異邦からの来訪

 

序、耐久糧食

 

ロロナが受け取った課題には、以下の要件だけが書かれていた。

缶詰よりも軽く、大量生産が可能で、なおかつながもちする美味しい食物を作れ。以上の要件を、次の課題とする。

それ以外の内容は、一切問わないというのだ。

しばらくスクロールを見て、ロロナは途方に暮れて、顔を上げた。

複雑な面持ちのステルクが、腕組みしている。

「私に抗議されても困る」

「でも……」

「君はかなり無理がある、任意の幻覚を見せる装置を完成させただろう。 今回も、同じように仕事をこなして欲しい」

そう言われると弱い。

この間もギリギリだったとは言え、どうにか課題は突破したのだ。そして、どんどんハードルが上がってくるのは、目に見えていた。

今回は、そもそも何を作れば良いのか、見当がつかない。

ロロナは、ふらふらとサンライズ食堂に入っていった。まず、そんな食べ物をイメージできなかったからだ。

イクセルはさほど忙しくないらしく、すぐに水を持ってくる。

話を聞いてみると、幼なじみの少年は、腕組みして考え込んだ。

「要は、軽くて美味しい缶詰ってわけだな」

「そんなもの、どうするの?」

「決まってるだろ。 遠くに行くとき、持っていくんだよ。 戦争するとき、荷駄ってのが必要になるだろ」

それはロロナも知っている。

いつもロロナが使っている荷車のようなものや、或いは馬車とかに、戦士達の食べ物や武器を満載して、後からついていく部隊。

ロロナはまだ戦争に出かけていく軍隊は見たことが無いけれど。

小規模なモンスターや盗賊の討伐で、遠征する騎士団は、年に何回か見かける。

確かに幌のついた馬車を連れて行く。馬車の中には、工場で作ったらしい缶詰が、たくさん積まれているのが普通だ。

近年、糧食はほぼ缶詰で決定している。

缶に食糧を詰めて熱することで、いつまででも保つようにしたもの。ただし、どれも味が著しく悪い。

その上、いろいろな欠点もある。

たとえば、不良品でちゃんと蓋が密閉されていなかった場合、すぐに駄目になってしまう。工場製ではこの不良品がまざる確率が高くて、噂によると5パーセントに達しているのだとか。

その上保存食の筈なのに、衝撃にも弱い。

ちょっと衝撃を与えると、すぐ密閉部分が駄目になってしまって、痛む。

更に、もう一つ、致命的な問題がある。

金属そのものが、どうも中の食べ物に流れ込んで、毒素になるようなのだ。半年程度までなら大丈夫のようなのだが。

それ以上の期間保存されたものは、畏れを知らぬアーランド戦士達も、口にしようとはしないという。

勿論改善を図っているが、質を上げようとすると貴重な高純度の金属が必要になってくる。

かといって、コストを下げると、質も一緒に落ちる。

確かに、缶詰に変わる糧食は、必要なのかも知れない。しかし、錬金術師達が発掘した文明による工場は、著しく糧食の質を上げたはず。

どうすれば良いのだろう。

「いきなり難しい事言われたな」

「前からだよ、もう」

「まあ良いから、甘いモンでも飲め」

出されたのは、三色ベリーから作ったジュースである。ロロナはしばらく黙り込んでいたが、やがてぐっと飲み干す。

何とも言えない酸味と甘みが心地よい。

たとえば、だが。

穀物などは、薄暗くてよく冷えた場所にしまっておくと、年単位でもつ。クッキーなども、保存方法次第では、長時間保たせることが可能だ。

今まで、参考書の中に、長期保存食の類は記載が無かったけれど。

ひょっとしたら、何かいい手があるかも知れない。

落ち着くと、少しずつ頭が回る。

イクセルは流石だ。ロロナがどういう頭の構造をしているか、よく分かっている。もう一杯ジュースを頼む。

今度はぐっと酸っぱいのが来た。

「これはなーに?」

「サワーアップルのジュースだよ」

「えっ……」

「大丈夫、飲めるだろ? ぎゅっと絞った後、秘伝のレシピで味を調整してるんだよ」

確かに、口に入れると、酸っぱいけれど。

拒絶反応を示すほどではない。サワーアップルは確か、もっと強烈に酸っぱかった筈だ。これはきちんと飲める。

頭が随分すっきりした。

代金を払うと、サンライズ食堂を出る。最初はどうしていいか全く分からなかったけれど。

イクセルのおかげで、光が見えてきた。

こういうときに、いつもロロナは思う。周りの人達に支えられて、ロロナは生きていると。

だからこそ、ロロナがしっかりすれば。成功すれば。みんなに、それだけ恩返しが出来るのだ。

アトリエに戻ると、さっそく参考書を調べはじめる。

いつもいつもギリギリになってしまうのだ。今回くらいは、余裕を持って、課題を終わらせたい。

錬金術と料理は関連が深い。

参考書を調べていくと、料理に関連したものがかなりある。

途中、パイの作成に応用できそうな記述があったので、付箋をつけておく。少しずつ難しい参考書も読めるようになってきた。その分、難しさもうなぎ登りで、調べるのも一苦労だが。

まず、いつものように、大まかにどういったものを作るか、からだ。

持ち運びが簡単で、痛まず、壊れず、美味しい。

極めて都合が良いと思うけれど。

常に向上を図ってこその人間だと、ロロナも思う。進歩のない生活をしていたら、きっと駄目になってしまう。

いつの間にか、夜になっていた。

適当な参考書がかなり見つかったので、机の側に積んでおく。

師匠が戻ってきた。

かなり腹を空かしている様子だが。ロロナが忙しく動き回っているのを見ると、今日は夕食を作らなくて良いと言った。

「あれ? どうしたんですか?」

「丁度今、私も研究がたけなわでな。 悠長に食べている暇が無いんだ」

「師匠が? 珍しいですね」

「私は天才だが、それでも今回挑戦しているのは、錬金術の究極だからな。 かの賢者の石の作成に匹敵する、最高の存在よ」

賢者の石か。

確か金を作り出す事が出来るという、錬金術の究極目標、だったはず。今のロロナではとうてい手が届かない、遙か高みにある未知の存在だ。

それに匹敵するとなると、何だろう。

「いつも、何だかなまごみみたいな臭いがしますけど、その関係ですか?」

「ああ。 私でさえ試行錯誤が必要な代物でな。 まあ、その内成果を見せてやるから、楽しみに待っていろ」

笑顔で部屋に入る師匠を見送ったが。

はっきりいって、ロロナに言わせて貰えば、そんな事よりも国の課題をして欲しかった。だが、怖いし、面と向かってはいえない。

それに、何というか。

少しずつ、この状況が楽しくなりつつあるのも事実だ。

ずっと頑張って、四苦八苦はしているけれど。その代わり、少しずつ周りの状況だって、良くなってきている。

このまま頑張って、みんなと仲良くやっていきたい。

頬を叩いて、気合いを入れ直す。

次の作業に入る。

まだまだ、資料が足りない。今晩中に、どうにか資料だけでも、揃えてしまいたかった。

 

1、苦悩の日々

 

死人のような顔色をしたリオネラが来たことで、プロジェクトの参加メンバーは一応揃った。エスティはリオネラの状況を知っている。予想通り、彼女はロロナに依存しはじめていて、なおかつそれを自覚している。

自分の秘密がばれたら、嫌われるのではないかという恐怖。そして、ロロナに依存しはじめているのに、まだ怖いと思っている自分への嫌悪。

心が弱いこの娘にとっては、致命的な板挟みだ。

今はあまり外に出ずに、病院で精神の不安定を緩和する術式を受けて、静養している。後半月ほどは、静かにしているようにと、医療魔術師から言明されているという。ただ、今日は大事な会議の日だ。気の毒だが、出てもらわなければならない。

最上座にいる王が、周囲を見回す。

既に、配付資料は、皆の所に行き渡っていた。

「それでは、プロジェクトの進捗会議を行う。 アストリッド」

「はい」

起立したアストリッドが、説明をはじめた。

現在、プロジェクトは予定通り、いやそれ以上に進捗が早い。ロロナは実力を想像以上に早く開花させている。

今までの課題で納品されたものは、想定された質をかなり上回るものばかり。

特に獣の像は、予想以上の品質で、様々な事に応用が可能。レシピは既に入手しており、量産もできる。

そう、アストリッドが締めくくった。

良くやると、エスティは思う。

不機嫌そうなステルクが隣で鼻を鳴らす。彼は少しずつ、ロロナの事を好ましく思い始めている様子だ。

エスティもそれは同じ。

ただし、国に優先はしない。アーランドは戦士の国。多くの犠牲を出しながら、国を守ってきた。

戦士は相応の覚悟が出来ていてようやく一人前。ましてや、国にとって後ろ暗い仕事もする騎士となれば、なおさらだ。騎士になってまで、まだ純真なステルクのような男の方が、珍しいのである。

「前倒しは可能か」

「前倒しをしすぎると、精神に異常をきたす可能性もありますが。 ロロナは大変単純で、それが故に壊れると回復まで苦労することになるかと思います。 いつも負荷を掛けているのは、強くなるようにという配慮からです」

「さすがはアストリッドさんですな」

皮肉混じりに言うのはライアンだ。

ライアンは、ロロナの父である。この国でも上位に入る戦士であり、発言力も強い。アストリッドを信頼している反面、そのやり方には内心穏やかではない様子である。

この間、大量のドナーンが発生した事件があったのだが。

あれはどうも、アストリッドの仕業らしいと、エスティも最近知った。ライアンも当然知っていると見て良いだろう。

危うくロロナは死にかけたのだ。そう考えると、ライアンとしては、複雑極まりない気分だろう。

「ふむ、様子を見た方が良い、という事だな」

「現時点では、予定通りで良いでしょう。 私の方で進めている別プロジェクトは、来年には軌道にのり、おそらく二月までには完成品一号ができる事でしょう。 試作品に関しては、間もなく二体を提供できます。 完成品が出来るその頃には、最後の追加人員も来る事かと」

最後の追加人員、か。

彼は通称追い出し屋。この国でも、もっとも後ろ暗い仕事をしている戦士の一人だ。エスティとは仕事柄関係が深いが、あまり関わり合いになりたくない相手である。

この間連絡が入ったのだが、少し前にアーランド西部にあるエンティオルの街で大きなトラブルがあり、処置に時間が掛かっているという。これに関してはエスティの部下も何名か解決のために派遣しているため、他人事ではない。

まあ、今の時点で、ロロナには充分な負荷が掛かっている。

アストリッドも足を引っ張っているし、その気になればリオネラとまともに接するだけで、ロロナの精神力はごりごり削り取られていくだろう。精神を病みかけているリオネラは、ロロナには極めて接する場合の負担が大きい。

それでいい。

順調すぎるプロジェクトの進展なんて、最後のおおごけにつながるだけだ。

アストリッドが着席すると、メリオダスが代わりに起立。皆を見回しながら、説明をはじめる。

「今回の課題は、耐久糧食に関してです」

「ようやく来たか。 あの糞まずい缶詰、さっさとどうにかして欲しいと思ってたんだよ」

粗野な声を上げたのは、ハゲルだ。

他の者達も、それに賛同する。

ハゲルは元々歴戦の戦士で、いろいろな事情で一線を退いた後も、コネが広い。戦士達の相談に乗ることも多いと聞いている。

ならば、缶詰が如何に駄目かという話も知っているだろう。歴戦の戦士と言うことは、傭兵として他の国にも出ているという事だ。糧食として配給されるのは、缶詰なのである。勿論、だいたいの戦士はレンジャー訓練を受けているから、野草や野獣の食べ方くらいは知っている。

