トリックスターの今

 

序、新しい趣味

 

信仰が失われたり、怖れられなくなったりした神魔は悲惨なものだ。

その一方で、既に物語として知られるようになり。

誰もが知っている存在になった神々や悪魔は気楽なものである。

今、そんな一人が。

日本をフラフラしていた。

乗っているのは、小さな軽自動車。金はたんまりあるので、移動には困らない。また身分証も偽造済。

困る事もないのだった。

黄色い軽自動車を運転しているのは、いかにもチャラ男という言葉が似合う、にやけ面の男である。

名前はロキ。

北欧神話におけるトリックスターにて。

世界で最も名前が知られているトリックスターだろう。

神々の中でも「邪神」と呼ぶ事は簡単だが。

気分次第で何でもする存在、ということで。

その存在感は大きく。

単純な邪悪と呼びきれない事もあって。

北欧神話を知らない者もいる中。

人気のある神。

まあ邪神寄りの神として、名を知られている。

そんな感じで、信仰とかは心配しなくて良い事もあり。ロキは最近食べ歩きにはまっている。

なお地上の女と子供を作ると面倒だというか。

魔界の大魔王に厄介ごとを増やさないようにと怒られるので。

最近は女避けの結界を張りながら、街を移動していた。

黄色の軽自動車は小回りがきくので好きだ。

日本車はとにかく頑丈なので、車検にさえ出しておけばちょっとやそっとじゃ壊れない。

これは色んな国の車を乗り比べてみればよく分かる。

このなんだったか。

まあともかくなんだったかいう軽自動車は、車種も覚えていないのにロキのお気に入りになっていて。

世界中を旅しながらご当地の美味しいものを食べて回るのに。

最適の車になっていた。

勿論目立つわけにはいかないので。

DQNだとかいったか。

そういうアホが垂れ流している爆音とかを流すつもりはないし。

交通規則もしっかり守りながら移動している。

「お、そろそろ近畿だとかか」

国道を移動しながら、気づいて思わず呟く。

ロキは近畿地方だとかの食い物が結構好きで、名前を覚えてしまった。

元々この国では、昔悪さをしようとして失敗した事もある。

最初は苦手意識があり。

彼方此方をふらついた挙げ句に、色々悪さをしてやろうと思っていたのだけれども。

食い物が口に合ったので。

一転して、この国にはまり。

魔界で仕事をしているときとか。

各地の紛争で声が掛かった時とかは出向くようにはしているが。

暇なときには愛車を使って、日本中を回って食べ歩きをするようにしていた。

そうすると他の国の今の食い物にも興味が出てくるようになる。

この日本車を使い。

世界中を食べ歩きしている。

すっかり呆れた大魔王から、苦言を二度言われたけれども。

別に迷惑を掛けている訳でもないので。

大魔王も、これは一種の病気だと思うようになったらしく。

今では何も言わなくなっていた。

諦めたのかも知れない。

さっそく、何回か出向いたお好み焼き屋に出向く。

最初鰹節がうねうね動くのを見てどんなゲテモノだと逆の意味でわくわくしたロキだったのだが。

食べて見て普通に美味しかったのですっかりはまってしまい。

各地にある名前が違う似た食べ物も、一通りコンプリートしてしまった。

結局の所粉物には違いないのだろうが。

中々に悪くない。

さっそくわくわくしながら店に入ると、比較的すぐ席に着くことが出来た。

そういえばなんかの業病が流行っているのだったか。

誓って言うが、魔界の関係者がやったことじゃあない。

マスクをつけるのも、ロキは目立たないようにちゃんとするようにしていた。

注文をしてから、お好み焼きを焼く。

しばらく焼いてから食べる。

焼いてくれる店もたまにはあるが、此処は自分で焼くタイプだ。まあ自分で焼くのが主流だから、別に気にならない。

食べ始めると、早速満足である。

この濃い味。

実にいい。

何というか、味がとても濃くて。大味な魔界の料理と根本的に違っている。

味付けが濃いのではなくて、造りが濃厚なのだ。

ロキは思わずガツガツと食べてしまう。

客入りが減っているなら、たくさん食べて店に貢献しよう。

そう思ったので、バンバン注文してガツガツ食べる。

しばらく食べて、すっかり満足したので。

景気よくお金を払って、店を出ていた。

うん、実に満足である。

ふうとため息をつくと、車の中で休む。

スマホを取りだす。

悪魔と電子機器はとても相性が良く。スマホは便利なので、ロキもいつも持ち歩くようにしていた。

メールが来ている。

配下にしている悪魔からだった。

魔界では、北欧系の悪魔の指揮権を渡されているロキである。

北欧系といっても、更に強力なムスペル王スルトなどが存在しているのだが。

ロキが任されているのは雑魚悪魔全般。

スルトは単独でおっそろしく強いので。

ここぞと言うときに、投入される事が多く。部下にも精鋭が揃っている。

また、ロキの子供達。

世界の終末に大暴れする神殺しの魔狼フェンリル。雷神を殺すもの世界蛇ヨムルンガルド。死の世界の女王ヘルは、それぞれ独立で魔界にて地位を確保しており。ロキの配下としては動いていない。

