緑の絨毯の影で

 

序、目覚め

 

それは、ノウハウの蓄積だ。

錬金術は、基本的に先人の遺産を積み上げていくものである。アストリッドでさえ、単独ではそれほど凄い発明を成し遂げることは出来ないだろう。今アストリッドが着手しているホムンクルスの生産などは、その最たるものだ。

ホムンクルスについては、思い入れも深い。

何しろ、アストリッドの師匠が、唯一にして絶対の才能を持っていた分野だから、である。

部屋に林立する硝子の培養槽には、数体の調整中ホムンクルス。

そして、師匠が残した技術に基づいて作り上げた、最高の戦闘用ホムンクルスが、眠っている。

現在、最後の調整中だ。

性別は女。

ホムンクルスの研究を把握してからも、だが。やはり天才であるアストリッドにも、ホムンクルスは難しい。錬金術の究極と言って良い存在でもあるのだから、当然だろう。人間を、作る。

それは、錬金術にとって、究極の目標だ。

そして師匠は、それだけに特化した、極めて偏った才能の持ち主だった。事実、ホムンクルスの実用化は。無能だ役立たずだと罵られた師匠がいなければ、今なお理論さえ実現できなかっただろう。

調整が終わった一体を、培養槽から引っ張り出す。

名前など、どうでもいい。だから、数字でつけている。

「お前の名前は26だ。 把握したか?」

「はい。 把握いたしました」

「すぐにそれを読んで頭に入れるように」

「了解です、マスター」

感情がない顔には、何の闇もない。だからこそ、人間からは怖れられる。幸い、このアーランドは、武力が尊ばれる国。

実戦で役立つところを見せてから、ホムンクルス達も多少は周囲に優しく接して貰えるようになったようだ。

これで、緑化中の荒野に配備するホムンクルスの代替要員は確保できた。

数日徹夜が続いたが、どうにかなる。

幾つかの薬草をブレンドし、ネクタルを加えた栄養液を口にすると、アストリッドはもう一度意識を整え直した。

ホムンクルス達に服を着せると、すぐに王宮に連れて行く。

先輩のホムンクルス達に顔合わせをさせた後は、エスティと話そうと思ったが。そういえば彼奴は、今オルトガラクセンの攻略中だ。今頃、強力なモンスターの群れを、王やステルクと一緒に、薙ぎ払っていることだろう。

代理の少し頼りない女騎士に、状況を聞く。

エスティの妹なのだが、はっきり言って戦闘力以外に見るところが無い人物である。仕事も滞らせてしまっているようだ。

優秀な親から、常に優秀な子が産まれるわけではない。

ましてや、教育と努力で、素質は眠ったままにもなるし、開花もする。おどおどしている娘、確かフィリーとかいう名前だが、家に引きこもって、滅多に出てくる事も無いと言う。

戦士としては、相応の実力者らしいのだが。それなのに人間恐怖症とは、どういうことなのだろう。

「ホムンクルス達は何か問題を起こしていないか」

「平気ですけれど、あの子達、不気味です。 表情がなくて、可愛くない……」

「当人の前で、よくもまあそう言うことを言えるな。 感心するぞ」

青ざめたフィリーに、21から26までを引き渡す。ぞろぞろ並んで入ってきたホムンクルス達に、フィリーは小さな悲鳴を上げた。

現在、荒野の警備に当たっているのは6体。これで代替要員が揃ったことになる。元々ベテランのアーランド戦士並みの実力を有しているホムンクルスは、少し教えるだけで、即戦力として使用可能だ。

更に、これから完成体を納入した後は。毎月ホムンクルスを量産して、納品していくことになる。

各地の警備や前線の監視など、仕事はいくらでもある。

ただでさえ、人材を宝とするアーランドだ。戦闘力を備えた者は、いくらでもほしがる。必要な納品量を達成するには数年はかかるだろう。その頃には、アーランドの軍事力は、倍以上になっているのだ。

あくびをしながら、アトリエに戻る。

窓から、ロロナの様子を覗く。

ロロナは嬉々として栄養剤を調合している。ツボに入ったのだろう。多分、程なく次の納品に向けて出かけるはずだ。

自室に音もなく戻ると、培養槽の中に浮かんでいる完成体を見上げた。

多分、誰も知らないだろうけれど。

この完成体は。

他と同じように、幼い女の子の姿をしている。美しい黄金の髪を持つこの完成体の基礎部分には。

誰からも愛されず。

誰にも理解されなかった。

アストリッドの、最愛の人を用いている。勿論、存在の情報を利用している、というだけだ。

体調を崩した時、見舞いに来る者さえいなかった。

すぐに成果が出る学問ではないから。それが、誰もが理解しなかった理由だった。それにしか、才能がなかったことが。無能と罵られる理由だった。

アストリッドが、今ホムンクルスを大量生産できるのは、この人のおかげ。

この人こそ。「無能」と呼ばれた、アストリッドの先代錬金術師。そして、複雑な家庭事情を持つアストリッドにとっては、実の母にも等しい人だ。直接ではないが、ロロナにも、クーデリアにも関係がある。クーデリアしか覚えていないようだが。この人がいなければ、ある技術は完成していなかった。つまり、二人は生きてはいられなかったのだ。

既に、意識はある。

もう少し調整したら、この液体の中から出してやらなければならないだろう。それにしても、皮肉な話だ。

人間の情報を解析し、複製するという研究を、実用段階にまで進めたこの人が。その研究で、また新しい命を得るのだから。

勿論、人間の人格は記憶と経験にて作られる。

前のあの人ではない事は分かっている。

世間的には、ぱっとしない容姿だと師匠は言われていた。だが、アストリッドにとって、この造形こそ至高だ。

早く培養槽から出してあげたい。

知能も戦闘能力も、他のホムンクルスとは比較にならない完成体だ。名前は、既に決めてある。

過去の偉大なる錬金術師から取った。

調整をしてから、一休みする。

もう少し発育を促進してから、出してやるとしよう。

さあ、パラケルスス。もう少ししたら、お前を日の下に出してやることが出来る。そうすれば、お前は。かっての汚名を拭う、最強の存在として、アーランドに名を残すのだ。無能だから迫害された。役立たずだから馬鹿にされた。

存在価値が無いとまで言われて。あんなに悲惨な病床に、アストリッド以外の誰も来ることがなかった。

アストリッドの歪んだ人格は、此処から来ている。

だが、今更そんな人格、変える気は無い。

普通の人間が如何に残虐で冷酷な存在か、嫌と言うほど思い知らされているからだ。

明後日には、完成するか。

勿論完成後は、実働でレポートをとり、更に改良を進める必要があるだろう。最終的には、誰にも見下されず、誰からも敬意を払われ、この国を代表するとまで言われる師匠を、アストリッドが作り直すのだ。

楽しみだ。

疲れが溜まっているので、早めに休む。

ロロナは、遅くまで調合を続けている様子だった。

 

1、荒れ地の再生と広がる魔

 

リオネラとクーデリアに護衛を頼んで、ロロナは開発中の緑地に向かう。少し前にベヒモスと戦った場所を通り過ぎる。あの時は、本当に危なかった。でも、次はもっと簡単に、相手をやっつけられなければならない。

いつまでも、怖がってはいられなかった。

荒れ地に出向くと、うっすら緑が、全体に広がっている。

土を耕して、地面に栄養を入れて。其処に植えた雑草が、芽を出し始めているのだ。運んできたらしい腐葉土を地面に混ぜながら、ジェームズが指示をしている。ロロナが手を振って歩み寄ると、ジェームズは此方を面倒くさそうに見た。

「来たか。 次の栄養剤は?」

「持ってきました!」

「どれ」

荷車から樽を片手だけで器用に取り出すと、ジェームズは中身を確認する。

このやりとりも、既に四回目。既に一月が過ぎて、納品の間隔はかなり狭まってきている。

最初に緑化を開始したため池の周囲は、既に雑草の背がかなり高くなってきている。定期的に伐採して水を与え、燃やして灰にして撒いたり、細かくきざんで栄養剤と混ぜ、地面に埋めている様子だ。

また、既にみみずも入れているという。

細かい話を聞きながら、ロロナはメモを取る。

栄養剤の奥は深いことが、調合しながら分かってきた。効果が弱いもの強いもの、それぞれに使い道がある。

死んだ地面に、いきなり栄養が強いものを入れても駄目だと言う。

逆に、ある程度しっかり土が出来てきたら、強めの栄養剤を入れて、しっかり根付かせることも重要なのだとか。

「もう少し、質を上げられないか? これより栄養があるのがいるな」

「分かりました、調合してきます!」

「頼むぞ。 次は七日後だ」

五百歩四方の土地は、まだ二割か三割程度しか、緑化が着手されていない。

何度か雨が降る度に、前倒しで作業を進めているようだけれど。やはり、一度完全に死んだ土は、すぐには戻らない様子だ。

ロロナはもう少し手伝えることがないかと何度か聞いてはいるのだけれど。今の時点では、栄養剤だけが必要だと言われる。

というのも、害虫や病気の類は、まだ流行る段階にないのだとか。

やっぱり今回も、栄養剤が必要だと言われた。

「お前さんは二代前までの錬金術師と違って真面目だな。 才能はともかく、真面目に働くところだけは評価できる」

「いやー、それほどでもー」

「もっと修行して、栄養剤の質を上げることが急務だ」

褒められていないのだと分かって、がっかりしたけれど。

ただ、今後には期待してくれているのも事実なのだろう。一度アトリエに戻って、今後の事を考える必要がある。

必要な栄養剤をメモし終えると、すぐに帰路についた。

リオネラは周囲を不安そうに見回しているが、何があったのだろう。

「どうしたの、りおちゃん」

「ああ、この子。 この間の吟遊詩人が怖いらしいのよ」

「ああ、タントリスさん?」

その名前を出すと、リオネラは青ざめて、うつむいた。

何か、以前酷い目にあったのだろうか。リオネラは体つきも女の子らしいし、ロロナと違って声を掛けてくる男の人は多いはず。

散々ナンパされて纏わり付かれて、怖い目にあったのだろうか。

「何かされたの?」

「……何でもないよ」

リオネラは、ついと顔を背けてしまう。ロロナに話せるほど、信頼してくれていないという事なのか。分からないけれど、リオネラは大変繊細な子だ。あまり、無理強いは良くないだろう。

