旋回演舞

 

序、第三の課題

 

突然に絶望の淵に叩き落とされてから、半年が過ぎた。ロロナはまだ怖くて足が震えるときもあるけれど。

少なくとも、王宮には素直に足を運べるようになっていた。

目的も出来た。

錬金術師として、名を上げれば。友人の社会的地位を、少しでも改善出来るかも知れない。

そう思うと、勇気も出る。

前回の課題が合格だという話は聞いていたから、もう怖さは半減している。後は、次の課題について、聞くだけだ。

待ってくれていたステルクに、課題が書かれた紙を見せられる。

それと同時に、本も渡された。

内容は。この本に記されている、魔術の道具を復元すること。

「錬金術ではなくて、魔術ですか?」

「そうだ。 元々これは、百年ほど前の王宮つきの魔術師が書いた本で、幾つかの遺品も残っていたのだが」

それらの全てを、もう使い果たしてしまったのだそうだ。

しかも、それらがいずれも、便利な品なのだという。

「今まで何名かの魔術師に研究させたのだが、どうも再現が上手く行かなくてな。 錬金術ならどうだろうと、今回の課題に採用された」

「分かりました、やってみます」

「頼むぞ」

一礼すると、すぐにアトリエに戻る。

さっそく本を開いてみると、強烈な紙魚と古紙の臭いがした。本当に、骨董品と言って良いレベルの品なのだ。

埃ももの凄い。手垢がそのまま染みになって残ってしまっているほどだ。

まず、全部のページを開けて、羽ペンを使って埃を払うところからはじめた。窓を開けて、埃を外に出す。

何度か咳き込んでいるうちに、少しはましになった。

呼吸を整えると、改めて本の内容を確認する。

本はさほど分厚くはなく、すぐに中身を確認することが出来た。半生をかけて造り出した、魔術の道具。

しかも、本人の固有能力に近いものを、これに込めたらしい。

ざっと見て行くと、三つの道具が、この書物には収められている。

一つは猛毒。

即効性があり、相手に浴びせるだけで効果をもたらす、非常に強力なものだ。材料を、造った人の固有能力で組み合わせて、毒として安定させたというものらしい。どうやら作り手は女性だったらしく、非常に陰湿な描写があって、ロロナは時々真っ青になってしまった。

怖い。ロロナも女だから、情念というものの怖さは分かっているつもりだったのだけれど。

この書物を書いた人は、かなりのオールドミスだったらしく、その鬱屈は尋常では無かった。優秀すぎてばりばり働いているうちに、老婆になってしまったというパターンらしい。

いつまでも若々しいアーランド人でも、限界はある。彼女は気付いたときには、その限界を踏み抜いてしまっていたらしかった。アーランド人はその戦闘力を保つためか、かなり若々しい時期が続くが、流石に五十を超えると老いが目立ちはじめ、七十を過ぎると子を産むのは不可能になる。

魔術師として優秀だったからこそ。

相手がおらず、結婚も出来なかったのだ。

全身が総毛立つのを感じるような文字で、おぞましいまでの情念に満ちた内容が、彼方此方に書き込まれている。正気をごりごりと削り取られていくようだ。解説に関係する文章の途中に、若くて美しい彼奴が憎いとか、若い頃どんなパーでも良いから引っかけて結婚しておけば良かったとか、身をよじるような文章が踊っていた。

まるで本に情念が乗り移ったかのよう。そういえば、この本自体に、強い魔力が宿っている。多分これ、本人の魔力だろう。

ロロナが、どうしても苦手なものが、一つある。

幽霊だ。

これだけの強烈な魔力が宿るほどの本だ。この本に、恐ろしい魔術師の幽霊が宿っていても、何ら不思議では無い。

そう、ロロナの首筋に、しわだらけの手が、後ろから音もなく伸びてくる。そして、ぎゅっと首を掴み、締め上げながら、ささやくのだ。

若い。にくい。その若さ、吸い取ってやる。

呼吸が乱れてくるのが分かった。妄想に過ぎないと、分かっている筈なのに、怖くて体が動かない。

物音がしたので、悲鳴を上げて跳び上がった。

振り返ると、師匠が満面の笑みで立っていた。

「どうしたロロナ。 そんなに楽しい本か?」

「あ、あう……! 酷いです、酷すぎますししょー!」

「その泣き顔、素晴らしい。 何かで残しておかないとな!」

そういうと、アストリッドは恐ろしい早さでスケッチを行い、こっちに見せてくれる。ぐうの音もないほど上手い。鏡でも見ているのでは無いかと思った。

これでご飯を三杯は行けるといいながら、アストリッドが自室に引っ込む。もはや突っ込む気力もない。

夜、トイレに行けなくなりそうだ。

嫌だけど、仕方が無い。涙目になりながら、本を読み進める。

不意に、おぞましい情念に満ちた文字が消えた。

どうも、臭いを出すためのろうそくに関する記述がある。此方は、どうやらこの魔術師の女性が、自身の気晴らしに作り上げたものらしい。

リラクゼーションが目的だからかは分からないが、此処からは多少狂気じみた描写も減ってくる。

本当はこの本を読んでいるだけでも怖いのだけれど、少しだけ気分が落ち着いてきた。

どうも単純なろうそく作りではなくて、色々と魔術的な工夫が凝らされている様子だ。幾つかの材料は、既に手元にある。

これだったら、中和剤を用いて、再現できるかも知れない。

時々注釈があるが、さっきまでの怨念が満ちた文章ではない。比較的気分が落ち着いている状態で書いているからか、文字までもが優しげな丸みを帯びていた。

この人は、本来狂気にむしばまれる前は。

自分に厳しい、誠実な人だったのかも知れない。

著書を見ていくと、人となりがある程度分かってくるものなのだろうか。少なくともこの本は、狂気に侵された魔術師の、いろいろな顔を見せてくれているように思える。

だが、平和は長続きしなかった。

最後の方に入ると、再び不穏な文字や文章が、書き殴られはじめる。

見ると、幻覚作用のある道具類について、記しているらしかった。

この魔術師は、夢を幻覚という形で、実現したかったのだろうか。文章を追っていくと、その研究過程が見えてくる。

老いさらばえた私を、美しいと言ってくれる人間はいない。それなら、言葉を喋らず、私にただひたすら尽くしてくれるしもべが欲しい。

分かる、気がする。

孤独なおばさまやお爺さま達は、動物をペットとして、間近に置くことが多い。ロロナも、それはよく見る。

言葉を喋る人間よりも、感じるストレスが小さいからだ。

特に犬は、その効果が大きい。忠実で心優しい犬種は、アーランドでも人気がある。屈強で強面の老紳士が、犬を連れて散歩をしている所は、時々ロロナも見かける。そんなとき、巌のような顔が、時々優しく揺れているのも。

魔術師は、最初は犬を。

次に鳥を。

最後にドラゴンを、自分に忠実なしもべとして、作り上げたかったようだった。

現実の犬では、駄目だったのだろうか。

それについては、記述があった。

犬や猫を側に置いていると、原因不明の体調不良に襲われる人がいる。どうやらこの魔術師も、その類であったらしい。

実際、犬も猫も好きだったようなので、それはつらかっただろう。せめて幻覚の犬で、自分を慰めたかったのだとしたら。

悲しいなと、ロロナは思ったけれど。

時々、凄まじい狂気が文脈に混じってくるので、同情する前に、背筋が凍り付いてしまう。

最後のページをめくる。

悲鳴を上げて、閉じてしまった。

巨大な目が真ん中に書かれていて、びっしり恨み言がその周りを覆っていたのだ。殺すとか恨むとか、若い事が許せないとか、読んでいるお前も死ねだとか。その情念の凄まじさは、魔術的な呪いにさえなりそうなほどだった。

涙目になりながら、ロロナはメモを取り始める。

再現が要求されている道具は、この中のものだとすれば、三つだ。

一つは、強烈な毒薬。もう一つは、癒やしの効果があるろうそく。アロマとでもいうべきだろうか。

そして最後は、幻覚作用を造り出す彫像。

この三つは、いずれも魔術師の固有能力で、本来は混ざらないものを混ぜ合わせることで完成している。

これらを、錬金術で、部分的にしろ完全にしろ、再現すると言うことか。

出来るだろうか。

とにかく、レシピを起こさなければならない。

この間まで、必死に予習して、参考書にも付箋を貼って整理した。少しは、調べるための作業については、進展が早いはずだ。

一つずつ、やっていくのが良いだろう。

そのためには、あの恐ろしい魔術書を読み返さなければならないのだけれど。妖気さえ漂うあの本を、何度も読み返さなければならないかと思うと、それだけで胃に穴が開きそうだった。

今でも後ろから見られているようで、怖くて仕方が無いのだ。

まだ昼だというのに、こんなに怖い思いをしたのは初めてだ。だけれど、ぶるぶるしていれば、それだけ師匠が喜んで、色々嫌なことをされるのは目に見えている。誰か、後ろに立っているような気がしたが、気にしない。

レシピを起こすべく、参考書を手に取る。

幾つかを見繕って、順番に、何が必要か、どうすれば良いのか、整理していった。だが、それは、楽な作業ではなかった。

何しろ、単純に道具のことだけを、考えられないのだ。

どうしてもあの狂気じみた文章が、頭に浮かんでしまう。自分の呼吸が荒くなっていくのが分かった。

ドアをノックする音を聞くだけで、縮み上がった。

おそるおそる振り返ると、クーデリアだった。クーデリアはアトリエの中に入ってくると、ロロナの顔を見て、眉をひそめた。

「何、どうしたの。 顔が真っ青よ」

「う、うあああああああん! くーちゃん!」

「あー」

むぎゅうと抱きつくと、とうとう我慢できなくなって、ロロナは泣き出した。クーデリアは呆れたか、しばらく落ち着くまで、そのままでいてくれた。

順番に、如何に恐ろしい本を読むことになったか、話していく。クーデリアは魔術書を一瞥すると、ため息をついた。

「なんでそんなものを作らされるのよ。 嫌がらせとしか思えないわ」

「どうすれば良いんだろう! レシピ、作れるかな!」

「何とかしなさい。 今でも、少しずつやってるんでしょ?」

怖いからいて欲しいと言うと、呆れながらもクーデリアはソファに座る。魔術書を貸せと言われたので、渡した。

昔は、ロロナの方が肝が据わっていた気がするのだけれど。

今は、クーデリアの方が、怖い話は平気な様子だ。しばらく目を通していたクーデリアだが、平然としていた。

「悪趣味ね。 これ、ある意味日記帳だったみたいじゃない。 日記に、愚痴や他人に見せられない内容が入るのは、当たり前よ。 これだけ鬱屈が溜まっていた人なら、それは狂気じみても来るわよ」

「怖くないの?」

「本当に呪いや何かが籠もっているのなら、流石に渡しては来ないでしょ。 それに……」

クーデリアが言うには、生きている人間の方が、余程怖いと。

なるほど、それは確かにそうだ。

クーデリアの家は、今時珍しい貴族の称号を保つ。それはお金持ちであるから、家名に箔を付けるためという意味もある。

逆に言えば。

それだけお金が集まるのだ。内部には、聞くもおぞましい汚泥が流れている、という事も意味している。

クーデリアの説明を受けて、なるほどと思った。

少しずつ、レシピを書き進めていく。クーデリアは嘆息すると、何日くらいかかりそうだと、聞いて来た。

多分一週間ほどだろうと応えると。

気晴らしが必要だと言って、一度アトリエを出て行った。

クーデリアと話しただけで、随分気が楽になる。まだ怖いけれど、少しずつ、筆は進む速度が上がり始めた。

どれも錬金術による基礎的な理論を応用すれば、出来ない事もない。

ただし、今までに手がけたどの錬金術よりも、難易度は高い。一週間でレシピを作ったとして、実際に作って納品すると、かなり時間ぎりぎりになるだろう。

それに加えて、ステルクから予備注文書を今回受け取っている。

ステルクによると、商品化をしたいものについて、ロロナに注文してくる形式を、今後は取ると言う。

たとえば、前回の課題で作った仕掛け発破だが、あれは納品すればするほど換金してくれるのだとか。

錬金術の素材を集めるには、お金がいる。

ロロナとしても願ってもない提案だけれども。課題に全力投球だけしてはいられなくなることも、意味していた。

時間は、あまりかけられない。

怖がってばかりでは、何も出来ない。

決めたのだ。錬金術師として、少しはいっぱしになるのだと。そうすれば、クーデリアは、ロロナの前以外でも、きっと笑えるようになる。

いつまでも、もたついてはいられない。

 

