いのちの形

 

序、神の飲み物

 

今までに無いほど、難しい調合だった。

まずは、苗床を用意する。

ネクタルに必要なのは、神の飲み物の主成分だけではない。主成分が増えるために、必要なのが「苗床」なのだ。

しかしネクタルの主成分にとって美味しいものは、他の存在にとっても美味しい。たとえば蟻さん。蠅さん。こういった存在が、近寄らないように、工夫しなければならないのである。

いろいろな素材があるのだけれど。ミルクの樹液というものが、素材の一つとしてあげられる。

これは主に近隣の村で採れる、特殊な樹液だ。

特産品になっているほどで、簡単に採取できる上に、のどごしも良い。ただし蟻さんの大好物なので、採取に気を遣わないと、いつの間にかおけが蟻さんだらけ、ということになってしまう。

これについては、以前旅人の街道に出向いたときに、ある程度入手してきた。

ただ。この樹液に関しては、別に他でも良い。

要するに栄養があれば、問題は無いのだ。

まずベースになる栄養のある液体を釜に満たす。そしてゆっくり煮込みながら、途中で温度を調整。

濾過した水を足しながら、二日間煮込むのだ。

それが終わった所で、手に入れたペンデロークの出番となる。

ペンデロークは強い魔力を蓄え、共振させる。魔法陣を書いて、その上にペンデロークを入れた中和剤を置く。

こうすることで、中和剤の魔力が、全てペンデロークに流れ込んでいく。

強い魔力を蓄えている宝石や、もしくは蓄える事が出来る石なら、別に他のものでもよいという。

そして、苗床に、良く洗って煮沸消毒したペンデロークを入れる。

その後も、丁寧にゆっくり煮込んでいく。この間、蒸留した水を足すこと七回。いずれも分量を間違えてはいけないという、気を遣う作業だ。

こうしていくと、だんだんミルクの樹液が澄んでくる。

こうして、強い魔力を蓄えた苗床が出来る。

此処からだ。

参考資料によると、あの膨大な骨が、重要なのだという。

よく分からないけれど、持ち帰った骨をまずすりつぶす。何の骨だかは分からないけれど、完全に古くなっていて、石と殆ど変わらなかった。すりつぶす前に一旦蒸留水で洗って、埃を落とさなければいけない。

ここからが重要なのだが、骨粉末に熱を加えては駄目なのだという。

かといって、そのままでも駄目。

まず、幾つかの植物から抽出した液と、骨の粉末を混ぜる。この過程が難しくて、しかも成功の判定条件が厳しい。

何度もフラスコを振りながら、ロロナは神経をすり減らしていった。

にこにこしながら、天井近くを浮遊している幽霊のパメラは、ロロナの作業を見ている。

何だか、慈愛に満ちた視線だ。

子供の手習いを、見つめる大人のような。

ひょっとして、ロロナが何をしているのか、理解しているのか。

だとすると、悔しい。

今、ロロナが分かっているのは、七代前の錬金術師が実行した手順だけ。

それも、油を垂らして針の穴を通すような、極めて繊細な作業。七代前が試行錯誤の末に成功させた内容を、ただたどっているだけ。

何をしているのかは、具体的には分かっていないのだ。

幾つかの過程で、同じように厳しい条件を満たしていく。順番を間違えてはいけない。温度や、置いておく時間を間違えてはいけない。

参考書によると、こうして不純物を取り除くのだという。そうして、骨に蓄えられた何かを、取り出すのだとか。

どういう意味なのかさえ、よく分からない。

だが、とにかくまずやってみる。説明についての考察も読んではみたのだが、ほぼ理解できなかった。

だから、手を動かしてみる。

ネクタルは、極めて重要な存在だ。まず造り出してみる。一旦造り出せば、後は増やすことが難しくない。

フラスコが増えていく。

ラベルを貼ったフラスコには、作業の中間液が入る。1から7まで。そして、まだ5までしか、液体は満たされていない。しかも、5に入っているのは失敗作だ。

5回目の作業が、壁になっている。

どうしても上手く行かないのだ。

骨をすりつぶして、また粉にする。その間、他の骨を洗浄もする。作業の手が足りないけれど。

クーデリアに手伝ってもらうには、少しばかり繊細すぎる作業なので。手伝ってとは、言えないのだ。

雑用が出来る存在が、側にいれば良いのだけれど。

ちらりと、パメラを見る。

最初見た時、この世の破滅のように怖れてしまったロロナだけれど。一週間以上一緒に暮らしてみると、案外怖くないことが分かってきた。というよりも、ステルクの時と同じだ。慣れてきた。

一度などは、寝床に侵入されて、目が覚めたらにっこり真横でほほえまれたのだけれど。

流石にもう平気だ。

脅かされたときは、毎回学習能力無しに、悲鳴を上げてしまうが。

「パメラさん」

「なあに、ロロナちゃん」

「ひょっとして、この作業が何をしているのか、知っているの?」

「知ってるわよぉ。 でも、教えちゃ駄目って、アストリッドちゃんに言われてるの」

そうだろうと思った。

ただ、だからといって、師匠を恨むのは筋違いだ。何よりも、知っていたところで、多分どうにもならないだろう。

今回も、5回目の中間液が作れない。

ため息をつくと、外に廃液を捨てに行った。試験用の薬剤も、簡単に作れるものではないのだ。

時間のロスが大きい。

もう一度、参考資料を読み直してみる。

四番目の中間液からの加工手順が、極めて難しいのは。その温度調整管理にある。フラスコを直接火に当ててしまうようでは駄目だ。

人肌よりだいぶ温かいのだけれど、沸騰したお湯よりは冷たい。

そんな温度を、保たなければならないのだ。しかも、一昼夜。

温度を測る装置自体は、ある。

だが、ぶれが許されるのは十度ほど。一体どうすればよいのだろうと、ロロナは小首をかしげてしまった。

この参考資料を書いた人は、どうやって突破したのだろう。

見ると、弟子達を交代で寝起きさせて、人海戦術で突破したとある。なるほど、そう言うことか。

しかし、クーデリアやリオネラ、イクセルに、徹夜してくれなどと頼むことは出来ない。頼んだところで、失敗されても、怒る資格など無いだろう。

一旦中間液を全て片付ける。

ついでに、釜から、苗床も出す。苗床は一旦完成さえしてしまえば、冷たいところに保管すれば大丈夫とあるので、問題は無い。

片付けが終わると、ロロナは自分の肩を揉みながら、サンライズ食堂に向かった。

何か、気晴らしに食べておきたい。

途中、クーデリアと会った。サンライズ食堂に向かうところだったらしい。

ほっぺに傷跡があった。アーランド戦士としては、傷を見せるのはむしろ誇りになるのだけれど。

ロロナは思わず心配してしまった。

「どうしたの、くーちゃん! 十字傷なんて」

「少し前から、一人で旅人の街道に出向いて修練してるのよ」

ぞっとした。

あの辺りにいるモンスターの戦闘力は、近くの森とは比較にならない。大丈夫なのだろうか。

だが、ロロナの不安を察してか、クーデリアは嘆息する。

「大丈夫、エージェントに同行を頼んでるから。 いざというときまでは、手を出さないように言ってるけど」

「無理しちゃ駄目だよ」

「あんたこそ。 ここしばらく、ずっとアトリエに籠もりっきりじゃない」

「えへへー。 どうしても、途中の作業が上手く行かなくて。 それさえどうにかなれば、耐久糧食の作成まで、一気に進められそうなんだけど」

サンライズ食堂に入る。

この間ステルクが食べていたホーホを注文。そうすると、クーデリアも、同じものを頼んだ。

どんと、大きな皿が二つ出てくる。

ほかほかのお野菜とお肉、それにたれ。炊いた穀類の香り。

庶民のためのジャンクフード扱いのホーホなのに。此処のは本当に美味しそうだ。ただ、滅茶苦茶に量が多い。

食べきれるか不安になったけれど。

疲れが溜まっていたからか、おなかがとてもすいていたからかは分からないが。食べ始めると、意外や意外。何処にこんなに入るのだろうと自分でも思うくらい、ぱくぱくと食べる事が出来るのだった。

クーデリアも、状況は同じ。

元々相当な訓練で、自分を追い詰め続けているのだ。

食べ物なんて、いくらあっても足りないだろう。

「そういえばくーちゃん、あの盗賊のおじさんは、大丈夫かな」

「少し前に工場に寄ったけど、立派に働いてるわよ。 ちゃんと食事も出てるし、寝床も用意されてるから、血色も前より良くなってるわ」

「そう、それは良かった」

あのおじさんが語った身の上話が本当かは、ロロナにもよく分からないけれど。

ただ、あの人は、逃げる機会があっても、そうしなかった。

嘘は言っていたかも知れないけれど。きっと、これからは、安定した生活ですさんだ心も癒やされていくだろう。

むしろ、ロロナは。

クーデリアの方が心配だ。

食事を終える。

イクセルが、おまけだといって、ジュースを出してくれた。

「わあ、イクセくん、ありがとー。 これ、何のジュース?」

「飲んでみな」

「うん!」

しらけた目で見ているクーデリア。

とりあえず、ジュースを口にする。もの凄く甘ったるい。ただ、のどごしと、後味は悪くない。

ちょっとべたべたもした。

「これ、何のジュース?」

「ミルクの樹液を煮詰めたもんだよ。 この間、街道まで出かける機会があってな」

「ああ、なるほど」

イクセルは、新しく手に入れた食材を、すぐに使って試したがる。今回のは、試供品扱いと言うことなのだろう。

ミルクの樹液は入手が難しい素材ではないし、食材としては割とポピュラーだ。ただ、そのまま飲むのは少し厳しい。だいたいの場合、ある程度加工してからだ。

イクセルも、ただ煮詰めただけではないだろう。

何をしたのかは、聞かないでおく。企業秘密になるだろうから。

「もう少し、甘みを抑えた方が飲みやすいわね」

「おう、ありがとう。 ロロナは?」

「わたしはこれでもいいよ?」

「あんたは本当に甘い物好きね。 虫歯になるわよ」

呆れかえったクーデリアに、お小言を言われてしまった。

おなかも膨れたし、気分転換も出来た。食堂を出ると、其処でクーデリアと分かれる。まだ、何処かに採集に行く必要はない。

それよりも、出来るだけ早く、ネクタルを仕上げなければならなかった。

 

1、子供が出来ました

 

ロロナがアトリエに戻ると、思わず足が止まった。

知らない子供が、ぺたりと床に座り込んで、膝を抱えて此方を見ていたからだ。薄紫色の髪を長く伸ばしている、とても可愛い子供だ。

それも、ふりふりの、何だか師匠が大好きそうな服を着込んでいる。

恐らくは女の子だろう。

じっと見られる。

視線が少しの間、ぶつかり合った。

ロロナは思わず、謝ってしまう。昔から、何かトラブルがあった場合、自分が間違っていると判断することが多い。

「ごめんなさい、間違えました」

一度、アトリエを出る。

そして、看板を確認。

明らかにうちだ。だとすると、あの子は誰だろう。師匠が預かってきた、よその子なのだろうか。

その割には、あまりにも堂々としていた。ロロナよりだいぶ年下に見えたし、それにしてはあまりにも態度がおかしい。

ドアを開けると、やはりあの子はいた。

「お帰りなさいませ、マスター」

その声は、まるで氷。

感情がまるで感じ取れない。よく見ると、目にも感情が全く宿っていなかった。

「え……? う、うん。 貴方は、だあれ?」

「ホムンクルスです。 これより、マスターの手伝いをするようにと、命じられています」

「ほむん、くるす?」

聞いたこともない。それは名前なのだろうか。

いきなりおしりを撫でられて、跳び上がりそうになった。後ろで師匠が、ものすごくいやらしい笑みを浮かべている。

「ひいっ! し、師匠!」

「どうしたロロナ、私からのプレゼントが気に入らないのか? まあ入れ」

「プレゼント?」

何を言っているのだろう。

とにかく、これ以上おしりを撫でられたらたまらない。さっさとアトリエに入ると、買ってきた素材をコンテナに入れる。

その様子を、ほむんくるすとかいう小さな子は、じっと見ていた。

「その子、何処かから預かったんですか? 人嫌いな師匠には珍しいですね」

「私が嫌いなのは愚民であってだなあ。 まあそれはいい。 この子がプレゼントだ」

「ふえっ!?」

確か、アーランドでは、現在奴隷の売買は禁止されているはず。

元々人口の少なさを補うために、外地で奴隷を買って連れ帰ることは推奨されていた。それはロロナも知っている。それが、この国の血塗られた歴史の一端だとも。連れてこられた奴隷階級は、今は労働者階級として、街の中でちゃんとした権利を認められて、力も持っている。

