深山の花火

 

序、国有鉱山の闇

 

アーランドの生活を支えるのは、森林資源だけではない。幾つかの鉱山も、その力の根源となっている。

現在では、鉱山での作業は、鉱石の掘り出しだけとなっていて、加工そのものは工場でオートメーション化されているのが実情だ。働いている労働者達は、基本的には戦士達の監督下で、防塵マスクを付けて、適切な作業の労働をしている。

もっとも、それは現状、だが。

かって鉱山での労働は過酷極まりなく、その致死率は目を覆うばかりの有様だった。鉱石も工場での加工が出来るようになるまえは、鉱山で処置していたのだが。それらは、有毒ガスを大量に発生させた。

当然、どれだけ頑強なアーランド人でも耐えられるものではなく。

多くの奴隷と、アーランド人が、此処で死んでいった。

現在は、改善が重ねられて、以前ほど酷い職場ではなくなっているが。それでも、過酷な事に変わりはない。

圧倒的な実力を持つアーランド人の戦士達が見張ってはいるが、今でも時々暴動が起きる。

食事がまずい。

労働が厳しすぎる。

そう、労働している者達は声を上げる。

とはいっても、今では鉱山での労働では、相応の対価が払われるようになった。アーランドが豊かになった証拠である。

労働者達は、過酷な仕事でストレスをためている。だから吼える。

戦士達も、過酷な鉱山の環境で、鬱憤を蓄積させている。だから時に、暴動の発生を喜びさえする。

それらの話を、歩きながら、ロロナはステルクから聞いていた。

隣を歩いている騎士はステルケンブルク。ステルクと呼んで欲しいと言われた。

あの、とても顔が怖い騎士である。

課題を納入しに行って、その後。アトリエに、次の課題について、連絡しに来てくれた彼は、こう言ったのだ。

護衛をしても良いと。

どういう風の吹き回しか分からない。彼は確かアーランド王国の現役騎士で、戦闘力は指折りだと聞いている。

事実、ロロナを挟んで向こう側を歩いているクーデリアは、目も合わせようとはしない。それだけ危険な使い手、という事なのだろう。

監視役なのか。

ロロナが逃げないように、見張っているのだろうか。

そんなはずはない。

だって、ロロナが逃げたところで、国には痛くもかゆくもないはず。アトリエを潰して、それだけだ。

それなら、善意なのだろうか。

それも考えにくい。確かに時々優しい言葉もかけてはくれるけれど。それなら、どうしていつも怖い顔をしているのだろう。

笑顔の一つも、これまで見ていない。

今でも、怖い顔には、足がすくみそうになる。最初のように、腰が本当に抜けてしまうことは、もうなくなったけれど。

「あ、あの、ステルク、さん」

「何かな」

「ステルクさんは、鉱山で働いたことは、あるんですか」

「ある。 戦士階級から選抜された私は、騎士として最初に此処に赴任した」

街道を歩いて行くと、見えてくる。

蟻の巣のように、穴だらけになっている大きな山が。

あれが、アーランド国有鉱山。

鉱山の周囲には、街の名残が見える。今では、宿泊施設だけが残っているが。昔は、アーランドの一部が越してきたほどの規模だったとか。

今では、労働者達が寝泊まりする施設と、医療施設。それに食事を提供する小さな生産工場だけが稼働している。

鉱山の一部で、何かが爆発する音がした。

今でも活発に、鉱山では発破を使って掘り進めているのだ。手をかざして見ているが、流石に山から煙が上がるようなことはない。

ただ、爆発の時に、地響きはあった。

勿論、今は既に収まっている。

街に入る。かっては、アーランドの闇を凝縮したような場所であったらしいのだけれども。

今では、少し寂れた、普通の街だ。

違っているのは、アーランドに比べると、やはりすすけた感じがすることか。戦士が見回りをしているが、あまり嬉しそうでは無い。職務に誇りを持っている戦士は、皆生き生きとしているものだ。

騎士もいる。

ステルクが一礼すると、挨拶を返してくる。

少し話をするという事だったので、距離を取った。こういうとき、話を聞かないようにすることは、マナーの一つだ。

「くーちゃん、何だかステルクさん、怒ってるみたいだね」

「そうは見えないわよ。 あれはきっと、ああいう顔なの」

「そうなのかな。 何だかわたし、失敗したんじゃないかと思って、気が気じゃないよ……。 怒られないかな。 怖いよ」

ロロナの不安を感じ取ったのか、クーデリアが荷物から乾燥パンを取り出してくる。

食べて落ち着けというのだ。

確かに食べていると、少しは気分も晴れる。もくもくとパンを噛んでいると、ステルクが戻ってきた。

「すまないな。 待たせてしまった」

「いいえ。 それで、これからどうするんですか?」

「まず宿を確保した後、あちらの坑道へ向かう」

労働者が働いている坑道がある中、明らかにがらんとして無人な穴がある。

そして、禍々しい気配もあった。

来る前に、話は聞いている。

既に鉱石が掘り尽くされてしまって、閉鎖された坑道。今回は、其処へ潜ることになる。掘り尽くされたとはいっても、まだロロナが錬金術で使う程度のものは残っているはずだ。今回はわざわざ危険を冒してここまで来たのだ。必ず、最低限のものだけは、揃えておきたい。

なお、稼働中の坑道は、立ち入り禁止だ。

発破を使っていることもあって、危ない。何より、労働者達は気が立っている。最大の問題は、国が管理しながら採掘作業を行っていることで、そんなところに入っていったら、邪魔になる。

閉鎖中の坑道は、今いろいろなモンスターが住み着いているという。

これは人間がいなくなったからだ。

人間がいない坑道であっても、モンスターにはむしろ住みやすいし、独自の生態系も確保できるのだろう。

宿はてきぱきとクーデリアが確保してくれた。

前回の課題で、国から報奨金が出た。課題を評価して、相応の資金を出してくれたのである。

だから奮発しても良かったのだけれど。

とりあえず、最低限の宿にした。宿と言っても、戦士用の宿だが。

アーランドでは主に色宿と戦士用の宿がある。色宿は娼館も兼ねている事が多くて、ロロナは中を見たことが無い。

戦士が使う宿は、三回ほど利用したことがあるが、どれも雰囲気が似ている。静かで、何より重苦しい。二部屋だけ取って、ロロナはクーデリアと一緒の部屋にした。まあ、当然の話で、ステルクも文句は言わなかった。

宿で荷物を整理すると、すぐに鉱山に出向く。

見張りの戦士が見えてきた。

かなり殺気立っている。少し前にも暴動があったとかで、彼らは鬼のような形相で、往来をにらんでいた。

暴動があった後は、こういう無人の廃坑道に逃げ込もうとする者がいるらしい。そういう者達を通さないようにするためにも、見張りが必要なのだとか。

ステルクに促されて、一歩を踏み出す。

入り口を見張っていた戦士に、ステルクが何か話すと、通してくれた。さすがは元関係者だ。

トロッコを通していただけあって、中は通路があって、通りやすい。荷車を引いていくことも難しくない。

ただ、空気が、異様にひんやりしていた。

小さな鉱石が、辺りにはたくさん転がっている。割られたり砕かれたり。坑道の地図は、ステルクに言われて、途中で購入した。現在稼働中の坑道の地図は勿論国家機密だが、廃棄坑道なら大丈夫だ。

蝙蝠が飛び交っている。

大きな足跡があった。見た感じ、ドナーンのものだろう。

ドナーンは狼と並んで、この辺りにはたくさん生息しているモンスターだ。二本足で立って歩く肉食性の蜥蜴で、動き自体は早くないが、とにかくタフ。子供の戦士の訓練相手として、この辺りでは放し飼いにされている場所も多い。背丈はかなり高く、大柄なステルクよりも更に大きい。

ドナーンも住み着いているのか。

それだけじゃない。

この坑道には、近頃悪魔と呼ばれる生物も出現すると聞いている。ステルクが来てくれて、実のところほっとしている。クーデリアとイクセルだけでは、或いは力不足だったかも知れない。

クーデリアは、自分の力が足りないと悩んでいるようで、それがロロナには痛々しい。事実上前衛を彼女一人でやっていたのだから、苦労は当然なのに。一緒に、強くなって行きたいのに。

路が枝分かれする。

「右手は行き止まりだが、かっての採掘空間がある。 まだ鉱石が残っているかも知れないな」

「じゃあ、そっちから行ってみましょう」

「ピッケルが必要よ。 準備はしてきた?」

青ざめるロロナに、クーデリアが呆れながら、荷物からピッケルを取り出してみせる。

手際が良くて助かる。

本当に、ロロナがどういう失敗をするか、クーデリアは分かってくれている。

坑道が、上り坂になる。

路の左右は木板で補強されていて、トロッコの線路が床には通されている。丁度線路と荷車の車輪がちょっと大きさが違うので、線路の間を通すと、スムーズに行ける。ちょっと傾斜がきつくなってきた。これは行きよりも、帰りが大変かも知れない。

黙々と荷車を押す。

ステルクが、剣に手を掛けた。

どうやら、何かがいるようだった。戦闘があるのは、当然最初から想定していたから、今更驚かない。

奥には、ドナーン数体が、固まって此方を見ていた。

巣があって、卵を抱いているドナーンがいるようだ。もしも巣に近づけば、一斉に襲いかかってくるだろう。

ドナーンは小型のドラゴンのように勇ましくて格好良い姿をしているけれど。

それが故に、人間を一番恐れてもいるのだ。

人間こそが、ドナーンにとって最大の天敵だ。確かサンライズ食堂でも、ドナーン肉の定食がある筈。

戦士の卵達の練習相手と言うこともあって。増えればそれだけ狩られてしまうのだから、当然だろうか。

「刺激しないようにな」

剣に手を掛けたまま、ステルクが言う。

油断していないどころか、まるで隙が無い。この人が本当に強いのだと、居住まいを見るだけで分かる。

流石に鉱山だけあって、遺跡の側とは、比較にならないほど良い素材が散らばっている。ざっと拾って廻っただけでも、充分だ。

火薬の材料には、何種類かを用いるが。この鉱山で、その全ての素材をまかなえる。ただし一番重要なフロジストンと呼ばれる物質だけは、あまりいい鉱石がない。

此処は、廃坑道なのだ。

あるのは、使い古しの道具類と、住み着いたモンスター達と。食べ残しのような、鉱石の残骸ばかり。

それでも、近場では、一番ましな場所だ。

フロジストンを見つけた。

フロジストンは赤黒い鉱石で、熱を持っている。火薬のもっとも重要な材料の一つ。ただし、これだけでは、火薬は作れない。

これにサルファーと呼ばれる、異臭を放つ物を加える必要があるのだけれど。

最近は錬金術での研究が進んだ結果、ある程度の行程を、身近な道具類でカバーできるようになってきたと、来る前に読んだ本には書かれていたし。実際、隣のお店で売られている粗悪なフロジストンを使った実験では、確かに発破を作る事が出来た。