1、旅芸人リオネラ

 

クーデリアにアトリエを連れ出されたのは、レシピを書き始めてから一週間後。丁度基礎的な部分が出来て、後は実証しながら固めていくという段階になってからの事だった。何でも、珍しい芸をする女の子がいるのだという。

「何かの固有能力か分からないのだけれど、紐もないのに人形を操ってるのよ。 結構な見物よ」

「へえ、すごいね」

丁度、疲れも溜まっていたところだ。

ロロナとしても、連れ出してもらったのは、有り難かった。

街の広場で、その芸人は、一日に何度か劇を披露しているという。アーランドは辺境という事もあって、あまり多くの旅芸人は来ない。幼い頃は、紙芝居のおじさんが来るのを、随分楽しみにしたものだった。

かなり人だかりが出来ている。

子供もいるようだが、大人もかなりいた。屈強なおじさんが、子供を肩に乗せている。アーランド戦士は、子供を慈しむという風習がある。クーデリアの親のような人もいるけれど、それはあくまで例外の筈だ。あのおじさんと子供は、血縁が無いかも知れない。

前の方にはいけない。

近くの噴水に上がって、其処から様子を見た。

かなりきわどい服装の女の子と、ぬいぐるみ。猫のぬいぐるみだろうか。二体がくるくると舞いながら動いている。女の子の動きも扇情的で、ロロナは目のやりどころに困ってしまった。

ただし、ぬいぐるみは目が大きい、小さな子供が喜びそうなデザインだ。

「ふうん、どうやってるのかしら。 ロロナ、魔力見える?」

「うん、もの凄いよ」

遠目にも、旅芸人の女の子が纏っている魔力が見える。淡い青と、赤。二種類の魔力が混じり合って、ぬいぐるみと女の子を包んでいた。

それにしても、大きなお胸だ。

芸が終わったらしく、女の子が礼をすると、拍手があがった。おひねりを投げる観衆。だけれども、女の子はどうしてかお礼の言葉も言わず、そそくさとその場を離れていった。あの様子では、おひねりも殆ど回収できていないのではないか。もったいない。旅芸人は、見に来てくれた人達に愛想をまいたりして、おひねりをもらって、生計を立てるのが普通だ。

見ている人達もそれを知っているから、よい芸を見せてくれた相手には、惜しまずおひねりを入れる。

ロロナもそうしようと思って、小銭を用意していたのに。

めいめい、観衆が散っていく。

前の方に、ハゲルのおじさまがいた。腕組みして見ていた彼は、ロロナとクーデリアに気付くと、おうと野太い声で挨拶してきた。

「なんだ嬢ちゃん達」

「凄い人気ですね、あの子」

「娯楽に飢えてるだけだよ。 ただ、見世物としては面白いな」

「次は前の方でみたいなあ」

純粋に興味がわく演目だった。あの女の子に、どんな旅をしているのか、聞いてもみたい。

ハゲルのおじさまは、フンと鼻を鳴らす。

「ありゃあ、旅慣れしてないな。 というか、本職の芸人とはおもえん」

「え?」

「確かに演目は面白かったんだが、ずっと張り付いたような笑顔でな。 愛想を巻くどころか、真っ青だったよ。 人に慣れてない奴が、無理矢理かり出されたみたいにな」

「……」

何だか、嫌な予感がする。

たとえば、財産を失ってしまった人とかが、旅芸人などに身をやつすことは、よくあるのだという。

扇情的な格好と言い、慣れていないという事実といい。

あの子、実はとんでも無い不幸な存在なのではあるまいか。ロロナは見る間に不安になって行くけれど。クーデリアが咳払いしたので、我に返る。

「帰るわよ。 もう芸は見たんだから」

「うん。 あの子、どこにいるんだろ」

「旅芸人だったら、今頃宿にでも戻ってるんじゃない? 場合によっては、色宿かもね」

クーデリアの推察は容赦がない。

確か、色を売るお姉さん達は、場所ごとに縄張りを持っている筈。よそ者がそういうお仕事をする場合は、確か宿を取って、格安で商売するのだとか。格安で行きずりという条件の良さもあって、性病になるリスクを無視して、そんな娼婦を買う男もいる。

以前、師匠が、真っ赤になるロロナに、面白おかしく話してくれたことだ。

クーデリアもロロナも、既に十四。

性教育くらいは受けているから、その手の話は知っているけれど。やはり、ロロナは何だか気恥ずかしかった。

一度アトリエに引き上げてから、夕方また広場に来る。

どうもあの女の子が気になるからだ。

今回も人だかりが出来ていたけれど、昼ほど多くはない。人形達と踊っている女の子は、昼より更にきわどい格好になっていた。特に胸を覆っている布は、確実に昼の時より小さくなっている。

酒を飲んで、やんややんやと囃しているおじさま達もいて、ロロナはちょっとげんなりした。

踊りが終わると、そそくさと、逃げるように女の子はその場を離れようとする。

おじさんたちが、げらげらと笑った。

「姉ちゃん、おひねりぐらい持って行けよ!」

よっぱらったおじさまの一人が、コインを放り投げる。女の子はそわそわしていたけれど、慌ててお金を拾い始める。

何だか可哀想なくらい、場慣れしていない。

咳払いの音。

いつの間にか、ロロナの隣に、隣に住んでいる雑貨屋のティファナがいた。笑顔を保っているが、彼女は何とも言えない威圧感を放っている。

未亡人でもあるティファナは、確かかって魔術師としても名が知られていたと聞いている。

それに、男達のアイドルでもある。

赤ら顔の男達は、しばらく黙り込んでいたが。ティファナの機嫌を損ねたくなかったのだろう。

コインだけ投げると、めいめい引き上げていった。

ロロナも、お金を拾うのを手伝う。

それで、ようやく気付いた。

女の子の胸を覆う布が小さいから、かがむと目のやり場に困ってしまう光景が現出するのだ。

おじさま達は、それを狙ってコインを投げたのか。

もう。ひどい。ロロナはそう頬を膨らませたけれど。考えて見れば、この女の子も、薄い服を着ることで、そういうお客様も集める戦略をとっているのか。ならば、こんなに恥ずかしがっている方が、プロとしては駄目、と言うことになるのだろうか。

お金を拾い集め終えると、女の子に渡す。

ロロナより少し年上に見える子だ。背もかなり高い。何より、発育がとても良い体は、羨ましい事この上ない。

「あ、ありが、と、う」

「うん。 早くなれるといいね。 わたしも、錬金術師としては、駆け出しなの」

女の子はぶきっちょに、お財布にお金を流し込んでいた。

そして、ロロナとは、一度も目を合わせなかった。声が震えていたのが、ロロナには分かった。本当に、人と接するのが苦手なのだろう。

女の子が、危なっかしい足取りで、帰って行く。

ぬいぐるみは空中に浮いたまま、その後を追っていった。やっぱり、強い魔力が、女の子とぬいぐるみ達を包んでいる。固有の能力なのか、或いは。ただ、とてもぬいぐるみを大事にしているのは、見ていて伝わった。

ティファナは、ずっとにこにこしていた。買い物の帰りに、偶然此処を通りかかったのだという。

一緒に歩いて帰る。

「ロロナちゃん、どうしてこんな所に?」

「はい、あの子が何だか気になって」

「そう。 私も、あの子の不慣れな様子を見て、不安になっていたの。 調べて見たけれど、体を売っている様子は無いし、それにしてはちぐはぐな格好ね。 本当に、旅芸人としては日が浅いのかも知れないわ」

やはり、ティファナもそう見たのか。

何だか、気晴らしのつもりで出てきたのに、却って不安なことが増えてしまった。見えている困った人なら、助けたい。それがロロナの本音だ。

ただ、気分はこれで変わった。

アトリエに戻ってから、レシピを整理する。だいたい必要な素材については、目処が立った。

後は実験を繰り返して、三つあるマジックアイテムを再現していく。

上手く行けば、少し日にちが余るかも知れない。

 

翌日からは、素材の収集を早速始める。

近場で買えるものもあるから、それらは買って済ませてしまう。わざわざ外にまで採集に行くと、それだけ時間をロスするからだ。

荷車を引いて、街を廻る。

あまり時間はないので、幾つかの店を重点的に見て、最後に工場へ向かった。

アーランドを支えている工場の幾らかは、自動化されている。中で働いている人達は、主に管理が仕事だ。

ロロナが出向くと、受付で待たされる。整理券を配られて、しばらく待っていると、程なく窓口に呼ばれ、強面のおじさんが出てきた。

こういったおじさんの幾らかは、盗賊としてアーランドに侵入して、捕まって働かされていると、何処かで聞いたことがある。

何となく、ロロナも分かるのだ。

この強面のおじさんは、あんまり怖くない。同じ強面でもステルクとは、随分初見の印象が違う。

単純な戦闘力の問題だろう。

「すみません、素材を買いに来ました」

「待ってろ」

不機嫌そうにおじさんが引っ込んで、しばらくしてから、籠に素材をたくさん入れて戻ってきた。

中身を確認。

品質はかなり落ちるようだけれど、特に問題は無い。数を確認して、終わった所で、お金を払う。

荷車に詰め込むと、素材の調達は終わった。

後は、町中では買えないものだ。たまにアトリエに来る行商の人が持ってくる素材もあるけれど、やはり素材を直接取りに行くのが望ましい。近くの森で採集できる素材も、少しいる。

それは今日中に済ませておきたかった。

気合いを入れて実験を行う態勢を作るには、失敗する分も想定して、素材を集めておかなければならない。

二回の課題を超えて、ロロナはそれを思い知らされていた。

今後は更に課題が難しくなることは確実だろうし、余計に慎重に動かなければならないだろう。

帰り道。

ふと、聞き覚えのある声がした。

工場の通りは、少し貧しい人達が暮らしている。スラム化している地区もあるけれど、基本アーランド戦士の巡回もあるので、危険は少ない。荷車を引いたまま通りかかると、案の定だった。

リオネラが膝を抱えて、物陰にいる。

二匹のぬいぐるみは、ふわふわとその周りを浮かびながら。驚くべき事に、話しかけていた。

「まーたおひねりをもらい損ねやがって」

「このままじゃあ、その内宿を追い出されちゃうわよ。 しっかりして、リオネラ」

「分かってるよ。 でも、怖くて……」

ぬいぐるみ達は、リオネラを口々に諫めているようだ。

ロロナはのぞき見する気も無かったので、呼びかける。手を振って笑顔で近づくと、見る間に真っ青になったリオネラは逃げ腰になった。

「ひっ! あ、あの、な……」

「この間の旅芸人さんでしょ? 良かった、また会いたいって思ってたんだよ」

「……っ」

自分よりだいぶ背も低いロロナを、露骨に怖れている様子が見て取れる。ロロナの何処が怖いのだろうか。

ちょっとショックかも知れない。

「リオネラ、この子は貴方を傷つけたりしないわよ」

「爪とか牙とかもとがってないだろ。 噛みつかないし、ひっかかないから、平気だって」

「で、でも……」

真っ青になって震え上がっているリオネラ。ちょっと困った。それより、噛みつくとかひっかくとか、どういうことだろう。

ロロナは猫か何かかとして、認識されているのか。意味が分からなくて、笑顔が引きつるのを、ロロナは感じた。クーデリアがいたら、どんな反応をするのだろう。師匠がいたら、すごく嬉しそうに笑みを浮かべて、固まっているロロナをスケッチするのは間違いない。