だが、この大陸には、荒野が広がっているだけの地域も、かなり多い。

そういった場所では、サバイバルの知識など、役には立たない。缶詰を食べるしかない状況も多いのだ。

転ばぬ先の杖として、缶詰は存在している。

その杖が折れやすいのが、問題なのである。

エスティが知る限り、アーランドでは六十年ほど前から缶詰を作っている。補給物資としては、缶詰は画期的な発明だったと言える。

しかし、画期的すぎたのがまずかった。

中に入れるものの改良は行われているが、缶詰自体の質は、あまり向上していないのが現実だ。

味も、最初の頃の、砂を噛むようなものにくらべれば随分マシだとは聞いているが。はっきり言って、粗食に耐えられるエスティでも。好きこのんで缶詰を食べようとは思わないのが現実だ。

「私も食べたことがありますが、あまり美味しいものではありませんね。 何より重いですし、かさばる」

「瓶詰めに比べるとローコストなんですが、その分味が落ちるんですよねえ」

多少穏やかに言ったのはティファナである。

彼女はロロナの隣に住んでいるからか、よく観察してレポートを上げてきている。女性らしい辛辣な視点からのレポートは、エスティも見ていて時々冷や冷やする。おじさま達のアイドルとなっているエスティの親友は。だが、花でたとえるなら薔薇だ。棘がたくさんついている。

「とにかく、耐久糧食の開発は急務であったのだ。 それに、予定通りの課題でもある」

王が発言すると、流石に皆が黙り込む。

それに、あのまずい缶詰を改良できるなら。誰も文句はないのが現実だ。

後は、問題点を幾つか、レポート化したものを配布する。

ロロナは長い間掛けて仕込まれただけあって潜在能力が凄まじい。しかしながら、成長が早い分いびつだ。

特に作って持ってくるものは、時々子供の工作と思うようなガワになっている。

品質については折り紙付きなのだが。

「あまり前倒しするのではなくて、やはり当初の予定通り、こつこつ進める方が良いのではないのか。 そう私は思います」

エスティが言うと、皆はおおむね賛成してくれたようだった。

会議は此処で終わる。

アストリッドは、別プロジェクトの進展がどうとかで、さっさとアトリエに引き上げていく。

此奴でさえ苦労するほどのものだ。技術を確立できたら、さぞや凄いことになるだろう。どうしても人口が足りていないこの世界を、一気に改革できる可能性さえある。エスティの旦那も、作ってくれるとか言っていたが。

まあ、その時はおとなしくて草食系でイケメンでエスティの言うことを何でも聞いてくれる優しい男の子にして欲しいものだ。

めいめい散っていく皆。

それぞれに忙しいのだ。唯一所在なさげにしていたリオネラを、クーデリアが引っ張っていく。

リオネラは発言することも出来ず、椅子に座っているだけでつらそうだった。あれだけの使い手なのに、もったいないことだ。

ただ、リオネラの生まれ育った環境については調べがついている。その後、どうやって生きてきたかも。

だから、エスティはあまり強く責める気にはならなかった。

仕事の場合、どれだけ非情にでもなれるが。

それはあくまで、スイッチを切り替えているから。普段から、戦闘マシーンであろうとは思わない。

最後に残っていたティファナが、声を掛けてくる。

「エスティ」

「あら、ティファナ。 どうしたの」

「ちょっとこれを食べてみてくれる?」

差し出されたのは、クッキーのようなものだ。

ティファナが出してくるなら、へんなものではないだろう。口に入れてみると、ちょっとぱさつくが、充分に食べる事が出来る。

味は、パイか。

ただ、あまり美味しいものではない。

「なあにこれ。 貴方が作った割には美味しくないわね」

「私が作ったものではないもの。 ロロナちゃんが、この間味見を頼んできたものよ」

「へえ?」

「圧縮パイというそうよ。 それ一つで、ホールパイをまるまる食べたのと、同じくらいの栄養が取れるとか」

なるほど、それは便利だ。

ただし、美味しくない。口がぱさつくし、今でも喉が渇いてきたほどだ。

持ち運びが便利な缶詰には、それまでの保存食に比べて、一つだけ利点がある。食べるのに、水分がいらないことだ。

当然の話だが、水も何時でも何処でも得られるとは限らない。

特に内陸にある国での戦場の場合、劣悪な乾燥環境の中、敵の訓練された軍隊や、強大なモンスターと戦う事さえある。

これは、耐久糧食としては失格だ。

ただし、持ち運びは出来るし、水さえあれば機能する。問題は、水がないと言うことだ。

現時点では、美味しいという事と、そもそも水がないと駄目という、二つの点をクリアできていない。

今回もロロナは苦労しそうだなと、エスティは思った。

地下から出て、宮殿の地上部分に。

何度も味わったのだが。地下から出て光を浴びると、立ちくらみを起こしそうになる。そんなヤワな鍛え方はしていないが。老人にはつらいかも知れない。

外に出ると、早速メリオダスが自分の見かけを変える。

気むずかしそうな老人の顔を作り、ぶつぶつ王の文句を言いながら歩き始めた。それで良いのだ。

エスティはと言うと、底抜けに明るくて優しいお姉さんを装おうとしているのだけれど。それは、中々上手く行かない。

何処か怖いと、後輩に言われてしまう事が多かった。

今日は作業もない。

国からの仕事も来ていないから、家に引き上げてしまって問題ない。あくびをしながら、ティファナと歩く。

サンライズ食堂に行きたそうな顔をティファナがしたので、慌てて分かれることにした。彼女の酒癖の悪さは尋常では無い。一緒に飲みに行くとだいたい酷い目に遭うので、それだけは避けるようにしている。

騎士団の寮に戻ると、コートをクロゼットにしまい、ベットに転がる。

小さくあくび。

剣を磨いておこうかと思ったが、そんな気分にも慣れない。

とりあえず、井戸から水を汲んできて、口を潤した。

その後は、寝ることにする。

たまの休みだ。

しっかり眠って、体力を回復させておかなければならない。どうも近年、アーランドの周辺が急速にきな臭くなってきている。

今後も当分、エスティは引退する事が出来ないだろう。

 

朝になって、目を覚ます。

半日以上眠ってしまったことになる。ベッドで異性と眠ったのは随分と前。しばらくは、男と無縁の生活を続けている。どうにか早く結婚したいものだが、中々条件が合わないのが現実だった。

周囲は、エスティとは状況が違う。くやしい。

アストリッドは性欲処理に苦労していないと聞いている。変人だが美人だし、その気になれば男を引っかけるくらい難しくないのだろう。ただ、だいたいは一夜の関係に限定して、後は見向きもしない様子だが。

ティファナは今の時点では結婚するつもりが無いようだが、その気になれば男などいくらでも漁り放題だろう。

エスティの周囲だけ、条件が合う男がいない。

口惜しいけれど。こればかりは、どうしようもなかった。

エスティは大きくあくびすると、井戸水で顔を洗う。

あくびしていると言っても、その間も周囲に気を配ってはいる。強めの気配の動きは全て察知しているし、何かあった場合も対応できる。この辺りは、戦士としての本能だ。職業病以前の、生物としての力である。

すっきりした所で、顔をタオルで拭く。

着替えて出勤。ロロナの様子でも見に行こうかと思ったが、それより先に、重要な用事がある。

アトリエの様子を、気配を消して見に行く。

ロロナは参考書を開いて、勉強に夢中だ。それにしても、戦士としての適性には恵まれない子である。気配を消しているエスティなら、それこそ瞬きする間の十分の一で、十六分割くらいに出来る。しないけれど。

ロロナの様子を確認したあと、アストリッドの部屋をノック。

内側から、ノックが帰ってきた。

窓を開けて、入る。

その間、一秒以下。勿論、音を立てることもない。

中に入ると、異臭が酷い。アストリッドはかちかちと音を立てながら、肉の塊をいじくっていた。

アストリッドは戦士としても超一流で、その身体能力をフルに生かして錬金術を行う。何度か見た事があるのだが、凄まじい早さで、さすがは天才と唸らされる。今回も、エスティが見ても驚かされるほどの動きで、手を振るっていた。

この異臭は、血と、肉が混じり合ったものだ。

ただ、人間のものとは、微妙に違う。

「どう、状況は」

「なかなか上手く行かないが、会議で話した試作品は出来ている。 連れていけ」

「どれどれ」

硝子瓶の中には、大量の液が満たされて、その中に眠っている人間の姿。ただし、五体満足なものは、あまり数が多くないようだ。

この光景、エスティも実は見た事がある。

見た事があるのは。オルトガラクセンの最深部。人工的な光が満ちていて、世にも恐ろしいモンスター共が跳梁跋扈する魔境。

その一角で、こんな瓶が、ずらりと並んでいた。

中には、裸の男女が入れられていて。そしてモンスターは、命に代えてもそれを守ろうとしていた。

異様な光景だった。

アストリッドは、既にそれを再現した、という事だ。

ただ、全く同じものなのかどうかは、エスティには分からない。

「こんなの見たの、二年前だったっけ?」

「そうだ。 あれから私なりに研究を重ねてな。 ようやく試作品を作り出す事が出来るようになってきた」

「で、完成品は?」

「四番と七番だ」

面倒くさそうに、アストリッドが硝子瓶の側に歩くと、ノックする。

中に浮かんでいた女の子が、目を開けるのが見えた。まだ七才か八才くらいの、幼い子供だ。

「これらは正確には人では無く、ホムンクルス、という」

「ほむんくるす?」

「錬金術の究極の一つ、人口の生命だ」

「ああ、これが」

以前聞いていた、人間を作れるようになるかも知れない、という言葉。ただ、アストリッドの口ぶりからすると。

実際には、これをずっと前から、知っているような気がする。

そういえば、此奴の師匠は。

いや、まさか。そのような事を考えるよりも、まずは納品されるものを、受け取るだけだ。

「まずはスペックを確認したいのだけれど」

「四番と七番は、スペック的にはアーランド人と大差ない。 成長についても問題ないし、数年すれば他の人間と子供を作ることも出来る。 ホムンクルスと言っても、ほとんど人間と変わらないからだ。 ただし魔術に対する素養は低いだろうから、それは覚えておいてほしい」

「今作っているのは違うの?」

「私が今作っている試作品は、ロロナの助手をさせるためのものだ。 スペックはアーランド戦士以上で、寿命についてもそれを凌ぐ。 そして、私に絶対服従する所が、四番や七番とは違う。 完成品はこれら試作品のデータを集めて、調整をする予定だ」