今でも、よその国から奴隷を大規模に買い取って、労働者階級として連れてきているという話は、たまに聞くけれど。本当かどうかは知らない。

まさかロロナとしても、奴隷をこんな所で見るとは思わなかった。

「違う違う。 この子は私が作ったのだ」

「師匠が産んだんですか!? そうだったら早くいってください、お祝いとか、いろいろしたのに! お相手は誰ですか?」

「違う。 お前は本当に馬鹿だなあ」

師匠がそれは本当に嬉しそうに言う。

話を何度か聞いたが、師匠はロロナを意図的に馬鹿に育てたのだという。へこむ話である。そして、師匠が一番喜びを感じるのは、ロロナが馬鹿な発言をして、それに気付いていない時なのだとか。

つまり、根本的な勘違いをしている、ということだ。

そういえば、ここしばらくも師匠のおなかが膨らんでいる様子は無かったし、子供を産んだという事はあり得ないか。

まて。

師匠は、作ったと言った。

意味がようやく理解できてきて。ロロナは、全身の鳥肌が立つのを覚えていた。

「ま、まさか、師匠」

「そうだ。 私は人間の製造に成功したのだ。 錬金術で言うホムンクルス。 これはお前用に作ったホムンクルスだ」

悲鳴を飲み込む。

何だかそれは、禁忌の中の禁忌に思えた。

そういえば、この子も何だかおかしかったのだ。年の割には、まるで人形みたいな表情。このくらいの年の子は、もっと落ち着きが無くて。世界を見ようとして、瞳をきらきらさせているものなのに。

まるで何もかもに興味が無いように、完全に無表情だ。

「グランドマスター。 マスターは、私の事が嫌いなのですか?」

「いや、此奴は馬鹿だから、混乱しているだけだ。 じきにお前に命令をくれる」

「本当ですか。 私は廃棄されずに済むのですね」

「そうだ。 良かったなあ。 私の弟子は馬鹿だが、情はそれなりに篤いのだ」

物騒な単語が飛び交っている。

そういえば、パメラは。天井の辺りにいた。腹ばいの格好で浮かんで、にこにこしながらやりとりを見ていた。

なんだか彼女が来てから、アトリエは一気に騒がしくなって。そして、おかしな事ばかり起こるようになった気もする。

さすがは、幽霊だ。

「お前、妹が欲しいといっていただろう」

「そ、それはそうですけど! まさか師匠が、妹を作るだなんて思っていませんでしたよう!」

「私は天才だということを忘れたか。 さあ、せっかくだから、名前を付けてやれ。 此奴には、まだ名前もないのだ」

じっと見つめられて、何か言い返そうとした言葉を飲み込む。

ホムンクルス。そういえば、何処かで聞いたような気もする。いずれにしても、放置していては、この子が可哀想だ。

「ええと、そうだね。 ホムちゃんでいい?」

「私の名前はホム、ですか。 分かりました。 これより私は、名前をホムとして認識いたします」

「ごめんね。 何だかこんな所で、気の毒なことに巻き込んで」

「マスターの言うことが、ホムには良く理解できません。 ホムは一通りのことをグランドマスターに教わっていますが。 そのどれにも該当しない事象です」

どうやら、アストリッドのことを、グランドマスターと呼んでいるらしい。正直よく分からない世界だ。

立ち話も何なので、テーブルとお茶を出す。

お茶を淹れていると、師匠はあくびをしながら自室に戻ってしまった。まさか、最近ずっと生ゴミのような臭いがしていたのは。この子を「作っていた」ゆえだったのか。

色々と話を聞いてみる。

お茶請けも普通に食べているところを見ると、人間とあまり変わりは無い様子だ。それだけは、安心できた。

「それでホムちゃんは、わたしの世話をするために、師匠が作った、んだね」

「はい」

「手伝い、か。 お料理とか作ったり出来る?」

「可能です。 ただし、グランドマスターは錬金術の手伝いをさせるために、ホムを作成された様子なのですが」

しゃべり方に全く抑揚がないので、喋っていて疲れる。

感情が、目どころか、言葉にも全く籠もっていないのだ。これはリオネラと話しているよりも、疲れるかも知れない。

いずれにしても、子供にいきなり仕事は任せられない。簡単なことから、やってもらう他ないだろう。

「それじゃあ、研磨剤を作ってもらおうかな」

「レシピを見せてください」

「わ、いきなり難しい言葉が使えるんだね」

早速出してくる。

研磨剤は、単純に作るのに手間が掛かるのだ。この子にまず任せるには、丁度良いだろう。

乳鉢などの場所も教えておく。

さっそく、作業に取りかかるホム。見ていると、手際はとても良い。一発でレシピを覚えたのか。

その上、動きも速い。

ロロナよりも、出来るかも知れない。ただ、まだ子供だ。一応、最初の作業が出来るまでは、見ていた方が良いだろう。

ロロナ自身は、合間を縫って、ネクタルの作成に向けて動く。四番目の中間液から、五番目の中間液を作成するまでは、まだ遠いのだ。

それにしても、中途半端な温度をずっと保つには、どうしたら良いのだろう。

炉を一瞬見たが、それでは温度が高くなりすぎる。

かといって、お湯を炊き続ける場合、水を入れ替えるときが大変だ。炭などを使うとして、どうやって同じ温度に保ち続けるか。

しばらく考えた後。

ロロナは、外から桶を持ってきた。

確か、お水はたくさんあるほど、同じ温度を保てるはず。

しかしこれをお湯にして、同じ温度に保ち続けるとなると、かなり難しい。温度を測るには、どうするか。

「出来ました」

「うん……」

「マスター?」

「あ、ごめん。 見せて」

ホムの小さな手の中に、乳鉢と研磨剤がある。

手にとって確認すると、品質は問題が全く無かった。これなら、任せてしまって良いだろう。

少しずつ、難しい調合も、任せることが出来そうだ。

まずは研磨剤から。フェストはたくさんしまってあるので、其処からだして、研磨剤に調合してもらう。

腕組みして、しばらく考え込んでいたロロナは。大きく嘆息した。

「参ったなあ……」

やはり、上手い方法が思いつかないのだ。

魔術の類を使うことまで考えたのだが、それでも駄目。第四の中間生成物に、ある液体を混ぜてから、一定温度に保ち続けなければならない。温度が下がってしまうと、すぐに駄目になってしまうのだ。

悩んでいると、クーデリアが来た。

クーデリアはホムを見て、吃驚したようで固まっていたが。ロロナが見ていることに気付いて、咳払いした。

「なに、近所の子でも預かってるの?」

「師匠が作ったんだよ、その子」

「はあ?」

「ホムンクルスっていうらしいよ。 ホムちゃんって名前にしたの」

呆れたようなクーデリアの顔。

あれ。

でも、驚きが随分小さな気が。何も知らなかったのだとすれば、クーデリアなら、もっと吃驚すると思ったのだけれど。

「何でもありね。 で、どう? はかどってる?」

「ううん、駄目ー。 どうしても、同じ温度に一昼夜保つってのが出来なくて」

「あんたの得意な魔術は?」

「それでも無理。 炉に入れるには冷たすぎるし、お湯で保つのは大変だし……」

参考書を、もう一度見る。

研究データは詳細に書かれているのだが。どうやって、お湯の温度を保ったかは、書かれていない。

この人の関連で調べて見るべきだろうか。

手記や何かはないか。

クーデリアに手伝ってもらう。

「あの子にも、手伝ってもらったら? あんたの手伝いのためにいるんでしょ」

「流石に今日きたばかりだし、いきなりいろんな仕事は任せられないよ。 順番、順番」

「そう。 手記は、こっちね」

クーデリアが手際よく、手記を見ていく。

ロロナはどうしてもこういうのを、手際よくする事が出来ずに、もたもたしてしまう。頭が根本的に悪いからだろう。

しばらく、二人で資料を探す。

これじゃないのかと、クーデリアが声を上げたのは、夕刻。

ただし、其処にあったのは。

「ええと、何々。 第四工程は、試行錯誤を重ねた。 カタコンベ遺跡の途中装置を確認したところ、断熱材を巻いていて、それで温度を保っている様子だった」

「断熱材……」

「どう、作れる?」

首を横に振る。

カタコンベの機械は、あの触手達が守っていることが、容易に想像できる。其処から取ってくるのは駄目だ。

何より、彼処の装置には触ってはいけない。色々と、人類のためになっているのだと、何となく理解できるからだ。

断熱材を、まず他の資料から調べて見る。

一つあったけれど。非常に燃えやすい。何しろ、鳥の羽毛なのだ。そんなものを使ったら、瞬く間に焼けてしまう。

他には。

石綿と書いてある。生成が結構難しいし、材料も手に入れられそうにない。

クーデリアと、順番に出来そうなものを吟味していく。これも無理、あれも駄目とやっていくうちに。

一つ、見つけた。

一旦液体化して、それにたくさんの泡を入れることで作る断熱材だという。素材については、準備できる。泡をたくさん入れることについても、どうにかなるだろう。

今後、温度を保つ形態の調合では、これは使えるかも知れない。

しかも、火に強い。

「良さそうじゃない」

「うん。 素材は、ちょっと工場に行ってこないと手に入らないのがある。 くーちゃん、ホムちゃんを見ていてあげてくれる?」

「分かったわ。 すぐ戻ってきなさい」

アトリエをクーデリアに任せて、ロロナは飛び出す。

時間は、情け容赦なく過ぎていく。

 

息を切らせて、アトリエに戻ってくると。

クーデリアが、ホムと何か言い争いをしていた。怒っているクーデリアに、ホムが淡々と言い返している感触だ。

「ど、どうしたの!?」

「ロロナっ! この子、失礼極まりないわよ!」

「ちょっと、まって、落ち着いて!」

ついっと視線を背けてしまうクーデリア。それに対して、ホムは悪びれた様子も無く、小首をかしげていた。

何があったのだろう。おろおろするロロナに、ホムは言う。

「マスターの言うこと以外は聞けない、と返答したら。 怒ってしまったようなのです」

「あたしはただ、作業が終わったんなら、次に掛かりなさいっていっただけよ。 さぼってたじゃない」

「マスターの言うこと以外はお聞きできません」

「この……!」

クーデリアが本気で苛立っているのが分かる。

何となく、理由はロロナには分かった。

クーデリアは家での立場がかなり厳しい。最近も、その立場が改善したという話は聞いていない。

時々様子を見に行くのだが、家族とは殆ど口もきかない。エージェントの人達とは、そこそこ上手くやっているようだけれど。

上下関係というものが、クーデリアの中ではかなりシビアな問題なのだ。

「ホムちゃん、次からは、くーちゃんの言うことも聞いてあげてくれないかな。 指示が不的確だとは思わなかったでしょ?」

「マスターがそう言うのなら」

「何よ……」

「くーちゃんも、ホムちゃんに配慮してあげて。 ほら、お土産も買ってきたし、少し休憩にしよう?」

お茶をてきぱきと出す。

買ってきたお茶請けは、職人通りの隅っこにあるおばあさんのお菓子屋さんで買ってきた。

おばあさんは魔術によるお菓子作りを得意としていて、味は今のところ、誰にも再現できていない。

全体的にクッキー系統のお菓子が多いのだけれど。甘さといい歯触りといい、言うことが無い。

隣にあるティファナさんのお店でも、此処まで美味しいお菓子は出せていないのが事実だ。

流石にクーデリアも女の子だ。

甘いものを食べると、多少は機嫌が良くなってくるのが分かった。

「ほら、準備はしておいたわよ」

「ありがとう。 それじゃあ、調合に取りかかるかな……」

ホムには、明日以降、少しずつ難しい調合を頼みたい所だ。

手際を見る限り、ロロナよりよっぽど器用かも知れない。

クーデリアがまとめてくれた資料に、ざっと目を通す。そういえば、おなかの傷は大丈夫なのだろうか。

クーデリアがおなかを気にしている様子は無い。

「また、何処かに採集にはいかないの?」

「しばらくは大丈夫だよ。 素材はある程度揃ってるし」

「採集なら、ホムが行きますが」

横から、ホムが口を出してくる。

小首をかしげた。

「ホムはグランドマスターに、アーランドの平均的な戦士並みの戦闘能力と、ハイドスキルを与えられています。 多少の素材でしたら、回収は容易です」

「う、うーん、そうなの?」

「お疑いですか?」

「今は、とりあえず調合をお願いね。 そのほかのことは、後で考えるから」

いきなり初日から、フルでホムを働かせるのも問題だろう。

もう休んで良いよと言うと、ホムはしばらく乳鉢を名残惜しそうに見つめた後、頷いて寝室に歩いて行った。

クーデリアは、まだホムの事があまり好きでは無いらしい。

「やっぱり感じが悪いわ、あの子」

「そうかな。 可愛いと思うけど」

「それに、何だか此処、まるでダンジョンみたいな環境になってない?」

そういえば。

少し前に、クーデリアはパメラと顔を合わせた。

クーデリアはパメラに怯える様子は無く、あきれ果てていた。また、変なものを拾ってきてと言われて、ロロナは経緯を説明したが。だが、それでも何だか、ぷりぷり怒っていた。