咳払いすると、クーデリアが言う。

「あんたの自動防御、あんなに強力なのに。 なんでいちいち相手を怖がるのかしらね」

「それは、その……」

「くーちゃん。 止めてあげてよ。 可哀想だよ」

「なんであたしが責められるのよ」

クーデリアの機嫌が見る間に悪くなっていくのを感じたので、ロロナは慌ててフォローした。

リオネラとクーデリアは、非常に相性が悪い。

多分性格的な問題なのだろうけれど。二人で話している所は、殆ど見ない。友達の友達は、友達。昔はそう思っていたのだけれど。

世の中は、どうもそう上手には行かないようだった。

アトリエについた。

師匠は今日も籠もりっきりだ。がたがたと音がするから、多分いるにはいるのだろうけれど。

何をしているかは分からない。

ホムが釜をかき混ぜて、栄養剤の中間液を作ってくれていた。ざっと見るが、必要量は出来ている。

後はロロナが調合して、栄養剤は完成だ。

「みんな、お昼にしよう?」

「またパイ?」

「ううん、今日はちょっと違うのに挑戦してみる」

錬金術で料理は出来る。

正確には、料理の過程を、色々と錬金術で省略することが出来るのだ。パイはその典型だけれど。

最近は応用して、パンやライス、それにスープなどにも挑戦していた。

ただし、あまりまだ美味しくは作れない。主菜としては、さっきサンライズ食堂から買ってきたパン。

挑戦してみるのは、スープだ。

中和剤を使うスープの調合の場合、その味をしみこませる過程を、一気に短縮することが出来る。

まずスープを作るが、この時水は半分ほど。残りを、水を使った中和剤を用いる。

これを釜でかき混ぜながら、ゆっくり水分を飛ばしていって。ある程度煮詰まったところで、中和剤をもう一種加える。

出汁を元に作った中和剤だ。

この反応が、一気に味の凝縮を進めるのだ。此処に調味料を入れて、最後に魔法陣を書いてある炉に入れて、少し火を入れる。

火を入れることで、中和剤の魔力を、全体に拡散させる。

つまり、水分が飛ぶのと同時に、魔力が炉全体に行き渡る。そして熱を加えることで、炉の中を対流し、スープにも適量がしみこむのだ。

ただし、難しい。

入れる中和剤の量やタイミング、それに味の見極めが、普通のスープを作るよりも、ずっと難しい。

それはパイ作りでも同じ。

だから、やりがいはある。ただスープはパイほど好きでは無いから、どうしても意欲が其処までは沸かないけれど。

パンはベーコンを混ぜ込んであるもので、食べていておなかにしっかり溜まる。

リオネラはお肉の入った奴よりも、クリーム入りのが好きなようだ。甘いものが好きなのは、珍しい事ではない。

クーデリアは最近、特に味の好みがなくなってきた。とにかく手早く食べられて、栄養になるなら、何でもいいようなのだ。

だから美味しいとかまずいとかはいうのだけれど。まずいと言っても残すようなことはないし、美味しいと言っても量が少なければ、次は口にしない。

この辺りは、お金持ちのお嬢様としては、珍しいかも知れない。

ただクーデリアの場合は、お嬢様と言うには良い環境で暮らしていない。服は上物を来ているし、みなりはしっかりしているけれど。一緒にいるロロナは知っている。クーデリアの実家での扱いは、決して良くはなっていない。

兄の一人を訓練でぶちのめしてから、クーデリアは更に家で孤立したという。兄弟は誰も話しかけてこないどころか、寄っても来ないのだとか。

復讐を怖れているのか、或いは。

塵芥のごとき存在として、軽蔑しきっているのか。

いずれにしても、そんな扱いは許せない。クーデリアがどれだけ努力を続けているか、ロロナはよく知っている。

兄に勝つところは、ロロナも見ていた。あれは正当な努力の結果。それに、相手の慢心が故ではないか。

「マスター。 お話しがあります」

途中から食事に加わったホムが、不意に言う。

この子は、無駄なことは一切言わない。何か大きな事があった、という事だろう。

「どうしたの?」

「実は、栄養剤の材料がつきかけています」

「え……」

それは、まずい。

今回は、今まで以上にハイペースな作業だ。少しばかり多く作りすぎていたか。スープを飲み干す。

まず、満足できる味には仕上がっている。

しかし、それを台無しにするような事態だった。

「相変わらずうっかりが多いわね」

「くーちゃん、どうしよう」

「取りに行くしか無いでしょう? 近くの森に行って、出来るだけ取ってくるしか無いでしょうね」

「大丈夫かなあ……」

ロロナの懸念は、一つ。

今、変なモンスターの噂が絶えないことだ。

この間オルトガラクセンから出てきたというベヒモスと戦ったが、その後も妙なモンスターの噂が、彼方此方で聞かれる。

ロロナを襲ったワームはあれ以降出ていないようだけれど。

今度は巨大な百足のようなモンスターが空を飛んでいたとか。或いは、とても恐ろしい黒い馬が、山で走っていたとか。

そんな噂が、聞こえてきているのだ。

勿論、各地でアーランド戦士達が、強力なモンスターを狩って廻っているようなのだけれど。

このままだと、何か嫌な事態に発展するように、思えてならなかった。

とにかく、近くの森に行くなら、急いだ方が良い。

次の栄養剤は、調合するだけで作れるけれど。その次は。

ある程度前倒しで作業は進んでいるとは言え、もたついていれば現場に怒られる可能性も高い。

ましてや、緑化作業は、何が起きても不思議では無いのだ。

ここのところは雨が頻繁に降ってはいるけれど、それもいつまで続くか。

「ごめんね、くーちゃん、りおちゃん。 これから近くの森に行きたいんだけれど、護衛、頼めるかな」

「行くなら急いだ方が良いわ」

「うん。 私もどうせ……暇だから」

一瞬だけ、二人が目配せをするのを見たけれど。意味はロロナには分からない。

ただ、何だか嫌な予感が、消えない。

 

近くの森では、巡回の戦士がいつもより多かった。

良く話をするおじさんの戦士を見かけたので、聞いてみると。やはり、案の定だった。

「変なモンスターの目撃例があってな。 保護区に狼どもを追い込んで、独自に調べてるんだよ」

「どんなモンスターですか?」

「それがなあ。 でかい百足で、空を飛んでいるんだそうだ」

その噂は、ロロナも聞いている。

そんな存在が、どうして近くの森に。しかも、これだけの数の戦士が見張っていて、見つけられていないのか。

戦士の一団が戻ってくる。

「こっちには見当たらんな」

「そうか。 飛ぶ百足なんて、聞いたこともねえ。 ただの見間違えなら良いんだが、見たのがベテランの戦士だからな……」

「まだもうろくするにははええしなあ。 とりあえず、もう少し調べて見るか」

戦士達が、口々に言っている。

クーデリアに袖を引かれた。

「どうするの? リスクが大きいわよ」

「飛ぶ百足さんの事?」

「これだけのベテランが探し出せない相手よ。 もしいたとしたら、どこから奇襲を受けるか、わかったものじゃないわ」

「何だか怖い……」

リオネラがぎゅっと身を縮めたので、クーデリアは更に不愉快そうに眉をひそめた。やっぱり、許せないのだろうか。

クーデリアは、この間戦士として一人前と認められた様子だ。勿論一人前と言ってもピンキリだけれど。ただ、前衛として、ロロナを守りきる事に、誇りを持っている様子なのが、時々うかがえる。事実この間のベヒモス戦では、あらゆる手管を使って、ロロナの大火力術式が発動するまでの時間を稼いでくれた。

フォローを入れたのは、アラーニャとホロホロだ。

「まあまあ、落ち着けよ。 リオネラ、戦えるよな」

「頑張って、勇気を出すのよ」

「はあ、もういいわよ。 で、ロロナ?」

「うん、とりあえず、採取作業に取りかかろう。 危なくなったらすぐに助けを呼ぶ方向で」

クーデリアが嘆息する。

だが、今回は、納品の間隔が極めて短い。素材が足りなくなっているのなら、もっと早くに補給しなければならなかったのだ。

近くの森で、こんなに警戒しているのは不安だけれども。しかし、他に方法がない。近くの森でこれなら、他の採集地はもっと危険だろう。

ステルクを呼ぼうかと思ったけれど。これだけ多くの戦士が行き交っているのを見ると、ステルクが護衛に来てくれるかはかなり微妙だ。

イクセルはというと、今日はかなり忙しそうで、手を外せそうにもなかった。誘うのは無理だろう。

更に言うと、タントリスはどこにも見当たらなかった。来る途中、見かけたのなら、声を掛けても良かったのだけれど。

結局の所、この三人でやるしかない。

巡回の戦士に断って、採集に入る。キャンプスペースにも、今は人がいない様子だ。これだけの警戒の中では、無理もない。

クーデリアは、すでに銃を抜いて、実戦の態勢だ。

荷車を引っ張りながら、やっぱりロロナは引いた方が良かったかも知れないと思ったけれど。

とにかく、今は急ぐほかなかった。

まずは、幾つかの野草と土を採取する。群生地に来たので、リオネラにだけスケッチを渡して、二人で手分けして作業。

その間クーデリアは、辺りを歩き回って、意図的に気配を露わにしていた。何かあった場合、自分に注意が向くように、という意味での行動だ。

森の奥の方で、大きな鳴き声。

一瞬身をすくめたが、あれは多分アードラかヴァルチャーだ。おそらく巡回の戦士によって、狩られたのだろう。

野草を刈り取って、順番にまとめて、荷車に積み込んでいく。

冷や汗を拭った。

茸類も見つけたので、採取しておく。毒茸ではない。栄養剤の素材として、貴重なものだ。

ただし此処にある材料だと、今までに採取したものと、品質が変わらないかも知れない。やはり、ネクタルを使うしか無いか。しかしネクタルをどうすれば、栄養剤に無理なく入れられるのだろう。

採取が一通り終わる。

幸い、大きな百足には、遭遇しなかった。路に戻ると、ため息が零れた。

「くーちゃん、ごめんね」

「それよりも、まだ安心するのは早いわよ。 この間のベヒモス並みの奴が来たら、この面子では勝てないかもしれないもの」

「……そう、だよね」

なんだかんだ言って、タントリスは強かった。

ベヒモスの攻撃を散々浴びていたのに、戦いが終わった後、けろっとしていたのだ。リオネラでは、あれと同じ活躍は出来ないだろう。

荷車には、一応道具類は積み込んである。

しかし、あのベヒモスに通じるかは、正直微妙だ。それに匹敵するモンスターにも、通じるかは分からない。

茂みが、不意に揺れた。

クーデリアが、ロロナを庇うように前に出て、銃口を向ける。

茂みからしてあまり大型のモンスターではないはずだけれど。リオネラにも、自動防御を展開してもらった。

「くーちゃん、モンスターかな!?」

「いや、違うわね。 出てきなさい」

いきなり発砲するクーデリア。

飛び出してきたのは、ただの猪だった。そのままロロナ達を避けて、走って逃げていく。別に追うこともない。

クーデリアは、険しい表情を緩めない。

あの猪を追っていた何かが、いるということか。

いきなり、口を押さえられた。

空を見上げたロロナは、気付いてしまったからだ。

猪を、音もなく追う影に。体の幅だけでも、ロロナの身長よりありそうなそれは、本当に百足だった。体の左右に複数の翼がついていて、強い魔力を纏っている。物理的に飛んでいるのではなくて、魔力で浮かんでいるのだ。禍々しい紫色の甲殻をもち、頭には十個以上の複眼がついていた。

逃げる猪を、一口で補食する百足。猪は、悲鳴さえ上げる事が出来なかった。文字通りの一口で、この世から消えたのだ。

長大な体が、森を縫うようにして飛んでいく。音など全く出さずに飛ぶあの恐ろしい姿。

息を呑んでしまう。

本当にいたのか。あれは、おそらく高位のドラゴンに匹敵するレベルのモンスターだ。この間のベヒモスなど、とうてい問題外。今のロロナなんて、戦ったら、勝つどころか、一瞬で捻り殺されるだけである。

勿論、アーランド戦士達があれに遅れを取るとは思えない。

だが、今のロロナでは無理。

それが、厳然たる事実だ。

滑るように空を飛んでいった百足のモンスターは、森を抜けて、北の方へ行った。おそらく手練れがいるから、近場を避けたのだろうか。ロロナ達を襲わなかったのは、ただ猪の方が食べでがあるのか、或いは人間に抵抗されるのが面倒だったのか。どちらかは分からないけれど。