説明しながら、林立する硝子瓶の中から、アストリッドが幼い娘達を引っ張り出す。

どうやって作ったのかは、どうせ理解できないし、聞かないことにする。二人とも感情らしいものが目に宿っていない。

いそいそと娘達の体を拭き、やたらフリフリな服を着せはじめるアストリッド。

完璧にサイズがあっているようだが。まさか、見るだけで採寸したのか。この辺りは変態的な天才ぶりに呆れてしまう。

それにしても可愛い子供達だ。

エスティも女だから、子供は嫌いじゃない。顔立ちは整いすぎていて人形みたいだけれど。

「立って歩ける?」

「問題ありません。 貴方がマスターですか?」

「そうね。 いや、これからマスターになる人の所に行くのよ」

「了解しました」

流ちょうに喋ることが出来るようなので安心した。

それにしても、どうして女の子ばかりなのだろう。聞いてみると、アストリッドは少し考え込んでから、言う。

「調べて見たのだが、生物としては男より女の方が安定しているようなのだ。 実際に、男の子の方が少し多く生まれるだろう。 その分病気で死ぬ事が多い」

「確かに、そうかも知れないわね」

「人口の生命を造り出してみて、それが事実だと確信できた。 今後もホムンクルスを造る場合、完成度が高い個体は女性型の方が多くなるだろうな」

マニュアルを、受け取る。

食事の与え方などが載っているが、殆ど人間と同じだ。

アストリッドはいい加減な性格をしているけれど、こういったマニュアルは極めて几帳面に書かれている。

分厚い書類をめくって、ざっと目を通していく。

だいたい中身は理解できた。

幼い人間の子供の世話をするのと、ほぼ何も変わりがない。後は王宮にいるメイド達にでも任せればいいだろう。戦闘訓練は王が直接つけてやればいい。量産計画について聞いてみるが、まだまだだと返答。

「見ての通り、十に二か三程度しか上手くいかん。 今解剖しているのも、途中までは上手く行っていた個体でな。 完成型については予定通りに提供できるだろうが、完成型の量産となると、おそらく再来年までは待たないと無理だろう」

「そう……」

「残念な事をしたが、無駄にはしない。 いずれ、量産できるようにしてみせるさ」

血だらけの手のまま、アストリッドは以降口を閉ざした。

さっさと行けというのである。

こうなると、アストリッドは貝のように喋らなくなる。研究に没頭してしまうと、無理に話しかけても不機嫌になるだけだ。

まあいい。用事は済んだ。

ロロナが丁度出かけていったので、入り口から二人を連れて、堂々と出て行く。子供達は目を細めて、周囲の光景を物珍しそうに見つめていた。アストリッドの話によると、基本的な事は教えてあるという。言葉を喋ることが出来る事からも、それは明らかだが。

歩くことも最初は不安になるほどふらふらだったけれど。

急速にコツを掴んできたようで、すぐに問題なくなる。

多分、頭が良いのだろう。利発な子は、エスティも好きだ。生意気なことをいうようになるけれど、それはそれでいい。エスティだって、年頃の頃は、随分と生意気をしたような気がするからだ。

片方は金髪。もう片方は赤髪。どちらも顔立ちは似ている。何となく、アストリッドの幼い頃を思わせた。髪の毛は時々切りでもしていたのか、肩くらいで二人とも切りそろえられている。

時々はぐれそうになるので、手を引いて歩く。知性があっても、興味がそれを凌いでいるのだろう。

この辺りは利発でも子供だ。

王宮の裏口から入って、玉座の間に。今日、納品されると聞いていたので、王は玉座で待ってくれていた。

「陛下。 こちらが、アストリッドから納品されたプロジェクトHの初作品、人造人間となります」

「ふむ。 まだ幼い様子だが、人間と見分けがつかぬな」

「人間と交配も可能と言う事です」

そうかと言うと、王は子供達を手招きした。

あの人がマスターだと言うと、子供達は納得したらしい。まずは、礼儀作法から教えなければならないが。王は子供好きだ。さほど苦労はしないだろう。

用件が済んだので、一礼して玉座の間を出る。

多分、今日辺り。また新しい仕事が入るような予感がある。

早めに休憩を取っておいた方が良いだろう。エスティは、自己管理をする事が出来る大人だ。

血の臭いも落としておきたい。

途中で銭湯に寄ろう。そう、エスティは、王宮を出ながら思った。

 

2、幽霊の噂

 

ロロナは部屋を出てきたアストリッドが、機嫌が悪そうなので、思わず一歩引いた。時々師匠は、非常に機嫌が悪くなる事がある。理由は分からないが、そういうときは、犬か猫のように、徹底的にいじくり廻されるものなのだ。勿論、嫌に決まっている。

アストリッドは不機嫌そうに周囲を睥睨していたが。

ロロナを見ると、不意に口を三日月形にして笑った。

カタコンベという場所について、聞かされる。

「カタコンベ、ですか?」

「大昔の墓所だ。 此処から北東の方角にある」

小首をかしげる。

確かに、墓所のような、旧時代の遺跡はあるけれど。オルトガ遺跡のように危険な場所は立ち入り禁止の命令が敷かれているし、それ以外は掘り尽くされているのが普通だ。今更ロロナに教えてどうするのだろう。

「話は最後まで聞け。 此処では住み着いている生物から採れる素材も有用なのだが、もう一つ面白いものが採取できてな」

「面白いもの、ですか?」

「ペンデロークだ。 通称ガイストコア」

背筋に寒気が走った。

ガイストとは、つまり幽霊のことだ。師匠が笑った理由が、よく分かった。

ロロナは大の幽霊嫌いで、とにかく苦手なのだ。

この間催眠の関連でアンダルシアという魔術師に話を聞かされたが、幽霊と呼ばれる存在は、実在しているという。

殆どは人間の脳が造り出した勝手な幻覚だと言うことだったけれど。

それでも、怖い事に違いはない。

「カタコンベの中では、大量の骨に混じって、ペンデロークが多数採れる。 これは錬金術の素材として、極めて貴重でな。 使いでもあるし、様々な事に応用できる。 今後の事を考えると、必須だろう」

「で、でも」

「お前は今回、耐久糧食を造る課題をしているのだろう?」

話した覚えはないのに、何故か知っている師匠。

まあ、それはいつものことだし、怒っても仕方が無い。ただ、其処から師匠は、ロロナが怖がる方へ、どんどん話を誘導していく。

「ペンデロークは、この世の石ではないとさえ言われていてな。 加工次第では、あらゆる方向から、ものに超常的な力を付与できる。 まあ、そういったこの世のものではないとされる石は世にたくさんあるのだが、その中でももっとも手に入れやすい」

だが、と師匠は言葉を切る。

ロロナは、もう怖くて、部屋に逃げ込みたい。

「ペンデロークは名前の通り、周囲に幽霊を呼び寄せるらしくてなあ。 加工しているときに、色々と奇怪な物音を良く聞かされるのだ」

「ひいっ!」

一目散に逃げ出そうとするロロナの襟首を捕まえると、師匠は更に色々と、耳元に怖い話をしていく。

ペンデロークを使った研究をしていた錬金術師が失踪したとか。

恐怖で髪が真っ白になって発見されたとか。

幽霊に取り憑かれて、発狂して街を走り回ったとか。

そんな話をたくさん吹き込まれた。

もう怖くて恐ろしくて、おしっこを漏らしそうだったけれど。師匠は満面の笑みで、ロロナに言う。

「カタコンベには、当たり前のように幽霊が出るそうだ。 ただしペンデロークもたくさん転がっている。 頑張って探してこい」

すごく満足した顔で、師匠が自室に戻っていった。何だか、すっきりして、つやつやさえしていた。

ロロナはその場でへたり込むと、どうして良くて分からなくて、とりあえずわんわん泣いた。

 

翌日。

クーデリアが来たので、昨日のことを話す。

しらけた様子で話を聞いていたクーデリアだが。話が終わると、カタコンベについて、教えてくれた。

「街から少し北に行ったところにある遺跡よね。 特に危険なモンスターが住み着いているという話は聞いていないけれど」

「でも、幽霊は」

「そりゃあ、その手の話はあるでしょうよ」

クーデリアが言う。

何でも、カタコンベというのは、あくまで通称。実際過去にその施設がどう呼ばれていたかは、分かっていないらしい。

中には大量の骨。それが人骨なのかそうでないのかさえ分からないのだとか。骨の殆どは砕けてしまっていて、形が残っているものも、人間のものかはよく分からないのだという。

その近くに村があるそうだが。村の人達は、カタコンベを禁忌の地として、絶対に近寄らないそうである。

「ただね、あの遺跡、盗賊団が根城にしてるって噂もあるのよ。 結局怖いのは、幽霊なんかじゃなくて、人間って話よ」

「ふええ。 その盗賊の人達、怖くないのかな」

「そりゃあ、散々悪事を働いている連中だもの。 世の中には神様なんていないって思ってるんじゃないかしら」

そう言われると、何だか悲しいものがある。

ただ、カタコンベには足を運んでおきたい。内部はさほど広くないという話だが、それでも念には念だ。一度行ったことがある者に、同行してもらった方が良いだろう。

早速、ステルクの様子を見に行く。

王宮にはいなかったのだが。なんと、サンライズ食堂にいた。黙々と、貧しい戦士がよく食べるホーホと呼ばれる肉料理を口にしている。工場で加工している牛のあまり高くないお肉を使った料理なのだけれど。安くてそこそこに美味しいし、力もつくと評判なのだ。ただし、脂っこいので、女の子にはあまり人気がない食べ物である。

丸皿にたっぷり焼いた肉を敷いて、その上に穀類。ライスや麦を炊いたものを乗せる。更に一番上に肉を重ねて、蒸す。

そうすることで、出来る、簡単な料理だ。穀類にお肉の味もしみこむので、食べでもある。

元々粗野な料理だが、たれなどを工夫すると、かなり食べられるようになる。更には、お肉の上に野菜を炒めたものなどを載せて、味を工夫するお店もある。サンライズ食堂などは、その典型で、肉が見えないくらい野菜がのっている。しかもサンライズ食堂のは、穀類を工夫していて、ほかほかの炊きたてを使っている上、香辛料も厳選しているので、とても美味しいと評判だ。ホーホがこんなに美味しい店は、サンライズ食堂くらいだそうである。

ステルクは既に半分くらいを食べ終えていた。

ロロナがにこりとしたのを見ても、反応しない。しばらく黙々と食べ。ホーホを完食してから、口を開いた。

「どうした、何かあったのか」

「はい。 実は、北にあるカタコンベに行きたくて」

「カタコンベ、か」

座るように言われたので、前に。

ステルクが、騎士団員として、説明をしてくれる。

クーデリアも隣に座って、一緒に話を聞いていた。

「あの遺跡は、未だに正体が分かっていなくてな。 太古の墓地だという話もあるのだが、その割には落ちている骨はどれも人間のものではないようなのだ」

「えっ……」

「ただし人の亡骸も多数見つかっている。 どれもミイラ化しているようだな」

一瞬で、希望が粉砕される。

そ、それならば。幽霊が出てもおかしくはない。がくがくと膝が震えはじめたのが分かったが。

クーデリアが、いきなり脇を肘鉄したので、思わず悲鳴を上げてしまう。

怪訝そうな顔を、ステルクがした。

「どうした」

「な、なんでもありまふぇん」

「この子、幽霊の類が苦手なのよ」

「そうか。 確かにカタコンベにはその手の話が多いな。 だが、今まで調査部隊の人間が、生還しなかったことはない。 失踪したり、妙なものも見たりはしていないから、安心して欲しい」

