、アストリッドとしては、願ったりかなったり。

こんな国は滅びれば良い。

後は数年がかりでホムンクルスの大軍団を作成して、辺境を制圧。更には大陸中央部を支配して、師匠の威光を知らしめれば良い。

もっとも、其処まで上手くは行かないだろう。

幾つかの重要な肝をアーランドに握られている現状、逆らうことは出来ない。悔しいが、圧倒的な戦力差は、覆らないのだ。

目標生産数以上のホムンクルスは、作る事が出来ないし。今の時点では、アストリッドは四方八方から伸びた鎖につながれているに等しい。

まあ、いずれ機会を待つとする。

現時点では、反逆はしない。出来ないからだ。

ホムンクルス達の手際を見て、所々で指示を入れる。此奴らの手際を見ていると、ロロナが腕を上げていることが如実に分かる。あの不器用なロロナだが、呆れるほど真面目に単純反復作業を繰り返した結果、様々な事が出来るようになってきた。

「予定通りの生産数は確保できそうだな」

「そうねえ。 ネクタルの純度を上げるのに、少し手間取っているけれど」

「私がこつを教えてやろうか」

「ううん、いいわ別に。 それよりも、例のものは大丈夫なのかしら?」

集めて来た資料を渡してやる。

パメラがアストリッドと同盟関係を結ぶ原因の一つ。その中身は。

「そうかー。 やっぱり、生き残ってはいないみたいねえ」

「子孫が生きているとしても、苛烈な淘汰にさらされて、もう面影はないだろう。 最悪、人間ではなくなっているだろうな」

「分かってはいたけれど。 悲しいわあ」

パメラが目を擦る。

冗談めかしているが。嘘泣きには、見えなかった。

咳払いの声。

気付いてはいたが、わざと無視していたのだ。

エスティが、壁際で腕組みしている。アストリッドの監視役の一人である此奴は、ときどき気配を消して、ふらりと現れる。

「作業は順調かしら?」

「問題ない。 そちらこそ、ロロナの作業の監視は滞りないだろうな」

「今、丁度ステルクくんとクーデリアちゃんと一緒に、要監視対象の所に辿り着いたって連絡があったわ」

魔術による通信だろう。

ステルクの報告書を受けて、アーランドも事態を重く見たのだ。一人監視用に、密偵を付けている。

とはいっても、その密偵というのは、トリスタンだが。

「案外、あれがパメラの探している相手かもな」

パメラは応えない。

その可能性を、否定出来ないからだろう。

 

アトリエに戻ると、22の調整を進める。それと同時に、他のホムンクルス達の調整も。この様子だと、数日以内に、50の大台を超えそうだ。

ホムが戸をノックした。

何かあったのか。

部屋に顔を出してみると、ホムが指さしたのは。泡を吹き出している錬金釜だった。盛大な光景だ。

「これはまた、派手にやったな」

「マスターのレシピ通りにやったのですが」

「これはな、釜の清掃が十分ではなかったからだ。 こうなってしまっては、もう役に立たない。 一旦廃棄して、丁寧に釜を清掃してから、やりなおせ」

「……」

ホムは悔しそうにするでもなく。淡々と、作業を始めた。

ロロナだったら、きっときゃあきゃあ騒いで泣いたりして、とても見ていて面白いだろうなとアストリッドは思ったけれど。

ホムンクルスはこれはこれで可愛いので、問題ない。

調整の合間に時間が出来たので、コンテナも確認。中身の整理を行っておく。アストリッドが使っているコンテナは、実は部屋の地下に直結する仕組みで。ロロナが使っている第二コンテナとは、別々だ。

また、危険度が高い素材も多数置いているため、防爆構造も取ってある。最悪の場合、アトリエが消し飛ぶくらいで済む。

ホムンクルスの素材が減ってきたので、採取することにする。オルトガラクセンに潜らないと入手できないレアな素材だが、一回採集してくれば、数十のホムンクルスを産み出すことが可能だ。