ロキに出来る事は、あまり多くは無いのだ。

「ロキ様。 大魔王様より伝言です。 数年以内に、日本で大きな異変がおきる可能性があります。 その場合に備えておくように、とのことです」

「りょーかい」

適当に応じつつ、舌打ち。

異変なんて起きなくていいのに。

おきたとしても、文化は全部保全してほしいなあ。

そう、ゆっくり食べたあとの余韻を楽しみながら、ロキは思った。

昔は日本で大きな異変を起こそうとした事もあるロキなのだが。

今では時々天界との紛争で声を掛けられるくらいで。あまり異変に関与しようとは思っていない。

これは前に失敗した後。

ふてくされて日本をふらついているうちに。

すっかり気に入ってしまった、と言う事が理由としては大きい。

住んでいる人間については、別にどうでも良い。

他の国と大して変わらない。

閉鎖的だし。

資本家どもは悪魔より残虐だし。

頭だって良くない。

せっかく教育を出来るようにしているのに、その教育を殆ど無駄にしているなど。政治も正直出来が良くない。

それでも文化はいい。

この国の諺で、隣の芝生は青く見えるとか言うらしい。

この国の文化をガラパゴスだのなんだの言って馬鹿にする連中がいるらしいが。

そんなのはただの阿呆だと、世界中を回ってきたロキは知っている。

人間はどうでもいいが。

文化は素晴らしい。

特に食文化は。

それがロキの本音であり。

だから時々大魔王に文句を言われながらも。暇なときは日本をふらついて、食べ歩きをしているのだ。

大魔王だってよく分からん理由で地上をふらついているみたいだし。

この辺りはおあいこ様だとロキは思っている。

それにトリックスターの権化であるロキである。

魔界でも際限なく自由に。

地上でも好き放題に。

それぞれ振る舞うのが、むしろロキらしいあり方であると考えていた。

小さくあくびをする。

食べたら眠くなってきた。

金はたんまり持ってきているので、気にする事も無い。

駐車場に移動すると。

リクライニングを倒して少し仮眠を取る。

治安がある程度いいのも、この国が気に入っている理由だ。

他の国だと銃器で武装した強盗なんて珍しくもないし。

死刑になる人間がいないとかいいながら。

実際には現場で犯罪者を射殺しているのが当たり前だ。

この国でも危険な地域はあるが。

だがそれはそれとして。

ロキが車中泊をしていても、襲われる事はまずない。

今までも絡んできた人間はいたが。

軽く放り投げてやるだけで、怖れて逃げ出していった。

余所の国だったら、銃器を持って徒党を組んで再度襲ってきただろうし。場合によっては警察が腐敗しきっているから、犯罪組織よりたちが悪かったりするのだが。

この国では警察上層部は無能でも。

末端の警官は、余所の国よりマシだ。

しばらくねむってから、起きだし。

おなかがもうすいてきたことに気づく。

悪魔の体はあまり燃費が良くない。

生命エネルギーを吸収したり、信仰心や恐れを吸収しないと具現化さえ出来ないケースもある。

ロキはこの国では結構知られているので、それほど具現化は難しく無いのだが。

それでも腹は減る。

人間を食い荒らして回るようなのは下の下。

あっと言う間に人間の対魔組織に見つかって狩られてしまう。下手をすると天界の軍勢が来る。

よって、また飯屋に行く事にする。

この時間帯だと飲み屋かな。

そう思って、以前なかなか良かった飲み屋のリストを見る。

比較的近くにあるので、車から降りてそのまま移動。

流石に飲酒運転になるような真似をする事は、ロキもしない。

飲酒すると車の運転が著しく怪しくなることは。

ロキだって知っていた。

居酒屋に出向く。

数年開いただけなのに、居酒屋の店主はかなり老け込んでいるように見えた。

人間は儚いな。

そう思いながら、ガラガラの店内で適当に席に着き。

注文を取りに来るのを待つ。

気むずかしそうな老店主だが。

此処の酒がかなりうまいのと。

つまみも絶品である事をロキは知っていた。

だから気にすることもない。

適当に注文して。

メシが来たので、うまいうまいと喜んで食べる。

魔界にもよい酒はあるのだが。

やはり度数ばっかり上げて、味を誤魔化しているような酒が珍しくなく。地上にあるようなうまい酒とは色々違う。

しばらく黙々と食べていると。

店主がそろそろ店じまいだと言ってきた。

飲食店がかなり大変な商売をしていることをロキは知っているので。頷くと素直に店を出る。

勿論残すようなもったいない真似はしない。

良い気分で外を歩いていると。

不意に、がらが悪そうな数人に囲まれていた。

気配で分かる。

人間ではない。

「貴様、この辺りの悪魔ではないな」

「先から何をしている」

破落戸にしては言ってることがしっかりしている。

この国の破落戸は銃器で武装はしていないが、視線と意味不明な言葉で威圧してくる傾向がある。

ふっと嗤うと。

良い気分で酔っているのだけれどなあと、不快感を示し。

続けて魔力を放出してみせる。

これでも魔王や邪神に分類されるロキだ。

その辺の木っ端悪魔なんか、束になってもかなう存在では無い。

一瞬で力の差を理解したらしい悪魔達は、ひっと声を上げていた。

「こ、これは何処かの高位悪魔の方で……?」

「お前らは?」

「さ、最近この辺りを縄張りにしている……」

名前も聞いたことが無い悪魔たちだった。

話を聞く限り、どうやらロシア系の悪魔らしい。

ロシア系は神話などが散逸している事もあって、悪魔の話は殆ど無い。

元々不毛の土地だった所に、キプチャクハン国とか言う遊牧民系国家が体裁を整え。

それが弱体化したのを乗っ取ったのが今のロシアという国の原型だ。

そんな状況では、もとの住民の神話があまり残っていないのも、やむを得ないのかも知れない。

「し、失礼いたしましたあっ!」

揃って土下座する三下たち。

設定的にはどうかは知らないが、此処では全く知られていない……いや、世界のどこでも殆ど知られていないか。それが致命的になる。

魔界でなら、まだ三下として振る舞っていれば存在は出来るだろうが。

それが嫌で、地上に出て来たのだろう。

しかし地上に出ると更に力の差が大きくなってしまう。

人間の恐れがモロに力に直結するからだ。

それに人間の対魔組織や、天使なども目を光らせている。

それらもあって、地上に出るのは。

雑魚にとってはきわめてハイリスクなのだ。

それでも地上に出て来たと言う事は。

まあそういう事なのだろう。

同情はするが。

「あー、そういうのはいいから。 それよりもだ。 ちょっと聞かせてくれや」

「は、はい。 なんでございましょう」

「この辺でうまい店しらねーか? 俺、地上で食べ歩きするのが趣味になっててな。 ここ近畿圏は、うまい料理だす店が幾らでもあってお気に入りなんだよ」

「は、はあ……」

困惑する雑魚共。

ロキはにこにこして様子を見守る。

昼間とかは、公園とかに出向いて。地元の老人とかと仲良くし。

おいしい店などの情報を聞き出すことを楽しみにしたりしているロキである。

いい店の情報を聞き出すのは。

ロキにとっての地上での大事な遊びの一つだ。

「自分達、人間の店にはあまり……」

「なんだよ、つまんねーなあ」

「その、殆ど力にはなりませんので……」

「恐れを得るために不良ごっこか? 確かに恐れは得られるが、やりすぎるとその内狩られっぞ」

そう言うと。雑魚共は震え上がる。

まあそうだろう。

天使共の容赦のなさは知っているだろうし。

対魔組織に目をつけられたら、あっと言う間に狩られる。狩られるくらいなら良い方で、下手をすると封印とかされてしまう。

封印なんてされたら、それこそ何百年という単位で動けなくなる。

更に悪いのは、強引に契約をさせられることで。

そうなると、下手をするとずっと契約に縛られ。

最低賃金以下のカスみたいな報酬で、ずっと人間に顎で使われることになるのだ。

「一度魔界に帰るんだな。 お前達だと、あっと言う間に狩られて終わりだぞ」

「そ、そうします……」

「地上のメシを楽しめるくらいの余裕が出来たら、また来るんだな」

そう諭すと、悪魔達はすごすごと戻っていった。

これから店じまいの準備をするのだろう。

ロキは呆れてその背中を見送ると。

車中泊に戻る。

ほろ酔いが冷めてしまったが。

テイクアウトで良い酒を瓶ごと貰ってきている。

後は、社内で軽く菓子でもつまみに飲むとするか。

菓子もこの国はとても美味いので。

ロキにとっては、お気に入りだった。

 

1、食べ歩きで西東

 

ロキという神格は、実は現在でこそトリックスターとして知られているが。実際の所、古くはどうだったのか分かっていない。

というのも、北欧神話というものはそもそも非常に複雑な変転の果てに、現在の姿になったからである。

まず最初に北欧神話の主神であったのはテュールだった。

テュールは司法神。つまり法律を司る神であり。

荒々しい事で知られる北欧でも。

最初は法治主義でなんとか秩序を作ろうと苦労した様子が窺える。

だが、それは上手く行かなかった。

続いて台頭してきたのがトール信仰だ。

トール。

雷神として、世界では最も有名な存在の一柱。恐らくだが、その知名度はゼウスと並ぶだろう。

トールは現在ではオーディンの配下にされているが。

不自然なほどに強力に描かれていることに、疑問を持つ者もいるだろう。

それも当然の話で。

トールは一時期主神として崇められていたのだから。

トールは分かりやすい圧倒的な武力を持つ神で、戦士としての規範として都合がよい神だった。

更に航海の神だという事もあり。

海を使って略奪行脚にふけっていた北欧の民にとっては、あらゆる意味で主神に相応しい存在だったと言える。

しかし、北欧も更に時代が降ると。

トール信仰は下火になっていった。

これは理由が簡単である。

荒々しい個人の武勇だけでは、覇権を握るのが難しくなっていったからだ。

その結果、台頭してきたのがオーディンである。

オーディンはトールと同じく武神ではあるのだが、あり方が決定的に違う。

オーディンの神話における逸話を見ると分かりやすいのだが。オーディンは残虐極まりない神で。

勝つためには手段を選ばない。

それどころか、最終戦争で勝つために、地上で敢えて戦争を起こし。

見所がある戦士をスカウトして、天国とは思えない天国として知られるバルハラに招くような真似までしている。

そう、オーディンは。

戦争の神ではあっても。武勇の神ではない。

戦争に勝つための神であって。

その性格が狡猾で邪悪なのも、当然なのだ。

かくしてオーディンが主神に最終的になったのだが。その間もフレイ信仰など様々な信仰が勃興し。

北欧神話は混迷を極めた。

やがて欧州を好き勝手に暴れ回った北欧神話の担い手、ノルマン人で構成されたヴァイキングが掃討されていくと。

北欧神話もまた掃討され。

一神教が主体となっていき。

あくまで地元の昔の宗教として、北欧神話は語り継がれるようにだけなっていく。

ただし、そう纏まるまで北欧神話はあまりにも変遷を繰り返し過ぎた。

故に同じ神が名前を変えて何度も登場したり。

そもそも魔的存在である霜の巨人、ヨトゥンヘイムの住人達が、神々の一種であるヴァン神族と混同されたりと。

今や元が何が何だか分からない代物になっているのだ。

ロキもそう。

トリックスターになったのは、最初からだったのだろうか。

トールの親友という設定があるロキである。

それが、どうしていつの間にか邪悪な魔王に成り。

挙げ句の果てに北欧神話の結末であるラグナロクでは、己の子達とともに神々と戦うのか。

それも、最初からこうだったのかはよく分からない。

だが、はっきりしているのは。

北欧神話に出てくる神々や用語が、日本では愛され。

その結果、ロキはこの国では動きやすくなった、と言う事だ。

北欧神話そのものは、決してメジャーな神話ではない。

故に今では、ロキにとっては有り難い話ではあるのだが。

車で東へ移動する。

山々の緑が美しい。

百年以上前ははげ山だらけだったという話もあるのだが。ロキは実の所、その頃に訪れて。

別にはげ山では無かった事を自分の目で見ている。

人間がいい加減に歴史を伝えるのは、ロキ自身が身を以て知っているので。

それについてどうこうは思わない。

ともかく軽を走らせて、国道を行く。

さて、今日は何を食べようかなあ。

そう思っていると、重要メールの着信音がした。

舌打ちすると、国道から降りてコンビニの駐車場に停める。

メールを確認すると、どうやら日本で現在作戦行動中のベルゼバブからだ。

ベルゼバブはいうまでもなくハエの魔王。

ハエとはいうが、そもそもあの古代の最大神格、バアルの貶められた姿の一つであり。貶められてなお絶大な力を持っている。

ロキにしてみれば、あまり逆らう事を考えたくない相手だ。

「地上で休暇中の所をすまないが、すぐに東京に来て欲しい」

「今東京に向かってますがね。 後半日くらいはかかりますよ。 俺の軽だと、そんなに馬力は出無いし、東名高速は多分こみますし」

「なんでそんなものを使っているんだ。 魔界経由で来てくれ。 出来るだけ急いで」

「埋め合わせはしてくださいよ?」

なんだよもうとぼやきながら、ロキはメールを閉じる。

せっかくの楽しい食べ歩きだったのに。

ブツブツ文句を言いながら、車を降りると、

認知から外れる結界を展開。

周囲に認識されないようにした。

そのまま、指を弾く。

私物をまるごと、魔界に転送したのだ。

普段、この軽自動車も地上に放置しておくわけにはいかない。

そういうわけで、魔界に帰るときは一緒に持ち帰っているのである。

勿論空間転移で持ち帰っているので、税関に引っ掛かる事もない。

まあその分、地上に金をおとしているのだから、勘弁してほしい所だ。

遊ぶための私物を魔界に送ると。

後は魔術で空間転移。

何度か空間転移を繰り返して、東京に。

ベルゼバブの気配は分かるので、其方へと移動した。

気配がある建物の前で、見上げてぼやく。

ヤクザの事務所か。

ベルゼバブが、世界的なマフィアのボスを地上での顔の一つにしていることは知っているのだが。

あまり気持ちが良い場所では無い。

犯罪組織なんてのは、世界中どこでもゴミためのクズの山だ。

この国でも同じである。

事務所に突然現れたロキを見て、ヤクザに扮している悪魔共が色めきだつが。

ロキとしての姿。

髪の長い、道化じみた大男になってみせると。

ほっとした様子で、悪魔共は戦闘態勢を解除していた。

ベルゼバブの部屋に案内して貰う。

そこそこいいビルだが。

ロクな商売をしていないだろうことも一目で分かる。

まあこれでも、人間がやっているブラック企業とやらよりは随分マシらしいので。

何というか、世紀末を感じさせるばかりであるが。

人間形態のベルゼバブは、太ったおっさんという感じの姿をしていて。

悪魔としての姿もあんまり変わらない。

部屋の隅っこには、退屈そうに椅子をクルクル回して遊んでいる子供。

あれは魔人アリスか。

彼奴は顔色の悪い女の子の姿をしているが、正体がよく分からない。実力もロキでも勝てるか分からないくらい高い上に。背後には魔界でも高位に位置する悪魔であるベリアルとネビロスがついている。この二者が親代わりになっている事は魔界の誰もが知っているので、ちょっと絡むのには勇気がいる相手だ。