ステルクらしい、無骨な返事だ。

ただ、それが故に安心も出来る。この人はまだ若いが、アーランドでも生え抜きの騎士なのである。

「ステルクさんは、カタコンベに行ったことはあるんですか?」

「任務で三回ほど足を運んだ。 いずれも盗賊団の殲滅と捕縛が任務だった。 今は盗賊団が巣くっているという話はないな」

「前は、巣くっていたんですか?」

「今も定期的に確認はしている。 何しろ、内部が入り組んでいて、逃げ込むのにうってつけだ」

クーデリアが、また脇を肘でつついてくる。

そらみろと、言っているのだ。

確かに、盗賊が住み着くようなら、恐ろしい幽霊なんていないのだろう。いや、いたとしても、盗賊が死ぬような事はないと言うことか。

「今度はカタコンベに行きたいのか?」

「はい。 その、護衛をお願いしたくて」

「良いだろう。 出立は?」

「出来るだけ早くお願いしたいです」

それなら四日後だと、ステルクは言った。なにぶん多忙な人なのだ。ステルクの事情に合わせるしかない。

サンライズ食堂を出ると、クーデリアと一緒にリオネラの様子を見に行く。

まだ、広場で姿を見かけないとクーデリアに聞いて、ちょっとがっかりした。宿から出てきていないのだろうか。

宿に着く。

相変わらず盛況なようだ。すぐ側にある魔術師の家へは行列が出来ていて、その中に見知った人がいる。アンダルシアさんだ。

右手に包帯を巻いていて、指を何本か失っている様子だった。

戦士で前線にいるのなら、珍しい事でもない。指の再生は難しくない。アーランド人ならなおさらだ。

「アンダルシアさーん!」

「これはお久しぶりであります」

軍式の敬礼をされる。

アーランドの軍式敬礼は、直立しつつ、右掌を相手に見せるようにして、胸の前に。行列の人達がいるので、あまり良い視線は受けなかった。

聞いてみると、案の定、遺跡のモンスターと戦ったのだという。

「この程度は慣れっこであります。 命があっただけで儲けものなのであります」

「おっかないね……」

「おかげで、比較的浅い階層の構造は、頭に叩き込んだのであります」

相も変わらずのしゃべり方。

クーデリアが袖を引く。行列の途中にいる人と、長く話しているのは、マナー違反だ。頷くと、また今度と言い残して、宿の方にはいる。

リオネラは、まだ三階にいるらしい。

出向いてみると、意外なことに。会ってくれた。

少し痩せたようだったけれど。ロロナを見ると、一瞬だけ、顔をほころばせてくれたのが嬉しい。

もっとも、視線はまだ殆どあわせてくれなかったけれど。

「りおちゃん、また護衛を頼みたいんだけど、いいかな」

「いいの、私で……」

「もちろんだよ」

視線をしばらくさまよわせた後、リオネラは了承してくれる。

クーデリアも来てくれるし、これで相応の人員は揃ったか。後は、ロロナが幽霊にパニックにならなければ。

いや、幽霊が出ると決まったわけではない。

きっと大丈夫だ。

アトリエに戻ると、耐久糧食についての調査を詰める。クーデリアにも意見を聞いてみるのだけれど。

やはり彼女は、かなり詳しかった。

「確かに今の缶詰は、非常に評判が悪いわね」

「何か改善の方法はないのかな」

「まず重い。 まずい。 ちょっとでも傷むと駄目になるから、扱いが大変」

その辺りは、ロロナも聞いている。

確か硬い缶に入れているのに。運ぶ時は、馬車の荷台に藁を敷き詰めているのだとか。確かにそれは、本末転倒も甚だしい。

更に言うと、缶詰は決して安いものではない。

食べ終えた後の缶は、だいたいの場合持ち帰る。というのも、工場に持っていけば、かなりの金になるからだ。

空き缶は潰して、そのまままた金属に戻すのである。

「指定された条件をそのまま満たせば、良い保存食になるわよ。 ただし、かなり難しいと思うけど」

「今まで、誰もやろうとは思わなかったのかな」

「アーランドでは、工場が発展とともにあったの」

クーデリアが、説明してくれる。

遺跡から発掘した文明の技術は、何でもかんでも実現したわけではない。新しい技術が発見されれば、街を潤してきたが。それも、いつまでも都合良く、新しい技術が出てくるわけでは無い。

たとえば家畜の育成を行う工場と、缶詰を作る工場では、技術のレベルが明らかに百年かそれ以上は離れているという。

同じ缶詰に関する技術でも、内部での乖離は著しいとか。たとえば、金属から缶を作る技術と、空き缶を潰して金属を作る技術では、後者の方がずっとずっと進んでいるのだとか。これはどうしてかは分からない。

勿論、労働者階級の中でも、知識が深い人達が、日夜研究をしているけれど。

何しろ発掘される文明の技術は、現在の人間達の知恵とは根本的な次元が違っている。

とてもではないが、簡単に改良できるものではないのだとか。

資産家の娘だけあって、凄いなと思ったけれど。

しかし、クーデリアは、目に影を湛えていた。

「全部独学よ。 あの親が、あたしに何か教えてくれるわけないじゃない」

「……くーちゃん」

「大丈夫。 それよりも、何とかなりそうなの?」

「今、調べてるよ」

ただ、調べてはいるけれど。やはり、そんなに都合が良いものは、見つかりそうにない。幾つかの保存食については、記述があった。

だが、どれもこれもが、既存のものばかり。

中には、今では普通に生産されて、市販されているものさえもがある。

もっと難しい参考書を見るべきなのかも知れない。

ただし、上級の錬金術の中には、魔術を内部に組み込んでいるものも多い。中和剤を使っての融和作業も魔術の一種と言えるけれど、それとは比べものにならないほどの複雑な技術だ。

ロロナに使えるだろうか。

不安に縮こまっているよりも、まずは実戦だと、クーデリアは言う。

確かに彼女が言うならば、確かにそうなのだろう。

「今まで、手を出してこなかった参考書は?」

「うん、これとか、それとかかな」

「一つずつ、確認するわよ。 まだカタコンベまで出かけるのに、少しは時間もあるんだから」

やっぱり、友達はいいものだ。

ロロナは頷くと、クーデリアと一緒に、資料を集め始めたのだった。

 

3、古代の墓所

 

カタコンベ。

正式なこの遺跡の名前は、まだアーランドでは判明していない。分かっているのは、中に膨大な骨が散らばっていること。複雑な構造をしている上に、半ば土に埋もれていて、一種のダンジョンと化している事だ。

その特性から、盗賊団が根城にする事が多く、今まで何度となく討伐と駆除が実施されている。

だが不思議な事に、モンスターは近寄ろうとしないのだという。

以上の知識は、事前にロロナがステルクに聞かされたものだ。どうにか宿から出てきてくれたリオネラを加えて、ステルクとクーデリアと、四人でカタコンベに向かう。

途中、ハロルド村という場所で一泊。

旅人用の小さな宿がある。アーランドから此方に来る旅人が利用するためだが、勿論色宿も戦士宿もない。

村の人達は、ステルクが騎士である事を知ってか知らずか、あまり歓迎している空気ではなかった。

この村の人達にとって、カタコンベは禁忌。

だとすれば、其処を何度となく「荒らしている」騎士団には、良い感情を持てないのも道理である。

夕食は、だからだろうか。

極めて粗末で質素なものが出た。料金は割高だけれど、こればかりは仕方が無い。

全員で、黙々とやたら硬いライスを噛む。

噛んでいると、無口になって行くのが、何となく分かった。

「明日の早朝、カタコンベに入る。 最深部までは、ほぼ半日ほどかかるから、引き際を考えて欲しい」

「地図はあるの?」

「これがそうだ」

ステルクが出してきた地図は、彼方此方が黒塗りされていた。機密という事だろう。まあ、それは仕方が無い。あまり一般人が入る事を想定していない遺跡なのだ。

粗末なベットには、蚤だらけ。

ロロナはまず、魔力を通して、蚤を追い払う。リオネラも同じようにして、手際よく作業をしていた。

アラーニャとホロホロは、部屋に入るまで出さなかった。

小さな村で、人目を引きたくないのだと、道中で言っていたけれど。どうしてなのだろう。子供達は、喜びそうなのだけれど。

粗末な宿に泊まるのは、初めての経験ではない。

一晩ぐっすり眠って、翌朝には出る。まだ日が昇る前だったけれど。誰も眠そうにはしていなかった。

ステルクに案内されて、村から東へ。

途中小川が幾つかあったけれど、どれも橋が架かっていない。小さな石が飛び飛びに、乱暴に置かれているくらいだ。これを渡って行けと言うことなのだろう。

「すまぬな。 この辺りは、インフラが通っていないのだ」

「したところで、維持も整備もできないでしょう? だったらどうだって良いわよ」

ステルクとクーデリアが、よく分からない単語を使って話している。

ロロナはリオネラの手を引いて、一緒に石を跳んで川を渡る。浅い川だけれど、中には魚だけではなくて、強い毒を持つ水蛇も泳いでいるのが見えた。当然のことだけれど、モンスターもいるだろう。

幾つかの川を越えて、丘を渡ると。

日が昇る頃には、遺跡が見えてきた。

思っていたのと、全然違う。

お墓と言うから、石造りで、苔がむしていて。見るからに、おばけがでそうなのを予想していたのだけれど。

其処にあったのは、何というか。

アーランドにもありそうな工場。いや、オルトガ遺跡に、何処か似ていた。殆ど埋まってしまっているところが違うが。

未知の金属で構成されていて、所々に光が走っている。

入り口部分は、こじ開けた跡があったけれど。近くに常駐している戦士はいない様子だ。それに、周囲は荒野が目立つ。

川からも、かなり距離が離れているように思えた。

つまりこの遺跡は、常駐の監視員がいないのだ。

アーランド王都からそれなりに距離があるとはいえ、どうしてなのだろう。入り口には鎖が掛けられていたが、さび付いていて、誰も気にしないだろう。

中は真っ暗ではなく、薄明かりが満ちている。

ステルクがずんずん中に歩いて行く。クーデリアが、先に行くよう促した。リオネラはどうしただろうと思ったら。

ステルクについて行っている。暗いのはへいきなのか。あれほど恐がりなのに。

慌てて、荷車を引いて中に。

ぱきりと、音がした。

嫌な予感がして、下を見ると。息が止まりそうになった。

膨大な数の骨が、散らばっているのだ。百や千どころでは無い。事前に人間のものと聞かされていなかったら、ショックで心臓が止まったかも知れない。それでも、思わず悲鳴を上げそうになって、クーデリアに口を押さえられた。

ステルクが振り返る。

涙目になってばたばたしているロロナに、呆れたようだった。

「何をしている。 急ぐぞ」

「ほ、骨、骨がっ!?」

「そう言う場所だと言うことは、事前に分かっていたはずだが」

ステルクは全く動じていない。見ると、左右の壁は、オルトガ遺跡の外と殆ど同じだ。正体が分からない金属で出来ていて、時々筋状の光が走る。

所々にあるへこみには、大量の骨が詰め込まれていた。通路の左右も同様。中には、ロロナの背丈よりも、骨が積まれている箇所が見える。

「調査隊が最初に入ったときには、どの通路も腰の辺りまで骨が詰まっていた。 ある程度外に出したり、脇に避けたりして、ようやく入れるようになったのだ」

「ふ、ふええ……」

「モンスターはいないが、盗賊が潜んでいる可能性がある。 油断するな」

そう言われると、気を引き締めることも出来るけれど。

歩く度に、油断すると骨を踏んでしまう。

荷車も。時々、ばきりと音を立てる。

これでは幽霊話が出るのも当然だ。いまだって、どこからか覗かれているように思えてならないのだから。

殿軍を努めてくれているクーデリアは、ずっと気を張ってくれている。リオネラは、しばらく精神が不安定だったとは思えないほど落ち着いていて、むしろ心地が良さそうだった。ロロナだけがびくついている。

