常世の森にて

 

序、辺境の恐怖

 

こんな筈じゃない。

こんな事は、あり得ない。

既に大小を失禁してしまっている男は、なりふりも構わず、武器さえも投げ捨てて、逃げていた。

彼は親分と呼ばれる盗賊の頭目。

今まで暴れてきた土地では、畜生働きの限りを尽くし、多くの金品を奪い取っては豪遊を続けてきた、札付きの悪党だ。

その残虐さから、ついたあだ名は悪竜。

だが、その悪竜が。今は、まるで子犬のように、悲鳴を上げながら、逃げているのだ。

ライフルが、効かなかった。

いや、効いたのだが。少しのけぞったくらいの打撃しか、与えられなかった。

噂には聞いていた。

此処アーランドを中心とする辺境は、文字通りの魔界。住んでいる者達は、人間の形をした、別次元の生命体。

後ろで、悲鳴。

散り散りに逃げていた部下の一人が、上げたものに間違いなかった。

そして、前に立ちはだかるのは。

上品な口ひげを蓄えた、老紳士だった。髪はまだ黒いが、明らかに中年を通り越している。

本来なら、悪竜が怖れるような相手では無い。

だが。

このじじいは。

本物のドラゴンが、小便を垂れ流して逃げ出すような、常軌を逸した怪物だ。

「お前で最後だな。 私の国で、好き勝手をすることは許さぬと、事前に警告していたのに。 愚かな事だ」

「……っ!」

悲鳴は、後ろから聞こえた。

つまり此奴は、後ろで、悪竜の部下を斬った。その筈なのだ。それなのに、どうして前から現れる。

若い頃は韋駄天で鳴らした悪竜なのだ。世の中には超絶的な武勇を発揮できる達人がいる事くらいは知っているが、それでもなお、信じられない。

「案ずるな、殺しはせん」

歩み寄ってくる。

悲鳴を上げながら、隠していた、最後の武器を。ハンドガンを懐から取り出して、撃つ。一発、弾がバケモノの顔面に飛ぶ。

しかし、バケモノが、軽く剣を。

そんな時代遅れの武器を振るうだけで。金属音がして、弾かれたのが分かった。もはや、垂れ流す小便もない。

「それで最後のようだな。 いるな、エスティ」

「はいはーい、お呼びですか」

いきなり、場に別のものが現れる。

いなかった。一瞬前までは、絶対に存在などしていなかった。周囲は平原で、身を隠す場所もないのだ。

震える悪竜に、エスティと呼ばれたまだ年端もいかないように見える女は、舌を出しておどけてみせる。

「貴方の部下も、全員捕縛済みよ。 とりあえず、工場で二十年は働いてもらうから、覚悟してね」

「ひ……」

「なあに、死にやせん。 強制労働から解放される頃には、お前のようなクズでも、真人間に戻れているさ」

お前のようなバケモノが、真人間とか口にするのか。

そう言いたかったが。

口は、縫い合わされたように、動かなかった。子ウサギが、本物のドラゴン以上のバケモノを相手にしているのだから、当然だろう。

エスティとやらは。軽々と悪竜を担ぐと、苦労する様子も無く運んでいく。

どちらかといえば大柄な悪竜だというのに。此処では、小娘までもが、人間離れしているというのか。

「そういえば、エスティ」

「はいはい、何ですか、陛下」

「こ奴らの別働隊が襲撃した村はどうなった」

「どうも何も、自力で撃退しています。 当然じゃないですか。 ライフルなんかに頼ってる連中が、この地方のモンスターを相手にして生活している人達に、かなうと思っていますか? 勿論人的被害も出ていませんよ。 全部捕縛して、近場の駐屯軍につきだしてきたそうです」

背筋に寒気が走った。

ひょっとすると、自分たちは、運が良かったのかも知れない。

このバケモノどもに此処まで言わせるモンスターとやらと、もし遭遇していたら、どうなっていたのか。

やがて、中心都市アーランドが見えてくる。

予想よりも、ずっと大きな街だ。分厚い城壁に囲まれ、大きな工場が幾つも見える。それだけではない。

鉄道らしきものも通されているし、活動している人間達も、ずっと文明的だ。それに、ざっと見たところ、貧民街がない。

下ろされる。

街の側にある森の中に、悪竜の部下達が、皆縛り上げられて、集められていた。全員いる。

全員が、まるでこれから屠殺されることを知っている豚のような顔をしていた。

バケモノが、皆の顔を見回す。

「さあて、お前達はこれより貴重なこの国を下支えする労働力だ。 逃げようとしても無駄だ。 この町の人間にライフルなど通用しないし、街の外に出ても、モンスターの餌になるだけだ」

ほれと、バケモノが顎をしゃくる。

森の中から、此方をうかがっている無数の影。

人間よりも二回りは大きな、二足歩行の蜥蜴が見える。見るからに凶暴そうな奴だ。あんなのが、群れを成してうろついているのか。

分厚そうな鱗で武装している上に、子供など一呑みにしそうな顎。

「ちなみに、あれはこの地方のモンスターでは、極めて与しやすい相手だ。 毎年雑草のように駆除されている。 この地方の者達は、子供の戦闘訓練の相手として、あれを使うほどでな」

あの体格。それに分厚そうな鱗。

ライフルなど、通じそうにもない。大型のヒグマか、それ以上の戦闘力を有しているのは明らかだ。

追い討つように、バケモノが言う。

「勤務態度が悪い者は、あれが多数生息している鉱山で仕事をしてもらう。 何、お前達の代わりは貴重とは言え、いくらでもいる。 それを忘れぬようにな」

それを聞いて、泣き出す部下もいた。

悪竜はこの時。

完全に、逃げる事を断念した。

 

アーランドの城壁の上。

工場に引っ立てられていく盗賊達を見下ろす影一つ。

このアーランドで、唯一存在する錬金術師。名をアストリッドという。今日、国家からの指示で、調査していた遺跡から帰還したところだ。

流石のアストリッドでも、かなり手強い遺跡だった。ガーディアンと呼ばれる怪物が多数存在し、そいつらとの交戦で大事な眼鏡を潰されてしまった。衣服も埃まみれである。出来れば、早いところ風呂に入りたい。

ただし、苦労しただけあって、成果はあった。

以前から立てていた仮説が、調査によって、ほぼ確実な所にまで進展したのだ。だが、めでたいとは思えない。

まだ妙齢の女性であるアストリッドだが、被保護者はいる。まだ幼く、とてもではないが世の荒波に耐えられる存在では無い。彼女がこれから巻き込まれる運命を思うと、あまり心穏やかにはいられない。

遺跡の深部で見た光景も、あまり気分が良いものではなかった。

何かしらの形で、人類は一度絶滅寸前にまで追い込まれた。

何が起きたのかは分からない。

分かっているのは、ある時、とんでも無い規模の大量絶滅が発生した、という事だ。その結果、大陸全土に蟻のようにはびこっていた人間は、都市国家にまで衰退。人口は一万分の一にまで減少した。

最盛期の人類は、現在とは比較にならない文明を保持していたが。

しかし同時に、比べものにならないほどに脆弱だった。

かっては、戦場では銃火器が主体だった。だが今では、護身用にするのがやっと。

工場に引っ立てられていくあの脆弱な盗賊どもも、かっての人類に比べれば、ずっと強靱である事が明らかだ。

現在、剣や槍が主力武器の座を取り戻しているのは、人間の戦闘力が、以前とは比較にならないからである。銃器などを使うよりも、剣や槍を使った方が、遙かに強いのだ。

同様に、鎧も殆ど今では存在しない。

身につけていても、邪魔なだけだからである。

「此処にいたか、アストリッド」

「ステルクか」

横に並んだのは、強面の青年。名はステルケンブルク。長くて呼びにくいので、昔からステルクと呼んでいる。

軍事階級である、いわゆる騎士の一人。この国に存在する、何名かの国家軍事力級と言われている使い手の一人だ。

騎士と言っても、馬に跨がり、フルプレートメイルを着込んでいるというような姿ではない。

腰に剣を帯びてはいるが、着込んでいるのは宮仕え用のコートに近い意匠のスーツだ。服そのものは極めて強靱な繊維で作られているが、今の時代、道具は人間の能力に追いついていない。多少、攻撃を緩和できるかどうか、という程度の気休めに過ぎない。

若々しいが、年はアストリッドと変わらない。

また、此奴でも、この国では最強ではない。更に上の使い手が、複数存在しているからだ。

先ほど嬉々として盗賊団を壊滅させた二人が、その中に含まれている。

「王がお呼びだ。 いよいよ、計画を実行に移すときだそうだ。 これより八年を準備期間とし、その後の三年で、予定通りに計画を進めるとか」

「いよいよ来たか……」

ため息が漏れる。

師が亡くなってから、この時のために、備えてきた。

過酷な運命を、背負わせることになる。もっとも、本人はそれには、気付くこともないかも知れないが。

あれは、あまり頭が良くない。

だからこそに、適任なのかも知れない。

これはアストリッドの持論だ。

中途半端な普通の人間には、極められない。天才か、極端な馬鹿こそが、錬金術の極みに昇ることが出来る。

あれは、後者だ。

師の悲劇は、未だにアストリッドの脳裏に焼き付いている。引き取ったばかりのあれを、同じ目には遭わせたくない。

年の離れた妹か、或いは娘か。

いずれにしても、可愛い事に変わりはないのだ。自分を愛してくれた師の心が、今更になってようやく理解できたのは、皮肉という他ない。

「辺境に住まう者は、決して弱者では無い」

「うん?」

「何でもない。 すぐに出向く」

先にステルクを行かせると、大きく嘆息するアストリッド。

だいたいの予想は、出来ていた。

アストリッドが育てている弟子が、十五になるまでの八年を準備期間として確保するのが、精一杯。

其処からは、本人に頑張ってもらう他無い。

さて、どこまでやれるか。

素質は充分。

後は努力するように、ひたすら足を引っ張ってやればいい。あれは叩けば叩くほど、伸びる逸材だ。

城壁の内側にある階段を下りていく。

かっての文明を少しずつ取り戻しつつある人間の街が、視界の隅々にまで、広がっていた。

とは言っても、全ては借り物。

林立する工場も、殆ど内部の技術は理解できていない。アストリッドが解析して廻っているが、それでも追いつかないほどだ。

人口を増やす過程で、労働力は確保できている。

だが、このままでは危険だ。

アストリッドは無数の遺跡を調査してきたから、知っている。かっての人類は、個としては著しく貧弱だった。だが、文明として見れば、現在とは比較にもならないほどに、強大だったのだ。

王の懸念は当然のこと。

そして、今後の人類のためにも、計画は完遂しなければならないのだ。

「周辺の人材は準備できているか」

「問題ない。 スペシャリストを用意すると、王は約束してくれている」

「環境がぬるくなる分は、私が補ってやれば良い。 いや、補うと言うよりは、足を引っ張ってやればいい、と言うのが正しいな」

「相変わらず性格が悪い。 あの事件のせいで、心身ともに発育が著しく悪いと聞いているぞ。 お前が足を引っ張って、立ち直れなくならないようになっては本末転倒だ。 もう一人の被害者も、苦しい立場にいると聞いている。 あまり無体なことはしてやるなよ」

生真面目なステルクに、分かっていると応えると。

アストリッドは、あまり良い思い出がない、自分の家。今は二人が住んでいる、錬金術のアトリエに向かった。

途中でステルクと分かれると、あくびを一つ。

まあ、なるようになるだろう。

昔から、余計な事ばかり分かってしまった。アストリッドは、自分が天才である事を子供の頃から自覚していた。

自覚したのは、いつだろう。多分物心ついた頃には、すぐに。

だが、それを幸せだと思った事は一度も無い。

それ故に、もう考える事は、極力しないようにしている。楽天的に振る舞う癖がつき始めたのは、いつ頃からだろう。

アトリエに戻る。

出迎えてくれる、あの人はもういない。

無言のまま、寝室へ移ると。何も知らず、平和な夢を貪っている、自分の弟子をアストリッドは見つめた。これから、過酷な運命を、多分何も知ること無く背負うことになる、悲劇の主を。