思考をとりあえず、戻す。

たとえば子供の場合は、腰を落として、視線を同じ高さにするという手があるのだけれど。リオネラは、ロロナよりだいぶ背が高いのに怖がっている。

ぬいぐるみは、雄猫と雌猫。かなりぶっきらぼうな口調の雄猫と、しとやかなしゃべり方をする雌猫だ。

ロロナが挨拶をすると、ぬいぐるみ達は応えてくれる。

「あ、あの、いいかな。 わたしはロロライナ=フリクセル。 ロロナって呼んでください」

「オレはホロホロ。 こっちはアラーニャだ。 で、この小動物がリオネラな」

「よろしくね、ロロナさん」

「こちらこそよろしくね。 リオネラ、さんは、彼方此方の街を廻りながら、旅をしているの?」

しばらく視線を泳がせていたリオネラは、やがて何度か、小さく頷いた。どうしても、ロロナの事は見てくれない。まるで、恐ろしい魔獣か何かを前にしているかのようだ。

此処が隅っこで、逃げられないから、かも知れない。たまたま隅っこにいるところで声を掛けたから、良かったのだろうか。そうで無ければ、そのまま走って逃走されていたかも知れなかった。

「立ち話も何だし、お茶でもおごるから、アトリエに来てくれないかな。 リオネラさんの事も、色々知りたいし」

「お、それいいな」

「リオネラ、ほら、立って。 この子は大丈夫よ」

ロロナは、どうも妙な違和感を覚えていたけれど。何も言わず、ぬいぐるみに背中を押されるようにして、荷車についてくるリオネラを誘導する。

道中でリオネラは。

結局、一言も喋らなかった。

まるでこの世の終わりを見てしまったような顔を、ずっとしていた。

 

アトリエに戻ると、さっそくお茶を出した。

昔だったら美味しいパイも出せただろうけれど。今は、普通のパイしか出せない。どうしても、味が再現できないのだ。

ぬいぐるみ二体はふわふわと浮かんで、辺りを飛び回りながら、興味津々の声を上げている。

「へー、変わった道具があるもんだなあ!」

「錬金術師なの。 まだ半人前だけど」

ロロナは、見えている。

ぬいぐるみ達の魔力が、常にリオネラとつながっている事を。どうもおかしいのだけれど、その正体が分からない。

自分の頭があまり良くないことを、ロロナは良く理解している。

物事を論理的に解釈することも苦手だし、筋道立てて考える事なんて、もっと出来ない。借りてきた猫みたいにソファで静かにしているリオネラに、お茶を出す。ミートパイにしようかと思ったけれど、お茶請けはフルーツパイにした。

温かいお茶を飲んで、やっとリオネラは人心地ついたようだった。

テーブルに向かい合って座る。リオネラは、やはり、ずっと視線を泳がせ続けていた。

「わ、わたし、ど、どうする、つもり?」

「?」

「あー、こいつな。 臆病だから、何かされると思ってるんだよ」

「そんな、ただお友達になりたいなって思っただけだよ」

リオネラはロロナを見てくれない。

ちょっと思ったのだけれど。最初にステルクと接したとき、ロロナはこんな感じだったのではあるまいか。

「恐がりなんだね。 わたしも恐がりだから、リオネラさんと同じだね」

「お前が恐がりだったら、此奴なんかは……なんだろ」

「ホロホロ、やめなさい。 ロロナちゃん、本当にうちのリオネラと、友達になってくれるの?」

「うん!」

手をさしのべる。

どうしてだろう。この光景、何処かで見た事がある気がする。その時、とても嬉しかったような。

まだおびえが、リオネラの目には残っていたけれど。

ロロナの伸ばした手を、戸惑いながら、とってくれた。

 

2、力の守護者

 

リオネラがアトリエを出るのを、クーデリアは待っていた。ロロナはアトリエの中で作業を始めており、クーデリアが来ている事には、気付いていない。元々あの子は戦士としての素養が薄い。以前よりも勘は冴えてきているが、それよりもずっと、クーデリアが気配を消す方が、上手くなっている。だから気付かれない。

声を掛けると、リオネラは身を竦ませた。

既に顔合わせは済ませている。

同じロロナの周辺で、作業をする者同士だ。このプロジェクトの追加人員として、リオネラを紹介されたとき。

どうも気に入らないと、クーデリアは思ったのである。

今でもその考えに、変わりはない。

「計算付くかしら?」

「ち、ちがう……」

「此奴にそんな頭はねーよ。 あんまり虐めてやりなさんな」

「……」

ぬいぐるみの、ホロホロの方が応えてきたので、クーデリアは冷たい目で見返す。

金も此奴は何に使っているのか、よく分からない。衣装は前から持ち歩いているもののようだし、宿代についても今の時点ではさほど使い込んでもいない。金の流れは、クーデリアも見せてもらっている。

気に入らないのは、この女が、何を考えているか、分からない所だ。

自我を持ったぬいぐるみの仕組みについても、何となくは分かっている。

だが、ロロナと接触した今。

それを暴いても、意味がないことだ。ロロナが自身で気付かなければならないし、何よりそうすることに意義がある。

「多分、近いうちに、ロロナは外に採取に出る筈よ。 その時、声を掛けられる可能性が高いけど。 大丈夫なのかしら?」

「へいき……だとおもう」

「そう。 戦闘力については見せてもらってるから、心配はしていないけれど」

もう一度にらむと、クーデリアはその場を後にした。

これでこのリオネラという女、それなりに使える。かなり特殊な魔術の使い手で、自衛は充分に出来るほどだ。

話を聞く限り、アーランドではないが、辺境の出身であるらしい。とはいっても、大陸の反対側で、此処に比べるとモンスターの戦闘力も数もだいぶ少ないようだが。自衛能力が徒になり、よってたかってコミュニティ全体から敵意を向けられ、殺されかけていた所を拾ったという事だが。

こうも気に入らないのは、何故なのだろう。

リオネラは、それなりにやる気がある様子だ。今回の接触は偶然からきたようだが、それでも今後はロロナの好意を受け入れていくつもりなのだろう。ただ、何か妙な雰囲気を感じる。

考えすぎかも知れないが。

クーデリアは自宅に戻る。

今日も訓練をしっかりしておいた方が良い。

今回の課題で、ロロナはかなり難しい錬金術を行う必要がある。つまり、素材の収集に、時間を掛けてはいられない、ということだ。

クーデリアが足を引っ張っては、意味がない。

思ったよりも、ロロナはずっと錬金術の才能があるようで、二度目の課題も危なげなく突破できた。

だが、それはクーデリアが奮起したからではない。

今回はステルクも忙しくて同行はしてくれない可能性があるし、リオネラは信用できない所も大きい。

ならば、クーデリアが奮起するしかない。

自室で訓練の準備を済ませて中庭に出ると、エージェントの一人が来た。

最古参の一人で、騎士をしていた男である。眼帯をして左目を隠しているが、もの凄い傷で、顔の左半分が変色してしまっている。眼帯をするまでもなく、左目がどうなっているかは、一目で分かる。

大きな矛を自在に振り回す戦士で、現役を引退済みだが。故に、こういった所で、後進の育成に当たっている。

アーランド戦士は現役を退くと、まず後進の育成を行う。

国が支援したり、フォイエルバッハのような金持ちが招いたりして、技術の保全を行うのだ。

体が動かなくなってくると、国の補助金を受けて、本を書かされる。

自分の技術や戦歴を、そうして残すのだ。

クーデリアも見た事があるが、王宮にはそういった老戦士達の書き残した本が、山のように残されている。

言うまでも無く、それは。国の宝だ。

「クーデリア様。 訓練をはじめましょうか。 ただ、何か迷いがあるようですな」

「大した事じゃないわ」

「そうですか。 ただ、貴方はまだ半人前。 訓練とはいえど、迷いがある状態で、格上の戦士を相手にすることは感心しませんな」

その通りだ。

クーデリアは頷くと、頬を叩いて気を引き締める。

訓練用の棒を手にしたエージェントが、構えをとる。年老いたとはいえ、その気迫は現役時代とまるで変わるところがない。

アーランドでなければ、充分に一流の戦士として通用するだろう。

クーデリアも、訓練用の拳銃を抜く。

殺傷力のないペイント弾を発射する仕様になっている他、愛用している銃よりも少しばかり重い。

いつもより重いものを使う事で、より効率よく訓練をするのだ。

無造作に、エージェントが突きを繰り出してくる。

以前はこれがどうしてもかわせなかった。だが、今は少しずつ、避けられるようになってきている。

すり足で後ろに逃れながら、何発か牽制の射撃。

弾を全て棒で叩き落とされるが、今更それくらいでは驚かない。ジグザグに動きながら、立て続けに発砲。

エージェントも、弾を叩き落としながら、間合いを調整する。

クーデリアから、仕掛ける。

数発を連続で、全く同じ軌道で叩き込む。

エージェントが残像を残し、かき消えた。とても現役を退いているとは思えない動きである。

真後ろ。

抉り込むような一撃を、斜め上から叩き込んでくる。

前回りに跳躍して、一撃を避ける。振り返りつつ、掃射。だが、その全てをはじき返しつつ、エージェントが突進してきた。

顔を掴まれ、地面に叩き付けられる。

まずは一本。

立ち上がりながら、埃を払う。まだペイント弾は、相手に一発たりとて命中などしていない。

「少しはかわせるようになってきましたし、コツをお教えしましょう。 いいですか、このじいめは、現役の頃よりかなり腕が衰えております。 身体能力に関しても、しかり」

無言のまま、話を聞く。

アーランドで御法度とされる事は幾つかある。子供の成長の芽を摘むこともその一つだが。老人のアドバイスを無碍にすることも、一つ。

かっては修羅の国であり、戦士達が作り上げてきたアーランドだからこそ、作られた不文律だとも言える。

「そこで、一瞬に力を収束させ、爆発させるのです。 クーデリア様は、既に身体能力であれば、他のエージェントに引けを取りません。 貴方に足りないのは実戦経験と、瞬発的に己の全てを込める力です」

「本当に、他のエージェントに引けを取らないの?」

「ええ。 たとえば腕相撲をしてみて、相手に楽に勝たせていますか?」

確かに、腕力には自信がある。同年代の男の子にだって、そうそう勝たせはしないし、毎日鍛えているから更に力を増している自覚だってある。

だけれども。

エージェントとの訓練では、いまだ一勝もしたことがない。

だから、鍛え方が足りていないとばかり思っていた。単純な身体能力では、既に追いついていたというのか。

朗報と採るべきなのか。

いや、違う。

「具体的に、どうすれば瞬間的に力を発揮できるの? 教えて」

「実戦経験でコツを掴むのが一番なのですが、お嬢は頭が良い分、却って動物的な本能に従って力を使う方法を学び取るのは苦手でしょう。 そこで、じいめが良い方法をお教えしましょう」