ステルクが、さっさと前を進んでいく。

広間に出た。天井は広く、部屋の真ん中辺りに、巨大な建造物が見て取れる。それだけでも、外の村にある風車くらいの大きさはありそうだ。

此処は、お墓なんかじゃない。

直感的に、そう理解できた。

建造物は、明らかに何かしらの機械なのだ。しかも光が時々走っているという事は、未だに動いていることを意味している。

好奇心が刺激されたからか、少しずつ怖くなくなってきた。

通路が、四方八方に延びている。

ステルクは地図を見ていたが、やがて歩き出す。その間、クーデリアが辺りを見て廻っていた。

「足跡があるわね」

「えっ!」

「盗賊よ、恐らくは。 ただし、今もいるかは分からないけれど」

リオネラは黙り込んだまま、骨の山をじっと見つめている。

目に光がないのは、気のせいだろうか。

アラーニャとホロホロに聞いてみる。だが、二人とも、リオネラは暗いところの方が好きだというだけだ。

いや、鉱山の時は、こんな反応はなかったはず。

ひょっとすると、暗いの定義が違うのか。

「早く行くぞ。 一旦最深部まで見てから、後の探索をどうするか、考えよう」

ステルクの声が飛んでくる。

慌てて、ロロナは荷車を引いた。

 

変な茸が、たくさん骨から生えていた。

それだけではない。彼方此方に、触るとかなり熱い砂が散らばっている。これは、確か参考書にあった燃える砂だ。実は鉱山でも見つけたのだけれど、その時見たものよりも、ぐっと熱い。

すぐにゼッテルに包んで、保存する。

他にも、いろいろなものが散らばっていた。たとえば、非常に頑強な巣を張る蜘蛛が、かなり住み着いている。

小さくて可愛い蜘蛛なのだけれど、巣はとても強靱なのだ。

謝りながら、巣を少しもらう。

繊維として優秀で、使い出があるのだ。

他にも、幾つも興味深い素材がある。骨の山の中から生えている、光る草。確か蛍火草という筈。

触ってみると、ほんのり温かい。

これも、いくらか摘んで、ゼッテルに包んだ。研究資料としては、どれもこれもが有用だ。

師匠の言うことは間違っていなかった。

これでロロナを思い切り怖がらせるようなことをしなければ、名師匠なのに。

奥まった所で、ロロナはリオネラに手伝ってもらって、採取を続ける。リオネラはずっと黙りこくっていたけれど。

不意に、口を開く。

「ロロナちゃんは、こういう所嫌い?」

「え? そうだね、怖い……かな」

「私は大好き。 静かで、人の気配がなくて。 こういう所で、ずっと暮らしたいな……」

そういったリオネラの目には光が全く無く。光彩は黒塗りしたかのようだった。彼女は、心底からそう言っている。

それが分かって、ロロナは背筋に寒気が走る。

変わったところのある子だけれど。はじめて、こういった狂気的な部分は見た。友達になって行きたいとは思うけれど。怖いところは怖い。

「あ、アラーニャ!、ホロホロ!?」

「ごめんなさい。 この子ね、こういう場所に来ると、少し人が変わるから」

「幽霊に取り憑かれてるってわけじゃねえから、安心してくれ」

そう言われても。

本当に嬉しそうにリオネラは、いつもだったら絶対浮かべないような、蠱惑的な表情まで浮かべている。

荷車に積み込んだ素材は、かなり多くなってきた。

此処を離れたい。

そうロロナは思ったけれど。ステルクが剣に手を掛けたので、そうも行かなくなった。此処は袋小路。向こうから、何か来たという訳か。

クーデリアも、拳銃を引き抜く。

薄い明かりの中、見えてくるのは、複数の人影だ。

よたり、のたりと歩いて来る。

どうも盗賊らしいのだけれど。様子がおかしい。

いずれも目がうつろで、手にはライフルをぶら下げているが。此方に向けてくる様子も無かった。

「何だ。 精神操作でも受けているのか」

ステルクが、剣を向けたまま、油断なく言う。

数は十人以上もいる。足跡は、間違いなく、あの盗賊達だろう。それにしても、動きが変だ。

此方に気付いている筈なのに、攻撃してくる気配がない。

「武器を捨てよ。 降伏するなら、斬らぬ」

ステルクが宣言する。

だが、盗賊達は動きを止めない。

ここに入ってから骨の強い臭いで気付かなかったけれど。盗賊達の体からは、それさえを凌ぐような、凄まじい臭いがしていた。

杖を構える。

どのみち、逃げ道はない。詠唱を開始。ステルクとクーデリアが時間を稼いでいる間に、相手を一掃できるだけの術式を準備しなければならない。

リオネラが、何も言わないのに、自動防御を展開してくれた。

嬉しい配慮だ。

これなら、流れ弾を気にせず、遠慮無く準備が出来る。

異変が、起きたのは。

その時だった。

盗賊達の全身が、はじけ飛んだのだ。そして、その時、ようやく気付く。その盗賊達は、とっくに死んでいたのだと。

中から姿を見せたのは、何だろう。形容しようがない存在だった。

鈍色に光っていて、虫のように長くて。とにかく、それが盗賊達の死体の内部に入って、動かしていたことは分かった。

生唾を飲み込むロロナの前で、ひゅんと、鋭い音。

ステルクが切り上げる。

だが、恐るべき強靱さを発揮して、紐状の何かは、切断を免れた。

思わず悲鳴を上げそうになる。

次々、死体がはじけ飛んでいき、銀色の紐状の何かが姿を見せ始める。それだけじゃない。

後ろからも。

袋小路だったはずなのに、骨の中から、その銀色の何かが、出てくる。

まるで、無数の触手。

何かの体内に紛れ込んでしまったかのよう。

「突破する!」

ステルクが一喝。稲妻を纏わせた剣を一閃した。

薙ぎ払われた無数の銀色の紐が、今度こそ悲鳴を上げながら、もがく。水の中で蠢く、蚊の幼虫のように。

どっと迫ってくる、銀色の紐。

必死にロロナは、荷車を引いた。何度も、自動防御にはじき返される銀色。

あっと、気付いたときには、クーデリアが左腕を掴まれていた。

何度も銀色の紐を撃ち、無理矢理外させるクーデリア。だが、多分凄い力で締め上げられたのだろう。手から、血が滴っている。

まるで銛。次々、銀色の触手が襲ってくる。

突破したからか、後ろから、際限なく。けらけらと笑っているのはリオネラだ。何か、スイッチでも入ったのだろうか。

詠唱完了。

「くーちゃん! 荷車お願い!」

自動防御から飛び出したロロナ。クーデリアが無言で、位置を変える。ぐっと引っ張って、反旋回させるように、荷車を動かして。

ロロナの射線上に、銀色の触手が、根こそぎ入るようにした。

「フルハート、アタック! いっけええええっ!」

全力で、魔力の塊をぶっ放した。

どうやらロロナの魔力は、ハートを形作るらしい。だから、全力での射撃は、フルハートアタックと呼ぶようにしている。

そして、魔術の名付けなど、そんなもので良いのだ。

放出された膨大な魔力が、乱反射しながら、通路を薙ぎ払っていく。それはさながら、稲妻の蛇が大暴れしているような光景。

骨が吹っ飛び、焦げた肉の臭いが充満する。

すぐに、クーデリアがロロナの手を引いた。全滅したわけではない。まだ、奥の方から、銀色の触手が追ってきている。

「なんだろ、あれ!」

「分からん! あのようなもの、以前の調査で姿を見せたことはなかった!」

ステルクが連続して、稲妻を纏わせた剣を振るい、路を作る。

息が切れ始めた。ずっと走っているのだから、当然だ。

ずっとずっと、ひたすらに走り続けて。

やっと、先ほどの、奇怪な構造物がある辺りまで来た。

追ってこない。ロロナはすぐに何枚かのゼッテルを取り出す。防御の術が掛かっているものだ。それを、通路に放り込む。

これで、防御の術を発動できる。

あの銀色が追ってきても、すぐには突破できないだろう。何しろ、煮込みに煮込んで、爆発寸前まで濃度を上げた中和剤を使ったインキで、魔法陣を書き込んだのだ。

呼吸を整えて、みんなの無事を確認しようとした瞬間。

突き飛ばされた。

ゆっくり、世界が動いていく。反射的に展開されたリオネラの自動防御を貫通して、壁から伸びてきた銀色の触手が、クーデリアを吹っ飛ばす。

ステルクが、触手を大上段から一刀両断にする。

「くーちゃん!」

絶叫したときには、クーデリアは壁に叩き付けられていた。

 

ようやく、攻撃が収まったらしい。

もう何処が危険で、何処が安全かさえも分からない。ステルクが嘘を言っていたとは思えないし、今までこんな事態は起きたことがなかったのだろう。

クーデリアは意識がはっきりしているが、おなかの傷がまだふさがっていない。最初は腸が見えていたほどなのだ。へその左横から脇腹まで、人差し指二本分の長さに達する傷だった。

しかもこの触手で差された傷だけではない。

逃げる間に受けた傷が七カ所。気付いていなかったが、左足のふくらはぎにも、かなり深い傷があった。

更に、最後に、壁に叩き付けられた打撃。

アーランド人でなければ、即死していただろう。今だって眉一つひそめていないが、発狂するほど痛いはずだ。

傷口を縫合して、薬を塗って。

しばらく安静にするしかない。出来れば二日か三日、動くのは避けてもらいたかった。

傷口の消毒と縫合は、ステルクがやってくれた。

今までの失敗を考慮して、今回はいろいろな薬品を持ってきてある。煮沸消毒した針も、糸もある。ただ、ロロナが持ち込んだ分以外に、ステルクが軍用の小さなソーイングセットを持ってきていて、それを使ってくれたのだが。

縫うのに麻酔などない。流石のクーデリアも、針をおなかに入れられたときは、眉を一瞬だけ動かしていた。絶対に悲鳴は上げなかったが、それはクーデリアの矜恃なのだろう。何度もロロナは涙を拭った。

出来ればこの恐ろしい遺跡から出たいけれど。

今は、怖くて身動きも出来ない。

「あんたは無事?」

「わたしなんてどうでもいいよ! くーちゃん、痛くない?」

「そりゃあ痛いわよ」

触手に突き刺された瞬間も、クーデリアは受け身をとっていた。

更にステルクが触手を斬り伏せた事もあって、体を貫通されることも無く。内臓への打撃も、最小限に押さえ込んだ様子だ。

ステルクは、ずっと周囲を見張ってくれている。

リオネラは意外に冷静で。持ち込んでいる水をランプで煮沸してくれたり、クーデリアの額を拭いてくれたりと、適切な看護をしてくれていた。

遺跡は怖いところだと、分かっていたはずなのに。

どうして自分はこう馬鹿なんだろうと、ロロナは思い知らされてばかりだ。

ステルクが、様子を見てくると言って、奥に。

そして、すぐに戻ってきた。

盗賊を一人、引きずっている。どうやら生きているようだった。

「気配があったから、見つけることができた」

「な、なんでもしゃべる! お願いだ、殺さないで、殺さないでくれ!」

気の毒なほど取り乱しているのは、中年の男性だ。手にはライフルを持っているけれど、誰も気にしない。

そんなもので、死ぬような人間は、此処にはいないからだ。

多分、あの盗賊の死体は、この男性の仲間だったのだろう。ライフル如きを手放さない所から見て、よその国の人だとみた。

ステルクが男性を座らせて、ライフルを取り上げる。

震えている男性は、寝かされたままのクーデリアを見て、小さな悲鳴を上げた。

「彼奴らに襲われて、生き延びたの、か」

「彼奴らというのは、あの触手みたいなモンスター?」

「ち、違う。 あれは、この遺跡の……」

震えながら、男は周りを見る。

頭を抱えて、ぶつぶつ何かを呟いていた。しらけた目で、リオネラが言う。

「この遺跡の守り神だ、だって」

「守り神?」

「知っている事があるなら全て話せ。 死者が出ているのだ。 あまり悠長なことは、言っていられない」

ステルクの声も怖い。

ロロナは泣きそうだったけれど。それ以上に、盗賊の人は、気の毒だった。

「お、俺たちは、その。 半月ほど前に、来た。 此処がヤバイ国だってのは知ってたけど、いろんな遺跡があって、荒稼ぎ、出来るって。 それで、警備が薄いこの遺跡に、潜り込んだんだ」