戦いは、既に始まっている。

毛布をかけ直してやると、アストリッドは。もう使うことも無いだろう、アトリエを一瞥だけしたのだった。

 

1、へいわなアーランド

 

目を擦りながら起きると、ロロナは大きく伸びをした。

大きすぎるベットでは、自分以外にもう一人二人は眠れそうだ。お外では、鶏が鳴いている。

怠け者の師匠は、放っておけば、いつまでも眠っている。だから、自分で起きて、働かなければならない。

まずは、水汲み。

お掃除に、洗濯。

使われることも無いだろう錬金術の道具類も、ぴかぴかに磨いて。それから、お日様が昇る頃には、朝ご飯の準備を始めている。いずれにしても、ロロナが毎日こなしているルーチンワークだ。

頬を叩くと、ベットから這い出す。

まずはお着替えをして、生命線である水を確保しなければならない。アトリエの外は大通りになっているが。幸い、アトリエのすぐ側に、共用の井戸がある。

井戸蓋の鍵を外して、水を桶に汲んでいく。

どれだけの水が必要かは、だいたい勘で分かっている。今日は四杯もあれば充分だろう。

水を汲んでいると、行き交う人々が、挨拶してくる。みんなに丁寧に礼を返しながら、ロロナは小さな体で、うんせうんせと、水桶を運んだ。

ロロナこと、ロロライナ=フリクセルは、今年で十五才になる。

錬金術師である怠け者のアストリッドと一緒に暮らしているが。師匠はあまりにも怠け者なので、基本家事の類は何もしてくれない。

幼い頃に、大きな病気をして。

それで、アストリッドに助けてもらった。

その近辺の出来事は、どうも記憶が曖昧だ。まだロロナが幼かったから、という事情もあるのだろうが。いずれにしても、アストリッドが、錬金術師らしい仕事をしたのが、ロロナの知る限りそれが最後である。それ以降、殆どアストリッドは毎日ぐうたらしていて、ほぼ何もしない。

それなのに。

以来両親は、アストリッドを素晴らしい錬金術師だと絶賛していて、ついに娘であるロロナを弟子入りと称して丁稚奉公させている。

ロロナも、昔は無邪気に、アストリッドを尊敬していたが。

今では、考えも違う。毎日ぐうたらな生活をしている上、時々ふらっと出かけて数日は帰ってこない師匠を、あまり良くは想っていなかった。生活費をどこから調達しているのかよく分からないが、どうせろくな手段ではないだろう。

それに、ぐうたらしている割に、師匠は綺麗だ。身繕いする努力を殆どしていないのに、体は理想的なプロポーションを保っているし、顔立ちも整っている。こういうのを見ると、世の中は不公平だと、ロロナは思うのだ。

お洗濯を終えると、額の汗を拭う。

師匠は放っておくと、何日でも洗濯をほったらかす。錬金術の道具の一つである鍛錬炉も、今では温度を調整して、パイやパンを焼くための存在と化していた。

それでいて、師匠はその気になれば何でも出来てしまうので、ずるい。

実際、料理の腕でも、師匠は毎日やっているロロナよりもずっと上なのだ。悔しいが、師匠が天才なのは、ロロナも認めている。

ただ、滅多にやる気を出してはくれないが。

お布団を窓から干して、叩いて埃をだす。これで、お昼を過ぎた頃には、お日様を浴びて気持ちよく眠れるようになっているだろう。

そして、パイを焼く。

生地は昨日のうちに仕込んでおいたので、今朝は焼くだけだ。お肉も良い感じになっているはずで、美味しく食べる事が出来るだろう。

ロロナはぶきっちょで、お料理も何度も失敗しながら覚えていくタイプだ。ただし、パイに関してだけは、そこそこに進歩が早い。

これは、好きだから、だろう。

パイを焼いていると、やっと師匠が起きてくる。師匠は基本的に、起こされることを極端に嫌う。

いつも寝てばかりいるくせに。

「おはようございます、師匠」

「んー。 今日は、パイか」

「はい。 もうすぐ焼けますよ」

「あー」

アトリエの隅にあるソファに、ごろんと横になる師匠。まだしっかり目が覚めていないようで、時々何か呟いている。

ロロナには関係がない事だ。

炉の様子を見ていると、丁度良い具合に、パイが焼ける時間が来た。

パイを焼くには、温度、時間、それに事前の温めが重要だ。投入する薪の量も、今では体で覚えている。

一気に、炉からパイを引き出す。

じゅうじゅうといい音を立てて、パイが焼けていた。

「わ、おいしそう!」

「パイ焼きの腕前だけは、相変わらず一人前だな」

「有り難うございます。 すぐに並べます」

師匠は、手伝う筈もない。

お皿を並べて、鍋づかみで取り出したパイを並べる。切り出したミートパイは、中まで火が通っていて、パイ生地も充分な仕上がりだ。

ろくに家事もしない師匠に対する憤りも、こんな時だけは収まる。

しばらくパイを食べていると、不意に師匠が切り出した。

「そういえば、お前を預かるようになってから、八年だったな」

「はい。 もう、八年も経ったんですね」

一瞬だけ、師匠がその時、真顔になったのだが。

なぜだか、ロロナには分からなかった。

食事を終えると、師匠はなにやら用事が出来たと言って、アトリエを出て行く。見送るが、どこへ行くかは教えてくれなかった。

食事の後片付けをすると、後は錬金術の勉強をしようと思う。

家事の合間に、少しずつ勉強は進めているのだ。師匠はあんなだし、此処は錬金術のアトリエだ。

そして、とても由緒がある存在なのだ。

ロロナも、このアトリエの由来くらいは知っている。

ずっと昔の事だ。

この地方は貧しく、強い戦士達はいたけれど、それ以外にはなんの取り柄もない土地だった。

必然的に産業は、人を売ることだけに限られた。

つまり、傭兵である。

それは不幸なのか幸運なのか分からない。アーランドの戦士達はとても強かったので、奴隷として輸出されることはなかったのだと、幾つかの本には書いてあった。しかし、それは戦争でお金を稼ぐことも意味していたはずだ。

若い男女はみんな戦争に出て行った。それはモンスターとの戦争が多かったが、人間同士の戦争も少なくなかった。アーランドだけではなく、この辺境地域全てが、そのようにして生計を立てていた。

そして、戦場で金を稼ぎ、場合によっては奴隷を捕まえて、或いは買って、持ち帰ってくるのだ。

そうすることで、国の人数を維持した。

労働力も。

当然、戦士階級と、奴隷階級の間では、歴然たる差があった。戦士階級は何をすることも許され、奴隷階級は物そのものとして扱われた。奴隷階級は当然反発し、年中熾烈な争いが繰り広げられた。内乱は日常的に発生し、街は血と死体にいつも満ちていた。

血と油の臭いしかしない世界。

殺伐とした国。

暴力のみが、支配の理として存在していた。

貧しい世の理そのものが、この国をむしばんでいたのだ。

この国の王様が、最強の武人である事を要求されるのは、暴力の時代の名残だともいう。

かって、アーランドが出来るよりもずっとずっと前には、世界は豊かだったという。だが、今の世界は、とてもそうはいえない。作物が取れる土地は限られているし、モンスターも彼方此方にたくさんいる。ちょっと足を運べば、ドラゴンに遭遇する事も珍しくない。

人間はみんな強くても、どうにも出来ない事はあるのだ。

いつの頃だろうか。アーランド王都のすぐ側に、遺跡が見つかったが。荒くれ達にはどうすることも出来ず、宝を持ち腐れにするばかりだった。

そんなときに。

旅の人と呼ばれる錬金術師が、この国を訪れたのだ。

屈強なアーランドの戦士達を連れて、錬金術師は遺跡に入った。そして、旧時代の宝である、科学と文明を、このアーランドにもたらしたのだ。

一気に生活は豊かになった。

作物は科学の力で取れるようになり、荒野ばかりだった街の周囲も緑化された。

工場が幾つも作られ、生活必需物資を輸入に頼ることもなくなった。更に、土地が豊かになり、飛躍的に奴隷階級の生活は向上。何より、奴隷階級そのものがなくなった。

錬金術師の功績は、計り知れなかった。旅の人をこの国の王にと言う話さえ、持ち上がったほどだ。

だが。

錬金術師は、どのような褒美でも出そうという王に、言った。

錬金術のアトリエを開くことを許して欲しいと。

そして、一人の弟子を育成すると、その人物にアトリエを任せ。自分は名前の通りに、再び旅に出て行ったのだそうだ。

不思議な事に。

十年以上も経っていたのに。その錬金術師は、現れたときと、全く容姿が変わっていなかったという。

ロロナも知る、この国の古いお話。

そういえば、アストリッドをまだ無邪気に尊敬していた頃。膝の上で、良くそのお話の絵本を読んでくれたような気がする。

どこまで本当かは、ロロナも知らない。

ただし、錬金術師がこの国にもたらした機械文明が、飛躍的に生活を変えたのは事実だ。実際、ロロナが知る限り、みんなこの国の人達は幸せそうに生活をしている。工場区は比較的すすけているけれど、子供達はみんなたくましく生きている。

何よりこの昔話は、ロロナにとっても、無関係な話ではない。

ロロナの両親は、どちらも昔は凄腕の戦士だったと聞いている。その割に、ロロナはあまり強くない。ただ両親から戦う術については受け継いでいる。攻撃系の魔術をある程度使いこなせるのも、その影響だ。

神話ではなく、現在につながっている事柄なのだ。

復習をした後、錬金術の勉強に入る。

アトリエの奥に安置されている、巨大な錬金釜。丸いツボのような形状をしていて、口はとても大きい。下には熱を加える複雑な機構が存在していて、師匠が時々手入れしているのを、ロロナは知っている。

ロロナが二人は入れるそれが、錬金術にとってもっとも大事な道具だ。

アストリッドが何度か教えてくれた。

錬金術は、この世の理を操作する学問だと。

本来は、普通の金属を、金に変えることは出来ない。

しかし、錬金術は、その「本来」を変えてしまう。

その結果、様々な奇跡を起こすことが出来るのだと。ただし、ロロナが教わっているような錬金術は、そんな大がかりなものではないともいう。

「本来」あるものを理解して、その先に「本来」の破壊がある。

よく分からない。

ただ、アストリッドに言われたまま実験して、出来なかった事は一度も無い。師匠はぐうたらで怠け者で、人間としてはとうてい信頼出来ないけれど。しかし、錬金術師としては、信用できる。そう思いたい。

しばらく、無言で錬金術の本を読み続ける。

このアトリエは、歴代の錬金術師が、このアーランドを支えてきた証拠。誇らしく思う。師匠にその事を聞くと、急に機嫌が悪くなるので、目の前では口に出さないが。

いずれ、自分でこのアトリエを、もう少しましな状態にしたい。

まだロロナは子供だ。結婚できるようになるには、来年まで待たなければならない。この国では、戦士は十四才から、それ以外の人間は十六才から結婚できる。つまり、ロロナは子供と言うことだ。