手を、ようやくクーデリアが離してくれた。

口を塞がれている間、分かった。クーデリアも震えていた。あんなモンスターに、襲われるところだったのだ。

リオネラは、泣きそうになっていた。パワーが違いすぎて、あれでは自動防御など、何の意味も成さなかっただろう。

「謝る必要はないわよ。 まさかあんなバケモノだったとは、あたしだって思っていなかったから」

「な、何だろう、あれ……」

「さあ、知らないわね。 いずれにしろ、近々討伐部隊が出る筈よ。 専門の装備を持った部隊じゃないと、アーランド戦士の部隊でも返り討ちね。 下手すると死者が出るわ」

背筋に寒気が走った。

急いで巡回の戦士達に知らせる。ロロナがイラストをさっと描いて渡すと。戦士は顔色を変えた。

「これ、本当に見たのか」

「はい、間違いありません! 体の幅だけで、わたしの背丈よりありました! 森の低空を飛んでいて、木々の間を縫うように進んでいました! 明らかに翼を使って飛んでいるのではなくて、魔術を用いていました」

「おいおい、エンシェント級のドラゴン並みのモンスターと見て良さそうだな。 分かった、騎士団に俺たちから申請しておく」

幾つか聴取されるが、クーデリアの方が冷静に対応してくれた。ただ、彼女だって震えていた。

解放されてからは、アーランドに急ぐ。

まだ夕方なのに。まるで夜が、恐怖の象徴のように思えた。

 

2、初陣

 

培養槽から、アストリッドはパラケルススを引き上げた。

完成だ。

アストリッドの知識の全てをつぎ込んで、作り上げた完成型ホムンクルス。寿命は百三十年。しかも、その気になれば、これから追加できる。

じっとアストリッドを見上げるパラケルススの顔は。

敬愛してやまなかった、師匠のものと同じだ。幼い頃は、必ずこうだったはずだと、アストリッドは考えている造形にしたのだから当然である。

さっそく幾つか服を持ってくる。

この子こそ、アストリッドの希望の完成形。

まだ肉体年齢は十歳程度だが、いずれはアーランドでも最強に近い存在にもなりうるだろう。まあ、あくまでいずれは、だが。

流石にあの王には勝てない。

あれは、桁外れの存在だ。天才と謳われ、国家軍事力級の称号を受けているアストリッドでも、正直勝てる気がしない。

それに、王の能力には及ばないように設定もしてある。これは、アストリッドなりの配慮だ。

「マスター。 服は、自分で着ます。 ください」

「そうかそうか」

そういえば此奴は、培養槽の中から、他のホムンクルスに服を着せる様子を見ていたのか。

着させてみると、確かに全くよどみなく動く。

それだけではない。

「私の名前は、パラケルススで良いのですか?」

「本当はゼロと名付けようと思っていたのだがな。 どちらがいい」

「ゼロ、ですか?」

「全てのホムンクルスの頂点に立つものだ。 他の数字を名前として与えているホムンクルス達の支配者という意味もある。 ただし、パラケルススも、古代の偉大なる錬金術師だから、意味は同じだな」

しばらく考え込んだ後、パラケルススは、感情のこもらない目で、アストリッドを見上げる。

感情はないが。

明確な意思が、その瞳には宿っていた。

「パラケルススが良いです」

「そうかそうか。 ならばパラケルススにするがいい。 お前はこれから、パラケルススだ。 我が娘よ」

「マスター、私はあなたの娘なのですか?」

「どうした、気に入らないか」

此奴、ひょっとして気付いているのか。

自分が、アストリッドの母にも等しい人が、ベースとなっている事に。

セイフティの機能は幾つも付けてある。だから、アストリッドに反逆することはないだろう。人間に対して、反旗を翻す事もないはずだが。

ただ、聡明すぎると、人間からはあまり良く想われない可能性が高い。

人間は相手を見下すとき、もっとも嬉しいと感じる生き物だ。それは、師匠に対する街の連中の接し方を見ていて、アストリッドも学習したことだ。

「お前は、私の知識の粋を集めて作った。 だから、言っておこう」

「何でしょうか、マスター」

「人間共の前では、可能な限り知恵を隠せ。 それが、お前が安全に、これから生きていくこつだ」

「分かりました。 マスターの仰せのままに」

武器は何が良いと言うと、パラケルススは、迷いなく剣を手に取った。

小さな体だが、剣を数度振るっただけで、問題なく動かしてみせる。流石に剣筋はまだ粗いが、それが達人の動きをこれからみせてやればいい。

師匠も背丈は低かった。

アストリッドがロロナを愛しているのは、その小柄な体型も理由の一つである。師匠に、似ているからだ。

もっとも、万能型に才能を調整したロロナと違って、師匠は特化型だったが。

頭をふるって、雑念を追い払う。

裏口から、アトリエを出た。

流石に外は初めてだからか。目を細めて、太陽光を手で遮るパラケルスス。

「音は外のものを拾っていたのですが。 光は、初めてです」

「太陽を直接見るな。 目が焼ける」

「分かりました」

「此方だ。 ついてこい」

パラケルススは、他のホムンクルスよりも、更に学習能力を高く設定している。ただし、あまりにも人間を超越した力は与えていない。

あくまで、王の下で、他のホムンクルス達を統括するもの。

人に反逆はしない存在。

それが、パラケルススだ。

師匠の偉大なところは、この辺りの思考ロジックを、一代で完成させたことだ。他にはとことん才能がない人だったのだが、ホムンクルスの関連技術に関しては、まさに天才だった。

アストリッドのように、あらゆる面で才能を発揮するものが、その研究を引き継がなければ、埋もれていたかも知れない。

或いは師匠は、何人もの錬金術師がいる時代に、アトリエにいたら。或いは、その力を発揮でき、なおかつ周囲から迫害されることもなかったのかも知れない。

パラケルススを見ると、表情をめまぐるしく動かしている。

周囲の人間達の顔を見て、学習を進めている様子だ。様々な生物も、見ながら覚えているようだ。

王宮に、到着。

まだ王とステルクは戻っていない。ただし、エスティがいた。

エスティがいるということは、一度討伐隊は帰還した、という事か。

「戻っていたのか」

「ええ、何とかね。 散々だったわ」

エスティの疲労ぶりから言っても、相当な苦戦をしたのだろう。

パラケルススの手を引いて、挨拶するように指示。驚いたことに、スカートをつまんでの、完璧な挨拶をこなして見せる。

「パラケルススです。 以降、よろしくお願いいたします」

「あら、他のホムンクルスの子達と違って、随分と可愛らしいじゃない」

「他と違って、色々と手が掛かっているからな」

これから生産するホムンクルスは、このパラケルススの劣化コピーになる。手を掛けない代わりに、能力をおとして量産するのだ。

ノウハウは確保できたから、これからは生産速度も上がる。

ただ、エスティはすぐに表情を強ばらせた。

パラケルススを見て、眉をひそめた。此奴、パラケルススが、師匠を模した存在だと、気付いたか。

パラケルススは、エスティに任せる。

王に挨拶させたり、或いは基本的な事を教えたり。他のホムンクルス達にも、会わせておいた方が良いだろう。

エスティにパラケルススを引き渡して、一度戻る。

アトリエの自室は、久しぶりに少し静かになった。一旦大仕事が終わったのだから、当然だ。

これから、量産型のホムンクルスを作らなければならないが。

ノウハウは頭に入れてある。

ホムンクルスの材料は、人間の情報。精液や卵細胞が一番良いのだが、師匠の理論と、何よりオルトガラクセンの深部で取得した技術により、髪の毛や肉片からも作る事が出来る。

更に言うと、パラケルススの髪の毛が、此処には残っている。

これをベースに、以降は生産を進めていけばいい。

一眠りしようと、ソファに横になる。

だが、あまり長い時間、眠ることは出来なかった。

夕刻を、少し過ぎた頃だろうか。

窓をノックする音。

極めて不機嫌になったアストリッドは、眼鏡を掛けながら、低い声で唸った。

「誰だ。 私の安眠を邪魔する奴は殺すぞ」

「火急の用よ」

「エスティか」

不機嫌たらたらのまま、アストリッドは身を起こす。あくびを何度かかみ殺して、窓を開けた。

エスティが来ると言う事は、余程の何かが起きたか。

アトリエに入ってもらう。エスティは汚れきっているアストリッドの部屋を見て呆れたが。話に入った。

「少し前から、オルトガラクセンの深部から、モンスターがアーランドに上がってきている事が、今回の調査で分かったわ」

「ほう……」

それは確かに、由々しき事態だ。

エスティによると、今まで確保していた階層は、ほぼ空のままだったという。新しく深層から這い上がってきたモンスターも、少数だったとか。

問題は、さらなる深層だ。

発見されたというのだ。深層から、直接地上に出るための手段が。

「物理的な穴ではなくて、魔術か、それとも恐ろしく進んだ文明か、どちらかなのでしょうね。 調査チームによってポータルと名付けられた装置が、地上に直接モンスターを送り届けていたの」

「それは、厄介だな」

「幾つかのポータルは厳重に封印したけれど。 この様子だと、最深層まで潜って、全てのポータルを潰さない限り、安心は出来ないわよ」

今回の探索では、12層までを調べて、ポータルを潰してきたという。

フリクセル夫妻は重傷。死者も出た。

王でさえ、十二層で遭遇したドラゴンとの戦闘で、軽傷を受けているのだ。如何にオルトガラクセンが魔界に等しい場所か、それだけでも明らかである。

「それで、私に何をすれば良い」

「少し前から、何体かのオルトガラクセンの深層モンスターが、アーランドに出没しているの。 対処療法になるけれど、潰すしかないわ」

「ふむ、手分けして事に当たる、と言うわけだな」

「ええ。 貴方には、此奴を潰してもらうわ」

そうして渡されたのは、巨大な百足のモンスターに関するレポートだった。

低空を飛ぶことで歴戦のアーランド戦士の追求をかわし、今はネーベル湖畔に逃げ込んでいるという。

ただ、捕捉できているのなら、どうして潰さないのか。

「パラケルススの性能実験を、そいつでおこなってちょうだい。 支援戦力は、ホムンクルスのみで」

「初陣という訳か」

「あの子の性能がどれほどか見たいと、王が仰っているの。 ステルクは南、私は西。王は北に、それぞれオルトガラクセンの深層モンスターを潰しに向かうわ。 言っておくけど、貴方が手を出すのは駄目よ」

「分かっているさ」

ただ、もう少し眠らせろと言うと、エスティは何かを寄越してきた。

ロロナが作った耐久糧食。

いや、違う。その劣化版。つまり、工場で生産を開始した、という事か。違う。早すぎる。

恐らくは試作品だろう。

ゼッテルを破き、口に入れてみると、少しネクタルが薄いようだ。

「ネクタルをもう少し濃くした方が良いな。 工場に伝えておいてくれ」

「はいはい、分かっているわよ。 夜明けには、パラケルススをそちらに向かわせるから、討伐に出てちょうだい」

エスティが窓から出る。

今度こそ、邪魔はさせない。アストリッドは、以降は何も考えず、眠りを貪ったのだった。

 

翌朝。

ロロナがパメラに遊ばれているのを確認してから、アトリエを出る。

限られた材料で、どう栄養剤を作るか、四苦八苦している様子だ。質を上げろとでも言われて、困り果てているのだろう。

やり方は簡単なのだが、教えない。

クーデリアがくれば、すぐにどうにかなるだろう。彼奴は錬金術は出来ないが、資料を探すのが非常に上手い。記憶力が優れているから、一度読んだ本の大まかな内容は忘れないのだ。注意力自体も高い。

街の東門に行く。

これから行くネーベル湖畔は、大型のモンスターが多数生息している危険地域だ。特に陸上にも上がってくる島魚というモンスターは、獰猛なことで知られている。ひよっこの戦士には、もう手に負えないレベルの相手だ。