ただし、とても実用には適さない程度の火力でしかなかったけれど。

「もっと奥に行きたいです」

「分かった。 クーデリア君も、周囲を警戒してくれるかな」

「言われなくても、そうするわ」

クーデリアが吐き捨てた。

ずっと警戒してくれているクーデリアの事だ。もっと気合いを入れろと言われたように思って、気分が悪いのだろう。

カンテラで奥を照らしながら、進む。

時々、坑道に水が溜まっていた。虹色に輝く鉱石が、結晶になっている場所もある。

お金にならないのだろうか。

ロロナの知識では、とてもではないが、判別できない。それが少しだけ、悔しかった。

今日はここまでで引き上げる。

今回は必要納入量があまり多くない。実験の目的もあって、鉱物類をたくさん仕入れようと思って、鉱山に来たのだ。

坑道を出る。

ステルクがいるので、安心かと思ったけれど。クーデリアの様子を見る限り、そうでもないらしい。

大きくクーデリアがため息をつく。

「気付いてた?」

「え? 何が?」

「ずっとあんた、狙われてたのよ。 姿は見えなかったけれど、かなり強い奴だったわ」

「え……」

ステルクが、本当だと付け加えてくれた。

一気に背筋に、寒気が走り上がった。

ロロナには、気付くことさえ出来なかった。

「おそらくは噂の悪魔だろう。 この坑道にはアポステルと呼ばれる、下等なものばかりでるらしいが。 だが、気になる話がある。 全身が紅い、グレーターと呼ばれる階級の悪魔がいるそうだ」

悪魔については、ロロナはあまり知らない。

両親に仕込まれたのは、実際に出会う可能性が高いモンスターに対する知識や、対処法なのだから。

最近、姿を見せるようになった種族、悪魔。

その正体はよく分からない。異世界の住人とか言う噂もあるらしいけれど。実際に見ない限り、何とも言えなかった。

「戦って、勝てたかしら、騎士様」

「造作もない。 此方をさっき狙っていた相手であったら、な」

「ふん……自信家ですこと」

クーデリアがわざとお嬢様っぽい言葉遣いで毒づいたけれど。ロロナは、苦笑いで精一杯だった。

帰り道、市場による。

鉱山街だけあって、鉱石を格安で売っているのだ。ざっと見るけれど、中々に良い品質のものが揃えられていた。

ただし、格安でも、なお高い。

御座を引いて、その上で鉱石を売っている店を幾つか廻ったのだけれど。確かに隣の親父さんの扱っている粗悪品のフロジストンよりだいぶ品質がマシなものが多い。その代わり、値は何倍もする。

日も暮れた。

一度、宿に引き上げる。こういった宿ではお風呂はないし、何より治安が心配だ。だから熱したぬれタオルで、体を拭くことで綺麗にする。

体を綺麗にした後は、すぐに寝る。

お風呂に入りたいけれど、そうも言ってはいられない。ベットに虱が結構いる。安い宿なのだし、仕方が無い。

クーデリアは案外平気な様子で、虱のいるベットで寝ていた。

ロロナもこれくらいは平気だ。

寝ているとき、生体魔力を高めて、微振動させる。お母さんに教わったちょっとしたテクニックである。

こうすると、虱がこっちを避けていく。

小さな虫たちも、お口やお鼻には入ってこない。

どうも体の周囲が、虫たちには耐えがたい熱さになるから、らしい。起きてからしばらくは体温がかなり高くなるようで、トップギアに持って行きやすいと、お母さんは言っていた。

ロロナはまだ其処まで出来ない。

「くーちゃん、もう寝た?」

返事はない。

ロロナも、目を閉じることにする。

隣のベットで寝ているクーデリアの息づかいが、規則的に聞こえてくる。それだけで、ロロナは随分安心することが出来た。

目を閉じて、静かにしていると、すぐに眠気が来る。

早めに引き上げて、調合に掛かろう。今回は必要量が少ない分、入念な調整が必要なのだから。

 

1、発破

 

アトリエに帰り着いたロロナは、荷物類をコンテナに格納すると、さっそく火薬について復習をはじめた。

火薬の歴史は古い。

錬金術の歴史とも、密接に結びついている。

そもそも、火薬とは何か。

それは今までの燃料とは比較にならないほどの爆発的破壊力を持つ、燃焼材の事だ。文字通りものを吹き飛ばすほどの破壊力がある。

優秀な戦士になると、この火薬よりも遙かに強力な破壊を、生身で実現することが出来るのだが。

火薬の味噌は、誰でも使えるという点にあるのだ。

現在、世界各地で普及している銃は、火薬による成果の一つ。もっとも、今の強靱な人類の前では、火薬はさほど決定的な力を見せることが出来ない。

ただし、人間の限りある力を使うのでは無くて。

火薬を事前に用意しておけば、破壊力を代用することが可能なのだ。鉱山などでは、まさにこの理屈が採用されている。

更に言えば、固い岩盤などを抜く場合、技や術を使うと、術者にも危険が及ぶ。

火薬は、遠隔操作で爆破が出来るので、その点極めて安全だ。

兵器としては、正直現時点では、優秀な戦士が持つ剣や槍には及ばない火薬だけれども。勿論、魔術師達も、火薬以上の破壊力を持つ術を展開できるけれど。

それでも、多くの使い道がある。

故に、火薬は、彼方此方で重宝されているのだ。

今回ロロナが求められている火薬は、以下の要件を満たす必要があった。

一つは、安全である事。

火薬が安全というのはおかしな話だが、これは、必要なときに、確実に爆発させられる、という意味である。

かっての時代、火薬はとにかく安定性に欠けていて、ちょっと叩くだけで爆発する事もあったという。

今回要求されているのは、たとえば。

特定の薬品を注ぐなどのトリガーを引かなければ、決して爆発しない。そんな、発破なのだ。

勿論、今までにも、そういったものは作られている。

資料を見る限り、何種類かある。たとえば強力な魔術を使って、火から保護していたり。或いは、爆発の性質そのものが、火に起因していなかったり。ただ、どれもがかなり難しい。試してみる価値はあるのだけれども。時間がいる。

次の一つは、破壊力。

今、工場で大量生産されている火薬は、とにかく火力が足りないという。

一応、鉱山では使われているらしいのだが。働いている労働者達は、かって錬金術のアトリエで生産されていたもののほうが、ずっとましだと、口を揃えているのだとか。

それは嬉しいけれど。

かっての人達の苦労を、ロロナが潰してしまっては、意味がない。

最後の一つは、利便性。

持ち運びしやすく、なおかつすぐに使えること。それが求められていた。

素材は揃えたロロナだけれど。

この三つをクリアした発破を作るという難作業に、頭を抱えていた。必要納品量は、前回の課題に比べれば、著しく少ない。

わずか五本。

だが、その五本を作り上げるのが、とても難しい。

錬金術の参考書を、何度も読み返す。

時間だけが容赦なく過ぎていく。まずは、一つずつ、はじめよう。そう思ったのは、課題開始から一週間。

鉱山から帰還して、翌日のことだった。

散々参考書を読み返して、幾つか候補になるものは見つけたのだ。ただ、それらの全てに、坑道では見つからなかった貴重な材料が必要になってくる。

場合によっては、坑道のもっと奥に行くか。

或いは、資金の全てが蒸発するのを覚悟で、鉱山街で買い求めるか。いずれの二つを選ぶしかない。

まずは最初に、簡単な爆弾から作ってみる。

錬金術の参考書で、初歩として載せられているものに、フラムと呼ばれる爆弾がある。いわゆる火のこと。

火をまき散らす、初歩の爆弾。

ようするに、火薬を成形して、扱いやすくしただけのものだ。

材料そのものは、揃っている。

まずフロジストンを砕く。その後は、中和剤を満たした釜に、フロジストンを入れる。後は、破壊力を高めるために、幾つかの薬剤を、順番に釜に入れていく。

片手に参考書を持ったまま、ロロナはゆっくりと、火薬の元を混ぜていった。冷や汗が流れる。

よく師匠は、昔の人間だったら、という言葉を口にする。

師匠は、昔の人間は、今のよりずっと脆弱だったという学説を唱えている。ロロナも、何度も何度も聞かされた。

たとえば、火薬の場合は。

今の人間なら、平気で耐えられる量でも、命をなくしてしまうとか。

銃は現在、魔術を乗せなければ、決定打にならない。ロロナだって、ライフルくらいだったら撃たれても耐えられる。

だが、昔の人間は当たり所によっては即死したとか。

にわかには信じられないけれど。ロロナをからかって言っているとは思えない。

特に怖いのが、作業中に下手をしたら指が吹っ飛ぶという脅しだった。

魔術で再生は出来るけれど、痛いし怖い。

腕が丸ごと吹っ飛びでもしない限り、魔術での再生は難しくないのだ。実際転ぶことが多かったロロナは、本物と全く変わらない差し歯を、二本も入れている。

汗が釜に落ちないようにして、ゆっくり混ぜる。

行程を進めていくと、徐々に釜の中の液体が、黒ずんでくるのが分かった。此処で、中和剤の魔力が、火薬に馴染むのを待つ。

ほぼ半日は待つ必要があるけれど。

その間、参考書を読めば良い。

それに、昼食の準備も、しなければならなかった。

以前の炭の失敗で懲りたから、それでも完全に目を離すことはしない。時々状態を見に行く。

何かしらの要素で、参考書に書かれている時間通りに出来るとは限らない。

それは、身をもって思い知っている。

ただ、これ以上中和剤を足してはいけないという説明については、良く理解した。魔力が必要以上に充填されると、それだけで起爆の要因になるのだとか。

怖い話だ。

昼食は、簡単に済ませた。

ロロナはどちらかといえば小食な方なので、狼一頭を一回に平らげるような事はない。兎だったら、二匹くらいで充分だ。

今日はパンに野菜を挟んだものを片手に、参考書を読み進めた。

もぐもぐとやっている内に、興味深い記述を見つけた。火薬の制御技術の一つだ。かなり難しいのだけれど、一つ特筆すべき点がある。

火薬は火薬のまま。

トリガーはトリガーとして。

それぞれ、作る事が出来るのだ。これは、かなり美味しいかも知れない。

無言のまま、参考書を読み進める。

勿論、時々顔を上げて、火薬の状態を見ることも忘れなかった。ロロナはあまり頭が良くないことは自覚しているから、そうやって執拗に確認作業を行う。確かに、師匠がいうように、しばらく並行での作業は出来ないだろう。