「それで?」

「お、奥の方に、隠し部屋を見つけた。 仲間の一人に、そういうのが得意な奴がいて、それで、それで……」

悲鳴を上げて、男が頭を抱える。

ステルクが大きく嘆息した。

「遺跡の中には、自分を守る力を有しているものがある。 恐らくはこの男達、遺跡を根本的に破壊するか、それに近いような事をしてしまったのだな。 それで、遺跡が身を守るための力を発動させたのだ」

「外には、出られないの?」

「お、お前達も、見ただろう! 外に出ようとして、みんなああなった!」

ならば、出口への通路は、もう安全ではないと見て良さそうだ。

クーデリアがこんな状態では、どうしようもない。腕組みしているステルクに、話を聞いてみる。

「何か、良い案はありませんか?」

「私にそれを聞くか。 しかし、遺跡に一番詳しいのが今の時点では私か……」

ますます、ステルクの眉間に皺が寄っていくのが分かる。こわい。

だが、正直な話。クーデリアがこんな状態なのである。誰の手でも、借りられるなら借りたい。

「ちょい提案があるぜ」

挙手したのはホロホロである。

くつくつと、リオネラは不気味に笑っている。この子は、何だか遺跡に入ってから、人が変わってしまっている。

「此奴に案内させて、その隠し部屋とやらに行ってみないか?」

「正気か」

「元々この遺跡、おとなしかったんでしょう? けが人を抱えた状態で、脱出できるか難しい今の状態を考えるなら、損は無いと思うけれど」

ステルクが腕組みする。

クーデリアは半身を起こそうとするが、上手く行かなかった。

「隠し部屋とやらで、何をしたのか、話せるか」

「……」

盗賊が、震えながら差し出したのは、淡く輝く宝石だ。

こぶし大ほどもある。ちらっと見たが、どうも様子がおかしい。本当に宝石なのか、かなり疑わしい。

貸してもらって、触ってみると、ほんのり温かい。

というよりも、何というか。振動している。その上、中から音がしているようにも思える。

これは何だろう。多分、宝石ではない。

ペンデロークとも、多分違う。図鑑で見たペンデロークは、青紫をした、もう少し地味な色合いの石だった。

「隠し部屋に、変な機械があって、これが」

「奪ったのか」

「だ、だって、価値があるものだと……」

「この遺跡が生きている事は分かっていただろう。 それなのに、遺跡を怒らせるような事をして、無事で済むと思ったのか」

ステルクの声には、静かな怒りが籠もっている。

もし怒りが、クーデリアを怪我させ、盗賊の仲間達が多く死んだことに向いているのなら。ロロナとしては、嬉しいけれど。

今は、この何か良く分からないものを、戻すのが最優先だ。

「わ、わたし行きます」

「ロロナ君?」

「ここ、モンスターはいないって話ですし、何よりくーちゃんには護衛が必要です」

それに、この盗賊のおじさんくらいなら、何かされても対処できる。

腕組みして考え込んでいたステルクだが。あまりいい表情はしていなかった。賛成できないというのだろう。

クーデリアが、不意に発言した。

「さっき気付いたのだけれど、あの触手、其処の騎士が攻撃するまでは、静かだった気がするわ。 死体をぐしゃぐしゃにはしたけどね」

「どういうこと?」

「ひょっとすると、攻撃しなければ、安全なのかも知れない、という事よ」

気休めの発言だけれど。

今は、その可能性にすがっておきたい。

盗賊のおじさんを促して、ロロナは行く。くーちゃんを守るためには、他に方法がなかった。

 

やせこけた盗賊のおじさんはすっかり怯えきっていたけれど。

もはや他に方法がないことは、分かっているのだろう。ロロナに促されるまま、カタコンベの奥へ奥へと行く。

「おじさんは、どうしてこんな事を?」

「……」

最初は口をつぐんでいたおじさんだけれど。

骨の山の間を歩きながら。ぽつぽつと話してくれた。

「好きで、盗賊なんてやってねえよ……。 まして、こんなおっそろしい国、来るもんかよ」

「それなら、どうして」

「暮らしていけねえんだよ」

世界には、まだまだ荒野が広がっている。

誰かが、一度世界を滅茶苦茶にしてしまったのだ。そう、盗賊のおじさんは吐き捨てた。そんな荒野の一角。砂漠のすぐ側に、おじさんの村はあったのだという。

口減らしは当たり前。

奴隷商人が出入りして、子供は商品の一つ。

長男だったおじさんは、弟や妹が売られていくのを、恐怖とともに見ていたという。売られていく子供達は、当然村に戻ってくることなど、一度もなかった。

やがて、それでも村が立ちゆかなくなっていく。

田畑では、作物が立ち枯れてしまう。

川の水量が減っていき、生きることさえ難しくなっていく。

税など、収められるはずもない。

離散した家が幾つも出る中。おじさんの家も、村を夜中に去ったのだという。

「都会で物乞いをするうちに、犯罪組織に声を掛けられてよ。 最初は悪い薬の売人をやらされてたが、その内こっちの仕事が来てな」

辺境は、モンスターがたくさんいる代わり、豊かな場所が多いと聞いて、一も二もなく志願した。モンスターを見た事もなかったおじさんは、どうせ大した事はないだろうと、思ってしまったらしい。

ライフルを渡されて、同じような境遇の仲間と組んで、最初は別の国に出向いた。密漁が、主な仕事だった。辺境の戦士の凄まじい強さは、良く見せつけられたからだ。ライフルがあっても通用しないことは、おじさんにも分かっていたらしい。

魚や獣をこっそり取って、持ち帰って売る。

水を汲んで持っていくだけでも、相当な金になった。

何より、荒野が緑より少ない地域にいるだけで、おじさんはとても嬉しかったという。

「足を洗おうとは、思わなかったんですか?」

「そうだな。 とともかかあも物乞いしてるうちに流行病で死んじまったしな。 でもな、染みついた手癖の悪さと、それに仲間を売るようなことも出来なかったんだ」

悲しい話だ。

アーランドは、戦士達の血みどろの苦労の末、やっと今の豊かな生活を手に入れた。

だが、努力しようもない土地に生まれた人もいるのだ。

そんな土地に生まれていたら。

ロロナも、きっと奴隷商人に売り飛ばされたり、飢餓の中口減らしで殺されてしまったのだろうか。

此処だと、おじさんが足を止めた。

確かに壁には何も無いように見えるのだけれど。おじさんが手を触れると、驚くことに壁がスライドして、空間が出来た。

今までの時点で、触手は襲撃してきていない。

クーデリアの言葉が、どうやら真実だったらしい。有り難いと言うよりも、そうでなければ、生きてはいられなかっただろう。

小さな部屋だ。

確かに、奥には変な機械がある。

机みたいなものがあって、その上に筒状のよく分からないもの。途切れている場所があり、其処にこの宝石が浮かんでいた、というのだ。

不意に、前後左右の床から壁から、触手が出てくる。

もう、今は、覚悟を決めるしか無い。

「この石を、返しに来ました! とってしまってごめんなさい!」

二度、繰り返す。

触手はしばらく、ロロナと盗賊のおじさんを囲んでいたけれど。襲ってくる気配はなかった。

やはりさっきの悲劇は、此方から手を出したから、だったのだろうか。ステルクに責任はない。

不幸な事故だった、としかいいようがない。

何だかよく分からない言葉が聞こえる。

ロロナには分からなかった。師匠だったら、理解できたかも知れない。

ふと、視界の隅に、変なものが映った。

テーブルがあって、其処に熊のぬいぐるみが置かれているのだ。どうしてこんな所に、ぬいぐるみが。

宝石を、まずは戻すことが重要だ。

おじさんに聞いていた位置に、宝石を置く。本当に浮いた。宝石の上下に光が走り、ゆっくりと周りはじめる。

触手が引っ込んでいくのが分かった。

胸をなで下ろす。ふいに、触手が一本だけでて、熊のぬいぐるみを掴み。ロロナの方へと、押しやってきた。

「え……?」

持って行け、というのだろうか。

ぬいぐるみは、何かの変な液体で、少し汚されていた。何かは分からない。ただ、あまり嫌な臭いはしない。

触手が、引っ込む。

盗賊のおじさんが、顔中に汗を掻いていたのが、ようやくその時分かった。

「ど、どういう度胸だよ」

「助かったんだし、良かったじゃないですか」

「……オレは、助かったのか。 そうか」

肩を落として、盗賊のおじさんは、そう言った。

帰り道、触手が襲ってくる事はなかった。

勿論、ステルクもクーデリアも、無事なまま待っていた。クーデリアの傷は、出来れば数日は動かさない方が良いが、しかし栄養を取った方が良い。その判断から、一旦カタコンベから運び出し、近くのハロルド村に寄る。

おかしな話だが。

カタコンベを出ると、いつものように、リオネラは臆病な女の子に、戻ったのだった。

 

4、幽霊

 

ハロルド村の宿で、ロロナはクーデリアの側に座って、傷の状態を確認していた。

宿に泊まって、二日目。

小さな村でもあるし、回復の術者がいるか不安だったのだが。一応、年老いた女性の魔術師がいた。彼女はロロナよりもずっと魔術が出来る人であったから、幸運だった。荷車に積んであった薬を傷口に塗り、彼女の魔術をかけ続けて。みるみるクーデリアの傷は回復していった。

もう、歩いても大丈夫だろう。

ロロナはそう判断。

ただ、念のため、もう一日休むことにする。

思わぬ出費はあったけれど。今回は、カタコンベの中枢システムが分かったとかで、ステルクが国から報奨金が出るよう掛け合ってくれるという。

つまり、損得はといといで済みそうだった。

リオネラが、綺麗に洗濯したシーツを持って戻ってくる。

けが人を寝かせる場合は、流石に清潔なリネン類を用いる。ロロナもリオネラも、ここ二日はお洗濯ばかりしているような気がする。

盗賊のおじさんは、アーランドに戻ってから、ステルクが連れて行くことになった。

尋問した後、恐らくは工場で働いてもらう事になるだろう。ステルクはそう言っていた。話を聞く限り、犯した罪は密漁くらいだ。それならば、多分死刑になる事もないだろう。行く当てもないようだし、工場で働いて、アーランドの労働者になってしまえば。そのうち、おうちも持てるかも知れない。

「随分、時間をロスしたわね……」

「良いんだよ。 予定以上の収穫はあったんだから」

それに、どのみち、耐久糧食については見当もつかなかったのだ。

ペンデロークについても、帰り道に採取できた。

骨の山の中で鈍く光っているのを見つけたのだ。幾つかの欠片を拾ったけれど、何だか不気味な色合いの石で、あまり直接手で持ちたくはなかった。

「くーちゃん、おなかの状態は大丈夫?」

「もう痛みもないわ。 それよりあの汚い熊のぬいぐるみは何よ」

「分からないけれど……もらったから」

「捨てた方が良いんじゃないの?」

クーデリアはそう言うけれど。

カタコンベの最深部で、遺跡は大事そうに宝石と、あのぬいぐるみを守っていたのだ。それをどういうわけか、ロロナにくれた。

持って帰ってみて、それから判断した方が良い。

大丈夫。

まだ、時間は残っている。それに今回、貴重な素材も、たくさん入手することが出来た。カタコンベに山とあった骨も、幾らかサンプルとして持ち帰っている。何かの材料として、使えるかも知れない。