大人になった頃には、この閑古鳥が鳴く錬金術のアトリエを、少しはマシにしたい。

そう思って、今日もロロナは、乏しい材料を使って、実験を続けている。実験が終わった後は、機具を綺麗にすることを忘れない。

昼を少し過ぎるまで、読書に熱中していた。

アトリエには、膨大な錬金術の本がある。基礎理論はたくさん覚えた。後は応用を順番に試していきたい。

それに、まだまだアトリエの書棚の本は、半分も読んでいない。

十六になる前に、どれだけ覚えられるだろう。ロロナは目を擦りながら、昼食の準備を始めようと、腰を浮かせかけた。

アトリエのドアがノックされたのは、その時だった。

今まで、アトリエには、友達を除くと、ろくな人が来た覚えがない。その殆どが、師匠が顔を出すと、真っ青になって帰って行った。多分、悪いことをしている人達なのだろう。

容姿が怖いと言うのでは無く、雰囲気が怖いのだ。

勿論、姿が怖い人も来る。

戦士階級をしている人の中には、手足を失っていたり、顔が半分そげてしまっているような人もいる。

そう言う人を誇らしいと思うのは、この国の礼儀とされている。戦いの結果の欠損であるのだから、当然だ。

しかし、やはり怖いと思う心もあるのだ。ロロナは臆病で、そういった誇りある戦士の人達を、まだ尊敬しきれず、心の何処かで怖いと思ってしまう。

勿論、そう言う人さえ黙らせるアストリッドも怖い。

「はい、どなた、ですか」

「国からの布告を持ってきた。 中に入れて欲しい」

「ええと、国から……?」

ドアの向こうからは、友達の誰とも違う、低く落ち着いた男の人の声がした。

確かにこのアトリエは、アーランド王国でも重要な存在だった。過去形なのは、今では師匠がぐうたらなため、殆ど錬金術のアトリエとして機能していないからだ。

何だか嫌な予感がする。

しかし、国からの布告となると、開けないわけにも行かない。

ドアを開けると、立っていたのは、二十代半ばの青年。騎士団の制服である、グレーの事を着込んでいる。

問題は剣をぶら下げているという事。つまり、実戦装備だ。

この国では、騎士団はあくまで名誉的な集団と、ロロナは聞いている。実際には軍の方が戦闘力を担っていて、騎士団はあくまで少数精鋭を謳う警護役に過ぎないと。ただ、騎士団の中には何人か、強者揃いのアーランド人でさえ度肝を抜かれる精鋭がいるという。

何より、ロロナを怖れさせたのは。

青年が強面で、笑顔の一つも浮かべていないことだ。

まるで巨大な蛇ににらまれた鼠のように、ロロナは小さな悲鳴が漏れるのを感じた。

「君は?」

「は、はい! ロロナと言います! このアトリエで、暮らしています!」

「アストリッドはいないのか」

「師匠は、少し前に出かけて……」

騎士ににらまれたので、ロロナは首をすくめた。

何だか、悪いことをして、怒られているような気分になる。足の震えが止まらない。青ざめているロロナに、騎士は容赦してくれなかった。

一瞥だけすると、アトリエの中を見回す。

そして、嘆息する。

「今日来ることは、知っている筈なのだがな」

「し、師匠の、お知り合いですか」

「そうだ。 この布告を渡しておくように」

いわゆるスクロールとして処理された書物を手渡しされる。

紐の結び目には、当然のように、蜜蝋で処理された封。こんな凝った物、滅多に見たことが無い。

間違いなく、この人は王宮から来た騎士だろう。

手が震える。スクロールはずっしりと重い。紙そのものの重さではない。中心に入れられている、芯の重みだ。

終始にこりともしなかった騎士は、スクロールだけ渡すと、後は何も言わずに引き上げていった。

ドアが閉まると、ロロナはその場にへたり込んでしまう。

腰が抜けた。

上手に立ち上がれない。あんな怖そうな人、はじめて見た……わけではない。今までは、アストリッドが対処してくれた。

あれだけぐうたらだと思っていたアストリッドに、随分助けられていたことに。ロロナは今更気付いたのだった。

立ち上がろうとするが、なかなか上手く行かない。

まだがたがたと体がふるえている。本当に、恐怖から、体が動かなくなることがあるのだと、ロロナは今更に思い知らされていた。

四苦八苦している内に、ロロナは気付く。

まるで生まれたての子ウサギを見るかのような目で、アストリッドが見下ろしていた事に。

「し、師匠! いつからいたんですか!」

「ステルク……と言ってもあれか。 あの騎士が帰っていく前くらいからかな。 裏口からアトリエに戻ったのだが、楽しそうだからみていたのだ!」

「見ていないで助けてください! 本当に怖かったんですからぁ!」

とうとう我慢できずに、ロロナは泣き出してしまう。

それを見て、本当に幸せそうにしているアストリッド。酷い。いつも師匠はこうだ。ロロナが悲しんだり苦しんだりしているのを、とても嬉しそうに見ている。

ひょいとスクロールを取り上げると、惜しげもなく蜜蝋を開封し、中身を読み始める師匠。

ロロナは涙を拭いながら、それを見上げるしか出来なかった。

「ほう、こう来るか……」

師匠が楽しそうに口の端をつり上げる。

それがロロナには、悪魔の笑みに見えた。

 

翌朝、ロロナは早朝から、錬金術師の正装をさせられた。

ロロナも生活しているから、普段は工場で作られているような、カジュアルな服を着込んでいる。

食事後に、アストリッドに着せられたのは、錬金術の正装と称する服。スカートにマント、いずれもピンクでどことなくヒラヒラしていた。

なんだか恥ずかしい格好である。

特にスカートのたけが短めで、パンツが見えそうだったので、何度もロロナは裾を抑えた。

「師匠、これ……」

「私が現役の時に着ていたものの、丈を直した。 まあ、いまでも現役だがな。 しかしまあ、実に可愛いじゃないか」

ぞっと背筋に何か嫌なものが走った。

師匠は時々、中年のおじさまのような目で、ロロナを見る。

その後は、スクロールを渡されて、アトリエを追い出される。どうしてだか分からないけれど。

ロロナが王宮に行かなければならないのだとか。

一応聞かされた理論も、訳が分からない。

アストリッドが言うには、今回の布告は、アトリエの主に対して出した物だという。それなら、アストリッドが行くべきだとロロナは思う。多分、どこの誰に聞いても、同じ答えが返ってくるだろう。

しかし、アストリッドは言うのだ。

ロロナはもう十五才。自分が錬金術師として、一人前と師匠に認められたのも、同じく十五才。

それならば、そろそろ仕事を任せても良いだろうと。

とんでも無い話だ。

ロロナはまだ、一度もお客様の仕事など、任されたことがない。いきなり国の仕事を任されるなんて、無茶苦茶だ。

何とかなるかなあ。

そう呟きながら、ロロナは路を行く。

アトリエの前には、通りがある。通称職人通り。工場が拡大している今でも、すぐれた技術者が多く住んでいるという事で、戦士達や魔術師達が、よく利用する場所である。それをまっすぐに行くと、広場に。その広場の先に、アーランド王国の中枢である王宮が存在している。

ただし、宮殿としての要素はほぼない。

人が住むための仕組みがないのだ。

実際、王様は王宮ではなく、離れで暮らしているという。離れは一般の民家よりは大きいが、壮麗とか壮大とか、そういった言葉とは無縁。少し大きいだけの、普通のおうちである。

この王宮は、あくまでアーランドという国を動かすための建物。

昔は違ったらしいのだが、今では少なくともそうだ。

元々この国は、絵本に書かれているように、修羅の世界だった。一番強い者が王様になり、常に最強を示して周囲を引率しなければならなかった。

そのためには、贅沢な生活など不要だったのだ。

以前、二度ほど王宮に来たことがある。その時、アストリッドが、退屈そうにあくびをしながら、そう教えてくれた。

行き交っている人達は、みんな殺気立っている。

騎士達はむしろ邪魔に見えた。殆どの人達は、ビジネススーツを着込んだ、工場関係者に見えた。

街の外にいなければ、戦う機会はない。

アーランドでは、戦士階級が、少しずつ力を失いつつある。

代わりに力を伸ばしているのは、工場で真面目にお金を稼いでいる、ああいう労働者階級だ。

受付で周囲を見回していると、声を掛けられる。

活発そうな、短髪の女性。女性騎士の正装である、若干男性のものよりは雰囲気が柔らかいスーツを着込んでいる。ただし、腰にはきちんと剣をぶら下げているし、目つきはあまり優しくない。

「おや? 貴方は、確かアトリエの」

「あ、ひゃいっ!」

思わず、緊張で声が裏返ってしまった。

くすくすと笑いながら、女の人が説明をしてくれる。胸のプレートには、エスティと書かれていた。

「其処の門から入って、中の廊下をまっすぐ。 一番奥に謁見室があるから、その手前にいる騎士に、声を掛けなさい」

「わ、わかりました!」

緊張と恐怖で、まだひざががくがく言っている。

師匠の胆力が、こんな時は羨ましい。

言われたとおりに、廊下を歩いていると。大きな門が見えてきた。恐らくは、あれが謁見室だろう。

中に王様がいるのだろうか。

分からない。

ただ、入る事は出来なかった。門の前には、騎士が二人立っていて、目を光らせていたからだ。

「おや? 君は」

横から声が飛んでくる。

小さく悲鳴を上げそうになったのは。

其処に立っていたのは、昨日の強面の騎士だったからだ。

昨日の一件がトラウマになっているロロナは、その顔を見るだけで、腰が抜けそうになるのが分かった。

師匠が、一人でここに行くようにと言ったときに、気付くべきだったのだ。

この人に、遭遇する可能性がある事に。

「アストリッドはどうした。 迷子にでもなったか」

「いえ、その……」

ふるえながら、スクロールを差し出す。

書類への押印は、師匠に教えられながら、自分でやった。スクロールの紐の結び方まで、師匠は知っていた。

スクロールを受け取った、昨日師匠にステルクと言われていたおっかない顔の騎士は。怪訝そうにスクロールを受け取ると、その場で待っているようにと言い残して、謁見室の中に消えた。

怖くて、今にもその場を逃げ出しそうだ。

心臓が胸郭の中で、怯えた兎のように跳ね回っている。

四半刻ほども待たされた後。

ステルクが戻ってくる。

さっき以上に強面になっているような気がして、ロロナは泣きそうになった。

「だいたい事情は分かった。 君が、この仕事を受けるというのだな」

「仕事……」

「アストリッドは、具体的な内容も告げていなかったのか」

嘆息すると、ステルクは説明してくれる。

今、錬金術のアトリエを潰す計画が進行しているのだと。

 

呆然としながら、ロロナはアトリエへの帰路を歩いていた。正直、周りがよく見えない。それだけ、言われたことはショックだったのだ。

現在、アーランドはめざましい発展の中にある。遺跡からサルベージされた技術によって、次々に工場が作られ、内部で生産される物資は街を潤している。また、先進的な技術によって、荒野の緑化は進展し、森はかなり広がり、耕地も潤いを見せていた。

そんな状況である。

工場地区のさらなる拡大。

それに伴う、役立たずのアトリエの取りつぶしが議題として持ち上がったのは、当然の帰結であった。

何しろ、かって国を救った存在とは言え。

二代にわたる不摂生が祟り、今錬金術のアトリエは、ほぼ機能していないに等しいのだ。ロロナだって、それくらいは分かっている。

問題は、その先だ。

アトリエを潰さないようにするためには、活動実績を示さなければならない。

それも、これから三年間という長期にわたって、である。更に言えば、三ヶ月ごとに中間実績を示していく必要があるというのだ。

ぞっとした。

そんな作業、あのぐうたらな師匠がするわけがない。

ロロナがそれをやらされるのは、目に見えていた。

此処も商業都市の側面が、近年は強くなってきている。冷徹な実績と成果の論理で動いていることくらい、ロロナでさえ知っている。

出来なければ、アトリエは取りつぶしだ。

ロロナには実家がある。

そちらに帰れば良いという理論は。

いや、すぐに理解できた。

残念ながら、成立しない。

受付で涙目のロロナにステルクが説明してくれたのだが。

ロロナはアストリッドに養われている身。

アトリエが潰された場合、アストリッドは街を出ることになる。

ロロナも、それについて、街を追い出されることとなる。アストリッドはどういうわけか、出来が良いわけでもない弟子のロロナを溺愛している。その上、ロロナの両親は、アストリッドを全面的に信頼している。