技術については、だいたい以下のような感じになる。

まず火薬については、火を付けることで爆発する、オーソドックスなものを用いる。ただし成形する必要があるが。

その成形した爆薬を、ある素材で覆う。

これは樹氷石と呼ばれるもので、普段から氷のように冷たく、冷気を発しているものだ。これによって、火薬の特性を、中和してしまうのである。

その素材を、トリガーによって、一気に消失させる。

魔力によって元々強引に安定させているものだ。逆に、崩壊のトリガーを入れれば、どうなるか。

むき出しになった火薬に、この崩壊そのものを利用して着火。

爆発させるのだ。

勿論、樹氷石なんて、手元にはない。それどころか、どうやって持ち込むかさえも、見当がつかなかった。

調べて見ると、国有鉱山で採れる。

多分鉱山街に行けば手に入るだろうけれど。隣の親父さんに聞いてみて、愕然とさせられた。

予想通りの値段どころでは無い。

親父さんはいう。

「樹氷石は取り扱いが難しくてな。 実験に用いる分も必要とするんだろ? はっきり言うけど、重さで言うと、フロジストンの何倍もするぜ」

「そんなに!」

「だって、考えて見ろよ。 運んでいるうちに、どんどん溶けて来やがるんだ。 鉱山の深部の、冷たくて環境が安定した場所でしか採れないようなものだしな」

それは、確かに難しい。

ただ、在庫はあると言う。保存方法については、氷室のように安定した場所で、隠すようにして守らなければならないけれど。

しかも、親父さんが見せてくれたのは、ほんの小さな欠片だった。

「そうだな、もし持ち帰るつもりだったら、腕が良い魔術師か、或いは錬金術師が、安定させる魔術を使わなければならんだろうよ」

「ふええ。 どうにかなるかなあ」

「まあ、頑張れや」

親父さんに肩を叩かれた。

ロロナは隣のアトリエに戻ったときには、憂鬱極まりなかった。

どうにか火薬の生成は出来た。

釜で混ぜていくうちに、徐々に形になっていく。黒い砂のような塊である。後は、魔力を失った中和剤の成れの果てのみ。

この塊をすくい上げて、乾かす。

中和剤は油のようになっていて、乾かすときもかなり早かった。後は、あまり力を入れすぎないようにして、何度か叩いて、粉状にする。

瓶詰めして、終わりだ。

勿論、こんなに簡単に作れるのは、マニュアルがしっかりしているからである。昔の錬金術師達が、実験に実験を重ねて、材料も吟味して。ようやく、此処まで簡単に作れるようにしてくれたのだ。

ロロナは、その路を、ただ後から通っただけ。

庭で実験してみたが、火力は参考書の通りか、それ以上。これならば、成形さえすれば、工場で作っているものよりは、ましな威力になる筈。もの凄い火花が上がる様子はちょっと怖かったけれど、多分成形しておけば、戦闘でも用いることが出来るだろう。

だが、条件の一つしか、満たせていない。

条件が一つ満たせれば、それで良いと言う考え方も出来るけれど。あと二つを満たさなければ、課題は達成できないのだ。

他に、何かいい手はないか。

参考書に目を通すが、妙案はない。

むしろ、思わず頭を抱えたくなるような記述が、たくさん見つかる有様だった。火薬が如何に有毒で恐ろしいか、ひたすら書かれているページもあって、夜寝られなくなりそうだった。

他にも幾つか、爆弾として使えそうなものはあるけれど。

どれも、とても難しい。

師匠はうんうん唸っているロロナを面白そうに見ているだけで、手は絶対に貸してくれない。

だが、良くしたもので。

ロロナも、アストリッドには、一切期待していなかった。たまに助けてくれるくらいで、邪魔さえしなければいい。

参考書を捨てずにいてくれただけで御の字なくらいだ。

もう一度、国有鉱山に行く必要がある。

今度は、前回よりも、もっと奥へと足を運ばなければならないだろう。それに、クリアしなければいけない問題もあった。

この間、予備で作っておいたゼッテルを取り出す。

参考書を見ながら、これに加工を施す。

樹氷石を幾つ用いることになるかは分からないけれど。少なくとも、環境が安定しているコンテナまでもたなければ、話にならない。

魔術は母に聞くのが良いだろうけれど。

今回は、参考書に、よいデータがあったので、それを用いる。幸いにも、魔力だけなら有り余っている。

詠唱しながら、ゼッテルに小さな魔法陣を書いていく。

今使っているのは、小規模な結界を作る魔術だ。つまり樹氷石を、小さな結界に閉じ込めてしまう。

温度も空気も変わらなければ、溶けない。

そう言う理屈だけれども、納得は行く。

となりの親父さんから買い取った、小さな樹氷石を、ゼッテルに包んで、様子を確認。しばらく様子を見ている限り、確かに機能はする様子だ。ただし、あまり過信は出来ないだろう。

ロロナの魔術は、攻撃に特化している。

これは、両親に教わったのが、そればかりだからだ。魔力だけなら、この国有数の魔術師である母の血を引いているのだから、相応に強い自信はあるけれど。今必要なのは、むしろ制御能力だ。

とりあえず、樹氷石はコンテナに戻す。

そして、小規模結界を作るためのゼッテルを、増やすことにした。

場合によっては、荷車もそれで改装してしまった方が良いかもしれない。軽く計算してみるけれど。

今の時点では、どうにか間に合う。

問題は、護衛の人員だ。

ロロナ一人で、あの廃坑道に行く自信は無い。クーデリアと二人でも無理。クーデリアはこの間から、もの凄く鍛えてくれているようだけれど。それでも、まだまだ無理だろう。やはりステルクに護衛を頼むほかないか。

しかし彼は現役の騎士。

そうほいほいと、何度も護衛をしてくれるとは思えない。

すぐにアトリエを出たけれど、足を止めたのは。もう夕方になっていたからだ。流石に今から城に行っても、門前払いされるだけだろう。

どうも時間の感覚がおかしくなっている。

今日はもう休むべきだ。そう結論したロロナは、小さくあくびをして、夕食の準備に取りかかった。

頭を切り換えてしまうと、どっと疲れが沸いてくる。

夕食の後は、ゼッテルに魔法陣を書き、小規模結界を作る作業に終始。幸い、ゼッテルはある程度余っている。

いずれも少し破れていたり、ちょっと染みてしまっていたり、納品には適さないと判断して、よけたものだけれど。

自分で使う分には、なんの問題もないのだから。

 

翌朝。

顔を洗って、気分を切り替えると。

鉱山に出かけるまでの作業について、もう一度おさらいをしておいた。

ゼッテルの準備は出来た。

コンテナに入って確認したが、樹氷石は痛んでいる様子も無い。結界は、それなりに効果を発揮するとみて良い。

それより今更ながらに気付いたのだけれど。

コンテナの四隅には、同じようなゼッテルが張られていた。

つまりこのコンテナは、ずっと以前から、環境安定の術式が掛かっていたのだ。今更気付くなんて、自分の注意力の低さに、ロロナはげんなりしてしまう。

一旦コンテナから出ると、荷車を改めて調べる。

車軸は問題ない。

ちょっとがたは来ているけれど、無茶な重みをかけなければ、大丈夫だ。

ゼッテルを荷台の内側に貼っていく。

そして、やっておきたい事がある。

ふたを作りたいのだ。

その蓋の内側にもゼッテルを貼って、魔法陣を書いておけば。擬似的な密閉空間が出来る。

しかし、それには、お金がいる。

ロロナが大工作業など、出来るはずもない。

もしもやるなら、隣の親父さんに頼むほかないのだけれど。見積もりを出してもらったけれど、まだ無理だ。

つまり、今やるのは、大きめのゼッテルをつなぎ合わせて、カバーにするしかないと言うことだ。

黙々と、作ったゼッテルを縫う。

非常に不格好だけれど、自分で作ったゼッテルだ。別に気にする必要もない。

クーデリアが来てくれた。

今やっていることを説明すると、彼女は頷く。

「目処が立ったのは良い事だわ」

「くーちゃんだったら、どうすると良いと思う?」

「どうするも何も、それが一番現実的なんでしょう? ただ、今回のは実験して確かめていかなければ行けないみたいだし、相当な量の樹氷石、だっけ、が必要なんじゃないのかしら」

「そうだね。 だったら、もう二回は国有鉱山にいかないと駄目かな」

やはりそうなると、ステルクに護衛を頼むほかない。

鉱山の深部に行くとなると、丸一日以上、潜らなければならないだろう。この間は何だか分からない存在に狙われてもいたようだし、一瞬でも気は抜けない。

イクセルにも声は掛けてみたのだけれど、しばらくは忙しいと言われてしまった。そうなると、やはり選択肢は残っていない。

適当なところで作業を切り上げて、ステルクの様子を見に行く。

王宮では、騎士達が忙しそうに走り回っていた。何かあったのかも知れない。以前、受付で会話した、エスティという女性騎士が話しかけてくる。

「あら、こんな時にどうしたの?」

「ええと、ステルクさんに会いに来たんですけれど。 何かあったんですか?」

「鉱山で死亡事故が起きたのよ」

背筋に寒気が走った。

話によると、廃坑道と坑道がつながってしまって、其処からモンスターが出てきたのだという。

戦士達が駆けつけて、モンスターは殲滅したが。その時には、労働者が数人食い殺されてしまっていたのだとか。

労働者達はいずれもアーランド人ではなく、周辺からの出稼ぎ達。いずれも戦士の訓練は積んでいなかったから、モンスターの攻撃にはひとたまりもなかった。襲ってきたのはいずれも下級の悪魔達だったそうだ。ただ、肉を食い散らかしたのは、後から来たドナーンの群れだったそうだが。

対処が遅れたのには、幾つか理由がある。

丁度その時、労働者達が抗議行動をしていたのが一つ。

何でも、最近導入された弁当が著しくまずいとかで、不満の声が上がっていたのだとか。暴動と言っても、労働者の代表達が、監督をしている戦士達の代表と話すというものであったそうだ。

だが、その状況で、監視が厳しくなっていたことが、逆に徒になった。

今回穴が開いた箇所は、作業をしていた辺りとは別で、それで対応が遅れる事になったのだそうだ。

ただでさえ強面のステルクが、更に怖い顔で奥から出てきた。

ロロナは全身がすくみ上がるかと思った。

「先輩、状況は」

「まだ混乱しているわ。 とりあえず穴は塞いだようだけれど、戦士達の話によると、噂のグレーター級が出たって言うことなの。 ひょっとすると、そいつが意図的に穴を開けたのかも」

「それは著しくまずいですね。 やはり私が現地に」

ちらりと、ロロナを見ると、ステルクは足早に戻っていった。

これでは、話どころでは無い。

しかも、今話を聞いている限り、かなり物騒な単語が飛び交っていた。グレーター級というと、この間聞かされた、とても強い悪魔だろう。

「で、ステルク君に何の用事?」

「それは、実はこれから、鉱山に行こうと思っていて」

「間が悪かったわねえ」

エスティが苦笑いする。

これでは、護衛を頼むどころではないと思ったのだけれど。意外にも、エスティが思わぬ助け船を出してくれた。

「どうせ今回の件で調査が入るから、同行できるように交渉してみましょうか?」

「本当ですか?」

「ただし、分かっていると思うけれど。 命の保証は出来ないわよ」

「わたしもアーランド人です。 危険は覚悟の上です」

事実、ロロナは採取地に行くときは、命を落とす覚悟くらいはしている。アーランド人は、常にしている事。

幼児の頃から、叩き込まれるのだ。

伝統的に、戦士の子供達は、ある教育を受ける。四歳になると、親に連れられて、モンスターなり野生の動物なりがいる所に出向く。

アーランド人の子供は、動物を殺す事を、親に学ぶ。

そうすることで、死の概念を理解する。

ロロナの場合は、アナグマの子供だった。お父さんが、捕まえてきたアナグマの子供を、目の前でくびり殺した。

悲鳴は、かなり長く残った。

そして、その後。縄に死体を吊して、放置する。

やってくるスカベンジャー達が、死体を貪り喰う様子を見るまでが、最初の教えだ。

これが力を使うと起きる事。

そして、その末の死。

美しいものでもなんでもない。

死んだら、全てが餌になる。

動物たちは、その理屈で生きている。アーランド戦士達も、戦いに身を置く間は、同じ理屈で生きなければならない。

怖くて、悲しくて。

でも、理解は出来た。

クーデリアもイクセルも、アーランド人であれば、同じ教育を必ず受ける。

そのあと、動物の捌き方を教わる。野外での寝泊まりの方法も。

ロロナは戦士にはならなかった。錬金術師としては半人前以下。だが、魔術師としては、いっぱしとはいかなくても。

アーランド人である自信はあった。

「よろしい。 なら、ステルク君に話は通しておくわ。 時間はそれなりに掛かるから、アトリエに戻っていなさい」

「分かりました。 お願いします」

ぺこりと一礼すると、ロロナはアトリエに戻る。

準備は、いくらでもしなければならない。

 