小さくあくびをしながら、アトリエを後にする。

ロロナは知らない。

アストリッドが、どうしてたびたびアトリエを留守にするのか。留守にした後、何処で何をしているのか。

知ったところで、ロロナにはどうにも出来ない。

だが、今の時点で教えるつもりはない。

ロロナが真相を知るのは、もっと後で良いのだ。この世界が、どうして滅びてしまったのか。

今のロロナでは、真相を知ったときに、耐えられないだろう。

オルトガラクセンに単独で潜り、生還できる者はあまり多くない。例外であるアストリッドでさえ。油断できない魔境。

パスを見せて、入り口の歩哨に通してもらうと。

アストリッドは、今回は十三層辺りをぶらついて、素材を探してみようと、思ったのだった。

 

4、汚染と緑

 

もう一度、沼地の悪魔の所についたのは。予定より、ほんの少し早かった。

見ると、沼地の周囲の土が、かなり耕されている。この間話した巨大な悪魔の眷属らしい、紅い体をした小柄な悪魔が、多数働いていた。

道具を使っている様子は無い。殆どが、鋭い爪を使ったりして、地面を掘り返している。時には、魔術も使っているようだ。

栄養剤を持ってきたというと、沼地の悪魔が此方に来る。

一瞬だけ、ロロナのずっと後ろの方を見たようだけれど。それ以降は、じっとロロナを見ていた。

「約束を、果たしてくれたようだな。 人間にしては誠実だ」

「はい。 栄養剤、持ってきました」

「中身を改めさせてもらう」

今回は、通常の栄養剤を樽四つ。

これは、備蓄があったから、すぐに作る事が出来た。材料についても、この間のことがあってから、まめに集めに行っているので、コンテナに蓄えられている。

沼地だから、低木はいらないだろうと判断。キューブ栄養剤は今回、作ってこなかった。

前回の荒れ地と違って、湿地帯である。栄養剤は、どうするかかなり悩んだのだけれど。栄養が高い事に越したことはないだろうと判断し、こういう選択をした。

更に、樽二つ、以前零ポイントを緑化した錬金術師が残したレシピのまま、強力な栄養剤を作ってきている。これは念のためだが、草木も生えない場所を緑化した栄養剤だ。必要になるかも知れないと思ったのだ。

しばらく、栄養剤を確認する悪魔。

堰は壊されずに、そのままになっている。ただし、沼地そのものは少し減ったようだ。

「問題ない品質だ。 早速使わせてもらうが、良いか」

「どうぞ。 ただし、堰は壊さないでください」

「我々は殆どの人間とは違う。 約束は守る」

そう言われてしまうと、心が痛い。

栄養剤を引き渡したので、戻ろうかと思ったけれど。おそらく、追加で栄養剤は必要になってくるはずだ。

ただし、この間緑化した地域とは、広さが全く違う。

後二回か、三回もすれば充分か。

そう思っていたロロナだが。不意に、悪魔に呼び止められた。

「待て」

「えっ……?」

「この栄養剤。 ひょっとして、汚染の性質について、知っているのか?」

「……? ええと、それは。 零ポイントの緑化に成功した、以前の錬金術師のレシピから起こしたものですけど」

悪魔はじっとロロナを見ていた。

だが、嘘を言っていないと気付いたのだろう。大きく嘆息した。まるで、鞴のような音がした。

「そうか。 多くのデータを積み重ねて、その中から自分で浄化方法を発見したのか」

「えっ……?」

「お前になら教えても良いだろう。 お前達の言葉で言うと、この大地を覆っている汚染は、主に四つ。 その内三つは、本来自然に存在したもの。 重金属、放射性物質、アルカロイド性毒物。 これらについては、自然による浄化、淘汰による競争が進んだ事もあって、既にお前達をはじめ、世界の動物たちにとっても、何ら脅威ではなくなっている。 だが、最後の一つ。 かって、この世界を滅ぼすきっかけを作った愚物共がまき散らした、劣悪形質排除ナノマシンだけは、自然の浄化作用だけではどうにもならん。 だから我々は、己の姿が変わる事も躊躇わずに、命がけで戦って来た。 時には己の身に取り込むことで、排除もしてきた。 しかしこの栄養剤には、カウンターナノマシンが含まれている。 過去の文明が失われる寸前、最後の力で造り出したものだ。 培養方法は、我々には分からなかったのだが」