パメラは今、天井近くに浮いて、うつらうつらとしている様子だ。

「今、このアトリエに住んでる純粋な人間、あんただけじゃないの?」

「え? 師匠は?」

「ノーコメント」

そう言われてしまうと、悲しい。まあ、師匠が人間離れしているのは、ロロナも認めるところだが。

お茶を済ませると、クーデリアに手伝ってもらって、断熱材の作成に掛かる。

正直な話、もたついている余裕は無い。

タイムリミットは、刻一刻と迫っているのだ。

 

2、ネクタル苦闘

 

作った灰褐色の液体に、泡をたくさん作り出す欠片を投入。

しばらくかき混ぜながら、様子を見ていく。

やがて、錬金釜から取り出して、成形。冷えると、少しずつ灰色に近い状態になってきた。

触ってみると、とても軽い。

早速実験をしてみる。

断熱材の向こうで、クーデリアに触ってもらう。ロロナ自身は、その反対側で、魔術によって、熱を起こした。これくらいは、簡単だ。

しばらくするが、クーデリアは首を横に振った。

「熱は全く伝わらないわ。 冷たいままよ」

「良かった、それなら熱も逃げることが無さそうだね」

「これ、どういう仕組みなの?」

「ええとね、これによると。 断熱材として最も優秀なものは、空気なんだって。 それで、空気をこの中に閉じ込めることで、熱を防ぐんだって」

凄い仕組みだねと言うと、クーデリアは肩をすくめた。

ひょっとすると、彼女には既存知識なのかもしれない。ただ、ロロナは、新しいことを覚えて、嬉しかった。

この断熱材を、二重三重に、フラスコに巻き付ける。

柔らかいので、加工は容易だ。その間、ホムには中和剤を作ってもらった。釜があいている時を見計らって、その内ゼッテルを作ってもらうのもいいだろう。

フラスコを充分に温めると、此処からだ。

第四次中間液を、フラスコに注ぐ。

そして、中に、事前に生成していた液体を注ぐ。石灰を中心にして破砕して、其処に一種の酸を混ぜたものだ。

フラスコを、完全に断熱材で包んだ後は、何度か混ぜて環境が安定している地下コンテナに。

第四次中間液は、まだまだたくさんあるけれど。この先は、今だ一度も成功していない。上手く行けば、丸一日経った後、フラスコ内の液体が透明になるはずなのだが。今までは、ずっと赤黒く濁ってしまっていた。

コンテナから出てくると、ソファに腰掛ける。

ため息が漏れた。

これで駄目だと、正直な話、手の打ちようが無い。

一応念のため、二度ほど実験した。

フラスコにお湯を入れて、断熱材で包んで、放置してみたのだ。断熱材の効果は抜群で、翌日になってもお湯のままだった。

だから、今回も上手く行く。

その筈だ。

着実に過ぎていく時間が怖い。残り時間はまだまだあるけれど、やはり今回も綱渡りだ。

もっと簡単に済ませる方法があれば良いのだけれど。師匠が出てきてくれれば、きっと何もかも全部一発で解決するのに。

だが、文句ばかりを言ってはいられない。

ホムが釜を洗ってくれていた。非常にこれも手際が良くて、ロロナは横から口を出さなくても大丈夫だ。

「マスター、次は何をいたしますか」

「じゃあ、ゼッテルを作ってもらおうかな」

「分かりました」

すぐに動き出すホム。

コンテナから、ゼッテルの素材になるマジックグラスを、どっさり取ってくる。今まで採集して、蓄えておいたのだ。

レシピを見ながら作業するホム。にこにこしていながらロロナが見ていると、時々とんでも無く辛辣なことを言う。

「どうしてマスターは、レシピに擬音を入れるのですか?」

「え? その方が、分かり易いからだよ」

「わかりにくいです」

「そうかな?」

天井近くでやりとりを見守っていたパメラが、降りてくる。

すっと音もなく移動するので、時々ロロナは心臓が止まりそうになる。やっぱりまだまだ、パメラは怖い。

「ロロナちゃんのレシピを幾らか見せてもらったんだけれど、ピューとかぐーるぐーるとか、面白い表現が多いわよねえ」

「マスターの言語中枢には問題があるとしか思えません」

「酷いよホムちゃん!」

「マスターが完全に自作したレシピに到っては、ほぼ解読不能です」

多分それは、獣の像のレシピなどのことだろう。

他にも最近は、幾つか小さな作業をこなして、新しいアイテムを造り出している。その時には、後で自分で分かるよう、レシピを書いているのだ。

そういえば、クーデリアにも、同じようなことを言われた気がする。

「うーん、そうなのかなあ」

「ロロナちゃんはお馬鹿だけど、とても賢いのよねえ」

さらりと、訳が分からないことを言われる。

混乱するロロナに、パメラはなおも追加した。

「多分、普通の人が筋道立てて到達する終着点に、感覚で到着してしまうのね。 それを、上手に説明できないのよ」

「それで、お馬鹿で、賢い、ですか」

「何だか酷い事を言われている気がする」

「ロロナちゃんは、天才だと思うけれど」

あれ。

どうしてか、パメラが褒めてくれている。驚いたロロナに、パメラはにんまりと笑みを浮かべてくれる。

「でも、やっぱりお馬鹿だわ」

そこまで言われると、かなりへこんでしまう。

ゼッテルを作り始めたホムを見る限り、作業には問題も無い。師匠は朝から出かけてしまって、帰ってくる気配もないし、食事は作らなくても大丈夫だろう。

ただ、ホムを放置する訳にはいかない。

相応におなかも空くようだし、子供にとってそれは酷だ。幸い、今はロロナの手が空いているから、食事に取りかかる。せっかくなので、パイの研究を進めておきたい。釜がないけれど、幾つか作っておいた、圧縮パイのレシピを精査する。

保存食として作った圧縮パイ。

元々のホールパイを、幾つかの手順を経て、掌サイズにまで潰してある。柔らかい食感はその結果失われ、代わりにクッキーのような歯ごたえになっている。ただし、問題も多い。

まず、美味しくない。

それに、食べると喉が渇いてしまう。

だからロロナは、この問題を克服しようと、今研究を進めているのだ。

この間、製法を変えて作っておいた三つを口に入れてみる。

材料として肉を入れたものは、とにかく硬くて、しかもお肉の旨みをあまり感じる事が出来なかった。

レシピ帳に、これは駄目と書く。

森キャベツを使ったパイについても、あまり美味しくない。新鮮な森キャベツは柔らかくてとても食べやすいのだけれど。圧縮してしまうと、まるでにんじんか何かの芯を食べているかのようだ。

これも駄目。

最後に、ミルクをふんだんに使ったパイだが。

口に入れてみると、結構行ける。

水分はほぼ飛んでしまって硬いけれど。味がかなり柔らかい。これは実のところ、ホールパイにして作ったとき、あまり美味しくないと思ったものだったのだけれど。圧縮すると、結構食べられる。

これは、少し改良すれば、ありかも知れない。

食べてみて気付いたのだけれど、元からしっかり味がついているパイは圧縮すると良い結果にならない。

逆に、元の味が薄い場合は、圧縮するとかなり食べられるようになる。

今ので、少し方向性が見えてきた。

実際問題、今までの圧縮パイは、元から美味しかったパイを、台無しにしてしまっていた。

味を薄めに付けてパイを作れば。圧縮時に、或いはかなり食べられるようになるかも知れない。

今まで百を超える圧縮パイを作ったが、これでどうにか先が見えてきた。

「マスター、ご昼食はそれで終わりですか?」

「んーん、パイは別腹」

「そうですか」

ホムがおののいていたようだが、それはどうでもいい。とりあえず、昼食を買ってくる。今日はどのみち、第五中間生成液が出来るまで、やる事がないのだ。

それならば、これからネクタル漬けにする圧縮パイの品質を上げるべく、レシピを組む。ただそれだけだ。

 

コンテナに降りたロロナは、大きく嘆息した。

どうにか、出来ている。

断熱材を取り去ると、フラスコはまだ熱く。そして、第五中間生成液は、嫌みなくらい綺麗に澄んでいた。

まだホムは起きてきていない。

これから作業をして、一気に第六、第七と、こなしてしまいたいものだ。

第六中間生成液は、五番目に比べると、さほど難しくない。

というのも、三度ほど蒸留した高純度の水を加えて、かさを増やした後。今度は熱を加えて、三分の一にまで減らすと言うだけだからだ。

途中沸騰させてはいけないという制限がつくけれど、それくらいなら充分にコントロール出来る。

蒸留水については、とっくの昔に用意もしてある。

フラスコから、蒸留水を移す。

澄んだ液体同士が混ざり合うと、ぽこぽこと泡だった。内部でどのような変化が起きているか、ロロナには分からないけれど。

参考書の記述を信じるならば、これできっと。最終的には、ネクタルが出来るはずだ。

火を熾し、フラスコを温めはじめると、ホムが起きてきた。

ホムは寝ているときまで無表情で、いわゆる天使のような寝顔というのとは無縁。ロロナと同じベットで寝ているのだけれど。寝相が良いことは良いのだが、寝ているときの無表情ぶりを見ると、少し怖いくらいである。

パメラはと言うと、天井板に張り付いて寝ている。

下を向いて寝ているのだけれど、寝よだれの類は垂らしていない。幽霊だから、そういうのはないのだろう。

「マスター? 何をすれば良いですか?」

「そうだねえ。 それじゃあ、朝ご飯を作ってくれる?」

「分かりました」

昨日分かったことがある。

ホムは命令すると、ずっと同じ事を続けてしまう。だから、時々、休憩を入れる意味もあって、終わりが早い作業を入れておいた方が良い。

アーランド戦士並みの身体能力と言っても、子供なのだ。無理をさせてはいけない。

しばらく、じっとフラスコの様子を眺める。

突沸が起きないように、火からはある程度離してある。それが故に、温まるまでは、時間も掛かる。

目を離すと、一気に温度が上がるような気がして、怖い。

気がつくと、ホムがサンドイッチを差し出してきた。

「あり合わせの品ですが、どうぞ」

「ホムちゃんは?」

「ホムはもう食べました」

「そう。 わたしより少し多めに食べるようにして」

サンドイッチを頬張りながら、少し火力を調整。

小首をかしげるホムに、敢えて説明はしない。アーランド人の道徳を実践しているだけだ。

程なく、フラスコの温度がかなり上がって来た。内部の液体も、泡立ちが激しくなってきている。

火を一度止めた。

かなりの量、蒸気が立ち上っている。

参考書を見ると、この過程を終えた後、しばらく冷やす。そして最後に、何種類かの木の実から取り出した液を投入して、終わりだ。

ネクタルの原液が出来る。

そして、その原液を、最初に作った苗床に入れると。ネクタルは、自動で増え始めるのだ。ゆっくり、ゆっくりと。

そしてある程度熟成すれば。人間の傷を治し、ものの腐敗を遅らせる、とても凄い液体に変わるのである。

フラスコ内の液体は、冷める速度が遅い。

流石に火を止めた後、沸騰からは遠ざかっているけれど。まだかなり激しく泡立っていた。

透明であっても、水ではない。

それは、この異常な泡立ちからも、よく分かる。

壁は越えた。

だが、まだ油断は出来ない。最後の段階で投入する液で、何か躓くかも知れない。今のうちに、材料などは揃えておいた方が良いだろう。それに、この異常な泡立ちが正しい現象なのか、確認もしておきたい。