2、坑道の悪魔

 

ステルクは、夕方近くにアトリエに来た。

いつも以上にやはり怖い顔をしていたのは、気のせいではないだろう。

「私の調査に同行したいと言うことだが」

「お、お願いします」

この人は、獣なんかとは比較にならない戦闘力の持ち主だ。だからというわけではないのだけれど。

多分、ロロナの恐怖のツボを刺激するのだろう。

ただ、この間同行して、分かってきたこともある。やはりこの人は、クーデリアがいうように、元からこういう顔なのだろう。

笑顔を作るのが苦手なのだ。

だけれど、分かっていても、やっぱりまだ怖い。

「私の今回の調査対象では、戦闘も想定される。 場合によっては、君を守る余裕は無いかもしれないが、かまわないな」

「大丈夫です」

「ならばいい」

一応、護身用に、幾つか道具類も持っていく。

試験用に作って見た発破もその一つだ。まだ三つの要件は満たせていないから、護身用としてしか使えないのだ。

出立は翌日に決まった。すぐにクーデリアの家にも行って、同行を頼む。

夕方だから迷惑がられるかと思ったが。

どうやらクーデリアは訓練中だったらしく、訓練着のまま出てきた。額にも首筋にも汗が見える。

相当熱心に、体を鍛えていたようだ。

「分かったわ。 こっちには異存ないわよ」

「ごめんね、危ないところにつきあってもらって」

「あんたとあたしの仲でしょ」

言い残すと、クーデリアはまた訓練に戻っていった。

確かに、クーデリアがいると、とても安心できる。

アトリエに戻ると、早めに寝た。明日は早朝の出発だ。昼前には鉱山街について、即座に調査を始めるという事だから、当然だろう。

夕食も早めに済ませると、ロロナは荷台の状態をチェック。

ゼッテルは固定してあるから、剥がれることは心配しなくても良い。樹氷石に貼るゼッテルについても、今の時点では量が充分に確保できていた。

ただ、どれも不格好。

更に言うと、ロロナは魔法陣を書くのがあまり上手ではない。機能するように書けるのだけれども。

どうしてか、直線を引くのは苦手なのだ。

特徴を捉えて絵を描くのは得意なのに。どうしてなのかは、ロロナには分からない。

準備を確認した後、ベットに潜り込む。

明日は、激戦になる可能性が高い。そう思うと、分かってはいるし、そこそこ経験はあるのに。

緊張した。

朝、早くに目を覚ます。師匠は出かけているようだったので、自分だけで朝食を採った。日が出る前に、城門に。

まだ辺りは暗くて、鶏も鳴かない。

ステルクは、城門に背中を預けて待っていた。クーデリアも、既に準備万端の様子である。

予定通りの時間だから、怒られなかったけれど。

二人とも、早くから待っていたのだろうか。

クーデリアはリボルバーを開けて、弾丸の様子を確認している。ステルクは、それにアドバイスをしているようだ。

指の使い方をもう少し工夫すると、もう少し早くなると言われて。クーデリアは無言で言われたとおりにやって、確かに少し早くなっていた。

歩きながら、二人の会話を聞く。

「銃はあくまで牽制用で、本命はクーデリア君の能力そのものか」

「そうよ。 こんな豆鉄砲じゃあ、どうせモンスターには通用しないもの」

「しかしそうなると、最初から全力で敵と戦えないな。 君自身の身体能力を向上させることと、緻密な戦術の構成が必要になる」

「その通りよ。 だから、少しでも実戦を経験したいのだけど」

クーデリアは、最近暇を見ては、近くの森の奥地まで出かけていって、そちらで実戦を積んでいるらしい。

確かにロロナが見ても、動きがぐっと良くなってきているのは、努力の成果だろう。

元々力は強いのだ。

経験さえ積めば、もっとずっと強くなるはず。

ただ、近くの森に出かける度に傷だらけになっている様子は、ロロナとしては心配だった。

何かに焦っているように見えるのだ。

クーデリアが命を落としたりしたら、ロロナは悲しくて、魂が抜けたかのようになってしまうだろう。

そんなのは、絶対に嫌だ。

戦いは、死を伴うものだ。

殺し、殺されるのが戦いなのだから。敵を追い払う事で済ませられれば、それはむしろ御の字。

いつかクーデリアが、取り返しのつかない結果にならないか。

ロロナは不安で、今も会話を聞きながら、はらはらしていた。

それにしてもステルクは、銃にも詳しいのか。

騎士団は名誉的な集団だと聞いたこともあったのだけれど。何回か見かけた限りでは、充分な戦闘力を有しているように思える。考えて見れば、戦士の中から抜擢されるのだし、当然なのではあるまいか。

もし、意図的に弱いという噂を流したのだとすれば。

一体誰が、どんな目的で、そんな事をしたのだろう。

荷車を引きながら、歩く。

クーデリアはステルクとの会話を切り上げて、警戒に移った。既に街道に入っている。この辺りは、油断するとモンスターが出る事もある。

滅多にあることではないが。

だが、少なくとも、狼やアードラは、この辺りを徘徊していることが珍しくもないので、気だけは抜けない。

ちょっと気になったので、先にステルクに聞いておく。

「ステルクさんは、悪魔という存在に、あった事があるんですか?」

「ある。 あまり上級の存在とは、滅多に会わないが」

「どんな感じですか? 会話が通じるかとか、やっぱり強いのか、とか」

「そうだな。 たとえば、今鉱山で増えているアポステルのような下級は、人間の子供程度の大きさで、背中に翼が生えている。 物理的な戦闘力はたいした事がないのだが、魔術を使いこなすな」

ドラゴンなどになると、魔術を使う者がいるということは、ロロナも聞いたことがあった。知能が高いモンスターも、同様だと。

つまり、魔術を使えるくらい、頭が良い事になる。

勿論、動物などでも、無意識的に魔術の一種を使っているものはいる。ステルクが言った使いこなすという言葉から、知能は高いという判断はしたけれど。

実際は、見たことが無いのだから、何とも言えないか。

まだ日も出る前だから、街道で人とすれ違うことは、殆ど無い。

早足に急ぐ。

予定通りに、鉱山に到着しておきたい。

 

鉱山に到着し、宿を取ると。

間を置かず、すぐに廃坑道に向かった。荷車に積んであるゼッテルは確認したが、いずれも問題は無い。

ステルクは、先に来た騎士団と話をしていた。

そして、戻ってきたときには、地図を持っていた。

「現時点で、稼働中の坑道は厳重に封鎖されていて、廃坑道も何カ所か調査されているのだが。 その過程では、まだ廃坑道側から、坑道へ悪魔が侵入した経路を発見できていない」

「それを調べるんですね?」

「そうなるな。 今、候補として上がっている地点がこれだ」

この間侵入した地点から、かなり奥に潜ることになる。

正直怖いけれど。

戦闘のプロフェッショナルが一緒にいるのだし、どうにかなるだろう。だが、備えはしておきたい。

「発破を幾つか持ってきました」

「納品用ではないのか」

「ええと、納品用には要件が足りていなくて」

「そうか。 試作品という事だな」

フラムは筒状に成形した発破で、錬金術師が用いるこの手の道具としては、最初歩のものだ。

このフラムをベースにして、いろいろな爆弾を作る事が出来る。

中には、山をまとめて吹き飛ばせるほどのものもあるということだけれど。

ロロナには、まだ手が届かない。

現在、ツーマンセルやフォーマンセルに分かれて、騎士団や戦士達が、坑道の調査に入っているらしい。

労働者達は、坑道の外で固まって、酒にしている様子だ。

確かにこの状況では、危なくて仕事など出来ないだろう。現場を監督している戦士達も、働けとは口にしていない。

誰もが、不幸な事故だったと、納得しているという事だ。

ランタンに火を付けると、坑道に入る。

空気がひんやりしていた。

だが、モンスターの気配はない。騎士達が掃討していったのだろう。あのドナーンの巣は無事かと心配してしまったけれど。どうやら、無意味な殺生をしている暇はないらしく、放置されていた。

ただ、ドナーンが前よりかなり増えている。

怯えきって縮こまっている様子が、痛々しい。騎士達に、相当こづき回されたという事なのだろうか。

「ロロナ、急ぐわよ」

「うん」

クーデリアに促されて、その場を離れる。

時々、落ちている鉱石を拾う。珍しいものもたまにあったので、こういうときにはめざとく拾っていった方が良い。

警戒は、ステルクとクーデリアに任せる。

ステルクが、足を止めた。

地面に落ちている亡骸。一撃で斬り倒されている。

見た目は人間に近い。大きさは幼児ほど。ただ口の中にはびっしり牙が並んでいて、耳もとがっている。

頭には短いが角が二本。

全裸で、体色は青黒い。

「これがアポステルだ」

「先に来た騎士の人に、斬られたんでしょうか」

「いや、これはおそらく、戦士によって倒されたな」

ステルクは、騎士団全員の剣筋を把握しているという。それを聞いて、ロロナはちょっと吃驚した。

このアポステルの切り口から言って、騎士団以外の人間にやられたことは確実なのだとか。

この先には、悪魔が出る。

生唾を飲み込んだロロナは、クーデリアに聞いてみた。

「今は、狙われてる?」

「狙われてないわよ。 少なくともあたしには分からないわ」

ステルクは何も言わない。

という事は、クーデリアが言うとおり、まだ敵はいないと言うことだろうか。

カンテラで奥を照らす。

現在、幾つかの戦士や騎士のチームが、坑道の掃討作業をしているはずだ。そういった人達と鉢合わせするかと思ったのだが。

嫌なほどに静かだ。

坑道は蟻の巣のように分岐している。無計画に掘ったのではなくて、鉱脈に沿って動いた結果なのだと、ステルクは言う。

流石に此処で仕事をしていただけあって、詳しい。

「現場監督の仕事もしたんですか?」

「いや、私はあくまで護衛だった。 当時は廃坑道も少なく、住み着いているモンスターもあまりいなかった。 悪魔などが出るようになってしまっている今は、対策を進める必要があるだろうな」

たまに会話はするが。

それ以外は、基本的に黙々と歩いた。

ステルクの顔も、怖いままだ。当たり前と言えば当たり前か。このような場所で、のんきに談笑するようでは、アーランド人ではない。

何故会話を求めるのか。

怖いからだろう。

まだまだ自分は弱い。それを、ロロナは思い知らされる。こういう場所で、未熟さを感じる時には、いつも。

また、戦闘の痕があった。

壁に大きな傷跡が出来ている。魔術によるものだろう。

死体が幾つか散らばっていた。幸い、人のものはない。いずれもが、先ほどステルクが、アポステルと呼んでいたモンスターのものだ。

奥の方で、むしゃむしゃと音。

ドナーンが、アポステルの死体を、群れになって食べている。

もし戦士達が負けていたら。

ああなったのは、人の方だ。

少し奥に行くと。

十名ほどの戦士達が、集結していた。ステルクが彼らを見回して、咳払いする。

「状況報告」

「一班から三班、全員生存! 手傷小!」

「悪魔の数は」

それぞれが、十以上の数を上げた。

手際が良くて、ロロナは感心してしまう。さすがは、こういった荒くれの巣窟で、仕事をしていただけの事はある。

ステルクはてきぱきと指示を出して、戦士達もそれに従って動いた。

この先をもう少し調べて、厄介な悪魔がいるようならば、総掛かりで倒すという事になるのだろう。

グレーター級と言われる悪魔もいるらしいけれど。

それがどれほどの実力なのか分からない以上、ロロナには口出しも出来なかった。何より、この場の全員が、ロロナとクーデリアより強い。余計な口を挟む余地など、ないと言える。