待っているのは、明日も知れぬ、流浪の旅。

それだけは、いやだ。

アーランドは、かってはともかく、今は穏やかな街だ。ただし、アーランド王国の周辺にある、辺境諸国は違う。

今でも訳が分からないモンスターが山ほど住み着いていて、人々もとても荒々しい。

都会と言われる国々だって、戦争をしている所が珍しくもないという。

とてもではないが。

もはや、穏やかな生活になど、戻る事は出来ないだろう。あの面白い事好きの師匠のことだ。

戦争でも祭でも、何でもおもしろがって、首を突っ込んでいくのは疑いない。

「ロロナ」

名前を呼ばれた気がした。

ぼんやりとしていた意識が、引き戻される。少しハスキーなこの声は。

腰に手を当てて、じっと顔を覗き込んでいる相手が見えた。

ロロナの一番の親友、クーデリア。

未だに珍しく爵位を持っている一家の娘だ。ロロナとはいわゆる腐れ縁で、幼い頃からの親友である。

クーデリアは発育が露骨に悪いロロナ以上に背が低く、それが故に実際よりずっと幼く見える。

アーランドは、商業国家の色彩が出始めているとは言え、本質的には凶猛な戦士の国。

女性も背丈が高い場合が多く、他の国の平均よりもずっと上だと、何処かでロロナは聞いたことがあった。

ロロナもその平均よりかなり低いのだが。

クーデリアは、気の毒なほど背が低くて。故に、幼い頃から、ずっと周囲に壁を作っていた。

ロロナ以外に親友と呼べる相手もいない様子だし、休日はよく遊びに来る。

もっとも、ロロナも同年代の友達はあまり数が多くない。

アトリエ周辺の大人達にはかわいがってもらっているが、それだけだ。結局の所、クーデリアとロロナは似たもの同士、なのかも知れない。

「どうしたの。 ドブみたいに濁った目してたわよ」

「くーちゃん……」

「ちょ、どうしたの!? 誰かに虐められたとか! ふ、巫山戯た事を……!」

殺気だって周囲を見回すクーデリア。

見る間に、その目の色が変わっていくのが分かった。

彼女は小柄だが腕力がとても強くて、頭一つ以上大きな男の子を殴り飛ばして気絶させたことが一切では無い。身体能力も高くて、高い所にも平気で昇る。

しかも最近は銃と魔術を組み合わせた戦闘術を学んでいるとかで、戦士としては英才教育を受けているに等しい。

しかも幼い頃から虐められていた反動からか、非常に気が短い。

性格はロロナと正反対なのだ。

「いいなさい、誰! 手段なんか選ばない、一族まとめてブチのめしてやるわ!」

「くーちゃん、違うの。 その……」

「泣いてちゃ分からないでしょ! ほら、鼻かんで!」

高そうなレースのハンカチを差し出されたので、遠慮無く涙を拭わせてもらう。クーデリアが話しかけてきてくれた事で、少しだけ気分も落ち着いてきた。背中を撫でられながら、アトリエに戻る。

途中、ぽつりぽつりと話をしていく。

クーデリアは頭も結構良い。将来は実家を継ぐとかで、経営や難しい勉強についても、学んでいるらしいのだ。

「つまり、あの怠け者が、税の納め時って事ね」

「うん。 でも、もしそうなったら、きっとわたしもアーランドにはいられない」

ふと、気付く。

クーデリアは、さっきほど怒っていない。

彼女は気が短くて、感情を表に出しやすい。どうして怒らないのだろう。

「しっかりしなさい。 まずは役立たずでも、師匠は師匠なんだから、あの怠け者に全部話す。 錬金術師なんだから、働けって言ってみる。 一つずつ、試してみなさい」

「う、うん。 分かった。 そ、それで、その次はどうすればいいの?」

「多分、いや駄目って言われるかも知れないけど」

「やっぱり駄目なんだ!」

慌てて、ロロナの悲鳴に満ちた声を遮るクーデリア。

足早に行くように急かされた。あまり窮状を周囲に見せるのは良くないと、クーデリアは言う。

ロロナが大慌てしてすっころぶのは、この辺りの名物になっているらしいのだけれど。

それでも、やはり弱みを見せるのは、良くないとクーデリアは重ねていった。

「悔しいけど、あの怠け者は錬金術師としては優秀なんでしょう? どうにもならないとなったら、きっと働くわよ」

アトリエに、いつの間にかついていた。

涙を拭うと、アトリエに入る。

アストリッドはいない。出かけているのか、アトリエの中は、妙にひんやりとしていた。

いきなり死刑宣告を突きつけられた気分だ。ロロナはソファに座る。周囲のことを、クーデリアがてきぱきとやってくれた。

ホットミルクを入れてくれたので、口にする。

ようやく少しだけ、心が落ち着いてきた。

「騎士の人、すごく怖かった……」

「脅かされてないでしょうね」

「ううん、きっとわたしが怖がっただけ」

今になって思うが、あの騎士の人は、ロロナを脅すような真似は一度もしていなかった。顔は怖かったし、雰囲気はもっと恐ろしかったけれど。あの人は、むしろロロナを気遣うような行動さえしていた。

勝手にロロナが怯えていただけだ。

臆病で、情けない自分。

ロロナはどちらかと言えば楽天家だけれども、今日ほど自分の情けなさを痛感した日はない。

師匠が帰ってきたって、どうにかなるとは思えない。

いつの間にか、コートを掛けられていた。

「まずは落ち着きなさい。 最悪、あんたが頑張れば良いんだから」

「そんなの……」

無理と言おうとして、失敗した。

アストリッドが帰ってくるのが、見えたからだ。

うつむくロロナ。

何か、妙な違和感がある。どうしてクーデリアは、アストリッドに食ってかからないのだろう。

いつもだったら、天敵同士なのに。

悔しそうに顔を背けるクーデリア。アストリッドは、何もかも知っているかのような顔をしていた。

隣室に、クーデリアを連れて行くアストリッド。

文句も言わずについていくクーデリアを見て。やはり、ロロナは何かがおかしいと感じたけれど。

その正体については、ついに分からずじまいだった。

 

2、長い長い苦難の始まり

 

まだ感情が不安定なロロナを残して、クーデリアは隣室に移る。不快だが、仕方が無い。これは、八年も前から、準備されていたことなのだ。極論すれば、自分が生きていられるのも。

この計画の、ピースの一つだからに過ぎない。

昔、クーデリアはロロナと一緒に、大きな事故にあった。ロロナは全く覚えていないか、或いは疫病にでもかかったと思っているようだが、違う。クーデリアはしっかりと覚えている。

その時から、この悪夢は始まっていた。

自分が周囲に比べて著しく小さいことは、決して偶然ではない。ロロナの発育が悪いことだって、同じ事。

「余計な事はしていないだろうな」

冷え切った声が、上から来る。

普段、クーデリアとアストリッドは、喧嘩友達のように接している。しかしそれはあくまで偽装。

アストリッドは、ロロナに肉親に対する愛情を向けていると、クーデリアは思っている。ただし、他の人間に対しての視線が冷え切っていることも知っている。

計画に関して、アストリッドは極めて重要なポジションにいる。

クーデリアの父も計画には噛んでいるが、アストリッドは更に上の立場だ。クーデリアが余計な事をすれば、たちまちに計画からは外されてしまうだろう。

場合によっては、消される。

誰も庇う者などいない。父でさえ、保身のためクーデリアをゴミのように捨てることは疑いない。

クーデリアの兄妹は何人もいる。殆どは血も半分しかつながっていない。

この国では、武勲を著しく上げた戦士は、妻を三人まで娶ることが許される。女性も同じで、夫を三人まで得ることが出来る。父は、若い頃からえげつない戦い方で武勲を積み重ねてきた男だ。通称ベヘモット。貪欲な魔の獣を渾名とする若い頃の父と敵対することは、アーランドの凶猛な戦士達でさえ、怖れたという。

その父にとって、エリート教育をしているにも関わらず、まだ半人前以下のクーデリアなど、消耗品程度の価値しか無い。

クーデリアが死んでも、誰も悲しまない。むしろ喜ぶのが現実だ。この世に、クーデリアの居場所など、ない。ロロナの隣以外には。

「していないわよ。 あのまま心が折れたら困るでしょ」

「ならばよし。 これからも、ロロナの友人として、あの愛らしくも弱々しい心を支えてやってくれ」

「そんなこと……」

言われるまでも無い。

目も見ずに、言い返した。膝が震えているのが分かる。アストリッドとクーデリアの差は、あまりにも圧倒的だ。

父のエージェント達に訓練を付けてもらってはいるが、かろうじてロロナの身くらいは守れる程度の力しかないクーデリアと、国家軍事力級と言われているアストリッドの実力は違いすぎる。アストリッドは強者揃いのアーランドでも、ドラゴンやモンスターを含めたとしても五本の指に入るほどの使い手なのだ。

単純な戦闘能力だけの話ではない。社会に対する影響力も、英知も。何より、ロロナに対してしてやれる事も。違いすぎる。

何より。

クーデリアは、ずっと罪悪感を感じている。

ロロナは、何の疑いもなく、クーデリアの友情を信じてくれている。クーデリアだって、ロロナのことを、大事に思っている。

だが、それには。

今回の、国家的プロジェクトが、間に挟まってくる。

プロジェクトの進展次第では、瞬く間にこんな友情など、踏みつぶされてしまう程度のものでしかない。

父の元で、冷酷極まりない人間社会の論理を見せつけられているクーデリアは。己の無力さと、何より罪悪感で、いつも苦しめられていた。

「それならばよし。 いつも通りに、己の背丈を気にする可愛らしいくーちゃんのまま、アトリエから出て行って貰えるかな?」

「くーちゃんって、言うな……」

それは、きっとはじめて貰ったあだ名。

今でもそうロロナに呼ばれるのは恥ずかしいけれど。嬉しい。子供っぽい安直なあだ名だけれど。それでも嬉しいのだ。

だが、他の奴。たとえば、この冷厳な錬金術師に言われるのは、屈辱を通り越して恥辱だった。

部屋を出ると、ロロナがすがるようにこっちを見た。

クーデリアの、この世で唯一大事な人間。友達だと思ってくれている人。まるで小動物のように弱々しいけれど。

クーデリアにとっては光だ。

膝元で腰をかがめると、ロロナの目を見ながら、ゆっくり言い聞かせた。

「あんたが真面目にずっと勉強してきたこと、あたしは知ってる。 あいつは役に立たないと思うけど、あたしが出来る事はいくらでも手伝うから。 だから、諦めないで」

「うん……」

「ハンカチ、洗濯したら返してよ。 それ、お気に入りなんだからね。 あんただから貸すのよ」

アストリッドの視線が、早く出て行くようにと告げている。

クーデリアは出来るだけ音を立てずに、アトリエを出た。とうとう、この日が来てしまった。

友達ごっこは、もう終わり。

これからは、どんな手を使ってでも、ロロナを生き残らせなければならない。もしもプロジェクトが失敗でもしたら。

ロロナは、きっと。

自分が死ぬことは、あまり怖くないけれど。

ロロナが死ぬ事だけは、絶対に嫌だった。

 

クーデリアが元気づけてくれたので、ロロナは随分と心が落ち着いた。やっぱり友達は良いなと思う。

一つずつ、師匠に話す。

説明が終わると、やはりアストリッドは、予想通りの言葉を口にした。

「そうか。 がんばれよ」

「わたしが、やるんですね?」

「勿論だとも。 そろそろお前にも、錬金術師としての経験を積ませておこうと思っていた所だ。 良い機会じゃないか」

絶対に嘘だ。

にこにこしているアストリッドの様子から、ロロナはそう思う。

絶対におもしろがっている。

ロロナが苦しんだり悲しんだりする所を、アストリッドはいつも嬉しそうに見つめているからだ。

酷いと思うけれど。

アストリッドは、言い出したら聞かない。絶対に作業などするはずがない。

「そうだな。 課題がどうなるかは分からないが、まず近辺で錬金術の素材が取れそうな場所については、教えておいてやろうかな」

地図を持ってくるアストリッド。

人口八万のアーランドの周辺には、緑化政策で、幾つかの森が出来ている。歴代の錬金術師達が育て上げてきた、大事なものだ。

工場で食糧を生産するにしても、材料がいる。

周辺にある小さな村などでも家畜を生産しているが、それだけでは足りない。この森の中は敢えてモンスターが放し飼いにされていて、強靱な生命力が保たれるように調整されている。