参考書をしっかり読んでおく。

確かに、第六段階で、非常に泡が立つという記述がある。なるほど、どうやらこれで正しいらしい。

また、この辺りになると、臭いも出なくなると言う。

あまり臭いはない。

念のために、第五段階の中間生成液を、また作っておく。やり方は分かったから、次もどうにかなるはず。

手持ち無沙汰にホムが座っているのが見えたので、買い物を頼んだ。

リストとお金を渡すと、頷いて、アトリエを出て行く。流石に工場に行かせるわけにもいかないので、買いに行かせたのは日常品だ。

フラスコを温めて、断熱材を巻いていると、眠そうに目を擦りながら、部屋から師匠が出てきた。

そういえば。

師匠の部屋からは、相変わらず生ゴミみたいな臭いが出続けている。まだ、ホムンクルスの研究をしているのだろうか。

「どうだ、上手く行っているか−?」

「どうにか、なんとかなりそうです」

「んー」

寝起きの師匠は機嫌が極めて悪い。いわゆる低血圧なのだ。

最悪なのは、大きな音などで無理矢理目覚めさせられたとき。師匠は物理的な手段も含めたあらゆる方法で、音の発生源を排除する。

一度だったか、近くの工事現場を壊滅させたことがあった。

「おはよう、アストリッドちゃん」

「パメラ、不肖の弟子の様子は?」

「頑張ってるわよお。 何だかほほえましいわあ」

「そうかそうか。 それが良いのだ」

ソファに座った師匠が、パメラと何か専門用語を使った話を始める。本当にこの幽霊は、生前何者だったのだろう。

錬金術師ではないと言っていたけれど。

学者なのだろうか。

学者が知的な佇まいだなどという幻想は、ロロナには無縁だ。何しろ、有数の錬金術師であるはずのアストリッドの現実を、目の前で見ているからである。それに父はこの国でも上位に入る戦士だが、家では無邪気で子供のようで、威厳なんて欠片もない。母も同じく優れた魔術師だが、家ではロロナ以上ののんびり屋さんだ。

凄い人の現実を見ているから、ロロナは夢なんてみない。

第五段階の生成液の調合が完成。

地下のコンテナに入れてくる。前と全く同じ調合をしているし、これで問題は無いはずだ。

アトリエに戻ってくると、第六段階の状況を確認。

泡立ちが、だいぶ収まってきている。

フラスコに触ると、かなり熱も下がってきていた。

これならば、成功と見なして良いだろう。一時はかなり焦った。温度が上がったままになっていたからだ。

メモを付け加えておく。

これは、或いは。多少の加熱で、充分なのかも知れない。

作っておいた、第七段階の生成液に必要な薬剤を混ぜる。フラスコ同士から混ぜるのではなくて、試験管から、硝子棒を伝わせて、慎重に入れる。

流石にこういうときに、師匠は脅かしてはこない。

一滴。

二滴。

フラスコの中に、作っておいた液体が混ぜ込まれる。

これで上手く行くはず。

一ヶ月近く足踏みしたのだ。どうにかなって欲しいと思うけれど。ロロナが願うことは、だいたい上手く行かないような気がする。

フラスコの中の液体は、透明なまま。

ただし、この作業が終わると、泡立ちが収まるはず。

じっと見つめているが、しかし。

泡立ちが、収まらない。

参考書を見る。温度はこのままで良い筈。しばらく、待てば良いのだろうか。右往左往しているロロナを見ている、アストリッドとパメラが、とても嬉しそうにしているのが、何だか悲しかった。

泡立ちが収まってきたのは。

ホムが戻ってきた頃。既に、昼をとっくに過ぎていた。

数刻は、不安に心をわしづかみにされていた事になる。なんだかげっそりしてしまった。

 

水にしか見えない、この液体が。

ネクタルの原液だ。

神々の飲み物にして、不老不死を約束する液体。ロロナはじっと見つめるけれど。液体は液体だ。喋り掛けてくるわけでもないし、いきなり固体にもならない。

用意しておいた、苗床に原液を注ぐ。

そして、ゆっくり。人肌に温めて、かき混ぜていった。

参考書には書いてある。

ネクタルは、生き物なのだと。

この苗床は、ネクタルのご飯なのだ。だから、出来た後も、時々苗床を足してやらなければならない。

苗床がなくてもネクタルは存在し続けるらしいのだけれど。それ以上に品質が上がる事もないそうだ。

「で、出来たー」

思わず、へたり込んでしまう。

これほど気合いを注ぎ込んだ調合は、初めてだ。

そして今後は、もっと難しい調合も、どんどん出てくるのだろう。正直胃を痛めそうだけれど。

これも、自分で決めたことだ。

数日、暗いところに置いておけば、つかえるようになるという事が書いてある。実験を済ませたら、次の作業に掛からなければならない。

つまり、耐久糧食の作成だ。

コンテナに、たっぷり作ったネクタルを移す。

気が抜けてしまっているのか、何度か硝子瓶を落としそうになった。全ての作業が終わった後、自室のベットに無言で移動。

そのまま、寝込んでしまった。

気がつくと、夜。

アトリエに出ると、ホムが夕食を作っていた。

小さい体で背伸びして、包丁でお肉を切っている。木箱を持っていくと、ホムはロロナを見上げた。

「使って」

「ありがとうございます」

「わたしも、ちっちゃな頃、これを使ってたの。 師匠ってば、わたしがちっちゃい頃には、もう怠け者だったから、料理もあまりしてくれなかったんだ」

「グランドマスターは、確かに怠け癖があるように思えます。 しかし……」

ホムが言うには、仕事をしているときには、すごく機敏に動くのだという。どちらが本当のグランドマスターか、よく分からないというのだ。

ロロナは、正直なところ。

師匠が錬金術をしているところを、見たことが無い。うんと幼い頃には、師匠の部屋に入れてもらった事はあるけれど。

最近は、それもないからだ。

見ていると、ホムはそこそこに、料理も上手にこなせている。

何でもある程度出来るというのは、とても便利だ。それに、師匠が言うには、身体能力も高く作ってあるとかで、採集もこなせるとか。それも一人で。

まあ、それは様子を見ながらだ。

さっと肉を湯にくぐらせて、火を通す。

ロロナが見ていても、特に失敗はしなさそうだ。肉の火加減も、丁度心得ているように思える。

小さくあくびをしながら、パイ作りにかかる。

レシピを見ながら、小麦粉の分量を調節して。作り置きしてあるミルクの中和剤を準備して。

炉に火を入れていると、ホムが裏口から顔を覗かせた。

「マスター、できあがりました」

「うん、ちょっと待っていてね」

炉の中に、パイを投入。

意図的に味を薄く作っている圧縮用のものではない。今日のは、そのまま食べるためのホールパイだ。

ちょうど良い貝が手に入ったので、貝肉をふんだんに使ったシーフードなパイである。アーランドからかなり南に行くと、幾つかの漁村が点在していて、その辺りから乾燥した貝肉を運んでくる行商人がいるのだ。

その中の一人が、昨日来たので、買い込んでおいたのである。

貝肉は適切に乾燥させると、かなりもつ。しかも、お湯で戻すと、とても美味しく食べられるので、ロロナも好きだ。

脈を測って、炉の中に入れている時間を調整。

数え終わった所で、炉からパイを出す。

じゅうじゅうと肉汁が音を立てていて、とても美味しそうに仕上がった。

「ま、美味しそうなパイねえ」

「ひゃあっ!」

いきなり、炉からパメラが顔を出したので、思わずパイを取り落としそうになる。幽霊だけあって、流石に何でもありだ。

食べるかと聞いてみたが、珍しくパメラは悲しそうに、一瞬だけ眉をひそめる。

食べられない、と。

それも、そうか。

「とりついていいのなら、食べられるのだけれどぉ」

「ちょ、やめてください!」

「やあねえ、冗談よ」

けらけらと笑うパメラだけれど。

ふと、気付いてしまう。

この人は、どうして幽霊になどなったのだろう。色々ロロナなりに調べて見たのだが、幽霊というのは、余程に強い魔力や意思の力を持った人が、強い執念や未練を残して死んだときに、心だけが残るのだとか。

この楽天家で、何でものんびりしている人が。

一体、どうしてこの世に留まっているのか。

パメラはロロナをからかうばかりで、何も教えてくれない。師匠と時々難しい話をしているが、ロロナには内容も理解できないし、教えてくれもしなかった。

とにかく、食事にする。

ホムはテーブルマナーもロロナより上で、口の周りを汚したり、粗相をしたりは一切しない。

妹がいたら、そういうのも教えてあげたりしたかったのだけれど。

そう言う楽しみは、今後一切無縁そうだった。

頭もきっとロロナより良いだろう。少なくとも、ロロナの前で、ホムが何か失敗するところは。

既に現時点で、思い当たらない。

シーフードのパイは、良く出来ていた。貝肉はこりこりしていて、口に入れるとパイ生地との相性が最高である。ちょっと塩味が効いているから、お昼ご飯には最適かも知れない。ただ、少しロロナとしては減点せざるを得ない箇所もある。何種類かの調味料が、上手にかみあっていないのだ。

食べながらレシピを出して、調整。

次に作る時は、もっと美味しく。パイ作りには、ロロナは妥協しない。

「マスター。 この出来でも、気に入らないのですか?」

「ホムちゃん、美味しかった?」

「正直、マスターが作られる他の料理とは雲泥の差です。 この間食べた市販のパイと比べても、全く遜色がないように思えるのですが」

「ありがとう。 でも、好きなものには、妥協したくないからね」

師匠は自室を出てこない。

ホムによると、出かけてしまっているという。それなら、残しておいても仕方が無い。

残ったパイは、隣近所にお裾分けしてしまう。ホムと手分けしてお裾分けが終わると、片付けもすませて。

それが終わった後、ロロナはネクタルの様子を見に行った。

苗床の液体は、少し様子が変わっている。

色が薄くなったというか、何というか。

泡立ちはじめているのが分かった。

生き物だというネクタルが、苗床を食べているのだろうか。参考書を見てみると、完成したネクタルは、かなり激しく泡立つものなのだという。

ならば、これで良いのだろう。

数日、時間が出来た。

その間に、色々やっておきたい。コンテナの中を調べて、素材の在庫を確認。少しゼッテルの材料が、減ってきていた。

今のうちに、採集しておくか。

「ホムちゃん、留守番を頼んでいい?」

「はい。 いつ頃お戻りですか?」

「そうだねえ」

ネクタルの方は、どうせ少しの間寝かさなければならない。見ていても仕方が無い。

出来たネクタルを使う実験の方は、レシピも出来ている。失敗ばかりしている間に、レシピの整備は終わっていたからだ。

後は、ネクタルの現物を使っての実験が全て。此処にいても、出来る事はない。

それならば、いっそのこと。

「カタコンベに行ってくるから、三日くらいかな」

「あら、カタコンベに行くの?」

いきなりパメラが、ひょいと天井から顔を出す。

ついていきたい、というのだ。

しばらく悩んだが。あそこにいたパメラは、危険な場所についても、知っているかも知れない。

「分かりました。 今、荷車を準備するので、待っていて貰えますか?」

もしも、カタコンベについて知る事が出来たら、有意義だ。

ネクタルの研究は今後、大きな意味を持ってくる気がする。余った時間を使って調べてはいるのだが、そうすればそうするほどに不可思議な力を持つ存在である事が分かってくるのだ。