「こういう場所では、大人数だと動きにくい。 少人数の組を編成して、動く事が必要になる」

「はい。 勉強になります」

「うむ……」

素直に応えたロロナだが。

やっぱり、ステルクは機嫌が悪そうだった。

 

ひんやりとした空間に出た。

目的の場所に到着したらしいと、ロロナは悟る。

広いホール状の場所なのだが、床にも壁にも霜が降りている。樹氷石が、山と積み上がっている。

こればかりは、持ち出す手段がないのだから、未だに残っているという事にも頷ける。

樹氷石は白い石で、まるまるとしている事が多い。

触るとひんやりして、どんどん溶けて行ってしまう。ただ、氷ではないらしく、とけると水ではなくて、砂利の塊になっていく。

参考書で読んだ知識だ。

荷車に、ゼッテルで包んだ樹氷石を積み込んでいく。他の鉱石も、さっきから隙を見て積み込んできてはいるが、此処が好機だ。

「急げ」

ステルクが言う。

クーデリアが拳銃を出した所からして、恐らくは客。かなり深くまで潜ってきているし、敵と遭遇する事は、おかしくもないだろう。

手近にあった、とても冷たそうな樹氷石を、急いでゼッテルで包んで、積み込む。そして、荷車そのものを、ゼッテルの封印で包み込んだ。

ゼッテルの内側には、油紙を敷いてあるし、その内側には毛皮も。少しくらい濡れても、荷車やゼッテルの封印が駄目になる事はない。

ただ、何かしらの攻撃術が直撃してしまったら、どうなるか保証は出来なかった。

「やれやれ、騒がしい事じゃなあ」

しわがれた声が、ロロナが来た方。

つまり、この袋小路の空間の、入り口の方からした。

姿を見せたのは、老人のように背中が曲がったアポステル。さっきまで、死体でしか見ていなかった悪魔。

ただしよれよれとしていて、とても弱々しかった。

姿は子供のようであるのに。

顔立ちや体の筋肉などを見る限り、一目で年老いていると分かるのだった。羽は生えているが、浮いている事さえなく、地面で杖をついている。

「会話が出来るのか」

「そりゃあそうじゃよ。 まあ、理由は御前さん達には分からんだろうがなあ」

「え……?」

「いずれにしても、人に害なす悪を、許すわけにはいかぬ」

ステルクが、剣を抜いた。

悪魔は、動じている様子が無い。

「血の気が多い若い者達が、御前さん達のワーカーを襲ったと聞いている。 だから、こんなに大規模な作戦にでたのかね」

「ああ、そうだが」

「それなら済まぬことをした。 我らはお前さん達が悪魔と呼ぶ種族の中では、もっとも非力でなあ。 こういった穴の中で、陽から隠れなければ生きては行けぬのだ」

聞いては駄目だと、クーデリアに横から釘を刺される。

確かに、会話が出来る以上、此方を騙していないとは言い切れない。

同情をさそって不意を突くのは、戦術の常套手段だと、聞かされたこともある。

「グレーター級の悪魔がいるらしいが、それもお前達の差し金か」

「グレーター級? スカーレッドの忌み子のことか?」

「スカーレッドというのか」

「あれは力ばかりが肥大した、哀れな子じゃ。 我々でも、もう制御できる存在ではないのだ」

ステルクが剣を構えるが、老悪魔は動じない。

むしろ、自分の運命を受け入れているように見えた。

「わしの首で事が済むのなら、それで許して欲しい。 若い者達の過激派は、皆お前さん達に殺されてしまったし、奥にいるのは足弱の老人や子供ばかりなのでな」

「にわかには信じられん」

「ならば、来て欲しい。 実情を見てくれれば、よく分かるだろう」

罠の可能性が高いのではないかと、ロロナは思った。

だが、ステルクはついていく。

クーデリアが、横で、小声で言った。

「罠があったばあい、噛み破るつもりよ」

「えっ……」

「戦闘発生の可能性が高いわ。 準備して」

ロロナは、あのおじいさんの悪魔が可哀想だとは思うけれど。しかし、アーランド人として、戦いについて両親に教えられて育ってもいるから、すぐに信じる事も出来ない。確かにクーデリアが言うとおりだとも思う。

フラムの準備をしておく。

退路を塞がれた場合、突破するのに必要だ。

更に、大威力魔術の準備をしようと思ったけれど。それはやめておく。こんな狭い所で放ったら、敵も味方も木っ端みじんだ。

それならば、小規模の威力を持った牽制用の術式の方が良いだろう。

実は、それが一番苦手だ。

ロロナは魔力の制御をしないほうが、むしろ戦闘では大きな活躍が出来ると母に言われていたこともある。何より、生来制御そのものの方が、苦手なのだ。

ただ、苦手とは言え、出来る。

詠唱をして、術を組んでいく。最悪の場合に備えておくのは、当然なのだから。

ステルクが足を止めた。

ゆっくり周囲を見回している。

不思議な空間についた。

曲がりくねった通路を抜けた先に、少し広いホール状の空間があった。其処には、不可思議な光景が広がっていた。

カンテラで照らして、ロロナは驚く。

小さな石が、たくさん中空に浮いている。これは、ロロナも図鑑で見た事がある。

「グラビ石!」

「この鉱山では、昔大きな塊もとる事が出来たそうだ。 ただし、鉱山から持ち出すと、あまり長い間浮力を維持できなかったそうだが」

ステルクが説明してくれた。

これはとても貴重なものだ。だが、持ち出すと駄目になってしまうというのでは、あまり多くは持って行けないだろう。

悪魔のおじいさんが振り返る。

「この石が珍しいか」

「少なくとも、我々には貴重だ」

「そうかそうか。 我らは幼い頃から、この石を食べる事によって、浮遊する力を得るのだが。 毒性が強くてのう。 大きく育つことは出来ないのだ」

更に言うと、スカーレッドのような忌み子もそれで生まれるという。

他の悪魔が来た。

よれよれのおじいさんだ。

「長老、スカーレッドは閉じ込めたぞ」

「そうか、上手く行ったか」

「死んだかは分からんが、当分は出てこられんだろう」

悪魔が、手招きする。

通路が一つ、落盤で潰されていた。

通路の向こうでは、うめき声がする。確かに、とてつもなく強烈な、禍々しい魔力を感じた。

ステルクが剣に手を掛ける。

ただ、落盤はかなり規模が酷く、簡単に岩をどかすことはできないだろう。

ステルクが、剣から手を離した。

少なくとも、この落盤の向こうに閉じ込められている者を、奇襲に活用する事は出来ないはずだ。

「此方じゃ」

落盤の向こうに閉じ込められたものは、怒りでドンドンと壁を叩いているようだった。

これでは、餓死してしまうだろう。

それを分かった上で、悪魔達は忌み子を閉じ込めた、という事なのだろう。

途中、ドナーンの死体を何体か見つけた。

不意に、カンテラの明かり。

先行していた戦士達の一チームだ。全員無事で、周囲を警戒しているのが分かった。ステルクを見ると、アーランド式の敬礼をする。

ステルクも、それに応えていた。

「状況は」

「騎士どのも、悪魔に連れられてきましたか。 連中がいうように、既に戦闘力のある個体は存在しないようです」

「確認する。 君達は、此処で待っていてくれ」

そっと影から、ロロナも奥を覗いてみる。

蟻の巣のような、鉱山の最奥。

小さな悪魔達が、固まって震えている。この鉱山では、悪魔が群れのようなものを作っていたとして、既に老幼しか生き残っていないのか。

周りにいる数名のアーランド戦士達は、誰も油断せず、周囲を警戒している。

例え奇襲を受けても、対応できるように備えている、という状況だ。クーデリアも、同じように警戒している。

ロロナは念のために、防爆用の術式を展開した。

悪魔のおじいさんが、感心したように言う。

「この国の人間は流石だのう。 その若さで、それだけの術式が使いこなせるのか」

「え、ええと……はい。 お母さんに教わりました。 後は、独学で」

「そうか。 我々の先祖も、それだけの向上心があれば、このような事にはならなかっただろうに」

先祖。

何のことだろう。

クーデリアはまだ警戒しているけれど。ロロナはこのお爺さんが、人間とは違う種族だとしても、憎めなくなりつつあった。

このお爺さんは、先ほどから殺される事を怖れずに、腹中を明かして、一族を救うことを優先している。

ステルクの気が短かったら、とっくに殺されてしまっているだろうに。それでも、立ち位置を変えていない。

老いて、先が短いから、という理由だけだろうか。

まだステルクが、周囲を警戒してくれている。

戦士達も、天井などに術式を展開して、何か仕掛けが無いか、念入りに調べている様子だ。

魔術が使える戦士は多い。

攻撃用だけではなく、補助用の魔術でも、日常では大いに役立つからだ。ロロナのお父さんも、魔術はそこそこに使いこなすことが出来る。

「かって我々の先祖は、一部の特権階級しか魔術を使えなかったものだが。 厳しい自然淘汰に生き延びただけのことはあるのう」

「お爺さん?」

「何でもない。 何か、聞きたいことはあるかの」

それは、幾つもある。まずは技術的な話が知りたい。

お爺さんは、グラビ石の保存法を知らないかと聞くと、教えてくれる。

「簡単に説明すると、グラビ石とお前さん達が呼ぶ石は、周囲の環境が変わると、力を失っていくのじゃ」

「空気や何かに触れさせると駄目、という事ですか?」

「そうじゃ。 だから保存したいのなら、周囲の空気ごと、というところかな」

それでか。何となく納得がいった。

この石を食べる事で浮遊能力を得るということだけれども。

体内の環境で安定させて、石の力を保っている、という事もあったのか。

ただ、納得がいったのと、出来るのとでは、また話が別だ。今はグラビ石を持ち帰る手段がない。

必要になったときは、準備をしてこなければならないだろう。

他にも、幾つか話を聞く。

時々話をはぐらかされたりもしたけれど。技術的な話に関しては、参考になる事が、幾つもあった。

分かっている。

お爺さんは、生き残るために、ロロナにできる限り協力しているのだ。分かってはいるけれど、その行動の根源が理解できるから、憎めない。

ステルクが戻ってくる。

「どうやら、罠はないとみて良いようだ」

「もう、そのような力はないよ、強そうな方」

「騎士どの、この者達はどうします。 確かにこの者達の案内で、廃棄坑道から坑道へつながる路は見つかりましたが……」

「ふむ、それにしても放置は出来ぬが」

悪魔のおじいさんが、挙手した。

ならば、この鉱山を、夜に紛れて離れたいと。ステルクはしばらくおじいさんを見つめていた。

「今回の件が、何故起きたか、此方からは分からない。 その説明次第だ」

「それは古い話が起因していてなあ。 まあ有り体に言うと、日の下に出て生きられるお前さん達の事を、わしらの若い者はうらやんでいるのじゃよ。 それがこじれると、憎しみにも、殺意にもなる」