勿論、戦士の卵である子供達も、最初はここで鍛えることになる。

たまに子供では手に負えないモンスターも出てくるそうなので、そういうときに備えて、常に腕利きが巡回しているそうだ。

「此処なら、ある程度は安全だろう。 くーちゃんでも連れて、行ってくるといい」

「他には、何かありませんか?」

「他の採取場所というと、オルトガ遺跡くらいか」

背筋に寒気が走った。

その名はよく覚えている。というよりも、アーランド人に知らない者はいないだろう。錬金術の伝説とも関係が深い。

この遺跡こそ、かっての機械文明の遺産を生産している場所だ。つまり、アーランド発展の礎とも言える。

遺跡自体は、アーランドからも見える。城壁に上がると、更にくっきりと、その姿形が分かるほどだ。

今では、掘り尽くされてしまっていて、新しい機械は見つからない。

しかし、遺跡の周りには、かって作られた足場がまだ残っている。この足場の辺りには、森から上がって来たモンスターが住み着いているので、危ない。

あの時も。

本当に、怖かった。

「こっちは鉱物素材の宝庫だな。 ただし、絶対に地下には行くなよ」

「地下?」

「オルトガ遺跡の地下には、腕利きしか侵入が許されていない空間があってな。 いわゆるダンジョンという奴だ」

これまた、ぞっとする話だ。

此処アーランドで、腕利きしか入れないという事は、それこそ人外の魔境である事を意味している。

どんなモンスターがいる事か、想像も出来ない。

ロロナやクーデリアなんて、それこそ入ったら、瞬く間に骨にされてしまうだろう。絶対に行きたくない。

「まあ、地上部分だったら、お前達でも大丈夫だろう。 足場は頑丈に作られているが、足を踏み外さないようにだけはしろ」

「師匠は、他には何もしてくれないんですか?」

「するか。 面倒くさい」

これだ。

だから、聞くのはいやだったのだ。

ロロナが消沈しているのを満足そうに見やると、アストリッドは、参考書を何冊か見繕ってくれた。

今までロロナが読んでいたものよりも、更に難しいものばかりだ。

だが、今までのものは、言葉の本で言うと単語だけが書かれているようなもの。錬金術の基礎の基礎。

此処からは、応用にも手を付けていかないと、話にならない。

一年分の勉強が、全部前倒しになる。

頭がぐるぐるして来た。本当に、何から手を付けて良いのか分からない。いきなり難しい課題がきたら、全てが終わってしまう。

こんな時でさえ、師匠は家事などしてくれるはずがない。もうろうとした頭で、師匠の分の夕食も造りながら。ロロナは、更にとどめを刺すような言葉を聞かされた。

「ああ、そうそう。 お前はパイが好物だったな」

「はい、大好きです」

「ならば禁止だ」

「へ……」

アストリッドは、固まったロロナに、とてもまぶしい笑顔を浮かべたまま、非情の宣告をするのだった。

まるで悪魔だと、ロロナは思う。

「パイを作りたければ、錬金術で作れ」

「錬金術で、パイ……!?」

「さほど難しい事じゃあない。 料理は錬金術と通じる要素がある。 それに、だ。 そのパンだのパイだの焼くのに使っている炉も、そろそろ本来の使い方をしなければならないからな」

ショックだ。

パイは唯一、ロロナが他人に自慢できるものだ。料理としても、売り物になると、幼なじみの料理人見習いに言われている。

ただ一つの趣味といってもいい。それなのに。こんな扱いを受けるのは、いくら何でも不当すぎる。

「泣くな。 錬金術を使えば出来る事だ。 丁度いい勉強になるじゃないか」

「し、ししょー!」

「禁止だ」

そう言われると、もう何も出来ない。

夕飯をたいへん美味しそうに食べるアストリッド。勿論、後片付けなど、全部ロロナ任せだ。

その日、ロロナは眠れなかった。

確か、あの怖い騎士の人は、明日来るとか言っていた。その時、課題の話をしてくれるという。

あのおっかない人と直接会う事でさえ、怖くて仕方が無いのに。

クーデリアは、諦めないようにと、言ってくれた。

その言葉を信じたい。

だが、どうしても怖くて怖くて。ロロナは、ぎゅっとお布団の中で、身を縮めるしかなかった。

 

翌日。

予告通りに、朝。あのおっかない顔の騎士が来た。

ロロナは昨日と同じように、アストリッドに正装をさせられて、待っていた。いつもより、ずっと時間が長く感じて。いい加減ぐったりしはじめていた頃に、ステルクというあの騎士が来る。

「どうした、眠れていないのか」

「はい。 どうも緊張して……」

騎士は相変わらず、にこりともしない。ずっと鋭い目でこっちを見ている上に、とても怖い顔なので、ロロナはもう生きた心地がしなかった。

ただ、今どうも優しい言葉を掛けてくれたような気はする。

気のせいかも知れない。いや、そうではないだろう。この人は、昨日も、気遣いを見せてくれていたのだ。

「それでは課題だ。 錬金術に関しては、我々も専門家ではないからな。 まずは現在の力量を見せてもらおうと言うことで、簡単なものを用意した」

そうして指定されたのは。

紙の作成だった。この地方では、ゼッテルと言われている。

言うまでも無く、紙は貴重な存在である。

とくに、錬金術で作った紙は、大量生産したものとは違って、魔術を込める事も出来るし、様々な福次効果を期待出来る。スクロールの材料にも用いられるはずで、特にたまに師匠が作っているゼッテルは、高く売れている様子だった。ロロナが知っている、数少ないアストリッドの収入源である。

幸い、ロロナも作り方は知っていた。

もう一つは、炭の作成である。

炭など、単に木を燃やせば出来ると思う者もいるかもしれないが、違う。

此処で言っている炭というのは、工業用に用いる燃焼材としての炭だ。普通に木を火に入れただけでは出来ない。

此方は炉を使えば作る事が出来る筈。ただし、師匠が言うように、そうやって炭を作り始めると、まずパイどころではなくなるだろう。

此方に関しては、勉強しなければならない。

存在は知っているが、作り方はよく分からないからだ。

そして、最後の一つ。

研磨剤。

これを錬金術で作る事が出来るとは思わなかった。確か、ものを研ぐときに使う粉だ。ロロナも生活している過程で使っているが、いつも工場で作られて、街で売っているものを利用している。

此方に関しては、錬金術で作れるとはじめて知ったほどだ。これからしっかり勉強しなければならないだろう。

まだ、錬金術は、何も知らない。

それを、課題を見た瞬間に、思い知らされてしまう。まだ初歩の初歩。足を踏み入れたばかりなのだと。

「これを、三ヶ月以内に、これだけ納品するように」

「え……」

提示された分量を見て、目を剥いた。

これはちょっとやそっとの量ではない。三ヶ月で実施するのは、あまりにも厳しい量だ。少なくとも、今日からは寝る暇も無くなると見て良い。

「こ、ここ、これを一人で!?」

「おかしなことを言う。 今までの歴代錬金術師達は、これくらいの量を毎月捌いていたそうだ。 三ヶ月であれば、簡単にこなせると私は判断したのだが」

そうか。

一人前の錬金術師であれば、それくらいはできていたのか。アストリッドを基準に考えていたから、どうにも納得が出来なかったが。

それならば、やるしかない。

言われるままに、書類を受け取る。

騎士は難しい顔のまま、アトリエを出て行った。アストリッドは今までどこにいたのか、騎士が帰ると姿を見せる。

「やれやれ、相変わらず愛想のない男だな」

「師匠、手伝ってくれないんですか?」

「こんな簡単な課題、自力でこなせ。 もし出来なかったら、押し入れの刑だ」

「ひ……!」

幼い頃の事だ。

ロロナが一番怖れていたのは、押し入れに閉じ込められることだった。他の場所では、空井戸に閉じ込めることもあったという。

暗くて、狭くて。

頭がおかしくなりそうになる。

今でも、恐怖は体に染みついていた。

「いずれにしても、今日からはのんびりしていられないぞ。 まあ、せいぜい計画的に、時間を過ごすんだな」

本当に、全くもって、他人事。

アストリッドは出かけて来るというと、それきりその日は、アトリエには戻ってこなかった。

勿論、もうロロナも、師匠には期待していない。

自分でやるしかないのだ。

まず机につくと、炭について調べていく。

炭は基本的に、物体を不完全燃焼という形で焼くと、出来るのだと資料にはあった。単純に言うと、燃やすのではなく、焼くのだ。

この過程で、錬金術による技法を用いる。

錬金術では、術者に限らず、魔力が絶対に不可欠だが。幸いにも、ロロナは魔力だけに関しては、人並み外れていると師匠にも褒められていた。実感は無いのだが、確か七才の頃には、相応の攻撃系魔術が使いこなせていたはずである。

蒸して焼き上げたあと、様々な処置をこなすことで、どうにか炭ができあがる。過程はかなり複雑で、ロロナは何度も頭を抱えそうになった。ただし、そうしてできあがる炭は、工場で作るものとは根本的に品質が異なる様子だ。

或いは、売り物になるかも知れない。

そして、研磨剤だが。

研磨剤は、さほど難しくない。手作業で、延々と作っていく事になる。

材料は、オルトガ遺跡近辺にいくらでも転がっている、フェストという石だ。これを砕いて、乳鉢ですりつぶしていけば良い。

錬金術によって、その過程を幾つか工夫するが。基本的には手作業である。

すりつぶしたフェストの不純物を取りだけ取り除くかが、錬金術師の腕の見せ所だという。

いずれにしても、集中力が必要な作業となりそうだ。かなり大変なことは、疑いがないだろう。

一通り調べたあと、今度は逆算で、必要となる素材を見繕っていく。

炭を作るには、単に燃料としての薪も必要となってくる。

幸い、倉庫から、荷車は引っ張り出すことが出来たが。近所の森に出向いて、薪を散々集めてくる必要があるだろう。

それだけではない。

炭にするための木材も必要だ。

ロロナだって、アーランド人だ。森でどうやって過ごすかは、両親に叩き込まれている。薪は、基本的にまだ生きている木から取ってはいけない。落ちているものを拾い、枯れている木から採取する。

それが、絶対の掟だ。

そもそも、何の植物が、炭に適しているか。それは、錬金術の教科書では、調べることが出来なかった。

いずれにしても、ゼッテルの材料だけでも、数回は森とアトリエを往復する必要が生じてくる。研磨剤の事を考えると、オルトガ遺跡にも出向かなければならない。この行き来だけでも、相当な時間が食われると見て良い。

かなりぎりぎりだ。余裕は、ほぼ無い。

翌日、街に出向く。

アトリエが大変なことになっているというのは、幸いと言うべきか、既に近所では知れ渡っていた。

隣にある武器工房には、恰幅のよい禿頭のおじさまがいる。ハゲルと言う名前を持つこの人は、その屈強な肉体からも分かるとおり、かっては相当な凄腕の戦士だったらしい。ロロナの両親とも、戦士として面識があるそうだ。

今では豪快で陽気なおじさまだが。

禿頭を大変に気にしていて、なおかつ名前で呼ばれると本気で怒る。だから、ロロナは親父さんと呼んでいた。

最初に此処に出向いたのには、理由がある。

此処は近年では珍しく、手作業で武器を作っているのだ。

店の真ん中には金床と炉があり、場合によっては真っ赤に熱した鉄を、其処で叩いている事もある。

戦士達は、此処で武器を買っていく。

これだけは、工場製のものでは駄目だと、口を揃えて、戦士達は言うらしい。アトリエと違って、親父さんのお店は、とても繁盛している。それも当然だろう。

「ふむ、炭ねえ……。 ロロナちゃんが大変なことになってるなら協力してやりたいんだが、正直こっちじゃ良くわかんねえな。 俺も炭は、以前はアストリッドの姉ちゃんから買ってたんだが、最近は仕事しねえだろ。 質は落ちるが、工場製のものを使うしかなくてなあ」

「親父さんは、自分で作ったりしないんですか?」

「流石に其処までの余裕はねえよ。 ただ、またアトリエで炭を作ってくれると、俺としても助かるかな。 やっぱり火力を確保するには、あの炭が一番だからよう」

ぺこりと頭を下げると、今度は更に向かい隣に行く。

サンライズ食堂。

ロロナの幼なじみでありながら、既に店の切り盛りを任されている男の子が、仕事をしている。

イクセルという彼は、クーデリアと並ぶ、ロロナの親友だ。

そろそろ年頃なのだが、ロロナはイクセルを兄弟だと思っているし、向こうもロロナを姉か妹か、多分妹か何かと思っている様子だ。幼なじみによくある関係で、互いを男女とは認識していない。