事前に申請しておいた通り、三名のホムンクルスがいる。

パラケルススと、7番と19番。

7番は黒髪のボブスタイル。19番は若干青みが掛かった髪を、背中まで伸ばしている。背丈はどちらも、パラケルススと変わらない。若干狐目の7に対して、19は目が大きくて、男受けしそうな顔をしている。

パラケルススは、配属していきなりだが。他の二名は、既にそれなりの時間、王宮で働いている。

当然実戦経験も積ませた。

遠出も初めてではない。

「よし、お前達、準備は良いか」

「問題ありません、マスター」

「パラケルススは、二人を指揮。 私はいざというときには介入するが、基本は助けないと思え」

分かりましたという、感情のこもらない返事を受けると。

アストリッドは、早めに街を出る。ロロナにでも見られると、色々面倒だからだ。

街を出た後は、加速。

一気にスピードを上げ、街道からも離れた。ホムンクルスの性能実験だ。最初は、兎程度の速度で。

昔の人間は、この程度の速度も出せなかったことが分かっている。

王などは、残像を十以上残しながら、敵を切り刻むほどのなのだが。当時の人間から見れば、バケモノか何かとしか思えないだろう。

ホムンクルス達は、ついてきている。

更に、速度を上げて行く。

アストリッドが本気になれば、残像の三つや四つ、作る事は容易。それだけの速度は出せるのだが。アーランドで言えば、王やエスティをはじめとして、もっと速く動ける者はいる。

更に加速。

既に、野を走る食肉目の猛獣でも、追いすがれない速度になっている。

徐々に、ホムンクルス達が遅れて来た。

メモを取りながら、速度を下げる。

「この辺りが限界か」

「は、はい」

「余裕が無くなってきたな。 この速度を維持できるか」

出来ますと、三体は応える。

ただ、パラケルススは、余裕がまだある様子だ。育てば、何処まで伸びるかわからないほどだが。実際には、才能の上限も設けてある。ただしそれはかなり高い。これなら、師匠はもう馬鹿にされないと思って、アストリッドはにんまりとした。

二度、休憩を挟む。

ロロナの作った耐久糧食を口に放り込む。これはアストリッドが弟子の作ったものの中では、もっとも気に入っている食べ物だ。味もどんどん改良されている。ロロナは何度か納品しているが、その度に味も質も上がっている様子で。師匠としても、弟子の成長は喜ばしい。

ホムンクルス達も、無言で圧縮パイのネクタル漬けを口にする。

「美味いか、私の弟子が作った耐久糧食は」

「栄養価が高いです」

「力がわきます」

口々に、7と19が言う。その後で、パラケルススが、意外な感想を述べた。

もっと、いろいろな食べ物を、口に入れてみたいという。

「昨晩、王宮のメイドの方々が、料理を作ってくださいました。 味について、中々興味深いと思いました。 それとも、これはまた別の味です。 他にもいろいろな味があるのなら、口に入れてみたいです」

「ほう」

これは、面白い。

というのも、師匠は外食に出たとき、二度は同じ注文をしない人だったのだ。

理由を聞いたことはなかったが。或いは、パラケルススと、同じ理由だったのかも知れない。

「7、19、お前達は」

「7は甘いのが好きです」

「19は、どちらかといえば辛いのが」

7と19が、それぞれの嗜好を口にした。

これも驚きだ。まあ、味覚の嗜好設定はしていないから、個体差が出てくるのは当然だろう。

少し休んだ後、また路なき路を飛ばす。

昼の少し前に、ネーベル湖畔に到着。

手をかざして見るが、百足の怪物とやらは、いない。だが、アストリッドから隠れ通すのは、不可能だ。

懐から取り出したのは、音響爆弾である。一見すると小さな球状の物体で、ゼッテルで固めてあるだけのものだが。今回のために持ち込んだ秘密兵器だ。

単純に言うと、音だけによって、周囲を破壊するものだ。現在の技術で作れるような存在ではなく、過去の文明からヒントを得て作成した。

ネーベル湖畔を、堂々と歩く。

途中、島魚がいた。

見かけは鯨のようなのだが、陸上に上がっている時点で、その通りの生物ではないと分かる。

全身は白く、強靱なひれを使って辺りを歩き回る。そして、その巨体で敵を押し潰し、喰らう。小さな獲物の場合は、そのまま丸ごと食べてしまう。

全長はアストリッドの背丈の、五倍から六倍。

ネーベル湖畔が危険地域に指定される原因は、此奴と、群れを成しているドナーンの上位種、イグアノスである。

ホムンクルス達が武器を構える。

7番はウォーハンマー、19番はバトルアクス。だが、アストリッドは、一睨みだけした。

「邪魔だ。 のけ」

島魚が、全身を硬直させると、すぐに湖に飛び込む。

そして泳ぎ、逃げていった。

辺りを見て回る。ネーベル湖の中に、幾つかの島が浮かんでいるこの地域は、人間の村もない。

湖の中にあると言うことで、一応雑草は生えているが、低木さえ殆ど無い。水のおかげで、どうにか荒野になるのを免れている。そんな場所なのだ。

しかも此処は、かなり最近まで、荒れ地に等しい状況だった。

更に言えば、湖の形状が、ほぼ正確な円形であった事も、かっては判明している。川が幾つか流れ込んで湖になったのだ。その後、周辺の地形が削られていったが。今でも、全体的に丸みを帯びた形状である。

湖の中央部にある島は、どれも堆積物が蓄積して出来たものらしい。

それが故に、緑化も進んだのかも知れない。

とりあえず、水上に、百足はいない。

ホムンクルス達が、怪訝そうに顔を見合わせている。アストリッドがにらむだけで、イグアノスの群れも散り散りに逃げていってしまうから、だろうか。

「マスター。 今のは、どうやったのですか」

「殺気をぶつけただけだ」

「殺気、ですか」

「実際には、そのようなものは具体的にはない。 要するに筋肉の動きや身に纏う魔力を見せて、相手に勝てないと悟らせれば良い」

アストリッドの戦闘力は、此処にいるモンスター全てを単独で駆逐できるレベルだ。厳しい淘汰の中で生きているモンスター達は、相手の実力に敏感。アストリッドが実力の一端を見せるだけで、逃げていく。

アストリッドはじっくり魔力を周囲に張り巡らせて、探る。

どうやら、おかしな気配があることに気付いた。

なるほど、其処か。

「戦闘準備」

声を掛けると、ホムンクルス達が、各々の武器を構えた。

パラケルススは、おそらく王に構えを見せてもらったのだろう。かなり構えが良くなっていた。

湖に、音響爆弾を放り込む。

そして、耳を押さえる。

低音が、湖に響き渡る。爆発は、しない。強烈な重低音で、モンスターを根こそぎに引っ張り出したり、気絶させることが目的の兵器なのだ。

湖から、巨大な百足が飛び出してきたのは、次の瞬間である。

なるほど、此奴か。

幅だけで、普通の人間の背丈以上。体の長さは、人間の背丈と比較すると、三十倍から四十倍という所か。

全身は禍々しいまでの紫。

そして、頭には、十個以上の複眼を見て取ることが出来た。

怒りの雄叫びを上げる百足。

「パラケルスス、やれるか?」

「問題ありません」

「よし、倒せ」

ぱっと、ホムンクルス達が散る。

アストリッドは小さくあくびをしながら、残像を残して跳ぶ。そして近くの木の枝に上がると、戦況を見ることにした。

 

百足が口から、膨大な量の魔力を吐く。

散弾のように飛び散った魔力が、先ほどの音響弾で気絶した魚が浮いている湖の上で、或いは小島で、爆発する。

炸裂した魔力の影響か、辺りが暑くなっていくのが分かった。

アウトレンジからの一方的な射撃か。

あの姿の割に、知能は高い。それに、ホムンクルス達に、油断もしていない。ゆっくり旋回しながら、魔力弾を大量に吐いて、体力を削り取り。その後、一気にとどめを刺すつもりか。

7が仕掛けた。

低く構えたウォーハンマーを引きずるように走り、湖に。そして水上を走りながら跳躍。まあ、このくらいなら、熟練のアーランド戦士なら誰でも出来る。

一気に間合いを詰めたかと思った瞬間。

7が、壁にはじき飛ばされて、吹っ飛んだ。

なるほど、魔術による防御結界か。周囲を常に防御の壁で覆っている、と言うわけだ。

おそらくあの体の殆どは、桁外れの魔力を維持するための器官なのだろう。百足のように見えて、中々に魔術戦に特化した生物、というわけだ。

だが、その間に、19が百足の背後に回り込んでいた。同じように湖の上を走って、跳躍して。そして、バトルアックスを振り下ろしたのだ。

魔術による防御結界が、稲妻を放ち、えぐれていく。

更に、水面に顔を出した7が、其処からウォーハンマーを投擲。水中であんな重いものを投擲できるようにした自分に、アストリッドは満足していた。

重量武器の、二連の直撃。

面倒くさそうに、尻尾をふるって19を吹っ飛ばし、更に水面に稲妻を投擲する百足。強烈な電撃が湖を覆い、硬直した7が水面で動かなくなる。

まあ、こんな所だろう。7はよくやった。

19は地面に叩き付けられて、数度バウンドして、それでもすぐに飛び起きる。その時、至近にまで、百足が迫っていた。大口を開けた百足。その口の中には、特大の火球。

撃ち放たれる。

爆発。

炎を纏うように跳んだ19が、百足の魔術結界に、はじき飛ばされる。

防御の結界術を、攻撃にも転用している。あの百足、使える。だが、弾かれた瞬間、19も結界をバトルアックスで抉っていた。結界が、大きくほころびる。

その時。

はじめて、パラケルススが動く。

ほぼ完璧なタイミングで、死角から切り込んだ。今までの動きを見て、百足の死角を把握していたか。

更に、剣撃の鋭さはどうだ。

王にはまだまだとうてい及ばないが、ベテランのアーランド戦士に匹敵か、それ以上だ。今までの戦いで負担を受けていた百足の結界が、瞬時に崩壊。ダメージが、百足の体にフィードバックする。

絶叫する百足。

その背中に飛び乗ったパラケルススが、走る。走りながら、百足の背中に、剣を叩き込み、切り裂いていく。

火花が盛大に散る。

身をよじらせて、百足が逃れようとするが、既に遅い。剣は情け容赦なく、百足の背中に食い込み、切り裂いていった。

百足の頭を、パラケルススが走り抜ける。

体の中程から、左右に分かたれた百足が、悲鳴を上げながら地面に墜落。地響きを上げた。

頭から地面に突っ込んだ百足は、まだしばらくもがいていた。

水面で気絶している7をアストリッドが拾ってきた時には、パラケルススは容赦なく、百足の体を四つに裁断していた。まず頭を切りおとし、胴体部分も右に左にと切り刻んでいた。