「今回逃がしたことを、逆恨みする可能性もあるのか」

「わしらは、出来るだけ遠くの山奥を探すとするよ。 或いは、お前さん達がわしらをモンスター扱いしてくれれば、むしろ楽なくらいでなあ」

ステルクはしばらく考えていたが、やがて嘆息した。

すぐには決定できないという。

当然のことだろう。ロロナが此処の責任者だったとしても、同じように応えるはずだ。王様の判断が必要なのか、或いは大臣かは分からないけれど。

安易に許すとは言えない。

悪魔達は、人間を襲ったのだ。

労働者が何人か、それで命を落とした。

ロロナは現場を直接見てはいないけれど、その光景は容易に想像できる。此処にいる弱々しい老幼の悪魔達は、アーランド戦士にはとても叶わないだろうけれど。若くて魔術も使いこなす悪魔達は、話が別の筈。

戦士達に、廃坑道の何カ所かを封鎖するように、ステルクは指示。

ロロナも此処を出るように言われた。

歩きながら、ステルクが話してくれる。

「悪魔という種族は、今までは山奥や自然の法則が著しく乱れているような地域で、目撃例や遭遇例があった。 このアーランド近辺では、長らく姿が見られなかったのだがな」

「やはり、危険なんですか?」

「上級の物になると、相応に強いと聞いている。 君の両親も、確か戦ったことがあるはずだ。 報告書を読んだことがある」

ロロナの両親は、かなりの腕利きで、よく分からない国からの仕事も時々受けているはず。

あの危険なオルトガ遺跡の見張りにもついていることから分かるように、遺跡から出てくるモンスターくらいはどうにでもなるということなのだ。

帰ったら、両親に話を聞いてみたいけれど。

二人は忙しくて、滅多にアトリエに来てくれない。

いつの間にか、三人だけになっていた。

何処を歩いているのか、よく分からない。ステルクは分かっているようなのだけれど。足が震えてくるのが分かった。

悪魔はどうにかなるとしても。

此処はドナーンがたくさん住み着いている。中には、かなり巨大なものもいると言う話なのだ。

前に明かり。

戦士達の一団だ。

ほっとしたのもつかの間、ステルクと彼らの話が、とんでも無い方向に動き始める。

「大型のドナーン?」

「はい。 我々を見て逃げましたが。 あのサイズだと、未熟な戦士だと、勝てないかも知れません。 もしも労働者が襲われると、今回以上に被害が大きくなるでしょうね」

「そうか。 放置は出来ないな」

ロロナも知っている事だが、ドナーンは寿命がない。

生きている限り大きくなっていく生物なのだ。

大きくなると狙われやすくなるし、病気にもなる。それで死んでいくのだけれど。たまに、とんでも無く大きくなる者がいる。

母から聞かされた話によると、変種のドナーンの中には、ドラゴンに匹敵する戦闘力を持つ者までいるとか。

「放置は出来ないな。 私が処理していく」

「その二人を連れたままですか?」

「彼女らもアーランド人だ。 どうにかなるだろう」

「当然よ」

クーデリアは、すでに戦うつもりだ。

ロロナは冷や汗が流れるのを感じたけれど。しかし、ステルクについてきたのだ。此処で嫌だとは言えない。

危険があることも承知の上でついてきたのだ。

此処は戦場。

荷車を握る手に、心なしか力がこもった。

 

3、巨獣

 

ステルクが、無言のまま手招きした。

大人数で追うと、奥へ奥へと逃げてしまう。勝てそうに見える少人数でおびき出して、狩る。

大きめの包囲網を敷いて、他の横やりは防ぐ。

その中で、引き寄せて叩くのだ。

確かこのやり方は、アーランド人が凶猛な修羅の世界に生きていた頃、狩りの戦術の一つだったはず。

荷車は、既に隠してある。

クーデリアの隣に隠れていたロロナは、周囲をうかがいながら、通路に出る。そして、頭を出来るだけ低くして、ステルクの隣に移動。

殿軍のクーデリアは、さっきから一言も喋らない。

通路の奥。

見えた。

倒したらしい、草食の獣を、がつがつと食べている姿。尾が揺れている。あの尾が叩き付けられたら、ロロナなんて即死してしまう。

大きい。

人間大程度の普通のドナーンよりも、三倍半はある。

大型のドナーンは、火を吐いたり魔術を使う事もあると聞いているけれど。出来ても不思議では無いはずだ。

「怖いのであれば、此処に隠れていても構わないが」

「いえ、戦います」

「そうか。 ならば作戦を立てよう。 君は大威力の術式で、動きが止まったところを狙い撃ちして欲しい」

「今、撃つのは駄目ですか?」

とっくに気付かれていると、クーデリアが言う。

それはそうか。

獣はそれくらいの駆け引きは、当然する。こっちにも警戒しているはずで、攻撃を仕掛ければ即座に反撃してくるはずだ。

ドナーンが食べているのは、爬虫類のようだけれど、鹿のような顔をしている巨獣だった。かなり大きい。

おとなしい動物なのだろうけれど。

あれだけの体格になると、パワーだけでかなりのもののはず。迂闊に手は出せないはずで、あのドナーンの実力がよく分かる。

巨大ドナーンのたくましい足には鋭い爪があって、それは血濡れていた。あの爪での一撃が、致命打になったのか。

「私が攻撃を仕掛ける。 クーデリア君は、其処でロロナ君の支援防御」

「分かったわ」

「柔軟に動いて欲しい。 私に何かあった場合は、迷わず逃げろ。 この程度の獣を相手に、不覚を取るほど弱くはないから、逃げてしまって構わない」

頷く。

ステルクは、影から出ると、剣を抜いた。

ドナーンはステルクに気付いているのに、平然と肉をがつがつとやり続けている。自信が余程あるのか、或いは。

そういえば。

ドナーンの頭に、不自然な傷がある。あれは何だろう。

巨獣を仕留める際についたとしても、位置が変だ。詠唱を進めながら、ロロナは疑念を感じたけれど。

堂々と、ステルクが歩いて行く。

気を引くためもあるのだろう。ドナーンは、相変わらず獲物をがっついていた。ステルクとの距離が、縮まっていく。

不意に、静から動へ、事態が進む。

ある一線を越えた瞬間、巨大な尻尾を振り回し、ドナーンがステルクに襲いかかったのだ。口は血だらけで、凄まじい迫力だ。

ステルクは軽々と剣を振り回し、尻尾をはじき返すようにして、切り上げる。もの凄い金属音。

鱗と剣がぶつかり合って、火花が散った。

ステルクが上を見上げる。

既に、そちらにドナーンが。跳躍したのか。

踏みつぶしに掛かる巨大ドナーン。ロロナはクーデリアと一緒に場所を移しながら、詠唱を続ける。

もう少し。

後ろに、殺気。

クーデリアが即応して、噛みついてきた顎を蹴り挙げた。まだ幼体のドナーンだ。数体が、此方を半包囲している。幼体とは言っても、ロロナやクーデリアより、ずっと大きい。血走った目をしているのは、餌が欲しいからだろう。

ロロナは飛び退く。

そして躊躇なく、フラムを懐から取り出していた。クーデリアが連続して発砲し、幼体ドナーンの鱗に火花が散る。

だが、ドナーンは関係無しに突っ込んでくる。

至近距離まで引きつけておいて、クーデリアが不意に跳躍し、頭の上から蹴りつける。地面に叩き付けられる一匹。

だがそれを踏みつけるようにして、もう一匹が跳躍。

クーデリアが連射する弾丸をものともせず、体当たりを叩き込んだ。

吹っ飛ばされるクーデリア。

だが、ロロナは見ていた。

クーデリアは、吹っ飛ばされる瞬間、ちゃんと受け身をとっていた。地面に叩き付けられ、転がりながらも。ロロナに向かってくる数匹に、牽制の射撃をしてくれる。一発が目に当たり、ドナーンが怒りの咆哮を上げた。

クーデリアに、二匹が飛びつく。

地面を転がり、飛び起きたクーデリアが、閉じられる顎を寸前で避けた。もう一匹が、組み付くようにして飛びかかるが。それも、腕の中からするりと抜けてみせる。

ずっと体術が向上している。

それに、前よりも、更に冷静になっている様子だ。

ドナーンは、半人前の戦士達の練習相手として有名だけれど。数体を同時に引き受けながら、なおかつロロナに迫る奴を牽制しているクーデリアは、確実に腕が上がってきている。

きっと、半人前脱出は、もうすぐだ。

もう一匹、ロロナに向かっていた奴が、口の中に正確な射撃を入れられて、跳び上がる。既に三匹がクーデリアに躍りかかっていたけれど。これでもう一匹が、頭に血を上らせて、クーデリアへの攻撃に加わる。

ロロナに迫っているのは一匹。

地形を利用しながら、走って逃げ回る。クーデリアはまだ能力のリミッターを外せないだろう。もう少し、時間がいる。

ロロナは立ち位置を調整しつつ、フラムに火を付ける。

成形した火薬という極めてシンプルな兵器。

ロロナに追いついてきた一匹が、口を開けた瞬間。

フラムを投擲。

何か投げつけられたものを、考え無しに、ドナーンがくわえ込んだ。

次の瞬間。

爆裂したフラムが、ドナーンの首から上を、綺麗に消し飛ばしていた。

肉塊が辺りに降り注ぎ、血が飛び散る。

ロロナはすぐに次のフラムを準備。その時、クーデリアが射撃。飛び退いたのは、幼い頃に、両親に鍛えられていたから。

それでも、尻尾の一撃を、避けきれなかった。

いつの間にか、後ろに一匹回り込んでいたのだ。

杖を使って防御したけれど。

吹っ飛ばされて、壁に叩き付けられる。

息が一瞬、出来なくなった。

杖を必死に上げて、噛みついてきたドナーンの顎を、至近で食い止めた。乱ぐい歯と、荒い息づかいが、すぐ側。がつんがつんと、ドナーンは何度も顎を閉じた。ぐいぐいと、押し込んでくる。

ドナーンが、足を振り上げる。

かぎ爪が、わずかに身をそらしたロロナの首筋が、今まであったところを抉った。ドナーンのかぎ爪は、ナイフより遙かに分厚く、威力も大きい。心臓にでも刺されたら即死だ。また、蹴り込んでくる。