ステルクが戻ってきた。

クーデリアを診察してくれるので、そのまま対応を任せる。傷口を触診して、ステルクは頷いた。

「うむ、完治とまではいかないが、もう歩く分には問題ないだろう。 大した回復力だ」

「ステルクさん、あの盗賊のおじさんは」

「裁判を受けた後、恐らくは工場で働くことになるだろう。 大丈夫、盗賊を続けるよりも、ずっと安定した生活と収入を得られるはずだ」

そう聞くと、ようやく安心できる。

かゆを作って、クーデリアに食べさせる。半身を起こすと、一人で食べ始めるクーデリア。最初は食べさせてあげると言ったのだけれど。顔をどうしてか真っ赤にして、恥ずかしいから嫌だとか応えられた。

黙々とかゆを食べるクーデリア。

食べ終えた後、複雑な面持ちになった。

「あんた、料理上手くなった? 前はパイくらいしか、まともに食べられるもの作れなかったのに」

「え、そうかな」

「錬金術を本格的にやり出して、味付けや調理のこつが分かってきたのかもね」

ふと、リオネラが、視線をそらして。

部屋の隅にあるぬいぐるみを、じっと見た。これは荷車に積まずに、直接持ってきていたのだ。カタコンベがどういう意図かは分からないけれどロロナに直接渡してくれたのだし、粗末に扱っては失礼だと思ったからである。

リオネラは、少しの間だけ、ぬいぐるみを見ていたけれど。

だが、すぐに此方に視線を戻す。

その時は、ロロナには。リオネラの行動の意味が、分からなかった。

 

アーランド王都に戻って、城門で解散とする。

リオネラは人がたくさんいるところは嫌だと言って、例の宿に戻っていった。少しずつ、思っている事を口に出来るようになっているので、それは好ましい。もう少し、一緒にいたかったけれど。

ただ、今回は、リオネラの人となりを少しずつ理解する事も出来た気がする。それだけで充分だし、また護衛には来てくれるという話だったので、嬉しかった。リオネラの自動防御は、磨き抜けばもっと強くなると思うし。それでいい。

帰り道は特にモンスターに遭遇する事もなかった。だから、カタコンベを出てからは、平和な旅だった。

クーデリアを屋敷まで送った後は、盗賊のおじさんを連れて行った後、戻ってきたステルクに手伝ってもらって、採集してきた素材をコンテナに。

その後、調書を書かされた。

今回のカタコンベの件で、重要なことが幾つか発覚したからだ。偶然とは言え、カタコンベの中枢や、触れてはいけない部屋についても分かった。今までは戦士を常駐させていなかった場所だが。今後は、立ち入り禁止の措置を執るかも知れない、という話だった。

中で人が死んだのだ。

処置としては、当然だろう。

内側からはじけ飛んでしまった盗賊の人達の亡骸は、今でも鮮明に思い出せるくらいだ。

調書を書き終えると、ようやくロロナは一人になった。

師匠も部屋に閉じこもっていて、ロロナが戻ってきたときにステルクと話していたくらいで、その後はだんまりである。

調書の書き方を、ステルクに教えてもらう。

基本の書類と書式が準備されていたので、後は早い、という事だったけれど。油断すると、すぐに擬音を書いてしまいそうになるので、ステルクに何度か怒られた。二回失敗した後、ゼッテルに下書きして、それから本番の書類を書くことになった。

ステルクの機嫌が、どんどん悪くなっていくのが分かって怖かったけれど。多分、それは、ぐずなロロナが悪いので、何も言えなかった。

どうにか書類を書き上げる。

しばらく隅から隅まで見ていたステルクが、ようやく合格を出してくれた。

「アストリッドも書類仕事が嫌いだったが、君もだな」

「え? 師匠は何でも出来るイメージがあるんですけど」

「出来るとも。 彼奴はこういう作業をとにかく面倒くさがってな。 若い頃から色々問題を起こしてはいたが、始末書を書かせるのに一苦労だった」

ステルクは苦笑いすると。少し休んでから作業に取りかかった方が良いとアドバイスをくれて、それからアトリエを出て行った。

アドバイス通り、一眠りする。

疲れが取れた頃には、昼を廻っていた。師匠も流石に、食事時には部屋から出てくる。適当に食事を済ませてから、研究に戻る事にする。

さて、此処からどうするか。

ペンデロークをせっかく入手できたのだから、其処から調べていくのが良いだろう。

参考書をひもとくが、流石に難しい技術がかなり載っている。

数時間調べて見て、不意に目がとまった。

ネクタルと呼ばれる液体について、記述があったのだ。

「ええと……」

読み進めてみる。

以下のように、記述は進められていた。

「ネクタルとは、太古の時代、神の飲み物として伝説が残っていた液体である。 不老不死を実現する飲み物だ。 これを飲んでいるため、神は不死なのである」

つまり、人の領域を超えることが出来る飲み物、と言うことになる。

もの凄い記述に、ロロナは吃驚してしまった。

そんな事が出来るのか。

だが、もう少し読み進めてみると、そう都合が良い話ではない事が分かってくる。

「残念ながら、これを完全に錬金術で再現することは出来ていない。 究極の回復薬であるエリキシル剤でさえ、此処までの効果を発揮することはない。 しかしながら、ネクタルの神秘的な力の一部を、再現することは出来た。 不死ではないが、強い癒やしの効果を持つ、更に放置すればするほど強い回復の力を備えるようになる液体である」

それは凄いと思ったのだが。放置する期間が長すぎる上に、効果は本当に微々たる足取りで上昇していくようなのだ。

これでは、余程の量を作らなければ、実用には耐えられないだろう。

それに、レシピを見てみたが、かなり難しい。

ただ、妙なことも分かってくる。

参考書に記述もされているのだが。どうやらあのカタコンベで採取できた素材で、全てがまかなえるようなのである。

これは、どういうことだろう。

他にネクタルはないか。参考書を調べていって見る。

研究資料があった。10年ほどを掛けて、ネクタルについて調べている。七代前の錬金術師が、長い時間を費やして、徹底的に研究した価値のある資料だ。師匠もこれくらい、真面目に調査をしてくれればと、読んでいて、ロロナも思ってしまった。

「カタコンベの深部にて、ネクタルが生成されているのを発見。 しかも、生成されているネクタルは、意図的に地下へとしみこまされている。 しかも、しみこませている現場は、カタコンベの遺跡防衛システムが厳重に管理している」

「えっ……」

思わず、声を上げてしまう。

これは近々、現場を確認しなければならないかもしれない。いや、もうだいぶ時間をロスしているのだ。これ以上のロスは避けたい。確固たる核心を突く事が出来てから、だろう。

「成分を解析して、カタコンベで生成されているほどではないにしても、ネクタルを再現することは出来た。 これは万能の医療薬として活躍する可能性を秘めている。 ただし、現時点では錬金術で生成したネクタルの効果は神話に比べると微弱で、不老不死は無理だろう」

ふと、思いついた事がある。

まずは、ネクタルを生成してみることからだ。

このレポートを確認したけれど、生成自体は、さほど難しくない。どうにか今のロロナでも出来る。

問題はそこからなのだけれど。

まあ、まずはとにもかくにも、作って見ることだ。

レシピはそのまま活用できそうなので、コンテナに潜って素材を確認。とりあえず、充分な材料は揃っている。

流石に夜も遅いので、これからの作業は避けたい。

小さくあくびをしたとき。

ロロナは、もう一つ、あくびの声を聞いた。

師匠かな。

流石に鉄人である師匠でも、あくびくらいはするだろう。眠くもなってきたし、そのまま寝室に向かおうとして。

足が、地面に釘で縫い付けられたように止まった。

ロロナは感覚には自信がある。

耳だって良い。

今の声は。

明らかに、聞いたことがない人のものだ。しかも、明らかに、このアトリエの中。それも、今いる、調合を行う部屋の中から聞こえた。

全身が、総毛立つ。

震えながら、それでも、ゆっくり、振り返ってしまう。

その時、ロロナは。どうして師匠に助けを求めなかったのか、後悔していた。

紫色の人影が、浮かんでいたのだ。

それも、熊のぬいぐるみから、染み出すようにして。

その人影は、どうやらロロナより少し年上の女性のようだった。薄紫色のウェーブが掛かった長い髪。おっとりした様子の表情。フリフリのロングドレス。

足は、ない。

ドレスに隠れている、という事はないはずだ。どう見ても、足が見えるべき位置に、見当たらない。

心臓が、胸郭の中で、猛獣に襲われたこいぬのように跳ね回っている。

眠たそうにしている「彼女」の肌は血色が悪い。

何より、こんなもの。幻覚ではありえない。何しろ彼女は、もう一度、あくびをして。眠たそうに、ロロナをはっきり見たからだ。

「ふぁああああ。 あれえ? ここ、どこ……?」

しかも。

突っ立ったまま、蛇ににらまれた蛙のように動けなくなっているロロナの前に。一瞬で、彼女は移動してきた。

じっと顔を覗き込んでくる。

「だれえ?」

「ひ……」

次の瞬間。

ロロナの理性は、消し飛んだ。

 

もの凄い悲鳴が上がったので、流石に作業中のアストリッドも驚いた。手を洗って血を落とすと、隣の部屋に。

なんと。

其処には、驚きの光景が広がっていた。

腰を抜かしたロロナが、部屋の隅まで這って逃げながら、大泣きしている。

空中に浮かんでいるのは、やたら鈍そうな女。アストリッドの好みより、少し年を取ってしまっているか。

「いやーっ! 食べないで! 殺さないで!」

ロロナが涙を流しながら、必死に懇願しているけれど。

懇願されている方は、明らかに自分が何故そんなに怖がられているか、全く分かっていない。

可愛らしく小首をかしげている様子は。

あまり知性を感じさせる動作ではなかった。

「ふむ、幽霊か。 しかもこれほど霊体がはっきり見える相手は、はじめて見た」

「な、ななな、なに冷静に分析しているんですか、師匠っ! た、た、たすけて!」

「落ち着け。 どうみても、害がある存在ではなかろう」

「そうよー、もう。 食べるなんて失礼な」

ロロナは完全に腰を抜かしてしまっていて、立つどころか冷静に判断も出来ないようなので、嘆息してからアストリッドが話を聞いてみる。

おっとりした雰囲気の幽霊は、いずれにしても悪意とは無縁に見えた。この様子なら、アトリエにとりつかれても、問題は起きないだろう。

「私もあまり幽霊を見た事はないのだがな。 名前は」

「私? ええと……。 そうそう、パメラ=イービスよ」

「そうか、ではパメラ。 どうして幽霊になったのか、覚えているか?」

「……分からない」

まあ、そうだろう。

そもそもアストリッドも、幽霊はあまり見たことが無いのだ。オルトガラクセンの深部で、旧時代の幽霊に遭遇したことはあるけれど。会話が成立しない事が殆どだった。ちらりと見るが。