分からない言葉が、たくさん出てきた。

クーデリアが、隣で眉をひそめている。彼女の記憶力に、後で頼るしかないかも知れない。

だが、その劣悪なんとかを、特注の栄養剤が、どうにか出来ると言うことだけは分かった。

「もっとたくさん、これを造ってきましょうか?」

「そうだな。 後二樽は頼んでも構わないだろうか。 通常の栄養剤に関しても、四樽ほど欲しい」

「分かりました!」

悪魔が、少しだけ顔を歪めた。

笑ったのだろうか。分からない。ただ、モンスターとは、基本的に殺し合うしかないこの世界で。

少しでも、相手とわかり合えたのは良かった。

そう、思った。

 

少しだけ、気分は楽になった。

アトリエに帰りながら、状況の整理を兼ねて、クーデリアと話す。

時間はロスしているけれど、水源の確保は出来そうだ。実際、沼地の緑化を悪魔達が開始してから、小川の水量は戻りはじめている。沼地そのものを中心として、緑化を進めて、周囲の「汚染除去をしている」のだと、悪魔は言っていた。

ロロナには分からない。

殆どの単語さえ、理解できない事だった。

勿論、武人であるステルクに聞いても、意味がないことだ。クーデリアはどうだろう。今までの資料に、悪魔が言っていたような単語はあっただろうか。

「くーちゃん。 あの悪魔さんが言っていた言葉、聞き覚えがある?」

「あるにはあるけれど」

「えっ!? 何処で?」

「パメラよ。 彼奴があんたの師匠と話してるときに、何とかナノマシンがどうのこうのって言っていたわ」

流石の記憶力だ。いつもクーデリアは頼りになる。

話の内容を覚えているかと聞くと。クーデリアは、指先を、額に当てた。

「カタコンベの話をしていた、ような気がするわ。 カタコンベは、ナノマシンではなくて、何か他のものを作っている、というような内容だった気がする。 あんたの師匠が、やっぱりそうかとか、相づちを打っていたわね」

「ネクタルの事かな」

「そうだとすると、ネクタルにはそのナノマシンとやらは入っていないのではないのかしら」

多分、そうだろう。

好奇心もある。

ロロナは自覚しているが、好奇心は強い方だ。一度資料を漁りはじめると、ついつい調査に没頭してしまう。

急いでアトリエに戻る。

その途中、ずっとステルクは険しい顔をしていた。

ようやくアーランドに辿り着くと、ステルクはそのまま王宮に直行すると言う。

「君達は悪いが先に戻っていてくれ。 あの悪魔達が友好的な存在だと言う事は分かっているが、それはあくまで、君達に対してだけだ。 これから戦力を一部割いて、あの荒野の周囲に監視小屋を作る必要がある」

「緑化作業を邪魔しちゃ駄目ですよ」

「分かっている。 何も知らない者が入り込むのを避けなければならない。 あの悪魔達は、あくまでロロナ君に対して心を許したのであって、無礼な真似をする他の人間には容赦しないだろう。 ロード級の悪魔となると、戦えば私でも無事ではすまん。 無為な犠牲を避ける必要があるからな」

すたすたと歩いて行ってしまうステルク。

その背中は、あらゆる言葉を拒んでいるようにさえ見えた。何だか、言っている以上の、重い事情があるように思える。

だが、それに踏み込む権限は、ロロナにはない。

アトリエに戻ると、荷物だけ下ろして、お風呂に行く。

お風呂で湯船に浸かっていると、疲れが取れる。流石にここ数日の強行軍はつらかった。並んで湯船で溶けながら、ロロナはクーデリアに言う。

「くーちゃん、下流の村は、大丈夫かな」

「川の水量も回復しはじめているし、問題は無いでしょうね。 それよりも、ヴァルチャーをどうするのよ」

「うーん……」

ヴァルチャーをあの森から追い払うのは、アーランドのために必要なことだ。

だが、ヴァルチャーは貴重なスカベンジャーでもある。大型のスカベンジャーは、大地に残った死体を処理する、自然の大事な番人だ。ましてや、緑が失われているこの世界で、その仕事がどれだけ重要か。言われなくても、ロロナにも分かっている。