アリスが出て来ていると言う事は。

かなり大きな作戦だとみて良いだろう。

「ういーっす。 ロキ、来ましたー」

「ああ、座ってくれ。 アリスも、椅子で遊んでいないで話を聞いてくれ」

「じゃあアイス」

「……分かった分かった、アイスだな」

俺もとロキが手を上げると、思わず真顔になって硬直するベルゼバブ。

この国のアイスは幾つかお気に入りがあるのだ。

アリスがマニアックなアイスを注文したのを見て、ロキも同じくマニアックなのを注文する。

額に青筋を浮かべるベルゼバブ。

「お前達なあ……」

「いいもん。 アイスくれなかったら本気出さないから」

「俺もー」

「ロキさん、チャラ男みたいな外見だけど、気は合いそうだね。 間違ってもカレシとかにはしたくないけど」

アリスがカレシとか言った瞬間、二方向からとんでも無い殺気がロキに突き刺さるのを感じた。

多分親ばか全開のベリアルとネビロスが、遠くから見ているのだろう。

思わず笑顔が引きつってしまう。

ベルゼバブはそれを感じ取ったらしく。大きくため息をついて頭を振っていた。

無理矢理呼びつけられたのだ。

少しは困らせて仕返ししてやる。

とりあえず、どうやったのかアイスは来る。

アリスはうまいうまいと食べ始めたので。

ロキも同じく、うまいうまいと食べ始める。

「大魔王様といい、どうしてこう皆アイスが好きなのか……」

「だっておいしいもん」

「おいしいもんなー」

「ああもう、それは分かった! 確かにうまいよ! だけどまずは作戦会議からだ!」

ベルゼバブが胃に穴の開きそうな顔をしているので。

ともかくアイスを食べ終える。

アリスももうそろそろ潮時だと思ったのだろう。

からかうのは止めたようだった。

「あーおほんおほん。 今回の作戦だが、まずは東京の港湾部に展開している天使の部隊を駆逐してほしい」

「天使を? 別にいいっすけど、下手するとかなり大きな衝突になりますよ」

「それが奴らな、港湾部に封じられているこの国土着の面倒な神にちょっかいをだそうとしているようでな」

ああ、それでか。

この国は一神教でも手が出せなかった不思議な国の一つ。

土着の信仰も、仏教系も強く根付いており。

不可思議な文化体系が出来ている。

それを楽しんでいるロキだ。

確かに余計な真似をされると困る、というのが本音だ。

「この国の対魔組織も既にそれを察知している。 だから、先に我等で駆除して、衝突が大きくならないように対処する」

「へいへーい」

「ロキ、貴様は天使の走狗の人間共を殺さない程度に叩き伏せろ」

ああ、そういうことか。

アリスは手加減とかそういうのが出来るタイプじゃない。

見た目通り性格が子供だが、その分残虐で、手加減というものを知らないからだ。

人間の対魔組織の間では、謎の魔人として怖れられているらしいが。

まあそれも無理はないだろう。

アレと戦ったら、生きて帰るのは極めて難しい。

一方ロキは、ある程度手加減とかは心得ているので、それは難しく無い。

「アリスは、天使の駆除だ。 後が面倒だから、人間には手を出さないように」

「めんどくさーい」

「面倒くさくてもやるんだ。 大魔王様がお給金を出していることを忘れるな」

「むー」

アリスがむくれる。

此奴は、魔界の領地経営で結構な散財をしているらしく。

それで大魔王にはあまり頭が上がらないらしい。

まあ子供が好きそうな庭園と宮殿を作って、それを色々弄くり回しているらしいので。

金は掛かって掛かって仕方が無いのだろう。

ベタベタに甘そうな両親()に貸して貰えばいい気もするのだが。

その辺り、ベリアルとネビロスは案外しっかりしているのかも知れない。

ともかく、指定があった場所に出向く。

出向くと、いかにも頭が硬そうな連中が群れていて。更に結界まで張られていた。

調べて見ると、地上で跋扈しているカルト教団の一つらしい。

そんなものを走狗に仕立てるとは、今の天使は悪辣だなあ。

苦笑しながら、紙でも引き裂くように結界をブチ抜き。

港湾部に侵入。

術者らしいのが悲鳴を上げて倒れると。

対悪魔訓練を受けているらしい人間共が。一目で付け焼き刃と分かる技量で、武器を此方に向けてくる。

手をヒラヒラと振るロキ。

「ちいーっす。 あんまり悪さしちゃだめだよ君達」

「おのれ悪魔め!」

「おそれるな! 我等には神のご加護がある!」

本当にあるのだから度し難い。

まあ別に良いが。

わっと掛かってくる人間達に、眠りの魔術を掛ける。その場でばたばたと倒れていく。

抵抗能力が弱すぎて、これで充分なのだ。

もっとえげつない精神干渉の魔術をかけてもいいのだが、それは今使うべきものではない。

空には、わっと天使共が舞い始めるが。

一瞬で真っ黒になり。

それが晴れると。

もう天使は、一匹も残っていなかった。

アリスによる広域殲滅魔術だ。ロキも怖気がたつほどの猛烈な呪いを、広域にぶっ放す大技。

今空にいた天使ども程度では、文字通りひとたまりもない。

わらわらと、ヤクザに模した悪魔共が来る。

後始末開始だ。

カルト宗教の信徒が、此処で薬の取引をしていたように見せかける。

後は一網打尽という寸法だ。

封印の専門家も来ていた。

そいつは人間のようだった。

悪魔側……地上では混沌側というそうだが。混沌側に荷担している人間も地上にはそれなりにいる。

だいたいは脛に傷持つ連中だが。

中には、ごくまっとうな奴もいた。

封印をしに来たのは、生真面目そうな巫女である。

あれが混沌側ねえ。

そう思いながら、ロキは日本式の術式で、封印を張り直しているのを後ろから見ていた。

隣にアリスが降り立つ。

「あー、疲れた。 雑魚ばっかだったから良かったけど、大物が出て来たらどうするつもりだったんだか」

「その場合は本気でやれば?」

「やだよめんどくさい。 相手が大天使とかになると、紛争だって規模が大きくなるし、簡単に家に帰れなくなるもん」

アリスがぶちぶち言う。

さっと配下らしい悪魔がアイスを差し出すと、一瞬の早業で手にとって、一転笑顔。

ロキも少し呆れた。

「俺の分はある?」

「はあ、まあ。 此方どうぞ」

「おっ、けっこう高いやつじゃん!」

ロキも早速笑顔になってアイスを食べ始める。

アイスはみんなに笑顔をくれる。

あのクトゥルフ神話の開祖も、アイスが大好きだったという歴史的事実もある。つまりアイスは笑顔を悪魔にもくれるのだ。

巫女がぺこりと一礼だけすると帰っていく。

あの様子からすると、封印は破られず。封じられていた面倒な神とやらは出てこなかったのだろう。

一通り後始末が終わったので、帰る事にする。

帰り道、アリスと軽く歩きながら話す。

「ロキのおじさん、日本でも現地妻とか作って遊んでるの?」

「なんだか俺が滅茶苦茶してるように思ってる?」

「だってロキさん、馬と……」

「あーあーきこえなーい」

誰が教えたのか知らないが、いずれ会ったら拳骨だな。

そう思いながらロキは咳払いする。

「俺も神話の時代に色々やって、こりたからね。 地上ではわざわざ子供作ろうとか思わないから。 まあ儀式で呼ばれて作らされそうになることはあるけどさあ」

「そんなことあったの?」

「前に中島とか言う人間に呼ばれて、そういうことになりかけた。 すんでの所で阻止されたけど。 ただ中島とか言う人間が作った悪魔召喚プログラムとかいうものが、めっちゃ拡散したらしいね」

「あー、あの事件! ロキのおじさん関わってたんだ!」

アリスが楽しそうなので何よりです。

まあロキも、その事件に関わってたら多分日本神話の神々にぼこぼこにされていただろうし。

関わらなくて良かったのだと思う。

ともかく、後はパトカーがたくさん行くのを横目に、ベルゼバブの事務所に。

あのお巡りさん達が天使の手先どもを全部捕まえて。薬の違法取引で刑務所に放り込んで。

今回の事件はおしまいだ。

今回は悪魔側の完勝だったが。

天使側の完勝になる場合もある。

ベルゼバブの事務所に出向くと。ベルゼバブは、笑顔で出迎えてくれた。

「良くやってくれた。 二人とも、なかなかの手際じゃないか」

「ふふーん、当然」

「まあアリスちゃんと右に同じすね」

「ちゃんつけとか許してないんだけど。 これだからチャラ男きらーい」

さっきの比では無い殺気が二つ突き刺さったので、ロキは思わず背筋が伸びる気がした。冷や汗だらだらである。

咳払いするベルゼバブ。

「まあいい。 今回の事は此方で報告書にまとめておくから、二人とも魔界に帰還してほしい。 後で大魔王様から褒美の下賜があるだろう」

「はーい。 じゃ、帰る」

「はー。 食べ歩きもっとしたかったなあ」

「あれだけアイスを貪り喰っておいて……」

ベルゼバブが流石にキレそうになっていたので。それで帰る事にする。ロキも、流石にベルゼバブを本気で怒らせて、無事で済むと考えているほど気楽ではなかった。

 

魔界に戻ると、自分の領地に。

ロキはあんまり知られていないが既婚者だ。

また、地震を起こす元凶だという神話もある。

いずれにしても、それらのエピソードもあって、それなりの領地は大魔王に与えられているし。

たまに子供達も遊びに来る。

流石にトールとの交流はほぼ途絶えてしまったが。

これはまあ、仕方が無いと言えるだろう。

自宅に戻ると、黙々と妻が料理をしてくれた。

妻は良い女なので。料理が魔界風の大味でも、あまり文句を言うことはない。

ロキもこれはこれで、一応相手のことは考えているのだ。

食事を終えると、妻に聞かれる。

「あなた。 今回は急に戦闘に巻き込まれたと聞きましたが、危険はありませんでしたか?」

「敵がよわよわだったし、アリスがいたしねえ。 俺がいてもいなくても変わらなかったと思うよ。 まあベルゼバブの旦那も、保険がほしかったんだろうね」

「まあ、そうですか……」

「地上でおいたもしていないから安心してくれ。 俺も無駄に天使共に喧嘩をうるつもりはないし、無意味に危険に足を突っ込むつもりもないよ」

しかし妻の料理は進歩しないな。

そう思う。

たまに妻を連れて一緒に地上に食べに行くのだが。

妻はロキと違ってあんまり料理に興味が無いらしく。地上に出ても、あまり楽しそうではない。

この辺りは、好みの問題だと思うので。

ロキは妻に干渉しないし。

妻もロキには、料理のことでどうこうと言う事はなかった。

屋敷でしばらく待機する。

天界と小規模とはいえ衝突があったのだ。いつ動員が掛かってもおかしくはない。

とくにあの人間共は、カルト宗教の徒とは言え、バックについていたのは多分大天使の誰かだ。

信仰心を集めるためになりふりかまわずの天使共は、近年はカルト宗教まで利用している。

これはもはや公然の秘密であるので。

今更ああだこうだと騒ぐ話でもなかった。

「さて、鬼が出るか蛇が出るか」

「日本の諺ですね」

「ああ、そうなるな。 まあ大規模衝突になったら、俺程度が出たところで大した戦力にはならないがね」

「ご謙遜を」

妻はそう言うが、事実だ。

ロキに武勇に関する逸話は殆ど無い。

ラグナロクでは神ヘイムダルと相討ちになるという逸話があるが。ヘイムダルだって別にそこまで優れた武勇を持つ神でもない。

むしろ大戦果を上げるのはロキの子供達。

ロキは北欧神話においてトリックスターとして暴れるだけ暴れた後は。

その役割をひっそりと終えてしまうのだ。

むしろヘイムダルと相討ちという見せ場を作ってもらっただけ、マシなのかも知れないが。

疲れたので、適当に寝る。

何かあったら起こしてくれと妻に言うと。

後は静かにねた。

車中泊も好きなのだが。

まあベッドで寝るのが一番だなと、ロキは思う。

結局、その後ロキに動員が掛かる事はなかった。

紛争は小規模のまま終わった。そういうことらしかった。

 