19が起き上がると、血みどろの惨状を見て、言葉を失ったようだった。

感情が無いように見えるホムンクルスだが。いや、実際にほぼ感情はないのだが。それでも恐怖する光景、ということだ。

頭を左右に真っ二つにされて、なおかつ切りおとされて。百足は物理的にも一切身動きがとれなくなり、死んだ。

まだしばらく尻尾はバタンバタンと動いていた。流石の生命力である。

「あまり尻尾には近づくな。 毒があるかも知れん」

「分かりました」

パラケルススは、返り血をたっぷり浴びていた。

多分あの血にも、猛毒があると見て良いだろう。すぐに体を洗うように指示。頷くと、パラケルススは服を脱ぎ捨てて、ネーベル湖に飛び込んだ。

それにしても。

アストリッドは、見事に切り刻まれた百足の死骸を見て、満足した。初陣としては、充分な結果だ。

アーランドでは、戦士は凶猛な方が敬愛される傾向がある。

それに、それだけではない。

百足の動きを見て、なおかつ味方の動きも把握。正確に敵の弱点を見きり、最小限の攻撃で致命打を与えている。

戦士としては充分以上。

指揮官としても、満足できる素質を見せていた。

百足の死体を検分する。やはり血は猛毒。腹の中には、喰われたらしい動物の残骸が、多数残っていた。

人間の死体は、見当たらない。

どれもこれもが、野獣や家畜ばかりだ。ひょっとしてこれは。いや、それは流石にまだ、結論とするには早いか。

パラケルススが、湖から上がってくる。

全裸のまま、体をふるって水をおとす。他人に裸を晒すことに、羞恥を感じていない。こういった行動も、他のホムンクルスとは違っている。そう、意図的にデザインしたのだ。王侯は、他人に裸を見せる事を、恥ずかしがらないのである。

たき火を作る。

服を洗って毒をおとしている間、ホムンクルス達には、其処で体を温めさせた。遠くから此方をうかがっているモンスターは多数いたが。

今の戦いを見て、近づいてこようという勇気のあるものは、いなかった。

意識を取り戻した7の服も脱がせる。

少し嫌がったけれど。7は服を脱いで、タオルにくるまった。

 

服の洗濯と乾燥が終わったので、パラケルススと7に着せるために、皺を伸ばした。全裸で平然としているパラケルススは、タオルにくるまって落ち着かない様子の7が、不思議なようだった。

「マスター。 どうして7は、恥ずかしがっているのですか?」

「それは、お前とは精神の構造を変えているからだ」

「どうして、でしょうか」

「お前はホムンクルス達の主となる存在だ。 だから一種の帝王教育として、強い自信を持つように仕込んである」

ただし、自信が強すぎると、人間への反逆につながりかねない。

そのため、あくまで自信を持つのは、ホムンクルスを相手にした場合に限定している。この辺りの緻密な精神構築も、師匠がいなければ出来なかった事だ。アストリッドでさえ、理論が複雑すぎて、時々感心させられるのである。あの人は、本当に一つの分野に特化した天才だったのだ。

いや、あまりにも特化しすぎているから、異才と言うべきだろうか。

服を着させる。

消毒もしておいたから、問題は無い。

更に、裸でいるうちに、検査もしておいた。毒を浴びてはいるが、パラケルススは無傷だったので、問題は無かった。7と19は手傷を受けていたが、どちらも致命傷には遠い。ただ、ホムンクルスは、どうしても不安定な生き物だ。元々無理に無理を重ねて造り出しているのである。

帰った後、念入りに検査はしておきたい。

もっとも、今までの実戦投入で、怪我に関しては人並みの治療でどうにでもなる事が分かっている。

それほど神経質になる事はないだろう。

まずは、19を伝令として出す。

サンプルとして、百足の死体を回収させるためだ。今回の大規模討伐作戦では、オルトガラクセンの深部から現れたモンスターを解析する好機が得られている。この百足も、解析しておけば、面白い事が色々分かるだろう。

近くの駐屯地から戦士達が来るまで三刻ほど。

それまでに、アストリッドは戦闘経過のレポートを仕上げておいた。

戦士達は、見事に細切れにされた百足を見て、驚いた様子だったが。指示を出すと、てきぱきと動き始める。

後は、任せてしまって問題ない。

「戻る」

「分かりました」

ホムンクルス達が、たき火を処理するのを横目に。アストリッドは、ある結論を出していた。

とりあえず、ホムンクルスの量産計画については、問題ない。

ただ、今回の戦闘を見ていて、ある問題が生じていた。それについては、いずれロロナの所にいるホムからデータを回収し、補っていけば良いだろう。

師匠の組んだ理論は芸術的なまでの完成度だ。

後から手を入れるにしても、準備が幾つかいる。

緻密なデータと検証を得なければ、おかしな結果を招きかねない。

三体のホムンクルスを連れて、アストリッドは王宮に凱旋。丁度その頃には、他の討伐部隊も、大物の処理を終えていた。

丁度戻ってきていたステルクと鉢合わせする。早速ステルクに、パラケルススを自慢する。パラケルススは丁寧に礼をしたが。

ステルクは、非常に怖い顔をしていた。

「どうした、ステルク」

「このホムンクルス、何を素材にした」

「見て分からないか。 お師様だ」

「……っ!」

ステルクが、久しぶりに本気で怒るのを見た。

周囲の人間達が、さっと離れる。此奴は若い頃と違って、最近は分別を付けてきている。だが、たまに本気で怒ると、若い頃のような殺気がむき出しになる。

昔は恋人だったこともあった。

だから、何故怒っているのかも、よく分かった。

「良いのかステルク。 此処でやり合えば、減俸程度ではすまないぞ」

「お前の歪みをただせるのなら、多少の減俸くらいなら安いものだ! 何という、何という邪悪な事をしているのか!」

「邪悪? それはたとえば、善良だったのに分かり易い才能がなかったお師様をよってたかって無能呼ばわりし、虐げ、何もかもを否定したあげく、孤独な死に追い込むような……そんな事かっ! 弱いという事を理由にし、虐げる者どもの顔こそ、真の邪悪に満ちているだろうがっ!」

アストリッドも、真正面から受けて立つ。

元々、アストリッドはさほど魔力が強くはない。ただし、身体能力に関しては、他のアーランド戦士達に全く引けを取らない。あらゆる方面に活用できる才能を用いて、効率的に戦術を展開している。ただそれだけだ。

今の場合、元々乏しい魔力を圧縮して、体の要所にだけ展開している。

ステルクが剣を構える。

アストリッドは、素手のまま、軽く足を開き、右手を前に、左手をやや下げる。

おろおろしている7と19と対照的に。

パラケルススは、静かに様子を見ていた。

やがて、ステルクが剣を下げる。

アストリッドも、それを見て構えを解いた。ため息の音。いつの間にか、二人の間に、エスティがいた。

エスティは両手に剣を一本ずつ持ち。刃先は、それぞれステルクとアストリッドの喉に向いていた。

「はい、其処まで。 じゃれ合うなら外でやるように」

「まさかこのような邪悪を、先輩は知っていたのですか!」

「アストリッドが歪んでるのは、君も承知の上でしょうに。 ただね、今はその歪みから生まれる強力な戦闘能力が、この国には必要なの。 倫理やまっすぐな心では、国は救えない。 貴方なら、分かっているでしょう?」

エスティの正論に、歯ぎしりするステルク。

だが。パラケルススが、じっと自分を見ていることに気付いて、露骨に慌てたようだった。

此奴は。

そうだ。あの事件の時、唯一花を持ってきた。雨が降る中、師匠の墓前に立ち尽くしているアストリッドの周囲には、誰もいなかった。

アーランドの誇りを汚した女。そう言われ、孤独な死を遂げた師匠の所に。此奴だけが。自分の立場を無視して、花を持ってきた。白眼視されることも厭わずに。

懐かしい思い出だ。

だからこそに。師匠が幼い頃の顔そのものを持つパラケルススを前にして、慌てるというわけだ。

「私の素体になった方に、面識があるのですね」

「……他のホムンクルスとは違って、随分と人間的なしゃべり方だな」

「それはそうだ。 何しろパラケルススは、私が考えた最高に強くて格好良い、誰にも尊敬される師匠だからな」

アストリッドが胸を張って言うと。

エスティが乾いた笑いを上げた。ステルクは、もう何も、返す言葉もないようだった。

アストリッドが今、鏡を見たら。

きっと。何よりも深い闇が、目の奥に宿っているのを、確かに見ることが出来たかも知れない。

 

3、苦悩の末に

 

だめ出しを出された。

ロロナはクーデリアと歩きながら、肩をおとす。ついに、ジェームズに、駄目だと言われてしまったのだ。

今、ジェームズは雑草が生えてきた地域を、少しずつ増やすことに終始している。そろそろ、低木を川沿いに植え始めようと考えている、という事だ。

ただし、水路を野放図に伸ばすわけにも行かない。

何カ所か、要所になる場所を作ろうと考えているようなのだ。

其処で、栄養がとても強い土がいる。

今の時点では、ロロナが作れる栄養剤で足りている。しかし、これから必要になるのは、今とは比較にならないほど強い栄養だ。

成長が早くて、頑丈な木を、何種類か其処に植える。

既に、周囲に草は生えている。だが、正直な話、力強く大地に根を張る木を育て上げるには、栄養が足りないのだ。

もっと深くまで、栄養のある土を作る。

今はまだ、少し掘ってしまうと、すぐに赤土にぶつかってしまう。粘土も同然で、生き物が住める土ではない。

だから、定期的に完全に掘り返して、「土」の部分を少しずつ深くしている。しみこんでいる水と、何度も耕すことによる循環、それに少しずつ増えてきた虫たちと、栄養剤が、土を強くしてきているのだ。

だからこそ、ロロナの仕事は重要なのに。

「どうしてだろう。 レシピ、間違っていないのに」

「一度戻って、再確認よ。 ほら、まだ時間はあるんだし、今回納品した栄養剤だって、使えないわけではないって言われたでしょう? 気をおとさないで、頑張りなさい」

「うん……」

クーデリアがそう言って励ましてくれるのは、とても嬉しい。

実際、クーデリアと一緒に資料を確認して、道が開けた例は枚挙に暇がない。しかし、すっかり意気消沈してしまったのには、理由がある。

今回の栄養剤、自信があったのだ。

ずっと研究して、改良を重ねてきた結果の成果物だったのである。ジェームズも、きっと認めてくれると思っていた。

ひょっとすると、ジェームズは。今までで、一番手強い納品先かも知れなかった。

ここしばらくは、凶暴なモンスターも出現していない。何でも王様が直接討伐して、みんなやっつけたのだとか。

アーランドの王様と言えば、戦士として世界最強の噂さえある強者だ。アーランドの光とさえ言われる。ロロナでさえ、その常識外れの武芸は知っている。

確かに王様が出てきたのなら、何が相手になっても勝てそうにない。

アトリエに戻ると、早速資料の再検討をはじめる。

考えられる限り、最強の栄養剤は。十二代前の錬金術師が、手記に残していた。

彼女は、歴代錬金術師の中でも、特に緑化に特化した人物だった。ミスグリューンとさえ言われていたほどである。

ただ、広域を緑化するよりも、どうしようもない荒野を、ピンポイントで緑化する手腕に優れていたらしい。

だから、参考になると思って、彼女の手記からレシピを再現した。

実際、さほど難しいレシピではなかった。ネクタルに比べれば、どうと言うことも無かった。庭に撒いてみたところ、確かに強力な効果が見て取れた。ネクタルのような異常さではない、確かな強靱さで、雑草がすくすく育ったのである。

それなのに、まだ足りないと言われた。

まず、資料を出してきて、クーデリアと二人で精査する。クーデリアはざっと資料を流し見した後、ずばりと言った。

「ひょっとして、栄養の方向性が違うんじゃないの?」

「えっ?」

「ほら、これをみなさい。 この人は、草木も生えないって言われた零ポイントの緑化に成功しているみたいだけれど」

零ポイント。

由来はよく分からないが、アーランドの周辺に何カ所かある、円形にへこんだ地形のことだ。湖になっている場所もある。その一つがネーベル湖である。

こういった零ポイントは、近づくだけで体調が悪くなると言われている。魔術師達の間では、多くの呪いをため込んでいるのではないかと言われているけれど。その真相は、分からない。