「別の所に、連れて行けないかなあ」

「また無茶なことを言い出すわね」

「だって、スカベンジャーは自然の中でとても重要な存在だよぅ」

「のぼせてきてない? 顔、真っ赤よ?」

うぃーと、情けない声が漏れた。

湯船からもたもた上がると、着替える。確かに、少しのぼせてしまったようだ。呆れたクーデリアと並んで、冷たいミルクを呷る。

流石に、今日はもう仕事にならない。

アトリエに戻ったら、ばたんきゅうだろう。

それでも、おなかは空く。帰りはサンライズ食堂に寄った。イクセルが来たが、疲れ果てている様子に、呆れていた。

「何だ、まだ過酷な仕事してるようだな」

「まだまだ半分も終わってないよぉ」

「そうか。 じゃ、これでも喰って、元気出せ」

そう言ってイクセルが出してきたのは、よく分からない茸を炒めたものだった。毒ではないだろうけれど。

口に入れてみると、かなり独特の歯ごたえである。

何というか、弾力が強くて、戻ってくる。

「何これ。 面白い味!」

「毒茸なんだけどよ、毒を抜く方法を見つけてな。 で、毒を抜いて喰ってみたらこれがまた美味くてな!」

「そういえば、毒のある魚を料理する方法もあるんだったかしら?」

「そうだよ。 まだ試してないけどな。 新鮮な材料がこの辺りじゃ手に入らないし」

元毒茸と聞いて不安になったけれど。

まあ、ロロナだってアーランド人だ。毒茸程度で死ぬほどヤワじゃない。それに、イクセルが言うだけあって、かなり美味しい。

毒の抜き方だけ、聞いてみる。

やり方は、錬金術で、簡単に応用できそうだった。

これはパイに入れると、多分美味しい。

少しだけ、気分が晴れた。

アトリエに戻ると、そのまま寝室に直行。ホムは栄養剤の精製を黙々とこなしてくれていたので、作業の手間自体も省くことが出来るだろう。

クーデリアはどうするか聞いたが。

泊まると言った。

どうしてだろう。いつものように、楽しそうではなかった。

 

5、暗雲立ちこめる空

 