2、北の大地にて

 

休暇申請が通ったので、北海道に出向く。

ロキは愛車を乗り回しながら、北海道の道をどこまででも行く。

北海道は広い。

古くはあまりにも寒すぎて開拓が上手く行かなかった土地だが。

それも近代には一気に開拓が進み。

今ではすっかり豊かな土地になっている。

特に近年は温暖化が進んで、夏場は本土と殆ど変わらないほどに暑くなって来ている場所だが。

それでも豊かで食い物がおいしい。

東京も悪くないのだが、ロキは早速何カ所かしっている店に出向いて、うまいうまいと海産物を口にしていた。

満腹して酒も入れて、しばらく周囲を歩く。

北海道は観光も力を入れているので、色々楽しいものが売っている。

ロキにとってはこの辺りも面白い。

普段だったら絶対に買わないようなどうでもいいものでも、気分がいいと買ってしまうのが人間だ。

悪魔も実は似たようなものである。

ちょっと幾つか面白そうなものを買ってしまった。

魔界に帰った後、妻に無言で詰められそうだが。

まあそれはそれ。

妻もある程度諦めているようで。

ロキの屋敷にある意味不明なコレクションに対して、文句をつけるようなことはなくなっていた。

たっぷりカニを食べて満足したので。

一度軽に戻る。

車の中で気分よく寝ていると。

窓をノックされた。

誰だか知らないが、接近に気づかなかったのでちょっと驚く。

窓を開けて見てみると。相手は見覚えがある奴だった。

ドアのウィンドウを開ける。

あまり機嫌が良く無さそうな険しそうな顔をしたしぶいおっさんがそこにいて。

ロキの事をじっと見ていた。

「久しぶりだな魔王ロキ」

「ああ、久しいなぁ。 俺は今日は非番だぜ」

「お前の言葉を信用すると思うか?」

「いや、カニ食いに来て腹一杯なんだけれどな。 んで、気持ちよく車の中で寝てたってわけ」

あくびをしてみせる。

相手は渋面を作った。

今風の格好をしているが。

相手は天津神月夜見尊。

いわゆる三貴神の一人であり。日本神話におけるもっとも有名な三柱の神の一人。ただし、天照大神と素戔嗚尊の逸話は豊富なのに。殆ど逸話がない不思議な存在である。

一応月を司るという存在ではあるのだが。

ここまで逸話がない存在も珍しい。

こういう役割だけ与えられていて、逸話がない神々は他の神話にもたくさんいるのだけれども。

月夜見尊はその代表例みたいなものだろう。

ただ、知名度はあるのでそれなりに力はある。

以前、日本で呼び出されそうになった時に色々ともめ事があって。

それで顔見知りになった。

はっきりいって仲が良い相手ではない。相手は秩序側。ロキは混沌側だから、下手をすると即座に殺し合いだ。

だが、月夜見がその気だったら即座に仕掛けて来ていただろうし。

この車は吹き飛ばされていただろう。

なお。確か北海道は此奴のテリトリ外だった筈だが。

まああまり気にはしていないのだと思う。

実力は月夜見の方が数段上という事もあるので。

ロキとしては、あまり気分は良くなかった。

「それにしても良く見つけたなあ。 俺、この国にはここしばらく迷惑掛けてないんだけれど」

「ここしばらくとは人間の感覚でか? この国を基点に魔界を作ろうとしたことを忘れてはいないぞ」

「ああ、そうなったら俺に続いた魔王級がいたかもな。 セト辺りが続いていても不思議じゃなかったしな」

けらけらと嗤うが。

内心ではひやひやだ。

いや、戦っても生きて逃げ延びる自信はあるのだが。

愛車やお土産が全部消し飛ばされるのは殆ど確定である。

それは困る。

この小回りがきく軽自動車は、ロキにとってのお気に入りなのだ。

ロキがこの日本に呼び出されそうになった事件があった後。セトが何やら蠢動していた形跡がある。

セトはエジプト神話における最大の邪神で、同神話における魔王のような役割を果たしているが。同時に軍神でもある。

サタンの原型になったと言う説もある神だが、実際の所それについては賛否が分かれる所である。

サタンとは元々敵対者という意味の言葉で。神に仇なす上級悪魔くらいの意味だったものが、どんどん尾ひれがついて最終的には悪魔の大ボスになっていった存在なのだから。

まあそれはともかくだ。

月夜見ほどの大物でも、セトが相手では流石に分が悪かっただろう。ロキとは比較にならない神格だ。

そういう事もあって。月夜見がロキを警戒しているのは事実らしかった。

ロキにとっては迷惑な話だが。

「ともかく、俺は観光に来ただけだよ。 どうすれば信頼してくれるかい?」

「……観光だと?」

「うん。 俺この国の文化好きだし。 今どんどん俺のいた国とか、文化が息苦しくなっててなあ」

「ああ、ポリコレがどうのというやつか」

そうそうとロキは頷く。

自由がどうのと喚きながら、実際にはその自由を根本から奪い、破壊する思想が西欧で病魔のように文化を蝕んでいる。ポリコレだのなんだのいうのがそれだ。

ロキもはっきり言って迷惑している。

文化の死は、神や悪魔にとっても極めて大きな問題だ。

人間の好き放題に振り回されてきたのは神も悪魔も同じだけれども。

それでも今回のは本当に酷いとロキも困惑している。

いずれにしても、日本にもそれは波及しようとしているが。

今の時点では、目につくほど迷惑ではない。

そういう意味でも、ロキにはこの国は心地よいのだ。

そう説明すると、元々渋面だった月夜見は更に顔を険しくした。

まあいいけれども。

「言い分は分かった。 だが、この間東京の埠頭で暴れた中に貴様がいたことが分かっている」

「あれはベルゼバブの旦那の指示だよ。 なんかあんたらの国でも邪神とされてる奴にちょっかいだそうとしている天使の手下どもを、アリスと一緒にお仕置きしたの。 天使を派手にブッ殺したのはアリスだし、俺は手下共を軽く捻っただけで殺してもいねーよ」

「それが貴様の言い分だと言う事は分かった」

「参ったなあ。 此処でやりあうつもりはないんだけど。 俺としてもまだ彼方此方食べ歩きたいし」

はあと、大きくため息をつく月夜見。

そして、ずばり言われた。

「我が国の神々が、一神教にもお前達混沌勢力にも所属せず、独立勢力を保っているのは知っていると思う」

「ああ、知ってるよ。 こんな東洋の東の果てで大したもんだ」

「一言余計だが、まあいい。 その独立を保つのは、なかなか大変でな。 我等が主神である天照大神も気むずかしい事もあって、なかなか気苦労がたえぬ」

「俺様はそんなに問題起こしてないと思うけれどなあ」

「……」

自覚が無いのか、と顔に書かれたので。

本当に困惑した。

悪魔の中には、地上に出るや否や人間を食って。それでいきなり退治されたりする奴もいる。

ロキだって昔はそうしていた時期があった。

昔は今に比べて人間の命が軽かった。

まあ今でも人間の命ははっきりいって安いけれども。

それでも今の比較にならない程、命が軽い時代があったのだ。

だから今では、そういう事は出来るだけしないようにしている。

すぐに騒ぎになるし。

何より大きめの紛争が起きて。

魔界も天界も、無駄に戦力を消耗することになるからだ。

ロキはその辺りはすっきり順応した。

大物の魔王の中には、人間なんか殺しまくって何が悪いと放言する奴もいるけれど。

そういうのは、大魔王が地上にはまず出さない。

出すとしても大規模紛争の時くらいだ。

要するに、面倒だから大魔王ですら魔界に封じているという事である。

ロキは比較的気軽に地上に出ているが。

それはもめ事をあまり起こさないという意味で、ある程度信用されている事を意味している。

月夜見だってそれは分かっているだろうに。

「あー、分かった。 じゃあこうしよう。 俺様、あと三日滞在する予定だったけれど、二日に短縮するよ。 それでいい?」

「勝手にしろ。 問題は起こすなよ」

「もう。 此処のメシ美味いんだから、あんたもたのしんで行けばいいのに」

「そう簡単にはいかないのでな」

そういえば、日本の神社の思想は少し特殊で。

どこもが基本的に何かしらの神の縄張りなのだったか。

それで確か日本の神社では、稲荷神社と八幡神社がツートップであり。

要するに殆どの土地はそれらの祭神の縄張りという事である。

上位の神である月夜見が彼方此方で食べ歩いてもそれらの神はあまりいい顔をしないのだろう。

なんだか面倒そうだなと、ロキも少し同情した。

ましてや北海道は、明治以降に開拓が進んだ土地だ。開拓と言えば聞こえは良いが、まあ色々とろくでもない事を散々やらかしたとも聞いている。

そうなると、月夜見尊も色々面倒くさい中で頑張っているのだろう。

同情は禁じ得ない。

ともかく、五月蠅いのが行ってくれたので、ロキは大あくびをした。

まあ戦いになったら勝ち目は無かった。

これでもアウェイの戦いだ。

条件が整っていればある程度戦えたかも知れないが、今の状況だととても勝ち目はないと言える。

ロキとしては、幸運だと言えたかも知れない。

食べ歩きだけでも結構大変だ。

そう思うと、ロキの今の立場は、あまりよろしいものではないのかも知れなかった。

 