今回の耐久糧食作成で、大きな意味を持つだけではない。

きっと、何か聞き出せれば、とてもすてきな事につながる。

そうロロナは思って。パメラに散々脅かされるのを覚悟の上で、同行を頼んだのだった。

 

3、奇跡の水と不思議な力

 

最初、ロロナはカタコンベの中にまで入るつもりはなかった。周辺で採集だけして、戻るつもりだった。

以前カタコンベの近くに行ったとき、比較的良質のマジックグラスが群生しているのを見たのである。近くの森にあるものよりも、かなり品質が良さそうだった。そればかりではなくて、薬草の類も、豊富に見かけられた。

だからいっそのこと、ゼッテルを作るためにも、出かけるのはありだと思っていたのだ。

そして、参考資料の記述を見る限り、ネクタルはカタコンベで生成され、しかも地面に流し込まれている。

カタコンベ周辺の自然が豊かであるのは、その影響かも知れない。事実、歴代の錬金術師達が緑化したという話もないのに。カタコンベの近辺は、美しい緑の園が広がっているのだ。

その辺りを、パメラに聞いてもみたかった。

しかし、街を出るときには、カタコンベの中までまた入ってみようと考えていた。

中に入ることに決めたのには。王宮に様子を見に行ったとき、たまたまステルクの手が空いていた、ということ。

更に、リオネラの同行も許可が取れた、ということだ。

クーデリアは酷い目にあったカタコンベへ行くことを嫌がるかと思ったのだけれど。全く嫌がる様子も無かった。

戦力は充分。

それなら、カタコンベ内部で生成しているというネクタルの様子も、見ておきたかった。

荷車を引いて、街を出る。

リオネラが、荷車を物珍しそうに見つめた。

少し前に、改造をまた施したのだ。

保存の術式を掛けたゼッテルを前から敷くようにして張っていたのだけれど。直射日光を遮り、風も防ぐように、幌状のゼッテルも準備したのだ。普段は幌を張ってはいないが、帰りは丁度荷馬車のようになる。

当然重さも相当なものになるので、ロロナも鍛えられる。

ステルクは荷車を一瞥だけした。

「そろそろ、荷車を引くための家畜がいるのではないのか」

「おうまさんとかですか?」

「馬よりも、ロバの方がいい」

ステルクの話によると、ロバは大変にタフで、馬よりも生命力に優れているのだという。荷駄に用いる場合は、ロバの方が適しているのだとか。

ただ、値段を聞いて愕然とした。

とてもではないが、買えるものではない。

更に、維持費も相当に掛かってくる。

えさ代に厩舎、それに世話をする手間。いずれも考慮すると、ロロナに手を出せるものではなかった。

馬は更にお金が掛かるというので、もっと無理だ。荷車を引いてくれるのは便利なのだけれど。

「錬金術でどうにかできないかなあ」

「ロバを作るのか」

「……」

クーデリアが微妙な顔をしたのは、どうも仲が良くない様子のホムの事を思い出したから、だろう。

ロロナはホムをかわいがっている。

できる限りの面倒は見ようと思っているし、いろいろな話もしている。今のところ、水を手で押すように手応えがないけれど。それでも、ホムが可愛いと思うことに違いがない。

ただ。ホムをかわいがっていると、クーデリアは機嫌が悪くなる。それを知ってはいるから、今後はどうにかしようと、ロロナは思っていた。

リオネラは何の話か分からないらしくて、話に加わってこない。

少しずつ人と話せるようになってきているリオネラだけれど。その分、図太さが目立つようにもなり始めていた。

それに考えて見れば、危険な採取地に行くのだ。モンスターにとって、ロバも馬もごちそうだろう。

目を離したら、あっという間に食べられてしまうかも知れない。

それでは、意味がない。

ステルクに聞いてみるが、実際に騎士団でも、危険地帯を通るときは、家畜を如何に守るかで苦慮するのだとか。

あらゆる意味で、ロロナには手が出せない。

考えつくのは、自動的に動く荷車。流石に、命を作り出す事は、まだまだロロナには出来ない。

しかし、既存の蒸気車両などを利用すれば、あるいは。

錬金術でも、動力を作り出せる可能性もある。それらの技術を組み合わせれば、更に大型の荷車を、採取地まで持ち込めるかも知れない。

やってみる価値はありそうだ。

ひょいと、荷車から顔を出したのはパメラだ。ステルクはぎょっとしたようだが、リオネラは平然としている。

「あら、貴方は私を怖がらないのね」

「この間、くまのぬいぐるみの中で眠っていた人でしょう?」

「あらあら、まあまあ!」

パメラがむぎゅっとリオネラに抱きつく。

ロロナは自分にもされたら大変だと思ったけれど。幽霊だから、抱きついてもすり抜けてしまうようだった。

「よく見ると、ロロナちゃん以上に魔力が強いのね! ステキだわ」

「おいおい。 人なつっこい幽霊のねーちゃんだなあ」

「リオネラ、友達になってもらったら?」

「うん……」

きゃっきゃっと黄色い声を上げてはしゃぐパメラや、まんざらでも無さそうなホロホロとアラーニャと裏腹に、リオネラは乗り気ではないようだった。

街道を途中で、東にそれる。

一旦ハロルド村に宿を取って、それから更に東へ。今日はカタコンベに行くこと自体ではなくて、周辺での採集がメインだ。

カタコンベの近辺には、低木が茂った森もある。

また、近くを流れている小川の水はとても澄んでいて、少し濾過すれば、そのまま飲めそうだった。

ただ、全ての川がそうではない。

ハロルド村の側にある川は、普通と同じ。この辺りの基準は、よく分からない。

リオネラにも、採取を手伝ってもらおうと、今回は思う。

既にスケッチは準備してきてある。

この間見かけた野草を、メモしておいたのだ。ロロナは特徴を抑えてスケッチするのが得意なので、一目で分かるはず。

クーデリアとリオネラに、それぞれ配る。

ステルクは見張りだ。

散って、採集開始。

今の時点では、周囲にモンスターの姿は見受けられない。遠くの空をバルチャーが飛んでいるけれど、此方には興味を見せない。

草むらに毒蛇がいたので、掴んで遠くに投げておく。

毒が活用できる蛇ではないし、噛まれて痛い思いをするのもいやだ。食べても美味しくない。

それなら、ロロナのためにも蛇のためにも、互いに距離を取った方が良いのは、自明の理だ。

近くの森よりも、採集していると、かなり品質が良い草が多いことに気付く。

これはおそらく、人の手が入っていないからか。

いや、少し違う。何というか、草そのものが、とてもみずみずしい。茎も葉も、つやつやしている感触だ。

野生の山羊がいたので、観察してみる。

アーランドの工場で飼っているものと、遜色ないほど肥えている。これは、普通ではあり得ない事だ。

ロロナだって、工場で飼っている家畜が、非常に豊かな環境にいることは、理解している。エサにしても、野生のものとは比べものにならないほど豊富に与えられているし、肉の質を上げるために適切な運動もさせられている。

山羊の場合は、昔から飼われている家畜だから、研究もされ尽くしている。

「どうしたの、ロロナ」

どっさり草を抱えたクーデリアが、荷車に入れながら聞いてくる。

ロロナが手を止めて、山羊を観察しているから、不思議に思ったのだろう。

「みて、くーちゃん。 あの山羊、すごく太ってるね。 工場で飼ってる山羊のよう」

「本当だわ。 血色も良いし、動き自体も俊敏そう」

「あら、良い所に気付いたじゃない」

パメラが、不意に逆さまになって、ロロナの顔を覗き込んできたので。心臓が止まりそうになった。

ロロナが怖がらなくなったので、パメラは不意打ち主体に切り替えてくるようになった。やっぱり不意打ちをされると、悲鳴を上げそうになる場面も多い。

けらけらわらうパメラだが、ロロナの心臓はばっくんばっくん言っている。正直泣きそうである。

「それで、謎の幽霊さんとしては、どういう見解なのかしら?」

「それは教えられないわよ−。 だって、教えたらつまらないじゃない」

「やっぱり何か知ってるんだ」

「当然です。 だって、私は」

ぴたりと、パメラが口をつぐむ。

笑顔のまま、なんだかいきなり固まったかのように。しばらくそのままにしていたが、パメラは笑顔を保ち、何処かに行ってしまった。

リオネラが、無言で草をどさどさと荷車に入れたので、我に返る。

何となく、分かってきたことがある。

「ねえ、くーちゃん。 パメラさんって、やっぱりあのカタコンベの関係者なんじゃないのかな」

「何を今更。 言動からして、旧時代の人間でしょう。 下手をすると、カタコンベを作った一人じゃないのかしら」

さらりと断言されて、やっぱりと思った。

クーデリアは聡明だ。ロロナも、クーデリアが言葉にしてくれて、やっとそうだと理解できる事も多い。

リオネラに聞いてみる。

「りおちゃん、幽霊には詳しいの?」

「えっ……? どうしたの、急に……」

「パメラさんって、凄く古い幽霊なの?」

「うん……。 きっと、あの遺跡と同じか、それ以上」

リオネラはどうしてか、幽霊に詳しい。

最初からパメラの存在に気付いていたようだし。やはり、その言葉は信用しても良いだろう。

状況証拠から言って、パメラには色々と聞いてみたいけれど。

先ほど口を滑らせ掛けてから、パメラは何処かに行ってしまって、戻ってこない。仕方が無いので、まずは手を動かしながら、カタコンベの周辺を観察することにした。

 

だいたい採集が終わると、汗がうっすら額に浮かんで来た。

まだ時間はある。

カタコンベに入りたい。色々と、調べておきたいことがあるのだ。

ステルクにその旨を伝えると。

少し小高いところから周囲を観察していたステルクは、咳払いした。

「危険があることは承知の上での発言だな」

「はい。 前と同じ失敗は、しません」

「よし。 前回の件で、騎士団はカタコンベを再度調査した。 幾つかの通路はそれで立ち入り禁止にしている」

具体的には、あの宝石のようなものがあった奥の通路。

現在では、魔術師が作った強力な防御結界が、路を塞いでいるという。ステルクなら無理矢理に突破することも可能だそうだが、もちろんそんな事は頼めない。

其処以外でも、遺跡を傷つけるような行為は厳禁、という事だった。

「それで、中に入って、なんとする」

「調べていると、前に此処を研究した錬金術師が、ネクタルの精製設備を見つけているみたいなんです。 それを確認したくて」

「ネクタルの精製設備……?」

「ええと、ですね」

皆に、説明をする。

その錬金術師の研究について。しばらく眉をひそめて聞いていたステルクだが、初耳だとぼやいた。

「奇跡の水を精製し、なおかつ地面に注ぎ込んでいる、だと」

「どうしてそんな事をしているのか、分からなかったんですけど。 ただ、周りを見てみると、何となく分かってきたんです。 採取した草はどれもすごく品質が良いですし、エサにしている動物たちもとても肥えています」

それに、この辺りは。

錬金術師が、緑化した形跡も無いという。

それなのに、これだけ豊かな緑があると言うのは。現在の世界では、あり得ない事なのだ。

アーランドの周辺などは、昔は一面の荒野で。わずかな緑地にしがみつくようにして、王都が作られたという話である。

歴代の錬金術師達が、緑化作業を必死に進めて。

それで、ようやく今の豊かな自然が出来た。

だからみんなその自然を慈しんでいるし、誇りにもしている。工場を作ることを推進している人手さえ、街の外に広がる広大な森を、どうこうしようと言うことだけは言わない。アーランド人にとっては、戦士の育成場所というだけではない。

森はふるさとであり、資源そのものなのだ。

そしてこの荒廃した世界では、資源がどれだけ大事なものなのかは。それこそ、子供でさえ知っている。

アーランド周辺の豊かさはともかくとして、カタコンベの周囲にあるこの豊かな緑地が、どうして着目されてこなかったかは、よく分からない。

調べて見る価値は、あると思う。

「分かった。 ただし、カタコンベは死亡事故が起きたこともあり、立ち入りが制限されている。 私が同行しても、今日の夜までが限界だろう。 後で報告書も上げてもらう事になる」