「そうなんだよ。 あの窪地、今は沼地になってるよね」

「だけれど、水は昔からあったって事よ。 今あんたが対応してる荒れ地って、確か水を引くところからはじめてるんじゃなかったのかしら」

「あ……」

そうか。

ひょっとすると、この間作った栄養剤は、或いは。

零ポイントの訳が分からない毒を中和する事に特化していたものであって、栄養剤としてはさほど強力ではなかったのかも知れない。

いや、それでも、ミスグリューンとまで言われたほどの人だ。

栄養剤に関しては、相当な博識であったはず。

「そ、それ以外に、何か栄養剤の資料が残っていないかな」

「落ち着きなさい」

額をぺちんと叩かれる。

クーデリアは、時々そうする。或いは、ロロナが追い詰められると、不意に冷静になる事を、知っているのかも知れない。

案の定、ぺちんと叩かれてから、少し冷静さが戻ってきた。

「時間は、あまりないよ。 何か対応策は無いのかなあ」

「栄養剤を煮詰めるのは?」

「駄目だよ。 調べてみると、栄養剤の中には、生きている成分も多いんだって。 下手に熱を加えると、死んじゃうよ。 それに生きているから、水分とかのバランスを崩すと、すぐに駄目になっちゃうのもあるし」

「厄介ね。 それなら、むしろ木を植えることに特化したものを探してみればいいんじゃないの?」

確かに、一理ある。

二人で手分けして、資料を探る。

だが、今回は、かなり難航した。結局その日は見つからず、クーデリアにはとまってもらった。

通常の栄養剤は、大量にいると言われている。だめ出しはされたけれど、納品を断られた訳では無いのだ。

だからホムに、中間生成物は作ってもらう。栄養剤を調合しながら、クーデリアに、ロロナは聞いてみる。

「何か、よさそうなの、ある?」

「難しいわね。 もう少し、探してみるわ」

夜半を過ぎた辺りで、一度切り上げる。

調合を終わらせて、栄養剤を樽詰め。コンテナにしまった後、二人で銭湯に行った。

エスティが来ていたので、驚く。久しぶりに見かけたような気がするが、どうしてだろう。

王様と一緒に、討伐にでも行っていたのだろうか。

挨拶を交わすと、エスティと一緒に浴槽に入る。彼女はごく自然に大人の体つきをしていて、ロロナとしては羨ましい限りだ。

「ふー、生き返るわ」

「エスティさん、お風呂好きなんですか?」

「そりゃあね。 こう激務が続くと、気晴らしにお風呂に来るのは必須よ」

お風呂には、何処でも必ずトルと呼ばれる棒がある。エスティは、それを必ず手元に置いていた。

これは、アーランド人がよそに行くとき、必ず持っていく道具の一つ。

一見意味を成さない棒に見えるが、違う。

傭兵として各地で働くアーランド人は、いつ恨みを買うか、襲われるか分からない。だから身を守るために、風呂場や水場にも武器を持ち込む必要がある。

この棒は、水に濡れても傷まない木で作られている、最低限の護身用武器なのだ。しかも棒は武器として、かなり侮れない。素人なら、簡単に無力化することも出来る。トルはそこそこ強度もあるので、使い手次第では相手の頭をたたき割ることも難しくない。

エスティは騎士だし、強い。

これだけの経験を積んでいる戦士となると、やはり恨みもたくさん買っているだろう。そうなると、トルを手放せないのも、無理はない。

噂によると、昔はハンマーだったらしいのだけれど。それは流石に重いしかさばる上、何より目立つ。

アーランド人同士が風呂場でトルを使った喧嘩をすることは御法度とされているが。それでも用心をするに越したことはない、というわけだ。

「課題は順調?」

「今、煮詰まってまして」

「そうでしょうね。 二人揃って、こんな時間にお風呂に来ているんだもの」

「えへへ……」

情けなさに、苦笑いが漏れてしまった。

流石に酒はまだ早いかというと、エスティは先にお風呂を出て行った。背中や肩には、相当の古傷が残っている。

大きさからいって、多分モンスターに付けられたものだろう。

上がろうとしたら、クーデリアに止められる。

「もう少し、入っていなさい。 あんたは煮詰まってるでしょう。 此処で少しは心身をリフレッシュさせないと」

「はあい……」

のぼせてきた。

ぼんやりしたまま、遠くを見ていると、湯気が揺らめいているのが分かった。

発育がいつまでも悪いロロナとクーデリアは。同年代の女の子達から、取り残されてしまっているかのようだ。

時々、友達と会って、吃驚することがある。

特に最近は、戦士階級になった友達が、結婚することが時々ある。そう言う子は、おなかに赤ちゃんを宿したりもしている。

戦士階級は十四歳から大人として認められるのだから、不思議な事ではない。まあ、ロロナの身近では、だいたい十六くらいから結婚することが多いようだけれど。

そして、結婚した子は、雰囲気が露骨に変わる。今まではロロナと一緒にお茶会をしたりしていたのに。子供と家庭のことを真剣に考えるようになったり、どう夫を出世させるか、武勲を積ませるかが、興味の中心になる。

そういうのを見ると、ますます、置いていかれるような気分になるのだ。

クーデリアは、どうなのだろう。

まだ彼女は、家族と上手く行っていないはずだ。父の話など、したくもないと、広言している。実際家族の話が出ると、露骨に機嫌が悪くなる。

普通の戦士階級の家出身だったら、それでも良かっただろう。

彼女は、アーランドでも有数の資産家の娘で、しかも親と上手く行っていない。それがどういう意味を持つか、ロロナにだって分かる。

嫌なことは、忘れたいけれど。

気持ちの良いお風呂でも。嫌なことは、中々忘れることが出来なかった。

しばらくして、ようやくお風呂から上がる。二人並んで、良く冷やしたミルクを呷る。工場で育てている牛たちのミルクだ。正直、野外で取ってくるミルクの樹液や、彼方此方の村で買える山羊ミルクの方が美味しいけれど。冷やしてあれば、ある程度は飲める。

「くーちゃん、また古傷が増えてたね」

「戦士の勲章よ」

「うん……」

クーデリアは気にしていないようだけれど。

やっぱり、ロロナは親友が心身ともに傷ついていくのは、心苦しかった。

アトリエにまっすぐ戻る。もう寝ようかと思ったけれど、クーデリアはまだ調べると言ったので。ロロナも、つきあうことにした。

ホムは先に寝かせる。

調べていくと、幾つかの事が分かってくる。

栄養剤でも、特定の植物に特化したものがある。だけれども、ジェームズは何か特定の植物を植えるとは、言っていなかった。

ミミズとかむしを元気にする栄養剤もある。

これらは作っておいて損は無いだろう。実際、一旦雑草を刈り取った後、ミミズを入れて、土地を馴染ませる作業をしている区画もあったのだ。今手持ちの素材だけで作れる。明日、調合しておこう。

後は、目的の奴だけれど。

気がつくと、ベットに寝かされていた。

いつの間にか、落ちてしまっていたらしい。外はもう朝だ。

アトリエに出ると、クーデリアが机に突っ伏して眠っていた。毛布が掛けてあると言うことは。

或いは、師匠が気を利かせてくれたのかも知れない。

いつもクーデリアをからかうばかりで、仲は良くないのに。たまに気が向くと、こういう優しいことをしてくれる。

見ると、参考資料の一つに、付箋が貼ってある。

開く。

ついに、見つけた。なるほど、そう言うことだったのか。

クーデリアはかなり深く寝込んでいるし、起こすのは可哀想だ。今度はロロナが、クーデリアをベットに運んであげる。

そして自分は、調合を開始。

これならば、或いは。

ジェームズを満足させることが、出来るかも知れない。

 

普通の栄養剤を樽二つ。新作の、ミミズやむしが元気になるものを、樽一つ。そして、今回こそと思って調合した自信作を、樽一つ。

荷車に積み込み終えると、ロロナはアトリエを出た。

クーデリアが小さくあくびをする。ロロナもほぼ徹夜だったし、今回は外の光が、かなりつらかった。

途中、リオネラを見かけたので、声を掛ける。

今回は、出来るだけ護衛を増やしたかった。出来ればタントリスやステルク、イクセルにも声を掛けたかったけれど。まあ、こればかりは仕方が無い。

リオネラは、例の荒れ地に行くというと、不安そうに眉をひそめた。

「あの怖そうなお爺さんの所に、また行くの?」

「怖いけれど、自分にも厳しい人だから、大丈夫だよ」

他者にだけ厳しい人は、確かにいる。

ロロナも、そういう人は、酷いと思う。でも、ロロナから見て、自分にも他人にも厳しい人は、信用できる相手だ。

これは、きっと。

側にいるクーデリアが、そうだから、だろう。

街の南門に到着。

門番のおじさんに念のため聞くけれど、今回は、強大なモンスターが出ているという話はなかった。

ただ、それでも、ここのところ、あの百足のモンスターのような大物の噂が絶えたためしがない。

だから、リオネラにも同行を頼んだのだ。

荷車を引いて、南門から出る。

出来るだけ急いだ方が良いだろう。アーランド人にさえ、最近は環境が厳しくなりつつあるようなのだ。

これでは、アーランドに来る旅の人達は、苦労していることだろう。

遠くを、虹色の鳥が飛んでいる。

この間、タントリスが原初の鳥と言っていたものだ。忘れないうちに、特徴をスケッチしておく。

いざというときに、何かの役に立つかも知れないからだ。

虹色の鳥は、我が物顔に空を飛んでいる。距離から考えて、アードラよりも倍は大きいと見て良いだろう。空は案外厳しく縄張りが決まっていて、それに侵入すると攻撃を受けるものなのだけれど。

あの虹色の鳥は、元からの縄張りの主を、駆逐してしまったのだろう。あの我が物顔ぶりからは、それが感じ取れる。

しかも、数が増えている。

元はあのシュテル高地に生息しているという話だから、何かしらの理由で勢力を広げている、という事だ。

まあ、何か被害が出るようなら、騎士団が動くはず。

まだまだようやく一人前、という程度の実力しかないロロナやクーデリアでは、討伐の話など、来るとは思えない。

街道を急ぐ。

いずれにしても、モンスターが生息範囲を広げると言う事は、騎士団の手が回っていないことを意味している。

相次ぐモンスターの発生で、相当忙しいのだろう。

この様子だと、二線級の戦士や、引退した老人にまで、やがて討伐の話が来るかも知れない。

そうなれば、或いはロロナやクーデリアも。

嫌な予感を追い払う。

幸い、モンスターには遭遇せずに、目的の場所に到着。既に五百歩四方の荒れ地は耕し終えている。全体的にうっすらと緑がかって見えるのは、雑草がそれだけ生い茂っているということだ。

庭などに生えてくると邪魔な雑草だけれど。

緑化の際は、土がどれだけ栄養を持っているか、計る重要な指標となる。碁盤目状に走っている水路には、彼方此方木で堰が作ってある。ため池の水量を見ながら、荒れ地に流し込む水を調整しているのだ。