アストリッドがあくびしながら、部屋を出てくる。

同じプロジェクトの参加員だから、クーデリアだって此奴が何をしているかは知っている。勿論、パメラについてもだ。

パメラは少し前から、プロジェクトの会議に出るようにもなった。

彼奴の正体についても、ロロナに言う事は禁止だとされているけれど。そろそろクーデリアも、堪忍袋の緒が切れそうだった。

「何だ、くーちゃん。 遊んで欲しいのか」

「ロロナに、いつまで量産型ホムンクルスのことを黙っておくの?」

「彼奴は天才だが馬鹿だ。 だから、黙っておけば気がつかない。 くーちゃんも余計な事は言わないようにな」

「……その事だけじゃないわ。 あんた、この世界で何が起きたか、知っているんでしょ」

にやりと、アストリッドは笑う。

部屋からぞろぞろと、生産されたばかりらしいホムンクルス達が出てくる。

以前はいろいろな個性が見て取れたのだけれど。

どうしてだろう。金髪の子が、非常に多くなっていた。

少し前に実戦投入されたらしいパラケルススという完成型をベースにしているから、だろうか。

「沼地の悪魔が、このままだとあんたより先に教えるわよ」

「それなら別にかまわんさ。 ロロナはまだ知識が決定的に不足している。 聞いたところで理解も出来ん。 それに……」

「何よ」

「苦しむ弟子の姿を見るのも悪くない。 嗜虐心をそそられる」

思わず、反射的に体が動いていた。

拳を顔面に叩き込んだのだけれど。瞬時にアストリッドは後ろに回り、クーデリアの頭を掴むと、床にたたきつける。

悲鳴を上げる暇も無い。

更に言うと、凄まじい力だ。今まで交戦したどのモンスターよりも、遙かに。

それでいて、床にたたきつけながら、あまり大きな音を立てていない。一体、どういう技術なのか。

「おやおや、くーちゃんは格闘戦がお好みかな?」

「この、外道……っ!」

「生憎人道などには興味が無いのでな」

けらけらと笑いながら、アストリッドはアトリエを出て行った。

立ち上がろうとして、失敗する。

完全に、腰が抜けてしまっていた。あまりにも圧倒的な力の差。それを本能で感じたのだろう。

肉体が、戦闘を拒否してしまったのだ。

呼吸を、必死に整える。

ホムが、冷たい目で、クーデリアをじっと見ていた。

「理解できません。 貴方がグランドマスターに戦いを挑んでも、勝率は限りなくゼロに近い。 不意を打っても勝てないでしょうに」

「あんたには分からないわよ」

「ますます理解できません」

泊まると言った以上、いきなりいなくなったら、ロロナも心配するだろう。

寝室に入ると、幸せそうに寝息を立てているロロナが見えた。

世界は、悪意に満ちている。

ロロナが真実を知ったとき。

その時には。支えるのは、自分しかいない。クーデリアは、二度。大きくため息をついたのだった。

 

ロロナは朝から調合をはじめたので、クーデリアは戻る事にした。朝食だけ一緒に食べると、一旦実家に。

訓練着に変えると、アルフレッドに稽古を付けてもらう。

まだまだ、一本も取らせてはもらえないけれど。

実は、最近。一番若いエージェントからは、ついに一本を取った。まだまだ偶然に近い結果だけれど。

確実に、努力が報われてきていることを、感じて嬉しい。

アルフレッドの長柄はまるで蛇のように自在に動き、クーデリアがどれだけ訓練用の銃で四方八方から攻めても、弾丸一つ身に到達させない。

踏み込んだアルフレッドが、力が乗った突きを繰り出してくる。

横っ飛びして、どうにかかわす。

かわすことだけなら、出来るようになってきていた。ただし、その後の怒濤の攻めを、まだまだいなしきれない。

ごつんと、強烈な音。

気がつくと、地面に大の字に寝ていた。

何度か突きをかわした後。アルフレッドが、柔軟に棒を動かして、クーデリアの頭を打ったのだ。

悔しいが、まだまだとうてい及ばない。

自力で立ち上がると、休憩にしようとアルフレッドが言う。並んで座ると、冷やしたミルクを出された。

「だいぶ、力がついてきましたな」

「一本も取れないじゃない」

「いいえ、今までのお嬢は、どうやって倒されたかさえ理解できていない事もあった」

確かにその通りだ。

今は、どうしてアルフレッドに勝てないか、分かるようになってきている。それだけで、進歩しているという事だ。

小休止を入れてから、他のエージェントも交えて、訓練をする。

身体能力は上がっているし、技自体も。アルフレッドに言われたとおり、一瞬に集中して力を爆発させる事も、少しずつ出来るようになってきた。切り札も、幾つか増やしている。