まずは集中だと、老エージェントは言う。

意識を研ぎ澄ませて、相手の一挙一動を観察する。

最初は、一体の相手に対してで構わない。慣れてくれば、周囲の全てが把握できるようになるという。

頷くと、クーデリアは、老エージェントがいうように、訓練をはじめた。

老エージェントが、訓練用の棒を、ゆっくりとクーデリアに向ける。

棒の先端を見て、かわすようにするという。

しばらく、棒は動かなかったが。

ある瞬間で、いきなり毒蛇のように動き、クーデリアを貫こうと躍りかかってきた。かわすことは出来ず、おなかを思い切り突かれた。

吹っ飛ばされ、咳き込むクーデリアに、老エージェントは立つように言う。最初からまたやると。

分かっている。

今この老人は、戦闘における極意を教え込もうとしてくれる。

鍛えても鍛えても半人前を抜けられないクーデリアに、多分見るに見かねて、なのだろう。

それでも構わない。

強くなれるのなら、手段など選んではいられない。今後、ロロナに課せられる難題は、更に厳しさを増していく。

クーデリアがロロナの足を引っ張るなど、論外だ。最悪、アーランドの猛者共からロロナを守り抜かなければならない事を考えると、こういった好機は、一度だって逃してはいけないのだ。

また、棒に叩き伏せられる。

立ち上がる。

だが、今はわずかだけ、見きることが出来て、急所は外した。痛い事に変わりはないけれど。

老エージェントが不意に動く。

棒で、体の中心を打ち抜かれる。一度や二度では、流石に上達しない。だが、体を張ってロロナの前衛をいつもしている。そうで無いときは、自分なりに考えて訓練をしているし、実戦経験だって積んでいるのだ。

そう簡単には、へこたれない。

しばらくたたきのめされ続けて、気がつく。どうやら、何度目かで棒に突かれて、意識を失っていたらしい。

身を起こそうとするが、上手く行かない。本当に手加減無しで突かれて、全身が酷く痛んだ。

「まだまだ……!」

「いえ、少し休憩にしましょう」

茶を使用人が持ってきた。

使用人達も、クーデリアを見る目は冷たい。フォイエルバッハ家では、クーデリアだけが出来損ないの子供とされている。主人がそう広言しているくらいなのだ。使用人達も、クーデリアの事は徹底的に見下しきっている。

そう、クーデリアは思っていた。

事実、この使用人も、嘲るようにクーデリアを見ていた。

茶を腹に入れて、少し暖まると、気分も変わる。立ち上がる事も出来なかったが、ようやく身を起こして、埃を払うことが出来た。

「まだお休みなされよ」

「休んでなんて、いられないわよ」

「ご友人が心配なさいますぞ」

「……」

そう言われると弱い。

少し前も、ロロナはクーデリアのためとかいって、薬を作ってきた。それが周囲にばれたら、会議でどんな叱責をされるか、分かったものではない。クーデリアはロロナの護衛として準備されてきたから、今生きているようなものだ。

そうでなければ、フォイエルバッハの出来損ないとして、奴隷としてでも売り飛ばされていた可能性が高い。

かろうじて生きていられるのは、ロロナのおかげと言っても良い。

腰を下ろすと、老エージェントの話を聞く。

戦いのコツを掴んだのは、老エージェントもかなり遅かったという。確かこの老人は、幾多の戦場で武勲を上げてきた名誉の戦士の筈。それなのに、若い頃はむしろ出来が悪かったというのか。

この老エージェントは、必ずしもフォイエルバッハ家に雇われている戦士の中ではリーダーではないのだが。周りの戦士達からは、親父殿と言われて慕われている古株だ。それだけの歴戦を重ねている人物なのである。

そんな人の意外な過去に、クーデリアは驚かされた。

「わしに比べれば、クーデリア様はずっと先を行っておられます。 今は変に悩むこと無く、着実に力を伸ばしていけば良いのです」

「それでは、間に合わないのよ……」

「間に合いますとも。 わしが、このじいめが間に合わせましょう」

傷を手当てしてくるように言われたので、クーデリアは痛む体を引きずって、自室に。

貴族の娘のものとはとても思えない、粗末な部屋だ。他の兄弟の部屋と違って、使用人は掃除さえしない。したとしても、形だけ。寝台も粗末で、調度品もお古ばかり。庶民の部屋よりも、ささやかなほどだ。

諸肌を脱ぐと、ロロナにもらった薬を塗る。

痛みはすぐに消えるし、傷の治りも早くなる。ロロナが丹精込めて作ってくれた薬だ。効かないはずがない。

いや、そう思っているから、効きが早いのかも知れない。

傷の手当てを終えると、中庭に戻る。

今頃ロロナは、研究に全力投球している筈で、しばらく外出の護衛は必要ないだろう。クーデリア自身も、全力で修行に打ち込める。

老エージェントは腕組みして、座って待っていた。

また、集中力を高めるための訓練をはじめる。

 

数日間、激しい訓練を続けた。

実力が伸びたとは思わないけれど。老エージェントは、自分がクーデリアの訓練を見ると周囲にいったらしく。以前のような乱取りに等しい組み手の類はしなくなった。何度か、外に出て、実戦もした。他にも若い戦士を何名か伴った。クーデリアと、近くの森で一緒に戦った戦士もいた。これは或いは、他の戦士達に請われて、時々こういう訓練旅行をしているのかも知れない。

老エージェントの実力は、とても現役引退したとは思えない。熊くらいなら、視線で追い払ってしまう。ドナーンの突進を片手で食い止めると、そのまま捻って放り投げる。腕は未だに丸太のように太いが、それでも現役時代に比べると、身体能力はかなり落ちていると言う。

本当なのか。

こんな人が、昔は出来損ないだったのか。

若い戦士達は、すげえと素直に喚声を挙げている。クーデリアは、とてもではないが、彼らと同じようには思えなかった。本当に、少しはマシになれるのか。そう思って、不安しか感じなかった。

どんどん街から離れていく。

途中、野宿もした。

老エージェントは、キャンプスペースで、戦士達を見回す。

「クーデリア様。 貴方が、若者達の指揮をしなさい」

「あたしが?」

「そうです。 たき火を熾したり、夕食を作ったりという、些細なことからで構わないから、決断と判断をする癖を付けていくのです。 お前達も、もう少し年を取ったら、後から戦士になった者達の指揮をする練習をしていくようにな」

「分からないけれど、それに何か意味があるの?」

大ありだと、老エージェントは言う。

彼によると、判断と決断は、人間に大きな成長をもたらすという。クーデリアは身体能力を鍛えているが、それはあくまで内向きの話。戦闘を行う場合、どうしても外向きの力も必要になるという。

ましてや、誰かを護衛するという場合。その護衛チームが大きくなってくると、どうしてもスタンドプレイでは難しい部分が出てくるというのだ。

なるほど。思い当たる節が、確かにある。

以前大型ドナーンと戦闘した時などは、ステルクともっと上手に連携が取れていれば、被害を減らすことも出来たはずだ。ロロナが捨て身の大威力術式を使わなくても、もっと容易く屠れていた可能性も高い。

頷くと、クーデリアは、若い戦士達の指示をして、夕食を作らせる。火を熾すと、見張りの当番を決めていった。

若い戦士の中には、クーデリアに反発する者もいた。

そう言う相手とは、組み手を行う。

それで、意外な形で、自分の力の伸びを実感することが出来た。大剣を振るう若い戦士の懐に飛び込むと、腹に掌打を叩き込む。それだけで、相手の戦意を失わせることが出来たのだ。

以前より、格段に強くなってきている。老エージェントに鍛えられたからか。いや、そんなはずはない。

ひょっとして、今まで過酷すぎる修練に自分を置いていたから、成長に気付けていなかったのか。

周囲のエージェントが、戦士として飯を食っている強者達ばかりだから、成長が実感できなかったのかも知れない。

振り回される大剣だって、以前に比べて遅いようには思えなかったし、自分だって素早く動けるわけでもない。それなのに、すんなり動き、相手の急所に一撃を叩き込む事が出来たのだ。銃を使っていたら、もっと簡単だっただろう。

勿論、一発で伸びるほど相手も柔ではなかったが。

戦っても勝ち目がないと、相手は素直に認めて、クーデリアの指示を受けることに同意した。

その後は、スムーズに作業が進む。

何度か交代して、見張りをする。キャンプスペースでも、此処は野外という事を忘れず、警戒は怠らない。

遠くの空を、アードラの一種らしいモンスターが飛んでいるのが見えた。

此処はアーランド。

大陸でも最強レベルのモンスターが闊歩し、戦士も人外とまで言われる、煉獄の土地だ。ましてや、クーデリアは。

見張りの交代が来た。

眠っているときさえ、油断はしないようにする。

いつか来るXデーに備えるためにも。クーデリアは、のんきに眠ってなどいられはしないのだ。

 

数日北上し、旅人の街道と呼ばれる地域に出た。

アーランドの門と言われる危険地帯だ。

周囲には牧歌的な風車が回っており、多くの村人が暮らしているが。一方で、辺境で好き勝手しようともくろむ盗賊団が年中侵入を試みる場所でもある。また、街道と言いながら実際はモンスターの巣になっている場所も多く、グリフォンと呼ばれる者もいる。鷲の頭と翼を持ち、体は獅子という猛獣だ。性格は獰猛極まりなく、アーランド王国ではこれを盗賊よけにわざと討伐せずに置いている、という噂さえある。

一方で、この辺りは錬金術師達が何代かかけて緑化していき、今でも村人達が大事に緑を管理している地域でもある。

また、この街道では、彼方此方にリンゴの木が生えていて、名物となっている。

特にサワーアップルと呼ばれる黄金のリンゴは、他では滅多に見られないそうで、この近辺の名産として、輸出もされているという噂がある。ただ、たかがリンゴで数も少ないし、何より個性的な味なので、大した外貨にはなっていないだろう。

皆を集めると、老エージェントは手を叩く。

「これより、此処で今までとは一回り戦闘力が違う相手と実戦をする」

「待ってました!」

血の気が多そうな戦士が、喜びの声を上げた。

クーデリアは黙って、老エージェントの話を聞く。

アーランド人には、戦闘そのものを好む者も少なくない。特に若い戦士にはそれが顕著だ。

今此処にいるのは、クーデリアを除くと男の子が三人に女の子が二人。

面白い事に、一番血が騒いで仕方が無い様子なのは。魔術師の女の子だった。攻撃魔術を叩き込んで、敵をミンチにしたいと顔に書いてある。

残忍な話だけれど。戦士としては、その残忍さも、適性の一つだ。歴代の王の中には、狂戦士とさえ呼ばれた獰猛な人物も実在していた。彼らは戦場で敵の首を幾つ取ったというような武勲話を自慢とし、時には倒した敵の人骨を体を飾るアクセサリにさえしたという。

アーランドに錬金術師が来て、文明をもたらしてからは、少しは蛮行も減ったけれど。

労働者階級が力を伸ばしているとは言え、戦士が結局アーランドの基幹である事には変わらないのである。だから、老エージェントも、殺戮の興奮を隠そうとしない若い戦士達を、咎めなかった。

ただし、クーデリアは。

彼らのように、これからもたらされる血を、喜ぶ気にはなれなかった。

どうしてだろう。

戦闘の後、ロロナがあまり嬉しそうにはしていないから、だろうか。

最初に若い戦士達がよってたかって葬ったのは、ヴァルチャーだった。上位種のアードラで、風を操る能力を持つ。アードラに比べるとスカベンジャーとしての性質も強く、そのためか体が大きく、パワーもある。

まず弓を使う戦士が翼を射て、地面に落ちてきたところをよってたかって八つ裂きにする。

クーデリアは手を出す暇も無かった。

ヴァルチャーも、一匹ならば。そして、気付かせなければ大した事はない。元々鳥は体もそう頑強ではないのだ。

地面を走るタイプの鳥もいて、その中には非常に巨大で獰猛なものもいると言う話だけれど。

クーデリアはまだ遭遇したことがない。

そうやって、見かけたヴァルチャーを、順番に処理していく。

老エージェントが、とまれとハンドサインを出した。

全員が、すぐにとまって、物陰に隠れる。

クーデリアも、気付いて、銃の状態を確認。

いる。かなり大きい。

以前戦った、幼体のベヒモスほどではないが。そいつが発している威圧感は圧倒的だった。

此方に背中を見せてごろんとしているそいつ、グリフォンの背中には、大きな翼がある。腕は太く、獅子のものと比べても遜色がない。空を飛ぶ獅子。文字通り、王者との風格を備えたモンスターだ。