必死に横に体をずらして逃れるが、そうすると今度は、噛みつこうと力を入れてくる。必死の駆け引きで、冷や汗が出た。

爆発音。

火だるまになったドナーンが、吹っ飛んだのが見えた。

クーデリアが、リミッターを外したのだ。

その全身から、もの凄い灼熱の魔力が吹き上がっているのが見える。ロロナを襲っている一体も、一瞬だけそれを見て、気をそらす。

するりと、ドナーンの足の下を抜けた。

ただ、杖は持って行かれてしまった。

フラムに火を付けて、振り返ったドナーンが、杖を吐き捨てるのを見た。ドナーンの眼前に、ロロナが投げたフラムが飛ぶ。

轟音と共に、ドナーンの首がへし折れて、壁に叩き付けられた。

呼吸を整えながら、クーデリアの戦況を見る。

既に一体を片付けたクーデリアが、詠唱しながら、三体の猛攻を捌いている。あれだけの大火力だ。

リミッターを外して、すぐに一発は撃てるが。もう一発撃つには、また詠唱がいる、という事なのだろう。

ステルクは。

巨大ドナーンと、死闘の真っ最中だ。

豪快に尻尾を振り回し、噛みつきに掛かる巨大ドナーンの怒濤の猛攻を、冷静かつ確実に捌いている。

剣そのもので受け止めるのではなくて、振るう事によって弾いている感触だ。

凄い。

確かに、強い。

だけど妙だ。騎士の中でも強い人の筈なのに、妙にパワーが足りないような気がする。ただ、今それを詮索している暇は無い。

詠唱完了。杖を拾い上げると、最後の呪文の一節を完成させる。

「くーちゃん!」

言わずとも、通じる。

飛び退いたクーデリア。

ドナーン達の頭上から、ロロナの発動した光の矢が、無数に躍りかかった。或いは体を貫き、爆発し、見る間に肉片に変えていく。

力は無慈悲だ。

圧倒的な光が、全てを殲滅していく。

殺す。

焼き尽くす。

破壊し尽くす。

そして、其処に命は残らない。

光が収まり、連鎖していた爆発が、収まると。其処には、大量の死骸が、散らばっていた。

ロロナもアーランド人だ。

大威力の術式が、何を引き起こすかくらいは知っているし、使うときに覚悟だってしている。

血錆の臭いがもの凄い。

咳き込んだのは、魔力の消耗が激しかったからだ。魔力を使いすぎると、体に悪影響が色々出る。目が見えにくくなったり、風邪を引きやすくなったり。ロロナの場合は、体調が悪くなる事が多い。

ロロナは呼吸を整えながら、残心と呼ばれる構えを採る。出来れば、大威力の魔術を唱え終えた後にはするようにと、お母さんに教わった。意味はよく分からないけれど。ただ、これを行うと、少し楽になる。

今の一撃で、クーデリアに集っていたドナーンは全滅。

まだ生きて痙攣している者もいるけれど、動いて襲ってくるほどではない。だけれど、クーデリアは容赦なく、地面に倒れているドナーンに向けて引き金を引いた。炎の弾丸が、瀕死のドナーンの頭を吹き飛ばしていた。

竹馬の友の行動に、ロロナは眉をひそめたけれど。

戦士としては、クーデリアの行動の方が正しいこともまた、分かっていた。

「また威力上がった?」

「そうかな。 でも、わたしも毎日、修行してるんだよ」

「そう……」

クーデリアは服の埃を払いながら、此方に歩いて来る。

怪我はそれほど無い様子だ。ロロナも思いっきり背中から壁に叩き付けられたけれど、戦闘は続行可能。

後は、あの大きなドナーンだけ。

頷き会うと、ロロナは詠唱を開始。

クーデリアも詠唱しながら、ゆっくり歩み寄る。ドナーンが、天に向けていきなり咆哮したのは、その時だった。

びりびりと、空間が揺れるほどの威圧感。

その全身から、強烈な魔力が吹き上がりはじめる。体色が、赤色へと、変わっていく。本気になったのだ。

体が二回りはふくれあがったようにさえ見えた。

ステルクが飛び退く。

一瞬前までステルクがいた場所を、巨大ドナーンが踏みつぶしていた。ステルクは特殊な歩法を使ってかわしているようだが、その残像を、次々ドナーンが踏みつぶしている。これは、長くは保たない。

フラムを投げつける。

至近で爆発。

一瞬だけ、巨大ドナーンの注意が逸れた。

その隙に、クーデリアが、死角に回り込む。先ほどから詠唱していた、大火力の弾を叩き込むクーデリア。

巨大ドナーンの半身を舐め尽くすほどの炎が、空間に踊る。

しかし。

炎が収まると、巨大ドナーンは平然と、口を開けて咆哮した。

フラムも効果無しと見て良い。

ロロナは既に詠唱をはじめているが、大暴れするドナーンは、どんどんステルクを追い詰めて行っている。

ステルクは余裕を見せているが、それもいつまで保つか。

クーデリアが、踏みつぶされそうになる。

だが、足に向けて大火力の焔弾を叩き込んで、その隙に逃れる。ひやひやものだ。あの巨大ドナーンを倒すには、もはや方法は殆ど無い。

うなりを上げて振るわれた巨大ドナーンの尻尾が、回避が間に合わなかったクーデリアを吹っ飛ばした。

壁に叩き付けられるクーデリア。壁にはクレーター状のへこみが出来、ずり下がった跡には血がついていた。

「う、くっ……!」

クーデリアが、くぐもった悲鳴を上げた。ロロナは吊られて声を上げそうになったが、こらえる。

此処は戦場だ。

必死に敵の注意を引きつけてくれているクーデリアの努力を、無には出来ない。

無言でステルクが、巨大ドナーンの足を斬る。

今まで無敵に思えた巨大ドナーンの鱗が、数枚消し飛び、鮮血が噴き出した。剣に稲妻が纏わり付いている。

或いは、ステルクの特殊能力か。

クーデリアを食べようと大口を開けていたドナーンが、悲鳴を上げて横転。すぐに立ち上がるが、怒りの目でステルクを見ていた。

「ステルクさん!」

「策を思いついたか!」

「さ、三十秒後に、私にドナーンが襲いかかるようにしてください! それか、口を開けるようにさせてください!」

「心得た!」

今なら、或いは。

行けるかも知れない。

ロロナが新しい術を使えるようになったわけではない。しかし、手札は揃っている。

激高したドナーンが足を踏みならす度に、坑道が激しく揺れる。突進したドナーンが頭をぶつけて、落盤が起きるかと冷や冷やさせられる。

ロロナは、目を閉じた。

一か八か。

使うのは、以前黒ぷにを打ち抜いた、光の槍の術式。

ロロナが持っている術の中では、もっとも殺傷威力が大きいものだ。

ただし、あの巨体。装甲。普通に撃ち込んだのでは、駄目だ。

目を開ける。

坑道に、閃光が走る。

ステルクが、また剣に稲妻を纏わせて、振るっているのだ。やはり固有の特殊能力と見て良い。

ステルクは、雷を自由にする戦士なのだろう。

詠唱が、続く。

不意に、大きな石が飛んできて、おなかを直撃した。息が止まる。地面に叩き付けられたロロナは、目の前が真っ白になるのを感じた。

戦いの余波によるものだ。

呼吸を整えながら、立ち上がる。詠唱は、まだ続けられる。口の中に血の味がするけれど、大丈夫だ。

真っ赤になっているドナーンが、ついに口の中に炎を宿す。

ブレスか。

あれを、この密閉空間で撃たれたら終わりだ。例え熱に耐えられても、窒息死してしまう。

大丈夫、間に合う。

自分に言い聞かせながら、ロロナは印を切る。

そして、その視界の隅に。

勝利の方程式の、最後の一ピースが入った。

「おおおっ!」

雷を纏った剣を弧に振るったステルクが、躍りかかってきたドナーンを、剣圧だけで、力尽くで押し返す。

すごい。さすがは騎士。

押し返されたドナーンは、辺りの床や壁を砕きながらずり下がり、身を震わせて吼える。そして、一気に息を吸い込む。やはり、ブレスだ。余程に強く育ったドナーンという事なのだろう。

ブレスを吐こうと、口を開けるドナーン。

だが、その時。

跳躍したのは、クーデリアだった。

二つ目のリミッターを外した彼女は、ドナーンの体を蹴って天井近くまで跳び上がり、敵を見下ろしながら引き金を引く。

ドナーンも反応する。無理に体を捻り、鋭角にとがった翼で、クーデリアを切り裂こうとした。

だが、わずかに脇腹を割かれながらも、クーデリアは天井近くで、必殺の弾丸を撃ちはなっていた。

巨体が押し潰されるような圧力が、真下に向けて撃ち出される。

ロロナの所まで、空間そのものが、悲鳴を上げるような音が届いた。音の殺意が、周囲を蹂躙していく。

地面が、ドナーンを中心に、円形にへこむ。

ドナーンが、軋んだ声を上げた。

その体が、明らかに不自然に歪んでいるのが分かった。

ブレスどころでは無い。

ロロナもはじめて見せてもらった。きっと、クーデリアも実戦使用は初めての筈だ。恐らくは、範囲に発生させる圧力で敵を叩き潰すタイプの技。

更に、ステルクが、前に出る。

押し潰されようとしつつも、一気にステルクを真上から喰い破ろうとするドナーン。口の中には血と炎が、真っ赤な地獄を造り出している。牙は鋭くて、一本ずつが人の腕ほどもありそうだ。その巨大な顎が、ステルクを捕らえるかと見えた寸前。

走り込んでいたロロナが、杖を、ドナーンの口の中に向ける。

既に、詠唱は完了していた。

「ふっとべーっ!」

汗を飛ばしながら、ロロナは己に出来る最大の術式を、ぶっ放す。

視界の全てが、光に覆われたかと思った。

無防備な口の奥は、ドラゴンの急所と、いにしえから言い伝えられている。ドナーンも同様。

途切れる意識の中で、ロロナは、敵手の頭が消し飛ぶのを、見た気がした。

 

気がつくと、ロロナは寝かされていた。

吐きそうなくらいにだるい。

隣には、クーデリアが座っていた。白い背中が見える。半裸なのは、怪我の手当をしているからだろう。ドナーンの群れに集られているときにだって傷を受けていたし、何より。あの巨大ドナーンの一撃を、まともに受けたのだ。

早く、傷薬の類を作れるようになりたい。

クーデリアの小さな背中には、また傷が増えている。彼女は戦士として、戦闘で果たすべき役割をこなしているだけだけど。

やっぱりロロナは、親友が傷つくと、悲しいと思ってしまう。

そんなことを言ったら、両親には説教されるだろうし、師匠にも笑われるだろう。アーランド人らしくもない、甘っちょろい考えだと。戦場ではどこまでも非情になり、自分も含め全てを勝つための方程式にせよ。友人でも家族でも、例外ではない。基礎の基礎の教えだからだ。

それでも、ロロナは割り切れない。

根本的に、戦士には向いていないのだろう。

徐々に、意識がはっきりしてくる。

巨大ドナーンの死骸は、分解されて、運び出され始めていた。肉はそのまま食べる事が出来るし、あれだけのサイズだと、鱗も加工すれば盾や鎧になる。

クーデリアが、服を着直すと、ロロナを見た。

「起きたのなら、声くらい掛けなさいよね」

「ごめんね。 くーちゃん、痛かったでしょ? わたしがもっと早く、詠唱を出来るようになっていれば。 ううん、あのドナーンの鱗を抜けるくらい、強い術が使えれば良かったのに」