「有り難うございます、ステルクさん」

「礼はいい。 それよりも、的確に調査をして、可能な限り早く仕上げるようにしてくれ」

ステルクは、相変わらず険しい顔だったけれど。

怒っているようには、見えなかった。

カタコンベの中に入ると、パメラが姿を見せる。

大きくあくびをして、伸びをする彼女は、相変わらずのマイペースぶり。クーデリアが呆れたような視線を向ける中、一人だけ落ち着き払っていた。

「やっぱりこういう光景って、落ち着くわあ」

誰も、それには同意しない。

クーデリアは腹をかっさばかれて、危うく腸が飛び出すところだったし。ロロナは決死の思いで、盗賊のおじさんと一緒に遺跡の中枢まで潜る羽目になったのだ。

以前、酷い目にあった場所と言うこともあって、皆緊張しているのが分かった。ただ、中で人に会う。

巡回の戦士が来ているのだ。

考えて見れば当然だ。今まで放置されていた遺跡が、実は危険な場所だと言うことが分かったのである。死者まで出ている状況、放ってもおけないだろう。

戦士達はフォーマンセルで、完全な実戦装備で、巡回をしていた。

ステルクと敬礼し合った戦士が、報告をするのを横目に。通路の状態を確認。

以前より綺麗になっていた。骨も、より丁寧に脇に寄せられている。通路の真ん中は、掃除されたようで、ほこりも落ちていない。

「内部では、モンスターは確認されていない様子だ。 今のうちに、調査を済ませよう」

「分かりました。 少し、調べて見たい所があるんですけれど」

「遺跡を傷つけたり、刺激したりしないようにな」

ステルクが念を押す。

前の状態は、本当に危なかった、という事なのだろう。

以前は、足を踏み入れなかった場所に向かう。

この間読んだ参考資料で、其処に装置があると記されていたのだ。一応念のため参考資料も持ってきてあるが。

ある一点で、パメラが不意に動きを止めた。

大きな広場に出て、通路の一つに入ろうとしたときだった。

「この先にいくのぉ?」

「何かあるんですか、パメラさん」

「んー、教えられない。 しばらく私、此処で静かにしているわ」

そう言われてしまうと、仕方が無い。

通路の左右には、うずたかく骨が積まれている。クーデリアがぼやく。

「本当に辛気くさい場所ね。 あの触手が出てくるかも知れないから、気をつけなさいよ、ロロナ」

「分かってる。 りおちゃん、そろそろ自動防御、展開してくれる?」

「うん……」

あれ。

今更に気付いたが、どうも今日のリオネラは。以前来た時とは、雰囲気が違う。具体的には外にいるときと、同じような感じだ。

自動防御を展開してもらった後、地下に向かってゆっくり降っていく通路を、歩く。

周囲を警戒しながら、クーデリアは、小声で話しかけてくる。

「ロロナ、あの幽霊、どう思ってるの?」

「怖いけれど、悪い人じゃないと思ってるよ」

「まあ、悪い人じゃあないでしょうね」

ステルクが手招きした。

通路の奥で、何かが光っている。ごうんごうんと、大きな音もしていた。

工場を一度覗いたことがあるが、こんな雰囲気だ。つまり此処は、アーランドの文明の基礎となっているオルトガラクセンと同じ文明に起因する場所という事だ。しかし、どうしてなのだろう。

オルトガラクセンは、地獄のようなモンスターの住処。歴戦のアーランド戦士達でさえ、死を覚悟しなければならない場所だと聞いているのに。

此処には、モンスターは全くいない。

いるにはいるけれど。あの触手は、此方が敵意を見せなければ、何もしてこなかった。あの盗賊の死体達は、そもそも此方が危険ではないか、見極めるために送って寄越したのかも知れない。

坂が、終わる。

広い部屋に出た。

巨大なタンクがあって、パイプが床につながれている。

彼方此方が明滅しているが、どういう意味があるのかは分からない。ただ、このタンクが、機械と色々つながっていて。重要な役割を果たしているのは分かる。

「ロロナ!」

クーデリアに手招きされる。

タンクの裏側に、中をのぞける窓がついていた。早速覗き込んでみる。

驚かされたのは。

その中に、膨大な骨が入っている事だろう。間違いない。この遺跡に満ちている骨から、何かを抽出している。

タンクからつながっている太いパイプは、地下に伸びている。

ネクタル製造の過程で、あの骨を用いたけれど。此処では、更に大規模に、それをやっている、ということか。

ウィンウィンと音がした。

見ると、荷車が自動で動いている。骨を集めて来ているらしい。

この部屋からも、多数の通路が延びているようなのだけれど。覗いてみると、骨で一杯だ。

人骨ではないということだけれど。

一体何の骨なのだろう。

行き交う荷車を見ていると、別のタンクの中に、骨を注ぎ込んでいる。

見てみると、その中でまとめて洗い、様々な処置をしているらしい。覗き込もうとしたら、襟首を掴まれて、引っ張り起こされた。

振り返って見るが、クーデリアは近くを見回っている。側で自動防御をしているリオネラでもない。

見ると、床から伸びた銀色の触手が、紅い光を点滅させていた。

分からないけれど、これ以上タンクには近づかない方が良さそうだ。タンクから離れると、触手も床に引っ込む。やはりあれは警告だったのか。この遺跡は生きているし、大事な仕事をしている。

それなら、邪魔をしない範囲で調べなければ。

複雑につながっている機械類を、スケッチしておく。

後で何か分かるかも知れない。

クーデリアが手招きしてくる。

駆け寄ると、通路の一つが、更に地下に通じている。ステルクに聞いてみるが、この先も同じような機械類があるという。

早速行ってみたいけれど。

駄目だと言われてしまった。

「先ほど巡回の戦士に聞いたが、この先ではかなり多く、銀色の触手が目撃されている」

「危ないって、事ですか」

「そうだ。 此処は以前襲われた位置よりもかなり深い。 もしも触手が一斉に襲ってきたら、私だけでは君達を守りきれないだろう」

そう言われてしまうと、悔しいけど、どうしようもない。

クーデリアの顔を見るが、彼女も肩をすくめた。モンスターに襲われず、ある程度調査できただけでも、ましと思うべきなのかも知れない。

タンクの状態を観察していくと、何となく分かってくることがあった。

これは大規模な作業はしているけれど。

あの錬金術師のレポートにあった、ネクタルの作り方と、根本的には同じだ。

となると、レポートを残した錬金術師は、地下まで見に行って、機械の様子を確認していったのだろうか。

羨ましい。

それ以上は出来る事もなく。カタコンベの中の珍しい素材を集めてから、すぐに戻る事にした。

既に外は夜。

一泊だけして、アーランドに戻ることを決めると、ハロルド村に急ぐ。

今更気がついたのだけれど。カタコンベの側に、見張り用の小屋が出来ていた。数人の戦士が常駐している様子だ。

入るときに気付かなかったのは、死角に上手く配置されているから、である。

とりあえず、これで必要な情報は、得られたかも知れない。

カタコンベを出ると、パメラがまたどこからともなく、姿を現す。

幽霊だけあって、やはり彼女は、夜の方が元気なようだ。カタコンベの機械について聞いてみるが、全てはぐらかされてしまう。

そして、宿に戻ってからは。

夜中の間、ずっとパメラにいじられて、寝不足になったのだった。

 

此処からだ。

アトリエに戻り、コンテナに素材をしまい終えたロロナは。

できあがったネクタルを、コンテナから引っ張り出した。

どうにか、要件を満たしている様子だ。これを原液にして、今後は苗床を追加して、増やしていけば良い。

一口飲んでみる。

味そのものは、それほど良くない。ただ、体の奥底から、力がわき上がってくるかのようだ。

「マスター、どうしましたか」

「えー?」

怪訝そうにホムに見上げられて、ロロナは今更ながら、自分が極めて上機嫌になっている事に気付いた。

今までにない感覚だ。

これはひょっとして、お酒か。

一気に高揚が冷めていく。

その代わり、強烈な不快感が、胃の辺りからせり上がってきた。

体が固まらない内の飲酒は、体に害しか催さないと、聞いた頃があったからだ。幸い、まだ片付けをしてくれていたクーデリアが、すぐに気付いて、冷えた井戸水を持ってきてくれた。

大量に水を飲んで、クーデリアに手伝ってもらい、ソファに横になる。

酔い覚ましももらって、口に入れた。噂に聞く二日酔いの悪夢があるかもと思ったが。幸い、酔いそのものが、体に留まることはなかった。

ネクタルについて調べた資料によっては、そういえば。

古い時代の、神々の飲み物と書かれていたけれど。その神々は、とてもロロナでは真っ赤になってしまって口には出来ないような行いの数々をしている存在だったはず。ネクタルが、お酒であっても不思議では無いのか。

頭がしっかり動くようになった頃には、夜になっていた。

クーデリアがホムと何か話している。

内容は、良く聞き取れないけれど。これは廃棄するべきではないのかとか、それはまずいとか、そんな事を言っているようだった。

どうにか、起き出す。

コンテナの前で、クーデリアがホムと話している。ロロナを見て、二人とも視線をそらした。

「だめ……!」

「聞いてたの?」

「うん。 ネクタルがお酒になっちゃったのは分かったけれど。 でも、これがきっと、耐久糧食の核になるの」

「? 違うわよ」

クーデリアは咳払いした。

ホムも、怪訝そうに此方を見ている。

どうやら、ロロナは勘違いしていたのか。見る間に真っ赤になるロロナに、クーデリアは嘆息した。

「たかがお酒を捨てるわけないでしょう。 あんたの作るお菓子にだって、お酒が調味料で入る事があるんだから。 あたしが捨てようって提案したのは、あれよ」

「え……」

クーデリアが指さした先には。

まだ、コンテナに格納されていなかった、草の類があった。マジックグラスではなくて、主に昂精神作用のある薬草だ。

問題は、ゼッテルの包みをとったそれの根が。

うぞうぞと、蠢いていることである。

こんなに生きが良い薬草ははじめて見た。実際に動くマンドラゴラと同じレベルで、激しく蠢いているのではないのか。

いや、生きが良いとか、そう言う問題ではない気がする。

「何よそれ。 なんでそんな気味が悪いの取ってきたのよ!」

「し、しらないよ! どうしてこんなになってるの!?」

「捨てるわよ! 燃やせば動かなくなるでしょ!」

「待ってください。 これは貴重な薬草だと思います」

ホムが止めようとしていたのは、そんな理由だったか。

触ってみようとしたら、草の根が触手と同じように動いて、絡みついてくる。悲鳴を上げて手を引っ込めるロロナ。クーデリアでさえ、眉をひそめるほどだ。

「あらー。 元気な草ねえ」

いきなり地下コンテナ室の壁から上半身だけを生やして、パメラが満面の笑みを浮かべた。

ロロナが泣きそうになっていると、確実に姿を見せるのは、どういうことなのか。

とにかく、これはどうにかしないと、他の野草はどうかと思ったが。他は、このような奇妙なことに。

なっていた。

マジックグラスや他の野草まで、根がもそもそと動いているでは無いか。

背筋に寒気が走る。

自分たちは一体、何を採取していたのか。

本当に、ネクタルを飲んでも大丈夫なのか。

ぽんと、肩に手を置かれる。ひんやりとした手。いや、置かれたと錯覚しただけか。すぐ側で、満面の笑みを、パメラが浮かべていた。

「大丈夫よ。 だってロロナちゃんもクーデリアちゃんも、ずっと飲み続けているんだから」

何を。

何を言われているのか。

「本当はとっくにもう気付いているんでしょう? あの施設はネクタルの生産設備で、この地域全体に、うすーく拡散されたネクタルが、しみこんでいるの。 だからこの地域に住んでいるアーランド人はとても強いのよ。 植物も、動物たちも。 過酷な淘汰に晒された上に、神々の飲み物を得て、アーランド人は屈強の存在になったの」