イクセルは話を聞くと、少し考え込む。

「炭に良い材料ね……」

「料理で炭、使うでしょ? イクセくんは何かしらない?」

「あいにくなあ。 ちょっと待ってろ」

そういって、出してきてくれたのは、古い本だった。

やはり料理にこだわりはじめると、炭から調べていくのだという。炭の種類によっては、臭いがついたり、火力が足りなかったりするからだ。

「これが確か、先々代の料理長のメモだ。 店長が宝にしている本だから、後で返してくれよ」

「うん! ありがとお!」

やはり友達はいいものだと、ロロナは思った。

後は、お世話になりそうな人と言えば、隣の雑貨屋さんだ。近所に出かけている余裕が無いときは、そちらで買い物をするしかない。

ティファナという名前の美しい女性で、いつもお店には多くの男性客が詰めかけている。軽い食事も出していて、そちらも人気のようだ。

ただ、未亡人なので、非常に苦労しているはず。

そのせいか、手酷い酒乱である。ロロナは何度かその餌食になっているため、サンライズ食堂にティファナさんがいるのを見ると、回れ右して逃げる癖がついていた。

ティファナさんにも、何冊か、必要な本を貸してもらう事が出来た。

その日のうちに、本は全部読んでしまう。

師匠は役に立たなくても。

騎士の人は怖くても。

周りの人達は、親切にしてくれる。だったら、その期待に応えなくてはならないと、ロロナは思うのだ。

翌日、本を返す。

一応、するべき事は分かった。集めるべき木についても、どうにか知識は得られた。後は、近所の森や遺跡に何度も何度も出向いて、課題の品を作るための材料を、かき集めていくだけだ。此処からは、肉体労働になる。

そして、殆ど休む暇は、なくなるはずだ。

 

3、森の戦い

 

アーランドの東。

遺跡が広がる西側とは真逆の其処は、歩いて十日ほど掛かる森になっている。此処がかっては荒野だったとは、信じがたい事だが。事実だ。

錬金術師達が栄養剤を使って地面を豊かにし、まずは雑草から。少しずつ木を植えていき、森を作っていったのだ。

今は、地面を掘ればミミズが出てくる。

腐葉土が分厚く積もった、根のしっかり張った森になっている。森の中には路が作られているが、これは此処がアーランド戦士の訓練場でもあるからだ。実際荷車を引いて歩いているロロナは、ずっと視線を感じていた。

此方を見ているのは、きっと狼だろう。

他にもこの森には、何種類かのモンスターがいる。一番多いのはぷにぷにと呼ばれる存在だが。これはまだ、姿を見ていない。

荷車が、また石を踏んだ。

後ろからクーデリアが押してくれる。うんしょうんしょと二人で荷車を引っ張って、やっと石から車輪が抜けた。

「ふう、意外に重労働ね」

「ごめんね、くーちゃん。 手伝ってくれる人が、くーちゃんしかいなくて」

「これくらい平気よ。 どうせ暇だったしね」

そう言いながらも、クーデリアは少し嬉しそうだった。着込んでいるのは上物のシルク服だが、ロロナは知っている。

クーデリアの家は敵が多い。

あの服は、確か要所に鋼線を織り込んでいる、戦闘用のものだ。

それに、今でこそ、手にも顔にも傷はないけれど。昔のクーデリアは、出会う度に傷だらけで、とても痛々しかった。

その傷をロロナに見せないようにしている辺りが、特に。

明らかに本職戦士ではない女の子が二人だけという状況だ。時々すれ違う警備の戦士には、身分証の提示を求められる。

クーデリアが身分証を見せれば、だいたいの戦士は敬礼して通してくれるが。

中には、辺りの事を、懇切丁寧に教えてくれる人もいた。

朝から荷車を引っ張って、夕方に、適切な場所に着く。この辺りは、枯れ木の採取地として知られていて、みんなが薪を拾いに来る場所だ。

ロロナも、たまに足を運ぶ。

「薪を拾えばいいの?」

「うん。 後は、この植物、見た事ある?」

「どれどれ」

ロロナが書き写した絵を見て、クーデリアは頷いた。

特技として、ロロナは模写がある。あまり本格的にはやっていないのだが、何か見たものの特徴を捉えて、絵にするのが得意だ。ただし、あくまで趣味の領域なので、絵描きになれるほどではない。

クーデリアの特技の一つは、記憶力。

今のロロナの絵を見て、すぐに内容を覚えてくれた。

この辺り、二人はとてもかみあっている。

今日は様子見だから、まずは薪拾い。遠くで狼が遠吠えしているが、それくらいは別にロロナも平気だ。

アーランド人なら、子供でも狼くらいは撃退できる。

ましてやこの辺りは、子供用の訓練場にもなっている。ロロナも幼い頃、両親に連れられて、この辺りで狼と戦わされた。

それはおそらく、クーデリアも同じだろう。誰もが最初は、此処で戦いというものを覚えさせられるのだ。

薪を探して拾っている内に、クーデリアが植物を見つけてきてくれた。

荷車を引っ張って、そちらに移動。

確かに、かなり群生している。

これならば、ゼッテルの材料としては、充分かも知れない。状態を見て、摘んでいく。あまり取りすぎると、全部駄目になってしまう。

採った草は、すぐに油紙で包む。

これは、クーデリアが家から持ってきてくれたのだ。ロロナは、油紙の事なんて、思いつきもしなかった。

手際の問題だとは思うのだけれど。まだまだ半人前以下だというのが、思い知らされて悲しい。

「所で、この草はなんて名前なの?」

「マジックグラスだよ。 ただ、あまり質が良いのは育つ条件が難しいらしくて。 みて、茎の辺りが、何だかごわごわしてるでしょ?」

「紙にするっていうことは、一旦分解するんでしょ? 荒いのとっちゃえばいいじゃない」

「そうもいかなくて」

ロロナが調べたところによると、条件が良い所に自生しているマジックグラスは繊維が均一で、特に紙にする芯の部分は、触ると崩れるくらいに柔らかいのだという。或いはそれが、本来のマジックグラスの姿なのかも知れない。

此処に生えているマジックグラスは、自然と人間の脅威に晒されて、頑丈になりすぎている。多分芯の部分も、かなり硬いはずだ。

レシピよりも、相当に薬品の量を増やしていかなければならない可能性が高い。

時間が足りるのか、不安になってくる。

幸い、マジックグラスは相当数が自生している。

これならば、往復しなければならない回数は、ある程度抑えられるかも知れない。更に言うと、マジックグラスは繁殖力が強い植物で、根こそぎにでもしない限り、すぐに空き地に生えてくる。

これも、きっと鍛え抜かれた結果なのだろう。

「今日はこんな所かなあ。 くーちゃん、帰ろう」

「待って」

クーデリアが、ぶら下げている小型の拳銃に手を掛けている。

それだけで、何が起きたのかは、だいたい分かった。

音もなく、忍び寄ってきていた。

十を超える殺気を湛えた目が、此方をうかがっている。この森に、多数生息しているウォルフ、つまり狼だ。

いずれも、子供や駆け出しの訓練用に放たれている者達だが。

逆にいえば、訓練用にもならないようでは話にならないので、品種改良が行われ、攻撃的で何をも怖れない性格になっている。

大きさも相応だ。

どの狼も、成人男性くらいのサイズはある。

ロロナも、荷車を背中に、杖を手に取った。

母から受け継いでいる魔術を増幅するための杖。

戦うのなんて、随分久しぶりだけれど。

どうにかなる。言い聞かせながら、呪文の詠唱を開始。ウォルフは包囲を崩さず、じわじわと迫ってきている。

クーデリアが先に発砲。

ウォルフの足下に着弾。

だが、怯む様子は無い。戦いは、避けられない。

「来るわよ!」

クーデリアが叫ぶ。

同時に、数頭の狼が、同時に躍りかかってきた。

だが、その先頭のウォルフが、いきなり顎を蹴りあげられ、宙に舞う。クーデリアが、相手より早く動いたのだ。

更に旋回しながら、無言で拳銃を連射。

牽制にしかならないが、左右のウォルフの顔面側頭部に命中。若干態勢を崩したウォルフ達が、飛びずさる。

更に、少し遅れて来ていたウォルフ達も、吼えながらクーデリアを囲む。

詠唱を、ロロナは続けた。

「せいっ!」

飛びかかってきたウォルフを、肘鉄で地面に叩き込むクーデリア。

体術を鍛え込んでいると聞いているが、見事な動きだ。小さい分速いという事を最大限に生かしている。

クーデリア自身も、まだ本来の戦闘技術を出せる状態にない。敵の数が多いから、牽制に徹しているだけだ。

周囲を回りながら、二匹が同時にクーデリアに飛びかかる。前後からの、同時攻撃。

しかしクーデリアは身を沈めると、真横に飛びつつ、側転して包囲を抜けた。唖然とするウォルフ達に、中空で引き金を引いて、銃弾の雨を降らせながら、後退。いずれも、毛皮を破るには到らないが、頭に血を上らせる事、更には注意を引きつけることは、完璧にこなしてくれている。

クーデリアの至近。

今の動きに対応していたのが、一匹だけいた。

クーデリアが着地すると同時に、腕に食いつきに掛かる。跳躍してからの動きを、完全に先読みしていたのだ。

狼の噛む力は相当に強い。子供の腕の骨くらいなら、折れ砕ける事もある。

更には、今では殆どいなくなったが。噛まれたことでよく分からない病気を受けて、命を落とす場合もあったらしい。

「遅いっ!」

だが、それでも、クーデリアが上を行く。

素早くもう一つ拳銃を引き抜くと、連射。五発以上の弾丸を浴びた狼が、悲鳴を上げて吹っ飛ばされる。

木を背に、クーデリアが銃を一つ、腰のホルスターにしまった。更に、自然な動作で、リボルバーを動かして、銃弾を装填している。指の動きが非常に速くて、ロロナは感心してしまった。

一匹が、此方に来ようとする。

だが、クーデリアが即応。銃撃して、後ろ足を正確に撃った。鬱陶しそうに跳び上がったウォルフが、クーデリアに向き直り、包囲に加わる。

クーデリアは、六頭の狼に囲まれても、冷静だ。相手は木の周りを回りながら、時々クーデリアに牽制の攻撃を仕掛ける。

しかし、背中から襲ってこないならば余裕とばかりに、クーデリアは対応している。今などは、狼の顎の下を掴むと、放り投げてみせる。

やっぱり訓練しているんだ。

クーデリアが冷静に狼を捌いているのを見て、ロロナは凄いなと思った。実家で訓練している事は、ロロナも聞かされていたのだけれど。もっと小さいとき、遺跡で怖い目にあったときは、ロロナもクーデリアも、闇と恐怖に押し潰されて泣くだけの子供だったのだから。

「ほらほら、もっと来なさい!」

呼吸も乱さず、クーデリアは狼たちを挑発してみせる。

だが、その時。

思わずロロナは、籠の中に入れていた、うにと呼ばれる棘だらけの実を投げつけていた。何かの役に立つかも知れないと思って、来る途中、拾っておいたものだ。

クーデリアの足下。

影からにじるようにして、緑色の存在が近づいているのを、認めたからである。

ぷにぷにと呼ばれる軟体肉食生物だ。

大きさは様々だが、この森にいるのは、人間の半分ほど。

勿論クーデリアの敵にはなり得ないが、狼に囲まれている今、足でも噛まれると面倒である。

うにが直撃したぷにぷには、甲高い悲鳴を上げると、狼たちの足下を抜けるようにして、逃げ去っていった。奇襲を仕掛けようとしていたから、逆に自分が驚かされた事で、戦意を失ってしまったのだろう。