北海道の居酒屋で、カニやら何やらを色々食べ歩く。

実にうまいので、満足である。

特にウニ。

こんなもんをよく食べる気になったなと、感心してしまうと同時に。

こんなに美味いものだったのかと、最初に食べたときは驚いたものだった。

一応ベルゼバブに連絡は入れておく。

今、日本に来ているあいつが。

日本における混沌勢力のトップだ。

確か補助でアスラ王が来ているはずだが。

彼奴はナンバーツーというか補佐で来ている筈で。

一応ベルゼバブに連絡を入れておくのが一番だと思う。

とりあえずベルゼバブは、話を聞くと面倒くさそうにした。

「いっそ今すぐ帰ってくれないかなロキよ。 大魔王様だけでも、私の胃に穴が開きそうなんだが」

「なんだハエの魔王なのに胃が弱いなあ旦那」

「お前なあ……」

「冗談ですよ冗談」

ベルゼバブが何故ハエの魔王とされたのか。

それはバアル神の神殿で、生け贄に大量のハエが集っているのを見た一神教徒が、涜神の意味でそういう風にしたという説がある。

あくまで説だ。

古い古い信仰に対する涜神だし、どこまで本当かは分からないが。

いずれにしても、ハエの魔王と言われてベルゼバブはあまり喜ぶ事はない。

「日本神話の神々と、あまりうまくいっていないので?」

「うまくいくも何も、いつ殺し合いになってもおかしくないレベルだよ。 こっちが基本的に無茶をしないから相手は仕掛けてこないだけ。 それに天界の勢力も結構やりたい放題してるから、牽制のために我々に戦いを挑んでこないだけだとみて良い」

「なんだかなあ。 三すくみを維持する事で、この国の勢力圏を確保しているというのも……」

「例えば我々が追われたら、天界が一気に攻めかかってくるだろうし。 その逆もしかりだ。 天津神達も、あまり我等と喧嘩はしたくないのだろうよ」

その割りには月夜見は随分と好戦的な雰囲気だったが。

あれは単に昔の憂さ晴らしだったのか。

こっちが楽しんでいるのを理解した上で、嫌がらせに来たのか。

なんだか頭に来るが。

しかし約束は約束だ。

既に魔界の住人である以上。

ロキも契約には縛られる。

「ともかく俺は明日が終わったら帰りますんで。 なにかあるんなら、それまでにしてくださいよ」

「ああ、そうする」

「それじゃ」

通話を切ると、ロキは溜息をついた。

なんだか色々何処でも息苦しい。

ここの文化をガラパゴスだのと馬鹿にしている連中がいるらしいが。

ことサブカルチャーに関しては、この国は世界でもトップを走っている国の一つだ。

それについては、世界中の文化を見て来たロキが保証する。

だいたいガラパゴスにしても、貴重な動植物がいる残された楽園の一つだろうに。

それを馬鹿にする言葉にする神経が理解出来ない。

人間はとっくの昔に邪悪さで悪魔を凌いでいると、以前ベリアルとネビロスが愚痴っているのを聞いたことがあるが。

それについてはロキも同感だ。

ともかく、残った時間はあまり多く無いので。

食べ歩きに出るとする。

北海道はあまり治安が良い方ではない。

ロシアがずっと狙っている事もあって、ロシアの息が掛かった人間が議員までしているような場所だ。

夜歩いていると、変なのに絡まれることも多い。

此処で言う変なのとは人間の破落戸ではない。

もはや魔界にも居場所がなくなったような、訳が分からない怪異の事だ。

悪魔ですらもない怪異。

元がどこの何様だったのかも分からない存在である。

店をはしごしながら、北海道の珍味を味わっていると。

そんなのが、ロキの背後から来ているのが分かった。

何だか不定形でうごめいている。

どうやら、定型すら保てなくなったらしい。

呻きながら近付いてくるので、ロキはいい加減鬱陶しくなって足を止めた。

「あんたさあ。 ちょいしつこいよ?」

「lqfdsfhopqwdfhpoqiwufqffbf……」

「もう言葉も発する事が出来ないか。 また面倒なのに絡まれたなあ」

肩をすくめると。

ロキを獲物と判断したのか。

それは飛びかかってきた。

指を鳴らす。

それだけで蒸発する。

まあ当然だ。

神々のテリトリの中で、身を潜めていたゴキブリのような元が何かすらも分からないような輩だ。

ロキみたいなメジャー神格に勝てる訳がない。

そのまんまロキは消えていく、元が何だったか分からないものの成れの果てを見やると。

自分だっていつこうなっていたか分からないなあと思いつつ。

その場を後にしていた。

後は、したたか飲んだあと、魔界に戻る。

自宅では、妻が心配そうにしていた。

「あなた。 また地上で問題を起こしたそうですね」

「なんだよ藪から棒に」

「ベルゼバブ様を通じて、大魔王様から連絡がありました」

「あー。 まあ、問題と言う程ではないから安心してくれ」

呆れている妻にそういうと、土産を渡す。

妻も料理はともかくとして、一応地上の食い物はそれなりに好きなので(食い物以外にはいつも眉をひそめるけれど)。

買ってきた北海道の新鮮な海の幸は喜んでくれた。

ロキも今更妻を悲しませようとは思わない。

そのまんま、寝室に向かうと寝る。

一日早くなってしまったが。

それでも地上での食べ歩きは堪能できたのだ。

ここのところ、いつも日数が短縮させられたり。或いはもめ事が起きたりで散々だけれども。

なんでもそろそろ激動の時代がくるらしいから。

ロキも、楽しく日本で食べ歩きとはいかなくなるのかも知れない。

一眠りした後、一応大魔王の城に出向く。

ベルゼバブから連絡があったということは。

大魔王も一応話は聞きたがるだろう。

大魔王の城まで、何回か空間転移の魔術を使って出向く。

ロキの魔力では、一発ぽんとはいかない。

この辺りは、ロキも魔王としてはそれほどランクが高くは無いという事が理由である。まあ情けない話だが。

下級の悪魔だと、空間転移の魔術も使えないような事を考えれば。

大混雑することで有名なポータルという空間転移魔術装置を使わず、自前でいけるだけ可とするべきなのだろう。

ともかく大魔王の城について。

口うるさい人格がある扉の問答につきあわされて。

うんざりしながら中に。

受けつけをしている悪魔に謁見の申し込みをして、しばらく待つと。

謁見の間に通して貰えた。

玉座についている大魔王は、謁見モードの巨大な姿だ。六対ある翼と、威圧的な巨体が印象的である。

まずは、大魔王に北海道土産のアイスを献上する。

ドライアイスを入れて冷やしておいたので、多分崩れていない筈。

なおロキの印象だと、北海道ではソフトクリームよりもアイスの方がお勧めだ。

ソフトクリームは沖縄のがおいしい。

だが大魔王がロキと同じくアイスが大好きである事を知っていたので。

わざわざアイスにしたのだ。

大魔王はアイスと聞いて、一瞬だけ身じろぎしたが。

それだけで、以降は話を聞く。

「いやいや、ちょっと北海道で食べ歩きをしていたら、現地の神に絡まれて大変でしたよもう」

「日本の神々は、天界とも対立している。 場合によっては味方に引き込める可能性もあるから、無意味に問題を起こさないように」

「はい、それはもう」

「土産は有り難くいただいておこう。 それでは下がるように」

頭を垂れると、やれやれといいながら退出。

謁見の間を出ると、大魔王の宰相をしているルキフグスが待っていた。宰相といっても、秘書官みたいなものだが。

「ロキ殿、貴方も地上をふらついておられるようですが、今の状況をもう少し理解していただきたい」

「地上で紛争が起きそうだというアレですか?」

「おきそうどころではない。 これから十数年ほどが正念場になる程なのだ」

それはまた。

ロキくらいのあんまり地位が高くない魔王だと、そこまでの情報は流れてこないのだけれども。

そんな事になっていたのか。

そういえば、少し前に東京の米国大使館にいた、トールの分霊体が倒されたとか聞いている。

分霊体だから別に良いだろと思っていたのだが。

思ったより事態は深刻ということか。

「それで、俺はどうしたらいいですかね」

「……そうですな。 まず地上に出るのを控えていただくか、それとも地上に出るとしても、作戦で出るかのどちらかにしていただきたく」

「はあ。 でも俺食べ歩きが好きで……」

「大魔王様もよく分からない理由で地上を出歩いておられますが、そんな理由で出歩かれては困ります」

困りますかさいですか。

とにかく小柄な老人であるルキフグスに懇願されると、色々ロキも困る。

ロキだって血も涙もないわけではない。

こんな枯れ木のような老人の悪魔に困ると言われたら。

それは困惑する。

地上の人間が考えている程、悪魔は残忍でも冷酷でもない。

まあサタニストとかいう連中が考えている程、優しくもないのだが。

「ともかく、今後は地上に出る許可は下りにくくなるとお考えください」

「なんだよ。 楽しみがなくなっちゃうじゃん」

「……今回の米国大使館の一件で、秩序と混沌の力のバランスが一気に崩れる可能性があります」

「!」

それは流石に。

ロキも黙ってはいられないか。

秩序と混沌の勢力バランスは、秩序がかなり有利だ。

魔界はあくまで守りに徹し。

隙があれば天界の戦力を削る。

天界も無理をせずに人間の信仰心を集め。

魔界を抑え込んで、好き勝手に暴れられないように掣肘する。

それがこれまでの、しばらくの動きだったのだが。

それが一変するとなると。

文字通り、地上は焦土と化す可能性がある。

魔界の深部にいる魔王達。

北欧系だと、世界を文字通り焼き滅ぼすスルトとかが地上にでたら、洒落にならない事態が起きるだろう。

そんな事になっては困る。

楽しい食べ歩きが出来なくなる。

かといって、混沌の果てに地上が落ちるのは、それはそれで楽しそうである。

末法末世とかいったか。

そんな状態でも、色んなグルメが楽しめる可能性もある。

やはり食べ歩きを主体に考えている事を察したのか。

ルキフグスは呆れていた。

「ともかく、ロキどの」

「分かりましたよもう。 今は魔界で力を蓄えます」

「……地上で活動しているベルゼバブどのに、今後は土産などを要求してください。 ベルゼバブどのも、貴方が大人しくしてくれるというのなら、喜んで土産を送ってくるでしょう」