そんなことは。

分かっていた。

分かっていたけれど、その意味は、理解できないでいた。

植物の根がぴんと張ると、動かなくなる。力尽きたのか。だが、一気に枯れることもなく、みずみずしいままだ。

そう、たくましい生命力に満ちた、植物たち。

いや、この地でたくましいのは。植物たちだけではない。

ネクタルは、あくまで泡立ち、澄み続けている。これは、ひょっとして。今も、ロロナ達が口に入れている水に、薄く含まれている、強さの源の原液なのか。

「貴方は……誰?」

怖くて、パメラの方を見られない。

知っていた。

この人が、どんな存在なのかは、うすうすと勘付いていた。ただの幽霊などではなく、もっと恐ろしい存在だと言うことは、分かっていた。

分からないふりを、しつづけていた。

足が震える。

周囲が見えない。

呼吸が乱れる。

心臓が、胸郭の中を跳ね回る。

クーデリアがいうまでもなく、分かっていたのだ。何故パメラが、ロロナの所に押しつけられたかは分からないけれど。

「私はねえ。 オルトガラクセンの……」

「其処までだ。 まだ早い」

手を叩く音。

気がつくと。師匠が、すぐ後ろに立っていた。

今までに無いほど、厳しい顔だった。肩をすくめると、パメラがすっと消える。へたり込む。

クーデリアに助け起こされた。クーデリアも、それまでは全く身動きできず、真っ青になっていたようだ。

パメラは、無力な女の子のように振る舞っているが、違う。あの威圧感、とんでもない。高位のモンスターや、それに類する存在に、匹敵するのではないのか。

「ネクタルは完成したようだな」

「し、師匠……」

「それは大事に取っておけ。 草の根が動くのを見て、気味が悪いと思ったか? そんな様子では駄目だ。 もっと色々見て、知識を増やして。 それから結論を出すんだ」

もう寝ろと言われて。

クーデリアと一緒に、無言でコンテナの整理をした。

既にレシピは出来ている。

でも、あの植物を見た後だと、気が進まない。本当にこのまま、耐久糧食を作り上げてしまって、かまわないのか。

大型の発破を作ったときとは、訳が違う。自分は本当に、最悪の災厄を、呼び寄せようとしているのではないのか。いや、それは違う。ロロナは今、この世のあまりにも恐ろしい闇の一端に、触ってしまったのか。

呼吸を必死に整える。

ホムが、ずっと怪訝そうに、ロロナを見上げていた。

 

4、耐久糧食の完成

 

ネクタルさえ出来てしまえば、完成させるのは、難しくなかった。何しろ、この日のために、ずっと準備していたのだから。

ロロナは粛々と、耐久糧食の完成にとりかかった。

まず、味を薄めに伸ばした圧縮パイを作る。

これに関しては、もちが良い、蜂蜜をふんだんに含んだパイを使用する。ただし、最初に味を意図的に薄くしたホールパイを用いて、これを圧縮することで、味を調整するのだ。

その後、ボウル一杯分程度に取ったネクタルに、中和剤を入れ。これを、低温で、釜によってかき混ぜる。

中和剤はミルクを用いて、なおかつ魔力をかなり強めに。

ポイントは、圧縮パイを作るときと同じ中和剤を用いる事だ。

つまり、パイと同じ中和剤をネクタルに入れることで、親和性を強くするのである。

そして、ある程度低温でじっくり煮詰めたところで、パイを満を持して投入。

ネクタルは一度出来てしまうと、超高温で沸騰させて長い間煮込みでもしない限り、効果がなくならないことが、既に分かっている。

更に言うと、嫌みなほど無害なことも。

植物が異常な反応を見せていたが、あれは今は考えないことにする。少なくともロロナの背中から羽だの触手だのが生えることはなかった。前より妙に魔力が強くなったような気がするが、それ以降何度か実験的にネクタルを飲んでも、同じような効果は発生しなかった。

たっぷりパイがネクタルを吸ったところで、これを天日で乾かす。

それで、できあがりである。

これを、ゼッテルで包む。

包むゼッテルは、水を吸わないように調整したものを用いる。油紙を使うと、パイがまずくなるので、ゼッテル。それも、先ほどまでネクタルに入れたのと、同じ中和剤を用いて作ったゼッテルを使う。

こうすることで、ゼッテルそのものも保ちが良くなるのだ。

ゼッテルでは衝撃に弱いので、最後に包んだ圧縮パイを木箱に入れて、完成である。まあ、衝撃に弱いと言っても、包み紙は工夫している。最後にのり付けもしているから、そこそこにしっかりした造りだ。

こうして、美味しくてながもちする、圧縮パイの完成だ。

まだ日にちが残っているが、その半分以上を、これより実験に使う。出来たものを、過酷な環境に放置して、状況を観察するのだ。

ネクタルは有り余るほど出来ている。

圧縮パイを大量に作って、それをゼッテルに包み、なおかつ木箱に詰めて。

直射日光を浴びる場所。

乾燥した場所。

逆に、湿っていて、すぐにお肉が傷んでしまうような場所。

などなどの場所に、順番に放置していく。

普通だったら、二日ともたない過酷な環境。場合によっては、ロロナは魔法陣を書いて、意図的に真夏並の気温や、砂漠並みの乾燥、逆に高温低温の寒暖差を造り出した。

クーデリアはと言うと、実験を時々手伝ってくれたが、それ以外は屋敷で訓練に励んでいるらしい。

今年中に、半人前を脱出するのだと、意気込んでいた。

既に四回目の課題。つまり、最初に課題を始めてから、一年が経過しようとしている。来年になって少しすれば、ロロナもクーデリアも十五。確かに、一人前になっていなければ、恥ずかしい年ではあった。

クーデリアは凄まじい努力を続けて、大嫌いな兄に実力で勝った。ロロナを何度も、命がけで助けてくれた。護衛としてついてきてくれている採取地で、クーデリアがいなければ、一体何回死んでいたことだろう。

だが、それでもクーデリアの環境が改善されたという話は聞いていない。

ロロナが頑張って、少しでも友人の苦境を、改善しなければならないのだ。クーデリアだけの努力では、彼女の環境が良くなるとは、とても思えない。

最初に、耐熱実験。

砂漠並みの環境に放置した木箱を開けてみる。

ゼッテル詰めした掌大の圧縮パイ。ゼッテルを剥がしてみると、かなり熱くなっていた。

しばらく躊躇したが。

それでも、自分の作ったネクタルを信じる。

口に入れてみる。

目をつぶって、飲み込んだ。

大丈夫。食べられる。痛んでいない。

ゼッテルに数字を書いて、更に数日の実験を行う。低温はどうか。こちらも、大丈夫だ。

中和剤によって強く親和したネクタルとパイは、非常に強力な品質保持効果の中にある。特にネクタルは、ちょっとやそっとのことでは、壊れそうにない。

更に言えば、アルコールの特性も持っているネクタルに漬けることで、圧縮パイがとてもまろやかで食べやすくなっている。事前のもくろみ通り、食べても口の中が乾かないことが、とても大きな意味も持っている。

以前の圧縮パイはとにかくぱさついて、食べると口の中が乾いてしまった。つまり、水とセットにしなければならなかったのだ。

今回のは、違う。

水を飛ばさないよう工夫したゼッテルで包むことで、しっとりとした食感を維持している。

なおかつ、その水分はネクタルだ。

食べた後は、力もわいてくる。それも、明確に分かるほどに。

パイ自体も、ホールパイを圧縮しているから、栄養満点。これならば、歴戦の勇者達も、二つ三つで満足できるはずだ。

数日は、味の改良と、過酷な実験に費やした。

今回は、課題の完成が早かったから。実験の時間を多く取ることが出来た。ネクタルも、最初につくった分に時々苗床を足すことで、品質を維持できているのが分かる。これなら、きっと行ける。

七日目で、耐熱実験を終了。

荷駄とはいえど、これほど過酷な環境に、補給物資を放置し続ける事はまずない。途中からは木箱から出して、野ざらしで砂漠並みの環境に晒したのだけれども。それでも、まるで品質が変わらなかった。

この様子だと、ゼッテルを破いてしまわない限り大丈夫だろう。生のまま晒すと、流石にありさんたちの餌食になってしまうから、ロロナとしてもお勧めは出来ない。

低温実験も、十日目でクリア。

凍らせても平気。ただし、包み紙のゼッテルが痛むのが問題だ。ぼろぼろになってしまう。

ただ、木箱の中に入れておくことで、過酷な環境をある程度は緩和できる。これならば、想定よりも長い間、保つはずだ。

耐久実験も行う。

ゼッテル自体が破けないように、形状を工夫するためだ。

投げてぶつけたり、木箱を激しくシェイクしたり。ホムに手伝ってもらって、色々やる。

ゼッテル自体は、かなり頑強に作る事が出来るようになってきているので、後は破けないようにすれば良い。

それと同時に、湿気や不潔な環境における実験も繰り返した。

少なくとも、缶詰よりタフでなければ、作った意味がないのだ。缶詰の最大の弱点は、衝撃に弱いことにある。缶がすぐ駄目になってしまうのだ。それくらいは、カバーできなくては。

ホムに木箱をシェイクさせてみる。腕力は、ロロナよりも強いかも知れない。まだ幼い見かけだが、アストリッドが身体能力ではロロナより上だと言っているだけの事はある。充分に、木箱を振り回すことが出来る。

「マスター、これをいつまで続けるのですか」

「交代でしばらくやってみよう」

そういえば、缶詰の弱点は、重いという事もある。

木箱を振り回して思ったが、この耐久糧食には、とても軽いという利点もあった。上手く完成すれば、戦場にいる人々に、力を与えられるはずだ。

後は、ありさんをはじめとする、虫たちをどう避けるか。

これは、いっそ木箱を利用した方が良いかもしれない。

強い魔力を発する事で、ありさんは追い払う事が出来る。これは虱や蚤だらけのシーツで寝る時や、野外で休むときに、アーランド人が使うテクニックだ。ゼッテルに極限まで強く魔力充填した中和剤を用いる事で、虫除けの結界を作り出す事が出来る。これを木箱に張れば、ありさんは多分寄ってこない。

実際に耐久糧食を作るよりもかなり早く、時間が過ぎていく。

ただしロロナは、これなら実験の全てをクリアできると、確信していた。

 

期日まで十三日ほどを残して、ロロナは完成した耐久糧食を納品した。

かなりの量がある。ついでに、つくった木箱も納品したのは、これも不可欠だと思ったからである。

どんなに酷暑や湿度に耐えても、むしによる食害はどうにも出来ないからだ。

いずれの耐久糧食も、実験をクリアした。

ネクタルの性能が、それだけ高いという事である。やっぱり、今でもネクタルによって、カタコンベ周辺の植物が元気すぎる状態になっている事実は、不安だ。あんなものを食品に混ぜて大丈夫なのか、怖いとも思う。

だが、ロロナは。実験の過程で、散々圧縮パイを口に入れた。無責任なものを、納品はしていない。

食べてみて分かるが、これは害のあるものではない。少なくとも、食べた人から触手が生えたり、目が三つになったり、背中から羽が出たり、火を吐いたりできるようにはならない。

それに、パメラも言っていた。

ネクタルはこの地域一帯の地面にしみこんでいると。つまり、今まで口にしていた食べ物全てに、希釈されたネクタルが含まれているという事だ。多少、それが濃くなっている、と言うことなのである。

荷車一杯の耐久糧食を、王宮の受付で引き渡す。

マニュアルも、例のごとくクーデリアと一緒に書いた。ロロナだけでは、相変わらず擬音だらけになってしまうからだ。何度文章を精査したか分からない。クーデリアは、マニュアルを書くときに、言ったものだ。

「錬金術は進歩してるのに、これだけは駄目ね、あんたは」

「うう、面目ないです……」

やりとりを、頭の中で、再現できる。

悲しいけれど。ロロナの不得意分野なのだろう。何というか、人に説明するときは感覚でやってしまうのだ。

受付に来ていたステルクが、さっそく木箱の中から一つを取り出す。包んでいるゼッテルを破いて口に入れて、驚いた様子で顔を上げた。

「これは、食べやすいな」

「はい。 自分でも驚くくらいに、美味しく仕上がりました」

「ふむ……」

ステルクが嬉しそうにするのを見て、ロロナも嬉しくなった。

勿論、ステルクが食べやすいと言ってくれているのは、缶詰に比べての話だろう。これ自体は、少し美味しくて、喉が渇かないお菓子、くらいの味なのだ。ただ、栄養に関しては、自信がある。