それでも、まだまだ勝てない。

実戦では、ロロナの盾になることが出来ているから良い。

そろそろ、アタッカーとしても、もっと多くの技を手に入れておきたかった。

調子が良いからか。

若手のエージェントを相手に、一本を取る。

これで、通算二回目だ。

既に万を超えているだろう訓練で、ようやく二回目なのだから、情けない話だけれど。それでも、勝ちに変わりはなかった。

呼吸を整えると、次と告げる。

だが、次は出来なかった。

ステルクが来た。どうやら、プロジェクトの会議らしかった。此処まで呼びに来ると言う事は、何かあったと見て良いだろう。

訓練着を着替えると、すぐに王宮に。

嫌な予感がする。

そして、それはすぐに現実のものとなった。

人員が揃うと、挨拶もそこそこに。メリオダスが、急いだ様子で言う。

「アーランド北部国境地帯に、異常な空間が発見されました。 以降、この場所を夜の領域と呼称します」

「国境地帯に、ですか?」

「ほぼ間違いなく、ロード級の悪魔か、オルトガラクセン最深部から現れたモンスターが関与しているとみて良いでしょう」

名前の通り、其処では常に夜のように空が暗く、今までに無いほど強力なモンスターが生息しているという。更に場所によっては上下の概念までもがおかしいらしく、空に岩が浮かんでいたり、巨大な歯車が確認もされているという。

通報してきたのは地元の住民だが。村からは距離がある上、今のところ夜の領域からモンスターが出てくる気配もない。

この地域は、元から極めて過酷な環境として知られ、誰も足を踏み入れたがらなかった場所だ。

典型的な零ポイントの一つ。

何代か前の錬金術師が緑化を提案したが、アーランド王都から遠いこともあって、結局実現に到らなかった。

これらの知識は、最近知った。

ロロナと一緒に、荒れ地の緑化計画について調査しているときに、資料を読んだのだ。自分では無駄だと思っている記憶力が、こんな所で役に立った。

「直ちに調査部隊の派遣を」

「うむ。 あの辺りは、広大な緩衝地帯として機能していた。 不意に強力なモンスターが住まう魔境と化した場合、機能しなくなる可能性が高い。 頭が痛い問題だ」

王が頷く。

すぐに調査部隊が編成されることとなった。ステルクも同行が決まる。

まずいとクーデリアは思った。

これでは、最悪の場合、ヴァルチャーの大軍と、ステルク無しで戦う事になる。ロロナはヴァルチャーを引っ越しさせたいなどと言っていたけれど。そんな事が出来るとは、クーデリアには思えない。

今まで無理を実現させてきたロロナだが。

今回ばかりは、無茶だ。

最悪の場合、ロロナだけでも逃がさなければならない。むしろ、王をはじめとして、一流どころの使い手が皆席を外す、今が好機ではないのか。

だが、咳払いの音。

エスティが、意見を加えた。

「私は残ります」

「ふむ、どういうことかな」

「オルトガラクセンのモンスターによる何かしらの作戦行動だとすると、主力が根こそぎ消えると、アーランドを襲撃してくる可能性があります」

「勿論それに備えて、少数精鋭で出向くつもりだが」

それでも、エスティは残るという。

何か、知っているのか。メリオダスが王に耳打ちする。王は一瞬だけ眉をひそめたが、意外にも部下の提案を受け入れた。

「ならば、エスティの代わりにパラケルススと、ホムンクルス10体を伴う。 それで異存はないか」

反対意見は出ない。

後は、アーランドの栄光を皆で誓って、会議は解散となった。

クーデリアは早歩きで、王宮地下を出る。先に出ていたステルクに追いつくためだ。

ステルクは追いついてきたクーデリアを見て、不思議そうに言う。

「君が私に声を掛けてくるとは珍しいな」

「出来るだけ早く戻ってきて」

「何かあるのか」

「ヴァルチャーの群れを追い払う際に、あんたの力は必要よ。 ロロナはヴァルチャーを引っ越しさせるなんて言っているけれど。 上手く行くとは思えない」

少し考え込んでいたが。

ステルクは、分かったと言ってくれた。

勿論、奇跡を起こしてきたロロナを信用はしている。しかし、保険を掛けておくのは、それとは別の問題だ。

小川の問題は、後一回、栄養剤を納品すれば片付く。片付くと信じたい。

問題は、ヴァルチャーの方。どうすれば、ロロナに過剰な無茶をさせずに、問題を解決できるのか。

錬金術に、無知な自分が悔しい。

アトリエに行くと、ロロナが無邪気な笑顔を浮かべて、調合をしている。まずは、栄養剤から片付けてしまうと言う事なのだろう。

何も考えずに動けるロロナが。

今は、ただ羨ましかった。

 

(続)