「何言ってるの。 平気よ、このくらい、何でもないんだから」

あれだけ血が出ていたのに、何でもないはずがない。

見ると、魔術師もいるようだ。或いは、回復術を掛けてもらったのかも知れない。

ドナーンの死骸が見えた。

頭から上が、綺麗に消し飛んでいる。それだけではない。体の彼方此方が、不自然に拉げていた。

とどめを刺したのはロロナの術式だけれど。クーデリアの技も、最大級の打撃を与えていたのだ。

「凄い技だったね」

「スリープショットよ。 相手を無理矢理地面に這わせるから、そう名づけたの。 実戦で使うのは初めてだったけれど、上手く行って良かったわ」

ちょっと自慢げだったので、ロロナは思わず噴き出してしまった。クーデリアはロロナの前では、子供っぽい所も見せてくれる。

何となく、それは知っていた。

ステルクが来た。クーデリアが手当をしているから、席を外してくれていたのだろう。顔は怖いけれど、紳士なのかも知れない。

「だいぶ回復してきたようだな」

「ステルクさんは、怪我をしていませんか?」

「問題ない。 あの程度の相手に、手傷を負わされるほど老いぼれてはいないさ」

まだ若々しいが、アーランド人は年老いるのが遅い。

二十代かと思っていたのだけれど。ひょっとすると、もっと年が行っているのだろうか。だが、ステルクが先手を打ってくる。

考えている事が、顔に出ているのだろう。

「生憎、まだ私は二十代だが?」

「す、すみません!」

「別に謝らなくて良い。 それよりも、動けるか? ドナーンにとどめを刺したのは君だから、貴重な素材は幾らか分けておきたい」

言われて、積まれているものを見た。

火焔袋と言われる、ブレスを吐くために必要な器官が、喉の奥から取り出されていた。これは普通のドナーンにもあるらしいのだけれど、此処まで肥大しているのは滅多にない。学者達が、ドナーンはドラゴンの下位種だと説を唱えているらしいのだけれど、その根拠の一つである。

これは凄い。

研究すれば、いろいろな事が分かるはずだ。

これに加えて、状態が良い鱗が幾つか。

言うまでも無く、この鱗はとても重要だ。小さな本ほどもある大きさで、要所に用いれば、服などを飛躍的に強化出来る。アーランド戦士の一撃は防げないかもしれないけれど、モンスターの爪や牙くらいなら、はじき返せるはずだ。

骨と、更に残っていた角。

ドナーンの頭には、二本の角がある。後ろに伸びている角は、それなりに強い魔力を帯びていて、錬金術の素材としては有用なはずだ。骨も同様。此処まで育ったドナーンであれば、かなり貴重である。

どれもかなり高い筈だ。捨て値で捌いても、相当なお値段がつくだろう。

「こ、こんなに! 本当に良いんですか?」

「君の戦果を考えれば当然のことだ。 お前達も異存はないか」

「もちろんでさ」

何人かいた戦士達も、不満は無い様子だ。

確かにそういう風習はあるけれど。ロロナがやったのは、ただとどめを刺しただけ。ずっとこの巨大なドナーンと戦っていたのはステルクだし、決定打になる一撃を撃ち込んだのはクーデリアだ。

申し訳ない気がしたが。

クーデリアが、肩を叩いてくれた。

「あたしも異存ないわよ。 あんたが戦闘で、切り札を使うところまで、冷静に動いていたの、知ってるんだから」

「普段は臆病なのに、いざというときは勇気が出せるのは立派だ。 遠慮無く受け取るといい」

ステルクも言ってくれたので、涙が出そうになった。

こんな風に、人に褒めてもらったのは、初めてだった。そして、ステルクの怖い顔が、はじめて嫌ではなくなっていた。

少し休んでから、坑道を出る。

必要な素材は揃った。貴重な情報も、予想外の収穫もあった。

酷い目にあったし、死にそうにもなったけれど。

ここに来て良かったと、ロロナは思った。

 

4、発破の作成へ

 

安定した環境の倉庫に、今回得られた素材の数々を移すと。ロロナは、休む暇も無く、資料の読み直しに入った。最後までつきあってくれたステルクが、アストリッドと顔を合わせたとき。

微妙な表情をしていたけれど。

理由は、よく分からない。師匠も何も言わなかったので、追求はしない。というよりも、その余裕が無かった。

クーデリアにも、一度帰ってもらう。

幾つか、思いついた事があるのだ。是非に試してみたい。

三つの条件を全て満たす発破を、合計で五本作る。自分で、今回の課題について、敢えて言い直す。

そして、最初から順番に見直していく。

幸い、火薬は充分に出来た。五本どころか、その十倍だって作れる。ただし今後は失敗に失敗を重ねることが確実なので、どれだけあっても足りると言うことはないだろう。

鉱山で使っている発破も、念のために見せてもらったけれど。

破壊力だけなら、正直今のフラムでも充分、上回っている。

ただし、其処で満足していてはいけない。

労働者の人にも聞いたのだけれど、威力は三倍は欲しいと言う話なのだ。

労働者階級が持ち運べる重さを考えると、今のフラム二本分程度の火薬を詰めるのが限界だろう。

そして安全性だ。

此処で、どうやらヒントが掴めそうなのだけれど。

いろいろな資料を見たが、導火線については、詳しく載せられている。昔から、錬金術師達は、発破の安全性を、色々と工夫していたのだ。

ただ、今考えている発破を完成させるには、それだけでは足りない。

樹氷石を用いる発破の図面を見る。

これを作った人は、火薬の制御技術は上手く行ったのだけれど、威力が落ちてしまったと手記で嘆いていた。

どうにか改良できないだろうか。

後期の資料ほど、作った発破の火力は上がってきているけれど。どれも一長一短。何か良い案はないものか。

とりあえず、まずは樹氷石を用いた発破を作って見る。

作って見れば、何かしらの改良が、思いつくかも知れない。

 

黙々と作業を始めたロロナを、アトリエの外からアストリッドは見つめていた。

ヒントはいくらでも与えられるが、それでは意味がない。また、足を引っ張るのも、今は適切では無い。

八年掛けて仕込んだのだ。

これくらい、自力で突破してもらわなければ困る。

脅かしておいたおかげで、クーデリアも実力を随分と引き上げた。ロロナを守る直近の盾としては、充分な性能になっていると言える。

だが、まだまだだ。

今日は会議には出ない。

危険性が高い実験をロロナがする場合は、近場で見守る事にしている。あれもアーランド人だし、発破の誤爆くらいでは死なないけれど、万一のこともある。

しばらく見ていると、樹氷石を用いた発破を作り始めた。

まずゼッテルを加工して、魔法陣を書く。其処の間に、細かく砕いた樹氷石を挟み込む。そして成形した火薬を包み込んで、導火線を通す。

こうすることで、衝撃を樹氷石が防ぎ、なおかつ火器もシャットアウトする。

問題は、その後だ。

この障壁が、かえって爆破を弱めてしまう。

解決法は、アストリッドの頭の中にはある。

だが、ロロナには教えてやらない。あれなら、自力で思いつくはずだ。

ロロナは幾つか試作品を作った後、頭を抱える。

まだまだ、思いつくには時間が掛かりそうだが。その苦悩している様子を見ると、とても可愛らしくてときめく。

もっと苦しんで欲しい。

アストリッドにとって、ロロナはほぼ唯一、心を許せる人間だ。そんな大事な相手に、こんな歪んだ愛情しかぶつけられないアストリッドは。

自分が病んでいることも。

歪んでいることも。自覚はしていた。

ロロナが手を休めた。そして寝台に移動して、眠りはじめる。そろそろ仕事に向かうべき時だろう。ステルクが近づいてきたので、アストリッドは小さくあくびをした。相も変わらずの強面のまま、ステルクは気配を消しているアストリッドの側に来る。

「見張りか」

「ああ。 会議の様子は?」

「坑道にいた悪魔達の処分が決まった。 結論から言うと、外には出さないが、これ以上殲滅もしない」

「なるほど、モンスター扱いか」

それが適切だろう。

アストリッドはあの悪魔と呼ばれる存在の正体を知っている。王をはじめとする要人数名にも話してはある。

ただ、それを加味しても。危険である事に違いはないのだ。

「私はこれから、坑道に出向いてこの結論を、連中の長老に伝えるつもりだ」

「後はスカーレッドをどのタイミングで用いるか、だな」

「悪趣味な奴だな。 あの巨大ドナーンは、お前の仕業ではあるまいな」

「流石にそれは違う。 私もモンスターを操作する術程度は持っているが、あのドナーンは、五十年ほどかけて育っていった個体だろう。 流石にあんなものを、簡単に用意はできないさ」

これは事実だ。

ただ、アストリッドも戦闘は影から見ていたが。あのドナーン、どうも精神に異常をきたしていた様子がある。

何者かが、まだこの計画に関与しているか、或いは。

もっとマクロ的なものが、動いているのかも知れない。

スカーレッドと呼ばれたグレーター級については、近いうちに出向いて、捕獲はしておく。研究の後、計画の一端で用いるつもりだが。

それはまた別の話。

それに、悪魔の長老には、話を幾らか聞いておきたい。有用な発見があるかも知れないからだ。

「他には、何か決まったことはあるか」

「今回の課題をロロナ君が突破できたら、追加人員を投入する」

「ほう……」

「ただし、次の課題からの参戦は難しいかも知れないな。 現在調整中だ」

確かに、ロロナはもう少し人脈を広げた方が良いだろう。

あの子は誰とでも仲良くなれる才能があるが、しかしながらそれを積極的に使おうとしない。

これはアストリッドにはどうしても出来ない事なので、もったいないとしか思えない。

コミュニケーション能力は、努力でも伸ばせるかも知れないが、才能がどうしても関係してくる。

アストリッドは何事にも才能に恵まれていたが、これだけはどうしても駄目だった。

新しい人員を追加して、人脈を伸ばせば。

ロロナはもう少し、知識の幅を増やせるだろう。

「で、ステルク。 お前から見て、ロロナはどうだ」

「戦士としては悪くない素質を持っている。 今はまだ半人前だが、魔力はとても強いし、何より危地での判断力が高い。 普段は私の顔にさえ怯えるほどの臆病な所があるが、一線を越えると、判断も決断も自分で出来るようだな」

「ずいぶんな褒めようじゃないか」

「私は事実を述べているだけだが」

アストリッドも実際は同意見なので、それで構わないと思う。

後は、幾つかの話をして、情報を交換した後、分かれた。ステルクはこれから鉱山に出向いて、悪魔達の長老に話をしに行く。

アストリッドはアトリエに戻らず、街の外れでフリクセル夫妻と合流。精鋭数名と一緒に、オルトガラクセンに潜るのだ。

既に探索範囲はかなり広がっている。

幾つかの層は既に探索し尽くして、有用な情報も手に入れていた。今日はあまり深くまでは潜らず、既に調査済みの階層に入る。

敵の掃討作戦が、主な任務だ。

勿論、罠なども調べておく。

ただ、オルトガラクセンは極めて複雑な構造で、どうも地下深部から直接地上につながるルートも複数あるようなのだ。

モンスターがそれを使って地上に出てきている形跡もあるので、しっかり調べておかなければならない。

もう一度、アトリエの方を見る。

愛しい弟子は、今頃夢の中だ。

アストリッドは、その眠っている様子を思い浮かべるだけで、満足だった。

街の外れでは、既に調査チームが待機していた。

「娘の様子は?」

ロロナの父であるライアンが、開口一番に言う。アストリッドは鼻を鳴らすと、口の端をつりあげた。

「問題ない。 さあ、探索に出向こうか」

訓練された精鋭部隊が動き出す。

闇夜に紛れ、その姿は、見る間に街から離れていった。

 

(続)