いつの間にか来ていたエスティも、美味しそうに食べてくれた。自分が作ったものが、人を喜ばせる光景は、とても気持ちが良い。イクセルも、こんな光景が見たいから、料理人をしているのだろうか。

「もしこれが兵糧として正式採用されたら、戦士達の士気はあがるわねえ」

「缶詰の方はどうするか」

「工場の生産ラインを切り替えれば済むだけの事よ」

「それもそうだ。 金属をより有効活用する方向へシフトすれば良い」

いつの間にか、騎士達が何名か来て、品評会を始めていた。みんな絶賛してくれたので、ロロナは恥ずかしくて恐縮してしまう。

慌てているロロナを見て、エスティが助け船を出してくれた。

「後はやっておくから。 マニュアルちょうだい」

「はい、此方になります」

「へえ。 実験も、しっかりやってるのね」

ぱらぱらとマニュアルを見ながら、エスティが喜んでくれたので。ロロナも、安心して、アトリエに戻る事が出来た。

これなら、今回は合格で、間違いないかも知れない。だが、油断は禁物だ。これから数日、念のために、もう少し自分でも実験をしておいた方が良いだろう。

ふと、王宮を出るときに、気付く。

木箱を運んでいる、小さな姿。何だかホムに似ているような気がした。メイド服を着込んでいるから、王宮で働いているのだろうけれど。

たまに、天才的な素質を持つ子が、幼いうちから働くことはあるとか聞いている。確か今の王様もそうだ。七歳の頃には戦場に出て、初陣で歴戦の戦士達に混じって武勲を上げたのだとか。

しかし、そう言う子なのだろうか。

アーランドは狭い。

天才的な素質を持つ子供が出れば、どうしても噂になる。ロロナも、クーデリアという事情通が側にいるから、耳に入れるはずだ。そんな話は聞いていない。

アトリエに戻る。

その時、ある可能性に思い当たったが。

しかし、頭を振って、その可能性を追い払った。確か師匠は、王宮のことを行くのも嫌だと言っていたはず。あの面倒くさがり屋の師匠が、わざわざ王宮のために、苦労をするだろうか。

アトリエに戻ると、ホムが掃除を済ませてくれていた。

「マスター、用件は終わりましたか?」

「うん。 これからご飯を作ろうね」

今日は、圧縮したのではない、普通のパイだ。お肉をふんだんに使った、食べて元気が出る奴にしよう。

そう思ったロロナは、レシピを引っ張り出す。

ここのところ圧縮パイばかり作っていたから、目分量はまず間違えると思ったからである。

生地をこねていると、師匠が部屋から出てきた。

眠そうにあくびをする。

そして。

部屋からは。相も変わらず、あの生ゴミのような異臭が漂い来ていた。

 

プロジェクトの進捗会議が行われる地下室では。既に人員が集まっていた。

最後に部屋に入ったステルクは。テーブルの上に、山積みにされた、圧縮パイを見やる。既にレポートは展開されていて、ステルクが着席すると、すぐ会議が始まった。

腕組みした王の前で、眼鏡を直すメリオダス大臣。

珍しく、喜んでいるのが見て取れた。

「これは、予想以上の成果物です。 王宮の魔術師達を動員して耐久実験を行いましたが、長期の荷駄に余裕を持って耐え抜くと報告が来ています。 そればかりか、食べる事によって、著しく体力を取り戻させる力もある事が、ほぼ確実であるとか」

「うむ、素晴らしい」

「味の方は市販の菓子程度ですが、現在の缶詰とは雲泥の差です。 木箱とセットで運用しなければならないのが少々面倒ではありますが、今までの缶詰も、木箱に詰めて運んでいましたので、なんら問題はありません。 しかも木箱には、虫除けの処置まで施してあります。 多少包装が破けても、滅多な事では痛みませんし、食べられない状態にはならないでしょう」

本来、頑丈で持ち運びしやすく、なおかつながもちするという筈だった缶詰なのに。現実に運用してみると、振動させないよう傷つけないよう細心の注意を払わなければならなかった。

その上、多少改善してきたとはいえ、味が酷くて、戦士達の士気を著しく削いできたのだ。

ステルクも、缶詰には良い印象がない。

もしもこれが大規模採用されれば、戦場における糧食の概念が一変するだろう。

「大量生産は可能か?」

「レシピを見る限りは、不可能ではないでしょう。 ネクタルの原液さえ入手できれば問題は無いかと。 最悪の場合、ロロナに提出させれば大丈夫でありましょう」

「うむ。 それでは、早速実行に移れ。 工場のライン切り替え後は、不足している物資の生産に当たらせよ」

「ははっ……」

王の決断は早い。

というよりも、実際には出来レースだ。

この会議の少し前から、ロロナが作っている圧縮パイのネクタル漬けが、想像以上の品質である事は、既に分かっていた。

王とメリオダスは事前に協議を重ねており、ステルクも最高幹部の一人として、何度か会議に参加した。

工場関係者とも、連携が取れている。

今回のこの決定は、プロジェクト参加者への意思表示に過ぎない。

ただ、会議はこれだけでは終わらない。

「こうなると、次の課題では、目標を一つスキップしますか」

提案したのは、ライアンだ。

実のところ、次の課題は、ある地域にいるモンスターを駆除する事が想定されていた。勿論ロロナだけにやらせる内容ではない。リミッターを一段階解除したステルクが同行するほか、アーランド騎士団から精鋭を十名ほど募る予定だった。

その後、歴代の錬金術師達がやっていたように、栄養剤を用いて土地を緑化。一部を耕地にして、人口を十年単位で増やす予定だったのだが。

まずモンスターの駆除を先行して騎士団だけで実施。栄養剤の作成を、ロロナにやらせる方向で良いのではないのか。

そう、ライアンは言うのである。

ステルクもそれには賛成だ。ロロナに実戦経験を積ませるのも目的の一つだったのだが、今回の成果を見る限り、此方の予想よりも成長がはるかに早い。このまま課題をこなさせていけば、今後は前倒しでプロジェクトを進めることが出来るはずだ。

「良い案だと思います。 ついでに、ホムンクルスの実戦投入も行いましょう」

エスティがそれに追加で提案。

アストリッドが、眼鏡を直した。

既に七体のホムンクルスがアストリッドによって納品され、いずれもが戦闘訓練を受け始めている。

全員が幼い女の子の姿をしているのがステルクには気になるが、いずれにしても、歴戦のアーランド戦士に匹敵する実力があるとか。

あまりホムンクルスには良い顔をしない戦士も多い。

過酷な環境の中、アーランドを支えてきたと自負する戦士達にとって、人工的に作られたホムンクルスが活躍するのは、確かに面白くないだろう。だが、現実問題として、今の時代は人間が足りなさすぎるのだ。歴戦の使い手も、数が著しく足りていない。しかも、どうしても、年々消耗する。

アーランドをプロジェクト通り発展させるには、歴戦の使い手に匹敵する武力が、今よりもずっと多く必要になってくる。

今のうちに、ホムンクルス達の実力をアピールする必要があるだろう。それにステルクも、接していて思うのだ。ホムンクルスとはいえ、出自が違うだけで人間。ステルクの顔をみて怖がるホムンクルスもいた。つまり、普通の人間と、同じ反応だ。

それに、アーランド戦士は、相手の実力を認めることが出来る。ホムンクルスが活躍を見せれば、戦士達も態度を軟化させるだろう。

「アストリッドよ、行けるか」

「問題ありませんが、最低条件として私も同行します。 問題が発生した場合は、専門家が側にいた方が良いでしょう」

「うむ。 では討伐の実施を前倒しする。 その計画を悟らせないように、年末には大規模なイベントを行っておけ。 そうさな、キャベツの収穫競争かなにかで良いだろう」

そういえば、ここのところ森のキャベツが記録的な豊作だという。

王が言うとおり、年末の祭にあわせて、大量収穫しておけば、それでかなりアーランドの民達は喜ぶだろう。

生活の足しになるからだ。

工場で作っている食品では、どうしても天然物に味が劣る。畑での収穫に限界がある現状、こういったイベントは、皆が喜ぶ。

一方で、傭兵として少数の戦士がよそに赴くなら兎も角、近場での大規模討伐作戦は、民が不安になる。

そういった不安を取り除くため、視線をそらすことも、また必要なのだ。

他の国ではごまかしが利かないかも知れないが。この国の民は、強い分単純な者が多いのである。

その後は、プロジェクトMの進捗について、話がシフトした。

アストリッドによると、完成体ホムンクルスは予定通り来年二月に仕上がる。それまでに、合計十二体のホムンクルスを納品できるという。

今いるものと会わせて十九体。

完成体が予定通り納品されれば、二十体か。

現在、ベテランのアーランド戦士のうち、一線級と言える実力者は四千人ほど。このうち、アーランド近辺で即座に動ける人員が五百人程度である。他は各地で傭兵働きをしていたり、国境での警備、危険地帯の巡回や、村々の間を回っての警邏などに当たっている。そして戦士は消耗品だ。一人前になった戦士が毎年加わる一方で、戦死したり負傷したりで、人数は増えたり減ったり。かといって、戦士を温存している余裕など無い。国家軍事力級と言われる実力者は数名しかおらず、其処まで到達できる戦士は滅多にいない。

平和なのは、アーランドの王都近辺だけ。

その周囲は、いまだ修羅がなお怖れる、人外の地も多いのだ。

つまり二十人が追加されれば、大きな意味がある。

今後増産計画を進めていけば、一線級のアーランド戦士を倍増させることも不可能ではないだろう。

「良い成果だ。 今後も計画を続行するように」

「御意」

言葉短く、アストリッドが着席する。

その後は、プロジェクトの進捗を全体で確認し。そして敬礼をかわして、会議を終えた。

地下室をぞろぞろ出て行く皆。クーデリアとフォイエルバッハ卿は、今回も声を掛けるどころか、視線さえ合わせない。

ステルクはロロナも心配だが。クーデリアも見ていて不安になる。

この間フォイエルバッハ家に仕えているエージェントのアルフレッドと話したのだが、既にクーデリアは一人前と言って良い実力に到達しているという。

だが、フォイエルバッハ卿は相変わらず頑なな態度を崩さない。

ステルクも、クーデリアとロロナに共通する過酷な背景については知っている。このプロジェクトで、重要なポジションにいるのだから当然だ。

だが、それ以上の何かがあるように思えてならない。

何か理由があるのだろうとは想像がつく。あの男は計算が出来る人間だ。感情にまかせて、プロジェクトの重要人物を冷遇しないだろう。

或いは。

その計算さえ上回るほど、過酷な理由があるのか。

クーデリアの隣に行くと、彼女はステルクに、不満げな声をぶつけてきた。

「何よ」

「怪我を増やしたりはしていないか」

「平気よ。 ロロナに心配させるわけにはいかないし、これ以上もたついてもいられないしね」

「本当にロロナ君が好きなのだな」

クーデリアは言うまでも無いとばかりに、鼻を鳴らした。

いや、本当にそうか。

ステルクも、今回のプロジェクトの全てを知っているわけではない。接していて、ロロナとクーデリアには、何か友情の枠を超えたものを感じるのだ。

「一つ聞きたいのだけれど。 騎士団の寮を借りることは可能かしらね」

「一人暮らしをするつもりか」

「そうよ。 もう少し実力がついたら、だけど」

良いだろうと、ステルクは応えた。

この子は自立心も強い。今後は或いは、社会的に一人前として扱うのも悪くはない。ましてあの酷薄な親から離れたいというのなら。ステルクとしては、反対はしない。

外に出ると、太陽がまぶしい。

だいぶ日が落ちるのが早くなってきたが。

それでも、外はまばゆい光に満ちていた。

 

(続)