「分かりましたよ。 期待しないでそうします」

ベルゼバブの事だ。

高級料理店だとかのつまらんメシを送ってくるに決まっている。

そんなもん、いわゆる意識高い系。

文化なども、意識高い系になってしまうと、途端に面白さがなくなるが。

料理だってそれは同じだ。

客をどなったりするような店がはっきりいって行きたくも無いのと同じで。

そんな店の料理には魅力なんぞ微塵も感じない。

ため息をつくと、家路につく。

ともかく、しばらくは魔界の大味な料理で我慢するしかないか。

まあ、アイスのメーカーさえ伝えれば、ベルゼバブでも間違えずに買ってくるかもしれない。

大魔王がさんざんアイスを買っているだろうし。

その辺は分かるとは思う。

自宅につくとくたくただった。連続で空間転移の魔術を使ったのだから当然だろう。

妻に後は任せて、寝る事にする。

なんだか最近は自宅で寝てばかりだなと思ったが。

まあそれはそれで、仕方が無い事だった。

 

3、食べ歩きのない地上

 

動員が掛かった。

ロキに動員がかかるという事は、もめ事だ。

ただ、動員の指揮を執るのがベリアルだというのを見て、うんざりする。

ベリアルは、この間アリスと仕事をしたとき、ロキに明らかに非好意的な視線を送っていた。

今回も散々虐められそうである。

げんなりしながら地上に出向く。

ベリアルだけではなく、何体かの大物が来ていた。

これは、久々の大戦争か。

そうなると、地上の一地区くらいは消し飛ぶかも知れないなあ。

そう思いながら、周囲を見る。

確かここは中東のなんだかいう国だ。

石油資源の問題で、国中滅茶苦茶。

テロの嵐が吹き荒れて、世界でももっとも住みたくない国の一つになってしまっている場所である。

ロキもその辺の事情は知っていたから、周囲を見てげんなりした。

確かに国から活力というか、何もかもが失われてしまっている。

こう言う国では、もう人間が逃げる場所は宗教しかなく。

宗教は際限なく凶暴化する傾向がある。

この辺りは一神教の縄張りだが。

イスラム教の開祖ムハンマドが掲げた理想など忘れはて。

すっかり邪悪な思想に凝り固まった集団がうようよしている状態だ。

こういうところはメシもまずい。

人間の死体がそこら辺に散らばっていても、悪魔も見向きもしなかった。

「今回、この辺りで天使が大規模な作戦行動を起こすと連絡が入った」

ベリアルが厳しい表情で周囲を見回す。

悪魔達も、面白く無さそうだなあとみな顔に書いている。

ロキ以外には北欧系はいないか。

まあ仕方が無いだろうなと、ロキは思った。

一神教は、他の宗教の神は全部悪魔と言う思想の宗教だ。

ロキからして見れば、なんでそんな偏屈な思想を持つのかと思うけれども。

考えてみれば、思考停止させてくれるというのは人間にとってはとても魅力的な事なのだ。

何も考えずに、神の言う事だけ聞いていればいい。

正義は神が担保してくれる。

神が悪だという人間を殺しても良い。

それはそれは。

とても魅力的な思想なのだ。

人間は基本的に弱いから、自主的に何かをするという事をとてもいやがる傾向がある。支配される方が楽、という奴だ。

だから一神教は支配に都合が良かった。

ローマをあっと言う間に乗っ取ったのも、支配に都合が良いから。支配者階級に便利だったから。

中東で吹き荒れたのも、環境が過酷だから。

そういう場所では、バカでも自分が正義に酔える思想が便利なのだ。

いずれにしても、ベリアルが率いる悪魔軍団となると、相当な規模である。

これで迎え撃つとなると、余程の軍が来るのだろう。

気配を消す結界を全力で展開して、しばし待つ。

やがて、天使が姿を見せ始める。

ベリアルが呻いた。

ちょっと多すぎる。

「これは、ベリアル殿……!」

「大天使ウリエルを確認!」

「まずいな。 天界の精鋭部隊だ。 事前の情報よりも規模が数倍大きいぞ」

誰かがいう。

此処にいる悪魔はみな名だたる者達なのに、腰が引けている。

元々天界の方が戦力が大きいのだ。

今回は敵が戦力が小さいのを利用して、楽をして勝つはずだったのに。

現地で調査をしていた連中が甘かったのか。

それとも罠か。

撤退すべきだろう

そうロキは判断する。

これでもロキも、歴戦を重ねたものだ。

これが非常にまずい状況だと言う事は一発で分かる。ベリアルにだって分かっている筈だ。

それに相手はウリエルである。

こんな結界、いつ気づかれてもおかしくない。

しばしして、ベリアルは決断した。

「貴重な戦力を失う訳にはいかん。 一度撤退して、大魔王様の判断を仰ぐ」

皆がほっとするのが分かった。

ただ、撤退の瞬間が一番危険だ。

ベリアルが結界を維持したまま、弱い悪魔から順番に魔界に戻していく。

日本の通勤ラッシュのように押せ押せとはならないが。

それでも悪魔がみんな怯えているのが、ロキには分かった。

ロキは最後の方だ。

仮にも魔王に分類されているのだから。

雑魚があらかた魔界に戻ったタイミングで。

ウリエルが、ぎろりと此方を見るのが分かった。

同時に、鋭い声が上がる。

「悪魔だ! 攻撃せよ!」

「総員撤退! 急げ!」

ベリアルが結界を解除。

最後尾に立って、魔術のシールドを展開。

雨霰と降り注ぐ光の槍を防ぎ続ける。

流石に数が数。

ウリエルが率いる最精鋭。

流石にベリアルでも相手が悪い。

そのままどんどん悪魔達は魔界へと脱出していくが、それでもやはり流れ弾に当たって消滅するドジはいた。

ロキもシールドを展開していたが、負荷が大きすぎる。

更に、ウリエルが展開したデカイ魔術を見て、これはもう駄目だと判断。

悲鳴を上げてもがいている悪魔数体を抱えると。

魔界への穴に飛び込んでいた。

最後にベリアルが来る。

魔界への穴を閉じるが。

かなり光の槍が追撃で飛び込んできて、魔界に逃げ込んでほっとしている悪魔を粉々に消し飛ばしていた。

散々な負け戦だ。

この間天使数百をアリスが消し飛ばしたが、それが帳消しになるほどの負け戦である。

散々だなとロキはぼやくが。

ぼやいていても仕方が無かった。

「被害報告!」

不機嫌そうにベリアルが言う。

魔界の赤い空に浮かんでいる悪魔達は、被害を確認。

地上に残ってしまった奴は、MIA扱いするしか無い。

「損害一割強というところです。 魔王級のお味方に倒された方はいません」

「……負けだな」

ベリアルが悔しそうにいう。

まああれだけ一方的にぼこぼこにされたのだ。被害が一割で済んだなどというつもりはない。

ロキから見てもこれは完敗だ。

もはや言い訳は出来ないだろう。

ため息をつくと、指示を仰ぐ。

ベリアルは全身の彼方此方が穴だらけになり。焼け焦げていた。

「各自体を魔術で回復させよ。 その後は、大魔王様の城に帰投せよ」

「ははっ」

散々な負け戦だったが、どうするのかねえ。

そう思いながら、ロキは様子を見る。

ベリアルは側近と何か話していたが。

やがて、ロキに言う。

「敗退の報告書は俺が書く。 ロキ、貴様は皆をまとめて、回復したものからそれぞれ解散して帰宅させてくれ」

「分かりましたが、いいんですか?」

「いいもなにも、責任は俺にある。 勿論最大の責任者は、敵の規模を見誤った阿呆だが、其奴はもう戦死した」

「……」

そうなると、そいつも参戦していたのか。

そして戦死したと。

まあ戦死したのなら、これいじょう責任はとりようがない。

ともかく大魔王城に到着すると。ヘリポートのようになっている出撃場に降り立つ。

皆に指示を出して、回復をさせ。動けるようになったものから帰宅させた。

大魔王の城からも、回復を得意とする悪魔が多数出て来て、回復をしてくれる。

大敗北は既に報告がいっているようだった。

ベリアルが大魔王の所に出向く。

流石に処刑はないだろうが。

それでもこっぴどく叱られるのは確かだろう。

まあ今回はロキに責任は無いか。

その点では気楽だ。

回復があらかた終わった。ロキ自身は大して負傷もしていないし、仮にも魔王だ。特に問題は無い。

程なくしてベリアルが戻ってくる。

「ロキ、回復の状況は」

「重傷者は既に運び終わりました。 軽傷者は順次帰宅させています」

「ならば、後は俺が見ておく。 貴様は戻ってかまわんぞ」

「それでは、そうさせていただきます」

とはいっても、魔力切れだ。

ウリエルの攻撃を防ぐのに手一杯だったし。

魔力を分散させて、回復の魔術を使う悪魔も支援した。

つまり、家に帰るだけの魔力がない。

ポータルを使う手もあるのだが。

あれは普段ですら渋滞する。

ましてや敗戦があった今となると、更に渋滞は酷いだろう。

というわけで、やむを得ない。

一旦城下に降りる。

大魔王城ということで、城下町も一応存在している。あまり規模は大きくはないものの、だが。

魔界の食い物は大味なのであまり好きではないのだが。

此処ではもう我慢するしかないだろう。

馴染みの店に行く。

魔界の店にしては、そこそこのものが出てくる店だ。

席に着くと、店主が来る。

ロキとも顔馴染みである。

悪魔としてはそれほど格は高くないが、そこそこ魔界にしては良い料理を出してくるので、尊敬はしていた。

注文をして、適当に料理が出てくるのを待つ。

その間にスマホを使って、妻にメールを送っておく。

魔界でもきちんと基地局はあるので、スマホは動く。

「というわけで無事だが、魔力はすっからかんだから、メシ喰ってから帰るわ。 晩飯はいらないから、そういうことで」

「分かりました。 ともかく無理はなさらないでください」

「ああ、すまん」

ロキみたいなチャラ男にはもったいない妻だ。

メールを閉じると、テーブルにどんと置かれたデカイ海老を見る。

海老といってもこれは既に絶滅したものを、人間が想像した復元図。

味については地上のものにそもそも劣るし。

何より味付けとかが大味すぎる。

同じように、人間が復元図を想像した古代生物は魔界にいくらかいて、大魔王が保護しているが。

増えすぎた分はこうして食用として悪魔のテーブルに並ぶのだ。

からが硬い。

四苦八苦しながら割って、中の身を食べるが。

しっかり蒸してあるとは言え、結構大きな寄生虫が出てくるので、閉口してしまう。

まあこんな程度でぶちぶち言っていたら、魔界で飯なんて食えたものではないので我慢はするが。

しばらく黙々と食べていると。

向かいに誰か座った。

顔を上げると、久々に見た顔だ。

「久しぶりだな」

「おお、こりゃまた久しぶりだ」

思わず笑顔が浮かぶ。

向かいに座ったのは、北欧系の悪魔。

正確には少し違うか。

北欧神話には悪魔的存在はいるが、基本的に「巨人」とされている。有名な霜の巨人ヨトゥンが有名だが。実際にはこれは多数の存在がごっちゃになっていて。ヴァン神族と呼ばれる神々も、実際は霜の巨人と同じ存在では無いかと言う説がある。主な神々の敵は霜の巨人とされる者達だが、世界の果てにいる灼熱の世界ムスペルヘイムにいるムスペルという更に強力な巨人もいる。しかしムスペルは世界の滅びに出現するものであって、北欧神話にはあまり関わってこない。一種の終末装置である。