若い戦士達が、顔を見合わせ合う。

さっきはあれだけ興奮していたのに。怖じ気づいているのか。

彼奴を倒して、仕上げとする。

老エージェントが言ったので、クーデリアは頷いた。

全員に、指示を出す。

飛ばせてしまったら厄介だ。翼を集中的に攻撃して、地面に引きずり下ろす。その後は目を潰し、後は息が止まるまで攻撃を続ける。

シンプルな指示だけれど。

戦士達は頷いた。

指示が出て、きっと安心したのだろう。

グリフォンはおそらく、とっくに此方に気付いている。これ以上近づけば、確実に攻撃してくるはずだ。

魔術の類は使えないモンスターだが、パワーにしてもスピードにしても、この辺りにいる他モンスターとは全く比較にさえならない。たまに現れるベヒモスなどは話が別だけれど。

自分が囮になる。

クーデリアは、他の戦士達に言うと、物陰から出て、歩き出した。

ある一線を越えると、唸りながら、グリフォンが向き直る。

目が合った。

強烈な威圧感。それ以上近づくと、殺す。そう、視線は告げていた。

グリフォンだって、生き物だ。食物を得て、繁殖していかなければいけない。ましてやこの人外の辺境では、例え食肉目のしなやかな筋肉と、空を舞う翼を持っていたとしても、無敵とは言えない。

後ろ足二本で、グリフォンが立ち上がる。

クーデリアの、三倍は背丈がある。

前足には、それぞれクーデリアの掌ほどもある爪があって、磨きに磨き抜かれている事が、この距離からでも分かった。

ゆっくり、間合いを計る。

左側に、回り込む。

グリフォンは安易に向きを変えない。それどころか、数歩下がって、距離を取った。明らかに、此方の魔術師に気付いている。クーデリアに誘われて、安易に向きを変えていたら、その時点で無防備な側面を晒していたのだが。

わずかな時間、にらみ合いが続く。

均衡が、次の瞬間、破れた。

不意に翼を広げると、グリフォンが舞い上がったのだ。そして、その場から旋回して、離れて飛んで行ってしまった。

此方の人数と、それに控えている老エージェントの実力を見て、不利と判断したのだろう。

ため息をついて、銃を下ろす。

敵の方が、明らかに一枚上手だった。流石に、毎日修羅の野生で生きている獣ではない、ということだろう。

皆の所に戻る。

陣形を柔軟に変えていたけれど。老エージェントは、皆をそれでも叱責した。クーデリアも含めて、到らない点が多すぎるというのである。

一人ずつ、順番にしかりの言葉をもらう。クーデリアも怒られた。確かに、幾つか到らない点があった。

それから、昼の間、街道を徘徊。何体かのモンスターを倒した後、死体を担いで凱旋することとなった。

もっとも、この辺りの村の戦士達は、日常的に邪魔になるモンスターを狩っているのである。此処にいる半人前達よりも、ずっと力量は上だろう。グリフォンも、ほとんど苦にしないと聞いている。

或いは、人間との交戦は好ましくないと判断して、グリフォンは引いたのかも知れない。

アーランドに戻るまで、三日。城門で一旦解散となる。帰りの道中も、クーデリアは指揮を執ったが、不満は出なかった。

老エージェントには、いずれしっかりと礼をしたい。

少しだけだが。強くなったことを実感できたし、そのまま成長すれば、或いは半人前を今年中には脱出できるかも知れないからだ。

一度家に戻って荷物を整理。後は銭湯に行って、旅の疲れを癒やした。

同じ事を考えるものらしく、さっきまで一緒にいたひよっこの魔術師も、銭湯に来ていた。軽く話す。今後、仕事を一緒にしたいと言われたので、頷いておく。今のうちに人脈を作れば、損にはならない。

銭湯を出て最初に向かったのは、ロロナの家だった。自宅には出来ればすぐ戻りたくない、というのも事情の一つとしてあった。

ロロナはまだ参考書とにらめっこをしているかと思っていたが。状況は、思った以上に動いていた。

既に調合をはじめている。

試験管とフラスコを並べて、幾つかの薬剤を混ぜ合わせているでは無いか。中央の大釜で作っているのは、蝋か。

「あ、くーちゃん! お帰り!」

「あ、うん。 ただいま……って、何を作ってるの?」

「まずは一番簡単そうなのから。 色々調べて見たら、難しい技術を使って作ってるけれど、実際には中和剤による融合でどうにか出来そうだったから。 まずはこれから」

先に見せてもらってはいたが、内容からして癒やしのアロマとロロナが呼んでいたものか。

確かに、リラクゼーション効果があるアロマとなると、そう作る事は難しくないように思える。

蝋の品質を保つ事と、香りを閉じ込める事が難儀だけれど。

それさえ突破してしまえば、後は簡単なはずだ。

土産を、幾つかロロナに渡す。

帰りに、村に寄って、買ってきたものだ。モンスターの亡骸も、幾つか捌いて、内臓類や肉類も保存できるようにいぶして持って帰った。

ロロナは喜んでくれたけれど。

すぐに心配そうな顔をした。

「くーちゃん、無理はしなかった?」

「今回はベテランの引率がいたから、問題はなかったわ。 ただ、他の連れはみんなあんたやあたし以上のひよっこだったけど」

「うわ、大変だったね」

「複雑な気分よ。 散々今まで家族から雑魚だ弱いだって罵られてきたのに。 他の戦士と組み手したら、あっさり勝てたんだもの」

ロロナは、そんな事はないよと言ってくれるけれど。

クーデリアにとって、お前は無能、弱いと罵られるのは、日常のことだ。暴力も、言葉と一緒に振るわれることが多かった。親からの愛情を受けるのを、諦めたのはいつだろう。分かっているのは、親には何も期待していない事。そして、守るべきは、親などではなく、ロロナだと言うこと。

だから、いつも必死に努力を重ねてきた。

才能がないらしく、その努力も無駄になるばかりと思っていたけれど。

ようやく、少しは努力も意味が出てきたか。

少しずつ、良い香りがしてきた。

中和剤を使って、香りを出すものを、混ぜ合わせて言っているらしい。数日がかりの作業だったそうだが、これが最後だとか。

試験管に入っているグロテスクな色合いの液体を、ロロナが混ぜ合わせる。

試行錯誤の結果、造り出したものらしい。

勿論、例の魔術書の素材も、参考にしたのだろう。確かに、柔らかい香りが此処まで漂ってくる。

何だろう。随分立場は違ったはずなのに。少し、気分が楽になった。オールドミスの魔術師も、こうして心の疲れを癒やしてきたのだろうか。そうだとすると、親近感も沸く。

「この香り、イクセ君にアドバイスもらったんだ。 料理のプロだけあるね。 色々知ってたよ」

「へえ……」

「たくさん出来るから、くーちゃんにも少し分けてあげるね。 家で使って」

「……ありがとう」

あの料理小僧のアイデアというのは、少しばかり癪だけれど。

ロロナのプレゼントだったら、それは嬉しい。

最後に、出来た香りのエキスを、蝋と混ぜ合わせる。これがかなり難しいのだと、ロロナは苦笑いしていた。

単純に混ぜるだけだと、蝋と一体にならないのだという。

中和剤をまず柔らかい蝋に注いで、其処に香りのエキスを混ぜる。慎重にエキスを量っているのを見る限り、デリケートな作業なのだろう。

何となく、お菓子作りを思わせた。

やがて、青黒く染まっていく蝋を、釜から出す。ケーキのように切り分けて、容器に移していく。

釜から剥ぎ取り出すのはそう難しくないらしい。どうやら、事前に、釜の内側に蝋を弾く液体を塗っていたらしい。

まだ温かい蝋はつるつるしていた。

クーデリアも、此処からは作業を手伝う。

事前に購入していたらしい、工場製の小さな容器に、蝋を入れていく。そして、蝋の芯となる紐を立てる。

後はゆっくり冷やして完成だ。

二人で何度かに分けて、コンテナに運ぶ。冷やすのはまる二日ほどかかると言うことで、此処からはする事もない。

だが、ロロナの手際は、前に比べて明らかに良くなっている。

釜を洗い始めたロロナを見ていて、クーデリアは負けてはいられないなと思った。てきぱきと、片付けを行う。

すっかり片付いた頃には、夕方を廻っていた。

お茶にする。

ロロナがフルーツパイを出してきた。錬金術で作って、保存していたものらしい。焼きたてではないけれど、一応そこそこに食べられる。

というよりも。家で出てくる豚の餌以下の飼料に比べれば、ずっとましだ。あれは食い物じゃない。

「それで、何処か出る必要はあるの?」

「うん。 国有鉱山と、後リオネラちゃんから聞いたんだけれど、旅人の街道でちょっと欲しいものがあって。 国有鉱山は、グラビ石を取りに行きたいの。 研究して、やっと持ち帰れる目処がついたから」

国有鉱山に行くなら、ステルクもいて欲しいとロロナは言う。

確かに、クーデリアだけでは、彼処でロロナを守りきれないだろう。後、リオネラと一緒に行きたいと言いだしたので、クーデリアは危うく茶を吹きそうになった。

彼奴とは、今回の課題が始まる寸前のプロジェクト進捗会議で、実は事前に顔合わせをした。

その時に経歴も聞かされているけれど。どうも好きになれないのだ。

魔術師としての実力が墨付きなのは、クーデリアも理解している。だが、好きになれない。或いは、同族嫌悪、と言う奴かも知れない。

「くーちゃん、いや?」

「好きにしなさい。 でも、今必要なのは前衛のような気がするけれどね」

ロロナに頼まれると、嫌とは言えないのが、竹馬の友としての弱みだ。

だが、あのリオネラという女、個人戦では出来るだろうが。集団戦で、己を駒としてどれだけやれるのかは正直未知数。悔しいが、集団での戦闘経験がまるで無い場合、クーデリアだけでロロナもあの女も護衛する自信は無い。ステルクが来てくれることを祈るしかないだろう。

他人に頼るなんて、いやなのに。

これもそれも、結局は自分の力が足りないせいだ。

せっかく少しは自信がついてきたと思ったのに。まだ、先は長いと、今日も思い知らされる。

一人前になれるのは、いつなのだろう。

まだ、遠いような気がする。

 

3、友達の形

 

リオネラは、暗いところで静かにしているのが好きだ。いや、それは好きとは言わない。なぜなら、そういう環境で育ったからだ。

静かにしているときは、怖くない。

リオネラに、自己主張は許されなかった。

今も、宿で静かにしている。隣の部屋でどたんばたんぎっしぎっしと音がしていたけれど、それも静かになった。

血気盛んそうな男の戦士が娼婦を引っ張り込んでいたから、何をしていたかは想像がつく。正直、興味も無かった。

この露出が多い服も、経験的に客を呼べると知っているから。

肌を見せれば、男が喜ぶことは、リオネラも理解していた。ただ、裸になるのは流石にいやだった。だから、申し訳程度に胸と腰だけを覆っている。

男の人は怖い。

良い思い出もない。目を合わせるどころか、本当は声を聞くのも嫌だ。女の人だって、それは同じ。

出来れば、土の中でずっと過ごせる生き物になりたい。そう思うこともある。

「なあ、リオネラ。 今日は稼ぎに行かないのか?」

「宿代は、貯まってる……」

「リオネラ、これは貴方の対人恐怖症を克服する意味もあるのよ。 あの村と違って、此処じゃ貴方の能力は怖れられないの。 あの子も、私達を見て怖がらなかったでしょう?」