ぬいぐるみに掛かっている液体は。

なるほど、そういうことか。それで、未だに強烈な自我を保っている、というわけだ。

カタコンベに行かせたのは正解だった様子だ。クーデリアが死にかけたのは、単なる事故。まあ、ロロナのためなら死んでも良いと思っているようだし、死んだところで本望だろう。

「とりついていた媒体は、そのぬいぐるみか」

「そうみたいね。 でもどうしてかしら。 この光景、何だかなじみがあるように思えるのだけれど」

「さては貴殿、元は錬金術師か」

「……分からないわ。 でも、錬金術というよりは、むしろ」

その後パメラが口にした言葉を聞いて、なるほどと思った。

このぬいぐるみを得た経緯については、聞いている。

既にカタコンベについては、アストリッドはその正体に仮説を立てていた。その仮説はだいたいほぼ確実に的を得ているだろうとも思っていた。今、パメラが口にした単語で、確信が持てた。

「ロロナ、その幽霊をこのアトリエにしばらく置いてやれ」

「ええっ!?」

「あら、此処に置いてくれるの?」

「師匠……」

ロロナに、まるで捨てられそうな子犬のような目で見られたが、今回ばかりは仕方が無い。

パメラはにこにこしている。

ロロナに嫌われ、怖れられたことなど、まるで気にしていないようだった。

 

翌朝。

悪夢の一夜の後。ロロナは、きっとあれは幻覚だったに違いないと思ってアトリエに出たのだが。

いきなり天井からつり下がってきたパメラに、目隠しをされて。

もう、悲鳴を出す余力も残っていない事に気付いたのだった。

「あら? 泣かないの?」

「おはようございます、パメラさん」

「他人行儀ねえ。 パメラでいいわよ」

げっそりしきったロロナ。目隠しをされたところが、妙に冷たかったところが、もう悲しいを通り越して、死にたくなるほどだった。現実が、嫌と言うほど其処に示されている。

幽霊はいる。

その上、アトリエに住み着いてしまった。

ロロナが幽霊や、それに類する話を苦手としているのは、師匠だって知っている筈なのに。

どうしてこんな悲しい嫌がらせをするのだろう。

いや、それを言うならカタコンベだ。あのぬいぐるみにパメラがとりついていたのは明らか。どうして、ロロナの所に、パメラを押しつけたのだろう。まさか、カタコンベでも手に負えないほど、暴れていたのではあるまいな。

いや、それはないだろう。師匠があれから教えてくれたのだけれど、カタコンベの幽霊話は、殆どが創作や都市伝説ということだ。それならば、どうして実際の幽霊がいたのか。

とにかく、分からない事だらけ。

怖くて、パメラが見られない。

朝ご飯を作る。

パメラは見ているだけで良いと言ったのだけれど。やがて、とんでも無い事を言い出すのだった。

「ねえねえロロナ、とりついても良いかしら」

その場で、包丁を取り落としそうになった。

長い時間を掛けて、唾を飲み込む。

見るだけでも怖くて膝が震えそうなのに。とりつかれるなんてことになったら、何が起きるか。

幽霊が実在していたと言うだけでも、もうこのアトリエを飛び出して、穴でも掘って、その中に隠れて過ごしたいくらいなのだ。

がたがた震えながら、それでも料理を作る。

「やーねえ。 冗談よ」

パメラはすっかりロロナの扱い方を理解しているようで、けらけら楽しく笑っていた。この現実を、どうにかしたい。

ロロナだって分かっている。

パメラは明らかに元人間。幽霊になってしまっているからと言って、あまり失礼な態度は取れない。

ただ、幽霊と言うだけで、怖くて仕方が無いのだ。

朝食を並べる。

師匠は都合良く出来た頃になって部屋から出てくる。

パメラと何か難しい話を始める師匠。専門用語が飛び交っていて、ロロナには全く理解できない。

でも、それでいい。

何しろ、パメラの興味が、ロロナには向いていないからだ。

鏡で自分を見たら、さぞや真っ青なのだろうとおもう。せっかく作ったパイも、全く味がしない。

塩を掛ける。

何度も何度も。

食べてみても、やはり味がしない。

「ロロナ、そんなに塩を掛けると、体に悪いぞ」

「大丈夫ですよ、師匠。 味、しませんから」

「そうかそうか」

「本当かどうか、確かめてみようかしら」

いきなりパメラに顔を覗き込まれたので、泣きそうになる。もう許して欲しい。

幸い、作業の際には口を出してこないし、勉強していても横やりは入れてこない。それだけが、救いか。

何もかも、忘れてしまいたい。

とにかく。今は、

思い当たった可能性を試してみることだ。

ネクタルを生成する。

それに、全力を注ぎたい。

耐久糧食の作成は。かなり早く実現できるかも知れない。

そして、いずれは。

パメラにも、普通に接することが出来るようになりたい。

 

5、孤独の言霊

 

クーデリアは、腹の傷を触る。跡も残らず治るだろうと、医師には太鼓判を押されたけれど。

それでも、やはり口惜しい。

一瞬早く反応できていれば、ロロナをあんなに泣かせることはなかったのに。

勿論、自分だって、傷つかずに済んだ。それどころか、ロロナにかなり危ない橋を渡らせることになってしまった。

会議で、案の定つるし上げを食らった。

一番、クーデリアに罵声を浴びせたのは、父だった。

この間、兄をたたきのめしたことが、余程かんに障ったらしい。この役立たずとどなる父だったが。

その時、フォローを入れたのは。冷血人間だとクーデリアが思っていた、ステルクだった。

「彼女は護衛として、身を張ってロロナ君を守りましたよ。 父である貴方はその場にもいなかったし、そのような事を口にする資格はありますまい。 更に言えば、いつも虐待寸前の訓練を彼女に課していることも調べがついています」

「なに、を……」

「くだらぬ事をあまり言わぬようにな、フォイエルバッハ。 事実、今の時点では、何度も彼女がロロナくんを救っている事に間違いはないのだ」

王も、フォローを入れてくれる。

押し黙った父は。

案の定だが、それ以降、家ではクーデリアを無視するようになった。以前は虐待まがいの扱いだったが。それ以降は、空気だ。

今のところ、国から金は支給されている。だから食事には困らない。

ただ、自室は、以前より更に寒くなった。そんな気がした。

ロロナの所に行こうと思って、部屋を出る。

途中、兄弟達とすれ違ったが、互いに無視した。クーデリアがこの間ラーベルトを破ったことは、彼らも知っている筈だ。

次は自分の番だと、戦々恐々としているのかもしれない。

外に出ると、アルフレッドが待っていた。

エージェント達は、あまり表立ってではないが、クーデリアにそこそこ良くしてくれる。訓練につきあってくれるだけで、クーデリアには充分だ。

今は、もっともっと強くなりたいからである。

「この間は、ご活躍だったようですな」

「いいえ。 もう少し早く動いていたら、ロロナを泣かせることもなかったわ」

「貴方は、出来る範囲での最高の行動を取ることが出来た。 それなら、何も恥じることはありますまい」

老エージェントが、訓練用の銃を取るように言った。

今年中に、半人前を脱出させる。

そう言われて、クーデリアは頷く。

ロロナも、かなり難しい調合が出来るようになってきているのだ。それをクーデリアが補助できずに、なんとするか。

まだ腹の傷が癒えてはいないけれど、多少の訓練なら問題は無い。サイドステップを繰り返しながら、銃撃を浴びせかけるが。どれだけフェイントを入れても、全てはじき返されてしまう。

それに、間合いに入ってくる際の足捌き。

どうしても、真似できない。

何度も突かれ、叩き潰され、吹っ飛ばされ。

その度に受け身を取ってガードをするが。全身が酷く痛む。だが、まだまだだ。

夕刻まで激しく訓練をした後、一度休憩とする。

大きな手で、アルフレッドがサンドイッチを差し出してきた。

「カレンが作ってくれました。 どうぞ」

「え? カレンが……」

「あまり大きな声は出さずに」

カレンは、フォイエルバッハに仕える使用人の一人。クーデリアとあまり年が変わらないこともあって、幼い頃は仲良くしていたのだが。ある時期から、クーデリアを避けるようになった。

裏切られたと思って、随分恨んだ。

アルフレッドの孫娘であるカレンは、確か魔術師で、あまり戦闘には長けていない。今では使用人と言うよりも、魔術で様々な家事を補助するための、技術者として働いているのだ。

「あの子がどうして」

「貴方に良くすると、首になるおそれがあったからです。 私が貴方と距離を取るように、指示していました」

「……っ」

アルフレッドは古参のエージェントとして、フォイエルバッハの重鎮としての地位がある。しかし、カレンは違う。

この職場を離れた場合、次の仕事があるかは分からない。

特にこういった有力な家を離れた後、「覚えが悪い」行動をしていると、そのものを雇わないようにと周囲に書状が出ることがある。

これを「奉公構」という。奉公構を出されてしまうと、アーランドで仕事を見つけることは、絶望的な状態になる。

「申し訳ありません。 今まで、話す事ができませんでして」

「どうして……あたしはそんなに嫌われるのよ」

「お嬢。 既に成人した貴方には、いずれお話しいたします。 機会をお待ちください」

食事を終えると、再び訓練をはじめる。

星が見え始める頃には、今日の訓練は終わった。

相変わらず、一回も当てることが出来ていない。ただし、以前よりも、被弾の確率そのものは減った。

立ち回りについて、教わっているからだ。

それに、一瞬の集中についても、少しずつ使えるようになってきた。これならば、いずれは、更に早く判断し、動けるようにもなるだろう。

自室に戻ると、ロロナにもらった薬を傷口に塗る。

まだ、傷は治りきっていない。

十四才は、既にアーランドの戦士階級では、大人と見なされる年だ。独立する事を、考えるべきなのかも知れない。

国からプロジェクトの給金は出ている。

つつましく暮らすだけなら、どうにかなる。ただ、今は、恥を掻いたとしても、強くなる路を選びたいのだ。

ベッドで膝を抱えて、クーデリアはうつむく。

こんな屋敷は早く出たい。

だが、アルフレッドは、どうして真相を後で話す、などと言ったのか。

分からない。一人前になる事が、最初か。

とにかく、今はどのような事からも、ロロナを守る。それだけが、クーデリアの全てだ。それ以外はどうでもいい。

そのどうでも良いことには、己の命も含まれている。

涙を拭うと、クーデリアは横になった。

明日はロロナの所に行って、作業の進捗を確認しよう。ここ一年で、ロロナは急激に腕を上げてきている。

きっと今回の無理難題も、突破できるはず。

そうだと、思い知らされる。

ロロナはクーデリアの予想をはるかに凌ぐ速度で成長している。クーデリアが悩んでいるうちに、どんどん難しい錬金術も成功させている。実際、この間の課題の成果は素晴らしかったではないか。

信じよう。

クーデリアは、そう決めた。

そのためには、まず自分の腕を上げることだ。こんな無様な傷を受けているようでは、話にならない。

寝るのは止めだ。少し、修練をしておきたい。

外に出る。

月が出ていて、エージェント達も寝静まっている。まずは歩法の見直しから。集中についても、技術を吟味する必要がある。

ロロナは魔術師で、直接戦闘には向いていない。それならば、クーデリアが補っていけば良い。

呼吸を整える。

既にエージェント達に身体能力は並んでいるという話なら。後は、体をしっかり使いこなせれば、半人前は脱出できる。

まずは、一人前になって。

全ては、それからだ。

それから二刻ほど、クーデリアは自分の腕を磨くべく、修練を続けたのだった。

月だけが、その姿を見ていた。

 

(続)