向かいに座ったのは、そんな巨人の一角。霜の巨人の王、ウートガルザロキ。

あのトールすらもおちょくって逃げ切った、巨人族の大顔役だ。

名前からしても、ロキと何かしらの関わりがある可能性があるらしいのだが。

残念ながら伝承が失われているので、今ではもうよく分からない。

「こっぴどく天使共にやられたらしいな」

「ああ。 この間の勝ちが帳消しだよ」

「しっかし、地上の諜報も質が落ちたものだなあ」

「まったくだ」

海老の蒸し焼きを注文するウートガルザロキ。まあ、久々の邂逅だ。楽しむとする。

同じ料理を注文しないと非礼に当たるとか言う変な文化が一時期地上にあったのだっけ。

今回はそんな事は無く。

ただ趣味があっただけだ。

北欧の巨人らしい、ヴァイキングをそのまま巨人にしたような姿のウートガルザロキは、そのまんま海老を手にとると、殻ごとむっしゃむっしゃと食べ始める。寄生虫も関係無し。

豪快な事である。

「うーむ、此処の海老は美味いな」

「まあ地上の海老料理の方がうまいけれどもな。 それで、どうしたのだ」

「ベリアルが負けたそうでは無いか」

「うむ……」

まああれは敵の戦力規模が大きすぎたのと、事前の情報が色々まずかったのがある。ベリアルのせいではないだろう。

死んだ者達も、時間を掛ければ魔界で復活する。

まあ報告書を出して、しばらく謹慎で終わりの筈だ。

「ウリエルだかいう大天使が、なんであの場所にあんな大軍で出現したのかが疑問視されているらしくてな」

「そういえば確かに、なんであんな軍勢が出て来たのかは気になる。 それも大天使が直属の精鋭を率いてきたというのは妙だ。 それもウリエルがだ」

「そうだ。 普段四大は天界に引きこもっているらしいからな。 今回は第二陣を出す事を予定しているらしく、俺はそれで呼ばれて来たというわけだ」

「第二陣か……」

そうなると、規模は先よりも大きくなるだろう。

ウートガルザロキといえば、北欧神話でもトールを煙に巻いた大物巨人である。最強の雷神を、だ。

ベリアルが駄目だったとなると、更に上位の魔界の重鎮が出る事になる。

まさか大魔王が直々か。

いや、それだと取り返しがつかない紛争になりかねない。

「ともかく俺はまだ呼ばれただけで詳細を聞いてはおらん。 どうせ扉で色々時間を食われるしな」

「まあそうだな。 あの扉だけはどうにかならんかねえ」

「大魔王様が信頼なさっているのだから仕方あるまい。 それでは息災でな」

「ああ、また知恵比べでもしよう」

からからと笑うと、その場を離れる。

丁度ロキも食事が終わって多少回復した。家に帰るくらいの魔力は何とか戻ったと見ていい。

ただ、やはり大味だ。

何というか、デカイ料理をどーんと出せば良いみたいな雰囲気がどうしても優先している。

魔界には巨大な体の悪魔が多いから、仕方が無いのかも知れないが。

それにしてもどうにかならないのかなあと思ってしまう。

かといって、まずは家で寝たい気分だ。

魔力が戻った事を確認すると。

ロキは家に、空間転移の魔術で飛ぶ。

一度では飛びきれないので、何回か連続で使う。

かろうじて、たどり着けた。

フラフラのロキを見て、妻は悲しそうにした。

妻はこんなトリックスターのえーかげん男にどうして嫁いだのか分からない。

戦争は北欧神話の神々らしくもなく嫌っているし。

何よりも暴力も野蛮も大嫌いだ。

北欧神話の神々は、頂点にいるオーディンやトールからして残忍で暴力大好きな集団なのに。

そんな妻が嫁いだのが、ロキのような筋金入りの食わせ物なのだから。世の中というのは分からない。

「とにかく疲れた。 もう寝るから、何があってもおこさんでくれや」

「分かりました」

「すまねえな、俺みたいないい加減なのが夫でよ」

「……」

疲れたのでそのまま寝る。

いい加減な事を自覚しているロキだが。

それでも、この妻のことは誰よりも大事に思っていた。

 

夢を見る。

神々と一緒に悪さをしていた頃の夢。

とはいっても、北欧神話はいい加減極まりない代物だ。

信仰対象がコロコロ変わり。

主神すら二度も交代した。

同じ神が違う名前で何度も出て来たり。

どの神も荒々しい民族性を象徴するように軍神ばかり。

そんな中で、口八丁で好き勝手するロキは、ある意味異質な存在だとも言える。

トールのような筋金入りの脳筋と気があったのも、それが理由だろうか。

ロキだって最初はこんな神格だったかよく覚えていないし。

そもそもラグナロクで邪神となって神々と戦った事だって。

本当は一人のロキがそうしたのか。

複数の神格が集められてそうなったのか。

それもよく分からない。

人間の思念が作り出すのが神々だ。

魔界だ。

だからロキは今魔王として魔界にいる。

いちおう神話では責め苦をずっと受け続けている筈なのだが。それはそれ、これはこれで別にいい。

そもそもスルトが魔界で活躍しているほどなのだ。

その辺りの事は考えなくても良いのだろう。

目が覚める。

腹が減ったので、軽くメシにする。いい妻だが、料理は相変わらずだ。使用人でも雇うかなと思うが。

それはそれで、妻がむくれそうである。

冷蔵庫からアイスを出して、口直しにする。

まあ多少は良いだろう。妻は正直、生暖かい目でロキの様子を見ていたが。料理をおいしくないと思われている事は、悟っているようだし。

「それは地上のアイスでしたっけ」

「うまいぞ。 食うか?」

「確かにおいしいですが、後でいただきます」

「そうか。 ともかく疲れたときには甘いものが一番だからな」

さて、メールを確認する。

現在、例の第二次作戦についての話が進んでいるらしい。指揮官として出るのはバエル。これはまた大物だ。

ベルゼバブと並ぶ、バアルが貶められた堕天使。最強格の堕天使の一人である。日本などではあまり知られていないが、その実力はベリアルに匹敵するかそれに近い。複数の動物が合体した姿をしているが、いわゆるソロモン72柱に含まれる堕天使の中でも、特に異形の傾向が強い。

ただ、第二次作戦にそれほど多数の戦力が動員されるようではなく。大物を選抜して出撃させるようだ。

これは恐らく、リベンジマッチをするのではなく。

あの地点に何があったか、調査するための精鋭を編成したのだろう。

ロキとしてもなるほど、と思ったが。

今回は不参戦だ。

どうでもいい。

ただ、地上で食べ歩きの許可が出ないだろう事は分かっているので。

それだけが憂鬱だった。

一応、メールで地上に出る許可を申請してみる。

今すぐにではない。

かなりダメージを受けて弱っているので、しばらく後の事だ。

完全回復までは一月というところか。

一応魔力が枯渇しただけで、肉体にダメージを受けたわけではないので、それくらいで回復する。

申請をして見て、しばしして返信が来る。

まあ駄目だろうなと思ったが。

意外にも許可が出た。

ロキ自身が驚いたが。

ただ、許可が出た地点が、英国だった。

英国か。

飯がまずいことで知られる国だ。

産業革命の時に家庭料理のノウハウが全て失われてしまったという説もあるが、真相はよく分からない。

ロキも何度か食べ歩きに行ったことはあるのだが。

確かにファーストフードでも囓っていた方がマシ、という料理が非常に多くて閉口した記憶がある。

ただ。それでも美味しいものはあるらしいので。我慢するしかないか。

仕方が無い。

ガイドブックを見て、美味しいものでも探す事にする。

地上のおいしいものガイドブックを早速開いているロキを見て、妻が呆れた。

「あれほど酷い目にあったというのに、また食べ歩きに行く事を考えているんですか?」

「そうはいうがなあ。 神話の時代みたいに、やりたい放題に何もかも引っかき回すよりいいだろう?」

「それはそうですけれども……」

「それに、これから地上は大変な時代になるという話だ」

この間だって、一歩間違えば地上は焼け野原になっていたのだ。

東京にいたトールの分霊体は、全面核戦争の準備をしていた、と言う話である。

もしも実行されていたら、日本どころか、世界中が焼け野原になり。

食べ歩きどころではなくなっていただろう。

ロキだって人間を食うことはあるが。

あくまでエネルギーや恐怖を吸収しているのであって。

別に美味しいから食っているわけではない。

ましてや食べ歩きという趣味とは、完全に真逆と言える。

「これからどういう時代が来るかは分からないが、それが良い時代になる可能性はほとんどないだろうな。 ただでさえ人間は文化の多様性を否定し始めている」

「そういえば、そのような事を仰っていましたね」

「ああ。 その内この文化の多様性否定は更に酷くなっていく。 今は娯楽だけで済んでいるが、その内もっともっと色々なものが否定されていくだろう。 食文化についてもそうだ」

欧州に出向いたときに見た事があるが。

箸を使う文化を野蛮だとか何だとか抜かして、笑いものにしている連中が実在している。

ロキから言わせれば笑止の極みである。

二百年ほど前まで手づかみでものを食っていた連中が、最近作った使いづらいナイフだのフォークだのを自慢して。それらの機能を全て代用出来る箸を馬鹿にしているというのは、滑稽すぎて笑い話にもならない。