「だからよ、こんな所でゴキブリみたいに暗がりに蹲ってないで、外に出ようぜ。 そのまんまだと、干涸らびちまう」

口々に、ぬいぐるみ達が言う。

分かっている。この子達は、リオネラの大事な親友で。芯から、リオネラのことを心配してくれているのだと。

それでも、怖いのだ。

思い出してしまう。

ある日、突然笑顔をくれなくなった両親の事。悪魔の子と罵られ、暗い部屋に閉じ込められて。

泣いても叫んでも、誰も構ってくれなくなった。

与えられる食べ物は、干涸らびていて。それでも空腹に負けて、口にするしかなかった。糞尿は全て垂れ流し。

壁を叩いても、ずしりと重い音。

出ようと思っても、どうにもならなかった。

ひもじくてつらくて、ずっと泣いていたけれど。いつ頃からか、涙は枯れてしまった。

外に出ることが出来た経緯のことは、思い出したくも無い。

でも、時々夢に見る。

自分のことで、お父さんとお母さんが、いつも罵りあっていた。どうしてこんな悪魔の子を産んだんだ。貴方の種でしょう。貴方が悪いのよ。巫山戯るな、この売女、どうせ外で悪魔とやってきたんだろう。ふざけないで貴方こそ、どうせ邪教の儀式にでも参加してきたんでしょう。ものを投げつけ合う音。悲鳴。怒号。

皺だらけのおばあさんが言う。

殺すと、祟る可能性がある。

かといって、悪魔の子を飼っていても、どんな禍があるか分からない。奴隷に売っても、いずれ復讐に来るかも知れない。

だから、儀式によって、灰も残らないようにして、焼き殺そう。悪魔の子は、神にゆだねるのが一番だ。

ああ、それがいい。そんな事が出来るなら。早く殺して欲しい。これは、不幸の子供だ。お父さんとお母さんも、満面の笑みで、賛同している。私を殺す相談に、安心しきった顔で、満面の笑みで、賛同している。

お父さんとお母さんだけじゃない。

幼い頃は優しかったとなりのおじさんおばさんも。友達だったはずの子達も。みんな、笑顔で、素晴らしい言葉に賛同していた。リオネラが死ぬ事を、心の底から願っていた。嗚呼。みんな、リオネラを殺したがっている。

誰も、味方なんて、いない。

頭を抱える。

実際に、リオネラは。

孤独だった。そして、今も。面と向かって殺そうという者はあまりいないけれど。それでも、孤独に変わりはない。

全身の体温が下がっていくのが分かる。震えが止まらない。周りがよく見えない。ぎゅっと身を縮めて、世界から自分を守る。

「リオネラ、おーい」

「駄目よ、発作だわ。 少しおとなしくさせないと」

「おいおい、せっかくまともな仕事が来たってのによお。 今回の仕事の雇い主、おっかないぜ。 仕事すっぽかしたりしたら、何されるか」

ドアがノックされる。

びくりと震えたリオネラが顔を上げると、やはりもう一回ノックされた。

「リオネラ様、お客様がお見えです」

「あの子じゃない?」

「ほら、お前と友達になりたいって言ってくれた」

嘘だ。

仮に本当だったとしても、リオネラの正体を知ったら、どんな風に掌を返すか、分かったものじゃない。

でも、ホロホロとアラーニャが言うように、今回のクライアントはとんでもなく怖い。もしも下手なことをしたら、きっと今度こそ、生き残ることは出来ないだろう。

呼吸を整えながら、客とやらの応対に出る。

隣の部屋から出てきた戦士は、満足そうな顔をしていたが。真っ青なリオネラを見て、小首をかしげた。

宿の外に出ると、その人は待っていた。

ロロナではない。以前、リオネラを此処まで引率した、エスティという女性だ。リオネラが今まで見た事もないほど強い人で、この人だけで小さな村くらいは短時間で滅ぼせるのでは無いかと思う。

つまり、自分より、ずっとずっと格上の使い手だ。

「あ、あの、なんで、しょうか」

「ロロナちゃんと接触したって聞いてね。 レポートを出してちょうだい」

「れぽーと?」

「ほら、最初に説明受けただろ。 用紙ももらったじゃねーか」

ホロホロに言われて、思い出す。

そういえば、何か紙束をもらっていた。書き方も覚えている。こういうときに、提出するものだったのか。

ため息をつくエスティ。

「分かった、私が手伝ってあげるから、今書きなさい。 貴方が外部招聘した人間で、なおかつ若い事は分かっているから、いきなり全部しっかりしろとは言わないわ。 ただし、何度も繰り返したら、いずれ私も怒るわよ」

「は、はい……」

言われるまま、部屋に戻る。

小さなデスクがあるので、其処を使った。エスティは、呆れたように言う。

「此処、最下等の色宿じゃない。 どうして戦士用の宿にしないの。 これじゃあ、休むに休めないでしょう」

「だって、おかね、いつなくなるか……」

「宿代もお給金に入っているのよ。 何か贅沢をしているのならともかく」

視線は怖くて、合わせられない。

エスティが良い宿を取るようにアドバイスしてくれたが。頷くばかりで、主体的な意思は出せなかった。

デスクにつくと、用紙を広げる。まず名前から記入して、護衛対象であるロロナについての印象や、今後しようと思うことなどを書いていった。

プロジェクトについては、聞いている。

酷いプロジェクトだとは思うけれど。それでも、仕事だとしか感想はない。

リオネラは、もっと酷い仕事だってして来た。これでも実戦経験者で、人を殺したことだってある。

というよりも、リオネラのような者は。

そうしなければ、生きていけなかったのだ。

幸い、村が辺境にあったから。大陸の中央部の人間は、リオネラよりもずっと弱い者が大半だった。

だから、仕事は出来た。

ホロホロとアラーニャも手伝ってくれたから、それほど苦労はしなかった。それに、何より。リオネラの能力なら、手を触れずに、人間を殺せるのだ。

レポートを書き終える。

内容を精査していたエスティが、何度か指摘を入れてきたので、その都度書き直す。リオネラは、字が殆ど書けない。この辺りの言葉は、幸い辺境で使われている標準的なものだから聞けば分かるけれど。字は、まだたどたどしい。

以前、買った本で、少し勉強して、やっと少しは書けるようになったのだけれど。

専門的な単語は殆ど綴りが分からないから、エスティに言われると、恐縮してしまう。

「こんな所ね。 早めに宿は移りなさい。 此処は余計なトラブルにも巻き込まれやすいし、貴方のような若い子は、無駄な誤解も買いやすいわ」

「世話人だなあ、姉ちゃん」

「あら、そんなに若く見える?」

エスティが嬉しそうに笑った。リオネラは言われたように、荷物をまとめて、別の宿に移る。

本当はもっとお金を貯めたかったのだけれど。

雇い主の意向には逆らえない。それに、この仕事がしっかり終わったら、アーランドの国籍と、土地も用意して貰えるという話なのだ。

勿論、今後は国からの仕事もあるだろう。

流浪せずに済む。

しかも、能力を怖れた者達から、あの時のような仕打ちを受けなくてもいい。それならば、リオネラは、頑張らなければならないだろう。

宿を移った後、ロロナのアトリエに出向く。

彼女は相変わらず、大釜に何かを入れて、棒を使って掻き回していた。招かれてから、何度か出向いているけれど。何をしているのかは、よく分からない。薬草についても知らないし、魔術もそもそもリオネラのは他の魔術師と系統が違う。

詳しくは知らない。

ただ、エスティは、なんとかきねしすとか言っていた。よく覚えていないが。

ドアを何度か躊躇った後、ノックする。

ロロナはすぐに気付いた。

「はーい。 この魔力は、りおちゃん? 入って良いよ−?」

りおちゃん。

そう呼ばれるように、いつの間にかなっていた。許可したら、それいらいずっとである。ドアを開けると、満面の笑顔で、ロロナはだが釜を掻き回している。振り返ったのは一瞬で、すぐ作業に戻るロロナ。

「今、調合が忙しいところなの。 ちょっとソファに座って待っていて」

「う、うん……」

何だか、アトリエの中に、凄い臭いがしている。

ロロナが掻き回している釜の中は真っ黒で、禍々しい液体が満たされていた。アレは一体、何だろう。

猛毒。

多分そうだ。でも、何に使うのだろうか。

「外からでも、魔力で、分かるの?」

「りおちゃんを包んでる魔力、人一倍強いからね。 それに、凄く色が強くて、特徴的だし」

「そう、なんだ」

この国は、優れた魔術師がたくさんいる。

ただ、殆どが戦闘向きの術者なので、文明の発展そのものには寄与していないという。ある意味、とても不可思議な話だ。

ロロナも、リオネラが見た中では、上位に入るほど魔力が強い様子で。リオネラの体調が悪いことさえ、魔力を見てぴたりぴたりと当ててくる。

逆の言い方をすると、リオネラはきちんと修行をしたことがないからだろう。魔力の使い方がなっていないし、何もかもダダ漏れと言うことだ。

調合とかが終わったそうで、ロロナが手を止める。

禍々しい色の液を、硝子の容器に移している。ただし、上澄みだけの様子だ。念入りに瓶で止めているところを見ると、余程強力な毒なのだろう。

釜の水を、庭に捨てはじめるロロナ。

庭で、凄い煙が上がっていた。

「井戸水、大丈夫なの?」

「大丈夫だよ。 この辺りの井戸は、確か地下水道ってのから直接くみ上げてるんだよ」

古代の文明を発掘して、色々活用しているとは聞いているけれど。

アーランドは、或いは。

文明などとは無縁の、純粋な田舎に比べると。ずっと発展しているのかも知れない。ただし、その技術は全てがブラックボックスも同然だそうだけれど。

手を洗ったロロナが、茶を淹れてくれる。

アトリエの窓も戸も開けているのは、臭いが酷いからだ。茶がまずくなる。リオネラは殆ど喋らない。ロロナが、一方的に、色々話してくるので。場合によっては相づちを打ったり、或いははいとかいいえとか言ったり。

どちらにしても、リオネラは、主導権など、握れない。

ロロナによると、さっき作っていたのは、超がつくほど強力な眠り薬の、その前段階の中間生成物だとか。これを数日おいて、成分を安定させた後、仕上げに掛かるのだという。

リオネラと殆ど年も変わらないのに、難しい事を一杯知っていて、羨ましい。

恐縮してしまうことも多かった。

「それで、今度一緒に街の外に行くって話なんだけれど。 明後日、大丈夫?」

「そんなに早く……?」

「わたしの知ってる騎士さんが、その時しか開いていないっていうから。 ちょっと危険なところで、その人がいないと不安だから」

「……」

近々、この話が来る事は分かっていた。

袖を引かれる。

ホロホロだ。

「受けろよ、リオネラ」

「私も賛成。 今が良い機会だ」

「危ない事にもなるけど、大丈夫? りおちゃんが、思うように決めて。 わたしも、無理強いはしないし、出来ないから」

でも、来てくれると嬉しいと、ロロナは言う。

殺し文句のつもり、なのだろうか。

リオネラは、正直なところ。今の時点では、ロロナを信用していない。人間は基本大嫌いで、ロロナもその中の一人だからだ。

仕事だから話しているけれど。今だって、視線は合わせていない。話していて、怖いとしか思わない。

発作的に殺してしまいかねない相手と話しているよりは、だいぶ気分も楽だけれど。ロロナは身に纏っている魔力が強いし、肉体もリオネラの故郷の連中に比べれば遙かに頑強だから、その畏れがないことだけが救いだった。

頷くと、リオネラの手を取って、ロロナは喜んでくれる。

喜んでいるふりかもしれない。リオネラには、分からない。

 