「六番の堰を開けろ!」

「分かりました!」

むつかしい顔をして、ジェームズが忙しく歩き回っている。

柵の入り口で、栄養剤を持ってきたことを告げる。ジェームズは面倒くさそうに、此方に歩いてきた。

「見ての通り、今少し忙しい。 検品は少し待て」

「何があったんですか?」

「水が足りないんだよ。 少し前から、此処につなげてる小川の水量が減ってきていてな」

それは、大変だ。

アーランドの水源とはずれているけれど、確か此処の荒れ地につながっている小川は、下流の幾つかの村にとって重要な存在のはず。

確かに、みるとため池が少し元気がない様子だ。

「騎士団には報告したんですか?」

「ああ、もちろんだ。 だが何だか南の方のアランヤとかいう村で、モンスターが大量発生しているとかでな。 こっちに手が回るのは、少し先だそうだ」

口惜しそうに、ジェームズが言う。

とりあえず、休憩用の小屋があるので、其処で待つように言われた。騎士団が手こずるほどのモンスターだ。余程に恐ろしい相手だと見て良いだろう。

しばらく、小屋でじっと待つ。

リオネラは所在なさげにしていた。時々飛び交っている怒号に、身を竦ませている。皆、苛立っているのだ。

「りおちゃん、大丈夫だよ。 八つ当たりとかは、されないと思うから」

「だって、怖くて……」

クーデリアは、様子を見てくると出て行ったきり、戻ってこない。

圧縮パイのネクタル漬けを出す。リオネラはしばらく青い顔でうつむいていたけれど。口にすると、少しだけ表情が明るくなった。

改良を、重ねているのだ。

圧縮しても甘みが壊れない方法が、この間分かった。女の子や、甘いものが好きな戦士向けに、作ったレシピだ。

「甘いね……」

「生クリームが、美味しく残ってるでしょ? 味だけしかないけど」

苦笑い。

どうしても、生のクリームを入れたままだと、圧縮時に壊れてしまうのだ。研究を続けて、味だけを抽出。

しかもそれを薄くのばして、ようやく圧縮して美味しいままの甘いパイを作ることに成功した。

ただ、掛かる手間暇が尋常ではない。

まだまだ、実用化にはほど遠い品だ。

クーデリアが戻ってくる。険しい顔をしていた。

「確かに川の水量が減っているわ。 最近は雨も時々あったし、何かおかしな事が上流であったと見て良さそうね」

「大丈夫かな……」

「あたし達が勝手に調べて良い事じゃないわよ。 ベヒモスや百足に遭遇して、懲りてないわけ?」

首を横に振る。

クーデリアは、実力にあった話をしろと言っているのであって、臆しているのではない。それに、これは下流の村にとっても大きな問題だ。騎士団は優先して動いてくれるだろう。

ジェームズが来る。

促されたので、ついていく。

質問されるのは分かっていた。恐らくは、ベテランでも見たことが無いタイプだろうと思ったからだ。

「何だこれは……」

開口一番に、ジェームズは言った。

樽を開けてみると、其処にあるのは、薄緑色をしたキューブだ。一抱えもあるもので、触るとちょっとべたべたする。そして、持ち上げると、相当に重い。

「はじめて見る。 これはどう使う」

「これは、栄養剤をしみこませたキューブです。 土の中に埋めると、長い年月を掛けて、固めておいた栄養剤が、ゆっくり流れ出ます」

「何……」

栄養剤を下手に圧縮すると、壊れてしまう。

だから、これがロロナの考えた結論だった。

まず最初に、栄養剤を固める。

これはゼラチンを使えば簡単だ。料理の知識を持つロロナには、さほど難しい事ではなかった。

そうやって固めたゼラチンキューブを、ゆっくり数日かけて圧縮。

とはいっても、水分だけを飛ばした。そうすることで、体積を一気に減らしたのだ。

木は、とても長い時間を掛けて育つ。

それなら、ずっと土の中にあって、栄養を与え続けるものが一番良いのではないのか。この形式の栄養剤なら、恐らくは。

問題は検証している時間がないことだが。

こうすることで、栄養剤はたっぷり時間を掛けて、熟成もされる。流れ出る頃には、栄養もすごく上がっている筈だ。

しかも、初期の頃は、普通の栄養剤が出る。

大樹といえども、最初は苗。その頃には、普通の栄養剤で、充分の筈。

「……なるほど、考えたな」

「今まで通り、普通の栄養剤も納品します。 栄養剤の品質も、少しずつ上げていきます」

「いや、それはともかく、とりあえずこれを試してみよう。 錬金術師としての技量が足りない分を、アイデアで補ったか」

ジェームズは何度も頷いた。

ひょっとして、認めてくれたのだろうか。

納品は受け付けてくれた。

キューブはそれほど硬くもないので、その気になれば砕いて土の中に埋めることも出来る。

温かい日差しを受けると、土の中でゆっくり溶けていって、周囲の植物に栄養を与える。木をキューブの上に植えれば、効果は抜群の筈だ。

ただ、こればかりは、検証している時間がなかった。やってみて、上手く行くことを願うしかない。

一度、アトリエに戻る。

後、期限まで、一ヶ月半ほど残っている。その間に、おそらく低木は相応に育つはずだ。それで、効果を証明できる。

栄養剤も、まだまだ納品しなければならない。

一息付けた、といえるのだろうか。

ソファに座って、考え込む。

本当にこれで良かったのだろうか。ステルク辺りに同行を頼んで、もっと高品質の栄養剤の材料を、探しに行くべきなのではあるまいか。

肩を叩かれる。

顔を上げると、クーデリアだった。

「少し休みなさい。 あたしも、一旦家に戻って寝るわ」

「くーちゃん、あのね」

「効果が出るまでは、何とも出来ないでしょう? とりあえず、もし何処かに出かけるつもりなら、早めに準備しておきなさいよ」

小さくあくびしながら、クーデリアはアトリエを出て行った。

一礼すると、リオネラも。

気がつくと。

ロロナは、ソファに横になって、そのまま眠ってしまっていた。

少しずつ、ロロナの中で、疑問が育ちはじめている。錬金術とは、何だろう。栄養剤を通じて分かってきたこともある。

本当にこれは、世界のためになっている事なのか。

少なくとも、緑化作業は、世界のためになっている。

だが、ロロナがしていることは。

本当に、正しいのか。

まだ、結論は出せない。世界中に錬金術師がいるのは、ロロナも知っている。だが、その錬金術師達は。

世界を、豊かに、していけるのだろうか。

今回のキューブ栄養剤は、上手く行ったとき。世界を少しでも、良く出来るのだろうか。

目を擦って、起きる。

何だか無性に悲しくなっていたので、甘い物でも食べようと思った。ステルクに声を掛けて、ちょっと本格的に、採集に行きたい。

その後は。

どうするか、考えたかった。

もちろん、仕事を放棄する気は無い。ロロナはアーランドが好きだし、何よりクーデリアのためでもある。

しかし、ただでさえいつもいつも苦労しているのに、このままでは大きな悩みが晴れることはないだろう。

ため息が漏れる。

ロロナは本当に。錬金術で、一体何をしているのだろう。

本当に、皆は幸せになっているのだろうか。

 

4、成果とずれ

 

ジェームズに呼ばれたステルクは、多少煩わしいと思いながらも、荒れ地を訪れていた。何かあったとみるべきだろう。

少し前から、荒れ地に水を引いている小川の水量が減ってきている。

そのため、開拓班が苦労しているという話は、ステルクも聞いていた。だが、ジェームズが呼んだのは、それが原因ではなかった。

荒れ地に出向いて驚かされたのは、既に緑の絨毯が出来ていることだ。

かなり緑化が早い。

勿論ジェームズの手腕が大きい。ただ、これだけの速度で、どうして緑化できているのか。

しかも、荒れ地の、水路沿いの部分には。

既に、低木が生い茂りはじめていた。

「これは、一気に緑化が加速したな」

「あの娘っ子が持ち込んだ栄養剤が、予想以上の出来でしてなあ」

顎でジェームズがしゃくった先には、既に青々と葉を茂らせている木。既に背丈は、ステルクよりも高くなっていた。

確か、少し前に、ロロナに頼まれて、採集に出た。

旅人の街道や、ヘーベル湖の近くにまで足を運んだ。その時確かロロナは、薬草類だけではなくて。川の水や、モンスターの体の一部なども、積極的に採集していた。村でも、買い物をしていたように思える。

その時の成果かと、一瞬思ったのだけれど。

それにしては、時期がおかしい。

いくら何でも此処まで育つには、二ヶ月はかかるはずだ。

「これは、どれくらいで育ったのだ」

「41日」

「なに……」

「とりあえず、あの娘っ子、ロロナだったか。 あれには合格と伝えてくれ。 此処まで緑化が進展したら、後は栄養剤を定期的に足すだけで大丈夫だ。 草原を少しずつ拡大して、時々手入れするだけで、俺がおっ死ぬ頃には森になっているさ」

驚いて声が出ない。

散々苦労していると聞いていたのに。実際蓋を開けてみればこれだ。

クーデリアが参謀になっている事は知っていたけれど。それにしても、まさか実際にこれだけの成果を上げる事が出来るとは、思ってもいなかった。

あれだけ自信無さそうにしていたのに。

偶然は続かない。

ロロナは既に五回、課題を突破したことになる。その上今回は、散々手こずった末とは言え、逆転での大成功を決めている。ロロナは高いポテンシャルを秘めている。それは分かっているのだが。

まだ、正体が見えてこない。

成果を目で確認した以上、後は必要ないだろう。土に無理がない範囲で、緑化の基礎部分は通常以上のペースにて成功したと見て良い。レポートをまとめるべく、王宮に戻る。ロロナの顔も見ていこうかと思ったが、止める。

いろいろな事が最近起こりすぎていて、心の整理がついていない。

アストリッドの作った、完成型のホムンクルスは本当に衝撃だった。あいつが。かって、ステルクの恋人だった女が、深い深い闇を秘めていたことくらいは知っている。葬儀の時に見た、奴の目は。

まさに、地上に顕現した地獄だった。

勿論、この国を裏切るような真似はしないだろう。彼奴は、馬鹿をするには頭が良すぎる。無茶なことをすれば、即時で粛正されること。そして、アーランドにはその戦力が充分にあることは、理解できているからだ。

ひょっとして、ロロナは。

いや、そんなはずはない。

フリクセル夫妻の娘だと言う事は、しっかり分かっている。ホムンクルスの筈がない。だが、アストリッドは、ステルクが知らない事を、何か知っていると見て良いだろう。

王宮に戻ると、レポートを手早く仕上げる。

王に謁見すると、すぐにレポートを提出。跪いているステルクに、王はレポートを見ながら、声を掛けてきた。

「ステルク。 何を悩んでいる」

「は。 アストリッドが納品したホムンクルスの件にございます」

「あれが多大な闇を内に抱えていることは、先刻承知の筈だが。 性能は申し分ないし、子を作る事も出来ると言うでは無いか。 要件は全て満たしている。 何も困ることはない」

陛下は。

ステルクが忠誠を誓う王は、とにかく強い男だ。

最強の戦士としての英才教育を受け、帝王教育で精神も鍛えに鍛え抜かれている。性欲や食欲まで、ほぼ完璧に制御しているという話まで聞く。まあ、だから戦闘では凶暴性が増すのだろう。