クーデリアは、一瞬気をそらしてしまう。

四頭の狼が、同時に飛びかかる。

だが、身を縮めたクーデリアが、跳躍。木の幹を蹴って跳び上がり、空中で狼たちに乱射。

着地した時には、包囲を抜けていた。

だが、一頭がその時、ついにクーデリアの防御を抜く。

脇腹に、横から飛びつくようにして食いついたのだ。だが、吹っ飛ばされることはなく、踏みとどまりすぐに肘を打ち下ろすクーデリアだが。三度脳天に叩き込まれて、やっとウォルフはクーデリアを離した。

「くーちゃん!」

「大丈夫、こんな程度でやられるほど、やわじゃないわ!」

クーデリアは冷や汗を流しているようだが、それでも余裕があるのが見て取れた。

好機とばかりに飛びかかってくる狼たちを、全ていなしながら、バックステップするクーデリア。

そして、にじり寄ってくる狼たちを前に、なにやら詠唱しながら、銃の背中を撫でている。

切り札を使うつもりなのか。

だが、その時には、ロロナの準備も出来ていた。だから、クーデリアが切り札まで使う必要はない。

ロロナの詠唱が終わる。

頷きあった。

杖を振り上げると、光が宿った。ロロナが使いこなせる、魔術。狼たちの群れに向ける。

両親によると、ロロナは少し魔力が強すぎるので、制御はむしろしない方が良い。単純に、魔力を放出して、ぶつける方が有用だという。

言われるままに訓練をして。

岩を砕いたとき、両親の言うことが本当だったと、実感する事が出来た。

術式の最後の一節を叫びながら、杖を向ける。

「砕け、光の奔流! エーテル、ライトっ!」

狼たちが、ようやく此方に気付いたときには。

白光が、狼たちの群れを撃滅していた。爆裂する光が、人間大の狼の群れを薙ぎ払い、吹き飛ばす。

鋭い悲鳴。

どうやら、クーデリアが切り札を出す必要は無さそうだった。

吹っ飛んだ六頭の狼は、それぞれずたずたに傷ついた体を引きずって、悲鳴を上げながら逃げはじめる。敵の背中に銃口を向けたクーデリアは、小さくため息をついた。

「まあいいわ。 逃がしてあげる」

「くーちゃん! 平気!?」

「あんたこそ!」

「わたしは何ともないよ。 くーちゃんが守ってくれたもん」

魔術は、日常的に使っている。ロロナは体が小さいから、他の人よりも弱い力を補うために、色々工夫している。

その一つが、魔術だ。

今も、腕力を強化するのにも、脚力を強化するのにも。魔術を利用している。

ただし、その分頭の回転が鈍りがちなのだけれど。

クーデリアが戻ってくる。

腰を下ろした彼女に、上着を巻くってもらう。白い肌の脇腹に、青黒い痣が出来ていた。このくらいなら、二日もすれば直るだろう。ただし、一応手当はしておく必要がある。持ってきた傷薬を塗る。

ひんやりした傷薬を塗っているとき、一瞬だけ、クーデリアは眉をひそめた。結構痛かったに違いない。

クーデリアは、武闘派で鳴らした両親の子で、ロロナと同じ。戦士として育った一族の末裔だ。

この程度の事で、どうにかなる筈もない。

「くーちゃん、凄く強くなったね」

「まだまだよ。 うちにいるエージェント達の誰にもかなわないもの」

「うわ、凄い人達が集まってるんだね」

「凄いもんですか。 あたしが弱いのよ。 あんたと同じ。 あたしなんて、半人前以下なんだから」

悔しそうに呻くクーデリア。

なんでかは、ロロナには分からない。

クーデリアは勇敢に戦って、詠唱中のロロナには、結局一頭も敵を近づけさせなかったのだ。

前衛としての仕事を、完璧にこなした。

半人前以下のものか。

「もう日が暮れるわ」

日が暮れても、まだもたついていると、管理の戦士達に何を言われるか分からない。

此処で野宿するにしても、国が決めているキャンプスペースにいかないと、後で散々怒られるものなのだ。

荷車を引いて、帰ることにする。

今からなら、夜のとばりが空を覆う頃には。アトリエに帰り着くことが出来るはずだ。

「ねえ、ロロナ」

「どうしたの?」

「これからも、こんな風に採集に出るんでしょう?」

「そうだよ。 みんなと別れたくないから」

師匠が、少しでも働いてくれれば。こんな試験、簡単に突破できるはずなのに。

それはロロナにさえ分かっていることだけれど。もう師匠については諦めているから、何も言わない。

あの人には、きっと。

神様がいたとしても、言うことを聞かせることなんて、出来ないだろう。

それに、錬金術師としてやっていくことは、ロロナにとっては道筋だ。

いきなり一年も早く、一人前として扱われることになってしまって困惑はしているけれど。

今では、少しずつ、心も落ち着いてきていた。

そうと、クーデリアは一言だけ言った。傷が痛むのかなとロロナは思ったけれど。傷を気にしている様子は無いし、きっと違うだろう。

「さっきの、一匹くらいは仕留めたかったわね」

「そうだね。 晩ご飯にはなったよね」

「そうそう。 あんた、生活資金は大丈夫?」

「師匠がね、生活費だけは出してくれるって。 だから、気にしなくても、大丈夫だよ」

狼の捌きかた位は、ロロナだって知っている。アーランド人だったら、子供でもこなせるていどの事だ。

確かにクーデリアが言うように、一匹くらいは仕留めておけば。今日の夕食代は、浮いたかも知れない。

きっと師匠も、喜んで食べてくれただろう。

だけれども。

今日は、もう疲れた。狼を血抜きして、皮を剥いで、肉を切り分けて。分別して、持ち帰る余裕はない。

星が出ることに、アーランドの城門前についた。

見張りに立っている戦士達は、ロロナとクーデリアを見て、遠慮無く笑った。出かけるときに、どこへ出るかは書かなければならない。

近くの森に出かけていたというのは、彼らも知っているのだ。そして、戦闘の痕跡も、即座に見つけた。

彼らくらいの熟練者になれば、何と戦ったのかも、どれぐらい苦労したかも、即座に見抜けるのだろう。だから、笑ったのだ。

苦笑いするロロナ。

だが、クーデリアは。

本当に悔しそうに、唇を噛んでいた。

「まあ、本職の戦士じゃないんだ。 しかたねえよなあ」

「次は護衛に本職を雇いな」

言い返せないのだから、仕方が無い。

街に入ると、クーデリアは帰ると言い残して、荷車の脇を離れた。きっと、今の言葉、かなり悔しかったのだろう。

クーデリアを悲しませないためにも。

ロロナは、少しは強くならなければならなかった。

 

4、調合開始

 

その日のうちに、ロロナは調合作業を始めた。

本を手に、まずはマジックグラスを分解する作業からはじめる。本には、こうある。

マジックグラスをはじめとして植物は、繊維と呼ばれる単位が寄り集まって出来ている。その繊維まで、まず分解する。

分解した後、不純物を取り除く。

最後に繊維をより集めて、紙にする。

この三段階をこなすことで、ゼッテル、つまり紙が出来る。

此処までは、工場でも行えることだ。錬金術の場合は、過程に少しずつ魔術的な行程が入ってくる。

そしてその魔術そのものは、錬金術師でなくても出来る。

錬金術の骨子は、才能が大きな影響を見せる魔術と違って、誰でも出来る事。

ゼッテルの作成も、それは例外ではない。

頷きながら、本の内容を復習。その後は、実際に書かれているとおり、調合をはじめて見る。

まずは、中和剤。

中和剤というのは、錬金術における要素を混ぜ合わせるもの。かなり頻繁に使うため、準備は必要だ。

作り方は簡単で、液状にしたものに、魔力を込めるだけ。

魔力を込める方法は幾らかあるのだが。このアトリエでは、以前アストリッドが教えてくれた方法を使う。

アトリエの隅に、筒状の硝子瓶がある。

そこに、綺麗に濾過した水を入れる。

この等身大の硝子瓶は、アトリエの床にパイプがつながっていて、其処から魔力を吸い上げているのだ。

アストリッドの魔力と、ロロナの魔力。

そして何より、此処アーランドに満ちている強い魔力を吸い上げることによって、硝子瓶の水は、充填していく。

硝子瓶の下にはメモリもついている。

このメモリが、どれだけの魔力が充填されているかを、示すパラメータだ。一定量になると、自動的に魔力を遮断してくれる仕組みになっている。そうしないと、いずれ爆発してしまうと言う。

歴代の錬金術師達が、残してくれた大事な商売道具だ。

水自体は、井戸から得たものを二三日暗がりにおいておいて、それから濾過するだけで充分。

今後はもっといいものを使いたくなるかもしれないが、今の時点では、これで充分だ。

参考書には、だいたいどのくらいの魔力が籠もっていれば充分かも書いてある。メモリを見ると、そろそろ良い具合だ。

硝子瓶の底にある蛇口を捻って、中和剤を出す。

そして、錬金釜に、中和剤を投入。

その後は、マジックグラスを入れる。入れる前に丁寧に洗って、葉っぱを落とさなければならないけれど。

葉っぱそのものは、地面に埋めておけば堆肥にもなる。

「ええと、次は温度を調整して……」

参考書を見ながら、その通りに温度を上げていく。

まずは煮込む。

煮込んでいる間に、あくが出てくるので、それは適宜捨てていく。中和剤の魔力と、投入した植物が親和して、透明になってくる。そこまで二日。その間、温度は出来るだけ一定に保つ。

頷くと、ロロナは裏手に回った。

持ち帰った薪は充分。

様子を見ながら、適時投入していけば良い。

 

翌日は早くから起きて、火の状態を確認。薪を追加すると、家事を出来るだけ急いで済ませた。

師匠はかなり遅くに起き出して、釜の様子を寝ぼけ眼で見ていた。

「ふむ、ゼッテルか」

「はい。 今、煮込んでます」

「どれどれ」

師匠が寝ぼけたまま、釜を眺める。

ふーんと言って離れていったので、多分駄目ではないだろう。そのまま、ソファに転がって、寝てしまった。

師匠はよく寝ている。

天才錬金術師というのは、寝ていても天才なのだから、羨ましい。ロロナは散々努力しても、まだ半人前以下なのに。

続いて、炉の状態を確認。

炭を作る準備に入る。ゼッテルはこのまま、しばらくする事がない。あくも出る頻度が減ってきた。今のうちに、炭もやっておいた方が良い。

研磨剤の方は、まだフェスト石を取りに行くために、準備が出来ていない。

遺跡の方にいくなら、クーデリアだけではなくて、他にも護衛を頼みたい。単純な能力の問題ではない。

二人とも、彼処で酷い目にあった事があるからだ。

炉は問題なし。

薪も、多分足りているだろう。

足りない分は、お隣さんで買えば良い。ある程度の備蓄はある筈だから、多分どうにかなる。

早速炭にする木材を吟味していると、後ろから声が飛んできた。

「おい。 まさか、並行で別の作業をやるつもりか?」

「はい。 ゼッテルは、今する事がないので」

「やめておけ」

「え?」

機嫌が悪そうに、アストリッドは、此方を見つめてくる。

ロロナは背筋が伸びるのを覚えた。

この人は、本来国家軍事力級とか言われる戦闘力の持ち主で、ドラゴンを片手で捻ると噂されるほどの使い手なのだ。

だから、滅多にないが。

怒ると、本当に怖い。

「お前はまだろくに錬金術もやった事がないだろう。 今までのは基礎勉強に過ぎないって事は分かっているな」

「は、はい!」

「せめて最初の作業を成功させてから、並行でやれ。 実力がついてくるまでは、他の作業を同時にやる事は、禁じる」

「はい……」

げっそりしたが、確かにその通り。

正論だ。

どうしてこのぐうたらは、たまに正論を言うのか。

ロロナは肩を落とす。これで少しは、作業工程を縮められると思ったのだけれど。しかし、この様子では、ゼッテルを作成することだけに、まずは集中しなければならない。師匠にお仕置きされるのだけはいやだ。あれは、本当に怖いし、痛いのだ。