二日後。

宿を移ってすぐであったから、あまり気分は良くなかったけれど。言われたとおり、アーランドの北門に出る。

先に待っていたのはステルクだ。ステルケンブルクという名前で、ステルクと呼んで欲しいと、会議の時に言われた。

続けて、クーデリアが来る。

三人が揃っても、しばし無言が続いた。最初に喋ったのは、一番会話が苦手そうな、ステルクだった。

「クーデリア君は腕を上げてきたな。 足運びや、体重の移動で分かる」

「まだあんたにはとうてい及ばないわ。 何だか馬鹿にされてるみたいで不快よ」

「いや、半年ちょっとでの成果にしては充分だ。 私も最初から、騎士団で名を上げていたわけではない。 君も騎士団に入れば、三十までには国家軍事力級の使い手と呼ばれるようになるやもしれんぞ」

「……そう。 なら良いんだけれど」

クーデリアは影のある女で、ロロナの前以外ではまず笑うことがない。リオネラと比べると多分何歳か若いはずだが、子供っぽさが感じられない。

この国の子供は、戦士としてはかなり早い段階から一人前扱いされると聞いているけれど。

クーデリアは、悪い意味で、子供らしくなかった。

ステルクは、リオネラにも話を振ってくる。鬱陶しいから、あまり喋りかけて欲しくないのだけれど。

ホロホロとアラーニャは、社交的に話に応じている。

人間と喋るのは苦手だ。

頭が痛くなる。

「エスティ先輩から聞いたが、色宿を使っていたそうだな。 確かにある程度安くはなるが、長期的には良くない選択だ。 場合によっては、騎士団の若者が使う寮を紹介しようか」

「あ、あの、え……」

「あんちゃんよお、此奴にはちいとそれはハードルが高いぜ。 話しているのでさえつらいみたいなんだし、少しずつやっていくから、勘弁してやってくれ」

「とても人見知りをする子なの。 ごめんなさい」

アラーニャとホロホロに謝られて、ステルクは眉をひそめた。

此奴も雷の魔術を使う戦士だ。或いは固有の能力かも知れないが、リオネラは知らない。どっちにしても、リオネラの纏う禍々しい魔力が見えていても、不思議では無いだろう。ロロナがそうであるように。

ロロナが来る。

荷車を引いていたけれど。なにやら、おかしな様子になっていた。

荷台に、びっしりと紙が貼られて、魔法陣が書かれているのだ。それだけではない。革袋が、幾つも積み込まれている。

「それが、グラビ石を持ち帰る準備?」

「そうだよ。 空気ごと持ち帰って、魔法陣で環境を保全するの。 そうすれば、持ち帰った後も、かなり長持ちするから。 それで、グラビ石の浮力そのものは、紐で結んで相殺するの」

「考えたわねえ」

分からない会話をしている。どちらにしても、リオネラには入り込めない話だった。

そのまま、西へ向かう。

国有鉱山に潜ると言うことだ。ステルクほどの戦士は、リオネラも旅をしてきたが、殆ど見たことが無い。

これほどの使い手が一緒にいるのなら、まず危険はないだろう。

だが、そうでも無いことが、話していて分かる。

「それにしてもロロナ君、悪魔の長老とはなしたいと言うのは、本当か」

「はい。 ステルクさんに立ち会ってもらって、駄目ですか?」

「何を考えているのか、私には分からん」

「グラビ石の事を知っていましたし、他の事も何か参考になる話が聞けたらな、って思って」

悪魔と、話すか。

故郷の村でそんな事を言ったら、ロロナは村人達に追いかけ回されて、殺されてしまうだろう。

いや、返り討ちか。

歩いているうちに、彼方此方から煙を噴いている、国有鉱山が見えてくる。今はオートメーション化されているが、昔は過酷な労働で、多くの死者を出したのだとか。

ステルクがいるから良いけれど。

ロロナやリオネラは、行き交う男からいやらしい目でかなり見られた。クーデリアは幼すぎる容姿が原因か、殆ど視線を集めなかった。

ステルクが話して、廃坑道に入る。

カンテラを手際よく付けるロロナ。

同時に、ステルクの雰囲気が変わった。さっきまでとは比べものにならない。クーデリアも、銃を抜くと、油断なく周囲を警戒しはじめる。

「リオネラ、貴方もよ」

「うん……」

ロロナは戦闘でも、後衛としての役割を果たすと、会議で説明は受けている。

リオネラは目を閉じると、集中。

全身の魔力を、練り上げていく。

リオネラの魔術は、固有能力に近く、使うのに詠唱は必要としない。その代わり幾つもの面倒な制限があって、好き勝手に使えるわけではない。

薄暗い坑道の中、リオネラの全身が淡く輝きはじめる。

同時に、リオネラの側を離れて、ぬいぐるみ達が周囲を飛び交いはじめた。その体は強い燐光に包まれていて、生半可な攻撃にはびくともしない。

これがリオネラが使う技術。自動防御だ。

本来リオネラは脆弱極まりない。ここ、アーランドの戦士達と比べたら、それこそゴミのような身体能力しかない。

それでも今回の任務に呼ばれたのは、この自動防御が極めて優秀だから、である。

ただ、この能力を使っているとき、ぬいぐるみ達と話す事が出来ない。それが、リオネラには酷くつらいのだ。

「りおちゃん、凄いね!」

「……」

ロロナは本当に嬉しそうに言うけれど。応えない。

というよりも、応えられないのだ。

この状態のリオネラは、他人との関わり合いで、常に緩衝材になってくれる二人のぬいぐるみを失っているも同然。

つまり、一番恐ろしい人間との間に、壁がないのだ。

だから、話など出来ない。

怖くて、人間の姿を見ることさえ、難しいのだ。

ロロナの側にいるのも本当はいやなのだけれど。こうして食い扶持を稼ぐしかない。土の中で暮らしたい。

人間と会わなくても良い生活をしたい。

凄い音がしたのは、自動防御に入っているホロホロが、何かをはじき飛ばしたからだ。見ると、いつの間にか、かなりの数のオオトカゲに囲まれている。二本足の所から見て、多分ドナーンだろう。

「リオネラ君は、ロロナ君の防御を担当。 後は私とクーデリア君に任せろ」

指示を出されたけれど、どうせそれしか出来ない。

ロロナは詠唱しながら、介入する機会を狙っているようだけれど。リオネラは、今は会話も難しい状態。

魔術も使えるが、正直な話、自爆する可能性が高い。

リオネラは、あくまで自身の身を守ることのみ、長けているのだ。

しばらく、周囲で剣撃の音が響く。

ステルクが文字通り蜥蜴の群れを蹴散らしている。凄まじい早さで走り周りながら、クーデリアが敵に向けて、嵐のような勢いで発砲している。

どちらにしても、手を出す暇も無い。

というよりも、辺境の戦闘を始めて見たけれど。これでは、大陸中央部の兵士達は、なすすべもないのではあるまいか。

ほどなく、ドナーンの群れは掃討された。

とはいっても皆殺しではなく、勝ち目がないとみて、逃げていった。ステルクも、そう相手が判断するように、誘導していたようだった。数頭が死んでいた。その全てに、クーデリアがとどめを刺して廻った。

濃厚な血の臭い。

自動防御で、ロロナに噛みつこうとしたドナーンが四回、はじき飛ばされた。

クーデリアが戻ってくる。クーデリアにも自動防御が発動しそうになって、慌てて意識を集中する。

「ちょっと、あぶないでしょ!」

「ご、ごめん、な、さい……」

「待て、クーデリア君。 見事な防御能力だが、負担が大きいのだろう。 通常時の警戒は私とクーデリア君で行うから、絶対防御は実戦時だけで構わない」

そう言われると、不意に気が抜けて、能力を解除してしまう。

ぬいぐるみ達が纏っていた燐光が消え、此方に戻ってきた。二人とも、疲れた様子である。

「ふいー、しんどいぜ。 あんなデカイ奴はじき返すなんて、オレってすげー」

「ホロホロ、自画自賛は見苦しいわよ。 それにリオネラがいないと、出来ない事でしょう?」

「そうなんだ、二人とも凄いね。 もちろんりおちゃんも」

無邪気に言うロロナは、何も疑っていない。

坑道の中は、血の臭いでむせかえるようだ。それに何だか、蒸し暑い。タオルを貸してくれたので、使う。

クーデリアが最後尾についた。

リオネラはやっぱり怖くて、視線を合わせられなかった。

 

どんどん、坑道の奥深くへと潜っていく。

カンテラが照らす路は、岩だらけで。時々光った石や、骨も見えた。訳が分からないモンスターも、たくさん生息しているようだった。

ロロナが、革袋を取り出す。

見ると、気味が悪い石が、空中にたくさん浮かんでいた。あれが、グラビ石とやらなのだろうか。

あんなものをどうするのか。

釜で煮込むのだろうか。どちらにしても、気持ちが悪い。錬金術というのは、見ていても分からないし、説明を聞いても分かりそうになかった。

「どう、いけそう?」

「試してみないと分からないけれど。 駄目だったら、またお願い」

「しょうがないわねえ」

クーデリアが文句を言いながら、周囲の警戒を続けている。リオネラは、手伝って欲しいと声を掛けられた。

革袋にグラビ石とやらを入れたものを、荷車に詰め込む。

紐が革袋に結びつけられていて、それを荷車に結ぶ。こうすることで、革袋が飛んで行ってしまうのを避けるのだ。

最後に、ほろのようなもので、荷車を覆う。

その上からゼッテルで作ったらしい覆いを掛けて、完成と言われた。

二人がかりで、荷車を覆う。周囲には、嫌な気配が充満していて、ずっと此方を見ているようだった。

いきなり遠くから咆哮が響いたので、リオネラは身を竦ませた。

怖い。何か、とんでも無い者が、いる様子だ。

荷車には、たくさん石が積まれていた。一部には、薄明かりを放つ茸や、虫の卵のようなものも。

ロロナは、このアーランドで育ったと言っていたか。虫を触るのも、おかしな石を積み込むのも、平気なようだった。

かなりの重労働で、少し手伝っただけで、リオネラは汗が流れたのに。

「ふえー、あんた細いのに、力持ちだなおい」

「そんな事ないよ。 力だったら、他の戦士達の方が、ずっと上だもの」

「恐ろしい土地ね」

「うん。 でも、だから、モンスターからみんなを守れるんだよ」

きっと守っているのは、モンスターからではないだろうけれど。リオネラは、何も言わなかった。

ステルクが、周囲の警戒を続けたまま言う。

元から顔が怖い人だけれど。

更に、強ばっているように、リオネラには見えた。ただ、怖れていると言うよりも、闘に臨んでいる戦士の顔になっている。

「どうも良くないな。 かなりの数のモンスターがいる」

「えっ!?」

「殆どはドナーンだが、この様子だと、近々処理をしなければならないな。 繁殖期で、一気に増えたのやも知れん」

つまり、これから更に血みどろの戦いになる、という事か。

だが、ロロナは怖れている様子が無いし、クーデリアは黙々と拳銃の手入れをしている。此奴らは、本当に戦士なのだ。

たまたま強い能力を得ただけの、リオネラとは違う。何代も掛けて鍛え抜かれた、生粋の戦闘生物なのであると、見ているだけで思い知らされる。モンスターでも、此奴らに比べたら、修羅とは言えないのではあるまいか。