そしてそれが「正しい表現」だとか、「正しい文化」だとかにされていったら目も当てられない。

勿論欧州だけの問題ではない。

米国でもこの「正しい文化」とやらの押しつけはどんどん苛烈になっている。

米国に展開している悪魔の同僚から話は聞いているが。

文字通り、鼻をつまむ程おぞましい「正しい文化」の押しつけが横行し。文化の多様性の破壊が行われている様子だ。

反吐が出る状況だが。

人間はどうも作り出した美しいものを破壊して悦に入り。

醜いものを押しつけて喜ぶ傾向があるらしい。

悪魔から見ても、人間から見てもそうだ。

そもそも悪魔は人間の思念に大きな影響を受ける。

そういう意味で、人間の堕落は悪魔にとっても他人事ではないのだ。

「だから、今のうちに食文化を楽しんでおくのさ。 その内、どうせ食文化にすら色々と……いやもう既にそうか」

何だかロブスターの調理法が残虐だから法的に禁止とか言う、唖然とするような議論が為されているとか聞いた事があった。

何だか昔の欧州で、針の上で天使が踊れるかとかいうくだらない裁判が大まじめに行われた事を思い出す。

そしてやっている側は自分はとても正しい事をしていると信じて疑わない訳だ。

素晴らしすぎて感動を禁じ得ない。

いずれにしても、食文化を出来るだけ楽しんでおくことにする。

最悪の場合。

ロキしか覚えていない、という状況が来かねないのだから。

「地上が危なくなるのなら、天使がもっとたくさん巡回するようになるでしょう。 欧州圏ならなおさらです」

「まああの辺りは天使共の縄張りだからな。 その割りには人間共が悪徳の限りを尽くしても何もしないけどな」

「天使達の素行はともかく。 貴方は自分の身を心配してください」

「分かっている。 それについては分かっているさ」

繰り返して言って、妻を安心させる。

まあ、食べ歩きをしているだけなのにトラブルが散々起きるのは事実なのである。

ロキは何というか、周囲とトラブルを起こしやすい性格なのだろう。

トリックスターの性か。

あるいは別の理由から、かも知れないが。

いずれにしてもしばらくは休養だ。

地上から持ち帰ったアイスとかを時々食べながら、バエルが率いて出ていった軍勢の様子を聞く。

中東での大規模衝突にはならないようすだが。

それでも、天使が多数群れていて。

何かをしているのは確定らしい。

ただ今回は少数精鋭で出向いていることもある。

現地に詳しい中東系の悪魔も多数出ていることもあって。

ロキの所まで詳しい情報は届かないものの。

ある程度概要は掴めたらしかった。

いずれにしても、大規模衝突にも。

世界のバランスをひっくり返す事件にも発展はしなさそう、という事である。

それは良かった、とロキは思った。

悪魔らしくもないし。

北欧神話で世界の終焉であるラグナロクを引き起こす元凶の一人らしくもない思考ではあるのだが。

それでも食文化を今は愛する者なのだ。

世界が滅茶苦茶になっては困るというのは、ロキの本音だった。

ある程度状況が丁度落ち着いたと言う事もある。

英国に出向く。

美味しい店をガイドブックから調べて見にいったのだが。驚くほど潰れてしまっていて、外資系のよく分からない料理店に変わってしまっていた。

それにだ。

移民が驚くほど多くなっている。

英国は元々閉鎖的な国で、英国人以外を見下す悪癖があるが。

まあ人間には多かれ少なかれよそ者を馬鹿にする傾向があるので、それについては他も同じとは言える。

ただ、その移民があまりにも多くなっていて。

英国人との対立が目だっているのが一目で分かった。

ロキは気配を消す結界を展開していたが。

そうでなければ確定で職質を受けていただろう。

英国の警察は、昔はスコットランドヤードなんて言ってそれなりにスペックが高かったらしいが。

今はそれなりだそうだ。

職質を受けたら、下手をしたら賄賂でも出さなければ解放して貰えないかも知れない。

そう思うと、正直な所あまり良い気分はしなかった。

とりあえず、かろうじて残っていた美味しいと評判の店に出向いてみる。

まあそこそこ美味しかったので。それで可とするが。

しかしながらこの居心地の悪さはどうだ。

移民が入ってきていること自体は別に悪くもなんともない。

英国の閉鎖的な空気と。

移民との相性が最悪で。

国の空気が文字通り最悪になっている。

元々アジア人と一緒にいるのが嫌だと応える人間が過半数を占めるとか言う連中の国だ。

そんなところに移民を入れれば、どうなるかは分かりきっていただろうに。

店内の空気も良くない。

はっきりいって、いつ喧嘩が始まってもおかしくない魔界の大味な料理店の方がましだったな。

そう思って、ロキは店を出た。

げんなりして歩いていると、囲まれる。

どうやら地元の悪魔達らしい。柄が悪い連中が揃っていた。

「なんだ、よそ者か」

「よそ者というか、魔界から遊びに来たんだが」

「お前の気配、英国の悪魔のものじゃねえだろ。 どこから来やがった」

「北欧から」

そういうと、雑魚悪魔共はどっと笑った。

何がおかしいのか。

「北欧かよ。 あんなド田舎から来たのかよ」

「意識高い系の巣窟」

「それで都会にクラクラしているってか」

「……」

少し頭に来た。

此奴ら、土着の中級から下級の悪魔と言うところか。英国というと妖精が有名だが。

妖精はイメージされるような虫の羽を持った小さな女の子というような可愛いものばかりではなく。

猟奇殺人鬼が元になっている奴や、人間を容赦なく殺すようなのも珍しく無い。

此奴らはそんな妖精の、強めの個体だろう。

「で種族は田舎者」

「魔王だが」

「……っ」

「魔王ロキと言えば聞いた事があるだろう」

一瞬で黙る妖精ども。

ロキは舌打ちした。これでイキリ散らして見せれば、まだ少しはかわいげがあったものを。

「さっき喰ったメシ、店の雰囲気で味が台無しでな。 ついでにお前らみたいなアホに絡まれて今俺はとても機嫌が悪い。 どうしてくれようか?」

「す、すいません……」

「あー、もういいや。 消えろ」

指を鳴らす。

妖精共は全部まとめて燃え上がり、凄まじい絶叫を上げながら消滅していった。

最悪の気分だ。

帰る事にする。

今回の食べ歩きは、一月待ったのにな。

そう思いながら、ロキは愛車まで歩いて戻り。土産もなく、その場を後にするのだった。

 

4、終わりの時代の始まり

 

食べ歩きから無言で帰ってきたロキを見て、妻は一目で状況を悟ったようだった。

何も言わずに食事を準備し始める妻を横目に、ロキはスマホを弄って状況を確認することにする。

日本での天使と悪魔の対立が激化。

更に天津神がそれに介入して、三つどもえのにらみ合いが加速している。

いつ爆発してもおかしくない状態で。

大魔王が直属の精鋭部隊に、出撃の準備を指示したそうだ。

これはロキにも近いうちに声が掛かるな。

そう判断して、ため息をつく。

妻がスープを持ってきたので、有り難くいただく。

おいしくはないが。

体は温まる。

英国での一件は、問題にもならなかった。

ロキの他にも、英国のガラが悪い妖精に絡まれて不快な思いを味わった悪魔は多いらしく。

大魔王の使者が、妖精の元締めであるティターニア女王の所に出向いて。

わざわざ抗議をしにいったそうだ。

くせ者の妖精達だが、流石に大魔王の使者ともなると無碍にも出来ず。

色々不快感を味合わせて済まなかったと、謝罪の使者を送り返して来たそうである。

まあその前に部下を教育してほしいものだとロキは思う。

「友人から聞きましたが、地上は良くない状況のようですね」

「業病が続いている上に、戦争をしている国が増えている。 対立した大国同士もいつ戦争を始めてもおかしくない」

「……」

「時代が終わるかも知れないな。 そうなると、もう人類の時代は終わりかも知れない」

人類は地球の資源を食い荒らしすぎた。

次に何かの生物が文明を構築するにしても。

もう宇宙に出るのは不可能だろう。

詰み、ということだ。

人類を可能な限り支援して、宇宙進出を実現させたいものだと大魔王は言っていたらしいが。

それもどうなることやら。

いずれにしても、もしも世界大戦が始まったら。

人類は文字通り詰むと言って良い。

その時の事を、あまりロキは考えたくなかった。

人類が詰むと言う事は。

神も悪魔も同じ。

一蓮托生なのだから。

「唯一神がもう少し融通が利けば、交渉の余地もあるんだろうがなあ……」

「無理でしょう。 天使達ですら、あの有様なのですから」

「ああ、そうだな……」

「今は戦いに備えてください。 貴方はそれほど魔王としては強い方ではないですし、なんども負けて魔界で肉体を再生なさっているではないですか」

妻にそう言われると悲しいが。

全くの事実だ。

もう一杯スープを飲むと、出撃の指示が来るのを待つ事にする。

どうせロキには、戦局を変えるような力は無い。

魔王と言うカテゴリでは、最弱レベルだからだ。

現地で雑魚を狩ることは出来る。

悪魔使いでも、弱めの奴だったら充分に蹂躙できる。

だが、そこまでだ。

人間の悪魔使いには、時々とんでもないのがいて。主神クラスを従えているようなのがいるから。

そんなのにぶつかったらひとたまりもない。

メールが来た。

どうやら東京で紛争が起きるようだ。

ベルゼバブが指揮を執るかなり大きなもので、大天使や日本の対魔組織との衝突も予想されるという。

そして当然、それに参加しろという内容だった。

これはまた死んで魔界で再生コースかも知れないな。

そう思って、ロキはため息をつく。

妻に行ってくると言うと、腰を上げる。

妻は、悲しそうにロキの様子を見ていた。

トリックスターだった頃は。

それこそ、何も考えずに暴れていた。

だが、そのトリックスターという性格そのものが、作られたものであるのだ。

ロキはいったいもとは何で。

これからどうなるのだろう。

文化を楽しむという新しい趣味は出来たけれども。

その先に何があるかはまったく分からない。

ともかく、出向くしか無い。

大魔王城に出向くと、錚々たる面子が揃っていた。ロキはせいぜい中級指揮官くらいの立場でしかない。

これは大きな衝突になるな。

ロキは、そう思って。今から暗鬱たる気分だった。

 

(終)