参考書を、今のうちに読んでおくことにする。

もう、アストリッドは、ソファで寝息を立てていた。ホントにのんきで悔しい。あの人が少しでも働いてくれれば、アトリエは潰れる畏れなんてないのに。

参考書には、こうある。

煮込んでいくと、やがて植物は半透明になる。

半透明にならない場合は、紙に適さない繊維が混じっている。

その後、ゆっくり掻き回すと、繊維は完全に分解して、釜の上部に浮かんでくる。その後もかき混ぜていくと、やがて繊維同士が絡んで、粘性を帯びてくる。これを必要量採取して、四角い箱にいれ、日を当てて水分を飛ばす。渇くと、紙になって仕上がる。

なるほど。

必要な大きさの箱は、いくらでもある。

裏手の倉庫に、一杯入っているのだ。そこから出してきて、今のうちに洗っておかなければならない。

埃がゼッテルに混じってしまったら、台無しだからだ。

問題は、その先がある事だ。

渇かしている過程で、どうしてもごわごわしてくる。これを取り去るために、ある行程が必要になる。

濃度を圧縮した中和剤を使って、刷毛で塗る。

その後、何度もローラーなりそれに準じた機具で、なめす。このなめす作業を丁寧に行うほど、美しいゼッテルとして仕上がる。

実は、工場で生産されている紙は、このごわつきを排除するために、薬品を用いている。その薬品が、どうも少し臭いがあるのだ。

臭いがない薬品もあるらしいのだが、それを使うとどうしても高くつく。

錬金術は、その点。手間さえ掛ければ、もっと品質が良いものを作れるという意味で、すぐれてはいた。

紙そのものに強い魔力も籠もるから、スクロールとしても有用だ。

魔法陣でも書けば、きっとかなりの効果が見込めるだろう。

頷くと、ロロナは全部試してみることにした。

皮をなめすためのローラーなら、どんな家にもある。早速倉庫から出してきた。渇いた血がついていたので、洗い流しておく。

そういえば少し前に、アストリッドが仕留めてきた山狼の皮をなめしたのだ。この辺りにいる狼とは桁外れに強い代わりに、皮が白銀色で美しく、お肉も美味しい。

丁寧に洗って血を流した後、ロロナは釜の状態を覗いた。

半透明まで、もう少し。

何度か、釜と火の状態を往復して確認している内に。参考書通り、マジックグラスの茎が、美しく半透明になった。

此処からだ。

失敗したら、全部台無しになってしまう。

参考書に書かれている通りに混ぜる。余計な工夫は入れない。本当に、溶けるようにして、茎が崩れた。

浮かんでくる不純物を、丁寧に取り除いていく。

偏執的なまでに取り除けと書かれている。ゆっくりと混ぜながら、半透明になっていない繊維や、ごみの類を捨てていく。

汗が釜に落ちないように、ロロナは気を張っていたが。幸い、粗相をすることはなかった。

額の汗も、何度も拭っていたからかも知れない。

ほぼ数刻、ずっと掻き回していくと。参考書に書かれていたとおりの、良い手応えが出てきた。

繊維が絡み合ってきた、という事だ。

採取して、箱に入れていく。

あまり多く入れると、ゼッテルが厚くなりすぎる。かといって薄すぎると、伸ばす過程で、破れてしまったりする。

これも参考書を見ながら、重さを秤で量った。何度も丁寧に。目測では不安なので、分銅も用いた。

此処は、歴代の錬金術師達が守り抜いてきたアトリエだ。

だから、幸いにも。使い古した道具類だけは、揃っている。

 

4、影の流れ

 

圧縮した中和剤を刷毛でゼッテルに塗っているロロナを横目で見ながら、アストリッドはアトリエを出た。

あの様子だと、ゼッテルはどうにかなるだろう。

市販品よりはましな仕上がりになる。今の時点では、それだけで充分だ。千里の道も、一歩から。

天才を自認するアストリッドでさえ、一番最初にやるときは、どうしても上手く行かなかった。

王宮の裏口から入る。

普通は通らない路を進んで、階段を下りる。かってこの王宮は、戦時には要塞としても用いる予定があった。

アーランドの街には、幾つかの秘密地下通路がある。それが複雑に絡んでいて、幾つかの路はダンジョンさながら。その一角で、ミーティングを行うのだ。

途中、何名かのプロジェクト参加者と合流する。

その中には、青年と呼べるほど若い頃からのつきあいであるステルクやエスティ、ロロナの親の姿もあった。とはいっても、今日は母親の姿はない。父親のライアン=フリクセルだけだが。

そのまま、全員で部屋に入る。

その部屋の中央には、全員が座るには充分な大きさの円卓があり、既に何名か座っていた。中には国務大臣のメリオダスの姿もあった。

これより、定時のミーティングがあるのだ。

煩わしいが、仕方が無い。今回のプロジェクトは、最初からかなり飛ばしている。ロロナへの負担も大きい。

プロジェクトが失敗した場合、失敗作として、あの子は処分される。

そうなったら、流石にアストリッドも気分が悪い。

手塩を掛けて仕込んだという事もあるのだが。

やはり、どうもずっと孤独を続けてきたアストリッドとしては。あの子は、家族か何かに思えているらしかった。

その割には、感情表現が下手くそ極まりないが。

天才を自称しているのに。

其処だけは、アストリッドも、自身に苦笑せざるを得ない。

クーデリアが来る。

少し遅れた様子からして、アトリエを覗いてきたのだろう。此奴も、今回の定時ミーティングでは、レポートを出さなければならない立場だ。

最後に、国王が来た。

国王が席に着くと、すぐに会議が始められた。公用で私用する美しいゼッテルに記載されたレポートが配布され、王が咳払いする。

「それでは、早速だが。 プロジェクトMの中間報告をしてもらおうか。 クーデリア」

「はい」

普段とは打って変わって、素直な様子でクーデリアが立ち上がる。

まとめてきたレポートを読み上げていくクーデリアは、かなり緊張している様子だった。

「今の時点で、ロロナは真面目に、理不尽な仕打ちに立ち向かおうとしています。 戦闘を供にしましたが、魔力は充分。 錬金術に関しても、何度か見る限りは、真面目にやっていると断言できます」

「そうか。 アストリッド、補足することは」

「身内のひいき目があるのは事実ですが、ロロナは良くやっています」

アストリッドが敬語を使うのは、こういった極めて限られた場所だけだ。

クーデリアが抗議するように此方を見るが、気にしない。

クーデリアに関しても、生命線を握っているのは、アストリッドなのだ。それでも必死に抵抗しようとしているクーデリアは、鼻っ柱がとても強いと言える。可愛らしい抵抗だが。

「今回は短期間での成果請求ですが、どうにかなるでしょう。 失敗する分も含めても、期限は超過することは無さそうです」

「うむ、順調な滑り出しだな」

王は若々しい。

既に四十代後半。アーランドでは孫がいてもおかしくない年であるのだが、そうとは見えない。

アストリッド以上の使い手であると断言できるのは、アーランドでもこの王しか存在しない事も、若々しい外見の理由の一つだ。

ちなみに、アストリッドは。過去の様々な事情から、王を良く想っていない。

だが、流石のアストリッドも、猛者揃いのアーランド人を敵に回して生き残る自信は無いのが事実だ。

「続いて、オルトガラクセンの件だが」

「そちらについての調査は、私が」

立ち上がったのはステルク。

アストリッドと肩を並べる使い手であり、この国有数の剣術使いだ。

実際には、剣を得意とする騎士はあまり多くない。

ハンマーやグレートソードと言った大型武器や、逆にククリのような小型武器の方が、騎士の間では人気がある。事実、騎士団でも有数の使い手であるエスティは、小型の双剣を愛用している。

その中で、頑なに剣にこだわるステルクは。

周囲に、こだわりに相応しい実力を、常に見せつけていた。

「現在、七層まで踏破しました。 以前アストリッドが作った地図を中心に、未確認地帯を一つずつ潰している状態です。 持ち帰った物品は、いずれもアストリッドの方へ廻して、解析を急がせています」

「ふむ、順調なようだな」

「来年度には、十二層まで足を運ぶことが出来るでしょう。 今回はフリクセル夫妻と供に探索を進めましたが、ライアン殿は何かありますか」

「いいや、別に。 私としては、娘が入る頃には、探索の基本を終えられていると良いなあと願うばかりでして」

口調には、たっぷり皮肉が入っている。

それはそうだろう。ライアンはアストリッドが見る限り、このプロジェクトにもっとも強い憤りを覚えている一人だ。何しろ、彼らの子こそロロナなのだ。ロロナを処分するという話が出た場合、おそらく妻と一緒に、命を賭けてでも反逆するだろう。だから、監視も付けられている。それなのにこのプロジェクトにいるのは、それだけの凄腕だから、だ。

ただし、ライアンも、このプロジェクトの意義については理解できているはずだ。

だからこそに、協力もしている。

それについては、ロロナの母である、ロアライナについても同じである。この国有数の術者である彼女も、ライアン同様あまり協力的ではない。

もっとも、一番このプロジェクトに対して協力的ではないのは、他ならぬアストリッドなのだが。

続いて、大臣であるメリオダスが意見を求められた。

この国では珍しい、文官一筋で通してきた高官である。武人でなければ一人前に非ず。そういった風潮の中で自分を立ててきているだけあり、有能だ。経理関係も経済関係も、この男がいなければ、アーランドは廻らない。

武人達も、文官を馬鹿にすることは多くとも。メリオダスだけには敬意を払うのが普通だった。

ただし、目立たないように、普段はちょっと間抜けで頑固な老人を装ってはいる。

時々きさくに街の酒場に出ては、酔っ払っている姿を見せつけたりもするのも、民の警戒を受けないためだ。その辺りは、風来坊の老紳士を気取って街をぶらついている国王も同じか。

彼は今回の任務では大陸中枢に対する監視と、計画のコアに関わっている。今回の報告書は、彼が飼っている諜報集団からの報告だった。

「王のご指摘通り、やはり大陸中央部では、急速に近代化が進んでいます。 人口も増えてきており、幾つかの強国は、この辺境地域に派兵する計画も立てている様子です」

「やはりそうか。 プロジェクトMを急がなければならぬな」

「現時点では、まだ数年の猶予はあるかと思います。 ただ、アーランド人の戦闘能力を上回る兵器類を、彼らが開発するのも、そう遠くないかと。 このプロジェクトを前進させなければ、いずれ数の暴力に押し潰されることになるでしょう」

王は腕組みした。

オルトガラクセンの深部から発見されているものの中には、銃器など問題にならぬ恐ろしい兵器もある。

かって、人類を滅亡寸前にまでおいやった事件に、それらが関与している事は疑いがない。

いずれにしても、プロジェクトの進展は急務だ。

アストリッドは、こんな国など大嫌いだが。

しかし、師の事は今でも尊敬している。

彼女が遺したアトリエが、錬金術の価値さえ理解しない連中に蹂躙されることだけは許せない。

今はまだ、大国とはいえど人間の数もさほど多くない。アーランドに軍勢が攻めこんできても、余裕を持って撃砕できる。

しかし、オルトガラクセンの調査が進むたびに、かっての人類の途方もない数が分かってくるのだ。

大国でも精々百数十万という現在の人間とは、桁が二つ違っている。

地上には、人間がひしめくほどいたのだ。そんな数を大国が再現したら。きっと、アーランドの猛者達でも、どうにも出来ないだろう。

計画は、成功させなければならない。

「焦っても仕方が無い。 計画を一つずつ、先に進めて行く。 今日の会議は、此処までとする。 アーランドに栄光あれ!」

「アーランドに栄光あれ!」

王の言葉が、会議終了を告げた。全員で立ち上がり、アーランドに忠義を尽くすことを宣誓すると、解散となる。

青ざめて強ばっているクーデリア。

この間の護衛で、たかが狼の群れに手傷を負わされた事を、気に病んでいるらしい。今、このプロジェクトで、もっとも立場が危ういのは、クーデリアかも知れない。

まあ、駄目なときは、その時だ。

代わりなど、いくらでもいる。

小さくあくびをすると、アストリッドはアトリエに戻って寝ることにした。戻るとロロナは、今日もさぼっていたとか文句を言うことだろう。

それでいい。

あの子は、何も知らなくて、良いのだ。

 

(続)