「どうしましょうか。 戻ります?」

「君が決めてよい」

「じゃあ、少しだけ潜って、様子を見たら帰ります。 くーちゃん、りおちゃん、それでいい?」

「賛成」

クーデリアは、それだけ言った。

理由は聞きたくない。

リオネラは本当は反対と言いたかったけれど。怖くて、そうとは言えなかった。

モンスターより、はっきり言って人間の方が怖いのだけれど。そう言ったら、何をされるか分からない。

早く、静かに暮らせる場所が欲しい。

目をつぶって、ぎゅっと手を握り込む。ぬいぐるみ達が、何かロロナやクーデリアと話していたけれど。耳には入らなかった。

ロロナはどちらかというと臆病だと聞いていたのに。

こんな死地で、全く平然としている。臆病という定義が、リオネラとは違うのかも知れない。

更に深く、坑道へ潜っていく。

途中、ロロナは何度か荷車に、素材を積み込み直した。既にずっしりと重くなっている荷車だけれど。

リオネラが押す力は微弱で、ロロナが引く力の方が、ぐっと強かった。

不意に、路が平坦になる。

坑道が、これ以上深く潜るのを止めたかのようだ。ロロナが足を止めて、周囲を見回しはじめる。

何か、小柄な人型が姿を見せた。

「おや、お前さんは、以前の」

「お久しぶりです」

ロロナが丁寧に礼をした相手は、人間ではなかった。

背中に翼が生えていて、背格好は子供のよう。ただし顔には皺が深く刻まれているし、目が異常に大きく、何より人間の造形ではなかった。

悪魔の長老。

ロロナはそう呼びかける。

背筋に寒気が走った。

「おいおい、本物の悪魔だってよ」

「社交的な子だとは思っていたけれど、凄いわね。 人間以外の種族とまで、ああして仲良くするなんて」

流石のアラーニャも驚いた様子だ。

ステルクは周囲の索敵をはじめている。リオネラにも、視線を送ってきた。何が起きるか分からないから、備えておくように、という事なのだろう。

「どうする、自動防御、発動するか?」

「……」

言われて、やっと気付く。

悪魔というのは、自分に掛けられた言葉だった。本物を見てしまうと、なんと矮小に感じる事だろう。

あんな存在を、村の人達は、怖れに怖れていたのか。

そして、リオネラを。

あれと同じだと判断して。

涙が出そうになったけれど。頭を振って、恐怖を追い払う。此処で発作が出てしまったら大変だ。

お金も貰えなくなるし、最悪機密保持のために消されかねない。

ロロナと、悪魔の長老とやらはずっと話し込んでいる。

時々ロロナはメモを取っているという事は、何か貴重な情報を得ている、という事なのだろう。

不意に、獰猛な雄叫びが響き渡った。

「スカーレットの忌み子が、餌を欲して叫んでおる」

「でも、大岩の向こうに……」

「確かにそうじゃが、いずれあの岩も砕いて出てきかねん。 その場合は、わしらは皆殺しにされるだろうな」

「そんな事はさせません」

ロロナが力強く宣言するけれど。

あんな恐ろしい声を聞いて、どうしてそう言い切れるのか、リオネラには理解できなかった。

怖い。

早く、この場を離れたい。膝はずっと笑いっぱなしだ。

「しっかりしなさい。 この辺り、何が出てもおかしくないのよ」

クーデリアが冷たく言う。

彼女は、いつ戦いが起きても平気なように、備え続けている様子だった。リオネラは、もう生きた心地がしなかった。

 

ようやく坑道から出ると、外は真っ暗になっていた。

出る途中も、何度となくモンスターに襲われた。ドナーンだけではなくて、訳が分からないモンスターが、たくさん姿を見せた。その半数ほどが襲ってきて、その度に撃退した。

ステルクの実力は圧倒的で、戦闘は危なげがなかったけれど。

時々、自動防御にモンスターがはじき飛ばされるのが見えたので、怖かったのは事実だ。

それに、ロロナの魔術。

何度か放った大威力の魔術が、容赦なくモンスターを殲滅するのを見て、戦慄するのを隠せなかった。

分かってはいたが。

魔術師としては、ロロナの方がずっと格上だ。系統の違いとか、そんな事は関係無しに。

それに、モンスターを手慣れた様子で捌いて、牙だの皮だのを剥いでいるのも怖かった。

宿を取ってあったので、そちらに向かう。鉱山街は、昔は真夜中も昼のように人が行き交っていたという話だったのに。

今では、真夜中は、相応の人通りだ。

朝、坑道に入る前に見かけた市場も、この時間はもうやっていなかった。

リオネラは、談笑しながら歩いているロロナとクーデリアを後ろから見つめる。ステルクは、一番後ろで、殿軍を努めてくれていた。

「初の任務、大変だったな」

「はい……」

「最初は皆、そんなものだ。 私の初任務もこの鉱山での哨戒任務だったのだが、坑道の中で多くモンスターを斬って、血の臭いになれすぎていたからだろう。 外に出たら、気分が悪くなって、戻してしまった」

笑い話のように、ステルクは言う。

この強面の騎士は、まだ若いように見えるのだけれど。それでも、明らかに相当な歴戦を積み重ねてきている。

この土地の恐ろしさを、改めてリオネラは思い知らされる。

あまり喋りたくないリオネラに気を遣ってくれたのか、それからステルクは何も言わなかった。或いは、喋ることが出来ないほど、気分が悪いのだと解釈してくれたのかも知れない。ある意味間違っていないから、助かる。

宿はステルクと、他三人に分かれて泊まる。

ロロナとクーデリアは実になれたもので、リオネラにも世話を焼いてくれたけれど。正直、リオネラには、迷惑だった。ホロホロとアラーニャは二人ともう仲良くなったようで、色々話していたけれど。

リオネラは、もう眠りたいという気持ちを抑えて、相づちを打つのが精一杯だった。

一泊した後、アーランドに戻る。

ロロナからお給金をもらったけれど。元々本命は、アーランドに支給されている。その賃金に比べれば、ささやかな額だ。

だが、形式上、礼を言わなければならない。

リオネラは、こんなはした金のために、命を賭けたのかと思うと、なおさら憂鬱になるのだった。

城門で解散。

後は、一人で宿へ。

仕事が終わって、一人で宿に戻って、やっと安心する。

やっぱり一人が良い。

これから、こんな恐ろしい目に何度となく遭うと思うと。生きた心地がしなかった。枕に顔を埋めて泣く。

もう嫌だ。

でも、帰る場所なんか、最初からない。一人にしておいてほしいけれど、レポートとやらも書かなければならないし、近々旅人の街道とやらにも出向かなければならない。確か、エスティと護衛の部隊が来た場所だ。モンスターがわんさかいるのに、この国の人間共は平然と利用している、恐ろしい場所である。

「なあ、リオネラ」

「放っておいて」

「リオネラ、ホロホロの話を聞いて。 あの子達は、きっと貴方にとって、私達以外の、初めての友達になってくれるはずよ。 だから、そんなに怖がらないで」

「怖いものは怖いよ。 怖いっていって、何が悪いの」

涙が止まらない。

いつもアラーニャとホロホロは、リオネラに厳しい。

リオネラのために言っていることくらいは分かっている。それに、言っていることが、正しいことも。

でも、今は。

正しいことなんて、聞きたくはなかった。

 

4、まがつの先触れ

 

グラビ石をコンテナに移す。思ったよりもずっと劣化していない。これなら、今後も持ち帰ることが出来るだろう。

放っておいても、空中に浮くという不思議な石だ。

研究すれば、色々と不思議な道具類を作り出す事も出来るはず。今から、レシピを見当するのが、楽しみで仕方が無かった。

ただ問題も多い。

浮力は長く保てない、という事だ。実際、革袋を開けて外の空気を入れると、すぐに痛んでしまう。

何かしらの工夫が必要になってくるだろう。

クーデリアは黙々と作業を手伝ってくれるが、言いたいことは分かる。

リオネラの様子は、ずっとおかしかった。今後も友達として仲良くして行きたい子なのだけれど。

無理をして、ロロナにあわせているのでは無いか。

そう思うと、何だか不安だ。

戦場でも、リオネラは場慣れしていない様子がとにかく目だった。怖いと思うのは当然だろうけれど。その恐怖を制御できないと、生き残れない。ロロナだってどちらかといえば恐がりだけれど、一旦戦いが始まってしまえば、スイッチを切り替えることは出来る。自主的にはなかなか出来ないけれど。

多分これは、アーランドに暮らしている戦士達が、何代も掛けて積み上げてきた力なのだろうと、思っている。お父さんとお母さんの血が、ロロナにも流れているのだ。

リオネラは違う。

辺境と言っても、平和な場所の出だったのだろう。

それに、気付いていた。

「りおちゃん、生まれ故郷の話、全然しないね」

「何か、話したくない理由があるのよ、きっと」

「そうだね」

分かっている。

きっと、何か大きな理由がある事は。だから、いずれもっともっと友達になった時、向こうから話してくれれば、それで良かった。

クーデリアにお茶を出す。

そして自身は、悪魔の長老と話したメモを取り出すと、レシピに反映していった。

どうにか癒やしのアロマはこれで完成する。

魔女の秘薬とでも言うべき、猛毒ももう少しで作る事が出来るだろう。今作っているのは超強力な眠り薬だけれど、少し成分を変えれば、他の薬にもする事が出来るはず。

問題は最後の一つ。

獣の彫像とでもいうべき道具。

相手に幻を見せるものだけれど。これだけは、レシピを書き下ろすのに、だいぶ苦戦している。

また、ぎりぎりになるかもしれない。

だが、ロロナは、やりがいを感じ始めていた。

「ロロナ、少しずつ、楽しそうになってる?」

「うん。 出来る事が、少しずつ増えてきたから」

まだまだ難しくて、手も足も出ない作業はいくらでもあるけれど。最初に比べれば、全然状況は違う。

これからも、こうして腕を上げていきたい。

複雑な顔をクーデリアがする。きっと、ロロナには考えつかないような所で、何かを悩んでいるのだろう。

その悩みを、これから、少しでも取り除いていきたかった。

 

アトリエを外から見ていたアストリッドは、鼻を鳴らした。

少しばかり順調すぎる。

そろそろ、大きく足を引っ張ってやる必要があるだろう。

上手く行きすぎると、躓いたときにダメージが酷く大きくなる可能性がある。これから、足を引っ張るプロフェッショナルが此方に来るが、それは来期の話。もう少し、ロロナには挫折を味合わせておきたい。

そのまま、リオネラが泊まっている宿に向かう。

勿論、どの宿にいるかは、監視の者を通じて聞いている。一度顔合わせして以来だが、アストリッドは相手が抱えているものを、だいたい見抜いていた。

リオネラが出てくる。

随分とやつれているようだった。

ロロナにつきあって坑道に行ったと言う話だが。アーランド人でも危険な場所だ。此奴が特殊能力持ちといえど、さぞや怖かった事だろう。

その恐怖を想像するだけで、何杯も食事をお替わりできそうだった。

青ざめているリオネラに、告げておく。

次にするべき事を。

無言のまま、リオネラは聞いていた。ぬいぐるみどもが抗議の声を上げるが、最初から気にしない。

「抵抗は無駄だ。 というよりも、私はいたいけな娘が大好きでな」

「……っ!」

泣きそうになるリオネラ。

意味は、理解してくれたようだった。

勿論、言葉通りの意味ではない。

「それでは、さっそく行動に取りかかってくれ。 レポートも早めに提出するようにな」

「鬼!」

後ろから、ぬいぐるみの一匹が言うが、勿論気にしない。

というよりも、アストリッドにとっては、最高の褒め言葉だった。アストリッドの歪みは、ロロナやクーデリア、リオネラよりも更に上。

人間などに褒めてもらっても、何も嬉しくなど無い。

むしろ、怖れられた方が嬉しい。

ロロナに対する屈折した態度も、それが故だった。

アトリエに戻ると、ロロナは作業の詰めに入っていた。今回も、課題をぎりぎりに達成させるために。

アストリッドは、いかなる努力も惜しまない。

ロロナを強くたくましく育て上げるためには。

あらゆる手段を、選ばないつもりだった。

 

(続)