ステルクは、そこまでは出来ない。

アストリッドが師を失ったときは。減俸されるのを承知で、葬儀にも行った。あの時、葬儀に参列したのは、ステルクとアストリッドだけだった。

心の底から、怒りを覚えたのを。今でもよく覚えている。

アストリッドはあの時から、おそらく心を閉ざした。今では、彼奴が何を考えているのか、全く分からない。

「会議を行う。 エスティ」

「はい」

いつの間にかいたエスティが、レポートを王から受け取っていた。

集中が乱れていたらしい。接近に気付かないとは、不覚だった。勿論、力を制御している、と言うのも。原因の一つだろう。

一度、王の間を後にする。

しばらく悶々としていたが、落ち込んでいてばかりもいられない。訓練場に出て、剣を振るうことにしたのだが。

訓練場では、あのパラケルススが、騎士達を相手に訓練していた。

元の身体能力が高いという話は聞いていたが、凄まじい。既にベテランを相手に、一歩も引かない戦いを見せている。

見物人が、輪を為しているほどだ。

戦っている騎士は、ステルクの二年先輩。国家軍事力級とまではいかないが、騎士に恥じない実力のベテランだ。

いわゆる鉄鞭という細い棒状の武器を二本用いて戦うスタイルで、武器の細さも相まって、とにかく早い。

今は訓練用の木剣を使っているが。その早さに、衰えはない。

だが、パラケルススは。

子供が用いるような小さめの剣を使って、その猛攻を全ていなしている。そればかりか、徐々に早くなっているのが見て取れた。

違う。身体能力が上がっているのではない。

技を見切っているのだ。

体の動かし方を、理解しているのだ。

嵐のような猛攻。

並のアーランド戦士では、見切ることさえ無理な、まるで光の群れが薙がれるような怒濤。

それなのに。最小限剣を動かすだけで、金髪のホムンクルスは。

アストリッドの師匠と同じ顔をした人工の命は。攻撃を受け流し続けている。足捌きも、ステルクが見ていて分かるほどに、ハイペースで進歩していた。

ホムンクルス達の調練は、今まで請け負ってきた。

確かに才能優れた者達だったけれど。

これはいくら何でも異常すぎる。天才という次元ではない。納品されてから、まだ一月程度しか経っていないのに。

ただ、攻め手も、息を乱してはいない。

その程度で、精鋭揃いのアーランド戦士の中から、騎士にまで抜擢はされない。

がつんと、大きな音。

騎士がパラケルススの剣を弾いたのだ。わずかに眉をひそめたパラケルススだったけれど。

騎士が容赦なく繰り出した面の一撃は、残像を抉った。

斜め後ろに、剣を拾い直したパラケルススが、回り込んでいる。そして、横薙ぎの一撃。一撃をはじき返した騎士が、構えを解いた。

「此処までだ」

「もう少し技と動きを見せてください。 覚えたいです」

「馬鹿を言うな。 全部見せたら、全部盗まれるだろうが」

不機嫌そうに、騎士がステルクの隣を通り抜けていく。彼は、ホムンクルス達には、どちらかと言えば好意的だった。

しかし今の態度は。

あれでは、恐怖を覚えるのも、無理はないだろう。

十数年、下手をするとそれ以上の研鑽の結果が。わずかの間に盗まれて、気分が良い筈がない。

パラケルススが、ステルクに気付いた。

人間的な心理駆け引きは未だに見せては来ないけれど。この娘は、声からしてアストリッドの師匠と同じだ。

だから、ステルクは苦手だった。

悪趣味なことに、歩き方までそっくりなのである。

「ステルクさん、おはようございます」

「おはよう。 良い修行が出来たか」

「多くの技を覚えました。 実戦で活用するのが楽しみです」

少なくとも、性格は真逆か。

あの人は、アーランド人か疑わしくなるほど、平和的な性格だった。多分、戦いなんて、絶対に出来なかっただろう。

アストリッドとステルクは幼なじみだから、よく知っている。

こんな好戦的な性格に、どうしてアストリッドは。自分の考えた、最高にかっこよい師匠だと広言していたが。

あれは本音だろう。

ステルクには、分かる。アストリッドは、パラケルススがそのスペックを見せつけるのを、喜んでいた。

最初、パラケルススは、ステルクを様付けで呼んでいた。だが、様を付けられるのも妙な気分なので、さんで良いと言ってある。

他のホムンクルス達は、自分は人間の下位にいる存在だという姿勢を崩さない。だが、パラケルススは。仲良くなりたいという理由で、さん付けでステルクを呼ぶようになった。人間的な行動。だから、怖がられもする。

「ステルクさんも、技を教えてください。 吸収します」

「また今度な」

「皆様の役に立つのが、ホムンクルスである私の喜びです。 いずれ、必ず教えてください」

しゃべり方は、ロロナの所にいるホムよりも、ずっと人間らしい。

この辺りも、アストリッドのことだ。きっと、何か思惑があっての事だろう。

パラケルススが、ホムンクルス達を集めて、何か話をしている。既にホムンクルス達は、パラケルススをリーダーとして認めているようだ。反抗的な態度を見せるホムンクルスは、少なくともステルクが見ている範囲ではいない。

ただし、落ちこぼれはいる。

6番と言われているホムンクルスは、戦闘力は高いのだけれど、理解力に問題がある。しゃべり方もゆっくりしていて、まるでロロナを見ているようだ。

14番は今荒れ地の方で働いているけれど、力は強いが頭が悪いと苦情が来ている。とはいっても、大の男でも苦労する大岩を一人で担いで運んでいるという事なので、役に立っていないと言うことは無い。

王は、ホムンクルス達の存在を喜んでいた。

事実、この国の戦力が、飛躍的に強化されることは間違いない。これから月二十体のペースで納品されるという事であり、更に増えるという話なので。今後は、戦力が足りていなかった前線の砦や、巡回チームが随分助かることになるだろう。量産体制が確立した暁には、アーランドの戦力は何倍にもなる。

だが、不安なのだ。

会議を行うまでは、まだ時間がある。

しばらく、騎士達が食堂にしている部屋にて、茶を飲むことにした。体を動かす気分でもない。

かといって、出来ればホムンクルス達とは、あまり話したくなかった。

怖れていないと言えば、嘘になる。

あの時。

アストリッドの師匠が死んだとき。殆ど横死に近かった、あの悲惨な出来事の後。ステルクは、差別を憎んだ。

それなのに。自分がホムンクルスを差別していることに、ステルクは忸怩たるものを覚えていた。

分からない。このままだと、自分はどうなるのか。

他の騎士達の中には、ホムンクルス達を露骨に避けるものも出始めている。今後、関係が発火することをさけるためにも。

ステルクがしっかりしていなければならないのに。

情けない。

そう、ステルクは思った。

 

プロジェクトMの進捗会議にて、王が発言する。

その内容を聞いて、ステルクは思わず耳を疑っていた。

「また、前倒しですか」

「そうだ。 今回の課題で納品された実に独創的な栄養剤は、高い評価を現場の人間から得ている。 非常に使いやすい上に、効果抜群と言う事だ」

「中間報告では、並かそれ以下という話であったそうですが」

鼻白んだ様子なのは、フォイエルバッハ卿だ。

彼は、本来であれば次の課題になる筈だったものを、子飼いのエージェント達を用いて処理しなければならない立場になった。だから、余計にひとこと言いたいのだろう。

ちなみに内容は、街道整備用の石畳の確保だ。

馬車を通すためではない。

屈強なアーランド戦士達の足腰では、柔らかい土で戦いにくい。だから、石畳で舗装した方が良い。走って行くにも都合が良い。馬より早く走れるアーランド戦士は珍しくもないので、石畳で地面が安定していれば、更に負担を小さく出来るのだ。

「それだけ成長が早いという事だ。 我が弟子ながら鼻が高い」

アストリッドが自慢たらたらにいうので、周囲がうんざりした様子で見た。特にうすうすパラケルスス関係の事を知っている近所の住民達は、色々言いたいようだ。ティファナが咳払いする。

「次の課題というと、確かヴァルチャーの駆除でしたか」

「その通りだ。 単に駆除するのではない。 近隣に巣を作って繁殖をしようとするヴァルチャーを、知恵を使って追い出す事になる」

「つまり、錬金術を用いて、モンスターを戦わずに追い払えるかどうかの実験だ」

ヴァルチャーは、アードラの上位種。スカベンジャーの性質が強いが、爪もくちばしも強く、簡単な魔術まで使う。さほど高位のモンスターではないが、この辺りからそろそろひよっこの手に負えなくなってくる。

ステルクも計画は頭に入っている。今回は、近くの森の東側にある、ヴァルチャーの群生地でのミッションとなる。

生息しているヴァルチャーは、ざっと数百。

これを全て追い払うとなると、腕力沙汰では難しい。ましてやロロナと、周辺にいる者達の戦力では、厳しいだろう。

実際問題、住むべきでは無い所にいるモンスターを追い払う事は、アーランド戦士の重要な仕事になっている。

逆に言うと、これが無くなれば、他の場所に人手を回せる。

勿論大物はベテランのアーランド戦士が、退治のために出張らなければならないけれど。手間が減らせるならば、願ったりだ。

「分かりました。 次の課題を、ロロナに伝えてまいります」

「うむ。 ホムンクルスの量産計画は」

「完成体であるパラケルススの生産成功によって、今後は流れ作業で行う事が出来るでしょう。 今月からは、毎月二十体。 作業が安定した後は、更にペースを上げて生産することが可能です」

「素晴らしい。 人手不足で悩んでいた砦や巡回班に、優先的に廻せ」

その後は、メリオダスからの報告が始まる。

以前納品された、耐久糧食。圧縮パイのネクタル漬けは、大量生産が開始されたという。工場側で、コピーする事に成功したのだ。ネクタルの原液はロロナから定期的に提供されているし、何ら問題ない。

これで、アーランド戦士の機動力は、更に増したことになる。

その上、ホムンクルスの大量生産による、戦力の補強も行われた。これで、大陸中枢の強国が、アーランドをはじめとする辺境に、先進的な兵器を揃えて押し寄せる前に、どうにか押し返す準備が整ったとみて良い。

間に合ったのだ。

実際問題、圧倒的な物量を駆使して攻めこまれた場合、対応が出来る状態になかった。如何にアーランド戦士が大陸最強といえど、各個撃破されてしまえば意味がないのである。

会議がスムーズに終わる。

小さくあくびをしていたトリスタンを、メリオダスがにらむ。噂通り、仲が悪い親子だ。自慢げに部屋を出て行くアストリッドを見送るステルクに、ティファナが声を掛けてくる。彼女は、アストリッドと近所に暮らしていた経歴を持っている。理由があってアストリッドの師匠が苦悩しているとき、助力できず。結果死なせてしまったという負い目もある様子だ。

「ステルクくん。 噂には聞いているけれど、パラケルススって子。 アストリッドのお師様と」

「その通りです。 悲しい話ですが、彼奴の心の闇を溶かせる者は、もういないとみて良いでしょう」

アストリッドにとって、周囲の人間は潜在的に敵だ。

利害が一致しているから、今はこのプロジェクトに参加している。勿論弱みを多数握られているという理由もあるだろう。

だが、彼奴が誰かに心を開くことは。もう、ステルクには、予想できなかった。

アーランドでも名を知られた魔術師だったから、ティファナも相応に修羅場をくぐってきている。だが、彼女も、悲しまない訳では無い。美しい眉を悲しげにひそめた。

「ロロナちゃんも、アストリッドの心を溶かすのは難しそうね。 錬金術はとても便利な力だけれど。 誰かを救うことは、出来ないのかしら」

「……」

かって愛した相手だ。

どうにかしたいと思う気持ちは、ステルクにもある。

だが、どうにもできない。出来ようがない。

いつの間にか、部屋はステルク一人になっていた。

大きく嘆息すると、部屋を出る。

確実に成果は上がっているのに。どうして、こう気は晴れないのだろう。そればかりか、ますます濃い狂気が、周囲を覆い始めているような気がする。

ロロナは、無事に完遂できるだろうか。

完遂できたとしても。

正気で、いられるのだろうか。

分からない。

そうとしか、ステルクには思えなかった。

 

(続)